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日本プロ市民、新羅から日本に渡って王になった伝説を検証
2010/08/01 23:06

【日韓】 日本市民、丸太舟で東海横断推進
 〜新羅から日本に渡って王になった伝説を検証1

 ”丸木舟で韓国から日本に、島根県で進水式”
2010/08/01(日) (東京=聯合ニュース)イ・チュンウォン特派員
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/08/01/0400000000AJP20100801000300882.HTML
 新羅時代に東海岸を出発した人々が日本に到達したとする神話にちなみ、
韓日を舟で渡ろうと、日本・島根県松江市の宍道湖で市民グループ
「日韓古代の海の道をたどる会(通称・からむし会)」
先月31日午前、丸木舟の進水式を行った。行事に参加した慶尚北道浦項市の関係者が伝えた。
 同団体は来年夏、全長約10メートルの手こぎ丸木舟で浦項を出発し、松江までの
約300キロメートルを航海する計画だ。
同日の行事には、イベントを推進する元小学校教諭の錦織明さん(61)や、同団体・浦項市の
関係者ら60〜70人が出席した。

 錦織さんは、高麗時代の史書「三国遺事」にある、ヨノラン・セオニョという夫婦が
岩に乗り日本に渡り、王と王妃になったという神話を読み、ここから古代朝鮮半島と日本の交流の
跡を見い出せると考え、航海を企画したという。島根県にも同様の神話が残っていると伝えられる。

 錦織さんは、浦項から海流と風に乗り手こぎ丸太舟で航海すれば、島根県に到達するという点に
着目し、企画に賛同した日本市民約20人とともに半年かけモミの木で舟を作った。
航海までに舟の安全性と航路を分析するという。



はあ?
新羅の阿達羅王(アダルラワン)4年(157年)に、東海海辺に住んでいたヨノラン(延烏郎)と
セオニョ(細烏女)が岩に乗って日本に渡り、王と王妃になったという説話・・・
新羅から日本に渡って王になった伝説を検証するならば・・・
岩に乗って海を渡らなきゃダメじゃん!
単に朝鮮半島から日本までを粗末な小船で渡れるか!なんて検証だったら
もう、とっくに実証済みですよ。
例えば、有名どころではパチンコチェーン・マルハンの韓会長とか・・・
韓国政府の済州島民虐殺事件でも、大量の島民が海を渡って日本に密入国できたし・・・
北朝鮮からの脱北者も、粗末な小船で日本に上陸していたよね。

「三国遺事」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E9%81%BA%E4%BA%8B
 13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。
 朝鮮半島における現存最古の史書である『三国史記』(1145年完成)に次ぐ古文献ではあるが
 由来の怪しい古書を引用するなど、史書としての問題点は少なくない。
 しかし、三国時代及びそれ以前の朝鮮半島の歴史を記した資料は極めて乏しいということも
 あって、『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。

その『三国遺事』に書かれている延烏郎と細烏女の話
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinkan-siragi/siragi.-king8-adara.htm
 第八阿達羅王即位四年丁酉。東海濱有延烏郎細烏女。夫婦同居。一日延烏歸海採藻。
忽有一巖(一云一魚)、負歸日本。國人見之曰:此非常人也。乃立為王
(按日本帝記。前後無新羅人為王者。此乃邊邑小王。而非真王也)

 第八代阿達羅王の即位四年(157年)丁酉。東海の浜辺に延烏郎(ヨンオラン)と
細烏女(セオニョ)がおり、夫婦で暮らしていた。
ある日、延烏が海中で海藻を採っていると、突然、岩(魚ともいう)が出現し、
(延烏郎)を乗せて日本に帰った
国人はこれを見て「これは並みの人ではない」と言い、王に擁立した。
(思うに、日本の帝記は、前後に新羅人で(日本の)王と為った者がいない。
 要するに、これは辺境の邑落の小王であり、本当の国王ではない)。

負歸日本
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AD%B8
 異体字 : 归(簡体字), 帰(新字体), 皈(俗字)
 音読み
 呉音 : ケ(クヱ)
 漢音 : キ(クヰ)
 訓読み: かえ-る、かえ-す、おく-る、とつ-ぐ

この、元小学校教教師のプロ市民・錦織明(61歳)が作った電子ブック「海を渡った神様」
画像
http://homepage.mac.com/jtuka/ebook/index.htm
 ヨノランがたどり着いたのは、日本の出雲の国の浜辺でした。
 出雲の国に着いたヨノランは、その土地の人たちにあたたかくむかえられました。
 そればかりでなく、岩に乗り海をわたってきた神様として尊敬を集めていました。
 ヨノランは、出雲の人たちの尊敬にこたえて、自分の知っている米作りや鉄作りの技術を教え
 いそがしく過ごしていました。
 いつしか、ヨノランのおかげで出雲の国は豊かになっていきました。
 出雲の人たちは、ヨノランを王としてむかえ、心からの信頼を寄せていました。

プロ市民の皆さん、岩がダメなら魚に乗って海を渡ってください!

●日韓丸木船航海プロジェクト・からむし会 代表 森 泰さん(松江市)
http://genki.sanin-navi.jp/?ID=5093
約30年前、松江市の教師たちが、隠岐の島から境港七類港まで丸木舟で海をこぎ渡った。
島根県の古代遺跡からは、隠岐の島産の黒曜石が石器として、たくさん出土している。
しかも、島根県東部海岸沿いで多く、山間部や西部になるほど少ないという。
では、どうやって古代に隠岐の島から運んできたのか、素朴な疑問から始まった。


ヨノランとやらが『海中で海藻を採っている』という事は、この人は倭人なのではないだろうか。
朝鮮半島とくに半島の南半分・韓国部分には倭人が住んでいた。
からむし会の代表 森泰さんが黒曜石のことを言っているが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3
黒曜石が古くから石器の材料として、広域に流通していたことは考古学の成果でわかる。
例えば、伊豆諸島神津島産出の黒曜石が、後期旧石器時代(紀元前2万年)の南関東の遺跡で
発見されているほか、佐賀県腰岳産の黒曜石に至っては、対馬海峡の向こう朝鮮半島南部の
櫛形文土器時代の遺跡でも出土している。

島根県の隠岐島の黒曜石も、韓国の新羅側でも見つかっている。

韓国の光州博物館に、黒曜石で作った鏃が展示されているが、これは『佐賀県腰岳産』である。
2007年3月には、全羅南道麗水市南面安島里・安島貝塚で4000年前の墓が発見された。
新石器時代の人骨2体が並んで仰臥伸展葬されていたが、この人骨には手首に貝製腕輪5個をつけ
多量の黒曜石が見つかっている。(光州博物館が調査)
韓国では、黒曜石は獲れない。
4000年前に日本から黒曜石を運んでいたのに、2000年前のヨノランとやらが来たくらいでは
地元住民は驚かないでしょ?

ホントに岩に乗ってきたのなら、ビックリするかもしれないけれどねwwww
紀元前2万年頃には、伊豆諸島神津島産の黒曜石が、八ヶ岳や野辺山で使用されていた。
地元で獲れた黒曜石も使用していたのに、神津島産や静岡県沼津市の愛鷹山で産出した黒曜石も
同じ遺跡から発見されているのですよ。

『山海経』という中国・周の時代の末期に当たる戦国時代の本があります。
日本で言えば縄文晩期に当たります。その中に今の平壌あたりに蓋国(ガイコク)という
国があり、その南側は倭である。と、書いてある。つまり倭人の国ですよね。
 日本では縄文時代晩期に当たるので、2007年に発見された全羅南道麗水市南面安島里の
安島貝塚で発見された、多量の黒曜石と共に埋葬されていた人骨は、倭人の可能性が高い。
事実、韓国の光州の博物館には日本の縄文土器とそっくりの土器が展示してあり、九州の轟
・曽畑式土器であると事が解かっている。

昨年、静岡県沼津市で発見された辻畑(つじばたけ)古墳は、出土された副葬品の高坏の製造年代
から”230年前後”の前方後方墳ではないかと言われています。
纒向(まきむく)石塚古墳(奈良県桜井市)などと並ぶ古さではないかと・・・
現在、様々な調査が行われていますが、鉄鏃(てつぞく)(鉄製の矢尻)や銅鏡も出土している。
http://8914.teacup.com/paipu/bbs/843
さて、韓国には前方後円墳が11基発見されている。
1基を除いて、光州や木浦など韓国全羅南道に集中しており、5世紀後半から6世紀中葉までの
限られた期間に造営されたという。
       画像
            月桂洞1号墳 全長46.5mの前方後円墳

日本固有ともいえる円筒埴輪(韓国では円筒型土器という)も出土している。

歴史は嘘をつくが、科学は嘘をつかない。
黒曜石の解析データも、稲の伝播ルートも、科学分析による検証では
「大昔、朝鮮半島から日本列島には多くの渡来人が渡ってきて、稲作・鉄づくり・織物・焼き物など
 さまざまな文化を伝えた。」
なんて、サヨクさん達の画一的な宣伝文句には矛盾が発生する。
広開土王碑文のように、中国の現地調査によって「日帝の改竄」は無いと証明されていても
韓国考古学者とサヨク考古学者は無視ですからねぇ。

韓国人やサヨク学者が決め付けるよりも、もっと、古代人の行動半径は広く自由で
「渡来人による一方的な文化の伝播」ではなく、双方向の文化の流れを感じます。 

それにしても・・・
島根県には
島根県国際理解教育研究会 日韓合同授業研究部
などという元教師による組織があり、子供達を一方的な歴史史観で洗脳しているとは・・・
しかも、新羅の四代目の王は、丹波国(多婆那国)から流れ着いたという伝説が、
三国史記の新羅本紀に書かれていますが。
「脱解尼師今、立。(一云吐解。)時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生
 其國在倭國東北一千里
コチラの検証は、絶対にしないのでしょうねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

恐るべし、韓国大好き狂師たち!

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カテゴリ:日本史

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