加藤智大被告の「見え」と「性欲」週刊朝日8月11日(水) 16時 5分配信 / 国内 - 社会
8月3日、東京地裁104号法廷。4日目となる被告人質問で、加藤智大被告は検察官の質問の言葉尻をとらえてこう訂正した。 「(事件を)『起こした』というよりも、『起こさざるを得なかった』ということです」 事件を想起した経緯が詳しく思い出せないという証言について質問されると、 「いや、大きな事件を起こそうとも考えてないです」 とも言い切った。加藤被告の本音がじわっと垣間見られたように感じられた。 先週号でも紹介したように、事件を起こした動機と理由について、加藤被告は自身の「ストーリー」を丁寧に作り上げている。 曰く、インターネットの掲示板に立てた自身のスレッドに、荒らしや自分になりすますといった迷惑行為をする人たちが現れた。自分が本気で嫌がっていることを彼らに伝えるため、事件を起こした。これが「動機」だ。 事件の「原因」には三つ挙げられた。 1.大切な掲示板を迷惑行為によって奪われたこと 2.掲示板に依存しすぎた生活 3.伝えたいことを言葉ではなく行動で示そうとする自分の「考え方」。 3番目の「考え方」に影響したのが、母親による子育てだと「自己分析」した。 被告人質問での証言によれば、最初の思い出は3歳のころ、母親にトイレに閉じ込められて電気を消された。2階の窓から体を突き出されたこともあった。自宅の新築時に遊んでくれた大工に憧れてなりたいと思ったが、否定された。夢に見たレーサーも同様だった。 風呂で九九を暗唱し、間違えると風呂に沈められた。母親は「スイミングを習っててよかったね」と笑った。泣くたびにスタンプが増えるスタンプカードを作られ、10個たまると罰が下る。夏にはサウナ状態の屋根裏部屋に閉じ込められた。 新聞の折り込みチラシにぶちまけられたご飯を食べさせられたのは有名だが、これは食器を片付けたい母親より食べるのが遅かったとき。小学校時代の数カ月間に幾度かあったが、父親は「見て見ぬふり」だったという。 小学校高学年でおねしょしたときには、布オムツをはかされた。買ってもらったパソコンも「欲しくないのに無理やり買い与えられた」と言い、楽しい思い出はないと断言している。 中学時代にガールフレンドがいたことや親しい仲間たちとの思い出も、加藤被告は法廷で冗舌に語った。そこにも恋愛を禁止したり家で遊ぶことを嫌がったりする母親の「悪行」が添えられた。 伝えたいことを行動で示すという加藤被告の「考え方」に沿ったエピソードは実に豊富だった。高校卒業後に転々とした先々の学校や勤め先で友人や同僚と衝突し、一人ぶちギレて人間関係や職場を放り出して困らせる。火をつけるとか、トラックをぶつけるとか、想像しただけの「犯行」は今でも細部まで覚えている。 一度も実行されない自殺願望をたびたび抱き、そのつど誰かに止められて中断する経緯が詳しく語られた。中央線の電車に飛び込むなど、自殺方法はいつも具体的。止める人がいたから自殺は中断されたが、止める人がいなかったから事件を「起こさざるを得なかった」と言いたいのだろう。 一方で、自身が抱く身勝手な欲望については、頑なに否定しようとする。 たとえば、掲示板で知り合った女性が加藤被告を自宅に泊めたところ、寝ている間に胸をツンツンつつかれ、朝方に目覚めたら馬乗りになられていたと証言したことは、本誌7月16日号でも紹介した。 加藤被告は法廷で、 「私が甘えるような形で、彼女のおなかのあたりに抱きつくことがありました」 と説明し、揚げ句、 「彼女は自分が強姦されそうだったと。でも私は強姦するつもりはなく、事実でないことで責められた」 と”冤罪”を訴えた。 検事からセックスやエッチ行為の意図を問われても、 「そうではないです」 と否定し、性欲もなかったと証言した。加藤被告の記憶は「抱きついただけ」で、自分のカバンに隠し持っていたコンドームのことも「覚えていない」と言う。 検事調書の中では、 「彼女のおしりあたりにチンコを押し当てて何度か腰を振った」 と語っているが、これも事実ではないと主張した。 逮捕後に作成された警察や検察の調書について、加藤被告はこう語っている。 「調書は当時の『予想』に過ぎません。現在の『考え』とは違います」 現在までに「考え」が変わった理由を問われると、こう説明した。 「変わったというか、これまで考えてきて、真相に行き着いたという感じです。公判前整理手続きでいろいろと情報を見せられて、いろいろ考えて、つながってきたというか……」 つまり自身の思索の結果、動機を一つに絞った。そのため、事件後に自ら述べ、検察側に提示されたさまざまな要因はことごとく否定することになったようだ。 自身の顔や容姿、彼女ができないことへのコンプレックスは、事件前には抱いていなかったと主張する。 曰く、事件の2年前、出会い系サイトで知り合った女性に顔写真を送った途端に音信不通となり、コンプレックスを抱いたことはあった。その後も周囲に悩みを語り、掲示板につづってもいたが、掲示板で自虐的につづるうちに現実を受け入れられた。掲示板に「ブサイク」とつづったのはぜんぶ自虐ネタに過ぎず、もう悩んでいなかったという。 事件前も彼女が欲しくないわけではなかったが、借金などで生活が不安定で、彼女ができたら迷惑がかかるため、それどころではないと思っていたと言い、こうも付け加えた。 「自分は彼女ができないとは思っていなかった」 派遣切りへの憤怒も消えていたと主張する。クビ切りを宣告されたときは疑問に思い、クビ切りを撤回されると〈派遣は使い捨てのパーツだ〉と掲示板で憤ったが、別の掲示板「2ちゃんねる」で〈正社員でも派遣でも組織に属するというのはそういうもの〉との書き込みを見て「なるほど」と得心したのだという。 大きな事件を想像したものの、それは起こさない前提での「イメージ」に過ぎない。刃物の購入もレンタカーの借用もただの「アピール」で、誰にも何にも止められないから「起こさざるを得なかった」。これが事件から2年かけて作られてきた「ストーリー」だ。 加藤被告は法廷で「覚えていません」「よく分かりません」を連発し、さらに窮すると「合理的な説明ができません」と言いだす。まるで被害者のような自身の物語にそぐわない思い出は、記憶から抹消されてしまったかのように映る。 検察側が明かした事件後の調書によれば、犯行前日と前々日に続けて風俗店に行き、性的サービスを施された。その理由について、 「誰かに(犯行を)相談したかったのかもしれませんが、記憶にありません」 と述べていたという。 人間の行動は必ずしも「合理的」ではない。それを理解しない限り、加藤被告がありのままの「真相」を語ることは期待できそうにない。 本誌・藤田知也
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