大相撲名古屋場所:1週間遅れで番付発表 琴光喜の名も

2010年7月5日 11時26分 更新:7月5日 13時35分

発表された番付には、前日解雇が決まった琴光喜関の名前も=名古屋市中区の愛知県体育館で2010年7月5日、竹内幹撮影
発表された番付には、前日解雇が決まった琴光喜関の名前も=名古屋市中区の愛知県体育館で2010年7月5日、竹内幹撮影

 日本相撲協会は5日、野球賭博問題の影響で延期していた大相撲名古屋場所(11日初日、愛知県体育館)の新番付を発表した。当初、番付は6月28日の発表予定で、約40万部の頒布用(50円)は印刷されてしまったため、解雇された琴光喜関の削除は間に合わず番付に掲載された。関取(十両以上の力士)では、4日の臨時理事会で謹慎処分の幕内6人、十両4人の10人が全休。戦後関取の全休者が最も多かった00年夏場所と02年名古屋場所の8人を上回る。異例ずくめの場所を象徴する形になった。

 番付は本場所終了の3日後に行われる翌場所の番付編成会議で決まる。力士名などを書記役の行司が筆で記し、印刷作業まで、ぎりぎりで発表の3日前に終える。琴光喜関の処分が「解雇以上」と勧告されたのは6月28日で、削除作業が間に合わなかった。最近では、大麻問題に絡み、08年秋場所で若ノ鵬が番付発表の約10日前に解雇され削除されたが、露鵬と白露山は番付発表後の解雇だったため、そのまま掲載された例がある。また番付には、解雇された大嶽親方の名も掲載されている。

 琴光喜関の解雇に伴い、1横綱4大関のうち日本人力士は先場所千秋楽で千代の富士に次いで史上2人目の通算1000勝を記録した、幕内最年長の37歳、大関・魁皇関だけ。また北の湖部屋は力士数46人。昨年名古屋場所で暴力団関係者が維持員席で観戦した問題を受け、閉鎖された木瀬部屋から力士らが移籍してきたため、98年秋場所の二子山部屋(41人)以来となる40人を超えた。

 常ノ花、佐田の山らの横綱を輩出した名門・出羽海部屋では、1898(明治31)年の春場所以来、112年ぶりに関取ゼロ。出羽海部屋では、幕下に陥落した普天王が野球賭博に関与して謹慎処分を受けた。

 協会によると、番付発表日の延期は1946(昭和21)年11月場所以来。番付表記載の日付が発表日と異なるのは、27(昭和2)年1月場所以来、83年ぶり。【武藤佳正】

 ◇取組は

 名古屋場所番付の関取内訳は幕内42人(21番)、十両28人(14番)。解雇、休場が幕内で7人いる。今度の名古屋場所の場合、単純計算なら幕内同士が4番減。余った1人分は十両力士を上げて18番、十両は幕下上位を1人上げて12番にする。02年名古屋場所では終盤で関取15人の休場者が出た例がある。この時は十両力士4人を幕内に上げて幕内取組を4番増やす「水増し取組」を作ったこともある。

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