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2010年8月8日(日)付

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国会のあり方―ねじれも生かす道を求め

ねじれ国会の下で、政治をどう前に進めるか。難題ではあるが、参院選後初の国会論戦から、ささやかな希望の芽を見てとることもできた。それを何とか大きく育てていくことが大切だ。[記事全文]

甲子園開幕―君の夢を歴史に刻もう

「夢見心地で歓声を聞いた。あの少年の日の感動が、そのまま私の人生への起爆剤となった」のちに巨人で活躍、「打撃の神様」と称された川上哲治氏(90)は、初めての甲子園をそう[記事全文]

国会のあり方―ねじれも生かす道を求め

 ねじれ国会の下で、政治をどう前に進めるか。難題ではあるが、参院選後初の国会論戦から、ささやかな希望の芽を見てとることもできた。それを何とか大きく育てていくことが大切だ。

 菅直人首相は自公政権下のねじれ国会での民主党の対応について「政権を追い込むことを念頭に置いた行動があった」と反省した。来年度予算案の編成で野党の意見を参考にする考えも示した。まずは政権与党の側が辞を低くして協力を求めるのは当然だ。

 野党側からも、呼応する発言があった。自民党の谷垣禎一総裁は、民主党の反対で日銀総裁が空席になった例を挙げ、「乱暴でむちゃなことは自民党は決してしない」と明言した。たちあがれ日本の片山虎之助参院幹事長は、「二院制からいうと、ねじれた方がいい」とまで言い切った。

 その根っこには、ねじれ国会が「何も決められない国会」になってしまうと、議会政治そのものが世論から見放されるという危機感があるのだろう。

 与党が野党の意見を採り入れれば、より幅広い合意形成につながる。ねじれをむしろ前向きにとらえようとする姿勢も共通していた。

 短い会期中に、月割り支給の国会議員の歳費を日割りにし、差額を自主返納できるようにする法律など2法が、与野党の協力で議員立法で成立した。

 一致点を探り、合意できる範囲で結論を出す。それは、与野党が今後の協議の基本とするべき姿勢である。

 ねじれを克服し、むしろ生かす。せっかくの芽生えを無駄にしないため、与野党は新たなルールづくりの議論を始めてはどうか。本格的な論戦が行われる秋の臨時国会に向け、閉会中の時間を有効に使ってほしい。

 連立の組み替えがなければ、ねじれは当分続くし、常態化する可能性もある。誰が首相になっても、どの党が政権を担っても、対応を迫られるという点では財政再建と異ならない。野党にとってもひとごとではない。

 衆参両院の役割分担という大きな議論を踏まえつつ、合意可能なことから知恵を積み重ねることが重要だ。

 例えば、国会同意人事である。この際、衆院の議決を優先する原則を確立してはどうか。衆参両院で議決が異なった場合に開かれる両院協議会についても、実質的な調整機能を果たせるよう、構成や役割を見直すべきだ。

 熟議の環境を整えるうえで、党首討論の定例化や少数政党の質問時間の確保、議案提出要件の緩和も検討に値する。予算委員会を、本来の役割である予算案の吟味に極力専念できるようにすることも、忘れてはならない。

 いざ国会論戦が始まると、国会自身のあり方をめぐる腰を据えた議論は難しくなる。舞台は、幕が開く前に整えておくべきものだ。

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甲子園開幕―君の夢を歴史に刻もう

 「夢見心地で歓声を聞いた。あの少年の日の感動が、そのまま私の人生への起爆剤となった」

 のちに巨人で活躍、「打撃の神様」と称された川上哲治氏(90)は、初めての甲子園をそう振り返る。1934(昭和9)年、当時の全国中等学校優勝野球大会に熊本工の選手として出場した、14歳の夏だった。

 きのう、第92回全国高校野球選手権大会が開幕した。少年らの夢を受け止め続ける甲子園球場。3年がかりの全面改修を終えて最初の夏の大会だ。

 「歴史と伝統の継承」をテーマにしたリニューアルを象徴するのが、左翼席の外周に再建された「野球塔」である。約15メートルの塔と、それを囲むように半円状に立つ20本の柱からなる。柱には春と夏の大会の歴代優勝校名を記した銘板が取り付けられている。

 野球塔は甲子園の伝統と、戦禍に見舞われた歴史を物語る。

 初代の野球塔が建てられたのは、川上氏の野球人生の大きな節目にもなった34年だ。大会が第20回を迎えたのを記念して建設され、塔は30メートルの威容を誇った。過去の優勝校と選手名が銅板に記され、列柱に埋め込まれた。

 20回大会は名選手ぞろいだった。川上氏のほか、京都商には伝説の豪腕、巨人のエースとなる沢村栄治氏、優勝の呉港中には後年の「ミスタータイガース」、藤村富美男氏がいた。

 選手たちは真新しい野球塔の下に集い、開会式に向かったという。

 だが、それからまもなく日本では戦争の足音が高まっていく。41年に大会は中断。塔の銅板は軍に供出され、施設全体も大戦中の空襲で崩壊した。

 それでも、数枚の銅板が兵器になる難を逃れた。呉港中の銅板は戦後30年近くたって、大阪の医師が古鉄屋で見つけた。譲り受け保管していた日本高野連から、野球塔前に新設された「甲子園歴史館」に寄贈された。

 7年前にも、高野連への1本の電話をきっかけに銅板が発見された。

 「亡くなった家族が昔、甲子園浜で拾い、持っていた銘板があります」

 それは中京商(現在の中京大中京)が31年から3連覇を達成する、2年目の時のものだった。同校は今年、この時以来の連覇を目指す。

 装いが変わり、伝統が再認識されたのは甲子園だけではない。この春に全面改正された日本学生野球憲章は「学生野球は教育の一環」と、その精神を明文化し、原点を改めて確認した。

 高校野球の今年度の部員数は16万8488人。過去最高だった昨年を961人下回り、13年ぶりの減少だ。それでも、3年生まで部活動を続ける率は83.8%と過去最高を記録した。

 復活なった野球塔に今年、どの学校が、その名を刻むだろう。球音とともに、夏が本番を迎える。

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