この連載で批判してきたが、鳩山政権がなぜ「経済財政諮問会議」を廃止したのか、公式に国民に対して説明されていない(第32回)。非公式には「小泉構造改革の推進に使われたから廃止した」と言われているが、そんなただの感情論で、内閣府設置法を設置根拠とし、首相を議長として官房長官、財務相、経産相、日銀総裁、民間有識者で構成されて、予算編成の総合調整に一定の影響力を行使できていた組織を廃止したというのは、政府の決定としてありえないことだ。
その結果残ったのは、法的根拠がなく、少数のスタッフしかいない内閣官房の一室で、政調会に食い荒らされる組織だ。民主党政権が、感情論で内閣の総合調整機能を破壊したことは蛮行と言っても過言ではない。
「情報公開」「説明責任」のない
民主党政権の意思決定
鳩山政権が経済財政諮問会議を廃止した後に顕著になったことは、意思決定のプロセスが非常に閉鎖的になったことだ。「情報公開」「説明責任」は民主党の政治文化だったはずだ(第25回)。しかし、現在の民主党政権の「情報公開」「説明責任」の達成度は、自民党政権時よりもはるかに低い。
自民党政権時、経済財政諮問会議やその他省庁の審議会では、議事録がすべて公開された。経済政策や予算編成についての閣僚、民間の審議委員、官僚の発言を国民はいつでも知ることができた。また、これら審議会を通じて自民党政権は財界、業界、学会など各界から政策立案のための情報を幅広く収集することができた。
一方、民主党政権では、政策立案のプロセスが公開されていないことが多い。鳩山政権の成長戦略の策定も、菅政権のいわゆる「第3の道」も、どこで誰が考えた結果出てきたものなのかわからないのだ。民主党政権では、政治家が政策立案のすべてを行うことに固執する傾向がある(第46回)。
その結果、外部の専門家を排除し、政府の公式な会議を経ないで決定してしまうことが多いのだ。今回の予算編成の新組織も、「情報公開」「説明責任」の民主党本来の文化から程遠いのものではないだろうか。