国立大学法人の大学教員の給与体系 ::: 2007/02/23 (Fri) :::
今日は国公立大学法人の教員がどのくらいの給料をもらっているのかわかる範囲で書いてみようかなーと思います。
国立大学法人の教員の給料は『教育職本給表(一)』というのに従って決まっています(と僕は認識しております)。
ということで、ある程度、国立大学法人の教員の給料は予想ができます。
ちなみに『教育職本給表(一)』はインターネットの検索サイトで検索をかければ見つかります。
教育職本給表というのは、
[行] 職務の級:1級(助手・助教)、2級(講師)、3級(助教授・准教授)、4級(教授)
[列] 号俸
という構成になっており、級と号俸がわかれば、月給が決まります。
表を示すのは面倒なので、グラフを作ってみました。←暇人
号俸は年齢と共に増加します。
同じ職務の級であれば、年功序列です。
まず、助手・助教について見てみましょう。
定年は60歳(大学によって違いますが)なので、一応学士卒から助手になれるとして40年間で号俸が140上がるわけですから1年経てば号俸が4くらいあがる計算になります。
大抵、博士号を取得して助手になると28歳近くなってますので、号俸30あたり(月給27万くらい)からスタートするのが一般的です。
博士号を持っているかどうか、何か賞賛に値する賞などを取っているか、研究費を獲得しているかどうかなどで、ちょっとだけ違います。
号俸にして3〜5程度の違いですが。
その他についても見てみましょう。
上限の号俸が職務の級によって違うのでわかりにくいので、横軸を年齢に変換してみたものも書いてみました。
(本来のものとずれがあるかも知れません)
助手は学士卒でもなれるのに対し、講師以上は博士号を持っていないといけません。
(ちなみに助教も博士号を持っていないとなれません)
ということで、講師のスタート地点を博士号を取得できる最低年齢に大体合わせているのだと思います(推測です)。
その後、数年経って、助教授・准教授、教授と昇格していくので、スタート年齢が高年齢側にシフトします。
教授、助教授・准教授の年齢制限(下限)があるかどうかは知りませんので、左右にグラフがシフトする可能性大です。
グラフを見てもわかるように、若いうちに職務の級が上がっても、実は給料はほとんど変わりません。
若い教授などは、えてして雑用を年配の教授陣から押し付けられますので、仕事の量が増えたのに給料は変わらないという悲惨な状況に陥ります。
まあ、若くして教授になるということはすごいことなんで、「こいつはすごいやつだ。」と一目置かれる存在になり、将来的には大学のトップに上りつめるようなことになるのでしょうけど。
1年のボーナスの総計を月給の6倍と計算すると、定年間際の教授の年収は1000万円程度になります。
某企業の部長クラスである僕の父親の年収の半分くらい(多分)。
ということで、国立大学法人の教授の給料は、そこそこ儲かっている民間企業の管理職よりも遥かに低い額になります。
教授というとお金持ちというイメージがあるかも知れませんが、そうでもないようです。
もちろん、生きていくためには十分な年収だとは思いますが。
ただし、役員報酬という制度があります。
学長とか学部長とかそういう役職になると、手当がつくのです。
それが莫大な額なので(と言っても額はよく知りません)、そういう職についている教授の先生はお金持ちかも知れません。
あとは、特許をとって特別な収入があるとかいう状況だとまた違います。
医学部の先生は医者としての給料ももらえるんですかね?
その辺のことを僕はよく知りません。
とりあえず、教授になっておかないと、年収1000万円には到達しないようですね。
でも僕はあまり気にしていません。
中学校、高校の部活の先輩に大学の教員になるという話をしたら、
「ここまでやってきたんだから、どうせならもっと儲かることすればいいのに。」
と言われましたが、重要なのはそこではないのです。
収入よりもそこで研究教育活動ができるということに価値があるのです。
全国立大学法人の教職員規定を見たわけではないので、正確ではないかも知れませんが、おおよそはこんな感じだと思います。
参考になりますかね?
コメント
受講生(学生のこと)に対してよい授業をしている講師や教授には高い給料をひどい授業をしている講師や教授には給料カットをするようにしてほしいものです!
つまり研究業績だけでなく教育業績というものによっても給料に差をつけるようにしてほしいものです!
受講生は高い月謝を払って勉強されにきています!国立であっても現在は月謝の額が馬鹿になりません!高い月謝に見合った教育サービスを提供するのはごく当然のことだと考えています!
教授というとお金持ちというイメージがあるかも知れませんが、そうでもないようです
⇒むしろ受講生に対してひどい授業をしているような講師や教授にはそれ以上の高い給料なんてもらわないようにしてほしいものです
ひどい授業をしていてお金持ちといえるほどの給料をもらっているのを見ているとはっきりいって腹が立ってきます。
研究に関してプロであるだけでなくよい授業をすることについてもプロ(つまり塾・予備校の講師みたいに教育者としてのプロ)であってお金持ちといえるほど高い給料をもらうというのであれば話はわかりますが。
若い教授などは、えてして雑用を年配の教授陣から押し付けられますので、仕事の量が増えたのに給料は変わらないという悲惨な状況に陥ります。
⇒年配の教授は若手より高い給料をもらっているのに雑用を若手に押し付けるというのはフィフティーフィフティー(公平・平等)といえるのでしょうか?フィフティーフィフティーであるならばフィフティーフィフティーであることを証明してほしいです。
・学生消費者主義さんへ
コメントありがとうございます。
いただいたコメントに対する自分の考えを書きたいと思います。
高い月謝に対して高い質の教育サービスを提供してもらうのはおっしゃる通り至極当然のことではありますが、僕の経験上、工学部に関して言えば、国立大学の学費は破格だと僕は思います。
国立大学の学費は年間で約50万円程度ですが、年間の授業数を約400くらいと仮定すると(平均3コマ程度/日×5日/週×26週/年←授業のある期間は半年で13週程度です)、1回の授業(1時間30分)の値段は1250円です。
その上、大学生という身分を手に入れ(学割などの優遇措置あり)、図書館などのキャンパスの施設を自由に使えるようになります。
また、大学によっては学生実験で、何千万円、何億円とするような装置を使って実習を受けることができます。
研究室に配属されれば、最先端の装置を使って、最先端の研究ができます。
国立大学は学生に対する教員数が比較的多いので、研究の指導もきっちりしてもらえる確率が高いです。
僕が通っている英会話学校は、安いコースでも1時間で2000円はしますし、1時間で5000円、10000円するコースもあります。
企業が開催しているようなセミナーでも、1日に数万円払って受講するようなものが結構あります。
国立大学というのは、学生の学費のみで支えられているわけではなく、国民の税金でも支えられています(というかほとんどが国民の税金分です)。
これは僕の感性ですが、税金が多く投入されている以上、僕のような国立大学の教員は最終的に社会の役に立つような研究をやり、かつ学生達を社会の役に立つような人材に育てあげる責務があると思います。
これは学生にしても同じです(税金で補助してもらって教育サービスを受けることができています)。
勉強をやらされているという意識でただ授業に出るのではなく、自ら進んで学問・研究に励み、社会の役に立つ人材になれるようにがんばって欲しいと思います。
続き1
確かに授業の質は高めるべきでしょうが、大学と予備校ではちょっと教育の種類が違う気がします。
工学部で言えば、大学での教育は1年生のうちは高校や予備校と同じようなもの(数学や理科の基本的なことをひたすら勉強していく)で、予備校のほうが授業が面白くて質が高いと思う学生さんもいるかも知れません。
でも、2年生以上で受ける専門科目で習うことや4年生・大学院生がする研究活動で得られることは、高校や予備校で習うこととはかなり違います。
高校や予備校で習うこと、大学1年生で習うことは何かをするためのツールでしかありません。
それをどう使うか、どう役に立てるのかを覚えさせるのがそれより上の大学上級生・大学院生への教育です。
専門科目を習って、また研究活動をしてきて、自分の知識をどう使うかの知恵も得られないようでは、ただの勉強ができる人間でしかありません(役に立つ人材にはなれません)。
僕は大学での教育の真髄はこの上級生になってからのものであると思っています。
授業をまともにやらないのもいけませんが、研究指導を放棄する教員が一番たちが悪いです。
続き2
職位が上がると仕事の質が変わります。
たとえば、僕がいる大学では、助教→准教授の場合は授業の数が増え、所属専攻(学科)で組織的に行う業務(教育・就職・地域貢献など)のうち、いくつかの責任者を任されるようになります。
また、准教授→教授の場合は、所属専攻(学科)の業務のうち、特に責任の重いものを任されたり、研究科(学部)、大学本部の業務(経営・入学試験・情報発信など)がまわってくるようになります。
ブログの本文では年寄りから雑務を押しつけられるから仕事が増えると書きましたが、職位が上がれば単純に仕事は大変になりますし(雑務と思われることもやらないといけない)、若いうちは簡単な雑用的なことを多くやって慣れるという意味もあるでしょう(と今、改めて思った次第です)。
仕事の量・質で給料を決めるのは、理想的ではありますが、それを査定するのは非常に難しいです(特に教育活動については)。
その査定をすること自体が余計な仕事(査定のルールを作る、査定のための書類を提出する、査定するための会議を開くなどなど)になり得るという問題もあります(これこそ雑用です)。
教育活動も研究活動同様に実績に加えては欲しいですが、学生による授業評価だけでは決められないでしょうし(楽な授業が高い評価を得たりするもので)、課題は多いです。
年功序列というのは、日本で代表的な雇用体系ですが、若いうちに頑張った分、年取ってから仕事の量・質が少し落ちても給料を保証してもらうというやり方です。
だから年功序列の給料体系である以上、おっしゃるようなフィフティーフィフティーなんてできないでしょう。
でも、成果主義は査定が難しいですし、やっぱり終身雇用で年々給料が上がっていくのがいいよって思っている人も多いと思いますよ。
本当にきちんと査定ができて、給料アップ、給料カットができればいいですけどね。
給料アップはいいとして、カットのほうは、正直、労働組合に反対されて、簡単にはできないと思います。
返答内容を拝読させていただきました。
授業を教える仕事は教授からしたら時間外勤務のボランティア活動としてやっているのでしょうか? 研究の傍らのボランティアとしてやっているのでしょうか?(無償あるいはお金をもらってても謝礼程度で)
本当に授業をボランティアとしてやっていて
「授業がひどくなる」とか「教授は研究者であって教育者でない」というのであればまだわかるし、まだ仕方ないと思えるけど
・学生消費者主義さんへ
授業による教育も研究と同様に教授(および他の大学教員)の仕事です。
ボランティアではありません。
ただし、国立大学の教員は「授業数×○○円」といった手当を追加でもらうことはないと思います。
僕も大学で授業をすることはありますが(僕は教授ではありませんが)、そのような手当をもらってはいません。
研究、授業、その他大学運営に関する業務など、すべてをひっくるめて「○○円/月」といった決まった給料をもらっています。
授業をどうとらえているかは人によるので、個々の教授がどう思っているのかは知りませんが、学生としてはひどい授業をする教授を仕方ないと容認する必要はありません。
ただ、授業がひどいからと、ふてくされて何もやらないのだとしたら、それはすごくもったいないことです。
全ての授業が悪いわけではないでしょうし、図書館など他に利用できるものはあるので、モチベーションは落とさないでほしいです。
> 仕事の量・質で給料を決めるのは、理想的ではありますが、それを査定するのは非常に難しいです(特に教育活動については)。
> その査定をすること自体が余計な仕事(査定のルールを作る、査定のための書類を提出する、査定するための会議を開くなどなど)になり得るという問題もあります(これこそ雑用です)。
> 教育活動も研究活動同様に実績に加えては欲しいですが、学生による授業評価だけでは決められないでしょうし(楽な授業が高い評価を得たりするもので)、課題は多いです。
この意識が大問題ですね。
本当に教育が重要だと考えているのなら評価をするシステムを作るべきです。
こんなシステムはなくてもちゃんと教育は行われるだろうというのは性善説が成り立てばの話であって、現実問題そうはならないです。
具体的な話を挙げれば、私の経験として
・どうせ、就職していなくなるんだから教えたって意味がないんだよ
・教育しても評価に繋がらないんだから意味ないんだよ
と断言する教授にあったことがあります。また、
・できない学生に対しては教えるよりも、教授(もしくはすでに技術を持っているスタッフ)が実験等全てやって結果を出して、学生にはfigの作成をやらせて卒業させる
などと言う話は非常に多く聞きます。
当然まじめにやっている教員の方もおられますが、教育を放棄して(評価対象の)研究のみに力をそそぐ教員が非常に多いのが現状です。
私自身、高校->予備校->大学->大学院->社会人と経験してきましたが、
予備校では、どうやったら学生が分かりやすく理解できるか?どうやったら授業に集中できるか?ということに対して全力で取り組む仕組みが確立していました。
会社では、早く一人前になってもらわないとその社員の働きが黒字化しない為、新入社員教育等非常に力を入れます。
予備校に関して言えば、大金を払った価値が充分にあったと断言できますし、お金を払っている大学よりもお金を頂いている会社の方がどう考えても教育に力を入れています。
この差は評価システムがあるかないかだと思います。
予備校の場合、最終的な評価が大学に受かるかどうかであるため、教える機関と評価する機関が分かれています。
企業では、社員の労働の結果生産された商品が売れるかどうかが評価になります。
しかし、大学では教える人間と評価する人間が同一です。
就職に関しても残念ながら面接等でみるのは技術力ではなく人間性だったりします。(ここは企業側の問題)
日本の企業は「入社してから教えればいい」という風土がある為、教育を行う際に重要なコミュニケーション能力があるかどうかを面接時に見ているというのは分かるのですが。。。
今の日本の大学において学生の受けられる利点?は「学歴が得られる」というだけな気がしてなりません。
本気で知識を身につけるのなら、大学に入って大学教授の教えるペースで知識を身につけるよりも
自分で教科書を買ったりインターネット等から情報を入手する方が数十倍多くの知識が身に付くのではないでしょうか?違いますか?
こういう感想が出てしまうのは上に挙げたような教員が非常に多いからです。
渚さんの周りにはたまたまこういう教授がいなかったのかな?
周りの人間の話を聞いていても今の日本の大学で、こういう状況に出くわさないと言うのは考えられないのですが。。。
と・・・ここまで書いた後で他の記事読ませてもらいました。
教授とのやり取り、教授の理不尽なことに対する記事もあって、それに対して渚さんは学生にどう教育すべきかを考えている方みたいですね^^;
偉くなる為には評価される必要があるわけで、今の評価システムの中で偉くなった人は、評価される部分に力を注いできた人達なので・・・
私は今の大学を変えるのは無理だと感じたので、大学の外で研究する選択をしましたが、社会で即戦力になれる学生を教育する大学、教育力を売りにできる大学が増えてほしいものです。
評価もされつつ、教育もしつつというのは大変かと思いますが、今のスタンス貫いて正義を保った偉い人になってください!!
・3月16日にコメントくださった方へ
考えさせられるコメントをくださりありがとうございます。
色々と考えているつもりではいますが、まだまだ視野が狭くて恐縮です。
せっかくなので現状の自分の考えでも書いてみます。
(文章が長くなりますがご勘弁を)
まず僕の身の回りには、そんなに教育意欲の低い先生はいませんでした。
授業にやる気のない先生(もしくはわかりにくい授業をする先生)はいましたが、研究室での研究指導でやる気のない先生はそんなにいません(たまにいますが、ごく少数です)。
これから理由を書きますが、僕は授業による教育より研究による教育が重要だと思っています。
工学部の教員として考えを書かせていただきます。
僕は大学での教育の真髄が授業によって「知識」を教授することだとは思っていません。
その「知識」をいかに使うかという「知恵」をつけさせることまでいかないといけないと思っています。
インプットだけじゃなくて、アプトプットできるようにならないとダメです。
「知識」なんてものは調べればいくらでも身につきますが、「知恵」は調べただけでは身につかないと思います。
実践の場が必要です。
高校や予備校でやるのと同じような大学の授業というのは「知識」を与える場でしかありません。
学生に「知恵」をつけさせるには、まず学生実験やプレゼン授業などのより実践的な授業をさらに受講させること、そして研究室の徒弟制度の中で学位研究を行わせ、その研究テーマでの課題を見つけさせ、かつ課題を解決させるいうことを経験させることが重要だと僕は思っています。
最終的に学生が自分のやった研究の目的・結果・意義などを論理的に説明できて初めて一人前です。
誤解を恐れずに言えば、学生がやってきた研究テーマ・研究成果がどうだったかというのは教育的な観点で言えばどうでもいいことです。
難しいテーマであれば結果はなかなか出ませんし、簡単ですぐに成果がでるようなもので教員が一から十まで手ほどきすれば成果なんてすぐでます。
教育的観点で見て重要なのは、学生の能力がどう伸びたかです。
学位論文審査で口頭試問すれば、学生が自分で考えて解決した成果なのか、論理的に自分の研究の目的・結果・意義を説明できるのかはわかります。
授業で習った「知識」は、就職してからやることが変われば役に立たないかもしれません。
でも、学位論文研究まで行って培った「知恵」は役に立つと僕は信じています。
少なくとも、僕がいる大学の工学部では、「学歴」だけを得られることが価値であるようなことはないと思います。
研究室の学生の意見も聞いてみましたが、「学歴」だけが欲しいなんていう教え子は幸いにもいませんでした。
恵まれています。
評価を第三者に委託するということを考えた場合、工学部であれば(上記のような状況であることを考えて)、一案として、就職先の企業に評価してもらうという方法があると思います。
大学で学ぶことの重みは「研究室(知恵)>授業(知識)」だと僕は思うので、出身研究室の教員の手柄にする。
実際には、元々、優秀な学生が配属された先生が有利という問題もありますが、これは予備校も企業も同じでしょう。
問題点は企業がこの面倒な評価に付き合ってくれるかわからないこと(企業にとって利益があるとは思えない)、学部を卒業してすぐ就職する場合に就職活動が学位研究前に始まってしまうことです。
卒業してから、就職活動をやらせるみたいな制度にできないものでしょうか。
日本の企業体質が大学の教育価値を下げている一因になっていると思います。
あと最大の問題は、評価結果が出るまでに時間がえらくかかるということです。
いまや数年契約という時代でもありますから、教育評価が出揃う前に研究評価があまりよくなくてクビなんてこともありえます。
難しいですね。
僕の少ない経験、そして工学部という立場だけでものを言っているので、日本の大学として一般化してしまうと、見当違いなことを言っていると思います。
幸い、工学部の教育は、就職に直結するので(知識という意味ではなく)、考え方が楽です。
学生が大学院まで残ってくれればの話ですが、優秀な人材を育てることで、研究自体もうまく進みますしね。
工学研究はチームプレイです。
まとまりがつかなくなってきましたが、こんなところです。
私は旧帝国大学の大学院生ですが,少し思うことがありましたのでコメントさせて頂きます.
3月16日に#- さんが仰っていますことで,
>予備校では、どうやったら学生が分かりやすく理解できるか?
には同意できますし,とても素晴らしいことだと思いまうす.しかし,
>どうやったら授業に集中できるか?
このことには同意しかねます.学生が授業に集中するかどうかは,学生の責任であり,自由であると思います.なぜ教員が学生のやる気に対してまで責任を持たなければならないのか.
全てをお膳立てされなければ学ぶこともできない学生のほうが,よほど問題があると思います.何のために大学,大学院に進学したのか.それを忘れてしまっている,そもそもわかっていない学生が多すぎると思います.
・工学研究科大学院生さんへ
コメントありがとうございます。
予備校と大学では、そもそも理念・目的が異なると思います。
予備校の目的は受講生を大学に合格させることです。
そういう商売なのですから、「どうやったら学生が分かりやすく理解できるか」に加えて、「どうやったら授業に集中できるか」まで考える必要があるのでしょう。
大学は、本来は学生が自ら学ぶためにある場所であると思います(そのために学費を払っている)。
おっしゃるとおり、授業に集中するかどうかは学生の責任であり、自由ですね。
とりあえず、教員としては全力でわかりやすい授業を提供するとして、あとは学生次第です。