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人事院が、国家公務員の給与について内閣と国会に勧告した。年間給与の1.5%引き下げもさることながら、労働基本権に関する言及が興味深い。基本権を回復して人件費を削減することが本当に可能か。民主[記事全文]
桑田、清原両選手を擁したPL学園高校が、甲子園を制した夏だった。1985年8月12日夕、大阪行き日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落。犠牲者520人の大惨事となった。4カ[記事全文]
人事院が、国家公務員の給与について内閣と国会に勧告した。年間給与の1.5%引き下げもさることながら、労働基本権に関する言及が興味深い。基本権を回復して人件費を削減することが本当に可能か。民主党の主張に事実上、疑問を呈しているからだ。
公務員は仕事の特性から、憲法で保障された労働基本権のうち団体交渉権を制限され、ストを禁じられている。その代わり人事院が民間の賃金動向を調べ、それにあわせるよう勧告する。
民主党は、この仕組みの変更をめざす。昨年の衆院選では基本権を回復し労使交渉で給与を決めると公約した。総人件費を2割削減する方法としても労使交渉による給与決定を挙げた。
だが勧告は、むやみに賃上げすれば倒産しかねない民間企業とは違い、国が労使交渉で給与を決める難しさを指摘。何のために基本権の制約を見直すのか、目的の明確化も求めた。
もっともな指摘だ。労働者が本来持つ権利の回復をめざすのは良いが、それで人件費を減らすというのは八百屋で魚を求めるたぐいではないか。
現行制度でも給与は下がっている。減少に転じる前の1998年に比べ、09年は本省係長で12.8%、地方の係長で17.5%減。民間にあわせた上、比べる企業の規模を「100人以上」から「50人以上」に広げたためだ。さらに大幅に引き下げたいと交渉しても労組が簡単に応じるとは考えにくい。
これに限らず、民主党の人件費削減案は首をひねりたくなるものが多い。
国家公務員を自治体に移す案も経費節減につながるとは限らない。確かに人件費は減るが、自治体に受け入れてもらうには、給与の財源を渡さざるを得ないだろう。国と自治体が似た仕事を手がける「二重行政」をどう解消するか、それでどれほど合理化できるかを詰めないと効果は見えてこない。
原口一博総務相は、新規採用を約3千人減らす措置を15年間続ければ1700億円の人件費減になるという。だがそれでは若者の雇用が減り、年齢構成もゆがむ。弊害も十分考慮したうえでなければ有益な議論にはならない。
勧告通り1.5%引き下げるか、さらに減らすか。閣内ではそんな議論が始まっている。来年度予算編成は厳しい。消費増税論議も避けられない中、確かに人件費を聖域にはできない。
であればこそ急がれるのは大きな絵を描くことだ。その努力を怠り、目先のつじつまだけあわせていてはひずみが生じる。増税論議の前に率先することが不可欠だというなら、国会議員の歳費削減が先ではないか。
公約通りにできると言い繕うのは、もうやめた方がいい。求められるのはその場しのぎの策ではなく現実的な手段だ。実態を正直に説明し、地に足をつけた議論を始める時がきている。
桑田、清原両選手を擁したPL学園高校が、甲子園を制した夏だった。1985年8月12日夕、大阪行き日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落。犠牲者520人の大惨事となった。
4カ月後、連絡を取り合った遺族らが「8・12連絡会」を結成する。
「下を向いて生きることに終止符を打とう」と、会の名からは「遺族」の2文字が削られた。悲嘆に閉じこもらず、原因の徹底究明を求め、空の安全に役立ててゆこうという姿勢の表れだった。だが、やがて遺族たちはこんな疑問を抱くようになる。
日本での大事故への対応は、刑事責任の追及に傾きすぎて、再発防止に十分役だっていないのではないか――。
連絡会は、日航やボーイング社幹部らの告訴・告発に踏み切ったが、捜査の結果は、全員不起訴だった。
航空機のような巨大なシステムの事故は、様々な遠因を持つミスが連鎖して起きる。罪に問うべき過失の特定は難しく、たとえ個人を追及できても事故の全容解明につながりにくい。不起訴なら捜査情報も開示されない。
一方、運輸省(現国土交通省)の航空事故調査委員会は、しりもち事故の修理ミスがもとで圧力隔壁破壊が起きた、と結論づけた。だが、その報告書は、修理ミスの背景などには深く突っ込んではいない。
事故調は、態勢も権限もあまりに弱かった。警察との取り決めで事情聴取や機体押収では捜査が優先された。捜査を恐れる関係者は、事故調にありのままを話すことをためらいがちだ。
「調査」と「捜査」を明確に分け、原因究明を後回しにせず、ミスの背後にある構造的問題を解き明かし、有効な安全策に結びつける。それが、遺族の悲しみを繰り返さぬ道ではないか。
91年の信楽高原鉄道衝突、94年中華航空機墜落、05年JR宝塚線(福知山線)脱線と、交通機関の大惨事は相次いだ。思いを共にする遺族たちは、強い権限を持つ調査機関を求め続けた。
事故調は08年、運輸安全委員会に改組され、形の上は独立性が強まった。だが職員の大半は国交省出向組で警察との取り決めもそのままだ。昨年はJR脱線事故を巡り、改組前の委員の情報漏洩(ろうえい)が発覚。信頼はまた揺らいだ。
この問題で、国交省の検証チームは、事故調査のあり方を見直す議論を続けている。連絡会の願いは、ようやく尾根口にたどりついたとは言える。
メディアを含め社会の側にも、省みるべき課題がある。大事故が起きると、責任者を特定し裁きの場に連れ出すことに、焦点を合わせすぎていないか。それは必ずしも事故の教訓を社会で共有することにはつながらない。
あの夏から25年。多くの人が記憶にとどめ続けるには長く、安全な文化を築きあげるには、まだ短い。