定型発達者もつらい…かな?

花風社・浅見淳子のブログ

特別な存在ではない

2010-08-05 05:24:36 | 日記
もう一つ賢ママさんに習ったことがありました。

そもそも神田橋先生を「大大大博士」と呼び始めたのは、大地君への説明のためです。
すごい先生なんだ。
8歳の子にそれを伝えるためにひねり出した呼び名が「大大大博士」でした。

さて、大大大博士の本が毎日少しずつでき上がってきたとき
花風社のHPから直接お買い上げの皆様に、毎日厳正なる先着順で送り出していました。
「届きました!」「うちまだ届きません」等の情報がネット上を飛び交っていたとき
大地君はパパに言ったそうです。「僕のところにはいつ来るのかな?」

実は大地君にはこう言われていたんです。
「本はいくらですか? 大地の小遣いで買おうと思います」
でもね、中にたくさん登場してくれているので一冊上げますよ、と私は言っていました。
だから大地君は、いつ送られてくるかな〜と楽しみにしていて、パパにこう言ったらしい。

それに対するパパの答えが
「おまえは浅見さんの好意でいただくんだから一番最後だ。お金を払っている人が先、お客さんが先だ」

もちろん私だってそう考えていたんですけど、あまりに楽しみにしてくれているので「一冊くらいなんとかしようか」と迷っていたころでした。
でも親御さんがそういう教育方針なら、周囲の大人としてはそれを尊重すべきです。
というわけでお客さん全員に送り出したあと、大地君に一冊送りました。

賢ママさんにそのときの話をしたら

「当たり前です。そこで優先して送ってはいけません。自分が優先されて当然だと思うようになってしまいます」

そうか。よかった。
お金を払った人が優先。
お客様が優先。
これは現実社会の鉄則ですものね。

でも親御さんがこれをわかっていないと子どもには教えられません。

立ち読みした本に曲解の難癖つけて勝手に質問を投げかけ吠え立てたり
子どもの成長を喜んでいる人の存在に勝手に疑義を投げかけて知る権利のないことを知りたがったり
親に「自分は特別な存在」という誤った思い込みがあるのなら
子どもに「おまえは特別な存在ではない」と教えられるわけがないです。
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自分のものと他人のもの

2010-08-02 07:56:27 | 日記
先日、賢ママさんと名古屋で話して感心したこと。
たーくさんあったんですけど今日は一つだけご紹介します。

あの日にお会いしたこと
しゃべったことについては、ここに書いてもいいと許可をいただいています。
私の誤解があったら賢ママさんが指摘してくださると思います。
そうしたらここにまたアップしていきますね。

さてさて

賢ママさんのお子さんたちは、偏食もあり
食も細かったそうです。
それでもたまには食べられるものがあるでしょ?
そうするとおじいさんおばあさんとしては嬉しくて
自分のお皿の分まで分け与えたりするらしい。

身内の情愛から発する行為としては、しごくまっとうに思えます。

でも、それを賢ママさんはやめてもらったそうです。

「なんでですか?」と私は訊きました。

そうしたら

「好きなものなら他人のものを奪ってもかまわない」
こう誤学習すると、あとあとのためによくないから。
ファミレスで他人の皿にも手を出しかねない。
それは結局、本人のためにならない。

なるほどなあ。
それは気づかなかった。さすが。

でもよく考えたら、子どもに教えるには、大人がわかっていないといけないですよね。
自分のものと他人のものの区別を。

写真は稀勢の里ご贔屓仲間にもらった足利学校キティちゃん。
このブログを見てくれているようで
名古屋場所を一緒に見たときにいただきました。

私たちが行った日に限らず
中継のなかった名古屋場所は、入れ替わり立ち替わり全国から熱心なお相撲ファンの誰かが現地に足を運んでいたけど
そしてその中には少なからずiPhoneユーザーがいたけど
主催者への断りなしにストリーミングしていた人もいなかったし、それをせがむ人もいませんでしたね。

たぶん、ストリーミングなんかしていた人がいたら、喜ぶ前に
「大丈夫なのかな?」って心配になったんではないでしょうか。

私たちはチケット代を払って本場所を見に行くけど
そのチケット代には、配信の権利は含まれていませんからね。

社会に生きる者として当たり前。
自分の権利と他人の権利を区別するのはね。

他人のものは他人のものとしてきちんと尊重する。

それがSSTの基本でしょう?
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来年の今日

2010-07-30 06:16:50 | 日記
来年の今日、横浜で岩永先生の講演会が開かれます。

思えば岩永先生とのご縁をつれてきてくれたのはニキさんと藤家さんです。
ニキさんと藤家さんと一緒に仕事をするうちに、「この人たち、身体さえしっかりすれば社会適応可能なんじゃないか」と思ったのが「自閉っ子、こういう風にできてます!」の着想の元でした。

私の周囲には比較的、いわゆる「堅い勤め人でない人」が比較的たくさんいると思います。
そういう立場から見ると、「学校で適応できたかどうか」って社会に出るとあまり重要じゃないです。
学校時代に強調される社会性と、社会に出てから必要な社会性って結構違います。
だから逆に、学校に適応できない=社会でうまくやれない、ではないと実感しています。
相当な変人でも社会は受け入れる度量の広さがあります。これはいつも私が講演で話すことです。

ただし、周囲の「堅い勤め人ではないけれども社会適応している人」を見ると
ある程度の体力が必須だとわかってきます。
だから身体の問題に興味を持ち「自閉っ子、こういう風にできてます!」を出しました。
それを読んで長崎に呼んでくださったのが岩永先生たち。ここからご縁ができて「続自閉っ子」「続々自閉っ子」につながりました。
そして岩永先生のお仕事に興味を持たれた神田橋先生につながりました。

人の縁というのは面白くありがたいものであります。
来年の今日。岩永先生の講演が横浜で行われるとき。
私は新たにどんな方たちと縁ができているでしょうか。
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「発達障害者は発達する」をマンガにしました

2010-07-26 13:10:03 | 日記
「発達障害は治りますか?」初版が出てから、起こったこと。

それをマンガにしてみました。

画伯に週末作業していただき
つい先ほど神田橋先生のご許可が出たので、アップします。

はがきでも作ろうかな。

「先生の本を読んでよくなったと喜ぶ親御さんに対してもバッシングがあるんですよ」という私のご報告に対し、神田橋先生はたった一言でバッシングの仕組みを教えてくださいました。

内容はもちろん秘密。

ただ私的には大納得の一言でした。
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使い分け

2010-07-25 07:00:14 | 日記
年に三冊でも、数年本を出していると
それなりにバラエティが出てくる。

そろそろ使い分けを考えるようになった。

たとえば6月に呼ばれた京都府・南丹市での講演会。
ここではニキさんから話を引っ張り出すことに専念した。
事前の主催者様とのやり取りから
「This is ニキ・リンコ」という内容がいいだろうなと思ったからだ。
ニキさんも張り切ってしゃべってくれた。
書籍販売もニキさんの本しか持っていかなかった。

先日の茨城の講演では、事前に主催者様と打ち合わせをして内容を詰めた。
ここからの最初のオファーは「保護者でも支援者でもない立場で話をしてほしい」
(これって実はセンスのいいオファーだ)

前もってレジュメを提出し、検討していただき
「治りますか?」系の話を入れたほうがいいかどうかお尋ねしてみた。
入れてほしい、とのことだったので、当日藤家さんの話をして
「治るか治らないかは『自閉っ子的心身安定生活!』を読んでから決めてください」
とお話した。
神田橋先生は「発達障害は治りますか?」のあとがきで藤家さんを「エビデンスの証人」と形容されている。

先週は障害のある方の就労に詳しい方に会いに行った。
持っていったのは「ぼく、アスペルガーかもしれない。」だ。
「毎日学校に行くのは小学生のお仕事です」
こう育てられている大地君の話をした。
就労の現場を知っている方から見ると、しごくまっとう、正しい育て方だということだった。
そらそうだよね。

年に三冊でもバラエティは広がっていくのだが
このまま私が長々と夏休みを取ったら
今年は果たして何冊出るのでしょうね?
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