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[20266] ~融合騎は故郷を目指す~
Name: 妖怪童貞◆7024b24b HOME ID:fa0e03b2
Date: 2010/07/13 22:04
~融合騎は故郷を目指す~

■各話タイトル■
第1話 甦る神話
第2話 融合騎は故郷を目指す
第3話 ベルカの怨霊
第4話 ベルカ自治領の攻防
第5話 時嵐破壊作戦
第6話 渦巻く虚空が誘う光
第7話 悪夢が笑う矛先
第8話 突破口
第9話 生きとし生けるものの営みよ
第10話 宇宙の瞼のその奥に
第11話 クラウディア、ファイアリングロックシステム・オン!
最12話 永遠の愛
最終話 フォーエバー!リリカルなのは

■主要キャラクター■
クロノ・ハラオウン Chrono Harlaown
主役。24才。本局提督、クラウディア艦長、機動六課後見人。
使用ストレージデバイス「デュランダル」。

レアエフ・エコカー Leaf EV
主人公。33才。本局執務官、文化遺産保護官。元アースラクルー。
管理世界「フイロヴェンスコ」出身。聖王教・聖騎士インプレッサ宗派信者。
ハービッツバーグ式AAA+。使用ストレージデバイス「ポディーメドーモ」。

ヒジェッティー Hijet
レアエフの使い魔。
ミッドチルダ式空戦S・陸戦D相当。

ユーノ・スクライア Yuno Scrya
19才。無限書庫司書長、ミッドチルダ考古学会。
ミッドチルダ式総合A。

ヴェロッサ・アコース Verossa Acous
本局査察官。

コエムス・エコカー Coms EV
22才。レアエフの妻。聖王教・無宗派信者。
管理世界「ツノレナゴーラ」出身。ミッドチルダ式Cランク相当。

スイフト・エコカー Swift EV
7才。レアエフの娘。

フライヒルト Freihild
古代遺跡に封印されていたユニゾンデバイス。

グントラム Guntram
古代ベルカ・友愛王シュトラウス1世。



[20266] 第1話 甦る神話
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/07/13 21:43
 上空から落下してきた結界魔導師を、レアエフは魔法で足場を形成して受け止めた。保護された結界魔導師は、魔力の足場から地面に足を下ろし、冷や汗を垂らした顔で礼を述べる。
「よかった……。お怪我はありませんか?」とレアエフが訊ねると、相手は首を縦に振る。それから見上げられた視線の先には、はてのない大気層がどこまでもひろがっている。
 それは彼らが立っている陸地の下方も同様だった。
 某管理世界の小惑星。現在、ここでミッドチルダ考古学会の遺跡調査が行われている。
 魔法世界によく見られる、魔法の法則が物理法則を凌駕している惑星で、濃密な自然魔力の結晶が流体化し集積している領域に、いくつかの陸地が点在している。その陸地の中の一つに、古代遺跡らしき存在が確認されたのは、新暦七十五年、つい最近のことだった。
「足を踏み外して落下したと思ったら……」
 人体に有害な高濃度の自然魔力を、結界で緩和するために動員されているその魔導師は、頭の中に疑問符を浮かべて首を傾げていた。レアエフも分厚い雲みたいなものが蠢いている上空を仰ぐ。
「結晶化している自然魔力の一部が、相互に影響しあっている転送力場を作りだしているみたいです。なので、この惑星には物理的に出入りすることが難しいんですよ。オーバーSランクの魔導師か、竜種にもなれば、力尽くで突破できるのかもしれませんが」
 この陸地に集合する際、各員が慎重に転送魔法で移動した時を思い出し、レアエフは言った。そして惑星内から脱する場合も、転送魔法で空間を超越しなければならない。
「なるほど。すみませんでした。以後気を付けます」
 改めて一礼した結界魔導師は、持ち場へと戻っていった。
 先輩に小突かれているのを見て苦笑したレアエフは、新しい人間がこの場に立ち寄っているのを発見する。洗練された黒衣のバリアジャケットを装着しているその青年は、規則正しい足取りで調査団のテントの方に向かっていた。その青年と比べて平凡で、何ら特筆するべき装飾もないバリアジャケット姿のレアエフが、彼に小走りに追いつく。
 以前所属していた艦の後輩に、クロノは立ち止まって表情を和ませる。レアエフから先に敬礼すると、クロノも軽くそれに応えた。若手局員の中でもなかんずく出世頭と名高いこの青年は、提督として次元航行艦船・クラウディアの艦長を務め、且つ現在は機動六課の後見人として各方との調整や部隊の監督に忙しい日々を送っている。そのはずが、誰の思惑が働いた結果なのか、クラウディアはこの遺跡調査に対する時空管理局のエージェントも任されていた。
 レアエフが執務官兼文化遺産保護官として、管理局と考古学会双方の法的な仲介を担当しているのに比べ、クラウディアは不測の事態を未然に防ぐため、またはそうした状況に現場でいち早く対応するために、この調査団の活動を定期的に視察していた。
 恐らくは親友のユーノ・スクライアとの面会だろう。レアエフは通信を開いて彼の所在を確かめる。
「まだ遺跡の詳細は明らかになっていないのですね」
 レアエフは曖昧にうなずいた。全体的になだらかな平原の先に、結晶化した自然魔力の濃霧に囲まれ、うっすらと一つの建築物が眺められる。テントを目指す途中、二人はそちらの方へと意識が移っていた。
「少なくとも、過去の王族の墓や、次元戦艦といった類ではないのですが……明確に手がかりとなるものが見つかっていませんから。中は想像以上に殺風景なのです」
「まさか古代ベルカ?」
「今の時点では、そうかもしれない、としか申し上げられません」
 数ヶ月前、一人の広域次元犯罪者によって、ミッドチルダで古代ベルカ由来のロストロギアが復活した。その管理世界未曾有の危機に直面した者の一人として、クロノはいささか神経が敏感になってしまっていた。
 まさか聖王のゆりかごと同類の遺跡とは思いたくないが、悪いことは立て続けに起こってしまうのが世の常だった。黒いバリアジャケットの上の端整な面持ちは、決してこの古代遺跡に楽観視はしていなかった。
「何事もなく、調査と発掘が終わってくれるのが一番なのですが……」
「何も収穫がないままとなると、調査自体を続けるかどうか検討しなければならないでしょう。学会も予算がございますし……」
 惑星付近の宇宙空間には、彼が運用を任されているクラウディアが待機している。ブリッジが騒々しくなるような事態は避けたかった。今のところ、彼が懸念するような問題はないらしいのが救いだった。
 テントの中で、ユーノは昨日までの調査の内容を振り返っていた。馴染みの相手に気付くと、手を休めてそちらに集中する。
(また本局で上官に嫌味でも言われたんだな)ユーノは内心でそんなことを思った。それはあながち間違いではなかった。
 機動六課という噂の部隊にしろ、今回のJS事件にしろ、部外者がこれらの件について茶々を入れる相手といえば、やはり後見人として携わっているクロノ達となる。中でも最も若輩であるクロノは、殊更に狭量であったり頑迷固陋であったりする上の連中のやっかみを買ってしまう、損な立場にあった。
 機動六課がアースラを臨時の隊舎として持ち出したことに関しても、ちゃんとしかるべき許可を得ていると弁明したところで、ハナから自分の意見こそ正しいと思い上がっているような輩には通用しない。揚げ足を取って相手を腐すだけの人間は、民間であれ公共機関であれ、どこにでも存在しているのだった。
 そんなストレスの溜まる仕事に日々振り回されているクロノにとって、本局や部隊といったものから解き放たれ、気心の知れたユーノと一緒になれるこの現場視察の任務は、ある種の憩いでもあるかもしれなかった。勿論、部隊に所属しているフェイトやはやて、なのは達には、そんな自分の気苦労は一切伝わらないように重々配慮している。
 テントの中は雑然としていた。どれだけ時代が進もうとも、何となくロマンの感じられるそんな光景は、都会育ちのクロノにとっては少々刺激的だった。
「こっちの仕事があるのに、この前は緊急でゆりかごのデータを依頼してすまなかったな」
「構わないよ」
 薄着でひとつにくくった長い後ろ髪を背中に流しているユーノは、情報画面をたたみながら気軽に返した。バリアジャケット姿のクロノは感じないが、この惑星の気候は一定で人間にとってそう悪くない水準だった。雨や雷、自然災害もない。
 調査団の人員は最小限にとどめられている。極論すれば、この分野で優秀な魔導師が一名おれば、時間の許す限りその人だけに任せておけばいいような作業だった。高濃度自然魔力を緩和する結界魔導師数名、実際に遺跡内部に足を運ぶユーノとレアエフ、欠かしてはならない人間はその程度だった。他の人間は彼らの日々の補佐や雑務として手配されている。ユーノが無限書庫の業務とかけもちをしているためもあってか、調査活動は割りとほのぼのとしたムードの中でマイペースに進められていた。
「今からまた、僕とエコカー執務官で遺跡の中を探索する予定だけど」
「内部は警戒するべき危険因子がないんだな? セキュリティ系統が生き残っている、というのも?」
 ユーノとレアエフが揃って反応した。調査活動中、二人が手傷を負ったといった報告は、クロノもわたされていない。
「もし防犯セキュリティがあろうと、いかなる理由でも破壊はできませんけどね」
「原則的に、管理世界の文化遺産として、丁重に扱わなければなりませんか」
「そういうことです。しかし、あれが危険なロストロギアであるならば、その時は容赦なくお願いいたします。ハラオウン提督」
 そんな風に互いに苦笑する。それが提督と文化遺産保護官の立場の相違だった。
 クロノは一旦艦内に帰還し、今日はユーノとレアエフの遺跡探索を見守ることとなった。
 テントから出た時、ユーノはレアエフに使い魔のヒジェッティーを言及した。テントの上で、全長六〇センチメートル前後の、一羽の鳥がだらしなく寝そべっていた。茶褐色の体毛におおわれ、白い頭からクチバシがとがっている。あまり顔色がよくなかった。ミッドチルダ式空戦Sランクというエリート級の戦闘能力を持つ使い魔だが、今は随分と覇気が感じられない。
「ノルマがきつくて……」
 この惑星の魔法的な地相と体質の相性がすこぶる悪いヒジェッティーは、息も絶え絶えに意味不明な言葉をもらしていた。どこかの鉱山で強制労働を強いられている悪夢でも見ているらしい。鳥の見た目で、野太い声が人語を話しているのは、はなはだシュールだった。
「金竜道場! 金竜道場!」と全身をビクビクさせて絶叫し始めるヒジェッティー。自分の使い魔の醜態を前に、レアエフは表情を強張らせ、申し訳なさそうに嘆息した。
「ヒジェッティー! ちゃんと仕事しないとダメじゃないか!」
 主人の一喝もどこふく風に、ヒジェッティーは起き上がる素振りも見せない。
「働いたら負けかなと思っているぅの~よ。ちっちー!」
「……」
 一体誰が少なくない魔力を消費して分け与えてやっているのかと思えば、レアエフの憤怒を責められなかった。
「だ、大丈夫ですよ。体調が優れないのに、無理をさせるのもどうかと思いますし」
「すみません先生……。またあとで、強く言って聞かせておきます」
 口ではそう取りつくろうレアエフだが、いつもその指導が成功しているかと言えば否だった。山の人として生計を立てていた、彼の父の使い魔だったヒジェッティーだが、契約変更の儀式で主人の資格を継承しただけのレアエフに、まして母親の腹の中にいる頃から知っている青二才相手に、一般的な使い魔として服従することが、かえって異常かもしれなかった。そんな関係だからこそ、レアエフとヒジェッティーは、今日までトンチンカンなコンビを続けているのだった。
「ちょいとそこの減税野郎、値打ちのありそうなお宝ヨロピクネ。僕ちんの本当の実力は物語終盤をお楽しみに!」
 バサッと翼をひろげて寝言をほざくヒジェッティーだったが、レアエフはユーノは平然と無視し、ともに古代遺跡へと出発した。
 発掘し、解析に役立てられそうな品物は殆ど回収した。調べていない区画は残り少ない。その中でも特に調べておくべきなのは、位置的に入り口から最も奥まっている場所だった。意を決して今日はそこを攻めてみるべきかどうか。二人は照明魔法に浮かび上がる通路を歩きながら相談した。
「行きましょう、執務官。もし何かあっても、今はクロノとクラウディアがいてくれてますし」
 ユーノの意見に同行者も賛成だった。また、ユーノは通信でクラウディアにもその旨を伝え、改めて二人で奥部を目指していく。
 初めての障害だった。探査魔法によって判明している内部の構造では、二人が辿り着いた壁面の向こう側に広い空間が続いている。巨人が住んでいたのかと思える規模のそれは、壁ではなく封印魔法の術式をあみこんだ魔法の扉だった。
「こういうのには、大抵様式化された目印でもあるんですけど……」
「ベルカなら魔法陣の模様である剣十字か、領土としていた王族の紋章といった具合ですね」
 しかし何の手がかりも得られず、ユーノはいさぎよく諦める。頷きあった二人は、細心の注意を払いつつ、扉の封印を解除した。
 感覚を研ぎ澄ませながら、ユーノとレアエフが広間へ踏み行った。襲撃やセキュリティの作動といった反応はない。
 最初に目に付いたのは、広間の奥に鎮座している祭壇らしき物体だった。それは機械的な装飾を施され、台座から淡い魔力の柱が立っている。中心の人影に、二人は思わず息をのんだ。
 戸惑いまじりの足音が、空漠とした広間に響く。レアエフは自然と、長年の相棒であるストレージデバイス、ポディーメドーモの待機形態に、幾分か意識を傾けていた。いつでも稼働させられるように、手の中に待機形態のアクセサリーを握り締める。
「この装置自体が、強力な結界魔法を持続的に発生させているんだ……」
 可能な限り祭壇に接近したユーノが、持ち前の博識と慧眼ですぐに機能を見抜く。それに伴う彼の疑念は、静謐な眠りに支配されている人物の裏側に潜んでいた。鮮やかな緋色の球体の存在に、レアエフも言葉をつまらせる。
「レリック。ナンバリングのされていないレリックだ。先生……」
 高密度のエネルギーを内包したロストロギアであり、数々の大規模な事故を引き起こす原因となってきた恐るべき危険物を前に、レアエフはユーノに判断を仰ごうとする。その当人も、自分個人で対処を決められないとして、即座にクラウディアとの通信を再開していた。
「どうしたユ――」
 開きかけた通信画面が、クロノの顔が砂嵐に包まれると瞬時に消失する。
 突如として広間に鳴り響く警報。けたたましい音波は祭壇から発せられていた。
「しまった。これ自体の防衛システムか何かが生きていたのか」
 通信はもう繋がらない。更に広間の周壁から、AMFが撒布され始める。祭壇の上では、眠り続けている人物が、静かに頭髪を波打たせていた。
「先生、ひとまず撤退しましょう」
 冷静な思考を保ち、レアエフはポディーメドーモを起動させていた。何の変哲もない魔法使いの杖が、彼の片手に装備される。再度ユーノを窺うレアエフは、彼が愕然としている元凶が何なのか思い知らされる。
 結界に囚われている人物の背後のレリックが、この警報によってかはともかく、何かしらの刺激を受け、それに反応しようとしていた。過去の事例からして、レリックの外部への反応は、内包するエネルギーの拡散となって表れる。
「いけない!」
 せっぱつまったレアエフの声で、ユーノは我に返る。後者が祭壇に飛び移り、飛行魔法で強引に結界魔法を突き破ると、何も着衣していない人物を両腕に抱え込む。そしてデバイスを構えていた前者が、開けた視界の先の輝きをまっすぐに見据える。
 差し出された杖から、ハービッツバーグ式の結界魔法、エッシャーアラウンドが唱えられる。
 特定の効果範囲を、幾何学的な高次元立方体で浸蝕することで、限定的に無窮の空間を作り出す。虚数空間にも似た、数学的な論結の不可能な特殊空間が、幻覚作用と思える摩訶不思議な知覚を伴い具現化される。
 エッシャーアラウンドの効果範囲内に取り込まれたレリックは、そのはてしない茫漠の世界で、莫大なエネルギーを解放させた。レアエフの後方に降り立ったユーノは、祭壇の上に貼り付けられた謎めいた回廊の中で、音もない爆発の光を巻き起こすレリックの末路を見守っていた。
 二人の咄嗟の機転でことなきを得た後、クラウディアはユーノが保護した人物を医務室へ送った。
 簡単な検査を行い、不可解な結果がクロノ達に報告される。
「人間じゃない? しかも人型のデバイスだなんて……」
 報告を受けた一同は顔を見合わせた。その中で一人、ユーノが思い当たる節のある顔でその場にいあわせていた。
「古代ベルカの……ユニゾン、デバイス……」
 ユーノの呟きが、クロノやレアエフの耳朶を思いのほか強く打った。



 想定外の発見を最後に、古代遺跡の調査はしばらく中断することとなったらしい。本局へ戻り、主にこまごまとした法務を処理していたレアエフは、間接的にそうした連絡を受けた。
 確かに、あの祭壇の人物はユニゾンデバイスと呼ばれる存在らしい。今は本局の方で保護され、意識を取り戻してから、本格的に処置の方を検討する運びだった。
 その日は執務官として管理局の裁判に出席し、当該の案件の処理に従事した。使い魔のヒジェッティーは、正当な量刑を争い理路整然と弁舌を立てる主人のそばで、心底たいくつそうに欠伸をしていた。
 本局の居住区のとある寮、それがレアエフ達の現在の自宅だった。
「オレんち、帰ったどー!」
 定位置である主人の肩から離れ、ヒジェッティーが嬉々として玄関の中に飛び込む。
「ごくつぶしなだけだろ……。今日の裁判の模様を資料にまとめるとか、たまにはそういう仕事もやってくれよ」
 チッチッチ、とヒジェッティーは鳥のクチバシを器用に鳴らした。
「血湧き肉躍る戦場こそがワシの生きる世界よ! ってことで、とっとと武装隊に異動せんかバカタレ! 裁判とか遺跡調査とかシンポジウムとか管理局法のお勉強会とか、毎日つまんないっち! テメーの魔導師ランクはお飾りか!? ええ!?」
「近所迷惑だから騒ぐな!」
「入り乱れる砲撃、ぶつかりあう斬撃、血みどろの大地に死屍累々たる戦士の亡骸……それこそがワシの求める世界の姿じゃけぇ! キエエエー!」
 興奮して頭をクチバシで何度かつついていると、ヒジェッティーは主人から腕で振り払われ、怒声を浴びせられる。
「あ、さっきワシって言ったけど、僕ちんタカだから。ついおタカくとまっちゃうの。うふ」
「ああ、そう……」
 ちぐはぐな会話が、玄関から聞こえてくる。居間で聖王教の某宗派の教典をモチーフにした絵本を読んでいたスイフトは、小走りに父を出迎えにいった。
「おとうさん、お帰りなさい」
 誰の血が流れているものやら、七歳の時分から書物に馴れ親しんでいる娘の頭を父は撫でる。
「ただいま。お母さんは?」
「お帰りなさい、あなた。今日は早かったのね」
 それに遅れて顔を見せたコエムスは、肩越しに居間へと翼を泳がせるヒジェッティーに、呆れまじりに苦笑いを浮かべた。レアエフの手荷物を受け取ろうとするコエムスだったが、居間の方から餌の準備が済んでいないという駄々が聞こえてきたので、一言夫に謝ると、そっちを優先させた。
 かわりに娘に鞄を運んでもらい、レアエフも居間に移る。
「今日も本を読んでいたのか?」
「うん」
「そっか……」
 何か思わせぶりな父を、スイフトは相手に気付かれないように一瞥した。 
「晩メシ、獲ったどー!」
 歓喜の叫びを上げた後、ヒジェッティーは皿に置かれた生魚にクチバシを突きたてる。食には中々うるさいヒジェッティーは、生前の嗜好もあり、各次元世界にひろく分布する魚だけしか口にしなかった。
 コエムスの両親から、収穫した野菜が多数届けられていた。今晩はそれらを使って鍋をやるらしい。調理しようと仕度を始めるコエムスは、夫の目に怡楽そうだった。管理世界ツノレナゴーラ、黒い火山岩の峻厳な山脈と、穏やかな地中海に挟まれた土地の村で生まれ育った娘が、このコエムスだった。実家の経済的な事情と、町への通学時間など環境的な理由から、初等学院の中途までしか通っておらず、それからは村内にある聖王教の教会で、司祭に読み書き、旧歴史、新暦史、それに管理局法を教えてもらいながら、自家の畑仕事を手伝ってきた、そんな狭隘でかわりばえのしない暮らしに生きてきたのがこの娘だった。
 豊かな水と緑に囲まれた娘時分の生活を思い出すのか、彼女の野菜をさばく手付きも軽やかだった。
「今日はデザートもあるの。お風呂上がりに食べる?」
 娘に見せていた低ランクの読書魔法の見本を休めたレアエフは、少しだけ不思議そうに返事をした。些細なものでも散財や贅沢を好まない妻から、デザートという単語が口に出されたのは意外だった。
「ハラオウン提督が贈ってくださったの」
「提督が?」
 物珍しげにテーブルの前から立ち上がったレアエフは、食卓の上に置かれた丁寧な小包に、ますます当惑した。妻も似たような心持ちだが、彼女の方が落ち着いていた。
「最近ウチで何かあったっけ」
 以前まではアースラのクルーと艦長という上下関係でしなかったが、彼がハラオウン夫妻の結婚祝いと出産祝いをした端緒に、こうした家同士の付き合いが芽生えていた。当人達がプライベートで親睦を深めるようなことは皆無だが、年に数度、こうしたやりとりがあるのは事実だった。
「それなんだけど、ほら、ハラオウンさんって管理外世界に住んでいるって。その土地はね、年に二回、お盆っていう夏の時期と年末に、お世話になった人達に贈り物をする風習があるんだって」
 約半年前にも今と同じような場面があったと、レアエフは漠然と記憶をよみがえらせていた。
「オチューゲンとオセーボって言うんだって。年の瀬に贈るのがオセーボだったかな? 困るよね、わざわざこうして気を遣ってもらうのも……」
 そうは言いつつ、コエムスはまんざらでもなさそうだった。
「年が明けてからでも、忘れずにお返ししておかないと。いつもこんな風に、色々頂戴してばかりだと悪いよ」
「うん。前もちゃんとお返し贈っておいたから」
 満腹の腹であおむけになり、貪りつくした魚の骨をしゃぶっていたヒジェッティーは、そんな夫婦の会話にむっくりと身を起こした。
「デザートゥ! やるじゃん!」
「ヒジェッティーにはあげない」
 冷徹なスイフトのよこやりに、鳥の頭が絶望の嘆きを漏らす。
「にゃんだとこの小娘! そんならこうしちゃる! イケズする子にはこうしちゃる!」
 ヒジェッティーがスカートの中に潜り込もうとするので、スイフトは悲鳴を上げて股をガードした。
「ちょっと、やーめーてーよー」
「フハフハ、ぱんつ見せい! ほれぱんつ見せい! おぱんちゅ! 幼女のおぱんちゅうう!」
 愛娘と使い魔の争いに、コエムスは微笑ましそうだった。その隣で、レアエフが青筋を立てる。
「あ、そうだ、契約破棄」
「ノー! メーデーメーデー! 使い魔虐待反対! 使い魔に優しい社会作りを! 新党・サーヴァン党! よろしくネ!」
「うまくないぞ。全然うまくない」
 騒がしい家族を尻目に、コエムスは夕食の仕度を再開していた。
 食卓に魔法コンロとダシを入れた鍋が揃うと、端っこからヒジェッティーがひょっこり顔を覗かせた。
「じゅるり」
 食い意地だけは立派な使い魔に、主人が無言で牽制をしかける。コエムスがキョトンとした顔でまばたきをした。
「これ、鶏ガラスープだし、鶏の肉団子も入れるんだけど……」
「ひいいい! まさかジョン!? トム!? ケンなのか!? おのれワシの同胞を!」
 いよいようるさいので、白い頭をスリッパで叩き落とした。それから、レアエフは仰々しい仕草で宙に手を切る。
「天にいただける聖インプレッサよ、たっとき御身よ、雄々しき刃、万民の栄華咲き誇る世の……」
 妻子はレアエフが食前の祈りを終えるまで、料理に手をつけない。夫と同じ聖王教信者だが、特定の宗派に属していないコエムスは、こうした日常の宗教行為にはうとい。せいぜいが一年の聖王教関係の行事や祝祭日に、それ相応の身の振るまいをする程度だった。
 つつがなく夕食をすませ、夜も更けてきた。湯を浴びたスイフトは、一足先に寝室だった。扉の奥から、またもや少女と野太い声の激突が聞こえてくるが、夫婦はいちいち構っていられなかった。
 レアエフは就寝前に明日からの予定を確認していた。そこに冷たい飲み物が置かれる。ソファの隣にコエムスが腰を下ろした。
「スイフト、本ばっかり読んでるみたいだけど」
「そうなの。誰に似たのかしら」
 バカな私じゃ絶対ないけど、とコエムスが自嘲気味につけくわえる。
「勉強に意欲を持っているなら、学院に通わせてあげた方がいいのかな」
「私もそう思うけど……やっぱり学費が……」
 重々しい沈黙が、両者の間にわだかまった。AAA+ランクといえども、侘びしい執務官風情の男では、収入はたかが知れていた。
 レアエフは咳払いをして、肝心の問題をひとまず脇に置いた。
「そうするにしても、聖王教系列の学院がいいな。魔法の素質を持っているんだし、St.ヒルデとかなら将来のためになると思うけど……」
 本人にあまり聖王教への関心がないのが気になるが、レアエフとしては、これからでも教化していけばいいという方針だった。
「私、パートしようか?」
「すぐに決めなくても、ゆっくり考えればいいよ。早くても春頃になるだろうし」
「そうね」
 二人が寝室に入ると、スイフトはもうベッドの上で、なぜかヒジェッティーが天井に吊されていた。両足を縛られているヒジェッティーが、胴体を揺らしながら助けを求める。しぶしぶ解放してやると、使い魔は窓際で翼を折り畳み、体を丸めた。唯一の嫁入り道具でもある、コエムスの化粧台の鏡に、ヒジェッティーとの姿が微かに映り込んでいた。
 娘を中心にして、夫婦もベッドの両脇に身を横たえた。就寝の挨拶の後、消灯され、彼らの自宅に眠りの静けさが漂う。
 停滞した薄暗闇の中、レアエフはふとまぶたをあげて、凝然と天井を見つめた。
(古のユニゾンデバイス……)
 あのユニゾンデバイスはどうなっただろうか。古代遺跡の調査を終えてからも、それは無性にレアエフの頭から離れなかった。もう意識は回復しただろうか。数百年の歳月が過ぎ去った現実を知り、途方に暮れてはいないだろうか。
 あの時空を超えた来客に、いかなる処遇を与えるにしても、恐らくは現場の視察に出ていたクラウディア、クロノ・ハラオウン艦長の意向も考慮されるのだろう。
 明日の午後からは、数人の執務官仲間と一緒に、過去の裁判の判例を勉強する集まりがある。朝のうちから参加者の誰かに欠席を申し出ておくことにした。
 彼はそっと上体を起こし、妻と娘を起こさないよう、声なき祈りの言葉を紡いだ。信仰対象である聖騎士インプレッサ、聖王家と袂を分かつ道を選ぼうとも、高貴なる理想に生きたベルカの偉人の導きのあらんことを……。
 そしてレアエフは、二人のずれた布団を直し、自分も明日へつながる夢に意識を譲り渡した。



[20266] 第2話 融合騎は故郷を目指す
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/07/14 23:21
 彼らは時空管理局と名乗った。
 既にベルカの時代は幕を閉じ、現代は時空管理局が多くの次元世界の平和と秩序を司る、新暦という多次元社会が営まれているという。
 そして、当時勇躍したベルカの偉人や王達は、聖王教の信仰対象としてあがめられるようになっていた。新暦以前から、民間伝承として崇拝されてきた故人もいるが、それらの信仰文化も聖王教の宗派として習合された近代史がある。管理世界・フイロヴェンスコに古くから伝わる、聖騎士インプレッサの英雄信仰などもその一例だが、結局は新たな時代の流れに逆らえず、現在は聖王教の一宗派として教義が定められていた。ベルカを始めとする超大国の戦乱に荒れ果てた旧暦時代を反省し、管理世界の人々が、時空管理局と共に数多くの次元世界の安定を築いていく為には、改めるべきは改め、新時代が要求する変革を受け入れなければならなかったのだ。
 現代社会に害をなす魔法の遺産や、次元犯罪者の処罰を時空管理局に任せ、聖王教の教えによって日々の心の安息を育む。それが新暦時代の管理世界に生きる人々にとって、理想的な人生の範疇だった。
 新暦は七十六年を数えていた。一月の中旬、ようやく件のユニゾンデバイスは覚醒した。背丈は小柄な成人女性といった具合で、クロノやユーノが知るユニゾンデバイスの小さな妖精とは一線を画していた。見知らぬ組織に身を置かれている現状にも取り乱さず、彼女――フライヒルトは、自分の前に立ち並ぶ法の番人一同に、胡乱とも猜疑ともつかない、だが頭ごなしに危険視しているのでもない、混然とした表情を浮かべていた。
 第一にあるのは、やはり記憶に残る世の中の実景と、今はそこから遙か数百年の月日が流れているのだという厳然たる事実への困惑なのだろう。
「時空管理局……」
 ハラオウン母子から現代について、時空管理局について、保護された経緯も含め、取り急ぎ要点だけを説明されたフライヒルトは、黙然とその情報を租借するのに精一杯のようだった。
「あなたが我々や、管理世界社会に危害を加えるような方ではないと、私達は信じたいと思っているんです。お互いにとって不利益な形にならないよう、これからのことで相談していただけないかしら?」
 初孫を持つにしては異様に若々しい美貌を持つ、そのリンディ・ハラオウン総務統括官は、誠意を込めてフライヒルトに友好的な関係を求めた。だが息子のクロノにとっては、彼女をロストロギアとして何かしらの処分を下さなければならない懸念があった。そして、そうした主観だけの安易な速断も控えるべきだと自重した時、フライヒルトは黒髪の青年にも不安げな視線を送っていた。軽く咳払いをしたクロノは、肩を並べる母とも目を見交わしながら、相手に不用意なおそれを抱かせないよう努めた。
 こちらの説明は終わった、そう判断した彼らは、今度はフライヒルトからの返答を待った。だが彼女は中々口を開こうとはしなかった。簡素な衣服の袖を手の中でにぎり、沈痛そうに押し黙っていた。
 フライヒルトの様子を放っておけないのは、ユーノやレアエフも同じだった。直接面会するのは憚られるだろうと、彼らは実際に彼女と顔を合わせているクロノから、かいつまんで日々の成果を教えられる程度だった。面会を続けるうちに、少しずつだが、フライヒルトは自分の身の上を語り始めているらしい。一方的に未知なる存在を否定し、個人の常識や世界に固執するような了見の持ち主でないのは、時空管理局にとって助かった。こちらの要求に、いくばくか協力的であるのも。
 彼女によれば、あの古代遺跡は封印の魔法を自動で詠唱するための祠のようなもので、自分はそこで深い眠りにさらされたのだという。ナンバリングのされていないレリック、あれは結界を補強するために設置されていたのだろう。ユーノが回収していたが、それは既に残骸で、クラウディアが本局に持ち帰る途中で砕け散ってしまった。
 封印された経緯の詳細は、記憶があいまいなのか、彼女は具体的なことには言葉がつまってしまう。しかるに、あの古代遺跡を作った旧暦人と、フライヒルトが暮らしていた国が同一であるとも限らない可能性が出てきた。
 ユニゾンデバイスを封印していたあの古代遺跡に関しては、おいおい一から情報を整理しなくてはならない、関係者はとりあえずそう結論付けていた。
 午前中はフライヒルトの事情聴取を行い、クロノは昼時の時間をどう過ごすか決めあぐねていた。そんな折、偶然にも元部下ではぐれ者の執務官と出くわした。朝から無限書庫におもむき、保護活動中の古代遺産の有益な情報を依頼していたという。執務官の本来の職域でもある、司法関係の案件をあまり取り仕切らないのは、兼任している文化遺産保護官としての職務や、彼個人がさほど荒事を得意としていないからだろうと、クロノはかつての上下関係の中で学んだ彼の気質を加味し振り返った。むしろ、率先して担当する仕事について、執務官資格が必要となる場合にそなえ、補助的に執務官の肩書きを行使しているといった方が正しいのかもしれない。文化遺産保護活動においても、心無い者の盗難や違法調査、損壊事件が後を絶たないのが現状である。失われた技術を手中におさめ、邪悪な企みに利用しようとする者も少なくない。そんな時、文化遺産保護官が執務官資格を持っているとなれば、単身でも当該案件をきわめてスムーズに処理することができる。今は妻子もあるので、どこかの部隊に所属し、長期の案件に従事するなどはもってのほかだという。
 基本的にそうした姿勢で仕事を選んでいるので、一般的な出世街道からは見事に脱線している。ランクだけで言えば立身栄達が期待されてしかるべきだが、周囲は趣味と実益を充足させている、自由気ままな執務官として彼を認識していた。
 いつかの戦技披露会で、烈火の将・シグナムに秒殺されていた結果から、犯罪事件に挑む執務官に求められる戦闘能力の面でも、やはり相応の評価だった。「それでも五十五秒はねばった」と、秒殺という不名誉な判定に、本人が小さな反抗を続けているのは余談である。
「ハラオウン提督は、彼女のことでどうお考えなのですか?」
 昼食後、小さな情報画面で内容を閲覧していたクロノは、手元を休め返答に間を置いた。本局内の休憩区画は、事務員や出戻りの者達でそこそこに賑やかになっているが、広々としているので安穏とした空気が流れていた。使い魔のヒジェッティーは人間の姿に変身し、弁当箱をあけている女性事務員のグループに媚びを売っているが、あいにくと頭が鳥のままなので通報寸前の狂気だった。
「管理局法の法規を遵守し、適切な対応をとるだけです」
「それはそうですが……。彼女はこちらの話が通じますし、相互の意思疎通が可能です」
 それにはクロノも同意見だった。レアエフが横目にする彼の面持ちは、とにかく本人の意志を明らかにしなければならない義務感が宿っていた。
 会話が途切れがちになり、レアエフは手持ちぶさたに管理局裁判のニュースを情報画面で覗く。経過を見守っている裁判の新着情報が出ており、俄然と彼は目つきを変えた。
 裁判のニュースに熱心な瞳を注いでいるレアエフは、隣のクロノの気配も意に介していなかった。ふいにクロノが彼の情報画面を一瞥すると、オーリス・ゲイズ元防衛長官秘書の名が目に付いた。少ししてレアエフは画面を閉じ、愁然と溜め息をついた。暗い額の下で沈鬱な表情をするレアエフから、黒衣の青年は無言で視線をはずした。
 レアエフは地上本部の防衛長官だったレジアス・ゲイズの支持者であり、信奉者だった。今から三十年前、レジアス元中将が外交アドバイザーとして出身世界に来訪した時の幼少の思い出が、管理局員を目指したキッカケであると、クロノはアースラ時代そんな回想を彼から聞かされた記憶がある。文化遺産保護官資格の取得も、元来から各管理世界の旧暦文明に興味津々だったのに加え、レジアス元中将の背中を追うような動機だったらしい。
 地上の守護者として勇名を馳せた巨人の末路を思い、クロノはレアエフの寂しげな横顔が妙に印象的だった。
 クロノと別れたあと、レアエフは今日一日、無限書庫に入り浸ることになりそうだった。午後から娘のスイフトを招き、部外者でも立ち入りが許可されている区画で、所蔵している書物をいくつか物色していく。スイフトは果敢に世界の知識と立ち向かっていくが、早熟なだけでは読み解けない書物の数々に、眉間のしわは深まるばかりだった。
「無限書庫も変わりましたね」
 身辺に浮遊させていた数冊の文献を片付けたユーノの傍で、顔見知りの執務官がそんな述懐をしていた。
「はい? ええ、そうですね」
「いやホント、こんな可愛い子が男の子なわけがないっての」
 平気で失礼な物言いをするヒジェッティーを、レアエフはバインドで縛り付け、奈落の底へと追い払った。酷薄な主人の所業に乾いた愛想笑いをするユーノは、彼が娘を連れてきていることを知り、無限書庫の開けた現在を実感して嬉しそうだった。データベースとして情報面で時空管理局を支えると同時に、知識や史実の保管や提供をいう意味で公民問わず貢献できていることは、職員達の確かなやりがいとなっているのだろう。
 ちょっと手が空いたユーノとレアエフは雑談を交わした。父は娘から目を離さず、ユーノの温和な人柄に親しんでいた。
 作業を一旦中断したユーノの待たれ人が、一人の女性を伴い無限書庫に現れる。鮮やかな緑の長い長髪と、モデルのような長身に白のスーツが特徴的な男性査察官だった。あらかじめ都合をつけていたユーノはともかく、レアエフはフライヒルトとの遭遇に珍しげだった。
「先生……」
「フライヒルトに、無限書庫の文献を頼りに、当時のことを思い出してもらおうって案が挙げられたんです。彼女自身の記憶も、色々とこんがらがっているみたいですから」
 それとは別に、なぜこの件に無関係の筈のヴェロッサ・アコース査察官が付き添っているのかも疑問だった。ユーノを仲立ちにして、レアエフとヴェロッサは事務的な敬礼を交わす。
「古代ベルカにかかわるとなれば、聖王教会も黙ってはいられません。彼女について、僕はあくまで聖王教会側の代理人として立ち会うことになりました」
 JS事件以後、気ままな査察任務に復帰できたと一息ついていた矢先、義理の姉直々に聖王教会の名札をつけて動いてほしいと依願された。彼は微妙に逆らえない交渉の末、こうしてフライヒルトと対面していた。聖王教会もようやく彼女の存在を放置していられないと判断したのか、レアエフは管理世界の二大組織の庇護が働くものだと安堵した。
 フライヒルトの過去に遡る知識の旅を、ユーノとヴェロッサが傍で見守る。小声でクロノも後で合流すると告げられ、ユーノは相槌を打ってうなずいた。明確な任務として携わっていないレアエフは、彼らから距離を置き、娘の読書の奮闘を手伝ってやっていた。
 クロノが無限書庫を訪れたのと、フライヒルトがとある文書の記述に形相を変えたのはほぼ同時だった。どんなに些細な情報も見逃すまいと、三名の男が彼女のもとへ集まる。
 フライヒルトが造り出された世界、それはリチャルド・オペルアと呼ばれるらしい。だがクロノもヴェロッサも聞き覚えがなく、考古学者のユーノも納得した顔ではなかった。
「その次元世界は、すでに……」
 滅亡という言葉を口に出さなくても、この場にいあわせている面々には明白だった。文書じたいは、新暦が始まった頃の聖王教のもので、現存する古代ベルカの伝承や逸話をまとめた内容だった。その中に、リヒャルト・オペルアに聖王家が侵攻したという史実に基づいた記述があり、フライヒルトは麗然とした容貌を痛切にゆがめた。
「聖王教って何なんですか」
 心の中で耳を大きくしていたレアエフは、引き絞られたその声を敏感に聞きとった。根っからの聖王教信者の彼にとって、フライヒルトの否定的な声色はいやでも気にかかった。彼女がページをひろげている聖王教系の文書は、おおむね聖王教にとって都合のいい論調で展開されている。古代ベルカの指導者が侵略行為を働いただけの事柄も、最低限、それが善であるのだという解釈がなされている。その一面的な記述の数々が、フライヒルトの琴線に触れたのだろうか。
「信じるものを善とするために、歴史の犠牲や悲劇を一方的に美化して……それが本当に正しいことなのでしょうか。聖王教の教理が、まことに全世界の安息を約束するものなのでしょうか」
 それきり、フライヒルトは苦衷にのまれてしまった。レアエフも一見、愕然として言葉を失っていた。
 しばらく重苦しい沈黙におおわれ、顔を見合わせるクロノ達の中で、ユーノが意を決してフライヒルトに声をかけた。
「リチャルド・オペルアは確かに滅亡したと歴史が語っています。けれど、世界そのものがこの世から消滅したとは限りません」
「スクライアさん……?」
 うっすらと目尻に浮かぶ雫をぬぐい、フライヒルトは悲しげなまぶたの下の瞳を上向ける。幼馴染みの言わんとするところを理解し、クロノが相の手を出す。
「フライヒルト、あなたがこの先、どのような選択をとるにしろ、今の時代というものを受け入れてもらわなければならない。封印から目覚めさせてしまったことを咎めるというのなら、我々時空管理局はそれにそぐう形であなたに償う」
 あいかわらず誤解を招きそうなほどに無愛想な言い草だが、当の本人は真摯にフライヒルトと向かい合っていた。孤独なユニゾンデバイスは畏縮して、クロノの仰々しい発言に抵抗した。
「管理局の法というものは、弁えているつもりです。そちらに反する気はありません。ただ……確かめたいことがあります」
 調べ尽くした数冊の蔵書が、フライヒルトのまわりを遊泳していた。彼女はそれらをユーノへ返却した。
「リチャルド・オペルアの真実を?」
「はい。私が永遠とも思える眠りをしいられた後、母なる大地がどのような経緯で、歴史から名を絶やしてしまったのか……。この世がもう、私の知る時代でないのならば、過去を過去として決着させたいと存じます。それが達成できた際には、ロストロギアとしてでも構いません、あなたがた時空管理局の意に従います」
 だが一つ問題があった。リチャルド・オペルアという次元世界は、世界全体が次元的に安定せず、異次元を行路として、次元座標を度々漂流しているというのだ。そうした魔法世界としての特性を支配下におき、軍事的な要所として開発する目論見のもとで、かつての聖王家はここを占領したのではないかと、記述中で憶測が立てられている。
 管理世界の右も左もわからないフライヒルトでは、リチャルド・オペルアがどの次元座標で存在しているのか、単独でそれを特定するには大変な労力を要するだろう。
「わかりました」
 承ったクロノは、その場で待機中のクラウディアと連絡を取る。艦長とクルーの通信を傍観するうち、フライヒルトは徐々にうろたえ始める。
「ハラオウン提督、あの、何を……」
 半信半疑に目をしばたたくフライヒルトの傍で、ユーノとヴェロッサは口出しもせずに肩を並べていた。
「どうかされましたか? あなたが生まれ故郷の次元世界にわたりたいのであれば、クラウディアが同行いたします。リチャルド・オペルアの所在もわからない現状、あなた一人が無闇に管理世界を渡り歩くのを看過できないのです。どうかご容赦ください」
「ですけど……」
 ぶっきらぼうなクロノに、フライヒルトは怯えているのではなかった。言葉はいささか冷たいが、そこに含まれている意図は、彼女にも判然としていた。口ごもるフライヒルトへ、クロノはその理由を察した上で微笑した。
「協力させてください。勿論、ユーノやロッサも僕と同じ気持ちです」
 その言葉につられ、女の視線が二人の青年に向けられる。ヴェロッサが甘いマスクに愛嬌のある笑みをたたえると共に、ユーノも何一つ異存はない風だった。
 時空管理局が信頼できない相手ではないと、目覚めてからこれまで、フライヒルトは把握していた。悲哀とは違う温もりの涙で瞳を潤わせ、彼女は三名の魔法使いに深々とおじぎをした。
「ありがとうございます。素性も定かではない私に、なんとお礼を言ったらいいか……」
「気にしないでください。これも時空管理局の務めの一つです」
 ユーノとヴェロッサは、忙しくなれる身分として、うまい具合に局内の縄張り争いから逃れられる口実を手に入れたクロノに内心で感嘆していた。
 そうした彼らのやりとりを遠巻きに眺めていたレアエフは、ふとフライヒルトと目が合う。クロノが古代遺跡の一連のいきさつを告げると、フライヒルトは表情を明るくして彼に近寄っていった。
 暴走を始めていたレリックから身を守ったことで、フライヒルトは彼に感謝を述べた。彼女の今後に展望がひらけたと知ったレアエフは、素直な気持ちでそれを励ました。
「私は大したことはしてません……。ハラオウン提督やスクライア先生、アコース査察官は優秀な方ですから、きっと大丈夫です。ご安心ください」
「レリックの暴走を阻止していなければ、私も木っ端微塵になっていたかもしれません。あなたは命の恩人でもあります」
「そう言ってくださるだけで結構ですよ」
 長々と社交辞令じみた会話を続けるのも気が引けたレアエフは、娘の方へと身を泳がせた。関心がないといえば嘘になるが、厳密に当事者ではなくなっている自分に、これ以上彼女のことで関与するのは憚られた。
 しかし、彼女が聖王教に対して悲痛な心中を抱いていることが、特にレアエフを彼女の存在に固執させていた。
 その胸中は、日を追うごとに確固なものになっていく。自分が日々生活していく上で当然のものが、あいいれない存在の影に曇ってしまったような、えも言われぬ心地がわだかまる。
 レアエフが母への手紙をしたためている最中、妻のコエムスが止まったままの手に小首をかしげる。風呂場ではスイフトとヒジェッティーが、犬猿の仲ならぬ、娘鳥の仲を繰り広げていた。
「お母さん、何かあったの?」
 よんどころない立場にある母への悩ましい感情にさいなまれていると誤解したコエムスは、レアエフへそう話しかけた。それで立ち直った彼は、内心をごまかすように続きに集中した。
 レアエフの母は、彼の出身世界であるフイロヴェンスコで、惑星防衛システムの中枢オペレーターに就任している。フイロヴェンスコの宇宙空間には、数多くの獰猛な魔法生物が、星々の自然魔力を糧としながら棲息している。人間が住んでいる惑星も、その標的にされない例はない。そうした脅威的なわざわいから人間社会を守るために、時空管理局と現地が対策を協議した結果、優れた魔導師を人柱にし、強固で大規模な結界を常に現地惑星に張り巡らせるという方法が採用されていた。決して最善の策とは言えないが、技術的にしろ社会的にしろ、これが現代の人智の限界だった。
 レジアス元中将や最高評議会が開発を推進していたアインヘリヤルに、この人身御供の習慣を打破する一抹の望みが持たれていたが、ミッドチルダにて建造中だったこの地上本部の切り札は、JS事件において完全に破壊されていた。ミッドチルダで有用性が実証されたならば、アインヘリヤルは別の管理世界でも建造の計画が相次いだことだろう。フイロヴェンスコとしては、これまで現地惑星の平和を託していたものが、一人の魔導師の全生涯であったのが、より利便性の高く社会的な反発も生まれない最新兵器にかわるのであれば、アインヘリヤルの存在を拒む理由はない。だが、その期待は、地上の守護者の叶わぬ理想と共についえた。
 レアエフの母は今も、結界魔法の術式を入力したストレージデバイスそのものとも言うべき次元航行艦船の中で、際限のない外敵から住民の暮らしを守る祈りを捧げているのだろう。彼女が新たなオペレーターに選ばれる時も、誰もがそれに賛成したわけではない。だが現実として、今、レアエフの母は名誉あるその使命を遂行している。
 山の人であった父が、ある日管理している土地から帰らなくなり、母までもが一般人としての生活を諦めた時、レアエフ達は一家離散の憂き目にあった。親戚の援助はあったが、両親との予期せぬ離別は、取り残された子供達にとって多大な影響を与えたのだろう。
 丁度自立するかどうかのみぎりだった長兄は、デバイス職人に弟子入りし、今も民間のデバイスマイスターとして工房に入っている。次兄も似た道に進んだが、こちらは企業人としてデバイス開発に携わっている。その間に生まれた姉は、ありていに言って神出鬼没、自らの天与の才と独立不羈を友とする人で、今は管理外の魔法世界で非合法の傭兵稼業を営んでいるらしい、とレアエフは二人の兄から、姉の漠然とした近状を伝え聞いている。末妹は今もフイロヴェンスコの生家で、同じ聖騎士インプレッサ宗派の婿をもらい、父が愛した山のふもとで家事と育児にいそしんでいる。
 本局の執務官となったレアエフは、五人兄弟の中でも、割と家族から鼻が高いとからかわれることが多かった。
 諸々の事情から、母とは面会もゆるされない。ただ、肉親は本人に消息を伝えるだけが許可されていた。父の生死は今もわからずじまいだった。何か進展があれば、末妹から報知が届けられるだろう。
 自分と妻はいたって健康、娘は順調に成長中、使い魔はあいかわらず、生活の方も心配無用。それがいつもの手紙のあらましだった。
 手が空いたレアエフは、テーブルの上で頬杖をつき、しばらく静思していた。フライヒルトのことが、彼女の囁きが、聖王教への哀切な疑念が、ともすれば彼の脳裏を往復した。コエムスはそんな夫の傍に寄り添い、信頼と情愛を抱いた様子で微笑んでいた。
「パンツ返してよ!」
 全身から湯気を発するスイフトが、三角形の布で頭をおおったヒジェッティーを追って居間に躍り出る。茶褐色と肌色が、騒々しく居間を駆け巡る。
「ぴゃー! 幼女のパンツを被ってミーは元気百倍デース! 必中閃き熱血努力幸運気合もういっちょ気合!」
「本当に死んでくれる? ねぇ死んで? いますぐ死んで?」
「HAHAHA! それがユーのマキシマムデスカー?」
 似非ミッドチルダ語で人の神経を逆撫でする害鳥を駆除するために、レアエフはとめどない思考を止め、静かな怒気を背中から放出しながら席を立った。



[20266] 第3話 ベルカの怨霊
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/07/16 00:52
「地上本部の局員が?」
 帰宅してすぐ、妻のコエムスから先日来客があったことを教えられた。しがない本局の執務官に何の用件だったのか、見当も付かないレアエフは釈然としなかった。地上本部の所属に縁故を持つ者はいない。公的な用件ならば、わざわざ自宅をたずねたりはしないだろう。悩ましい確執に巻き込まれるのだけは断然拒否だった。
 とはいえ、本人達が想像していない場合でも、何かしら物事と関与していた可能性はないと断言できない。与り知らないところから、寝耳に水の出来事が発生してもおかしくはない。それこそ、調査していた古代遺跡が、ユニゾンデバイスを封印するための施設だったように。
「これ連絡先。いつでもいいからって」
「あっちに知り合いなんていないし、普段から用事ができるようなこともないんだけどな」
 夫がわからないことは、妻もお手上げだった。あまり仕事のことを自宅に持ち込まない夫の性格もあり、コエムスは余計な干渉は避けようと今回もそれ以上の言及はやめておいた。
「人件費削減のために、空気より存在感の軽い執務官を暗殺する為の刺客じゃね? 道楽みたいな仕事ばっかやってっからウザがられてるんだろうぜ。ケケッ」
「今日は鶏の唐揚げにしようか」
「ひどいわ、ひどいわ! 罵倒の応酬にしろ、もうちょっと会話にバリエーションを持たせようよ!」
 両足をむんずと掴まれた状態で、ヒジェッティーは体を暴れさせる。からくも自由を取り戻した彼は、怒りに頭を逆立てて口汚い言葉をはきすてた。
 コエムスが朗らかに頬を綻ばせていた。
「ええ、今晩は鶏の唐揚げよ」
 悲鳴も忘れて凍りつくヒジェッティーは、まさか自分はこの家庭で居場所はないのではないかといじけた。
 珍客については、また気分的にもそれだけの余裕ができてから、追って連絡することに決めた。もしかしたら再来するかもしれない、都合が合致したときに応対すればいいとして、レアエフはさほど気にもとめないでいた。
 それよりも、今プライベートで最も重点を置いているのが、地上での新居についてだった。
「やっぱりベルカ自治領でいい物件を探したいんだけど、さすがに格式が高くて俺達は場違いかな……」
「ミッドチルダ以外は考えてないの?」
「ん……」
 地上で居を構えるとするなら、聖王教の総本山であるミッドチルダのベルカ自治領は譲れなかった。娘のスイフトに、生活する土地の風土から聖王教の気風を培わさせたい目論見もある。そんな親心も知らず、スイフトは暇そうに本をめくっていた。新居には経済的な問題という現実が大きく立ちはだかる。本局との通勤時間も軽視できなかった。
 そんな私生活の悩みを抱えながらも、局員としては当たり障りのない毎日を送っていた。平常業務の合間に、Sランクへの昇格試験の対策が念頭にあがってきた。一月も下旬にさしかかる頃、局内で利用できる多目的フロアに、ちらほらレアエフの魔法を練習する姿が見受けられるようになった。
「二十五年近く費やして、DランクからAAA+ランクに這い上がった努力中毒です」
「何でもかんでも病気にするな」
 使い魔の悪意をもった揶揄に言い返し、レアエフは新しい魔法の術式を体得しようと詠唱を続ける。Sランク昇格試験は、次で三回目の挑戦だった。二度目の精神論の補強では歯が立たないと改心した彼は、魔導師としての熟練度を高める方に専念していた。
「魔力量、今も増加傾向は衰えてないん?」
 室内飲食禁止という規則を守らず、スナック菓子をバリボリと頬張りながら、ヒジェッティーは質問した。顕現させていたハービッツバーグ式の魔法陣をかきけし、レアエフは大きな息を吐く。淡い光に包まれていたバリアジャケットが、微かな揺らめきをしずめる。
「去年の検査ではそうだった。あと数年は増え続けてくれるみたいだな」
「お前の成長グラフ、傾きが小さすぎるじゃないーじゃないー」
 ふざけて床を転がるヒジェッティーに、レアエフの湿った視線が注がれた。その分使い魔に供給できる魔力の量も比例していくはずだが、あえて指摘しないでおいた。
「Sランクを取得すりゃあ、一段と箔が付くってもんだ。武装隊からもどしどしお誘いが来るぞ!」
 発言の後半は無視し、レアエフは首肯した。
「局内でも何%しかいないレベルだってのは、ちゃんと自負してるさ。諦めないで一歩ずつ進んできた成果として誇らしく思ってる」
 その過程には、何も自分一人の苦節だけがあったわけではない。愛する妻や娘の心の支えや、この使い魔との腐れ縁があってこその上達だと、彼は重々承知していた。
「今度の戦技披露会、参加しないとか言わねーだろぉ? ああン?」
 馴れ馴れしく肩を叩いてくる羽を腕で払いのける。一休みにベンチに腰かけたレアエフは、いつになく、そうした催し物にも積極的な反応を示した。
「参加するかどうかはまだわからないけど、できたらそうしたい」
「うほっ、キタコレ」
 数年前、烈火の将・シグナムに屈辱的な惨敗を喫して以来、あまり乗り気になれず、以降もいい試合成績を残していなかったが、Sランク昇格目前というのとあいまって、レアエフは勇ましい心境の変化が訪れていた。
 もしも次の大会で、あの麗しく勇猛なベルカの騎士と再戦することとなっても、前轍は踏まないという心意気が、胸のうちでくすぶっている。現在は機動六課の分隊に所属し、残り僅かとなった運用期間に励んでいるだろうプログラム体の女騎士を想起し、レアエフに自分もAAA+ランクなのだという自尊心が浮上する。
「コエムスやスイフトになさけない恰好は見せられないからな。父の威厳は保たなきゃいけない」
 闘争心や競争心を好まない温厚なレアエフだが、そうした虚栄心は持ち合わせていた。
「ひゅう! 言うねぇ」
 ここまで来たのだから、魔導師生命を賭し、真の限界までランクを高めようという野心が際立つ。ベンチから腰を上げたレアエフは、凛然と気を引き締め直した。
「いつの日か、あのなのはちゃんやフェイトちゃんにも勝ってみせるさ」
「無茶型無謀式無理流の虚勢ですかい旦那? 十も年下の小娘相手に対抗心燃やしちゃって。キンタマちっちぇ~プププ!」
 大胆不敵な目標を口にした主人へ、お調子者の使い魔が口笛を鳴らし、その決意を茶化していた。何かと取り沙汰される二人の美人エースとは、直接の面識はないが、アースラという艦を紐帯にして相手の存在を認識していた。彼がアースラに配属される以前、二つのロストロギア事件の最中、クロノやリンディと共に、あの二人は世界の滅亡の危機を阻止するために尽力したという伝説が語り継がれている。
 地上本部局員の件は、進展もなく宙に浮いたまま、やがてレアエフの意識の隅に放り投げられるようになった。
 本局内にある局員用のレクリエーションフロアで、フライヒルトは大人しくしていた。そこにレアエフが声をかけてくる。支給された制服の上で、フライヒルトの淑やかな長髪がおじぎに揺れる。
「ご機嫌麗しゅうお嬢さん。要するにワシはあなたと合体したい……」
 下らない文句を垂れる使い魔を、レアエフは常日頃のごとく強硬手段で黙らせる。キザな物言いをする軽妙な使い魔へ、フライヒルトは莞然と破顔していた。
「まぁ。お嬢さんだなんて」
 そんな品のある素振りを前に、レアエフはおろかヒジェッティーもいささか毒気を抜かれた思いだった。ユニゾンデバイスは従順にベンチから動かずにいた。屋内には他の利用者も見受けられる。軽いスポーツに興じる者、簡易睡眠装置で束の間の安息を貪る者、フロアに設備されている機能はここに足を運ぶ人々に憩いの一時を提供していた。
 彼女はこれからクロノと合流するのだが、同伴していたヴェロッサが急な別件で席を外してしまったために、こうしてレクリエーションフロアで時間を潰しているのだった。いたたまれなさそうでもなく、悠然とその場に居座っていられるのは、彼女の胆力なのか、順応力なのか、周囲と下手な軋轢を生み出さないだけの所作はそなわっているらしかった。
「あなたを造りだしたマイスターや、ロードのことで何か判明すれば、有益な情報となるのでしょうけど……」
 望み薄なことを言って、レアエフは互いの間の静寂を破ろうとした。ミッドチルダで出土した先史時代人の遺骨の、最新調査結果を観覧する場所としてここに来たのだが、それは二の次にしていた。彼の気遣いを察し、フライヒルトははにかんだ。
「我々のこと、お詳しいんですね」
「いえ……。ロードの記憶は?」
 質問を受けた本人は、黙然と首を振った。だがそれは、レアエフが想像している意味ではなかった。
「私は正式なロードを必要としないタイプですから。融合適性が低いベルカの使い手であっても、一定の性能を引き出せる構造をしています。融合事故の危険性が低いわけではありませんけれど……。私は量産型融合騎のノウハウを充実させるために造り出された試作機の一体です」
「しかし、ユニゾンデバイスの量産は実現しなかったらしいですが」
「そのようですね。何分、私達は扱いに難儀するみたいなので」
 携帯用おやつの餌でヒジェッティーを黙らせ、レアエフはフライヒルトとの交流を噛み締めていた。今、彼女が聖王教に対してどのような気持ちでいるのか確かめたかったが、一方的に問い詰めてしまいそうでためらいを拭えなかった。
 リチャルド・オペルアの所在はまだ割れていない。そこを解決しない限りは、フライヒルトは何にも新たな一歩を踏み出せなかった。クラウディアが連日、調査を行っているが、てごわい作業になっているらしかった。管理世界の研究機関にも情報提供や調査協力を仰いでいるが、次元の狭間をさまよう世界は影も形も気配を見せない。
 ふとフライヒルトの横顔が曇る。それは単純に将来の不安も含んでいた。
「現在のリチャルド・オペルアを見届けた後、私はどうすればいいのでしょうか。クロノ提督は、私にもどう生きていくかを選ぶ権利があると仰ってくださいました。ですけど、こんな私でも、何か胸を張ってなすべきことを見つけられるでしょうか」
 これからの暮らしについて憂鬱になっているのではなく、より根本的な部分で行く先に迷っている風だった。何かアドバイスをしようと頭を捻るレアエフだったが、本質をついた言葉が思い浮かばなかった。
「私が生きた時代に比べれば、現代は幸せです。多くの世界を巻き込む戦争に怯える必要がないのですから」
 それは新暦人であるレアエフにとって、耳が痛い感心だった。世界間の戦争や武力衝突が勃発するのが難しい世の中である反面、今は管理局法にもとる次元犯罪が、社会の暗部を形成している。それぞれの価値観でしかない幸福の定義で、現在と過去を比較するのは、もしかしたらナンセンスなのかもしれなかった。
「私は戦う為だけに造り出された存在。今の時代に私のような存在はあるべきではないのかもしれません」
 自虐でもない冷然とした声色が、レアエフの耳朶を打った。
「グントラム……」
 寂然とうつむき、フライヒルトはそう囁いた。人名だろうか、レアエフは気安く意味を問える空気ではなかった。
 感じやすい心を持つこのユニゾンデバイスを元気づけたいレアエフだったが、不器用な性分のせいか、自分もまた沈黙に囚われるだけだった。和やかな屋内の中で、二人の間だけ陰気によどんでいた。
 小腹を満たしたヒジェッティーは、会話に行き詰まった二人へ一芸でも披露してやろうかと思い立つ。丸い鳥の目がベンチに向いた時、二人の背後の不気味な波紋が彼の注意をそらしてきた。転送が行われる現象かとも思えるが、それよりも極端に怪奇な空間の浸蝕具合だった。
「おいご主人様、あんた呪われてるよ。地獄に堕ちるわよ!」
「え?」
 羽が指し示す背後に振り返り、レアエフは反射的にベンチから飛び退いていた。咄嗟にフライヒルトも傍に促し、視界にうごめく正体不明の現象に身構える。
「これは……ああ……まさか、あなた。グントラム……」
 震えた独白がフライヒルトの体を小刻みにこわばらせた。それに構っていられず、レアエフは念のためにバリアジャケットとデバイスで迅速な対応に出られるよう準備を整える。空間の局所的な波紋は、しだいに激しさを増し、底の見えない奥深くから、異質な何かが出現しようとしていた。
 ポディーメドーモの柄をにぎりしめ、レアエフは進退を決しかねていた。これは一体何なのか、愕然としているフライヒルトは思い当たる節があるのか、錯雑とした思考が彼の判断をさまたげてくる。
 その隙に、怪しい波紋は現実に対して魔の手を伸ばそうとしていた。確然と危機感を抱いたレアエフだったが、バインド魔法を唱えようとした時には、波紋の内部から放たれた突起が宙を貫いていた。
「ちょいさー!」
 横から割り込んだヒジェッティーが、華麗にその奇襲を羽の一撃で弾き飛ばす。阿吽の呼吸で、レアエフはフライヒルトの身の安全に動く。ベンチの不穏な異変による混乱は、レクリエーションフロア全体へと拡散しはじめていた。
「ちぇい! ちぇい! お呼びじゃないのよ! ここか? ええ? ここがええんのかラストエンペラー!」
 絶え間無い電光石火のクチバシで、謎めいた波紋は勢力を弱めていく。そしてついに、ヒジェッティーの果敢な攻撃は、事態を沈静化させる。消失した波紋の跡は、錯覚だったかのような心地を各自に与える。
 それから少しの間も置かず、クロノがフライヒルトのもとへと駆けつけた。ヴェロッサの不在を嘆き、彼は額に手を当てていた。
「まったく、ロッサは……。執務官、被害は生じなかったのですね?」
 周囲の動揺を身振り手振りでとりまとめながら、クロノはなおかつレアエフから事の次第をきいていた。
「はい。それは問題ありませんが、一体何が起こったのか……。本局のセキュリティも作動していないですし、狐につままれたような気分です」
「そうですね。フライヒルトがここにいることと、因果関係があるとは思いたくないですが」
 男二人が苦々しく押し黙るかたわらで、フライヒルトは痛ましげな面持ちをしていた。失念していた危惧、確証の持てない仮定が現実のものとなったおそれ、そしてそんな状況に対し無力な自分自身、そうした感情が混在し、彼女は一層孤独感の増した様子で放心していた。
「グントラム……愛するあなた」
 そう呟くことで、なけなしの平常心を取り戻せるかのように、フライヒルトは切迫した声で繰り返していた。



[20266] 第4話 ベルカ自治領の攻防
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/08/08 19:56
 僅かに光明が見えてきた。リチャルド・オペルアに到達するための手がかり、それらしき術が見つかったのだ。ユーノが通常業務の合間を縫って参考資料を集め、聖王教会の情報提供が決定打となった。その結果、リチャルド・オペルアを各方面から総合し、かなり有力な仮定が浮上してきた。
「リチャルド・オペルアは、次元転送というよりは、その特殊な性質で次元間を物理的に掘り進んでいると言った方が適当なのかもしれません」
「そのような次元世界が……」
 通信画面越しのカリムは、日頃とは打って変わって真剣な面持ちだった。クロノは俄かに信じがたい声を漏らす。黒衣のバリアジャケット姿の彼の傍には、フライヒルトを始め、ユーノとヴェロッサも相同していた。リンディも同席したい様子だったが、あいにくと別件で間に合わなかった。恐らくは運用期間に終わりが近付いている機動六課に関してだろう。クロノとカリムは彼女にそれを押し付けてしまう形になったが、相手からフライヒルトのことならばと自分の肩代わりを快諾されていた。
「それで、リチャルド・オペルアは……」
 聖王教にあまり好意的にはなれない。そんなフライヒルトは、通信画面に近寄ろうとはしなかった。それでも私情は表に出さず、ユニゾンデバイスは会話の成り行きに注視する。
「リチャルド・オペルアを始めとして、次元間を移動、もしくは転移している世界は、その痕跡として時嵐を通常時空間に残留させているのです。一つの次元世界のそうした活動の影響は、我々が生きる時空間に計り知れない影響を与えるものなのでしょう」
 古代文献にも記されているそれらしき存在の記述と、新暦技術による実際の観測データから、そうした推測が立てられていた。
 そんな脅威的な次元災害とも呼べる時嵐が発生しながらも、多くの管理世界が存続していられる、この遍く次元世界の広大無辺な規模は壮大だった。
「リチャルド・オペルアへ渡航するには、その時嵐を突破しなくてはならないでしょう」
「可能なのですか?」
 期待を胸に秘めた問いに、クロノは凛々しく誠実に首肯した。カリムもその反応を見越していたからこそ、包み隠さずクラウディアへデータを譲渡するのを決めたのだった。時の流れが物理空間で無秩序に渦巻いている状態を指す次元災害だが、魔法的な処置で規模を緩和、封殺することが可能と分析されている。アルカンシェルの必要性が出て来るならば、使用許可の手続きを経なければならないが、今回は魔導師が全力を尽くして災厄の壁を乗り越えなければならない。
 クロノの返答に安堵したフライヒルトは、心半ばにもう願望は叶えられたように上の空気味だった。クロノもユーノもヴェロッサも、そんな彼女の様子に一言物申す気も起きなかった。
「出発の前に、一度こちらの本部にもお越しください。フライヒルトに関して、直接おうがかいしたい事もございますから」
 そうアポイントメントをとりつけ、カリムは通信画面を閉じた。遙か遠い追憶に気持ちを馳せるフライヒルトに、クロノ達は互いの顔を見交わせてうなずいた。

「そしてその時、一人の執務官が紛争世界で生と死が交錯する激戦区を駆けていた」
「お前は何を言っているんだ?」
 冷めた調子で言い返し、レアエフは溜め息混じりに本を閉じた。彼の手に開かれていた、とある聖王教双書の一冊は、物体浮遊魔法で本棚へと収蔵された。ぶーをたれているヒジェッティーを尻目に、当の主人は軽く身形を正すと居間に出ていった。
「スイフトは準備できているのか?」
 居間では母が娘の恰好を気にしていた。帽子を被せ、まだミッドチルダでもサクラが咲くには早い時季なので、薄手の防寒具を着用させている。母の手作りの温もりに、スイフトはほのかに嬉しそうだった。
 今日は娘を連れて、ベルカ自治領へ参拝に赴く。聖インプレッサの宗派はフイロヴェンスコが本拠地だが、聖王教会の本部をいただくベルカ自治領の社会的な体面の上、各宗派の宗教機関は自治領に集中しているのが現実だった。無論、それに伴い礼拝の為の施設も各地に点在している。生まれ育った世界の信仰の歴史が、現代社会の事情に妥協しているのは、レアエフとしてはあまり快い心地はしていなかった。しかし、何かと忙しい現代人として、ベルカ自治領ならば距離的に助かるという側面もある。一筋縄ではいかない心情と折り合いをつけながら、彼は今日も伝説の聖騎士の威光に、己の心の道筋を願おうとしていた。
 帽子越しに頭を撫でられても、スイフトは一言もしゃべらなかった。レアエフは父の都合でそれを意に介さなかった。遅れて居間に現れたヒジェッティーを一瞥するスイフトだが、気分屋な使い魔は彼女の肩を持とうとはしなかった。
「あの地上本部の人のことだけど」
 やはり失念していられなかったのか、コエムスが先日の客人の件を蒸し返した。てっきり伺いに出ていると思っていた妻だが、レアエフの方は乗り気ではなかった。
「向こうから改めて来る気がないなら、それでいいかと思ってるけど」
「だけど……」
 その辺の人付き合いは等閑にできないのか、コエムスの釈然としない様子にレアエフも折れた。
「今日のうちに連絡を入れておくから」
「そうした方がいいわよ。ちゃんと話を聞いておいてね」
「わかった」
 それから、もう一度コエムスに呼び止められる。娘を連れて行こうとしていたレアエフの先で、コエムスは言い澱み愛想笑いでごまかした。
「何でもない。また帰ってきてからでね」
「そう?」
「スイフトも、ちゃんとお父さんの言う事聞いて、はぐれないようにね」
「うん」
「僕ちゃんは何も無いの?」
 事実、なかった。
「行ってらっしゃい」
 朗らかな表情で、コエムスは腹の辺りにそっと両腕を交差させる。何かを大切に抱き抱えるようなその仕草も、気持ちが先にベルカ自治領へ行っているレアエフには些細なものだった。二人と一匹が出て行ってから、コエムスは食卓の椅子で一休みした。この前に妊娠二ヶ月と診断された彼女は、自分の中に宿る新しい生命の息吹を感じようとゆっくりまぶたを下ろした。
 そんな妻の変化も気が付かず、レアエフは娘と使い魔を引き連れ、ミッドチルダの北の地に降り立っていた。自治領の中央駅で列車を降り、現地の交通機関で聖インプレッサ礼拝堂の最寄り駅へと移動する。一年を通して各管理世界から聖王教信者が集っている為に、この日も自治領内は休日の観光地めいた活気が漂っている。ミッドチルダの中でもどこか独特の気風を発している街並みを眺めるだけでも、レアエフは信心深い安らぎを得ることができた。
 車窓の風景を指差しながら聖王教にまつわる話に忙しい父だったが、スイフトの方は打って変わって無関心そうに装っていた。座席で爪先を立てて座る姿勢から、すこぶる多弁な父が苦手そうだった。聖王教の教えに身を投じる気がないのはとことんらしい。娘の入信に熱心な父は嘆かわしげに落胆した。
「どうしてそう依怙地かな」
 強く出るときは強くでるが、引くときはその分中庸まで引いていく。そんな柔軟な態度の父親だから、宗教絡みでも娘の反抗という反抗は見られなかった。基本的にスイフトは真面目で勤勉で温和な父が好きだった。最近は使い魔に自分の入浴を任せているのが気に入らないくらいは、娘から父への情意は親しかった。
「だってお祈りとかつまんないもん」
 ふてくされるスイフトの頬を手の甲で触れ、諦めでもない苦笑がレアエフの口数を減らした。ひさしぶりの外出がベルカ自治領では娘心はそうだった。断続的に揺れる車内の中で、親子はしばらく横と下を向いていた。
「ここで一句だな。聞いてない、誰もそこまで聞いてない」
「鳥が人語喋ってるけど、それ管理局方違反なの知ってたか?」
「あいや! うっかりしてたアルネ!」
 何でも悪意的に混ぜ返す使い魔を追い払う。だが車内をバサバサと飛び交おうとするヒジェッティーだったので、レアエフは舌打ちしながら伸ばした腕で足を捕縛した。こうした時に、何が悲しくて魔力を流してあげているのかわからなくなる。山の人だった父には割と従順だったと思うが……。
「親父が今のお前を見て、草葉の陰で泣いてるぞ」
「……」――不自然に黙り込み、ヒジェッティーはまんまるい眼球を車窓の方へ逃がした。
 奇妙な様子に眉根を寄せたレアエフだったが、使い魔として契約する時に、色々と恩を着せてもらっただとか、そういう心温まる交流があったらしく、今更あえて深く追究することではなかった。
「そういや、地上本部のチンカスはどうするん?」
「どうする……かな」
 まだ忘れた頃にコエムスから小言を聞かされるのも体裁が悪い。そう思ったレアエフは、礼拝の前にどこか休憩できる店に寄り、連絡だけは入れておくことにした。喫茶店でスイフトに甘いものを与え、使い魔お断りなのを無理言って瞑ってもらいヒジェッティーにも餌になるようなメニューを注文する。
「使い魔の獣の臭いが困るんですけどねぇ……」
「実はこの男が私の使い魔です。キリッ」
「あ、それなら問題ありません」
「えっ」
「えっ」
 驚いたレアエフに、逆に店員も驚いていた。ヒジェッティーはそんな空気からすでに退いており、レアエフの隣に運ばれた軽食をついばんでいる。メニューを置き終えて立ち去っていく店員に、レアエフの間の抜けた視線が一時送られていた。
 地上本部局員は現在クラナガンと自治領の合間にある地方都市に出ているとのことで、連絡を入れると至急面会願うと息巻いてきた。さすがに私用で来ているので後日改めてそうするのを提案したレアエフだったが、まだ若く気鋭に溢れる相手の勢いに負け、結局は首を縦に振ってしまった次第だった。そんなてんやわんやな会話だったので、肝心の用件は通信で明らかにできなかった。
「陸の人間が一体何なんだ……」
 その疑念が尽きない。小さく頭を抱えていたが、スイフトとヒジェッティーには、近くの店や公園で時間を潰すように言い、彼は店内で大人しく温かい飲み物を少し少し減らしていった。
「おとうさん仕事なの?」
 通りに建ち並ぶシックな店舗を巡りながら、娘と使い魔は喫茶店の周辺を散歩していた。立春頃の穏やかな肌寒さが、歩く呼吸で体に浸透していく。透き通る青空の上に、二つの月の輪郭がぼんやりと浮かび上がっていた。切り立った山岳地帯の方に目を向けると、市街地のずっと先に聖王教会本部の荘厳な外観がうっすらと望めた。
「金絡みの悪巧みがバレちゃったの。クビかもネ」
「おとうさんってコネも人望もないからありえないじゃん。よわっちぃし」
「アイター! 痛いとこ突いちゃう? パパって本当にダメな大人だね! 死んじゃえばいいのよ!」
 さすがに口がすぎたのか、ムッとしたスイフトが使い魔の頭をこづいた。自分自身が父を見下げるのは問題ないが、赤の他人にそうされたらいたく立腹らしい。複雑な乙女心の持ち主だった。
 一方、半時間ほどで相手が店に顔を見せた。息を切らしているのは、一分一秒も無駄にはできないと急いできたからだろう。地上本部仕様の制服の乱れを整えながら、その男性局員はレアエフが軽く挙手をする方の客席へと小走りに駆け寄った。まだ若く、青春の名残が瑞々しく表情を彩っている。内勤局員なのか、デバイスの待機形態のアクセサリーの類は携帯していないと見受けられる。
「この前は大変でしたね……」
 地上本部に所属し、勤務先もそこだと言うので、JS事件でのスカリエッティ一味の襲撃を思い返したレアエフは、どこか他人事のようでもある調子で呟いた。聖王のゆりかごが浮上し、次元航行部隊も右往左往しているときでも、彼は平常通りだった。大騒ぎに海の連中が行き交う通路を、一日の案件を済ませた体で帰途についていた程だった。後でコエムスから常人離れして神経が図太いのか、とことん世の様相に疎いのか、と呆れられた。
 用件は単刀直入だった。レアエフはここで彼からスカウトを受けていた。戸惑いを隠せない勧誘相手に、地上本部の若者は是々非々にと迫る。
「レジアス中将亡き今、地上本部は再建の急務に追われています」
 そう語るのに興味半分で耳を傾け、レアエフは機械的に相槌を打っていた。どうやら一部の陸の人間は、管理局内外を問わず、有志を募り、物理的にも組織的にも瓦解の亀裂が入った地上本部の立て直しに動いているらしい。何より地上の守護者とうたわれた巨人の失墜と死去により、なればこそ残された者が一致団結し、地上の平和の為に、レジアス元中将の遺志を継ぐべきではないのか、という熱が上がっているらしい。人事再編の分野でその動きに加担している彼は、AAA+ランク執務官であり、レジアス中将同様に文化遺産保護官資格を所持しているレアエフに白羽の矢を立てたわけだった。
「貴官の才能とキャリアを、是非とも地上本部再建のためにお貸しいただきたいのです。我々と共に、管理世界の地上の平和と秩序をまもるため、尽力してはいただけないでしょうか」
「え? うん……」
 両者の温度差は断然だった。確かに吐く気焔は立派だが、レアエフにはそれがいささか波長の合わないものだった。元来から必死になるとか人生を賭けるとかいった精神論と縁がなかった彼にとって、今の相手の形相は珍奇だった。人間万事塞翁が馬を地で来たようなレアエフに、世の中の事々に人の意識や執念がいかほどの効力をもたらすのか……地上本部局員の気迫もなんだか憐憫を催される類のものとなっていた。
 なんとかなると、今こそ落ち着いて肩の力を抜くことはできないのか。いたずらに猫の手も借りたいと東奔西走するだけで、本当に事態の打開が見込めるのか。自分に思わぬ期待が寄せられているのは別として、地上本部の一部で高まっている理想の血潮が彼には地に足の着いていない空理にも感じられた。レジアス・ゲイズという重鎮を欠いた地上本部は、かくもこんな擾乱に見舞われるものかとも思った。
 一々了解をとって話を進めるのは埒が明かないと判断したのか、地上本部局員は待遇といった範囲も相談に持ち出す。額面上は悪くないが、アインヘリアル開発に重点を置いていたレジアス元中将下の予算編成がまだ生き残っている中で、緊急で寄せ集めた助っ人達にいくらのものが出るのか、実態は推し量られた。各管理世界の出資をたまわっている以上、あまり勝手な金の流れを作ってしまうと、スポンサー各位の信頼にもかかわる。なんとなくレアエフはそうした難しい事情も脳裏に思い描き、ただ提示される好待遇だけでいい返事をするのは抵抗があった。配属先も漠然としており、頭数を揃えてから細部を検討する魂胆なのだろう。
 とりあえず穏便にはぐらかし、この場は丸く収めておいた。執拗に懇願し頭を下げてくる地上本部局員に無難な対応を見せ、レアエフは彼を見送った。
 外に出ると、丁度近くを一巡してきた娘、使い魔と合流した。
「地上本部志望なお前が断る理由が知りたい。三行で」
 開口一番のヒジェッティーは、主人の肩の上で正面から視線を逸らさないた。レアエフも同様だった。
「何の役にも立たないレアスキルを持って行けるかよ」
「実際益体もないレアスキルだしぃ。チミのって。ぷぷ」
 そういう意味ではなかったが、レアエフは訂正もしなかった。これから礼拝堂へ行くつもりだが、スイフトを一瞥し、その予定を本屋へと変更する。何でも好きな本を買っていいと言うと、娘は嬉々と駆け出す。
「あのオッサン、レアスキル持ちが嫌いだったみたいだしな。きゃお、複雑な乙女心!」
 愉快そうな鳥の頭を、男の掌が不愉快げにはたいた。先を行く元気な娘に微笑ましげだったレアエフは、ヒジェッティーの余計な一言で悄然とした横顔を見せる。歩調を緩め、暫時無言を装う。地上の平和と地上本部の戦力増強、犯罪率低下、検挙率向上をかかげていたレジアス元中将の背中を追って、一家離散の後、親戚の援助を受けながら、地上本部への入局を目指し、遊学という形で単身ミッドチルダの地を踏んだレアエフだったが、そのレジアス元中将のレアスキル嫌いが、彼の中で看過できないネックとなっていた。そうして地上本部の志願に二の足を踏んでいるうち、執務官として本局に所属する道へと流されていったのが真相だった。
 ヒジェッティーが面倒臭そうに、主人を横目にする。ずっと信じていたものに根底から裏切られたような、突然親に見放されて途方に暮れているような、そんな今にも泣き出しそうな子どもにも似た横顔がそこにはあった。レアエフは今でも、心のどこかで、レジアス元中将が禁忌の違法研究に関与していた事実が、何かの間違いではないかと思いたかった。頼みの綱はオーリス元秘書官だった。
 溜め息を吐いて空を見上げた。
「……中将は……レジアス閣下は……」
 沈痛そうな声色で何かを呟こうとしたレアエフだったが、それ以上は続かなかった。暗い額をする彼へ、前の方から娘の快活な呼び声がわたされる。それで気を取り直した彼は、娘に気の滅入るオ思いをさせない様子で歩調を戻した。
 今日は聖王教会本部で結婚式があるらしく、区画を進めばその賑わい肌にも感じられた。盛大な催しで執り行われているのか、本部付近でも新郎新婦の門出を祝う活気が伝わっていた。レアエフもかつて、この地で花嫁衣装のコエムスを肩に抱いた頃があったのを思い出す。
 本部の方の騒々しい空気を感じながら道を歩いていると、修道服を着た女性と肩をぶつけてしまった。咄嗟に謝罪するレアエフだったが、相手はそんな男に険悪な睥睨を突き刺し、無言で去って行った。すれちがい際に忌々しげな舌打ちを残して。
 修道服の上から艶やかな黒髪を揺らし、猫背がちな姿勢で陰鬱そうに歩く女性の背中を、レアエフは虚をつかれたように顧みた。人生に骨の髄から疲れ果てたような、荒廃した雰囲気を濃厚に漂わせているのが異様で不気味だった。聖王教の教えに身を浴していながらも、あれだけこの世のあらゆるものを呪っているような形相をしているのが強烈だった。
「さすがにトキメキを感じてるような顔付きじゃなかったけど? もしかしてケンカ売られてた? なんかすんごいどんよりな不幸オーラ発してる女じゃのぅ。こわいよ! 噛み付かれるよ!」
「いや……知ってるような顔だったけど、気のせいか」
 もし知っていたとしても、普段から親交を持たない、その程度の人物なのだろう。娘に腕を引かれ、レアエフは本部の方の景観に恵まれた立地にある大手の本屋へと往来を進んでいった。やがて広大な敷地と大々的な看板が彼らの視界に開けてきた。

 本部の敷地からも、市街地の平素の殷賑は確かめられた。大きな窓から射しこむ冬の日の光で、室内は麗らかな陽気をたくわえていた。その聖王教会本部、部外者立入禁止区画の一室に、先日通信で顔を合わせた面々が居合わせていた。
 クロノ達は、フライヒルトから身上を打ち明けられていた。ユニゾンデバイスでありながら、人間らしい異質な印象はそれから来ているものだと判明した。
「……つまり、リチャルド・オペルアの君主である、友愛王シュトラウス一世、グントラム……そのお方の妻であったというのですね?」
 カリムが口を開くと、フライヒルトは微かに顰蹙をした。やはり母なる世界を滅ぼした聖王、その聖王を崇拝する宗教団体の関係者であれば、否が応でも気分は許せなかった。敵意のない、寛恕な物腰も鼻持ちがならないのが本音だった。
「ユニゾンデバイスをめとる王ですか」
 ヴェロッサ自身は何の気もない口振りだったが、フライヒルトには含意があるように聞こえた。聞き捨てならない風に、彼女は席の上で前屈みにのりだす。
「自我と心を持ちながら、戦闘兵器でしかなかった私達に、自由と人格を認めてくださいました。グントラムがいてくれたからこそ、私達は人生の幸福というものを知ることができました」
 荒げられた語気から、クロノ達は有無を言わせぬ迫力に納得する他になかった。当人はすぐ冷静になり、きまずそうに肩を縮こめた。それでもまだ、言葉は口の中に残っていた。
「グントラムは誰よりも平和を愛し、争いのない世の中を築くために粉骨砕身していたのです。人も、獣も、この世の遍く生命が、至福に浴することのできる世界を……無償の愛に満ちた理想国家……アガペイディアを……それなのに聖王家は、彼らの母なる世界が荒廃した後も、ベルカ統一をかかげ、無造作に戦火を広げるだけで……!」
 愛する者の見果てぬ理想を偲び、しかし歴史が語る残酷な現実が彼女の胸を圧迫し、フライヒルトはひとり涙ぐんだ。彼女が、かつて次元世界の覇道を極めようと血塗られた闘争を繰り返した古代ベルカに忌避の念を抱くのは、根底に主人の夢見た世界のありかたを蹂躙したという認識があるからだった。
 惻隠の情を感じるカリムだったが、フライヒルト自身の心中を推し量り、安易な慰めは控えておいた。
「時嵐が残留する次元世界を中心に調査を進めることになりますけど、対策の方は万全なのですね?」
 義弟も同行するので、カリムはその辺りを入念に確認しておきたかった。クラウディアの方針はもう決している。時嵐をてがかりにし、リチャルド・オペルアの所在を明らかにしなければならない。
「アルカンシェルの申請は既に出しています」
「データによれば、魔法による干渉で勢力を弱め、消滅させることも可能みたいですから、そんなに心配はいらないと思いますしね」
 クロノとユーノが続く。二人の返答を信頼し、カリムは鷹揚に頷くだけだった。彼女がヴェロッサに視線の焦点を合わせるが、義弟はいつものように飄々と肩をすくめるのだった。
「では私は祈りましょう。フライヒルトに母なる大地との邂逅があらんことを、そして、それがフライヒルトの未来を導く光になるように……」
 彼女の後方で、シャッハも祈りの呼吸を重ねていた。フライヒルト達の次元の旅が始まろうとしていた。
 善は急げで全員一致だった。暇を告げると、間も無く、クロノ達はフライヒルトをともない、本局で出向準備も万端なクラウディアへ向かおうと本部を歩く。
 顔色のかんばしくないフライヒルトに配慮し、クロノは不安要素を和らげようと努めた。
「未知の世界でも、ユーノの探査魔法とロッサのレアスキルで十分対応できる。何も心配はいりません。必ずあなたをリチャルド・オペルアまでお連れします」
「本当にありがとうございます……」
 それでも何かが気にかかるのか、フライヒルトの視線はユーノとヴェロッサを頻りに往復していた。特に前者に対しては、無限書庫の業務にさしつかえがないかと、申し訳ない気持ちがあった。詳しいいきさつは確かめていないが、三人の局員達の間でそうした問題が上がっていないのであれば、ユーノやヴェロッサも、こちらの案件を優先させられる都合がついたのだろう。
 扉もない境界を抜けて、屋外の渡り通路へさしかかる。周辺は信徒や騎士団の関係者がちらほらと通行していた。
 幸先はいい方だと四人の誰もが信じ込んでいた。クロノの制服が黒衣に転じるまでは、それは確かに彼らの中の事実だった。やはり環境的に適応してしまっているのか、前触れもないクロノの臨戦態勢が、他の二名にも即座に同じ構えをとらせていた。
 突然の変貌に困惑するフライヒルトは、ヴェロッサの腕に匿われる。長身に阻まれた視界で、クロノが本部の張り出した庇の方へと射撃魔法を唱えていた。鮮やかな空色の弾丸が、空中に発生していた怪しいよどみに直撃する。練成された魔力は弾け、目に見える異変は嘆きに似た蠢きを起こした。
「間違いない。エコカー執務官の報告にあった謎の敵意だ」
「人様の敷地に、断りもなく潜入してくるものだね」
 今度は束の間の危険では済ませてくれないらしい。目の端で殺気を感じ取ったクロノが、振り払われた半透明のアームドデバイスにデュランダルを宛がう。耳障りな音の破裂が、周辺に動揺の疾風を巻き起こす。
 ユーノとヴェロッサに部外者の安全を任せ、クロノは得体の知れない奇襲に抗う。彼の眼前で、面貌の輪郭もあいまいな、霊体じみた魔導師が膂力を込めてくる。鍔迫り合いに劣るクロノは、強引に足払いをくらわせ、なおかつ仰向けに倒れそうな姿勢を気力でこらえ、後ろから前へと身を傾け、魔力を帯びた足を更に前へと突き出す。騎士甲冑ごしに腹を痛打した靴裏が、波打つ無言の騎士の背中を地に転がした。
 振り返るまでもなく、クロノは頭上からの不意打ちを先読みしていた。炸裂効果を持つ誘導弾が複数降り注ぎ、本部屋外の渡り通路が破砕する。無駄なく回避をとったクロノは、だが倒れたままの騎士からバインドをしかけられる。結界魔法を詠唱していたユーノが救助に出ようとするが、黒衣のバリアジャケットは恐るべきバインドの操作力で本部の外へと投げ飛ばされる。
 強靱な魔力の鎖を、ジャケットパージの発展型魔法で破壊したクロノだが、眼下にひろがる街並みを見ると、苛立たしげに自分をののしった。一度解放された魔力は瞬時に再生され、バリアジャケットも元通りになっていた。
 彼が飛行魔法で滞空する先で、本部から二体の霊体騎士が接近してくる。市街地から本部近辺の山岳地帯へと流れようとするクロノは、宙を焼く誘導弾の軌跡に残影を焦げ付かせた。クロノの間合いに飛び込んだ一体によって、斧型アームドデバイスの一撃が黒いバリアジャケットの切れ端を空中に散らす。
「何をしているんだ僕は。被害を広げるわけにはいかない! あれは一体何者なんだ?」
 聖王教会本部の騎士団は、すぐに出動してくるだろう。それも頭の片隅にいれながら、クロノの手が長年の相棒を前方へ差し向ける。左右に展開する殺気は、クロノの手で放たれたバインドを胴に絡められるが、装備しているアームドデバイスでなんなく切断すると、飛行魔法の速度を上昇させる。
 活動限界領域まで高度を上げるクロノだが、追尾してくる騎士の誘導弾に足を砕かれる。バリアジャケットの裾を貫き、はぜた皮膚から鮮血の霧が舞う。
「やはりフライヒルトの存在が原因なのか? ……フライヒルト!」
 地上を背にする敵に砲撃を撃つこともできず、黒い魔導師の影は、点在する雲を障壁にして時間を稼ぐ戦法に移った。

 本屋の屋上の休憩席でぼんやり青空を眺めていたレアエフだったが、使い魔が急に騒ぎ始めて我に返る。ジュースを片手に、早速購入した本を読んでいるスイフトの隣で、彼は眉間にしわを寄せる。
「本部の上空が一瞬おかしかったにょろ。ってか、無理矢理とってつけたようなバトル展開キター!」
 魔力反応は確かに感知したが、レアエフは深刻に受け止めていなかった。わざわざ無関係な事件に関与して、ヘタに嫌疑をかけられるような真似はしない。それが一般人として当然の心理だった。
「はいはい……戦闘が本領じゃない俺には関係ないな。テロなら、騎士団か防衛隊が鎮圧してくれるだろうさ。近辺に避難勧告は出てないみたいだし、大丈夫だろう」
 興奮してはしゃぐ羽を、レアエフの腕が鬱陶しげにはらいのける。
「あの黒いバリアジャケットって、確かクロノ・ハラオウンっていう提督じゃないの?」
「何をしてるんだヒジェッティー。お前は先行して提督の援護に回れ!」
「変わり身めっさ早っ」
 ヒジェッティーは平素の退屈の憂さ晴らしができると、浮き足立っていた。バリアジャケットを構築しながら駆け出したレアエフは、一旦逆戻りし、娘に大人しくしているよう言い聞かせると、屋上をしきる大人の背丈以上の柵に飛び乗り、無抵抗に空中へ身を躍らせた。
 重力の作用で落下するレアエフを、巨鳥が背中で受け止める。全長を膨張させたヒジェッティーが、主人の体重を感じながら、颯爽と市街地の上空を飛行していく。
「飛び降り自殺ブームなの? バカなの? 死ぬの?」
「いいから飛ばすんだ! ハラオウン提督が苦戦しているのなら、手を貸さない理由はない」
 一直線に聖王教会本部上空へ急行する最中、レアエフの片腕にはストレージデバイスのポディーメドーモを起動させていた。前方を見据える先で、空色の魔力光と波紋をたたえる謎めいた気配が交錯していた。
 連射される誘導弾の回避に追われ、クロノはもう一体の霊体騎士に背後をとられる。視界の後ろで閃く凶刃が、肌を焦がす殺気を吹き付ける。彼の首がはねられようとしたその間際、レアエフはヒジェッティーの背中から飛んでいた。ポディーメドーモを幾重ものハービッツバーグ式環状魔法陣が取り巻き、魔法超金属オレイカルクムスがデバイスを武装する。魔力波動を宿した魔法物質の加護を得た打撃を受け、霊体騎士はクロノを絶命させるのも叶わず吹き飛ぶ。そして実体を表す全身の輪郭がグシャリと滲み、霊体騎士はアームドデバイスと共に音もなく消滅した。
「エコカー執務官? どうしてここに」
「あれはまさか、先日の本局で遭遇した異形の存在ですか」
 すかさずヒジェッティーが翼をはためかせ、特殊な作用を及ぼす魔力風で、レアエフの墜落を防ぐ。使い魔の補助で高度を維持するレアエフへ、クロノは直射の誘導弾を躱し、肯定の意を送る。時間差で発射されていた一発を、咄嗟にデュランダルの柄で爆砕させる。防御の衝撃が彼の黒髪を乱した。
「確定はしていませんが、恐らくは」
 ポディーメドーモに被膜するオレイカルクムスを粉々に分離させ、物体加速の詠唱で超硬質の弾丸と変える。ハービッツバーグ式の魔法陣に撃ち出された超金属の破片群は、魔力波長で空中の大気をゆがめながら突き進む。だがいっぱしの騎士ならば、余裕で見切れる弾速は、後衛の位置についている霊体騎士に傷一つ負わせられなかった。
 だが雲上から急降下をしかけたヒジェッティーが、射撃の回避から詠唱態勢に戻ろうとした霊体騎士へ襲撃する。
「あなたの子ども、産ませてよ! むーっちゅっちゅ!」
 バクリとひらいたクチバシが、霊体騎士に頭からかぶりつく。そのまま飲み下そうとするヒジェッティーだったが、杖型のアームドデバイスから魔力付与の攻撃魔法を首筋に叩き付けられる。神経を研ぎ澄ませる状況で、相互の精神リンクを補強していたレアエフも、ヒジェッティーの痛覚刺激の一部を共有し、浮遊させている体をぐらつかせた。
 スティンガースナイプの変則的な軌道が、霊体騎士の反応をかく乱させる。その隙に懐へと突入したクロノは、先程までの交戦で割り出していた固有振動数をもとに、ブレイクインパルスの効果を霊体騎士へと流し込む。形状を維持できなくなった霊体騎士が、風船の中の水のように破裂し飛沫と化した。
 眩暈をぬぐったレアエフが、血気にはやる使い魔をなだめつつ、クロノと合流する。
「さすがは……。本部の中にも幾つか、不穏な魔力反応を感じます」
「数が増えている? 増殖しているのか……」
 いかなるメカニズムが働いているかさえわからず、クロノはもどかしげに瞳を凝らす。
「あちらにフライヒルトがいらっしゃるのですね? 提督はフライヒルトの警護を!」
 頷いたクロノが、本部へ引き返そうと飛行魔法の制御を始める。
「助かりました、執務官。プライベートだったのでしょう」
「いえ、構いません。では私はこれで」
「後は我々にお任せください」
 静寂を取り戻した上空で、クロノとレアエフは互いに敬礼を交わした。
「え? これでもう終わり? うそーん。あたしゃまだ欲求不満だよ!」
 拍子抜けするヒジェッティーを相手にせず、クロノは飛び去っていく。使い魔からすこぶる不平不満を押し付けられるレアエフだが、娘を置いてきてしまった以上、これよりも首を突っ込んでいられなかった。魔力風の効果範囲を泳ぎ、大きな鳥の肢を掴んだレアエフは、そのままヒジェッティーに本屋へ戻るよう命じた。ポディーメドーモは役目を終えて待機形態に帰していた。
「……フライヒルト」
 遠ざかる聖王教会本部に、レアエフはそれでも心残りがあるらしかった。偶然の出会いを果たしたユニゾンデバイスの向かうべき場所に何が待っているのか、彼もまた、日ごとに関心の比重を重くしているのだった。無限書庫で感謝の言葉を述べられたときの、彼女の淑然とした振るまいが思い出された。
「自分にも何か、彼女のためにできることはないのだろうか」
 そう口の中で呟き、彼は未練がましそうに前へと向き直った。



[20266] 第5話 時嵐破壊作戦
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/07/31 19:36
 身重の妻を実家に預ける。突然の来訪にも、コエムスの両親は慌てず焦らず対応してくれた。年がら年中、土地の畠で暮らしている老夫婦は、数年ぶりに帰ってきた娘を、彼女の記憶と何一つ変わらないで出迎えてきた。祖父に抱かれた初孫は、老いたたくましい腕の土の臭いで嬉しそうにしていた。
「二人目かい。えらい間が空いたねぇ」
 母からのぶしつけな感想に、コエムスは頬にかかる前髪を指先でいじくりながら受け応えていた。彼女としては、子供達の年が離れるのは気が進まない事態だったが、これも夫婦の縁ということだった。信心が篤く、道楽趣味に熱中しがちな性質の夫を持てば、一つの必然かもしれなかった。
「いきなり、すみません。無理言ってしまって」
 男同士でも筋は通してあると見える。日に焼けた肌の祖父は当たり障りもない風に装っていた。ここに来ると娘が格別、活気づいているように見えるのは、父の気のせいとも言いがたかった。なだらかな丘陵が連なる農業地帯の上、豊かな緑の絨毯をスイフトは自由きままに駆け回っていた。
「ああいうところはコエムスの血かな」
 畠で土にまみれる。河で水を浴びる。丘で汗をかく。出逢ったばかり、娘の時分だったコエムスを思い出し、レアエフはそんな述懐も出た。
 早朝に到着したその日中、実家の縁側に腰かけ、レアエフはチョウを追いかける娘を見て呟いていた。そんな日光に下で元気はつらつなスイフトの姿から、父は本局という環境で育つ彼女の将来をおもんばかった。普段より鮮明に、地上の新生活が、彼の中で具体化しようともたげた。
「うんめぇ。ばあちゃん、おかわり」
「はいはい。ちょっと待ってよ。本当によく食べるねあんたは」
 図々しく昼飯の後も要求しているヒジェッティーを、中に振り返った主人の冷めた視線が突き刺す。庭では祖父がタバコをくわえながら、花壇に水をやっていた。比較的広大な農地を管理している家で、隣家へは車で少しかかる。旧暦時代の環境汚染も無関係そうな、透き通る青空や清潔な空気が、ここに住む人々の心身をすこぶる健やかものにしていた。この広大な農地の地平には、石灰岩の高原、地元の通称で石の海と呼ばれる、風光明媚で荒涼とした地形が剥き出しに隆起している。優しく穏やかな内海を背に、この父なる大地の轟きに心を揺さ振られるのも、この管理世界の観光の伝統だった。
「そろそろ行かなきゃ」
「お疲れ」
 知った調子で応対するヒジェッティーをむずと掴み、レアエフは義理の祖父母に暇を告げようとした。早朝に到着してすぐの日中だった。たまの帰省かと思っていた祖父母は、忙しない義理の息子に呆気にとられる始末だった。
「もっとゆっくりしていったらいいのにねぇ」
 彼は少し自宅を空けなければならないらしく、その為にしばらくは母子をこちらで静養させたいのだった。うっかり伝えていなかったが、祖父母からはその場で快諾を得た。
「のんびり屋な執務官もいたもんだ」
「本当ですよ。いつも道楽半分の仕事ばっかり」
 そんな風に嫁家族にからかわれるレアエフは、あいまいに苦笑するだけだった。
「真剣に死んじゃえばいいのよ」
 減らず口をたたいてくる使い魔には、魔力の供給量を数割削るという折檻でゆるしておいた。

 ダメ元でリチャルド・オペルアの所在の探索に参加したいと願い出た結果、それは思いのほか快く受理された。大部でも小部でも時空管理局は人手不足に悩まされている。未知の次元世界で何が起こるか予測もつかない以上、入局十年をこえるAAA+ランクの魔導師は心強かった。更に空戦Sランクの使い魔も一緒となれば、万が一の緊急事態となろうが、鬼に金棒で過言ではない。
 次元航行中のクラウディアは、途中でレアエフとヒジェッティーを拾った。クロノ・ハラオウン、ユーノ・スクライア、ヴェロッサ・アコース。かのJS事件でも功績をあげた三名の若手局員を前に、レアエフは気後れするのも吝かではなかった。
「微力ながら、協力させてもらいます」
「頼もしい助っ人として期待しています。エコカー執務官」
 最後のメンバーの乗艦を確認したクロノ艦長は、真心の入った社交辞令で彼を迎え入れた。
「アースラの頃を思い出しますね。とは言っても、私は有事の際に派遣されるだけでしたが」
「相変わらずシケた艦を任されてんなぁ、え、ハラオウンの旦那」
 レアエフを後ろへ追いやり、通信画面一杯に鳥の頭が出現するが、クロノは一々相手にしなかった。まだ何か皮肉を言ってくるお喋りな使い魔を無視し、彼は問答無用で艦内通信を遮断した。
「相変わらずくそ真面目な男。ちんこついてんのかい?」
「次元の海に放り投げるぞ」
 とりあえずブリッジを目指す中、この二人組は緊張感とは無縁そうだった。
 そんなデコボコなやりとりを見て、ユーノとヴェロッサが苦笑いする。ブリッジに居合わせているフライヒルトも、レアエフも行動を共にするという意想外の成り行きに安心していた。
「よろしくお願いいたします」
 深々とおじぎをしてくるフライヒルトに恐縮し、レアエフはまごつくだけだった。
「じゃあまずは余計なものを全部脱いでもらおうか。ワシはデバイスじゃろうが妖精じゃろうが好き嫌いのしない男じゃけぇ!」
「じゃあ無人世界と戯れていたらいいだろ。お前がユニゾンするのはフライヒルトじゃなくて虚空の世界だ」
 投げ飛ばされ、一度天井に頭を激突させたヒジェッティーは、宙に舞った紙のように落下してきた。
「ホントに最近ひどくね? 使い魔虐待で訴えてよくね?」
「お前はあんなくらいで泣き言を言うような奴じゃないから平気さ」
 いきなりブリッジの空気を乱してしまったことを詫び、レアエフはクロノ達の方へと身を寄せた。第一に向かう時嵐発生区域までは、まだもう少しの時間が要される。
「世界とユニゾン……ですか」
 茶化された空気の中で、フライヒルトは一人意味深長な面持ちをしていた。即興の発想を冗談にしただけの発言で、麗々しい融合騎は何かしらの想念を内面の表層に浮かべていた。
「適当に聞き流してください。別に思いつきで言ったことですから」
「ええ……。ユニークなことだと思います」
 つかみどころのない返事は、長髪に紛れるフライヒルトの横顔に男の視線を誘った。
「何分、直接対処するのは初めての試みだ。後で再度、最終確認を怠らないようにする」
「なるべくアルカンシェルは使わない方針でいきたいけど……」
 ユーノに同意見の視線が集まる。いくら申請が下ったとはいえ、安易に投入していい兵器ではない。艦長であるクロノも、黒をいだいたバリアジャケットを装着し、デュランダルを起動させて準備は万端だった。あの謎の異形の騎士の襲撃にもそなえ、彼は一段と神経を研ぎ澄ませていた。
「あれこれ考えていたってしょうがない。今は大人しく到着を待ちましょう」
 それぞれがヴェロッサのフォローになびいた。

 艦内食堂は物静かだった。次元航行中でクルーが持ち場についている最中、自由に行動できるのは、レアエフの他にユーノかヴェロッサだけのようなものだった。彼らは彼らで、時嵐に到着しなければ出番はない。自分以外人影のない食堂で、レアエフは水を汲んで隅っこに着席した。持参した携帯用の餌をヒジェッティーに与え、一心不乱にむさぼる様子を、頬杖をついて眺める。クチバシが餌をはむ物音以外、静寂を乱すものは在していなかった。並列に設置された天井の照明が、室内の殺風景な調度を露わにしている。他の誰かが訪れる気配さえ微かも感じられない。空漠とした時間の流れに身を浸し、執務官の男は黙然と、狭いコップの中で生温く透き通った水に冴えない顔を映し出していた。
 冷静になった彼の中で、少し、ほんの少しだけ後悔が胸を衝いた。野次馬根性を出さず、大人しく身重の妻を支えていればよかったのではないか。フライヒルトの件は、クロノ達に託し、人事を尽くした結果に己の気持ちも締め括るだけでよかったのではないか。わざわざ自分一人が出しゃばる必要はなかったのではないか。そのどれもが正解に思え、妥当に思えてきた。だがしかし、現実として彼はクラウディアに乗艦している。微々とも振動を起こさず、次元の狭間をわたる次元航行艦船の一郭で、停滞した風景に紛れて、男の呼吸が細々と刻まれていた。使い魔は主人の心境も構わず、食欲を充足させることに没頭していた。
 決断の後の濁った残滓に惑っている男に、フライヒルトは小さな足音を立てて近付いていった。足音で反応したレアエフだったが、逆に、それがなければ知覚していなかっただろう違和感がつきまとった。相席をすすめる。彼女も一人で食堂に居座っているレアエフが気になったと前置きした。一つ一つの仕草に、やはり一個の存在としての生々しさが欠如しているように感じられる。レアエフは自然と感覚を尖鋭にさせるが、彼女の特性とも言えるような、その透徹とした皮膚感はふさげなかった。
 人の姿を持つだけの、血の通わない魔法の道具。フライヒルトがユニゾンデバイスであるのを、彼はこの時まで失念していたようでもあった。表情や挙動は人間のものと差異はない。だが感覚的に訴えてくる存在感は、確かに人工的な造物のものとして、奥行きのない質感を伴っていた。嫋やかな微笑の奥で、機械構造の冷たさが、無機質に潜んでいるような気がした。正体の不明なもどかしさで、レアエフの姿勢が、少々落ち着きを欠いた。
「安全にリチャルド・オペルアへ辿り着けるといいのですが。時嵐さえ突破できれば、後は地道にリチャルド・オペルアの所在を究明するだけです。時嵐も一つだけではありませんし、リチャルド・オペルアがどのような経路を辿っているかも判明していない為、暗中模索であるのが現状ですが……」
「時空管理局の方々には、言葉に言い尽くせないくらい感佩しています。大した報いもできない私の身を憾むばかりで……」
「我々は、フライヒルトに見返りを求めて行っているわけではありませんから」
 フライヒルトも飲み物を持っていた。表面上、普通の人間と同様の生理をそなえている彼女は、さも当然といった具合に水で喉を鳴らした。その動作に不合理な無駄はない。筋肉一つもいい加減な運動はしていなかった。デジタル駆動の生き物として何の故障でもないが、それが彼女個人の素養によるものだった。ユニゾンデバイスでも、生身の人間と違わない、豊かな情感を持ったタイプも存在する。彼女は基本として機械的に振る舞おうとしているのがうかがえた。
「執務官さまは、どうしてご一緒してくださるのですか?」
 その質問で、先程の後悔の念がよみがえる。返答をよこさず考え込むレアエフを、フライヒルトもそれ以上口を利かずに見つめていた。
「時空管理局はいつも人手不足なのです」
 第一の時嵐が発生している次元世界へと到着するまで、彼らは一定の絆を育んでいた。実直で近寄りがたいと感じていたクロノも、胸襟を開けば人当たりのいい若者であることが知れる。博識のユーノ、洒脱なヴェロッサ。レアエフも使い魔との応酬が滑稽だった。フライヒルトは彼らと接する度に、封印から助けられた者達に恵まれたのだと実感していた。
 クラウディアは悪い意味でなく、緊張感に乏しい面々を目的地に運んだ。変に身構えることなく、一同はほどよいリラックスを身につけ、ことに挑もうとしていた。しばしば沈鬱そうに黙り込んでいたフライヒルトも、日を経るにつれて、元来の柔和な物腰が、いよいよ表に露呈してきた。彼女の環境への不自然な緊張は軟化していった。
「無限書庫でも、リチャルド・オペルアの現在までは、流石に判明させられないと思います」
「世界の記憶を所蔵していると言っても、限界があるんですね」
 無限書庫も最大限に利用したかったユーノだったが、何事も、そう、うまく好転してくれるわけではなかった。この先は本業が役に立たず、立つ瀬がなさそうにしているユーノだったが、それを聖王教会の代理人として同行しているヴェロッサが気を紛らわすように軽口を叩いていた。
 もうすぐ到着だった。レアエフはブリッジへの招集が届けられるまで、その時も閑散とした艦内食堂で待機していた。家族と連絡をとろうにも、一般的な通信が困難な領域に突入している。孤立無援の作戦が目前に迫っていた。
 瞑目してほのかな息遣いを繰り返しているレアエフは、精神統一にふけっているわけでもなさそうだった。机の上で、左右の羽をのばし、片足立ちのポーズを決めていたヒジェッティーは、主人の様子から明確な違和感を気取る。小首を傾げる丸い頭。静寂の沈黙をまとう男を見つめる鳥の目は、つぶらに開かれている。茶褐色の体毛は、波打たない、定められた、艶やかな、バードのグラムの完成形丸「おい」飛べない宿命は井戸の跫音が昇天する露出した瀕死の白鳥「おい」殺菌戦場古代都市疑問符と不条理の浪漫ロマンス雑音パレード青空絵の具のパレット拍手喝采最上人生条件反射研究の二〇年巨人族の行進大陸革命空海転覆事象ストラクチャ仮装レイヤージーエイチャイの空中神殿旧暦四〇〇年代の遺跡自転魔力軸未解明技術の集積意識銀の雪原熱の湖手招く溶皮蛇の長老が(CH3)2CHO激グ濤の烈デ極怒ラおョ堪ン楽とせそ居槃誘たーモ土れシな浄クいロ涅あノにいば「おい!」
 使い魔の一喝で我に返った。しばらく呆然としていたレアエフは、やがて気怠そうに吐息をもらした。レアスキルのサブジェクト・ラィーヴアが自然発生し、彼は無意識、深層心理の渦の中に迷い込んでいたのだった。無軌道に駆け巡る、無秩序かつ無形の群体に支配された精神が、個的な整合性を失い、混濁した事物の洪水に苛まれるのだった。制御しえないレアスキルの発作は、これからも付き合っていなかくてはならない体質として、諦めなければならない。
「最近はこういう事は起こらなくなっていたんだけど。ストレスだって思いたくないな」
「脳みそとリンカーコアがグルになって心身に嫌がらせとか羽熱」
 精神リンクをしている使い魔へ、彼のレアスキルは波及していなかった。
「うるさい」
 通路でフライヒルトと出くわした。また色目を使うヒジェッティーを強圧的におさえつつ、レアエフは彼女と肩を並べて歩く。
「他者と夢を共有するレアスキル?」
「有効に活用できる方法なんてありませんけどね」
 はじめからそう断定している風に、レアエフは苦笑いを浮かべて言った。事実、このレアスキルが何かしら利得につながった試しがない。なかんづく、地上本部志望を断念した最大の理由として、レジアス・ゲイズがレアスキル嫌いである点において、彼は心中我が身を呪う気持ちもあった。
「夢、ですか。私は夢を見ません。中にはそこまで精神活動の機能を持ったタイプもあるかもしれませんけど、あいにく、私には必要がないとされたのでしょう」
 無感情そうな声色は、どこか寂しげで羨望の念を感じさせる響きを有していた。規則正しい自分を足取りを、フライヒルトの視線は何気もなく見下ろしていた。
「時嵐を迂回しては行けない。正面から突破し、その先にある次元世界へ進入する以外は困難だ」
 ブリッジでクロノが口火を切った。わざわざ艦内の一室で合流するより、自分の席へ集めた方が手間が省けるだけなのだろう。彼の周りに、現場へ出る面子が揃っている。フライヒルトは男性四名と使い魔一匹を、距離を置いて見守っていた。
「忘れてはならないことは、フライヒルトへ突然襲いかかるあの騎士達だ」
 艦長席から起立していたクロノは、苦々しく顔をしかめる。失念していたわけではないが、あの霊体騎士はベルか自治領での奇襲以来、一向に出現していない。若者の黒髪の下の瞳が貴婦人を見やるが、横に振られた首は確信をつかなかった。
「あれは呪いです。私とグントラムが起こした融合事故によって、無尽蔵に具現化する呪いが、無秩序な破壊をもたらしてしまうようになったのです。きわめて魔法的な……理屈で説明しきれない運命のいたずらのような……」
 ベルカ自治領の騒動を鎮圧した後、彼女はクロノ達の前でそう弁明した。それがあの遺跡で封印された経緯に連関しているのならば、彼女が抱えるその災禍が直裁な起因になっているかもしれなかった。まだ記憶が完全でない本人もそれを顧慮したのか、つくづくいたたまれなさそうに畏縮していた。そんなフライヒルトを、身近な人々は善意で慰めた。ユーノが一番彼女の心労を和らげようとしていた。元はといえば、自分達の独善で遺跡の発掘をしていたからこそであるので。
 フライヒルトは、せっかくほぐれかけてきた表情を、悄然と心の暗影に落とした。
「私はずっと眠り続けていることが正しかったのかもしれません」
「それを仰らないでください……フライヒルト……今は前を向きましょう」
「ユーノさん……。はい。そうですね……リチャルド・オペルアは着実に近づいているのですし……」 
 横からヒジェッティーがキザなセリフを口に含んで前に出ようとするが、それはあえなく主人に妨害されていた。クロノが場をまとめる。向かうべき場所はもはや目と鼻の先、ここからでも作戦行動範囲への転送は可能だった。
「時嵐は他にも幾つか発見されています。後はしらみつぶしで行くしかない」
 時嵐の宙域は、銀河のまたたきに覆われていた。だが通常の宇宙空間とは違い、リンカーコアを持つ生物ならば、何の支障もなく活動できる異常が支配していた。ヴェロッサはいつもの白いスーツ、他の三名はそれぞれバリアジャケットのいでたちで、眼前で渦巻く膨大な混沌に対峙する。念には念を入れ、フライヒルトも彼らと共に艦を脱していた。クラウディア艦内で霊体騎士の行動をゆるすのは得策ではなかった。もしも艦の航行に悪影響があれば、生きて管理世界へ帰れるかどうかも危うくなる。
 遙か光年の彼方へ放射されない、凝縮された活動銀河のジェットのように、時嵐は次元のゆがみを通常時空間で炸裂させている。それは神話の体現、現実を凌駕する狂おしき恍惚の焔だった。凄絶な眩しさと熱量は、人体などたやすく焼き尽くすレベルだが、ユーノの補助魔法が身の安全を確保していた。威力にしてオーバーSSSランク砲撃をあっさりと上回る天災は、バリアジャケットだけで耐えきれるものでなかった。それこそ人間ごときの魔法とは次元が違っていた。
「さぁクロノ君」
 ヴェロッサはフライヒルトの傍をはなれず、霊体騎士の気配を逃すまいと警戒している。レアエフは宇宙に咲き乱れる星達の輝きに目を奪われ、使い魔から叱責されるなど、立場を逆転させていた。
「了解している」
 デュランダルを構え、彼はエターナルコフィンを詠唱した。約四八光年先に位置する時嵐へと、ユーノの空間転移魔法の援助を受けた凍結魔法が吹き荒れる。結界魔導師の術式制御により、エターナルコフィンの発生範囲中央が、時嵐の渦中へと変位される。クロノの魔力光の魔法陣が、際限なく膨張と破裂を繰り返す次元の残骸の中で閃く。複数の高ランク魔法を同時に操るユーノは、しだいに額や頬から粘着いた汗をしたたらせる。不安げなフライヒルトは、なすすべもない自分がひどく不甲斐なかった。
 永久凍結で次元のゆがみを停止させた時嵐に、クラウディアの魔導砲を発射し、魔法物理的に破壊するのがこの作戦だった。案の定タイミング悪く現れた霊体騎士は、ヴェロッサの支援を受けつつレアエフとヒジェッティーが撃退していく。クロノとユーノの作戦行動を邪魔させまいと、猛禽の使い魔が猛然と霊体騎士に襲いかかる。以前よりも勢力が増大していた。古代ベルカ式のバインドもやがて追い付かなくなる。形勢の傾向に楽観視を棄てたヴェロッサは、己のレアスキルを発動させ、波打つ暗黒の獣を数匹解き放つ。死角の兇刃が砕け散ったのを感じ取り、レアエフは魔力を帯びた使い魔の羽の風圧に乗り、遊泳じみた滑らかさで敵の間合いから距離を置く。
 エターナルコフィンが時嵐全域を氷結させるには、まだいくばくかの所要時間が残されていた。二人の幼馴染みは、後方の交戦に意識が偏ってしまいそうになるが、フライヒルトの無事を祈り、自身の使命に専念した。
「キリがない。執務官!」
「アコース査察官はフライヒルトの庇護を! 私と使い魔だけで……!」
 使い魔の魔力風に身を任せ、華麗に回避運動に転じるレアエフは、薙ぎ払われたアームドデバイスの一閃を軽やかにかわしていた。至近距離で相手と垂直になったレアエフが更に旋回し、魔法金属に固められたストレージデバイスが、強打した霊体騎士を消し飛ばした。
 体勢を整え、相棒のポディーメドーモを振り払い、魔力風の波紋で接近中の霊体騎士達を滞空させる。非現実を構成要素とする襲撃者の視界で、魔導師のバリアジャケットが上昇の閃光を描く。その隙を狙い、ヒジェッティーが突進で敵の数を削った。
「まるで舞踊のよう」
「エコカー執務官は武装局員ではありませんが、AAA+ランクは伊達ではないというわけですね」
 主にバインドで敵の行動を阻害しているヴェロッサに寄り添い、フライヒルトは主人と使い魔の連携に感嘆していた。男女は少しずつ戦闘から遠ざかり、フライヒルトに危害が及ばないのを最優先とする。目的の障害を排除する認識力は持っているのだろうが、どこからともなく出現する霊体騎士の群れは、確かにフライヒルトとの接触を欲求していると見えた。
 時嵐の発光に変化が起こった。ようやくエターナルコフィンが標的を制圧し、凄絶に蠢く宇宙の膿が、閉ざされた氷の牢獄に包まれる。すかさず背後に振り返ったクロノが、差し出したデバイスからブレイズキャノンを放つ。鮮やかな直射砲撃が、霊体騎士の一体を見事に消滅させる。
「クラウディアは魔導砲を撃て。ユーノの転送魔法で帰還する!」
 クロノの命令に、他の者達は一様に従う。既に魔法陣を展開してあるユーノが、攻防を続けるレアエフ達もクラウディア艦内への転送に加える。
 クロノ達がブリッジに戻るその数秒後、クラウディアの魔導砲が氷結した時嵐へと伸びていった。付近で目標を失った霊体騎士も、全員が魔法の破壊力の中で、一体余さず蒸発していった。魔導砲が命中した箇所から、凍り付いた時嵐におびただしい亀裂が走り、一斉に粉々に砕け散る。それだけで銀河団一つが壊滅する莫大なエネルギーが解放されるが、クラウディアはことなきを得ていた。
 次元断層にも似た、異次元へ続く空洞が、崩壊した時嵐の奥から露呈する。データと推測では、その先に、時嵐を引き起こす原因となった次元世界へと移動することができる。
「宛てが外れると、また出直しですね」
「幸運を祈りましょう」
 時を見計らい、ブリッジでクロノの指示が飛ぶ。宇宙の黄泉路にも思える暗黒の口腔へ、クラウディアはまっすぐに侵入していった。



[20266] 第6話 渦巻く虚空が誘う光
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/08/04 22:26
 クラウディアでブリッジについていた筈だったが、クロノは突如とした浮遊感に襲われた。手放しかけたデュランダルは、辛うじて手の中から失わなかった。四方八方から運動が制約されている風に、彼は自在に身動きがとれなかった。それでも、飛行魔法で強引に不可視の束縛を断ち切り、視界によぎった人影に向かう。広大な中空の中、落下を始めていたフライヒルトを、クロノは細い腰に腕を回し、自身へと引き寄せた。
 クラウディアや仲間達と連絡を取り合おうとするが、念話も通信も正確に作動してくれない。明澄な色彩で重ねられた光景は、空と陸地を地平の奥へも続かせ、人智の文明を知らない野生の世界を敷き詰めていた。
「リチャルド・オペルアではありません。ここは……」
 気が付いたフライヒルトが呟き、戸惑いの視線で眼下を見渡す。艦と合流しなければならない。クロノは魔力反応を感知する神経を最大限に開放し、飛行魔法で中空から押し寄せる全身の重圧を泳ぐ。重力の法則が彼らの常識とは逸脱しているのか、地上に着地したとて、自由を取り戻せる保証は考えられなかった。油断をすれば、重圧が天空へと突き上げるベクトルに、そのまま放り投げられそうになる。さながら透明な巨人の翻弄にさらされているのか、黒衣の若者が、デバイスと見目麗しい娘を両手に抱え、忌々しい性質を持つ空間を横切る。世界全体が眩暈を催してくる、そんな摩訶不思議な感覚が常に彼をしいたげていた。
「ならば、一刻も早く脱出をしなくては。なぜ離ればなれになって……」
 何としてもユーノの生存を確かめなければならない。ひとまず、結界魔導師の彼が無事でいてくれなければ……クロノの脳中には、今の異常事態に対する、そんな現実的な優先順位が立てられていた。
「提督!」
 悲鳴と危機感の刺激は同時だった。彼は鈍く重い肉体を叱咤し、フライヒルトを抱きかかえたまま、直下の転落に身を任せた。二人が浮遊していた高度を、燦然と熱する虹色の魔力砲撃が迸る。細切れとした、次元の亀裂の粒子が、その痕跡として残留させ、そして、ジジジという雑音をともない、すぐに消滅していく。
 地平に飛ばしたクロノの瞳が、明らかに、一流魔導師の砲撃射程を超越した魔法に凝然と強張る。至急構築しただけの防御魔法では、到底免れなかった。そして二人の男女は、それぞれ、見覚えのある特殊な魔力光に疑念を隠せなかった。不条理な現状に混乱するばかりで、思考と行動を機敏に選択できなかった。どこからどんな危険が舞い込んでくるかもしれない。クロノの慎重で合理的な判断力も、奇妙奇天烈な状況に対しては分が悪かった。
 フライヒルトを放さないよう心がけ、クロノは低空で体の姿勢を整える。彼らの近辺に、デバイスを駆使するべき危険因子は見当たらなかった。
「カイゼル・ファルベだって……?」
「ここはまだ現世に存続している次元世界。そういうことなのでしょう」
「何てことだ」
 木々が生い茂る地帯に降り立とうとするが、解明しえない反発がそれをゆるさない。それでも二人は、クロノの飛行魔法の活性化に助けられ、物陰に身を潜めた。上空を、またもや虹色の奔流が通り過ぎていく。
「聖王……なのか?」
「度重なる生命操作技術によって、先天的な遺伝子異常をわずらい、不死に近い肉体を得たあげく……終わりのない戦いの快楽に耽る王は、私が生きた時代にもおりました」
「しかし」
 体の内外の隅々まで、鈍重な錘が埋め込まれているのか、徒歩に変えても移動は苦難だった。
「ただ、他の次元世界と完全に隔絶されているだけ……強大な力を、破壊と殺戮でしか消費できないのです。もしも、あのカイゼル・ファルベが、私の言うとおりの存在から放たれたものならば、かのお方は、真の超人になり損ねた堕落者です。だって……そうではなくては……」
 リチャルド・オペルアではないが、同じ特性を持ち、古代、他世界から軍事的などの有用性を見込まれ、侵略された移動型次元世界であるのが推し量られる。フライヒルトの判断で、二人は林間の湖面へと飛び込んだ。その先に待っているのは、水中の息苦しさではなく、今度こそ墜落を誘う空中の重量感だった。慌てて飛行魔法に精神を集中したクロノは、同じように意表をつかれているフライヒルトを保護した。再び夫以外の男性と密着し、ユニゾンデバイスの婦人は、些か視線をさまよわせていた。
「世界をすりぬけた?」
 だが奇想天外の状況は切り抜けていなかった。肌寒い大気層の渦中、流れる雲が、視界を白く霞ませる。
「いいえ、ここも先程と同じ世界です」
 翻弄されそうになるのを飛行魔法の制御でこらえ、黒衣のバリアジャケットは、吹き荒れる強風にも屈しない。今度は足場のない、奈落の空中が下にも延々とひろがっているだけだった。気流に千切れていく白雲の破片が、鏡面となってクロノ達の姿を反映する。色彩の影が次々に流れ去り、魔導師が脱出口を探すここにも震動が発生した。脅威的な戦闘能力の発揮が、世界全体に轟きを与えている。
 さぞかし血湧き肉躍る闘争なのだろう、終わり続ける世界でのあくなき戦いの火花は、あちこちで苛烈に弾け飛んでいる。周囲を観望するクロノにとっては、まったく無関係な古代の延長の血塗られた道楽にすぎないそれは、直接の接触を完全無欠にごめんこうむりたかった。
「バラついた位相が、同次元世界上で、非物理的に連続している!」
「魔法世界では常識の範疇でしょう?」
「僕達は新暦の人間なのですよ!」
 雷鳴じみた閃光に包まれ、はてのない空中が悲鳴を上げる。その余波であるのか、噴き上がる気流のジェットが竜巻の雄叫びを響かせる。遮二無二なってラウンドシールドを張るクロノだったが、魔法の盾はたやすく突き破られ、フライヒルトと共に、強烈なジェットに飲み込まれる。
 辛うじて別々に引き裂かれなかったが、クロノとフライヒルトは地面に叩き付けられた。天から降り注ぐ光は、黄ばんだ破滅色の眩しさで彼らを照らす。狭く屹立する小さな岩柱の頭頂、奈落を挟んで峻険な岩肌が取り囲んでいる。永遠の黄昏と、暗黒の奈落が、褪色のグラデーションで岩壁を錆び付かせている。
「今度は、神話の処刑場とでも言うつもりか。理解のできない世界だ」
 頭を振って起き上がり、フライヒルトに手を差し伸べる。デュランダルに込める握力を弱めず、クロノは視界を巡らせる。爪先から続く底無しの空洞、外界の存在を遮蔽する壁の群れ、クロノは何かを象徴するかのような場に、眉間をひそめた。
「人の意識で具象を変える世界? いいえ、私達は何物にも侵されてはいません」
「他者の精神なのかもしれません。たとえば……」
「この世を支配している、あの王」
 貴婦人が苦々しそうに瞼を伏せる。その隣で、場違いそうに、クロノは嘆息した。
「さしずめ、バトルマニアの成れの果てか。みっともない」
 理解不能であるのを認識し、彼はこの不条理に僅かながら順応しようとしていた。一言だけ断りを入れ、フライヒルトの腰をリードする。頭頂の足場を蹴った彼が、厳然とした形相で、一際頑強な念を練成する。
「提督」
 また別の階層へ移動できると思っていた。眼下の暗闇が、激烈な虹色の魔力光を噴出させる。軽率な行動を恨んだ瞬間、カイゼル・ファルベの余波は、空色のシールドもろとも、魔導師と融合騎を焼き尽くそうとする。万事休すだった二人は、しかし、絶体絶命による、心理的な緊張に全身が強張っただけで、外傷は一つも与えられていなかった。無傷のまま、輝く破壊力の残滓を振り払い、素早く次なる世界への認識を働かせる。
 透明感溢れる神秘の珊瑚礁。あるはずのない酸素を、確かに吸入しつつ、二人は天狗鼻の魚の大口から体内へと侵入し、何の宗教かもわからない大聖堂で天井から吐き出される。
 頭上から突然現れた二人に気を奪われ、レアエフは繰り出された巨腕を胴にくらう。飛行魔法で飛んだヴェロッサに背中を受け止められる彼の下で、広域防御魔法を唱えていたユーノが、一抹の安堵を表情に見せた。
「クロノ!」
 はぐれた仲間達と合流できた安心感はあるが、依然クラウディアとの通信は途絶えている。破壊魔力を帯びた鉄球は、標的をつぶせず、デュランダルで叩き返される。
「無駄に魔力を消費することはない。撤退する!」
 口では言えるが、立ちはだかるアームドガジェットに背を向けるのは、容易ではなかった。度々ヴェロッサに助けられるレアエフは、律儀に何度も謝辞を投げる。撃退困難な機動兵器は、オーバーSランク魔導師の加勢にも、怯んだ様子は見せない。
「同じ場所に留まっていてはダメだ!」
 クロノの融合型射撃魔法が、アームドガジェットの攻勢を牽制し、その隙に各自が大聖堂の外へと身を翻す。そして彼の助言を信じ、大通廊の壁面に描かれている宗教画へと、それぞれが侵入していった。そして荘厳な絵画の世界が崩壊し、煌々たる近代都市の、不夜城の素顔をさらけ出した。
「奇想天外のパレードだね」
 自然とフライヒルトはヴェロッサの方へ身を寄せる。彼はいたって紳士的に、彼女を補助する姿勢へ移る。追い付いてきたクロノは、アームドガジェットの追撃がないのを確かめ、眠らない人々の箱庭の上を飛んだ
「茶化していられる状況じゃない。……クラウディア!」
 ようやく母艦との通信が接続される。艦船は時嵐跡の次元断層を抜け、何の異常もなく、宇宙空間に待機しており、現地惑星とおぼしき星を監視しているという。彼らは首を捻った。そんな変哲のない物理構造で成り立っている世界とは思えない。どれだけ大気圏外へ脱出しようにも、無秩序な空間の連続が、それを阻んでくるだけだ。
 地上から打ち上げられるミサイルの群れ。白く曇った尾をひいて迫る質量兵器に、ユーノがすかさず、中断していた広域防御魔法を張り巡らせる。マントをなびかせて構築した魔力の障壁は、半径数メートルにおよび、集束してくる破壊の弾頭をのきなみ粉砕する。
 しびれた片手を振りながら、ユーノも自分の知識見聞にない世界に戸惑いぎみだった。更に郊外から、光学兵器の一斉発射が行われ、止まった夜空を夥しい閃光で貫いた。
 散開して回避した各自は、光線の着弾を受けた空間が、ガラスのように飛び散っているのを視認する。中からカメレオンの色素細胞が夜に昼を混ぜ、難読漢字の雨雲が悪文の豪雨を降らしている。燃え盛る太陽の季節! 夜の毛皮をはおった氷原が表現の雹を幻じみた意表を突く。。。→→→→多産! 労働! 真実! 正義! 四つの福音が世に顕現せしめるその時、豪華絢爛、完全無欠、永劫繁盛のユートピアが光輪する! 理想は理想に生き、天より授かりし真理に、人々はスタンディングオベーション! 歓喜喝采するであろう!
 鳴り響く怪奇な賛歌をかいくぐり、クロノは己の自我が拡張している感覚に襲われた。拡張している? 他と同化を始めている? 個である状態が融解し、自他の境界が崩れ去り、進化と退化を忘れた、極限に吸い込まれる想像は幻想ではなかった。娘の子宮では産声の練習もできないのだ……可能であるだけであるなら、可能であるという事実が仮定となるがゆえに、その可能性自体が実現性を脅かし、限定せしめるのだ……。
 誰の想念? 黒衣のバリアジャケットの左右に定まらない風を浴びる。ヴェロッサは長い頭髪をてのひらでおさえつつ、フライヒルトをエスコートする。
「クロノ! クラウディアの転送はいかないの?」
 ユーノの目の端で、レアエフが上空からの熱波のドリルに後れを取る。だが身を乗り出した使い魔が羽で受け止め、主人への被害を防いだ。焦げ付く羽から、すえた悪臭が漂うが、ヒジェッティーは痛みも構わず周囲への警戒をおこたらない。
「あっちは僕達をキャッチできていない。僕の念話で通信はつながるんだが」
 兵器や天災の類のしかけは突破したのか、煌びやかな深更は破壊の熱をしずめていた。
「何かご存知ありませんか?」
 使い魔からの魔力干渉で滞空しているレアエフが問いかけるが、フライヒルトは申し訳なさそうに首を横に振るだけだった。
「こんな時にお出ましか。厄介な奴らめ」
 前方に霊体騎士の一群が待ち構えていた。神出鬼没の出現で、一気に周辺が濃密な魔力反応を発する。臨戦態勢をとるクロノ達と霊体騎士の間で、一触即発の緊迫感が密度を増す。
 どちらかが先に動き出そうとしたのか、それも知れない。下方から噴出してきた強大な魔力反応は、両者の中間で天をも打ち砕いた。
 夜を駆逐する神々しい虹色の魔力光の中、瑰麗な意匠の騎士甲冑を装着している人影が浮かび上がる。莫大な魔力の圧力に負け、霊体騎士は粉々に吹き飛んでいった。
「この光。何の!」
 レアエフが叫ぶが、彼以外の誰もカイゼル・ファルベの噴火に翻弄されていた。現代からの来訪者へ、虹彩異色の瞳が振り返る。それぞれに異なる輝きを秘めるそれは、まさしく古代ベルカで猛威をふるった魔の君主であるのを証明する、王の刻印だった。それが聖王であるのか、また別の王であるのか、そこまでは、この場で確定できなかった。直視もしえない眩しさの交響に包まれ、地獄の怨念が結晶化したみたくな、雄々しい魔人の鎧が、よどんだ邪悪のオーラをまとっている。敗者の血で染め、弱者の痛みと嘆きに装飾されたその風貌は、生命への背信、秩序への叛逆、正善への唾棄、この世の全てを混沌と没落で埋め尽くしてもまだ足りない、底無しのエゴと破壊衝動に研ぎ澄まされていた。
「外界から閉ざされた世界で、孤高の闘争を永遠に繰り返している……古代の王」
 現実で見た悪夢がよみがえったのか、フライヒルトの声は畏怖にかすれていた。生きて帰られる心地はしなかった。
「バトルマニアも度が過ぎれば、救いようのない狂人だな!」
 皮肉を吐き棄てるクロノは、デュランダルを握る手の力がうまく調節できない。
 魔人の全身から放出されている魔力圧だけで、オーバーSランクが束になろうと勝ち目がないと思い知らされる。もはや一介の魔導師の範疇を超越した、自然の理をも支配する神の化身のごとき威烈な存在感だった。
 ピリピリと神経が粟立つ。進退を決しかねるクロノ達は、悠々と持ち上げられる王の肩を凝視するほかになかった。
「Dies ist nicht der Ort für jedermann. Depart.」
 王の腕が薙ぎ払われ、皓然とした魔力流が、次元の万象を滅する大海嘯を形成する。生温かい光の狂瀾が、クロノ達を遙か地平の彼方へと押し流していく。その過程で、一人残らず意識をもぎ取られ、だが微かに、クロノはクラウディアに捕捉されたことを体に教えられた。



[20266] 第7話 悪夢が笑う矛先
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/08/08 19:57
 九死に一生を得た。実感はわかないが、クロノ達はそう心中が共通していた。そこまで思い込まなければやるせなかった。第一次時嵐破壊作戦は見事に失敗し、彼らは謎の王によって、外界へと追い返された。何の収穫もなく、徒労に終わったと言っても過言ではない。意気消沈するよりは、ただただフライヒルトを落胆させた罪悪感と自己嫌悪が、男衆の間を行き交っていた。
 本局から一時帰還の命令がくだされ、その航行中、クラウディア艦内は始終、寂しく重苦しいムードだった。次の時嵐も待っているのだが、空回りの二の舞にならないかと、消極的になってしまうのは無理もなかった。艦長席で忸怩たる思いに沈むクロノへ、誰も気の利いた言葉は投げかけられなかった。
 そんな中で唯一、ユーノは違っていた。彼がブリッジに足を運ぶと、クロノも辛気臭い顔ばかりもしていられなかった。
「また今度も危険な次元世界じゃ目も当てられない。事前にリチャルド・オペルアを特定することができたら言う事はないんだけど」
 二人が揃って侘びしげな溜め息を重ねた。
「そうだな……。フライヒルトも、こんな艦の生活で、息苦しい思いをしているだろう。一刻も早く、この件を解決したいんだが」
「帰還命令はリンディさんから?」
 ユーノは物珍しそうに、メガネの奥の瞳を、幼馴染みの横顔に向ける。公的な場でのこの親子のやりとりは、自然とそうした関心も寄せられるものだった。
「何か僕達の任務で、事態の好転があったのかもしれない」
「そうだといいな。ユーノとロッサも同席するように」
「少し本業があるから、すぐスケジュールを調整するよ」
「了解した。あまり日が開かないようにな」
 淡々とした相槌が、ユーノの耳朶を軽く打った。順調な次元渡航を、無感情に眺め、クロノはバリアジャケットの上から仏頂面の首を伸ばしていた。彼が気に懸けるフライヒルトは、今も艦内食堂で空白を持てあましていた。そうして、艦内食堂で冴えない執務官とお茶を交わすのが、すっかり彼女のクラウディアでの日常になってしまっていた。残るヴェロッサは、大人しく個室で待機している。彼が誰よりもフライヒルトの身辺を護衛しなければならない立場のはずが、そのような安心と怠慢を混同させた、ずさんな態度から、彼の常習的な遅刻癖が解き明かされるような気がした。
 霊体騎士はあれ以来、彼らのもとに出現していない。一体いかなる仕組みの中で、あの抜け殻の殺意が襲いかかってくるのか、決定的にデータが不足していた。
「私にもよくわかりません……」
 突如とした奇襲に関しては、融合事故の失敗で生じた呪いである以外、フライヒルト自身も詳しくは知らなかった。彼女に対して、レアエフは気の利いたことは何も言えなかった。ただ拒絶はしない、居心地の悪い思いはさせない、そんな風に些細な気遣いを意識するのが精一杯だった。
「二人目のお子様が楽しみですね」
「え? ええ……まぁ……」
 ほがらかに話題を提供してくるフライヒルトだが、その返事はかんばしくなかった。それで一瞬、ためらいの沈黙を挟む麗しい融合騎は、それでも健気に会話を絶やそうとはしない。
 そんなちぐはぐな二人の男女の傍で、ヒジェッティーは机の上に寝転がり、艦内で視聴できる娯楽番組に耽っていた。焼き菓子をバリボリと頬張りながら、下品な笑い声をするその様は、まさに駄目な専業主婦の典型を模していた。
「お飲み物、お代わりはいたしませんか?」
「え? ああ……結構です……」
「……そんなに気に病まないでくださいね」
 それはフライヒルトの誤解だった。単にレアエフが普段からこんな調子であるだけで、その辺を彼女が知悉していないだけだった。彼の頭の中では、現在、彼女と相対しているのとは別の事々が展開されている。特にあの次元世界で迷い込んだ大聖堂。それが一体、どの世界のどの時代のものなのか、等、それらが彼を空想に誘い込んでいた。
「この前お話してくださった、レアスキル……」
「私の? それがどうかしましたか?」
 しばらく躊躇していたフライヒルトだったが、意を決して希願を述べた。彼のレアスキルであるサブジェクト・ライーヴァで、夢を通わせてみたいのだと。唐突に打ち明けられたレアエフは、唖然と硬直していたが、彼女の意を飲み込むと、砂漠の風に似た乾いた愛想笑いがでてきた。 
「それは……やめておきましょう。どんな副作用が起こるかわかりませんし」
「危険な魔法なのですか?」
 夢、というもの自体を欠片も理解していないのか、フライヒルトは純粋に残念そうだった。そこから順を追って説明するのも手間なので、レアエフは優しい大人の詭弁で短くまとめた。
「私は夢を見ません」
「そう仰っていましたね」
 融合騎の白い指が、コップの把手にしなやかに絡まる。冷ややかな手触りをともない、彼女は一口果汁飲料を喉に通した。
「ですから、夢とは一体どのようなものなのか、興味が湧いてきたのです。グントラムは常日頃から、私達に夢や理想を語ってくれました。ですけど、私達はグントラムの思い描く風景を、想像することができないのです」
 触れたくても触れられないもどかしさに悶え、フライヒルトは沈鬱そうに嘆息した。愛する夫の隣にいながらも、彼女の視界にはいつも、友愛王シュトラウス一世の遙かな理想を凝望する背中が映っているのだった。
 何かに欲求を向けるのは、好ましい傾向かもしれなかった。自分の身の上に、どこかで妥協線を引かなければならないのが、今の彼女だった。ただ、レアエフは彼女の要望に応えるのは乗り気ではなかった。我がの持つレアスキルを疎んじているのも、小さくない一因だった。時折、術者の意識を超えて作用してしまうのもあり、彼にとって、サブジェクト・ライーヴァは、疫病神めいたものでもあった。
「夢を見続けていられたら、幸せなのでしょうか」
 乙女らしい無情を悲しむ声色で言い、フライヒルトは静かに額を伏せた。天使の慈しみを編み込んだような艶を持つ前髪が、彼女の心情を反映させて、サラサラと動揺した。

 本局に帰ったクロノを待っていたのは、予想をしなくても母のリンディだった。彼を驚かしたのは、総務統括官である彼女や、同じ機動六課の後見人であるカリムも、フライヒルトの件で水面下の手配を伸ばしていた事実だった。二人の人柄から、まったくの無関係な態度を一貫させるわけがないと思っていたのだが、こうして瞭然と、表沙汰にしてくるのは意外だった。
「機動六課も解散が近いのだし、私達もね。最後まで気が抜けないから」
 暗に、フライヒルトの件は早々と片付けてほしいと、リンディは悠々と着席したていで切り出す。それを受けて、クロノは少々、顰蹙を買わざるをえなかった。本心では違うだろうが、語意を切り取れば、総務部がフライヒルトを厄介者扱いしていると解釈できそうだったからだった。親子の間で顔色をうかがう沈黙が刹那を走り、クロノは非合理な私情をすてさった。
「JS事件の経過と、残るレリックの回収は?」
「順調みたいね。軌道拘置所の連中は、断固として捜査に協力しない姿勢だけど」
 リンディは今から提示する資料を揃えながら、息子と目を合わせず応える。ユーノとヴェロッサも待っていた。
「スカリエッティ自身を、あてにはしていませんよ。それにしても……ゴン・カルロス事務次官、トヨッタ・ベルウッド参事官の反対がなければ、聖王のゆりかご浮上だけでも未然に防げたと思いますが。あのお二人は、格別、スカリエッティの才能を嘱望されていたのはわかりますが……」
 冷徹なクロノの声は、個人だけに向けられたものではない気がした。それを察してかしておらずか、リンディは口紅を塗った唇に、呆れ返った溜め息を滑らせた。
「ベルウッドさんは、戦闘機人技術や人造魔導師技術を、紛争世界に売り込もうとしていたのよ。とても人道的ではないわ。いい加減、ああした根っからの魔人を、役員の肩書きに置くのは勘弁してもらえないかしら……私達の一般常識が通じないんだから……」
「たやすく世界を滅ぼせる力を持つがゆえに、世界の一つや二つ、消し去っても何とも思わない人種です。むしろ、連中を管理局の重役というシガラミで縛り付けておくことが、管理世界にとって平和への近道なんですよ」
「あのお方達は、一々こっちに口出ししてくるなら、どうして、レジアス中将の窮状を訴える声に耳を傾けてあげなかったのかしら」
 クロノはニヒルな一笑を浮かべた。
「連中にそんな殊勝な心がけがあるものですか」
 最高評議会、伝説の三提督が、実質上、現役を退いた結果、時空管理局の舵取りは、彼らと共に次元世界の平定を志した者達に譲られる。それは理に叶った顛末だが、旧暦時代の人間、いわば旧習と自らの偉業のプライドで凝固した自我の持ち主、そんな連中が、新たな時代の上に立つのは、様々な軋轢や齟齬を生じさせる不均衡でしかなかった。
 引き際を弁えていた、最高評議会や三提督が聡明であるならば、新暦七十年も半ばにさしかかった今も、管理局の中心的幹部として、利権構造と私利私欲の増幅にはげむ連中が俗物であるのも、皮肉だが割り切れない状態ではなかった。端的に言って、彼らの中で、傀儡にしようともくろんでいた、スカリエッティの非人道的な所業の数々に関し、「罪悪感も、倫理的な抵抗感も、一切持っていない」のが現実だった。今ここで、リンディとクロノが愚痴をもらす相手達は、この新暦の世を、自分達が経世済民の志で安定をもたらした世界の「その後」、終わらないエピローグとしか認識していないのだ。JS事件でさえ、老後の楽しみを満たす娯楽でしかない。スカリエッティという可愛い孫が、ちょっとしたオイタをしたとしか考えていない。崩壊した地上本部も、「壊れたものは、また、作り直せばいいだけだ」との言い草。あげくのはてには、「命もしかり。死んだ人間は蘇生すればいい。何の為のF計画だ? 何故あれが違法化されている?」とまで来る始末。生きた時代が違えば、常識も違ってくるが、そんな理屈で結論づけられる問題でもない。
 連中は根本的に、クロノ達新暦人とは、あいいれない人種と見える。局内の派閥抗争や縄張り争いは、巨視的に見て、新暦人を占める現役局員と、図々しく重役の座にのさばる旧暦人の、上下関係の摩擦、世代間闘争と言えなくもなかった。そこに魔導師能力という要素が加われば、相手が世界の支配者に足る王の末裔、魔人の一党であるのを鑑み、若手衆はヘタに、下克上や構造改革を企てられないのが現状だった。やはり自分の命がかわいい……。それならば、財政を圧迫させる重大なガンであるのに目をつむり、法外な役員報酬を供物にして、ご機嫌取りに終始していたほうが、双方にとって、ひいては管理世界にとって無害なのであった。
「出資企業各位の仲裁がなければ、本局でも内部分裂が起こっていたかもしれなかったこと、誰も危機感を覚えないのかしら。あのお方達に阿諛追従する、思慮の浅い人達も、もう少し、物事を洞察してもらいたいのに……」
 最高評議会が重用していた、科学の寵児の暴走は、管理世界社会においてはテロとして認知されているが、時空管理局内部では、部外者には見えない、けしからん騒乱の脈動が感じられるのも確かだった。
「そうした風見鶏や老害を抑え込みつつ、はやて達に現場を任せるのが僕達の仕事です。地上本部の陥落、アインヘリアルの制圧、レジアス中将の死……時空管理局の損害は決して小さくありませんが、機動六課のゆりかご攻略作戦は成功した。それが、せめてもの救いと思っていますが」
「ずっと合法技術の研究をしていてくれたら、それでよかったのよ……それなら、彼が求めていた、夢を追い続けられる楽園を提供する用意はあったのに。無人世界なんて、掃いて棄てるくらいあるのだから。それなのに、彼はずっと問答無用だったのよ」
 二人の会話の中に、機動六課の後見人の間でしか意味を成さない内情が、ちらちらと垣間見えてきた。そして、互いが視線を合わせず、あらぬ方向に行った視界の奥で、リンディは義理の娘に対する罪悪感を、クロノは立場を持つ一局員、責務を負う身として開き直っていた。
「犯罪者であろうが、能力次第では起用する伝統を持つ我々ですが、流石に、ミッドチルダを未曾有の危機に陥れた輩には通用いたしませんね。あくまでケースバイケース……といったところです」
「さっき話した、うるさい人達が、スカリエッティを釈放しろとわめいているわ。このままでは、本局の中で、一波乱あるかもしれないわね」
「今回ばかりは聞けません。無視してよろしいでしょう。新暦の世は、あの連中の老後の遊び場ではない。ここが僕達の正念場です。時空管理局の本来の理念を確立させる為に、旧い人間には、表舞台から退場してもらわなくてはならないのです」
「……」
 リンディが息子を見上げる構図から、クロノが母を見下ろす構図へと移転していた。夏の木漏れ日を浴びる葉のような長髪は、額の影で母のまつげをかげらせていた。上目遣いに息子を見るリンディは、普段の温和な性格を錯覚させる、冷ややかな目色をよぎらせた。
「本当に、手のかかるお子様だわ」
 若き提督が仰々しく肩を竦め、まるで人事に慣れたように笑った。
「至極的確です。この悪夢に、誰もが気付かないことは、きっと幸福なことなのでしょう」
 ユーノとヴェロッサを待つ暇つぶしに、親子は気心の知れる相手を前に、日頃の鬱憤を吐き出しあった。



[20266] 第8話 突破口
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/08/08 19:55
 覚束無い足取りから、疲労具合は見て取れた。広間のソファへと、クロノはバリアジャケットを解除する余力もなく倒れ込む。先客だったヴェロッサとフライヒルトは、彼の身を案じる心持ちはあるが、不意に苦みのある顔付きをしてしまった。
「作業は順調なのかい?」
 うなだれていたクロノが、うらめしげにヴェロッサを睨み付けた。デュランダルを待機形態にし、深々と重たい溜め息をついた。何か彼の疲れを労る何かがないかと、フライヒルトは近くを見渡すが、見知らぬ屋内では勝手もきかなかった。視界に映る調度品や屋内の装飾は、何もかもが華美で豪奢をきわめている。富と財を尽くしたゴージャスな建物の中で、少々肩身の狭い気分を強いられ、なれない者にとっては、この輝きが窮屈だった。
「……ユーノとエコカー執務官は」
 紅茶の杯が査察官の優男の口許に持ち上がるのを、クロノの目はあいかわらず湿った視線で追いかけた。査察官の斜めの一人用のソファに腰かけているフライヒルトは、唯一の純然たる客人でありながら、わけもなくいたたまれなかった。
「まだ宝物庫の方に。あちらもあちらで、かなり手間取っているみたいだね」
 返答するヴェロッサは、フライヒルトの身辺警護という建前で、クロノ達の疲れを知らない身分だった。一々しゃくにさわる提督だったが、余計ないさかいは起こさないために、度重なる溜め息で愚痴を封殺しようとした。壁の窓は、光を屋内になげかけることはなく、銀白の絵の具で染め上げたモノクロの風景に覆われている。それが更に、くたびれた身体に陰鬱な気持ちをのしかからせてくるのだった。もう一度クロノはうなだれ、しばらくの休息にふけった。
「どうしてこうなってしまったんだ」
「家主様の頼みを断るわけにもいかないからね……。藁にも縋る思いというのは、こういうことを言うのだね」
 せめて黙っていてもらいたいものだが、彼の性格から、それはできない相談なのかもしれなかった。肺の中の空気を苛立たしげに押し出し、黒髪の若者は無言で全身から力を抜いた。不気味な静けさが、幻想創作に出てくるような王城かとも思える、彼らがいる場所の空気を停滞させている。彼らの会話と、この異常な生活感のなさが実にアンバランスだった。
 勇気を出して起立したフライヒルトが、広間の奥にある簡易調理場から、慰労できる飲み物を用意しようとする。しかし、クロノに一声かけた彼女は、相手からそっけなく断られてしまった。しょげてソファに戻り、上品な貴婦人の容貌が、別の施設で奮闘しているだろうチームに対し、憂い気な内心を表に出した。
「もう一週間ほどが経過いたしますね……」
 何の話題もないというのは、それだけで気疲れがするものだった。フライヒルトの不安げな呟きに、クロノのまぶたが薄く持ち上げられる。
「それは心配ありません。この次元世界は、我々が生きている世界とは、時間の流れが異なるみたいですから」
「その通りです。お帰りになる時、皆様が体感した時間だけ、向こうで経過するのです」
 そう説明されても、フライヒルトはかわいらしく小首をかしげるだけだった。
 広間全体が冷気を宿した。だがしかし、気温は下がっておらず、あくまでこの場に居合わせている面々の感覚でしかない。逆に、部屋の色合い、表情といったものが、一つの変化に干渉を受けたのか、寒色系の印象に塗り替えられたのか。奇抜で妖艶な気配をまとい、一人の妙齢の女性が忽然と出現していた。幾重もの翅を持つ蝶のような、シュールレアリックな衣装に、貴やかな肢体を隠している。容貌には毒々しい化粧の紋様が施されており、さながら自然崇拝に魂をささげた神子のいでたちだった。常に余分な魔力が体外に排出される肉体の仕組みであるのか、たっぷりと悠揚する召し物の背中で、長い柳髪が、たおやかに揺らめいていた。
 この神出鬼没な城主は、いつになっても慣れそうにない。必要以上に親しみも持たない態度で、クロノは無愛想に挨拶だけをよこした。ここ次元冥宮シルキィソヴィエイトにて、悠久の時をてのひらの上でいたずらにもてあそぶ古の魔女、弥終姫ナーサ・フォーヌァンは、五十万年の歳月を生きる超人の威厳を感じさせず、無邪気な童女のように、茶目っ気で軽快だった。霊体騎士は度々彼らを妨害してくるが、出現と同時に、弥終姫の片手間の思念干渉によって、一瞬の消滅を強いられていた。
 友好的な笑顔の裏に潜む、世界を指先一つで滅ぼしえる、超絶な彼女の能力を敏感に感じ取り、フライヒルトも深層心理では彼女に親しめないでいた。クロノの母であるリンディが、無限書庫と協同し、この次元世界ノビア・ジュムリラへ到る、大規模結界魔法の術式を記述した古代文献の封印解除を採決したのが、現在の状況の端緒だった。大規模結界魔法は、武装隊から臨時で人員を配し、ユーノが指揮を執った。
 孤高と風雅を愛する弥終姫ナーサ・フォーヌァンが、無限書庫で集められたリチャルド・オペルアの情報を通じ、所々でかの世界の歴史にその名を残していることが解読され、彼女からリチャルド・オペルアの所在を突き止めようという狙いだった。そこでリンディがノビア・ジュムリラへクラウディアを向かわせた経緯だった。
 弥終姫ナーサ・フォーヌァンは従容に彼らを迎え入れたが、用件には対価を要求した。提示された条件は、次元冥宮シルキィソヴィエイトの美化清掃、宝物庫の整理整頓だった。一度クラウディアが本局へ戻り、対応を検討した時空管理局は、ひとまず彼女の言い分をくみ取ることで意見が一致した。わざわざこちらから訪れておいて、粗相をして気分を害せば、いかなる損害をこうむるか知れない。五十万年を生きる魔女にふさわしい、非現実なほどの強大な力の持ち主であるのを考慮し、本局の上層部は、クロノに「くれぐれも慇懃な振るまいを欠かさないように」としつこく言い含んでいた。
 ある意味、今はクロノ達に全次元世界の命運が託されていると言っても過言ではない。クラウディアが密かに永遠の魔女の魔力量を解析したが、ブリッジの計器は、煙を上げて派手に故障した。弥終姫ナーサ・フォーヌァンは、もはやランクだとか何だとかのレベルではない、生粋の魔人としか言えなかった。普段から極力接触したくない重役連中の同類と、まっこうから対面しなくてはならない苦行に、クロノのストレスはたまる一方だった。
 本局の中では、触らぬ神に祟りなしの格言を犯してしまったのではないか、と今更にも気が気でない局員もおる。面倒な任務を持ちかけてきた母をうらみながらも、彼は艦を任された提督として、上からのいい身分の忠言に、唯々諾々と承伏していた。
「お掃除の方は順調に進んでいますかしら」
 軟体動物めいたみだらな動きで、弥終姫ナーサ・フォーヌァンがクロノの隣へ腰を下ろした。本能的に怖気を感じた彼は、さり気ない動作で彼女と距離をおく。
「かなり手間のかかる作業ですから、もう暫くお待ちいただけると幸いです。弥終姫ナーサ・フォーヌァン」
「ええ。時間はいくらでも余っておりますのよ。おつらいでしょうけど、これも交換取引ですものね」
「……」
 どうしてこうなった。クロノは腹の底からそう叫びたかった。
 この魔女の居城は、猛烈な氷雪が四六時中降りしきる、はてしない白銀の平野にぽつねんと建てられており、またここは、一般的な性能のバリアジャケットだけでは、最低限の防寒装備で極寒地帯を出歩く程度しか望めず、作業環境はすこぶる最悪だった。ユーノの補助魔法で、体調管理には細心の注意を払っているクロノだが、危険な因子はそれだけで全て払拭できていない。この過酷な環境で逞しく生き抜いている、オーバーSランク級の野生魔法動物の存在は、遭遇してしまえば最後、クロノのレベルの魔導師でさえ、決死の覚悟で逃走を図らなければならないのだった。群れをなす習性の魔獣に目を付けられれば、即座にユーノの転送魔法で退去しなければ命はない。
 次元冥宮シルキィソヴィエイトの外観部には、全体的に特殊な魔法メッキが施されている。Р-セユド〔ВЗа〕ゲネ――別称・&ЕΣⅠИ――という自然魔力を帯びた天然の素材が用いられており、まずはそれを必要な量だけ調達しなくてはならない。これは白夜楼という現象が発生している地点を飛行魔法で通過し、魔法空間に支配された地下洞窟に潜入し、そこでのみ採取できる物質だった。なので、この広大な極寒の世界で、白夜楼の発生地点をさぐることから始め――しかも、白夜楼は一定時間で自然消滅するので、一回の採取作業にかけられる時間は限られている――Р-セユド〔ВЗа〕ゲネの採取、無事の生還、それからやっと、清掃とメッキ加工に取りかかる。シルキィソヴィエイトは、XV級艦船に負けずとも劣らない規模。クラウディアの装甲全体を一人でブラッシングしているようなものだった。全然根気がいるとかいう問題でもない。
 Р-セユド〔ВЗа〕ゲネで冥宮をコーティングするのは、近辺に棲息している危険動物に対する防衛策、結界魔法加工での安全確保が第一にある。最近になって、コーティングが経年劣化を起こしており、まさしく人手がほしいとおもっていた魔女だった。
「ゆっくりでよろしいのですよ。怪我だけはなさらないよう、気を付けてくださいね」
「お気遣い、痛み入りますよ」
 極端に相手と目を合わせず、クロノは拗ねたような口振りだった。人の苦労も知らない風に、ヴェロッサは弥終姫ナーサ・フォーヌァンに、実にめずらしい紅茶の葉に感嘆の辞を述べ、二人で朗らかにティータイム談義を楽しみ始めていた。
「なんで人員の補充が認められないんだ……」
「人手不足だからじゃないかな」
 新たにすすめられた紅茶の味に感動しつつ、ヴェロッサはクロノに返事していた。
「ハラオウン提督!」
 レアエフが宝物庫から通信を開く。だが四角い画面の中の相手の憔悴した様子に、彼はギョッと絶句した。気を取り直し、彼は宝物庫で掘り出した真赤い球体を、慎重に通信画面に映す。
「これはレリックでは……」
 ほとんど条件反射だった。黒衣の若者が、眼光を煌めかせる。
「レリックの回収は機動六課の任務だ。至急ミッドチルダの機動六課へ通達しろ! ノビア・ジュムリラでレリック発見! フォワード部隊の隊員は問答無用で全員出動だ! 今すぐにだ! 今すぐ!」
「は? え? ちょっ……」
 置き去りになったレアエフも構わず、クロノは有無を言わせない勢いでクラウディアへ強要していた。

「あんなクロノ君、レリックはええとして、なんで私達がクロノ君の手伝いをせなあかんの?」
 開口一番、機動六課部隊長の八神はやては、そんな不平をもらした。なかば強制的に引っ張り出されてきたはやて達は、言わずもがな、次元冥宮シルキィソヴィエイトの美化清掃の助っ人として、彼にこき使われていた。弥終姫ナーサ・フォーヌァンは、レリックを時空管理局に譲るのは快諾していた。単なる高密度エネルギー体であるなら、彼女のような趣味を持つ者には、手放したくない位の価値はないらしい。
 今現在、リミッター解除の隊長陣、クロノ、ユーノを揃えた、精鋭魔導師総動員が功を奏し、抜群の時間短縮で、素材の必要量は確保できていた。その間に、他の隊員で冥宮の清掃――特に劣化した古いコーティングの剥離――を任せ、あとは魔法メッキ加工作業だけとなっており、クロノは実質、機動六課の面々を動かす監督的な位置に立っていた。Р-セユド〔ВЗа〕ゲネは単に塗布するだけでは終わらず、そこに外部から魔力を与え、Р-セユド〔ВЗа〕ゲネに撒布した魔力を浸透させ、結界魔法が自然発生する状態へ移さなくてはならない。更に、最後の仕上げとして、浸透度合いを高めるために魔力を帯びた強烈な衝撃を加えれば、より完成度は増すだろう、とは、魔法化学にも通暁なユーノの助言。苛々気味なクロノと機動六課の面々の潤滑油として、この現場でユーノが多大な貢献を働いているのは、傍観者の目には本当に瞭然だった。上層部の身勝手な言い分を背景に、ついカッカしそうになるクロノを穏当になだめつつ、状況がよくわかっていないなのは達へのフォローも怠らないユーノの心配りは、まさにデータベース職員として各方からの要求に応えるうちに培われた、彼の器量といえた。
「うわ寒っ! シャマル先生、この辺、結界が届いてないんですけど!」
 スバル達と共に、柱の付け根など、細かい部分の塗布と加工を行っていたティアナが悲鳴を上げる。彼女達の作業環境を整備する役目のシャマルは、少し声を張って謝罪し、持続させている結界魔法の調整に思念を込める。ユーノは基本的に、ディバイドエナジーでシャマルの魔力を回復する立場をとっているが、一人一人の補佐や、各所の点検にも動いていた。これまでたった一人で頑張ってきたためか、クロノはついにダウン、城内の客間で休む羽目になっていた。魔力が毎日空になるまで消費するペースが続き、今まで倒れなかっただけでも相当の気力と言える。最終工程を任せられているヴィータは、高度上空で待機し、グラーフアイゼンを肩に抱え、仲間達の奮闘を見下ろしていた。シグナムとザフィーラから呼ばれた彼女は、魔法物質への魔力浸透がいい具合に進んでいる箇所へ、グラーフアイゼンの魔力付与攻撃魔法で、何度か激しい打撃を叩き込む。あまりしつこくすると、逆に浸透から性質の中和、最悪はР-セユド〔ВЗа〕ゲネの溶解を引き起こしてしまうので、常に仕上げを確かめながらの一撃だった。
 ドガンドガンと景気のいい鉄騎の仕事の音を聞きながら、なのはとフェイト、はやては主に、砲撃魔法で大きな面積の魔力撒布を担当し、彼女達の後輩は、砲撃がうまく浴びない細部、窓の庇やテラス床の裏面などで、射撃魔法や近接魔法を唱え、Р-セユド〔ВЗа〕ゲネに魔力を浸透させている。
「あかん……面積ありすぎるわ。いつ終わんの、これ。一日だけでラグナロクをこんだけ連発したん、魔導師人生でこれが始めてやわ」
「デアボリック・エミッションでは、浸透率がラグナロクより低いですし……地道にやってくしかないですね」
 魔力の過消耗でヘトヘトのリインフォースⅡを、ユニゾン解除で自由にさせ、はやては乱れた呼吸の合間で言った。下を見下ろせば、シャマル達がいる作業の拠点で、エリオとキャロが、魔力の尽きた状態で疲労困憊していた。ロングアーチ一同が、そんな少年少女と一匹の竜を言葉と施しで労っていた。
「あ、なのは……」
「え?」
 高圧水をぶちまけるような感じで、ディバインバスターを外壁に浴びせていたなのはは、アクセルフィンを停止させる。横の方で、フェイトが固まった表情で、なのはの魔力光を余韻にたたえる壁を凝視していた。
 そこで、なのはも自身の過失に気付いたが、時すでに遅しだった。バルディッシュ・アサルトを持つフェイトは、どんよりとした気分で瞬きを忘れていた。
「そこ、もう私がした部分なんだけど」
「……」
 相互の確認と情報伝達を怠ったゆえの失敗。一度魔力を浸透させた箇所に、砲撃魔法レベルの魔力量を撒布すればどうなるのか。めざとくユーノが二人の異変を認め、すぐに飛行魔法で飛んでいく。
「Р-セユド〔ВЗа〕ゲネの溶解が始まってる。フェイト、微弱な魔力流で、溶解してる分を洗い流して」
「うん、わかった」
 詠唱を始めるフェイトの邪魔にならないよう、ユーノはなのはを下がらせた。
「ユーノくん、ごめん」
「誰にでも失敗はあるよ。また白夜楼に行って、足らない分のР-セユド〔ВЗа〕ゲネを持ってこないといけないけど……」
「本当にごめんね。クロノくん、まだ動けないよね」
「体を壊されたらそれこそ本末転倒だし、しばらく安静にしてもらった方がいいよ」
 フェイトがバルディッシュ・アサルトを如雨露のように扱い、その先端から放出する魔力流で壁面を洗浄する。それでも完全に流し落とせない、溶けたР-セユド〔ВЗа〕ゲネを、指先に生成したサイズスラッシュでカリカリと削り取っていく。垂れる魔力流は、その下でシールドを壁面と垂直に張り、そのシールドと相殺反応を起こし、魔力結合を蒸発させる。
「あーあー、誰だよ! こっち側のР-セユド〔ВЗа〕ゲネ、すっかり溶けてるじゃねぇか」
「うっ」
「これは酷いな。素人でもあるまいに。寝不足か?」
「ううっ」
「もはや語るまでもない惨状だ」
「うううっ」
 比較的楽な作業であるヴィータが、シグナム、ザフィーラと連れだって、うっかり無神経なことを口走ってしまった。割と長々と失敗を続けていた証拠に、守護騎士達の姿は、幼馴染み二人の視界には映らない。グサリと突き刺さってきた言葉に、なのはが自己嫌悪と落胆で肩を落とした。靴から伸びるアクセルフィンも、こころなしか、しょげるように輝きを枯らしていた。レイジングハート・エクセリオンは終始、沈黙をまもっていた。

 クロノがあてがわれた客室で、弥終姫ナーサ・フォーヌァンは、契約を遂行していた。彼を見舞っていたヴェロッサとフライヒルト、宝物庫の方の終わりが見えてきたレアエフも、使い魔を連れてこの部屋に集合していた。いつものとおり、場を茶化す病気のヒジェッティーには、この宮殿からふるまわれる甘美な食事に舌鼓を打たせて黙らせる。
「宇宙の瞼?」
「はい」
 休もうにも落ち着かない豪勢なベッドで上体を上げ、クロノは、聞き覚えのない単語に思考した。
「リチャルド・オペルアは、宇宙の瞼という防衛システムを保有しておりました。そして、宇宙の瞼は、リチャルド・オペルアと外界が面接する境界でもあるのです。……フライヒルト殿はご存知なかったのですか?」
 明け透けな瞳に見つめられ、フライヒルトは気まずそうにうつむいた。記憶にない、とは正直に言えなかった。なけなしのプライドは、彼女の中にもあったらしい。
「ふふふ。軍事機密ですから、一般人は単なる通行手段としか思っていなかったでしょうしね」
「グントラムは宇宙の瞼なんて教えてくれませんでした……」
 落ち込むフライヒルトの耳朶にも、クロノの咳払いが触れた。
「ご協力に感謝いたします。弥終姫ナーサ・フォーヌァン」
「いいえ。こちらこそ。宇宙の瞼の詳細データは、追ってお渡しいたしますわ。これで、皆様は確実にリチャルド・オペルアへ辿り着けるはずですわ」
「よろしくお願いいたします」
 残る責任を果たすため、クロノは起き上がろうとする。フライヒルトが善意でそれに抵抗するが、彼はそれをやんわりと退けた。
 結局クロノを引き留められず、悄然とするフライヒルトだったが、レアエフから慰められ、暗い表情をとりつくろった。ヴェロッサと城主と別れ、二人で広々とした廊下を歩く。
「リチャルド・オペルアへ赴いて、それで何かが変わるでしょうか」
「それはわかりません」
 何も得られなくても、何も取り戻せなくても、彼女が未来へ一歩踏み出すためには、母なる大地へ回帰しなくてはならなかった。
「友愛王シュトラウス一世はご存命なのでしょうか」
 無限書庫は何も語らない。淡々と断片的な史実を開示するだけだ。
「……グントラムは……」
「陛下が掲げられたと仰る、理想国家・アガペイディアがどのようなものか、私にはわかりませんが……」
 俯きがちに黙々と歩いていたフライヒルトだったが、これもまた、冗談のように大きな階段の前で立ち止まる。そして彼女は、毅然とした面持ちで真正面をみすえた。
「全てはリチャルド・オペルアで明らかになるでしょう。私は真実を受け入れるだけです。たとえそれが、悲しく辛い真実であっても、私は私自身の苦しみには屈しません」
 ふくよかな絨毯のしかれた階段を下りる融合騎を、レアエフは痛ましげに眺める。今は遠い愛する夫の温もりに導かれるように、フライヒルトの背中は、漠然とした宿命の影を色鮮やかな床に横たえていた。



[20266] 第9話 生きとし生けるものの営みよ
Name: 妖怪童貞◆7024b24b ID:fa0e03b2
Date: 2010/08/11 11:57
 久方振りの故郷は、あいかわらずだった。次元港がある大都市からはずれ、現地惑星一の大陸を辺境へとそれていく。次第に大山脈地帯へさしかかり、新暦魔法文明の表情は、人々の景色から失われていく。その代わり、旧暦から尚も生き続ける、古風な暮らしが、のどかな自然の中に開けてくる。延々と連なる高山の稜線と、透き通る空の二相が混じり合うのは、管理世界フイロヴェンスコの大陸辺境地域、カルアパイ山脈が雄大にそびえる地方の見慣れた風景だった。広大な山々の辺端では、年中をかけて溶けることのない雪が幾層にも重なっている。そこは獣達の世界、厳しい環境で生きる動物の足跡を点々と刻む、神聖かつ静謐な山脈の僻地だった。最高峰はその雪山の辺りで、しかし数値的にはさほど篦棒な高さでもない。それより比較的標高が低い地域に、山村は点在しており、そこではフイロヴェンスコの大陸で代表される、いくつかの大河川の水源が発している。植物も数多く繁茂しており、旧暦よりこの土地の人々は、水と緑との共存を伝統の風土としてきた。なだらかな陸地は、連続する山に囲まれており、ここの大地の息吹を知らぬ者をいかんなく威圧する。村の土地は、農園や牧場が多く占められており、作物や家畜を育てる住民の、純朴な魔法使いとしての気風が、今も依然として根付いている。だがこの魔法世界は、決して安穏とした環境ではない。宇宙空間には、広汎に脅威的な魔法生物が棲息しており、ここの現地惑星も常に滅亡の危機にさらされていると言っても過言ではない。その為の防衛策として、現地惑星近海には一隻の次元航行艦船型の要塞が建造されており、そこでは防衛用の大結界魔法を唱える魔導師が、孤独な祈りの日々を送っているのだ。数回の代替わりを経ているその大役だが、現在はレアエフの母が世界全体の安全を一身に背負い、いつ終わるともない試練に臨んでいるのだった。
 勾配のある山間を開拓して築かれた村の一方で、旧暦時代から、カルアパイ山脈の一部であるタットリー山地の歴史と共に、世代を重ねてきた一家があった。レアエフの生家である。その風習は、彼の父親が消息を絶った後に途絶えた形になっているが、婿をもらった末妹は、平凡な生活の中で、父の愛した山を静かに見守り続けている。景勝地として観光客や保養客が訪れるので、田舎と言っても、外界から隔てられた陰気くささが漂っているのでもない。またこの地域の温泉には、魔導師の滋養によく効くので、遠くの管理世界からも、名湯を求めてはるばる旅路を踏む者もいるくらいだった。カルアパイ山脈の村々の観光産業は、それなりに賑わっていた。
「まだこの世界が生存している現実に、僕ちゃんドッキリ」
「憎まれ口は谷底で叩きたいか?」
 営業車の後部座席ではしゃぐ使い魔は、主人の気に障った素振りにも余裕綽々だった。クラウディアが最終点検を終えるまで、艦長個人のスケジュールや本局船渠の予定などが悪く重なり、少々日数を要することになっていた。一度、妻と娘の様子をうかがい、まだ急がなくてもいい頃合だったので、彼はこうして軽く帰省する計画を立てたのだった。
 生まれ育った家では、事前に連絡を入れてあった末妹が、三兄の到着に首を長くしていた。親代わりの兄妹に囲まれて育った末っ子らしい、不思議と愛嬌のある今の家主は、長旅の三兄を、まず休憩させた。子供達は外で遊んでいるらしい。居間の大まかな装いは変わっているが、端々から感じられる懐かしさは、彼をここで過ごした幼少期に誘いこむのだった。
 夫は日が暮れる頃には帰ってくると言い、末妹はかいがいしくもてなしに励んだ。ヒジェッティーの放埒も、末妹にしてみれば、ペットのかわいい悪戯程度でしかないらしい。
「あ、そうそう……」
 ついつい浮かれていた末妹だが、言い出そうとしていたことが中断させられる。二階から階段を下りてきたのは、もう何年前に顔を合わせたのが最後なのかもわからない、傭兵稼業に生きている長女だった。ひきしまった筋肉質な長身は、幾多の激戦地で生死と隣り合わせにしてきた、百戦錬磨の風格を漂わせている。異常に長い前髪の奥の瞳が、こちらも珍しそうに三兄のレアエフをとらえる。
 そこで末妹は、二人の脇から鉢合わせしたことを説明する。長女の方は純粋に大きくなった弟の姿に感心そうだったが、時空管理局員であるレアエフにとって、現在の長女の生業は容認できるものではなかった。報酬で人の命を奪う戦闘魔導師の存在を、管理世界の法を司る人間であるレアエフが、賛成できるはずもない。それを承知していながら、長女は平然とした態度を崩さなかった。居直っているのでもなく、単にそうした感情的な部分を頓着していなかった。
「姉さん。管理世界に帰っていたのか」
「こっちで依頼を請け負ったのさ。そのついでに、ここの様子を確かめにな」
「出やがったな狂気のバトルマニア。おい、お前の血は、今まで殺してきた奴らの怨念で腐りきってるから、とっとと全部抜き取っておけよ」
 寝起きの頭を冴えさせるため、長女は一杯飲み干した。彼女は原則、最低限の水分補給さえ怠らなければ、半永久的に栄養摂取をしなくてもいい肉体となっていた。人為的にプログラムを埋め込むことで体得されるセカンド・レアスキルの一つ、MPAOR――Magical Photosynthesis Artificial Organs Reactor――の効能で、老廃物や栄養補給に不要な物質も、体内で循環的に再利用し、栄養素を自家生成できる仕組みを有している。彼女は複数のセカンド・レアスキルを使うPRSM――Plural RareSkill Master――である。長年ねんごろである戦争屋で授かった肉体改造で、そこも古くから、あのジェイル・スカリエッティと通じ合い、技術や資金の取引を行っていたのだった。その為、戦闘機人技術の恩恵にも与っており、彼女の肉体は今や半戦闘機人、魔導機人とも呼ぶべき、人体兵器としての特化改良を施されている。
 そんな狂気のバトルマニアは、ズンズンと歩を進めると、卓の上のヒジェッティーの頭をムンズリとわしづかみにした。陽炎のような殺気を浴び、ヒジェッティーは冗談で済まされない生命の危機を感じ取った。
「痛い痛い! おのれ、弱いものイジメとはとことん堕ちたな! ええ!」
「お前もあいかわらず減らず口がすぎるな、ええ、ヒジェッティー」
「そっちもあいかわらず、しょうもない筋肉みたいな乳をしていやがるな、ええ、本当にごめんなさい」
 前後の発言に脈絡がないのは、ヒジェッティーがいよいよ、濃厚な死の気配に震え上がったからで。都合のいい時だけ、主人に助けを求める。だがそんな使い魔のワガママに耳を貸さず、レアエフは傍で微笑んでいる妹を見て肩を竦めた。
 父の使い魔だった鳥の頭を腕力から解放し、長女は長い前髪をぞんざいにかきあげた。袖無しのラフな上着から伸びる腕は、両方ともに人工的な施術が見て取れる。左腕は肩の根本から、義腕型に改造されたストレージデバイスが、丸々移植されている。傭兵として駆け出しだった時に損なわれた部位である。このストレージデバイスには当然、多数の魔法が入力されており、有事の際には真価を発揮する。今は実家だが、無論、管理世界の外を出歩く際には、耐魔力加工のコートをはおり、世を忍ぶ身形は忘れてはならない。デバイスを人体へ物理的に接合させるのは、管理世界内では倫理的に認められているものではないからだ。
 更に彼女の頭蓋にも、インテリジェントデバイスの人格機能を司る部品が、補助脳として埋め込まれている。こちらは主要装備であるインテリジェントデバイス・バーュデラィエと連動しており、演算処理や詠唱補助で多大なポテンシャルを引き出すことを可能としている。感覚器官の性能や状況把握能力も、この補助脳のおかげで、通常の魔導師とは桁違いの飛躍を遂げている。これはまさに戦闘機人技術の賜物でもあった。
 片や反対側の腕に視点を移せば、セカンド・レアスキルの魔導刻印が、目が痛くなるほどに、びっしりと焼き付けられている。皮膚が焼けただれたように見えるそれは、濁った泥のような輝きを蠢かせ、貪欲な寄生虫の群体のように、術者のリンカーコアと、思念的なバイパスを通してつなげられている。
「うわーん。頭のイカれたバトルマニアがイジめるよぅ」
 ヒジェッティーに抱きつかれ、胸にグリグリと押しつけてくる丸い頭を、末妹は呆れて撫でてやった。
「ヒジェッティーがお姉ちゃんを怒らせるからでしょ。ほら、よしよし。お姉ちゃんも」
「わかってるさ」
 クールな笑みを声にのせ、長女はコップを台所に置いた。そして二階の部屋に戻っていった彼女を、レアエフはたまりかねて追いかけた。元々姉のものだった狭い個室で、彼は思わず衝撃を受ける。見慣れない仰々しい兵器を手入れしている長女は、ドアの所で立ち尽くす弟に一瞥をくれる。
 だがすぐに目の位置を正し、冷ややかな表情で作業を続ける。持ち主と同等の全長がありそうなそれは、デバイスと認識するには、あまりにも魔導端末として異質だった。全般的に魔法行使をサポートするものがデバイスと定義されるならば、これは明らかに軍事兵器に分類されるだろう。いびつな菱形に尖り、盾とも槍ともつかない形状は、また平たい航空機のようでもある。
「どうしたレアエフ」
「それ、質量兵器か……?」
 多少の質量兵器アレルギーを表に出し、レアエフは刺々しく言った。それに強いて応えず、長女は手元にデータ画面を表示させながら、機体横に端子のような部品を取り付けようとしていた。
「どこでこんな代物を」
「ほれ」
 姉から機体データを渡されると、レアエフは怖々とそちらを閲覧する。彼の顔色は青ざめたり顰め面になったりと、よくも忙しかった。そんな惑乱の弟を無視し、長女は無表情で細かい手作業に集中する。だがある程度のところで手を休め、何か不具合があったのか、わずかに眉根を寄せて思案した。
「ナインクェロート魔導工業はこんな代物を開発していたのか」
 見知った企業が持つ、裏の顔の一端を知った気分で、レアエフはあまり面白くなかった。型式LXXV-LOT00β、名称スマッシュクレーヴァー。開発の主眼は、AMFを始めとする、魔力エネルギー運用が困難な状況下を脱却する機能の開発であり、そのひな形としてExMECOTS――Expansible Magic Energy Conversion Operating Technology System――が搭載されている。また、この機体自体に、小型の魔力保存装置や、ストレージデバイス同様、魔法の記憶媒体としての機能がそなえられ、リンカーコアを持たない人間にも、そこから魔力を抽出し、あらかじめ詰め込まれている魔法プログラムを行使することにより、魔法が扱える仕様となっている。これにより、外部からの影響を受けずに、操縦者の魔力運用が可能となる。そしてもう一つ、デイル・アイン・アバタと名付けられた、亜空間に格納しているサブウェポンを、簡易プログラムの転送魔法で任意に取り出すことのできる機能があった。格納兵器として、火薬などの一般的な質量兵器や、各種デバイスが数多く揃えられている。軍事基地化した惑星さえも、単独で殲滅、制圧しうる、新暦武装端末の新たなモデルを構想して編み出された技術の数々は、しかし完成への課題は多く残されているらしく、これは二代目の試作機として、秘密裏にデータ収集の目的で長女に貸し出されているらしい。
「ナインクェロートはここ最近、多くの人員が流出しているって聞いたけど」
 管理世界で名の知れた大企業が、紛争世界に生きる人間とパイプを持ってること自体、レアエフはいい気がしない。だが今ここで姉をしょっ引けないのは、やはり身内の情を殺すことができないからだった。
 彼女も彼女で、平時では、分別を弁えるだけの常識は持ち合わせているのだ。
「どうやら就業環境がよくないらしくてな。出て行った殆どの人間が、カレドヴルフ・テクニクスに吸収されているらしい。魔導端末の開発部門にいた連中もそうだから、この武装端末の開発計画も頓挫必至なのさ。だから実質、これは私が頂戴した形になるな」
「じゃあ、その兵器、完成形が日の目をみることはないわけか」 
「そうでもない。情報は定かじゃないが、カレドヴルフ・テクニクスは、前々から、管理局の武装隊に技術を売り込みたかったらしくてな。あそこが、これを開発していたスタッフをどんどん雇い入れているということは、つまり」
「……このスマッシュクレーヴァーって奴の開発思想は、カレドヴルフ・テクニクスに受け継がれて、そこで作り出された武装端末は、管理局の武装隊で正式に採用されるシナリオか」
「妥当に考えれば、そういうことだ。とはいえ、流石に開発スタッフの連中は、スカリエッティ絡みの技術は持ち込んだりはしないだろうから、別物になっている可能性はあるがな」
 知れた顔で次元犯罪者の名を出す長女は、弟の顰蹙もどこ吹く風だった。床に転がした端子は、多くの種類が用意されており、彼女は今、スマッシュクレーヴァーと適合する規格を試しているらしかった。
「元々、最高評議会直々の発注で、戦闘機人専用の魔導端末を開発する企画から始まっているんだ。スカリエッティが謀反を起こしたし、もうどうなっても、このロトシリーズは証拠隠滅の末路を避けられないんだよ」
「ロトシリーズねぇ」
「戦闘機人がナンバーズシリーズだから、あいつらの武装はロトシリーズ。何の共通があるのか知らんけど。……端子を埋め込みたいんだけど、合う種類の奴をこの中から探してくれないか?」
「嫌だよ。傭兵の手伝いなんて」
「そうかそうか。んー……どうにかして、私のバーュデラィエと連結したいんだけどな。一々思念を送らないと駆動しないのは面倒なんだ。だったら、バーュデラィエとつなげてしまえば、思念を送る箇所は一つで済むわけだし。補助脳の処理能力も、こっちに割く分を削減したいんだよな」
 あっけらかんと笑い、長女はどうしたものか、と頭をかいた。床に座り込んでいる彼女の眼前で、長い前髪が、絵画から垂れ落ちる絵の具のように、床の上で細い蛇を描いていた。
(もう四十の手前になって、結婚もせずに、こんな荒業に手を染めてるなんて……)
 ついレアエフは、彼女の生業に口を出してしまった。それは、カタギに生きてほしいという弟心もあったからで。だが長女は、そんな弟の心情を昔から熟知しつつも、寂しそうに応対するだけだった。
「今更カタギには戻れないよ。いいさ、まっとうな人生はもう諦めてる」
 死に場所も戦場だしな、と笑えない冗談をそこにつけたして。
「管理局で武装局員をやればいい。管理局はそれだけ、人材に対して許容できる」
「うーん……。なれるのはいいが、その前に、私の非合法稼業の裁判がいつ終わるのやら」
 それからも静かな口論は繰り広げられたが、戦地の空気に染まりきった長女に、管理世界の一般的な社会生活は馴染めそうになかった。やがてレアエフは根気をすりへらし、意気阻喪として、部屋を出ようとした。
 長女が罪悪感を宿した瞳で、弟の背中を見上げる。これから二児の父になろうかとする弟の姿は、ふと見れば、随分と立派になったものだと感慨を与えてきた。自然と彼女は健やかな笑顔を浮かべていた。
「お前も、お兄ちゃんも、下のみんなも、私の誇りだよ。全員、一人前に家庭を持って、心からそう思ってる」
「姉さんだって……」
 振り返ったレアエフへ、姉は照れ臭そうにはにかむ。
「……恋愛とか結婚とか恥ずかしいし。もう三十七になって、こんな仕事してて、一体誰が相手してくれんのよ」
 居間で兄妹が、姉の身上で少し会話を交わした。
「家を出てくって言い出した時、もっとちゃんと引き留めておくべきだった」
 末妹は、姉が、管理世界では数々の違法行為に問われる立場であるのを、身内であることを理由に黙殺していた。
「後の祭りさ。しょうがない、人一人の生き方を、他人があれこれ強制できないから」
「うん……。何日かゆっくりしてくの?」
 姉は今晩にでも発つという。甥っ子達の顔も見たいし、とレアエフは数日間の逗留を明らかにした。
 この日の夕食は、伯父とその使い魔を加え、やけに賑やかになった。妹の旦那が子どもと一緒に風呂に入っている時、それもあっただろう、姉はさっさと部屋を出てきた。家の軒先まで、弟と妹は見送りについていった。
 長女は背中で手を振り、颯爽と去っていく。「もう会えることはないだろうから、お兄ちゃん達によろしくな」と、今生の別れのごとく、捨て台詞を置いていった。二人は互いに言葉少なく立ち尽くしていた。
「お姉ちゃん」
「……生きとし生けるものの営みよ」
 切なそうに思い詰める末妹の隣で、レアエフが祈りの言葉を囁いていた。聖インプレッサ宗派の聖句の一つであるそれを、妹も真心をこめて紡ぎ出す。
「生きとし生けるものの営みよ」
 夜空はキレイだった。母も同じ祈りを捧げてくれているような気がした。


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