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【プロ野球】朝井が移籍初登板初勝利 巨人1・5差に広げた2010年8月9日 紙面から
◆巨人7−0広島目を潤ませていた。東京ドームの歓声が降り注ぐお立ち台。奥歯をかみしめ、こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら巨人の朝井は「夢のようです」と絞り出した。楽天から7月末にトレードされ、この日が初登板。7イニングを投げて被安打2、無失点に抑えて、2008年9月17日の日本ハム戦以来となる2年ぶりの白星を手にした。 投手陣の台所事情が苦しいチームに請われて移籍。負ければチームは今季3度目の同一カード3連敗となる試合で、いきなり先発マウンドを任された。告げられたのは2日前。「ずっと緊張しっ放しで、昨日も寝付けなかった。思い切って投げようと、それだけでした」。阿部にリードを任せて、がむしゃらに腕を振る。最大の武器である縦のカーブは91球のうち10球のみ。最速147キロの直球とフォークで攻めた。安打を許したのは栗原だけ。無四球、6奪三振と、ほぼ完ぺきな投球だった。 「試合で投げることに飢えていました」。楽天では先発ローテの一角として08年まで、岩隈、田中との「3本柱」と呼ばていた。だが、昨季は開幕から不調で、シーズン途中から2軍暮らし。今季も1軍での登板は1試合。慎重になり過ぎて四球を連発し、自滅するのが負けパターンだった。昨年4月には同僚の山崎から「20勝を5年続けるか、嫁さんと別れるか。どっちか選べ」と強烈にののしられた。まじめな朝井は返答できなかった。山崎は言う。「できないと思っても『20勝します』と言えばいいのに、言えないところに、あいつの弱さがある」。野村前監督からも「投手の第一条件は強い精神力。朝井にはそれがない」とたびたび嘆かれた。 環境が変われば、人は変わる。朝井は苦しい時を振り返り「家族につらい思いをさせたので、ホンマに良かった」と4歳上の沙耶佳夫人を思いやった。現在は1人で寮生活。今月中に仙台から新居に引っ越す。脱皮しようともがく26歳の、新たな野球人生が幕を開けた。 (永山陽平)
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