2009-10-12
判断しない、できない社長のために身を粉にして働く人たち
政府は会社に置き換えると首相や大臣という「社長」や「役員」が政策の判断や決定をして、官僚たち「社員」が実務を行う構図です。「官僚主導の打破」を叫ぶというのは、社長や役員が「社員の権力や能力が高すぎて、社員主導で物事がすすんでいる。これは、おかしい」と言っているのと同義です。
1.社長の能力が低いため判断できない。
2.社長が無意味にコロコロ変わって社内が安定しない。
3.社長が言いたい放題いって社内を混乱させる。
このようになってしまった原因は政官構造に問題があります。米国では1人で100名近くの政策秘書を抱える議員もいるくらい、『自分のために』仕える議員スタッフが充実しています。日本では資金的な問題でこうした役割の多くを官僚が担っています。スタッフを雇えばお金がかかりますが、公務員はタダです。だから今まで政治家は官僚を使ってきました。しかし忘れてはならないのが官僚には属性が存在するということです。給料を払ってくれている母体を無視した政策立案など到底出来るはずがありません。
与党間の調整役として局長が奔走することも珍しくなく政党のマニフェスト作りにまで官僚が関与しているとの声もあります。日本の「政」と「官」の役割分担はこれほどまでに不明確です。何でもかんでも官僚が作ってきたのです。本来、官僚達は『行政』をつかさどるのがお仕事です。『立法』の政策立案は政治家仕事のはずですがこれを委ねているのですから、『立法』『行政』を官僚が担うことになってしまいます。
官僚も人間ですから『立法』『行政』という巨大な権限のスキマに入り込む心がでても不思議ではありません。そういったことを許す環境を作ったのは社長自身なのです。そもそも官僚主導になったのは無能な社長や役員が指揮を執らず方針を示さず、有能な社員に意見を出させて採用するといったことを続けてきたため、社員を使いこなせなくなったことが原因です。
こういったことは社長に問題があるのであって社員が悪いというのはお門違いもいいところです。霞が関官僚の滅私奉公をみれば、自分の処遇が納得できず公益法人作りや天下りをしても仕方がないといっても言い過ぎではない気がします。そもそもはじめから天下りを目指して官僚になる人などいないと思います。脱落しても面倒見ない、サービス残業は横行し給料も民間より安く、最後までいても報われないということなら本当に誰もいなくなってしまいます。
無能な社長のために、いるかどうかもわからない説明資料作り、本当に関係あるのわからない細部機関への調整やつかわれるか疑わしい議事録作成などに忙殺される状態をどのメディアも知らないはずがありません。官庁に取材しているなかで、凄まじいサービス残業実態によって官僚たちが疲弊している様は散々目にしているはずです。実態や本質を知っているにもかかわらず、そのことには一切触れずに批判して叩いて誰が得をするのでしょうか。
本質に切り込んで問題を解決させた方が圧倒的に国民のためになるにも関わらず、感情論を煽って視聴率を稼ぐことが目的になっているなら、そんなメディアは誰からも必要とされなくなるでしょう。国からも、国民からも、そして大事なスポンサー様からもです。システムを破壊するだけで再構築しないというのは無責任以外の何物でもありません。労働市場のなかで、優秀な人を採用し、国家に奉仕するプロに育て、能力を十分に発揮してもらうためには、国民はそれ相応のコストを負担する必要があり、敬意と感謝の念を示して、やる気を高めるのが王道ではないでしょうか。
『俺が苦しんでいるのだからお前も苦しめ』
今の日本の世論は足の引っ張り合い「不幸の平等化」の様相を呈しています。その結果、縮小再生産を生んでいます。「我慢すべきだ」という声のもとにとりあえず苦労しなければ、後ろ指をさされるような世の中に進んでいっています。こういう社会の風潮が、とりあえず「既得権益の解体」とか「無駄の削減」といった表面上の「不幸の平等化」を求めているだけの戦略の無い縮小型スローガンを跋扈させ、結局全員苦しむだけになってしまいます。
能力のある人、やる気のある人に思い切り腕を振ってもらうのが結局は全体の利益になるのです。
ピーターの法則に見事に嵌っています。能力と権利権限が不釣合いな状態が、未だにあちこちで不幸を生産し続けています。
参考文献
- 作者: 飯尾潤
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/07
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