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Chikirinの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-08-10 “私的援助市場”にみる市場原理

世の中には様々な“市場”がありますが、規制が全くなく完全なマーケットメカニズムに基づいて動いている市場のひとつが“私的援助市場”です。

ちなみに公的援助というのは社会福祉のことで、こちらは“公”ですから市場原理は働きません。しかし私的な援助市場、たとえばボランティアや寄付など人々の自発的な意思による支援・寄付分野において、誰がその寄付や援助を獲得できるか、というのは、完全に市場原理で決まります。


たとえば、“大人 vs. 子供”で考えてみましょう。公的な援助(社会福祉)は高齢者に厚いですが、私的援助は圧倒的に子供に有利です。

難病の子供の臓器移植(海外)のためであれば1億円の寄付が集まる可能性もあります。しかし難病の中高年がいくら貧困でも、臓器移植(国内)のために一億円の100分の1に過ぎない100万円でも集めるのは至難の業です。これは“私的援助市場”において「子供は大人より圧倒的に競争力がある」ということを示しています。

他にも、アフリカの貧しい国の人のために毎月一定額の寄付をする人の方が、日本のホームレスのために毎月同じ額を寄付する人より多いとは思いませんか?そうだとすると、「アフリカの飢えた人達は、日本のホームレスより、私的援助市場において強者である」といえます。(例なので反対でもよいです。)

以前、寄付を募ってカンボジアに学校を建てようというテレビ番組がありました。この企画、日本のどこかに障害者施設を建てようという話より、スポンサーや視聴者がつきやすいんじゃないでしょうか。その場合、「カンボジアの学校は日本の障害者施設より私的援助市場において競争力がある」わけです。


どちらに自分の寄付金や労力を譲渡したいかという具体的な選択は、個々人によって異なります。市場ですから全員の意見が完全に一致することはありません。しかし参加者全員の意思表明により、市場全体としては“より強いモノ”と“より弱いモノ”がランクづけられます。そして、強者は弱者よりも、金銭的・非金銭的な寄付を“より獲得しやすい”状態になります。

そしてこの市場にはナンの規制もありません。国際条約も規制も監督官庁もない完全な自由市場であり、人は“自分が援助したいもの”を任意に選べます。“より貧しい人から順に寄付を配分される権利がある”などというルールは存在しないのです。

このため、援助を勝ち得るためにはマーケティングやコミュニケーション・ストラテジーが重要であり、また、どの(寄付をする人の)セグメントを狙うべきか、などの綿密な戦略も必要となります。


ざっと考えたところ、この市場における強者とは、

(1)子供

自己責任が問いにくい、(おじさん、おばさんよりは)かわいい、素直に喜ぶ(せっかくの援助に対して小難しいコトを言わない)、など様々な理由において、子供は圧倒的な強者です。

一部の途上国では、日本人観光客が集まる場所につれていく“赤ちゃん”を“物乞い”の人に貸してくれる商売があると言われていますが、この市場での子供の圧倒的な競争力を考えれば、そういった商売がでてくるのも当然と言えるでしょう。


(2)見た目が善いもの

他の市場と同様、“見た目”も重要です。この市場で最も好まれる見た目とは、“みすぼらしいが、汚くはない”もの、“素直で純粋に見え、ひねていないもの”、“寄付者より優れているところはひとつも見つけられないかわいそうなもの”などです。


(3)聞こえの善い寄付項目

同じ額でも“教育費なら出してもいいが、生活費に消えるならいやだ”という人がいます。なにか高尚なことに貢献したいと考えている人達がいるのです。ちなみに、日本人が最も好きな項目は“教育”ですが、欧州ではイルカや鯨などの“ほ乳類”や“環境”、アメリカでは“人権”や“アート”なども競争力が高い項目です。

この分野の例としては、「途上国では給食がでるから、子供達は学校にやってくるのです」というキャッチフレーズで、競争力のある“教育”というキーワードを前面に出しつつ、なかなか寄付の集まりにくい“食費”を集めることに成功したケースなどが存在します。


(4)身近だがよく見えない手頃な距離感

日本の私的援助市場では、同じ子供でも、アフリカの子供よりはアジアの子供、中国の子供よりはカンボジアの子供、日本国内の子供よりは海外の子供、の方が競争力があるようです。

アジアはアフリカより身近ですし、中国はなんとなくイヤだけど「カンボジアはよく知らないしアンコールワットも素敵だったから助けてあげたい」という感じでしょうか。

あと、国内に寄付対象者がいると情報管理ができないのも不利な点です。たとえば、アフリカに援助しても、その多くは横流しされてしまいます。しかしそれは日本からは見えません。一方、日本で誰かに寄付すると、その人がビールを飲んでいた!とか、タバコを吸っていた!とか、ひどいときには“楽しそうに笑っていた!”とまで、マスコミが騒ぎ立てるんです。これにより、それらの被援助者は一気に競合優位性を失ってしまいます。アフリカへの寄付だって相当程度が、関係者のタバコ代や洋酒代に消えてると思いますが、そんなん見えないからいいんです。


このように、この市場は残酷なまでに厳しいマーケットメカニズムで動いています。勝ち残っていくためには、上記のような傾向を踏まえ、「みすぼらしく純粋な子供を前面に出し、できる限り目的を教育とヒモづけ、情報管理(マスコミ対策)に細心の注意を払うこと」が重要なのです。



・・・本当の弱者とは、“私的援助市場でさえ弱者である人達”なのかもしれません。



そんじゃーね。

brritobrrito 2010/08/10 21:36 「私的援助市場」ってどんなところで可視化されているのでしょう?
災害時にしか寄付したことないんで、よくわからないのですが。こんなところに寄付が集まってますよ、っていうのが統計とれれば「おお、こんなんか」と思えるのですが。

ユニセフとかが「子供」かな?子供の病気とかもよく見かけますが、結局は単発ですよね。あとは大学がよく寄付を募っていますが、出したことはないです。

日本のお金持ちもアメリカのお金持ちを見習ってもっと寄付して欲しい。というか、寄付したり財団を作って奨学金をあげたりしないと、財産家は非難されるカルチャーがあるからですよね。法人の寄付は非課税なのですよね。だから法人税にとられるよりはと寄付するという話も時々聞きますけど、散発的なものなのでしょうかね…?

ishiotokoishiotoko 2010/08/10 21:37 んーなるほど。

私的援助も、本気で成果を上げたかったら広告・マーケティング費用対効果を持ち込むべきなんでしょうね。

しかしこの着眼点、すごい。。。ちょっと最近のエントリの中では「着眼賞」じゃないかと思うのは私だけ?

roadtoshangrilaroadtoshangrila 2010/08/10 21:41 面白く、さすが鋭い考察ですね。私も、何となく考えていたことです。寄付する時は、シビアに検討してからすべきだと思います。私も、寄付金が集まりそうなところは避けて、その時期に忘れられそうなところがどこかということを考えます。ブームありますからね。

日本でも、外資系に勤めている人などは、給料の何パーセントかを寄付に回す文化があると思います。主にアメリカの文化だと思いますが、ヨーロッパでも根強いです。noblesse oblige(恵まれている人たちの社会的責任)の意識もありますし、助け合いの精神を、知り合いでない必要としている人たちに向けます。アメリカは、公的セーフティーネットが弱いと言われますが、民間のボランティアは充実しているので、ボランティア組織が必要なセーフティーネットを提供してます。現在の日本はどちらもないので、社会の底辺の人たちは大変です。

yn1365yn1365 2010/08/10 22:10 寄付に対して以前から感じていたモヤモヤとした偽善者感や 本当に届いているの感 の一部が解決しました。まず自分の一番身近な人々に親切に出来ないのに見ず知らずの人に寄付することは、やはり一定の良いことした感の対価あればこそだと思います。それでも寄付したはずの数パーセントでも本来の目的に適っていれば善とするという割り切った考えもあるのかも知れません。

roughguideroughguide 2010/08/10 22:12 シチュエーションとしてはチベット難民の子どもあたりが最強かな?

jotun82jotun82 2010/08/10 22:35 オレオレ詐欺が廃れたら、この手の募金詐欺が増えるのかもしれませんね。
…オレオレ詐欺自体、私的援助市場での強者(被害者の家族など)を装った私的援助詐欺と言えるかもしれませんが。

この手の「市場」は不透明な部分が多くてなんとなく胡散臭いイメージを持ってましたが、「対象者が遠くにいて情報管理がしやすい」ことまで計算ずくだとしたら相当悪辣な手法ですよね。

とりあえず私的援助市場での弱者(日本のホームレス)は、「海外に募金したらほとんどが流用される!(しかし私にくれるならすべて私が使い切る!)」ということをアピールするのがベストなのかな?

PlayboaterPlayboater 2010/08/10 23:28 石井光太氏の一連の著作に、レンタルチャイルドや「本当の弱者」の事が記されていますね。
http://www.kotaism.com/index.htm

surume777surume777 2010/08/10 23:30 欧米との比較はどうなんでしょうかね。

寄付の原動力を考えると次の事が思い浮かびます。
?支配層が非支配層に寄付する事で支配層の地位を守る。
?成功した人が寄付を行う事により妬み嫉みを和らげる。
?善行を行った事により幸福感を得る。

欧米と違って日本は階級社会じゃなく、ずば抜けて成功するのも難しい構造だから
日本人の寄付行動は?になる気がします。

?になると寄付した後は、出来るだけ嫌な事を聞いたり想像したくないから寄付する対象は決まってしまう気がします。聞きたいのはネガティブな情報じゃなくて「ありがとうのお礼の言葉」だけ。命の値段や効率を考えるのは論外。

あと勝ってに思ってる宗教観からすると、
キリスト教:富める者は、貧しい者に分け与える義務がある。
イスラム教:貧しい者は、富める者から援助を受ける権利がある。

仏教や神道はこの間なのかなと考える前に、日本だと宗教意識が希薄ですよね。

PulinPulin 2010/08/11 00:13 面白い見方だと思いました。
この考え方でいけば、日本人の弱者は同胞の善意よりも、アメリカや中国などの金持ちに期待した方がいいかもしれません。

s-kuios-kuio 2010/08/11 00:15
今回とても勉強にさせていただきました。私はいつも募金するときはちきりんさんの言うとおりの視点で募金をしていたので。「なにかしら開発途上国が貧困をかかえているから自分にできることをしたい」と、私は思っていました。困っている人を放っておけないと言う人道主義は、誰でも思うことだと思います。だけど、それは実際の開発途上国の表面的な問題しか見ていなかったと言うことでしょうか。


私たちが本当にそのお金を使ってやるべきことは、単にお金を与えるだけじゃなくてそのお金をたくさんの技術教育に使って、次はどうやって自分たちでよりたくさんのお金を生み出すことができるか。要するにただ空腹を満たすための魚だけをあげるんじゃなくて、魚の捕り方を教えてあげるべきじゃないか。と感じました。


開発途上国が自立していけるように私たちは支援するべきだと思います。だから私のような「とりあえず募金しよう」と言う人を減らすべきです。

bowblue111bowblue111 2010/08/11 02:17 日本ユニセフとUNICEFの関係も誰も,話題にしない。お金にならない事を取り上げることのないマスコミ。それらの広告を信じ募金をする人達。何もしないよりは、行動。ただ、知識があれば、もっと、地球は良くなるはず!

bluemonkshoodbluemonkshood 2010/08/11 06:50 あ、今回宮崎の口蹄疫に寄附しました。ふるさと納税@宮崎県、川南町、ムッチー牧場。
はっきりいって、知事のツイッターや現地のジモピーのブログは絶大な影響を与えたと思います。

michihi6michihi6 2010/08/11 07:38 幼児と老人の2つの事件からさらに深堀したのでしょうか。
さすがちきりんさん。踏み込んだ視点で勉強になります。応援してます。

yumemakura2yumemakura2 2010/08/11 08:14 アメリカの寄付文化はよいことばかりではなく、お金をもうけた人をすぐかぎつけてきて寄付をせびるうっとうしさがあるらしいですよ。

ne_mone_mo 2010/08/11 08:42 国によっては、寄付に対して税の優遇措置があるのだから、規制と無縁という訳でもないのでは?

援助の見返りって満足感ですよね?

援助した子供が援助者にとって不都合な存在に成長する可能性を考えたら、
死を待つ人の家にいるすぐ死ぬ人を援助する方が後腐れなく満足できそうな気もします。

mimi-mimi-mimimimi-mimi-mimi 2010/08/11 08:55  本当に同感です。

 以前から疑問に思っていました。
 寄付を募るアピールは頻繁に耳に入るけど、その寄付を具体的にどのように使われたかは伝わっていないことに・・・。
 もちろん大まかなことは知らされますが・・・。

 これは私個人の僻みも兼ねて言うのですが、恋愛ほど規制のない市場はないのでしょうね(笑)

kamiyasurikamiyasuri 2010/08/11 11:41 100万円を寄付するとしたら、何に?
http://vote.goo.ne.jp/news/result/0808society/

現在のトップは「子供たちのために」で21.7%
二番目は「難病者のために」で15.9%
三番目は「災害支援に」で12.5%
四番目は「動物たちのために」10.6%

でした。

lupin_jp1972lupin_jp1972 2010/08/11 12:03 シャガールの事を書いてたので、パトロンの話でもするのかと思えば、パトロンと呼ばれてない部類の募金とかスポンサーな感じですね。
私は、基本的に募金等はしません。なんとなくシステムが不明確な物が多く、末端まで善意が届かない事ばかりが報道され、そのうえ、ピンハネしてる人達は、貧乏な人達にそのピンハネした物資とかお金で、性を強要してたりとか。
話はずれるかもしれませんが、ある国に井戸を作ってあげたとして、暫くすると井戸に使われている設備がばらされて売却されてたり、学校をつくったけど、管理者がお金を持ち逃げしたり、ノートやエンピツ等の教材を売り飛ばしたり。
政治家への個人献金とか、ふるさと納税の方が自分の求めるものとしてシックリきます。

salfasalfa 2010/08/11 13:50 そのカンボジアの学校、かどうかは定かではありませんが、寄付してくれた善男善女を満足させる報告書の写真を撮るために、緑豊かな背景ののどかで美しい、しかし村から遠く離れた不便で水もなく害虫もたくさんいる場所に、いかにも南国風に見えるがしかし機能的実用的にはかなり問題のある瀟洒な校舎が建てられた、ってはなし(関係者ではありませんが、一次情報です)も実際にあることをご承知の程を(苦笑)
私的援助市場ってなあ、そういう面では公的援助以上に始末が悪かったりしますね。
ところで、最近、おちゃらけ派じゃなくて皮肉派になってきたりしてませんか?そーなっちゃうと、ファンとしては、独創性、希少性、比較優位性の観点から鑑みるに、ひっじょーにさっびしーんですけどぉ。

ymgckntrymgckntr 2010/08/11 15:52 これを思い出しました。
「本当に有徳な人は、もっとも遠い他人を助けるためにも友人に対するのと同様に迅速に駆けつける。完全に有徳な人に友人はいないだろう。」 モンテスキュー

sentokun0888sentokun0888 2010/08/11 19:01 鋭いところつきますねえ あなたは天才なのかもしれません
これは金儲けに使えそうだ

kickupkickup 2010/08/11 20:41 支援の横流しは、何か強大な外的組織が介入しないかぎり改善されないんでしょうね。

cooooterycooootery 2010/08/11 23:19 お世話になってるNPOに結構寄附したが、日本は税金面でなんの見返りがなく夫がおどろいていた。
お世話になってるからどうこう言うこともないが、良い組織が、資金に困らず活動できる社会にもっとなって欲しい。ファンドレイジング、チャリティいべんと、いろんな形の寄附のようなものが世界にはあるのにね。
個人的にはふるさと納税が、控除つくし、特産品もらえたりしてすてきだと思う。
海外では、行った時にイベントがあればするが、全く知らないものにはよほどなかぎりないな。

kiwi86kiwi86 2010/08/11 23:22 以前から、有名人のかたは、「外国に学校を建てたりすることには、積極的だけど、日本のホームレスや失業者に対して、寄付するという話はあまり聞かないけどどうしてだろう。」と思っていました。今日謎が解けてうれしいです。私と友達は、「外国に寄付したほうが、かっこいいからかなあ。」なんて話していたんですけど、もっと、積極的な理由があったんですね。さすが、chikirin!! 
貧しい人を思う気持ちも、まず、見栄え、聞きばえからというのは、寂しい気もしますが、そういうものだと知っておくことは必要なことだと思います。



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