子育て

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きっと、だいじょうぶ。:/9 子どもの泣き声=西野博之

 わあーと大声をあげて泣く子どもの姿を、街角であまり見かけなくなってきた。少し前までは、電車の中でも、お店屋さんの店頭でも、子どもはよく泣いていた。

 「あのおもちゃが欲しい」「おなかがすいた」「まだおうちに帰りたくない」……。泣くことは、子どもの大事な自己表現であり、自分の思いを、親や周りの大人に訴える唯一の手段なのだと思う。

 一方、親のほうは、なだめたりすかしたりしながらも、どうしたって子どもの要求をかなえることができないときは気がすむまで泣かせておいた。「欲しいのねー、でも今日は買わないよー」。やがて子どもは泣き疲れて眠ってしまったり、何で泣いているのかも忘れてしまったり。

 その親子のやり取りに、周囲の大人たちは寛容だった。「子どものあたりまえの姿だよ。よくあることさ」「泣いてわめいて、子どもは成長していくのよ。順調に育っているわよ」。ダダをこねる子どもへも親たちへも、優しいまなざしを送っていた。

 最近は、ちょっと事情が変わってきている。周囲の大人の目線が厳しくなった。「母親がそばにいるのに、なんで泣かせ続けるんだ。非常識だろ」「うるさくて落ち着かない。なんて迷惑なんだ」。有言無言のさまざまなプレッシャーに耐えかねて、親たちは子どもの泣き声を抑えつける。「静かにしなさい」と叱(しか)りながら、仕方なく子どもの要求のままに物を買い与えたり、すごい形相でひっぱたいたり。目の前の子どもの成長にとってどうしたらいいのか、じっくり考えて向き合う余裕などなくなる。親である私が、周りからどう評価されるかを優先してしまう。

 連日の虐待報道で、まじめな親たちがナーバスになっている。子どもを泣かせてはいけない。家の中で泣き声が続くと通報されてしまうかもしれない。とにかく子どもを黙らせなくては。窓を閉め、カーテンを引き、泣き声が外に漏れることにも怯(おび)えている。ひりひりとした緊張感は、子どもの育ちを確実にむしばんでいく。悲しいとか悔しいとかいう感情を、素直に表現できないまま、大人になってしまうのではないだろうか。

 本当は親だって、大声をあげて泣きたいんじゃないのかなと思う。

 子どもの泣き声を監視する社会になれば、密室の中で追い詰められた親によって、むしろ新たな虐待が生み出されるのではないだろうか。

 子どもも親も、安心して泣ける社会でありたいものだ。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は29日

毎日新聞 2010年8月8日 東京朝刊

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