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[20672] 【習作】 銀の月とお姫さま
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/08/04 13:11
 銀の月とお姫さま 「女神の剣 -Sword of Cordelia-」

 新大陸暦1028年――冥界の女神アンゲローナが支配する銀の月。
 月はその名の通り突如、銀色に輝いた。
 それに続いて、ノエル王国アルル地方、カーライル村近くの森にほんの少数の魔物が落ちてきた。
 魔物達は連絡を受けたアデリーヌの騎兵隊によって退治されたが……カーライル村は壊滅。
 ……これが始まり。
 毎日のように落ちてくる魔物の数は増え続け、世界は困惑しその対処に追われ続けていく。
 それまで世界に存在していた魔物達とは違い。喰うわけではなく。生活を営むわけでもない。
 ただただ人を殺すためだけに活動する魔物。
 それはまさに人類の天敵とも呼べる存在であった。
 ノエル王国はここで食い止めようと古都アデリーヌに防衛拠点を作り、街全体が要塞と化した。
 それから15年が過ぎ、日増しに増える魔物達に世界は滅亡の淵にさらされている。
 1500年前に現れた初代女帝も、500年前に現れたローデシアの聖女もすでに伝説の彼方。

 ――しかし伝説はいう。ローデシアが危機に瀕したとき、彼女らは生まれ来ると……。

 この世界の真の支配者。この世界の守護者。この世界の救世主。初代女帝。聖女。
 この世界に生まれた者なら幼い頃に聞いてきた伝説。
 伝説は形を変え、姿を変え、囁かれ続ける。それは祈りにも似て……待ち焦がれる。
 この世界が滅亡へと向かう時、現れるという。――ローデシアの女神達。

 魔物達との戦いが続く中、ローデシアの救世主を待ち望みながら、人々は今も戦い続けている。



 第1話 「ルリタニアのお姫さま 女神の神聖魔法」




 4月、萌葱の月。第1週3日。ルリタニア王国首都ファブリス――レティシア宮殿。
 宮殿の中は金銀で彩られ、廊下の壁には細かな細工を施されたレリーフが彫られていた。魔法の光に照らされたステンドガラスが複雑な模様を床に投げかけている。
 国王オイゲン・ルリタニアは宮殿の庭園からヘンルーダの森に向かって行進していく国防軍第3装甲擲弾兵連隊を見つめている。その中には今年15歳になるルリタニア王国王女である亜衣・ルリタニアの乗る列車が彼らに守られるようにして進んでいた。陽光を反射し輝く『鉄の兵士』と呼称される人型装甲騎兵の姿も見える。全長300cm。500kgを超す重量。魔物達との戦いにおいて前線で戦う彼ら人型装甲騎兵は、魔法力を源にして動いている。機体の周りに展開する魔方陣は防御のみならず移動や攻撃にも転用され、前線で活躍していた。亜衣・ルリタニア王女を守るためにこれだけの兵力が護衛につく。
 いかに国王が親バカで有名とはいえこれほど大袈裟な護衛になってしまったのだから眉を顰める者も多かったが、王女にはファンも多く。王女を危険に晒すのに対して眉を顰める者もまた多かった。その結果、妥協点として建前上、彼ら国防軍第3装甲擲弾兵連隊は交代人員としてヘンルーダの森に向かう事となっている。

「娘達はドラゴンを動かす事ができるだろうか?」
「大丈夫。亜衣王女殿下はドラゴン達に気に入られておりますから、王女殿下のお願いならば、ドラゴン達も聞いてくれるでしょう」
「そうだと良いのだが……」

 国王の呟きにアドルフ・フォン・ターレンハイム侯爵が答えた。ターレンハイム侯爵家はルリタニア王国でも最大規模の大貴族である。ルリタニアのみならず、各国の金融を支配するその財力はローデシア大陸全土でも有数の財閥でもあった。
 そしてターレンハイム侯爵家はこの戦いにいち早く旗幟を鮮明にしたルリタニア王国を支え続けている。アドルフは再び走りゆく列車に眼を向けた。列車の中には娘のエリザベートも乗っていた。心配なのは侯爵も同じである。
 しかし当の本人たちはと言えば……。

「う~ん。大袈裟だよねー」
「まあ、しゃあないわ」

 と、ヘンルーダの森から使者としてファブリスに来ていたエルフのマルグレットと顔を見合わせて話をしている。王族専用車内の片隅では16才のエリザベート・フォン・ターレンハイムがふっくらとした椅子にもたれて木製のテーブルに片肘をつき、戦術指南書を読みふけっている。ときおり長く光沢のあるゴールデンブロンドの金髪をうるさそうにかき上げていた。その横で小人族の錬金術師兼魔力の塔の管理者のアルシアがテーブルの上に置かれているクッキーを貪り食べている。
 彼女らは……後もう1人いるが、亜衣王女殿下に付けられた護衛兼親衛隊である。亜衣がヘンルーダの森に向かう事が決まった時にルリタニア王国内の各勢力がそれぞれ派遣してきた。アルシアは西の塔の隣に世界に溢れる魔力を集める魔力の塔を設計、設置したコーデリアの子孫であり、現在は魔力の塔を管理しているブラウンシュヴァイク侯爵家から派遣されている。

「いりませんわ」

 エリザベートに食べさせようとして顔を背けられている。エリザベートの形のいい眉が微かに顰められ、伏せていた眼を上げる。
 あっ、睨まれた。あ~あ、アルシアも懲りないんだから……。でも美人が怒ると怖いっていうのは本当だよね。亜衣は苦笑いを浮かべてその様子を見ている。

「あーもう! アルシアさん。いい加減になさってくれませんこと!」
「いや、これはおいしいのじゃ」

 アルシアは小人族特有の小柄な体で踊るように騒ぐ。亜麻色の短い髪が動作にあわせて揺れ動いていた。

「それは分かりますわ。でもわたくしはいらないと、申し上げているでしょう。それが分かりませんこと?」
「無理なダイエットは体の毒なのじゃ」

 アルシアは踊っている。西の塔の白い制服がひらひら動く。

「ダイエットなんてしてませんわ~!」
「嘘じゃ! ダイエットをしていない女はおらんのじゃ! のう。亜衣」

 急に話を振られて亜衣はビクッとする。

「え、えーと」
「どうなのじゃ?」
「だ、だいえっとはたいへんだよね?」
「なぜ、そこで疑問系なのじゃ?」

 アルシアは首を捻って不思議そうな表情を浮かべた。亜衣はあはは、と笑って誤魔化した。

「うちもダイエットはしてへんで」
「エルフは関係ないのじゃ!」
「そうですわ。いいですわねー。ダイエットしなくてもいい種族は!」

 アルシアとエリザベートの両名が立ち上がって吼えた!
 しかし、ハッと何かに気づいたような表情を浮かべ、顔を向き合わせ頷きあう。それからくるりと向きを変え、亜衣に詰め寄る。

「このつるぺたエルフは、確かうちも、と申しましたわ……」
「つるぺたで悪かったな~」

 緑がかったプールブロンドの髪を弄りつつマルグレットが言うのを軽く無視してアルシアがぺたぺた亜衣の胸や腰に触れていく。さらさらの長い黒髪。薄い肩。細い腰。小さなお尻。全体的に細い。それなのに、ああそれなのに……胸だけは人並み以上にある。アルシアの眉がピクッと跳ねた。
 
「確かにそう言うたのじゃ。もしや――」
「あ、あはははは」
「王女殿下?」

 エリザベートの声が低く呟かれる。それと同時にアルシアも眼が鋭い光を放ち細められた。

「亜衣。お主……ダイエットしとらんのではないのか? いや、まさかそのような事があろうはずなかろうな~。うん?」
「あははははは」
「やっぱり! してないんじゃな。そうなのじゃな。おのれー」

 アルシアは両手を振り回して、亜衣の細い腰を掴む。エリザベートもまた、亜衣の太ももをぎゅっと掴んだ。

「まあまあ、細いですわー」
「おのれ。細い腰をしよってからに」
「許せませんわ」
「許せぬのじゃ」

 ぶーぶー文句を言う2人に向かって亜衣が「あんまり食べられないんだから仕方ないの……」と言った。
 そう。亜衣は小食である。王宮での晩餐会においても他の招待客とは別に、量を減らした料理が出される。それでさえ、残さないように無理に詰め込んでいるほどだ。従って細いのは亜衣の言うとおり仕方がない。と言える。
 しかしそんな事はダイエットに苦しんでいる女性の前では何ら効果はないらしい。ぐにぐにと亜衣の腰や腕を摘む。王女に対する敬意など微塵も感じられないような光景であった。
 列車の後部ドアが開いて、整備用の作業服を着た。アッシュブロンドの髪を無造作に束ねた少女が入ってくる。

「機体の調整がようやく終わったんだ。お腹すいた」
 
 騒いでいるエリザベート・フォン・ターレンハイムとアルシア。にやにや笑うマルグレット。困ったような表情を浮かべる亜衣。入ってきた途端、そんな光景を目の当たりにして彼女らを見比べたザビーネ・フォン・ケッセルリングが眼を丸くする。

「いったいなんの騒ぎなのかな」

 ザビーネが誰に問うでもなく口にする。彼女は西の塔の首席導師の娘で塔で開発された新型人型装甲騎兵の設計にも参加していた。現在のローデシアにおける技術の基本は500年前に現れた聖女が持ち込んだ基礎研究が記された書物が基本となっている。民間はともかく西の塔ではサイズや単位もそれらに準じていた。

「ザビーネ。よく聞くのじゃ! 亜衣はダイエットをしておらんのじゃ。どう思うのじゃ?」

 アルシアの剣幕に少し引きながらザビーネが首を傾げて答える。

「……そう言われても、王女様は小食だから太るほど食べてないだけでしょ?」
「ええ、ええ。そうでしょうね。ですが! この胸はなんですのー!」

 背後に回ったエリザベートが亜衣の胸を鷲掴みする。身を捩って逃げようとする亜衣を押さえ込みつつザビーネに問う。

「お、大きい……」
「こんなの理不尽ですわー」

 泣き出しそうな眼で亜衣の胸を睨むエリザベートと驚いてじっと見つめるザビーネ。そこへアルシアが加わる。
 なんだかな~と思いながらもついつい胸を睨んでしまうマルグレット。列車の後部ではそんな会話を聞かされている護衛の兵士達のため息が漏れた。

「やはり。亜衣王女殿下のお胸は大きかったのか」
「よくバルコニーから顔を見せる王女殿下を見た者達が噂していたが……」
「噂は真実であった!」

 なぜか気合が入りだす兵士達。戦時中とは思えない。妙な雰囲気が列車の中を漂う。現在ルリタニアでは金髪よりも黒髪の方が男女ともに人気がある。500年ほど前に生きていた聖女が黒髪だった為に一定のサイクルで思い出したかのように人気が出てくるのだ。
 そのせいか黒髪の王女はそのどことなくおっとりした性格もあって国民の人気が高く。また激戦地である古都アデリーヌへの慰問も嫌がることなく何度も足を運んでいた。姫君の顔など見たこともなかった兵士達もルリタニアの亜衣王女の顔だけは知っているという妙な現象が最前線では起きていた。

 列車は時速80kmで、ファブリスから古くからの港町カッセルを通り過ぎ、アクィレイア湾を左手に見ながらリーベへ向かう。リーベはイン河を挟んだ街で河の左右に街が分かれている。ここにはルリタニアの海産物を一手に引き受ける市場が軒を並べていた。イン河を遡るとツォンスという街がある。川幅300mもあるイン河を越えるとヘンルーダの森との境に位置するオンブリアに着く。ここまで大きなアクィレイア湾の湾岸沿いに位置する街だ。そこからさらにエルフの国。通称『ヘンルーダの森』を左手に見ながら内陸部に進むとヘンルーダの森の国境沿い近くにファルスいう町がある。この町からほんのすぐ傍にヘンルーダの森の入り口があるのだ。
 
 亜衣達はいくつかの地方都市を行幸しつつ。10日間の行程を終えて、ファルスの町にあるリーベ駅に着いた。そこからトレーラーに乗り換え、ヘンルーダの森へと向かう。かつては軍用車で入ろうとすると迷わず攻撃されたが、現在はエルフも魔物との戦いに参加している為にエルフの町にも入る事ができる。もっとも入り口で検問を受けるのは変わっていない。

「確認します。亜衣王女殿下と護衛4名。そしてトレーラー1台ですね。結構です。お通り下さい」

 萌葱の月、第2週3日。入り口で検問している軍服姿のエルフとルリタニアの兵士に声を掛けて、亜衣達はヘンルーダの森の奥へと向かう。国防軍第3装甲擲弾兵連隊はここでヘンルーダの森に駐在している第6装甲擲弾兵連隊と交代することになっている。第6装甲擲弾兵連隊は交代が完了次第に休暇に入ることができる。そのために首を長くして来るのを待っていたのだった。
 ザビーネがトレーラーに乗り込んで荷台に載せられている5台の人型装甲騎兵をエルフ達とともに確認していた。
 新型装甲騎兵はなぜか女性型である。今までの角ばった武骨なスタイルとは違って流麗な曲線というよりまるっこいプロポーションをしていた。しかもデフォルメされた顔がのってる。それが誰かに似ているような気がする……。

「でも、どうしてなのかな?」

 亜衣が新型と現行機を見比べながらザビーネに聞く。

「う~ん。よく分からないけど、これを設計する際にドラゴンのエステル様が今回は女性型にしなさいって西の塔に使いを出してきたらしい」
「エステル様が?」
「ああ、うちも聞いたわ。なんでもエステル様が夢を見たらしい。それでエルフの長を通じて西の塔へ連絡したそうや」
「ですが、その所為でこれにはかなりコストが掛かっているそうですわー」

 エリザベートが財政を司るターレンハイム家らしくコストがもの凄く掛かっている事を言い出す。新型、初の女性型に加えて魔力の塔からの魔力流入。新技術をふんだんに込められている。コスト度外視のとんでもない機体だという。ましてやその造形を施したのはドワーフとくれば、どれほど高価か分ろうと言うものである。
 亜衣達4人はトレーラーに載せられている新型を囲んで話している。
 女性型の装甲騎兵は色鮮やかな色彩とかわいらしくデフォルメされた形をとっていた。

「しかしなあ~。この顔、亜衣に似ておらんか?」

 アルシアの言葉にザビーネが頷いた。

「そりゃそうだよ。この新型のモデルは王女殿下だから」
「えっ? なんで?」

 まるっこい目。少し困ったような笑顔を形どった口。なんだかぬいぐるみのようにつんと澄ました表情をしている。さらにデフォルメされた髪型。眉までしっかりと描かれている。その上胴体は亜衣が好んで着ている少女趣味ぽいドレスを模っていた。
 亜衣は驚いてまじまじと新型を見つめる。そこへぽんとザビーネが肩を叩いて説明を始めた。

「初の女性型だから、モデルとかどうしようか、と西の塔でも中々話し合いが決まらなくてね。結局、王女殿下をモデルにしたらどうか? という意見が出て決まったんだ。苦肉の策ってやつだよ。あ~でも、この顔を作るときに西の塔で白熱した議論が繰り返されてね。簡単に見えて、しかもかわいくなるようにとの注文が難しくてね~。大変だったよ」

 ザビーネが新型の顔を指先で示す。亜衣は目を丸くしている。

「誰をモデルにしても角が立ちそうですから、亜衣をモデルにしたのですわー」
「それなら文句もでないのじゃ。しかし頭と胴体のバランスが悪いのじゃ」

 エリザベートとアルシアがうんうんと頷きながらも機体のバランスを指摘する。

「そうなの?」
「そうなんやろな」

 困惑する亜衣とふーんとばかりに新型の顔をぺたぺた触るマルグレット。

「それと今までの機体は精霊球を使用していたのだけど、これはエステル様の魔力を込めたドラゴンの龍玉を使用する予定なんだ。凄いでしょ。今までは風火水土の精霊ごとに用途が決まってしまうんだけど、これは万能型なんだ。その上、宝玉を通じて魔力の塔から魔力が流れ込んでくるようにもなってるし、出力は今までの約3倍」
「それって凄いのかな? でも……わたしも乗ってみたいな~」
「そうかい。龍玉をセットしたら一度乗ってみる?」
「うん」

 話をしているうちにトレーラーがかつてのエルフの首都カールスに着く。ここで一泊してさらに山道に入る。ようやく新首都シェスティンにたどり着いた時にはファブリスを出てから12日ほど経っていた。
 聖女の頃とは違い。かなり切り開かれて大きな街のようになっている。トレーラーが街の中心地にあるエルフの長の館へと向かう。道の両側では亜衣たちを見ようとエルフの子供たちが集まっていた。
 その中に大勢の子供に囲まれている女性がいた。その女性に気づいたマルグレットが身を乗り出して手を振る。

「亜衣。あの人、タルコットの娘さんや。タルコットって知ってるやろ。聖女のお仲間や」

 なにやら興奮してるマルグレット。亜衣は同じように身を乗り出して手を振った。亜衣の姿が見えた途端、街道で大歓声が沸き起こる。何事かと見回すとルリタニアの兵士達がエルフの街で買い物をしていたらしかった。兵士達の歓声に釣られたように子供たちも騒ぎ出す。兵士と子供たちの歓声の中、亜衣達はエルフの街を進む。
 エルフの長の館に着いた亜衣はさっそく長のヤヌシュの元へ向かった。
 大勢のエルフに囲まれたヤヌシュは白い髭をしごきつつやってきた亜衣達を見て目を細める。

「ようよう。やっと来たか。待っとったんやで。こっちきいや」

 そう言って手招きしてくる。亜衣はあいかわらずだな~と思いつつヤヌシュの傍による。ヤヌシュは目の前にたった亜衣を素早くくるりと後ろを向かせ、膝の上に座らせてしまう。

「きゃっ」
「おお、おお。こんなに大きくなって、人間は成長が早いもんやな」

 そうして頭を撫でる。
 身を捩って逃れようとする亜衣をしっかりと抱き締めていた。

「ヤヌシュ様。お願い放して」
「なんや~。小さい頃はこうしてやると喜んでたのに、つれない事言うなや」
「もう子供じゃありません」
「なに言うてんのや。ちょっと前までこーんなに小さくてわしらに抱きかかえられてきゃっきゃ言うて喜んでたやろ」

 ヤヌシュは亜衣の前に回した手で小さな球を作るように大きさを示す。あくまで子ども扱いである。エルフのヤヌシュから見ればまだ15の亜衣は赤ん坊と変わりがない。

「もうー。ヤヌシュ様ってば」
「大人扱いはあと20年か30年してからやな」

 亜衣を膝の上に載せてゆらゆら揺れるご満悦なヤヌシュである。
 その時、窓の外でバサバサ大きな羽ばたきが聞こえてきた。

「こらー。早く連れてきなさいってお母さんが怒ってるよー」

 窓の外を見るとドラゴンの子どもが覗きこんでいた。

「なんやエルザやないか、エステルはもう少し待たしとけや」
「お母さん。怒るよー。怒ると怖いんだから」
「ちっ、まあしゃあないな」

 そう言うとヤヌシュはエルフ達に亜衣達をドラゴンの元へ連れて行くように命じる。
 外に出た亜衣達はエルザの先導でエステルの元へと向かう。トレーラーを運転するのはエルフである。ヘンルーダの森の中をエルフの運転によって亜衣たちは進む。
 萌葱の月。第2週6日。ドラゴンの巣ではエステルが文字通り首を長くして待っていた。
 亜衣の姿が見えた途端、勢いよく翼を羽ばたかせる。

「やっと来たのねー。待ってたのー」

 つんつんと亜衣に向かって鼻先でつつく。そんな母の様子にエルザが眼を丸くしている。

「エステル様。お久しぶりです」
「そんな挨拶はいいのよー」

 エステルは亜衣の体を咥えると背中に乗せてしまう。なんだかやってる事はヤヌシュ様と変わらないのは気のせいだろうか? 亜衣はそんな風に感じていた。

「エステル様。早速ですが、龍玉をお願いします」

 今までエルフに手伝ってもらいながら新型装甲騎兵をトレーラーから降ろしていたザビーネがエステルに声を掛ける。
 エステルはひょいっと小さいボールのような虹色に輝く龍玉をザビーネに向かって放り投げる。

「はいはい。これでいい?」

 ザビーネは龍玉を受け取り、機体の背中を開けて龍玉をセットした。

「王女殿下。乗ってみますか?」
「うん。乗る」

 エステルの背中に乗せられている亜衣に声を掛けると背中からずるずる滑り落ちながら亜衣が降りてくる。地面に降りた亜衣は機体に近づき、装甲を開く。今までの機体とは違って、身長280cm。重量400kgと小さく、軽く。まるい。その分、中は狭く。亜衣のように細い女性ぐらいしか入れそうになかった。
 基本的に操縦者は機体に乗る。……潜り込む際に腕部に腕を通し、機体の上腕にある操作グリップを操り腕や武器・装備の操作を行う。現在の主流機である改良型はさらに動きをトレースする操縦形式をも採用している。操縦者が身に付ける術式と機体内に描かれている魔方陣を通して搭乗者の意思自体を感知して動き、更に複雑な動きをする際は、フットペダルを用いる仕組みとなっている。よって操縦自体はそれ程難しくなく、操縦訓練を受けていない操縦者がいきなり実戦参加する事も可能であり、実際その例は多々ある。
 
 亜衣が新型に乗り込むと機体と亜衣が魔力で繋がる感覚に襲われた。魔力は取り付けられた龍玉を通じて増幅され機体を動かす源となる。ゆえに魔力が大きいほど機体の出力も大きくなるが、一個人の魔力だけで動かせるほど巨大な魔力を持つ者はいない。遵って魔力を増幅する為の精霊球の質に左右されてしまうのだ。
 その精霊球は現在精霊魔法に長けたエルフしか製造することができない。だからこそヘンルーダの森はルリタニア王国にとって最重要防御地点となっているのだった。

「あい。動けるー?」

 エステルが声を掛けてくる。ザビーネもトレーラーから魔方陣を通じて亜衣に指示を出した。

「動いてみてください」
「分かった。いくよ」

 亜衣は立ち上がり、一歩踏み出す。今までにも乗った事はあった。しかしこれほどスムーズに動けたわけではなかった。それなのにこの機体はまるで自分の体のように動ける。亜衣は調子に乗って走り回る。足元に展開した黄色い土の精霊の魔方陣が機体を滑るように進ませていた。

「うまいうまい。あい。飛べるー?」
「飛べる。風。シルフィード展開」

 調子に乗っている亜衣が機体の周りに風の青い魔方陣を展開して空へと上昇していく。その後を追いかけるようにしてエステルも舞い上がった。
 大空で一匹と1騎の装甲騎兵がくるくるとバレル・ロールをはじめた。魔方陣が風の精霊たちを集めて、青空に蒼い軌跡を描きながらくるくる舞っている。地上では大空で飛びまわって遊んでいる王女とドラゴンを呆然としながら見守っていた。
 エリザベートなどは呆れたようなため息をついているだけだったが、アルシアとマルグレットはうちらも飛ぶで。と言ってトレーラーに載せられている機体に乗り込む。

「待って、精霊球を交換しないと飛べない」
「そうやった……」
「うぬぬ。おのれー」

 アルシアとマルグレットは大空を睨みながら唸る。そんな彼女らを横目に見つつエルザはあっという間に飛び上がり、エステル達に追いついてしまった。2匹と一騎が大空で戯れる。
 不意にエステルが首を曲げて海の方を睨む。亜衣もエステルと同じ方向に視線を向けた。
 沖合いに黒い点が見える。

「あれって……」

 亜衣はゴクッと唾を飲み込んだ。つうっと冷や汗が流れ落ちる。
 地上を見た。この距離なら機体に施されている風の魔法でも伝えることができるだろう。伝えればトレーラーに設置されている大型積層魔方陣で地上軍に報告できる。

「沖合いに魔物出現。数。不明。……いえ、多数。こっちに向かってる」

 亜衣は叫ぶように伝えた。
 地上でぼんやり空を眺めていたザビーネは飛び込んできた知らせに息を飲んだ。しかし素早く立ち直ると魔方陣を立ち上げてヘンルーダの森に駐留しているルリタニア軍へ連絡を開始し出す。

「アルシア。精霊球の交換を急ぐんや」
「やっておるのじゃ。それにしても一々交換しなければならんのは大変なのじゃ」
「そう言うなや。今回他のドラゴンからも龍玉を手に入れることができれば戦力も大きくなると思うで」

 エステルは龍玉を軽く扱っていたが、本来龍玉とはドラゴン自ら作り出す宝玉である。それだけに愛着も大きいため手放すドラゴンは少ない。ましてや自分達の為に作ってくれと頼んでも普通なら断られる。実際断られてきた。
 国王達が亜衣に期待していたのは龍玉を手に入れることだった。今回エステルが龍玉を渡してくれることとなって、今なら他のドラゴンにもお願いできるのではないかと一縷の願いを託して亜衣をヘンルーダの森に派遣したのだ。
 ほぼ万能の龍玉とは違い。精霊球はそういう訳にはいかない。慎重に扱わなければならないデリケートなものだった。その上、土の精霊は地上を早く移動できるが飛ぶ事はできない。陣地を作るには最適ではあるが、攻撃には不向きである。風は空を飛べるが、地面は走れない。しかし空中では攻撃力が高い。火は攻撃力は高いが移動はできない。水は陸地では行動できない。でも水中では移動も攻撃力も高い。などとそれぞれ利点と欠点があり、扱いが難しいのだ。

「エルフ達に連絡がついた。ヘウレンの洞窟にいる守備兵とエルフ達が飛んだらしい」
「こっちも交換できたのじゃ」
「よっしゃ飛ぶで!」
「ちょっと待って!」

 アルシアとマルグレットが飛ぼうとするのをザビーネが止める。そして傍に居たエリザベートに運転を任せると2人に乗れと指示する。

「なんでや?」
「新型と違ってその機体だと、海辺まで魔力が持たない。トレーラーでヘウレンの洞窟まで行くしかないよ」
「しかしそれなら亜衣はどうするのじゃ?」
「亜衣はエステル様に運んでもらおう。それしかないよ。……それでいいかな?」

 ザビーネが手元の魔方陣に向かっていう。

「いいよ。エステル様に運んでもらうから」
「任せるのねー。あい、背中に乗ってー」

 亜衣の返事にエステルが被せるようにいう声が聞こえる。上を見れば、エステルが勢いよく飛んでいく姿が見える。その後ろで必死になって追いかけるエルザの姿も……。

「おかあさーん。まってー」

 その様子にザビーネが軽く笑う。アルシアとマルグレットは上空を睨みながらトレーラーへと乗り込んでいった。

「さあ、まいりますわよ」

 エリザベートがトレーラーを急発進させる。装甲騎兵に乗っているアルシアとマルグレットはともかく荷台にいるエルフは必死になってしがみついていた。荒い運転。山道を凄いスピードで走破していく。

「エリザベートはハンドルを握ると人が変わるんだから!」

 助手席でザビーネが悲鳴を堪えている。

「悲鳴を上げたいのはこっちだ!」

 背後からエルフの声が聞こえてくるが、エリザベートには聞こえていないようだ。



 ヘウレンの洞窟の上空では大型の魔物であるロック鳥と取り囲んでいる守備隊の装甲騎兵が睨み合いを続けていた。
 守備隊も相手が大きすぎるために攻撃してもさほど効果がなく。どう攻めていいのか分からない様だ。港に停留していた船が宙に浮き上がり、砲撃を繰り返している。砲撃を繰り返すたびに小さな魔物が巻き込まれ墜落していく。だが数が多い。多すぎる。

「ど、どうしよう……」

 あまりの数の多さに亜衣の口から泣き言が漏れる。

「あい。弱音を吐いちゃダメなのよ」
「そうだよー。お母さんの言うとおり」

 エステルのブレスが小さな魔物を巻き込み。ロック鳥を攻撃する。さすがにドラゴンのブレスにはロック鳥も分が悪く。悲鳴のような鳴き声を上げる。
 鳴き声にあわせ、小さな魔物が一斉に攻撃を加えてきた。迎撃する守備隊。
 亜衣は武器はどこと探す。背中に大きな剣が取り付けられている。引き抜くと陽光を反射して輝くドワーフの剣。魔物達がその光に引き寄せられるかのように襲い掛かってくる。

「あい。危ない」

 魔物の攻撃からエルザが亜衣を庇って負傷する。さらにエルザを庇うエステル。足手まといにしかならない亜衣はそんな光景を見ながら歯を噛み鳴らしていた。

「……どうしよう。どうしよう。コルデリア様。お願い助けて!」

 亜衣の絶叫が切ってなかった通信用の魔方陣を介して戦場に響き渡る。

 ――――やれやれ。

 少し呆れたような声が亜衣の耳元で聞こえた。

「今のはだれ? だれなの?」

 機体の中でパニックになっている亜衣にエステルが問いかけてくる。

「どうしたの?」
「い、いま、やれやれって声が聞こえた……」
「誰も言ってないのよ?」

 ふとエステルの脳裡にあきの思い出が蘇ってくる。
 ――神聖魔法は誰かに教えて貰うものではありません。神の声を聞いた者には、自然と使えるようになるものです。

「あい。コルデリアに祈って、きっと神聖魔法が使えるから」
「えっ? えっ?」
「はやく!」

 エステルにせっつかれて亜衣はコルデリアに祈っていく。目の前には亜衣の叫びを聞きつけ、助けに来ようとする兵士達が魔物に襲われる光景が見える。
 だめ、きちゃだめ。亜衣はそう思うが、ルリタニアの兵士が王女を見捨てる訳にも行かないだろう。必死になってこちらに向かってくる。それを見ている亜衣の口から自然と祈りの言葉が囁かれだす。

「神聖なる女神コルデリアの御名において……」

 エステルもエルザも兵士達も傷ついている。
 祈りの言葉が完成した。

「傷ついた者を癒したまえ――『ヒーリング』」

 一瞬、機体を取り囲んでいる魔方陣が弾けた。
 亜衣の周囲から赤い光が溢れだしてエステルやエルザ。戦っている兵士達を包み込む。
 墜落していく亜衣をエルザが背中で受け止める。
 傷口が見る見るうちに塞がっていく。勢いを取り戻した兵士達が再び魔物と戦いだした。

「エルザ。あの大きな魔物に近づける?」
「えっ? でも……」
「エルザ。行きなさい!」

 亜衣の言葉に躊躇うエルザをエステルが叱咤する。そうしてエステルは魔物の群れを引き裂くようにロック鳥に向かって一直線に飛ぶ。後を追いかけるようにして亜衣を乗せたエルザが飛び込んでいく。
 近づくにつれロック鳥はその大きさを見せ付けていた。亜衣はエルザから飛び降り、ロック鳥の背中に飛び移る。

「ごめんね。でも、ここはあなたの家でも居場所でもないの。だから……コルデリアの名において、自分の家に元の世界に帰りなさい」

 剣を背中に突き刺しながら亜衣が囁くように呟く。

「『リターン・ホーム』」

 亜衣の言葉とともにロック鳥がその姿を消した。そうして周囲を飛びまわる魔物達と向き合う。

「貴方達も帰りなさい。でないと……」
「――一匹残らず。撃ち堕としてくれるのじゃ!」

 いつの間にか、亜衣の背後にアルシアとマルグレット。そしてエリザベートがやってきていた。
 さらにその背後にドラゴンの群れが姿をあらわしている。

「これより――」

 エリザベートと地上にいるザビーネの声が重なり、戦場に響き渡る。

「――追撃戦に入る」
「亜衣・ルリタニア王女殿下の御名において掃討せよ」

 エステルのブレスが合図となった。
 焼き払われ墜落していく魔物達。逃げ惑う魔物を容赦なく打ち倒していく。火と風と雷撃が飛び交い。傷ついた兵士を亜衣の神聖魔法が包み込み癒す。
 エルザの背中に立つ亜衣は陽光を反射し戦場にあって一際眩い光を放っている。
 一時間後、攻め込んできた魔物達は全て撃ち落された。
 

 



 地上に降りた亜衣はドラゴンの群れに龍玉をくれるように頼み込んでいる。

「お父さんもお母さんもなのー」
「はいはい」
「エ、エステル……ううー酷いあんまりだ……痛い。痛いぞ」
「うーううー」

 お父さんドラゴンは泣いてエステルにしがみつこうとするが、エルザにしっぽを噛まれて泣く泣く諦

めた。
 他のドラゴン達からも亜衣は毟り取っていく。

「あっ、これもこれも……」
「これも龍玉じゃ」
「これもですわー」
「おや~後ろに隠したんはなにかな~」
「なんでもない。なんでもないのだ」

 嬉々としてドラゴン達の宝玉を毟り取っていく亜衣達を前にしてドラゴン達は冷や汗を流している。

しかもマルグレットは背後に隠した宝玉をまるで強欲な借金取りのように奪う。ザビーネは運ばれてくる大量の龍玉を一つ一つ確認しながらにんまりと笑う。
 ドラゴン達はその上、新しい龍玉を急いで作るように言われて泣き出しそうだった。

「あんまりだー」
「亜衣~。いつの間にそんな強欲になってしまったのだ~。昔の亜衣に戻ってくれー」
「ごめんね。ごめんね」

 亜衣はそう言いつつ。目は龍玉を捜し求めている。
 ヘンルーダの森の中でドラゴン達の鳴き声が響き渡っていた。

 



[20672] 第02話 「龍玉輸送 イン河の戦い」
Name: T◆8d66a986 ID:2fe6ee5c
Date: 2010/07/30 21:38

 第02話 「龍玉輸送 イン河の戦い」


 萌葱の月、第2週9日。ヘンルーダの森からアデリーヌに試験的に30個とファブリスに970個の龍玉が送られる事になった。亜衣達が手に入れた龍玉は1008個にも昇る。アデリーヌへはファブリスから第7装甲騎兵連隊が新型装甲騎兵を持ってアデリーヌへの増援のついでにヘンルーダの森へ寄る事になっており、輸送を担当する事も決定している。
 問題は……ファブリスへ持ち帰る分である。
 兵力がない。
 国防軍第3装甲擲弾兵連隊は第6装甲擲弾兵連隊との交代でヘンルーダの森を動けないし、第6装甲擲弾兵連隊は休暇で既に帰ってしまっている。

「なんでこうなったの?」
「はあ、軍首脳部の指示ミスですわ……」
「あやつら手に入れることばかり考えていて持って帰ってくる事を忘れていたのじゃ。そうとしか考えられんのじゃ」
「なんちゅうか、実は馬鹿とちがうんか? 軍首脳部」

 亜衣やアルシア達が文句を言っている頃、ザビーネが第7装甲騎兵連隊指揮官のアインツ・フォン・ザイフェルト大佐と話をしていた。それがようやく終わったのか、ザビーネが首を振りつつ戻ってくる。

「やっぱり指示ミスのようだったよ。本当は第6装甲擲弾兵連隊がファブリスに戻ってくる際、一緒に輸送するつもりだったそうだ」

 第7装甲騎兵連隊はアデリーヌへ向かうし、ここで余計な兵力を分けるとアデリーヌで戦力が足りなくなるかもしれない。それは避けたい。それぐらい亜衣にも解る。前のように魔物が攻撃してくるかもしれないから国防軍第3装甲擲弾兵連隊もヘンルーダの森を動けない。となると亜衣達だけでファブリスまで持って帰るのが一番だろう。ファブリスから兵力を送らせると今度は時間がもったいない。只でさえ時間が掛かっているのだ。亜衣はそう考えエリザベート達に提案する。

「内陸部だからそれほど危険はないだろうし、わたし達だけで輸送するしかないね」
「ま、まあ仕方ありませんわね」
「そうとなれば急いで列車に乗せてしまうのじゃ」
「時間がもったいないわな」

 亜衣達は龍玉を詰め込んだ箱を列車に載せるように駐在武官に命じた。
 ザビーネは一応、エリザベート達の装甲騎兵に龍玉をセットしておく事を決め、部下の整備班とともに列車後部へと向かう。
 こうして行きとは違い。元々列車に付けられてた護衛隊のみという。たいした兵力もなく亜衣達はファブリスへの帰途につく事になった。列車はファルスの町にあるリーベ駅を定刻通り萌葱の月、第3週1日。青碧の刻26分(7時26分)に出発した。今回は王族専用車ではなく、民間のコンパートメントである。亜衣達の荷物が纏めて積み重ねられている。その光景を見つつ亜衣はこんなに荷物はいらなかったかもと思う。一応個室ではあるが一両丸々使えるわけではないから狭いといえば狭い。しかも他に民間人も乗っている。
 亜衣は後部車両に置かれている装甲騎兵を見に行った。屋根も壁もない後ろの貨物車両に乗せられている。装甲騎兵が置かれている場所では整備士達が命綱をつけて忙しく。機体の調整を行っていた。亜衣は激しい風を受けてはためくスカートを一生懸命に押さえている。

「まあ、他の車両も使えたらもっと広いんやけどな」
「そう訳にはいかぬのじゃ」
「そうですわ。経済優先ですわー」

 背後でエリザベート達が話している。ルリタニアでは経済活動が王族の予定よりも優先される。国王でさえ、民間のコンパートメントに乗って移動するのだ。兵力輸送という理由でもなければ、特別列車を出す事もしない。

「テロとか怖くないのか?」

 アルシアが亜衣に問いかけてくる。

「考えた事なかったよ」
「そんな事したらルリタニア全土が暗殺者の敵に廻りますわ。王妃様がお亡くなりになってからというもの亜衣王女殿下は国民からの人気が王族の中でも一番高いですから」
「王室の看板娘じゃからのう」

 アルシアの問いかけに亜衣が答えると、待ってましたとばかりにエリザベートが語り出す。胸の前で両手を組みうるうると話しながら感動しているようだ。一体何がそんなに感動するのだろうか? とアルシアはそう思う。

「でもそのお蔭で亜衣王女殿下は王室の中でも微妙な立場に置かれているんや」
「そうなのかい?」
「第1王子のヴォルフガング王太子殿下が現在陸軍におられるんや。優秀なんやけど、人気の点では亜衣王女殿下に劣る。国民の中では亜衣王女殿下を王位にという声もあるんや。微妙な立場やろ」
「そうだね。でも亜衣王女殿下は王位に就くつもりがあるのかな?」
「ないんとちゃうか。ヴォルフガング様が無能いうんやったら考えるんやろうけど、頭も良いし優秀やで、兵士達からの信頼も厚いしな。亜衣王女殿下が要らんことせんかったら次の王様やろ。それが解ってるだけにおとなしくしてるつもりやと思うで、それに仲もええしな」

 後部車両の片隅でザビーネとマルグレットが精霊球と龍玉の交換作業をしている整備員達を見ながら話をしていた。
 ザビーネは亜衣が王位に就くつもりが無い事を知って安心する反面、亜衣を担ぎ出そうとする勢力がこれから出てくるかもしれないと警戒心を強める。もし亜衣が王位に色気を見せたら、ルリタニア王国を2つに分ける内乱が起きるかもしれない。ローデシア最大の王国が2つに割れるとそれに乗じて他国が動くのは明白だろう。そう考えると背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 列車は行きとは違い。ファルスから内陸部を通ってツォンスへと向かう。ツォンスの手前にはロードリア山脈からアクィレイア湾へと流れるイン河がある。川幅300mという結構大きな河で、ノエルへと向かう荷物は一旦ツォンスに集められ、ここから陸上のルートを通ってロードへと向かう。ロードが陸上での集積地点であるなら、ツォンスは海上輸送の中継地点であるためにこの街の川沿いには多くの問屋や倉庫街が立ち並んでいる。

 ファルスとツォンスの中間に差し掛かったとき、後部車両に載せられている指揮車兼トレーラーへと港町リーベから連絡が入ってきた。

「こちら、第0902特別小隊。何事ですか?」

 0900は王族専用の護衛部隊に与えられる特別コードである。ちなみに国王が0901。王妃は0902。現在ルリタニアには王妃がいない為、王女に0902を与えられていた。

 ――現在、港町リーベ市に大型スキュラが出現。リーベ防衛部隊を振り切ってイン河を遡っている。追撃しているがこのままのペースだと薄紅の刻23分(14時23分)にツォンスに到着する。充分気をつけられたし。以上。

 それだけ伝えると通信が途絶えた。
 薄紅の刻23分といえば、列車がツォンスに到着する時刻だ。現在金の刻10分(13時10分)。あと1時間ぐらいしかない。連絡を受けたザビーネは時計を見てため息をつく。

「みんな。今入った連絡でスキュラがイン河を遡ってこっちに向かっているそうだ。あと1時間で遭遇する」

 エリザベートが何も言わずに窓から身を乗り出してイン河の方向を見る。遠くの方で戦っている様子が微かにだが、見受けられた。
 ばたばたと大きな音を立てて列車の車長が護衛隊長を連れてやってきた。車長は見るからに緊張した面持ちで忙しく額の汗を拭う。

「王女殿下……たった今、ツォンスから連絡が入って……」
「知ってる。スキュラが向かってきてるんでしょ。さ~急いでツォンスに入るか、それとも一度立ち止まって迎え撃つか。どっちがいいかな」
「――自分は列車を止めて迎え撃つ事を進言致します」

 護衛隊長がそう言う。エリザベートも同じ意見みたいだった。窓から戻り、腕を組んで考え込んでいる。ザビーネは機体の調整を急がしていた。アルシアはすでに機体の乗り込んで待機してる。マルグリットも待機だ。

「しかし君。このまま止まっても誰が戦うのかね?」

 車長が顔を赤くして言っている。しかし隊長は気にした風もなく亜衣を見つめたままさらに意見具申を求めていた。
 
「自分達の部隊が出ます。それにツォンスからもすでにこちらに向かって援軍が向かっております」
「スキュラの目的は龍玉でしょう。それしかありません。このままツォンスに入るのは街にスキュラを呼び寄せるようなものです。遵って街からある程度離れた場所で迎え撃つのが、一番だとわたしは考えます。いいですね」
「はっ。了解いたしました」

 隊長が亜衣に敬礼すると車両から出て行く。

「車長さんには現在位置をツォンスに知らせて下さい」

 亜衣はそう言って車長を追い出すと、エリザベート達を振り返って言う。

「ザビーネ。援軍を急がして。エリザベートは列車が止まったらトレーラーを下ろして、マルグリットとアルシアはわたしと一緒に出撃ね」
「王女殿下。わたくしも出たいですわー」
「今回はダメだよ」
「スキュラにターレンハイム家特製の88mm砲を叩き込みたいんですの~」

 エリザベートが子供みたいに駄々を捏ねる。貨物車の武器庫を開けると中に入っている88mm砲をうっとりとした眼で見つめている。亜衣はターレンハイム家特製の88mm砲ってなに? と思い。エリザベートの後ろから武器庫を覗き込む。
 中には大きくてゴツイ対戦車砲が載せられていた。というかこれの所為で他には武器がほとんど入ってない。スペース取り過ぎ。亜衣は頭を抱えたくなった。

「あ~。エリザベートは大砲主義者じゃから……」
「そうやね……」

 主に魔法をメインに使う2人は呆れている。亜衣は頭を抱えて座り込んだ。大砲主義者と言う言葉に頭の中で「大砲と男のナニは大きければ大きいほど良いのです!」と言ってお父様に怒られた技術者を思い出す。その上、初めて連れて行ってもらった軍の訓練基地で教えて貰ったヒワイな歌をお兄様と2人で意味も分からないままに歌って、周りの女官達に慌てて止められてしまった事も、次から次へと思い出して赤面したくなっていた。

「しかも未だに歌えるもん……」

 亜衣は首を振って忘れようとする。意味を知った今では恥ずかしくて歌えない。なんで軍隊ってあんな歌を歌うんだろう? 亜衣には分からない。誰にも聞けない謎だった。

「どうしたんや?」
「さあ~。どうしたのじゃろうな?」

 アルシアとマルグリットが様子を窺っているのを感じた亜衣は、立ち上がってうっとりしてるエリザベートを見る。

「じゃあエリザベートはトレーラーを下ろしたら、88mm砲を用意して!」
「分かりましたわ~」

 と、鼻歌交じりにいそいそ用意し始める。

 
 萌葱の月、第3週4日。薄紅の刻10分。ツォンスまで1kmの地点で列車が止まった。
 亜衣達は急いでトレーラーを下ろして迎撃準備に掛かる。護衛隊も列車から降りて体勢を取っていた。前方ではイン河を遡っていたスキュラが河を上がり、こちらに向かって移動している。
 装甲騎兵が硬い地面を踏みしめた。今回は3機とも龍玉をセットしている。
 アルシアは龍玉の効果に驚いているようだ。しきりに魔方陣を展開している。エリザベートがマルグリットに手伝わせていそいそと88mm砲を組み立てている。地面に突き立てた楯? 車輪? 自走砲のような砲塔が完成した。

「さあ来なさい。一杯打ち込んで差し上げてよ」

 エリザベートが嬉々として構えてる。
 なんというか最近、エリザベートの事が分からなくなってきたと思う亜衣である。これでも亜衣とエリザベートは幼馴染だ。王家とターレンハイム侯爵家は昔から公私にわたって親しく交流がある。もう1つの侯爵家。ブラウンシュヴァイク侯もそうだが、向こうは男の子のために亜衣より兄、ヴォルフガングと仲が良い。年も同じだし、亜衣達とは違い西の塔ではなく、2人とも軍の幼年学校に入ってしまった。その事もあって亜衣は兄とアドリアンとはあまり会う事がない。しかし亜衣から見たら表面的には性格も見た目も違うタイプと思われているが、絶対同じタイプだと思っている。もっともどちらとも性格に反して見た目は線が細く見えるが……。
 よく一緒にいる所を見て宮殿の女官達がきゃあきゃあ騒いでいる。アルシアなどはあの2人はあやしいのじゃ。というが、亜衣には何の事かよく分からない。エリザベートにそう言うとにまにま笑って答えてくれない。その度にむーっとする亜衣であった。

「仲が良いのは良いことだと思うけど?」
「まあ、仲が宜しいのは結構な事ですわ。お2人にはこれからも仲睦ましくいてほしいですわー」

 そう言ってエリザベートは身を捩ってうっとりとした口調で笑う。亜衣はエリザベートの反応に大きなはてなマークを浮かべながら、うん。と頷くのがいつもの事だった。アルシアも同じような感じだ。でもにやにや笑うのが違うけど。マルグリットは「まあいろんな人間がおるからな」と言ってあまり気にしていないような気がする。

 考えているうちにスキュラがあと500mにまで近づいてきていた。
 亜衣の背後から88mm砲の砲撃音が聞こえ大気を震わせる。撃ち込む度に対戦車砲はがらがら音を立てて後ろへと下がる。その度に押し戻し、砲撃を繰り返す。

「さあ、お喰らいあそばせ」

 エリザベートの声とともに砲撃が繰り返されてスキュラが身を捩って苦しむ。装甲騎兵の足元に展開された地の魔方陣が黄色い光を放ち、マルグリットとアルシアが滑るように地面を駆ける。
 マルグリットの周りに青い光が集まっていく。

「さあ、うちも派手にいかせてもらうで!」

 ――水の乙女。矢となりて敵を撃ち抜け。
 マルグリットの周囲に集まった青い光が大量の小さな氷の槍を模る。宙に浮く氷の槍。

「アクア・ジャベリン!」

 槍は呪文とともにスキュラに襲い掛かる。数百の氷の矢がスキュラに突き刺さる。血飛沫を撒き散らして苦しむスキュラ。声にならない咆哮が耳に届く。スキュラの最大の武器はその巨体と9つの首からの噛み付きだ。近距離なら恐ろしいが、遠くからの攻撃には無防備な部分がある。だから基本的には足? を止めさせて攻撃をしていく。
 アルシアはマルグリットよりもさらにスキュラに近づく。風の魔方陣がアルシアの機体を宙に浮かす。

「くっくっく。目にモノ見せてくれるのじゃ。喰らうがよいわ」

 アルシアの機体が風と火の魔方陣に囲まれる。
 ――炎の中より生まれし鳥よ。我とともに敵を撃ち抜け。

「イレリオン」

 アルシアが飛ぶ。炎に包まれた。炎は鳥を模り。スキュラをも撃ちぬき、後方へと突き抜ける。頭を1つ失った首が力なく地面に向かい垂れ下がった。アルシアはスキュラの頭上で見下ろしつつ。高笑いする。焦げた肉の匂いが辺りに充満する。

「わらわを侮るとこうなるのじゃ」

 アルシアの高笑いにスキュラより護衛隊の方が震え上がった。陽光の元アルシアの機体が輝く。
 亜衣にはアルシアやマルグリットほどの魔法攻撃力はない。土の魔方陣により機体は速く地面を駆ける。亜衣は20mmの対戦車ライフルを構えて、スキュラを撃つ。スキュラの腹に血飛沫が飛んだ。さらに20mmの銃弾を叩き込んでいく。苦しげだったスキュラの首が亜衣に襲い掛かる。急角度でかわす。避ける。撃つ。ライフルの銃声が辺りに響く。

「地味なのじゃ」
「まあそう言うたりなや」

 頭上からアルシアの、地上からはマルグリットの声が聞こえる。
 土の魔方陣から風の魔方陣に切り替え、亜衣が空を飛ぶ。

「地味で悪い?」

 亜衣の言葉に地上で援護射撃を行っていた。護衛隊の兵士達が「そんな事ありません」と声援を送る。

「ありがと。でも、わたしも派手にいくからね」

 ――神聖なる女神コルデリアの名において、敵を踏み潰せ。

「フィート」

 亜衣の神聖魔法が放たれる。中空からたおやかな女性の足が現れたかと思うとそのままスキュラを踏む。しかも踏み躙る。ぐりぐりと。とても痛そうだ。ヒールの細いピンがスキュラを貫く。抉るように踏みつけた足が、長い首筋をぺたんこにしてしまう。
 亜衣はその光景を見て、思わず……こわい。と呟いた。

「じつに女性らしい。えげつない攻撃だな……」

 見ていた護衛隊からもそんな感想が聞こえてくる。実際自分でもそう思う。まさかこんな攻撃なんて……女神様怖い。
 女神に踏みつけられ動けなくなったスキュラへと護衛隊の攻撃が叩き込まれていく。ザビーネの指示が護衛隊の各班に飛び、貨物車両から下ろされた銃器の火力が砲撃を繰り返す、いかにスキュラといえども身動きできない状況では的になるしかなかった。そして瞬く間のうちにスキュラは肉片となる。
 その頃になってようやくツォンスからの援軍がやってきた。援軍は変わり果てたスキュラを見て呆然とする。中には戦車の車体を叩きながら「出番がなかった」と泣いている兵士もいた。

「新型戦車の威力を試したかったー!」

 悔しそうに泣く兵士。その兵士の肩を叩いて慰める戦友達。亜衣はなんとなく悪い事をしたような気がして、居心地の悪い思いを感じていた。

「新型はな~。88mm砲に装甲も従来より厚く。被弾しても弾くんだぞー」
「うんうん。それに走行速度も40kmを超えているんだよな」
「そうなんだ……それなのに、それなのに……王女殿下のばか~」

 恥も外聞もなく泣きじゃくる兵士達……。
 その光景を見つつ。マルグリットが「なんだかな……」と呟いていた。エリザベートが「その気持ちわかりますわ」と言う。

「なんで?」
「大砲は浪漫ですわー」
「あ~はいはい」

 エリザベートの叫びをアルシアが口を封じて列車の中へと連れ去っていく。哀れエリザベート。

「なぜですのー」
「大砲主義者がうるさいのじゃ」
「大砲は女の浪漫ですわー」

 もがもがとしながらも叫ぶ。
 戦車隊から、

「違う。大砲は男の浪漫だ!」

 と、叫び返された。

「……どっちでもいいよ」

 亜衣はがっくり肩を落として列車へと戻っていった。その後をマルグリットとザビーネが同じように肩を落として続いていく。
 装甲騎兵から出てきた亜衣はどことなく疲れたような顔で、コンパートメントへと戻る。スキュラの死体は戦車隊が片付けるそうだ。列車が進み出す。ガタゴトと音を立ててツォンスへと向かい。一旦貨物を下ろすと再び、ファブリスへと進むはずだ。
 亜衣はしばらく列車の窓から外の風景を眺めていたが、いつしか眠りに落ちていった。


 亜衣が目を覚ますとツォンスの街だった。
 街全体が活気に溢れている。この街では多くの人々が職を求めて集まってくるらしい。一説には首都ファブリスよりこの街の方が人気が高いと評判になっていた。
 亜衣はこの町に列車が停まっている事に驚く。

「あれっ? ファブリスに向かっているんじゃないの?」
「ツォンスの駐留軍を動かしたからな。一応形式とはいえ、軍に連絡しておかねばならぬのじゃ。ザビーネが連絡しておる」

 亜衣の問いかけにアルシアが答えた。その後ろではエリザベートとマルグレットが駅で売られているお弁当をぱくついていた。器用にお箸を使い。奈良宮皇国から来たお米でできた巻き寿司を銜える。

「あっ。わたしも欲しい」

 亜衣は急いで列車を降りると売店に向かって走り出す。駅の構内ではお弁当を売っている売り子が声を張り上げている。呼びとめ、首から提げた箱の中を覗いて物色し始めた。

「どれにしましょう?」
「どれがおいしいの?」
「そりゃあ、どれもおいしいですよ」

 太った大柄なおばさんががははと笑いながら亜衣に言った。元気なおばちゃんである。目の前にいるのがこの国の王女だと気づいていないのだろう。ばしばし亜衣の背中を叩く。
 背中を叩かれた亜衣はけほけほ咳き込みながら、イカのしょうが焼きの入ったお弁当を買うと急いで列車の中に戻る。ツォンスは海産物がおいしいのだ。いそいそお弁当の蓋を開け中から取り出す。ぱきっと小気味のいい音を立ててお箸が綺麗に割れる。
 亜衣があ~んと大きな口を開けて、しょうがの利いたイカを噛み締めた。お刺身のこりこりした感じとも違い。歯ごたえが柔らかくてよく味がしみこんでいる。ごくっと飲み込んで、今度は一緒に入っていたおにぎりをぱくっとかぶりつく。

「たらこだ~」

 うれしそうに亜衣が言う。焼いたたらこの小さな粒々がおにぎりの中からのぞいている。

「う~む。とても一国の王女とは思えぬ光景なのじゃ」
「はえ?」

 アルシアが目を丸くしていう。普通王女は自分で駅弁を買いに走ったりはしない。王女というものは世情に疎く。下々の暮らしなど知る機会がないだろうに、亜衣はどことなく小市民的なところがある。アルシアにはその辺りがなぜなのじゃろうかと不思議に思う。

「お父様も駅でお弁当を食べるよ。結構、あっちこっちの駅でお弁当を買って食べ比べをしてるって言ってた」
「国王がか?」
「うん。お父様は国内を視察する事が多いからね。色んな街に行くたびにお土産に特産品を買ってくるんだよ。それであの町にはこんな特産品があるって言って、なんだか嬉しそうなの」

 亜衣はおにぎりをぱくつきつつ話す。アルシアは国王の印象が変わってしまったみたいに感じられてなんとも微妙な気分に陥る。

「そういや。国王がな、ヘンルーダの森に来た時にカッセルで作られているかまぼこを売り込んでたで」
「バーデン地方のレミュザのお酒に加えて、モームのビールも売り込んでいますわ。輸出量を増やそうとがんばっているんですの」

 マルグレットとエリザベートが巻き寿司にかぶりつきながら話している。最近ルリタニアでは食料の加工品を各国に輸出しようと頑張っている。戦争中な事もあって軍に納品されている食料が他の国の兵士にも人気が高いらしく。ルリタニアの味覚に慣らされた兵士達が国に帰ってからも欲しがるからだ。ならば今こそチャンスとばかりに国王自らが、売り込んでいた。

「なんかようやるわ」
「ルリタニアにとっては悪い事ではありませんわ」
「まあ、そうやろうけど……普通、国王がやるか? 下の者にやらせんか?」
「何を言うのです。国家間の首脳会議の席で売り込めるのは国王だけですわ。他の者では発言すら中々できませんのよ。国王自らが動く事で他の者達に範を示しているのですわー」

 いや。そう言うこっちゃないんやけどな、とマルグリットは半ば諦めたように呟く。アルシアが小声で「好意的解釈をすれば戦争特需に頼らずに地力をつけようとしておるのじゃろう」と囁いている。「まあそれも分かるけど、これは下の者はきついで」と言い返していた。

 亜衣達はお弁当を食べながら話している。そこへ連絡を終えたらしいザビーネが戻ってきた。なにやら沈痛な表情をしている。

「亜衣王女殿下。陸軍の元帥閣下が王女殿下にお話があるそうです。通信室へお越し下さいとのことです」
「なにかな?」

 ザビーネのどよんとした顔に見送られ、亜衣はてくてく通信室へと向かう。列車の前列にある通信室では列車とファブリスを繋ぐ魔方陣が起動していた。

「やっと来たか」

 魔方陣の前に座った亜衣を前にして陸軍の元帥、ディルク・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵がうれしそうにがははと笑う。亜衣とディルクは亜衣が生まれたばかりの頃からの知り合いで幼少の頃からたいそう可愛がって貰った。亜衣はディルクの事を仲の良いおじいさんとして慕っている。もっともおじいさんと呼ぶとむっとするのでおじさまと呼んでいるが。

「ディルクのおじさま。何か用なの?」
「うむ。新設された空軍がやっと機能し始めてな。ゴドフリードのやつも余裕ができてきたそうだ」
「それは良かったです」

 こうした挨拶から始まってあれこれ話し合っているうちに、ディルクがおもむろに話を切り出した。

「時に亜衣。来週の週末あたり暇かね?」
「開ける事もできますけど、なにか?」
「いやなに。陸海空の元帥が集まる事になってな。ほれ前に一度連れて行ったことがあったろう。あの連中も王女に会いたがっているのだよ。で……今度も」
「いやです」

 亜衣はきっぱり言った。

「なぜだ。ルリタニアの軍上層部ばかりの集まりなんだぞ」
「それはそうなんですけど……」

 一年ほど前に父の代理として出席した時に亜衣は、散々な思いをさせられた。
 集まったのはディルクおじさまと同じような年配の人達ばかりで、ルリタニア軍でそれぞれ功績のあった方々である。この戦いにおいても軍のトップとして活躍している。しかし……相手をするのが疲れるのだ。
 みんな。マッチョなタイプだし、元気なじいさんばかりで軍隊特有のヘンな歌を歌うし。かつて亜衣に歌を教えたのもディルクおじさまである。その上軍隊のへんな罵り言葉を言うし、亜衣は伏字だらけの会話についていけないのである。
 一応軍のトップだし、無視する訳にはいかない。それに亜衣を赤ん坊の頃から知っているのでいまでも子ども扱いする。なんというか孫の取り合いをするおじいちゃん連中といった感じだ。
 前回終わったあとで、どっと疲れてしまい――二度と行かない。と心に誓ったのだ。

「理由を教えてくれ。女遊びの話が嫌なのか?」
「それだけじゃありません」
「じゃ、じゃあ、ブルーノの性病の話か?」
「聞きたくないです」
「ゴトフリードの歌か?」
「それもです。あと3人で合唱したでしょ! あの場にいたウェートレスさんも泣きそうでしたよ」

 ファブリスにあるレストランでこの3人はお酒を飲みまくった挙句、散々騒ぎ。ウェートレスに抱きついてセクハラして泣かせてしまった。しかも相手が軍の最上層部なものだから報復を恐れて泣き寝入りする寸前だったのだ。
 亜衣が3人の頭をぽかぽか殴って報復しておいたが……。あの後の後始末を思い出すと怒りが湧き起こってくる。

「ま、まあそう言うな。みんな気の良い連中だったろ?」
「ぶー」
「わかった。みんなに紳士的に振舞うよう言い聞かせておくから、来てくれ」
「ぶーぶー」
「あいつらもああ見えて、軍の重圧に耐えかね。辛い日々を送っているんだ。たまには孫のように可愛く思っている王女を囲んでささやかな慰労会を開いてもいいじゃないか」
「嘘です! あれはわたしをダシにして騒ぎたいだけです!」
「う~ん。まあそう言うところがないとはいえんが……。あっああ~亜衣。切るな。切らんでくれ」

 慌てふためくディルクの声に亜衣は魔方陣を消す手をぴたりと止めた。

「もう用件はないでしょう?」

 しかし声が冷たい。普段からは想像も出来ないような底冷えのする声で問いかける。

「そ、そう冷たい態度を取らんでくれ。元帥閣下達の集まりなんじゃぞ。それ相当の地位と功績がないと呼ばれんのじゃ。例えば亜衣の兄ヴォルフガングぐらいじゃないと呼んで貰えん筈なのに」
「だったらお兄様をお呼びになったら宜しいでしょう?」
「あいつはつまらん。招待してもアドリアンの坊主と一緒にもくもくと食べるか飲んでるだけだ。きっと」

 いかにもありそうな光景を想像して亜衣はどんよりとした気分に陥る。

「とにかく行きませんから。それに会場はレーベンブルグでしょ。さすがにそこまで行く暇なんてありません」
「そうか。ならファブリスでやろうじゃないか。他の連中にも相談するからな」
「ああ~。行きませんよ。行きませんからね。ああもう……」

 叫ぶように言ったが、魔方陣は向こうから消されてしまった。じっと魔方陣の跡を見つめる。本当にどうしてくれようか? 亜衣は頭を抱えたい気分になってしまう。本当に困ったおじいさん連中である。
 ぷんぷん怒っていると、ザビーネがこそっと顔を見せる。顔色が悪い。

「王女殿下。お話は終わりましたか?」
「ザビーネ……」
「あの方々って、いっつもあんな感じなんですか?」

 ガクガク震えているザビーネを見た。もしかして……ザビーネもディルクのあのへんな罵り言葉と伏字だらけの会話を聞かされたのだろうか? 亜衣は痛ましいものを見るかのようにザビーネをそっと抱き締め、慰める。いかに西の塔の天才少女と呼ばれようとザビーネもまだエリザベートと同じく16の少女なのだ。あのおじいさん連中の相手は辛かろう。
 胸に顔を埋め、泣いているザビーネの頭を撫でながら亜衣は慰めていた。ここにもあの連中の被害者がいたのだった……。

 ガタゴト列車が動き出す。
 レールの上を進む。時折車輪の軋む音が耳に入る。
 今度こそ列車はファブリスに向けて走り出していた。
 その一室で2人の少女が抱き合っている。




[20672] 第03話 「蒼海の皇女 アデリーヌ陥落」
Name: T◆9ba0380c ID:7d38f0bf
Date: 2010/08/04 13:00

 第03話 「蒼海の皇女 アデリーヌ陥落」


 ファブリスに帰って来た亜衣達は列車を降りるより先に入ってきた連絡によって西の塔へとやってきた。
 西の塔では、国王以下ターレンハイム侯爵にブラウンシュバイク侯爵。そして大臣達が待っていた。龍玉が西の塔に搬入された途端、国王達は時間が惜しいとばかりに急いで確認をしだす。あれよあれよと言う間に亜衣達は蚊帳の外に出されてしまう。
 確認を終えた国王達が、再び急いで宮殿の会議室へと文字通り走り去っていく。国王達を乗せた車が激しい音を立てて走っていった。後に残された亜衣達は呆然として見送る。

「あれは一体なんだったんですの?」
「さあ?」

 呆然と見送る亜衣とエリザベート。そこへ首席導師のブレソール・フォン・ケッセルリングが姿を見せた。

「一応自分たちの眼で確認しておきたかったんだろう。これから軍だけでなく民間をも含めた龍玉の割り当てを考えねばならんからな」
「そうなんですの?」
「そりゃそうだ。龍玉の性能はすでに西の塔でも実証されておる。魔力、精霊力を主体としているローデシアでは垂涎の的だろう」
「お父様達もたいへんだ」

 亜衣は案外気楽そうに言った。その言葉に首席導師が目をぱちくりさせた。そして大声で笑い出す。しばし笑っていたかと思うと首席導師が亜衣達5人を手招きする。そして西の塔の一角にある研究棟にやってくる。
 中に入った亜衣達は壁沿いに立てられている装甲騎兵に驚いた。そこにはデフォルメされたエリザベートの顔にアルシアやマルグレット。ザビーネの顔も並んでいる。

「首席導師。これは……?」
「国王にターレンハイム、ブラウンシュヴァイクの侯爵達に頼まれて造られた新型じゃよ。あの連中から金を巻き上げて作ったものだからコスト度外視じゃ。いやあ~楽しかった」
「まさか、こんなものを造っていたなんて……」

 エリザベートは驚いて自分の顔に似せた装甲騎兵を凝視している。他の3人も同じような感じである。それぞれ自分と同じ顔をした機体に近づき、撫で回す。

「うっ。なんだかわたくしのは重装甲ですわ」
「うちのは槍……か? なんやドリルみたいなん持ってるけど?」
「ドリルじゃ。格好良かろう」

 首席導師はケラケラ笑う。エリザベートは両肩に付けられている楕円形の楯をぺたぺたと触る。並んでいる機体の中でも一番重そうで、装甲騎兵なのだから本人とは関係ないとはいえ、女性としてはなにやら微妙な気分に陥ったらしい。マルグレットは首を捻って装甲騎兵が持っている武器を眺める。長い棒の先に鋭い螺旋状のドリルが付けられている。まるでユニコーンの角のようだ。そんな2人を横目にアルシアがじっと自分の機体を睨んでいた。

「わらわのは……なんじゃこれは~!」

 アルシアの機体は左手が鉤爪になっていた。鋭く尖った5本の爪。機体の色も黒く塗られている。その中で顔だけが普通の色だ。なんというか、むしろそこだけが異様な感じになっていた。
 エリザベートの琥珀色。アルシアの黒。マルグレットの緑。ザビーネの赤。こうして見ると亜衣の機体だけがお人形のように色彩豊かに造られている。

「しかもわたくしの機体はなぜ、ドレス風なのですのー」
「それを言うならわらわのはお子様風ドレスじゃぞ」
「うちなんかメイド風やで……」
「ボクのは普通だけど……」
「いいですわね。普通で!」

 3人の声が重なる。

「誰や。こんなんした奴は!」

 再び声が重なった。

「西の塔の総力を結集して造り出した機体じゃ。お前さんらに合わせて造っておるから、後で自分らで調整しておくと良い」

 そう言うと首席導師はそそくさと研究棟から出て行った。逃げたともいう。

「あんたらの趣味かー!」

 マルグレットの怒号が研究棟に響き渡った。整備班が耳を塞ぐ。さらにエリザベートとアルシアが首席導師を追いかけ、捕まえると袋叩きにしていく。

「ドリルは男の浪漫じゃぞ。鉤爪、格好良いではないか。何が悪い!」
「やかましいのじゃ!」
「そうやそうや」
「貴方達はデリカシーというものが分からないのですわー!」

 ぼこぼこにされる首席導師。その光景を眺めながら亜衣はがっくりと肩を落とし、座り込んでいた。

「もうやだ……」

 亜衣の背中がどことなく哀愁を漂わせている。ぽんぽんとザビーネが肩を叩く。振り返った亜衣にザビーネがふるふる首を振りつつ。はあっとため息をつく。

「ごめんなさい。ああいう人達なんだ。西の塔というのはね。なんと言っても趣味に生きてるところがあるから……」

 そう語るザビーネも哀愁を漂わせる。座り込んでいる亜衣とザビーネの視線が合い。見つめ合う。
 とはいえ、一応は専用機だ。しかも龍玉を使用している。捨てるのは惜しいとばかりに、彼女らはいそいそと研究棟から運び出して宮殿へと向かう。大型トレーラーに載せた装甲騎兵とともに宮殿へとエリザベートの運転で爆走していく。途中、道行く人々が慌てて逃げ出すところを見て、亜衣はもう少し速度を落とすように言うが、ハンドルを握ったエリザベートには聞こえていないらしい。
 宮殿の門を蹴破るようにエリザベートは突入する。背後からは衛兵達が怒号を上げ、追いかけてくる。

「待て! 止まらんと撃つぞ!」

 衛兵達の構えた銃がトレーラーを狙っている。エリザベートはハンドルを巧みに切ると、宮殿の前に見事に止めた。タイヤの軋む音。ゴムの焦げた匂いが亜衣の鼻先に漂う。衛兵達に取り囲まれ、見守る中、亜衣達は真っ青な顔で降りる。

「もう。エリザベートに運転させるのは嫌なのじゃ」
「賛成」
「そうやな」
「こ、怖かったよ……」

 降りてきた亜衣を見て、衛兵達がとっさに直立し敬礼をした。そして慌てふためく。仮にも王女に銃を向けたのだから慌てるのも仕方がないだろう。だらだら汗を掻いている。顔色が悪い。亜衣と衛兵の目が合った。

「ごめんなさい!」

 亜衣はぺこっと頭を下げた。後ろでアルシア、マルグレット、ザビーネも真っ青な顔色でぺこりんと頭を下げる。その様子に衛兵達が慌てて亜衣達に頭を上げるように懇願する。玄関先での騒動に宮殿の中から、護衛の兵士達が飛び出してきた。そうして衛兵達に頭を下げている亜衣達を見て目を丸くする。

「一体何があったんだ? それに何故、王女殿下に銃を向ける!」
「彼らは職務に忠実だっただけ。衛兵さん達は悪くない」

 近衛連隊付きの大尉。モニカ・フォン・モリアン男爵が琥珀色の眼を厳しくして衛兵達に問うが、衛兵達が答えるより先に亜衣が返事を返した。大尉は驚いて亜衣の方を見る。亜衣は何も言わずに後ろにあるトレーラーとエリザベートに目を向けた。大尉が亜衣の視線を追うようにトレーラーをみ。エリザベートを見て、さらに地面に刻まれているタイヤの軌跡を確認する。そうして頷いた。

「要するにまた。エリザベート様が暴走したわけですな」
「そう」
「そして門で一旦、止まらずに走り抜けた、と?」
「そうそう」
「それを衛兵達が追いかけてきたと」
「そうだよ」

 大尉がエリザベートを見ながら、はあとこれ見よがしにため息を吐いて、衛兵達に職務に戻るよう指示する。

「ああ、君達に罰は下らないから、安心したまえ」
「この件で誰かに罰を言われそうになったら、わたしの所に来てね。ちゃんと言っておくからね」
「王女殿下もこう言っておられる。安心したまえ」

 ホッとしたような顔で衛兵達がようやく門のところへ帰っていく。
 亜衣達は大尉とともに宮殿へと向かった。トレーラーは近衛兵の手で宮殿内にあるハンガーへと運ばれていく。

「しかし王女殿下はお優しいですな」

 大尉が前を向いたまま、ぽつりと零す。歩くたびに腰につけた剣がカチャカチャ音を立てる。近衛隊の軍服は軍隊の制服とは違って、かつての貴族達が着ていたアビ・ジレ・キュロットを制服として着用していた。白地に金糸銀糸で彩られた近衛隊の軍服を見ていると、ここだけ遥か昔に返ったようで、なんだか奇妙な錯覚に陥りそうだった。

「真面目な衛兵さん達が職務に忠実に行動して罰を受けるのは間違ってると思う。そんな事したら誰も真面目にしなくなってしまうもん」
「確かにその通りではありますが、王女殿下に銃を向けるのは……」
「お父様が言ってた。『たとえ王族と言えど、法は守らなければならない』あの人達は門番で、警告を無視したわたし達を追いかけてくるのは当然でしょ。そして警戒して銃を向けるのも……。エリザベートが門で止まって、確認してもらえばそれで済むだけだったんだけど。そうじゃなかったから、こんな風になっただけ。だからあの人達は悪くない」
「確かにその通りですな」

 亜衣の言葉に大尉は肯定する。そして亜衣はそれきり喋らないまま、先頭に立って宮殿の中に入っていく。
 宮殿の中は代々の国王達が手を加えてきたとはいえ、基本的に昔とあまり変わっていない。金箔を張り巡らし、吹き抜けのホールでは天井から吊り下げられたシャンデリアの輝きで、明るく輝いている。亜衣が中に入ると一斉に女官達やメイド達が頭を下げ、挨拶してくる。ルリタニア王国、王位継承権第2位の亜衣は何も言わなければ下にも置かないような扱いを受ける。何くれとなく世話を焼こうとする女官達を適当に避けつつ。亜衣はホールを抜けて自室へと帰った。

「疲れたよー」

 へにゃっとくずれた顔でばふっとベットにダイブする。エリザベートも同じように亜衣のベットに飛び込んだ。2人はそのままベットの上をごろごろ転がる。
 アルシアはきょろきょろと部屋の中を観察している。ザビーネが呆気にとられて口を半開きにして部屋の中を眺めていた。マルグレットに至っては、部屋の中央に置かれているソファを手の平でぽんぽんと叩いて感触を確かめている。

「……亜衣。お主、こんな部屋に住んでおったのか?」
「なんやねん。この豪勢な部屋は?」
「圧倒されそうだよ。さすがローデシア大陸最大の王国。ルリタニアの王女殿下の部屋と言うべきなのかな?」

 初めて入った亜衣の部屋を前にして3人は口々に感想を漏らす。広い部屋。街の居酒屋ぐらいならすっぽり入ってしまいそうだ。壁には宮廷画家アンドレアスの絵が一面に描かれている。置かれている家具も寝具も豪勢なものだった。3人から見れば、圧倒的なルリタニアの財力を窺わせるに充分な部屋だった。

「この部屋はね。元々お父様の部屋だよ」
「国王陛下の!」
「うん。そう」

 亜衣はベットに転がったままの姿で3人に向かって言う。隣でエリザベートがうんうん頷いている。

「なんでや?」
「う~んとね。お母様が亡くなってから、お父様は自室にいるよりも執務室にいる時間の方が長いから、執務室の近くに移ったの。それでわたしがこの部屋に換ったんだよ」
「そうなのか、そうか元々国王陛下の部屋だったのか……納得」
「しかし豪勢なのじゃ。ブラウンシュヴァイクの屋敷でもこんな部屋はないのじゃ」
「ターレンハイム家でもこんな部屋はありませんわ」

 亜衣達が話しているうちに大きな木の扉がノックされた。

「どうぞ」

 亜衣の返事とともに扉が開かれ、メイドが2人。銀のプレートにお茶の用意を持って静々部屋に入ってきた。そして亜衣達の方を見ずにテーブルの上にセッティングすると再び、足音を立てることなく部屋から立ち去っていく。優雅な身のこなし。さすが宮殿で働くだけあってきちんと躾けられている。彼女達は宮殿で行われる国際会議の場でも給仕するのだから当然と言えば当然であった。アルシア達には真似できそうにない。

「お茶が来たみたいだから飲もうか?」

 気楽に言う亜衣を見ながら3人は、これが生まれつきの身分の差と言うものか? と内心テーブルの上に並べられたお茶や上品なお茶菓子を前にして固まっていた。

「う、うむ。飲むのじゃ」
「そ、そうしようか」
「おいといてもしょうがないしな」

 いそいそ座る。亜衣はベットから起きだすと椅子に座って、並べられているお菓子を1つぱくっと口にした。マナーとか考えなくとも無造作でありながら汚く感じないのは、幼少の頃より教え込まれてきた行儀作法の差だろうか?
 同じようにしつつもエリザベートもまた食べ方が綺麗である。アルシア達はややぎこちなく食べだした。

「どうしたの?」

 ぎこちない仕草で食べるアルシアを見た亜衣が言った。

「いや、なんとなく困ったものなのじゃ」
「気にする事ないのに?」
「公式の場ではないのですから好きに食べればいいのですわー」

 その言葉に何かを吹っ切ったアルシアががつがつ食べだした。そしてマルグレットもまた勢いよく食べる。

「女は度胸なのじゃ」
「そうやな。気にしたら負けや」
「ちょ、ちょっと……」

 慌てるザビーネに亜衣が砂糖菓子を口に押し込む。

「ザビーネ。気にするでないのじゃ」

 アルシアの言葉にザビーネもまた諦めて、寛ぎだす。寛ぐのに『諦めた』という表現をするのはおかしいかもしれないが、その時のザビーネはそう表現するしかないような気分であった。

 

 亜衣達5人はしばしまったりしている。
 ところで急いで西の塔から走り去っていった国王達はルリタニア王国から4000kmも離れた極東に位置する国。亜衣がヘンルーダの森に向かっていた丁度その頃、奈良宮皇国から龍玉を譲って欲しいと交渉が来ていた。奈良宮皇国は海洋貿易国家として、ローデシア大陸と交易を始めて丁度100年になろうとしている。
 ルリタニアと奈良宮は現在軍事同盟を組んでいる事もあり、互いに技術開発にも研究者を派遣しあっていた。そうした事もあって龍玉を譲る事は大した問題ではない。問題は誰を派遣するかだった。
 向こう側が第1皇女を派遣してきた以上、こちらも王族を出さねば向こうは無礼と取るだろう。しかし現在のルリタニア王国では王太子は陸軍の士官としてアデリーヌで指揮を執っている。王女は亜衣だけだ。もし、万が一亜衣の身に何かあれば……ルリタニアの王位継承者を1人失う事になりかねない。最前線の真っ只中にいるヴォルフガングも安全とはいえない状況であるから腰が引けるのも仕方がない。と言えた。

「一体誰を使者として送るべきか?」
「やはり……亜衣王女殿下しかおりますまい」

 ターレンハイム侯爵が苦い物を噛んだような口調で発言する。内心では第1皇女ではなく。大使辺りが来て欲しかった。と考えているのが丸分かりである。国王もまた同じように感じていた。ブラウンシュヴァイク侯爵は送るにしても海の上の事であるから護衛として多くの兵力を同乗させる事はできないと言い。いっその事艦隊を派遣しますか? と国王に問う。

「まさか。そのような事をすれば、宣戦布告と受け取られかねないぞ」
「であるなら、ルリタニアの誇る。豪華外洋客船――オンブリア号で向かうしかないでしょう。あれなら大きいし、多少は兵力も載せられましょう」
「オンブリア号か……。うむ。あれなら確かに」

 ブラウンシュヴァイク侯爵の発言にターレンハイム侯爵も頷く。国王はじっと考え込んでいたが、どうせ送らなければならないのなら出来るだけ豪華に、派手に送りつけて、ルリタニアの国力を見せ付けてやろうと考える。

「それに帆船とは違ってオンブリア号は鉄の船だ。帆船ならば風の精霊球が2つで済むが、鉄の船をいくつの龍玉で動かす事ができるのか、西の塔が確認したがっている。この際連中も乗せて研究させてやろう」
「それはいいですな。ついでに軍艦と潜水艦も一緒に研究させましょう。それなら船団を組んで行動しても文句は言えますまい」
「うむ。文句を言ってきたら乗せてやれば良い。奈良宮皇国も研究したがっている」

 こうして亜衣の奈良宮皇国行きが決定する。国王達の相談は議会の場に持ち出されて審議され、受諾された。
 国策の一環であるから、亜衣王女殿下には拒否権がない。王女としての責務である。亜衣達は珍しく議会の場に呼び出された。主だった大臣達。ターレンハイム、ブラウンシュヴァイクなどの両侯爵が集まり、議会の決定が告げられる。

「ええ。行きます」
「わたくしもですわね」
「わらわ達もか?」

 亜衣は文句も言わずに受けいれた。エリザベートもまた同じだ。この2人は幼少の頃から、数々の公務をこなしてきた経験から自分達の立場を理解している。王女、侯爵家の娘としての役割は致し方ないと考えていた。それに単純に旅に出る事が楽しいらしい。むしろアルシア達の方が不満そうである。

「まあ、ええんやけど。うちらは何しに行くんや?」
「奈良宮皇国へは龍玉を持っていってもらう」
「また、お遣いかい?」
「そう言うことだ。相手が皇女を派遣してきた以上、こちらも王族を派遣する必要があるからな」
「……仕方ないね。相手のプライドを無駄に踏みつける訳にはいかないだろうし」
「ああ、面子問題な訳じゃな」
「有り体に言えばそうだ」

 ターレンハイム侯爵はアルシア達の質問に一々答えていた。さらに文句を言いたげだったアルシア達も乗る船がオンブリア号だと知ると、一転してはしゃぎだす。

「あの豪華客船か~。楽しみやな」
「乗った事ないのじゃ」
「ボクもだよ。料理がおいしいらしいよ」

 気分はすっかり観光旅行である。そんな彼女らの様子に国王や侯爵達は苦笑を浮かべた。宮殿の一角ではしゃぐアルシア達。亜衣とエリザベートはなにやら微妙な気持ちで彼女らを見る。「すっかり目的を忘れてないかな?」亜衣が小声でエリザベートに問いかけた。

「そうかもしれませんわ……」

 なんやかんやと言いながらも亜衣達はオンブリア号の停泊している港町リマールへと向かう事になった。慌ただしく荷物をまとめ、ぴかぴかに磨き上げられた車に乗って。

「わらわ達はなぜにこんなに忙しいのじゃ?」
「ゆっくり休む間もないわ」
「えっ、こんなものでしょ?」
「そうですわね」

 土の魔方陣がキラキラ地面に展開して輝いている。時折、すれ違う他の車の魔方陣と重なってぶんっと変な音を立てる。ファブリスの大通り。4車線ほどの道の両端では色んな露天が軒を並べていた。物売りの声が亜衣達の耳にも届く。窓の外を眺めていたマルグレットから見れば、ヘンな街である。精霊球を使用した車があるかと思えば、手押し車が未だに道を走っている。街の人々の服装も最近出始めたスーツを着ているかと思えば、古い貴族と同じ格好をしている者もいた。
 亜衣達は王室から派遣された外交官のカスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵とともにファブリスの街並みを眺めながら進む。

 港町リマールはルリタニアの正面玄関に当たる。ここには各国から派遣された貿易交渉役の役人達が集まっている。ファブリスからリマールまで精霊球を使用した車で約2時間だが、距離にして100kmも無い。飛ばせば1時間も掛からずに着く。しかしエリザベートでもあるまいし、王族ともあろう者が制限速度を無視する訳にもいかず、2時間も掛かってしまう。

 『奈良宮』皇国。ローデシア大陸の極東遥か沖合いにある。大小合わせて12の島が集まってできた国。奈良宮皇国を中心として他の島々が属国として集まり、皇国として存在している。領土的には12の島が集まっても、無人の大きな島を手に入れたルリタニアよりも小さく。カルクスとノエルを合わせたような物である。しかし航海に力を入れてきたために現在は海洋国家としてルリタニア以上に海に勢力を伸ばしていた。
 その奈良宮皇国の皇女がへウレンの洞窟にいるドワーフに自分の潜水艦の修理を依頼していた。
 へウレンの洞窟に攻め込んできた魔物達を迎撃する為に飛行した船の持ち主だった。
 その名を奈良宮瑠璃という。奈良宮にある瑞穂を治める領主である。
 奈良宮皇国特有の黒髪に黒い眼をした少女だ。長い黒髪が艶やかに光っていた。
 その意味では聖女と比較的に近いともいえる。
 萌葱の月、第3週8日。奈良宮瑠璃は港町リマールあるルリタニア貿易管理施設にて亜衣・ルリタニア王女と対面を果たしていた。

「お会いできて光栄です。奈良宮瑠璃皇女殿下」
「こちらこそ。お会いできて光栄に存じます。亜衣・ルリタニア王女殿下」

 ルリタニアンらしく裾の広がった鮮やかな赤いドレスを着た亜衣が対峙する。真っ白な海軍の軍服を纏った瑠璃の凛とした声と亜衣の涼やかな声が館の広間に響いた。エルフを含めた7国間の政府役人達が居並ぶ中、2人はにこやかに挨拶を交わしていく。
 亜衣はどことなく皇女の凛とした姿勢に気後れがしそうになっていた。亜衣が素手の手を差し伸べる。瑠璃が亜衣の手を見て眉を顰めたが軍服と同じく真っ白な手袋をした手を差し出してくる。貴族階級では素手でいることの方が珍しい。自ら労働とは無縁の存在であることの証として手袋は必需品なのである。

 亜衣は力強く瑠璃の手を握り締めた。この辺りはさすがルリタニアの王女だ。気後れしていない。ローデシア大陸最大の王国。ルリタニアの王女である亜衣は手袋をしていようとしていまいと変わりないのだった。
 瑠璃がちらりと亜衣の手を見た。そして同じく握り返してくる。皇女はにこっと亜衣はにこにこと笑っている。その余裕に瑠璃の顔が微かに引き攣ったように見えた。

 背後で2人の様子を窺っているエリザベートが内心、さすが王女殿下ですわーと感動している。
 2人は広間に残った役人と分かれて護衛だけを引き連れてティールームへと向かう。ここからは王女達だけの私的なお茶会である。ドラゴン達から手に入れた1008個の龍玉の割り当てという難しい政治の駆け引きは広間で役人達が頭を抱えながらするだろう。亜衣は一緒にファブリスから港町リマールにやってきた外交官のカスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵に「全部任せるからね」と伝えていた。
 廊下を歩いている時に瑠璃は腰につけた軍刀をしっかりと掴み。背筋を伸ばして踵を鳴らすように歩いていた。典型的な軍人さんだな。と亜衣はそんな感想を持つ。亜衣やエリザベートのように王宮での作法を徹底的に叩き込まれてきたわけではないようだ。羨ましいと思う反面、これはこれで大変かも思う。ときおり瑠璃がちらちらと亜衣の様子を窺っていた。

 ティールームでのお茶会はお互いに格式を重んじた会話から始まり、現在なぜか潜水艦の話になってしまっていた。周囲でメイド達がおろおろ目線を彷徨わせる。

「潜水艦は女の浪漫です!」
「そうそう。そうですよね。男は海の上で波に揺られていればいいんです!」

 顔を真っ赤にした瑠璃とザビーネがもの凄く盛り上がっている。
 一体なぜ、こんな事にと亜衣は周囲を見た。部屋の隅で、あからさまにしまった。という顔をしたアルシアとマルグレットとドワーフの長、グレアムの3人がこそこそとお酒の瓶を隠そうとしていた。チラッと見えた瓶には『オーク殺し』と書かれている。一杯でオークをも酔わせてしまうというエルフ特製のお酒である。亜衣はじろりとアルシアとマルグレットとグレアムの3人を睨んだ。
 グレアムはびくびくしていたが、やがて何かを吹っ切ったような清々しい笑顔で何事かをメイドに言いつけている。
 
 テーブルの上に置かれている花束が取り除かれていく。代わりにお酒の用意がなされ、おつまみなどが並べられだす。その様子を見て慌てる亜衣を尻目にグレアムはどっかりと椅子に腰を下ろし、瑠璃の前におかれているカップにお酒を注いだ。アルシアとマルグレットも手酌で呷りだす。

「かたじけない」

 そう言ってグッと飲み干す皇女。

「おお。いい飲みっぷりだ。もう一杯」
「うむ。いい酒だ」

 こんっといい音を響かせてテーブルに下ろされたカップにすかさずお代りを注ぐグレアム。ドワーフの長だというのに、これは一体何事? と亜衣は事態の成り行きについていけなかった。
 瑠璃がお箸でつくね焼きを摘んで口に放り入れた。そしてグレアムのカップにお酒を注ぐ。

「おっとと……」
「飲め」

 啜るように飲み出すグレアム。瑠璃はさらにザビーネとアルシアとマルグレットの3人にも注ぎ飲ませようとする。

「グッといけ。グッと」
「いただきます」

 ザビーネら3人は一気に飲み干し、それぞれ湯気を立てている焼き鳥を食い千切る。

「それで、な。我が潜水艦R-2501、ローレライは水中を17.2ktで進む事ができるのだ」
「ほー今のところルリタニアでも水上ならそれぐらいで進めますけど、水中ではそこまで出せないですよ」
「今の平均は8~9ktだからな。いくら精霊球を多重に使っても速度はそんなに変わらん」
「やっぱり技術的には難しいですか?」
「というより、発想の転換だな。余計な装飾を外してしまうのだ。できるだけ流線形に近くすることだ」

 なんだかザビーネと皇女が話しているけどよく分かんない。亜衣は2人の話をぼんやりと聞いている。元々亜衣は軍事関係の技術には疎いのだ。兵士の数とか食事の量とかは分かっても兵器のスペックには疎い。聞かされてもどう凄いのか分からず、王女はあまり関心がないようだと将軍達からも呆れられたことがあった。それでも潜水艦を開発したのは奈良宮皇国なのだから軍事機密じゃないのかな? いいのかな~喋ってと思いながら聞いていた。
 
 余談ではあるが、亜衣が古都アデリーヌへ慰問に言った際に兵士達が腹いっぱい食べたい。と愚痴を零している所へ遭遇した。兵士達はお姫様を前にしてなんとか誤魔化そうとし、その場は収まったがその後、亜衣の進言によりルリタニア兵士の食事量は他国の1.2倍に増えた。しかもおやつ代わりにキャラメルが2個つく。キャラメルは栄養価も高いし戦場で甘い物はことさらうれしいらしい。と聞いた亜衣の提案だったが、その話が決まった際に……。

「キャラメルを2個つけてあげるねー」
「キャラメルよりタバコが吸いたい」
「タバコなんて吸わなくても死なないもん」

 その代わり1日の支給のタバコを7本から4本に減らされた兵士達の嘆きを前にして、当時10歳だった亜衣はそう言ってほっぺたを膨らましてそっぽを向いた。という話がまことしやかに前線で語られている。兵士達の間では食事の量が増えたことを喜びながらも、お姫様はお子様だから……と、泣く泣くキャラメルを他国のタバコと交換する者が増えたという。

 亜衣の隣に座って話を聞いていたエリザベートはスペックよりも値段の方が気になっていた。例えば新型の人型装甲騎兵でさえ、従来の機体よりも数倍値段が跳ね上がったのだ。偵察艇よりも新型装甲騎兵の方が高くなってしまったことから、ターレンハイムの娘としては頭を抱えたい気分だ。あれを一般兵に渡すには値段もそうだが、特に維持、整備に掛かる費用が大きすぎる。
 それだけに嬉々として瑠璃の話すR-2501がどれほどの費用が掛かったのか考えてもやもやした気持ちを抱えてしまっている。
 ザビーネも基本的には技術系の人間ですしこういった気持ちは分かりませんわね。エリザベートは気づかれないようにため息をつく。

「はあ……」

 横を見れば亜衣もため息をついていた。2人の眼が合い。乾いた笑いが浮かぶ。そうして同時にコーヒーを口にする。元はノエル王国から始まったコーヒー豆の栽培は数100年の歳月のうちに大陸中に広まり、今や紅茶と並んで2大嗜好品となっていた。はじめたのはロデリック・ドアッシャーという魔術師である。大陸における現在の食生活の大半は聖女がはじめた物が多い。その意味では聖女の影響を逃れられている国はない。
 もっともエステル曰く。かつて聖女は初代女帝の影響から逃れている国はないんだね。と語った事があるという。

「ねえねえ。前から不思議に思っていたんだけど、潜水艦はおおきな鉄の船だよね。なのに軍艦は木造の帆船なのはどうして?」
「それはですね。精霊球の関係ですわ。そもそも……」

 亜衣がエリザベートに小声で問いかけていると、瑠璃の耳がぴくんっと動いた。お酒の入ったカップを片手に焼き鳥の串を銜えつつ。身を乗り出してくる。

「うむうむ。亜衣王女は海軍に興味があるのか、では私が教えてやろう」
「ちょ、ちょっと疑問に思っただけで、皇女殿下自らにお教えいただくほどでは……」
「まあそう遠慮することはないぞ。そもそもだな……(長いお話)」

(潜水艦には精霊球が通常3~4個ほど使用されている。まず、航海用に2個。潜水艦というだけに海に潜らねばならぬ。したがって潜水用に1個。浮き上がる為の分は潜水用と同じだからいいとして、これで3個だな。そして緊急時用に1個の予備だ。翻って帆船はというと2個だ。マストに風を受けて航海するために風の精霊球が1個、そして宙を飛ぶ為に1個だ。ところがそれが鉄の船になると途端に使用される精霊球が増えてしまう。水の精霊球が5個だぞ。5個。どういう訳か、5個以下では動かなかったのだ。これは奈良宮でも何度も実験を重ねた結果だ。どうしようもない。船体の強度とか運べる量とかに問題があるといえばあるが、それでも鉄の船を1隻作るよりも帆船2隻作った方が安上がりなものだから、どうしても帆船となってしまうのだ。それに鉄の船がない訳でもないのだ。大型貨物船とかは積載量の多さから、精霊球を多用しても鉄の船の方が都合がいい。しかし軍艦はまず数をそろえる必要から帆船の方が主流なのだ。とはいえ、原材料の木材の消費に対する生産が追いつかなくなるのもそんなに遠い話ではないと思う。特にオーク材がまともに使えるようになるまで80~120年ほど掛かる。それを考えるとこれからはやはり鉄の船に切り替える時期が来ているものと考えている。それ故に龍玉が必要となってくるのだ。龍玉ならば鉄の船でさえ1個で動かしてしまうだろうからな)

 亜衣はどうしてこう技術系の人って語りだすと止まらないんだろうと思いつつ話を聞いていた。隣でエリザベートがうんうん。頷きながら聞いている。しかし最後の龍玉の話になって微かに眉を顰める。だがそ知らぬ顔で亜衣に向かい軽い口調で言った。

「結局、コストの問題ですわ」
「うん。それなら分かる」

 と、エリザベートが一言で話を纏めた言葉に亜衣が頷いた。エリザベートの物言いに瑠璃が微妙な顔をして睨む。長々と話をしていたのを一言で纏められて内心微妙な気分なのかもしれない。亜衣はそんな風に思っていたが、語り終えた瑠璃は再びカップをぐいっと飲み干す。
 ふと気づくとザビーネとアルシアとマルグレットの3人が酔いつぶれている。亜衣は呆れていたがエリザベートは酔いつぶれた振りをしている事に気づいていた。

 亜衣達のお茶会。……もとい。飲み会がようやく終わろうとしていた頃、ティールームにアデリーヌ陥落の知らせが飛び込んできた。
 ――アデリーヌ陥落。
 知らせを聞いた時、亜衣は最初何を言っているのか、理解できなかった。
 しかしその言葉の意味に気づくと、亜衣の顔面から血の気が引き、蒼白となる。

「お兄様は? アドリアン様は無事なの?」

 亜衣は立ち上がって知らせに来た役人に詰め寄る。役人は唇を噛み締め、首を振った。亜衣はその様子に崩れるようにして椅子の上にへたり込む。

「……現在。ルリタニア軍はアイヴスまで退却中であります。王太子殿下およびアドリアン様におきましては行方が分からないとの事であります」
「……そんな……」

 エリザベートも呆然としているようだ。亜衣は周囲を見渡し、目を瞑る。同時に唇をきつく噛んだ。唇の端から血が滲んでいる。
 閉じた目を開けると、勢いよく立ち上がり、テーブルの端に手を付く。

「――瑠璃皇女殿下。申し訳ないのですが、奈良宮皇国まで行く訳にはまいりません。龍玉は差し上げますから私達は急いでファブリスまで戻ります」
「さ、さようか。いや、致し方あるまい」

 瑠璃もすっかり酔いが醒めたようだ。椅子の上で真剣な眼で亜衣を見つめている。

「エリザベート」
「はっ」

 亜衣が呼ぶ。エリザベートもまた勢いよく椅子から立ち上がった。一瞬遅れてアルシア達3人も立ち上がる。

「戻ります」

 亜衣は振り向きもせず。扉へと向かう。エリザベートらは亜衣の後を追うように歩き出した。


 新大陸暦1043年――萌葱の月、第3週8日。
 この戦いが始まってから15年もの間、最前線として戦火の真っ只中にあった古都アデリーヌが陥落した。
 戦線はアイヴス。アルカラまで下がった。
 古都アデリーヌにあった戦力もほぼ壊滅状態。指揮を執っていたルリタニアの王子も行方知れずとなり、彼女らが戦場に立つ日がやってこようとしていた。




[20672] 第04話 「パラディーゾ山脈。黒いドラゴンと黒鉄の騎兵」
Name: T◆44637966 ID:b12eedf3
Date: 2010/08/07 21:42
 第04話 「パラディーゾ山脈。黒いドラゴンと黒鉄の騎兵」


 古都アデリーヌ陥落の知らせを聞き、亜衣達は急いでファブリスへと戻った。
 戻ってみれば宮殿の中は上へ下への大騒ぎである。次々と飛び込んでくる情報は数多くあるが、どれもこれも悪い知らせばかり。
 亜衣は衛士達の制止を振り切って、国王のいる執務室の扉を開く。

「――お父様」

 執務室の中は暗く。灰皿には葉巻の灰が3つ。微かに揺れてる。カップの底に黒く冷え切ったコーヒーが残っていて暗い穴のように見えた。国王と両侯爵が深刻そうに話し込んでいる。部屋に光が飛び込んできた。部屋に飛び込んできた亜衣と父である国王の視線が合う。蒼白な顔。唇がわなわなと震えて今にも泣き出しそう。こんな父の姿を今まで亜衣は見た事がなかった。

「……亜衣か……奈良宮の瑠璃皇女殿下との会合はどうしたのだ?」

 亜衣にとっては兄が国王にとっては息子のヴォルフガングが行方不明になったというのに、こんな時にまで、父は国王として行動しようとする。これが国王としての責任感から出た言葉なのか、それとも兄の事を考えまいとする気持ちから出た言葉なのか。亜衣にはどちらとも今1つ見当がつかなかった。扉の影からアルシア達が覗き込んでいる。

「カスパル・フォン・アイヒベルガー伯爵にお任せしてきました。アデリーヌの状況はどうなっているのですか?」
「お父様。現状はどうなっているのですか?」

 亜衣の後ろに立っているエリザベートが父であるターレンハイム侯爵に問う。
 ターレンハイム侯爵とブラウンシュヴァイク侯爵はドサッと椅子に身を深く沈め、はぁ~っと溜息をつく。手もたれの上に肘をついて両手の掌を合わせ親指にあごを乗せると考え込むように目を瞑る。磨きぬかれた黒檀の机の上に侯爵達の渋い表情が映っていた。

「お父様?」

 亜衣とエリザベートの声が重なる。3人は沈黙している。カチカチ音を立てる時計の針の音が部屋の中でやけにうるさく感じてしまう。廊下の向こうでばたばたと慌ただしく歩き回る人々の足音もうるさい。

「……アデリーヌ陥落。ヴォルフガングは部下を庇って行方知れずだ。アドリアンがヴォルフガングに代わってアデリーヌに駐在していたルリタニアの兵力、約3分の2をアイヴスにまで撤退させている」
「魔物どもの一大攻勢により、ルリタニア・ノエル・カルクス・ザクセン・奈良宮・ルツェルン。そしてヘンルーダの森の7カ国による連合軍は、ほぼ壊滅状態だ」
「ルリタニア・ノエル・奈良宮・エルフはアイヴスまで後退。カルクス・ザクセン・ルツェルンはノエル地方都市アルカラにまで後退している」

 ターレンハイム侯爵とブラウンシュバイク侯爵が現状を説明していく。戦線がアデリーヌよりアイヴスまで後退している事を確認した亜衣達は息を飲んだ。

「逃げ切れなかったアデリーヌの住民達は未だ。……街中に取り残されている」
「助かった者は攻勢があった時、街の外にいた者たちが大半だ」
「一体何が起こったんですか?」

 亜衣の問いかけに国王が深いため息を吐いてから口を開く。

「町の中心部に突然、魔物の大群が現れたそうだ。兵士達は背後から襲われ、街に入る事ができなくなった」
「街中に? 突然?」
「そうだ。生き残った者の証言によると町の中心部に現れた女が魔力を行使してカーライル村とアデリーヌを繋げたららしい」
「……まさか……」
「裏切り者がでてくるなんて……」

 亜衣は息を飲む。エリザベートもまた同じ気持ちらしい。部屋の外で話を聞いていたアルシア達も愕然とした顔で扉にへばりついている。まさかと亜衣が呟く。……まさしくまさかであった。通常の戦争と違って、相手は魔物。それもいままでとは違って人を殺す目的のみで行動している魔物達である。裏切る事に得があるとも思えない。これが7国間の対立から来る裏切り行為ならば、まだ理解できるのだが……。それだけに裏切り者がでたアデリーヌがどれほど混乱し隙を突かれたのか目に浮かぶようであった。
 
 ふらふらと重苦しい空気が漂う部屋を亜衣達は逃げ出すように一旦出る。部屋を出た途端、亜衣はアルシアとザビーネに支えられた。そしてそのまま宮殿の庭へ向かう。レティシア宮殿はファブリスの中心地にあって広大な敷地面積を誇る。
 かつては貴族の住居となっていた建物は今ではそれぞれ官庁として機能していた。そのうちの一角に軍関係の建物がある。陸軍。海軍。そして新しく創設されたばかりの空軍である。ルリタニアにおける軍事機能の中心。作戦本部、参謀本部だけでなく兵站から人事に至るまでここで処理されている。
 亜衣は陸軍の建物に近づくと、大きな鉄の扉を潜る。中では忙しそうに軍服を着た軍官僚達が書類を抱え歩き回っている。勝手知ったるとばかりに真っ直ぐ元帥の部屋へと向かう。途中、何度か呼び止められそうになったが、亜衣の顔を見ると何も言わずに通してくれる。王女というだけでなく。幼い頃から何度も遊びに来ていたため古くからの軍人とは顔なじみなのだ。
 元帥の部屋の前、すぅ~っと深呼吸してから扉をノックする。

「――入れ!」

 中から野太い初老の男性の声が聞こえてくる。
 亜衣達が中に入ると、元帥であるディルク・フォン・ヴァルテンブルグ伯爵が驚いた表情で何度も頭を振ってから迎えた。

「……ディルクおじさま」
「亜衣……王女殿下。いや、『少将閣下』と呼ぶべきですかな?」

 驚きからすぐに立ち直った元帥がにやっと笑って幼い頃、亜衣につけた階級を言った。

「ディルクおじさん。それはやめてと言ったでしょ」

 ややぎこちなく亜衣が笑おうとする。支えていたザビーネが驚いて亜衣に問いかけてくる。

「王女殿下は少将だったんですか?」
「そうだ。『少将閣下』だ」
「違うよ」

 亜衣はザビーネに向かって否定した。元帥はどことなく面白がっているようにも見える。
 少将というのは亜衣がまだ幼かった。5歳の頃につけてもらった官位である。当時、宮殿によく顔を見せる軍人は元帥以下。大将とかばかりだった。元帥とか大将とか中将の官位で呼ばれる軍人達に向かって将官クラスの官位しか知らない亜衣は「亜衣も欲しい」とねだった。
 欲しい欲しいと駄々を捏ねる亜衣に困り果てた国王以下元帥達はなんと言おうかと散々悩んだ末、陸軍元帥のディルクが冗談交じりに「亜衣王女はまだ小さいから少将ですな」という言葉に飛びついたのである。一時は宮殿内で亜衣少将閣下と呼ばれて喜んで元帥達の真似をして「えっへん」と威張っている亜衣の姿が目撃された。軍の階級を知るにつれて亜衣は少将と呼ばれる事を嫌がったが、よく顔を知る元帥や古参の軍人達には今でも『少将閣下』と冗談交じりに呼ばれていた。ちなみに士官学校卒の王太子は大尉である。こちらは正式な階級であった。

「そ、そんな事よりも……」
「ああ、分かっちょるよ。アデリーヌに関する事だろう?」
「ええ。そうです」
「現状はまだはっきりした事は分かってないが、とりあえず裏切り者は判明した。シャルロット・フォン・ラッセンディル。あのラッセンディル家の娘だ」
「シャルロットお姉さまが?」
「そうか。亜衣はあの娘とは親しかったな。だが事実だ。どうして裏切ったかまでは判明してないがね。アドリアンとまだ連絡がついていないのだ」

 亜衣は頭がパニックになりそうだった。ラッセンディル伯爵家は西の塔で医学・薬学を研究しその成果はローデシア中に広がっている。その上代々優れた魔術師を輩出してきたこともあって魔術師の家系では引く手数多の家柄である。現在の当主の弟がカルクスにある南の塔へ出向しているためにシャルロットが魔術師としての才能と医学の能力とを乞われて兄、ヴォルフガングの元にいたはずなのに……どうしてこうなったの?

「本当に分かりませんですわね。魔術師としては名門ですし、シャルロット様はいずれラッセンディル家を継ぐ身ですのに」
「そうなのじゃ。製薬会社としても大手なのじゃぞ」
「ああ、知ってるで、ヘンルーダの森でも原材料の売買を契約してるからな。えらい羽振りのいい金持ちやで」
「金もある。力もある。地位もある。名誉もある。そんな家の跡継ぎがなぜ裏切ったりするのか? 分からんだろう?」
「う~ん」

 元帥が指を折って数えながら話す。亜衣達が首を捻る。確かにその通りだと思う。

「しかもだ。今は戦時中。大量の医薬品を軍がラッセンディル家に注文しておる。これだけでもかなりの額になるぞ」
「戦争特需でがっぽがっぱやからな。なんでやろ? もしかして西の塔の首席導師になれんかったからとか?」

 マルグレットがそんな事を言い出した。しかしザビーネが首を振って違うと言い出す。

「南の塔の首席導師として西の塔の首席導師だった当主の弟が出向しているんだ。当主は製薬会社の経営に忙しいし、当時はまだシャルロット様も小さかったからね。ケッセルリング家はラッセンディル家に後を任されたんだよ」

 再び亜衣達は首を捻る。う~んう~んと悩んでいるとアルシアがはたと思いついたとばかりに手の平を打ち鳴らす。

「金でもない。力でもない。名誉でもないとすると残るは、色恋沙汰じゃ」
「色恋って、それで魔物相手に裏切るか?」

 元帥が呆れたように口を挟む。アルシアは手を振ると違う違うと言って説明し始めた。

「魔物相手と考えるからおかしくなるのじゃ。まず。シャルロットが欲しいのは誰じゃ? ヴォルフガングじゃろう。あやつしかおらん。他の家、例えば両侯爵家といえど、ラッセンディル家との婚姻となれば諸手を上げて賛成するじゃろうからな。シャルロットも美人じゃし……しかしヴォルフガング王太子殿下。あやつの傍にはアドリアンがずっとついておるのじゃ」
「恋愛問題? お兄様とアドリアン様を引き離す為?」
「そんなバカな! そんな事をして後はどうするつもりだ?」
「そんな事は考えておらんのではないか? よく言うじゃろう。恋は盲目じゃ。思慮の外ともな」

 自信満々に胸を張っていうアルシア。その周りではなんとも言えない表情で考え込む亜衣とエリザベートの姿がある。マルグレットはうちは人間やないから分からんわ。と言ってそっぽを向く。陸軍元帥のディルクに至ってはこれだから女は。と言い、亜衣達5人に睨まれた。

「それでどうしますか?」

 このままではらちがあかない。と考えたザビーネが亜衣に話しかける。

「……そうね。うん。アイヴスに行こう。アドリアン様と会って話をしなければいけないと思うの。ここでああだ。こうだと言ってたってしょうがないよ。うん、そうしよう」
「うむ。そうしよう。女は行動あるのみじゃ!」
「そうですわね」
「いくべ。いくべ」
「分かりました。では行きましょう」

 亜衣達は元帥の部屋を颯爽と出て行く。一旦目標が決まると彼女らは逞しい。振り向きもせずに立ち去っていった。
 次にやってきたのは、空軍本部である。
 列車で移動するよりも車や海を行くより、空を飛んだ方が速い。

「この際、使える権限は何でも使うよ」

 亜衣はめったに振りかざす事のない王女の権威を振りかざす事に決めた。緊急事態である。アイヴスへ行かなければならないのだ。そしてアドリアン様に会うのだ。これは王位継承権も係わってしまっている。
 空軍本部の中に入った亜衣達を止めようとした衛士がマルグレットの精霊魔法で動けなくされてしまった。

「ルリタニア王国、亜衣・ルリタニア。通してもらいますね」
「亜衣王女殿下が通ります。皆の者下がりなさい」

 エリザベートの声がフロアに響き渡る。慌ただしく動いていた兵士達や軍官僚達がピタリと止まって、視線だけを亜衣達に投げかけてくる。相手は王女殿下。下手をすれば次期女王である。こんなところで睨まれたくないとばかりにじっと息を殺して、通り過ぎていく亜衣を見つめていた。

「ブルーノ・フォン・ヴェールマン伯爵」

 部屋に通された亜衣は元帥とは呼ばず、伯爵と呼んだ。
 普段の小市民的な雰囲気とは違う。王女として公式の場に臨む雰囲気を漂わせる。

「亜衣王女殿下。何用ですかな?」

 ヴェールマン伯爵もさすがに軽口を叩く事ができずに亜衣を見つめる。冷ややかな眼。他者を圧倒する気迫。王族同士の公式な場面で見られる王女の姿である。この辺りは幼少の頃から叩き込まれてきただけあって、堂に入ったものだ。とヴェールマン伯爵でさえ、跪きたくなる。

「アイヴスへ行きます。特別輸送機を出しなさい」
「…………今は危険です」
「一刻を争うのです。危険は承知です」

 亜衣は強引に出立を決め、準備を急がせた。



 レティシア宮殿の一角で第0902小隊は装甲騎兵の移送に大忙しになっている。
 慌ただしく運ばれていく5機の装甲騎兵。
 その周りでは王女付きの整備班――女性のみで構成されている――が忙しく働いていた。
 全長 19.66m。全幅 28.96m。全高 5.16m。翼面積 91.7m2 運用 8,030kg。最大離陸 12,700kg。巡航速度 266km/h。最大速度 346km/h。航続距離 2,420km。ギガント級G-003型軍用輸送機。後部ハッチが開き、その中に載せられていく装甲騎兵を眺めながら、亜衣達もまた忙しく準備に追われている。

「なんでこんなに忙しいの?」
「陛下のご命令で、陸海空の将校達も一緒にアイヴスに向かう事になったからですわー」

 エリザベートがぷんぷん怒ってる。亜衣が強引に軍用輸送機を出させた事を知った国王以下侯爵たちがこれ幸いとばかりに軍の将校を同乗させてアイヴスでの軍の建て直しをさせようというのだった。
 さらに急ぎ、必要となりそうな医療品。食料なども運ばせる事が決まったために、輸送の為の場所確保におおわらわである。装甲騎兵が隅っこに追いやられていく。
 医療品。食料。衣料、毛布。精霊球。武器弾薬。整備用品。交換部品など持っていくものは多く。確認する事はたくさんある。
 亜衣達は手分けして一々チェックをして確認していた。

「こういうのって普通……軍関係者がしないかな~?」
「そうですわー」

 チェックをしながら亜衣が言うとエリザベートも同意する。
 亜衣とエリザベートが怒ってるのを見て、アルシアとザビーネが呆れた。

「そんな事言ったら、将校たちがかわいそうだと思うよ」
「そうなのじゃ。あやつらはまるで人夫のように荷運びをしておるのじゃ」

 輸送機の荷受場で将校たちが腕まくりをして大きな荷物を持ち上げて運んでいる光景が見える。汗を一杯掻いて、真っ赤な顔をしていた。下士官の男達も忙しそうだ。工事用の特殊車両で大きなコンテナを持ち上げて荷運びしていた。重い荷物を持たないだけ、亜衣達は楽をしているのかもしれない。
 しかし。とも思う。仮にもなにも本物の王女である。
 伝票と赤鉛筆を持って荷受場を忙しく動き回るのは王女としてどうだろうか?

「あ~お父様ってば、もう!」

 伝票にチェックを入れつつ。亜衣は国王に対して文句を言ってる。何が一番腹が立つと言って、軍人さん達ではない。彼らは忙しく働いている。整備班でもない。自分達がチェックしている事でもない。

「あそこでのんびり眺めている人達だよー!」

 亜衣はビシッと指を指した!
 少し離れた場所で国王以下両侯爵に陸海空の元帥達が荷受場を眺めていた。ディルクなどはパイプを銜えて煙を吐き出している。

「た、確かに……あれは腹立つわな」
「そうですわ。のんびり眺めている暇があるなら、自分達の仕事をするべきですわ」

 やいのやいの騒いでいる娘達の白い目線に居た堪れなくなったのか? 国王達は逃げるように立ち去っていく。

「こらー。逃げるなー。手伝ってけー」

 亜衣はその背中に罵声を浴びせる。周囲からはよく言ってくれた。とばかりに賞賛の声が上がる。
 なにはともあれ。荷物も運び終わり、ようやく出発である。

 輸送機に乗り込んだ亜衣達は座席に座る。座席そのものは結構広いけど……。

「狭い?」
「いや。こんなものじゃろう」

 輸送機の中は意外と狭く感じられる。せめて列車のコンパートメントぐらいの大きさがあればとも思う。

「仕方ないです。飛行機と列車は設計が違いますから」
「まあ。亜衣から見れば、どこでも狭く感じるのじゃろう」
「そうやろな。あの部屋に住んでるんやからな」
「それは言えてますわね」
「ぶー」

 部屋の中でぶーぶー言ってる亜衣を他の4人が笑ってる。
 機体が前に進み。がくんっと体が浮く。輸送機が浮き上がったようだ。
 輸送機は一旦ファブリスから東へ進む。ルリタニアの背骨と呼ばれるパラディーゾ山脈(4,061m)を越えるのは大変だからである。したがって山脈の端、マインツの町で1回降りてから北北西に進路をとり、ロードを越えてアイヴスへと向かう。本当ならロードリア山脈(3,643m)とパラディーゾ山脈の境目、モームの町を飛び越えていった方が速いのだけど貨物便が多く飛ぶ予定らしく。航空管制から許可が下りなかったのだ。ぷんぷん亜衣は怒ったが、食料優先と言われれば亜衣もゴリ押しする気にはなれない。無理に押して国民を飢えさせる気もないし……。
 パラディーゾ山脈を見ながら亜衣ははしゃぐ。飛行機に乗るのは初めてなのだ。4,000m級の高さから見下ろす風景は綺麗に見える。山脈の上に雪が積もっている。

「ほら雪」
「亜衣、あまりはしゃぐでないのじゃ」

 アルシアに窘められて顔を赤くしてしまう。
 そんな亜衣の様子に空軍の女性士官がくすくす笑っていた。

「子供かい?」

 マルグレットが呆れた声を出すが、自分だって窓に顔をへばりつかせていた。エリザベートなどはいつものように本を読んでるし、ザビーネにいたっては空軍の少佐と話をしていた。
 ぶーん。という音が聞こえ、輸送機のすぐ傍をプロペラをつけた飛行機がマインツから編隊を組んで飛んできた。胴体の部分に三つ首の猟犬が描かれている。G-103戦闘機である。亜衣はまだ彼らが戦っているところを見た事がない。飛んでいるところを見たのも初めてであった。
 あはは、形といい。色合いといい。ちょっとイルカに似てるかも。かわいい~。

「あれ、戦闘機だよね。初めて見た……かわいいな~」
「そうで御座いましょう。いやあ~亜衣王女殿下はよく分かっていらっしゃる。うんうん」

 背後から声を掛けられて振り返ると、さっきまでザビーネと話していた空軍少佐のガストン・バルバートルが深い皺を刻んだ顔をさらに皺を深くして喜色満面といった感じで頷いてる。亜衣は呆気に取られた。しかしほんの少し嫌な予感がする。

「あれこそが、我がルリタニア空軍が誇る。G-103型戦闘機です。全幅9,87m。全長8,51m。全高2,28m。最高速度約470km/h。航続距離650km。実用上昇限度10,500m。対飛行魔物用の戦闘機なのです。凄いでしょう!」
「は、はあ……」

 亜衣はガストンの様子にびくびくする。もしかしてこの人も……。今までの乏しい経験から亜衣の脳裡に技術系の人はスペックを自慢したがるという真理が出来上がっていた。そして話も長い。

「現行の装甲騎兵は高度2000mほどしか飛べません。高い山を飛び越える事はできないのです。しかーし。飛行機は違う。かつて、そう! かつて500年前、かの聖女がもたらしたという飛行構造の仕組みは長年に渡って人の夢でした。しかし……」

 ガストンはそこで一旦言葉を切り、遠くを見た。興奮に我を忘れているようにも遠い昔に思いを馳せているようにも見える。

「その当時は魔力を動力とする精霊球はまだ! 無かったのです。そこで代用として蒸気機関が作り出されましたが、余りにも重すぎて空を飛ぶ事はできなかった……悲しい事です」

 大袈裟な身振りを混じえガストンは語る。
 話を聞いている亜衣達5人は呆然とし、諦めきった表情で話を右から左へと流していた。

「かの偉大なる錬金術師コーデリアが100年掛けて作り上げた魔力の塔もその当時は無用の長物として多大なる侮辱を受けてきたのです。そうですよね。アルシア殿!」
「う、うむ。そうなのじゃ」

 急に話を振られたアルシアがこくこく頷く。
 ぎゅっと拳を握り締めたガストンはなんとも言えない慈愛に満ちた表情でアルシアを見つめる。

「我々空に憧れた者達も同じでした……。作っては墜落し、多くの人命が失われました。そして多大な侮辱を受けてきたのです。空を飛びたい。只それだけを望んだ我々は、馬鹿にされ苦しんできました。二言目には飛行船があるじゃないか? とも言われた」

 ガストンがカッと目を見開き。拳を天に向けた!

「我々は浮きたいのではない! 飛びたいのだ! 空を自由に飛びまわる。鳥のように。ドラゴンのように!」

 叫ぶガストン。亜衣はただ呆然として見ている事しかできなかった。亜衣は助けを求めるように周囲を見たが、空軍の人達は頷いている者や亜衣と目が合うと目を逸らす者もいる。みんな酷いよ……悲しくなってしまう。

「魔力を動力に変換する精霊球が作り出された事により、飛行機に使用する事も可能になったのです。そして出来たのが、フレイザー型複葉機なのです! 今では飛行学校の教習機として活躍しています。そしてそしてフレイザー型複葉機が完成してから10年という月日を越えとうとう、ルリタニア王国にも空軍が設立されて、その栄えある主力機として現れたのが、G-103型戦闘機なのです。設計者は自分ことガストン・バルバートルであります。G-103型のGはガストンのGなのだー!」

 ガストンは感動に打ち震えている。上を向いているために表情は窺えなかったが、目尻にうっすらと光る涙が見えた。
 話を聞いていた周囲の空軍に所属する軍人さんたちが拍手をする。中には自分の苦労話を始める者もいた。新設されたばかりの空軍には確かに色んな苦労をした人達がまだ生きているのだろうが、亜衣にはよく分からないのだ。
 亜衣は両目をどよんとさせガストンを見つめるだけだった。

「魔力の塔から送られてくる魔力を受け取る為の仕組みも完成しておりますし、航続距離もどんどん伸びていくでしょう」
「……そうやな。魔力の塔から送られる魔力は今では社会基盤の重要な動力源としてルリタニア中で利用されてるからな」

 空軍の人に捕まったマルグレットがはいはいとでも言うように気のない返事を返す。
 どうして技術系の人って語りだすと止まらないんだろう? やっぱり亜衣にはよく分からない。ガストンは一通り話してすっきりしたのか? ところで、と話を変えて今度はルリタニア王国を褒め始めた。

「ルリタニアはいいですな。政治も社会も安定してますし、なにより食い物がうまい」
「ありゃあ、国王と両侯爵家ががっちり手を握っているからだと思いますがね」

 ガストンの言葉に今までじっと話を聞いていた陸軍の人も話しに加わりだす。

「金融のターレンハイム家。魔力の塔に象徴されるエネルギーを握っているブラウンシュヴァイク家。どちらともその影響力は大陸中に広がってる。その金とエネルギーを握る両家を押さえる王家。こりゃあ強いはずだ」
「考えてみれば、魔力の塔はルリタニア王国にしかないんだよな」
「他の国に技術流出をさせぬからじゃ」
「ノエル王国はルリタニア、ヘンルーダの森、奈良宮皇国の3国からなる通貨援助によってなんとか持ち堪えているところですわ」
「ノエル王国も魔物の襲来さえなければ、かなり経済も良かったんだがな~」

 金と魔力の塔の話題になるとエリザベートとアルシアが話に加わる。

「アデリーヌを押さえられたのが痛いな。あそこでなければまだマシだったんだが……」
「ああ、海の玄関だからな。しかしノエルは技術を売ってるところがあるから、まだ持ってるほうだと思うが」
「資格関係ではノエルの基準がスタンダートになってるしな」
「あれうまい事やったと思うぜ」

 やいのやいの話をしていると、通信機から魔物の襲来が告げる。ブザーが鳴り響く。軍人たちは窓から、ワイバーンの姿を確認すると一斉に各部署に走り出す。この辺りはさすが軍人だと思う。マインツの町に程近いパラディーゾ山脈の裾野に差し掛かったばかりである。輸送機を襲い来る魔物を避けて不時着して迎撃するか? それともマインツへと向かうか、決断を迫られる。護衛機のG-103型戦闘機が一斉に散開して、魔物達を迎撃し始める。輸送機の各部署に取り付けられた20mmの機関砲が群れをなすワイバーンを撃ち落していく。

「やつらには戦術を使う知恵はない」
「ただ食欲に支配されているだけだ! 恐れる事はないぞ」

 通信機からG-103型戦闘機のパイロットの声が聞こえてきた。はるか上空から獲物を狙い。一直線に飛び込む戦闘機。山脈にぶつかる寸前、くるっと機首を上げる。上昇していく動きはまるで水鳥のよう。螺旋を描く戦闘機もある。右へ左へと動き回り、魔物を翻弄している。
 亜衣はここが空の上だという事も命がけで戦っている事も忘れて見蕩れてしまった。まるでたくさんのイルカが海の中を泳ぎまわっているようにも見え、ついつい笑みを浮かべてしまう。戦闘機のプロペラが雲を切り裂き、白い筋を空に描く。
 G-103型戦闘機の両翼から太い火箭が延び、ワイバーンの左翼を直撃した。大口径の弾は一撃で左翼を吹き飛ばす。片方の翼を失ったワイバーンは真っ逆さまに墜落していった。G-103型戦闘機達は圧倒的な火力でワイバーンの群れを駆逐している。
 だが、第2陣が現れた。
 巨大な邪竜。ヘンルーダの森に棲むドラゴン達とは違い。黒い鱗に覆われた巨体が禍々しい雰囲気を漂わせる。
 亜衣はそれを目にした途端、ぞくっと背筋が震えた。
 ――あれはただのドラゴンなんかじゃない。まるで悪意が凝ったような姿。
 黒いドラゴンが口を大きく開け、真っ赤な口から鋭い牙を見せつける。

「だめ! 逃げて!」

 亜衣は思わず叫んだ。
 しかしその声よりも先にドラゴンのブレスがG-103型戦闘機に襲い掛かる。広範囲に広がるブレスは何機もの戦闘機を巻き込んで炎を空へと撒き散らす。ブレスに焼かれ墜落していくG-103型戦闘機。

「くそったれがぁ!」

 味方が墜落していくというのに恐れず果敢に攻め込む。背後に回った戦闘機が叫び声とともに機銃を撃ち込もうとした瞬間。ドラゴンの背中から起き上がった装甲騎兵に撃ち落される……。
 護衛機の間に動揺が走った!

「……なんで?」

 亜衣もまた。信じられなくて目を擦ってもう一度、見つめる。
 ――ナンデ、ソウコウキヘイガコウゲキシテクルノ? アイテハマモノノハズデショ?
 黒いドラゴンの背中に乗った新型装甲騎兵。亜衣達のデフォルメされたものとは違う。シャープな線を彩る黒鉄の機体。その周囲には複数の魔方陣が煌いている

「――王太子殿下の専用機」

 ザビーネが怯えたように呟いた。その言葉に機内にも動揺が走る。

「第7装甲騎兵連隊がアイヴスに輸送した新型ですわ……確かにヴォルフガング王子のもの」
「なぜ。王太子が攻撃して来るんだ!」
「分からぬのじゃ!」

 動揺して叫ぶ兵士に向かってアルシアが叫び返す。
 なぜ? と聞かれても誰にも答えようがない。亜衣もまたなんと言っていいのか分からなかった。
 ドラゴンのブレスが輸送機にも掠った。衝撃で機体が傾く。

「いかん。このままでは墜落するぞ」
「一旦、不時着するしかない」

 輸送機はふらふら飛びながらパラディーゾ山脈を越え、緩やかな裾野へと着陸しようとしていた。上空ではドラゴンとG-103型戦闘機が未だ戦っている。ドラゴンのブレスをかわし、近づこうとする戦闘機をヴォルフガングの専用機が狙い撃ちしていた。
 炎を上げ墜落していく何機ものG-103型戦闘機。

「どうせ、墜落するならぶつけてやる!」
「だめだ! 脱出しろ~!」

 ガストンが窓にへばりついたまま叫び声をあげた。しかしそのうちの2機が黒いドラゴンに向かって体当たりするかのように向かっていった。衝突しようとする戦闘機をドラゴンはかわそうとして、胴体に掠った。
 切り裂かれ。赤い血がばっと飛び散る。
 身を捩って怒りと悲鳴の混じった咆哮を上げ、動きが止まった。
 そこへすかさずもう1機の戦闘機が飛び込み。衝突する。炎に包まれたドラゴンは血を撒き散らしつつ天高く舞い上がる。振り落とされまいと、しがみついている新型装甲騎兵。
 亜衣はふらふら揺れる輸送機の中から兄ヴォルフガングの専用機をじっと見つめていた。

「王女殿下。しっかり掴まっていて下さい!」

 座席に座る。ザビーネの手によってシートベルトをしっかりと締められながらも眼はじっと兄ヴォルフガングの専用機をじっと見つめ続ける。。輸送機が裾野に着陸を開始したのか、体がふわっと浮き上がりそうになり、続いて叩きつけられるように座席に押し付けられた。鈍い地響きを立てながら輸送機が止まった……。
 亜衣達は急いで自分達の装甲騎兵の元へと向かう。貨物室の中は衝撃でめちゃくちゃになっている。それでもなんとか乗り込み。外へと飛び出していく。
 空の上では傷つけられたドラゴンがそれでも悠々とパラディーゾ山脈の上空を旋回する。兄ヴォルフガングの専用機から放たれた銃弾が亜衣のすぐ傍に撃ちこまれる。そして黒いドラゴンは蔑むような咆哮を上げ、尾根に沿って北北東へと飛んでいった。おそらく。いや確実にアデリーヌへ向かっているのだろう。飛び上がって追いかけようとする亜衣をザビーネが押し留める。

「無理です。装甲騎兵では4000mの高さにまで飛べません!」
「でも!」
「今は急いでマインツまで向かう事や。それしかないで!」
「復讐の機会は訪れるのじゃ。必ずな……」
「必ず。あのドラゴンは撃ち落して差し上げますわ。ふふふ」

 エリザベートが不気味な笑い声を上げている。アルシアやマルグレットもつられる様にして笑い声を上げた。
 亜衣は北へ向かって飛んでいくドラゴンを睨む事しかできずにいる。
 ――そうだよね。あのドラゴンは撃ち落してあげるから……。でも、どうしてお兄様が一緒にいるの?
 亜衣の眼に兄ヴォルフガングの黒鉄の機体が焼きついていた。

 飛行機の音がして振り向けば、マインツからの援軍が遅ればせながらやってくる。亜衣は散乱している補給物資を拾い集めだした。とにかく急いでマインツへと向かい。そこからおそらく列車に乗り換える事になるだろうが、一刻も早くアイヴスへと向かわねばならないのだ。黙々と拾い集めながら亜衣達は復讐を誓う。しかしそれと同時にじわっと視界が歪む。ぽろっと涙が零れる。目を瞑ったが、後から後から涙は溢れ、兄に撃たれた亜衣が装甲騎兵の中で涙を拭う事もできないまま泣き続けた。

「ぐすぐす、お兄様……」
 



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