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[19871] 魔法学院でお茶会を【オリ主】
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/08/11 17:12
 オリ主でちまちま書いて行こうと思います

・捏造してる設定がけっこうあります。捏造という言葉にはロマンがありますね。

・たくさん感想ありがとうございます。もっと楽しんでいただけるようにがんばります。

・登場人物の経歴にミスがあったので修正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

・8/4 誤字を修正させていただきました。ご指摘ありがとうございます。

・チラ裏から移動させる際にミスって記事ごと全部消してしまいました。感想をいただいていた方には本当に申し訳ありません。

・8/5 短編追加。本編と内容は関係無いものです。

・嗚呼 ドカコック、男意気!



[19871] 第一話「虚言者たちのカーテシー」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/06/28 18:29
 
 孤島のようだ。

 馬車の窓から見た魔法学院はそんなふうに見えた。
 どこまでも続くと思えた草原に、ぽつんと出てきた巨大な建物。土地なんかいくらでもあるだろうに、わざわざあんなに高く造っている。貴族の子女を預かる学舎は立派なものでなければならないからだろう。
 くだらない見栄だ。ザザは鼻で笑い、持っていた本に視線を落とした。

 ザザ・ド・ベルマディは田舎貴族の末娘として生まれた。ちっぽけな領地しか持たない辺境の貴族など、そこらにいる豪農と対して差はない。名前にありがたい額縁がついているかそうでないかの違いだ。ザザもまた、貴族というよりはただの田舎娘として育った。貴族としての教育やメイジの訓練も受けていたが、それが終わると近所の平民の子供たちとどろんこになって遊んだ。春には種をまき、夏には家畜の世話をし、秋には鎌をもって収穫を手伝い、冬には森に入って薪を拾った。

 そんな家風の中で、入り婿である父だけが違っていた。トリスタニアの都会育ちだったザザの父は、泥臭い畑仕事によりつこうともしなかった。中央での華やかな暮らしが忘れられず、領地の経営もそこそこに社交にばかり出かけていた。たまに帰ってくると、平民の子供と一緒になって遊んでいるザザに顔をしかめはしたものの、入り婿という立場からか厳しく言うことはなかった。貴族の親子などそんなものなのかもしれないが、幼いザザが留守がちな父親を『親』として認識するようになるには時間がかかった。

 親子の間には決して崩れない壁があった。母との距離が近かった分、その壁は明確なものだった。それでも、ザザは父を尊敬していた。お父さまは公爵さまや王さまのところによく出かけるえらいひとなのだと思っていた。それは平民の子供が描くお姫さまや王子さまのようなもので、現実を知らないから見れる夢だった。

 十二才のときだった。公爵家主催の園遊会が開かれた。少女という生き物になりつつあったザザはこれに行きたくてしかたなかった。何度も父に連れて行ってくれとせがんだ。外で遊ぶことを控えてお作法のお稽古をまじめにうけた。やがて父も折れ、あまりワガママを言わない末の娘の願いを聞き入れてくれた。

 ザザはおおはしゃぎして、友達にたくさん自慢をした。お父さまにえんゆうかいにつれていってもらうんだ、きれいなドレスを着て、おいしいものをたくさん食べるんだと。友達はみんなうらやましがって、ザザは自分が貴族だと初めて実感した気分だった。

 園遊会に向かう道すがら、父と二人の兄は口ずっぱくザザに注意をした。貴族の子女として恥ずかしくない振る舞いをしろ、公爵家はもちろん他の家の方々に粗相のないようにしろ。そんな小言が延々と続いた。園遊会でも、下の兄がザザを見張るようにずっとついていた。公爵家には同い年の女の子がいると聞いていたのでお話をしてみたかったのに、許してくれなかった。

 いろいろと不満だったけれど料理はおいしかったし、きれいな衣装や音楽で彩られた園遊会は、まるでおとぎ話のように華やかだった。こんなところにいつも来ているお父さまはやっぱりえらいひとで、その人の娘であることが誇らしく思えた。

 だが、それはやはり子供の描く夢でしかない。貴族にとって社交の場に出るということはひとつの節目で、大人になる過程のひとつだ。社交というのは貴族の仕事の一部であり、どうしようもないほどの現実なのだ。

 ザザは自分の父親の姿を見た。家では尊大に振る舞っている父が、公爵の取り巻きとしてへりくだった態度をとっていた。幼いザザには理解できなかったが、その園遊会には公爵家の長女も参加していた。貴族達は次代の公爵家の長の座を狙い、自分や息子を売り込むのに必死だったのだ。ザザの父もまた、息子を公爵令嬢の夫に据えようと躍起だった。だが、田舎貴族で立場も弱い父たちが、そうそう公爵令嬢の側に近づけるものではない。他の貴族に押しのけられ公爵令嬢に近づけずにいた。その姿は子供の目にも分かるほどみっともないものだった。

 別に父が悪いわけではない。あれは父なりに貴族としてのつとめを果たそうとしていたのだ。しかし、その日を境にザザはちょっとだけ世界を斜めに見るようになった。無条件に信じてきた父や家庭教師の言葉を疑うようになった。平民の友達の中で、貴族である自分に気を使っている子を見分けられるようになった。それは、ザザにとってはあまり幸せなことではなかった。

 家を出てから十日。がたがたと揺れる馬車にも慣れてきたころ、ようやくその建物は見えてきた。田舎娘であるザザにとって、こんな遠くにまでやってきたのは初めての経験だった。

 今回の魔法学院行きでも、父は口ずっぱくザザに注意をした。大貴族の子女に失礼のないようにしろ、馬鹿な男に引っかかるな、無駄遣いはするな、などなど。中でも、同級生になるという公爵家の三女とは仲良くなっておけと念入りに言われた。園遊会のときの父のように、へらへらと笑って公爵家のご機嫌取りをしてこいということだ。汚らわしい大人の仲間入りをするようでいい気はしなかった。

 十五才になったザザはすらりとした痩身の少女になっていた。暗めの青髪は束ねて一本の三つ編みにまとめてある。いかにも田舎娘といった風情だが、ザザのクセ毛ではこれ以外の選択肢はなかった。村の中では一番の器量よしだと言われたが、ザザ自身は都会に出れば自分くらいの娘はいくらでもいると思っていた。父親はザザをどこかの有力貴族に嫁がせようと色々とやっているらしい。魔法学院で変な男に引っかからないかと気が気ではないようだ。

 成長してしがらみが増えた。それでも、家を出て新しい生活を始めるのは楽しみだった。口うるさい父も、意地悪な兄もいない新しい世界。期待をふくらませて、ザザは足取りも軽やかに馬車から降りた。

「あぁ、ザザお嬢さま。それはあっしが持ちますんで」

 荷物を下ろそうとしていたところを、家からついてきてくれた使用人のアランに止められた。

「これくらい持てるわよ。来るときだってずっと私が持っていたじゃない」

「そのぅ、旦那さまから言いつけられておりまして。ほら、お嬢さまも出発のときに言われておったでしょう?」

「……そう言えば、そうだったわね」

 淑女らしく重いものを持つなということだ。そんな見栄をはっても、農作業を手伝ってマメだらけの手は隠せるものではないというのに。考えて見れば、家で一番良い馬車を用意してくれたのも、使用人がいつになくちゃんとした服を着ているのも、同じ見栄のためだろう。恥をかかないようにと思ってのことだろうが、安っぽい虚栄心がザザにはむしろ恥ずかしかった。

 ついてきてくれたアランは、幼い頃から面倒をみてくれた初老の男だった。何かと家を空けることが多い父よりも、ザザにとってはよほど身近な存在だ。そんな彼を困らせるのも悪いと思い、ザザは大人しくこの場に居ない父の望み通りにふるまった。


 簡単な手続きが終わると、寮監だという女性が女子寮まで案内してくれた。白髪交じりの髪をまとめた目つきのきつい、典型的なオールドミスといった風情の女性だ。道中、寮生活における決まり事をこれでもかというほど聞かされた。

「魔法学院では生徒の自主性を重んじております。講義の選択などもそうですが、寮生活においても同じことが言えます。ご実家ではどうだったかは存じませんが、ここでは自分のことは自分でやっていただくことになります。使用人はあくまで学院の使用人であり、生徒のものではないということを理解してください。わかりますね?」

 女子寮に入る前に、寮監はザザの後ろについてきていたアランを見てそう言った。そらみたことかと、ザザはばつの悪い思いをしながら、アランから荷物を受け取った。

「アラン。ここまででいいわ」

「へえ、お嬢さま。どうかお体に気をつけてください」

「ありがとう。アランも元気で。お母さまやお爺さまによろしくね。落ち着いたら手紙を書くわ」


 なじみの使用人に別れを告げ、新しい住まいとなる女子寮に入った。寮は立派なもので、むしろ実家の屋敷よりも快適そうだ。寮の中の案内が一通り終わると、寮監から自室の鍵が手渡された。

「貴女の部屋は二人部屋になります。ルームメイトは一足先に入っていますから、分からないことがあれば彼女に聞きなさい」

「分かりました」

「部屋替えはよほどのことがないかぎり行いませんので、ルームメイトとは仲良くね」

「はい。私は同じ年頃の貴族とはあまり付き合ったことがないので、少し不安ではありますけど、楽しみでもあります」

「よろしい」

 教えられた部屋はすぐに見つかった。戸を叩くと、一人の女生徒が出てきた。栗色の髪をした、そばかすの多い子だった。

「ザザ・ド・ベルマディさんかしら?」

「ええ。あなたは?」

「クラウディアです。クラウディア・ド・ロネ」

「よろしく、クラウディア。……中に入っても?」

「あら、ごめんなさい。どうぞ」

 部屋は思っていたよりもずっと広かった。二人部屋だということを差し引いても、実家のザザの自室よりもずっと広い。両側にベッドとクローゼット、机が一揃え置いてある。左側がクラウディアのスペースらしく、雑貨や絨毯などで彩られていた。まだ色のついていない右側がザザの場所になるようだ。

 荷物を置き、ベッドに腰掛けるとどっと疲れが出てきた。自分では体力があるつもりだったが、見知らぬ土地で思ったよりも疲れが溜まっていたらしい。軽い眠気を振り切って、ザザは荷ほどきをはじめた。

 クローゼットにわずかな私服を詰め込んでいると、クラウディアが話しかけてきた。

「ベルマディ家の方なら、わたしのことをご存じかしら?」

 知らないはずはないだろう、そう言いたげな物言いだった。

(やれやれ)

 心中で嘆息する。どこにでもいる手合いだ。人間関係で上下をはっきりさせないと気が済まない。平民にもそういったのはいくらでもいる。貴族の子供なら、親の真似をして権力ごっこがしたくなるのも普通なのだろう。

「田舎育ちなもので世事には疎くてね……。でも、ロネ家のことは知っているよ。父からも聞かされている」

 ヴァリエール公爵領ではそこそこに大きな家だ。ザザの父がおべっかを使っている相手の一人である。クラウディアの居丈高な態度は、ザザのことを明かに「格下」と見ているものだった。

「……そうですか。まあ、お互いのことはこれからゆっくり知っていけばよろしいですわね」

「そうだね。よろしく、クラウディア」

「ええ、よろしくお願いしますわ。ザザさん」

 ザザの物言いが気にくわなかったのか、クラウディアの表情に少し不快さが表れる。しかしすぐにそれを消して、にこやかに笑って見せた。ザザもまた、不快感を腹の奥に押し込めて笑顔をつくる。

 ある程度荷ほどきが終わると、クラウディアがお茶を入れてくれた。実家から持ってきた良い葉だとかなんとかいう自慢は鬱陶しかったが、疲れた身体に熱いお茶はありがたかった。

「そういえば、ヴァリエールのお嬢さまが同級生にいるんだって? もう寮に入っているのかな」

「ああ、ルイズ様ですね。まだいらしていませんが、そろそろ入寮されると聞いていますわ」

「ふうん……。クラウディアは会ったことあるの?」

 昔一度だけ遠目に見た公爵令嬢の姿を思い浮かべる。

「もちろんですわ」

 クラウディアは誇らしげに胸を張ってみせた。

「私はロネ家の長女として、小さい頃から社交の場に出ておりますから。ルイズ様とも大変親しくさせていただいていますわ」

「そうなんだ。どんな人?」

「大変お美しい方ですわ。桃色がかった金髪がとてもお綺麗で、羨ましいくらいです。ルイズ様がいらしたら、ザザさんのことも紹介してあげますね。同じヴァリエール領の仲間ですもの、みんなで仲良くしましょう」

「あー、その、ええと……。大貴族の方には縁がなかったから、正直どう接して良いかよく分からないんだ」

「まあまあまあ! そんなことを気になさっていたの? ザザさんは堅く考えすぎですわ。普通にしていれば大丈夫です。ルイズさまも大変きさくな方ですわよ」

 学内で“ヴァリエール派”のような派閥に組み込まれるのは嫌だったのだが、ルームメイトと波風を立てるのはもっと面倒だ。実際、クラウディアも善意から交流を深めようと思っているのだ。あくまで自分が上の立場でという前提はあるが。

「そうだね。今から会うのが楽しみだ」

 ザザはぎこちない笑顔でそう返すしかなかった。

 教科書や制服の受け取りなど雑事を終え、夕食をすませたころにはザザはへとへとになっていた。体力的にもそうだが、狭い田舎で暮らしてきたザザには知らない顔ばかりという環境は精神的に疲れるものだった。部屋に戻ると倒れ込むようにベッドに入った。

 天蓋付きのベッドにはカーテンがついていた。カーテンを閉めるとようやく一人きりになれる。このベッドの上だけが、唯一ザザに許された個人的な空間だった。

 明日からずっとこんな生活が続くのだ。ヴァリエールのお嬢様がやってくればさらに騒がしくなるだろう。授業がはじまればなおのことだ。その事実にちょっとしためまいを覚えつつ、沈みこむようにザザは眠りに落ちていった。



[19871] 第二話「牢獄のリバタリアニズム」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/06/27 10:51

「初めまして、ザザさん。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。お父上には大変お世話になっていますわ」

 甘い桃色の髪。新雪のように無垢な肌。鳶色の瞳はきらめく宝石だった。同じ制服を着ているはずなのに、彼女が着ているとそれだけでとびきりのドレスに見えてくる。歩き方やお茶の飲み方、ふとした微笑みにまで薔薇のような気品が香ってきた。

 ヴァリエールのお嬢さまが学院にやってきた日に寮のバルコニーでお茶会が開かれた。ヴァリエールにゆかりのある生徒だけが招かれた小さな茶会だ。その席でザザはルイズに紹介された。

「お、お初にお目にかかります。ルイズ様」
「ふふ、そんなに硬くならなくってもいいのよ。ここには口うるさいひとたちの目もないんだから」
「は、はぁ……」

 初めて会う公爵令嬢は絶対的な優雅さを身にまとっていた。それは父やあの園遊会で感じた霧のように陰湿なものではなく、やさしく頬をなでる春風のようだった。

「様、なんてかしこまった言い方はやめて、もっと気楽におつきあいしましょ? ここではみんな同級生じゃない?」
「そうよ、ザザさん。そんなに硬くっちゃ疲れてしまいますわよ」

 クラウディアやほかの女子たちがそう言ってくる。貴族の女子ばかりのお茶会など初めてで緊張していたザザだったが、思っていたよりもずっと親しみやすい雰囲気だと感じていた。派閥だのなんだのと考えていたのは、考えすぎだったのかもしれない。公爵令嬢も身分を鼻にかけることのない人物に思えた。

 思えば、ザザの貴族に対する嫌悪感はたった一度の園遊会ですり込まれたことだ。それまで尊敬していた父の、かっこうわるい姿を見て幻滅した。ただそれだけで、貴族の全てに悪い印象をもっていたのだ。
 公爵令嬢やクラウディアたち同級生と接してみて、ちょっとだけザザは自分の考えを改めた。自分でもっと、世の中のことを知ろうと思った。

「じゃ、じゃあ……よろしく。ルイズ」

 思い切ってそう言ってみると、ルイズは最初きょとんとした顔をしていたが、すぐにぱあっと笑顔になってザザの手をとった。

「ええ、よろしくね! ザザ! これから仲良くしましょ」

 ザザの硬い手を握ってくるルイズの手は、小さく柔らかかった。

 それからはルイズに質問攻めにされた。どうやらこの茶会の参加者は全員が顔見知りらしく、ゲストはザザだけのようだ。ルイズが何かを尋ねザザがそれに答えるたび、他の皆は上品に微笑みつつ相づちを打つ。

「ザザは背が高くていいわね。すらっとしてて格好良いわ」
「そうかい? 背ばかりたかくてやせっぽちだから、男の子みたいで嫌なんだけどな。胸とかあれば、違うんだろうけど」
「う、胸の話は……」
「ははは。だから、ルイズくらいの背のほうがかわいくっていいと思うよ」
「あ、言ったわね。気にしてるのに」

 最初はさすがに気後れしていたザザだったが、ルイズが本当にくだけた口調で話してくるのにつられ、どんどんと地が出てきていた。権力を笠に着た女王気取りのような娘を想像していたので、ルイズの親しみやすさは驚きだった。

「実は一度だけ遠くから見たことはあるんだ。3年くらい前の園遊会に居たから」
「3年前? ……お姉さまの誕生日のときかしら? 声をかけてくれれば良かったのに」
「えっと……、そのころの私はまだまだやんちゃな子供でさ。粗相をするといけないから大人しくしていろと言われてね」
「もう。そっちのほうが失礼よ。そのときに話しかけてくれればもっと早く仲良く慣れたのに」
「そうだね。あのときにはみんなもいたの?」

 あのとき、ルイズの周りに同年代の少女が何人かいたのを思いだし、そう訪ねる。

「ええと、どうだったかしら。クラウディアさんはいたかしら?」
「あ、はい。妹と一緒にご挨拶させていただきましたわ」

 突然自分に話がふられ、あわてた様子でクラウディアが答えた。ほかの子にも尋ねていくと、半分くらいの人数がそのときの園遊会に来ていたとわかった。

「はは、あのときに挨拶できてれば、今日こんなに緊張することもなかったんだろうね」
「ほんとよ、もう」

 そう笑うルイズは、本当に楽しそうだった。

 学院に来たばかりで色々やることが残っているからと、一足先にルイズが去っていったあと、ザザは少し興奮気味に話した。

「いや、ほんとにきれいっていうか、その、いい人だね。たしかに私は堅く考えすぎてたのかもしれない」

 それまで貴族にいい印象をあまりもっていなかったザザにとって、ルイズや茶会の皆のことはちょっと衝撃的だった。
 そこに、一人の少女から冷ややかな声が浴びせられた。

「ちょっとはしゃぎすぎじゃなくて? みっともない」

 その言葉でザザは少し我に返った。淑女の振る舞いとしては少しはしたなかったかもしれない。

「あ、興奮してしまってね。すまない」

 ザザが謝ると、茶会の参加者が次々とささやいた。

「これだから田舎者は」
「本当に、ルイズ様の前であんなに硬くなっちゃって」
「小さな子供か、それこそ平民みたいでしたわね」
「うふふ、そこまで言っては失礼よ」
「そうですわ。田舎者が都会で失敗するのは当たり前のことじゃない。無理もないわ」

 夜の森のざわめきのように、方々から嘲笑の言葉が聞こえてきた。さっきまでとはまるで違う雰囲気に、むっとしたザザだったが、最初から諍いを起こしてはいけないとじっと我慢をしてこらえた。

「……いや、田舎なまりが出ないかと気が気じゃなくてね。緊張しすぎていたみたいだ」

 冗談めかして言うと、皆がどっと笑った。その笑いで、さっきまでの雰囲気は消えたように思えた。

「まあ、それならば仕方ないですけど、これからはあのようなことのないようにね」
「うん? なんのこと?」
「ルイズ様を呼び捨てにしたでしょう。それに物言いも無礼でしたし……」
「え、いや、だって……」

 あれはルイズから言い出したことではないか。第一、ルイズもうれしそうにザザのことを呼び捨てにしていたのだ。

「いくらルイズ様がおっしゃったとはいえ、節度というものがあるでしょう。子供ではないんだから、わきまえなさい」

 思わず、となりに座っていたクラウディアを見る。クラウディアはザザの視線に少し不安げな顔をみせたが、すぐに微笑んで言った。

「そうね。仲良くなるのはけっこうですけど、やっぱりある程度の慎みはもちませんとね」
「……そう。気をつけるよ」

 思い出したのは、ヴァリエール公の周囲でへらへらと笑っていたザザの父やほかの貴族たちのことだった。目の前の少女たちも、あの貴族たちとやはり同じだ。彼らは権力という花にたかる虫なのだ。蝶のように美しく舞っているが、蠅のように耳障りな羽音をたて、縄張りを侵されば蜂のように反抗し、甘い蜜をすすることに余念がない。

 新入りのザザが立場もわきまえずにルイズと親しげに会話をしていたのが気に食わないのだ。新入りは新入りらしく、テーブルの隅で小さくなっていろというわけだ。

 ザザは少しばかり、貴族に対する見方を変えたところだった。ルイズやこの茶会の皆となら仲良くなれると思ったのだ。そんな期待をしたものだから、幻滅も大きいものになっていた。
 茶会の残りの時間。ザザはへらへら笑われ役を演じていた。
 
 ヴァリエールの茶会に幻滅したザザだったが、ルイズに対しては好感を持ち続けていた。ザザに対するみなの態度は、ルイズが原因ではあるがルイズに責任があるわけではない。それに、あのときの笑顔はたしかに本物だと思ったからだ。

 ことあるごとに親しげに声をかけてくるルイズに対してよそよそしく振る舞うこともできず、どうしたものかと困っていた。さすがに公爵令嬢となるといろいろとつきあいも多いらしく、挨拶周りなどで忙しいようだったが、毎日必ず時間を作ってザザに会いに来た。好かれているのは悪い気はしなかったし、失礼かもしれないが小さなルイズは妹のように思えた。

 だが、ルイズがザザに声をかけるたび、皆の目つきがするどくなるのだ。幸い、同室のクラウディアの態度には変化がなかったが、かといってほかの皆との間にたってくれるわけでもなかった。

 さらに面倒なのは、茶会のときの子たちだけでなく、他の生徒たちもザザに注視しはじめたのだった。ヴァリエール派以外の生徒もたくさんいるのだ。公爵令嬢と並ぶ身分の娘はいないものの、なんとかという伯爵令嬢とその取り巻きがあからさまにルイズをライバル視しており、ルイズと仲が良さげなザザも同様に目を付けられてしまっていた。

 一番困ったのが、他の子がいる前でルイズの部屋に誘われたときだった。茶会で少し親しげに話すのと、自室に招かれるのとでは意味がまるで違う。

 しかも、一年生の大部分が二人部屋なのに対してルイズは一人部屋なのだ。他の子がいない場所で二人で過ごすというのは、ザザに対する皆の態度がさらに悪化してしまうだろう。

 寮の部屋割りは一年生が二人部屋で、二年以上からは一人部屋が多くなる。ルイズが一年生にして一人部屋なのは公爵家の金と権力のおかげだというのがもっぱらの噂だったが、ザザは少し違うと思っていた。ルイズのような大貴族と二人部屋になれば、ルームメイトはどうしてもその家柄を気にせざるをえない。露骨に取り入ろうとする者もいるだろうし、逆に敵対しようとする者もいるだろう。ルイズが一人部屋なのは、そういった派閥ごっこをなるべく起こさせないための配慮に思えた。

 ルイズの誘いはやんわり断り、代わりに茶会をまた開こうと提案してその場をしのいだ。ルイズは残念そうな顔をしていたが、あのときの茶会がとても楽しかったからと言うと渋々了承してくれた。

 だが、そんな誘いを受けたということだけでも、反感を買ってしまった。ザザはある生徒の部屋に呼び出され、みなから糾弾を受けた。

「ちょっとルイズさまに目をかけられたからと行って、調子に乗らないことね」
「でも、ちゃんと断ったじゃないか」
「お黙りなさい!」
「まったく、あなたのような田舎者がルイズさまに取り入って、何をかんがえているのかしら?」
「……」

 ブン殴ってやろうか。なかば本気で拳をにぎりしめて睨みつけた。ザザは子供のころは腕力だけで近所のガキ大将を張っていた。魔法で平民の子を傷つけるといけないからと普段は杖をもたせてもらえなかったのだ。今でも、農作業で鍛えられていて力には自信があった。

「な、何かしら、その目は。文句でもあるというの?」

 貴族のお嬢様は睨まれることになれていないようで、全員が少したじろいだ。だが、すぐにねっとりとからみつくような声がかけられた。

「ベルマディさん。ご実家では何を作ってらっしゃるのかしら」
「……?」
「たしか、鳥のハムと羽毛が盛んでしたっけ」
「それが何? 急に」
「いえ、我が家では公爵領の流通を取り仕切っておりまして。ちょっと思い出しただけですわ」

 脅しだった。もちろん、娘一人の意見で取引がなくなるとは思えないが、買い取りの値にちょっとだけ影響するくらいはするだろう。そのほんの少しが、実家や領地の生活を圧迫するのは間違いない。ザザは歯を食いしばりながら頭を下げるしかなかった。

 そんなことが何度か続いたあと、ザザはルイズのことを様づけでよぶようになった。

「……? ザザ、どうしたの?」
「いえ、なんでもありませんよ。ルイズ様」
「……そう」

 ザザがどこかよそよそしく振る舞うようになると、、ルイズはあまり話しかけてこなくなった。
 幻滅されたかな。ザザは、自分の身かわいさでルイズを傷つけてしまったと自己嫌悪になっていた。結局、自分も父親と同じことをやっているのだと。
 そんなことを考えているうちに、授業が始まる前夜になっていた。

 ザザは一人学院の裏庭を散歩していた。今の時点で面倒なのに、さらに上級生や男子などが人間関係に加わりもっと面倒くさくなるかと思い辟易していた。少しでも煩わしい人間関係から離れたいと、人気のない裏庭を選んだのだ。

 故郷のそれと比べると軽く柔らかい夜風を感じていると、木々のざわめきに混じって自分を呼ぶ声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に振り返ると、木陰に小さな人影をみつけた。フードの下に見え隠れする桃色の髪をみて、すぐにそれがルイズだとわかった。

「そんなところでどうしたのですか、ルイズさま?」
「驚かせてごめんなさい。でも、こうしないとあなたに迷惑がかかると思って」

 申し訳なさそうに言うルイズに、ザザは衝撃を受けた。ザザが自分の都合でよそよそしい態度をとったのに、ルイズは自分に非があると謝ったのだ。

「いや、でも、それは」
「ごめんなさい。これまであなたみたいな人っていなかったから。つい立場も考えずにはしゃいじゃって。他の子がどう思うかも考えないで」

 ルイズは、どこかおびえたようにそういった。これまで、周囲にいた子たちはルイズを触れてはいけない宝石のように扱ってきたのだろう。ザザ自身、平民の子たちのなかでそんな風に接してくる子が居たからわかる。こちらに向けられるのは笑顔だけで、手をのばしても決して手を取ってはくれない。ザザはそれでも、対等につきあってくれる平民の幼なじみや貴族の親戚がいた。ルイズにはそういう対等な友人というものがこれまでいなかったに違いない。

「みんなから何か言われたんでしょう? ごめんなさい。迷惑だったわよね」

 ルイズはザザの事情をすべて理解していた。ルイズは大貴族の娘なのだ。小さいころから社交の場に出ていれば、人間関係の機微にもさとくなるだろう。そうならざるを得ない。

「授業が始まっちゃったら、もう二人で話せる機会もないと思ったから。どうしても今日あやまりたくて」

 フードできれいな髪をすっぽりと隠して、大貴族の娘がこそこそと人目を気にして、ずっとザザと二人になれる機会を探していたのだろう。ひとりぼっちで暗い庭で、明かりもつけず。その姿に、ザザは自分がとても汚いものに思えて何もいえなくなった。

「それじゃあ」

 ルイズはザザに背を向け、小走りに去っていった。ちいさくなっていく背中に声をかけないと。焦燥感に駆られても、声はでなかった。

「ルイズ!」

 ようやく絞り出した声は、もうルイズには届かなかった。



[19871] 第三話「まだ爪はないけれど」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/30 10:35
 ザザにとって始めての学校生活がはじまった。

 ルイズとは基礎クラスで同じ組になった。茶会に参加していたメンバーでは、あとはクラウディアが同じクラスだ。選択科目以外の授業はこのクラスでうけることになる。二年になると自身の系統と志望ごとにコース分けされるが、一般教養や基礎魔法理論などの授業はこのクラスのままなので、自然と仲が良くなるらしい。

 ザザはぐるりと教室の中を見回して、これから数年間一緒に過ごす級友たちを観察した。女子で目立っているのはやはりルイズと、それに突っかかっている赤毛の少女だった。どうやらゲルマニアの留学生で、ヴァリエール家とは犬猿の仲らしい。男子では薔薇の造花をもって無意味にシャツをはだけた金髪だろうか。最初は都会ではああいうのが流行っているのかと思ったが、周囲の反応を見ると都会でもアレは馬鹿に分類されるようだ。

 ザザとクラウディアはルイズから少し離れた位置に座っていた。二人が来たときにはすでにルイズの周りには男女問わず生徒が何人もいて近づけなかったのだ。クラウディアはそれでも近づきたそうだった。不安げな目でザザを見ていたが、ザザは構わずに離れた場所に座った。クラウディアはどちらに行くか少し迷うそぶりを見せたあと、結局ザザのとなりにやってきた。

「さ、さすがにルイズ様は人気者ですわね」
「そうだね」
「その、こんどから、ルイズ様と一緒に来ませんか?」
「どうして?」
「だって、あんなに囲まれていたのではルイズ様も疲れてしまいますわ。仲の良い私たちが一緒についていて差し上げなくては」

 ルイズを横取りされるのではないかとクラウディアは気が気ではないのだ。二週間の寮生活で分かったが、クラウディアは本来人間関係で上に立つ気質の人間ではない。お茶会のメンバーの中では明かに一番下っ端だ。初日にザザに対して高圧的に振る舞っていたのは、そんな自分を変えようと虚勢を張っていたのだろう。だが、そんなメッキはすでにぽろぽろとはがれ落ちてしまっていた。さっきもそうだが、ことあるごとに不安げな瞳で周りを見回している。

「まあ、時間をあわせるくらいいいんじゃないかな」
「そうですよね! それにしてもあのひとたち、ルイズ様になれなれしいったら。もう少し立場をわきまえてほしいわ」

 あれから、ルイズとは距離を置いたままだ。お互い、なんとなく話すのを避けている。今からでもルイズと仲良くしたい。ちいさなルイズのそばにいてあげたい。しかし、周囲がそれを許さない。ザザがワガママを押し通したとしても、その結果ルイズはもっと心を痛めるだけだろう。たまに目が合うと、その鳶色の瞳が寂しそうに見えるのは、気のせいだろうか。

 やがて教師がやってきた。ふっくらとした体型の中年の女性だ。始祖がどうこうという話しのあとに、最初の授業が始まった。

 序盤の授業は本当に初歩の初歩から始める。それぞれがこれまでどれだけ学んできたかがバラバラなため、それを調整するためだ。ほとんどわかりきっている内容の授業を、クラスの大半がつまらなそうに聞いていた。中には授業が始まってすぐに退室した生徒もいた。ラインやトライアングルの認定を受けていると序盤の授業が免除になる。最初の授業なので、そういう生徒も顔合わせのために教室にきていたようだ。

 ルイズは優等生らしく初歩的な授業をまじめに受けていた。教師にさされたときもはきはきと問われた以上のことを答えている。クラウディアはというと、授業というよりもルイズの言動を見るのに忙しい様子だった。

 ザザもまた、ルイズと同じようにまじめに授業を受けていた。根がまじめというのもあるが、もとよりザザは勉強には熱心だった。

 ザザはこのままいけば学校を卒業して実家に戻り、どこかの貴族に嫁入りすることになる。ベルマディ家のような弱小貴族は政略結婚などあまり縁がないのだが、ザザの父はそういうことにとても熱心な男だった。ザザ本人は分かっていなかったが、ザザがかなりの器量よしだったことも、それに拍車をかけた。

 他人の都合で自分の人生が決定する。ザザはそれがたまらなく嫌だった。だが貴族に生まれた以上、家の都合に逆らうことはできない。特に、見栄えがいいだけの女などは駒にしかなれない。

 だが、そんな貴族の論理に立ち向かえるものがひとつだけあった。メイジとしての実力である。魔法の腕さえあれば、家を飛び出して杖一本で食べていくこともできる。それは極論だとしても、選択肢が大幅に増えることは事実だった。

 すでにラインの実力をザザは持っていた。もともと才能があったのかもしれないが、勤勉に努力した結果だとザザは思っている。魔法学院に行けることになったのも実力があったからだ。ザザの家はさほど裕福ではなく、三つ上の姉は学院に通わずにそのまま嫁に行った。魔法の腕がなければ、ザザも同じようになっていたはずだ。けちな父がザザを魔法学院に行かせたのは、魔法の実力があればそれだけ良家に嫁ぐことができるからだった。メイジの血族社会において、魔法の実力があるということは、それだけ始祖の恩寵が篤いということになり、結婚でも有利になるのだ。

 誰もが眠くなるような授業でも、ザザがまじめに受けているのはそういう理由があった。だが、今はもう一つの理由があった。

 同級生たちにザザの実力を見せつけるのだ。学院の中でも、魔法の実力は意味を持つ。家柄がなくとも、新入りでも、実力さえあれば学院の中ではっきりとした立場を手に入れることができるはずだ。

 そうすれば、ルイズときがねなくつきあうことができる。大貴族のお気に入りではなく、対等な立場の友人と周囲は見るようになる。ザザが周囲の視線に気を遣うことも、ルイズがそれに心を痛めることもなくなるのだ。

 一気にトライアングルくらいの実力がもてればいいのだけど、こればかりは一朝一夕ではどうにもならない。まずはラインメイジの国家資格を取るつもりだった。国家資格とは、ラインの実力と、それを扱うにふさわしい知識と良識を兼ね備えていると認められるものだ。国家資格をとればいくつかの単位が免除になるし、就職にも有利だ。もちろん学内ではちょっとした優等生として扱われるだろう。ザザは実技は大丈夫でも筆記がまだまだできない。学院の授業を真面目に受け、自習もして、少しでも早く資格を取るつもりだった。

 自分のため、近くて遠い友だちのため、ザザはまじめに授業に取り組んだ。

 「あら、ザザさん。どちらへ行かれるんです?」

 はじめての休みだというのに教室棟に向かうザザを見て、クラウディアたちが話しかけてきた。従順な姿勢を見せていれば、彼女たちは笑顔で話しかけてくる。

 ザザはこれからラインメイジ国家試験の説明会に行くところだった。それを言えば、彼女たちの目もかわるだろう。クラウディアの話によると、茶会のメンバーは全員がドットメイジということだった。唯一、ルイズだけは位階が分からないが、実技の授業が始まれば判明するだろう。

「選択授業の申請を間違えていたみたいでね。ちょっと先生に呼び出されているんだ」

 ザザはあえてライン試験のことを隠して嘘をついた。試験の合格と一緒に発表したほうが驚くだろう。そのときの皆の顔を想像しただけで笑いが浮かんでくる。

「あらぁ、そうなんですの。お休みですし、みなさんでトリスタニアに行こうと話していたんですけど、それじゃあ仕方ありませんわよねえ」
「え、そうなの?」

 さっきまで考えていた『ラインメイジで一発逆転作戦』も忘れて声をあげてしまう。憧れのトリスタニア。小さい頃から父の話に出てくる王都に、ずっと行って見たかったのだ。学院に来たらとりあえず王都観光をするのがザザの小さな夢だった。

「う……行きたいけど。しかたない。また今度誘ってよ。ありがとう」
「ふふ。じゃあ、何かおいしいものでもお土産に買ってきますわね」

 おのぼりさん丸出しの反応に気を良くしたのか、茶会の皆はそんなことを言って笑った。

「うん。それじゃあ」

 照れくさくて、そう言って背を向けた。背後ではざわざわとささやきあう声が聞こえた。


 説明会のある教室に入ると、十人ほどの生徒がすでにいた。一年生はザザだけ。今の時期にライン資格を取ろうという一年生は少ないだろう。何人かの生徒は訝しげな目でザザを見ていた。

 空いている席に着くと、一人の上級生が話しかけてきた。赤っぽい茶髪を伸ばした、人なつっこい表情の男子だ。

「一年生? この時期にライン試験って珍しいね」
「はあ」
「ぼくは二年なんだけどさ、ちょっと前に使い魔の儀式をやってね。それからなんかコツをつかんだっていうか。とにかくラインになれたんだ。そういうことってたまにあるらしいんだ」

 その男子生徒は、先輩風も貴族風も吹かせることがなく話しやすい雰囲気だった。

「先輩の使い魔は何だったんですか?」
「馬さ。黒毛で大きくてかっこうよくてね。脚もものすごく速いんだ。トリスタニアまで一時間もかからないんだぜ」
「そうなんですか」

 トリスタニアまでどれくらいかかるのかよく分からないので、曖昧に頷くしかない。

「そういや、君の系統はなんなんだい?」
「風です」
「あぁ、いいな。ぼくも本当は風のメイジになりたかったんだ。僕の属性は土でね。子供のころは風の魔法を無理して練習したもんさ」
「私は土か水のメイジになりたかったんです。こればかりは生まれもったものだから、仕方ないですよね」
「はは、まったくだ。誰でも無い物ねだりをするもんだね。始祖も酷なことをする」

 風のスペルには強力な攻撃呪文などが多い。軍人メイジや物語に出てくる英雄どころのメイジも風メイジが有名だ。強いものが好きな男の子なら風に憧れるのは普通のことだろう。逆に女子が憧れるのは水のメイジだろうか。治療に関わることが多く、女性的な印象がある。香水や化粧品を作ることもできるのも人気の理由だ。

 ザザが土と水が良かったのは、自分に合っていると思ったからだ。実家で農業をするならどっちも便利だし、独り立ちするにしても土と水は食いっぱぐれがないと言われている。風や火はどちらかといえば軍人向けで、ザザにはあまり縁がないことだった。

「男の子は風が好きですよね」
「え、うん。そうだね。……なんか年下の女子に男の子って言われるのは照れるな」
「あ、すみません。失礼しました」
「いや、いいんだよ。君、名前は?」
「ザザ・ド・ベルマディです。自己紹介が遅れました、先輩」
「だから先輩とかいいよ。ぼくはフォルカ。家名はグナイゼナウ。よろしく」

 そういったところで、説明役の教師がやってきた。


 説明会から、ザザはフォルカとたまに話すようになった。学内で会えば挨拶をして少しばかり談笑したり、選択科目で同じものを受けるときなどは近くに座ったりする程度だ。

 フォルカはゲルマニアからの留学生だった。父親は辺境伯。それなりに伝統のある家柄らしい。

「ふうん。偉いんですね」
「はは。ぼくにはあまり関係ないけどね」
 あまり関心がなさそうなそっけないザザの物言いが、フォルカには心地良さそうだった。
「はあ。そうなんですか」
「ぼくは長男なんだけどね。あいにくと母親が平民出の第三夫人でさ。親父も領内の貴族も正妻の生んだ弟を跡継ぎにしたがってるんだ」
「ああ、それで留学って名目で国外に出されたわけですか。大変ですね」
「……はっきり言うなあ。きみは。まあその通りなんだけど」

 お隣のゲルマニアはメイジでなくとも実力さえあれば認められる国だと聞いていた。第三夫人とはいえ、平民が辺境伯夫人になれるのだからその話は本当なのだろう。だがやはり、貴族社会の論理は向こうでも変わらないらしい。派閥も実力のうち、ということだろう。

「偉いひとは偉いひとで大変ですね」

 わざわざトリステインの国家資格をとろうというのだから、もしかしたらゲルマニアに帰らずにこの国で生きていくつもりなのかもしれない。

「実際、君くらいの立場が一番気楽だと思うぜ」
「私は私で大変なんですよ。父親がなんというか、権力ごっこが好きな人で」
「あぁ、実家に居たときにぼくのまわりにもたくさんいたなあ。なんとか家督を継がせて美味しい目をみようって連中が」
「……先輩もはっきりいいますね」
「おたがいさまだ」

 一度、フォルカが使い魔の黒馬に乗せてくれたことがあった。ザザは実家から持ってきた乗馬用のズボンをはいていったのだが、フォルカがえらく落胆していた。使い魔である黒馬はザザがこれまで見た馬のなかでもっとも力強く美しい毛並みをしていた。ザザは十歳のころから馬に乗って遊んでいたので、問題なく乗りこなすことができたのだが、やはりフォルカは落胆していた。

 フォルカはもともと友人の多いたちのようで、ザザもそんな一人なのだろうと思っていた。ザザにしても、フォルカは気安く話せる友人だった。学年も国も違う彼なら、権力ごっことは無縁の気兼ねないつきあいができると思っていた。同じ試験を受ける先輩だし、勉強を教えて貰えるかもしれないという下心もちょっとあった。

 しかし、ザザはすっかり忘れていた。確かにフォルカは学年も国も違う。だが彼が男子だということが、ザザをまた面倒くさいことに巻き込むことになる。

「ねえねえザザ、ちょっと」
「ん? キュルケか。なんだい」

 教室で自習をしていると、赤毛の少女がにやにやと話しかけてきた。キュルケはかなりの長身の少女で、ザザは自分と同じくらい背の高い女は初めてだった。それでいてキュルケは出るところは出る女性的な体つきをしているのだから、世の中は不公平である。

「うわさの彼とはどうなってるの? どこまでいったのよう」
「なんのこと?」
「やだもう、とぼけちゃって! フォルカよフォルカ。よく一緒にいるじゃないのよ」
「あぁ……。君ね、お盛んなのはけっこうだけど、男女が一緒にいるだけでそういう目で見るのは良くないよ」

 キュルケは恋多き少女だった。それも惚れっぽく冷めやすい困りもので、女子の中では嫌う者も多い。だが、ゲルマニアからの留学生という立場と、彼女自身の性格、そしてトライアングルという実力もあり、基本的に自由気ままにやっているようだ。彼女のようになれたら自分も楽だろうと、ザザは思っていた。ザザにとっては色々な意味で羨ましい少女だ。

「あたしだけじゃないわよぉ。けっこう噂になってるんだから。フォルカってば美形だし人気あるのよ」
「そうなの? まいったな……」

 教室を見回すと、何人かの生徒が慌てて目をそらした。それでもちらちらとこちらを伺っているのがたくさんいる。

「それにほら、フォルカってば実家があれじゃない? だから、自分でも目があるって思う子もいるのよ。ふつうは辺境伯の子息の恋人なんて遊びで終わっちゃうけど、フォルカならってわけ」
「……君。人の家の事情をそんな風に言うもんじゃないよ。失礼だ。私にも、もちろんフォルカにも」

 同じゲルマニア出身ということで、フォルカの事情には詳しいようだ。

「あら、ごめんなさい。そういうふうに考えるって子も多いってだけよ。あたしは、恋は家とか身分は関係なしにするべきだと思うわ。情熱が求めるままにね」
「しかし、そんな噂になってるのか。フォルカに迷惑がかからなければいいけど」
「ふぅん、その様子だと、ほんとに色気のある話はないみたいね」

 つまらなそうにキュルケはぼやく。

「彼とは友人だよ」
「あら? 男女間の友情とか信じちゃうくち?」
「ま、君とちがって私はまだまだおぼこい田舎娘なんでね」
「もったいない。せっかくきれいなのに」
「からかうのはよしてくれ」
 
 ルイズや、それこそキュルケのような磨き抜かれた宝石と比べれば、自分など路傍の石のようなものだ。ザザは田舎者だからと自分を過小評価するくせがあった。
  
「クールな感じでいいと思うわよ。好みは分かれるかもしれないけど。前の学校での経験で言うけどねぇ、あなた絶対に下級生に人気出るわよ。お姉さまとか呼ばれちゃうタイプ」
「え、何? どういう意味?」
「それは来年のお楽しみってことで。じゃあ、進展があったら聴かせてね~」

 ひらひらと手を振りながらキュルケは去っていった。面倒なことにならなければいいな。淡い期待をザザは抱いた。
 



[19871] 第四話「少女籠城中」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/06/27 11:04
 ザザは色恋に興味がないわけではない。

 恋愛小説を読むのはなにげに好きで、勉強の合間に読んでは頬を染めている。キュルケが教室でたまにやる少し過激な体験談も、ちゃっかり聞き耳を立てて聞いていたりする。

 だが、自分のことになるとこれがまるで頭が働かない。自分と恋愛というものが結びつかないのだ。結婚という言葉は恋愛ではなく政略という印象が強いくらいだ。なので、フォルカとのこともまるで意識したことがなかった。キュルケに言われてからはさすがにちょっと気にするようになったものの、それが恋愛感情かどうかは分からない。

 そんなザザのあけすけな態度が二人の関係を親密なものに見せていた。特に、男子と話すのも恥じらうようなお嬢さまにはそう映った。

 まずはルイズを囲む茶会でさんざん質問攻めにされた。これくらいは別に問題なかった。茶会のメンバーの矛先が、内部ではなく外部に向かいはじめていたというのもある。他のグループや男子などにちょっかいを出すのにご執心のようだ。それに、最近は茶会も新しい子が増えてザザが完全な新入りではなくなってきたのもあるだろう。

 ザザは根拠のない噂だと否定していたものの、色恋沙汰には目がない少女たちのことだ。帰ってくるのは応援しているだの話を聞かせてだのという答えばかりだった。

 ルイズも興味津々のようだったが、ザザと近づくことに臆病になっているのか、皆の話を聞いているだけだった。その姿に少し寂しさを覚えたものの、ルイズが楽しんでくれたのだからこれはこれでいいかという気にもなった。

 それだけなら問題なかったのだが、上級生の女子や、それと繋がりのある一年はそうはいかなかった。

 最初は牽制だった。会ったこともないような上級生から突然だった。

「ベルマディさん。先輩として忠告いたしますが、淑女たるもの、殿方とのおつきあいには節度というものが必要でしてよ」
「は? はぁ……。仰るとおりだと思いますけど」
「なら、生活態度を改めなさい。改善が見られない場合は、わたくしにも考えがあってよ」
「あの、えっと。気をつけます」

 まだキュルケからの忠告を聞く前だったので、ザザはフォルカのことだとは気づかなかった。気づいたころにはもう遅く、その上級生は仲間を引き連れてザザのもとにやってきて、罵倒混じりの『忠告』をしてきた。ザザもついかっとなり、売り言葉に買い言葉で反論してしまった。それから、彼女たちの無言の『忠告』が始まった。

 ザザの知らないところでありもしない噂がたてられた。中には教室や廊下で聞こえよがしに大声でやっているものもいた。内容はザザ本人や家族をおとしめる聞くに堪えないものだった。ワケの分からない手紙が部屋のドアに挟んであったこともあった。

 ザザからすると、そこまで恋愛に入れ込めるのは何故だろうと不思議でならなかった。自分が恋愛に向いていない性格なので羨ましいくらいだったが、それでも迷惑なものは変わりなかった。

 女子同士の諍いは女子同士で、という暗黙のルールが学院内にはあった。ザザはフォルカに相談したりしないし、相手もフォルカに直接何かを言うようなことはしない。

 この件に関しては茶会の皆はザザの味方だった。言われもない陰口を言っている子がいれば問い詰めてくれたし、不審なものがあれば一緒に処理してくれた。クラウディアなどは自分のことのように怒っていた。ただ、上級生ばかりはどうしようもなかった。ザザを目の仇にしている上級生にはそれなりに身分の高い娘もいて、一年生では少し太刀打ちできる相手ではない。唯一、ルイズならばそんな相手も黙るのだが、それはザザが止めていた。ルイズにいらない負担をかけたくなかった。そのためにも、早くこのことをなんとかしたいと思っていた。

「まあ、嫌がらせって平気な顔してればたいていやる気なくすもんだからね。しばらく一人でなんとかしてみるよ」

 ザザがそう言うと、茶会の皆は口々に励ましてくれた。数週間前には同じ口でザザを罵倒していたのに調子の良いことだと思ったが、励ましは素直に嬉しかった。

 そんなザザの状況を何も知らずに、フォルカはいつも通りにザザに話しかけてくるのだ。ここで、ザザが拒絶の意志を示すのがもっとも手っ取り早い解決だ。だけど、それは負けたようで嫌だったし、それではルイズのときと同じだという思いがあった。

 陰口にもいやがらせにも平気な顔をしていると、最初のうちはムキになってもと過激なことをやってきた。噂の内容も耳を疑うような内容のものだったし、動物の死体が部屋の前に転がっていたこともあった。それにも平気な顔をしていると(そもそもザザは動物の死体で悲鳴をあげるようなやわな育ちはしていないのだが)、やがて嫌がらせは少なくなっていった。このまま終わるのではないかと、ザザは思っていた。

 
 ここ最近、ザザは教室で自習をあまりしなくなっていた。自習をしているのは目立つということにやっと気づいたからだ。攻撃の口実を作らせないために、なるべく目立つことは避けたかった。

 図書室でなら自習していても目立たないので、授業以外の時間はもっぱら図書室にこもるのが習慣になりつつある。図書室は静かだし、声をかけてくる級友もいないので勉強もはかどるしで、わりと良い発見だった。

 今日も図書室に向かおうとザザが席をたつと、背後から声をかけられた。
 振り返ると、クラスメイトがひとりたっていた。あまり仲良くはなく、どちらかといえばザザのうわさ話を喜んでしていた子だ。

「えっと、ザザさん。杖を見せていただけます?」
「杖? 私は杖を持ち歩く習慣があまりなくてね。今日は部屋においてあるんだけど、どうして?」

 自室が高い階にあるなら出入りに必要になるが、ザザの部屋は寮の2階だ。飛んで出入りするためのバルコニーもないし、教室も一年の使う場所は1・2階ばかり、歩いた方が楽だ。図書館で資料を借りるようになれば、杖を持ち歩くようになるかもしれないが、今のところは必要なかった。

「え? いや、その……そう! みなさんとどんな杖を使っているか見せ合っていましたの。ザザさんのも見せてほしいなと思いまして」
「普通のだから、みてもつまらないと思うな。持ってくる?」
「いえ! いいんです、いいんですのよ。無理に持ってきていただかなくても、それじゃあ失礼しますね」
「?」

 いぶかしく思ったザザだったが、おおかた杖をネタに笑い者にするつもりだったのだろうと、気にせず行くことにした。

 こちらに来てわかったが、最近の女の子の杖はタクトのような小さいものが流行っているようだ。クラスのほとんどの女子が小さな杖をもっていた。ザザの杖は森の木を自分で削ってつくった大きいものだ。流行とかとは関係なしに、小さければ持ち運びに便利だなと思ったが、すぐに杖を携帯する習慣がない自分には無意味だと気づいた。

 そんなこと忘れ図書室で自習したあと自室に戻ると、ドアに封筒がはさまれているのを見つけた。裏を見てみると、自分あての手紙のようだ。またかと思いその場で開封する。

「……」

 話があるのですぐに第三厩舎まで来るように書かれていた。差出人の名前はない。

 誰かは知らないが、顔を合わせて話をつけようというらしい。ザザにしてみれば、陰口をこそこそと叩かれるよりもよほど分かりやすくていい。不安もあったものの、ザザは部屋にも入らずすぐに厩舎へとむかった。

「ここ、かな?」

 第3と書かれた厩舎におそるおそる入る。動物の匂いが鼻についた。突然の訪問者に、馬たちがつぶらな瞳を向けてくる。

「お邪魔するよ……、おおい! 来たぞ! どこにいるんだ」

 厩舎の中を探し回ったが、自分以外に人間の気配はしなかった。
 早く来すぎたのだろうか、それともからかわれたのか。そんなことを考え出したとき、ずんと重い音が響いた。

 振り返ると、入ってきた入り口が閉じられていた。反対側の出口をみると、そちらも何物かによって塞がれている。

「くそ!」

 急いで入口に向かう。だが、厩舎のドアはびくともしなかった。ぴくりとも動かないところを見ると錬金の魔法で固めてあるのかもしれない。

「誰だ!」

 ザザが怒鳴ると返事はなく、代わりに何人かの女の子の笑い声だけが帰ってきた。笑い声はだんだんと遠ざかっていき、やがて何も聞こえなくなった。閉じ込められた。それだけのことを理解するのに、けっこうな時間がかかった。のろのろと他のドアや窓を調べてみたが、どこからもでられそうになかった。

 ザザは杖を持ち歩かないことをはじめて後悔した。杖さえあれば呪文でドアでも壁でも壊して出れるのに。そこまで考えて、今日クラスメイトに杖を持っているかと聞かれたことを思い出した。

「……そういうことか」

 あのクラスメイトもぐるだったということだろう。もっとも、ザザが手紙を見てから杖を持ち出していれば白紙になるいいかげんな計画であるが。

「やれやれ」

 嘆息すると、置いてあった桶を逆さにしてイス代わりに腰かけた。
 ずいぶんと子供じみた嫌がらせをするものだ。こんなことをして何になるというのだろうか。動物臭い厩舎に閉じ込めれば生意気な一年生が反省するということだろうか。

 あいにくとこっちは実家では馬糞の掃除だってやってきたんだ。厩舎に閉じこめられた程度で根を上げるものか。

 勉強道具をそのままもってきたのは幸いだった。夕方で厩舎の中も暗くなってきているので、イス代わりの桶を西日のあたる場所まで移動させ教科書を読みはじめた。勉強をするよりも大声で助けを呼べばいいのだが、この程度でまけるかとザザは意地になっていた。

 そのうち厩舎に使用人がやってきて異変に気づけばでられるだろう。ザザの感覚だと夕方には一度掃除をして飼い葉と水を代えてやるのだが、ここではどうなのだろうか。もしかすると、ザザが部屋に帰ってこないとクラウディアが捜してくれるかもしれない。だけど、あの小心者のクラウディアがそこまでするだろうか。いや、小心者だからこそザザが帰ってこないことを不安に思うはずだ。

 教科書をよんでいても、そんなことばかり頭に浮かんできてまるで頭に入らなかった。

「あ、あれ?」

 いつのまにか、ザザははらはらと涙を流していた。
 ごしごしと顔を拭く。まるで、そうすれば涙の理由もなくなるかと言うように。しかし、涙はぬぐってもぬぐっても流れだしてくる。

「こんなこと、なんでもないはずなのに。べつに、どってことないはずなのに」

 口とは裏腹に、次々と本音が胸に沸き上がってくる。溢れ出る泪に押し上げられるように。

 田舎からひとりで学院にやってきた。家族や友だちと別れて、寂しかった。
 新しいところで友だちが出来るかとおもったのに孤立して、つらかった。
 いじめられて陰口をたたかれて、悲しかった。

 学院に来てからずっと張りつめていた糸が切れてしまった。かっこうつけて強がっていても、ザザは一五歳の女の子だった。

 堰を切ったように涙はあふれてくる。しかし、声を上げて泣くことはザザには出来なかった。泣き声を誰かに聞かれては、自分の負けだと思ったからだ。
 意地をはって泣き声も上げられない。そんな不器用さが、ザザをここまで追いつめたのかもしれない。
 

 やがて双月が輝きだした。
 涙をだし尽くしぼうっとしていたザザの首筋を、生あたたかくざらざらとしたものが撫でた。

「ひゃう!」

 びっくりして振りかえると、一頭の馬がすぐちかくにいた。

「……ごめんね。うるさかったね。でも、乙女の首にいきなりキスをするのは感心しないな」

 なんとなく気分が切り替わったので、厩舎の中を物色してみた。すぐにランプと火口箱が見つかったので、さっそく明かりをつけた。

「ん? 君、たしか……、アウグスト、だっけ?」

 ザザの首をなめたのはフォルカの使い魔の黒馬だった。以前一度だけ乗せて貰ったことがあるので、ザザの顔を覚えていたのだろうか。使い魔で無くとも、馬は賢い動物だ。

「君、ご主人様を呼んでくれたりはしないのかい?」

 何となく問いかけるが、返事は帰って来ない。感覚の共有は主人も使い魔もけっこう疲れるという話だし、意味もなくフォルカが感覚を共有するとも思えない。

 ザザはランプを窓の近くに置いた。灯りが漏れていれば、誰かが気づいてくれるだろう。

「しかし……、汚いな」

 入ってきたときは気づかなかったが、厩舎の中は汚かった。ザザの実家ならちゃんと掃除をしろとしかられるレベルだ。

「迷惑をかけたお詫びだ。掃除くらいしてあげよう」

 ザザは掃除道具を担ぎだして、厩舎の清掃を始めた。
 少し勝手は違うが、厩舎の掃除は身体に染み着いている。時間はたっぷりあるのだ。これだけ大きな馬小屋なら、時間つぶしにはもってこいだろう。

 さすがにザザも実家で日常的に厩舎の掃除をしていたわけではない。普段は使用人の仕事だ。いたずらをしたり家庭教師の授業をさぼったり、悪さをしたときに罰として言いつけられることが多かった。それ故、ちいさなころは嫌々やっていたのを覚えている。成長すると、自分の馬(と、勝手にザザが決めていた馬)の世話が楽しくなり、自然と厩舎に出入りすることも増えたが。

 掃除をしていくうちに、自然と笑みがこぼれてきた。単純な作業を延々とやって余計なことが頭から抜けていったのかもしれないし、懐かしい作業がこころのどこかを温めてくれたのかもしれなかった。

(そういえば、まだ手紙を出していなかったな)

 家族の顔を思い浮かべる。いつもおっとりしている母や最近白髪が増えてきた父、嫌いだった兄の顔も何故か懐かしく感じた。
 ここから出たら、手紙を書こう。書くことならたくさんある。心配させないように、かつ父親のカンに障らないように書くのが大変だけど。ザザは故郷の唄を口ずさみながらそう思った。


 真夜中、掃除が完璧に終わった頃。突然フォルカの使い魔が嘶いた、

「どうしたのかな。飼い葉と水はさすがに新しいのはもってこれないよ?」

 そんなとぼけたことを言っていると、しばらくして厩舎の外で呪文を唱える声が聞こえた。

 ようやく助けが来たか。ザザが音のしたドアの方をみると、立っていたのは意外な人物だった。

「先輩……それにクラウディアも」

 てっきり、寮監か教師あたりがくるものと思っていたザザは意表をつかれた。二人とも肩で息をしている。急いで助けに来てくれたのだろう、そう思うと嬉しかった。

 二人は大慌てで駆け寄ってきた。ザザは落ち着きはらった様子で掃除道具を置いてゆっくり歩み寄る。

 ここで泣きながら胸に飛び込めばかわいげがあるのだろうが、今のザザにはちょっと無理だった。さっきまでの泣きはらしていたザザならそうしたかもしれなかったが、今は色々とすっきりして落ち着いてしまっている。キュルケ風に言うなら、情熱がしぼんでしまっているのだった。

「ありがとう、たすかっ……うわっ」
「ザザさん、ザザさん! 大丈夫ですか! こんなところにずっと閉じ込められて。何かひどいことされていませんか?」
「大丈夫、大丈夫だから。おちついて」

 クラウディアに抱きつかれもみくちゃにされる。その後ろでフォルカが手持ちぶさたな様子で苦笑していた。つられて、ザザも苦笑する。

 その空気を察したのか、クラウディアが慌ててザザから離れた。

「え、えっと……わ、わたし先生を呼んできますわ!」

 一目散に厩舎から出て行ってしまった。気を使う必要なんてないのに、そう思いながらも心配してくれたことは素直に嬉しかった。小心者のあのルームメイトは、悪い子ではないのだ。

「ザザ、その」
「……どうも、先輩。えっと、なんでクラウディアと一緒に?」
「ああ、実は……」

 夕食にも来ず、部屋にも戻らないザザを心配してクラウディアが寮監に駆け込んだのだ。寮に生徒が戻ってこないときはたいがいが交際相手の部屋に転がり込んでいるという鉄則がある。ザザとフォルカの仲は寮監の耳にも入っていたので、目をとがらせた寮監が消灯後のフォルカの部屋を訪れたのだ。クラウディアが説明すればよかったのだが、慌てていて出来なかったのだ。

 その後、寮監は教師にも知らせ学内を探した。フォルカも事情を察して、クラウディアと一緒にザザを探していた。厩舎棟のあたりまでやってきたところで、フォルカは自分の使い魔がやけに騒いでいるのに気づいて感覚を共有してみて、ザザを発見したのだった。

「……すまない」

 フォルカがまず口にしたのは、謝罪の言葉だった。この状況と、ザザの泣きはらしてまっ赤な目を見ては、そう言うしかなかったのだろう。

「謝られてもこまりますよ」
「……君とぼくが噂になっているって、知ってはいたんだ。でも、そんなひどいことになってるなんて、思いもしなくて。……言ってくれればよかったのに」
「女の子には秘密が多いんですよ、先輩」

 そう言って、顔に着いた涙のあとをぬぐう。

「……すまない」
「だから、謝らないでください。先輩のせいじゃないんですから」
「ぼくのせいだ」
「はぁ……」

 まったく、ルイズといい、なぜ大貴族というのはこう責任感が強いのだろうか。謝る必要はないし、むしろ謝ってほしくないと、ザザは思っていた。

「先輩。私は、先輩とは対等な関係でありたいと思っています」
「ああ、ぼくも……そうだけど」
「先輩があやまるってことは、今回の責任は全部先輩のものってことになります。私は、先輩には責任がないと思いますけど、そこまで言うなら半分分けて上げてもいいです。残り半分は私の責任です」
「君には責任はないだろう」
「ありますよ。私には先輩と一切口を利かないって解決法もあったんです。わざわざ先輩と話し続けたのは私のワガママで私の責任です」
「いや、それは……じゃあ、ぼくはどうやって責任をとればいいんだ」
「俺が守る! とでも言っておけばいいんじゃないですか?」

 フォルカはぽかんとしたあと、少し赤くなって言葉を出そうとする。

「えっと……、その」
「ふふ、冗談ですよ。でも、先輩は責任感はあっても甲斐性がたりませんね」

 冗談めかしてそういうと、フォルカは少し残念そうな、安堵したような曖昧な顔を見せた。

「……だな。母親がどうとかってじゃなく、こんなだから弟に株を奪われるんだ」
「そういうことを言うと、また男が下がりますよ」
「はは、その通りだ。甲斐性のある男になれるようにがんばるよ。……君のために、とか、言えば良いのかな?」
「……どうでしょうね」

 思わぬ反撃に照れくさくなって、そっぽを向いてしまう。

 フォルカもきっと、ザザと同じで恋愛ごとにむいていない性格なのだろう。不器用な性格同士、似合いと言えば似合いなのかもしれない。

 この胸に宿った感情が、なんという名前なのかは幼いザザにはまだわからない。今はまだ恋と呼ぶには青すぎる。だがいつか、できれば初恋という青くかぐわしい花が咲いてほしい。

 ザザはかっこうつけで意地っ張りだが、やはり十五歳の女の子だった。




[19871] 第五話「虚無の曜日は甘くて苦くてやっぱり甘い」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/06/30 00:45
 ザザは杖を持ち出して、学校裏の演習場へと向かっていた。呪文の練習や使い魔の訓練に使われる場所で、生徒はいつでも使っていいことになっている。とは言うものの、こんな休日の早朝から使う者はほとんどいないだろうが。
 ライン試験が間近に迫ってきているので、実技の練習をしようとやってきたのだ。わざわざ休日の早朝を選んだのは、ライン試験のことを秘密にするためだった。

 あれから、ザザへの嫌がらせは嘘のようになくなった。教師や寮監まででる騒ぎになり、当のフォルカにも知られてしまってはもうやろうと思ってもできないだろう。あの我慢比べは、フォルカに知られないでやることに意味があった。彼女たちは、自分たちで仕掛けてきた勝負のルールを自分たちで破ったのだ。

 ザザは知らないことだが、彼女たちもここまで大事にするつもりはなかった。しばらく閉じこめたら出して遣るつもりだった。だが、様子を見に来たときにはザザは鼻歌混じりに厩舎の掃除をしていたのだ。これでひっこみがつかなくなってしまい、深夜まで監禁は続くことになった。そのちょっと前に来ていればザザの泣き顔がみれたのだから、間が悪いという他ない。

 寮監や教師たちから、犯人についてこころあたりがないかしつこく聞かれたが、ザザは知らぬ存ぜぬで通した。実際、誰がやったという証拠はないのだ。心当たりがないではないが、今回は表沙汰にしないほうが穏便にすむと思った。名前を出して逆恨みされるよりも、いつばらされるのではないかと怯えさせるほうが効果的だ。

 実際、それで嫌がらせはぴたりとやんだ。謝罪の手紙くらいあるかと思ったが、それもなかった。あの、杖のことを聞いてきたクラスメイトが怯えたような目でザザを見るようになったくらいだ。

 そんなことを考えていると、演習場についた。

「ん・・・、先客かな?」

 演習場には大きな穴がいくつもあいていた。錬金の呪文の跡にも見えないし、威力の大きな攻撃呪文でも使ったのだろうか。演習場は委員会で当番の生徒が夕方にきれいに整地することになっているので、深夜に無断で使ったのでなければ先客がいたことになる。それとなく、誰かいないか周囲を見回した。

「ルイズ?」

 逃げるように去っていったその影は、桃色の髪をしていたように見えた。遠目でよくわからなかったし、みまちがいかもしれない。もうすぐ実技の授業がはじまるので、ルイズも練習をしていたのかもしれない。ルイズはなにかと忙しい身だから、早朝しか時間が取れなかったのだろうか。

「……まあいいか。人違いかもしれないし」

 そう言うと、ザザは杖を構えた。呪文を唱え、それに合わせて杖をふる。すると、ザザの周囲に風が巻き起こった。風は砂をはらんで砂塵となり、ザザの杖に合わせて生き物のように動き回る。

 ザザの得意呪文「サンドストーム」だった。風と土のラインスペルで、ザザはこの呪文との相性が妙に良かった。威力はそこまでではないが、射程と精度はかなりのものだと自負している。

 通常、メイジは相反する属性のスペルを苦手としている。風のメイジならば土の呪文をあまり上手く扱えないものだ。とくに、風と土、火と水といった反対の属性を掛け合わせた呪文は制御がとても難しいと言われている。

 ザザも、錬金などの他の土の呪文はからきしだ。だが、なぜだかこの「サンドストーム」だけは手足のように扱うことができた。砂塵を操るだけの地味な呪文だが、難しい呪文だと知って気に入っていた。実家で危険種や盗賊の討伐を手伝うときに一番使った呪文でもあった。

 ザザは、ライン試験の実技ではこの呪文を披露するつもりだった。風と土のスペルならば、試験官の評価もかなり高くなるはずだ。実は水と掛け合わせるのが苦手だったりするので卑怯な感じもするのだが、合格するためにはそうも言っていられない。

 何度か練習を続け、感覚を取り戻す。地元の風とは質が少し違うので、少し慣れるのに苦労したものの、日が照り出すころには完全にもとの感覚をつかんでいた。
 そろそろ終わりにしよう。演習場を使う生徒が出てくる時間だし、せっかくの休みなのだから少しはゆっくりしたい。そう思い始めたころ、演習場の入り口に人影が見えた。

 やってきたのは茶会の女の子たちだった。最近入り始めた新入りではなく、ザザが初めて行ったあの茶会からいる子たちだ。ザザとしては、最初にきつい洗礼を受けたので苦手意識があるのだが、フォルカの件では味方になってくれたので嫌うに嫌えない相手だった。

「ああ、良かった。ザザさん、やっと見つけましたわ」
「どうしたの?」

 何か面倒ごとを持ち込まれるんじゃないかと、少し身構える。

「ザザさん。今日、みなさんでトリスタニアに行きませんこと?」
「王都? 行く! 今から?」
「よかった。あとはルイズ様もご一緒ですの。門の前で馬車を待たせてますから、はやく準備してくださいね」
「ああ、ちょっと待ってて」

 浮かれ気分で駆け出す。王都観光というだけで上機嫌になるあたり、ザザもなんだかんだで単純だった。


 トリスタニアに向かう馬車の中には、ザザと、ザザを呼びに来た三人。それにルイズの5人の女子がいた。

 ルイズを囲むお茶会は最近少しずつ人数が増えていた。みんなが同じクラスや仲の良い子などを誘ってくるのだ。ザザも、同じクラスの子に茶会に入れてくれないかと頼まれたことがあった。

 ルイズは新しい子も前からいる子も分け隔て無く接した。新しく来た子には話題をふりつつ、前からいる子の機嫌を損ねないように苦労しているようだった。そういう態度は新入りの子たちには受けがよかったが、前からいる子たちにとっては少し不満なようだった。彼女たちは特別扱いされたいのだ。自分たちのほうが長くルイズといるのだから、もっと笑顔向けてくれてもいいのではないか、もっと仲良くしてくれてもいいのではないか。そういう不満があった。

 今日のトリスタニア行きはそういう目的で企画されたものだった。

「最近のお茶会は賑やかでよろしいんですけど、皆さんとあまりお話出来なくて寂しくおもっていましたの」

 茶会の子の一人がそんなことを言った。要は自分たちだけルイズと休日を過ごし、茶会での羨望の眼差しを受けたいのだ。

 ザザはここに自分が呼ばれているのが不思議でならなかったが、話の流れから自分がルイズを呼ぶダシにされたというのが分かった。

「ザザさんも、あんな目にあったばかりですし、王都観光でもして気分を切り替えてはどうかと思いましたの。そうしたら、ルイズさまもみんなも賛成してくれまして」
「ありがとう。その、気を使ってくれて」

 色々と思惑にまみれた外出だったが、王都は素直に楽しみだった。

 ザザは小遣いのはいった財布を確認する。魔法学院に行けることが決まってから、ずっと節約してため込んできたのでザザの貯金はそこそこの額になっている。もっとも、トリスタニアにはスリも出ると聞いていたので、今日はひかえめな額しかもってきていない。ちょっとした小物を買ってみんなとお茶を楽しむくらいの額はあるはずだった。

 トリスタニアまでの車中、ザザは面倒なことも忘れ王都についてからの予定をみんなと話し合った。

「わあ……」

 トリスタニアの大通り。何軒もの商店が軒を連ね、屋台や物売りが店を広げていた。店先には様々な商品が所狭しと並んでいる。歩いているとどこかから、肉のやける香ばしい匂いや、甘い果実の香りが香ってきた。そして、そのあいだをたくさんの人や馬車がせわしなく行き交い続けている。

 店といえばちょっとした雑貨屋と毎月市、たまにやってくるキャラバンくらいしか知らなかったザザにはなにもかも目新しい光景だった。歩いてるひとたちも別に田舎と変わらないはずなのに、ここにいるだけなにかあか抜けてみえてしまう。

「あ、あれが王宮かい?」

 通りの向こう側にひときわおおきく立派な建物がみえた。

「そうですよ。あそこにみえているのは東塔ですから、近くからみたらもっと驚かれるかもしれませんね」
「へえ、そういえば本で見たよ」

 トリステインの風俗を紹介した本にのっていた挿し絵を思い出した。

「外苑は月に一回開放されるので、そのときなら近くで見えますよ」
「本当かい? 行ってみたいなぁ」
「ああ、ザザさん、あんまりぼうっとしていると危ないですよ。人も馬車も多いんですから」
「あ、そうだね。ありがとう。……うわっと」

 言っているそばから人にぶつかりそうになる。町並みにも驚きだが、もっと驚いたのはひとの多さだった。あちらを見てもこちらを見てもひとでいっぱいだ。よくみんなぶつからずに歩けるものだと思う。ザザなど歩くどころか、人の多さだけで目が回りそうだというのに。

「歩くので精一杯だよ」

 苦笑混じりに言うと、皆がわらった。

「最初はだれもそうですよ、……きゃ!」

 そういって笑っていた子も、馬車におどろいて転びそうになっていた。ザザのほかの子も、はじめてではないというだけで、都会になれているわけではないらしい。

「あはは、大丈夫?」
「わ、笑うことないじゃありませんか! ……ふふふ」

 なんだかおかしくなってしまって、みんなで笑った。
 笑いながら、ザザは父のことを思い出した。父は若い頃はトリスタニアに住んでいたという。自分の田舎をバカにするわけではないが、ここで育てば田舎がいやになるのも分かる。どっちがいいとか悪いではなく、違いすぎる。父もまた、田舎にきてザザのようにいろんなことにびっくりしたのかもしれない。
 

 大通りを歩いていくと、芸人の一座がなにか余興をやっているのが見えてきた。見ていると、異国の事件を芝居仕立てでおもしろおかしく伝えるものらしいと分かった。大仰な芝居とときには魔法までつかった演出が物珍しく、ザザはつい見入ってしまった。

「やあ、なかなか面白いね」

 振り返ると、そこにいたのはルイズだけだった。ほかの三人の子はみあたらない。ルイズは気づかずに芝居を見ながら相づちをうつ。

「あ、あれ? ほかのみんなは?」
「え……、あら? どこへいったのかしら」

 どうやら、人混みのなかではぐれてしまったようだった。魔法学院の制服は目立つはずだが、この雑踏の中ではちょっと探すのは難しかった。

「ま、まあ……そのうち会えるだろうね」
「そ、そうね。歩きながら探しましょう」

 二人きりという状況にぎこちない空気が流れた。二人で話すのはあの夜の裏庭以来だった。学院ではルイズの周囲にはいつも誰かしらがいるし、ザザは最近試験勉強で忙しかった。まともに話すのすら久しぶりかもしれない。

「ル、ルイズ……さま?」
「なななな、なにかしら、ザザ……さん」
「ルイズ、さまは、その……トリスタニアはなれているんです、よね」
「ももももももちろんよ、当然だわ。案内はまかせておいて。ど、どこに行きたいのかしら」
「そ、それじゃあ、えっと……」

 お互い、おっかなびっくり言葉を紡いだ。まるで決闘でもしているようだ。どれくらい踏み込んでもいいのか、じりじりと距離をはかり合う。ザザはどうしていいかわからず、思い切ってルイズの手をとった。

「その、はぐれるといけないから」
「そ、そうね。はぐれるといけないわね」

 握り合った手がお互いの熱を伝え会う。少し汗ばんだ肌。些細な指の動き。つながり合った手は百の言葉よりも雄弁だった。
 雑踏の中、秘密の小箱をあけるようにひそやかにお互いの名前を呼んだ。

「ザザ」
「ルイズ」
「……ふふ、なんだかずいぶんと久しぶりみたいな気がするわ」
「私もだ。今日は、きてよかったよ。ありがとう」
「あら、まだまだこれからよ。もっといろんなところに案内してあげるんだから」
「それは楽しみだ……ルイズ」
「なあに? ザザ」
「こんど、私はラインの国家試験を受けるんだ」

 そう言った瞬間、つないだ手がびくりとふるえた。少しいぶかしげに思ったザザだったが、それがなにを意味するかまでは気づかなかった。

「そ、そう……ザザはラインなのね。そういえば、自習をよくしていたのはそのため?」
「うん。ラインの資格をとれば、みんなの目も変わると思うんだ。そうなれば、君はどう思うかわからないけど……対等な友人として、いられるんじゃないかって、そう思って。いやかもしれないけど、、私はそうありたいんだ」
「いやなはずないわ! その、とってもうれしい。ザザがそう思ってくれたことも、がんばってることも」
「まだ、受かるかどうかは分からないけどね」
「合格するわよ! わたしのおともだちだもの」

 うれしそうにルイズは言った。つないだ手は温かく、さっきの違和感はもうみじんもなかった。


 ほかのみんなを探して、ふたりは露店の多いにぎやかな通りまでやってきていた。ザザは見たこともない果物や焼き菓子など、見るもの見るものが物珍しかった。

「おぅ、お嬢ちゃんたち。魔法学院の学生さんだね。一年生だろう、いやいや、おっちゃんには分かるんだよ。トリスタニアははじめてかい? トリスタニアに来たからにはこれを食わないで帰っちゃ一生後悔するよ。いつも食べてるお上品な菓子とくらべちゃ見栄えは悪いかもしれねえが味は負けるつもりはねえ。さあさ、食べていってくんな!」
「え、あの、その……」

 ザザは露店の菓子売りの口上にたじたじになっていた。田舎の物売りと比べると勢いがまるで違うのだ。どうしていいかわからず、たまらずにとなりのルイズを見た。彼女なら場慣れしているだろうと思ったのだ。だが、そのルイズもザザと同じようにぱくぱくとなにも言えないでいる状態だった。

 結局、勢いに負けてふたりとも菓子をかわされてしまった。砂糖をまぶした揚げパンのような菓子で、確かにおいしかった。となりのルイズは、歩きながらものを食べることに躊躇があるようで、なかなか口を付けられずにいるようだった。

「ルイズ、慣れているんじゃなかったのかい?」
「うぅ……、その、だって。今まではお父さまとか、お姉さまとか、それか使用人とかが一緒にいたから。あんなふうに話しかけられることってなかったもの」
「あぁ、なるほど」

 どうやら、今日の外出はルイズにとってもちょっとした冒険だったようだ。ザザが思わず笑うと、ルイズは頬をリンゴのように赤く染めて怒った。

「まあまあ、温かいうちにたべた方がおいしいよ」
「むー……、はぐっ」

 ちいさな口をめいっぱいあけてかぶりつく。思っていたよりもおいしかったのか、機嫌をなおしてどんどんと食べていった。


「珍しいお茶が……」
「あなたの未来を」
「東方の銀細工だよー」
「新しい流行のドレスが」
「願いがかなうアクセサリーを」


 そのあとも、次から次へと物売りに捕まった。適当にあしらえばいいのだが、ふたりともまだそんなことができるほど場慣れしていない。たまらずに通りをぬけだすと、そこは物乞いがいる汚い通りだったり、いかがわしい店の近くだったりで、怖くなってもとの通りに戻り、また客引きに捕まるということを繰り返した。そのたびにあれやこれやを売りつけられた。

 ちなみに、この季節はトリスタニアの商人にとってはちょっとしたかき入れ時なのだ。世間しらずで金は持っている貴族の子女がわんさとやってくるのだから当たり前だ。新入生は、上級生や都会育ちの生徒と一緒でないかぎり、まず間違いなくザザたちと同じような目にあう。二人のようにおっかなびっくりたらい回しにされるのはまだいい方で、どうでもいいガラクタに大金を払ってしまうような生徒も多い。たいがいの貴族の子供は「自分は他の奴とちがって俗っぽいことも分かる見識の広い貴族なのだ」と思っているので、恐ろしいほど簡単にだまされる。男子は必要もない武器を買ったり出来もしない賭け事で金を巻き上げられる。女子は混ぜものの茶葉、インチキなお守りや二束三文の宝飾品などを買いあさったりする。いわば都会の洗礼。都会の作法を身につける授業料のようなものだった。

 昼過ぎに広場で三人と再会したころには、ルイズもザザもくたくたになっていた。三人も同じような状態で、五人はカフェに入ると不作法もかまわずにテーブルにつっぷした。

「疲れた……」
「とかいってこわい」
「なんでこんなもの買ってるのかしら……」
「はぁ」
「……」

 ザザはこっそりと財布の中を確認する。せっかくもってきた小遣いもほとんどなくなってしまっていた。お茶を飲むくらいはできそうだけど、甘い物は我慢しなければいけないかもしれなかった。
 ザザがしょんぼりしていると、そこに店員がやってきた。二十くらいのその店員は、五人の様子を見て楽しそうに笑った。

「ふふふ。貴族のお嬢さんがた。その様子だときつい洗礼をうけたみたいですね」
「……恥ずかしながら。他のみんなはともかく、私は田舎者で人の多さだけで疲れてしまってね」

 ザザが苦笑しながら応じた。

「この時期はトリスタニアにはあんまり来ないほうがいいですよ。みんな新入生のマントを見るとカモだと思ってかっぱごうと寄ってきますからね」
「なるほど……」

 スラング混じりの言葉はザザには慣れたものだった。他のみんなも、ニュアンスは伝わったようでどんよりとした表情をしている。

「さて、そんなお嬢さん方にサービスです」

 店員がテーブルの中央に、どんと大きな皿を置く。そこには大きなパイが丸ごと乗っていた。

「当店自慢のクックベリーパイです」
「えと、注文はまだ……」

 不安げに他の子が言った。どうやら財布の具合はみんなも似たようなもののようだ。

「あ、お代はけっこうですよ」
「ど、どうしてですか?」
「ウチは学院の生徒さんにはよく利用してもらってますから。初めてのトリスタニアで疲れた新入生にはサービスをさせてもらってるんです。せっかくのトリスタニアなのに、嫌な思い出が残っちゃかわいそうですしね。その代わり、今後はウチの店をご贔屓にお願いしますよ?」

 そう言うと、店員はウインクをしてお茶をとりにいってしまった。
 思わずみんなと顔を見合わせる。戸惑いと安堵が半々といった顔だった。厚意は嬉しいものの、貴族の意地があって素直には受け取れないと言った顔だ。
 ザザは仕方なく、笑って財布を取り出した。

「はは、実は持ってきたお金をほとんど使ってしまってね。正直助かったよ」

 そう言って軽い財布をちゃらちゃらとならしてみせる。すると、他の子たちも恥ずかしそうに言いだした。

「実は、あたくしも……」
「私もですわ。ふふ」

 笑い会うと、五人で失敗談をして盛り上がった。同じ菓子を売りつけられていたと分かるとさらに笑いが起こった。
 やがてお茶がきて、みんなでサービスされたパイを食べた。

「あ、美味しいね。これ」
「ほんと。レシピいただけないかしら」

 クックベリーパイは自慢の一品というだけあって美味しかった。中でもルイズはとても気に入ったようで、帰りの馬車でもずっとそのことを話していた。

 一緒に遊んで、おやつを食べて笑い合う。それだけで十分友だちになれる。たかがそれだけのことが、どうしてこんなにも難しいのだろう。宝石のように楽しい時間の中で、どこか寂しくそんなことをザザは思っていた。



[19871] 第六話「図書館同盟」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/05 20:24
 魔法学院の図書館はものすごく大きい。魔法を使わないと本が取れないようなでっかい本棚がある。本の揃えもかなりのもので、古い貴重な文献がたくさんあるらしい。
 たしかに立派だけど、正直言ってどこに何があるのか分かりにくいし使いにくい。あんな馬鹿でかい吹き抜けを作る余裕があるのなら、ひとり掛けの勉強机をもっと増やして欲しい。ザザは図書館の本棚を見るたびそう思う。

 図書館の一人がけの席はいつ行ってもいっぱいだ。ザザのように資格をとろうという生徒の他にも、課題や研究で図書館を利用する生徒は多い。運良く一人がけの席を取れた日はいいが、大体の場合ザザは4人掛けや6人掛けの席につくことになる。
 相席の相手が静かに勉強や読書をする子ならそれでもいいのだけど、中にはそうでない子もいる。本を輪読しながらの討論会をするとか勉強をするのならいいのだが、勉強そっちのけで雑談をするような生徒もいる。

 中には、勉強をしているザザに話しかけてくる子もいた。それはクラスメイトだったり、茶会の仲間だったりで、いつもと同じ感覚でおしゃべりをしようとするのだから困ってしまう。
 中でも、もっとも困ったのは一学年上の先輩に話しかけられたときだった。

「こんにちは、ザザ・ド・ベルマディ」
「えっと……、誰ですか?」

 いきなり前の席に座り話しかけてきた。ふわふわの金の巻き毛を肩口できりそろえた少女、二年生のマントを身に付けていた。美人ではないが、切れ長の瞳と自信に満ちた表情が印象的な人だ。どこかで見たような気もするが、思い出せなかった。

「あたしをご存知ありません? ザザ・ド・ベルマディ。自分ではそれなりに有名人だと思っていたんですけど、思い上がりだったのかしら。まぁ、最近まで学院中で噂だった有名人から見れば、あたしなどとるに足らないということなのでしょうか?」
「……用がないなら黙ってくれませんか。図書館では静かにするべきです」
「ふふ、そう邪険にしないでくださいな。悪かったわ、ザザ・ド・ベルマディ。自己紹介をしましょう。あたしはソニア・ド・アンクタン。二年の監督生をしています」
「……ああ」

 そういえば、寮の消灯時間に見回りをしている顔だった。遊技室や読書室に遅くまで残っていて注意されたこともあったと思う。
 監督生とは、寮生活や学校生活において他の生徒の素行を監督する役目を与えられた生徒だ。当然、模範的な優等生から選ばれる。男女それぞれの寮で、二年と三年にひとりずつの監督生がいる。目の前の彼女はその一人ということだ。

「で、その監督生の先輩が私に何のようでしょうか」
「あなたの素行に問題があるとかそういうことじゃないからそう身構えなくてもけっこうですよ。ちょっと世間話がしたいだけです」
「世間話ならよそでやってくれませんか。私なんかよりは、中庭のお花にでも話しかけてたほうが幾分かは楽しいと思いますよ」

 挑発的なソニアの物言いに、ついザザの口調も荒くなる。

「ふふ、手厳しいですね」
「そんなんで、よく監督生なんかになれましたね」
「こんなものは試験と同じですよ。それらしく振る舞えばいいだけなんですから簡単です。あなたもライン試験を受けるんですから、分かるでしょう?」
「……なんで知ってるんです?」
「知っている人は知っていますよ。説明会に来ていた子とかがいるでしょう? あたしもあの会場にいたんですよ」
「なるほど」
「まぁ、嘘なんですけどね。あたしはドットメイジですから。単に、担当の先生の手伝いをやっていたときに書類に目を通しただけです」
「……いい加減、黙ってくれませんか?」

 さすがにザザが声を低くすると、ソニアがにっこりと笑った。

「ごめんなさいね。初めてお話する人だと緊張してしまって。ちょっとした助言をしたいだけなの。お聞きなさい」
「……何です?」
「あなたたちのお茶会ですけれど、そろそろ人数を増やすのをやめたほうがいいですよ。二年生の一部に、よく思っていないグループがあります」

 ソニアはにっこりとした笑みを張り付けたままいった。

「ルイズ・フランソワーズはさすがですね。上級生への根回しもしっかりやっていますし、お茶会の場所を毎回変えているのもよい判断です。定住した集団は人数が増えやすくなりますし、一つの場所を独占しては反感も買いやすくなります。ですが、そろそろ限界ですね。遠からずあなたたちのお茶会はルイズ・フランソワーズの手に負えなくなります」
「それは……」

 思わず、ザザは黙った。今の段階でも十分に問題だと思っていたからだ。茶会のみんなで何気なく歩いていても、人数が多いとそれだけで威圧的に見えてしまう。威圧的に見えれば、それだけで無用の敵を作る。
 監督生は学生同士のいざこざを仲裁するような役割も持っている。軋轢が大きくならないうちに、こうやって釘をさすのも仕事のうちなのだろう。

「なぜ、そんな話を私に? 正直言って、私はあの中では立場は強くないですよ」
「あなたがあの中では一番冷静にものを見ているからです。他の子はまだちょっと自覚に欠けますね。ルイズ・フランソワーズに言ってもいいんですが、彼女は思っていたよりも我が強い。あたしの言うことを聞くかどうかは微妙なところです。高位貴族の末っ子などは分をわきまえた良き妹として教育されるものですけど、彼女は違うようですね」

 ザザは頭を抱えた。何もかもが正論だからだ。茶会の皆は自分たちがどう見られているかなど気にもしていない。いや、注目されているということだけは分かっていて、それを無邪気に喜んでいる。

「……それとなく、何人かに話してみます」
「ええ、外部の者から言われるよりは、内部からの助言のほうが彼女たちも聞きやすいでしょう」

 頭の中で、誰にどうやって話を持っていくかを検討する。茶会の中でも保守的な子を選んで、遠回しに言っていくしかないだろう。

「あぁ、あと」
「何ですか?」
「あなたを選んだもう一つの理由です。グナイゼナウとの一件も片づいて、最近は暇そうにしていたので悩みを与えてあげようと思いまして」
「……監督生って、悩みを聞くものじゃないんですか」
「そうですよ。でも、なぜだかあたしには誰も相談に来てくれないの。だからこうやって悩みを与えることにしているのよ。あなたも是非相談にきてね、ザザ・ド・ベルマディ」
「お断りです!」

 二度と話しかけるな。心の中でそう悪態をついて、ザザは席をたった。
 

 明くる日。今日は静かに勉強できるといいな。そんな期待を持ちながらザザは空いている席を探していた。やはり一人掛けは全部埋まっている。4人掛けの席も誰かしらが座っている、これから混む時間帯なので誰と相席になるかが分かれ道だ。適当に座ってしまおうと思っていると、ザザは一人のクラスメイトを見つけた。

 目のさめるような青い髪と、眼鏡が特徴的な小柄な女の子だ。名前は覚えていないけれど、いつも教室で本を読んでいる子だった。四人掛けの席で一人で本を読んでいた。四人掛けの席に二人で座っていると、よほど混んでいない限り座ってくる子はいない。彼女と相席なら、静かに勉強できるだろう。

「ここ、いいかな?」

 そう聞くと、青髪の子は眼鏡ごしにちらりとザザを見た。言葉はなく、また本に視線を落としてしまう。ザザは少し面食らったが、肯定と受けとって席についた。
 思った通り、青髪の子は静かに本を読んでいるだけだった。ぱらり、ぱらりと規則正しく本をめくる音が聞こえてくるだけだ。
 実は、ザザは以前からこの子に好感というか、仲間意識のようなものを持っていた。というものの、彼女の使っている杖がザザと同じ大きな木の杖だったからだ。流行りのちいさなタクトを持っているクラスメイトたちを羨ましいと思ったことはないが、なんとなく疎外感は感じていた。

 ザザの家では、子供が生まれると森に一本の苗木を植える。10歳になった年にその木を切り倒して杖を作るのだ。家の伝統だし、自分で削りだして作った杖なので愛着もある。流行りだからといってほいほいと新しい杖を作る気にはならなかった。
 なので、ザザはでっかい杖をもっている子のことを勝手に、流行りに流されないででっかい杖を使っている仲間だと思うことにしていた。

「じゃあ、先に失礼するよ」

 日が暮れてきたころ、ザザはそう言って立ち上がった。やはり、青髪の少女から返事はなかった。おかしな子だな。そのくらいにしかザザは思わなかった。

 それから何日か、ザザは青髪の少女と同じ机に座り続けた。青髪の少女は何も言わないし、ザザも最初と最後に少し挨拶をするだけだ。青髪の少女は何も言わないが、他の席が空いていても移らないのだから、迷惑ではないのだろうと思っていた。会話らしい会話は一回もしたことがない。だが、なんとなくザザはこの関係が気に入っていた。

 彼女が何の本を読んでいるのかと気になり、ザザは本のタイトルをいつもついつい盗み見てしまう。それは小説だったり、難しい魔法理論の本だったり、薬草学のテキストだったりと一貫性がなかった。乱読家というやつだ。いろんなことに興味があってえらいなと、ザザは思っていた。

 そのうち、ザザは図書館に来ると一人掛けの席よりも、まず青い髪を探すようになっていた。そんなある日、とっている授業が休講になり、ザザはいつもよりも早めに図書室にやってきた。いつもの青い髪は見あたらなかった。席はがらがらで一人掛けの席も空いていたのだが、何となくザザは四人掛けの席に座った。
 
 やがて午後の授業が終わる時間になり、他の生徒が少しずつやってきた。ザザは気にせずに勉強をしていると、前の席に誰かが座る音がした。顔を上げると、そこには見慣れた青い髪があった。本で顔を隠すようにしながら、こちらをちらりとうかがっている。ザザが思わず微笑むと、彼女はいつも通りに無言で読書を始めた。なんだか、なかなか懐かない野生の生き物を捕まえたみたいで楽しかった。

 彼女にとっても、この関係は心地よいものなのかもしれない。一人静かに読書に集中するのに、ザザという相席相手は都合がいいのだろう。お互いの利害が一致して、二人は一緒にいる。友情とは呼べないが、この関係はザザにとって心地よかった。


 ある日、選択科目の授業で課題が出た。班ごとにレポートを発表する課題で「魔法の活用されかたの過去と現在」という面倒くさくて面白みもなさそうなテーマだった。班のみんなで図書館にやってきて、資料とにらめっこをしていた。

「ね、ねえみんな。やっぱり自分の系統ごとに分担するというのはやめにしないか」
「君が言い出したことじゃなかったかい? グラモン」
「だ、だって土の項目がどえらい量だよ? こんなの一人じゃとても無理だ」
「んー……まぁ。たしかにバラバラに広く浅く調べるよりは、ひとつの分野に集中して調べた方が楽そうだね。農業とか医療とかって限定してさ」

 いつも自分が気にしているので、もちろん声は落として話していた。ひとりが声を落とすと、自然と班のみんなも静かに話してくれた。

「じゃ、じゃあどの分野を調べるのかを決めないといけないわね。なにがいいと思う、ギーシュ?」

 同じ班のモンモランシーがそわそわとしながらギーシュに話しかける。ギーシュ・ド・グラモンがモンモランシーに気があるというのはもっぱらの噂だった。女子だけで固まっていた班に無理矢理割り込んでくるくらいだから、朴念仁のザザにも分かった。モンモランシーもその気がないわけではないのか、ことあるごとに会話を持とうとしていた。

 男子は単純でいいな。ギーシュを見るたびにザザはいつもそう思う。たとえば、ギーシュのようにへらへらと色んな女子に声をかけても、男子ならちょっとしたお調子者程度で済んでしまう。逆に女子がそんなことをしたら一気に反感を買うだろう。キュルケが良い例だが、彼女はそれを黙らせる実力がある。それ以外でも、男子の関係というのは女子に比べてものすごく単純に見える。もちろん、男子からすれば逆に思えるのかもしれないけれど。

 そんなことを考えていたとき、誰かが図書館に入ってきた音がした。何の気無しにそちらを見ると、見慣れた青い髪と大きな杖が見えた。目が合う。ザザはなぜだか、ばつの悪い思いがしてうろたえてしまった。これまで二人で少しずつ積み重ねてきた何かを、土足で踏み荒らしてしまったような気がした。
 彼女はザザと目が合うと、ぷいと向こうに行ってしまった。相変わらずの無表情だったが、なんとなくその横顔がいつもとは違って見えた。

「あ……」

 声をかけようとしたが、言葉が見つからなかった。これまでだって、まともに会話などしたことはなかった。

「なぁに、貴女。タバサと知り合いなの?」

 モンモランシーが意外そうに口を開いた。

「タバサ?」

 そう聞き返して、ザザはしまったと思った。彼女以外から、彼女のことを聞くのはなんだかフェアじゃない気がした。

「あの青髪の子でしょう? タバサって言うらしいわ。ほとんど口を利かないのよ。何を言っても何にもいわないの。変な子」
「……そうなんだ。いや、たまにここで相席になるくらいさ」
「ふうん。まあ、名前も知らないくらいだものね」

 青髪の少女―タバサとの関係は友だちと呼べるほどのものではなかった。モンモランシーの言うとおり、名前すら知らないのだから知り合いと呼べるかも怪しい。

 別に約束をしているわけではないし、ザザが図書館に来ない日もあればタバサが来ない日もある。ザザは課題をしに班のみんなとやってきただけで、別に何も悪くはない。なのに、なぜか胸が痛んだ。

 
 次の日、ザザは授業が終わってもしばらくの間図書館に向かわず時間をつぶしていた。少し、怖かったのだ。もしタバサよりも先に図書館に行って、自分の前に彼女が座らなかったらどうしよう。そんなことばかりを考えていた。
 図書館につくと、そんな気持ちがさらに大きくなった。タバサが先にきていたとして、なんと声をかければいいのだろう。声をかけて、拒絶されたらどうしよう。いっそ無言で座ってしまおうか。いや、いつも一言声をかけていたのに、今日に限って声をかけないのは不自然だ。ザザの臆病な部分が少しずつ大きくなっていった。これではクラウディアのことを笑えない。自嘲気味に笑うと、少し気分が紛れた。

 本棚の影から、こっそりといつも座っている隅の四人掛けの席を伺う。そこにいつもの青い髪はなかった。ザザを避けて、他の席にいっているのだろうか。思わず周囲を見回した。

 すると、別の本棚の影から同じように周囲を見回している子をみつけてしまった。目が合う。青い髪と眼鏡、大きな杖が特徴的なその子は、珍しくうろたえたような表情をみせた。星の瞬きのようにささいな変化だったが、毎日見ていたザザにはわかった。

 彼女も同じなのだ。そう分かると笑いがこみ上げてきた。くすりと笑うと、彼女は照れたように顔を赤くそめた。
 どちらともなく、いつもの席に向かう。ザザはなにも言わず勉強を始めた。青い髪の彼女もまた、無言で本を広げる。
 二人の関係は友だちなどではなかった。お互いのことをなにも知らないし、図書館以外ではほとんど接点もない。お互いの利害のために一緒にいることを選んでいるだけだ。

 そう、それは言うなれば



[19871] 第七話「ラベルの価値」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/30 10:36
「ザザさん。なんだか機嫌がよろしいみたいですね」
「え? そう見える?」
「いっつも、お裁縫の授業のときはつまらなそうにしているのに、今日はとても楽しそうなんですもの」
「う……そんな顔してたかい」

 ザザは思わず顔に手をやる。
 クラウディアに言われた通り、ここ数日ザザはご機嫌だった。この前の週末にやっとライン試験が終わったからだ。受かっているかどうかは分からないが、やれるだけのことはやった。勉強に追われることのない生活というのはとても気分が楽だった。
 といっても、ザザは試験以外の勉強は全部放り出して勉強してきたので、今はそちらの分を取り戻すのに忙しい。溜まっていた課題などを毎日図書館に行って片付けていた。

「いたっ……」
「あ、大丈夫ですか。ザザさん」

 おしゃべりをしながら裁縫をしていると、間違えて指を刺してしまった。

「見せてください」

 クラウディアがザザの指に治癒魔法をかける。彼女は水のドットメイジだった。すぐに指先から痛みは消え、血をぬぐうと傷はきれいに消えていた。
 ザザはあまり裁縫が得意ではない。ちょっとした縫い物ならなんとかなるけれど、今日のような細かい刺繍を作るとなるとお手上げだ。
 お裁縫の授業は女子の必須科目のひとつだった。女性の社会進出が盛んになっている昨今、この授業は選択科目にするべきだという声もあるが、いまのところは根強く続けられている。今日の課題はハンカチに刺繍をすることだ。みな、思い思いの柄を縫い上げている。

「ありがとう。クラウディアはさすがに上手だよね」

 クラウディアの手元のハンカチには、見事な花の刺繍ができあがっていた。頑張ってイニシャルを入れるのがやっとのザザにはとうてい真似の出来ない芸当だ。

「やっぱり、おうちの仕事がああだと、上手になるものかな」
「それは関係ありませんわ。ちいさいころから刺繍が好きだったので、自然に上手くなりましたの」
「ふぅん」
「でも、たしかに家にたくさん布地や洋服があったので、裁縫が好きになったのはそのおかげかもしれませんね」

 クラウディアの家は毛織物で財を成した家だ。もとは織物をそのまま売っていたのだが、クラウディアの祖母の代で染料を使い染めて売ることをはじめた。クラウディアの祖母は染料の調合にかけてはとびきりのセンスの持ち主で、他にはない美しい色合いの染料が次々と生み出された。ロネ家の毛織物は飛ぶように売れるようになり、中でも凪いだ海のような深い青は『ロネ・ブルー』と呼ばれ、今でも女性の憧れのひとつになっている。
 クラウディアは家の仕事を継ぐために染料の調合を勉強している。水のメイジとしてはドットでしかないが、染料を作るのにはご大層な位階は必要ない。将来は祖母の秘伝だけでなく、自分で作った色を売り出すのが夢らしい。藍色の染料だけは実家で認められたということで、クラウディアの二つ名は「藍色」である。

 ザザの二つ名は「砂塵」だった。だが、これを知っている同級生はいない。はじめに茶会に参加したころは、ザザはわざわざ二つ名を聞かれるほど関心をもたれていなかったし、それ以降はラインであることを隠すために名乗らないようにしていた。
 もうすぐ魔法の実技が授業ではじまる。ラインスペルの授業は後期以降にしか行わないので、魔法の威力を加減していれば、ラインであることに気づかれることはないだろう。
 ライン試験の結果は二週間後に出る。合格者は全校生徒の前で表彰されるらしい。もし合格できていれば、ザザは一年生で一人だけ壇上に立つことになる。そうなれば、周囲からの扱いは変わるはずだ。さすがに急にルイズと親しげに話しては調子にのっていると思われるかもしれないけれど、そうしたとしても文句が言えない空気は作れるだろう。

 ザザはルイズ以外の子とも仲良くしたいと思っていた。今のようにルイズを篭の鳥のように扱うのではなく、皆で気楽に笑いあえるようになりたいと思っていた。だから、それができるような雰囲気を少しずつ作っていくつもりだった。

 裁縫の授業が終わり、ザザとクラウディアは中庭を歩いていた。ザザは結局、あのあと2回も指を刺してしまい、そのたびに魔法でなおしてもらっていた。

「ザザさん。このあと、なにか予定はありまして?」
「いや。今日はもう授業もないし、ゆっくりしようと思っていたんだ」
「まぁ、じゃあ一緒に温室に行きませんか? 染料に使える花がたくさん咲いたらしいので、見に行きたいんです」
「あ、いいね。まだ行ったことないから行ってみたかったんだ」

 学院には大きな温室があった。秘薬の材料になる薬草などがたくさん栽培されている。式典などで使うための花もここで作られているそうだ。ザザの実家にも薬草園はあったが、温室となると見たことがないので関心があった。

「温室の管理を手伝うと、材料を優先的に分けてもらえるんですって。わたくし、立候補しようと思うんです」
「そういや、モンモランシーもそんなこと言ってたよ」
「あら、そうなんですか。けっこう人気があるのかもしれませんね。剪定した花のつぼみなどでいいので、分けてもらえるとうれしいのですけど」
「他に使う人もいなさそうだよね」
「そうですよね。……あら?」

 二人が歩いていると、中庭にあるテラスに人だかりができているのが見えた。女子ばかりが集まって、なんだかもめているようだった。
 なんだろうか。クラウディアと顔を見合わせて近寄ってみる。


「だから、なんで貴女たちの言うことを聞かないといけないの。席はあいているんだから、わたくしたちが使ってもかまわないでしょう」
「ここを先に使っていたのは私たちですわ。テーブルはあいていません。他にも場所はあるのだから、そちらを使ってはいかが?」
「貴女たちが全部のテーブルを使っているからでしょう。そんなに人数はいないのだから、もっと詰めてください!」
「まったく、空気の読めない方は困りますわ。ねえみなさん?」
「なんですって!」


 もめているのは、茶会の女の子たちだった。ほかのグループの子たちと、席の取り合いをしている。茶会のみんながテラスを独占して使っていて、それに他の女子がかみついたらしい。
 二人は顔を見合わせた。どうするべきだろうか。騒ぎが大きくならないように止めるのが筋だけど、ザザが言っても彼女たちは止まらないだろう。弱気なクラウディアはそもそもあの騒ぎの中に入っていくこともできない。

 最近、こういったことが増えてきた。ルイズの威光を自分のものだと勘違いして、尊大に振る舞う空気が茶会の中にできてしまっていた。今日のようにテラスやバルコニーを我が物顔で独占したりする子たちが出てきている。当然、そこにルイズはいない。ルイズがいればそんなことはさせないし、彼女たちもしようとしない。
 一人一人は無害な生徒でも、集まればなんとなく大きなものになった気がしてしまう。ルイズという存在は、そんなあやふやな自信を後押ししてしまう力がある。ルイズがしっかりと手綱を握っていれば問題ないのだが、まだ15歳の女の子には荷が重い。それでなくとも、最近のルイズは少し精彩を欠いているように見えた。何か、焦っているというか、余裕がないように見えるのだ。

「ど、どうしましょう……」
「先生か寮監……はまずいか」
「そうですわ! ルイズさまなら……」
「たしか授業中だよ」
「う……、どうしましょう」

 止めることもできず、かと言って放り出していくこともできず、二人はその場で立ち尽くしていた。そうしている間にも、言い争いはさらに激しくなっていく。通りがかりの生徒や、男子たちも何事かと少しずつ集まってきていた。
 そんなとき、背後からザザの肩をたたくものがあった。振り返ると、そこにはあの性根の曲がった監督生が立っていた。

「……ソニア先輩」
「こんにちは、ザザ・ド・ベルマディ。よいお天気ですわね」

 ソニアは日傘を差していた。薄桃色のフリルのついた日傘の陰から、あの意地の悪い瞳が笑っている。

「あたしの言っていた通りになりましたね。ある程度大きくなった集団というのはそれ自体が意志を持つようになります。集団の持つ意志は生物のそれとあまり変わりません。自身の成長と他者の排除、ただそれだけです。集団の長がその手綱をもてなければ暴走するしかありません。今の彼女たちのようにね」
「笑ってないで止めてください!」
「忠告はしましたよね。ザザ・ド・ベルマディ。こうなる前に止めるべきだと」

 ソニアは楽しそうにくるくると日傘を回す。

「……はい」
「出来ない者が出来ないのは無能の証明でしかありません。しかし、出来る者がやらないのは罪悪です。あなたはどちら側かしら? ザザ・ド・ベルマディ」
「私は……」

 自分には出来なかった。そう言おうとした。だが、本当にそうだろうか。保身や体裁を考えて、やらなかったことがあったのではないか。そもそも、ラインであることをもったいぶらずに明かしていれば、もっと出来ることはあったはずだ。

「……出来なかったんじゃなく、やらなかった、のかもしれません」
「よろしい。無能は罰ですが無為は罪です。罪はあがなうことが出来ます。あたしと一緒に来なさい」
「え? いや……」

 返事を待たず、ソニアは騒ぎの中心へと向かっていってしまう。桃色の日傘が人混みを割っていく。

「……行ってくるよ」
「が、がんばってください!」

 隣で目を白黒させていたクラウディアに一声かけて、ザザはソニアを追った。小声で、ソニアに話しかける。

「どうすればいいんですか?」
「そこにいるだけでかまいませんよ。うすらでかい置物だとでも思いなさいな」
「誰が置物ですか。それにうすらでかいって何ですか」
「それ以上の役割は期待していないという意味ですよ。悔しかったら、置物以上の何かになってみなさい」

 相変わらずかんに障るものいいをする人だった。怒ってはいけないと、深呼吸をしながらあとに続く。
 渦中のテラスについた。日傘を差したソニアの登場に、双方の視線はこちらに向いている。すぐ後ろにいるザザも一緒に視線を集める。
 マントの色から上級生だと分かるし、ソニアを監督生だと知っている子もいるようで、みな居住まいを正していた。

「こんにちは、みなさん。よいお日柄ですわね」
「先輩! 言ってあげてください。ここは学院の生徒みんなのテラスです。一部の生徒が独占していい場所じゃありません!」

 茶会の皆と言い争っていた子がソニアに訴え出る。

「そうですね。学院は学ぶためだけでなく、多くの生徒と交流を深めることで見識を広げるための場でもあります。テラスも交流を深めるための場なのですから、一部のひとたちだけで集まっているのは感心しません」

 どうだ。と言わんばかりに、訴え出た子が胸をはる。茶会の皆は、監督生という正当性の前に黙ってしまう。この場にいないルイズの権威より、ここにいる監督生の正しさが勝る。

 茶会の子たちの視線がザザへと集まる。この状況では、ザザがソニアを連れてきたようにしか見えない。裏切り者とでも言うような目つきでザザをにらんでいた。
 逆に、相手の子たちは茶会側にいるザザが監督生を連れてきたということで、これ以上強く出るつもりはないようだった。相手にも話のわかる子が居て、この子たちは一部の跳ねっ返り、という認識になっているのだろう。

 ソニアがザザを連れてきたのはこのためだ。茶会に正しさの一部を担わせることで周囲からの攻撃をやめさせ、茶会の矛先を外部から内部へと向けさせる。ザザにとって大問題なのは、その矛先が完全に自分に向かっているということだが。

「ですが、仕方のないことですわよね。仲の良いお友達ができると、他の人に邪魔されたくないって思うのは自然なことです。貴女たちもそう思ったことがあるでしょう?」

 ソニアはくすくすと周囲に笑みを向ける。さっきまで勝ち誇っていた子たちは少し戸惑いながらも、ひかえめに頷いた。

「それじゃあ、みなさんで仲直りにお茶にしましょう。そこの貴女、お願いできるかしら?」

 たまたま近くにいた使用人にお茶を持ってくるように言うと、ソニアはその場にいた全員を椅子に座らせていった。どっちの側に居た子もまんべんなく混ぜて座らせている。ザザは逃げ出す暇もなく、両方の中心人物と同じテーブルに座らされた。クラウディアはさっさと逃げたようだ。あいつめ。

「ベルマディさん。あの監督生の方とは親しいんですか?」

 茶会の子が、どこかとがった口調でそう訪ねる。すると、相手方の子もまたザザに話しかける。こちらはわりと好意的な感触だ。

「ベルマディさんでしたっけ。貴女のおかげで、こうしてみなさんと親交を深めることができてうれしく思っていますわ」
「え、いや……。たまたまそこに居ただけで別に親しくは……」

 あんな性悪女と仲がいいなど思われてはたまったものではない。ザザが否定していると、その両肩に手がかけられた。ソニアだ。他のテーブルの皆に声をかけていたのが戻ってきたのだ。

「ええ。あたしたち、とっても仲が良いんですよ。この前知り合ったばかりですけれど、意気投合しまして。まだ監督生になりたてで色々不安だったところに、ザザさんに悩みを聞いてもらってとっても気分が楽になりましたの」
「は? 何言って……」
「みなさん。ザザさんはとっても頼りになりますから、悩み事があればあたしよりも適任かもしれませんよ。同級生の方がなにかと話しやすいこともあるでしょうから。でも、あたしに誰も相談してくれないのも寂しいですね」

 冗談めかした物言いに笑いが起こる。そして、周囲の子たちの視線がザザに集まった。茶会の子からは「監督生に茶会を売った裏切りもの」。それ以外からは「監督生に目をかけられている優等生」と見られているようだった。そのどちらも、ザザにとっては喜ばしいものではない。

「ザザさんってとってもシャイでしょう? 誤解されやすいかもしれませんけど、良い子ですから仲良くしてあげてくださいね。ふふふ」

 いつかぶん殴る。
 楽しげに笑うソニアの声を聞きながら、ザザはそう決意した。
 

 ソニアの狙い通り、茶会は二つに割れていた。茶会の仲間同士での派閥争いが起こり始めている。

 片方は、テラスで騒ぎを起こした子たちだ。他の生徒に攻撃的で、権威的に振る舞うことを好む。初期にいた子の半分ほどと、大多数の新入りがこれにあたる。新しい子を入れてきたのがほとんどこちら側の子たちだったので、自然と新入りの子たちはこのグループになってしまう。

 もう片方は、小さい身内の集まりだった茶会が好きだった子たちだ。保守的で、威張りちらして闊歩するようなことはしない。人数としてはこちらの方が少ない。クラウディアと、一応はザザもこっち側だ。そして何故か、ザザはこの保守派のまとめ役のような立場になってしまっていた。
 保守派の子たちはどちらかといえば内向的な子が多い。クラウディアが良い例だが、自己主張することを苦手として変化を嫌う。これまで、権威派の子たちの言うことに従ってきた子ばかりなので、まとめ役というものがいないのだ。ザザは物事をはっきり言うし、監督生と繋がりがあるということで、彼女たちからすれば『頼りやすく』見えてしまうのだ。

 軋轢ははっきりと現れているわけではない。保守派の子たちはあまり自己主張をしない子が多く、表だって権威派にたてつくわけではない。なにかある度に権威派に忠告をして、嫌な顔をされるのがザザの役目になっていた。
 お茶会の中心であるルイズがまとめてくれればいいのだが、ルイズは最近つきあいが悪い。あまりお茶会に顔を見せないし放課後も何かやることがあるとかですぐどこかに消えてしまう。

 ルイズが来ないと、好き勝手を始める子たちが増える。この前のテラスのようないざこざが何度も起こっていた、保守派の子たちからはルイズが無責任だと非難する声もあがってきていた。それだけでなく、勝手にまとめ役にしたザザのことまで非難の目で見る子もいる。あまりの自分勝手さにザザはあきれるしかなかった。

 とにかく、ザザはそんな声をどうにかして押さえるのが精一杯だった。とても他の子が好き勝手やるのを止めるまで手が回らない。ルイズが何か心配ごとがあり、茶会まで気を回す余裕がないというのは分かる。あまりルイズに負担をかけたくはなかったが、それでも一度話を通さないといけない。仕方なく、ザザはルイズの部屋を訪ねた。
 ノックのあとしばらくして、ドアが開いた。

「やぁ、ルイズ」
「……ザザ? どうしたの」
「ちょっと話したいことがあってね。いいかな」
「え、ええ。ちょっと待ってね」

 扉が閉じてしばらく待ったあと、部屋に招き入れられた。
 ルイズの一人部屋は、ザザ達の二人部屋の半分ほどの広さだった。家具は備え付けではなく持ち込みのようだ。ザザたちのものとはあきらかに格が違うのが一目で分かる。ルイズが勧めてくれた椅子も、代わり映えのしない木の椅子なのに座り心地がまるで違った。

「ザザがわたしの部屋に来てくれるなんて嬉しいわ」
「私はちょっと残念だよ。来るときはちゃんと招かれてきたかった」

 ザザがそう苦笑すると、ルイズの顔色が曇った。

「何か、あったの? そういえばここに来ても大丈夫?」
「それは大丈夫。むしろみんなに頼まれて来た感じだからね」

 ザザがかいつまんで事情を説明する。なるべく心配をかけないように話したつもりだったのだが、さといルイズはそのことをすぐに察してしまったようだ。

「そう……ごめんね。明日からはちゃんとするわ」
「いや、一回顔を見せてくれればそれでいいんだ。それだけで、きっと雰囲気は変わると思うから」
「いいのよ。どっちにしても、明日にはもう結果は出る、から」
「何か、試験でもあるのかい? 私もこの前試験が終わったばかりだけど」
「……まあ、そんなところね。とにかく、明日からはちゃんと時間が取れると、思うから」

 ルイズの態度に、何か重いものを感じた。だけど、それが何かまでは分からなかった。聞いてもいいものだろうか。少しザザが迷っている間に、ルイズが話を変えてしまった。

「それより、ザザには迷惑をかけちゃったわね。大変だったでしょう?」
「ルイズのせいじゃないさ。ソニア……あの性悪の監督生が悪いんだ」
「あ、あの人? たしかにちょっと感じ悪いわよね」
「ふふふ。初めてあの人の愚痴が言える相手が出来た。他の一年生の前じゃ猫被っているからね、あの人」

 ちょっとだけ、二人でソニアの愚痴を言い合った。悪口は悪徳だが、悪いことには離れがたい魅力というものがある。寮監に隠れて飲む酒は、安酒でも甘美なものだ。悪口という背徳の酒を、二人はちょっとずつなめるように楽しんだ。


「……ちょっと君やフォルカのことが分かった気がするよ」

 ある程度騒いだあと、ザザは少し疲れたように言った。

「わたしと……貴女のボーイフレンドのこと? どういうこと?」
「周りから、勝手にいろんな役割を押しつけられて期待されて、それに振り回されるってこと」

 ボトルにワインと書かれたラベルが貼られていれば、人はそれをワインだと思う。中身がなんであろうとだ。
 ルイズは公爵家三女の優等生というラベルが貼られている。彼女がそう望まなくとも、ルイズはそういう役割を期待される。フォルカは幼い頃は辺境伯子息としてのラベルが張られていたが、弟が生まれてからはそれを引きはがされてしまった。

 お茶会保守派のまとめ役。監督生に目をかけられた優等生。二人とくらべれば、ちっぽけなラベルだ。決して望んで割り振られたものではない。他の子のために仕方なく引き受けただけだ。引き受けた時点で義務は発生してしまう。善意からやっていることなのに、ちょっとでも駄目なところがあれば糾弾される。
 もしかしたら、貴族というラベルすらも似たようなモノなのかもしれない。ザザはそんなことを思った。

 ルイズは少しだけ笑った。

「けっこう、たいへんでしょう?」
「そうだね。たいへんだ」

 笑い合う。ザザは、初めてルイズと何かを共有できた気がした。少しだけ、彼女の苦労が理解できた。そんな気がした。


 次の日。記念すべき初めての魔法の実技授業が開始された。最初の授業は「火」の授業だった。禿頭の教師が、誰か「着火」の魔法をやって見せてくれと言っている。実技の授業でもまた、初歩の初歩から始めるようだ。さすがに子供でも出来ることだということで、教室の空気もゆるんだものだ。ざわざわとみな私語をしている。

「クラウディア。『着火』できる?」
「もう、からかわないでください! 水のドットでもそれくらいはできます。ザザさんこそどうなんですか?」
「私はどちらかと言えば火寄りの風だからね。火の呪文はわりと得意だよ」
「じゃあ、前でやってみればいいじゃないですか。ほら、手を挙げて」
「いや、私はあんまり目立つのはちょっと……」

 そんなふうに騒いでいたすぐ近くで、ぴんと手を挙げた生徒が居た。ルイズだった。座学の授業でも率先して解答していたルイズなので、違和感はなかった。ただ、席を立って教壇に向かう彼女の顔が、どこか思い詰めたような表情をしていた。
 さすがのルイズも緊張することもあるのかな。そう思って、ザザは声をかける。

「頑張って!」

 ルイズはぎこちない笑みを返してきた。たかが『着火』の呪文でそこまで堅くならなくても。ザザはそう思っていた。
 教壇の上に組まれた薪に対して、ルイズが杖を掲げる。誰もが、一瞬あとに薪が燃え出すことを疑っても居ない。

「ウル・カーノ」

 ルイズが呪文とともに杖を振り下ろす。
 爆音のあと、ザザの目に飛び込んできたのは粉々に砕け散った教壇と、髪も服もすすだらけになったルイズ。黒板に叩きつけられて目を回している教師の姿だった。
 ザザは事態を飲み込めずにいた。他の生徒達も同じだろう。だが、ルイズが何回も『着火』を試み、その度に爆発が起こっていくのを見て、ようやく一つの結論に行き当たる。

 ルイズは、魔法が使えないのだ。

 昨日言っていたのはこのことだったのだろう。おそらく、ずっとつきあいが悪かったのは、魔法の練習をしていたからだ。
 他の生徒達も、その事実に気がついたのだろう。さっきまでの喧噪とは、違う種類のざわめきで教室が満たされる。
 爆発が起こるたび、ルイズにそれまで貼り付けられていた役割にヒビが入っていく。ぽろぽろ、ぽろぽろとヒビだらけになってもまだ。ルイズはその役割を捨てようとしない。あくまで、公爵家三女の優等生として振る舞おうとする。

 そして、新しいラベルがルイズに与えられる。ワインのボトルを張り替えるように。


 ゼロのルイズ。


 魔法成功率ゼロのルイズ。それが、ルイズに割り振られた新しいラベルだった。




[19871] 第八話「メッキの黄金、路傍の宝石」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/16 18:22
 魔法は、貴族と平民の間にある唯一絶対の差だ。

 少なくとも、このトリステインではそうだ。貴族はすべてメイジである。移民や貴族の庶子など、貴族ではないメイジも存在するが、その逆ーメイジではない貴族は存在しない。だが、お隣のゲルマニアでは貴族とは力あるものの代名詞だ。豪商が金で貴族の地位を買うことも珍しくはない。貴族という言葉の意味が違うのだと、ザザは思っていた。

 魔法は始祖から与えられた奇跡であり、貴族の証だ。魔法が上手ければ上手いほど、社会的にその人物は評価される。たとえば、ライン以上の認定を受けていれば国立法学院への推薦状がもらいやすくなったり、奨学金の査定がゆるくなったりする。司法の道にいくのに魔法は関係ないのだが、そういう慣習になってしまっているのだ。そんな常識の中で、「魔法が使えない貴族」というのは大きなハンディキャップだった。

 誰が言い出したかはもうわからないが、ルイズには「ゼロ」という二つ名がつけられた。魔法成功率「ゼロ」のルイズ。
 明らかな蔑称だ。さすがにそれを表だって言い回るような生徒は、ほとんどいなかった。ルイズは座学は完璧だし、公爵家の令嬢だ。その面子に正面から泥を塗るようなまねはなかなかできない。彼女が魔法が使えないことを哀れむことはあっても、嘲笑することははばかられていた。


「ルイズ様。どうしてうまくいかないのかしら。努力なさっているのに、お可哀想」

 クラウディアがこんなことをよく言っている。ザザもつい同じようなことを考えてしまう。傲慢で不遜なことかもしれないが、ルイズは「かわいそうな子」なのだ。

 だが、ルイズが毎日のように教室を吹き飛ばしていくと、だんだんとそんな空気に変化が起こってきた。ルイズのせいで授業が遅れることもあったし、やむを得ず一人だけ個別に指導されることもあった。
 そうしていくうちに、ルイズは哀れな魔法が使えない子ではなく、やっかいものの落ちこぼれと見られるようになっていった。

 風の授業のときだった。レビテーションの魔法を皆で練習していた。浮かぶだけの魔法であり、風の魔法が苦手な土メイジでも出来る芸当だ。皆が教室でふわふわと浮いていると、下から爆音が響いてきた。またか。空中で皆がそんな顔をして、下を見下ろす。すすだらけになったルイズがけほけほとせきをしている。

「なぁに? ゼロのルイズ。また失敗したのね。たかがレビテーションの魔法も使えないなんて、ヴァリエールももう落ち目ね。ほほほほ」

 キュルケがルイズを見下ろして言った。がれきの中でルイズは涙をいっぱいにためて、それでも泣くまいとこらえて上を睨みつけていた。
 キュルケがルイズをバカにするのは日常茶飯事だった。授業でルイズが失敗するたびに、声高にルイズをあざけ笑う。キュルケはもともとルイズと犬猿の仲であるが、彼女がゲルマニアの出身ということもあった。ゲルマニアは実力さえあればすべてを手に入れられる社会だ。メイジでないものでも、実力さえあれば官位を手に入れることができる。それは逆に言えば、力のないものは何をされても文句が言えないということだ。ゲルマニアの貴族であるキュルケにとって、魔法の使えないルイズなどは踏みつぶされて当然の存在なのだ。

 トライアングルメイジで、何かと目立つ存在である彼女がそうし続けることで、他の生徒にもその空気が伝染していった。
 ルイズ、というかお茶会の子たちと対立していた女の子たちが、キュルケの声に乗ってルイズをバカにするようになった。キュルケのように直接的ではなく、あくまでルイズの名誉を守ろうという姿勢で慇懃無礼な言葉を投げかける。それはある意味、キュルケの言葉の何倍もとげのある言葉だった。

 次は頭のゆるい男子たちだ。かれらは特に理由もなく、教室の空気に乗せられてルイズをバカにする。女子がやっているから、教室の空気がそうだから。そんなふうに誰かに責任を押しつけてルイズをバカにする。

 そんなことをする生徒を逆にしかりつける生徒もいた。男子の一部の、騎士を目指している少年たちだ。彼らの騎士道は、弱者をあざ笑うことを良しとしない。きまじめな彼らの言葉は常に正しいので、特に男子はすぐに黙った。だが、キュルケには騎士道の論理は通じないし、他の女子たちもまた「正しさ」とは別のところで動いている。そして彼らには悪気はないものの、レディとして守られるならともかく、「守るべき弱者」として扱われることはルイズにとって屈辱的なものだった。トリステイン貴族にとって「守るべき弱者」とは老人や子供、そして平民のことだ。

 ルイズは馬鹿にされながらも公爵家三女の優等生を演じ続けた。実技以外の授業では優秀な成績を収めて、討論会などでは誰よりも見事な論旨を展開してみせた。その様はまるで意地になっているようで、見ていて痛々しいほどだった。

 ルイズの「ゼロ」を突きつけられ、お茶会は対応を迫られた。自分たちが作ってきた城が一夜にして砂の城に変わったようなものだ。
 まず、新入りが半分ほどお茶会に来なくなった。公爵家という甘い蜜によってきた蟻たちだ。同じように他のグループにたかることで、おこぼれに預かろうとするのだろう。

 人数が少なくなったからか、権威派の女の子たちはおとなしくなった。というよりも、それどころではなくなったのだ。内部で派閥争いをしたり外部に威張り散らすよりもまず、自分たちの居場所を確保しなければならないのだ。
 皆はルイズを擁護することで固まった。ルイズをバカにする声には抗議をするし、お茶会でもルイズを励ましたり楽しい話題をなるべく作ろうとしている。いきなり手のひらを返すようなことがなくてよかったとザザは思ったが、それでも問題はあった。

 ルイズを守ろうとするのはいいのだが、それが過剰なのだ。男子がルイズを守ろうとするのは騎士道にならっているからだが、茶会の女の子たちがそうするのは保身のためだ。あくまで「注意」をする男子と違い、保身に走った女子は「攻撃」をしてしまう。それはルイズを侮蔑する子たちとの軋轢をさらに深いものにして、いっそう激しくルイズはバカにされるようになるのだ。
 ルイズはそんなことをしなくてもいいと何度も言うのだが、彼女たちはやめようとしなかった。お茶会はすでにルイズの意志とは別に動くようになっていた。

 以前、ザザはルイズのことを篭の鳥のようだと思った。周囲から笑顔を向けられるだけで、誰もかごの中には入ってこないという意味だったが、今は別の意味で籠の鳥だった。もはや、茶会はルイズという鳥を逃がさないための籠になっていた。籠の中でルイズがいくらさえずっても誰も気にしない。かわいらしい鳥が何か鳴いているとしか思わない。

 一日一日、ルイズと周囲の関係がどんどんと悪化していった。そんなときに、ザザはライン試験の合格を告げられた。努力が実ったうれしさはあった。ルイズは喜んでくれるだろうか。喜んでくれたらいいな。そんなことを思った。


 翌日、生徒全員が集まった講堂でザザは他の合格者とともに壇上にあがった。二年生は半数、三年生は全員が合格だった。フォルカも合格していた。もともと、学院を卒業する程度の学力があれば簡単に合格できるものだ。3年生ならば少し勉強すればとれる。さほど自慢するほどのものでもないのだが、1年生でひとり壇上にあがったザザは違う。全校生徒からザザは好奇の視線を受けた。
 ザザは最後に証書を受け取った。授与してくれた教師は、ザザが壇上から降りる前に彼女の肩に手をやって、無理矢理全校生徒のほうを向かせた。

「見ての通り、彼女は一年生にしてラインの国家試験に合格するという輝かしい結果をだした。風のメイジとして日々努力した結果である。諸君等もまた、彼女を見習って努力を怠らぬように」

 教師の言葉をきっかけに、講堂の中が拍手で満たされる。割れんんばかりの拍手がすべて自分に向けられているだと思うと、ザザはなんだか少しこわかった。
 ふと、拍手をする生徒の中にルイズの顔を見つけた。ルイズは久しぶりに、本当にうれしそうに笑って拍手をしてくれていた。それだけでも、頑張ったかいがあると思った。

「ザザさん、ラインだったんですね……」

 教室に戻ったあと、クラウディアが呆けたように言った。

「うん。最初に言いそびれちゃって、なんか言い出しにくくってね」
「もう。教えてくれればお祝いとかできましたのに」
「ごめんごめん」

 いつものように二人で談笑していると、そこに他の女子たちが何人か声をかけてきた。

「ベルマディさん。ご一緒していいかしら?」
「え? うん。構わないけど……」

 あまり話したことのない子達だった。中のひとりがラインで、来年は受けるつもりだから話を聞かせて欲しいということだった。他の授業でも、男子・上級生といろんな人から声をかけられた。
 授与式の日から少しずつ、ザザの周りには人が集まり始めた。一年生にしてライン資格を取る優等生。ソニアのいたずらのせいで監督生に目をかけられていると勘違いされているものあって、とたんにザザの周囲はにぎやかになっていった。

 急に話す人間が増えてザザはすこし疲れていた。そして、ザザをさらにげんなりさせることが最近出てきた。

「ザザさん。次の授業は何を受けるんですか?」
「……法学だよ」
「あ、じゃあ第二講堂ですよね。途中まで一緒にいきましょう」

 クラウディアは次に経営学の授業を受けるはずだ。ザザの向かう教室とはぜんぜん違う方向だ。前までは教室で分かれて別々に向かっていたはずだ。そのことを指摘しようかと少し思ったけど、悪いと思ってやめた。

「……そうだね」
「よかった。じゃあいきましょう」

 ここのところいつもこうだ。授業のときも、放課後も、クラウディアは必要以上にザザにくっついてくるようになった。ザザは正直いって少しうっとうしいのだが、むげに追い払うのも悪いので困っていた。

 クラウディアにとってはザザは数少ない友人のひとりだ。ザザも人付き合いは悪いわけではないが、勉強ばかりであまり友人を増やす機会はなかったので、まともに友人と呼べるのはルームメイトのクラウディアくらいかもしれなかった。部屋でも、授業でも一緒な二人。その片方が、急に学院の人気者になった。クラウディアはそれが自慢なのと、同時に不安もあるようだった。人気者になったザザが、自分と一緒にいてくれなくなるのではないかという不安だ。

 ある意味高嶺の花だったルイズよりも、手元にあったザザが実は宝石だったことのほうがクラウディアに独占欲を沸かせるようだった。それはクラウディアだけでなく、お茶会のみんなも同じだった。茶会のすみに転がっていた石ころが思わぬ宝石だったのだ。急に茶会のみんなはザザをちやほやと扱うようになった。

 ルイズという宝石が思ったよりも価値がなかったので、もう一つ新しいものを持っておこうということだ。そこまではっきりと意識はしていないだろう。女の子は無意識でそういうことを理解するからやっかいなのだ。


 ザザはかなり不機嫌だった。
 まず、午前の授業中にまたルイズを馬鹿にする男子が居た。実技の授業でもない座学でだ。失敗を笑うのならまだ分かるが、そうでもないときに馬鹿にするというのはどういう了見だろうか。

 そしてもう一件、ザザの神経を逆なですることが起ころうとしていた。ザザはテラスでお茶を楽しんでいた。クラウディアも授業でいなくて、久しぶりにひとりでゆっくりとしていたのだ。今のザザにとってひとりの時間は貴重なものだ。そこに声をかけてきた子たちがいた。

 それはどこぞの伯爵令嬢と、その取り巻きたちだった。一年生の女子の中ではかなり大きなグループである。家柄も美貌も勝てないルイズを目の上のたんこぶとしていて、ルイズが魔法を使えないとわかるや真っ先に嘲笑し始めた子たちだ。
 当然、ザザはあまりいい印象をもっていない。「何か用?」と、つんとした声を出してしまう。

「いえいえ。今日はね。貴女に良いお話を持ってきたのよ。とってもいいお話ですわ」
「だから何?」
「お茶会のお誘いですわ。今度の虚無の曜日に、あたくしたちのお茶会にいらっしゃらない? なかなか成績も優秀なようですし、あたくしのお茶会にきたほうがふさわしいと思いますわよ」
「……」

 つまり、ルイズの茶会を抜けて自分たちの仲間になれということだ。最近目立っているザザがそのようなことをすれば、お茶会には間違いなく勢いがなくなる。何より、ルイズがひどく傷つくだろう。
 悪意のない顔で上からものを言ってくる。ザザのような弱小貴族は、こういった時流に敏感だと思っているのだ。少しでも旗色が悪くなれば、主人を見限る不義理ものだと。

「どうです? よいお話だと思いますわよ」
「……ふふふ」

 ただでさえ色々あって苛ついているときに、この言いぐさ。思わず笑いがこみ上げるほど頭に血が上った。

「娼館にでもいっておねだりのしかたをきいてきな、あばずれども」

 スラングたっぷりの罵倒をぶつけてやる。平民の友達から習ったもので、意味は自分でもあんまり分かっていないのだけど。

「……は?」
「わからなかったかな? お嬢ちゃんたち。私の友達としてふさわしい品性を手に入れてから出直してきなさい」

 そこまで言ってようやく、自分たちが馬鹿にされていると気づいたようだった。顔をまっかにして怒鳴り散らし、テラスから出て行ってしまった。
 やりすぎたかな。ちょっとばかりそう思ったが、さっきの物言いは許せるものではなかった。あれだけ言ってもまだ言い足りない。そんな気持ちと一緒に、冷めたお茶を飲み干す。

「あはっ、ははは、あははははは!」

 近くで大声をあげて笑う声があった。振り返ると、長身の赤毛の少女が近づいてくるところだった。

「いや、ザザ。あなたなかなかやるわねぇ。あんなスラングどこで覚えたの?」
「友達に習ったんだよ。というか、ツェルプストー。君がルイズを馬鹿にするから私が色々腹が立つことが多いんだけど?」
「ツェルプストーの女にヴァリエールと争うなって言うのは無理ってものよ。それに、尻馬にのってやんちゃをするのは彼女たちが悪いんじゃない?」
「……まぁ、どっちがタチが悪いかというと君のほうがまだマシだろうね。それでも腹のたつことに代わりはないんだけど」
「でしょう? あーおもしろかった。あの子たちのあの顔!」
「はぁ……」

 キュルケのこの悪びれないところは一つの才能だった。ルイズに悪口を言っても、浮いた噂が多くても、本人がさばさばとしているので湿っぽい話にならないのだ。ザザがけっこうつっけんどんに話しているのに、それを気にする様子もない。毒気を抜かれてしまって溜息をついていると、キュルケはさっさと行ってしまった。自由奔放なものだ。あんな風に生きることが出来たら楽なんだろう。キュルケを見ているとザザはいつもそう思う。

「あ、ザザさん」

 そろそろ次の授業に行こうという頃になって、クラウディアの声が聞こえた。またか。少しうんざりした。ルームメイトとはいえ、四六時中つきまとわれるのは辞めて欲しかった。

「何? クラウディア……と、みんな」

 クラウディアは一人ではなかった。最近ザザによく声をかけてくる女の子たちと一緒だった。

「一緒だったんだ?」
「ええ、詩作の授業で一緒なんですよ」
「へ、へえ……」

 彼女たちは仲が良さそうに見えた。ちょっと前まで、クラウディアはザザに近づいてくる女の子たちに対抗心を燃やしていたのに、意外だった。むしろ、自分だけ仲間はずれにされたような疎外感を覚えてしまう。

(いらいらしてて、変に思い込んじゃったのかな……。それか、ちやほやされて自惚れてたのか)

 ザザは自分の思い上がりを恥じる。だが、ザザのそばにいることでクラウディアの交友関係が広がったのは事実だった。これまでお茶会の子としか一緒にいるところを見たことがなかったのに、少しずつ他の子たちとも仲良くしているのを見るようになっていった。ときには男子生徒とも話すようになり、ついからかいたくなってしまった。


 ザザは、自分に『力』があるのだと分かった。

 その『力』とは、周囲の人間を左右する力。ザザの周囲に集まり、ザザの行動に左右される人たちがいる。そういう『力』があるから、ザザを茶会から引き抜こうとする人も出てくるし、クラウディアの交友関係が広がったりする。
 ちいさなものだけど、確かな力だ。きっと、これがずっと大きくなっていけば『権力』という名前になるのだろう。魔法で砂粒を操るように、権力は人々を動かす。

 扱ったことのない力にザザは戸惑う。自分の一挙一動に注目している人がいる。自分がちょっと何かをしただけで、その人たちの行動が変わってしまう。それはとてもこわいことのように思えた。こんなものを扱えるルイズの方が、ラインなどよりずっとすごいのではないかと思った。人を動かすというのは、とても難しいことなのだ。魔法のような、ただそこにあるものを操るよりもずっと。

 今の自分なら、もしかするとルイズを助けになれるのではないだろうか。そんな考えが浮かんでくる。

 たとえば、ルイズのそばに自分がいればルイズを馬鹿にしにくくなるのではないだろうか。ルイズのもともと持っている影響力と、ザザの手に入れたちいさな影響力を合わせれば、少しはマシになるのではないだろうか。少なくとも、ザザに近寄ってくる生徒は声高にルイズを馬鹿にすることはないはずだ。
 しかし、同時に不安もあった。ルイズでも、『力』の使い方は完璧ではないのだ。茶会の女の子たちのように、扱いきれないときもある。良かれと思ってやったことが、裏目に出ることだってあるだろう。それを思うと、ザザは踏み切れないでいた。

 そんなときに、ソニアの言葉が頭に浮かんだ。

『出来ない者が出来ないのは無能の証明でしかありません。しかし、出来る者がやらないのは罪悪です』
『無能は罰ですが無為は罪です』

 力があるのにやらないのは、罪悪なのだ。
 力があるのならば、やらなければいけないのだ。
 魔法という力を持った以上、それを国のため民のために使うのが当然なように。そう、ザザは考えた。

 ザザはちょっとヒネた考え方をしているが、結局の所は田舎から出てきたばかりの一五歳の女の子だった。まだまだ世間知らずなところがあるし、基本的にお人好しだ。
 どのくらいかというと、性悪とわかりきっている監督生の言葉を信じてしまうほどに。




[19871] 第九話「砂塵の騎士・前編」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/30 10:37
 ザザ・ド・ベルマディは決闘をしたことがない。

 決闘とは、広義には名誉のために一対一で命を賭けて戦うことだ。貴族同士の決闘というと派手で耳目を集めるのでちょっとした見せ物のように人が集まる。それに比べるとあまり目立たないが、平民同士の決闘も行われる。貴族と平民の決闘というのもないことはないが、まともな貴族はまず行わない。魔法を使えない平民相手に決闘をするという時点ですでに名誉が傷ついているため本末転倒なのだ。魔法を使わないで剣だけで平民と決闘した事例もあるが、非常に希である。
 決闘といっても、命を賭けるなんてのは大昔の話。最近では命を奪い合うような決闘はめったになくなっている。どちらかに一撃入れたら勝負あり、というふうに勝利条件を明確にして行われる決闘がほとんどだ。

 ザザは決闘をするような事態になったことがないし、そもそもトリステインではちょっと前から決闘は禁止されている。決闘は今でも普通に行われているが、建前の上では禁止ということになっている。

 だが今、ザザは杖をもって決闘へと向かっていた。どこからか聞きつけたのかたくさんの生徒が見物にやってきている。
 周囲の歓声や応援は耳に入らない。ただ一心に相手を見つめる。その胸に宿しているのは、怒りだった。



 はじまりは小さな恋の芽生えだった。

 引っ込み思案なクラウディアにボーイフレンドが出来たのだ。
 ここ最近、夜に部屋でふたりになるとザザはいつもそのことでクラウディアをからかっていた。お風呂に入ったあと髪を乾かしながら、二人だけのパジャマパーティ。

「で、ですから。そういうのじゃありません! 彼とは仲の良いお友達です」
「だってよく一緒にいるじゃないか。前に二人でお茶飲んでたよね?」
「そ、それはその……」
「そういえば、その押し花の栞どうするの? 可愛いよね、使わないならくれる?」
「これは駄目です!」
「ふふ、やっぱり誰かにあげるんじゃないか。ラスペードにだろう?」

 お相手は同級生のニコラ・ド・ラスペード。家柄や成績はぱっとしないが、話してみると実直な印象を受ける少年だ。経営学の授業で知り合ったらしい。宝飾作りを勉強しているということで、似たような勉強をしているクラウディアとは話が合うらしい。最近のクラウディアは交友関係が広がったせいか、ちょっとだけものごとに積極的になっていた。

「からかわないでくださいよぅ、ザザさん」
「前に私もさんざんからかわれたからねー。これはお茶会でも話題にしないとね」
「やめてください! やめてください!」
「ふふん、どうしようかな」

 クラウディアは逃げようにも、ザザに髪を乾かしてもらっているところなので逃げられない。風と火のラインスペルで熱風を送りだして髪を乾かしている。ザザの髪は長くて時間がかかるので後回し。寝るときはザザは三つ編みをほどいている。

 ザザが言わなくても、そのうちお茶会の誰かがかぎつけるだろう。女の子は恋の噂に関しては訓練された狩猟犬以上の嗅覚をもっている。とくに最近はルイズのことでお茶会の雰囲気が暗いので、クラウディアの話は格好の餌食になるはずだ。それはザザも同じで、暗い話題を吹き飛ばそうとついついこうやってクラウディアをからかってしまう。

 ルイズの状況は一向によくならなかった。相変わらずルイズの魔法は成功しないし、それを馬鹿にする声もなくならない。ルイズもさすがに我慢がならなくなったのか、馬鹿にされると声を荒げて言い返してしまうこともあった。馬鹿な男の子はその様が面白いらしく、よりいっそうルイズをからかうのだ。

 そんな馬鹿に対抗するため、ザザはちいさな防衛線を張っている。ザザがルイズと仲良くするだけのちいさな作戦だ。まだ今はあまり効果が出ているとはいえない。地道な作戦なのだ。クラウディアの友達が増えたように、ルイズの味方が増えてくれるのではないかとザザは願っていた。

 クラウディアだけでなく、ザザ自身の交友関係もずいぶんと広がっていた。授業で班を組むときなどは男女問わずたくさんの誘いを受けるようになったし、上級生の知り合いも増えた。この前のような引き抜きの誘いではなく、純粋に交流を深めたいからとお茶会に誘われることもある。

 そして教師の中でもザザに声をかけてきた人がいた。

「ミス・ベルマディ。待ちたまえ」
「は、はい。なんでしょう。ミスタ・ギトー」

 ミスタ・ギトーは風の担当教師だった。風という属性に並々ならぬこだわりがあるようで、それがもとで偏見のある発言が多い。生徒にはちょっと不評な教師である。

「君はたしかにライン資格をとった。それはすばらしいことだ。だが、それに満足してはいけない。わかるかね?」
「……ええと、新しい目標を持て、ということですか?」
「その通りだ。さすがは風のメイジだ」
「ありがとうございます」
「だが、急に言われても中々できるものではないだろう。そこでだ、来年には私の風の講義を受講したまえ。君は勉学は出来てもまだ技量に欠けるところがあるだろう。最強の風にふさわしいメイジに鍛えてあげよう」
「か、考えておきます」
「うむ。それでは日々の努力を怠らぬように」

 そう言ってギトーは去っていった。生徒からの評判は悪いが、熱意の方向が間違っているだけで悪い人ではないのかもしれない。ちょっとだけザザはそう思った。

 他にも色んな人と会うようになったものの、それは良い出会いばかりではなかった。ザザが目立っていることを面白くないと思う者もいたのだ。
 その中でも、ド・ロレーヌという少年がしつこくザザにつきまとってきた。彼の家は代々有力な風のメイジを輩出している名門で、彼自身も風のラインメイジだった。同じ風のラインで、自分よりも目立っている者がいることがいることに我慢がならないのだ。

 ド。ロレーヌは再三ザザに試合を申し込んてきた。試合とはすなわち、決闘のことである。ザザはそんなことには興味がなかったし、わざわざ決闘に付き合って教師に怒られるのも嫌だったので適当に断っていた。

「ミス、一度で良いのだ。ぼくと杖を交えてはくれないか」
「何度も言っているだろう、ド・ロレーヌ。私はそういう、どっちが強いの弱いのには興味がないんだ」
「……たしかに君は資格者だ。だがメイジの実力を決めるのはそんな紙切れではないはずだ」

 ド・ロレーヌは以前にタバサに試合を申し込んでこてんぱんに負けたことがあった。ザザも直接見ていたわけではないが、手も足も出ないといった負け方をしたらしい。自分の強さをひけらかしたいなら、まず彼女に再戦を申し込めばいいだろうに。さすがにそう口に出すほどザザも馬鹿ではない。男子の中には、プライドが何よりも大事という子がたまにいるのだ。そんな男の子をなだめすかしてプライドを満足させるのも淑女の仕事だ。

「そうだね。私は別に騎士とか目指してるわけじゃないし。実家でもモンスターの駆除とかは兄なんかがやっていたから、きっと戦えば君の方が強いと思うよ。じゃあ」

 いつもそんな風にあしらっていた。だが、ド・ロレーヌは納得できないようでザザの顔を見るたびに試合をしろと騒ぐ。あくまで自分の方が優れているのだと主張したいのだ。

 もしザザが男子だったらここまでド・ロレーヌは固執しないだろう。タバサのときもそうだが、彼は“たかが女”が自分よりも目立っていることが腹立たしいのだ。ド・ロレーヌの態度からはそんな男権的な考えが透けて見える。ザザは別に女性の権利がどうこうと言うタイプではないが、こういう思い上がりの激しい男は大嫌いだった。

 男の子がそこまで強さにこだわるのが、ザザにはよく分からない。下の兄はザザがラインメイジになってから冷たくなった。自分がドットメイジで、年下の妹に劣っているのがくやしかったのだ。いつも、自分はドットだがお前よりもつよいとザザをいじめていた。
 ド・ロレーヌの言動はそんな兄のことを思い出させ、ザザをいっそう不愉快にさせるのだ。

 そんなときに、事件は起こった。


 事件が起きたとき、ザザはフォルカと食堂のバルコニーに居た。二人ともそれなりに目立つ存在なので、二人のテーブルには周囲から視線が否応なしに集まる。

「先輩、その。ちょっと聞きたいことが」

 ザザは三つ編みの先を手でいじる。落ち着かないときは髪を触ってしまうのがザザの癖だった。

「なんだい? 最近は色々目立っているみたいだし、ぼくに力になれることなら協力するよ」

 フォルカはさすがに目立つことに慣れているようで落ち着いたものだ。そわそわとしているザザを見て笑っている。

「……なんか、腹がたちます」
「そのうち慣れるさ。それで、話ってなんだい?」
「ええと、なんて言えばいいのか……」

 ザザは、目立つ人間としての振るまい方をフォルカに教えてもらうつもりだった。一応は高位貴族の嫡子であるフォルカならよく分かっているはずだ。ザザには想像もつかないが、帝王学といって高位貴族や王族はそういったことを小さな頃から学ぶらしい。

 なんと聞けばいいか迷っていると、バルコニーに急に影がさした。何事かと思い顔を上げる。日傘をさしたソニアがふわふわと降りてきていた。とん、と着地するとソニアはくるくると日傘を回す。どうやらあの日傘がソニアの杖らしい。

「……なにやってるんですかソニア先輩」
「こんにちは、お二人とも。お邪魔だったかしら?」
「おや、ミス。ザザと知り合いなのかい?」

 フォルカが立ち上がってソニアに空いている椅子を勧める。ソニアは日傘をたたみ、勧められた椅子に座る。フォルカの所作はさすがに高位貴族の嫡子だけあって堂に入ったものだが、ソニアのそれもとても優雅なものだった。ザザも一通りのマナーはしこまれているが、この二人やルイズとくらべると、荒削りもいいところだ。嫌っているソニアに負けているようで、ザザはちょっとくやしかった。

 ソニアはほとんどの生徒の前では模範的な監督生として振る舞っている。フォルカの前でもそれは同じようで、フォルカは淑女に対する礼儀をしっかりと守っていた。

「で、どうしたんです? ソニア先輩」

 フォルカの手前いつものけんか腰は押さえて話す。ソニアは近くに居た使用人に紅茶を頼む。出された紅茶をゆっくりと飲んでから、ようやく話を始めた。

「いえ、ちょっとヴェストリの広場で騒ぎが起こっていたので、ザザさんの耳に入れておこうかと」
「騒ぎ? 何なんですか?」

 いい予感はしない。この人が楽しそうにしているときは、たいていろくでもないことが起こっているのだ。

「ええ、実は―」

 ソニアの口から事件のあらましが語られる。話が半分も終わらないうちに、ザザは杖をとってバルコニーから飛び出していった。



 その少し前。

 クラウディアはボーイフレンドのニコラ・ド・ラスペードと一緒にテラスにいた。テーブルに色彩学の本を広げてふたりで話し合っている。服と宝飾という近しいものを学んでいるので話はいやおうなしに盛り上がっていた。
 そのテーブルにひとりの男子生徒が近づいてきた。ザザにしつこくつきまとっているド・ロレーヌである。

「おや、今日はミス・ベルマディは一緒じゃあないのか。どこにいるんだい?」

 この時間はよくクラウディアと一緒にいる。それを覚えるくらいには彼はザザを追い回していた。

「知りませんわ。ねえ、ド・ロレーヌ。いい加減にあきらめてはどう? ザザさんも迷惑していましてよ」
「うるさいな。君には関係ないだろう」
「関係ありますわ、ザザさんはわたしのお友達です」

 部屋でザザが愚痴をこぼしているのをいつも聞いていたので、クラウディアは強く言った。以前のクラウディアならこんなことは言えなかっただろう。最近少し社交的になり、男子生徒とも話すようになったからこそ言えたことだ。だが今回ばかりはそれがいけなかった。

「ふん。成り上がりの分際でえらそうに。君ごときがぼくにものを言える立場だとでも思っているのかね」
「え……」

 突然投げかけられた侮蔑に、クラウディアは言葉を失ってしまう。
 クラウディアのロネ家はここ数十年で財を成した家だ。それまではザザの家と大差ない弱小貴族のひとつだったのが、クラウディアの祖母の成功によって躍進したのだ。今ではトリステインはおろか他国にまで名の通った家になった。だがトリステインの貴族には数百年、ともすれば千年続く名門が揃っている。そういう古くからの家柄の貴族には、つい最近成り上がって来た家を軽く見る傾向があった。それでも、家柄と個人の評価を混同するのは大人の貴族のおこないではない。家の名声が自分自身のものと勘違いするのも、成り上がりの家だと相手を侮るのも、余裕のない子供のやることだ。

「ド・ロレーヌ! 彼女に謝れ。無礼ではないか!」

 ニコラが立ち上がって詰め寄る。

「なんだい、ニコラ。成り上がりに成り上がりと言ってなにが悪い」
「レディに対する態度ではないだろう」
「あぁ、君は宝石いじりが趣味だったね? 成り上がりに取り入って商売でもはじめるのかい?」

 酷薄な笑みを浮かべて言い捨てる。あまりの言いように、クラウディアはうつむいてぶるぶると震えだす。それを見て、ニコラは杖を取り出しド・ロレーヌへと突きつけた。

「決闘だ! 彼女の名誉を賭けて君に決闘を申し込む」

 激したニコラの言葉にも、ド・ロレーヌは笑みを消さなかった。

「おいおいニコラ。宝石いじりしか能のないドットの君が、ラインのぼくに勝てるとでも思っているのかい?」
「レディの涙のために戦うのはトリステイン貴族の義務だ、勝ち目があるかどうかは関係ない。それに、君だってか弱いレディをいじめるしか能がないのに、トライアングルに挑んだのだろう?」

 タバサにこてんぱんに負けたときのことを言われ、ド・ロレーヌの顔がかっと赤くなる。他人にはどれだけ言いつくろえても、自分の中の恥の記憶は消せるものではない。

「いいだろう。そこまで言うのなら受けてたとうではないか」

 
 当然ながら、二人の闘いは一方的なものになった。
 ニコラは土のドット。宝石や貴金属を彫金する技術には優れているが、攻撃魔法などは手習い程度にしか覚えていない。かたやド・ロレーヌは風のラインで、それなりに戦闘訓練も受けているメイジだ。メイジとして積んできたキャリアが違い過ぎる。

 ニコラは作業用につかっているゴーレムを二体造りだして戦った。力と頑健さはそれなりにあるが、速度がまったくない。戦うには遅すぎる。そもそも速度を重視した設計をしていないし、ニコラ自身もそんな動かし方をしたことがない。

 なぶるようにゴーレムは少しずつ切り裂かれていく。子供が虫の足をちぎって遊ぶようにばらばらにされ、ただの土くれに還る。ニコラは懸命にゴーレムを操り、ド・ロレーヌをとらえようとするが、鈍重なゴーレムに身軽な風のメイジは捕まえられない。慣れないゴーレムの使い方をしているせいか、刻々とニコラの精神力が削られているようだった。逆に、ド・ロレーヌは猫の子をあやすようにゴーレムをやすやすとあしらっている。

「どうした。どうしたニコラ! 大口を叩いた割りにまったく歯ごたえがないじゃないか」
「ま、まだだ!」

 二体のゴーレムを破壊されたニコラは、さらにゴーレムを造りだした。精神力の限界がきているのか、ニコラは脂汗を流しふらふらになっている。しかも、造りだしたゴーレムは棒立ちで動く気配すらない。

「ははははは! なんだいこれは? なけなしの精神力をしぼってこんなものを造っちゃ話にならないだろう」

 ド・ロレーヌは強力な攻撃呪文を用いて、ゴーレムをまっぷたつにしてみせる。ゴーレムの砕け散る轟音がヴェストリの広場に響き渡る。

「さて、あとは杖を飛ばしておしまいだ。練習台にもならなかったな」

 勝ち誇ったように言って、ニコラへと近づこうとする。だが、その足は地面から生えた土の腕によってがっしりと捕まれていた。

「こ、この!」

 ニコラが造りだしたゴーレムは錬金でそうみせかけただけの張りぼてだったのだ。それにド・ロレーヌが気をとられている間に、アース・ハンドの呪文を唱えて足元を拘束した。これでもう逃げることは出来ない。

 ニコラが最後の力を振り絞って杖を振りかざす。同時に、ド・ロレーヌも杖を向けた。呪文とともに土石の弾と風の刃が交錯する。

「う、あっ……」

 肩から血を流して杖を取り落としたのは、ニコラだった。精神力も尽き果てたのかその場に崩れ落ちる。

「ニコラ!」

 見ていたクラウディアが駆け寄る。すぐに肩の傷に治癒呪文をかけはじめた。
 ド・ロレーヌは肩で息をしながら足下を見た。アース・ハンドで生み出された土の腕はすでにただの土くれに戻っていた。苛立たしげに、それを何度も足で踏みつける。

「まったく。こんなこそくな手を使うなんて。恥を知らない者はこれだから困る」

 その言葉に、クラウディアがきっと顔を上げた。

「恥知らずはあなたです!」

 火が噴き出したような剣幕に、ド・ロレーヌは一瞬たじろぐ。だが、すぐに尊大な顔をとりもどした。

「いいかげんにしたまえ。そもそも君が立場もわきまえないことを言うからいけないのだろう。反省したまえ」
「……!」

 刃向かおうにも、クラウディアではド・ロレーヌに一矢報いることもできないし、それにニコラの治療をしなければならない。クラウディアに出来るのは怒りに耐えて相手をにらみつけることだけだった。
 ここで泣くのは、クラウディアの誇りが許さなかった。理不尽に対して泣きわめくのは貴族のおこないではない。テーブルの下で焼けた棒を押しつけられても笑顔で会話を続けるのが貴族というものだ。

「……それじゃあ、失礼しますわね。ド・ロレーヌ。ごきげんよう」

 怒りをこらえてそう言う。早くこの場を去ろう。ニコラを運ぼうと呪文を唱えようとしたとき、一陣の風が吹いた。
 渇いた風とともに、クラウディアの前にひとりの少女が舞い降りる。

「ド・ロレーヌ。君がここまで馬鹿だとは思わなかった。誇りのなんたるかを知らないとは思わなかった。
 ド・ロレーヌ。君は最低の風だよ、ド・ロレーヌ。腐臭の混ざった吐き気のする風だ、ド・ロレーヌ」

 手には大きな木の杖。暗い青色の三つ編みが背中で揺れている。少女の纏う風にはさらさらとわずかに砂が混じっていた。

「私は、友だちの誇りのために杖をとろう。彼女のために戦った騎士に代わって杖をとろう。
 ド・ロレーヌ、君は自分の強さなんてちっぽけなもののために戦うがいいさ」
 
 少女―ザザは、怒りを背負って杖を突きつけた。



[19871] 第十話「砂塵の騎士・後編」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/23 10:44
 戦うことは貴族の義務であり権利だ。モンスターや盗賊などの危難から、財産である領地・領民を守らなければならない。

 ザザも実家ではその手伝いをやっていた。モンスターの間引きや駆除、盗賊の捕縛などだ。ザザは女性で子供なので、ラインになっても前線には出させてもらえなかった。やっていたことと言えば、遠くから砂塵をぶつけて動きを封じることだ。これはモンスター・人間問わず非常に有効で、ザザが手伝うようになってからはけが人が大幅に減ったし、盗賊も殺さずにとらえることが出来るようになった。兄にはねたまれたが、両親は褒めてくれたし近隣の貴族にも賞賛された。それがうれしくて、ザザはがんばって砂塵の扱いを練習した。才能があったのか努力の結果なのか、今では数十メイル先の目標に砂塵をぶつけることもできるようになっている。

 しかし、ザザはメイジ同士の戦闘というものを経験したことがない。盗賊にメイジが混ざっているのはよくあることだったが、それらの相手はザザの役目ではなかった。
 状況に応じて唱える呪文を選ぶ判断力、呪文を早く唱えるこつ、攻撃をよける動きなど、知らないことだらけだ。そしてなにより、魔法という力が自分に向けて敵意をもって放たれるということに、ザザは慣れていない。
 それに比べ、ド・ロレーヌはそこそこ戦いの空気になれている。同じラインといえどそれは大きな違いだった。

 
 エア・ハンマーが降りおろされる。飛び跳ねるようにザザはそれをかわす。なにか呪文をとなえないと、そう考えている間にまた攻撃が来る。
 決闘が始まってから、ザザは押されっぱなしだった。ド・ロレーヌは距離をつめて細かい攻撃をたくさん出してくる。まるで、距離を取るのをいやがっているように執拗に接近戦を挑んできた。
 ザザには魔法戦のノウハウが全くない。とくに接近戦となるとお手上げだ。ザザは体力のある方だが、激しい緊張の中で動き続けてあっという間に息が上がってきた。息が上がれば呪文が唱えににくくなって、いっそう不利になってしまう。

(距離を取らないと)

 ザザは自然とその結論に行き着いた。接近戦では勝ち目がない。ザザの勝機は距離をとらないとありえない。

「やあっ!」

 そう判断したから、あえてザザは思い切って接近戦を挑んだ。
 隙を見つけてエア・ハンマーを唱え、攻撃をもらう覚悟でド・ロレーヌにぶつかっていく。ずっと逃げに徹してきたザザの突然の変化に、ド・ロレーヌは驚いた。ザザはエア・ハンマーがかわされても、二発・三発と追撃を続ける。やがてド・ロレーヌはたまらずに距離をとった。

「突然どうしたのかね。勝ち目がないとさとって玉砕覚悟ということかな」

 ド・ロレーヌの尊大な声。ザザは、ここが正念場だとむりやり呼吸を整えた。

「いいや。あいにくと決闘なんて野蛮なものには私は縁がなかったものでね。君をお手本にしてようやくこつがわかってきたところさ」

 声を落ち着かせ、挑発するような言葉を選んだ。このはったりが通用しなければザザの負けだ。

「さ、再開しようじゃないか。さっさと終わらせないと先生や寮監がきてしまう。怒られて引き分けなんていやだろう? 坊や」

 分かりやすい挑発。これに乗るような馬鹿ではないと信じてあえてザザは強いことばを選んだ。

(頼むぞ・・)

 ザザが祈りながら杖を構えていると、ド・ロレーヌは距離をとったまま呪文を唱え始めた。

(やった! 信じていたぞ、ド・ロレーヌ!)

 ザザのあからさまな挑発を警戒してか、ド・ロレーヌは距離を変えた。接近戦から距離をとっての呪文の撃ち合いを挑んできた。
 風のメイジ同士が距離をとって戦えば、自然と風の読み合いになる。相手の風を読んで何をしようとしているのかを判断し、その対策を打ちながら次の攻撃を考える。ある種チェスのような攻防がそこにはある。
 ド・ロレーヌが放った突風を風の壁を作って受け流す。すかさず呪文を唱えて反撃をする。ド・ロレーヌも同じように風を防ぐ。次、またその次と攻防が続いていく。さっきまでの押されっぱなしだった状況とは全く違った。ちゃんと『戦い』になっている。
 考えていたとおり、この距離ならば戦える。風の読み合いならば負けていない。

 だが、呪文を唱える早さや防御から攻撃に移る手際など、技術ではまだ向こうに分がある。チェスで例えるなら、ザザは相手と比べて手駒が少ないのだ。ザザはどうしても後手後手にまわってしまい、ザザがどんな呪文を唱えようともド・ロレーヌはそれを未然に防ぐことができてしまう。戦えるというだけで、勝てるわけではない。さっきよりも負けるまでの時間が長くなっただけだ。

 この距離でも、まだ近い。
 呪文を唱えながら、ザザは頭を働かせる。風を読み、空気を感じる。相手の防御をかいくぐって、自分の呪文をぶつける方法を考える。
 やがて、一つの作戦が頭に浮かんた。イチかバチかの苦肉の策だが、ザザが考える限り勝ち目はこれしかない。
 ザザはすぐに思いついた策を実行に移す。相手の攻撃の合間をついて、少しずつ距離をとっていった。攻撃を避ける動きに混ぜて気づかれないように一歩ずつ下がっていく。しかし、風を感じるメイジがそれに気づかないはずはない。すぐにド・ロレーヌはにやりと笑みを浮かべた。

(気づかれたか)

 作戦が失敗したと思ったザザだったが、ド・ロレーヌは近づいてくることはなかった。代わりに、それまでよりも強く荒い呪文がやってきた。
 ザザは、すぐに相手の意図に気づいた。逃げ腰になっていると思っているのだ。逃げる獲物をいたぶっているつもりなのだろう。腹立たしいが都合はいい、ザザはどんどんと距離を離していった。
 だが一五メイルほど離れたところで、ド・ロレーヌが足早に距離を詰めてきた。それまではほとんど動かないで呪文を放っていたのが、攻撃の手をゆるめて距離を詰めたのだ。訝しげに思って、ザザはなんどか確かめてみる。やはり、ザザが一五メイル以上はなれると相手も距離を詰めてくる。
 一五メイル。それがド・ロレーヌが自らの射程だと考えている距離なのだ。呪文の威力が維持できる距離なのか、命中精度の問題なのかはわからないが、彼がそう決めている距離があるのだろう。

 ザザはそう確信した瞬間、フライを唱えて全力で距離をとっていた。
 一対一の決闘において、フライやレビテーションはかなり使いどころが難しい魔法だ。飛行中はほかの呪文が唱えられず、まったくの無防備になってしまうからだ。
 だがザザはそれをやった。ド・ロレーヌにはこの距離に届く呪文はないと判断したのだ。その判断が間違っていればザザは打ち落とされておしまいだ。しかし、ド・ロレーヌはすぐにフライを唱えて追ってきた。
 それを確認すると、ザザは空中でフライを止めた。低空でとはいえ、かなりの速度で飛んでいた状態で魔法の制御をなくしたのだ。衝撃と激痛を覚悟して、両足と杖で地面をすべるように着地。両足の痛みに耐えながら、ザザは得意の呪文を唱えた。

「サンド・ストーム!」

 フライでザザを追っていたド・ロレーヌは、ザザが強引な着地をして呪文を使ってきたことに気づいた。それも見たことのない呪文だ。防ぐにはザザと同じように空中でフライを止めるしかない。だが、着地に伴うだろう痛みに一瞬判断が遅れる。その一瞬が、勝負の分かれ目だった。
 ド・ロレーヌがフライを切って防御をするより一瞬早く、ザザの砂塵がド・ロレーヌをおそった。風と土のラインスペルに驚く暇もなく、まずは目がつぶされた。たまらずに防御呪文を唱えようとすると、大量の砂が口の中へ侵入してきた。もはや呪文を唱えることも、着地をすることもできず、フライの速度のままでド・ロレーヌは地面へとたたきつけられる。
 ザザのサンド・ストームは直撃すれば目や耳、鼻など感覚をほとんどダメにしてしまう悪質な呪文だが、風の威力としてはたいしたものではない。ラインクラスでなくとも、ドットの風メイジにも簡単に防がれてしまうだろう。だから、ザザは防御呪文が使えない状況を無理矢理作り出したのだ。
 砂まみれで地面をころがっていくド・ロレーヌをザザは固唾を呑んで見つめていた。これで立ち上がられたらザザはもう何もできない。だがしばらく見ていても、ド・ロレーヌは苦しそうに唸っているだけだった。

「はっ、は、はぁ……」

 ザザはそれを確認して安堵の声を漏らした。着地のときに痛めたのか左足に激痛があることに気づく。杖で体を支えながら、ザザは大きい杖を作ってよかったとちょっと思った。

 わっ、と見ていた生徒達から歓声が起こる。そしてタイミングを計っていたように、日傘を差したソニアが舞い降りてきた。

「はい、そこまで」

 学則違反の決闘の場に監督生が現れたことで、観客達の空気に緊張がはしった。さっさとこの場から退散しようとしている生徒もいる。
「医療専攻の生徒は集合、逃げた子はあとで怖いですよぅ」
 ソニアがてきぱきと生徒たちを指揮して、ニコラとド・ロレーヌに応急措置をさせて医務室へと運ばせる。クラウディアが運ばれて行くニコラとザザを見比べておろおろとしていたので、ザザは笑って手を振った。クラウディアはザザのもとに駆け寄って、一言「ありがとう」と言うとニコラについて行った。
 残されたザザに、ソニアがにこにこと話しかける。

「さて、あなたもまずは医務室行きです。足、大丈夫? あたしが運んであげましょうか?」
「……けっこうです。自分で飛べます。杖もありますし」

 レビテーションを唱える。痛みで少しふらつくが、しばらくなら問題無く飛べる。ソニアもそれについて飛んでくる。

「先輩。いつから見てたんですか? 怪我人が出る前に止めてくれれば良かったのに」
「あたしも使い魔の目でたまたま見ただけですからね。教師や寮監に報告しようとしていたところに、たまたま貴女の顔をみつけたもので教えたのです。あたしがここに来たときにはもうあなたが戦っていましたから。止めるのも悪いと思いまして」
「……そうですか」
「疑っていますね? あたしがわざと報告を遅らせたと。わざとけが人を出させて騒ぎをあおったと思っていますね? 悪辣な女だと」
「い、いえ。そこまでは。……ちょっと、誰かに責任転嫁したかったのかもしれません。私がもう少しちゃんとしていれば、誰も怪我をしなかった」

 ド・ロレーヌを適当にあしらわないでちゃんと話していれば、ニコラは怪我をしなかったし、クラウディアも怖い思いをしなくてすんだ。いわば、彼らはザザのとばっちりで怖い目にあったのだ。

「ふふ、そうですね。貴女の良いところはそういう善良でまっすぐなところです」
「自分ではそれなりにヒネた性格だと思ってるんですけど」
「あなたくらいのヒネかたは誰でもしますよ。自分が特別だと思うのは誰にでもあることです」
「……まあ、先輩と比べればまっすぐに育っていると思います」
「あら、あたしは今日までこれ以上ないくらいにまっすぐに生きてきたつもりですよ?」

 痛みや後悔などでごちゃごちゃになっている頭を紛らわすには、ソニアの軽口でもありがたかった。


 決闘を行った三人はもれなく謹慎処分となった。
 怪我の具合が一番ひどかったのはザザだ。ニコラは怪我というよりも慣れない魔法を使いすぎた疲労で気を失っていた。肩の怪我もさほどひどいものではなく、薬を使うまでもなくすぐに治るそうだ。ド・ロレーヌは一見派手に転がっていたが、怪我らしい怪我は打ち身くらいだった。
 ザザは着地のときに痛めた足が思いのほか重傷だった。筋を痛めているので魔法が効きづらく、自然治癒に任せるしかないそうだ。どのみち一週間の謹慎なのでちょうどいいと言えばちょうどいい。
 医務室で治療が終わった後、ザザはこっぴどく叱られた。ザザは立てないのでベッドに腰掛けたままだ。がみがみとがなり立てる寮監の話を聞いていた。ようやくひとここち着いたところで、ぽつりとつぶやいた。

「私の、せいだと思って。だから、仇をとらなきゃって頭に血が上ってしまって」

 その言葉を聞いて寮監は語気をゆるめる。

「事情は聞いています。たしかに責任の一端はあなたにあるかもしれません。しかし、あなたはまだ学生なのですから、責任の取り方も分相応でいいのです。なにもかも背負い込むことはありません。おわかりですか? ベルマディさん」

 ザザという小さな器に、急激に大量の水が注ぎ込まれた。それは『権利』という名の水だ。小さな器から水はたやすくあふれ、周りを汚した。それを拭きとるのはザザの役目だ。

「で、でも……」
「あなたはまだ未熟なのです。だから学院にいるのです。わたし達が貴女たちに教えるのは魔法や勉強だけではありません。学院は、貴族が貴族らしく振る舞えるようになるための巣箱なのです」
「私はどうすれば良かったんですか? 友だちを侮辱されて、黙っているなんて出来ません」
「貴女が男性ならばそれもいいでしょう。……いえ、校則違反は感心しませんが。ですが、貴女は淑女なのです。この先それでは苦労しますよ」
「女には、戦う権利がないんですか?」
「そこまでは言っていません。淑女には淑女の戦い方があるということです」

 トリステインでは、戦うのは男の仕事である。最近では女性のメイジもモンスターや盗賊の討伐をするようになっているが、女性に戦わせるのは恥だと考える風習が未だに根強くあった。たとえば、王軍最精鋭である近衛騎士団には女性は入れない決まりになっている。魔法学院でも、昔は攻撃魔法の授業は男子だけの科目で女子は選択できなかった。
 今日のように女性が名誉を傷つけられた場合でも、女性が決闘をするのは普通ではない。女性が決闘をするときは代理人を立てるのが普通だ。クラウディアを守ろうとしたニコラのように。

「たとえば、クラウディアみたいな?」
「そうですね。彼女はよく我慢しました。ルームメイトなのですから、あなたも見習いなさい」
「彼女は尊敬できる友だちです。……でも、やっぱり私は杖をとってしまうかもしれません。友だちが侮辱されたりしたら」
「……そういう言葉は貴女よりもド・ロレーヌから聞きたいものですね」

 男性が女性よりも強いから戦う権利があるのではない。女性を守らなければならないから、強くあらねばならないのだ。ド・ロレーヌはそこをはき違えている。

「あ、彼。大丈夫でしたか?」
「ちょっとした脳震盪と打ち身だけです。貴女のほうがよほど重傷ですよ」
「よかった」
「ベルマディさん。彼のような考えは極端にしても、女性が戦うのに良い顔をしない殿方はたくさんいますよ。戦うなとは言いません。あなたはまず、男性を立てる心構えを身につけなさい」
「は、はい……」

 また説教がはじまりそうな気配だ。ザザは身をすくめてそれに備えた。
 しかし、説教が再開されることはなかった。始まる前に医務室のドアが開いて、ぞろぞろと入ってきた子達がいたのだ。彼女たちは茶会の仲間達だった。

「なんですか、貴女たち。入ってこないように言ってあったでしょう!」
「ザザさんを怒らないであげてください」

 みんなは口々にザザをかばった。その中にはクラウディアの姿もあった。

「ザザさんは、クラウディアさんの名誉を守ってくれたんです。それで怒られるのはおかしいです」
「貴女たち、今はそういう話を――」

 寮監とみんなが言い合っているのを見て、ザザはふと、目頭が熱くなるのを感じた。
 彼女たちはいま、ザザの戦いを肯定するために抗議をしてくれている。自分のやったことに名誉があったのだと言ってくれている。ザザのために傷ついたクラウディアが、ザザのために何かをしてくれている。それがたまらなく嬉しかった。
 嬉しいのと同時に、ザザは自分がなさけなくなった。ザザは、お茶会の皆のことをどこか一歩引いてみていた。見下していたと言っても良い。その彼女たちが、こうしてザザを助けてくれる。ずっと居心地が悪いと思っていたお茶会も、いつのまにかザザの居場所になっていたのだ。
 急に涙を流し出したザザを見て、皆がうろたえた。

「ど、どうしたんですか? ザザさん。足が痛むんですか?」
「違う、違うんだ。違うんだよ、みんな。そうじゃない。なんていうか」
「なんです?」

 ごめん、と言おうとして、ザザは思い直し、言い直す。

「ありがとう」

 ザザの涙は少女の涙であり、騎士の涙だった。友だちに認められた喜びと、名誉のために戦えた喜び。ザザは自分でもよく分かっていないが、全く質の違う二つの喜びを手に入れていた。
 寮監は深く溜息をつくと、手を二・三度叩いた。

「いいでしょう。今日のところはこれくらいしておきましょうか。ベルマディさん?」
「は、はい」
「さっき言ったことをよく考えてから反省文を書くように。わかりましたね?」
「わかりました」
「よろしい。ではお説教はここまで。お大事ね」

 寮監はそう言うと医務室から出て行った。
 ザザはそのあと、みんなとたくさん話をした。お茶とお菓子はないけれど、医務室で開かれたちいさなお茶会だった。クラウディアにお礼を言われたり、みんなに代わる代わる話しかけられた。最初にきたときは端役でしかなかったザザが、今日は主役だった。このちいさなお茶会が、ザザが努力で手に入れた自分の居場所だった。

 ただ、ルイズだけはその場にこなかった。ザザはそれが少し気になったが、ルイズとお茶会のみんなをどこかで分けて考えていたので、深くは考えなかった。



[19871] 第十一話「にせもの王子と壁の花」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/27 09:12
 学院中にそわそわと浮かれた空気が満ちていた。
 前期の試験も終わり、もうすぐ夏期休暇に入る。長い休暇の間に何をするか、今からみんな楽しみでしかたがないのだ。

 だが、生徒達が落ち着かないのはそれだけが理由ではなかった。夏期休暇に入る前に学院主催の舞踏会が開かれる。生徒達の頭の中はこのことでいっぱいなのだ。女の子たちは意中の男子に誘われないかと気が気ではないし、男の子はどうやって女の子を誘おうかと悩んでいる。誰が誰をさそった。あの子は誰と踊ることになっている。誰は女子に誘いを断られた。などなど、学院の中はそんなうわさ話で持ちきりだった。

 学院で催される舞踏会は学校行事の一環である。宮廷での作法やダンスのマナーなどを学ぶための場だ。当然生徒は全員参加であり、特別な理由が無い限り欠席はできない。ここで困るのが、パートナーが決まらなかった男子だ。女子はパートナーが居なくても変に思われないが、男子はそうはいかない。貴族の子息が舞踏会に連れて行く相手ひとりいないというのは、とてもみっともないことなのだ。なので、女子よりも男子のほうがパートナー探しにはやっきになっている。

 ここで言うパートナーとは最初のはじまりの曲でエスコートする相手のことである。付き合っている相手がいればもちろん誘うが、パートナーになったからと言って即おつきあいというワケではない。言わばスポーツのパートナーに近いのだが、やっぱりそこは普段からの人気というものが出る。体裁を整えるためにパートナーのいない女子を誘っても、普段からマナーが守れていなかったりする男子はかるく断られてしまう。誘われる女子にも同じことが言えるので、パートナー探しは学内の人気がろこつに表れるのだ。人気のある生徒は女子も男子も最初から最後の曲まで予約でいっぱいだ。

 キュルケなどはもう予定が詰まっているように思えるが、彼女だけは別格だ。キュルケは小さなつぼみたちの中に混じった大輪の花である。舞踏会のたびに妖艶な香りをふりまいては男子たちを寄せ集め、気まぐれにお菓子をつまむようにダンスの相手を決めるのだ。当然、女の子たちからものすごい反感を買っているが、今更そんなことを気にするキュルケではない。今回もきっと豪奢なドレスに身を包んで会場の視線を釘付けにするだろう。

 そんな空気の中でザザは気楽なものだった。エスコートはフォルカに頼むことがもう決まっているからだ。といっても、ザザはダンスがそんなに上手くないし、好きでもない。最初と最後のダンス以外ではダンスは遠慮するつもりだった。踊るのは好きではないが、ダンスを見ているのはザザは好きだった。女子にはダンスを誘われても断る権利があるので、やりたくないダンスはしなくてもいい。男女差別万歳である。というかド・ロレーヌの一件以来、男子のほとんどはザザを恐れて近づいてこないのでまず誘われることはないだろう。逆に女子には変に慕われるようになってしまっていた。

 それにフォルカと踊りたい女子はたくさんいるので、ずっとザザが一緒ではまた不興を買ってしまう。舞踏会は社交の場でもあるのだから、パートナー以外とダンスを踊るのも普通のことなのだ。


 なので、ザザを悩ませている問題はほかにあった。

 ルイズのことだ。ルイズはこれまで一度もパートナーを選んだことがない。ルイズには婚約者がいるという話だし、それは普通のことだ。だが、舞踏会当日が問題だった。誰もルイズを踊りに誘わないのだ。ルイズはずっとお茶会のみんなと料理とおしゃべりを楽しんでいるだけで、ダンスにほとんど誘ってもらえない。お茶会のみんなはそれぞれ恋人がいたりダンスに誘われたりするので、次々と踊りに行ってしまう。ひとりぼっちで残されたルイズはまさに壁の花だった。

 壁の花。ダンスに誘われず壁際にたたずんでいる女性を皮肉った言葉だ。容姿がよくない女性のことを言うことが多い。舞踏会の前後になるとルイズをそう皮肉る声が聞こえてくる。お茶会では、そんなルイズに気を使って舞踏会の話題が出しにくかった。そういう空気がルイズには居心地が悪そうなのは分かる。かといって自分たちだけ楽しそうな話題で盛り上がるのも気が引けてしまい、ザザもクラウディアも困っていた。

 ザザがあまりダンスを踊らないつもりなのは、そんなルイズに寂しい思いをさせたくないからもあった。おしゃべりと料理を楽しみながらダンスを見ているのも、立派な舞踏会の楽しみ方だ。でも、せっかくの舞踏会なのだからルイズも誰かと踊って楽しんでほしい。そう思って、ザザはフォルカに相談していた。

「というわけなんですけど。どうしたものでしょう。いっそ先輩が踊ってくれません?」
「ぼくが誘うのも露骨な感じがするよ、彼女とはまるで接点がないし」
「ですよねぇ……」
「ザザ。君はなんで彼女が誘われないか分かっているかい?」
「それは、その……やっぱり魔法がヘタだからじゃないですか?」
「まぁ、そういう理由のやつもいるだろうけどね。もうひとつ大きな理由があるんだ。分かるかい?」
「……なんです?」
「たとえばさ。君は自分より背の低い男子と踊りたいと思うかい?」
「身長ですか? ……私と本当に踊りたいって人ならいいですけど、そうじゃないなら遠慮したいですね。よけいでっかく見えるし、踊りにくいし。男子だって自分よりでっかい女の子とは踊りたくないでしょう」

 ダンスは基本的に、男性よりも女性が小柄なことが前提にステップが作られている。工夫すれば逆の身長差でも踊れないことはないが、優雅さには欠けるものになってしまう。男性の方が高くても身長差がありすぎるとまたよくない。要は、身長が釣り合う相手と踊るのが普通なのだ。その定石を無視してまで踊っていると、それなりの関係なのだろうと勘ぐられてしまうこともある。

「それと同じだよ。家柄にも釣り合いってものがある」
「え、でも……」
「ちょっとやそっとの差なら気にしなくてもいいさ。でも、公爵家って家柄はそうじゃないだろう? 家柄も身長と同じなんだよ。もって生まれたもので、自分では選ぶことができない。それに振り回されないようにみんな力をつけるんだ」

 公爵家という家柄は、そんじゃそこらの男子が何となくダンスに誘える家柄ではない。家柄が釣り合うような男子はみなマナーも守れてしっかりとしているので、人気があってルイズを誘うヒマもない。
 ルイズはただの壁の花ではない。高い場所に飾られて誰も取れない高嶺の花なのだ。無理をすれば手が届く男子はたくさんいるのだけど、魔法が使えないルイズは無理をしてまでとりたい花ではないのだ。

「きっと、ミス・ヴァリエールも理解していると思うよ」
「でも、魔法のことと分けて考えられるかは別だと思うんです。お茶会でもみんな気を使って舞踏会のことはあんまり話題にできないし」

「んー、何か面白い余興でもあればいいのかもしれないね。誰かが仮装をするとかさ」
「余興、ですか……」

 華やかな場にはあまり縁のないザザには思いつかない。あれこれと悩んでいると、ふたりのテーブルにクラウディアがやってきた。

「ごきげんよう、ミスタ。ザザさん、そろそろ馬車の時間ですよ」
「あ、もうそんな時間か。先輩、それじゃあ失礼します」
「王都に行くのかい?」
「ええ、ちょっとドレスを仕立て直してもらったので、それを受け取りに」

 忌々しいことにザザの身長はまだ伸びている。一張羅のドレスが動きにくくなってきたので、仕立て直してもらうことにしたのだ。といっても、これは応急処置のようなものだった。どんな腕の良い職人でも小さいドレスを大きくはできない。これ以上身長が伸びるようなら新しいドレスを用立てなければならないだろう。

 舞踏会の時期になると、学院に出入りの仕立屋や服飾店が来るようになる。王都に古くからある老舗で、多くの生徒はここで新しいドレスを買ったりドレスの仕立て直しを注文する。だが、ザザはトリスタニアにある別の仕立屋に頼んでいた。クラウディアの紹介で、ロネ家と懇意にしている仕立屋に頼んだのだ。腕のよい職人がたくさんいる店だから是非にとクラウディアが勧めるので、ザザもせっかくだからその店にお願いした。

「それじゃあ、ザザさんをお借りしますね。ミスタ」
「なんなら一緒に来ますか? 先輩」

 何の気なしにそう誘う。

「いや、遠慮しておくよ。美人を二人も連れて歩いてはどんな恨みを買うか分からない」
「も、もう! お上手なんですから。行きましょう、ザザさん!」
「ははは。それじゃあ、先輩。私の身長が先輩を追い越さないように祈っててください」

 ほんのりと頬を染めたクラウディアに手を引かれて、ザザはその場を去った。


「え?」
「は?」
 二人は一心に謝り続ける店員達と、小さく仕立て直されたザザのドレスの前で固まっていた。

「申し訳ありません! 他のお客様の品と取り違えてしまいまして……。大切なお召し物をお預かりしたのに本当に申し訳ありません」

 ザザのドレスはもとの大きさよりもずっと小さくなってしまっていた。どう頑張ってもザザには着れそうにない。一着しか持っていないドレスで、初めて古着ではなく仕立ててもらった服だからとても大切に着ていたものだった。
 クラウディアが真っ赤になって怒る。

「な、なんてことをしてくれたんですか! ザザさんはわたくしを信頼してこの店を利用してくれたんですよ。それを……」
「本当にすみません! クラウディアお嬢さまのご友人にとんだ失礼を……」

 クラウディアがかんかんになって怒っているので、ザザはなんだか怒る機会を逃してしまっていた。仕方なく、店員を問い詰める友人を止める。

「いいさ。やっちゃったものはしょうがないよ。でも……その、出来れば代えの服をお願いしたいのですけど」
「もちろんでございます。当店でご用意できる限りの商品をご用意させて頂きます。もちろんお代は頂きません! 私どもで学院のほうにお届け致しますので二週間ほどお待ちください」
「二週間! とんでもないわ。舞踏会は三日後なんですよ。それまでにお願いしますわ」
「み、三日後でございますか……。かしこまりました。出来うる限り急がせます」

 そうは言うものの、二週間かかるものを三日でというのはかなり無理があるだろう。ザザはそれを察して代案を出した。

「あの、古着屋で一着探してきますから、それを私に合わせてもらえますか? それなら確実に間に合うと思うので」
「は、はい。それはもちろんでございます。そちらの古着の代金も立て替えさせて頂きます」

 職人に無理をさせないで済むと、店員達は安堵の顔を浮かべた。まだ怒り足らなさそうなクラウディアを連れてザザは一旦店を出た。


 クラウディアがしきりに謝ってくるのをなだめながら、ザザは古着屋を見て回った。二人とも学院に来て数ヶ月。トリスタニアにも何度も訪れているので古着屋巡りくらいは慣れたものだ。
 トリスタニアには仕立屋や古着屋など、服飾関係の店が集まった通りがある。クラウディアは休みにここに来ると一日中飽きもせずに布地やドレスを眺めている。彼女の案内でザザは一軒一軒古着屋を見ていった。

 ハルケギニアでは古着を使うのは当たり前のことだ。庶民はめったに新品の服を仕立てたりしないし、貴族でも普通に古着を買う。さすがに古いままだと今の流行に合わないので、仕立て直して使うのが普通だけれど。とくに高級な衣服は魔法で劣化を防いでいるので、数十年ものの古着でも綺麗なままの物が多い。有名な職人の作ったドレスなどは古着でもものすごい値段で取引されたりする。

 なのでザザが古着を買うのも当たり前のことなのだが、なかなか良いドレスが見つからなかった。デザインや値段がどうこうではなく、サイズがないのだ。古着は買われるたびに仕立て直されて使われていくものである。だから当然、買われるたびに小さくなっていくもので、古着というのは全体的にちいさいものが多い。ザザのような背の高い女性に合う古着というのはなかなか見つからないのだ。
 古着屋にも高級店から庶民的な店まで何軒もあるのだが、ザザに合うドレスはどこでも見つからなかった。

「すみません。わたくしが無理を言ったばっかりに……」
「いいよ。クラウディアのせいじゃない。でも困ったな……もう欠席しようかな」
「ダメですよ、そんなの。ザザさんが来ないと皆さんもルイズさまも寂しがります!」
「でもドレスが間に合いそうにないし……、あ」

 ザザの視線の先には行商人が品物を広げている一角があった。普通の客向けというよりは業者同士が品物や情報を交換するような場だ。ちゃんとした店ではなく、天幕や馬車の荷台をそのまま使っている店ばかりだ。

「案外ああいうところに掘り出しものがあるかも……」
「や、やめましょうよ。あんなところにはありませんよ!」

 都会に慣れたと言っても自分たちが知っている場所だけのことだ。クラウディアはまだ慣れない場所には臆病になってしまう。ザザは構わずに進んでいって、適当な天幕で声をかけた。

「すみません。ちょっと探しているものがあるんですが……」
「はいはい、なんでしょうか。……おや、ザザお嬢さまではないですか」

 天幕の奥から出てきた恰幅の良い男性は、ザザを見て驚いたような声を上げた。

「あら、フィリップおじさん」
「お久しぶりです、魔法学院に入られたのですね。制服がよくお似合いですよ」
「ありがとうございます。おじさんは行商ですか?」
「いえ。自分の地元はトリスタニアですから、行商ではありません。この店は本館の仕事をさぼって世間話をするために開いているんですよ」
「あ、そうなんですか。知らなかったな」

 店の男と親しげに話し出したザザのマントを、クラウディアが小さく引っ張った。

「お、お知り合いですか? ザザさん」
「うん。ウチの家に出入りしてる商人さん。フィリップさん、こちらは私の友だちでクラウディア」
 
 フィリップは隊商を引き連れて半年に一度くらいの割合でザザの実家にやってくる商人だった。
 ザザに紹介されて、クラウディアは慌てて挨拶をした。

「クラウディア・ド・ロネですわ」
「おお、あのロネ家の。お会いできて光栄です」

 ロネ家の名前に、フィリップの目がわずかに鋭くなる。都会にもまれてそれなりに聡くなったいたザザはそれに気がついた。小さい頃はたまに来てあめ玉をくれるおじさんとしか思っていなかったけど、あれはあれで商売の一環だったのかもしれない。

「商売っ気を出すのもいいけど、私の話をまず聞いてくれます?」
「おや、これは失礼。しかしザザお嬢さんも鋭くなりましたね」
「おじさんが年取っただけじゃあないですか?」
「ははは! 一本とられましたな。それで、何をお探しですか?」

 ザザはかいつまんで事情を話した。しかし、色よい返事はもらえなかった。三日以内にということだとフィリップにしても難しいようだ。

「とりあえず商会の者に心当たりがないか聞いておきます。それで見つからなければ他の商会に……」
「ああ、そこまでしてくれなくてもいいですよ。在庫であれば教えてください。ありがとう、おじさん」
「そうですか、お力になれず申し訳ありません」

 ザザたちは帰りの馬車で途方に暮れていた。明日もう一度くると約束したものの、フィリップのつてでも難しそうだ。クラウディアの仕立屋も間に合わせると言っているがどうなるかは分からない。

「ま、間に合わなかったらどうしましょう……」
「これだけ走り回ってだめならしかたないよ……あといっこ心当たりがあるから、そこも当たってみるけど」
「まだ何かあるんですか?」
「あんまり頭を下げたい相手じゃないんだけどね……」

 ザザは小さく溜息をついてそう言った。


 その夜、ザザは女子寮の一室を訪ねていた。来なくていいと言ったのにクラウディアもついてきている。
 ノックをするとしばらくしてドアが開かれた。

「はぁい? だれよもう」

 現れたのはキュルケである。肌もあらわな薄絹の寝間着でザザたちを出迎えた。クラウディアはザザの背後で小さくなっている。彼女はキュルケが苦手なのだ。

「ちょっと頼みがあってね。いいかな?」
「ふぅん。まぁいいけど。なんだか面白そうだし。でも、しばらく待ってくださる? 先約がありますの」

 そう言って一旦ドアを閉める。どたばたと騒々しい気配が伝わってきた。掃除でもしているのかと思ったが、それに混じって男子の声が聞こえたような気がした。思わずクラウディアと顔を見合わせたものの、お互い聞かなかったことにした。

「お待たせ。どうぞ」

 キュルケの部屋は一人部屋だった。以前入ったルイズの部屋に負けず劣らずの家具が揃っている。

「それで、用事ってなに? どうしたわけ?」
「いや、恥ずかしい話なんだけど……ドレスを一着貸して欲しいんだ」

 ザザとキュルケは同じくらいの身長だ。彼女の服なら問題無く着れるはずだ。キュルケならば使っていないドレスの一着くらいあるだろうという打算もあった。

「ドレス? またどうして」
「それがね……」

 事情を説明すると、キュルケは苦笑いを見せた。

「ああ、それは大変だったわね。あたしも背が高いから、古着って中々買えないのよねぇ」

 ここでキュルケが言っている『古着』とザザの買おうとしていた『古着』にはものすごい差がある。キュルケが言っているのは名だたる職人が手がけた芸術品で、手直しする職人も厳選しなければならないような一品のことだ。
 とはいえ、背が高いという苦労を知っているからか、キュルケにしては珍しくザザに同情的だった。

「いいわよ。貸してあげる。高い貸しよ」
「ありがとう」

 ザザに貸すドレスを、キュルケは学院ではもう着ないだろう。もしかすると仕立て直すか手放すかしてしまうかもしれない。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーともあろう者が、誰かと同じドレスを着ていたなどあってはならないからだ。たとえキュルケ自身が貸したものであっても。

 そんなこんなで、ザザに貸すドレス選びが始まった。キュルケの持っている服はどれも良いものばかりなので、着るわけではないクラウディアも興味津々である。やれガリアのナントカ織りだの、やれロマリアのナントカ染めだの、いちいち一人で騒いでいる。
 何着か試着したあと、ザザは本日二度目となる、自分の身体的特徴による格差を実感していた。

「あー、その。キュルケ。借りる立場でなんなんだけど。もう少し胸の開いていないものはないかな?」

 キュルケの勧めてくるドレスはどれも胸の大きく開いた大胆なものばかりだった。彼女が着ればさぞ蠱惑的に見えるのだろうが、ザザが着ても哀れなだけである。

「え? そんなドレス持っていないわよ」

 いったい何を言ってるの? とでも言うようにキュルケがぽかんとした顔でザザを見る。彼女にとってドレスとはすべからく胸の開いたものであるらしい。

「よし分かった。君は私を侮辱しているのか」
「というか貴女、なんでこのドレスがコルセットなしで入るの? あり得ないわよこれ……」

 二人がお互いの身体的特徴に愕然としていると、横でクラウディアが幸せそうな嬌声を上げていた。

「こ、この黒は間違いなくラビアン・ネロ、しかも初代もの!」

 ひさびさにザザはルームメイトに真剣ないらだちを覚えたのだった。


 ザザにはキュルケのドレスを着ることは不可能だと分かり、三人で対策を練っていた。キュルケも乗りかかった船ということか、一緒になって考えている。

「こうなったら、キュルケさんのドレスをわたくしが買い取って仕立て直すしか……」
「いや、それはダメだよ。そこまでして貰うわけにはいかない」
「でも、それ以外は方法ないと思うわよ?」

 ついにはそんな意見も出だしたころ、ザザがぽつりとつぶやいた。

「フォルカが言ってたみたいに仮装でもしようかな、もう」

 そこに、キュルケが反応した。

「仮装……それよ!」

 キュルケはばっと立ち上がるとクラウディアに近寄って何ごとかを耳打った。何を言っているのだろうか? ザザが訝しげに思っていると、クラウディアが歓声を上げた。

「名案ですわ! キュルケさん。これ以上ないくらいの名案です!」

 苦手だったはずのキュルケの手をとって感激している。笑いをこらえたような顔の二人を見ていると、ザザは悪い予感しか出てこなかった。



 舞踏会当日。生徒たちは普段の素っ気ない制服を脱ぎ捨て、思い思いに着飾って自分を演出していた。一年生などはまだ服に着られているようなたどたどしさがあるのだが、授業が終わる開放感のおかげかぎこちなさは少なかった。
 ホールはきらびやかに飾り付けられ、授業の終わりをねぎらうための美味珍味がたくさん並んでいる。やがて楽士たちがはじまりの曲を奏で始め、少年たちはパートナーに選んだ少女と手を取り合って踊り出す。

 パートナーに巡り会えなかった生徒たちは杯を傾けながらそれを見ているしかない。はじまりの曲が終わり曲目が変わってようやく、彼らはダンスに参加できるようになる。歓談している子をさそってもいいし、パートナーが交代した子にダンスを申し込んでもいい。人気のある生徒の周囲では誰が先に申し込むかという無言の戦いが繰り広げられている。
 ルイズとお茶会のみんなは隅で固まってそれを眺めていた。はじまりの曲を終えて、戻ってきたクラウディアにルイズが聞く。

「クラウディアさん。ザザさんはどうしたの? 姿が見えないようだけど」

 ザザの姿はダンスをしている生徒の中にも、歓談している生徒の中にも見えなかった。

「さ、さあ? わたくしは存じませんわ。ほほほほ」

 クラウディアのあからさまに怪しい反応を見て、ルイズは眉をひそめたがすぐに別のものに視線を奪われた。
 キュルケが男子たちを引き連れて歩いていた。新入生という目新しさは薄れたものの、やはりキュルケは別格だった。今日の装いは髪の色に合わせた燃えるような赤。大きく開いた胸元には大ぶりのルビーが輝いている。極上の美酒のように、かいだだけで酔いしれてしまう色香をはなっていた。

 ルイズはそれを見て苛立たしげにグラスをあおった。周囲の女の子たちがそれに同調するように、口々にキュルケの悪口を囁き出す。そんな気の使われ方が居心地が悪いのか、よりいっそうルイズのめつきは険しくなる。

 そんなとき、キュルケの居る場所の反対側。ちょうどバルコニーのあたりがにわかに騒がしくなった。喧噪の中心。皆の視線を集めているのはひとりの人物だった。

 美しい少年だった。腰まである長い髪を三つ編みにまとめている。最近流行りの、昔の軍衣を仕立て直した衣装。タイは女性もののチーフ、マントはショールをアレンジしたものだ。ショールを留めているのは真っ赤なコサージュ。硬い軍服風の衣装にも関わらず華やいだ印象を作りだしていた。
 少女たち、ともすれば少年たちの視線も釘付けにしたその少年は、まっすぐにルイズのもとに歩み寄ってきて一礼した。

「一曲、踊っていただけますか。レディ?」

 その声に聞き覚えがあったルイズは、ようやくその少年の正体に気がついた。

「ザ、ザザ?」

 謎の少年の正体は男装をした女生徒だったのだ。ルイズにばれると、ザザは苦笑して言った。

「……似合うかな? ドレスがダメになっちゃったから、思い切って仮装してみたんだ」
「そ、そうなの……、すごく似合ってるわ。うわぁ……」

 ルイズはじろじろとザザを見て頬を赤らめている。周囲にいる女生徒も同じような反応だ。
 最初、ザザは本気で嫌がったのだが、キュルケとクラウディアに押し切られる形で男装することになってしまった。二人に何度も、貴族の社交の場では良くあることだと言われて、いつの間にか言いくるめられていた。たしかにそういうこともなくはない。ただ、仮面舞踏会のような特殊な趣向を凝らした場でやるもので、普通の舞踏会でやるのはかなりの変人に入るのだが。

 古着屋で買った古い軍衣を仕立て直してもらい、ショールやコサージュなどの小物はザザやクラウディアの私物を使った。入場のあとすぐにバルコニーに出て、頃合いを見て出てきたのだ。

「踊る? ダンスもわざわざ覚えてきたんだよ。簡単なのだけだけど」

 ザザがそう言うとルイズは恭しく手を出した。ザザはルイズの前にかしずいて小さな手に口づける。
 ルイズの手を引いてダンスの輪へと加わる。即興で覚えたステップにも関わらず、軽やかに踊ることができた。ルイズが上手にザザを誘導してくれたからだ。おかげでルイズの足を踏むことも、周りのペアにぶつかることもなかった。この瞬間、まさに二人は舞踏会の主役だった。鮮烈に登場した男装の麗人と、それに導かれるお姫さま。キュルケという大輪の花ですら、二人のための添え物に過ぎなかった。

 ザザはそのあと何人もの女の子と踊った。クラウディアとも踊ったし、茶会の子たちとも踊った。発案者のキュルケとも踊り、大笑いしていたソニアとも踊った。他にも何人もの女の子に申し込まれた。今のザザは男子役なので、断ることができずに頑張って全部こなした。
 男装のままフォルカとも踊った。演出のためにはじまりの曲をキャンセルしてしまったのでかなり機嫌が悪かったのだが、数曲踊るとなんとか機嫌を直してくれた。美形のフォルカとぱっと見は美少年のザザが踊る姿は別の意味で注目を集めたのだが、本人たちは分かっていなかった。

 そしてフィナーレの曲。ザザはもう一度ルイズを誘った。踊りすぎでへとへとになっていたザザはルイズにリードされっぱなしだ。

「ごめんね。リードされてばっかりの王子さまで。偽物だからしかたないけど」
「偽物なんかじゃないわ、ザザ。わたしにとっては本物よ。いつもわたしを助けてくれる王子さま。

 ……たまに、まぶしくて見ていられなくなるけど、でも、見ていられるように頑張るから」

 後半は小声で、ダンスの楽曲にかき消されてザザの耳には届かなかった。ルイズはすぐに笑顔になって楽しそうに踊る。
 ルイズの瞳に一瞬だけ映った憂いにザザは気づいたが、あえて問い返すことはしなかった。それは彼女の誇りを汚してしまう。ザザは信じているのだ、ルイズが憂いを乗り越える強さを持っていると。

 楽士たちが曲を奏で続ける。それは舞踏会の終わりを告げる終楽章。そして、夏のはじまりを告げる前奏曲。



[19871] 第十二話「ちいさな騎士道」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/07/30 10:44
 トリステインの夏は暑い。雨も少なく、からりとした熱気が延々と続く。山間の涼しい気候で育ったザザにはこの暑さは厳しかった。

「暑い……」

 中庭のテラスでザザはぐったりとしていた。
 夏休みが始まり学院にほとんど生徒は残っていない。教職員もまばらで、使用人たちは普段は出来ない場所の掃除や手入れに大忙しだ。食堂やテラスも限られた時間しか開いておらず、何か冷たいものが欲しくてもままならない。

 いっそブーツを脱いで中庭の噴水に足をつっこんで涼をとろうか。半ば本気でザザがそう考え出したとき、聞き覚えのある声がふたつ近づいてくるのが分かった。
 ルイズとキュルケである。この暑いのに飽きもせず、がみがみと言い争いをしている。二人はザザを見つけると、言い争いを中止してやってきた。

「あら、ザザ。まだ学院にいたのね。ご実家には帰らないの?」
「もう少しで帰るよ。ルイズこそどうしたんだい?」
「トリスタニアでちょっとした用事があったからまだこっちにいたの。トリスタニアのお屋敷を手入れさせて、来年からはそっちで夏を過ごそうかしら」
「君はゲルマニアに帰らないのかい、キュルケ」
「ううん。帰るとお見合いさせられそうな感じがするのよねえ。断ればいいんだけど、それも面倒で」
「お見合いも仕事のうちじゃないの。わたしは婚約者がいるからしたことがないけど」

 ルイズもキュルケも、さすがは高位貴族。ザザのように暑さにだらけているのとは大違いだ。ルイズは社交をがんばっているし、ヒマな日には魔法の練習も欠かしていない。キュルケはそれとは正反対だけど、奔放に生きることができるのは彼女に力があるからだ。二人とも、ザザにとっては見習うべき存在である。

「貴女はどうするつもりなの、ザザ。夏休みの予定とかってあるの? もしかしてフォルカと何か予定があるのかしら?」

 キュルケがにやにやとしながら隣の椅子に座る。それを見て、ルイズが逆隣の椅子に慌ただしく陣取った。

「いや、先輩は古城見学とかであちこちに旅行に行ってるよ。特に会う予定はない」
「古城? また物好きねえ、あの男も。女の子よりも城が好きなのかしら?」
「先輩は建築家になりたいそうなんだ。だから、色んな建物を見るのが好きなんだって。トリステインには古くて立派な城が多いって喜んでたよ」
「ふぅん、大変ねえ」

 フォルカはもう何年も故郷の地を踏んでいない。トリステインに来る前はガリアに留学させられていたらしい。実家を継ぐこともとうにあきらめていて、独り立ちするために手に職を付けようとしている。
 別にフォルカが特別なわけではない。家を継げない者はそれ以外の生き方を探さないと行けないのだ。フォルカのように手に職を付けるのもいいし、ルイズのように他家へ嫁に行くのもいいだろう。

 ザザもまた、家督には縁のない末の女の子だ。いつまでも家に居るわけにはいかない。父親はザザをどこかの有力貴族に嫁がせようと画策しているようだ。それが嫌ならば、この学院にいる間に何か自分の生きる道を探さなければならないのだ。

「……なーんか。自信なくなるなー」
「ど、どうしたの、ザザ?」

 突然そんなことを言い始めたザザに、ルイズが慌てる。

「私はダメだなぁって思ってさ。みんなと比べて」
「ザザがダメなら、わたしなんかもっとダメよ。コレなんか話にならないわ」

 ルイズがキュルケを指さして言う。

「そうよねぇ。ラインのザザがダメならゼロのルイズなんかてんでお話にならないわよねえ」

 キュルケが言い返す。また言い争いに成る前に、ザザが口を開く。

「ルイズはちゃんと公爵令嬢として仕事してる。クラウディアだって家の仕事を継ぐために勉強してる。フォルカは自分で生きていくために手に職を付けようとしてる。キュルケはそうじゃないけど、自分で責任を取れる力がある。私だけが、何にも生き方が定まってないいい加減な子供だ」
「だ、だって、ザザは勉強も出来るし、ラインの資格もあるんだし、何でもやろうと思えばできるわよ」
「かもしれないけど……今のままだとずるずると何もしないでお嫁にいきそうな感じがする……」

 ザザがどんどんと暗い思考になっていき、ルイズはおろおろと慌てていた。そんなザザの頭を、キュルケがぱんとはたいた。

「あっつい中ぐだぐだしてるからそんな暗くなっちゃうのよ。どっかぱあっと遊びにいって来なさいな」
「ザザはあんたと違って繊細なのよ。ゲルマニアのいい加減な女と一緒にしないで!」

 ザザははたかれた頭をかきながら、あっはっはと笑うキュルケを見る。こうやってなんでも笑い飛ばせるところが、キュルケの強さなのだろう。

「いや、確かにそうかもね。せっかくの休みなんだし、色々やってみようかな」
「そうしなさいな。遠い将来のことで悩むより、夏休みの予定で悩みなさい」
「いちおう、少しは予定はあるんだよ。クラウディアの家に招待されているんだ」

 ザザのドレスや決闘のことをクラウディアの母親が知り、一度お礼をしたいと丁寧なお誘いの手紙を貰ってしまった。ドレスもロネ家の布地を使った最高級のものを贈ってくれるそうだ。

「ロネの家の布地ってロネ・ブルーでしょう? いいわねえ。あたしは髪の色と合わないけど、貴女の髪ならよく映えそうね」
「わたしも何着か持っているけど、ザザのほうが似合いそうだわ。秋のガーデンパーティが楽しみ。いつごろ行くのかしら?」
「明後日に馬車で実家に帰って、実家から行くつもりだよ」

 ザザがこんな時期まで学院にいたのは、帰りの馬車の都合だった。ベルマディ家出入りの商人である、フィリップが率いる隊商の乗り合い馬車に乗せてもらうことになっていた。もっと早く帰れる馬車もあったのだが、まだ旅慣れないザザには知り合いのいる環境のほうが何かと安心できる。

「隊商の乗り合い馬車? あたし乗ったことないわね」
「わたしも」

 というか、この二人はそもそも乗合馬車などにのる必要もない。

「……私だって初めてだよ」

 隊商はたくさんの馬車に商品を載せていろんな場所で交易をする。乗り合い馬車も何台もあり、ザザたちの乗るような貴族用もあれば平民用もある。商館が護衛に傭兵隊をやとっているので、単独での馬車旅よりもずっと安全でもある。食事や途中の宿の世話も頼める。多くの町を回るので遠回りになるが、ザザのように旅慣れない者にとっては便利な移動手段である。
 ザザが隊商の話をしていると、キュルケが食いついてきた。

「なかなか面白そうねえ。あたしもついて行こうかしら? どこまで行くの、その隊商」
「たしかゲルマニアにも行くって聞いてるよ」
「へえ、今からでも馬車の席は空いているのかしら?」
「今から王都に行って聞いてみようか? どうせヒマだし、なにか冷たいものが欲しいし」

 話がとんとん拍子にまとまっていく横で、ルイズが慌てて声を上げた。

「わ、わたしも行く! 公爵家のちかくにも行くでしょう?」
「そりゃ行くと思うけど……、予定は大丈夫なの?」
「も、もうこっちでの用事はすんだもの。実家には自分で帰るって言ってあるから問題無いわ!」

 ザザとキュルケの間に割り込むように勢いよく言った。そのルイズを見て、案の定キュルケが意地の悪い顔を見せる。

「あらぁ? 焼き餅かしら、ラ・ヴァリエール」
「そんなんじゃないわよ! あんたがザザに変なこと教えないか見張るだけよ!」
「おほほほほ。そういうことにしてあげるわ、お友だちゼロのルイズ」
「あ、あんたの方が恋人ばっかりで友だちなんかいないじゃない!」
「あたしはちゃあんと交友を結んでいる相手がいるもの。取り巻きばっかりの誰かさんとは違いますわ」

 ぎゃあぎゃあと口げんかが始まる。気楽な一人旅のつもりだったのに、この二人の間に入って旅をしなければならない。暗鬱な気持ちでザザは二人を止めに入った。

 貴族用の馬車は四輪だての大きなものだった。ザザの乗り慣れた二輪の安物と比べると揺れがすくなく実に快適なものだ。大きな窓もついており、道中の景観が乗る者の目を楽しませてくれる。金さえ出せば商隊の商品から酒や食べ物も買える(少々割高だが)。

 ルイズとキュルケは、ザザが思っていたよりも上手くやっていた。貴族用の馬車にはザザたち以外にも客がいたのだ。さすがに赤の他人の前でまでケンカをするほど二人も子供ではない。

 乗り合わせたのは仕事帰りの渉外修士だった。三十路を越えたくらいの男性で、いかつい風貌だが話がとても上手かった。渉外修士とは、国境でのいざこざや貿易のあれこれ、国際結婚などの交渉をとりもつ仕事だ。外交官になるにはこの資格が必須となる。今回はゲルマニアの貴族とトリステインの貴族の国際結婚の事務手続きをしてきたらしい。他にも貿易の場での笑い話や密入国者を見分けるコツなど、様々な話題でザザたちを楽しませてくれた。
 三日ほど乗り合わせたあと、男は先に降りて去っていった。

「なかなかいい男だったわね。こんな出会いがあるのも、乗り合い馬車の醍醐味ってところかしら」
「そうね。お話もとっても面白かったし、なんて言うか大人の男性だわ……、そうだわ! ザザ、将来の職業は渉外修士なんかどう? 勉強もできるんだし、向いていると思うわよ」
「あれって女もなれたっけ?」
「大丈夫なはずよ。外交官や大使になるにはもうちょっと条件が厳しいけど」
「ふぅん……」

 そうなった自分を想像してみる。国境を挟んでケンカをするルイズとキュルケの間を行ったり来たりする自分が容易に想像できた。かんしゃくを起こしたルイズの言葉をやわらかーく訳してキュルケに伝えて、高慢な高笑いとともに嫌みを言われるのだ。

「……まあ、考えておくよ」

 ゲンナリとしていると、馬車がゆっくりと止まるのが分かった。窓の外を見ると川沿いの宿場町が広がっている。今日の宿はここになるのだろう。


 次の日、馬車に乗り込む前にザザたちはフィリップに呼び止められた。

「どうしました? おじさん」
「はい。今日から少々危険な場所を通るので、近隣の領主から護衛隊を派遣して頂けるのですが、その方々が是非にご挨拶をと仰って」
「あら、それは光栄ですわ」

 領主にとって自領の治安維持は当然の義務である。モンスターや盗賊の討伐のような能動的な治安維持もあれば、隊商の護衛のような受動的なものもある。領内で隊商が略奪にあうようなことがあれば恥以外の何物でもないし、ことによっては責任問題にもなる。

 見ると、隊商の後ろに見慣れない馬車が一台あった。馬に乗った数名のメイジらしきマント姿と、その従士らしい鎧姿の影がいくつかあった。フィリップが行くと、メイジ達が馬を下りてこちらに向かってきた。
 先頭にいるのは長髪の偉丈夫だ。その後ろに三人続いてくる。一人はとても年若い、幼いと言ってもいい年齢のようだった。皆、顔立ちがどこか似ているので同じ一族の者なのだろう。

「げ」
「うわ」
「あら」

 その中にいた一人の顔を見て、ザザたちは思わず声を上げた。偉丈夫のメイジはそれに気づかず、優雅に一礼した。どうやらルイズとは顔見知りのようで、代表するような形でルイズがおじぎをする。

「おや、ルイズ様ではございませんか。昨年お会いして以来ですな」
「ごきげんよう。ミスタ・ロレーヌ。ご無沙汰しておりますわ」
「このようなところでルイズ様をお守りする栄誉に預かれるとは望外の至りです。後ろのお二人はご学友ですかな?」
「ええ。友人と同級生です」

 ザザとキュルケは偉丈夫のロレーヌ卿に挨拶をする。

「今回、お嬢さま方の護衛を務めさせて頂くロレーヌです。この二人は弟です。ヴィリエの方は同じ学校ですからご存じですね」

 一行の中の少年が渋々と一礼する。そう、このあたりはあのド・ロレーヌの実家の近くだったのだ。ロレーヌ卿は彼の兄。ザザはなんとも気まずい想いで挨拶をすませた。ド・ロレーヌも同じようで、ザザの方を見ようともしない。
 そんなことには気づかず、ロレーヌ卿は話を続ける。

「これは私の息子でライアンです。今回は戦の空気に慣れさせるために連れてきたのですが、初陣で美人を三人も守る栄誉にあえるとは。我が息子ながら運の良い子です。ほら、ご挨拶なさい」

 十一・二歳ほどの少年が前に出て一礼する。まだ社交にも不慣れなのか、かなり緊張している様子だ。

「ラ、ライアンと申します。今回は全力でみなさんをお守りいたします!」
「あら、可愛い騎士様ね。よろしくお願いしますわ」

 キュルケが身をかがませてそう言うと、ライアンは緊張で赤い顔をさらに真っ赤にしていた。

 その日、ザザは一日中馬車から出ずに過ごした。途中で休憩で隊商が止まったときもひとり馬車の中に残った。宿場についてようやく馬車からはいだし、ルイズたちと一緒に夕食をとっていた。宿屋に備え付けの食堂。外ではロレーヌ卿や隊商の男たちが酒を酌み交わしている。

「なんで私がこんな胃のねじ切れるような思いをしなくちゃならないんだ……」
「気にしすぎだと思うわよ? 貴女は悪いことしてないんだから、どーんと構えてなさいどーんと」
「それが出来ないから困ってるんだよ」

 グロゼイユのゼリーをつつきながらぼやく。

「でも、たしかに気に病んでも仕方がないわよ。ザザもやりすぎだったかもしれないけど、二人とも罰は受けたんだし、いいっこなしよ」
「そうなんだけどねー」

 ザザがくだを巻いていると、三人のテーブルに近づいてくる者がいた。

「こ、こんばんは」

 ロレーヌ卿の子息のライアンだった。ザザの顔を見て言う。

「あの、今日は馬車から降りてこられなかったようですけど、お加減でも悪いのですか」
「い、いや。そういう訳じゃないんだ。心配しなくてもいいよ。お父上たちはどうしたの?」

 慌ててザザは話をそらす。

「従士や傭兵隊のひとたちと盛り上がっています。僕はまだお酒が飲めないので、抜け出して来たんです」

 少しすねたようにライアンは言った。その様子がおかしかったのか、キュルケがくすくすと笑った。

「じゃあ、お姉さんたちとご一緒しない? 楽しくお話しましょ?」

 そう言って椅子を勧める。真っ赤になったライアンはかちこちになりながら座った。ザザは少し気まずかったが、この子には関係ないとにこにこ笑っていた。
 最初はかたかったライアンだったが、話していくうちにだんだんと緊張がほぐれてきたようだった。キュルケがからかい半分で色香を匂わせ、ルイズがそれを怒り、ザザが二人をたしなめる。そんなやりとりを繰り返していると自然と笑顔を見せるようになった。男の子らしい、ちょっと背伸びをして格好付けた物言いがなんとも微笑ましい。

「あ、皆さんはヴィリエおじさまと同じ学年なんですよね。いいなあ」
「ヴィリエ……、ああ」

 ド・ロレーヌのファーストネームだ。言動の端々から、ライアンが叔父のことをとても慕っているのが分かった。

「ライアン君は、おじさまのことが好きなんだね」
「はい! ヴィリエおじさまは僕の年にはもうラインになっていました。僕はまだドットですけど、魔法学院に入るまでにはラインになりたいと思っています。おじさまのようなメイジになるのが僕の夢です」
「あー……そ、そうなんだ」

 ライアンのあまりにもまっすぐな言葉にザザは何も言えなくなってしまった。無言でルイズにバトンを渡す。

「ラ、ライアン君はヴィリエおじさまのどんな所に憧れているの?」
「強くて勇気のあるところです。僕が小さいときに近くの子たちにいじめられているといつも助けてくださいました。騎士とはああ在るべきだと思います!」
「そ、そうなの……」

 ルイズ撃沈。キュルケが割って入り話をそらす。

「ライアン君の好きなことはなぁに? そろそろガールフレンドの何人かはできたのかしら?」
「ええと……僕は魔法もそれほど上手くないし、口べただから女の子とは上手く話せません。でもきっと、ヴィリエおじさまは人気者なんでしょうね。学院でのおじさまのお話を聞かせてください。おじさまは照れてあまりお話してくれないのです」
「あ、あたしたちは他にボーイフレンドや婚約者がいるけど、たしかに女の子たちには注目の的だったわね。おほほほほ」

 さすがのキュルケも純粋な男の子の夢を壊すほど無粋ではいられないようだ。ライアンが明日の護衛に備えるからと席を立った後、三人は顔をつきあわせて話し合った。

「……本当にあれはド・ロレーヌの甥っ子なのか? とても同じ血が流れてるとは思えない」
「ミスタ・ロレーヌは爵位を継いだばかりだけど評判の良い人よ。ド・ロレーヌが特別なんじゃないかしら」
「甘やかされて育った末っ子って感じねえ。ライアンの方がずっと男前だわ」

 ド・ロレーヌが恥をかこうが知ったことではないが、ライアンの夢を壊すのは気が引ける。三人はうまくそのあたりのことはごまかすことで一致した。

 明くる日。宿場を発った隊商は畑が広がる丘陵地へとさしかかっていた。たくさんの畑が広がっており、遠くでは農夫たちが森を切り開いているのが見える。ザザが馬車の入り口に腰掛けて風景を眺めていると、馬に乗ったド・ロレーヌが近づいてきた。

「……何か用かい?」
「き、昨日。ライアンと話をしていただろう。何か余計なことを言っていないだろうな」

 あの決闘以来、一度も口を利いていなかった二人だった。お互い目も合わせようとしない。

「心配しなくても何も言っていないよ。こんなところで油を売ってるヒマがあるならその辺に見回りにでもいきなよ」
「ふん。言われずとも君の顔など見たくもない」
「こっちこそだ」

 二人がいがみ合っていると、遠くで農夫たちが騒ぎ出すのが聞こえた。何事かと思うヒマもなく、かんかんと警鐘がならされる。ド・ロレーヌはすぐに馬を飛ばしてロレーヌ卿のところへ向かった。
 馬車が止まる。ルイズとキュルケも何事かとそとに出てきた。騒ぎの大きい方を見ると、子供ほどの背丈のモンスターが群れをなして森から出てきて畑を荒らしていた。犬のような頭部と真っ赤な目をもった亜人、コボルドである。群れは畑だけでなく隊商の馬車にも目をつけ向かってきていた。

 すぐさま傭兵隊と従士たちが隊列を組みコボルドを迎え撃った。農夫たちはこれさいわいと隊商の後ろに逃げ込んでくる。あらかじめ役割分担をしていたようで、傭兵隊のメイジが風を操ってコボルドの矢や投石を防いでいる。ロレーヌ卿をはじめとした護衛隊のメイジたちが飛び出して各個にコボルドを倒しにかかる。

「モンスター? 大丈夫なの?」
「だ、大丈夫よ。護衛隊がいるし」

 キュルケが杖を取り出してそう言う。ルイズも険しい顔で身を固くしている。

「大丈夫だと思うよ。こっちの戦力は整ってるし、相手はコボルドが少しだし。逃げ遅れた人もいないみたいだしね」

 ザザも実家でこの手の仕事を手伝っていたので、なんとなく戦況は読める。コボルドは平民の戦士でも倒せる程度の弱いモンスターだ。見ていると、コボルドたちはてんでばらばらに襲ってきてまるで統率がとれていない。本来ならもう少しコボルドは利口なモンスターなのだが、この群れにはリーダー的な個体が存在しない。恐らく、住処である森を奪われてちりぢりになった群れの一部なのだろう。森を開拓している場所ではこういった森を住処としている亜人との小競り合いが尽きない。

「あたしたちも手伝った方がいいかしら」
「邪魔になるだけだと思うよ。傭兵隊はよく訓練されてるし、ロレーヌ卿がメイジたちを上手く使ってる」
「でも、なんかせせこましいわねえ。もっと大きい呪文でいっきにやっちゃえばいいのに」
「君ね……こんな畑のど真ん中でそんなことできるはずないだろ。収穫前なんだから」

 ロレーヌ卿たちは畑を傷つけないように小さな呪文で確実にコボルドを退治している。
 キュルケは優れた火のメイジだし、家が軍人を輩出している名門ということで戦闘訓練もそれなりに受けている。しかし、彼女くらいの家になってしまうとこういう小さな仕事は近隣の騎士団任せになってしまって、実態をよく知らないのだ。
 こんどはルイズが聞いてくる。

「あ、ザザの砂塵ならいいんじゃない? 動きを止めるのにいいって言ってたじゃない」
「それもだめ。砂塵は作物によくないんだ」
「うう……」
「難しいのねえ」

 三人が手持ちぶさたにしていると、そこにライアンがやってきた。杖を握って顔を赤くしている。緊張というよりは、初めての実戦に興奮しているようだ。

「父上からこの場の守りを仰せつかりました! この身に代えても皆さんを守って見せます」

 さすがにまだ前線で戦わせるには早いようで、ライアンは隊商の守備の一部として組み込まれていた。それがザザたちの周囲というのは明かに父親の親心だった。
 自分よりずっと弱いライアンが息巻いているのを見て、キュルケがぷっと吹き出した。

「あら、頼もしい騎士様ね。よろしくお願いするわ」
「お任せください!」

 からかい半分のキュルケの言葉も、いまのライアンには通じなかった。
 キュルケがくすくすと笑うのを、ルイズが小声で怒る。

「ちょっと、ライアンくんが頑張ってるのに笑っちゃダメじゃない」
「だぁって。ふふふ」

 ザザは笑うというよりは、微笑ましいといった気分で男の子を見ていた。背伸びして騎士ぶる男の子。

 そのとき、傭兵たちがわっと声を上げた。森の別の一角から新たな群れが現れたのだ。前線のメイジたちは間に合わない。戦士たちがいっせいに武器を構えた。傭兵隊は優秀だった。数人がかりで一匹ずつ順番にコボルドを討ち取っていく。護衛隊の従士たちも同様で、隊商には一匹も近づけないように思えた。

 だが戦士たちの守備網の間を縫って、数匹のコボルドがザザたちのほうへと向かってきた。ザザとキュルケは思わず杖を構える。そこでルイズが叫んだ。

「ちょ、ちょっと待ってザザ!」
「な、何? こんなときに」
「あのコボルド、ライアンくん……風のドットでも倒せるもの?」
「へ? まあ、メイジなら楽に倒せると思うけど……」
「じゃ、じゃあライアンくんが危なくなるまでは手を出しちゃダメよ。絶対に。あんたも、わかったわね!」
「はぁ? 何を言って」

 そんなやりとりをしている間に、コボルドはやってきた。ライアンの後ろ姿は震えていた。恐ろしくて当然だ。コボルドが小型の亜人とはいえ、子供のライアンとはさして変わらない体格だ。赤い目をらんらんと光らせた怪物が向かってくるのが怖くないはずがない。

 それでも、ライアンは助けを求めなかった。後ろにいるザザたちにも、周りにいる傭兵たちや従士にも。
 ライアンは貴族の男だからだ。魔法を使えない平民に頼るわけにはいかないし、守るべき淑女に助けを求めることなどできるはずがない。
 自分に与えられた役割を愚直に貫こうとするその姿は、すでにいっぱしの騎士だった。

 コボルドが飛びついてくる。ライアンが呪文とともに杖をふるう。毛むくじゃらの手が男の子の身体を掴む寸前に、コボルドは突風で吹き飛ばされていた。地面に叩きつけられ息絶える。ライアンは肩で息をしながら次のコボルドをしとめようとするが、一呼吸遅い。ちいさな身体をコボルドの棍棒が砕こうというその瞬間。風とともにやってきたド・ロレーヌが二匹のコボルドを切り裂いた。
 戦いが去った安堵からか、ライアンは膝をつきそうになった。だが、やはり男の子の意地があるのかなんとか立ち止まる。

「あ、ありがとうございました。おじさま」
「よくやったな、ライアン! がんばったぞ」
「はい!」

 学院では見せたこともないような表情をド・ロレーヌは見せていた。ライアンも褒められて本当に誇らしそうにしている。

 やがてコボルドもあらかた片付くと、ライアンは嬉しそうに父親のもとに走っていった。ザザは、ひとり残ったド・ロレーヌに話しかける。

「君はなんであれができないんだ? あれは君の甥っ子だろう」
「う、うるさいな。君には関係ないだろう」
「ま、そうだけどね。ライアンの期待を裏切らないようにしなよ。どういうわけだかあの子は君みたいなのを尊敬してるらしいから」
「君などに言われずとも分かっている! 失礼させてもらう!」

 どすどすと大股に歩いていってしまう。ライアンのあんな姿を見せられては、さすがの彼も恥じ入るところがあるらしかった。


 その日の夜は隊商の皆も護衛隊もおおいに盛り上がった。武功を肴に酒を酌み交わしている。ちなみに酒や食べ物は隊商の商人や農夫たちが出している。
 護衛についてくれた貴族に金品で礼をするのは無礼なこととされている。貴族は報酬のためではなく、名誉のために戦うのだから。なので、このように食事や酒を振る舞って労をねぎらったり、商人ならば取引の際に少し色をつけたりして返すのが習わしだ。

 ロレーヌ卿は息子がはじめての武勲を上げたことがとても嬉しいらしい。ライアンを傍らに置きながら、その話ばかりをくりかえしている。周りの男たちも小さな騎士の戦いを褒め称えていた。
 ライアンは相変わらず酒が飲めずに手持ちぶさたにしていたが、自分が話題の中心ということで嬉しそうだった。宴席を途中で抜け出してくるようなことは、もうないのだろう。

 その様子を見ながら、ザザはぽつりとつぶやく。

「こういうのは、悪くないね。ド・ロレーヌは気に入らないけど」
「ふふ。そうでしょう。ライアンくんはいい騎士になるわ」

 ザザとルイズが笑い合うと、キュルケがつまらなそうに言った。

「まったく、トリステイン貴族はのん気なものね。一歩間違えたら死んでいたじゃない。あたしたちがやった方が確実じゃないの」
「ふん。これだからゲルマニアは。そんなだから品がないのよ」
「これだからトリステインは。そんなだから衰退するのよ」

 ルイズとキュルケがまた言い合いを始める。
 実力主義のゲルマニアの民には理解できないだろう。ゲルマニアが実力主義ならば、トリステインは役割主義とでも言うべきだろうか。ゲルマニアでは、実力があるから役割が与えられる。トリステインでは役割が与えられるから、それに見合う力を付けようと努力するのだ。

 ザザも、役割を押しつけられるのは好きではない。だがライアンのような子を見ると、役割に向かって努力するのは素敵なことだと思う。きっと、ザザも自分の役割を見つけることができれば、本当の意味でトリステイン貴族になることができるのだろう。

 とりあえず、ザザは今の自分の役割を果たすことにした。にらみ合うキュルケとルイズをなだめる。

「ほらほら。ケンカをしない。頑張った騎士にご褒美をあげるのが淑女のつとめだろう?」
「わ、わかってるわ。淑女のつとめよ」
「そうね……ともかく、ライアン君はかっこうよかったわね。恋人にしてあげてもいいくらいだわ」

 宴席の中に入っていき、ザザたちは小さな騎士に栄誉を与える。ロレーヌ卿は三人を見てにっこりと笑った。きっと、このためにライアンをザザたちのところに配置したのだろう。ザザたちの周りが安全だったからではなく、もっとも名誉ある戦場だから息子を配置したのだ。さすがにそこにコボルドが来たのは偶然だったようだが。

 三人は順番にライアンに手を差し出した。ひざまづいてその手に口づけるライアンは、コボルドに立ち向かったときの何倍も緊張していたようだった。



[19871] 第十三話「ロネ家の魔女」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/08/04 18:32
 ロネ家の魔女、アナベル・ド・ロネはトリステインでは有名な女である。

 ロネ・ブルーを生み出した調色師は彼女の母親のマルグリットであるが、ロネ家が今日の地位を築いたのはアナベルの才覚によるところが大きい。

 それまでロネ家の生地は一部の粋人には人気だったものの、現在ほどの知名度はなかった。マルグリットに商売っ気というものがまるでなく、細々と好事家たちに売っている程度だった。それに目を付けた者がいた。豪商と繋がりのあったとある子爵家である。当時十四歳だったアナベルは、二十歳上のその子爵家の次男坊と結婚させられた。ロネ家の布地は金になると、家ごと取り込もうとしたのである。

 当初は子爵家の狙いどおりとなった。ロネ家の生地は豪商を通じて売り出され、子爵家の懐を順調に潤させた。だがこの数年後、子爵家は没落の一途を辿ることになる。

 アナベルはロネ家の生地を宣伝するという名目であちこちの社交の場に出かけていた。アナベルは蜂蜜色の髪をもったそれは美しい娘だったので、夫もそれを快く許した。金づるになってくれた嫁に遊び場を与えるくらいの感覚だったのだ。
 アナベルは社交界で次々と高位貴族に接近した。ロネ家の布地で作ったドレス・たぐいまれなる美貌をエサに男女問わず貴族たちを引き寄せ、巧みな話術でその心をつかんでいった。いつのまにか、ロネ家の生地を売っているのはあくまでアナベルであるという印象が作られていた。そして生地を売らせていた豪商をも取り込んで、流通経路を自分のものとしてしまった。それはちょっと小金をもっているだけの子爵家とは比べものにならないくらい巧みで、そして悪辣だった。

 子爵家はそんなことにはまるで気がつかなかった。二十歳にもならない小娘が、魔女のような手練手管で自分たちの手足をもいでいるなど思いも寄らなかったのだ。アナベルはそれをいいことに、子爵家に金を出させて高価な染料の素材を買い込ませ、紡績工場や倉庫をいくつも造らせた。もちろんロネ家の名義でだ。気づいた頃にはもう遅く、子爵家が持っていた利権と財産のほとんどがアナベルによってむしり取られていた。今では子爵家はアナベルにあごで使われる御用聞きと成り下がっている。
 クラウディアの母親はそんな女性だった。


 ロネ家の息女と友人になって家に招待されたと言うと、ザザの父はたいそう喜んだ。ロネ家はヴァリエール領内でも指折りの富豪である。近づいておいて損はない家だ。
 ザザはお土産をたくさん持たされた。王都育ちの父はこういうときのセンスは良かった。高価ではなくとも、きれいなもの・かわいいもの・おいしいもの。女性の喜びそうな流行の品物を選んでいた。いちおう領主はアナベルの夫なのだが、ロネ家が事実上アナベルのものなのは誰の目にも明らかだった。

 ザザの家からロネ家まではけっこう遠い。同じヴァリエール領とはいえ、ほとんど反対側だ。ザザは家を出て四日、予定よりも一日早くロネ家の屋敷に着いた。
 クラウディアの家は思っていたよりも普通だった。ザザの家よりも少しだけ大きくて調度品に金がかかっている感じはしたけど、噂に聞いていたような富豪の屋敷には見えなかった。

 ザザはアナベルによって出迎えられた。ザザは最初目の前の金髪の美女がクラウディアの母親だとは思わなかった。アナベルはせいぜい二十代半ばくらいにしか見えなかったし、末っ子のザザにとっては『母』とはもっと年老いた女性の印象があった。

「ごめんなさいね。娘は街に行ってしまって。貴女にあげるドレスを取りに行くんだって」
「いえ、いいんですよ。私も早く着きすぎてしまったみた……え、娘?」
「あらあら、そういえば名乗っていなかったわね。失礼したわ。わたしはアナベル。クラウディアの母親です」

 アナベルは十五歳でクラウディアを産んでおり、まだ三十を越えたばかりだった。それにしても若い。容姿もそうだが言動の端々にあふれ出る快活さが、彼女をいっそう若く見せていた。

「あの子が帰ってくるまでお茶でもどう? 疲れたでしょうから足湯と冷たいものも用意させるわね。学院でのお話とか聞かせてちょうだい」

 アナベルに連れられてバルコニーに向かう。バルコニーにはよく冷えた果実酒と果物、ハーブをたっぷりつかった足湯が用意されていた。クラウディアから聞いたのか、果物もハーブもザザが好きなものばかり。こういう気配りの細やかさに、この家の豊かさが現れていた。靴をぬいで湯に足をひたしていると、ザザは初めて訪れる家とは思えないくらいくつろいでいた。アナベルが学院でのことをあれこれ聞いてきて、いつの間にか話が弾む。

「ふふ、あなたって面白い子ね。あの子が言っていたよりもずっと楽しい子だわ」
「クラウディアは私のことをなんて言ってました?」
「あの子は話がヘタだから。かっこいいとかきれいとか言うばっかりでぜんぜん分からないのよ」
「あはは」

 アナベルは魔女という風聞がまるで似合わない女性だった。母親というよりはまるで姉のように親しみやすい人だ。ちょっと強引なところがあるけれど、それも含めてとても魅力的な人だとザザは思った。魔女だのなんだのという噂も、この人の美しさとロネ家の成功を妬んでの噂なのかもしれない。
 すっかり打ち解けてきたころ、アナベルがこんなことを言い出した。

「ねえ、ザザって呼んでいいかしら。あたしのこともアナベルって呼んでいいわ」
「え? あの……でも、その……」

 さすがに友人の母親を呼び捨てにするのは気が引ける。

「あら、嫌なの? じゃあ、ザザはあたしのことをなんて呼ぶつもりなのかしら? まさか、おばさんとでも呼ぶつもりじゃあないでしょうね」

 初めて会ったとき、ルイズともこんな会話をした。ザザとルイズがゆっくりと時間をかけて歩み寄った距離を、この女性はずかずかと大股で踏み込んでくるのだ。ルイズとの間にあった身分の差という壁よりも、ある意味高いはずの年齢の差があるというのに。

「あの。じゃあ、アナベルさんで……」
「ええ。今はそれで許してあげる。でも……」

 アナベルは立ち上がり、ザザに近寄ってきた。薄絹の手袋をするりとはずして、まっしろな手でザザの頬に触れてくる。

「帰るころには、アナベルって呼んでると思うわよ」
「え? え?」

 足湯に浸かるために靴を脱いでいるザザは逃げられない。首筋を撫でる手を振り払おうとしたが、逆にその手をとって指を絡めとられてしまう。薄桃色の唇が耳元でつぶやく。吐息とともに言葉が肌をなでる。

「きれいな瞳……貴女みたいな子、好きよ」

 スカイブルーの瞳がじっと見つめてくる。自分と同じ年の子供がいるとは思えない、少女のような無垢な瞳。香り立つサンダルウッドの香水。かぎなれない香りに頭がくらくらとふらつく。

「あ、あの……」
「赤くなっちゃって。可愛いところもあるのね」

 ザザの手に、アナベルがそっと頬ずりをする。肌に味覚ができたみたいだった。アナベルに触れられるたびに、痺れるような甘い感覚が伝わってくる。甘い。とろけるように甘い。この甘美さに、もっとふれてみたい。

「お母さま! 何をやっているんですか!」

 その声で、ザザは我に返った。見れば、バルコニーの入り口でクラウディアが真っ赤になって怒っている。

「あら、おかえりなさい。ちょっとご挨拶をしていただけよ。ね、ザザ?」
「えっと、あの」
「ふふふ。夕食のときにまたお会いしましょ、じゃあね、ザザ」

 アナベルはそう言って去っていった。バルコニーには官能的なサンダルウッドの香りだけが残った。

「すみませんザザさん。母が失礼なことを……」
「う、うん……なんか、すごい人だね」

 ザザはクラウディアに渡されたタオルで足を拭く。

「あの人はいっつもああなんです。気に入ったら男の人でも女の人でも見境なく……」

 これまでにも色々あったらしく、クラウディアはブツブツと何ごとかつぶやいている。
 ザザは学院でのうわさ話を思い出した。クラウディアの家はここ十年ほどで財をなした『成り上がり』なので、やっかむ声も多い。その手段もあくどいものが多かったから、クラウディアを悪し様に言う声も聞こえてくる。ザザもそういった声を耳にすることが多かった。その中でも許せなかったのが『ロネ家の姉妹は父親が違う』というものだった。ロネ家の成功をやっかんだ根も葉もないでたらめだと思っていたが、アナベルがいつもあんなことをしているのなら、そんな噂が立つのも仕方がないのかもしれない。
 クラウディアは、そんな家の評判を気にしていつもびくびくしている。お茶会でも、クラスメイトとのつきあいでも。

「……クラウディア? 今日の私はいちおうお客様なんだけど?」

 靴をはき直したザザは立ち上がってそう言った。うつむいていたクラウディアははっと顔を上げる。

「そ、そうでしたわ。失礼しました。ザザさんのために色々準備していたんですよ」
「私も、ウチで造ってるシードルたっくさん持ってきたんだ。寮ではあんまり飲めないし、夏休みくらいはとことん飲もう」
「うふふ。楽しみです。あんまりたくさん飲んだことないので手加減してくださいね」

 クラウディアは屋敷や庭園の中をいろいろ案内してくれた。
 庭園には大きな温室があって、染料に使うための植物がいっぱい栽培されていた。その隣にあった調色の実験小屋にも入れてもらったが薬品のあまりの匂いにすぐに出てきてしまった。クラウディアはそれが落ち着くというのだから、育った環境というのは恐ろしいものだ。

 領主である父親にも挨拶をしようと思ったのだが、なんでもクラウディアの父親は仕事で王都の屋敷に住んでいて滅多に帰って来ないのだそうだ。仕事というのは建前で、結局の所は別居なのだろう。祖母と祖父は少し離れた別邸に住んでいるそうだ。

 庭園にある小さなガゼボでお茶を飲んでいると、女の子がふたり木陰からこっちを見ているのを見つけた。茶髪とくすんだ金髪で、どちらもクラウディアによく似ている。すぐに妹だと分かった。クラウディアは妹を追い払おうとしたが、ザザはそれを呼び止めた。ザザも末っ子で、兄や姉に遊びに混ぜてもらえないととても寂しかったのだ。

 上の妹がコレットで十二歳、下の妹がニコールで九歳。コレットは背伸びをしたい年頃らしく、たどたどしい貴族言葉で話そうとするのが可愛かった。ザザもこんな年頃には自分なりに大人のまねをしていろいろ失敗をしたものだ。
 それ以上に面白かったのがクラウディアだった。世間の大多数の兄や姉と同じく、クラウディアも妹たちにはまるで君主のように接していた。いばっているクラウディアというのがとても珍しく、ザザが思わず笑ってしまうとクラウディアは真っ赤になって怒った。

 そして夕食の前に、ザザはクラウディアからドレスを贈られた。
 独特の光沢が美しいロネ・ブルー。ロネ家お抱えの仕立屋とデザイナーが造ったということで意匠も一級品だ。これ一着でザザの数年分の小遣いが軽く消える値段である。
 ザザは三つ編みをほどき、家から連れてきた使用人に髪を結ってもらう。そして贈られたドレスを着て、夕食の席に出ていった。

「ど、どうかな?」

 ドレスは身体にフィットしたシンプルなデザインのものだった。ザザの長身と体型、そしてドレスの生地の美しさがもっとも映える形だ。

「とってもお似合いです! 思っていた通り、ザザさんにはそういうデザインが似合いますわ!」

 クラウディアが興奮してザザを前から後ろからジロジロと見つめる。それをまねをして下の妹のニコールもザザのまわりをちょこちょことしていた。

「あ、あんまり見ないで」

 肩から背中が大胆に開いているのだ。髪を結い上げているので背中が丸見えで落ち着かない。今日は女性ばかりだから別に大丈夫だけど、男性がいる場で着るのは勇気が要りそうだ。
 夕食会と言っても、出ているのはアナベルとクラウディアたち姉妹、そしてザザだけの簡単なものだ。ザザのドレスの試着を兼ねたお遊びのようなもので、堅苦しいものではない。

「ふふ。きれいね、ザザ。そのドレスなら派手めのアクセサリーの方が映えそうだわ。ほら、あなたたち。ザザが困っているでしょう? 早くお座りなさい」

 アナベルが娘たちを座らせる。彼女のドレスは白地の地味なものだ。この女性には似つかわしくないかもしれないが、これは招待側としてのマナーだった。今日はザザが主役の夕食会だ。ザザの着るロネ・ブルーを美しく見せるために、アナベルやクラウディアたちは比較的地味なドレスを着ていた。

 夕食会は和やかに進んだ。アナベルはとても話し上手の聞き上手で、彼女と話していると自分まで話が上手くなったように思える。ザザとクラウディアの学院での話を中心に、話はとても盛り上がった。
 ただ、クラウディアは母親がザザのことを呼び捨てにするのが嫌なようだ。夕食のあと、着替えてクラウディアの部屋でお酒を飲んだのだが、クラウディアは酔うとずっとアナベルの愚痴ばかり言っていた。なれなれしいだの、あの人のせいでわたくしが苦労するだの。悪い酒だなと思いつつ、ザザは友だちの話に耳を傾けていた。

 ザザは一週間ほどロネ家に滞在した。クラウディアが家の生地をつかってドレスに合わせるための手袋を作ってくれたり、コレットとニコールたちに勉強を教えたりして過ごしていた。


 実家に帰る前夜。ザザは与えられた客間で帰り支度をしていた。クラウディアの意外な一面が見られたし、コレットやニコールとも仲良くなれた。次の休みには、ザザの実家にクラウディアを招待しようか。そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。
 ドアを開けると、そこにはアナベルが立っていた。ゆったりとした寝間着姿だ。手にはグラスが二つとワインのボトルを持っている。

「こんばんは、ザザ。ちょっと、お話しない?」
「え……えっと」

 最初に会ったときのことが思い出され、ザザは顔を赤くして後ずさった。

「ふふ。とって食べたりはしないわよ、ちょっと渡したいものがあるだけだから。それにクラウディアったら貴女を独占しちゃって、ちっともあたしと話させてくれないんだもの」

 そういうとアナベルは部屋に入ってきた。後ろには使用人が大きな箱をいくつか持ってきている。使用人は化粧台の上に箱を置くと、足早に部屋から出て行った。

「開けてみて」

 ソファに座ったアナベルが言う。言うとおりに箱のひとつを開けると、中にはドレスが一着入っていた。夕食のときに着たのとは違う、シックな装いの黒いドレス。もう一つの箱には、スミレのような鮮やかな紫のドレス。他にも、ショールや扇子など、ドレスに合わせる小物が入った箱もあった。そのどれもがロネ家の高級生地を使った一品だった。

「あたしからよ。遠慮せずに受け取って」
「い、頂けません」

 ヘタをすれば下級貴族の年収を超えるものだ。簡単に受け取れるはずがない。

「気にしなくていいのよ。このくらいはあたしにはたいしたものじゃないし、貴女への親愛の証だと思って?」
「だ、だめですよ。ここまでして頂く理由がありません」

 その答えに、アナベルは楽しそうな笑みを浮かべた。

「どうして? 貴女はクラウディアを助けてくれた。その対価だと思えばいいんじゃない?」
「……あれは、私が私の戦いをしただけです。それに、私は対価を得るために友だちをたすけたりしません」
「ふふ、ふふふ。良い! 良いわよ貴女、予想以上だわ」

 アナベルは本当に楽しそうに笑う。ザザはその姿に、初めて会ったときの蠱惑的な怪しさとは別の何かを感じた。
 ふたつのグラスにワインが注がれる。チョコレートも一緒に用意されていた。

「お座りなさい、ザザ。あたしは考えを変えたわ。ちゃんと貴女に理由を教えてあげる」
「……はい」

 アナベルの隣のソファに座る。

「どこから話したものかしら……そうだ。貴女たち、ヴァリエール家の子と仲が良いんだっけ? あそこが三姉妹なのは知っているわね。ヴァリエール家はトリステインでも最も大きな家の一つよ。そして、我らがトリステインの王家、次代の世継ぎはアンリエッタ姫殿下しか今のところいないわ。しかもその前はマリアンヌ様。我らが王家は女系が続いている。これがどういうことか分かる?」
「え? いや、何の関係があるんですか?」

 急にトリステインの貴族事情を話されても、さっきの話と何の関係があるのだろうか。

「関係は大ありよ、ザザ。この国の次代の人材で、身分が高い人を上から見てみると女性がとっても多いの。これが何を意味すると思う?」
「えっと、家の相続が面倒になりそうだとしか」
「そうね、女じゃ領主になれない。だからよそから男を連れてこないといけない。この国のほとんどの人がそう考えるわ。でもね、ザザ。あたしは違う考えを持っているの」

 熱っぽく語るアナベルは普段よりももっと美しく見えた。蝋燭の明かりに、蜂蜜色の金髪があでやかに照らされている。アナベルはひとくちグラスに口をつける。

「女の時代が来るのよ、ザザ。女が王に、議員に、領主になって、家から出て意見を言うようになるの。今でもマリアンヌ様を王にとの声は強いわ。アンリエッタ様が即位なさるようなことがあれば、時勢は一気に傾くでしょうね。ロネ家の次の当主は娘たちの誰かになるかもしれないわ」

 まだザザには話が見えなかった。女性の権利が拡大したとして、それがザザのドレスに何の関係があるのだろうか。

「ふふ、まだ分からないって顔してるわね。もう少しよ。女が社会に出るようになるとどうなると思う?」
「服……ですか? よそ行きの服がもっと必要になって、ロネ家の生地がどんどん売れるってことですか?」

 ザザは話の流れからそう答えた。

「その通りよ。トリステイン中の女性がロネ家の布地を欲しがり、女王がロネ家の布地で着飾って公の舞台にたてば、王室御用達の印章を貰うことだってできるでしょう。そうなれば、公爵領から独立することだってできるわ。まあ、これは予想というよりは夢っていった方がいいかもね」
「むしろ野望って言った方がしっくりきますね」

 王室御用達の印章はこのトリステインでは重いものだ。王家に献上したことがあるとか、王族が利用したことがあるとか、それだけで与えられるものではない。王室の名を与えるにふさわしい実績と品格があって初めて与えられる。
 もしロネ家が王室御用達の印章を受ければ、今日ザザが貰ったロネ・ブルーの価値はさらに上がるだろう。そうなれば公爵領から独立というのもあながち夢物語ではなくなる。

 アナベルには夢があるのだ。夢があって、そのために生きているから、こんな風に若々しく見えるのだろう。
 ザザはアナベルの過去を思いだした。彼女は二十も上の夫と家の事情で結婚させられたのだ。彼女の夢は、そんな過去から来ているものなのだろうか。

 ザザはワインをひとくち飲んだ。苦手なドライワインだったので思わず顔をしかめる。それを見たアナベルが笑った。

「こういうワインは苦手かしら? チョコレートを一緒に食べると、美味しいわよ」

 そう言って、アナベルはチョコをつまんでザザの口に近づけてくる。ザザは顔を赤らめてそれを手で押しのけた。

「ふふ、残念」
「……と、ところで、さっきの話と私のドレスとまだ話が繋がってないと思うんですけど」
「さっきのはあたしの理想。理想を実現するには現実的な手段が必要なの。それが貴女よ、ザザ」

 ザザはちびちびとワインをなめながらアナベルの話を聞いた。アナベルは結論を後回しにしてザザに考えさせようとしていると分かった。

「貴女は学院で人気があるでしょう? それは何故だか分かる?」
「面白がってるだけですよ、みんな」
「ある意味それは真理ね。貴女は他の子と違うから目立つ。ヴァリエールのお嬢さまも同じだけど、彼女ともまた貴女は違う。彼女はみんながもっていないものを持っているから目立つ。貴女は他の子が出来ないことが出来るから目立つ」
「他の子が出来ないことって?」
「男に逆らうことよ」

 たしかにザザは気に入らない男子生徒をぶっ飛ばしたことがある。しかし、男子生徒にものを言うくらいは誰でもやっていると思う。

「違うわ。他の女の子たちがやっていることは、飼い猫がちょっと手をひっかいたり、カゴの鳥がうるさくさえずるのと変わらないわ。許された範囲で騒いでいるにすぎない。男からみればダダをこねる子供と変わりないわ。男と対等にケンカをするなんて、普通の女にはできないのよ、ザザ」
「……それが、貴女の言う理想?」
「そう思ってくれてもいいわ」
「私が着飾ってきれいにしていれば、みんなは私の意見を肯定的に見ると?」
「目立つ貴女のことを理解しようとするでしょう。何人かは、貴女と同じようなことが出来るようになるかもしれない。そういう子が増えれば、時代が変わる下地になる」
「大きな夢の割りに、地味な下準備ですね」
「夢とは現実の積み重ねのことよ、ザザ。それに」
「それに?」
「貴女が学院でドレスを着てくれれば、それだけでロネ家の宣伝になるしね。地味で背の低いうちの娘じゃあこうはいかないわ」

 アナベルがくすくすと笑う。ザザは苦笑するしかなかった。

「どう? あたしのやりたいことが理解できた?」
「貴女が、夢見がちな現実主義者なのは分かりました。でも、私が貴女と同じ夢を見れるかどうかは別なんじゃないですか?」
「あら、意外なことを言うのね」
「これでも私は乙女なんですよ。貴女の夢も魅力的だけど、男の子に尽くして良き妻、良き母になるというような夢も、悪くないと思っています」
「ふぅん……じゃあ、やりたくなる理由を一個追加してあげましょう」
「はい?」

 アナベルはそう言うと、チョコをひとつ手に取った。

「このチョコレート、貴女がお父さまから持たされたお土産ね。あの方は相変わらずこういうところはソツがないわ。その他はてんでダメだけど」
「父が、何か?」
「知ってる? もしかすると貴女は、クラウディアのことを姉と呼んでいたかもしれないのよ?」

 その言葉の意味をしばらく考えて、ザザは顔をしかめた。ザザには二人兄がいる。片方は家を継ぐが、下の兄はそうはいかない。ザザと同じように他の家に政略結婚のあてを探して、父は色々と画策しているのだ。その一つにロネ家もあったということだ。

「うわぁ嫌な話聞いた……」
「そんな話はすぐに蹴り飛ばしてやったけどね。貴女には悪いけど、ベルマディ家にはそんな利点は無かったし」
「でしょうね……よかった」

 ザザは下の兄があんまり好きではないので、クラウディアとの結婚はあまり見たいものではない。
 だが、すぐにアナベルが続ける。

「でも。貴女みたいな子が親戚になるなら、考えてもいいかもね。コレットやニコールも居るんだから、そっちをあげても良いし」
「じょ、冗談でしょう?」

 ザザのためにわざわざ娘の一人を使うなど、この女性がするとは思えない。

「今のところは冗談だけど、そういう選択肢もあるという話よ。さ、ザザ。お返事は?」
「……貴女は、そういうことが嫌いで世の中を変えたいんじゃないんですか?」

 政略結婚のような、家の事情に縛られることはさっきの話と矛盾しないだろうか。

「政略結婚で嫌な思いをするのは女だけだと思ったらそれは思い上がりというものね。それにあたしは女を守りたいんじゃないわ。権利を与えたいだけ。時代が変わろうと場所が変わろうと、男だろうと女だろうと、力のない子は利用されるしかないのよ」

 アナベルの言葉は、強い言葉だ。理想を伴う強い言葉。ザザの中には共感と反発が同時にあった。だが、共感している自分も反発している自分も、アナベルの行為を否定は出来なかった。むしろ憧憬があった。自分のやりたいことを貫けるその姿勢に。

 それでもザザが言葉を濁していると、アナベルは立ち上がってザザの方に近づいてきた。ザザを覆うように、ソファにもたれかかる。

「今から貴女を押し倒してあたしのものにしちゃおうかしら? そうすれば、あたしの言うことをなんでも聞いちゃうようになるだろうし」
「え……うわ……」

 いつの間にか手が絡めとられていた。足の間にアナベルの足が割り込んでくる。足を閉じようとしてもどいてくれない。ワインとチョコレートの香りにまじって、アナベルの甘い体臭が香ってくる。
 絡め取られていた右手から、アナベルの指がゆっくりと腕をなめるように登ってくる。首筋につめたい指がふれたときには、ザザの心臓はもう破れそうなくらい早鐘をうっていた。

「抵抗しないってことは、期待しているの?」

 アナベルがザザの指を口に含んだ。アナベルの唾液が絡みつき、舌が生き物のようにザザの指をなめ回す。まるで指が溶けていくような感覚。たまらずにザザは叫んだ。

「わ、分かりました。分かりましたから、もう勘弁してください!」
「あら、ここからがいいところじゃないの」

 そう言いつつ、アナベルはザザから離れてくれた。どこまでが本気か分からない。
 ザザは頭を落ち着かせようとワインを飲み干す。ワインの辛味が、頭をすっきりとさせてくれる。

「良かった、引き受けてくれて。アクセサリーは自分で選びなさい。安くてもいいからドレスに合うものを探すのは楽しいわよ? 宝石には想いが宿るの。それは値段には変えられないものよ」
「……そういえば、クラウディアにボーイフレンドがいるって知ってます? 宝飾職人の家系なんですよ」
「あら? それは初耳ね。ちょっと詳しく聞こうかしら」

 アナベルが母親の顔になって食いついてきた。ザザは自分が助かるために友だちを売ったことを心の中で詫びた。
 ひとしきり話したあと、アナベルは言った。

「……ザザ、あの子をお願いね。あたしにあんまり似ないで気の弱い子だから」
「クラウディアはけっこうしっかりしてますよ。私なんかよりもずっと」
「ふふ。貴女がそういうなら安心ね。それじゃ、そろそろおいとましようかしら」

 アナベルは立ち上がってドアに向かった。ザザも見送ろうとそれに続く。扉を開けようとしたとき、不意にアナベルがこちらを振り向いて抱きついてきた。唇が触れあい、わずかにチョコレートの味が口に広がる。

「おやすみ、ザザ。明日から馬車なんだから、早く寝るのよ」

 悪戯っぽく笑うと、部屋から出ていってしまった。
 さすがに、しばらく眠れなかった。





[19871] 第十四話「ひび割れていく日々」※最新話
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/08/11 17:11
 長い休みが終わり、後期の授業が始まっていた。生徒たちはまだ休み気分が抜けない子も多いが、夏の残照に混じって吹く冷たい秋風が彼らの心を引き締めていた。

 二ヶ月という時間は人間関係が整理されるには十分な長さだ。夏休みの間、会っていなかった相手との関係の強度がはっきりとしてしまう。
 再会してすぐにいつも通りの関係で話せる相手もいれば、普通に話せるようになるまで時間のかかる相手もいる。そのくらいならまだいいが、会わない間に『切られて』しまうこともある。夏の間に家の事情が変わったとか本人の判断だとかで、他のグループに乗り換えてしまうのだ。そういう世渡り上手な子はたいてい、二つか三つほどの集団をかけもちしていてどちらでもいい顔が出来るようにしている。

 ザザは幸いにして疎遠になった相手はいなかった。だが、ルイズのお茶会はそうはいかなかった。

「……あとのみんなは?」
 いつまでたっても埋まらない椅子を見て、ルイズが聞いた。
「その……」
「そう」

 夏休みが終わって最初の集まり、お茶会の人数は目に見えて減っていた。これまでもお茶会からは人が抜けることがあった。新しく入ってきた子は入れ替わりも多かった。つきあいが悪く数回顔を見せただけの子もいたし、ルイズが魔法を使えないと分かるや来なくなった子もいた。
 彼女たちはお茶会という木にとっては葉っぱのようなものだ。暖かく日照りがよくなればたくさん増えるが、寒くなれば自然と散ってしまう。それはルイズという幹を中心にした大樹にとっては当たり前のことだ。
 だが、今回で来なくなったのは葉っぱではなかった。お茶会に最初からいて、存在感のあった『枝』とも呼べるような子が二人いなくなっていた。

 ルイズの影響力がちいさくなった証だった。前期の間はまだごまかせていた凋落の兆しが、長い休みを挟むことでくっきりと浮き彫りになった。離れていった彼女たちはルイズが魔法が使えないからと差別しているのではない。新しい場所とお茶会を天秤にかけ、ここの方が軽かった。ただそれだけのことだった。

 お茶会のみんなは何ごともなかったように、いや、むしろ暗さを出さないようにと明るくふるまった。くちぐちに夏のあいだの思い出話などに花を咲かせる。だが、みんながこの変事に動揺しているのは明らかだった。腹の中では次に誰が逃げ出すのか、それとも自分がそうするべきかという思惑が渦巻いている。

 ヴァリエール領の中にも派閥というものはある。公爵家にべったりという家もあれば、ロネ家のように独自の野心をもった家もある。また、公爵家ではなく他の家とも繋がりが深い家もある。
 今回出ていった二人はよそとの繋がりが深い家の子だった。今後もし出て行くとするなら、同じように公爵家と距離のある家の子になるだろう。彼女たちには他にも選択肢がある。
 公爵家と親しい家の子はめったなことで離れることはない。家が近ければそれだけ本人同士の距離も近い。身分の垣根を越えはしないが、彼女たちも彼女たちなりにルイズを憎からず思っているのだ。ザザだけが特別なわけではない。

 そして、公爵家との距離がどうであろうと、他に縁故のない貧しい家の生徒もまた、離れることはできない。彼らには選択肢がないのだ。卒業後に職を探す口利きをしてもらうためにルイズのご機嫌取りに必死だ。ある意味、この子たちは出ていった子たちよりもたちが悪い。
 だが、彼女たちを責めることはできない。彼女たちは学費も奨学金でまかなっている奨学生だ。ザザの家も別に裕福ではないが、娘を自費で学院に通わせるくらいには金はある。仕事が見つからなかったら嫁に行くしかないな、などという考えのザザとは比べものにならないくらい、彼女たちの事情は逼迫している。演習場の整備などの奉仕活動は奨学生の義務になっている。他の生徒との明かな差があるからこそ、本人たちも将来のためになるなら何でもしようとする。ルイズがどう思っていようと、彼女に群がろうとする。
 弱いから群がり、弱いから裏切る。世の中の大部分は、そんな凡人たちで構成されている。凡人を導き助けるのが、持てるものの、ルイズの役割なのだ。


 お茶会は明るく重苦しい雰囲気のまま終わった。久しぶりのギスギスとした空気に疲れて寮の中を歩いていると、聞きたくない声が聞こえた。

「あら、お久しぶりですね。ザザ・ド・ベルマディ」

 ソニアが相変わらずの笑みでやってきていた。この人はしばらく会っていなくても変わらずに接してくる。

「……どうも」
「この前、王都での夜会に来ていましたよね。真っ青なドレスを着て」
「あれ? 先輩もいたんですか?」

 二週間ほどまえ、夏休みの終わりのことだ。アナベルに連れられて、どこかの侯爵家の開いた夜会にザザは出ていた。アナベル曰く、生地の宣伝を兼ねたデートだとか。大人のたくさんあつまる夜会など出たことがなかったので、作法が分からずかちかちに緊張していた。「かしこまった場じゃないし、ニコニコしてるだけでいいわ」とアナベルは言ったが、ザザは上手く笑えていたか自信がない。

「話しかけてくれればよかったのに。私ああいうのは慣れてなくて、先輩みたいなのでも居てくれれば気が紛れました」
「ええ、あたしもお話したいなと思ったのですけれど。貴女、とんでもないのと一緒にいたでしょう?」
「とんでもない……ああ。先輩もさすがにアレはこわいんですか?」

 アナベルのことだ。ザザはソニアにも苦手なものがあるのかと少し気分が良かった。

「ふふ、どうでしょうね。そういえば貴女はクラウディア・ド・ロネと同室でしたね。親の面影がまるでないから、失念していました」
「先輩がそういうことを忘れるはずがないでしょう。というか、監督生なんだから部屋割りにも一枚噛んでるんじゃないですか?」
「おや、ずいぶんとかみつくようになりましたね。アナベル・ド・ロネの影響ですか?」
「さあ? でも、あのひとに比べれば先輩の方が気楽なのは確かです」
「褒め言葉ですよ、それは。ところで夜会はどうでした?」

 ソニアは値踏みするような目でこちらを見る。その狙いは分からない。ソニアはアナベルよりは『格下』だが、だからといってザザが彼女より上になったわけではないのだ。

「ええと、緊張はしましたけど、ある意味では楽でしたね」
「おや、それは何故です?」
「大人の人のほうが色々と楽じゃないですか? なんていうか、話せばわかるじゃないですか。わっかりにくい話し方しかしませんけど」

 夜会では色んな大人のひとに話しかけられた。ほとんどはアナベルが間に入ってくれたので、少し距離を置いて話をみることができた。そうすると、相手の言いたいことや狙いが少し分かった気がした。

「ふふふ、なるほど」

 ぱんぱんと、ソニアは規則正しく手を叩いた。どうやら拍手のようだが、この人がやるとバカにされているようにしか思えない。

「その通りですね。大人というのは目的や論理が固定されています。それにそって話をすれば対話は可能です。個々人によってそれは違いますけどね。子供はそれがまだあやふやです。それを単純と見るか複雑と見るかは人それぞれですが。……見なさい」

 ソニアはそう言うと、窓の外に視線をやった。つられてザザも視線の先を見る。
 そこには数名の女子がいた。学年などはばらばらだが、学院の中ではぱっとしない子たちばかりだった。

「あれ、社交の場に良く出ている子ばかりなんですよ。彼女たちがなんて言ってるか知っていますか? 『社交の場に出ていると、学院の子は子供っぽくて相手に出来ない』とか言うんですよ。お笑いぐさですね。断言してもいいですが、彼女たちは卒業してからもずっとあの立場のままです。子供の世界で上手くやれないものが、大人の世界なら上手くやれるなんてことはないんです。彼女たちの言い方を借りるなら、『たかが子供』の相手も出来ない子が、大人の相手をさせてもらえるはずがないのです」
「……もしかして、あの人たちも夜会に来ていました?」
「ええ。すみっこで小さくなっていましたよ。それがどうしました?」
「えっと、後期になってから妙になれなれしく話しかけてくるんで……」

 ザザがそういうと、ソニアは声を上げて笑いはじめた。とっさに口に手を当て、ぷるぷると震えて笑いをこらえる。
 ザザは溜息をついて窓の外を見る。たった一回同じ社交の場にいただけで『仲間』だと思われているのだ。友だちになりたいなら、普通に言えばいいのに。自分で垣根を作ってそれに閉じこもっていては、友だちなんか出来るはずがない。
 ソニアの押し殺した笑いを聞きながら、少し複雑な思いで窓の外をみていた。

 秋も深まり生徒たちの休み気分も抜けたころ、薬草学の実習が行われることになった。
 薬草学は実習が多いことで有名な授業だ。薬の調合や薬草の栽培など、面倒な実習がたくさんある。水メイジにとっては基本の授業だし、それ以外のメイジにとっても役に立つ知識なので受講者は多いのだが、実習の多さだけは不評だった。その中でも、秋に行われるこの実習は生徒たちにもっとも嫌われているものだった。

 実習の内容は『野生の薬草の採取』である。アカデミーが管理している森に入って薬草を採ってくるのだ。生徒は数人で一組の班になって、一日中森の中を歩き回ることになる。
 最近ではほとんどの薬草は市場や専門店で手に入る。ただ、栽培が難しいものはやはり高価だし、秘薬に使うときはどこの森の薬草でなければダメというメイジもいる。使い魔にとって来させるにしても、メイジに正しい知識がなければ命令することもできない。森や山に入って薬草を採るのも、古くさいけどメイジには必要なことなのだ。

 実習の内容が発表されたあと、五人一組の班を作るように教師が言った。皆、仲の良いもの同士で集まっていく。ザザはいつも通りクラウディアと一緒にルイズの近くに座っていた。何も言わないでもクラウディアとザザは同じ班だ。斜め前に座っていたルイズにも声をかける。あと二人をどうしようかと、三人は周囲を見回した。
 他の授業ならお茶会の子がもう少しいるのだけど、薬草学を受けているのはこの三人だけだった。みな、実習がきついということを聞いて避けているのだ。クラウディアはこの手の授業は大好きだし、ルイズは座学中心で単位が取れるものは全部とっている。ザザは薬草の知識があれば便利だと思って受講していた。

 ルイズもザザも目立つたちだ。三人に注目している子は多いのだが、声をかけてくる子はなかなかいなかった。ルイズがどうこうを抜きにしても、いつも固まっている仲間うちに入ってくるのは面倒だと思うものだろう。やがて余っている人数も少なくなってきたころ、おずおずと二人組の女子が近づいてきた。

「ベルマディさん、ご一緒させてもらえますか?」
「うん。いいけど……」
「ああ! ありがとうございます!」
「こちらこそ。よろしく」

 人数が揃ったことは良かったが、彼女たちの言い方が気になった。彼女たちは、ザザに声をかけてきた。同じ班にルイズがいるのだから、彼女に話すのが普通ではないのだろうか。身分も高いし、彼女が場の中心だと見るものだ。単にザザの方が話しかけやすい、というだけことなのかもしれないけど。
 彼女たちはアンナとマルチナといった。従兄弟同士で、これといった派閥には入っていない子たちだ。変に気兼ねする必要がなさそうで良かった。

 さて、薬草学の実習は森に行って薬草を採るだけではない。その前の準備も実習に入るのだ。授業で森で手に入る薬草の一覧と森の簡単な地図が配られた。事前にどの薬草がどんな場所よく生えているのかを調べていかなければならない。さらに、森歩きのための準備も生徒に任されている。これらの準備を怠れば、実習はただの森のハイキングになってしまう。
 ザザが心配なのは服装や装備などの面だった。文字通りの温室育ちで、森歩きなどしたことのない子ばかりだからだ。

「えー、とりあえず当日はスカート禁止です。かかとの高い靴も許しません」

 ザザがいきなり発した禁止令に班のみんなから異論が上がる。マルチナが言う。

「アカデミーが管理している森でしょう? そんなに危険はないんじゃなくって?」
「かぶれたり、虫に刺されたり、枝や葉っぱで切り傷を作ってもいいのならね。嫌なら、なるべく肌を出さない歩きやすい服装で行こう」
「動きやすいって、どういう服装ですか?」
「フリル禁止・レース禁止、その他ひらひらした飾りのもの全部ダメ。皮の手袋があればいいと思う」
「は、はあ……」

 ザザの言葉に戸惑ってはいたものの、みんな渋々納得してくれたようだった。刃物などの装備は申請すれば貸してくれるそうなので、ザザが準備することにした。ルイズもクラウディアも、他のふたりも勉強には熱心な子たちなので薬草の知識のほうは問題なさそうだった。
 いろいろと面倒だったが、薬草の図鑑を囲みながら少しずつ打ち解けていくルイズたちを見ていると、ザザはこんな苦労もありかなと思った。

 当日、ザザたちの班は長袖長ズボンに手袋という完全装備で実習に望んだ。ルイズたちの服は森歩きにはちょっと上等すぎるような気もしたが、本人たちはめったにはかないパンツスタイルが楽しそうだった。お互いの格好をみせあってきゃあきゃあはしゃいでいる。

 他の班も半分くらいはザザたちと同じように森歩きの準備をしてきていた。だが、制服のままという森をなめた格好でやってきている班もいくつかあった。
 学院からは人数分のスコップと籠、獣よけの魔法の鈴、それに食料と水が配られた。配給品を受け取ると、生徒たちはいくつかの入り口から順番に森に入っていった。

「これは……コンフリーかな?」

 ザザは図鑑で見覚えのある草を見つけてそういった。ルイズが苦笑気味に答える。

「それはジキタリスよ、ザザ。ほら、葉っぱのところがギザギザになってるでしょ」
「あ、毒のある方か」
「でもこれで三つ目ね。向こうはどうかしら」

 籠にジキタリスを入れていると、クラウディアたちが戻ってきた。カゴにいっぱい草をつめてきている。

「ニガヨモギがありました!」
「なんか毒物ばっかり集まってくるな……」

 採集は順調に進んでいた。近くにいた班は手がかぶれたとか虫にさされたとか騒いでいたが、しっかりと準備をしてきたザザたちは大丈夫だった。草の汁で手がかぶれることも、枝葉で足を切ることもない。山育ちのザザにはこの程度の森歩きはらくなものだった。

 十数種類ほどの薬草を集めたころから、なかなか新しい薬草が見つからなくなってきた。特にきのこ系がまったく見つからない。ザザはきのこ狩りや山菜採りは実家でよくやっていた。その経験から言うと、山菜や薬草よりもきのこの方が難易度は高い。きのこは毎年同じ場所に生えるわけではないし、草などに隠れて見つけにくい。リストに十以上あるきのこ系が見つからないのは痛かった。

 新しく薬草が見つからなくなってから、少しずつ皆の疲れがたまってきているのが分かった。楽しいときは気づかなくても、少し調子が途切れてしまえば、慣れぬ森歩きの疲れが表に現れてくる。そんな空気を皆が感じ始めたころ、少し開けた日当たりのよい場所に出た。ちょうど良いと、食事をかねた休憩をとることにした。クラウディアが敷物を持ってきていたので、それにみんなで座った。

 学院が用意してくれたのはサンドイッチだった。いつも食べているごちそうからすれば簡素な食事だが、疲れ切った身体はなによりのスパイスだ。五人ともしゃべるのも忘れてサンドイッチを平らげた。
 食べ終えたあと、しばらく食休みもかねておしゃべりをしていた。自然と、準備をしてきて良かったという話になった。

「ベルマディさんのおかげで助かりましたわね。他の方たちを見ていると、大変そうだなって思いますもの」
「ですねえ。とくに手袋は持ってきて正解ですね」
「母がよく薬草なんかを採りに森に行くんで、その手伝いをしていたからさ」
「まあそうなんですの」
「大変ですけど、お食事が美味しく感じられますし、たまになら良いかもしれませんね」
「そうですね。ほんと、ベルマディさんと同じ班になれて良かったわ」
「でも、カゴの中は毒ばっかりだからね。食べられる果物でもあればデザートになったのに」
「うふふ、ベルマディさんったら」

 彼女たちはしきりにザザの名前を出した。褒められるのは悪い気はしないけど、なんだか居心地が悪かった。いつもなら、それはルイズがいるべき立場なのだ。
 ひとここちつくと、五人は地図を取り出して今後の方針を話し合った。

「ちょっと移動しようか。このあたりじゃもう見つかりそうにないし」

 ザザがそういうとみんなは頷いた。クラウディアが地図を指差す。

「ちょっと奥にある泉に行ってみませんか、水辺の草とか水草なんかがあるはずです」
「いいですわね。そうしましょう」
「森の泉ってなんだかロマンチックですね」

 地図をみると、今の場所からけっこう距離がある。平坦な道を歩くならともかく、森の中を行くにはけっこうしんどい距離だ。地図の上では近くに見えるので、みんなは気楽に考えているようだ。
 ザザがそう言うと、アンナがくすりと笑った。

「もうザザさんてば、そんなの簡単じゃないですか」

 そういうと空を指さした。見ると、どこかの班の子たちが飛んで移動しているのが見えた。

「飛んでいけばいいんですよ」

 思わず、ザザとクラウディアは目を見合わせた。マルチナも顔をしかめている。たしかにアンナの言う通りだ。空中なら森の荒れ道も関係ない。だが、この場にはルイズがいるのだ。魔法を使えないルイズが。
 アンナは三人の反応ですぐに自分の失言に思い至ったようだが、もはや遅い。ルイズを見ると、地図で顔を隠すようにしてうつむいている。アンナはなにか言おうとしていたが、言葉がでてこないようだった。さっきまで明るかった班の空気がいっぺんに暗くなる。
 一瞬の沈黙あと、口を開いたのはザザだった。

「そうしようか。飛んでいった方が速い」
「え?」
「あの、ザザさん……」

 アンナやクラウディアが何か言う前に、ザザはルイズを両手で抱き上げていた。

「きゃ、わ……」
 ルイズが落ちないように杖で支える。そのままフライの呪文を唱えると、苦もなく二人は浮かび上がった。

「さ、行こう」

 森の上まで行くと、他にも飛んでいる生徒たちが手を振ってきた。浮かんでいることに慣れないのか、ルイズが腕の中で身じろぎする。

「は、恥ずかしいわ……それに、重いでしょう」
「軽い軽い。ルイズちいさいから」
「ち、ちっちゃいってなによ!」
「それより、泉がどっちか探してくれる? 手がふさがってるから地図が見えない」
「う、うん……」

 地図を見ていると、すぐに他の三人もやってきた。レビテーションなのでふわふわと浮かぶ感じだ。泉の方向はすぐに分かった。歩けば一時間はかかったであろう道のりも、飛んでいけば十分とかからなかった。

 思っていた通り、泉や水辺にはまだ見つけていない薬草がたくさんあった。森を見ると微妙にさっきまでのところと地形が違うので、こちらにも色々と薬草がありそうだ。ザザとルイズは泉の方を三人に任せて森に入ることにした。
 森を歩きながら、ザザは小さく呪文を唱える。ルイズがそれを聞きつけて訪ねてくる。

「何をしているの?」
「空気の流れを操ってる。匂いで動物とかが寄ってこないようにね。獣よけの鈴はむこうに置いて来ちゃったから」

 魔法の鈴はさすがに生徒全員分はないので班に一つだった。ここはアカデミーが管理していてモンスターはいないし、昼間に出る動物ならザザひとりで十分対処できるが、ルイズもいるのだから気をつけるにこしたことはない。ちなみに、万が一のときのためにライン以上の生徒は同じ班にならないようにと言われていた。緊急時に魔法で対処できる生徒を固めないようにだ。
 薬草を探して歩いていると、横にいたルイズが急に足を滑らせた。

「きゃ!」

 茂みになっていて窪地に気がつかなかったのだ。ザザはとっさにルイズの手を掴んだ。茂みに倒れ込む前にすんでの所で支える。

「あ、ありがとう……」
「うん。大丈夫?」

 急に変な体重のかけ方をしたので、足首を少し痛めてしまっていた。前にド・ロレーヌとやりあったときに痛めた部分だ。腱の怪我はクセになりやすい。
 ザザはルイズにさとらせまいと杖をついていたが、すぐにルイズに見破られてしまった。

「ご、ごめんなさい」
「いいよ。だってほら、そこに突っ込んでたらひどいことになってたよ」

 ザザがさっきの茂みを指さす。それは猛毒のベラドンナだった。葉にふれるとひどくかぶれる。顔からここに倒れていたら悲惨なことになっていただろう。

「うわ……、ほんとね。ありがとう」
「ま、これで新しいの一個みつかったわけだし、さっさと掘っちゃおう」
「……ね、ねえ、ザザ」
「んー、何?」

 ザザがスコップで根を掘り出していると、ルイズがか細い声で言った。

「わたし……、迷惑をかけていないかしら?」
「どうしたの? 急に」

 手をとめて振り返ると、ルイズは不安げな眼差しでこちらをみていた。

「だ、だって、わたしは魔法が使えないし、さっきみたいに……」
「気にしなくたっていいよ。クラウディアだってほら、浮かぶのがやっとだから私が引っ張ってきたじゃないか」
「でも……みんなは、わたしのこときっと足手まといだって思ってるわ。さっきだって、わたしのせいで雰囲気わるくしちゃったし……」
「あれは……」

 ルイズは悪いわけではない。かといって、アンナを不用意だと責めるのも違う。ザザやクラウディアならいつもしている気配りを、ふだんルイズと一緒にいない彼女たちに求めるのは酷なことだ。

「お、お茶会のみんなも、わたしが魔法使えないせいで、離れて行っちゃうし……」

 そう言うルイズは、いつも以上に小さく見えた。
 ザザは言葉が見つからなかった。今のルイズは、悪いことは全部自分が魔法が使えないせいだと思っている。さっきのことや、アンナの言ったことがきっかけだろう。ふだん抱え込んできた想いが刺激されてしまったのだ。

 何を言っても、ルイズは悪いようにとる。そう思ったザザは、何も言わないでルイズの手を取った。指を絡めるように手をにぎる。小さな手は最初びくりと震えたが、すぐに赤子のように手を掴んできた。皮の手袋ごしに、指の動きが伝わってくる。
 身体にふれるということは、心にふれるということだ。ふれあうことは、人の心に近づくのに効果的な手段であるとアナベルから学ばされていた。
 しばらく手を握り合っていると、ルイズは落ち着いたようだった。顔は少し赤いけど、さっきまでの不安げな色は消えている。

「ルイズ、君は私が魔法が上手いから仲良くしてるのかい?」
「そ、そんなはずないじゃない!」
「うん。知ってる。だから私も、君が魔法を使えないからって離れることはない。卑屈にならないでくれ」
「……うん」

 返ってきたのは、照れくさそうな笑み。手を放すと、ルイズはすぐにベラドンナの採集を始めた。その背中は、やはりちいさい。

 これからも、ルイズは魔法のことで傷つき、自信をなくすんだろう。ザザはその傷に手を当てることは出来ても、ルイズに魔法を与えることはできない。ルイズの悩みはルイズにしか理解できないし、解決できない。一時の気休めしかできない自分が、どうしようもなく無力に思えた。

 どうすればいいのだろう。ザザはずっとそう考えていた。
 どうすれば、ルイズが安心して学院生活を送れるようになる。
 どうすれば、ルイズが魔法を使えるようになる。
 どうすれば、普通に仲良くしていられる。

 悩みは誰かと共有すれば軽くなると人は言う。この不安は、もしかしたらルイズの不安を共有したのかもしれない。けれど、ルイズの悩みが軽くなったとは、とうてい思えなかった。




[19871] 短編「時よ止まれ、お前は美しい」
Name: ただの、ドカですよ◆08b998ca ID:bf009711
Date: 2010/08/05 02:16
 固定化。
 酸化・腐敗を防ぎ、物質の状態を維持する魔法である。現代のハルケギニアの社会になくてはならない魔法のひとつだ。この魔法の誕生にはある伝説がある。

 昔々、とある国にルーシーという王妃がいた。ルーシーは家柄や政治的理由でなく、その美しさだけで王妃になった女性だった。きんいろの髪と青い瞳。彼女の美しさは国中のどんな宝物よりも価値があると言われていた。

 各国からルーシーの姿をひとめみようと客人がたくさんやってきた。最初は身分のない王妃にしかめ面をしていた大臣たちも、各国の要人たちがルーシーの美しさを褒め称えるのを見てとても喜んだ。
 当然、ルーシーは自分の美しさが何よりも自慢だった。自分に見とれる客人たちの顔が大好きで、ぎっしりと詰まった会食や夜会も喜んでこなした。働き者の王妃に、大臣たちはまた喜んだ。

 王妃になって二年ほどたったとき、ルーシーは女の子を産んだ。ルーシーと同じきんいろの髪と青い目をした、とてもかわいらしい子だった。女の子はマリーと名付けられすくすくと成長した。ルーシーと同じようにマリーのかわいらしさも王室の自慢となった。マリーが三歳になったころ、ルーシーはもう一人子供を産んだ。今度は男の子で、王室も安泰だと喜ばれた。

 そんなある日、ルーシーは自分の美しさが衰えてきていると気づいた。今でも自分はもっとも美しいが、過去の自分のほうがもっと美しいと分かってしまったのだ。あのころの肌はもっとなめらかだった。あのころの髪はもっと艶やかだった。ルーシーは鏡の前で老いという事実に恐怖した。

 その日から、ルーシーは自分の美しさを保つためにあらゆることをした。豚の肉が良くないと聞けば一切口にしなかったし、逆に白ワインが良いと聞けば一日中でも飲んでいた。老いを止める魔法が出来ないものかと、自分自身でも魔法の研究を始めた。
 王妃のそんな噂をどこからか聞きつけ、王室には怪しい商人やメイジがたくさん訪れるようになった。高名な水メイジが作った不老の秘薬だとか、東方から仕入れた美容の秘薬だとか、うさんくさいものを次々と売りつけた。中にはちゃんとした薬もあったのだが、そのほとんどがいんちきな代物だった。ルーシーはいんちきな薬を買いまくった。公務をほとんどしなくなった上に無駄遣いが増えた王妃に、大臣たちは顔をしかめた。

 だが、ルーシーの老いは止まらなかった。むしろ、ルーシーの美貌はどんどんと崩れてきていた。過剰な健康法や美容法、いんちきな薬の使いすぎだった。日に日に醜くなっていく自分に耐えきれず、ルーシーは自分の部屋から鏡をなくした。自分の美貌を鏡で見るのが大好きだったのに。
 それでもルーシーは美を求めることをやめなかった。美容法や薬が足りなかったのだと、よりいっそうのめり込むようになっていった。王も大臣たちもルーシーの行動に頭を悩ませるようになっていた。

 少しずつ老いていくルーシーとはうらはらに、マリーはどんどんと美しくなっていった。その美しさはかつてのルーシーの生き写しだった。髪も、目も、鼻も、成長するごとにルーシーに似てきていた。
 いつしか、ルーシーは自分の娘に自分を重ねてみるようになっていた。自分が老いたとしても、自分にそっくりなマリーの美しさを守ることができれば、自分の美しさが保たれたのと同じことだ。そんなふうに考えるようになっていた。

 この頃には、ルーシーは美容法やいんちきな薬にこりていた。自分のような失敗をマリーにさせてはいけないと、経験などから確実なものだけをマリーにさせていた。
 その一方で、魔法の研究は相変わらず続けていた。老化を止めることはできないかと、高名な学者やメイジを交えて呪文や秘薬の開発を進めていたのだ。不老の呪文はいくら研究しても完成しなかったが、その過程でみょうな呪文が生まれていた。その呪文は世間的にはものすごい価値のあるものだったのだが、ルーシーたちは気がつかなかった。

 そんなある日、悲劇は訪れた。

 マリーが病に倒れたのだ。王国に蔓延していた流行り病だった。これといった対処法がみつかっておらず、本人の体力が勝つことを祈るしかない病気だった。国中から医者が集められたが、これまで見つかっていない治療法が急に見つかるわけもなかった。
 ルーシーは娘の回復を祈った。教会に毎日行って祈りを捧げた。その姿に国民や大臣たちは心打たれた。だが、それがマリーの命を惜しんでのものだったのか、マリーの美しさを惜しんでのものだったのか。どちらかはルーシー以外には分からない。

 マリーは一週間ほど眠り続け、そのまま短い一生を終えた。美しい王女の死を国中が悼んだ。国葬が執り行われ、マリーは王家の者が代々眠る丘へと葬られた。
 マリーの棺が埋められる前に、ルーシーはマリーの遺骸に向けて何かの呪文を唱えたという。だが、何も起こらなかったためほとんどの者は気づくことはなかった。

 娘を亡くして一年ほどたったころ、ルーシーもまた同じ流行り病に倒れた。ルーシーは病床で、自分が死んだら火葬にして欲しいと願った。死してなお自分の身体が醜くなるのが嫌だったのだろう。
 ルーシーは娘と同じように、一週間ほどで眠るように息を引き取った。彼女の望み通り遺骸は荼毘に付され、白く美しい骨だけが王墓に埋められた。

 さて、ルーシーの死後、彼女の部屋からある魔法の研究書がみつかった。その魔法をかけられた物体はさびることや腐ることを止め、あらゆる劣化から守られるというものだ。不老の魔法を開発する副産物だったらしい。この呪文は人々の生活を一変させるほどの大発明で、やっかいものだった王妃の評価は死んだ後でものすごく上がった。

 だが、この呪文が世の中に広まっていくと同時に、一つの噂が囁かれるようになった。ルーシーがマリーの遺骸に唱えた謎の呪文。それはこの、劣化を防ぐ魔法だったのではないだろうかという噂だ。
 ルーシーが晩年、マリーの美しさに固執していたのは宮廷では誰でも知っている話だった。ルーシーはマリーの美しさを永遠にするために、遺骸に魔法をかけたのではないだろうか。だれともなくそう囁きあった。
 だが、いかなる噂が立とうとも王墓を暴くようなことは許されない。噂の真偽は確かめられることはなかった。

 数百年の時が流れ、王国は潰えて王墓のあった場所も定かではなくなってしまった。もはや国の名前を覚えているものもいない。
 しかし、伝説だけは残っている。どこかの丘で、美しいままのマリーが眠り続けているのだと。







あとがき

ネタが思いついたけど『魔法学院でお茶会を』にはどうしても組み込めそうになかったので短編にしてみました。
本編には一切関係ない作品ですが、ふたつ作品を転がしておくのも悪いと思ったのでここに置いておきます。


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