2009-07-14
きれいに見えるためのコストは必要なのか
スーパーなどの生鮮食品売り場に行くと均一の品質で見た目もきれいなものがズラリとならんでいます。裏では生産者、流通業者が不ぞろいのものを排除、規格を統一するための努力がなされています。見た目以外の要素はほとんど変わらないにもかかわらず、規格から外れたものは半値以下、もしくは値がつかないなどの市場形成がこういった努力を必要とするのです。
一方、アウトレットや訳あり商品は大繁盛しています。規格外でも安価ならば欲しいと思っている人と、市場価格のつかない規格外の商品のマッチングです。そういった新たな『市場』が、形成されてきています。いままで活用されてこなかった資源が有効活用されているといった面もありますのでこういった市場は健全ともいえます。
しかし、これらの規格外商品は『規格』があってこその規格外です。規格外市場が活性化すると、規格市場を奪っていきます。そうなってくると規格の意味が失われていくことになるのではないでしょうか。
これは人材市場についても同じことが言えると思います。「優秀な人材が大企業だけではなく、自分のやりたいことも選択できる」ような規格外社会が存在する欧米と、「リスクをかけないですむ代わりに自由がほとんどない」ような規格社会の日本が強く意識できます。
日本社会において、サラリーマン以外を選択した人達、いわゆる規格外の人達(プロのスポーツマン、職人、音楽家、作家、アルピニスト等)といった人達は大きな社会的リスクを負っています。知的冒険・精神的挑戦を命ある限り続けていく人たちは成功しないと食べていけないのが実情です。要するに、規格外の人に多大なる負荷がかかっており、それらを支援・育成する市場が形成されていないのです。そういった環境では、選択肢は少なくなるのは当然です。
リスキーなことに挑んでいく人達の割合は人種ではそうは変わらないと思います。人材市場における選択肢の広さが、欧米の「懐の深さ」における基軸になっている気がします。自分の生き方は自分で決められるという意味での選択の自由度がすこぶる大きいという部分です。
規格外の社会にも厳しい面があります。規格外の社会では、肩書き以上のの実力を要求されます。ボスの能力が低ければ、部下は平気で離反していきます。人材市場が形成されているのですから新しいボスを探せばいいわけです。逆もまた然りです。
「規格外」は自然
ランダムで多様性があり、リスクはありますが自由度があります。
「規格」は不自然
画一的で整っており、リスクはありませんが、自由度がありません。
日本の政治家、官僚、企業幹部も、個人としての存在感を感じる相手が少なくなってきています。規格内の人達がすることなど想定内で新しい世界への一歩や、未曾有の危機には対応できません。そこに、最近のフラストレーションの源泉があると思います。 規格外は認めない、皆一律の規格に納まっていく社会は莫大な社会コストがかかっています。自然界には存在しない法則を忠実に守っていけば衰退していくのみです。
参考文献
- 作者: 日本規格協会,JSA=
- 出版社/メーカー: 日本規格協会
- 発売日: 2004/03
- メディア: 単行本
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