──
広島の原爆式典に米国大使が初めて出席したが、何も語らず無言であった。この件に関して、米国は「謝罪しない」という立場を貫いている。
アメリカのルース駐日大使の広島平和記念式典への出席について、アメリカの保守系新聞、ウォールストリート・ジャーナルは、「ヒロシマへの謝罪か」と批判する記事を掲載しました。──
これに対し、国務省のクローリー次官補は、……「我々は、ヒロシマで謝罪することは何もない」とのコメントを明らかにしています。
( → 毎日放送 2010-08-07 )
謝罪することはないというが、広島の虐殺は戦争犯罪である。引用しよう。
戦争犯罪 (War crimes) とは、軍隊構成員や文民による戦時国際法に違反した行為であり、かつその行為を処罰可能なものを言う。広島の原爆投下は、一般市民(非戦闘員)を大量虐殺した。当然、ナチスのガス室(アウシュビッツ)を上回る、大規模な戦争犯罪である。
・ 特に重大な戦争犯罪として考えられるものとしては、非戦闘員への殺害・拷問・非人道的処遇、文民を人質にすること、軍事的必要性を超える無差別な破壊・殺戮など様々に考えられる。
1998年には、戦争犯罪等を裁く常設裁判所として国際刑事裁判所規程が国連の外交会議で採択された。
( → Wikipedia )
さて。常識的に言えば、このような大量虐殺は、謝罪するべき事柄になる。ではなぜ、米国は「謝罪することはない」と言うのか?
そのことは、捕鯨問題と対比すれば、よくわかる。
・ 日本人の命は大切ではない。何十万人殺しても、謝罪することはない。
・ 鯨の命は大切だ。一匹さえも、その命を奪ってはならない。
つまり、
日本人の命 < 鯨の命
である。
そのわけは? 「鯨は頭のいい高等生物だが、日本人は頭の悪い下等生物だからだ」という理屈だろう。「鯨は体も大きいが、黄色い猿は体も小さいし、やっていることも物まねだけだ」という理屈。
こうして米国の本音があらわになった。
[ 余談 ]
そして、「米国に頭を撫でてもらおう!」とシッポを振るのが、毎度のことながら、読売新聞である。 (^^);
( ※ 朝日は「イラクに大量破壊兵器があるという米国の主張は間違いだった」という検証記事を難解も掲載しているが、読売は「イラクに大量破壊兵器があるという米国に従って、日本は米国の攻撃を支持し、さらに、米国に莫大な金を貢げ」という社説を当時書いて主張した。それへの反省は、いまだにゼロ。)
( ※ イラクであれ、日本人であれ、米国にとっては、鯨よりもはるかに価値はない。だから簡単に虐殺できる。)
【 関連項目 】
→ イラク戦争の教訓