欧米人に向かいて、われの義を明らかにせんと努めたるこの一篇は、わが邦人にと りて新議論ならざるはもちろんなり。かつ、その論旨の欧米的にして、文詞の訳読的 なるは、読者の推量を乞う。 人類が地球面上に正義を建つるの目的をもって戦場におもむきし時代は、はや、す でに過ぎ去りしがごとし。この物質的時代の人は、その戦争の、ことごとく欲の戦争 たるを承認すると同時に、戦争の避くべからざるを知るがゆえに、ついに欲をもって 戦争の正当なる唯一理由なりと信じ、欲によらざる戦争とは全く彼らの思惟にのぼら ざるに至れり。「義のための戦争」とは、今時代の人にとりては、清党時代の旧習古 俗とひとしく、全く廃弛(はいし)せられ、人は義戦を口にして、これを信ずる者な きに至れり。ゆえに、吾人の手に取りし目下の戦争を評するに、同一の精神をもって し、吾人の朝鮮占領をもって吾人の邪念に出づるものとなし、吾人が傲慢無礼なる吾 人の隣邦と干戈(かんか)を交うるに至りしを見て、吾人に帰するに野心をもってす る者あるは、決して怪しむに足らざるなり。 されども、歴史上、義戦のありしことは、何びとも疑うあたわざるところなり。か のギデオンがミデアン人を迎え、「神と彼との剣」をもって、敵軍の十有二万人をヨ ルダン河辺に殺戮せしは義戦なりしなり。かのギリシア人がペルシャの大軍を迎え、 これをマラソン、サラミス、プラテアに擁し、おうめつの敗をもって彼らを破り、亜 をして再び欧を蹂躙することあたわざらしめしは義戦なりしなり。かのグスタフ・ア ドルフがドイツの中心に進入し、これを天主教徒の圧制より救い出せしは義戦なりし なり。もし戦争の多分は欲より来たりしものとするも、すべての戦争は欲の戦争にあ らず。利欲をもって戦争唯一の理由と見なして、神聖なる人類性の価値を下落せしむ るなかれ。 吾人は信ず、日清戦争は吾人にとりては実に義戦なりと。その義たるの、法律的に のみ義なるにあらずして、倫理的にまたしかり。かくのごとき戦争は、吾人の知らざ る戦争にあらず。これ吾人固有の教義にのっとるものにして、吾人のしばし戦いしと ころなり。キリスト教国すでに義戦を忘却する今日にあたりて、非キリスト教国たる 日本のこれに従事するを怪しむ者あらん。されども、非キリスト教国もし無知ならば 彼らはいまだ誠実なり。キリスト教国がその迷信と同時に忘却せし熱心は、吾人のい まだ捨てざるところなり。吾人に一種の義侠あり。死を知らざりしギリシャの豪強を くじきローマの勇は今なお吾人の有するところ、西洋すでにその熱心時代を過ぎしと するも、東洋はなおいまだその中にあり。義戦はいまだ吾人の忘却せざるところなり。 今回の衝突たるや、吾人のみずから好みて来たせしものならざるは、わが邦(くに) 近来の状況を知る者の充分に承認するところなるべし。(略) 過ぐる二十余年間、 シナの吾人に対するや、その盲状無礼、ほとんど吾人の忍ぶべからざるあり。大西郷 すでにここに見るところあり、即時にその罪を問わんと欲する彼の熱血的希望は実に 彼の生命を捨てせしむるに至り、わが邦もこれがために悲惨なる内乱の害に会えり。 吾人は実に吾人の血肉を殺して隣邦の衝突を避けんとせり。吾人の平和を望む、かく のごとくなりき。しかるに明治15年[1882年]以後、シナのわが邦に対する行為はい かなりしや。朝鮮において常にその内治に干渉し、われのこれに対する平和的政略を 妨害し、対面的に吾人に凌辱を加えてやまざりき。われは朝鮮を開かんとするに、彼 はこれを閉ざさんと欲し、朝鮮に課するに彼の満州的制度をもってし、長く属邦とし てこれを保持し、シナそれ自身が世界の退穏国なるごとく、朝鮮もその例にならい、 彼をして世界の進歩に逆抗せしめんことを努めたり。 過ぐる十年間、朝鮮を世界に紹介せし日本は、京城(ソウル)朝廷においては邪魔 者の位置におり、われにおくれて来たりしシナは韓廷(かんてい)統御の座を占めた り。これ社交的無礼の最もはなはだしきもの、隣人の交誼(こうぎ)を妨げ、その愛 を奪いておのれに収めんとするの例なり。吾人は十年の長き、これを忍べり。吾人は 彼らの妄をもって国際的平和を破るは児戯に類する行為と信じて黙視せり。しかして シナ干渉の結果たるや、東洋における一昇星と望みし朝鮮は、今日なおいまだ隠星の 一たるにすぎず。生産挙がらず、収斂おこなわれ、非政は白昼に横行しつつあり。人 情を有する者にして何びとか、近ごろ朝鮮人金某氏に加えられし暴虐に堪うるを得ん や。彼は長く日本国民の客たりし者、しかるにシナ本土においてシナ制御の下にある 朝鮮政府の教唆によりて暗殺され、彼の死体は暗殺者と共に、シナ帝国の軍艦をもっ て朝鮮国に護送され、死体は肉刑の残害を経て、広く国内に暴露され、暗殺者はすべ ての栄誉をもって冠せられたり。シナは社交律の破壊者なり。人情の害敵なり。野蛮 主義の保護者なり。シナは正罰をまぬかるるあたわず。 しかしてシナ干渉より来たりし非政の結果として東学党の南朝鮮に起こるや、直ち に傀儡政府に諭して、援兵をシナ本国に乞わしむ。その目的たるや恩誼をもってます ます羸弱(るいじゃく)政府を縛らせんとするにありしは、反乱の案外にも微弱にし て、外人の手を借らずして直ちに鎮圧するに至りしをもって証すべし。シナは朝鮮の 不能を計り、これをして長くその依頼国たらしめんことを欲せり。吾人、外交歴史を 閲するに、いまだかつてかくのごとき卑劣政略に接せしことなし。これ残虐なる娼家 の主人が、その詭計の中にある、扶助なき可憐の少女に対して常に執行する政略なり。 頑是無き人霊一千五百万は、世界の最大退歩国の悋気(りんき)を満たさんがために のみ、無知無防の位置にあり。これ自由を愛し人権を尊重する者の一日の忍び得べき ところにあらず。吾人は怪しめり、この積悪に対し非難の声を挙げぐる者は吾人日本 人にとどまりしことを。キリスト教国をもって誇称する欧米諸国が、この世界の大患 を地球面上より排除せんため吾人に率先せざりしことを。 ここに至りて法律論者は吾人を擁して言わん、日本の朝鮮に干渉する権利を有せざ るは、シナと異なることなし、いわく、日本の出兵はシナの出兵と同じく譴責(けん せき)すべきものなり、いわく、平和の破裂は日本より来れりと。吾人はこれに答え て言う、 一、干渉そのものは悪事にあらず。経済学にいわゆる放任主義なるものは、ある区 域内においてのみ真理なりとなす。吾人は、吾人の隣人が吾人と異なる宗教を信ずれ ばとて、吾人と異なる商業に従事すればとて、吾人と異なる嗜好を有すればとて、吾 人は彼らを干渉する権利を有せず。されども隣人が餓死に瀕する時、強盗、隣人を犯 す時、明白なる個人の常識が、隣人が非常の速度をもって滅亡の絶壁に向かいて走り つつありと示す時は、吾人は干渉の権利を有し、また実に干渉せざるべからず。もし 放任主義なるものにして、隣人のすべての苦厄に対する無情無感覚を意味するものと せんか、これ悪主義なり。直ちにこれを放棄して可なり。もしこの意味の放任主義に して永遠の天則なりとせんか、キリスト、釈迦の世に存せし理由、リビングストン、 ジョン・ハワードの世に来たりし理由はいずこにあるや。放任の終わる所と干渉の始 まる所を定むるに一定の法則はなかるべし。されども、世に放任すべきの境遇と干渉 すべきの境遇あるは何びとも疑うことあたわざるところなり。(略)吾人の朝鮮政治 に干渉するは、彼女の独立、今や危殆(きたい)に迫りたればなり。世界の最大退歩 国がその麻痺的蟠屈(はんくつ)の中に彼女を抱懐し、文明の光輝すでに彼女の門前 に達するにも関せず、惨虐妄行のなお彼女を支配すればなり。吾人は隣人の健全なる 平和を妨ぐるの権利を有せず。されども彼女を救わんがためには、白昼日を見るより 明らかなる弊害より彼女を脱せしめんがためには、吾人の強く彼女に干渉するは、吾 人の有する神聖なる隣友の権利なりと信ずるなり。 二、朝鮮出兵は明治18年[1885年]の天津条約の明文によれり。ゆえに何びともこ れに関して吾人に法理的非難を加えざるべし。されどもなお吾人に質(ただ)すに、 わが邦派遣の兵数の、かの地在留の帝国臣民を保護せんがためにはあまりにも多きに 過ぐるのゆえをもってする者あらば、吾人は論者に向かい、些細なる反乱鎮圧のため に送られしシナの兵数と、明治15年におけるシナ兵の暴状を委細に調査せられんこ とを望むのみ。しかして、清兵、幕を牙山に張るに際して、わが兵の直ちに京城(ソ ウル)に入りしの弁解を求むる者あらば、吾人は過去の経験によりて清国政治家の信 用すべからざるを知りたれば、ここに詭騙(きへん)の徒に対する正当防禦に備えし なりと答うるのみ。もしわが邦の処置はとうてい疑惑をまぬかるることあたわざるも のなりと言う人あらば、吾人はかくのごとき批評家に問うて言わんのみ、「足下もし われの位置にあらば、いかに処置したもうや」と。吾人はいまだ吾人の朝鮮出兵に関 して、吾人の過失のいずこにあるかを知るあたわざるなり。 三、豊島近海における最始の海戦において、日清いずれが先に発砲せしかは、今日 いまだ判別するを得ざるべしとせん。吾人は彼より発砲せんと信ず。されども愛国的 偏心がこの事に関する吾人の判決を誤らしめんことを恐る。されどもこれ彼我の義を 決するにおいては小問題たるにすぎず。いずれが戦争を促し、いずれが戦争を避けん とせしや、これ最要問題なり。 ここに吾人の、論者に注意すべきことあり、すなわち今回葛藤の始まりしより、平 和の破壊に至りしまで、ほとんど満二ヶ月の長きにわたりしこと、これなり。吾人は 終始一徹、朝鮮の独立と保安とを維持し、北京政府を促すに、われと協力して半島政 治の改良に従事せんことをもってせり。いかに吾人の平和的議案が横柄にもしりぞけ られしか、いかに京城(ソウル)朝廷にあるその使役者が、吾人の改良的方針に妨害 を加えんとせしか、いかに、かくなしつつありし間に、彼はさかんに兵備を整え、海 陸ともにわれに当たらんと用意せしかは、何びとも疑うべからざるところ、もし外人 を欺くのシナ人の偏癖の最も著しき実例を見んと欲せば、1894年8月1日以前、8週 間の間における、彼らの日本国に対せし処置においてするを得べし。吾人は固く信ず、 彼らはいまだかつてかくも自由に外国人を欺きしことはあらじと。もし彼らの対敵に して、彼らの温良なる東洋の隣人にあらずして西洋強国の一なりとせんか、彼らは長 時日を待たずして鉄丸すでに彼らの身に及び、詐欺と虚言の価値をば、はやすでに充 分学びおりしならん。孔子を世界に供せしシナは今や聖人の道を知らず。文明国がこ の不実不信の国民に対するの道はただ一途あるのみ。鉄血の道なり。鉄血をもって正 義を求むるの道なり。 されども、今、法理的弁論を去りて(吾人はこれを軽視するにあらず)、歴史的考 察に移らんに、日支の衝突はまぬかるべからざるものならずや。新文明を代表する小 国が、旧文明を代表する大国と相隣して、二者ついに必死の衝突に来たらざることは、 歴史面上いまだかつてその例を見ず。ギリシャ対ペルシャ、ローマ対カルタゴ、エリ ザベス女王の英国対フィリップ二世のスペイン――これらは吾人がここに記載する双 対の著しき例なり。しかして両者衝突してマラソン激戦となり、ザマ血闘となり、常 勝艦隊の入寇となりしことは、両主義の和合すべからざることなりき。しかして人類 の進化歴史において、摂理は常に小をして新を代表せしめ、大をして旧を代表せしめ たり。これ、けだし肉に対して霊を試み、量に対して質を練らんがためなるべし。し かして二者衝突するや、幾多の運命循環の後に、勝利の冠は常に小にして新なるもの の上に落ちたり。これ、けだし人類が生ける霊を貴び、死する肉に頼らざらんがため なるべし。 今や再び世界絶東の地において、同一の大教訓は人類に示されんとす。新にして小 なる日本は、旧にして大なるシナと衝突せり。朝鮮戦争の決するところは、東洋は西 洋と等しく進歩主義に則るべきや、あるいは、かつてペルシャ帝国の保護するところ たりし、カルタゴの方針たりし、スペインの奨励せし、しかして一九世紀の今日、満 州的シナ政府が代表する退歩の精神は東洋全体を指揮すべきやにあり。日本の勝利は 東洋六億人の自由政治、自由宗教、自由教育、自由商業を意味し、日本の敗北とシナ の勝利は、その結果たる、吾人の言を煩わさずして明らかなり。(略)しかり、宇宙 をしてこの問題に答えせしめよ、造化は人類の半数を満州的政治の下に置き、シナ的 文明の惰眠のうちに長くこれを沈淪(ちんりん)せしめんとするか。 ハンガリーの愛国者故ルイ・コスート言えるあり、「余の見るところをもってすれ ば、一九世紀の二大英雄とは、独のビスマーク公と日本皇帝陛下なり」と。彼がこの 言を発せしゆえんのものは、吾人の尊戴する皇帝陛下がその臣下に施せし偉大の事業 にとどまらずして、アジアの億兆がまさにその余沢に浴せんとしつつあればなり。日 本は東洋における進歩主義の戦士なり。ゆえに、われと進歩の大敵たるシナ帝国を除 くのほか、日本の勝利を望まざるものは、宇内万邦あるべきにあらず。 吾人がここに世界の国民に向かいて吾人の義を明らかにするの理由は、吾人目前の 衝突において彼らの援助を乞わんがためにあらず。吾人はこの光栄を他の国民に分与 するを欲せず。吾人は単独、終極まで戦わんことを欲す。今日吾人の欲するところは、 彼らの推察的中立をもって足れり。今は日本が世界に尽くすの時なり。日本すでに世 界の恩沢を享(う)くるや久し。 吾人は朝鮮戦争をもって義戦なりと論定せり。その、しかるは、戦争局を結びて後 に最も明白なるべし。吾人は貧困に迫りし吾人の隣邦の味方となりたり。その物質的 に吾人を利するところなきはもちろんなり。また、シナといえども、壊滅は吾人の目 的にあらず。彼らをして吾人流血の価値をあがなわしむれば足れり。吾人の目的はシ ナを警醒するにあり。その天職を知らしむるにあり。彼をして吾人と協力して東洋の 改革に従事せしむるにあり。吾人は永久の平和を目的として戦うものなり。天よ、こ の義戦に倒るるわが同胞の士をあわれめよ。日本国成りてより、国民いまだかつて今 日のごとき高尚なる目的をもって燃えず。今や吾人は一団となり、吾人の讐敵に当た らんと欲す。 たとえ絞台の上にするも たとえ戦陣の頭にするも 死するに高尚なる場所は 世を救わんがため死する場所なり |