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[20306] 【習作・ゼロ魔世界観×CoC】蜘蛛の糸の繋がる先は (旧題:ハルケギニアの蒐集家) (外伝3投稿)
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/08/08 16:56
注意書き。

・経験浅い素人ですので至らない点があると思います。随時ご指摘歓迎です。感想なんか頂ければ飛び跳ねて喜びます。罵倒されたらプルプル悶えます。

・ゼロ魔の世界で原作の千年前位からオリジナル主人公が世界滅亡フラグを無自覚に突き立てる話になる予定です。基本的に破滅フラグは投げっぱなしです。

・原作主人公勢はしばらく、いえ、かなりの間登場しません。

・転生モノ。

・主人公には原作知識なし。

・オリジナル便利魔法、独自解釈有り。

・突発的にグロや冒涜的表現が入る可能性あり。

・クトゥルフ神話要素アリ。むしろTRPGの『クトゥルフの呼び声』要素?

・一人称。だがキャラクターがぶれている。

・ご都合主義。

・その他、地雷的要素を含みます。

・外伝は本編時間軸に沿った場所に、遡って唐突に挿入されることがあります。

以上を読んで、『覚悟完了!』な方はよろしければ拙作ですが御覧ください。

仮投稿 2010.07.15
追記 2010.07.16
チラ裏へ 2010.07.17
タイトル変更 2010.07.18



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 0.プロローグあるいは後日譚
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/21 21:29
0.プロローグあるいは後日譚

ここは学院長室。
学院の統括者の部屋。……実際は色ボケ爺の居城である。

「はー、どっかに美人秘書でも落ちてないかのう」

おおむね毎日がこんな調子である。

「適当にかどわかして来ればいいじゃないか。オールド・オスマン」

そこに茶々を入れる杖が一振り。まあ、私のことなのだが。





蜘蛛の糸の繋がる先は




このハルケギニアにはインテリジェンス・ウェポンなるものを作る技術がある。
今はもはや失伝しつつある技術ではあるが、その産物はいたるところに存在する。

インテリジェンス・スタッフ……いや、インテリジェンス・メイスである私もその一つである。
銘を『ウード169号』。製作者の名前と製造番号からそう言われている。もうちょっとこう、そのネーミングセンスはどうにかならなかったのかと常々思う。

何百年もこの名前に付き合うことを想定せずに付けたらしいが、わが製作者ながら迂闊だ。あるいは嫌がらせかもしれない。
まあ、同類があと168本あることを考えれば少しは慰めになるか。

「いやさ、ウード君、その短絡的な発想はいかがかと思うぞい」

「これまでだってやってきたことじゃないか、オールド・オスマン。
 悪辣貴族のその腕から哀れな平民の娘を助け出し、匿っては生きる術を与えてきただろう。
 まあそれも、多少の義侠心と多大な下心からだろうが」

むしろ100%下心だろう、この爺の場合。

「それの何処が拐かしてることになるのかのう」

「誘拐は誘拐だろうが。一時期は虐げられる平民の希望の星だったじゃないか、『鼠小僧』。実際に役得もあったんだろう?」

一時期は義賊なんて呼ばれていたものだ。
助けた娘にフラグを立てて、あんなことやこんなことをして楽しんでいたのを知っているぞ、オスマン。そして未だそっち方面でも現役であることも。

「もう二百年も前の話を蒸し返さんといてくれい。
 おぅおぅ、モートソグニルや、
 このかわいそうな爺を慰めてくれるのかね。それナッツをやろう」

そうして、机の下から出てくる白鼠。

「2つかのう?3つ?……この食いしんぼさんめ!!」

すばやい動きで投げられたナッツを咥える鼠はオスマンの使い魔であるモートソグニル。
昔はこの鼠の曾々々々々々々々々々々……祖父さんにあたる鼠と一緒に暴虐貴族の屋敷に忍び込んでは暴れまわったものだ。
モートソグニルが屋敷を調べ、私とオスマンの魔法が貴族を粉砕する。

私は『偏在』の魔法を補助することを目的に作られた魔道具である。
どっかの地下水とかいう暗殺ナイフと違って、平民でも魔法が使えるようにしたりはできないが、私を杖として契約すれば、風のスクエアでなくても、ライン程度の能力があれば偏在の魔法を使うことができる。

いわんや、かの『偉大なる』オスマンが使えば、文字通りのワンマン・バタリオン(一人大隊)も不可能ではない。
レミングスのように圧倒的な人数で屋敷を襲って、短時間に荒らし尽くしてすぐに撤退する。
ああ、華麗なる日々。ついたあだ名が義賊『鼠小僧』。ああ懐かしい。


私が意識を飛ばせば、他の同類のインテリジェンスアイテムと同調して、例えば宇宙からこのハルケギニアを見下ろせるし、海中遊泳だろうが、マグマの音を子守唄にうたた寝することだって出来る。

このハルケギニアで『ウード』シリーズが知れない情報は無い。
なにせ、このハルケギニアの、いや世界の全てを知りたいと願ったメイジが作り出したのが、この『ウード』シリーズなのだから。

地中、海中、空中、宇宙……いたるところに『ウード』シリーズやその端末は存在する。

そしてこの学院……ハルケギニア最初の『私立』学院である私立ミスカトニック学院は、彼の願いを継ぐ研究者を養成する場所である。

国のためでもなく、始祖のためでもなく、ただ、世界の理を探求するための組織。
財力も政治的影響力も武力もずば抜けて所持するくせに、それを世界を分析するためにしか用いない組織。
逆に言えば、その障害となる全てを、財力で、政治力で、武力で捻じ伏せて進んできた組織。

全てが『始祖の恩寵』で片付けられていた世界に科学を持ち込んだ、最初にして最大の異端。そしてこの学院の創立者。

私たち『ウード』シリーズの製作者にして、このオスマン老の恩人。

ウードシリーズの最上位『ウード零号』に魂を転写し、今もハルケギニアの何処かで知識の蒐集を続けている、好奇心の亡者。

矮人と異形と蟲の軍団を従え、邪教を崇拝した狂人。

その、ウード・ド・シャンリットは今から遙か千年前に、あふれ出る好奇心と、ここではない何処かの知識を持ってこのハルケギニアに生まれたという。

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2010.07.21 誤字訂正



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 1.死をくぐり抜けてなお残るものがあるとすればそれこそが魂の本質
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/08/07 22:43
――――幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。
――――御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、遥か下にある地獄の底へ、
――――まっすぐにそれを御下しなさいました。



死んだと思ったら、生きていた。いや、九死に一生とかいう話ではなく、確かに死んでいたはずなのだが。
死病に冒され、病院で息を引き取ったのだ。

苦しみに苦しみ抜いて、何処か奈落より深くに落ちてゆくような果てしない喪失感を感じ。
果てしない落下の途中で何か網のようなものに引っかかったような、無我夢中で何かをつかんだような気もするが、
とにかく俺は死んだはずだ。

そこから生き返れるほどにはまだ科学は発達していなかったように思う。
もっとも、科学の発達具合なんて、今では確認のしようも無い。なぜかって?

ここが、魔法使いのいる中世ファンタジーな世界だからだ!

ああ、神様、居るかどうかは知らないが、この苦界に俺を再び放り込んでくれるとは最悪だ。
またあれだけ苦しんで死ななきゃならないかと想像すると怖気が走る。

だが、最高に感謝している!

魔法だと!幻獣だと!なんて、なんてなんて!興味をそそられる題材だ! ああ、神様、仏様、ご先祖様、本当にありがとう!







 蜘蛛の糸の繋がる先は 1.死をくぐり抜けてなお残るものがあるとすればそれこそが魂の本質
 





俺が転生?した先は、ハルケギニアというらしい。ちなみに俺の名前はウードというらしい。正確にはウード・ド・シャンリット。

あれか、死に際のヴィジョンはお釈迦様の蜘蛛の糸でも掴んだってことなのかな。
蜘蛛の糸が繋がっていた先は天国じゃなくて異世界だったみたいだけど。

ハルケギニアは5000年前だか6000年前だかに降臨した始祖ブリミルとやらが魔法を広め、メイジと平民による階級社会を形成している。

工業技術などは中世ヨーロッパ程度。地理的にもおおよそヨーロッパに対応しているようだ。
大国ガリア、宗教都市国家ロマリア、白の国アルビオン、水の国トリステインなどの国家がハルケギニアには存在しており、その他にも、中東に該当する『サハラ』や中国に該当する『東方』という地域があるようだ。
東方は別の言葉では『ロバ・アル・カリイエ』というらしい。
俺の前世のある物語の言葉では『最果ての虚空』とかいう意味で、砂漠の真ん中の『無名都市』の別名だったはず。

白の国アルビオンはなんと空を飛ぶ巨大な大地だという。まさにファンタジー。
ハルケギニアの大地の上をふらふら周遊しているらしいが……、下水が雨になって落ちてきたりしないだろうな?

ハルケギニアには始祖由来のこれら4つの大国家の他にも数々の都市国家が存在し、離合集散を繰り返しながら、停滞した社会を作っている。

調べた限り少なくとも2000年近くは技術や文明が停滞している。
今のハルケギニア人が2000年前に行っても何の違和感も無く生活できるだろう。
ともすれば、それ以上前でも大差ない社会だったのではなかろうか。

俺はトリステインの伯爵家の長男として生を受けた。貴族に生まれついたのは全く持って幸運としか言いようが無い。

平民に生まれついたのなら、文字すら満足に習えなかっただろうから。

そして何よりも魔法が使えるというのが素晴らしい!

魔法とは何なのか、精神力とは何か、どのような作用で物体に影響を与えているのか、杖と契約しなければ魔法を使えないというが「契約」とは一体なんだ、『レビテーション』とは、使い魔の召喚とは、『固定化』とは、『錬金』とは、『硬化』とは、一体なんだ!

興味が尽きない、限界を知りたい、突き詰めて極めたい。この世界を、ハルケギニアを解剖し尽くしたい!
世界の根源を、宇宙の始原を、周囲の微細な現象の法則を知り尽くしたい!

身を焦がすような知識欲は前世から引き継いできたものだろうか。
今は朧な前世の思い出。
知識はあれど、衝動はあれど、それに伴う実感がない。
死に際に砕けた魂は、おそらく俺の人間性というものを根こそぎにしてしまったのだ。
だが、悲観はするまい。
“ヒト”は生まれながらに“人間”ではなく、育つ過程で“人間”になるものなのだ。
獣に育てられた少女が狼少女になるように、普通に育てば、俺も人間としての感性を取り戻せるだろう。
前世の知識を持ちながらにして普通に育てば、だが。

湧き上がる衝動は身を焦がさんばかりで、知識を求め、世界の姿を知れと突き動かしてくる。
しかし、それを成すには今の自分は貧弱に過ぎる。

何せ、たかだか伯爵の跡継ぎに過ぎないのだから。
しかも、今は5歳程度。

つい先日、契約の原理は不明なものの、一応は形式通りに杖の契約とやらも済ませたところである。
まだまだ『土』の基本的な魔法とコモンマジックくらいしか使えないが、まあ、これだけでも充分な研究対象には成り得る。
今は特に『錬金』と『ディテクトマジック』の性能調査に勤しんでいる。
この二つだけでも充分に興味を惹かれる題材だ。未だ他にも様々な魔法があるかと思うと心が躍る。

ハルケギニアには書物も結構な量が流通しているらしく、平民も買えるくらいに普及しているものらしい。
その割には思想や科学の発達が遅れているように思えるが……。
知識欲を満たすために、文字を覚えてからは直ぐに読書を開始した。
元居た世界ならばともかく、新しい世界に来たところでこの世界の教養が足りない。
元の世界の知識など現状では生かしようがないからだ。
この世界で生きる以上、この世界の常識を身につける必要がある。

それに、歩んできた歴史が違うため、諺などの言い回しがかなり異なる。
特に動物の名前が途中に入るような言い回しは間違いやすいので気を付けたいと思う。

2歳頃から本を読み始めたことと、他にすることもなかったため、5歳までには家や近隣の貴族の屋敷にある蔵書はあらかた読んでしまった。
シャンリット家の近所には、うちも含めて書物蒐集家はいなかったらしく、蔵書量が少なかったというのもあるが。

図鑑の類などは興味深かったが、系統だった分類がされていないため、非常に読みづらかった。
例えば、蛇とムカデが同様の分類をされていたり、鷹とグリフォンが同じ分類だったりしていた。
解剖学や分類学は未発達のようだ。いつか自分でまとめ直そうと思う。

蛇とムカデでは体が長いという共通項はあるが、内骨格か外骨格かで大きな違いがあるし、鷹とグリフォンでは鳥の頭を持ち、空を飛ぶ共通点はあるが肢の数が違う。
鷹は4肢で、グリフォンは6肢だ。
6肢の動物には他にもマンティコアや竜がいる。あとはケンタウロスもそうか。

6肢の動物と4肢の動物では起源が全く違うのか、それとも4肢起源で6肢になるような突然変異が何度か起きたのか、はたまた、6肢が起源で退化して4肢になったのか。
化石研究や遺伝子の比較を行って系統樹を決定したいものだ。
まあ、キメラ作成なんて技術があるから、系統樹が入り乱れてしまって一筋縄ではいかないだろうが。

しかし本当に、もう読むものが無いな。
とはいえ、この脳が柔軟で何でも覚えられる期間を無為に過ごすなんて耐えられない。

もっと知識が欲しい。……一先ず、父上に相談してみるか。





「ちちうえー」

「おお、ウードか、どうした」

「おねがいがありますー」

私譲りの濃いブラウンの髪をした幼子が、とてとてとこちらに寄ってくる。

この可愛い子はウード・ド・シャンリット。
我が愛しの妻との間に生まれた、シャンリット伯爵家の長男だ。

そしてウードはこのシャンリット家が始まって以来の天才でもある。

1歳になるかならないかで言葉を話し、2歳で文字を覚え、難解な蔵書を読み尽くし、4歳の時には杖と契約し、5歳の今では土のメイジとしての才能の片鱗を見せ始めている。
子供とは思えない落ち着きを見せたかと思えば、時に突拍子も無いことをやらかして、私たちをひやひやさせることもある。

妻もウードを溺愛し、熱心に教育している。
最近はそろそろ二人目が生まれそうなので、大事をとって安静にさせているが。

さて、今日は一体何の用だろうか。
ウードは手間のかからない子だったし、頼みごとなんて滅多に無いことだ。

「ちちうえ、わたしはもっと、ほんがよみたいです」

「おおそうかそうか、しかし、もう家にはお前の読んでいない本は無いのだったな。
 後は、王立図書館かアカデミーか魔法学院くらいのものか」

「そこにいけば、まだほんはあるのですか!?」

「ああ、そちらに行けば本は読めるが、どちらに行くにも馬車で10日は掛かる。いくらお前が天才とはいえ、まだ5歳だ。
 長旅はきつかろう。それにもうすぐお前の妹か弟が生まれるだろうから、それまでは私もここを離れられないしな」

シャンリットは辺境にある領地だ。
生まれた子供を紋章院に登録するのに王都に行くのだって結構な負担なのだ。
王都の別邸の管理も大変だしな……。

「そうですか……。では、せめてもっとまほうについておしえてください」

「うむ、良いだろう。とはいえ、私は政務でなかなか時間が取れないし、お母さんは今、大変だしな。
 家庭教師でも雇うか……」

実践はともかく、知識という面ではウードは私を追い抜きつつある。まったく、わが子ながら頼もしいことだ。
しかしどうしたものか。家庭教師を雇おうにも、家の収入では雇える教師もたかが知れているし……。

「ちちうえ、もしかして、おかねないです?」

「ギクリ。……いや、そんなことはないぞ……」

「ほんとうですか……?」

本当に大人顔負けだな、この子は。将来が楽しみでもあるが……。

「……全く、ウードには敵わないな。そのとおりだ。
 親として情けない限りだが、お前の求める以上の家庭教師を今すぐに用意することは、難しい」

出産にかかる秘薬代もバカにならないのだ。
現在、伯爵家は緊縮財政なのである。
もちろん秘薬なしでの出産もできないことはないが、ウードの時に秘薬をケチッたら死にかけたからな、ウードが。

「そうですか。……わかりました。いまはもっとたんれんにはげみ、ちからをつけることにせんねんします。
 でも、きっと、おとうとかいもうとがうまれたら、としょかんにつれていってくださいね」

おお、ウードよ、なんていい子なのだ。父は自分がふがいなさ過ぎて泣けてきそうだ。

しかし、そんなに本が読みたいのか……。
そういえば、私の父上や他にも何代か前の当主の日記がどこかに仕舞ってあったはず……。
百年分以上の量があるだろうから結構読み応えはあるはずだ。私は読んだことはないが。
一先ずは、その日記で我慢してもらうか……。

私はウードに日記の置いてある部屋を教えた。
ウードも何も読むものが無いよりはマシだと思ったのか、その日記を読むことにしたようだ。



解っていたことではあるが、いつの世も、研究のためにはお金が掛かる。

研究に限らず何につけても金、金、カネ。世の中、金だ。

領地経営もその例には漏れない。
領地が豊かでもない伯爵家では、その収入も高が知れている。
金がないのは首がないのと同じだ。

さて、当面の課題は領地を富ませることか。
俺が継ぐ領地でもあるし、将来、研究に専念するためにも、収入は多いほうが良い。

実は、ダイヤモンドの『錬金』ぐらいは容易いのだが、それは伏せておこう。
最後の最後、どうしようも無くなったらの切り札だし。
大体、『錬金』する物質によって必要な精神力が異なるのがおかしいのだと俺は感じている。

複雑な組成の合金を『錬金』するほうが難しそうだが、一般には青銅などの合金より金の『錬金』のほうが難しいとされている。

まあ、俺にはそういった、ハルケギニア一般の『錬金』の難易度は適応されないようだ。
転生者特権というか、原子や電子の概念を持っているからか、『錬金』の魔法でそれらを操作することも容易だった。テンプレ乙。
『錬金』の亜種なのか何なのか分からないが、物質の状態を操作することも比較的簡単に出来た。
まあ、元素変換に比べれば状態変化くらい楽勝だろうと考えていたからかも知れない。

固体から液体、または気体へと変化させることが出来たし、プラズマ化(イオン化)することも簡単に出来た。逆もまたしかり。
『ライトニングクラウド』という雷を発生させる風の上級スペルがあるが、
そんなものなんか使わずに空気中の分子を電離させて電光を発生させることが出来た。
プラズマ化する魔法は火系統だろうし、気体を液体にする魔法は水系統なのだろうが、
俺の中では、これらの状態操作を広義の物質操作(=『錬金』)として捉えているので、『錬金』で再現出来るようだ。
魔法行使には本人の認識が大事だということだろう。
土水火風と4系統に便宜上は分けているものの、今後研究する上では別の分類を考えたほうがいいだろう。

さて、領地を富ませるにあたって、まずはシャンリット家が治める土地の現状分析が大事だ。
読むものが無くなってからは、ご先祖の残した日記や、帳簿などをペラペラとめくっている。
それによって、おおよそ、シャンリットがどのような土地なのかも分かってきた。

このシャンリット伯爵家の治める土地は、可もなく不可もなくといった土地だ。
痩せているという訳でもないし、特産品があるわけでもない。

強いて言うなら、代々の当主の使い魔がジャイアントワームだったりブラックウィドウだったりしたので、
養蚕業というか絹の生産を少しだけしている位か。
それでも特産品と呼ぶには程遠い生産量だ。
まあ、非常に高価なものではあるし、シャンリットのスパイダーシルクと言えばかつては高級生地の代名詞だったとか。
今は、落ち目になってしまっているが……。

領地は殆どが山と森に覆われており、そこにはゴブリンやオークが比較的多く生息している。
また森の中には糸を吐いたり繭を作ったりする虫・幻獣が多く生息しているらしい。シャンリットの土地の特色だとか。

森が多く平地は少なく、街道の発達は未熟で首都から遠く、そもそも人口が少ない。
多分森の中の亜人の方が人間より多いだろう。
このあたりはマイナスポイントだな。
まともにやったら、領地を富ませるまでに10年単位の時間が掛かるだろう。

プラスポイントとしては、土地がそこそこ広いことと森林資源が豊富なこと、水には困らないことだろうか。
森は開墾すれば良い農地になるだろう。山も領境になるくらい峻厳なものだが、なにか鉱脈があるかも知れないし。

こちらの世界には魔法なんて出鱈目な力があるのだ。
領地開発にはこれを活用しないわけには行かないだろう。というか、なんでそういう方面に魔法が活用されていないのだろうか。
きちんと計画を立てれば、10年といわずにもっと短い期間でも発展させられるはずだ。

しかし、俺が表立って何かやれば、さすがにそれは行き過ぎだろうし……。
俺は、今はまだ伯爵家の嫡男に過ぎず、改革を断行出来るほどの権限もない。
というか、意見を出してもそれが採用されるとも思えない。
色々意見を出しすぎれば、怪しまれるだろうし、場合によっては腐れ神官につかまって異端審問にもかけられかねない。
良くて気狂いとして一生領地に幽閉されるくらいか。

火炙りはゴメンだ。死病にかかって死ぬより苦しいのではないだろうか?それともあっさり酸欠で死ねるのかな。
いや、神官連中なら、水魔法で延命させて、より長く苦しめさせそうだ。

ふむ、しかしどうしたものかな。
自分が実権を握るまで大人しくしておくか?
いや、それまで待てないぞ。この知的好奇心と呼ぶに生ぬるい衝動を持て余す。
バレないようにこっそりと魔法を使って、色々やってみるか。
魔法の練習にもなるし。というか他にやることもないし。
そうだな、今植えられている作物の品種改良や、土壌改良ならば今までの延長だし、もしバレても、いきなり異端審問ってことはないだろう。
……ないはずだ。ないよね?……ないといいなあ。

作物の遺伝子を弄れるようになれば、幻獣や魔物にも適応出来るだろうか。
幻獣の家畜化や改良を行うのも良いかもしれない。
例えば、繭を作ったり糸を出す幻獣を家畜化し、細々とやっている絹の生産を立派な産業にするとか。

まあ、魔法で何が出来るのかの限界を実験する意味も込めて色々やってみるか。
むしろ俺としてはこちらの実験の方がメインになるな。魔法研究、楽しみです。

異端審問に掛けられないように、秘密裏に事を進める方法を考えなければな。
畑に『錬金』で肥料を施すにしても、その様子をあまり見られたくないし、頻繁に出歩くことも出来ないし。
遠く離れたところから魔法が使えればいいんだけど。そうすれば屋敷の中から領地の畑に『錬金』したり、他にも色々出来るだろうし。
でも、杖から離れたところに魔法を使うのは難しいらしいんだよな。

……てことは、杖そのものを伸ばせばいいんじゃなかろうか?
発想の逆転。この考えはイケそうな気がする。



部屋のベッドの中で俺は杖に意識を集中させる。とはいっても、俺のそれは通常のメイジが持つタクトのようなものではない。

それは黒く光沢を持った、自分の身長の1.5倍の長さはあろうかという鞭。
カウボーイが牛の群れを誘導する際に用いる“牛追い鞭”だ。それを手に持ち、ベッドから垂らして床に這わせる。

この鞭は、初めにもらった杖を中心にして、前世ではカーボンナノチューブと呼ばれていたモノを
杖を覆うように『錬金』で作り出して覆い、それを束ねて作ったものだ。

もとはどれくらい小さな対象を杖として認識できるか、そしてどこまで大きい対象を杖として認識できるかを試すために始めたものだ。
結果は、小さい方はおよそ視認出来る大きさなら問題なかった。
大きい方は検証中だが、感触としては、ひと繋がりの分子としてカーボンナノチューブを伸ばす分には、
どれだけ長く大きくしても杖として認識出来そうである。

材質がカーボンナノチューブなのは、簡単には千切れないようにするためだ。あとは、現代科学的ロマンとも言える。

いつかカーボンナノチューブを利用して軌道エレベータでも作ってやろうかと思っている。
風石の魔力を調整していけば、案外簡単に衛星を打ち上げられるのではなかろうか。
風石がどんな原理で浮いてるのか分からないが。重力遮断とか?
アルビオン(空に浮いている大陸)ごとラピュタのラストみたいに宇宙に飛ばせたりしてな。

『レビテーション』や風石の浮力が、重力操作あるいは質量操作によるものなら非常に興味深い。
俺が元居た世界では未だ発見されていなかったが、重力の媒介となる重力子、
もしくは質量を発生させるヒッグス場に対して何らかの影響を与えているのだろうか。
そうだとすれば、重力(あるいは質量)の軽減だけではなくて逆に加重をかけたり質量を増大させることも出来るかも知れない。
最終的にはマイクロブラックホールも出来たりして?

話をカーボンナノチューブに戻そう。
カーボンナノチューブの束(俺は〈黒糸〉と言っている)の一端は俺の体の中に入り込み、全身に根を張るように張り巡らされている。
これは神経系に並行する形で全身を覆っており、今後、ディテクトマジックでの体内の状況把握や、
水魔法による成長促進などに使おうと思っている。

もちろん、体内の〈黒糸〉も杖として契約しているものの延長であるので、今後は一見無手でも体内の〈黒糸〉を媒体に魔法を使えるだろう。
間違って体内で『ブレイド』の魔法を発動したら、体中がぐずぐずのミンチになるだろうが……。

〈黒糸〉のもう一端は床に触れたところから伸ばして、領地の地面の中を縦横無尽に這わせている。
“秘密裏に領地を豊かにする方法”として俺が考えたのは、伸ばした杖によって遠隔地から『錬金』による地質改良を行うというものだ。
幸いにして杖を伸ばして魔法を使うという試みは成功し、コツを掴めば伸ばした杖の何処ででも魔法を発動させることが出来そうだ。

とはいえ、領地に広げている方の〈黒糸〉とは常時接続している訳にもいかないので、
必要なときに応じて手持ちの鞭状の杖か体内から〈黒糸〉を伸ばしては地下のネットワークに接続するとしよう。
手元の鞭状の杖と地下のカーボンナノチューブネットワークは接続した時点でひとつの巨大な単分子になるため、
ありがたい事に、接続の度にいちいち杖として契約しなおす必要は無いようだ。

地下のネットワークの方はまだ、この領地の主要街道をカバーしたくらいだがなかなかの広範囲をカバーしている。
夜な夜なこれの拡張に気絶するまで精神力を注ぎ込み、〈黒糸〉のカバー範囲を伸ばしているおかげだ。
まあ、街道自体がそれほど広がっていないというのもあるが。

毎晩倒れるまで精神力を酷使していれば当然だが、ドットメイジながらも精神力のキャパシティはかなり伸びている。
精神力のキャパシティはランクが上がれば増えるというものではない。
メイジとしてのランクが上がることで変化するのは、足せる系統の数と消費する精神力の効率だ。

ラインになればドットの時の半分の精神力の消費でドットの魔法が使える。
しかし、ラインの魔法はドットの魔法の倍の精神力を消費するため、ドットの時にドットの魔法8発で息切れしていたメイジなら、
ラインになってもラインの魔法8発で息切れしてしまう。ドットの魔法なら効率が上がった分、16発使えるようになるが。

だから、系統を足す訓練とは別に、精神力のキャパシティを増大させる訓練が必要なのだ。
IntとMPの違いと言ったところだろうか。

まあ、それはともかく、毎日『錬金』で〈黒糸〉の杖を伸ばしているばかりではない。
ナノチューブのような細かいものの『錬金』と同時に、俺はマクロレベルからナノレベルまでの解析にも力を入れている。
『ディテクトマジック』という魔法は、精密に使えば、電子顕微鏡も真っ青な性能を発揮することが出来ると気がついたのだ。
これを使わない手はない。
〈黒糸〉を作る際にも『ディテクトマジック』は大いに役に立った。
これが無ければ、カーボンナノチューブが出来たかどうか確認できなかっただろう。

将来的には、この〈黒糸〉のネットワークを用いて、様々な物質の特性や領地にいる生物の生態など何から何まで解析したいと思っている。
特に地質学や生態学、系統学に対する興味がある。中世の時代なら博物学と言った方がいいかも知れない。
領地に張り巡らせているのは、そういった博物学的調査を行うための下準備でもある。

だが、解析のためにはまず記録が必要であり、記録には多くの人員や、作業効率化のための専用の魔道具が必要となるだろう。

そうだな、領内を調べるためだけの新たな幻獣やインテリジェンスアイテムを創りだすのも有効かもしれない。

それらの魔道具やキメラ作成の研究もせねばな。まあ、先ずは足元固めか。
やりたい事が多すぎてこれではいくつ身があっても足りないな。

そういえば、風の魔法には、分身を作ることが出来る『偏在』という魔法があるそうだ。
その原理も気になるが、できる事なら、その『偏在』の魔法を使えるようになりたいものだ。

それとも土メイジの俺なら、遠隔操作型のゴーレムを複数使役できるほうが効率が良いのだろうか?
いやいや、それとも、それとも……

延々と今後のことを考えながら、俺はいつものように魔法の使いすぎによる精神力切れで意識を手放した。
気絶する前の浮遊感と落下感は、前世の死に際のことを思い出す。
底の見えない深淵と、掴んだ蜘蛛の糸。
遠く暗闇に浮かぶ赤い瞳は、蜘蛛の巣の主のものだろうか。
――ああ神だか仏だか、邪神だか知らないが、あなたには本当に感謝している。

さあ、二度目の生を楽しもうじゃないか。

======================================================
ウードは転生に気づいた時点でSAN値激減。
正気を失って、異常な好奇心と、蜘蛛への偏愛を獲得しています。
『先代の日記』は重要アイテム?

2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字等修正



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 2.命の尊さを実感しながらジェノサイド
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/21 22:05
志し新たに、俺が領地を富ませるという貴族の義務に目覚めてから1ヶ月ほどが過ぎた。
まあ結局自分のためなのだがねー。研究には金が要るのです。パトロン探した方が早いけどね。
しかしそれはそれ。自分の金が有るに越したことはないし。

俺はこつこつ毎日、ナノチューブのネットワークを拡張しながら、そのネットワークを通じて街道の表面の地面に『硬化』を掛けたり、
田畑に伸ばした先端を介して窒素系やリン系の物質をこっそり『錬金』したり、
領民の持つ農具の先端に『硬化』と『固定化』をかけたりして地道に努力をしていた。

そのおかげか、日に日に精神力の容量も増え、魔法の扱いも巧みになっている。
広範囲に張り巡らせた〈黒糸〉の任意の場所に『遠見』や『錬金』の魔法を発動させたり、
〈黒糸〉をソナーのように使って地表・地下の様子を探ったりするのも大分慣れてきた。
未だに二つ以上の属性を足して扱うことはできないが。

まあ、路面の舗装や地質改良などの成果が領地に現れるのは1年は掛かるだろう。
何事にも時間は必要なのだ。

ドットレベルとはいえ、魔法の練習でやるべき事は沢山ある。
それに今後、戦争や何かに出ることがあるかもしれないので、一応、戦闘への魔法の応用も考えている。

今のところ、戦闘に使う魔法に関しては、鞭から糸くらいの太さの〈黒糸〉に『ブレイド』を纏わせ、
それを『念動』で操作することをメインにしようと思っている。

自分のメイジとしての才能がどの程度あるのか分からないので、ひとまず今使える魔法で戦法を考えたのだ。
まあ、鋼糸術とか曲弦技に憧れがあったってのもある。
ウォルターカッコいいよね。あるいはザレゴトの姫ちゃん(シグナルイエロー)とか。
最終目標は今のところその位のレベルの戦術級の戦闘力である。

その他将来的に領地を豊かにする方法をいろいろ考えている。
例えば、作物の遺伝子改良のために、遺伝子導入ウィルスでも作ってばら撒くとか。
もちろん、下手したらバイオハザードなので特定作物以外に感染しないようにとか、
空気中では生きられないようにとか、安全策を講じる必要がある。

これは、秘密裏に品種改良を行うなら、植物体を一本一本改造するよりも、
ウィルスを使って広範囲で自動的に改良していったほうがいいのではないかと考えたからだ。
実際に行うかどうか予定は未定だが。

あと、自分の体を実験台として、体中に張り巡らせたナノチューブ〈黒糸〉を介して筋肉や骨の成長・強化や体の様々な働きを調査している。
このまま分析結果を元に身体強化を進めれば、6歳児ながらに異常な体力と頑丈さを得られそうだ。

体内の調査を通じて、肉体強化の他にも、魔法を使う際に脳のどこが活性化するかなどを知ることができたのは素晴らしい成果だ。

身近にスクウェアメイジはいないが、機会があればスクエアメイジの脳の働きを調査し、他のメイジと比較することで
無理やりランクを上げる方法を見つけることができるだろう。実際に自分で試す気は今のところはあまりないが。

さらに突き進めれば平民でもスクエアメイジにすることもできるかもしれない。
スクエアメイジからなる人外の膂力を発揮する軍団ができるかも……夢が広がリング。
まずは実験を行って手法を確立したいのだが、いきなり人体実験するわけにもいかないし、どうしたものか。

他にもマジックアイテムの構造解析も行いたいし、風石の力を浮力に変換するフネの仕組みも知りたい。

やりたい事が沢山ありすぎて、人手が全く足りない。ここは是非とも『偏在』の魔法を身につけたいものだ。
しかしながら俺は土のメイジなので、『偏在』を身につけることは難しいだろう。
そもそもスクエアスペルだしな、『偏在』って。
原理も良く分からないし。
ちなみに、俺の適性は割合で言うと、土:5、水:3、火:1、風:1のようだ。基準は自分の感覚でしかないのだが。
まあ、母上が水のトライアングルで、父上が土のトライアングルだから妥当なところだろう。
人によっては特定の系統が全く使えなかったりということもあるそうだし、俺は恵まれている方だろう。

『偏在』が無理ならば、自律型の情報収集用のガーゴイルでも作ってみるのが良いだろうか。
アイテム作成に有利な土系統がメイン系統だし。
あるいは、蜂が蜜を集めるように、本能で情報収集と蓄積を行うような情報収集用の幻獣でも作れないだろうか。
生命操作に関わりが深い水系統も得意だし。

そういえば、前居た世界では、イカは宇宙人が情報収集のために作ったカメラユニットだ、とかいう話があったな。
理由は、その身体に対して不必要に目の機能が発達しているからだとか何とか。
情報収集用の生物を作る、という発想はそんな与太話から来ている。
それに奴隷種族や奉仕種族の作成というのは憧れるものがあるしね。

なんにしても、それらのマジックアイテム作成技術や魔法生物作成技術は必要だな。
情報収集の補助用にこれらの技術は使えるはずだ。
知りたいことは多すぎて、自分の手だけでは全く足りないのだから。

……何も全てを自分で調べることは無いのだし。
奴隷種族はともかく、一人で無理なら人手を借りるべきだ。
ひょっとしたら情報の流通が遅いだけで既に同じようなことを調べている人が居るかも知れない。
それなら、ある所から知識や技術を持って来ればいい。

つまり、知識を持った人間から記憶を吸い上げればいい。
……ん?なんかナチュラルに記憶を搾取するみたいな発想が出てきたが、これってどうなんだ、人として。
まあ、水魔法にはきっとそのような魔法もあるだろう。
〈黒糸〉を脳に刺せば記憶を読めるかもしれないが、間違って殺してしまってはコトだし、
既存の魔法に記憶を読む魔法があるならその魔法を習得するのが確実だろう。

まあ、他の人間の研究を知ろうというのなら、掛かる時間を度外視すれば魔法で吸い上げたりしなくとも、
論文を発表し評価する仕組みを作り上げる方が良いだろうけど。
国際的な論文評価機構というか、研究者同士のギルドと言うか、そういうのがあればいいと思うんだが。
でも、この世界では行われている研究の多くは魔法関連だし、魔法技術が軍事に直結してるから、そうそう上手くはいかないだろうな。
特定の家の秘伝の魔法なんてのはゴロゴロあるらしいし。
というか、個人の資質に頼りすぎてて、そのうえ感覚で魔法を使ってるから、下手したら一代限りの魔法なんてのも多そうだ。

一応、ロマリアの方で不定期に十数年に一度、魔法の総覧を作って、新魔法について始祖正統の魔法かどうかを評価・登録・管理する部署があるらしいが、
その御眼鏡に適ったところで、貰えるのは名誉のみ。
寧ろ、登録料という名の寄付金を取られる
何処の世界でも神官連中は悪辣だな。
その名誉を求めるものはそれなりに多いが、十数年に一度くらいしか編纂しないから、それがあることすら知らないメイジの方が大半だ。

しかも総覧に載せるかどうか評価する基準は、大抵が戦場での戦果しか無いものだから、
現在総覧に載っていて広く知られている魔法というのは戦闘用の魔法が非常に多くなってしまっている。
これには戦勝国家のプロパガンダ的な一面も無きにしも有らずだが。
「うちはこんな凄い魔法で勝ったんだぞー、どうだカッコいいだろう!」的な。
あと、登録料がそれなりに高いので、勝って羽振りが良くないと登録しようって気にならないという面もある。

もちろん、国ごとの魔法学院にはその国ごとの教科書もあるし、そこにはアカデミーの研究結果を受けての魔法の新運用法が載ってたりする。
しかし、国家にとって、諸侯貴族とはあまり力をつけられても困る存在なわけで、画期的に領地を富ませる魔法なんてのは教科書には載っていないようだ。
教科書に載っていることと言えば、いつどこと戦争して勝ったのか負けたのか、始祖以来の王室の歴史は、といった事柄であり、それが修飾語過多な文で綴られているのだ。

もはや魔法学院は魔法を教える場所ではなく、諸侯貴族の子女に愛国心と王家への忠誠心を植えつけて反乱を抑止することが第一目的となっていた。
そのため諸侯は子女を、少なくとも爵位や領地の継承者を魔法学院に入学させることが半ば義務となっている。
これは諸侯に対する人質の意味合いも大きい。

まあ、それはともかく情報を集める布石として、一先ずは人の多く集まる王都まで〈黒糸〉を伸ばさなくては、な。
王立図書館や魔法学院、アカデミーの蔵書も気になるし。






  蜘蛛の糸の繋がる先は 2.命の尊さを実感しながらジェノサイド






母上がそろそろ出産である。この時代の出産は、魔法があるとは言え、まだまだ命の危険を伴うものである。

とはいえ、貴族ともなれば水の秘薬を用いて痛みを和らげたり、分娩を促進したりも可能であるため、それほどの危険は無いだろう。

勿論というか、なんというか妊娠促進薬や避妊薬もあるのだとか。
あと惚れ薬やら媚薬やら。
無理やり精神を高揚させる薬を使えば、メイジのランクくらいすぐに上がりそうなものだが、そんな話は聞かない。
きっと秘匿されているのだろう。
あるいは副作用が大きいから禁止されているのかも。

「おぎゃああああ、おぎゃああああ!」

どうやら生まれたらしい。
母上、お疲れ様です。

そう言えば、転生して生まれて直ぐのことや胎内での記憶は無いなあ。
俺もああして取り上げられたのだろうか。

生まれる直前の記憶としては糸を伝って登ってきたようなヴィジョンはあるのだが。
普通は生まれる時の記憶って、産道をくぐる時のトンネルを抜けるようなヴィジョンが多いと聞いたような?

「よくやった!可愛らしい女の子だぞ!」

父上が興奮しているな。
やはり男親にとって娘というものは特別らしい。

「ウード!これがお前の妹だ!兄としてしっかり守ってやってくれ!」

「勿論です。父上。兄は妹を守るものだと決まっています。きっとこの子は母上に似た美人になるでしょう」

「うむうむ、やはりそう思うか!きっと美人になるぞ!」

といっても、今の段階では猿と変わらないがな。

猿、猿か。
確か、領地の端にゴブリンの根城があったな。他にも北の森にオークの群れもいたか。
ゴブリンとは群れで暮らす人型の魔物で、猿か老人のような顔で子供の背丈をしている。益獣害獣で言えば害獣に区分される。
オークは豚面の肥満体で、その脂肪の鎧と桁外れの膂力で、戦士5人をまともに相手に出来る位の戦力を持っている。

どういう原理か不明だが、どちらも人間の女性の胎を苗床に殖えることが出来るという、邪悪な種族である。
オークにもゴブリンにもそれぞれの種族のメスがいるのに関わらず、だ。
機会があれば、いつかそのメカニズムを解明してやりたいものだ。
逆にオークやゴブリンの雌が人間の子供を孕むかどうかというのは聞いたことが無い。
実験くらいはされてそうだが。
アカデミーにはそういった資料もあるだろうか。

さて、それらハルケギニア特有の幻獣の体の構造も調べたいし、領民の不安を除くためにも実験がてら討伐しとくかな?
実験がメインだろうって?
……ごめんなさい、その通りです、ハイ。

「ウードはまた難しい顔をして。そんなにしてると禿げるわよ?」

……母上、出産なんて大仕事の後の割りに元気ですね。

「母は強しという奴よ~」

そうですか。さすが母上。水のトライアングルですから出産程度は楽勝なのですね。
その調子で弟も産んでくれると助かります。
俺は領地経営より研究を優先したいので。

「なに言ってるの、長男なのだからしっかりしなさいよ。
 それに、あなた以上に頭イイ子は早々生まれないだろうし。
 期待してるのよ、お兄ちゃん」

……そうですか。

……やはり少なくとも政務を執る『俺』と、研究する『俺』で、二つは体が必要な気がしてきた。
『偏在』の魔法が良いだろうか、やはり。
いや、信頼できる腹心を見つける方が良いか?

まあいい。ひとまず、先程の思いつきを実行に移そう。
オークとゴブリンの討伐だ。

しかし、妹は本当にかわいいな。
サルみたいな顔だが、なんかとても愛しく思えてくる。
母上も凄い。
命の誕生ってのは、なんかこう、感動するな。

どうせ転生するなら、女性に生まれて今生では出産の感動というものを味わってみたかったものだ。



その後、寝る直前、俺は、先ずは領地の西の端にあるゴブリンの群落に意識を飛ばしていた。

既に〈黒糸〉はシャンリットの領地ほぼ全てをカバーしており、どこに何がいるかを知ることなんて、朝飯前なのだ。
……いや朝飯前は言い過ぎた。
流石にそこまで細かくは無理だ。頭がパンクする。
種を明かすと〈黒糸〉を張り巡らせている範囲について地図を作成して地表に何があるか地上を『遠見』で見てマッピングしているからだ。
今手元にあるのは大まかに地形を書き込んだ地図くらいだが、そこから更に拡大して精細な情報を書き込んだものを作成中である。

地図を作成するにあたって、〈黒糸〉と『遠見』の魔法からの情報を描き写すマッピング技術と、
それを記録しておくための紙……の代替となるフィルム状のものと、インクの『錬金』、それらに対する『固定化』が上達した。

ゴブリンの集落は、その領内の詳細バージョンの地図作成の際に偶然見つけたものだ。
ずいぶん辺鄙な所に村があると思ってみたら、住んでたのはゴブリンだった。
廃村にでも住み着いたのだろうか。
前にウチで見た幻獣辞典ではゴブリンに住居を作るような知能はないという話だったのだが。
しかし、廃村にしては、建っている小屋のサイズはゴブリンサイズだし……。
突然変異だろうか。

先程、俺が『錬金』で〈黒糸〉を地下から伸展させたため、このゴブリンの集落の、その粗末な小屋の全てに至るまで、〈黒糸〉は張り巡らされている。
それどころか、寝静まったゴブリンの一匹一匹に至るまで、〈黒糸〉は侵しており、もはや俺が念じるだけで、ゴブリンたちは脳幹をズタズタに破壊されることは明らかであった。

では、なぜ直ぐにそうしないかというと、使い道を考えているからだ。

50匹からなるこのゴブリンの集落の使い道を考えている。

これから作成し、領内に普及させる予定の作物の毒見役はどうだろう。
鼠並みに良く増え、鼠よりは人に生態的特徴が近いこいつらは、最適な実験動物であるといえよう。

遺伝子構造的にも人に近いものがある。というか、こいつらは多分人を基に作られた生物なのだろう。
何時、誰にというのは分からないが。
案外、俺と同じように奴隷用の幻獣を作ろうと考えた奴がいたのかもしれない。

あるいは、精神力の外部タンクとして使う事も出来るかもしれない。

ゴブリンは魔法は使えないらしいが、これだけ人間に近ければ、メイジの遺伝子を導入してやるだけで系統魔法を使えるだろう。
しかも、突然変異か何か知らないが、この集落のゴブリンは今まで知られているゴブリンより知能が高いようであるし。

ひとつの杖に対して複数のメイジが契約出来るのかどうか分からないが、もし可能なら、
ゴブリンたちも〈黒糸〉のネットワークに対して契約させてみよう。

自分は魔法を発動させる命令だけして、実際の発動は〈黒糸〉を介して接続しているゴブリンたちにやらせる事が出来るかもしれない。
そうすれば自分は精神力を殆ど使わずに魔法が発動できるし、複数属性の多重発動や、
王家に伝わるというスクエアを超える戦略級魔法すら簡単に使用可能になるではないだろうか。

元気玉みたいなもんかな。みんな、オラに力を分けてくれ!ってか。

あ、これだと空を飛んでいる時には〈黒糸〉から離れるから、使えなくなる可能性があるのか。
……後で解決方法を考えよう。

まあ、何にせよ、すぐに殺すのは惜しい。
自在に使役することができるなら、ゴブリンやオークといった亜人は労働力として非常に使い勝手がいいだろう。
まあ、オークよりはゴブリンかな。
繁殖速度が早いし、ここのは知能高そうだし。

よし、この方向で考えるか。品種改良して、家畜化し知能を高め、奴隷……奉仕種族として使役する。
労働力としてはもちろん、戦力としても使えるかもしれない。
というか、わざわざ人間集めて組織を作るより、最初から自分に絶対服従な感じの洗脳を施した亜人の奴隷の方が使えるかもしれないな。
世俗の余計なしがらみもないし。

……フフフ。
ならば早速改造だ!フハハハハ!系統魔法を使えるように脳改造する実験体としても使わせてもらおう。
いろいろ交配して、魔法的素質の高いものを作り出しても面白いかもしれない。
まずは家畜化からだが。
ああ、エルフや吸血鬼や翼人の先住魔法の秘密も知りたくなってきたぞ!
テンション上がってきた。

やることが多すぎるな、やはり。どうにかして『偏在』を使えるようにならねば。

遠見の鏡など、魔法を補助する道具があるのだから、『偏在』を補助する魔道具があってもいいはずだ。

魔道具にはおそらく、メイジが詠唱する際の精神力の動きを擬似的に再現する回路が組み込まれているんだろう。

それに精神力(魔力?)を流すことで、刻まれた術式どおりに魔法が発動される……という仕組みかな。

これを逆に利用すれば、例えば、『ライトニングクラウド』を発生させる杖があれば、電流を魔力に変換できるかも知れない。

既存の物を集めて解析したいな。
現役のマジックアイテム作成者にも師事したい。
うーむ、やはり体が一つじゃ足りないな。

『偏在』のような効果を表すアイテムとして、スキルニルというのがあるのをこの間、本で読んで知った。

何でも、血を吸った相手に化けられるそうだ。
非常に仕組みが気になる。
あったら便利そうだし。
あー、どこかにスキルニルでも落ちてないだろうか。
……『偏在』よりはスキルニルの方が現実的なのかなー。



ゴブリンの集落から意識を離し、今度は北に向ける。北の森の中にあるオークの群れだ。
森の中は今のところ静かなものである。草木も眠る丑三つ時とはよく言ったものだ。

オークが寝静まってから、〈黒糸〉を突き刺して脳だけ破壊するのがスマートだったのだが、
今回は実戦訓練というか戦闘実証というか、構想を練ってきた鋼糸術など、〈黒糸〉を活用した戦法を試そうと思う。

先ずはオーソドックスな使い方として、鋼糸術を試してみる。

〈黒糸〉を細く長く出して、『念動』で寝入っているオークの首に絡みつかせる。
そして端を一気に引っ張って絞り、切断する!

殆ど抵抗を感じずに、首を切断することが出来た。じわじわと切断面から血が滲むが、直ぐには首は千切れ無かった。
切断面が鋭利すぎたのかもしれない。オークの生命力は切ったそばから首を繋げてしまったのか?

先ほどと同じように〈黒糸〉を巻きつけ、今度は首を掬い上げるようなベクトルを加えて引っ張った。
ごろりと悲鳴も上げずにオークの首が転がり、胴体から血が吹き出す。

その血の匂いに気づいて周囲のオークが起き出すが、問題ない。
何せ、本体の俺は遠く離れた屋敷の寝室から〈黒糸〉を操っているのだから。
……今後も戦場に出るようなことはないと良いなあ。
戦場に出るようなハメになっても、精巧なゴーレムを身代わりに立てて自分は安全圏に居るのがベストだ。

戦闘に勝利する手段とは、つまるところ、如何に自分を安全圏に置いて相手を攻撃出来るかを突き詰めることだと思う。
槍しかり、狙撃銃しかり、ミサイルしかり。
アウトレンジからの一方的な蹂躙が武器の進化のひとつの究極だと思う。

誰だって痛い思いはしたくないのだ。もちろん私だってそうだ。
ヒトほど痛がりな動物はいないとも言うし。

それに私は何も成し遂げていない。
世界の真理を何も知っていない。
そんなんじゃあ、もう一度死んでやることは出来ない。


血の匂いに興奮して集まってきたオークに、まとめて〈黒糸〉を巻き付かせてバラバラに切断、惨殺する。
傷口から迸る血が、あたりを染め上げる。
ドサドサと体のパーツが落ちる音と、更にまき散らされた血と臓物の匂いで、群れ中のオークが武器を手に集まってくる。

集まってきたオークの一匹が血溜まりに足をついた瞬間に、その下から無数の〈黒糸〉を地面から生やして、足裏から脛半ばまで侵食させる。
あたり一面に既に〈黒糸〉を張り巡らせてあるので、『錬金』でいくらでも何処からでも〈黒糸〉を作り出せるのだ。

急に、文字通り足に根が生えたかのように動けなくなるオーク。そいつはつんのめって、前に……つまり臓物の海に倒れる。
瞬時に、倒れたオークの全身と散らばって折り重なっているオークだったモノにも〈黒糸〉を侵食させる。
バラバラになったパーツを〈黒糸〉を縮めて引き寄せ、転んだオークの表面に密着させ、縫合する。
そしてオークと散らばっていた臓物を縫いつけた接合面にある〈黒糸〉全体で『治癒』を発動させる。
かなり精神力が持って行かれる感覚がするが、実験のためなら全く惜しくない。

〈黒糸〉は鋼糸であり、かつ杖でもあるために、このような真似が出来る。
視認出来ない遠隔地で魔法を使っているせいか、〈黒糸〉表面から離れたところには効果を表せないのが、欠点といえば欠点だろうか。
これも、熟練すれば解決される類のような気がするが。
あるいは、『遠見』の魔法を他の魔法と併用出来るようになるとか。
今は〈黒糸〉を伝わる触覚と断続的に切り替えて使う『遠見』の魔法の光景をもとに魔法行使してるからな。

臓物との継ぎ接ぎオークに『治癒』を使ったのは、亡き戦友の遺志を継いで戦友の腕を自分に繋いで4本の腕で戦い続けたという、
ある水メイジの逸話を試したくなったからだ。

そして『治癒』は効果を発揮し、死にたての死体は、生きているオークを中心にして接続され、醜悪な肉の塊となった。
俺のレベルでは軽い切り傷を塞ぐくらいの『治癒』しか出来ないが、〈黒糸〉で事前に肉片同士を縫い合わせていれば傷を塞ぐ程度の『治癒』で充分だ。

転んだオークからは腕や足が無秩序に生え、合間にテラテラと光る臓物が見える。
中心になったオークが哀れな鳴き声を上げている。

……どうやら接続は成功のようだが、流石に神経は通っていないか。
阿修羅みたいな六臂オークにでも出来るかと思ったが、そこまで魔法は万能ではないか。
というか、俺のランクが足りないからだな。
細胞レベルでの小さな領域の『治癒』なら〈黒糸〉によって威力を集中させられる分、俺は通常のドットメイジよりも強力な治癒力を出せるが、
新しい腕をつける、というような骨格レベルでの改造には実力が不足しているようだ。

見るに堪えない醜悪な肉塊にトドメを刺すべく魔法を唱える。
使う魔法は火魔法の初歩『発火』。
それを肉塊に張り巡らせた〈黒糸〉の表面で使用する。

〈黒糸〉の表面から数ミリの空間の温度が瞬く間に上昇し、みるみるうちに肉はジュウジュウと茹だり凝り固まって炭化し、やがて発火する。
仲間がワケの分からない肉塊になり、目の前で焼け焦げていく中で、さすがのオーク達も恐慌をきたして逃げ出した。

俺は『発火』の魔法を使っている最中なので、他の魔法は使えない。
魔法の複数同時行使に至るは、まだまだ熟練度が足りない。
だが、既にこの場は俺の領域だ。
逃がしはしない。
森の中には、この群れの周りを囲むように〈黒糸〉が縦横に張り巡らされているため、決して逃げることはできないだろう。

案の定、逃げた先で網にかかったのだろう。
木々の間に張り巡らされた〈黒糸〉に突っ込んで、切り刻まれたであろうオークたちの断末魔が聞こえてくる。

『発火』の発動を一旦止め、残りのオークを討伐しに意識を移動させる。
〈黒糸〉の上で意識を滑らせるのは、音よりもずっと早い。
光にも匹敵するだろう。
まあ、予め意識を移す場所を明確に定義しないといけないのだが。

あるオークには心臓に突き刺した〈黒糸〉の先で『集水』を使った。
心臓が送り出す以上の血液が魔法によって無理やり集められて、心臓が破裂して死んだ。

あるオークは下半身を〈黒糸〉で地面に縫いつけて、上半身だけを『フライ』で飛ばして殺した。
千切れた上半身と下半身を腸がだらしなく繋ぐ醜怪なオブジェが出来上がった。
更に細切れにして『発火』で燃やした。

あるオークには、全身に浸透させた〈黒糸〉から『エア・カッター』を生じさせて、細切れのミンチにした。

あるオークは生きたまま身体をじわじわと『錬金』して、彫像に変えた。
どうやら、生きている生物であっても、微細領域に限れば『錬金』は成功するらしい。
これが魔法が使えるメイジや先住種族であれば分からないが。

自分が現場にいない気楽さからか、あるいは体に引っ張られて子供特有の残酷さでも発揮したのか、
思いつく限りのあらゆる魔法で殺していった。

オークの脳内で『錬金』を用いて水分を一気に気体に変化させて、頭蓋骨を破裂させた。

内臓に張り巡らせた〈黒糸〉に『ブレイド』を纏わせて内側からズタズタにした。

〈黒糸〉を操って、まとめて切断した。


後に残ったのは、オーク10数匹分の原型もとどめない肉片の山ばかり。

それの後始末として、『集水』の魔法で、肉片の中の水分を片っ端から集めて死体を乾かしていく。

伝染病などが怖いから、後は血とナレ、肉とナレって訳には行かないのだ。

後半は魔法実験みたいになってしまったが、まあ、曲弦技の練習にはなったと思う。
あとはどれだけの数の〈黒糸〉を同時に知覚して動かすことが出来るか、である。
『念動』による〈黒糸〉の同時複数の操作が出来るようになったら、次は『念動』と他の魔法の並列使用を練習しよう。
そうして、他の魔法も同時に使いこなせれば、さらに殲滅力が上がるだろう。

いや、戦場に出る気はさらさら無いのだが。理想は絶対安全圏からの遠隔攻撃なもので。

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2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字修正/一部追記



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 3.著作権?ナニソレ美味しいの?関係ないが蜘蛛は豊穣のシンボルらしい
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/21 21:58
さて、妹が生まれてから半年余りが過ぎた。
ちなみに妹の名前はメイリーンとするそうだ。
異国の花の名前からとったとか何とか。
俺としても名に因んだ可憐な少女に育って欲しいし、実際にそうなるだろう。


以前に見つけた知能が高そうなゴブリンの集落に対しては、家畜化のために選別を行っている。
気性の荒いモノは間引き、悪食で育ちが早く大人しい性格のモノを残すようにしている。
何を食べさせてもよくて、すぐに殖えて、扱いやすいというのは実験動物として大切なことだからな。

あと、将来的に魔法を使えるようにさせたいので、脳が大きいものや舌や喉の形が発語に適しているものを優先的に残している。

また、同様のことを他にも幾つか見つけたゴブリンの集落に対しても行っている。
複数の集落から望む形質を持つものを選別し、欲しい形質を濃く持つもの同士を掛け合わせる。
今のところ、8つの形質に絞ってそれぞれに特化した血筋を創り上げようとしているところだ。

脳が大きい者。手先が器用な者。舌や喉の形が整っている者。気性が大人しく勤勉な者。
食事量に対して成長速度が早い者。好奇心旺盛な者。病気に強い者。性成熟が早い者。

これらの8つの原原々種から、2つづつを引き継ぐ原々種を作成し、その掛け合わせによって4つの形質を持ちあわせる原種を作り、最終的には特化させた8つの形質全てを受け継ぐように品種を作成するつもりだ。
今後も品種改良は続ける予定なので、目的とする8形質を持っていないゴブリンたちもむやみに殺したりはしない。
時々は野生種の血を入れないと血統が弱るからな。

ここまでは下準備の段階である。今後のことを思うと、まだまだ沢山やることがある。

そのなかでも、今、一番力を入れていることは精神作用系の水魔法の習得である。
『スリープクラウド』も最近習得した魔法の一つだ。
これが精神作用系なのか、催眠ガスを『錬金』しているような魔法なのかはいまいち分からないところだが。
両者の複合だろうか?

精神作用系の水魔法の中でも、記憶操作系の魔法を早く習得したいので、訓練に勤しんでいる。
様々な人の記憶を〈黒糸〉を介して覗ければ、より簡単により多くの知識を集めることが出来るだろう。

これらの精神系の水魔法には禁術の『制約(ギアス)』なども該当するのだが、当然そんな物騒な魔法を6歳児に教えてくれるわけもなく、
今は『スリープクラウド』や簡単な診療魔法など、水魔法の初歩を母上から習っているだけだ。

もちろん精神系だけではなくて、水魔法の他の分野にも興味がある。
生物の体や細胞などを更に細かく精査する魔法や、魔法生物の作成もいずれ本格的に学ぶつもりだ。
オーク鬼やゴブリン相手に『治癒』と外科的手法を合わせて色々とやっているが、おそらくはキメラ用に特化した魔法の方が効率はいいだろう。
母上は水魔法のプロフェッショナルらしいから、大いに学ばせてもらおう。

ちなみに、母上は水のトライアングルで、二つ名は“虹彩”というそうだ。“虹彩”といっても別に目の中にあるそれでは無い。
小さい頃から、霧を操って虹を作るのが得意だったらしく、それに因んで付けられたらしい。

多くの水メイジが雨の日を得意とする中で、母上は晴れの日ほど殲滅力が上がると言う珍しい水メイジである。
得意な魔法は、空中に広範囲に浮かべた水滴を操作して、太陽光線を敵に収束させるというオリジナルの魔法。
その名も『集光』。
名前からは絶対に水魔法とは思えない。
しかも射程距離が数リーグにも達する対軍規模の魔法であり、その名前からは想像も出来ない様な威力を出すそうだ。

父上から聞いたが、最大出力でやった際には、竜は焼き落とすわ、フネは燃やすわ、敵兵は甲冑ごと蒸し焼きになるわと、まさに地獄絵図だったそうだ。
それを話す父上の顔は何処か青ざめて見えた。
遠目で見るには、上空に巨大な円環状の虹が見えて綺麗らしいのだが、実は虹が見える場所は全て射程内な罠。
まあ、この魔法、本気の戦闘出力で使うには並外れた精神集中と、かなり開けたスペースが必要なため、
攻城戦や籠城戦、平原での会戦など全力全開に出来るシチュエーションが限られるのが僅かな救いだろうか。
最大出力を長時間維持するには無風の環境か、それに近い状況を風メイジたちに作り出させる必要があるし。

あと、この魔法には広範囲の水滴を把握し操作するために飛び抜けた認識力とセンス、トライアングル以上の実力が必要だから、母上しか使える者はいないらしい。
良かった、こんな魔法が飛び交う戦場なんて絶対行きたくない。

この魔法の維持には精々水滴を浮かべておくくらいの力しか使わないので、適性があって集中力さえ続けば、太陽が出ている限りは攻撃を続けることが出来る。
威力の割には非常にコストパフォーマンスに優れた魔法と言えるだろう。
まあ普通はその集中力が続かないのだが。

考えても見て欲しい。
上空数百メイルまでに数万とも数億ともつかない水滴を浮かべ、その形状を操作し位置を制御するなんて人間業じゃない。
正気の沙汰とも思えない。
我が母親ながら化物だ、と言わざるをえない。

俺が〈黒糸〉を介して広範囲の物事を割と簡単に認識出来るのは、母上から認識力やセンスが遺伝したおかげかも知れない。
なにせ、原子単位で『錬金』を制御しようと思ったら、その操作する原子数は数億では効かないのだ。
たかだか1リーブルの〈黒糸〉を作るにしても10の26乗以上もの数の原子を制御しなくてはならない。
自分で考察しておいてなんだが大概に化物だな、俺も。

あと、自分は安全圏にいて攻撃しようって発想も、親譲りなのかもな。
でも、母上は戦略級の遠距離攻撃使いだが父上は近接メインのメイジだとか聞いてるしな……。

さて、話を戻すが、水魔法の他にも文献によると獣人の得意とする先住魔法にも精神操作系の魔法はあるらしい。
獣人の先住魔法では、人格の植え付けすらも可能だそうだ。
もしもうまい具合に実験体にできる獣人が見つかれば、いろいろ試したいところだ。

まあ獣人なんてそうそう見つかるものではないのだが。






  蜘蛛の糸の繋がる先は 3.著作権?ナニソレ美味しいの?関係ないが蜘蛛は豊穣のシンボルらしい






で、一通り母上から水魔法について習った結果、記憶を覗く魔法はあるらしいのだが、トライアングル以上の実力が無いと使えないとされていることが判明した。
まあ、俺の『錬金』の例があるから一概には言えないが。

倫理上の問題から、当然のごとく禁呪指定である。
拷問吏の一族には代々受け継がれているらしいが、普通の水メイジはそういう魔法が存在しているくらいしか知らないはずだ。

母上は使えるのか聞いてみたらはぐらかされたが、きっと使えるのだろう。
母上の実家の親族って未だに会った事ないけど何者なんだろうか。公爵家だったか、確か。
水の国「トリステイン」の公爵家って事は、当然ながら水系統の魔法には明るいだろうし、自身の配下にそういったことを生業にする一族がいてもおかしくは無い。

一応、母上から水系統を教えてもらった成果として、『スリープクラウド』の他にも『治癒』の応用の『活性』といった魔法を習得出来た。
『活性』は植物や動物の成長促進に使われる魔法だそうだ。
とはいえ、ドットでは精々、蕾を咲かせるくらいが関の山だそうだが。

リアル花咲かじいさんキタコレ。
出力か持続時間が上がれば、農業革命どころじゃないぞ、これ。
何で誰も利用しないんだ?
ああ、農業は下賎な仕事だからとか?
いや、それでも野に下ったメイジが広めていてもおかしくないはず。

……つまり、労力の割に採算が取れない?
急成長によって土地の力が急激に失われるとか、そういう副作用もありそうだ。
要検討、だな。

精神系やキメラ作成などに関わる魔法は、魔法の運用を工夫してもラインにならないと難しいかもしれない。
研究を進めるにしても、やはりランクの低さがネックになってくるか。

まあ水魔法については、しばらくは診察用の魔法に磨きをかけていくしかないな。
出来れば細胞内の小器官の働きや、遺伝子の発現、ウィルスなんかまで視られるくらいには鍛えたい。
今までは我流で体内の診察と肉体強化をやってきたけど、これを機に肉体強化プランを一度見直した方がいいかもな。

ちなみに『集光』も教えてもらったが無理だった。
〈黒糸〉をうまく使って似たようなことは出来るかも知れないけど。

今のランクで記憶を読む魔法は使えないから、ランクの低さを補うマジックアイテムを買うか作るかしないといけないな、やはり。

だが、ランクを上げるマジックアイテムの作り方なんてこれまで読んだ本には書いてなかったし、そもそもそんなものがあれば、もっと噂にでも成っているのではなかろうか。

それとも脳改造して無理やりランクを上げるか……。
いや、これは最後の手段だな。
ヤルにしても、ゴブリンを使った動物実験とその経過観察が必要だろう。
少なくとも数年じゃ技術確立は無理だろうし、その間に自分のランクも自然に上がるかも知れないし。
正攻法が一番だ。

しかし、『錬金』の魔法と同様に、精神系の魔法も発想の転換で使えるようになりそうなもんだが。
原子やなんかの概念は前世の記憶からイメージ付きやすいんだが、精神とか知性となると駄目だな、イメージが沸かない。
地道にこちらの魔法の概念を覚えつつ、身につけるしか無いのだろう。
なんとももどかしい話だ。

まあ、記憶を読むマジックアイテムについては一応あてがある。
これは散々言っている人手不足を解決することのできるアイテムでもある。

つまり、スキルニルである。血を吸った相手に化けるこのマジックアイテムは、その性質上、記憶や人格の転写を行えるはずだ。
それも使用者が魔法を使うことなしにである。このメカニズムを解明すれば、簡単に人の記憶を手にいれることができるだろう。

また、自分やあるいは誰か優秀な者の血をスキルニルに吸わせれば、人手も簡単に増やせる。
どの道お金が足りないんだけどな!

魔法学院の宝物庫にはあるようだが、流石に王家のものを盗むほどには覚悟は決まっていない。

うーむ、一先ずは地道な鍛錬と勉強しかないか。
取り敢えず、王都の図書館の蔵書を読むための遠隔地情報収集用ゴーレムを作るくらいはしておくか。
王都まで〈黒糸〉を伸ばしたものの、領内の地図作成や亜人・幻獣の秘密裏な討伐や蒐集などをしていたから、手をつけてなかったんだよな。

ゴーレムはできるだけ人に似せた質感で作って怪しまれないようにしとこう。
自律行動可能なガーゴイルにしたりは出来ないから、〈黒糸〉での有線操作になるな。

まず読まなきゃならないのは、スキルニルなどのマジックアイテム作製技術かな。
農作物などの品種改良のために魔法生物作成技術なんかも読みたい。
あと記憶操作系の水魔法とか。これは禁書庫だろうか?



……と思って早速その日の晩に王都の図書館にゴーレムを侵入させて書物を読ませたのだが、全く内容が頭に入ってこなかった。

〈黒糸〉は王都の図書館の内部まで伸ばしているから、図書館内で〈黒糸〉を起点にゴーレムを生成。
〈黒糸〉を介した有線操作でゴーレムを動かし、本を選ばせて、『遠見』の魔法でページを見たのだが、
ゴーレムの遠隔操作と周辺の警戒に意識を割きすぎて、本を読む事に集中できなかったのだ。

やはり本は手元で読むものに限る。
ということは、つまり、ゴーレムが見た景色を元に本をまるごと手元に複製して、後で読めば良いのではなかろうか。

うむ、そうしよう。著作権など知ったことか。そんな概念はこの世界には無い。どの道、手元に資料があった方が研究ははかどるのだし。

因みに、図書館の本を読む時に『念動』で開き、〈黒糸〉をページの上に持って行って『遠見』を発動させても、ゴーレムを操るのと同じ効果があるが、人に似せていた方が怪しまれずに済むだろうという配慮からゴーレムを使っている。
ページをめくる度に『レビテーション』や『念動』を細かい操作で発動させるより、ゴーレムを維持し続けた方が楽なのだ。

本の複写方法としては『遠見』の魔法でゴーレムが見た景色を投影し、それをこちらで焼き付ければイケるはず……って要するに写真だな。

まずは転写用の印画紙が必要だな。ベースとなるフィルムと感光剤は恐らく『錬金』で作れるだろう。
印画紙、というかインクや感光剤の研究が必要だな。まあ、酸化銀系から開発するか。
ジアゾ化合物系は未だ自信ないし。
最終的にはフルカラーにしたいがまずはモノクロでいいだろう。

『遠見』と『錬金』なら今の俺のレベルでもなんとかなりそうだし……、うん、いけそうだ。
風魔法の素質が乏しいから『遠見』ではあまり遠くまで見えないのではないかという心配は、発動体である杖自体を伸ばすという暴挙により解決済みであるため、〈黒糸〉付近なら問題なく『遠見』で見ることが出来る。
有線式の『遠見』を、果たして『遠見』と呼んでいいのか疑問ではあるが。

さて、一応、写本を行うプロセスとしては、次のようなものだろうか。

準備:
「複写・製本作業用の暗室を自宅の地下などに作る」
「図書館の床に伸ばした〈黒糸〉から本をめくるゴーレムを創りだす」
「シャンリットの屋敷の地下の暗室内に作業用のゴーレムを作る」
「大量の印画紙を暗室内に『錬金』で作成しておく」
「暗室内に図書館の景色を『遠見』の魔法で投影する仕組みを作る」

作業手順:
「王立図書館のゴーレムにページを捲らせる」
  ↓
「ゴーレムを通じて『遠見』の魔法でページを暗室に映す」
  ↓
「用意した印画紙に、映った模様を転写する」
  ↓
「転写されたら、映像を何かで遮り、その間に印画紙を交換する」
  ↓
「工程繰り返し」

後始末:
「転写された印画紙は暗室から出す前に『固定化』をかける」
「読み取った本を一冊分ごとに製本して、別に屋敷の地下に作った書庫に内容ごとに分類して並べる」

ふむ、これなら『遠見』の魔法じゃなくても、光ファイバーで映像を映せば十分かもしれないな。
どうせゴーレムは有線操作なのだし光ファイバーを追加するくらい出来るだろう。
いや、どうしても映像がぼけるだろうから『遠見』の魔法の方が確実か?

まあ、いい。試行錯誤と実験だ!!



最近、うちの息子ことウードはゴーレムの操作に熱心だ。

少し前まではガラス作りに熱心で、プリズムとかいう三角の棒で虹を作ったり、老いて目が悪くなった執事にメガネを自作してやったりしていた。
私も“晶壁”の二つ名を持つメイジだから、ウードから度々助言を求められた。
種類の違う水晶を入れ子構造にして遠くの光を届ける管、確か“光ファイバー”とか言っていたが、そういったものも作っている。
これがあれば伝声管で声を伝えるように、遠くの景色を好きな場所に伝えられるようになるらしい。
……『遠見』の魔法との違いがわからないが。
妻にも助言を求めていて、光を操るコツを聞いていたようだ。
……『集光』の魔法を覚えるつもりなのだろうか。

その一月程前は、真っ暗な部屋の中で秘薬作りをしていた。手を真っ黒にしていたが、インクでも作っていたのかもしれない。

今は人間そっくりのゴーレムを作っては、召使いにさせるかのごとく、自分の身の周りの世話をさせている。

元からの使用人がいるからそんなものは必要ないと言っても、魔法の練習なのだからと押し通されてしまった。
……私が息子に対して甘いのもあるが。

まあ、一ヶ月もしないうちに、また別のことを始めるだろうから、使用人たちには気にしないように言っておいた。

使用人たちももう慣れたもので、「また坊ちゃんの実験ですか」と言った風情であった。
大体、一ヶ月から二ヶ月単位でウードは異なる実験というか奇行を繰り返している。
かなり飽きっぽいのかもしれない。

今も人型のゴーレムを操っているかと思えば、全く別の奇妙な形のゴーレムを作ったりもしている。
机から腕が生えたようなゴーレムで、机の上のものを腕で掴んで位置をずらしたりしている。
腕フェチなのだろうか?
それにあんな限定された動作しかできないものなど使えないと思うのだが、
息子によると、もとから一定の動作しかさせないつもりだから、この形の方が精神力の節約になる、ということらしい。

まあ、奇行は多少目立つものの、それも天才ゆえの行動なのだろう。

この間など、ウードの部屋に入ったときは驚かされたものだ。
そこには一流の画家でも書けないだろうという位に精密な風景画や、
妻や娘のメイリーンなどを描いた人物画が沢山、無造作に積み重ねられていたのだ。

いつの間に絵画の勉強をしたのかと問うてみたところ、どうやらそれは絵画ではないようだ。
写真と言って、カメラと言う箱の中に映された風景を印画紙というマジックアイテムに『固定化』したものだそうだ。

時々なにか箱を持ってこちらを覗いていると思ったら、それだったらしい。

もちろん、妻やメイリーンの写真は譲ってもらった。また、その後にそのカメラで全員の写真を撮った。
これは素晴らしい。家族の写真は今も額に入れて飾ってある。
これからもじゃんじゃん撮るように言ったら、

「じゃあ父上が撮って下さい。使い方を教えますし、印画紙が無くなったら言っていただければ作りますし」

ということで、カメラと印画紙を譲ってもらった。

どうやら既に飽きてしまった後だったらしい。
撮ったあとなら『固定化』を掛けるだけなので、それくらいなら私にも出来る。

それに、ウードの写真が無いのは寂しかったところだ。
これからはウードの写真も撮って、思い出を増やしていこうと思う。

これだけでは父親として情けないので、カメラの代わりに何かしてやれることはないかと言ってみたところ、
マジックアイテムの作り方を本格的に習いたいので、誰か紹介してくれないかということだった。
また、ゴーレムを扱う際のコツについても助言して欲しいそうだ。

それと、王都に行く時は、図書館や書店に行きたいから是非連れていって欲しいと言ってきた。
そういえば、メイリーンが生まれたら連れて行く約束だった。忘れるところだった。

私の友人でマジックアイテムの作成に長けた者も、今は王都にいるので丁度いいだろう。
ゴーレム操作については、私からも教えるが、その友人からも助言してもらうように伝えよう。
それではすぐに友人に手紙を書いて連絡をとるとしよう。
息子のことも、このカメラも自慢したいしな。



父上の使い魔は巨大な蜘蛛である。

全長2メイル程の黒い蜘蛛(ブラックウィドウ)で、屋敷の壁に張り付いて日向ぼっこしている姿をよく見かける。

名前は『ノワール』。黒いからクロって安直な……。
この種類は普通は深い森にいるはずで日光は避けるはずなのだが、使い魔になったことで太陽光も平気になったのだろうか。

俺は何故か、こう惹かれるものがあって、ノワールを見かけたら近づいて触るようにしている。
ビロードのような産毛の手触りがなんとも心地いい。
大顎と八つの目の凶悪な面構えも何故か愛らしく思えるから不思議なものだ。
それに何故か、傍に居るととても安心するのだ。

餌は週に一度ほど、生きた鳥を食わせているらしい。
野生の状態ではそこまで頻繁に食べなくともいいそうだ。
栄養状態がいいからか、野生種の倍くらいの大きさになっている。
もう十年近く使い魔として過ごしているそうだ。
……実は野生のブラックウィドウとは違う種類なのかもしれない。

一緒に日向ぼっこしながら、ノワールの腹とかを撫でているとうつらうつらしてくる。

そうしていると決まって、夢うつつの中でノワールが俺に話しかけてくる。
夢の中だからか、不思議なことに、なんとなくだが、こいつの言いたいことが分かる。

ノワールの本名が『◯jgだいkj』(発音不能、彼らの言葉で“つややかな”という意味らしい)だということとか、
シャンリットとアtらchなcha様との古い古い盟約に従い蜘蛛の眷属はシャンリットの地(血?)を守るために守護を与えているとか、
シャンリットの者に呼び出されたのは良いものの我らの主神たるアtらchなcha様への感謝を忘れており非常に憤慨しているとか、
日向ぼっこも案外悪くないとか、
お前からは懐かしい匂いがするとか、
もっと撫でてくれとか、
この毛並みは自慢なのだとか、何とか。

話している内容の9割は毛並み自慢だったが、なんか聞き逃せ無いことも言っていたように思う。
どうせ夢のなかの話だけど。起きたら殆ど憶えていないけど。

こいつの横にいると、まるで母の胎内に居るかのような、安心感を感じる。

いや、もっと前? 胎内に居た時よりももっと? 生まれる前? 死んだ後?


前世で死んだ後、ここに生まれる前。
果てしない落下の最中に、俺は何に遭ったのだったか。


深淵の谷。


蜘蛛の糸。


赤い瞳。



    アtらchなcha?




「……ハッ!?」

どうやらまた、ノワールの横で眠ってしまっていたらしい。
全く、凄まじい癒し系だな、こいつ。

夢の中までノワールが出てくるとは、ひょっとして惚れてしまったのかも分からんね。
すべすべの毛並みとこのプヨプヨした腹には惚れても仕方ないと思う。

普段はあまり昼寝中の夢の内容なんか覚えちゃいないが、今回は珍しいことに一つだけ覚えていた。

アtらchなcha。アトラクナチャ。アトラク=ナクア。アトラナート。

……何で、前世のコズミックホラーの蜘蛛の神性の名前が出てくる?
フィクションじゃないのか、あれ。
いや。この世界(ファンタジー)ならあり得るのか……?

ご先祖様の日記をもう一度読み返してみよう。
何か書いてあるかも知れない。

================================================
クトゥルフ神話的に日記って死亡フラグですよね。
まあ、ウード君はデフォルトでSAN値ゼロ近辺ですけど。

2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字修正



[20306]   外伝1.ご先祖様の日記って探索者的にどうあがいても死亡フラグだろ常考
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/08/08 16:13
これは始まりの話。
シャンリット家に伝わっていた――今は失われた――話。
ある神との約束の――呪いの――話。



自室に置かれた机を前に、『レビテーション』で自重を軽くして少し勢いをつけて椅子に腰掛ける。
背が足りないので足は床につかず、後ろから見たら背もたれに身体がすっぽり隠れているように見えるだろう。
『ライト』を唱えて手元の視界を確保し、慎重に、今にも崩れそうな羊皮紙の束をめくる。

今、俺が読んでいるのはシャンリット家の書庫に眠っていた、先祖の日記や帳簿の中でも一等に古いものの一つだ。
仕舞い込まれていた書庫から、『固定化』をかけ直して『レビテーション』でここまで運んできたのだ。

流し読みして所々に記されている日付を見るに、どうやら2000年位前の人物の日記のようだ。
シャンリット家の歴史が始まったのも大体それ位らしいから、ひょっとしたら開祖の日記なのかも知れない。

当時は高価だったであろう羊皮紙にわざわざ書き記す内容とは一体何か。

他に読むものもないし、このシャンリットの由来を知るのも悪いことではないだろう。





 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝1.ご先祖様の日記って探索者的にどうあがいても死亡フラグだろ常考





『この度、東の反乱者共を打ちとったカドで王よりこの土地――シャンリットを賜った。
 これよりこのラリバール・ウーズ・ド・シャンリット、粉骨砕身して祖国のためにこの土地を治めると誓う。』

『北の領境となっている山地に質の悪い亜人共が棲み着いているらしい。
 奴らは非常に俊敏で、獰猛で、鋭い爪と歯を持ち、山から降りてきては領民を脅かすという。』

『忌々しいトロールどもめ!あのヴーアミ族め!
 知性のない野蛮人の分際で王より賜りし我が領地を荒らすとは!
 根絶やしにしてやらねば気が収まらぬ!』

『大規模な集落をゴーレムで押しつぶしてやった!
 始祖の力を思い知ったか、ヴーアミの獣面どもめ。
 まだまだヴーアミの集落はあるという。
 奴らの棲む洞窟も一つ一つ潰して回らねばなるまい。』

『4、5の洞窟を我が土の秘技によって埋め尽くしてやった。
 執拗に何度も何度も土の槍を『錬金』し、洞窟のあった場所に突き刺してやったから生き残りは居ないだろう。
 それにしても洞窟が多い上に深い。
 全く何処まで続いているのか。
 魔法で埋めた洞窟もひょっとしたら遙か深くまで続いていて、ヴーアミのトロールどもを取り逃がしたかも知れぬ。
 地上に通じる出口を全て潰した上で、追いかけて根絶やしにしてくれる。』

『洞窟をひたすらに潰している。
 それにしてもここには蜘蛛が多い。
 森全体が蜘蛛の巣によってまるでヴェールに覆われているようだ。
 領地内のトロール共は殆ど殺しつくすことが出来たように思う。』

『大きな穴が新しく山腹に出来ていた。
 根絶やしにしたと思っていたヴーアミどもは未だ残っていたのだ!
 今までの意趣返しか、思いもよらぬ量の亜人共に奇襲を受けた家臣たちの何人かは始祖の御元へ旅立つことになった。
 奴らは我らを奇襲して混乱させた後に一つの村を襲い、その村人を根こそぎ連れていった。
 始祖よ、彼らを憐れみ給え。』

『これ以上の犠牲を出す前に、奴らトロールを根絶やしにせねばならぬ。
 幸い、あれから新しく出来た洞窟はない。
 あの大きな新しい洞窟に向かい、地の底までも追い詰めて、最後の一匹までも殺しつくしてくれる。
 このラリバール・ウーズ・ド・シャンリットの土地でこれ以上好き勝手させたとあっては、王に顔向けできぬ。』

『精鋭を連れて、大きな洞窟を降りてゆく。
 『ライト』の明かりが洞窟の闇を照らす。
 新しく出来た洞窟だというのに、もう蜘蛛が巣を張っている。
 所々に、ヴーアミ族がつまみ食いしたのだろう、人のものと思われる内臓や骨が落ちている。』

『深い洞窟を土の魔法で均しながら5リーグ程も進んだだろうか。いや、もっとかも知れない。
 奴らの棲み家に近づくにつれて、ケモノ臭さ、腐敗臭、濁ったあらゆる嫌悪感をかきたてる臭いが強くなる。
 それよりももっと恐ろしく、恐怖をかきたてる空気が、滲み出してきているのが分かる。
 土メイジの私でも感じられる、このおぞましさを孕んだ腐った空気を、家臣の風メイジはどう思っているだろうか。』

『開けた場所に出た。何らかの魔術的な篝火が焚かれ、明るく照らされたその中心には何か異教のものを思わせる祭壇らしきものがあった。
 無骨な岩と、人間や獣の骨で組み上げられたそれは、真新しい血でベッタリと汚れており、胸糞悪くなる腐臭に血の彩りを加えていた。
 トロール共が跪くのとは逆側には、何らかの巨大な生き物が座っていたであろう巨大な窪みがあった。
 今はそこには何の影もない。まるで『サモン・サーヴァント』でも使ったかのように巨大な異形は掻き消えてしまったのだろうか。
 ああ、我々は間に合わなかったのだ!
 哀れな村人はその祭壇で、何らかの巨大な異形に食い尽くされてしまったのだ!
 家臣の一人が耐えきれずに悲鳴を上げて魔法を放つ。
 ヴーアミ族が我々に気が付き身を翻して向かってくる。
 我々は、遮二無二に魔法を放つ。
 粗方はその魔法に切り刻まれ、燃やされ、串刺しにされたが、何匹か更に奥に逃げたようだ。』

『ここで逃がしてはまた勢力を増して再来するかも知れない。
 私がこの地に封ぜられたのは、その腕を見込まれて、亜人を殺し尽くし、民に安寧をもたらす為なのだ。
 この奥へ、ここまでとは違って空虚な雰囲気を醸しだす、更に洞窟の奥へと向かわなくてはならない。』

『怖気づく家臣を叱咤し、トロールを追って更に更に洞窟を奥へと向かう。
 蜘蛛の糸がそこかしこに張り巡らされ、洞窟全体が絹糸に覆われたかのようだ。
 魔法で傷を負ったヴーアミの足跡が続いているのが、『ライト』に照らされて淡く光る蜘蛛糸の中に黒く沈んでいる。』

『不意にまた広い空間に出た。
 今度は先も見えぬほどに広い断崖の上のようだ。
 虚ろな空気が辺りを覆っている。
 ヴーアミはその底も見えぬ断崖に架かる吊り橋のような綱の上を歩いている。
 好機だ。
 我々は『風の槌』で忌まわしいトロール共を綱の上から弾き飛ばした。』

『奴らの悍ましい断末魔が響き、掠れ、消えてゆく。
 どれだけこの谷は深いのだろうか。
 全くトロールが下に着地する音が聞こえない。
 これで、この地のトロール共は根絶やしに出来た筈だ。』

『貴族としての責務を果たし、この忌まわしく恐ろしい地の底から去ろうとした時、それは我らの目の前に現れた。
 あのヴーアミの断末魔を聞きつけたのだろう。
 谷に架かる綱の上を、恐ろしい速度でこちらに向かってきたものがあった。
 人の身程もある漆黒の身体に、長く節くれ立った蜘蛛の足を生やし、真っ赤な瞳を持つ生き物だ。
 こちらを珍しものでも観るかのように睨め上げ、しかし猜疑心を隠そうともせずにそれらが入り交じった不気味な表情を浮かべた。
 真っ赤な瞳がこちらを見た瞬間、我々はその恐ろしい瞳に魅入られて仕舞い、身体は痺れ、ルーンの詠唱すら不可能になった。』

『蜘蛛の口が動き、言葉を発する。

 「良き哉。丁度小腹が空いていた所。我が眷属の数も増やしたかったところだ」

 精神を犯すようなその声は、虚しくも恐ろしげに深淵の谷に響いていった。
 その蜘蛛の化物は、我々を素早くその頑丈な糸で巻き取ると、何事か口元で唱え、その鋭い牙を首筋に近づけて毒を注入していった。

 「毒の呪いを受けて生き残れば眷属に変化する。耐えられずに死ねばそのまま喰ろうてくれよう。」

 灼熱に焼かれるような痛みが首筋から全身に走り、私は意識を失った。』

『次に目を覚ましたときには、蜘蛛の化物の赤い瞳が目の前にあった。

 「ふむ、解せぬ。毒の洗礼を受けても死なぬし、我が眷属に変態もせぬか。
  今は腹も空いておらぬし、お前が眷属に変化せぬ理由を探る時間もない。
  我はこの谷に延々と営々と橋を架けねばならぬゆえ。」

 私の家臣はどうなったのだろうか。
 
 「我が毒に耐えたならば、人の身とは言えそれは我が眷属と同じこと。
  我が深淵の谷にお前たちのような邪魔者が入らぬよう、お前は地の上からこの地を守護せよ。
  帰り道にツァトゥグァに襲われぬように、毒の呪いの上から我が祝福を受けて行くが良い。」
 
 目の前の蜘蛛神は何事か唱え、私に纏わり付く糸を断ち切った。
 詠唱を聞いた私は、再び朦朧としながら、来た道を登り始めた。』

『再び私が意識を取り戻したのは、地上に出てからである。』



『あの日から、あの深淵の谷の夢を見る。
 あの蜘蛛が私を急き立てるのだ。』

『かつての家臣たちが、恐ろしい赤目の蜘蛛の元で糸を紡いでいる。
 もはや人の姿は留めぬ彼らは、粛々と巣を架け続けている。』

『私は、本当は毒で気を失ったのでは無かったのだ。
 私は、私は。
 あのおぞましく冒涜的な光景に耐えきれず、部下たちの叫びに耳を閉ざして――。』

『苦しみ悶える家臣が、引き攣ったように動きを止め、ゴツゴツとした何かが皮膚の下で蠢き、背中にビシリとヒビが入る。
 黒い毛に覆われた節足が8本突き出し、メリメリとヒビを押し広げる。
 部下の背から、脱皮するように蜘蛛が這い出る。
 それに応じて、彼の身体は萎んでいく。皺くちゃになっていく。』

『何度も夢に見る。
 何度も。何度も。』

『何度も。何度も。何度も。』

『私もこうなるのだろうか。
 私の子供も、ああなるのだろうか。』

『助けてください、神様。
 何でもしますから。』

『どうか。どうか。
 神様。神様。』

『神様。どうか。神様。ああ。』







『ああ。蜘蛛の神様。どうか、シャンリット家に祝福を。』









……あー。

俺は何も見なかった。見なかった事にしたい。
というか、父上はこのこと知ってるのかな。

何か他の日記もヤな予感するんですけどー。
でも気になるよなー。

とりあえず、この日記の内容は俺の胸の中に仕舞っておこう。


==================================
よく考えたら、アトラク=ナクア様をキチンと書いてないなと思って。
『七つの呪い』からラリバール・ウーズさんに出演してもらいました。

ヴーアミ族=トロール。
なので当SSの世界観ではトロールはツァトゥグァを信仰している設定で。
普段はン・カイに居るツァトゥグァ様を召喚して生贄捧げる感じ。

系統魔法で無双してるのは、それだけラリバール・ウーズが強かったってことで。

2010.07.31 サブタイトルを変更



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 4.レベルアップは唐突に、しかし積み重ねこそが重要
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/18 07:45
どうも、ウード・ド・シャンリット8歳だ。最近、蜘蛛の夢をよく見る。
むしろ蜘蛛の夢しか見ていない。
蜘蛛、好きだからいいけど。父上の使い魔のノワール(ブラックウィドウ)のことも好きだし。
すべすべの毛並みとぷにぷにのお腹に匹敵するのは、メイリーンの満面の笑顔くらいだな。

父上にカメラを渡してから1年半くらい経ち、妹のメイリーンもそろそろ立ち上がり、たどたどしくも言葉を話すくらいに成長した。
それにつれて、すごい勢いでメイリーンのアルバムが増えている。

アルバムは地球でおなじみの形で、台紙と透明なフィルムの間に写真を挟むタイプだ。これは父に請われて私が作った。

私は『錬金』について、炭素を主に使うことを自分の属性と定めて、様々な物質を作っている。フィルムはその一環だ。
〈黒糸〉を伸ばす過程で何トンものカーボンナノチューブを『錬金』したのだから、炭素の扱いも巧みになろうというものだ。
大量生産に魔法は向かないかもしれないが、一品物を作る程度なら充分すぎる。

他にも、適当に『ディテクトマジック』で物質を解析して、そのコピーを作ってみては、物性を調査して記録する日々である。
X線回折装置もなしに、『ディテクトマジック』一発で構造決定可能とは、魔法のチートさには恐れ入る。
……他の人もここまで出来るどうかは、知らないが。分子や原子の概念があれば割と簡単だろうが、そんな話は聞かないし。
作った結晶類は『固定化』をかけて、写本作成用暗室とは別に新しく作った地下標本室に収めている。

で、この1年半の間に俺がしたことといえば、
王都の図書館の本を貴族に化けさせたゴーレムたちを介してひたすら写本し、それを読破することと、
父上の友人というマジックアイテム作りの師匠に師事したことくらい。ガーゴイルの作成方法なども教えてもらった。

写本は屋敷の敷地の地下に書庫を作って、まとめて置いてある。
目録が膨大になってきたので、目当ての本を検索するのが非常に大変である。
検索補助用のインテリジェンスアイテムなどの導入を検討中。

〈黒糸〉の杖を介しての領地の測量や〈黒糸〉自体の拡大、ゴブリンの品種改良は続けており、
それとは別に、暇を見つけては領内の動植物の観察と記録、標本蒐集を行っている。

写本作業用のゴーレムについては、ガーゴイルの技術を応用してルーチンワークはほぼ自動的に行わせることが出来るようになった。
ゴーレム操作に対する慣れもあり、他の魔法を使わなければ、もはや日常生活と並行して無意識に写本を続けられるくらいだ。
王都の図書館にあった研究に必要な本はこの一年程でほぼ写し終えてしまった。

何度も同じ魔法を使っていれば、運用に慣れていくのか、複数同時発動も可能になるらしい。
それでも、戦場で使用できるレベルまで持っていくのは、とても難しいだろうが。
最初は一体のゴーレムで行っていた作業も、現在は数を増やして、10体で並行して本の読取を行って居る。
王立図書館の禁書庫の中のものについても、禁書庫内部まで〈黒糸〉を延ばして、内部でゴーレム錬成することでコピーしている。

別に図書館の本を全部写す必要はないのだが、どうせならということで、水魔法やマジックアイテムに関係ない本も模写させている。
何かの役に立つかもしれないし。

次は魔法学院の『フェニアのライブラリー』を狙っているところだ。

そういえば、王立図書館の司書の間では、一日中、ご飯も食べずトイレにも行かず
一心不乱に本を読み続ける不気味な男たちが居ると噂に成っているらしい。

なんでも、彼らは未完成な本に精神を飲み込まれた人たちだとか、
その時に失われた精神の欠片を探して片っ端から本を読んでいるんだ、とかいう設定がいつの間にか出来上がっているようだ。

図書館七不思議の一つに数えられているらしい。
他の七不思議が気になる。

例えば人の皮で出来ていて見たら発狂確定な本とかあったりしてな。
それはそれで見てみたいが。
……知らぬ間に写本の中に紛れてたりしないよな。
思い起こす範囲ではそんなものを読んだ記憶はないけど、もし本当に混ざってたら洒落にならん。

アトラク=ナクアが実在するとしたら、〈エイボンの書〉やら〈ネクロノミコン〉やらの魔道書があってもおかしく無いしな。
写本を読む際には頭の片隅で意識しておこう。
読み返してみたら、うちのご先祖様の日記の中にも、アトラク=ナクアやツァトゥグアと接触したらしき記述があったし、
魔道書の類が王立図書館の書架にある可能性は十分にある。

まあ、あんまり変な噂が立っても困るので、ゴーレムについては、もう少し人間らしく動かすようにしようかな。
……当然だが、写本するのを止めると言う考えはない。






  蜘蛛の糸の繋がる先は 4.レベルアップは唐突に、しかし積み重ねこそが重要






あ、魔法の腕前は半年くらいまえにラインになったようだ。
別にレベルアップの音が響いたわけではないのだが、いろんな魔法の負荷が体感で半分くらいになったのでそうなのだろう。

まあ、四六時中ゴーレムを動かし、写本用の印画紙を錬金したりしていたし妥当なところか。
何かキッカケとなる感情の高ぶりがあった、という訳でもないのだが……。

いや、あったな、そういえば。

〈黒糸〉を伸ばていたら領地の地下数百メートルの辺りに、風石の鉱脈を見つけたんだった。
で、調べたらここ最近に新たに構成された鉱脈みたいだし。……自動的に地下に鉱脈が形成されているとしか思えん。
このまま行けば、風石の浮遊力であと千年くらいで大地がすべて、アルビオンみたいに浮かび上がるかも知れない。

これを見つけたとき、地下に風石が出来る原理がわからなくって、絶対研究してやるって興奮したんだったな、確か。
『風も無いのに風の力が結晶するってどういう事だぁ~。
 土石や火石なら分かるが、風石ってどういう事だ、まじムカつくぜー!』ってな具合である。

そしたらランクアップしていた。……何が切っ掛けになるか分からないもんだね。

オークを惨殺したときにもランクは上がらなかったのに、不思議な話である。

現在は〈黒糸〉を介して地下の風石から魔力を取り出す方法を模索中。
このままにしとくのは勿体無いし、かといって直接は掘り出せないしね。

それに風石のエネルギーを発散させないと、あとで大災害になるだろうし。
アルビオンなんて空飛ぶ大地の実例がある以上、他の土地でも同じようなことが起こっても不思議じゃない。

風石のエネルギーの自己利用のために、王立図書館から写し出した本でフネの動力機構について勉強中だ。

ハルケギニアには、風石という魔力を秘めた鉱石の力を用いて空を飛ぶ『フネ』と、通常通りに水上を行く『船』がある。
両者は完全に分かれているわけではなく、『両用船』という水空どちらも航行できるフネもある。

地下の風石から魔力を得ることが出来れば、研究に必要なあれこれを用意するのに大きな助けになるだろう。
ただし、制御に失敗すれば暴走した風石が発する浮力によって、地下の地層は瞬間的に断裂して、地殻を揺るがす大地震確定。
素人にはお薦め出来ない。

まあ、素人な俺は、玄人になるまで実験と練習あるのみだ。

しかし、地殻が剥がれて地面が空を飛ぶなんてのが定期的に起きてるんだとしたら、
ここいらの地層を調べたら大変カオスな事になってるんじゃなかろうか。
隆起とか褶曲ってレベルじゃねーぞ。マジ気になる。

空に一度浮かび上がってから大海に没した文明とかあったりしてな。太平洋の真ん中辺りに。
名前はアトランティスだかノアだかルルイエで。

あー、それにしても知りたいことが多すぎる。手が足りん。
やっぱり、どっかにスキルニルとか落ちてねーかな、マジで。
分身してー。



「師匠。先日の課題として出された『ライト』の魔道具です。
 一応、光るようにできましたけど、なんだか光量が安定しないものがあるんです」

「んー、原因も特定できない?」

今、相談している相手は、俺のマジックアイテム作りの師匠だ。
父上の友人で、マジックアイテム作りに長けているそうだ。

ガーゴイルの作成方法や、それをゴーレムに応用することによる操作負荷の軽減などについての相談にも乗ってもらった。
師匠自身はトライアングルの土メイジで、父上によると王都でも名の知れた職人だそうだ。
友人の誼ということで、格安で家庭教師をしてもらっている。
それだけなら悪い気もするが、まあ、〈カメラ〉やその他、俺の子どもらしい(?)自由な発想を見聞き出来て、
それだけでも充分な報酬だと師匠自身は感じているらしいので、俺があまり気にしすぎるのも良くないか。

「きちんとルーンは刻んだんですけど……」

「どーれ、見してみ」

「こちらです」

そう言って、師匠に自作の魔道具を手渡す。
師匠はそれを矯めつ眇めつ見るが、首をかしげている。

「なー、ウード君や」

「なんでしょう師匠」

やはりなんか不手際があったんだろうか。

「んー、私にはどこにもルーンなんて見えやしやんだが」

ああ、そういう事か。

「いえいえ、だったら光る訳ないじゃないですか、ちゃんと彫ってありますよ。
 発光部の基部にチョロッと。ディテクトマジック使ってみればわかりますけど」

「んー?」

そう言って師匠は杖を振ると、確かに基部が光るのを確かめた。

「ウード君や。こんなに細かくルーンを刻んだら、ふとした拍子に魔力が跳び跳びに流れたりして
 とてもじゃないが安定した出力は出せやしないよ」

「え、そうなんですか。そのまま小さくすればいいってわけではないんですね」

魔力の整流にも気を使わなくてはならないということか。確かにそれは必要だろうな。
だが、整流と言っても、そもそも、どういう規則で魔道具内を流れているのかよく分からないんだよな。
まず、電圧とか電流みたいに単位みたいなものがハッキリと存在しないし。

「こーんなに細かく刻むんだったら、幾つか同じルーンを並べて、一つ二つのルーンが起動しなくても大丈夫なようにするとか、
 ルーンを刻むところの材質を変えて、他のところに魔力が逃げてルーンが迂回されないように工夫しないと、ウード君」

「複数のルーンを並列に刻むのはやってみたんですが、そしたら何故か急に水が滴りだしまして」

『ライト』の魔道具でシャワーが出るとか予想外にもほどがある。
水はすぐに魔法で蒸発させたけど。

「あー、それはルーンを魔力が走るときにジグザグに走っちゃって、変な意味になっっちゃったんだろうね。
 爆発とかしなかった分、マシだと思うよ。結構、危ないんだから」

縦読みかよ!? げ、そんなんもあるのか。
でも逆に上手く使えば、一つの回路で複数の効果を発揮出来るようになるかもな。

「いーつも思うけど、こんなに細かく刻まなくても良いんじゃないかな。
 ルーンの間に余裕を持ってやれば、君、『ライト』のマジックアイテムくらいすぐに作れるだろう?」

「確かに普通の『ライト』のマジックアイテムは作れましたけど。
 でも、こういう物は小さく出来るなら小さくした方が良いと思うんですよ、絶対」

重厚長大も良いが、私的に使える物資が少ない現状では、精密加工に走るべきだと思う今日この頃。

ここ最近、物質の構造解析などばかりやっていたせいか、自分が習得している主な魔法も、
分子構造解析レベルの『ディテクトマジック』に、ナノレベルで構造制御出来る『錬金』、
〈黒糸〉をマイクロ領域の探針(プローブ)として自在に操れる『念動』と、
いつの間にか、超超精密加工に特化してしまっている。

水の診療探査魔法も、細胞内部を感知出来るように練習中だし。
まあ、診療魔法は細かく見るだけじゃなくて全体を見渡して体内のバランスをみるというのも重要だから
あまり細かいことばかりやっていても片手落ちなんだけど。

「まーね。小さくすれば、その分色んなものに組み込めるからね。
 このレベルの細かさで、出力も安定させられたら、指輪とかのアクセサリーの台座に組み込んで、宝石を光らせたり出来るかもね」

「小さくすれば、その分、製作に使う精神力も少なくなりますし、慣れれば一気に何十個も『錬金』で作れます。
 そういったパーツを組み合わせて、複雑なマジックアイテムを作るのも可能なんじゃないかと思うんです」

同じ効果を表すにしても、大魔法を一行程としてアイテムに込めるか、
小魔法を複数工程でアイテムに込めて大魔法と同じ効果を出すかというアプローチの違いである。
ハルケギニアでは、前者のマジックアイテムが主流、というか全てである。
だが、俺はランクの制限から後者のアプローチを取らざるを得ない。

前世知識から、家電や電子回路などのイメージが強く残っているという理由もあるが。
モジュール化したものやパーツを組み合わせるという認識が強いんだよなー。
将来的には大量生産に持って行きたいし。

「むー、パーツを組み合わせるなんて前例があまりないから、悪いけど僕じゃあそっちについては助言できないなあ」

「参考資料とかないですかね?」

今のところ、写本の中にはそういうアプローチの本は無かったのだ。

「えーと、済まない、この間から時々探してみてるんだが、見つからないんだ。
 同業者の集まりでも聞いてみたんだが、心当たりはないそうだよ」

「そうですか」

まあ、王立図書館の蔵書に無い時点で、あまり期待はしていなかったが。

「でーも、僕を含めて、そのやり方に興味を持ったような奴らも何人か居たから、
 そいつらも含めて手探りで進めていこうとしてるよ。しばらく時間はかかるだろうけど」

「そうですか、それしかないですね。……では師匠、今後もよろしくお願いいたします」

コツコツ研究を進めていくしかないか。
でもまあ、他の人の手も借りられるなら、一人でやるよりは格段に早く進むだろう。
今後に期待、かな。

あ、資料管理・検索用のインテリジェンスアイテムやガーゴイルが無いか、聞いてみようかな。
地下書庫の管理用に欲しいんだが。
聞いたら直ぐに資料の場所を答えてくれるような、こう近未来的なインターフェイスが良いな。
王立図書館では実用化されてそうだけど、写本作業中には見かけたことはないな……。
まあ、司書が全部の蔵書を把握してるとかだろうか。
いちいちインテリジェンスアイテムを準備するよりはコスト的に良いのだろうし、
あそこの司書長職は世襲らしいから雇用維持の側面からもインテリジェンスアイテムやガーゴイルに置き換えるのは難しいのかも。



週に何度か有る父上との魔法訓練の時間に、試しにラインスペルを使ってみたら、非常に喜ばれた。
天才だと言われたが、まだまだだと思う。

それに早熟なだけで、きっと20に成る頃には只の人ですよ、父上。
だから、「伯爵家の跡継ぎとして、近接格闘技術も教えないとな!」なんて言わないで下さい。
少なくとも体が出来上がり始める年にならないと、危ないでしょ?
まだ8歳のモヤシっ子ですよ?

え、もう充分な体力が有ることは知っている?
母上がそんな事を?水の流れがおかしいから俺が寝てる間に調べた?
……肉体改造してることなんて水メイジが見れば一目瞭然なの?

自分に水魔法使って肉体改造してる事バレテーラ。

でも、ほら、父上。
父上が得意なの得物は剣杖でしょ。
俺の得物って鞭だし、今から他のに持ち替えるのも……。
え、学んでもらうのは魔法と合わせた足運びとか間合いの取り方とか、『硬化』を用いた防御とか、そういう基礎技術からだから問題ない?
むしろその他は実戦形式の訓練で補うから?

……い・や・だー!


『ウードは逃げ出した!』

『父上の魔法!“晶壁”!ウードの目の前に水晶の壁が現れた!』

『ウードは“ブレイド”を唱え、鞭を振るった!“ブレイド・ウィップ”!水晶の壁が切り裂かれた!』

『父上の魔法!“晶壁”!ウードの目の前に水晶の壁が現れた!
 父上の魔法!“晶壁”!ウードの右手側に水晶の壁が現れた!
 父上の魔法!“晶壁”!ウードの左手側に水晶の壁が現れた!
 父上の魔法!“晶壁”!ウードの背後に水晶の壁が現れた!』

『ウードは囲まれてしまった!ウードは逃げられない!』

『……』

『訓練内容に“近接格闘術・基礎”が加わりました』

まあそんな感じで格闘訓練を受けることになった。

……父上は土のトライアングルで二つ名は“晶壁”。
水晶の錬金が得意で、近接戦闘に定評が有るメイジだったそうだ。
特にタイマンに強く、水晶の壁を自在に生成して足場にして縦横無尽に駆け抜け飛び回ったり、
水晶の弾幕を飛ばしたり、相手を水晶漬けにして封印したり……。
母上に聴かされた話によると、父上が戦う姿はキラキラしててとてもカッコよかったらしい。
……まあそりゃ見栄えは良かろう。

父上は魔法の才能の開花が遅かったらしく、十代の頃は専ら体力を鍛え、格闘訓練に精を出していたとか。
しかし、軍で母上に初めて会った時に、一目惚れ。
まるで雷に打たれたような感覚がして、頭が真っ白になって気づいたらいつの間にかドットからトライアングルに成っていたそうな。

……一目惚れでランクアップとか。ありえねー。
物語の中ではよく聞くがホントにその現象は実在していたのか。

因みに、父上はその場でプロポーズしたそうだ。

それにしても一気に2ランクアップってスゲエな、父上。
いや、むしろ母上の魔性の美貌を褒めるべきだろうか?

母上にはこのとき既に婚約者が居たが、なんと父上はその婚約者と決闘して母上との結婚の権利を勝ち取ったとか。
もちろん、父上にも名目上の婚約者は居たらしいが、こちらはあっさり婚約破棄できたらしい。
その決闘の際に用いたのが『晶壁』の魔法であり、決闘場を水晶の壁が隙間なく囲った様子からその決闘は
『クリスタル・デスマッチ』と呼ばれ、今でも軍の語り種なのだとか。

……ほんまかいな。

というか、未だに俺が母方の祖父母に顔を合わせてないないのって、略奪愛だったからか?
決闘を行って体裁は整えたけど、母上の実家的には歓迎出来ないだろうし、半ば駆け落ちみたいなものだったのでは。
少なくとも、母上の実家とその元婚約者の家の二つは敵に回してるんだろうな。

母上の実家って結構大貴族だったとか聞いたような気がするんだが。確か公爵?
あ、領内を通る商人の数が、ご先祖様の日記に書いてあるのよりの妙に少ないのもその所為か!?
公爵家から圧力掛けられてるのかよっ!

経済封鎖って、これ、どうにか出来るか……?
まあ順当に考えれば、父上が誠心誠意謝るしかないのだろうし、
向こうも経済的に圧力をかけてこちらに頭を下げさせるつもりだったのだろうが……。

だが、今現在、別にシャンリット伯爵家は困窮していない。
俺が密かに魔法の練習がてら土壌改良したり、街路を補強したおかげか、そこそこ豊かになっている。
亜人の被害もいつの間にかというか俺がハイペースで亜人どもを実験材料に使ううちに無くなったし、治安も改善している。
商人が少ないのは、こんな辺境の地だから元々といえば元々だしな。

父上も圧力に負けないように独自に商会を立ち上げて、領内の産業の育成や物流の活性化に力を入れている。
最近漸く、領内に限ってなら商会の商売も軌道に乗ってきたところらしい。
まあ、それも結婚してから、母上自身のコネと経営の腕あっての話であり、父上ひとりだけじゃどうにもならなかっただろう。
母上との結婚が原因なのだから、母上の力で解決したところでプラマイゼロだが。

母上のコネは、大貴族の令嬢だけあってかなり広い。
学生時代の友人とかだけでも、結構将来有望なエリートが多いらしいし。
友人たちも、まさか母上が辺境の田舎伯爵の元に駆け落ち同然に嫁にいくなんて予想してなかっただろうけど。
そこで縁が切れてもおかしくは無いが、母上には対軍規模魔法『集光』(極太レーザー)がある。
例えば母上が「虹が見たいわね~」と言えば、それは即ち「『集光』で薙ぎ払うぞ」という意味である。
本人にその意図がなくても周囲はそう捉える。
……まるっきり恫喝だが、ハルケギニアでは力あるものは正義なのである。

領内の物流の掌握には、俺が〈黒糸〉を張り巡らせる過程で作った領内の詳細な地図が大いに役に立ったそうだ。
父上や母上は時々、俺の部屋に有るものを見ては役に立ちそうなのを見繕っているらしい。
カメラの件で味を占めたのだろうか。
まあ本当にバレちゃまずいのは地下書庫に封印してるからいいけど。
例えばゴブリンのメイジ化研究のレポートとか。

というわけで、まあ、今のところは父上が無理に母方の実家に頭下げる必要もないそうだ。
そういう訳なら気にしないでおこう。俺は研究に専念したいし。
……放っておいても大丈夫だよな……?

まあ、なにか手を打っておくべきかな。
労働力としてゴブリンが使えるようになったら、工場や農場でも作って働かせるか。
領地や領民が豊かになることに越したことはないし。

領内に金鉱脈でも見つかれば一発で解決するかも知れないが。
……地中の風石の魔力を使って自動的に金やプラチナを『錬金』する魔道具でも作ってみるか?
つまり風石の鉱脈から金鉱脈に変換するマジックアイテムだな。検討だけしてみるか。
下手打って地下水脈がまるごと重金属汚染とかいうことになったら洒落にならないから慎重にいかないといけないがな。



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 5.召喚執行中 家畜化進行中
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/18 07:45
10歳になった、ウード・ド・シャンリットだ。

数年前からこっそり行ってきた土質改良の結果、税収は増加傾向にある。
妹のメイリーンには不自由をさせることはないだろう。
とはいえ、3人目を作るには踏ん切りの付かない位の収入らしく、今のところ兄弟姉妹が増える兆候はない。
……夜は変わらずお盛んなようだが。そろそろ精通も来ようかという年齢なので、若干、耳に毒だ。

メイリーンは5歳になり、彼女のアルバムもそろそろ30冊近い数になっている。
最近まで知らなかったのだが、実は俺のアルバムも既に10冊くらいあるそうだ。父上、いつの間に撮ったんだ。
この調子だと、俺が何処からか大量の写本を調達していることや、地下の標本庫のことも確実にバレてるんだろうなあ。

魔道具作りに凝り始めてから、俺はまずカメラのフラッシュを作成した。
これはライトの魔道具の小型化・大出力化の改良品なので、割と簡単に作ることが出来た。
で、さらに印画紙もカメラ内で自動作成させたかったのだが、これは途中で諦めた。
できないこともないのだが、それをやると極微量とはいえ感光剤である銀の『錬金』を、魔道具で自動的に行うことになるため、
何かの拍子にこの技術が漏れた際に、経済に対して洒落にならない影響が出る可能性があったからだ。

とはいえ、動物の目や植物の葉にあるような光感受性の物質とかジアゾ化合物とかを用いて、銀を使わない感光剤を開発中なので、この問題もそのうち解決するだろう。
予め紙に塗布しておかなくとも、『錬金』でその都度、カメラ内に印画紙を作成出来るようにすれば、
これら生物由来の物質につきものの保存性の問題も解決出来るだろうし。

その他にも、書庫や標本庫内の温度・湿度を一定に保つ魔道具を作ったりもした。
風魔法による空気撹拌、『ディテクトマジック』による温度・湿度の感知、
それを元にして火魔法による加熱、水魔法による加湿・吸湿と冷却を行う優れものである。
この動力源としては風石から抽出する魔力を用いている。

方法としては、地下深くの風石溜りまで〈黒糸〉を伸ばし、その場に風石から魔力を抽出する魔道具を『錬金』で生成して、
魔力のみを〈黒糸〉を伝わらせて地上に送るというものだ。
風石の魔力の伝達をどうするか懸念だったが、精神力を伝わらせるのと同様に、杖として契約した〈黒糸〉を伝導路として用いることが出来たのは行幸だった。
〈黒糸〉から周りの岩石に魔力が拡散しないように、周囲を魔力を通しづらい物質で覆って、地中から部屋の空調魔道具まで配線している。
エネルギー伝達の際の効率や、風属性から他の属性を発動させる際の効率など、改善の余地は大いにあるものの一旦はこれで良い。
どうせ風石は腐るほどあるのだ。現段階では多少のロスは問題ない。






  蜘蛛の糸の繋がる先は 5.召喚執行中 家畜化進行中






さて、この二年で一番の変化といえば、さきほども少し出したが、地下の風石の利用が可能になったことだ。

これによってゴブリンの選別及び品種改良も大きく進んでいる。

風石の魔力を動力源に魔道具を動かし、それによって『活性』の魔法をゴブリンの集落全体に常時かけ続けることで、成長を早め、
誕生~次世代の出産までを大体60日くらいに出来るようになったので、品種改良の速度が上がったのだ。
まあ、もともと早熟なやつばかり選んで品種を形成してきたと言うのもあるが。

『活性』の魔法によって、ゴブリンたちの成熟速度は通常の15倍くらいに加速されている。
この成長速度に対して食料生産と栄養摂取が間に合わないため、人工飼料として、糖やアミノ酸、脂質を風石の魔力から『錬金』で作って賄っている。
調べたことはないが、改造ゴブリンの腸内細菌の構成などもこの人工飼料に適応したものに変化しているだろう。
胃や腸も退化しているに違いない。

生まれてくる胎児はかなり未熟な状態で生まれてくる。親の身体が大きくないため、胎児もそこまで大きくなれないのだ。
生まれたら直ぐに全身に点滴を刺して、栄養を注入させる。
また、胃にチューブを突っ込んで流動食も食べさせる。
『活性』の魔道具を導入した当初は、栄養摂取が成長速度についていかなくて餓死する個体が続出したものだった。

ゴブリンがある程度育ってくると、その中から望む形質を持ったもの同士――例えば脳が大きく、発語可能な喉の構造を持っているゴブリンを選んで、それぞれを掛け合わせる。
繁殖は自然受精の場合もあるし、〈黒糸〉を使って卵子と精子を取り出して人工授精させる場合もある。
その他、成長が早いように特化させたグループや、病気に強くなるように特化したグループなど、原種となる集団を幾つも作成する。
時には血統が濁らないように野生種の血統を戻し交配したりもする。

ここ最近は2世代ほど前に作った発語・知能特化の原種をベースに品種改良を行っている。
そのため、どの群れでも全体の知性も上がり、素の状態で言語を理解し、抽象的な概念も理解出来るようになった。
群れの統率は、ゴブリンに扮したゴーレムに行わせている。もちろん、そのゴーレムの操作は俺が行っている。

足掛け4年半の品種改良の結果、拙いながらも、ゴブリンたちは言葉を話せるようになってきている。
言葉を話せるようになることは、『魔法を使うゴブリン』を作るにあたって、非常に大事なファクターである。
品種改良の成果が出て、非常に嬉しい。

品種改良で知性を高める一方で、もともと存在していていた遺伝的多様性の大部分が失われてしまったかも知れない。
その中には、非常に有用な形質もあったかも知れない……。選ぶこととは、選ばれなかったものを捨てることなのだ。
だがまあ、ゴブリンの野生種はハルケギニア中に存在するのだから、有用な形質を取り込むのは、知性が高く成長と繁殖が早い品種を確立させてからでも遅くないだろう。
その頃には、俺のメイジとしてのランクも上がって、遺伝子改良可能な水魔法を扱えるようになってるかも知れないし。
……水魔法で遺伝子改良が可能なのかどうかなんて知らないが。まあ、無ければ新しいそれ用の魔法を研究しよう。

成長したゴブリンは、一旦、『活性』の魔道具の効果範囲から離して、労働力として扱ったり、実験動物として使ったりしている。

例えばゴブリンゴーレムの指導のもと、人語を解するゴブリンたちには杖との契約を試させてみたが、
素の状態では杖と契約出来るものはいなかった。
犬頭の魔物であるコボルトの中に稀にコボルトシャーマンというのがいるように、
知性が高くなれば精霊魔法が使えるのかも知れないが、残念なことにそちらの兆候もなさそうである。

それならば、と俺はかねてから構想していた脳改造によるメイジ化を試みることにした。
幸いにして、これまでの俺自身や父母、家臣団に対してこっそり行った魔法使用時の脳の働きの調査から大まかなヴィジョンは見えている。
改造に際しては結構な数の犠牲者が出るだろうが、まあ、仕方ない。犠牲はつきものだということにしておこう。

100体に迫ろうかという失敗を経て、漸くゴブリンのメイジ化は成功した。
〈黒糸〉によって脳の一部に無理やり人間のメイジと同様の回路を作り、それを水魔法によって馴染ませ、徐々に〈黒糸〉からゴブリン自身の脳細胞に置き換える。
この方法によって、後天的に系統魔法の才能を発現させることができたのだ。
ゴブリンの脳の中で傷つけてはいけない部位の見極めや、水魔法による脳回路の回復などで失敗を繰り返した。
知性と言語機能を損なわずに、魔法を身につけさせるのは本当に骨が折れた。

〈黒糸〉と水魔法で脳の一部をメイジの脳と同じように改造したゴブリン達で、杖の契約を試させたところ、契約はうまく行った。
そのゴブリンらの魔法の実力は、ドットにも満たないくらいであるが、これから行おうとする実験にはこれで充分である。

その実験は、俺の中でも非常に関心度が高い実験である。

それは『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』の仕組みの解明のための実験だ。

幼い頃(今でも充分幼いが)、この魔法を知って、その仕組みを知りたいとずっと考えていたのだ。

そして、その仕組みを知り、それらの魔法を応用出来れば、もっと多くのことが出来るようになるだろう。

さて、これら二つの魔法はセットで扱われているが、実際はかなり異なった魔法である。
しかも、それぞれが非常に複雑な魔法であり、どのようなメイジでも行使可能だというのが不思議なくらいだ。

まず『サモン・サーヴァント』は、大まかに“探査”と“ゲート作成”の2つのプロセスから成り立っていると俺は考えている。

詳しく言うと、最初に、呪文を唱える術者の適性の分析。
次に、術者に最適な使い魔をハルケギニア中から探すための、大規模かつ精細で複合的な探査。
位置情報はおろか、種族・性別・性格まで把握可能という恐ろしい探査術式が組み込まれているはずだ。
そして探査結果に様々な観点から順位付けを行い、その総合的上位に位置する対象の付近に転移ゲートを作成。
これらのプロセスが組み合わさって初めて、『サモン・サーヴァント』は成功するのだ。

……『運命に従いし』とかいう文言があるから、ひょっとしたら本当にアカシックレコード的な何かから『運命』を読んでるのかも知れないが。
それはそれで興味深い。

次に『コントラクト・サーヴァント』だが、非常に強力な肉体および精神の改造術式であるのは疑いの余地がない。
効果としては使い魔となる対象への知性の付与や、主への服従の刷り込み、その他の特殊能力の付与が挙げられる。
また、『コントラクト・サーヴァント』は術者の体にも影響しているはずだ。
使い魔との感覚共有というのは、使い魔側と術者側の両方で、相互の送受信体制が整わなければ実現できないのだから。

『サモン・サーヴァント』や『コントラクト・サーヴァント』を構成するこれらの探査魔法やゲート魔法、
精神・肉体改造魔法を自在に使いこなすことが出来れば、
この世界についての知識の習得や、各地の探索、それに必要な労働力の獲得などに大きな力を発揮することが出来るだろう。

それに、これらの術式自体も大変興味深いものであるし。

いままで自分で実験を行わなかったのは、何か危険な生物が出てくるかもしれない、という危惧もあるが、
「使い魔は一人に一つ」、「契約解除はどちらかの死をもってのみ」ということで、自分だけでは数をこなせなかったせいでもある。
メイジとしてのランクが上がらないと、上位の幻獣などは召喚されない、ということもあるが。
なんにしても一生モノなのだから、慎重になってしまった。

というわけで、ゴブリンたちの一部が『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』を
使用出来るようになって初めて実験が出来るようになったのだ。
ゴブリンたちなら、術式後の影響をいくら調べても文句は言わないし。

ちなみに、このゴブリンの集落は、俺の操るゴブリンゴーレムを、神託を受ける巫女として頂点に置くという
宗教的権威に基づく社会構成となっている。
もちろん、この場合の神託とは巫女ゴブリンを介した俺の言葉である。
メイジ化の脳改造も、一種の成人の儀式のようなものである。
そのためメイジ化技術のために犠牲になった……殉教したゴブリンたちには、宗教的な名誉が与えられているし、彼ら自身も喜んで礎になった。
成人の儀式を行えるのは技術的にも、宗教上の位階的にも、巫女であるゴブリンゴーレムのみである。
このメイジ化を行うようになってから、さらに巫女としての権威は上昇したため、品種改良中のゴブリンたちは一種の狂信的集団に成っている。
ゴブリンゴーレムはまさに作り物のような美しさ(ゴブリンの美的感覚で)をしているため、カリスマ性も更にアップである。

ゴブリンとはいえ、俺が品種改良を行った集落のゴブリンは、その早熟化の影響かどうか知らないが、本来の醜悪なしわくちゃの顔ではなく、
人間の子供のような、割と見れる顔つきになってきている。
幼形成熟(ネオテニー)というやつだろう。
つまり、巫女ゴーレムは見た目は褐色のロリっ子である。

ちなみにゴブリンたちが信仰する宗教の詔は「いあいあ」って感じで、信仰神は奈落の底の更に下に住まうという大蜘蛛神と言う設定だ。
領地に広がる〈黒糸〉の杖を深淵の谷にかかる蜘蛛の巣に見立てたのだ。

なぜ、この神性を信仰神にあげたのかと言うと、「ティン!と来たから」としか言いようがない。
ご先祖様の日記によれば、実際にこの土地の地下からはアトラク=ナクアやツァトゥグアのいる場所へ通じる道があるらしいし。
そういえば、父上の使い魔のブラックウィドウのノワールのプニプニした腹を枕に寝ると、大抵、この蜘蛛神に関連する夢を見る。
きっと、俺の生まれ変わりにも何か関係しているのだろうが、このアイデアロールは成功してはいけない類のような気がするので、このまま忘れることにする。

ゴブリンたちの衣装は俺(というか巫女)の指導のもと作らせており、
メスは生成風のワンピース、オスは同じく生成風の短パンにシャツとしている。
材料は主に、風石の魔力を動力源に『錬金』で作成した合成高分子である。
他にも農場で生産中の綿や麻、家畜化の研究中の蚕や蜘蛛などの絹糸も材料として用いている。

機織りはこの時代の機織り機を使って、ゴブリンたちに行わせている。

ゴブリンたちには、衣服の生産の他にも、農場・家畜の管理を行わせている。
知性はまだまだだし魔法を使える者も多くないが、指示されたことは忠実にこなしてくれるので、そのくらいの労働はこなせるのだ。

ゴブリンの品種改良とともに、作物や家畜の品種改良も行っている。
こちらも『活性』の魔道具のおかげでかなり効率が上がったものだ。
最初は手探りでやり方を探していたが、現在では収量の増加や耐病性などの面で従来品種を上回る品種を幾つか生み出すことが出来た。
将来的にはシャンリットの領地でこれらを生産させて、税収を更にアップさせるつもりだ。

『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』の実験だが、まあ、しばらくは事例収集と、
それぞれの呪文の際の魔力の流れをディテクトマジックで解析する作業になるか。

どうせ、ドットにも満たない行使者ではそんなに大した使い魔も召喚されないだろうが、
万一に備えて、召喚の儀式場は〈黒糸〉で念入りに封鎖しておこう。
あと、水中の生き物が召喚されたときに備えて水場も要るか。

あ、あのゴブリンは虫を召喚してるな。ムカデ、か?見た目的に。やたらデカイが……。
ウチの家系もワームやらスパイダーばっかり使い魔にしてるみたいだし、
生まれた土地とかもなにか関係あるのかな。父上の使い魔もデカイ蜘蛛だし。
いや、このゴブリンは信仰神が大蜘蛛神だからとかかな。

まあ、その辺りは事例収集してから分析しよう。



ゴブリンの召喚の儀式を観察しつつ、呼び出した使い魔の観察記録をつけるようにと、
巫女としてゴブリンたちに“神託”を出したりしているうちに、妹、メイリーンの5歳の誕生日が近づいてきている。

誕生日ということで、父上は杖をプレゼントするらしい。妹も魔法に興味を持ち出したので良い頃合だろう。
……そういえば、俺が父上にもらった杖はあっという間に鞭に改造してしまったのだったな。悪いことをしたなあ。

母上は、メイリーンにオパールのネックレスをあげるらしい。
オパールは輝きを維持するために水が必要という宝石である。水属性の母上らしいプレゼントだ。
また、水を内部に含む特性上、水の秘薬を染み込ませておく事も出来、いざという時の備えになるとか。……覚えておこう。
プレイ・オブ・カラーの虹の輝きは妹もきっと気に入るだろう。

さて、リサーチの結果以上のようなことが分かったのだが、俺は何をあげるべきだろうか。

まずは普段のメイリーンの様子を見てみよう。

普段、メイリーンが何をしているかというと、午前は文字と礼法の勉強をして、昼寝して、
午後は趣味の秘薬の勉強をしたり、世話係の侍女とともに庭を駆け回ったりして遊んでいる。
午後の遊びには、暇なときは俺も参加している。
内容はおままごと、というかイーヴァルディごっこなんかをしている。

イーヴァルディ役がメイリーンで、敵役が俺、侍女は囚われのヒロイン役で大体固定されている。
敵役をやるときは、割と本気でドラゴン型のゴーレムを作ったりして相手をしている。
オークやゴブリンの解剖経験や自分の体内調査の経験、また、趣味の物質研究でいろんな色素を作った経験から、
骨格を考慮したリアルな動きをする、肌の色まで本物に見えるようなドラゴンゴーレムを作ってやると、非常に喜ばれた。
怖がられなかったのはちょっとショックだったので、怖くなかったのか聞いてみたところ、

「にーさまのごーれむなら、ぜったいわたしをきずつけないから、こわくないよっ」

ということであった。
可愛いな、こいつめ!と思わず撫で回してしまったのは不可抗力である。
メイリーン可愛いよ、メイリーン。

妹は母上譲りの金糸のようなサラサラ髪に、父上譲りのブラウンの瞳をしている。
顔立ちは全体的に母上に似ていて、将来は美人系の顔立ちになりそうだ。

夜寝る前に読んでもらう本は、『イーヴァルディの勇者』シリーズか、始祖ブリミル関連の逸話が多いらしく、
中でも、イーヴァルディが単身で竜に挑む話がお気に入りだとは、母の弁である。
昼間のママゴトもその話の再現ごっこである。

うーむ、ずいぶん勇ましい娘になりつつあるようだ。
おそらく、〈黒糸〉を妹の体内に這わせて筋力や骨格を若干強化させているのが響いているのだろう。
……妹相手に鬼畜なことやってると言うな。
自分自身に対して実験し、ゴブリンにも何十体、何百体と施術した術式だから危険はないぞ。
さすがに脳改造は手を出してないから、そこは心配しなくて良いぞ、念のため。

というか、肉体強化は母上と父上からも頼まれたことなのだ。
小さな子供はちょっとした風邪なんかで死ぬことも多いし、体を強くさせたいのだろう。

さて、一応、プレゼント案は二つある。
一つはドレスで、もう一つは武器にもなる魔道具だ。

今は男勝りとはいえ、それは周囲の誘導でどうにでもなるだろうし、
兄としてはせめて公式の場ではおしとやかに見えるようになって欲しいという思いもある。
武器は危ないし、これはまだ大きくなってからだな。

よし、ではドレスを作るとしよう。今の俺の技術の粋を凝らしたものを作るぞ!



というわけで誕生日会当日。
食事も一段落し、いよいよプレゼントタイムである。

先ずは俺のプレゼントからである。気に入ってくれるだろうか。

「メイリーン、これは俺からだ。改めて、お誕生日おめでとう」

「ありがとう、にーさま!あけていい?」

「ああ、開けてくれ。気に入ってくれると嬉しいのだがね」

そして、メイリーンは手渡された箱を開けていく。中から現れたのは一着のドレスである。

フリフリで女の子らしい衣装だ。
色は鮮やかな青を基調とし、アクセントにモルフォ蝶の模様を、実物と同じように構造色を使って再現している。
ダンスをすれば構造色による反射が青や虹に煌めき、幾匹もの蝶が乱舞しているような華やかさと神秘性を醸しだすだろう。
また、要所要所に下品にならない程度に金糸や小さな宝石をあしらっている。

きっと母上が贈るオパールのネックレスも似合うはずだ。

メイリーンは目を丸くしていたが、やがて、満面の笑みになると、こちらに駆け寄ってきた。

「にーさま、ありがとう!だいすき!」

俺の腰に抱きつく妹を見ていると、幸せな気分になってくる。

「メイリーン、父上と母上からプレゼントをもらったら着て見せてくれるかい?」

「はいっ、にーさま!」

母上が待っているので、そちらに促す。

「メイちゃん、お母さんからはこれよ~。水の精霊様が守ってくださるように願いを込めたネックレス。
 お兄ちゃんのドレスにもきっと似合うわ」

そう言って、メイリーンの首にネックレスを掛ける。
なるほど、あれには水の精霊の涙が染み込ませてあるようだ。
神秘的な光を放っていて美しいし、危急の備えとしても最適だ。

「ありがとう、かあさま!きらきらしててきれいねっ!」

「気に入ってくれて嬉しいわ。メイちゃんは私に似て美人さんだから、きっと似合うわよ~」

さて、最後に父上の番である。

「メイリーン、私からは杖をプレゼントだ。貴族としての最初の一歩だな」

「ありがとう、とうさま!これからはわたしにもまほうをおしえてくださいねっ」

父上が贈ったのは、父上が使っているのと同じような木製の杖……ではなく、ユニコーンの角から削り出した高級品だった。
ずいぶん奮発したなあ、父上。流石、親馬鹿。まあ、メイリーンは可愛いから仕方ない。

最後に、俺が贈ったドレスを着て、ネックレスを付けて杖を構えるメイリーンを中心にして写真撮影をした。
最近新しく作った、フルカラーバージョンのカメラである。

ドレスに着替えたメイリーンは非常に可憐だった。まさに妖精の如し。
将来間違いなくシスコンに成っているだろう自分が容易に想像できてしまう。
……今もシスコンだろうって?その通りだ。

ああ、メイリーンに苦労させないように、もっと領地を豊かにするような研究の比重を増やそうかな。



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 6.ゴブリン村の名物は肉林と人面樹らしい
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/18 07:44
ゴブリンたちに『サモン・サーヴァント』、『コントラクト・サーヴァント』を行わせるようになってから2年余り。
順調にハルケギニア中の小型動物、小型幻獣の図鑑や飼育方法のノウハウが蓄積されてきつつ有る。

蜘蛛や百足、竃馬、七節、蠍、甲虫、蠅、蝶、蜂、芋虫……呼び出されるのが虫ばっかりなのは、やはり土地柄なのだろうか。
まあおかげで、養蜂や養蚕の手法確立の目処も立ちそうだし、他にも蛆虫を使った残飯の分解肥料化も可能になりそうだ。

寄生虫系の使い魔も時々召喚される。
こいつらはまさに一心同体。
寄生虫系の使い魔は契約後に宿主に寄生することで、宿主の能力を大幅に引き上げるらしい。
この方向で研究すれば、〈バオー〉を作成することも夢ではない?……考えておこう。

強力な幻獣や遠くに生息する幻獣は、ドットにも満たないレベルのゴブリンたちでは、やはり召喚出来ない様だ。
ゴブリンの品種改良も続けているから、将来的にはもっと強力な使い魔も召喚出来るだろうけれど……。
……でもやっぱりでっかい虫の幻獣が呼び出されるんだろうな……。ジャイアントスコーピオンとか。

虫ばかりが呼び出される中で、目を惹くのは、半獣半植物の幻獣である『バロメッツ』や、人の首が鈴生りになる『人面樹』だ。
本当に極々稀にではあるが、虫以外の生物も召喚される。
いや、極々稀というか、この二種以外には蟲しか召喚されていないが。

バロメッツとは、木の実の中から生まれてくる小さな羊である。スキタイの羊とも言う。
実から生まれた羊は大きくなると普通の羊と変わらなくなるが、そのヘソにはバロメッツの種が入っているという。

あるいは別の伝承では、殺された羊の血から発生し、へその緒が地面につながっていて一定範囲以上は動けない羊とされており、
周囲の草を食べ尽くすと餓死するという。

前の世界では、綿花の見間違いから羊が樹に生るという伝承が生まれたと推測されていたが、ここハルケギニアでは実在したらしい。

ゴブリンに召喚されたのは、前者のタイプの種から育つバロメッツである。
召喚されたのは『サモン・サーヴァント』の実験を始めた当初、つまり2年前だ。
幸運なことに、召喚されたバロメッツは木の実から半分だけ生まれ出た状態であり、さらに成っていた枝ごと召喚された。
それによって母樹の枝の一部を手にいれることが出来た。

召喚された母樹の一部から挿し木で苗木を育て、最適な育成条件などをゴブリンたちに調査させた。
現在では森の一部(3アルパン程)がバロメッツ及び、その派生品種で占められている。
『活性』の魔法サマ様である。これが無ければ、最初の挿し木の時点で、バロメッツを根付かせることはできなかっただろう。

また生育条件調査と並行させてこれを“ゴブリンのなる木”(名づけるとしたら『バロブリン』か?)に品種改良した。
とりあえず、実の中で育つ動物を決定している遺伝子部位を特定して、それを羊からゴブリンに組み替えたのだ。
キメラ作製技術書などを読み漁った甲斐があったというものだ。

これで、遺伝子的に均一な(実験動物として最適な)ゴブリンを量産する事が可能になったし、
良い形質を発現したゴブリンの個体を直ぐに増やすことが出来るようになった。

同様にして、鳥や魚も木の実から生まれさせることが出来るようになり、将来的に領地で普及させるための
様々な動物・幻獣の品種改良や量産を行う基盤が整備出来た。

人跡未踏の領地の山中は、大規模なプランテーションに変貌しており、
そこかしこに皮袋のような丈夫な薄い膜に包まれた動物の胎児達のシルエットが樹に生っているのが見える。
まるで酒池肉林の肉林の方だな、かなりグロイが。

実からかすかに蒸発する胎漿の甘ったるいような匂いのその中を、ゴブリンメイジ達が歩き、土魔法で肥料を施したり、
弱った樹や実の中の胎児達の様子を見ては水魔法で調整したりしている。
死産の状態になった実を除いたり、過密状態で育てているために生じるストレス性の病気が蔓延らないように適切に世話をしたり、害虫を見つけては潰したりしている。
たまに枝変わりなどで有用な品種が生まれることもあり、世話係のメイジはそういった枝変わりを見つける役目もある。

胎漿の匂いにつられて獣が集まらないように、この一帯の気流は周りに漏れ出ないように魔道具で広範囲で操作されている。
渦巻くように集められた空気は、ところどころに開いている穴から活性炭を詰めた地下道を通し、脱臭したあとに離れた場所に放出している。
無理やり下降気流を作っているおかげで、このあたりは雲が出来づらくなっており、ほぼ毎日快晴となっている。
まあ、水は地下から汲み上げたり水魔法で施しているから雨が降らなくてもいいし、陽の光が燦々と降り注ぐから生育にはコチラのほうがいいが。

キメラ作製技術については、『羊のDNA』という大きな塊を『ゴブリンのDNA』という大きな塊に置き換えるくらいは出来るようになったが、
『ゴブリンのDNA』の中で『系統魔法を使う遺伝子』とか『脳を大きくする遺伝子』、『早熟遺伝子』などを個別に特定して弄るにはまだまだ研究と熟練が足りない。

まあ、実験の被験体兼研究者に使えるゴブリンの量産体制が整ったので、そちらも進展するだろう。

一方で、『サモン・サーヴァント』と『コントラクト・サーヴァント』の魔法の解析は難航している。
この魔法、複雑すぎる。とてもじゃないが、一人で、しかもウードとしての生活をする片手間に出来るコトじゃない気がしてきた。
知能強化した品種改良ゴブリン達にも研究をさせているが、まだまだ目処は立たない。
とりあえず、現在はこれまでに記録したデータを元にして、召喚者と被召喚生物の相関を調べさせているところだ。






  蜘蛛の糸の繋がる先は 6.ゴブリン村の名物は肉林と人面樹らしい






人面樹は花や実の代わりに人の頭が成ると言う植物である。
風が吹くと、その頭がケタケタ笑い、やがては萎れて落下していくという。
その、人の頭は別に意思を持っているわけでもなく、ただ単に人の頭に似ているだけの花だという話だったのだが。

人面樹が召喚されたのはつい先日のことである。
召喚用の儀式場に、60ばかりの人の頭を付けた高さ10メイルほどの樹が鎮座している。
枝に付く葉は疎らで、その高さに比べてアンバランスに太い幹と、その中央に口を開いている大きなウロが特徴的だ。
まるでそれは樹が大きく口を開けて、入り込んでくるものを今にも咀嚼しようとしているようにも見える。
何よりも特徴的なのは太い幹の天辺からまるで噴水のように幾本も伸びる枝と、その先に鈴生りになっている人の頭部。

召喚されて間もないので、今はこの植物をよく観察しているという段階だ。

植物が召喚されるのはバロメッツ以来だ。
これは植物かどうかは微妙か?
……まあ、人面樹もバロメッツも半分は動物みたいなものだが。

しかしこの人面樹に咲いているのは、伝承に聞く『人の頭の形をした花』なんかじゃなくて、『人の頭』そのものだ。
喋れないって話だったけど、めっちゃ喋ってる。呻いてる、呻いてるよー。

生で見たら一瞬で正気を失いかねない。SAN値直葬レベルだ。

ほとんどの生首は正気を失って「あ~、う~」呻くだけだが、幾つかは正気を残していたのが居たので、
巫女ゴブリンゴーレムに話をさせる。巫女ゴブリンゴーレムの見た目は褐色美幼女だから警戒心も抱かないだろう。

精悍そうな顔をした老人の生首に話しかけさせる。

「人面樹さん、人面樹さん、私の話は分かりますか?」

「……お嬢ちゃん、わしは人間だよ。人面樹なんかじゃない」

えー、何、どういう事?
……元人間ってこと?

「じゃあ、お爺さんは何処の誰さん?」

「わしはアルパ村の村長だったんだ。もうずいぶんと前のことになるがね」

アルパ村?前に暇つぶしで読んだ怪談集にそんな村が出てきたような。

確か……「一夜にして村人全員が首なし死体になった村」だったか。
「首なし死体」……か、じゃあ首は何処に行ったんだろうね?

「昔の話だよ。わしの村には、『死者と話せる木』という言い伝えがあったのさ。
 まあ、この木のことなのだがね。
 この木の虚に死んだ者を投げ込むと、数日後にその生首が木に成るんだ。
 そして、今、嬢ちゃんと話しているように、話すことが出来るようになる。
 とはいえ、その木は森の中の何処に生えているかも定かじゃないし、長いこと迷信の類だと思われていたのさ」

「でも、迷信じゃなかった?」

実際にこの木は存在していて、ウチの集落に使い魔として召喚された。

しかも、恐らく村人全ての生首を鈴生りにした状態で。それはつまり。

「そう、迷信じゃなかった」

そう言って、村長は滔々と語る。


――あるとき村の樵の妻と娘が死んだんだ。風邪をこじらせてしまってね。

――妻子の死後、その樵はひどく憔悴してしまった。まあ、無理もない。

――ふらりと森に入って、幾日か帰らないこともあった。きっと彼はこの頃から、この人面樹を探していたんだろうね。

――――そして、ある時を境に、また元気に働くようになった。村人は一先ず、彼が調子を取り戻したことを喜んだ。


その時には既にこの人面樹に妻子を捧げて、頭だけ生き返らせていたんだろうな。

「そういうことだ。
 そして、運命の日がやってくる。
 幼い娘の生首は、言ったんだ。
 『寂しい、村のみんなに、会いたい』と」

そして樵は……

「まずは幼い子供、娘の遊び友達が行方不明になった。

 子供を探しに行った親兄弟も森から帰らなかった。
 森に一番詳しいのは樵だ。森は彼の領域だった。

 村に残った者は老人ばかり。あっという間に斧を持った樵に皆殺しにされた。

 ……その後は察しがつくだろう?」



樵は首を刈り取り、両手に抱えて人面樹に捧げた。

そうして、皆、人面樹の花になってしまいました、と。

「この人面樹は、もともと、木の虚に獲物をおびき寄せて、溶かして食べる植物なのさ。
 普通はネズミや鳥なんかを捕食する。
 捕まえて食べた獲物の一部を生やすことで、更に他の獲物を呼びこむんだ。
 大体は頭を生やす。そして鳴き声を真似て、同種の鳥や小動物を呼び込む」

なるほど、でも、やけに事の顛末を詳しく知っているな。
その話によると、村長もあっという間に、わけわからないうちに殺されたのだろう?

「最後には樵も自殺して、人面樹の虚に身を投げたのさ。そして私と同じように花になった。
 首根っこが繋がっているせいか、花は互いの記憶が読めるらしくてね。
 だから、何があったのか、彼がどんな気持ちだったのか。
 彼の娘は、彼の妻は、そして村人たちはどんな気持ちだったのか、よくわかる。分かってしまう」

よく正気を保っていられるな、あなたは。

「いや、召喚されるまでは意識は無かったよ。
 これはきっと使い魔のルーンの効果だろう。この木自体が、知性を獲得したせいだと思う。
 皆の記憶が、木の本体に吸い取られて行っているのを感じるよ。
 それで、私の意識への負担が減って、そのおかげで独立した思考を保っていられる。
 でも、それももう終わりだろうね。ほら、記憶を吸われた花はもう用済みに成るみたいだ」

確かに、花は萎れて次々と落ちている。ぽとり、ぽとりと。
頭が萎れて落ちるたびに人面樹は活力を取り戻し、青々と葉を茂らせていく。
花の重みに引かれて撓んでいた枝は、徐々に重力に逆らって逆立ってゆく。

今目の前の彼も、みるみるうちに頬がコケ、目は落ち窪み、ミイラのような顔になって、そしてポロリと落ちた。

断末魔も何もない。それは静かな終わりだった。

残ったのは青葉を茂らせる人面樹のみ。
大口のウロを哄笑するように開けている人面樹がその緑髪を逆立てている。

「巫女様、こノ木はドウシマショう?」

人面樹を召喚したゴブリンが話しかけてくる。
口語を話せるようになったとはいえ、まだまだ発声器官は未発達なので発音もたどたどしい。

「あなたの使い魔なのですから、大事にして下さい。
 あと、人面樹から知識を引き出す訓練をして下さい」

若干、気味が悪いが、これは充分に使える。
村長や樵がどう思うか知らないが、せいぜい有効活用させてもらおう。

例えば、寿命で死んだ高官の墓を暴けば、政府の秘密が直ぐに手に入る。
古くから続く家系の当主の死体が手に入れば、秘伝の魔法も手に入るだろう。
死体からしか情報を手に入れられないから、情報の鮮度は落ちるが、問題ない。
鮮度の高い情報は別の方法で手にいれれば良いだけだ。

これを召喚したゴブリンは、バロメッツに組み込んで量産することに決定だな。
同じ遺伝子から作ったゴブリンは同じような使い魔を召喚することが、実験から分かっているし。
恐らく、人面樹を株分けしてやれば、量産型ゴブリンは株分けされた人面樹を召喚するだろう。
それに元が同じ木なら、『コントラクト・サーヴァント』を行った後で、枝や根を繋げてやれば、
蓄積された知識を繋げた樹同士で共有することが出来る公算が高い。

「ああ、それと」

「なんデシょう、巫女様?」

人面樹の幹に額を当てているゴブリンに声を掛ける。早速知識の共有を試しているのだろう。

「あなたに家名と役職を与えます。
 そして、バロメッツから生まれることとなるあなたの姉妹も、人面樹を使い魔に出来たならそれに連なることとします」

「ハッ、光栄でス!」

バロメッツは使い魔じゃなくても役に立つが、人面樹は使い魔にしてラインを形成しなくては、蓄積した知識の活用が出来ない。
人面樹を使い魔とするゴブリンの血統(氏族)に家名を与え、役職を固定させよう。
人面樹とのリンクを利用出来れば、人面樹に蓄積された知識と経験を活用してさらなる発展をもたらす存在になるはずだ。

「家名は〈レゴソフィア〉。役職は知識の収蔵と管理です。
 人面樹の特性を生かし、多くの知識を蓄え、後世に残すのです。我らゴブリンの発展と大蜘蛛神様の為に」

「我らゴブリンの発展ト、大蜘蛛神サマノ為に!」

品種改良を初めて6年近く。ゴブリンたちもかなり知恵がついてきたように思う。
途中から『活性』の魔道具による成長促進を使えるようになったし、最初から数えると十数世代は品種改良を行っている。

今は、集落の運営がうまく行っているが、そのうちクーデターでも起こされたりして?
知恵をつけてきたからそれもありうるかも知れない。

しかし、無駄無駄。
クーデターなど起こそうものなら、逆に巫女を殺した天罰としてゴブリンを殲滅するから問題なし。
殺すだけなら、〈黒糸〉を操れば直ぐだ。
巫女自体もゴーレムだから遠方の俺の本体が無事ならいくらでも再生可能。
ゴブリンたちも殲滅して数が減っても、バロメッツから生まれさせればいくらでも補充可能だしな。

巫女がゴーレムだとバレたら求心力が落ちるかも知れないって?
そういう心配も確かにあった。

だが、実は巫女がゴーレムだと言うのは既にバレていたりする。
『ディテクトマジック』でやれば一発でバレるからな。
既に、系統魔法を使えるゴブリンは量産しているから、巫女がゴーレムだというのは彼らを通じてバレている。
それでも、問題ない。
巫女は大蜘蛛神の操り人形と言うことにしてあるからな。この場合は比喩ではなく文字通りの意味で。
だから、巫女がゴーレムなのは神の操り人形である以上当然なのだ。

今のところは、この運営体制で問題ない。
それに、共同体に有利なことをしている限りは、クーデターなどで排斥されたりしないだろう。
だがゴブリンたちの数も増えている現状、巫女による統率も限界があるだろうし、俺の目も手も足りない。
そのうち、統治機構を、宗教的権威とは別に構成する必要があるだろうな。

まあ、それより心配なのは、アトラク=ナクアを騙った神騙りの天罰が俺に落ちないかと言うことだ。
邪神の天罰とか恐ろしすぎる。
アトラク=ナクアも実在しているらしいし、天罰の危惧は実現しそうで怖い。

とはいえ、ゴブリンの集落には完全に邪神信仰が根付いてしまっている。
嘘から出た真というか、もはや始まりが何であったかなんて関係の無いレベルまで宗教が確立されているし、
ここまでの信仰があれば、実際にアトラク=ナクア復活の一助になるのではなかろうか?とさえ思える。
かの神性は復活を望むようなものではないが。



シャンリットの領地ではゴブリンやオークと言った亜人の被害がここ6年ほどで激減している。
オークは生体実験がてら殲滅したし、ゴブリンは家畜化して管理下に置いているから当然だ。
ほかの幻獣も地下に黒糸が張り巡らされているのが感覚でわかるのか、あまり寄り付かなくなった。

あるいは本当に邪神の加護かも知れない。

でも、盗賊の被害はここ一ヶ月で急に増えた。

領内の平民が盗賊化したわけではなく、隣とかから流れ込んできているのだ。
ウチの領地から逃げて行った幻獣にねぐらを潰されたのとかが。
幻獣の件については非公式ながら周辺の領から抗議が来ている。
抗議されてもウチとしては本当に何もしてないのだからどうしようも無いんだが。
というかこちらとしても野盗が増えた件で難儀してるというのに。

ウチの領内は豊かに成っているから、盗賊になるやつは殆ど居ない。
だが、当主が意図せぬうちにいつの間にか豊かになった領地に対して、伯爵家の治安維持隊は増強されたりしてない。

いや、もともと伯爵家の政策として領地を豊かにしたのだったら、当然、治安維持対策もするだろうけど、そういうわけではないのだ。
だから、治安維持部隊の拡大が間に合っていない。むしろ、亜人被害が減ってから少し縮小されていた。
そして、そんな領地はカモにされるだけだ。

ここ数年は研究のほうが忙しかったからと、盗賊なんて放っておいたのが良くなかった。
近くの国境で大規模な会戦があったのが二ヶ月前。そこで雇われていた傭兵連中や敗残兵が野盗化しやがった。
しかも周辺の領主連中、幻獣の時の意趣返しか知らんがウチの方に追い込みやがって。

何が『途中で幻獣の群れに襲われて取り逃がしてしまった。貴領に於かれましても注意されたし』だ。
白々しい。

あまりにも侵入する数が多いから周辺領主が結託した私掠団かと思ったが、経緯としては全然そうでは無いらしい。
純粋に自然発生的なものだとか。
まあ、シャンリット領の通商や領民にダメージが出ているから結果的には変わらんが。

最初に被害が出たのは、ゴブリンの集落の方だ。
山の中に畑やらバーナクル(バロメッツの鳥バージョン)やらを作っているから、それが山に逃げ込んだ連中に先ず狙われたようだ。

ゴブリンは見た目は既にただの子供にしか見えないし、手頃な獲物に見えたんだろうな。
実験農場の野菜畑や家畜類などに被害が出ていたので、巫女ゴーレムにメイジ化ゴブリンを率いらせて掃討した。

ドットレベルの魔法も満足に使えないメイジ化ゴブリンだが、こちらは領内に張り巡らされた〈黒糸〉で相手の居場所を正確に把握している。
闇討ち、待ち伏せ、不意打ち何でもありだ。
相手にスクエアクラスがいてもこの戦法なら打倒するのに何の問題ない。
こちらにも少なくない被害が出たが、それはバロメッツから補充可能だから問題なし。

討ち取った盗賊は、人面樹に捧げて情報奪取。
貴族の敗残兵から幾つか有用な情報が手に入ったので、後で活用させてもらうことにする。
彼らの屋敷にある先祖伝来のマジックアイテムとか、秘伝の魔法の事とか。

また、高ランクのメイジはゴブリンに遺伝子を組み込む材料に使うために、生殖器等を切り分けて、
系統とランクと殺害日などをラベルして冷凍&固定化しておいた。
これを使うかどうかは未知数だが、まあ、無駄にはなるまい。
採取した標本は村の地下に作った標本収蔵庫に収めてある。

ゴブリンの集落を狙う奴らはこうして、人知れず排除されていった。
ゴブリン集落をスルーしようとしても〈黒糸〉を通じて場所を特定し、野盗だと確認し次第に殲滅していった。

だが、高ランクメイジを含む幾つかの集団の通過を許してしまった。
こうなるとなかなかゴブリンに襲わせて排除させるわけにも行かない。
あまり人里にゴブリンたちを近づけると、逆にゴブリンが討伐対象にされるかも知れないからな。

人里に野盗たちが近付く程に〈黒糸〉による振動感知だけでは領民たちとの区別が難しくなるため、排除のペースが落ちていった。
ある程度の目星をつけて『遠見』の魔法を併用して目視確認しながらの討伐となるし、俺自身の時間も多くを割くことは出来ない。
まあ、それでも森の中で討ち漏らした幾つかの盗賊団は殲滅できたし、
それとなく領軍にも野盗のおおよその位置の情報を流したから彼らも頑張ってくれたが、どうしても領民に被害が出てしまった。

貴族が君臨を許されているのは、こういった時に領民の安全を守るためだ。

そして俺は13歳になろうかというところで、そろそろ初陣を果たしてもおかしくない年だ。
最近弟も生まれたし、万一死んでも跡取りは居る。
魔法学園入学も再来年辺りに控えているし、時期的にはベストかも知れない。

というわけで、俺も盗賊討伐に駆り出されることになったのだった……。
……前線に出るのは嫌なのに。前線に出るのは嫌なのにー。



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 7.ヒトとは嬉々として同族殺しを行う種である
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/18 07:44
さて、盗賊討伐のために初陣に出ることになったのだが、なんと一人で放り出された。

13歳になるかならないかと言うラインメイジを一人で放り出し、
その上、元敵国軍の野盗化した敗残兵の一団を壊滅しろ、と。
父上、母上、あなた方はアホですか。アホですよね?アホに決まってる!

相手にはトライアングルやスクエアも含まれるらしいのに。
何が、『グリフォンは我が子を巣から突き落とすのだ』だよ。獅子じゃねーのかよ。
まともに戦って勝てるわけないでしょう!と抗議したら、まともに戦うつもりはない癖にと返された。
そうだけど。そうだけどさぁあ……。

しかし、俺にそんな実力が有るように見えたか?実践訓練の時に鋼糸術を見せたのが不味かったのか?
地中に張り巡らせている〈黒糸〉とかも気付かれてるのかな。
色々実験したり、何処からか本を持ってきて読んでるのは知ってるだろうけど。

まあ、標本庫や地下書庫は毎回『錬金』で出入口を塞いでるし、今も『遠見』の魔法を併用して侵入者が無いか見張ってるから
それらの中身を見られたってことはないだろう。多分。

大体、あれらの中身を見られたとしたら、俺は殺されてる可能性が高い。
ゴブリンのメイジ化に関するレポートとか、異端中の異端だしな。
メイジの特権たる魔法をゴブリンに与えるとか、始祖を冒涜してるとか言われるに決まっている。
そんなヤツを跡継にしたら、あっという間に神官や王家にイチャモン付けられてお家取り潰しの憂き目に会うこと請け合いだ。

研究関連はこれまで以上に研究の隠蔽には気を使わないとならないな。
今でも諸々の所蔵量がシャレになってないから隠蔽に無理が出てきてるし。
地下書庫なんて拡張を繰り返しているから地下10階に迫ろうかって規模だぞ。

……あ。
ひょっとして、自分たちの手を汚さずに俺を殺そうとしてる?
弟も生まれたから、跡継ぎの代わりは居るし?
ハハハ、真逆ネー。そんな事ないよねー?
一人で放り出したと見せかけて、実は家臣が何十人かこっそり付いてきてるのは〈黒糸〉で分かってるし。

……盗賊討伐に成功しても家臣団の手で確実に始末するためとか?
いやいや、はじめてのおつかいのノリで、心配だからだよねー?

……。
…………。
やめた。考えないようにしよう。欝になるわ。

取り敢えず盗賊討伐からだな。
場所はバッチリ把握済み。
最近手馴れてきたお陰で〈黒糸〉からの情報の処理能力が上がったから領地内で分からないことはないのさー。
最近は〈黒糸〉のカバー範囲を広げすぎてそれでも処理が追いつかなくなってきてるけど、まあ、シャンリットの領地内くらいなら平気だ。
情報処理補助用のマジックアイテムとか作るべきかなー。
地下書庫の管理も限界だし、記憶特化型のインテリジェンスアイテムとか?

さて、盗賊団のヤり方をどうするかだが、後ろを着いて来てる家臣団が居るみたいだから、
ここから敷設済みの〈黒糸〉の遠隔操作でアジトを全滅させるのはNG。
それやると俺がやったってコトが伝わらないし。
少なくとももっと盗賊のアジトに近づかないとな。

当たり前だが、下僕のゴブリンたちに手伝ってもらうのも無し。
というか、いつも巫女ゴブリンゴーレムを介して指示知るだけだから、ウード個人としてはゴブリンに会ったことも無いしな。

少なくとも、直接俺が手を下したと分かる形じゃないといけない訳だが……。
それでいて、俺は絶対に安全な方法となると、さて、どうしたもんかね。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 7.ヒトとは嬉々として同族殺しを行う種である






地下の風石の魔力を使って、地面から少し浮いて滑るように移動する。
馬に乗れないので仕方ない。いくら頑張っても乗馬は駄目だったのだ。
何故か馬が嫌悪感を顕に俺を振り払うのだ。
父上も普通の乗馬は苦手らしいが、バイコーンには乗れるらしい。
ユニコーンには近寄れもしないらしいが。
シャンリットの血筋の方の祖父も曽祖父もそうだったらしい。
アトラク=ナクアは邪神だし、その辺が関係してるのだろうか。

まあ、低空フライの方が馬より速いしな。……負け惜しみではないぞ。
魔力は自前のだけでは足りないから裾から垂らした〈黒糸〉を通じて、地下の風石から取り出している。
だから余り高く飛ぶことは出来ない。
高く飛ぶと魔力供給用に接地してる〈黒糸〉が地上の構造物をスパスパ切ってしまうので厄介なのだ。
魔力伝導を無線化する研究もしてるが、全然目処が立たない。というか、無線化出来る代物なのだろうか?わからん。

移動用の多脚戦車型ゴーレムでも作って乗って行ってもいいが、あれだと盗賊に無用の警戒を与えそうだ。

家臣たちは何とか付いて来ているようだ。
ま、付いて来られるようにスピードを調整しているのだし、そうでないと困る。

で、何度か休憩を挟んで3時間ばかり疾走すれば、盗賊どもが根城にしている廃村まであと少しの所まで来た。
……ここを廃村にしたのは盗賊団なのだがな。
〈黒糸〉を通じて以前に測量したときまでは普通の村だったはずだ。

盗賊団と言うか、敗残兵達は50名ばかり。一個小隊くらいか?
これまでの被害などから分かってるのは、相手には少なくとも10名はメイジが居て、トライアングル以上が2名以上。
その内少なくとも1名はスクエアと来ている。

ハッキリ言って、俺一人でまともにやっても捕まえられる筈が無い。
だが、正面切って戦う気は毛頭無いから問題ない。
準備万端整えて、戦い始めた状態で既に詰んでいると言うのが理想形だ。

で、準備とは言ったものの、やることはそんなに無い。
督戦している家臣団から見える位置で、杖の〈黒糸〉を伸ばしていく。それだけだ。

鞭状の杖から、〈黒糸〉をたらし地面を這わせて伸ばしていく。
それはまるで黒い水が音もなく川を作っていくような、あるいは蟻や百足の列がゾワゾワと進軍していくような光景だ。
標的の廃村を包み込むように、その黒い川は広がり、そして飲み込んだ。これで、あの廃村は俺の手の中だ。

やろうとしていることは簡単である。
張り巡らせた〈黒糸〉の杖を介して盗賊団の口に何か適当なものを『錬金』して塞ぎ、『サイレント』を掛け、
悲鳴と詠唱を上げられなくしたところで〈黒糸〉を『念動』で操り『ブレイド』も纏わせて四肢切断し、
四肢の切り口には生体適合性の高い適当な何かを『錬金』して傷を覆いつつ『治癒』を併用して止血する。

これを盗賊団が寝静まったところで、一人ひとりに施していくだけだ。
まあ、50回近く作業をせねばならないが、似た様なことはゴブリン相手の改造手術で散々やっているから慣れたものだ。

わざわざ手元から〈黒糸〉を伸ばしているのは、父上や家臣たちには領地の地下に張り巡らせている方の〈黒糸〉は秘密にしているからだ。
父上達は〈黒糸〉のことを『伸縮分裂自在な杖』くらいにしか思っていないだろう。

つらつら考え事している間に〈黒糸〉も村の隅々に張り巡らせたし、あとは時機を見計らうだけだな。
それまで、穴でも掘って昼寝するかなー。

あ、一応家臣たちにも聞こえるように作戦を声にだしておかないと。
俺が夜襲をかけると知らずに彼らが寝過ごすかも知れない。
家臣たちが寝ていて、俺の初陣を見届けられなかったら彼らの役目が果たせないからな。

「さて、ひと眠りしたら夜襲をかけるかねー」



時は過ぎて、夜半、双月が天頂に登る頃。

「はぁ~あっ。眠い~」

「全くだ、少尉は神経質すぎるぜ。こんなとこに誰も来やしねぇっての」

カンテラを持って村の中を歩くのは、人影が2つ。
会話の内容からするに、盗賊団の一員で、夜の警備中というところだろう。

『少尉』というのは彼らの上官だろう。
おそらくは盗賊団のリーダー
であるスクエアメイジ。
土の使い手らしく、盗賊行為を行う際は村ごと囲む壁を出したり、大きなゴーレムで荷馬車ごとさらったりしていたという目撃情報がある。


だが、どれだけ魔法の才能があろうとも、この夜に彼らを襲った襲撃者にとっては関係の無い話であった。

「夜回りが終わったら、また女どものところにでも行くかな~」

「はん、お前も好きだね~。この幼女趣味が!」

「何だと、年増好きめ!……まあ、確かに美人ではあったが。あと15年若けりゃな」

「熟れた身体が良いんじゃねえか。ガキなんかとヤって何が楽しいんだか」

下世話な話をしながら、盗賊の2人は歩く。

彼らが賢明なら、空中を漂うか細い糸に気付けただろうか。
彼らが敏感なら、周囲の草むらや森から何の虫や獣の声もしないことに気づいただろうか。
彼らが善良なら、もしかしたら襲撃者は見逃してくれただろうか。

だが彼らは、自分たちが蜘蛛の糸に絡め取られた哀れな獲物であることに気付けなかったし、
耳が痛いほどの静寂が村を包んでいることも、虫や獣の声を打ち消している魔法の存在にも気がつかなかった。
ましてや敵国のメイジである彼らは平民に対して善良であろうはずも無く、
ゆえに襲撃者はそんな彼らに一片の情けを掛ける理由も持ち合わせてはいなかった。

2人の夜警が異変に気づいたのは、お互いの会話が『サイレント』の魔法で掻き消された時点だった。
――それは致命的に遅すぎたが、早く気付けたところで何が出来たというのか。

まず、声が掻き消え、次に物陰から何かが顔に飛んできて視界と口を完全に塞ぎ、
次に四肢が断ち切られ、血も吹き出ないうちに傷口が何かで塞がれた。

それに遅れて体幹が地面に落ち、蠢く土によって地面に拘束されていく。
最後に『眠りの霧』を受けて、夜警の2人は深い深い眠りについた。



で、夜も更ける頃には廃村の中には呻き声一つ上げられない達磨さんが沢山転がってるワケだ。
最初の一人から、全部片付けるのには一時間もかからなかった。

こいつらは適当な台車に乗せて、屋敷まで引きずって行くことにする。
敵国の人間だし、領民に危害を加えた犯罪者だ。容赦してやる理由が存在しない。
屋敷まで帰ったら、処刑されて晒し者にされるだろう。人んちの庭で好き勝手やるからそうなる。

この廃村もどうするかな……。
元々住んでいた住人は若い女を除いて皆殺しにされていた。
その女性たちも、まあ、悲惨な状況だ。四肢の腱は切られ、その傷が膿んだりして衰弱している。
それに、盗賊どもの慰み者にされたせいで、精神的にもかなり壊れてしまっている。

このまま放っておくと亜人が住み着くし……いや、そうかいっその事、そういうことにすればいいのか。
俺の配下のゴブリンを住ませるようにすれば良い。
今あるスペースでは手狭になっていた所だし、作成した新種の作物を広めるための交易拠点も欲しかった所だ。
いい加減、ゴブリンたちも表に出しても良い頃合いだろう。

大体、自分の自由にできるお金が少なすぎるんだよなー。
ここは一つ、金儲けに走ろうと思う。
そうしないとマジックアイテムや秘薬、水精霊の涙、土石、火石を揃えるのに全然資金が足りない。
書籍は勝手に写本するからいいんだけど。

幸い、魔改造したゴブリンたちはかなり見た目が人間に近くなってるから、ゴブリンだとバレることはあるまい。
年齢構成が子供ばかりだと怪しまれるから、成人型ゴーレムかガーゴイルも結構な数が必要だろうな。
商人との交渉の矢面には、その成人タイプのゴーレムかガーゴイルを使えば良いだろう。

あと、村に残された女性たちの処置だが……取り敢えずはゴブリンたちに世話をさせよう。
見た目少女である雌ゴブリンの方が、俺なんかより適当だろう。

家臣達からは村の中の様子は詳しくは分からなかった筈だから、村に女性が残っていたことは伝わっていないはず。
悪いが、村の女性らは既に死んでいた事にさせてもらう。……いや、家臣たちは生き残りの数なんて気にしないか。
それに、彼女らを家臣に引き渡したところで、お金を払えない彼女らに有効な治療を施してやれる訳でもない。

平民の損害に対する保証なんて概念はないのである。もちろん予算が無いという事情もあるのだが。
生きるべき村と家族を失った彼女らは、このままではどちらにしても生きていけない。
それよりはゴブリンの村の中であっても生きていていて貰いたいと、俺は思う。

彼女らはそうは望まないかも知れないけど。所詮は俺の自己満足だけれど。

……さて、じゃあ早速、ここに一番近いゴブリンの集落から何匹か派遣させるか。
いや、各集落から、だな。魔法の扱いに長けた奴を派遣させよう。
各集落の巫女ゴーレムには『新天地を開拓し、人間と交易せよと天啓が降りた』とかなんとか言わせるか。
人面樹の苗木も持ち寄らせれば、それぞれの木に蓄積させた記憶を統合する良い機会にもなる。

先ずは荒れた村の立て直しと周辺の開墾、街道などのインフラ整備だな。
そして同時に人面樹とバロメッツや、新品種の作物を植えて生活基盤を整えさせる。
それまでは、ゴブリンの各集落から食料品を運ばせなきゃならないな。

ゴブリンの集落には道を通す訳には行かないから、輸送は『レビテーション』か『フライ』で空からか?
あるいは穴を掘って地下から?……地下道なんてそう簡単に整備できないから、最初は空からだな。
インフラ整備には各ゴーレムの集落を繋ぐ地下道の整備も含めさせておこう。

ゴブリンたちが到着するまでは、俺のゴーレムに生き残りの女性らの相手をさせることにする。
ゴーレムのタイプは巫女ゴブリンタイプ。
女性型の方がトラウマを刺激しないだろうし、ここに到着したゴブリンの統率役も必要だからこその選択である。

そろそろ遠隔操作するゴーレムが多くなりすぎてるな。
王都の写本用の奴はほぼルーチンワークのためにガーゴイル化しているから負担はそうでもないが、
巫女ゴブリンゴーレムは逐次色々判断しなくちゃならないから、直接操作しないといけない。
最大で同時稼動は3~5体くらいが限界か。

巫女ゴブリンゴーレムは、20以上のゴブリンの集落に対して、最大同時稼動数が常に3体以下になるように
タイムスケジュールを調整しながら集落の運営を行わせている。

また、ゴブリンの集落から寄せられる各種レポート――例えば、新種の作物の開発状況や、召喚魔法の研究、
召喚された生物の生態研究、人面樹から読み取った記憶の中で有用な情報についてなどなど――や、
王立図書館その他からの写本もそれらと並行して読んでいるし、俺本体の礼法や魔法の訓練もあるから、
脳のリソース的にかなりイッパイ一杯な状況だ。むしろ、パンクしてないのが凄い。
ハルケギニア人の脳は化物か。俺だけが特殊なのだろうか。
まあ、いっぱいいっぱいだったからこそ野盗の領内への侵入を気づくのが遅れて、水際で防げなかったという面もあるのだが。

さて、あらかた村の中も見て回ったし、夜も明けてきた。
では後始末はゴーレムに任せて帰るかな。
あ、地下に『活性』の魔法を発生させる魔道具を作っていかないとな。こいつは農業にはもはや欠かせない。忘れるところだった。



さて、悪党どもを引きずって帰還しましたよー。
父上に報告だなー、と、その前に。

「後ろから着いて来てたの知ってるから、さっさと出てきて下さいな、家臣の皆さん」

いくらか間が開いて返事が返る。

「……さすが若様。気づいておいででしたか」

「ま、最初からね。それで、私の初陣は御眼鏡に適ったかい?」

「見事なお手際でした。一点、直接盗賊と対峙しなかったのは、ご当主様には不評かもしれませんが」

返事を返してきたのは、伯爵家の軍官を代々務める家系の確か、次男だったか?
まあ、彼もそうは言うものの、一人で50倍の人数の前に姿を表すなんてマネは無謀だと分かっているのだろう。
苦笑しながらでは、窘める効果は全く無いぞ。

「父上も流石にそんな事は仰らないだろう。
 そんなことを言うって事は、私の実力をよほど大きく評価してるか、戦死して欲しいと思ってるかだよ」

「死んで欲しいなどと思ってらっしゃる訳無いでしょう」

「……分かってる、冗談だ」

尤も、書庫の色々とやばいレポート類を見てもこれが冗談で済むかどうかは自信がない。

「大体、お一人で片付けて仕舞われること自体が想定外だったのです」

「最初は50人ばかり兵が付いて来てたものな。
 適当なところでなんだかんだ理由をつけて参戦するつもりだったのかな」

単体戦闘力がいくら高くても、軍を指揮するスキルが無ければ伯爵家の跡取りとしては不適当だ。
まあ、随伴兵力の大半は歩兵だったから、俺のフライを用いた進行ペースに着いて来られずに脱落していったが。
盗賊のネグラまで残ったのは馬に乗れる指揮官クラスと空を飛べる使い魔の類ぐらいだ。

「ええ、大半は脱落してしまいましたが……。
 それにしても、若様の魔法はおぞまし……いえ、恐ろしいですな。
 〈黒糸〉、でしたか?あれの攻撃を防げるメイジなどハルケギニア中探しても滅多に居りますまい」

今、おぞましいって言わなかったか?確かに〈黒糸〉をぞるぞると伸ばす様子は背筋泡立たせるものがあるが。

「そう言って貰えると嬉しいね。だが、ま、あれは副産物みたいなものだよ。
 本来の用途は今回みたいな暗殺じゃなくて、杖を広げた範囲内の探査だし」

そもそも、戦場に出ること自体不本意だ。
研究の時間が無くなるじゃないか。
督戦されてちゃ、魔法の新しい使い方の戦闘実証することも出来やしないし。

「あれだけ広範囲に広げられる杖というのがそもそも規格外なのですが……。
 若様の魔法を真似ようとする者も軍内には居りますが、上手く行ったという話は今のところありませんな」

「確かに誰かが成功したとは聞いたことが無いな。
 ま、そう簡単に真似てもらっても困る。
 戦闘が本分ではないとはいえ、私の切り札には違いないしな」

俺自身、〈黒糸〉による奇襲を完全に防ぐ手立てを思いつかないからな。
対抗策を考えるまでは、他の人に教える訳にも行かない。
確かに、これならドットメイジやラインメイジでも充分に戦力化出来るから、魅力的なのは分かるがね。
何度か、父上や伯爵軍幹部からも〈黒糸〉の杖の作り方を教えて欲しいと言われたが、何だかんだではぐらかし続けている。

そういえば、強度もそうだが、新しく伸ばした部分を再契約せずに今までの杖の延長で使えるのは普通ではありえないとか。
恐らくそれは、〈黒糸〉の伸びた部分も含めて全て単分子で構成されているためなのだろうと当たりをつけているが。

「さて、じゃあ、あの犯罪者どもは君に預けるよ。これから父上に報告に行かねばならないしね
 ああ、分かってるだろうがくれぐれも妹の目には触れさせないでくれよ」

達磨になってる犯罪者なんか、メイリーンの自家製秘薬の格好の実験材料にされるだけだしな。
情報を聞き出す前に廃人になられちゃ困る。
それに、達磨の人体なんか普通は目の毒にしかならんからな。

「承知しております」

妹は家臣たちにも愛されてるのさ。可愛いからな。
……同時にマッドアルケミストなことも知れ渡ってるが。
どうしてこうなった。

では、父上のところに行きますか。
報告するまでが初陣ですー、ってなー。



報告自体は恙無く終了した。
盗賊どもと一緒に、略奪にあっていた物品も回収してきたから証拠は充分。
自白も秘薬と水魔法を使えばすぐに引き出せるだろう。

村にいた女性たちの件については誤魔化しきった。
村の跡地についてだが、交通の要衝からも外れているので再開発などはせずにそのままにするそうだ。
つまり、しばらくは好き勝手に出来るということだ。

実験農場が欲しいから、そこを使っていいか尋ねると少しの逡巡の後に許可を貰えた。やったー。
ゴブリンを住み着かせて、適当に村が復興してきたら伯爵領に再登録することにしよう。

……さて、取り敢えず、俺暗殺未遂疑惑は考えないようにしよう。
家族を疑うのは辛すぎる。
……それでも研究を自重するという方向に行かないのは業病だと思う。
でも、暗殺にはやはり気をつけよう。
毒とか事故とか。
気をつけるに越した事はないよね……。

で、その5日後の夕飯時。
やたら豪勢な夕食が目の前に。
ああ、これはあれか、最後の晩餐的なアレか。
最後の最期に豪華なものをってやつか。

「おおウード、遅かったじゃないか!」

「お兄様、改めて討伐任務、お疲れ様でした」

「さあ、席について、今日の主役はあなたなんだから」

「だー」

父、妹、母、弟と家族が勢揃いである。
俺の気分はもはや俎板の上の鯉である。

「では…」

父が音頭を取り、断罪の言葉を……

「「「お誕生日おめでとう!!!」」」 「だうぁー!」

ってあれ?誕生日?誰の?俺の?

あ、13歳の誕生日!!今日じゃん!忘れてた。

「お兄様、誕生日忘れてらしたんですか?」

ハハハ、ははははは……。つまり、このサプライズのために領地から遠ざけておいたと?
マジですか。あーーー、良かったーーー。うわ、なんか、安心したら涙出てきた。

「あらあら、ウードったら泣くほど嬉しいの?」

正直、その後は半ば放心しながら過ごしてしまったので、何があったかよく覚えていない。
何やら色々プレゼントも貰ったようだし、後で確認するか。

しかし、なんか変なフラグが立ってるんじゃなくて本当に良かったーー!!

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シミュレーションゲームとかだと、妹の誕生日イベントなどで家族の好感度を上げないままで、更に
隠蔽能力に一定以上ステータスを振ってないと研究バレ→暗殺ルートに突入。

一応そこからの別ルート派生としては、人面樹からバロメッツへの記憶ダウンロードシステムが出来ていればという条件で
ゴブリンに予め暗殺後に死体を奪取して人面樹の肥しにするように指令を残しておき、ゴブリンに再転生というパターンも。

その場合、『やっぱりブリミル教は邪魔にしかならん』ということで対ブリミル教の組織を作る感じで動き出す主人公。
アトラク様の名の下に!!って感じ。ゴブリンvs人間、ブリミル教vs蜘蛛神教。



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 8.フランケンシュタイン・コンプレックスが理解出来るような今日この頃
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/21 22:01
異端認定→暗殺コンボかと思ったら、サプライズ誕生パーティだったでゴザルな日から早くも1年。
いや、あの時は本気で焦った。ホントに暗殺ルートだったら人間不信になってたね、絶対。

ただ、あの日の前日にゴブリンたちに密かに下していた命令……
『ウード・ド・シャンリットが死んだら、その死体は何があっても収拾しろ』というのは撤回していない。
これで、俺の頭部が無事なら少なくとも俺の中の現代知識は人面樹の中に残るのだ。

さらにあの日から人面樹の記憶を、その人面樹に接木させてキメラ化したバロメッツ内のゴブリンへダウンロードする研究を行っている。
植物同士なので、上手くいけば融合させることも出来るはずだ。
俺のキメラ作成技術も向上しているし。
これが完成すれば、俺が死んでも人工的に転生させることが出来るようになるだろう。
それ以外にも、今まで蒐集した知識をダウンロードすれば、生まれながらに様々な知識やスキルを持ったゴブリンを作れる。

人面樹を使い魔にするゴブリンの氏族は、別にこのような事をしなくとも人面樹経由で知識や経験を継承できる。
しかし、その氏族だけで集落を形成するとゴブリンたちに多様性が生まれなくなってしまう。
同じ種類の使い魔を安定して召喚するには、かなりシビアな遺伝的条件をクリアしなくてはならないのだ。
人面樹を召喚出来るゴブリンは総じて体力がなく、筋肉も付きづらい特徴があるが、それらを克服させると今度は人面樹を召喚できなくなってしまう。
ジレンマだ。
人面樹の〈レゴソフィア〉氏族だけではゴブリンの多様性が今以上に失われてしまう。
だから使い魔のパスに依らない知識のダウンロードが必要なのだ。

力が強い氏族とか、魔法が得意な氏族とか、他にも様々に特化した氏族を作り上げたいと考えているし、
しかしその一方で、知識の継承は非常に魅力的で、人面樹の〈レゴソフィア〉氏族だけに限るのは惜しい。
それゆえの人面樹とバロメッツのキメラの研究だ。

継承するのは知識や経験のみではない。
信仰心や忠誠心といった強い情動を先天的に植えつけることも簡単だ、と思う。
人面樹に吸わせたのは人間のメイジだけではない。
集落のゴブリンは基本的に死んだ後には人面樹の糧となり、その知識と経験を一族のために還元する。
その知識と経験を蓄積するのと同時に、人面樹は数万のゴブリンの狂信を吸って蓄積しているのだから、それを植えつけるのも容易いはず。

実際、研究を初めて半年くらいで、人面樹とバロメッツのキメラは一応形になった。
そのキメラ樹から生まれるゴブリンは、100匹に1匹くらいの確率で人面樹から何らかの知識を受け取って生まれてきた。
まずはこれを100%にすることを目標に研究を進めている。
最終的には任意の経験と記憶を植え付けられるようにしたい。

話は変わるが、ゴブリンのメイジ化技術であるが、漸く最大でライン程度ランクまでの改造が可能になった。
遺伝的な改造も施しているため脳改造を施さなくてもコモンマジック程度は使えるようになった。
盗賊の中に居た高ランクメイジの遺伝子や脳構造を研究出来たのが大きかったな。
それに味をしめて、戦争が起こる度に死体の首を漁りに行かせている。

ま、メイジが戦死することなんか早々無いんだが、それでもいくらか収穫はある。
死体の他にも未使用の水の秘薬やら、マジックアイテムなんかも運が良ければ回収出来る。
高位の幻獣の死骸からサンプルも手に入ったし、それらを調教するための知識も幻獣乗りのメイジの死体から手に入れられた。

それに、シャンリットの領地で傭兵や敗残兵が盗賊化する前に無力化するという目的もあるし、今後も戦場巡りは続けさせるかな。

しかし、死体漁りをやり過ぎた所為か、戦場に首無し騎士(デュラハン)が徘徊するようになったらしい。
デュラハンなんてホントに居るのかどうか知らないが、居たらサンプルとして欲しいところだ。
恐らく、死者の思念と水の秘薬あたりが関係しているのだろうが……、まあ、頭の片隅に置いておこう。

ゴブリンメイジの魔法ランクと知能が上がったことで、任せられる作業も増え、研究の進展も早くなった。
現在は俺自身が研究を行っていることは殆ど無くて、専らゴブリンから寄せられる報告書を読み、指示を行う日々だ。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 8.フランケンシュタイン・コンプレックスが理解出来るような今日この頃
 





『サモン・サーヴァント』の研究だが、未だに探査術式やゲート術式のみを抽出することは出来ていない。
その代わり、術者と被召喚生物の関連について大まかにだが判明した。
現在は、その関係性を利用して被召喚生物を使い潰す形で、ゲート輸送を実用化しようと奮闘中だ(ゴブリンたちが)。

例えば、ネズミを召喚したメイジが居たとする。
そのネズミ(オリジナル)のクローンをバロメッツで作り、クローンを離れた場所に持っていく。
オリジナルのネズミを殺して、再び召喚の呪文を唱えれば、ほぼ100%の確率でクローンネズミの前にゲートが開く。
あとはそのゲートに輸送したい物を突っ込めばOKだ。

高等な動物だとクローンとオリジナルで記憶などが違う所為か、完全に100%ゲートがクローンの前に開くというわけには行かないようだ。
かと言って単純すぎる生き物だと個体間の違いが少なすぎてクローン以外の個体の前にゲートが開いたりしてしまう。
あとは術者の体調によっても召喚ゲートの開く先が異なる。
術者の体調や、召喚される側の記憶とか、そんな些細な違いを読み取れる『サモン・サーヴァント』の探査術式というのも凄まじいものだと思う。

研究の結果、最適だと判断されたのは巨大なカブトムシの幼虫のような幻獣――ジャイアント・ラーヴァだ。
動きが鈍いため誤ってゲートに飛び込む危険も少ないし、現れるゲートの大きさも手頃な感じで非常にグッド。
ジャイアント・ラーヴァがこの輸送システムの犠牲者として選ばれたのは、
もともとゴブリンの集落で流通していた小型コンテナのサイズに近かったからという理由もある。

ジャイアント・ラーヴァは個体間の遺伝的多様性は大きいようだが、精神性とかはあんまり発達していないようで記憶の違いを考える必要はないってのもある。
脱皮の月齢を間違えなければ狙ったとおりの幼虫の前に召喚ゲートを開くことができる。
バロメッツによってジャイアント・ラーヴァのクローンを簡単に作ることができるので、物資の輸送に関しては
前述の方法で召喚ゲートを通じて一瞬で離れた2地点を結ぶことが出来るようになった。
ゲートを閉じたいときは呼び出される側のジャイアント・ラーヴァをぶち殺せばいい。
流石に呼び出す主の側のゴブリンを殺すのは勿体無いからな。
次の日には別の若い月齢のクローン幼虫が脱皮しているので、再びゴブリンが『サモン・サーヴァント』の呪文を唱えれば前日と同じ場所にゲートを作成出来る。

まだ召喚ゲートを用いた生物の輸送は殆ど行って居ない。
せいぜい実験レベルで行っているくらいだ。
召喚ゲートの通過でどんな影響があるのか不明だから仕方ない。
絶対に洗脳系の術式がゲート自体に組み込んであるからな。
少なくとも、ゲートを通った生物を朦朧化させる効果は確認されている。

まあ、これによってトリステイン国内のみならず、遠く離れた地点まで改造ゴブリンの集落を広げる下地はほぼ完成したと言えるだろう。
遠隔地との連絡自体は使い魔とメイジの感覚共有によって解決しているし。
問題は、あまり手を広げすぎると末端へ俺の統制が利かなくなってしまうことか。
いや、でも現状でもそこまで俺の力で統制出来ているというわけではないし、別にいいか。

ゴブリン達には宗教を絡めた道徳教育を施して、信仰によって社会秩序を構築させている。
だが指導者である巫女ゴブリンは同時制御出来る数に限りがあるから、今後ゴブリンの生息圏を広げるなら巫女ゴブリンなしでもきちんと社会秩序を維持できるようにしなければならなかった。
そのために巫女ゴーレムなしでも社会運営出来るように一年かけて三権分立など、前世の社会制度とハルケギニアの社会制度を参考に整えてきた。
それに政教分離は大事だと思うわけで。

とはいえ、やがては全ゴブリンに対して知識の継承を行い、基礎知識としての道徳心や常識をプリセットするつもりなので、
現在の宗教中心の社会制度はそれが実現できるまでの繋ぎという位置づけだろうか。
人面樹とバロメッツのキメラ化によって知識や経験が継承されるようになれば、非常に大きなパラダイムシフトが起こるだろうし、
それにともなってゴブリンの精神性や社会形態も変容するはずだ。

この一年は行政・立法・司法のそれぞれの機関の整備、憲法となるべき基本方針の設定、その他の細々としたことを行ってきた。
今では改造ゴブリンたちの集落の運営については、殆ど俺の手を離れてしまっている。
ゴブリンたちの方が人面樹に吸わせた知識と経験を利用できる分、政治には明るいのだ。
あとは、実際に他の地域に拡大浸透していく際に微調整すればいいだろう。

ゴブリンの集落の憲法となるべき指針は大まかに以下の3つだ。

『真理探究』

『全体最適』

『日進月歩』

上記の3つである。

『真理探究』とは、無論、俺の知識欲を満たすための各種の研究を行わせるために掲げた目標である。
ゴブリンたちを改造したのは元々こういったことに使う手足を確保するためだったのだから、当然だ。
ここに基本的人権の概念は考慮されていない。
人体実験が真理の探究に必要なら、それを妨げない。
人面樹があるのでゴブリンたちは死を恐れない。
それは死んでも人面樹の形作る広大なネットワークに溶けて祖霊と一体化することが分かっているからだ。
死を恐れないから生きていることに対して余り執着を覚えず、人体実験や優生学に対する忌避感もとても薄い。
その分、人面樹に知識を継承されないような死に方……焼死などの頭部が著しく損傷する死に方は忌み嫌われている。

さらに近年は前世の記憶持ちとも、黄泉がえりとも言えるゴブリン達も増えているのだ。
実体験として死後の世界を経験したものがいるので、死への不安は非常に小さくなっている。
……死を経験したことで狂気に侵され、その辺りを気にする感性などなどが摩滅しているだけかも知れない。

『全体最適』というのは種の利益を常に考えると言うことだ。
個人の利益ではなくて、常に広い視野を持って全体の利益を目指すということ。
その為には自己犠牲も厭わない精神。寛容さ、道徳心などなど。
“One for All,All for One”の精神だ。
『真理探究』と種の繁栄のために最適化を行い続けるという精神だ。

『日進月歩』というのは社会の停滞を防ぎ、技術的・思想的に常に新しいものを目指すということだ。
より早く、より簡単に、より安く、より楽にを心がけて、相互扶助でゴブリン全体を繁栄させるためのスローガンだ。
上記二つに反しない限りは優先される。
まあ、もとからゴブリンたちは好奇心旺盛になるように交配を重ねてきたからわざわざ掲げなくても勝手に色々と新しいことをやるんだろうけど。

さらにはこれらの3つの指針に加えて、アトラク=ナクアを崇める宗教の戒律もある。
三権分立と政教分離も取り入れたし、そうそう暴走するような事はないと思う。
ハルケギニアの役人だった者の記憶も人面樹内にはストックされているから、運用面もなんとかなるだろう。
正直、俺なんかよりも老役人の死体からサルベージされたノウハウの方が役に立つし。
うまくこれらの制度を回すためには、後数年は現在のシャンリットの領地内の集落で経験を積まないといけないだろうけど。
まあ、改造ゴブリンの本格的な拡大浸透政策の実施についても同時進行で研究させておくか。

先ずは手始めに他国の王都付近やエルフの居るサハラには実験的に集落を作ろうと考えている。
知識の収奪には、多くの知識が集まると思われるそれらの場所に拠点を作るのが都合が良いからな。
それに、一年前に盗賊に襲われた集落から始めた商売の支店を出す先としても、各国の王都周辺に拠点は確保しておきたい。

現在、その集落では人間社会向けに、品種改良した野菜や家畜を売り出そうとしている。
また、俺が設計したマジックアイテム(小規模な魔法を込めた部品を組み合わせて複雑な機能を再現するもの)も村に作った工房で生産して売りに出す予定だ。
魔法と機械的な仕掛け、簡単な電気部品の組み合わせも色々試しているところだ。
他にも繭を作るタイプの使い魔を用いた織物・服飾業も行って居る。
村の女性達はこっちの服飾方面で働いてもらっている。

大金を稼ぐには流通ルートと販売先の確保が必要になってくるが、シャンリットは辺境もいいところであるため王都の商会にコネが有るわけでもない。
まずは伯爵家とその配下の商会と渡りを付ける必要があるが、これは俺から父上に口添えすればいいだろう。

生産拠点としている元廃村は、地下道で他のゴブリンの集落と繋がっている。
地下道は土系統が使えるゴブリンメイジが穴を掘り、壁の中に鉄筋の支柱を錬金し、『硬化』の魔法で補強したものだ。
人間のメイジならジャイアントモールなどの使い魔を使うことも出来るのだろうが、生憎ゴブリンメイジの使い魔は昆虫系特化だ。
まあ、巨大オケラを使い魔にしてるゴブリンには大いに活躍してもらったが。
将来的にはこの地下道に鉄道を通そうと考えているので、かなり広い空間を確保している。
空調は魔道具を使って微風を起こして制御している。俺が写本を置いている地下書庫に使っている魔道具の広域版だ。

村の建物も地下道と同様の製法で作成した。
土を操って形作り、『錬金』で材質変換し、『硬化』と『固定化』を掛ける。
作製の際に規格化しておいたので、石造りの四角い建物が林立するようになってしまった。
辺鄙な村なのに5階建て以上の居住棟が幾つも立ち並んでいる。
絶対に中世ファンタジーじゃない光景だ。

他にも織物の工房なども作成しているが、これらの建物の耐震性とかは不明だ。
構造計算出来るような知識も無いし、元の世界での構造計算の記憶があったとしても、魔法があるからそのまま当てはめたりは出来ないだろう。
『硬化』の魔法の影響も含めて研究中ではあるが、そもそも地震が起こる地方ってわけでもな……いや、地下深くの風石が暴発したら活断層ってレベルじゃないよな。
きちんと研究するべきか、やはり。

あと、現在はまだ稼働していないが、魔道具の部品を作成するための工場も建築中である。
原材料について今のところは『錬金』で賄えているからいいが、本格稼動する頃にはどこかから輸入しなくてはならないだろう。
原材料を採るための未発見の鉱山などを手に入れるためにも、〈黒糸〉をもっと広範囲に広げようと思っている。
〈黒糸〉を広げるに当たり、風石の魔力を使って自己組織化して勝手に広がっていくようなシステムを組み込めないか研究中である。

村の周りの森を大きく切り開き、そこにバロメッツや新種の野菜の農園を作っている。
バロメッツに生るのはヒツジや鳥などである。ゴブリンの生るバロメッツは他の集落に置いている。
前の住民が管理していた畑も組み込み、こちらはかなり大規模な農場になっている。
相も変わらず、木々の枝々から垂れ下がる漿液と肢体の詰まった皮袋のゴツゴツしたシルエットと、微かに香る漿液の匂いが独特の雰囲気を作り上げている。
村の生き残りの女性達は余りこちらには近づきたがらない。
夜の墓地よりも不気味だ、とのこと。仕方ないね。

ここまで大きく復興したら、流石に伯爵家に税を納めないわけには行かなくなる。
見た目初老の男性型ガーゴイルを村長として伯爵領に届けを出し、今年からは税を納めるつもりだ。
税は金納と、品種改良した作物の苗と育成方法を教えることで納めようと思っている。
改良した作物の苗を伯爵家主導で広げることが出来れば、更にシャンリットの領地は豊かになるはずだ。

村の開発や新種、新技術の発明はゴブリンたちに任せるとしよう。
俺が出せる限りのアイデアは伝えてしまったからな。
指針も伝えたし、報告書は必要に応じて出させるからそうそう酷い事にはならないだろう。
人面樹に吸わせた知識には商人のものも在ったはずだし、商会の運営もそこまで心配しなくていいだろう。

しかし、人面樹はチート過ぎる。

最近は戦場の死体漁りだけでなく、王都や近隣の村の墓暴きなんかもしている。
そこで老練な職人や商人の死体を手に入れ、知識を収奪するのだ。
死んでいったゴブリンたちも人面樹の糧にし、さらに経験を循環蓄積させている。
これで、バロメッツとのリンクが完全なものになって生前の知識経験を備えたゴブリンを作ることが出来るようになれば
さらにさらに技術と経験の蓄積は加速するだろう。

……なんか墓暴きとか人として倫理的にかなり致命的なことに手を出しているが、今更なので気にしない。



「若様、ようこそいらっしゃいました」

「お久しぶりです。どうですか、調子は?」

俺は月に一度くらいのペースで村の方に顔を出している。

今応対をしているのは生き残りの女性のまとめ役に任命した女性である。
生き残りの中では最年長で、現在3×歳らしい。
ウェーブが掛かったブラウンの髪色が印象的なお姉さんだ。
非常に若々しくて、とても三十代には見えない。13歳になる娘さんもいる。
……母娘で盗賊団の餌食にされてしまったのだが、母の強さなのか、彼女の立ち直りは早かった。

「若様が遣わしてくれた子たちが働き者で助かってますよ」

「それは良かった。ですが、その位の援助は当然ですよ」

盗賊団を跳梁跋扈させた責任は伯爵家にあるのだから。
そう言外に滲ませると、エステルさんの顔が曇る。
やはりあの時のことは思い出したくも無いのだろう。当然だ。
立ち直ったように見えても、心の傷は一年くらいでは癒えないのだろう。

色とりどりの花が咲く村の中を先導する彼女は俺から結構距離を置いて歩いている。
男が怖いのだろう。俺は14歳であるが、背の高さは170サントくらいはある。
成長期も未だ終わってないし、身長の伸びについては今後も期待出来るだろう。

体内の〈黒糸〉で成長を操作しているから俺は同年代でもかなり背が高い方だと思う。
筋肉も結構ついているはずなのだが、腕やなんかはなかなか太くならず、針金みたいなシルエットだ。
〈黒糸〉を介した成長促進の魔法をミスったのか、手足がアンバランスに長いし。
まるで蜘蛛か何かのようだ。

こんな背格好だから俺はこの村の女性たちには代表である彼女を除いて会っていない。
大人の男と変わらない背丈の俺は、要らないトラウマを刺激するだけだろうから。

ちなみに体は成長したが父上との組み手は未だに勝てない……。

道を彩る様々な草花や花樹たちは品種改良の賜だ。
林立する居住棟だけでは殺風景で、まるで墓地のようだとクレームが入ったのだ。……ゴブリンから。
彼らは全く意思のない家畜ではないのだ。

さまざまな研究をゴブリンたち自身に任せるようになってから、彼らは自分たちが快適に過ごすのに役立つような研究も多く行っている。
花の研究もその一環である。
蜂を使い魔にする氏族もいるので、彼らの営む養蜂と組み合わせたりもしている。
現在は、蜜の代わりに〈水精霊の涙〉を溜め込むような花を作れないかという研究もさせているし、
体の一部に精霊の力の結晶を溜め込む野生の植物や動物が居ないかも調査させている。

「それで、今日はどのようなご要件で?」

「いつもの視察ですよ」

「そうですか」

「それと礼拝に、ですね」

そう言って、俺と彼女の間を歩く褐色の少年に目を遣る。
背丈から察する限り年の頃は5歳くらいか。生成の簡素な服と短パンを履いている、活発そうな男の子だ。
だが、この子は人間ではない。この村に派遣されたゴブリンメイジのうちの一匹である。
代々寄生虫を使い魔にし、その寄生虫を身に宿すことによる身体能力などの強化を持ち味とする氏族の一員だ。

使い魔となる寄生虫は、彼ら氏族の肉体とともに品種改良されている。
ゴブリン氏族との共進化によって、もはや元の寄生虫とは殆ど別種だ。
彼らの氏族の名前は〈バオー〉である。
まだ、無敵の生物とまではいかないが、共進化の最終的な終着点として、あの来訪者〈バオー〉を目指している。
『メイジと使い魔は一心同体』を文字通り体現した氏族でもある。

俺はこの村で漸く、“ウード・ド・シャンリット”として初めてゴブリンとコンタクトを取ったのだ。
その際にゴブリンたちに協力を申し出たのだ。
この地の支配者の眷属として、君たちに協力したい、と。
夢で大きな蜘蛛の神様からお告げがあったのだ、と。

もちろん、蜘蛛の神様の夢なんて嘘っぱちだが。
いや、あながち嘘でも無いか。蜘蛛の夢はよく見るし。
おぼろげだが、前世で死んだ後から、転生するまでの間に、蜘蛛、というかアトラク=ナクアに関係する何かがあったようだし。

まあ、その申し出の後、巫女ゴブリンの許し(自作自演)を貰い、蜘蛛神教のイニシエーションを経て、俺は晴れて異端の信者となったわけだ。
因みに、蜘蛛神教のイニシエーションは体の一部に蜘蛛の意匠の刺青を入れることである。
……魔法を使って刻むので無痛であるし、一瞬で終わる。

イニシエーションを経ることで、宗教の構成員にさらなる一体感を生み出すのが目的だ。
滅多な事では他人に刺青を見られないように、俺は太股の内側に入れている。
目の前のゴブリンもぱっと見た目には分からないが、どこかに刺青を入れているはずだ。

という訳で、視察に来た際は必ずこの村の礼拝堂に向かう事にしている。
蜘蛛神教の礼拝堂なんてここにしか無いからな。

生き残りの人間の女性たちのうち幾人かも、蜘蛛神教に入信している。
人生が滅茶苦茶にされたあとの心の隙間に入り込んだ形だが、彼女らも救われているようなのでまあ良いだろう。
まあ、蜘蛛神教は礼拝の方式とか、かなりイイ加減だしな。
夜中にミサをやってるとかいう訳でもないし、金品をせびっているわけでもないし。

この地の領主の使い魔に蜘蛛が多かったこともあって、蜘蛛に関する逸話は元から結構な数があるから、
蜘蛛に祈りを捧げていてもそれらの逸話にあやかっているのかと思われるだけだろうから早々異端だとは思われないだろう。

この地の逸話の中には、呼び出した『アラクネー』という半人半蜘蛛の幻獣と結ばれたなんて話もあるくらいだから、
案外本当にシャンリットの家系には蜘蛛の血が流れているのかも知れない。

定期的に礼拝には来ているものの、ゴブリン達の方も俺を完全に信用している訳ではない。
まあ、当然だ。
人面樹に蒐集された知識から、どれだけブリミル教、というか宗教的権威が人間社会において強力なものか知っているから、
為政者側の人間がそう簡単に宗旨替えする訳がないと思っているのだろう。
しかし、巫女からの命令で“ウードに協力しろ”と言われているので無下にも出来ない、というジレンマだ。

警戒されていても、それはそれで問題ない。
お互いに利害が反しない限りは問題無いし、そもそも、ゴブリン側のトップは実質的には未だ俺なのだから反目しあうことも無いだろう。
万が一対立して俺が殺されても、俺の知識や人格は人面樹にプールされることになるだろうし。
そうすれば、いつの日か人面樹からサルベージしてゴブリンとして擬似転生することも可能だ。

あとは本当にブリミル教の異端審問にだけは気をつけなければいけないな。
実際に異端であるかだけでなく、成金に対して適当な罪で異端審問して財産を没収して私腹を肥やす神官も結構いるみたいだし。
うちの領内からはそういった腐れ神官は排除しているが。

いや、排除というか成り代わりだな。

系統魔法は、術者の覚悟がその威力や効果を引き上げるということが分かっている。
土系統の才能に優れたメイジが決死の覚悟でその生命を燃やして作ったガーゴイルは、非常に完成度が高いのだ。
人を完全に模すほどに。
土系統に優れたゴブリンメイジに寿命が迫れば、自身の命を燃やして自身の人格を焼き付けたガーゴイルを作るのがゴブリンの村での習わしだ。
命を燃やし尽くしたゴブリンメイジの遺体は、人面樹に捧げられ、死の間際までの経験が――決死でガーゴイルを作ったノウハウがまでもが蒐集され、次世代に還元される。

成り代わらせるに当たっては、徹底的に対象となる汚職神官の人となりや交友関係を調べ上げた上で殺して人面樹に捧げ、
その記憶を人面樹からダウンロードしたゴブリンに、そのゴブリンの生命を犠牲にさせて精巧なガーゴイルを作らせる。
ガーゴイルは神官の記憶とゴブリンの記憶と人格を引き継いでいる。
外見を神官に似せてやれば、入れ替わりは完了だ。

ここに建ててある教会は村を再び伯爵領に登録したときに目敏い神官が作らせたものである。
もともとはちゃんとしたブリミル教の神官が詰めていたんだが、上記のプロセスで入れ替わってしまっている。
今は地上部分はブリミル教で、増設された地下室は蜘蛛神教の礼拝スペースになっている。

今ではシャンリット領全体の神官のうち、私腹を肥やすような輩は殆ど排除されたはずだ。
この手法を使っていけば、国を牛耳るのも夢じゃないかも知れないな。
でも『ディテクトマジック』でガーゴイルだとバレるかも知れないし、ガーゴイルになった時点で魔法は使えなくなっちゃうからソコからバレたりして難しいだろうけど。

まあ、俺自身にはクーデターとか国盗りとかそんなつもりはあんまり無いけど、ゴブリンたちはそうでもないかも知れない。

この国の中枢に斬り込んでいければ、ゴブリン全体の繁栄にもつながるだろうし、今後の戦略としてそれを選択するのは大いに有り得る。
まあ、トリステインじゃなくてもいいけど、大きさ的に手頃なのはトリステインだよなあ。
ガリアは大きすぎるし、空のアルビオンは大地から離れてしまうから、深淵の谷のアトラク=ナクアを崇拝するゴブリンたちには忌むべき土地だし、
ロマリアはブリミル教の崇拝が強すぎる。

最近読んだゴブリンたちからの報告書によると、ガーゴイルになっても魔法を使えるように、ゴブリンの体の一部をガーゴイルに埋め込む実験も行っているらしい。
倫理観を無視しまくった実験を行うのは大いに結構だが、本気で国家乗っ取り狙ってるんじゃなかろうか。

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2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字修正



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 9.過去の因縁はまるでダンゴムシのように隙間から這い出してくるのだ
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/21 22:03
さてウード・ド・シャンリット15歳、いよいよ魔法学院入学の年である。
名門トリステイン魔法学院。王都近くの閑静な場所にあるその学び舎に通うことは貴族嫡子のステータスである。
また学院在籍中の恋愛関係は、既に婚約していても関係なく優先されるという暗黙の了解により、玉の輿を狙う女子学生の狩場ともなっている。

さて、俺の杖であるカーボンナノチューブ集合体〈黒糸〉はもはやトリステイン全土を隈なく覆い、現在は世界中に張り巡らせるべく拡大中である。
カバー範囲拡大に際しては地下の風石の魔力を用いており、魔道具を用いて自動で〈黒糸〉を伸展させている。
また、広げた先に風石の鉱脈があればそこから魔力を補給するというエンドレスループを形成させているので、幾何級数的に拡大スピードが上がっており、試算では学院を卒業する頃にはこの惑星を一通り覆えると出ている。
そこから得られる情報を解析するには何十年と、いや百年単位で時間がかかるだろうが。

〈黒糸〉の伸展と同時にそこから得られた情報の解析を急がせているが、このままでは確実に百年単位で時間がかかる。
地底からだけではなくて空からも解析が必要だと感じている。
ボトムアップだけではなくてトップダウンの情報も取得し、両面からの解析が必要だ。

カメラ搭載型の小型飛行機でも開発するか?
ガーゴイルかインテリジェントアイテムを利用すればいけそうな気もする。
空からと言っても、人工衛星はまだまだ無理そうだな。

ああ、それよりコンピュータかそれに類するインテリジェントアイテムの開発が先か。
情報の処理が間に合わない。
せめて電卓だけでも……。
半導体素子の作成も研究させているが、まだまだ時間がかかりそうだ。
なにせ、電気関係の物理法則の実証から入ったのだ。
カーボンナノチューブの応用で半導体自体は直ぐにでも出来そうなんだがな。
取り敢えず、電磁誘導やコンデンサや抵抗器、トランジスタ、モーター、電池など基本的な概念は伝えてあるので、そのうちなんとかなるとは思っているが。

ゴブリンの村の方は順調に発展しており、村の商品を捌くために立ち上げた商会はかなりの利益を上げ、多くの税を伯爵領にもたらしているらしい。

その商会の名前は“アトラナート商会”。
蜘蛛の意匠をした紋章がトレードマークである。蜘蛛は豊穣のシンボルでもあるため、別に不思議な話ではない。
ゴブリンが中枢を占める商会であるのは秘中の秘である。
というか主要構成人員はゴブリンかゴーレムかガーゴイルである。……何だこの商会。

ちなみに商会構成員のガーゴイルはほぼ人間と変わらない動作・思考が出来る。
領内の汚職神官たちと入れ替わっているガーゴイルと同じで、ゴブリンメイジ達が命と引き換えに作り出した分身とも言えるガーゴイルだ。
最近はアトラナート商会の売上から幾らかを『土石』の購入に充て、それを用いさせることで更にガーゴイルの精度を向上させている。

アトラナート商会は『サモン・サーヴァント』のゲートを利用した輸送網を構築しており、シャンリット領内ではどの村にもアトラナート商会の商店が節操なく出店している。

商っているのは高性能で安価な日用品や、新種の作物の種、肥料、病気によく効く薬などなど。
地域への浸透や新作物の普及のために結構無料で配ったりもしている。
正直、採算は度外視である。
というか、これは将来への投資である。
特に新種の作物の普及は非常に重要だ。
文明の発展には食料供給の余剰とそれに伴う労働力の余剰が不可欠だ。

また、農村の方では商会が銀行も兼ねている。
辺境の村まで貨幣経済に組み込むこともアトラナート商会拡大の目的の一端である。
商店には各種商品のカタログも取り揃えており取寄も行っている。
一両日中には大抵のものが届くということで評判は大変よろしい。
召喚ゲートを使った流通網は、世界最速だろう。

商会の店員は全てゴブリンメイジである。背格好の問題から名目上は丁稚とか小間使いと言うことになっている。
ちなみに店長はゴブリンの人格を焼き付けた大人型ガーゴイルである。
店員のゴブリンメイジは村のインフラ整備なども暇を見て行っている。
ガーゴイル店長はガーゴイルゆえに魔法を使えないからな。
魔法を使うのは丁稚役のゴブリンメイジの仕事だ。
その奉仕活動の中でも井戸とポンプの製作は村人にかなり喜ばれた。

それで、お近づきの印としてお守りと称して商会の紋――蜘蛛の意匠をあしらい、アトラク=ナクアの文字を刻んだもの――を村人に配るのだ。
『ほら、領主サマの使い魔にあやかってね。身につけてると悪いことから守ってくれるんだ』と。
地道に蜘蛛神教の普及活動を行っているのだよ。フフフ。

そのうちキャラクター戦略に走ろうかとも考えている。
取り敢えずは始祖の使い魔であるヴィンダールヴと共に蜘蛛の幻獣がブリミルを助ける話なんかを捏ぞ…げふん。発掘して絵本にして配っている。
配った絵本を利用して農閑期には、村人に読み書きや計算を教える教室を開いたりしている。

教室に来てくれた人たちに、お菓子や料理を出すのも忘れない。
農民は基本的に時間が無いのだから、来てくれたお礼はしないといけない。
読み書き出来るようになれば、養蚕や養蜂、新技術、新作物の育成方法の普及もマニュアルを配って行えるようになるから大分楽になるはずだ。

将来的にはアニメとかで広報戦略にも力を入れようと思う。
目指すのは異世界のウォルト・ディズニーだ。
……マスメディアを掌握するのはいい考えだな。
物流とともに情報を掌握するようにゴブリンには指示を出そう。

教育や情報戦は大抵の場合は教会が抑えてしまっているものだが、
シャンリットの領内に限っては神官たちをガーゴイルに入れ替えてしまっているからその辺の軋轢も無い。
本格的に私立学院を設立するとかになれば、王宮の許可も必要になるかも知れないが。


収穫量が多くなるように改良した作物を普及させれば、それによって余剰が発生する。
そして、税や自家使用分以外の余剰分は適正価格で商会が買い取りする。
買取の際は全商店で共通規格の升や秤を使っている。度量衡の普及も商会の一つの仕事である。

最初は売り先の確保が難しかったが、地道な営業と品質の高さからあっという間にシェアに食い込んだ。
人面樹に吸わせた商人たちの知識・ノウハウも大いに役に立った。
召喚ゲートを用いた物流では関所を通らないため関税が掛からず、他の商人に比べて圧倒的な安さを誇っているのも大きな勝因である。
このカラクリに気づいたら関税に意味が無いと悟って、所得税や法人税に切り替えてくるだろうがそれまでは好き勝手やらせてもらおう。
ちなみにシャンリット領内では既に関税は撤廃済みである。
その為に向こう二十年分の関税収入に匹敵する“寄付”をシャンリット家に対して行ったが。
ま、二十年分と言っても元から流通は活発じゃなかったんだからたかが知れた金額でしか無い。

アトラナート商会はこの関税無視の輸送のカラクリで結構な利益を確保している。最初は他の商会からの輸送を一手に請け負ったりして荒稼ぎしたしな。お陰で商会の馬車の護衛を生業にしていた傭兵たちの仕事がガクッと減ったとかで、嫌がらせを受けたこともあったが、まあそいつらは闇から闇に葬って人面樹に食わせたりした。
商会の利益は各村のインフラ整備や教育などの投資に振り分けられるのだ。
アトラナート商会が大きな利益を上げることが出来たのは、何より、奴隷扱いのゴブリンたちを使っているので人件費が抑えられるのが大きい。ゴブリンはバロメッツからポコポコ生まれさせることが出来るし、知識経験を引き継いでいる状態で生まれるから即戦力になるし。
あとは地下の風石からほぼ無尽蔵にエネルギーをタダで取り出すことができるからというのもあるな。

あまり派手にやっていると、各所から目をつけられるかも知れないので、不穏な動きが無いか、周囲の動きには気を配るようにゴブリンたちには命令している。
ゴブリンメイジ達にも〈黒糸〉の杖の秘密を教え、それを用いて諜報活動させている。

どうやら、複数のメイジが一つの杖を用いることは問題ないようで、ゴブリンたちも問題なく〈黒糸〉を使えている。
〈黒糸〉を教えたのは蜘蛛神教に対する貢献の一環でもある。

もし、〈黒糸〉を利用して俺が暗殺されたり、ゴブリンが拷問されて秘密が漏れたらって?

……やばいな、考えてなかった。うっかりにも程がある。
……杖に使用者認証のセキュリティ機能ってつけられるかな?






 蜘蛛の糸の繋がる先は 9.過去の因縁はまるでダンゴムシのように隙間から這い出してくるのだ



 


学院を卒業するまでの俺の目標は、トライアングルへの昇格と学院に集まる貴族子弟とのコネクションの確立である。

あと、ついさっき追加されたことだが、杖の使用において使用者認証機能を設けること!
これ重要である。
方法としては例えば杖自体に知性を付加して使用者を判断させるという方法が考えつく。

アトラナート商会の拡大のためにも少しは頑張らねば。
母上を見ていて思ったが、学院時代のコネクションは非常に有効だ。
アトラナート商会が発足するまでシャンリット領が持ったのは母上のコネクションのお陰だし。

そういえばいい感じにお金が集まってきてるし、商会には本格的に魔道具やインテリジェンスアイテムの蒐集を始めさせよう。
今や製法が失われた古の魔道具を解析して、色んな便利機能を再現出来るようにしたいし。

「では、行ってきます、父上、母上」

「ああ、しっかりと学んでくるのだぞ」

「他の貴族の方に粗相のないようにね~」

商会による収入が多くなったため、魔法学院にも問題なく入学できることとなった。
魔法学院のある王都周辺までは馬車で10日。竜籠でも2日はかかっていた。

こんな辺境では、魔法学院に入学させるのも一苦労なのである。
学費もバカにならないし、物価の差もあるし、やたら舞踏会系の学校行事が多かったりして見栄を張るお金も必要だし。

一昔前の当家の収入では、嫡男の俺はともかく、妹のメイリーンや弟のロベールを入学させるお金は無かっただろう。
アトラナート商会の尽力により、領地収入が増えた今なら、弟妹を魔法学院に入学させても財政的に何の痛痒もない。

「じゃあ、またな、メイリーン、ロベール」

「はい、兄様。長期休暇の折には、必ず帰ってきて下さいね」

「おにーちゃん、どこかいくのー?」

弟のロベールは2歳半ばで、まだまだ俺が何処かに行くことが良く分かっていないようだ。
まあ、メイリーンがいるから寂しい思いはしないだろう。
帰ってきたら弟に忘れられていた、なんてことが無いように、必ず長期休暇は帰るようにしよう。

むしろ俺としては、メイリーンと離れなきゃならない方が辛い。
妹は最近ますます可愛らしさに磨きがかかっている。
メイリーンは母上の水メイジの才能を受け継いだらしく、霧を操って虹を作ってはロベールをあやしている。
……まさか、あの対軍魔法『集光』を覚えるつもりか、妹よ。
母上は体術が苦手だったから接近戦に弱かったそうだが、メイリーンは幼い頃からの筋力強化があるから恐らく接近戦にも強くなるだろう。
末恐ろしい。

また、水メイジらしく、秘薬にも興味があるようだ。
秘密にしている地下標本庫には、妹の興味を惹きそうな劇薬の類も多数保管されている。
今もその兆候があるが、それらを見つけて本格的にマッド・アルケミストにでも目覚められたら怖い。
液体を操る水メイジが、ニトログリセリンの『錬金』を覚えたらと思うと恐ろしいな。あるいは王水の鞭とかも怖いが。
標本庫のそばを離れる以上、隠蔽にはこれまでより一層注意せねば。

「夏期休暇の折には、帰郷します。
 アトラナート商会に、遠隔地を繋ぐ魔道具が無いか探させていますし、多分、夏期休暇にはそれで王都とウチの領地を繋げるでしょう」

「おお、そうか、そんなものがあるのか。全く、彼らの手は本当に長いのだな。
 まあ、今の伯爵家があるのは彼らに依る部分も大きいのだが、本当に得体の知れない連中だ。
 ウードからの紹介じゃなければ、付き合ったりはしなかっただろう」

「まあまあ、いいじゃないですか、あなた。
 彼らもシャンリット領の為に動いているのですから」

伯爵家内のアトラナート商会に対する評価は、『得体が知れないが便利』、『若様のお気に入り』、『財政の救世主』、『矮人ども』といったところだ。
まあ、排除されるほど険悪ではないし、そもそも排除するには伯爵家が受けている利益が大きくなりすぎている。

ちなみに、2地点を繋ぐ鏡の魔道具は、人面樹に吸わせた貴族の記憶から在処が判明したものだ。
愛人(大貴族の未亡人)との逢引に使っていたらしい。緊急避難路の意味合いもあるのだろうが。
つまり、逢引用の別荘と貴族宅を繋ぐものと、別荘と愛人宅を繋ぐものの2組の鏡があるのだ。
2組あれば、王都とシャンリット領を繋ぐ分と、複製を作るための研究用の分も確保出来る。

現在、ゴブリン達には、手段を問わず鏡の確保を急がせているところである。
この鏡を解析すれば、行き詰まっている『サモン・サーヴァント』のゲート術式の研究も進展するだろう。

さて、名残惜しいがいつまでもこうしている訳にもいかない。
俺はルーンを唱え、蜘蛛型の全高5メイルほどあるゴーレムを作り出す。
その背にキャノピーを形成して、食料を放り込み、『レビテーション』で乗り込むと、王都へ向けて街路を進ませる。
その他の荷物は商会の宅配サービスを用いて学院まで届けてもらう手筈になっている。

ゴーレムの維持には〈黒糸〉を通じて地下からの魔力供給を用い、操縦はゴーレム自体をガーゴイル化させて行わせる。
これで寝てる間も行軍させることが出来るし、蜘蛛型ゴーレムの足は森の木々より長いので道なき森の中を突っ切らせて行くことも出来る。
まあ、丸2日も動かし続ければ王都まで着くだろう。



途中で王都に寄って、郊外にあるアトラナート商会トリスタニア支店で荷物を受け取る。
王都の支店に詰めているゴブリンは、特に身体が大きい氏族だ。
系統魔法の才能はそれほどでもないが、成長の調整や、様々な幻獣の遺伝子をキメラ技術で混ぜることで強靭な肉体を得ている。

幻獣とのキメラは幾つかの氏族系統が存在し、身体能力強化に特化したものや魔法能力強化に特化したものなどがある。
彼らはあまりに遺伝子が混ざりすぎていて子どもが残せないため、一代限りの宿命だが、バロメッツによる量産によって子どもが産めない欠点は気にする必要が無くなっている。

ゴブリンたちの量産にあたって、伝染病の発生には特に気をつけさせている。
今のところ、天然痘や結核、ペストやエイズ、インフルエンザなどの致命的な流行は起こっていないが、将来的にそういったことが起こらないとも限らない。
品種改良によって遺伝的多様性に乏しくなっているから、伝染病はゴブリンたちにとって致命的になりかねない。
ひとつの対策として、使い魔の寄生虫と融合する〈バオー〉氏族の研究によって、氏族以外のゴブリンでも免疫力や生命力を強化出来る融合共生虫も開発中である。

ゴブリンの伝染病だけでなく、バロメッツや人面樹の伝染病にも気を使っている。
特に人面樹が全滅すると、大きな知的財産の損失だ。
動物同士、植物同士のキメラが可能な以上、病原体のキメラというのもゴブリン村の研究所では研究されている。
強毒型インフルエンザやエボラ出血熱、天然痘、ペストなど、前世の世界にあったような病原菌やウィルスはこの世界にも存在する。
それらを収集し研究し、対抗策を考えたりする研究施設なのだが、その過程で超強力なキメラウィルスが出来たりもする。
何かの拍子にバイオハザードが起こったりしないように、危機管理だけはしっかり行わせているが……いつかやらかしそうな気がする。
まあ、それも含めた対策は考えさせてあるのだが。


さて王都からなら、2時間くらいで学院に到着するだろう。

学院に到着するまでは特に何事もなかった、という訳でもない。
道中、学院に向かう他の貴族の馬車から怪訝な眼差しを向けられたし、時には杖も向けられた。
まあ、5メイルはある蜘蛛の化け物みたいなのが向こうからやって来たらビックリするわな。

だが気にしない。このゴーレムは結構頑丈だし、同じラインクラスの魔法なら平気だろう。
強力な魔法を撃たれても、イザとなれば避けて、最高速度で逃げればいいし。
母上には無礼はするなといわれたが、誰何の声も上げずに杖を向けるのは相手の方の無礼が過ぎるだろうと自己正当化。
このハルケギニアに暮らす以上はどんな異形の使い魔に遭っても吃驚しない度量を身に付けさせておくべきだと思う。

一応、他の馬車が街道に居る場合は、街道を避けて脇のあぜ道を行く。
面倒事は嫌だしな。これなら王都で馬車に乗り換えて来るべきだったか。
少し後悔しつつ、杖を向けてきた馬車の脇を追い越して行く。

大半の馬車は警戒しつつもゴーレムに印刷されたシャンリットの紋章に気づいて、野生の魔物じゃないからとやり過ごしてくれるが、時々本当に魔法が飛んできたりするから困る。
大方、パニックになった貴族の子女が乱射してきているのだろう。
だが、その紋章は覚えさせて貰う。アトデオボエテイロヨ。

飛んできた魔法はせいぜいドットレベルのものが大半だったが、1発だけトライアングルに迫ろうかという『火球』もあった。
避けるまでも無いものは、ゴーレムの蜘蛛足の一つを振るって掻き消すだけで足りるのだが、その『火球』は流石にやばそうだったので、ゴーレムの足全てを使って跳躍させて避ける。

急加速による加速度が凄まじい。
体内の〈黒糸〉によって俺の肉体の強度は大きく上がっているが、それでもキツイ。

これ以上撃ち込まれては困るので、連続でピョンピョンと跳躍して学院まで大急ぎでゴーレムを跳ねさせた。うあ、揺れが酷い。気持ち悪い、酔いそう。

ダイナッミックに揺れるゴーレムの中で、先程の魔法を放った馬車について考える。
あのトライアングルクラスの『火球』を撃ってきた馬車の紋章には覚えがある。
確か、母上の元婚約者の家系の紋章だったハズだ。
そう、父上が昔、母上を賭けた決闘で下した相手の紋章だ。
名前はなんと言ったか……ドラクロワ、だったか、確か。

それってきっと、こちらの紋章を確認した上で喧嘩売ってきたってことでいいよな?
「化け物に見えるゴーレムに乗っている方が悪い」とか言い訳を用意して、思いっきり『火球』を飛ばしてきたってことだよな。
……マジ勘弁してくれ。

まさか父上にノされた本人が乗っていたって事はあるまいが、話に尾鰭がついて一族でウチのことを敵視しているという可能性はある。
メンツを潰されたのだから順当か。しかも、母上の実家は、未だにあっちの家に肩入れしているから調子づいてるんだろう。
というか、母方の実家の公爵家の一門だからな、ドラクロワ家って。

そいつと同じ学院の同じ学年か……。面倒事の予感がする。
いきなり『火球』をぶち込んで来るあたり、かなり好戦的な性格で、その上、考えなしのバカなんだろう。
しかもトライアングルの恐らく火メイジ。
さらに、15歳くらいで中二病真っ盛り。
シャンリット家に敵意を抱いているとも予測される。

コイツのせいで俺の学院生活に暗雲が……。
いや、いきなり『火球』をぶっぱなされたからって、相手のことをそんなボロクソに考えてちゃイカン。
蜘蛛恐怖症(アラクノフォビア)で、ついつい全開で魔法をぶっぱなしただけかもしれん!

……いやいや、魔法ぶっぱなして来た時点で悪印象は避けられないよね、常識的に考えて。
その上、本当にアラクノフォビアだったら、絶対に俺とは相容れないし。蜘蛛の可愛さが分からんとか、永久に分かり合える気がしない。

ともかく関わらないようにしよう。そうしよう。



寮の部屋は4階の角部屋だった。
図書室まで遠いのが玉に瑕だが、まあ、『フライ』の魔法を使えば問題ないだろう。

それよりは、この新しい部屋に〈黒糸〉を張り巡らせておかないとな。
最悪、あのトライアングルの火メイジに奇襲かけられることも想定せねばならん。

寮の部屋と言わず、学院の建物全てに〈黒糸〉を浸透させていく。
学院の敷地には元々〈黒糸〉を張り巡らせてあったが、その上に更に濃密に張り巡らせる。
いつ、何処に居ても瞬時に〈黒糸〉にアクセス出来るようにしておかないと安心できない。
体内の〈黒糸〉を媒介にすれば無手でも魔法は使えるとは言え、やはり周りも〈黒糸〉に覆われているかそうでないかでは安心感が違う。

勘の良い人間は、〈黒糸〉が張り巡らされたことに気づくかもしれんが構うものか。
何かが張り巡らされていることには気づくだろうが、それが俺の〈黒糸〉の杖だとは気がつくまい。
〈黒糸〉が俺のものだと気づいたところで、それはそれで構わない。
そうなれば、学院は既に俺の領域だということも身に染みて理解出来るだろうから、こちらに何か仕掛けるなんて自殺行為はしないと思う。
……希望的観測だが。

ああもう、いっその事、学院には自分に姿を似せたゴーレムだけ置いて、それに授業を受けさせようかな。
いやいや、ふとした拍子に『ディテクトマジック』を使われると不味いか?

俺は丸一日かけて〈黒糸〉を学院中に偏執的なまでに張り巡らせた。
これで、この学院での俺の死角は無くなった。
奇襲に完全に対応できるとは言わないが、この〈黒糸〉の結界の中ではそうそう死ぬことも無いだろう。

もし、何かの拍子に死んだ時にも、すぐに俺の頭を回収出来るように、近くの森に人面樹とゴブリンを呼び寄せておくか。
最悪なのは、頭部ごと消し炭にされて、人面樹に知識の継承が出来ないことだ。
何があっても頭部だけは守らないとな。

ああ、いっその事、ドラクロワだかのあの火メイジをさくっと暗殺しとくか?
……イカンイカン、まだ、本当に俺に敵意を抱いているか分からないのに、安易に殺してはイケナイ。
学院に来たのは他の貴族とのコネクションを作るためだっただろうが、俺よ。目的を見失ってはいけない。
敵対貴族「かもしれない」ってくらいで安易に殺してちゃ際限がなくなるぞ。

……思考が迷走してる。大分追い詰められてるな……。

もういい、取り敢えず、こういう時は寝るに限る。
ドラクロワだかドラキュラだか、知ったことか。

寝る前に、目標の再確認だ。
この学院にいる間の目標だが、長期的で日常的な目標はコネ作り。
中期的目標――使い魔召喚の儀式までにトライアングルへ昇格する。
短期的目標――夏期休暇までには〈黒糸〉に使用者認証を付ける。最悪でもその頃までにはある程度の目処を立てておく。

うむ、ドラクロワに関わってる暇なんか無いな。
過信は禁物だが、〈黒糸〉の結界を張り巡らせた時点で俺に負けは無い訳だし、向こうから接触してこない限りは干渉しないことに決定だ。

そうとなれば早速明日から、〈黒糸〉に認証機能を付ける研究をするか。
まずはインテリジェンスアイテムの作製と、それを杖として使用しようとした際に、そもそも契約出来るのか否かの検証。
また、杖として契約出来るとして、インテリジェンスアイテム側から契約拒否や魔法行使の制限が可能かどうかだな。

何にせよ、今日は遅いしもう寝よう。
明日からは研究室の作成と、実験機材の調達・作製だ。
研究室は地下に作るのがいいだろうな。場所を選定するのは〈黒糸〉を介してマッピングしてあるから簡単だろう。

出来ればドラクロワの件に関しては杞憂でありますように。

=================================
馬車で1日に進める距離を約70KMと仮定。(巡航速度15KM/h 一日5時間稼働)
王都までは700KMくらい。
竜籠は、時速70KMが巡航速度で、一日に5時間乗ったとして2日かかると計算。

多脚戦車的な蜘蛛型ゴーレムは足の長さもあり、巡航速度25Km/hで、24時間稼働とした

2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字修正



[20306]   外伝2.知り合いの知り合いって誰だろう
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/08/08 16:14
アトラナート商会。
蜘蛛の意匠をトレードマークにするこの商会は、王都の東側にずっと行ったところ、トリステインの端にあるシャンリット領にその本拠地を置く。
古くはスパイダーシルクで有名だった土地から、最近頭角を現してきた商会である。

非常に旨い作物を町村の小型商店に卸すということで王都から辺境の村々まで評判になっている。
絵を主体にしたチラシを用いて、文盲の平民層もターゲットにした広告宣伝を行ったことも功を奏しているようだ。
地域密着型とやらをモットーにして、様々な地域に次々と蜘蛛の子を散らすように(?)支店を広げている。

商品はニンジンっぽいものやカブっぽいもの、その他キャベツなどの様々な菜っ葉モノが主力である。
それぞれは昔からトリステインでも食べられていたものだが、アトラナート商会が商うものは苦味が少なく、甘みが多く、またいつも新鮮で、値段は若干高いもののそれは品質相応ということで人気を博しているのだ。
豊穣を表す蜘蛛の看板は伊達ではないのだと、周囲に印象づけるものだった。
また甘味料を始めとする各種調味料も人気である。砂糖の他にも、「ぐるたみんさん」だとか何とかいう新しい調味料も扱っている。

最初の頃は、それら商会の新商品を使って料理を作り、タダで配ったりして宣伝に務めていた。
タダで料理を配るなんて何を考えているのか、神官の真似事かと周りの者は不思議に思っていたのも、今は懐かしい。
彼らが扱う商品には異国の野菜なんかもあったから、そうでもしなければ彼らの街への浸透はもっと遅くなっていただろう。

高品質な小麦粉も商っているが、大規模な栽培は行っていないのか未だ市場には殆ど出まわっていない。
一部の高級料理店に直接に卸しているくらいのものである。
今後取引量を増やすそうだが、まだまだ市井に出回るほどには価格は下がらないと見られている。
暫くはアトラナート印の小麦粉は高級品の扱いのままだろう。

そのアトラナート商会が新しい商いを始めるのだという。
蜘蛛の看板を掲げているからてっきりスパイダーシルクでも商うものかと思ったら、「確実」、「迅速」をモットーにした荷運びの請負を行うのだという。

そういえば、彼らが卸す野菜はいつも同じ大きさの紙の箱(段ボール箱、というらしい)に詰められて送られてくる。
段ボール箱を山積みにしたリアカーを引いて、小柄な子どもが街路を馬車よりも速い速度で疾走して各商店に届ける風景は、元気で微笑ましい光景として街の朝の風物詩と化しつつある。

新サービスのキャッチコピー曰く、「トリステイン内なら何処でも1箱10スゥ!急ぎの荷物はアトラナート商会にお任せあれ!」とのこと。
いつも新鮮な野菜をトリステイン中に運んでいる輸送システムを用いて、運送業を始めようというのだ。

野菜を卸す先の各地の商店の軒先を借りて集荷を行ない、それを一箇所に集め、行き先ごとにまとめて配送先まで運ぶらしい。
荷物は野菜を届ける段ボール箱と同じサイズのものを一単位として受け付けるそうだ。
段ボールコンテナはアトラナート商会で無料で用意しており、顧客にはそれを利用してもらう手筈になっている。

一箱からの小口顧客だけでなく、大口の顧客用の比較的割安なプランもあるのだとか。

サービスが始まる前からも、どうやってトリステイン中を半日程度で結ぶのか、市井や運送業者の噂の種になっていた。
この時点では皆、「随分トバシた宣伝をしてるなぁ。」というような呆れたような冷笑的な意見が大勢であったが。

実際にサービスが始まって、あのキャッチコピーが嘘でないと知れると、呆れは驚愕に、冷笑は感嘆に変わった。
この驚愕の新サービスの秘密を皆がこぞって噂し合った。

「フネを使ってるのさ。」「いやぁ、ドラゴンを沢山使ってるとか?」「ジャイアントモールさ。地面を掘って行ってるんだ。」「魔法だろう。」「魔法か。」「魔法だろうな。」

真実を探るものも居たが、いずれも人知れぬうちに姿を消してしまった。
蜘蛛の巣に突っ込む蝶はどうなるのか、それは帰って来ない探索者たちが無言で、だが雄弁に語っている。

帰らずの犠牲者が語るのは、即ち『アトラナート商会を探るべからず。』ということ。
今では真偽の定かではない都市伝説の一つとなっている。



――知り合いの知り合いがさぁ、夜中にアトラナート商会の倉庫に忍び込もうとしたらしいんだけどね――



誰が語り始めたのか定かではないが、娯楽の少ない世の中で噂話はあっという間に広がった。

それでも子供の姿をした異物は、少しずつトリステインの社会に侵入しつつあった。

便利で善良そうだが、杳として由来の知れない彼らを、皆が不気味に思いつつも。徐々に。徐々に。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝2.知り合いの知り合いって誰だろう






アトラナート商会トリステイン支部、王都郊外にある集配場。
金属製の板と骨組みを組み合わせた倉庫が林立するその場所は、ウードの名義で使用権を買い取った郊外の居住区を潰して作ったものである。

暮れなずむ夕日に染まる長閑な郊外にあるその場所は、現在、戦場だった。

アトラナート商会が採用しているのは、朝夕に集荷したモノを召喚ゲート作成専門のゴブリンメイジたちが作った召喚ゲートを通じて移送するというシステムである。
メイジと召喚動物を遺伝子レベルで規格化したアトラナート商会にか出来ない輸送方法だと言える。
その都合上、送付を行う第一集配庫では国内80箇所の主要集配所同士を結ぶゲートが自処以外の各集配所向けに79門、常に稼動状態になっている。
2つのゲートを繋ぐようにベルトコンベアが配置され、その上を小型コンテナが流れてゆく。

「おいぃ!これ伝票とゲートが間違ってるぞ!」

全てが全て規格化された小型コンテナによって移送されるので、伝票のチェックは重要である。外見からは中身が分からないのだ。
そして集配の間違いは即座にアトラナート商会自体の運送サービスの信用へと直結する。
誤配を防ぐために、何重ものチェックを経て誤りが起こらないように業務フローが整備されている。
予め野菜の卸しを行うことでゲート輸送システムのブラッシュアップと、従業員の慣熟をしていなければ、いきなり運送業を始めても配送間違いを繰り返して、信用を失い、失敗していただろう。

「あぁ、幼虫(ジャイアント・ラーヴァ)がゲートに!」

「ゲート消滅しますぅ!」

「第24支部に連絡、幼虫の殺処分!
 こっちは予備の幼虫を定位置に着けとけ!」

「ハイですぅ!」

時々、このように召喚ゲートを維持するためのジャイアント・ラーヴァ(大きなカブトムシの幼虫)がゲートに飛び込んで、役目を果たしたゲートが消滅することもある。
そんな時は、幼虫を殺して、同じ遺伝情報を持つクローンの幼虫を再召喚することでゲートを再構築する。
因みに、支部同士の連絡は〈黒糸〉を通じて行われる。

業務を行っているのは百名近いゴブリンと、彼らが操るそれに倍する数のゴーレムである。
ゴーレムと言っても別に人型をしている訳ではない。
いや、人型も勿論あるのだが、他にもベルトコンベア型だったり、リフトカー型だったり、ターンテーブル型だったり、アーム型だったりと、様々なタイプがある。
それらが組み合わさり、次々と荷物を分類しゲートに流していく。

「あー、これはド・シャンリットねェ。こっちはド・ロレーヌねェ。割れ物注意でェ。」

「ハイ、これは1番ゲート、こっちは32番ゲートで。32番は割れ物注意。」

リフトカー(型ゴーレム)が町中からリアカーに積まれて集められた荷物を運び、ベルトコンベア(型ゴーレム)に載せる。
ベルトコンベア(型ゴーレム)を流れるコンテナの伝票をゴブリンが見て行き先を確認し、ターンテーブル(型ゴーレム)を回して、次々に該当するゲートに繋がるベルトコンベアー(型ゴー(以下略))に流していく。
ベルトコンベアー(型(ry))を流れる途中でも幾人かのゴブリンがチェックを行う。

「あー、もう、面倒臭い。疲れたー。」

「あー、研究してー。」

「あー、シャンリットに帰りたいー。」

因みに。

「あー。」「あーー。」「あーーー。」

ここで働くゴブリン達は。

「いー。」「あーー。」「いーあー。」

「いあいあ五月蝿いさね、お前たち。
 強制労働で済ませるだけ慈悲深いってもんさね。
 本来ならお前ら全員実験棟行きさね。」

殆ど全てがゴブリン社会での犯罪者である。

「牢名主の姐御ー。」「人のことはー。」「言えないくせにー。」

罪状は様々。

相手の同意を得ずに解剖したりとか。

作成した秘薬を相手の同意を得ずに晩餐に混ぜたりとか。

酔って人面樹を燃やそうとしたりとか。

「はん、捕まったのは運が悪かったからさね。次は上手くヤルさね。
 お前らにもココから出たらカッコいい外骨格着けてやるさね?」

「お断りします。」「お断りします。」「お断りします。」

相手の同意を得ずに何十、何百人とキメラ(仮面ライダー的なサムシング)に改造したりとか。

――そんな行き過ぎたり迂闊だったりするような、どこか彼らの品種作成者に似た者たちが人間社会での奉仕労働に従事している。

犯罪者以外は人間社会や組織の効率的運営、犯罪者の心理などを間近で研究したいという奇特なゴブリンたちである。
囚人ゴブリンたちはモチベーションは低いが、サボると刑期が延びるので割と真面目だ。
ただでさえ短いゴブリンの一生。大体、ヒトの4倍のスピードで老けるので刑期延長は切実な問題だ。
その上、幼児期は『活性』の魔法の影響でハイスピードで過ぎるため青春なんて殆ど無い上に、働き盛りの期間も10年も無い位だ。

まあ、適当に駄弁りながらも作業だけはこなす。

山と積まれた送配用のコンテナは減り、次々と他の支部から送られてくる荷物が受領用の倉庫のベルトコンベアーを流れていく。
受領用の倉庫では、配送先の住所に合わせて更に別の小支部のゲートに送ったり等しつつ、分類を進める。
そうして最終的には村や町の家々に配送されていくのだ。

そして翌日中には

「ちわーす、アトラナート商会でーす。」

と、矮人が戸口を叩くことになる。



小口の輸送の他にも、大口輸送もやっている。
大口の輸送は専属直通契約のみで、召喚ゲートを常時稼動させて次々と多様な荷物を運んでいる。
小口輸送よりは割安だが、その分規模が大きいので売上には貢献している。

もともと囚人を使っているため人件費は然程掛かっておらず、ゴブリンの精神力で動く様々な特異型ゴーレムを組み合わせたシステムで効率化されていることもあり、売上の7割以上が粗利となる。

最初は半信半疑で受け入れられたこのサービスは、あっという間にトリステイン中で評判になり、旧来の馬車や商隊による運送業を圧迫し始めた。
何せ、郵便すらマトモに届くか分からないご時世に、国内どこでも半日で確実に配送するサービスが生まれたのだ。
大多数がそちらに流れるのも時間の問題であった。

そうなると割を食うのは他の運送業者や、その商隊や馬車の護衛についていた傭兵、関税や河川税で儲けていた領主などなど。
アトラナート商会はそれらの多くの者を敵に回すことになった。

「アトラナート商会?
 奴らのせいでこっちは商売上がったりだ。ギルドにも入ってないくせに出しゃばりやがって。
 こっちは何百年この商売続けてきたと思ってやがるんだ、あの新参のガキどもめ……。」

「最近はとんと荷馬車も走らなくなっちまったよ。
 傭兵も食い上げだが、山賊連中も困ってんじゃねえのかね。」

「あの蜘蛛どもめ!矮人め!
 奴らのせいで今年の税は激減だ!」

上手く他の業者を吸収したり出来ればよかったのだろうが、旧来とは全く違う運送方法の上、外部に秘密を漏らすわけには行かないので吸収合併は不可能。
傭兵なんかはゴブリンメイジが居るから、アトラナート商会ではそもそも雇う必要もないし。

領主連中はアトラナート商会が領境抜けをやってないかどうか疑っているらしい。

「フネを使っていない以上、絶対にどこかの抜け道を通っているはずだ!森の中も土の中も、全て探せぃ!!」

余った傭兵を雇って関所の他にも領境に目を光らせることにしたようだが、アトラナート商会はそもそも不法越境なんかしていないから捕まるはずもなく。
領主たちは余計な経費を使っただけに終わった。
アトラナート商会に対してその輸送方法の秘密を探るべく密偵を放つ者もいたが、その密偵が帰ることはなかった。

逆に運送以外の商人の多くは運送費の圧縮と関税のスルーによる経費削減でホクホクであるため、アトラナート商会を贔屓にしてくれるようになった。

「いやぁ~、アトラナート商会様サマですな。
 お陰で荷を失うことも無くなりましたし、何より、早くそして安く荷が届くようになりました。
 ……関税ですか?さぁ、私たちは彼らに頼んでいるだけですからねぇ。何も知りませんよ。
 第一、関税を払うのもコミであの値段なんでしょう?当然。
 まあ、余計な詮索をしてもいいことはありませんしナ。」

光あれば影あり、捨てる神あれば拾う神あり、というわけだ。

尤もアトラナート商会としても全ての運送業者を駆逐しようとか考えているわけでもないから、適当な所で既存業者が巻き返してくれるのを期待しているのだが。
幾らゴブリンたちのマンパワーが無尽蔵であるとは言え、到底トリステイン中の貨物を運べるほどではないのだから。

遅きに失した感はあるが、輸送業者のギルドはアトラナート商会に加盟を求め、また重量あたりの料金の値上げを要求した。
アトラナート商会は値上げに応じ、旧来から所属していた食品関連のギルドのみならず、輸送業者のギルドにも加盟した。

加盟の際にこれまでの混乱の迷惑料代わりとして多くの負担金を支払ったのは余談である。
ちなみにアトラナート商会をギルドに加盟させる為に折衝に赴いたギルド幹部は、アトラナート商会加盟後には大層発言力が増したそうな。
やはり金は力である。商人の世界では特に。

今後はアトラナート商会の輸送サービスの顧客は、緊急性が高い貨物や重量あたりの単価が高い貨物を運ぶ商人を中心に落ち着いていくだろう。



アトラナート商会の集配場の造りには奇妙な特徴がある。
偏執的なまでに部屋の角や梁の接線が丸く、円く、まぁるく塗り込められており、何処にも直角が存在しないのだ。

「いやあ、今日は“イヌ”が出なくて良かったですねェ。」

「ああ。全くだ。
 今でも新人が時々やっちまうらしいが、それ以外でもたまに、ゲートを作る“角度”が悪いとアレが出るもんな。」

「えェ、えェ、ゲートの途中で何にも無いのに荷が引っかかると、こう『ビクッ』となりますよねェ。」

「ああ、身構えちまうよな。それに臭いしな、“イヌ”は。」

「あの臭いはどうにかなりませんかねェ。」

「辟易するよな。」

「でもまあ、我慢するしか無いでしょうねェ。
 それでも人死が出なくなった分、最初の頃よりは随分マシになったものですねェ。」

「何人も吸い殺されたんだよなぁ。」

「そりゃあ酷いもんでしたねェ。今はキチンと対策出来てますけどねェ。」

「その頃の話は、実体験としては知らねーんだよな。
 一応、断片的にだが引き継いだ記憶の中にはあるんだが。」

「ありゃりゃ、あの時吸われた奴らの一人だったんですねェ。こりゃまた奇遇ですねェ。
 じゃあ『前世』と同じ罪状でこっちに来たんですかねェ?」

「ま、恥ずかしながらね。業が深いというか何と言うか、またヤッちまってな。
 そういえば俺の『前世』と同期ってことは、あんたはもう結構ここ長いんだな。」

「えェ、えェ。私と同じくらい長いのは、あとは牢名主の姐御くらいですねェ。
 あの時、姐御がまぁるい土壁で包んでくれてなきゃ、私ゃ今生きてませんねェ。」

「何でも聞いた話じゃ、一人で“イヌ”を退散させたんだろ?」

「らしいですけどねェ。私ゃ土壁越しのあの恐ろしい“イヌ”の声を聞いただけで気を遣っちまいましてねェ。」

「まあ仕方ないさ。俺の『前世』だって似たようなもんだったし。」

「まあ、姐御がスゲェ方だってのは間違いないですねェ。」

「違いない。」



「おい、お前たち手が止まってるさね。
 早くノルマこなして帰りたいんだから、サボるんじゃないさね!」

「へい、姐御。」「スミマセンですねェ。」

「モタモタしてたら、こないだ入り込んできた密偵みたいに改造の材料にしてやるさね!」

(これさえ無きゃ、いい人なのになぁ。)(もったいない話ですねェ。)



今日もみんな噂してる。


――知り合いの知り合いがさぁ、夜中にアトラナート商会の倉庫に忍び込もうとしたらしいんだけどね――


だけどおかしな話じゃないかな。

彼らの秘密を知って帰った者は居ないのに、なぜそんな『実の所の話』が噂になるの?

本当は、探索者は皆が皆、悍ましい拷問や実験の果てに死んでいったというのに。


噂を始めたのは一体、誰なのだろう?

噂を始めたのは一体、何なのだろう?


知り合いの知り合いって誰?

その人って前とは様子が違ったりしていない?

夜中に全く眠らなかったり、殆ど食事をしなくなったり、そんな事は無い?


……そのヒトはホントに人間なのかな?


ふふふ、いつの間にか、ナニかと入れ替わってたりしてね。





なあんて。なあんちゃって。

え、私は誰かって?





ふふふ、さあ、誰かの知り合いの知り合いなんじゃないかな、きっと。ふふふ。あはは。


==========================

迷走中。まあ、いいか。試行錯誤、試行錯誤。

補足。
文中の“イヌ”=【時の腐肉喰らい】ティンダロスの猟犬
通常の「曲線」の時空に住む生物とは異なり、異常な「角度」の時空に住む。
時空間を渡る者は彼らに接触しないように注意するべし。
彼らは時を超え、空間を超えて、悪臭と共に鋭角(一説には120°以下の角度とも)から煙を立ち昇らせて、その中から顕れる。

青っぽい膿のようなものが全身から滴っており、細いストローのような舌で犠牲者からナニかを啜る。
このナニかは血だったり、或いは魂や精神に由来するものであったり、その定義は定かではない。
猟犬とは言うものの、犬ではなく、正確には「イヌっぽいと言われているナニか」である。伝聞形なのは、基本的に犠牲者は生き残らないため。

彼らは不死であり、一度付け狙われたら逃れるすべはない。
もし仮に退散せしむれば、暫くは狙われることはないだろう。

……サモン・サーヴァントのゲートは明らかに時空を超えるっぽいので、四六時中開きっぱなしだと、こう言う良くない角度に住むものが引っかかるんじゃないかなと思ったり。

2010.07.31 初出



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 10.魔法学院と言うものの授業の殆どは自国の歴史と領地経営についてだったり
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/18 07:43
昼間も薄暗いヴェストリの広場。
普段は人気のないそこで、二人の人影が杖を向け合って対峙していた。
周囲には少なくないギャラリーがたむろし、遠巻きに推移を見守っている。

一方はジャン=マルク・ドラクロワ。
彼は自身の特性を表すかのような淡い赤毛の炎髪をかき上げ、もう一方に啖呵を切る。
その様子は、180サントに届かんばかりの長身と、鍛えているのであろう大型の幻獣を思わせるような屈強な体躯と合わさって、まるで獅子のような印象を見るものに与える。
今日の式典の為に着てきたのだろう、濃紺のマントが学院の制服に映える。

「我が名はジャン=マルク・ドラクロワ。
 ウード・ド・シャンリット!決闘だ!
 ここで会ったが百年目、我がドラクロワ家がシャンリット家に劣ってなどいないことを証明してくれる!」

ジャン=マルクはタクトをもう一方の人影に向けて、そう宣言した。

対するのは、170サントと少しの背丈を黒い羅紗のマントに包んだ少年。
貧弱ではないが、筋骨隆々とは言えないシルエットと、体幹に不釣合に長い手足は見るものに節足動物じみた――――まるで蜘蛛のような印象を与える。
杖代わりの黒光りする鞭を持つ腕を、その鞭と同様にだらりと吊り下げる姿からは、覇気など微塵も感じられない。
だが、その目元に刻まれた隈と合わさって、とてつもなく不吉な雰囲気を感じさせる。

「どうしてこうなった……」

見るからに悪役の彼、ウード・ド・シャンリットが漏らした呟きには、とてつもない後悔が込められていた。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 10.魔法学院と言うものの授業の殆どは自国の歴史と領地経営についてだったり



 


何が悪かったのかといえば、結局俺の自業自得なのだろう。

ドラクロワ家の事など頭の中からすっかり追い出して、入寮してから学校が始まるまでの1週間ずっと研究の為の施設を学院内に作ろうと奔走し、寝不足になりつつも全精力を傾けて地下スペースの作成と機材の生成・運び込みを行った。

その甲斐あって、たったの一週間で、学院近くの森に広大な地下スペースとその維持用の空調魔道具、照明や実験機器を用意出来た。
出入口は寮棟の地下に作り、森の地下室までは地下道で繋げてある。いざという時の学院からの緊急脱出ロも兼ねさせるためだ。

結局その作業に入学式の当日の未明まで掛かり、寝不足の状態で式に臨んだ。
注意力散漫なまま周囲の確認もせずに適当に座った席の隣に、あれだけ危険視していたドラクロワ家の者が居るとも気付かずに、俺は堂々と居眠りをしてしまった。

居眠りを注意したジャン=マルクに邪険に「うるさい、寝かせろ」と返して彼を逆上させた挙句、注意してきたのがドラクロワ家の者だと気づいて、

「ああ、俺に『火球』を放ってきた短気野郎か」

とついつい本音を呟いてしまったのが運の尽き。

マジで何でそんな事を言ったんだ、そん時の俺。迂闊過ぎる。

向こうも俺が奇怪なゴーレムを操って街道を跳ね飛んで行った者で、しかも因縁浅からぬシャンリット家の者だと気づいたらしく、そこからは売り言葉に買い言葉。

あっという間に流れ流れて、冒頭の状況に。
寝不足は良くないね。本当。

さて、どうするかなー。
全面的に原因はこちらにあるのだが、事ここに至っては謝るという選択肢は無い。

ドラクロワ家に対して譲れないのはこちらも同じなのだ。メンツって面倒。
謝るとしても、お互いの健闘を讃え合った後とかに、さらっと禍根を流すという少年漫画的流れに持っていくしかあるまい。
負けるのはもっての外だ。

圧勝してしまうのが一番イイが、相手はトライアングルで俺はライン。そう簡単に圧勝はできまい。
相手は戦闘に適した火メイジの上、体も鍛えているようだ。
ただでさえ、正面戦闘なんか苦手なのにマトモに戦ったら勝てる要素がない。勝つとしたら、不意打ち以外にありえない。
負けるのは選択肢に無い以上、どんな策を弄してでも勝つ必要がある。



「我が名はウード・ド・シャンリット。
 決闘は確かに承った、ジャン=マルク・ドラクロワ。
 では立会人と勝敗条件、そして賭けるものはどうする」
 
「立会人はそこの彼に頼もう。
 ……そこの君、僕らの準備が整ったと思ったら、一声掛けて、この金貨を弾いてくれないか?」

ジャン=マルクは見物人の一人に、金貨を投げて渡す。

「ウード・ド・シャンリット、彼が弾いた金貨が地面に着いたら決闘開始だ。
 勝敗条件は、杖を落とすか、負けを認めるか、『治癒』が必要な大怪我をするかだ」

「殺しは無しだな?」

ウードが尋ねると、一瞬、周囲がざわめく。

「一応、な。だが……」

「分かっている、全力でヤることに変わりはないと言いたいのだろう。
 それにもとから火メイジに手加減など期待していない。一応の確認だ。
 精々、消し炭にされないように気を付けるさ」

「分かっているならいいさ。
 勝者は敗者に一つ命令出来る権利を賭けようじゃないか。
 僕が勝ったら、最大限の誠意を示して謝ってもらうぞ」

「良いだろう。五体投地でも何でもしてやろうじゃないか。
 それと勝っても負けても禍根無しだぞ、ドラクロワ」

「望むところだ、ド・シャンリット」

それを最後のやり取りにして、両者は杖と鞭を構える。

急遽立会人に指名された小柄な栗毛の少年が声をあげる。

「で、ではっ、決闘、は、始め!」

そして、立会人の彼の手からコインが空に――

「あ」

――舞わずにポロリと落ちた。

「「!!」」

だがこの不意打ちにも、ウードとジャン=マルクの両者は動じず、魔法を紡ぐ。

ジャン=マルクは、ウードの鞭を見て中距離は不利だと感じたのか、それとも接近戦が得意なのか、駆けながら『ブレイド』を唱える。
対するウードは『砂塵』の魔法を唱え、自分の足元から土煙を発生させ、ジャン=マルクの視界を閉ざす。

「しゃらくさい!」

炎刃一閃。
その土埃は炎を伴なう『ブレイド』によって巻き起こった熱風によって、吹き流され、消え去ってしまう。
周囲の見物人にまでその熱波は届いただろう。

そして次の瞬間には返す刃で、砂塵が晴れて目の前に現れたウードの腕を切り飛ばす。

「勝負有りだ、ド・シャンリット」

ジャン=マルクが勝利を告げた次の瞬間。

腕を切られたウードの体の輪郭が崩れ、ウードだったものから無数の鋭い石の槍が突き出された。

「なっ!?」

勝利を確信した後の隙を狙った不意打ち。
飛んでくる石の槍、その全てを避けられる筈もなく、ジャン=マルクは右肩を貫かれる。
それでも幾つかを炎刃で切り払ったのは、さすがの力量だ。

「ああ、勝負有りだな、ドラクロワ。君の負けだ」

無傷のウードは自分を模したゴーレムが立っていたその地下からレビテーションで悠然と浮かび上がって、敗者を見下ろしてそう告げた。

勝負の流れは、ウードの後ろ側から成り行きを見守っていた者にとっては一目瞭然だった。

ウードは『砂塵』の魔法を唱えた後、土を砂塵に変えた後に出来た穴に飛び込み、ゴーレム生成の魔法にその穴の底部の土を利用することで更に穴を深くし、穴の上に自分そっくりのゴーレムを、穴の蓋となる台座付きで生成した。

ジャン=マルクはその入れ替わりに気付かずに囮のゴーレムに攻撃したのだ。

あとは地中からタイミングを聞き計らっていたウードが、囮となったゴーレムを炸裂させたというわけだ。



「ぐぅ、騙し討だと、卑怯者め……!」

「ふん、『騙し討だと、卑怯者め』、か。なら言わせて貰おう、卑怯者」

「何だと!?」

「まあ、聞けよ。敗者には勝者の講釈を聞く義務があるだろうが。
 ……俺はラインで、君はトライアングルだ。見ての通り、ウェイトも違う。
 そんな状況で、正々堂々真正面から撃ちあって、斬り合って、果たして俺に勝ち目が有ったのかな?
 無いだろうが。――卑怯だぞ、その才能、その体躯」

「そんなものは屁理屈だ!」

そう、そんなものは屁理屈だ。
だが、俺は勝者で、彼は敗者。これはいい機会だから、約束は守ってもらおう。

「屁理屈で結構。理解してもらおうとも思っていない。
 だが、約束は守ってもらう。願いを聞いてもらおう」

「良いだろう。何でも言え」

ジャン=マルクが身構える。どんな無理難題を申し付けてやろうかと考えるが、止めた。
考えて見れば、ウチと向こうとの禍根を少しでも無くすための良い機会だ。

「……そうだな、時々こうやって手合わせ願えないか?」

目の前のジャン=マルクが呆気にとられるのが分かる。
周囲も俺の方を見て首を傾げている。

「……それだけでいいのか?」

「進級するまでにトライアングルになりたいんでな。
 お前ほどの実力者はそうそう居ないだろうし。手合わせ出来れば俺の実力も上がるし、お前にも悪い話ではあるまい?
 ……それと、一応今朝の暴言は謝っておこう。
 済まなかったな、ジャン=マルク・ドラクロワ。寝不足で虫の居所が悪かったんだ」

朝のやりとりは俺が全面的に悪いからな。

「……アレだけの暴言をサラッと水に流す気だな、ウード・ド・シャンリット。
 しかも理由が寝不足とか、どんだけ最悪か、貴様。
 ……まあ、いい。勝っても負けても禍根無し。約束は守るさ、家名と始祖に誓おう」

「そいつは重畳。ああ、ついでだ。その傷も治してやろう」

ジャン=マルクをレビテーションで浮かべつつ、俺は鞭をジャン=マルクの傷に巻き付かせる。

「……心遣いはありがたいが、秘薬なしにはこの傷は治せまい。それよりさっさと下ろせ」

ジャン=マルクの言う事を無視し、俺は鞭の先をバラして、各所の傷口に〈黒糸〉を差し込んで行く。

「ふん、シャンリットの魔法を凡百の魔法と一緒にしてもらっては困る。まあ任せておけ。
 刺さっている石塊を生理食塩水と微量の麻酔薬と抗生物質に『錬金』。傷口を洗い流す。
 縫合し、ピンポイントで『治癒』を発動……っと」

「やめろ、おい。くすぐったい、おい、やめろ。
 くは、やめろ。ふは、っ、擽ったい、やめろぼけ!!」

「うるさいぞ。治してやってんだから文句言うな」

医務室へ向かいながら、『治癒』を続ける。
〈黒糸〉で傷を縫っていくのが、麻酔と合わさって擽ったいらしい。
周りにいたギャラリーが、騒ぎながら去っていくこちらを見ているが気にしない。

「やめろって、く。ふは、おい、聞いてんのか。ウード!」

「黙れ。暴れんな。ジャン=マルク。
 ……体力回復には眠るのがいいそうだぞ。――『スリープクラウド』」

「ちょ、やめ」

よし、抵抗せずに眠ってくれたか。まあ、傷を負って、レジスト低下してたんだろう。
さっさとこいつを医務室に放り込んで、俺も寝よう。いい加減に眠たい。



まあ、後日、ジャン=マルクともども教員に呼び出されて反省文書かされたり、
何だかんだで同じクラスだと判明したりして、いつの間にか悪くない友人関係(?)を築いている。
ジャンプ的『殴り合って友情を深める作戦』はハルケギニアでも有効なようだ。

約束通り、組み手の相手をやって貰ったりもしている。
実力が確かな奴は、ジャンくらいしか居なかったのだ。
格闘訓練の相手が居なかったのは、ジャン=マルクも同じだったらしく、渋々仕方なくという風情ではあるが引き受けてくれた。

決闘での取り決めもあるし、俺の実力向上に協力してもらおう。

ウチの母上にフられたのは、ジャン=マルクの年の離れた腹違いの長兄にあたるらしい。
何歳差の兄弟だよ。ジャン=マルクの親父さん、頑張りすぎだろ。
ジャン=マルクは側室(先妻が亡くなったから現在は正室らしいが)の子で、継承権やらの立場の問題で、その一番上の兄、つまり現当主には何かと敵視されていて辛いらしい。

……というのは、別に本人から聞いたわけではなく。
ドラクロワの領地にも〈黒糸〉は伸ばしているからそれを通じて情報収集したのだ。
あとは、商会のゴブリンたちにもちょっと調べてもらったり。

ふーん、色々大変なのねー、あいつも。だが、同情する気にはなれないな。
……なぜなら、今は組み手の真っ最中で、ジャン=マルクに現在進行形でボコボコにされているからだ。

入学式の日の決闘で勝てたのは、ゴーレムによる分身という戦法についてジャンが初見だった為で、初見じゃなければ彼もそんな手には引っかからなかっただろう。

決闘の終わりで俺がジャンに言ったように、正々堂々な状況では俺の不利は容易には覆らない。
そして組み手というのは、ある意味、正々堂々の最たるものだろう。
つまりジャン=マルクと組み手を始めてから、俺は3:7で順当に負け越しな訳である。畜生め。
その上、ジャン=マルクは俺が『治癒』を得意にしていると知っているから遠慮苛責無く俺に攻撃を仕掛けてくる。
まあ、俺の方も『治癒』するの前提で結構苛烈な攻撃をしてるからお相子か。

だが、まあ、こういう相手がいるというのは精神の成長、ひいてはトライアングルへのランクアップに好影響を与えてくれるだろう。
切磋琢磨するライバルの存在というのは、やはり大きい。
今後もこの関係を継続していきたいものだ。

それにそういう打算だけじゃなくて、話すと面白いし、こいつ。



〈黒糸〉の杖に対する認証機能付加の研究も学生生活と並行して行っている。

作成している場所は、入学式前に駆けずり回って建造した地下空間内部だ。
学院長の使う〈遠見の鏡〉の範囲内に入らないように見極める作業が一番大変だった。

見られちゃ不味いものは、今のところ少ないがこれからそういうのが増えるだろうし。

内観はまさに、魔術師の研究室……というわけでもなく、大学とかの実験室、研究室を想像してもらえればいいだろう。
あるいは学校の理科室とか、そんな感じ。
幾つかの部屋に別れており、資料庫だったり標本庫だったり、作業場だったりと、研究するのに必要なものはあらかた揃えている。

入学してすぐに、インテリジェントアイテムの作製と、それを魔法発動体とするための契約を行い、まずは、精神力が流れる感覚をインテリジェンスアイテムが感じ取っているのかを確認した。

最初は小さなナイフ形のインテリジェンスアイテムを作ってみたので、数日肌身離さず持ち歩いて契約したのだ。
魔法媒体として使ってみたところ、どうやら精神力が流れる感覚は感知出来るようだ。

次に、インテリジェンスアイテムの意思で使用者の魔法の妨害が可能かどうか。
これは条件付きで可能だった。

込められた精神力は何らかの形で放出する必要があるため、完全に魔法の発動を止めることは不可能だった。
魔法の発動を止めるためには、インテリジェンスアイテムに精神力が流れている間の短い時間で、
使用者の魔法行使に割り込んで、込められた精神力を使って別の魔法を発動させる必要があるようだ。

王都に出た際に、アトラナート商会のゴブリンメイジに俺が契約したインテリジェントアイテムを渡し、そいつにも杖として契約させることにした。
後日に契約後の杖を受け取った際に、俺とゴブリンの精神力の違いを判断出来るかそのインテリジェンスアイテムに聞いたところ、些細な違いがあるのは分かるが、殆ど感知できないと判明。

インテリジェンスアイテムに付加する知能について、精神力のパターンの違いに対する感受性を上げる(学習させる?)研究と、パターンの違いから魔法行使を妨害するか否かの判断の高速化の研究が必要だと感じている。
具体的な方法は分からないが、幾つかインテリジェンスアイテムを作ってみて、それに関するパラメーターを向上させる方法を探ってみるしか無いだろう。
しばらくは毎日、精神力が尽きるまでインテリジェンスアイテムを試作して数をこなす必要があるだろう。

まあ、ジャン=マルクにトライアングルに昇格するコツを聞いてみたら、
『毎日ぶっ倒れるまで魔法使ってたらいつの間にか』とか言ってたし、研究と成長の一石二鳥になれば良いんだが。



学院名物の舞踏会については、まあ適当に着飾って貴族の子女との交流を深めた。
ジャン=マルクはその長身や魔法の実力とも合わさって、結構な人気者だ。
本人も将来は魔法衛士隊に入りたいと言っていたし、将来有望なエリートなのだ。

まあ、俺の方は……いつも寝不足で隈を作っていたり、授業を自分に似せたゴーレムに受けさせたりしてるから、得体のしれない奴扱いされてる。
寝不足なのは夜遅くまでインテリジェントアイテムの作成を行っているからだし、授業をフケるわけには行かないが、今更魔法の基礎なんか学んでいる暇はないのだから、ゴーレムを代役に立てるのは仕方ないと自己弁護。
歴史や領地経営の授業も多いが、歴史は自国賛美が過ぎるし領地経営は、今まで読んだ本や前世知識の方が高度だったから聞く価値は余りないし。
ハルケギニアでの一般的な考え方がどんなものか知るためには有効だろうけども。

変人扱いではあるが、舞踏会では、田舎とは言え最近発展してきているという噂のシャンリット伯爵家の嫡男で、しかもうまい作物を卸すと評判のアトラナート商会のオーナーでもあるということで、少なくない数の女の子と知り合いになった。
日頃からジャン=マルクと一緒にいることが多かったから、ひょっとしたらそっちが本命の子も多いのかも知れないが。

舞踏会は幾つかあるが、中でもスレイプニィルの舞踏会は印象的だった。

スレイプニィルの舞踏会は、〈真実の鏡〉という自分が憧れている姿に自身を変化させるマジックアイテムの力によって仮装して舞踏会を楽しむというものだ。
クラスの大半は歴史上の英雄や王族、父母兄姉に化けてしまっていたようだ。
有名人はバッティングすることが多く、美男子として有名な今代の王太子の姿が少なくとも20人は見受けられた。

ジャン=マルクは自身の長兄の姿に変わっていたから、直ぐに見つけることが出来た。
側妾の子ということで辛く当たられても、なんだかんだで憧れがあるらしい。
因みに俺は、なんと人間どころか、幻獣の『アラクネー』に化けてしまって、非常に目立ってしまった。

『アラクネー』とは、人間の上半身に蜘蛛の体が付いている幻獣で、森深くに暮らしていると言われている。
6本の節足と、糸を溜め込んだ蜘蛛の腹が印象的な幻獣だ。

来年の召喚の儀式で狙っている幻獣でもある。
人間以外に化けてしまったのは、学院の舞踏会の歴史でも俺が初めてらしい。
ジャン=マルクには「それでこそド・シャンリットだ」と思いっきり笑われた。
いいじゃねえか、蜘蛛の腹はプニプニなんだぞ、プニプニ。
いつか家に招いてやるから、お前も家の父上の使い魔のノワールの腹で癒されるがいい。
蜘蛛は嫌いだ?知ってるよ。俺が馬車がわりに使ってる蜘蛛型多脚ゴーレムに思わす『火球』放つくらい嫌いなんだろ?
今もアラクネに化けた俺を目の前に入れて、顔を蒼白にしてるし目が泳いでるぞ。持ってるワインも波立ってるし。

これ以上にジャン=マルクを苛めてもいいが、まあ、それよりも、この仮装舞踏会に使われた〈真実の鏡〉の仕組みが非常に気になる。
恐らく離れた場所から『憧れの人』という願望を写しとって、鏡の前の人物に『フェイスチェンジ』を掛けているのだろうけど……。

『フェイスチェンジ』ってスクエアスペルだぞ。離れた場所から思念を読み取る魔法も、水の上級スペルだし。
それがあんな魔道具で実現出来るなら、『偏在』を生み出す魔道具も探せば存在するのではなかろうか。
いや、無くとも創りだすことは出来そうだ。

とはいえ、今更『偏在』が使えてもあまり意味はないな。
ガーゴイルや改良ゴブリンたちのお陰で、人手不足は解消されているし。
まあ、研究するのは無駄にはならないだろうけど。

学院の宝物庫の中身を見る機会があれば、色々と調査したいものだな。



特別な行事が無い限り、インテリジェンスアイテムを作成したり、各地のゴブリンから寄せられる報告書に目を通したり、ジャン=マルクと組み手したりして日々を過ごした。

虚無の曜日には、王都に行って買い物をしたり、城下町に居るマジックアイテム作りの師匠と議論を交わしたり、師匠や学校の教員の伝手で、マジックアイテムの工房を見せてもらったりもした。

夏期休暇に入る頃には、離れた場所を繋ぐ鏡型のマジックアイテムが手に入り、アトラナート商会の王都支部の会館と、シャンリット領の商会本部を短時間で行き来できるようになった。
これによって、両親弟妹も王都に来れるようになったし、俺の里帰りも一瞬で終わるようになった。

2対のワープゲートの魔道具のうち、1対は王都⇔シャンリット領を繋ぎ、もう1対はレプリカを作るための研究用とした。
『サモン・サーヴァント』の召喚ゲートの研究が行き詰っていたが、ゲートレプリカ研究によって何らかの進展があるのではないかと期待している。

長期休暇ではシャンリット領に帰ったり、各地のゴブリンの集落に視察に出かけたりと、大変充実した日々を送った。
商会も大規模になってきたため、商船も幾つか所有している。
物品の輸送は召喚ゲートを用いているが、人員の輸送はフネを使っているのだ。
休暇中はそれを利用して妹のメイリーン、弟のロベールも連れて、他国やサハラの集落を巡った。

サハラに作ったゴブリンの集落は、限定的にだがエルフとも交流している。
彼らの技術力の高さは見習うべき点が多々有り、スパイを忍び込ませたりして技術をすこしずつ盗んでいる。
また、技術だけでなく、その社会制度も参考になる点が多い。
長命種のエルフと、人間に比べても短命なゴブリンたちでは、考え方などで違いが大きいため、社会制度を学んでもそのまま流用することは出来ないが、それでも長年かけて洗練された社会からは学ぶべき点が多い。

ちなみに、改良ゴブリンたちはエルフたちに〈樹木の民〉と呼ばれている。
もはや元のゴブリンとは殆ど別の種類になっているから、ゴブリンと呼ぶのは憚られたそうだ。
そこでバロメッツの樹から生まれることから、〈樹木の民〉と呼ぶことにしたとか。

エルフは結構異教徒にも寛容である。
というか、蜘蛛神も彼らが信仰している“大いなる意思”のうちの一つの構成要素だと思っている節がある。

……本当にそうだとしたら、ハスターやらクトゥルフやらの他の神性も存在するのだろうか。
そういえば……この惑星を覆うように伸展させている〈黒糸〉の、ちょうど前の世界でいう太平洋の到達不可能極(全ての陸地から最も遠い地点)の辺りに、大規模な海中遺跡が見つかったって報告があったような。
その時はアルビオンみたいな浮遊大陸が浮力を失って沈んだ奴だろうと思ってたが、ひょっとするとルルイエ神殿か?
いやいや、マーマンとかそういう水中種族の都市かもしれない。……マーマンってまんま『深きものども』じゃねーかよ。

機会があれば、エルフに伝わる神性に関する伝承を聞いてみたいものだ。
……ルルイエっぽい海中神殿はどうするかな。関わると藪蛇になりそうだが、めちゃくちゃ気になる……。

夏期休暇後は、また普段の学院生活である。
……いい加減、虚無の曜日にいちいち王都まで出ていくのが面倒なので、学院内にアトラナート商会の支店を出せないか学院長と交渉を開始したのもこの頃だ。
交渉は冬まで掛かったが、利益のうち三割を上納することで決着を見た。新年度からの出店が決定している。

冬も半ば、雪の降る頃には始祖の降臨祭である。
と言っても何かすることがある訳でもないため、いつも通りにマジックアイテムやインテリジェンスアイテムを作成していた。
一段落したら、シャンリット領に帰って、家族で静かに過ごすとしよう。

ジャン=マルクは好い仲になった女生徒と街に繰り出していったようだが。
……別に悔しくはない。彼女なんていなくてもいいんだ。
学院の女子よりメイリーンの方が断然可愛いし。
それにイザとなれば婚約者の一人くらい父に頼めばなんとかなるだろう。

日々、ぶっ倒れるまで魔法を行使した甲斐があって、年が明けてしばらくして俺はトライアングルに昇格出来た。
……まあ、切っ掛けは彼女が出来て惚気てくるジャン=マルクに、組み手の際に全力で一撃くれてやったことなのだが。
あれは会心の一撃だった。しっとマスクでも憑依していたのかも知れない。
切っ掛けは何であれ、昇格出来たのは喜ばしいことだ。

……その直後にジャン=マルクはスクエアに昇格した。
……ジャン=マルクの彼女も同時期に一つランクが上がったらしいと風の噂に聞いた。
…………よろしくヤって男として一皮剥けたということか。

〈黒糸〉の杖に対する使用者認証機能の付加についてだが、100を超えるインテリジェンスアイテムを作っているうちに
必要なパラメータも掴めてきたし、トライアングルに昇格したのを機に本格的に〈黒糸〉のインテリジェンスアイテム化を行うことにした。

使用者の精神力を判別する感受性と、魔法詠唱にインタラプトする高速詠唱を兼ね備えた“管制人格”を想像し、それを〈黒糸〉に定着させる。
……今や世界を半ば覆いつつある〈黒糸〉全体を一つのインテリジェンスアイテムにするのに、不眠不休で三日三晩魔法をかけ続け調整を続けた。
もちろん、管制人格は俺に忠実になるようにしている。……というか、管制人格は俺の人格を半ばトレースしたものだ。

……ん?
そういえば、フランケンシュタイン博士の怪物とか、HALとか……被造物による反乱はテンプレか?
……はい、ヤなフラグが立ちましたー。まあ、改造ゴブリンたちの時点でこの手のフラグは立ってるけども。

この手の『造物主への反逆』というのは、きっと元を辿れば、創世神話に行き着くんだろうな。
人間が神に作られたものだとするなら、どこかで神からの自立が必要になる。その中の一つが『神殺し』の物語だ。
造物主である神への反逆によって、人間は漸く自分たち自身の運命の主となれるのだ。

あるいは種の進化として、親(=造物主)を超えなければならないというのがインプットされているのかも知れない。
そして、『神殺し(=親殺し)』の物語は超えてゆく者(=被造物、子供)としてのカタルシスと、
打ち倒される者(=神、親)としての恐怖が表裏一体となっている物語だ。

さて、俺はどちらなのだろうね?
『神殺し』なんて大層なことを考えちゃいないが、世界の真理を解き明かし、世界そのものを解剖し尽くしたいという欲求は、そのままイコール世界への挑戦で有り、行き着く先は結果的に世界殺し……と、そういうことになるのだろうか。

それとも、自分が作り出したゴブリンたちや、インテリジェンスアイテム達によって弑逆されるのが先だろうか。


魔法詠唱にインタラプト出来るという性質上、〈黒糸〉を杖として契約しているメイジが精神力を込めれば、
それを利用して〈黒糸〉自身の意思で魔法を行使できる。
というか風石の魔力を使えば管制人格――名称〈零号〉単体で魔法行使可能だ。
まあ、使用許可の無い者が〈黒糸〉を使えないようにするというのが主目的だったのだから、これは完全に副産物だ。
主目的は完全に達成されそうだから、全くもって問題ない。

自己拡張と最適化は、〈黒糸〉の管制人格〈零号〉に任せることにした。
〈零号〉は僅かな精神力を呼び水に地下の風石の魔力も利用出来るため、圧倒的な速度での自己進化が期待出来るだろう。

将来的には、人面樹に蓄積された情報とのリンク確立や、電子部品の技術を応用して惑星規模のハイパーコンピュータに仕立て上げたりとか構想している。
まあ、そこは構想だけ伝えて〈黒糸〉自身や改良ゴブリンメイジたちに任せるつもりではあるが。

さて、いよいよ春の足音も迫り、魔法学院の2年目に入ろうとしている。
2年目のメインイベントといえば使い魔召喚の儀式である。

さて、俺の呼び出す使い魔は何だろうか?
アラクネーを呼び出せれば良いのだが。



真っ青な空の下の緑の草原。

召喚の銀鏡から落ちてきたのは直径20サントくらいのメタリックな真珠?だった。

==========================

ウード君がラインのままならアラクネーを呼び出してキャッキャウフフ出来たのにね。残念!



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 11.ぐはあん ふたぐん しゃっどーめる ひゅあす ねぐぐ・ふ
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/21 22:06
〈黒糸〉の伸展によって、惑星『ハルケギニア(仮称)』の地図の空白はほぼ埋まりつつある。
地上海中も含めての精度の高い地図だ。
その地図から入植出来そうな場所や、地下資源がありそうな場所の特定と、そこにゴブリンの一団を派遣して開拓していくことが課題である。

先住種族との交流もおろそかに出来ない課題である。
というものの、〈黒糸〉による調査は地下からのものなので、実際に地上に何が住んでいるかというのは分からない。
先住種族との交流は現地に派遣された開拓団の出たとこ勝負になるだろう。
その辺りについて今後は空からの事前調査が望まれるところである。

アルビオンというリアルラピュタがあるのだから、他にも空飛ぶ土地はあるかも知れない。
そのような浮遊大陸の発見は〈黒糸〉に頼らずに行う必要がある。……レーダーでも開発するか。

空からの調査用として、飛行型のガーゴイルや魔法生物の研究をゴブリンたちに行わせている。
コスト的には魔法生物の方を採用することになりそうだが。
虫型か鳥型かはたまたドラゴン型か、悩むところであるが、それぞれにメリットが有るのだから、人員の許す限りは同時並行でも構わないだろう。
魔法生物を偵察用として採用した場合は、人面樹に喰わせることで偵察に行った魔法生物の見聞きした情報を統合することが容易いのも魅力だ。


新天地に派遣する「開拓団」は最低5人の構成となる。

まずはキメラ人面樹(バロメッツと融合)を使い魔にしたゴブリンメイジ。水系統だと尚好し。
入植地の食料生産・補給を一手に管理することになる。
人面樹を育てて知識を蓄積し、現地の動植物や環境の研究を行う要でもある。
初めに家名を賜った〈レゴソフィア〉氏族を中心とする者たちである。

次に〈黒糸〉と契約してそれを自在に操り、住居などを作り、土質改良も出来る土系統のゴブリンメイジ。
バロメッツが育成可能な環境を整えたり、拠点の作成・整備を行う土建屋だ。
全世界に張り巡らされている〈黒糸〉からの支援を受けられる者たちで、参謀役・情報管制官でもある。
〈黒糸〉を通じて各地の拠点と連絡を取り合う役目だ。
〈ウェッブ〉氏族と呼ばれる、特に〈黒糸〉の運用に特に長けた氏族から選ばれることが多い。

前衛としては、使い魔として契約した身体強化型の寄生虫を宿した屈強なゴブリン戦士。
〈バオー〉氏族と呼ばれる彼らは、その屈強な体を活かして拠点の守りや未開地の積極的な開拓を行う。
その体力を活かして、皆を守り、サポートするのが役目だ。
肉弾戦闘のエキスパートでもある彼らは、氏族全体で連綿と武術を高め続けている。
人面樹に修行で高めた功夫を還元することが出来るので、彼らは生まれながらに熟練の経験を持っている。
とはいえ、経験だけあっても体がその経験通りに動くかどうかは別問題なので、彼らは常に研鑽を怠らない。

後衛としては、様々な幻獣種とのキメラ化によって魔法を強化された異形のゴブリンメイジ。
大規模な魔法を使うことを専門とするこの〈ルイン〉氏族は、多くの魔獣の因子を血に取り入れた者たちだ。
各個人によってその姿は竜鱗を持っていたり、水かきがあったり、羽があったりと様々だ。
〈ウェッブ〉氏族と協力して大規模な土地の開拓を行ったり、〈レゴソフィア〉氏族の植物栽培を魔法で助けたりと万能な活躍が可能だ。
魔法の実践に関しては、〈ルイン〉氏族の右に出るものは居ない。

最後に彼ら4人を統率する指揮官役のゴブリンメイジ。
リーダー役は特にどのような特技を持っていなればならないとか決まっているわけではない。
統率に必要な経験と適性があれば、持っている技能は関係ないのだ。
先住種族との交渉や隊の纏めに相応の社交術が要求されるので、政治家や商人の経験をダウンロードした者が任命されることが多いが。

この5人構成の一団をフネで狙ったポイントに降ろすことで、入植の足がかりとする。
彼らには、必要な物資、様々な品種のバロメッツの苗木と、使い魔契約済みのキメラツリー(人面樹とバロメッツのキメラ)を持たせて送り出す。

降り立った一団は、その土地を苗木の生育に適した土壌に変えて、襲ってくる現地の幻獣を排除したり、現地の生物のサンプルを採取したりしながら、苗木を植えて、『活性』の魔道具を作成し生活基盤を整えていく。
数カ月もすれば、『活性』の影響で成長が早められた苗木から、その土地生まれのゴブリンの第一世代が誕生するだろう。

あとは徐々に数を増やしつつ、〈黒糸〉を介してトリステインの本拠地や他の開拓団と連絡をとりながらその地に浸透していくだけだ。

開拓団の派遣と並行して、ゴブリン型バロメッツの種を気球であちこちに向けて飛ばすという『ふ号作戦』みたいなものも行って居る。
こちらは種が何処に辿り着くか分からない上、落着した場所に『活性』の魔道具があるわけではないため、成功率や成長速度に大幅に劣るが、コストメリットが非常に大きい。
上手く樹が育ってゴブリンが生まれれば〈黒糸〉を通じて連絡が来る手筈になっている。
将来的には気球ではなくて、飛行型のガーゴイルに『活性』の魔道具を積み、運搬と着陸後の世話をさせようというプロジェクトも進行中である。

こうやって、徐々にゴブリンたちはハルケギニア文化圏の外にその勢力圏を拡大していっている。
現地の珍しい動植物のサンプルは、定期的に開拓団の元にフネが回って回収している。
持ち帰られたサンプルの研究は全く間に合っていないが、今は無制限かつ無目的に、そして貪欲にサンプルを回収している。

俺は将来的にこれらのサンプルが研究されるのを楽しみにしている。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 11.ぐはあん ふたぐん しゃっどーめる ひゅあす ねぐぐ・ふ
 





魔法学院にいる間も、俺が目を通すべきものは沢山ある。

各地に送り出された開拓団からの報告書や、回収されたサンプルの研究結果、電気関係や数学関係の各種法則の実証結果、新しいマジックアイテム、作物の新品種、キメラ人面樹から生まれるゴブリンに関する記憶の制御技術、寄生融合型使い魔とその宿主の共進化的強化の進展、アトラナート商会の経営状況などなど……。

新種や自然法則の発見、新技術・新商品の開発もそうだが、それらにともなって引き起こされる社会構造の変化やそれに対応するための組織再編、法律の整理など、考えることは沢山ある。
大半の業務はゴブリンたちに任せてしまっているが。

そういった商会とゴブリンの集落関連の書類は挙げ始めたらキリが無い。
報告は〈黒糸〉と契約したメイジ同士で『遠見』の魔法でテレビ会議風に行ったりしている。
また、シャンリットの実家にいた頃に培った写本のプロセスを応用して書類はFAXのように遠隔地に送っている。

手描きじゃとても間に合わないので、ゴブリンたちに頼んでタイプライターもどきを作ってもらった。
本当はワープロが欲しいんだが、タイプライターでも充分贅沢だ。
基本は地球式のタイプライターと同じで、インクリボンと各文字型のスタンプとそれに対応するキーなどから成る機械である。

機構学の発展に伴って複雑な機械も作ることが可能になってきたのだ。
とはいえまだ量産には至っておらず、このタイプライターはゴブリンの職人たちの技術の粋を凝らした一点物である。

地球式と違う点は打刻するスタンプに『レビテーション』を掛けてあり、動かすのに必要な力を軽減していることと、打刻する時の騒音対策として『サイレント』を常時発生させる魔道具が組み込まれていること、タイプ後の紙に自動的に『錬金』でラミネート加工して『固定化』を掛けるくらいである。
スタンプする部分には定期的に『固定化』と『硬化』を掛けているから摩耗もそれほどしないし、もし摩耗しても『錬金』で簡単に修理できる。

俺はタイプライターに加えて、規格消耗品のインクリボンや紙を自動で作成する魔道具を自作しているため、ノーコストでこのタイプライターを運用出来る。

実際にアトラナート商会から売り出すときには、この消耗品自動リカバー魔道具は付けられないな。
自動で消耗品を補給する魔道具なんかつけたら、消耗品ビジネスが成り立たないじゃないか。
消耗品ビジネス美味しいですってね。長期的に顧客になってくれるし。
それに加え、本体の方も売り出すときは使用者が勝手にメンテナンスできないようにブラックボックスを多くするべきだろうか。
『固定化』や『硬化』の保守メンテナンスビジネス美味しいです?

まあ、商会の運営はもうゴブリンたちに任せてるから、アイデアだけ伝えてみるか。

あ、あと半導体の研究のお陰で、トランジスタが出来たらしい。真空管と同時開発中だ。
まだ信用性が足りないが、これで2~3年中には電卓が出来るはず!
多分初期型は重さ1リーブルくらいあるだろうけど。
本当に数年中に電卓が出来るかどうかというのは分からないな……電気関連の法則の実証がどこまで進むか、だな。
ICなどの集積回路の微細加工は、カーボンナノチューブ作れる時点でそこまで心配していない。
一点物ならかなり高集積なものが作れるんじゃなかろうか。
トランジスタがあれば真空管は要らないのではないかと思うかも知れないが、大電流を流す際にはトランジスタより真空管の方が適しているので真空管の研究も必要だ。

風魔法で真空も簡単に作れるし、クリーンルーム内でゴーレムに作業させるのも簡単に実現出来そう。
やはり魔法はチートだなあ。

それにしても早くパソコンが欲しい。このままじゃ書類に溺れて死ねる。
そのためにも加工精度を上げないといけない……。
魔法による職人技なら、人面樹を介した擬似転生によってかなりの経験を蓄積してるから、既にマイクロレベルの精度での操作が可能なのだが。
まあ、まずは一点物の試作品でもいいから作らせてみるか。

さて、溜まっていた書類を片付けつつ現実逃避をするのもここまでにしよう。

今は新学期。俺は魔法学院の二年に進級した。
つまり、進級試験である使い魔召喚の儀式はクリアしたわけだが、呼び出された使い魔が問題なのだ。
望みどおりアラクネーを呼び出せていたら、今頃はこうやって現実逃避なんかせずに使い魔との親睦を深めているところだ。

俺は呼び出したものを安置している一角に視線を向けた。



俺が呼び出したのは真ん丸い金属光沢を持つ直径20サントほどの球体だった。

監督の教師は「何かの卵だろう」と言っていたし、俺もそう思う。
一応、卵の殻越しに『コントラクト・サーヴァント』を行った。
目に見える範囲にルーンは刻まれなかったが、感覚共有を試したところ、これまでの自分では感知出来なかった感覚を感じたので、契約は成立したものと思われる。

光沢のある球体は、部屋に持ち帰り、ふかふかの布の上に鉱物試料のように安置している。

今、その球体はかすかに振動している。
もうすぐ孵化するのだ。
これが俺の思っている通りの、恐るべき地中種族の卵だとすれば、孵化したあとには大量の液体状有機物……血液などが必要になるはずだ。



はたして殻を破って出てきたのは、粘液に包まれた灰色のイカのような生物だった。あるいは細長いイソギンチャクのような。
細長い先細りの灰色の円筒状の身体を持ち、頭部に当たる場所には無数の触手がイカかイソギンチャクのように蠢いている。
全長は30サント弱といったところだろうか。
巨大な灰色のミミズのように見える。

やはりこれは「クトーニアン」の卵だったのだ。

感覚共有で、生まれたばかりのクトーニアンの感情が伝わる。
どうやら卵の中に居た幼生体にもルーンは無事に刻まれていたようだ。

(……おなか……すいた……)

ああ、やっぱりそう来たか!しかし、既に準備済みだ!
木っ端肉を細かく砕いてミルクを混ぜあわせたものに、ゴブリンを高速成長させる際に用いる高カロリー飼料を混ぜたものを用意している。
思う存分喰らうが良い!

というわけでタライになみなみと注いだ餌の前に『レビテーション』で運び、降ろしてやる。
ちょっと、あのヌルヌルは触りたくない。卵の状態で契約出来たのは幸運だった。
孵化直後だったら、契約のキスした途端に血を吸われていただろうし。……いや逆にルーンを刻む痛みで幼生の方が死ぬか。
彼らは生まれた直後は熱にもダメージにも弱いからな。

クトーニアンの幼生は触肢を蠢かせて流動体状の餌に触れると、触肢を脈動させて啜り始めた。

(うま……うま……)

どうやらお気に召してくれたようだ。見る見るうちにタライの中の餌が減り、それに応じてクトーニアンが膨らんでいく。
この勢いだと今月から学内に出店したアトラナート商会魔法学院購買部支店に、近いうちに飼料の追加発注をする必要がありそうだ。

さて、一応、俺の思っていた通りのものが生まれてきたわけだが、一体どうしたものだろうか。
成体のクトーニアンはその子供に対して異常な執着を見せるという性質があったはず。
最小サイズで30メイル級の成虫の群れに押しかけられたらたまらない。
素直に押しかけてくるならともかく、クトーニアンの能力で巨大地震でも起こされたらハルケギニアが滅ぶ。

(にんげん、たべもの、もっと)

もう食べ終わったのかよ。早いな。ちょっと待ってろ。
そんな事もあろうかと、更にその5倍は用意してあるんだ。ほら、たんとお食べ~。

(……うま~、うまうま……)

よく入るな。……というかさっきより体が大きくなってないか、こいつ。
この短時間で消化して成長しているというのか?確かに半年で数メイルになるとは記憶しているが。
今のうちにもっと追加の飼料を持ってこなくては足りなくなるな……。

クトーニアンは個体同士でテレパシー機能があったはず。
現在、封印から起きているクトーニアンがどれだけ居るか分からないが、ここに幼生が居ることは掴んでいるだろう。
……だが、こちらも伊達に〈黒糸〉を地球上に張り巡らせてはいない。
地中を移動するクトーニアンの影をソナーのように振動反響で捉えることは出来るはずだ。
先ずは、アフリカに当たる地域から確認だな。
確か、記憶によるとクトーニアン達がその首魁のシュド=メルと共に閉じ込められていたのがあの辺りだ。

身体の中の〈黒糸〉を伸ばし、惑星を覆う巨大な〈黒糸〉のネットワークに接続する。

《……〈黒糸〉の管制人格、〈零号〉よ、アフリカ地域の地中に何か居ないか、探査を頼む。
 あと、このハルケギニア地域に地中から向かう何かが居ないかどうか、監視してくれ。》

【あいあい、マスター。まあ、5分ほど待っててくれ。それにしても厄介な使い魔を引き当てたねー】

返事したのは、この間〈黒糸〉をインテリジェンスアイテム化した際に作り上げた管制人格、その名も〈零号〉だ。
こいつのおかげで、各地の情報収集や、蒐集した資料の管理が格段に楽になった。

《とりあえず、成体がこちらに向かってなければ問題ないんだが。
 ……いや、成体のクトーニアンとコンタクトが取れなくても問題か。
 クトーニアンの育て方なんか全く知らんしな。》

【じゃあ、クトーニアンの成体を見つけたら、取り敢えずはコンタクトを取ってみるってことで。
 もし『子供を返せー』って言ってきたらどうする?】

《返すしか無いだろう。
 親元に居る方が幸せに決まってるんだし、クトーニアンはそこまで敵対的な種族じゃなかったと思うし。自信ないけど。》

というか、返さないって選択肢を取ったらハルケギニアの大地がマントルに沈むわ。

【あいあい、解析結果来たよ。……今のところ、振動探知が効く範囲ではクトーニアンらしき影は無いね。
 大体、あれって惑星の核付近に居るんでしょ?普通は振動探知が効く範囲に居ないよ?】

《それもそうか……。まあ、引き続き警戒頼む。
 それと火山活動や地震活動が活発化したり、マントル対流がおかしいところがあったら直ぐに知らせてくれ。》

【あいあい、了解。……ん、ちょうどシャンリットの辺りでマントルの流れが乱れてるね。
 結構なスピードで何かがマントルの中を泳いでるっぽい。振動探知の範囲内には捉えられないけど、これ、クトーニアンかな?】

《ハルケギニア終了のお知らせキタコレ。》

【猶予は余りないみたい。……そこの幼生ちゃんから使い魔の感覚共有通してテレパシー使ってコンタクト取れない?】

《そうだな、やってみる。》

意識を部屋の中に戻して、クトーニアンの幼生に目を向ける。
食事はたらい6杯目に突入しているところのようだ。ストックはもう無いな。また作っておかないと。

と、そうじゃなくて念話……。

その時、クトーニアンは鎌首をもたげ、こちらに頭を向けた。
液状飼料が滴って、脈動する触肢が悍しげだ。

(おい、人間、メシ寄越せ)

先に向こうから念話が来たよ。
しかも何か知性上がってるっぽい。やっぱり成長している?
傍に脱皮殻も見えるから恐らくそうだろう。

(ご飯持ってきてあげるから、今のうちに親御さんに話しつけてもらえないかな~?
 何なら、他の幼生の餌をこっちで一括で準備してもいいし。
 迎えに来るなら、出来れば穏便にお願いしたいんだけど……テレパス使えるよね?)

(早くしろよ、人間。まあ、大人たちには話をつけて置いてやろう。
 メシはなかなか美味かったしな。)
 
頼むよ~。マジで。
今のうちに食堂前と購買部前にゴーレムを作って、そいつから近くのメイドに伝言を……。

(……おい人間。話つけたぞ。大人たちから伝言だ。
 『取り敢えず、地震とかは勘弁してやるけど、そっちに行くまでに子供になにかあったら分かってるだろうな?』だそうだ。)

(『もちろんです。寛大な対処、感謝の極み』と伝えてくれ……。)

(伝えておくから、メシを早く持って来い)

何とかなりそうだ……良かった。
今、購買部の方で飼料やら何やら混ぜてるところだから、少し待ってくれ。

(メシ持ってこないなら、お前から吸うぞ。ちゅうちゅう吸うぞ。)

……すぐ持ってこさせる。だから吸わないで、死んじゃうから。

【あ、マントルの対流の乱れが少し収まったみたい。
 マスター、このペースなら明後日くらいにはクトーニアンの皆さんが到着するんじゃないかな。】

〈零号〉、モニターご苦労様。……『皆さん』?

【大体30匹くらいは居るみたい。】

シュド=メルさんは?シュド=メルさんは居ないよね?

(人間、大首魁はわざわざ一匹のために出張ったりしない。まだ孵化を待つ卵が沢山あるのだからな。
 それよりメシだ。ほんとに吸うぞ。)

急いで飼料を持ってきてくれ。メイドさん。俺の命がマッハでヤバイ。



結局、クトーニアンの皆さんが到着したのは3日後。
その間ずっと食事を続けていた幼生は、二~三度脱皮して10メイル程に成長し、クトーニアンの皆さんは
『これだけ大きければ、もはや庇護の必要もないな』ということで早々に帰っていった。

何しに来たんだアンタら。

クトーニアンとしての教育はテレパスで行うし、イザという時に備えてシャンリット家の領地の地下に1匹待機しているらしい。
王都近くは水脈が多いため大地が湿っぽくて、居心地が悪いとのこと。さすが水の国。
でもなんでシャンリットの領地の地下なんだよ。せめてどっか別のところに行ってくれ。
ウチの領地の地下には研究室やら地下道やらが沢山あるんだぞ。何かの拍子にダメになったらどうしてくれる。

地表に来たクトーニアンは俺の使い魔になった幼生に名前を付けていった。
人間には発音不可能だが、あえて発音するなら『ルマゴ=マダリ』という名前だそうだ。
『成長の早いもの』とか『簡単に成長する』とかいう意味らしい。
やっぱり、クトーニアンの中でもこの成長スピードは異常だったのか。
ひょっとすると、使い魔のルーンが何か変な効果でも発現しているのかも知れない。

あ、クトーニアンの皆さんが現れたのは学院から少し離れた広場で、召喚の儀式とか行う場所だ。
地下の研究所を壊されては叶わないから、場所は俺の方から指定させてもらった。
まあ、皆さんとは言っても出てきたのは2匹だけだが。
しかも、地表の水気が多いから、地下まで水脈を避けるための不透水層の通路を作れと言われたし。

地下数十リーグに渡って数リーグ四方の広さで、地下水脈の流れを変えるような大規模な『錬金』したのなんか生まれて初めてだ。
俺は微細加工特化のメイジだというのに。途中で風石の魔力を借りたとは言え、よく精神力が持ったもんだ。
……まあ、命と今まで学院地下に蒐集した標本が掛かってたからな。ついでにハルケギニアの命運もか。
これを切っ掛けにスクエアにでもなってくれればよかったのだが、クトーニアンとの面会のあともトライアングルのままだった。ちっ。

出てきたクトーニアンの姿を見てしまった学院生徒や使用人の何人かがSAN値チェックに失敗して錯乱したらしいが、それだけで済んで良かった。
残念ながら、というか当然ながらフリッグの舞踏会は中止になったが。

教師たちには、あらかじめ使い魔の親が会いに来ると説明していたから、その他には特に問題は発生しなかった。
まあ、あの大きさとおぞましさは想定外だったかも知れないが。

後日、アカデミーからの召喚状が来て、案の定使い魔を調べさせろといわれたが、そんなのに応じるわけにはいかない。
研究者として彼らの気持ちは分かるが、説得しなくてはならなかった。
一族の者が実験動物にされたと知ったら、クトーニアンがどんな報復に出るか分からない。

そうなったとき、一番初めに被害に遭うのは、クトーニアンが駐留しているシャンリットの土地だろう。
それは見逃せない事態だし、そのあとは王都どころかハルケギニアの大地全体が砕けてマントルに沈むだろう。

クトーニアンの強力さと危険性を訴えて、アカデミーの研究者は何とか説得することが出来た。袖の下を幾許か渡したのが功を奏したのかも知れない。
研究者が個人的に俺や、使い魔のルマゴ=マダリを狙ってくることはあるかも知れないが、問題はないだろう。
俺は〈黒糸〉で危険を察知出来るし、ルマゴ=マダリはたかが一メイジにどうにか出来る存在ではない。
水が致命的な弱点になるから、万一に備えて水から身を守るマジックアイテムでも作ってやるべきか。
しかし、マントルの熱に耐えられる魔道具なんか作れるだろうか。……固定化をかけまくればいけるか?

ルマゴ=マダリは生まれてから一ヶ月くらい経ったが、今ではこの間来た成虫にも負けないサイズになっている。
このサイズになれば、もはや口から食事を取る必要はなく、地核の熱から直接にエネルギーを摂ることが出来る。
いつもは地下深くでのたくるように過ごしている。
とはいえ、時々は高カロリー人工飼料の味が恋しくなるのか、地表に上がってくることもある。

成体になったクトーニアンは広範囲の人間に対して精神的な干渉を行うことが出来る。
使い魔としての感覚共有をするのと似た感覚らしいので、俺に念話を行うのと間違えて

(お 腹 す い た ぞ ーーーー!!!!
 吸 わ せ ろ ーーーー!!!!)

と、学院中の人間にその空腹の波動を送ってしまったことが一度ある。

……あのときは酷かった。学院中が狂乱状態になって、みんな食堂に殺到した。
あと一歩で共食いも起こりかねない状況まで行ったからな。
結局は正気を保っていた学院長が宝物庫にあるマジックアイテム〈眠りの鐘〉を使って全員眠らせなきゃならなかった……。

ルマゴ=マダリ、なんて危ない使い魔なんだ。
その巨体の厄介さと地震だけじゃなくて、広範囲精神攻撃も備えているのか。

クトーニアンがこの世界に居るなら、やはり海中のルルイエ神殿ぽいところも調べてみるべきか。
他の旧支配者が居るかも知れない。南極の狂気山脈には古のものが居るのだろうか。

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というわけで呼び出されたのは【地を穿つ魔】クトーニアンでした。
ウード君は触手プレイでも楽しめばいいと思うよ。
タイトルはクトーニアンが穴を掘る時の詠唱というか鳴き声というか、まあそんなのから。

2010.07.18 初出
2010.07.21 誤字修正



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 12.支配からの卒業は自由とは名ばかりの無秩序への入学
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/18 23:18
ウード・ド・シャンリット、17歳である。
漸く魔法学院も最終学年である。

昨年はいきなりクトーニアンのルマゴ=マダリを呼び出したりして波乱の幕開けだったが、その前の年の暮れにトライアングルに昇格していたこともあって非常に実り多い一年だった。

水のトライアングルスペルを使えるようになったため、先ずは精神作用系の水魔法を極めるべく練習を開始した。
記憶を読んだり、あるいは植えつける魔法というのは脳にダイレクトに影響を与えるため、非常に制御が難しい。
実験台になったゴブリンたちの何人もが廃人になってしまった。
廃人になった後でも人面樹に記憶を吸わせてやれば、魔法で頭をいじられている時の感想を聞けるので、その感想をフィードバックして記憶制御系の魔法は見る見る上達した。
ルマゴ=マダリも種族的に精神感応を使えるのでコツを聞いてみたり、あるいは、王都のアトラナート商会を通じて、いわゆる裏社会の人間にコンタクトを取って教えてもらったりして、二年の半ばには記憶の読み取りと植え付けに関して実用レベルまで高めることが出来た。

記憶の植え付けが出来るようになって初めにやったことは、自分の記憶を適当なゴブリンに植えつけて、そいつを人面樹に吸収させることだ。
これで、未だにゴブリンたちに伝えきれていない現代知識の殆どを、人面樹の中にストックさせることが出来た。

というか後から気がついたのだが、〈黒糸〉の管制人格〈零号〉を作り上げた時点で、〈黒糸〉を杖として契約している全てのメイジの精神力を統合して、賛美歌詠唱と同様の仕組みで、それでいて賛美歌詠唱より高い効率で強力な魔法を使えるようになっているのだった。
つまり自分が水魔法の練習をしなくても、〈黒糸〉の〈零号〉に頼めば様々な魔法を代理行使させられるのだ。
俺のした努力って一体……。

ちなみに讃美歌詠唱とはロマリアの聖堂騎士団の十八番で、過酷な修練によって息を合わせた聖堂騎士たちが力をあわせて魔法を使うものである。
巷では、息を合わせるために聖堂騎士達は体を重ね合わせているのだとかいう陰口も叩かれている。
……知りたくなかったことだが、以前に聖堂騎士の訓練風景を〈黒糸〉経由の『遠見』で偵察した際には、団員の寮からガチュンガチュンと夜ごと連結音が響いていた。
ロマリアは「光の国」だが、実は薔薇の国でもあったのだ。

……嫌な思い出は心の奥底に沈めよう。思い出してはいけない。何かが削れてしまうから。

人面樹には多くのメイジの経験が詰まっているので、それを〈零号〉にダウンロード出来れば、〈零号〉は今よりも多くの魔法を使えるようになるだろう。
試しに管制人格〈零号〉に『読心』の魔法で人面樹の記憶を読み取らせてみたのだが、それは上手くいかなかった。
『読心』の魔法は、人面樹には対応していないらしい。
イメージとしては『読心』というアプリケーションに対して記憶ファイルの拡張子が異なっているとか、そういう感じだろうか。
だが、ゴブリンからは『読心』の魔法で問題なく記憶を吸い出すことが出来た。
面倒だが、人面樹を使い魔としているゴブリンメイジを経由させて、人面樹に蓄積されている記憶を〈黒糸〉の〈零号〉にダウンロードさせている。
これで、ラインだろうがドットだろうが関係なく〈黒糸〉の補助によって大魔法を発動させることが可能になった。

まあ、可能になったからと言って、それを誰でも使いこなせるというわけではない。
膨大にストックされている魔法術式の記憶の中から目当てのものを探し出して使うというのは非常に面倒くさいのだ。
〈黒糸〉と契約しているゴブリンメイジたちは、〈黒糸〉に日々蓄積されていく各地の情報と、人面樹からダウンロードされる記憶を分かりやすくかつ使い易いように整理する事に日々追われている。

人面樹を使い魔とするゴブリンメイジも同様の悩みを古くから抱えていた。
日々増え続ける死者の記憶情報の中から意味のあるものを拾い上げ、あるいは害悪となるものを隔離したりする作業は気が遠くなるほど時間がかかるものである。
作業中に気狂いの意志に触れて正気を数日失うということも結構ザラにあるらしい。

バロメッツとのキメラ人面樹が作られるようになってからは、新たに生まれるゴブリンに植えつける記憶をコーディネートする役割も生まれた。
まあ基本的には一年から数カ月に一度“基礎記憶”――義務教育課程みたいなもんだ――を共同体全体で制定し、氏族や職業によって更に専門性が必要な場合はオプションを追加するという具合になっている。
特にオプションを定めない場合は、ランダムに記憶を追加して、それによって生まれる新たな発想や発明を促している。
一方で功績著しい者については、生前の人格をまるごと移植することすら許されている。

ここに至り、〈黒糸〉の管理を行う〈ウェッブ〉氏族と、人面樹を使い魔とする〈レゴソフィア〉氏族の間で、記憶ファイルの拡張子や整理大系についての論争が巻き起こった。
最終的にはどちらの長所も取り入れた形の基準を制定するに至り、両氏族をバロメッツで大幅に増員して今までに記憶蓄積された情報の再整理を一気呵成に行った。

再整理後に過剰となった人員はそれぞれ開拓中の土地に送られたり、それ以外の未開地の開拓に赴くことになった。
まあ、実験動物の扱いになるよりはマシということで、一時増員された両氏族のゴブリンメイジ達は散り散りに広がり、さらにゴブリンメイジの文化圏が広がることとなった。

また、誰でも高ランクの魔法が使えるとそれはそれで困ったことになるため、〈黒糸〉上の情報へのアクセス権や〈黒糸〉経由での魔法発動にはその危険度や機密度によって一定の認定試験を課す免許制をとることになっている。
まあ、俺は認定試験関係なく最上位者の設定である。造物主特権というわけだ。
免許が無い者が〈黒糸〉を杖として使おうとしても、込められた精神力は分散され〈黒糸〉の全く見当違いの場所で発動したり、タイミングが合えば別の者が行使する魔法に上乗せされたりするのだ。
セキュリティ対策にかなり力を注いだからな、というか管制人格〈零号〉の開発目的はそこにあるし。

免許を持ったゴブリンなら実際の本人のランクに関係なく高度な魔法を使えるようになったため、体質的にライン辺りが才能限界となっている一般のゴブリンメイジ達でも『読心』を使用可能になった。
魔法専用に調整されている〈ルイン〉氏族なら生まれながらにスクエアなのだが、それ以外の氏族では頑張ってもラインが良いところだったのが大進歩である。
誰でも高度な魔法が使えるようになったので、魔法特化の〈ルイン〉氏族の存在価値が消滅したように思えるかも知れないが、〈ルイン〉氏族はその内に取り込んだ種族の特性を生かした固有魔法を使えることが強みでもあるし、〈黒糸〉に登録されていない先進的な魔法の使い方の研究実践部隊としての役目がある。

読心魔法の使い手が増えた為、エルフの高度な魔法技術を掠め取るべくサハラに駐在させているゴブリンメイジ達を現在暗躍させているところである。
精霊力の利用に関してはエルフにかなり水を開けられているため、その分野に関して特に諜報を強化している。
持続可能な発展のためには、環境に大きな負荷を与えないエルフ式の技術が必要となるだろう。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 12.支配からの卒業は自由とは名ばかりの無秩序への入学



 


俺の使い魔のルマゴ=マダリだが、一年間で一般的なクトーニアンの成虫サイズである30メイルの2倍、60メイルの巨体に成長した。
しかもまだまだ成長は止まっていないのだ。
詳しく調べてみたところ、ルマゴ=マダリに刻まれたルーンの効能は『成長』であるようだ。
このルーンは、ヒトより長命な使い魔の幼生を呼び出したときに刻まれやすいもので、ドラゴンの幼生などによく刻まれる。
召喚主が存命なうちに成体になれるように成長速度が強化されるのだ。

このままいけば、大首魁シュド=メルに匹敵する巨体になれるかも知れないと本人(?)は浮かれている。
……あと、このルマゴ=マダリ、実は雌らしい。クトーニアンに貴重な雌である。これには俺もびっくりした。

この成長速度を鑑みれば、その繁殖周期も通常のクトーニアンの周期よりも短くなるのではなかろうか。
おそらく一度に産み落とす卵の数も、巨体にふさわしい数になるだろう。
ルマゴ=マダリの言う所によると、身体が成長し、知性が成熟し魔力も増大してシュド=メルに相応しい位階になれば、偉大なる大首魁の子を孕む栄誉に与ることも出来るかも知れないらしい。

シュド=メルの直系クトーニアンが、俺が使い魔召喚したせいで量産されるようになるかも知れない。
俺のせいで旧支配者大復活で人類オワタ、という事になるのは嫌だなあ。とはいえ、俺に出来ることはもはや無い。
ルマゴ=マダリの力は今の俺を大きく上回っているし(使い魔に出来たのは力が弱い卵の時だったから)、旧支配者どもを敵に回すなんて考えたくも無い。
まあ、クトーニアン達の近くまで〈黒糸〉を伸ばして、そこに弱点の放射性物質を大量に『錬金』すれば大打撃を与えることは出来るかも知れないが。
そこまでする理由がないからしないけどね。
そこまでやってもシュド=メルは死なないだろうし。

60メイルもの巨体になったルマゴ=マダリを学院近くに置いておくわけにはいかないので、彼女にはクトーニアンの集落に戻ってもらっている。
トリステイン付近は彼女の苦手な水が多いということもある。
まあ、ルマゴ=マダリには水除の魔道具を埋め込ませてもらったので、理論上は彼女の魔力が尽きない限りは海の中でも平気で動けるはずなのだが。
一応、魔道具を埋め込むことはルマゴ=マダリには了解を取っているし、その効果も説明済みだ。インフォームド・コンセントって訳だな。
流石に実際に水をかぶっても大丈夫かどうかは怖くて実験出来ていないが。

時々、彼女から話を聞いたクトーニアンの一部が同じ魔道具を埋め込んでくれと頼みに来る。
以前に召喚の草原の地下を不透水層に錬金したため、そこを通り道として地上付近に来ては、精神感応で学院の使用人を操って俺を呼びに来させている。
お陰で最近は精神を病んで辞める使用人が多く、使用人たちの入れ替わりが激しい。
俺を直接精神操作できないのか聞いてみたところ、別の神性の加護があるため不可能ということだ。
絡みつく糸のビジョンが見えるから、加護神性は恐らくはアトラク=ナクアだろう、とも。まあ加護と言うよりは呪いらしいが。

俺は魔道具を埋め込んでやる代わりに、この惑星に現存する旧支配者達の情報を聞かせてもらうことにしている。
まあ、聞けたのはルルイエっぽい場所にはやっぱりクトゥルフが眠ってるとか言うくらいだが。
俺のところに来たのは年若いクトーニアンばかりで、その他の旧支配者については確実そうな情報は無かった。
取り敢えず、ルルイエの場所を継続的に監視することには変わりなしだ。

あと、魔道具を埋め込むついでに恋の相談もされた。ルマゴ=マダリの気を引きたいんだそうだ。
んなこと言われてもあいつの趣味なんかよう知らんわ。
取り敢えず、好物の人工飼料について教えておいた。
高カロリー飼料はルマゴ=マダリの要求を元に様々なバリエーションをゴブリンたちに作らせているので、このクトーニアンには定期的に持っていって貰うのも良いかも知れない。

ゴブリンたちとルマゴ=マダリは一応面通しをしてある。
クトーニアンという恐るべき種族がこの星の地核に居ることや、アトラク=ナクアのような神性が他にも居るだろうことも伝えてある。
これで別の神性を崇める新興宗教が台頭してゴブリンたちの内部が宗教的に割れても困るが、今のところはそんな事は起こっていない。

クトーニアンを召喚してから、俺の学院内の立ち位置は今までの変人というのからさらに微妙になった。
――曰く“狂気”のウード、と。俺の二つ名は正式には“黒糸”なんだがなあ。
まあ、あんな悍まし気な使い魔のマスターとはお近づきになりたくないわな。
誰だって一目見る度に正気度チェックが必要な生物には近づきたくないだろう。

そんな中、ジャン=マルクは相変わらず友人付き合いを続けてくれている。有難いことだ。
だけど惚気を延々聞かされるのだけは勘弁な。組み手の度に聞かされているからいい加減飽きる。
近くでその彼女が見ているのにも関わらず延々と自慢してくるし。
たまに俺が組み手で勝つとその彼女がすごい形相で睨んでくるからなぁ。心臓に悪い。
ジャン=マルクもその彼女もアトラナート商会経由でプレゼント用の物品を取り寄せてくれるのは、売り上げ的な意味でありがたいが。

ああ、プレゼントと言えば妹のメイリーンの次の誕生日には何を贈ろうかな。
この間は編んである糸の一本一本に『エア・シールド』のルーンを刻んだマントを贈ったし。
前回が実用品だったから今回はもっとこう、女の子女の子したのがいいかな。
いや、クオーツ式の懐中時計とか腕時計というのも良いかも知れない。悩むなあー。

あ、その前に弟のロベールの誕生日か。これも悩むなあ。
5歳だから、何がいいかなー。杖は父上か母上が贈るだろうし。
うーん、総天然色の図鑑とか?ちょうど世界中の生き物の図鑑も作ろうと思ってたんだよなー。

いや、新種の飛行型のキメラの幼生体とか良いかも。
どうせロベールも俺や父上と同じように普通の馬には嫌われて乗れないだろうからな。
調教役のゴブリンも一緒につけて、幼い頃から懐かせれば使い魔じゃなくても大丈夫だろう。
うむ、そうしよう。大型幻獣の所有許可については今度俺が王都に行く時に申請するかな。

何がいいかな~。ベースはドラゴンかなー。
クトーニアンとかも混ぜちゃう?ガメラに出てきたイリスみたいに触手触手した奴にしちゃおうかな!?

後日、悪乗りしすぎて、どう見ても〈柳星張〉って感じの禍々しい感じになってしまったが、実際にプレゼントしたらえらく気に入ってくれたみたいで良かった。
齢5歳にして触手の良さが分かるとは、我が弟ながら侮れぬ。
まあ多少邪悪なもんじゃないと、シャンリットの血族には懐いてくれないしなー。

プレゼントしたキメラはドラゴンとクトーニアンを混ぜあわせたような奴である。
クトーニアンの弱点である水を克服するために、水除の魔道具は埋込み済みである。
これによって、竜のごとく空を舞い、クトーニアンの如く地を穿つ魔獣が誕生したのだ。水も恐らく平気なはず。
知能も韻竜並にはあるだろうし、弟ロベールの良いパートナーになってくれるだろう。

最大サイズがどれくらいになるかは不明。寿命も不明。
『ゴブリン改造』、『クトーニアン復活』や『〈黒糸〉による惑星コンピュータの開発』に引き続き、ハルケギニア滅亡フラグがまた立った気がするが、きっと気のせいだ。



学院3年生ともなれば、卒業課題というものもそろそろ気にしないといけなくなる。
俺は既に終わってるが、目の前のわが友、ジャン=マルクを初め、まだテーマも決めてない輩も多いようだ。

「ウード、卒業課題は決めたか?」

「伊達に授業サボって研究してるわけじゃない。そんなもんはとっくに終わってるぞ。」

「参考までに聞いても?」

「『クトーニアンの生態とその脅威~古の先住種族について~』。」

クトーニアンについての研究結果と、彼らから聞いた様々な旧支配者についての話をまとめたものだ。
一応、クトーニアン達のレビューを通ったもので、上手い具合に直接的表現を避けて仄めかしに留めている。

「絶対、禁書に指定されるぞ。そんなん。」

「うちの商会から出すのは大体禁書にされるから、今更だな。
 それにある程度の精神力の持ち主じゃないと見えないように細工してある。
 精神力が多ければ多いほど読めるページが増えるようになっている。
 最終章まで読めば、この星の古い神性についてはほとんどマスター出来るだろうな。
 まあ、結構な読解力が必要だろうけど。」

「学院の教師を全員発狂させるつもりか!?」

「そのためのプロテクトだっつーの。発狂しないギリギリのラインまで見極めて開放するようになってる。
 まあ、もし誰かが写本したとしたら、そっちの写本を見た奴の精神までは責任持てんがね。」

提出用に製本したものは、持ち手の精神力を感知して文章を浮き上がらせるようなインテリジェンスアイテムに仕立ててるが、写本されたらそうはいかないし。

「というか、全く読める教員が居なかったらどうするつもりだ。落第するぞ。」

そんな事はないだろ。学院長とかかなりの精神力だし。あれくらいあれば全部読める。
というか、火のスクエアのお前くらいの精神力があれば、大体読めるようにしてある。

「まあ、そん時は別の課題を提出するよ。例えばこの前見せた『世界地図』とか。」

「それはロマリアの神官が来るだろ。この大地が丸いとか言うとさ。
 俺は気にしないけど。
 もっと普通なのは無いのか。具体的には俺が参考に出来そうな奴。」

「お前が参考に出来そうなやつねー。
 何かあったかなー。」

積み上げた書類の山を探してみる。

「あ、火メイジならこれとかどうだ、『生ける炎の召喚と使役について』。」

「却下だ。」

まあ、この辺一帯焼き尽くされてもかなわんわな。

「まあ、これはネタだからな。ホントに呼び出せるかどうかも分からんし。
 というか夜空の星のどれがフォーマルハウトか分からんからなー。」

「いいから、次だ次。」

「それが人にモノを頼む態度か。
 あ、これとかどうだ。『温度と炎の色の関係』。」

黒体放射とか含めるとかなり奥深いテーマ。
色とは何か、から始めると一年では終わらなくなるが。

「良いテーマだが、既に貴様が商会の人間に全部調べさせとるだろうが。
 アトラナート商会の売店の書籍棚に同じものが並んでたぞ。」

「あ、そういやそうだ。昔同じテーマでやってた人が居たからそれの増補改訂版ってことで出させたんだった。
 珍しく異端審問とか気にしなくていい内容だったし、直ぐ出版指示したんだったか。」

「また別名で出版か。お前は一体幾つペンネーム持ってるんだか。」

「さあ?禁書指定されるたびに名前変えてるからもう分からん。
 じゃあ、これなんかどうだ?『熱の仕事当量について』。恐らく歴史に名が残るぞ。」
 
「『仕事』ってなんぞ。」

「そこから説明せなならんのかよ。面倒だな。
 じゃあ、『低温の限界、高温の限界』とかどうだ?」

「う~ん、高温はともかく、低温の方がなあ。」

低温の方は火メイジの領分じゃないのか?じゃあ何メイジ?

「わがままなやっちゃな。じゃあこれだ。『熱膨張とそれに伴う機構の破損』。」

「貴族的じゃない。もっと魔法に関するものはないのか。」

「じゃあ、『熱と光の違い ~『ライト』は火魔法か否か~』でどうだ。」

「お、それ良いな。」

実際、『ライト』が火魔法なのかコモンマジックなのか気になる。
というか、土水火風の分類自体が何か間違っているような気がする。
作用する力によって系統を分けるとか?電磁力系、重力系、ファンデルワールス力系、核力系……。
というか、それ以前に魔力とは何かというのがいまいち分かってないからな。まずはそこからか。

「じゃあ、それで決定と。参考資料にこのメモをやろう。」

「助かる。……あー、ついでに彼女の分も何か見繕ってくれるとありがたいんだが……。」

「あー、まあいいけど。風メイジだったよな、彼女。じゃあ、まあこの辺の風石関連の書類を持っていってくれ。
 風石機関の効率とか、風石の精錬とか、いくらでも研究テーマはあると思うし。
 あ、風石の自然発生機序はやめとけよ?」

「ん?なんかあるのか?」

「世の中には知らない方が良いことが色々と。
 あ、それとも風ならこっちにしとくか?『雷の発生原理とその本質について』とか『雲の種類と発生状況』とか。
 ま、風石関連と天候関連両方持っていってくれればいいか。それと解説が必要なようだったら呼んでくれ。」

「恩に着る。」

「いいってことよ。」

これで惚気話をもう少し抑えてくれたらなお有り難いのだが。
……無理か。無理だな。あの二人が惚気話を出さないというのが逆に想像できない。
一時期、ジャン=マルクの彼女に嫉妬した女子の一部が嫌がらせしようとしてたが、あまりの人目を憚らないイチャつきっぷりにその気を挫かれてたもんな。

まあ、嫌がらせはしなくて正解だろうけど。
当時から既に風のトライアングルだった彼女(現スクエア)の感覚からすれば、遠くの声もまるで耳元で囁いているように聞こえていただろうし。
嫌がらせを実行に移していたら、きっとそいつは竜巻に巻き上げられて強制的に紐なしバンジーをする羽目になっただろう。

対人戦では風属性が一番使い勝手がいいよな。大体何でもできるし。
まあ、殲滅戦やなんかになると火メイジの独壇場だが。
さらにこの二つがタッグを組むと、殲滅力が格段に上がる。
ジャン=マルクと組み手をやってる最中に、ジャンの彼女がこっそり援護して炎を強風で焚きつけてくることもよくある。
本人はこっそりやっているつもりなんだろうが、実際に魔法を使っているジャン=マルクと、命の危険が倍増する俺にはバレバレである。
危うく消し炭になるところだった。むしろ一気に蒸発しかねん勢いだった。死ねる。

きっとあの二人の相性なら、王家のみに伝わるというヘクサゴンやオクタゴンのスペルも使えると思う。
ゴブリンの人面樹に吸わせた知識の中には、王族の知識もあるし、さっき渡した書籍の中にそういうのを紛れ込ませておくのも一興か。
もしも本当に会得して次の組み手で使ってこられたら塵すら残らない可能性があるが、まあいいか。なんとかなるだろう。



……尤も、その認識が甘かったことを次の組み手で思い知る事になるのだが。
あれは洒落にならんかった。なぜ王族が諸侯貴族のトップに立てるのか思い知った。
それは、王家単体でほかの雑多な貴族を圧倒できる武力を持っているからである。オクタゴンスペルマジパねェ。

いや、知識としてはオクタゴンスペルのことは知っていたし、〈黒糸〉を介して数多のゴブリンメイジの精神力を束ねれば俺も使えるけどさ。
あれは個人相手に使う魔法じゃないね。
全速力で風の障壁と金属光沢の反射板を何重にも作り出しながら逃げ出したから助かったものの、そうじゃなきゃ本気で蒸発してガス化してたね。むしろプラズマ化。
それでも防ぎきれずに全身ケロイド塗れになってしまったが。

顔だけは全力で治癒したお陰でなんとかなったものの、妹のメイリーンにバレたら泣かれそうだ。
そして自家製秘薬をぶっ掛けてくるに決まっている。
別に最終的には治るから良いんだけど、その過程で患部が流体化したりするのは何故だ。
そんな事される前に、ゴブリン村で皮膚を培養して張り替えないとな。
ついでだから、ドラゴンの鱗とかでも移植して部分的にキメラにしてもいいかもな。

ジャン=マルクたちもあれだけの威力になるとは思わなかったみたいで、後で必死に謝られた。
まあ、こちらからのお願いを一つ叶えてもらうということで手を打っておこう。
具体的にはオクタゴンスペルの秘伝を流出させたことを黙っていてもらうというお願いだ。

オクタゴンスペルの流出は王家による武力を背景とした統治に大きなダメージを与えるだろう。
諸侯がオクタゴンスペルを運用し始めたら、武力のバランスは崩れて世の中はあっという間に乱世になりかねない。
それも戦場で戦略級魔法が飛び交うような乱世に。
それを防ぐために、王家はオクタゴンスペルの流出を防いでいるのだろうし、流出させた者は誰であれ許さないだろう。

つい出来心で彼らにオクタゴンスペルとか教えてしまったが、もっと考えて行動するべきだったか……。
まあ、オクタゴンスペルが使えるとバレたら彼らも王家に追われるようになるだろうから、無闇矢鱈と喋ったりはしないだろうが。



学院を卒業したあとは何をするべきだろうか。
ジャン=マルクは魔法衛士隊に入隊するとか言っていたような。
父上からはシャンリットに戻って、領主の仕事をさっさと覚えろと言われているから、領地に戻らなきゃならないかな。

一応、アカデミーから誘いは来ているが……、まあこれは蹴っても問題ないだろう。
アカデミーに属すると、大っぴらにゴブリンとの繋がりを利用できなくなって、却って研究の幅が狭められてしまうと思われるし。
生活費という意味では、別に仕事なんかしなくても商会からの収入で食っていけるしな。
むしろ数々の異端本の著者であると目されている俺にオファーが来たのが不思議でならん。ロマリアが怖くないのだろうか。

ゲートによって鏡同士を繋ぐという魔道具も解析が進み、その試作レプリカも学院卒業までには出来そうだし、それを使って各地のゴブリン集落を視察に回りたいな。
そうやって放蕩してれば、父上や母上も家督を俺じゃなくて弟のロベールに継がせようと思うかも知れないし。

学院を卒業したら、まあ研究は当然続けるとして、家族を大事にしつつ、さらなるアトラナート商会の拡張や、新たに入植した地域周辺の先住種族や人間たちとの交流を進めていこうかな。
アフリカあたりの新規に開拓した地域にゴブリンの独立国家を作ってもいいな。
南北アメリカにあたる大陸にも進出しているし、南極に居るかも知れない古のものどもとも交流するべきか。

双子月の開発というのも将来的な視野に入れておこう。
月の成り立ちも気になるからいずれは調べようと思っていたしな。

ちなみにこんなことをつらつら考えながら、俺はシャンリット領のゴブリン村の地下施設で皮膚再建手術を受けている。
移植用の皮膚は俺の細胞と火竜の細胞を混ぜたキメラ細胞を培養したもので、普段はヒトの皮膚と変わらないが、『活性』の魔法を使ってやると火竜の強靭な鱗へと変化するのだ。
変化させるときは高カロリー栄養剤を併用しないと鱗の増量にエネルギーを使った分、腹が減って動けなくなるが。

〈水精霊の涙〉の補助と人面樹からフィードバックされた経験に裏打ちされた確かな魔法行使、そして長年の魔法生物研究によって、ゴブリン村の医療技術はハルケギニアでもトップクラスになっている。
前世の世界よりも高水準なんじゃないだろうか。
全身の皮膚の張替えなんていう無茶も、この村ではそう難しくない手術に分類されるのだ。

今は火傷した皮膚の張替えも終わって、〈水精霊の涙〉を溶剤と混ぜあわせてゲル化したものを全身に塗りたくっているところだ。
〈水精霊の涙〉を蜜として分泌する植物の栽培が軌道に乗ってきたのでこんな贅沢な使い方ができる。
そこに施術者のゴブリンが魔法をかける。俺も体内に張り巡らせている〈黒糸〉から魔法を使う。
するとおよそ2時間で完全に皮膚は馴染んで手術は完了する。

張替えに5時間、術後の馴化に2時間ということでこの大手術も日帰りで可能なのだ。
当然明日は抗生物質を飲んで一日安静にしなくてはならないが、その程度だ。
〈水精霊の涙〉でも抗生物質の代わりにはなるが、コスト的には抗生物質の方が安い。
抗生物質をはじめとする薬品類は『錬金』による分子レベルでの設計が可能であるため、ゴブリンの集落では副作用が少なくかつピンポイントで効果を発揮するものが作成されている。
これも長年に渡って細胞や病原菌の酵素などの働きを調べてきた積み重ねの賜物である。

全身に〈黒糸〉を張り巡らせている俺なら、自分の体内のウィルスを一つ一つ潰して回るなんてこともできるのだが。
まあ、消耗激しいし薬飲んだ方が早いからそんな事はしないけど。

「ウード様、お加減はいかがでしょう」

そこに施術者のゴブリンメイジから声が掛けられる。
確かこのゴブリンは、基礎記憶の他にオプションとして治癒専門の水メイジの経験を複数人分先天的に持っていたはずだ。
というか、この高度医療センターに詰めているのは殆どがそんなゴブリンメイジなのだが。

「悪くないな。痛くも無いし、喉が異常に乾くとか、イライラするとかいうことも無い。
 あと1時間も治癒をかければ良いというところかな?」

「はい、そうですね。あと1時間はこのままです。
 今日はこの後も安静にしていて下さい。竜鱗化はあと2週間は控えて下さいね。」

「了解した。まあ、竜鱗化を試すのはその期間の後にするよ。
 積極的に使う予定はないとは言え、何度か慣らしておかないといざって時に使えないだろうし。」

「もし異常を感じた場合はすぐにご相談くださいね。」

「ああ、もちろんだ。」

周囲では俺の他にも移植手術後の馴化処置を受けているゴブリンが居る。
皮膚の移植の他にも、腕や脚や翼の移植手術なんてのも行われている。
ゴブリンたちは先天的に知識や身体特性を与えられているが、全くその後の道の選択自由が無いというわけではない。

大半は氏族ごとに職能も固定されているし、氏族以外の者がその固有の職業に入っていくのは確かに難しいが、本人が望んでなおかつ対価を払えば、人面樹からの追加の知識・経験の獲得だって肉体的な改造だって行うことが出来るし、それらによって能力さえ得れば望む職業に就くことが出来る。

まあ、生まれる時点で知識技能と共に興味の方向もある程度決められているから7割5分は予定されていた職種につくのだが。
100%興味の方向を固定化しないのは、流動的な残りの2割5分によってうまい具合に社会制度の硬直化を防いでもらいたいという目論見があるからだ。
そういう背景も有り、皮膚の移植による強化くらいは刺青を入れるような気軽さで行われているのである。
羽根を生やしたりするのに比べれば皮膚移植程度どうってことはない。

移植のほかにも〈水精霊の涙〉をベースにした刺青によってルーンを刻んで魔法的な強化を施すというのもこの施設では行っている。
ちなみに人気があるのは『レビテーション』の刺青だ。魔力を流すと刺青に接している物の重量を軽減する効果がある。
荷物を軽くするのに便利だからという理由で手のひらに彫り込む者が多い。
この技術には使い魔のルーンと身体の魔法的な結び付きの研究と、マジックアイテムに刻むルーンの研究を応用している。
流石に始祖の使い魔のルーンとかは再現出来ないが。というかどんな効果なのか分からないし。せめて実物があればレプリカくらいは……。
大体、虚無の魔法も全て失伝してるし、誰かが意図的に消して回ったとしか思えないぞ。

はあ、まあいい。……虚無といえば、今日は虚無の曜日か。休日だからという訳で療養に来たのだし当然か。
明日は学院の授業があるがサボリで決定だな。
帰ったら安静にしながら溜まった報告書の類を読むか。




[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 13.結婚は人生の墓場というけれど、仮に墓場の底だろうと死亡フラグは積み上がる
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/20 02:55
魔法学院を卒業したウード・ド・シャンリット、18歳である。
ハルケギニア的な数え年では19歳になるが。

妹のメイリーンの婚約者が決まったらしい。行き遅れなくて大変結構だ。
シャンリットはアトラナート商会の影響で裕福になってきているから、その利権がらみで結構良い縁談をゲットできたらしい。
妹は13歳で既にライン上位と魔法の実力も期待されるため、メイジとしての格という意味でも向こうの御眼鏡にかなったらしい。
まあ、妹とその婚約者は年も近いらしいから下手に年上のオヤジなんかに嫁ぐよりは全然良いだろう。
それでも本人は不満そうだ。
「私にはお兄様がいるのにー……」とか呟いてるのを聞いた気がするが、そんな『聞き耳』のロールには成功していない。
してないったらしてない。俺は聞いてない。
妹の視線から最近リアルに貞操の危機プラス命の危機(人体実験的な意味で)を感じることが多くなっているので、妹の婚約者君の方に心が動くように期待だ。

ちなみに俺にも婚約者が居る。
トリステインの王都を挟んで反対側の国境を司るクルーズ伯爵家の次女さんだ。
……年齢は今年で12歳(数え年)だそうだ。ハルケギニアではこのくらいの年の差は普通なのだ。普通ったら普通だ。
魔法学院には行かないそうだから、あと5年もすればこっちに嫁いでくるだろう。
学院は配偶者探しの場所でもあるから、嫁ぎ先がほぼ確定している貴族の子女はそのまま学院に行かず嫁いでしまうことが多いのだ。
妹も魔法学院には行かずに嫁ぐのではなかろうか。本人が強く進学を希望すれば別だが。

俺が幼いときにはウチの近所で俺の婚約者になってくれる娘さんを探していたそうだが、その際は相手が見つからなかったらしい。
シャンリットの付近の家の貴族は公爵家に睨まれているウチと縁戚になってとばっちりを受けるのが怖くて、婚約者探しの際には全く乗ってこなかったそうだ。
そんなに警戒しなくともいいのに、というのは酷な話か。

そこに追い打ちをかけたのが、俺が11~12歳の時の幻獣大移動だ。
〈黒糸〉から発せられる何を嫌ったのか知らないが、シャンリット領内の幻獣達が次々と周辺に縄張を移していったのだ。
周辺の領は田畑や村落を荒らされ、それによってシャンリット家に対する周辺貴族の感情は更に悪化。
さらに少なくない数の周辺領の領民が荒らされた土地を捨てて、豊かになりつつありなおかつ税率を下げたシャンリット領に流入でますます悪化。
その後、アトラナート商会の台頭で勢いが盛んになると、今度は乗っ取りを恐れてか周辺の家との対立がもっと深まってしまった。

逆に領地が離れていると乗っ取りの危惧とか幻獣移動の被害はないため、アトラナート商会の当世風な流行の品の数々とそれが生み出す利権の方が大きく見えたのだろう。
ガリアとの国境を接する伯爵家からウチへの打診があったのは、そんな背景があってのことだ。

あ、母上の実家の公爵家(我が親友ジャン=マルク・ドラクロワの主家筋)と俺の婚約者のクルーズ伯爵家は派閥的に対立関係にあるらしい。
アトラナート商会は母方の公爵家とは対立路線を取っているというわけではないが、向こうからは歓迎されていないからあまり進出していない。
逆にクルーズ伯爵家の方からは商会に対して熱烈にラブコールがあったため、シャンリット伯爵領内と同様に各村への進出やそれに伴う商会員の手による教育なども実施している。

あと、父上が最終的にこの縁談を受けたのは、なんと言ってもクルーズ伯爵家の当主の使い魔がジャイアントスコーピオンだったことも大きい。
どうやらあっちの家系も蟲系の使い魔に愛されているようだ。
父上とクルーズ伯は使い魔の話で意気投合したようで、その後トントン拍子に縁談は進んだのだ。

……俺の与り知らないところで。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 13.結婚は人生の墓場というけれど、仮に墓場の底だろうと死亡フラグは積み上がる



 


婚約者のクルーズ伯爵令嬢のことを知ったのは、学院卒業後すぐのことである。
そりゃあ「そろそろ結婚しないとなー」って話題を振ったのは俺だが、まさか「お前婚約者居るぞ。話してなかったっけ?」と返ってくるとは思うまい。

「お父様っ!? 私、そんな事は初耳ですわっ!?」

メイリーン、俺も初耳だよ。

「あれ、メイリーンたちにも言ってなかったか。
 この間のパーティでクルーズ伯と使い魔自慢で意気投合してな。
 そのあと聞いてみると、あちらの次女さんがウードの熱烈なファンらしくて、そういう話になったのだ。」

「そんなっ!?」

「まあ、そうそう悪い話ではありませんが、ちゃんと私にも相談して下さいね、あ・な・た。」

母上のオーラが怖い。

「……うむ、そうする。」

父もタジタジだ。むしろ本人にもきちんと相談してくれ。
ちなみにロベールはこの間プレゼントしたキメラ(ドラゴン×クトーニアン)のイリスに早く乗りたいらしく、話題が俺に向いているうちにさっさと竜舎の方に出かけてしまっていた。

さて、弟も妹も母上も、父上を除いて全員、俺の婚約の話は知らなかったらしいが、特にメイリーンのショックの受けようが酷かった。
自分の婚約を聞かされた時もそうだが、それ以上の取り乱し様だったな。

とはいえ、当主の決定なので最終的には誰も文句言えるはずも無く。
当家の家格や、今後の利益を考えても妥当だったので婚約は本決まりということになった。

婚約に至る顛末はさっき語ったような感じであり、向こうの家もあっさり了承したらしい。
というか、そのご令嬢が猛烈に俺を希望したらしい。
まあその家の当主同士の決定に逆らえるはずも無いし、俺も逆らう気もないのでこの婚約は本決まりに成った。
その後顔合わせを行い、俺がクルーズの領地にあるアトラナート商会支部の視察に行く度にクルーズ伯のお嬢様と会うようにしている。

そのお嬢様、ヴェラ・ド・クルーズは何と言うか俺に負けないくらいの知識欲の塊みたいな女の子だ。
どうやらアトラナート商会から俺のペンネーム――禁書指定されるたびにペンネームを変えているのは禁書マニアの間では有名らしい――で出している幾つかの図鑑、例えば『原色ハルケギニア幻獣図鑑』とか『魅惑の鉱物~ハルケギニアに産出する結晶たち~』とか『さまざまな雪の結晶とその成長条件』とかを読んでファンになってくれたらしい。
……おかしいな、そういった類いの本はシャンリットの領内でしか扱わせてないと思ってたんだが。
領内で流通させ始めたのもここ数年の話だし。

まあ、行商人が勝手に持っていってるんだろうけど。

それにしても書物の持ち出しについては基本的に禁止してるし、シャンリット領外だと直ぐに禁書に指定されるような内容のが殆だから、売るとしても闇市になってしまってシャンリットの外だと結構な値段するハズなんだが。
でも、実は貴族にとってはそう高くもない値段なのかもしれないな。

ちなみに例として挙げた図鑑はそれぞれ普通の図鑑部分は問題ないのだが、それに付随して進化論やら、原産地付き世界地図だとか、惑星規模の水循環についてとか書き記した部分というのが、人面樹内の司祭の知識によるとブリミル教的にはアウトらしい。

ウチの領内の教会はアトラナート商会が掌握しているから問題ないが、禁書確定な内容の本をのさばらせているという噂を聞きつけて、時々ロマリア本国から密偵が来たりしている。
密偵は引っ捕まえて人面樹に食わせた後に、ガーゴイルに置き換えて送り返している。何気にロマリア本国への侵食率は徐々に上昇中である。
手を出してこない限りはこっちからは何もしないんだがなあ。

まあそんな訳で、管区長の報告でも密偵の報告でも問題なしとなっているので、ロマリア本国も怪しいなと思いつつシャンリット家には手を出せない状態らしい。アトラナート商会に厳重注意が来るくらいだな。
念には念を入れて、密偵やらこっちにたかりに来た悪徳神官連中をガーゴイルに置き換えて、そいつらを中心にロマリア本国で派閥を形成して派閥闘争を仕掛けている。
もちろん、その派閥――正式な名称はないが、『アトラナート派』と呼ばれている――にはアトラナート商会からたっぷり寄付を行っている。
現在ではガーゴイルに置き換えられた神官以外にも、普通の神官でもアトラナート派の金回りの良さに惹かれて派閥に加わるようになっている。

話を元に戻して、婚約者のヴェラちゃんだが、ロマリアの目を掻い潜ってウチの商会の出版する本の初版を集めるのが趣味らしい。
禁書マニアという奴だ。
しかも、何度か話して確信したのだが、この子は内容もきちんと理解しているようなのだ。
ただ単に禁止されているものを集めるのが好きな、社会に反抗してみたいお年頃というわけではないのだ。

ヴェラちゃんによくよく話を聞いてみると、アトラナート商会の出す本はその道の研究者に非常に評価が高く、また、シャンリット領外への持ち出しが厳しく制限されているため、たとえ写本であっても闇市では非常に高値で取引されているらしい。
「フルカラーの図鑑の初版なら1冊500エキューからは固いのだよ」とか。
「研究者以外にも芸術的な価値を求める好事家にも人気が高いから手に入れるのが大変でねえ」とかなんとか。
妙に時代がかった喋り方をする子である。
喋り方だけは魔女っぽいが、容姿は小柄で透き通るような金髪も相まって、どう見ても子どもがオママゴトで魔女役をやっているようにしか見えない。

まあ、商人たちも禁書だと分かってて取引してるようだし、売る相手は選んでいるようだ。なら、多少の流出には目をつぶろう。
大っぴらにやられない限りは困らない。もともと完全に情報を遮断できるとは考えていないし。
領外への持ち出しを禁止しているのは、ロマリアに大々的に目をつけられないようにするためだから、少数が秘密裏に流通するくらいは織り込み済みだ。
それに流出したお陰でこんなに聡明で可愛らしい婚約者も出来たのだ。全く問題ないな。

「ウード君や、ウード君や。
 今日は一体どんな話をしてくれるんだい?
 楽しみで楽しみで夜も眠れなかったよ。」

「そりゃあ良くないね。眠りはあらゆる人間に必要なものだ。
 じゃあ今日は、人間にとっての眠りの役割と他の動物のそれの違いについて話そうか。」

このノンフレームのメガネを掛けたツンとした少女が、俺の婚約者のヴェラ・ド・クルーズだ。
お互いソファに腰掛けているが、彼女はこちらを覗き込むように首をかしげている。
さらさらの金糸のような髪が流れる光景は流麗だ。

彼女との会話は概ね俺が気の赴くままに話題を提供し、それに対して彼女が質問したりするといった流れだ。
まあ、合間合間に睦言を挟んだりするのも忘れない。女性を楽しませるのは紳士の嗜みだと、妹から叩き込まれているからな……。

ヴェラちゃんは本の読みすぎで近眼になっており、出会った当時は分厚い瓶底メガネを掛けていた。
それじゃあ重くて掛けていて疲れるだろうということで、顔合わせの日に即席でノンフレームのメガネを『錬金』してプレゼントしたのだ。
〈黒糸〉に蓄積されたデータベースを利用して作った強化プラスチックレンズ&チタン合金の弦のメガネは、彼女も気に入ってくれたようで愛用してくれている。

彼女とメイリーンは親友と言ってもいいくらい仲がいい。
初顔合わせの際は嫁小姑ということで険悪にならないか心配したが、そんな事は無かった。
仲良くなるまでに紆余曲折あったらしいが、最終的には意気投合。
メイリーンはマッドアルケミストの気があるし、知識狂いのヴェラとは歳が近いこともあって気が合ったのだろう。
ヴェラちゃんがウチの領地に来たときなどは、屋敷の外れに俺が建てた「表向きの」研究小屋に二人で篭って秘薬の調合などをしている。

あとは父上の使い魔のノワールにもたれながら読書したりうたた寝したり。
ノワールはうちの妹弟にも大人気だが、ヴェラちゃんも気に入ってくれたようだ。

ヴェラちゃん曰く、

「ノワールのプニプニもいいけど、ウチの父様のアンタレス(ジャイアントスコーピオン)のゴツゴツすべすべも良いものだよ。」

とのこと。

うん、前にお邪魔したときに触らせてもらったから知ってる。
ジャイアントスコーピオンのキチン質の甲殻は、あれはあれで良いよね。
メイリーンと意気投合したのは、生き物の趣味が合ったことも多分に影響しているだろう。

あとは時々、彼女らが研究室で作った秘薬の被験者にされそうになる。
まあ、被験者と言っても実際に出来上がった秘薬をすぐに飲んだりはせずに、『ディテクトマジック』で精査して効能を評価しているだけだが。
何で飲まないかって、純粋に危険だってのもあるが、持ってくるもの持ってくるもの全て惚れ薬やら催淫剤の類なんだよ。

ヴェラ嬢やメイリーンとしては飲んで欲しいんだろうが、ああいう強力な媚薬や精力増強剤なんて飲んだらどうなるか分からない。
寧ろどうにでもして欲しくて差し出してきてるのかも知れないが、薬で正気を失って……というのは遠慮したい。
しかも複数プレイとかインセストとかは尚の事ご遠慮願いたい。



「表向きの」研究室はそんな感じで妹や婚約者にも開放しているが、「表に出せない」地下研究室や地下図書館は未だに俺以外の家族は入れさせていない。
ゴブリンたちは時々手伝いに来させているが。

地下図書館及び標本庫などは屋敷の地下に10階分ほどと、他にもハルケギニア各所の深い場所にゴブリンたちの地底都市とあわせて広大な場所を確保している。
ここまで巨大になると移動も一苦労なので、内部の行き来は〈ゲートの鏡〉のレプリカをフル活用している。

とはいえ屋敷の下に10階分もある地下建造物を土メイジである父上に隠しておけるわけもなく、学院2年目の夏休みのタイミングで屋敷の地下の謎スペースについて問い質された。
むしろ今まで聞かれなかったのが不思議なくらいである。

仕方ないので、腹を括って、大まかに話せると判断した範囲を話した。
地下で研究をしていること。その内容についてブリミル教の教義に反すると判断したこと。それ故に秘密にしていたこと。
様々な本の写本や、各地の動植物の標本、鉱物やその他の物質の結晶を保存していること。中には後ろ暗い手法で入手したものもあること。
アトラナート商会の倭人達、商会が作っている様々な新商品はそれらの研究の賜物であること。
領内の教会に対しては調略を仕掛けて、問題にされないようにしていることなどなど。

これを話しても、俺の爵位継承権が無くなるくらいだろうという打算もあった。
父上に殺される可能性もあるが、アトラナート商会が大きくなっていて既に伯爵領の経営は商会無しでは回らなくなっているからその心配はないだろう。
俺を殺してしまえば、アトラナート商会は報復すると父上は思っているだろうからな。
それに伊達にずっと家族として過ごしていない。
父上はそこまで熱心な教徒ではないし、実利を選んでくれるだろうと信頼している。
俺らしくもない話だが、家族の絆というものを信じているというのもある。十数年の積み重ねに賭けてみたのだ。

別段殺されても、人面樹経由で一ゴブリンとして生まれ変わるだけだから問題ないっちゃ問題ないんだが。

……全て話したあとで、父上は「バレないようにやれ」とだけ言ってくれた。
本当に此の人には、頭が上がらない。
これまで以上に領地の発展に力を入れようと、そう思った。
その為にちょっと調子に乗って、領民にも研究成果としての様々な知識(進化論や太陽系の姿、原子論など)を広めたいと申し出たところ、絶対に伯爵家の存亡を揺るがすことの無いようにという条件で許可された。

バレたとは言え地下空間の中には父上は入れていない。
流石に実物を見たら卒倒するかも知れないし、俺への裁可を取り消すかも知れないからだ。
父上への報告は結構オブラートに包んでいたからなあ……。
あんまりに生命を冒涜したような研究が多すぎるからなあ。
地下標本庫のでろーんでびろーんな液浸標本群なんかはSAN値がガリガリ削れること請け合いだ。

ブリミル教にケンカを売るような知識を広めようと思ったのは、領民の生活に余裕が生まれ、彼ら自身で発展してもらえる素地が整いつつあることが大きい。
他の領からの民の流入で人口も増えてきたし、新種の作物によって我が領内では食料や生産力の余剰が生まれつつある。
流民も各地の大都市に作ったアトラナート商会の支店からの募集で結構な数を呼び寄せている。
アトラナート商会が各村々に出店することによる貨幣経済の浸透もあり、発展の素地はできつつあるのだ。
この領の発展のためには、ゴブリンメイジ達だけでは無くて、普通のハルケギニア人の力も必要だ。

というかぶっちゃけ、世界中に拡大しているゴブリンメイジの集落の充実の方が忙しくて、シャンリットの領地にあまりリソースをかけられない。
ブリミル教やハルケギニア人に遠慮しながらの開発では、効率が悪いのだ。
そんな事に手間取られるなら、もっと他のことを研究したいというのがゴブリンメイジの総意である。

そういうわけで、教育だけは施してあとは自力で発展してもらおうという方針になったのだ。

“地上のことなんか自分たちが介入することではない。観察するのは良しとしても。”

“アトラク=ナクア様のおわすこのシャンリットの地下に都市を築き、神殿を建てて祈りを捧げよう。”

シャンリット領内のゴブリンメイジはこのように考えて地下に潜り、研究拠点となる地底都市とアトラク=ナクアのための神殿を建造している。
人間社会観察を研究主題とする部署の連中を中心に、先住種族(人間含む)に対する過度の接触は文明保護の観点から避けるべきという風潮が広がっているし、蜘蛛神教の宗教庁の中で原理主義者が増えてきたというのもある。
一過性のトレンドではあるのだろうが、まあ通常人類と棲み分けを行うのは良いことだと思われるので特に止めることはしなかった。

父上に地下書庫がバレたのはそれはそれでいいタイミングだったと言える。
お陰で、学院二年生の夏以降は大っぴらに図鑑や学術書、教科書の類を流通させ始められた。
このまま教育改革が進めば、シャンリット領はハルケギニアで最も先進的で豊かな領地になるだろう。
領内に商会をパトロンにした私立学院を作っても良いかも知れないな。

あとこれ以上に他の人に感づかれないよう、地下施設の隠蔽にはもっと力を入れようと思った。
地表に近いからバレるのであって、深層に作れば問題ないだろう。
具体的には父上にバレたあとの拡張や各地のゴブリンの地底都市の建造は地下50メイル以深に限定しているし、各所に分散して作っている。
これくらいの深さなら土のスクエアでも早々探知出来まい。

地底都市の建設は、現地の先住種族との軋轢が大きくなってきたために、棲み分けを行う必要に迫られたからだ。

地底都市を運営するエネルギーは地下に埋まっている風石からの魔力だけではなく、太陽光発電による電力でも賄っている。
風石がいくら自然に増加するものだとは言え埋蔵資源は何時枯渇するか分からないので、太陽光発電も併用しているのだ。
それに〈黒糸〉を構成するカーボンナノチューブの特性と研究の結果、太陽光発電素子や超伝導電線への応用もそこそこ簡単である。

太陽光発電は、全高1000メイルに達しようかという巨大な樹のようなもの――名称〈偽・ユグドラシル〉によって行われる。
〈偽・ユグドラシル〉はその高さに合った巨大な幹と、大きく広がる枝、そしてそこから無数に葉のように繁る羽毛型の発電用カーボンナノチューブによって構成される。
余さず光を吸収して、熱エネルギーのロスを発生させずに全て電気エネルギーに変換するため、その羽毛のような発電素子は漆黒の色合いだが過熱することはなく、ヒートアイランド現象を起こしたりなどの周辺への影響は抑えられている。
地下は巨体を支える根が広がっており、根から伸びる超伝導状態の〈黒糸〉を通じて各地の地底都市に電力を供給している。
〈偽・ユグドラシル〉は世界各地の砂漠地帯や山頂などの不毛地帯、あるいは大洋の真ん中などに千数百本は建造しており、世界中の地底都市のエネルギーを補って余りある量のエネルギーを生産している。
さらに〈偽・ユグドラシル〉の生えている場所が沙漠ならば、それによって生じる日陰と湿気の滞留を利用して沙漠の緑化を行ったりしている。

地下都市と〈偽・ユグドラシル〉の組み合わせなら、月や他の惑星にも生息圏を広げられるかも知れないということで、この二つを組み合わせたテラフォーミングの研究もさせている。
現在進行中のプロジェクトはこれの第一段階として〈ゲートの鏡〉を双子月に運び込むというものだ。
その後は運び込んだ〈ゲートの鏡〉を通じて〈黒糸〉を月に伸展させるという計画だ。

現在のゴブリンメイジの集落の運営には電気エネルギーと共に〈黒糸〉経由の風石の魔力に頼っている。
他の星をテラフォーミングする際にも風石や水精霊の涙は欠かせないだろう。
研究の結果、水精霊の涙は光と水と栄養があれば、植物の生産物として蜜のように作れるようになったが風石はそうはいかない。
だが、欲を言えば風石も水精霊の涙も太陽光発電した電力から直接工業的に作成出来るようになりたいものだ。
太陽光発電では昼夜で出力にムラが出来るし、それを均一化したり蓄積しておくためのギミックとしても電力を精霊石へ変換するのは有効だろう。

その為に、風石の構造や地下での自然発生機構についてや、水精霊の涙を溜め込む植物のその生成機構について研究を行っている。
また、エルフが操る先住魔法による精霊力の結晶の作り方をエルフから『読心』の魔法で読み取ったり、電子を『錬金』する魔道具を作ってその回路の逆転によって電流を魔力に変換出来ないかといった研究を行っている。

それらと並行して赤道直下の〈偽・ユグドラシル〉の頂点から『レビテーション』で重量を誤魔化しながらアンカーを飛ばして徐々に〈黒糸〉を上空に伸ばして軌道エレベータの足がかりにするという実験も行っている。
当然、ロケットによる宇宙進出の実験も行っており、様々な面から月や静止衛星軌道への進出が図られている。

地上を〈黒糸〉が埋め尽くしてしまったために、ゴブリン達の奥底に刻みつけられた病的なまでの知的好奇心はその出口を宇宙に求めたのだ。
当然のことながら、〈黒糸〉や人面樹に日々蓄積される情報をもとに行うべき各種の研究も充分以上にボリュームはあるのだが、ゴブリンたちの知的好奇心はそれを凌駕する。
目の前に研究対象が有り、研究手段がある程度見えている状態で立ち止まることを好しとしないのだ。
当然、その刻まれた知的好奇心の大元で有る俺が、その宇宙進出を止めるわけも無い。いいぞ、もっとやれ!って感じだ。



宇宙の始まりとは何か?

この宇宙の始まりに魔法は存在したのか?

それを知る手がかりは、このハルケギニア星だけでは得られない。

他の惑星を調査し、他の恒星系を観測し、遙か宇宙の深淵を覗き、遠宇宙より飛来するものを捕え、銀の鍵の門を抜けて過去と未来を解剖し、アザトースに伏して許しを請いてその原初の混沌の知識を掠め取り、ウボ=サスラから生命の根源の秘技を得なくてはならない。

その為に、物理的な手法だけではなくて、もっと悍ましい秘術を用いなくてはならないだろう。

全てを知るために!

混沌を混沌ではなくするために!


いぐないい!
   いぐなあいい! 
      いああ!

   や、や、や、やはあはああはああ

 いあ!  いあ!

      えやああ、んぐあああ、んぐあああ!


……っ。いかんいかん、何か混線したぞ。フルートの音……が?
あれ、ハルケギニアにフルートってあるんだっけか。

まあ、前世の世界ような物理的な手法だけではなく、魔法的な観点からも世界の根源に迫る必要があるということだな、うん。
……うん?ああ、俺のログには何も残っていないから気にするな。
興奮しすぎて軽く一時的な狂気に陥っただけだ。多分そうだ。きっとそうだ。


そう言えば、こういった狂った意志のみを隔離して集めている人面樹の一群があったはずだな。
案外、そこには宇宙の真理なんかが転がっているものなのかも知れない。
まあ覗いた途端に発狂するようでは使い道も何もないが、何時か使えるかも知れないということで保存してあるんだった。
人面樹が勝手に呪言を吐いて外なる神とか旧支配者とか召喚しないようにはしてあるが、何時暴発するとも知れない危険物でもあるんだよなあ。

ううむ、かといってそういった狂気の掃き溜めが無いと人面樹群を健全に保てないし。
ああ、その狂気の人面樹群を管理しているのは〈レゴソフィア〉氏族のとある分家系統なんだが、そいつらについてもケアしないとな。
待遇に不満を持ってその発狂知識を悪用されてはかなわん。
人面樹ネットワークが狂気に汚染されるくらいならまだしも、万一強力な神性の召喚に成功した暁には惑星が物理的に消滅するからな。

まあ、狂気の人面樹の管理については、その一族に宗教的な権威付けを行っておけばマシになるかな。
実際、アトラク=ナクアに一番近づくことができる位置であるのに間違いないし、正気を保って管理を続けるには並大抵の精神力では足りないし、それが出来る彼らは相応に讃えられるべきなんだよな。

あー、でもやっぱり彼らが暴走したときの対抗策(カウンタープラン)が必要になるよなあ。
その為には、彼らが悪用しそうな狂気的知識の中から危ないものを抽出して分析して、それぞれに事前に対策を講じるしか無いわけで。
今管理をしている氏族には管理だけでなくて研究も行わせることにしよう。
クトーニアンの協力も仰ぎたいし、他の先住種族の知識も手に入れる必要があるな。

……どう考えても発狂知識の発生・獲得と解析・対策はイタチごっこになるが、仕方あるまい。
これも真理に近づくために必要な手段なのだと割り切ろう。

しかしこれで死亡フラグ?ラスボスフラグは幾つ目だろうか。5つ目?

ゴブリンたちの反乱に気を配り、惑星規模コンピュータの〈〈黒糸〉管制人格・零号〉の暴走が起こらないように安全装置を掛け、復活して増殖の兆しを見せるクトーニアンたちにはご機嫌取りを行い、巨大なドラゴン=クトーニアンキメラ“イリス”を調教し、此処に至って狂った人面樹が暴走召喚しないように研究を行わせる……。

発端は俺にあるとは言え、すでにそれぞれの事態は俺の掌中には収まらない規模に成っている。
……まあ、それはそれでマッドサイエンティストっぽくて良いな。
後先考えずに作ったモノたちが原因で破滅するのは狂科学者の華だ。

無論、恐れていた事態が起こったときに

「こんなこともあろうかと!」

というセリフを吐いて事態を解決するのにも憧れるがな。

==========================================
メイリーンは13歳と半年。ロベールは5歳半。
ロベールにプレゼントしたイリスは全長5メートルほど。普通にロベールを乗せて飛べる。

途中の呪文ぽいあれは月に吼えるモノの吠声。
ニャル様曰く、この程度をレジストできない存在が、混沌を解剖するなどほざくとは、ナメるのもいい加減にしろとのことです。



[20306]   外伝3.『聖地下都市・シャンリット』探訪記 ~『取り残された人面樹』の噂~ (最新投稿)
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/08/08 18:12
はあ、全く何で私がこんな事しなきゃいけないのかしら。
地下都市の探訪記なんて別に私じゃなくても良いじゃない。

……仕事だから、なのよね。

さっさと終わらせて、ラボで育ててる蟲の観察記録付けなきゃいけないのに。
ちょうど今日明日が幼生体が卵から孵る頃なのよね。
同僚に任せてきちゃったけど、自分で見たかったなあ。

ホントあの、糞上司。
こんな仕事振りやがってからに。

そりゃあ、最近他の地下都市も増えてきて、そこから一生出ない人達も多いから、『聖地下都市・シャンリット』の記事は需要あるのは分かるけどさ。
何で私なのよ、何で。
何か原因があるのかしら?

……思い当たる節は……。
…………うーん。

あ! これか! この記憶の所為か。

私にダウンロードされた記憶の中に、昔に各開拓地の紀行文書いて有名になった人の分があるからか。納得。
なら仕方が無いわね。
私らの仕事は基本的に適材適所だ。
多分私以上の適任が同僚の中には居なかったんでしょうし。

じゃあ、この私、コレット・サンクヮム・レゴソフィアがずずずいッと『聖地下都市・シャンリット』の魅力をお伝えしちゃおうじゃないの!






 蜘蛛の糸の繋がる先は 外伝3.『聖地下都市・シャンリット』探訪記 ~『取り残された人面樹』の噂~
 





この『聖地下都市・シャンリット』は一番初めに建造された地下都市だ。
今でこそ100に迫る数の地下都市が惑星各地に建造されているが、その走りとなったのがここシャンリット。

そのため、他の都市にはない実験的な施設も多くある、らしい。
それもこの街に数多くある都市伝説の一つでしか無いから、真偽は定かではないが。

他の地下都市で育った連中に言わせると、都市計画が未熟だった所為か、シャンリットは雑然としている感があるとか。

(まあ、確かに雑然としてると言えばそうかもね~)

今歩いている神殿前の大通りなんて、その最たるものだろう。
幅60メイルは確保されている大通りは、騎乗用の様々なタイプのガーゴイルが所狭しと行き交い、脇には聖地に巡礼に来る人達目当ての出店がいつも並んでいる。
他の都市ならもっときっちり整理されているらしい。

私はこの聖地下都市の生まれで、ここから出たことはないから他の都市のことは直接は知らないが。
まあ、前世の記憶から鑑みるに、地上のトリステインとかよりは余程マシだとは思うんだけど。

(それよりも、先ずは腹拵えかしら)

朝食まだなのよね~。
さっきから出店からいい匂いしてるし~。

わ、何なに? オジサン、この魚、何? 深海魚?
へー、マーマンと取引始めたんだ。地底都市で海水魚なんか見ないからびっくりしちゃったよ。
あ、でも生活史の解明で、生簀で卵から成魚まで養殖できるようになったんだっけ?
あー、養殖ものは脂が乗り過ぎててマズイって?
あれは改良の余地有りだよね~って話をソコの研究者にしたらさ、次のバージョンでは遺伝子操作でムキムキの魚になってたよ。
そう、もう凄いムキムキなの。このまま地上制圧しちゃうんじゃないかってくらい。空も泳げるらしいよー。餌に風石混ぜたら浮き袋に蓄積されたとか言ってた。
あはは、魚群が空飛んでるのは一見の価値有りだよ~。ホント笑える! オジサンも一回見るべきだよ!
じゃあ、この深海魚っぽいのの一夜干の炙りを頂戴! ん、じゃあこれ代金ね~。

「じー」

おお、オバサン、それは新作品種だね!?
え、試食して良いの? じゃあ、頂きま~す。
……ん~! あま~い! 何これすっごく甘い。これってこんなに甘いもんだっけ?
へえ、甘み特化の品種なんだ。朝のお供に丁度良いね! 糖分無いと頭働かないもんね。
やだ、オバサン、いつもそればっかり。そんなお世辞言ってもダメだよ~。大体、顔なんて皆同じじゃん。
え、この髪飾り? 分かっちゃう? やっぱり分かっちゃう? これ新作なのよ! 可愛いでしょう? 可愛いだけじゃ無くてすっごい新機能が付いてるんだから!
……もう、そんなお世辞言ってもだめだよぅ……。あー! 分かった分かった! そこまで言われちゃしょうがない! これ幾ら!? ハイ、代金ね!
もう、周りの人もそんなに笑わないでよぅ。

「じー」

あー、オニイサン待って待って、それ最後の一個?
よかったー。コレ好きなんだ。残ってて良かった。
うん? この髪飾り? えへへ、良いでしょー。 ありがとう、私のワインレッドの赤毛にこの黒がよく映えるでしょ?
あ、触っちゃダメだよ? これ第二技研製だから噛み付くかも。未だ馴れてないし。
いつも頭撫でようとするからねー、オニイサン。手を引いて正解。危ないところだったよ?
ふふふ、じゃあこれ頂戴ね。え、割引してくれるの? いつもありがとう!

「じー」

さて、じゃあ適当な場所で食べようかな~。

「じー」

えーと、ああ、そこに丁度、2席空いてるな。
オネエサン! ここのカフェって持ち込みOKだったよね? ちゃんとドリンクは頼むから!
ありがとう! じゃあ、血のように赤いジュースを2つ!

「じー」

じゃあ、そこでさっきから見てる君も一緒に来な?

「じー……。え、良いの?」

「良いよ。ほらこっち。ジュースもあげよう」

「て言うか気づいてたんだ」

「まあ、アレだけ熱視線送られてたらね~。
 で、お嬢ちゃんはどうしたのさ。こんな朝から一人で」

ゴブリンばかりが暮らすこの地下都市は、地上の人間の街と比べると総じてサイズが小さい。
まあ、ゴブリンの平均身長が120サント前後なのだから当然だが。
そんな中でも、さっきから物陰からこっちを見つめていた娘はさらに小さい。

質素な服に、褐色の肌。
大きな黒目に、目立つ色の明るい緑色の髪。萌木のような若々しい生命力を感じさせるその色は、彼女にとても似合っているように思える。
肩口までの緑の髪を揺らして、こちらの席に招かれるままに近づいてくる。

んー。ホントに小っこいな、この娘。
子供ってことなのかな。珍しい。
私たちの子供時代なんて『活性』の魔法で速成されるから無いはずなのに。

「えっと、まあ、さ、散歩?」

「なんで疑問形なのよ。
 まあ、良いか。ほら、一緒に食べよう? 美味しいよ?」

「あ、ありがとう」

「良いって良いって。あそこのオバサンに乗せられて買い過ぎちゃったし」

目の前に座った緑髪の娘に出店で買った果物やパンを勧める。
そこに給仕のオネエサンがジュースを持ってくる。私の髪色と同じような真っ赤なジュースだ。

「お、お姉ちゃん、凄い色だね、それ」

「でしょ? でも美味しいんだよ? あげるから飲んでみて」

この色で敬遠する人が多いらしいが、美味いんだこれが。
香りはフルーティ。最初は甘い味、ドロリとした喉越し、爽やかな後味。その上、腹持ちも良いし。

「あ、ホントだ。意外とイケルね」

「でしょう?
 あ、じゃあそろそろ自己紹介しとこうか。
 私はコレット・サンクヮム・レゴソフィア。しがない研究員さ。
 今日は聖地下都市の取材で朝から外回りするハメになっちゃった」

「え、レゴソフィア!? 確かに、その腕の刺青は……。
 しかも第五家系!? 一桁台なんて超エリートじゃない!」

「いやいや、いつの話よ。
 記憶のダウンロードが一般化する前でしょ、それ」

そりゃあ、昔は記憶の共有化はレゴソフィアの家系の専売特許だったけど。
特に第一から第九までの九の家系は他の家系からの情報を集約する地位にあるから、まあエリートと言えばそうだけど。
今は記憶共有が一般化されてるから、そこまで昔ほどには特別ってわけでもないのよね。そんな事、基礎記憶の植え付けを受けてたら常識なのに。

「ひょっとして……」

基礎記憶移植を受けてない?、と問おうとしたところを遮って彼女は息急き込んで自己紹介をする。

「あ、コレットお姉ちゃん! 
 私はニーナ! ニーナって言うの、宜しくね」

「うん、ニーナちゃん。宜しく」

ニーナちゃんは一度俯いて、唇を噛みしめると、顔を上げて決然とした表情でこちらを見つめてくる。
その気迫に思わず気圧されそうになる。

「あのね、お姉ちゃん、取材の後でいいから、また会えないかな?
 お姉ちゃんをレゴソフィアの人だと見込んでお願いがあるんだ」

「……んー、良いよ。じゃあ、昼過ぎにでもまたココで落ち合おうか?」

あまり良い予感はしないけど。でも、なんか切羽詰って見えるし、見捨ててはおけないよね。






ニーナちゃんと別れたあとは大通りを進み、予定通りアトラク=ナクア様を祀る神殿を取材する。

(ニーナちゃんの話は気になるけど、先ずは取材だね)

見慣れていても気圧される程の威容を誇る玄武岩質で出来たアトラナート神殿も、今はそれほどの感動を与えてくれない。
ニーナちゃんのあの様子が、どうしても気にかかる。
私の中の記憶達がざわざわと警鐘を送って来ている。
彼女のあの様子は、覚えがある。
『前世達』の死に際の中に、あの張り詰めたような、それでいて陰のある雰囲気の覚えがある。

どう仕様も無い何かに対峙した際の、諦めを含んだ、しかし生を諦めきれないあの矛盾した混沌としたどっちにも進めない張り詰めた感情は――。

「コレットさん?」

「ハイッ!?」

神官の方に声を掛けられ、我に返る。

「大丈夫ですか?」

温かみを感じさせる表情で、心配気に神官さんがこちらを見ている。
取材中にボーっとするなんて、なんて失態!

「ええ、ダイジョウブですッ!! 全く、全然、問題なしです!」

「それなら良いのですが。何か悩みがあるのでしたら、大神殿は何時でも相談に乗りますよ?」

「はいッ! その際は是非に! 今日はお時間を割いて頂き有難うございました!」

「いえ、こちらこそ。では、いい記事を期待してますよ? あなたに蜘蛛神様の御加護がありますように」

「はい、ご期待に添えるよう頑張ります! 蜘蛛神様の加護を」

ああ、もう、穴があったら入りたい。

~~っ! 懸案事項があるからいけないんだ! さっさとニーナちゃんに会って解決しよう!
そうじゃないと、このままじゃ全く何も手につかない。

急ごう!





ニーナちゃんは朝に会ったカフェテラスの前で待っていた。
私はウェイトレスのオネエサンに軽い食事と朝と同じジュースを二人分頼み、案内された席に着いた。
私が早く出てきたために、お昼時には未だ早く、込み具合もそれ程でなく、席はまばらにしか埋まっていない。
ウェイトレスのオネエサンも若干暇そうだ。

「早かったね、コレットお姉ちゃん」

「ニーナちゃんこそ、よく待ってたね」

居なかったら捜し回るつもりだったんだけど。

「他にする事も無いから……。ご飯食べたら、私に付いて来てくれる? 見せたいものがあるの」

運ばれてきたご飯を掻き込みながら、ニーナちゃんの話を聞く。
腹が減っては戦はできぬと言うし。
おお、この新メニューの深海魚丼は中々イケルね。

あれ、ニーナちゃんは食べてないな。ジュースは飲んでるけど。魚苦手なのかな?

「〈レゴソフィア〉氏族って、人面樹についてのエキスパートなんだよね?」

「……もぐもぐ。そうだよ。見せたいものってのは、人面樹についてなの?」

「……うん。
 お姉ちゃんは、『取り残された人面樹』って話、知ってる?」

「えっと、確か都市伝説にそんなのがあった気がする。でも詳しくは知らない」

「この聖地下都市の開発中に、事故で区画ごと取り残された人面樹の一群があるって話だよ。
 ずっとメンテナンスされてないから、夜な夜な呻き声が聞こえるって言う」

「そうなんだ」

うーん、でも有り得ないと思うんだよね。
〈レゴソフィア〉氏族が知識の宝庫である人面樹をそのままにしておくなんて、考えられない。
特にそんな事故があったんなら、事故の犠牲者とかをその人面樹が喰ってる可能性もあるから、最優先で回収されるはずなんだけど。

でも、もしそんな取り残された人面樹があるって言うなら、回収されない事情があったってことかな?

「で、そんな話をするってことは、ニーナちゃんはその噂の人面樹の場所を知ってるとか?」

「……うん」

これはこれで、気になるけど。
でも、これ自体はそんなに鬼気迫る表情で言うようなネタでもないような気もする。

「ホントにそれだけ? 『取り残された人面樹』をどうにかして欲しいってことかしら?」

「――! お姉ちゃんも信じてくれないの?」

あ、ヤバイ、ニーナちゃん泣きそう。
というか、こんな初々しい子供らしい反応するゴブリンなんか初めてだ。
新鮮というか、不思議な感じというか。

……じゃなくて、泣かれたら困る!

「いやいや、ちゃんと着いて行ってあげるよ! 信じてるって!」

「本当に?」

「おうよ、このコレットさんに任せなさい。
 ずずずいッと、余す所無く完膚なきまでに解決して差し上げるから!」

どんと来いってもんだよ!

「ありがとう!」

おおう、花咲くような笑顔ってこう言うのを言うんだね。
ホント、ゴブリンらしくない反応だね。
都市伝説の人面樹よりも、この娘の方が不思議だよ。

「じゃあ早く行こう! 直ぐ行こう!」

「待って待って、ご飯食べ終わってない! というかお勘定しないと!
 ああ、まってよ、ニーナちゃん!
 オネエサン! お会計お願い! はい、これ代金!」

「お姉ちゃん、早くー!」

おおう、いつの間にか店の外の大通りのあんな遠くに。足速いねえ。
〈レゴソフィア〉氏族は代々貧弱だから、あんな健脚に付いて行けるか心配だよ。

「分かった、でも待って! 私そんなに速く走れない!」

ああ、路地裏に入られると見失う! 待って待って待って~。







「ねえ、ニーナちゃん。その『取り残された人面樹』ってココにあるの……?」

ニーナちゃんに付いて、路地裏を掛けて地底都市の壁際までやって来た私を待っていたのは、ポッカリと口を開いた横穴だった。
不気味過ぎる。先が見えない。
というか本当に呻き声が聞こえてきてる。うわあ、ホントに人面樹ありそうな雰囲気。

「うん。ココの先にあるんだよ」

『ライト』で明かりを確保して、洞窟の中を歩きながら、ニーナちゃんと話を続ける。
うわ、なんかネバネバしたの踏んづけた!
なんだこれ、なんだこれ。

ひうッ! 今度は何か垂れてきた!

「私の家、この横穴の近くにあるんだけど、毎晩うるさくて」

いや、ホントにそれだけ?
なんか、さ、朝の深刻さはそんな、夜うるさくて眠れません、みたいな寝不足に由来するような話じゃない感じだったよね?

「それで、お父さんとお母さんが、その原因をどうにかするために洞窟に行ったんだけど、戻ってこないの」

……? 

「きっと、あいつに食べられちゃったの!
 コレットお姉ちゃん! お願い! お父さんとお母さんの仇を取って!」

仇?
いや、その前に。

「いや、いや。不思議な単語が聞こえたよ?
 『お父さん』? 『お母さん』?
 私たちの父にして母は、キメラバロメッツの母樹じゃない……?」

「それは……、ッ!?
 お姉ちゃん、急がなきゃ!! あいつが来る。早く行こう!」

来るって何!? 何が来るの!?

あああああ、何か洞窟の奥から叫び声が聞こえてくる!?
――いや、これは詠唱!?

あ、ニーナちゃん! 待って!
何か分かんないけど、マズイって!
これは絶対、私一人でどうにか出来るものじゃないよぅ!?






洞窟の奥から聞こえてくる呻き声は、いつの間にか特殊な調子を持った韻律に変わっていた。

「――■■■■■■■■、――■■――――」

  「■■■■■■――、――。――――■■■■■――」
     
         「■■――■■■、――■■■■――■■■■■■!」

叫び声の元に走っていったニーナちゃんを追いかけていった私が目にしたのは、人面樹に鈴生りになったゴブリンたちの首。
虚ろな目をした首の数々が、私とニーナちゃんの足音に気付き、ぎょろりとこちらに目を向ける!

「――っ」

「お父さん! お母さん!」

こちらを見つめる、眼、眼、眼。
半開きの口からは、忌まわしい呪言が漏れ聞こえる。

地下都市の天蓋の人工光も入らないこの洞穴の奥の一室で、どれだけの時を過ごしてきたのだろう。
すっかり枯れ果てた葉。
骨のように白くなった枝。

低い天井に遮られて、枝々は折れ曲がり、複雑に絡み合っている。
その複雑な骨細工のような枝の至る所に、ゴブリンの頭部が晒されている。

その中に、自分の父と母だというゴブリンの顔を見つけてしまったのだろう。
ニーナちゃんの絶望に染まった叫び声が聞こえる。

だが、それよりも私の感覚を、『前世』の記憶を引きつけるモノがある。
生首達の詠唱に伴って、大きく開けられた人面樹の幹の虚から溢れ出しつつある、
 あの原形質の、
  不定形の濁りきった黒色の塊!

「■■■■■■■■――!!!!」

人面樹の幹から溢れ出し、枝々にその不定形の身体から形作った触手を巻きつけ、引き摺るようにして全身を表したソレは、口らしきものを開けて咆哮した!


だがここで怯んではいけない!

相変わらず、生首達は詠唱を続けている。
ドブの底のヘドロよりもなお嫌悪感を掻き立てる塊の咆哮に負けじと、詠唱の音量が上がる。

その十重二十重に重なり、反響する恐ろしい詠唱に、思わず本能的に耳を塞ぐ。

(――っ! 詠唱を、止めないと)

あの一匹だけでも手に余るというのに、これ以上喚び出されては堪らない。

(枝を切り落とさないと!)

これが魔法特化の〈ルイン〉氏族なら、この洞窟ごと埋めることも焼き払うことも出来るだろう。
〈ウェッブ〉氏族でも、〈黒糸〉経由で風石の力を使ったり、この場から〈黒糸〉を伸ばして他に連絡することもできるだろう。
〈バオー〉氏族でも、その身体能力で逃げることくらいは出来るだろう。

だが、私は〈レゴソフィア〉氏族。人面樹との同調と、情報処理に特化した氏族だ。魔法も、体力も平均以下でしか無い。
でも、今は。

(それでも充分だ!)

無理矢理に自分を奮い立たせる。

(人面樹の剪定なんてお手の物だ!)

腕に魔道具にルーンを刻む技術の応用で入れられた『エアカッター』の刺青に魔力を流す。
氏族の職業柄から慣れ親しんだ動作は、この物理的な圧力さえ感じるような緊張下でもスムーズに成すべきコトを成してくれた。

無詠唱で形成された風の刃が撒き散らされる。

(当たれ、当たれ、当たれ――!)

目に見える範囲全ての生首の首元に、風の刃を誘導する。
一発で切れなければ、二発! それでもダメなら三発! いや、切れるまで何度でも叩き込む!
枝ごと切り落としても、一日くらいは生首は意識を保つ。だから、その首の根元を切って、生首に“死を自覚させて”黙らせる!
よく分からないが、ニーナちゃんの両親も混ざってるみたいだし、出来るだけ頭には傷つけたくないが、イザとなったら真っ二つにしてでも黙らせないと――!


「――――■■■■――、■■■■――――!」


その間にも無形のドロドロした生き物は、低い唸り声を上げながらこちらに向かってくる。
あああああ、詠唱止めてもこっちをどうにかしないといけないんだった!

残りの生首で詠唱続けてるのは!? ――あと2つ!!

(『エアカッター』!! 『エアカッター』!! ああ、もうさっさと死に直せ!!)

よし、最後の生首の一つが沈黙して――っ!


黒い塊から伸びた、フレイル(刺鉄球付き鎖)を思わせる化物の触手が、

「お姉ちゃん、危ない!!」

私を打ち据えようとした瞬間に、

「え、ニーナちゃn……ぐふぅっ!」

急加速してきたニーナちゃんの小柄な身体が、私を突き飛ばした。


私は横に弾かれるように飛ばされて、人面樹の枯れ枝に突っ込む。
枯れ枝をへし折りながら転がって痛む身体を、無理矢理に引き上げる。

(ぐあっ。出鱈目な加速……っ。あの娘って〈バオー〉か何かかしら。いやソレよりもニーナちゃん!!)

私はさっきまで自分が立っていた所に急いで目を向ける。
ああ、急加速で血が偏ってる。視界が暗い。

(ニーナちゃんは――!?)

そこにあったのは、口から赤い液体を滴らせてピクリとも動かないニーナちゃんの身体。
あの触手に吹き飛ばされて、私と同じように人面樹の枝に突っ込んだのだろうか。外傷はないようだけど、内臓は無事じゃないかも知れない。

あの娘の笑顔が思い出される。純真な笑顔。『前世』持ちでは中々出来ない、澄み切った笑顔。
萌黄色の髪の毛を揺らして笑った彼女は、もう――。

「あああああああああああっ!!!」

大丈夫。大丈夫。未だ間に合う。
目の前の大きな黒いヘドロの塊をぶちのめしてやれば良い。
何、簡単だ。頑張れ、コレット。ここでやらなきゃ何時やるんだ。

とは言え、残りの魔力で使える魔法なんて……。



いや、ある! 賭けになるが、あるぞ!

「『五つの力を司るペンタゴン』!」

まだ家業を継ぐ気は無かったし、こんな所で詠唱するハメになるとは思わなかったけど。

「『我が呼びかけに応え』!」

痛む体を引き摺って、化物の触手のムチをなんとか避ける。
だが、奴の攻撃手段は触手だけではない。
その巨体、5メイルに及ぼうかというその身体自体が武器。

「『我が運命に従いし使い魔を』!」

巨体が迫るプレッシャーで足が縺れ、ムチを避けるステップが止まる。
ムチの重い一撃が、左肩をかする。かすっただけで、私の身体は為す術も無く転がされる。
触手が私の頭に伸びて、ヌメヌメしたもので包まれて、持ち上げられる。

(息が、詠唱が出来ないっ……!)

奴は大きく口を開けて、このまま私を口に放り込んで喰らおうとしているのだろう。

(マズイ、マズイ、マズイ。何か、どうにか……)

その時、私の髪飾りが勢い良く広がって、原形質の触手を吹き飛ばす。

(流石、第二技研! 『対なでぽ用バレッタ』いい仕事してる!)

普段は折り畳まれている肢が勢い良く広がることで、頭部に近づく危険な誘惑を払い除けてシャットアウトする半生物髪飾り〈スパイダーラフレシア〉、俗称『対なでぽ用バレッタ』。
分泌される保湿液の性能目当てで買って、こっちはネタ機能だと思ってたけど、嘗めてたわ。
見直したわ、第二技研。

これで――!!

「『召喚せよ』!!!」

いい具合に、化物は目の前。
その目の前に、召喚の銀鏡が現れる。

私がイメージしたのは、人面樹。
この場に取り残された、白骨を思わせる人面樹。

狙い通りにそれは召喚され――。


「■■■■■■■■――!!!!」


目の前の化物を貫いた!







人面樹の複雑に絡んだ枝は、貫いた化物を絡み取って動きを封じている。

その間に覚束ない足取りで、ニーナちゃんの元に向かう。

「う……。ニーナちゃん……、大丈夫……?」

やはり動かない。口元からも血が……? 

……血にしては、なんか甘酸っぱい匂いのような。


「まさか、これって血じゃなくて……ジュース?」


おおう、そうなのか。昼のジュースか……。

息もあるみたいだし、良かった。
いやでも、内蔵とか破裂してるかも知れないし、早く治療を受けさせないと。

その前に、精神力を回復させたいけど……、そんな時間も無いなあ。

仕方ない。

担がせて行くか。


私は、召喚した人面樹と記憶をリンクさせ、低い声で詠唱を始める。

「――■■■■■■■■、――■■――――■■■■■■――、――。――――■■■■■――。■■――■■■、――■■■■――■■■■■■!」

初めて聞いた時には嫌悪感しか齎さなかったそれは、今は不思議と私の精神に馴染むように聞こえる。
ハルケギニアの系統魔法とは異なる力を源にするそれは、精神力を使い果たした今の私でも使えるはずだ。

この詠唱を聞いて、後ろで人面樹の枝から逃れようともがいていた粘性体の化物はビクリと動きを止めた。

どろどろと溶けて、滴るように人面樹の拘束から逃れると、地面に広がったまま逃げ水のように動いてこちらに近づき、立ち上がり形を成した。

今唱えたのは、“従属”の呪文。
この『聖地下都市・シャンリット』のさらに奥底の暗黒の地にて、怠惰なツァトゥグアに仕える、“落とし子”を使役する呪文だ。

適当に大きな人型を取らせたツァトゥグアの落とし子に、ニーナちゃんと私の使い魔になった人面樹を運ばせる。

やれやれ、聖都の取材の筈が、とんだ貧乏くじを引かされるハメになった。
この取材を押し付けた上司には、何か高級料理でも奢ってもらわなきゃ割りに合わない。

あ、そうだ、私も“落とし子”に運んでもらおう。もう動けないよ……。







人面樹に納められた記憶によると、聖地下都市の開拓中にヴーアミという、かつてハルケギニアに暮らしていたトロールの先祖に当たる生き物の秘匿された集落にぶち当たったらしい。
開拓隊が岩盤中に隔離されるキッカケとなった事故というは、実はこのヴーアミの襲撃だったらしい。

そこで、ヴーアミの襲撃で孤立して閉じ込められたゴブリンたちは、獅子奮迅の活躍で、ヴーアミたちを討ち取ったものの、自分たちもほぼ壊滅してしまったらしい。
最後には人面樹とそのマスターの〈レゴソフィア〉氏族だけが残されてしまった。
その彼も息も絶え絶えの状態で、周囲の死体を掻き集めて人面樹に捧げた時点で事切れてしまい、最後の死体と一緒に人面樹の虚に転落。

最期まで記憶の蒐集を行なおうとするその姿勢、このコレット・サンクヮム・レゴソフィア、感服致しました。
同じ〈レゴソフィア〉氏族の一員として、誇りに思います。


でも、食わせたヴーアミの中に、“落とし子”の召喚と従属の呪文を知っていた奴が居た事から、今回の『取り残された人面樹』事件に発展。
光の無い地下に閉じ込められた人面樹は枯れないために、“ツァトゥグアの落とし子”を召喚して横穴を掘らせ、さらに近づいて来たゴブリンたちを襲わせては人面樹自身の虚まで運ばせていたようだ。

ニーナちゃんの父母というゴブリンも、そうやって“落とし子”に殺されて、人面樹に吸収されたようだ。

「うむ、報告書は大体こんな内容で良いかな」

しかし、私の使い魔になったあの人面樹……。回収されずに放ったらかしにされてたのは何でなんだろう?

「コレットお姉ちゃん、紅茶淹れましたよー。休憩にしましょう」

「あ、ニーナちゃん、ありがとう! 丁度一段落ついた所だよ」

実はあの騒動の後、ニーナちゃんは私が引き取ることになった。人面樹に取り込まれたニーナちゃんの父母からも直々に頼まれたし。

ニーナちゃんだが、実はバロメッツ経由で生まれたのではなく、とても珍しいことに普通の方法で妊娠して生まれてきたゴブリンらしい。
まあ、そりゃあ生物学上は私たちゴブリンにも生殖機能は残っているし、危険は伴うものの妊娠出産は可能だ。

そういった生まれだから、バロメッツ生まれが持っている筈の基礎記憶を持っていないのも当然だと言えよう。
彼女のゴブリンらしからぬ純真さも、その生まれによるものだろう。ご両親の教育がよっぽど良かったのだと思われる。

「うん、ニーナちゃんが淹れる紅茶は美味しいなあ」

「えへへ、ありがとう! お姉ちゃん!」

ご両親から任されたとは言え、やっぱり父母とは一緒に暮らした方が良いとは思うので、これからは〈レゴソフィア〉本家に掛け合って、なんとかご両親の人格記憶を完全な形で引き継いだゴブリンを復活させようと思っている。
この娘の純真さは、ゴブリン社会の中で非常に貴重だから、ずっと守っていきたいものだと、そう思う。





コレットです。

本家に報告に行ったら、封印指定の発狂知識担当部署に回されました。

先が見えないよぉ……。どうしてこうなったのよぉ。

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ネタが思い浮かんだので突発的に。



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 14.地球の重力に引かれるほど俺の魂は重くない……はず
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/31 00:54
久方ぶりのウード・ド・シャンリットだ。23歳である。

5年経ち、婚約者のヴェラ・ド・クルーズは16歳、風のラインメイジとなった。
今年中には結婚式を挙げる予定である。
そして、ヴェラとの結婚をもって父上は家督を俺に継がせるそうだ。何でも、早く隠居したいとのこと。

俺もこの5年、領地を継ぐための見習い期間として父上の補佐として領地経営に手を出していた。というか、無理やり手伝わされた。
研究報告を見るのに割く時間が減って悲しいが、父母にはこの世界に産み落としてもらったという恩もあるし、仕方ない。

家督を継いだら領地経営は譜代の家臣とか政治・経営の先天知識に特化したゴブリンにでも任せよう。最低限の方針決定と監視はするが。
俺の中の現代知識は精神系の水魔法で人面樹に伝えてあるし、〈黒糸〉の自己進化や人面樹の知識蓄積とそれらの組み換えによるブレイクスルーの積み重ねもあり、バロメッツ×人面樹キメラからは俺よりも優れた知識経験を先天的に持ち合わせたゴブリンを量産出来る。
そいつらなら俺がやるより堅実な領地経営をやってくれるだろう。
俺も一応はゴブリン社会の中で、かなり大きな研究所の人間社会研究部門を任せられている身だし、そこから適当に人員を工面することは出来るだろう。
ゴブリン社会の中での今の俺の立場は、企業に例えるなら引退して会長になった創業者といった所だろうか。引退後の道楽ということで少々の権限を与えられている。

妹のメイリーンは17歳で学院の2年生だ。もしヴェラが入学していればメイリーンの一年後輩になっていた。
メイリーンは俺と離れるのは嫌ということで入学を渋っていたが、両親があまりに俺にべったりな妹を危惧して学院に入学させた。
婚約相手はメイリーンの一つ上で現在魔法学院の3年生だ。きっと学院で宜しくやっていることだろう。
両親もメイリーンと婚約者の仲が進展するようにという意図で学院に入れたそうだ。

そういえば、アトラナート商会学院支部の従業員ゴブリンから二人についての報告が来ていたはず。
……あ、これだ。何々……。

『中庭で頻繁に手合わせしているのを見かけます。戦績はお嬢様が9割勝ち。大体、婿殿がフルボッコにされている模様。
 その後お嬢様手ずから『治癒』を施し、手を繋いで(恋愛的意味と外科的意味で)食堂へ良くことが多いです。
 お嬢様の手に負えない負傷(深度3以上の火傷など)を負った場合は商会の〈黒糸〉遣いの所へ連れてこられます。
 最近、こちらに駆け込まれる頻度が週に1回から3日に1回になって来ました。』
 
……婚約者君、大丈夫かなあ。死なないよなあ。というかわが妹は愛想つかされたりしないよな。多分照れ隠しでついついやり過ぎてるダケなんだろうけど。
いや、愛想を尽かすかどうかは分からないが、彼の領地にもアトラナート商会は結構資本を投下してるからどの道今更婚約破棄も出来ないんだよな。
婚約破棄になったらウチから投資した分が彼の家の借款になるし。……南無。

商会の“〈黒糸〉遣い”は、ゴブリンメイジの中でも〈黒糸〉の運用に長けた〈ウェッブ〉氏族の者の事だ。
学院は俺が在学していた時の影響で、学院の建物中に偏執的なまでに〈黒糸〉が張り巡らされており、彼らが全力を出しやすい環境になっている。
妹やその婚約者を守るのに丁度良いし、もし何かあっても直ぐに『治癒』の魔法などを例え離れた場所からでも発動できるし、その腕も一流だ。
たとえ土のスクエアで微細な探知に優れた者でも、壁や床に張り巡らされた〈黒糸〉を杖として使っているとは気付かないだろう。
〈黒糸〉の事はまだ妹にも秘密にしているから、ゴブリンたちには、妹を含めて余人には学院を覆う〈黒糸〉がバレないようにとは言い聞かせている。
では報告書の続きを読もうか。

『婿殿も満更では無いようで、『臨死の恍惚……ッ!意外と病みつきに……!』とか言ってるので平気だと思います。』

あらら、それは別の意味でやばいぞ。……死にづらいようにこっそり〈黒糸〉を侵食させて強化措置を施してやるべきか?

『さらにお嬢様も自重しなくなってきたようで、時折『集光』を使われているようです。
 中庭に円環状の虹が浮いているのを遠目からでも良く見かけます。あとモノが焦げる匂いもします。
 ……着弾点の高温プラズマ化による爆発音と、土がガラス化した灰が舞うので学院の生徒や使用人からの評判が心配です。
 それでも二人の雰囲気から察するに、お嬢様も心の整理を付けて婿殿のことを受け入れつつあるご様子です。
 婿殿がお嬢様にベタボレなことと、ウード様から距離を置かれたのがいい方向に影響したのかと。』

メイリーンは水のトライアングルに1年生の終わりに昇格し、2年生時の夏期休暇では母上から『集光』の魔法を本格的に習っていた。
トリステインのリーサルウェポンとなる日も近い。婿殿は目玉焼きにされないように頑張ってくれ。
メイリーンは接近戦も鍛えており、この間など老いたとは言え父上から一本取っていた。
俺よりも才能はあるだろう。旦那になる奴は尻に敷かれるのが目に見えているな。

状況にもよるが、俺も簡単には勝たせてもらえないだろうな。
まあ、俺の得意技は〈黒糸〉の鞭、鋼糸に『ブレイド』を纏わせての中遠距離もしくは、超々遠距離から伸ばした〈黒糸〉を介した奇襲だしな。
接近戦に持ち込まれた時点で負けだと思っているし。遠距離では『集光』の餌食だし。
最終奥義として〈黒糸〉に契約している全ゴブリンメイジの精神力+〈黒糸〉経由で利用可能な全ての精霊石を用いた『火球』があるんだが、それやると〈黒糸〉や地底都市までダメージが行くから使用禁止なんだよな。

それにしても、順調に二人の仲が進展しているようでよかった。
前みたいに俺の方に迫ってこられても困るし、婚約者君にはしっかりメイリーンを捕まえてもらっておかないとな。
兄離れされるのは少々寂しいが。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 14.地球の重力に引かれるほど俺の魂は重くない……はず



 


俺は学院卒業後は基本的に領地経営および商会の運営、それを通じた人文系の研究を行っているため、シャンリット領を拠点にしている。
時々は王都の商会の会館にも行っているし、時間が空けば〈ゲートの鏡〉を通じて世界各地のゴブリンたちの地底都市や〈偽・ユグドラシル〉やゴブリンバロメッツのプランテーションなどを視察して回っている。

さらにはゲートを抜けて月面都市にも赴き、その発展を確認している。
次の進出目標は火星である。

この5年の間にゴブリンメイジたちは宇宙進出を成し遂げた。
宇宙に打ち出すロケットは、『レビテーション』による重量軽減と火と土の魔法による推力で地球の重力を振り切れるようになった。
制御はロケット内部に設けた小型の〈ゲートの鏡〉を通じて〈黒糸〉を繋げることで行い、電力の供給もそれで行っている。
燃料もまた〈ゲートの鏡〉から提供するようにしている。供給された燃料は土魔法と火魔法によってプラズマ化されて推力に当てられる。

ロケットの位置の観測特定は、各地の〈偽・ユグドラシル〉を電波望遠鏡代わりにして行っている。
このお陰で、遠宇宙の観測も進んでいる。
電波望遠鏡は直径が大きいほど分解能が上がり、遠くを観測出来る。
数百リーグ半径で点々と設置している〈偽・ユグドラシル〉から得られる情報を〈黒糸〉の管制人格によって統合させることで、擬似的に半径数百リーグの電波望遠鏡を構成し、非常に高い分解能を実現したのだ。

管制人格〈零号〉は仕事が増える度に、

【もう無理、死ぬ、壊れる、勘弁してくださいマスター……】

とか言ってるが、現在進行形で元の世界のムーアの法則も真っ青な速度で自己拡張と分散処理などを進めてるから問題ないだろう。
懸念は機械として進化しすぎてナイアールラトホテプの化身の一つ『チクタクマン』の依り代にされないかということだが、まあ、これは狂気に侵された人面樹を分析する〈レゴソフィア〉氏族が見つける深淵の真理や、クトーニアンたちから得る神話の知識を流用しないことには対策が難しいだろう。
こちら方面にも力を入れる必要があるな。

ロケットで打ち出す船体はおよそ直径30サントほどの球形で、内部には地上の基地と繋がる〈ゲート〉と、
ゲート経由で供給される燃料の気化用の燃焼室と、何かの拍子でゲートの接続が切れた際の保険として予備の制御用インテリジェンスアイテムを幾つかと、魔法起動用の風石や水石、電力から精霊石を作成する機関を収めている。
また、念のためにバロメッツの幾つかの品種の種と人面樹の種も封入してある。
何処か適当な小惑星に流れ着いたときに拠点化出来るようにというわけだ。

ゲートの接続がロストした緊急事態には、風石の魔力を消費して船体から『錬金』によって太陽光発電用のカーボンナノチューブを伸ばし、速やかに電力=精霊石変換回路を起動。
惑星の影に入った場合は光が当たるまで待機するか光が当たる場所まで推進剤で移動。
ロストする直前の打上基地の方向に向かって、『ライト』の魔法によって電波・光波を発信。
同時に受信体制を整え、基地からの指示を待つと共に、ゲートの魔道具の修復を行う。
万が一大気圏に突入する場合は、『レビテーション』で軟着陸し、地上の〈黒糸〉と直に再接続。

着陸先がハルケギニア星でない場合は〈黒糸〉を船体内の精霊力を使って伸展させ、時間がかかっても良いから〈偽・ユグドラシル〉を構築してゆく。
これはゲートの接続がロストしてても、そうでなくても変わらない。
充分なエネルギーを太陽光発電で得られるようになれば、地中に空間を作成し空気などを調整し、搭載していたバロメッツの種を育てる。
栄養や水は『錬金』で、光は『ライト』もしくは発光ダイオードで与える。まずは通常のバロメッツを繁殖させ、食料となる動物を作る。
ゴブリンが生きるのに充分な状況が整えば、バロメッツからゴブリンを誕生させる。
知識は船体に搭載していたインテリジェンスアイテムからゴブリンに水魔法で植えつける。
まあ、船体のゲートが生きていればこれらの工程の全てに拠点からの支援が受けられる。

月面都市はロケットを通じて送り込んだ〈ゲートの鏡〉からのあらゆる支援を受けて構築されたものである。
ハルケギニアの双子月も、前世の世界の月と同様に常に同じ面を地球に向けている。
裏側は決して見えないので、それを良い事に月の裏側には〈偽・ユグドラシル〉を乱立させて、月面都市や地底都市へのエネルギー供給源としている。
もちろん表側にも幾つかは〈偽・ユグドラシル〉を作っているが、あまり大規模には作れないので表と裏で発電量に大きな開きがある。
月齢によって発電量が大きく変動するため、月面の〈偽・ユグドラシル〉で発電された電力の大部分は風石や水石といった精霊石の形でストックされる。
満月となって裏側に光が当たらないときには、ストックされた精霊石を消費してエネルギーを賄うことになる。
……まあ、現状では月面都市が少ないため、裏側が影になっても表に点々と作った〈偽・ユグドラシル〉の出力だけで事足りているが。

月にも〈黒糸〉を張り巡らせており、既に全域のMAPを作成済みである。
とはいえこちらは地球と違い、電線以外の役目としては地質調査を行って月の来歴を調査するくらいしかないが。
クレーターの底から回収した隕石などは、月面都市や地底都市で分析し、外宇宙の様子や宇宙の成り立ちを探る材料としている。
ARMSでアザゼルな珪素生命体でもいないかと思ったが、そんな事は別に無かった。

月光が狂気を喚ぶというのはここハルケギニアでも広く信じられている。
獣人は月に狂うし、そういった実例が身近にあればまあ無理はない。明るい月夜は夜行性の幻獣達の独壇場だしな。
月夜はメイジの精神力も増大するという迷信もある。
月光に何か、例えばブルーツ波のような特殊な成分が含まれているのかと思い、過去に実験を行ったが、特にそういったことは無かった。
月光にまつわる現象は思い込みで発現しているとしか思えないが、決めつけるのは未だ早い。
月光の影響については、ハルケギニア星に比べて小さい重力が人体に与える影響についてと並んで、月面都市での関心事の一つで有る。
むしろ月面の〈黒糸〉で反射光を変調させて月光を変化させると言うのも面白いかも知れない。

月面は大気が薄いために天候に左右されず〈偽・ユグドラシル〉の発電効率も高く、作られた膨大なエネルギーはハルケギニアの地底都市に電力や精霊石の形で送られる。
電力はゲートを通じて超伝導状態の〈黒糸〉の束を通り、風石は精製してコンテナ詰めにされ、水精霊の涙はゲートを超えてパイプラインを通って送られる。

地底都市では送られてきたエネルギーを使用して、『錬金』やゴーレム操作(産業ロボットの代わり)に使ったりしている。
あとはプランテーションの成長促進の魔法『活性』や照明、空調、ゲートの維持、地底都市の外壁の修理、滲出する地下水の処理、エトセトラエトセトラ。
このようにインフラの維持管理に投入するエネルギーにも多くが消費されている。

とはいえ、正直言って〈偽・ユグドラシル〉を作りすぎた。
ハルケギニア中に存在する地底都市や月面都市全てのエネルギーを賄ってもなお、最低でもその5倍はお釣りがくる位のエネルギーを毎日毎時毎分毎秒作り出しているのだ。
新月の際の最高出力なら100倍は堅い。
余剰エネルギーは精霊石の形にしたり、『錬金』の魔法で食料や燃料に変換して備蓄したり、超伝導コイルに蓄電したり、イレブンナインの各種金属インゴットを『錬金』したりしているがぶっちゃけ余りまくっているのだ。

そこで、余剰エネルギーの使い先として現在進行中なのが、『プロジェクト〈ラピュタ〉』。要するに空中人工島計画である。
地表の〈偽・ユグドラシル〉のうち赤道直下の幾つかからは、上空に向かって軌道エレベータが伸びている。
軌道エレベーターは静止軌道の衛星を軸にして作られている。
上空36,000リーグの静止軌道には逆さまにしたフラスコのような形のポートがある。
この形は建設時に核となった静止衛星から〈黒糸〉を地表まで垂らす際に、バランスを取るために上方向に重りを追加した名残である。
赤道上からは等間隔で72本の軌道エレベータが伸びており、静止衛星軌道上のポートはお互いに連結して一つのオービタルリングを形成している。

『プロジェクト〈ラピュタ〉』は軌道エレベータの中途に人工島を作成し、そこに現在の余剰エネルギーを注ぎ込もうという計画である。
作成するのにかかるエネルギーはもとより、人工島の高度の維持や気圧管理などなど、その保守にも恒久的に巨大なエネルギーがかかるだろう。

まあ、特に作成する意味はないのだが、地底都市の拡張とともに、上空にもその支配域を広げてもいいのではないかと思っただけだ。人工島なら競合する種族も居ないだろうし。
ゴブリンの勢力は制空権という面では若干弱いかなという懸念もあったので、制空権強化の一端でもある。
ジブリのラピュタのような〈インドラの矢〉でも装備させるるつもりでいるし、航空機の大規模な発着場とするつもりだ。
航空機の発着には静止衛星軌道じゃ高すぎるし、人工島を拠点に超高空を走る大型飛空艇による大規模輸送網を構築してもいいだろう。
転移ゲート経由の鉄道網は地底都市から月面都市まで隈なく覆っているが、何かの拍子に〈ゲートの鏡〉が死んだ時の輸送手段も確保しておくべきだろう。

かつては〈黒糸〉が繋がっていないアルビオンをゴブリンたちは苦手にしていたが、現在は〈ゲートの鏡〉経由でアルビオンにも〈黒糸〉を伸展させているため空中に孤立するゆえの忌避感は薄れている。
空中人工島も〈黒糸〉で軌道エレベータに係留するため、ゴブリンたちも大地から離れる際の不安感や忌避感をそれほど感じずに暮らせるだろう。

問題は〈風を渡る者〉との接触の危険だが、あれは赤道直下には来ないだろうから大丈夫だろう。多分。

その他にも、火星への進出プロジェクトや火星―木星間の小惑星帯から資源利用用の小惑星を移送するプロジェクト、金星や他の惑星への探査プロジェクトも順次進行中である。
いやあ、エネルギーが有り余ってるっていいね!マンパワーもバロメッツ・人面樹キメラがあれば生産し放題だしさ。
あらゆる解析や発明もインテリジェントアイテム化した〈黒糸〉の〈零号〉を中心にした惑星規模のネットワークが人間を遥かに上回る速度で行ってくれるし。もはや人間イラネーなってレベルだぜ。

エネルギー余ってるし、そのうちこのハルケギニア星の軌道の反対側にデススターみたいな人工天体でも作ってもいいかもな。



さて、世界各地に建造してあるカーボンナノチューブ集積体〈偽・ユグドラシル〉だが、
当然、あちこちにそんなに目立つものを作っていれば様々な軋轢が生まれる。
特にアトラナート商会の所有物だと宣言したわけでもないし、場所によってはそんな宣言しようものなら領土侵犯とみなされかねない。
というか、火竜山脈の山頂とかサハラのど真ん中とか人気の無い所に建てているが、そこは他国の領土であり実質的に完全無欠に領土侵犯である。

〈偽・ユグドラシル〉の見た目は500メイルから1500メイルの高さの真っ黒な葉を茂らせた大木である。
しかも最初に芽吹いてから数カ月もしないうちにその大きさに成長する。
ある未開大陸では先住部族が〈偽・ユグドラシル〉を御神木として崇めたり、逆に悪魔の木として恐れたりした。実害が無い限りはそれらの動きは放っている。
サハラのエルフからは〈偽・ユグドラシル〉を建造したのがアトラナート商会なのかどうかサハラ支部に問い合わせがあり、事後承諾になったものの幾許かの対価と〈偽・ユグドラシル〉付近の日陰を利用した緑化による農産物の売買を条件に正式に〈偽・ユグドラシル〉周辺の土地の所有が認められた。
……まあ元からだだっ広い砂漠で使い道も無いところだったからエルフには損害ないし、妥当なラインだろう。

ハルケギニア文化圏での対応が一番大変だった。
まず、〈偽・ユグドラシル〉をフネの空港にしようとして押しかけてくる輩が非常に多かったこと。
また、〈偽・ユグドラシル〉の葉であるカーボンナノチューブを繊維材料や黒色の染色材料として持っていこうとする輩が後を絶たなかったこと。
発電素子に当たる羽毛状の葉は空気中の汚れ等が付着するから、定期的に本体から抜け落ちて生え変わるようにしているので、その落ちた枯葉を集める分にはお目溢ししていたのだが。

あまり近づかれるのも厄介なので、『黒い巨木に近づくと呪われる』という噂を流した。
噂だけでなく、実際に近づいて樹を切ろうとした奴には『ライト』の高出力改良版『ガンマレイ・ライト』をお見舞いしてやった。
まあ、ハルケギニア地域以外でも偽世界樹を勝手に切ろうとする輩にはその攻撃をしたんだが。

『ガンマレイ・ライト』は文字通りγ線を発する『ライト』であり、曝露された犠牲者は急性放射線障害や細胞の死滅による各種の身体障害によってまさに呪いのような様相を呈する。
『ガンマレイ・ライト』はヒトの目では捉えられないため、相手に気付かれないうちに充分に照射することが出来る。
急性症状として吐き気や倦怠感が生じ、限界を超えた被曝で細胞は次々と死んで行く。
特に細胞分裂の盛んな部位は影響が大きく、造血幹細胞の破壊による白血球・血小板の減少や腸内幹細胞の死滅、水晶体の懸濁が起こる。
味蕾や嗅覚細胞も破壊されてしまうだろうし、皮膚の上皮幹細胞もやられてしまう。
それによって一週間も経たないうちに細胞死の影響によって免疫力は低下し、出血が続き、下痢が続いて栄養はろくに取れず、目は霞み、味覚と嗅覚は失われ、毛は抜け落ち皮膚は爛れる。
20日から50日のうちに多くの人は死んでしまうだろう。
また、運良く生き残っても傷つけられた遺伝子は将来の発癌リスクを高めるため、永くは生きられない。

……自分で振り返ってみても外道だわ、これは。
γ線だから10サントの鉛板くらいじゃないと防げないし。
んでもって、放射線検出器でも持ってないと攻撃されていることすら気がつけない。
目視不能、防御不能、回避もほぼ不可能、致死性が極めて高く毒性が強い……。
もともとは食品とか医療機器の滅菌に使うために生み出した魔法だったんだがなー。
出力を落とせばレントゲン撮影にも使えるしさ。

や、クトーニアン対策という面も無きにしも非ずなんだが。

現在、自分達相手に使われたときに対抗策となる魔法を開発中だけど、どれだけ実効性があるものが出来る分からない。
正直言って、常に放射線感知の機器を身につけておいて危険域の数値になったら即座に鉛の防壁を構築するくらいしか思いつかない。
いや、γ線を生み出せる以上、それを直接的に操作する魔法があってもおかしく無いはず。
まずは光子の直接的な操作を行う魔法を研究させよう。
きっと『ライト』の魔法から派生出来ると思うが、光子を生み出すのと操作するのは別の魔法が必要になるかも。
対抗策を考えておかないと、自分達にそれが向けられたときにどうしようもないからな。
少なくとも、探知用の機器か魔法を開発しないと防ぐことも避けることもままならない。

まあ、今のところは〈黒糸〉を介して人ひとりでは到底まかない切れない膨大なエネルギーを注ぎ込まないと致死領域の威力は出せないからな。コストパフォーマンスが悪すぎるんだ、この魔法。
〈黒糸〉の制御を奪われるか、管制人格が暴走するか、あるいはそれ専用の魔道具とエネルギー供給用の精霊石のセットでも無い限りは、たとえ『ガンマレイ・ライト』の術式が漏れたとしてもこちらの陣営に向けられることはないだろうから安心か。

対抗策の開発は続けるけどもな。
物事に絶対はないのだから想定しうる全てに対して準備しなくては。



武力の研究を続けるのはあらゆる物事を研究するための環境を守るためだ。
精霊石や電力といったエネルギーの生産、ゴブリンによる労働力の確保、様々な原料の『錬金』による生産、新天地での食物の増産などなども全ては研究のためだ。

この地に生まれ変わってからの、その目的意識、その欲望には変化は、無い。

だが、俺自身はこのシャンリットの地を離れるつもりが無いのもまた事実。
アトラク=ナクア様の祭司としてはここ、シャンリットを離れるわけにはいかないし。
巣を張る以外に興味ない神様だが、俺が今生を謳歌出来ているのは間違いなくアトラク=ナクア様のお陰だからな。

それに研究の最前線に立たずとも、後方で安楽椅子に座りながら新しい発見の報告書に目を通してほくそ笑むことは出来る。
自身の分身とも言えるゴブリンメイジやインテリジェンスアイテムも着実に増え、彼らはその知識欲に従って調査領域をついには宇宙まで拡大し、様々なサンプルの収集を続けている。
ああ、今後一体どんな新発見があるのだろうか。期待感で胸が一杯だ。

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【チクタクマンフラグがオンになりました】
 ニャル様が〈零号〉を乗っ取るためにアップを始めたようです。

メイリーンの使い魔は【シャッガイからの昆虫】シャンにするつもりだったけど、メイリーンがシャンの影響を受けて拷問愛好者になったりして不憫なので止めました。
あれ、でも婚約者君は滅茶苦茶虐められてますね。オカシイなあ。

そろそろストックが尽きるんで更新速度は遅くなります。
完結させたいとは思いますので、よろしくお願い致します。

2010.07.21 初出
2010.07.24 誤字訂正
2010.07.31 誤字訂正



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 15.時を翔ける種族とか空を駆けるスピード狂とか
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/07/24 23:28
さて、ウード・ド・シャンリット、齢27だ。
前回から4年経った。つまり俺が結婚してから3年。
ついでに言えば長女が生まれてから2年だ。娘は良いな。うむ。可愛い。

妻のヴェラも子を産んで衰えるどころか、ますますその知的な美貌に磨きがかかっている。まあ、まだ21歳だものなあ。
胸は無いけどとか言うと、使い魔の雷蟲をけしかけられて痺れてしまうが。

娘もきっと妻に似た美人になることだろう。
親子とはいえあんまり俺の蜘蛛みたいな風貌に似すぎると可哀相だからな。
髪は残念ながら俺譲りのブラウンだが、ヴェラに似た美人になって欲しい所だ。
俺もヴェラも知識欲に関しては人並みならないものがあるから、娘もきっと感化されてしまうことだろう。
2歳児なのにもうアトラナート商会の出版する図鑑類を貪るように読んでいるし。

改良ゴブリンの方はもう放って置いてもどうとでもなる感じというか、統制はほぼ不可能だ。
俺からの度重なる知識と衝動の植えつけと、人面樹経由での循環凝縮によって俺の中の知識欲が種族全体に染み付いている上に、お互いの記憶共有などで超越的な速さで進化を起こしている。
あれは俺も含めて一つの群体で、世界を解剖するために、そして新たな知識を作り上げるためだけに動いているのだ。


『真理探究』

『全体最適』

『日進月歩』

この3つの原則を尊重しながらゴブリン・人面樹×バロメッツキメラ・〈黒糸〉は三位一体の存在として進化を続けている。
ゴブリンたちと人面樹は俺の記憶を転写してあるため、狂的な知識欲が汚染と言って良いレベルで染み付いているし、俺の人格を元に構築されたインテリジェンスアイテム化した〈黒糸〉の管制人格も同様にその根底に知識を求める衝動がある。
俺が直接指示を下さずとも俺以上に俺の望む成果を出してくれるだろう。

月面都市と地底都市は維持拡張を続けている。
漸く火星に拠点を作る足がかりとなるべき〈ゲートの鏡〉を積んだ宇宙艇を届かせることが出来た。
〈ゲートの鏡〉で基地から無尽蔵に宇宙艇に対して燃料を提供できるし、指示も的確に行うことができるものだから、前の世界の宇宙開発よりも格段に難易度が低くなっている。
今後は火星の調査・開拓も行っていくことになる。
次の目標は木星―火星間宙域の小惑星群と木星の衛星への探査進出である。

それとは別に多くの宇宙艇を外宇宙やカイパーベルトに向けて射出している。
ゲートの魔法を自在に使えるようになれば数光年の距離でさえ意味のないモノにできるのだが、あいにく現時点でも〈ゲートの鏡〉という魔道具でしか空間を超える手段はない。
というかそろそろ〈ゲートの鏡〉の到達限界距離になってもおかしくない気がする。どこでもドアでも10光年とかの制限距離があった気がするし。
理論上は幾つか限界距離についての仮説があるんだが、まだ実証中なんだよなあ。どの理論も最終的には魔力注ぎ込めば何とかなるって結論になってるし。

『サモン・サーヴァント』で使い魔を探すための探査術式やアカシックレコードの読み取りなんかの研究も進捗が芳しくない。
これなんかそろそろ10数年やってるんだが、マジで分からん。完全にブラックボックス化されてやがる……。
構築には始祖の系統である虚無の魔法が使われているだろうから、まずはコッチをどうにかしなくちゃいけないのか?
あらゆる研究成果というのは、仮説も大事だが、それ以上に結果を導くための手法や道具、施設が重要だものな。



そんな中、奇妙な症例がゴブリンたちの中で多く見られるようになった。

時折、ゴブリンたちの中にまるで人が変わったかのような反応を示すものがいると言うのだ。

両腕が鋏になったかのような動作をし、初めのうちは不自由な言葉を使う。
だが、やがて流麗に体や言葉を操るようになり、数年するとふと正気に返り、その数年の間の記憶を失う。

正気に返った者の話を聞くと、どうやら知識を刻んだ多くの金属板を収めた大図書館で、見たことも無いような生物が働いているのを覚えているとか。
その生き物は虹色に不思議に輝く円錐形の大きな体に4本の細長い器官が生え、その二本の先にははさみのような形のぎちぎち鳴る発声器官が有り、残り一本には4つのラッパを束ねたような口があり、そして最後の一本には黄色く歪んだ頭部があってボウエンギョのような3つの目と頭部の付け根から緑色の幾つもの触肢があるのだという。
彼らは自分たちに対して寛大で、多くの蔵書のあるこの場を自由に見せてくれたそうだ。
その見返りに、ゴブリンは自身の種族の来歴などを事細かに記すことを要請されたとか。
数年そうやって時を過ごし、帰るべき時が来たと告げられ、記憶の消去措置を受けたそうだ。
だが、その消去措置は不完全であり、不屈の精神力によって何とか、記憶が消去されるという、ゴブリンにとって最も恐ろしい事象から自身の魂を多少なりとも守ることが出来たらしい。

総合するに、つまり、彼らは〈イスの偉大なる種族〉のセラエノの大図書館にその精神を呼び出されていたらしい。
俺の使い魔のクトーニアン――ルマゴ=マダリから得た知識にそのような生物の記述がある。
まさかゴブリンたちに、かつてこの星の南方の大陸にて栄えた、かの〈偉大なる種族〉からお呼びがかかるとは。
これは素晴らしい。思えば遠くに来たものだ。

是非とも接触をとって、その知識を授けてもらわなくては。
出来ればその時空を超越した精神交換術式も手に入れたいな。まあそれは贅沢すぎるか。

じゃあまずは精神交換を受けていたゴブリンには人面樹の贄になってもらおうか。
その知識が薄れる前に人面樹ネットワークに取り込ませよう。
現在進行形で精神交換中の〈偉大なる種族〉と接触出来ればそれが一番イイんだが。
というか、ゴブリンもそうだが、人面樹の方にも精神交換が来てる可能性もあるのか……。
〈偉大なる種族〉の体となっているあの円錐形の体は胞子で増える家畜植物のものだったと言うし、人面樹でも問題なく乗り移れるだろう。
精神交換って〈旧神の印〉とかで防げたっけか?まあ、先ずは向こうから“帰って来た”者たちの研究だな。

イスの偉大なる種族の下で過ごした経験を人面樹に取り込むことで、さらなる発展、ブレイクスルーが望めるだろう。
異文化間の衝突は常に新しい発想を生み出し、文明を進化させる源なのだ。
さらにはイスの偉大なる種族だけではなく、彼らが蒐集した全宇宙全時空の文明の歴史も断片的ながら還元されている。

彼らがあらゆる歴史を蒐集するように、ゴブリンメイジもあらゆる知識の蒐集を意図している。
案外気が合うかも知れないな。まあ、まだ直接的なコンタクトはとれていないんだが。
……それも時間の問題か。
彼ら偉大なる種族による隠蔽工作以前に人面樹や〈黒糸〉を通じて全ゴブリンにイスの偉大なる種族の存在と、精神交換の存在がバレてしまったんだからな。
向こうから何らかのアクションがあるだろう。

こちらとしてはコンタクトを待ちつつ、交渉のためにゴブリンたちの中に潜む偉大なる種族の精神を探し、同時に精神交換に対しての対抗策や模倣を研究するって方針かな。
精神交換術は防げる気はしないが……。伊達に〈偉大なる種族〉なんて呼ばれているわけじゃないだろうし。
〈盲目のもの〉みたいな精神構造が違いすぎる相手には乗り移れないようだが、それ以外だと動物・植物、個体・群体を問わないからな。

まあ、仮に全ゴブリンが乗り移られたとしても、やろうとすることは今と大して変わらないかも。
歴史を集める〈イスの偉大なる種族〉と、真理を解剖する〈ゴブリンメイジ―人面樹―惑星コンピュータの三位一体複合システム〉……。
どちらも知識の蒐集を目的にしているからな。
俺としては今後も新たな知識を提供してくれて、この胸の内に渦巻く知への渇望を満たしてくれるならどっちでもいい。
ただ、志半ばで死ぬのだけは嫌だなあ。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 15.時を翔ける種族とか空を駆けるスピード狂とか
 





弟のロベールは魔法学院に入学する年になった。
土のラインで、すでに今の時点から魔法衛士隊からの誘いがかかっている。
俺が昔にプレゼントしたクトーニアンとドラゴンのキメラである〈柳星張〉イリスは100メイルに迫る巨体に成長しており、領空を飛び回って空から領内を見張っているし、幼い頃から共に育ってきたロベールによく懐いている。
イリスの調教役として付けたゴブリンメイジは現在3代目で、ロベール付きの従者も兼任している。
ロベールの魔法学院入学に際して、土地の確保の問題でイリスはシャンリットの領地に置いていくことになったが、イリスの膜翼なら2時間もかからずに王都近辺の魔法学院まで行けるだろうから、問題はないだろう。

魔法衛士隊への誘いは巨大な飛行型幻獣であるイリスを手懐けているためだ。
イリスは先ずその巨体が脅威だし、体長の2倍の距離にまで伸びる触肢による薙ぎ払いや吸血攻撃、触肢の先からのドラゴンブレスなどなど、単騎で都市を壊滅することも余裕な戦術級のハイパークリーチャーだ。
まあ、素体からしてそれ以上の化物なのだからその位はこなして貰わないと困るってもんだが。
ちなみに弱点の水に対しては埋め込み型のマジックアイテムによって対策済みだ。
ジャミラのようにウルトラ水流でかわいそうな断末魔を上げたりはしない。

時々あることなのだが、使い魔召喚などによって戦術級の脅威を持った幻獣を従えるようになった一個人に対する対応をどうするか、という問題がある。
実際に脅威となった場合は即討伐なのだが、それが個人……例えば使い魔の主のコントロール下に置かれて問題も起こしてない場合はおいそれと討伐するわけにもいかない。
使い魔とメイジの関係は神聖にして不可侵とされているからな。
それに余計に刺激するのも怖いし、主諸共殺そうとして軛の外れた使い魔だけが生き残るなんてのは最悪だし、それだけの使い魔を呼び出せるメイジは往々にしてそれに相応しい戦術級の魔法を使えるものだから、一筋縄ではいかない。

取れる対策としては、国家権力による統制くらいだな。
たとえ後追いでの登録でもいいから免許&登録制にして、国内にどれだけの脅威が潜在してるのか把握しておく。
取り決めに違反した場合は、主に対して罰則を加える。
それと、出来たら主従共々、軍や治安維持組織に組み込んでしまうことだな。
トリステインに限らず各国の大型幻獣の飼育免許と登録料はかなり高額で、それが金銭で払えない場合は国家への奉仕で対価とすることになっている。

ちなみに俺もロベールも大型幻獣の飼育免許を持っている。
俺の使い魔のルマゴ=マダリは今や500メイルを超えるクトーニアンだし、ロベールはイリスの主として免許が必要だった。
免許は2年ごとの更新であり、更新料として500エキュー取られることになっている。下級貴族の一年の年金と同じくらいだ。
正直言って金銭で払うのは割に合わない。幻獣の食費や居住区などの維持費もその上でかかるからだ。
まあ、俺の場合は地核からエネルギーを補給出来る使い魔だし、維持費も食費もかからないから更新料だけしか掛からないが、通常はそうはいかない。
多くの貴族は泣く泣く王軍に所属し、労働を持って負担金を免除してもらっているのである。

ロベールに魔法衛士隊の誘いが来たのはその辺の事情にもよる。
王軍としてはイリスのような脅威を放置することは出来ず、早急に国家権力に組み込んでしまいたいのだろう。
もちろんここでアトラナート商会の財力を盾に、要求を突っぱねることも出来る。
できるが、しかし。それをやるとシャンリット家が反乱でも企てるのではないかと勘ぐられる事にもなってしまうだろう。
シャンリット家現当主である俺の判断としては、別に反乱だと勘ぐられても良いし、やろうと思えばトリステインを滅ぼすくらいの戦力は用意できるし、ロベールの好きにやらせればいいとは思っている。

中央の宮廷にもアトラナート商会の息のかかったものはかなり増えているしな。
人間じゃない奴の方が多いが。
成り代わったガーゴイルとか化けたゴブリンとか。
ガーゴイルはノウハウの蓄積で殆ど人間と変わらない出来栄えだし、〈黒糸〉と接続すれば擬似的に魔法を使うことも出来る。
宮廷では母方の公爵家の派閥に対して、シャンリット家・クルーズ家(俺の妻の実家)を中心とした辺境領地の派閥が出来上がっているから、何かあっても直ぐに反逆罪をでっち上げられると言うこともあるまい。

まあ、ロベール自身、魔法衛士隊に入りたいと言ってくれたし、当面は問題が起こることは無いだろう。
魔法衛士隊に入隊したら、旧友のジャン=マルク・ドラクロワによろしく頼んどくかな。
あ、でも、あいつの家は対立派閥だからあんまり期待は出来ないか。
いや、そんな私情を持ち込む輩なら始めから俺と友人になったりはしないか。

次に王都に行った時にでも、奴の家に顔を出すかな。
うちの娘と、ジャン=マルクの所の次男が同い年くらいの筈だし、友達付き合いをさせるのも良いだろう。

お、ロベールがそろそろ出発するみたいだな。
妻と一緒に見送りだ。

「行ってきます、兄上!義姉上!」

「おう、王都に着いたら父上と母上に宜しくな。」

「ロベール君、家名に恥じない行動を心がけるんだぞ。」

父上は俺に爵位を譲って楽隠居するつもりだったんだろうが、実際はそうはいかず、領地を急発展させた功績を見込まれて宮廷に取り立てられたのだ。
母上共々、王都の別邸で執務を行っている。
現在は教育改革に取り組んでもらっているところで、その一環としてアトラナート商会の正式な私立学院を設立できるようにロビー活動してもらっている。

それにしてもイリスに乗って王都まで、か。
土メイジの癖に空が好きなんて変わった奴だ。
王都のアトラナート商会までなら〈ゲートの鏡〉で一瞬で着けるのにな。
昔から空の上が好きで、暇があればイリスを乗り回していたな、そういえば。
調教役のゴブリンはいつもロベールが振り落とされやしないか冷や冷やモノだったらしいが。
学院が楽しいかどうか分からないが、まあ、何らかの糧にはなるだろう。

イリスが背から無数に生える触肢のうち特に太い3対6本を二股に分かれさせて打ち振るい、その間に張られた膜翼で風を掴んで空へ浮かぶ。

『KYUOOOoooN』

イリスの吠声と打ち下ろしの風がまるで実体を持ったかのようにして、イリス専用に作られた竜舎を揺らす。
イリスの首元に括りつけた座席に乗るロベールの顔が、これからの高速飛翔を思って喜悦に歪む。
まったくとんだスピード狂だ。

「ロベール君は土メイジのくせに空を飛ぶのが好きだな。
 風メイジの私でも、イリスの鞍の上では身が竦むというのに。」

「全くだ。
 あれで風メイジだったなら、きっと『フライ』の世界記録を打ち立てていただろうよ。」

それほどロベールの空を飛ぶことに懸ける情熱は凄い。
弟は幼い頃からアトラナート商会の出す流体力学などの本を読み漁り、それのみに飽きたらず、それを書いた研究者(またはそのオリジナルから知識をダウンロードされたゴブリン)に直接師事し学んでいる。
流体力学や航空力学については俺よりも遥かに知識を持っているだろう。

最近は志しを同じくするスピード狂の研究者たちと共に新たな術式を生み出そうとしているらしい。
『レビテーション』による加重軽減に着想を得て、重力を操作する魔法を研究しているのだとか。
名付けるなら“重力偏向魔法”とかかな。終わりのクロニクル、5th―Gの概念の再現だ。ロベールはそんなの知らないだろうけど。
重力を傾けて、進行方向に落下するように加速し続けるという訳だな。
また重力偏向魔法とは別系統の発想として、慣性を制御して、地球の自転から“置き去りにされる”ことで地面に対して相対的に高速を出せないかということも研究しているらしい。

ちなみに、この魔法の研究過程で土のラインでも『偏在』を使えるようになる魔道具をロベールの従者のゴブリンから強請られた。
以下、その一部始終を思い出してみる。



「坊ちゃま、ちょいと待ってくだせえ。」

「何だ、僕は早く実験がしたいんだよ。」

全く、お付きの矮人はいつもこうだ。
コッチは新たな魔法のその速度を早く試したいというのに。

「や、坊っちゃまの発想が、速く移動することに関しては天才的なのは認めますがね。
 今回の、その、仮称『絶対座標固定魔法』でしたか?それは危険だと思うんですよ。
 だから、先ずはアッシに試させてくだせえまし。なんと言っても……」

「……兄上にそう頼まれているから、だろう?
 分かったよ。その理由を持ち出したら梃子でも動かないのはよく分かってる。やってみてくれ。」

「では、僭越ながら。……座標固定魔法……『ポイント・ロック』!」

瞬間、物凄い衝撃波と共に矮人――十年仕えてくれたジャック。彼のことは嫌いではなかった――の姿は消えてなくなり、後には空に向かって伸びるオレンジ色の残光が残された。
衝撃波に吹き飛ばされて地面をゴロゴロ転がってから、漸く起き上がった僕が見れたのは煌く残光だけだった。

「じゃ、ジャックー!?」

なんて事を!十年来仕えてくれた忠臣が空の藻屑に!?

「へい、坊ちゃん、何でやんしょ?」

後ろから掛かった声に、肩が震える。

「え、あれ?生きてる?」

「ええ、アレは『偏在』でやんしたので。」

「え、でもジャックって水のラインじゃ……。」

「『偏在』でしたので。」

「でも……。」

「『偏在』だったんでやんす。」

「……。」

ジト目で見つめてみる。

「……えーとウード様の新しい魔道具にそういうものがありやして。
 ラインでも『偏在』が使えるんでやんすよ。
 私からウード様に言っておきますから、次からは坊ちゃまもそれを使って練習するといいでやんすよ?」

まあ、そういうことなら……納得できないことも……。
なんというか、そう。

兄上なら、仕方ない。

うん、これがしっくり来るな。

「危険な実験の前に先ずは、『偏在』を覚えやしょうねー?」

「……ああ。分かったよ、ジャック。」



まあ当然、地上の流星になったゴブリンメイジは塵になって死んでるし、後から出てきたのは予めバックアップに待機していた奴だ。
次のクローンは上手くやるでしょうって訳だ。或いは、私は三人目だから、とか。

この咄嗟の嘘の辻褄合わせのために、ゴブリンに頼まれて新しく『偏在』特化用の杖を創りだしたのである。
銘は適当。学生時代から数えて〈零号〉を除いて169本目なので〈169号〉だ。
普通は一ゴブリンの我侭なんか聞かないんだが、今回は身を呈して弟を守ってくれた功績もあるしな。
というか、ロベールも抜けてるというか何と言うか。
この惑星がどんだけのスピードで自転してると思ってるんだ。
他にも惑星の公転や、銀河系の中での太陽系の公転スピードとか考えると衝撃波でロベールもバラバラになってもおかしくなかったぞ。

その後、『偏在』を駆使した実験を通じて、なんとか生身で耐えられるくらいの魔法に落ち着けることが出来たらしい。
自転に置き去りにされるという原理上、一方向にしか加速できないが、他の開発途中の魔法に比べてもかなりの速度を出すことができるのでお気に入りだとか。
……むしろ真髄は、手加減なしで他人に掛けた時だと思う。掛けられたら絶対に、地上の流星になるよな。

気を取り直して。
シャンリット領内では一年に数回、メイジのフライや幻獣による航空レースを開催している。
もとはロベールの仲間内だけで非公式にやっていたのだが、段々と規模が大きくなり、領民や行き交う船舶から苦情が寄せられるようになったため、それじゃあいっそのこと名物にしてある程度伯爵家のコントロール下に入れてしまおうという運びになったのだ。

魔法学院に入学するにあたってロベールが一番喜んでいるのが、この航空レースの練習の制限がなくなることだろう。
家にいては俺やヴェラの目があって余り練習はできないし、ロベールも領民も危険なので領内全体で超高速での飛行を禁止している。
これはロベールだけに限った話ではなく、シャンリット領内の公式な法律だ。
飛行ガーゴイルや改良型のフネによる航空輸送網が錯綜しているシャンリット領では好き勝手に飛ぶと事故につながるのだ。
魔法学院周辺ではそのような規制はないので、思う存分飛び回れると弟は意気揚々としている。

……途中でこちらの私立学院の創立が間に合ったら、呼び戻すハメになるかも知れないと言うのは黙っておこう。
寮での一人暮らしということで胸を躍らせているのに水をさすのも何だし。まあ、研究者仲間から離れるのは残念がっていたが。
私立学院については王宮の許可待ちだが、それも派閥工作によって二、三年中には降りるだろう。
上納金を増やせばそのうち侯爵にもなれるだろうし、着実に自治権の拡大を目指そうというのが今のシャンリット家の領地経営方針だ。

そのうちに独立できれば万歳だ。
その過程で反乱を起こすつもりはないから、俺の代で完全に独立をやれる気ではないが。

反乱も独立も変わらんだろうって?

まあ王家からすればね。
コッチからすれば、実際に武力を行使するかどうかという大きな違いがある。
武力的背景は必要になるが、まずは政治的・経済的な方面からの圧力で実質的な独立を目指す。

それもこれも、俺の子孫が好き勝手研究をやるためだ。
俺も人の子。自分の子孫のためにはいい環境を残してやりたいと思ったのだ。
で、俺の思う良い環境=自由に研究できる環境な訳ですよ。

何代も前の先祖が結んだ古の盟約によってシャンリットの血はアトラク=ナクア様に縛られている。
アトラク=ナクア様の正式な祭司になれるのは、かの神性に呪わしい祝福を受けたシャンリットの血脈だけなので、絶やす訳には行かないのだ。
そのためなら蜘蛛神教を崇拝するゴブリンたちも協力してくれるだろう。


ロベールを乗せたイリスの白銀のシルエットがすぐに小さくなっていく。

「ヒャッハーーーーーーーーー!!!」

『RUOooooooooOOOOOoooo!!!!』

イリスの吠声とロベールの歓喜の雄叫びがドップラー効果を伴って遠ざかる。
また飛行スピードが上がったんじゃなかろうか?



最近の研究プロジェクトの目玉はなんといっても〈虚無系統の復活〉だ。
各国の王族や公爵家などの比較的色濃く始祖の血を残していると思われる血族の遺伝子を解析して、それらの共通部分から虚無魔法を使うのに必要な因子を特定し、ゴブリンに組み込むという計画だ。

と言っても、虚無の魔法自体が失伝してて、現れた形質が虚無の才能かどうか分からんのだよな。

王家かロマリアの聖遺物管理部隊から情報を掠め取るか、自分で調べるしか……。
……いや、始祖の時代から生きてるのが居るから、そいつらに聞けば良いか。
各地の精霊とか、クトーニアン達にも虚無の魔法について聞いてみよう。

精霊と言えば、数年前に水の精霊にゴブリンを会いに行かせた時に、担当のゴブリンが思わず「ショゴス?」って呟いてしまったらしい。
俺の迂闊属性はゴブリンにも引き継がれているのか……。
その呟きをしたゴブリンはどうなったかって?
心を狂わされてしまったので、人面樹へゴートゥー リサイクル。まあショゴスに間違えられたら水精霊も怒るだろうよ。
人面樹からサルベージした彼の最期の記憶は『間違えるにしても、せめてウボ=サスラと呼べ……』という水精霊の思念だった。
あんたまさかウボ=サスラ落とし子だったの!?違うでしょ!?
この最悪なファーストコンタクトのせいで、未だに水精霊とは再接触できてないんだよな……。接触できても直ぐに発狂させられるし。

長命で虚無の魔法について記憶を持っているとすれば、エルフも候補になるな。
接触取りやすいエルフと言えば、確か老評議会の若手議員のテュリュークって奴がゴブリンたち〈樹木の民〉の外交窓口だったから、そいつから調略するか。
シャイターンの門だか、深き眠りの門だか、銀の鍵の門だか知らんが、虚無の復活はエルフたちの気に障る事になりそうだし、慎重に行かんとな。
彼らには虚無復活プロジェクトがバレないように気をつけなければいけない。

エルフの墓暴きでも出来れば一番イイんだけど、奴ら『大いなる意思と一体化するために』とか『不浄の存在に死後穢されないように』とかで火葬しやがるんだよな。
お陰で未だに人面樹にその脳髄を吸収できてない。
種族が違うと『読心』の魔法で読み取るのも限りがあるから、是非死体を手に入れたいんだが。

まあ、気長に待てば政争に敗れて追放された老評議会議員とかが街から出てきてサハラの真ん中で“行方不明”になるかも知れないよなあ。
テュリューク君には我がアトラナート商会〈樹木の民〉をバックに頑張ってもらって、バッサバッサと政敵を追い落としてもらわないとなあ。

くく、陰謀の味って、甘いのな。癖になりそう。
まあ、新発見を知った時の脳汁には100倍及ばないがね。

===================================
『ポイント・ロック(座標固定)』

“ぼくのかんがえたかっこいいコモンマジック”第二弾。

ある座標と、もう一つのある座標(例えば自分とハルケギニア星の中心)との位置関係を固定する魔法。当然、地面や惑星、太陽系はものすごいスピードで動いているわけで、急に座標を固定すればどうなるかというと……。本文中のゴブリンはハルケギニア星の中心と自分の位置関係を固定したので、自転に置いて行かれて大気との摩擦で燃え尽きた。
『レビテーション』に慣性を減衰させる効果がありそうなので、それを拡大解釈して、特化させて取り出してみた。
再登場の機会はきっと無い。

2010.07.24 初出
2010.07.24 誤字訂正×2



[20306] 蜘蛛の糸の繋がる先は 16.シロアリは白蟻じゃなくて城蟻なんじゃないかと疑ってみる
Name: へびさんマン◆29ccac37 ID:4dc27135
Date: 2010/08/07 22:59
ウード・ド・シャンリット、28歳である。後から思うにこの年は激動の年であった。まあ、それは追々語るとしよう。

28歳……。甥や姪、ジャン=マルクの子供たちから「オジサマ」と呼ばれて若干凹んだりする今日この頃。
ふふ、二度目の人生でも同じように凹むんだなあ。
新発見だ。新発見は嬉しいはずなのに、なんかしょっぱいぞ。

だがジャン=マルクも同じようにオジサマと呼ばれて凹んでいるのを見ると、あんまり格好良くないから止めようって気になるな。
人の振り見て我が振り直せ、だ。
大体、あいつがオジサマって呼ばれるのはその似合わない髭のせいだろうに。髭シュバリエめ。奥さんにも子供にも不評なくせに。

まあ、髭くらいないと舐められるってのは分かるが。若くしてスクエアになった奴は大変だねえ。
どうやら火のスクエアスペルを同じく火のスクエアの王軍の老元帥から全て伝授されるべく、毎日特訓に継ぐ特訓らしいし。散々扱かれるが良い。

トリステインでは火のスクエアって少ないんだよな。
これでジャン=マルクの出世街道は約束されたが、後継者が出来ない限り引退すら儘ならんという。今の老元帥も漸く引退できると喜んでいるらしい。
スクエアでも次男までなら大抵は諸侯軍に所属するし、それを考えると外国から火のスクエアを招聘しない限りはあと50年は王軍で現役で居なきゃいかんだろう。
最近は軍属のスクエアも少なくなって来つつあるし、王国のジャン=マルクに対する期待も大きいのだろうな。
……更に細君との合わせ技でオクタゴンまで使えると知れれば、どうなることやら。

それに最近なんだかガリアの方とキナ臭いしな。軍部の皆さんは色々と気を揉んでるみたいだ。
というか、この国ってガリア以外には木っ端都市国家としか接してないから、気にすべきはガリアだけというか。
あとは空中国家のアルビオンだが、あっちは少し前の大火事で治安ボロボロだからコッチには来ないだろうし。

いやあ、独立する気満々の俺んとこがガリアとの緊張がどうこう言ってもアレだがね。
むしろガリア戦役が起こったら内応しよう、とか思って情報集めてるし。

シャンリットが内応して、さらに国境を治めるクルーズ伯がガリアに寝返ったらトリステイン落ちるんじゃね?
クルーズ伯のところって200年前くらいはガリア領だったし。
あの辺って取ったり取られたりで情勢が読みづらいんだよな。血縁関係も入り組んでるし。

まあクルーズ伯が寝返っても、ジャン=マルク夫妻のオクタゴンスペル発動されたら一気に戦況覆る可能性があるよな。
仮にあの夫婦が出撃したとしても、戦場をオクタゴンスペルで焼き払われないためにトリステインの二方面作戦を強いるためのシャンリット領の内応計画(実際に内応するかは未定)なんだけども。
オクタゴンスペルで覆せるのは所詮戦術・戦場規模の話だ。
あっちこっちでガリア戦役と共に内応すれば、王族を合わせても戦場の数に対してオクタゴンスペルの使い手は足りるまい。
今代の王族はスクエアメイジが今のところ2人しか居ないから、二正面作戦以上を強いればオクタゴンスペルは封殺できる。

ああ、別にシャンリット家はホントに内応するつもりは無いし、クルーズ伯もトリステインを裏切ったりはしないだろう。
そもそもガリア戦役が勃発するかどうかも分からないしな。

だがなあ。

戦役だか内乱だかでも起きて、ウチが功績を挙げるとかしないことには、ウチのとある計画の達成にはちょっと時間が掛かりそうなんだよな。
思わずマッチポンプを考えるくらいには、達成が難しい問題だ。
ホントに戦争の火付けをやって、自分で燃え上がらせた戦争の鎮圧をして功績を自作自演しようかな。

ああ、だがしかし、何をやるにしても慎重に行わなければならない。

俺は、このシャンリットの土地を守らねばならんのだ。
古の蜘蛛神の呪いに従って、祭司の血族として。
また、二回目の命の恩に報いるために。
その為にはシャンリット家が改易されたりするのは避けねばならないし、断絶するのもいけない。

そして一方で、抑え難い知識欲も満たさねば。

世界のあらゆる知識を知り尽くしたいのだ。
その為に必要な手段も、偶然による面は大きいにせよ、揃ってきている。

あらゆる知識経験を蓄積還元する奴隷種族作成や高度な人工知能による技術的特異点通過は、ハルケギニアの系統魔法によって達成された。
それらが形作る有形無形のネットワークは、ハルケギニア星を覆い尽くして、宇宙に進出している。
さらには、俺の『前世』の世界のような物理的な側面からだけでなく、もっと魔術的で狂気的な側面からも探求を進めている。

心を狂わさんばかりの根源的衝動を満たすために、蜘蛛の糸は今も世界を覆うべく広がり続けている。






 蜘蛛の糸の繋がる先は 16.シロアリは白蟻じゃなくて城蟻なんじゃないかと疑ってみる
 





俺がマッチポンプな内乱まで考えるくらい行き詰まっている『問題』とは何かと言うと、総合科目私立学院設立の許認可についてだ。
その私立学院を中心にシャンリット領をハルケギニアの学術の中心地にしたいと考えている。

シャンリット領を学術都市化したいと考えたのは、まあ、俺の趣味の面が大きいとは言え、きちんとゴブリンたちや真理探究にもメリットがある。

今のところ顕在化していないが、ゴブリンたちが俺個人の衝動を起源にしている以上、いつかその考え方が画一化したり発想が偏ったりする可能性がある。
そういった時に創発性を取り戻す為に、私立学院は、多種族――最終的にはハルケギニア人以外にも様々な亜人を迎える学院にして、それらの異なる価値観の衝突・意見交換の場にしたいと考えている。
まあ交流するなら、ハルケギニアの種族よりも〈イスの偉大なる種族〉とかの方が有益だろうけど、それはそれで別方向で進めている。

私立学院創設と星間の神話的クリーチャーとの交流は同時並行で行っている。
マンパワーが有り余っているから、手当たり次第に色々と宇宙規模で実行しているのだ。

だが、この私立学院創設のための交渉が中々難航している。
父上にロビー活動してもらって、更に父上とは別口でアトラナート商会経由で金をばらまいているんだが、最後の最後で王政府の裁可が得られない。

許可なんて無くていいだろうって?
シャンリット領が独立できてさえいれば、確かに許可なんか無くてもいけるがな。或いは侯爵に陞爵するとかで権限が拡大されていればさ。
今でも私塾の形でアトラナート商会が出しているものは幾つかあるが、そこでは計算や統計とかの実学はやっていても、純学術的な研究は行っていない。
組織的な魔法研究なんて以ての外とのことだ。魔法は軍事技術だからな。

父上経由でロビー活動した際に、教育の重要性を説きまくったのが裏目に出た。
そんなに重要なら反乱の芽を育てないためにも、地方伯爵に任せるわけにはイカンということに宮廷が固まりつつある。
じゃあ国立で更に多くの学院を創設出来るのかと言えば予算がないんだが。

……金をバラ撒きすぎてトリステイン中の汚職に対する敷居が低くなって、役人連中の倫理観が狂って来ているが、それでも流石に宮廷で主流を張る貴族は惑わされない。
そういった賄賂で動かない貴族を説得するための、父上の熱心なロビー活動だったんだがなあ。
現王も潔癖な王だから賄賂漬けの案件には意地でも裁可下ろさないって腹積もりのようだし、なんか色々裏目に出てる。
実際、賄賂がはびこる現状では彼らがトリステイン最後の良心の砦だし。いや、最後の砦だった、か。

最初は正義感でアトラナート商会絡みの案件を却下してたんだろうが、今では完全に感情論に摩り替っている、ように俺には見える。
今では逆に、アトラナート商会が不利になるような案件の裁可ばかり通りやがる始末。その内容が合理的かどうかは置いておいて、だ。
既存のギルドの保護や、新商品や新作物への課税率の上昇、法人税の値上げなどなど。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。アトラナート憎けりゃ蜘蛛皆殺し、ってな具合だ。

……まあ、仕方ないけどね。

既存産業や大手商会のシェアを脅かしているのは確かだし。
その上、ここトリステインでは新参者に対する風当たりが強い。更に言えば、アトラナート商会の主要構成員は異人――矮人――である訳だし。
食品業界と運送業界で一気に成り上がったアトラナート商会に対して、その規模が拡大して旧来の大商会(多くは名門貴族と繋がりがある)をも脅かすようになると反発が一気に強まった。

有力公爵(母方の祖父の血筋)が反アトラナートだってのも後押ししている。
商会は王都に進出しているものの、アトラナート商会のメインは他の商会が余り進出していなかった田舎の方のニッチ市場と新作物の栽培を普及させる余地のある農村地帯だったし。
これは既存の商会との軋轢を避けるためということもあるが、各地にある教会が各地の情報を握っているように、各地に支店を作ってゴブリンを浸透させて情報網を構築するという目的もある。

既存商会との軋轢を避けるためのニッチへの進出という措置ではあったのだが、ここに来てそれが裏目に出た。
軋轢を避けてきたために、これまでは既得権益を持つ者からの大きな反発はなかったが、逆に言えば軋轢を避けるためのニッチ市場というのは、彼らからしてみれば既得権益には影響しないが故に潰してしまっても構わないものとも言える。
……潰すよりも、アトラナート商会が開拓していった市場――新しいパイ――を自分たちで分け合った方が得だとは気付いているだろうが、5000年の伝統はそれだけで新潮流を否定する理由となる。
保守派という程確固たるモノではないが、トリステインという国の奥底に変化を厭う方向性――5000年の誇り――が染み付いているのは確かである。

だが、ヒトは誇りのみにて生きるにあらず。王都と地方では温度感が違うんだよな。

折角栽培を始めた新作物に法外な税金が掛けられたら、農民はどう思うかな。
あるいは便利なアトラナートの商店が扱う品々が急に高くなったら?

……当然不満に思うだろう。

しかもその原因を、「アトラナート商会の締め出し」ではなく「地方への圧迫」という事にすり替えて流布したら?

くふふ。ふはは。どうなるだろうね。くふ。


……。

……あ。

というかこんな姑息な企てや賄賂ばっかりやっているから、アトラナート商会が中央の要人には信頼されずに圧迫されるのか。
案外と誇り高いからな、中央の奴らは。末端は腐り始めてるが。正確にはアトラナート商会が腐らせてるんだけど。

んー、まあ良いか。
結果的にマッチポンプになるが、こうやって地方の不平不満を煽ってやれば、中央も最終的にアトラナート商会に頼らざるを得なくなるだろうし。
召喚ゲートや量産型の〈ゲートの鏡〉による最速流通網は、アトラナート商会しかノウハウ持ってないからね。
地方の不満を収めるためには、アトラナート商会の各支店を活用する必要があるだろうから、こっちに泣きついてくるだろう。
こちらも本格的に内乱起こしたい訳じゃないから、助けるの吝かではないし。

とは言え、一歩間違えたら、風説の流布とか国家反逆教唆とかで罪を問われるかも知れんから、慎重に行かんとなあ。
権力機構を表立って敵に回せるほどには、人間社会での勢力圏を広げられてないし。
戦力は充分に生産できるけど、別にトリステインを滅ぼしたいわけじゃないし。
しかも矮人に退けられたとなれば、貴族としての威信を踏み躙ったとかで今後数百年の禍根の原因にもなりかねん。

……向こうから攻めて来られたら、穏便に対処する限りではないが。


今後も学院が設立されるまで、高官は賄賂漬けの方針を続ければ良いとして、民間はどうするかな。
今でも充分に支持はあると思うが、新興宗教的手法でも使って更に切り崩しに掛かってみるか?

でも、この世界だと生半可な“奇跡”を見せても「ハイハイ、魔法魔法」で済まされるから、案外新興宗教の台頭は難しいか?
いや、貧困が蔓延っているから、それを助けつつ色々と唆してみるかな。
魔法のある世界での新興宗教の確立方法について研究するのも面白そうだ。
逆に魔法があるが故の、特殊な麻薬や媚薬を使った方法というのも考えられるな。

高官向けには賄賂漬けの他にも、フリーメイソンとか星の智慧教団のような秘密結社を目指しても良いかも知れない。
幸いにして、結構な要職に就いている者の中にも、入れ替わって成り代わったガーゴイルが混ざっているし、それでなくともアトラナート商会の幹部と繋がりを持ちたい者たちは若手を中心に多いだろう。
そういった者たちを上手く誘導して、最初は利害を繋ぐための顔合わせのような簡単な会合から初めて、徐々に深化させていくと良いだろう。

だが、効果は暗然のうちに留めたい。
変化を及ぼしたいが、公にはしたくないという矛盾。……いや矛盾ではない、バランスが大事なのだ。
人間の社会は人間のものだ。

5000年の誇り。
結構じゃないか。古いことは尊いことだ。
旧くからのモノに仕える身としては、歴史というものも蔑ろには出来ない。

異種族が干渉し過ぎても良いことはない。
……と、言うものの、かなり食い込んでるしなあ。
今後は、如何に影響を限定させていくか、どう人間社会から穏便に撤退させるかだな。

でも、シャンリット領だけは実験場として残そう。
ヒト社会への影響を調べるための限定的な実験場として残そう。
蜘蛛神の祭壇としても重要だから、ココだけは抑えておかなければいけないし。



さて、どうして急に人間社会からゴブリンたちを撤退させようと思ったのか、だが……。


それは……うん、そうだな。唐突だが、喩え話をしよう。
南にある大陸の――『前世』ではオーストラリアに相当する場所の――ある沙漠に生きているシロアリの話だ。

その沙漠には2メートルはあろうというシロアリの蟻塚が幾つも林立している。
その蟻塚は、外の環境からシロアリを守り、沙漠という過酷な環境でこの小さな生き物が生きてゆく拠り所となっている。

蟻塚の女王アリたちとそれが生むシロアリたちは、何百世代にも渡って蟻塚を補修し、過酷な沙漠で生きるための家を……いや、城砦を維持してきた。
沙漠に林立する蟻塚のうち、ある蟻塚はおそらくは1000年以上前、沙漠が出来たときからあるものだろう。



この話を聞いた後に、あなたはこの蟻塚を壊すことが出来るだろうか。

俺には出来ない。その歴史には畏敬の念すら覚える。


そんな風に長年に渡ってちっぽけな生き物が積み重ねてきた歴史を、滅茶苦茶に引っ掻き回して崩壊させ尽くすことなんて、とてもじゃないが――




――勿体無くて――



――――モッタイナクテ、そんナ事は出来なイ。




無くしたものは取り返しが付かないのだから。
時間の積み重ねというものは、それだけで尊いのだ。

だけど、それでも、壊したいという欲求はある。

触ったらどうなるんだろう?
孔を開けたら?
女王蟻を入れ替えたら?
乾かしたら?
水浸しにしたら?
壊したらどうなるんだろう?

気になる気になるキニナルきになる気にナる――!


ならばどうするのか。



簡単だ。

実験場を作れば良い。
箱庭を作れば良い。
蟻塚の一本を抜き出して、それを育て、調べ、作り替えて――そして壊してしまえ。


ハルケギニアという蟻塚を区切って、箱庭を。
シャンリットという箱庭を。

蜘蛛の巣が架かる深淵の谷の蓋の上に祭壇を。その上にヒト社会を観察する実験場を。

その第一歩として、ゴブリンがヒトを観察するための公然で暗然の観察拠点を。
そしてゴブリンの視点ではなく、ヒトの視点で観察したヒト社会の情報が集まるような、学術の中心地を。

そのためにも、俺は学院を――それも、自分でコントロールできるように私立学院を――シャンリットに作りたいのだ。







「プロジェクト〈ラピュタ〉」――空中人工島計画の進捗について報告が来ている。

現在は72本の軌道エレベータのうち取り敢えず3本で着工を開始している。
人工島建設のための建材には、新しい地底都市を造る際に刳り抜いて不要となった土砂を用いて『錬金』で作っている。
今まで調子に乗って造った地底都市の拡張分の土砂は〈偽・ユグドラシル〉の建造質量に用いていたが、もうそろそろ新しい世界樹は要らんしな。


基本的には地底都市で組み上げた部材を〈ゲートの鏡〉で建造場所まで送り、『レビテーション』で浮かべた状態でドッキングさせるというブロック工法を取っている。
ブロック工法は、建造物が大きくなればなるほど、各ブロックの精度が重要になる。
並行するブロックが、ある列では1サント長く、別の列では1サント短かったらどうなるだろう。
ああ、別に一つ二つのブロックを繋げるだけならそれでも良いだろう。

じゃあ、そんなブロックが100個連なったらどうなるだろう?
列同士は最終的に、1サントの差が積もり積もって2メイルもズレることになるかも知れない。そんなにズレたら建築としては成り立たない。
だが、大規模建築を可能にする建造ノウハウは地底都市や月面都市の建造によって蓄積されてきたし、人工島を建築しながらも蓄積し続けている。
空中人工島の建設は、ゴブリンたちの加工精度の向上によって可能になったのだ。

組み上げられたブロックは最終的に〈黒糸〉が隅々まで行き渡らせられ、計算された各所に自重軽減用の常時『レビテーション』の魔道具が設置される。
構造維持用の『レビテーション』の魔道具には、〈黒糸〉経由で〈偽・ユグドラシル〉の太陽光発電から変換された精霊石の力を注ぎこむようになっている。
この魔道具が消費する魔力は本来微々たるものだが、支えようとしている質量が質量だけに、膨大なエネルギーを毎秒要求する。
16本の蜘蛛の巣状に広がる支柱を軸にした半径20リーグの32角形の盤状の人工島は、いくら軽量化するための特殊な素材と構造をしているとは言え、その巨大さから、相当な重量となっているのだ。

まあ、もともと、有り余ったエネルギーを解消するための無駄遣い施設だからな。
その位無駄飯食らいでも良かろう。
空中の様々な現象やハルケギニアを俯瞰して観察するための拠点でもあるから丸切り無駄という訳でもないし。

ゴブリンたちの生息圏という意味では、もはやトリステインやシャンリットに拘る必要は無くなっている。
地底都市や月面都市に、建造中の空中都市と火星都市。
さらには現在計画中のハルケギニア星の軌道上の逆位置の人工惑星計画――火星木星間の小惑星を転移させて材料にする予定だ――もある。

広大な領域を開拓した現在では、シャンリットというのは蜘蛛神教の聖地――アトラク=ナクアの居城の直上という以上の意味はない。まあ、それこそが重要ではあるのだが。
シャンリット以外に釈迦力になって生息圏を確保する必要が無くなっている以上、ハルケギニアの人間、エルフ、他の先住種族、東方地域の人間も全て、ゴブリンにとってはその社会構造も含めての研究対象でしかない。
そして、研究するに当たっては、出来るだけ観察者の影響を排除したいと思うのが当然ではないだろうか。

そう思うようになったのは〈イスの偉大なる種族〉と交流を重ねてきたからだ。
彼らは徹底的に理性的で、隠遁的で、知性に充ち溢れた種族であった。
彼らはあくまで観察者であり、記録者であり、侵略者ではなかった。
表に存在がバレないように、彼らは自分たちの存在を病的なまでに秘匿しようとする。
彼らに習い、我々も我々自身のその存在を秘匿するべきだと判断するようになったのだ。

これには、〈イスの偉大なる種族〉と交流するに当たって、彼らにとって我々が『交流に値する』種族だと認めてもらいたいが故でもある。

……〈偽・ユグドラシル〉とか空中人工島〈ラピュタ〉とか、軌道エレベータ〈イェール=ザレム〉とか目立つものをかなり造っているから、その影響や痕跡を取り除くのが大変だけど。
これから20年から30年かけて、ゴブリン全体はシャンリット以外のハルケギニア星の地域から撤退し、目立つ構造物は研究拠点のみを残して、その多くを破棄・自壊させる予定である。
30年後には主な拠点をハルケギニア星軌道上の逆位置に建造する人工惑星に移す予定である。

火星や月に拠点を移せないのは、そこには星間を渡って棲み着いた先住種族が居るためである。
彼らとの交流、軋轢の解消も今後の課題である。
当初に彼らとの間であった争いは、今は小康状態だが、いつまた戦争状態に突入するか知れたものではない。

まあ、不幸な誤解や行き違いが元で流血沙汰になるのは良くあるよね!
不意を打たれて一方的に滅ぼされたかけたけれども!復旧可能な被害だからこちらは気にしないけどさ。






徐々に徐々にゴブリンたちのトリステイン社会内での拡大政策を、縮小方向に転換しつつ、引き続き各種プロジェクトや私立学院創設の根回しをしている中で(賄賂は控えめに転向)、クルーズ伯爵領から急報が届いた。

シャンリットの学術研究都市化交渉がなかなか進まない中、妻の実家であるクルーズ伯爵領と、そちらに隣接するガリアが戦争状態に入ったことが現地の商会の駐在員から齎されたのだ。
さらに時を同じくしてシャンリット領の東の先、東方地域の都市国家群からの宣戦布告と侵攻も確認された。

遠交近攻という訳か。ガリアが音頭を取って侵攻のタイミングを合わせたのだろう。
しかも、東からの侵攻はアトラナート商会の建物を重点的に抑えながら、シャンリット領を目指して進軍中らしい。
商会のゴブリンメイジたちには、一応は反抗させずに待機させて情報収集に努めさせている。

ウチの東隣の領地の領主はどうしてるかって?
向こう(東方都市国家群)に付いてましたよ、コンチクショウ。
あそこは何代か前に、東の都市国家のどっかの姫を妃に貰ってたし寝返っても不思議じゃないが。
確かに賄賂漬けでトリステインの内政は不味くなりつつあるし、隣の領主がトリステインを見限っても不思議じゃない。

それにアトラナート商会の新技術やらなんやらは魅力的な果実に映ったのかも知れんね。
ガリアがバックにあれば丸っきり勝ち目がない訳でもないと踏んだのか。
あるいは、シャンリットが豊かになる傍ら、割を食っていたということも原因にあるかも知れない。
あとは俺が年若くて嘗められてるとか?


まあ、丁度良い。
功績を上げて中央に恩を売る良い機会だと思おう。

それに、シャンリットの地を侵そうなどと思った輩がどうなるのか見せしめるのにも都合がいい。
王都の連中にもシャンリットに手を出したらどうなるかというのを分かるように、東の奴らには華々しく散ってもらおう。

くふふ。平らげてくれる。くふふふふふ。

出来るだけ人間社会に影響しないようにするんじゃ無かったのかって?
ああ、それはこのシャンリットさえ侵されなければの話だ。優先順位の問題だ。
ココだけは死守しなくてはならないんだ。
その為には何だってやるつもりだが、一応これまでは穏便な手段を選ぼうとはしてきた積もりだ。

ただ、侵略者には容赦はしない。
向こうがその気なら、やってやろうじゃないか!

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CoC要素は今回は特に無し。
主人公が支離滅裂すぎる気がしてならない。うーん。書き直すかもです。


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