テッド・バンディ Ted Bundy
セオドア・ロバート・バンディ−−彼こそ殺人者の中の殺人者、アメリカ史上最大最凶、人間の形をとった悪夢である。
テッド・バンディは頭脳明晰、容姿端麗。IQ一八〇と言われ、ユタ大学法学部では最優等生のひとりだった。弁舌にすぐれ、人をひきつけるカリスマも持ちあわせていた。法曹界に進むこともできただろう(死刑判決をくだした裁判官は「君がこの法廷に弁護士として立っているんだったら、どんなによかったかと思う」とねぎらいの言葉をかけた)。政治家になることもできただろう(ユタ州知事ダン・エヴァンズ再選委員会で働いたこともある)。だが、そのどちらでもなく、彼は連続殺人者となる道を選んだ。
事件は一九七四年からシアトル近辺ではじまった。若く美しい女性が立て続けに行方不明になったのだ。いずれも良家の娘や身持ちの堅い若妻、見知らぬ男の誘いに乗るのがどんなに危険かよくわかっている女たちばかりだった。みな長い黒髪をまん中で分けた美人。警察は”不審者に気をつけよう”とキャンペーンを張るが、女たちは消えてゆく。
七四年七月十四日、ワシントン州サマニッシュ湖のほとりで本を読んでいた若妻が、腕にギブスをしたハンサムな若者に声をかけられた。車にボートを積むのを手伝ってほしいと言う。彼女は駐車場までついて行った。茶色のフォルクスワーゲン・ビートル。しかしボートはない。ボートは家に置いてあると青年は言った。だけどもう待ち合わせの時間だから……彼女は謝ってそこで別れた。若者は感じよくほほえんで礼を言った。しばらくして、若者がかわいい女の子を連れて駐車場に歩いていくところを見かけた。うまくやったじゃない。翌日の新聞を見て、彼女は自分がどれだけきわどいところだったかを知った。
秋から失踪はユタ州に移った。警察署長の娘が消え、一八三センチもあるスポーツ・ウーマンが消えた。コロラド州でも何人か消えた。ほぼ月に一人のペースだ。警察は”テッド”という名前と車種はつかんでいたが、そこまでだった。テッド・バンディ本人は何度か捜査線上にのぼっていた。同棲中だった恋人リズ・ケンドールすら、一度通報を入れているのである。だが、誰も本気で彼を疑ってはいなかった。あんなに魅力的な男が連続殺人鬼だなんて、そんなバカな。翌年八月に、ほんの偶然からバンディが逮捕されなければ、犯行はまだまだ続いたことだろう。テッドのVWにパトロール警官が不審をいだいた。逃げようとしたところを捕まえて車を調べると、中からスキーマスク、アイスピック、バールが発見された。さらに行方不明になった女性の髪の毛も。テッドは誘拐、暴行、殺人の罪で起訴された。だが、彼の真価が発揮されるのはここからだ。
テッドは口がうまく、ユーモアのセンスもあり、法律にも通じている。弁護士を罷免し、自分で自分を弁護した。無実を信じる者もいた。裁判は話題になり、テッドは人気者になった。テッド自身も自信を深めたのだろう。逮捕から二年後、テッドはコロラド州アスペンの刑務所から脱走する。二階の図書室から(自分自身の弁護人として調査をする権利が与えられていた)九メートル下の道路へ飛び降りたのだ。このときは結局警察の非常線を突破できず八日後に逮捕。しかしバンディは懲りない。半年後に二度目の脱獄を試み、またしても成功してしまうのである。
バンディ人気は沸騰した。警察はもともと嫌われ者だ。テッドはバカなポリ公をあざ笑って不可能を実現してみせた。いわば現代版ビリー・ザ・キッドというわけだ。バンディTシャツは飛ぶような売れ行きを見せ、バンディを称える詩が作られた。レストランのメニューには”バンディ・バーガー”(肉が逃げ出したハンバーガー)と”バンディ・カクテル”がつけ加わった。テッドの行方はようとして知れない。
一九七八年一月十五日。フロリダ州タラハシー。フロリダ州立大学カイ・オメガ女子寮が何者かに襲われた。わずか十五分で二人が殺され、二人が重傷を負った。二月十五日、ペンサコーラの警官が盗難車を発見した。オレンジ色のVWビートル。熾烈なカーチェイスの末、運転していた”クリス・ヘーゲン”が逮捕された。照会した警察は仰天した。男はFBIの指名手配リスト第一位だったのだ。逮捕はされたが、彼の犯罪の全貌は結局明らかにされなかった。警察はテッドの犠牲者として十八人を数えているが、とうていこの程度では済むまい。本人は六州で百人以上を殺したと語っている。
八九年に処刑されるまでテッドはニュースであり続けた。フロリダで死刑囚監房につながれながらGFキャロル・アン・ブーンと結婚し、あまつさえ妊娠させた。子供は息子だった。三度目の脱走計画(失敗)。ジョン・ヒンクリーとの文通……などなど。
奇妙なことに、その名声にもかかわらず、彼を主人公にした映画は一本も作られていない。わずかにマーク・ハーモン主演のTVドラマ『ダブル・フェイス』(86)があるのみだ。つまらなくはないが、事実に忠実という以上のものでもない。あとは『羊たちの沈黙』(91)で、バッファロー・ビルが犠牲者を誘いこむ手口に、テッドのそれが使われていたくらいである。これほど有名な、大衆の想像力を刺激してやまない事件が、いまだ映画化されないのは奇妙なことにも思える。アンドリュー・サリスは「ロブ・ロウにテッド・バンディを演らせたい」とまで言っているのに。
奇妙な話だが、テッド・バンディは有名すぎるのである。語弊を恐れずに言えば”すばらしすぎる”。彼の犯罪、彼の存在はまるでよくできた小説のようでさえある。スティーブンソンはジャック・ザ・リッパーにインスピレーションを受けて『ジーキル博士とハイド氏』を書いた。しかし、それから100年後に現れたテッド・バンディは、スティーブンソンのどんな想像力をも上回るすさまじきジキル博士だったのだ。『アメリカン・サイコ』(ブレット・イーストン・エリス)も、『ゴールデンボーイ』(スティーブン・キング)も、バンディを乗り越えてはいない。バンディはフィクションだ。彼の犯罪はあまりにビザールで、映画作家の想像力が介在する余地が残されていないのである。「優れた原作から優れた映画は生まれない」と言うが、卓越した犯罪からも優れた映画は生まれないのだ。
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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 /
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