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【正論】終戦から65年 立命館大学教授 大阪大学名誉教授 加地伸行

2010.8.11 03:18
このニュースのトピックス正論

 ■同胞の視点で「沖縄」に向き合う

 敗戦の日、私は国民学校(今の小学校)3年生であった。その数カ月前、米軍の空襲(空爆)を避け、大阪から父の郷里の農村に疎開し転校していた。

 当日正午、ラジオの玉音放送を拝聴した。そのことばの意味は分らなかったが、大人たちの会話から戦争に敗れたことが分った。

 当時9歳の少年であり、それ以上の記憶はない。しかし、その夕方、近所の人々(大半は農民)が集まって議論していた内容ははっきりと記憶している。

 それは、これから始まる敵軍の占領において、どの国が日本のどの地域を占領するのかという議論であった。北海道はソ連、本州はアメリカ、九州はイギリス・オランダ、四国は支那であろうという結論だった。

 ≪知らぬ顔してきた不作為の罪≫

 それから65年が経つ。いつのころからだったろうか、敗戦の日を迎えるたびに、私はあの日の農民たちの議論の意味を考えるようになっていた。

 敗戦当時、就業人口の約7割は農民であったから、平均的日本人ということだ。その農民たちは敗戦を冷静に受けとめていたのである。「鬼畜米英、撃ちてし止(や)まん」といった過激な戦時標語とは実は異なっていた。それどころか、もう関心は占領されるという現実の方へ向かっていたのである。

 私は、それを非難しようとは思わない。現実的になるのが生活者というものであろう。己れの安心安全が第一というのが生物の本能だからである。それはそれで、生物的には正しかった。

 しかし、その瞬間から、他者のことはすっぽりと抜け落ちてしまったのである。すなわち、アッツ島の玉砕、硫黄島の壮烈な抵抗、特別攻撃隊の散華、そして沖縄の絶望的な決戦、すべて自己とは無縁なできごととして忘れていったのである。これは人間として正しいのであろうか。

 沖縄県民の真の怒りは、敗戦後、県外日本人が沖縄を忘れていったことにあるのではなかろうか。

 私は保守思想派である。だから、左翼系の硬直したイデオロギーまみれの運動には批判的である。彼らがどれほど沖縄を食いものにし、沖縄問題を歪(ゆが)めてきたことか、罪、万死に値する。しかし、イデオロギーとは関わりなく日本人一般が、敗戦の日から沖縄を忘れ、他人事(ひとごと)のように知らぬ顔をしてきた不作為の罪もまた、同じく万死に値する。

 ただし、かつて沖縄のために尽くした人々はいた。例えば、昭和20年、だれもが辞退した沖縄県知事(当時は官選)を引き受けた島田叡(あきら)は1月に着任後、献身的に尽くし、6月、日本軍総司令部のあった摩文仁(まぶに)において自決した。総司令官の牛島満中将は総責任をとり、割腹自決し、沖縄戦は終った。

 その間、海軍地上部隊司令官の大田実少将は、686字の打電文に、県民の戦闘参加の状況と窮状とを記し、「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結んでいる。その1週間後、幕僚とともに自決。

 ≪国防の恩に日本全体で感謝を≫

 その昔、責任をとった牛島ら将帥(しょうすい)、島田らキャリア官僚がいたのである。

 因みに、昭和26年6月、「島守(しまもり)の塔」が旧沖縄県庁生存職員の発起により、全県民の浄財によって建立され、第1回慰霊祭が行われた。島田以下戦没県職員458柱。島田の母校の神戸二中(現兵庫高)同窓会は島田杯を沖縄県高校野球連盟に贈り、優勝杯として島田知事の名を語り伝えている。

 しかし敗戦後65年、われわれは沖縄を忘れて政府まかせにしてきたのではなかろうか。

 一方、現実を冷徹に見るとき、日本の国防における沖縄の地理的位置は最も重要であり、基地(その場所は別として)を置かざるをえない。いや、置かねばならない。

 とすれば、沖縄に対して単に地域への経済的援助に終始するのではなくて、日本全体としてできることを多様に提供すべきではないのか。

 例えば、国家から大恩恵を蒙っている、東大をはじめとする旧帝国大学系7大学は、その総入学定員数約1万5千人強の内、少なくとも3%程度すなわち約500人分を、小中高を沖縄で暮らし育った受験生に対して入学沖縄枠として提供せよ。また、証券市場に上場できるほどの会社数千は、毎年必ず1人を入社沖縄枠として求職者に提供せよ。沖縄の国防負担によって大学も会社も存続できていることに応えるべきだ。

 沖縄を同胞の視点で見ない、民主党政権の不見識のため、今や普天間基地移転だけが沖縄問題のようになっている。しかも県外日本人の大半は、自分とは無縁な政治問題としてしか見ていない。そこには、敗戦の日の夕方、己れの安全の議論に熱中していた農民の姿勢に通ずるものがある。

 沖縄問題を政治問題に限定し抽象化するのではなくて、同胞として実現可能なさまざまな具体案を提示すべき秋(とき)である。(かじ のぶゆき)

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