【コラム】生ゴミを不法投棄する環境運動家たち

 外資系企業の韓国支社長を務めているAさんは、小学校のころに移民し、韓国に帰って就職した。「わたしに『韓国で金を吸い取り、ヤンキーに収めるためにいくら給料をもらっているのか』という人がいます。わたしはアルバイトをしながら何とか大学を卒業しました。しかし、そういうことをいう人たちは親が買ってくれた江南のマンションに住み、外車を乗り回しています。外資系の企業ですが、わたしは一日12時間以上働いています。わたしは彼らよりも『有産階級』ですか。わたしは理念には関心がないが、他人を批判する際は最低限、自分自身を振り返ってみてほしい」と語った。

 ところが、そのAさんが聞いたら興奮しそうな事件が起った。4大河川事業を批判し、京畿道ヨジュ郡のある建設現場でろう城していた環境団体の関係者らごみを不法投棄していたことが発覚した。ヨジュ郡は、環境運動連合の会員らからスイカやトウモロコシ、パンなどの生ごみを3-5キロ不法投棄したという自認書を受け取った。代わりに、それらと一緒に投棄されていたチキンの骨やビニール袋などの投棄に関しては否認したという。これらには、20万円以下の過怠料など行政処分が科せられる。

 生ごみ3-5キロなどたいしたことないと思うかもしれない。しかし環境のことを第一に考える人なら、ごみを捨てるなんてことは考えなかったはずだ。ビニール袋を捨てることにも地球のことを気にし、華やかな清溪川を見ながら「人口の小川の限界」と評価する環境論者なら、こうした行為がどれだけ矛盾に陥っているかを十分に分かったはずだ。知らなかったとしたら最低限の資格すらない者たちといえよう。こうしてみると、これらが4大河川事業を反対する理由が本当に環境を心配してからなのか、何かの政治的理由からなのか、はっきりしない。

 もしかしたらこれらは、4大河川事業反対するという大層な環境運動をしているため、些細な日常の違法行為に対して市民は目をつぶってくれるだろうと思ったかもしれない。

 しかし環境を守ることは、非常に些細なことから始まる。環境運動ばかりでなく、ほとんどの革命、革新、改革は実は非常に些細な「自己節制」にその根を置いている。

 386世代(1990年代に30歳代で80年代に大学に通った60年代生まれの世代)の多くは、「自由」を標榜するこれらが「小さな正義」を無視した記憶を持っている。80年代、ナイキの運動靴を履いていたため先輩から「ブルジョア根性」と非難され、翌日に「先輩の逃走資金が必要だから金持ちのお前が準備しろ」と言われたある友人は、社会運動に対してアレルギーを持っている。この世代で社会運動に参加しない人々たちは、こうした矛盾が原因で参加しないかもしれない。

 これはもしかしたら「口先だけの運動」だからかもしれない。2年前、国民の健康を守るために李明博(イ・ミョンバク)政権の誤りを正すと言ってデモ隊を街に繰り出した者たちも、各種ごみやペンキ、ステッカーで光化門をめちゃめちゃにしたが、その後何の反省もない。些細なことや小さなことを気にするほど基本原則を守る運動家はもはや見当たらなくなった。

企画取材部=パク・ウンジュ部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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