「まさか、こないなことになるとはなぁ」
「まったくです。あるじはやて」
遠目に見えるのは、【闇の書】に乗っ取られた次元空間航行艦船の姿。すわ恐竜戦車か、はたまた怪獣軍艦か。今は薄暗いベールに包まれて、その容を求めるかのように蠢いていた。
「そういや保護指定されてねぇ巨大生物とか、狩ったっけ」
思わずヴィータがとんとんとグラーフアイゼンで肩を叩くと、なぜか「キシャー」と吠え声が聞こえてくる。
「念話も通信も通りませんね」
さすがにジュエルシードの術式でも、複合四層式バリアを貫くことは適わない。いくつもの空間モニターを開いたシャマルが嘆息。
「しかし、これでは……」
「ああ、人質をとられたようなもの、だな」
「だっせぇ連中」
「ヴィータちゃん……」
ヴォルケンリッター達の会話に苦笑いしか出来ないはやてのもとに、プレシア・テスタロッサが歩み寄ってくる。
「かなりの老朽艦みたいだったから、姉妹艦の情報から艦内構造が推測できたわ」
表示された空間モニターに、模式図。
「時空管理局の連中が無能でなければ、このバイタルパートの中に篭って抵抗しているでしょう」
一回り小さな囲いを示して、紫色の魔導師がシャマルを見た。
「ジュエルシードの術式で、丸ごと転送は可能かしら」
「可能です。ただし、その前に魔力と物理の複合四層式バリアをなんとかしないと……」
なら、話は簡単や。と、はやては手を合わせる。
「こんだけの魔導師、騎士が揃っとるんやからな。
順番に攻撃してバリアを破って、船の人たちを救けたら後は手筈どおり。
ええな」
「はい」と、ヴォルケンリッターが応えるや、【闇の書】のベールが弾けた。
次元空間航行艦船を頭部に据えたその威容は、クワガタムシか、サーベルタイガーか。
「来ます」
警告を発した空間モニターを閉じて、シャマルが開戦を告げた。
「さあて、あのウザいバリケードを巧く止めるよ」
「うん」
「ああ」
いったい何処から生えているのか、いくつもの触手や触腕。それらを睨みつけて、人間形態のアルフ。応じるのはその肩の上のユーノと、並び立つザフィーラ。
「チェーンバインドっ」
「ストラグルバインド!」
「縛れ、鋼の軛。でぇぃえ やっ!」
縛り、固め、縊り、引き千切り、薙ぎ払う。枯れ野を炎がたちまち焼き尽くすように、あっという間に切り払われた。
「先鋒はあたいだぜ」
真っ先に飛び出したのは、紅の鉄騎。
「ちゃんと合わせろよ、高町なのは」
「ヴィータちゃんもね」
「鉄槌の騎士ヴィータと、鉄の伯爵グラーフアイゼン!」
差し上げた愛杖の穂先近く、赤いカバーから先がスライドして込められた弾丸が垣間見える。これぞベルカの騎士が用いるカートリッジシステム、一時的に急激な魔力上昇をもたらす仕組みだ。
≪ Gigantform ≫
ガシンっと、蒸気機関めいた力強さで閉じると、噴き出した魔力と共にグラーフアイゼンが姿を変えた。
大人の掌なら掴めないこともない大きさの両頭のハンマーから、一抱えもあるほどの鉄槌に。
「轟天爆砕!」
それが、ヴィータが振り上げる間にも、
「ギガントっ、シュラークっ!」
振り下ろす間にも、がんがん巨大化していく。
叩きつけられた巨槌は、次元空間航行艦船すら凌ぐ大きさで、その第一の障壁を踏み潰した。
「高町なのはとレイジングハート。行きます」
≪ Shooting Mode, acceleration ≫
なのはの掲げる杖、その音叉様の先端部の付け根から、光の翼が3つ羽ばたく。
杖先に集う、桜色の魔力球がまばゆい。
それは、なのはを侮りきったヴィータから、最初の1勝をもぎ取った魔法。ディバインバスタ―のバリエーション。
「なのはちゃん。力、借してな?」
「うん、はやてちゃん」
すこし離れて降り立ったはやてが、同じように剣十字の杖を掲げた。
その杖先に集うのは、白い魔力球。なのはに較べると、かなり小さいが。
≪ Count nine, eight, seven… ≫
「呪いの歴史に、終焉の光を」
見様見真似。なのはのリンカーコアからディバインバスターの術式を得て、この魔法の開発過程を見てきたはやてなら、リインフォースの補佐の上で、なんとか合わせられる。
≪ six, five, four ≫
「星よ集え、全てを撃ち抜く光となれ」
周囲から降りそそぐ魔力光。この魔法の名の由来だ。
≪ three, two, one ≫
「貫け!」
「閃光!」
≪ Count zero ≫
「ダブルスターライト・ブレイカー!」
2人がそれぞれに魔力球を杖で叩くと、桜色と白、2本の砲撃が2枚目の障壁を削り去った。
「次、シグナムとフェイトちゃん」
シャマルが振り仰ぐ先に、烈火の将の姿。
「剣の騎士、シグナムが魂、炎の魔剣レヴァンティン。
刃と連結刃に続く、もうひとつの姿」
その鞘をレヴァンティンの柄尻に打ち付け、カートリッジシステムを排莢。
≪ Bogenform ≫
大弓に姿を変えたレヴァンティンの魔力弦を引くと、そこに剣めいた矢が番われる。
その足場にした魔法陣すら炎と換えて、上下同時のカートリッジロード。
「翔けよ、隼!」
≪ Sturmfalken ≫
放たれた矢は狙いあやまたず、もし今の【闇の書】に眉間があるならそこだろうと思わせる次元空間航行艦船の中心へ。
全体を包むかと思わせるほどの豪炎を伴って、砕け散る3枚目の障壁。
「フェイト・テスタロッサ、バルディシュ。行きます」
「その名を名乗るのなら、これくらいきっちり合わせてみせなさい」
そっけない言葉はしかし、目前に立つ小さな背中を揺るぎなく見据えて。
「はい。……母さん」
「……」
否定の言葉は返って来ない。その事実に一度、フェイトはまぶたを下ろした。
「染み出でて、いやさか湧きあがる。
わが意に従い、天を隠す。
そは叢雲。紫電の産屋」
プレシア・テスタロッサが杖を振り上げると、野球場ほどもある巨大な魔方陣が2重に展開された。その間隙に湧き上がるのは、この空間ではありえないはずの雷雲。
そこに発生した雷光が、2枚の魔法陣の中で増幅されていっているのが目に見えて判る。
「望むは電光、願うは雷鳴。求むは覆滅。
打ち砕け、天雷!」
落雷は、フェイトが掲げるバルディッシュに。
「サンダーレイジ!」
振り下ろした杖から、翔けるは紫電の龍。七つの鎌首を、もたげて。
プレシアが呼び出し、フェイトが放った雷撃が、最後に残った障壁を噛み砕き、完膚なきまでに焼き払った。
もちろん【闇の書】とて、黙ってやられる気はなかろう。
障壁が奪われたということは、足枷無く全力全開で攻撃できる。と云うことでもある。
だが、
「盾の守護獣、ザフィーラ。砲撃なんぞ、撃たせん!」
その各所から生えてきた生体レンズを、ザフィーラの軛が貫いた。
蒼い背表紙を開いたはやての、まぶたが下りる。その脳裏に浮かび上がってくるのは、【夜天の魔導書】から回収した魔法だ。
術式を把握し終えて、見やるは、増えつづける生体レンズ。今はザフィーラが防いでいるが、【闇の書】はその生成速度を早めてきている。
「彼方より来たれ、宿木の枝。銀月の槍となりて、撃ち貫け。
石化の槍、ミストルティン!」
開いた魔法陣は6つの光点を引き連れて輝き、7本の光槍が【闇の書】を、その怪物化した本体を貫いた。
その槍が抉り進むごとに、その周囲の生体細胞を凝固、石化していく。
一時的に攻撃を封じられた【闇の書】の姿に、それは内部への攻撃も然り。とシャマルは判断する。
「行って」
シャマルの目前にあるのは、クラールヴィントがその鎖で形作った円。シャマルとクラールヴィントだけが使える特殊な転移魔法、旅の鏡だ。
普段は離れた場所の物品を引き寄せるのに使うことが多い術式だが、今回は送るのに使う。
送るのは、防御術式に長けた4番、情報収集と発信に適した9番、空間座標把握に特化した20番の、3つのジュエルシード。
送る先は、虜となった次元空間航行艦船。
だが、
「っ痛!」
引き戻された指先が、赤い。たちまち火ぶくれになる。
「なんて強力な防御結界なの」
……しかも、おそらくは1人か2人で。と手応えで推測して、指先に治癒光。
バイタルパートの内壁ぎりぎりで展開された防御結界は、空間制御が完璧で、流石のシャマルも手が出せない。
「でも」
ならば、その外壁ぎりぎりに送り込んでやれば済むこと。
「捕まえ……った」
即座に展開される、侵蝕状態を示した空間モニター。どうやらその内部にまでは及んで無いようだ。
「いきますよっ!」
手元のうちの4つのジュエルシードとリンクさせ、転送させるのは次元空間航行艦船のバイタルパート。重要防護区画だけだ。外装は侵蝕されていて、こちらに転送させるわけにはいかない。
「大質量転送っ」
「目標、ここっ」
ユーノとアルフのサポートを受け、7個のジュエルシードがその力を発揮する。
「転っ、送!」
シャマルの背後に展開する広大な魔法陣。現れた機器と装甲の塊は、張り付くようにして輝く4番のジュエルシードに守られていた。
「はやてちゃん!」
シャマルの呼びかけに頷きで応え、掲げた杖に魔力光が集う。だが、遅い。その間にも【闇の書】は、石化した外殻を破って生体レンズを生み出し始める。
「縛れ、鋼の軛」
ザフィーラが、まず薙ぎ倒した。
「チェーンバインド!」
「ストラグルバインドっ」
アルフが縛り、ユーノが引き千切る。
≪ Schwalbefliegen ≫
ヴィータが打ち倒し、
「飛竜一閃!」
シグナムが焼き払う。
しかし、追いつかない。
≪ Blaze Cannon ≫
はやてを狙って今にも凶光を放とうとした生体レンズを貫いたのは、露草色の砲撃。
「正直、なにが起きているのかは判らないが、あれは放置していいものじゃなさそうだ。
協力する。あとで事情を訊かせてもらうぞ」
アースラのバイタルブロックの前に立ち塞がるようにして、クロノ。ランタンのような杖先を持つS2Uに、露草色の魔力光を灯している。
「お、おおきに」
クロノに目顔で促され、はやては【闇の書】へと向き直った。
≪ Stinger Snipe ≫
その間にも、「スナイプショット!」クロノの放った魔力弾が縫うようにして生体レンズを打ち滅ぼしていく。
「そは世界樹に隠されたる知識の杯、落陽の逮夜を告ぐる声」
正三角形をなす魔法陣の各頂点に充填された魔力が、対魔、対物、対生物と、それぞれ効果の異なる砲撃と化す。【夜天】の、そしてそれを受け継ぐ【蒼天の魔導書】最大の攻撃砲術だ。
「響け、終焉の笛。ラグナロク!」
3種の砲撃は打ち込まれたその地点で溜まるように膨らみ、巨塊たる【闇の書】を全て包む爆光と化す。
「スターライト・ブレイカー!」
魔力をさらに再回収して撃ち込まれる砲撃と、
「サンダーレイジ!」
増幅され続けていた電光を受けて放たれる雷撃。
「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!やっ!」
くるりと翻った剣、剣、剣、剣。いったい何十本あるのか、一点に向けて殺到するさまはまるで砲撃。
白、桜、黄金、露草と四色の光が【闇の書】を、その防御プログラムが組み上げた異形を打ち据えた。
…
!
息を呑んだのは、クロノ。
「あれは!」
晴れた爆煙の向こうに、露呈した革装丁の書籍の姿。しかし周囲の残骸を取り込んで、もう再生を始めている。
「……第一級捜索指定遺失物、ロストロギア【闇の書】……」
まさかいきなりアースラを呑み込んだ異形が、因縁深い【呪いの魔導書】であったとは知らず、クロノは呻いた。記録映像に見るエスティアとは、侵蝕のされ方が全く違う。
「こんな、ところに……」
ぎりぎりと、音をたてて握りこまれるこぶし。
そうと知っていれば、中から砲撃魔法のひとつもかましただろうに。
「シャマル。
引導、わたしたってや」
「はい」
はやての呼びかけに応え、シャマルの手元からジュエルシードが跳ぶ。
【闇の書】を中心に据えて、12個の結晶が形作るのは、正三角形と正六角形を組み合わせた切頂四面体。最小の面積で最大の体積を切り取る、アルキメディアン・ソリッドの1つだ。
≪ Tur fur ImaginareGebiet ≫
未練がましく再生を続ける【闇の書】の下に、亀裂が現れた。高密度魔力素集積体に付き物の、次元断層である。今は完全に制御されたその空隙の向こうに覗くのは……、
「虚数空間」
ぽつりと呟いたクロノ以外にその領域を垣間見たことがある者は、プレシアぐらいか。
しかし、それは我らが知るところの量子力学的な虚数空間ではなかった。光速度を軸に物理現象が逆転した世界である虚数空間は、せいぜいが各世界単位での【裏】に過ぎない。
クロノが言い、いま闇の書の足下に現出した虚数空間。それは、この次元世界そのものの【裏】。この次元にあふれるのが魔力素なら、この虚数空間に満ちるのは反魔力素。この世界に落ちた魔力は、たちまち反魔力素と結合し、無力化、対消滅して消え去ってしまう。対消滅で発生したエネルギーですら反魔力素に呑み込まれる、それは魔力の墓場。
「……ごめんな、」
はやては一度、瞑目する。しかし、見届けるためにすぐまぶたを上げた。
「おやすみな……」
いかに呪われた闇の魔導書とはいえ、しょせんは魔力素集積体、魔力構造体である。
虚数空間のなかでは、――山成す重曹に落とされた1滴の王水のように無力に――中和されて消え去るのみ。
いかな魔法行使も効果をなさず、転生も結実しない。それが魔法である以上。
魔力素の対消滅で発生したエネルギーも物理的影響力を持たないから、爆発も発光も震動も韻響も、何もない。
「そんな手が……」
母であるリンディ提督は、アースラのブリッジでダメージコントロールの指揮を取りながらこの光景を見ているだろう。
ギル・グレアムが聞いたなら、なんと言うだろう。次元断層を引き起こして虚数空間に叩き落すだなどと、次元世界の安寧を守るべき管理局員には思いもつかない、思いついても実行できない奇手だ。
「【呪いの魔導書】の最期だよ。アンタも見届けてやりな」
「……」
肩にフェレットを乗せた女の言葉に、クロノは返す言葉もない。せめて一矢報いたなどと、喜ぶ気になれるはずもない。むしろ悔しげに、ただ黙って見詰める。
呪われた魔導書の、静かな最期であった。
****
その足音に、あゆは気付いていた。
硬く響く音は、杖でも突いているのだろうか?実にぎこちない足取りで、アリシアの部屋に近づいてくる。
「ただいまや、あゆ。家族増やして帰ってきたで」
なのはとヴィータに支えられて、しかし自分の足で歩いて見せている。背後に控えている銀髪の女性が新しい家族とやらだろう。
あゆが、にっこりと微笑んだ。
その口から紡がれるのは、以前のはやてが聞くことがなく、この春からは幾度か、そしてこれからは何度も聞くことになる祝福の言葉。
「おねぇちゃん。おかえりなさい、なのです」
「八神家のそよかぜ」完