高木マニア堂

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247:ヨシ・タツの秘話~その一~ 

スポーツ2010年08月12日 09:00 | フォルダ : 

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<2009年11月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 2009年のプロレス界で、最も悲しくショッキングなニュースは三沢光晴さんの死去だろう。

 では、プラスの意味で最もプロレス関係者にショックを与え(色んな意味で)、誰もが予想だにしなかったニュースは、ヨシ・タツ(山本尚史)のECWデビュー→WWE定着ではないか?

 ヨシ・タツこと山本は2002年に新日本プロレスに入門。同期には中邑真輔、田口隆祐、後藤洋央紀、長尾浩志(引退)らがいた。相当な当たり年だったと言える。

 同期のレベルは高い。しかも付け人業などでもソツがない連中が揃っていた。山本と長尾はハッキリ言って〝落ちこぼれ〟だった。それでも元Vリーガーで長身を誇る長尾は、会社からの期待度も高い。だが中途半端に格闘技をかじって入門してきた山本に期待する者は少なかった。

 その上、調子に乗りやすい性格、見事なまでのナルシストっぷり、根拠のない自信、合宿所や巡業中は先輩選手(たいてい真壁刀義ら)への珍妙な口答えが災いし、実によく殴られていた。それも年下の先輩(たいてい柴田勝頼や矢野通ら)にまで。しかもハンパじゃない頻度で…。

 先輩から後輩へと理不尽な暴力がふるわれることは新日プロの伝統行事。こういう場合、ある意味で門外漢である報道陣が、殴られる後輩側に同情し、慰め役に回ったりするものだ。

 ところが山本に関しては、どう考えても正義は「殴る側」にあると感じてしまうことがほとんど。殴られた理由を聞いても「当たり前だ!」「自業自得」と納得してしまったものだ。

 どんな豪傑といえど、粗相をして「1か月外出禁止!」と厳しく通達されたその夜に「これから合コンがあるんで」とは言い出せないモノだろう…。

 新日本プロレス合宿所が、もっともっと理不尽だった時代を知る小林邦昭さんやスーパー・ストロング・マシンをして「オレがあんな目に合ったら、とっとと夜逃げしている…」と妙な部分で山本に感心するほどだった。

 そんな型破りなタイプは「先輩からのシゴきに耐え抜き、その後、道場でのスパーリングはめっきり強くなって~」と話が続くのが定番だが、山本はそっち方面でも、めっきり弱く、次々に後輩たちに追い抜かれていった。

 他のヤングライオン勢と比べて、年齢は結構いっている。道場でのスパーリングも弱く、試合でもダメ出しされる日々。このままプロレスを続けていても芽が出ないのは、誰の目から見ても明白だった。

 そんなある日、山本の試合ぶりを誉めるという「奇跡の神」が現れたのだった。
             (次回へと続く)

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