本書も指摘するように、その最大の原因は大学の定員を増やしすぎたことにある。1985年に26.5%だった大学進学率は2009年には50.2%になり、学生数は184万人から284万人に増えた。90年代前半までは「団塊ジュニア」が増えたので大学の定員を増やしたのはやむをえないが、学齢人口の減った90年代後半以降も文科省は大学の認可を増やした。
それによって定員割れが起こると、「AO入試」や「推薦入学」などの名で実質的に大学入試をなくした。そのためAO・推薦で入る学生が50.8%にのぼり、早大の政経学部でさえ一般入試を受けた学生はわずか40%という学歴のインフレが進んだ。
その結果、企業の人事担当者も、国立大学と一流私大以外は学歴をみて採用しなくなった。私大の半分以上は入試を受けていない「水増し」学生なのだから、偏差値がもはや学力のシグナルにならないのだ。
現在の若年労働者の悲惨な状態のかなりの原因は、このように労働市場や大学の実態を無視して大学の増設を進めた教育行政にある。もちろん、いまだに年功序列にこだわって中高年の過剰雇用を守り続ける企業にも問題があるが、雇用慣行を変えることは簡単ではない。それに対して大学生の供給過剰は文科省がコントロールできるのだから、早急に対策をとるべきだ。
それによって定員割れが起こると、「AO入試」や「推薦入学」などの名で実質的に大学入試をなくした。そのためAO・推薦で入る学生が50.8%にのぼり、早大の政経学部でさえ一般入試を受けた学生はわずか40%という学歴のインフレが進んだ。
その結果、企業の人事担当者も、国立大学と一流私大以外は学歴をみて採用しなくなった。私大の半分以上は入試を受けていない「水増し」学生なのだから、偏差値がもはや学力のシグナルにならないのだ。
現在の若年労働者の悲惨な状態のかなりの原因は、このように労働市場や大学の実態を無視して大学の増設を進めた教育行政にある。もちろん、いまだに年功序列にこだわって中高年の過剰雇用を守り続ける企業にも問題があるが、雇用慣行を変えることは簡単ではない。それに対して大学生の供給過剰は文科省がコントロールできるのだから、早急に対策をとるべきだ。
コメント一覧
>現在の若年労働者の悲惨な状態のかなりの原因は、このように労働市場や大学の実態を無視して大学の増設を進めた教育行政にある。
文部省がそうしたのは事務長等テメー達の天下り先を増やしたかったからです。
補足しておくと、本書は『学歴の耐えられない軽さ』と重なる話が多く、そっちを読んだ人はこれを読む必要はないでしょう。また「新卒一括採用は合理的だ」など、牽強付会な議論も多い(そういう部分にかぎってデータがない)。日本企業の人事システムを変えないで、移民を増やせば問題が解決するなどという政策提言はナンセンス。
別に学力が高いことが学校にとっての収益とは関係ないからでは?僕が楽天の社長なら楽天小学校~大学まで作って、若いうち職業訓練と称して安く使えるブルーカラー労働力としてコキ使い、高校大学はホワイトカラーになるための教育を施します。
有名私立大学に、一般受験以外で
入学しているのはすごくわかります。
推薦での入学がすごい多いと思います。
ナンセンスで申し訳ありません。
池田先生と論戦するほど知力を持ち合わせていませんが、わたしは自分のブログでは規制緩和を進め企業経営の最適化を図れる環境をつくり競争原理により企業淘汰を進めることを必要条件とし、移民を受け入れる事を十分条件とする考えをアップしてます。
また移民は教育現場における競争も促進する効果があると思ってます。
池尾先生のツィートで中国人女性の生徒さんの勉強熱心さ、優秀さが紹介されてました。
移民は日本のしがらみに捕らわれず自己の最大幸福を追求する貪欲さを持ち合わせており、彼らが日本の社会や組織に注入される事により否が応でも日本人も彼らとの競争に巻き込まれ変わっていくと思います。
勿論「それはお前の希望的観測に過ぎない」と指摘されればその通りでしょう。
わたしも自分の頭の程度はわきまえているつもりですから、自説が絶対に正しいと主張するつもりはありませんが、少なくとも自分の意見を発表する権利は有しているし、池田先生にはそれを削除する権利があるのだからこれからも遠慮なく自分の考えをコメントさせていただきます。
そもそも技術革新や需要低迷で昔ほど人手が必要ないのと、大卒だからと言って必ずしも優秀じゃないからじゃないでしょうか?
入試云々は、それをパスしたからと言って必ずしも仕事に生きる知識は多くないし、優秀な人材とも限らないと思います。
むしろ入試システムよりも、大学側の体たらくの問題ではないでしょうか? もし大学に入った段階での評価で能力が決まってしまうなら、大学の教育機関としての価値はないですよね。能力が足りないからこそ、それを開発するために教育機関に行くわけですし、大学内でしっかり鍛えればそれなりに使える人材になるはずだと思うのですが。
もし大学行っても行かなくても変わらないのであれば、大学の存在価値はないですし、あえてそんなとこ行くのは時間と社会資源のムダです。
であれば、高校生を取って会社で実戦経験を積ませたほうが早く即戦力になると思います。
じゃあ、かといって高卒なら仕事があるのか?
仕事があったとしてそれは給料が良くて将来性があるものなのか?
って言う話になると思います。
結局、根本は雇用そのものの改善ではないでしょうか?
大学に行かなくても仕事があって給料もよくて将来性もあるって形なら誰も大学に行かないと思います。
(農家の後継ぎがいないのと同じ)
一方でどんな理由であれ、大学に行きたいという水増しの学生希望者がいたとして、それを受け入れる新しい大学を私立の組織が作ることを規制するのは資本主義国家として正しい道だとは思えないですがどうでしょうか?
移民以前に日本人自体が余りまくっている。
若年雇用の問題は少子化・世代間格差に直結している重要課題であり、国力低下の原因になります。
そういった意味で、私も移民はナンセンスだと思います。
結局、雇う側のパイが足りないんですよね。
企業体質を変えるべきなんですが、ここでも「既得権」というわけです。
過剰な社員の保護と年功序列・終身雇用をやめて、普通に能力で評価するシステムにすれば
人件費的にも効率化が図れ、大卒が何人居ようとも、能力のある者はそれに見合った給与を得られるはずなんですがね。
ぬるま湯に浸かってきた中高年たちは定年までしがみついて逃げ切りたいだけなんでしょうが、
その裏で、彼等の数十倍苦労している若年層に職が無いという不条理。
「かつての日本社会」を未だに繰り返している会社が減らない限り、この問題は続くでしょう。
この手の話(教育・労働・研究市場と大学の話)になると「百家争鳴」状態になるので・・・
基本的な、情報の経済学(逆選択、シグナリング、PA理論)・インセンティブ設計理論あるいは進化ゲーム理論的な考え方が必須でしょう。
私は、アメリカのような私学&州立大学&国立理系高等研究所やフランスのような(宗教的ともいえるほどの)テクノクラート養成専門学校が参考だと思います。所得再分配・格差是正・社会の階層固定化を防ぐ方法は、教育バウチャーとか奨学金制度拡充とか東大教授がNHK放送大学のようなもので布教するなどで対応するべきでしょう。
国立の東大生の両親が、甲南大、学習院、玉川大の両親よりフローの所得が高いとかギャグでしょう(笑)ストックはどうか知りませんが。
アメリカには、市場重視のシカゴ、ミネソタ、ロチェスター、塩水派のハーバード、MIT・・・とか、金融・数理のペンシルベニア・ウォートン、比較制度分析のスタンフォード、法と経済学のハーバード、ノーベル賞多数輩出のmega institute(国立衛生研究所、ウッズホール海洋生物学研究所、ローレンス・バークレー国立研究所)・・・と競争政策が機能している。日本の制度は、疎結合・局所均衡・時間軸非整合性です。
特殊な専門学部でもない限り、全く勉強していない人でも卒業できてしまう仕組みが問題だと思います。しっかりと勉学に励んでいない学生は、ばんばん留年or退学させるべきです。
入学する人間を減らすことは色々な人たちの利害に関わることですので難しいと思いますが、勉強しない人をどんどんやめさせることができれば、入学が容易になっていたとしても、大学を卒業できた人とそうでない人を差別化できると思います。
東京で大学生だった頃、周りの大学で面白そうな講義を色々勝手に見学していましたが(笑)、どこの大学でもおおむね、しっかり勉強していると思われる人は、前に座っている5、6人くらいのものでした。後ろに座っている大多数の漫画読んでたり携帯いじっている単なる出席日数稼ぎの人たちでも卒業できるシステムが大問題です。
あれを許しているくらいなら、どうせ専門知識が身に付くとも思えませんので、上の方がおっしゃっているように高校卒業後に実務に就かせた方がましだと思います。
「大卒を減らしたら高卒が就職に困るだけ」という類のコメントがツイッターなどで多いので、ひとこと:
大卒の対義語は、この場合は高卒ではなく「専門学校卒」で、ちゃんと技能や資格をもっていること。特に介護や医療の分野では、慢性的に人手不足。最近は大学を卒業してから専門学校に行く学生も増えたが、これは時間の無駄。ごく一部の一流大学以外は、最初から専門学校へ行ったほうがいい。
日本人にとっては「高学歴」は=「豊かさ」の指標だったのでしょう。一億総中流などという妄想にしがみつかんがためにもこのアイテムが必須だったわけです。「大学にいけない=金がない=下流」という思考過程が出来上がったわけです。
自分たちの奴隷労働が「豊かさ」をもたらしていると信じ込むためにも「大学進学」は何が何でも必要だったわけです。
文部省のなんでも「総合主義」の弊害もあります。専門的人材は視野が狭いから、総合的人格を作るのが教育の目的だ、などという狂信的妄想の犠牲者が大卒無職であるように感じます。
しかし、一昔前までの「日本型経営」ではそのほうが企業にとって都合が良かったわけです。新卒入社→真っ白→企業色に染める、のやり方で奴隷兵隊を養成してきたのですから。
彼らからすればいまさらそのやり方が通用しなくなったからって、最初に言ったのは「ウソ」ですとはいえないでしょう。
で、結局しわよせは今の新卒がかぶることになるわけです。
結局日本は今の韓国みたいになるんじゃないですかね?(笑)
ついでに城繁幸氏が同じ本を取り上げてましたね。
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/8beb5acf05dc3d44ce822c0667fb8bfb
いろいろコメントみてると、予想どおりovershootしてるなあ。いかにコンプレックス・裏コンプレックスが人間を増強せしめるのかが窺えしれる。(正鵠を射たコメントもあるようだけど)
抵抗勢力?の文部科学省の役人も大変だろうな。この、脳ミソで絡まった糸をときほぐすのは容易ではないでしょう。。
レジャーランド化している特に文系の大学は不要だと考えます。衛星予備校ではないがネットを初めとする手段で全て公開し、視聴者に評価してもらえば良い。
開き校舎の有効活用は公園・老人ホーム・育児・託児所・カルチャーセンター・スポーツジム、何でもOK。
新規事業の開拓・雇用の流動化の良いモデルケースです。
拒むのは、学生に嘘を教えて所得を得ている詐欺師学者とその周辺。