001 名無しさん (2010/04/14(水) 15:38:47 ID:IU0BRmerqM)
遺跡がちゃんとあっても「無かったことにされてしまう」
政治の道具にされてかわいそす
002 名無しさん (2010/04/14(水) 17:23:58 ID:d/5URkxU52) 倭高麗府の遺跡がちゃんとあっても「無かったことにされてしまう」
003 名無しさん (2010/04/14(水) 18:10:08 ID:IU0BRmerqM)
004 名無しさん (2010/04/16(金) 16:49:30 ID:6NhSFQBKL2) 日本「資料をご覧になってください」
韓国「韓国に対する愛情はないのかー!」
日本「資料を見てくれ」
韓国「資料はそうだけれど…研究者としての良心はあるのかーっ!」
※日韓歴史共同研究委員会にて
005 名無しさん (2010/04/25(日) 12:19:04 ID:U8gdv7wlLI) ■神功皇后の朝鮮征伐
すべての準備が整った西暦202年10月、
この勇猛な女王は肥前の海岸から出航し、無事に新羅の海岸に上陸した。
新羅王はこの東国から来た精強な軍隊と巨大な船団を見て大いに驚愕した。
恐れおののいた新羅王は、直ちに服従の意を示した。
彼は自分の手を縛って女王に拝謁し、自分は日本の奴隷であると宣言した。
神功皇后は自分の矛を王宮の門に立て、新羅王の服従のしるしとした。
彼女は門に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書いたとさえ言われている。
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』より
006 名無しさん (2010/04/28(水) 08:20:07 ID:/lH2oayyjQ) 広開土王碑
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳>
そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、
百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
007 名無しさん (2010/04/30(金) 07:56:21 ID:jlxlL.uppM) 『日本書紀』雄略紀
百済の文斤王がなくなり、天皇は昆支王の五人の子の中で、二番目の末多王が、幼くとも聡明なので、内裏へ呼んだ。
親しく頭を撫でねんごろに戒めて、その国の王とし、武器を与え、筑紫国の兵五百人を遣わして国に送り届けた。
これが東城王である。
廿三年夏四月、百済文斤王薨。天王、以昆支王五子中、第二末多王、幼年聡明、勅喚内裏。
親撫頭面、誡勅慇懃、使王其国。仍賜兵器、并遣筑紫国軍士五百人、衛送於国。是為東城王。
008 名無しさん (2010/05/01(土) 21:53:44 ID:Bzqq92uHJ6) 簡単30ステップで学ぶ半島の2000年歴史!
【朝鮮”の歴史は朝鮮人の歴史ではなかった!!】
1.檀君朝鮮はまったくの神話、中国のどの歴史書にも登場しない
2.箕子朝鮮は伝説上の国、中国人の箕子が建国した中国人の国家。
唯一その存在をまともに確認できるのは12世紀に成立した『三国遺事』
3.衛氏朝鮮は考古学的に証明できる朝鮮の最初の国家
4.朝鮮は燕の全盛期その配下に入っていたが、燕が秦に滅ぼされて後は国外の属国という状態にあった。
5.衛氏朝鮮は燕王盧綰の部将であった、衛満が朝鮮に亡命し建てた亡命政権
6.もちろん衛氏朝鮮の王も朝鮮人ではない
『史記』・朝鮮列伝「朝鮮王滿者、故燕人也」
「朝鮮王、満は燕国人である」
7・その燕国人の作った、朝鮮もBC108年に漢に支配され滅亡してしまう
8・百済は扶余系民族だから言語的にも民族的にも今の韓国人は殆ど関係ない
9・高句麗も扶余系民族だから、今の朝鮮人とは関係ない、
扶餘→高句麗→金国→後金国=清国(女真族のご先祖)
10.では今の朝鮮人は何処からきたか?
『後漢書』辰韓伝
「辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。」
(辰韓は、老人がいうには、秦国から苦しい労働を避け韓国に逃げてきた人だ馬韓の土地東に
分けてもらっている)
↑韓国人のご先祖、発見w
009 名無しさん (2010/05/01(土) 21:55:41 ID:Bzqq92uHJ6) 11.結論として朝鮮民族は新羅が直接のご先祖
でも・・・悲しいことに
12.その新羅も王は朝鮮人ではありません、日本人でした。
『三国史記』新羅本紀(紀元前20年)
金氏王統の始祖瓠公は日本人
(瓠公は新羅の3王統の始祖の全てに関わる、新羅の建国時代の重要人物)
「瓠公者、未詳其族姓。本倭人。初以瓠繋腰、度海而来。故称瓠公。」
(瓠公は、その族と姓は未詳。本は倭人。
初めは腰に瓢箪をぶらさげて海を渡って来たことから、瓠公と称される。)
昔氏初代の昔脱解(第4代脱解尼師今)は日本人
『三国史記』新羅本紀
「脱解本多婆那國所生也。其國在倭國東北一千里。」
(脱解、本来は多婆那国で生まれた。その国は倭国の東北一千里に在る。)
13.それもそのはず古代において半島南部は日本の属国でした
『隋書倭人伝』
新羅 百濟皆以倭為大國 多珎物 並敬仰之 恒通使往來
(新羅と百済は倭国を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに倭国を大国として
敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している。)
広開土王碑文
「391年(辛卯(耒卯)年)「百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民」
(そもそも新羅・百残(百済の蔑称か?)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に■を渡り百残・■■・新羅を破り、臣民となしてしまった。)
14.倭国=日本国である
『三国史記』「新羅本紀」文武王十年十二月
670年 十二月
「倭國更號日本 自言近日所出以爲名」
(倭国が国号を日本と改めた。自ら言うところでは、
日の出る所に近いから、これをもって名としたとの事である)
010 名無しさん (2010/05/01(土) 21:59:56 ID:Bzqq92uHJ6) 15.ちなみに弥生人は朝鮮人ではない1999年3月18日に、すでに江南人骨日中共同調査団が
「長江下流域の古人骨と北部九州・山口の渡来系弥生人骨のミトコンドリアDNAが一致した」と発表している。
16.元朝になり高麗の忠烈王が日本侵攻を執拗な要請により蒙古襲来→鎌倉武士によって撃退
17.高麗王は代々モンゴル人の后をもらい蒙古名を名乗りモンゴル装束着てモンゴル人化
18.李朝も実は、朝鮮人の王朝では無かった
19.李成桂の四代前の李安社は元朝に仕える地方官吏(地域の統治官・行政長官)だった
20.例外はあってもモンゴルか女真(満州人)との血縁が無ければ地域の統治官・行政長官にはなれない
21.李朝開祖の李成桂はウルス-ブハと言うモンゴル名があった。
22.そればかりか、伯父も、 親せきもみーんなモンゴル名があった
23.それなのに女真人をオランケと呼び差別していた
24.被征服民族が征服民族を怨むのが半島の伝統w
25.大清帝国成立、明の滅亡
1637年、清国がホンタイジの皇帝即位を認めない朝鮮を征伐し完全属国化
26.日清戦争により冊封体制から朝鮮は独立
大韓帝国を名乗る
属国から開放させて貰った恩を忘れ親ロシア派が台頭→閔妃暗殺
27.日露戦争→日本勝利保護国化
28.日韓併合条約によって併合、当時の国際法的にも合法
29.大日本帝国、連合軍に敗れる→ソ連、アメリカによる38度線分割統治→独立
30. 北朝鮮建国、韓国建国
※朝鮮民族が建てた朝鮮民族による朝鮮民族の為の国家は有史以来存在しません
011 名無しさん (2010/05/01(土) 22:26:19 ID:Bzqq92uHJ6) >>6 >>9 アレ俺のコピペだと海の部分が無いな
百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡■破百残■■新羅以為臣民
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
012 名無しさん (2010/05/02(日) 02:02:59 ID:2ycAQ2rJaM)
013 名無しさん (2010/05/02(日) 05:03:51 ID:U086Q/A42M) 新羅は要するに出雲とも交易で縁が深いし、初期新羅は見事な中央アジア的金工芸などもあって
後期と文化が完全に断絶してるから、初期新羅は王などが倭人であるように、倭人(特に出雲系)王朝だったんだろうね
んで上記の記録のとおり、秦から逃げてきて住まわせてもらった異民族が、寄生してしまいに乗っ取ってしまったのだろう。
今の在日問題と同じ構図かもしれんね。
014 名無しさん (2010/05/02(日) 10:57:56 ID:TMT7qmmMnk) 日本式の古墳の一覧
やっぱり半島南部は任那日本府があったんだね。
日本起源の日本産の勾玉まで、古墳から出てきてるね。
015 名無しさん (2010/05/02(日) 14:42:50 ID:U086Q/A42M) 確か万葉仮名でオオキミがどうたらって書かれた木簡も出たことあるはず
016 名無しさん (2010/05/02(日) 15:00:35 ID:.ZQRaWWcy6) 、
017 名無しさん (2010/05/07(金) 13:10:38 ID:ZbG2MZjOcM) なるほど
018 名無しさん (2010/05/16(日) 13:44:15 ID:xIB7dW0rx2) 【主張】日韓歴史研究 認識の共有はやはり幻想
第2期日韓歴史共同研究の報告書が公表された。両国の学者の歴史に対する考え方の違いが一段と鮮明になった。
韓国側には、いわゆる「従軍慰安婦」と軍需工場に女子が勤労動員された
「女子勤労挺身(ていしん)隊」との混同や、「侵略→進出」をめぐる昭和57年の
教科書騒動が日本のマスコミの誤報に端を発していたことへ理解不足が見られた。
これに対し、日本側は韓国側の誤解を指摘し、相応な反論を行っている。
日本側の学者が韓国側の主張に引きずられず、それぞれの研究成果を
きちんと発表したことも評価したい。
今夏、100年目を迎える「日韓併合」についても、「明治政府の強制はあったが、
第2次日韓協約(1905年)や日韓併合条約(1910年)は有効だった」とする
日本側の見方と、「大韓帝国の皇帝(高宗)の署名がなく、無効だ」とする韓国側の主張は、
ほとんどかみ合わなかった。
全体として、日本側の学者が実証的な研究を重視する傾向が強いのに対し、
韓国側は政治的な主張が強すぎるようだ。
日本ではいまだに、政治家や閣僚が日韓の歴史問題について自由にものを言えない
雰囲気がある。これまでも、韓国の意に沿わない発言をした閣僚がしばしば、
謝罪や辞任を強いられた。2期にわたる共同研究で、これだけ違いがはっきりした以上、
韓国の要求を一方的に受け入れるだけの姑息(こそく)な対応を繰り返してはいけない。
(中略)歴史問題では金完燮(キム・ワンソプ)氏の著書
「親日派のための弁明」が過去に有害図書に指定されるなど、自由はかなり制限されたものだ。
MSN産経ニュース 2010.3.26 03:25
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100326/edc1003260326000-n1.htm
019 名無しさん (2010/05/22(土) 03:59:08 ID:DObarH2dac) 南朝鮮は大丈夫なのか?
020 名無しさん (2010/05/31(月) 17:44:21 ID:S4w8pP3f1U) ■神功皇后の朝鮮征伐
すべての準備が整った西暦202年10月、
この勇猛な女王は肥前の海岸から出航し、無事に新羅の海岸に上陸した。
新羅王はこの東国から来た精強な軍隊と巨大な船団を見て大いに驚愕した。
恐れおののいた新羅王は、直ちに服従の意を示した。
彼は自分の手を縛って女王に拝謁し、自分は日本の奴隷であると宣言した。
神功皇后は自分の矛を王宮の門に立て、新羅王の服従のしるしとした。
彼女は門に「新羅国の大王は日本の犬なり」と書いたとさえ言われている。
ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』より
021 名無しさん (2010/06/09(水) 14:14:28 ID:iC6DziOFJ2) 奈良県御所市のゴルフ場「秋津原ゴルフクラブ」が行った拡張工事で、国内最大級の古墳群である国
史跡・巨勢山古墳群(5世紀中頃〜7世紀中頃)の一部が破壊されていたことがわかった。
文化庁はゴルフ場側に復旧を求めた。県警は文化財保護法違反(形状変更)の疑いがあるとみて、関
係者らから事情を聞く。
巨勢山古墳群は、同市中央部に約700基の古墳が分布する群集墓。ほとんどが小規模な円墳で、古
墳時代の豪族の墳墓とみられる。
市教委などによると、昨年11月、同古墳群の一部の土地を所有する同ゴルフ場が、史跡指定地外の
練習場を拡張工事した際、史跡範囲内の山の斜面約5400平方メートルを重機で削り、少なくとも
全長十数メートルの円墳4基を壊した。2基は半分程度が壊され、残りは2割程度が削られた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100607-OYT1T00284.htm?from=main3
022 名無しさん (2010/06/14(月) 07:56:19 ID:3HWDCJnA4g)
023 名無しさん (2010/06/14(月) 16:32:25 ID:Hotf5LjjU2) >>14 勾玉で思い出したけど
戦後沖縄では左翼さんが沖縄は独立国、日本人とは違う!!みたいな宣伝をしまくってるけど
ウタキの拝所を調べたら御神体が古墳時代みたいな古代鏡だったとか
ノロ(神官)の家系に伝わる神具が勾玉だったりする例が知られていて
倭人文化の古い形態を残してるってのが実際のところだろうね。
言語も、沖縄言葉は、完全に日本語で、しかも古形の表現というべきものだし。
つまり倭国大乱を経て大和朝廷に集約したヤマトに対し、離島ゆえ取り残されそのまま残った倭人国ということだろう。
沖縄の風葬や、洗骨埋葬(いったん掘り返して骨を洗って再びおさめる)なんかも、
古墳の中から出てくるカメ棺葬の骨は、朱が塗ってあったりして、明らかにいったん取り出して洗って
そこに朱を塗って、再び埋葬してるわけで、
通じるものを感じる。
沖縄の文化、あれは倭人の本来の習俗だよ。
024 名無しさん (2010/06/15(火) 11:57:27 ID:dib722Hgl6) そんな沖縄もいまや特亜の巣窟に…
025 名無しさん (2010/06/20(日) 12:05:18 ID:dj5iPvKJEk)
026 名無しさん (2010/06/20(日) 12:48:03 ID:dfXGhKEPcA) >>8 ほぼ資料が残っていないから証明は不可能だけれど
やはり朝鮮語のルーツは辰韓ってことでいいのかな?
027 名無しさん (2010/06/20(日) 14:31:37 ID:JZEUO.vXCM) >>23 琉球王国って正史『中山世鑑』によれば
源為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったとされているけど
源為朝って伊豆大島で切腹して亡くなったんじゃないの?
それがホントだったとしたら伊豆大島で自刃したのは誰?影武者?
羽地朝秀って人が編纂したらしいけどホントのところはどうなんだろうね
まっ伝説だとしてもロマンがあるよね
028 名無しさん (2010/06/20(日) 15:07:07 ID:z24UuB7j/.) 源氏の権威を欲したんでしょな
029 名無しさん (2010/06/20(日) 15:40:18 ID:JZEUO.vXCM) 伊豆大島から黒潮に乗れば沖縄まで意外にいけるらしい
為朝が本当に沖縄まで来たかどうかわからないけど
しかし『中山世鑑』が編纂される50年ほど前の
『琉球神道記』にも既に為朝の琉球渡りが記述されてるらしいし
沖縄最古の古歌集『おもろさうし』でもそれらしい記述があるので
事実かどうかは別にして史実であることは間違いない。
030 名無しさん (2010/06/20(日) 18:17:55 ID:MDDNJjFXVw:au) 琉球まで源氏のことが伝わっているのはビックリだな。
本土との交流があったのに驚かされる。
031 名無しさん (2010/06/22(火) 05:28:49 ID:MgRxqwYbSI) >>30 鎌倉時代とかでも僧侶が流れ着いたりとか記録があるし
別にそれ以前でも全く没交渉ってわけじゃないからねえ
032 名無しさん (2010/06/22(火) 12:02:30 ID:8inwlHDjV2) おもすろいねえ
033 名無しさん (2010/07/06(火) 01:57:06 ID:fZVM.m2xuQ)
034 名無しさん (2010/07/10(土) 01:30:14 ID:f/vzl07HYE) 任那日本府って言うけど、秀吉みたいに侵略した結果橋頭堡を勝ち取ったと思ってる奴いない?
035 名無しさん (2010/07/10(土) 04:33:15 ID:xrmoQHYoMM) >>34 もちろんそうではないけど、半島経由で日本人(弥生人)が来た論は間違いで
南方から日本列島経由で朝鮮半島まで進出していったってのは正しいだろうね
036 名無しさん (2010/07/11(日) 11:48:01 ID:eh.xgzPyMk:au) >>34 いないんじゃね?
もともと、任那地域に倭人が住んでたってことだよな?
037 名無しさん (2010/07/11(日) 19:38:10 ID:6mDkL62f3w) もともとつっても、倭人文化は高床住宅に住んで水稲育てて刺青だから、明らかに南方系だし
神話も南方系だし、弥生人は南方からあがっていってそこまで勢力圏拡大したんだろうと思うよ
038 名無しさん (2010/07/13(火) 09:18:04 ID:KWKmvPY6Eg:au) >>37 南方ってのは中国南部だよね?
一つ質問なんだが、南方から来た倭人のルーツは
直接、日本に来て朝鮮に向かったのか
海を渡るにあたり、日本と朝鮮二つの地域に移動し、その後、日本から朝鮮に人が移ったのか、どちらになるんだ?
039 名無しさん (2010/07/13(火) 15:33:03 ID:IL.uh3Bxco) >>38 倭系古墳の半島における登場順序からして
やはり九州を経て北上ではないでしょうかね
例えば韓国最南端の済州島の創生神話は、東の海(つまり日本列島)から
姫君が流れ着いてとかそんな神話だし
半島倭人というのは、やはり南方から日本列島を経てやってきたと考えるべきではなかろうか
よく挑戦人が妄想する、半島人が日本列島に進出して制圧したのだ!式の考えは無理あるんですよ
なぜかって、人口がそもそも違う
多湿で米作に向いた日本は、縄文晩期から米作がはじまり、石高が凄く増えて人口もとんでもなく拡大するわけです。
一方半島の人口は、遺跡人骨などで程度が分かるけど、はるかに少ない。縄文時代すら動植物に恵まれた日本列島のほうがずっと多い。
古代の国力は人口だろうし、古代の日本列島は朝鮮半島からすれば強国乱立といっていいと思う。
040 名無しさん (2010/07/13(火) 18:13:24 ID:C1uzPtYyjs) 《仲哀天皇八年(己卯一九九)九月己卯(五)》
秋九月乙亥朔己卯。詔群臣以議討熊襲。時有神託皇后而誨曰。天皇何憂熊襲之不服…
天皇聞神言。有疑之情。便登高岳、遥望之。大海曠遠、而不見国。於是。天皇対神曰。
朕周望之。有海無国。豈於大虚有国乎。誰神徒誘朕。復我皇祖諸天皇等尽祭神祇。
豈有遺神耶…
仲哀天皇(タラシナカツヒコ)が朝鮮半島の存在を知らなかったという記述があるけど
そのくだりの事実関係はともかく、当時、日本人が朝鮮半島から来たという記憶が
あったら絶対に出てこない表現だと思う。仲哀天皇の時代からしたらそう遠くない
数百年前のことなんだし。
041 名無しさん (2010/07/15(木) 23:15:52 ID:7qX4W2RBX6) >>39
まあねぇ…
042 名無しさん (2010/07/20(火) 18:13:47 ID:kUQRsq1wq.) >>26 『後漢書』辰韓傳
「有似秦語故或名之為秦韓」
(秦語に似ている故に、これを秦韓とも呼んでいる。)
『梁書』新羅傳
新羅者、其先本辰韓種也。辰韓亦曰秦韓、相去萬里、傳言秦世亡人避役来適馬韓、馬韓亦割其東界居之、似秦人、故名之曰秦韓。
(新羅の人々の、先祖は辰韓の苗裔である。辰韓は秦韓ともいい、双方の隔たりは大きい、
伝承では秦代に苦役を避けた逃亡民が馬韓に来たので、馬韓は東界を分割し、ここに彼らを居住させた故に、この名を秦韓という。)
『北史』 新羅傳
其言語名物、有似中国人。
(その言語も名称も中国人に似ていた。)