2006年07月31日
東長戸ブルーズ2
古茂田 亮は、いつもしかめっ面をしている、一体何がそんなに気に入らないのか分からないがとにかく不機嫌なヤツだった。
その亮がバンドをやっていると聞いたのはもう2年生になった頃だったろうか。
とにかく俺の人生においてバンドの匂いを感じたのはこれが始めてだった。
その後、俺は徳島に住んでいたおじさんがくれたヤマハのアコースティックギターをきっかけにギターを始めた。
アルバイトをして貯めたお金でエレキギターを購入し、指が裂けるまで弾きまくった。
当時ギターキッズ達がこぞってコピーしたのはMr.BIGやらメタリカやらであったが、俺はまだ初心者な上にどちらかというと国産のポップスの方が好きだったので、そっちの技術は進歩せず、ひたすらコード弾きという地味なギタリストまっしぐらだったものだ。
そんな俺もようやくバンドを結成し、リハーサルスタジオなどに入るようになると、あの仏頂面の亮とも接点が出来てきた。
学校の帰りに島村楽器のスタジオで「亮君のギター教室」なんてやったものだ。
しかし、結局俺は早いフレーズなど一つも弾けるようにならず、闇雲に時間だけが過ぎていった。
その亮がバンドをやっていると聞いたのはもう2年生になった頃だったろうか。
とにかく俺の人生においてバンドの匂いを感じたのはこれが始めてだった。
その後、俺は徳島に住んでいたおじさんがくれたヤマハのアコースティックギターをきっかけにギターを始めた。
アルバイトをして貯めたお金でエレキギターを購入し、指が裂けるまで弾きまくった。
当時ギターキッズ達がこぞってコピーしたのはMr.BIGやらメタリカやらであったが、俺はまだ初心者な上にどちらかというと国産のポップスの方が好きだったので、そっちの技術は進歩せず、ひたすらコード弾きという地味なギタリストまっしぐらだったものだ。
そんな俺もようやくバンドを結成し、リハーサルスタジオなどに入るようになると、あの仏頂面の亮とも接点が出来てきた。
学校の帰りに島村楽器のスタジオで「亮君のギター教室」なんてやったものだ。
しかし、結局俺は早いフレーズなど一つも弾けるようにならず、闇雲に時間だけが過ぎていった。