菅首相は「予算編成そのものを議論するとすれば、(財務省)主計局を全部官邸に持ってくることになるわけで、もともとそこまで想定していない」と述べたが、まさにこの措置こそが必要だったのではないだろうか。人事の枠組みを変えずに、実質的な「政治主導」が進められる筈もない。必要ならば、やればいいのだが、菅首相は現在の霞ヶ関の枠組みに触ることはできないとかしこまっている。
一方、財務省を中心とする中央官庁の官僚集団としては、主計局を官邸に移すような事態だけは何とかして避けたかったところだろう。
菅氏こそが、「政治主導」の可能性を官僚集団に売り渡したのだ。ついでに言うと、菅氏の影響力が拡大することを嫌ったのかも知れないが、鳩山前首相、小沢前民主党幹事長の二人も、ここを動かさずに政治をやっているつもりだったのだから、政治家として人間が小さい。
結局、国家戦略局も、民主党の政調会も首相への「助言機関」になってしまった。しかし、何を「助言」しても、ギリシャと日本の財政状況の区別も付かないような菅氏の頭蓋骨の中で、これを消化できるとは思えない。財務官僚にお伺いを立てるのが関の山だろう。
予算に対する政治の関わりについては、後に骨抜きにされたが、経済財政諮問会議を予算の大枠の検討機関として運営していた自民党政権よりも、民主党政権の現状は後退していると言わざるを得ない。
9月の民主党代表選に誰が立候補するのか分からないが、菅氏の再選だけは見たくない。民主党は、新しい代表の下で、先ず、この無気力な予算編成を根本からリセットすることを手始めに再スタートして欲しい。