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[14611] 八神家のそよかぜ【完結済・おまけ更新中】
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/08/06 08:47
はじめまして。dragonflyと申します。

この作品はリリカルなのはのオリ主(チートスキル持ち・憑依なし・原作知識なし・フラグ泥棒容疑あり)、再構成モノになります。【肩透かし警報発令】原作における悲劇などを問答無用で回避するために独自設定・オリジナル解釈・ご都合主義が満載ですが、大立ち回りや山場はほとんどなしで、【 一部、意図的な一人称の変更もあります 】。
また、最初のほうに多少の残虐表現も出てきます(PG12レベルくらいでしょうか)。さらに、一部の原作キャラ設定に、とらいあんぐるハートとのクロス要素もあります。

そういった要素が気になる方は、スルーの方向でよろしくお願いいたします。

なお、リリカルなのはのFFは初挑戦なので至らない点も多々あると思いますが、スルーして下さるかツッコんで戴けると幸いです。


それでは、全19話+おまけ9話にてお送りいたします。


・12/21 おまけ#7.5  を追加
・12/24 チラ裏より とらハ板へ移動しました
・12/25 完結
・12/28 #19 を改訂
       おまけ#20   を追加
・1/1   おまけ#19.5 を追加
・1/2   おまけ#5.5  を追加
       #17 を改訂
・1/5   おまけ#11.5 を追加
・1/6   おまけ#7.5  を改訂
       おまけ 設定資料 を追加
・1/9   おまけ#19.8 を追加
・1/17  ネタ を追加 
・2/4   あゆのセリフに半角スペースを挿入
・2/19  代名詞「あんさん」を使わないように改訂
・      
・      
・      最終投稿話「たいせつなひと」投稿(予定)


****


StS?篇では、八神家のそよかぜの後日譚を展開します。前作に輪をかけて独自設定・オリジナル解釈・ご都合主義満載で、一部キャラなどは性格改変、名称変更などもあります。そういった要素が気になる方は、スルーの方向でよろしくお願いいたします。

なお、完結後に追加するおまけ話は一定期間経過後に時系列に合わせて並べ直しますが、その際に手直しは入れないので記述が前後する場合があります。あしからずご了承ください。


それでは、全19話+エピローグ1話+おまけ12話にてお送りいたします。


・1/31   StS? はじめました
・2/19      おわりました

・2/22   IF #79-1 投稿

・2/24   おまけ #68-1.5 投稿
・2/26   おまけ #68-4.5 投稿
・3/6    おまけ #75-2 投稿
・4/1    おまけ #77-1 投稿
・5/12   おまけ #68-3.5 投稿
・6/4    おまけ #71-2 投稿
・6/24   おまけ #67-5.5 投稿
・7/9    おまけ #68-2.5 投稿
・7/29   おまけ #67-4.5 投稿
        文脈に応じ、ランク表記を原作中の呼称に合わせて変更(A→シングルA。ただし、ダブル・トリプルはそのまま)
・8/6    おまけ #71-1 投稿
・       
・       


****




 ―― 八神家のそよかぜ インタルード ――




「闇の書の起動を確認しました」

「我ら、闇の書の蒐集を行い、あるじを護る守護騎士にございます」

「夜天のあるじの元に集いし雲」

「ヴォルケンリッター。何なりと命令を」

4人の男女が跪いている。

だが、それに応えがない。怪訝げに顔を上げた赤髪の少女が小首をかしげた。

『ねぇ、ちょっとちょっと』

『ヴィータちゃん、しぃ!』

『でもさぁ』

『黙っていろ。あるじの前での無礼は許されん』

『無礼ってかさ……、どっちがあるじだと思う?』

残りの3人が視線を上げた先には2人の少女――失神寸前の少女と、それを背後にかばう少女――の姿があった。

「うそっ……」


物語はこの時より少し、遡る。



[14611] #1  それは少女たちの出会いなの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/19 10:30




「なんやろ?」

八神はやては、自身がたてたものではない物音に敏感な娘だった。

静かな夜ほど、特に。

「テラスの方っぽかったやんな」

車椅子を窓に寄せてカーテンを開けてみるが、夜闇が濃い。

「……あかん、暗うて見ぇへん」

ジョイスティックを倒して、車椅子を下がらせる。元々の位置を通り過ぎたのは、わざわざ外まで確認に行くつもりなのか。

「なんや倒れたような音やったけど」

独り言が多いのは、一人暮らしが長いから。

「もしかして、泥棒さんかいな?それとも、大遅刻のサンタはん?」

泥棒がさん付けでサンタがはん付けなのは、ひそかなこだわりらしい。

ガラス戸を開けると、春とは名ばかりの夜気が這い寄ってくる。下手をすれば、まだ雪の降る季節なのだから当然だ。

「寒っ、なんか羽織ってくるべきやったかなぁ」

などと呟きつつ、ジョイスティックは前へ。

「ん~?」

明かりを背にして闇を見通すのは難しい。しかし、八神はやての眇めた目には違和感が見えた。

生け垣そばの植え込みのシルエットが、記憶と異なるのだ。

「物体Xやったらヤやなぁ♪」

あまり嫌そうでもない。孤独が深いと、たとえそれがトラブルでも変化を望んでしまう。そういうことがある。

「百歩譲って、ブロブなら赦したるで」

タイルと芝生の微妙な段差を、車輪が越えた。

「女の…子?」

闇に慣れてきた目に映ったのは、植え込みの陰に倒れた年の頃5、6歳と思しき少女の姿だった。



****



衣擦れの音に目を上げると、ベッドの上で少女が身を起こしていた。

「目、覚めたんか?」

ここまで運んできた苦労など、微塵も感じさせぬ笑顔。

「どないや?大丈夫か?気分悪ぅない?ほぼ1日寝とったんやで」

読んでた本を傍らの机に置いて、車椅子を寄せていく。

「体中、打ち身と擦り傷だらけやったんやから、無理したらあかんよ?」

見下ろす少女の視線の先に、包帯や絆創膏。それらに特に感慨を抱いた様子も見せず、着せられたであろうパジャマの襟元をおそるおそる摘んでいる。

「うちのお下がり、気に入らんかった?たぬきさん柄、かわいいと思んやけど」

小首をかしげて覗き込むはやてに、少女がかぶりを振ってみせる。彼女のこれまでの人生で、こんなにも肌触りがよく可愛らしい衣服を着たことがなかっただけだった。

ほぅか、よかった♪と背もたれに体重を預けたはやてが、「そや」と手を叩く。

「うち、八神はやて言います。嬢ちゃんのお名前、教えてくれへんかなぁ?」

「……。54、なのです」

少女は、言いよどんだようだった。自身に付けられた名称が一般的でないことは、幾度かの実習で偽名を名乗らせられたから判っていたに違いない。

しかし、見下ろせば、手当てしてくれたのだろう包帯や絆創膏。そして、さまざまな表情のたぬき。なにより、車椅子の少女が見せる笑顔。

それが一般的でなかろうと、嫌いな名前であろうと、一時しのぎの偽名を使う気にはなれなかったのだろう。

「へっ?……ごじゅうよん!?名前がか?」

ゴ・ジューヨンという名の外国人の可能性が、その頭によぎっただろうか?けれど、少女の見た目はあまりにも日本人で、口にしたイントネーションにも舌足らずな感じはあるが違和感はない。

「もしかして、うちをからこうとる?」

だが、少女はかぶりを振った。

「わたしは、54ばんめに こどくぼうをぬけたのです。だから、54なのです」



****



少女は、これまでの境遇を思い返す。


気付いた時には、窓ひとつない大部屋に、同じ年頃の子供たちと一緒に押し込められていた。もちろん見えたわけではない。息遣いでそうと知れただけだ。

自分が何者で、なぜそこに居るのかも思い出せなかった。

食事は日に一度、固いパンが人数分放り込まれるだけ。

問題は、日を追うにつれて、放り込まれるパンの数が減っていくことだった。

当然、パンを手に入れられず衰弱していく子供、争奪戦の過程でケガをする子供が続出する。

そのままであれば彼女も、その他大勢の子供と一緒に餓死するしかなかっただろう。

せめて最期にこの世界の光景をと願った少女はしかし、暗闇の中にほのかな明かりを見た。

部屋中の空気が、壁が、ぼんやりと輝いているのだ。

それが、何か力になったわけではない。

けれど、少女は立ち上がった。

部屋の真ん中に居座る、最も体格の大きい少年。今までパンを独り占めしてきた少年。薄明かりの中、黒々としたシルエットに見える少年の下へ、歩み寄る。

音をたてないようにゆっくり移動するが、こちらに気付いた様子はない。さっき放り込まれた、たった1個のパンをむさぼっている。

少女は自覚していた。自分が何かをすり減らしきってしまっていたことを。だから、何も考えず少年の正面に、目と鼻の先までやってきた。

もし、生き延びたいなら、もっと慎重に行動すべきなのだ。少年にこちらが見えてないとは限らないのだから。

けれど、どうでも良かったのだ。

少女は気付いていたのだろう。たとえここで生き延びても、碌な目に遭わないだろうことを。

だからこれは、少女に残された最後のやさしさだったのかもしれない。最後のひとかけらを頬張ろうとした少年の口に、その手を突っ込んだのは。

容赦なく喉の奥まで突き入れる。体格差があったから、痩せ細って棒のような手だったから、予想以上に容易だった。

突然の奇襲に驚いたものの、少年だってここまで生き延びてきたのだ。やられっぱなしで居るわけがない。突き込まれてきた手に噛みつき、左手で少女の頭を探り当てると、右手で張り手をかます。

少年がここまで負傷少なくこれたのは、攻撃に張り手を使うからだった。彼に匹敵する体格のライバルたちが自身の攻撃で拳を痛め脱落していく中、彼はその攻撃力を保持し続けたのだ。

暗闇で攻撃手段が見えないことが彼に味方していた。

しかし、この相手にそれは通用しない。

少女は、振りかぶられた掌を、明かりの中の脱落した闇として見ていた。左は論外。右は少年の左手が塞いでいる。手を噛まれていて後ろには下がれない。しゃがめば躱せるだろうが、敢えて少女は前へと踏み込んだ。

噛みつかれた部位から皮膚が裂けるが、気にしない。むしろお返しとばかりに喉の奥を引っ掻いてやる。空振りした右手が引き戻され、頭髪を掴み、掻き毟る。

だが、少年の抵抗もそこまでだった。ろくに呼吸もできない状況でできることなど限られている。なにより、少年だって衰弱していたのだ。パンしか食えない環境の中で。

右手越しに少年の断末魔を感じながら、口を塞いでいて良かったと少女は思ったのだろう。意味はないと判っていて、左耳だけを塞いでいたのだから。




最後の一人となって部屋から出された少女は、自分の境遇を知った。

はっきりと告げられたわけではないが、彼女はある組織の暗殺者候補として攫われてきたらしい。

少女の予想通り、部屋を出ても、良いことなどひとつもなかった。

最低限の食事、冷暖房など望むべくもない簡素な住居、着ると却って肌荒れするほど最悪な肌触りの粗末な衣服。それだけを与えられて、碌な睡眠も許されず暗殺者としての訓練に追い立てられるのだ。

同期と呼べなくもない別部屋の生き残りの中で、少女はもっとも体格に恵まれず体力的にも劣っていた。

そのままでは、早晩彼女は脱落していただろう。蠱毒房と呼ばれたあの暗闇の部屋と同じように、時折子供同士で殺し合いをさせられたのだ。

少女にとって幸運だったことに、そうした殺し合いは暗闇の中で行われることが多かった。いくら夜目が利く者でも、彼女ほどはっきりと闇を見通すことはできないのだから。




そうして5年を生き抜いた冬に、少女の居た施設が襲撃された。彼女を暗殺者に仕立て上げようとしていた組織は、ある一族と敵対していたらしい。

たまたま野外実習で外出していた少女は、その襲撃の最中に施設に帰還してきた。異変に気付いて逃げ出そうとした少女も、崖から足を踏み外し河に流されなければ、今こうして生きてここには居られなかっただろう。




****




「なぜ、ないているのです?」

「だって、悲しいやんかっ!」

今思い返したことを、全て話したわけではない。ぼやかしたことも、省いたこともある。暗殺者としての訓練には、標的の心理を読むための授業もあった。

だから、口にすべきでない事柄を選ぶことぐらいは少女にもできる。

けれど、車椅子の女の子には、八神はやてには、その限られた言葉で充分だった。

「あんたは悲しゅうなかったんか?寂しゅうなかったんか?」

「そういうかんじょうは、とうに なくしてしまったようなのです」

そう言いながら少女は、自らの胸に手を当てる。目の前で泣き伏すはやての姿に、なにを感じたのだろう。

「そんなに、なかないでほしいのです」

「これで泣かずに、なんに泣けばええっちゅうねん」

しゃくりあげ、ひっくり返る声で、それでもはやては言いきった。

「うちはな、自分が不幸やと思っとった。
 早うに両親がのうなって、ひとりぼっちで、足も動かんようになってもうて……、
 夜中に泣いたことやって何度もある」

でも、思いあがりやったわ。と目元をぬぐった袖が涙を拭ききれてない。

「わたしがふこうなのだとして、だからといって それであなたが ふこうではない。ということには ならないのです」

むしろ……。と少女は続ける。

「かなしいとかんじられる。さみしいとかんじられる。あなたのほうが よほどふこうだったのではないかと おもえるのです」

口を開きかけたはやてを身振りで押しとどめて、少女はさらに続ける。

「わたしはかなしみをかんじない。わたしはさみしさをしらない。
 けれど、あなたがわたしのために ないてくれたから、ふこうではない。そうかんじられるのです」

失くす物を持たぬ者に、失う苦しみは解からない。失ったことがないのだから。苦しみにの中にあっても、それを理解できないのなら、苦しみではない。

だが、それが屁理屈に過ぎないと、八神はやてには解かったのだろう。もちろん、少女が何故そんなことを言ったのかも。

「優しい子ぉやな」

「わたしが、なのですか?」

そうや。と、あらためて涙をぬぐいながら、微笑む。

「そないな環境で、なんでそんなに優しゅうなれるのか、ほんま不思議やわ。
 うちも見習わなあかんな」

うんうんと頷いているはやてをよそ目に、少女の脳裏には「好意の返応性」という言葉がよぎっていた。優しくされたから、優しさを返したに過ぎない。そう、自己分析する。

そのことへの自嘲と、その程度には人間らしさを残していた自分への憐憫がしばし、少女の思考をさまよわせた。

「と言うわけで、よかったら暫くここに住まへんか?」

何が「と言うわけ」なのか、聞き逃していたらしい。

少女の無反応をどう読み解いたのかはやては、視線を落とす。

「うちはこれまでも、漠然と家族が欲しいと思っとった。一緒に暮らしてくれる人が欲しいと思っとった。
 けれど、ただ同じ家に住んでくれるだけでは、ただ傍に居てくれるだけでは、早晩あかんようになる。
 そのことに今、気付いたんや」

組んだ掌を膝の上に乗せて前かがみになると、八神はやての小さな体はより一層縮んだように見えた。

「わたしで、よろしいのですか?」

うちは、5……。と、はやては言いよどむ。ちらりと上げた視線が少女の顔色を窺うが、もちろん気にした様子はない。

しかし、人の名前が数字だなどと、番号などということがあっていいのだろうか?

はやては、自分の名前が好きだった。女の子に付ける名前としてはちょっと微妙で変かもしれないが、この関西弁と共に両親が残してくれたものだったから。はやてのために、一所懸命考えてくれた名前であろうから。

少女をどう呼べばいいか逡巡を重ねたはやてが、また視線を落とす。

「うちは……54ちゃんとやったら、自分を卑下せんでも居られるような気がする。
 5……4ちゃんとやったら、ひがまんと居れるような気がする。
 今のままの自分で、遠慮も呵責もなく接していられるような気がするんや」

俯いた顔は前髪で隠されて、その表情をうかがうことはできない。しかしその震える肩は、放っておけばまた目頭を搾り上げることだろう。

「……」

行く宛てのない少女にとって、この話は渡りに船だった筈だ。けれど、この八神はやてという少女と出会って以来刺激されつづけている心の細片が、不純な打算を糾弾する。

それでも、今はただ自分よりも小さく見える少女を慰めたくて。

「じゃまになったら、そういってほしいのです。それを やくそくしてくださるのなら」

差し出された手は、小さく。包むように握りしめたその手も、まだ大きくはなく。

こうして八神家に、住人が増えた。



[14611] #2  名前の意味はそよ風なの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/19 10:31




「おなかがびっくりするとあかんから、まずは重湯さんやで」

差し出された碗の中身は水糊よりも薄い上澄みだったが、受け取った少女にそれを気にした様子はない。

施設で与えられた食餌も、似たようなものだったからだ。これに幾粒かの錠剤がつく程度。

「あつっ」

ただ、その熱さだけは新鮮だった。

「あわてて喰うからや」

そう言うなり腕ごとレンゲを引き寄せたはやてが、ふうふうと息を吹きかけてやる。

「それと、食事の前には手ぇ合わせて「いただきます」って言わんとあかんよ」

「いただきます?」

油断してると食料を奪われかねない施設で、食器から手を放すなど自殺行為だった。

「そうや。人間はほかの命を戴いて生きとるんやから、須らく食いモンには感謝せなならん」

言いながら手を合わせて見せたはやての、見様見真似で少女も手を合わせる。

「いただきます」

あらためてレンゲを手にした少女を、はやてが満足そうに眺めていた。




****




「ちょぉ様子を見て、大丈夫そうやったら今度はお粥さん持って来たるさかいな」

無事に「ごちそうさまでした」もしつけ終えたはやては、満足そうに碗を受け取った。

キッチンに持っていこうとして、視界に入った机。その上の国語辞典は、さっきめくった頁で開かれたまま。

ジョイスティックを一度、二度。最低限の挙動で車椅子を寄せたはやてが、「あのな」と口を開く。

「5……、
 その……名前なんやけどな?番号っていうのはあんまりやと思うんよ」

分厚い辞典を膝に乗せ、半回転させて車椅子ごと振り向く。

「ほんでな?もしよかったらなんやけど、うちに付けさせてくれへんやろうか?」

「なまえ?わたしのですか?」

本当の名前は判らない。番号に愛着があるはずもない。では欲しいかと問われれば正直どうでもいいと答えるであろう少女はしかし、八神はやてが自分にどんな名前を付けてくれるのか、それだけに興味をおぼえた。

「おねがい、するのです」

少女が実戦投入されるまで、まだ時間があった。最後の仕上げとして行われる一般常識の訓練を、彼女はまだ一回しか受けていない。

その少ない常識を総動員して少女が頭を下げる。

「気にいってくれると、ええんやけど」

閉じた辞典の表紙をなで、はやてが口元を引き締めた。

「沖から吹きいる、夏のそよ風。東より訪う優しい風。
 
 あゆ……
 
 そんで、もちろん苗字も要るやろ?せやから……八神あゆ。で、どうやろ?」

「やがみ……あゆ」

やがみあゆ、やがみあゆ。と口中で転がすように少女は何度も呟く。何度も何度も呟いて、体中の隅々にまで染み渡らそうとするかのように。

「やがみあゆ」

どこからか溢れ出たのかと思わせるほど自然に、少女の、いや、八神あゆの口から零れ落ちる。 名。

ぽとり。と音がするまで、同時に滑り落ちていたものがあったことに誰も、本人すら気付いていなかった。

「いっ嫌やったんか!?」

突進同然にベッドサイドにぶつかった車椅子の、その膝の上で辞典が滑る。

「気にいらんかったんか!?」

手元に滑り落ちてきた辞書を拾い上げ、八神あゆは静かにかぶりを振った。

「うしなうものを、えてしまったから。うしなえば、かなしくなるものを もらってしまったから。
 かなしいということを、からだがおもいだしてしまったのです」

かなしい。かなしい。じぶんがてにいれられなかったものが たくさんあっただろうことが かなしい。さみしい。さみしい。それがなにか しりもしないじぶんが さみしい。と味わうように八神あゆは繰り返す。

「大丈夫や!取り戻せる。今からでも間に合うんよ」

八神あゆの、辞書に乗せられた手を握りしめて、はやては続ける。

「うちが取り戻したる」

口にした途端、しかしはやてはかぶりを振った。

「ううん、一緒に取り戻そ。二人一緒ならきっと取り戻せる」

「いっしょに、なのですか?」

そや。と、はやてが頷く。

「幸せはやな、人から貰うてもしょうがないんや。自分で掴みとらんと意味がない。
 うちはな、こうしてあゆに何かしてあげられることがごっつぅ嬉しい。
 あゆもな、して欲しいこと、したいことを自分で探すんや」

自身の言葉の矛盾に、はやては気付かない。けれど、あゆは自分なりに咀嚼しようと耳を傾ける。

幸せは貰ってもいい。けれど、幸せのカタチまで他人に決められたなら、それは不幸なのだと。八神あゆがそう結論付けるのは、後年のことだったが。

「うちもな、がんばるさかい。あゆもきばるんやで」

はい。との呟きは小さかったが、はやてには届いたのだろう。

綻ぶ口元に釣られて、あゆは、きっと初めての笑顔を浮かべた。




****




もう少し食べたい。との希望を受けて、はやては重湯を取るのに使ったお粥に卵を落とした。薄いので、少し煮詰めてから。


消化を考えると梅干の方がよかったやろか?いや卵酒なんてモンもあるしなぁ。よし!お代わり言うた時は梅干にしよ。と嬉しい苦悩に決着をつけたはやてが、オーバーテーブルに碗を置く。

動かない脚のこともあって幾つか介護用品を借り受けてはいたが、このテーブルを最初にベッドの上で使うのが自分ではないと、さすがのはやても思わなかっただろう。

いただきます。と手を合わせ、ふうふうと冷ましながら粥を啜る姿に、目を眇める。

「……あゆ」

「はい」

レンゲを止めたあゆが返事をしてはじめて、はやては自分のしたことに気付いた。

「ああ、ごめんごめん、かんにんや。
 つい口が滑ってしもうただけで、呼んだつもりはなかってん」

そう、なのですか。とレンゲを口に運ぶあゆを横目に、そういえば。と、はやては小首をかしげる。

「うちのこと、あゆになんて呼んでもらうか考えんとあかんな」

う~む。と腕を組んで唸りだす。

応える必要の有無をはやての視線で判断したらしいあゆは、レンゲを止めることなく目下の希望である「食事を愉しむ」ことを続行する。

「普通に「はやて」って名前かなぁ。
 でもここはやっぱり「お姉ちゃん」なんてのも……」

口にしたことで何かスイッチが入ったのか、「……ええなぁ」とあらぬ方を見上げるはやて。

「お姉さん」やと、ちぃと他人行儀か。「姉貴」やと弟みたいやし。「姉上」って却って恥ずかしいな。いっそ「お姉さま」……いやいやないない。あー、でも「姉さま」とか「姉ちゃま」ならアリやなぁ。

小さからぬ呟きに乗せた思考は、「ああでも「はやて」って呼んでもらうのも捨てがたい」と2ndラップに突入したようだ。なんぴとたりとも俺の前は走らせねぇ。と言わんばかりの周回速度。

「おお!ここは合わせ技で「はやて姉ちゃん」なんて手が」と、なにやら融合を果たした時点であゆは、はやての勘違いに気付く。

あゆは自分の正しい年齢も誕生日も知らないが、蠱毒房を抜けた時点で4、5歳ぐらいだったと推定している。それから5年経っているから今は10歳内外といったところだろう。処方されていた薬品類のせいで外見こそほとんど成長してないが、はやてより年上の可能性も充分だ。

もっとも当の本人にとっては、お粥のお代わりをいつ頼むか、そのタイミングの方がはるかに大切そうだったが。




****




翌日、ワゴンタイプのタクシーに乗って連れてこられたのは、郊外にあるショッピングモールであった。

シネコンは当然、家電量販店や大型家具店にホームセンターなどが併設され、メインモールにはジェットコースターまで設置されている。

ここで揃わないものはまずないから、はやてがまとまった買い物をするときの御用達であった。

「車椅子、重ぅないか?」

「へいき、なのです。
 わたしはいがいと、ちからもち。なのですよ」

電動車椅子は使う分には便利だが、いざ押してもらうとなると重い。「おしましょう」と言われて嬉しいはやてだったが、ちょっと心苦しいのだ。

逸らした視線の先に、ショーウインドウ。

「おでこ、出して貰ぅたん、似おうとるな」

そこに映るあゆの姿に語りかける。

「そう……なのですか?」

このモールに来て、最初にあゆが連れ込まれたのが美容室だった。

あゆは肩口に余る黒髪の持ち主だが、いかんせん手入れがなってない。ヘアケアも含めて美容師に3時間ほど預けた結果、おでこが出るようにセットされていたのだ。

世の中はなんだか眩しいと、あゆは思っているかもしれない。

「せっかく伸ばしとるんやから、もっと大切にせなあかんよ」

「はい」と応えながら、髪を伸ばしている理由を話すまでもないとあゆは判断する。いざというときにたくし上げてシルエットを変えたり、断ち切って一瞬で印象を変えたりするためだ。などと。


「ああ、そこやそこ」

指し示されたのは、低年齢女児向けのショップ。messo rabbitやeternal blue、NACOLULUからCastolibarjackまで、傾向にこだわらない幅広い品揃えが売り。

「いただいた ふくで、じゅうぶん。なのです」

はやては物持ちのいい娘だ。今あゆが着ている東雲色のブラウスに銀鼠の吊りスカートだけでなく、成長して着れなくなった服も全てきちんと保管してあった。

「今の流行やないやろ?
 うちも流行に敏感ってタイプやないし、勉強も兼ねて、やな」

広い店内は平日の午後ということもあって客が居ないが、だからと云って店員が詰め寄せてくるわけでもない。

その押し付けがましさの無さが、はやてのお気に入りであった。

「もったいないのです。
 あんなにたくさんもらって、そのうえ さらにかってもらって。
 いつ、きればいいのですか」

トップスが20着にボトムが15着。この時点の組合せだけで、10ヶ月は着回せる。コーディネイトなど頭にないあゆは、単純にそう考えた。

今朝もらった服も、いま買ってもらう服も、かなり長いこと着ることになる。と云うことを、失念しているようだ。


「女の子はな?着たいときに着たい服を着る権利があるんや。
 TPOと、そんときの気分に合わせて、な。
 せやから、こないなときくらい、銭つこうたらんとあかん」

親の遺した土地家屋や生命保険、学資保険に身障者手当と、少なくともはやてが生活に困ることはない。むしろ裕福なほうか。だからといって贅沢するような娘ではないが。

今朝使ったタクシーも身障者手帳による割引を受けるなど、倹約家のはやてではあるが、今日は思いっきり散財するつもりのようだ。


まずは春物のトップスかなぁ。とハンガーラックを巡るはやて。「まだ寒いから、ジャンパーあたりも要るわな」と棚を漁りだす。

「スタジアムジャンパーなんか、意外と似合いそやな。キャップと組み合わせて、ジーンズかカーゴパンツでマニッシュに……」

次々とはやての膝の上に積まれていく衣服。それぞれがなんと呼ばれる代物かも知らないあゆだったが、はやての笑顔を見ているだけで、それが嬉しいことのように思えてくるから不思議だ。



その後の楽しくも難儀な1人ファッションショーを、あゆはまだ知らない。



[14611] #3  それぞれの胸の光なの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:26



八神家最寄りのスーパーは、ゆとりのある店構えが特徴の外資系チェーン店。その風芽丘店だった。

店舗の設計から棚の高さ、動線設定にまでバリアフリーが徹底されていて、車椅子でも利用しやすいのがありがたい。

「おねぇちゃん」

棚の菓子を物色しながら車椅子を走らせだしたはやてを、呼び止める。


ほば丸1日悩んではやてが決めたのは、「お姉ちゃん」と呼ばれることだった。

「はやて」や「はやて姉ちゃん」も捨てがたかったようだが、「お姉ちゃん」と呼ばれたときの独占感にアドバンテージが上がったらしい。

3時間に渡って様々な呼び方を実演させられたあゆもお疲れ様である。


「呼んだ?」

「はい。よびました。なのです」

右へ3歩移動して位置を修正、適当に目の前にあった袋菓子を鷲掴みにする。

「これがたべたい。なのです」

位置関係を崩さぬように近づいて、差し出す。

「宇宙お好み焼きシュールストレミングin〆鯖バーガー味チップス?」

『悠久すぎた純正タマリンド水使用』『一撃能く熊をも斃す!脅威の8070Au!』とのキャプションが程よく意味不明だ。

パッケージをひっくり返して、はやてが呻く。

「マルサツ製菓かぁ……」

ただしくは「殺劫(シャチェ)食品公司」で、中国系の新興菓子メーカーである。「美味しさのあまり死んでしまう」をキャッチコピーに「熊に襲われた登山者がとっさに喰わせて美味せ殺す」テレビCMで有名だ。ちなみに「美味せ殺す」は昨年度の流行語大賞にノミネートされた。されただけだが。

パッケージの裏側にトレードマークの「○の中に殺の字」がでかでかと印刷されているため、ほとんどの人が「マルサツ製菓」か「サツマル製菓」、あるいは「マルシャ製菓」ないし「シャマル製菓」などと勘違いしている。

「ごめんやけど、今日は堪忍して」

別の製品をいくつか買ったことがあるが、基本的に匂いがすごい。普段ならともかく、体調の安定しない今日は遠慮したかった。

「わかりました」

あっさりと引き下がったあゆが、袋菓子を棚に戻しに行く。本気で食べたかったわけではない。

こんなスナック菓子など食べなくても、はやてが作ってくれる食事だけで充分だった。

名前を貰って、着心地のいい服を着せてもらって、温かい食事を食べて。こんな世界があることをあゆは知らなかった。

施設時代のことを不幸と感じられなかったあゆには、今が幸せであるとの実感もない。

ただ、永劫に続くと思われた施設での生活がたった5年で終わったことを鑑みれば、今の生活がいつまでも続いてくれるとは思えない。

それが少し胸元を穿つようで、それを埋めたくて、あゆは「今」を抱きしめた。

「なんや、どないしたん?あゆは案外甘えんぼさんやな」




****




たぬきさん柄のパジャマ姿で、あゆが戸口に立っている。はやてに色々と買い与えられたあゆだが、パジャマだけはこれがいいと譲らなかったのだ。


「ええで」

「はい。なのです」

室内灯のスイッチを消すと、あゆはベッドで待ち構えるはやての横にもぐりこんだ。

「あゆはホントに夜目が利くんやなぁ」

あゆだけに見えている光。

字を読んだり色を見分けたりは出来ないが、物の位置やシルエットを確認するだけなら充分だった。

「それだけが じまん。なのです」

反論しようとしたはやての言葉は、口をついたあくびに押しやられてしまう。

「ぁふ……。今日はちょう夜更かしが過ぎたなぁ。おやすみや、あゆ」

「はい。おやすみなのです」

まぶたを閉じてみせながら、あゆは眠りに身を任せない。まだ寝る気はないし、睡眠時間を制御するすべは心得ている。

施設では、規則正しい生活など許されなかった。様々な状況に適応できるよう睡眠時間は不規則かつ不統一で、24時間寝ることを強制されたかと思ったら3日間徹夜、90分交代で起臥を繰り返したりと様々だった。平均すると1日に5時間ほどだったであろうか。

八神家に来てからは、4、5回に分けて5~6時間ほど寝るようにしている。食後にリビングのソファで丸くなって仮眠を取ることが多いので、はやてに「あゆはまるで猫さんやなぁ」と、撫でられたりする。


はやての寝息が深くなったのを聞き取って、あゆがまぶたを上げる。夜襲への警戒からもともと夜間の睡眠は短くランダムなのだが、眠るわけにはいかない理由が別にあった。

眼球だけ動かしたあゆは、部屋を横切る光の帯を睨みつける。はやての胸元から発した光が、本棚へと伸びていた。封じ込めるかのように鎖で縛られた本。それが終着点。

蠱毒房最後の日以来、周囲に正体不明の光を見るようになったあゆだが、このように指向性を持って流れるのを見たのは初めてだ。

はやての脚の麻痺が原因不明だと聞いて、これが関係しているのでは?と、あゆは推測した。

人殺しの訓練をさせられてきたあゆは、その対象である人体に対して多少の理解がある。長期間放置されたはやての脚の筋肉が、見た目では判らない程度にしか衰えてないことに違和感をおぼえるのだ。

普通でないことの原因は、普通でないもの。そう結論付けたあゆは、検証すべく様々なアプローチを試みてきた。

まず試したのは、この光を塞き止められないか?ということだ。

この光に対して物理的な干渉が行えないことはそれまでの経験で知っていたが、念のため本を抽斗やクローゼットに仕舞ってみたり、陶器の皿やテフロン加工のフライパン、銅のしゃぶしゃぶ鍋に鋳鉄のダッチオーブンで遮ってみたりした。河原で拾ってきた釣り用の鉛製板錘でも効果はなく、金や銀は手に入れようがないので諦めた。

次に試したのは人体だ。

人が移動した跡など、稀に光が弱くなることを知っていた。そこで光の帯に立ち塞がってみると、若干ながら勢いが弱まる。

また、自身の状態によって周囲の光が変化することがあることも知っていたので、集中したり、リラックスしたりと様々に試す。

ありもしない3本目の腕で背中を掻こうとするような試行錯誤と努力を重ねて、光の流れを完全に塞き止めることに成功したのが昨夜のこと。

そうして今日、意図的に光の流れを遮りながらはやての様子を観察した。

「今日はなんや、変な感じやなぁ?
 いつもより体が軽いかなぁ思たら、いきなり悪ぅなるし、そう思っとったらまた調子ようなるし」

石田センセに看てもうたほうがええんかいなぁ。と首をかしげるはやてを見て、あの本が原因だと確信した。

問題は、あまり長時間光の流れをとどめていると、いざ遮れなくなったときに、遅れを取り戻そうとするかのように光の流れが速くなることだった。

また、流れを遮るたびに流れそのものの幅が太くなっていくように見える。無為無策に干渉を繰り返しては、早晩あゆの小さな体では防ぎきれなくなるだろう。

あゆは、音もなくベッドから抜け出した。

今晩から、次の段階を模索するのだ。




****




車椅子とそれを押す少女の姿が、公園にあった。

はやての膝の上にはビニール袋。買い物の帰りだろうか。昼下がり、周囲に人影はない。

たいした遊具も置いてない小さな児童公園だが、片隅に植えられた梅の木だけは見応えがあった。

今を盛りと、白い花をほころばせている。


「このところ、よう外出するなぁ」と、はやては内心で独り語ちる。

あゆが来るまでは可能なかぎり買い溜めしたし、こんな寄り道をすることも稀だった。この公園に、こんな見事な梅の木があるなどとは知らなかったのだ。

それが今では、まるで日課のように買い物に出かけている。いままで人通りが多くて避けていた商店街も、行ってみれば人情に厚くて気遣いがさりげなくて店頭で買い物が出来てといいこと尽くめ。

「あゆの、おかげやなぁ」

「なにが、ですか?」

今日は風もなくて陽射しが心地よい。

「なにもかも、や」

「その おことばは、そのまま おかえしするのです」

押してた車椅子を梅の木の前で止め、斜め一歩前へ。中途半端な位置に立ったあゆのその向こうに自宅があると、はやては気付かないだろう。

「ほうか?」

ほうかもな。と呟いたはやては、グレアムに家族ができた旨を報告する手紙を、やはり書かないことにした。

グレアムおじさんを信用してないわけではないが、子供を拾った、暗殺者として養成されていた、などと知れ渡ってはどうなるか判らない。最悪、引き離されることだってあるだろう。

すこし心苦しいけれど、あゆのことは秘密だ。


「お互いさま、なんかなぁ」

枝の上で寄り添うメジロの姿に、はやては目を眇めた。




****




「ちょっ!ちょう待ちぃや、あゆ」

一足先に湯船につかっていたはやては、服を脱いで戻ってきたあゆの腕の中にあるものを見て驚いた。

「いくら気にいったからて、本を風呂に持ち込んだらあかんで」

「このほんは、みずをかけても へいきだったのです。だから、おふろも きっとだいじょうぶ。なのです」

「……いや、そうかもしらんけど」

あれから3日。

あゆが試したのは、代わりのものを差し出せないか?と云うことだった。

はやての胸元から、吸い出されるように流れ出す光。それは、もしかしたら自分の胸元からでも吸い出せるのではないかと推量したのだ。


結果から言えば、その試みは成功した。

今も、はやての胸元から流れてくる光を遮って、代わりに自分の胸元から流れ出す光を本に与えている。

流れが速くなる様子もないし、幅が広くなる兆候もない。

だが、常に本とはやての間にいることは難しい。

そこで今朝、この本を譲り受けることにしたのだ。あゆの初めての「お願い」にKOされかかったはやてがあっさり許可して以来、肌身離さず身につけている。

そうして今、お風呂場で。ということなのだが。

「しょうがない子ぉやな」と、言葉の内容とは裏腹の笑顔を見せるはやてに、承諾されたものと判断してあゆは本ごとかけ湯を行った。



[14611] #4  それは早かりし目覚めなの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:27



「ひとよりも おおきなねこの おなかにねころがって、ほんをよむほど、ここちよいことは ありません」

ひとよりもおおきい……。と呟きながら、あゆは絵本を本棚に戻す。

「とらでしょうか?らいおんでしょうか?」

図書館の児童書・絵本コーナーはこの時間、見かけ的にはあゆと同じ頃か、それ以下の子供たちであふれていてかしましいことこの上ない。

あゆの音読や呟き程度を咎める人も居ないだろう。

「どうぶつずかん、どうぶつずかん。
 ねこのずかんがあれば、それに こしたことはないのですが」

図鑑の棚に近づきながら、しかしあゆの目的は図鑑などではない。

横目にはやての居所を確認しながら、先ほどの棚に置いてきた本と、自分との間に司書の女性が来るように位置を調整する。

はやてと本を結ぶ光の帯を自身で遮り、身代わりになれることを確認したあゆは、それを他者でも可能か、検証しているのだ。

結果は思わしくないらしいが、あゆに落胆した様子はない。

光の帯を多少遮る程度なら居ないこともなかったようだが、代わりに提供するとなるとあゆとて努力が必要だったのだ。無自覚の他人に出来なくて当然、とは思っていたのだろう。


「けーぶらいおん。なかなかのおおきさ、なのです」

何の気なしに手にした図鑑には、偶然にも史上最大のネコ科動物が記載されていた。

「すみろどん、では、ちょっとちいさいでしょうか?
 まかいろどぅす、は、どうでしょう?
 けーぷらいおん、も、わるくないのです」


それに、他者の犠牲の上に自身の幸福を築いたとして、それをはやてが喜ぶとは思えなかった。

もちろん、そんなことを訊いたわけではない。

しかし、スーパーや図書館でのはやての挙動を見ていれば、あゆでなくとも気付こうというものだろう。

可能な限り端を移動し、発進はおろか停止にも注意を払う。方向転換するときなど、首振り機能の壊れた扇風機かと見紛うばかりだ。

一度、「ここのパン屋さん、おいしゅうて評判らしいで」と話してくれたことがあるが、その店に入ったことはないのだ。通路が狭い上に客が引きも切らないから遠慮しているのだと、あゆは見ている。

自宅での自由自在さ、闊達さとは較ぶるべくもない。車椅子の大きさを考慮したにしても、はやての気遣いぶりがわかろう。人に迷惑をかけることを、とても厭うのだ。


先ほどの本棚に戻って本を回収したあゆは、カムフラージュで読んで見せたに過ぎなかった絵本を再び手にした。

「ひとよりもおおきい、ねこ。なのですか」

「読みたい本が有ったんか?」

はやての膝の上には、本が1冊だけ載っている。この図書館は5冊まで貸し出し可能なのだが。

「はい、おねぇちゃん。
 この ごほんが、よみたい。なのです」

ほぅか。と、はやては頬をほころばせる。

これまで何度か図書館に連れてきたけれど、あゆは本に興味を示さなかったのだ。せいぜいインターネット検索コーナーでトピックスをいくつか拾う程度。

「そしたら、カウンタ行こか」

「はい」

あゆから受けとった絵本を膝の上に重ね、題名を確認する。

「読み終わったら、うちにも読ませてな」

読んだことのない絵本だったようだ。

「はい。なのです」

その傍らをあやめ色した髪の女の子が通り過ぎたが、絵本に視線を落としたままのはやては気付かず、その車椅子を押すあゆは気にしなかった。



 
****




「最近、顔色が悪いんとちゃうか」

「そんなことはないのです」

車椅子からベッドに移るはやてを手伝いながら、あゆはしれっと嘘をつく。

両手をついて、ベッドの端からはみ出している両足ごと体を引き寄せたはやてが、あゆの手首を掴む。

「うちの目ぇは誤魔化されへんで」

引っ張られてつんのめった今の挙動も、なにかおかしい。訓練されてきたらしいこの子は、運動神経も身体能力も見た目以上のものがあるのに。

「ごまかしてなど、ないのです」

手首を掴んだ手を優しく引き剥がすことに注視しているように見せかけて、あゆははやての目を見なかった。

嘘をつくことも騙すことも隠すことも慣れているはずなのに、いま見るべき相手の目を見ることができない。

「よるに ちょっとねむれないだけ。なのです」

ちょっと。どころではなく、あゆはここしばらくほとんど寝ていなかった。寝ると、本への光の供給が止まってしまうのだ。強く暗示することで、寝入ってしばらくは維持できるようになったが、それもせいぜい最初のノンレム睡眠まで。

さらには、足の指先から麻痺が這い上がってくるようになった。今は足の甲あたりから先に感覚がない。

「……」

明らかに嘘をついているし、身体も調子悪そうだ。有無を言わさず病院に連れて行きたいところだが、この子には保険証どころか住民票もない。

なんとか頼み込んで、詮索なしで診てもらうか、いっそ石田先生に事情を話すか。と、はやてが考えた時だった。

   ≪ Ich entferne eine Versiegelung ≫

「手で持ち運ぶの、しんどいやろ」と、はやてが作ってやったブックバンドを引き千切って、今はあゆのものとなった革装丁の本が宙に浮かび上がる。

十文字に縛めた鎖を弾き飛ばし、めくられていく頁。

叩きつけるような音をたてて表紙が閉じると、その剣十字が光り輝いた。


            ≪ Anfang ≫


引きずられるように仰向けにされたあゆは見ただろう。本からあふれた光が包み込むようにはやてを襲い、その胸元から輝きの塊を吸い出したのを。

握りしめたシーツを基点に身体を起こしたあゆは見なかっただろう。ストロボのような爆光の中、魔法陣が広がる瞬間を。

息を呑むはやての瞳の中にその理由を見たあゆは、振り返る。

回転する魔法陣を背後に従えて、4人の男女が跪いていた。黒い、簡素な衣服だけを身にまとい、深く頭を垂れて。

「【闇の書】の起動を確認しました」

鴇色の頭髪をポニーテールにまとめた女性。

「我ら、【闇の書】の蒐集を行い、あるじを護る守護騎士にございます」

ハニーブロンドの女性はショートヘア。あの本を抱えている。

「夜天のあるじの元に集いし雲」

青い髪の男性には犬の耳が。

「ヴォルケンリッター。何なりとご命令を」

赤い髪の少女は、見た目だけならあゆと同年代くらいか。


「……」

あゆは固唾を呑んだ。跪いているその姿勢、口を開いた時の筋肉の動き。それだけで彼女らが手練れだと判ったのだ。

口にした内容からすると敵対するつもりはなさそうだが、いざという時、彼女らを相手にしてはやては護りきれないだろうとあゆは覚悟した。

ぎり…。と奥歯が軋む音を聞いてはじめてあゆは、自身が歯を食い縛っていることに気付く。

赤髪の少女が顔を上げるのを、あゆは視線を動かさずに注目した。なにやら不思議そうに首をかしげている。

「……」

残りの3人がいっせいに顔を上げ、「うそっ……」とハニーブロンドの女性が口にした途端、背後でどさりと音がした。




****




「なるほど、それで一瞬区別ができなかったわけか」

腕を組んだシグナムは壁に背を預けている。

「魔力素を視認。……レアスキル、でしょうか?」

ベッド脇に跪いているシャマルが、横たわるはやての額に掌を乗せたまま顔を上げた。

「わからん」

ザフィーラは扉の前で仁王立ち。

「そん・なんっ、なん・でも・いいじゃ・ねーか!」

「ヴィータ。いいかげんにしろ」

「なんっで・だよ!」

ヴィータはベッドの足元で、あゆと【闇の書】の引っ張り合いをしていた。

「【闇の書】のあるじははやてさんで、それは【闇の書】がどこにあろうと変わるものではないでしょう?」

「だけどよ!」

「ヴィータ!」

とうとう声を荒げたヴォルケンリッターの将に舌打ちして、ヴィータは【闇の書】から手を放す。

力の遣りどころをすかされたあゆはベッドから転がり落ちかけて、いつのまにか傍に現れたザフィーラに抱きとめられた。

「ありがとう。なのです」

「気にするな」

ベッドの上に戻してもらいながら、あゆは自分の足の甲をつねる。麻痺してなければ無様に体勢を崩すことはなかっただろう。

「【やみのしょ】。ですか」

あゆは、腕の中の本を見下ろした。そこから伸びる光の帯はやはり、今は失神しているはやての胸元に伸びている。

あゆの目には本からさらに4本の光の糸が伸びて、守護騎士と名乗った4人の男女にそれぞれ繋がっているのが見えた。

そのぶん、はやてと繋がる光の帯が太くなったように見えて仕方がない。

「今、もしかして切り替えました?」

シャマルがあゆを見た。

「わかるの、ですか」

「ええ、【闇の書】から供給されている魔力の感じが微妙に変わりましたから」

「けっ!ヴォルケンリッターともあろう者が、あるじ以外の魔力をうけるなんてよ」

そっぽを向いたヴィータが、思わず壁をけりつける。

「そう言うな、ヴィータ」

お前の気持ちは解からんでもないが。とシグナムが頭に置いた手を払いのけようとして、しかし手を下ろしている。

「あゆ殿の看立てどおり、あるじはやてのご病気は【闇の書】が原因だろう」

「【闇の書】が収奪する魔力が、はやてさんの未熟なリンカーコアを痛めつけているんですね」

あゆにしか見えない光の帯を追うように、シャマルがはやてに視線を戻す。

「そのことを見抜いただけでなく、こうして魔力を供給してくれている。
 事情を存じなかったあるじは無意識に抵抗なされていたようだから、彼女のおかげで我らも早めに顕現できたのだ。
 感謝こそすれ、怒る筋合いなぞない」

「うっせぇザッフィー」

べつに。と口を開いたあゆに、全員の視線が集中した。

「かんしゃされたくて しているわけでは、ないのです。
 ただ、おねぇちゃんとのじかんを、わたしにいまをくれた おねぇちゃんとのじかんを すこしでもながくできれば。と、ねがっただけなのですから」

……そうか。と応えたのは一体誰だったのか。

「あなたたちも、あしたになって、おねぇちゃんがめをさましたら しることになるのです。
 きっと、おねぇちゃんは あなたたちをかんげいするでしょう。かぞくがふえたと、よろこんでくれるでしょう。
 きれいなふくをかってもらって、おいしいしょくじをつくってもらって、あたたかいおふろにはいって、ふかふかのおふとんでねむるのです」

そこであゆは視線を上げた。はやての傍にいるシャマルから順に見やる。

「ぶぉるけんりったー。
 あなたたちは、これまでのあるじのために たたかってきたそうですね。
 あしたからあなたたちは、あたらしいあるじのために しあわせになるのです。
 それがあるじのしあわせ、ねがい。なのですから」

そこまで言ってあゆは、丸まるように崩れ落ちた。疲労と睡魔が、緊張を途切れさせた彼女に襲いかかったのだ。

それでも、胸に抱いた【闇の書】を離さない。



[14611] #5  わかりきれない気持ちなの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:27



目を覚ましてしばらく、あゆはぼーっとしていた。

自分がどれだけ寝ていたのか、見当もつかない。

ゆっくりと上半身を起こすと、傍らに【闇の書】があった。こころなしか、一時よりも光の帯が細く見える。

かすみがかった意識のまま引き寄せ、いつものように遮断・代理供給をはじめた。


「ああ、やっぱり」

扉が開いてハニーブロンドの頭がのぞくが、あゆの認識に届かない。

「はやてちゃ~ん、あゆちゃんが目を覚ましましたよ~」

鶯色のスカートを翻して入室してきたシャマルが、まずあゆの額に手をやる。続いて手首の脈を取り、まぶたを押し上げて瞳を覗き込むが、あゆはされるがまま。

念のために魔法での精査をかけようとしたシャマルは、しかしあゆの膝の上の【闇の書】を見て思い止まった。

「どないや?」

「問題はなさそうですよ。まだ半分、寝てるみたいですけど」

苦笑に彩られたシャマルの返事を受けながら、はやてが入室してくる。

シグナムの押す車椅子に乗る姉の姿を見ても反応しなかったあゆは、その額にデコピンを貰ってようやく現状を把握した。

「……おはよう、なのです。おねぇちゃん」

「丸2日も寝とって、おはようやあらへん。
 聞いたで、やっぱり無理しとったんやな」

もう一度その額に中指の一撃を見舞って、はやては腕を組んだ。脚が動いたなら仁王立ちしていたことだろう。ここのところあゆが身代わりをしていたとはいえ、長い間の魔力搾取にはやてのリンカーコアは変歪している。立てるほどに回復するには、まだまだ時間が要った。

「その本、返しぃ。
 二度とそんな無理は許さん」

「いやなのです」

【闇の書】を胸に抱きかかえ、隠すように身をよじる。

「このほんはもう、わたしのものなのです」

「あゆがそないに無理しとって、うちが喜ぶと思とんか?」

はやてが【闇の書】に手をかけるが、あゆの抵抗はしぶとい。

「それでも、なのです。
 このままおねぇちゃんのまひがすすめば、とおくないうちに いのちにかかわるのです。
 それを すこしでもさきにのばすのです」

「それが嬉しない、言うとんねや。
 シグナム、ちょお手伝おて」

が、しかし、烈火の将は動かない。

「あるじはやて。
 私はあるじはやてに仕える者として、あゆ殿のお気持ちが解かりますし、感謝もしています。
 あるじはやてのご命令でも、力ずくは承服いたしかねます」

「じゃあ、シャマル」

はやてを見、あゆを見た湖の騎士は静かにかぶりを振る。

「ヴィータ、ヴィータ」

「ごめんな、はやてぇ」

戸口から顔だけ覗かせていた紅の鉄騎は、ウサギのぬいぐるみをきつく抱きしめた。昨日はやてに買ってもらったばかりのノロイウサギは、既にヴィータにとって無くてはならない宝物になっていた。

「今なら、そいつの気持ち。解かってしまうんだ」

蒼き狼は、この場に姿を現してもいない。

「なんで誰も味方してくれへんのや」

ぱたり。と、はやての手が力なく落ちる。

「かんたんな おはなしなのです。
 だれも、おねぇちゃんのことが だいすきなのです」

「せやかて……」

「はやてちゃん。
 あゆちゃんの言うとおりなんですよ」

はやての手を取ったシャマルが、包み込むように握りしめた。

「守護騎士の誰でも、あゆちゃんのような特殊能力があったら同じことをしたでしょう」

わたしたちの、優しいあるじのために。と、はやてを引き寄せ抱きしめる。

「それはうちかて同じなんやで」

「それも解かっております。
 だからこそです。あるじはやて」

ベッドサイドまで歩み寄ってきて、シグナムが跪く。

入るべきかどうかためらってたヴィータは、狼形態のザフィーラに背中を押されてつんのめっている。

「皆、できることをしたいと願っているのです」

はやては、シグナムが何を言いたいか悟ったのだろう。シャマルの腕の中からそっと抜けでた。

「あかん。あかんで、シグナム。
 うちのために他所様に迷惑はかけられん」

そこでふと【闇の書】を抱きしめたままのあゆを見やり、視線を落とす。

「身内はええと思うんや。ちょっとくらい迷惑かけてもな。
 それが家族っていうもんやろうし、だからこその家族やろうしな。
 うちも、家族のためやったら少しくらいの迷惑、苦ぅにならん。
 でも、うちのために、大いなる力なんかのために他所様に迷惑はかけとぉない」

「あるじはやてが、そうおっしゃるなら」

こうべを垂れながらしかし、ヴォルケンリッターの将の表情は、どこか硬かった。




****




ザフィーラはふかふかである。

狼形態でいることの多いザフィーラは、大抵リビングでスフィンクスのように鎮座している。

あるじはやてのため、その妹分であるあゆのため、魔力の消費を抑えているのだ。

【闇の書】から投影され、あるじの魔力で維持されているプログラム体の身とは云え、リンカーコアを持つ存在である以上、自力での魔力収集もできる。

事実、彼のみならず守護騎士の全員が自前のリンカーコアでの自然収集に努め、可能な限り魔力の供給を受けないよう気を払っていた。

一ヶ所にとどまると効率が落ちるので剣道場に非常勤講師として赴く者、ゲートボール場で老人たちのアイドルになっている者も居るが、盾の守護獣たる彼は此処から動くことがない。その上でなおかつ魔力の消費を抑えようと、ザフィーラはリビングに居鎮まるのである。


そのザフィーラが困惑するのが、最近できた妹分とでも呼ぶべき少女であった。

「ざふぃーらにぃさま。おとなり、よろしいですか?」

「構わん」

ありがとう、なのです。と腰を下ろしたあゆは、ザフィーラにもたれかかってまぶたを下ろす。

数日前から、昼間の仮眠をザフィーラの傍で行うようになったのだ。

「ザフィーラは、あゆに懐かれとんなぁ」

食器類をシャマルとの共同作戦で食器洗い機に押しやったはやてが、エプロンで手を拭きながらリビングへ。

背もたれ後ろのジョイスティックを倒しているのはヴィータだ。

「不可解です。我があるじ。
 それに、兄などと呼ばれるとなにやらむず痒い」

「まだ慣れねぇのかよ。あたいはもう慣れたぞ」



新しい家族をなんと呼べばいいか。と、あゆから提出された議題は、緊急開催された【八神家第1回家族会議】によって協議、決定された。

長い迷走ののち、烈火の将が「シグナム姉さま」と決まった後はそのまま「シャマル姉さま」「ザフィーラ兄さま」と、続けて適用。

もっとも紛糾するかと思われたヴィータだったが、あゆが「びぃーたねぇさま。で、よろしいですか?」と発言したことですんなりと進行。結局、はやてと同じように呼ばれたいヴィータの意向から「ヴィータお姉ちゃん」となった。

はやては「お姉ちゃん」で変わらない。

「ほなら、うちも」と、2件目に同様の議題を提出しようとしたはやてだったが、これはヴォルケンリッターの反対にあって棄却された。



「ヴィータ、おおきになぁ」と車椅子のコントロールを受け取ったはやてが、そのままザフィーラの傍までやってくる。

「ザフィーラはふかふかで、気持ちよさそうやしな。
 うちも今日はザフィーラの傍でお昼寝させてもらおかな。
 ええか、ザフィーラ?」

「構いません」

「お運びしましょう」

ソファに座っていた筈のシグナムが、いつのまにか車椅子の傍に。

「あら、フローリングに直だと、冷えますし痛いですよ」

キッチンから戻ってきたシャマルが、タオルケットを取り出す。

「シグナム、シャマル。2人ともおおきに」

シグナムに運ばれながらはやては、ザフィーラの反対側を覗き込む。

「あゆは、何も敷いとらんで寒ぅないんやろか」

「何度か言ったんですけど。
 あゆちゃん。ザフィーラだけで充分だって聞かないんですよ」

タオルケットを設え終えたシャマルが、あゆの頭をなでる。

「ほうか。あゆは言い出したら聞かん子やしな。しゃあないわ」

タオルケットの上に下ろされたはやても、ザフィーラ越しにあゆをなでた。




****




はやてが水に浮かんでいる。

ぼー、と高い天井を見上げていた。


前々から一度は来たいと思っていた遠見市の屋内型レジャープールに、今日、八神家全員を引き連れて繰り出してきたのだ。


白地に黒いパイピングが施されたセパレートの水着姿で、はやてはただ浮かぶ。平日の午前中とあって他に客の姿はない。

「ごめんな、シグナム。つきおうてもろて」

「いいえ、あるじはやて」

付き従う烈火の将が身に纏うのはスポーティな競泳水着。黒をサイドに、赤をセンターに配したツートンカラー。胸元にあしらわれた炎の意匠が選定の決め手か。

レジャープールでそんな必要はないだろうに、律儀にも水泳帽にその鴇色の髪を押し込んでいる。


水の中とあって、はやてもそれほど不自由はない。しかし、万が一のこともあるし、プールの出入りには人手が要る。そういう訳でヴォルケンリッターの年長組が交代で付き添っているのだ。

「じきにシャマルが交代に来るでしょうし」

そう言いながら、別に1日中付き添うことになっても苦にしないだろう。プールというこの施設はなかなか興味深いが、あるじの警護を置いてまでというわけでもない。

「シグナムは固いなぁ」

            「おーーーーーーーっ♪」

どこからともなく聞こえてくる歓声は、ウォータースライダーに挑戦しに行ったヴィータだ。

「ほら、ヴィータみたいに、愉しまな」

「ヴィータはヴィータ、私は私です」

額に上げていた水中メガネを一旦外し、水でゆすいでいる。

しゃあないなぁ。と、嘆息したはやては腕の振りだけで体を反転、一転してプールの底を眺めだす。25メートルの競泳用のはずなのに、なにやら色々とサイケデリックな文様が描かれていて、変。


 「シグナムー」

くぐもって聞こえてきたのは、剣の騎士を呼ばう声。シャマルが交代にきたらしい。

息の続かなくなったはやてが再び反転すると、プールサイドで湖の騎士が手を振っていた。

「はやてちゃーん♪」

翡翠色のビキニは所々に花びらの舞うデザインで、パレオ付き。今は上にパーカーを羽織っていて、色々ともったいないとはやては思う。

緩やかに水を掻いてプールサイドへ向かうと、「そろそろ一度、休憩にいたしましょう」とシグナム。

「そやな。
   …
   あゆはどないしとった?」

シグナムに抱え上げられたはやては、シャマルに受け渡されざまに訊く。

「流れるプールやウォータースライダーはなんだか好きじゃない。って言って、今はキッズプールの方に居ましたよ」

付き添っているザフィーラの、膝までもない水深だ。イアン・ソープばりの全身スーツ型水着を着込んだザフィーラが、仁王立ちで臑から下だけを水に洗われていた姿を思い出して、シャマルがくすくす笑いだす。

「なんやシャマル。思い出し笑いなんかして、やらしいなぁ」

いえですね。と説明しようとしたシャマルを遮ったのは、

「はやてはやてはやてはやてはやてはやてはやてはやてはやて~!」

どこでロケット噴射してるのかと、その愛杖の姿を探したくなるような紅の鉄騎の突進だった。

真っ赤なセパレート水着は、アメリカンノースリーブのトップスとホットパンツタイプのボトムスの組み合わせ。連れてきたノロイウサギは、透明なビニールバックでビニールパック状態だ。

「はやてはやて!」

「どないしたんヴィータ」

「アイスクリーム屋!アイスクリーム屋がある!」

思わず、「は?」と訊き返しそうになったはやてだが、ここの特徴を思い出した。

このレジャープールは各種の外食企業と提携して、その出店を促しているのだ。この建物の外壁部分を店舗として提供し、プールの客はもちろん、街ゆく人々にもサービスを提供できるようになっている。外にも中にも看板が出るから「二枚看板システム」と銘打たれているが、その用法はどうだろう。


「ハーケンダックか」

そうした参画企業の中に、アイスクリームのチェーン店があった。と、はやては思い出す。

ハーケンダックは、フック付きロープを構えたアヒル【フリードくん】をマスコットキャラとするフランス資本のフランチャイズチェーンである。

あそこはなんやらヤな都市伝説があったなぁ。などとはおくびにも出さず、はやては笑顔。

「食べてみたいん?」

うんうん。と頷くヴィータが微笑ましい。

スーパーで買ってきたアイスクリームしか見たことがなかったから、そうしたショップが珍しいのだろう。

「アカギ乳業の方が好みなんやけど」とは口に出さず、「ほなら、あゆとザフィーラ呼んでくれるか?みんなで食べようなぁ」と、はやて。

「おお!」

たちまち駆け出す鉄槌の騎士。念話で済むことを失念するほど興奮しているらしい。

「あるじはやて……」

その表情で、シグナムが何を言いたいかを察する。

「ええやんか。
 あないに愉しんでくれて、うちは嬉しいで。
 みんなの水着も、よう似おうとるしな」

水着は、昨日買いに行った。

はやてが見立てたものの中から、各人に選んでもらったのだ。


ただし、例外が1人。

「おおきくなまえが かけるところが、いいのです」と、スクール水着を買ったあゆである。



[14611] #5.5 Nain to Boin[おまけ]
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/01/05 22:18



ポニーテールをほどくと、一転しておしとやかに見える。

「おお~!」

浴室に入ってきたシグナムを見て歓声を上げたのは、はやてである。

「なっ、……なんでしょう。あるじはやて」

「いやぁ、立派なもんを見せてもろた。眼福や。なぁ、あゆ」

「……よくわかりません。なのです」

その視線から、はやての言葉の意味を悟って、シグナムが思わず胸元を隠した。

隠してから、困惑する。

「自分は【闇の書】から投影されているプログラム体に過ぎないというのに、この感情はなんなのだろう?」と思い悩む。このあるじの下に召し出されてから3日しか経っていないのに、かつての自分とはまるっきり変わってしまったように感じるのだ。以前の自分がどうであったかなど、覚えているわけではないが。

「ほら、突っ立っとらんでシグナムもかかり湯して、入り。春先とはいえまだ冷えるんやから」

「はい」

この地の潔斎の作法は、初日の最初にはやてと入浴したシャマルから同時念話でレクチャーを受けている。実践も、すでに2回ほど。湯を汲んだ手桶をはやてから受け取ったシグナムは、軽く2回ほど流した。

「失礼します」

導かれるままに、はやてとあゆの間へ。

子供が2人とはいえ、3人は少し多かったようだ。湯船からお湯があふれる。

「ええなぁ……」

「なにが、ですか?」

シグナム越しのあゆの問いに「うん?」と、はやては笑顔。

「この、お湯があふれる感じや」

掌で押して、わざと溢れさせている。

「家族が沢山居って、幸せが溢れてとるような実感がする」

真似をしたあゆは、ざばぁ、と雪崩落ちた湯が湯煙を立てるさまを目で追った。

2人で入浴していた頃とも、異なる感覚。1人より2人、2人より3人、であろうか?この大きな湯船に独りで入っていたはやての孤独と今の感慨を、2人の間にシグナムを迎えることで少しは理解できたように、思えるのだ。

「わかるような、きがします」

「そうか。
 シグナムはどうや?」

「わっ私ですか!?」

笑顔で頷かれて、シグナムは申し訳程度にお湯を押し出す。

「……よく判りません」

質実剛健を旨とするシグナムには、そもそも入浴を愉しむことが理解できまい。湯水を無駄遣いすることの意味も。

「しかし、不快ではありません」

それが、まるで心の裡だと云わんばかりに湯面を掻き回すシグナムの様子に、はやての笑顔。しかし、微妙に目尻が下がっていくような……?


「……それはそれとして!」

「ひゃんっ!あるじはやて、なにを?」

シグナムにその気配すら悟らせないか、八神はやて。

「おお♪思うた以上の揉み応え!烈火の将の胸部装甲はバケモノか?」

「お戯れを!お赦しください。私などよりシャマルのほうが……」

「うん、あれもなかなかの揉み応えやった」

初日に堪能済みだ。

「けど、うちはシグナムのほうが好みやなぁ」

「あっあるじがご乱心を、シャマル! ……待て、見捨てるな! ヴィータ! ……「良かったな」ではない! ザフィーラ、 ……応答ぐらいしろ!」

救援を断られたらしい。

二次被害を防ぐために、シャマルは心を鬼にしたことだろう。

「シグナム。そない暴れると、お湯がなくなってまうで」

「いえ、その、ですがっ!あるじはやて……、ご無体です!」

阿鼻叫喚である。

「あゆも揉んでみぃひんか?これは癖になるで」

「まっ待て、来るんじゃないぞ!」


あははと声をあげて、はやてが愉しそうである。それはいいことだ。はやてが愉しければ、あゆも嬉しい。

しかしながら、あゆは自分の胸元を見下ろす。


東尋坊があった。

惜しむらくは、はやてのその愉しみを自分では提供できないことか。今までに、あのようにして揉まれたこともないし。

ふにふにと、とりあえずマッサージしてみる。今はいかんともしがたいから、将来に賭けることにしたらしい。

「まっててください。なのです」


継続は力なり。あゆは、やるとなったら絶対に諦めない。

その努力はいずれ結実するが、それはまだまだ先のことであった。



                                 おわり


special thanks to 電気猫さま。この話の元ネタとなるあゆの心理をご示唆いただきました。



[14611] #6  はじまりは突然になの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:27



ゲートボールの練習に赴くヴィータを送りがてら他のメンバーが赴いたのは、その運動公園で催されていた朝市であった。

漬物や一夜干しなどの食品から、生花、衣類など、さまざまな露天商が荷台を連ねている。

はやては料理上手な娘であるが、さすがにヌカ床を設えるほどではない。

この朝市に来るお婆さんのヌカ漬けが美味しいとの井戸端会議情報をシャマル経由で聞いて、一度来て見たかったのだ。


試食させてもらったのは山芋のヌカ漬けで、その美味しさと珍しい食感に思わず買い込んでしまったはやてはご満悦であった。

あゆの姿を見つけるまでは。

なにやら熱心に見つめていたから、欲しい物でもあったかと思ったが、どうにも様子が違う。あまりにも無表情に見下ろしているのは羊羹の試食コーナーの、傍らのゴミ箱か。

露店のおばさんが熱心に試食を勧めているが、耳を貸す様子はない。ただゴミ箱を、じっと。

「……あゆ」

今もまた一人、羊羹を試食して、使い終わった爪楊枝をゴミ箱に捨てたところだった。




****




ダイニングのテーブルで、はやてが教科書を広げている。

ヴォルケンリッターが現れて以来、リビングが見渡せるこの場所で勉強するようになったのだ。

「つまんねぇ。はやてぇ、勉強なんて止めてゲームしねぇ?」

テーブルの反対側にあごを乗せたヴィータの隣りに、ノロイウサギ。

こいこい。と、ぬいぐるみの耳に手招きさせるヴィータに、はやては苦笑い。

「ごめんな、ヴィータ。
 あした訪問学級でセンセが来るさかい、この宿題はやっとかなあかんのや」

通学できる範囲に、車椅子を受け容れられる学校がなかった。

この家から離れることをよしとしなかったはやての意向で、就学猶予と特別支援学校の教員による訪問学級、通信教育などで学力を維持している。

「昼間の内に終わらせとくつもりやったんやけど、シャマルがパン屋さんでなぁ……」

「あっ、あれは……。
 だって、サンライズがメロンパンのことだって知らなかったんですもの」

たまたま通りがかったシャマルが、途端に顔を真っ赤に。

朝市の後は、そのほかの用事を手分けするべく解散した。はやてとシグナムは病院へ、あゆとザフィーラはスーパーへ。

問題は、パン屋へ赴いたシャマルが、なかなか戻ってこなかったことだ。

「あゆが気付いて救援に赴かねば、帰還すら覚束なかったであろう」

リビングのソファで、シグナムが夕刊をめくった。

呼ばれたと思ったのか、ザフィーラの横で夕食後の仮眠を取っていたあゆが身を起こす。

ザフィーラが尻尾で撫でてくれたが、あくびをしながら伸びをしている。どうやら起きることにしたらしい。

「おかげで、スーパー前で繋がれている時間が長かった」

もう、ザフィーラまで。と、そっぽを向きかけたシャマルはしかし、天を振り仰いだ。

「なに!?」

一応の警戒のために、シャマルはいくつかの検知魔法を常時展開している。受動感知で精度の低いものだが、それに反応するということは近いか、遠くても強い。ということだ。

「どうした、シャマル」

振り返った烈火の将は、シャマルの表情を確認するなり背もたれを飛び越えた。

「次元震……、みたいだけど」

「こんな世界でか?」

大質量が集中する恒星系内の空間は安定していて、次元震の自然発生は考えにくい。となると残るは人為的なそれなのだが、この世界には魔導師も居ないし、管理局の手も及んでない筈なのだ。

「シャマル。
 探査魔法を頼む。できるだけ広く」

でも……。とシャマルは【闇の書】を、それを抱えているあゆを見る。

シグナムが要求しているのは、隣接する世界まで含めた多次元立体的な大規模な探査だ。もちろん大量の魔力を必要とし、それは最終的に、あゆへの負担となるだろう。

今も平気な顔で立ち上がったが、その麻痺は足首の少し上まで進行している。「なんで歩けんのか解かんねぇ」とはヴィータの問いで、「よわみをみせぬように、くんれんされてたのです」が、あゆの回答だ。「でも、しょうでいほは、にがてなのです」とも言う。よく見ていれば、あゆが「へいきへいらく、へいきへいらく」と唱えながら歩いていることに気付くかもしれない。

「しゃまるねぇさま。
 しぐなむねぇさまが そうおっしゃる いじょう、ひつようなことなのでしょう?」

ええ……。と、しかし気乗りしなさそうにシャマルは右手の指輪を目覚めさせる。立ち伸びた2本の振り子水晶が輝くと、シャマルの足元に魔法陣が展開した。


「……この世界じゃない。
 次元空間だわ。通りがかった船が事故でも起こしたのかしら?」

眉間に皺を寄せたシャマルが、淡々と探査結果を読み上げる。しかし、

「空間転移!物体移入」

なんだと!と荒げかけたシグナムの声は、「続いて空間転移!」と、他ならぬシャマルの声に遮られた。

「こちらは魔導師?魔力行使の反応が……」

「術式が判るか?」

シグナムの言葉に眉間の皺を深くしたシャマルは、静かにかぶりを振る。

「ここからでは、そこまでは……、あっ!
 最初の転移物体が分裂!落下予想位置は……」

いったん口を閉じたシャマルが、のどを鳴らして固唾を呑んだ。


「ここ、海鳴市周辺です」




****




「ここの周囲、5キロ以内に落ちてきた3個を回収してきました」

シグナムが差し出した掌の上に、光を放つ宝石のようなものが浮かんでいる。

「紡錘形が同心重複して見えますから、便宜上【瞳】と、シャマルが名付けました」



落下地点が海鳴市周辺であることが判った直後、シグナムはシャマルに落下予想地点への精密探査へ切り替えさせた。

計20個。あと1個あったようだが、こちらは後から転移してきた魔導師によって確保されたらしい。

シャマルの探査でも正体のはっきりしない落下物に危惧を覚えたシグナムは、その確認――場合によっては確保――をはやてに意見。許可されてシャマルと共に赴いたのだった。



「一見魔力反応も何もないのですが、精密探査してみると莫大な魔力の塊であることが判ります」

「探査しようとした魔力に反応して、連鎖臨界を起こすほどのな」

シャマルの声が震えている理由を説明するように、シグナム。

「んなもん3つも集めてきちまって、大丈夫なのかよ」

爆弾の形を見定めようと懐中電灯で照らしたら、それだけで導火線に火がついた。と言っているようなものだ。ヴィータの懸念も当然だろう。

「幸い、普通の魔力封印で収まってくれたから。今は大丈夫よ」

自身の言葉で落ち着きを取り戻したのか、答え終えたときには、シャマルの声から怯えが取れていた。

「ばくだいな、まりょく。なのですか」

見上げるあゆの視線を受けて、頷いたシグナムがシャマルに向き直る。考えることは皆、同じなのだろう。

「この魔力を使って、【闇の書】を完成させることは可能か?」

「シグナム!?」

「いま、たいせつな おはなしのさいちゅうなのです。
 おねぇちゃんは だまっているのです」

シグナムに目配せを送ったあゆが、「しー、なのです」と伸ばした人差し指をはやての唇に押し付けた。

「【闇の書】のことなら、うちも無関係やないで」「けんさくまえの、いけんこうかんのだんかい。なのです。たとえあるじでも……、いいえ、あるじだからこそ、くちだしげんきん。なのですよ」「そやかて、うちは……」「ききわけのないおねぇちゃんは、きらいなのです」「おい、あゆ!そいつは言いすぎだぞ、はやてに謝れ」「がーん。あゆが、あゆが反抗期や……」と、突如勃発した姉妹ゲンカを横目に、シグナムがシャマルをうながす。

「……可能だと、思います」

「いくつあれば、完成するのだ?」

いつのまにか人間形態をとったザフィーラが、【瞳】のひとつを手にした。

「正確な魔力量は怖くて量れませんが、精密探査と封印処理の時の手応えからすると、魔力だけなら1個もあれば」

「そんなにか!」

ええ。と頷いたシャマルは、「でも」と続ける。

「魔力量だけあっても、術式がなければページは埋まらない」

インクだけあっても、書き連ねる言葉を持たねば執筆できない。「蒐集は一人一回」というのは、そういうことでもある。

「見たところ、いくらか術式を内包しているようですから、全く埋まらないということはないでしょう」

「しかし、いくつ必要かは読めない。か……」

シャマルの言葉を引き取って、シグナムが溜息混じりに吐き出した。

それでも、見交わした視線に惑いはない。


うむ。と口元を引き締めたシグナムが向き直った先では、「ごめんなさい。おねぇちゃんをきらいになることなんて ぜったいにありえないのです。わたしは じぶんこそ きらいなのです」「あかん、あかんよ。あゆ。自分を好いとらな、ヒトのことも好いとられんのやで。さっきのことはええんよ。うちも少し頑なすぎたし」「あたいも言い過ぎた。ごめんな」と、姉妹ゲンカが終息しつつあった。まるで、狙い済ましたように。

「あるじはやて」

ヴォルケンリッターが一斉に跪く。ヴィータは一拍遅れたが。

抱き寄せたあゆの頭をなでていたはやてが、手を止めてシグナムを見る。

「この【瞳】は、大変危険な代物です。
 たった一つでも、この惑星を消し去れるでしょう」

【闇の書】完成に必要な魔力を1個で賄えるということを、シグナムはそう表現した。その不安定さを鑑みれば、けして誇張ではない。

「これを放置することはできません。
 我々はこれを回収封印し、この地の安全を守りたく存じます」

「うん、うちからも頼むで」

反対する理由はない。むしろ、はやては頭を下げた。

「その上で、回収した【瞳】の魔力で、【闇の書】を完成させられないか、試したい」

あるじへの献策ではなく、自身の希望としてシグナムは「試したい」と気持ちを込める。

「さばいばるくんれんで、ほりだしたじらいで、さかなをとったことが……」

はやてが、お返しとばかりに人差し指であゆの唇を押す。

「大いなる力なんて要らへんけど、うちの脚が治るかもしらんのやな?」

疑問形でありながら、訊いたわけではないのだろう。はやての視線は、あらぬかたへ。いや、胸元に抱いたあゆ、その足か。

「誰かに迷惑をかけるようやあらへんし、ここまで言われてはな……」

姿勢を正したはやてが、正面からシグナムを見据える。

「【闇の書】完成の件、許可します。
 ただし、危険なことはせェへん。それだけは約束やで」

はっ。と、これはヴォルケンリッターの全員が揃って。

「誓います。
 騎士の、剣にかけて」

深々と頭を下げたシグナムは、「危険なことをしない」という約束を拡大解釈した。先ほど転移してきた魔導師と、接触しないことを決めたのだ。念話で、ヴォルケンリッターの面々にも念を押す。

それが何者であれ、不用意な接触は危険を伴う。

悪人は論外だが、そうでなくても【闇の書】の存在を吹聴されれば、八神はやての平穏は乱されるだろう。


     『 誰か……、…の声を聞…て。 ちか……貸して。 …ほ……、力を…… 』

そう考えてシグナムは、先ほどから聞こえはじめた念話を黙殺した。


 『聴…えま…か、 …の声…』



              『 ……救けて 』
 



[14611] #7  街は【瞳】でいっぱいなの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/04 15:10




リビングのテーブルの上に、本日の成果が15個、浮いている。

魔力探査にほとんど反応しない【瞳】だが、次元震の時点から監視していたから追跡できた。

なにより、大気圏突入時の物体は盛大にプラズマを曳いてネオンサインも同然だ。その軌道を記録していたシャマルにとって、その落下地点を算出することなど朝飯前だっただろう。

そうして今日、留守居のザフィーラを除くヴォルケンリッターが回収してきたのだ。

例の魔導師のことがあるので、封印以外の魔法行使は禁止。その封印魔法も充分な周囲確認の上で慎重に実行。と条件付きでの確保作業だったが、その程度の枷でコトを仕損じるヴォルケンリッターではない。

近場はヴィータ。遠方はシグナムが担当。

もっとも困難と予測された海中の6個は、隠蔽しながらの探索魔法行使を視野に入れてシャマルが赴いた。

結局のところ魔法を使うまでもなく見つかったが、海流など現地の情報での計算の修正が必要で、シャマルの派遣は結果的に正解だったが。

本人に言わせれば、むしろ苦労したのは「再現されている自発呼吸のために、気を抜くと肺で海水を飲んでしまう」ことだったらしい。プログラム体だから問題はないのだろうが、だからといって気持ちがいいものでもなかろう。


余談だが、本日の夕食には新鮮な海の幸が並んだ。

今が秋だったら山の幸も加わっていたことだろう。明日のおやつはヴィータがゲートボールチームの監督に貰ったクッキー詰め合わせと決まっていて、シグナムが少し悔しそうであった。

余談が、過ぎた。



はやてが寝入ったのを見計らってリビングに集合したのは、ヴォルケンリッター+1である。

いや、あゆは元々寝ていなかっただけで、特に招かれたわけではない。不用意にはやてに話さないよう約束させられたうえで、同席を許されただけだ。あるじに聞かせられない相談になるかもしれなかった。


浮いていた18個の【瞳】を、シャマルがクラールヴィントに格納する。

昨夜に3個、本日が15個。残りは3個で、内ひとつは確保されてしまったはず。

本日回収を見送った、残り2個の【瞳】をどうするか、その作戦会議だ。

ひとつは警戒厳重な屋敷の敷地内にあり、魔法行使なしでは回収が難しかった。

もうひとつは例の魔導師の近くにあって、覚られずに封印魔法を行使するのは難しい。

そこでシャマルを伴った複数人数で夜間に赴き、探知妨害魔法と変身魔法の支援の元で回収すると決まりかけたその時だ。

「【瞳】が暴走してる!?」

単なる魔力の波動を、その発生源の位置から推測して、シャマル。

「どちらだ?」

シグナムの問いが終わるより早く、クラールヴィントが展開していた。

「魔導師近くのほうね」

「よりによって、そっちかよ」

舌打ちしたヴィータはしかし、こぶしを掌に打ちつける。気合充分だ。

「あるいみ、じゅんとうかも しれません」

そのまどうしが、へたをうったのでは?と、水を向けられて「ありうるな」とザフィーラが応える。

「どうすんだよ?シグナム」

「出るぞ。状況を見て、可能なら奪取。
 ただし、あるじはやてのご意向だ、例の魔導師はもちろんその他一切に傷ひとつつけるな」

打てば響くように、即断。

「シャマル、妨害・支援は打ち合わせどおりに。場合によっては、幻術で相手を出し抜くぞ」

「はい」

若草色の騎士服をひるがえして、シャマルがいくつかの魔法陣を展開した。

「ザフィーラ、留守を頼む」

「心得た」

狼形態のままでザフィーラは、テラスを見渡せる位置へ移動する。

「ヴィータ、先鋒は任せる。おそらく、暴走した魔力を叩きのめす必要があるぞ」

「任せとけ」

シャマルの目配せを確認したヴィータも、その紅い騎士服を展開。ノロイウサギの位置が気になるのか、帽子を直している。はやてがデザインしてくれた騎士服、ヴィータがまとうのはこれが初めてだ。

「あゆ、行ってくる」

「ごぶうんを、なのです」

最後にシグナムが騎士服をまとった途端、足元に展開した緑色の魔法陣が3人の人影を消し去った。




****




「まどうしと、しゅごじゅう。なのですか?」

「ああ。白い騎士甲冑……ではなくてバリアジャケットと呼ぶのだったかな、女の子の魔導師と……守護獣ではなくて使い魔だな、イタチの」

ベルカ式とミッド式での呼び方の違いを訂正しながら、シグナムが新しく手に入れた【瞳】を取り出す。

「あの子、すごい魔力資質だったわ」

まだ全然戦いなれてないようだったけど。と、シャマルはそれをクラールヴィントへ格納した。

「【瞳】がヘンな黒い影になってやがって、攻撃されたそいつら、逃げ出しやがったんだ」

冷凍庫から出してきたパイントカップに直接スプーンを刺して、ヴィータがアイスを頬張る。こんな夜中にこんな行儀悪さで食べたと知れば、はやてといえど怒るだろうに、紅の鉄騎は聞く耳を持たない。

「その隙に黒い影へヴィータちゃんが一撃、怯んだところでシグナムが封印したの」

「向こうは、せいぜいこちらの後ろ姿しか見ていまい。それも、シャマルの変身魔法で偽装した。な」

「みごとなてぎわなのです」

ぱちぱちと手まで叩いたあゆの賞賛に、「たりめーだ、あたいらを誰だと思ってんだ」とヴィータが胸を張る。

「1たい1なら まけなしの、べるかのきし。なのです」

「解かってんじゃねぇか」

「それでも、しょうさんすべきは きちんとしょうさんせねば。なのです。
 びぃーたおねぇちゃんは、すごいのですから」

ぱちぱちと手を叩きつづけるあゆに照れたのか、ヴィータがそっぽを向いた。

動きの止まったスプーンにかじりついたあゆが、もごもごとバニラアイスを強奪する。

「ああ!お前あんだけ人に、怒られるぞって言っときながら」

「あいす、うまー。なのです。
 あした、いっしょに おねぇちゃんにしかられましょう」

「あら、それならわたしにも一口くださいな」

差し出されたスプーンから直接アイスを頬張り、シャマルが「そういえば……」と思案顔。

「あのイタチの使い魔が、これのことをジュエルシードと呼んでたみたいですけど?」

「【じゅえるしーど】?」

ええ。と頷くシャマルの背後を、パイントカップを抱えたヴィータが歩いていく。

「それが正式名称なら、今後そちらを使うか?」

言いながらザフィーラの視線は、ヴィータを追っている。そのヴィータはというとスプーンを突き出して、「喰え!喰ってシグナムもはやてに叱られようぜ」と烈火の将に迫っていた。

「たいがいてきには、そうすべきなのです。
 しかし、みうちでは いままでどおりでよいのでは?」

答えようと開いたその口にスプーンを突きこまれたシグナムに代わって、あゆが発言する。

それでいいだろう。と追認したシグナムが、不機嫌そうにアイスを咀嚼。

「ザフィーラぁ……」

「我は遠慮する。
 4人揃ってそんな下らない理由であるじに叱責されては、ヴォルケンリッターの名折れだ」

ずりぃぞ♪と、妙に嬉しそうにヴィータが迫ると、「我の関知することではない」と蒼い狼が逃げる。

「待て!ザッフィー」

「断る」

どたばたと加速する追いかけっこに、こんなことではやてを起こすわけにはいかない。と、シャマルがこっそり封鎖領域を張った。

「もうひとつの【瞳】の回収は、明晩とするか」

今からもう1ヶ所への遠征は無理と判断して、シグナムが溜息混じりにリビングをあとにする。

「ざふぃーらにぃさま、いっしょにしかられましょう♪なのです」

あゆまで参戦しては、さすがの盾の守護獣もいつまで守りとおせることか。




****




翌日、はやてに叱られるヴォルケンリッター+1の姿があった。リビングに正座、一列である。

「うち一人だけ、のけもんにしてからに。みんなのいけず」

少し、違ったようだ。



[14611] #7.5 シネマ・アレスタ[突発おまけ]
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/01/06 10:23



     ―― ちょっとほのぼの分が欠乏してきたので、追加 ――



****




 『 目撃者の女性の鼻にも、貴方のように眼鏡の跡があった。
   今から寝ようとしていた彼女は、眼鏡を掛けていたでしょうかね? 』

「いいぞ!ジジイ!よく気付いた!」

 「……ヴィータちゃん、しーっ……」


映画館。

はやてが、一度は入ってみたかった所の一つだ。

1人暮らしが長かったはやては、映画も好きだった。独りきりで過ごす時間を慰めてくれるものは、何でも好きだったのかもしれない。

でも、映画館に来たことはなかった。たった一人で、しかも車椅子で入る勇気はなかった。レンタルビデオ屋も、そう。

宅配レンタルなどというサービスがあることに、はやては何度感謝したことだろう。


  『 さっきのヨボヨボ歩きで証明したつもりだろうが、この俺様は騙されんぞ!
    このっペテン師どもめ! 』

「なんだと、このクソオヤジ!!
 そこに直れ!グラーフアイゼンの錆にしてやる!」

 「……ヴィータ、静かにしろ。あるじはやてを辱める気か……」


上映しているのは、往年の名作をコメディアレンジしたリメイク。

元になった作品が大好きだったはやては、この作品をぜひ大スクリーンで見てみたかったのだ。

あゆやヴィータのことを考えれば、テェズカーやイクサー、スタヂオデブリとかのほうがいいかとも思ったのだが、意外やヴィータが大興奮である。

最初のほうこそつまらなそうにしてたものの、事態が進展するたびに惹き込まれ、今や立ち上がっていちいち銀幕にツッコむ始末だ。


  『 もういい、無罪でいいよ。こんな暑苦しいトコで延々と!俺は飽きた、うんざりだ 』

「なんだと、このうすらハゲ!んな、いい加減な理由で鞍替えすんじゃねぇ!!」

 「……どっちの味方なのだ、お前は……」

 「……びぃーたおねぇちゃんらしいのですよ……」


平日の午前中とあって人影は少ないが、だからといって迷惑にならないわけはない。ヴィータが立ち上がるたびに、はやてやヴォルケンリッターが方々に頭を下げていた。

はやては少し、嬉しそうだったが。


   『 ……無罪だ、無罪だよ。 無……罪だよ 』

「認めたくなかったんだな。その気持ちは解かるぞ、おめぇは悪くない。
 おめぇのことをとやかく言うヤツが居たら、あたいがぶっとばしてやるからな」


満足そうに腕を組むヴィータの前で、初めて映像に屋外の風景が現れる。

映し出される、男同士の握手。

「よしよし!真実はひとつだ!てめぇら、いいヤツらじゃねぇか」

ぱちぱちとスタッフロールに手まで叩き始めたヴィータの左右で、シグナムとシャマルがコメツキバッタのようだ。はやては車椅子越しに、あゆを膝の上に乗せたザフィーラも会釈を繰り返す。

まばらに居た他の客たちも三々五々立ち上がり劇場を後にするが、その顔に不機嫌さはない。つまらない映画ではなかったが、コメディアレンジが鼻について往年の名作ほどの感動はなかった。

それよりも、前寄り隅っこの車椅子スペースの傍に座っていた少女。三つ編みお下げの女の子が一喜一憂するさまを見ているほうが何倍も面白かった。そのツッコミに笑いを噛み殺すのが大変だった。映画やその関係者だって、あそこまで愉しんでくれれば本望だろう。

自分もあんなふうに興奮しながら映画を見ていた頃があったと、思い出した者も居たかもしれない。

出口の、ロビーから射す光が、いつもほどには眩しくなかった。

今日は、いい一日になりそうだ。




****




「いやー、映画っておもしれぇな」

お子様ランチのチキンライスを頬張りながら、ヴィータは満面の笑顔だ。

同じショッピングモールのレストラン街。クリームソーダやお子様ランチの食品サンプルが並んだ、昔ながらの百貨店の食堂を髣髴とさせるレストランである。

「また来ような。な?はやて」

「あはは、喜んでくれるのは嬉しいんやけどなぁ……」

客の入りの少ない作品、時間帯を探すとなると、少々骨が折れるかもしれない。

「お前とは二度と来ん」

なんだよシグナム、おめぇには言ってねぇよ。とエビフライを丸かじり。

「もう少し静かにしてくれれば、いくらでも付き合いますよ。シグナムもね」

ナポリタンスパゲッティーを巻くフォークを止めて、シャマル。

「えー、だって黙ってらんねぇじゃんか」

「お前が応援したところで、映画の結末は変わらんだろう」

付け合せのニンジンソテーをあゆに差し出しながら、ザフィーラ。元が狼だから、野菜や穀類は好まない。

「……」

ハンバーグを頬張っていたヴィータは反論できず、はやてはポップコーンでも与えておけば静かになるだろうか?と考える。しかし、いかにヴィータといえ上映時間中ずっと食べ続けられるはずもないし、ポップコーンを食べる音だって迷惑には違いない。

それに、ポップコーンの咀嚼中に大声を出したりしたら大惨事だ。前の席に誰か居たら、目も当てられない。

レンタルビデオで納得してくれるやろか。と独り語ちながら、はやては身を乗り出す。

「ほら、お弁当つけとるで、ヴィータ」

その頬に付いたご飯粒を取ってやる。

「……あんがと」

「どういたしまして」



   「……」


はやてに取って欲しいなら、ご飯粒は見えるほうにつけるべきだろう。あゆよ。





     ―― ほのほの分が足りなくて、ついカッとなってやった。後悔はしていない。 ――



[14611] #8  新たなる力、浮上なの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/12 21:42




朝っぱらからダイニングで、シャマルが難しい顔をしていた。

目の前のテーブルには【瞳】がひとつ浮いていて、いくつかの魔法陣に囲まれている。

【瞳】の魔力が【闇の書】の完成に使えるかどうか、調べているのだ。

しかし相手は正体不明の高密度魔力結晶体。しかも封印中とあって、さすがの湖の騎士も勝手が判らないらしい。ニトログリセリンを虫メガネで観察するような危うさ、闇夜でムギ球を頼りに広辞苑を引くような心許なさ、沙漠の砂を一粒ずつ数えるような途方のなさだからだ。

「は~」

いったん魔法陣を消したシャマルが、引き寄せた椅子に腰かけた。テーブルの上に麦茶が出ているのに気付いて、一口。とんとんと、思わず年寄り臭く肩を叩いてみたり。

暴走が怖いので使っている探査魔法は弱いモノだが、だからこそ却って疲れるのだろう。同調させての妨害隠蔽魔法の同時行使も地味に堪えたようだ。

「しゃまるねぇさま。
 おつかれさま、なのです」

キッチンにコップを返しに来たあゆが、その帰りがけにシャマルの背後で立ち止まった。小さな手を伸ばして何をするのかと思えば、シャマルの肩を揉み始めた。

「ありがとう~」

なにやら溶けている。

「極楽~」

よほど疲れているのだろう。言葉が短い。

「おぉ、ええなぁ」

「ごようぼうとあらば、おねぇちゃんもまっさーじしてあげるのです」

こちらはお代わりを取りに来たらしい。はやてが冷蔵庫前に車椅子をつけた。

「おおきに。
 けど、うち肩凝らんからええわ。そのぶんシャマルをよろしゅうな」

「おお!あゆ、あたいも揉んでくれ」

ヴィータもお代わり組か。

「お前のどこに、凝るような肩があるのだ」

シンクにコップを置いたシグナムが、シャマルの反対側に腰かける。

「うっせぇな。てめぇにゃ関係ねぇ」

「そこまで言うなら、我が揉んでやろうか?」

珍しく人間形態のザフィーラが、やはりコップをシンクへ。

「てめぇのバカ力なんかで揉まれてたまるか」

べー。と舌を見せながら、ヴィータが車椅子を押していく。「ヴィータは、もうちょっと言葉遣いをなんとかせんとあかんなぁ」と、こちらは押されている方。


「ああ。あゆちゃん、ありがとう。楽になったわ」

人体というものに多少の理解を持つあゆは、マッサージも巧い。それに、見かけ以上に握力もある。

とはいえ、こんな短時間で効くものでもなかろう。社交辞令だ。

「はい。どういたしまして、なのです」

もう一口。と麦茶に手を伸ばすシャマルを横目にリビングに戻ろうとして、あゆは足を止めた。

「ああ、しゃまるねぇさま。
 ひとつ、しつもん。なのです」

なあに。と目顔で応えたシャマルが、テーブルに椅子を引き寄せている。

「まりょくそ。というものは8しゅるい、あるのですか?」

通常空間はもとより次元空間にすら遍在する複合粒子、それが魔力素だ。魔導師はこれをリンカーコアに収集することで魔力へと変え、魔法行使の源泉となす。

「……、いいえ。どうして?」

わたしはいままで。と、あゆは抱えた【闇の書】から伸びる光の帯を見る。

「このひかりを、こうげんとしてしか、にんしきしていませんでした」

空いてる椅子を引いて座り、テーブルの上に【闇の書】を置く。

「これが まりょくそとよばれるもので、まほうのちからのみなもとと きいてから、それがどういうものなのか、もっとよくみるようにしたのです」

何もない中空に掌を差し上げ、あゆは続ける。

「わたしにはこのひかりが、8しゅるいあるようにかんじられる」

疑問符を浮かべるヴォルケンリッターの中で、ただひとりシャマルだけが理解の色を浮かべた。

「もしかして、魔力子まで見えてるの!?」

魔力子とは、魔力素内部で物理相互作用を伝播する素粒子である。魔力素は内部の魔力子の状態によってその性質を変えるが、普通に魔力として使う分にはほとんど影響を及ぼさない。だから、一般的には魔力素に種類はない。とされる。

「みえる。というほどではないのです」

魔力素の状態は2の3乗で8種類あり、世界によってはこの分布が偏っていることもある。ある一定の魔力素分布に慣れた魔導師が他の世界に行くと魔力収集障碍を起こすことがあるが、魔力素分布の違いに拠る変換障碍で、基本的に一時的なものだそうだ。

「ただ、ちがいがわかるだけ。なのです」

また、魔力変換資質の持ち主は、この魔力素の状態を選別して特定の状態を優先して収集している。と云われている。魔力素のフィルターを持っている。とでも云えばいいのか。

「それは凄いが、何か意味のあることなのか?」

シャマルに向けられたシグナムの問いは、一般的な魔導師なら当然の認識だろう。魔力素の状態は魔力収集・魔法行使にほとんど影響がないのだから、気にするほうがおかしい。

……それなんだけど。とシャマルは視線を滑らす。

「あゆちゃん。これを構成している魔力素、読めます?」

シャマルが差し出したのは、テーブルの上に浮かんでいた『瞳』。

はい。と頷いたあゆは、ザフィーラに伝言用のホワイトボードを取ってとねだる。

「【ひとみ】は、このように」と、3重の同心紡錘形をホワイトボードに書き記して、「3そうこうぞうになっているようにみうけられるのです」

「べんぎじょう、まりょくそのじょうたいに1から8までばんごうをふって、このいちばんそとがわのぶぶんをこうせいする まりょくそは……」

8877714566328817832275……。と数字を書き連ね、「これを1せっとに、ほぼくりかえし。なのです」と締めた。

そして。と真ん中の紡錘形を指し示して、「ここには、しゅるいごとにまりょくそがおしかためられてるのです」

「驚いたわ」

もちろん、そのくらいのことは調べがついている。

【瞳】が3層構造であり、外殻・制御部・魔力槽で構成されていることは、シャマルの探査で一発だった。

だが、ここまで無雑作にはできない。

魔力量が尋常ではない【瞳】は、探査に向けた微量な魔力でさえ励起しかねないのだ。魔力封印はかけてあるが、この魔力量の前には気休め程度。

ここ。とシャマルはホワイトボードを指差し、「制御部の魔力素を読んでみてくれますか」と、続きを促す。

はい。と頷き、1226755735411388675……と読み上げるが、魔導師ではないあゆに意味は解からない。魔導師であっても、デバイスマイスターでもない限りここまでは気にしない。シャマルはそれをクラールヴィントに記録させ、整理を実行していた。

「3152583というくみあわせが、おおいのです」との呟きをデバイスマイスターが聞いていたら、きっと驚いたことであろう。それは、デバイスの魔力回路において「処理実行開始」を示すキーワードなのだから。

そして、うらやましがることだろう。

魔法行使には影響を及ぼさない魔力素の状態だが、魔力構造体を集積する、ということになればこれほど重要な要素はない。リンカーコアと違って、魔力素そのものに魔力を操作させようと思えば、その性質を見極めてひとつひとつ組み上げていくしかないからだ。

魔力素の状態が直接見えるということは、魔法や道具に頼らずに魔力回路を解析できるということになる。それがデバイス製作時にどれだけ労力の軽減になるか、この場で気付いているのはシャマルただ一人であった。




****




          【養蜂家の店 蜂蜜のフジタ】


「こないなところに、蜂蜜屋さんが」

病院からの帰り、ちょっと気分転換にいつもとは違う道を通ることにした。その途上。

「うち、蜂蜜屋さんなんて初めて見るわ」

「お寄りになりますか?あるじはやて」

シグナムの問いに、「そやなぁ」と、はやて。さいわい店内は広くて、客の姿もない。

「せっかくやし、のぞいていこか」

はい。と応えたシグナムが前に出てガラス戸を引き開ける。

「失礼する」

店舗の中央に据えられた蜂の巣が、なかなか立派だ。

「イらッシャイまセー」

店の奥から現れたのは、――中近東あたりの出身だろうか――少し浅黒い肌をしたお姉さんだった。ジーンズとブラウスにエプロン姿。闊達そうな恰好に、ヒマワリのような笑顔が良く似合っている。

「ソの蜂ノ巣、フェイクだヨ。残念ダッたネ」

蜂の巣に見入るはやてを見て、にこり。

「デも、蜂蜜は本物、混ジり気ナし。
 正真正銘、ナんとニホンミツバチさン達の努力ノ結晶だヨ♪
 スズメバチにモ負けナいニホンミツバチさン達の底力、舐めチャいケないヨぅ♪」

まるで歌っているかのように口上を述べながら、舞っているかのような足取りで店頭まで。

素人にしては悪くない体軸。とはシグナムの賞賛だ。

「オヤおや、オ嬢チャンはゴ病気カナ?
 ココの蜂蜜食ベタラ、元気にナルヨぉ♪」

言いにくいことをずっぱり斬り込んでくるが、いやみたらしさが無い。釣られて、はやても思わず口元をほころばせてしまう。

「オ姉サンは、キレイな髪ダネェ!
 でモ、ココの蜂蜜シャンプー使エば、もっとツヤ出ルよ♪」

シグナムはちょっと困惑か。頭髪など、今まで気にもしたことなかろう。

「お姐さん、商売上手やなぁ」

「そウ?正直ナだけヨ?」

「そこが商売上手やねん」

ムむ、日本語、難しイネぇ。と眉根をよせるお姉さんの姿に、くす。と、はやての口が綻んだ。そのまま、ころころと笑い出す。

「ムむむ、人見テ笑うノは失礼ダよ♪」

そう言いながら、お姉さんも口元を綻ばせている。

「ごめんなさい。堪忍してください」

なんとか笑いをおさえて、はやてが頭を下げる。

「うンうん。素直でヨろしイ。お姉サン心が広イからスぐ赦すヨ。
 そレはソれとシて、ゴ購入は大歓迎ネ♪」

「やっぱり商売上手や!」

「悲シイね。見解の相違っテのハ」

いかにも遺憾と言わんばかりに手を広げてみせるお姉さん。しかしすぐに、ぷっと吹き出して、からからと笑い出す。釣られて、はやてもまた笑う。


石田先生の見立てでは、自分の脚は回復の兆しを見せているらしい。ほんのわずかだが、麻痺が退いているようなのだ。

でも、素直には喜べなかった。それが、あゆが身代わりになってくれた結果だと判ってしまったから。それが、あゆに何をもたらすか、判ってしまったから。

それに見合うなにものも、与えられないのに。


だから今日は、寄り道をしてしまったのだろう。ちょっとでも気を晴らしたくて。もしかしたら、家に着く時間を少し、先延ばしにしたかったのかもしれない。


でも今だけは、余計なことをすべて忘れて、ただ笑っていた。




****




結局1日中読み上げていたあゆと、それを整理解析していたシャマルは、疲労困憊してソファに沈没していた。

「ほら、かりんの蜂蜜漬け。喉にええで」

「あ゛り゛か゛と゛う゛。な゛の゛で゛す゛」

差し出されたかりんを、あーん。と頬張る。

「フォークまで食ぅたら、あかんえ?」

はやてはなんだか嬉しそうだ。

「ったく、てめぇらは加減ってもんを知んねぇのか」

「ヴィータちゃん、ありがと~」

シャマルの額に乗せた濡れタオルを代えてやりながら、ヴィータが毒づく。

本当なら今夜、もうひとつの【瞳】を回収しに行くはずだったのだ。しかし肝心のシャマルがこれでは、支援が心許ない。

早々に今夜の出撃を諦めたシグナムが、先刻そのことを告げたのだ。

ヴィータはバトルマニアではないが、はやてのために自慢の鉄槌を振るえる機会を楽しみにしていた。タオルを絞るその手に力が篭るのも無理もなかろう。

「あゆちゃん。明日は、別の手段を講じましょうねぇ~」

「自重しろっ!」

叩きつけるように投げ下ろした濡れタオルが、びしゃ!っとシャマルの額にクリーンヒットした。



[14611] #9  脅威は追憶の彼方からなの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:29



「お、ヴィータのスパーク攻撃、大成功やな」

「ハンマーの扱いにかけて、ヴィータの右に出る者はおりません」

はやてに応えたシグナムは、実はルールを知らない。


八神家総出で観戦しているのは、ゲートボールの練習試合。ヴィータが出場しているのだ。


        ――【がんばれヴィータ!】――


……練習試合に横断幕は、やりすぎではなかろうか?


中丘町スィート・パームス VS 海鳴トム・アプローズ。因縁の対戦。

来月には市民大会があるそうだが、このカードはその決勝戦を先行実施しているようなものらしい。

ヴィータの所属する中丘町スィート・パームスは全員が女性――心が女なら医学的には男性でも可――といういささか珍しいゲートボールチームで、名将高柳真理子(旧姓:広岡)女史率いる設立2年目の新進気鋭揃い。

対する海鳴トム・アプローズは、ゲートボールが出来た時から有ったと言う名門。そのぶん草葉の陰から見守っているOBの人数は随一。

ちなみに何が因縁の対決かというと、両チームの監督の夫婦喧嘩がもとで中丘町スィート・パームスが設立され、去年の市民大会で優勝してしまったからである。




****




大勝して、機嫌のいいヴィータでは、あるのだが……。

「応援に来てくれんのは嬉しいけどさぁ。
 ……なんだよ。これ?」



    それは、まさに墨塊であった。

  卵焼きと呼ぶには、あまりにも焦げすぎていた。



「ごめんなさい。ちょっと目を離した隙に……」

「砂糖入れた卵焼きは焦げやすいしなぁ」

シャマルが初挑戦した卵焼きは、炭焼き風だったようだ。炭で、ではなく、炭を、だが。

「失敗作を弁当に詰めてくんなよ。
 今日はもう終わったからいいけど、腹壊したら試合どころじゃねぇじゃねぇか」

試しにヴィータが箸を刺したら、灰となって崩れ落ちてしまった。蘇生にはカドルトが必要だろう。

「ごめんなさい」

シャマルは平謝り。けれど視線があゆに。

「しゃまるねぇさまが、はやおきしてつくられたのです。
 おひろめくらいしないと。なのです」

「てめぇのさしがねか、あゆ」

言葉面に比べて、その語調は厳しくない。むしろ、炭の欠片を口に運ぼうとするあゆを止めている。

「おねぇちゃんのりょうりとは くらべものになりませんが、これはこれで なかなかいけるのですよ?」

炭には吸着作用があるので、解毒に使えないこともない。実際あゆは、サバイバル訓練で何度か胃腸薬代わりに食べていた。

苦労してすりつぶす必要がないぶん良い炭だ。とまでは、さすがにあゆも言わないが。


「精進やな」

喜ぶべきか悲しむべきか、それとも恥じ入るべきかと惑うシャマルの肩を、そっとはやてが叩いていた。




****




あゆが、半透明のテンキーを打っている。

いや、数字が8までしかないからエイトキーと呼ぶべきか。

口頭ではあゆの喉に負担がかかりすぎるためシャマルが組んだ、クラールヴィント直結のマンデバイスインタフェースである。

【瞳】を挟むようにテーブルに着いているあゆとシャマルを、ザフィーラがリビングの端から見やっていた。この2人は、ほっとけばまた昨日のように根を詰めかねないので、ヴィータの厳命で監視しているのだ。

「やっぱり、ここから記述式が違うわ。
 便宜上ディビジョンと名付けて、構造予測……。
 あゆちゃん、そちらに送ったパターンで構造化、さらに内部で階層化していると予測しました」

閉じていたまぶたを一度だけ上げて、あゆが立体表示された構造予測モデルを見やった。

「わかりました。なのです」

再びまぶたを下ろして、あゆは手の中の【瞳】に意識を集中する。浮遊している魔力素単体ならともかく、こうした魔力素集積体、物質化魔力体相手なら、視覚に頼らないほうが明晰に視えると気付いたのだ。


今頃シグナムとヴィータは遠方の無人世界へと赴き、リンカーコアを持つ巨大生物からの蒐集を試しているころだろう。

出掛けに「きつねは、じぶんのすあなのまわりでは、かりをしないのですね」と言ったあゆが、ヴィータに拳骨を落とされていたか。


「さぁて、そろそろ一息入れてなぁ。おやつやよぅ」

膝の上のトレィに手作りラスクを満載にして、はやてがキッチンから出てくる。

「あっ、わたしお茶入れますね」

「しぐなむねぇさまと、びぃーたおねぇちゃん。おそいのです」

「せやなぁ。おやつまでには帰ってくるって言うとったのにな」

ゲートボールの練習試合程度では晴らしきれない鬱憤を、ぶつけているのであろう。見たこともない巨大生物に、あゆは同情するのであった。




****




「そんなに おそろしいばしょ だったのですか?」

ああ。と、崩れるに任せるようにしてシグナムが座り込む。

「あのような手練れが、この世界に居ようとはな」

「魔法もなしにわたしの隠蔽魔法を見破られるなんて、思っても見ませんでした」

悔しさを隠そうともせず、シャマルは爪を噛む。

「あたいの相手も、ありゃ人間じゃねぇぞ」

こちらはどさりと、ヴィータがソファに身を投げ出した。


残されていた【瞳】、その最後の1個を回収すべく今夜シグナム・シャマル・ヴィータの3人は、とある屋敷の敷地へと侵入した。

もとより警戒厳重なのは承知していたから、ヴォルケンリッターといえど油断していたわけではない。

だが、相手が悪かった。

塀を跳び越え敷地に足を着けた途端に屋敷から現れたのは、3人の男女だった。

その身ごなしだけで尋常ならざる使い手と認識したシグナムは、ヴィータと2人で相手の足止め、シャマルに回収を任せようとする。

しかし、意に反して足止めされたのはシグナムたちの方であった。二振りの小太刀を自在に操る青年とメイド服姿の女性は、それぞれにシグナム、ヴィータを圧倒した。

もう一人の女性の追跡をどうしても振り切れず、シャマルが追い詰められるに至ってシグナムは回収を断念。

相手に明確な殺意がなかったことを頼みに強引に合流。連結刃シュランゲフォルムによる防御と、シャマルの隠蔽魔法の強化のもと、ヴィータの転移魔法で別世界へと逃走したのであった。

「攻撃さえ出来たらよ!!」

憤りに虹彩を青く染め、ヴィータが吼える。横薙ぎにはらったこぶしの、しかしやり場がない。

相手を一切傷つけてはならないと申し渡されていたとは云え、ベルカの騎士が同数での戦いに遅れを取ったのだ。ヴィータならずとも叫びたくなるだろう。


「ん?どうしたのだ、あゆ」

あゆの顔色が悪いことに気付いたのは、留守居だったために精神的な衝撃の少ないザフィーラだった。

「……こだち、2とうりゅう。なのですか」


あゆは、施設が襲撃された夜に小太刀二刀流を使う敵の姿を見ている。一撃一撃が重く、しかし迅い。あゆたちを歯牙にもかけぬ教官たちが、ことごとく一刀のもとに叩きふせられていった。

業の染み付いた技というものを、あゆは初めて見ただろう。業を生む技、業に至った技、業そのものの技。力だけでなく、速さだけでなく。積み重ねられ研鑚された歴史がその太刀筋を支えている。人の意志が、引き継がれるたびに力になっていくのだ。

自分では、ああは成れない。理由もなく、ただ感じるままにあゆは悟った。

あんな存在が居るのに、あれより強くどころか、同じ高みにすら達し得ない。それはつまり、この世界に居てはいずれ殺される。と云うこと。

暗殺者になりたかったわけではない。ただ、その道しかなかっただけだ。けれど、その道すら往く手をふさがれた。

どこに行く宛てがあるわけでもなく、あゆは逃げ出した。習い憶えた技を忘れたかのように、身についた力も無くしたかのように、ただ夢中で駆け出した。ぼんやりと灯って見える魔力素だけが道標だった。



「あゆが居た組織の、敵対勢力かもしれない。ということか」

たまたま同じ武器を使う人間がいたからといって、それだけで結びつけるほどザフィーラは短絡ではない。それはあゆとて同じだ。

「あゆの存在が知れたら、拙いか?」

しかし、魔法なしとは云えシグナムを圧倒するほどの使い手が、この世にどれだけ居るというのだろう。

うむ。とシグナムが立ち上がった。

「あの【瞳】の確保は諦める。
 シャマル、サーチャーも外せ。最悪、暴走を始めてからでも我らなら間に合うはずだ」

「わかったわ」

でも。と立ち上がりかけたあゆを引き止めたのはザフィーラで、器用に顎であゆの肩を押さえ、自分にもたれかからせる。

あゆの麻痺はふくらはぎ近くまで忍び寄っていて抗えなかったが、尻尾で撫でてもらうにいたり、その気まで奪われただろう。

「あのタイミングで打って出てきたということは、前々から警戒していたに違いない。
 偵察の時か、魔法監視を気取られたか。
 いずれにせよ、下手に突付いてここに辿り着かれるわけにはいかん」

当分は手の出しようもないしな。と言い置いて、シグナムはキッチンへと踵を返す。

「もう19個もあるんだ。1個や2個、手に入れそびれたからっていいじゃねーか」

ソファから跳ね起きたヴィータが、シグナムを追ってキッチンへ。

「シグナム!あたいにもアイス♪」

「そんなもの出してない!」

くすくすと笑って、シャマルもキッチンへ消えた。

「わたしにもアイス下さい」

「シャマル、お前もか!」

ふさふさとお腹を撫でる尻尾を捕まえて、あゆはぎゅっと抱きしめた。

「アイス食べんならさー、はやて起こした方がよくねぇ?」

「よさんか!」

「うちのこと、呼んだん?」

パイントカップを抱えたヴィータがリビングに飛び出してくるのと、戸口から車椅子が入ってくるのが同時。

「おぉ!はやてぇ♪みんなでアイス食べようぜ」

ええねぇ♪と、あゆに気付いたはやてが、車椅子を寄せてくる。ザフィーラを羽織るようなあゆの姿に、笑顔。

「こっちも、ええやよねぇ」

それっきりなにも言わず、ただあゆの頭をなでた。



[14611] #10 未完の遺物と現在となの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/09 12:29




ダイニングのテーブルの上に出ているのはホットプレート。その上で香ばしく音を立てているのは円形の生地。

どうやら本日の昼食は、お好み焼きらしい。

「そろそろやな」

いい焼き加減になってきたお好み焼きに、はやてがソースをかける。黄緑色の顔付き機関車がトレードマークの、関西のメーカーのソースだ。

「あら大変。はやてちゃん、お箸を出し忘れてました」

「ああ、待ちぃなシャマル」

慌てて立ち上がろうとするシャマルを片手で制して、マヨネーズ、アオノリ、カツオ節と仕上げていく。

関西風のお好み焼きはな、この。と、今お好み焼きを切り分けるのに使って見せた金属製のヘラを指し示す。

「コテで食べんとならんのや」

各人の前の皿の横には、はやてが使っているものより一回り小さなコテが置いてあった。

「なるほど……」

調理に参加するために配られたのだろうかと考えていたシグナムは、自分の皿に乗せられたお好み焼きを見て得心する。ここからさらに切り分けながら食べるなら、合理的ではあろう。

「おねぇちゃん」

「なんや?あゆ」

ザフィーラの分を床においてやったあゆが、コテを手にした。

「ざふぃーらにぃさまも、これをつかって たべるのですか?」

見やれば、床に居鎮まる狼の前、皿の横にコテが置いてある。

「みんなに配ってや~」との指示のもと、ヴィータが置いたものだ。手渡された本数からすれば、間違いではない。


 ……

あ~。と、はやての視線が泳いだ。


「ごめん。
 お好きに食うて」




****




「解析が終わったそうだが?」

ヴィータに呼ばれたシグナムが、リビングに入ってくる。これで八神家が全員そろった。

「ええ」

テーブルの上では、紅茶が湯気を立てている。シグナムを呼んでくるまでの間に、はやてが用意したものだ。

クッキーやビスケット、チョコが満載にされた皿の、さらに上に、19個の【瞳】が浮いている。


あゆによる構造探査は3日前に終わっており、あとはシャマルとクラールヴィントによる解析を待つのみであったのだ。

「結論から言うと、この【瞳】は『人造リンカーコア』であり『祈願型デバイスの原型』です」

「人造リンカーコア!」

「祈願型デバイス?」

「原型とは?」

魔法のことを知らない2人は、口を挟まない。

「さらには、その試作品っぽいのですけどね」と、疲労の濃い顔に達成感の笑みを乗せて、シャマルが紅茶を飲み干した。

「シャマル。紅茶のお代わり、どうや?」

「はい。いただきます」


はやての淹れてくれた紅茶を一口含み、シャマルは解析結果から読み取った内容を語りだす。

【瞳】の持つ機能は、大きく3つ。

・魔力素収集機能。
・魔力蓄積機能。
・魔法行使機能。

このうち最初の2つがリンカーコアが持つ能力で、最後のひとつがデバイスの持つ機能である。カートリッジ式のデバイスなら後ろの2つの機能を持つ。と云えるだろう。

最大の特徴は魔力素収集機能だと、シャマルは言う。

魔力蓄積ならカートリッジ。

魔法行使ならデバイス。わけても祈願型インテリジェントデバイスがある。

しかし、魔力素収集機能を持つアイテムはない。いや、ないわけではないが、魔導炉のように大掛かりになってしまう。

【瞳】は、持ち運びできるサイズでSランク魔導師のリンカーコア並みの収集能力を発揮できた。もちろん蓄積容量はそれ以上で計り知れない。

携帯できる魔力素収集機能と魔力蓄積機能。人造リンカーコア、とシャマルが呼んだ理由がそこにある。

そして、魔法行使機能。

その制御部には、現在知られているものはおろか、彼女ら古代ベルカの騎士ですら知らない術式まで大量に組み込まれていたのだ。

例えば、一瞬で森林を形成するほどの成長促進魔法。

例えば、竜巻などの大規模な天候操作。

例えば、虚数空間にすら達する次元断層生成。

それらを、【瞳】は所有者の希望を汲んで自動で魔法を行使する。だから祈願型デバイスだとシャマルは判断した。原型。と付け加えたのは、【瞳】が作られたのがインテリジェントデバイスの登場以前だったのではないかとシャマルが推測したからだ。

だが、それがどんな容であれ、知性のある者にしか知性は理解できない。自動防御のような条件反射程度ならともかく、所有者の希望を明確に認識するには、【瞳】の判断能力は足りなさ過ぎる。とシャマルは断じた。

しかし、魔法行使に必要ながら相反することもあるこの3つの要素を内包できるだけですごい。ともシャマルは言う。

例えば、インテリジェントデバイスとカートリッジシステムは相性が悪いとされる。乱暴で急激な魔力上昇もそうだが、そもそも大量の魔力は操作が難しいのだ。

魔力素収集と魔力蓄積もそう。魔力素の収集機能は、蓄積した魔力も収集しようとする。それが巧くいっているのは、リンカーコアの生命体としての柔軟性ゆえだ。実際、リンカーコアの機能不全を障碍にもつ魔導師の中には、収集と蓄積によって魔力素をループさせてしまう者がいるし、魔導炉が大掛かりなのも、この問題を距離や遮蔽物などで解決するからである。


いくつか問題は抱えているものの、それでも、3つの機能を兼ね備えた【瞳】は、それだけで一人の魔導師だ。

「待て、それなら」

融合騎があるではないか。とシグナムは言う。

確かに融合騎ならリンカーコアを持ち自らの意思で魔法行使まで行うから、3つの機能を兼ね備えているだろう。しかし、

「一般的じゃ、ないでしょう?」と、シャマルは応える。

融合騎は、それを生み出した古代ベルカでさえ希少な存在だった。いま【闇の書】の中で眠っている管制人格を含めても、今の時代に片手も残ってないだろう。

しかも適性を必要とするうえ、融合事故の危険もあって使い手と状況を選ぶ。


だが【瞳】は21個もある。それどころか、複製すら可能だろう。

これに今のインテリジェントデバイスの機能を付け加えることが出来れば、リンカーコアを持たない人間でも魔法を使えるようになる。それも、最低でランクAクラスで、運用次第ではオーバーSランクの。


「それで、試作品というのは?」

最近では、もっぱらあゆのソファとなっているザフィーラだ。

あゆの麻痺はふくらはぎにまで及び、さすがに足首を固定できなくなって歩けなくなった。車椅子のレンタルを手配しているが、それまでザフィーラが脚代わりになることを買ってでたのだ。いつでも傍に居る必要ができたため、リビングではソファ代わりになっている。

羨ましいな。と姉が2人ほど思っているが、一人は言い出せず、一人は却下された。


「これは推測なのですけれど」

少し冷めてしまった紅茶で喉を潤して、シャマルが続ける。

21個ある【瞳】は、同じものではない。構造や基本的な能力こそ一緒だが、制御部の機構や保有する術式に違いがあるのだ。

シャマルはこれを、開発者たちの試行の結果と見た。

さらには、使用者の願いを汲み取る祈願処理機構が未完成であった。それでも、現状で使い物になるように、いくつかの仕様追加が見て取れる。

これだけの規模の魔力結晶体に、魔力封印が通用したのがそのひとつだ。

開発者たちは、魔力封印をかけることで祈願処理機能の自動実行を封じられるようにしていた。この状態の【瞳】に、その祈願処理機構部分のパラメータを理解したデバイス――現在ならインテリジェントデバイスが適任か――を組み合わせれば、十全とまでは行かなくても、【瞳】を使うことが出来るだろう。

「それにですね」と、シャマルは【瞳】をひとつ手にする。

おそらく、試験の途中で遺されたのだろう。【瞳】制御部の数万に及ぶパラメータは初期化もされず、さまざまなステータスが詰まったままで放置されていた。

もし、この状態で下手に【瞳】を使おうとしたら、とんでもない事態を引き起こしたことだろう。よくて魔力暴走、最悪で次元断層。決して望んだ結果は得られまい。


そこまで聞いてあゆは、まるで弾薬のようだと感じていた。

魔力が発射火薬で、魔法が弾丸。なるほど仕組みは一緒だ。

だが、あゆがそう感じたのは、弾薬も【瞳】も、それだけでは使い物にならないところにあった。

もちろん、弾薬は雷管を刺激さえすれば弾丸を発射する。【瞳】もそうだ。だが、それではどこに飛んでいくか、何をしでかすか判らない。

弾薬は銃で撃つべきで、【瞳】はデバイスの補助を受けねばならない。

だからあゆは、【瞳】を弾薬だと感じたのだ。


「で、【闇の書】の完成に使えんのかよ?」

クッキーをばりばりと噛み砕きながら、ヴィータは伸びをした。聞くだけと言うのも疲れるものだ。

「ええ。どれほどのページを埋められるか、そこまではやってみないとわからないけれど」

「今から試せるか?」

シグナムの問いに、しかしシャマルはかぶりを振る。

「パラメータの初期化と、19個それぞれへのインタフェース構築に、もう少し時間を頂戴」

そうか。とシグナムが応えたその時だ。

「魔力の発動を検知!」

「例の屋敷のヤツか?」

発生源の位置が、その問いを肯定する。

頷いたシャマルを確認したシグナムが、はやてに向き直って跪いた。

「あるじはやて。
 我らは現場に向かい、必要なら対処、封印を行います。
 例の場所ですので妨害も予想されます。その際に、反撃することの許可を戴きたい」

口を開きかけたはやてを身振りで押しとどめ、シグナムは頭を垂れる。

「攻撃魔法には非殺傷設定を行い。けして殺さぬと誓います。
 いくばくかの外傷は与えてしまうかもしれませんが、気絶させるだけです」

「シグナムにも困ったもんやなぁ」

車椅子を寄せたはやてが、シグナムの頭に手を置いた。

「うちは最初から許可したるつもりやったんやで。
 シグナムを信用しとるし、【瞳】が危険なこともわかっとる。
 シグナムがそう言うんやから、必要なことなんやろ?」

……はい。とシグナムは垂れた頭を深くした。目元に光るものがあったようにも見えたが、錯覚かもしれない。

立ち上がったシグナムは、すでに騎士服姿だった。

「油断ならない相手だ、全員で出るぞ」

「致し方なし、か」

人間形態で立ち上がったザフィーラ。はやてのデザインした騎士服姿になるのは、これが初めて。

「行ってきます」

「気ぃつけてな」

「はい」と応えたシャマルが、クラールヴィントを振り子状態に展開。

「ごぶうんを、なのです」

「任せとけ!」

気合充分なヴィータがその鉄槌を構えた途端、ヴォルケンリッターの姿が掻き消えた。



[14611] #11 秘めた決意、隠れた選択なの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/04 15:09




『仔猫だな』

『ああ……』

遠目に封時結界を見やって、ヴィータとシグナム。シグナムの返事がそっけないのは、結界の出来を見て内心賞賛していたからだ。

『はやてちゃんが見たら、喜ぶかしら?』

『どうであろうな?あの大きさでは』

シャマルとザフィーラは、さらに離れている。いざという時どう結界を破ろうかと、シャマルは計算に忙しいはずなのにそうは見えない。

4人とも魔法で外見をごまかし、さらに隠蔽魔法で姿を隠していた。


見えるのは、巨大な仔猫。

生物の生長促進ではなく、巨大化。しかも仔猫の体型を維持したままで、潰れもしていない。

現代魔法はもとより、古代ベルカでもありえない術式。莫大な魔力を背景にした強引な魔法は、あきらかに【瞳】の仕業であろう。

『あれなら、差し迫った危険はなさそうだ。
 白い魔導師が手間取るようなら、飛び込むぞ』

屋敷から、以前ほどの警戒を感じない。シグナムは、今なら侵入も可能と判断したようだ。

3人の応えを確認して、シグナムは現場に視線を戻そうとした。しかし、その視界に捉えたものは、

「黒い……魔導師?」

円形のミッドチルダ式魔法陣を展開した少女が掻き消えた瞬間だった。

『転移反応、結界内にでます』

結界内に現れるやいなや発射体を生成、槍のような魔力弾を仔猫に打ち込む。

「悪くない手際だ。やるな」

自分たちの将が観戦モードになったのを感じとったのだろう。紅の鉄騎はふてくされたかのように座り込んだ。

追撃を続ける黒衣の魔導師と、立ちふさがって防御魔法を展開する白い魔導師。結界内で邂逅した2人は、しばし見詰め合った。

「一方的……。いや、白い方に戦う意志がないのか」

デバイスを変形させ、鎌様の魔力刃で襲いかかる黒衣の魔導師の攻撃を、白い魔導師は避け、防ぐことしかしない。

絶え間ない攻撃と、堅牢な防御。そのままであれば、その攻防に決着はつかなかったであろう。

距離を開け、対峙する2人の均衡を破ったのは、ダメージから立ち直った巨大仔猫。能天気にも「にゃあ」と。

覚悟の差か、練度の差か、とっさに放たれた魔力弾が、白い魔導師を撃墜した。

「『ごめんね』、か」

直前の唇を読んで、シグナムが独り語ちる。「根は優しいのかもな」と、口中で付け足して。

『どうすんだ?くれてやんのかよ?』

変形した黒杖が4枚の光翼を広げ、黒衣の魔導師が今にも【瞳】を封印しようとしている。それを横取りするか?とヴィータは言いたいのだろう。

『いや、やめておこう』

烈火の将は即決する。

『我らの目標はあくまでも【瞳】の無害化だ。
 ここで相手を傷つけでもしたら、あるじはやてに申し訳がたたん』

それに。とシグナムは口中で続ける。我らが侵入した途端、先般の連中が出て来ないとも限らない。と。

『黒衣の魔導師は、おそらく転移を行うだろう。
 シャマル、転移先の特定を頼む』

『任せて』

まさか、素直に根城を目指すことはなかろう。と思いつつも、念のために指示だけは出しておく。

結界内から転移した黒衣の魔導師は、そのまま転移を重ね、シグナムの予想はすぐ現実のものとなった。




さて、ヴォルケンリッターが帰還した八神家では、

「超巨大な仔猫かぁ、見たかったなぁ」

「いっけんの、かちあり。なのです」

「あ、映像ありますよ」

「ナイスや、シャマル」

「しゃまるねぇさま、ぐっじょぶ。なのです」

シャマルの株が急上昇していた。

「おなかのうえで、ほんがよめるおおきさ!なのです」

連れて帰ってきていたら喜ばれていただろうか?と、つい考えてしまったのはシグナムである。




****




「それでは始めますね」

シャマルが満座のリビングを見渡すと、全員が黙って頷いた。

「クラールヴィント、【瞳】の管制をお願い」

 ≪ Ja ≫

テーブルの上に浮かぶひとつの【瞳】を、挟むように2つの振り子水晶が展開する。

あゆから手渡された【闇の書】を掲げ、シャマルがページを開いた。

「【闇の書】、蒐集」

 ≪ Sammlung ≫

ぱらり、ぱらり。白紙が術式で埋まるたびにページがめくられていく。徐々に加速して、個々のページが視認できないほどまで。

「すごい。なのです」

「ええ」

【瞳】の解析に携わった2人には、予想できる事態だった。だが、それでも言葉短く洩らすのみ。


ばたん。と音をたてて【闇の書】が閉じる。【瞳】の魔力はまだまだ余裕があるが、書き記すべき術式を全て写しきってしまったのだ。

「……何ページ、いった?」

烈火の将には不似合いなことに、シグナムはおそるおそる訊ねた。

「200ページ、と少し。といったところでしょうか」


シャマルの返答に、誰も口を開けない。


「すげぇじゃんか!」

やにわに立ち上がったヴィータが、興奮して【闇の書】を掴み取った。

「あと3個も蒐集させりゃ、すぐに完せ……」

口篭もったのは、自分と同様に喜んでる顔が少なかったからだ。シャマルは特に厳しい顔をしている。

「待ってね。ヴィータちゃん」

もうひとつ【瞳】を取り出したシャマルが、蒐集の終わったそれと交換。ヴィータから【闇の書】を受け取って掲げる。

「蒐集開始」

≪ Sammlung ≫

ぱらり、ぱらり。と、先ほどと同様に白紙が埋められていく。

しかし、それはあっという間に終わって【闇の書】が閉じた。

「……やっぱり」

「どういうことだ?」

落胆が過ぎて口も利けないヴィータに代わって、問うたのはザフィーラ。

「【瞳】に記録されている術式、それはほとんど同じものなの」

シャマルは言う。

これが魔導師や魔法生物なら、例え同じ魔法でも個体差が出る。【闇の書】は、それを別物として記録するだろう。魔導師でない魔法生物は個性が出にくいから効率は悪いが、それでも全くの無駄と云うわけではない。

しかし【瞳】に記録された術式は違う。単なるコピーに過ぎないそれらを、【闇の書】は同じものとして認識し、書き写さない。

2つ目の【瞳】からたいして蒐集されなかったのは、それだけしか違いがなかった。後は共通した術式だった。ということだ。

「20ページほどですね」

【闇の書】を見たシャマルは、そう確認する。

「19個を全て蒐集しても、560ページということか」

蒐集し終わった【瞳】を掴み取ったシグナムの、問いはつぶやきめいて力ない。

「多少の誤差がありますから、結果的に570ページくらいには」

【瞳】をすべて解析したシャマルは、その内包する術式の差異を把握している。その差分を計算した結果と、たったいま埋まったページとを突き合わせて、最終的に570ページほどになると結論付けていた。

「仮にあと2つ回収してきても届かぬ。か、」

ザフィーラは、自分にもたれかからせている少女に視線をやる。中途半端な蒐集は、【闇の書】を刺激して所持者への侵蝕を加速する恐れがあるとシャマルから聞いていた。それは当然、あるじの肩代わりをしているこの少女への負担となる。

ふさふさと、感情が尻尾に出ていたらしい。あゆが振り返った。

「ざふぃーらにぃさま?」

「なんだ。お手洗いか?」

ごまかしたザフィーラを、あゆは追求しないことにしたのだろう。

「でりかしーのない、おにぃさま。なのです」

ふだん気にしたこともないデリカシーなど持ち出して、その鼻を抓んだのだから。

ネコ目に限らず、多くの動物にとって鼻は急所である。盾の守護獣として頑健な肉体を持つザフィーラとて例外ではない。

たいして強く抓まれたわけではないにしろ、怯むには充分。そのうえで、

「つぎは、みみをかんでさしあげます」

などと言われたザフィーラは、あゆには逆らうまい。と誓ったとか誓わなかったとか。


「たった100ページ!何人か蒐集すればすぐ埋まるっ!」

「ヴィータ」

テーブルを叩いて吼えるヴィータを、はやてが意外に冷静な声音でたしなめる。

「そうです。
 ひとさまのりんかーこあなど むりやりうばわなくとも、なんとでもなります。
 それとも、びぃーたおねぇちゃんは、きょだいせいぶつからしゅうしゅうするのは めんどくさくて、おいや。なのですか?」

「そんなワケねー!」

なら、いいのです。と強引に話しを締めくくったあゆを、怪訝げにシグナムが見やっていた。




****




海鳴市は、日暮れの早い土地である。

卯月も半ばのこの時期、7時ともなればもう真っ暗だ。


住宅街を音もなく歩くのは狼形態のザフィーラである。馬でもあるまいに、かなりの速度を常歩ですたすたと。

いや、いまは馬なのか。

背中にあゆを乗せているのだ。


歩けなくなって、あゆは外出が減った。それまでとて頻繁に出歩いていたわけではないが、少なくともはやてが出かけるなら着いて行かないことはなかった。

それが、遠慮するようになったのだ。

ヴォルケンリッターの誰かなりが抱きかかえてやると言っても、1度や2度では首肯しない。

結局はやての強権発動でさらわれるように連れ出されるのだが、そのときの表情はたとえ朴念仁のザフィーラでも容易に読み解けたであろう。



そこで散歩である。

「散歩に行きたいのだ。付き添ってくれ」

真顔――狼の真顔が区別付くかどうかはさておき――でそう言われたあゆは、リビングを横断中だったはやてに視線をやった。

「どないしたんやー」と目顔で応えて、でもそれだけ。車椅子は慣性の法則にしたがってキッチンへと去ってしまう。

シャマルは……。ダイニングのテーブルでクラールヴィントと何か作業をしていて、こちらに背を向けている。いつもと座る位置が違うようだ。

「びぃー」「あたいは願いさげだ。そんなの連れて出歩けるか」

ヴィータはテレビでやってる海外ドラマ【殺アイスクリーム事件】に釘付けで、振り向いてもくれなかった。時代劇とかミステリーがお気に入りらしい。



そうして今、あゆはザフィーラの背で揺られているのである。

「すまんな、付き合わせて」

周囲に気配がないことを確認して、青き狼が口を開く。

「いいえ……。
 
 ……ありがとう。なのです」

「なんのことだ」

「つきが、きれいだと……はじめて しりましたから」

それはザフィーラへの向けたわけではなかったのだろう。アンテナのように引き回した耳で声の指向性を聞き取って、狼は口を閉じた。

少しでも気分転換になってくれればいい。とザフィーラは思う。このところ、あゆは働きすぎだ。麻痺の進行度合も気になる。

【瞳】のおかげで、少なくとも魔力についての心配がなくなっていたことにザフィーラは感謝した。


「すげー!」
「でっけー!」
「おおかみ?おおかみか!?」
「うわっ、オレも乗りてぇ!」
「いいなー」

駆け寄ってきたのは両手に余る人数の子供たち。背丈はバラバラで男の子が多いが、女の子も何人か。

「こら、お前たち。走り込みの途中で寄り道するんじゃない」

「しぐなむねぇさま?」

ポニーテールを揺らした人影が、シグナムの声で子供たちに注意したのだ。袴姿のシルエットが凛々しい。

 「シグナム先生の妹?」          「シグナムせんせー。おおかみ、かってるの?」
  「にてねー」             「先生、乗ってもいい?狼、乗ってもいい?」
   「きっと複雑な家庭事情なんだよ」       「あ、いいなー。僕も乗りたい」
    「かっけー!」            「しっぽ、ふっさふさ。ほしー」
     「どっちが?狼?家庭の事情?」      「せんせー、狼どこで獲ってきたの?」
  「はじめまして、シグナム先生の生徒で、ムサシって言います」 「あっ、おれコゴロー」
「これはどうもごていねいに。やがみあゆ、なのです」
  「かわいいよう!おっ持ち帰りぃ♪」               「キバ、すげー!」
 「よさんか」                    「……おお、かみよ。えぃめん」
「せんせえせんせえ、おおかみこわい……」         「よ~わむし~!」
 「むむ……胸毛の返しがない。すわ新種か!我が名が、ついに学名に!」  「ふかふかー♪」
  「おおかみさん、おおかみさん。お名前は?」       「…じんぎすかん?」
 「……」                    
「先生先生、うちのチョビとで仔を取りましょう。儲けは折半で」    「ツメもすげー!」

なかなかにカオスである。

シグナムはこめかみを押さえるばかり。


ざふぃーらにぃさま、よろしいですか?と、唇をほとんど動かさずに落とされた小声は、カリカリとアスファルトを掻く音で返された。


ぱんぱんと手を叩いて注目を寄せたあゆは、人差し指を高く掲げる。

「いっとうしょうで どうじょうについたひとを、のせてあげるのです」

いつもより高い声音と、溌剌とした口調。

今からのこの場に治めるにふさわしい性格を、演じてみせる。


再びぱんと、両手を打ち鳴らす。

「まずは ねんしょうぐみさん。ほいくえんのこ、ようちえんのこ。なのですよ。
 いちについて、よーい。
 どん!なのです」

「おー!」
「きゃー!」

たちまち駆け出す年少組。走るというより、ころころと転がっているような印象だが。

「つぎは、しょうがっこう ていがくねんさんですよ。よういはいいですか?」

「おぉー!」
「はやくはやくっ!」

はんでは?と向けられた視線に、「30秒だな」とシグナムの応え。

自身の心拍数を把握しているあゆは、多少なら遡って時間を計測できる。

「では……、6・5・4・3・2・1・ごー!なのです」

「やったらー!」
「あいたっ」

慌てるからだ。と転んだ男の子をシグナムが起こしてやると、泣きもせず途端に駆け出した。

「つづいて、しょうがっこう ちゅうがくねんさんですよ。
 おいぬくときは こえかけて、ぼうがいとか、きしどうにはんするこういは ゆるしませんよ。
 あーゆーれでぃ?」

「いぇー!」

なかなかののりなのです。と満足げに頷くあゆ。

「4…50秒だな」

並んだ顔触れを見て、シグナムが宣告。


「では、5びょうまえ」
「5秒前!」

手を突き上げ、手のひらを広げて見せると、中学年たちが付き従う。

「4」
「4!」

突き上げた手の、指でもカウントダウン。

「3」
「3!!」

「2」
「2!!!」

「1」
「1!!!!」

「げーへん!なのです」

 ……

「あ、行かなきゃ」
「あ、そっか」

カウントダウンすることに気を取られて、出遅れるのはどうだろう?中学年たちよ。


「そして、しょうがっこう こうがくねんさんですよ。
 のる。いがいのこうしょうごとも、いっとうしょうじゃないと うけつけないので、あしからず」

「えー!」
「よーし!完全勝利で、おっ持ちかえりぃ♪」
「させるかー!」

こめかみを押さえて、「1分だ」シグナム。

「……では、ごー!   と、いったら はしるんですよ?」

「あたあたあた……」
「フェイントずっけー!」

「といいつつ、ごー!なのです」


     「……」


「ほんとですよ?」

「わぁぁぁ!」
「性格悪ぃ!ホントにシグナム先生の妹かよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

ドップラー効果である。

「次は3分だな」

「さいごに、ちゅうがくせいさん。……なぜ、そんなに やるきまんまんなのですか?」

残った2人は、実に念入りに準備体操していた。

「ふふふ、我が名が学名に。永遠に刻まれるのだ!」
「1匹30万として、180万。半分でも90万……。40万でもいけるか?」

あゆに応えたわけではないのだろう。ぶつぶつと声が小さい。

「あゆ、やっぱり4分だ」

「せんせー!そんなゴムタイヤ」
「むむ、旧態依然たる学会の抵抗勢力か!?見損なったぞシグナム先生」

それでも準備体操を止めないところがまた……。



「はい、10びょうまえ、なのです。げっとせっと」

気合充分なクラウチングスタイルが2つ。

「れでぃー、ごー。なのです」

「なんぴとたりとも我が前は走らせーーーーーーーーん!」
「おっ金、お金♪おっ金だっけが人生よ♪」

その調子っぱずれの歌で、なぜあんなに速く走れるのだろう?


はぁ。とシグナムの嘆息が重い。

「ひじょうきんこうし、おつかれさま。なのです」

「いや、散歩のところをすまん。助かった」

「いえ。けっこうたのしかった。なのです」

嘘ではない。本当に少し、楽しかったのだ。同年代の子供たちと戯れるということが。

笑顔のあゆのその頭を、「そうか」とシグナムがくしゃくしゃに。

「では、ゴールの判定をしに行ってくる」

「はい」と、あゆが応える前に駆け出したシグナムは、あっという間に見えなくなった。「なんだ、そのへっぴり腰は!」と怒声が聞こえてくる。


「我らも、ぼちぼちと向かうとしよう」

「はい」

ゆるりと歩き出すザフィーラの背で揺られ、あゆは自分についてくる月を見上げた。今宵は、寄り添うように月が近い。



あゆの預かり知らぬことであるが、あゆと面識のない目撃者の間で、あゆは【サン】と名付けられ、都市伝説化していくのであった。

もし知ったら、「3ではなくて、54だったのです」とでも反論しただろうか?






















そうそう、優勝者コメントをどうぞ。



 「……おおかみ、こわい……」



[14611] #11.5 静夜の捧げ物[IF]
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:30



「縛れ、鋼の軛」

ぽつりと洩らされた詠唱に、反応できなかった。



白い魔力光とともに現れた板状の枷に囚われたのは、猫である。塀の上で箱のようになっていたところを突然に四肢を縛められて、啼くことも暴れることも忘れて瞳を丸くしている。

 ≪ Fesseln der Magie ≫

「ふむ、たしかにただの猫ではなさそうだ」

猫の正面、同じ塀の上に立っているのはシグナム。

「ええ、魔力封印にしっかりと手応えが」

右手にシャマル。ジュエルシードを5つ引き連れている。

「面倒かけさせんじゃねぇぞ」

グラーフアイゼンを担ぎ上げて、ヴィータは左手に。

「……おかしな真似をしたら、」

背後に現れたザフィーラは、それ以上何も言わず、ただ戒めを締め上げた。




****




あゆは、リビングから見える塀の上に時折、猫が居ることに気付いていた。歪つな訓練教育の結果、妙なところで常識を知らない――図鑑で見たケーブライオンがまだ存在すると思っている――あゆは、その猫の毛並みや毛色が有りえないとは知らなかったが。

だがしかし、一度だけその猫が歩いているところを目撃した。その跡で、掃いたように魔力素が消えているのを見たのだ。

今ではそういう存在を知っている。兄姉と慕う、他ならぬヴォルケンリッター達だ。魔力レベルの高い魔導師や騎士は、移動しながら魔力素を取り込んでいくので、そうした痕跡をしばらく残す。

その特徴を読んで、誰が何時どう通ったか、あゆは把握できるようになっていた。




****




「さて、お前が何者か、吐いてもらおうか」

シグナムに摘まれるようにしてリビングに引き立てられてきた猫が「にゃあ」と啼く。

「いまさらごまかせると思ってんのか、なめんじゃねぇぞ」

グラーフアイゼンの尖った杖先を突きつけ、ヴィータの声は低い。

それでも猫は「にゃあ」と。

「てめぇ!」

振り上げた鉄槌は、しかし「まってください」あゆの声で止められた。

「そんな けんかごしでは、はなせるものも、はなせなくなるのです」

ソファから床に下りようとするあゆを、ザフィーラが抱きかかえてくれる。そのまま、猫の傍へ。

「それに、こんな きゅうくつなかっこうでは。
 まほうもふういんして、ふうさりょういきも てんかいされているのでしょう?
 にげようがないのですから、このいましめを といてあげてください」

ねこさんも、くるしいでしょう?と笑顔で問いかけられて、思わず頷き返してしまった猫は、自分がただの猫ではないと言ってしまったも同然だということに気付いていない。

「ああ、こんなにあとがついて。いたかったでしょう」

消えた戒めの痕を撫でながら、あゆは眉根を寄せた。

「にぃさまたちは ちょっとらんぼうで、ほんとうにごめんなさい。なのです。
 ねこさん。……えぇと、おなまえは?」

「リーゼロッテ」と答えてしまってから、ロッテはその口を塞ぐ。猫の骨格では無理なその仕種もアウトなのだが。

「リーゼロッテ、か。使い魔だな。
 そのまま我が家を監視していた理由も素直に吐いてくれる……気は、なさそうだな」

睨みつけてくる猫に嘆息を返し、シグナムは壁に背を預けた。

「で?どうすんだこいつ?」

グラーフアイゼンをペンダントに戻し、ヴィータはあゆの正面に座り込んだ。

「一番手っ取り早いのは、このまま始末してしまうことだが」

ザフィーラはあゆの背後で仁王立ち。

「それだと、背後関係が掴めないわ」

ダイニング側に離れて立っているシャマルは、なにか淹れるべきかと思案中。

「始末しちまって、様子を見に来た後続を捕まえるって手もあんだろ?」と、ヴィータが提案した途端だった。人間形態に姿を変えたリーゼロッテが、その左手をあゆの喉にかけたのは。

「動くな、動けばこの子のノ」

全てを言い切る前にその手首を掴んだのは、当の、人質にしようとしているあゆの左手だった。そのまま手首を引きながら、折り立てた右肘でロッテの左肘を押さえつける。

なんて稚拙な擒拿術。とロッテは内心で嗤う。一瞬驚きはしたものの、体術を得手とするロッテに、こんな初歩的な技が通用するものか。

だが、その一瞬で充分だった。

背後から髪の毛を掴まれたロッテはそのまま床に叩き付けられ、全身これでもかというほどの枷で縛り上げられ、その顔のぎりぎりを掠めて床を打ったハンマーを見せ付けられた。

「少々くつろいだ姿を見せただけで」

その髪の毛を掴んだまま、シグナムはリーゼロッテを牽き摺る。あゆから引き離すために。

「あたいらヴォルケンリッターを出し抜けると思われるたぁ」

グラーフアイゼンを再びネックレスに戻し、その小さなハンマーでリーゼロッテの額を打つ。

「なめられたものだな」

あゆを抱きかかえてザフィーラが一歩下がる。「怪我はないか」との問いに、「はい」との応え。

「まったくです」

得体も知れない相手と接触するのだ。全員にパンツァーガイストクラスの防護魔法がかけてあった。もちろん隠蔽付きで。

あゆがリーゼロッテの気を惹かなくとも、あっという間に取り押さえられていたであろう。

さらには、ロッテは気付かなかったようだが、――使い魔はその素体となった動物の姿が基本であり、人間形態ではその保持だけでも魔力を使う――ジュエルシードによる魔力封印を受けたリーゼロッテでは変身するのがやっとで、その動きはいつもの精彩を欠いていた。

「どうやら、死にてぇらしいな」

容赦なく牽き立てられたリーゼロッテの前で、ヴィータが仁王立ち。

「まってください。
 りーぜろってさん、あまり てあらなことは したくないのです。
 おねがいですから、すなおにおしえてください」

嘘ではない。

取調べの基本として、鬼役、仏役を割り振っていたのは確かだが、はやての気持ちを考えるとむざむざ被害者を出したくはないのだ。

しかし、今は若い女性の姿をしたリーゼロッテは、首を縦にも横にも振らない。

「その覚悟やよし。と賞賛したいところだが、我らもあるじの平穏のために譲れん一線がある」

任せた。とシグナムは、リーゼロッテをシャマルのほうへと突き出した。その名を呼ばないのは無用な情報を与えないためだ。近々接触しようと考えている魔導師たちとは危険度が違う。

「安全の保障は致しかねますけど」

その右手首に4つのジュエルシードを周回させたシャマルが、リーゼロッテの額に手のひらを添える。

 ≪ Gedankenentzug ≫

それは、対象の記憶を強制的に読み出す術式。

相手の記憶を読み取れるレアスキルを持つ者が稀に居るが、その魔法版であった。

「貴女は何者です?」

もちろんリーゼロッテは答えない。しかし、そのことを考えないようにするのは難しい。

「……リーゼロッテ。てっきり偽名だと思っていましたが」

ジュエルシードを通じて見えた情報を、シャマルが口にする。

「そして、ギル・グレアム時空管理局顧問官の使い魔、ですか」

「時空管理局か!」

正直、シグナムは時空管理局を脅威と思っていなかった。特に、このような辺境世界では。しかし、こうして【闇の書】の転生先を突き止めたとあっては、その認識を改めるべきだろう。

「では、目的は?
 
 ……八神はやての監視、【闇の書】蒐集の進捗度確認、ね」

ロッテは、懸命に考えないようにする。頭の中を美味しそうなネズミで一杯にするが、その程度でジュエルシードの術式から逃れられるはずもない。

「管理局なら、【闇の書】を見つけた時点で確保しようとするのではないか?
 一体、何を企んでいる?」

浮かんだ疑問をシグナムが口にすると、遺失術式はそれをも律儀にリーゼロッテの脳髄から引き摺り出す。

「……!」

思わず息を呑んだシャマルに、「どうした?」と、ザフィーラが一歩。

「……【闇の書】の転生を防ぐために、はやてちゃんごと永久に凍結封印するつもり、だそうです」

 ……

「なんだと!」とヴィータが詰め寄るよりも先だった。シグナムの肩に手をかけて乗り出してきたあゆが、リーゼロッテの喉元を締め上げたのは。

「!……」

その、後先考えない行動に慌てたのはザフィーラだ。あゆの体を取り落とさないよう抱え直す。

「……おねぇちゃんが、いったいなにを したっていうんです!」

ジュエルシード越しに何を見たのか、シャマルが目を見開いている。

「えいきゅうにひとりぼっちで とじこめられなければならないような、そんなわるいことを おねぇちゃんがするわけ、ないでしょう!」

がくがくと揺さぶられるが、ロッテは応えない。それはもちろん尋問時の正しい対処法ではあるが、それだけではないのだろう。リーゼロッテの視線が逃げた。

その有様を盗み見て、シャマルは何か納得したかのように今は床に落ちている【闇の書】を視界に入れる。リーゼロッテに掴みかかった時に、あゆが落としていたのだ。

「わたしは……、わたしは あなたをゆるしません。
 わたしのたいせつなおねぇちゃんに ひどいことをしようとする あなたを、ぜったいにゆるしません!
 ……わたしにちからがあれば、いますぐ ひきさいてやるのに」

あゆは理解していた。自分が体術において、この使い魔の足元にも及ばないことを。さきほど関節を極めようとしたときに見せ付けられた、その反応だけで鳥肌が立った。その気配だけで体が萎縮した。がんじがらめの今の状態でもこの使い魔は、あゆをいなしてみせるだろう。

みずからの無力さを噛みしめて、でもだからといって何もせでは居られず、ただただあゆはリーゼロッテを睨みつけた。視線で人が殺せるものなら、そうなっていたであろうほどに。



ざわりと胸元が締め付けられるような感覚をおぼえて、ロッテはあゆに向き直った。

何か、得体の知れない力が圧し掛かって来るのを感じるのだ。気を確かに持てば抵抗は難しくないが、全身にたかられた蟻に、その顎を突きつけられているような不快感が拭えない。ロッテは、第13管理外世界での任務でレム・コンドリアと呼ばれる原生生物に触れたことがあった。魔力で構成された人型形態だったから致命的な結果にはならなかったが、そのときの、細胞を1個1個奪われていくような喪失感を思い出して身震いする。


「もういいだろう。
 こいつにはまだ使い道がある。私に任せろ」

シグナムが置いてくれた手の重みで落ちたかのように頷き、あゆはそのまま俯いた。まばたきすることすら忘れていて、目が痛い。悲しくもないのに涙がでてくるのだ。


「さて、ギル・グレアムとやらは何処に居る?」

とっさに口を大きく開いたロッテが噛んだのは、自分の舌ではなくグラーフアイゼンの柄尻だった。

「楽に死なせてもらえるだなんて、思ってんじゃねぇだろうな?」

相当な勢いで突っ込まれたにもかかわらず、リーゼロッテには傷ひとつついていない。あるじの優しさを思い出さねば、その前歯の一本もへし折っていたであろうに。

「てめぇに噛ませるにゃあ勿体ねぇが、わざわざ雑巾もってくんのもメンドくせぇ、感謝しろよ」

 ≪ Zu Meinem Bedauern ≫

すまねぇ。と呟くヴィータに、≪ Unvermeidbar ≫と鉄の伯爵が応えた。

……

アイコンタクト。シャマルが頷くのを見たシグナムは質問を続ける。

「どうやってここに辿り着いた」
「偶然だと?信じると思うのか?」
「ギル・グレアムは元々この世界出身?
 休暇旅行中に素質のある人間を見つけて、スカウトのための素行調査でか?」
「その企みに関わっているのは何人だ?」
「ギル・グレアムと使い魔がもう一匹だけか?
 そいつらの能力、特技、弱点は?」
「永久封印など、どうやって行うつもりなのだ?」
「専用のデバイスを開発中?
 いつ完成する?」
「あと数ヶ月か。
 間に合わなかったのではないか?」
「覚醒はもう少し後の予定だった?
 ああ、収奪される魔力量からだいたいの時期を推測していたんだな。
 それに、必要になるのは魔力の蒐集が終わった直後……か」
「待て、そのデバイスの開発者は関係者ではないのか?」
「依頼しているだけ、か。
 では、その他に我々のことを知っている者は?」
「居ない?
 ではもう一匹の使い魔の居場所は?」
「つまり、今は一緒に居るはずか。
 そこの見取り図と、侵入経路も考えてもらおうか」
「侵入に際しての注意点は?」
「なるべく秘密裏にことを済ませたい。
 その2人を静かに制圧するなら、どうする?」
「その際、お前という人質は有効だと思うか?」
「この街に居る魔導師、あれは管理局と関係があるか?」
「では、このジュエルシードはどうだ、管理局で把握しているか?」
「この近辺に管理局の部隊が展開してないか?」
「知っている限りの展開状況を思い出せ」


リーゼロッテの頬を涙が伝うが、それを拭う者は居ない。




****




フローリングの床の上に倒れ伏しているのはリーゼロッテ。今は猫の姿に戻っている。

【闇の書】に魔力を蒐集され、精も根も尽き果てたのだ。

蒐集を実行したのはヴィータで、シャマルはそれを克明に記録した。後々役に立つだろう。


「あゆ、私たちはギル・グレアムともう一匹の使い魔の始末をつけてくる」

ソファに座らせられているあゆは、顔を上げもしない。

「お前が思うように、私もこいつらを殺してやりたいが、面倒が多すぎる」

「それに、はやてちゃんも悲しみますしね」

シグナムの言葉を継いだシャマルが、リーゼロッテを抱え上げた。

「バレなきゃいい……ってもんでもないよな。
 はやての未来を血で汚したく、ないもんな」

「その通りだ」

そっぽを向いたヴィータの肩を、そっとザフィーラが叩く。

「……わかっています。
 ぶじに、かえってきてください。
 だれかをきずつけることより、そちらのほうが おねぇちゃんにとってたいせつ。なのですから」

やはりあゆは、顔を上げない。何を思うてか、床を睨みつけたまま。

「ああ、無論だ」

ヴォルケンリッターの全員が、その言葉を合図に騎士服を展開する。

「では、行ってくる」

 ……

「ご武運をって、言ってくんねぇのか?」

「ヴィータちゃん」


「……ごめんなさい。……」

「……気にするな」

ザフィーラの声を最後に、ヴォルケンリッターの姿が掻き消えた。




「……ごぶうん を、……」

言葉は届かなかっただろう。ではその気持ちは、どうであったであろうか。




****




原因不明の疾患で倒れたギル・グレアムが意識を取り戻したのは、新暦65年も半ばを過ぎた頃のことだった。

3ヶ月間ほど、昏倒していたことになる。

おそらくギル・グレアムが倒れたことで魔力の供給を絶たれたためだろう、ほとんど普通の猫となっていた2匹の使い魔も順次回復を見せた。

本人も2匹の使い魔も、ギル・グレアムが倒れた前後のことを覚えておらず、過労によるリンカーコア蓄積不全、それによる循環器の合併症、付随する脳疾患と医者は診断する。

これを機にギル・グレアムは隠居を決意、各方面に惜しまれつつ引退した。




                              おわり



****




 ――私としましてはグレアム達に対しては「気付いたら全て終わってた」が一番の罰になると思い、最終的にそのようにこの作品を構成しました。
 しかしながら、なかなかに猫姉妹の人気は高いようなので、当初あったプロットを元に、ねこ姉妹が監視していたらどうなったかを、本編に影響が出ない程度に修正してテクスト化してみました――



[14611] #12 それは小さな出会いなの(前編)
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/04/01 07:23



夜の海を臨む公園に、5人の男女の姿があった。変身魔法で姿を変えたヴォルケンリッター+1である。

はやては、彼らがここに居ることを知らない。遠くの世界へ巨大生物を狩りに行く。と聞かされていた。

「びぃーたおねぇちゃん。はじめてください。なのです」

「おぉ、まかせとけ」

黒髪の大男に抱きかかえられた金髪の少女に促されて、黄色い髪の少女が愛杖グラーフアイゼンを構える。

「グラーフっアイゼン!」

≪ Jawohl.Gefangnis der Magie ≫

即座に封鎖領域を張る姿は、いつもの赤い騎士服ではない。変身魔法で上書きされ、騎士服はおろか髪の色も瞳の色も異なっていた。

「では、しゃまるねぇさま」

あゆから手渡された【瞳】を掴み取って、シャマルが慎重に魔力を込める。

「どちらがさき、でしょうか?」

「あたいは白い方にシングルな。ワッフルコーンで」

どっかりとベンチに座り込んだ黄色い鉄騎が、金髪の少女を見上げる。

「では、わたしはくろいほうに」

「じゃあ、わたしは白い方です」

赤い湖の騎士は、さしずめラグーナ・コロラダか。「ふらみんごのいるみずうみだと、おねぇちゃんがいってたのです」と、あゆはなにを連想したのやら。

「ざふぃーらにぃさまは?」

「黒い方にしておこう」

今は黒き狼だからだろうか?

「シグナムはどうすんだ?」

「アイスなど賭けん」

「バニラアイスみたいに白いくせに」

「関係ないっ」

バニラアイスというよりは燃え尽きた灰のような、石灰の将である。

「来ましたよ」

シャマルに指し示された方に、白いバリアジャケットが見えた。

「いい、ひまつぶしでした。
 かけは わたしのまけ。なのです」

「よっしゃ!」

飛行魔法を解除して着地した白い魔導師は、一応警戒しているのか少し距離を置いている。

「あのー、すみません。
 そのジュエルシードは危ないですから、渡して欲しいんですけど」

「はじめまして。なのです」

「あっ、はい。はじめまして。高町なのはです」

ふかぶかと。しつけに厳しい家庭のようだ。おかげでもう、あゆのペースに。

「この【じゅえるしーど】はきけんな しろものなので、だれかれかまわず さしあげるわけにはいきません。なのです」

ええ、あの……でも。と、あたふたするなのはの肩に、イタチの使い魔が登ってくる。

「そのジュエルシードは、僕が発掘したものなんです」

「しゃべるいたちとは めずらしいのです。
 ほねっこ、たべますか?」

ザフィーラ用のおやつを出されて面食らったイタチは、気を取り直す時間も、反論のために口を開く機会も与えられなかった。

「つまり、このぶっそうなものを ここにまいた ちょうほんにん。なのですね?」

詳しい事情など知らないし、状況証拠からの決め付けに過ぎなかったが、イタチは押し黙る。駆け引きは、弱みを見せたほうの負けだ。

「そのことに責任を感じて、ユーノ君はここに来たんです」

「それはみあげた こころがけ、なのです。
 それで。なんこ、かいしゅうされたのですか?」

その……。と、高町なのはと名乗った魔導師も口を濁す。

ほかならぬ自分たちがほとんど回収してしまったことなど百も承知のうえで、あゆは善意の第三者の仮面をかぶる。

?・?‥?…と、期待の眼差しを浴びせかけられたなのはとユーノが、縮んでいくようだ。

『なあなぁ。あたい、あのタカマチなんとかってのが可哀想になってきた……』

『言うなヴィータ。取引を有利にするためには致し方ない』

『あゆちゃんの言ったとおりでしたね』

『ああ、我らはこうした駆け引きはどうもな……』

出来ないことはないが、性に合わない。とまでは言い切らなかったが。

そうしろと言ってはおいたものの、黙して語らないヴォルケンリッターに何を感じたのか、あゆは視線をザフィーラに。

「……」

ついた嘆息は、はたして何に向けたものか。

「たかまちなのはさんと、ゆーのさん。なのでしたね」

なのはとユーノが、首を縦に振る。

「ちゃんと かいしゅうしようとした。その こころいきにめんじて。
 わたしのてもちの【じゅえるしーど】を、おわたししても いいのです」

ほんとに!と、なのはが上げようとした声を、しかし金色の閃光が撃ち墜とす。

2人の間を穿った魔力弾は槍状で、なのはとヴォルケンリッターには見憶えがあった。

「ジュエルシードを、渡して下さい」

見上げる先に、黒衣の魔導師。輝く球雷を続々と増やしていっている。

「私が相手になろう」

腰を落としたシグナムが鞘ぐるみのレヴァンティンに手をかけた途端、その姿が掻き消えた。



「剣の騎士、シグナムが魂、炎の魔剣レヴァンティン。
 よく見切った。
 お前の名は?」

抜き打ちにされたレヴァンティンを斧様の杖で受け止め、黒衣の魔導師が押し返す。

「フェイト・テスタロッサ。この子はバルディッシュ」

「テスタロッサ、それにバルディッシュか」

弾きあうように距離を取るや、フェイトがバルディッシュを振る。

 ≪ Photon Lancer ≫

「撃ち抜け!ファイア」


 ≪ Panzergeist ≫

「魔導師にしては悪くないセンス」

鴇色の光を全身にまとったシグナムが、フェイトの放った魔力弾を跳ね返しながら肉薄。

「だがベルカの騎士に1対1を挑むには、」

振るったレヴァンティンはバルディッシュで受け止められる。が、これもシグナムが受け止めさせたのだ。「まだ足りん!」狙いはがら空きの胴へ叩き込む、蹴り。

「っく」

吹き飛ばしたフェイトを、シグナムが追って跳ねた。



手の内をさらしたのみならず、名乗り上げるわデバイスの名前まで教えるわで、変装した意味がない。と、あゆは溜息を漏らす。

まあ、手筈どおり、引き離してくれたのでよしとしましょうと、白い魔導師のほうへ向き直る。

「あちらは、まかせておけば いいでしょう」

なのははフェイトに未練があるようだが、あの2人の戦闘に割って入れるはずもない。

「さきほど、【じゅえるしーど】を おわたししてもよいといいましたが、じょうけんがあります」

あゆに促されて、ザフィーラがなのはに歩み寄る。

「条件……?」

はい。と頷いたあゆが、なのはの胸元を指差した。

「あなたの【りんかーこあ】から、まりょくを しゅうしゅうさせてほしいのです」

「リンカーコア?」

そんな単語を知らないなのはは首を傾げる。しかし、

「きっ君は何を言っているのか判っているのか!」

言葉の意味と行為の結果を、イタチは理解したのだろう。声が荒い。

「そんなことをしたら、なのはの魔導師生命……いや、最悪命に関わる可能性だってあるじゃないか!」

「えぇっ!」

思わず胸元を庇ったなのはが、一歩後退る。

「もちろん、ばんぜんのたいせいをしくと、おやくそくするのです。
 わたしたちは、いくつかの【りんかーこあ】をもつ せいぶつでためして、きけんをさいしょうにできるように しらべてきました。
 それに、おれたほねがふとくなるように、【りんかーこあ】もつよく、おおきくなるようですから、けしてりすくばかり。というわけではないのです」

「しかしっ!」

噛みつかんばかりの勢いで身を乗り出すイタチを身振りでとどめ、あゆは自分の胸元に手を当てた。

「もし、よろしければ。
 わたしがさきに、あなたがたの めのまえで、まりょくのしゅうしゅうを うけてみせるのです」

【闇の書】への代理供給を行っている以上、最後の手段にしたいし、そもそも魔導師でないあゆからでは碌にページも埋まらないだろう。だが、そうも言っていられない。

そのけっかをみてから、きめてくださっても かまいません。と、あゆはなのはの目を見る。

そこに割り込めないものを感じたか、イタチが視線を往復させた。

「ひとつ、訊いて……いいかな」

「なんでしょう?」

「どうしてそこまでして、魔力を蒐集してるの?」

なのはの問いは、いっそ淡々としていたといっていい。すくなくとも相手が交渉しようとしてくれている。話そうとしてくれている。その事実がなのはの、心のどこかに引っ掛るのだ。

「ひとつには、この うごかなくなってしまった あし。なのです」

ぺちぺちと己の脚を叩いて見せたあゆは、しかし大して興味はない。とばかりに視線を戻す。飽きた玩具を見る子供のようだと、なのはは感じたかもしれない。

「うごかなくなってしまったことに みれんはないのですが、うごくようになるなら、それにこしたことはない。なのです」

さきほどの印象を裏付けるような言動。けれど、なのはが驚いたのは、その直後にあゆが見せた目、その力強さだった。

「なぜ、まりょくをあつめるのか。
 それは、このよで いちばんたいせつなひとを、まもるため。なのです」

見やれば、黒髪の男も、赤い髪の女性も、座ってたはずの少女もいつのまにか立ち上がっていて、頷いていた。


ゆずれないものが、あるんだね。と俯いたなのはは、「もうひとつ、訊いていいかな」と表情を見せない。

「こたえられることなら、いくらでも」

俯きを深くしたなのはの肩の上から、まるでなのはの代わりとでもいわんばかりにイタチが睨んでいる。いや、ただ真剣に見つめているというだけで、そこに憎悪があるわけではないのか。

「もし私がイヤって言ったら、どうするの?」

「あきらめるのです」

「にゃ?」

あまりにもあっさりした言いように、顔を上げたなのはが奇声。

「おねぇちゃんは、ひとにめいわくをかけることを いちばんきらいますから、じしゅてきに ごきょうりょくいただけなければ しかたない。なのです」

そうは見えないだろうが、これは駆け引きではなかった。

他人の犠牲の上で完治してもはやてが喜ばないことを知っているあゆに、無理矢理とか、問答無用で力ずくといった選択肢はない。意図的に、隠すことはあっても。

「【じゅえるしーど】も、もうふようですし、おかえしするのです」

懐から無雑作にジュエルシードを取り出したあゆは、シャマルから受け取ったものと合わせてなのはに差し出した。

思わず受け取ってしまった9個のジュエルシードを、なのはもユーノも呆然と見下ろす。

それでは。とザフィーラごと下がろうとしたあゆの袖を思わず掴んで、なのはは「待って」と踏み出した。

「?」

首をかしげるあゆの前で、なのはは言葉を探していた。自分の気持ちを、己の願いを、この目の前の少女に届ける言葉を。


「友達になろ」

「へ?」と、今度はあゆが奇声を発する番だった。「珍しいものを見た」と、あとでヴィータがシグナムに自慢するほどの。

「私と友達になろう?」

訊ねるように上げられた語尾は、なのに否やを受け付けるようには聞こえなかった。

「友達なら、助けてあげられるの。
 ジュエルシードとの交換なんかじゃなくて、友達のためなら」

「ともだち、……なのですか」

友達という言葉も、その意味も知っている。しかし、

「ともだちというものが どういうものか、よくわからないのです」

「……。
 お互いに、相手のことをよく知って、知ってあげようとする。
 相手のことを考えてあげて、いつでも助けてあげる。
 だけど間違っていたら止めてあげる。それが、友達かな……?」

にゃはは。と笑って、「私もよく解かってないんだ」と、なのは。

「それは、かぞくではないのですか?」

あゆが知るものの中で、あゆが実感できる範囲の中で、なのはの説明はそれが一番近かった。

「一緒に住んでない、血の繋がってない家族かも知れないね。友達は……」

なのはの代わりに答えたユーノが、なのはに向き直って笑顔を見せる。イタチの笑顔は判りにくいが。

「わかるようなきが するのです」

でも……。と、あゆは視線をふせる。

「わたしは、ともだちのなりかたを しらないのです」

はやては、強引に家族になってくれた。問答無用で家族にしてくれた。家族のなり方など知らないあゆは、だからこそはやてと家族になれたのだ。

「簡単だよ」

目を細めて、笑顔のなのはがそこに居る。

それだけはよく知ってる。と、なのはは胸を張って、「名前を呼んで」と呟いた。

「はじめは、それだけでいいの
 君とか貴女とか、そういうのじゃなくて。ちゃんと相手の目を見て、はっきり相手の名前を呼ぶの。
 わたし、高町なのは。なのはだよ」


「なの は……?」

敬称をつけるべきかどうかを、なのはの様子で推し量って、あゆが初めての友達の名を呼ぶ。

「うん、そう。
 じゃあ、あなたの名前を教えて?」

はい。と応えたあゆはしかし、口篭もる。

変装中のこの姿のために、偽名は用意していた。

しかし、初めての友達に名乗るのが、そんな名前でいいのか?はやてが付けてくれた大切な自分の名を、隠したままで?友達に?その友達の、目を見ながら?

……

いまは金色に見える髪の毛を摘んで見せたあゆの意図を読み取って、シャマルは変身魔法を解く。

「やがみ、あゆ。なのです」

あゆたちの色彩がいきなり変わったことに一瞬だけ驚いて、しかし、なのははにっこりと笑った。

「あゆちゃん。これでもう友達だね」



[14611] #13 それは小さな出会いなの(後編)
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:21



「力を抜いて。
 抵抗しないで下さいね」

「はい」

ベンチに腰かけたなのはの背後に、シャマル。なのはの肩に、クラールヴィントを展開した右手を置いている。

なのはの正面にヴィータと、ザフィーラに抱きかかえられたあゆ。

シグナムは、追い払ったフェイトが戻って来ないか見張るためと称して上空で待機している。


≪ Narkose ≫

「その術式は?」

なのはの様子を見逃すまいと、ユーノは今、ヴィータの帽子の上に乗せてもらっていた。

「麻酔の魔法です。物理的な苦痛も、魔法的な苦痛も和らげるんですよ」

物質に瑕疵をもたらさない非殺傷設定で生命体を気絶させられることから解かるように、魔法的なダメージも苦痛として認識される。魔力の枯渇を疲労と感じたり、魔力の収奪が麻痺を引き起こしたりと、直接物質に関わらないはずの魔力は、生命活動――なかでも脳神経系――には影響を与えるのだ。

シャマルが使ったのは神経伝達信号を自在に制限する術式で、物理的・魔法的、局部麻酔・全身麻酔、さらには苦痛の種類まで細かく設定できる優れものである。

癒しと補助が本領の、湖の騎士の名は伊達ではない。

「それでは参りますね」

一体これから何をされるのかと固唾を呑むなのはの背後で、シャマルが【闇の書】を取り出す。

ちらり。と、あゆはユーノの様子を確認する。

今回あゆがここに居るのは、交渉役を務めるためだけではない。それだけなら、多少の不得手があってもシグナムなりシャマルなりで充分――もちろん、子供同士のほうが交渉しやすいだろうとの思惑はあったが――だ。

本当の理由。それは、万が一に備えた保険であった。もし、交渉相手が【闇の書】を知っていた時に、ヴォルケンリッターを率いていたのがあゆだと、【闇の書】の所有者だと誤認させるために。

だが幸いなことに、ユーノは反応を見せなかった。【闇の書】の知名度がどれほどのものかは知らないが、すくなくとも見ただけで判る程ではないらしい。


「!」

いきなりなのはの胸元から生えて来た手に一番驚いたのは、ユーノだっただろう。

当の本人はと云うと、意外と平然としていた。麻酔のおかげか痛みも何もないし、なにやら頭がぼーっとしている。自分の胸元から他人の手が生えたという実感が、ぜんぜん湧かないのだ。

つんつんと、つい突付いてしまう。

「しまった、外しちゃった」

突き出した掌の中に、何もない。

「……しゃまるねぇさま」

あゆの向けるじっとりとした視線に、「だってわたし、初めてなんですもの」と言い訳すると、大事な手術の最中に執刀医が「あっ」と呟いたのを聞いた患者のような顔をして、ユーノもシャマルを見る。

「ごっごめんなさい」

やはりイタチの表情はよく判らないが、シャマルは何故か理解したらしい。

こんどこそ。と、いったん引っ込んだ手が、今度は小さな輝きを押し出してきた。

あれが、【りんかーこあ】。と、あゆは自分の胸元に手を当てる。ここにも、あれと同じ物があると教わっていた。だからこそ身代わりになれたのだと、いずれ自分も魔法を使えるのだと、聞いていた。

「蒐集開始」

 ≪ Sammlung ≫

ぱらり、ぱらり。白紙が術式で埋まるたびに、なのはの胸元の光が小さくなっていく。

はらはらとユーノは見守るが、本人は至って平気な顔をして、なんだか眠くなってきた。などと思っている。

ばたん。と音をたてて【闇の書】が閉じるのと、なのはのまぶたが落ちきるのが同時であった。

「なのはっ!?」

「大丈夫。疲れて眠っているだけです」

慌てるイタチに微笑みで応え、ベンチに座り込んだシャマルがなのはを膝抱きにする。


「レイジングハートさん、なのはちゃんの治療に使いたいのでジュエルシードをお貸し願えませんか?」

 ≪ …… ≫

ベンチに立てかけられていた魔法の杖が、無言でその宝玉を明滅させる。その意味するところを悟ったらしいユーノが「本当にジュエルシードを使いこなせるんですか?」とシャマルを見据えた。

「はい」

「…」

あまりに気負いのない返事をどう解釈したものか、鳥を見た砂ネズミのようにユーノが固まっている。

「まだ疑ってんのかよ」

言葉の内容の割に、口調はきつくない。頭の上に乗せてやったことといい、紅の鉄騎はこのイタチのことが気にいったのだろうか?

「いや、そういうわけじゃ……」

それはユーノも感じていたのだろう。それに、今の状況ではどのみち抵抗のしようもない。

「レイジングハート、頼む」

 ≪ All light.put Out ≫

ありがとうございます。と微笑んだシャマルが、レイジングハートの上で円を描くジュエルシードたちに振り子水晶を差し向けた。

「クラールヴィント、2番をお願い」

 ≪ Ja ≫

クラールヴィントがその2個の水晶で円の端を挟みこむと、ルーレットが止まるようにゆるりと回転が止まる。

 ≪ Energie versorgen der Magie ≫

クラールヴィントの管制を受けて、ジュエルシードが魔力を放出。光の帯と変えて、なのはの胸元へ注ぎ込む。

「ホントに使いこなしてる……」

呆然と――やはりイタチの表情はよく判らないが――呟くユーノを、あゆが無表情に盗み見ている。

「まずは、失った魔力の補充を」

ミッドチルダ式にディバイドエナジーという術式があるが、デバイス間で魔力を遣り取りするもので、直接リンカーコアへの魔力供給は不可能だ。魔法を使う分には充分だが、失った魔力の回復とはならず疲労も取れない。

ジュエルシードの中で眠っていたこの術式は、直接リンカーコアへ魔力を供給し、疲労の回復も促す。【闇の書】経由でなのはの魔力の詳細を得ているシャマルはさらに、なのはのリンカーコア特性に合わせて魔力素を調整してみせた。あゆやはやて相手に、使用済みの術式であることも手伝っているが。


「超回復の分も見込んで、少し多めにしておきました」

魔力素構造体である以上、リンカーコアの回復や成長には魔力を必要とする。それを見越しての処置。


「18……、いいえここは17ね」

目盛りを刻むように、ジュエルシードの輪が5個分ほど進む。

ジュエルシードに刻まれた術式は、その9割方が共通だ。だが、それでも個性、得手不得手はある。

 ≪ Wiege Traums ≫

「半日ほど、楽しい夢の中で眠って貰いましょう」

回復が早くなるように、精神状態を良く保ったままで休ませるのだ。

これもジュエルシードの中に眠っていた術式。【闇の書】の中によく似た術式があることをシャマルは知っていたが、もちろんそれを使う気はない。


「12番……だけでは力不足ですね。2番の力も借りましょうか」

輪の中央に寄り集まったジュエルシードが見えない太陽を巡る彗星群のように舞い、てんでに元の軌道へ戻る。先ほどまでとは順列が異なるようだ。その上で、2つのジュエルシードがクラールヴィントの間で止まった。

 ≪ Fesseln der Magie ≫

「最後に、2日間ほど魔法を使えないよう封じさせてもらいました」

魔法を封じる方法はいくつもあるが、リンカーコアに直接働きかけ、指定した用途外の魔力運用の規制まで可能なものは知られていない。

シャマルは、なのはのリンカーコアの魔力を自己治癒と防御魔法以外には使えないように設定した。

「なのはちゃんのリンカーコアは今、水でふやかした高野豆腐みたいになっています」

「コーヤドーフ?」

どうやらユーノは高野豆腐を知らないらしい。と気付いて、シャマルが言葉を探す。花どんこだのフカヒレだの増えるワカメちゃん1個連隊だの、どれも異界のイタチに通じるとは思えないが。

「干物を水に漬けて戻すように、魔力を搾って縮んだリンカーコアを、魔力に漬けて戻そうとしている。で、解かります?」

もっとも、遺跡調査で探検行の多いユーノにとって、食料の保存方法と食べ方は基礎知識だろう。

頷くユーノに満足げな微笑みを向けて、シャマルは続ける。

「この状態のリンカーコアは、脱皮したてのエビ……甲殻類みたいに脆弱ですから、この時期に無理したり魔力ダメージを受けると、最悪死に至るわけです」

その代わりに、この時期を乗り越えればそのリンカーコアは一回り大きく、強く、頑丈になるだろう。シャマルの万全のケアが、その回復と成長を後押しする。


ああ、念のために。と再びクラールヴィトを構えたシャマルは、「2番と4番を」その振り子水晶の間に、ふたつのジュエルシードを止めた。

 ≪ Schleier der Magie ≫

「念のために、対魔力防御を付与しておきました。1週間ほど保ちます」

ベルカ式ミッドチルダ式を問わず、術者が維持せずに継続する術式はほとんどない。魔力がいくらあっても足りなくなるからだ。

これらジュエルシードに眠っていた術式は、どれもその莫大な魔力量を背景に長時間継続するものが多かった。

逆を言えば、だからこそ廃れたのだといえるかもしれない。


さて。と、なのはを抱きかかえたままで立ち上がったシャマルに、ヴィータが歩み寄る。頭の上のイタチのために歩み寄ってやった。が正解か。

「やはり、ジュエルシードの制御方法は教えてもらえませんか」

それは再度の懇願ではなくて、事実の再確認に過ぎない。

「いずれは」

赤い帽子の上で項垂れるイタチに応えたのは、あゆ。

「でも、いまは それをかいしゅうすることが さいゆうせんで、つかうことはないのでしょう?
 おわたしした じょうたいでも、けんきゅうには ししょうがないでしょうし、いまは わたしたちもいそがしくて、せいぎょほうほうを おわたしできるかたちに せいりするじかんが とれないのです」

嘘ではない。現状でジュエルシードの制御はシャマルとクラールヴィントの共同作業なのだ。デバイス部分はともかくとして、術者負担部分はまとめるのに時間がかかるだろう。

だが、それだけとも言い切れない。もちろん、ジュエルシードが無闇に使われないようにする意図もあった。いま渡した9個もパラメータを全て初期化し、いくつもの安全装置やパスワードを組み込んである。

「確認しただけです」

にゅっ。と伸びてきた手が、イタチの首根っこを掴んだ。

「うざってぇな。そのうちきっと教えてやんだから、いまは我慢しとけ」

ひょい、と放り出されたのは、シャマルに抱きかかえられたなのはのお腹の上。

「ありがとうございます」

扱いこそ乱暴だったが、不快な感じはしなかったのだろう。むしろ嬉しそうにユーノは頭を下げた。

「シャマル。さっさとそいつら送ってこいよ」

「ええ。
 ユーノさん、空間座標を教えてもらえますか?」

はい。と応えたイタチとの間で、しかし、なにやら空間座標以外のやりとりが始まった様子。

どうやら、体調診察用の魔法を教えているらしい。シャマルが家族の健康管理用に編んだ術式で、身長・体重・体脂肪率・代謝率・血圧・血流量・脈拍・脳波・心電図・各種ホルモンバランスに脳内分泌系・魔力保有量にその収集効率まで調べ上げる代物だ。

1日1回、お風呂上りに「はか」られるからと、はやてがヘルスメーターと名付けていたが。


ようやく術式の伝授が終わったか、シャマルの足元に緑色の魔法陣が開く。

「それでは行ってきます」と、シャマルたちの姿が掻き消えた途端、ぽたり。と音がした。

誰もそれに気付かなかった。ヴィータも、ザフィーラも、当の本人でさえも。

「どうした、あゆ」

最初に気付いたのは、上空から降りてきたシグナムだった。

「なんで泣いてんだよ」

騎士服と封鎖領域を解除しようとしていたヴィータが、一歩。傍に寄る。

「ともだちが、できました」

その場に居合わせていたのだ。今更聞くまでもない。

それどころか、ヴィータも無理矢理なのはの友達にさせられた。何度か名前を言い損ねて、しばらく言い争ったりしていたが。

念話で聞いていたシグナムも状況は理解している。しかし、あゆがなぜ泣き出したのか、さすがに思い至らない。

「ともだちが……。
 はじめてのともだちが、できました」

ひくっ、としゃくりあげて、いまさら懸命に涙をこらえようとしている。

「でも、はじめてのともだちが できたときには、もう、うらぎっていたんです」

あゆの認識では、友達とは家族同然だった。ユーノに言われたたとおり、一緒に住んでない家族であると。もとより血のつながりなど知らないあゆには、ユーノの言いようがひどく素直に胸に落ちたのだ。

あゆは想像する。はやてが自分を家族として受け容れてくれたあとで、その人が自分が暗殺せねばならない対象だと知ったとしたら。と。その時点で自分が暗殺者として完成させられていたら。と。

ザフィーラの胸にしがみついて懸命に声を押し殺すあゆの傍で、「あたいも、そうなんだよな」とヴィータがグラーフアイゼンを、そこに収めてある10個のジュエルシードを睨みつけていた。




[14611] #14 招待、そして謝罪なの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:21



「こんばんは」

「いらっしゃいませ。なのです」

八神家の玄関でなのはを出迎えたのは、車椅子姿のあゆであった。

「どうぞ、おあがりください。なのです」

手配していた車椅子が、つい先日届いたのだ。レンタル品だから手動式なのだが、あゆは苦にした様子もなくリビングへと先導する。

「あゆちゃん……?」

あゆの表情が妙に硬く見えて、思わず声をかけたなのはだったが、続きを口にするには廊下が短すぎた。

「良く来た、高町なのは」

「いらっしゃい、なのはちゃん」

「……来たか、なのは……」

「歓迎する」

ヴォルケンリッターが総出である。珍しいことに、ザフィーラが人間形態だ。

「こんばんは。お招きくださってありがとうございます」

「こちらこそ急に呼び立てして済まなかった。
 どうしても話したいことがあってな」

話したいこと、ですか?との問いに「うむ」と応えたシグナムはしかし、「その前に我が家のあるじを紹介しよう」と、なのはの背後を指し示した。

夕食の下拵えの手を止めて、はやてがキッチンから現れたところだったのだ。

「はじめまして。あゆの姉で、八神はやて言います」

車椅子を寄せたはやてが、ちょこんとお辞儀。

「はじめまして、高町なのはです。
 そして、こっちがユーノ君」

はじめまして。とリュックから顔を出したイタチに挨拶を返しながら、「おお、ほんまに喋っとる」と、はやてが内心で独り言ちる。

「あゆと友達になってくれたそうで、ほんま、ありがとうなぁ。
 うちとも友達になってくれると、嬉しんやけど」

はやての差し出した手を両手で握り返して、なのはが満面の笑み。

「もちろんなの♪
 よろしくね、はやてちゃん」

「よろしゅうな、なのはちゃん」

にっこりと笑顔を返したはやてが「ああ、もちろんユーノ君もな」と指先を差し出す。

「はい。よろしくお願いします」

ええなぁ。と、このまま指先を挟む肉球の感触に癒されていたいはやてだったが、そういうわけにもいかない。

「そしたら、おふたりさん」

はやての身振りに釣られて振り向いたなのはは、思わず身構えてしまった。

あゆとヴォルケンリッターが、揃ってフローリングの上で正座していたのだ。なのはを迂回して合流したはやても、ザフィーラに手伝ってもらいながらやはり床の上に正座した。


ごめんなさい。と、まず頭を下げたのはあゆであった。

ペリカンのように途惑うなのはを置いてけぼりにして、ヴォルケンリッターが、そしてはやてが頭を下げる。

「わたしたちが かくほしていた【じゅえるしーど】は、ほんとうはぜんぶで19こ、あったのです」




****




いつまで経っても泣き止まないあゆを、しかたなくヴォルケンリッターはそのまま家に連れ帰ることにした。

そして、はやてに全て話したのだ。

巨大生物からの蒐集は効率が悪すぎること。保護生物が多くて、それさえもままならないこと。

なのはと接触したこと。友達になったこと。ジュエルシードを引き渡したこと。詐術を用いて、確保しているジュエルシードが9個であると思い込ませたこと。リンカーコアから魔力を蒐集したこと。なのはの回復に2、3日かかるだろうこと。


全てを聞いて、しかしはやては怒る気になれなかった。怒ってないわけではないが、はやてとて泣く子と地頭には勝てない。

ヴィータまでもが、下手に突付いたら泣き出しそうな顔して唇を噛んでいるのだ。

「なんや、罰はもう受けとるような気ぃするで」

むしろ、泣き止まないあゆをどう慰めるか、そっちの方が急務のような気がしてならないはやてであった。

「まあなんや、悪いことしたんなら謝らんとな」

そういうわけで、なのはが完全復活したとユーノから念話を受けた今日、こうして2人を招いたのである。

「やっぱり、スパイラル土下座やろか?」




****




「つまり、あの黒い魔導師とも取引するためにジュエルシードの数を誤魔化してたんですか?」

一通りの事情を聞き、ジュエルシードの解析結果を聞き、ここに至る経緯を聞いて、ユーノがそうまとめた。

「はい。そうなのです」

赦すから土下座は止めてくれと、なのはたちがむしろ懇願して、今は車椅子の上のあゆである。

車椅子の上でも正座しようとして、「子供の謝り方じゃないの」と却って怒られたが。

「ちょう、さかしかったか」と、反省中のはやても自分の車椅子に、ヴィータとシャマルはなのはたちの斜向かいのソファ、シグナムとザフィーラはそれぞれ車椅子の後ろに立っていた。

「あのときに接触してたなんて……」

臨海公園でのフェイトの襲撃の時、それを撃退するように見せて、シグナムは取引をもちかけていたのだ。

圧倒的な実力の差を見せつけた後だから、交渉自体はすんなり進んだ。とはシグナムの弁である。

条件はなのはたちと一緒だったが、決定権がないからとフェイトは一度出直してくることになったのだ。

「さくや、いまいちど こうしょうのばをもうけたのですが、9こでは たりないといわれたのです」

拭いきれてなかった涙を、あゆが拭いなおす。赦してもらった時に思わずこぼれた涙は、止まるまでに多少時間を要した。

「ジュエルシードが9個もあって、足りない目的って……」

骨格の構造上イタチには出来ない筈の腕組みをして見せて、ユーノが首をひねる。ぽくぽくぽく……。と、なにやら木魚でも叩きかねない風情だったが、仏鈴の音は付き従わなかった模様。

「残念ながら、目的については話してくれなかった」

「と言うより、あの子自身も知らされてないように見えませんでした?」

「シャマルもか?
 あれさぁ、口止めされてるっていう口ぶりじゃなかったよな?」

「使い魔は逆上するしな」

ヴォルケンリッターの言葉に「使い魔?」とユーノが反応する。

「ああ、我と同じく狼型のやつがな。
 アルフ……と言ったか。
 主人思いのいい使い魔だが、直情径行にすぎる」

「いいくみあわせでは、あるようにみうけられたのです」

ザフィーラの補足と寸評に、あゆが感想を追加した。

「もっとも、あの にたものしゅじゅうは すなおすぎて、【じゅえるしーど】を ひみつりにかいしゅうできたとは おもえませんが」

「そんなに似てたかぁ?」

小首を傾げるヴィータに、あゆが頷いて見せる。

「はんのうのしかたは ぜんぜんちがいましたが、なにに はんのうしたかがまったくおなじ。なのです」

「ああ、確かに」とシャマル。何か思い当たる節があったらしい。

「目的を訊ねた時に、口篭もるか激昂するかで反応は違いましたけど、それで誤魔化そうとして、誤魔化せた気になっているところとか似てますね」

あのおふたかたも わかりやすいですけど。と、あゆはなんだか溜息をついたように見えた。

「むこうがだしてきたじょうけんも たいへんわかりやすくて、ないじょうがまるわかりなのです」

「内情?」「条件?」と、なのはとユーノはそれぞれ別のところに興味を惹かれたようだ。

「あいては、いま【ふぇいと】をうしなうわけにはいかないから、すこしまってほしい。と、じょうけんをだしたのです」

よく解からない。と云う顔で首を捻ったなのはは、「こちらは、まりょくをしゅうしゅうさせてほしいとしか、もうしでてないのに」妙に力の篭ったあゆの言葉に、反対側へと首を捻る。

「今失うわけにはいかない。と云うことは、用が済めば失ってもいい。と云うことだろう。
 こちらは別に、彼女の身柄や命が欲しいと言ったわけではないのに。な」

憤懣やるかたない。と全身で表現して、シグナムの体から陽炎が昇るようだ。

「そんな……、」

続けて何を言わんとしていたのか、なのははしかし、あゆの様子に気付いて口を閉ざした。

「なにがもくてきかは しりませんが、ろくでもないことか、しゅだんをまちがえているにちがいないのです」

滔々と推測した内容を語りだすあゆを横目に、なのはは「ねぇねぇ、はやてちゃん」と声をひそめて顔を寄せる。

「なんや?なのはちゃん」と応じたはやてだが、言葉とは裏腹に何を訊かれるか判っている様子。

「あゆちゃん、もしかして怒ってる?」

「うん、かなりな」

おかげでまあ、元気にはなってくれたんやけど。と独り語ちたはやてが、あゆをちらりと。

あれ以来、ふさぎこみがちだったのだ。


「あのじょうけんを つたえさせられた【ふぇいと】さんは、そのことを どうおもわれたのでしょう?」

暗殺者などというものは、基本的に使い捨てだ。そのことはハッシッシの昔から変わりがない。

あゆの同期でも、脱落者などがその処分を兼ねて自爆テロに使われていたし、そうでなくても必要があれば駆り出され使い棄てにされていた。いつか朝市で見た爪楊枝のように。

いつかは、ああなる。あゆはずっとそう思っていたのだ。

フェイトと言う少女の境遇は推測するしかないが、他人のような気がしないのだろう。


「これは、なのはちゃんのおかげかな?」

「にゃ?どして?」

「あゆが、家族以外の人のことこんなに気にするようになったんは、なのはちゃんが友達になってくれてからや」

そんな。と反論しかかったなのはは、ぷにぷにと頬を押す肉球の感触に気付いた。

「なに?ユーノ君」と問うまでもなく、指し示された方を見ると、


「だからわたしは、あのひとのために、なにかしてあげたいのです」

なにが「だから」なのか、なのはは聞き逃してしまったようだ。

「それで、あんな提案をしたのか?」

「はい、しぐなむねぇさま」

あゆは、フェイトに対して逆にジュエルシードを要求するとともに『完璧にジュエルシードを操作できる技術者の貸与』を申し出た。いくつかの遺失術式のリスト、サンプルをつけて。


相手がジュエルシードの種類ではなく数に固執していることから、あゆは先方が手段を間違えているか、ろくでもないことをしでかそうとしている可能性に思い至っていた。

ここしばらく魔法やジュエルシードに接してきたあゆは、「魔力量と魔法の利便性・可用性に、関連性はない」と結論付けている。砲撃魔法しか使えない魔導師がどれだけ魔力量をふやしても砲撃の威力が上がるだけだし、治癒魔法にどれほど魔力を費やしても死者は甦らない。

然るに相手は、ジュエルシードの数に拘っている。つまり目的の達成を、未知の技術ではなく、既知の技術の威力増大、もしくは単純に魔力の強大さで叶えようとしているのだ。

単に力だけを集めてそれで叶えられる願いに、どれだけまともなものがあるだろう?テロかクーデターか独裁か弾圧か、あゆが思いついたかぎりでは、なにひとつ碌なものがなかった。


「まずは あいてのもくてきをしること、なのです。
 きいたところで おしえてくれないでしょうから、むこうから はなしたくなるようにしてやったまで、なのです」

「向こうから、話したくなるように……か」

なのはの呟きを、ユーノだけが耳にし、ユーノだけが理解した。あの封時結界の中、なのはがフェイトと初めて出会った時に、居合わせていたのは彼だけなのだから。

「そうだよね、ただ訊いただけで話してもらおうなんて……」

けれど、その落ちる視線はユーノでも支えてあげられない。


「…ちゃん。なのはおねぇちゃん?」

「にゃ!?お姉ちゃん?えぇ?」

「なのはおねぇちゃんは、おねぇちゃんのともだちで、わたしのともだちだから、なのはおねぇちゃんなのです」

よく解からない理屈に疑問符を増やす一方のなのはだったが、つまりあゆにとって友達とは家族と同然なのである。そういうふうに、認識されてしまっていた。すなわちユーノが悪い。

「どうか、されたのですか?」

「ううん、なんでもないの」

とてもそうはみえませんでしたが。とは口に出さず、あゆは視線を巡らせた。何を見つけたのか何も見出せなかったのか、結局なのはの、その肩の上に視線を戻して「そういえば」と、小首を傾げて見せる。

「ゆーのさんのことを、どう およびしたらよいでしょうか?
 ゆーのおにぃちゃん?」

「ゑ!?」

「むっ……」

一体何を言い出すのか。と問い返すよりも先に、ユーノは強烈な眼光に射貫かれた。

あゆの背後に、般若が居るわけではない。いつもどおりのポーカーフェイス、いっそすずしげに。しかし、その視線だけが雄弁に「お前を獲って喰う」と宣言している。

はっはっははっ…。と湿度0%で笑ったユーノは、「目を逸らしたら喰われる。目を逸らしたら喰われる」と唱えながら、パラパラのようなよく解からない手振りで意思を示そうとしている。八つ裂き光輪でザフィーラを真っ二つにしたかったのなら、フィニッシュは右腕だぞ。

「……いや、その。お兄ちゃ… ぴっ! ……は、ちょっと…。
 その、普通に呼んでくれれば……」

途中の壊れた笛みたいな音は、眼光の出力が倍増したためだ。イタチには汗腺がないはずなのに、滝のような脂汗を流している。

「そうですか……、
 それでは、いたちさん」

「僕フェレットだよっ!?」

随分弱くなっていたとは云え、思わず眼光を撥ね退けたユーノが、跳び上がらんばかりに。

「フェレットってなんだ?」

「いたち。なのです」

ヴィータの質問に、即答。

フェレットなんだよぅ……。と肩の上で頽れたユーノを、なのはが懸命に励まそうとしている。落ち込んでいられなくなったらしい。

「じょうだんはこのくらいにして、ゆーのさん」

へんじがない。ただのしかばねのようだ。

「ゆーのおにぃ……」「なんでしょう!」

びしっ!と音が出そうな勢いで直立不動になるフェレット。コンマ5秒で鋼の硬さ!とは、このことか。

「【じゅえるしーど】をおかしいただくけん、よろしいですか?
 そのかわり。というわけではないのですが、すべてがおわったあかつきには、21こ、みみをそろえて おかえしできるのです」

立ち会わせて貰えるんだよね?との質問に頷いたあゆが、視線をなのはに移した。

「もういちどいいますけど、こよい0じに かいとういただけるよう、ふぇいとさんと おやくそくしてるのです。
 じょうきょうによっては そのまま あいてのきょてんにおもむいて、【じゅえるしーど】をつかうことも そうていない。なのです」

なのはがちゃんと聞いていることを確認して、あゆは続ける。

「なのはおねぇちゃんに おねがいしたいのは、
 しぐなむねぇさまたちといっしょに、こうしょうばしょまで いってもらうこと、
 ひつようにおうじて、【じゅえるしーど】をかしてほしいこと、
 できるだけ、ごじぶんとゆーのさんのみは じぶんでまもること、
 ばあいによっては、ふぇいとさんをまもること。なのです」

あゆが一本ずつ立てて数えてみせた指の、最後の小指を見ながらなのはは首を傾げた。

「フェイトちゃんを守るの?」

自分を一撃で昏倒させるほどの魔導師を、逆に守る。ということが、少し実感できないらしい。

「むこうにとって、ふぇいとさんはつかいすててもおしくない、しょうもうひんであるかのうせいが たかいのです」

消耗品であれば、複数居るかもしれない。いや、複数居るからこそ、消耗品扱いなのでは?

相手の戦力は不明だが、その尖兵たるフェイトやアルフでさえ侮れない実力者である。それと同等か、それ以上の相手が複数出てくるようだと、ヴォルケンリッターでも手加減している余裕がないかもしれない。

足手まといになることをおそれて、今夜はあゆもついて行かないのだ。

「いざというとき、みすてられるかもしれないし、めいじられて てきたいするかもしれない。
 そのときは、なのはおねぇちゃんが まもってあげてください」

「うん。頑張る」

フェイトの境遇を再確認して表情も硬く頷くなのはを、心配そうにユーノが見上げていた。


約束の刻限まで、まだ遠い。



[14611] #15 なまえをよんで
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:39



リビングのソファで寝ていたはやてとあゆは、床の上に現れた魔法陣の輝きで目を覚ました。この時間帯では珍しいことに、あゆも寝入っていたようだ。

朝まだき。カーテンの隙間が、かろうじて明るい。


一緒に転移してきたアルフがフェイトを抱きかかえていたので、すわ負傷か。と訊けば、違うと言う。

「フェイトちゃん、お母さんに酷いこと言われたの」

自分のことのように辛そうな表情で、なのは。

「フェイトぉ……」

力なく耳を伏せ、今にも泣き出しそうなアルフを、今は誰も慰めてやれない。




****




「先方の、プレシアさんの願いは、死者蘇生でした」

はやての淹れてくれたコーヒーを一口啜って、シャマルはそう語りだした。



交渉場所に現れたフェイトとアルフの前に張られた空間モニター。そこに映し出された女性がプレシア・テスタロッサと名乗ったそうだ。

「死者蘇生は可能か?」と問うプレシアに「状態に拠る」とシャマルが答えて、その拠点である【時の庭園】に招かれたらしい。

見せられた遺体は最高の状態で保存されており、ジュエルシードの力なら蘇生可能。とシャマルは判断した。

死者蘇生が難しいのは、死んだ時点から肉体が急速に損なわれていくことと、脳神経系から失われた活動電位などの情報を回復する手段がないからである。生き返らせること自体は可能でも、意識が戻らなかったり理性を無くしたり記憶を失ったりと不如意も甚だしい。

人の精神活動が紙に描かれた絵だとすれば、死は、それを拭い去る消しゴムであろう。長期記憶や癖といったものは油性ペンで描かれた線のようなもので消しゴムでも消せないが、それも紙そのものが朽ちる――脳が腐る――までの命だ。

ところが、そこにはこの遺体の生前時に録った脳電図と脳磁図および、死亡直後にプレシアが記録した脳電図と脳磁図が揃っていた。

もちろん、それだけでは充分ではない。死後に録ったものは痕跡として希薄すぎるし、生前に録ったものは死亡時との脳構造が――成長によって――異なっているためにそのままでは適用できないのだ。

そこを補強するためにシャマルが目に付けたのが、魔力の痕跡だった。

物理的な干渉を一切封じられた非殺傷設定魔法が生物に影響を与えることを、指向性を与えられた魔力が人体内の魔力と反応して苦痛を与えることを、癒しを本領とするシャマルは熟知している。

その遺体に宿る魔力、特に脳神経系に残された魔力を計測・シミュレートすることで、過去と現在に未来からのベクトルを加えることができるはずだ。

絵を描いた時の筆圧を頼りに、鉛筆でこすってその筆致を浮き上がらせるようなものか。魔力素を直接視認し解析する才能を間近で見たシャマルの、それが自分なりの応用の仕方。


重要なのは、魔法でも、魔力でもない。死亡直前の遺体の――わけても脳波や神経細胞の発火――状態を再現できるか?その構築力であった。


シャマルは、18個のジュエルシードを並べる。

魔力の操作に長けた2番。治療が得意な5番。計算能力に特化した9番。自己フィードバック機能が持ち前の10番。崩壊と再構築術式を兼ね備えた13番。シミュレーション機能と現実化能力を追い求めた20番。魔力調整と術式精度の補強を特質とする21番。

これらを、支配と制御能力を持つ4番と、判断、分配能力が特徴の11番でまとめてネットワークを構成した。残りの9個はそれぞれのバックアップ、動作チェック用だ。

それらを、3基のデバイスたち――レイジングハートとグラーフアイゼンの補佐を受けたクラールヴィント――が統括する。

ジュエルシードを『祈願型デバイスの原型』と見做し、なかでもその演算能力だけに着目して組み合わせ、巨大なリソースを持つ仮想デバイスとして構築したのだ。


シャマルはまず、遺体の脳神経系をスキャンさせ、仮想空間でモデリングする。遺体の保存状態はほぼ完璧だから、死亡直後の脳の状態を再現できただろう。

次に、生前時に録った脳電図と脳磁図と死亡直後のそれとの差分を算出して、記録当時の脳構造も再現。

さらに現在の脳神経系に残された魔力を計測して、その強弱・ベクトルを時差補正、そこから死亡当時・生前記録時の推定値をたたき出した。

それぞれの情報をそれぞれで補完・フィードバックすることで補強して、得られたのは生前記録時の脳神経系の仮想モデルとその脳波や神経細胞の発火状態のシミュレーションだ。

最後に生前記録時と死亡直後の脳組織の差分を取って、生前記録時の脳波と神経細胞の発火状態を死亡直後の脳組織へコンバートしてやれば、死亡直後の脳波と神経細胞の発火状態が再現できる。

まるで多色刷りの浮世絵か、それともクロスワードパズルか。赤青緑と光の三原色が照らし合わさって白色光となるような、シミュレーション結果。


ここまで終わったところでシャマルは、5番に命じて遺体の心臓に除細動を実施、心室細動の開始を確認した上で心肺機能を監視調整させた。

全身に血流が巡り脳への酸素供給が十全になるのを待って、シミュレーション結果を脳組織で現実化する。魔力で擬似的に活動電位や脳波、伝達物質を再現し、意識回復の呼び水、セルモーターとするのだ。

 ≪ Einfugen die gehirnnerv ≫

本来なら記憶疾患やアルツハイマー、認知症などの治療に使われるこの術式が、今回唯一のジュエルシード固有魔法の行使であった。


クラールヴィントに任せて、ヘルスメーターの術式を展開。予後の監視を行う。

再現した脳波や神経細胞の発火状態が定着するまでが勝負だった。



「その少女の、アリシアちゃんの蘇生は成功しました。短期記憶に欠落はあるでしょうけれど、意識が巧く定着してくれました」

魔法の素質が極端に低かったのも成功の要因のひとつでしょう。とシャマルは言う。

リンカーコアの能力が低かったおかげで、体内の残留魔力に変化が少なかったからだ。これが魔力保有量が多くて魔法を良く使う魔導師だったら、体内の魔力変移が激しくて、魔力の追跡調査による過去の体内状態の推測などという裏技は成立しなかっただろう。



プレシアの娘アリシアの蘇生は成功し、意識も――すぐに眠ってしまったが――取り戻した。

問題は、先方が確保していたジュエルシードを引き渡してもらった後のことだ。



「「それでは約束どおり、フェイト嬢を預かる」そう言った私に、ヤツはこう言ったのだ。
「もう要らないから、好きにしなさい」……と」


なんだと?と詰め寄るシグナムに、眠るアリシアを抱いたプレシアはもう一度口を開く。

「それは、この子の身代わりの人形。
 そっくりなのは見た目だけで、ちっとも使えない役立たず。
 そんな出来そこないのガラクタ、欲しければ持っていきなさい」

「貴様!」

シグナムは殴りかかりたかった。しかし、背後にいる少女の気持ちを考えると、勝手な真似は出来ない。

そうして欲しいと頼まれたなら、はやてになんと言われてようと斬り捨てただろうに。




「……」

思えば、ガラスシリンダーに浮かんだ少女の姿を見たときから、嫌な予感はしていたのだろう。

フェイトは、自分をそのまま幼くしたような少女の存在が示すものを、考えないようにしていたのだ。

しかし、

「母さん……」

事実は、他ならぬ母と慕っていた人の口からもたらされた。

「私をそう呼んでいいのはこの子、アリシアだけよ」

「アンタっ」

彫像のごとく固まってしまった主人に代わってプレシアに殴りかかろうとしたアルフは、しかしザフィーラに止められた。

「放せよ!アタシゃ、コイツが赦せない!」

ザフィーラとて不本意だ。だが、あるじとの約束がある。




「どうして……」

事情は判らない。経緯も知らない。だからと云って今抱いている感情を棚上げにできるほど、なのはは大人ではなかった。

自分だって、家族とうまく行っているとは言い難い。わだかまりがあるし、微妙な距離があると解かっている。

幼い頃に放置された記憶が、今も壁となって立ちはだかっていることを自覚している。

忙しかった家族に迷惑をかけたくなくて、いい子であることを自彊してきた。いまさら本当の自分など晒せないほどに心を鎧ってしまってることすら、おぼろげながらも理解している。

だからこそ家族たちが、自分を扱いあぐねていることも。


それでも、家族の間であんな言い方はしない。されない。

本当の家族じゃないらしいはやて達だって、あんなに仲良くやっている。

それなのにこの人は、フェイトを否定するのだ。

「フェイトちゃんは、お母さんのために頑張ってたのに!」

「それがなに?
 アリシアはもっと優しく笑ってくれたわ。
 時々わがままも言ったけど、私の言う事をとても良く聞いてくれた。
 アリシアは、いつでも私に優しかった」

フェイトの助けになってあげたいのに、どうしていいか判らない。

「やっぱりそれは、アリシアのニセモノよ。
 せっかくあげたアリシアの記憶も、それじゃ駄目だった」

なのはの視界の端で、シャマルが何か反論しようとしたようだった。けれど、その口は閉ざされてしまう。

シャマルに向けた視線をフェイトに戻して、プレシアは酷薄に口の端を吊り上げた。

「未練があるようだから、良い事を教えてあげる。
 貴女を作り出してからずっとね、私は貴女が大嫌いだったのよ」




****




「ごめんね。お願いされてたのに、フェイトちゃんを守れなかった」

ソファに座らされているフェイトの隣りで、なのはが涙をこらえていた。

「せいしんてきなこうげきまでは、そうていがいでした。
 それに、あやまるようなことではないのです」

自分も行けばよかったかと考えたあゆは、しかしすぐにそれを振り払う。その場に居たところで、とっさにいい方法など思いつくはずがない。



「なあ、なのはちゃん?」

車椅子をフェイトの前に持っていきながら、はやてが、なのはに声をかけた。

「?」

視線ももらえずに名前を呼ばれて、なのはは首をかしげる。

「なのはちゃんのお母さんって、どんな人?」

えぇと……。と、なのはは一旦フェイトを横目に見て、はやてに視線を戻す。しかし、はやてはフェイトを見つめたまま。

その……。と、フェイトとはやての間で視線を往復させるが、一向に視線をもらえない。

「話せへんのやったら」と口を開こうとしたはやてを「待って」、なのははなぜ止めてしまったのだろう。

  「……」

自分でも判らないまま、なのははうつむいた。

「……私のお母さんは、」

ぽつりと、搾り出すように。しかしはっきりと。

「私の大好きなお母さんは、
 料理が得意で、
 パティシエで、
 だからお菓子作りはもっと得意で、
 なかでもシュークリームは絶品で、」

なぜだろう。

話し出すと、堰を切ったかのように母親のことが口を付いて出てくるのは。止まらないのは。もっともっと、母だけでなく、父のことも、兄のことも姉のことも話したくなるのは。

「お店の切り盛りをしていて、
 いつもお父さんと仲がよくて、
 お姉さんと間違われるくらい若くて、」

なのはちゃん。と、フェイトから視線を外さないままはやてが呼んだ。

「なに?」

なのはも、視線を上げない。

「お母さんは優しい?」

「……うん」

「お母さんは厳しい?」

「ちょっとだけ」

「お母さんは、いつもなのはちゃんのこと心配しとる?」

「たぶん」

答えるたびに、なのはの声が震えを増す。

「でも、それを口に出したりはしないんかな?」

「そうだね」

「それは少し寂しい?」

「少し、……じゃないかな?」

「そぉか。
 きっとお母さんもそない思ぅとるよ」

「そうかな?」

「訊いてみんと、話してみんと、解からんことは多いんやで」

「そう……だね。
 訊いてみたことなかった。話したことなかった。
 話しを聞かせてって言ったこともないのに、話してくれない。って、私すねてたんだね」

シャマルからハンカチを奪い取ったヴィータが、そっぽ向きながらユーノに渡した。

受けとったものの、ユーノとてとても差し出せない。

「うちは、両親を早ぅに亡くしたからよぉ解からんけど、いいお母さんやな」

……うん。と声にならず、なのははただ頷いた。


「フェイトちゃんのお母さんは、どぅや?」

息を呑んだのは、いったい誰か。

しかし、


「 かあ さん は……、」

焦点は定まらず視線はさまよって、フェイトの声は口の中から出て来ない。

うん?と優しく、はやては聞き返す。

「なのはちゃんに負けとったら、あかんで。
 ほら、言うたりぃ。自分のお母さんのこと」


「……私の 母 さん は」

抱えた膝を、締め付けるように。

「花の……冠を、作って くれた」

一度止まった視線のぶれはしかし、先に倍して揺れ始め……

「……けど、けど、けど、それは、そ れは、そ れ は……、」

私の記憶じゃない?と、口からは洩れない。

「他には、ないか?フェイトちゃんの、お母さんのこと」

「……母さんは、母さんは、かあさんは、かあ さん は、私に笑いか けてくれた」

でも、でも、で も……。と、フェイトは声を震わせる。

「これは私の記憶?誰の記憶?あの子の記憶?」

「うちは、フェイトちゃんのお母さんは、良いお母さんやったんやろうなって、解かっとるんやけど」

えっ!!と思いがけない大声をあげたフェイトが、初めてはやてを見た。

そんなはず、あるわけない。と呟いたアルフは、はやてから視線を逸らしたが。

「自己紹介がまだやったな。うちは八神はやてや」

フェイト・テスタロッサ。と、フェイトの名乗りは手短で口早に。

「これで友達や。よろしゅうな」

差し出された手を掴んだフェイトは、振るのではなく、引き寄せた。はやてが「うちの家族と友達を紹介しような」と言おうとしたのを、そうして止める。

「……教え て」

握った手の力を強くするフェイトに、「答え、自分で言うとるんやけどな」と、内心で頭を掻き、はやてはその手を握り返してやった。

「フェイトちゃんの名前、誰に付けてもろうたん?」

「……。…… 母 さん?」

知識でなく記憶でなく、推理で辿り着いて。自分に、プレシアから貰ったものが有ったことに驚く。

「いい名前やね。
 そんなにいい名前をつけてくれた人が、悪い人のはずない」

「いい……名前? 私 の、名前 が?」

そうや。と、握っていた手を一旦放し、フェイトの掌に「FATE」と書いてやる。

「FATEって言ぅんはな、『from all thoughts everywhere』の頭文字なんや」

ミッドチルダ語と英語はよく似ているが、フェイトはとっさにその言葉の意味を理解できなかったのだろう。聞いた言葉が心の裡を空回りして、ほどけてしまう。

「その意味は、『遍在するすべての思いやりから』」

「思いやり……?」

命名者にそんな意図はないだろうと思いつつ、はやては頷いてみせた。ちらりと視線をやったサイドボードの上には、元ネタとなった本が置いてある。「うちも腹黒ぉなったなぁ。あゆの影響やろか」と内心で呟いて、しかし微妙に嬉しそうだ。「姉妹なんやから、似てて当然やな」


「しかも、世界中のありとあらゆる全ての。やで」

思いやり、ありとあらゆる思いやり。と、言葉はフェイトの口の中で消え、それを外へ押し出さんとするかのごとく繰り返される。


「いいなまえ、なのです」

「せやろ」

「わたしのなまえほどでは、ありませんが」

はやての耳に届くか届かないかの小さなささやきに、苦笑。


フェイトはまた動かなくなってしまったが、視線だけはしっかりと、前を向いて揺るがない。

「シグナム。フェイトちゃんとアルフさんを客間に案内してくれるか?」

もう大丈夫と判断して、背後に立つシグナムに預ける。

「はい。お任せください」

フェイトを抱きかかえたアルフがリビングを後にするのを見届けて、「みんなも、少し休もな」と、はやては微笑んだ。




*****




朝からずっとリビングのソファに座りっぱなしだったフェイトを、あゆは散歩に誘った。

八神家に運び込まれてきた時のことを考えればずいぶんマシな状態になってはいるが、まだ、母親から捨てられてしまった衝撃から抜けきれてそうにない。

自分が散歩に連れ出してもらったことを思い出して、いささか強引に連れ出してきたのだ。

すこしでも気分転換になればと、あゆは願うのである。



フェイトに車椅子を押してもらって、信号待ちしている時だった。

「痛っ!」

振り向けば、母親らしき女性に抱かれた乳飲み子が、その小さな手でフェイトの髪の毛を引っ張っている。

「あっ、ごめんなさい。こら、お姉ちゃんの髪の毛、放しなさい」

抱き慣れてないのだろう、両手を使って乳飲み子を抱いた女性は、手も出せずにただおたおたしていた。

車椅子というものに慣れないフェイトは、手にしたグリップを放していいものか判らず、されるがまま。

「ふぇいとおねぇちゃんの かみのけは、きれいですからね。
 ほしくなっても、しかたないのです」

車椅子の上で体勢を入れ替え、あゆが手を差し上げる。

「でも、むりやりは よくないのですよ」

いとけない手を優しく開いて、フェイトの髪を開放した。

ごめんなさいね。と頭を下げつつ横断歩道を渡り始めた女性を見て、信号が青になっていたことに気付く。

「わたりましょう。そこのこうえんのさくら、まださいてるんですよ」

「……うん」

押される車椅子の挙動が安定しないのは、押してるフェイトの視線が動いているからかと、あゆは推量する。おそらくは、あの女性。そしてあの、乳飲み子。

 ……

さまざまな種類の桜を植えてあるこの公園には、ザフィーラに何度か連れてきて貰ったことがある。

月明かりに見上げる夜桜は幻想的で、無粋なあゆをして美しいと溜息をつかせたのだ。

陽光に照らされた桜は、夜闇で見せる妖艶さこそないものの、清々しく生き生きとしていて、それもまたよいとあゆに思わせた。


「うらやま……しいな」

落ちてきたのは、呟き。何が羨ましいかなどと、訊くまでもない。

「うらめに、でましたか」とは口に出さず、敢えてあゆは「なにがですか?」と訊いた。接ぎ穂を探すには、それしかなかった。それがたとえ墓穴でも。

「……さっきの、親子」

「さっきのおやこ?」

わかりきった応えになると知りつつ、さらに水を向ける。

「……あんなふうに普通に産んでもらって、普通に生まれてこれたら、
  何を求められるでもなく、全てを求められるのかな?」

「なぜ、うらやましいのです?」

車椅子が、止まった。まだ咲き始めの姥桜の前で。

「私は……、普通に産んでもらえなかった、普通には生まれてこなかった。
  ……求められたことに応えられなかった。求めることを許されなかった」

すすり上げる音を頭上に聞きながら、あゆは覚悟した。

「そうですか。うらやましいですね」

「そ……、え? ……羨ましい?私が?」

……最悪、フェイトに嫌われることを。

「ええ、うらやましいのです。
 わたしは、5ねんよりまえの きおくがありません。
 じぶんが だれからうまれたのか、どうやってうまれたのかも、しりません」

風に吹かれて舞い落ちてきた花びらを、その掌に受ける。

「わたしは、ふつうにうまれてきたのかもしれません。
 けれど、もとめられることも、もとめることも、だれも、だれにも、できないのです」

それは、本当であり、しかし嘘だ。

今のあゆには、はやてが居る。実の親は知らないが、求めてくれて、求めさせてくれる、お姉ちゃんが傍に居るのだ。いまさら実の親などどうでもいい。

「ふぇいとおねぇちゃんには、もとめてくれていたひとが、もとめたいひとがいるではないですか。
 てをのばせばまだとどくのに、もう あきらめたのですか?」

私は!と、フェイトが湿った声を荒げようとしたその時だった。「ああ、居た居た。さっきはごめんねぇ」と、先ほどの女性が現れたのは。

「やだ!もしかしてさっきの、やっぱり痛かった?」

パタパタと駆け寄ってきた女性は、乳飲み子を連れていなかった。その代わりに、なにやら平べったいバッグのような物を提げている。

「ほんとごめんねぇ。痛かったよねぇ」

フェイトをぎゅっと抱きしめ、その頭を撫でる。牛乳とはちょっと違う、生臭いミルクの匂いがほんのりと。

いえ……その……。とフェイトは離れようとするが、お構いなしだ。

「髪の毛、痛んでないかしら?綺麗な髪なのに、ほんとごめんねぇ」

フェイトを一旦開放し、先ほど乳飲み子が引っ張った一房を念入りに手繰り始める。

「あ……あの、本当に大丈夫、ですから」

「そう?そうならいいんだけど」

でも、ね。と女性は手にしたバッグを開いた。それは、二つ折りにされた取っ手付きのトレイとでも云えばいいのだろうか?

開いた内側に、所狭しとさまざまなアクセサリーが並んでいた。

「私ね。アクセサリーのデザインとか、してるの。専門は七宝焼きとクレイシルバー。
 さっきのお詫びに、ひとつ好きなのを選んで?」

「え……、そんな。いただけません」

思わず一歩退いたフェイトを追いかけるのは、その女性の笑顔。

「そう言わないで。あなたみたいな子がどんなのを選ぶか、そのリサーチだと思ってくれればいいから」

「でも……」

「せっかくの ごこうい、なのです。
 ことわるほうが しつれい、なのですよ」

そ、そうなの?と困惑するフェイトに「そうそう」と女性が頷いてる。

「じゃあ……」

視線をめぐらせたフェイトが指差したのは、「……これを」サボテンのような形をしたブローチだった。金色の枠をした七宝焼きで、根元のほうは黒く、先端に向かって青へとグラデーションしている。

「七支刀ね」

幹の左右から交互に6本、枝葉を伸ばした大木のごとき剣。実在しても、実用には耐えられまい。

「……ななつさやのたち?」

フェイトの疑問に「ええ」と応えながら、女性がトレイからブローチを外す。

「雷を象徴していると云われる剣よ。私、こうした神話モチーフ大好きなの」

はやてが貸し与えた深い緑色のワンピース。その胸元を走るオレンジのラインにブローチをつけてくれた。

「黒から青に変わっていくのは【水生木】と言って、雷の力の源と成り立ちを意味しているのよ」

うん、なかなか似合うじゃない。と満足げに頷いて、女性がにっこり。

「ありがとう……ございます」

「ああ、気にしないで。そもそもお詫びだし、綺麗なコに着けてもらえるのは嬉しいし」

それじゃ、ね。と立ち去りかけた女性を、しかしフェイトは呼び止めた。

「あの……。
 赤ちゃん、かわいいですか?」

いきなりの質問に面食らった女性は、しばし考え込む。

「ん~と、ね。
 子育てって、ホント大変なの。寝る間もないくらい。うるさいし臭いしメンドウだし。
 本っ気で殺意覚えることもあるんだよ」

たはは……。と苦笑して、「こんな小さい子に何言ってんだろうね、私」と自嘲。少なからず疲れているのかもしれない。

「あの子は私の実の子じゃないから、なおさらかな」

そのお腹をさすって、少し寂しそう。

「……でも、やっぱり可愛いの。
 笑いかけてくれると疲れなんか吹っ飛ぶの。
 殺したいって思った瞬間に笑いかけられて、泣いちゃったこともあったなぁ」

思い出したのか、ちょっと涙目。
 
「可愛さあまって憎さ百倍なんて言うけど、
 母親やってると、愛憎って表裏一体なんだって実感するのよ。
 ホント、簡っ単にひっくり返っちゃう」

愛憎は、……表裏一体。と呟くフェイトを見て、女性が我に返る。

「あ、ゴメンね。変な話になっちゃって」

「いいえ……、ありがとうございました」

手を振りながら去っていく女性に頭を下げて、フェイトは目尻の涙をぬぐった。


見上げたのは空。花びら舞う青空。

力を篭めたのはこぶし。涙ぬぐった握りこぶし。


「……まだ、届くかな?」

「ふぇいとおねぇちゃんが あきらめないのなら、わたしたちが とどかせてあげるのです」



[14611] #16 繕われた過去と現在となの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:41




「はじめまして、ありしあちゃん」

「なっ!」

驚いて声を上げたのは、その母親だった。

声をかけられた本人は、きょとんとして見上げている。

「貴女たち、いったいどうやって……」

プレシア・テスタロッサの驚きも当然だ。

【時の庭園】は遺跡も同然の古い移動庭園だが、けして見掛けどおりの無防備な岩塊ではない。歴代の所有者によって追加更新されてきたセキュリティに加え、今はプレシアの魔法と技術を注ぎ込まれた一種の要塞である。

招かれざる客が、気軽に立ち入れる場所ではなかった。


しかし、プレシアに油断が無かったか?と云えば、そうではなかったと答えるしかないだろう。

ジュエルシードを20個も従えた魔導師を、一度とはいえ無警戒に招き入れたのだから。その魔導師が何らかの仕掛けを残していくかもしれないことを、考慮にも入れず。

さらに、慢心もあっただろう。

フェイトやアルフのことなど些事と、なにひとつ対策を行わなかったのだから。各種認証もセキュリティパスも、一切更新されてなかった。

そうでなければ、警戒網を潜り抜けて直接転移をゆるし、警報どころか前兆もなく目前まで乗り込まれることなどありえない。

もっとも、当のシャマルは悪意があって仕掛けを残していったわけではなかった。純粋にアリシアの予後が心配で、遠隔診断できるように措置していただけだ。


「だぁれ?」

プレシアの攻撃の手を止めたのは、他ならぬその愛娘であった。この侵入者たちを始末するのは簡単だが、アリシアに見せたいものではない。2人の内1人は見憶えのある顔で、もう1人は子供。胸元に抱いた本は魔導書のようで気にはなるが、慌てて排除するほどの危険はない。と庭園の主人は判断した。

「やがみあゆ。なのです」

こちらは、ざふぃーらにぃさま。と、自らを抱きかかえてくれている盾の守護獣を紹介する。最近は慣れてきて、片手一本であゆを抱きかかえられるようになったザフィーラであった。

「ありしあちゃんと、おともだちになりにきました。
 わたしと、おともだちになってくれますか?」

「うん、なる!」

差し出された手を握り返して、あゆの目からは小さなフェイトとしか見えないアリシアがぴょんと跳ねる。


庭園内に設けられた阿舎。見える青空は映像で、広がる草原は人工物だろうか。

先行したアルフによって、プレシアとアリシアがティータイム中であることが判っていた。

「ありしあちゃんは、しゅーくりーむは おすきですか?
 みどりやのしゅーくりーむは、せかいいち。なのですよ」

「しゅーくりーむ?」

どうやら、ミッドチルダにシュークリームはないらしい。

「とくにおねがいをして、ぷろふぃとろーるを つくってもらいましたが、きっと つうじませんね」とは、あゆの心の声である。

プロフィトロールとは一口サイズの小さなシュークリームのことで、心付けという意味があった。翠屋のメニューには無かったようだが、この日のために予め打診しておいて、なのはに持ってきてもらったのだ。

「おいしいのですよ」

手提げ式の紙箱を開けてテーブルの上に置いてやると、アリシアが歓声を上げる。

もしかすると、ミッドチルダではバニラの香りも馴染みがないのかもしれない。

「たべてもいい?」

「もちろん。なのです」

「かあさま?」と、アリシアからプレシアに送られた視線が、プレシアからあゆへとバトンタッチされる頃には変質している。「どくなど、いれてませんよ」との意味を篭めた視線はプレシアで塞き止められた。

「アリシア、お客様が先ですよ」

紙箱を押し出されて、あゆはシュークリームをひとつ摘む。摘む直前でもう一押しして、こちらが選んだものを外させるあたり徹底している。

躊躇うどころか、むしろ進んで口に入れたあゆを見て、プレシアはさしあたっての警戒を解いたのだろう。本日のお茶請けが乗っていたであろう小皿に、シュークリームを乗せてやった。

「いただきまぁす」

ひとつ摘んで口に入れ、アリシアが幸せそうに頬を押さえる。


「かけても?」

プレシアの向ける猜疑の篭った視線を華麗にスルーし、空いている椅子を視線で示す。

「好きになさい」

では、おことばにあまえて。と、あゆはザフィーラから下ろしてもらう。この阿舎に席が3つしかないことの意味を漫然と推測しながら、「もうしわけ、ないのです」と、腹話術めいて呟く。

気にするな。と、こちらもほとんど口を動かさない。


「おいしいでしょう?」

シュークリームを食べ終わったアリシアが、もの欲しそうに人差し指をくわえていた。

母親を見上げるアリシアに、プレシアの微笑み。

「あまり食べ過ぎては、いけませんよ」

「はい」と元気良く返事をして、アリシアが2個目を頬張る。

おいしい。と顔はおろか体全体で表現するアリシアに、プレシアが目を眇めた。それでも、牽制の視線を寄越すことを忘れない。

いったい何の用か?と、何度も寄越される視線。ちらりずむ。

あなたにようじはないのです。と、返しもされない視線。しらんぷりずむ。

そう、あゆの目的はアリシアだ。とりあえずは。

3個目、4個目と平らげ、満足そうに口元を拭っている。


さて。と手を叩き、あゆはアリシアの気を惹いた。

「きょうは、ありしあちゃんに、おねぇちゃんを かえしにきました」

「?」

「なっ!」

あゆが指し示す先、テーブルを挟んだアリシアの正面に、フェイトの姿があった。まるで、ずっとそこに居たかのような佇まいで、しかし、今忽然と現れた。

隠蔽と幻術・妨害に長けた18番のジュエルシードは、使いこなせばプレシアクラスの魔導師の目すら欺く。

「ありしあちゃんに、そっくりでしょう?だって、ありしあちゃんのおねぇちゃん、なのですから」

フェイト・テスタロッサ。と、自己紹介はさせてもらえなかった。

円筒状の魔力壁がアリシアを隠し、降りそそいだ稲光が視界を真っ白に染め、轟いた雷鳴が声を掻き消したのだ。

だが、誰にも被害はない。白い魔法陣が電光を防いでいた。

とっさの防御魔法でプレシアの攻撃をしのいだのは、盾の守護獣の面目躍如。しかし、雷と相討って防御魔法が消滅した途端に撃ち込まれた光弾までは手が回らない。

 ≪ Defenser ≫

フェイトは、バルディッシュが守る。

「くっ……」

ザフィーラは、持ち前の頑健さで耐える。

「えっ?」

あゆは、眼前で掻き消えた光弾に目を丸くしていた。

まるで、露天風呂に降った雪のように、ほどけ、消えたのだ。

「なっ?」

驚いたのはプレシアもだ。

怒りと急拵えゆえにたいした威力ではなかったが、突然霧散するような柔な構成のわけがない。

高濃度の魔力減成力場でも、ここまであっさりと魔力結合を解くことは出来ないだろう。

「おのれっ!」

練り上げられる魔力、先ほどとは比較も出来ないほどの雷。

 ≪ schutzmauer ≫

しかし、今回ザフィーラが張った防護陣は小揺るぎもしない。

見れば、その指間に輝きがあった。防御においては他の追随を許さない4番のジュエルシード。

デバイスを用いないザフィーラが、どうやってジュエルシードを使ったのかと云えば、もちろんからくりがある。予めパラメータを設定済みで、1術式限定なのだ。


 ≪ Friedhof der Magie ≫

より強大な2撃目を招来せしめんと、プレシアはコウモリめいた意匠の杖を手元に呼び出す。しかし、組んだ術式に魔力を流し込めない。

「魔法を封じさせてもらいました」

どこからともなく聞こえてくる声に、聞き憶えがあった。アリシアの蘇生を主導した魔導師だ。

魔力操作に長けた2番。拘束を得意とする12番。崩壊と再構築術式を兼ね備えた13番。調整能力に指向した14番で組み上げられた、魔力封鎖の檻。4つのジュエルシードの大魔力には、プレシアとて抗し得ない。


「あれ?」

きょとんと、アリシア。両手にシュークリーム。

プレシアの魔力が途絶えたことで、隔離していた結界が解けたのだ。

こころなしか、紙箱の中のシュークリームが随分と減っているように見受けられる。

「いま、おおきな かみなりが、おちたのです。
 ありしあちゃんのおかあさんが、みんなを まもってくれたのですよ」

あゆの口から出任せに、一番驚いたのはプレシアだろう。アリシアが寄せる憧憬の眼差しに、すこし居心地が悪そう。

真に受けることはないだろうと思いつつ送った「これで、かり1つなのですよ」との視線は、やはり無視されたようだ。


≪ nice to meet you.Alicia ≫

驚いたことに、話の接ぎ穂を持ち出してきたのは黒い杖であった。普段寡黙なバルディッシュにしては珍しいが、フェイトに忠実なこのデバイスにとっては当然のことであったかもしれない。

「はじめまして。えーと……?」

「閃光の戦斧バルディッシュ。私はフェイト・テスタロッサ」

「はじめまして、バルディッシュ。
 それと、フェイトおねえちゃん?」

そうですよ。と、あゆ。

「ありしあちゃんは、じぶんのおからだのこと、きいてますか?」

「はい。アリシアはびょうきだったので、ずっとねむっていました」

思ったとおりの誤魔化し方。と、あゆは内心でほくそえむ。アリシアの死後、どれだけ時間が経っているかは知らないが、その間にプレシアとて変化・老化していることだろう。目を覚ましたアリシアの最初の質問がそれだったことは想像に難くない。

「ありしあちゃんの びょうきをなおすために、ふぇいとおねぇちゃんと ばるでぃっしゅは、ずっと たびにでていたのです。
 だから ありしあちゃんは、ふぇいとおねぇちゃんたちと あったことがなかったのですよ」

そうなんだ。と驚いたアリシアは跳ねるように椅子を降り、テーブルを回りこんで走ってくる。

「フェイトおねえちゃん、バルディッシュ、ありがとう!」

勢いもそのままに抱きついてきたアリシアに、フェイトはどうすればいいか判らない。

≪ You're welcome ≫

「……どういたしまして」

デバイスに教えられるありさまであった。



「さて、ぷれしあ・てすたろっさ」

あくまで笑顔のままで、しかしあゆの声音は低い。

「げんじゅつまほうで、わたしたちのこえは、たわいのないかいわに ぎそうされているのです。
 はらをわって、はなしましょうか?」

アリシアは、フェイトとフェイトが今呼んだ――ことになっている――なのはとはやてに気を惹いてもらっている。少し離れた場所に座り込んで、お話ししていた。

幻術魔法での吹き替えは、シグナムがプレシア役、ヴィータがあゆ役という処に一抹の不安を感じるあゆであったが。

「ぎそうしているのは、こえだけなのです
 そんなにこわいかおをしていると、ありしあちゃんが しんぱいするのですよ」

新しく出来た姉や友達と会話が弾んで、アリシアは楽しそうだ。いくら敬愛する母親とは云え、2人きりでは詰まらなかっただろう。

「わらいかたが、わからないのですか?

      にぱー♪

 こうするんですよ。
 では、りぴーと、あふたみー。 にぱー♪」

どうやればこんな声音で満面の笑みを浮かべられるのか、むしろ、ケンカ売ってるとしか思えないザフィーラであった。

「のりのわるいおかた。なのです」

だがしかし、相手は稀代の魔導師プレシア・テスタロッサである。腹芸ごときお手の物。

「何を企んでいるの」

慈母の微笑みを浮かべて、氷点下の声音であった。ケルビンで表記したほうが早そうな。

「たくらむだなんて、ひとぎきが わるいのです」

胃壁に防御魔法をかける方法を真剣に検討しだしたザフィーラだったが、少なくともあゆは腹芸はここまでにするようだ。声音が元に戻る。

「ただたんに、ふぇいとおねぇちゃんを、かぞくに むかえいれてもらいたい。ただそれだけ、なのです」

「あんな出来そこないの人形を、家族にですって!」

笑いながら怒る人という芸があったなあ。などと思い出した、あゆ役のヴィータは、あたいにゃ真似できねぇ。と妙な関心をしている。

もしその表情を見ることが出来たなら、プレシアは雷のひとつも――比喩でなく――落としたことだろう。

「そのことについては、しゃまるねぇさまから しつもんがあるのです」

「シャマル?」

「姿を隠したままで失礼します」

アリシアの蘇生を行った魔導師か。と声で判断するものの、位置の特定は難しい。魔法を封じられた今ではなおさら。

「フェイトさんは、アリシアさんのクローンですか?」

そうよ。と、即答。「出来損ないだけど」と、一瞬仮面がはがれた。

「アリシアさんの記憶を移植しようとした?」

「ええ。ほとんど欠落したわ。
 それだけならまだしも、よりによって名前を留めなかったのよ、とんだ欠陥品だわ」

たぶん……。と言いよどんだシャマルは、「まずもって……。いえ絶対に」と言い直す。

「成功しません」

プレシアは特に反応しなかった。つまらなさそうな視線を一瞬フェイトに向けたのみ。

「同一の遺伝子を持つとは云え、成長の仕方が違えば脳構造は変わるんですよ。
 そこに記憶を移植したって、うまく定着するはずがありません」

「そんなことは判っているわ」

良い喩えではないが、ヒトの頭脳とは「自ら配線を変化、成長させるワイヤドロジックのコンピュータ」みたいなものである。ハードとソフトが同義で、分かち難い。

これが現在一般的に使われているストアードプログラムコンピュータなら、ソフトもデータも自由にコピーできるし使えるだろう。

しかし、ハードソフト一体のワイヤドロジックではそうはいかない。別のハードが実現している動作、保持しているデータを得るには、ハードそのものを改変しなくてはならないのだ。

ヒトが新しい能力を得るためには、反復した練習が必要なように。


「そこを乗り越えるのがプロジェクトFの目的であり、精髄よ」

「でも、うまくいかなかった。なのですね?」

やはりプレシアは反応しなかった。アリシアが戻ってきた今、どうでもいいことなのだ。

「ならば、ふぇいとおねぇちゃんは できそこないではないのです」

ぴくり。とプレシアの眉がひきつる。

「うまくいかないほうほうで つくったものは、できそこないになって とうぜんなのです。
 とうぜんのけっかなら、それは ただしいことなのです。なるべくして なったのですから」

例えば、ガラス細工を壁に叩きつければ壊れるだろう。ガラス細工が壊れたことは悪いことかもしれないが、叩きつけた以上ガラス細工が壊れることは必然だ。なって当然のことをして、相応の結果を得たのだから、その結果に間違いは無い。と、あゆは言う。

うまくいかない方法で生み出されたのだから、フェイトはいまのままで正しいのだと。中途半端にアリシアの記憶を持つフェイトは、だけど当然なのだと。

「まちがっているのは、うまくいかない ほうほうで、つくろうとしたほうなのです。
 ふぇいとおねぇちゃんを できそこないとよぶのなら、うまくいかないほうほうで わざわざ できそこないをつくったあなたが、そもそものできそこないなのです」

幻術魔法で吹き替えしてもらっているのは、もちろんアリシアには聞かせられないからだ。

だが、それ以上にフェイトに聞かせたくなかったのであろう。結果は、手段を正当化しない。一度は嫌われることを覚悟したあゆだったが、だからといって嫌われたいわけではない。

「できそこないが、できそこないをつくった?
 できそこないだから、できそこないしかつくれなかった?
 どっち、なのですか?

 できそこないどうし、にたものおやこなのですよ!!」

「詭弁をっ!」

言葉と共に振り抜かれた掌が、あゆの頬を打った。いや、打たせたと云うべきか。あゆを庇おうとしたザフィーラを後ろ手に牽制したのだから。



「かあさま?」

母親のこんな形相を見たことが無かったのだろう。すこし離れて、アリシアが立ち尽くしていた。その向こうで、はやてが片手を挙げて謝っている。

「ありしあちゃん、ごめんなさい。
 わたしがとても おぎょうぎわるくしたから、しかられただけなのです」

「そうなの?かあさま」

えっええ……。と、プレシアは思わずその掌を背後に隠してしまう。

「あゆちゃん、ダメだよ。
 とってもやさしい かあさまを、あんなにおこらせちゃあ」

「はい。ごめんなさい、なのです。
 ありしあちゃんのおかあさんにも きちんとあやまりたいので、ふたりだけに してくれますか?」

叱られるときに、傍で他の人に見られていたくない。そのことはアリシアもよく解かっているのだろう、「うん、むこうでおねえちゃんたちといるね」と、踵を返した。

アリシアを出迎えたはやてに目顔で「もうすこし、ひきはなしてください」と伝え、あゆはプレシアに向き直る。

「きべんで けっこうなのです。
 でも、いいすぎました。ごめんなさい」

アリシアがこちらの様子を窺っているのは判りきったことだったので、頭も下げておく。謝意は嘘ではないが、頭を下げるほどのことはないとあゆは思っていた。

もとから怒らせるつもりだったのだから。

「私は謝らないわよ」

「あなたに あやまってもらっても、わたしには いちもんのとくにも ならないのです。
 ですが、ひとこと いわせてもらっても いいですか?」

逸らした視線を了承の意ととって、あゆは実に静かに口を開く。

「あんなにおこったということは、じかくがあったのでは ないですか?」

「……」

プレシアは口を閉ざす。

このうえ何を言っても言い訳にしかならない。

さすがにそれは彼女のプライドが許さなかった。


special thanks to jannqu様。誤字報告、ありがとうございました。



[14611] #17 ここは湯のまち、海鳴温泉なの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:20



フェイト・テスタロッサの新しい習慣は、朝に次元通信をすることである。

「もう、起きないと、ダメだよ……」

テーブルの上で開かれた空間モニターの中にアリシア。にゃむにゃむと目元をこすっている。

「……フェイトおねえちゃん……、おはよう」

フェイトは、あゆが勝手に姉呼ばわりしたことを今更くつがえしようがなくて、本当に姉ということになっていた。

「おはよう、アリシア」

妹がきっちり目を覚ましたのを確認して、「それじゃあ」と通信を終わる。

「もっと色々話さな」などと、はやてが焚きつけてはいるのだが、「今は、これで……」とフェイトは満足そう。




****




八神家に、家族が増えた。

フェイトとアルフが下宿することになったのだ。




「あんなに おこったということは、じかくがあったのでは ないですか?」

その言葉は、なぜか吹き替えられなかった。アリシアには聞こえなかったようだが、フェイトの耳は捉えた。


「何をしに来たの……」

プレシアの横に立ち、フェイトはあゆを睨む。

「……あゆ、貴女には感謝している。
 でも、母さんに仇なすなら、赦さない」

「消えなさい。もう貴女に用はないわ」

すげないプレシアの言葉にも、フェイトは怯まない。親子というものはそう単純なものではないと知っている今、重要なのは自分がどう思っているか、自分がどう感じているかだ。

一歩、前へ歩み出る。

「私は、貴女を護る。
 私が貴女の娘だからじゃない。貴女が私の母さんだから」

フェイトの背後で、息を呑む気配。

「どんなカタチででも私を産んでくれた。私を育ててくれた。
 だから……」

プレシアのそらした視線の先に、アリシア。心配そうにこちらを見ていた。

「すっかりアリシアを手懐けてしまったようね」

話しを逸らしたように見えるのは、プレシアの抵抗だろうか。

間近のフェイト、遠目に見えるアリシアと往復した視線は、最後に鋭くあゆに。

「私のアリシアを人質にとるなんて、本当に容赦のない子ね」

「ひとじちとは、ひとぎきのわるい。
 わたしにとっては おともだちで、ふぇいとおねぇちゃんにとっては いもうと、なのですよ」

ふん。と鼻を鳴らしたプレシアが、フェイトのほうへ視線を寄越す。フェイトに、ではなく、あくまでフェイトのほうへ。

「貴女はどう?アリシアのこと」

「え……?」

まさかそんなことを訊かれるとは思っていなかったのだろう。フェイトがあたふたと。

「……その、よく解かりません。
  よく解かりませんけれど、あの……、可愛いかと……」

そう。と視線を落としたプレシアがテーブルの象嵌を目で追う。行き着いたのは「翠屋」と書かれた紙箱。残り少ないシュークリーム。

「……正直、どうしていいか判らないわ。
 貴女にぶつけた言葉は今でも私の本音で、偽りのない気持ち」

ぷれしあ。と咎めだてしようとしたあゆを手振りでとどめ、プレシアは額を押さえた。

「でも、嬉しそうに貴女に懐いてるアリシアを見ていると、それも良いかと思ってしまう」

自分と、リニスと、アリシアで過ごした日々を思い出してか、その視線はあゆの座る椅子に。


「……今は無理。だから時間を頂戴」

搾り出すような声音はかすかに震えて、プレシアの葛藤を僅かに垣間見せるか。

「そういうことならば、しばらくふぇいとおねぇちゃんを おあずかりしましょう。
 さいわい、きゃくまは あいているのです」

事後承諾になるが、はやては反対すまい。

「ありしあちゃんには、……そうですね。
 ふぇいとおねぇちゃんは、たびのとちゅうでうけた しごとが のこっているので、しばらくかえれない。とでも ごまかしましょうか」

リンカーコアからの魔力の蒐集の件があるので、あながち嘘でもないところが悪辣というか、考えた人間の性格が知れるというか。


「フェイト……、ご……………」

呑み込まれた言葉は、とうぜん聞こえない。しかし、届くものはある。

「母さん。 ……気にして、ませんから」

まだ、そう呼んでくれるのね。とプレシアは顔を伏せた。

「ぷれしあさん。
 わたしが おねぇちゃんにおそわったことを、あなたにも おしえてさしあげるのです」

プレシアは顔を上げないが、耳は傾けているだろう。

「じぶんをすきになれなくては、ひとをすきにはなれない。なのです」

先ほどまでの話の流れと合わせて遠回しに、プレシアが嫌っているのはフェイトではなく、フェイトを作り出してしまった自分自身だろう。と言っているのだ。フェイトを産み出してしまったこと自体がアリシアを見限ったことになるとプレシアは気付いているだろうが、あゆは敢えて言及しなかった。そこまで追い詰める必要はなさそうだし、追い詰めすぎて自暴自棄になられても困る。

「まずは、じぶんをすきになること。
 わたしは、そのことについてだけは せんぱいのようなので、えらそうに いわせてもらうのです」

ザフィーラに抱えあげてもらいながら、あゆは遠目に見えるはやてに視線をやった。

自分でも出来てないことを賢しげに言う。と、当の本人はさらに自分のことが嫌いになったようだが。




****




「フェイトぉ。アリシア、起きたのかい?」

「うん」

転がるようにリビングに駆け込んできたのは、オレンジ色の仔犬である。八神家にはすでにザフィーラが居ることを考慮して、アルフが仔犬フォームを開発したのだ。

「みんな準備はじめてるよ!フェイトも早くぅ!」

「今、いくよ」

フェイトのリンカーコアからの魔力蒐集を行ったのは、一昨日の晩だった。

当然しばらくは安静。……の筈なのだが、今から皆でお出かけである。

なのはが、温泉旅行に誘ってくれたのだ。




****




「ひっ!」と、息を呑む音を、ザフィーラは自分の左肩付近に聞いた。温泉宿に車椅子は持っていけないから、あゆを抱きかかえたところだったのだ。

見れば、自分以外のヴォルケンリッターの面々が緊張している。

『例の屋敷の連中だ』

なるほど、ワゴンの運転席から降りてきた男、かなりできる。と値踏みしたザフィーラは、『そいつもすごいけど、そいつじゃねー』とヴィータにつっこまれた。

『リムジンの2列目の窓際の男性と、その隣りの女性。
 さらに後ろの乗用車の運転席の女性。その3人です。ですが……』

『ああ…』

シャマルの言葉を引き取って、シグナムは固唾を呑んだようだ。

『さらに、今ワゴンから降りてきた男。そのワゴンの中の女。リムジンの中に、もう一人か?』

『はい』

実力差はあるだろうが、かなりの使い手が6人も来た。しかもそのうち3人とは因縁がある。ザフィーラには、これを単なる偶然とは言い切れなかった。



『………………………………………………………………………』

八神家を代表してシャマルが挨拶をしているが、内心の動揺が無言の念話で伝わってくるようだ。




「では、子供たちはあちらのリムジンへ」と促すと、車椅子の女の子と金髪の女の子がそちらに向かった。

しかし、赤い髪の女の子と、特に小柄な女の子を抱きかかえた男性は動かない。

「おや?その子、随分と顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

「ん、ああ」と、これは女の子を抱きかかえた男性。

「お嬢ちゃん、だいじょうぶかい?」

声をかけても、女の子はこちらを向かない。その視線はさっきからずっとある一点を、どうやらバニングスさんのリムジンに乗る自分の息子に向けられているようだった。

そこに篭められた恐怖と忌避は、かつて荒事に身を染めていた自分には見憶えがありすぎた。「いったいこの子に何をしたんだ」と内心で、喫茶店「翠屋」店主にして地元少年サッカーチーム監督兼オーナー、永全不動八門一派・御神真刀流小太刀二刀術正当継承者である高町士郎37歳既婚――未だに熱愛真っ最中――3児のパパは、自分の息子を糾弾していた。


「貴方がたは一体、何者なのだ」

今まで口を開いてなかった鴇色の髪の女性の言葉に、士郎は我に返る。

見た目には穏やかな微笑を浮かべているが、士郎には臨戦体勢であると丸判りだ。ただ、真っ向から立ち向かう必要がなければいなせると判断したため、とくに構えたりはしない。

「いや、一介の喫茶店の店主なんですけどね」

この女性の態度といい、あの女の子の様子といい、何らかの因縁。ないしは行き違いがあるのだろうと推量する。こういう時に過敏に反応してはいけないと、優れた政治家を間近に見てきた士郎は知っていた。




****




「いや、濡れ衣が晴れてよかった」

「すまなかった。赦してもらえると嬉しい」

「ごめんなさい。なのです」



高町恭也は、生きた心地がしなかった。

いきなり父親に呼び出されてワゴンの後部座席に放り込まれ、走り出した車内で「お前、一体あの子に何をしたんだ」と、詰問されたのだから。

対面式の後部座席には、2列目にストロベリーブロンドの女性。3列目にはハニーブロンドの女性とアッシュブロンドの男性が居て、恭也を睨んでいた。

男性に抱きかかえられた少女は、まるで深夜にホッケーマスクの怪人にでも出遭ったかのような「恐い、けど目を離すのはもっと恐い」と言わんばかりの視線で恭也の一挙手一投足を見張っている。

一度咳払いをしたときなど、こぼれ落ちるんじゃないかというほど目を見開いて、がたがたと震えだす有様だった。

一緒についてきてくれた最愛の女性でさえ、この状況に「恭也、一体何をしたんですか?」と言わんばかりの視線を隣りから送ってくる始末だ。

父親が運転中で、眼前に居ないことが唯一の救いだった。


「身に憶えがない」とは言うものの、少女の恐怖は本物で、言えば言うほど疑いが増えかねない。いや、事実増えたし。

一体どうすればいいんだ。と内心のみならず頭を抱えた恭也が無実の弁明を許されたきっかけは、他ならぬその少女だった。

「……わたしも、ころしにきたのですか?」

全てを諦めきった。と言わんばかりの表情は、その年頃の女の子が浮かべていいものではないだろう。瞳に、まったく光が映りこんでいない。

「どうして俺が、君を殺さなくてはならないんだい?」

さっきの、たった一言で喉を渇したか、少女が固唾を飲む。

「あなたは、わたしのどうきを、きょうかんたちを ころしたのです。
 にげのびたわたしを、しまつしに きたのでは ないのですか?」

「君の同期と、教官を?」

少女が何を言っているのか、理解したのは隣りに座っていた恋人だった。

「あなた。もしかして、暗殺者として養成されていた子?」

そう言われて恭也も思い出す。今年、まだ梅が咲くか咲かないかという頃合に、子供を集めて暗殺者として養成していた施設を潰したのだ。

そこから先の、話は早かった。

施設を潰し、抵抗する者の中には死んだ者も居るが、少なくとも子供は全員無事に保護したことを伝えたのだ。

「もちろん、君を殺すつもりもないよ」

「そうなの……ですか」

そうして冒頭の、無罪宣告となるのであった。



「わたしは、いきていて いいのですね?」

「むろんだ」と、応えたのは少女を膝に乗せた男性で、「むざむざと殺させたりなどするものか」とは目の前の女性だ。

そういえば、お互いに自己紹介も済ませてない。

「わたしが、おねぇちゃんのやくに たっているから?」と、それは小さな呟きだったが、ハニーブロンドの女性はゲンコツを落とした。

「わたしたちは家族でしょう」

…はい。と頷いた少女が、すぅ。と深く息を吸う。その湿った音はもちろん前兆で、頬を伝った涙はあれよあれよという間に量を増し、それはもうぼろぼろと流れ落ちた。なのに少女は、一切声をあげない。

「ああっ!ごめんなさい、そんなに痛かったですか?」

慌てて少女の頭をなでる女性に、かぶりを振ってみせている。

「わたしは、いまが おわるとおもいました。
 おねぇちゃんとの、
 ざふぃーらにぃさまとの、
 しゃまるねぇさまとの、
 しぐなむねぇさまとの、
 びぃーたおねぇちゃんとの、いまが」

目前の女性の眉根が微妙に寄ったところからすると、もしかしてこの人がヴィータさんなのだろうか?

「おわってしまうとおもって、はじめて おわってほしくないとおもったのです。
 わたしは、いまがしあわせなのだと、しったのです」

拭うことも知らないのか、ぼろぼろと涙を流したままで少女が、ひたと恭也を見る。

「このかたが、わたしにいまを くれて。このかたが、わたしにみらいまで くれたのです」

ありがとうございました。と頭を下げた少女が再び顔を上げたとき、恭也は初めてこの少女の年齢相応の笑顔を見たのだった。




****




最近お風呂が好きなのは、湯船の中なら脚の不自由さを気にせずにすむからか。と、あゆは自己完結した。

こういった広い露天風呂だから実感したことだが。

湯船の向こう岸でなのはたちと姦しいはやても、ふだんより羽目を外しているように見受けられる。さきほどまでは、お姉様方たちへの過剰なスキンシップに勤しんでいたし。


「ゆーのさん、ゆざめしますよ?」

にごり湯の湯面の下で日課のマッサージをしながら、あゆは視線だけを向ける。

「うん、ありがとう。
 でも……あの、話しかけないで。そっとしておいてくれると嬉しい」

あゆの背後、岩陰にフェレットの姿があった。

「わたしに、ともだちにうそをつけと?」

その視線の先に、金髪の少女。なのはの友達――紹介されて、今ではあゆの友達でもあったが――であるアリサ・バニングスは、フェレットの姿を探しているようだ。

「あの……、僕も友達だよね?
 お願いだから匿ってよ」

「たしかに、どうじょうのよちは あるのです」

ざぶざぶとアリサに洗われるユーノの隣で、あゆもなのはたちに磨き上げられたのだ。気持ちは解かる。

「ぶしのなさけ、なのです」

恩に着るよ。とユーノは、よりいっそう小さくなるよう身を丸めるのであった。



「恭也が泣かした女の子って、この子かしら」

「ええ。ひどい話です」と、笑ったのは月村忍である。判っててこう云うやり取りをするあたり、この未来の嫁姑の息は今からぴったりのようだ。


そういえば、たしか……。と、あゆは推量する。

「なのはおねぇちゃんの、おねぇさん。なのですか?」

「あら♪」

「ん?…ああ」

そうよお。と、湯を掻き分けてきた女性が、あゆを抱きしめる。

「……、桃子さん」

シャレになってませんよ。と苦笑しながらの忍の突っ込みは、桃子の胸の中に埋もれたあゆには届かなかっただろう。

「あゆちゃんね?なのはのお友達の」

「はい、なのです」

やさしく引き剥がして、湯温が上がるような温かい笑み。

「プロフィトロールを、その意味も含めてリクエストしてくれた人は初めてね」

昔を思い出して、少し嬉しかったかなぁ。と桃子。

「それに、おかげでプロフィトロールにどんな意味があるのかって、なのはが興味を持ってくれて、それがきっかけで色んなお話ができたわ」

ありがとうね。と手を握りしめる桃子に、あゆは応えを返せない。

「今度はなのは伝てではなくて、直接お店に来て頂戴ね」

はい。と応えるあゆを置いて、「それじゃ、またね」と桃子は湯煙に消える。



……

「結局訂正されませんでした。桃子さん」

いえいえ、プロフィトロールの話が出た時点で気付いてますとも。




****




「あれが、ほうげきまほう。なのですか」

見上げる夜空を、桜色の光が切り裂いた。

先ほどまで射撃魔法で牽制していたヴィータを拘束魔法で捕え、なのはが砲撃魔法に切り替えたところだった。

「びぃーたおねぇちゃん、だいじょうぶでしょうか?
 ちょくげきしていたように、みえましたが」

「高町の魔力は物凄いが、それだけで遅れをとるようなベルカの騎士ではない。
 距離もあるし、ああ見えてヴィータの守りは堅い」

はやてを抱きかかえたシグナムが、「それに」と続ける。

「受けて見せたのは最初だけ、手応えありと思わせておいて」

 ≪ Raketenform ≫

あそこだ。とザフィーラが指差してみせた先に、紅の鉄騎の姿。自分の身の丈ほども直径のある砲撃に、張り付くようにして加速していた。

「ラケーテンっ」

ハンマーヘッドにスパイクとメインスラスターを備え、炎を曳いて突き進む姿はまさしくロケット。

「うおおおぉ!」

 ≪ RoundShield ≫

レイジングハートによって、とっさに張られた桜色の防護陣は、

「ハンマー!」

しかし、ラケーテンフォルムのスパイクの前に砕け散る。

「ど~だ、見たか砲撃バカめ!狙い撃ちだ!」

そのまま、なのはの構えるレイジングハートをも貫くかに思えたグラーフアイゼンは、『そこまでだ』シグナムの宣言に、軌道を捻じ曲げて空を斬った。


「1対1なら負けなしのベルカの騎士っちゅうんは、口だけやないなぁ」

「はい。あるじはやて」

ここから距離はあるが、シャマルが展開している空間モニターのおかげで詳細までばっちりだ。


突進力を遠心力に変換して1回転したヴィータが、にやり。


「これで、あたいの3戦3勝だな。
 ハーケンダックのシングル、ワッフルコーンで。忘れんなよ」

「うぅ~」

なのはが恨み目がましくヴィータを睨んでるが、眉がハの字になっていてむしろ可愛らしい。


【時の庭園】から帰って来たのち――フェイトとアルフを預かるようになってから――、なのはやフェイトとヴォルケンリッターで模擬戦をするようになった。

上には上がいることを知り、より強くなることを願ったフェイトが、ヴォルケンリッターに弟子入りしたのだ。その指導の一環として行われている。

なのはは当初フェイトへの付き合い程度で参加していたようだが、模擬戦でヴィータにあっさり負けてから熱心になった。意外と負けず嫌いらしい。

「シグナム……」

「テスタロッサ、お前はここに何をしに来たのだ」

上目遣いに見上げてくるフェイトをばっさり斬って捨て、シグナムはシャマルに撤収を促す。リンカーコアから蒐集したばかりのフェイトは、魔法行使はおろか運動もさせられない。

「リンカーコアが癒えたら、いくらでもしごいてやる。
 まずはここの温泉で英気を養うことに専念しろ」

「はい……」

フェイトの模擬戦の相手を務めるのは、もっぱらシグナムだ。実体剣と魔力刃では体捌きからして別物だが、その戦闘スタイルは似ている。


「ぜぇ~ったい!目に物見せてあげるんだから!」

「はっはっは!期待してるぜ、高町なのは」

降りてきた2人が、それぞれにバリアジャケットと騎士服を解除して浴衣姿に戻った。


問題は、なのはである。

ヴォルケンリッターには、砲撃魔法の使い手が居ない。古代ベルカ式の傾向としてそもそも少ないのだが、なのはを指導できる人材が居ないのだ。

攻守補とバランスに秀でたヴィータが、近接戦闘に持ち込もうとする仮想敵役として模擬戦を。ジュエルシードの術式を背景にシャマルが魔法へのアドバイスを。接近された時のしのぎ方をザフィーラが教えているが、充分とは言えない。

砲撃魔導師を相手にしたときの叩き合いを経験させておきたいと、シグナムは考えていた。自分と似たタイプの敵を相手にするときは、似ているがゆえに単なる資質勝負、魔力勝負に陥りやすい。なのはは稀にみる才能の持ち主だが、それだけで生き残れるほど戦場は甘くはないのだ。


いずれにせよ、まずは天敵である機動系近接魔導師への対策である。

先に相手を見つけること、そこから相手を近づけさせないこと、できるだけ相手の動きを止めることを前提に現状の戦法があるが、ヴィータと渡り合うには練度も経験も足りない。これが相性最悪のシグナムであれば瞬殺であっただろう。

それでも、間断なく砲撃できるよう術式の改良を進めてはいるが。



「ユーノ。周囲の状況に問題がなければ結界を解いてくれ」

「わかった」

シグナムの指示でユーノが結界を解き、全員で渡り廊下を離れへと向かう。いきなり模擬戦をしたいと言い出したなのはのために、露天風呂を口実に抜け出してきたのだ。


……しかし、

 「寝付かれナいのか?うチのヴィータもそうラしくてな、露天風呂でも行かなイカ?」

 「ハイ。しぐなむSAN。ゼヒ、イキマショウ」

示し合わせて行われた三文芝居を思い出すたびに、はやては笑いがこみ上げてくるのだった。



[14611] #18 決戦は海の中でなの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/04 15:14



魔法陣の光がその結合を失い魔力素に減成するさまを、こんなに見つめていたのは初めてだった。

「あゆちゃん、アリシアのおへやいこっ?」

「そうですね」

いつまでもこんなところで転移魔法の残滓を見ていても仕方ない。と未練を断ち切り、あゆは嘆息する。

「くるまいす、おもくないですか?」

「だいじょうぶだよ!」

切り捨てたはずの未練が後ろ髪を引いて、思わず振り返るあゆであった。




****




「さて、ここでいいだろう」

シグナムが率いる一行がたどり着いたのは、地球のある世界から程遠い次元空間の一角である。

ここなら、たとえ次元震を引き起こしても近隣の各世界に被害が及ばない。

「あゆ、来たがっとったな……」

ザフィーラに抱きかかえられたはやては、ちょっと嬉しくて、ちょっとさびしい。いつものあゆの指定席を奪っているかと思うと、ちょっと後ろめたい。

「あるじはやて、致し方ありません」

「はやてちゃんはこれから魔導師になるけれど、あゆちゃんはまだですもの」

「ここに居ては危険だ」

「あゆもそれは納得したじゃんか」

そうなんやけどなぁ……。と、はやて。

「その代わりにわたしたちが来たんだよ。ね、はやてちゃん」

「うん。この場に立てない……あゆの代わりに」

白と黒の魔導師。なのはとフェイトが、はやての前に立つ。一歩下がって付き従っているアルフの、その肩の上にユーノ。

『しっかしなぁ……』と、これはヴィータの溜息。

『ああ』と応えたのはシグナム。

『いくら自分がこの場に立てないからって』とシャマル。

『……』ザフィーラは黙して語らない。


ヴォルケンリッターの視線の先には、皆の輪から離れて立つプレシア・テスタロッサの姿があった。




****




「【闇の書】を、解析しただと?」

真夜中のリビングである。声が響いた。

「ええ、あゆちゃんが【瞳】の構造探査を終えてから、わたしの解析まで時間があったでしょう?
 その間に、あゆちゃんが【闇の書】の構造探査を進めていたの」

そういうことを訊いているのではない!とシグナムは声を荒げた。

「落ち着け」

「しかしだな、ザフィーラ」と、声も高く振り返ったシグナムは、しかし押し黙る。【闇の書】を抱いたあゆが見つめていたからだ。

「わたしは、このほんが わるいものだと おもっていました。
 おねぇちゃんを、くるしめるものだと」

その表紙の剣十字をなで、同じようにザフィーラの尻尾になでられ、あゆは嬉しそうに口元をほころばせた。

「でも、かぞくをくれました。
 おねぇちゃんに、わたしに」

だから。と、その膝をつねる。

「すこしくらいのふじゆうなど、どうでもよかったのです」

「ちょっと待て、あゆ。
 お前、どこまで麻痺が進んでいるのだ!」

もう、あしには かんかくがないのです。と聞いて、シグナムは絶句する。想像以上の進行具合だった。

「しゅうしゅうをかいししてから、むしろ すすんでいるようなのです。
 まるで、かいすいをのんで、かえって のどがかわいたときのように、まりょくをむさぼられているのです」

「あゆちゃん、抵抗しないし」

本来、無理やり収奪されるのである。無意識にでも抵抗するものなのだ。

「そこに悪意があんだってよ」

「悪意だと?」

ソファに座ってパイントカップをほじくるヴィータは、シグナムより先に説明されて、同じように反応していた。

「【やみのしょ】に、かんせいしようとする がんぼうがあるのは いいのです。
 ですが、もちぬしをせかすように、まりょくのしゅうだつを ふやしていっている」

「下手すれば、完成前に所有者の命を奪いかねない増分量よ」

魔力素を見ることは適わないが、毎日その健康状態を診察しているのである。シャマルにはあゆからどれだけの魔力が失われていっているか、手に取るようにわかっていた。ジュエルシードを用いて回復させてはいるが、絶え間ない魔力の流出入だけで充分身体に悪い。

だから、あゆが【闇の書】の解析をしたいと言い出したとき。一も二もなく賛同したのだ。

「わかった。話を聞こう」




「まず大切なのは、【闇の書】ではなく、【夜天の魔導書】が正しい名前です」

「なんだとっ!」と驚いたのはシグナムばかりではなかった。ヴィータも、そこまでは聞いてなかったらしい。

「……」

驚いたなら、声ぐらい出せザフィーラ。


「本来は、あるじと共に旅をして、各地の偉大な魔導師の技術を収集し、研究するために作られたものだったのでしょう」

しかし。とシャマルは続ける。

「【夜天の魔導書】は、一種のデバイス、ストレージでしたから、その時その時のあるじによって改変を受けていたのです」

それ自体は別に問題はなかったであろう。伝説級の代物とはいえ、その時代ごと、主人それぞれに合わせたカスタマイズは必要だろうし、そのために管理者権限があった。

「最初のきっかけは、復元機能の強化だったようです」

持ち歩き、強い魔力に曝されるデバイス――特に繊細なインテリジェントデバイス――には、自動修復・復元機能が欠かせない。自身が魔力素集積体である魔力構造物にとって、過剰な魔力は毒である。氷の管に熱湯を通すようなものなのだ。

記録の劣化や喪失を防ぐため【夜天の魔導書】にも特に強靭な復元機能があったが、それを極限まで強化しようとした管理者が居たらしい。

「なぜ、記録装置である【夜天の魔導書】が、たった666ページしかないのでしょう?」

これでは、偉大な魔導師が多く、未洗練だったがゆえにバリエーションの多かった古代なら、20人と逢わないうちに使い切ってしまいます。とシャマルはヴォルケンリッターの面々を見渡す。

「その人は、【夜天の魔導書】の機能を、収集と蓄積で分けてしまったのです」

蓄積機能を残した本体を安全で安定した次元空間のどこかに隠し、いくらでも再生、複製可能な収集部分を持ち歩いて使い捨てにしていたのだ。

収集部分はページが埋まると、収集した魔力と術式を本体に転送。初期状態の新しい本を管理者の手元に作成し、この時点で劣化が始まっているだろう己自身を滅却してしまう。

この本は……。とシャマルはあゆの元へ、その膝の上の本の元へ歩み寄る。

「【夜天の魔導書】の一部、その影なんです。もしかしたら、そのころから【闇の書】なんて呼ばれだしたのかも」

いとおしそうに剣十字をなで、しかし「便宜上、本体のほうを【夜天】、こちらを【闇】と呼びますね」と、複雑そう。

「異議アリ!せめて影って呼べ」

こちらには視線を向けず、とうとうパイントカップを平らげてしまったヴィータである。

「すばらしいごていあん、なのです」

「すばらしい……もんか」

意に満たぬか顔を背け、ぼそりと呟く。

「では、【影の書】と」とシグナムに目顔で確認して、シャマルは続ける。

「問題は、この強化された復元機能を、不老不死に利用しようとした使用者が現れたことです」

つまり、己を【影の書】の一部として登録することで、本と共に再生しようとしたのだ。収集した魔力にその間の記憶を差分として乗せ、本の再生のサイクルに合わせて己の肉体をリセットしようと目論んだようだ。

「しかし、うまくいかなかった。なのです」

「【影の書】の再生能力を甘く見ていたのでしょうね。
 記憶を取り込む機能こそ盛り込めたものの、【影の書】は所有者を再生することなく滅却、結果所有者を失って彷徨い始めたのです」

管理者権限の譲渡のないままに所有者を失った【影の書】は、こうして前任者の資質に近い者を探し出して仮の所有者とする遍歴の魔導書となったのだ。

勝手に現れて憑り付き、魔力を収奪する。それを先延ばしにしようとして蒐集した魔力が666ページに達すると所有者を道連れに滅却、自身はいずこかで新生する。

【呪いの魔導書】と呼ばれ始めたのはこの頃であろうか。

「それでも、何とかしようとした者も何人も居たようなのです」

【影の書】の呪いを何とかすべく、管理者権限への割り込みを試みた者が居たのだ。そのままでは【影の書】に見込まれたが最後、魔力を収奪されきって衰弱死するか、魔力を蒐集して共に滅却されるかしか道がない。

まず成功したのは、管理者権限のうちからその守護機能であるヴォルケンリッターシステムの使用権を得ることであった。

この時期すでに【呪いの魔導書】扱いされていた【影の書】は、それを理由に攻撃されることがあった――本来被験者との合意の下で穏やかに行われるはずだった蒐集が、所有者の焦りから強引かつ乱暴なものになりつつあったからだ――。その結果【影の書】なり使用者なりが傷つくと、【影の書】は即座に転生を行ってしまうのである。それを防ぐために使用者を守護するヴォルケンリッターシステムを、管理者権限なしでも使用できるように切り離したのだ。

次に成功したのは、猶予期間の設定だった。

【影の書】は、転生を実行し次の仮所有者の元に現れた瞬間から容赦ない収奪を行う。いや、伝説級の代物である【影の書】は、その維持だけでも大量の魔力を必要とするし、かと云って蒐集を始めても、今度はその保持のために更なる魔力を要求する。ヴォルケンリッターシステムの発動もそれに拍車をかけた。

乳飲み子の元に現れたときなど、たった3日で縊り殺すように収奪しきってしまったのである。

そこで採られたのが、転生直前に保有した魔力を一部持ち越し、所有者が一定の資格を得るまで【影の書】が過剰な収奪を行わずように済む措置であった。この時点ではヴォルケンリッターシステムも作動しない。

ただ、この対処方法は相当な苦肉の策であったようだ。【影の書】本体の改変に至らず、鎖状の魔力供給器を付け加える形でしか実現できなかったのだから。


こうして採られた改変は、もちろんその時々の所有者が、管理者権限を得られないままにあらゆる手を尽くして、さらには前任者の記憶からその遺志を受け継いで行ってきた呪われた運命への反逆である。

もちろん、その所有者たちも転生の輪に轢き潰されて、今は亡い。


「ですが、この【影の書】が、【闇の書】【呪いの魔導書】と呼ばれるようになる決定的な事が起こりました」

痕跡から推測しただけですが。とシャマル。


それはいったい、何人目の所有者だったであろうか。【影の書】のことを知っていたか、前任者たちの記憶を垣間見たか、その所有者は絶望のままに強引な蒐集を行い、転生の直前にテロまがいの暴走をしたのだ。

その記憶が染み付いたのか、それともそれがその所有者の行った改変だったのか、【影の書】はそれから、蒐集が終わると同時に集積した魔力を全て破壊に用いる爆発物と化したのである。

「それでは、【影の書】の蒐集が終わっても、あるじはやては……」

「治りません。それどころか、自爆して最悪犯罪者扱いです」

なんということだ!と空を打ちつけたシグナムが、それは足らぬとばかりに己が掌を打つ。

「それで、あるじのご就寝時にか」

はやてに打ち明けて以来、こうした話し合いは家族全員で行っていた。今や、あるじへの隠し事などほとんどない。なぜ今回こんな深夜にかと、ザフィーラには不審だったのだ。

「みんな甘いなぁ」

「あるじはやて!」「はやてちゃんっ!?」

「宵っ張りのヴィータやあゆがあんな早うに寝よ言ぅた時点で、疑ってください言ぅてるようなもんやで」

ジョイスティックを押して、はやてが車椅子と共にリビングへ入ってくる。それまでは直接車輪を回していたのだろう。

「いつから、なのですか?」

「悪意、のところら辺からかな」

ほとんど全てである。

「春とはいえ真夜中は冷えるなぁ。
 シャマル、なんか温かいもんお願いしてええか?」

「はい、ただいま」

ぱたぱたとスリッパを鳴らしてキッチンに駆け込むシャマルを見送って、はやてがリビングの中央に。

「別に怒ぅとるわけやないんや、みずくそぅないかってだけでな。
 いまさら、ちっとやそっとのことじゃ動揺もできへん。
 うちのことなんやさかい、うちもいれたってぇな」




****




次元空間に踏み入れた一行に、シャマルからジュエルシードが配られた。今はそれぞれの頭頂部あたりを人工衛星よろしく周回している。

次元空間は生命の生存に適さないので、術式を常時発動させて生命維持装置として使用するのだ。

魔導師や騎士には不要だが、不慣れなはやてやなのはが居ることを踏まえて、リソースの開放や魔力源としての活用も兼ねている。

もっともフェレット形態のユーノはカウント外で、アルフと共用だったが。



「蒐集開始」

 ≪ Sammlung ≫

あと1個蒐集すれば完成するように調整したのは先ほど、【時の庭園】に於いてであった。

シャマルが、手元のジュエルシードから魔力を蒐集させて、【闇の書】の666ページがここに埋まる。


ばたん。と閉じた【闇の書】が、シャマルの手元から、はやての目前に瞬間移動。

 ≪ Guten Morgen, Meister ≫

「意外とフレンドリィやね。はい、おはようさん」

「はやてちゃんっ!」

はいはい。とシャマルをいなし、はやてが手を伸ばす。

「我は【影の書】のあるじなり、この手に力を」

その手に収まったのか、その手に押しかけたのか。

「封印」

ふわりと浮かび上がったはやてを、ヴォルケンリッターが囲む。

  「解放」

 ≪ Freilassung ≫

その葉間から闇を噴き出し、剣十字を輝かせる。

取り巻いた闇がはやてに染みこむたび、その手足が伸び、肉付きを増していく。一気に伸びた髪は、何の対価か色を失った。

【闇の書】から逆流してきた魔力が、はやてを強制的に成長させているのだ。

その所有者を取り込むプロセスと、これから行使する破壊のための魔力の結実と、管制のための【闇の書の意思】の憑依。それらが渾然となって、戒めめいた衣服をまとうこの姿となる。

≪また全てが終わってしまう いったい幾たびこんな悲しみを繰り返せばいいのだろう≫

まぶたを閉じたまま流す涙は、何を思ってか、誰を思ってか。

≪我は【闇の書】。我が力の全てを、≫

 ≪ Diabolic emission ≫

開かれた紙面が輝くと、掲げた掌の上に黒い雷を押し込めたような球体が生まれた。

≪あるじの願い、そのままに≫

しかし、その開いた口が、違う声音をも紡ぐ。

「うちはそんなお願いしとらんし、そもそもうちは【闇の書】やのうて【影の書】のあるじやしなぁ」




****




「はやてちゃんとヴィータちゃん、あゆちゃんには、ミルクたっぷりのカフェオレですよ」

「子ども扱いすんな」

「そうか、なら私のブラックと替えてやろう」

「よけーなお世話だ」

カフェオレボウルを避難させるヴィータに、意外としつこく迫るシグナム。実はブラックが苦手なのか、ヴィータをからかうのが楽しいのか、どちらであろう。



「そういや、シャマル?」

カフェオレを飲み干して、はやて。

「なんでしょう?」

こちらも飲み終わっていたようだ。

「気になっとったんやけど、本体の【夜天の魔導書】はどうなってん?」

それは……。とシャマルの歯切れは悪い。


結論から云うと【夜天の魔導書】は失われていた。

【影の書】の解析内容から【夜天の魔導書】の空間座標を割り出したシャマルは、そこへ行ってみたのだ。【影の書】の真の管理者権限を得るには、本体たる【夜天の魔導書】にアクセスする必要がある。

しかし、結果は前述の通り。【影の書】が暴走で魔力を使い果たすようになって以来、魔力の供給を絶たれた【夜天の魔導書】は、その構造を保つことが出来なくなっていたのだ。その保管に使われていただろう施設ごと朽ち果てていたらしい。その維持に膨大な魔力を必要とする伝説級の代物には、ありうる最後だった。


「そうかぁ、それは残念やったな」

「まったくです」

本体たる【夜天の魔導書】が失われた。と云うことは、【影の書】の根本的な修復は不可能ということだからだ。

でも、シャマル。と、空になったカフェオレボウルを渡しながら、はやては小首を傾げて見せた。

「なんか、目算はあるんやろ?」

「ええ。【影の書】が完成してから暴走を開始するまでに時間があります。そこに、付け入る隙が」




****




「過去の怨念が残した呪いを、あるじはやての願いと間違うな」

≪ヴォルケンリッターシステム。この時点でまみえるのは久しいな≫

消された術式に向けていた訝しげな視線を下ろし、【闇の書の意思】が正面のシグナムを懐かしげに見た。

「おとなしくしとけよ、いらねぇ手間かけさせんじゃねぇ」

右手にヴィータ。

≪何をするつもりだ≫

「【影の書】の構造解析は終わっています。貴女に施された改変も、修復自体は不可能ではない」

左手にシャマル。

「……」

背後のザフィーラは黙して語らない。ただ、取り出した本をシャマルに手渡した。

「ですが、一時的な修復で【影の書】を復活させても意味はありません」

だからやな?と、【闇の書の意思】の声で関西弁。

「わずかに拾いえた【夜天の魔導書】の残滓と、【影の書】の解析結果から、新たな魔導書を作る」

シャマルから手渡された本を、シグナムが掲げる。ジュエルシードの膨大な魔力と遺失術式から作られた真新しい本。装丁は【闇の書】と同じ、しかしその色は突き抜けた掃天のごとく、蒼い。

「【蒼天の魔導書】、一代かぎり、あるじはやてのためだけの魔導書になるのだ」

突きつけられた蒼い本にたじろぎながら、しかし【闇の書の意思】はひれ伏さない。

≪我を改変しようとすれば、自動防御プログラムが作動する≫

「貴女のマスターは今はうちや、マスターの言うことはちゃんと聞かなあかん」

あるじ……。と、同じ口から紡がれる反論は力ない。

「名前をあげる。
 新しい姿になる貴女に、もう【闇の書】とか【呪いの魔導書】なんて言わせへん。うちが呼ばせへん」

さあ、本を重ねろ。とシグナムが突きつけてくる。

「夜天が迎える朝の、蒼天のあるじの名に於いて、汝に新たな名を贈る」

それぞれにジュエルシードを従えたシャマルとヴィータが、その上に手を置いた。

 「強く支えるもの、幸運の追い風、祝福のエール、リインフォース」


          ≪ bekehren ≫


12個のジュエルシードが唱和すると、それはまるで賛美歌。共鳴して響く波動は澄んで、鈴の音のよう。


≪新躯体へのシステム移行完了。新名称リインフォースを認識、管理者権限の使用が可能になります≫

ですが……。と声が続く。

≪旧躯体の自動防御プログラムが止まりません≫

「まあ、なんとかしよ。
 そのための助っ人さんやしな」

視線の向こうに、白と黒と紫の魔導師と、使い魔の姿。

「行こか、リインフォース」

≪はい。我があるじ≫

【蒼天の魔導書】が放った光に、【影の書】――いや、正常部分のデータコンバートによって改変部分だけ残されたそれを、敢えて【闇の書】と呼ぼう――が弾き飛ばされた。

≪分離の直前に、旧躯体の防衛プログラムの進行に割り込みをかけました。数分程度ですが暴走開始の遅延が見込めます≫

「それだけあったら、充分や」

【闇の書】の影響下から抜けて、成長していたはやての体が元に戻る。放出された余剰な魔力をあゆが見ていたならば、後光のようだと評しただろう。

「リインフォース、うちの杖と甲冑を」

≪はい≫

嬉しそうに蒼い本の剣十字がきらめきを返すと、編みこむようにはやての身体を光が覆う。黒地に黄色い縁取りの騎士甲冑と、剣十字の長大な杖。

「蒼天の光よ、我が手に集え。
 祝福の風、リインフォース、セーットアップ!」

放たれた光がはやてに降り積もると、白い帽子にジャケット、夜明け色のサーコートに玄き6枚羽根をまとう蒼天のあるじの姿があらわれた。

「今はまだ夜明け前やから、この色やけど」

右手に杖、左手に魔導書。従うはその雲たち。

「我ら、蒼天のあるじの下に集いし騎士」

烈火の将、シグナムがレヴァンティンを鞘から抜いた。

「あるじある限り、我らの魂尽きる事なし」

12個のジュエルシードを引き連れ、湖の騎士シャマルは静かに口上を述べる。

「この身に命ある限り、我らは御身の下にあり」

こぶしを固め、盾の守護獣ザフィーラはあるじの前へと。

「我らがあるじ、蒼天の王、八神はやての名の下に」

紅の鉄騎ヴィータはグラーフアイゼンを足元に突いた。

「【闇の書】の呪われた歴史、いま終わりにしたる」

しかし、はやてが剣十字の杖を突きつけた先に現れたのは空間モニターで、

 「 時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。
  こんなところで何をしている。話を訊かせてもらうぞ 」

時空管理局の次元空間航行艦船の艦影だった。




[14611] #19 夜の終わり、旅の終わり
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/04 15:10




「まさか、こないなことになるとはなぁ」

「まったくです。あるじはやて」

遠目に見えるのは、【闇の書】に乗っ取られた次元空間航行艦船の姿。すわ恐竜戦車か、はたまた怪獣軍艦か。今は薄暗いベールに包まれて、その容を求めるかのように蠢いていた。

「そういや保護指定されてねぇ巨大生物とか、狩ったっけ」

思わずヴィータがとんとんとグラーフアイゼンで肩を叩くと、なぜか「キシャー」と吠え声が聞こえてくる。

「念話も通信も通りませんね」

さすがにジュエルシードの術式でも、複合四層式バリアを貫くことは適わない。いくつもの空間モニターを開いたシャマルが嘆息。

「しかし、これでは……」

「ああ、人質をとられたようなもの、だな」

「だっせぇ連中」

「ヴィータちゃん……」

ヴォルケンリッター達の会話に苦笑いしか出来ないはやてのもとに、プレシア・テスタロッサが歩み寄ってくる。

「かなりの老朽艦みたいだったから、姉妹艦の情報から艦内構造が推測できたわ」

表示された空間モニターに、模式図。

「時空管理局の連中が無能でなければ、このバイタルパートの中に篭って抵抗しているでしょう」

一回り小さな囲いを示して、紫色の魔導師がシャマルを見た。

「ジュエルシードの術式で、丸ごと転送は可能かしら」

「可能です。ただし、その前に魔力と物理の複合四層式バリアをなんとかしないと……」

なら、話は簡単や。と、はやては手を合わせる。

「こんだけの魔導師、騎士が揃っとるんやからな。
 順番に攻撃してバリアを破って、船の人たちを救けたら後は手筈どおり。
 ええな」

「はい」と、ヴォルケンリッターが応えるや、【闇の書】のベールが弾けた。

次元空間航行艦船を頭部に据えたその威容は、クワガタムシか、サーベルタイガーか。

「来ます」

警告を発した空間モニターを閉じて、シャマルが開戦を告げた。


「さあて、あのウザいバリケードを巧く止めるよ」

「うん」

「ああ」

いったい何処から生えているのか、いくつもの触手や触腕。それらを睨みつけて、人間形態のアルフ。応じるのはその肩の上のユーノと、並び立つザフィーラ。

「チェーンバインドっ」

「ストラグルバインド!」

「縛れ、鋼の軛。でぇぃえ やっ!」

縛り、固め、縊り、引き千切り、薙ぎ払う。枯れ野を炎がたちまち焼き尽くすように、あっという間に切り払われた。




「先鋒はあたいだぜ」

真っ先に飛び出したのは、紅の鉄騎。

「ちゃんと合わせろよ、高町なのは」

「ヴィータちゃんもね」

「鉄槌の騎士ヴィータと、鉄の伯爵グラーフアイゼン!」

差し上げた愛杖の穂先近く、赤いカバーから先がスライドして込められた弾丸が垣間見える。これぞベルカの騎士が用いるカートリッジシステム、一時的に急激な魔力上昇をもたらす仕組みだ。

 ≪ Gigantform ≫

ガシンっと、蒸気機関めいた力強さで閉じると、噴き出した魔力と共にグラーフアイゼンが姿を変えた。

大人の掌なら掴めないこともない大きさの両頭のハンマーから、一抱えもあるほどの鉄槌に。

「轟天爆砕!」

それが、ヴィータが振り上げる間にも、

「ギガントっ、シュラークっ!」

振り下ろす間にも、がんがん巨大化していく。


叩きつけられた巨槌は、次元空間航行艦船すら凌ぐ大きさで、その第一の障壁を踏み潰した。



「高町なのはとレイジングハート。行きます」

 ≪ Shooting Mode, acceleration ≫

なのはの掲げる杖、その音叉様の先端部の付け根から、光の翼が3つ羽ばたく。

杖先に集う、桜色の魔力球がまばゆい。

それは、なのはを侮りきったヴィータから、最初の1勝をもぎ取った魔法。ディバインバスタ―のバリエーション。

「なのはちゃん。力、借してな?」

「うん、はやてちゃん」

すこし離れて降り立ったはやてが、同じように剣十字の杖を掲げた。

その杖先に集うのは、白い魔力球。なのはに較べると、かなり小さいが。

 ≪ Count nine, eight, seven… ≫

「呪いの歴史に、終焉の光を」

見様見真似。なのはのリンカーコアからディバインバスターの術式を得て、この魔法の開発過程を見てきたはやてなら、リインフォースの補佐の上で、なんとか合わせられる。

 ≪ six, five, four ≫

「星よ集え、全てを撃ち抜く光となれ」

周囲から降りそそぐ魔力光。この魔法の名の由来だ。

 ≪ three, two, one ≫

「貫け!」

「閃光!」

 ≪ Count zero ≫

「ダブルスターライト・ブレイカー!」

2人がそれぞれに魔力球を杖で叩くと、桜色と白、2本の砲撃が2枚目の障壁を削り去った。



「次、シグナムとフェイトちゃん」

シャマルが振り仰ぐ先に、烈火の将の姿。

「剣の騎士、シグナムが魂、炎の魔剣レヴァンティン。
 刃と連結刃に続く、もうひとつの姿」

その鞘をレヴァンティンの柄尻に打ち付け、カートリッジシステムを排莢。

 ≪ Bogenform ≫

大弓に姿を変えたレヴァンティンの魔力弦を引くと、そこに剣めいた矢が番われる。

その足場にした魔法陣すら炎と換えて、上下同時のカートリッジロード。

「翔けよ、隼!」

 ≪ Sturmfalken ≫

放たれた矢は狙いあやまたず、もし今の【闇の書】に眉間があるならそこだろうと思わせる次元空間航行艦船の中心へ。

全体を包むかと思わせるほどの豪炎を伴って、砕け散る3枚目の障壁。



「フェイト・テスタロッサ、バルディシュ。行きます」

「その名を名乗るのなら、これくらいきっちり合わせてみせなさい」

そっけない言葉はしかし、目前に立つ小さな背中を揺るぎなく見据えて。

「はい。……母さん」

「……」

否定の言葉は返って来ない。その事実に一度、フェイトはまぶたを下ろした。


「染み出でて、いやさか湧きあがる。
 わが意に従い、天を隠す。
 そは叢雲。紫電の産屋」

プレシア・テスタロッサが杖を振り上げると、野球場ほどもある巨大な魔方陣が2重に展開された。その間隙に湧き上がるのは、この空間ではありえないはずの雷雲。

そこに発生した雷光が、2枚の魔法陣の中で増幅されていっているのが目に見えて判る。

「望むは電光、願うは雷鳴。求むは覆滅。
 打ち砕け、天雷!」

落雷は、フェイトが掲げるバルディッシュに。

「サンダーレイジ!」

振り下ろした杖から、翔けるは紫電の龍。七つの鎌首を、もたげて。

プレシアが呼び出し、フェイトが放った雷撃が、最後に残った障壁を噛み砕き、完膚なきまでに焼き払った。



もちろん【闇の書】とて、黙ってやられる気はなかろう。

障壁が奪われたということは、足枷無く全力全開で攻撃できる。と云うことでもある。

だが、

「盾の守護獣、ザフィーラ。砲撃なんぞ、撃たせん!」

その各所から生えてきた生体レンズを、ザフィーラの軛が貫いた。



蒼い背表紙を開いたはやての、まぶたが下りる。その脳裏に浮かび上がってくるのは、【夜天の魔導書】から回収した魔法だ。

術式を把握し終えて、見やるは、増えつづける生体レンズ。今はザフィーラが防いでいるが、【闇の書】はその生成速度を早めてきている。

「彼方より来たれ、宿木の枝。銀月の槍となりて、撃ち貫け。
 石化の槍、ミストルティン!」

開いた魔法陣は6つの光点を引き連れて輝き、7本の光槍が【闇の書】を、その怪物化した本体を貫いた。

その槍が抉り進むごとに、その周囲の生体細胞を凝固、石化していく。



一時的に攻撃を封じられた【闇の書】の姿に、それは内部への攻撃も然り。とシャマルは判断する。

「行って」

シャマルの目前にあるのは、クラールヴィントがその鎖で形作った円。シャマルとクラールヴィントだけが使える特殊な転移魔法、旅の鏡だ。

普段は離れた場所の物品を引き寄せるのに使うことが多い術式だが、今回は送るのに使う。

送るのは、防御術式に長けた4番、情報収集と発信に適した9番、空間座標把握に特化した20番の、3つのジュエルシード。

送る先は、虜となった次元空間航行艦船。

だが、

「っ痛!」

引き戻された指先が、赤い。たちまち火ぶくれになる。

「なんて強力な防御結界なの」

……しかも、おそらくは1人か2人で。と手応えで推測して、指先に治癒光。

バイタルパートの内壁ぎりぎりで展開された防御結界は、空間制御が完璧で、流石のシャマルも手が出せない。

「でも」

ならば、その外壁ぎりぎりに送り込んでやれば済むこと。

「捕まえ……った」

即座に展開される、侵蝕状態を示した空間モニター。どうやらその内部にまでは及んで無いようだ。

「いきますよっ!」

手元のうちの4つのジュエルシードとリンクさせ、転送させるのは次元空間航行艦船のバイタルパート。重要防護区画だけだ。外装は侵蝕されていて、こちらに転送させるわけにはいかない。

「大質量転送っ」

「目標、ここっ」

ユーノとアルフのサポートを受け、7個のジュエルシードがその力を発揮する。

「転っ、送!」

シャマルの背後に展開する広大な魔法陣。現れた機器と装甲の塊は、張り付くようにして輝く4番のジュエルシードに守られていた。


「はやてちゃん!」

シャマルの呼びかけに頷きで応え、掲げた杖に魔力光が集う。だが、遅い。その間にも【闇の書】は、石化した外殻を破って生体レンズを生み出し始める。

「縛れ、鋼の軛」

ザフィーラが、まず薙ぎ倒した。

「チェーンバインド!」

「ストラグルバインドっ」

アルフが縛り、ユーノが引き千切る。

 ≪ Schwalbefliegen ≫

ヴィータが打ち倒し、

「飛竜一閃!」

シグナムが焼き払う。


しかし、追いつかない。


 ≪ Blaze Cannon ≫

はやてを狙って今にも凶光を放とうとした生体レンズを貫いたのは、露草色の砲撃。

「正直、なにが起きているのかは判らないが、あれは放置していいものじゃなさそうだ。
 協力する。あとで事情を訊かせてもらうぞ」

アースラのバイタルブロックの前に立ち塞がるようにして、クロノ。ランタンのような杖先を持つS2Uに、露草色の魔力光を灯している。

「お、おおきに」

クロノに目顔で促され、はやては【闇の書】へと向き直った。

 ≪ Stinger Snipe ≫

その間にも、「スナイプショット!」クロノの放った魔力弾が縫うようにして生体レンズを打ち滅ぼしていく。

「そは世界樹に隠されたる知識の杯、落陽の逮夜を告ぐる声」

正三角形をなす魔法陣の各頂点に充填された魔力が、対魔、対物、対生物と、それぞれ効果の異なる砲撃と化す。【夜天】の、そしてそれを受け継ぐ【蒼天の魔導書】最大の攻撃砲術だ。

「響け、終焉の笛。ラグナロク!」

3種の砲撃は打ち込まれたその地点で溜まるように膨らみ、巨塊たる【闇の書】を全て包む爆光と化す。

「スターライト・ブレイカー!」

魔力をさらに再回収して撃ち込まれる砲撃と、

「サンダーレイジ!」

増幅され続けていた電光を受けて放たれる雷撃。

「スティンガーブレイド・エクスキューションシフト!やっ!」

くるりと翻った剣、剣、剣、剣。いったい何十本あるのか、一点に向けて殺到するさまはまるで砲撃。

白、桜、黄金、露草と四色の光が【闇の書】を、その防御プログラムが組み上げた異形を打ち据えた。


 …



息を呑んだのは、クロノ。

「あれは!」

晴れた爆煙の向こうに、露呈した革装丁の書籍の姿。しかし周囲の残骸を取り込んで、もう再生を始めている。

「……第一級捜索指定遺失物、ロストロギア【闇の書】……」

まさかいきなりアースラを呑み込んだ異形が、因縁深い【呪いの魔導書】であったとは知らず、クロノは呻いた。記録映像に見るエスティアとは、侵蝕のされ方が全く違う。

「こんな、ところに……」

ぎりぎりと、音をたてて握りこまれるこぶし。

そうと知っていれば、中から砲撃魔法のひとつもかましただろうに。


「シャマル。
 引導、わたしたってや」

「はい」

はやての呼びかけに応え、シャマルの手元からジュエルシードが跳ぶ。


【闇の書】を中心に据えて、12個の結晶が形作るのは、正三角形と正六角形を組み合わせた切頂四面体。最小の面積で最大の体積を切り取る、アルキメディアン・ソリッドの1つだ。


 ≪ Tur fur ImaginareGebiet ≫

未練がましく再生を続ける【闇の書】の下に、亀裂が現れた。高密度魔力素集積体に付き物の、次元断層である。今は完全に制御されたその空隙の向こうに覗くのは……、

「虚数空間」

ぽつりと呟いたクロノ以外にその領域を垣間見たことがある者は、プレシアぐらいか。

しかし、それは我らが知るところの量子力学的な虚数空間ではなかった。光速度を軸に物理現象が逆転した世界である虚数空間は、せいぜいが各世界単位での【裏】に過ぎない。

クロノが言い、いま闇の書の足下に現出した虚数空間。それは、この次元世界そのものの【裏】。この次元にあふれるのが魔力素なら、この虚数空間に満ちるのは反魔力素。この世界に落ちた魔力は、たちまち反魔力素と結合し、無力化、対消滅して消え去ってしまう。対消滅で発生したエネルギーですら反魔力素に呑み込まれる、それは魔力の墓場。


「……ごめんな、」

はやては一度、瞑目する。しかし、見届けるためにすぐまぶたを上げた。

   「おやすみな……」


いかに呪われた闇の魔導書とはいえ、しょせんは魔力素集積体、魔力構造体である。

虚数空間のなかでは、――山成す重曹に落とされた1滴の王水のように無力に――中和されて消え去るのみ。

いかな魔法行使も効果をなさず、転生も結実しない。それが魔法である以上。

魔力素の対消滅で発生したエネルギーも物理的影響力を持たないから、爆発も発光も震動も韻響も、何もない。

「そんな手が……」

母であるリンディ提督は、アースラのブリッジでダメージコントロールの指揮を取りながらこの光景を見ているだろう。

ギル・グレアムが聞いたなら、なんと言うだろう。次元断層を引き起こして虚数空間に叩き落すだなどと、次元世界の安寧を守るべき管理局員には思いもつかない、思いついても実行できない奇手だ。


「【呪いの魔導書】の最期だよ。アンタも見届けてやりな」

「……」

肩にフェレットを乗せた女の言葉に、クロノは返す言葉もない。せめて一矢報いたなどと、喜ぶ気になれるはずもない。むしろ悔しげに、ただ黙って見詰める。



呪われた魔導書の、静かな最期であった。




****





その足音に、あゆは気付いていた。

硬く響く音は、杖でも突いているのだろうか?実にぎこちない足取りで、アリシアの部屋に近づいてくる。

「ただいまや、あゆ。家族増やして帰ってきたで」

なのはとヴィータに支えられて、しかし自分の足で歩いて見せている。背後に控えている銀髪の女性が新しい家族とやらだろう。


あゆが、にっこりと微笑んだ。

その口から紡がれるのは、以前のはやてが聞くことがなく、この春からは幾度か、そしてこれからは何度も聞くことになる祝福の言葉。


「おねぇちゃん。おかえりなさい、なのです」







                             「八神家のそよかぜ」完



[14611] #19.5 使命の理由
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/04 11:34



『前々から思っていたが、君はよくそんなものが飲めるな』

念話で語りかけてきたのはクロノ。今はあゆの正面で正座中。

『おまっちゃに、さとう、のことですか?』

なぜか念話でも舌ったらずなあゆである。こちらも正座中だ。

『ふつうに ぐりーんてぃ、なのです』

茶舗の店頭でリキッドサーバーに掻き回される緑色の液体を、あゆは長らく気にも止めてなかった。スーパーからの帰り道に「今日は暑いなぁ、のど渇かへんか?」と、はやてがそのグリーンティを買い与えてくれるまでは。

『グリーンティというのは確か、冷たくして飲むものではなかったか?』

少なからず糖分が過剰なその飲み物を歓迎しているらしい自身の味覚に、あゆは、自分が甘味を好むらしいと自覚した。

爾来、あゆの好物のひとつである。

『あたたかいぶん あまみがまして、これはこれで おいしいのですよ♪』

『理解不能だ』と首を振るクロノの隣にはリンディ提督。自分の点てたお茶を歓んで飲んでくれるのはあゆだけだから、嬉しそうに抹茶を点てているところだ。


かこーん。と鹿威しが鳴った。

あゆが訪れているのは、アースラの応接室である。

正しくは、アースラのバイタルブロックを流用して仮設された【時空管理局 第97管理外世界辺縁次元空間『時の庭園』臨時出張署】の応接室であったが。

アースラを巻き込んでしまった『闇の書葬送事件』から3ヶ月、その事後処理を引き受けているのは誰あろうアースラクルーである。中央や本局、はては聖王教会とのパイプ役となり、時に調査本部として、時に簡易裁判所として、その乗艦――の重要防護区画だけだが――ともども目まぐるしく立ち働いていた。

『りかいふのうなのは、わたしのほう。なのです。
 なぜ、あなたたちは じぶんのふねをしずめたちょうほんにんたちを かばおうとするのです?』

あゆの言うとおりであった。

不幸な偶然とはいえ時空管理局の艦艇を沈めたのである。本局の中には、関係者全員を冷凍刑にしろと声高に叫ぶ者すら居るのだ。

ところが、これに真っ向から異を唱えたのが、そもそもの被害者であるアースラクルーであった。あくまで事故であり公務執行妨害には当たらないこと、乗務員の救助に最善を尽くしたこと、事後捜査に協力的だったことを上げ、刑の軽減を訴えたのだ。全員の総意であることを示す署名を添えるのみならず、いまも全力ではやてたちのために奔走していた。

『あれは不幸な事故だ。時空管理局は客観的事実を私観で捻じ曲げたりはしない。
 家主が追い出した強盗に警官が刺されたからといって、その家主が罪に問われることなどない。
 緊急避難であり、予測不可能だからな。
 八神はやても君もあのままでは命の危険があった。あの場にアースラが駆けつけることなど知りようがなかった。だろう?』

言いたいことは解かる。しかし、そう言うクロノは、【闇の書】との因縁が深い。その言葉をあゆは、どうしても信じきれないのだ。例えばはやてが殺されたとして、その凶器を誰かが大事そうに持っていたとき、その人物が犯人でなかったとして自分は赦せるだろうか?少なくとも「処分しろ」くらいは言うだろう。

あゆは、彼らの行動が【闇の書】のあるじであったはやてを捕らえるための罠ではないかとの疑念を、拭い去れないでいた。

『君が信じられないのは、やはり僕か』

あゆが逸らした視線の意味を明敏に読み悟って、クロノは確認する。

クロノ・ハラオウン執務官と知り合って3ヶ月になる。その短い時間でも、彼が実直で篤実な人間であることが判るだろう。

だが、それでもだ。

『……ごめんなさい。なのです』

『いや、君の生い立ちと八神はやてとの関係を考えれば、それも当然といえるだろう。
 僕に、【闇の書】に対するわだかまりがあるのは事実だしな』

そうして素直に心胆をさらして見せるところなど、信じてみてもいいのではないかと思わないでもないのだが。

『……』

『ストップだ』

何か言おうとしたあゆを制したクロノは、表面上は何気なしに抹茶を啜った。いつの間に砂糖が盛られていたのか、その眉を少ししかめたが。

『これはずるい言い方になるが……。
 いずれにせよ君たちに、現状を打破する力はない。ヴォルケンリッターは一騎当千の騎士だが管理局全体を敵に出来るはずもないし、権力に至っては言わずもがなだ』

空になった碗を置き、隣に座る母親にじとりとした視線を送っている。

『君たちに出来ることは、せいぜい管理局に協力的な態度を取って心証を良くする位だ』

事情聴取という名目で呼び出されたことになっているあゆだが、実際は自らの意思でリンディ提督に陳情に来ているのだ。

『だからこそ君は、今日もここに来た。違うか?』

母親から茶道具一式を奪い取ったクロノは、手ずから茶を点て始めた。口直しにするのだろう。

『信じろなどと青臭いことを言うつもりはない。
 言葉を尽くすことに意味がないとは言わないが、たとえ百万言を費やしたところで君の疑念が晴れることはあるまいしな。
 僕はそんな無駄なことに労力を割く気はない』

そう言いながら、クロノはいつもより饒舌であっただろう。

『これ以上僕の口を煩わせるなら、師弟の縁を切るぞ』

【闇の書】の影響下を抜けて再び歩けるようになったあゆが最初に行ったこと。それがクロノへの弟子入りだった。

正確には、魔法を教えてくれる人を紹介して欲しいとリンディに頼んで、クロノを推薦されたのである。

兄姉と慕うヴォルケンリッターでは甘えが出るし、魔力量が少ない割りにそのレアスキルから魔力制御に長けると予測されるあゆの師匠として、クロノほどの適任は居なかったのだ。

管理局官給品のデバイスを貸し与えられ、今ではここまで独力で転移できるほどまでになっている。

『わかりました。くろのせんせぇのおせなかを みせていただくことにします。
 ごめんなさい。そして、ありがとう。なのです』

もちろんクロノは応えない。その代わり、点てたばかりの茶をそっと差し出した。



さて。と、まるでその念話を聴いていたかのようなタイミングで、リンディが碗を置く。

「それで、あゆさん。本気で時空管理局への入局を希望されるの?」

「はい。なのです」

あゆは言う。

リハビリ中のはやては、もうじき松葉杖でなら歩けるようになる。そうなれば学校にだって通えるだろう。その貴重な時間を、保護観察などで、管理局への奉仕などで潰されたくない。

なのはやフェイトもそうだ。好意で手伝ってくれただけの彼女たちには本来、この件に関して罰を受ける必要がない。なのに、はやてやヴォルケンリッターの任期が少しでも短くなるならと同様の奉仕任務を希望しているのだ。

そのこと自体は嬉しいが、しかしはやては心苦しく思っているだろう。たとえ学校へ通えるようになったとして、それが友達の犠牲の上に成り立ってると知っていて愉しめるはずがない。

はやての気持ちは当然あゆにも適用されるだろうに、当の本人は度外視している。「かぞくなのですから、たしょうのめいわくなどきになるわけない。なのです」と、いつぞやのはやての言葉を繰り返し、「【やみのしょ】とちがっていのちのきけんがないのですから、きらくなものです」と嘯く有様。


「貴女のレアスキル、うちの技術部が興味を示してるから、取引材料としては有効ですけど……」

リンディ提督はあまり乗り気ではないようだ。就業年齢の低いミッドチルダとはいえ、さすがに5~6歳の子供を従事させることはない。本当は10歳くらいだと打ち明けられてはいるが、それが事実とは思えなかった。

「それに、そちらでたつきのみちが ひらけるなら、わたしとしてもねがったり、なのです」

戸籍のないあゆは、自身にまともな就職は適わぬであろうことを自覚している。捏造した履歴書で済むアルバイトか、素性など問われぬいかがわしい業界か。それらを厭うわけではないが、あゆは胸を張ってはやての傍に居たい。

「めざすは、じりつした いもうと。なのです」

贖罪を兼ねた奉仕任務とはいえ報酬は出る。自らの能力に対価が支払われることを知ったはやては、遺産頼りの家計を改めたいと考えていた。ヴォルケンリッターたちも賛同し、協力を申し出ている。

問題は自分だった。

別にお金など要らない。欲しい物もない。はやての傍でただ暮らすだけなら、さほどの負担にもならないだろう。

しかし、はやてへの誕生日プレゼントくらい、自分の手で稼いだまっとうなお金で買いたいではないか。

先月行われたはやての誕生日パーティ。貰っていた小遣いを使うこともなかったあゆは、それで誕生日プレゼントを用意した。以前知り合った女性に、【蒼天の魔導書】型のブローチを作ってもらったのだ。

はやてはとても歓んでくれたが、なのはのプレゼントを知っていたあゆはあまり嬉しくなれなかった。

「ほら、はやてちゃんの誕生日もうすぐでしょ?手作りケーキを作ろうと思ってるんだけど、その材料費ぶん、お手伝いなの」

翠屋でウェイトレスをしていたなのはが、そう打ち明けてくれていたのだ。


リンディは、それらの話も聞いていた。

だが、どうにも話が極端だと困惑する。あゆはまだ子供で、対するはやてへの誕生日プレゼントとて子供の小遣いの範疇の話ではないか。

それが一足飛びに就職の話となり、生計の話となるのだ。

それに、そもそも気にすべきは金の出所より、プレゼントの用意の仕方のほうだろう。なのはの実例を見ていながら、なぜ手作りするとか手伝いをするとか、そうした子供らしい発想が出てこないのか。

どうにもこの子は素っ頓狂というか、アンバランスというか。手近に置いて、見ていてあげないと危なっかしくてしょうがない。とリンディは内心で溜息をつく。

できれば、八神一家ごと引き取って面倒を見たいぐらいだ。それを為すには自分は忙しすぎるし、聖王教会のほうから来ている引き合いも無下には出来ない。

「貴女の希望は、なのはさんとフェイトさんへの赦免と、はやてさんへの猶予、軽減でしたね?」

「はい。なのです」

当初は関係者全員の赦免を望んでいたのだが、そこまでの価値をあゆは自分に見出せなかった。

だが実際のところ、管理局技術部があゆに寄せる関心は小さくない。ジュエルシードや【闇の書】を短期間で探査してしまったそのレアスキルは各種調査に威力を発揮するだろうし、開発したいと申し出てきた人工リンカーコアは管理局の悲願といっていい。そのうえ魔法の指導を行っているクロノの見立てでは、フロントアタッカー向けではないとはいえそこそこ戦闘の素質もあるという。疑り深く、表面上はともかくなかなか他人を信用しない面があるから捜査官に向いているかもしれないと、そこまでは――それらが現状、自分たちにだけ向けられているとクロノは理解しているから――報告しなかったが。

【闇の書】のあるじであった八神はやてを無罪放免にするわけにはいかないが、その他の2人と合わせて猶予を与えるには充分であっただろう。

その、当の本人たちが拒否しなければ。


「そのきぼうが うけいれられなくても、ひとあしさきに でばいすまいすたーとして にゅうきょくできれば、おねぇちゃんたちの ちからになれるのです」

いま言ったとおり、あゆの希望はデバイスマイスターになることである。同じ職場で肩を並べることは出来ないが、デバイスマイスターなら、はやてたちがどんな任務に就こうとも力になれると考えたのだ。

まずはレイジングハートやバルディッシュ、【蒼天の魔導書】にカートリッジシステムを積めないか。そう想起するあゆであった。

「貴女の希望に添えなくても、入局はすると?」

「はい。なのです」

すごい言質を取ってしまったことにリンディは一瞬めまいを覚える。彼女ら4人を情報的に分断して巧いこと誘導すれば、すぐさま高資質魔導師3人を確保して、そのうえ将来有望なデバイスマイスターを迎え入れられるだろう。濡れ手に粟とはこのことか。

しかしそれをリンディは記憶から追いやった。あとでエイミィに言って、ここの記録も消すことにする。

時空管理局は、子供に守ってもらうために組織されているわけではないのだ。ミッドチルダの就業年齢の低さと魔導師資質を持つ者の少なさからクロノのように子供のうちから前線を張る者も居るが、それはあくまで少数派。

子供は大人が守るもの。大人が子供に守られるなど言語道断。未来を引き換えに過去を守って、なんになるのだ。

しかし、人手不足にあえぐ管理局にとって、彼女らが喉から手が出るほど求めた高資質魔導師であることも事実。今すぐでなくとも、いずれは欲しい。

「あゆさんのご意向は承りました。
 可能なかぎりご要望に沿えるよう微力を尽くしますね」

「はい。おねがい、するのです」

二律背反に葛藤するリンディは、せめて彼女たちの希望に添えるように、できるだけのことをすると改めて誓う。

「それでは先に訓練室に行っていてくれ、すぐに僕も行くからウォーミングアップを念入りにな」

「はい、せんせぇ」

膝を崩して毛氈を降りたあゆが、「しつれいします」と一礼して応接室を後にする。その足取りはしっかりとして、不自然な点はない。



「クロノ、はやてさんは?」

「はい、エイミィから連絡がありました。もうじき着くかと」

あゆの決意が固いことを思い知らされていたリンディは、その意向を可能なかぎり叶えるとともに、対抗策を考えていた。

はやてと謀って、あゆをも、学校に通わせようとしているのだ。もちろん戸籍も取得できるよう準備している。

学校に通うとなれば、たとえ管理局に入局しても専念は出来まい。学業をおろそかにしたら、はやてたちへの猶予を取り上げると脅せば、あゆは逆らわないだろう。

逆に、あゆへの戸籍と入学の手続きは、はやてへの牽制になる。それを条件に、せめて義務教育を終えるまでの就業猶予を呑ませるつもりだった。はやてが受け入れれば、なのはやフェイトも説得できるだろう。


「……なかなか、ままならないわね」

「世界は、いつだって、こんなはずじゃないことばっかりです」

そのことを、この親子はよく知っている。ただ、そこから逃げ出すことも立ち向かうことも自由だと思っている。

それでも立ち向かうために、管理局員を続けている。管理局に入った。


その決意を知る者は少ないが、同じ決意を秘めた者なら大勢居る。だからこそアースラクルーは胸を張って立ち向かう。はやてたちは被害者だと理解し、ならば守るべきと信念に基づいて。

それが時空管理局という集団だ。

「それでは、僕は彼女の指導に行ってきます」

「お願いね。
 どう?彼女は」

毛氈を降りグリーブを履いたクロノは、少し思案。

「なかなかユニークで、しかし剣呑な発想をします。
 前回の講義のとき、自分のレアスキルを使えば対象の体内で冠状動脈血栓を誘発できるのでは?と言っていました。
 魔法を使うまでもなく相手を殺せるかも、と」

まあ。と驚くリンディに肩をすくめて見せる。

「そのことを叱り付けると、では頚動脈を塞いでのブラックアウトなら意識を奪うだけで済む。と来るんです」

実際には、さすがにあゆのレアスキルでもそこまで巧くはいかないだろう。同じことをするにしろ、むしろ相手の脳神経系を直接狙ったほうがいいかもしれない。

「即座に殴りつけて、その危険な思考を何とかしなければ入局などさせん。と釘を刺しましたが」

くろのせんせぇのげんこつは、ようしゃがありません。とは、あゆの弁だ。効率よく敵を殺すために真剣に考えているのに、理不尽だと思っていることであろう。

「魔法も効きづらいし、あれはなかなかの魔導師殺しになるでしょう。
 倫理面さえ何とかなってくれれば、背中を任せられるくらいには」

かなりの高評価。めったに人を褒めないクロノのことだから、手放しの賞賛といっていい。

レアスキルに援けられてはいるが、少ない魔力をいかに巧く利用するか腐心している。クロノが唱えるところの「魔法は応用力と判断力だ」という教えを素直に受け入れて、思いも寄らない魔法を思いもつかない方法で使ったりする。いくら空戦適性が低いからといって、殺傷設定の魔法弾を壁に突き立ててその上を走ってくるのには驚かされた。そのうち、そのまま宙を走ってきそうだ。かといって魔法に頼り切ったりしない。そのレアスキルからして防御に長けているはずなのに、ほとんどの攻撃をただの体捌きで避ける。手加減しているとはいえ、クロノはあゆが防御魔法を使ったところをまだ見たことがないのだ。


【最強のデバイスマイスター】と後に呼ばれることになる八神あゆの、その才能を最初に見出し、育てたのはクロノ・ハラオウン執務官であった。

後年、そのことを尋ねられると、なかなかに複雑な表情をして見せたのだが。




                              おわり



[14611] #19.8 集結?[突発おまけ]
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:30


あゆは、慎重に階段を下りた。

定例となった『時の庭園』臨時出張署での魔法講義。それが終わって転移魔法にて帰宅したのだが、階下の様子がおかしい。日が暮れているというのに明かりが灯されてないし、人の気配が押し殺されている。

明かりを点けたりはしない。どんな時でも暗闇だけはあゆの味方だ。

人の気配はリビングに集中している。廊下の、リビングとは反対側の壁に寄り添うようにして、その入り口へ近づいた。

デバイスをスタンバイさせようかと考えて、止める。魔法の存在を喧伝するわけにはいかないし、最後の手段だ。

普段は開け放したままになっている引き戸の取っ手に指をかけて、一瞬の躊躇。中の気配はこちらに気付いている。ならば、と一気に引き開けた。

ぱんぱんぱん。と間抜けな破裂音に、伏せたあゆが転がる。しかし、22口径の銃声かと思われた音はなにも穿かず、点けられた電灯の光があゆのつま先を照らすのみ。

立ち上がって、そ~。と覗く先、リビングには大勢の人影。

はやて、シグナム、シャマル、ザフィーラ、ヴィータ、リインフォース、なのは、フェイト、アルフ、アリシア、クロノ、エイミィ、リンディ、すずかやアリサはおろか、一族の元へ一旦合流しにいったはずのユーノの姿まで。

何の企みかとリビングに踏み込んだあゆに「お誕生日、おめでとう」と大斉唱。

「……たんじょうび?」

松葉杖をついて、はやてが傍に。

「今日がどんな日ぃか、憶えとる?」

きょう?と、あゆは首を傾げる。額面どおり、今日この当日だと思ったようだ。

「1年前の、今日のことや」

はやての苦笑に、あゆは思い出す。全てを与えてくれた人と、初めて出逢ったときのことを。

「そうや。
 だからな?今日があゆの誕生日やで」

もちろん、本当の誕生日など判らない。忍たちは色々と調べてくれているようだが、あゆにとってはどうでもいいことだ。

なら、はやてと出逢ったこの日を、54から八神あゆとなったこの日を誕生日にして何の不都合があろう。

「誕生日ケーキ、自信作だよ」

寄り添ってきたなのはが指し示す先、テーブルの上に大きなホールケーキ。立てられた6本のローソクの意味を、あゆは知らなかったが。

「……これ、みんなからの誕生日プレゼント」

フェイトが差し出したのは、携帯電話だ。青とも緑ともつかぬ深い色合いは、あゆの青鈍色の魔力光によく似ていた。

あゆは預かり知らぬことだが、その色を再現させるのは大変だったようだ。はやてに頼まれたアリサは、業者の選定に八方手を尽くしたらしい。

「みんなの番号とアドレスが入っとる。
 あゆの、家族と友達のんが、全部な」

手にした携帯電話から視線を上げたあゆが、居並ぶ皆の顔を見渡した。誰も笑顔だ。あゆの誕生日を祝福してくれていた。

……

「なんで泣くの」

なのはは思わず、抱きしめてしまう。


あゆは、悲しかった。

皆が祝福してくれているのに、嬉しいと感じられないのだ。

今日が誕生日なのはそれでいい。はやてと出逢えたことを祝いたいとは思う。それは嬉しいことであったし、嬉しさはある。

けれど、それを祝ってもらえてることへの嬉しさがない。祝いの言葉が、あゆの中をすり抜けてしまうのだ。

自らが、まだ壊れたままであることを、再確認してしまった。そんな自分が、はやての妹であっていいのだろうか?



はやては、あゆの気持ちが解かるような気がした。いちばん傍に、いちばん長く居たから、だけではない。去年祝ってもらった自分の誕生日も、素直には喜べなかったと思い出したのだ。

皆に祝ってもらえたのは嬉しかったが、孤独な誕生日の多かったはやては自分の誕生日そのものを喜べなかった。独りであった頃の影をまだ引き摺っていると、吹っ切れていないと自己嫌悪した。

「お互い、まだまだこれからやな。あゆ。
 あの日のうちの言葉、憶えとる?」

頭をなでてくれる手に「はい」と、あゆ。

微妙な行き違いを含んだまま、それでもはやてのやさしさはあゆを癒したことだろう。

落とした涙の、温度まで違うような気がしてくる。

「……ありがとう、なのです」



                             おわり




****


StS篇執筆中
シリアス話が続いてイヤになったから息抜き代わりに書いたはずなのに、なぜかこんなありさまに(苦笑)



[14611] #20 その日、時空管理局本局[おまけ]
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:29




               ――  1 Years Later  ―― 




ざわ… ざわ…            ざわざわ…         ざわ ざわ…  ざわざわ…
         ざわざわ…         ざわ ざわ…
   ざわ ざわ…                    ざわざわ…  ざわ
              ざわ ざわ…
 ざわ… ざわ…                ざわざわ…      ざわ ざわ…

 
時空管理局本局は今、ざわついていた。


ひとつには、普段研究室から出てこない新米デバイスマイスターが、かつかつとヒールを鳴らして歩いているからである。

就業年齢の低いミッドチルダでもさすがに見かけない5~6歳程度の少女が、時空管理局の通路を白衣を引き摺るようにして歩いていれば、それは注目されるだろう。


あゆがここに通うようになったのは、半年前のことである。

意図したことではないとはいえ、アースラを撃墜してしまった『闇の書葬送事件』。その結果知られた3人の高資質魔導師と4人のベルカ騎士。さらには行方知れずだった高位魔導師。そして、ロストロギア【ジュエルシード】と【闇の書】の顛末。

その処遇の決着点として採択されようとした、8人への保護観察処分に待ったをかけたのがあゆであった。自身の特殊能力を明かし、研究対象としてのジュエルシードと共に売り込むことで、8人への処分の軽減、もしくは猶予を願い出たのだ。

管理局があゆの能力をどれだけ買ったのかは判らない。しかし、年若い魔導師3人と、病気療養中の高位魔導師への猶予を勝ち取ることはできた。

「あしがなおって がっこうにいけるように なるのですから、おねぇちゃんには すこしでもそれをたのしんでもらいたいのです」と嘯くあゆは、はやてとリンディの企みによって戸籍を与えられ、学校に通うようになることをまだ知らない。


ともかくそういう訳で、あゆはシャマルと共に研究室を与えられ、日々通っている次第であった。

ちなみに、なぜヒールを履いているかというと、小さすぎて見過ごされることが多いからだ。けして大人ぶってるわけではない。わけじゃないったら、わけじゃない。


さて、ざわついている理由の、もうひとつ。

ヒールを鳴らして歩く少女の後ろを窮屈そうについて歩く、巨躯、強面、髭面、角刈りの壮年男性である。

しかも、

「儂には君(の技術)が必要なんだ」

「(せめて)振り向いて(話して)くれ(ないか)」

と、言動が誤解を招くことおびただしい。

対するあゆの返答も、

「しつこいおとこは、きらわれるのですよ」

「あなたのおかおは みあきた。なのです」

なものだから拍車をかける。


しかも、判る人間には判るが、服装からして地上本部の高官だ。はばかって近づく者も居ないから、目立つことこの上ない。

これでざわつくな。と言うほうが無理である。

もっとも、事情を知ってる人間からすれば見慣れた、ある意味ほほえましい光景ではあるのだが。


「頼む、あゆ君」

あゆとしては、このレジアス・ゲイズという男に特に含むところはない。伝え聞く人物像からすると、はやてすら犯罪者扱いしかねない潔癖さ、融通の利かなさらしいが、直に会って話を聞く分には強い正義感で平和を望む好漢であると判る。

それに、彼が本気になれば、所属が異なるとはいえ命令することだって不可能ではないのだ。多少手続きが煩雑になるとはいえ、同じ組織ではあるのだから。――実際、上層部同士の話は既についているという――にもかかわらず嘱託にすぎない一研究者に直接嘆願しに来るところなど、むしろ好感を持てなくもない。

ただ、少々性急なきらいが強い。と、あゆは思うのだ。

「君の研究を、陸にも提供して欲しいのだ」

こうして、まだ研究段階の代物を使わせろと言ってくるのだから。

目的のために手段を選ばないどころか、足を踏み外しそうな危うさとでも云おうか。清濁あわせ呑む度量はありそうだが、その潔癖さと相容れないことは間違いない。

「れじあす」

たまりかねて、あゆは足を止める。呼び捨てなのはミッドではこれが普通だし、本人にもそう呼んで欲しいと言われているからだ。

もちろん所属が違うとはいえ相手は上官で、その上あゆは嘱託に過ぎない。本来なら役職なり階級なりをつけるべきなのだが、あゆは頓着しない。そう呼べと言われたからそう呼んでいるだけである。それがまた、あらぬ誤解を生むわけだが。

「わたしは、なんどもいいました。
 じんこうりんかーこあ【いであしーど】は、まだけんきゅうちゅうだと」

「だからこそだ。
 実地での検証を加えれば精度も上がるし、研究も進むだろう」

だからといって、研究中の代物をいきなり実戦投入などしたら何が起こるか判ったものではない。

「頼む、あゆ君。
 君の研究する人工リンカーコアは、儂の長年の夢なのだ。
 素質のない者にも魔法の力を与える。平和を守る力を与えてくれる」

こぶしを握りしめ天を突きかねないレジアスの様子に、あゆは溜息をつく。この演説を何度聞かされたことか。

「後生だ」

「おくがたも、こうしてくどきおとしたのですか?」

娘が居ると聞いていたのでつい口にしてしまったが、これはあゆの勇み足だっただろう。

「ああ、儂には過ぎたいい女房だった」

「だった?もしや……?
 もうしわけ、ないのです」

相手の表情から全てを察して、頭を下げる。

「気にしないでくれ、もうずいぶん経つのだ」

「それでも、なのです」

頭を上げたあゆは、自分の倍以上あるレジアスを見上げた。

「あなたに くどきおとされたじょせいが すでにいるというのなら、
 わたしが そのふたりめになったとて、ふしぎなことではないのです」

手にしたのは、ジュエルシードに良く似た宝石様の結晶。

「これは、いまげんざい もっともできのよいもののひとつ。なのです」

それは嘘だ。

まず第一に、そんな試作品をほいほい持ち歩くはずがない。特に、休憩がてらに買い物に出掛けるようなときには。

次に、いかにあゆが優れたデバイスマイスターとしての素質を持っていようと、たかが半年で作れるものではない。さらには研修が終わってからなら3ヶ月ほどで、何をかやいわんや。

その結晶は、以前【蒼天の魔導書】を作ったおりに、試しにジュエルシードに作らせてみた人工リンカーコアだった。

あゆは今、それを独力で作れるように研究中なのだ。


だが、そんなことはレジアスの預かり知らぬこと。

おお!と、今にも泣きつかんばかり。

「ですが、これをいきなり そしつのないものに つかわせるわけにはいかないのです」

魔法の素質のない者に突然こんなものを与えたところで、使い方がわかるわけがない。人工リンカーコアの難点は、そこにある。

例えば、人間の背中に翼を移植して、すぐさま飛べるものだろうか。それを使えるようになるまで、おそらくその人が歩けるようになった以上の時間がかかるだろう。

「あなたのぶかなり どうりょうで、まどうしらんくがAいじょうのひとの りすとをおくってください。まりょくらんくは、といません。
 わたしがえらんで、これを かしあたえましょう」

少しは時間が稼げるだろうと、あゆはそっと溜息を洩らす。その人物が信用できるようなら、協力を依頼して口裏を合わせてもらってもいいだろう。

「おお!ありがとう。
 ありがとう、あゆ君」

念願の人工リンカーコアを手に入れられるとあって、レジアスの感激ぶりは並みではない。握りしめた手を振ること3ダース弱。抱えあげ高い高いすること5回。そのままその場で回転すること1260度。抱き寄せ、その髭面で頬擦りすること6往復半であった。

「すぐ送る。すぐ送るからな」と、捨てゼリフめいて去っていくその姿の、地に足の着いてないこと。

これが元でレジアス・ゲイズにはあるあだ名がつくのだが、ここでは敢えて記さない。

「ちょっとうれしくて、かなりめいわく。なのです。
 ちちおやというものは、ああいったものなのでしょうか?」

あゆは踵を返す。当初の目的地だった購買へ、取り置きしてもらっている「隔月刊【世界の名デバイス】」を買いに行くべく。


「いちど、むすめごさんと、おはなししてみたいもの。なのです」

それは、そう遠くない未来に果たされる願いであった。




                             おわり



[14611] 【ネタ】グレアム家の旋風
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:29



ギル・グレアムの住まいは、時空管理局本局の居住区にある。出身世界にも一軒持っているが、そちらはたまの休暇に使う程度だ。


「誕生日、おめでとう」

「おめでとう、はやて」

「おおきに、おおきにな。アリア、ロッテ」

ぽんぽんと魔法の花火が上がる中で、はやては満面の笑顔だ。

バースデーケーキには9本のローソク。テーブルの向かって右にアリア、左にロッテ。向かい側にはギル・グレアム。いつも忙しくてなかなか家に居つかないグレアムだが、誕生日だけは必ず帰ってきてくれていた。

「誕生日、おめでとう」

「ありがとう、グレアムおじさん」

はやては笑顔、なのにどこか寂しそうだ。




「あの、…グレアムおじさん?」

バースデーケーキも食べ、プレゼントも貰った後に、はやて。

「なにかね?」

……あんな。と、きりだしておいてはやては煮え切らない。

「その、お願いがあるんや」

俯いたはやてが、その膝頭をつねっていた。麻痺していて、ほとんど痛くないが。

「なんでも言ってごらん」

ようやく決意したか、顔を上げたはやての、しかし頬が赤い。

「その…、うちな。
 グレアムおじさんのこと、お父さんって呼びたいんよ。
 ……ええやろか」

「それは……」とグレアムは絶句する。アリアとロッテも言葉がない。

4年前、闇の書のあるじとして発見した時に、あまりにも不憫で引き取ってしまったが、この子が自分の企みを知ったら、けしてそんな呼び方はしてくれないだろう。

呼んでくれたとしても、今宵限り。

「……それは、赦してくれないかね」

まさか拒絶されるとは思っていなかったのだろう。「えっ」と、はやてが表情を無くした。

見ていられなくて、誰もが顔を逸らす。

「う、うち。ここに引き取ってもろうて、
 大切にしてもろうて、ホンマに幸せなんよ」

その目尻に溜まった涙が、あっという間に流れ落ちた。

「グレアムおじさんのこと、ホンマのお父さんみたいに思っとったのに……」

「すまない」

アリアとロッテが挟むようにして、はやてを抱きしめる。はやての気持ちも、グレアムの気持ちも、この使い魔たちは両方解かるのだ。

「な…んで、なん…で?
 じゃあ、なんで、うちのこと引き取ったん!
 こんなに優しゅうされて、でも家族やのうて!
 それくらいやったら独りのほうが良かった。引き取ってくれへんほうが良かった!
 なんで?なんで!?」

「……はやて」

終わりの始まりは今夜だ。グレアムは覚悟を決めた。

話したのだ。すべてを語ったのだ。

闇の書のこと。11年前の事件のこと。今のあるじが、はやてであること。脚のマヒは、それが原因だろうこと。闇の書が今宵覚醒するだろうこと。魔力を蒐集せねば、はやてが死ぬこと。蒐集しても死ぬこと。被害を防ぐために、はやてを永久封印するつもりであること。すべてを。

「……うちを、永遠に独りぼっちにするん?」

いや。とグレアムはかぶりを振った。取り出したカードを杖に変える。

「はやて、お前を独りになどしない。
 物足りぬだろうが、私も一緒に封印する」

「私もだよ。はやて」

「はやて、永遠に一緒だよ」

この4年間、グレアムとてはやてのことを実の娘のように慈しんできた。家族を、どうして独りに出来ようか。アリアとロッテも気持ちは同じ。

さきほど父と呼ばせて欲しいと言い出したとき、グレアムがどれほど嬉しかったか。

「……グレアムおじさん?」

涙の温度を変えて、はやてが笑顔。

「なにかね?」

「やっぱり、お父さんってよんでええ?」

目頭に力を込めて、グレアムが振り仰いだ。

「ああ……」

「お父さん、今までありがとうな」

封印される最後の瞬間にグレアムたちを突き飛ばすと決意して、はやての笑顔が晴れやかだった。




****




その後の出来事は、長く管理局で語り継がれるだろう。


管理局職員有志で行われた【愛の献血】ならぬ【愛の献魔力】によって35分29秒03で闇の書を完成させた八神はやては、なんと闇の書の防御プログラムの切り離しに成功してしまったのだ。

絶望に至るなにものも、はやての心にはなかったから。


封印する予定で訪れていた無人世界で遠慮する必要もなく、元はグレアムの乗艦だったという船のアルカンシェルが、闇の書の防御プログラムを消し去った。




****




「おベント、持った?」

「うん、大丈夫や」

「お勉きょ、がんばるんだよ~」

「は~い」


「車には充分お気をつけ下さい」

「わかっとるよ~」

「ご飯粒、ついてますよ」

「ホンマや、おおきに」

「早く帰ってきてなっ!」

「もちろんや」

「……」

(もふもふ)


「いってきま~す♪」

いってらっしゃいの大合唱を背中に、玄関から飛び出してきたはやては、高校の制服姿であった。

あの後、引退を決めたグレアムと共に海鳴市に移住してきたのだ。もちろん、ヴォルケンリッターたちも一緒。

麻痺していた脚も3年で完治して、今はこのとおり走れる。前方に見知った後ろ姿を見つけて、声を上げた。

「なのはちゃ~ん!フェイトちゃ~ん!おはようやぁ♪」

「おはよー!はやてちゃん」

「……はやて、おはよう」

青空が眩しい。今日もいい一日になりそうだ。




                             「グレアム家の旋風」完



********




          ―― StS篇最終回の脱稿を記念して ――

この作品は、オリ主は最後の手段と考えている私の、最初期に作ったプロットの一つをテクスト化してみたものです。アイデアは悪くなかったのですが、なのはやフェイトが出て来れないのでボツに。

そうこうするうちに、闇の書蒐集にジュエルシードを使うアイデアを思いつき、ヴォルケンリッター登場を早めるための手段としてレアスキル【魔力支配】と、その使い手である「あゆ」が生まれました。
オリ主ということで多少悩みましたが、試しに1話書いてみたら予想以上に愛着が湧いてしまったのでそちらを書き進めることになったわけです。

StS篇の方はこれから、ほのぼの話などの肉付けや整合性のチェックなどに入っていきます。早ければ、来月の頭には公開できるかと。

それでは、早めの再会を祈念して Dragonfly 拝 於:2010/01/17



[14611] #66-1 ファースト・ビジット
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/01/31 19:10

――【 新暦66年/地球暦4月 】――



はやては、学校生活を愉しんでいた。

なのはやフェイトとは今年もクラスメイトになれたし、遅れ気味だった学習範囲も取り戻せた。

松葉杖での登下校は楽とはいえないが、通えなかった頃のことを思えば何ほどのこともない。下宿中のフェイトが付き添ってくれるし、なのはも途中から一緒だ。

すずかやアリサは車で送ってくれようとするが、これもリハビリの一環だと断っている。


「ただいまやぁ」

「おねぇちゃん、おかえりなさい。なのです」

玄関まで出迎えてくれたのはあゆだ。この春に入学したこの新一年生さんは、授業がほぼ午前中だけなので先に帰宅していた。

「あれ?ふぇいとおねぇちゃんは、ごいっしょではないのですか?」

「今日は美化委員会があるらしいから、ちょぅ遅うなるみたいや」

そういえば。と、あゆは思い出す。進級して学校に慣れたフェイトが、美化委員に立候補したと聞いていたことを。

「おねぇちゃん。あせ、びっしょりですよ」

跪いたあゆは、まず右の松葉杖の石突を雑巾で拭う。

「今日は結構、暖かかったからなぁ」

次に右足のローファーを脱がし、左の石突も拭った。

「おふろを わかしましょうか?」

最後に左足のローファーを脱がすと、はやてが框を上がり終えてるという寸法だ。

「……そうやなぁ」

最初は自分独りでやっていた作業なのだが、これが意外と手間取る。車椅子はおろか松葉杖もあっという間に卒業してしまったあゆは、この作業にリハビリ効果がないことをシャマルに確認したうえで世話を焼く。「つうがくでじゅうぶんつかれているのに、このうえむだにつかれてもいみがないのです」と、はやての意向は無視。抗いようもなくて、今はされるがままになっていた。


 「あゆ、炭素の生成が過剰」

「しまった。なのです」

奥から聞こえてきたリィンフォースの声に振り返るものの、あゆの表情に緊迫感はない。

「ほっとけーきが、だいなしなのです」

「焼け焦げさん食べたら、あかんえ」

音も無く廊下を歩いていくあゆを、苦笑しながら追いかけていく。碌な育ち方をしていないこの子は、ほっとくと炭だろうが生煮えだろうが口にする。

「たべものさんを、そまつにはできないのです」

言ってることは正しいし、そう教えたが、それがダブルスタンダードであることをはやてはよく知っていた。

「ほうか。なら、うちも戴かんとな」

「だめです!こんなもの、おねぇちゃんにたべさせられないのです」

一足先にキッチンに辿り着いたあゆがフライパンを一振り、ホットケーキを裏返す。実に見事な焦げ具合。シャマル直伝でもあるまいに。

「ザフィーラも、なんか言うてやって」

リビングで鎮座していた蒼き狼は「ふむ」と首を傾げる。

「では、とりあえずその物体は我が戴こう」

胃壁に防御を張る方法が、完成でもしたか。

いや、そやなくてな。との言葉を呑み込んで、はやてはそっと溜息を捨てた。


**


「ごちそうさま」

あっという間に自分の分を平らげたアルフが、くるりと丸くなる。あいかわらず仔犬フォームのアルフがザフィーラの傍に寄り添っていると、なんだか微笑ましい。


目を眇めて眺めていたはやてが、ホットケーキを頬張った。

口の中がしゃりしゃりする。

結局、焦げた部分を出来るだけ削ぎ落とした1枚は4人で分けた。なぜか、リィンフォースまで食べたがったのだ。

メイプルシロップを多めにかければ味はまあ何とでもなるし、あゆはけっこう小器用で――失敗する可能性の高いうちは手を出さないし――こうした失敗は多くないから、はやてはなんだか却って嬉しくなってしまう。

「学校のほうはどないや?」

「いがいと たのしいです」

嘘ではない。

以前にシグナムの教え子たちと戯れたことがあるが、あゆはいくらでも人格を偽れる。自分に悪い評判が付けばはやてをも貶めることになると知っているから、おとなしく目立たず、しかしある程度の社交性は維持している。

幼いクラスメイトたちは気付いてないだろうが、あゆを招くなり誘おうとするなり望んで話しかけると、楽しく会話しているうちに本来の目的を忘れてしまっていることが多い。クラスメイトたちにさほど興味の持てないあゆは、学校以外で時間を取られることを厭うからだ。

だが、相手の機嫌を損ねずに話題を変え、なおかつその目的まで忘れさせるのは難しい。幼稚園児も同然のクラスメイト相手だからなんとかなっているが、はやてやヴォルケンリッター、管理局員たちには当然通用しない。こればかりは人の心を地道に観察していくしかないと肝に据えて、とりあえずはクラスメイトたちを実験材料にくべるあゆであった。


ほうか。と、はやては壁掛け時計に視線をやる。

「それで、……管理局のほうは、どうや?」

「はい。たのしいです」

こちらは心の底から。

なにしろ、こちらの年季奉公は姉と慕うはやてのために望んで行っていることだ。それに、いま進めている研究はいずれ入局せざるを得ないはやての役に立つだろう。そのために出来ることをする。出来ることがある。その幸せを、どこまで実感していることか。


「あゆ、時間だ」

「ありがとう、なのです。ざふぃーらにぃさま」

使い終わった食器を重ねて立ち上がったあゆが、キッチンへ。

「ああ、浸しとくだけでええで、うちが洗とくから」

「わかりました。なのです」

あゆはパートタイマーである。

リンディの意向で学業優先を義務付けられたので、本局で午後3時ごろから7時ぐらいまで勤務している。場合によっては夕食後、日付が変わる頃まで残業することもあるが。

シャマルは同じ研究室でフルタイム勤務。シグナムとヴィータは、それぞれ航空武装隊と本局航空隊で活躍中だ。

デバイス扱いのリィンフォースは対象外、八神家を空けるのは良くないということでザフィーラは稀に応援に呼ばれる程度であった。

「いってきます。なのです」

「気ぃつけてなぁ」

はぁい。と返事を残したあゆが向かうのは、2階奥の空き部屋である。転送ポートを含め、人目に付きたくない機器を押し込めてあるのだ。


「さて、うちも始めるかいな」

遠くにドアの閉まる音を確認して、はやてが向き直る。

「ザフィーラ、リィン。よろしゅう頼むで」

「心得ております」

「はい、あるじ」

「……」

耳だけ動かしたのはアルフだ。手助けが必要なら呼ばれるだろうと丸いまま。


「リィンフォース、封鎖領域だ」

「解かった。 ≪ Gefangnis der Magie ≫ 」

さきほど風呂を入れるかどうか訊かれて迷ったのは、これからの魔法の訓練でまた汗を掻くだろうことが判っていたからだ。

あゆ1人を働かせて、よしとするはやてではない。

少しでも早く実力をつけて学業と両立が出来ることを認めさせ、時空管理局に入局するのだ。

今日は都合がつかなくてただの魔力操作の練習だが、志を同じくするなのはやフェイトと模擬戦をすることも多い。

「では、我があるじ。スフィアの複数生成から参りましょう」

「了解や」

生み出し、浮かべるのは立方体のスフィア。2個、3個と増やすたびに、はやての眉間に皺が寄る。しかし、

「リィンフォース、こっそり手伝うんじゃない」

「……すまん。つい」

あはは。と、はやてが笑うと、せっかく生成したスフィアが消滅した。




****




「おねぇちゃん、じけんです」

「ん?」

「ああいえ、こちらのことです」

「そうか」

今日あゆが訪れたのは、地上本局である。通された応接室で待つこと、しばし、であったのだが。

もののふです。もののふがいます。と内心で唱えながら、あゆは相手がソファの対面に座るのを待った。

「首都防衛隊、ゼスト・グランガイツだ」

「ほんきょくしょくたくの、やがみあゆともうします」

「後ろの2人は、クイント・ナカジマとメガーヌ・アルピーノ。部下だ」

ゼストの背後に控える2人の女性が会釈。

「レジアスから大体の話は聞いているが、……む?どうした」

「いえ、たいていのかたは、まずわたしのねんれいを きにされるものですから」

「そうか?
 君はレジアスからの紹介であるし、年に足りるも足りぬもない。
 確かに少々驚きはしたが、その程度でいちいち狼狽していては地上部隊は務まらん」

背後に立ち並ぶクイントとメガーヌが苦笑いしているところを見ると、それが地上の常識というわけでもないだろう。

「では、たんとうちょくにゅうに。
 こちらが じんこうりんかーこあ【いであしーど】です」

懐から取り出したのは宝石様の結晶、人工リンカーコア。三つある。

うむ。と頷いたゼストを見て、あゆは当初の方針を変えることにした。

「というのは、うそ。なのです」

このゼストという人物はまっすぐな武人で、騙すのは難しくない。一時的に利用するなら、それでもいいだろう。

しかし、人工リンカーコアの研究は、あゆにとっても大切なものだ。その試験運用を託す相手を騙し続けるのは労力が莫迦にならないし、できれば積極的に協力して欲しい。

「……どういうことだ?」

はい。と一礼したあゆは、自らの境遇を話し出す。これまでの経緯を語りだした。自分の目的と、いまの現状も。人工リンカーコアは研究中でまだ形になってないし、持ってきたのはジュエルシードに作らせた代物だ。


「……ふむ」

ゼスト・グランガイツは、狼であろう。

狼を飼い馴らすことは出来ない。できるのは、力を見せ付けて支配することだけか。

もちろん、あゆにそんな芸当は無理だ。

しかし、別の方法を知っていた。喉を見せ、腹を見せ、恭順する。仲間に入れてもらうのだ。


「レジアスに押し切られたか、気の毒にな」

驚いたことに、ゼストがくつくつと笑い出した。どうやら珍しいことらしく、背後の女性たちも目を丸くしている。

「状況は了解した。
 口裏を合わせるから、報告事項の作成はそちらで頼めるか?」

「はい。ありがとう、なのです」

なに、礼を言うのはこちらだ。とゼストは立ち上がる。

「このところいい噂を聞かなかったレジアスだが、俺のところに押しかけて来たときのヤツは10年前の目をしていた。
 君の研究のおかげだろう」

「そうなのですか?」

あゆは首を傾げた。今のレジアスしか知らないのだから当然か。

たぶんな。と立ち去りかけたゼストを呼び止め「おもちください」と、あゆが差し出したのはイデアシード。

「しかし、それは」

「いずれ、まったくおなじものをおわたしするのです。かいはつとじょうのしさくひんも、たくさん。
 いまのうちから、なれておいていただきたい。なのです」

そうか。とイデアシードを受け取ったゼストは、それ以上何も言わず応接室を後にした。付き従ったのは菖蒲色の髪の女性のみ。


「あらためまして、クイント・ナカジマです」

藤色の髪をした女性仕官が、ソファの向かい側に座った。

「やがみあゆです」

あゆが礼を返すと、クイントが電子書類を広げる。

「事務的な手続きとか、連絡方法などを詰めておきましょう」

あゆは「おや?」と思う。貰っていた資料からするとこの人はフロントアタッカーで、見た目の印象から事務仕事向きではないと判断していたのだが。

「よろしくおねがい、するのです」



海と陸の垣根を越えて協力することになるのだ。必要な手続き、書類は多い。それに付随する署名も。

「てくびがいたい。なのです」

電子書類を整理していたクイントは、くすりと笑った。

「私もよ」

ぷらぷらと手首を振って見せている。先ほどまでに比べて、口調が砕けているのは、こちらが地か。

でもまあ。とクイント。

「海と陸の架け橋となり。悲願の人工リンカーコア開発に携われるなら、大歓迎ね」

あれが完成すれば、戦闘機人なんて……。呟きは、最後までは口にされない。

「せんとうきじん?」

「ああいえ、こちらのこと」

笑って誤魔化して、クイントが立ち上がる。

「そうだわ。よかったら今度、我が家に遊びに来てくれないかしら。
 下の子、人見知りするから、お友達になってくれる子が欲しかったの」

クイントは、まだ幼いあゆの姿に何を見たのだろうか。
ただ誤魔化すためだけに、または単なる社交辞令で口にしたようには思われなかった。もしかしたらこれを言いたくて、敢えて残ったのかもしれない。

「はい。ちかいうちに」

何か感じるものがあったのだろう。社交辞令で返すなら、あゆは「きかいがあれば」と応えたはずだ。

退室したクイントを見送って、あゆも電子書類を整理する。
たいした権限を持たないあゆの署名は仮のもので、本局に帰って直接の上司であるロウランなり、管掌責任者であるアテンザなりの決裁が必要であった。転送ポートを降りたら直接そちらへ寄るつもりなので、ここで作業させてもらったほうが都合がいい。

「これでよし。なのです
 それでは、かえりましょうか」


こうしてあゆの初めてのクラナガン訪問は、地上本部から一歩も出ることなく終わるのであった。



[14611] #66-2 特遮二課
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:28
――【 新暦66年/地球暦5月 】――



あゆは残念だった。

「どないしたん?あゆ」

帰宅したばかりのはやてが、一目でそうと判るほどに。

「【けーぶらいおん】が、いませんでした」

「はい?」

「【けーぶらいおん】が、いませんでした」

そういえば今日の遠足、1年生は動物園だったかとはやては思い出す。えらく楽しみにしていたかと思ったら、絶滅動物が目当てだったとは。

「こんどの おやすみには、ちゃんと【けーぶらいおん】がいる どうぶつえんにいくのです」

そうか。と言うものの、はやてはどんな表情をしていいか判らない。




****




自動ドアが開くと、受付カウンターがある。ただし、誰も居ないが。

勝手知ったるなんとやらで、あゆはカウンター向こうのドアを開けた。

「ゆーぅーの、くーん!あっそびーましょー!!」

あゆの知る限り最大の発声法でユーノを呼ばうと、「ましょー!ましょー!ましょー!」と山彦が返ってくる。

見えるのは、底をも知れぬ本棚の壁、壁、壁。ここ無限書庫では、こうでもしないと声が届かないのだ。いや、ここまでしても届くかどうか。

「お願いだから、念話で呼んでよ」

転移魔法で現れたのは、亜麻色の髪をした少年である。貫頭衣ともトーガともつかない独特な服装は、彼らの一族の民族衣装だそうだ。

ながらくフェレットの姿を取っていたこの少年は、『時の庭園』臨時出張署で行われた事情聴取のときにはじめてこの姿を見せたらしい。どうやらなのはも知らなかったようで、隣りの取調室まで「ふぇ~!?」と悲鳴が聞こえてきた。

なんでも第97管理外世界とは魔力素の分布が合わなかったらしく、ユーノはしばらく魔力素適合不全をおこしていたらしい。質量差を魔力に転換できるスクライア一族秘伝の変身術式のおかげで、かろうじて魔法を使えていた。とは本人の弁だ。

「それに、さっきの呼び方、何?」

「くらすめいとに おそわった、ひとをよびだすときの ていけいぶん。なのです」

こうかばつぐんです。と満足げなあゆに、ユーノはげんなりしている。


【闇の書葬送事件】の顛末で、その去就が特に取り沙汰されなかった人物。それが、ユーノ・スクライアであった。

理由は簡単である。彼がすでに就業している登録魔導師であり、いち早く管理局での課役を希望してしまったからだ。

一人前とみなされるユーノに対してリンディが口出しできることはないし、スクライア一族との関係強化を歓んだ管理局上層部の意向もあって、もっとも早く裁定が下っていた。


「頼まれていたジュエルシード関係の文献は、ここからコピーして」と差し出されたのは魔法陣。

「ありがとう、なのです」

あゆは、そこに待機状態のデバイスを載せた。赤い宝玉に見えるそれはレイジングハートのそれによく似ているが、管理局の官給品である。

「あと、似たような存在ってことだったけど、そっちはあまり芳しくない。
 【レリック】ってロストロギアがあるみたいなんだけど、僕の権限じゃ閲覧許可が下りないんだ」

「そうですか。
 わたしの じょうしのほうから はたらきかけてもらったら、どうでしょうか?」

えっと……。とユーノはいったん首を傾げた。

「運用部の、ロウラン提督だったっけ?」

かなり特殊な成立過程を経たあゆの研究室は、レティ・ロウラン提督の直属になっている。危険物を扱うため、防護区画内に設えられた特殊遮蔽内開発研究室に新設された第二課、通称【特遮二課】である。

「多分、大丈夫じゃないかと思うけど、最悪ロウラン提督にここまで出向いてもらうことになるかも知れないな」

「わかりました。おねがいするだけ、してみるのです」

コピーが終わったらしく、デバイスが2度ほど明滅した。

「ありがとう、なのです。
 ぼうえきかんけいの てつづきを おしえてもらえることになったので、こんどは てみやげをおもちしますね」

デバイスを懐に収め、あゆが一礼。

「役に立てたなら嬉しいよ。
 でも、管理外世界からの持ち込みって難しいんじゃない?」

「じゃのみちはへび、らしいのです。
 りんでぃていとくが、いろいろと【のうはう】をおもちだそうです」

ああ、なるほど。とユーノが手を打つ。羊羹だの饅頭だの第97管理外世界の物産品がなぜアースラにあったのか、ようやく得心がいったらしい。




****



「ちょ、ちょ、ちょう!あゆ、痛いて、そこ痛い!」

「よかった、なのです。
 かんかくが、とおってきてるのです」

風呂上りのはやてのマッサージは、あゆかシャマルの役目である。今日はあゆの番らしい。ベッドに横たわったはやての傍に寄り添い、その小さな指をはやての脚に埋めるように。


長年麻痺していたはやての脚は、しかし見た目では判らない程度にしか衰えていなかった。魔力収奪による麻痺は身体感覚をも撹乱せしめたため、却って筋肉が衰えづらかったのだ。

ただし、魔力の影響を如実に受ける神経系はそうは行かない。はやての脚は年齢相応に成長していたが、その神経系は麻痺が始まった頃のままであった。

【闇の書】の影響下から抜けて以来、その遅れを取り戻すかのようにはやての脚の神経系は成長を早めている。それを適正な状態に導くために、日々のリハビリは欠かせない。

いわば成長痛である疼痛も、リハビリの軋むような苦痛も、おそらく相当つらいだろうに、あゆははやての弱音を聞いたことがなかった。


「ちょ、ちょう!そこあかん、あかんてあゆ」

一本一本、神経の末端を探りながら行われるあゆのマッサージは、シャマルの魔法併用のそれと違って容赦がない。

結果的には、あゆのマッサージの方が脚の快復にいいとは解かっていても、今日ばかりはそうと思えないはやてであった。

「ちょちょ、痛い!あかんて、あゆ。
 もしかして、お昼のこと根ぇに持っとらんか?
 堪忍や。謝るさかい、もう堪忍して!」

おひる?と首を傾げたあゆが、「そういえば」と、思い出す。

それは、今日のおやつ時のことだった。



***



「あゆさんは、趣味を持たれたほうがいいと思うの」

手のひらを重ね合わせて、リンディがにっこりと。

手土産に戴いた翠屋のシュークリームを咥えたまま、思わずあゆは「はい?」と応えてしまった。


あゆの本局勤務に対する報酬は、後見人の筆頭であるリンディの管理下にある。新人の嘱託にしては破格の待遇らしいが、その金銭感覚を疑ったリンディは子供の小遣い程度しか使用を認めてくれない。まあ、使う宛てがあるわけではないようだが。

そうした小遣いのミッドチルダ通貨分は自動でIDカードに入金されてくるが、日本円の分はこうしてリンディが自ら手渡しに来るのだ。


「趣味かぁ。ええかもしれんなぁ」

「でしょう?」

リンディがさりげなくはやてに見せたのは、あゆの本局での滞在時間などをまとめた一覧表だ。1日4~8時間と、それほど長くはないが、学校と家に居る時間以外は本局に出向いている計算になる。

技術部から回ってきた資料を逆の意味で使おうとするあたり、リンディもなかなか黒い。

「えーと、しごとをしゅみにされるかたも おおいとおききしますので、わたしも そのひそ……」
「あかん」
「却下です」

挟み撃ちで一刀両断である。

「この辺りで習える趣味の教室とか、カルチャーセンターとかの資料を揃えてきましたから、参考にしてくださいね」

どこから取り出したのか、パンフレット、リーフレット、プリントアウトの山が出現した。

「こっちは、ギターやらオカリナとか音楽関係?
 この『作って弾こうカンカラ三線教室』って、面白そうやなぁ」

「お茶とかお花とか、文化的なのも良くないですか?
 この『日本人よりも日本人!ノルウェー人和尚の日本文化教室』なんて、私が通いたいくらい」

本人そっちのけである。

このままでは自分の意向を無視した趣味を押し付けられかねないと危惧したあゆが、自らも資料に手を伸ばし始めた。


***


結局あゆが選んだのは、七宝焼きの教室である。この近所に、個人で教えている人が居るらしい。

物を作る趣味なら、まだ研究の役に立つかもしれないと考えたようだ。


「かなしいのです。
 あのていどのことをねにもって、しかえしをするようなこに みられていたなんて」

よよよ。などと妙に時代がかった泣き崩れ方をして見せながら、その指先は止まらない。

「いや、そないなつもりは……って、そここちょばい。こちょばいって!」

「このあたりは、みはったつと」

痛いのには耐えられるが、くすぐったいのには弱いらしい。我慢しきれなくなってじたばたと暴れだしたはやてを押さえ込みながら、あゆは淡々とマッサージを続ける。

「ちょ、ちょう。堪忍して!」

心を鬼にするまでもない。はやての快復具合を、噛みしめるように歓びながら、その脚に指を這わすあゆであった。




****

――【 新暦66年/地球暦6月 】――



「あゆちゃん、本当にいいの?」

「はい、なのです」

特遮二課の研究室である。

目立つのは、魔力素からデバイスなどの集積体を作成するインテグレータで、その大きな躯体が部屋の6割方を占めていた。

魔力素を見ることが出来るあゆは、このインテグレータを直接手動で使いこなす。ちょっとしたデバイスの修理などは下準備もせずあっという間に終わらせてしまうので、他の研究室から飛び込みの依頼が来ることも多い。


室内に二つしかないデスクの片方に、ジュエルシードを小さくしたような結晶体がひとつ、置いてある。人工リンカーコアの、試作品第一号だ。

わたしは嬉しいけれど。と困惑しているのは、シャマル。

「こうして しさくひんもできましたし、ほんきょくにも、ここのせつびにもなれました。
 だいひょうしゃとして、せきだけのこしてくれれば、あとはわたしひとりでも やっていけるのです」

あゆが提案しているのは、シャマルの医務局転属である。

シャマルはヴォルケンリッターの中でこそ参謀役で、分析や解析などを行うが、本来研究者ではない。人工リンカーコアを開発するにあたって、最もジュエルシードに詳しかったから特遮二課の代表者ということになったが、それらのデータも本局のデータベースへアップロードが終わっていた。その内容が即時に無限書庫に加わっていて、流石にあゆも驚いたようだが。

「いりょうぶで、けがにんさんやびょうにんさんを いやしてあげるほうが、しゃまるねぇさまには にあっているのです」

「そうね。ありがとう。
 でも、何かあったらいつでも呼んでね」

「はい、なのです」

シャマルがこの研究室に居るのは、あゆが巻き込んだようなものである。そうでなければ、順当に医務局に配属されていただろう。

だからあゆは、少しでも早く開放してあげたかったのだ。




****




担当教諭の後について入室してきた女の子に、あゆは見憶えがあった。

「今日は、みんなに転校生を紹介します」

春休みの間など、フェイトに起こされて寝ぼけ眼をこする姿を毎日のように見ていたのだ。

普段でも静かとはいえない教室が、ときならぬイベント発生に姦しい。いつものこととして女性教諭は気にしないし、1年生などというものはそうしたものだろうが。

「アリシア・テスタロッサさんです。
 自己紹介、出来るかしら?」

「はい。
 アリシア・テスタロッサです。みなさん、よろしくおねがいします」

ちょこんとお辞儀をすると、肩口から金髪がこぼれる。国際色豊かな私立聖祥大学付属小学校に於いて金髪の持ち主など珍しくないはずだが、そこはそれ、憧れる女の子たちの口からは「きれい」と歎声がこぼれていた。

「よくできました。
 みんなも仲良くしてあげてくださいね」

元気よく、「はーい」の大斉唱。発声法のしっかりしているあゆの声は、大きくはないがよく通る。

「あっ!あゆちゃん!」

あゆを見つけたアリシアが、船を見つけた遭難者のように大きく手を振りだした。挨拶はしっかりとこなしていたが、内心ではやはり心細かったのだろう。振る手がけっこう一所懸命だ。

その様子に「おや?」と思ったのはあゆである。てっきり自分以外はグルだと思っていたのだが、あの必死さだとアリシアも知らされてなかったらしい。

「八神さんとお友達?
 それなら、席はその隣りにしましょうか」

あゆの席は、教室の一番後ろ、ど真ん中である。
いざというとき、どちらにでも逃げれるように、クジにイカサマを仕込んで手に入れた場所だ。

開いているのは、あゆの並びに3ヶ所だけだから、転校生ならいずれにせよあゆと同じ並びになろうが。

「八神さん、テスタロッサさんのことをお願いしますね」

はーい。と子供らしい返事をしてみせたあゆが、教室の隅から使ってない机を持ってくる。気付いて椅子を持ってきてくれたクラスメイトにお礼を言い、あゆはアリシアを待った。

「どうやら、おねぇちゃんたちは、わたしたちにないしょにしていたようなのです」

そうみたい。と頷いたアリシアが、「でも、あゆちゃんがいてくれてよかった」と笑顔。


偉大な魔導師を母に持ち、優秀な魔導師を姉に持ったアリシアは、魔法の勉強をはじめているらしい。

マルチタスクで授業を受けながら念話で確認したところによると、クラナガンに入院していたプレシアの病状が回復してきて、転地療養を勧められたらしい。それをどこにするかでアリシアの希望が通り、海鳴市に引っ越してきたのだそうだ。

『はやく、ふぇいとおねぇちゃんたちと いっしょにすめるようになると、いいですね』

『うん』

2人はおろかフェイトもアルフも預かり知らぬことであったが、この地へ転居してきたことがプレシアの決意そのものであっただろう。




[14611] #66-3 Master&Pupil
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:37

――【 新暦66年/地球暦7月 】――




夏の夜空に、花が咲いた。

歓声を上げる一同の中、あゆはそっとはやてに寄り添う。


海鳴臨海公園で行われる花火大会は、近隣地域随一の規模だそうだ。去年の今頃は【闇の書葬送事件】の後始末などで慌しく、はやて曰く「気付いたら終わっとった」である。


「おー♪」

咥えたイカの姿焼きを落としそうなヴィータは、大疋田模様の浴衣姿。城垣のように組み合わされた大判の菱形が、実にいなせだ。


2号玉から4号玉の連発が終わり、プログラムは仕掛け花火に移ったらしい。まずはナイアガラの滝、200メートルほどはあろうか。

「なかなか壮観だな」

「ええ」

シグナムは朱華色の蓮華柄、シャマルは萌葱色の撫子柄の浴衣。それぞれが手にした団扇も、同じ模様。

2発、3発と20号玉が観客の目を天空に惹きつけておいて、続くのは海面での点火。逆さ富士のように、水面に映った下半分と合わせて球形に見せる。

「虚実を併せ見せるか。
 この世界の人間は面白い趣向を生み出すものだな」

「ああ」

銀鼠色の風鈴柄の浴衣はリィンフォースで、応えるザフィーラは飾り気のない着流し姿であった。

今日は、八神一家で水入らずである。飲食店は書き入れ時だからなのはは翠屋のお手伝いだし、夜風潮風はプレシアの体に障るので、テスタロッサ一家は自宅から鑑賞しているはずだ。


海面と夜空を、どどんどんどんと花火が乱れ打つ。上を下へと観客たちは忙しい。


「ん?どないしたんや、あゆ」

ちょっと大人っぽく、はやての浴衣は鉄線蓮の模様だ。松葉杖がちょっと残念か。

「……なんでも、ないのです」

金魚模様の浴衣を兵児帯で締めて、あゆは花火を見ていなかった。

「なんだ?あゆ。
 花火が怖いのか?」

「もう、あぶないでしょ」

竹串を咥えたままで覗き込んでくるヴィータを、シャマルがたしなめる。竹串とイカの姿焼きが入っていたビニール袋を、優しく取り上げた。

「そうですね。
 すこし、こわいかもしれません」

花火はとても綺麗だった。綺麗だけど一瞬にして燃え尽きてしまう。

その儚さが怖かったのかもしれない。




****

――【 新暦66年/地球暦8月 】――



「僕のリンカーコアにちょっかいかけるの、止めてくれないか?」

時空管理局 第97管理外世界辺縁次元空間『時の庭園』臨時出張署のトレーニングルームである。辟易とした表情でS2Uを構えているのはクロノ。相対しているのは、一般武装局員用バリアジャケット姿のあゆだ。官給品デバイスは、これがデフォルトであった。

「じぶんの のうりょくを、さいだいげんに かつようしているだけ、なのです」

あゆのレアスキルは、一定範囲内の魔力や魔力素を他者の支配から解き放ち、自身の支配下に置くものだ。かなり格下の術者であればそのリンカーコア内の魔力すら操作できるし、一足一刀の間合いぐらいの距離であれば他者の魔力回復を阻害することもできるのだとか。

ただ、魔力ランクはCかつかつで、レアスキルを考慮しても魔導師ランクはかろうじてシングルAと目されているあゆでは、ほとんど他者に害を与えられない。今も、クロノにそこはかとない不快感を与えるのみであった。

「僕の魔力回復を若干遅くしたくらいで、模擬戦の間に成果が出るものか。
 魔力が少ないから短期決戦にしたいのは判るが、こんなことに集中するくらいなら魔法そのものに集中しろ」

「くろのせんせぇは、いじわるです」

誰がイジワルだ!と、詰め寄ろうとして、やはり下がるクロノ。近寄ると胸元の不快感が増すのだ。

「わたしのくふうを、ことごとく ひていなさるのです」

「君の工夫は、大概やりすぎなんだ。
 いつぞやだってそうだ。暗闇で戦いたいからといって、いきなり電気系統を破壊するやつがあるか」

あゆは、一定範囲内の魔力素を視認できる。正確には、何処に、どんな状態で魔力素があるか認識することができるのだ。魔力素は質量の多いところに集まりやすいから、あゆは暗闇でも障害物を把握できるし、空気中の魔力素の揺らぎで人の動きなども判る。夜目の鋭さでは余人の追随を許すまい。

「【えんじにあ】のひとに はいせんずをみせてもらうのに、くろうしたのです」

「そんなところに労力を注ぎ込むんじゃない」

それは、あゆの不安なのだが、そこまではクロノにも解からないだろう。

そもそも、暗殺者が標的に姿をさらすこと自体ありえない。それが、互いに顔を知っている相手となればなおのこと。自分の素性が知れていて、こうして相対している時点で、暗殺者としては終わっているのだ。

染み付いた習性があゆの心を縛って、どうにも小細工に走らせてしまう。

もちろんあゆとて、克服しようとはしていた。暗殺者などというものは、一定条件下でしか役に立たない使い捨ての道具だ。1対1で正々堂々と正面から戦える心を手に入れなければ、いざというときにはやてを守ることもできない。


『漫才が終わったなら、そろそろ模擬戦始めない?エイミィさん待ちくたびれちゃった』

「押しかけといて文句言うな!」

この8月を以って、第97管理外世界辺縁次元空間『時の庭園』臨時出張署はその役目を終える。ほぼ1年にわたって行われてきたクロノによる魔法の授業――その総決算としての模擬戦――も今日が最後なので、エイミィどころか大勢のアースラクルーが観戦に来ているのだ。窓外に、ずらり。


ふう。と溜息をついたクロノが、あゆに向き直る。

「始めるとするか。
 ……ああ、言っておくが衆人環視なんだ。精神攻撃は勘弁してくれよ」

「わかりました。なのです」


2回目、いや3回目の模擬戦だったか。ブレイクインパルスを実演して見せるためにクロノは、あゆの胸甲にS2Uを突きつけたのだ。武装局員用のバリアジャケットで最も強固な部位であるから、威力の程を見せるには最適であった。

そこで、あゆがぼそりと呟いたのが「えっち」の一言である。動揺して、クロノは初めてあゆに一撃を貰った。デバイスをそのまま鈍器代わりに使ったので無効になったが。

もちろんあゆは、羞恥を覚えたわけでも、嫌悪を抱いたわけでもない。ただそれが有効な手段であるか、試してみただけだ。

「こうかはばつぐんだ」と心の碑文に刻み込んだあゆは、しかし「くろのせんせぇ げんてい?」と付け加えている。はっきり言って、良心を持ち合わせた相手でなければ効かないだろう。



「始めるぞ」

「はい、なのです」

お互いに下がって、距離を開ける。
これが訓練でなければ、クロノは浮遊して射撃魔法を使うだろう。あゆの空戦適性は低いから、それだけで勝負がつく。

「いきます」

 ≪ Stinger Snipe ≫

駆け込んでくるあゆを、迎え撃つ露草色の光弾。スティンガーレイだと、あゆは射線を読んで体捌きだけで避けてしまうことが多い。

「らうんどしーるど」

 ≪ Round Shield ≫

あゆが展開したのは、その小さな掌に隠れるほどに小さい防御陣だ。飛来した光弾に、添えるようにして受け流す。クロノが、あゆは防御陣を使ったことがないと思っていた時期にも、こうして逸らしていたことが何度かあったらしい。

小さいぶん強固にしやすく魔力も節約できるが、ちょっと手元が狂えばクリーンヒットを貰うことになる。実際、あゆはこれまでに何度も失敗して、痛い思いをしていた。

「その防御方法は考え直せと言ったはずだぞ」

誘導を受け、背後から襲ってきた光弾を、あゆは床に飛び込むようにして避ける。クロノ特製のこの魔法弾は、何度も使い回せるからトータルでは低コストで済む。

「これがかんぺきにこなせれば、しーるどをおおきくして、あんぜんどをたかくできるのです」

一回転したあゆの起き上がりざまを狙う、地に這うようなスティンガースナイプ。

「口だけは一人前だ」

再び防御陣で逸らされた光弾が渦巻いて、上空で魔力チャージに入った。
あゆのレアスキルは、範囲内に侵入した他者の魔法から魔力素の自由を奪う一種のアンチマギリンクフィールドだ。たった3回掠めただけで、予め対策済みのクロノのスティンガースナイプを消耗させ切る。

ここで本来ならスティンガーレイなどで隙を埋めるのがクロノの戦法だが、今回はあゆを迎え撃つ気らしい。

振るわれた杖を、S2Uで受け止める。
デバイスに魔力を篭めて打撃に使うのは魔法近接戦闘の基礎だが、あゆのそれはなかなか侮れない威力を持つ。魔力素を直接認識できるので、こうした魔法ともつかない段階の魔力操作は得意なのだ。

「スナイプショット」

逆落としに頭頂部を狙う光弾を、あゆは押し退けられる魔力素の気配で読む。クロノと鍔迫り合い中の杖を支点に回り込もうとして、しかし弾き飛ばされた。

「そんな雑な運足で、自分より力の強い者をいなし続けられるわけないだろう」

その着地の直前を狙って、スティンガースナイプがあゆの顔面を襲う。空戦適性の低いあゆでは、体勢を崩さずに躱すのは難しい。

のけぞりながら防御陣で光弾を受け流したあゆの踵を、S2Uの杖頭が薙いだ。

いつものあゆなら、受身を取って転がり、距離を取っただろう。しかし、今日はクロノの戦い方が違うのだ。同じことをしていては拙い。それに、これは模擬戦だ。胸を借りて、色々と試さなくてどうする。

「6発だと!」

背中から床にたたきつけられながらあゆが作り出したのは、6発の魔力弾。クロノが驚いたのは、あゆの魔力と能力では処理しきれない数だったからだ。しかも、異様に速い。

スティンガーレイ以上の弾速で迫る光弾を、速度で劣るスティンガースナイプで2発も墜としたのはクロノならではの業前だろう。

「軽い」

威力を落として速度と誘導性能に特化したかと判断して、クロノはラウンドシールドを展開した。1発、2発と次々に殺到した光弾は、防御陣に触れるや、壁に叩きつけられた豆腐のように崩れさる。

「くっ」

しかし、最後の一発だけが射撃魔法らしく弾けて、ラウンドシールドを揺るがした。

爆煙を突っ切るようにして、あゆ。魔力を纏わせたデバイスを、八双に振りかぶって。しかし、

 ≪ Delayed Bind ≫

踏み込んだその足元から這い登ってきた魔力鎖に、囚われる。

「射撃魔法を防御させておいて、その間に接近する。
 そんな初歩的な手が、僕に通用すると思ってたのか?」

「【ばいんど】の けはいが、なかったのです」

あゆのレアスキル効果範囲内で、充分な速度を持って拘束魔法を構築するのは難しい。かといって事前に設置するディレイドバインドは、周囲の魔力素の違和感で見抜く。あゆにバインドは仕掛けづらいのだ。

「僕が対策を考えなかったとでも?」

ある意味、反則ではあろう。あゆのレアスキルを熟知しておいて対策を立てたのだから。

しかし、現場では何が起こるか判らない。注ぎ込む魔力を度外視して、ここまで完璧に隠匿した魔法を使う者だって、居ないとは限らないのだ。そういうことは教えておきたかった。

早くも崩壊寸前のディレイドバインドの上からチェーンバインドを重ね掛けして、クロノがS2Uを突きつける。バリアジャケットを破壊して魔力消費を誘い、ブラックアウトを狙うのだ。そこまでしないと、あゆが負けを認めない。

 ≪ Break Impulse ≫
「ぶれいくいんぱるす」

「ほう」

送り込まれた振動エネルギーをあゆは、逆位相の振動エネルギーで相殺して見せたのだ。固有振動数が事前に判っている自身のバリアジャケットだから、可能な芸当である。相手の足を止めて振動破砕を仕掛けるのはクロノの得意パターンのひとつだから、予め用意していたのだろう。

「上手い。と褒めてやりたいところだが、一歩間違えば相乗効果でダメージは計り知れないぞ」

「かならずできる。と、はんだんしたまで、なのです。
 くろのせんせぇの でしは、そこで へたをうったりしません」

そうか?とクロノは、崩壊し始めたチェーンバインドを掛けなおした。

「あっ!」

気付いた時にはもう遅い。

際限なく送り込まれてくる震動エネルギーの相殺に魔力を奪われて、あゆは意識を失った。

タイミングをきっちり見計らってブレイクインパルスを止めるあたり、クロノはやはり侮れない。



****



あゆが気付いた時、その体は医務室のベッドの上にあった。


「【ぱすふぁいんだー】なのです」

知らせを受けてやってきたクロノの「さっきの射撃魔法はなんだ」との問いへの答えである。

実は、6発中5発は射撃魔法ではなく、探索魔法であった。

魔力量と処理能力に不安のあるあゆが、誘導弾を的確に命中させるために、その先導役として作った術式である。

サーチャーを元に作り上げられたスフィアは、目標を高速で自動追尾し、命中すれば盛大に魔力フレアをあげる。同時に発動させた誘導弾を、スフィアとその魔力フレアに反応するよう設定しておくことで、命中率の底上げ、術者の処理能力軽減を狙ったのだ。

「くろのせんせぇに、あててみたかったです」

今日に限ってクロノが防御に徹したため、不発に終わったのである。弾質が軽いと、即座に見破られてしまったのが敗因だろう。もっと誘導弾の比率を上げるか、単純な防御陣などは回りこむよう制御をかけるか、改良の余地は多そうだ。

「少ない魔力と処理能力で誘導するには、悪くないアイデアだったがな。
 割り切って小型化するか、不可視化するのも手だな」

S2Uに写してきた術式を、そらで検証していたクロノが、そう締めくくる。

「愛弟子が一所懸命考えた術式なんだから、1発くらい当ってあげても良かったのに。クロノ君も大人気ないなぁ」

「あ、れ、は、く、ん、れ、ん、だ!」

一言一言、噛んで含めるように。

「中途半端な方法が通用するなどと誤解させて、どうしようって言うんだ」

額に青筋が見えそうだ。

「武装局員に稽古つけてるんじゃないんだよ?気絶するまで魔力を搾るコトないじゃん」

よしよし、酷い師匠だねぇ。とエイミィがあゆの頭をなでている。彼女はこれまでに、2人の模擬戦を見たことがない。あゆの気が散るからと、クロノに追い払われていたのだ。

「強くなりたいと言ってる相手に、手加減しろと?」

模擬戦の意味がないじゃないか。とクロノは腕を組む。

「それに、使い切れば、魔力量が増加する可能性だってある」

「そりゃ、わかるんだけどさぁ」

眉根をしかめるエイミィに、あゆが顔を寄せた。始めた内緒話はどうやらクロノのことらしくて、本人は面白くない。

「ま、ともかくだ」

なにやら含み笑いまでし始めた2人を止めるべく、クロノの口調は強めだ。

「これを、君にやろう」

差し出されたのは、灰色のカード。待機状態のS2U。

「……」

あゆが、灰色のカードを見る。S2Uは、とても高性能なストレージデバイスだ。官給品などとは比べ物にもならない。差し出すその手を遡るようにして、クロノの顔を見る。灰色のカードを見る。クロノの顔を見る。灰色のカードを見る。クロノの顔を見る。灰色のカードを見る。なぜかエイミィの顔を見た。

「……要らないのか?」

「いえ……、こんな こうかなものを いただく、りゆうがないのです」

ああ。と眉を上げたクロノが、灰色のカードをあゆの手に押し付ける。そうして取り出したのは、白いカード。

「デュランダルと言うんだ。ある人から譲り受けてね。
 ストレージデバイスを複数持っていても仕方ないから、S2Uはお蔵入りになってしまう」

「だから、クロノ魔法学校卒業の餞別だってさ。
 使い古しだけどね♪」

余計なことは言わなくていい。と踵を返したクロノが医療室を後にする。あゆがお礼を言う暇もない。


「そういえば、どうしてさっき私の顔を見たの?」

閉まったドアに向けて深々と礼をするあゆに、エイミィの疑問。

「だんせいに こうかなおくりものをされたときは、したごころがあるので きをつけろ。と、やがみけのかくんに」

こらこら。そんな家訓、いつ出来た。



[14611] #66-4 Sisters&Parents
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:27
――【 新暦66年/地球暦8月 】――



「娘さんを下さいと挨拶に行く男の気持ち」とはこうしたものだろうかと、あゆが珍しく緊張していた。学校に本局勤めにと忙しい割に、ヴィータに付き合って見るTVドラマの数は減ってないようだ。昨晩放映されていた【愛の目盛り】の影響だろう。

もっとも、「娘さんと結婚しましたと事後報告に行く男の気持ち」と表現したほうが正確であるが。


クロノからS2Uを貰った、翌日のことである。

あゆは、本局にあるリンディの執務室を訪れていた。第97管理外世界辺縁次元空間『時の庭園』臨時出張署の閉鎖にあたって、リンディは本局から総指揮を執っているのだ。現地での陣頭指揮がクロノ。

「はい。今月のお小遣いですよ」

接客テーブルの角を挟んで、封筒が差し出された。

「ありがとう、なのです」

地球まで届けに行く時間を作れないかもしれないから、今月は取りに来て欲しいと言われていたのだ。


「……それで、あの。りんでぃさん」

出されたリンディ特製砂糖たっぷり抹茶にも手をつけなかったあゆに、リンディの笑顔。

「S2Uは、もう貰いました?」

あゆの緊張も、その理由も、全てお見通しらしい。

「……はい」

懐から取り出したのは、待機状態のS2U。実はまだ認証を切り替えてないので、杖にできない。

「その子の本当の名前は【Song To You】と言うのよ」

クロノにも教えてないけれど。とリンディ。

「そんぐ とぅ ゆう?」

「ろくに歌ってあげられなかった、子守唄の代わりなの」


あゆがその意味を呑み込むのに、時間がかかった。母親の愛情など、知らなかったから。

しかし、想像はできる。できるようになった。

自らの手の内にあるデバイスを、――どれだけの想いを篭めて息子に贈ったのか、理解しきれるはずはないにしても――自分に貰う資格が無いことだけは、はっきりと。

「あの……」

差し出されたS2Uを手に取って、しかしリンディはそれをあゆの手に握りなおさせる。

「子供はいつか、巣立つものなのよ。
 クロノがこの子を手放したのなら、今がその時ってことなの」

S2Uを握らせた手を、包むようにリンディの両手。

「さみしいことだけど、うれしいことなの」

「……」

あゆには、到底理解できまい。親心なぞ。リンディがくすりと笑っている。

ところで。とリンディは、あゆの座るソファの肘掛まで押しかけてきて、腰を下ろした。

「貴女の後見人になってから、私は貴女の母親のつもりでしたけど」

背後から抱きすくめるように、その手で再びあゆの手を包んでくれる。

「この子を受け継いだ貴女は、私のことをどう思ってくれてるのかしら?」

手の中のS2Uに落としていた視線を上げて、リンディを振り仰ぐあゆ。

ん?と、促すような微笑み。

「……」

一度開いた口をやはり閉ざし、あゆはじっとリンディを見つめた。


 ……

テーブルの上の抹茶が、最後の熱を一筋の湯気に変える。もし、熱量というモノが際限なく失われていくのであれば、あゆが再び口を開くまでの間に抹茶は凍てついてしまったことだろう。

はやてさえ居てくれればそれで充分だったあゆに、ヴォルケンリッターたちが居てくれればそれで満たされていたはずのあゆに、この人はさらに与えようとしてくれるのだ。

はやては、押しかけるようにして姉になってくれた。家族にしてくれた。この人も、家族になってくれると言う。しかし、一歩踏み出せともあゆに言う。

姉よりも、少し厳しい家族に、なってくれると言うのだ。


呼んで、いいのだろうか。

「……」

最後の逡巡を、あゆは呑み下した。

「お かぁ……さん?」

「はい」

その笑顔に、あゆは顔を伏せる。一生口にすることはないはずだった言葉に、ここまで打ちのめされるとは思ってもいなかったのだ。

涙はない。感情が、まだ追いついて来なかった。

「……おかぁさん」

「なあに?」

ぎゅっと、握りしめられるS2U。

「たいせつに、します」

ん。と言葉少なに、リンディ。

ようやく落ちた泪滴が、S2Uの上で照り映えた。


後年にデバイスマイスターとしてマリエルやシャリオと並び称されるあゆは、数多くのデバイスを製作、改良を加えていくことになる。

借り物であった官給品を除いて、あゆの身近にありながら、一切あゆの手が入らなかったのがS2Uであったという。




****

――【 新暦66年/地球暦9月 】――



「おや、スバルのお友達かな?」

玄関に現れたのは中年の男性。

陸士部隊の叩き上げだと聞いていたから、あゆはレジアスやゼストのような偉丈夫を想像していたが、意外に人懐っこい笑顔だ。

「はじめまして。ほんきょくしょくたくの、やがみあゆともうします。
 ほんじつは おまねきいただきまして、ありがとうございます。なのです」

「ああ、これは失礼した。
 陸士部隊、ゲンヤ・ナカジマだ」

それにしてもクイントめ……。と、頭を掻きながらなにやら奥のほうへ文句を言うゲンヤに、あゆは笑顔。

「すばるちゃんと おともだちになりにきたのは、まちがいないのです。
 そのように あつかってください」

「そうか、助かる」

時空管理局では、子供を使うことも子供に使われることも多いから、ゲンヤとて慣れてないわけではない。しかし、さすがに自分の――血は繋がってないにしろ、そういう年頃の子供が居ておかしくはない――下の娘と同じ年頃のお嬢ちゃんを、しかも自宅で、子供の目の前で同僚扱いするのはやりにくかろう。

「まあ、入りなさい」

しつれいします。と一礼したあゆは、ゲンヤに促されるまま靴を脱ぐ。建築様式はミッドチルダ式だが、所々が和風で設えられているようだ。

「クイントは仕事仲間の女の子を招いたとしか言ってなかったから、ギンガもスバルも驚くだろう。
 スバルに至っては、どんなお姉さんが来るのかと今からガチガチだ」

「くいんとさん、らしいのです」

知り合って5ヶ月あまり。業務連絡を含めて数回しか顔を合わせていないが、そのにじみ出るものをあゆは感じ取っていたのだろう。ちょっとお茶目な、気風のいいお姉さんなのだ。

「お客様がお見えだぞ」

ゲンヤに続いてリビングに入ると、ソファに座っていた姉妹が立ち上がった。タイプは異なるが、どちらもクイントに良く似ている。

「こちらがギンガ、こっちはスバルだ」

「ぎんがさん、すばるちゃん、はじめまして。
 やがみあゆです。よろしくおねがいします」

あゆは深々と一礼するが、ミッドチルダの流儀ではない。少し戸惑いながらもギンガが会釈を返す。

「はじめまして、ギンガ・ナカジマです。
 ほらスバル。ご挨拶は?」

「……」

ギンガの陰に隠れるようにして、スバルは顔も見せない。

「ごめんなさい。この子、人見知りするから」

「だいじょうぶ、なのです。
 だれとでも なかよしになれる、まほうのおかしをもってきましたから」

ファンファーレが鳴りそうな勢いで差し上げたのは、ホールケーキを入れる紙箱。翠屋のロゴが入っている。生菓子なので、防疫関係の手続きが多少ややこしくなったのは内緒だ。リンディのアドバイスがなければ、そもそも持ち込めなかっただろうが。

「あらあら、いらっしゃい」

エプロンで手を拭きながら現れたのはクイントである。

「おまねき、ありがとうございます」

そもそもクラナガンと地球では、暦が違う。1年の長さこそ近しいが、1日の長さも1年の日数も異なるのだ。そのうえクイントは不規則な勤務で、前もってはなかなか休暇が取れなかった。

クイントの招きに「ちかいうちに」と返したあゆが、5ヶ月も経ってようやく応じれたのは、そういう事情による。





「……おいしい」

大人しげな見かけに反して、大きなシュークリームをほぼ一口で平らげたギンガがぽつりと。

やはり、ミッドチルダにシュークリームはないようだ。おそらくはバニラビーンズも。

「……」

スバルが無口なのは、人見知りではなくて、食べるのに夢中になっているから。

たくさん食べると聞いていたから、一番号数の大きな紙箱に山盛りで持ってきたのに、もうなくなりそうだ。

「すばるちゃん、ほっぺにくりーむがついてますよ」

身を乗り出してぬぐってやったあゆが、その指先を咥えてにこりと。

「きにいってくれたのなら、またもってくるのですから、そんなにあわてなくてもいいのです」

「……」

よく事態が呑み込めてなかったスバルが、目を見開く。こうも簡単に人を寄せ付けたことがなかったのだ。ギンガを除けば、クイントでさえ半年。ゲンヤにいたってはつい最近のことであった。

スバルは混乱するが、あゆにとっては普段の身ごなしの延長である。相手に警戒させずに内懐に入り込むのは、暗殺者どころか自爆テロ要員の基本だ。

「……ありがとう」

自身の混乱を、警戒すべき相手ではないからとスバルは誤解してしまったのだろう。ぎこちない笑顔を見せている。

「どういたしまして、なのです」

横で見ていたギンガは素直に驚いているが、大人2人は経緯を正確に把握したらしい。すこし表情が複雑だ。それでも、あゆに悪意や底意があるわけではないと判るから、口を出したりはしない。

「すばるちゃんは、どんな おかしが すきですか?」

「……チョコ」

なるほど、チョコレートはミッドチルダにもあるようだ。収斂進化だろうか?それとも、地球との間に密貿易が成り立っている?

考えてみれば、戴いた給料はミッドチルダ通貨から日本円へ兌換できた。なんらかの交易が成り立っているのであろう。

「それなら、こんどは ももこさんに【ちょこれーとけーき】をつくってもらいましょうか。
 ももこさんのつくる【ざっはとるて】は、とってもおいしいのですよ」

「……チョコポットよりも?」

ふむ、こまりました。と、あゆはこめかみに指先を添える。

「わたしは【ちょこぽっと】というものをたべたことがないので、どちらがおいしいか はんだんできません」

クラナガン訪問は、まだ2度目。今日も地上本局からタクシーで直行であった。

「……それなら、こんどチョコポットのおみせに つれていってあげる」

「ほんとうですか、たのしみです。やくそくですよ」

常識に欠けるあゆはもちろん、クラナガン育ちのスバルも、指きりげんまんを知らないようだ。


**


「おやすみなさい」

クラナガンと日本で、季節が合うはずもない。地球で言うところの乾季に近いらしいクラナガンの夜は、少し早いようだ。時差もあるから、日本ではようやく夕暮れという頃合だろう。

「……おやすみなさい」

それとも、ナカジマ家が厳しいだけか。

「はい。おやすみなさい、なのです」

庭で遊び、夕食を戴き、一緒にお風呂に入って、パーティゲームで盛り上がった。愉しい時間は経つのも早い。

半年近くクラスメイトたちと接してきて、あゆもそれなりに同年代の子供たちとの過ごし方というものを身に着け始めていた。

ゲンヤに付き添われて部屋に下がるギンガとスバルを見送って、あゆは指先をひらひらと振る。


「くいんとさん。ぎんがさんと すばるちゃんは、もしかして……?」

淹れてくれたお茶を受け取りながら、あゆはそう切り出した。

「やっぱり、判る?」

別にあゆとて、透視能力を持っているわけではない。ただ2人の周囲の魔力素の挙動が一般人とも魔導師とも異なること、その立ち回りから意外と重量がありそうなこと、あの年代にしては動作が最適化されすぎていることから推測しただけだ。

「戦闘機人って言うの。
 機械を移植することを前提に調整されて生まれてきた子供なの」

「せんとうきじん、……ですか」

あゆは、初めて会ったときにクイントが漏らしていたその言葉を憶えていた。そのニュアンスも。

「もしかして、いほう ですか?」

「ええ。あの子達は、摘発した施設から保護してきたのよ」

それはおどろきなのです。と、あゆ。あまりにもクイントそっくりだったから、本当の親子だと思ってたと言う。

「ああ、私の遺伝子データを使っているらしいから、親子も同然……。
 いいえ、親子よ」

湯気の向こうに隠れたクイントの顔に、あゆも淹れてもらったお茶を口に含んだ。紅茶とも煎茶とも違う、鼻に抜けるような苦味。

「わたしに なにかさせたくて、ひきあわせたのですか?」

顔を上げたクイントは、かぶりを振る。しかし、その後に紡がれた言葉は、あゆとても意外だっただろう。

「……ごめんね」

「なぜ、あやまられるのです?」

カップをテーブルに置き、クイントは居住まいを正す。ただ、視線は合わせない。

「あゆちゃんの境遇を、聞かせてもらってたでしょう?うちの子たちと似ていると思って……」

「だから、いいともだちになれると、おもったのですか?」

ごめんね。と再び、クイント。

「わたしはかまいません、じぶんがなにものかは わきまえてますから。
 でも、そんな きずのなめあいを ぎんがさんとすばるちゃんに おしえてしまって、いいのですか?」

まさかクイントにそんなつもりはなかったであろう。言われて驚いている。

「いやぁ、興奮してなかなか寝やがらねぇ。よほど楽しかったんだな、ありゃ……。
 ん?どうした?」

ようやく子供たちを寝かしつけたらしいゲンヤがリビングに帰ってきたのは、そんな時だった。





「お前さんも、なかなか容赦がねぇな」

スピリッツらしい酒精をロックで呷って、ゲンヤ。クイントは肴を作る名目で下がらせている。

「もうしわけありません。なのです」

「いや、怒ってるわけじゃねぇ。こっちも、ちぃと考えが足りなかったみてぇだしな」

酒を酌み交わしたら案外愉しそうだと考えるが、さすがに小学生に勧めるわけにもいかない。

「わたしのほうこそ、ふかよみがすぎたようです」

「お前さんはどうやら、子供らしさが足りねぇみてぇだな」

「よく、いわれるのです」

ふむ。と、ゲンヤ。ずいっと身を乗り出してくる。

「それじゃあ、こいつぁ罰だ。
 普通に子供らしく、ややこしいことや理屈は抜きで、うちの子供たちと友達になること。
 わかったか?」

ばつですか。と、あゆは目をぱちくり。

「わかりました。おとなしく おなわをちょうだいするのです」

時代劇を良く見るヴィータの影響だろうか、ときおり言い回しが古い。

「それが子供らしくねぇって言ってんだ」

思わずあゆの額をぺしりと叩くゲンヤ。しかし、しかめ面が長続きせずに噴き出す。

漢というものは誰も、くつくつと笑うものなのだろうかと思いつつ、釣られて頬をほころばせるあゆであった。




****

――【 新暦66年/地球暦11月 】――



その年最後のミッドチルダ訪問がまさか一家総出になるとは、さすがのあゆも思いも寄らなかったであろう。

「お待たせしました」

通された応接室で待つことしばし、現れたのは聖王教会の騎士カリム・グラシアとその護衛、シャッハ・ヌエラである。

これまで通信などで顔を合わせたことはあるが、こうして直に対面したのは初めてだった。

「ああ、はやてさん。無理しないで、お座りになっていて下さい」

カリムが慌てて止めたのは、ソファに座っていたはやてが立ち上がろうとしたからだ。はやてのリハビリは進んでいるが、まだ松葉杖が手放せない。

「ほんなら、お言葉に甘えます」

隣りに座っているあゆがそ知らぬ顔で上着の裾をひっぱって、立ち上がりにくくしてたことに、そこに居合わせた大人のほとんどが気付いていたが。

「グラシアさん。この度はほんまにありがとうございました」

カリムが1人掛けのソファに座るのを待って、はやてが頭を下げた。合わせて、一同も。

「どういたしまして。とは、とても申せません。
 そもそも【闇の書】は古代ベルカの遺失物ですし、それを今まで回収できなかったのは私どもの落ち度です」

聖王教会は、時空管理局とは別口でロストロギアの調査と保守を使命としている宗教団体だ。利害が一致する反面、縄張り争いも多くて、時空管理局との関係は微妙である。

その位置付けをどう捉えるか。にこやかに見えるあゆの、思考が忙しい。

「はやてさん。聖王教会を代表して私カリム・グラシアの謝罪を、受け入れてくださいますか?」

そんな。と顔を上げたはやてとカリムの間で、お礼と謝罪の言葉が繰り返されはじめる。


リンディの手回しによってはやての存在を知った聖王教会の動きは、決して遅くはなかった。早々に管理局上層部と折衝を始め、かなり早い段階でその保護を確約していたのだ。

ただ、【蒼天の魔導書】認定への根回しと、【闇の書】との関連を隠蔽するための工作に時間がかかったのである。

もちろん、時空管理局の次元空間航行艦船を1隻沈めてしまった事件そのものを隠し立てすることは出来ない。聖王教会が行ったのは、【蒼天の魔導書】を【闇の書】を滅ぼすために作られた存在であると認定すること。対する管理局が行ったのは、この事件における【蒼天の魔導書】の出所をぼやかしたこと。その2点であった。

この2者の間にどんな取引が成立したのか、リンディは黙して語らない。
利害の多くが一致した以上、それほど後ろめたい取引は行われてないだろうとあゆは想像している。むしろ、結託してはやてを取り込もうとしているのではないかと、猜疑を強くしているようだが。

ともかくもそう云った根回しが済んで、はやては教会の後ろ盾を得ることが出来た。教会の騎士見習いとして身分を保証され、――内情は変わらないが――誰はばかる事もなく管理局に入局できるだろう。

そうしてベルカ自治領の市民権を貰ったはやてが、ぜひ直接に御礼に行きたいと言い出して今回のミッドチルダ来訪となったのである。


「お2人ともその辺りで」と止めに入ったのは、はやての対面に座るリンディであった。今回の引率役なのだ。

そうですね。と頭を上げたカリムを、出された茶菓子に夢中になっている振りをしたあゆが冷ややかに観察していた。この、まだ15歳にも満たずに教会の一翼を担っている女性が、本気でそう謝罪していることは確かだろう。だが、その言い分が本当ならば、聖王教会は多大な借りをはやてに対して負っていることになるはずだ。

では、それに見合うだけのものがはやてに差し出されたか?ということに、あゆは疑念を抱く。結局、はやてが管理局に入局せざるを得ない現状に、聖王教会の限界か、本気の程を見出してしまう。

「こら!あゆ、てめぇ喰いすぎだ。あたいにも寄越せ!」

「びぃーたおねぇちゃんといえど、ゆずれないのです」

「あゆ、ヴィータ。恥ずかしやないか、もう」

ヴィータと取り合いを演じながらあゆは、聖王教会に全幅の信頼を寄せるわけにはいかないと結論づけていた。



[14611] #67-1 魔法の呪文はじゃんけんなの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:26
――【 新暦67年/地球暦1月 】――



「あゆちゃん、そのおおにもつ、なに?」

「いいもの、なのです」

スバルが出迎えてみれば、あゆは大きなリュックを背負っていた。いや、あきらかにリュックのほうが大きくて、背負っていたというより背負わさせられていたと言うべきか。

「おもくないの?」

「みかけほど、おもくはないのです。
 それに、わたしはいがいと ちからもち、なのです」

あゆは、管理局での時間のほとんどを本局で過ごす。多くとも1日8時間、少なければ4時間ほどしか研究時間を取れないのだから当然である。

ただ、試験運用を任せているゼスト隊との折衝もあり、クラナガンへ来ることが増えた。土日などはほぼ1日使えるので、こうしてナカジマ家を訪れることも多い。クラナガン側の休みや時間帯に合わせるのも、すっかり慣れた。

もっとも、最近ではS2Uに任せっきりだが。



リビングに通されたあゆがその妙に安っぽいリュックから取り出したのは、6個組みで連結されたヨーグルトなどの容器を連想させるプレートであった。

それが、61枚。

「これ、なんですか?」

ギンガが目を丸くしている。

「あいすくりーむ、なのです」

「あいすくりーむ!」

きらきらと目を輝かせるスバルであった。

スバルがアイスクリームも大好きだと聞いて、あゆが一度やってみたかったこと。

それは、ハーケンダック全365フレーバーの制覇であった。


ハーケンダックは、フランス資本の老舗アイスクリームフランチャイズチェーンであり、常時365種類のフレーバーを揃えていることを売りにしている。要予約だが、その365種類全てを詰め合わせた商品として、イヤーズプレートセットも販売されていた。

今日あゆが買ってきたのは、さらにフレーバーが+1されたリープイヤースペシャルである。閏年限定の、このスペシャルセットでないと食べられない特別フレーバーがあった。

とはいえ、かなりの高額商品である。早々売れもしないのだろう。いきつけの海鳴店へ予約しに行ったとき、お年玉を注ぎ込む気だと聞いた店長のダイスケさんが感涙に咽んで、特別にリープイヤースペシャルにしてくれたのだ。――ちなみに閏年は来年の話で、ダイスケさんがどんな魔法を使ったのか、あゆは知らない――今日受け取りに行ったときも、店長補のマリアさんがフリード君ぬいぐるみをおまけでくれる始末だった。宇宙合金製だという双頭フックを、あゆはひそかに気に入ったらしいが。


それはそれとして、

「くいんとさん。
 ひょうけつまほうを、かわってほしいのです」

ここまで持ってくる間の重さより、冷蔵のための氷結魔法のほうが堪えたあゆである。転送ポート待ちの間に、ドライアイスが昇華しきってしまったのだ。



「ゲットレディ!」

「セット」

クラナガンにも、じゃんけんはあるらしい。

「やった♪」

「まけた~…」

地球のものと違うのは、魔法になぞらえてあって、勝ち負けが逆なところか。パーそのものの防御魔法は、チョキに似た射撃魔法に勝ち、グーそのもののバリアブレイクに負ける。同様にバリアブレイクは、防御魔法を破って射撃魔法に倒される。射撃魔法は防御魔法に防がれ、バリアブレイクを貫く。

さらに、一度目の勝ち負けの結果を踏まえた2回戦目を行って勝敗を決する上級編もあるそうだ。例えば、防御魔法をバリアブレイクで破られた場合、2回戦目で射撃魔法で勝てれば逆転勝利とみなされる。まあ、少々ややこしいアッチ向いてホイであろう。

あゆはとりあえず、魔法拳と名づけてみた。


「つぎはまけないよ!おねえちゃん♪」

驚いたことに、あのお姉ちゃんっ子のスバルが、真っ向からギンガに勝負を挑んでいた。そもそもギンガは、スバルに好きなのを選んでいいと言ったのに、それを断って魔法拳勝負に持ち込んだのだ。

「あ~!それねらっていたのに」

「ほら、一口わけてあげるから」

「いいの!しょーぶのけっかは げんせいなの」

勝ったほうが先に好きなフレーバーを選ぶ、負けたほうが次に選ぶ。その86回戦目が終わったところだ。

意味を解かって言ってるのかしら?とクイントの苦笑はやわらかい。

「お姉ちゃん離れが進んでいるみたいで、歓ばしいことだけど」

あゆは、クイントと一緒にダイニングでお茶を戴いていた。10回戦までは参加していたのだが、体が冷えてきてとてもじゃないが付き合いきれない。

せいぜいスプーン2~3杯分の小さなカップ入りとはいえ、よくもまああんなに食べられるものだ。

「そろそろ、夕ご飯の支度しなくちゃ。
 あゆちゃんも食べてくでしょ?」

時差――と云うか自転周期差であるが――の関係で、あゆにとってはお昼ご飯になるが、ありがたくご相伴にあずかることにした。

そろそろゲンヤも帰ってくるだろう。現場叩き上げの人間の苦労話を聞くのは、ためになる。


それにしても、クイントが一切心配してないところを見ると、あのアイスクリームを全てたいらげた後で夕ご飯もきっちり食べるのだろう。あの姉妹は。

なんだか、今のうちから胸やけしそうになるあゆであった。




****

――【 新暦67年/地球暦3月 】――



オーリス・ゲイズは、自身の複雑な心境をどう喩えていいか解からない。

ただし、その元凶は明確に形をなしていた。

白衣姿の、少女である。


いま案内しているこの少女のことをオーリスが知ったとき、すでに上司であり父であるレジアス・ゲイズへの心無い中傷とワンセットであった。

部下であり娘であるオーリスとしては、心証が良くなりようがない。


しかし、この少女が研究している人工リンカーコアが海陸揃って管理局の悲願であることは、否定しようのない事実であった。

レジアスが夢中になるのも解かるし、なにより非合法な手段から手を引き始めてくれていて嬉しいのも確かだ。

それに、この少女の境遇も知っている。家族のために押し売り同然に入局してきたところなど、忙しい父親を少しでも手助けしたくて入局した自分と重ならないでもない。


「いかかですか?」

辿り着いたドアを開き、中を指し示す。

「……」

少女の視線がまず、正面に据えられた多機能高級デスクに向けられたのが判る。続いてその手前の本革製ソファとクラナガン杉のテーブルで構成された応接セットに。さらには窓際のマルチドリンクサーバー。最後に行きついた本棚には、今時珍しい紙媒体の資料が所狭しと詰め込まれている。専属の秘書官が配属されてないのが不思議なくらいだ。

広さはともかく、設備的には佐官クラスの執務室レベル。

「おおげさ、なのです」と少女が溜息をつく。本気で辟易としている様がオーリスにも判った。

この少女本人の取扱いについては、各部の折衝の上で行うことが決定している。しかし、その成果物については最初の接触者である海の意向が幅を効かせていた。レジアスの働きかけで試験運用こそ陸が行っている――海や空では事件規模が大きすぎて現場での試験運用は難しい――が、研究が完成し、生産となればその主導権は海がとることになるだろう。今でも優秀な人材は海が持っていってしまうが、それと同じことが人工リンカーコアでも起こるというわけだ。

それでは意味がない。と考えた上層部は、開発者であるこの少女そのものの取り込みを画策していた。ノウハウを手に入れて、陸独自に生産しようとしているのだ。

当初は、本局と同等かそれ以上の設備を与えようとしたのだが、当の本人に断られた。曰く、非効率だという理由で。個人的には、オーリスとしても賛同である。

そこでせめて、陸士部隊との連絡が密になってクラナガンに来ることが多くなった少女のために執務室をという話になったのだ。


「おーりすさん。
 これは わたしのそうぞうなのですが、れじあす・げいずという じんぶつは、こどものたんじょうびに やまほどのぷれぜんとを とどけさせるのでは、ないでしょうか」

「上司のプライバシーに関わることをお話するわけにはいきません」とは言うものの、この少女の推察どおりであった。「届けさせる」というところまでピッタリと。

そうですか。と再び少女が嘆息。

「あのひとのあつかいかたを おしえていただけたら、うれしかったのですが」

そんなものがあるなら、自分が知りたいオーリスであろう。

「しょうじき、かんりきょくのなわばりあらそいには きょうみがありません。
 しかし、それが こういうむだづかいに あらわれるとなると、そしきとしてのけんぜんせいを うたがわざるをえません」

オーリスは応えない。応じられる立場にないのだ。

「てはいしてくださったでしょう おーりすさんには もうしわけないのですけど、このおへやは じたいさせていただくのです」

そこを。と口を開いたオーリスを手振りで止め、少女は続ける。

「わたしこじんを かいじゅうしたところで、けんりかんけいは どうしようもないのです。
 いざというときに うったえられるのは わたしですし、そのときあなたがたが わたしをまもってくれる ほしょうもない。
 しけんうんように おわたししている【いであしーど】をあなたがたが……」

少女が口篭もった内容を、オーリスは知っていた。陸での試験運用は様々な駆け引きの結果、海の黙認の上で進められていることである。その試験運用の最中に、陸がそれを解析することも。

それを口に出すことをためらったということは、この少女が管理局内の確執の深さ、利害関係の複雑さを理解している。と云うことだろう。下手なことを口走れば、責任の追及先にされかねないことも。

「こちらのひとたちにも よくしてもらっていますから、おこたえしたいきもちはあります」

ですが。と続ける少女を、今度はオーリスが遮る。

「この件と、八神さんのお気持ちについては私のほうから上司に伝えておきます。
 本局との高機密専用回線を用意した小部屋に、ベンチをひとつ。では如何でしょう?もちろん、本局の方にも正式に打診の上で」

人工リンカーコアの研究は重要秘匿事項なので、その情報を介するには相応の回線が必要だ。この少女に執務室を与える話が出たときに、オーリスはその希望を聴き取っている。だから、転送ポート待ちなどの空き時間に本局のデータベースにアクセスしやすい環境を欲しがっていたことを知っていた。

贈収賄と受けとられかねない事態への警戒と、余計な物は不要と考えているだろうこの少女の性格も、今知ったところだ。

「べんちを、こうきゅうひんに しないのなら」

「承りました」と応えたオーリスは、この少女が肩肘から力を抜いた姿を初めて見ただろう。

案外、気が合うかもしれない。などとオーリスは思うのであった。




****

――【 新暦67年/地球暦4月 】――



「……」

見上げてくる瞳が、とても真剣だった。

「きたいしてますね」

「……」

あゆを見上げているのは、最近掴まり立ちを卒業した幼児である。

「あゆおねぇちゃんと よんでくれたら、さしあげるのですよ?」

「何を勝手に、人の娘を手懐けようとしているのかしら?」

振り返ると、菖蒲色の髪の女性がいた。

「めがーぬさん」

本日あゆがゼスト隊の詰め所に来たのは、第3世代の試作品を渡すためである。代わりに回収する第2世代の試作品を、メガーヌが取りに行ったその間の出来事であった。


ゼスト隊に限らず、地上部隊の詰め所に幼児が居ることは珍しいことではない。

就業年齢が低いということは、離職年齢が高いということも示し、ひいては一時休職も短いということである。管理局の中でも輪をかけて人手不足である陸では、条件さえ許せば子連れでの執務を認めているのだ。本部内に託児所もある。

「いちど、おねぇちゃんと よばれてみたかったのです」

あゆの周囲で年下となると、メガーヌの娘のルーテシアぐらいだった。

戸籍上ならスバルが1歳年下になるが、ほとんど成長していないあゆの方が背が低くて、お姉さんぶるのは無理がある。それに、スバルにとって姉はギンガだけであろう。そこに割り込む気にはなれなかったのだ。

「……」

じーっ。と、あゆを見つめる愛娘の姿に嘆息したメガーヌは、持ってきたケースを手近な机の上に置く。

「ルゥ、あゆおねえちゃんよ。言える?」

「ぅーねーた?」

おお。と、あゆ。

「けっこう、うれしいかもしれません。
 めがーぬさん、るぅちゃんを わたしにください」

「あなたが私の娘になるって手もあるわよ?」

メガーヌの切り返しに、「むむ」と、唸るあゆである。

「ぅーねーた」

2度目の呼びかけは、多分に非難が篭められていたであろう。

「これはしつれい」と、ルーテシアに向き直ったあゆは、S2Uに命じて格納領域から虫カゴを取り出した。

手渡された虫カゴを覗き込んだルーテシアは、首を傾げる。中には木の枝が一本入れてあるようにしか見えない。

「【おおあし ながえだ ななふし】さんです。
 ちきゅうでは、いちばんながい むしさんなのです」

「おーで?」

ルーテシアに呼ばれた枝が、その歩脚を伸ばした。触角を震わせ、自分を呼ばった者を探している。

「管理外世界の生物を、よくもまあ……」

リンディから防疫関係の手続を教わったあゆは、地球の食品などを持ち込む手筈に慣れていた。

それでも、生き物を持ち込めるようになったのは最近である。シャマル直伝の術式をいくつか使いこなせるあゆは、持ち込む生物の状態把握に長けるし、必要に応じて特定の病原菌だけを狙い殺すこともできた。

昆虫類の召喚を得意とするメガーヌへの手土産としてギラファノコギリクワガタを持ち込んでみたのだが、それを気にいり、なおかつ魔法も使わずに従えてしまったのがルーテシアである。

今も虫カゴからだしたナナフシを頭の上に乗せ、「いーこ」と、ご満悦そうだ。

「ルゥの忠臣がまた増えたわね」

【めがにゅーら】が げんぞんしていたら、よろこんでくれたでしょうか?とは、最近常識を身につけだしたあゆである。



special thanks to sato様。誤字報告、ありがとうございました。



[14611] #67-2 その日、聖王医療院
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:26
――【 新暦67年/地球暦4月 】――



……

室内を沈黙が支配していた。

「りんでぃさん」

焦れて声を上げたあゆを、「まあまあ」とリンディがなでている。あゆは、2人きりの時しかリンディを「おかぁさん」と呼ばない。S2Uの本名は2人だけの秘密だから、その絆も内緒であった。


リンディの執務室である。

応接セットの片方には、あゆ、リンディ、たまたま居合わせたクロノ。

対峙する反対側には、はやて、なのは、フェイト。管理局に入局できるよう、3人揃って直談判に来たのだ。

はやてたちの言い分は簡潔である。去年1年の通信簿を見せて成績に問題がないこと、ヴォルケンリッター達に鍛えられて実力がついてきたことを理由に、学業と就業の両立ができると主張していた。

「あゆさんの気持ちは、考えられました?」

「もちろんです。
 でも、だからやこそ、うちはあゆに恩返しがしたい」

うんうんと、はやての両脇のフェイトとなのはが。

一方リンディとしては困惑である。3人の処遇は決定済みとはいえ、その猶予期間を打ち切ることは可能だ。しかし、人工リンカーコアの研究を契約内容に据えてしまったあゆの就業は、縮めようがない。

「それに、うちは誰かのための力になりたいんです。
 無力やったはずのうちに眠っとった力を、力のない人のために役立てたいんです」

「立派だわ」

「だが無謀でもある」

リンディの賞賛を断ち切ったのは、それまで口を開かなかったクロノである。反駁しようとした3人を身振りで抑え、視線であゆを示す。

「君たちの魔力資質は知っているが、今の君たちでは彼女にも勝てまい」

え?と驚いたのは、はやてたちだけではない。名指しされた当の本人も驚いていた。もっとも、クロノがなにを言いたいかは解かったらしく、口を挟まないが。

はやてたち3人は、直にあゆと模擬戦をしたことがない。本人がものすごく嫌がって、相手になってくれないからだ。しかしながら、ヴォルケンリッターたちとの模擬戦は見たことがある。

その上での――ヴォルケンリッターを含めた――共通認識では、あゆが一番弱かったのだ。なにより、すぐに魔力切れを起こす。


「あゆ。君が八神はやてを斃さねばならぬとしたら、どうする」

「じがい、します」

即答である。クロノが望んだ答えではないが。

「おねぇちゃんを がいするそんざいなど、ゆるすわけないのです」

「……あゆ」

ふむ。とクロノ。

「設問が悪かったか。
 じゃあ、僕ならどうだ?君が僕にしようとしたことを、忘れたとは言わせないぞ」

え……と。と、あゆは困惑する。けして口に出しては言わないが、今ではクロノは「おにぃちゃん」なのだ。

「クロノ、意地悪が過ぎるわ」

よしよしと抱きしめて、リンディがクロノからあゆを隠した。

「こいつが僕にしようとしたことを知ったら、きっとそんなことは言えなくなります」

憮然とも悄然ともつかないクロノの様子に「あの~」と声をかけたのは、はやてである。

「あゆが一体、なにしたん?」

家族であるヴォルケンリッター相手の模擬戦において、あゆは搦め手を用いたことがなかった。正面からの真っ向勝負では、攻防いずれにせよ、あっという間に魔力を使い果たしていたことだろう。師匠として胸を借りていたクロノにだけ見せた権謀術数を、はやてたちが知るよしもない。

「ああ、こいつはな。模擬戦前に、僕に下剤を盛ろうとしたんだ」

「!……」「なんっ!?」「ふぇ~!?」

あらまあ。と、リンディはなんだか愉快そう。

2回目の、模擬戦前であったか。

「未遂で済んだし、きっちり叱ったからそれはいい」

いたかったです。あゆがぽつりと。

「要は覚悟の問題だ。
 こいつは必要があれば、君たちが彼女を敵と認識する前に手を下してしまうだろう。
 そして、時空管理局の局員が立つ現場とは、そういう場所なんだ」

手をつけずにいたリンディ特製砂糖たっぷり抹茶を飲み干して、クロノが立ち上がった。

「この剣呑な八神あゆが、実に穏当な手段で君たちのために猶予を作ったんだ。
 君たちが入局する頃には、君たちがより強くなれるよう準備をしてるんだ。
 そのことをもう一度、よく考えてみてくれ」

予定があるのでこれで失礼する。と執務室を後にしたクロノに、あゆの感謝の心は届いただろうか。




****

――【 新暦67年/地球暦7月 】――



あゆが箱を開けると、真新しいスニーカーが出てくる。昨日買い物に行ったときに買ってきたのだ。

自分の小遣いで買おうとしたら、「衣食住は、お姉ちゃんたるうちに責任があるんやで」と、はやてが支払を済ませてしまった。

妹にはとことん甘いはやてである。


さて、あゆが八神家2階奥の、通称【転送部屋】にスニーカーを持ち込んだのは他でもない。

今日から、この紺色のスニーカーで本局に通勤するつもりなのだ。

ハイヒールはお役御免である。

もちろん、あゆの背丈が伸びたわけではない。単に、本局の職員たちがあゆの存在に慣れただけだ。

はやての薫陶が篤い――最近ではそれにアリシアも加わりだしている――あゆは、お世話になったハイヒールに手を合わせてから箱に仕舞った。


12年後の9月に、あゆはまたこの箱を開けることになるかもしれないのだが、それは全くの余談である。




****

――【 新暦67年/地球暦8月 】――



ガラス越しに、横たわるゼストの姿があった。


「峠は越したらしいから、あとは意識が戻りさえすればって」

比較的軽症で済んだメガーヌである。それでも松葉杖姿だが。

ヘルスメーターの術式をシャマルから教わっているあゆは、MICU内の機器が表示している数値の意味を大体理解できた。メガーヌの言うとおり、少なくともゼストが命を落とすことはないだろう。



「ゼスト隊が全滅した」という報せにあゆが出くわしたのは、地上本部への転送後、その詰め所へ向かう道すがらのことであった。夏休みいっぱいを掛けて作り出した第5世代の試作品を思わず取り落としたのは、あゆ一生の不覚か。

オーリスに連絡をとったあゆが全滅どころか壊滅であると知り、聖王医療院に駆け込んだのがつい先ほど。事件の2日後である。


**


意識が戻れば連絡が入るという言葉に納得し、傍に居たからといって何ができるわけでもないと緊急病棟を後にした。メガーヌの案内で、一般病棟へと渡る。

「あゆちゃん!」

ドアが開くなり突進してきたのは、スバルだ。メガーヌがそっと支えてくれなければ、あゆとてもいなしきれなくて押し倒されていたことだろう。

「あいがどおぉ!」

メガーヌに作戦内容を話す権限はないので、あゆはまだ詳しい事情を掴んでない。

「なにごとなのです!?」

感極まって泣き喚くスバルは何を言っているのか判らないわ、視界が塞がれて何も見えないわ、すごい力で締め付けられて痛いわ息苦しいわで、あゆの疑問はほとんど悲鳴であった。

「スバル、あゆちゃんを放しなさい」

駆け寄ってきたギンガがあゆを救出しようとするが、盛大に泣き縋るスバルの耳には届いてない。


**


「大丈夫?」

クイントである。額の包帯に右腕左脚のギプスが痛々しいが、本人はあまり気にしてなさそうだ。今はベッドのリクライニングに上半身を預け、苦笑の成分を多分に含ませた視線を寄越していた。

「もんだいないのです」

あゆを救出したのは、通りがかった烈火の将である。要請によりゼスト隊の救援に駆けつけ、その後送を行ったのはシグナムが所属している部隊だったのだ。そのまま事後処理などを受け継いだので、現場と医療院を足繁く往復していたらしい。

「……ごめんなさい」

今はベッドの向こう側で神妙に座っているスバルである。隣りにはルーテシア。医療院に虫は持ち込めないので、微妙に不機嫌そうだ。

聞いたところによるとクイントは、「あゆがくれた御守りが身代わりになってくれたので救かった」と子供たちに説明したらしい。それを極限まで拡大解釈したスバルの感謝の形が、先ほどのベアハッグというわけだった。

「あゆちゃん、……これ」

ギンガが差し出したのは、人工リンカーコアだ。今は艶やかさを失い、割れ砕けた残骸に過ぎないが。

あゆが作った試作品の、最大の欠点がそれだった。貯蔵した魔力を使い切ると、構造を支えきれなくて崩壊するのだ。第4世代のこれは形が残るだけマシで、第1世代など影も形もなく消え失せていた。

「もくひょうひんの ほうは?」

いつか、それと同じ物を作る。と宣言するあゆの気概を受けて、ジュエルシードから造られた人工リンカーコアのことを【目標品】と名付けたのはクイントである。

視線を向けられた命名者が、病衣の袷からジュエルシード製人工リンカーコアを出して見せた。魔力を使い切って艶やかさこそ失っているが、こちらは健在。

「みちのりは ながそう、なのです」

嘆息を洩らしたあゆは白衣のポケットからケースを取り出すと、第4世代の残骸と引き替えに第5世代を手渡した。

「ああ、よかったら。これ、貰えない?」

そう言いだしたのは、メガーヌである。手にした小さなビニール袋に、やはり割れ砕けた第4世代。

「かいせきが おわったあとでなら、かまいませんけれど?」

第5世代と引き替えに受けとりながら、あゆ。

「記念にね、持っておきたいの。皆、そう言いだすんじゃないかしら」

試作品の作成に慣れてきたあゆが、初めてゼスト隊全員の分を用意できたのが第4世代である。

「そうね。私もお願いするわ。
 供えても、あげたいしね」

壊滅ということは、その損耗率は5割ほど。そのうち死者が何人居るのか、あゆはまだ聞かされてない。

「わかりました」

ゼスト隊全員の顔を知っているわけではないが、手にした第4世代の残骸がそのまま戦死者の姿のように見えてしまう。

もう会えない人が居るという事実を、あゆはどう呑み込んでいいのか判らないでいた。



****



ゼスト隊の作戦内容とその報告の閲覧をあゆが許されたのは、試作品とはいえ人工リンカーコアの有用性が評価されたからである。



      ―― Eyes Only ――


目的:戦闘機人プラント捜査

経緯:突入時の勧告に応じず発砲したため交戦

結果:
 損害
 ゼスト隊 12名中
      死亡者 2名
      重傷者 4名
      軽傷者 6名

 成果
    戦闘機人
     高速格闘型  1名(仮称サード)  逃走
     後方指揮型  1名(仮称フォース) 捕縛
     格闘爆撃型  1名(仮称フィフス) 捕縛

    多脚型戦闘機械(仮称アンノウン)
       27機 破壊
        5機 押収

    カプセル型戦闘機械(仮称ガジェット)
       45機 破壊
       19機 押収

新たに宛がわれた6畳ほどの執務室で、あゆはさらに個人ごとの経過報告を追う。各人のデバイスが自動記録したものを、それぞれに補完、過去のデータなども統合して整理されたものだ。

3体の戦闘機人に対し、ゼスト隊はそれぞれゼスト・クイント・メガーヌで対応。その他の戦闘機械は他の隊員たちが引き受ける。

ゼストが相対したのが、格闘爆撃型の戦闘機人。プロテクターの喉元にⅤと刻印されていたため、仮称でフィフスと付けられていた。格闘戦に長ける上に爆発する投げナイフを使ったらしく、実力伯仲。相討ち同然にかろうじて戦闘不能に追い込んだものの、ゼストの意識はまだ戻らない。

クイントが対峙したのは高速格闘型の戦闘機人。こちらはⅢと刻印されていたので仮称サードである。高速格闘という点でクイントと好カードになると思われたが、空戦能力を有し瞬間移動までこなす相手に防戦、足止めで手一杯。最終的に逃走を許す。

メガーヌが対応したのが後方指揮型と見られる戦闘機人。同じく喉元にⅣとあったためフォースである。戦闘機械を指揮し幻惑能力を有していたが、相手が悪かったためその能力をほとんど発揮できずに捕縛に至っている。メガーヌの負傷は、この戦闘機人直援の多脚型戦闘機械による。


この戦闘で特筆すべきは、カプセル型戦闘機械が発生させたアンチマギリンクフィールドであろう。魔力素結合・魔力効果発生を無効化する力場の中で、ゼスト隊は相当に苦戦したようだ。死者を含め、戦闘機人を相手にした3人以外の重軽傷者は、初撃の防御に失敗した結果であった。

これに対応できたのは、偏に人工リンカーコアの存在による。と報告書に記されていた。AMFでロスさせられる魔力結合を、人工リンカーコアの魔力で補って対抗したらしい――非公式であるため報告書には書かれてないが、ゼスト・クイント・メガーヌはさらに【目標品】も所持していた――。

特に、AMF下にも関わらずメガーヌが召喚魔法をフル稼働できたことが大きかったであろう。対する後方指揮型戦闘機人の幻術も、メガーヌが呼び出した様々な昆虫たち全ての感覚器官を誤魔化すことはできなかったのだ。結果、戦闘機人側の指揮統制を阻害し、仕掛けてきたであろう撹乱を防ぎえたことが最大の勝因である。

最終的に後方指揮型戦闘機人を行動不能にしたことで戦闘機械の活動が止まり――これに前後して航空武装隊第1039部隊が来援――、残存していた高速格闘型戦闘機人に逃走を決意させたことで戦闘の終結を見たようだ。



あゆの座るベンチには、回収してきた第4世代たちが並んでいる。すべて割れ砕けて、無事な物はひとつもない。

それぞれ小さなビニール袋に入れられ、使用者の名前が書かれていた。


第5世代の完成があと3日早ければ、もっと被害を抑えられたであろうか?赤く書かれた2人の名前が、黒字で済んだであろうか?

そこまで考えて、あゆはかぶりを振る。AMFの存在に気付いてなければ、どれだけ魔力量があっても無駄であっただろう。部隊の損耗はほぼ、最初の一撃で被ったものだ。


それにしても。と、あゆは立ち上がる。

「せんとうきじん、ですか」

あゆは、報告書に添付されていた写真を思い返す。


背丈で言えばフェイトと同じくらいの少女の姿をしたフィフスが、ゼストと対等の戦闘力を持つ。

さらにはAMF下にもかかわらず、正体不明のテンプレートを展開して魔法を使ってきたものがいたという。瞬間転移めいたサードの超高速移動と、判別至難なフォースの幻覚がそうらしい。

それら戦闘機人が大量に、AMFとセットで立ち塞がることがあれば、管理局の戦力で対抗することは難しいだろう。

人工リンカーコアによる一時的な魔力量増大などでは、焼け石に水だ。

なにか打てる手はないだろうか。と、あゆはその眉をしかめるのであった。




[14611] #67-3 八神あゆのある1日(前編)
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:25
――【 新暦67年/地球暦8月 】――



捕縛された戦闘機人の取調べは、捗ってないそうだ。

AMF下ですら魔法を使う相手だ、そのほかにどんな能力を隠し持っているか判ったものではない。幾重にも張られたバインド、ケージ越しでは尋問の効果も薄いだろう。

センサー代わりの監視役としてケガをおしてメガーヌが日参しているが、はかばかしくないと言う。2人とも黙秘を貫き、その本名すら聞き出せてないらしい。



さきほどエントランスで偶然メガーヌに出会ったあゆは、しばらく戦闘機人たちに関する話を聞きながらついてきたのだ。あゆも立ち会いたいのだが、許可が下りなかった。仕方なくゲート前で別れ、来た道を引き返しているところだったのだが。

拘置区画への通路は、脱獄やテロ対策にわざと曲がりくねって作られている。分岐も多く、所々行き止まりすらある有様だ。

そうしたダミー通路のひとつを、あゆが遣り過ごそうとしたその時だった。

「!」

異様な魔力素の気配を感じたのは。

視界の隅で確認した先に、人影はない。しかし、その突き当たり、曲がり角の向こう側へ流れこむように、不可解な魔力素の乱れが存在した。

差し出しかけてた右足の軌道を変え、ダミー通路に踏み込む。それなりの心得のない者には、最初から左折する気だったと感じられただろう。

……5歩、6歩。懐に手を忍ばせつつ、道なりに右へ曲がった先に、壁。行き止まりなのは、予想通り。

しかし、あゆの肌が粟立った。

「……」

あゆは、魔力素を見ることができる。

ところが、その天井の一角は、まるですくい取ったかのごとくドーム状に魔力素の姿がなかったのだ。

もしやこれがAMFかと目を見開くあゆは、そのドームの中心に、人の指と思しきものが突き出ているのに気付いた。先端に、カメラレンズ?

「えす2ゆぅ、【しりんだけーじ】なのです」

 ≪ Cylinder Cage ≫

瞬時に杖形態へと移行したS2Uを構え、手持ちの【目標品】の魔力を注ぎ込んで発動させたのは、円筒形の魔力の檻。一般的なクリスタルケージは形状的に無駄が多いので、あゆ特製の捕獲術式である。状況が許せば、あゆはバブルケージを使いたかったであろう。

非殺傷設定の魔法は、物理的な効果を及ぼさず物理的に阻害されることもない。展開された魔力の檻は、天井深くから床下までを巻き込んで構築された。


天井から突き出ていた指が引っ込んだ。驚いたことに、跡がない。移動系の魔法だろうか?しかし、

「にげられはしませんよ。
 そのまましたに、おりてくるのです」

展開した魔力の檻に、手応えを感じる。つまり、生命体が打ち破ろうとしているのだ。非殺傷設定の拘束魔法は当然人体をも拘束し得ないが、触れれば体内の魔力と反応して痛みや麻痺、神経障害を引き起こす。

「ていこうするなら、こうげきします。
 おとなしく、おりてくるのです」

……

S2Uのランタンのような杖頭を突きつけると、天井から爪先が生えてくる。そのままくるぶし、臑、膝と成長して、すとんと女性が1人、床に降り立った。

報告書で見た戦闘機人たちと同じ、青を基調としたプロテクター付きのスーツ姿。

「ねんのため、こうそくさせてもらうのです。
 せんせぇじきでん、【すとらぐるばいんど】」

 ≪ Struggle Bind ≫

青鈍色に光る魔力縄が、戦闘機人を縛り上げた。こちらは殺傷設定。物理的に拘束する。

「ほばくされた【せんとうきじん】のなかま、ですね?きゅうしゅつにきたのですか?
 でも、なぜこんなところに?」

今この戦闘機人が見せた移動魔法なら、とうに救出し終わっていておかしくないだろうに。

「……」

ちらり。と、あゆは周囲を確認した。

「すなおに こたえるか、このままたいほされて おなじように こうりゅうされるか。
 すきなほうを えらばせてあげるのです」

逡巡が、目に表れている。どうも駆け引きは苦手らしい。

「……私の能力じゃ、魔力障壁は越えらんない」

拘置区画は、内外に設置された魔導炉を動力源とした魔力障壁が多重に張られている。それを越えられないということは、この戦闘機人は同時に複数の魔法を展開できないのだろうか?

「きゅうしゅつは むりだったから、きかんするところ。だったのですか?」

そっぽを向いた戦闘機人は、しかし僅かに頷く。

「きゅうしゅつは あきらめるのですか?」

「諦めるわけないだろ!クア姉もチンク姉も絶対救けて見せんだから!」

噛み付きかねない勢いで吠え立てた戦闘機人が、勢い余ってシリンダーケージに触れる。

「っ!」

「ふむ、ほばくした【せんとうきじん】のなまえは【くあねぇ】と【ちんくねぇ】」と、あゆは心に書き留めた。その事実は、あの2人への尋問の足がかりとなるだろう。

それはそれとして、

「わたしは、やがみあゆです。
 あなたの おなまえは?」

「……セイン」

素直なことである。捕縛された2人とは大違いだ。

「いい おなまえ、なのです」

「……あ、ありがと」

【くあねぇ】や【ちんくねぇ】と比較した結果の感想だと知ったら、セインは一体なんと言っただろう。

「それでは、せいんさん。わたしと とりひきをしませんか?」


**


「あの~ ……」

「セイン?貴女報告もな……」

振り返った紫色の髪の女性が絶句した。

「お客さんを~、連れてきたんだけどぉ……」

白衣姿の男性はなにやら作業中らしく、振り返らない。

「はじめまして、じくう……」

あゆから見て右手のドアが開いた。垣間見えた女性の姿が掻き消え、目前に出現する。

「何者だ」

その右手首から生えた光の翼を突きつけられても、あゆは怯まない。相手が、報告書にあった人物、仮称サードと内心で確認するのみ。

戸口の向こうに、さらに戦闘機人らしい女性の姿。念話か、何らかの警報でも鳴らされたか。

「じくうかんりきょく、しょくたく。
 やがみあゆ。なのです」

「管理局だと」

その瞳孔がすぼまると、突きつけられた光の翼が大きさを増した。あゆの喉元に突き刺さりそうだ。

「あの~トーレ姉?そのぉ、一応デバイスも預かってるし、ね?」

セインがカード状態のS2Uを取り出して見せるが、

「だからといって、ラボに管理局の人間を連れてくる人がありますか」

「ごめん、ウーノ姉」

叱られるのも当然であろう。

【トーレネェ】【ウーノネェ】と心のメモ用紙に書きつけていたあゆは、【クアネェ】【チンクネェ】と並べてみて、正しくは【トーレ姉】【ウーノ姉】【クア姉】【チンク姉】だろうかと補足。姉妹として扱われていて、本人たちもその気なら、情につけこむ隙もあるかもしれない。

「わたしがおどして、つれてきて いただいたのです。
 せいんさんを せめないであげてほしい。なのです」

「黙れ」

ばっさり叩き切ってやるとばかりに、トーレが左腕を大きく引いたその時であった。「なんだか騒々しいじゃないか」と、白衣の男性が振り返ったのは。

「おや?君は誰だい?」

はじめまして。と、あゆが頭を下げるので、トーレが慌ててインパルスブレードを引く。意外に甘い。と、あゆは心の内申書に書き加える。

「じくうかんりきょく、しょくたく。
 やがみあゆ。なのです」

ほぉ?と、白衣の男性の右眉が上がった。

「えぇっと、どくたー?」

「おっと、失礼。
 ジェイル・スカリエッティだ。ドクターと呼んで貰えると嬉しいかな」

わかりました。と頷くあゆに、「それで」とスカリエッティ。

「僕を逮捕しに来たのかい?」

「いいえ」と、あゆは即答。あらかじめ聞かされていたセインと、推測していたらしいスカリエッティは驚かない。そのつもりなら、単独で乗り込んできたりなどしないだろう。

「どくたーに、いくつか、しつもんがあるのです」

ふむ。と、スカリエッティ。

「ちょうど休憩を取ろうかと思っていた頃合だ。
 ティータイムの間くらいなら、付き合ってもいいだろう」

「ありがとう、なのです」


**


通されたのは、研究室と思しき先ほどの部屋からさほど離れてない一室。蹴倒されたであろう椅子の様子に、トーレともう1人の戦闘機人はここに居たのではないかとあゆは推測する。


指し示されたソファに座ると、対面にスカリエッティが腰を下ろす。トーレはあゆの背後に、セインがスカリエッティの背後に立つ。もう1人の戦闘機人――喉元にXとあったので、あゆは仮称テンスとしておいた――はドアの間際だ。

ウーノが出してくれたお茶を、あゆはためらいなくすすった。

それで?と促されて、カップを置く。

「それでは、たんとうちょくにゅうに。
 どくたーは、なんのために【せんとうきじん】や【せんとうきかい】をつくっておられるのですか?」

顎に湯気を当てるようにしてその香りを愉しんでいたスカリエッティが、カップを下ろす。

先ほどの言葉どおりなら、あのカップの中身が無くなった時がタイムアップだろう。それを置いたということは、あゆの質問に興味を覚えたということか。

「僕はね、生命の可能性に挑戦したいのさ。
 より強く、より輝かせる。その研究の成果が戦闘機人なんだよ」

「おっと」質問を重ねようとするあゆを手振りで制して、「あの鉄屑は別だよ」とスカリエッティ。

「あれは僕の作品達がより輝くために、デコイとして使うガラクタさ」

「【あんち まぎりんく ふぃーるど】と、その えいきょうかで こうしできるまほうも、そのせいかなのですか?」

ん?とスカリエッティが茶を一口啜った。

「AMFは発掘した技術でね。
 ISは、もう少し発現形質を制御できるようになりたいかな」

幸い、カップの中身はさほど減ってない。

考えてみればAMFは戦闘機械の機能だった。スカリエッティにとっては、くだらない話題だっただろう。

【IS】【発現形質の制御不完全】と心のメモを取って、あゆは斬り込むことを決意する。説明もなくISという単語を使ったところにあゆは、スカリエッティの性向を見た。素人に喜んで解説するタイプではない。門外漢に踏み込まれていい顔をするタイプではないと。気難しい職人か、はたまた孤高を気取る芸術家か。ここで「ISとはなにか?」などと質問したら、まず間違いなく茶を飲み干すだろう。

ならば、カップの中身があるうちに突き進まなければ。

「せいめいの かのうせいを ぐげんかさせた【せんとうきじん】に ひとをころさせることは、むじゅんではないですか?」

「いやいや待ってくれたまえよ」

意外なことに、スカリエッティはカップに手をつけなかった。

「あれは一種の事故だよ。まさかAMFがあれほどまでに効果的だとは、予想外だったのだから。
 なぁ、トーレ?」

「……はい。
   まさか、一切防御できない者まで出るとは……」

あゆは、あえて振り向かなかった。見るべきは、スカリエッティの表情だ。

「ころすつもりでは、なかったと?」

「もちろんだとも。
 ドローンどもの兵装に非殺傷設定なんて便利なものはないし、防御魔法を抜けてまで足止めできるほどの威力もないしね。
 現にそちらの死亡者はドローンによるもので、私のこころざしを知っている娘たちによるものでは、ないだろう?」

それが結果論に過ぎないことは、あゆには先刻承知だろう。脅威度の高い相手に、実力者が立ち向かった結果なのだから。

「ふこうな じこ、だと?」

「まさしくね。僕としても残念な結果だよ。
 君の言うとおり、大変な矛盾だからね。
 生命の探求者が、いたずらに血を流すだなんてことは」

それが本音かどうか、あゆにはとうとう見破れなかった。しかし、少なくとも建前として持ち出すだけの常識はあるようだ。それはつまり「すすんで殺そうとはしていない」との言質をとったことにもなる。

それに、カップに手をつけてない。不本意かもしれないが、不機嫌ではなさそうだ。

もしかしたら、人を殺すことにためらいを覚えなかった自分より、よほどまともな人間かもしれない。などとあゆは結論付けた。


    「……ゆるしてほしいとは、もうしません」

脳裏の片隅でちらついていた2人の遺影に、あゆは密かに謝罪する。あゆではスカリエッティを断罪できないことを、断罪しようとする意思を保てないことを。

「そうですか」

「僕にも研究者としての矜持という物がある。
 ただ殺すなんて結果は、とても容認できないよ」

それが本音か。

ならば、研究者としてのスカリエッティは信用できるかもしれないと、あゆは覚悟を決めた。

「では、さいごに おねがいがあるのですが。どくたー」

なにかね?と組んだ足の、膝を抱えるようにしてスカリエッティ。

少なくとも、聞いてもらえる程度には機嫌を保てたようだ。


「わたしを、【せんとうきじん】にしてほしい。なのです」



[14611] #67-4 八神あゆのある1日(後編)
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:36

――【 新暦67年/地球暦8月 】――



「理由を訊いても、いいかね?」

興味を持ったらしいスカリエッティが、組んでいた足を解いて重心を前に。

「わたしはこれでも、けんきゅうしゃの はしくれです。
 めのまえに すばらしいけんきゅうのせいか、みごとなぎじゅつがあれば、それをしりたい、てにしてみたいと、つきうごかされてしまう」

それは嘘ではない。

人工リンカーコアの研究を進めるにあたっては、魔法工学に関わらず広汎な知識を必要とする。なにしろ、あゆの目標は人工リンカーコアを作ることではなく、量産させることなのだから。

その過程で身につけた色々な知識が意外なところで融合変化を起こし進化する様を、あゆは面白いと感じられるようになってきていた。

「いま、わたしのめのまえに、せいめいの かのうせいをぐげんかした【せんとうきじん】がいます」

あゆの視線は、スカリエッティの背後に控えるウーノとセインに。

「これほどのけんきゅうせいかを めのまえにして、それが じぶんのせんもんではないというりゆうだけで しりたくないというのなら、それは けんきゅうしゃでは ないのです」

ふむ。とスカリエッティ。まんざらでもないのか、あごをなでている。

「僕も研究者だからね。君の気持ちはよく解かるよ。
 しかし、では君の願いが「知りたい」ではなくて「なりたい」なのは何故かね?」


あゆは視線を伏せた。伏せて見せた。

「こうして めのまえにいるというのに、わたしは【せんとうきじん】がどういうげんりで うごいているのか、どうやってなりたっているのか、すいそくもできません」

じっと、お茶の水面を見る。そこに何かを見出しているかのように、眉をしかめてみせる。

「もちろん、わたしが もんがいかんということもあります。
 ……でも、いちりゅうのけんきゅうしゃというものは、ほんもののてんさいというものは、じゃんるのかきねなど、きづきもしないうちに またぎこしているものなのです」

上目遣いにスカリエッティを見たあゆは、すぐに視線を戻す。「……でも、わたしは……」と、最後まで言いきらない。

……

黙り込んでしまったあゆを、意外なことにスカリエッティが辛抱強く待っていた。それどころか、「茶が冷めてしまったようだ。ウーノ、頼むよ」と淹れなおさせている。


「どうぞ」

目の前のカップが交換されて初めて気付いたとでもいうように、あゆが顔を上げた。

「もうしわけありません。きちょうなおじかんを さいていただいているのに」

「いやいや、自分の力不足を嘆く気持ちは僕にもよく解かるよ。
 自慢の娘だったのに、ストライカー級とはいえAMF下の魔導師と相討ちだった、なんて聞くとね。
 もっと、してやれることがあったんじゃないかって考えてしまう」

背後で身動ぎする気配。クイントを圧倒したとはいえ終始1対1の状況に持ち込まれ、トーレに戦果はない。仲間を助けにもいけず逃げ出すしかなかった彼女に、今の言葉は少しきつかったのだろう。

「それはそれとして、なぜ戦闘機人になりたいか、その理由だよ」

そうでした。と、あゆ。

「みただけでは けんとうもつかない。おしえをこえる あいてもいない。
 ならば、このみをささげてみるしかないのです。
 たとえ 3りゅうけんきゅうしゃのわたしでも、じぶんじしんが【せんとうきじん】となってしまえば わかることがあるはずです。
 もしわからなくても、けんきゅうざいりょうはじぶんじしん、なのです」

その薄い胸に手を当てて、スカリエッティを見据える目は真剣そのもの。に見える。

「戦闘機人を知りたいから、戦闘機人になる。と?」

はい。と即答。

「そこまでしなくとも、教えてくれと頼んでみればいいのではないかね?」

言われたあゆは、きょとんと。した振り。

「みずからは なにもどりょくせず、りかいする さいのうもなく、ていきょうできる たいかももたない。
 そんなあいてに、おしえてくださると?」

ふむ。とスカリエッティは腕を組む。

「この からだを【せんとうきじん】にしてもらうのなら、すくなくとも りんしょうれいを ひとつ、どくたーにごていきょう できるのです」

「なるほど、僕にもメリットがあるという訳だ」

ぱちんと右手で額を叩いたスカリエッティは、その勢いのままソファに上半身を預けた。はははと愉快そうに笑いながら天井、いや背後の壁を見上げている。

「ドクターが笑ってる……」

セインとて、スカリエッティが笑ったところを見たことがないわけはないだろう。しかし、こうも無邪気な笑いはどうであったか。

ははははと続いていた笑い声がぴたりと治まると、無脊椎動物めいた仕種でスカリエッティが起き上がる。

「そこまで言うのなら、してあげようではないか。戦闘機人にね」

自分を見下ろしてくるスカリエッティの目に、あゆは狂気と愉悦の渦を見たように感じた。



***



セインに送られてきたあゆは今、地上本部の執務室で1人であった。

あの後、各種検査を受けたのだが、残念なことにあゆには戦闘機人の素体としての適性はなかったのだ。

スカリエッティ曰く「適合する可能性はないとは思っていたよ」である。

以前にクイントから話を聞いていたから、人工臓器を受け容れやすくするために遺伝子レベルから調整を行ったりすることは知っていた。だがそれが必ずしもあゆの身体が人工臓器を受け入れられないということを示すわけではないし、スカリエッティの技術に期待したところもある。

  「今のところ、無調整の素体から戦闘機人化に成功した例は聞かないかな。
   もちろん、僕もね。まだまだだよ」

それに、結果に対する反応を見ることで、スカリエッティと言う人物をより見極められただろう。


「じみちに、つよくなるしか、ないのですね」

あゆが戦闘機人になりたかったのは、ゼスト隊の壊滅から判るとおり、AMF下で相対するには危険すぎる相手だからだ。

将来はやてが入局した時には、戦闘機人の数も増え、質も向上しているだろう。それまでにその能力を分析し、対抗手段を構築しておきたかった。


もうひとつには、純粋に強くなりたかったのだ。

はやては、入局する時には危険な任務の多い部署を希望している。そのほうが早く出世できるし、保護観察処分を短くできるだろう。

ただのデバイスマイスターでは、いざという時にはやてを守れない。魔力ランクC、レアスキルのおかげでかろうじて魔導師ランクがシングルAの自分では、オーバーSランクと目されているはやてを守れるわけがない。

だが、そこに戦闘機人の能力が加わればどうか?特に、AMF下で戦闘機人を相手にするときには。


せっかく「脳改造前に逃げ出せた」なんていう言い訳を考えていたのに、使えなくて残念なあゆである。


ただ、あゆの目論みはそれだけではなかった。

あゆは、戦闘機人のような存在を大々的に運用するのは、かなり巨大な組織だと思っていた。だからその組織の目的や規模によっては人工リンカーコア込みで売り込んで、管理局や聖王教会を滅ぼせないかと企んでいたのだ。はやてに貸しのあるこれらの組織を叩き潰してしまえば、はやては返済を踏み倒すことができる。

だが残念なことに、スカリエッティ一味は予想以上にこじんまりとした組織であった。――セインに運ばれていた時間から、あゆはラボの位置をクラナガン郊外と推測している。たとえスカリエッティが大組織の一部だとしても、その研究開発部門を地上本部のお膝元、聖王教会の目前に置いたりはしないだろう――ならば、戦いは数である。AMFと戦闘機人の組み合わせがいかに魔導師殺しであろうとも、あの規模では管理局は打ち破れまい。


**


「ざんねん。なのです」

「ご期待に添えなくて、申し訳ないね」

戦闘機人になれず――さらには利用できる組織とも巡り会えずに――落ち込むあゆを慰めたのは、意外なことにスカリエッティであった。

なにやら上機嫌な様子で、大きなケースを取り出している。

確かにあゆは戦闘機人の素体としての適性を持たなかったが、その身体データはスカリエッティの興味をそそるに充分だったのだ。

暗殺者として養成するための各種の処置、薬品投与を行われたあゆの体は、その基本理念や方法論こそ違えど一種の戦闘機人である。特に薬品による記憶や感情の操作、統制、固定化は、人間味を排除した戦闘機人を設計中だったスカリエッティのインスピレーションをいたく刺激したらしい。

そして、なによりあゆのレアスキル、魔力支配である。その能力に興味を示したスカリエッティは、「いい物を見せてあげよう。君の身体データへの礼代わり。いや、その解析結果はぜひ僕も聞きたいしね」と赤い角柱様の結晶体を見せてくれたのだ。


「【レリック】。戦闘機人のエネルギー源だよ」

あゆは、一目見てそれがジュエルシードと似たような目的のために作られた代物だと判った。

ざっと見た感じでは、ジュエルシードとは異なる4層構造。その中心部に秘密があるはずと凝視したあゆは、しかし、なにも視えなくて狼狽する。何もないのではなく、何も視えないのだ。

あの蠱毒房最後の日以来あゆとともにあった能力が、消え失せてしまったのだろうか?魔導師ランクシングルAですら、なくなってしまったのだろうか?自分を支える大地ごと見失ったか、あゆが平衡を損なう。

「ちょ、大丈夫?」

支えてくれたのはセインだった。

「……はい。ありがとう。なのです」

抱き起こしてもらったあゆは、周囲に浮かぶ魔力素の光を目にして平静を取り戻す。どうやら、能力を失ったわけではないようだ。

「なにが見えたのかね?」

「はい……」

言えるわけがない。見えなかったなどと。

「あの、どくたー?」

「なんだい?」

単なる時間稼ぎのつもりだった。だが、そのとき目に入ったのはスカリエッティの傍に控えるウーノ。そしてトーレ。

「ひかくしてみたいので、かどうちゅうのものがあれば みせていただきたいのですが」

「ふむ。セイン、動力炉に案内して差し上げなさい」

「はいは~い♪」

ウーノが止める暇もあらばこそ、あゆを抱え上げたセインは飛び板上の高飛込み選手のようにぴょんと跳ねた。

「いっきま~す」

3階層分ほども落ちただろうか?コマ落しの映像を見るように、いくつかの施設と一瞬の闇を繰り返して、目の前に【レリック】。ガラスシリンダーに蔽われ、巨大な装置の一部となっている。

「と~ちゃく~♪
 最下層、動力炉で~す♪
 お降りのお客様は~足元にご注~意ください♪」

セインの腕の中から降りたあゆが、ガラスシリンダーにへばりついた。

やはり、【レリック】の中枢部は見えない。しかし、あゆはまばたきすら忘れて睨みつける。この施設全てをこれ1個で賄っているなら、相当なエネルギーを放出しているはず。きっと何らかの動きを見せるはずだ。


「セイン、部外者をそう易々と重要区画に連れてくるな」

「あ、トーレ姉。だってドクターがそうしろって」

「ドクターはあのとおりのお方だから、我々が気をつけねばならぬのだろうが」

じゃあ。とセインがあゆを指差す。

「引っぺがして、連れて帰る?」

「いや、したいなら監視は許可する。だそうでな。
 お前では心許ないから私も来たのだ」

「ひどいなぁ」




ゴンと、音がした。

「うっわ!……痛くないのかなぁ」

【レリック】の内部に動きがあったのだ。思わず身動ぎしたあゆは、自分がガラスシリンダーにおでこをぶつけたことに気付いてない。

いま、第3層の魔力素が1個、不可視領域の中に消えた。その直後に第2層の各種回路が稼働しだす。ぱちぱちと連鎖して輝きを変えていくその様は、観客席のウェーブのよう。

光の脈動が【レリック】第2層を半周すると、潮が退くように回路が閉じていく。

するとまたひとつ、魔力素が不可視領域の中へと消えた。

「しゅつりょくけいは、どちらですか?」

そっち。とセインが指差した計器の位置を確認したあゆは、自分のおでこが真っ赤になっていることを知らないだろう。

ひとつ、またひとつと魔力素が消える度に、あゆの視線が【レリック】と計器を往復する。間違いない。魔力素が不可視領域に送り込まれるたびにエネルギーが発生している。


「……」

あゆは、それを見たことがない。だが、その存在は聞かされていて、その性質も知っていた。


**


「どうだい?何か判ったかな?」

「はい」

セインは惜しげもなくその能力を発揮して、あゆを元の階層に連れ戻してくれた。謝意を述べて、その腕の中から降りる。

「【れりっく】のなかにあるのは【じげんだんそう】。
 とりだしているのは【きょすうくうかん】の【はんまりょくそ】、なのですね?」

「そのとおり!」

出来のいい生徒を見るような目で、スカリエッティがぽんぽんと手を叩く。

「どうりょくろの【れりっく】は、とりだした【はんまりょくそ】を【まりょくそ】と はんのうさせ、【ついしょうめつ】をおこして えねるぎーにかえている。
 ぐたいてきには【でんきえねるぎー】に かえていたようでしたが?」

「まさしく!
 羨ましい能力だね。こんな短時間でそこまで見抜くとは」

わからないのは。と、あゆは眉根を寄せた。

「どうりょくろの【れりっく】は、その ないほうするかいろの1わりもつかってないようでした。
 せいんさんたちの のうりょくや えねるぎーも【れりっく】にゆらいするとしても、まだまだ みかどうぶぶんがあるでしょう」

ふむふむ。とスカリエッティは愉しそうだ。「それはつまり」と水まで向けてくる。

「【はんまりょくそ】をもちいた あらゆるぎじゅつを、ただひとつで じつげんする。
 それが【れりっく】なのでは?」

「すばらしい!
 いやいや、確かに凄い能力だが、そこからここまで洞察する。
 なかなかの研究者振りじゃないか」

あゆは敢えて口にしなかった。おそらく【レリック】は反魔力素を用いた反魔法をこの次元世界上で実現しうる能力を所持しているだろうことを。それらを一部なりと実用化したのが、戦闘機人たちのISであろうと。

それに、対消滅でエネルギーを得られるということは、そのエネルギーから魔力素を生成することも可能であることを指し示している。つまり、それを操って通常の魔法をも使い得るということだ。人工リンカーコアとは別のアプローチで、一般人を魔導師にすることができるかもしれない。

そして、虚数空間に繋がった【レリック】は非常に危険な存在で、間違って反魔力素を1個洩らすだけで大惨事になるだろうことを。

それらは、スカリエッティが知っているか、知らせるべきでないか、言うまでもないか、のいずれかに該当するだろう。いずれにせよ、口にする価値はない。

「出来るなら君に【レリック】を預けて、僕の代わりに研究してもらいたいよ。
 時間が取れなくてね。そこまでは手が回らないんだ」

あゆはその提案をやんわりと辞退した。確かに魅力的な提案だが、罠の可能性が高すぎる。欲を見せたとたんにトーレにばっさり斬られかねない。

それに、次元断層を維持し続ける【レリック】は危険すぎる。虚数空間と繋がっているということは、この次元世界に充満する魔力素と等量の反魔力素が流れ込んでくる可能性だってあろう。すなわち、この次元世界そのものが対消滅で消え去ってしまいかねない。

さすがにそんなものを、おいそれと手元に置いておきたくなかった。


「残念だが仕方ない。
 でも、ときおり君の意見やその能力の力は借りたいかな。
 どうだろう、お互いへの連絡手段を維持しておくのは?」

「こうえいです。どくたー」

あゆとしても、願ったりだ。研究者としてのスカリエッティには一目置いているし、動向をつかめれば対策も立てやすくなる。

教えてもらったのは、戦闘機人への念話の方法であった。各人の専用回線への、発信専用のみ。スクランブルコード付きだ。「受信用は教えられないよ」とスカリエッティ。

スカリエッティ側から連絡をとる場合は、セインでも寄越すつもりなのだろう。


**


そうして早速セインに送ってもらって今、本部の執務室であった。

あゆは端末を開き、猛烈な勢いでタイピングしている。スカリエッティのラボで見た【レリック】。なかでも不可視領域間際の魔力素の構成を、忘れないうちにできるだけ。

次元断層を保持し虚数空間すら押し込めるあの第3層の組成を調べれば、人工リンカーコアの研究は飛躍的に進むだろう。

さらには戦闘機人対策、AMF対策である。根本的な対策は難しいから対症療法的にならざるをえないが、しないわけにはいくまい。

もっと時間が、なにより開発力が欲しい。と切に思うあゆであった。




****




八神宅2階の奥、通称 転送部屋に帰ってきたあゆを待ち構えていたのは、はやてである。

「おねぇちゃん?」

はやてのリハビリは進んでいた。今も両手用の木製の松葉杖ではなく、片手用のアルミ製の松葉杖を突いている。

「いま何時やと思ぉとん?」

「えぇ……と」

見渡すが、この部屋に時計はない。カーテンの隙間から差し込むのは、街燈の明かりのみ。

「夏休みで素行を悪ぅして不良になる言うんは、ホンマの話なんやな」

あぶなげなく松葉杖に体重を預けながら、はやてが一歩二歩。

「小学2年生で午前様やなんて、悪いコぉや」

あゆの目前まで来たはやてが、こつんとあゆのひたいを小突いた。

……

痛かったわけではない。

叱られて悲しかったわけでも、ましてや怖いなんてありえない。

けれど、はやての顔を見てから湧き上がりだしたものがあふれて仕方ないのだ。

「ちょ、あゆ」

とまどうはやてに抱きつき、あゆは嗚咽を噛み殺した。


今日あゆは、違法な戦闘機人を作っている犯罪者の研究室に単身で乗り込んだのだ。クイントを圧倒するほどの実力者を含め、戦闘機人4体のただなかに、丸腰で。

怖くなどなかった。むしろ愉しかったといっていい。とっさの判断で飛び込んだことそのものは、後悔していない。


けれど、もしかしたら二度とはやてに会えなかったかもしれないのだ。今、ようやくそのことを実感した。




一方、はやては困惑である。

なぜこの子は人が叱ろうとすると、逆に慰めなくてはならないのだろうか?と。しかし、その頭をなでる手は優しい。

判別不能な嗚咽から辛抱強く「ごめんなさい」を掬い上げ、「もうええ、ええんやで」と目を眇めるはやてであった。



[14611] #67-5 管理局は危険がいっぱいなの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:36

――【 新暦67年/地球暦9月 】――



半ば解体された戦闘機械たちが、所狭しとひしめいていた。ゼスト隊が戦闘機人プラントを強制捜査したときに押収された、カプセル型と多脚型の戦闘機械たちである。

あゆが訪れているのは、地上本部の研究施設。廊下から、高密度ガラス越しでの見学だ。ガラスの位置が高くて、あゆの背丈では見えづらくて困る。

「ありがとう、なのです」

「どういたしまして」

魔法も使用禁止なのでぴょんぴょん跳びはねながら見ていたら、付き添いの――監視とも言う――武装局員が抱きあげてくれたのだ。

せめて取っ掛かりがあれば、懸垂の要領で覗いたのだが。


これだけ沢山あるのだから、1体くらい本局に回してくれれば面倒がないのにと、あゆは嘆息する。本局所属のあゆが地上本部で何かしようとすると、なにかと手続が大変なのだ。

これで、もしレジアスが便宜を図ってくれてなかったらと思うと、溜息の数が増えるあゆであった。


進んだ先の一室で、カプセル型の戦闘機械が浮遊していた。なんでもあれはイオノクラフトだそうで、魔法ではないらしい。魔法だけでもとんでもないのに、このうえ科学技術すら地球のはるか先を行っていると知って、そこはかとない無力感を覚えたあゆである。


目の前で、戦闘機械が展開するAMFに対して、射撃魔法が打ち込まれだした。見学の許可が下りたとき、この実験のある日を選ばせて貰ったのだ。

「ああ、なるほど。なのです」

あゆの目には、AMFの表面で、その構成魔力素を切り刻まれていく魔法弾の状態が良く見えた。AMFは一種の魔法力場で、その範囲内での特定種類以外の魔力結合を許さない。方法は若干違うが、それはあゆのレアスキルによる防御効果によく似ている。

AMFがあくまで魔法であるならば、あゆならそのレアスキルによって阻害できるだろう。もっとも、その強度はAAAランクの魔法に相当するそうで、あゆではその濃度を何割か減衰させるのが関の山だろうが。

ともかくも、射撃魔法がAMFに及ぼす効果、AMFによって魔法弾が切り刻まれていく様子を見逃すまいと高密度ガラスにかぶりつくあゆであった。




****

――【 新暦67年/地球暦10月 】――



『お役に立てなくて、ごめんなさいね』

「いいえ。こちらこそ、もうしわけありませんでした」

閉じた空間モニター。通信の相手は、直接の上司にあたるレティ・ロウラン提督であった。

以前却下された【レリック】に関する資料の閲覧許可を、ダメモトで再度申請してもらっていたのだ。

結果はご覧のとおり、である。

2回目とあって、今度は直々に最高評議会とやらから通告されたらしい。ロウラン提督には悪いことをしたと、あゆは心の中で頭を下げた。


「……」

危険な代物だからと言う理由で却下された閲覧申請をいま一度行ったのには、わけがある。

【思考捜査】というレアスキルとその行使者の存在を、つい最近あゆが知ったからだ。

戦闘機人たちの取調べがまったく捗ってないことに、あゆはそこはかとない違和感を覚えていた。戦闘機人とて人であるのだ。吐かせる手段などいくらでも――魔法も科学も発達したミッドチルダなら特に――あるだろうに、日がな行われているのは悠長にも口頭の尋問だけらしい。そこへ持ってきて、件のレアスキルである。本気で尋問する気があるのなら、とっくに招聘されてしかるべきだろう。

そこであゆが思い至ったのが、管理局とスカリエッティ一味がグルではないか?ということである。例えば、テロを自演して軍備を増強する国家のように、対応困難な犯罪を印象付けることで管理局の存在意義を維持しようとしているのではないかと考えたのだ。

そうして、管理局、スカリエッティ、戦闘機人などと関連する事柄を並べていって、思い当たったのが【レリック】である。

その資料の閲覧許可が下りないのは、本当にそれが危険だからだけだろうかと、あゆは疑ってしまったのだ。ユーノ曰く「探せばどんなことでもちゃんと出てくる」無限書庫の資料で【レリック】を調べたら、知ってはならないことが出てきたりするからではないだろうか?例えば、スカリエッティの名前とか。

ならば、この件について管理局の相当上の部分が関わっているはずとして、あゆは再度申請してみたのである。前回は、いったい誰が却下したのか、などということを気にしてなかったのだ。

「さいこうひょうぎかい。なのですか」

管理局のトップである。予測できなかったわけではないが、流石に気が重い。

あゆは、つい勢いで一線を越えてしまっている。強くなりたい一心で、スカリエッティと接触してしまった。上手く渡り歩かないと、童話のコウモリのごとく身の破滅を招くだろう。

スカリエッティのラボに乗り込んでいったことを、あゆは後悔していない。けれど、自分で自分の体を抱きしめながら少し、反省するのであった。




****

――【 新暦67年/地球暦12月 】――




シャマルと一緒に帰ろうと、医務局に向かう途中である。

「あ、あゆちゃん。丁度いいところに」

「まりえるさん」

特殊遮蔽区画のゲートで行き合わせたのは、特遮二課の管掌責任者でもあるマリエル・アテンザ第四技術部主任であった。

「マリーって呼んでって言ってるじゃない」

「じょうしを あいしょうでよぶのは、どうかとおもうのですが」

レジアスは呼び捨てにしていたくせに、ヘンなところでお堅いあゆである。

ふぅん?と、その丸縁メガネを持ち上げたマリエルが、指先に魔法陣を展開して見せた。

「どうやら、あゆちゃんは、このデータが要らないみたいね」

行政上の上司がレティ・ロウランなら、業務上の上司は管掌役たるマリエルになる。そのため、あゆの権限では閲覧申請できない情報などは、一旦彼女の下に届くのだ。

「せっかく集めたデバイス関係の資料、あゆちゃんに届けに行く最中だったのになぁ」

つーぃ。と指先を高く掲げられると、あまり背の高くないマリエル相手とはいえ、あゆでは手が届かない。

「あゆちゃんはどうするのかな~?盗れるもんなら力づくでもいいのよぅ」

思わず、膝の裏を刈るとか、襟元掴むとか、目の前のみぞおちを打つといった、剣呑な方法を指折り数えそうになったあゆである。だがしかし、ここは子供らしく振舞うのが吉であろう。マリエルは、あゆの来歴を知らないのだし。

「ください、ください。
 でーた、くださいなのです」

ぴょんぴょんと跳ねて、その指先に跳びつこうとして見せた。一所懸命に跳ねてるように見せて、実際はほとんど跳ばないのがコツである。まさかあゆも、学校生活がこんなところで役に立つとは思わなかっただろう。おかげで子供らしい振る舞いの、参考例に困らない。

「おねがいです。
 まりぃさん。でーた、ください。なのです」

おやおやと、なんだかマリエルは残念そう。しかし魔法陣は下ろしてくれる。

「ありがとう、なのです」

魔法陣にS2Uで触れると、あっという間に複写を終えてその宝玉を明滅させた。

にっこりと、笑顔。

「それでは、しつれいします」

「はい、お疲れさまでした」

とことこと駆けていくあゆを、マリエルは見えなくなるまで見送る。


「かわいいなぁ、もう」

どうやら、あゆの跳びはねているさまを、もう少し愛でていたかったらしい。


**


「びぃーたおねぇちゃん」

本局航空隊は、航空武装隊と違って、必要に応じて派兵される航空魔導師の部隊である。

ヴィータの所属する第1321部隊は、出動がなければ本局待機であるから、本局で会ってもおかしくはない。

医務局でなければ、と但し書きをつければだが。

「おう、あゆか」

至るところに包帯を巻いたヴィータが、椅子に腰かけて足をぶらぶらとさせていた。今まさに、シャマルによる治癒魔法を受けている最中だ。

見かけに反して、意外に元気そうではある。

「なにごと、なのですか」

「ああ、それなんだけどな」

ヴィータの説明を要約すると、演習からの帰投中に襲撃を受けたらしい。あゆが気にかかったのは、その襲撃者である。

「はものをそうびした、せんとうきかい。なのですか?」

「ああ、こんなやつ」と見せてくれたのは、グラーフアイゼンに記録させていたらしい映像だ。あゆもシャマルも所属が違うので、本来なら服務規程違反だろう。あゆは気にしないし、シャマルは見て見ぬ振りをする。

「1年くれぇ前から時々魔導師が襲われてたみてぇなんだが、こんなに大規模な襲撃は初めてらしいな」

映像に映るのは、できそこないのキュウリにカマめいた手足を付けた戦闘機械。あゆの予想通り、ゼスト隊が戦った仮称アンノウンであった。

気になるのは、地上本部で付けられている仮称を、ヴィータが知らないらしいことだ。以前、戦闘機人プラント捜査の報告書を見せてもらったときに閲覧のみで持ち出し許可が出なかったのは、あゆが嘱託であるからだと思っていたが、こんな基本的な情報でさえ行き渡ってないとすると他に理由があるのかもしれない。

「わんさか出て来やがってよ。
 こいつがなかったら危なかったかもな」

ヴィータが取り出したのは、人工リンカーコアである。ジュエルシードから作り出したヤツだ。

「貰った時はヴォルケンリッターに、んなモン要らねぇと思ってたけど。
 考えてみれば、カートリッジシステムと同じだもんな。
 いざって言う時に頼りになったぜ、あんがとな」

「いえ、
 つかいこなした けっかなのですから、それは びぃーたおねぇちゃんのじつりょくなのです」

ジュエルシードから人工リンカーコアを作ることを提案し、それを皆に配ろうと言い出したのはあゆであった。ヴィータの言うとおり、ヴォルケンリッターはあまり乗り気ではなかったのだ。だが、この人工リンカーコアは魔力ランクにしてシングルA相当の魔力素収集、魔力蓄積能力を有する。しかも、その魔力を使ってもほとんど疲労しないし、体への負担もない。

「おににかなぼう、でしょうか?」と、あゆは、習ったばかりのことわざを思い出す。「でも、びぃーたおねぇちゃんには もう【ぐらーふあいぜん】がいますから、とらにつばさ、なのです」と、自己完結。

10個作られた人工リンカーコアのうち、6個をヴォルケンリッターとリィンフォースとあゆが、しばらく使う予定のない3個がゼスト隊に貸し出されている。残り1個は、闇の書葬送時のお礼代わりにプレシアに贈っていた。

管理局に知られると自分の値打ちが下がるので、クロノやリンディには渡さなかったことを、あゆは今では後悔している。

「それじゃあ、交換しておきましょうか」

「あっ、あんがと」

シャマルが、その懐から取り出した人工リンカーコアとヴィータのそれとを取り替えた。一度使い切ると回復するまで数日かかるから、こうしてバックアップ陣のそれと交換してしまうのだ。尤も、そう取り決めていただけで、実際に行ったのはこれが初めてであるが。

「しかし、持つべきは優秀なバックアップだよな。
 今回の編成でついてた医療班のヤツら、つっかえなくてさぁ、シャマルのありがたみを思い知らされたぜ」

「あらあら」

ヴィータがかなぐり捨てた包帯を、シャマルがせっせと回収している。あとは棄てるだけだろうに、きちんと丸めてしまうのが彼女らしさか。

さて。と椅子を降りたヴィータが、指の関節を鳴らしながらあゆに詰め寄ってくる。

「ところで、あゆ。
 だれが鬼だって?」

「あれ?わたし、くちにだしてましたか」

ええ。と、これはシャマル。

「アイゼン、お前ぇは金棒だってよ」

 ≪ Widerwille ≫ 

ヴォルケンリッターから古代ベルカ魔法も習っているあゆは、もちろん古代ベルカ語を理解できる。その口調からして「不本意です」と言ったところか。

「びぃーたおねぇちゃんは【くれないのてっき】ですから さしずめ、あかおにさん でしょうか?」

思わずヴィータから視線を逸らしたのはシャマルである。

しかし、あゆの口調には特に含みも、悪意もなかった。むしろ、素敵なことだと言わんばかりに、にっこり。

実は先日、授業の一環として【泣いた赤鬼】というお話を読んだのだ。故にあゆにとって赤鬼とは、力が強くて優しい者であった。

だが、不運なことに、ヴィータはその童話を読んだことがない。あゆの笑顔も、正反対の意味に見えたであろう。

「そうかいそうかい、調子を見たいんで模擬戦しときたかったんだが、お前ぇが相手してくれるってんだな。
 姉貴思いの妹をもって、あたいは幸せものだよ」

ゑ?と目を白黒させるあゆを引っ立てて、ヴィータが医務局を後にする。

ヴィータは、AAA+ランクの空戦魔導師だ。しかも、なんだかやる気満々で、手加減してくれそうな雰囲気がない。

「……あの、びぃーたおねぇちゃん?」

対して、必要がないからランク認定を受けていないが、あゆは陸戦シングルAランクあたりと見られている。

勝負になるはずもない。

「えっと、……あれ?」


学校で習ったばかりの【ドナドナ】を歌いたくなるのは、こんな時かと、引き摺られていきながらあゆは思うのであった。



[14611] #67-5.5[IF]それは不可思議な出会いなの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:16f457bb
Date: 2010/06/24 12:35
――【 新暦67年/地球暦12月 】――




入る時には、指紋・掌紋・声紋・静脈認証・網膜照合・耳形判定・魔力計測・各種電磁波による透過解析、ID・パスワードなどと手続きのややこしい区画なのに、出る時は何のチェックもない。

もっとも、たとえ在ったところで、彼女の能力を以ってすれば入る時同様、息をするより簡単に騙しおおせてしまえるのだが。

それでも、あんな醜い連中と同じ空間から出られたという開放感でか、嘆息めいた深呼吸をひとつ、こぼした。

「……」

そんな管理局員姿のお姉さんを見つめていた瞳が、一対。


は!と気づいたドゥーエが見下ろす先に、幼児。

「何でこんなところに子供が」と内心動揺するドゥーエではあるが、そのISはまるで心や性格まで偽れるのだと云わんばかりに笑顔でしゃがみこんだ。

「お譲ちゃん、どうしたの?
 迷子さんかしら?」

「……」

地上本部には託児施設もあるし、事実、幼児はそこのスモックを着ていた。
ゆえに子供が居ることそのものは、ありえない話ではない。この区画周辺は知る人ぞ知る極秘の領域で、おいそれとは辿り着けないことを除いては、であるが。

だからドゥーエは、気を抜いてない。差し出した右手にピアッシングネイルを展開すれば、それだけで小さな心臓を串刺しにできるだろう。

「……」

しかしながら幼児が指差したのは床で、そこにはアリに良く似た昆虫――3対6肢の外骨格生物門というだけで、もちろん別物である――が1匹、宛てどなくさまよっていたのだ。

「……もしかして、これを追いかけてきたの?」

こくん。と頷いた幼児は、昆虫を追いかけてさらに奥へと進もうとする。

「ちょっと待って!そっちはダメ!」

慌てるあまりか語気が荒い。もしや、これが彼女本来の口調だろうか?

「怖いオジサンがいっぱいなんだから!」

思わず抱きしめるように引き止めたドゥーエを見上げる、悲しそうな瞳。

「……」

「……あ、うぅ……」

無言の圧力に視線を天井に逃がしたドゥーエだが、かくんと落ちるように溜息をついた。

「……あのコも一緒なら、いいでしょ?」

「……」

なにやら色々と懊悩して見せた幼児は、しかし自分を抱きとめる綺麗なお姉さんを見上げてなにやら決心したらしい。こくりと小さく頷く。

「いい?内緒だからね?誰にも言わないのよ?」と幼児に念を押したドゥーエが指先を床につけるやいなや、それまで迷走していた昆虫が触角を震わせ寄って来る。

ドゥーエが行使するライアーズ・マスクは、いかなる身体的特徴でも偽装し、あらゆる身体検査を欺くISだ。

当然、体臭を調香することも可能で、その延長線上でこうしてフェロモンを作り出し、限定的ながら昆虫などを操ることができた。

何が役に立つか判らないからと、スカリエッティのライブラリからそうしたデータまでもインストールしてくれた姉に感謝しながら、指先に這い登ってきた昆虫を肩の上に移す。

「……」

これでよし。と内心で自らの上首尾を褒めたドゥーエが、腕の中の幼児の熱い視線に気付いたのはその直後である。

「……」

お天道様の下を歩けないような役割を担ってきた戦闘機人にとって、無垢でまっすぐな憧憬の眼差しはあまりに眩しすぎた。

「……ぅう」

気恥ずかしさと、なにやら説明できない情動で頬を赫らめたドゥーエが呻く。クアットロ曰く「敵には等しく残酷だが、スカリエッティや姉妹達には優しい人格」と評されるドゥーエの、敵でも味方でもない者へ見せる一面が現れているのかもしれない。

つい目を逸らしながら、しかし、今更ここで放り出すわけにも行かず。ドゥーエは幼児を抱きかかえて立ち上がる。

お姉さんはねぇ。と現在の偽名を名乗ったドゥーエが「お譲ちゃん、お名前言えるかなぁ?」と踵を返す。

「……うぅてしあ」

「ルーテシアちゃんね。保育園から抜け出してきたの?」

舌足らずの発音を、体越しに直接検知した振動とライブラリの検索結果から訂正して、ドゥーエが通路を後にする。

生命の息吹など存在しない区画。カツコツと鳴ったヒールの音が無機的に、いつまでも残されていた。


**


「ルーテシアが、また居なくなった」との報を受けたメガーヌが、予想通りの結果に嘆息したのは、その2時間後である。

八方手を尽くして探している最中に、案の定「帰ってきた」と連絡が入ったのだ。

ゼストが不在の今――来月には復帰できる見通しだが――、分隊長であるメガーヌの職責は重い。そのぶんルーテシアとの時間を作れずに、寂しい思いをさせていることは解かっていた。頻繁に託児施設を抜け出すのは、それが理由だろう。


想定外だったのは、女性局員に送り届けられたらしいルーテシアが新たに何種類かの昆虫を従え、口には大きな――柄付きの――キャンディを咥えていたことくらいか。

いったい誰が送ってくれたのか、誰にキャンディを貰ったのかと問いただすのだが、まったく口を割ろうとしない。

この頑固さはいったい誰に似たのだろうかと再び嘆息したメガーヌが、せめて託児施設を抜け出したことを叱ろうとしたその時だ。左手首に巻いたブレスレット――宝玉と、昆虫の翅を思わせる透明なプレートをあしらったそれは、待機状態のアスクレピオスである――が非常召集のアラームを鳴らしたのは。


**


さて、一方その頃。

くちゅん。と意外にも可愛らしいくしゃみをしたのは、ゼスト隊が緊急出動することになった事件の原因となる情報をウーノに送信したばかりの【姿偽る諜報者】である。「風邪かしら」などと戦闘機人らしからぬ言葉を漏らしつつ取り出したのは、これまた似つかわしくないフリルのハンカチ。本物のレース編みだ。


しかし、よもやこの出会いが縁で将来自分がアルピーノ家に引き取られることになるなどと、プロフェーティン・シュリフテンを持ち合わせてないドゥーエに判るはずもなかった。





                                  おわり



special thanks to HALさま。「ナンバーズが偵察に来てハートフル」とのお題でリクエストを戴きました。

偵察ということだったので、当初セイン一択でシチュエーションを考えていたのですが、地球や本局特殊遮蔽内はセインといえど無理があるし、地上本部ならドゥーエで済む。と言うことで、原作でほとんど言及されてないのをいいことに次女の性格とIS、それにアスクレピオスの待機状態などを捏造してみました。

IF話である「#79-1 集結」を前提にしているので、これもIF扱いです。



[14611] #68-1 バレンタイン・デイ
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/06/24 12:17

――【 新暦68年/地球暦1月 】――




「こちらが、だい6せだいです」

「うむ」

あゆの向かいに座っているのは、ゼストである。チンクとの戦いで失った右目を眼帯で隠しているが、その威風にいささかの衰えもない。


ゼストが意識を取り戻したのは、昨年の九月のこと。作戦から1週間ほどである。

治療とリハビリを続け、退院したのが先月の話。しばらく訓練に明け暮れていたが、先日模擬戦でシグナムを下したのを期に戦線復帰した。来援への礼を述べにレジアスが航空武装隊第1039部隊の隊舎を訪れた時から、この2人のもののふには交流があったらしい。


「おそくなりまして、もうしわけないのです」

「いや、俺はほとんど第5世代を使ってない。
 謝るのはこちらのほうだ」

すまんな。と頭を下げるゼストにあゆが慌てていると、ほうぼうから「第5世代は良かった」「充分実用に耐える」と声が上がる。ゼスト隊の面々だ。なかには、新規補充された隊員の姿まで。

「だそうだ」

「ありがとう、なのです」

あゆが頭を下げると、めいめい仕事なり作業なりに戻っていく。

「皆、感謝しているようだ」

左目だけの視線で隊員たちを見やっていたゼストが、あゆに向き直る。その右目も治療するなり代替手段なりいくらでもあるはずだが、あえて残しているのだとか。

「もちろん、俺もな」

ゼストがその親指で指し示したのは、己の胸元。

「つけて くださっているのですね」

「ああ、護ってもらったことへの感謝と、未熟な己への戒めだ」

あゆの視線は、ゼストが指し示して見せたブローチに。ゼスト隊のエンブレムを模した七宝焼きは、その中心に割れ砕けた第4世代が嵌め込まれている。あゆの手作りだ。

「作戦参加章きどりで着けている奴も居るようだが」とゼストが視線を巡らせると、こそこそと隠れるのやら、「そんなことはありません」と反論するのやらが。

割れ砕けたことを利用して人数分以上に作ったので、家族や恋人に渡した者もいるだろう。クイントも、メガーヌもそうしたと聞いている。

「あゆちゃん、そろそろ時間よ」

詰め所の戸口に顔を出したのは、メガーヌであった。

「はい、なのです。
 それでは、ぜすとたいちょう。しつれいします」

「うむ」



***



捕らえた戦闘機人たちの取調べは、捗ってないらしい。

相変わらず黙秘を貫き、反抗的だそうだ。

さもありなん。と、あゆは思う。

局の中には解体してしまえという声もあるようだが、これはレジアスがとどめているらしい。かといって、罪状認否も出来ない、協力的でもない相手を必要以上には庇えなくて、依然本部での拘置が続いていた。

戦闘機人に人権があるのか、抑留期間などの法的根拠は何かということに、あゆは興味がない。


あゆの目の前には、3重のケージと2重のバインドを施された戦闘機人の姿があった。仮称フォース。本名がクアットロであると、あゆは知っているが。

あゆとメガーヌ――および、その召喚虫――が見守る中で本部局員の尋問が進められるが、クアットロは応えない。

『こんにちは、なのです。くあっとろさん』

驚いた様子のクアットロは、しかし瞬時に平静を取り戻している。

『もうしわけないのですが、わたしは じゅしんができないのです。
 ごりかいいただけたら、まばたきを2かい、おねがいするのです』

クアットロの反応を確認して、あゆは続ける。

『どくたーからの でんごん、なのです。
 「かならず、たすけだしてあげるよ。それまで、そのおちびさんと くちうらをあわせて、じかんをかせいでおくれ」なのです』

クアットロが2回瞬きをするのと、早くも本日の尋問をあきらめた本部局員があゆを呼ぶのがほぼ同時であった。

前々から申請していた戦闘機人への面会を、――メガーヌと同様に監視役を兼ねることで――ようやく許可されたのだ。

もっとも、許可の出所がなんだか不透明で、あゆは一抹の不安を拭いきれないのだが。


「こんにちは、なのです」

ちょこんと、おじぎ。

「あ~ら、おちびちゃん。
 お姉さんに何か御用事?」

喋った!と驚いたのは尋問していた本部局員である。慌てて端末を開いている。

「はい。
 わたしは、ほんきょくしょくたくの やがみあゆです」

「あらあら、きちんと名乗って貰ったのって初めてかも~。
 私はクアットロよ」

よろしく、なのです。と頭を下げるあゆを、クアットロが見下ろす格好になる。まあ、たとえ拘束されてなくても頭を下げるようには見えない。とは、はたから見ていたメガーヌの感想であった。

「それでぇ、おちびちゃんの御用事は~?」

『「くあっとろさん」と「おねえさん」では、どちらが こうかんどをひきだせることに なりますか?
 ぜんしゃなら1かい、こうしゃなら2かいで』

「はい。おねえさんたちは【あんち まぎりんく ふぃーるど】のなかでも まほうをつかえるそうなので、そのひけつを おしえてもらいにきました」

「あらあら~、そ~んな重大な秘密、お姉さんが話すと思ってるの?」

『どくたーから、ぎじゅつこーど06985014までは おききしているのです。あとは、くあっとろさんの さいりょうにまかせるとも』

「だめですか?」

「そうねぇ、お姉さん今日はご機嫌だから、ぽろっと口が滑っちゃうかも~」

あゆが戦闘機人への面会を申し出たのは、スカリエッティからの伝言を言付かったからだけではない。

もともと話してみたいとは思っていたし、見返りとしてクアットロから聞き出すことが出来たならどんな情報も好きにしていいと言質を貰っていた。なにより、こうも進展がない以上、管理局上層部に本気で戦闘機人たちの尋問をする気はないだろうと見切ってしまったのだ。

こうして尋問に協力して見せれば地上本部側の情報も手に入りやすくなるし、もちろんスカリエッティ側の動向も読みやすくなるだろう。

結局この日クアットロから聞き出せたのは、ISがインヒューレントスキルの略であるということだけであったが、「これからなのです」とあゆは満足げであった。




****




第6世代試作品の開発に4ヶ月以上かかったのは、レリックの構造を知ったあゆが大幅なアーキテクチュア変更をかけたからである。

だが、それだけではない。

「りぃんねぇさま、おつかれさまなのです」

「いや、疲労はない」

各種検査装置が組み込まれた走査台から降りたのは、リィンフォースである。

より早い研究、より強力な開発を志したあゆが求めたのが、自らの分身とでも呼べる存在の作成であった。あるじを補佐し時には一心同体となる、融合騎だ。

 ……あゆの魔力量では、使い魔は維持できない。

あわせて開発用のデバイスも作成し、その管制人格にする予定である。

見本とする【蒼天の魔導書】作成時のデータはシャマルが保管していたし、融合騎にはリィンフォースというモデルが居るから、作成にそれほどの困難はないだろう。聖王教会の伝手で、ベルカの技術についてもいくらか提供してもらえそうだ。


ただ、問題は資金である。

あゆの個人的なデバイスであり融合騎であるから、どこからも予算が出ない。ロウランに相談して、局員がデバイスを作成する場合の助成金を申請してもらったが、総予算からするとスズメの涙であった。

リンディに掛け合ってこれまでの給料を使わせてもらうことにしたし、戦闘機人の尋問に招聘された関係で手当てが増えているが、それでも足りない。

困っていたところに、昨年本局から打診があった。試作品でいいから人工リンカーコアを供給できないか?と。近年アンノウンの出没が増えていて、局員の損耗が激しいらしい。

そこであゆは、増産のためにデバイスを作成したい旨を伝えた。ただし、あくまで個人用として。

これに対し本局は、一応の完成品と評価できる第5世代試作品の提出を要求。その功績を以って報奨金を支払う事を決定した。その金で勝手に作れということだろう。

そうして先日ゼスト隊に第6世代を渡し、回収した第5世代を本局に提出してきたのであった。

「おおくりしますね」

「遮蔽の外までで構わない」

特殊遮蔽区画は、出るのも入るのも検査がある。ゲストのリィンフォースは、1人では出ることもできないのだ。

「あら、せっかくですから少しお茶にしましょう」

コンソールを閉じて立ち上がったのは、リィンフォースの検査のために手伝ってくれていたシャマルである。時計を見ればなるほど、休憩にはちょうどいい頃合か。

「まちまで、でますか?」

次元空間にある本局は、小さな都市並みの規模がある。歓楽街も、区画ひとつをまるまる使っているのだ。

「ええ、この間ケーキのおいしいお店を見つけたの」

「たのしみです」


あと、あゆが欲しいのは、時間である。

去年のクリスマスに「研究時間が欲しいので学校を辞めたい」と言ってみたのだが、即座に却下されたのだ。

はやてとリンディをどう説得しようか、悩むあゆであった。




****

――【 新暦68年/地球暦2月 】――



そういえば。と切り出したのはあゆである。

「きょうは、くらすの だんしのようすが おかしくなかったですか」

はぁ……。と溜息で返したのはアリシア。

下校途中であった。

「あのね、あゆちゃん。きょうはバレンタインだよ」

「それは ぞんじてますが、それと どんなかんけいが?」

知ってたのか。と、むしろアリシアの溜息は深い。

もっともあゆにとっては、八神家内でザフィーラがもてはやされる日くらいの認識である。はやてが「身内か、身内同然か、身内にしたい男性にチョコを送る日」と説明していたので、ザフィーラ、クロノ、ユーノ、ゲンヤ、レジアス、ゼスト隊男性陣には用意してあった。

「男子たち、だれがあゆちゃんからチョコをもらえるかで、すごかったのに」

「ちょこをもってくるのは、きんしされてませんでしたか?」

1週間ほど前の帰りの会で、担当教諭がそう言っていたはずだ。

「それでも、もってくる子はもってきてたよ」

「ほしいなら、ちょこくらい いくらでもあげますけど」

クラスメイトも一応身内か。などと内心で拡大解釈を済ませるあゆである。

それに、だいたいにおいてはやては甘い姉だ。お小遣いも小学2年生としては多い方だろう。肝心のあゆのほうに、日本円を使う宛てがほとんどないが。

「チョコそのものが ほしいわけじゃないよ。あゆちゃんから わたされたいんだよ」

そこまで言われて、ようやくピンと来るあゆであった。ただし、将来的に味方に引き入れて戦力にしたい男性――身内という言葉の定義に、なにやら根本的な情報錯誤が見受けられるようだ――など、クラスはおろか学校内にも居ないのだが。

「なぜ、わたしなのです?」

「あゆちゃん、めんどうみがいいから、けっこうにんきなんだよ」

そう言われると、あゆとしては心外である。

情けは人の為ならずであるから、出来る範囲でクラスメイトの手伝いなどをしているだけだ。運動は得意な方だから逆上がりの出来ない子にコツを教えてあげたり、魔導師に計算力は必須だから2桁のかけ算の秘訣を教えてあげたりはしたが。

あゆにしてみれば、放課後や休日の付き合いが悪くなる分を補えればと考えての、実に打算的な行動であったのだ。

「そういう ありしあちゃんも、ちょこをあげていたようには みうけられませんでしたが」

「お姉ちゃんいがいに、あげる気なんてないもの」

あゆの嘘を真に受けているアリシアは、ものすごいお姉ちゃんっ子になっていた。「理想の相手はお姉ちゃん」と公言してはばからないから、脈ナシと諦めている男子は多い。それに、思ったことをストレートに遠慮なく言うので、一部男子などからは煙たがられている。そうでなければ、低学年男子の人気を独占していたであろう。

ちなみに、目立たない――ようにしている――あゆはクラスの男子以外に認知されていないので、選外である。

「あゆちゃん、はっぽうびじんだから、ぎりチョコくらいはあげるかと思ってたのに」

「しっけいな。
 そとづらがいいと いってください」

変わんないよ、それ。と溜息をつくアリシアだが「ところで、ぎりちょこってなんですか」と問われて、「あゆちゃんらしい」と、くすくすと笑い出す。

「ぎりチョコっていうのはね」とアリシアは、中元や歳暮になぞらえて説明しだす。この、地球に来て2年にならない少女は、あっという間にこの地の常識を身につけてしまい、こうしてあゆに教えているのだ。


実は、この2人が一緒に下校するのは珍しい。

あゆは授業が終わるなり飛ぶようにして下校してしまうし、アリシアは人付き合いがいいのでクラスメイトと遊ぶなり遊びにいくなりするからだ。

今日はプレシアが定期検診でクラナガンまで出向くので、付き添うためにアリシアも早く下校していた。

そうでなければ、これまでの会話も授業中などに念話で済まされていただろう。クラスやクラスメイトの情報などは――基本的にはアリシアから一方的に――そうして遣り取りしているのだ。


「ふむ、ちゅうりつせいりょくを てなずけておくために、しきんえんじょや【おーでぃーえー】を おこなうようなものですね。
 らいねんどよさんに くみいれるべきか、けんとうしてみるのです」

「なに言ってるかよくわからないけど、わるだくみしているようにしか聞こえないのは気のせいじゃないよね?」

「しっけいな。
 りっぱな がいこうせんじゅつ なのです」との抗弁は、受け入れられなかったようだ。



[14611] #68-1.5 泣いた赤鬼、ふたたびなの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/24 10:52

――【 新暦68年/地球暦2月 】――



「おには~、そと。なのです」

「こら!あゆ。手加減してんじゃねぇぞ!」

赤鬼が怒っている。

節分豆のおまけに付いてくる厚紙のお面をあみだに被っただけだが、心は立派に赤鬼の、紅の鉄騎であった。

「思いっきりやんねぇと、鬼やらいの意味がねぇだろうが」

そう言われても、困るあゆである。

炒り豆なんて小さい物、いくら力を篭めて投げたところで、そう痛くはならないのだから。



ことの起こりは、2週間ほど前。



    ――【 新暦68年/地球暦1月 】――



その日、あゆは急いでいたのだろう。なにやら大事な予定が入っていると言って、慌しく転送部屋へと姿を消したのだから。

ダイニングに落ちていた2年生の教科書を拾ったのは、はやてである。あゆは、はやて同様に宿題などをダイニングのテーブルですることが多いから、落ちてても不思議はない。

ふと、何を習っているのか気になって教科書を開いていたはやてを、後ろから覗き込んだのはヴィータである。


「泣いた赤鬼?」

何代にも渡って引き継がれる【夜天の魔導書】の守護騎士であったヴォルケンリッターは、言語に対する高い順応性を持つ。さらには覚醒前に、夢を通じて、あるじから基本的な会話や読み書きなどを学びとってしまう。

「……」

短い物語だ。見開きだけでも大体のストーリーは読める。

「……なあ、はやて」

「なんや?」

ん~とな。と、ヴィータは自分の言いたいことを整理する。

「あゆにとって、赤鬼ってなんだと思う?」

「赤鬼?」

そうしてはやては、去年の暮れの出来事を初めて聞いたのだ。

「もし、この御話だけがあゆの情報源やったら、気のええ優しい人ってことかもな」

「……そっか」

俯くヴィータの頭をなで、はやてが嘆息。

「うちが悪かったんやなぁ。節分とか、やらへんかったし」

「節分?」

鬼やらいの行事の話を聞いたヴィータが、「あたいが赤鬼するから、節分やろう。な、はやてぇ」と言い出して、冒頭の話に繋がるのである。


**


「本気で投げろよ!いいな!」

びしっと、あゆを指差したヴィータが、腕を組んで仁王立ち。

どうしたものかと困惑したあゆが、「あまり、とくいではないのですが」と炒り豆を人差し指の腹に載せて握りこんだ。

「ふくは~、うち。なのです」

親指で弾いた炒り豆が、ヴィータの額に直撃した。指弾などと呼ばれる技であろう。

「!……」

額を押さえてヴィータが蹲る。目尻にうっすら涙が浮かんでいた。

当っただけでも上出来だったのに、どうやら、あゆ一世一代の会心の一撃だったらしい。

「赤鬼さんを、ほんまに泣かせたらあかんえ」

「……ごめんなさい、なのです」

                                     おわり



[14611] #68-2 それは小さな願いなの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/10 08:54

――【 新暦68年/地球暦3月 】――



色々と手土産を持ってきたりするのだが、クアットロはなかなか口を割らない。警戒心が強いというか、猜疑心が濃ゆいというか。

口裏を合わせての世間話しには応じてくれるものの、あゆが知りたい技術的な情報や戦闘機人の能力などの話題ははぐらかされてばっかりだ。


まあいずれにせよ、本日の話し相手はクアットロではない。

「あの男はどうしている」

これまで、あゆに対しても口を開かなかったチンクの、第一声がそれであった。

戦闘機人というものは、体内の機械部品に対しても自動修復ができるそうで、ゼストとの戦闘で機能停止寸前だったチンクも昨年の内に完調にまで復帰していたらしい。拘束服で縛められていて、確認しようもないが。


「ちんくさんと たたかった、ぜすとたいちょうのこと ですか?」

動作少なく、微妙な首肯。

「ちんくさんと たたかった1しゅうかんごに いしきをとりもどし、2かげつまえに せんせんふっきされました。
 みぎめを うしなわれておられますけれど、あえて ちりょうはうけられていません」

なにか、感じ入るところでもあったのだろうか。チンクがその両のまぶたを閉じた。


しばし、そのまま瞑目していたチンクが、すっとあゆを見下ろす。

「……そうか、かたじけない」

位置関係的に見下ろされざるを得ないのだが、なぜかそう感じない視線であった。

「悪いが、クアットロのように器用ではなくてな。
 会話をしながら、話してはならぬことの選別などできん。
 黙秘を貫かせてもらうぞ」

『どくたーから、おふたりのようすをみてきてほしいと たのまれているのです』
「めんかいと、さしいれは させてもらってもよろしいですか?」

「差し入れは不要だ」

『ごしんぱい、なされているのですよ。
 ああみえて、やさしいおかたなのですね』

嘘である。

スカリエッティがチンクたちの安否を気遣っているのは確かだが、差し入れまで用意するわけがない。

「……控えめに頼む」

「わかりました」

この武人気質な戦闘機人から情報を引き出せるなどと、あゆも期待していない。だが、それはそれ、これはこれである。

少しでも気を許してくれれば、つけこむ隙を見出せるかもしれなかった。




****




暗殺者でも、風邪は引くらしい。あくまで候補、どちらかと言えば自爆テロ要員にすぎなかったから当然か。

「なぜでしょう?てんじょうが、たかくかんじるのは」

熱で朦朧とする頭で、あゆはそんなコトを考えていた。

それに、普段はやてとヴィータとの3人で寝ているベッドだからか、やたらと広く感じる。

なぜだか、この世に自分独りのような気がしてくるのだ。

「どうりに あわないのです」と、あゆは独り語ちる。リビングにはザフィーラもリィンフォースも居て、念話で呼べばすぐ来てくれるだろう。昼休みや休憩時間などには、シャマルも顔を見せてくれていた。

なのに、どうしようもなく距離を感じるのだ。


「ただいまやで」と静かにドアを開けたのは、はやてである。今まで気付かなかったとは、あゆの感覚がどれほど鈍っていることか。

「ああ、起きてたんか。
 どないや?調子は」

はやてのリハビリは、順調に進んでいる。いまも手にしているのはステッキで、6年生に進級する頃にはそれも要らなくなるだろうと診断されていた。

「ねつは さがってるよう、なのです」

先ほどまで感じていた自分の体の外は闇しかないような感覚は、はやての出現と共に消えていたから、口にしない。

「あれ?」

けれど、あゆの目尻からは涙がこぼれるのだ。

「おかしいのです。いまはもう、なんともないはずなのに」

ほうか。と歩み寄ってきたはやてが、ベッドの枕元に腰を下ろす。

「寂しかったんやな」

「さびしい?あれが、さびしい。なのですか?」

そうや、ごめんな。と、頭をなでてくれる。

「独りで居ることの寂しさは、よう知っとるつもりやったのにな」

「おかしいのです。
 ざふぃーらにぃさまもいて、りぃんねぇさまもいて、しゃまるねぇさまだって、おかおをみせてくれました。
 わたしは ひとりではなかったのです。さびしいなんてこと、あったはずが ないのです」

はやてが背筋に差し込んでくれた手が、冷たくて心地よかった。ただそれだけのことが無性に嬉しくて、あゆの涙が止まらない。

「人の感情に、理由なんて要らへんのや。
 どれだけ傍に人が沢山居ようと、寂しいときは寂しいもんや」

かつて1人で生きていたとき、風邪を引いたはやてはそれでもスーパーへ買出しに行かねばならなかった。人は沢山居たけれど、何の慰めにもならなかったことを憶えている。

「こんな時くらい、わがまま言うてもええんやで」

むしろ、言って欲しいはやてであった。

あゆの独断で与えられた猶予に、はやてはいまでは感謝している。友達と一緒に通う平穏な学校生活がどれほど愉しいか、実際に体験するまでは実感できなかったのだ。それを、あゆは知りもしなかったというのに、はやてに与えてくれた。

本人は管理局での役務を愉しんでいて学校を辞めたがっているが、それが慰めになるはずもない。


「ねむるまでのあいだ、そばにいてほしいのです」

「おやすいご用や」

布団にもぐりこんで、はやてがあゆを抱きしめる。

「せいふくが、しわになるのです」

「病人は、そないなこと心配せんでええんや」

普段は、そうしたことにうるさいはやてなのであるが。

「おねぇちゃんは いつもあったかいのに、いまはつめたくて きもちいいのです」

「あゆは熱が出とるからな」

ほどなく寝息をたて出したあゆを、はやてはずっと抱きしめていた。


 ……

それは、あゆの知るかぎりで初めての、熟睡であっただろう。




****

――【 新暦68年/地球暦5月 】――



「おや?くろのせんせぇ」

あゆは心の中で「おにぃちゃん」と付け加える。リンディと正式に養子縁組をしたわけではないので、彼女のことを「おかぁさん」と呼ぶのは2人きりの時だけであるし、そのことはクロノにも内緒だ。

「君か」

クロノ・ハラオウン執務官が本局に居るのは珍しい。

「かくしご、ですか?」

「誰のだ!」

しかも、子連れとあってはなおのこと。

「じょうだん、なのです。
 いくらせんせぇでも、こんなにたくさんは むずかしいでしょう」

「当然だ。
 と言うか君は、1人ぐらいなら居てもおかしくないとか思っているんじゃあるまいな?」

まさか。と両手を挙げて降参してみせるあゆである。

「ははは、さすがのハラオウン執務官も、愛弟子にかかっては形無しだね」

「ヴェロッサ、君は黙っててくれ」

クロノに付き従って一緒に子供たちの引率をしていたのは、ヴェロッサ・アコース査察官だ。あゆにしてみれば微妙な相手である。嫌いではないが、かといってあまりお近づきになりたくもない。

もしヴェロッサのレアスキルのことをもっと早く知り得ていたら、あゆはスカリエッティのラボに乗り込んだりはしなかっただろう。スカリエッティが捕まりでもしたら、芋づる式に累が及ぶのだから。

査察官という職務について質問した際に本人からレアスキルのことを聞かされて、あゆは冷汗が止まらなかったものだ。

今だって記憶を読まれる可能性を恐れて、さりげなく立ち位置を変えている。

「ごぶさたなのです。ろっさ」

「うん、ひさしぶり」

あゆがヴェロッサのことをロッサと呼ぶのは理由がある。舌足らずなあゆの発音では「べろっさ」になってしまうので、本人が嫌がったのだ。愛称で呼んでおいて敬称をつけるのもおかしな話なので、呼び捨てになった。


「今日のは自信作だけど、食べるかい?」

「ぜひ」

ヴェロッサがどこからともなく取り出したのは、ホールケーキを入れる紙箱である。

「この子たちに食べてもらおうと思ってね。たくさんあるんだ」

「その件については、歩きながらでいいだろう」

子供たちに視線を向けたあゆの疑問をさらって、クロノが歩き出す。ついて行く子供たちが一切口を開かないのを見たあゆは、かつてのシグナムの生徒たちやクラスメイトたちと比較して、なにやらワケありらしいと納得した。



『君は確か、プロジェクトFを知っていたな?』

『はい、なのです』

かつて【時の庭園】に乗り込んだとき、ほかならぬプレシアから聞かされている。どういう計画かはフェイトとアリシアを見れば見当は付く。

『プレシア・テスタロッサから情報提供を受けた僕は、ヴェロッサと組んでずっとプロジェクトFを追っていた』

『これまでにも、いくつかの違法プラントを摘発してきたんだよ』

『このこたちも?』

『いや』とクロノ。

『残念なことに、時空管理局の研究施設からだよ』

疑問符を浮かべたあゆに、ヴェロッサが説明を続ける。

『プロジェクトFが違法であることを盾にとって、研究素材として集めていたんだ』

『……』

歯軋りが聞こえてきそうな、無言の念話はクロノだ。

『管理局の人手不足を、違法ででも解消しようとした動きがあってね。これもその一環みたいなんだ』

何の気なしに歩きながら、しかしヴェロッサは細やかに子供たちの様子を見ている。

「……」

一方あゆはというと、管理局とスカリエッティの関係の答えをそこに見出して、納得していた。

『地上本部の方は特にそういう傾向が強かったようだが、最近はそうでもないらしいな』

『そうなのですか?』

『クロノはね、君に感謝してるって言いたいのさ。
 管理局からそういうよろしくない動きが消えつつあるのは、君の研究のおかげだろうからね』

『ヴェロッサ、余計なことを喋るな』

おやおやと肩をすくめたヴェロッサが、あゆにウインク。

『それで、このこたちは どうなるのです?』

『とりあえずは、ここの保護施設に預ける』

『里親探しは、聖王教会が全面的に引き受けてくれるよ』

そうですか。と、あゆは、無言で歩く子供たちを見やる。

そこに、かつての自分の姿が重なるような気がして、視線を逸らせないのか、逸らしたくないのか、判らないあゆであった。




****




「ふむ、ずいぶんと からいですね」

あゆが舐めたのは、ミッドチルダの海水である。地球のそれとはずいぶんと組成が違うようだ。

「どないしたん?」

はやてである。その手には松葉杖もステッキもない。

その全快祝いにどこか旅行しようという話になったのは、1ヶ月前のことだ。どこがいいかで、ミッドチルダに決まったのがその1週間後で、皆の予定が合わせられたのがこの週末であった。

「せいめいのしんぴに、きょうたんしてました」

「?」

海水の成分が違うのに、ミッドチルダと地球で人類の姿が同じなのである。収斂進化の凄まじさに、あゆは驚いていた……

「じょうだん なのです」

わけではないようだ。

「ここまでじょうけんが ちがっていて、すがたがおなじになるだけでなく、こんけつまで かのうなはずはないのです。
 そのあたり、どうなのですか?めがーぬさん」

ん?と振り返ったのは、娘ともども波に踝を洗うに任せていたメガーヌである。せっかくだからとゼスト隊にも声をかけた結果、アルピーノ母子とナカジマ母子が日替わりで参加してくれることになったのだ。地球組では、なのはとテスタロッサ姉妹。

クラナガンでの知己をはやてに紹介できて、ちょっと嬉しいあゆであった。

ちなみに今晩は、カリムの手配で聖王教会の宿舎に泊まることになっている。

「ええ…とね。今はない世界が、次元世界の人類の共通した出身地だというのが定説かしら。
 アル・ハザードだとか、アル・カディアだとか、アル・パチーノだとか、いろいろ言われてはいるけれど……」

なるほど。と、あゆ。生存可能な惑星のある世界に、手当たりしだいに進出していったのだろう。


見上げるのは、天文学的にはありえない空。本物であれば、とっくにこの惑星を壊すか落ちてくるかしている大きさと公転軌道を持つ衛星が、しかも2つ。

聞くところによると、あの2つの月は魔力の塊なのだそうだ。太古に作られたと思しき、魔力の集積装置。だから見かけほどの質量もないし、潮汐力も小さい。この地では、本当に月が魔術を支配しているのだ。


だからミッドチルダの海は、干満が小さいのだとか。

「おや?おおきな あめんぼなのです」

水面を滑っていくのは、もちろん地球のアメンボと同じものではない。よく似た生態の外骨格生物というだけだ。

思わず追いかけたルーテシアが波に足をとられて転んだのは、まあ余談である。



[14611] #68-3 新たなる力、起床なの!
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:37

――【 新暦68年/地球暦9月 】――




八神家がいちどきに全員揃うのは、最近では珍しいだろう。

「さあ、ごあいさつするのです」

「は~い、ですぅ。
 リィンフォース・シュベスタです」

あゆの頭上に浮いている小さな融合騎が、ちょこんとおじぎした。リィンフォースを小さく、幼くすればこんな感じになるだろうか。

「あゆちゃんは、エスタってよんでくれますです」

新しく生まれる融合騎になんと名付けるか、あゆは少なからず悩んだようだ。

2人目ということで、シャマルやリィンフォースからツヴァイという案も出たが、数字の名前はあゆが嫌がった。

結局、姉妹とか妹という意味のシュベスタに決まったのは、当の本人が覚醒する直前である。

「小っちぇえな。
 あたいはまた、リィンフォースそっくりなのが増えるんだと思ってたぜ」

「【せいおうきょうかい】からかりた しりょうに、
 こだいべるかでも こうきの【ゆうごうき】は だうんさいじんぐが すすんでいたとありましたので、それにならってみたのです」

ふうん。とヴィータ。「役に立つのか?」と、にやり。

「しっけいな。
 けいさんのうりょくなら、おねぇちゃんにだって ひけはとらないのですよ」

「エスタの計算能力は、凄い」

エスタがおねぇちゃんと呼ぶのは、リィンフォースのことである。いくつかのデータ継承、姉妹機としてのリンク確立などを行うために、2人にはすでに面識があった。

「ええやんか大きさなんか。可愛らしくて、ええで。
 うちがはやてや、よろしくなエスタ」

「は~い♪
 はやてちゃん、よろしくですぅ」

万歳してぴょんと跳ねたエスタが、ひょいと飛んではやての首っ玉にかじりついた。

「あゆちゃんのおねぇちゃんに、あいたかったですぅ」

「ほうかぁ。
 今日からエスタも家族やで」

「はいですぅ♪」



「それで、それがお前のデバイスか」

シグナムの視線は、あゆが胸元に抱く一冊の本に向けられている。あのころからちっとも成長していないあゆがそうして本を抱いていると、まるで、まだ【闇の書】がこの世にあるかのようだ。

「はい、なのです。
 【へきかいのずせつしょ】なのです」

「碧海?」

「はい。うみは、そらのいろをうつして あおいのです。
 【そうてんのまどうしょ】から うまれたこのこは、だから【へきかいのずせつしょ】なのです」

デバイスマイスターを目指すあゆが自らのために作り上げた【碧海の図説書】は、いわばデバイスマイスター用の資料集である。あゆが表紙をめくってみせると、そこにはさまざまな回路図やプログラムソースが記されていた。

「クラールヴィントか?」

とあるページに描かれていたシャマルのデバイスに気付いたのは、ザフィーラである。珍しく人間形態だったのは、エスタへの顔見せのためか。

「はい。このこは、【でばいす】や【じゅえるしーど】のような まりょくそしゅうせきたいの でーたを しゅうしゅうするのです」

もちろん、そのデバイスが記録している魔法術式も蒐集対象だ。それを、あゆが使いこなせるかどうかは別として。

「あとで【ればんてぃん】と【ぐらーふあいぜん】も、しゅうしゅうさせてほしいのです」

「大丈夫なのかよ」とシャマルに訊いているのは、エスタをチビチビとからかっていたヴィータである。きっちりこちら側の話も聞いていたらしい。

「いくつかのストレージデバイスで試したし、クラールヴィントも問題なかったわ」

「なら、いいんだけどよ」

怒っているらしいエスタがヴィータの頭をぽこぽこと叩いているが、効いてないようだ。




****




「……どうしたの、珍しいね」

「ふぇいとおねぇちゃん、おひさしぶり。なのです」

あゆが訪れたのは、テスタロッサ家である。珍しいどころか、こうしてあゆの方から訪問したのは初めてのことだ。

「……あがって。アリシアも喜ぶよ」

「はい。しつれいします、なのです」



「それで……バルディッシュを?」

「はい、なのです」

リビングに通されたあゆは、【碧海の図説書】のことを説明した。実はここに来る前に翠屋に寄って、レイジングハートを蒐集済みである。

手土産のつもりで買ってきたシュークリームを、エスタがまっさきに食べているのはどうしたものか。

「エスタちゃん、お顔がクリームだらけだよ」

「ありがとうですぅ」

アリシアが拭いてやっているが、すぐまたクリームだらけになりそうだ。


「構わないよ。……バルディシュも、いい?」

 ≪ No problem ≫

「ありがとう、なのです。
 えすた。でばんなのです」

「はーい、ですう♪」

テーブルの反対側から飛んできたエスタが、浮かび上がった図説書と合流。

「へきかいのずせつしょ、しゅうしゅうですよ」

 ≪ Sammlung ≫

白紙が埋まっていく様子を見ていたあゆは、リビングからガラス越しに見えている廊下を歩いていく男の子の存在に気付いた。

「ふぇいとおねぇちゃん、あのこは?」

言われて振り返ったフェイトが「エリオ、シュークリーム食べない?おいしいよ」と声をかけるが、振り向きもせずに行ってしまった。

ふう。とフェイトが溜息。

「母さんが……引き取ることにした子なんだけど、酷い目に遭ったみたいで、なかなか心を開いてくれないんだ」

プレシアと聞いてあゆは思い出す。前にクロノたちが連れていた子供の中に、あの赤毛の男の子が居たことを。

「わたし、あの子のこと好きじゃない」

ぷいと横向いたのは、アリシアである。嫌いと言い切らなかったのは、お姉ちゃんの手前だからだろう。

「……ダメだよ、そんなコト言っちゃ」

「だって、お姉ちゃんがあんなに優しくしてあげてるのに、1回だってありがとうって言わないんだよ」

だけどね……。と、しかしフェイトは言葉が続かない。

「ふぇいとおねぇちゃん、ありしあちゃん。
 おねがいなのです。あのこに やさしくしてあげてください」

はやてに巡り合えたことがどれほどの幸運であったか、今のあゆには理解できる。

だから、深々と頭を下げるのであった。




****




あゆは、デバイス行脚を続けている。

今日もゼスト隊の面々の協力を得て、大漁であった。


非番で居なかったクイントのリボルバーナックルを蒐集させてもらおうと、ナカジマ家に着いた途端であった。

「お姉ちゃんを返せ!」

気絶しているらしいギンガを抱えて生垣を飛び越えてきた戦闘機人と鉢合わせたのは。

『とーれさん!?なぜ、ぎんがさんを?』

スバルに、トーレと顔見知りであることを知られるわけにはいかないから、戦闘機人向けの念話で。

だが、トーレに応えようがない。あゆとの関係は伏せておいたほうがいいし、かといって受信のできないあゆに念話で語りかけても無意味だ。

「あゆちゃん!?」

生垣を突き抜けてきたスバルから、トーレが素早く距離をとる。

「すばるちゃん、さがっていて ほしいのです」

『わたしの めのまえで、ぎんがさんを つれさられるわけには いかないのです』

「あゆちゃん……」

「だいじょうぶ、なのです。
 わたしに まかせてください」

うん。と、おとなしく下がってくれたスバルに微笑みかけて、あゆはトーレに向き直る。

『どくたーに てきたいするつもりはありませんが、ここは ひいてもらえませんか?』

「……」

一瞬視線をそらしたトーレが、一度だけまばたきした。スカリエッティにお伺いでも立てたか。

『ありがとう、なのです』

どうやらスカリエッティにとって、あゆには利用価値があるらしい。ギンガを攫ってどうする気かは知らないが、その関係を維持することを優先してくれたのだから。

『いったん こうせんしてみせて、すきをついて うばいとる しなりおで よろしいですか?』

今一度のまばたきを確認して、あゆがS2Uと【碧海の図説書】を構える。魔力量が低く、処理能力もさほど高くないあゆの、唯一の取り柄が、ストレージデバイスを同時に使いこなす器用さであった。

「ユニゾンするですか?」

あゆの背負ったリュックから出てきたのはエスタだ。今まで寝ていたのだが【碧海の図説書】の起動で目を覚ましたらしい。生まれたばかりのエスタは、睡眠を多めに必要とする。まるで、ほとんど寝ないあゆと吊り合いを取るかのように、1日19時間あまりほど。

「やめておくのです。
 わたしのてきせいでは さほど こうかはありませんし、
 えすたは、すばるちゃんに ついててほしいのです」

「はいです」

自分で作り出しておきながら、あゆはエスタとの融合適性が低かった。いや、正しくは自らのレアスキルのせいで、融合騎が力を発揮しきれないのだ。ユニゾン時の魔導師ランクはAA-相当と見積もられてはいるが、その程度なら別々に行動したほうが可用性が高い。


『ほんきにみえるよう、ぜんりょくでいきます』

「せっとあっぷ」

展開された騎士服は、はやてのそれに良く似たノースリーブのジャケットと、前後左右にアンシンメトリーなプリーツスカートの組み合わせ。ただし、飾り気がほとんどなくて、シンプルさではフェイト以上だろう。魔力量に不安があるから、その装甲はかなり薄い。

全体的にあゆの魔力光と同じ、青鈍色で統一されている。もちろんはやてのデザインだが、髪がポニーテールにまとめられているのは、誰の影響だろうか。


「じくうかんりきょく、やがみあゆです。
 あなたを、ゆうかいみすいで たいほします」

もちろん、嘱託に過ぎないあゆにそんな権限はない。遠巻きに集まりだした野次馬に説明したまで。

「かーとりっじ、ろーど!」

【碧海の図説書】の表紙裏に、スリット状のポケットがある。あゆの言葉にそこから飛び出したのは、一葉のしおり。

書籍型デバイスに弾丸型は似合わぬと、一枚一枚手作りの紙製カートリッジだ。

ひらりと舞い落ちたしおりを、【碧海の図説書】の葉間で挟み取る。

 ≪ Gefangnis der Magie ≫

一時的に増大した魔力を注ぎ込んで、贖うのは封鎖領域。わざわざこちらの準備を待ってくれた以上、トーレはギンガを返してくれるつもりだろう。だが万一ということもあるし、居るかもしれないセインへの用心でもあった。

『きぶつはそんは まずいので、ふうさりょういきをはりました。
 とーれさんは すどおりできるせっていですが、でるときは こわすふりをおねがいするのです』

口八丁手八丁とはこのことか。もちろんあゆは、ギンガは素通りできないなどとは言わない。さらには、外から様子が見えるよう調整してある。こちらは心配しているであろうスバルのためだ。

あゆの魔力量では、大規模な封鎖領域は展開できない。しかもいろいろと特殊な設定である。そのためのカートリッジロードであった。

「……」

これは もぎせん、これは もぎせん。と、あゆは自分に言い聞かせる。面の割れている状態で正面切って闘えるだけの毅さを、まだ手に入れてない。

深呼吸をひとつ。

『いきます』

生み出したのは、3発のパスファインダー。重心を前へと崩して、這うような姿勢でトーレに駆け寄る。

牽制に先行させたスフィアが、案の定瞬時にして叩きふせられた。その軽さは、言わば約束組手であることの宣言だ。トーレは読み取ってくれるだろう。

戦闘機人の中でも大柄なトーレとでは、倍近い身長差。
跳ね飛んだあゆの身体ごと突きこまれたS2Uの杖頭を、トーレは余裕を持って避ける。そこから薙ぎ払われた一撃も。だが、空振りで身体を泳がせたあゆがバックブロー気味に振り回した【碧海の図説書】は、その前髪をかすった。

反射的に振るわれたインパルスブレードをS2Uで受け、乗るようにしてあゆが宙に跳ねる。

「ちぇーんばいんど」

 ≪ Chain Bind ≫

伸びた魔力鎖が、トーレの右手首を縛り上げた。左手はギンガを抱えているのでこれで両手が塞がったことになるが、トーレが驚いたのはそのことではない。

その右手を縛った魔力鎖を、あゆが駆け降りてくるのだ。

左手で抱えていたギンガを右腕に引っ掛けるように乗せ、左手のインパルスブレードでS2Uを受ける。そのまま力任せに押し返すが、トンボを切ったあゆのサマーソルトキックを躱しきれなかった。あゆの蹴り脚に押されて、左腕が大きく泳ぐ。

 ≪ Round Shield ≫

空中に張った小さな障壁を足場に、あゆがトーレめがけて逆落とし。右手は塞がっている。左手は間に合わない。トーレは擦り上げるような蹴りで迎え撃つ。だが、

 ≪ Floater Field ≫

6重に展開したミッド式魔法陣が、3段がかりで蹴り脚の威力を殺した。もちろん、そこで終わるようなトーレの攻撃ではない。足首のインパルスブレードを最大に広げ、薙ぎ払う。残る3段のフローターフィールドがあゆの速度をも殺してなければ、その首を捉えていただろう。

「えす2ゆぅ」

その右手首を拘束していた魔力鎖が消え、蹴り足の反作用でトーレが重心を崩した。バランスをとるために差し上げられた右腕に、ギンガ。

「りんぐばいんど」

抱えるというより、しがみつくようにしてギンガの身体を確保すると、あゆは自分ごと縛り上げる。あゆの腕力は見かけ以上だが、それでもギンガの身体を保持し続けることは難しい。

 ≪ Pferde ≫

足首から先を魔力の渦動で包んだあゆは、トーレの肩口を蹴り跳んで距離を置いた。空戦適性がなくとも、この程度の跳躍ならこなせる。

重心は、崩して見せていたのであろう。長身の戦闘機人が、足首を捻るだけでバランスを回復させていた。

「……」

そのまましばらく対峙していたが、航空武装隊らしき影を見てトーレが踵を返す。

「IS発動。ライドインパルス」

『あとで、ごれんらくを』

たちまち見えなくなったトーレに念話を送りながら、あゆは封鎖領域を解いた。

「あゆちゃーん!」

突進してきたスバルを、あゆがフローターフィールドで止めたのは言うまでもない。


**


のちにあゆの執務室まで潜入してきたセインによると、昨年のプラント捜査時にトーレと引き分けたクイントの戦闘スタイルに、スカリエッティが興味を示していたらしい。

たまたまギンガやスバルの姉妹に当たる素体を手に入れていたようで、9番目の戦闘機人として開発中なのだとか。

その参考とするためにゼスト隊にアンノウンなどをけしかけていたそうだが、素体つながりのネットワークで手に入れた情報を元にギンガの誘拐――戦力の補充も兼ねて――を企てたらしい。ギンガがクイントからシューティングアーツを習っていたことも、スカリエッティの食指を動かす要因であっただろう。

しかし、さすがにこれは譲れないあゆは、ギンガを諦めてもらうよう念を押すために、スカリエッティのラボに直談判しに行こうとした。

「さるまねなんて、どくたーらしく ないのです」という言葉を、どうオブラートに包もうかと、思案しながら。


だがセインが言うには、スカリエッティはそれほど拘ってないようだ。トーレがあっさり引き下がったことも合わせると、信憑性はあろう。

それに、しばらくは警戒が厳重で、さすがに手が出せまい。

「これで貸しひとつだよ」との伝言を受けたあゆは、「そんなおそろしいかりは、いやなのです」と、蒐集したばかりのリボルバーナックルとローラーブーツのデータをセインに押し付ける。

「期待しないでねぇ」とセインが消えた床を、あゆはしばらく見つめていた。



なお、市街に無許可無資格で結界を張ったあゆは、地上本部から一応の訓告を受けた。誘拐を阻んだ功績との相殺で、処分はなかったが。



[14611] #68-3.5[IF]三人目の使い魔なの!?【ネタ】
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:967ac590
Date: 2010/06/24 12:20
――【 新暦68年/地球暦9月 】――




スクライア一族は、こと遺跡発掘にかけては他の追随を許さぬ集団である。文献調査と変身魔法に長け、発見から発掘までを単独でこなすことも多い。小動物の姿ならすり抜けられる障害は少なくないので、人手を必要としなかったりするのだ。
特筆すべきは、秘伝とされる質量魔力変換変身魔法で、そのサバイバビリティは下手な特殊部隊など足元にも及ばない。なにせ、いっさい魔力素のない世界からでも転移脱出できるだけの魔力を、余裕で生み出してしまうのだから。

かつて、第97管理外世界で魔力素適合不全を起こしたユーノ・スクライアは、その術式によって魔力収集の障碍を克服してみせたという。


身近に、そうした変身魔法のエキスパートが居たことは幸いであった。

「かーとりっじろーど、なのです」

すでにエスタとのユニゾン姿であったあゆが、小首を傾げる。

打ち上がったしおりは形容しがたい感じのオレンジ色で、隅っこに小さく「kyoko」と書かれていたのだ。

作った憶えも貰った憶えもないが、おそらく誰かがくれたのだろう。

【碧海の図説書】のカートリッジは紙製で手軽なので、あゆに手作りのしおりをプレゼントすることが一部で流行している。見知らぬ局員――と、あゆが思っているだけだが――の中には、まるでラブレターでも渡そうとするかのように必死な面もちで来る者や、4コママンガを1コマずつ渡しに来る者もいるから、印象に残りそうなものだが。


「めたもるふぉーず、なのです」

 《 Metamorphose 》

今しがたユーノに教えて貰った術式とコツを元に、エスタの力を借りてあゆが変身したのは、白衣を羽織ったあゆ自身の姿であった。しかし……、

「……あの?なんで……犬の耳なの?」

「ねこのみみ では、ゆーのさんに わるいかとおもいまして。きゆうでしたか?」

いや、そうじゃなくて。とユーノは頬を掻く。

「いぬのみみ なら、ざふぃーらにぃさまと おそろい。と、いえないことも ないですし」とキョロキョロしたあゆは、受付カウンター内側の、立ち上がってないディスプレイを見つけて駆け寄った。鏡代わりに使いだしたが、女の子なんだし手鏡ぐらい携行して欲しい。

ぴこぴこ。ぺたり。ぴしっ、と動かしてみて満足そう。
実は、地味に耳を動かせたりするあゆだが、こんな場面で役に立つとは思わなかっただろう。人間にも耳を動かすための筋肉が存在するのだ。多くは、その使い方を知らないだけで。

「さすがは ゆーのさん、なのです。
 まるで、ほんとうの じぶんのみみのようなのです」

動かしている犬の耳と連動して、自前の人間の耳が動いているがご愛敬だが。

変身魔法は、本来の姿からかけ離れるほど制御が難しくなるから、今回は犬の耳を追加しただけだ。人間の耳は頭髪で隠すなどしておけば充分と判断したらしい。

『……』

実際、先ほどから一言もエスタが喋らないのは、その制御でいっぱいいっぱいだから。

「ゆーのさん、ありがとうございました。なのです」と頭を下げるなり飛び出していってしまったあゆを、手土産に貰ったシュークリーム――翠屋の紙箱入りの――を提げたままユーノが呆然と見送る。

「あの格好のままで……?」


**


「アンタ、……使い魔だったのかい!?」

素っ頓狂な声であゆを呼び止めたのは、狼の耳に狼の尻尾姿が特徴的な妙齢の女性だった。言うまでもない、フェイトの使い魔、アルフだ。あまりの大声に、ロビーで転送ポート待ちしていた人々が、声の主と指差された相手の両方に注目する。中には、あゆが見かけたことのある顔もありそうだ。

「えっ?」と、思わぬ遭遇に驚いたあゆは、しかしその表情をそっくり流用することにしたらしい。一瞬間を置いてから、ゆるゆると両手を頭の上に伸ばす。

自らが生やしたイヌミミに触れて一瞬身体を震わせて見せるところなど、なかなかの名演技。はやてやリンディには通用すまいが、居合わせた人々は勘違いしただろう。うっかりと使い魔であることがバレてしまったのだと。

「そうかいそうかい、それならそうと言ってくれればワタシもアドバイスとか、できたのにさぁ」

満面の笑みで歩み寄ってくるアルフは、観衆の注視をワザと惹くようにあゆが両手でイヌミミを隠したことも気にしない。

「仔犬フォームは見せたことあったよねぇ。
 最近、子供フォームも開発してさぁ、これがいいんだよぉ。ご主人サマへの負担も減らせるし、子供料金使えるし。……って、もとよりアンタには必要なかったか」


契約内容にも拠るが、使い魔は、主人と一蓮托生である。

だから【闇の書葬送事件】では、アルフはフェイトと同じく保留中であった。主人への処分がそのまま自動的に適用されたのであろう。

では、その本人がどう過ごしていたかと云えば、驚いたことにプレシアの看病と付き添いであった。

完全看護を謳う病院は、面会時間外の立ち入りを全面禁止にしていることも多い。しかし、使い魔は例外だ。なのでアルフはプレシアに付き添うことを志願した。含むところはあるが、それが一番フェイトのためになると考えたようだ。

フェイトの使い魔であるアルフが、なぜ病院側にプレシアの使い魔として認識されたのか、あゆはその理由を知らないが。

もちろん――テスタロッサ一家ごと――プレシアが海鳴市に転地療養に来てから、その役目もさほど重要ではなくなっている。だが、フェイトが心置きなく通学できるのは、やはりアルフの献身に負う部分が大きいであろう。

「あるふさんは、これから【むげんしょこ】ですか?」

プレシアの快復に伴って、アルフの自由時間も増えてきている。

そうした空き時間に、ユーノの伝手で無限書庫の手伝いなどしているらしいが、それがつまりは将来時空管理局に入るだろうフェイトのための偵察なのだから、この使い魔の主人思いがどれほどのことか。

「ん?ああ、いや今日はそうじゃなくて」

ぱたぱたと振る手の平に合わせて、その耳もぴこぴこしている。ご機嫌さんなのか?

「クラナガンまでプレシアの診断結果を取りに行った帰りでさ、ココ経由のほうが楽で早いだろ?」

それなら此処で、転送ポート待ちの列に並んでいたはずだ。「あっ!」と声を上げて振り返るが、行列は詰まってしまっている。途端にぺたりと両耳がへたりこんだ。

ふむふむ。と、その仕種を参考にしようとする冷徹な部分と、アルフの帰宅がこれで遅くなってしまうだろうことへの申し訳なさを同居させて、あゆもそのイヌミミをへたりこませる。手の下なので、見えないが。


転送ポートを空港の滑走路に喩えるなら、転送物はチャーター機と云えるだろう。管理局本局はその立地条件からハブ空港同然で、利用者の列が途切れない上に進まない。転送自体は瞬時に行われるが、送り出し側と受け取り側の同調に――受け取り側の転送ポートが存在しない場合はさらに――時間がかかるからだ。

それでも個人による魔法転移や、各世界の転送ポートを乗り継ぐよりは楽で早いのだが。

「仕方ないねぇ」と、向き直ったアルフが告げようとした暇乞いを押しとどめさせたのは、寄り添うように立てられた両のイヌミミである。押さえていた小さな手が、アルフの手を包んでいた。


**


「ヤガミさん、そちらの方は?」

「はい。しりあいの つかいまさんで、あるふさんです。
 こんかい、すこし おちからぞえをいただきまして。これから いっしょにきたく、なのです」

係官に向ける笑顔は、ぴこぴこと動くイヌミミも込みで。

アルフの提示した登録証を確認した係官が、その身元保証人と、あゆの権限とを照らし合わせて問題なしと頷く。


次元世界における司法機関にすぎなかったはずの時空管理局は、さまざまな難局を乗り越えるたびにその権益を拡大し、今では警察と裁判所に軍隊を組み込んだような武断的な組織となりつつある。

だから、一般開放されていない転送ポートも数多い。
軍用滑走路に同居している民間空港が地球にもあるが、イメージ的には同じと言っていいだろう。当然それらは管理局高官か、緊急用か、申請式だったりして、本来は管理局職員しか使えない。

それを、嘱託に過ぎないあゆがほぼフリーパスで――アルバイト扱いであるアルフを同伴させて――利用できるのには理由があった。

少しでも家族と一緒に居させてやりたいリンディと、一刻も早く人工リンカーコアを完成させたい上層部の利害が一致した結果、なのである。

おかげでどうしても研究を進めておきたいとき、あゆは八神家で夕食を摂ったあとに本局に戻ってきて就寝までの時間を使うことができた。

むろん、融通が利くからといってそれを濫用するあゆではない。いずれ、はやてが入局することを考えると、被る猫は――イヌミミだが――大きいに越したことはないのだから。

しかし、今回は特別だ。自分のちょっとした企みにアルフを巻き込んでしまった責任がある。
また、彼女のおかげで効果が倍増しただろうことへのお礼にも、なるであろう。あのまま並んでいるよりも早く、第97管理外世界へ帰れるのだから。
あゆとしては普段より帰宅が早くなってしまうが、それはそれ。ザフィーラを散歩に誘うのもアリだし。


しばしの憩いの予感に頬ゆるませるあゆと、思いのほか早く帰れそうとあって尻尾ぶんぶんのアルフが転送ポートの中で光となって消えるまではいいだろう。

問題は、残された側の人間の方だ。

「あの子、使い魔だったの?」

思わず呟いたのは、あゆ達の転送を担当した係官――モトコ・モビリオ。第35管理世界出身、女性、独身、彼氏絶賛募集中――である。

つい自分の権限範囲内であゆの来歴を調べてしまっても、誰も彼女を責めなかっただろう。元々あゆのことを見知っていて今日見かけたものは誰もそうしただろうし、さまざまな理由が重なって、たいしたことは判らないのだから。

それでも人間であることぐらいは判別するのだが、【八神あゆ使い魔説】はいつまでも管理局内でまことしやかに流布され続けることになる。

存在しないことを証明することは不可能だから『悪魔の証明』などと言われるが、人間であることがはっきりしているのに使い魔ではないかとの疑惑が晴れないのは何と呼べばいいのだろうか?





……魔王の証明?



                               おわり



special thanks to kyokoさま。この話の元ネタと、その際にイヌミミであるべきとご教授いただきました。

感想板での流れを汲んで、自身の肉体的成長がないことの対外的な理由付けとして使い魔であるとの流言を自作自演するあゆを描いてみました。StS篇では登場させなかったアルフとミミつながりで絡ませるために作中の時期が微妙ですし、第一あゆが気にして手を打つとは思えないのでIF。あゆが独断でコトを起こすと碌なことにならないことを再確認しただけのような気がするのでネタ扱いです。そもそもイヌミミよりネコミミの方が好みですし。まあ、そんなわけで、考証や時系列は甘めです。



[14611] #68-4 ファミリーズ
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/09 12:28
――【 新暦68年/地球暦9月 】――




はやて1人居ないだけで、こうもベッドが広いものだろうか。

「もうすこし、そちらによっても、いいですか?」

「なんだよ、寂しいのか?」

もぞりと、身動ぎする気配。

「はい、なのです」

あゆにとって、夜闇は光の世界だ。支配の及ぼしづらい他者の体内の魔力だけが見えないから、人の形に闇が見える。明るい世界なのに、誰もが影に見える。だからあゆは、夜が少し、嫌いになった。だから最近、夜にとる睡眠の時間が増えつつるのだろう。

「しかたねぇな、ほら来やがれ」

持ち上げられた掛け布団の下に、あゆが跳び込んだ。

「ありがとう、なのです」

ここまで近づけば、たとえレアスキルの力が邪魔してもその表情が読み取れる。ヴィータは、少し迷惑そうだ。

「暑苦しいんだ、あんまりくっつくなよ」

「いじわる、いわないでほしいのです」

すすき梅雨の頃合である。湿気がまとわりつくような夜であった。

「まあ、お前ぇは体温低いみたいだから、それほどでもねぇけどよ。
 だからってしがみつくな、うっとうしい」

「びぃーたおねぇちゃんは、つれないのです。
 おねぇちゃんがいなくて、さびしく、ないのですか?」

そう言われると否定できないヴィータである。そっと、あゆを引き寄せてくれた。

「いまごろ、おねぇちゃんも おやすみでしょうか?」

「どうだかな。
 なのはたちと、お話しでもしてんじゃねぇか?」

私立聖祥付属小学校6年生は、修学旅行なのだ。今年は北海道だそうで、涼しい所だと聞いたヴィータは羨ましくてしょうがない。

「しかし、お前ぇは本局に泊り込んでくるもんだと思ってたぜ」

言われてみると、なるほどと思うあゆである。

「かんがえも つきませんでした」

本局は不夜城であるし、自分も睡眠はそれほど必要でない。はやてやリンディが怒るから、こうして帰ってきているだけだった。

しかし……、

ただ睡眠のためだけに、こうしてベッドに入っているわけではないと、思えるようになってきたのだ。あの、熱を出して、はやてに添い寝してもらった時から。

はやての傍なら、熟睡することだってあるようになった。一度など、6時間も寝てしまったので、寝過ぎでか頭が痛くなったりした。夢だって見たことがある。はやてと一緒に、お昼寝する夢だが。

「……あふ」

押し寄せてくる睡魔に、あゆはあくびを洩らす。どうやら、ヴィータの傍でも熟睡できるようだ。

「びぃーたおねぇちゃん、おやすみなさ…い……」

見るのは、ヴィータと一緒にお昼寝する夢だろうか?

「おうよ、おやすみ」

とんとんとその肩を叩いてやって、ヴィータもまたまぶたを下ろした。

プログラム体であるヴォルケンリッターも、本来はあまり睡眠を必要としない。迅速な魔力回復を促すために、活動を休止するだけなのだ。

だがヴィータも、はやての傍で眠るときは、それだけではないと思えた。なにもしない、なにもできない時間なのに、大切な人の傍だとなぜか愛おしい。

だからヴィータは、今宵のあゆの寂しさが解かるような気がした。



ちなみに、修学旅行の2日目。富良野のラベンダー畑では雪が降ったそうだ。




****

――【 新暦68年/地球暦10月 】――



もう少し甘えてくれると嬉しいと、リンディは思うのであった。

あゆのことだ。

態度を見るに、懐いてはくれているようである。今も一緒にソファの上で、体重を預けてくれていた。

けれど、よほどの用事がない限り、この子はお小遣い――と言っても本当はあゆの正当な報酬の一部だが――を取りに来る以外ではこの執務室を訪れてくれないのだ。特殊遮蔽内へはリンディといえど気軽には立ち入れないし、そうそう八神家まで押しかけるわけにも行かない。

先月、生まれたてのユニゾンデバイスを紹介しに来てくれたのが、とても嬉しかったリンディである。上層部に働きかけた甲斐があったと言っては、私情が入りすぎだろうか。


「おいしいですぅ」

テーブルの上では、そのエスタが栗蒸し羊羹に舌鼓を打っていた。今日のために、第97管理外世界まで買いに行った白小豆の逸品だ。期間限定だから、この季節しか楽しめない。

「おかぁさん」

「なあに?」

「……」

あゆとリンディの様子を、見上げていたのはエスタである。

さすがに隠しようがないからと、エスタには2人の関係を教えたのだが、もしかしたら本気で隠し子だとでも思われているかもしれない。

「この ようかん、ぜったいに くりのほうが りょうがおおいです」

「ええ、すごいでしょう」

食品の不正表示が相次いで問題になったとき、原材料名の表示順が【砂糖・白小豆・栗・小麦粉・浮粉・葛粉・食塩】だったため、不当表示になるからと百貨店から指導を受けた逸話を持つ。

今では正しく【栗・砂糖・白小豆・小麦粉・浮粉・葛粉・食塩】と訂正されている。

「とっても おいしいです」

頬を押さえながら幸せそうに食べている姿に、思わず抱きつきそうになるリンディであった。




****

――【 新暦68年/地球暦11月 】――



シャマルに言わせると、元祖【闇の書】は散歩好きであったらしい。

だからという訳でもないだろうが、【碧海の図説書】が完成して以来あゆは、ちょっとした合間に周囲を散策することが多くなった。

今日は、家の近くの公園に。季節でないから、桜の樹は丸ハダカだが。

『もうしわけ、ないのです』

『じゅうぶん、たのしいですよ』

応えたのは、リュックの隙間から外を覗いているエスタである。

聖王教会から借りた資料を参考にしたエスタは、フレームを展開することで人間の子供サイズに大きさを変えることが可能だ。

しかしながらロードたるあゆの魔力量の関係で、長時間維持が出来ない。仕方ないので、リュックに隠れている次第であった。

『おいしい【あいすくりーむやさん】がきているらしいので、それでゆるしてほしいのです』

わぁいですぅ。と歓んでおきながら、エスタが首を傾げる。

『こんなにさむいのに、アイスクリームですか?』

『ふゆの【ほっかいどう】の【あいすくりーむ】しょうひりょうは、ばかにならないのだそうですよ。
 しつどがひくくて、のどがかわくから。なのだそうです』

社会科の授業での余談か、それともはやての土産話か。

『へぇ~、ですぅ』

ああ、あそこなのです。と、あゆが指差した先に【じゅりあぁとnoじぇらぁと】と墨痕淋漓に大書されたワゴン車。評判らしく、何人か並んでいる。

「ふぇいとおねぇちゃん」

行列の最後尾で揺れていた金髪に見憶えがあると思ったら、フェイト・テスタロッサその人であった。

「……あゆ、きぐうだね」

『こんにちわですぅ』

『エスタも居るんだ。こんにちわ』

「ふぇいとおねぇちゃんも、あいすですか?」

……うん、ちょっとね。と向けた視線の先に、ベンチ。端っこに座ったエリオから、距離を取るようにアリシア。

「まだ、こころをひらいて なかったのですか」

アリシアはエリオを話題にしないので、その動向をあゆは知らなかった。

「……うん。最近はアリシアまで頑なになってきちゃって。
 お姉ちゃん、失格だね。私……」

ふむ。と、あゆ。境遇の同じフェイトにならエリオも心を開くかと思っていたが、却って頑なになってしまったのかもしれない。

『あらりょうじに なるのですけど、やってみますか?』

『なにする気なの?』

このあゆが荒療治と言うのだ。聞くのが怖いフェイトであった。


**


俯くエリオの視線の先に、影が落ちた。

「みつけたのです」

一切反応しないエリオを見下ろすのは、あゆである。ベンチの反対側に座るアリシアは、事前に念話で言い含められていたので口を挟まない。

「かおを あげるのです」

研究所時代にエリオが身につけたのは、目の前にいる人間の言うことに従うことであった。そうすれば、痛いことが減る。

「あっ」

のろのろと顔を上げたエリオが見たものは、白衣姿のあゆであった。


特殊遮蔽区画内で働くあゆの白衣は、一種のバリアジャケットである。なので、いつでも展開が可能だ。いまはフェイトに借りたリボンで髪を縛り、そのシルエットを変えている。できれば変身魔法を使って大人に見せかけたかったが、あゆの魔力量と処理能力では一抹の不安があった。ただでさえ変身部位を常に意識し続けなければならないのに、体格まで変えてしまっては、身体感覚の把握がとんでもないことになる。

もっともエリオの反応を見れば、そんな手間は不要だったと判るだろう。今までに面識があるなどと、気付いてもいまい。



あゆは、エリオと自分の境遇には共通する点があるだろうと考えていた。そうして思い起こしてみたのは、養成所時代に自分が嫌いだったこと、イヤだったものは何か、ということである。そこを突いて感情を揺さぶれば、そこに道が開けるだろうと。

あゆのそれは、自分たちに薬を処方していた医者だった。

蠱毒房を出た次の日、消毒薬臭い一室に放り込まれたあゆを待ち構えていたのは、白衣の男性である。思い出してみると、スカリエッティに似ていたかもしれない。

自分の名前は?歳は?何処から来た?両親の名前は?親しい友達は?今年の誕生日のプレゼントは?郵便ポストは何色か?犬と猫の違いは?1+1は?と質問を繰り返し、あゆが答えるたび、あるいは知らないと言うたびに一喜一憂していた。

今思えばあれは、個人情報に関する記憶だけを選別消去できたか、確認していたのだろう。

その後も何度にも渡って処方や投薬を受けたが、そのたびに現れるこの医者の、自分を見る目と、その笑い声が嫌だったと思い出したのだ。


くふり。と、口の端を歪めてみせる。

エリオの瞳孔がすぼまったところを見ると、似たようなトラウマを抱えていたのだろう。できれば、あゆも思い出したくはなかった。皮肉なことに、投薬のおかげで忘れていられたのだ。おかげで今後、白衣を着るのが憂鬱になるだろうから。

「こんなところまで、にげてくるなんて。
 さがしましたよ」

にやり。と、今度は嗤ってみせる。妙に似合うから、止めて欲しいと思うアリシアであった。

「あ……、あ……」

「いまなら、ゆるしてあげるのです。
 さあ、もどりましょう」

呻き声をあげ、ガタガタと震えだしたエリオの手を握る。その体に、ぱりぱりと走り始めたのは電撃。魔力変換資質かと思い当たったあゆは、この白衣がバリアジャケットで良かったと内心で胸をなでおろしながら防御特性を調整した。


「……あ、……う」

ふるふるとかぶりを振っていたエリオの、その眉尻が吊りあがったその時だ。

「私の家族に、手を出すな!」

2人の間にフェイトが割り込んできたのは。

「そのこは、だいじな じっけんざいりょう、なのです」

びくり。と肩を震わせ、眉を落としたエリオの目尻に涙。

危ないところであったのだ。あと一瞬でもフェイトが遅かったら、エリオは暴れだしていただろう。エリオがテスタロッサ家に引き取られた詳しい経緯を知らないあゆの読みが、少し浅かった。

「かえして、もらいましょうか」

「違う!エリオは私の家族だ!」

その目の前には、小さくとも頼もしい背中。いつの間に寄り添ってきたのか、傍らにはアリシア。

「そうなのですか?」と、これはアリシアに。

そんなことを訊かれるとは聞いてないが、「そうよ、エリオは私たちの家族よ」と答えざるを得ない。

エリオをこころよく思ってないアリシアにしてみれば、不本意であろう。『あゆちゃん、あとで覚えておいてね』と念話で恨みごとを言うありさま。


少し立ち位置をずらして、エリオを見据えるあゆ。ヘビがカエルを見ているようで怖かった。とは、テスタロッサ姉妹の感想だ。

「もどりますよね?
 このかたたちが あなたのかぞくだなんて、うそでしょう?」

猫なで声に、エリオの震えは酷くなるばかり。

「……あ、あ、あ」

再び、にやりと。

「ほら、ね。
 こたえられもしないのです」

「それでもエリオは私の家族だ!」

あゆが内心で驚いていたのは、意外なフェイトの熱演振りである。もっと、しどろもどろになると思っていたのだ。

「か…、か…」

か?とあゆは、エリオに水を向ける。フェイトが期待に口元をふるわせているのを、あゆだけが見ていた。

「……か ぞ く です」

あゆの視線が、お芝居を忘れてエリオに抱きつきかねないフェイトを牽制する。

「……ほら、エリオもこう言ってる」

「ふむ、いたしかたないのです。
 きょうは、ひきさがるとしましょう」

踵を返したあゆはゆっくりと、実にゆっくりとその場をあとにした。


「……あの、……ぼく」

「いいんだ。無理しなくて、いい」

「言っとくけど、お姉ちゃんはアリシアのお姉ちゃんなんだからね。エリオになんか、あげないんだから!」

いまようやく始まったであろう不器用な家族の声にも、振り返らない。

『いいんですか?あゆちゃん、かんぜんに わるものですよ』

『かまいません、なのです。
 わたしがこううんにめぐまれて、あのこがめぐまれてはならない。などということはないのです』

かつて暗殺者として教育されていたあゆは、別の意味で社交性を身につけさせられようとしていた。無愛想な殺人マシーンなど、誰も寄せ付けてくれないのだから。暗殺者にも自爆テロ要員にも、愛想は不可欠だ。爆弾を隠した花束を抱えた子供は、天使の微笑みで標的に歩み寄るのである。

だが、壊され消された感情を、ニセモノの演技で上書きされきる前に、あゆははやてに出会えたのだ。

「わたしみたいな そんざいが、だれかを しあわせにできたかも しれないのです。
 それでじゅうぶん、なのです」

エスタの危惧したとおり、後々事情をバラした後にもエリオはなかなかあゆに懐かなかった。

当の本人は、まったく気にしてなかったが。


『あいすくりーむを、たべそこなってしまいました。
 ごめんなさい。なのです』

「そんなことはどうでもいいんですぅ!」

思わず肉声で怒鳴ってしまうエスタであった。




****




「工作の宿題なん?」

リビングに所狭しと様々な種類の紙を広げ、ハサミで切り刻んでいるのだからそう見えるだろう。

足の踏み場がなくて、はやてはリビングに入れない。

「【へきかいのずせつしょ】の かーとりっじように、いろいろためしているのです」

実際にカートリッジ化するにはインテグレータなどの設備が要るので、今はただ、しおりの形に切っているだけだが。

「シグナムたちみたいなのんと違って、ただの紙やのに、ちゃんと魔力を貯めれるんやなぁ」

一枚手にとって、しげしげと。

「ざいしつによって ためやすさがちがうので、いがいとおもしろいのです」

「へぇ。どないなん?」

あゆが言うところに拠ると、基本的に魔力は、質量があるほうが篭め易いそうだ。ヴォルケンリッターや一般的なカートリッジの弾芯が鉛なのは、入手しやすさも含めてそういう理由だろう。例外としては、生物由来の素材は軽くても篭め易いらしい。

なので、紙は意外にカートリッジ向きではあった。

それでも、こんな変則的な素材をカートリッジ化できるのは、魔力蓄積ということで人工リンカーコアと相通ずるところがあるからであろう。

「もっといろいろ、ためしてみたいです」

【碧海の図説書】は、あゆ個人のデバイスなので、カートリッジの作成も自腹である。インテグレータの使用は許可が下りているが、あゆの小遣いでは材料費が莫迦にならない。

来年の誕生日プレゼントは、様々な材質のしおりセットがええやろか。と、はやて。

「ひとの ずがいこつとか、ほしくびとか、のうみそや しんぞうの ひものとか、きっと すごいりょうのまりょくを こめられるのです」

「怖いこと、想像させんといてや」

ちなみに、リビングの片隅で「ビーフジャーキーあたりは、どうであろうか?」などと考えていたのはザフィーラである。



[14611] #68-4.5 夜の終わり、夢の終わり【ネタ】
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:38

――【 新暦68年/地球暦11月 】――



「盾の守護獣、ザフィーラ。砲撃なんぞ、撃たせん!」

突き上げた軛が、しかし生体レンズを貫けない。

「!?」

まるでお返しとばかりに放たれた砲撃が、ザフィーラをローストにする。

ザフィーラ!?と駆け寄ろうとしたはやては、しかし足を止めた。

「ざふぃーらにぃさま」

はやてのデザインした騎士服で身を固めたあゆが、ザフィーラを挟んで向い側にいたのだ。

「え?あゆ?なんで?」

【闇の書】攻略にあたって、あゆは置いて来たはずなのに。

「いきますよ!まりょくのもと、なのです」

ザフィーラ目掛けて投げられた物体に、はやての目が点になる。

「なんでビーフジャーキーなん?」

狙い過たず口元に飛んできたビーフジャーキーを咥え、ザフィーラが狼形態で仁王立ち。

「わお~ん!」

 『説明しよう。ザフィーラはあゆ特製ビーフジャーキーを食べるとパワーアップするのだ』

「ちょ!?今の声、誰!?え?ダイスケさん?」

なるほど、ハーケンダック海鳴店店長の宇門ダイスケさんの声にそっくりだ。でも、惜しい。ダイスケさんは山ちゃんのスタンドインだ。

「縛れ、鋼の軛。でぇぃえ やっ!」

ぽこり。とザフィーラの足元に生えてきたのは、白い二等辺三角形だ。随分と小さい。

その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形が生えてくる。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形。その二等辺三角形の前に、やはり二等辺三角形……ええい、うっとおしい!

小さく前習えをするようにずらりと並んだ二等辺三角形たちが、「クビキ、クビキ、クビキ、クビキ、クビキ、クビキ、クビキ、クビキ」と、怪物化した【闇の書】に向けて行進を始めた。

たちまち取り付いて、その先端を突き刺し始める。



「はっ!?」と、はやてが目を覚ましたのは、【闇の書】が爆発してドクロな感じの爆炎を上げた直後であった。

「なんや、夢か」

上半身を起こし、寝汗で貼りついた前髪を掻き上げる。あゆとクロノが珍妙なポーズで勝利を祝うのを見ずに済んだのは、不幸中の幸いだったか。はやての精神衛生的に。

それにしても変な夢を見たものだ。いや、ああして夢ででも茶化してしまえる程度には、はやても【闇の書】のことへの整理がつき始めているのかもしれない。

「それはそれとして」

まずはやては、左隣で眠るあゆの額を突付いた。頭蓋骨だの、心臓の干物だのと言い出したあゆが一番悪い。主犯格につき、有罪だ。

次に、右隣で眠るヴィータの額も突付いた。ことの終わりかけにリビングにやってきて、「そのビーフジャーキー食べたら、魔力が回復するか?」などと言い出したのはヴィータである。

もちろん、ビーフジャーキーなどを引き合いに出したザフィーラにも、あとでお仕置きするつもりだ。

「なんや、目が冴えてしもうたなぁ」

見やれば、時計の針はいつも起きている時間よりいくらか早い程度。今から寝なおすのも却って疲れるだろう。

しゃあない。とベッドを出たはやては、早速ザフィーラを突付くべくリビングへと向かうのであった。


                              おわり



[14611] #68-5 涙、ふたりで
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:40

――【 新暦68年/地球暦12月 】――



「おれいがおそくなって、もうしわけありません。なのです」

「いえ、なかなか時間が取れなくて、こちらこそごめんなさい」

あゆが訪れているのは聖王教会本部である。貸してもらった資料のお礼に、カリムとの面会を求めてから3ヵ月が経っていた。教会騎士としてかなりの高位であるカリムは多忙であるし、地球との自転周期差の関係もあって、なかなか時間が合わなかったのだ。

「こちらが、その融合騎さん?」

「はい、なのです。
 もうしわけありません。このとおり、まだ1にちじゅう ねてることがおおいのです」

テーブルの上に置いたリュックの中で、エスタが寝息を立てていた。ここに着くまでは起きていたのだが、眠気に耐えられなかったらしい。

「かわいい寝顔を見せて戴けただけで、充分です」

それにしても。とカリムは続ける。

「融合騎を生み出してしまうなんて、本当に優秀なデバイスマイスターさんなんですね。
 クロノ執務官が自慢されるはずです」

いえ…あの。と、なぜかあゆはしどろもどろになってしまう。なにやら、ほんのりと頬が赤い。

実は、正面からこうもまっすぐに褒められたのは、知る中で初めてだったのだ。はやてもリンディも無条件であゆを全肯定――いけないことは、たしなめるが――してくれるから、案外そういった機会がなかったのである。

「その……」

わたわたするあゆに、ますます目を眇めるカリム。

「……あぅ」

自分でもよく解からない動揺に、カリムの笑顔を直視できない。

「……りぃんねぇさまがいましたし、たくさんのかたが てつだってくださいましたから」

【蒼天の魔導書】とリィンフォースという見本があり、教会から資料も借りられた。なにより、マリエルを筆頭にさまざまな人が力を貸してくれたのだ。あゆ1人では、たとえ生み出せたにしても、もっと時間がかかったであろう。

あれ?と、あゆは首をかしげる。

「くろのせんせぇ、……ですか?」

カリムとヴェロッサが義姉弟であることは聞いていたから、クロノと知り合いでもおかしくはない。しかし、あのクロノ・ハラオウンがそうそう人を褒めるとは思えなかった。

「ええ、そもそも教会の方に資料の提供を求めてきたのは、クロノ執務官だったんですよ。
 将来有望なデバイスマイスターに、恩を売るチャンスだと」

初耳である。

なんでも管理局と教会はその協調路線を強化しつつあって、その一環になるだろうとクロノが提案してきたのだとか。教会は人工リンカーコアに興味を持っているし、管理局はカートリッジシステムについての本格的な技術供与を打診している。将来の技術提携を見据えての布石に、あゆが適任ではあったのだろう。


「融合騎は古代ベルカの技術ですから、それを復活させられるなら教会としても願ったりでしたし」

恩、売れましたか?と微笑むカリムに思わず「はい」と答えてしまって、内心であゆは諸手を上げた。教会そのものはともかく、どうにもこの人には敵わないような、そんな気がしたのだ。


**


「そんなわけには、いきませんよ」

「ざんねん、なのです」

苦笑であゆを見下ろしているのは、シャッハ・ヌエラである。

カリムの好意でシャッハが送ってくれることになって、あゆはその移動魔法が体験できるかと期待したのだ。


陸戦AAAランクが扱う術式が使いこなせるわけもないが、参考にはなるだろう。空戦適性の低いあゆにとって、移動魔法に長けるシャッハは、一つの理想形であった。

なんでもカリムが時空管理局の理事官に就いてから両者の交流は活発化しだしているらしく、それは現場レベルで顕著なのだとか。その一環でシャッハと模擬戦をしたシグナムからその戦いぶりを聴いていたあゆは、ぜひともお近づきになりたいと思っていたのだ。

とはいえ、前線部隊に居るわけでもないあゆから模擬戦を申し込むことはできないし、教会の騎士であるシャッハたちのデバイスを蒐集させて欲しいとも、あゆの立場では言い出せない。

まずは個人的に友誼を結んでおくしかない。と結論付けたあゆが、シャッハの手配してくれた乗用車に乗り込もうとしたその時だった。

「八神さんは、デバイスのデータを集めていらっしゃるとか。
 私のヴィンデルシャフトで宜しかったら、お貸し致しますが?」

差し出されたその手に載っているのは、2枚の小さなプレート。待機状態のヴィンデルシャフトだろう。

「よろしいのですか?」

「はい、騎士カリムから、私に否やがなければと御下問いただいておりまして。
 将来有望なデバイスマイスターに恩を売っておけば、ヴィンデルシャフトも安泰でしょう?」

そのショートカットを揺らしながら、ウインク。

職務中もあってか硬い物言いが目立つ人だが、根はぐっと柔らかそうだ。

「ありがとうございます。なのです」

エスタを優しく起こしながら、あゆは思う。カリムといいシャッハといい、恩を売るなんて下卑た言葉を、どうしてこうも恵み深く言い換えてしまえるのだろうかと。そうして受けた借りが、スカリエッティの時などとぜんぜん違って、まったく負担に感じずに済んでいるのは何故だろうかと。

人間関係を含め、冷徹に計算することを教育されたあゆには、まだまだ理解しがたいだろう。

どうにもやりづらい。けれど不快に思っているわけではないと、あゆは知らなかった自分の姿をひとつ見出すのであった。



なお、こうして手に入れたシャッハの移動魔法の数々であったが、残念なことにどれも彼女の天稟に拠るところが多くて、あゆには使いこなせなかった。

移動魔法はその速度が増すごとに魔力消費が急増していくので、シャッハの使うレベルではあっという間にエンプティになってしまうのだ。

それでもいくらか参考になる点はあって、あゆはフェアーテなど元々所有していた移動魔法の魔力消費を抑えることに成功したらしい。




****




「おや、ぷれしあではないですか」

「出会い方が悪かったから文句は言えないけれど、なんでも親代わりの人の前のようだし、躾ておこうかしら」

立ち上がるなりムチを取り出すプレシアに、あゆはホールドアップ。ピシっと鳴らされた音からして、実に痛そうだ。

「どうして、こちらに?
 ぷれしあ・てすたろっささん」

今月のお小遣いを貰うべく、リンディの執務室を訪れたところである。最近は何かと要り用で、財政が逼迫しているあゆであった。

そういうのを慇懃無礼というのよ。と、プレシアはソファに座りなおす。

「ファミリーネームは要らないわ」

では、ぷれしあさん。と言いなおしたあゆに、しかし応えたのはリンディだ。

「ご病状が回復されてね。本格的に管理局で働いて下さることになったの」

「その、ご挨拶にね」

なるほど。と、あゆがソファに座ると、いそいそとリンディがお茶を淹れ始める。

「私の専門は次元航行エネルギー駆動炉だから、局の次世代艦艇の設計に携わることになったわ」


魔力素は次元世界のあらゆる場所に遍在するが、質量の高いところに集中するので、物質のない次元空間では希薄だ。

反動推進で移動するには広大すぎるし、魔導炉の効率も良くない。まったく風の吹かない、波もなければ、潮流もない、鏡のような海。それが次元空間である。近隣世界への直接魔法転移を除けば、渡ること能わざる海であった。

その不渡海に、大航海時代をもたらしたのが次元航行エネルギー駆動炉だ。


  ――偏向擬似質量創出という技術が、魔法にある。殺傷設定と非殺傷設定を高度に組み合わせた、主にデバイスの変形や巨大化に使われる技術だ。

この技術で生み出された質量は、術者の意図に従って物理法則への干渉方法を取捨選択することができる。例えばグラーフアイゼンのギガントフォルムは、それを振り回すヴィータには重量も慣性も感じさせず、打撃の対象にのみ質量と慣性による影響を行使するのだ――


次元航行エネルギー駆動炉は、作り出した擬似質量に引き寄せられる魔力素の流れを一瞬だけ殺傷設定に変換することで推進力とする。さらには、その魔力素を魔導炉へ蓄積してしまう。帆船が、帆に受けた風をそのまま風力発電に回してしまうようなものであった。


「【じげん こうこう えねるぎー くどうろ】ですか、【へんこう ぎじしつりょう】の せっていひについて おはなしをうかがえると うれしいのですが」

「貴女の研究は、人工リンカーコアだったわね」

こくん。と頷くあゆである。

現存技術でもっとも人工リンカーコアに近いのは魔導炉なので、その資料を集めたことはあった。次元航行エネルギー駆動炉も然りである。

しかし、あゆの研究する人工リンカーコアとはあまりにもスケールレベルが違って、なかなか応用し切れなかったのだ。まさか、こんな身近に専門家が居たとは。

「エリオの件では世話になったみたいだから、やぶさかではないけれど」

ふむ。と、ばかりに人差し指を鼻筋にあてたプレシアが、わずかばかりの黙考。

一方あゆはというと、母親というものの基準をリンディに置きつつあったので、そういう意味でプレシアをまったく評価していなかった。エスタが起きていたら「ダメダメですぅ」と付け加えただろう。当然そのことが貸しになるとは思っていなかったので、プレシアの態度を意外に感じたようだ。


「基礎的なことから教えてあげられるほど、私も暇ではないわ」

少し前まで暇だらけだったけれど。と展開されたのは、データ受け渡し用の魔法陣である。

「これは、私が初めて実用化させた【ギドラ】の、開発時の覚え書きよ。
 貴女みたいな実践派には、下手な理論書よりも解かりやすいと思うわ」

「ありがとう、なのです」

開発資料そのものは無限書庫にあるだろう。併せて読めば理解も進むに違いない。

「質問は受け付けるけれど、疑問点は明確に、要点を絞りなさい」

「はい。ありがとうございます。なのです」

心からの感謝と敬意を込めて、あゆが頭を下げた。


プレシアは新暦73年に、管理局の次世代大型次元航行船に採用される次元航行エネルギー駆動炉【テュポーン】を完成させる。

その研究に、特遮二課からの技術フィードバックがあったことを知る者は、少ない。




****




私立聖祥大付属小学校は、なにかとイベントが多い。遠足なども含めると、少なくとも2ヶ月に1回は何かしらの催し物がある。

今日はその一環。最近できたばっかりの海鳴臨海水族館へ、学年合同での課外授業であった。


おお。と、意外にも愉しそうな声を上げたのはあゆである。

「ドクターフィッシュ【ガラ・ルファ】」と掲げられた看板の下に、公園の噴水のような親水空間が設えてあった。

そこに手を入れると、小さな魚が指先を突付いてくれるのだ。

「ありしあちゃん、ありしあちゃん。これ、と……」

言葉を呑みこんだのは、受けとってくれる相手が傍に居なかったから。

はやて伝てに聞くところによると、エリオはずいぶんと心を開いてきているらしい。特に、フェイトに対して。それは当然お姉ちゃんっ子であるアリシアにとっては不本意な事態で、その原因たるあゆとも微妙に距離をとっているのだ。

「……」

手先をハンカチで拭いながら、あゆはあてどなく歩き出した。人の流れに身を任せて、館内を半周ほどもしただろうか。

目の前の水槽には、シロイルカ。アクリルパネルの向こうから、つぶらな瞳をあゆに向けてくる。


理屈に合わない。と、あゆは思う。

自分はそもそも、学校になど行きたくなかったはずだ。はやてたちとの交換条件で仕方なく通うことになって、必要だからいい子を演じているに過ぎない。来年にはやてたちが進学してしまえば、その演技に割り振る労力も減らせられるかと期待しているぐらいだ。

はやてとリンディさえ許してくれるなら、すぐに辞めてしまいたいと、研究のために時間を費やしたいと、今でも思っていた。

「……」

いつもなら、シロイルカのこのつぶらな瞳を2人して見ていたことだろう。さきほどのガラ・ルファに一緒に指先を突付かれたことだろう。

あゆにとって、アリシアが特別な友達であることは確かである。相手の事情も解かっているし、あゆの事情も大体知っている。他のクラスメイトには言えない秘密を共有する仲であるし、一緒に居て楽しいのも事実であった。何かとフォローしてくれてることにも気付いていて、そのことへの感謝も嘘ではない。

けれど、研究時間の確保に勝るほどではない。と、あゆは考えていたのだ。たとえ学校を辞めることになって、会える時間が減っても構わないと、思っていたのだ。

授業中、念話で付き合わされるたわいもない話。休憩時間、無理矢理連れ込まれてアリシアを中心としたクラスメイトたちとの、やはりどうでもいい会話。お昼休み、弁当を食べながら繰り返される退屈な話題。

アリシアが傍にいない今、授業時間が長く感じる。休憩時間も、時計の針が進まない。お昼休みも、いつ終わるとも知れぬ長さ。

「わたしはいつのまに、うしないえるものを、えていたのでしょうか?」

今まで意識もしてなかったのに、アリシアという接点を失ってみてはじめて、学校生活というものが自分に与えてくれていたものを知る。

アリシアが与えてくれていたものを、感じる。

暗殺者とは程遠い世界だったから、気付けないでいた。

あゆにとってはやてが幸せの象徴なら、アリシアは平穏な日常の象徴だったのだ。



ごん。と響いたのは、あゆがアクリルパネルに額をぶつけた音。そのまま寄りかかるあゆを覗き込むように逆さになったシロイルカの口から、リング状に、泡。

アクリルパネルに行き当たって崩壊、浮き上がっていく泡々を追いかけて天井を見上げたあゆは、憶えのある感覚に身震いした。周囲に人が居れば居るほど、際立ってくる。

「……わたしは、いま。さびしいのですね」

人の感情に理由は要らないとはやてに教わってなければ、むしろあゆは泣き叫んだだろう。自分の知らない、自らの裡からこみ上げてくるものを恐れて。

「ひとはきっと、さびしいものなのです」

さびしさをしらなかったわたしは、こどくがこわくなかった。さびしさをしって こわくなったわたしは、こわされたものを とりかえしているのでしょうか?

「さびしくて、こわいのです」

見上げる天井のライトが、滲んで歪む。

こんなところで泣いては世間体が悪いと、一般常識を身につけ始めているあゆが、顔を伏せ踵を返そうとしたときだった。

「あゆちゃん!」

一粒、ぽろりと流れた涙が床に落ちきる前に、抱きしめられたのは。

それが誰か、見なくとも、訊かなくとも判る。今ではあゆより頭一つ分背の高いこの友達とは、4年近い付き合いなのだから。

「ごめんね。
 アリシア、いじわるでごめんね!」

大事なお姉ちゃんを、フェイトを奪われて面白くなかったアリシアは、ついその原因たるあゆと距離を置いてしまった。

一度そうしてしまうと、引っ込みがつかなくなって、ずるずるとこうして今日まで口もきけなかったのだ。

エリオが家に来たのも、フェイトを取られてしまったのも、あゆが悪いわけではないと解かっていた。フェイトに感謝の一つもしないと怒っていたくせに、いざエリオがフェイトに微笑むとそれも気にいらない。そんな身勝手な自分が悪いのだと、解かってはいたのだ。

だから、今日も、あゆから目を離せなかった。

「ごめんね」と繰り返すばかりのアリシアは、人目もはばからず盛大に泣く。今や色々とあゆに一般常識を教えている少女は、そのくせいざとなれば世間体など気にしない。

「ごめんなさい、なのです」

「あゆちゃんは悪くないよう」

わんわんと泣くアリシアと、実に静かに泣くあゆの水掛け論は、クラスメイトに呼ばれて担当教諭が駆けつけても続けられたそうだ。




[14611] #69-1 Book's Strike
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/22 05:00
――【 新暦69年/地球暦2月 】――



ごすっ!と聞こえた音が、重い。


「いっ!……」

後頭部を襲った衝撃に、男が頭を抱えた。

「……った~」

かなり痛いらしい。机に突っ伏している。

「……」

服装からして航空武装隊の隊員だろう。ようやく痛みが退いてきた後頭部を撫でながら、椅子ごと振り返った先には。

「……子供?」

水色の白衣を纏った女の子がいた。

その手に持ったブ厚い本が己を襲った凶器であると気付いて声を荒げようとした途端、他ならぬその凶器を鼻先に突きつけられた。

「いまあなたは、【でばいす】を ほうりなげましたね」

ずい、と押し出される角っこに押されて、男がたじろぐ。

「いくら かんきゅうひんとはいえ、じぶんのいのちを あずけることになるあいてに、なんて しうちですか」

いや、しかし。と口にしかけた反論は、振りかぶられた凶器の前に封殺された。言論弾圧イクない。

「あゆ。お前は、こんなところで何をしている」

「しぐなむねぇさま」

事情を説明しようとしたあゆを手振りでとどめ、「言わんでいい、だいたい見当がつく」と烈火の将は額を押さえる。

「済まん。妹が迷惑をかけた。
 お前も謝れ」

あゆの頭に手をかけて強引に頭を下げさせたシグナムが、自らも深く頭を下げた。

「いや、シグナムさん。頭を上げて下さい」

却って慌てた男が「確かに俺も悪かったんで」と恐縮することしきり。
この男に限らず、部隊の垣根を越えてシグナムに助けられた者は多い。その烈火の将にこうまでされて、子供に叩かれた程度のことで騒ぎ立てる隊員はこの隊舎には居まい。

「のちほど改めて詫びに来る」と、あゆの襟首掴んで引っ立てていくシグナムの、「だいたい、デバイスの扱い方を注意するのに、デバイスで叩くのは矛盾しているだろうが」「このこは じょうぶにつくってあるのです。ひとの ずがいこつなどには まけません」「そういう問題ではない、話しをすりかえようとするな」「こころがまえのもんだい、なのです」「それが判っていて、なぜデバイスで叩くのだ」「せいぎのてっつい なのです」「やりすぎだと言っておるのだ」などと遣り取りしながら立ち去っていく姿は、後々までの語り草になったそうだ。




航空武装隊は、各世界に派遣され駐屯する航空魔導師の部隊である。シグナムの所属する第1039部隊はミッドチルダに駐屯しており、常駐する首都航空隊などと協力してクラナガンの治安を維持するのが主な任務であった。


今日あゆがその隊舎を訪れたのは、例によってデバイス蒐集のためである。

「ありがとう、なのです」

「すまんな、ヴァイス」

「いえ、お役に立てたんならいいっスよ。
 姐さんには世話になってますしね」

狙撃銃型のデバイスを使う者が居ると聞いていたあゆは、クラナガンの郊外にあるこの隊舎を訪れる機会を窺っていたのだ。

「おもしろいデバイスですぅ」

あゆの頭の上に寝そべるエスタが、開かれているページを覗き込んでいた。蒐集したばかりの、ストームレイダーの内部構造図である。

「わたしにとっては なじみのふかいこうぞう、なのです」

あゆが言うほど、火薬式のライフルなどと内部構造が似ているわけではない。そもそも物理法則に縛られない魔力弾にとって、長い銃身など飾りも同然なのだ。

単に、遠くを狙うというただ1点の目的に特化した結果、外見が似通っただけである。

それでも、目的のために形状を追求したその姿はあゆにとって受け入れやすかったのだろう。射撃魔法なぞほとんど使わないくせに、拳銃型デバイスに人工リンカーコアを仕込んでみたら使い勝手はどうだろうか、などと考えていたのだから。


「そうなのです」と、あゆ。射撃魔法で何を思いついたのか、S2Uを取り出している。

「このじゅつしき、ばいすさんなら つかいこなせるかもしれないのです」

展開されたのは掌大の魔法陣。魔法のデータなどを簡易に手渡すために使われる術式だ。

「オレに、かい?」

「はい、なのです」

指先で魔法陣に触れ、ヴァイスが空間モニターを立ち上げた。

「ずいぶんと洗練された射撃魔法みたいだが……」

さすがに狙撃手でエースと呼ばれるだけのことはある。術式の目録に付随した概略で、そこまで見て取るか。

「そのあたりは、くろのせんせぇのじゅつしき、なのです」

「……クロノって、もしかしてあのクロノ・ハラオウン執務官かい?」

はい。と、あゆが頷くと、「へぇ~」と興味を引かれたよう。ただし、ニアSクラスが使う術式である。切れ味の良すぎる日本刀のような物で、ヴァイスでは振り回されてしまうだろう。

「おや?ここから記述式が異なるな」

「そこからは、わたしがくみかえた じゅつしきなのです」

魔力量の少ないあゆは、射撃魔法や砲撃魔法をほとんど使わない。すぐに弾切れになって後が続かなくなるからだ。

では、あゆがそれらの魔法を切り捨てているかというと、そうではなかった。

暗殺者として、目的のためにあらゆる物を使い倒すよう教育されたあゆにとって、魔法は道具である。たとえ滅多に使わない道具でも、いや、滅多に使わない道具だからこそ、念入りな手入れが必要なのだ。

「少ない魔力で使いこなせるように機能を絞ったり、割り振りやすいようにカスタマイズしてあるのか」

「はい。なのです」

あゆには、多少ならざるロスでもその大出力でねじ伏せてしまえるなのはのような大魔力もないし、その場その場で微調整して目的に合わせてしまうクロノのような業前もない。

ナタ一本で全てを切り開くような力押しはできないし、筆一本で壁画から米粒への写経までこなすような器用さもない。ということだ。

ならばデザインナイフから斬馬刀まで、ロットリングから木軸筆まで揃えるしかない。

「これは……?」

最後に表示された魔法を、一瞬ヴァイスは理解できなかっただろう。それもそのはず、射撃魔法ではなくて探索魔法なのだから。

「【ぱすふぁいんだー】なのです」

かつて、クロノとの模擬戦で使われた魔法。魔力量と処理能力に不安のあるあゆが、誘導弾を的確に命中させるために、その先導役として作った術式であった。

サーチャーを元に作り上げられたスフィアは、目標を高速で自動追尾し、命中すれば盛大に魔力フレアをあげる。同時に発動させた誘導弾を、スフィアとその魔力フレアに反応するよう設定しておくことで、命中率の底上げ、術者の処理能力軽減を図ったのだ。


ただし、その時のままではない。

「たい【えー えむ えふ】として、さいくできるようにしてあります」

対AMF用パスファインダーは、その結合を解かれようとした途端に魔力フレアとなる。結果クラスター化された魔力素がAMFに殺到して、その魔力減成機能の飽和を狙う。

AAランクには多重弾殻を形成してAMFを突破する射撃魔法も存在するが、魔力量と処理能力に不足があってあゆは使えない。カートリッジを使った上で足を止めて集中すれば使えないこともないが、戦闘機人相手にそんな悠長な真似はできないと、低ランクでも使える対策を模索した成果のひとつであった。

「オレでも、ガジェット相手に誘導弾を当てられるってことか」

「はい。
 おおもとは【さーちゃー】ですから、しょうがいぶつを まわりこませることもできます。
 それに、とちゅうで げいげきされたばあいは 【まりょくふれあ】をあげませんから、ゆうどうだんを むだにせずにすみます」

「こんな魔法、いつの間に作ったのだ」

空間モニターを横取りして、シグナム。

「【ぱすふぁいんだー】そのものは、くろのせんせぇに ゆうどうだんをあててみたくて、いぜんに。
 【えー えむ えふ】たいさくは、えすたのおかげで、つい せんじつなのです」

「えっへん、ですぅ」

あゆの魔法構成を知り尽くしているエスタは、あゆの代わりに魔法術式を開発することができる。クロノ直伝の術式などは時間があったからあゆ自身がやってきたが、【碧海の図説書】完成後に手に入れた術式のカスタマイズなどはエスタの手によるものである。

「これを配布すれば、AMF対策になるか」

一足飛びにそう考えてしまうのは、大抵の術式を使いこなせてしまう高ランク魔導師だからであろう。

「いえ、姐さん。
 確かにオレでも使える術式っスけれど、このままじゃあ使いにくいっスよ」

「わたしように、【ちゅーにんぐ】されてますから」

そうか。と、シグナム。低ランク魔導師の苦労は解かってもらえてないようだ。

「そういうことなら、これの最適化。オレにやらせてもらないっスか」

「頼めるか?」

任せて下さいっス。と待機状態のストームレイダーを親指で弾き、空中で掴み取ってみせる。その仕種に反応したあゆを、シグナムが視線で牽制した。




****

――【 新暦69年/地球暦3月 】――



「おかぁさんは、いろいろとおおげさなのです」

「すごいですぅ♪」

あゆの驚いた顔を見られただけで、リンディは満足であった。

本局のリンディの執務室である。いつもどおり、お小遣いを貰いにきたあゆだったのだが。

「迷惑だったかしら」

正直、よく判らない。よく判らないが、自分のために用意してくれたことが、

「……うれしい、なのです」

泣きそうな顔でそう言われて、少し苦笑のリンディである。


応接セットを飛び越えて、エスタが執務室を横断。

「それで、この おにんぎょうさん、なんなんですか?」

知らずに、すごいと言っていたのか。

「お雛様と言うのよ。女の子の健やかな成長を祈って飾るの」

3段飾りだから小さなものだが、執務室に設えられていたのは雛飾りであった。

きれいですぅ。と、ひな壇上空を周回しだしたエスタに眼を眇めていたリンディが、あゆに向き直る。

「菱餅や雛あられ、金平糖もあるのよ。
 そんなところに立ってないで、こちらにいらっしゃい」

「はい、なのです」

指し示されたソファへと座って、お内裏様を見上げる。雛人形が意味するものを、あゆとて知らないわけではない。

向かい側にはリンディ。とても嬉しそうだ。

何を返せるわけでもないのに、なぜこの人は自分のために色々としてくれるのだろうか?

これが母親というものなのだろうか?


 ―― 何を求められるでもなく、全てを求められるのかな? ――

今になって、かつてフェイトの言っていた意味を理解できたような気がする。すべてを無防備に晒して、ただその腕の中で守られていていいような気がしてしまう。それが幸せなのだろうと、想像できてしまった。

いそいそと白酒を用意するリンディから視線を落として、あゆは金平糖をひとつ、口に含んだ。

優しい甘さが頬を絞って、涙がこぼれそうになる。

「……おかぁさん」

なあに?と見てみぬ振りして、リンディが白酒に投入しているのは砂糖だ。いつもどおり、山盛り2杯。

「ありがとう、なのです」

ん…。と言葉少なに答えたリンディが、白酒を差し出す。


その様子を、微笑ましげに四人官女が見ていたのであった。



……4人?


そこで何をしている融合騎。




****



――【 新暦69年/地球暦4月 】――



「チョコポット。おいしいですぅ」

口の周りをチョコだらけにしてエスタが頬張っているのは、自身の顔ほどもあるチョコレートの塊である。

「たしかに。
 ももこさんの【ざっはとるて】に、まさるともおとりません」

こちらは、一口で咀嚼中のあゆだ。

向かい合わせのベンチには、ギンガとスバル。なぜか、ぼろぼろと涙を流しながらチョコポットを頬張っていた。


出逢ったばかりの頃の約束が、ほぼ3年越しに果たされたのには理由がある。肝心のその店舗が、クラナガン先端技術医療センター内にあるからだ。ここに連れて来れば、そのことを詮索され、ひいては戦闘機人であることも知られてしまうと危惧したスバルは、交わした約束を守るに守れずにいたのだとか。やりようなどいくらでもあろうに、不器用なことである。いや、それが子供、ということなのだろう。

年に2回、ギンガとスバルの2人は、ここで定期検診をうけるそうだ。今回、2人の定期検診に付き添ってくれとクイントから言われたのは去年の10月のことで、そのときの検診後、チョコポットを食べながらスバルが言い出したらしい。

「ギン姉、あゆちゃんには話していいかな」と。

あの誘拐未遂事件以後のことだそうだ。スバルが、ギンガのことをギン姉と呼ぶようになったのは。

「チョコポットのお店に連れていってあげるって約束も、守らないとね」

返すギンガの応えは、それだけだったとか。


そうして今日、2人の検診に付き添い、戦闘機人であることを打ち明けられたのであった。

そのことをとうに知っていたあゆは、2人の担当がマリエル・アテンザだったことのほうに驚いたが。
第四技術部主任であり、特遮二課の管掌責任者でもあるこの年齢不詳の童顔女性は、あゆの知る限りその容姿に変化がない。後年、あゆと2人して「本局技術部の女は歳をとらない」と言わしめることになるのだが、まあ余談である。


「ええと、そろそろ なきやんでくれると うれしいのですが」

「だってぇ~」

そう言いつつ、チョコポットを口に運ぶ手を止めないスバルである。

「……」

口を開かない分、ギンガの方がマシか。



2人の告白を聞き終えたあゆは、一言、こう言った。

「はなしてくれて、うれしいのです」

嘘ではない。

必要に応じて自分の出自などいくらでも話すあゆだが、それは自身が壊れていたからこそ出来たことだと自覚している。

たとえば、はやてにずっと隠していて、いま告白せねばならないとしたら、あゆとて躊躇っただろう。そんなことを今更はやてに知られて、もし嫌われたらと悩むだろう。隠していたことをなじられたらと思うと、怖くて堪らないだろう。だから、2人が自ら告白してくれたことが嬉しかった。


勇気が要っただろうと、褒め慰めたあゆは、お返しにと、自らの出自を語ってみせる。似たような境遇の者が居て、なんとかやっていけてることを知れば、2人の慰めになるだろうと踏んだようだ。他人に打ち明けられるほどに2人が乗り越えた後なら、傷の舐めあいにはなるまい。

まあそこが、まだまだあゆの人生経験の足らなさであろうが。

何人も人を殺したことがあるなどとは言わないが、それでもギンガとスバルの想像以上だったらしい。いつでも2人一緒だった自分たちなどよりはるかに不幸だったと逆に同情される始末で、お陰で目の前では、号泣しながらチョコポットを頬張りつづける姉妹という実にシュールな光景が繰り広げられていた。


あゆにしては陽気にチョコポットの味などを賞賛して見せたのだが、効き目はない。

「ふこうじまんをするつもりでは、なかったのですが」

マリエルもクイントも救援要請に応えてくれないし、エスタはチョコポットとガチで格闘中だ。タイミングを見誤ったかと、後悔するあゆであった。



[14611] #69-2 それは大いなる危機なの?
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:35

――【 新暦69年/地球暦5月 】――



「ぶかつを、きめた。なのですか?」

「そうや」

夕食はなるべく全員で摂る。それは八神家暗黙の了解であった。その時に、1日の出来事などを報告しあうのだ。

ちなみにここ最近のザフィーラのホットトピックスは、隣家との垣根の間に住み着いた猫が産んだ仔猫の成長度合である。


さて、あゆがまず驚いたのは、この春に進学したはやてたちが部活動などに時間を割くとは思っていなかったからだ。これまでどおり模擬戦や、ヴォルケンリッターを師とした魔法講義、戦術研究などに時間を費やすだろうと踏んでいた。

「そんで、どんな部活はいったんだ?」

非番らしく、今日1日家でゴロゴロしていたらしいヴィータである。シグナムとヴィータは、任務の関係で夕食時に居ないことも多い。

「うちはラクロスにしてん」

その、あまりメジャーとは言い切れない球技の存在をあゆが知っていたのは、つい最近までそれを題材としたアニメが放映されていたからである。

【超時空棒網球ラクロス】であったか。なぜか銀河の中心に室内競技場ごと飛ばされたラクロス部員たちが、宇宙人たちを啓蒙し銀河中にラクロスの素晴らしさを布教してゆく。壮大かつバカバカしい物語である。地上波テレビ放映なのに宇宙人たちのセリフが字幕表示――しかもタイ文字――なのが微妙にあゆの琴線にふれたらしく、記憶に新しかった。


「そんで、なのはちゃんがテニスで、フェイトちゃんがスカッシュや」

次にあゆが驚いたのが、3人が別々の部活を選んだことである。すずかやアリサともども同じ部活を選択するかと思っていたが、そういうベタベタした友情ではないらしい。あまり深く考えずにアリシアに誘われるまま手芸クラブに入ってしまったあゆは、ちょっと反省である。

「なのはちゃんはジョゴルフにも興味あったらしゅうて、ちょぅ悩んどったけどな」

ジョゴルフというのは、一昔前にアメリカで行われていたジョギングとゴルフを足したような競技だ。スコアとタイムの両方を競う。

ゴルフ部があるだけでも珍しいだろうに、ジョゴルフ部のある学校など日本全国探しても私立聖祥大付属中学校ただ1校だろう。

「へんながっこう。なのです」

「せやな」




****




この時期の恒例行事といえば、高町家主催の温泉旅行である。

なのはと知り合って以来、八神家も毎年参加させてもらっているが、今年はあゆの姿がなかった。


理由はエスタだ。置いていくわけにはいかないし、隠して連れて行くのも無理がある。人工リンカーコアを使ってフレームを展開する手もあるが、起きている間しか維持できない。未だに1日18時間は眠るエスタでは、すぐボロが出てしまうだろう。


理由はもうひとつある。今年から参加することになったエリオだ。

あゆたちは例の芝居の種明かしを、エリオにしていない。テスタロッサ家には馴染んできているようだが、まだその時期でないとあゆは判断しているし、それはフェイトたちも――渋々ながら――認めている。ここであの芝居が仕組まれたものだと知れば、エリオはまた心を閉ざしてしまうだろう。おそらくは前よりも酷く。

エリオが、自分のことを慈しんでくれる存在を信じられるようになるまで、そのために打った芝居に込められた思いを素直に受け入れられるようになるまで、あゆはその前に姿を現さないだろう。



では、皆が温泉旅行を楽しんでいる間に、あゆがどこに居たかと云うと、

「おかぁさん。おやすみなさい、なのです」

「おやすみなさい、ですぅ」

「はい、おやすみなさい」

本局の居住区にある、リンディの部屋であった。畳敷きの寝室で、一緒に布団の中である。


あゆは、この機会にぜひ確かめたいことがあったのだ。

あふ。と、あくびを洩らしたのはあゆである。その目尻に涙が浮かぶが、あくびのせいではない。

リンディの傍でも、熟睡できそうだったからだ。

「……おかぁさん」

「なぁに?」

「ごめんなさい、なのです。
 よんでみただけ、なのです」

あらあら、と微笑む気配まで嬉しい。

あゆはまぶたを閉じた。初めて心の底から「おかぁさん」と呼べたことの喜びをかみしめるように。




****




首都航空隊に凄腕の射撃魔導師が居ると教えてくれたのは、ヴァイスであった。

誰でも使えるようにパスファインダーの最適化を進める彼は、多くの射撃魔導師に声をかけて回ったらしい。もっとも、先日に立て篭もり犯を見事撃退したそうで、噂を聞きつけた射撃魔導師から声をかけられることも増えたのだとか。

なんでも、パスファインダーをさらに先導するプリセイドパスファインダーや、ある程度の判断機能を持たせたインテリジェントパスファインダーといった亜種派生形が次々生まれているらしい。障害物を通り抜けておいて探索情報をパスファインダーに送るクリティカルパスファインダーや、要所要所で待機して誘導弾をバケツリレーしてしまうフックアップパスファインダーなどは、むしろサーチャーに逆戻りしている感もあるが。

中にはそれらをサーチャーと組み合わせて射撃管制指揮に特化する魔導師も出始めており、ゆくゆくは指揮官が直々に行ってC4ISR化するなどという計画も持ち上がっているのだとか。

ちなみにヴァイスが作り出したのは、無誘導弾を反射することで無理矢理誘導してしまうリフレクションパスファインダーで、トータルでの魔力消費をさらに抑えることに成功していた。トップヤードとか言う、ビリヤードを立体化したような競技の熟練者だというヴァイスらしい改良といえるだろう。


それらはいずれ熟してから回収するとして、今現在のあゆの興味は、その凄腕射撃魔導師が使うという拳銃型のデバイスだ。蒐集させてもらおうとアポを取った上で隊舎を訪れたのだが、なにやら事件が発生していたらしく、接客ブースで少し待たされていた。

まあ、時おり金平糖などをかじりつつ、端末でデータの整理ぐらいはできるから構わないのだが。


格納領域から一粒だけ取り出した金平糖を人差し指の腹で受け止め、そのまま口に放り込む。何味に当るか判らないところも楽しみのうちだ。

この2週間もかけて作られる砂糖菓子を、あゆは気に入ったらしい。市内の老舗を探したりネット通販に手を染めたりして、はやてを苦笑させていた。「すーぱーで うっているのは、ただの あめだまです」と暴言極まれりである。


「きみが、ヤガミ・アユ君かな?」

端末から顔を上げると、痛々しくも包帯だらけの青年が立っていた。左手を三角巾で吊り、顔など右目と口元以外見えないありさまだ。

「首都航空隊。ティーダ・ランスター一等空尉です」

「ほんきょく、しょくたく。やがみあゆ、なのです」

びしっとした敬礼に、あゆは目礼を返す。敬礼はあまり好きではないらしい。

「ちょっと、つらいんでね。失礼するよ」

応接セットの向い側に腰を下ろし、ふうと大息をついている。治療魔法の使い手は、意外と少ない。かなりの器用さを要求されるからだ。ここ2週間ほどは特にガジェットなどの出没が増えているそうだから、なかなか手が回らないのだろう。

「よろしければ、ちりょう いたしましょうか?」

「たのめるかい?」

見かけ5,6歳にしか見えない少女が治療魔法を使えるとは思っていなかったのだろう。ティーダが眉を上げる。もっともケガに障ったらしく、すぐに顔をしかめたが。

人体について多少の理解がありシャマルの弟子でもあるあゆは、治癒魔法も一通り使える。しかしながら、

「えすた、でばんなのです」

「……はい、ですぅ」

ソファに置かれたリュックから、目尻をこすりこすりエスタが出てくる。実は魔導師ランクシングルA+のエスタは、マイスターたるあゆより治癒魔法に長けるのだ。

「しんさつするです」

ふよふよと飛んでいったエスタが、ティーダの額に手を当てた。融合騎というものを初めて見たらしいティーダが、目を白黒させている。

「は~い、しんこきゅうですよ。いきとめて~、ヘルスメーターですぅ」

いつの間に正式名称になったやら。和製英語だというのに。

 ≪ health meter ≫

あゆの手元の【碧海の図説書】が応える。将来的には切り離す予定だが、エスタはまだ【碧海の図説書】の管制人格で、その一部である。

はい、いいですよ~。と帰ってきたエスタが、【碧海の図説書】の表紙をめくった。

「カートリッジロードですよ」

スリット上のポケットから取り出すのは、自分の背丈に匹敵する大きさのしおり。何が愉しいのか、満面の笑顔で「えい♪」と手動で葉間に差し込んでいる。

「フィジカルヒールですぅ」

 ≪ Physical Heal ≫

外傷に対する治癒魔法は、大別して2種類ある。対象の回復力を促進するものと、対象の欠損した部分や足りない能力を魔法で補うものだ。

一般的に治癒魔法とは前者を指し、今エスタが使ったのもそれである。
後者は対象が回復するまで術式を維持しなければならないので、魔導師が使うことはまずない。魔法集中治療室(Magi Intensive Care Unit)といった重篤患者用の設備として、魔導炉などとセットで大病院などに導入されている程度だ。


「は~い。きぶんはどうですか?」

再びティーダの目の前まで飛んでいって、エスタ。

「ええ……、おかげで痛みがずいぶん退きました。
 ありがとう」

「どういたしまして、ですよ」

リュックに戻るエスタを目で追っていたティーダが、あゆに視線を移す。

「きみにもお礼を言わなくては。
 ありがとう。おかげで命拾いしました」

疑問符を浮かべるあゆに、「パスファインダーですよ」とティーダ。

「今日、逃亡した違法魔導師を追跡したんですけど、これが殺傷設定を振り回す相手で。
 相討ち同然になった最後の攻撃、パスファインダーによる自動追尾でなかったら防御が足りなかったですし、撃墜もできなかったでしょう」

もっとも。と肩をすくめて「墜落した時に受身を取り損なってこのザマです」と笑っている。

「つかいこなせたのなら、それは てぃーださんのじつりょく。なのです」

「まあ、そういうことにさせて貰いましょうか。
 ともかく、僕が感謝していることに違いはない」

そう言ってテーブルの上に置いたのは、拳銃型のデバイス。

「好きにしてください」

「ありがとう、なのです。
 えすた、でばんな……」

あゆが見下ろす先、リュックの中からすうすうと、可愛らしい寝息が漏れていた。



****



あゆの手元には、第8世代の試作品が並んでいる。目標品と比べてもなんら見劣りするところのない出来栄えだ。しかも、第7世代と違って大量生産しやすい構造になっている。

だが、これを時空管理局に手渡さないようあゆは、あらゆる口実を設けて引き延ばしにかかっていた。



物語は、2週間ほど遡る。




――【 新暦69年/地球暦4月 】――



エスタがしっかりと寝入っているのを確認し、あゆは壁を2回叩いた。

「は~い、セインさん登場~♪」

魔力素を見ることができるあゆは、潜伏しているセインの居場所を大体見抜くことができた。その周囲から、魔力素が逃げ出すからだ。

当初、これがAMFかと思っていたあゆだが、ガジェットたちの発動するAMFを直に見る機会があって考えを改めた。AMFはあくまでも魔力結合を阻害する魔法であって、たとえ発生中であってもその範囲内から魔力素が逃げるなどという現象は起こらない。

そこであゆは、IS発動中の戦闘機人は魔力素を反発させる力場を発生させている。と仮説を立てている。

AMF下で発動できるISが、魔法でないことは明確だ。戦闘機人の動力源がレリックである以上、ISも反魔力素がその源となっているのだろうが、この世界で反魔法を使おうとしても、即座に対消滅が起きてしまって発動すら困難な筈である。

だが、答えは最初から見えていた。

IS発動中のセインの周囲からは、魔力素が逃げていくのだ。いや、はっきりと撥ね飛ばされていると断言できる。

周囲の魔力素を撥ね退けることでレリックは、反魔法をこの世界で実現しているのだ。


「ドクターからの通信だよ」

ウエイトレスがトレィでも持つようにセインが掌を差し上げると、その上に空間モニターが開く。

『やあ、ひさしぶり』

「ごぶさた、なのです。どくたー。
 ごきげんはいかか、なのですか」

モニターに映るスカリエッティに、変わりはないようだ。

『うんうん、上機嫌半分、不機嫌半分。
 総じてご機嫌斜めってところかな』

あゆには、とてもそうは見えないのだが。

「きょうは、どんなごようじなのですか?」

『うん、それなんだけどね。
 僕の9番目の娘が目を覚ましたから、性能テストをしようと思っててね』

まさか。と、顔に出ていただろうか?

『ああ、いやいや。
 君にお相手願おうってワケじゃないよ』

なにやら心の琴線に触れたらしい。くつくつと笑っている。

『ISを使わなかったとはいえ、トーレとはいい勝負だったそうじゃないか。
 性能テストのお相手として、不足はないんだけどね』

冗談ではない。暗殺者にとって、正面切って戦うなど愚の骨頂だ。出会い頭に戦闘開始など、手足を縛られて荒波に放り込まれるも同然である。相手が尋常ならざる戦闘機人ならなおのこと。もし対処しなければならないなら、あゆは罠でも騙し討ちでも何でも使うだろう。

『残念なことに、今回の相手は決まってるんだ』

スカリエッティの言葉を受けて、セインが左の掌も差し上げた。開かれる空間モニターに、映し出される顔。

「くいんとさん?」

『そう、ノーヴェの遺伝子提供者であり、その戦闘スタイルの実質上の創始者さ。
 おっと、止してくれってのはナシだよ。君には貸しがあったはずだ。それを今、取り立てるとしよう』

やはり、リボルバーナックルとローラーブーツのデータ程度では恩を売れなかったか。とはいえ、クイントは大事な同僚で、ギンガやスバルのお母さんなのだ。むざむざと失うわけにはいかない。

「しょうじょゆうかいなら まだしも、かんりきょくしょくいんを おそったとなると、ついきゅうのてが そうとうきびしくなるとおもいますが……」

そこまで言ってあゆは、それがスカリエッティが不機嫌だと言ったことに関係するのではないかと思い至る。

「どくたー、なにがあったのですか?」

『……』

モニターの向こうのスカリエッティは、それが本当の感情なのだろう。言葉どおりの不機嫌そうな顔になった。

「こんな、あとさきかんがえない やりかたは、どくたーらしくないのです。
 なにか、こまったことになっていらっしゃるのでは?」

別に、スカリエッティが困ろうが苦しもうがどうでもいい。だが、その結果知り合いが傷つけられるとなれば話は別だ。

『……』

「……」

空間を越えて、視線が交錯する。

いざとなればスカリエッティと完全に敵対することになるから、あゆは真剣だ。

対するスカリエッティはというと、ふっ、と眉から力を抜いた。

『やれやれ、君が見えてるのは本当に魔力素だけなんだろうね?』


不本意そうながらもスカリエッティが語ってくれたところによると、スポンサーに見限られそうになっているのだそうだ。こんな違法研究者がスポンサーから切られると云うことは、すなわち殺されると云うことに他ならない。いかにスカリエッティといえども、のんびりと構えてはいられないだろう。


「しかし、せんとうきじんは すばらしいさくひんなのです。
 すぽんさーとやらも、そうかんたんに きってすてるとは おもえないのですが?」

それは、けしてお世辞ではない。レリックのような危険物を、しかも戦闘用として安定して稼動させているだけで尊敬に値する。地球で云えば、原子力空母や原潜と同質の危険性を持つ存在なのだから。それに、スカリエッティのバックについているのは最高評議会だろうとアタリを付けておきながら「スポンサーとやら」などと、とぼけてもみせる。

『理由はね、こいつさ』

誰か自分を褒めてくれ。と、あゆは内心で悲鳴を上げた。

スカリエッティの手の中にある人工リンカーコアを見ても、平静を崩さなかったのだから。

「それは……」

だが、動揺せずには居られなかったのだろう。どっちつかずの言葉を口にしてしまった。

『ああ、人工リンカーコアという代物さ』

幸いなことに、スカリエッティはそのことに気付かなかったようだ。

『もうほぼ完成しているそうで、あとは大量生産を待つばかり、のようだね』

残念なことに、映像越しでは魔力素を読むことができない。そうでなければ人工リンカーコアの魔力素を読んで、いつ作った代物か、いつごろスカリエッティの手に渡ったか、推測できたのだが。

『確かにこんなものが簡単に大量生産できるんなら、芸術品みたいな僕の作品は要らなくなるよ』

……

あゆは、懸命に考えていた。どうすればスカリエッティと敵対することなく、この場を治めることができるか、クイントを危険にさらさずに済むか。

『……というわけでね、殺されないうちに姿をくらまそうと思っているんだよ。
 でも、その前に娘たちを取り戻したいから、新戦力の実力を確認しておこうというわけさ』


人工リンカーコアの研究者が自分であることをばらす?

 まさか。そんなことを知られれば、他ならぬスカリエッティに殺されかねない。人工リンカーコアごと葬り去られてしまうだろう。


クイントに予め知らせる?

 どう説明するのだ。スカリエッティとは友達付き合いしているとでも?


今この場で、セインを人質に?

 難しい。封鎖領域を張れば逃がさないことはできるが、無力化できる保証はない。そうして完全にスカリエッティを敵に回すことになれば、ただでは済むまい。


クアットロたちの脱獄を幇助する?

 こちらも難しい。セインが居る以上不可能ではないが、言い逃れ様のない罪を犯すことになるだろう。自分はともかく、はやてやリンディに迷惑はかけたくない。


いや、まてよ。と、あゆは思い立つ。

以前、クロノたちが摘発していたように、管理局はスカリエッティを使うだけでなく、さまざまな形で違法研究を行っているようだ。

いや、違法であることを問題にするあゆではない。

だが、自分たちで作ったルールを、自分たちには適用しないことが妙に癇に障るのだ。恣意で違法を容認するなら、逆に合法でも排斥されかねない。いざという時、今のスカリエッティのように切られないとは言い切れなかった。

そんな組織に、はやてを入れていいのだろうか?【闇の書】という弱点を持つ、はやてを。


「……どくたー」

『なにかな?』

あゆは、まっすぐにスカリエッティを見つめた。今の自分はあれと同じ眼をしているだろうと思う。

「ていあんが、あるのです」

その懐から取り出したのは、完成したばかりの第8世代の試作品。いまさら自分ひとりを殺したところで、その開発は止まらない。第7世代までの研究データでも、誰かが完成させられるだろう。

だが逆に、止められるのはあゆだけだ。


「かいぜんの よちありと ほうこくして、かいはつをとめるのです」

口から出任せ。という訳でもない。

プレシアから次元航行エネルギー駆動炉や偏向擬似質量創出についてレクチャーを受けたあゆは、人工リンカーコアの大量生産理論に手を加えようと思っていたのだ。駆動炉や魔導炉は一種の工業製品であるから、参考になる点は多い。

場合によっては、人工リンカーコアの組成そのものを手直しする必要もあるだろう。

「そうおうの、じかんをかせげるはず。
 ですから、……」

敵には回せない。むしろ、敵は共通だ。利害だって一致させられる。

なら、手を組めるはずだ。


「かんりきょくを、つぶすのです」



[14611] #69-3 なまえをつけて
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/09 12:27
――【 新暦69年/地球暦8月 】――



時間稼ぎの一環としてあゆがスカリエッティに提案したのが、他の違法研究の情報リークであった。

時空管理局の息がかかっているかどうかに関わらず、さまざまな研究者や違法プラントの情報を虚実交えて流すことで、スカリエッティに捜査の手が及ぶのを遅らせようという魂胆だ。



今あゆは、66式指揮通信車のルーフデッキに立っている。

見やる先、岩山と森に隠された建物が今回の強制査察の対象だ。抵抗がしぶといらしく、陽が傾き始めていた。

一度、管理局の闇を見ておきたかったあゆは、デバイスがらみの研究がされているらしいという情報を拠りどころにしてゼスト隊に同行させてもらったのだ。


「あゆちゃん、この子お願い」

木立を駆け抜けぬけてくるや、ルーフデッキまで一息で飛び上がってきたのはクイントである。

手渡されたのは、エスタと同じくらいの背丈の小さな女の子。茜色の髪の毛に、翼竜のような翼と尻尾が目を引く。

まとう布の一枚すら与えられてなかったのか、あられもない姿で。

意識はあるようなのに、何の反応も示さないのが気にかかる。

「隊長に言わせると、レプリカじゃない本物の古代ベルカ式融合騎らしいわ」

頼むわね。と言い切る頃には、クイントの姿は見えなくなっていた。


デバイスはデバイスでも、ユニゾンデバイスであったとは。これを蒐集していいものかどうか、あゆはその判断をとりあえず置いておくことにしたようだ。

「えすた。でばんなのです」

「……はい、ですぅ」

足元に置いたリュックから、眠そうな声が聞こえてくる。このクライシスエリアの間際で眠れるのは、ある意味大物かもしれない。

「このこ、どうしたですか!」

「あなたのもうふを、かしてあげて」

はいですぅ。とリュックにもぐったエスタが、ミニサイズの毛布をもって帰ってきた。すぐさま、あゆの掌の上で座り込んでいる少女に掛けてやる。クラナガンは雨季と乾季の境目で、今日は少し肌寒い。

「しんさつ、するですか?」

あゆの頷きを確認して、エスタが少女の額に手を当てた。

「いきますよ」

 ≪ health meter ≫

【碧海の図説書】の声は、足元のリュックの中から。

「ええと……」

確かにあゆより治癒魔法の得意なエスタだが、臨床経験はない。外傷ならともかく、細かな数値の読み方など知らなかった。

「もにたーを、みせるのです」

あゆとて、シャマルのように、というわけにはいかない。それでもエスタよりはマシであるし、毒物や麻薬に対する知識はないでもない。

「とうやくが、いくつか……」

表示された診察結果から、少女の状態を推し量る。何種類かの投薬の跡が窺えるが、重篤な状態ではなさそうだ。

それなりに大切に扱われていたのか、それとも連れてこられてきたばかりなのか。

これを。と、あゆがモニターを指し示した。ハロバイファームと表記されているのは薬品名だろう。

「きょうせいたいしゃ、するのです」

「はいです。フィジカルヒールですよ」

 ≪ Physical Heal ≫

シャマル直伝の術式は、ヘルスメーターと連動させることで、さまざまな調整、いろいろな割り振りができるようになっている。肝機能の強化を、特定の成分に限定することなど朝飯前だ。

あゆが解毒させたのは、地球で言えばブチロフェノン系の抗精神病薬であった。統合失調症や躁鬱病の治療薬であり、ボケ老人の徘徊対策に投与されたりもする。この少女が抵抗しないように処方していたのだろう。


「……あ」

その口から、音が洩れる。

「だいじょうぶ、ですか?」

覗き込むエスタの顔に反応して、瞳に焦点が戻った。

「う……」

「じぶんのおなまえ、いえますですか?」

な…まエ。と、うわごとのよう。

「ナ まえ… なマ え、 アタイのなまえ……」

あ、う……。と、その目尻に浮かぶ涙。

「なまえ、アタイの名前。知んねぇ、判んねぇ、覚えてねぇ!」

抱えた頭を振りたてて、何に吠えるか。

「マイスター!アタイのマイスターはどこだよ!アタイの名前!なンてぇんだよ!」

「おちつくです。おちつくですよ」

エスタがその肩に手をかけるが、振り払われるばかり。抗精神病薬を、いきなり解毒しきってしまったのは拙かったのかもしれない。

「ロード、ロードは!?ロードでもいい、アタイに名前をつけてくれよ!」

「……わたしでよければ、かんがえてあげるのです」

それまで、口を開かなかったあゆの言葉は、ことのほか優しかった。

「ホントか……?」

向けられた視線は、初めて希望の色を含んだだろう。

「わたしも、なまえをなくして。なまえをもらったのです。
 やくそくです。あなたに、なまえを」

だから、いまはやすむのです。と抱き寄せられた胸の中で、小さな少女は今一度だけ泣いた。


**


「よく、ねむってるですぅ」

あゆのリュックは、エスタの寝室である。いまは、少女が寝かしつけられていた。

がりがりと金平糖を噛み砕く音に、エスタがあゆを見上げる。

とても集中している時にそうした仕種を見せることはあったが、今のあゆは、エスタの知らないあゆだった。

「あゆちゃん……」

なまえを、かんがえてあげなくては。と、立ち上がったあゆは、

「たて」

 ≪ Panzerschild ≫

手のひらに貼り付けた防護陣で光弾をはじいた。2発、3発と。

「なにごとですか?」

「はいごからの、きしゅう。なのですか。
 どこかに ぬけみちでもあったか、じかんかせぎの ようどうのつもり。なのですかね」

あゆの意に従って浮かび上がってきた【碧海の図説書】を掴み取り、S2Uを起動させる。見つめる先には、人影が3体。

「えすたはここで、そのこ と、なかのひとたちを まもっていてください」

「はいです」

指揮通信車内のオペレーターたちは魔導師ではないのだ。

「せっとあっぷ」

呟いたあゆが地面に降り立つ頃には、騎士服が展開し終わっている。

「せんとうきじん……なのですか?」

いえ。とあゆは、口にしたばかりの言葉を否定した。

「あんなものを【せんとうきじん】などと よんだら、どくたーに しかられるのです」

のろのろとこちらに向かってくる姿は、形こそ人の姿だが、ただそれだけだ。機械部分が剥き出しのもの。抱えた機器がなければ生存すらおぼつきそうにないもの。腕代わりに狙撃銃らしきものをとりつけられたもの。ただ、その瞳が濁っていることだけが共通点だった。

「じっけんようを、ひっぱりだしてきたのでしょうか?
 いっぱんじんあいてなら、じゅうぶん。なのでしょうけど」

飛来する光弾を防護陣で受け流しながら、あゆはゆっくりと歩き出す。

「かーとりっじ、ろーど」

跳び出した3枚のしおりを、追い抜くように葉間に挟む。

「いまのわたしは、きげんがわるいのです。
 あなたたちに うらみはありませんが、てかげんなど しませんよ」

【碧海の図説書】とS2Uに分散処理させて実行するのは、あゆ最大の攻撃魔法。

「やいばもて、ちにそめよ。うがて、ぶらっでぃだがー・すろーたー しふと」

  ≪ Blutiger Dolch ≫
 ≪ Slaughter Shift ≫

ヒトガタたちが、足を止めた。周囲を、血の色したクナイに囲まれたからだ。

「せめてものなさけに、いちげきで。
 これなら、いたみをかんじている ひまもないのです」

72本のクナイ。
詠唱込みでカートリッジ3枚分、誘導らしい誘導、制御らしい制御を放棄しているにも関わらず、これがあゆの限界だ。本家リィンフォースの術式を、形だけマネした代物にすぎない。

「……」

がんがんと殴られるような頭痛と引き換えに構築した術式を、しかし、あゆは取り消した。

「かーとりっじ、ろーど。
 しばれ、はがねのくびき」

ほとんど機械に置き換えられて、元の素体の面影など微塵もない1体の、目元がクイントそっくりだったのだ。


**


「ぐるか。は、どうですか?」

「グルって、聞こえが悪くねぇ?」

ふう。と、あゆの嘆息が重い。


ゼスト隊の詰め所である。

無事査察を済ませたゼスト隊と一緒に帰ってきたあゆを追い立て急かすのは、目覚めた融合騎の「早く名前よこせ」コールであった。

研究所で押収した情報から「烈火の剣精」という識別コードが判ったので、それにちなんだ提案をしているのだが……、

炎ということで、レッカ、グレン、ホムラ、フレイム、バーニー。カガチ、カグツチ、アペフチ、アポロ、アグニ、スルト、ウリエル、サラマンダー、イフリート、アウナス……etcetc

赤い色ということで、アカネ、スオウ、シンク。ロッソ、スカーレット、クリムゾン、カーマイン、アンスピラスィオン、ヴァレンシア、クレブス。ルビー、ガーネット、カドミウム。マーズ……etcetc

剣ということで、ツルギ、ヤイバ、クナイ、タチ、ザンバ。バヨネット、グラディウス、レイピア、エストック。サクノス、グラムドリング、トツカ、クサナギ、ツムカリ、バクヤ、ゴコウ。ククリ、クリス、バリソン……、今グルカを提案したところであった。

まだ本調子ではないらしく、あゆの頭の上で悄然としているが、名前に妥協するつもりはないようでなかなか首を縦に振らない。


「……」

「いいたいことがあるなら、きちんというのです」

ソファに深く身を沈めたあゆを見つめるのは、ルーテシアである。事後処理を終えたメガーヌが、託児施設まで迎えに行ってきたらしい。

「……」

いや、見ているのはその頭の上の少女か。

「このこは、むしじゃ ありませんよ」

「……」

「わたしのものというわけでは ないので、あげられませんし」

「……」

「だいたい、るぅは りかいして いますか?
 あなたが ほしがるむしを てにいれるために、わたしのおこづかいが かいめつてきであると」

それ以外に、これと言った使い道がないが。

「……」

「だいたいなんですか、このあいだの【うぇた】という りくえすとは。
 あんなきょだいな かまどうま、にゅーじーらんどから わざわざゆにゅうする すいきょうなぎょうしゃなんて あるわけないではないですか」

なんだか、えらく愚痴っぽいあゆである。

「そう思うなら、買い与えなければいいでしょうに。
 エサ代が莫迦にならないって、メガーヌがこぼしてたわよ」

クイントがジュースを持って来てくれたが、ルーテシアは見向きもしない。

「あゆおねぇちゃん」

思わず、頭の上の少女を差し出しかけるあゆであった。

ふう。と再び溜息を置いて、あゆがクイントを見上げる。

「このこの、みぶんほしょうと、じゆういしのそんちょうは だいじょうぶですか?」

「ええ、ゼスト隊長に後見人になってもらったから、文句言うヒトなんて出ないわ」

そうですか。と差し上げた掌に、乗り移る少女。

「しょうかいしますね。
 このこは、るーてしあ。まあ、わたしの いもうとのようなもの、なのです」

体を起こしたあゆは、少女を載せた掌をルーテシアに差し出す。

「このこにも、あなたのなまえを かんがえてもらっても、かまいませんか?」

振り返り見上げてくる少女に「もちろん わたしも、かんがえますよ」と、あゆ。

頷きを確認して、ルーテシアに向き直る。

「るぅに、このこの おなまえを かんがえるけんりを あげるのです。
 そうすれば、おともだちになれるのですよ」

そういうことなら。とクイントが、小さな魔法陣を展開した。

「ルゥちゃんに、これあげるわ」

クイントがルーテシアに渡したのは、ナカジマ家に代々伝わる国語辞典。その、データ化されたものだそうだ。

なんでもゲンヤの趣味は、その国語辞典のミッドチルダ語対訳を作ることなのだとか。


**


執務室まで帰ってきて、あゆはようやく独りになれた。なにかと魔法行使の多かったエスタは、ずっと眠っている。

ベンチの上で、リュックを抱えて、あゆはエスタの寝息を聞いていた。

考えているのは、純正だと言う古代ベルカ式融合騎である少女のこと。ルーテシアは思いつく限りの語彙、見出せる限りのデータから名づけようと頑張っていたが、あの調子ではまだまだ名前は決まるまい。


押収した記録から、研究所に連れて来られたのはつい最近だと判っている。無茶な実験をされた様子はない。名前を憶えてないのは、完成後ロードに引き渡されることなく封印されたからだろうとゼストが推測していた。つまり、そもそも名付けられてないのだろうと。

いわば精神生命体である融合騎にとって、名前が人格の核であることを、エスタを生み出したあゆは知っている。

それを持たぬ苦しみも、解かってやれるつもりだ。

いまあの少女は、「烈火の剣精」という識別コードと、「必ず名付ける」という約束を拠りどころに精神を維持しているのだろう。


そこまで思いをはせて、あゆは本日何度も考えたことに迷い戻った。

  ―― ロードを得られなかった融合騎があそこまで取り乱すなら、ロードを失った融合騎はどうなるのだろうか? ――と。


あゆは、力が欲しかった。開発の助けとなる存在が欲しかった。

だから、知る限りでもっともそれを叶えてくれるだろう存在を作り出したのだ。

生み出される側のことなど、考えもせず。

エスタのことが大好きだと、今になって気付く。力をくれるからではなく、助けになるからでもなく、ただ居てくれるだけでよかったのだ。まるで、はやてのように。

娘と呼ぶには自分の心が幼すぎてしっくり来ないが、その名の通り少なくとも妹ではあったのだ。

こんなに愛おしい存在を作り出したというのに、その動機のいかに利己的なことか。

エスタのロードたる資格が自分にあるのかと問い続けるあゆは、涙だけは流すまいと目頭に力を篭めた。そんな資格すら自分にないのではと、疑って。




****




犬に好かれる人に、悪人は居ないのだそうだ。犬好きに言わせれば。

では、猫に好かれる人はどうであろう?



月村すずかにとってその答えは、「おとなしい人」である。

猫は騒々しい人や落ち着きのない人を嫌うので、そういった人間には近づかない。

月村家の猫たちにとっての、すずか友人ランキングは以下のとおりであった。

1位 フェイト・テスタロッサ ダントツ。猫たちが山のように押し寄せる。犬の匂いに敏感な子が近づかない程度。

2位 高町なのは       体温が高いらしく、冬場は特に。

同率 八神はやて       脚が麻痺していた関係か、あまり身動ぎしないのが○。犬の匂いに敏感な子が近づかないのはフェイトと同様。

4位 アリサ・バニングス   仔猫には大人気。成猫はあまり近寄らない。犬の匂いが大きなハンデではあるが……。


そういう意味では、目の前のこの少女もはやて程度には人気が出そうなものなのに、猫たちが近づかないのが不思議であった。


「それでは、すずかおねぇちゃん。よろしくおねがいします、なのです」

「ええ、まかせてくださいね」


今日あゆが月村邸を訪れたのは、隣家との垣根の間に住み着いた猫が産んだ仔猫を、すずかが引き取ってくれることになったからである。八神家でも飼うことを検討したのだが、ザフィーラを見て威嚇したまま気絶するので諦めたのだ。

今はこのすずかの部屋を、銘々に探検するので忙しい仔猫たちである。


「どうぞ」

「ありがとう、なのです」

ファリンがドジしないか密かに心配していたすずかは、無事に淹れられたストロベリーミルクティーに内心胸をなでおろす。

美味しそうにお茶を飲むあゆを、湯気に隠れてすずかが眺めていた。


よく解からない子だと、すずかは思う。

初めて会ったのは、なのはたちと温泉に行ったとき。ひどく怯えていたのを良く憶えている。

実は、それ以前に図書館でニアミスしているが。

はやてにとても懐いている割に、彼女についてここにやってきたことはほとんどない。フェイトにべったりで、必ずついて来るアリシアとは対照的だ。

学校の図書室で見かけたときは、あまりにも静かに本を読んでいたので見過ごしたほど。

かと思えば授業中、見下ろしたグラウンドで体育の授業中だったこの子は、速くはないがとてもしっかりとした足取りでトラックを周回していた。クラスメイトに声をかけ、応援までしていた。

そして今は実に落ち着いた所作でお茶を飲みながら、しかし悲しそうで……

悲しそう?

そんな素振りはなかったのに、とつぜん今にも泣きそうな風情だ。

「どうしたの?」

「……すずかおねぇちゃん」

このこが。と落とした視線を追ってテーブルの下を覗き込んだすずかは、あゆの足に頭突きをかます仔猫を見出した。あゆが連れてきたうちの一匹、黒い仔猫だ。

「さっきから、かんだり ずつきをしてくるのです」

わたしは そんなに きらわれているのでしょうか。と懸命に涙を堪えている姿に、すずかはますますこの子が解からなくなる。仔猫に嫌われたと思って悲しいのは解かるが、こんなダムが決壊するみたいに感情を迸らせることもあるまいに。

なんと支離滅裂な子だろうか。

「あゆちゃん」

「……はい」

にっこりと微笑みかけてやって、すずかは立ち上がる。そのままテーブルを回り込んで、あゆの足元でしゃがみこんだ。

仔猫があゆの足に齧り付いたのを見計らって、その鼻面を突付いてやる。噛みグセのあるネコ目動物の躾は、これが一番。

敏感な鼻先に奇襲を喰らって怯んだ仔猫の、襟首を掴んで持ち上げた。

「いくらあゆちゃんが好きでも、あんなに強く噛んではダメですよ」

「……すき?」

呆然と見下ろしてくるあゆに「ええ」と言わんばかりの笑顔を返し、すずかが立ち上がる。

「猫はね、好きな人を噛んだり、頭突きをしたりするのよ」

まだ加減が判らなくて、全力で噛んじゃったのね。と、仔猫をあゆに手渡す。

「ほら、のどを鳴らしてるでしょう。まだ上手くできなくて、かすかにコロコロとしか聞こえないでしょうけれど」

「……すき、なのですか?わたしを……?」

猫に訊いても答えないと思うが、とりあえずすずかは自分の椅子に戻った。

「わたしに、そんなしかくが あるのでしょうか?」

ますます解からない子である。

「あゆちゃん」

あゆが顔を上げるのを待つ。

「あなたに資格があるかどうかは判りませんけれど、その仔があゆちゃんを好きになるのに、資格は要らないでしょう?」

「そうなの……、ですか?」

言葉の後半は、仔猫に向けて。

……

じっと仔猫を見つめるあゆと、その手のひらの上でさかんにでんぐり返しを繰り返す仔猫。マーキングしているつもりで目尻を押し付けて、バランスを崩してそのまま転がっているのだ。あゆが器用に調整してやらなければ、とっくに転がり落ちていただろう。

「……ありがとう。なのです」

感謝の言葉は、まず仔猫に。

「……ありがとう、すずかおねぇちゃん」

そして、すずかに。

「……ありがとう。なのです」

そして、ここではないどこかに向けて。


本当に解からない子だ。

「すずかおねぇちゃん」

「なんですか?」

あゆが仔猫を凝視するので、仔猫が凝固している。後で、猫との付き合い方を教えてあげなければ。

「このこに あいに、たまにあそびにきても、いいですか?」

いつでも大歓迎ですよ。と、すずかは笑顔。

「じゃあ、あゆちゃん。
 その仔に、お名前をつけてあげて」

「なまえ、ですか?」

持ち上げられた視線を、優しく受け止めてあげる。

「そんなにあゆちゃんのことが好きなんだから、つけてあげればきっと喜ぶよ」

……

少し眉根を寄せて、あゆが悩ましげ。なにか名付けにイヤな思い出でもあるのだろうか?

すとんと落とした視線が、仔猫に。

「くろいから、くろ……でしょうか?」

そのまんまやないか。と、はやてに突っ込まれそうである。いや、すずかも心の中で突っ込んだ。

ぶらっく、のわーる、しゅわるつ、へい。やみ、かげ、やてん、よる、ないと、なはと、そわーる。しんげつ、むみょう。……すみ、かーぼん、ちゃこーる。えぼにー、げんぶ、みかげ、じぇっと、こくよう。

くろくろくろ、くろいもの、くろをしめすことば……。と脳内検索を続けていたあゆが「くろの いめーじ、……おにぃちゃん?」と、ぽつり。

おにぃちゃま、あにぃ、おにぃさま、おにぃたま、あにうえさま、にぃさま、あにき、あにくん、あにぎみさま、あにちゃま、にぃや。

そのボキャブラリーはまあいいとして、なぜ黒という単語からお兄ちゃんなんて言葉に結びつくのかが判らない。すずかは、ますますあゆが解からなくなりそうだ。


おや?と、その毛並みに手を這わせて、また噛まれている。しかし今度はしっかり鼻面を押して、躾。

「あなたは、とらねこでも あるのですね」

あゆの言葉によく見てみれば、確かにうっすらと縞模様が見て取れる。

「くろいとら、ぶらっくたいがー?……えび?」

いせ、うちわ、かぶと、しば、さくら、おきあみ。そめのすけ、そめたろー。ろぶすたー、ぷらうん、しゅりんぷ。まろん……は、ざりがにでした。

猫の名付けに、エビはどうかと思う。さすがにすずかが止めようと口を開いた時であった。

「くろでとら?くらいとら?だーくたいがー?」

ふむ。と、あゆが仔猫を差し上げた。そういう抱きかかえ方もよくないと教えなくては。

「あなたの おなまえは、【きょういちろう】です」

これは、すずかにも判った。いま絶賛放映中のドラマ【ソロバン刑事】の登場人物の1人である。闇の虎というコードネームなのだ。

名付け元のネタは判ったが、あゆのことはますます解からなくなったすずかである。



それは、ゼスト隊が融合騎の少女を救出した翌日のこと。

奇しくも丁度そのころクラナガンでは、その少女の名前が決まったところであった。



[14611] #69-4 サモナーズ
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/09 12:27
――【 新暦69年/地球暦10月 】――




海鳴市にその店舗を構えるペットショップ「キンイロ」は、知る人ぞ知る昆虫マニアの聖域である。

あゆは、ルーテシアにプレゼントするための昆虫類――クモやサソリといった鋏角亜門なども含むが――の大半を、この店で購入していた。

「いらっしゃい、あゆちゃん」

「こんにちは、なのです。てんちょうさん」

虫カゴや鳥カゴに水槽、はてはタッパーウェアなどに入れられた様々な動物たちが居並ぶラックの奥から、菫色の頭髪をツインテールにした女性が現れる。

「なにか、おもしろいこんちゅう、はいっていますか?」

「ごめんなさいね。
 この季節だと、あまり新規入荷はないのよ」

言われてみて、なるほどと思うあゆであった。冬場に活動する昆虫は少なそうだから、無理に輸入したりするとリスクが大きいのかもしれない。

持ち運びの利便性から卵や蛹での輸入はあるのだが、孵化なり羽化なりさせてから店頭に出すのがこの店の方針であった。

「それでは、どうぶつさんたちをみせてもらっても、いいですか?」

「もちろん。大歓迎ですよ」

それでは。と一礼したあゆが、気の赴くままに店内を巡りだす。

最初はルーテシアに昆虫を買ってあげるために来店していたあゆだが、今ではこうして動物たちを眺めることが気にいっていた。

冷蔵庫の中のタブリエ音泉ペンギンに挨拶し、ウェルシュコーギーにシイタケをあげさせてもらい、タヌキリスに噛まれてみる。

最後に訪れるのは熱帯魚コーナーだ。大きなレッドテールキャットや可愛いらしいオトシンクルス、羽ぼうきみたいなブラックゴーストも捨てがたいが、あゆのお気に入りはトランスルーセントグラスキャットであった。

この柳の葉っぱのような体型のナマズの仲間は、頭以外の全身が透けて見えるのである。それが10匹20匹と群をなしてさざめいていると、なかなかに壮観なのだ。

水面にはサカサナマズやハチェット、水底にはコリドラスやプレコがいて、それらもあゆの目を愉しませてくれる。

はやてにもまだ打ち明けてないが、いずれは飼ってみたいと思っていた。

店長に言わせれば、近年では水槽や浄化槽などの器具も低価格化高品質化が進んで、熱帯魚の飼育もそれほど手がかからないそうだ。それでもあゆの現状では望むべくもあるまい。


「そういえば、ウェタはどうなりました?」

エサの赤虫をくれた店長が、ふと思い出したげに。

「しりあいに、つてがありまして……」

脚立を登ったあゆは、慎重に水槽の蓋をずらして熱帯魚たちへのエサやりを愉しむ。油断するとハチェットやサカサナマズが飛び出すので、気が抜けない。

「てに、はいりそうなのです」

まあ。と驚いたのは店長である。

絶滅が心配される割に現地ではペット代わりに飼育もされているらしいその巨大カマドウマは、扱いが微妙すぎてわざわざ輸入する業者がいないのだ。

「なんでも、じんこうはんしょくに せいこうしたかたが おられるそうで、けんきゅうしきんのたしに、いくらかうってもかまわない とのことでした」

なんだか、身につまされるあゆである。その話を聞いたとき、来年のお年玉まで前借りして、手に入れられるだけ手配してもらっていた。対ニュージーランドドルは円高傾向にあるので、輸入は吉だ。

気候や生態から、ニュージーランドが秋になる3月頃に送ってもらう手筈になっている。何匹やってくるのか知らないが、ルーテシアは歓んでくれるだろう。

「その伝手、私に紹介してくれませんか?」

「いいですよ」と応えておいて、最初から紹介してればよかったことに気付くあゆであった。




****

――【 新暦69年/地球暦11月 】――



「お、あゆの姐御」

歓迎のつもりか、ぽんぽんと花火。

「あねごはよしなさい。なのです」

ええ?いいじゃんかよ~。と抗議するのは、アギトと名付けられた烈火の剣精だ。なにやらミニサイズの白い竜に跨っていた。

「かっこいいですぅ♪」と、これは珍しく起きていたエスタである。

「きゅくるぅ」

ゼストを後見人に持ったアギトは、ゼスト隊の一員として振舞っているそうだ。寝食は主に、名付け親であるルーテシアと共にしているようだが。


「おっと」

勢いをなくした花火を見て、アギトが術式を広げている。あゆのレアスキルの範囲内に入ったのだ。このファイヤワークスの魔法のように、強固な指向性を持たない非戦闘用の術式は影響を受けやすい。

部屋一杯に咲き乱れる花火の中を縫うように、小さな白い竜を駆ってアギトが飛び回る。

「すっごいですぅ♪」

エスタの言うとおり、確かに見事なものだ。炎熱の魔力変換資質を持つというこの融合騎を、いつかシグナムに引き合わせてみたいと考えるあゆであった。


「そうだ姐御、新入りを紹介するぜ」

「しんいり?」

アギトはあゆの疑問に答えることなく、「はいよぉ!フリード」とたずなを絞って詰め所の奥の部屋へと飛んでいってしまう。

「いいな、いいなですぅ。
 エスタも、のりたいですよ」

そうして連れて来たのは、ルーテシアと同じ年頃の女の子だった。

「ほら、姐御に挨拶しな」

「キャロ・ル・ルシエです。
 アギトさんがのっているのはフリードリヒ。わたしの、しえきりゅうです」

桃色の髪の毛を揺らして、頭を下げている。「きゅくるう!」と、白いチビ竜もそれに倣う。

「これは ごていねいに。
 やがみあゆ、なのです」


「……」

あゆが礼を返していると、奥からルーテシア。

見かけだけならあゆも5、6歳ほどであるから、3人揃うとまるで保育園である。あゆの白衣が、実にままごとチックであった。

『それで?』

こんなところに来る子供がワケありでないわけないと、あゆが念話で。

『ん~とな』

要領を得ないアギトの話を整理すると、メガーヌが第6管理世界から連れて来たらしい。

なんでも召喚術の才能というのは遺伝による発現が主で、どの世界でもたいてい少数民族が隠れ里で細々と血脈を繋いでいるのだそうだ。

そうした隠れ里同士の交流は意外と活発で、メガーヌの出身村とキャロのそれもその例に洩れなかったらしい。

族長の意向でル・ルシエの里を表敬訪問したメガーヌに紹介されたのが、キャロだったのだとか。

『ルシエの里って、斜陽の一族なのよねぇ』と、突然念話に割り込んできたのはメガーヌ本人である。

事務仕事に一区切りつけ、出てきたらしい。

『たまたま強い竜に見初められてしまったキャロちゃんを持て余してて、私に相談してきたってわけ。いざというとき対処できないからって』

たしかにメガーヌは一流の召喚術師だから、うってつけであろう。荒事にも慣れてるし、修羅場だって何度も乗り越えている。なにより同じ年頃の娘を持つ母親であった。

『もし私が行ってなかったら、そのまま追放されかねなかったのよ』と、内心の憤懣を完璧に隠しとおしたメガーヌが、キャロとルーテシアを一緒に抱きしめて笑顔。

みならわねば。と内心で反省などしつつ、あゆがちらりと観察した限りでは、キャロに鬱屈したところは見当たらない。今も、力一杯に抱きしめられて苦しいだろうに、嬉しそうだ。生まれ故郷を追い出されてこれならば、メガーヌの元に引き取られた方が幸せであるのだろうと結論付けてみる。自分の例もあることだし、血の繋がりなど家族にとってさほど重要でもあるまいと。


それはそれとして。

「……」

ずっとあゆを見つめつづけていたのは、ルーテシアであった。

出逢った頃にはあゆの半分ほどであったルーテシアが、今はほぼ同じ背丈である。

子供の成長は早いと、戸籍上まだ9歳であるあゆは嘆息した。


さて、それはそれとして。

「……」

ルーテシアである。

「るぅ。
 いいたいことがあるなら、きちんと くちにするのです。
 さっしてあげるほど、わたしはやさしくなど ないのです」

嘘ばっかり。とはメガーヌ。

「……ウェタは?」

よしよし、よくいえました。とルーテシアの頭を撫でている。

「なんとか、てに はいりそうなのです。
 それまで がまん、できますね?」

「……ん。ありがとう」

「おれいは、ちゃんと てにはいってからでいいのです」

待機状態のS2Uに命じて、あゆが翠屋のロゴ入り紙箱を取り出した。

「おやつにしましょう。
 きゃろちゃんも、いっしょに しゅーくりーむを たべませんか?」

「きゅくぅ?」

「フリード」

チビ竜をたしなめているらしいキャロの口調に、フリードがなにを言ったか判ったあゆである。

「ふりーど。
 あなたのぶんも、ありますよ」

「きゅくるう♪」


**


「口裏を合わせるとの約定であったゆえ、口外はしないが。
 理由は聞かせてもらえるのだろうな?」

差し出されたケースを手元に引き寄せ、ゼストの視線は鋭い。

「はい、なのです」

ソファに上で居住まいをただし、あゆは真っ向から視線を受ける。

この執務室の壁は意外と厚そうだ。となりではフリードに乗せてもらっているエスタが歓声を上げているはずだが、その気配すら感じ取れなかった。


「きょくいんの おひとりおひとりはともかく、
 わたしは、じくうかんりきょくそのものは しんじていないのです」

そう言われるとゼストとて返答のしようがない。ここ数ヶ月で査察、検挙した違法ラボ、違法プラントの多くに、何らかの形で管理局が関わっていたのだ。

「わたしのけんきゅうが、いほうけんきゅうしゃに よこながしされて、けっか、はんざいにつかわれるかもしれません」

実際、スカリエッティが手にしていた。他の違法研究者のもとに渡ってないという保証はないだろう。

「けんきゅうをすすめるために、しけんうんようは ひつようなのです。
 けれども、かんりきょくへのぎわくが はれないうちは、しらしめるわけにはいかないのです」


だが、それは口実に過ぎない。

いまゼストに引き渡したケースの中には、第8世代試作品の中でも特に出来のいいものが人数分入っている。いざという時のために、渡しておきたかったのだ。

あゆは、スカリエッティの準備が終わりつつあることを知っていた。




        ――【 新暦69年4月 】――



セインが眉根を寄せているところを見ると、娘から見ても気持ち悪いものなのだろう。スカリエッティの、「ひゃ~はっはっはっは!」という笑いかたは。

『管理局を潰すか、それはいい』

くつくつと笑い方を変えて、スカリエッティが腹を抱えている。

『まさか君がそんなことを言い出すとはね。
 いやはや、これだからこそ人間は、生命は面白い。まだまだ研究の余地だらけだよ』

ひゃ~はっはっは。と、またひとしきり大笑いしたスカリエッティが、仮面を付け替えるようにぴたりと静止した。

『だが、彼我戦力差はきっちり把握しないといけないな』

言われてみてようやく、自分が何を口走ったか理解したあゆである。管理局を潰すなどと不可能事を言い立てたことはもちろんだが、なにより、その管理局にどれだけ大切な人々が居るというのか。

冷静なつもりだったのだが、相当混乱していたらしい。そうと気付いた途端に破裂するような発熱を覚えて、あゆは頬に手をあてた。

『ああ、誰にでも間違いはある。そんなに恥じずともいいよ』

はずかしい?と、内心で繰り返したあゆは、これが「不明を恥じる」ことかと推測する。自分にそんな感情があるとは、思ってもなかったのだ。

それにしても、スカリエッティに諭されるとは。恥ずかしさに朱を重ねるあゆである。


『いやいや、またまた珍しいものを見せてもらったよ。
 君のことは多少理解していたつもりだけど、氷山の一角だったようだ』

再び大笑いしたスカリエッティは、しかし一転『生命の可能性は素晴らしい。まだまだ知らないことだらけだ。もっともっと研究したいなぁ』と笑いすぎで流れたらしい涙を拭いた。


『いや、すまない』と意外にも本気ですまなさそうに謝ったスカリエッティが、『だが、管理局を潰したいという意見そのものには賛同だよ』と、その胸襟を開くかのように両手を広げてみせる。

『いずれ僕も管理局には一矢報いてやるつもりだった。その準備にあと5年と見込んでいたんだけどね』

ところが。と指先で弾き上げているのは、人工リンカーコア。

『管理局は違法研究から手を引き始めている。
 ここに来てリクエストに対する反応が悪くなったし、チンク達も何かと理由をつけて帰してくれない、違法研究者が検挙される例が増えているのも、だからだろう』

これのお陰でね。と再び弾いた人工リンカーコアを中空で掴み取り、差し出してみせる。

「……」

あゆは口を挟まない。

『今の戦力じゃ、一矢報いるなんて真似、とても無理だからね。
 尻尾を巻いて逃げ出そうと思っていたんだけど、……そうかい、時間を稼いでくれる、か』

値踏みするように人工リンカーコアを見やっていたスカリエッティが、おもむろにそれを口に含んだ。そのままころころと、口中で転がしだす。

『【立つ鳥跡を濁さず】なんて言うらしいし、世のために禍根を断っておくのもいいかもしれない』

それはスカリエッティの警告だっただろう。出身世界を知っているぞ。出身地域も判っているぞ。裏切ればどうなるか、解かっているな。との。

いつ知ったかは判らないが、人工リンカーコアの研究者が誰であるかも承知の上で、今日の話だったに違いない。役者が、違いすぎるのだ。

『流石に管理局ごと滅ぼすのは難しいが、私を生み出し、さんざん利用してきたくせにあっさりと棄てようとする最高評議会の連中に、生命の終着点をプレゼントするくらいはやってやろうじゃないか』




****

――【 新暦69年/地球暦12月 】――



あゆが翠屋に来る機会は、多い。

ミッドチルダへ出向く時の手土産にすることが少なくないからだ。

「ありさおねぇちゃん?」

一瞬判らなかったのは、アリサが髪を短くしていたからだろう。

「あら、……
 相変わらずチビっこいわね」

オープンテラスでお茶していたらしいはやての同級生の、歯に衣着せぬ物言いがあゆはけっこう好きである。

アリサが「小っちゃいわねぇ」と言うと、それがなんだか素敵なことのように聞こえるから不思議だ。悪意がまったく無いからであろう。


「ごぶさた、なのです。
【うぇた】のけんでは、おせわになりました」

ん?としかめた眉を、すぐに開いて「ああ、あのカマドウマのことね」とアリサ。はやて越しか携帯電話ばかりだったので、こうして面と向かってお礼をいえる機会がなかったのだ。

「気にしなくてもいいわよ。
 たまたまニュージーランドの別荘の近くに変人が居たってだけで、私は何もしてないから」

実際には、輸出入に関わる手続きなども全て手配してくれていた。そっけないが、情に篤い人なのだろうとあゆは思う。

「それでも、たすかりましたから」

ウェタを渡した時のルーテシアの笑顔を想像すると、今から頬がほころんでしまうあゆである。

「ありがとう、なのです」

はいはい。と軽く受け流したアリサが、はす向かいの椅子を指差した。

「感謝してんならお茶に付き合いなさい。相手が居なくてヒマしてたのよ」

「なのはおねぇちゃんは、いらっしゃらないのですか?
 それに、このきせつに、おーぷんてらすで ですか?」

質問を重ねんじゃないわよ。と、あゆの腕を捕まえて、強引に椅子にかけさせる。

「なのははバイト中だから、話し相手にさせるわけに行かないでしょ」

親指で指差す先は、翠屋の店内。エプロンしたなのはが忙しそうに接客していた。

「そんで私はヨーロッパ暮らしも多いから、オープンテラスのほうが性に合うの」

そういうことなら。と携帯電話を取り出したあゆが時間を確認。「おつきあいさせて いただくのです」余裕ありと判断して椅子に座りなおす。

「やあ、いらっしゃい」

タイミングを見計らって顔を出したのは士郎である。気配を察していたのだろう。逆にあゆはその気配を読めなくて、無駄に心臓を跳ねさせていたが。

「私にお代わりを、この子にも同じ物をお願いできますか?」

「コーヒーをかい?
 あゆちゃんには早くないかな?」

あら?と、あゆに寄越される視線。

「もう4年生ですよ。大人の味を知ってもいい年頃です」

うちのなのはは、まだ飲めないみたいなんだが。と苦笑した士郎は、しかしなにか思い出したらしく「階段を登りたくなる年頃か」と納得顔。

「試してみるかい?」

「はい、なのです」

コーヒーを飲んだことがないわけではないが、八神家では大抵ミルクと砂糖たっぷりだ。

これがもとであゆはコーヒーの味を覚えてしまうのだが、まあ余談である。




****




クラスの、クリスマス会の準備中であった。

「さんたさんは、いますよ」

ゑ?と目を丸くしたのはアリシアである。まさか、あゆが4年生にもなってサンタを信じているとは思ってもなかったのだ。

「会ったこと、あるの?」

このあゆが信じているのだから、それなりに確証あってのことだと思ってしまっても仕方あるまい。もしくは、サタンとでも間違えているか。

「いいえ、なのです。
 わたしは わるいこですから、きてくれるはずが ありません」

アリシアが聞き出したところによると、あゆがサンタを信じている要因ははやてにあるようだった。

なんでもはやては、「サンタはんは居てはるけど、忙しいので、プレゼントを貰えるあてのある子ぉのトコには来ぃへんし、順番待ちや」と説明したらしい。魔導師やロストロギアがあるのだから、それぐらい居てもおかしくないだろうとあゆは納得したのだとか。


「それで、今年のプレゼントはなにをたのんだの?」

「とくにほしいものもないので、きょねんから なにもおねがいしていません」

えー!あゆちゃん変!と、声を上げたアリシアが、なにやら指を折って数え始める。欲しい物がありすぎて困っているらしい。

「あれ?去年からってことは、おととしは何かたのんだの?」

アリシアの疑問に「もう、そのきはないのですが」と前置きして、あゆは色紙を切っていた手を止めた。ついでの練習代わりにハサミを消してみせる。手先は器用なほうなので、クリスマス会の余興に手品でもしようと考えているのだ。

「がっこうを、たいがくさせてほしいと」

「えー!」

あゆがサンタを信じているらしいというくだりから、聞き耳を立てていたクラスメイト一同である。たちまちあゆの周囲に押し寄せてきて、口々に「なぜ?」だの「どうして?」とか「学校きらいだったの?」ときて「やめないで」などと言い立ててくる。なんだか女子の比率が妙に高いようだ。

『これは、なにごとなのですか?』

『前に言ったことなかった?
 あゆちゃん、めんどうみがいいから、けっこう人気なんだって』

『それは、だんしのはなしでは?』

『そんなこと言ったおぼえ、ないけど?』

実際アリシアは、あゆにチョコを渡したがっている女子を何人か知っていた。上級生に絡まれていたところを助けられた子や、プリントをバラ撒いてしまって困ってたところを手伝ってもらった子。勉強を教えてもらったとか、体育でコツを教えてもらった、励ましながら一緒に余計に走ってくれた、などは枚挙に暇がない。中でもピーマンが食べられなくて困っていた子の時のことなど、印象が強すぎて忘れようのないアリシアである。



母親の作ってくれたお弁当の、取り除きようがないほど細かく刻まれたピーマンが混ぜ込まれたピラフを前に、その子は泣きそうだったのだ。お昼休みも、残り少なかった。

通りがかったあゆは、実に自然にその手ごとスプーンを操って、そのピラフを口にしたのだ。

「とっても、おいしいのです。
 おりょうりのじょうずな おかあさんで、よかったですね」

とても幸せそうににっこりと微笑まれて、その子は思わずピラフを口にしてしまっていた。「だって、本当にものすごくおいしそうに食べるんだもの」とは、その子の弁である。今ではピーマンは、むしろ好物なのだとか。



マルチタスクにも限界はあるから、あゆは割り切って、学校に居る間は学校のことを考えるようにしている。とはいえ、あゆにとって、授業や行事などに大した労力が要るはずもない。自然、その有り余った処理能力の矛先はクラスメイトに向けられていたのだ。

学校が楽しいに越したことはないから、トラブルの種や雰囲気を悪くするような要素を事前に摘んでいるのである。あゆにしてみれば巣穴の周りを整備しているようなもので他意はないから、それらのことがこの事態に結びついてると解からない。

本人は、ついでに洞察力や判断力が磨ければ儲けもの、ぐらいにしか考えてなかった。


「八神さんのお姉さんって、中等部だよね?」中には行動力のある子もいて、「あたし、絶対かなえないでってジカダンパンしてくる」などと言い出す始末。おねがいだから それだけはやめてくれと、泣きつきそうになったあゆである。

ぱんぱん。と手を叩いて、皆の注意を惹いたのはアリシアだ。

「はいはい、みんなおちついて。
 あゆちゃんの事情は知ってるでしょう?それに、おととしの話だって言ってたじゃない」

ね、あゆちゃん。と微笑みかけられたあゆが、頷いてみせた。本当は去年のクリスマスにも同じお願いをしようと思っていたが、他ならぬ目の前の親友に、退屈な学校生活も悪くないと思わされてしまったのだ。

「そのとおり、なのです」

安心したらしいクラスメイトたちが、三々五々と元の作業に戻り始める。後ろ髪を引かれまくっているのが何人か居るようだが。

ちなみに、アリシアが言うところのあゆの事情は、そもそもアリシアの創作――口から出任せと言ったほうが正しい――であった。

時空管理局に勤めていることを明かすわけには行かないあゆの本当の事情を知っているのは、クラスではアリシアだけだ。そこで表向きには、八神家が下宿を営んでいるとしたのである。ヴォルケンリッターの説明にもなるし、フェイトが下宿していたからという理由でアリシアとの仲も理由付けできるし、あゆが忙しいのも家の手伝いが大変だからと言い訳ができた。

『学校やめたりなんかしたら、いまの調子でみんな家まで押しかけてくるんじゃない?』

アリシアの脅迫めいた想像に、はふ。と、あゆは溜息をつく。

研究時間を確保するために学校を辞めたい気持ちは、今でもないではない。だが、これではとても無理と、あらためて観念したのだ。

『じんせいは、いつだって、こんなはずじゃないことばっかりなのです』




[14611] #70-1 約束の時へ
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/09 12:28
――【 新暦70年/地球暦1月 】――




念のために、S2Uにいくつかの通信文を用意しておいて、あゆは飾り気のない執務室を後にした。

金平糖を噛み砕く音だけを残して。



地上本部が慌しい。

クラナガンを遠く囲むように、同時に3ヶ所で、ガジェットを引き連れた戦闘機人が暴れているのだ。

新型らしい飛行タイプの戦闘機械が大量に投入されたらしく、首都航空隊も手一杯。航空武装隊への応援が要請されたようだ。


それらが陽動であると、あゆは知っていた。


今頃セインは、やはり新型の戦闘機械を引き連れて拘置区画の仲間たちを救け出していることだろう。その後、3人がかりで最高評議会を襲撃する手筈になっている。


**


「しつれい、するのです」

あゆが訪れたのは、レジアスの執務室だ。

「八神さん、珍しいですね」

出迎えてくれたのは、オーリスである。

「れじあすに、はなしがありまして」

「少将は事態に対応中です。今はご遠慮願えませんか?」

それは、見れば判ること。高価そうな椅子から身を乗り出して空間モニターを睨むレジアスが、なにやら女性士官に命じて、各方面と遣り取りしていた。

動こうとしない少女の肩に、オーリスが手をかけようとしたその時だ。

あゆが、手にしていた【碧海の図説書】を投げつけたのは。


群青色の書籍が弾いたのは、レジアスの傍にいた女性士官。凶悪なツメを伸ばしたその右手であった。

この部屋のドアが開いたときから、あゆは気になっていたのだ。レジアスの斜め後方に控える女性士官の立ち位置が。

「なにものです」

レジアスから距離を取って、本棚の傍へと退いた女性士官を問い質す。


この執務室には、中央に階下への階段がある。

S2Uを構えて歩み寄ると、間に挟んだその階段を軸とするように女性士官がドアの方へ。その間にオーリスがレジアスへ駆け寄っている。


「ドクターに敵対するおつもりですか?」

ん?と思ったときには、女性士官が戦闘機人のスーツ姿になっていた。髪の色も変わっている。

「どくたーの、むすめごさん でしたか」

絶句しているらしい気配が、背後に。

「ドゥーエと申します。お見知りおきを」

戦闘機人に空き番号があることは気付いていたが、ディエチやノーヴェの例から必ずしもロールアウト順でないと知っていたので気にしていなかった。

こんなところに居たとは。

「てっきり貴女も、少将を始末しに来たのだと思ったのですが」

なるほど、どうりであんなタイミングで動いたわけだ。口にすれば決裂を決定付けてしまうから「もしくは、少将の暗殺を妨害に来たか」とまでは言わないようだが。

「あなたという そんざいがいて、れじあすをころすなどという しなりおは、ぞんじてませんでしたよ」

クアットロからの情報収集を、過大評価されていたのかもしれない。

「そうでしたか。では、そこを譲って戴けますか?」

レジアスとオーリスを庇うように立ちはだかったあゆは、声をかけようとしたレジアスを後ろ手に制止する。

「わたしのようじが すんでからなら、かんがえてもいいのです」

「……」

ドゥーエがツメを下ろしたのを見て、あゆは視線をレジアスに。オーリスがなにか言おうとしたのを、手振りでとどめる。

「どくたーすかりえってぃに【じんこうりんかーこあ】をわたしたのは、あなたですか?」

なんだと?と、驚きのあまりかそれは、ほとんど声になっていなかった。

「どくたーは、わたしのしゅっしんせかいを しっていました。どこからもれたのでしょう?」

心当たりがないらしいレジアスは副官に視線を向けるが、オーリスもかぶりを振る。

自分に向けられていたあゆの視線に気付いたオーリスが、毅然と動揺を押さえ込む。

「父さ……、レジアス少将は、違法研究を整理する際に、貴女の情報が洩れることだけはないよう細心の注意を払っていました。怨みを貴女に向けるものが出ないとも限りませんから」

その割に、本局ではえらくおおっぴらにアプローチしてきていたようだが。などとあゆは突っ込まない。

「その証拠に、実に不名誉な噂を放置なされたままでした」

証拠というには薄弱すぎるような気もするが、確かにそうでもなければ「ロリ殺し」などというあだ名を奉られて黙っているような男ではあるまい。たとえそれが、レジアス・ゲイズという人物像の再評価に繋がるとしても。

「いほうけんきゅうを すいしんしてきたのに、ふようになったら きりすてる。それが あなたのせいぎですか?」

それは、スカリエッティがドゥーエという隠し札まで切ってレジアスを暗殺しようとしたことから、推測したに過ぎない。カマをかけてみたまで。答え次第では【碧海の図説書】の角をお見舞いしてやるつもりである。

……そうだ。と頷くレジアスを庇うように「待ってください!」と2人の間に割り込んできたのはオーリスだ。

「あなたの研究が完成しだい、少将は公開意見陳述会で最高評議会を告発するおつもりでした!もちろん、ご自身の罪状も含めて」

止めようとするレジアスを押し退けて、コンソールを操作する。表示されたのは数多くの空間モニターで、そのどれにも最高評議会との接見の様子が映し出されていた。

「こちらからの支援が減少していくことで、違法研究が立ち消えればそれでよし。最高評議会を告発した後でも、逃げる暇はあるだろうと。
 少将と最高評議会の間には微妙な見解の相違がある。告発するまで評議会に睨まれるわけには行かなかった。過剰に捜査に介入すれば、それを理由に罷免されたでしょう!」

睨みつけてくるオーリスの目尻に、うっすらと涙が。

「【じんこうりんかーこあ】のかんせいが、おくれたからだと?」

頷こうとしたオーリスを、レジアスがとどめる。

「いずれにせよ、儂の不明であることに変わりはない」

戦うことを決意した時のゼストの目に似ていると、あゆは思ったことであろう。アギトを救い出したあの日に、一度だけ見ていた。

「もっと、れじあすに そうだんしていれば よかったのですね。
 あなたを しんじきれなかったわたしを、……」

最後まで言い切らず、あゆはドゥーエに向き直る。

「おまたせ、したのです」

では。とツメを構えるドゥーエに、しかしあゆは道を譲らない。

「どくたーに、れんらくをとって ほしいのです。
 れじあすのいのちを、わたしにあずけてほしいと」

口を開こうとしたドゥーエの隣りに、空間モニターが開いた。

『まさか、その男を庇うとはね』

「どくたー。あなたには、かしがあると おもうのです。
 それで、れじあすのいのちを あがなわせて もらえませんか?」

貸し?と首を傾げたスカリエッティは「ああ、あの玩具か」と納得したよう。

『後々の禍根は絶っておきたいところだが、確かに君には借りがある。時間も稼いでくれたしね』

どうだいここは。と大仰な身振りでスカリエッティが顔を上げた瞬間である。

『私の娘と闘って、勝ち取ってみる。というのは!』

セインが、小柄な戦闘機人を抱えて床から飛び上がってきたのは。


『おっと、さすがに3対1はフェアじゃないね。チンク』

はい。と一歩前に出たのは、あゆと頭ひとつ分ほどしか変わらぬ小さな戦闘機人。スーツの上に、特徴的な二重構造の外套――インバネスとも二重回しとも――をまとっている。

チンクを連れて来たセインは、ドゥーエにしがみつくようにして床下へ消えた。

「ちんくさん」

「……」

相手は、あのゼストと互角に渡り合った戦闘機人だ。とてもじゃないが、あゆが太刀打ちできる相手ではない。


あゆは、これまでに闘ったことがなかった。はやての傍で戦うときのために戦闘技術は磨いてきたが、それだけである。


そもそも、暗殺者とは闘う者ではない。

暗殺者は、殺す者である。屠殺場で牛や豚を処理するように、人を殺す。それは作業なのだ。安全なところから手を下す、臆病者に過ぎない。例えば、河などを挟んで狙撃する。例えば、寝室に毒ガスを混入する。例えば、乗り物ごと爆破する。殺す相手が人間だから、なるべく抵抗されないよう手練手管を練り、隙を窺う、なければ作る。ただ、それだけの技術者だ。

何かを勝ち取るために闘う心の毅さも、何か守り抜くために立ち塞がる覚悟も、持ち合わせてなどない。


でも、それではダメなのだ。

あゆが慕う姉は、八神はやては優しい人だ。その友人であるなのはとフェイトも、同じく。

優しいから、何の理由がなくても誰かのために闘える人たちだった。「力があるから、力のない人のためになりたい」と、何の気負いもなく言える人たちだった。

そう聞いたときに、あゆは願ったのだ。強くなりたいと、なによりも、心を毅くしたいと。

はやてたちの傍らに立ちたければ、同じように闘えなければ足手まといになってしまう。だからあゆは、毅い心が欲しかった。技術を磨けば、肉体が強くなれば心も毅くなるかと思って、戦闘機人になることすら望んだ。


視界の中央に、チンクの姿がある。怖くて、目が離せない。

もうすでに相対してしまっている事実に、染み付いた習性が絶望を奏でている。相手がこちらに気付く前に手を下すことも、小細工を弄して動きを封じる時間もない。実力差は月とすっぽん。暗殺者としては、詰んでしまっている状況なのだ。


しかし、今なら闘えるのではないか。と、あゆは自分を信じてみる。今闘わなくてどうする。と、あゆは心を奮う。

あゆの存在を肯定してくれたのがはやてであるならば、あゆの能力を肯定してくれたのはレジアスであった。

本局が魔導師3人の数年分としか評価してくれなかった能力を、声高に求めてくれたのはレジアスだけであったのだ。

「れじあす。
 あなたのために、たたかってみましょう」

その声が、ひどく震えていた。

「待て!儂は殺されても構わん!」

立ち上がろうとしたレジアスを「まもれ、はがねのとりで」光の牙が閉じ込める。寄り添うオーリスごと。

「あゆちゃん」

【碧海の図説書】が使われたことで目を覚ましたのだろう。エスタがリュックから出てきた。周りの様子に驚いてはいるが、しかし、いちいち訊いたりはしない。

ふよふよと浮いた【碧海の図説書】が、あゆの手に収まる。同時に騎士服を展開。

「えすた。いきますよ」

「はいです!」

『ユニゾン・イン』

光球と化したエスタがあゆの胸元へ飛び込んで、その色彩を変える。黒い髪はアッシュブロンドに、青鈍色の騎士服はペールブルーに。まるで、覚悟と決意で青ざめたかのような、死装束めいた姿。

ユニゾンしても、レアスキルのせいでそれほど魔導師ランクは上がらない。AA-が精々だ。それに、可用性も減る。連携さえしっかりしているなら、AとA+の魔導師2人の方ができることの幅が広いのだ。

しかし、このレベルの敵相手では、各個撃破されるほうを心配すべきだろう。なにより、エスタの、幼いがゆえに迷いのない心が、あゆの決心を後押ししてくれる。それが何より、心強い。


見やれば、無数のスローイングダガーを宙に浮かべて、チンクが臨戦態勢。しかし、待ってはくれているようだ。

『クアットロが時間稼ぎをしているからね。存分に闘いたまえ!』

ひゃーはっはっは!と、背骨が折れそうな高笑い。


「かーとりっじろーど」

打ち上がった3枚のしおりを、追いぬくように挟み取る。はやてとフェイトとなのはが、魔力操作の練習と嘯いて篭めてくれたカートリッジ。片隅に描かれた似顔絵が、笑顔であゆを応援してくれているよう。

「ぱんつぁーがいすと、なのです」

 ≪ Panzergeist ≫

エタノールが燃えるような、かげろうのごとき防護フィールド。うっすらと蒼い。

『ふーさりょういき、ですよ』

 ≪ Gefangnis der Magie ≫

エスタが唱えたのは、封鎖領域。こちらはセインとスカリエッティ対策であったが、チンクの傍らに浮く空間モニターに変わりはない。

観客は、少ない方が良かったのだが。

あゆは、その手の内を見られれば見られるほど、知られれば知られるほど、弱くなる。その魔力不足を補うために、奇襲や隠し球めいた戦法が多いからだ。

ため息の代わりに、深呼吸。

『つづいて、やわらかきしちゅう、ですぅ』

 ≪ Weichstutze ≫

レジアスの執務室の床といわず壁といわず、あらゆる面から白い木のような物が突き出してくる。ぷよよんと震えるそれが密生して、視界を塞いだ。


「いきます」

あゆに向けていたスローイングダガーを、しかしチンクは撃ち出さない。白い立ち木が邪魔をして、射線が通らないのだ。這うような姿勢で密林を駆けてくるあゆの姿が、まれに垣間見える程度。

仕方なく、その移動線上に撃ったスローイングダガーたちは、

『ホールディングネット、ですよ』

 ≪ Holding Net ≫

中空に張られた光の網に阻まれた。航空魔導師が使うものより、かなり緻密に編みこまれている。

魔力量に不安のあるあゆは、魔力消費の少ない術式による様々な代用案を模索してきたのだ。墜落時の安全対策として航空魔導師が使うこの術式は、高速で飛来してくる物を優しく受け止めてしまうのに適していた。


『面白い!やるじゃないか』

空間モニターの向こう側で、スカリエッティが耳障りな笑い声を上げている。意外や、本気で愉しんでいるようだ。


あゆは、ゼストと戦ったチンクの資料を見ている。その上で練った対チンク戦術。それが、この密林と霞網の組合せであった。

チンクとの間に射線が通らぬよう、柔らかな障害物を縫うように走り抜ける。先読みで撃ち込まれてくるスローイングダガーは、適宜エスタがホールディングネットで絡めとった。

「……」

なぜ防御魔法でないのか?不審に思ったチンクは、今一度スローイングダガーを投じる。当然ホールディングネットに阻まれるが、「ランブルデトネイター」その場で爆発させた。

爆圧をまともに受けて、あゆが吹き飛ばされる。

「ふ、衝撃を与えねば爆発しないと思っていたか」

追い討ちをかけるべくスローイングダガーを2本、3本と。しかし、身を翻して体勢を立て直したあゆは、支柱の弾力を利用して上に逃れた。

天井から垂れ下がった立ち木の枝を支点に身体を入れ替えて、天井に着地、すぐさま蹴ってチンクに向けて急降下。

「なめるな」

指間に現出させた6本のスローイングダガーを、絶妙な時間差、範囲で投じる。避けるのは難しい、防げば全て受け止めるハメになる。そうして防御魔法を完全に破壊してやれば、かなりの魔力を損なわせることができるはずだ。

「あくてぃぶ がーど」

 ≪ Active Guard ≫

発生した爆風が、スローイングダガーの軌道を逸らし、あゆの落下速度を殺す。相手が任意に爆発させられるのなら、その意図するタイミングをずらしてやればよい。直撃コースに残った1本を、長めに持ったS2Uで弾き飛ばす。少なくとも着発信管ではないことを、チンクが教えてくれたばかりだ。


「かーとりっじろーど」

打ち下ろしたしおりを、着地と同時に挟み取る。

「むっ?」

何の気なしに振るわれたS2Uを、チンクは避けられなかった。あまりにも悠然と、あまりにも殺気がなかったから、却って反応しづらかったのだ。事実、インバネスごしに腕に触れただけで、なんのダメージもない。

「ぶれいく いんぱるす」

 ≪ Break Impulse ≫

それはクロノ直伝の術式。固有振動数の算出のために接触したまま数瞬の停止が必要だが、最小限の魔力で最大の効果を上げる。まるで、あゆのためにあるような魔法だ。

「くっ」

イヤな予感に体捌きで杖頭から逃れるチンクだが、なびくインバネスまでは逃げ切れない。しかしながら、送り込まれた振動エネルギーが破裂させたのは、その表面のみ。

「シェルコート。その程度では破れん」

ひるがえったインバネスの下から伸びた手が、S2Uの杖頭を掴んだ。捻り上げられると戦闘機人の腕力が角速度で増幅されて、あゆの手から愛杖を奪い取る。

力づくでS2Uを取り上げられたあゆは、勢いに引き摺られてたたらを踏んだ。ように見せた。手にした武器に注意を向けさせ、警戒させ、捨てる。奪わせる。そういう戦法が存在する。

杖を奪えるということは、それだけ接近しているということだ。バランスをとるために踏み出したように見えた足が床を踏みしめたときには、あゆの右掌がチンクの胸元に添えられていた。インバネスに防がれるのなら、直に打ち込むまで。固有振動数の算出も先程より早い。そして今一度の、

「ぶれいく いんぱるす」

 ≪ Bruch Impuls ≫

しかし、

「【えー えむ えふ】!」

見憶えのある魔力素の結合状態に、思わず悲鳴。

送り込むはずだった振動エネルギーはおろか、まとった防護フィールドも、周囲の障害物もみな、掻き消されてしまった。魔法強度の高かった封鎖領域だけが、かろうじて維持できている。

あゆは、気付かなかったのだ。ゼストとの戦闘記録の、その周囲にガジェットの姿がなかったことを。戦闘機人たちの中で、少なくともチンクは独力でAMFを発生させられることを。

「どうも、見縊っていたようだ」

S2Uを放り捨てたチンクがすっと、あゆの右腕を払いつつ身を入れてくる。流れるような動作で叩き込まれるのは、肘。

とっさに【碧海の図説書】を割り込ませなければ、肋骨を全て折られていただろう。

『なるほど、しぐなむねぇさまの きょうぶそうこうは だてではないのですね』

みしみしと悲鳴をあげる肋骨たちに詫びを入れながら、打たれた勢いのままに跳ねのく。

  ――『怖い時ゃあな、嗤うんだよ。なんでもいい、たとえば自分の不運とかな』――

そう教えてくれたのは、ゲンヤだったか。酔うと、現場の心構えを滔々と語りだすのだ。

『いきて かえれたら、まっさーじをふやすのです』と口の端を歪めたあゆが見たのは、自分を取り囲む大量のスローイングダガー、スローイングダガー、スローイングダガー。

「かーとりっじろーど!」

「オーバーデトネイション」

殺到したスローイングダガーが、次々と炸裂する。一度に爆破しないのは、そのほうが体重の軽い相手には効くからだ。


指間にスローイングダガーを呼び出し、チンクは身構えた。この相手のことだ、この爆炎に乗じて突っ込んできかねない。


「……」

風などない室内のこと、爆煙がはれるには時間がかかった。


AMFの範囲外なのだろう。執務室の反対側に白い障害物がいくつかとホールディングネットが残されていた。

「運のいい……。
 いや、狙って跳んだか」

燃え破けた騎士服にかろうじて身を包んだあゆが、受け止めてくれたであろうホールディングネットからずり落ちる。床にくずおれたその体の、いたるところに火傷。額をはじめ、流血が何ヶ所か。とっさにエストが張ってくれたパンツァーガイストにパンツァーヒンダネス。自ら張ったパンツァーシルトで可能な限り弾いて、このありさま。

『カートリッジロードですぅ!』

飛び出したしおりが落ちてくるに任せて、エスタが唱えるのはシャマル直伝。

『しずかなるかぜよ、』
「だめです」

床に手をついて、あゆが重心を前へ。

【静かなる癒し】は、AAランクの魔法だ。ユニゾン中の2人ならかろうじて唱えられるが、魔力消費と疲労が莫迦にならない。カートリッジだって無限じゃない。

『かなりあぶないのですよ、このままじゃ……』

    『えすた、いいですか……』

「わたしは、だいじょうぶなのです」

よろよろと立ち上がる。勝敗は決したと思ったか、チンクがゆっくりと近づいて来ていた。

「えすたは、どうですか?」

『えすたは、いたくなんかありません!』

エスタの強がりに、くすり。と苦笑。

「じょうとう、なのです。
 しけつだけ、おねがいするのです」

『はいです。フィジカルヒール』

 ≪ Physical Heal ≫


指間に6本。周囲に無数のスローイングダガーを浮かべ、チンクは油断なく近寄ってくる。

「降参しろ。
 お前には恩がないこともない、命だけは保証してやる」

「あんさつしゃ  なら、そのことばに、したがった  でしょう」

応えてみせて、答えてない。調息と自己暗示で痛みを抑え込むための、時間稼ぎ。

「たべもしない  らいおんを、わざわざ  とさつしようとする  あんさつしゃは  いないのですから」

でも。と、あゆは一旦振り返る。白い牙で形作られた、インディアンのテントのような、ちいさな砦。

「いまは、いまだけは、
 わたしは、たたかうひと  なのです」

チンクに向き直り、構えた。火傷が引き攣れるが、稼いだ時間の分だけ痛みは無視できる。

「【ぬー】を  まもるために  たたかう  【もらん】  なのです」

そうか。とチンクがスローイングダガーを投じるのと、あゆが駆け出すのが同時であった。しかし、チンクの予想以上にあゆの動きが鈍い。爆破のタイミングを計りなおした瞬間である。

『フェアーテ、ですよ』

 ≪ Pferde ≫

スローイングダガーの爆破が時限式なら、タイミングをずらせばいい。エスタの唱えた移動魔法は、そのために。

「すてぃんがーれい」

 ≪ Stinger Ray ≫

「なにっ!?」

奪われ、捨て置かれていたS2Uから、光弾が放たれる。むろんAMFに阻まれて届かないが、チンクを振り返らせるには充分であった。

スローイングダガーの爆破が任意なら、その発令者の気を逸らせばいい。


爆発さえしなければ、単なるダガーだ。顔への直撃コースにあった1本を、あゆは【碧海の図説書】の葉間で挟み取る。右肩に突き立たんとしたダガーを半身になって躱し、左脚へのそれは刺さるに任せた。右脚なら騎士服が防いでくれたかもしれなかったが、あゆは気にしない。フェアーテの効果があるうちは、脚はただ、在ればいい。

謀られたと気付いてこちらへ向き直ったチンクの顔に、パームマジックの要領で右手に隠し持っていたダガーを放った。ホールディングネットに絡まっていたのを回収しておいたのだ。

暗器使いは暗殺者の十八番。

さらに今【碧海の図説書】で挟み取ったダガーを、時間差で投げつける。

もしスローイングダガーの爆破が個別で行えなかったとしたら、たとえ再投擲してきてもチンクは爆破をためらうだろう。


最初のダガーを、チンクは危なげなく体捌きで躱した。


懐から金属製のしおりを取り出したあゆが、【碧海の図説書】の葉間に差し込む。

「おぷてぃまむ ろーど」

人工リンカーコアの研究を止めて以来、あゆはずっと戦闘機人対策を模索していた。ギンガとスバルは、その身体データを見せてくれた。

機械部品を内蔵した戦闘機人への単純な対抗策は、電気を用いることだ。質量兵器扱いで違法でなければ、あゆはスタンガンを持ち込んだことだろう。魔法で電撃を招来することは難しくないが、しかしAMF下では効率が悪い。

そこであゆが目をつけたのが、魔力変換資質である。シグナムやフェイトの魔法行使を目にしているあゆは、その効率のよさを知っていた。

目指したのは、魔力変換資質を擬似的に再現する【エンチャントカートリッジ】であったが、たかだか8ヶ月では完成に至らない。

今【碧海の図説書】に読み込ませた【オプティマムカートリッジ】は、【エンチャントカートリッジ】の前段階。特定の魔法に合わせて、その行使に最適な魔力素の組合せを予め蓄積しておく特殊カートリッジである。実は、それすら未完製品。魔力素を感知し、掌握できるあゆだからなんとか充填できる代物だ。


さらに、打てる手は全て打つ。

『ちんくねぇ!うえ!』

それは、戦闘機人向けの念話。

一瞬気をとられたチンクが、かろうじて2本目のダガーを弾いた。その体勢が泳ぐ。


まだだ。まだまだ。

人差し指の腹に落とした金平糖を、親指で弾く。

それがただの砂糖菓子であるなどと知らないチンクは、光壁を展開する。自身のオーバーデトネイションすら防ぎきる防護陣、ハードシェルだが、明らかに役不足。こつんと落ちた白い粒に、身構えていたチンクは「は?」と気を抜いてしまった。


「さんだー あーむ」

 ≪ Thunder Arm ≫

ぱりぱりと電気を帯びた【碧海の図説書】を、あゆは見もせずにチンクの足元に投げつける。

無論、そんな見え見えの攻撃に当るようなチンクではない。あゆがこちらの注意を足元から逸らそうとしていることなど、先刻承知だ。指3つ分つま先を引いて、躱した。……筈だった。

「がっ!」

脳天まで突き上げてきた激痛に身をよじったチンクは、見た。
空振りして床を打ちつけたはずの書籍が、四半回転して自身のつま先を打ち据えているのを。その書籍から伸びた魔力鎖が、あゆの左手に結ばれていることを。

「らいりゅう、いっせん」

あゆの導きにしたがって、【碧海の図説書】がチンクの体表を駆け上がる。その四隅が当るたびに放たれる電撃が、チンクの内部機構を蹂躙すること3回転分。

あごを打ちつけた一撃に平衡感覚を奪われ、続く眉間への一撃で意識を刈り取られたチンクはしかし、くずおれることを許されない。あゆが【碧海の図説書】を操って、その魔力鎖で縛り上げたのだ。


痛みで軋む体を叱り付けて、あゆは左太腿に刺さっていたダガーを抜き取った。

『おっと、そこまでにしてくれたまえ』

刃とチンクの喉の間に割り込んできたのは、スカリエッティが映る空間モニター。

「ひとに いのちをかけさせておいて、
 それは、むしがよすぎませんか?」

『いやいや、仰るとおりだがね。
 私とて愛しい娘を失いたくはないよ』

ここでこちらから動いてはならない。あゆはただ、じっとスカリエッティを見やった。睨む必要はない。蔑む必要もない。正当な報酬を要求する、勝者の目をしていればいい。あゆには今、その権利があった。闘って、掴み取ったのだから。

「……」

ふう。と、溜息をついたスカリエッティが肩をすくめてみせる。

『わかったよ。なにが望みだい?』

「おやくそくしていた きかんの えんちょうを、
 そうですね、80ねんほど」

ん?と首を捻ったスカリエッティが「長すぎないかい?」と眉をしかめた。

「こちらは、4にんぶんの いのちをかけたのです。
 ですから、れじあすと おーりすさんの、よみょうぶん。
 わたしと えすたのぶんは、さーびす なのですよ」

『やれやれ、しかたないね。
 合わせて90年は、ミッドチルダや第97管理外世界近辺には手を出さない。
 これでいいだろう?』

あゆは、空間モニターを突き抜けてチンクの喉に刃を当てる。

「どくたーの むすめごさんの、いのちにかけて ちかってください。
 もし、あなたがやくそくをたがえたら、この えいぞうをみせて、
 『どくたーにとって、あなたのいのちは そのていどでした』と、ちんくさんに いってさしあげるのです」

おそらく、そう言われてもチンクは動じまい。しかし、自分の作品を芸術品と呼んだスカリエッティ本人はどうか。

『容赦がないね、君は。
 わかったよ。チンクの命にかけて、創造者の誇りにかけて誓うよ。
 これより90年間、ミッドチルダや第97管理外世界近辺には手を出さない』

あゆとて、それを鵜呑みにする気はない。話半分。いや、話四半分として、20年ほども猶予が得られれば御の字だろう。その頃までに、戦闘機人への完全な対抗策を見つけてみせる。それがあゆの決意であった。


やくそくですよ。と、エスタに封鎖領域を解かせると、「チンク姉!」待ちかねたようにセインが飛び出してくる。

チンクを引き渡して、その撤収を確認したあゆは、痛む体を叱咤しながらS2Uの下まで辿り着いた。

「あゆちゃん、だいじょうぶですか?」

「……」

ユニゾンを解いたエスタの語りかけに、あゆは応えない。失血と苦痛で、今にも気を失いそうなのだ。

倒れるようにS2Uに手を置き、予め用意しておいた通信文から2つ選んでそれぞれに自動発信手続きを取らせる。相手が受け取るまで、何度でも発信しつづける設定で。

そのランタンめいた杖頭の輝きを確認して、ようやくあゆは意識を手放した。




****




幸い、あゆの昏倒はそれほど長くはなかった。

実は回復を放棄したように見せて、エスタには第8世代試作品を用いた治癒魔法を行使させていたのだ。ユニゾン中であれば、エスタは内部から治療できる。魔法陣の展開も必要ない。

ケガ人と侮って貰えたからこそ、あのチンクに勝てたのだろう。

敢えて残してあった外傷を治療してもらい、点滴や輸血といった処置が済むまでに、さほどの時間は必要なかった。


**


帰宅したあゆを迎えてくれるのは、実に美味しそうなにおい。

「ただいま、なのです」

「ただいまですぅ」

「おかえりや、あゆ。エスタ。もうすぐご飯やよ」

わぁいですぅ。と、はやてに飛びつくエスタの姿に、あゆは頬をほころばせる。


  ねがわくば、このこうけいが すこしでもながく つづきますように。

あゆの、ささやかな願いであった。




****




後日、ミッドチルダと第97管理外世界の一部がどよめいた。

「第97管理外世界辺縁次元空間に停泊していた『時の庭園』が、いつのまにか姿を消していた」という事実が発覚したのだ。


あゆは、心の中でこっそりプレシアに謝ったという。





                        「八神家のそよかぜStS?篇」完



[14611] #71-2[IF]虚空からの翼
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:16f457bb
Date: 2010/06/24 12:19
――【 新暦71年/地球暦9月 】――



「ここはどこです……?」

空間シミュレータが生み出した蒼穹の中心で、高町なのはの目前に現れた少女は、そう呟いた。

「私は何故、ここにいる?」

焦げ茶の頭髪はショートカットで、瞳は激情を凍てつかせたがごときアイスブルー。

身を包むバリアジャケットは、赤光を闇で染め封じたような、底知れぬ黒。――古色で涅色と呼ばれる色だなどと、なのはは知るまい――


しかし、そのデザインは、手にしたデバイスの形は、なによりその顔は……

「わたし……!?」

『そう、なのです。
 なのはおねぇちゃんの【でーた】を もとにつくりあげた、【くうかんしみゅれーたよう かそうてっき ぷろぐらむたい】の ひとり。かしょう、【せいこうのせんめつしゃ】なのです』

「あゆちゃん、ちょっと待って!」

わかりません……。何も、わかりません。と、つぶやく【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】を前に、なのはが空間モニターに映るあゆに詰め寄った。

『まったなし、なのです。
 だいじょうぶ。たたかいにくくないように、かみがたや、せいかく、【ばりあじゃけっと】のいろは かえてあります』

そうじゃなくて。と抗議するなのはを華麗にスルーして、『あいてのじゅんびは、おわったよう。なのです』あゆが指差す先に、まぶた閉ざした【星光の殲滅者】

「だけど、心は滾るのです。
 眼前の敵を砕いて喰らえと、
 胸の奥から声がします」

『【まりょくりょう】は2ばい。【しゅうそく そくど】は1.5ばい。【ぼうぎょ きょうど】は3ばいに せっていしてあります。
 それでは、ごぶうんを』

告げられた言葉の意味をなのはが呑み込む前に消え去った空間モニターの向こう側から、桜色の収束砲撃が襲いかかって来た。



****



コトの始まりは、その年の5月頃である。

最上級生となってから最初の中間テストを終えたはやて、なのは、フェイトの3人は、その結果を以ってして何らかの手応えなりを得たのだろう。67年にそうしたように、リンディの執務室へ直談判しに現れたのだ。

その顛末として、10月から3人が武装隊第四陸士訓練校に入校したことは以前に述べたとおり。

しかし「勉学が大事なら、中学に進学するあゆは管理局辞めるんやな?」という言葉にやり込められたあゆとて、無条件に白旗を揚げたわけではなかった。


「テスト、やて?」

「はい、なのです。
 わたしのしていする あいてと【もぎせん】をして、そのけっかが じゅうぶんであれば、わたしはもう くちだししないと おやくそくするのです」

「勝たなくても、いいの?」

はい。と、あゆはなのはに頷いてみせる。

「わたしのよういしたあいてと じょうきょうに、どう たいおうされるかで はかりますから」

「チャンスは一度きり……、なのかな?」

いいえ。と、フェイトには頭を振って見せた。

「なんどでも、かまいません」

けれど。と、付け加える。

「くふうのない たたかいかたをつづけるようなら、おこりますよ」

「めっ!ですぅ」

まったく迫力の無いしかめ面をして見せるあゆの隣で、エスタが人差し指を立てていた。いつもあゆの傍に居るこの融合騎は、自らのマイスターが何をするつもりか大体の見当をつけたようだ。


……そうして、あゆの言い出した条件を呑んだ3人がテストの当日に出会ったのが、自分たちの能力を模した【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】達だったわけである。




****




あゆが4年に渡って開発してきた人工リンカーコアは、昨年に生産ラインが確立して、今年から本格的な量産が行われている。

そうして当初の契約内容を満了させたあゆは、表向きフリーのデバイスマイスターとして認識されているだろう。色々なところに顔を出して、デバイスを修理したりデバイス扱いの荒い者を成敗するなど、特遮二課の研究室や地上本部の執務室にあまり居ついているようには見受けられないからだ。

だがしかし、【スカリエッティ騒乱】に関わった身として、その保護観察が終わることはない。好き勝手に振舞っているように見えるかもしれないが、さまざまな依頼や課題をこなした結果や、そのついでであったりするのであった。

その一環として完成したコンティニュアルカートリッジやオプティマムカートリッジを含めて、武装局員の魔力ランクの底上げが期待されている。マリエルがミッド式デバイスへの安全なカートリッジシステム搭載を確立したのは一昨年の話で、管理局はかなりの戦力増強が見込めるだろう。


一方、個人的な技術面、組織的な運用面の研究は立ち遅れている。現場主義の根強い管理局では、技術は教わるものではなく盗むものであり、運用は研究するより実践で培っていくものという風潮が強いのだ。

それゆえに人材が払底しているのが、他ならぬ戦技教導隊であった。

個人個人の魔力ばかりが強くなっても、技術・運用が追いつかなければ効果的ではない。そのことを憂慮した上層部が戦技教導隊の拡充案として目をつけたのが、ヴォルケンリッターや融合騎といった魔法プログラム体だ。

数の少ない戦技教導官に代わって、シミュレート空間内でアグレッサーを務める【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】の開発構想が持ち上がったのは、新暦で68年頃のことらしい。


それまでマリエルやシャリオなどが進めていた研究にあゆが関わりだしたのは今年の年頭で、さらにシャマルが加わったのが5月の話である。それぞれ、融合騎を復活させたこと、【闇の書】による蒐集でのリンカーコアへの造詣の深さを評価されての招聘であった。


その結果この9月に生み出された【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】が、なのは・フェイト・はやての3人をモデルとして構築されたのは当然の帰結であっただろう。

当時の【闇の書】――それを一部引き継ぐ【蒼天の魔導書】――が蒐集したことがあるのはなのはとフェイトだけだし、リンクしているのは、そのあるじたるはやてだけだからだ。

もちろん、元々からプログラム体であるシグナムやヴィータをモデルとすることも検討されていたし、そもそもはそういう計画であった。だが古代ベルカの技術で構築されたヴォルケンリッターを解析することは一朝一夕でかなうことではないし、そもそも強力な戦力として重宝されていたシグナムやヴィータに、それにかかずらっている暇があろうはずもない。

それゆえに――リィンフォースを比較的短期間で探査した――あゆの招聘であったのだが、そのあゆが突然なのは・フェイト・はやての3人をモデルにしたいと言い出したのだ。

理由は当然、3人のテストに使うためである。
あゆは憶えていたのだ。以前、シグナムがなのはに「砲撃魔導師を相手にしたときの叩き合いを経験させておきたい」と考えていたことを。常々そう言っていたことを。

自分の得意とする分野で、自分より強い者に勝てるように、勝つ方法を見出せるようになって欲しいと、あゆは願ったのだ。




****




『強いぞ凄いぞ、カッコいい!』

シミュレート空間の中心で、バルディッシュそっくりな斧様デバイスを突き上げたのは、仮称【雷刃の襲撃者】――フェイトをモデルにした【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】――である。毛先に行くほど青みが強くなっていく特徴的な青裾濃の髪の色と、自己陶酔極まりない勝ち名乗りが無ければ、どちらが勝ったか見分けがつかないだろう。


実は、このテストに一番てこずっているのはフェイトであった。当然のことに【雷刃の襲撃者】はその速度に補正がかけられているから、一方的な試合運びになることが多いのだ。

それにしても。と口を開いたのは、モニター越しに見学していたはやてである。

「あの子らの性格、なんとかならへんかったんか?」

「たたかいやすかった でしょう?」

それは事実であった。

はやてをモデルとした【闇統べる王】などは、はやてを「子烏」「小虫」などと挑発し、果てはその場に居ないヴォルケンリッターやリィンフォースまで貶してくる始末。自分のことはともかく大事な家族を悪く言われたはやては怒り心頭で、自分と同じ顔をしているのに一片の躊躇いも覚えてない。

はやては怒りを以って、なのはは共感を以って、フェイトは憐憫を以って、戦う動機を維持できたのだ。

「それはそうなんやけど……」

試しに【星光の殲滅者】と戦ったときや、性格補正を受けてない【闇統べる王】や【雷刃の襲撃者】と対戦してみたときは確かにやりにくかったから、あゆの言っていることは正しいのだろう。

しかし、なんだか割り切れないのだ。「もしかして、うちのこと、あないな風に思とるんとちゃうやろな?」と、一抹の不安をぬぐいきれない。


『……行きます』

テストは2本先取制で行われている。少しのインターバルを置いて、フェイトが再び【雷刃の襲撃者】に立ち向かっていった。

『来ぉい!
 我が太刀に、一片の迷いなーーーしッ!!』

あゆは、模擬戦の様子を見ていない。フェイトと【雷刃の襲撃者】の戦いは常人離れした速度で行われるから、モニター越しとなるとあゆでは追いきれないのだ。実際に立ち会うのなら、大気や魔力素を読んである程度のアタリをつけることはできるだろう。しかし、守勢を保つので精一杯、カウンターも狙えまい。

「それにしても。フェイトちゃんの相手、強すぎゅうないか?」

そうですね。と、あゆは頷く。

「【そくど】は2ばい。【はんのう そくど】は1.5ばい。【まほう はつどう そくど】は3わりげんに せっていしていますからね」

この補正状態の【雷刃の襲撃者】に真っ向から対抗できる者は、おそらく管理局には居まい。むろん、勝てる者は居る。ゼストやクロノにヴォルケンリッター達、メガーヌやリンディあたりなら、速度勝負に付き合うことなく自らの土俵に引きずり込んで瞬殺――あるいは嬲り殺しに――してしまうことだろう。

「勝てるんか?それ」

補正のかかってない――つまりはフェイトと同じ能力の――【雷刃の襲撃者】と戦って一方的にやられたことのあるはやては、速度2倍と聞いてめまいを覚える。

だが、あゆは心配していない。今回はソニックフォームを投入して速度の向上のみで立ち向かっているフェイトだが、クロノに師事するなどして立ち回り方の幅を広げようと研究していることを知っていた。


『砕け散れッ!』

尋常でない速度で繰り広げられた戦闘は、あゆでは見出すことも難しいであろうフェイトのほんの一瞬の隙をついて決着がつきそうだ。

『雷刃ッ滅殺ッ極光ぉ斬!!』

撥ね飛ばされ、体勢を立て直せないフェイトに向けて、ザンバーフォームが振り下ろされる。

『うわーーっ』

作り物の空から叩き落されて、フェイトの悲鳴が尾を引いた。


『そう、僕の勝利だ!』

突き放すように高らかに宣言した【雷刃の襲撃者】が、しかし振り上げたデバイスを力なく下ろす。

シミュレート空間の解体に先立って、今日はもう出番の無い【雷刃の襲撃者】が足元からその構成を失っていった。

『ちぇッ!ここまでか……』


「すこし、かわいそう……かな」

モニターを喰い入るように見つめていて、それまで口を開かなかったなのはが、【雷刃の襲撃者】のつぶやきを拾ったのは当然だっただろう。

「……そうやな」

同意して、はやても頷いている。

「そう おもうのなら、これからも たたかいに きてあげてください。
 かのじょたちの【そんざい いぎ】は、いまはまだ【あぐれっさー】としてしか、ないのですから」

「今は未だ?」

あゆの、ちょっとした言い回しに気づいたのは、やはりはやてだ。

「はい、なのです。
 じかんはかかるでしょうけど、いずれ かならず、かのじょたちを そとのせかいに だしてあげるのです」

それが、スカリエッティ対策として戦力増強の一環になるであろうことを、あゆは言わない。だが、それだけが理由ではないと、傍らに浮かぶ小さな融合騎を見つめる。

やはりプログラム体であるエスタを生み出してみせたあゆが、いずれその宣言を実現することは確かだろう。

「ですから、あのこたちのために おなまえをかんがえてあげてください」

どうもわたしは、なづけるのが にがて、なのです。と、ため息をついたあゆは、一応は考えた名前のリストを脳裏から追い出す。ついつい意味や、連想できる名詞などから有意名をつけようとして、無意味に苦労するのだと自覚しているらしい。
かつて【烈火の剣精】がルーテシアによって名づけられたとき、37案目にして頷いたというその名前に、あゆは嘆息したのだとか。


【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】達は、いずれモデルとなったそれぞれの相手から名前を貰うことだろう。いつかは現実世界に生まれ出でることだろう。


だが、この子たちとの出会いが、管理局における戦技教導隊の現状を知ることが、なのはをして戦技教導官を目指す動機になろうとは、それが戦技教導隊を一変させる原因になろうとは、さすがにあゆとて想像もつかなかったに違いない。




                             おわり


special thanks to 「YouTubeなどにPSPの動画をUPして下さっている皆様方」
おかげさまで参考になりました。

なお、ネタ元となったゲームのストーリー自体がパラレル扱いなので、この話もIF扱いで、本作品では【闇の書の残滓】など有り得ないためオリジナル解釈したマテリアル【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】達も本編の流れに干渉しないとしています。



[14611] #72-1 スタンバイ・レディ
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:40
エピローグ


新暦70年に起こった戦闘機人によるクラナガン郊外破壊活動と地上本部拘置区画襲撃および脱獄、さらに最高評議会三役暗殺を合わせて、スカリエッティ騒乱と呼ぶ。

直後にレジアス・ゲイズ少将により、本人と最高評議会三役による違法研究への関与が発表され、時空管理局は未曾有の混乱に陥った。

伝説の三提督を中心に組織の浄化を推進しているが、まだまだ安定には程遠い。衰えた求心力を時空管理局が回復し、各世界からの信頼を取り戻すにはまだまだ時間がかかるだろう。



――【 新暦72年/地球暦7月 】――




あゆの反対を押し切って、はやて、なのは、フェイトの3人が武装隊第四陸士訓練校に入校したのが昨年の10月のこと。

エスカレーター式の聖祥大付属校に受験勉強は必要ないし、9月までで部活動なども終わるから。と言うのが3人の主張である。すずか、アリサを加えた5人で協力して成績も維持しているから、問題はない。と言い張った。

もちろん、あゆは大反対である。リンディも、あと半年くらい我慢しては?と諭した。

ところが意外な反撃を受けて、あゆが白旗を揚げたのだ。はやて曰く「勉学が大事なら、中学に進学するあゆは管理局辞めるんやな?」である。

これには、リンディも困惑した。

人工リンカーコアは既に量産が始まり、各部隊に配布され出している。それを見越した魔力資質のない者の訓練校受け入れも、72年度から始まるのだ。初めての試みということで、開発者であるあゆ直々に人工リンカーコアの取り扱いについて講義してもらう手筈になっていた。

管理局としても、今更あゆを手放せないのだ。

3人を入局させないためにあゆが入局したはずなのに、今度はあゆを辞めさせないために3人を入局させなければならなくなったのである。

そうして3人が速成コースを卒業したのが昨年12月のこと。そのまま管理局に入局し、それぞれの部署に就いて半年と少しという頃合である。



この8月に、クロノとエイミィが結婚することになった。集まれる者だけで集まって、どう祝うか?と相談するために、本局で待ち合わせ。だったのだが……

「おお!」

私立聖祥大付属中学校の制服の上に水色の白衣をまとったあゆが、わざとらしく頭を抱えた。

「12さいのみそらで、おばちゃんになってしまったようなのです」

「会うなり何を言い出すかな、あゆちゃんは」

「……そうだよ」

だって。と、あゆは、なのはとフェイトの間に立つ女の子を指し示す。3歳くらいであろうか。

「なのはおねぇちゃんと ふぇいとおねぇちゃんに、こどもが」

「なんでそうなるの!?」

「ひどいよ……」

抗議する2人を無視して、女の子の前でしゃがみこんだあゆが、にっこり。

「わたしは、やがみあゆ、なのです。
 あなたの おなまえは?」

「……ヴィヴィオ」

よく言えました。と頭をなでなで。意外と子供には好かれやすいようだ。いや、見掛けは5~6歳だから、警戒されないだけか。



それは、初めてなのはとフェイトが同じ任務に就いた時のことだったそうだ。

フェイトが師事する執務官が内偵した違法研究所に、強制査察に入ったなのはが所属する武装隊が保護したのがこの子なのだとか。

スカリエッティも居なくなり、管理局の支援がなくなっても違法研究の根は絶ち消えないらしい。



「ええっと、それでね」

なのはがおずおずと差し出したのは、待機状態のレイジングハートである。ところどころヒビが入っていた。

「ほほう」

ゆらりとあゆが立ち上がる。


実は、あゆは未だに嘱託である。

失脚した――自ら告発した結果なので正しい表現ではないが――レジアスとの関係が取り沙汰されかねないので、本採用やそれに伴う昇進を辞退したのだ。それに、はやてたちが入局してしまったことで、表向きあゆ本人には管理局に居る理由がなくなった。ここ最近のあゆの口癖は「かんりきょくが きにいらなくなったら、すぐ やめてやるのです」で、対するはやての呟きは「あゆがグレた」である。

その代わりにあゆが手に入れたのが、組織の垣根に関わりなくデバイスの修理や改良に口出しできる権利。通称「直しのライセンス」であった。

はやて達がどんな部署に行こうと、どんなに散ろうとサポートできるようにしたまでであるが、けっこう行きずりでデバイスを修理して回っているらしい。

クラナガンの陸士部隊などでは「任務中にデバイスを破損すると、何処からともなく現れた少女が、護りながらデバイスを修理してくれる」と専らの噂で、なかば都市伝説化している。【青い白衣の少女】で検索すれば、相当数ヒットするだろう。

たまたま作戦行動中の部隊に出くわして、デバイスが壊れた術師を護りながら修理したのは1回だけなのだが。


そういうわけで、レイジングハートのメンテナンスや修理も、あゆが一手に引き受けているのだ。

「かわいそうに、いたかったでしょう」

≪ No problem.I can manage ≫

なのはの手から、いつの間に奪いとったのか、あゆの手のひらの上に赤い宝玉。

「【れいじんぐはーと】は、ほんとうに けなげで、いいこなのです」

よしよし。と、なでている。診断も兼ねてはいるが、その手つきはやさしい。

「ですが、みだりに【りかばりぃ】など つかってはいけませんよ。
 しゅうせききょうどを、そこねますからね。
 あなたも、なのはおねぇちゃんと、そいとげたいでしょう?」

≪……≫

そう言われると反論できないレイジングハートである。

そのね。と後退さるなのはを、あゆが一歩追う。その手に【碧海の図説書】

逃げ出したいのは山々だが、なのはは逃げるに逃げられない。あゆを本気で怒らせたら、レイジングハートを封印されてしまうのだ。重篤な状態のデバイスを守るためにデバイスロックの権限を持っているから、あゆに逆らえる魔導師は多くない。


「なのはおねぇちゃんは、ちょっと あたまをひやしましょうか」

フェイトは、「……見ないほうが、いいよ」とヴィヴィオを目隠ししている。慣れているのだ。と言うか、自らも固くまぶたを下ろしていた。見てると痛みを思い出してしまうからだろう。

「に゙ゃっ!」と、悲鳴らしからぬ悲鳴が上がったのは、その直後のことであった。



                             おわり



[14611] #75-2 機動六課のある試験日
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/03/06 11:04

――【 新暦75年/地球暦9月 】――



ティアナ・ランスターは、兄ティーダ・ランスターを尊敬していた。両親が亡くなって以来、自分を育てながら、とうとう夢であった執務官になった。自慢の兄であり、敬愛する兄である。

残念だったのは、ティアナが入局するより先にティーダが夢を叶えてしまったことだ。少しでも早く負担から開放してあげて、心置きなく執務官を目指して欲しかったのだ。

就業年齢の低いミッドチルダの中でも、管理局はさらに低い。早く独立して兄の負担を減らしてあげたかったティアナが管理局へ入局したのは、ある意味必然だっただろう。


そうしてティアナは、執務官として活躍するティーダに近づくため、その助けにならんとして、今ここに居る。

「ふむ、ちょっと かりますよ」

え?と、思ったときには、目の前からアンカーガンが消えていた。

機動六課のレストルーム。試験前の最後のチェックを行うべく、ティアナが自分の拳銃型デバイスをテーブルに置いた途端のことである。

見れば、自分のはす向かいに水色の白衣を着た少女が座っていた。5、6歳くらいだろうか?ふむふむと、アンカーガンをためつすがめつしている。

ちょっとお嬢ちゃん、それ危ないから返しなさい。と、ティアナが口を開こうとしたときだった。

「てぃーださんのでばいすと、きほん【あーきてくちゃあ】が おなじ。なのです」

「お兄ちゃんを知ってるの?」

ああ。と面を上げた少女が、「いもうとさん でしたか」と納得顔。

「そういわれれば、やさしそうなかおだちが、よくにているのです」

いいですね。と見せた笑顔がなんだか少し寂しそうなのは、ティアナの見間違いだろうか。

「もしかして、これから とうようしけん、なのですか?」

ええ。と答えてからティアナは、素直に応えている自分に疑問を持つ。

「まどうしらんくは、いくつですか?」

Bと答えかけて、あわてて口を閉ざした。レアスキルの詳細情報などとは比べものにもならないが、管理局局員の魔導師ランクも局外秘の秘匿情報なのだ。しかし、

「びー、なのですか」

手遅れだったらしい。

ふむ、まあ なんとかなりますか。と、伸ばされた手が触れたのは、ティアナの胸であった。

「え?」

正確には、胸の谷間、胸骨の上である。

とはいえ、断りなしに触っていい場所でもあるまい。たとえ女同士であっても。どう叱ってやろうかと見下ろしたティアナは、しかし絶句した。

まるで、この胸の内に代え難い宝物があるとでも言わんばかりに、少女の目がやさしかったのだ。

「もっとちからをぬいて、りらっくす するのです。
 りんかーこあの、まりょくのながれを、かんじるでしょう」

それは、今までにない経験だった。胸の奥で魔力が熱く渦巻いているのが、手に取るように解かる。その心地よさに背筋が反り返るのを、押さえきれない。

「そのかんかくを、よくおぼえておくのです」

すっと手を離されると、胸の奥の渦動が薄れて、思わず「あっ」と声を上げてしまう。

急激な魔力の流動に体を支えきれなくなって、ティアナはソファの背にしなだれかかった。魔力を消費したわけではないから一時的なものだが、その過激さにティアナの脳神経系が軽く麻痺しているのだ。

「【まりょくそしゅうせきひりつ】と、でばいすの【あーきてくちゃあ】に、びみょうなそごが みうけられるのです。
 てぃーださんと、おなじにしたいきもちは よくわかりますが、あなたようにちょうせいしたほうがいいのです。
 とりあえず、かんたんにちょうせ……」

少女が何か言っているが、ティアナの耳には届かない。この日のためと己に課してきた特訓の疲労が、ここぞとばかりに襲いかかってきたのだ。


**


「ティア!ティーア!起きてよ、時間だよ」

「ん、スバル?もう少し寝かせて」

聞きなれた声に、ティアナは目頭をこする。

「ダメだよ、登用試験の時間だよ。ティア、起~き~て~よっ!」

ぴくり、とティアナの耳が動いた。

「とーよーしけん?」

「そう、機動六課の登用試験」

がばり。と起きあがったティアナが、周囲を見渡して「あれ?」

「珍しいね、ティアがこんなところで居眠りするなんて」

「スバル、そこに女の子居なかった?」

ティアナが指し示したソファに目を向けるが、スバルは「ううん」と頭を振った。

「夢、……だったのかな」

「そんなことより、もう行かないと、遅刻しちゃうよ」

うそっ。と空間モニターを立ち上げたティアナが、表示された時刻に青くなる。

「大変じゃない!何でもっと早く起こしてくれなかったのよ」

ソファから跳ね起きて駆け出すティアナに、スバルがローラーブーツで追いすがった。

「ひどいなぁ、ティアがなかなか起きなかったのに」

「悪かったわよ」

遺失物管理部機動六課は、バックアップを含めて常駐12名ほどの小さな部隊である。部隊長である八神はやてを除けば、前線メンバーはシグナム、ヴィータ、ザフィーラ、リィンフォースの4人のみ。

もちろんこれでは継続的な作戦行動は難しいため、あらゆる組織、様々な部署から出向者を募っている。OJTとして実戦で鍛えて貰える上に、訓練でも教導隊などの協力を優先して受けられるため、ストライカーへの登竜門とも、虎の穴とも呼ばれていた。半年ほどの出向後は、希望部署への転属も叶いやすいという。

もちろん機動六課へ出向経験があるということは、いざという時にはスカリエッティ対策タスクフォースとして召集されるということであるが、それは公にはされてない。

その出向者は上司推薦の上で希望者を募っているが、こうしてトライアル形式の登用試験でその資質を測っていた。


**


「あれっ……?」

アンカーガンのワイヤーに牽かれるティアナは、アンカー固定術式の手応えの違いに声を上げる。

「どうしたの?ティア」

ううん、なんでもない。と誤魔化すヒマはない。スバルを抱いていた手を離し、いったん別行動をとるのだ。

スバルがガラス窓を破って廃ビル内に突入したのを確認しつつ、ウインチの勢いそのままに屋上へと降り立った。

登用試験そのものは、半年前に受けた魔導師試験とさほど変わらない。会場やコース、ターゲットの配置や数は違って難易度は異なるが、自分たちとて半年前とは違う。


「落ち着いて、冷静に」

ビルの屋上から、隣のビルのターゲットを狙う。

魔力弾を形成しながら、ティアナは先ほどの違和感の正体を悟る。魔力操作の手応えがよくなっているのだ。

今までの魔力操作が井戸で汲んだ水をそのままバケツでぶちまけていたのだとしたら、今は柄杓で狙い打つように撒いているような感触の違いがある。必要な場所に、必要な分だけ。

精度が一段上がった。あからさまにそう感じるのだ。

原因はおそらくあの少女だろう。リンカーコア内の魔力を、ああもはっきりと感じたことが、細かな魔力制御の向上につながっているのだ。

ティアナは引き金を絞る。ほぼ同時にターゲット全てクリア。

今の、7連続の魔力弾生成から照準、狙撃は、おそらく自己最速記録を更新したであろう。

眼下にビルを繋ぐ連絡通路を見つけたティアナは、ショートカットに利用すべく身を躍らせた。

それにしても。とティアナは内心で首を捻る。

「あの女の子、何者なの?」


**


デバイスデータ蒐集のついでにちょっとお節介を焼いた少女の正体をティアナが知るのは、試験終了後のこと。スバルが、試験官をしていた小さな融合騎と始めた近況報告会の途中であった。

「……あれで私と同い年なの?」

さんざんスバルから聞かされていた彼女の幼馴染の容姿が、今でもそのままであると、さすがにティアナは想像もしていなかったのだ。

驚きに上げかけた声を何とか飲み下し、ティアナはこれから改めて知り合うであろう少女との付き合いに、そこはかとない徒労を覚えるのであった。

                                        おわり



ティアナの出番が1行だけというのはあんまりなので、なんとか1話書いてみました。



[14611] #77-1 それは小さな始まりなの
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:fae16caf
Date: 2010/06/24 12:22
――【 新暦77年/地球暦11月 】――



おや?と、あゆが声を上げたのは、月1回の定期健診のあと、主治医であるシャマルとお茶をしている最中のことだ。

「どうしたの?」

シャマルは機動六課で勤務しているから、少なくとも月1回、あゆはその隊舎を訪れることになる。

あゆが口元から取り出したのは、乳白色の小さな塊であった。

「は が、ぬけたようなのです」

「はって、歯?」

ええ。と、あゆが掌の上で転がしている歯を、シャマルがどれどれと手に取る。

「乳歯、ね」

下顎乳犬歯であろう。

「はえかわり でしょうか?」

あ~んして。と、あゆに口を開けさせたシャマルが、その口腔を覗き込む。


「……微妙かも」



**


どうも自分は、成長を止められていたわけではなく、成長できない体にされていたらしいとあゆが気付いたのはずいぶんと昔のことであった。スバルやアリシアに背丈を抜かれ始めた頃だから、新暦で67年あたりか。

しかし、どうしようもないこととして当の本人は気にしないことにしたようである。


だが、そのことをあゆよりも早く知り、気にしていた人物がいた。八神家の健康管理を一手に引き受けている湖の騎士、シャマルだ。

【闇の書】の影響から抜けて、あゆに対するヘルスメーターの施術は月1回ほどとなっていたが、1年もデータが蓄積すれば疑いを持つに充分。念のため月村忍と連絡を取ったシャマルは、施設出身の子供たちの追跡データを入手して、あゆが成長できない体になっていることを確信した。あゆの同期たちのうち約3分の1も、同様に成長の跡が見受けられなかったのだ。

シャマルは、その事実を秘した。治療法も打開策もない状態で知らしめるには、残酷すぎると思ったのだろう。

あゆが成長しないことに疑問を持って、シャマルに打診して来た者にだけ事実を明かすようにして、年月が過ぎた。



***



「あゆちゃん。背、伸びたくない?」

夕食後にシャマルがそう切り出したのは、新暦にして76年も暮れのこと。八神家の中にあゆの状態に気付かぬ者など居なくなって暗黙の了解と化してから、何年も後のことである。

「せ?……ですか?」

小首をかしげたあゆが、シャマルの表情を伺った。いまいち真意が伝わらなかったのだろう。固唾を呑んで見守る一堂の前で、シャマルはこほんと咳払いをする。

「あなたの脳下垂体前葉を治療できる、目処が立ったの」

その言葉が沁みこむのに、時間がかかったようだ。あゆは、しばらく身じろぎもしなかった。


「嬉しゅう、ないんか?」

「……よく、わかりません」


これが何年か前なら、あゆは歓んだかもしれない。

いま通っている聖祥大学付属高等学校の制服もそうだが、中学校の時の制服も、あゆは特注になったのだ。大が小を兼ねないことも在って当然だから、服を縫い縮めるにも限度はある。既製品でもっとも小さい140サイズですら、あゆの背丈に合わせるには無理があった。制服を一から仕立て上げるのに幾らかかったか、はやては教えてくれないが、いずれもけっこうな金額だったであろうと推測できる。

中学に進学した時も、高校へ進学した時も、だから人並みの背丈が欲しかったのは事実だった。

しかし、仮に聖祥大学に進学する――させられる――にしても、もう制服はない。今更の話なのだ。

それに。と、あゆが盗み見たのはヴィータである。あゆと同様に、ヴォルケンリッターにも肉体的な成長はない。

ならば、このままでいいのではないかと、いつまでもヴォルケンリッターの妹でいいのではないかと、あゆが作り笑いを浮かべようとした時だ。

だん!と、さながらグラーフアイゼンの一撃のごとくヴィータのこぶしがテーブルを打ちつけたのは。

「……くだんねぇコト、考えてんじゃねぇだろうな?」

けして厳しい口調ではない。むしろ、優しかっただろう。

「びぃーたおねぇちゃん」

「あたいを姉貴呼ばわりするときに、お前ぇは言ったよな。強ぇえんだから姉貴になってくれ。ってよ。
 なんでも、戦闘機人を一体倒したことがあるらしいが。お前ぇは、ちょっと背が伸びるくらいのことで、あたいより強くなれるなんて思い上がってんじゃねぇだろうな?」

ふるふると頭を振って、そのままあゆは視線を落とした。

10年も前に諦めて、その必要もなくなった今になって「成長できるようなる」と言われても、実感が湧かないだけなのだ。自分が成長した姿なぞ、想像もつくまい。

「……」

ふう。と吐いた溜息が誰のものだったかも気付いていないだろう。


「あゆ」

呼びかけてきたヴィータの声に違和感を覚えて、あゆは視線を上げた。妙に、低かったのだ。声音ではなく、声、そのものが。

「……びぃーた、……おねぇちゃん?」

あゆが途惑ったのも無理はない。

「おうよ」

ヴィータの指定席に今座っているのは、年の頃にして20歳前後の、妙齢の女性だったのだ。黒をメインに紅をあしらった騎士服は、色こそ違え、見慣れたヴィータのものに似てはいる。しかし、すらりと伸びた脚線美を見せびらかすかのようにボトムスはタイトミニで、精悍さを加えた顔立ちに合わせてか頭に載せているのは特殊部隊めいたベレー帽だ。

ベレー帽のフラッシュが機動六課のもので、それを留めているクレストが何故かノロイウサギであることに気づかなければ、あゆは途惑うどころの話ではなかっただろう。


「お前ぇに見せるのは初めてだな。リィンフォースとのユニゾン姿だ」

小型サイズの融合騎が、その融合適性の広汎化と緩解、効率化を目指すにあたって手放したもの。それが、融合形態とその割合の選択能力である。例えばエスタは、あゆや、はやてはおろかヴォルケンリッター全員と――果てはリィンフォースとさえ――融合できるが、その代わり外観は融合主から逸脱できない。せいぜいが色彩変化程度。古代ベルカのオリジナルであるアギトなら、騎士服に手を加えるぐらいはしてのけるが。

翻って、等身大サイズの融合騎であるリィンフォースは、融合時の外観をかなり自由にデザインできる。融合主寄り、リィンフォース寄り、どちらでも自在。さらには、同一の融合主との間でも、複数種類の外観を適時選択可能だ。

とは言え、通常時と体格が異なれば、とうぜん身体感覚も違う。リィンフォースとの融合を前提にしているヴォルケンリッターとは云え――ヴィータは特に――、多用はするまい。

どうだ。と、いかにもはやてが揉みたがりそうな胸を張って、ヴィータが脚を組んだ。

「お前ぇが今から成長したところで、そうそうは追いつけねぇぞ」

もしヴィータが成長したとしたら、そうなるであろう姿でふんぞり返っている。

「びぃーたおねぇちゃん……」

そうしてあゆは、初めて気付くのだ。

成長できないことを思い悩んだことがあったであろう人が、少なくとも1人は目の前に居ることを。だから「くだんねぇコト、考えてんじゃねぇ」と言ってくれたということを。

「その、おすがたのときは、びぃーたねぇさまと およびしたほうが よさそうなのです」

「好きにしろ」

とっくにあゆの背を追い抜いたルーテシアが今でもあゆのことを「あゆお姉ちゃん」と呼んでくれるように、あゆもまたいつまでもヴィータを「びぃーたおねぇちゃん」と呼べばいいだけのことなのだ。

ユニゾンを解いて元の姿に戻ったヴィータに向けて、笑顔。

「はい。なのです」



***



あゆに乳歯を返したシャマルは、すこし眉を寄せる。

「永久歯が、生えてきてないワケでは無いみたいだけど」

脳下垂体前葉治療の効果が出始めてアゴ周りの成長は窺えるが、それよりもなにより、乳歯そのものの限界だったようだ。本来の耐用年数を超えて使ってきたのだから、むしろお疲れさまと労わってやるべきだろう。

しかし、歯根のない乳歯をためつすがめつするあゆの様子は、なんだか違う。


「な~に考えとるか、バレバレやで」

ひょい。と、あゆの背後から伸びてきた手が、乳歯を摘み上げた。

足音からはやてとは判っていたであろうが、まさか声もかけずにいきなり乳歯を取り上げられるとは思っていなかったのだろう。空になった指先を見て、あゆが一瞬きょとんと。

「研究資料とか、カートリッジの弾芯にしてみようとか、ロクでもないこと考えとったやろ」

図星である。

「あかんで。
 抜けた歯ぁは、きちんと祀ってやらんと」

上の歯なら縁の下に、下の歯なら屋根に。小学校でそういう話題が出ることも多かったからあゆも当然知ってはいるが、かと云って、では何処に?なのだ。

今すぐというなら機動六課の隊舎の屋上に放置することになるし、海鳴市の家ということなら週明けまで帰る予定がない。

第一、これから何本も手に入るだろうにしても、貴重な試料であることには違いがないのだ。もしカートリッジの弾芯にするなら、特に意味もないが【ファングカートリッジ】とでも名付けてみようかと考えるあゆである。

「さいごのさいごまで、きっちり つかいたおしてあげることが くようになるとおもうのですが」

「一理あるけど、あゆの歯ぁがきっちり生え変わることのほうが大事やからな。
 ともかくや、これはうちが預かっとく」

何か飲み物でも取りに行ったのだろう。はやてが、カウンターに向かう。乳歯が仕舞いこまれてしまった胸ポケットに、未練がましい視線を送っていたあゆだが、ふっと目尻を落とした。

「まったく、【おねぇちゃん】にはかないません」

見守っていたシャマルの笑顔のように、嘆息が、やわらかかった。




……ちなみに乳歯は幹細胞が豊富なため、骨などの再生医療への利用が期待されているそうだ。このとき抜けた乳歯があゆの手元にあったら、第97管理外世界における再生医療分野が躍進したかもしれなかったのだが、まあ余談である。




                                   おわり



**
我が家に白ヴィータ様(ガシャポン)が降臨された記念に何かネタをと考えたのですが、エスタとのユニゾン姿として披露済みなので、StS編IFエンド(#79-1)以降の展開があれば使おうと思っていたリィンフォースとのユニゾン姿を描いてみました。では、その理由をということで、あゆの治療話とセットに。

タスクフォース召集などでアギトが居る場合の八神家攻撃力最強布陣は、はやて+エスタ、シグナム+アギト、ヴィータ+リィンフォースとしてあったわけです。

それにしても、ほのぼので行きたいというのに、油断すると設定に引きずられて暗くなる。



[14611] #79-1 集結[IF]
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/02/26 10:06

――【 新暦79年/地球暦9月 】――



その日、首都クラナガンは闇に閉ざされた。

雲霞のごとく押し寄せたガジェットドローンⅡ型と翼を持つ傀儡兵が、青空を奪ったのだ。いったい何万機あるのか、何万体いるのか、クラナガン野鳥の会が総出でも数えきれないだろう。

地上には、クラナガンを囲むように十重二十重とガジェットドローンⅠ型、Ⅲ型、Ⅳ型がひしめいている。剣や槍を構えた傀儡兵や大砲を背負った傀儡兵の姿もあった。Ⅳ型のカマが、機体によってはショベルやツルハシ、はてはハンマーやクレーンになっているのは、何か意味があるのか。

率いているのは、12人の戦闘機人。クラナガンを中心に、その12方位をそれぞれ占めている。

不安におののくクラナガンの市民は、時ならぬ金属の黒雲に隠された直上上空に浮かぶ岩塊が【時の庭園】と呼ばれていたことを知らないだろう。


『くっくっく……。ひゃ~はっはっはっはっはっはっは!』

唐突に現れたのは、空間モニター。

クラナガン全域に大小いくつも展開されたその画面に、笑いを堪えきれない男の姿。

ジェイル・スカリエッティだ。

『こういう時は何て言えばいいのかね?
 やはり、ただいま。かな?』

何が可笑しいのか、また笑い出す。

『いやいや、失敬失敬。嬉しくてね、笑いが止まらないんだ』

また笑い出した。お目付け役のウーノが傍に居ないから、歯止めが効かないのかもしれない。

『さて、クラナガンの市民諸君』

笑いすぎで苦しそうな呼吸を無理矢理抑え、スカリエッティがずいっと画面に迫った。

『僕はジェイル・スカリエッティという者だ。
 4年前に点火するつもりでいた花火を、9年前に試し撃ちした花火を、今度こそ打ち上げに、帰ってきたよ!』

くっくっく、あ~はっはっはっは。と、まだ笑い足りないらしい。

『さあ、楽しいお祭りの始まりだ』と、スカリエッティが指を鳴らそうとした、その時だ。


    ≪ Gefangnis der Magie ≫

その音声は、首都クラナガン全域に、いや惑星全土に響き渡った。もし衛星軌道に誰か居れば、惑星全体が封鎖領域に囲まれたのを見ただろう。

ガジェットドローンも傀儡兵も戦闘機人も、もちろん【時の庭園】も、位相をずらされ、惑星全土の写し影と共に、魔力が切り取る幻影の空間に押し込められた。

封時結界だと!?と周囲を見渡したスカリエッティの目に映るのは、降りそそぐ数え切れない流星群。

まるで豪雨が障子紙を破るように、あれほど居たガジェットと傀儡兵が撃ち滅ぼされていく。

「なんだ?何が起こっている?」

振り仰いでも、その流星群の出所を見定めることができない。

『広域次元犯罪者ジェイル・スカリエッティ。貴方を、逮捕します』

【時の庭園】の最奥、玉座の間に立つスカリエッティの目前に、空間モニター。映るのは、ショートカット姿も凛々しい女性士官だ。

「管理局か!」

ついにこの時が来たかと、八神はやての感慨は深い。



****



それは9年前。新暦で70年の、地球では1月のことだった。

3日間、学校に行く以外はずっと家にいたあゆが、はやての前でかしこまったのは、一片の通信文がS2Uに届いた後であった。

「おねぇちゃん。たいせつなごようじができたので、しばらく おでかけしてきます」

いつ かえってこれるか わかりませんので、いっておきます。と頭を下げたあゆは、「いままで おせわになりました。ごおんは いっしょう わすれません。ありがとうございました」と言い放ったのだ。

止める暇もあらばこそ、その場で魔法陣を展開して転移してしまった。寝ていたエスタを、【碧海の図説書】ごと置き去りにして。

その時のあゆの表情を、はやては一生忘れないだろう。


**


チンクを退けた後であゆが送信した通信文を受けとったのは、ヴェロッサ・アコース査察官であった。

 ―― 下記の場所にて、貴殿の能力の行使を請う。
    1分1秒を争う。仔細は後ほど。 八神あゆ ――

その舌ったらずな口調とは正反対な堅苦しい文面に面食らったものの、ヴェロッサは指定された座標へ向かった。酔狂や冗談でこんな真似をする子ではないと知っているし、連絡をとったクロノからも従うよう要請されたからだ。なんでも、ヴェロッサに協力して欲しい旨、通信が来ていたらしい。

そうしてヴェロッサが発見したのは、床に打ち棄てられた3つの脳髄であった。自分の能力を使えと言われた意味を正確に把握したヴェロッサが保存処置を施し、【記憶捜査】でその中身を読み解くのに2日かかったという。



本局の転送ポートを降りたあゆを出迎えたのは、クロノとリンディである。連れて行かれた会議室で行われた密談の内容をはやてが知るのは、新暦で74年のことである。



****



「遺失物管理部、機動六課。ですか?」

「ええ。貴女はご自分の部隊を欲してましたね?」

はやての目の前には、伝説と謳われる3人の提督が居並んでいた。さらにはカリム、クロノ、リンディ、ロウランの姿もある。

「はい」と慎重に、はやては頷いた。


最高評議会三役の遺体から回収された記憶と、八神あゆの証言――S2Uの記録を含む――と、聖王教会騎士カリム・グラシアの希少技能【プロフェーティン・シュリフテン】でもたらされた預言詩から、ジェイル・スカリエッティの帰還は必至と予測された。

それに対抗するために、管理局海陸空の垣根はおろか、聖王教会まで加わって結成されたのがスカリエッティ対策タスクフォースだ。

その中枢を担うのが、新暦75年に設立された遺失物管理部機動六課である。バックアップを含め常駐12人ほどの小さな部隊で、通常任務はその名称どおりロストロギアの捜索、確保。しかしながら、いざスカリエッティが現れたときには、各部隊から人員を召集してタスクフォースを形成する。

出動根拠はあくまでロストロギアの確保、その不正使用者の拘束で、参集するのは善意の協力者とされることになる、書類上に名の載らない編成であった。


***


くっくっく。とスカリエッティが体を折る。

「なるほどなるほど、歓迎の準備は万端というワケだ。嬉しいねぇ。
 けれど、僕の娘たちは無傷だし、ドローンも傀儡兵もまだまだある」

『ディバイ~ン・バスター!』

それは始まりの合図であり、しかも終わりの鐘でもあった。

空を貫く桜色の砲撃に、撃墜されたのはディエチ。イノーメスカノンを構える暇もなかった。



「今度は引き分けとはいかんぞ」

「ああ、望むところだ」

チンクの前に立ちはだかったのは、ゼスト。



「IS発動、ライドインパルス」

「……スピードなら負けない」

常人の目には留まらぬ戦いに、トーレとフェイトが突入する。



「私から逃げられるとは思わないことです」

「えっとぉ…」

封鎖領域のせいで、何処にも潜れない。

ヴィンデルシャフトを構えたシャッハの前で、ホールドアップするセイン。



「はじめまして、ね。ノーヴェちゃん」

「アンタ、誰だよ!」

「貴女のお母さん。かしらね」

にっこりと微笑むクイントの前で、ノーヴェは困惑するばかり。



「この子たちの眼を騙せるように、なったのかしら」

「ふふん♪同じ手が通用すると思われては心外ですわ。ISシルバーカーテン」

しかし、メガネを投げ捨てたクアットロの目に映ったのは、まるで砲撃魔法のように迫る羽虫の群れだった。

「うそぉん」



「直接戦闘力を持たない貴女が前線に出てくるとはね。
 貴女を確保すれば、最低でもスカリエッティの企みは全て白日のものだ。拘束させてもらいますよ、お嬢さん」

「…」

直援に付いていたⅣ型すべてを長距離からの狙撃で墜とされたウーノの前に、ヴェロッサが進み出る。



「あなたを、逮捕します」

いきなり目前に突き出された槍状のデバイスに、ドゥーエは手も足もでない。エリオの接近に気付けなかった上に、リーチ差がありすぎて反撃の糸口がつかめないのだ。下がろうとしたドゥーエを、銀鎖が縛る。

「逃がしません」

振り向いた先に、若草色の騎士服をひるがえしたシャマルが居た。



事前に判っていた情報を元に、対策できたのはここまでだ。確認できた12人の戦闘機人のうち、能力不明の4人に対しては遊撃に置いたメンバーがそれぞれで対処する。



「縛れ、鋼の軛。でりゃあああ!」
「ストラグルバインド!」

オットーの不幸は、自分以上の結界の使い手2人と出会ってしまったことだろう。科白を話す暇もない。



「戦闘機人にしては悪くないセンス。
 だが、融合騎と共に在るベルカの騎士に戦いを挑むには」

  『猛れ、炎熱!烈火刃!』

その双剣を灼き斬られ、ディードが墜ちる。

「まったく足りん!」



「ラケーテンハンマーを受け止めやがるかよ」

「攻守翔、三拍子揃った自慢のライディングボードっスよ。そう簡単には破れないっス」

ぎりぎりと押し込まれるスパイクを、3重のライディングボードでウェンディが防ぐ。

「やるぞ、ちびリィン!」

『ちゃんと、なまえでよぶです!』

文句は言いつつも、ユニゾンに遅滞はない。

「リミットブレイク!」

「ええ!ドリルっスか!?」

ツェアシュテールングスフォルムに変わったグラーフアイゼンに、ウェンディの悲鳴。

違うな。と、ヴィータがにやり。

「こいつぁアルキメディアン・スクリューだ。
 いくぞ、ツェアシュテールングス!ハンマー!!」



「ISスローターアームズ」

「素直な戦い方で助かる。
 僕の弟子は一筋縄ではいかなくてね。苦労したもんだ」

飛来したブーメランブレードを凍てつかせ、クロノがデュランダルをセッテに突きつけた。



「……僕の娘たちが。
 しかし、何故このタイミングを」

次々に拘束される戦闘機人たちを目の当たりにして、すとんとスカリエッティの身体が玉座に落ちた。

『ろしあんてぃーを1ぱい。じゃむでもなく、まーまれーどでもなく、はちみつで』

よろよろと顔を上げた先に、新たな空間モニター。

『あらゆる ようさいを むりょくかする、まほうのじゅもん。なのです』

もちろん嘘である。

【時の庭園】には、シャマルが施した仕掛けが残されていた。大魔導師プレシア・テスタロッサですら気付けなかったジュエルシードの遺失術式が。

「君か、ヤガミ・アユ」

水色の白衣姿の、あゆ。

『ごぶさた、なのです。どくたー』

「ちっとも変わらないね、君は」

実はそうでもない。身長は23.74ミリも伸びたし、今では胸部装甲もたいへん充実している。

『どくたーこそ、おかわりないようで、なにより。なのです。
 しかし、それもこれも、どくたーのおかえりが はやすぎたから、なのです』

「そうかい?おかしいな?きっちり90年待ったんだけど」

もちろん、クラナガンと地球では9年しか経っていない。

『どくたーが すまわれていたわくせいの、こうてんしゅうきを、おききしても?』

「ん?ああ、クラナガン単位系で426時間だったかな」

クラナガン単位系の1時間は、地球の125分ほどである。

地球時間に換算して37日ほど、地球やクラナガンが1年経つ間に10年過ぎる計算だ。

約束を守ったと、評価していいのだろうか?

「待ち構えていたということは、お互い様でいいんだろう?」

まあ、予想の範囲内である。あゆは軽く眉を上げることで答えた。

それで?と促すスカリエッティ。まさか、ただ旧交を温めるためだけに出張ってきたわけではあるまいと。

『ええ。どくたーに、きんじょうげいかを ごしょうかいしようと おもいまして』

すっと、空間モニター前から退くあゆの向こうに、玉座に収まる10歳ほどの少女の姿があった。

『げいか。どくたーに、おことばをたまわりますよう』

深く頭を垂れるあゆに、ヴィヴィオは困惑顔。

『やめてよ、あゆお姉ちゃん』

『いけません、げいか。やがみと、およびすて くださいますよう』

できるわけがない。小さい頃から、なにかとお世話になっているのだ。なにより、なのはママを魔導書で小突くような相手である。

『おや、どくたー。
 とうだいの せいおうげいかの おんまえですよ。ずがたかいのです』

先ほどからの遣り取りに呆然としていたスカリエッティが、ようやく事態を理解した。先ほどの流星群の出所が、どこか。

「ゆりかごか!」

振り仰いだ先に空間モニターが現れるが、衛星軌道まで捉えられるはずもない。ただ天空を映すのみ。

そうかそうか。とスカリエッティは愉快そう。

「聖王の器ができていたか。
 そして、レリックウェポンにしたか、ヤガミアユ」

『しっけいな。
 そんなまねなどしなくても、ほんにんに じかくがあるなら ゆりかごは こたえてくれます』

スカリエッティが【レリック】をいくつ確保しているかは知らないが、何十個もあるような物が【王の印】であるわけがない。

ゆりかごを起動できたことでヴィヴィオは、非公開ながら聖王として教会から認定されていた。成人を待って正式に公表する手筈になっている。

教会の騎士見習いでもあるあゆが、公式の場でへりくだるのは当然なのだ。けしてヴィヴィオをからかっているわけではない。

そうか。と、やけに徒労感を滲ませてスカリエッティが座りなおした。

「せっかくだ。ヤガミ・アユ。
 僕も、君に紹介したい者が居るんだよ」

不審げに眉を上げたあゆに、にやりとスカリエッティ。

「君の遺伝情報と身体データから生み出した、僕の13番目の娘」

玉座の影から進み出た小さなシルエットが、スカリエッティの差し上げた右腕の下に収まる。

「こうなるはずだった、君の姿。
 無音の暗殺者、トレーディチだよ」

それは、まさしく養成所時代のあゆの姿であった。54であった頃の、八神あゆの姿であった。



『ほほう』

その声音に、傍に居たヴィヴィオはおろか、【碧海の図説書】で叩かれたことのある者全てが後退った。

『どくたーは、わたしに、いもうとを くださると』

なるほど、そういうことでしたか。と、あゆは内心で納得する。科学者としてはこれ以上なく尊敬しているのに、スカリエッティに対して踏み込みきれない隔意の理由が判ったのだ。

『その いもうとに、すうじの おなまえを くださったと』

これはぜひ、おれいをせねば。と振り返ったあゆは、笑顔である。

『せいおうげいか。ほうげきのきょかを、たまわりますよう』

うんうんと、ヴィヴィオは何度も首肯した。何でも言うこときくから、その笑顔でこっち向くの止めて欲しい。

明らかに越権行為なのだが、誰も咎めようとしないのは何故か。

『こんなこともあろうかと、しゅほうに ひさっしょうせっていを くみこんでおいてよかった、なのです』

ゆりかごが、ロストロギア指定されないための処置であったはずだが。

『しんぱいごむよう、なのです。どくたー。
 なのはおねぇちゃんの ほうげきにくらべたら、ぜんぜん いたくありませんから』

クラナガンの一角から上がった非難を華麗にスルーして、あゆが出来たばかりの妹に視線を移した。

『おねぇちゃんが、めを さまさせてあげますね。いたいのすこし、がまんするのですよ』

直後、衛星軌道から撃ち下ろされた虹色の砲撃が【時の庭園】を包み込んだ。


雉も鳴かずば撃たれまいに。




****




――【 新暦70年/地球暦1月 】――



ずいぶんと大仰な言葉を残して八神宅から姿を消したあゆが帰ってきたのは、その日の晩遅くのことであった。


逮捕拘留を覚悟していたのに、これ以上混乱の種を増やしたくない管理局側の思惑――三提督の温情もあろうが――によりクロノの保護観察下で一時帰宅を許されてしまったのだ。超法規的措置にいい顔をしなかったあゆだが、公にすればはやてに累が及びかねないと言われては引き下がるほかはない。いずれ正式に処遇が決まるだろうが、まずは帰ってきたのである。



「失礼するぞ」

「あゆっ!」

クロノに引き立てられるようにしてリビングに現れたあゆにかけられたのは、いつになく厳しい口調のはやての声。ずいぶんと喉が嗄れているようだ。

「この子は!」

どたどたとらしからぬ慌しさで駆け寄ってくる気配に、あゆは身を硬くするのだが。

「あんな言葉を残して消えてしまいよってからに!うちがどれだけ心配したか、解かっとんのか!?」

ぎゅっと、抱きしめられた。とっくに涸れてたであろう滴が、ぽたりと。


「……おねぇちゃん、……ごめんなさい」

ほんまにこの子は。と嘆息を呑み下して、はやては少し力を抜く。

「ほんで、いったい何ごとなん?きちんと説明してくれるんやろな?」

それが……。と、あゆからクロノに受け渡される視線。

「悪いが、現状では話すわけにいかないんだ」

「それはつまり、それだけ大層なことをしでかした。って解釈してええんか?」

「まあ、そうだな」

そうか。と、はやてがこぶしを固めた。


はやてが落とした初めてのゲンコツに、――すでにクロノとリンディから一発ずつ貰っていた――あゆは悶絶したという。




                     「八神家のそよかぜStS?篇」BAD END 完



[14611] #68-2.5 その日、テスタロッサ邸
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/09 12:33

――【 新暦68年/地球暦8月 】――


後背に控える山麓と、朝陽に開けた海は、風に乗せて何を語らっているのだろう。

駆け降りる颪と吹き寄せる潮風が暑気を払って、海鳴市の夏は涼しい。今日は心なしか日差しもやさしくて、まるで桜のころに戻ったかのようだ。


「療養中のところをすまない。失礼する」

大人形態のアルフの後に続いて、リビングに現れたのはクロノである。

「あらかじめ子供たちの居ない時を尋ねた上で、アポをとってのこと、気にすることは無いわ」

陽だまりの中、安楽椅子に体を預けきったプレシアの微笑みは、最近になってようやく板につきだしてきたようだ。見るものが視れば、ぎこちなさを見出せるかもしれないが。


指し示されたソファに腰を下ろして、「それは当然のことだ」と、クロノ。手土産に持ってきたらしい紙箱をアルフに渡して、「つまらないものですが。と、こちらでは言うらしいな」などと口にするが、間違いである。「お口に合えば宜しいのですが」と言うのが、正しかろう。

「ずいぶんと、こちらの流儀に慣れているみたいね」

「妹分が、結構細かくてね。何かと手土産を欠かさないんだ。
 どうも、母やアコース査察官と共々、僕を砂糖漬けにするつもりらしい」

実際には、はやての薫陶の結果であるが、それは此処ではどうでもよいこと。

妹分という言い方に引っかかっていたプレシアは、しかし、すぐにあゆのことだと気づく。クロノに弟子入りしていたことを、聞いたことがあったのだ。

おそらく本人の前では決して「妹分」などとは言わないだろうと、なんとなくそう思いながら、プレシアはアルフにお茶を淹れてくれるよう頼む。「ん」と、言葉少なにキッチンに引っ込んだフェイトの使い魔は、特に不機嫌そうでも、反抗的でもなさそうだった。


「さっそくで悪いが、この前に保護した子供たちの件だ」

「プロジェクトFの、落とし子たちね」

ああ。とクロノが立ち上げたのは空間モニター。映し出されたのは、子供の顔写真入りのリストだ。

「保護したはいいが、あまりにも扱いが酷かったらしく、健康維持に問題が出ているらしい」

逸らしがちになる視線を叱咤するように、プレシアがスクロールを追う。この違法研究に資金を出した親たちの気持ちを、彼女ほど知るものは居ないだろう。その過ちへの、罪悪感もまた。


「扱いと言うよりは……」

それでもなお、厳しく目尻を上げて、プレシアが口を開いた。

「資金不足。いえ、技量不足かしら」

プレシアが言うには、そもそものクローニングに問題があるという。幹細胞の全能性回復やテロメアの処置の精度などに、ばらつきがありすぎるらしい。

例えばこの子とこの子。と、スクロールを止めさせて指差す。

「同じ遺伝子提供者からの、同時期のクローン体だけど、DNA複写の精度が2桁違うわ」

それは、プレシアの経験からすれば、カネに糸目をつけなければ達成できるレベル。そして、作成者の技量次第では乗り越えられる差なのだとか。

「おそらく複数体作成して、一番いいものをクライアントに提供していたんでしょうけれど、そんなやり方をしている時点で高が知れるわ」

クローン技術は、ノウハウの蓄積が肝だ。トライ&エラーの繰り返しで得た細かなデータが、その基礎精度を左右する。

最先端技術というものは、机上の計算よりも実験の積み重ねがモノを言う。そういうところがあるのだ。例えば、ロケットエンジン。火薬に火を点けるだけの固体燃料ロケットと、2種の薬液を混合させながら燃焼させる液体燃料ロケット。実用レベルで実現が難しかったのは、固体燃料ロケットの方なのだ。

「クローニング時点で、と言うことは、……治療は無理か?」

向けられた視線を、プレシアは天井に逸らした。そこには、アリシアが魔法の練習に失敗して作った焼け焦げがある。慌てて結界を張ろうとしたプレシアよりも早く、フェイトが魔法を打ち消してくれたことを、今でもよく憶えている。

「主治医と、医療体制は?」

「ん?ああ……。
 湖の騎士シャマルが主任になって、一室を与えられている。彼女自身も何か目標があるようでね、主導的な役目を買って出てくれた。
 他にも優秀な医者に心当たりがあるし、協会の伝手で聖王医療院でのバックアップも確約がある」

クロノがこうして独力で動いているのは、もちろん理由があってのこと。

3ヶ月前の例に限らず、違法研究に管理局が、その上層部が関わっていることは明白だ。個人的な、信頼できる筋を辿らねば、どこで横槍が入るか判ったものではない。


「……そう」

視線を落としたプレシアが「あの騎士なら、無駄にはしないわね」と展開したのは、データ受け渡し用の魔法陣。

「これは?」

「私が行った、プロジェクトFのデータよ。失敗とやり直しを繰り返した、その積み重ねの記録。
 遺伝子治療の基礎資料としてなら、充分だと思うわ」

待機状態のデュランダルを取り出そうとしていたクロノが、「いいのか?」と動きを止めた。

「期待してなかったなんて、言わないでしょう?」

「それは……、そうなんだが」

プロジェクトF.A.T.Eは無論、違法である。【闇の書】を葬った現場にアースラが乗り込んできたとき、プレシアは当然逮捕されることを覚悟しただろう。

しかし、なぜかそのことは起訴されずじまいだったのだ。

その理由はアースラクルーすら知らないが、上層部に疑いを抱いているクロノには大体の想像がつく。そのうち利用しようと、温存しているだけに違いないと。

だからクロノは、慎重に振舞っている。5月に実施した時空管理局の研究施設への強制捜査も、他の流れをたどった偶然の結果としているし、主犯格である所長の「名声と昇進のために、独断で行った」という供述も特に追求していない。

「湖の騎士には、ご近所付き合いの橋渡しをしてもらったし、この体のことも併せて借りばかりだから、
 質問も相談も、いつでもいくらでも受け付けると伝えておいて」

「すまない」

プロジェクトFを掘り返すことは、プレシアにその罪と後悔と自己嫌悪を突きつけることになる。実刑判決を食らって服役していたほうが、まだ気が楽であるかもしれなかった。

協力に感謝する。と下げかけたクロノの頭をとどめたのは、「それより」と、スクロールを戻したプレシアである。

「……この、電気の魔力変換資質を持つ子」

「ん?……ああ、確かモンディアル家の」

やっぱり。とプレシアは頷いた。モンディアル家はかなり有名な富豪だから、スポンサーに名を連ねていてもおかしくない。

「素性が判っていて、帰してやれなかったの?」

「遺伝子提供者のほうのエリオ・モンディアルは、魔法の才能も魔力変換資質も無かったそうでね。やはり違うと言って、受け取りを拒否された。
 本人のほうも両親に見捨てられた事実から心を閉ざしていて、過剰に接しようとすると暴れだす始末だ」

ホンモノとかニセモノといった言葉を慎重に避けてみせるクロノに、プレシアの目尻が和らぐ。

「対応に、苦慮しているみたいね?」

「ああ。変換資質持ちだからな。
 いざというときに、教護士レベルでは太刀打ちできん」

ん?とクロノは眉根を寄せた。プレシアが考えていることに思い至ったようだ。

「まさか?」

「そうね、できるのなら」

プレシアは次元跳躍攻撃を行えるほどの大魔導師であるし、フェイトは電気の魔力変換資質を持つ。魔力変換資質を持つ者は、それに対する防御も得意とするので、エリオの保護者としてこれ以上の適任はない。

「もちろん、家族の同意を得た上でよ」

「それは当然だし、願ってもないが……」

テーブルに置いた白銀のカードにデータ取り込みを指示して、クロノは少し、居住まいを正した。

「そんなことが贖罪になるとは思ってないし、そもそも自分が家族をしっかり見守れてないのだろうと、嗤ってくれていいわ」

自嘲を口元に浮かべたプレシアに、当代随一と言われる大魔導師の威圧感は一片もない。なのにクロノが身じろぎしたのは、幼いころに盗み見たリンディの背中を思い出したからか。

「私はまだフェイトに謝れてない、アリシアに真実を話せてない」

とてもそんな勇気を持てないの。と、クロノに向けた視線が逸れた。

「プレシア……」

お茶の支度をトレィに乗せて、アルフがキッチンから出てきたのだ。

「貴女も、軽蔑するでしょ」

「……」

意外にも即答しなかった使い魔は、歩み寄ったテーブルにトレィをそっと置いた。

「ワタシ、アンタのことが嫌いだったよ」

跪き、ティーポットを手に淡々と茶を注ぎながら、アルフは顔を上げない。

「でも、アリシアのことを知ってからは、アンタの気持ちも解かるような気がする」

クロノに茶を差し出し、身振りで断られた手土産の焼き菓子はトレィに戻す。代わりにティーカップを手にして、立ち上がる。

「ワタシは使い魔だから有り得ないケド。
 自分のせいでフェイトを失って、取り残されたとしたら……ね」

それがアルフの心の裡だとでも云わんばかりの静かさで、サイドテーブルに置かれたティーカップ。わずかに水面が揺れるのみ。

「今でも、好きとは言い切れないよ」

だけど。と踵を返したアルフはリビングを横断して、戸口で一度立ち止まった。

「軽蔑だけは、しない」

廊下を歩いていくアルフの姿を、プレシアは追いかけたりしない。じっと、窓外を向いたまま。しかし、その肩すじが震えだしたことが見てとれるだろう。


デュランダルを懐に仕舞ったクロノが、ティーカップを手にする。

熱い茶は嫌いではない。

これ以上1度でも温度の下がらぬうちにと飲み干して、衣擦れの音も残さずに辞した。




                             おわり


主人公ではあるものの主役ではなかった無印篇とは異なり、「StS?篇」では、あゆが主役でもあるため、あゆ抜きのエピソードは基本的に無しとしていました。
そのため、事態としては進行していても、あゆが知らなかったために語られなかった事象がいくつかあります。
その代表例ということで今回、エリオが引き取られることになった経緯を書いてみました(オチもないし、微妙に書ききってないような気もしますが、まあオマケということでご寛恕を)。



[14611] #67-4.5 ターニング・ポイント
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:967ac590
Date: 2010/07/30 09:47
――【 新暦67年/地球暦11月 】――



多重次元転送をピンポイントで決め、湖水色の魔法陣がリビングを照らした。

やがて現れたのは、時空管理局の制服をまとった女性の姿。まばゆく後背を飾る2対4肢の翅と、ビンディめいた額の魔導紋、ポニーテールにまとめられた木賊色の頭髪が特徴的なリンディ・ハラオウン総務統括官である。


魔法陣を畳んだリンディが「あら?」と眉を上げた。双子の使い魔が待ち構えていると思っていたのだろう。

「アリアとロッテなら、外だよ。
 君が来ると知って、敵意をむき出しにするのでね」

なるほど、扉と窓の向こう側に気配を感じる。総務統括官が犯罪者の逮捕などに出向いたりしないことは百も承知だろうに殺気充分で、困ったことだ。

管理局職員としてロストロギア関連情報の隠匿は重罪だが【闇の書葬送事件】の真相が隠蔽された関係で、表立ってグレアムは告発されてない。司法取引もある管理局法上では、引責辞任で充分量刑に値する。

それにリンディは、グレアムが秘密裏に、可能な限り独力でコトを済まそうとした理由に心当たりがあった。公的にも私的にも、グレアムをどうこうする気などない。

「ご無沙汰しております」

魔力翅を仕舞ったリンディが、苦笑の成分をいくぶんか含ませて腰を折る。

「ああ、2年ぶりになるかね」

ティーポットに熱湯を落としたギル・グレアムは振り返らない。後ろ手にソファを指し示し、取り出した懐中時計で蒸らし時間を確認している。

「一応、確認しておくべきだと思うのだがね?」

ティーセットを載せたトレィを手にして、グレアムが応接セットまで。

はい。と微笑んだリンディがソファに腰掛けた。

「そろそろ私も、清濁併せ呑む度量が必要かと思いまして」


**


とっておきのアーリーフラッシュで喉を潤したグレアムの向かい側で、受け取ったデータチップの中身をリンディが空間モニターに投影している。

「やはり、一番上……ですか」

映し出されているのはグレアムが知る限りの、管理局の闇だ。裏取引や違法研究、さらには辿れる限りのその命令系統など。

「【闇の書】のあるじを覚醒前に確保できるとなったら、それをどう悪用するか判ったものではない。
 ですよね?」

リンディの確認めいた疑問に、グレアムは応えない。

それがどんな理由であれ、1人の少女の未来を奪おうとした。そのことに変わりはないのだ。

リンディも敢えて追求しない。山盛り2杯の砂糖を投入し、早摘みの香りを甘くするのみ。


「しかし、本気かね」

リンディが立ち上げたフォルダを見て、グレアムが口を開いた。

「はい。
 【人工リンカーコア】が現実味を帯びてきて、管理局は変わりつつあります。
 これを機に、出せる膿は出し切ってしまうべきです」

「それは理解できるがね」

グレアムが問題にしているのは、そこではない。

「出す前に、すこしは役に立って貰おうと思いまして」

今リンディが見ているのは、管理局高官のスキャンダル。人に言えない嗜好や犯罪の証拠といった裏情報だ。ゆすりたかりのネタはもちろん、社会的に抹殺するに充分なレベルで。


リンディが言うとおり、管理局は変わりつつある。いい意味でも、悪い意味でも。

いい意味では、違法研究から手を引き始めているらしいこと。

悪い意味では、性急になりつつあること。

人工リンカーコアの実現性が見えてきて、管理局上層部はその完成を急かしだした。量産を見越した施策を乱発して人事異動を強行したり、研究者をフルタイム勤務にするようロウランに圧力をかけてきたりするのだ。

それらを押しとどめ、さらには各種の譲歩を引き出すために、リンディは覚悟を決めたらしい。

膿を逆用する。云わば、種痘の施行を。


「止めても、聞くまいな。君は」

まったく、似た者夫婦で困ったものだ。と、これは口に出さず。かつての部下の面影をしのぶのみ。

順当に行けば自分が先に逝く。その時に併せてクライドに謝っておこう。と瞑目したグレアムに、リンディは返す言葉を持たない。


**


「それにしても、たった一人の少女、そのレアスキルでこうまで事態が変化するとは」

飲み干したアーリーフラッシュとは対照的に、グレアムの嘆息は深い。
凍結封印が完璧でないことは判りきっていたことだ。対策ができるようになるまでの時間稼ぎに過ぎなかった。

「私はいったい何をしてたのだろうかね」

おおまかなコトの経緯を聞いただけで引退を決意してしまったグレアムは、【闇の書葬送事件】詳細を知らない。

「偶然に偶然が重なった結果ですわ」

ティーカップを手にしたリンディが、唇を湿らせた。

「瀕死でレアスキルに目覚めなければ、
 暗殺者育成に5年間耐えられなければ、
 自爆テロに使われていたら、
 その組織が月村家と敵対していなければ、
 襲撃時に逃げ延びていなければ、
 力尽きたのが八神邸でなければ、
 レアスキルがヴォルケンリッターの顕現を早めなければ、
 ジュエルシードがばら撒かれなければ、
 プレシア・テスタロッサがそれを狙ってこなければ、
 【闇の書】を解析しようとしなければ、
 どれかひとつでも欠ければ実現しなかったでしょう」

指折り数えるように、リンディ。
わざわざ挙げないが、グレアムの休暇に合わせて行っていたという年2回の定期監視と重ならず、グレアムが何らかの手を打てなかったことも重要な要素である。

「奇跡と言っていい偶然です。
 そんなことを期待していたと仰るなら、それこそ失望いたします」

それこそ小さい子供を叱るかのように眉をしかめられては、降参するしかない。自嘲にゆがめていた口元を苦笑で引き結んで、グレアムの肩から少し力が抜けた。

「どれほどの偶然が重なったのか、ご自身の目でご確認ください」と差し出されたのは、グレアムが渡したものと同規格のメモリーチップ。清濁併せ呑むとの宣言を、さっそく実行する気か。

「いいのかね?」

「コピー不可の、自律消却データですから」

1度しか再生閲覧できない揮発性データで記録されているのは、【闇の書葬送事件】の詳細である。

それを見るか見ないかはグレアムが判断することだが、いずれにせよ苦しむことだろう。

だが、その苦しみこそがグレアムを救うと、リンディは理解していた。

逮捕された逃亡者が却って安堵することがあると、罰を与えられた方が救われることもあると、優しい総務統括官は知っているのだから。








……ちなみに、データ閲覧終了時「なお、このデータは再生後、自動的に消滅する」などとアナウンスされて、双子姉妹を無駄に慌てさせたのは全くの余談である。




                                 おわり


引き続き、あゆの知らない舞台裏話。
クロノがプロジェクトFを追っていた頃、リンディは何をしていたか。ということで対比的に構築してみました。



[14611] #71-1[IF]祝福が芽吹くときなの【ネタ】
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:967ac590
Date: 2010/08/06 08:47

――【 新暦71年/地球暦3月 】――



汽笛が鳴り響くと、蒸気圧が動輪を回しだす。

「おぉ……」

力強く前進しだした機関車は、しかし石炭動力ではない。

あゆの目では、漏れ出た魔力が眩しくてその車体が見にくいことだろう。


第251管理世界は、比較的最近、管理世界入りしたそうだ。
地球で言えば産業革命に当たる時期に、魔法が一般化、工業化を始めたらしい。衛星を持たず、近隣に惑星が無いことが後押しして、地球で言うアポロ計画とほぼ同時期に他世界への進出を果たしたのだとか。

魔導蒸気機関車は、この世界がまだ第774管理外世界だった頃の遺物。地球で蒸気機関車を見かけなくなったように、この世界でも珍しくなりつつあるが、このように興行営業している区間が残っているのだ。


さて、今回あゆが魔導蒸気機関車などを見に来たのは、マリエルの差し金である。と言うか、本人も来ていてキャアキャア言いながら写真撮影などしている。その隣にはシャーリー。こちらはデータ収集に余念がない。

ではマリエルが何故こんな見学ツアーを催行したかというと、理由がある。彼女は3年ほど前に上層部から【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】開発計画を押し付けられて統括しているが、今年の初めにようやくあゆを巻き込むことができた。エスタを生み出したあゆの助力があれば、計画も進むだろうと考えたようだ。

ところが、他の開発を理由に、あゆがほとんど顔を見せない。どうも乗り気でないようなのだ。そのあたりの本音を聞き出すべく、このちょっとした小旅行を企画したらしい。

「あゆちゃん、見た見た!?
 あの素朴な魔力運用!魔導炉への集積ロスで発生する熱量で蒸気作ってるんだよ!」

もっとも、当初の目的はしっかり見失っているようだが。

さて、問われたあゆの方はというと「ちきゅうに【えす える】があって、ここに いわば【えむ える】があるのです。どこかに【える える】は、ないのでしょうか?」などと愚にもつかないことを考えていた。


**


さてさてさて、マリエルが引率した小旅行のトリは第97管理外世界である。金属へら絞りなどの工場見学をした後、八神家に泊めてもらう手筈になっていた。

魔法はもちろん再発見されておらず、科学技術も高の知れている地球ではあるが、職人技、あるいは技術と人の融合という点では見るべき所がないでもないのだ。


「うわぁ、ろくな安全措置もなしに、あんな内燃機関でレースなんかするんだ」

「マルチタスクが使えるわけでもないし、テレメトリを録ってる様子もないですねぇ。いったい、どうやって車体管理しながら走行してるんでしょうねぇ?」

通りがかったサーキットで行われていた2輪の耐久レースに引っかかったのは、ご覧のとおりマリエルである。魔法を使うわけには行かないので、記録の取れないシャーリーは手持ち無沙汰っぽい。

レースにもバイクにも関心が湧かなかったあゆは、フェンスにかぶりつく2人から離れて、少し歩く。

そんなあゆがふと視線を上げたのは、角笛めいた排気音を残して1台のマシンが駆け抜けた直後のことだ。

「……なんでしょう?
 あのこだけ、なにか ちがうのです」

「ほう。
 なにが違うのかね?お嬢ちゃん」

驚いて振り返ると、老人が1人。観客席に座っていた。

もちろん、人が居たことに気付いてなかったわけではない。驚いたのは、自分が思ってたことを、つい口に出してしまっていたらしいこと。それから、それに対してわざわざ話しかけてくる人が居たこと、である。

……ええと。と、あゆは口ごもった。何か根拠があって口走ったわけではないので、言葉にするのは難しい。

「……」

目を眇めて、その様を眺める老人。組んだ指先が火傷だらけで、何らかの職人かと推測できる。

そうこうしているうちにまた、背後をエキゾーストノートが切り裂く。このサーキット、速いライダーなら2分30秒も要らないのだ。

……そうですね。と、あゆは眉尻を下げる。その音色に、何を感じたというのか。

「【しない】のなかに、1ぽんだけ【しんけん】が まじっているような、そんな かんじ でしょうか?」

ふむ。と老人があごを撫でる。
その老人の語るところによると、あのマシンのメカニックはその昔、戦闘機のエンジンを整備していたらしい。

「ころすための、こわすための ぎじゅつを、そそがれてしまったから……でしょうか?
 へいわに いきるには、おもすぎるのでしょうか?」

「お嬢ちゃんには、あれが嘆き声に聞こえとる……か」

ゆるゆると伸ばされた手が、あゆの頭の上に。

「指先を見る限りでは一端の職人のようだが、マシンの声を聞き違えるようではまだまだヒヨッコよ」

「ききたがえて……ますか?」

おうともよ。と言わんばかりにマシンが、その咆哮をあゆの背中に叩きつける。

「あやつは、こんな8時間ほどのレースを目標に生み出されたマシンじゃない。24時間を駆け抜ける心臓を与えられたのだからな」

少し乱雑な撫で方に抗議したのは、くしゃりと鳴った頭髪のみだ。

「なるほど確かにあいつには、殺すための技術、壊すための科学が注がれておる」

ピットインのサインボードが上がったのを見て、老人が立ち上がる。

「だがな、あいつがサーキットで殺すのは危険で、壊すのは限界だ。
 もっとふさわしい舞台を用意しろと、文句を言っとるのさ」

さて、それではな。と老人が歩み去ったことに、あゆはしばらく気付けないで居た。

   きけんをころし、げんかいをこわす。

己がやってきたことを、これからやろうとしていることを表す。魔法の言葉を繰り返し唱えていたのだ。






「毒を以って毒を制す」と、あゆが開き直るのには、もうすこし時間が要るだろう。




                             おわり




魔法産業革命と魔導蒸気機関という考察を書いてみたかっただけなのでネタ扱い。魔法を前提とした古代文明が全ての人類の起源としているので、アメリカ大陸みたいに「再発見」となります。
IF話である「#71-2 虚空からの翼」を前提にしている上に、今さらゲストキャラかと云うことで、これもIF扱いです。



[14611] 独自設定、オリジナル解釈、お遊び設定等【追加】
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:d314d7ca
Date: 2010/07/30 09:35

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           【独自設定】
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 ―― レアスキル【魔力支配】 ――

一定範囲内の魔力や魔力素を他者の支配から解き放ち、自身の支配下に置く希少技能。支配下に置いた魔力・魔力素は淡い光として視認でき、量や状態によっては地形などを把握するのに利用できる。

支配下に置けない魔力・魔力素でも接触できるほどの至近であれば認識でき、それによって魔力を帯びた物体、もしくは魔力素で構成された存在の構造を把握することも可能である。

効果範囲とその支配力の強弱は反比例し、スキル行使者の意思によって増減、加減することができる。

このレアスキルによって発揮される魔力への支配力は、同じ魔導師ランクの術者による砲撃魔法を完全に防ぎ、至近であれば3ランク下の術者の魔法行使を完全に無効化することができる。5ランク下の術者に対しては、そのリンカーコア内の魔力すら自由にできる(格上の相手には不快感を与える程度)。

またこのスキルの特性から、スキル行使者の周囲にいる魔導師は魔力の収集効率が下がる。これを意図的に行うと、2ランク上までの術者の魔力回復を完全に阻止できる。

なお上記の基準は、対象の魔力ランクによっても変動する。




 ―― 人工リンカーコア【イデアシード】 ――

新暦70年にデバイスマイスター八神あゆが作り上げた自動的に魔力素を収集し蓄積する人工結晶体。ゼスト隊による4年間にわたる運用試験の末、完成した。当年度中に先行量産が行われ、翌年度より本格的に量産が始まっている。

理性で認識することによってのみ至れるとされるイデアにあやかり、手に入れた力に振り回されぬよう願いをこめて【イデアシード】と名付けられた。

元になった【ジュエルシード】と違い、祈願型デバイスとしての機能は組み込まれず、純粋に魔力の供給源として作られている。これにより、魔法適性の一切ない人間でも1~2年ほどの訓練を受ければ魔法を使えるようになる。その際、魔力ランクはBに相当するが、本人の資質と所持するデバイスの性能によって魔導師ランクとしてはAA+まで伸びた例がある。なお、大量生産品ではなく、八神あゆが自ら手作りした物の中には魔力ランクAに匹敵した物もあったらしい。 

【ジュエルシード】同様、すべてにシリアル――ただしアラビア数字――が打たれており、所在位置報告機能と所有者認識機能を持つ。

また魔法適性のない人間ばかりでなく、生得の魔導師にも支給され、暫定的に魔力量を増やして任務に宛てることもあった。

なお、特殊遮蔽内開発研究室第二課の代表者が湖の騎士シャマルであることや、管掌責任者がマリエル・アテンザ第四技術部主任であったため、これらと製作者を混同している資料、報告書が存在しているが、誤りである。こうした誤記が見られるのは、当時の上層部が八神あゆの関与を隠蔽するために行った情報操作の結果らしい(◇要出典)




 ―― デバイス【碧海の図説書】 ――

新暦68年にデバイスマイスター八神あゆが作り上げた自分用の書籍型デバイス。群青色の装丁に剣十字があしらわれている。

【蒼天の魔導書】をモデルに作られたが、収集するのはデバイスやジュエルシードなど、魔力集積体の構造とそのプログラム、保有術式で、守護騎士システムもない。ちなみに、実際に並べて見ないと判らない程度に【蒼天の魔導書】より微妙に小さい。

書籍そのものの外見からでは想像もつかないがアームドデバイスとしても作られており、しおり型のカートリッジシステムを搭載している。形状変化はないが、ブックバンド状の魔力鎖を展開してモーニングスターのように振り回すことも可能。デバイスマイスター八神あゆは、これをヨーヨーで遊ぶかのごとく使いこなしたと伝えられる。

本局で八神はやての悪口を言った者やデバイス使いの荒い者は、必ず【碧海の図説書】の角っこの洗礼を受けた。スナップの効いた一撃はかなり痛いが、被害者が怒ったり訴えたりすることはなかったらしい。

【碧海の図説書】を用いた八神あゆの得意技は、葉間での【真剣白刃取り】と【狼の散歩】。前者は模擬戦で一度だけ、出力リミッター付きだったとはいえ烈火の将シグナムの攻撃を挟み止めたことがあり、後者は標的の身体を足元から駆け上がりながら何度もその角をぶつけていく荒業。地味に痛い。しみじみと痛い。【狼の散歩】には電気や炎を纏わせた【雷龍一閃】や【火龍一閃】といったバリエーションがあるが、元になった【飛竜一閃】を見た目真似しているだけで、同一の攻撃方法という訳ではない。


【碧海の図説書】で特筆すべきはその拡張性と冗長性で、デバイス用のさまざまな機構(後述)のテストベッドとして終生八神あゆの手元にあった。


管制人格も【蒼天の魔導書】同様にユニゾンデバイスとなっており、モデルとなったリインフォースの妹としてリインフォース・シュヴェスタと名付けられている。ただし、人間大のリインフォースと違って、手のひらに乗るサイズであった。残念ながら八神あゆは融合適性が高いほうではなく、戦闘などではヴォルケンリッターと融合することのほうが多かったようだ。

製作者の影響か、舌足らずな上に取ってつけたような敬語を用いるが、差異化のためか語尾は「ですぅ」「ですよ」である。

製作者による愛称は「エスタ」だが、紅の鉄騎ヴィータなどは「ちびリィン」と呼んだ。




 ―― 特殊カートリッジ【クラシフィラーカートリッジ】 ――

新暦69年に完成した(注:量産化はされていない)、特定の魔力素を選別して集積する特殊カートリッジ。後述する【オプティマムカートリッジ】や【エンチャントカートリッジ】の前段階として試験開発された物で、これ自体に特殊な能力はない。
ただし、魔力変換資質と組み合わせることで、その効率をさらに高めることが可能である。


 ―― 特殊カートリッジ【オプティマムカートリッジ】 ――

新暦71年に完成した、特定の魔法に合わせてその行使に最適な魔力素の組合せを予め蓄積しておく特殊カートリッジ。
このカートリッジの使用により、平均して術者の魔導師ランクより2ランク上の魔法を使うことができる。用意した術式に限るなら、後述する【エンチャントカートリッジ】より効率がいい。
71年の臨海第八空港火災では、人工リンカーコア【イデアシード】と氷結呪文の得手との組合せで、その威力を発揮した。


 ―― 特殊カートリッジ【エンチャントカートリッジ】 ――

新暦74年に完成した、魔力変換資質を擬似的に再現する特殊カートリッジ。
このカートリッジの使用により、そのカートリッジが供給した魔力を使い切るまで魔力変換資質と同様の効果を得ることができる。術者の腕前次第では【オプティマムカートリッジ】より汎用性があり使い勝手はいい。


 ―― 特殊カートリッジ【コンティニュアルカートリッジ】 ――

新暦70年に完成した、特殊な調整を行った人工リンカーコアを弾芯にした特殊カートリッジ。これ1発で、6回カートリッジロードを行える。排莢せず、装弾数が少なめのデバイス――グラーフアイゼンなど――向けに開発された。


 ―― 特殊カートリッジ【プレキャストカートリッジ】 ――

新暦79年に完成した、魔法術式そのものを記録再現する特殊カートリッジ。
事前に高位術者によって魔法術式そのものを記録させることで、低位の術者にその行使をなさしめることが出来る。簡易な祈願型インテリジェントデバイスとして調整された特殊な人工リンカーコアを弾芯としているためカートリッジとしては非常に高価。しかも、この技術フィードバックによって祈願型インテリジェントデバイスが低価格化したため、結果としてほとんど普及しなかった。
ただし、高位の術者が弟子や親しい者に、高度な自動防御術式を篭めてプレゼントする風習をクラナガンに生んだ。




 ―― 【魔力素】 ――

この次元世界の、ありとあらゆるところに存在する複合粒子。
基本的に物理法則を無視するが、生命体内に残留し、リンカーコアとして結実することがある。
リンカーコアを持つ存在はこれを収集蓄積し、魔法として使用、物理法則を捻じ曲げることができる。



 ―― 【魔力子】 ――

魔力素内部で魔法相互作用を伝播する素粒子。
この魔力子の状態によって魔力素はその性質を変える。ただし、魔法行使に際して影響は無い。これは原子における同位体(アイソトープ)の存在に近しいと云えるだろう。

魔力素内部の魔力子は3種あり、便宜的に色価を赤・青・緑と割り当てられ区別される。それぞれベクトル違いで状態が変わり、それぞれ反赤・反青・反緑となるので、魔力素の状態は2の3乗で8種類となる。

魔法行使に際して影響は無い魔力素の状態ではあるが、【ジュエルシード】といったロストロギアや【デバイス】にとってはそうではない。一定の法則で魔力素を組むことで魔力素そのものに魔力素を扱わせることができるからである。

【インテリジェントデバイス】の中には、仮想データを元に随時魔力素を組んで魔法を発動できるものが近年登場しだしたが、魔力素による魔力素(および魔力子)の操作技術が確立されてきたからである。

なお、こうした、場合によっては事前登録のない術式すら使用可能な【インテリジェントデバイス】を【インタプリタ】あるいは【可変式】。従来の、事前に登録しておいた魔法以外は使えないものを【コンパイラ】または【固定式】として区別しているマイスターも存在している。



 ―― 【反魔力素】 ――

虚数空間に充満する、魔力素と対になる複合粒子。魔力素と対消滅を起こすが、そもそも魔力素も反魔力素も物理的影響力を持たないので、その対消滅も物理的な影響は及ぼさない。
ただし、発生した状況や発生量によっては連鎖反応によって擬似的な魔法、及び反魔法が発生し得るので、結果的に物理的な影響力を発揮することもある。




 ―― 【偏向擬似質量創出】 ――

殺傷設定と非殺傷設定を高度に組み合わせた、主にデバイスの変形や巨大化、次元航行エネルギー駆動炉など(後述:オリジナル解釈)に使われる技術。

生み出した擬似質量の、物理法則への干渉方法を取捨選択することが可能。ただし、非常に微細な調整を必要とするため、一般的な術式としての行使は難しい。
儀式魔法かアームドデバイスなどのフォームチェンジなどで使用され、創出した擬似質量の重量や慣性を任意の時点で非殺傷設定から殺傷設定に切り替えることにより、人力ではありえない巨大質量の取り回しを可能にする。




 ―― 【非殺傷設定】 ――

原作アニメStrikerSでの非殺傷設定とは、物質は破壊できるが人体は一切傷をつけず、しかしながら気絶させることは可能と描写されています。

この作品では単純化を図るため、物質には一切影響を与えない設定――ただし、体内の魔力と反応するためショックで生命体を気絶させることは可能――としている。基本的には魔力ランク・魔導師ランクが高いほうが抵抗力が強い。

このため、たとえば非殺傷設定の砲撃などは障害物を破壊せずに通り抜けることが可能である。ただし、密度の高い障害物は内包する魔力も多いため、相応に減衰はする。結果、殺傷非殺傷にかかわらず壁貫きに必要な魔力はほぼ変わらない。




 ―― 【生命・人類】 ――

この作品では、上記【非殺傷設定】の説明として、生命そのものが魔法で生み出されたためとしている。当作の設定上、高質量物体は魔力素を高濃度で集積するので、偶然に魔法が発動する可能性がある。具体的には、地球サイズ以上の星なら生命を発生させてしまう魔法を発動させうるとしている。つまり、単純な物質と生命の違いは、その構造や仕組みが、魔法によって維持されているか否かである。
もちろん、生命発生の魔法が発動しても、その星がその生存に適した状態でなければ存続はしない。ゆえに、環境が過酷すぎる恒星や、恒星から適した距離にない惑星や衛星では、たとえ生命が発生してもほぼ定着しない。

また、各次元世界の人類がほぼ同様の姿をし、混血も可能らしい事実から、人類の祖は、太古に栄えたある次元世界出身とした。作中では、それがアルハザードではないかと推論されているが、それよりも古い可能性もある(そもそも、150億年程度しか歴史のない第97管理外世界とかよりも、古くから存在した次元世界はあっただろう)。
なお、現在の人類が、純粋にその人類の祖の子孫であるか、それとも作り出された人造生命体のたぐいであるかは、今回は決めないこととした。

いずれにせよ生命体は魔法で作られ維持されているため、物質に干渉しないはずの【非殺傷設定】に反応し、またカートリッジ化可能なほど魔力を集積できるのである。

ちなみに、本作では(幽霊や妖怪、地脈とかUFOといった)オカルト現象のたぐいを、人間の強い意思や自然に存在する魔力が偶然発動させた魔法として十把一絡げに扱った上で、アダムスキー型円盤や地縛霊など、ほとんどのオカルト現象が時間的・空間的に偏ることへの傍証とする。
なお、御神流の剣士といった強い精神力を持った人間などは、技術や修練の延長上でそうと知らず魔法を発動させている可能性がある。さらには、そうした血族などが、精神鍛錬の一環で魔力量増大の技法を生み出し受け継いでいってしまっている可能性すらある(≒なのはは、なるべくして魔導師になったのかも)。




 ―― 【暦法】 ――

原作アニメでは「新暦」「旧暦」といった暦法が設定されており、おそらくクラナガン(のある惑星)の公転周期を基準にしていると思われる。しかしながら同一軌道にない2つの惑星の公転周期が同じになることは考えにくいので、当然、地球とは1年の長さが異なるものと思われる。

しかしながら「StS?篇」突入に伴っての、進級進学といった地球側の時系列を表すべく西暦との併記は、いたずらに混乱を招くもとであるし、整合性を保つための労力が莫迦にならないと判断(また、あまり公転周期差を強調すると、「IF#79-1 集結」でスカリエッティが使った手のネタバレになりかねませんし)。

そこで当作では、『ご都合主義全力全開』でクラナガンと地球の1年の長さはほぼ同じ、とした。ただし(わずかばかりの抵抗として)自転周期である1日の長さは異なり、当然1年の日数も異なるとしている。
なお、クラナガン単位系の1時間は、地球IS単位系の125分30秒ほど。1日は12時間で、地球IS単位系の25時間ほどである。1年の日数は349日で、閏年は5年に1度であると設定している。
ちなみに、2つある月の軌道計算と、それに伴う文化発達史の想定は私の手に余るので、クラナガンの1年が何ヶ月であるか、1ヶ月が何日であるかは設定していない(低軌道にある=公転周期が短いので、1ヶ月の日数は少ない。月が2つあるので、その最小公倍数で月数が決まる可能性がある。なお、2つの月の公転周期に差がありすぎる場合、長いほうの公転周期を「月」、短いほうの公転周期を「週」として定義している可能性もある)




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           【オリジナル解釈】
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 ―― 【虚数空間】 ――

この次元世界そのものと対を成し、反魔力素に満ちた世界。【虚数空間】に送り込まれた魔力素はすべて対消滅を起こして消え去る。対消滅の結果発生したエネルギーもこの空間内では反魔力素に取り込まれてしまう。

故に【虚数空間】で魔法は効力を発揮しない。
これは逆に、次元世界に反魔力素が紛れ込んだ場合でも同様である。

ただし、反魔力素を利用した魔法を虚数空間内で使う分には使用は可能とされている。もっとも今現在までに、反魔力素を収集蓄積できるリンカーコアを持ち、それを行使できる魔導師は存在していない。




 ―― ロストロギア【ジュエルシード】 ――


太古に作られた『一般人を魔導師にするためのアイテム』の試作品群。魔力素収集機能、魔力蓄積機能、魔法行使機能を持ち、湖の騎士シャマル曰く『人造リンカーコア』であり『祈願型デバイスの原型』。

当初、全ての機能を兼ね備えた【ジュエル】が作られたが、携帯には不向きな大きさとなったため、これを分割して再構成して作られた。ゆえに【ジュエルシード】と名付けられた。

大元になった【ジュエル】を便宜上0番とし、1から21までのシリアルを振られた【ジュエルシード】は、それぞれ得意な能力、魔法術式を持つが、基本的な部分は同一である。

肝心の「人の願いを読み取り、適切な手段をとる」機能が未完成で、各種テスト状態のまま残されていたため、不用意に使用すると暴走・暴発する。

【ジュエルシード】各個個別の機能・術式の傾向は以下の通り。なおナンバーのあとの呼称は、後世で便宜的につけられた固有名詞。

1 魔術師   翻訳・変換・通信・素粒子操作
2 女教皇   魔力操作・検索・減少化
3 女帝    成長・延長・耐劣化・豊穣・音波操作・図形描画
4 皇帝    支配・制御・防御・相殺
5 教皇    治療・豊穣・広範囲化
6 恋人達   他者精神操作・自己精神操作・異種結合
7 戦車    補助・強化・外部破壊・統合
8 力     外部破壊・内部破壊・自己精神操作
9 隠者    計算・情報収集・情報発信・内部破壊
10 運命の輪  ワークルーチン構築・強化・ランダマイジング・均質化
11 正義    判断・分配・結界・味覚操作
12 吊された男 拘束・液体操作・術式収集・補助
13 死神    外部破壊・構築・停止
14 天秤    調整・管理・制限
15 悪魔    攻撃・増加・他者精神操作・五感操作
16 塔     天候操作・重力操作・外部破壊・妨害
17 星     思考操作・物質転送・情報分析
18 月     隠蔽・幻術・妨害・警戒網構築
19 太陽    物質生成・固体操作・エネルギー操作
20 審判    シミュレーション・空間操作・物質生成・プラズマ操作
21 世界    魔力調整・補強・移動・結界




 ―― ロストロギア【闇の書】 ――

古代ベルカにて作られた書籍型のストレージデバイス。主人とともに旅をして各地の偉大な魔導師の技術を収集し、研究するために作られた。正式名称は【夜天の魔導書】。

特に強靭な復元機能を当初から持つが、それでも破損・損耗は避けられないため、割と早い時期の管理者により蓄積部分の本体【夜天】と、収集部分の【梟】(注:意訳)に分けられた。

この改変者は自分で術式の転送等を行っていたが、数代後の管理者により手続きが自動化されている。これにより【梟】はページが埋まると、収集した魔力と術式を【夜天】に転送。初期状態の新しい【梟】を所有者の手元に作成し、己自身を魔力還元で消却してしまう。


【闇の書】と呼ばれるようになる最初の転機は、【梟】の転生機能を己の不老不死に利用しようとした管理者の登場による。

この人物は【梟】の情報の一部として己を登録し、ページが埋まるたびに肉体を刷新しようとした。その間の記憶は転生時に一時的に【夜天】に転送し、その後新しい肉体に上書きするようにしていた。

この試みは当初うまく行っていたが、蒐集開始時点と終了時点での脳構造の変化と増加する一方の記憶が、次第にこの管理者を記憶障害へ追いやった。幻覚と狂気に苛まされたこの管理者はなんとか自身の転生機能を停止させたが、滅却・記憶転送・記憶の上書きについては手付かずのまま発狂死した。


これによって管理者を失った【梟】は、管理者と資質の近い者を探し出して仮の所有者として魔力の供給元とするようになる。

これ以降の仮の所有者は管理者権限を得られず、【梟】が現れた途端に与えられる他人の記憶――脳構造の違いでほとんど転写されないが――に悩まされ、【梟】が要求する魔力の供出に苦しみ、蒐集してもその維持のための魔力提供に苛まされ、蒐集が終了すると記憶を吸い取られた上で魔力還元され消滅することになる。

この時期の所有者たちは最初から【梟】を完全に「闇の書」「呪いの魔導書」として認識しており、その記憶と恐怖が数代にわたって転写された結果、【梟】自体が自身を【闇の書】と認識するようになった。


この【呪いの魔導書】に対抗しようと管理者権限へ割り込みをかけた最初の成功例がヴォルケンリッターシステムの使用権獲得である。これによって仮の所有者でもヴォルケンリッターによる護衛、使役を受けられるようになった。

もっとも、【梟】の制御はもともと管制プログラムと防御プログラムで二分されており、【梟】の防衛のために防御プログラムを改変することは比較的容易であっただろう。

ただしこの改変によって、防御プログラムは完全に管制プログラムの制御下から外れることになってしまった。そのためヴォルケンリッターは【梟】の状態を正しく認識できず、転生を跨いでの記憶の保持もほとんど出来なくなっている。


次に行われた改変は、【梟】の活動開始遅延である。この所有者は、その先代の被害者の近親者であり、その有様を目にしていた。

ただし、能力的に管制プログラムへの直接の改変は適わなかったらしく、苦肉の策で外部追加されたのが【鳥カゴ】システムである。

【鳥カゴ】システムは【梟】の転生直前に【夜天】に送られる魔力を掠め取って、転生後に鎖状となって現れる。仮の所有者の代わりにしばらくの間魔力を供給することで、過剰な搾取を押さえることが目的であった。供給する魔力に組み込まれた術式が防御プログラムへ割り込みを掛け続けるため、【鳥カゴ】が稼動している間はヴォルケンリッターシステムも発動しない。


【梟】が「闇の書」「呪いの魔導書」として広く知れ渡ったのは、【梟】で不老不死を実現しようとした管理者と、非常に近しい資質を持つ仮の所有者の出現による。

この所有者は件の管理者と非常に近しかったため、その記憶と終末時の狂気をほぼそっくり受け継いでしまった。しかし、同一ではないから管理者権限は得られない。

所有者は管理者の記憶を元に【梟】への改変を行おうとするが、狂気に突き動かされ幻覚に苛まされ、己を解放するのではなく、誤って破滅の道を書き込んでしまう。

すなわち、全ての魔力を使い果たすまで暴走することである。


ここに今現在【闇の書】【呪いの魔導書】と呼ばれる【梟】の姿が完成した。

この結果、【梟】から魔力が転送されてこなくなった【夜天】は魔力の枯渇により機能停止、経年劣化の末に失われてしまう。

こうして失われた【夜天】だが、後年八神はやて旗下のヴォルケンリッターにその残滓が発見された。魔力素の追跡によって過去の状態を推測する技術によって、その機能の一部が再現されている。


また【梟】が魔力を使い果たすようになったことにより、【鳥カゴ】システムも機能不全を起こし、転生後の【梟】による魔力の収奪をほとんど防げなくなっている。

最終、八神はやての元に転生した【梟】は、八神はやての手によって新しい躯体【蒼天の魔導書】を与えられ、正常部分をコンバート、その他の部分を虚数空間に落とされて消え去った。

この【蒼天の魔導書】は、その躯体をロストロギア【ジュエルシード】から提供された魔力で構築し、【夜天】からサルベージされたデータと、【梟】からコンバートされたデータで構成されている。そのページ数は増減が可能な上に分冊も行えるため一定しない。




 ―― ロストロギア【レリック】 ――

太古に作られた『虚数空間から反魔力素を取り出して利用するための機構』を詰め込んだ結晶体。
主な機能は、魔力素と反魔力素を対消滅させることでエネルギーを発生させる『対消滅炉』、発生したエネルギーから魔力素を生成する『魔導炉』、反魔力素を源泉とする反魔法をこの世界で行使せしめる『反魔法デバイス』の3つである。
虚数空間と直接繋がりを持つため、最悪この次元世界の魔力素を全て消滅させかねない危険性を秘めている。状況によっては世界の一つや二つは軽く消し去ってしまう可能性はあるが、対消滅で発生させたエネルギーが駆動源であることと、第1層と第3層の構造そのものが次元断層を維持しているため、物理的、魔法的に破壊しても暴走はしない。
71年に臨海第八空港で起きた火災もレリックが原因であるが、中途半端な封印作業のために反魔力素を抑える機能に障害が起きたためと推測されている。事実、洩れた反魔力素によって封印魔法が破れたあとは、それ以上の反魔力素流出は起こっていない。




 ―― 【戦闘機人】 ――

広義では、機械を埋め込むなどして戦闘能力を高めた人間。あるいは人の形をした戦闘機械を指す。

狭義では、機械を埋め込むことを前提に遺伝形質から操作した人間。その機械化された個体を指す。

さらに狭義では、レリックを埋め込まれることによってほぼ無尽蔵のエネルギーと、反魔法(インヒューレントスキルと呼称される)の行使を可能にした機体群を指す。




 ―― 【次元航行エネルギー駆動炉】 ――

偏向擬似質量創出技術(前述)により作り出した無質量擬似質量の重荷で、魔力素を招来し、利用する技術群の総称。
重荷の偏向により、特定方向から魔力素を招来せしめ、一瞬だけ殺傷設定を持たせることで推進力として利用する。結果運動エネルギーを失った魔力素は、魔導炉へ蓄積し、魔導推進や転移その他の魔法へ利用可能。




 ―― 【魔力集積衛星『ローズ』『セラヴィ』】 ――

魔力を集積、備蓄する機能を持つ衛星。太陽のような巨大な魔力源からの魔力収集を効率よく行うことができる。惑星を守護するために太古に作られ、特定の手続きを踏むことでその魔力を利用することが可能。また【プロフェーティン・シュリフテン】などのある種の希少技能も、一定条件下でこの衛星の魔力を利用できる(預言などといった特殊すぎる魔法は、このクラスの魔力源があってようやく発動できるとしている)。
次元世界ミッドチルダの首都クラナガンのある惑星の衛星軌道を巡る2つの月、『ローズ』および『セラヴィ』は、主にロストロギア【聖王のゆりかご】への魔力供給を目的として作られたとされている。




 ―― 【質量魔力変換変身魔法】 ――

スクライア一族でも、一部の者しか使えないといわれる秘伝の変身魔法。この術式を使いこなせる者は、どれだけ幼くとも単独での調査発掘行を許されるらしい。
その最大の特徴は、元の体格から小さくなった場合の質量差を、ほぼロスなしで魔力へ変換し保持できる点にある。

一族の英俊ユーノ・スクライアは第97管理外世界に赴いた際にしばらく、当地の魔力素分布が合わず魔力回復に支障をきたしたが、フェレットの姿をとることで魔力を維持、大規模な封時結界を幾度も展開して見せたという。

この術式はそもそもの難度が高いうえに、変換して得た魔力を回復できないと元の姿に戻れない危険があるためスクライア一族が外部に漏らすことは無い。




 ―― 【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】 ――

数が少なく多忙な戦技教導官に代わって、空間シミュレータ内で仮想敵機(アグレッサー)を務めるために作り出されたプログラム体。基本的にシミュレート空間内でしか存在できない。

事の始まりは新暦68年、デバイスマイスター八神あゆが作成した人工リンカーコア試作品の本局提出に遡る。一応の完成品と評価できる第5世代試作品の出来栄えに、その量産化を確信した上層部―― 一説には最高評議会――が、その有効利用の一環として、当時入局していたヴォルケンリッター、および八神あゆが復活させたユニゾンデバイスの複写大量生産を計画した。
しかし、古代ベルカの技術の粋である騎士達を複写することは容易ではなく、また人工リンカーコア開発に携わっている八神あゆを招聘することは本末転倒である。
そのため、実体化プログラム体より構築しやすいと思われた、シミュレート空間内プログラム体として開発されるべく計画が縮小されている。この下方修正に地上本部のレジアス・ゲイズ(当時、少将)の関与があったとされているが、詳細不明(◇要出典)

しかし、当時の空間シミュレーション技術は未発達であり、まずはその改良から始める必要があった。そこで起用されたのが、後に陸戦用空間シミュレータを完成させることになるシャリオ・フィニーノ(当時、本局通信士 兼 デバイスマイスター。三等陸士)である。開発全般を管掌するマリエル・アテンザ(当時、第四技術部。主任)の後援を受け、様々な設定を盛り込める高精度の空戦用空間シミュレータが完成したのが、新暦71年初頭である。

これに前後して招聘されたのが、前年度に人工リンカーコア開発を終えていた八神あゆであった。当然、ユニゾンデバイスを復活させた実績を買われての起用であるが、意外なことにこれよりほぼ半年、この計画には進展らしい進展が見られていない。当時開発中であったオプティマムカートリッジを優先させたためと言われているが、正式な記録は無く不明である。

そうして一旦は遅滞を見せた当計画だが、その5月に八神あゆの要請で湖の騎士シャマル(当時、特殊遮蔽内開発研究室第二課責任者 兼 医務局主任)が招聘され、モデルを当時無名だった高町なのは、フェイト・テスタロッサ、八神はやてに変更することによって急展開を見せた。
ユニゾンデバイスを復活させた八神あゆの手腕と、【闇の書】に蒐集されたリンカーコア(注:八神はやては異なる)の記録に通じたシャマルの見識と、シャリオ・フィニーノのシミュレート空間構築技術の融合により、9月に3人の【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】が生み出された。

しかし、投入した資金や人材に比して効果は薄く、3人居れば充分と判断され、これ以降の製作は行われていない。

なお、八神あゆ、湖の騎士シャマル、シャリオ・フィニーノは他の開発と平行して研究を進め、新暦80年/地球暦1月21日に彼女たちの実体化に成功している。それまでに数多くの局員に対して仮想敵機役を担ってきた彼女たちの実体化に際して、寄せられた祝福は多かったと記録にある。

ちなみに新暦84年に管理世界間で公開された映画『From 97 The MOVIE 1st』(管理局のプロパガンダ映画であるとの論争は編集ノートへ◇)では、それぞれのモデルの少女時代を演じた。外見年齢を自在に変えられる彼女たちは、予定されている続編でも出演を望まれている。



 ―― 【雷刃の襲撃者『ラヴェル・テスタロッサ』】 ――

フェイト・テスタロッサをモデルに、最初に生み出された【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】。頭髪とバリアジャケットに青色が多く虹彩が赤いこと以外は、外見や能力はほぼ同じ。ただし、最初に生み出されたためか性格は若干異なり、自らを「僕」と呼び、口が軽くはきはきとよく喋る。また「飛ぶ」ことに思い入れを見せ、「本物の空を飛びたい」と熱望し、3人の中で最も実体化に協力的であった。
仮想敵機役を担うためシミュレート空間内では能力補正・性格補正を受けることが多い。

フェイト・テスタロッサが最初のモデルに選ばれたのは、彼女が一番最後(とはいえ、高町なのはと合わせて2人だけだが)に【闇の書】に蒐集された被検体であり、もっとも記録が詳細であったから。

【雷刃の襲撃者】は、フェイト・テスタロッサから自身の名と対になるような『解きほぐす・解明する』という意味の「ラヴェル」という名を貰い、実体化後はテスタロッサ家の一員として迎え入れられている。なお、バルディッシュそっくりなデバイスの、「プライマリオス」という名前は紆余曲折の上で本人が決定した。「飛ぶ」ことに思い入れがある彼女にとって無くてはならないものだろうと「鳥類の初列風切羽を意味するprimaries」という単語を提示したのは八神はやてであり、それを多少もじった結果であるらしい。


 ―― 【星光の殲滅者『高町さいせ』】 ――

高町なのはをモデルに、続いて生み出された【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】。焦げ茶色の頭髪はベリーショートで、虹彩がブルー、バリアジャケットが赤黒いことを除けば、外見も性格も能力もほぼ同じ。【雷刃の襲撃者】同様、能力補正・性格補正を受けることが多いが、補正されていても高町なのはと性格が変わっていないという意見もある。

その命名は3人中もっとも混迷し、最終的に本人が選んだも同然の「さいせ」とは、『歳殺(さいせつ)』という金星の精の名前をもとにしており、本来は不吉。当初、八神はやてが挙げたリスト上にあった歳殺をそのまま名乗ろうとしたが、高町なのはとの模擬戦で負けた結果、高町なのはが提示した妥協案の「さいせ」で落ち着いた。レイジングハートとは色違いになる「ルシフェリオン」は、明けの明星を示しており、総じて金星をイメージしたらしいと判る。

こちらも実体化後は、高町家(注:クラナガン郊外の方)に引き取られた。


 ―― 【闇統べる王『八神しなと』】 ――

八神はやてをモデルに、最後に生み出された【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】。頭髪が灰色で虹彩はグリーン、バリアジャケットに黒と紫色が多いことを除けば、外見も性格も能力もほぼ同じ。他の2人と同様、能力補正・性格補正を受けることが多いが、3人中もっともモデルからかけ離れた性格になると評判。製作者は「【闇の書】が蒐集したデータでは無かったため」と説明しているが、それが事実か、そもそも本気でそう言っているかどうかは不明である。ただし、その居丈高で傍若無人な態度に反して、意外と人気があったらしい(性格補正の必要がないのにリクエストされること多数と、記録にある)。

八神はやてによってあっさりと命名された「しなと」という名は、『罪や汚れを吹き払う風』という意味で、「科戸」と書く。デバイスの「ゾンネンクライスクロイツ」も同様に八神はやての命名で、日輪の十字という意味だが、「ゾンネンクライス」「ゾンネンクロイツ」と略されることが多い。

なお、書籍型のデバイスを使用しているように見受けられるが、ゾンネンクライスクロイツの一部であり、独立した魔導書ではなかったらしい。

こちらも実体化後は、八神家に引き取られている。




 ―― 【プロジェクトF.A.T.E】 ――

本作中で八神はやてがフェイト・テスタロッサの名前に対し、(実在する)とある本から引用して強引に意味づけを行っている。
もちろんフェイトの名がプロジェクトF.A.T.Eから採られたことは明白で、当作品内のプレシアも、やはりそうしたであろう。

ただし、そうであるとすると、では何故そのプロジェクトがF.A.T.Eと名づけられたか不明であるため、本作では
「Fabricate of
 Absolute for
 Takeover or takeback Specific-person by
 Enchantment-ergonomics(魔法人間工学による、特定個人を継続もしくは奪還せしめる純然たる構築)」の頭文字をとったとした。
(云うまでもないが、この手の頭文字が文法的に正しいかどうかは、追求しないのがお約束である)



 ―― 【魔導紋】 ――

刺青やビンディのように皮膚に定着させることで、リンカーコアの臨界を越えた魔力を放散する機能を持つ一種のデバイス。単なる調整弁のようなシステムで、術式記録や魔法行使機能などは持たない。
リンカーコアの満タン後も魔力素を収集してしまう障害者のための医療用デバイスで、魔法出力を制御できなくて暴発させてしまう疾患対策の出力リミッターと起源を同じくする。
管理局が魔導師ランクの調整に流用、開発したため簡便安価となった出力リミッターと異なり、施術が難しく高価。

なお、リンディ・ハラオウンの額にある菱形の文様は、4つとも魔導紋である。
リンディはカートリッジシステムに類似した魔力集積機能を持つデバイス――排莢・交換は不可――を所有しており、魔導紋によって放散させた魔力を一定量蓄積している。その備蓄魔力はリンディオリジナル術式である魔力翅を展開することで、本人の基本魔力量を超えた大規模術式に使用することが可能である。




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           【お遊び設定】
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 ―― 【messo rabbit(メソラビット)】 ――

老舗アパレルメーカーであるウミナリヤ・インターナショナルが展開する女児向けブランド。気弱なウサギがトレードマークの、ポップでガーリーな正統派スタイル。男児向けブランドに【Sun show waR】がある。

・mezzo piano
・ナルミヤ・インターナショナル
・ぱにぽに



 ―― 【eternal blue】 ――

ギリシャに本社を持つ子供向けアパレルメーカー。星座や神話をモチーフにしたデザインとドレープなどを用いたデコラティブなシルエットが特徴。特に低年齢層向けに自分で折畳めるようにデザインされ、専用収納ボックスとセットになった「ひとりでできるモン」シリーズが高い評価を受けている。
年齢別にブランド分けを行っており、2~3歳児向けがブロンズ、4~6歳児向けがシルバー、7~9歳児向けがゴールド、10~12歳児向けがゴッドとなっている。

・angel blue
・聖闘士聖矢
・ひとりでできるもん



 ―― 【NACOLULU】 ――

各地の民族衣装をモチーフとしたデザイナーズブランド。ディアンドルといった伝統的な民族衣装そのものも扱っており、「ハイジスタイル」として定着した。
各大陸別にブランド分けを行っているが、今期より月面生活をモチーフにした架空の民族衣装ブランド『第六大陸』を立ち上げている。
マスコットキャラは、鷹と狼を従えたコロポックルの少女。

・COCOLULU
・サムライスピリッツ
・小川一水「第六大陸」



 ―― 【Castolibarjack(カストリバージャック)】 ――

バッドでワイルドなテイストの子供向けブランド。もともと男児向けの商品だけだったが、一部の女の子が好んで着用し始めたことから女児用のラインナップが加わった。
男児向け主力商品は、野生馬のエンブレムと甲冑を意識したデザインラインで構成された『DeNN』シリーズ。
女児向け主力商品は、敢えて女児向けのアプローチを廃しつつ、ワンポイントでハートマークをあしらうなどした『KoYoMi』シリーズ。

・castelbajac 1st step
・銃夢
・カストリ雑誌、カストリ焼酎




 ―― 【殺劫(シャチェ)食品公司】 ――

中国系の新興菓子メーカー。「美味しさのあまり死んでしまう」をキャッチコピーに「熊に襲われた登山者がとっさに喰わせて美味せ殺す」テレビCMで有名。「美味せ殺す」は昨年度の流行語大賞にノミネートされた。
トレードマークは「○の中に殺の字」で、必ずパッケージの裏側に大きく印刷されているため、社名を「マルサツ」「サツマル」「マルシャ」「シャマル」などと勘違いしている人は多い。
強烈なフレーバーの製品が主力で、現在の最新ラインナップは「宇宙お好み焼きシュールストレミングin〆鯖バーガー味チップス」。好事家の間では、この製品が「〆鯖バーガー味の宇宙お好み焼き味」なのか「宇宙お好み焼き味の〆鯖バーガー味」なのかで激論が続いている。
なお、今期からキャッチコピーに「あまりの美味しさに、皆殺しにして独り占めしたくなる」が追加され「追い詰められたオレンジ色の袈裟の僧侶が、一口食べた途端に緑色の服を着た集団を皆殺しにしてしまう」テレビCMが始まった。

・魔法少女リリカルなのはA's 先達FF多数
・安能務「封神演義」
・ケロロ軍曹
・シュールストレミング
・GS美神 極楽大作戦!!
・エレファントマンライフ「タマリンド水」




 ―― 【ハーケンダック】 ――

フランス資本の老舗アイスクリームフランチャイズチェーン。創始者は日本人。フランス国内に直営店を合わせて616店舗、日本には94店舗展開している。
双頭のフック付きロープ【ドッペルハーケン】を構え、一見マフラーに見える【繁盛力ストール】に身を固めたアヒル【ハーケンダック「フリードくん」】がトレードマークで、販売しているアイスクリームの材料は全てこの【フリードくん】が冒険の末に手に入れた希少品ということになっている。その功績を認められた【フリードくん】は公爵号を授けられていると公式ホームページに記載されている。
テレビCMなどでは、この【フリードくん】が無限に広がる大宇宙をバックに踊るので、【スペースダンサー】という愛称(注:非公認)もある。


【ハーケンダック】は常時365種類のフレーバー(閏年は366種類)を販売し、全種類制覇キャンペーンを頻繁に行っている。特に売れ筋なのは金柑味の【ゴールドラック】。

都市伝説では、その店のフレーバーが営業時間中にどれか一つでも売り切れになると、その深夜、店頭を独りで通り過ぎた人間が、看板に備え付けられたフリードくん人形のフックで釣られ、アイスクリームの材料にされると言われている。
これを踏まえてインターネット巨大掲示板【兄ちゃん寝る】などで「【お前の血は】○○店の○○を食べ尽くして夜は店頭で肝試し【何味だ】」などのイベントが提唱され、何度か実行されたことがある。なお、このイベント時に指定されるフレーバーは「ザクロ&ストロベリー」が定番とされている。

・ハーゲンダッツ
・レイダース
・UFOロボ グレンダイザー
・Goldorak



 ―― 【アカギ乳業】 ――

名峰赤城山の山頂に拠点を構えるアイスクリームメーカー。乳業とあるが乳製品は扱っていない。

主力製品は有機農法トマト100%のアイスキャンデー【ワシズさんのトマトバー】。真っ赤なアイスキャンディーにはアカギ乳業のマスコット【サダチュー君】その愛刀【小松五郎義兼】【左向きの雁】【赤城山】【灰まみれのうどん】のうちどれか4つ――重複もある――が刻印されている。

また、従来の「あたり」とは異なる特殊な販売方法を採っており、俗に【ワシズチャンス】と呼ばれている。
【ワシズさんのトマトバー】はそのパッケージの4分の3が透明で透けて見えている(透明でない部分の位置はそれぞれ異なっており、パッケージは4種類あることになる)。この透明部分からは真っ赤なアイスキャンディーに刻印されたキャラクターたちが3つが見えており、購入者は見えない部分に【サダチュー君】が居るかどうか宣言し、当れば購入代金はタダになる。
またこの時、居るかどうかではなく、その愛刀【小松五郎義兼】【左向きの雁】【赤城山】【灰まみれのうどん】のどれかを宣言して当ると、もう1本貰える。
まれに同じキャラクターが4つ刻印されたものがあるが、宣言して当てると3本貰える。

ちなみに刻印されているキャラクターのうち【左向きの雁】――メーカー説明によると西向き――は、【サダチュー君】のペットで【雁雁くん】と呼ばれている。

今期から新製品として、同様の販売方法の【サポーターたちのコーラバー】が発売された。

・赤城乳業、ガリガリ君
・国定忠治
・アカギ~闇に降り立った天才~




 ―― 【シネマ・アレスタ】 ――

海鳴市郊外にあるショッピングモールに併設されたシネマ・コンプレックス。500人収容できる大ホールから20人までのミニシアター、寝ながら見れるスカイシアターにアイマックスまで備え、地域随一の規模を誇る。

・魔法少女リリカルなのは StrikerS
・アレスタ



 ―― 【12人のイカしたビリー・カーン】 ――

1957年に上映された名作のコメディ版リメイク。
名優ヘヴンリー・本田が1人12役をこなす

・12人の怒れる男
・24人のビリー・ミリガン
・餓狼伝説




 ―― 【養蜂家の店 蜂蜜のフジタ】 ――

海鳴市中丘町にある蜂蜜の直売店。
飼育、定着化の難しいニホンミツバチの蜂蜜を扱っていることで有名。
かりんの蜂蜜漬けや蜂蜜シャンプーなど関連商品の開発製造も行っており、通信販売にも対応する。
店番はQ首長国からの留学生が1人でこなしており、その怪しげな日本語と笑顔で人気を博している。

・養蜂家の店 蜂蜜の藤田
・ギャラリーフェイク




 ―― 【中丘町スィート・パームス】 ――

紅の鉄騎ヴィータが所属したゲートボールチーム。
全員が女性――心が女なら医学的には男性でも可――で構成されている。
監督の高柳真理子(旧姓:広岡)は【海鳴トム・アプローズ】の高柳邦彦監督とは夫婦であり、その夫婦喧嘩が【中丘町スィート・パームス】の設立理由となった。設立2年目。
前年度の市民大会では【海鳴トム・アプローズ】を下して優勝している。
応援歌は「はばたけパームス!ポロンの翼は一炊の夢」

・メイプル戦記
・メイプルタウン物語~パームタウン編~
・おちゃめ神物語 コロコロポロン



 ―― 【海鳴トム・アプローズ】 ――

海鳴市を本拠地とする名門ゲートボールチーム。
ゲートボールが子供向けの競技だった頃から存在し、現役メンバーの中にはその当時からメンバーだった者も居る。設立当時は弱小チームだった。
市民大会での優勝は数知れず、全国規模での大会でも13回優勝してる強豪。

・メイプル戦記
・キャットルーキー
・劇団四季「キャッツ」「アプローズ」




 ―― 【Oliverソース】 ――

関西の老舗ソースメーカー。商品名も同名。
煙室扉の部分に人の顔がついた黄緑色の機関車【11 Oliver】がトレードマーク。
キャッチコピーは「鉄壁のうまさ」

・オリバーソース
・機関車トーマス
・オリバー・カーン




 ―― 【海外ドラマ『殺アイスクリーム事件』】 ――

アメリカのホィールドテレビシリーズ【Masters of mystery】のうちの1話。
【Masters of mystery】は1話完結のオムニバスドラマであり、現代の推理小説家たちの短編からドラマ化されている。

【殺アイスクリーム事件】は当代随一と評される推理作家Tom Bombadilが珍しくコメディ調で披露した【アイスクリームはなぜ殺されなければならなかったのか。――融けたら美味しくないから――】の初映像化である。

・Mastars of Horror「アイスクリーム殺人事件」
・指輪物語




 ―― 【隔月刊『世界の名デバイス』】 ――

ミッドチルダの出版社【aTe Coslini】が刊行する分冊百科。量産品から一品物まで様々なデバイスの解説に待機状態の実物大模型、各状態の3Dデータが付属する。量産品や、所有者の許可がある場合は、制御プログラムや保有術式のデータが付属することもある。
もっとも、この本に掲載される程度のデータは、デバイスマイスターであれば閲覧可能か、コネでそれ以上のデータが入手可能なため完全なコレクターアイテム。また、「最新のデバイス=現役時空管理局員のデバイス」であることが多いため基本的に旧式の「伝説の名機」ばかり掲載されるので、やはりコレクターアイテム。
ただし、様々なデバイスの成立過程を整理、図示した【デバイス系統樹】のページは高い評価を受けている。

新暦66年現在で72号まで発行されており、最新号の特集は旧暦460年代の管理局標準ストレージデバイス【MK5】。

・De Agostini S.p.A.
・MajiでKireる5秒前




 ―― 【TVアニメ『超時空棒網球ラクロス』】 ――

地球共鳴能力によって銀河の中心に室内競技場ごと飛ばされたラクロス部員たちが、宇宙人たちを啓蒙し銀河中にラクロスの素晴らしさを布教してゆく、壮大かつ荒唐無稽な物語。スタッフの合言葉は「バカバカしいことをマジメにやる」
地上波テレビ放映にも関わらず、宇宙人たちのセリフがタイ文字での字幕表示で物議をかもした。
しかしながら、26話(事実上の最終回)でいきなり人型に変形して巨大宇宙人たちと試合を始めた室内競技場のインパクトは相当のものであり、後発の【機甲早食猤モスバーガ】【祈祷宣士乙おがんだる】などに影響を与えたと云われている。

当初4クール52話で企画されたものの、スポンサーの都合で2クール26話で製作された。しかしながら意外に好評であったため急遽1クール13話を追加されている。このむりやり追加された【異次元進出編】は、次の番組と劇場版制作のためスタッフが揃わず、ほぼ別物といっていい作品となってしまった。視聴率も振るわず、ファンの評価も低い。

後番組は【超時空噺家ヨーガス】。制作会社が変わったため作画のクオリティが格段に上がり、本格SFとしても見ごたえがあったため根強いファンも多い。
なおシリーズ3作目にあたる【超時空演歌歌手サザンカホテル】の放送途中にスポンサーが倒産したため、人気があったにもかかわらず打ち切りの憂き目に遭っている。

・超時空要塞マクロス
・超時空世紀オーガス
・超時空騎団サザンクロス
・地球少女アルジュナ
・あにゃまる探偵キルミンずぅ
・機甲創世記モスピーダ
・機動戦士Zガンダム
・超人キンタマン




 ―― 【トライマッチ(魔法拳)】 ――

地球のじゃんけんに類似した、クラナガンにおける3すくみ式の勝敗判定方法。
使うのは掌を広げた【防御魔法】、手を握りしめた【バリアブレイク】、手を拳銃型にした【射撃魔法】の3種。ときおり、手刀型にした【魔力付与攻撃】や、鷲掴み状にした【捕獲魔法】、両手を拳銃型にした【砲撃魔法】を使う者、地域があるが、基本的に反則である。

これら【防御魔法】【バリアブレイク】【射撃魔法】は三すくみの関係にあり、【防御魔法】は【射撃魔法】に勝ち、【射撃魔法】は【バリアブレイク】に勝ち、【バリアブレイク】は【防御魔法】に勝つ。両者共に同じ手を出した場合は引き分けとなるが、【射撃魔法】で引き分けた場合はダブルノックアウトとして勝負そのものを流してしまう特別ルールを採用する場合もある(テレビ番組などで、出演者がトライマッチで勝負する時に、ダブルノックアウトなら賞品が視聴者プレゼントになるケースがあった)。

【トライマッチ(魔法拳)】には、1回戦目の勝敗を踏まえた2回戦1セットで勝敗を決めるルールも存在する(こちらもテレビ番組の1コーナー用に考案されたもので、一般的にはほとんど使われてない)。

1回戦目の勝者は、その時の勝ち手と同じ手で2回戦目も勝てば3ポイント取得できる。その他の手で勝てば2ポイント取得できる。1回戦目と同様に、両者が同じ手を出した場合は引き分けであるが、1回戦目の勝者は1ポイント手に入れる。1回戦目の勝者が2回戦目で負けた場合はどちらもノーポイントで引き分けとなる。この際、相手側が特定の技で勝てば逆転とみなされて2ポイント手に入れられる。

1回戦目の勝ち手   ブラックアウト(3) 相手の逆転手(2)
【防御魔法】    【防御魔法】     【バリアブレイク】
【バリアブレイク】 【バリアブレイク】  【射撃魔法】
【射撃魔法】    【射撃魔法】     【防御魔法】




 ―― 【室内競技『トップヤード』】 ――

地球のビリヤードを立体化したような競技。魔法で無重量状態にした直方体の魔力ケージの中のボールを棒(キュー)で突いて競技を進行させる。
一説には、地球のイギリス出身の管理局員が持ち込んだビリヤードをモデルにしたと言われている(◇要出典)




 ―― 【ペットショップ『キンイロ』】 ――

海鳴市にその店舗を構える総合ペットショップ。犬猫はもとより熱帯魚や爬虫類、両棲類など幅広く取り揃えているが、もっとも品揃えが豊富なのが昆虫類をはじめとする節足動物門であり、昆虫マニアからは「聖域」と呼ばれている。

・虫姫さま
・堤中納言物語
・新世紀エヴァンゲリオン
・インターネットラジオステーション<音泉>
・カウボーイビバップ
・風の谷のナウシカ




[14611] #71-3[IF] 千尋の谷へ
Name: dragonfly◆23bee39b E-MAIL ID:16f457bb
Date: 2010/08/11 12:47

――【 新暦71年/地球暦9月 】――



「きょうは、けっこう あぶなかった。みたいですね?」

模擬戦終了後もその構成が失われないことに、青い【空間シミュレータ用仮想敵機プログラム体】が疑問符を浮かべること10分。アラート音と共に眼前に現れたのは、彼女たちの製作者の1人、小さな小さなデバイスマイスターだった。

「なんだよ!?
 こんなとこまで来て、説教か!」

フェイトとの模擬戦の後で、性格補正を受けたままの――【雷刃の襲撃者】改め――ラヴェル・テスタロッサの口調は荒い。

そういうわけでは……。と否定しかかって、しかし「まあ、そうですね」と言い直したのは、青鈍色の騎士服に身を包んだ少女である。

「くふうのない たたかいかたをつづけるようなら、おこる。と、おねぇちゃんたちには、いってますからね。
 あなたたちも、おなじ。なのです」

「僕はただのアグレッサーだぞ!
 そんなの、補正率上げりゃいいじゃないか!」

性格補正前なら、さぞ哀切に言いよどんだであろう言葉を叩きつけつつ構えたのは、【初列風切羽】という意味の名を与えられた斧様のデバイスだ。

しかし、対するあゆは、まだ構えない。

「それはすでに、やっていること。なのです。
 きょう、あなたの【ほせいりつ】は、とうしょの ばいほどもあったのですよ」

……え?と、下がった刃先が、こころなしか色を落としている。

これ以上補正率を上げても現実的ではないし、それでも早晩フェイトはクリアしてしまうだろう。絶対的・相対的能力の差を埋められる強さ――ストライカーに不可欠とされるそれ――を、迅雷の魔導師は身に付けつつあったのだ。

「ですから、あなたには……」と言いかかったあゆが、「もちろん、あなたがたも」と、あらぬかたを見上げる。

「ほせいできない ぶぶんで、つよくなってもらわなくては。なのです」

仮想敵機役として生み出された彼女たちだが、けして模擬戦時しか存在できないわけではない。本局メインフレームでの間借りとはいえ意識はあるし、与えられた権限内で各種データベースにアクセスもできる。その気になれば、アポをとってシミュレート空間に人を招き、胸を借りることすら可能だった。

多少の不自由はあるにしても、人や魔法プログラム体と同様に、成長できるのである。

「まあ。くちでいっても、ぴんと こないでしょうし。
 しぐなむねぇさま りゅうに、やいばで おしえてあげるのです」

構えたS2Uと【碧海の図説書】に刃などないが、向けられた殺気に反応したのだろう。ラヴェルがプライマリオスを構えなおした。

『それでは、1ぽんしょうぶ。じかんむせいげん、ですよ』

シミュレート空間に響き渡ったのは、今は制御室で管制を行っている小さな融合騎の声。

『ステン バイ レディ』

エスタの宣言と同時、2人の目の前に≪Stand by ready≫と表示される。

『エンゲージ、ですぅ』

≪Engage≫の表示が消え、最初に動いたのはあゆだ。

「でんこうせっか、なのです」

 ≪ Blitzschnelle Fortbewegung ≫

ラヴェルの目には、あゆが少し小さくなったように見えただろう。高速移動術式で、まっすぐ後ろに下がったのだから。

「……大きな口叩いておいて!」

肩を震わせた青い魔導師が、一瞬で追い着き、側面へ。すべての補正は、フェイトとの模擬戦のままだ。

「逃げるな!」

振りぬいた一撃が、しかし、あゆを斬り裂けない。怒りで、攻撃が大振りすぎるのだ。

「むりを、いわないのです」

ラヴェルの右前方。一足一刀の間合いにあゆの姿があった。ヴィンデルシャフトから蒐集し、改良に改良を重ねた高速移動術式である。

「あなたに まっこうからたいこうできる すぴーどなど、わたしにあるわけ ないのです。
 うさぎと かめ。どころか、ひかりと ざりがに。なのです」

スタートと同時に逆走する気か。

それでもまあ、瞬間的には速い。
移動距離は無いに等しく、シグナムやシャッハなどと比べればトップスピードは心もとないが、消費魔力の少なさ、その効率の良さだけは折り紙つきの、エスタ渾身の術式だ。

次の一撃を、あゆは体捌きで避けた。もちろん、見えたワケではない。高速移動突入直前の、ラヴェルの視線と動作から予測したまで。

有り余るスピードで強引に斬り返された魔力刃を、今度は高速移動で躱す。


空戦適性が低いはずのあゆが、それを苦にもせず飛び回っているのにはカラクリがある。今はまだ研究中の陸戦用空間シミュレータ用のプログラムが、試験的に組み込まれているのだ。
複雑な計算と膨大な処理能力を必要とする地形や建築物の再現は無理だが、こうして陸戦魔導師と空戦魔導師の対決を演出するくらいのことはできた。


「えす2ゆぅ」

≪ …… ≫

続けざまの高速移動でジグザグに逃げながら、その都度、置いていくように放つのはパスファインダーだ。ラヴェルに向かって、殺到していく。

いちいち術式名を唱えあげていては、いざという時に手の内が見えてしまう。なので戦闘を前提としたデバイスには、術式名を宣告しないサイレントモードや、時には嘘の術式名を唱えるダミーモードなどが用意されている。S2Uは云うまでもなく、アームドデバイスでもある【碧海の図説書】にも実装済みだ。


「あの程度で僕を!」

瞬間移動さながらの勢いであゆの背後に現れたラヴェルが、高速移動で逃れようとするデバイスマイスターに併走して見せる。

「足止めできると!」

「おもってなど いませんよ」

今度は、大振りする気などなかった。モーション少なく石突きを繰り出して、そこから連続攻撃に繋げるつもりだったのだ。

しかし、

「!」

進行方向から襲い掛かってきた青鈍色の魔力鎖が、ラヴェルの手足を縛り上げた。

「バインド?
 そんな……いつ!?」

「せんせぇじきでん、【でぃれいど ばいんど】
 【ぱすふぁいんだー】の はっしゃまえに さいれんとで、なのです」

高速移動2回分の距離を置いて、あゆ。術式だけでなく、優速者を罠に誘い込む戦術も直伝であろう。

「さて」と、さらに距離を置きながら懐から取り出すのは、銀色のしおり。

「あなたが、いかに じぶんのさいのうを つかいこなせてないか、みせてあげるのです」

手足に魔力を籠めてバインドを打ち砕こうとしていたラヴェルが睨み付けてくるが、あゆは気にしない。

「おぷてぃまむ ろーど」

【碧海の図説書】の葉間に差し込んだのは、今年完成した特殊カートリッジである。

「さんだー あーむ ぷらす」

 ≪ Thunder Arm + ≫

ぱりぱりと電気を帯びた【碧海の図説書】は、一見普通のサンダーアームと変わりない。

「あなたなら、なんのたすけもいらずに つかえる じゅつしき。なのです」

「そんな攻撃、僕に効くもんか!」

ラヴェルの言うとおり、電気の魔力変換資質を持つ相手に付与電撃は効果的ではない。

しかし、あゆが手首を返した瞬間、ラヴェルは【碧海の図説書】の行方を見失った。自分のお腹を打ち据えるまでの、短い時間だったが。

「……な!?」

「いっせん、かんつう。なのです」

様々な物理現象を利用して魔力の節約、魔法の多様化を狙うあゆがサンダーアームの改良術式を用いたのは、それを推進力として使うためである。

磁力を発生させ、それによって高速移動を実現するMHD推進だ。

強い磁界で回転しながら飛来する【碧海の図説書】は、さながら【強電磁ヨーヨー】か。電磁波遮蔽が充分でなければ、戦闘機人には追加効果も見込めるだろう。


じつはまだ実用化できてなくて、シミュレート空間内限定のイカサマである。質量兵器にあたるため「ガジェットドローンを1体バラしたい」なんて申請は、あゆの権限では通りがたい。



「そんなぁ……」

バインドから開放された手を、痛むお腹に当てて、ラヴェルが墜ちた。

「つよくなって、ほしいのです」

そう遠くない未来、スカリエッティが帰ってきた時。高速格闘型のトーレに対抗するのはフェイトの役割だろうと、あゆは踏んでいる。その時のために、より強くなっていてもらいたいと願うのだ。

問題は、スカリエッティの帰還時に、トーレタイプの戦闘機人が増えていないか?ということである。

だからあゆは、フェイトと共に、ラヴェルにも強くなってもらいたい。そう思うのだった。




                             おわり


作中、あゆは最強のデバイスマイスターと呼ばれていますが、それは反面で原作前線メンバーには誰一人として及ばないという意味でもあります(オリ主無双が私の好みじゃないってだけですが)。
それでも時折、ストーリーの要請で勝たなければならぬ場面というのもありますので、それぞれ1回くらいなら奇襲戦法や工夫した魔法で出し抜けないこともない。と、しておりました。
本編中のあゆでは開発力不足で使えなかった奇襲や魔法のアイデアなどを2~3回に分けて紹介しようかと存じます。というワケで第1弾は【強電磁ヨーヨー】です。


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