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[20063] 【習作】Be...Solitary One 「愛(あい)」【リリなの・オリ主・転生・鬱・TS?】
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/20 21:43
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Act.0 This is a "Fantasy."
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 思うところあって書いてみました。
 こんなの書いている場合じゃないような気もしますが。












 気が付いたら変な部屋にいた。
 なんだか良く分からない機械が並んでいて、ちかちかと赤色に光っている。

 俺は確か……ええと、コンビニに夜食を買いにいこうとして暴走したトラックにはねられて……死んだはずだ。そう、そうだった。
 しかし、体のどこにも傷はない。服も破れていないし、血の一滴もついていなかった。どういうことだ?
 そんなことを考えながら辺りを見回すと、いつの間にか俺の目の前に十代後半くらいの女の子が現れた。


「ご、ごめんなさい」


 女の子は突然謝って来た。何のことかよく分からん。
 俺が首をかしげて女の子を見つめていると、女の子はもう一度謝罪を繰り返した。


「ほんとうにごめんなさい! すみませんでした!!」

「あの、どういうことなの? ってか、俺たちって、初対面のはずだよな。謝られる心当たりがないんだけど」


 俺がそう言うと、女の子は事情を説明してくれた。よく分からない単語がたくさん出てきて要領を得なかったが、要するに彼女は下っ端神さまで、予定を間違って俺を殺してしまったらしい。
 このままでは上位の偉い神様に見つかって大変なことになってしまうので、ばれる前に適当な世界に転生してもらいたいと言うことだった。


「って、なんだよそれ? 要するにお前の尻拭いじゃないか! 転生とかじゃなくて普通に生き返らせろよ」

「すみません、それは無理なんです。一度死んだ人間はどんな理由があっても生き返らせてはいけない決まりなので」

「決まりとか、勝手なこと言うなよ。じゃあ、せめて転生先は選ばせてくれ。あと、能力くれよ、チートな奴」


 俺がそう言うと女の子……下っ端神? は、難しい顔をして唸り始めた。


「おいおい、何悩んでるんだよ。それくらい責任取れよ」

「その……責任は、わたしにありますし、なるべく希望は聞いてあげたいんですが、わたしは神といっても下っ端なのであんまりすごいことは出来ないんです」

「具体的には?」

「まず、転生先は選べません。よっぽど上位の方でないと複数の世界を管轄していなくて、わたしが転生させられるのは一つだけです」


 どんな世界なのかと聞いてみると、どうやら俺の希望そのものの世界だった。


「なんだ、それなら選べなくていいや」


 その世界とはなのはやフェイトやはやてのいる世界だ。
 俺がずっといってみたいと思っていた世界にいけるなら、別に他の世界に転生できなくても構わない。


「それで、能力の方は?」


 俺が聞くと、下っ端神は今度は困った顔で目を逸らした。
 おいおい、なんだよそれ。あんな危険な世界に行くんだったら、能力がないとやっていけないじゃないか。


「これは能力、と呼ぶべきでしょうか。いえ、いずれにしてもわたしがあなたに与えられる力は一つだけ。と言うより、これは転生の副作用のようなものです」

「良く分からんけど、何もないわけじゃないんだな?」

「はい。あなたに与えられるのは不老不死を可能とする力です」


 充分チートです。
 本当に有難う御座いました。


「あ、でも、不老不死でも弱かったら意味ないじゃん。魔力は最低でもSくらいないと。あと、デバイスも欲しい」

「……多分、それも何とかなると思います。わたしが与えられるわけじゃないですが、きっとそうなると思いますから」

「???」


 何か良く分からないが、詳しく聞いてみると少なくとも魔道師にはなれるらしい。
 魔力やデバイスについては、俺が望めば恐らく可能とのこと。

 今一チートには弱い気がするが、この辺でよしとすべきか。
 出来ればSSSクラスの莫大な魔力とか、伝説のユニゾンデバイスとかが欲しかったが、考えてみればチートしまくってゲームしても途中で飽きるし。
 望めば手に入るってのは、ある意味最高の環境かも知れないしな。


「なるほど、納得した。それで、転生ってどうすればいいんだ?」

「あ、はい。よろしければ直ぐにでも転生作業にかかれますよ。どうしますか?」

「よし、じゃあすぐに始めてくれ」


 俺がそう答えると同時に俺の視界は真っ白になった。
 周りの音も殆ど聞こえなくなっていって、いつのまにか俺は意識を失っていた。



[20063] Act.1
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/05 23:41
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Act.1 わたしの名前は――
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 鏡の中のわたしは酷く陰鬱な眼差しでわたしを見つめ返している。
 背中を覆う長い髪と大き目の瞳は母親譲りの翡翠色。ただし、内面から滲み出る負の気配は隠しきれないのか、どこかくすんで見えるのは気のせいだろうか。造形で言えば良く似てはいるものの、一見してそう直観し辛いのは表情の差であるのは語るまでもないだろう。特に唇が良くない。
 わたしは三日月をかたどったその部分へ人差し指で軽く触れて人工の笑顔を形成してみた。可能な限り優しいイメージ――遠い記憶の中の最高の手本を思い浮かべながら。

 勿論、失敗した。
 ひくひくと引き攣っただけの唇から指を離し、わたしは溜息を一つ。役者でもあるまいし、内面と乖離した表情を作ることなど出来るはずもない。結局のところ、こうしたわたしがわたしなのだ。こんなのはわたしじゃない、と叫びたいようなもどかしさに眉を潜めた――つまり、わたしを見つめるこの陰鬱な眼差しがわたし。

 自惚れる訳ではないが、わたしの容姿は充分に美少女の範疇に入るのだと思う。時折感じられる男性からの視線が、性的な関心を含んでいることも理解している。しかし、その上でわたしが魅力的な少女なのかと言えばどうにも首を傾げざるを得ない。もっと素敵に笑えたなら、もっと軽快に話せたらと思いつつ、わたしはいつも視線を彷徨わせては何とはなしに曖昧に頷いているだけだ。

 創作物の世界ではそうした少女にも一定の支持が得られるかもしれない。しかし現実的に考えたならそんな相手と過ごすのはお互い気まずいだけであるし、何よりも重過ぎる。わたしが言うのもなんだけれど、わたしと恋人をするのは相当の覚悟がいるに違いない。所詮は性的満足を得る手段として割り切れる程度の酷い男でもなければわたしに付き合いきるのは不可能だ。そうでなければ多分、病んでしまう。わたしと同様に。


「お、おい、ク、クロエ」


 例えばこんな男。


「お、俺の許可なく、勝手にいなくなるんじゃない」


 女を支配する男を気取って見せて、気弱な本性を隠しきれない程度の無様な彼は慣れもしない命令口調でわたしを糾弾する。わたしは鏡越しに彼の眼差しを見据え、ほぼ同時に絡み合った視線を逸らした。

 度し難い。

 諸悪の根源は何か。弱いわたしか、弱い彼か。否、その両方か。
 わたしは彼を断じて愛してなどいない。少なくとも、男女の間のそれと言う意味では。彼の方としてもそうだろう。在るとすれば限りなく傲慢で身勝手な同情のようなもの。わたしは満たされる為に満たす。とは言っても、わたしが彼に与えられるのは何の価値もないわたしそのものに過ぎないのだけれど。

 いや、はっきりと言おう。わたしたちは共依存している。そしてわたしは誇りのない売春婦に過ぎない。直截的に言うなれば、わたしは男の歓心を体で買うしかない馬鹿な女に過ぎないのだ。


「――その、か、体を拭きたいと……」

「か、体っ!?」


 敢えて俯き加減で告げると、彼は不必要なまでに上擦った声音で答えた。わたしは彼の股間に視線を合わせたまま、媚びた声を作る。


「あ、あの……」

「? ――ち、違う。こ、これは男の生理だ。よ、余計な気を回さなくていい」

「は、はい」


 視線に気付いたのか、彼は身に着けたパジャマのすそを直すと、心持ちわたしに体の向きを変えた。
 彼は奇妙なところで格好をつけたがる。今更無意味だと思うのだけれど、それは彼にとって譲れない部分であるらしい。何故、何を、誰に譲れないのかは知れなかったが、少なくともわたしには譲れないのだろう。とは言え、最初から失望しているわたしには全くの無意味でしかない。
 彼が結局求めるのが性的な満足なのだとしたら、そんなものは開き直ってわたしにただ命令するだけで良いと言うのに。律儀なのか、阿呆なのか。わたしには無責任に予想して苦笑することしか出来ないとしても、それは矢張り彼の矜持なのだ。ならばわたしはそれを全身全霊を持って尊重しなければならない。


「そ、そんなことより”災厄の種”だ」

「ええと、確か、”極めて限定的で歪な魔力装置”、ですね」

「お前は、い、いちいち否定的な物言いをするんじゃない。これは、ただ純粋なだけだ。限定的で歪なのは”種”じゃない、”人間”だ」

「――はい」


 彼は少しロマンチストだ。
 凶器の危険性を人為のみに求めている。確かに、引き金を引くのは人間の意志に違いない。けれど、銃は最初から殺人の道具として作られている。例えば安全装置のない銃は純粋だろうか。その結果起きてしまう悲劇を引き金を引いた人間にのみ背負わせるべきだろうか。
 いや、その銃を用意したのも人間なのだから、強ち彼の言説も分からなくはない。それでもわたしは思う。その銃はきっと、悪意で結晶している、と。

(――だなんて、わたしの方がずっとロマンチストかも)

 そこまで想到してわたしは内心で苦笑いを浮かべた。


「今日でもう三日目だ。何してるんだよ。は、早く集めろ。これと同じものだ……刻まれている数字が違うだけだ。か、簡単だろ」

「で、ですが――」

「い、言い訳するなよ! お前、オーバーSの魔導師なんだろ」

「その、探索とかそう言うのは得意ではなくて。デバイスに登録されているのはどれも、攻撃魔法、ばかり……なの、で」


 言い訳がましいと自覚しつつ、しどろもどろになりながらわたしが告げると、彼はさっと顔を朱に染めて似合わない罵声で糾弾を始めた。
 何がオーバーSだ。使えない奴だ。概ねそう言う内容だけれど、つまるところ羞恥と嫉妬をぶちまけているだけだ。彼は魔法を使えない。魔法に関する知識も殆どない。実際にはオーバーSでありながら攻撃魔法しか使えないわたしは責められても仕方がない程度にはへっぽこで、彼の指摘はそう的外れでもない。ただ、彼にはわたしが無知で無力な彼を内心で蔑んで見えるようだ。そんな事はない。とは言え、劣等感を練って固めたような彼にはわたしの本心など分かって貰えないだろう。
 本当に的外れな不安だ。だってわたしは彼に感謝している。愛してはいないとしても、望んで支配されている。

 わたしは首から提げた空き瓶を模ったペンダント――待機状態のストレージデバイス”トイボックス”を握り締め、何か気の利いたことを言おうとしてそのまま言葉を飲み込んだ。


「お前がのんびりしているから、俺の計画も無茶苦茶だ。早くしないと、か、管理局が出てきてしまう」

「申し訳、ありません」

「と、とにかく言い訳はもう聞きたくない。今日中に最低でも一つだ! どんな手を使っても良いから、絶対に手に入れて来るんだ」

「そんな、む、無理です」

「う、うるさい。俺の命令に従えないのか!」

「あっ」


 ぱちん、と、軽い音に続いて、ひりひりとした痛みが頬を焼いた。大した痛みでも衝撃でもない。それでも生理反応として涙は眦を潤した。咄嗟に閉じていた瞳を開いて彼の方を振り仰ぐと、その勢いで熱いものが頬を伝う。本当に大したことはない。ただ、水レンズ越しの彼の姿は歪んで映った。
 余りみっともない真似はしたくない。わたしは手の甲を使ってぐいと目元を拭うと、平然を装ってみせる。それは二重の意味に失敗に終わってしまったけれど。彼はわたしに注意を払っていなかったし、わたしの瞼は不自然に痙攣していたから。


「な、なんだよ、ひ、卑怯だろ。だから女は嫌なんだ。泣けばいいと思ってる。な、泣いたって俺の意見は変わらないからな」

「泣いてません。泣いてなんか」


 本当だ。嘘じゃない。わたしだってそこまで卑怯じゃない。
 ただ、物理的には涙を流してしまったことは事実。上手い言い訳も思いつかない。

 狼狽する彼の様子を見ていると居た堪れない気持ちになった。わたしはそれ以上は何も言えなくなって、気が付けば逃げるように踵を返していた。


「お、おい、何処へ――」

「た、探索へ出ます。昼には一度戻りますから」


 洗面所を出て、リビングを抜ける。そのまま足早に玄関口へ。と、そこで酷く間抜けなことに気が付いて足を止める。そう言えばパジャマ姿だった。こんな格好では外に出られない。シャワーを浴びて髪も濡れたままだ。いつも翡翠色のロングストレートを纏めている紺色のリボンは部屋に置き去り。とは言っても、今から引き返すのは格好が悪すぎる。


「ク、クロエ、お前、そんな格好で出掛けるつもりか!」


 彼もそのことに気が付いたのだろう。リビングから掛けられた少し上擦った声に、わたしは羞恥に頬が染まるのを自覚した。


「……うぅ」


 今度は違う理由で涙が溢れそうになった。
 それでも、もう引っ込みは付かないのだ。わたしは半ば自棄になって乱暴に扉を開け放ち、その勢いのまま飛行魔法で空へ上がる。


「――トイボックス、セットアップ」


 白に近いペイルブルーの魔力光を放ち、一瞬後にはわたしはバリアジャケットを纏っていた。山吹色のドレスにワインレッドのボレロ。腰には大きな黒いレザーのベルト。背中までの長い髪は銀のバレッタで首の後ろに一つに纏められた。手にはキチン質を思わせる半つや黒の1メートル程のバトン。ストレージデバイスらしい素気ないデザインだけれど、機能性は充分。わたしはこれがとても気に入っている。
 彼には、スズメバチかよ、と言う見も蓋もない評価をされてしまったけれど。

 さて、これで服と髪の問題は解決した。パジャマはまた部屋に戻ったときに着替えればいい。これで憂いなく探索に出掛けることが出来る。


「ま、魔導師!?」


 ――昨日隣に引っ越してきたらしい女の子に全て目撃されていなければ、の話だが。






 少しわたしの話をしよう。
 実は、わたしには前世の記憶がある。しかも、異世界の。

 ……うん、笑ってくれていいよ。わたしだって、他人にそんな話をされたら笑ってしまうかも知れない。信じられるような話じゃないし、証拠だってない。でも、少なくともわたしにとっては本当の話だ。尤も、かつての記憶は殆ど褪せて、わたしと言う最早わたしでしかない人格がぼんやりとした曖昧な夢のようなそれを抱えているに過ぎない。
 それはわたしには幸いだったろう。わたしはかつてと違う世界に性別まで違って生まれたのだ。全ての記憶と人格を保ったままならとうに狂ってしまっていたかも知れない。ただ、わたしは何かを望んで何かを手に入れ、生まれるべくして生まれた――ような気がする。それは何かは忘れてしまったので、ただ奥歯に物が挟まったようなもどかしい感覚だけが残っている。

 そうじゃない。
 四六時中そんな奇妙な気分に囚われる。何をしていても、我に返ってふっと虚しい思いが胸を過ぎるのだ。辛いと言うほどではないけれど、酷く疲れる。こんなことなら完璧に忘れていたいのに、記憶は消したくても努力で消せるようなものではない。
 それどころか、ふとした切欠で記憶が蘇ってしまうことがある。それは家族のことであったり、故郷のことであったり色々だけれど、共通して抱く感覚は何時も同じ。何だかわたしはこれを、かつて、物語として読んだことがある気がする――そうした感覚だ。

 今この時も同じ。
 わたしと見詰め合ったまま戸惑う、わたしより五つほど年下に見える金髪の女の子のことを、わたしは知っていたことに気が付いたのだ。


「フェイト!」


 誰かが上げた叫び声にわたしは我に返る。
 そう、そう言う名前だった。


「あ、あの、これは――っ」


 弁明は横合いからの攻撃に封じられる。わたしは反射的に衝撃をバトンで受け流して、流れのまま手首を返す。敵意はなく、戦意もない。ただ、望まずとも身についてしまった報復のプロセスはわたしの意志とは無関係に遂行されてしまった。
 当然の如く、余計な推測も斟酌もなくストレージデバイスは入力された命令を実行した。


【Helical Driver】


 バトン表面を周回加速した魔力で形成された砲撃魔法が打ち出され、襲撃者を強襲する。咄嗟に張られた魔力障壁は意味を成さない。螺旋軌道を描く砲撃は進行方向に対して常に直交して威力を発揮する。正面に張った障壁では防げない。詐術に近いが初見ならば非常に効果は高い。わたしの持てる必殺の一つ。


「アルフっ!」


 ただし、一対一であれば、と言う制約が付く。
 第三者の位置から見れば大した攻撃でもない。螺旋軌道である分、初動は遅れるし砲撃そのものも決して速くはない。ある程度の経験を積んだ魔導師であれば、どういう性質の砲撃かは容易に見抜けるであろう。

 案の定、フェイトは一瞬でデバイスをセットアップすると襲撃者――アルフと言うらしい――の側面に障壁を展開して直撃を防いだ。
 そのままアルフの前面に回りこみ、わたしに斧状のデバイスを突きつける。子供とは思えない鋭い眼差しには、確かな敵意を滲ませていた。

 わたしは思わず息を呑む。咄嗟のこととは言え、わたしはまた失敗してしまった。こんなはずじゃないのに。


「ち、違うんです。わたしは、て、敵じゃないです」

「…………」


 わたしは構えを解いてそう訴えたものの、フェイトは油断なくこちらを見据えたままだった。


「ごめん、助かったよ、フェイト」

「うん。アルフ、気をつけて。あの人、凄く戦い慣れていると思う。多分、昨日の子よりずっと強いよ」


 アルフも視線を逸らさないままそんな言葉を交わし、改めてわたしに相対した。わたしはその様子に眉根を寄せる。わたしは何もしていない。思わず反撃してしまったのは否定しないけれど、つまり、わたしは反撃したのだ。先に仕掛けてきたのはそちらなのに、どうしてそんな風に睨まれなければいけないのか。
 こんな時に口下手な自分が嫌になる。


「え、と、その、わたしは管理局じゃなくて、争う気はなくて」

「目的は何ですか?」

「え?」

「惚けるんじゃないよ。こんな辺境の管理外世界に用もなく魔導師が来るもんか」

「そ、それは、探し物――探し物をしていて」

「フェイト、やっぱりこいつ!」

「うん」


 嫌だ。
 どうしてわたしはこうなんだろう。わたしはわたしが大嫌い。でも、この世の中の全部はもっと大嫌い。わたしは争いたくないのに、いつも仲良く出来ない。わたしの欲しいものはいつも手に入らない。わたしの願いはいつも叶わない。大それた望みなんてないのに。


「だ、だから、その」

「白々しい演技はもう結構だよ」

「ち、ちがっ」

「なにが違うのさ。まともな魔導師は管理局じゃないだなんて言わない。だから敵じゃないなんてことも言う訳がない」

「あ、そ、それは」


 しまった。馬鹿みたいなミスだ。変な風に”知って”いた所為で、あまりに不自然な弁明をしてしまった。普通に考えれば、自分は管理局じゃないなんて言う魔導師がまともな筈がない。しかも、習慣でそれが相手を安心させる方便だと疑いもしていなかった。そうだ、普通は管理局が正義だ。


「探し物は、何ですか?」


 あからさまにうろたえるわたしにフェイトが質問した。わたしは答えかけて躊躇する。どうしよう。彼の探しているあれはとても危険なものだ。答えるのは簡単だけれど、フェイトが興味を持ってしまうと良くない気がする。それに、誰かを巻き込むのは彼の計画に反するかも知れない。


「答えられませんか?」

「その、個人的な探し物、ですから」

「個人的に管理外世界を? 馬鹿馬鹿しい」


 鼻で笑うアルフにわたしは内心で同意した。嘘を吐くにももう少しマシな嘘があるだろうに。でも、駄目だ。考えれば考えるほど焦るばかりで言葉が出て来ない。いや、そもそも何を焦っているのだろう。確かに後ろめたいことはいくつもある。けれどそれは管理局やわたしのかつての家族に対するものであって、フェイトには関係がない。
 争う意味もない。その意思も無い。ただの不幸なすれ違いなのだから、話し合って分かり合えない訳がないはずだ。

 そうだ、何て言う事もない。堂々としていればいい。
 わたしは深呼吸をして、記憶の中の立派な兄さんの姿を手本にして、告げる。


「わたしは、クロエ=ハラオウン。災厄の種を探しています」

【Photon Lancer】


 返答は何故か射撃魔法でなされた。



[20063] Act.2
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/07 00:42
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Act.2 悪性腫瘍
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 腐ったみかんは存在しない? そんな筈はない。それは確かに存在する。水に垂らした一滴の毒、純白のキャンバスを汚す紅、正常な細胞を蝕む悪性腫瘍。最早取り返しはつかないとしても、せめてもの対症療法はは唯一つ。除去。排除。切除。
 わたしはそれを知っている。わたしはそれを迷うほど臆病でも愚かでも残酷でもない。だからわたしは剪定する。

 構えたバトンに纏わせるのは励起された魔力による超低周波。ストレージデバイス”トイボックス”は高速演算性能を存分に発揮し、その周波数を攻撃対象に瞬時に最適化する。非殺傷設定は【Nonsense】。この魔法は対象の脳を高出力低周波で直接破壊することを目的とした殺害専用魔法であって、魔力ダメージがそのまま殺傷能力を意味するのだ。


「た、助けて。死にたくない!」

「わたしも、死にたくないです。みんな、そうです」


 幸運のチケットは明らかに全人類の総数に対して不足している。誰もが救われる事なんてありえないのだから、誰かが犠牲になり続けるしかない。


「な、何で僕なんだよ! 何で僕だけがこんな事に!!」

「り、理由なんてないと思います。理由なんかないから、こんなにも世界は優しいんです」


 幸福が約束されている人間も、不幸に呪われている人間もいない。明日のことは明日にしか分からないから、世界は希望に満ち溢れている。この世は素敵なおもちゃ箱。だからわたしは、この世に神様がいるとしたらとても優しいのだと思う。


「何だよそれ、何だよそれ、何だよそれはぁ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!」


 涙を流し、狂乱の様相で叫び声を上げる少年に向けてわたしはデバイスの照準を合わせた。ロックオン。


「でも、あなたの友達は、お腹を喰い破られて死にました。頭から齧られて死にました。股を引き裂かれて死にました。あなたの望んだ大きなカブトムシに。あ、あなたは脳を揺さぶられて一瞬で死ねます。あなたは、幸福です」


 そう言ってわたしがぎこちなく笑うと、少年は喉を潰すほどの絶叫を上げた。


【Subversive Pulse】


 ショット。
 不可聴領域の衝撃は酷く静かに対象の脳を破壊する。当然ながら音もない。これこそ、わたしの静穏暗殺技術の真骨頂。得意げに胸を張ってみるが、観客は誰もいない。観客がいたら恥ずかしくてこんなこと出来たものじゃないけれど。わたしは咳払いをした。

 跡には綺麗な死体が一つと、不吉に光る青の宝石。


「――”災厄の種”」


 拾い上げると、仄かに暖かい。わたしは感知能力に長けているわけではないけれど、それでもこの宝石に膨大な魔力が秘められていることは分かった。空を見上げると、ちょうど太陽が西に傾き始めた頃合だった。多分に偶然の要素が重なったとは言え、何とか彼の命令は果たせたことだし、予定通り部屋に戻るとしよう。

 わたしは鼻歌交じりに”災厄の種”を”トイボックス”に収納すると、飛行魔法で空へ――上がろうとして、死体が残ってしまったことに気が付いた。


「え、えと、どうしよう」


 そう言えばこの辺りはこの世界でもそれなりに治安のいい地域だったような気がする。こんな所に子供の死体を放置したら、もしかすると大騒ぎになるかも知れない。特に、わたしが直接殺害した子はともかく、この子の友達はどう見てもまともな死に方じゃない。
 とは言っても、へっぽこなわたしはこういう場合に使える便利な魔法を持っていない。そもそも、死体は何時も放置していたし、何らかの理由で死体を処分する場合は超高熱魔法で蒸発させていた。さて、この世界の警察は蒸発した死体を発見できるだろうか。いや、悩んでいても仕方がない。わたしの結界は実質Cランク程度の能力しか持たないので、人通りのそれなりにある往来に何時までも死体をそのままにしている訳にも行かないだろう。


「よし、”トイボックス”、赤外光吸収――ホット分子生成。チャージ」


 これもまた非殺傷設定が【Nonsense】の魔法。わたしの場合、使える魔法の殆どがこんな感じだけれど。オーバーSとは言ったものの、Sランク魔道師を魔法で殺害できると言う意味でしかない。攻撃系のほかは飛行を含む移動系の魔法の基礎と、最近覚えた初級レベルの結界術しか使えない。これまではそれで充分だったが、彼の元に来てからは殆ど役に立てたことがない。
 それを自覚するととても落ち込んだ気分になる。この子達も殺さずに助ける方法があったかも知れない。

(でも、わたしは封印術式とか、使えないし)

 管理局の喧伝する”正しい魔法”とやらにはまるで縁がない。だから、腐ったみかんを排除するような方法しかわたしにはないのだ。願いを浄化できないなら、願いの元を断つしかない。それでも、最良の結果を選定したのだから、わたしにとってはこれもまた”正しい魔法”に違いない。


「チャージ完了。吹き荒べ、退廃の風」

【Heat Storm, Beamlike Shot】


 ”トイボックス”の先端から四条のビームが射出され、一瞬で死体を骨も残さず蒸発させる。融点の低いアスファルトを融かしてしまわないように注意。わたしはこういう制御は得意なのだ。器用に人を殺す魔法のバリエーションは誰よりも豊富だと思う。
 わたしは念のため地面に触れて、特に不自然な様子がないことを確認してから今度こそ空へ駆け上がった。


「……?」


 ふと、そこで違和感を覚えて辺りを見回す。何か聞こえた気がしたのだ。息を呑む小さな声のような。わたしは首を傾げ、魔力反応を探ってみるものの、大した感知能力がないので何も見つかりはしなかった。







「? ユーノくん、どうしたの?」


 なのはは彼女の肩の上に乗ったフェレット――ユーノの様子がおかしいことに気が付いて声を掛けた。ユーノはびくりと体を震わせると、何でもないよ、と短く答えた。
 どう考えても何でも在る様子だった。なのはには流石にフェレットの細やかな表情など読み取れはしなかったが、それでも恐れや不安のような強い感情が彼を苛んでいるであろうことは推測できた。焦りなら何時も感じていた。それが不安に成長するのも分かる。だが、彼は何を恐れているのか。

 心配になってユーノの顔を覗きこむと、考えに没頭しているのか、気付かれもしなかった。なのはは首を傾げ、取り敢えず気にしないことに決める。


「じゃあ、ユーノくん、次、行こう」


 土曜日といっても時間は無限ではない。ユーノの様子は気にはなるが、本当に重大な場合は彼の方から話してくれるだろう。
 ”ジュエルシード”はまだたくさん残っている。早く回収してしまわないと大変なことになってしまうかも知れないのだ。

(それに、あの女の子)

 あの女の子にもう一度会いたい。会ってちゃんとお話をしたい。どうしてあんなことをしたのか。”ジュエルシード”を集めて何をしようとしているのか。場合によっては、ユーノには申し訳ないが彼女に協力しても良いとさえ考えている。

 そこまで考えて我に返ると、ユーノからの返答が何時までもないことに気が付いた。


「ユーノくん?」


 なのははもう一度呼びかける。すると、ユーノは何時になく重々しい口調で搾り出すように告げた。


「なのは……。”ジュエルシード”の探索は、もう止めよう」

「え!?」

「やっぱり駄目だよ、幾らなんでもあんな危険な奴を相手に出来ないっ」

「危険って、昨日の子? あの子はそんな――」

「違う。もう一人いたんだ、とんでもない奴が! あんな酷いことを平然とするなんて、普通じゃない!」

「な、何言ってるの、ユーノくん。よく分からないよ?」


 実際、なのはには訳が分からなかった。ユーノの話し振りからすると昨日の女の子の他にも”ジュエルシード”を集めている誰かがいるらしい。そのことには驚いた。しかし、いずれにせよ危険はある程度承知しているつもりだ。昨日だって危ない目にあった。とは言え、ユーノのこの怯えようは普通じゃない。危険って、とんでもないって、一体どういう相手だというのだろうか。


「ユーノくん、ちゃんと話してくれなきゃ分からないよ。もう一人って? 危険って、どういうことなの?」


 ユーノは答えようとして、どう答えるかに迷って口ごもった。何と説明すればいいのだろうか。いや、事実を言葉にすることは容易い。だけど、あんな酷い話を、語るのもおぞましい邪悪を、なのはみたいな純粋な子には聞かせたくはなかった。
 勿論、ユーノにもなのはがただ優しいだけの女の子じゃないことは良く分かっている。この世界には酷いことがたくさんあって、それでも前に進めるとても強い子だと知っている。時折自分と比較して、余りの眩しさに卑屈な気持ちになってしまうくらい。それでも、聞かせたくはない。ユーノの我侭に過ぎないとしても。そもそも、ユーノ自信のショックが大きすぎて、上手く言葉にすることが出来なかったのだが。


「ユーノくん!」

「な、なのは」


 全身を強く揺さぶられて、ユーノは自身が深い懊悩のうちに埋没していたことに気が付いた。暑さからではない汗に濡れていることも自覚する。


「ユーノくん」


 今度は静かに呼びかけられる。なのはの真剣な眼差しが、ユーノのそれと交差する。


「……」


 数秒の沈黙を待って、結局、ユーノは観念したように溜息をついた。


「なのは、僕の話を良く聞いて、出来れば探索をもう止めて欲しい」

「……約束は、出来ないよ」

「うん、だろうね。だから、僕の話を良く聞いて欲しいんだ」

「うん」


 ユーノはなのはの肩から降りると、近くのベンチに飛び乗った。それからなのはを同じベンチに座らせて、彼女の瞳をしっかりと見据えて語り始めた。


「昨日の女の子の他に、もう一人の女の子が”ジュエルシード”を集めているみたいだ。年齢はなのはより四つか五つくらい上だと思う。多少変則的だけどミッド式の魔法を使っていたし、あの緑色の長い髪からしても間違いなくミッドチルダの魔導師だ。昨日の子を警戒して準備していた探索魔法でさっき見つけたんだ」

「それでさっき様子が変だったの?」

「うん。でも、勿論それだけじゃなくて。確かにこんなところまで魔導師が何人もやって来るなんて普通じゃないけど、ロストロギアが絡んでくるとありえないとも言い切れない。余りに早すぎるとは思うけどね。ただ、問題はそう言うことじゃないんだ」

「問題?」


 なのはの質問を、ユーノは一旦無視した。


「その子は間違いなく、なのはより上級の魔導師だ。それどころか、昨日の子よりも数段上かも知れない。僕の探索魔法に気付いていなかったみたいだから、搦め手は得意じゃないのかも知れないけど。だけど、魔力量はなのはにも匹敵するし、魔法制御力は普通じゃない。下手をすると、オーバーSランクの魔導師の可能性がある」

「オーバーSランクって?」

「魔導師の能力を表す指標みたいなものだよ。ランクが高いから強いとかそう言う話でもないんだけど、Sランク以上は本当に別格なんだ」

「えと、その子がオーバーSランク? の魔導師だから危険だってこと?」

「いや、そんなことだったらまだマシだよ」


 そもそもなのはや昨日の女の子も一般的な魔導師から比較すると尋常な能力ではない。恐らくニアSランクに届くのではないだろうか。そこから考えるとオーバーSランクの魔導師を相手にすることは無謀とまでは言えない。勿論、ニアSランクの魔導師がオーバーSランクの魔導師に勝利する確率は一割を切ると言う統計があることから限りなく無謀に等しいという意見もあり得るが。
 だけど、なのはならそんなものくらい覆してしまいそうな気がするのだ。なのはにはそう言う不思議な可能性がきっとある。

 だから、そう言うことが問題なのではなのだ。問題は――。


「その子は、子供を殺した」

「えっ?」


 そこでユーノは、溜まっていた唾を飲み込んだ。


「僕やなのはと同じくらいの年の男の子だった。危険な魔導師なんだ。”ジュエルシード”を手に入れる為に、”ジュエルシード”で願いを叶えた子供を殺して封印に代えた。無茶苦茶なやり方だよ。男の子は最後まで助けを求めてた。嫌だ、死にたくない、助けて、って。僕は見ているだけで、怖くて助けられなかった」

「そ、そんな」


 なのはは声を失う。確かに、”ジュエルシード”が誰かを傷付けることは理解していた。下手をすれば死んでしまう人だって出るかも知れないとも思っていた。だからこそ、絶対に見つけなければならないと決意したのだ。それなのに、”ジュエルシード”を手に入れる為に誰かを殺すだなんて。
 余りに現実感がなく、理解が追いつかなかった。そもそも、そんなのはなのはの常識の外だ。

 何も言えないままのなのはを一瞥して、ユーノは続ける。


「その子は――そいつは、何でもないみたいに殺したんだ。あんなの普通じゃない。なのは、もうこれはなのはが受け止められる覚悟の域を超えてる。昨日の女の子相手だって充分に危険だった。けど、これはもう無理だ」

「そ、それは……でも、”ジュエルシード”を何とかしないと、この世界だって危ないって」

「それは分かるよ! けど、そのためになのはに死んでくれだなんて言えるわけがない!!」

「死――っ!!」

「そうだよ! このまま”ジュエルシード”を集め続ければ、きっとあいつに狙われる。あいつはきっと、なのはを殺すことなんて何でもないって奴だ。そんな奴と戦えだなんて、僕には絶対に言えない」


 それに、あいつの魔法は殆ど質量兵器と変わらない。非殺傷設定なんて意味がない殺傷能力を追及した危険な魔法だ。そんなものを躊躇いもなく行使する高ランク魔導師が相手では、なのはは絶対に勝てない。
 なのはが正道を行く限りは、勝てる筈がないのだ。


「なのは、だから”ジュエルシード”の探索は、もう止めて欲しい」


 そこまで告げると、ユーノは体から悪いものを追い出すように長い長い息を吐いた。そのまま静寂が降りる。
 ユーノはベンチの上に溜まった自分の影を見下ろした。燦々と照りつける日差しは熱いほどだ。ただ、何故か寒気を覚える。そこで、ユーノは自分が震えていることに気が付いた。そうか、これは寒気じゃなく、怖気だ。或いは悪寒かも知れない。

 なのはの方を見ると、俯いたまま何かを考えているようだった。前髪が邪魔で表情は見えなかったが。

 沈黙は十分ほども続いた。なのははじっとりと汗に濡れた手のひらを握りこむと、苦しげに言葉を搾り出した。


「……ユーノくんの気持ちは分かるよ」

「なのは!?」


 なのははそこで顔を上げる。


「でも、決めたんだ」

「そんなのは駄目だ! なのはは分かってない!! 遊び半分じゃないんだよ!!」

「遊び半分なんかじゃない!!」

「――っ」


 ユーノは初めて目にするなのはの強い剣幕に息を飲んだ。だが、一瞬で気を取り直すと、その眼差しを睨み返す。こればかりは譲れない。なのはが遊び半分なんかじゃないことは、本当は良く知っているのだ。だけど、だからこそこれ以上彼女を巻き込むわけには行かない。


「なのは……お願いだよ」

「……」

「なのは」

「……ごめんね、ユーノくん。ありがとう」


 ユーノには分からない。幾らなんでも頑なに過ぎるなのはの様子に、どこか病的なものを感じてしまう。幼さゆえに意固地になっているだけだろうか。いや、同い年のユーノが言うのも変だけれど、なのははこの年齢にしては酷く大人の考えが出来る少女だ。訳も分からず反抗しているわけじゃない。自分なりの考えがあって、危険性もそれなりに理解して意地を通そうとしているのだと思える。
 だからこそ、そんなものを認めたくなかった。


「なのは、今日はもう帰ろう」

「――うん」


 これ以上は平行線とお互い悟る。ユーノは今度はなのはの肩に乗ることはなく、俯いて帰途に付く彼女の後をとぼとぼと歩く。


「ごめんね、わたしが馬鹿なことを言ってるんだって、本当は分かってるんだ」

「……なのは……」

「だけどそんな怖い人に、”ジュエルシード”は渡せない」

「あ……」


 ユーノはなのはの指摘した事実に、今更ながら気が付いた。確かにそうだ。あんな危険な奴に”ジュエルシード”を渡してしまったら、どんな怖ろしいことに使われるか分かったものではない。

(だけど、それでも)

 リスクだけを考えて行動するなら、なのはのやり方の方がずっと正しい。冷静さを失っていたのは自分の方だったかも知れないと思う。最悪、この世界から逃げ出してしまっても良いユーノと違って、なのはにはこの世界を守る理由がある。
 怖ろしいことから目を逸らして隠れて震えているよりは、打って出ようというなのははきっと正しい。臆病なユーノなんかよりずっと眩しい。


「だけど、なのは、僕は君に逃げろって言うよ」

「うん。でもね、わたしは逃げない。逃げられないよ」

「……君は、強い。強すぎるよ」


 それ以上は互いに言葉もなかった。






「えと、やっぱり、気のせい、かな?」


 辺りをもう一度探っては見たけれど良く分からない。もし何かがいたとしても、一応結界は張ったままだから一般人ではないはずだ。わたしに探知できない程度の魔力しかない魔導師が相手なら特に問題もない。わたしに感知させない程度の高度な魔法技術を持つ魔導師かも知れないが、その場合はわたしが幾ら気にしても意味はない。一応その点は心に留めておくとして、いずれにしてももうこの場に用はないだろう。


「うん、帰ろう」


 とにかく”災厄の種”は一つ手に入れたし、彼もきっと満足してくれるだろう。フェイトやアルフと成り行きで戦ってしまったことは彼の方針に反するかも知れないけれど、きっとこれも――そう言えば、フェイトたちはわたしたちの隣の部屋に引っ越してきたのだった。このまま帰っても大丈夫だろうか。今朝は結局和解には至らなかったし。話の出来る雰囲気でもなかったし、殺さずに勝利する自信もなかった。意味もなく殺すのは趣味じゃないし、わたしだって出来れば仲良くしたい。

(どうしたら、いいかな)

 飛行しながらわたしは頭を悩ませる。とは言え、のんびり考えている時間は無かった。それ程遠くまで探索に出ていた訳ではないので、飛行魔法で飛ばせば部屋までは一分に満たない。わたしは扉の前に降り立つと、取り敢えず考えるのを止めた。隣の部屋からはもう人の気配はしない。魔力反応も、わたしに分かる範囲では存在しない。出掛けているのかも知れない。

 そんなことより早く”災厄の種”を彼に渡したい。久しぶりに彼には笑ってもらいたい。わたしは扉を開けて、何とはなしに空を見上げた。


「今日もいい天気、ですね」


 きっと良いことがある。



[20063] Act.3
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/08 01:20
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Act.3 聖なる天秤
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 怒られた。

 わたしは、商店街を目的もなくとぼとぼ歩いていた。パジャマ姿からは着替えて、桜色のワンピースを身に纏い、お気に入りのリボンで髪を結んだ。これだけで何時もはそれなりに気分が上向くはずが、今は憂鬱が振り払えない。
 昼食はまだ食べていない。料理も含めて家事全般はわたしの担当なので、自動的に彼も昼食抜きと言う事になる。でも、構うもんか。たまにはお腹を空かせたらいんだ。そうしたら、少しはわたしの有り難味だって分かるはずだ。


「うぅ」


 理不尽だ。それは確かに、彼が期待するくらいにはわたしは役に立てていないのかも知れないけれど、それにしたってあれはないと思う。褒めてくれとまでは言わないにしても、労いの一つもあっていいものだろう。ただ、考えてみれば、それはそれで彼らしくもなく、具体的に労うと言ってもイメージはさっぱり沸かないのだけれど。


「――きゃっ」


 そんなことばかり考えていた所為で注意が疎かになっていたのか、向かい側を歩いていた女の子に体をぶつけてしまっていた。相手の方がかなり小柄だった為に、女の子は短い悲鳴を上げて尻餅をついた。わたしは、咄嗟に手を差し伸べようとして、そのまま躊躇してしまう。その隙にもう一人の女の子が現れて、結局わたしの手のひらは空気だけを虚しく掴んで閉じた。何時ものことだ。

 もう一人の女の子――倒れた方の女の子と同じくらいの年齢で、わたしよりは五つほど年下だろうか――が、倒れた女の子を助け起こす様子を眺めながら、わたしは只でさえ沈んだ気持ちが更に沈んでいくのを自覚した。いつもこうだ。わたしには後一歩踏み出す勇気が足らない。正確に言えば、踏み出す前に何時も誰かにわたしの欲しいものを持ち去られてしまう。


「ちょっと」


 わたしはそこで、後から現れた方の、勝気な瞳をした金髪の女の子に睨みつけられていることに気が付いた。


「あんた、ごめんなさいの一言くらいないの?」

「ちょっと、アリサちゃん」

「いいのよ、すずか。こういう事はきちんとしないと」

「あ、その、ええと」


 糾弾の言葉にわたしはびくりと身を震わせた。確かにそうだ。非はわたしにあるのだから、謝らなければならない。ただ、やはりどうしても言葉は出てこなかった。喉が酷く渇く。転んだ方の、物静かな雰囲気の紫髪の女の子――すずかと言うらしい――が取り成そうとしてくれる声が、酷く遠く聞こえる。


「えと、あの、わた、わたし……」

「何よ、はっきりしなさいよ。わたしみたいな小さな子に言われて、恥ずかしくないの?」

「アリサちゃん、それは言いすぎだよ。あの、わたし平気ですから、気にしないで下さい。わたしも前をよく見ていなくて、お互い様だって思います」


 どうしてだろう。本当に情けない気持ちになる。確かに、アリサと言うらしいこの金髪の子に指摘されるまでもなく、年下の子にこんなことを言われるのはとても恥ずかしいことだ。それに加えて、すずかに申し訳ないような面持ちでフォローをされるに至っては輪を掛けて居た堪れない。


「ご、ごめん、なさい」


 わたしはひり付く喉を何とか誤魔化して、上擦った声でそれだけ答えた。






 漸く見つけた”災厄の種”を渡すと、彼は何故かわたしを酷く罵った。


「お、お前、馬鹿じゃないの? 何考えてるんだよ。ありえないだろ、それ」

「で、でも、”災厄の種”は手に入れました」

「それは、分かる。だ、だからって人を殺して取って来るとか、あ、ありえない」

「え、だって、それは」

「い、言い訳するな!」


 訳が分からない。相当な幸運が重ならない限り、探索魔法の使えないわたしは既に発動した”災厄の種”しか見つけられない。そして、封印術式が行使できない以上は対象の殺害を持って”災厄の種”との契約を強制切断し、これを沈静化させるほかはないのだ。わたしは打てる手は全て打った。その上で結果を出しているのだから、そんなに酷く責めなくたっていいと思う。


「し、死体はちゃんと蒸発させて来ました。痕跡は残ってないです」

「じょ、蒸発とか、そう言うことじゃないだろ! 殺す自体がおかしいだろ、常識として!!」


 常識としてと言われても。わたしだって快楽殺人者じゃない。殺さずにすむなら無意味に殺したりはしない。殺すしかない場合は殺すけれど、それは仕方のないことだ。勿論、もっといい方法があったかもしれないと思うことはある。けれど、もしも、だなんて考えていても仕方がないではないか。


「あなただって、どんな手でも使えって、い、言ってました」

「あ、揚げ足を取るなっ」


 彼は激昂しかけて、今朝のことを思い出したのか、振り上げた手を握り締めて、そのまま腰掛けていたソファーに叩きつけた。ばふ、と軽い音を立てて埃が舞う。そろそろ掃除をしなければと思った。
 彼が中々カーテンを開けたがらないので、日中にもかかわらずリビングは薄暗い。誰かが覗いているかも知れないとは彼の言だけれど、寝室やお風呂以外には覗いても面白いものはないと思う。だからわたしには神経質すぎる気がする。ただ、わたしたちは確かに一般的に後ろ暗い事をしているし、わたしが防諜に役立つような魔法を一切使えないことから、余り強くは言えなかったが。

 それでも折角の春の陽気に、窓からの暖かい風と柔らかな日差しを満喫することも出来ないと言うのは少し不満だった。空気清浄機は常時稼動中なので、空気が澱んでいると言ったことはない筈だとしても、感覚的に不健康に思えて仕方ないのだ。


「おい、聞いているのか!?」

「――はい。すみません」


 聞いてはいる。聞いてはいるけれど、理解が出来ない。納得が出来ない。だって、彼はとても非論理的なことを言っている。不可能を要求されても、わたしは不可能と答えるほかはない。それとも、わたしにはまだ努力は足りないと責めているのだろうか。それは、分かる。分かるけれど、そんな風に言わなくたっていいことだと思う。


「わたしだって、頑張ってます」

「は、はぁ? が、頑張るとかそう言うことじゃないだろ。訳分からないんだけど?」

「わ、わたしだって、訳が分かりません。じゃあ、どうしたらいいんですか?」


 嫌だ、駄目だとばかり言っていても仕方がない。わたしたちは有限の能力しかない人間に過ぎないのだから、何かを選んで、出来ることを出来るだけすることで達成しなければならない。わたしには殺さずに”災厄の種”を手に入れる方法がないのだ。少なくともわたしはそう認識している。それでは駄目だと言うなら、ビジョンを示して欲しい。とにかく駄目だから、何とかしろと言うのは、幾らなんでも無責任と言うものだ。

 わたしが反駁の声を上げると、彼は一層苛立った表情を双眸に浮かべ、ソファーを立ち上がりながら叩き付けるように言い放った。


「それくらい、自分で考えろ」


 そんなの、理不尽だ。






「フェイト、本当に大丈夫かい?」

「……うん」


 廃ビルの屋上に半ば横たわるように座り込んで、フェイトは無理やりに声を絞り出した。正直に言えば、大丈夫とは言えない。その証拠に体はさっきからだるいし、使い魔のアルフもフェイトの言葉を全く信用していない。とても大丈夫な様子には見えなかったからだ。
 謎の魔導師から受けた魔力ダメージはじわじわと蓄積し、今は立っているのもやっとの状態だった。いや、正確に言えばこれは純粋な魔力ダメージだけではない。あの魔導師が使っていた魔法は非殺傷設定であるにもかかわらず相殺しきれないほどの殺傷能力を秘めていたのだ。


「あいつ、一体何だったんだろう?」

「分からない。でも、見逃されたんだと思う」

「そう、だね。ぜんぜん歯が立たなかった」


 そもそもあの魔導師は唯一つの魔法――【Helical Driver】と言ったか――しか使用してこなかった。あれは単純に見えてとても高度で強力な砲撃魔法だ。進行方向に対して常に直交して威力を発揮する為に、正面に相対した場合は心理的に防御が酷く難しい。直進してくる砲撃を無視して上下左右のいずれかに防壁を張ることは考える以上に思い切りが必要なのだ。かといって全身に防壁を分散させて受け止められるほど脆弱な攻撃でもない。元々それ程防御の厚くないフェイトとしては、動き回って避け続けざるを得ない状態に追い込まれてしまう。
 更に、あの魔導師はあの魔法の螺旋軌道をその都度細かく制御してのけた。螺旋の径、リード角、向き、角速度。予測不能に千変万化する驚異的な魔法制御力によって、唯一つの魔法は恐るべき多様性を秘めた必殺の武器と化す。

 ただ、幾らなんでもあれだけ同じ魔法を見せられ続ければ突破口も見える。尤も、今回はそれを見つけられる頃には最早戦う力を失くしてしまっていたのだが。


「次はもっと上手く戦えるとは思う。ただ、あれだけしか魔法が使えないわけじゃないだろうし、勝てる、とは言えないけど」


 あれだけのレベルの魔法をいくつも行使出来るとすると、今のままではまともに戦うことすら難しいかも知れない。出来ればもう戦いたくないけれど、あの魔導師が探しているらしい”災厄の種”と言うのは十中八九”ジュエルシード”のことに違いないから、いずれ衝突するのは必定だろう。それまでに何とか対策を考えなければならない。
 ただ、気になることが一つ。


「でも、もしかしたら戦わなくてもすむかも」

「? 何言ってるんだい、フェイト」

「だって、元々アルフがあの人を攻撃したから……」

「そ、それはっ」

「それに、アルフは演技だって決め付けてたけど、あの人、本当に敵じゃなかったのかも知れないし」


 そうだ。どう考えても彼女の方が圧倒的に強者なのだから、本当に敵ならば手加減抜きでフェイトたちを倒してしまえば良かったのだ。それを遠慮がちに一つの魔法だけで翻弄して、フェイトが戦えなくなった途端に居なくなってしまったのだから。


「フェイトはお人よし過ぎる」

「そう、かな?」

「そうだよ。それに、わたしには分かるんだ。あいつはとんでもない悪党だよ」


 何故か胸を張って断言するアルフに、フェイトは不思議そうに小首をかしげた。


「アルフは、どうしてそう思うの?」

「匂い、かな」

「匂い?」

「そう、あいつからは、あの鬼婆と同じ匂いがするんだ」


 酷く嫌そうに吐き捨て、眉根を寄せるアルフにフェイトは何も言い返すことはなかった。アルフがフェイトの母親であるプレシアの事を酷く嫌っていることは知っていたから。その理由は今更確かめる必要もないし、理解も出来る。ただ、とても残念なことだとは思う。プレシアはただ優しすぎるだけだ。だから早く”ジュエルシード”を集めてかつての彼女に戻って貰いたかった。
 アルフはそんな彼女とあの魔導師が同じ匂いだと言う。でも、それなら。


「じゃあ、やっぱりあの人もそんなに悪い人じゃないかもしれない」


 アルフは苦虫を噛み潰したような表情で唸り声を上げた。






 アリサやすずか達と気まずい雰囲気のまま別れ、わたしは公演のブランコで夕暮れまでの時間を無為に過ごした。たまにやってくる子供たちのもの欲しそうな視線も、それを咎める母親たちの煩わしげな視線も気付かない振りをして、わたしは溜息を吐き続ける。そんな非生産的な行いを繰り返す内に日も暮れ、とても空腹なことに気が付いてわたしは我に返った。くうくうとお腹の虫が鳴く。とても惨めな気持ちになる。わたしは一体何をしているのだろう。
 いい加減に帰って夕ご飯を作らないといけない。冷静に考えれば確かにわたしが役に立っていないことは事実で、それを大人気なく拗ねてみせても何も変わらないのだ。彼が無理を言っているというのは本当だと思うけれど、わたしだって安易に結論を急ぎすぎていた部分はあったように思う。ここはかつてのような地獄じゃない。即断即決を続けなくてもいい程度には平和な世界なのだから、わたしはもっと迷うべきなのかも知れない。

 そんな風に考えていた矢先、わたしは茜色の空に昇る不吉な光を目撃した。


「あ……」


 わたしは確かに探索魔法は使えない。感知能力も情けないほどに低い。とは言え、目の前で発動した”災厄の種”を見逃すほどに鈍感でもなかった。


「二つ目」


 呟くと同時に首から提げた空き瓶のペンダントに手を触れる。素早くセットアップしてバリアジャケットを纏うと間を置かずに飛行魔法を発動する。ここから距離は近い。あの辺りは、確かわたしがさっきまで歩いていた商店街の方角だったはずだ。何か巨大なものが蠢いて見える。


「ええと、これは、樹、でしょうか?」


 近づくにつれ、その正体が明らかになる。巨大な樹というのが正確な表現化は分からない。微妙にぬめりを帯びた枝から早送りの映像を見ているように次々に枝分かれを繰り返していく。ぎちぎちと言う成長の音は節足動物を想像させる。何とも歪で、卑猥で、嫌悪感さえ覚える生物だった。

 わたしは迫り来る触手状の枝を回避しつつ、まずは辺りを周回してみる。と、そこで辺りがとても騒がしいことに気が付いた。そう言えば、結界を張っていなかった。やはりこう言うのは慣れない。魔法が当たり前の世界で生きていると、魔法を隠さなければならないと言う感覚がどうもしっくり来ないのだ。
 わたしは慌てて結界を張る。しかし、それでも辺りは完全に静かにはならなかった。叫び声が聞こえるのだ。


「……っ! ……!!」


 何かに遮られているのか、何を言っているのかが良く聞き取れない。ただ、酷く興奮した様子であることは分かった。耳を澄ますと二人分の声色。それも、どこかで聞いたことがあるような。
 声を頼りに飛行を続けるうちに、どうやら眼前の巨大樹の内部から聞こえているのだと言うことが分かった。誰かが閉じ込められているのか、或いはこの樹自体が何かを叫んでいるのか。まあ、どうでも良い。とにかくこの樹を破壊すれば”災厄の種”を手に入れられるだろう。

 わたしは”トイボックス”に魔力を循環させ、周回加速させることで螺旋状に整形する。今回は手加減抜き。最大出力の最大加速、非殺傷設定は解除。この魔法は巨大なものをぶち抜くことが本来の用途なのだ。奇襲の策は副産物に過ぎない。


【Helical Driver, Scraper Shift】


 突貫。
 身の蓋もない言い方をすれば、これは魔力ドリルだ。敵地への突入経路をぶち抜いたり、その逆に脱出口を強引に作ったり、密室に人知れず潜入する場合にも活用した。様々な用途で活躍した為に、この魔法に関しては他と比べても圧倒的に精密な制御が可能になってしまった。

 螺旋は迫り来る触手をものともせず、中心の太い幹の部分をもあっさりと貫いた。非殺傷設定は無効化してあるので、掘削に伴う摩擦熱で孔の周囲が瞬時に燃え上がる。辺りに焦げ臭い匂いが漂った。


「……割と、丈夫です、ね」


 しかし、巨大樹はそれでも倒れることはない。樹は樹液のようなものを分泌するとあっという間に孔を塞いでしまった。どうもこの手の魔法は効果が薄いらしい。考えてみれば、樹であれば動物と違って明確な弱点もない。脳や心臓を打ち抜いてやれば終わりというわけにも行かないのだ。


「じゃ、じゃあ、灼き尽くします」


 昼間の少年の死体をそうしたように。いや、あの魔法ではこれだけの質量を蒸発させることは難しい。あれは狭い範囲を文字通り消し飛ばすには有効だが、広域殲滅には向いていない。では、どうするか。

(もっと、いい魔法が、ある)

 とは言え、これは相当な大魔法になる。サポートの受けられない現状では詠唱の隙を見つけることが難しい。そうなると敵の動きを止める必要があるが、へっぽこのわたしはバインドなどの拘束魔法のような便利な補助魔法は一切使えなかった。ただ、それらしいのは使える。
 わたしはバトンを構えると、太刀を切り上げるようにして振り抜いた。


【Venomous Strings】


 あたかもリボンが広がるように、バトンの先端から数十を超える糸状の魔力が放出される。魔力糸はかすかなモスキート音を伴って巨大樹へ飛来すると、そのまま樹皮に張り付いた。同時に、巨大樹の動作が鈍る。どうやら上手く行ったようだ。
 この魔法は拘束魔法ではない。分類としては攻撃魔法の一種だ。高速微振する魔力糸は対象の接触してこれと共振を起こし、一時的に麻痺状態へ陥らせる。動物が相手ならば、そのまま昏倒させることも可能だ。ただし、殆ど殺傷能力はないために、この魔法はわたしの殆どの魔法とは逆の意味で非殺傷設定が【Nonsense】となる。

 さて、とにかくこれで準備は万端だ。わたしは空中に魔法陣を描くと、その中心にバトンを突いて両手で握り締める。


「イル・イスラ・ライラ。招来、我が手に来たれ、慟哭の剣――っ」


 そこで、わたしは詠唱を止めた。何かを失敗したわけではないが、続けられない理由に気が付いたのだ。麻痺状態の巨大樹の枝に、少女が二人拘束されている。気にせず撃ち抜いても構わないとも思ったが、殺すべきではないという彼の方針に出来る限りしたがって、少しは迷ってみることにする。
 わたしは、これまでのわたしにあり得ない事にわたしの持てる最大最強の魔法の詠唱を中断した。

 巨大樹の麻痺が暫くは続きそうなことを確認して、わたしは二人の少女に接近する。


「……あ……」

「えっ!? あ、あんた、さっきの!」

「な、なに? 飛んでる?」


 誰かと思えば、先ほど出会ったばかりの少女たちだった。確か、金髪の子がアリサで、紫髪のこがすずか。すずかの方はこの場の状況に相応しく、それなりに混乱しているようだったが、アリサはこんな時でも変わりがないらしい。広域殲滅魔法を中断した成果があったかも知れない。

(だって、一人は助けられる、かも知れないし)

 そうだ。この樹の原因がアリサにしろすずかにしろ、無関係な方まで巻き込んで殺さなくてもいいのだ。”災厄の種”と契約した方はもう助けられないかも知れないけれど、一人の命を救えたかもしれないことはそれなりに嬉しく思えた。彼の言うことも、一理ある。仕方がないだなんて直ぐに決め付けないで、ほんの少し迷ってしまえば良かったのだ。わたしは自然に唇が綻ぶのを自覚する。

 うん、わたしは今、笑えている。


「一体何なのよ! 訳分かんないわよ!? あんた、これが何なのか知ってるの?」

「え、あ、はい」

「一体何が起こっているんですか? 樹はお化けみたいになるし、人間は空を飛んでいるし……」

「まさかとは思うけど、あんたが何かしたんじゃないでしょうね?」

「アリサちゃん! 幾らなんでもそれは酷いよ」

「う、それは……うん、ごめん。八つ当たりだった」

「い、いえ、構いません。それに、これはどちらかと言うと、あなたたちのせいです」

「はぁ!?」


 わたしが告げると、心底理解が出来ないという表情でアリサが声を上げた。それも仕方のないことだとは思う。充分に説明も出来ていないのだから、魔法と”災厄の種”の知識がない人間には事情の把握など出来る筈がない。とは言え、落ち着いて話が出来る程度の二人が冷静だったのは好都合だ。これなら、平等な裁定が行える。

 わたしは”トイボックス”から昼間に回収した”災厄の種”を取り出すと、二人に見えるように差し出した。


「あの、それ、何ですか?」

「さ、”災厄の種”と言います。簡単に言えば、呪いのアイテム? でしょうか」

「いや、呪いのアイテムって……」

「でも、アリサちゃん。こんな訳の分からないことが起きているわけだし」

「ん……納得は出来ないけど、話が進まないからそれでよしとするわ。それで?」


 わたしはその返答に大きく頷いて、”災厄の種”が共鳴を起こさないうちに手早く”トイボックス”に収納する。それにしても、この子達は物凄く頭がいい。これなら、口下手なわたしでも何とかまともに説明が出来るかも知れない。


「それで、この種は他にも幾つか同じものがあって、だ、誰かの願いを変な風に叶えてしまうんです」

「願い?」

「た、例えば、今の状態みたいに。具体的にどういう願いだったかは分かりませんが、え、枝が伸びると木陰になって涼しい、と思ったせいかもしれません」

「木陰って、無茶苦茶よ、それ」

「は、はい。無茶苦茶なんです。だから、呪いのアイテム、です」

「な、なるほど?」


 取り敢えずそれで得心が行ったのか、アリサは首を傾げながらも大きく頷いた。わたしも緊張で乱れつつあった呼吸を整えると、巨大樹の麻痺状態にまだ暫くの余裕があることを再確認してから言葉を続ける。


「それで、状況からすると、あ、あなたたちのどちらかが原因のはずです」

「あ、それでさっき、わたしたちのせいだって」

「いや、でも、すずか、あたしたちは別に木陰なんて――って、考えてみたら、ちょっと思ったことが良く分からないうちに曲解されたってことはあり得るわね」

「は、はい、心当たりは……ない、ですよね」


 わたしが問うと、二人は記憶を辿るように視線を彷徨わせ、数秒の後に揃って溜息を吐いた。どうやら、どちらにも心当たりはなく、心当たりがあるようだ。何も考えなかった訳はないので、絶対に自分が原因ではないと言う確信は持てない。ただ、だからと言って具体的になにが発端であるかなど特定できる訳もないのだろう。


「やっぱ、分かんないわ。それで、どうしたらいいの?」

「何かこの状態を打開できるような方法はあるんですか?」

「あ、はい」


 そもそも、わたしも二人のうちどちらが原因であるかを突き止める方法があるとは思っていなかった。だからこそ、昼間は少年たちが最後の一人になるまで殺されてから介入することにしたのだし。ただ、今回に限ってはいい方法がある。これで、少なくとも二人のうち一人は助けられる可能性があるのだ。

 わたしはその方法を、新しい洋服を自慢するような浮ついた気持ちで告げた。


「ど、どちらか一人を、殺します」

「えっ」

「あ、あんた、なに言ってんの!?」


 そうすれば、半分の確率で一人は生きられる。これなら、最初から二人を殺してしまうよりも、ずっと素晴らしい。


「だ、だから、教えてください。どちらを殺すべきですか?」



[20063] Act.4
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/09 01:21
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Act.4 正義の剣
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 斜陽の赤に映える巨大樹の影は長く伸び、商店街を遠く越えて住宅街を一足早い夜に染めていた。結界の効果もあってか世界は漸く静寂に落ちる。わたしはちょうどアリサとすずかの二人の様子が良く見える位置に張り出した古いビルの窓のひさしに腰を掛けて、告白の返事を待つような心持ちで二人の強張った顔を眺めた。

 この町は海に近いせいか僅かに潮を含んだような香りの風がとても心地いい。昼と夜の境目の、何かの終焉を思わせる太陽の残光が切なくなるように綺麗。死ぬ運命が確定したのなら、今この時にそれを選べるのは幸運と呼べるのだと思う。


「……じょ、冗談でしょ。訳分かんないわ」


 沈黙を破ったのはアリサだった。わたしはアリサの要領を得ない発言に小さく首を傾げて答えた。


「? 冗談って、何が、ですか?」

「何がって、決まってるでしょ? 殺すって何なのよ!」

「えと、そのままの意味、ですけど?」

「わ、わたしも理解出来ません」


 すずかまでがそんなことを言い出した。どうしてだろう。つい先ほどまでは、あれ程理解が早くて感心していたのだけれど、ここへ来て急に物分りが悪くなったのが不思議だった。そんなに難しいことだろうか。殺す、と言うこと自体は魔法や”災厄の種”の知識がなくとも充分に理解できることのはずだ。いや、そういえば肝心なことを説明していなかったかも知れない。
 そうか、そもそも何故殺さなければいけないかと言う前提を話さなければならなかったのだ。

 得心の言ったわたしは内心で大きく頷いた。


「あ、そ、そうですね。そ、そもそも”災厄の種”の話をしないと。この種ですけど、願いを叶えた人間と魔法的な契約が結ばれるんです。願いの結果、例えば今のような事態を収拾するには、お、大きく分けて三つの方法があります」

「みっつ、ですか?」

「は、はい。一つは、契約者が願いを辞めること。で、でも、この方法は現実には不可能です。”災厄の種”は契約者の無意識から願いを勝手に汲み上げるので、意識してどうなるものでもありません」


 心の底から心変わりをしたならば、この方法で契約を破棄することが可能となる。ただ、余程の衝撃的な事態が起こるか、相応の時間が経過しない限りは人間の願いを変える事は難しいだろう。例外があるとすれば、薬物や魔法、或いはマインドコントロールによって強制的に精神を変質させる方法が考えられるが、そのどれもがわたしには実現不可能だ。薬物は所持していないし、そうした魔法は使えない。厳密に言えば、マインドコントロールに利用できる魔法は使えるのだけれど、残念ながらわたしにはマインドコントロールの技術自体はない。


「も、もう一つは、願いの核となる”災厄の種”を封印してしまうことです」

「? その方法じゃ、駄目なんですか?」

「だ、駄目です」

「何でよ? 聞くからに丸く収まりそうな方法じゃない」


 確かに、それは正しい。アリサの言うように、本当はこれが一番スマートで、しかし、最高に困難な方法と言える。封印と言えば簡単に思えるが、実際には”災厄の種”クラスの高度な魔力装置を不活性化する為には相当に高度な封印術式を行使するか、或いはSSSランクにも相当する膨大な魔力で押さえ込むしかない。わたしではそのどちらも不可能なのだ。
 或いは、最高級のインテリジェントデバイスでもあれば、術式制御をデバイスに丸投げすることでわたしにも封印は可能だったかも知れないが。わたしの”トイボックス”は高価な波動計算ユニットをバンドルした高速演算型デバイスではあるものの、術式制御自体は完全に魔導師に依存することになる為、わたしの使えない魔法は使えない。

 可能性があるとすれば”災厄の種”の固有呪力振動数をサーチして制振制御魔法を行使することが考えられるが、間違って共振でもした場合には次元震で世界ごと心中する羽目になる。流石にそこまで馬鹿げた博打はしたくない。


「わ、わたしは封印とか、出来ませんから」


 だからわたしは端的に告げる。するとアリサは不満げに鼻を鳴らし、すずかは不安げに眉根を寄せた。


「っ……ま、まさか」

「ん? すずか、どうしたの?」


 へっぽこな自分を再認識して僅かに頬を染めるわたしとは対照的に、すずかは青褪めた顔でわたしを見上げた。漸く分かってくれたのかも知れない。わたしはその様子に満足すると、最後に唯一の方法を告げた。


「け、契約を破棄する最後の方法は、契約者が死亡することです」

「やっぱり、そんな……そんなのって」

「っ! あんた、殺すって、まさかっ」


 流石にこれで事態を理解したのか、アリサが激昂して声を上げる。その剣幕に、わたしは拘束されて彼女が動けないと知りつつ思わず窓のひさしから飛び上がっていた。その勢いのまま上階の窓枠に頭をぶつけ、わたしは舌を噛んでしまった。とても痛い。手のひらを嘗めて血が出ていないことに取り敢えず安心。ただ、前歯の裏を舌先でつつくと、唐辛子を生で食べたときのようなひりつく痛みが襲ってきた。
 こう言う時、治癒魔法が使えればいいなと何時も思う。残念ながら、あの類の魔法は才能による部分が大きすぎる為、わたしでは一生掛かっても習得できそうにないけれど。


「は、はの、ほれで――コホン――そ、それで、話は戻るのですが」


 漫画みたいなことをしてしまった。恥ずかしい。けれど、アリサとすずかはくすりとも笑ってはくれなかった。勿論、大笑いされたかった訳ではないが、無反応というのもそれはそれで悲しい。


「わ、わたしは、どちらを殺――」

「――っ、ざけんな」

「えっ?」

「ふざけんな! あんた、人の命を何だと思ってんのよ!!」

「な、何って」


 人の命は、人の命だと思う。虫の命は虫の命だし、魚の命は魚の命。鳥の命は鳥の命であるように、犬の命も犬の命だ。共通しているのは、命は誰も一つしか持てないし、一度失えば二度と取り戻せないことだ。


「馬鹿言ってんじゃないわよ! 死ねって言われてはいそうですかって死ねるわけないでしょ!?」

「え、えと、じゃあ、すずかさんを殺すべきだと――」

「すずかを殺したら、絶対あんたも殺してやる!」

「じゃ、じゃあ、どうしたら、いいんですか」

「じゃあ、あんたが死ね!!」


 死にたくない。死なせたくない。それは分かる。でも、そんなことを言っても仕方ないのに、我侭を言われてしまうとわたしも困る。大体、わたしが死んだってどうしようもないじゃないか。そんなのは、全然論理的じゃない。


「でも、ずっとこのままって訳にも、い、行かないですよね」

「そんなことくらい分かってるわよっ」

「だ、だったら、少なくともどちらかは殺さないと」

「だから何でそうなんのよ!! あんた、頭おかしいんじゃないの?」

「お、おかしくなんてないです。論理的な帰結じゃないですか」

「こんな話に、論理的もクソもあるわけないでしょ!?」


 全然話にならない。わたしは絶対におかしくなんかない。命の大切さはわたしも分かる。わたしは鬼でも悪魔でもない。だから、二人とも死んでしまうより、一人でも生き残る方に賭けるべきだと訴えているだけなのだ。それでもどちらも殺してしまうことになる可能性があることも分かる。でも、最初から諦めてしまうよりずっと良いはずだ。
 勿論、二人とも殺さない方法があるならわたしだってそれを選ぶ。それが選べないなら、少しでもマシな方法を選ぶ努力をするしかない。

 興奮して話にもならないアリサの様子にうんざりして視線をそむけると、わたしはすずかが静かにこちらをじっと見つめていることに気が付いた。


「す、すずかさんはどうですか?」


 わたしが問うと、すずかは一拍置いてから、落ち着いた口調で言葉を紡いだ。


「アリサちゃんが殺されるくらいなら、わたしが殺される方がマシです」

「すずか!?」

「だけど――あなたに殺されるのなんて、真っ平ごめんです」

「……っ」


 その凄絶な眼差しに、わたしは恐怖で声を失った。呼吸が止まる。背筋を冷たいものが伝う。何故だか泣き叫びたいような気持ちになって、喉の奥から無意識に嗚咽が漏れた。この女の子はとても怖い。普通じゃない。わたしは反射的に高速移動魔法を発動し、気が付けばビルの屋上まで後退していた。
 わたしは感情のない殺人マシーンでも何でもないので、これまでも誰かを怖いと思うことは何度もあった。それが年下の女の子であっても。けれど、魔法も使えない、ましてこれほど圧倒的優位に立っている筈の相手に、本当の意味で怯えたのはこれが初めての経験だった。


「あ、あなたは怖い人です」

「わたしは、あなたなんて怖くない」


 いつの間にか夜の帳が下りていた。東の空に架かった月は青褪めて白い。そう言えば、わたしは知っている。夜の世界には怪物が出る。そうした御伽噺は次元世界の各地に伝えられていて、そのうちの幾つかは本当なのだ。そうした怪物と戦う為に魔法が発達した世界もあるらしい。


「す、すずか?」


 すずかの様子がおかしいことに気が付いたのか、アリサが震える声で呼びかける。返事はない。その代わり、何かが軋るような嫌な音が断続的に聞こえ始めた。わたしは慌てて辺りを見回す。しかし、原因は見つからない。巨大樹の自由を奪う魔法はもう殆ど失われているとは言え、まだ僅かに効果が継続するのは間違い無さそうだ。巨大樹の麻痺が解けた訳ではない。それなのに、この音は巨大樹の枝が軋む音にとてもよく似ている。


「こ、これは……ま、まさか、魔法もなしに?」


 いや、聞き間違いではない。あり得ない事と思いつつすずかの方へ視線を向けると、彼女の周りの枝が強引に引きちぎられていく様が見えた。全く馬鹿げている。ファンタジーじゃないのだ。わたしたちが使う魔法はわたしたちの科学の範疇に基づいている。魔法によって引き起こされる現象は、決して理不尽でもご都合主義でもない。だと言うのに、この目の前の現象は馬鹿げているとしか言いようがない。
 魔力は感じない。魔法ではない。すずかは巨人でもない、小さな女の子だ。魔法もなしにこんなことが出来るとしたら、それこそ戦闘機人でも連れてくるしかない。


「き、決まりです。殺すのは、すずかさんです」

「なっ、ちょ――」


 アリサの反駁の声は無視。イレギュラーは速やかに処理しなければならない。迷いがわたしを殺す。殺されない為には殺すしかない。正体を探るなど愚かで無意味なことはしない。最高最速最大の魔法で殺害しなければならない。
 ただし、この魔法はわたしにとっても危険すぎる。未完成な為に、魔力消費とフィードバックが激し過ぎる。それでも、人間大の物体を破壊するには最速で最強。魔力を連続励起させて局所的に重力異常を引き起こす。その重力異常を制御することで強力な重力波を射出するのだ。


【Dark Dragon】


 わたしの魔力光である白に近いペイルブルーに関係なく、砲撃は漆黒に染められている。重力場が攻撃範囲から漏れないように制御し続けているにもかかわらず、わたしは頭痛と魔力枯渇の倦怠感に奥歯を噛み締めた。この魔法は、本来人間が個人で使用することを想定していない。何故ならばこれは、”アルカンシェル”の簡易魔法に他ならないからだ。

 だが、威力は申し分ない。これはわたしの使える全ての魔法の中でも、儀式魔法を除いては間違いなく最強。


「きゃあああああああああああああっ」

「……っ、しまっ」

「すずか!!!」


 それも外しさえしなければ、だ。

 ただでさえ制御が甘いところへ、間の悪いことに一瞬だけ自由を取り戻した巨大樹が身震いをすることで射線がずれた。ごく短い期間のみの砲撃はすずかの右脇腹を掠めるだけで、そのまま虚しく空へ消える。ダメージとしては充分。しかしそれも相手が人間であった場合の話だ。
 出血はそれなりに激しいが、致命傷になり得るかは難しいところだろう。戦闘能力は奪えたようにも見えるが、油断は禁物。すぐさま追撃に移ろうとして、わたしは飛行魔法を維持できずにビルの屋上へ墜落した。


「っ、くぅ……ぅあ」


 距離にして僅か5メートル。とは言え、わたし程度の形成したバリアジャケットでは衝撃を殺しきれず、ダメージに思わず呻き声を上げてしまう。痛みに意識が飛びそうになる。呼吸が上手く出来ない。まずい。早く、あれを殺さないと。殺さないと、殺される。


「すずか? すずか、しっかりして! すずか!!」


 わたしは”トイボックス”を頼りに辛うじて立ち上がる。口の中に鉄の味がする。眼が霞んで上手く前が見えない。平衡感覚にも異常がある。失敗した。冷静を失い過ぎた。こんな未完成な魔法を使うべきじゃなかった。


「す、すずか……冗談でしょ。眼を覚ましなさいよ!! な、何で? 何でこんな事に!?」


 アリサの叫び声を頼りに、わたしは何とか攻撃対象へ向き直る。


「ど、どいてください」

「――っ!!」


 アリサが何かを叫んだように聞こえた。ただ、その内容はわたしには認識することが出来なかった。叫びが声にならなかったのか、わたしの耳がいかれてしまっているのか。或いはその両方か。どちらでもいい。わたしはそれを無視して、気を抜くとくず折れそうになる足を震わせて、何とかバトンを構えて見せた。


「か、確実に、こ、殺しますから」

「ふざけんなっ!! あんたなんかにすずかは殺させない!!」

「ふ、ふざけてなんかいません」

「っ! 何でよ! 何ですずかみたいないい子が、あんたなんかに!!」

「じゃ、じゃあ、わたしに殺されるのが嫌なら、あ、あなたが殺してください」

「黙れ、キチガイ女! 殺させるわけないでしょ!? 殺せるわけないでしょ!? あんた、何でそんなことがわかんないのよ!? おかしいでしょ? こんなの間違ってるでしょ!?」

「き、キチガイなんかじゃありません!!」


 わたしは論理的に行動している。わたしは倫理的に行動している。この期に及んでも、二人より一人を生かそうとしている。わたしの身の安全と効率を考えるなら、アリサの意見なんて無視して二人とも殺してしまえば良いだけなのは明らかだ。わたしは何もおかしくない。アリサこそ、どうしてこんな簡単なことが理解できないのだろう。この子は混乱しておかしくなってしまっているのかも知れない。

 だったらもう、説得しても意味はない。


「は、はあ……頭も痛いし、意味が分かりません。も、もういいです。そんなに死にたいなら死んでください」


 残りの魔力量から考えて、使用できる魔法は限られている。二人同時に殺傷できる魔法よりも、アリサを無視してすずかに止めをさせるものが相応しいだろう。そうなると、費用対効果に優れている超高熱魔法が適当だろう。この魔法の欠点は高速移動体への命中率が著しく低い点にあるが、この場合に限ってはそれは特に問題とはならないはずだ。


「”トイボックス”、赤外光吸収――ホット分子生成。チャージ」


 何時もより効率が悪い。チャージは暫く時間が掛かりそうだ。アリサはわたしが攻撃魔法の準備を始めたことに気がついたのか、巨大樹の拘束を逃れようと激しくもがき始めた。そんなことをしても意味はないのに。アリサの移動可能な範囲はすずかの横たわる位置を中心とした僅か三メートル弱。それ以上は手足に絡んだ触手が掴んで離さない。せめてすずかから最も遠い位置に逃れればわたしの攻撃範囲から外れると言うのに。アリサは何時までもすずかの側を離れようとはしなかった。


「――チャージ完了。吹き荒べ、退廃の――」

「っ! すずかだけでもいい! 誰か助けて!!」


 アリサが無意味なはずの叫び声を上げた瞬間、わたしの手から”トイボックス”が弾け飛んだ。


「……えっ!?」


 わたしは訳が分からず呆然とバトンを見送る。バトンはアリサの目の前で静止すると、その内部に収納したものを吐き出した。


「え、あ、”災厄の種”っ」


 わたしの狼狽の声は強烈な蒼い光に掻き消された。


「きゃああああああああああっ」






 そもそも、わたしには封印術式が行使出来ない。”トイボックス”自体に簡易封印機能を持った収納装置が内蔵されているとは言え、幾らなんでもロストロギアの封印は想定されていない。つまり、”災厄の種”は不活性状態であっても、当然のことながら強い願いには反応してしまうのだ。

 デバイスを手放し、バリアジャケットを解除されたわたしは”災厄の種”の放つ強力な魔力波動に吹き飛ばされ、ビル屋上の扉へ叩きつけられる。運悪く頭部を強く打ち付けて、わたしはそのまま意識を失った。






 闇は夜の一族の領域である。唯一許された光は月を源としたものに限られる。満月ならばなおさら。それだけの条件が整えば、純血の吸血鬼は不死にも等しい。高々体の一部が欠損した程度では生命維持に何の支障もない。瞬きの間に再生は行われるだろう。ただし、力を使うと酷く喉が渇く。これでは足りない。新鮮な血が必要だ。

 吸血鬼は朦朧とした意識のままで贄を求め、最適な状態の少女を発見した。何かを訴えかける少女の声を無視して、吸血鬼は彼女の首筋へ牙を突き立てた。芳醇な鮮血の香りが鼻腔を擽る。暖かな命が喉を通って全身へ染み渡るのを感じて身震いが走る。それは限りなく性的絶頂に等しいものであったが、身体的に完成されていない吸血鬼にはむず痒い感触だけが残った。


「す、すずか……や、やめて……」


 この程度では渇きは収まらない。そもそも吸血鬼が欲するのは血液ではなく命そのものである。真性の吸血鬼の身体能力と再生能力はたかが人間一人の命で贖うには甚だ不足。枯れるまで吸い尽くしても収まるものではない。吸血鬼は更に深く牙を突きいれ――ようとして。


「ディバイン!」

【Buster!】


 遠方から飛来する桜色の衝撃に撃ち抜かれた。







【Sealing.】

【Receipt number Ⅵ and ⅩⅢ.】

「……ありがとう、”レイジングハート”」


 巨大樹とすずかから”ジュエルシード”を回収すると、なのはは俯いたままで奥歯をぎりと噛んだ。手のひらが白くなるまで杖を握り締める。ユーノはなのはに何か声を掛けようとして、どんな慰めも意味がないことに気がついて押し黙った。


「なんなの、これ」


 首筋から血を流して蹲るアリサ。唇と脇腹を赤く染めて倒れこんだすずか。民家は崩れ、ビルは白煙を上げる。新たにユーノが張り直した結界の静寂が酷く寒々しかった。
 二人にユーノが駆け寄って、ヒーリングを掛け始める。命に別状だけはないようだ。その言葉を聞いても、なのはから安堵の溜息が出ることは無かった。


「なんで、こんなことに、なってるの!?」


 怒りと悔しさに声が抑えられない。冷静にならなければと自覚していても、喉の奥からは嗚咽が迫ってくる。殺意すら芽生えそうになる。なのははビルの屋上に降り立つと、気絶した翡翠色の髪の少女――クロエに”レイジングハート”の先端を突きつけた。


「起きて」


 なのはの呼びかけに、クロエが答えることはなかった。


「起きないなら、起きてもらうから。”レイジングハート”」

【All right.】

【Devine Shooter】


 威力を絞った射撃魔法を叩きつけて、強制的に意識を覚醒させる。クロエは許容量ぎりぎりの魔力ダメージに呻き声を上げながら、やっとの思いで身を起こした。その手の中にデバイスが無いことを確認して、周囲を視線だけで走査。デバイスはちょうどなのはの背後に転がっていることに気がついて、彼女は抵抗を諦めた。






「あ、あなたは、誰ですか?」

「そんなこと、どうだって良いよ」

「え、あ、その、すみません」


 体中が痛い。わたしが意識を取り戻すと、何故か白いバリアジャケットを纏った魔導師の女の子に詰問されていた。と言うより、射撃魔法か何かで無理やり起こされたような気もする。わたしはデバイスも持っていないのに、かなり乱暴で怖い子だ。


「どうして、こんなことに、なったの?」

「え、ど、どうしてって……」


 そもそも何を訊かれているのかが良く分からなかった。こんなことと言われても、どんなことかが分からないので答えようがない。


「そんなにまでして、”ジュエルシード”が欲しいの!?」

「? あ、あの、”災厄の種”、ですか?」

「あなたが何て呼んでるかなんて知らない! でも、誰かを傷付けてまで集めるようなものなんかじゃ、絶対にない!!」

「え、で、でも」


 どうやら”災厄の種”の話をしているらしい。”ジュエルシード”と言うのは通称だろうか。いや、”災厄の種”と言うのは彼から聞いただけだから、もしかするとこちらが通称なのかも知れない。


「こ、殺さないと、回収できませんし」

「そんな訳ないでしょ!?」

「えっ!? ご、ごめんなさい」


 行き成り駄目だしを喰らって、わたしは反射的に頭を下げた。何だか彼のときと同じような事を言われている気がする。あれ、そう言えば”災厄の種”はどうなったんだろう。確か、”トイボックス”に回収された分まで発動してしまったような。わたしは慌てて周囲を見回すと、わたしのものとは比べ物にならないくらいに高度で精緻な結界が張られていることが気がついた。巨大樹はもうない。道路にはアリサとすずかが横たえられていて、使い魔と思しきフェレットが治癒魔法を掛けている。
 わたしはその様子に違和感を覚えて首を傾げ、眼前の魔導師の少女と見比べてようやっと事情に思い至った。


「あの、も、もしかしてあなたが”災厄の種”――”ジュエルシード”の封印を?」

「そうだよ。でも、あなたには渡せない」

「え、あの、それは勿論。それに、あ、ありがとうございました」

「えっ?」


 わたしがお礼を言うと、女の子は一瞬だけ厳しい表情を崩した。お礼を言うのはそんなに変なことだろうか。なぜなら彼女はわたしに出来ないことをやって見せたのだ。わたしだって、二人とも殺さないで済むならそれが最高だと思う。そんなのは当たり前のことなのに。ただ、折角集めた”災厄の種”までなくしてしまったのは残念だ。デバイスの有無に関わらず、この状態でこの子から奪い取るのは難しそうだし。


「あ、あの、今日はもう帰ります」

「あ、あなた何言って、話はまだ終わってないよっ」


 意識の逸れた瞬間を狙ってわたしは姿勢を低くして走り抜けると、デバイスを拾い上げる。案の定、本当の戦いを理解していないらしい女の子はわたしの前に隙を晒す。魔力は殆ど残っていないけれど、逃げるだけならば時間も距離も充分。
 わたしは素早くバトンを振りき、牽制の魔法を打ち出すと同時に全速力で飛び出した。


【Venomous Strings】


 麻痺の毒を秘めた数条の糸が女の子に絡みつき、彼女が尻餅をついた脇を駆け抜ける。


「なのはっ!?」


 使い魔が駆けつけようとするがもう遅い。わたしはその隙を逃さず、転移魔法を発動させていた。






でも、やっぱり怒られた。


「……で、折角昼に手に入れた分まで奪われたって?」

「ご、ごめんなさい」

「つ、使えなさすぎだろ、お前!?」


 やっぱり今日は、いいことなんて無かった。



[20063] Act.5
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/10 00:57
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Act.5 ウミナリ ラヴ ストオリィ(1)
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 恋は盲目。人間は無限の愛を持たない為に、何かを愛すると何かの愛が減じる。勿論、多くの愛を両立できる人間だって存在する。しかし、厳然として人間には愛の上限が存在するのだ。なればこそ盲目。誰かを強烈に愛すると言うことは、そのほかの何も見えなくなると言うことに他ならない。
 それが幸せであるかどうかは分からない。その評価が出来るとすれば、それはきっと恋の終わりに違いない。


「はあ」


 教室の机に項垂れて、少年は深い深い溜息を吐いた。ごく普通の少年である。強いて言えば、今時の高校生には珍しく、変にすれて居たり悪い大人の真似をしたがらない所が美徳だろうか。良い意味で子供っぽく何事にも真剣に取り組める彼には男女問わずに友達は多く、憧れの的と言うほどではないにしてもそれなりに同年代の女子生徒からは好意を向けられていた。ただ、今までに浮いた話も無かったが。

 そんな彼ではあったが、ここへ来て青春の病を患ってしまったのだった。


「……ふぅ」

「さっきからどうしたの、後藤くん?」


 幾ら休み時間とは言え、少々鬱陶しい。少年――後藤祐一のちょうど前の座席から振り返ると、高町美由希は胡乱な眼差しで問いかけた。本当に勘弁して欲しい。折角、春の心地良い風を浴びて読書に勤しんでいると言うのに、これでは気が散って仕方が無い。それなら図書館にでも行けと言われそうだが、休み時間は短いのだから仕方ないではないか。


「………ほぉ」


 返事代わりの奇妙な溜息に美由希はこめかみをひくつかせると、読書は諦めて本を閉じた。


「あの、いい加減、鬱陶しいんだけど?」

「……んぁ? 何だよ、高町。俺は忙しいんだ。頼むから、放っておいてくれよ」

「じゃあ、少し静かにしてくれないかな」

「……………んぅ? 何?」


 これは駄目だ。何だかよく分からないが今日はまともに話が通じそうに無い。彼はいつも少し変ではあるが、それにしてもこれは一体どうしたことだろう。そう言えば、変と言えば彼女の妹のなのはも一週間ほど前から様子が変だ。それより少し前から深夜に出掛けたりしている事には気が付いていたが、ここ数日は何かに追い詰められているような余裕の無さが垣間見える。美由希なりに話を聞いてあげようとは努力するものの、大丈夫、なんでもないとしか答えが帰ることは無かった。

(こんなんじゃ、お姉ちゃん失格かな)

 そうでなくともなのはには何時も寂しい思いをさせて来たのだ。そのせいか、なのははあの年齢の子供らしくは無くとても大人びた考えをする子になってしまった。友達にはとてもしっかりした妹だと感心されることは多いが、その実、それはとても痛々しいことだと彼女には思えてならなかった。
 母である桃子が何時も忙しいことは仕方が無い。ただ、父や兄では代わりにはならない。あの二人ははなのはに甘すぎるきらいがあるのだ。そう言う部分は同性であり、年齢の一番近い自分が上手くフォローしなければならないはずだが、とても上手く出来ているとは思えない。

(危ないこと、してなきゃ良いけど)

 なのはは絶対に間違ったことはしていない。ただ、間違っていないからといって何時も正しいことではないのだ。それを知識ではなく、実感として知るには彼女はまだ幼い。姉として自分は、彼女を世の中の酷いことから守ってあげなければと思う。


「なあ、高町」

「えっ、なに?」


 そこで唐突に話しかけられ、思わずスカートに隠し持っていた飛針を取り出しかけ――すんでの所で自制する。危ない。身に付いた御神流の業はいつも彼女の身を守ってはくれるが、強くなればなるほど日常生活に支障を来たして行くような気がしないでもない。


「公園のベンチでいつも本を読んでいる女の子がいるとするだろ?」

「え、あ、うん」

「そこへ見知らぬ男が突然話しかけたら、その子はどう感じるだろう?」

「ナンパだと思うんじゃないかな」

「……手土産にシュークリームでも持って行ったら?」

「下心を疑う」

「…………その子の好きそうな本の話を始めたら?」

「ストーカーかと思って真剣に怯えると思う」

「いや、待て。その男は妙な男じゃない。むしろナイスガイだ」

「変態はみんなそう言う」

「……てめぇ……ぶっ殺すぞ」

「なんで!?」


 さっきから訳が分からない。いや、分かるような分からないような。その男と言うのは恐らく後藤祐一のことであろうから、これはもしかするともしかして、いわゆる恋の相談と言うものなのだろうか。それは人選ミスも甚だしい。生まれてこの方、恋人のいたことも無いような女に、そう言うのを期待しないで欲しい。
 美由希の人生経験では、両親や兄とその恋人と言う極めて特殊な事例か本の知識くらいしか答えようが無いのだ。


「あの、わたしじゃちょっと相談に乗れそうにないかな、はは」

「まあ、待てよ。同じ文学少女として知見を聞かせてくれよ」

「え? 後藤君の中で、わたしってそう言う位置付け?」


 文学少女って。読書好きなのは認めるが、そう言う呼ばれ方をすると物凄く恥ずかしい。というか地味っぽい。彼女をからかう事を趣味とする兄にでも訊かれたら声を上げて笑われるに違いない。自分は盆栽老人の癖に。いや、それはどうでも良いとして。


「とにかくだ、俺の話を聞いてくれよ」

「さっきは、放っておいてくれとか言ってたくせに」

「根に持つ奴だな。さすが眼鏡っ娘」

「眼鏡は関係ないでしょ!?」


 眼鏡っ娘とか日常生活で初めて聞いた。と言うか、この男は真剣に相談する気があるのだろうか。教室を見回すと、クラスメートがこちらを見て何かを囁きあっている様子が見えた。何かとてつもなく不本意な誤解をされている気がする。


「はあ。まあ、聞くだけ聞かせてくれる?」


 美由希が諦め口調でそう告げると、祐一は大げさなくらいの満面の笑みで答えた。


「ああ、聞いてくれよ。俺は女神を見つけたんだ!」






 暑い。
 春とは言っても昼下がりの日差しはきつい。時折吹き付ける風は心地良いのだけれど、涼やかと言うにはまだ遠い。わたしは読みかけの恋愛小説を閉じて溜息を吐いた。結界術式の応用でクール室のようなものを形成できると言う噂を聞いたことがある。わたしも是非使ってみたい。どういう術式を組めばいいか、わたしには想像すら出来ないから、恐らく使えるようにはなれないのだろうけど。

(あれから、もう一週間、か)

 白い魔導師――使い魔はなのはと呼んでいた――に”災厄の種”を奪われてから、一向に成果は上がらなかった。どうもわたしが駆けつける頃にはなのはかフェイトが封印を済ませてしまっているようで、わたしの出番がやって来ることはなかったのだ。当然の話として、回収を進めれば進めるほど”災厄の種”の発動に遭遇する確率は低くなっていく。更に言えば、なのはやフェイトは探索魔法か何かを使って回収効率を加速度的に向上させて言っているようなのだ。

(こ、このままじゃ、一つも手に入れられないなんてこともある、かも)

 幾らなんでもそれは悲しい。悲しいけれど、このまま座して待てばそれは充分にあり得る未来予想図ではあった。そもそも、前回の失敗の経験から考えると、封印術式の行使できないわたしが”災厄の種”を回収したとしても、誰かの願いを受けて再始動してしまえば意味はないのだ。そうなると、作戦は自ずと限られてくる。現状のプランは大まかに言って三つ。

 一つは封印専用デバイスを入手する方法。幾らわたしがへっぽこと言っても、魔力量はそれなりにあるため、封印専用デバイスを利用することで効率を犠牲に封印術式を行使することは可能だ。ただ、この方法は実現性が低い。特殊用途の専用デバイスはそれぞれそれなりに高価であり、持ち合わせのない今は資金面で心許ない。また、正規の販売店で購入しようとした場合には管理局が発行する魔導師登録票の提示を求められる為、違法魔導師のわたしではそれも不可能。更に、専用デバイスは多品種少量であるため原則的に受注生産なのだ。納期を待っていては”災厄の種”は回収されつくしてしまうだろう。

 もう一つは、封印術式を行使可能な協力者を見つけること。とは言っても、こんな管理外世界では魔導師自体が存在しない。必然的に協力者の候補はなのはかフェイトのどちらかと言うことになる。ただ、この方法も難しい気がする。なのはには何故か物凄く忌み嫌われているし、フェイトとも初対面で戦闘してしまって以来会えていない。条件的にはフェイトの方がましだとは思うけれど、いずれにしても絶望的なことには変わりないだろう。取り敢えずこの案は保留する。なのはやフェイトたちともう一度話をして、それから考えるとしよう。

 最後の一つは、”災厄の種”が回収されつくしたタイミングで一気に奪い取る方法。残念ながらこの方法にも難しい問題がある。回収者は少なくともなのはとフェイトの二組が存在する。加えて、このまま管理局が介入してこないと考えるのも少し楽観的だろう。そうなると、複数の勢力が直接的ないし間接的に協力関係となってしまう可能性がある。この場合、わたし一人で勝利するのはまず無理になる。


「う、うぅ」


 手詰まりかも知れない。いや、諦めるのはまだ早い。そうやって決め付けてしまうからいけないのだ。三つのプランが駄目なら組み合わせるとか、工夫のしようはあるはずだ。

(ええと、協力を申し出て隙を突いて殺して、デバイスを奪う?)

 良さそうにも思えたが却下。そもそも、協力を申し出て受け入れられるくらいなら、そのまま素直に協力して代わりに封印してもらう方が確実だ。幾ら高性能なインテリジェントデバイスを手に入れても、魔導師がへっぽこでは宝の持ち腐れになりかねない。


「……はあ」


 やはりこう言う仕事はわたしに向いていないのだ。今まではずっと、細かい仕事は他の誰かが全て済ませてくれた。わたしは与えられた舞台で、わたしにしか殺せない対象を殺す<<殺人蜂(キラービー)>>でしかなかった。高ランク魔導師専門の始末係がわたしに出来た唯一の仕事。理由も意味も相手の正体も知らず、ただ何となく日々を過ごしていただけ。
 そんなだから、何も出来ないわたしの情けなさに気がつくと愕然としてしまう。わたしは管理局の言う”正しい魔法”を正しいとは思えないけれど、少なくともわたしの魔法よりも素敵だとは思うのだ。

 鬱々とした気分に項垂れると、芝生の生い茂った地面にわたし以外の影が差した。わたしは驚愕して顔を上げると、いつの間にか見知らぬ少女の接近を許していたことに気がついた。緊張に喉が鳴る。自然さを装って胸元のペンダントに触れる。焦りの余りデバイスのセットアップ準備を始めた瞬間、少女は何故か大げさに両手のひらを振って弁解を始めた。


「ご、ごめんね。何時もの癖で。驚かせちゃったかな」

「え、あ、い、いつも、ですか」

「あ、あはは、あの、気にしないでくれると助かると言うか……」


 油断ならない。わたしは警戒に表情を引き締める。少女からは魔力は感じないが、魔導師を殺害する魔導師ではない暗殺者は確かに存在する。音もなく気配を殺して近づいた技量は明らかに素人の域を逸脱していた。それが、癖になるほどの習慣と化していると言うなら、どう考えてもまともな相手ではない。


「だ、誰ですか? な、何の、用、ですか?」

「あああ、ごめん。その、わたしは怪しいものじゃ――うう、怪しいのは自覚せざるを得ないけど、そうじゃなくて。ええと、わたしは高町美由希って言うんだけど――あれ? そう言えばあなた、日本語は分かるかな?」

「え、えと、今、明らかに日本語で会話していますけど」

「え? あ、そ、そっか。あはは」


 怪しい人だ。と言うより、何が言いたいのかさっぱり分からない。ただ、完全に仕掛け時を外してしまったことから、わたしを狙う暗殺者ではないのかも知れない。いや、敢えてそう思わせることで何らかの罠に填めようとしている可能性がある。では、それが具体的になんであるかは全く想像すら出来なかったが。


「そ、それで、何なんですか?」

「うっ……そんな警戒しなくても……いや、その、こ、こんにちは」

「え、こ、こんにち、は?」


 明らかに愛想笑いと分かる無理な表情で少女――美由希が当たり障りが無さ過ぎて却って当たり触る挨拶をしてきた。微妙に視線を逸らし、額には一条の汗が見て取れる。大きめな眼鏡越しに見える瞳は忙しなく辺りを彷徨っていた。

 わたしより2,3歳ほど年上だろうか。子供っぽさは少し残るものの、少女から女性への移り変わりに見える。眼鏡とうなじで髪を纏める大きな黄色いリボンが特徴的だ。表情のせいで分かり辛いが、可愛いより綺麗に属する顔立ちだと思う。野暮ったい眼鏡を外せばもっと素敵だと思うけれど。


「ええと、その、本、好きなの?」

「えっ? こ、これは暇つぶしです。が、学術的興味です」

「恋愛小説だよね、それ」

「……っ」


 わたしは頬が朱に染まるのを抑えられず、本を隠すように胸に抱きしめて俯いた。美由希は微笑ましげに笑っている気がする。屈辱的だ。普段は余り自覚することもないけれど、わたしはこれでも人生経験豊富なのだ。前世が何歳まで生きたかは覚えてはいないが、成人する手前くらいだったような気がする。だから、わたしはこの野暮ったい女の子より男性の心理には詳しいのだ。つまり大人の女だ。
 いわゆる普通の女の子に人気があると言う恋愛小説を買って読んでいたのは暇つぶしで学術的興味だと言うのは嘘じゃない。その証拠に、わたしにはこの本に書かれている主人公の少女の心理描写がさっぱり理解出来なかった。

(ええと、だから、その)

 そもそも、わたしは誰に何を言い訳しているのだろうか。


「わたしもその作者の本、好きだよ」

「えっ?」

「学術的な意味で」

「~~~~~~っ」


 この人は、怪しい上に意地悪だ。






(いや、女神って……)

 美由希は学園からの帰り道を歩きながら、内心で苦笑とともに呟いた。今時それはない。少なくとも彼女自身はそんなことを言われても全く嬉しくはないし、むしろ引いてしまいそうだ。実際引いた。勿論、本当に好きな相手から言われればまた違った感想もあるかもしれないが。恋は盲目と言うし。
 美由希はそこで無愛想な兄が彼女を女神呼ばわりしている絵を想像して、余りのあり得なさに噴出しそうになった。これは危ない。こんな人通りの多い往来で突然噴出す女は嫌過ぎる。

(……って、なんでわたしはそこで自然に恭ちゃんが出てくるのよ)

 いや、理由は分かっている。分かってはいるが、取り敢えず心に蓋をする。兄。彼女持ち。うん、ありえない。法律上、結婚は出来るけれど。

(いやいやいや、そうじゃない)

 傍から見ると酷く怪しいことをしていると自覚しつつ、彼女は大きく頭を振って深呼吸を繰り返した。

 そこで、ふと気がついて視線を固定する。そういえばこっちの方角だったはずだ。
 余り趣味が良くないとは思うものの、酷く興味がそそられる。何時も変とは言え、輪を掛けて変になってしまった友人に魔法を掛けてしまった女神とやらを見てみたい。駄目だ、興味本位は失礼だ。でも、少し眺めるくらいなら。それにほら、本好きの女の子と言うなら友達になれるかもしれないし。
 美由希は自分でも苦しいと思う言い訳を拠り所にして、決断しきる前の無意識で公園の方へ足を向けていた。

 海鳴臨海公園は美由希にとってもお気に入りの場所だ。彼女の自宅からも程近く、散歩や鍛錬のほか、たまの休みには芝生で読書をしたりもする。季節にもよるが、図書館に行くよりも静かで快適に過ごせる穴場なのだ。
 その芝生のベンチには先客が在った。白いブラウスに、錫色のロングフレアスカート。胸元には大きな黒いリボン。翡翠色の長い髪は肩口を通って背中までさらと落ちる。深窓の令嬢と言う形容が即座に脳裏に浮かび上がった。

 と、同時に確信する。友人の恋は実らない。と言うか、キャラが合わない。

(なるほど。女神……)

 大げさではあるが、何となく分からないでもなかった。愁いを帯びた眼差しに、時折漏れる切なげな溜息。柔らかく整った白いかんばせに、艶のある紅い唇。男の子が夢中になりそうな要素はふんだんに搭載されている。美由希としては、何か女の子のプライド的に気に触る部分もあったのだが。何と言おうか、媚びている気がする。同性には嫌われるタイプに違いないと断定。いや、断じてやっかみではない。これは冷静な分析だ。そう、御神の剣士としての。嘘だが。

 そんなことを考えつつ一人芝居を続けていると、いつの間にか少女が顔を上げて怯えた眼でこちらを見ていることに気がついた。どうやら何時もの癖で、音もなく近寄り過ぎてしまったらしい。美由希は慌てて弁解を始めるも、そもそも何か用があって近づいた訳ではない。まさか、観察しに来ましたとは言えるはずもなく、怪しい言い訳を繰り返してしまっていた。
 当然の如く、少女はさらに警戒を深め、最早不審者を見る目つきに変わり始めていた。まずい。流れを変えようと美由希は話題を本についてに摩り替える。これならば正真正銘彼女の土俵だ。少女の警戒も少しは和らぐに違いない。そんな思惑はあったものの、結果的にそれは劇的な効果を齎した。

(う、この子、確かに可愛いかも知れない)

 三年前の自分はこんなに可愛かっただろうかと思い起こしてみて、ここまで少女はしていなかった事を確認する。当時から可愛らしさや色気のようなものとは縁はなかったし、どちらかと言うと根暗だったような。御神流の修行のせいだとは言わないが、一般的な女の子の遊び方を知らなかった気がする。今でこそ身体的にも精神的にも余裕が出来たものの、あの当時は――そう言えば、あの当時の自分に御神の剣士の穏行を見破れただろうか。

(偶然、だよね?)

 からかわれて顔を真っ赤にして俯いている少女にそんなことが出来るようには思えない。とは言え、例えこの少女が見かけによらずそれなりの達人なのだとしても何か問題だろうか。

(いや、むしろ)

 それはそれで、いい友達になれそうな気がする。






「た、高町、お前っていいやつだったのか」


 実は隠れ腹黒女だと思っていてすみません。後藤祐一は脳内で懺悔すると、美由希が彼の女神に話し掛けている様子を眺めていた。勿論、双眼鏡を使って遠方から。だから何を話しているのかは分からなかったが、割と友好的な雰囲気だと言うことは見て取れた。

 いいぞ、最高だ。このまま美由希と友達となってくれれば、自然に彼と知り合う機会が訪れるのだ。女神は今、赤の他人から友達の友達にランクアップしようとしている。

 何だか分からないが今日の女神は何時もに輪を掛けて可愛い。物憂げで神秘的なだけではなく、笑うとあんなに素敵だとは。胸が高鳴って仕方がない。ああ、自分は間違いなく恋をしているのだと自覚する。


「ああ、マジで。君のためなら死ねる」


 喜びを抑えきれない緩んだ口元で、彼はそんな使い古された台詞を呟いたのだった。






「へ、変な人、でした」


 徹頭徹尾訳が分からないまま、小一時間ほど話し込んだあとに美由希は用事があるといって帰宅してしまった。わたしは今、スパイ活動を受けているのだろうか。いや、そんな事は無い、と思う。とは言え、彼女がわたしがそれを疑問に思わない程度のプロフェッショナルなのだとしたら既に術中に嵌まっているような気もしないではないが。

 わたしは押し付けられた携帯番号と彼女の実家だと言う喫茶店までの地図のメモを片手に放心していた。こう言うのはとても苦手だ。何を目的として動くべきかが分からないので、わたしはとても戸惑ってしまう。確かに、仲良く出来るなら、したい。友達になれるかもしれない期待はある。ただ、その一方で上手く行き過ぎている現状に心の深い場所がわたしに警報を発信するのだ。


「あ、明日、遊びに、ですか?」


 ケーキを奢ってくれるらしい。お土産には看板メニューのシュークリームを持たせてくれるそうだ。彼は確か甘いものも好きだったから、きっと喜んでくれる。いや、何を遊んでいるのかと叱責される可能性も高いけれど。本当に、これをどうしたものだろうか。こんなことをやっている場合ではないのだ。そんな事よりも早く”災厄の種”の回収方法を考えないと。


「で、でも、焦っても仕方ない、かな?」


 分かっている。わたしは行きたがっている。平静を装っても、踊りだしたいほどの喜びに満ち満ちている。だってこんなこと初めてだ。わたしが伸ばした腕は何時も刃で払われる。わたしは殺人マシーンではないのだから、わたしだって友達が欲しい。フェイトはどうして、わたしを信じてくれないのだろう。なのははどうしてあんなにわたしを睨んでいたのだろう。


「……っ、ひっく」


 わたしはどうして、泣いているのだろう。



[20063] Act.6
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/10 20:36
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Act.6 ウミナリ ラヴ ストオリィ(2)
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 身に纏ったシフォンワンピースは黒字に白のハートプリント。薄手の生地は涼しげでありながら、微かに肌が透けて見えて少しだけ大胆。何時もと違う大きな白いリボンで長い髪をアップ気味に纏めると、わたしは鏡の前で笑顔の練習をしてみた。勿論、格好を変えたからと言って上手く行くはずもなく、ガラスの向こうに映るのは陰鬱そうなわたしそのものでしかなかったのだけれど。
 わたしは特別な仕事の時以外は用のないドレッサーを開くと、透明色のリップグロスを唇に引いた。悪い意味で子供好きな男性を喜ばせるくらいしか使い道のなかったそれも、今日は少しは役に立ってくれそう。本物の戦場に出る女性魔導師は、お洒落をしている綺麗な人ほど生存率が高いと言う統計が出ている。尤も、代わりに命以外のものを失うことは多かったそうだけれど。

 わたしはベッドから薄紅色のショルダーポーチを拾い上げると、腕時計で時間を確認。まだ早いかも知れないけれど、時間を決めていた訳でもない。そもそも、今のわたしは喫茶店に出かけるには気合が入りすぎているような気がしないでもない。でも、友達になれるかも知れない人のところへ遊びに行く場合の格好なんてわたしは知らないのだ。


「し、失礼な格好じゃないはず、ですよね?」


 わたしは鏡の前でぐるりと一周してから、気合を入れるように頷いて部屋の扉を開け放った。


「あ……」


 玄関まで延びる廊下を仕切るガラス扉を開いて、彼がちょうどキッチンへ向かうところへ鉢合わせする。昼食はもう済ませたので、何か飲み物を捜しに来たのかも知れない。わたしは慌てて駆け寄って、彼に先んじてキッチンの扉を開けた。


「あ、あの、コーヒーでもい、淹れますか?」

「い、いや、水が飲みたくなっただけだ。それよりお前、何処に行くつもりなんだよ。あ、明らかに探索に行く格好じゃないだろ」

「え、その、あの、これは、えと、うぅ」


 結局わたしは彼に上手く事情を説明できず、何も言わずに出掛けようとしていたのだった。彼は何時もよりも激しく動揺するわたしを訝しげに眺めると、唐突に顔を真っ赤に染めて怒鳴り声を上げた。わたしが言うのもなんだけれど、彼は少し情緒が不安定だ。いつも何かを疑っていて、わたしですら何時か裏切ってしまうのだと決め付けている節がある。そんなはずがない。わたしにとってわたしの最優先は彼だ。


「お、男か?」

「えっ」

「で、デートなのかって聞いてるんだ! お前、あれ以来さっぱり”災厄の種”を見つけてこないと思ったら、お、男でも漁ってたのかよ!!」

「ち、違います」

「だから女は嫌なんだ! へ、平気で裏切る。何でもない顔で嘘をつく!」

「――あっ」


 肩口を強く押されて、わたしは半開きのキッチンの扉へ背中をぶつけた。衝撃は大したことはない。ただ、扉に張られた大きなガラス板にポーチの金具がぶつかって甲高い音が大きく響いた。わたしは慌てて身を起こすと、ガラスに傷がついていないことを確認する。幸いなことに特に問題はない。間違って割れでもしたら、修復魔法の使えないわたしでは直せない。かと言って、他人を部屋に入れることなど彼が認めるはずもないので、誰か業者の人間を呼ぶことも出来ないのだ。


「ど、ドアなんてどうでも良いだろ」


 ただ、一瞬とは言え彼から関心を逸らしたことが彼にとっては酷く気に入らなかったらしい。


「も、もういい。早く行けよ」

「え、で、でも」

「好きにしろよ。あ、新しいご主人様を見つけたんなら、何処へでも行ってしまえばいいんだ」

「ち、違います。わ、わたしには、あなただけです!」


 これは嘘ではない。これは恋でもなく愛でもないのかも知れないけれど、只の同情かも知れないけれど。ただの共依存で、それはストックホルム症候群やナイチンゲール症候群めいた感情なのかも知れないけれど。でも、それは断じて、嘘ではないのだ。


「そ、そう言うところが、嫌だって言っているんだ!」


 捨て台詞めいた言葉を残し、結局彼は水を飲まずに自室へ戻った。あれほど興奮した状態の彼にはわたしの言葉が届くことがないのを良く知っている。わたしはそれ以上は何かを訴えることを諦めて、ポーチの肩紐を握り締めたまま俯いてしまう。いつの間にか、先ほどまでの浮ついた気分が霧散してしまったことを自覚しつつも、わたしは結局玄関の方へ歩を進めた。やるべきことがあるうちは進むだけ。そうすることで、わたしは生きている。






 楽しいはずの昼休みは、あれ以来沈痛の儀式に姿を変えてしまった。空元気を振りかざすアリサが、実はすずかを直視しようとしないことになのはは気付いてしまっている。すずかはこれまでも物静かではあったが、今は殆ど自分から何かを話すことがなくなってしまった。なのは自身、もどかしさと苛立ちに心が落ち着くことがない。どうしてこんな事になってしまったのか。

 三人の誰もが原因じゃない。彼女達は何も間違ったことをしていないし、彼女達の行いを詳らかに語るならば、むしろ高潔と賞賛されて疑いはないほどだ。ただ、だからなんだと言うのか。間違ってはいないし、後悔すべきこともない。いや、正確に言うならば、何をどう後悔するべきかが分からないのだ。

(こんなのじゃ、駄目だよ)

 なのはは味のしないお弁当を突付きながら、緑髪の少女の姿を思い起こして奥歯をかみ締める。怒りが収まらない。全部あなたのせいだと叫んでしまいたい。だけど、そんなことをしたって意味がない。全てを誰かのせいにして泣き喚いているだけじゃ始まらない。なのははあの歪んだ少女とは違うのだ。分かり合えないなら、分かり合えるように向き合わなければならない。それでも分かり合えないなら、全力でぶつかり合うしかない。
 分かって欲しいと泣いても、分かってくれないと喚いても、自分から動かなければ変わるはずはないのだから。


「アリサちゃん、すずかちゃん」


 緊張に顔をこわばらせるアリサの様子も、泣きそうに唇をかむすずかの様子も、気付かない振りをしてなのはは続ける。


「わたしの、お話を聞いて」


 こんなことは間違っていると言うのなら、全力全開でぶつかり合うだけ。そうすれば分かり合える。そうしなければ分かり合えない。何故ならばそれが、本当の友達と言うことだ。


「だから、アリサちゃんとすずかちゃんのお話も聞かせて欲しい」


 言葉だけでは伝わらない? 何も変わらない? そんなはずはない。その諦めが言葉を無力に変えてしまうのだ。きっと伝わるはず。きっと変わるはず。そう信じることが、ただの言葉を魔法に変える。それがきっと”正しい魔法”。


「――まずは、魔法のお話からしようか」






 直ぐに喫茶店に向かう気分にはならず、わたしは結局公園のベンチで独り読みかけの本を何とはなしに眺めていた。内容は余り頭に入ってこない。正確に言うと、主人公の少女の心理描写に理解が追いつかない。この少女は明らかに親友の女の子のことより転校生の少年のことを好きになっている。それなのに親友の女の子と少年の恋を応援しようとしていた。そして最終的には主人公と少年は結ばれることになる。その過程は余りにも不条理で、わたしには主人公の少女はとても嫌な女で、少年は卑怯に思えた。
 恋はロジックではないと言うらしいが、ルールはあるはずだ。こういう物語なのだと思えば納得はするものの、帯についたコピーにはロマンチック的な煽り文句が謳われている。断じてロマンなどない。わたしには演技性人格障害の女が親友から男を寝取る話にしか見えなかったのだ。
 わたしと彼の関係は恋ではないにしても、わたしたちにはそれが歪んだものであることを自覚している。その歪みを自覚できなくなったときが恋だろうか。だとしたらわたしは、恋なんてしたいと思わない。

 昼日中の公園は余り人の気配がない。そう言えば、平日の昼間には大抵の人間は学校や仕事をしているのだった。わたしはこの世界のこの地域の社会習慣を知識の奥から引っ張り出して、もしかすると美由希はまだ学校かも知れないことに気がついた。そう言えば、昨日の彼女の格好は制服だった。普通は制服を着て外を歩くのは登下校の時に限定されるはずなので、もしかすると昨日の時間帯にならなければ彼女は帰宅してこないのかも知れない。

(あ、やっぱり早すぎた、かな)

 怪我の功名という言い方は腑に落ちないけれど、あのまま喜び勇んで喫茶店に出かけなくて良かったと思う。美由希の居ない時間帯に喫茶店などに行っても、口下手なわたしでは事情を上手く説明出来ないだろう。コーヒーの一杯くらいを注文して、居た堪れない気分で足早に帰ることになるのが落ちに違いない。そうすると、まだ二時間以上は暇を潰さなければならない。いつの間にか本は読み終わってしまったし、あとがきの怪文は読んでいて頭が痛くなったので読む気にはなれない。

 わたしはこんな時のために用意していた携帯ゲーム機をポーチから取り出した。わたしは割と多趣味なのだ。ゲームは少しだけ得意。その中でもシューティングは人より上手いという自負がある。一緒に遊んだことがないから、確かめる術はないけれど。この世界のゲームは技術的にはレトロだけれど、ゲームそのものの出来は物凄くいいので気に入っている。

(あ、このレーザー、面白い、かも)

 たまに新しい魔法の着想を得ることがある。例えばこのゲームで自機が入手したパルスレーザーは興味深い。わたしの”トイボックス”には魔力精製されたレーザー媒質が組み込まれているので、超短パルス高強度レーザーを射出することは可能だろう。上手く応用すればレーザー核融合魔法が実現できるかも知れない。質量兵器アレルギーの管理局では実現不可能な強力な攻撃魔法は幾つもある。ただ、これほどの欺瞞は恐らくない。例えば”アルカンシェル”はわたしの感覚からすると質量兵器に他ならない。重力崩壊を誘発させてシュバルツシルト時空を生成する――要するにブラックホールの生成魔法だ。これほどの質量兵器は存在するはずがない。”アルカンシェル”――即ち虹とは極めて小規模な超新星爆発の光を意味するのだと思う。とは言え、ミッドチルダの殆どの魔導師はそんな事は知らない。正確に言えば、考えようとしていない。ただ凄い魔法だと認識していて、質量兵器反対を唱えるのだ。

 わたしの【Dark Dragon】は”アルカンシェル”の術式を簡易化した超重力砲撃魔法。僅かに質量を持つ魔力が全て吸収されてしまうので、術者の魔力光に関係なく常に深い闇色に染まってしまう。理論上、あらゆる魔法防御を貫通するガード無視攻撃。全てを呑み込む闇の竜というのは少し気取った名前かも知れないけれど、やはり最強の必殺技くらいは外連味が欲しい。今のところ、ほぼ全開の状態から殆どの魔力と体力を持っていってしまうため、切り札にもなり得ない微妙な必殺技でしかないのだけれど。迂闊に練習も出来ないのが玉に瑕。
 そう言えば、この魔法が”災厄の種”に直撃した場合、何か良くない自体が発生する可能性があった気がする。そう考えると、やはり前回のわたしの選択は失敗だったように思う。幾らすずかの様子に慄いていたと言っても反省すること頻りだ。大体、あれは生物を攻撃する魔法ではない。元々は、次元航行艦を破壊することを目標にしていたものなのだ。

 気が逸れていたせいか、いつの間にかわたしの操作する機体は破壊され、ゲームオーバー画面が表示されていた。今日の戦績は過去最低クラス。暇潰しにもならない時間で終ってしまった。わたしはリトライを選択しようとして、気分が乗り切らずに電源を落とす。流石に熱い。折角の洋服を汗で汚さない為にも、わたしは海辺の方へ行くことに決めた。

 その直後だ。ベンチから立ち上がって海辺へ顔を向けると、同時に結界魔法が展開されたことに気がつく。幾ら鈍いとは言っても、目の前の結界くらいは認識出来る。


「”トイボックス”、セットアップ」


 わたしはバリアジャケットを展開して、結界に向けてバトンを構えた。わたしには結界破りなんて言う便利な魔法は使えないけれど、物理構造物であろうと魔法障壁であろうと、正面からぶち抜くだけなら大得意。バトンに循環させた魔力を周回加速。今回も手加減は抜き。


【Helical Driver, Scraper Shift】


 突貫。
 ぶち抜いた孔の中から金髪の髪が揺れるのを目視すると同時に、わたしは結界の内部に突入した。






「――これが、わたしが戦うと決めた理由。ごめんね、わたしは二人を巻き込みたくないって思って、でも、結局わたしのせいで巻き込んじゃったんだ」

「なのはちゃん……」


 良くないと思っていても、自虐の言葉は自然と漏れた。最初からきちんと話していれば、もう少し早く駆けつけていれば。そうしたら、もしかすると何とかなったはずと想像してしまう。それが都合の言い訳に過ぎないことは分かってはいるし、実際にそうしていればもっと酷いことになったかも知れないのだ。何より、なのは自体が魔法を甘く見ていたことは否定出来ない。魔法は凄い力だ。それを悪いことに使えば、どんな風になるかを想像しなかった訳じゃない。ただ、なのはには想像し切れなかったのだ。


「そんなの、なのはのせいじゃないわよ。あんな頭のおかしい女さえいなきゃ、どこの魔法少女だって笑えてたはずなんだから」


 そうだ。そんな風に軽い気持ちがなかったとは言えない。なのはは、どこか正体を隠さなければならない正義のヒロインを気取っていた自分がいたことを自覚せざるを得なかった。あれほど酷くて怖い人がいることを、なのはには信じることが出来なかったのだ。


「だけど、まだ終わってない。アリサちゃんとすずかちゃんを殺そうとしたあの怖い人は、まだ”ジュエルシード”を集めてると思う」


 アリサとすずかから聞いた話に、なのははショックで倒れそうになった。あの時彼女を逃がしてしまったことが悔やまれて仕方がない。ある程度は想像していたけれど、想像以上に怖ろしい話につい先ほどの決心が揺らぎそうにすらなった。
 だってそんなのは普通じゃない。幾らなんでもおかしい。”ジュエルシード”の封印が出来ないからといって、発動者と推定されるアリサとすずかのどちらかを本気で殺そうとするなんて。そもそも、あの巨大樹はアリサとすずかのどちらかが原因な訳ではない。踏み潰されそうになった若木の大きくなりたいと言う願いを”ジュエルシード”が叶えただけなのだから。

(それくらい、ちょっと考えれば分かるはずなのに)

 最初から誰かを傷付けてしまう方法しか考えないから、そんな簡単なことにも気付けない。最初から間違っているから、本当に大切なことが分からないのだ。


「……それで、その……結局どうしてあの人は気絶していたのかな」


 そこでなのはは核心に触れた。そう、結局分からなかったのはその部分なのだ。あの怖ろしい人が結果としてすずかを対象に選んだのはいい。何か凄い魔法に失敗して何とかすずかが無事だったことは、不思議には思うがほっとするだけだ。だが、どうしてあの人は倒れていたのだろう。アリサやすずかの話、それからユーノの説明を総合するとあの人の魔導師としての実力は相当なものに思える。だとすると、あんな巨大樹程度にやられたとも思えない。かと言って魔法の失敗が原因とも考えにくい。

(それに、あの時、すずかちゃんがアリサちゃんを……)

 脳裏に蘇りそうになった怖ろしい光景を頭を振って振り払うと、なのはは沈黙したままの二人に視線を向けた。


「……あたしが願ったから、だと、思う」


 アリサは彼女らしくない曖昧な口調で答えた。すずかはその様子を切なげな表情で見つめて、結局は何も言えずに俯く。小刻みに震える肩は何かに耐えるように、或いは何かを恐れているようにも見えた。


「願い、って?」


 そう言えば、あの時入手した”ジュエルシード”は二つ。一つは巨大樹から。そしてもう一つは――。


「あたしが、すずかを死なせたくないって。誰か助けて、って願ったから――」

「違う! わたしが、死にたくないって、考えたからだ!!」


 ――そう、確かすずかから手に入れたのだ。


「わたしが! 吸血鬼の化け物が! アリサちゃんを殺して助かろうとしたんだ!!」






 あの時最高の願いが何だったかと言えば、アリサの自己犠牲的な願いだったに違いない。しかし、最強の願いはと言えば、身も蓋もなく言ってすずかの死への恐怖以外の何者でも無かったのだ。それが悪であるかと言えばそんな事は無い。実際に死に瀕するほどの傷を負ってしまえば、死にたくないと強く願うのは当たり前の話なのだから。
 ”ジュエルシード”は美しい物語を彩る魔法の宝石ではない。願いの質や方向性などは関係なく、周辺の尤も高出力なそれに反応するだけの魔力装置でしかないのだ。結果として”ジュエルシード”はすずかと契約を交わし、一次的に彼女を不死の存在へ変質させた。人間を不死に変えるのは”ジュエルシード”にも不可能な奇跡ではあったが、吸血鬼を不死にすることは夜と満月があれば事足りる。夜の帳は既に落ちていたのだから、月の蒼い光さえエミュレートすれば全く容易な注文でしかない。

 かくしてすずかは強制的に吸血鬼としての素質を覚醒させられ、制御不能の力を持て余して正体をなくしてアリサを襲ってしまったのだ。アリサはあれを”ジュエルシード”へ願ったことの副作用的なものと考えているようだが、そうではない。あれがすずかの本質でしかないことは、すずか自身も自覚している。あからこそ、すずかは自分が許せなくなった。アリサが彼女を見る眼が僅かに怯えて見えるのも仕方が無い。こんな化け物が誰かと友達になること事態が間違っているのだ。アリサを殺して自分が生きようとしたのだから、すずかはあの怖ろしい魔法使いと自分の違いがほんの些細なことでしかないと理解してしまったのだ。


「そ、それはあたしが願ったから」

「違う! わたしは最初から化け物なの! 化け物なのを隠して友達の振りをしていただけ!! 笑っちゃうでしょ? 吸血鬼なんだよ、わたし。死にたくなくて、アリサちゃんの血を吸って自分だけ助かろうとしたんだよ!?」

「す、すずかちゃんっ!?」

「いつか運動が得意だって褒めてくれたよね? そんなの当たり前なんだ。だって化け物なんだから。化け物がずるをしてただけ、化け物の癖に人間の振りをして、化け物の癖に――」

「化け物なんかじゃない!!」

「――っ」


 最早狂乱の様相のすずかを、アリサは強引に抱きしめて黙らせた。同時に友達をここまで追い詰めてしまった自分が許せなくなった。そうではない。そうではないのだ。すずかは根本的に誤解している。


「化け物が、あたしを助けようとしてくれるわけが無いでしょ。あの時、あの女に立ち向かおうとしてくれたでしょ」

「え……」

「正体がばれることなんか考えもしないで、素手であんな太い枝を引きちぎって。それにね、すずか。大昔じゃあるまいし、”夜の一族”の秘密が誰にもばれていないって思ってた?」

「…………っ」


 息を呑むすずかにアリサはにっこりと笑いかけた。
 そうなのだ。そもそも”夜の一族”の秘密は最早秘密にもなりえていない。バニングス程度の力を持った家であれば、当然その程度の情報に触れる機会がある。その娘の友達が誰であるかなど全て把握しているのだから、アリサはすずかの秘密を伝えられている。その上で、そのことを理由に彼女を判断してはならないと強く教育されていたのだ。だからそんな事は、アリサにとって見れば今更でしかなかった。むしろ、互いに秘密を隠し続けなくても良くなったことは、今まで以上に素晴らしいことに違いない。


「だからそんなんじゃ、何も変わらないわよ。残念だったわね?」

「……で、でも……」

「でもじゃないでしょ。あたしに言える事は一つだけ。吸血鬼? だから何? 生意気だから、カチューシャを取ってからかってやったこと、もう忘れた?」


 信じられないものを見るすずかの眼差しに、アリサはしてやったりと口元を歪める。そもそもの発端はあの時から。想像していた吸血鬼がそれっぽくなかったのが気に入らなくて、酷く子供っぽい挑発をしてしまったのが彼女たちの始まりなのだ。だから、彼女が吸血鬼だったことなど何と言うこともない。と言うより、吸血鬼であることを知っていたからこそ、今こうして友達でいるのだ。


「……嘘だ」


 しかし、それでもすずかの暗い表情は晴れることが無かった。


「そんなの、何とでも言える」


 普段の彼女からは信じられないほど捻くれた口調で呟くのを聞いて、アリサは思わずひっぱたいてやろうかと考えた。何だろうかこの分からず屋ないき物は。吸血鬼でした。知ってました。はい、終わり。簡単なことのはずだ。勿論、そんな簡単なだけのことでない事は、アリサ自身分かってはいたのだが。

 アリサはどうしたものかと頭を悩ませて、先ほどから黙り込んだままのなのはへ視線を移した。そう言えば、彼女はこのことを知らなかっただろう。とは言え、なのはに限ってはこの程度のことで心配する必要があるわけが無い。案の定、なのはに浮かんでいた表情は恐怖でも忌避でも驚愕でもなく、苦笑交じりの優しい笑顔だったのだから。


「ねえ、すずかちゃん」

「……」

「わたしも普通の人が使えない力、使えるよ? すずかちゃんにはわたしが化け物に見える?」


 そう、それだけの事だ。


「すずかちゃんが吸血鬼なら、わたしは魔女だ。どっちも化け物だよ?」


 その極端な例えに、アリサは思わず軽く噴出した。だが、確かにそうなのだ。この二人の友人は、世が世なら異端者として狩り立てられていたに違いない。欧州では吸血鬼も魔女も変わりが無い。化け物だと言うなら、等しく化け物だ。


「だけど……アリサちゃんは」

「何よ? まだ何かあるの? 残念だけど、あたしはあんたのことなんか怖がってやらないわよ?」

「そんなの嘘だ。だってアリサちゃんは、ずっとわたしのことを怯えて見てたじゃない」

「えっ? あ、そう、か」


 その指摘に、アリサは思わず声を上げて空を振り仰いだ。なるほど、そう言うことなのか。やはり、追い詰めていたのはアリサで間違いはなかったのだ。アリサは何とも遣り切れないような表情で、ぽん、とすずかの頭に手を置いた。びくり、と身を竦ませるすずかを安心させるように、ゆっくりと優しく撫で付ける。


「だって、”夜の一族”の掟で、秘密がばれちゃうと記憶を消されるんでしょ? そんなのを聞いちゃったら、怖くなるじゃない。いつ言い出されるかって。あたしは、すずかのことを忘れるなんて絶対嫌よ」

「そ、そうか、それはわたしも怖い、かな?」


 なのはもその点だけが不可解だったのか、得心が言った顔で頷いた。当たり前だ。友達の記憶を消されるなんて、そんなに怖いことは無い。


「わ、わたし……で、でも、わたしはアリサちゃんを……」

「あれはあたしも合意の上。いいからあたしの血でも吸いなさいって、言ったでしょ」

「う、嘘。わたし、覚えてる。アリサちゃんはやめてって言ってたのに」


 曖昧ではあったが、アリサの懇願を無視して血を吸い続けたことは覚えている。だからその優しい嘘では、すずかを騙すことは出来ないのだ。にも拘らず、アリサはきょとんとした表情になって平然と告げた。


「そりゃ、あんた。あんなに泣きながら吸われちゃ、もういいからって止めるわよ」

「――っ」


 すずかの瞳から、今度は絶望以外の理由で涙が零れ落ちる。どうしてこの子は、こんなにも優しいんだろう。どうしてこんなにも高潔なんだろう。すずかは自分が勝手に想像で決め付けたよりも、アリサはずっと強いのだと言うことを漸く理解したのだ。


「そんな……そんな、ことって」


 だからこそすずかは暴走してしまった自分が嫌になった。例えアリサやなのはが本当に自分を恐れていないのだとしても、それに甘えるだけではいつか二人を傷付けてしまう。


「わたし、わたし、どうすれば……」

「にゃはは、そんなの簡単だよ」

「え?」

「ごめんねって謝ればいいんだ。どうすればいいかは、みんなで考えよう?」

「そうね、そのほうが建設的でしょ?」


 本当に大切なことは何時も単純で、時には馬鹿げてすらいる。


「だって、それが友達ってことだよ?」


 多分、とても簡単なことなのだ。


「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、アリサちゃん。ごめんなさい、なのはちゃん。それから――ありがとう」


 ”正しい魔法”は、きっとある。



[20063] Act.7
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/12 01:07
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Act.7 ウミナリ ラヴ ストオリィ(3)
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 ”正しい魔法”ほど無力なものは無い。

 目的のためにあらゆる方法を模索した。その結果明らかになったことと言えば、まともな方法では彼女の求める解を得ることが出来ないと言うことだけだった。魔法は既に腐敗している。あらゆる可能性を秘めた奇跡の法は、人間の都合や倫理に合わせて矮小化され、科学と言う現実の中に閉じ込められてしまった。それは最早魔法とは呼べない。魔力と言う新たなエネルギーを媒介とした特殊条件における科学的現象でしかないのだ。
 管理局は魔法を”正しい魔法”と”間違った魔法”に区分けして、都合の良いように管理している。だが、より正確に言うなれば”正しい魔法”とは管理局に都合の良い、理解しやすい魔法に他ならないのだ。

 本当の奇跡は確かにある。例えばそれは失われた都アルハザードに。或いはロストロギアにその残滓を見ることは出来るだろう。人間のロジックでは理解不可能な現象を引き起こす、奇跡そのものの具現。管理局はその存在自体を認めてはいるものの、奇跡の存在を認めない。御伽噺だとすら嘯いて一笑に付するのだ。全くもって度し難い。

 奇跡には後一歩だ。彼女は”間違った魔法”を追求した結果、彼女の期待する奇跡の片鱗を見つけ出すことが出来たのだ。それは雲を掴むような曖昧な希望でしかなかったが、本当の奇跡に手が届こうと言うのだから、これでも充分と言って過言は無い。こんなはずじゃない、を、かくあるべし、に摩り替えてしまう至高の魔法は確かにあった。

 だと言うのに、その一歩への布石が遅々として集まらない。時間はもう残されていないと言うのに、


「それで? あなたはそんな言い訳をするためにわざわざ戻ってきたのかしら?」

「ご、ごめんなさい、母さん」


 暗い表情で俯くフェイトの姿に、プレシアの苛立ちが益々募った。アリシアはそんな眼をしなかった。アリシアと同じ顔で、アリシアと同じ声で、どうしてこの人形はもう少し上手く演じることさえ出来ないのだろうか。プレシアにとって見れば、それは己の最も大切なものを毎日のように侮辱され続ける苦痛にも等しい。
 吐き気を催す嫌悪感に耐え切れず、プレシアはフェイトを鞭で打ち据えていた。


「……うっ」

「他に魔導師が二組? それが一体なんだと言うのかしら? あなたがそんな詰まらない話をしに戻るのに、どれだけ無駄な時間が過ぎていると思うの?」

「ごめん、なさい」


 むしろ、他の魔導師たちに出し抜かれる前に早急に”ジュエルシード”の探索を進めるべきではないか。元よりこれは時間との勝負。管理局が介入してきた時点でゲームオーバーなのだ。それ以外の邪魔が入ったことは確かに由々しき問題ではある。だが、そのために貴重な時間を浪費するなど本末転倒も甚だしい。


「フェイト、あなたはどうして母さんの言うことが聞けないの?」

「そんな……こと……あり、ません」

「私は”ジュエルシード”を必要なだけ集めるまで戻って来なくていいとお願いしたでしょう? なのにたったこれだけで戻ってくるなんて。余り母さんを失望させないで」

「……っ、ぅあ」


 疲れの取れない眠りから覚めて、それでもアリシアの顔を見れば今日もやっていけそうに思えた。それなのに、フェイトの顔などを見てしまっては、折角の気分の良い一日が台無しではないか。


「最低でも14個よ。今度はきっとそれだけ集めて戻るって、母さんと約束できるかしら?」

「……はっ、は……い」

「そう、良い子ね、フェイト。愛しているわ」


 口にするのもおぞましい言葉を告げて、プレシアは抑え切れなかった苛立ちを鞭を振るう力へ変えた。






「少しやり方を変えてみようと思う」


 プレシアの言うように、これ以上貴重な時間を浪費するわけには行かないのだ。探索効率は日々着実に向上して行っているとは言え、それ以上に白いバリアジャケットの魔導師――高町なのはと名乗っていた――の成長速度が著しい。最初はそれ程脅威にはなり得ないと判断していたにも拘らず、今では”ジュエルシード”を先んじて奪われることも多くなってしまっている。この調子ではプレシアの目標である14個には遠く及ばない数しか集めきれないであろうことは想像に易い。いずれは直接対決する必要が出てくる可能性は高い。
 また、それ以上に不気味なのがフェイトたちを軽くあしらって見せた山吹色のバリアジャケットの魔導師だ。一度だけ遭遇して以来、一度も会う機会はなかったが、”ジュエルシード”の探索を殆ど行っていないように思える点が不可解だ。必ず彼女たちが封印した後から現れ、何かを探っている様子から考えると、あの少女の目的は何か別の部分にある可能性がある。勝手に誤解をしていたが、”災厄の種”と言うのは”ジュエルシード”の別名ではないのかも知れない。


「フェ、フェイト。もう休みなよ。あれからずっと働き通しじゃないか」

「うん。でも、もっと”ジュエルシード”を集めなくちゃ。母さんが待ってるんだ」

「あんな鬼婆の言うことなんかまともに聞く必要ないよ! フェイトはこんなに頑張ってるのに、褒めるどころかあんな風にフェイトに酷いことをして! 人手も時間も足りないのに、出来ないことをやれなんて無茶苦茶だ!!」

「それは私の努力が足りなかったから――」

「フェイトは充分やってる! 努力したって出来ないことだってあるんだ!!」


 アルフにしてみれば、プレシアのフェイトに対する仕打ちは理不尽でしかない。出来もしないことを要求して、普通以上の成果を出して見せるフェイトをまだ足りないと言って酷く攻め立てる。母親のすることじゃないのは間違いなく、それを差し引いてみてもまるで道理が合わない。そもそも、最大効率を求めるならば、フェイトよりも圧倒的に優れた魔導師であるプレシア自身が探索を主導すればいい話のはずだ。


「まだ足りないよ。私にまだ甘えがあるから母さんだってあんな風に叱るんだ」

「そんなことある筈がない! あいつはただフェイトに八つ当たりしてるだけだ!!」


 あれが愛の鞭であるはずも無く、愛情の裏返しですらない。思い通りにならない現実に苛立って、素直なフェイトを都合よく嬲っているだけだ。頭のいいフェイトがそんなことに気がつかない訳が無い。それなのに、フェイトはそれに気がつかない振りをして、アルフには到底理解できない理由をつけてプレシアを庇うのだ。


「母さんは疲れているだけだよ。私はただ、苦しんでいる母さんを助けてあげたいんだ」

「そんなの、フェイト自身だって信じていないくせに!!」

「そんなこと、ない」


 言葉とは裏腹に、微妙に逸らされた視線が全てを物語っている。もう何度こんなやり取りをしただろう。本当は分かっているくせに、気がついているくせに。それでもフェイトは何も答えず唇を引き絞ると、アルフの訴えかける眼差しを無視してわざとらしく話題を逸らした。


「今までのやり方じゃ間に合わないと思うんだ」

「フェイト……」

「だから、これからは受身じゃなくて攻めて行きたいと思う」


 もうこれ以上は無意味と悟り、アルフは項垂れて押し黙った。せめて出来る限りフェイトの手助けをしようと、彼女の説明する作戦の理解に傾注する。
 作戦は単純にして危険極まりないものだった。これまでは不活性状態の”ジュエルシード”は探索魔法で偶然に発見するに任せ、主として発動直前ないし直後の”ジュエルシード”の発する魔力振を感知して現場に急行する方針だった。これは、不活性状態の”ジュエルシード”は極めて微弱な魔力しか発振せず、事実上感知することが不可能であると言う事情に起因する。逆に言えば、活性状態になってしまえば容易に探り当てることが出来るのだ。ならばそれを利用しない手は無い。感知は出来なくとも、活性化を促す術はあるのだ。方法は単純。既に所持している”ジュエルシード”の波動を増幅して広域に撃ち放つことで不活性状態の”ジュエルシード”を強制的に活性化させられるはずだ。


「そんなことをしたら、他の魔導師にも見つかっちゃうじゃないか」

「うん、それは承知の上だよ。これは私たちだけが一方的に有利になる方法じゃない。あくまで、時間を短縮するのが目的なんだ」

「そんなの無茶苦茶じゃないか。あの白い子の方はまだしも、もう一人のあいつとぶつかるのは無謀だよ」

「……それも何とかなる、かも」

「? どう言うことだい?」

「もしかしたらあの人が探しているのは”ジュエルシード”じゃないのかも知れない」


 あの時あの人は自分は敵じゃないと言った。もしそれが本当であったなら。そして、彼女の目的が”ジュエルシード”でないのなら。管理局でないと言うのが本当ならば、戦いを避けることは可能かも知れないのだ。勿論、その確信に至るには根拠は乏しすぎたのだが。


「何でそんなことが言えるのさ?」

「あの人は何時も、私たちが封印を終えた後にやって来て何かを探していた。あの人が探していると言っていた”災厄の種”って、もしかすると”ジュエルシード”とは別のものなんじゃないかな」

「単に間に合わなかっただけかも知れないじゃないか」

「それはないよ。あれだけの魔法技術を持った人が何度も私に遅れをとるはずがない」

「それは、まあ、そうだね」


 一戦を交えただけだが、あの魔導師の少女の実力は良いようにあしらわれたフェイト自身がよく分かっている。あれほど精緻で芸術的とさえ言える繊細な魔法制御は、大魔導師と謳われたプレシアと比べても何ら遜色のあるものではなかった。あの人が本気になれば今頃全ての”ジュエルシード”は独占されてしまっていたかも知れない。


「でも、あたしはあいつに関わるのは反対だ」

「アルフ……」

「前にも言ったけど、あいつからは酷く嫌な匂いがしたんだ。プレシアと同じ匂いがさ」


 絶対にフェイトとは相容れないと確信する理由には充分だ。少なくともアルフにとっては。今のところ特に何をされたわけでもなく、そこまで警戒する必要はないと理性では分かる。ただ、使い魔としての本能の部分が主であるフェイトにとって良くないものであることを訴えているのだ。
 ただ、フェイトから見るとそれはプレシアのことを嫌う余りに視野狭窄に陥っているようにしか見えなかった。そもそも、あの少女とプレシアは似ても似つかないし、匂いといわれてもよく分からない。アルフそんな納得の行かない様子のフェイトに、言うべきかを迷っていた言葉をついに告げた。


「酷い血の匂いがしたんだよ、あいつから」


 しかも、プレシアよりもあの少女の方がずっと血生臭かった。戦いに身をおく魔導師であれば、傷付くことも傷付けられることも珍しいことではない。ただ、それを差し引いてもあの少女から漂う血の香りは尋常なものではなかった気がする。それでいてこちらの油断を誘おうとでも言うのか、わざとらしく臆病な少女を気取る様が酷く不気味だったのだ。あれは弱者に擬態する凶暴な捕食者に違いない。素直で優しいフェイトでは簡単に騙されてしまいかねない。

 しかし、その言葉がフェイトに届くことはなかった。プレシアを引き合いに出したことが失敗だったのだ。フェイトには結局、アルフがプレシアを嫌う余りに根拠の乏しい中傷をしているようにしか聞こえない。フェイトは困ったように眉根を寄せると、喉までせり上がった反論の言葉を飲み込んだ。プレシアから血の匂いなんてするはずがない。だから、アルフが言っていることは出鱈目でしかない。けれど、それもフェイトを思っての言葉であることは知っていた為に、フェイトにはそれを責めることは出来なかったのだ。


「……とにかく、まずはこの辺りに絞って魔力波動を照射してみよう」

「…………うん、分かったよ」


 がくりと肩を落とすアルフを一瞥して、フェイトは”バルディッシュ”へ命令を告げる。


「いくよ、”バルディッシュ”」

【Wide-range Irradiation.】

【get set.】

「照射」


 ”バルディッシュ”をアンテナとして回収済みの”ジュエルシード”から抽出した固有呪力振動を一様球状に射出する。これによって、範囲内にある不活性状態の”ジュエルシード”を強制的に活性化させる。反応は一瞬。そのタイミングを逃せば周囲の願いを取り込んで暴走してしまう恐れがある。フェイトは全方位に意識を集中させて、発動のタイミングを待ち構えた。

 反応があったのはその直後だ。


「見つけた! アルフ!」

「はいよ!」


 距離はそう遠くない。幸いにして飛行魔法で数秒の距離。フェイトは持ち前の高速機動で先行したアルフを追い抜くと、まずは周囲に影響が出ないように”ジュエルシード”を中心に結界を形成する。間の悪いことに近辺に集まっていた十数人の人間を巻き込んでしまったが、今はスピードが優先とそれを無視する。とにかく早く活性化を押さえ込まなくては。
 フェイトは追いついてきたアルフが周辺の警戒に就いたのを確認すると同時に、”バルディッシュ”を構えて膨れ上がる魔力の光の中へ突入する。


【Sealing form, setup.】


 魔力は充分。タイミングは完璧。周囲への影響は皆無。行ける――フェイトがそう確信した刹那。


【Helical Driver, Scraper Shift】

「えっ? きゃあああああああああああああああああああっ」


 突貫。
 結界を紙のように貫いた白に近いペイルブルーの砲撃魔法は活性化状態の”ジュエルシード”を吹き飛ばし、有り余る威力でフェイトを公園樹の幹へ叩きつけた。同時に展開していた結界が霧散する。


「フェイト!!」

「……っ、ぁ……かはっ」


 駆けつけるアルフに返事をしようとして失敗する。苦痛に息が詰まって声が上手く出ない。砲撃は一応は非殺傷設定であったものの、叩きつけられたときの物理的衝撃が緩和し切れなかった。完全に油断したタイミングのせいで、咄嗟に防御魔法を構築することが出来なかったのだ。更に運の悪いことに、スピードを重視する余りにバリアジャケットに回す魔力を抑えすぎていた。悪い条件が重なりすぎて、フェイトは砲撃の一発で戦闘不能に陥ってしまったのだ。勿論、状態は一時的なもので暫く休めば回復は充分に可能だ。だが、その隙を敵が見逃す訳がない。

 いや、そんなことよりも活性化状態の”ジュエルシード”はどうなったのか。あれを何とかしない限りは、戦闘などをしている暇はない。


「あ、アル、フ……”ジュエルシード”、は?」

「! ま、まずいよ、フェイト。鳥か何かに取り込まれて――!!」

「そ、そんな」


 次元震に至るような最悪の事態にはならなかったとは言え、この状態で”ジュエルシードモンスター”が暴走してしまっては、巻き込まれた十数人の人間の命が危なくなる。気を抜けば意識が飛びそうになる。視界が霞む。呼吸はまだ安定しない。どうすればいい。回復まではほんの数分で充分だというのに。アルフに時間を稼いでもらう? 確かにそれくらいしか方策はない。ただ、十数人の人間を守りながらアルフ一人で戦うのは無謀に過ぎる。それに、アルフはどうしてもフェイトを気にして戦ってしまうだろう。そんなことをすれば、ただでさえ低い勝率が更に絶望的になってしまう。


「くっ、やっぱり鳥に食われたんだ! 例によって巨大化して暴れ始めてる」

「あ、アルフ……わ、私のことはいい、から……あ、あの人たちを守って、あげて」

「駄目だよ! 動けないフェイトを残していけるもんか」

「あ、アル、フ――」


 アルフを責める事はできない。使い魔にとって主人の身の安全が最優先だ。幾ら主人の命令とは言え、主人を危険に晒すような行動は根本的に出来ないのだ。例え無関係の人間が犠牲になったとしても、それで優しいフェイトが酷く傷付き悲しむであろうことを知っていたとしても。
 暴走した巨大な鳥は豆か何かのように人間を啄ばもうとしている。


「だ、駄目――やめ――」


 フェイトが目前に迫った悲劇に耐え切れず眼を伏せようとした、その瞬間。



【Helical Driver】


 螺旋軌道を描く変則的な砲撃の光が巨大鳥の胸元を掠めて虚空へ突き抜けた。






 わたしが結界内部に突入すると同時に、何故か結界は崩壊して消え失せた。流石にこの規模の結界が一撃で破壊されることはありえない為、わたしは不審に首を小さく傾げる。【Helical Driver】は貫通力に特化した砲撃魔法だ。通常の砲撃魔法と比較して対象をぶち抜く力には優れているものの、威力が一点に集中するせいで全体を破壊するには酷く不向きなのだ。以前の巨大樹の場合がいい例だ。あの時、わたしの魔法は確かに巨大樹の幹を貫いたものの、全体にダメージを与えることは出来なかった。
 この結界の規模はあの巨大樹にも勝る。強度もそれなりのものであったので、この結果は甚だ不可解なのだ。

(まあ、わたしには、結界のことはよく分からない、けど)

 とは言え、わたし自身が結界については素人もいいところだ。本当に基礎の基礎しか分からないので、何か特別な条件で結界が崩壊することはあるのかも知れない。恐らく、その条件が何かが分かれば結界破りの術式が組めるのだろう。それは確かに興味深くはあったけれど、今は取り敢えず目の前の事態に集中することにする。


「え、えと、どう、しましょう?」


 とは言え、勢いで突入してきたものの、結局今後の方針は定まってはいないのだ。わたしに封印術式の行使が出来ない以上は、こうして折角”災厄の種”の暴走に居合わせたとしても打つべき手は殆ど無い。今この状況を打破し、”災厄の種”を入手することは容易だろう。ただ、問題はその次だ。以前のようなことになってしまえばまた振り出しに戻ってしまうのだから、もう少し慎重に行動しなければならない。

 活性化した”災厄の種”は餌を啄ばみに来たらしい鳥に寄生したようだ。巨大樹の場合と同様に、鳥は元の姿とは似ても似つかないようなグロテスクな姿へと変質し巨大化している。サイズとしてはそれ程でもない。巨大鳥は上空を高速で旋回している為にどうにも距離感が掴み辛いが、恐らく5メートルにも届かない程度だろう。それでも、人間を一呑みするには充分ではあったが。問題はその速度。空中をあれ程の素早さで飛び続けられると攻撃を直撃させるのは酷く難しい。不可能とまでは言わないにしても、何か動きを止める方法を考えなくては難しいかも知れない。

 わたしが思考の海に沈んでいる間に、巨大鳥はいつの間にか旋回を止め、地上に向かって急降下を始めていた。


「は、速い……けどっ」


 直線移動ならば格好の的だ。わたしは”トイボックス”を構えると魔力をバトンに周回加速させる。使用する魔法は最高精度を誇る必殺の一撃。今回は威力よりも攻撃範囲を重視。螺旋のリード角を狭めて径を拡大する。
 巨大鳥が地上へ到達するその一瞬を狙って、蓄積した魔力を解放。


【Helical Driver】


 砲撃は狙い過たず巨大鳥の体の中心へ直撃――することはなく、直前で身を翻した巨大鳥の胸元を掠めて虚しく空へ突き抜けた。


「え、あ、そんなっ」


 想定していたよりも遥かに機敏に飛び回れるようだ。あのタイミングで方向転換を出来るとなると、通常の方法では魔法を直撃させることが出来ないかも知れない。勿論、方法を問わなければ幾つか解決策はある。そもそも避けようのない速度で攻撃するか、或いは広域殲滅魔法で問答無用に蹂躙するかだ。しかし、前者については実のところ論外な選択肢だ。わたしの使える魔法の中で最速なのは、同時に最強でもある闇の竜の魔法。前回にあれ程の失敗をしておいて同じような過ちを繰り返す気にはなれなかったので、もう少し上手く制御が出来るようになるまで出来れば封印しておきたい。かと言って広域殲滅魔法の使用も躊躇われる。見ればそれなりに人間が巻き込まれているようだし、どこか近くにフェイトもいる筈なのだ。幾らなんでも無意味に大量虐殺をするのは趣味ではない。まだそこまでは追い詰められていないはずだ。

 そこで、わたしはふと気がついて周囲を見回した。そう言えば、フェイトは一体何処にいるのだろう。もしかするとフェイトなら動きを止めるか、もしくはあの巨大鳥に当てることの出来る何らかの攻撃魔法を持っているかも知れない。もしそうならその方が効率的だし、それを口実に何とか上手く協力関係を築ける可能性がある。その場合、封印も出来ないわたしはどんな貢献が出来るかを考えないといけないのだけれど。


「か、代わりに倒して下さい、封印もして下さいじゃ、わ、わたしと協力する意味なんてないかも」


 わたしに出来ることは何か、と考えれば攻撃魔法のバリエーションくらいしか思いつかない。そうなると、わたしの魔法とフェイトの魔法を組み合わせることで事態が収集するような都合のよい展開を期待するしかない。幾らなんでもそんなに上手く行く筈がないとは思う。本当にわたしは使えない。とは言え、それ以上の良案は思いつかなかった。

(…………あっ)

 わたしは結論の定まらないまま周辺の捜索を続け、公園樹の根元に蹲るフェイトの姿を発見する。その前にはアルフが庇うように立ちはだかり、険しい目つきでわたしを睨めつけていた。わたしは一瞬それに身を竦ませ、悲鳴を上げそうになるのを何とか押さえ込む。どうしてアルフはこれほどわたしに敵対的なのだろう。わたしは胸に手を当てて大きく深呼吸してから、平静を装ってその場へ駆けつけた。


「あ、あの」

「フェイトには指一本触れさせない」

「えっ? ふぇ、フェイトに危害を加えるつもりはありません」

「白々しい! あんたの砲撃でフェイトはこんな事になってるんじゃないか!!」

「え、え? あ、その、あれ?」


 訳が分からない。わたしはフェイトを攻撃なんかしていない。そもそも、わたしが使った砲撃魔法は結界を貫通した時と巨大鳥を狙い撃った時の二度だけだ。


「そ、そんな、わたしじゃないです! 誤解です!」

「だからその演技は止めろって言ってるんだ! 苛々して仕方ない!!」

「え、演技って、何ですか。わ、訳が、分かりません」


 以前の初遭遇時といい、アルフの言うことは訳が分からないことばかりだ。わたしは何もしていないのに攻撃を仕掛けてきて、勝手に敵だと決め付けて。白々しいとか、演技だとか。まるでわたしが何かを隠してフェイトたちを騙そうとして近づいているみたいに。そんな事はないのに。確かにわたしが口下手なことは認めるにしても、アルフだってきちんとわたしと話をしてくれないじゃないか。


「あんたの狙いが何かは知らないけど、フェイトに手を出すつもりなら容赦しない!」

「ね、狙いなんてありません。わ、わたしは、フェイトと仲良くしたいって、それだけで」

「仲良くだって? はっ、あんたはフェイトを良いように利用したいだけじゃないのかい!?」

「ひ、ひどいことを言わないで下さい! ど、どうして、そ、そうなるんですか」


 この子はどこかおかしい。わたしはそんな無意味に悪を振りかざす酷い人じゃない。敵対する理由もないのに、誰かを傷つけたり騙したりするはずがない。最初からフェイトとわたしは敵対なんかしていないのだから、そんな風に疑うのは被害妄想が過ぎる。
 どうしてこんな簡単なことが分かってくれないんだろう。そんな風に決め付けてしまわないで話を聞いてくれれば、そんなのはありえない誤解だと直ぐに分かるはずなのに。


「わ、わたしは――」

「まだそんな――」

「……アルフ」

「フェイト?」

「ありがとう。もう、大丈夫だから」


 わたしが更に言い募ろうとした時、漸く回復したらしいフェイトが立ち上がると、険しい眼差しで空を見据えた。釣られてその方向へ視線を向けると、相変らず上空を旋回し続ける巨大鳥の姿が眼に入った。何時までも降りてこようとしないのは先ほどの砲撃を警戒してのことだろうか。


「――っ」


 そこまで想到した瞬間、巨大鳥は一際大きく旋回すると雷鳴のような叫び声を上げて再び地上へ向けて降下を始めた。わたしは虚を突かれたせいで反応が遅れ、魔法行使のタイミングを逸してしまう。同じことを二度続ける意味は薄い。とは言え、先ほども紙一重ではあったのだから、無意味と言うほどでもない筈だ。わたしはその千載一遇の機会を失ってしまったのだ。
 わたしが次の手を考えようとフェイトへ視線を戻すと同時に、フェイトの構えたデバイスから強烈な雷光が吐き出された。


「撃ち抜け、轟雷!」

【Thunder smasher!】


 雷光は空を上り、巨大鳥目掛けて直進する。巨大鳥は再びの事態に怒り狂ったように鳴き声を上げると、物理法則を無視したような直角の軌道を描いて迫り来る魔法を軽くかわして見せた。今度は掠りもしない。わたしはその様子に不謹慎にも笑みが零れる事を止められなかった。何故なら、フェイトの魔法制御力はわたしと比べてもかなり劣っていることを確信したからだ。これなら、余程特別な魔法をもっていない限りはフェイトではあの巨大鳥に攻撃を当てられないに違いない。それに、もしそんな便利な魔法を持っているなら、迷わずその魔法を選択したはず。つまり、そんな魔法は存在しないか、何らかの制約で使えない可能性が高い。だとすれば、わたしにも役に立てることが絶対にある。


「……っ、あんた、何がそんなにおかしいんだい!?」

「え、あ、その、違っ」


 何を勘違いしたのか、憎々しげな表情で噛み付いてくるアルフにわたしは上手く言葉に成らない言い訳を返す。どうしてこうなのだろう。その様子に、アルフが侮蔑するように鼻を鳴らしたのが分かった。


「やっぱり何かたくらんでるんじゃないか。さっきからわざとらし過ぎて却って嫌味だよ」

「な、何もたくらんでなんか――」

「二人とも、今はそんな場合じゃない」

「フェイト? でも……」

「え、あ、二人って、わたしもですか?」


 フェイトが小さく漏らした言葉にアルフは戸惑いに眉を潜め、わたしは喜びに上擦った声を上げた。


「話は後にしよう。今はあの鳥を何とかしないと。えと、クロエ……さん?」

「は、はい。はい!」

「あ、あの……」

「あ、え、いえ、す、すみません」


 名前を初めて呼ばれ、踊りださんばかりに大げさな返事を返したわたしに、フェイトは驚いて身を引いてしまった。わたしは恥ずかしくなって頬を朱に染める。その様子にアルフは嘲る様に小さく吐いた。どうして、アルフはそこまでわたしに突っかかってくるのだろう。アルフは恐らくフェイトの使い魔だろうということは想像できるので、もしかすると主であるフェイトに近づくわたしに過剰反応しているのかも知れない。耳的に犬っぽいことだし、大いにあり得そうだ。そう考えると少しだけ微笑ましくなる。


「だから、何がおかしいんだい!?」

「え? ご、ごめんなさい」


 そう言えば、わたしはいつも、動物には好かれない方だった。


「あの、二人とも、遊んでいる場合じゃ」

「す、すみません」

「ご、ごめんよ、フェイト。でもこいつが」

「アルフ」

「う……分かったよ」

「それより、クロエ、さん」

「く、クロエで良いです」


 呼び捨てで呼び合うのが友達の第一歩だとどこかで聞いたことがある。わたしは許可もなく勝手にフェイトを呼び捨てにしてしまったけれど。


「えと、じゃあ、クロエ。クロエには、何かいい方法があるかな?」

「え、あ、えと、そ、そうですね」


 そう言えば、肝心なことを思い付いていなかった。一時的なものかもしれないにしてもフェイトと協力関係を築けそうな喜びに浸ってしまって、そもそも何をどう協力すれば言いかを考えていなかったのだ。どうしよう。このまま何も言えなければ折角の機会が台無しになる。わたしは焦りに泣きそうになって周囲を見回し始める。当然ながら、そんなことをしても何か良い案が唐突に閃く訳はなかったけれど。


「あの、聞いてみただけだから。これから三人で考えればきっと」

「フェイト、やっぱりこんな奴に頼るのは止めよう? 何かちょっとおかしいよ、こいつ」

「アルフ!」

「うぅ、あ、あたしはフェイトのことを心配してさぁ」


 フェイトに一喝されて押し黙るアルフの様子を観察する余裕もない。わたしはぐるぐると眼が廻りそうな感覚に襲われ、半ば酩酊状態になりながら何かいい案がないかを探し続ける。ベンチ、海、樹、芝生、船。どれも何も役に立ちそうにない。そもそもの目的はあの素早い巨大鳥に攻撃を当てること。避けられない攻撃を行うか、或いは対象の動きを止めるか。何らかの魔法を使って動きを制限するのでは本末転倒だろう。そんなことが可能ならば何も苦労はしない。当たらないから当てる方法を考えているのだ。では、直接魔法を当てずに一定時間を同位置に留めるにはどうするか。動けない理由を作り上げるか、もしくは、動かない理由を作り上げるか。
 そこまで考えて、わたしははっとして視線の向きを変える。そう言えばそもそも、あの巨大鳥は何を目的に地上へ降下しようとしていたのか。


「ふぇ、フェイト。わたしにいい案があります」


 わたしの視界には怯えて蹲る十数人の人間。何かの集まりだったのか、全員がそれなりに年齢を重ねた老人の集団だった。


「わ、わたしに任せてもらえませんか? あ、あの大きな鳥の動きを止めて見せます」

「え? う、うん」

「はっ、何をするか知らないけど、出来るならやってみせて貰おうか」

「ま、任せて下さい。じ、自信はありますよ」


 考えてみれば、とても簡単なことだったのだ。飛ぶ鳥を落とそうと言うのがそもそもの間違いだ。相手の動きを止める方法は他にもある。正確に言えば、相手の動きが止まるタイミングは作り出せるのだ。

(あ、あの鳥が狙っているのは人間、ですから)

 餌を探しに来たのであろうあの鳥は恐らく腹を空かせている。それを何度も邪魔されたせいで、苛立ちいきり立っているに違いない。それならば発想を逆転させてしまえばいいのだ。

(しょ、食事中は無防備、ですよね?)

 そう、それだけのことだ。



[20063] Act.8
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/13 00:39
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Act.8 ウミナリ ラヴ ストオリィ(4)
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 皆目訳が分からない。否、自分は夢でも見ているのでは無いかという疑いは捨てきれないものの、事実として何が起きているのかは理解出来ている。彼はそろそろ老境に入った自分の年齢を自覚してはいたが、耄碌した積りは更々ないのだ。にも拘らず、どうしても眼前の光景の意味が理解出来ない。彼の拠って立つ処にある現実と言うものは斯くも馬鹿げては居なかった筈であるし、この年にして自らの常識を塗り替えるのも混乱を極める。
 畢竟ずるに、彼は理解が出来なかったのではなく、理解をしたくなかったのであった。


「ぬ、ぬぅ」


 とは言うものの世界は彼の事情など斟酌して廻るものではなく、彼が受け入れようと受け入れまいと厳然とそこにあるのは事実そのもの。いっその事、狂ってしまったのだと諦観すれば楽であったか。それも、その様に冷静に分析している時点で虚しい期待でしかないのだが。


「私は今、試されているのかもしれん」


 何を、と言うのはよく分からない。誰に、と言うのも。フリーメイソンやイミナルティ、三百人委員会などの陰謀と言う事で取り敢えず仮定する。それにしても何故、と言う疑問には到底答えられぬ。そもそも、彼はそれなりに社会的地位を確立した名士ではあったが、世界的陰謀に巻き込まれるほどの黒幕的存在ではない。せいぜいが商店街の首領が関の山だ。この陰謀に掛る予算から彼を騙し切った結果として得られる利益を計算するに馬鹿馬鹿しくなるほどには違いない。

 彼の視界の中を常軌を逸した速度で飛び回る巨大な影は、航空力学に真正面から挑戦しているような鳥の形をしている。鳥であるとは断言しかねる。鳥らしい造形をしているものの、少なくとも彼の知る鳥に5m近くに及ぶ体長を誇ったり、嘴の範疇を逸脱した牙めいた器官を有して居たりするものは皆無であったからだ。
 ではあれは何か。迷うべくもなく、怪物であろうことは疑いあるまい。


「解せん。私はただ、春の陽気に仲間と連れ立ってゲエトボオルを嗜みに出た筈であったが」

「……そろそろ現実を受け入れなよ、後藤さん。わしらは今、鳥の化け物に食われそうになっとる。それだけじゃ」

「むぅ」


 彼――後藤隆造は、不自然なほど冷静な調子で指摘する友人の声に渋い表情で呻き声を上げた。全く気が利かぬ男である。その程度の事を、去年退官するまで大学で教鞭を執って居た聡明な彼が分かっていない筈がない。現在でもまだ地元の多くの企業から顧問として相談を受けること数多の身である。
 世の不思議に何故を問うことを忘れては人類は衰退するに任せるのみ。人間は考える葦である。そもそも、敢えて指摘せずとも良い事は、この世には幾らでも在る。


「孫が言っておった。お前のような奴をケエワイと言うのだ」

「良く分からんが、そうであろうとなかろうと、わしらの命が危ない事は間違いないだろう」

「私の現実は危機的状況を突破しつつある」

「わしの現実はもう死んどる。むしろ、さっき生まれ変わった。いわばニューわしじゃ」

「軽薄な」


 何がニューわしであるか。単なる敗北である。敗北主義者は死んでしまえ。


「然るに現実とは何か」

「鳥の化け物と派手な服のお嬢さんがビームを出して戦っとる。息子がよく観とる魔法少女何とかいうアニメと一緒じゃな」

「……お前の息子は……」

「小学校の教頭じゃが? 理事長はわし」

「来期の寄付金の件で後で話がある」


 日本の教育は斯程に腐れてしまったか。魔法少女などと言う虚構に現を抜かす軟弱な男が小学校の教頭などと嘆かわしいことこの上ない。良い年をして現実を真っ直ぐに見ることも出来ないような大人が、一体どうして未来ある子供たちを導けるというのか。後藤は憤慨してふんと鼻を鳴らした。


「まあ、無事に帰れたらそうするとしよう。真面目な話、こうしていても埒は明きそうにない」

「そのようだ。先ほどまでは少女達の奇怪な妖術に助けられたが次もこうと言う保障はあるまい」


 何しろあの怪物の降下速度は尋常でない。加えて、慣性を無視したような理不尽な軌道でもって外的脅威に対して反応するようだ。尚も懲りずに上空を旋回しつつ彼らを狙っている様子からは、知恵については少々足りないようであったが。所詮は鳥ということか。だがそれは逆側の視点で持ってみると非常に厄介な性質とも言える。懲りることなく執拗に狙われるとあっては、何時までも身の安全は保障されないではないか。

 全くどうしたものか。どうしたものかと悩んでも、神ならぬ人の身。奇跡の杖など持っては居らぬのであり、漫然と状況に流されるしか術もなく。後藤は歯噛みしつつ天空を呪った。現実を丸呑みにしてしまった不条理の体現者は、今度は彼らをこそ丸呑みにしようとしている。

 為す術も見上げる内に怪物の旋回速度は徐々に落ちる。誰かが喉を鳴らすのを聞いた。それが自由落下に変じたかと思うと次の刹那、再びの激しく耳障りな叫び声とともに矢の如く飛来して来たのである。怪物の姿が太陽に重なったかと認識する頃にはその凶暴な嘴は直ぐ眼前まで迫っていた。今度は不可思議な光線による救済は間に合わないものと見えた。後藤は覚悟を決めて瞼をじっと閉じる。後悔は幾らにもあったが、何が後悔であったかを脳裏に思う暇もない。


【Cracker Bomb】


 突然、白いペイルブルーの閃光が弾ける。不快な衝撃が体を突き抜けた。


「ぐ、ぐおおおおおおおおおおおおおっ」


 しかし、その衝撃は恐怖に身構えていた類のものではなく。後藤は空を舞う己を自覚した。






「なっ、何やってんだいあんた!?」

「えっ? えっ?」

「い、いえ、作戦通り、ですから」


 驚愕に眼を丸くするアルフとフェイトの様子に少し不安になりながらも、わたしはわたしの魔法が期待通りの成果を上げたことを確認する。超高密圧縮された魔力球は巻き込まれた十数人の老人達の丁度中心に着弾すると同時に炸裂し、その魔力爆発の余波で人間を空へ舞い上げた。巨大鳥は攻撃を認識して怒り狂いつつも再び空へ上がろうとして、辺りに舞い上がる餌に気がついて羽ばたきを止める。事態が理解出来ずに硬直したのも一瞬、然程高い知能を持たない巨大鳥は、そのまま手近な老人に齧り付いた。凄惨な断末魔の声が漏れる。その声にフェイトが身を竦ませるのが分かった。

 運良く巨大鳥の興味から逃れた老人達は、自由落下に任せて辺りにばら撒かれる。芝生に、海に、公園樹に。落下といっても高々数メートル、即死したものは少なく、殆どが苦痛に呻き声を上げているようだ。


「あ、あ、そ、そんな……」

「な、何てことを――」


 巨大鳥は空中で二度三度と咀嚼し、そのまま餌を丸呑みにする。慌てて食事をしたのが運の尽き。この瞬間こそが無防備。欲望を満たされ、気を抜いた巨大鳥は一瞬だけ周囲への警戒を止めた。わたしは狙っていた瞬間が訪れたことを確信して、発動を待機させていた魔法を一気に解放する。


【Pin Stitcher】


 魔力で編まれた極細のピンが巨大鳥の頭上に召還され、そのまま地面に縫い止めるように飛来する。巨大鳥はそれに気が付いて慌てて回避しようとするも最早間に合うタイミングを逸している。魔力ピンはその背面から腹部までを貫通すると、その勢いで昆虫標本のように地面へ突き立った。この魔法は対象へ一度突き立つと対象内部でウニ状に弾けて固定する。一度捕らえられてしまえば容易に抜け出すことは不可能。対象が自己組織を引きちぎってでも抜け出そうとしない限りは。


「ま、まだ、です」


 とは言え、わたしだってそう何時も何時も失敗ばかりはしていない。以前にも同じような失敗があったことを反省して、バックアップ用に詠唱していた魔法を落ち着いて解放する。この魔法こそが本命。相手が如何なるものであろうと、この魔法でなら確実に動きを止められる。わたしはもがき苦しむ巨大鳥の上下前後左右の六方向に魔方陣を生成すると、そこから波長を調整したレーザーを出力した。


【Instant Freezer】


 レーザー冷却魔法により、巨大鳥の体温は一瞬で剥奪され、苦しみに喘いだままの姿で石造のように動きを止めた。わたしは久し振りに満足の行く成果に大きく頷くと、うきうきする様な気分でフェイトを振り返る。後はフェイトに封印をして貰うだけだ。


「ふぇ、フェイト、動きを止めましたよ。ふ、封印をお願いします」

「な、何で……どうして?」

「ど、どうしてって、封印はしないと。も、元々それが目的だったはずです」

「い、いや……」

「い、いやって、そ、そんな我侭を言わないで下さい」


 封印をしなければ”災厄の種”は安全に回収できないのだ。わたしには封印術式が行使出来ない以上、それはフェイトにやって貰わなければ困る。確かに、そんな取り決めを事前に交わしていた訳ではないにせよ、わたしはわたしなりに頑張ったのだからフェイトも少しくらいそれに答えて欲しい。


「は、早く、封印をして下さい。あ、あの鳥は冷却魔法で150Kまで体温を下げていますから、そうそう動き出したりはしないはず、ですけど、え、永遠に効果が持続する訳じゃないですから」

「あ、あんた、何言ってるんだい? 自分が何をやったか分かってるのかい!?」

「えっ、あ、当たり前じゃないですか」


 相変らずアルフの言うことは意味が分からない。わたしは健忘症を患った覚えはないし、自分のしていることが分からないほど子供でもない。


「あんたはやっぱり狂ってる。あたしのカンに間違いはなかった!」

「く、狂ってなんかいません! し、失礼なことを言わないで下さい!」

「狂ってないだって? じゃあ、一体どうしてこれだけ殺したんだ!?」


 物凄い剣幕でわたしに詰め寄るアルフに、わたしは目を白黒させた。何を興奮しているのかが分からない。わたしは間違いなくあの状況で許されている最高効率の作戦を見事に成功させて見せたのだ。どうして殺したのかなんて語るまでもない。それが最小の犠牲で最高の効率を得る方法だったからでしかない。


「い、いつまでも当たらない砲撃魔法を撃っていても仕方ありません。それに、あ、あんなに固まっていたら良い的じゃないですか」

「だからってどうしてあんなっ」

「ば、散けて逃げるのが一番犠牲が少なくなります。そ、それに、あの鳥の動きを止めるには虚を突く必要があったからです」


 欲望を満たした直後は確かに無防備になり易い。しかし、だからこそ警戒心の強い動物はその姿を見せまいとするものだ。例えば捕らえた餌を巣に持ち帰ってゆっくり味わうこともあり得る。出来る限り無防備を手の届く範囲で晒して貰わなければならない。そして、それは相手に警戒をさせる隙を与えないことが望ましい。


「と、突然目の前に現れた餌に思わず飛びつく瞬間が、い、一番隙が大きいはずです」


 即ちそれが、論理的帰結だ。しかも、予測不可能な方向へ一度に多くの餌が飛び出してきたとしたら、そのうちのどれか一つ位にしか咄嗟には対応出来ないであろうことは当然に推定出来る。餌に選ばれた一人は運が無かったかも知れないが、殆どの人間は比較的高い確率で生存できるのだ。絶望を覆す改心の一手であった事は疑いの余地がない。


「た、たかが、そんなことのために――馬鹿げてる!」

「た、たかがって、否定ばっかりしなくてもいいじゃないですか!」

「あんたは――っ」

「あ、アルフっ」

「フェイト!?」

「そんなことをしている場合じゃない! 早く治療を!!」

「あ、ああっ」

「え、あ、でも、ふ、封印は……」


 わたしの呼びかけを無視して、フェイトとアルフは怪我人の方へ飛び出した。どうしてだろう。いつも上手く行かない。わたしはこんなにも上手にやってみせたのに、どうしてそれを褒めてもくれないのだろう。これ以上の方法があったなら、それを指摘してくれるだけで良い。それだけで良いのに、誰もわたしの話を聞いてくれない。
 わたしは伸ばした腕を下ろして、酷く詰まらない気分になって公園樹の枝へ腰を下ろす。枝には先客の姿があった。血塗れの老婆が手足を不自然な方向へ曲げてぶら下がっている。びくびくと痙攣を繰り返すたびに、赤い滴で辺りを染め上げていた。最早助かる余地はない。わたしはそれを憐れに思って苦しみを終わらせてあげる為に魔法を紡ぐ。


「”トイボックス”、赤外光吸収――ホット分子生成。チャージ」


 生成される超高熱の魔力は焦点温度で実に12000Kに達する。これで一瞬に骨までを蒸発させることが出来る。


「チャージ完了。おやすみなさい」

【Heat Storm, Beamlike Shot】


 一条の光が迸ると、後には焦げ後の一つも残らない。苦しむ間もなく逝けた事だろう。わたしは物憂げな表情で一瞥してから、地上を飛び回るフェイトとアルフのほうへ視線を向けた。二人はそれなりに治癒魔法も使えるらしい。得意と言うほどでもないようだけれど、全く使えないわたしにはそれが実のところどの程度の実力かはよく分からなかった。ただ、瀕死の重症を回復させられるほどでもないらしい。怪我の酷い数人ほどは魔法の効果もむなしく死に向かっているのが見えた。

(あ……)

 そこでわたしは一つの過ちに気が付いて、内心で声を上げていた。そう言えば、自分が治癒魔法を使えないばかりに作戦遂行後の怪我人へのフォローを忘れていたのだ。可能な限り死傷者を減らすプランを選択したと言いながら、それでは片手落ちだったかもしれない。フェイトの様子が変だったのは、それが原因だったに違いない。事前に治癒魔法の準備をお願いしておくべきだったのだ。

(あ、アルフは、わたしにケチを付けたいだけ、だと思うけど)

 いずれにしても反省の余地はあった。考えてみれば、これだけ死傷してしまった後始末を考慮していなかったのは如何にも不手際に違いない。死体は蒸発させるとしても、怪我人の処置が問題なのだ。ここであったことを秘密にするようにお願いしないといけないし、余り酷いケガは救急車を呼ぶなどの処置が必要だったかも知れない。そう考えると、改心の出来に思えた今日の作戦もぎりぎり落第点だ。わたしは肩を落として溜息を吐いた。


「あ、お、終わった、みたい、ですね」


 フェイトとアルフの治療は漸く一区切りついたようだ。結局三人ほどは助けられなかったらしい。死体に縋って泣き声を上げ、或いは誰かを探して叫び声を上げる老人たちの中心に、わたしは飛行魔法で降り立った。






 血が止まらない。治癒魔法が効かない。元より得意な術式ではなく、傷は余りにも深い。運良く打ち付けられた場所がクッションになった人を除くと、全員が老人と言うこともあって無事な人間の方が少ないほどだった。海に落ちた一人はもう息をしていない。ベンチで頭を強打した一人は目を剥いたまま意識を戻さない。公園樹の切り株に背中をぶつけた一人は、脊髄を損傷して痙攣を繰り返していた。
 助からない。救いの手が届かない。目の前で刻一刻と命の灯火が失われていく。どうしてもっと治癒魔法の研鑽を積まなかったのだろう。どうしてもっと早く我を取り戻して治療に掛かれなかったのだろう。いつの間にかフェイトは自分が泣いていることに気がついた。

 アルフは何も言わない。ただ、その眼差しは怒りと悔しさに歪められていた。油断した自分が情けない。あれほど危険な相手だと分かっていたと言うのに、まんまと相手の思うようにさせてしまった。自分のことはいい。汚い仕事だって時には引き受けるのが使い魔の役割だ。リニスからも教わって来たし、使い魔は最初からそう言う風に出来ている。けれど、優しいフェイトがこんな目に遭うのが許せない。アルフにとっては、これだけの人間が死んだことよりも、これだけの人間をフェイトの前で死なせてしまったことの方が悔しくて仕方なかった。それ以上に、こんな残酷な光景をフェイトに突きつけたクロエへの怒りで腸が煮えくり返る思いだった。

 その肝心のクロエは、自分は何もするではなく悠然と公園樹の枝に腰掛けてこちらを眺めている。あれ程の魔法技術を持ちながら、自分には関係ないとばかりに涼しい顔をして。


「止まらない、アルフ、血が、止まらない。わ、私、どうしたら」

「フェイト……もう、だめだよ。その人はもう、助からない」

「う、ぅあ、うぅぅ」


 泣き崩れそうになるのを無理やり押さえ込み、フェイトは次に状態の悪い患者の治療へ取り掛かった。年齢を考えれば在り得ないほどの気丈さに、アルフはきつく奥歯をかみ締めて唸る。それは痛々しい強さでしかない。彼女は、本当は誰よりも優しくて傷付きやすい女の子でしかないのだ。それを強くしたのがプレシアと、恐らくはクロエなのだろう。


「くそっ、この人も、駄目だ」

「そんな……」


 この世界には酷いことばかりだ。誰もが幸せになれない事くらい分かっている。プレシアも、もしかするとクロエも幸せにはなれなかったのかも知れない。だとしても。だとしても、だ。


「――っ!!」


 生死の天秤が全て傾いたと同時に何気ない様子で降り立ったクロエに、感情が抑え付けられなくなったアルフは掴みかかっていた。






【Helical Driver】


 突然襲い掛かってきたアルフに、わたしは反射的に魔法で応酬していた。単調に前方から攻撃されるのをバトンを絡めて受け流すと、体が泳いだ一瞬に転倒方向と逆のベクトルを叩き込む。その衝撃を全身で受け止めたアルフは吹き飛ぶこともなく、声にならない声を上げて蹲った。


「な、何ですか、い、いきなり」


 もう意味が分からないという次元を超越している。理由もなく突然殴り掛かられては溜まったものじゃない。わたしは平静を装いつつも、漠々と脈打つ動悸を抑えきれずに冷や汗を流しながら後退った。フェイトはそんなわたしの方を見ようともせずに、ただ俯いて地面に手を付いている。何人か死んでしまったのがショックだったのかも知れない。


「あ、あの、フェイト、そんなことより封印をしないと」


 わたしの呼びかけにフェイトは反応すらしなかった。少しくらいショックだったのは分かるけれど、やるべき事はきちんとして欲しい。わたしは仕方なくフェイトの傍へ駆け寄ると、諭すようにもう一度告げる。


「ふ、封印は、あなたの役割ですから。責任は果たして下さい」


 わたしはわたしのやるべき事は済ませたのだから、今度はフェイトがそれに答える順番だ。これですっきりと協力関係が出来上がる。


「……責任……?」

「は、はい。そうしないと、せ、折角の皆さんが犬死です」

「ぁ……っ、あぁ」


 このまま封印がされずに”災厄の種”が再び活性化するようなことになれば目も当てられない。必要な犠牲は無駄な犠牲に成り下がってしまう。幾らなんでも、それでは死んだ人たちが浮かばれないだろう。それなのに、フェイトは呻くばかりで動こうとはしなかった。


「あ、あの、そんな我侭を――」

「いい加減にしろ! この悪魔!!」

「え、えっ?」

「あんた、どうしてそんな酷いことが出来るのさ! フェイトをそんなに苛めて楽しいかい!? そんなに追い詰めて何が嬉しいんだ!!」


 いつの間にか回復していたアルフがわたしに掴みかかってくる。今度はそれに対応しきれず、わたしは胸倉を掴まれて公園樹の幹に叩きつけられた。呼吸が詰まる。バリアジャケットで衝撃は緩和できたとは言え、流石に使い魔の馬鹿力は抑え切れない。振り解こうとした腕は石造のようにびくりとも揺らがなかった。


「どうしてフェイトばかりに酷いことをするのさ! この子が一体何をしたって言うのさ!!」


 訳が分からない。わたしは酷いことなんかしていない。フェイトを苛めているなんてある筈がない。わたしは眼を回しそうになった。理解が追いつかない。掴まれた襟が首を絞めて呼吸が上手く出来ない。抑え付けられる力が強すぎて肋骨が軋む。背中が痛い。


「い、言いがかりです。わ、わたしが、何をしたって――」

「こ、こいつ……この期に及んでまだそんなことをっ」

「と、とにかく話は後で聞きますから、ふ、封印を早く」

「――お前ぇっ」

「”バルディッシュ”」

【Sealing form, setup.】

「フェイト!?」


 アルフの気が逸れた瞬間、わたしは体を素早く沈み込ませると、バランスを崩したアルフを倒れこむように投げ飛ばす。投げられながらも掴みかかってくる腕をバトンで打ち据えると、わたしはほうほうの体で距離を稼ぐ。同時に反撃の魔法をチャージ。その様子を見て取ったのか、アルフは構えを防御に切り替えた。


「封印は、するよ」

「フェイト? 何でこんな奴の言うことなんか」

「私がしなくちゃ、クロエは絶対に封印をしないつもりだ」

「え、あ、そ、そうですね」


 正確に言えば、出来ないのだけれど。良く分からないけれど、兎に角フェイトがその気になってくれたようで安心する。わたしはほっと胸を撫で下ろして、準備中の魔法をキャンセルすると”トイボックス”の構えを解いた。同時にアルフがフェイトへ駆け寄った。フェイトはアルフも、わたしも一顧だにせずに凍り付いたままの巨大鳥を見据える。わたしは未だに身動ぎもしないそれを眺め、冷却魔法自体はやはり会心の出来だったと確信した。効果は永続ではないと言っても、恐らくあと一時間くらいは持つだろう。
 フェイトは無言のまま彼女のデバイス――”バルディッシュ”を向けて、それから静かに宣言した。


「……ごめんなさい……」

【Sealing.】






 封印作業を行いながら、フェイトはある怖ろしい想像に囚われていた。クロエの本当の目的が何であるのか。”災厄の種”とは何か。彼女の想像が正しいとしたら、それはどうしようもなく悲しくて酷すぎる望みだ。
 クロエは明らかに”ジュエルシード”を目的としていない。フェイトやなのはの封印の痕跡を探るだけで”ジュエルシード”を封印した例がない。今もこうしてフェイトへ封印を代行させている。不必要な殺戮だけを撒き散らし、フェイトやアルフが必死で治癒に当たるのを眺めているだけだった。彼女の使った魔法のどれもがフェイトには到底真似の出来ないほどに高度な術式で構成されていた。なのに実現したのは只の殺戮。助けられるはずの命を無駄に散らして、消えていく命を眺めていた。

 ”災厄の種”とは何か。

 災厄は確かにここに在る。今日の種はクロエ自身。

 だとすると、彼女が欲しているのは”ジュエールシード”そのものではなく、それが齎す災厄そのもの。その想像が正しいとしたら、それは余りにも怖ろしく、馬鹿馬鹿しさに過ぎる。そんなものを欲しがるような人は、どこか心の大切な場所が壊れているに違いない。






 巨大鳥は強烈な光とともに砕け散り、酷くあっさりと”災厄の種”は封印された。わたしはその見事さに感心するとともに遣る瀬無い気持ちになった。見ているととても簡単に思える反面、相変らず術式が複雑すぎてよく分からない。人によればわたしの使用する攻撃魔法の方が訳が分からないらしいけれど。
 光の収まった後には引き裂かれた鳥の遺骸と、最早原形を留めていない老人の死体が散らばった。フェイトが口元を抑えて息を呑むのが分かった。意外にアルフは平気なのか、フェイトの肩を抱きしめて何か言葉を掛けている。何故か時折わたしの方を見て射殺さんばかりに睨みつけてくるのがとても怖い。


「と、取り敢えず処分しますね」


 わたしは返事を待たずに超高熱魔法を発動して、無惨な死体を蒸発させた。そこでふと気付いて、残りの死体も併せて蒸発させる。ついでと言う訳ではないけれど、鳥の遺骸も処分しておく。


「あんたさ」

「な、なんですか?」


 作業を続けているとアルフから声を掛けられる。わたしは今度は何を言われるのかと警戒して身を竦ませた。だと言うのに、アルフはそんなわたしの様子を冷たい眼差しで一瞥して、ちっと舌打ちをする。何がそんなに気に入らないのかが本当に分からない。


「自分がおかしいって自覚はあるのかい?」

「は? な、何の話ですか?」

「…………そう、じゃあ、何を言っても駄目だって訳だ」

「え、あの、何でそんな諦め顔なんですか?」


 いつの間にかわたしはアルフに何かを諦められてしまうに至ったらしい。最初から嫌われていたとは思うけれど、どういう経緯でそうなったのかが理解出来ない。結果的にフェイトが何か落ち込んでいる様子なのが原因だと言うことは推定出来るけれど、それはわたしが全て原因という訳じゃないんだから言いがかりも甚だしい。わたしは不満げに頬を膨らませたが、今度はアルフは反応すら見せなかった。

 少し寂しい気分になりつつフェイトへ視線を移す。何かを考えている様子だった彼女は、わたしと眼が合うと訳が分からないことを言い出した。


「これが”災厄の種”ですか?」

「え? あ、そ、そうですけど」


 それは今更確認するほどのことではない筈だ。不思議そうにするわたしを無視して、フェイトは更に言い募った。


「だったら、あなたは敵だ」

「は?」

「母さんの敵じゃない。私の、敵だ」



[20063] Act.9
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/17 19:50
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Act.9 ウミナリ ラヴ ストオリィ(5)
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 友達になるどころか敵認定をされてしまった。フェイトはそれきり何も言ってくれなかったし、アルフはわたしの言葉に最早反応さえしてくれなくなったので、それが一体どういう意味なのかを問い質すことは出来なかったけれど。
 わたしは結局、後の始末を二人に任せて美由希との約束の喫茶店へ向かうことにする。死体は全て蒸発させたし怪我人はフェイトたちが治療をしていたので、わたしがあれ以上残ってもやるべきことはない。気がかりとすれば生き残った老人たちの説得だけれど、二人は口下手なわたしがするよりもずっと上手くやるだろう。もしかすると、何かいい魔法を持っているのかも知れないし。ただ、何だかとても中途半端に終わってしまったような気分にはなった。

(ま、まあ、気の持ちよう、ですよね?)

 あの”災厄の種”は暇を持て余していたわたしにきっちり二時間の埋め合わせをしてくれたのだ。わたしの時計はちょうど昨日に美由希と出会った時間を示している。不幸中の幸いと言うべきか、ずっとバリアジャケットを纏っていたので折角の洋服には皺の一つも入らなかったし、防護結界のおかげで汗に汚れることもなかった。何を得たと言うわけではないけれど、暇潰しと考えれば上等だ。

(……?)

 そこまで考えて、わたしは何かを見落としていることに気が付いた。何か致命的な失敗をしてしまったような気がする。わたしは小首を傾げながら自らの体を見下ろした。特に問題は見当たらない。洋服は綺麗なまま。ポーチを置き忘れた訳でもない。念のために中を開けてみても失くしたものは何もない。鏡を取り出して顔と髪を確認する。唇に薄く引かれたグロスはきちんと艶を放っているし、白いリボンはアップ気味の髪を自然に纏めている。

(? 何も忘れて――あっ)

 そこでわたしはとんでもない失態に気が付いた。そう言えば、そもそもわたしは何のために結界に突入したのだったか。確かに、具体的にどうしようと言うプランもなかったとは言え、少なくともわたしの最終的な目的は明らかだ。それは彼の求める”災厄の種”を回収することに他ならない。折角フェイトに封印を代行してもらったのだから、それを交渉して譲ってもらうか今後の協力を取り付けるかする必要があったはずだ。ただフェイトの手伝いだけをして何も手に入れないというのでは意味がない。そう言う雰囲気ではなかったとは言え、すっかり失念していたのは間抜けに過ぎる。
 わたしはがっくりと肩を落とすと小さく呻き声を上げた。今朝は彼に変な誤解をさせてしまったばかりなのに、今日も何の成果も上げられないとなれば愈々見限られてしまいかねない。正直に事情を報告しても信じて貰えない可能性もある。

(で、でも、フェイトが敵だとか変なことを言うから)

 アルフも何も答えてくれないし。余りに突拍子もなくて冷静に思考が働かなかったのだ。一体どうしてあんなことを言ったのだろう。わたしは間違いなくフェイトに協力的だったし、アルフとはそうでもなかったとは言え、最初から攻撃的だったのは彼女の方だ。少なくともわたしから襲い掛かったり酷いことを言ったりした覚えはない。
 やっぱり訳が分からない。訳なんてないのかも知れないけれど。とは言え、訳のないことなんていう意味がない――とも言えない。

(ま、まさか、そんな)

 いや、幾らなんでもその考え荒唐無稽に過ぎる。根拠もない。しかし、状況の説明は付くのだ。最終的な結果だけを見れば一方的に得をしたのはフェイトなのだから。それにフェイトはわたしが彼女と仲良くしたいと言う事に薄々でも気が付いていたに違いない。あんなことを言って、なおかつアルフに徹底してわたしを排除するようなことをさえれば、わたしは混乱してしまって協力して欲しいと強く言えるはずがないのだ。実際にわたしは波風を立てないことを選んで引き下がってしまった。

 わたしは愕然としてその場に立ち止まってしまう。そんな筈がない。馬鹿馬鹿しい。そうは思っても、一度芽生えた疑いは頭から離れない。


「え、えと、わたし、騙された?」


 全ては有耶無耶の内に事態は収集し、フェイトは”災厄の種”を手に入れた。わたしは、ただ良いように利用されただけ。当然、協力も取り付けられなかった。わたしには何も成果が残らず、一方的にフェイトだけが得をしている。


「そ、そんな酷い」


 わたしは涙目になって呟いた。けれど、その言葉とは裏腹に口元が笑みの形に綻ぶのが抑えきれていなかった。何故ならば、その想像が正しいとするとフェイトは別に敵になった訳でも何でもないのだから。そんな方便であしらわれる以上は友達には遠いのだとしても、マイナスよりはまだマシと言うものだ。
 わたしは深い息を吐くと同時に、体の奥から重い気分が抜け出るような感触を自覚する。


「フェイトを殺さなくて済む、かな?」


 敵は、殺す。敵でないのなら、殺さない。






「美由希――そちらは?」

「あの、恭ちゃん? 何か物凄い誤解してない?」


 だから嫌だったのだ。美由希は鋭い目つきでこちらを睨み据える恭也の様子に冷や汗を流しつつ、深い後悔の念に駆られていた。何となくこんな事になるだろうと嫌な予感はしていたのにも拘らず、まあ何とかなると楽観した一時間前の自分が恨めしい。いや、幸いにして今日は父親である士郎が所用で出かけていることがせめてもの救いだろうか。どちらにせよ変わらないかもしれないが。


「え? 何これ、修羅場的なあれ? いや、ちょっと待てよ、俺は間男的存在じゃないぞ? この俺ほどのナイスガイが高町ごときに二股掛けられるとかねーよ」

「ちょっ、後藤君、それ何気に酷いよ!?」

「――美由希、ごとき?」

「ひぃっ、な、なに? 明らかにカタギじゃないよ!? お、おま、高町、実は極道の娘――」

「違うわよ!」


 どう考えてもこの二人の相性が合う訳が無かったのだ。アホの塊のような後藤祐一と融通の利かない彼女の兄である高町恭也は水と油と言っても過言ではない。元より、恭也は美由希の男友達には異様に厳しい。それだけでは変な誤解と言うか期待というか何だかもやもやしたものを感じてしまうのだが、彼はれっきとした彼女持ちである。それに、末の妹であるなのはの男友達には子供相手に大人気ないほど敵対的だったりするので、単に普通から少しばかり逸脱してシスコンなのであろう。小学生を厳しく睨み据えて泣かせてしまった時は、母親の桃子にこっ酷く叱られていたようであったが。


「と、とにかく恭ちゃん、これはただのクラスメートだから。来るなって言うのに勝手についてきたと言うか」

「おい、それはストーカーと言う奴では」

「だからねーよ。何で俺が高町なんかを」

「――美由希、なんか?」

「ひぎぃ! これは人殺しの眼!?」


 もう収拾がつかない。美由希はテーブルに突っ伏して頭を抱えた。翠屋の店内は閑散時間に差し掛かっているとは言え、それでも客が無いわけではない。ケーキやクッキーなどのお菓子を買いに訪れる客は時間帯に限らずそれなりに訪れるし、平日の昼間は常連客の割合が高い。更にもう少しすれば学校帰りの学生が大挙して押し寄せてくるだろう。

 そもそものことの発端は美由希がついうっかり祐一に今日の予定を漏らしてしまったことにある。いや、正確に言うと何故か美由希がクロエと知り合った事実を知っていた祐一が今日の予定をしつこく問い詰めてきて、鬱陶しさの余りに迂闊にも答えてしまったことが始まりだった。それを聞いた瞬間に踊りださんばかりに狂喜した祐一が嫌がる美由希の抵抗を押しのけて無理やり翠屋までついて来てしまったと言う訳である。


「あのさ、ほんと帰ってくれない?」

「断る。そもそも、ただ喫茶店に茶を呑みに来た客を追い返すとかおかしいだろ。あ、注文はいちごパフェで」

「茶じゃないし」

「細かい奴だな。じゃあ、いちごパフェ茶で」

「ないよ、そんなメニュー!?」

「畏まりました。いちごパフェ茶お一つ」

「え? あるの?」


 さらりと注文を受け付ける恭也に美由希は驚愕して身を乗り出していた。そんなメニューは聞いたことが無い。と言うか、そもそもいちごパフェ茶とは一体なんだ。紅茶の上に苺とアイスクリームでもトッピングすると言うのか。思わず普段は余り見ないメニューを開き、探してみるがそんなものは無い。


「美由希――そんなメニューはない。常識的に考えて」

「えっ?」


 何故か可哀想なものを見る眼で見られた。


「空気読めよ」

「ええっ!?」


 蔑んだ眼で見られた。


「君も空気を読んで帰ったらどうだ?」

「はっはっは……持って来いよ、いちごパフェ茶っ」

「――後悔するなよ?」

「望むところだ!」

「ふっ、首を洗って待っているがい――かーさん、いや、悪い、冗談だ。いちごパフェですね、今お持ちします。チッ」


 恭也は厨房から桃子に睨みつけられ、渋々と引き下がっていた。何故か物凄く悔しそうなのが理解出来ない。何故かこちらも勝ち誇った顔でふんぞり返る祐一は、厨房へ消えていく恭也の背中を最後まで見送った後、今更のように美由希へ問いかけた。


「で、誰?」

「高町恭也。まあ、うちの兄です」






「久し振りに今日はうちに来ない?」


 そう提案するなのはの言葉に、アリサとすずかは二つ返事で頷いた。ここ一週間前は事件のせいで碌に話せていなかったし、折角なので今までの分もきちんと話をしたい。三人の関係と言う意味では一応の解決には至ったものの、それぞれの事情自体は何も完結していないのだ。あの怖ろしい魔導師の少女については当面はどうしようもないとして、すずかの問題を片付けてしまいたい。どうやら記憶が消されないで済む方法があるらしいのだ。


「あの、そう言えばさっきチャイムが鳴っていなかった?」

「ええっ?」

「そ、そう言えば。まずいわね、早く戻りましょ」


 気が付くといつの間にか短い昼休みは終わってしまっている。もう授業が始まっていたのだ。






 何やら街が騒がしい。公園を抜けて商店街まで出ると忙しなく人が走り回っていた。爆発事故がどうだとか噂をし合っているのが聞こえてくる。そう言えば、結界を張らずに超高密度魔力球で魔力爆発を発生してしまったのだ。十中八九それが原因だろう。フェイトは上手く撤収出来ただろうかと心配になる。フェイトほどの実力であれば魔法文明の無いこの世界の警察に後れを取るようなことはないとは言え、余り嗅ぎ回られるようになれば厄介には違いない。大騒ぎになれば時空管理局が動く。既に動いている可能性は高いだろうけれど、騒ぎの規模によっては相当の戦力が派遣されてしまう可能性があるのだ。オーバーSランクの執務官クラスが相手になるとわたしでも勝利できる自信が無い。既に整えられた舞台で正面から殺し合う前提ならまだしも、搦め手で来られてはわたしはきっと手も足も無く捕らえられてしまうだろう。そうなれば、当然の帰結として彼の身にも手が及ぶ。それだけは絶対に避けたいのだ。

 数名の行方不明者が出ていることも既に話題になっているらしい。あれから殆ど時間が経っていないと言うのに、凄まじい情報の伝達速度だ。何処かに携帯で電話したり忙しなくメールする学生の姿があちこちに目に付く。そう言えば、丁度下校の時間だった。もう少し慎重になるべきだったかと自省しつつ、わたしは改めて手元の地図へ目を落とす。後はこの角を曲がれば目的地の喫茶店だ。

(き、緊張して来た。ど、どうしよう)

 どうしようもこうしようも無いのではあるが。ここまで来ては引き返す手は無い。明確に時間を指定されはしなかったが、遊びに来て欲しいと誘われて頷いたのだから。約束は守らないといけない。それなのに、わたしの足は地面に根付いたようにそれ以上一歩も動かなかった。それどころか、辺りに気をとられたような不自然な演技をして一つ手前の曲がり角まで戻ってしまう。不審そうに振り返る買い物帰りと思しき中年女性から眼を逸らし、わたしはもう一度進んで、途中で引き返して再び同じ位置へ戻った。一体何をしているのだろう。

 わたしは呼ばれて行くのだ。拒絶されることは在り得ない。何も恐れることは無い。とは言うものの、どうしてもそれを信じきれない自分がいる。携帯番号と地図のメモを眺め、それが思い込みではないことをもう一度自分へ言い聞かせる。大丈夫、何も問題はない。わたしは中々踏ん切りの付かない自分を追い詰めるように勢い良く飛び出した。余計なことを考えないで済むように周りは見ないことにする。正面の曲がり角だけをじっと見据え、その勢いのまま駆け抜けた。


「――きゃっ」


 注意散漫が災いしてか、わたしは曲がり角を抜けた先に歩いていた女の子に体をぶつけてしまっていた。どこかで聞いたような悲鳴に驚いて前方の地面を見下ろすと、自分よりだいぶ小柄な少女――すずかが尻餅をついているのに気が付く。そう言えば以前にもこんな事があった。わたしはそこではっと気付いて、今度こそ手を差し伸べることに成功する。わたしだって少しくらいは成長しているのだ。すずかはわたしの手を見詰め、それからわたしの顔を見て眼を見開くと、ひっと息を呑む。


「あ、あの、えと――あっ」


 わたしはその様子に困惑して声を掛けると、差し伸べた手は横合いから強く叩かれてしまった。反射的に眼を向けるとアリサが憎々しいものを見るような眼でわたしを睨んでいる。結局、今日もわたしの手は誰かの手と繋がれることは無く、いつものように空気を掴んで下ろされた。どうしていつも上手く行かないのだろう。


「あんた、まだすずかをっ!!」

「え? な、何ですか?」

「アリサちゃん、下がって!」

「なのは!?」


 突然アリサが噛み付くような声で叫んだかと思うと、驚愕に眼を丸くするわたしを置き去りにして、いつの間にか回り込んで来た少女――なのはが待機状態のデバイスを胸に掲げていた。いつでもセットアップが出来る状態、即ち臨戦状態でわたしを警戒している。簡易とは言え結界も張られてしまったらしい。特に何かを争っている訳でもないのに、全く事態が理解出来ない。わたしがすずかに何か危害を加えようとしたと誤解したにしても、幾らなんでも過剰反応だと思う。わたしはデバイスをセットアップもしていないのだし、この状態で行使できる魔法では普通とは少し違うらしいすずかを殺傷しきるには至らない可能性が高いと言うのに。

 わたしは思わず両手を上げて、何も持っていないことをアピールした。正確に言えば、美由希から貰ったメモだけは持っていたのだけれど。ただ、これはどう見ても武器には見えないので問題ないと思う。問題ないとは思うが、なのはがさっぱり臨戦態勢を解いてくれないので何か誤解されているのかも知れない。


「え、えと、ご、誤解だと思います」

「何が誤解なの? あなたはわたしの大切なお友達を傷付けた。本当は、こ、殺そうとしてたんだって聞いたよ?」

「え? あ、はい。そ、それは誤解じゃありません」

「……っ、それは、本当の本当に誤解じゃないんだ」


 何故か歯噛みするなのはに、わたしは大きく首を傾げる。そのことは今は関係が無いはずなのに、どうして今更確認するのだろう。


「? あの時は、ど、どちらかを殺すべきでしたから」

「そんなこと、あるはずがないっ」

「で、でも――」

「でもじゃないよ。だって今、二人は生きている。だから、あなたが殺そうとした意味なんてなかったんだ」

「そ、それは良かったと思います。で、でも、それは結果論です」


 前提条件を変えてしまえば、結論の変わる問題は幾らでもある。あの時、わたしに選択出来た最良は間違いなくどちらか一方の死で間違いはない。使えない封印術式が危機的状況で急に使えるようになったりはしない。現実はそんなにご都合主義で出来てはいないのだから。あの時、なのはが駆けつけられたことが既に奇跡に近い。例えすずかの力がわたしに届いてわたしを妥当せしめたとしても、その後あの巨大樹を止められる人間は誰もいなくなっていた。そうしたら、もっと多くの犠牲が出たのは想像に難くない。

 わたしは何も間違っていない。だと言うのに、なのはは信じられないものを見るような眼差しで叫んだ。


「そう言うことじゃない! そんな風に簡単に決め付けていたら何も変わらない! 何も救えない!」

「そ、その迷いが、何人殺すんですか?」


 理想を語るのは容易い。けれど、この世界は物語ではない。嫌だと喚いても駄目だと嘆いても神様はわたしたち全てに平等だ。物語の主人公に与えられる奇跡の特権なんて誰も持ってはいないのだから。だからわたしたちは一番正しい方法を出来る限り早く選ぶしかない。そして、そんな単純な理屈くらい、誰でも知っているはずだ。


「人数の問題なんかじゃない!」

「な、ならどうやって正しさを量るんですか?」

「一番正しいことなんて誰にも分からないよ。ただ、誰かを犠牲にするのは絶対に間違ってる」

「ぼ、暴論です!」


 この子はおかしい。絶対に到達不可能な命題を前提条件にしてしまえば、誰にも何も選べなくなってしまう。何時でもどんな時でも奇跡を引き当てない限り、そんなことが出来る訳が無い。つまり、そんなものは暴論でしかないのだ。どんなに些細なことでも誰かを犠牲にしている。わたしたちはいつもそれに優先順位をつけて、些細なことと目を逸らしているに過ぎない。その犠牲が一定の閾値を越えた時点で、絶対に認められなくなると言うのは理想論であっても現実的とは言えない。そんな風に便利に世の中は出来ていないのだから。


「あ、あなたの言うことは、とても非論理的です」

「わたしは論理の話なんてしていない」

「わ、わたしだって、誰も犠牲が出ないなら、それが一番だって思います」

「だから、それなのにどうして簡単に――」

「なのは、無駄よ。根本的に噛み合ってないんだから、分かり合えっこないわ」


 ずっと押し黙ったままだったアリサガ唐突に口を開いて、なのはは途中で言葉を切って振り返った。アリサは座り込んだままのすずかを背後に庇ったまま、酷く静かな眼差しでわたしを見据えている。


「アリサちゃん?」

「そいつは、すずかを殺そうとしたのよ?」

「だけど……」

「じゃあ、なのは。すずかが殺されて仕方ないって言う理屈を、あんたは理解したいって思うの?」

「それは、思わない。思えないよ」

「そうでしょ? 正しいとか間違っているとか、論理的だとか非論理的だとか、そう言うことじゃなくて。あんたはもう、こいつと分かり合いたいだなんて思ってないのよ。ただ、こいつの考えが間違ってるって否定したいだけ」

「それは……」


 今度はなのはが押し黙る。わたしはアリサの言葉に納得して大きく頷いていた。要するにそう言うことなのだ。最初からなのははわたしのことを認めようとしていなくて、ただ感情的に否定をしている。そこに理屈なんてない。わたしが何を言っても、それが正しくても間違っていても、最初から分かってくれようとしていないのだから伝わるはずがない。


「ねえ、あんた」

「え、な、何ですか?」


 アリサに声を掛けられ、わたしは上擦った声で答える。わたしはそこで、ずっと上げっぱなしだった腕が疲れていることに気付いて手を摩りながらゆっくりと下げた。


「少しだけあんたのことが分かった気がする。あんたは狂っているんじゃなくて、ただの少しも狂ってないだけなんだわ」

「は? あ、あの、それは、狂ってなんかいません、けど」


 余りに不思議なことを言われてわたしは困惑に間抜けな声を上げてしまった。何だかこの所はずっとこんな事ばかりのような気がする。それとも、こういうのが普通なのだろうか。わたしは今までずっと誰かとまともに言葉を交わしたことはなかったし、殺害対象の話す言葉は全て聞き流すように強く命令されて来た。だから、本当はこういう風に酷く不可解で理不尽な会話を重ねながら誰もが生きているのかも知れない。確かに、わたしは彼との会話でも時折噛み合わないことがあるのだ。


「あんたを許す気なんてさらさらないけど、きりが無いからこれだけ確認しとく」

「えと、何をですか?」

「あんたはもう、すずかやあたしに危害を加える気はさっぱりない。なのはと敵対しているつもりもない。そう言う認識でいい?」


 そんなのは当たり前だ。今更すずかやアリサを害しても意味はないし、なのはと何かを争っている覚えも無いのだ。わたしは根本的に何を聞かれているのかと訝りつつも、その問いに小さく頷く。アリサは、そう、とだけ答えると考え込んだままのなのはの肩を叩いた。それからすずかの手を引いてそのままわたしの脇を素通りしようとする。結界はいつの間にか解除されていた。


「やっぱり、おかしいよ」


 結局良く分からない結論にもやもやとした気分のまま佇んでいると、ぽつりとなのはが呟くのが聞こえた。


「上手く説明できないけど、そんなのはおかしいって思うんだ」

「そりゃおかしいわよ。おかし過ぎる。すずかをあんな目に合わせた奴に、何が出来るかって考えたら、結局何にも出来ないって分かっちゃったんだから。警察でも呼ぶ? 死体が増えるだけでしょ。どっちにしても、こいつをどうにか出来るとしたら管理局とか言うやつだけでなんでしょ? それはもう呼んであるって言うなら、出来るだけこいつの顔を見ないのが精神健康上の最良よ」

「……うん、ユーノくんはもう管理局って言うのに連絡するしかないって」

「え、えっ?」


 とても聞き捨てならないことを聞いてしまった。今、アリサとなのはは何を言ったのだろうか。管理局に連絡した? 魔導師であるなのはが言うのだから、管理局とは間違いなく時空管理局のことだろう。だとすると、それはとてもまずい。それは困る。わたしはまだ一つも”災厄の種”を手に入れていないのだから。


「あ、あの、管理局って」

「うん、今朝、連絡がついたんだ。来週には”アースラ”って言う船? が来てくれるって」

「え、あ、”アースラ”、ですか」


 最悪だ。よりにもよってそれは最低だ。わたしは自分でも青褪めていることを自覚していた。嫌な汗が湧き出てくるのを止められない。喉が渇く。呼吸が安定しない。気を抜くとそのまま倒れ込んでしまいそうだった。
 わたしは一瞬の忘我の後にすぐさま立ち直ると、普段からは考えられない大胆なしぐさでなのはの細い両肩をしっかりと掴む。


「あ、あの、なのはっ」

「にゃっ! な、なに?」

「ご、ごめんなさい! よ、良く分からないけど、全面的にわたしが悪いので、ゆ、許してください」

「え? ええっ!?」

「こ、今後はなのはの許可なく誰も傷付けません。そ、そうだ。ま、魔法もなのはがいいと言った時だけ使います」

「ちょ、ちょっとあんた、流石にそれは見苦しくない!?」


 アリサが何か喚いているけれど、全面無視。そんな事はどうでもいい。とにかく早急にこの状況を打開しなければならないのだ。


「ちょっと、良く分からないけど、とにかく落ち着いてっ」

「そ、そうだ。こ、この近くにとても美味しい喫茶店があるそうです。ちょ、ちょっとそこでケーキでも食べながら、こ、今後についてお話しませんか?」

「落ち着いてって言ってるでしょ!?」

「は、はい」


 なのはに強く窘められ、わたしはびくりと肩を震わせた。咄嗟に掴んでいた両手を離してしまい、そこでメモを落としてしまったことに気がつく。辺りを見渡すと、丁度それをアリサが拾い上げるのが見えた。彼女はそれを広げて眺めると、突然、何かに気がついたのか携帯電話を取り出して操作を始めた。


「これって……翠屋よね? それにこの番号は――やっぱり美由希の!?」

「え? お、お姉ちゃん!?」

「あ、えと、何ですか? 何かそのメモが――」

「これ、何処で手に入れたのよ?」

「何処って、み、美由希に貰ったんです。遊びに来てって」

「本当にお姉ちゃんが? 一体何がどうなって?」


 二人が疑うような眼差しでわたしの顔を見回した。嘘なんて何も言っていないのに。そう言えば、なのはが気になることを言った。お姉ちゃん、と言うことは、もしかすると美由希となのはは姉妹なのだろうか。


「あ、あの、なのはは、美由希の妹、なのですか?」

「え? う、うん」


 頷くなのはに、わたしは感慨深げに息を吐いた。凄い偶然もあるものだ。


「え、えと、じゃあ、翠屋? でしたか。そこでお話をしましょう?」


 わたしは何だか楽しくなる気分を抑えきれなくなった。今日は一日に色々とあって落ち込むこともあったけれど、最後にはとても楽しくなりそう。わたしは難しい顔で黙り込む二人に畳み掛けるように言い募ろうとして、そこでふと、ずっと黙ったままだったすずかの視線に気がつく。


「え、えと、何ですか? すずか」

「何を勘違いしているんですか?」

「えっ?」


 わたしの期待とは裏腹に、返されたのは酷く冷たい言葉だった。


「あなたと話すことなんて、何もない」


 血を吐くように紡がれた呪いに、わたしはひっと息を呑んだ。



[20063] Act.10
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/17 19:50
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Act.10 ウミナリ ラヴ ストオリィ(終)
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 後藤祐一は人生の絶頂を感じていた。余りに上手く事が運びすぎて非現実感すら覚えてしまう。彼の女神は僅か一日にして赤の他人から友達の友達へ、そして今まさに友達へ飛躍的なランクアップをしてみせたのだ。この分では明日には恋人、明後日には将来を誓い合っている可能性すらある。最早何かの恋愛ゲーム状態である。恐らくそろそろクロエルートへ分岐する為の重要な選択肢が現れるに違いない。その兆しを逃してなるものかと、祐一は既に現実と虚構の区別のつかない眼差しで舐めるようにしてクロエを観察した。とても凄く可愛い。
 遠慮がちに少しずつケーキを切り分け、その小さな口で美味しそうに頬張る姿は微笑ましく、こちらも自然と幸せな気分になる。今日はいつもよりもお洒落をしている点も相俟って、まるで初々しいカップルがデートでもしているかのような錯覚を起こしてしまいそうだった。当然、隣に座る余計な女は認識から消去だ。


「あ、あの、何ですか、祐一?」


 小首を傾げ、何処か不安げな眼差しで見つめ返してくる彼女の様子に、思わず嗜虐心交じりの愛おしさが沸いてくる。ああ、このまま持って帰ってしまいたい。彼女には不思議な魅力がある。勿論、その美しい外見も理由ではあるが、それ以上にもっと深い、上手く言葉には出来ない何かがあるのだ。まるで人間ではなく、人間の姿をした別の遠い何かのような感じがすると言おうか。一目見たときに何かが違うと直ぐに気がついたのだ。それが何かと聞かれると返答には窮してしまうのだが。だが、恋とはこう言うものではないだろうか。


「いや、何でもないさ。ところで、クロエちゃん。唐突でなんだが、き、君にはもう特定の男性とかいるのかね?」

「いやいや、自己紹介した直後とか唐突過ぎるでしょ!?」


 平静を装いつつ実は緊張を隠しきれない祐一の問いに、横合いから美由希の突込みが入るがさらりと華麗に無視をする。こういうのは勢いなのだ。友達の友達で終わってしまうくらいなら、祐一は無謀でも玉砕を選ぶ男なのだ。さあ、クロエルートへ突入だ!


「はい。ごめんなさい」

「そうか、良かった。それなら――うええぇ!?」

「……うわぁ、しかも一秒で玉砕とか……」


 ざんねん! ゆういちの こいは ここで おわってしまった!






 恋は何時だって唐突だ。始まるのも唐突で、告げるのも唐突。終わるのだって唐突なのだ。とは言え初対面で告白されると驚愕してしまう。話をしたことも無い人間を好きになると言うのが良く分からなかった。美由希の友人だと言うからには悪い人ではないと思うけれど、物凄く思い込みの激しい人なのかも知れない。
 そうでなくとも、わたしには彼の気持ちには応えられない。そもそも恋と言うものが良く分からないし、恋ではないとしても誰よりも大切な人は既にいる。それに今日は日が悪い。あんな風に彼に男とのデートを疑われた日にそれを思い出させるようなことを言われては気分が落ち込んでしまうではないか。それは祐一の所為ではないにしても、わたしは普段よりも若干険しいと自覚する表情で自分で思う以上にはっきりと断りの言葉を告げていた。

 祐一はその言葉に奇妙な叫び声を上げたかと思うと、そのままオーバーリアクションで地面にくず折れた。かと思うと唐突に立ち上がり、不自然なまでに明るい笑顔で勢い良く店を飛び出して行った。余りの事にわたしは呆然と見送ってから、思わず席を立ち上がる。


「まあ、今はそっとしておいてあげたら?」


 どうしたものかと考えていると、美由希にそう諭されて取り敢えずもう一度席に着くことになった。確かに追いかけてどうなるものでもないし、わたしではどうにも出来ない。元より彼が何処まで本気だったのかが疑わしくはあったし。


「あ、あー、でも、クロエって彼氏持ちだったんだ。は、ははははは」

「え、いえ、ち、違うんです」


 何故か乾いた声で笑う美由希にわたしはゆっくりと頭を振る。彼氏と言うと適切ではない。わたしと彼の関係はそう言うものではないし、そんな風に対等なものでもないのだ。それにしても美由希はどうしてそんな魂の抜けたような顔をしているのだろう。


「え? 彼氏じゃないって……え、あの、お、夫!?」

「ち、違います。そうじゃなくて、その、何と言うんでしょうか、ご、ご主人様的な……」

「ご、ご主人様!?」

「あ、あれ、そ、そうじゃなくて、何て言うんでしょうか」


 改めて問われると上手く説明出来ない。わたしたちの関係は既存のどれでもない様な気がする。主人と奴隷? 患者と看護者? そう言う風にレッテルを貼るとどうもしっくり来なかった。わたしと彼は、わたしと彼であって、他の誰とも違うのだから当然かも知れないけれど。


「う、上手く説明できませんけど、た、大切な人、です」

「ん~? 良く分かんないけど、うん、まあ、納得しとく」


 美由希はそこで、わたしの予想よりも簡単に話を打ち切った。微妙に優しい顔をしているのがよく分からないけれど、彼女なりに思うところでもあるのかも知れない。わたしは本当に大切なものに名前を付けてはいけないのだと思う。名前を付けた時点で何かと較べてしまえるようになる。較べられるものはいつか一番じゃなくなる気がする。


「そう言えば話は変わるけどさ、なのは達と何かあったの?」

「えっ?」

「ここの窓から見えたからさ、なのはとも知り合いだったんだなって。てっきりそのまま一緒に来るのかなって思ったんだけど」

「え、あ、そ、そう、ですね。わ、わたしは一緒にお話をしようと誘ったんですが」

「ふーん?」


 美由希は不思議そうに首を傾げた。わたしは今更そのことを思い出して小さく息を吐く。彼女の指摘通り、あの後結局はなのは達と別れてしまうことになったのだ。折角ここまで来たのだから一緒にケーキでも食べながら話を出来れば良かったのだけれど、なのはは兎も角アリサは出来ればわたしの顔を見て居たくないようだったし、すずかに至ってはまるで可哀想な人を見るような眼でわたしを拒絶したのだ。
 彼女たちはあのままなのはの家に向かったらしい。ユーノとか言う管理局への密告者がいるらしく、わたしは是非会わせてくれるように頼んだのだけれど、管理局の立会いの下でないと認めないと言われてしまった。それでは意味がない。

(で、でも、どうしよう)

 何れにせよ”アースラ”が到着するのが来週だと言うのなら、”災厄の種”の探索もこれでお終いだろう。なのはに付くことで管理局に一次的に取り入るしか方法は思いつかないが、彼がそれを認めるかどうかは難しいところだと思う。そもそも派遣されるのが”アースラ”だとするとそのプランも難しいと言わざるを得ない。あの人たちはきっとわたしの話には取り合わないで、またわたしを拘束するに決まっているのだから。


「その、ちょっと上手く仲良く出来なくて」

「そうなの? なのはって心配になるくらい人当たりがいいから、誰かと上手く行かないって言うのがあんまり想像できないけど」

「ひ、人当たりと言うか、えと、じ、次元干渉型ロストロギアの処理について、い、意見が合わなくて」

「えっ? な、なにそれ? 何かの漫画の話?」

「え、あの、その……あれ?」


 何故か話が通じていない。まさか美由希は魔法について知らないのだろうか。なのはの姉だと言うのだから当然知っているものとして話をしてしまった。しかし、考えてみればこの世界には魔法文明がないのだ。にも拘らず魔法を知り、あれ程の魔法を行使するなのはの方が普通ではない。何か事情があるのだろうが、しかし、それでは少なくとも正面から話しても通用しないようだ。


「え、えと、説明が難しいです。た、喩えるなら、ええと、時限爆弾の処理について、でしょうか」

「な、なにそれ?」


 訝しげな表情をする美由希にわたしはそのまま例え話で続けた。魔法文明の無い世界では”災厄の種”の話をしてもピンと来ないに違いない。それよりもこういう話の方が美由希には身近で分かり易いだろう。


「そ、その、あくまで例えですけど、び、ビルに時限爆弾が仕掛けられているとします。爆発すると、ビルは倒壊して、た、沢山の人が死にます」

「う、うん。なのはと全く結びつかないけど、た、例えって事ね」

「え、あ、はい」


 実際にはもっと大きな規模の話なのだけれど。わたしたちは世界そのものを破壊する爆弾処理をしているようなものだ。でも、なのはに結びつかないとはどう言う事だろう。あの子はとても乱暴で好戦的なのだから、イメージにぴったりな例えだと思う。


「じ、実は爆弾は、ビル内の誰か一人が体の中に持っているとします。そ、その人が死ぬと停止するとします」

「……それは、ずいぶん酷い爆弾だね」

「え、えと、それで、そ、その場合、爆弾をどう処理すればいいと思いますか?」


 例えるならば、なのはやフェイトは緊急停止装置と爆弾探知機を持っているに等しいのだと思う。これを前提にすると回答はとても簡単だ。速やかに爆弾の探知を行い、緊急停止装置で止めてしまえばいい。


「まずは一人一人訊いて回るしかないんじゃない?」

「じ、自覚が無かったとしたら? じ、自分で知らないうちに持っていたとするとどうしますか?」

「うーん……」


 美由希はそこで押し黙った。悩むまでも無いと思うのだけれど、何を悩んでいるのかは良く分からない。何かもっといい方法はないかと考えているのだろうか。とは言え、この例え話に隠された条件などがある訳ではないのだ。


「あ、あの、これは別に引っ掛け問題じゃなくて」

「いや……引っかけと言うか……ちなみになのはは?」

「あ、諦めない、とか、そんな感じの良く分からない回答でした」

「あはは、それはなのはらしい」


 でも現実には諦めようと諦めまいと時限爆弾は確実に爆発する。手を拱いているだけではどうしようもないのだ。


「それで、クロエは?」

「ひ、一人ずつ殺すべきだと思います」

「い、いや、まあ、それも究極の選択ではあると思うけど……なるほど、何となく分かったような、そうでないような。まあ、余りに過激すぎて何の例えだか良く分からなかったけど、確かになのはとは合わないかなあ」

「で、でも、わたしが正しいはず、です」

「それは……」

「――いや、正しくは、ない」


 美由希の言葉を遮って、回答は唐突に背後から掛けられた。わたしは思わず身を竦ませて、身構えながら席を立ち上がる。振り返ると、ウエイターの青年がトレイに水を乗せたまま憮然とした表情で佇んでいた。青年は直ぐにでも飛び出せるような重心のままでわたしの方を警戒するように観察している。全く気配が悟れなかった。確か美由希の兄の恭也と言うらしい彼は、美由希よりも一段上の実力の持ち主であるらしい。完全に油断していたわたしは、彼がその気なら今頃生きていなかったかも知れない。背中をつうと冷や汗が滑るのを自覚した。


「な、何ですか、あなた」


 わたしは生きた心地がせずに非難の声を上げる。彼はそれに答える変わりに表情を緩めると、水滴の浮いたコップを差し出して飲むように促した。


「ど、毒、ですか?」

「いや、ただの水だが」


 彼の様子におかしなところは無い。とは言え、無条件に信頼する理由は無い。得体の知れない相手は警戒してし過ぎることは無いのだ。わたしは徐にコップを手に取ると、唇に当ててゆっくりと傾けた。こくり、と喉がなった。

 ――美由希の。


「って、なんでわたしに飲ませるの!?」

「よ、良かった、ど、毒じゃなかった」

「いやいや、おかしいでしょ? 色々と!?」


 何もおかしくは無い。とても合理的な判断だ。美由希に水を飲ませようとしても恭也はまるで反応しなかった。だとすれば、毒ではなかったか、妹を殺すことすら厭わない本物のプロであるかだ。前者ならば何も問題はないし、後者であってもわたしは命を拾ったことになる。もし毒であって美由希に飲ませようとした時に恭也が何らかの反応を示した場合は、それこそわたしの判断は正しかったと言えるのだ。


「……なるほど」


 そんなわたしを見てどう思ったのか、恭也は何やら納得の言葉を呟いた。それから先ほどの続きを告げる。


「誰かを傷つけることを正しいと考えた時点で二流だな」

「えっ?」

「さっきの話だ。そんなものは正しくは無い」

「あ、あなたも、なのはみたいなことを言うんですね」


 わたしは困惑に眉を潜めた。


「なのはがどう言ったかは知らないが」

「で、でも、他に方法なんて」

「本当に無かったのか? 事前に情報は? 怪しい人物の想定は? いずれにしても、そう言うどうしようもない状況に追い込まれた時点で負けだな」

「そ、それは詭弁です。ぜ、前提条件を変えないで下さい」


 そんなのはずるい。そんな事を許せば何でも出来てしまう。もしもが言えるのはお話の中だけだ。だと言うのに、恭也は気にした風もなく空になったケーキの皿を下げると、ウエイターらしく頭を下げて引き下がった。わたしは何か勝ち逃げされたような気分になって、その背中に問いかける。


「じゃ、じゃあ、あなたなら、どうしたんですか? ど、どうしようもなくなってから、どう出来たんですか?」


 いつの間にか例え話を話す口調ではなくなったわたしの言葉に、彼は堂々とした声で答えていた。


「殺したさ。こんなの間違ってるって後悔しながらな」






「まあ、うちの兄はたびたび屁理屈をこねるので、あんまり気にしないで良いと思うよ」


 フォローを入れる美由希の言葉は耳に入って来なかった。訳が分からない。とても気分が悪い。どう考えてもおかしい。後悔しても仕方がない。悔やんでも何も戻っては来ないのだから。そんなものは自分にずるい言い訳をしているだけで、現実にきちんと向き合っていないだけだ。何だか胸がむかむかする。似たような言葉を昔誰かに言われた気がして、それが酷く引っ掛かって仕方がない。

 ――何時だって僕たちは間違っている。こんなはずじゃなかったって、後悔ばかりだ。

 それは偽善者の台詞でしかない。何でも出来る兄さんの傲慢でしかない。

(あ、そう、か。に、兄さんの言葉に、似てたんだ)

 あれは何時だったろうか、わたしは管理外世界にロストロギアを回収しに来た兄さんと鉢合わせをしたのだった。そう言えば、今の状況とも少し似ているかも知れない。色々複雑な経緯はあったものの、最終的に周辺世界全体を巻き込む危険なロストロギアと認定された”巫女”をわたしと兄さんは殺害した。わたしは彼女の妹に酷く責められたのを覚えている。でも、彼女の暴走で彼女の妹は殺されるところだったのだ。結局死んだのは彼女一人。災害の規模に較べて極めて軽微な損害に管理局でも宣伝用の英雄的解決事件として今も利用され続けている。
 わたしはその時に兄さんが発した言葉に酷く苛立って仕方がなかった事を思い出した。


「あ、あの、大丈夫です。む、昔、わたしの兄さんに同じようなことを言われたことを思い出して」

「そうなの? それにしても一体どういう状況で――いや、わたしが言うのもなんだけど、兄妹でする話題じゃないような気もする」

「そ、そうですか?」


 普通の兄妹と言うのはよく分からない。そもそもわたしたちは殆ど一緒に暮らしたこともないので兄妹と胸を張って呼べるほどの関係でもないのかも知れない。年に数回程度、何らかの事件の現場で鉢合わせをするくらいで、会話と言えば事務的だったり、とても殺伐としたものだったりだ。
 わたしは兄さんを尊敬していて、同時に酷く妬ましく思っている。わたしでは絶対に兄さんに勝てないのだ。正面からの殺し合いをするならわたしに分があると思う。ただ、わたしが兄さんに勝てないのはそんなことではなく、もっと深い部分に理由があるのだ。どうしてなのか、兄さんはいつもわたしが手に出来なかったものを簡単に手に入れる。なのに、わたしが欲しいものを簡単に捨てる。とても傲慢で酷い人だ。


「それより、クロエにもお兄ちゃんがいるんだ?」

「え、あ、はい」

「どんなの人なの? もしかして、恭ちゃんに似てたり?」

「す、少しだけ、似てるかも知れません」

「へぇー、それはそれは、苦労してるだろうねえ。うん、心中察して余りある。うう、泣けてきた。あ、もしかしてクロエってその人に武術か何か習ったんじゃ?」

「えっ?」

「実はずっと気になってたんだ。最初に会ったときに、そうかなって思って」


 そう言えば、美由希はあの時に気配を消して音も泣くわたしに近づいたのだ。いつの間にか有耶無耶にしてしまったけれど、彼女の正体はまだ謎のままだ。加えて、それ以上の実力を持つと思われる恭也を兄に持つとは、何か普通ではない一族の可能性がある。次元世界にもそうした特別な技能を伝承する一族は数多い。暗殺を生業とするものたちもいる。

 再び脳裏に疑いの芽生えたわたしを無視して、美由希は能天気な調子で続けた。


「さっきも恭ちゃんに反応してたし、何かやってたのは間違いないでしょ? それも多分、そうとう実践的な奴を」

「え、あの、えと、美由希たちも何か?」

「うん、まあ、何と言うか時代遅れも甚だしいんだけど、一子相伝の剣術みたいのを」

「……あ、暗殺剣ですか? ふ、二人とも、音もなく近づいてきてとても怖かったので」

「う、ごめん。でも、恭ちゃんは絶対愉快犯だけど、わたしは単にぼーっとしてただけで、いや、つまり未熟なだけなんだけど。暗殺って言うのは――うん、昔はそう言うのもあったみたい。まあ、時代の流れも変わって、今は細々とやってるだけだよ」


 歯切れの悪い口調で微妙に視線を逸らして美由希が答える。その様子に、わたしはわたしの想像がそれなりに正しいと納得しつつ、流石にわたしを狙う刺客ではなさそうだと胸を撫で下ろした。そもそも、わたしを殺すつもりならもうわたしは死んでいるのだ。


「わ、わたしのはただの護身術みたいなものです」

「そうなの? それにしては何というか――」

「ほ、本気で殺しに掛かる相手から、身を護る術です」


 それを護身術と言うべきかは微妙だと思うけれど。基本的に攻撃魔法であればクロスレンジからスーパーロングレンジまでを網羅してはいるものの、砲撃魔導師としてのスタイルがわたしの本分だ。接近された敵を魔法と武術を組み合わせてなるべく早急に引き剥がし、有無を言わさず一方的に砲撃して沈めるのが理想的なパターンと言える。


「でも、これは、に、兄さんから習ったものじゃありません」

「それじゃ誰に? いや、普通はお兄ちゃんには習わないんだろうけど」

「えと、色々ですけど、さ、最初は知り合いのねこに」

「えっ?」


 聞き取れなかったらしい。身を乗り出して聞き返す美由希にわたしはもう一度繰り返す。


「ね、ねこに教わったんです」

「いや、猫って、そう言う名前の人? あ、外国人ならそんな変でも――」

「ち、違います。ひ、人じゃなくてねこです。キャットです」

「えっ? リアル猫? にゃんこ先生?」

「あ、は、はい」

「う、うーむ……いや、動物に極意を、と言うのは……でも……ねこ……ねこ……むぅ」


 正確に言えば彼女たちはただの猫ではなかったのだけれど。そう言えば、彼女たちはただの一つも攻撃の技を教えてはくれなかった。わたしは魔法に関しては攻撃魔法にしか適性がなかったので治癒やら捕縛やらの補助魔法ばかり教えられてもさっぱり身に付かなかったのを覚えている。辛うじて適性のあった移動魔法と、最近学び始めた結界術式の土台となる基礎知識くらいしか訳には立っていない気がする。バトンを使った棒術だけは、何度かわたしの命を救ってはくれたのだけど。


「まあ、他流のことだし、色々あるんだろうね」


 わたしが物思いにふけっている内に、美由希は勝手に納得したらしく訳知り顔で頷いていた。そう言う大層な話でもないのだけれど、説明が難しいのでわたしは曖昧に笑って誤魔化すことにする。


「……って、いけない。何でこんな殺伐とした話ばっかり。女の子二人の会話じゃないよ。ごめんね、つまんなかったかな?」

「そ、そうですか? わ、わたしは、嬉しいです」

「え?」

「だ、誰かとこんなに長く話をするのは、初めてかも知れません」


 そうなのだ。考えてみると今日のこれは人生の最高記録にも近いかもしれない。大抵はいつもよく分からない内に睨まれたり罵倒されたり、泣かれたり怯えられたり。だから内容なんて関係はなくて、ただ話をしているだけでもとても楽しい。何の意味はなくても、進展はなくても、何か生産性があるわけではなくても、こうして一緒にいられることがとても嬉しい。


「わ、わたしと話していても、つまらなかったと思いますけど。わ、わたしはただ、とても楽しくて」


 訳の分からないことを言っている自分に気が付いて、やっぱり自分が嫌になる。どうしてわたしは駄目なんだろう。そんなことが言いたい訳ではない。でも、こんなわたしの言うことなんて、きっと美由希にはどうでもいいことで。だったら、言っても意味がなくて。そうじゃなくて。だから、そう言う事ではなくて。
 頭がぐちゃぐちゃになって、わたしはまた情けなくて泣きそうな気分になった。


「まあ、わたしだって実りがあるとか、趣があるとか、そんな話はしてないけど。話そのものが退屈でも、いいと思うよ」


 たまにはこんな風に一緒に時間を無駄にするのもいいと思う。美由希はそう言っておかしそうに笑う。そうだろうか。そうならば良かったと思う。どうしてだろう。それはとても素敵なことだと思う。


「だって、友達でしょ?」

「あ……は、はい。はい!」


 そうだ。それって友達ってことだ。



[20063] Act.11
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/17 19:51
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Act.11 Outside of the Aquarium(1)
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「しょ、正直怒りを通り越して呆れている」

「す、すみません」


 運命の朝が来た。結局わたしは一つも”災厄の種”を集められずに管理局の到着の日を迎えてしまった。あれから毎日、今まで以上に探索に時間を費やしたものの、何か画期的な方法を見つけた訳ではない。結局はなのはやフェイトの封印の後を眺めるばかりで、”災厄の種”を集めるどころか彼女たちと話をすることも出来なかったのだ。そうこうする内に、今日はもうなのはから聞いた”アースラ”の到着予定日。わたしは朝起きたままの状態で、何の成果も上げられなかったことを彼に報告し、彼は今までとは打って変わって穏やかの口調で告げたのだ。


「そ、それでこれからどうする積りだよ? い、言っておくが管理局と協力するのは認めないからな」

「え、あの、でも、なのはは管理局についたので、せ、戦力的に敵対するのは無謀です」


 幾らなんでも次元航行艦を相手に個人で戦えない。魔導師は数の暴力を覆せるとは言え、”アースラ”にはわたしと互角に戦える魔導師である兄さんがいる上に、魔導師としての実力ならばわたしよりも圧倒的に上の母さんまでいるのだ。それに加えてなのはとユーノと言う協力者が敵にまわっては勝てる訳がない。


「ま、マリィ教区長からは新しい命令は来ていない。ほ、方針は変えられない」

「そ、それなら新しい戦力は出せませんか? か、数が足りないんです」

「お、俺にそんな権限はない。だ、大体お前がもたもたしてるからだろ。な、何で俺に責任を押し付けようとしてるんだ!」

「え、そ、そんなこと、あ、ありません」


 確かにわたしがへっぽこなのが悪い。でも、ここに至ってはもう個人の力でどうなる次元を超えている。ただ”災厄の種”を回収するだけでも手に余り始めたというのに、組織と戦うには必要な物が足りな過ぎるのだ。
 とは言え、そもそもアクアリウムには人がいない。わたしと彼の二人が今ここに派遣できる最大戦力なのは間違いないだろう。


「と、とにかくどうにかしろよ。お、俺は一度アクアリウムに戻る」

「えっ?」

「な、何だよ。じ、自分のミスは自分で挽回しろ。当たり前だろ」

「そ、そんな」


 そんなのってない。命令が変更されていないなら、わたしは”災厄の種”を集めなければならない。でも、管理局が出てきた以上は組織力と技術力を使って根こそぎに回収してしまうだろう。わたしはただでさえなのはやフェイトに後れを取ってきたのだから、待ちの姿勢では絶対に勝ち目はない。かと言って攻めるか。そんなのは馬鹿馬鹿しさに過ぎる。象に挑む蟻に等しい。


「む、無理です。こんなの無理です」


 この作戦には勝利条件がない。無理なものは無理だ。


「う、うるさい! み、三日で戻るからそれまで何とかしろ!!」


 引き止めきれず、わたしは転送装置に向かう彼を見送った。あっという間もなく彼の姿は光の中に消える。これでわたしは一人ぼっちになった。






「どういうことですか、これは? メイスフィールド幕僚長代理」

「えー? そう言うことですよぉ?」


 次元航行艦アースラ艦長室のモニタに大写しされた人物――マリィ=アリス=メイスフィールド艦隊幕僚長代理にリンディはともすれば罵声になりかねない震えた口調で問い質していた。対するマリィと言えば、いつもの甘ったるい調子の間延びする声で小ばかにするように返す。嗜虐心が溢れて零れそうなその様子に、リンディの脇に控えたクロノは苦渋に満ちた内心を悟られまいと不自然な無表情を努力して維持していた。
 当然、その程度のことは見抜きつくしているマリィは、年齢に比して腹立たしいほど少女然とした仕種でくすくすと笑う。


「クロエ特別調査官はもう一月も前からあなた方の艦の勤務ですぅ。ちょっと現地には下見に行って貰ってましたけどねぇ? だから、前みたいに誤認逮捕なんてしちゃ嫌ですよぉ」

「白々しい真似をなさいますね。幕僚長は承認された辞令ですか?」

「はぁ? 幕僚長代理は全ての権限を代理出来るんですけどぉ? と言うか、一介の提督ごときに司令部の人事発令を詮索する権限なんてありませーん」


 リンディより年上の癖に下手をすれば十台の少女にしか見えない外見と、世の中を嘗めた小娘の口調が非常に苛立たしい。これが素という訳でもなく、他人を侮辱してからかう為だけにキャラ作りをしていると言うのだからその性格の悪さは詳らかに語るまでもないだろう。


「では、クロエ特別調査官の任務とは?」

「調査活動に決まってるでしょぉ? ロストロギアの蒐集、調査、実験、ならびにそれに付随するあらゆる工作活動――って、本局の職務記述書の特別調査官の項に書いてありますけどぉ? リンディちゃんも提督ならそれくらい読んでおいて下さいねぇ?」

「くっ――そうではなく、クロエ特別調査官が本件において指示された作戦概要の説明、及び指揮命令権の委譲を願います。これは、アースラ艦長の名前で司令部へ正式に要請するものです」


 アースラの勤務であるというなれば、少なくともリンディたちが正式な要請を受けて出動している以上は、一人だけ艦長の与り知らぬ特別な任務を帯びたスタッフなど存在してはならない。これが一介の局員であればまだしも執務官に相当する権限を有した特別調査官とあっては、最悪の場合指揮系統が壊滅してしまう恐れがある。


「んー? 却下しますぅ」

「何を馬鹿な!? 前代未聞です!」

「いいえぇ? 答えはノー、ですよぉ。何故なら特別調査官の身分と権限は最高評議会の名の下に保証されていますぅ。加えて、任務の性質上、特別調査官は特別調査室のみに責任を負い、特別調査室室長もしくは本局統合幕僚会議議長又は古代遺物管理部部長たる幕僚が指定する司令官以外には指揮権は認められていませんからぁ。そもそも、所属の違う次元航行艦隊が古代遺物管理部の業務に口出し出来る訳ないでしょぉ?」

「だったら! この辞令そのものが成立しないでしょう!?」


 馬鹿にするのも大概にするべきだ。所属が違うと言うのならば、艦隊幕僚長代理たるマリィの権限で古代遺物管理部所属のクロエを勝手に配置換えすることなど出来るはずがない。その権限があると言うことは、即ちクロエに対する命令権があると言うことに等しいではないか。これでは、クロエはマリィが所有する便利な道具になってしまう。


「しますよぉ? あたしは特別調査室顧問ですしぃ、特別調査室室長の委任状もありますからぁ」


 可哀想なものでも見るような眼でマリィはリンディを見下ろした。リンディの端末に特別調査室室長の署名がされた委任状が転送される。その特別調査室室長の権限で本局統合幕僚会議から要請された特別調査官の派遣が認可されていた。遡ってその特別調査官の派遣要請は艦隊司令部からの陳情によって認可されていて、本局統合幕僚会議には艦隊幕僚長代理であるマリィ自身が出席し、これを承認している。起案部門が艦隊司令部であるのだから、当然にして決裁権はマリィに存在している。
 殆どの承認欄がマリィの名前で埋まった稟議書を愕然と眺め、リンディはきっと奥歯をかみ締めた。これでは稟議の意味がない。自分で起案し、自分に回覧し、自分で承認し、自分で決済している。統合幕僚会議に掛かった事だけが内部牽制になっているものの、この程度の人事事項ならば根回し次第で何とでもなるだろう。恐るべき権力の腐敗と言う他はない。
 クロノはリンディから許可されてその稟議書を閲覧すると、眉根を寄せて呻き声を上げた。


「分かりましたかぁ? あと、念のため注意しておきますけどぉ、特別調査官は任務遂行の独立性を保証されていますぅ。リンディ提督ならびにクロノ執務官は、その権限においてクロエ特別調査官に助言と要請を行う事が出来ますがぁ、クロエ特別調査官はこれに従う義務はありませんのでぇ」


 全く実効性のない権限であるが、それは裏を返せば一般のスタッフであれば助言も要請も出来ないことになる。リンディとクロノ以外の――提督や執務官たる職権を持たない――スタッフがクロエに対して何らかの助言や要請を行った場合、クロエは妨害行為を理由に武力を持ってそれを排除する権限を有するのだ。それは馬鹿げた権限に過ぎないが、特別調査室室長自らがその権限に基づいて局員の武力排除を実行した前例があるため、一笑に付することは出来なかった。それが特別調査室が管理局の秘密警察と揶揄される所以でもある。
 補足するならば、特別調査官とは古代遺物管理部部付特別調査室の室員たる魔導師であって所定の能力検定に合格した者のみに認定される資格である。その権限は執務官にも準じ、ロストロギアに関する調査に付随する一切の活動については執務官を凌駕することすらある。古代遺物調査に関する特別条項に該当する事例の場合、管理外世界におけるあらゆる破壊活動、殺人行為すら黙認されると言われているのだ。
 一部の執務官からは特別調査官は次元犯罪者と変わらないとさえ声高に噂されているらしい。


「――了解しました。ですが、ロストロギア調査ではなくロストロギア犯罪の捜査においては執務官の権限が優越することをお忘れなく」


 捨て台詞のように発されたリンディの言葉にマリィはにっこりと笑みを深めてから、唐突に顔面から感情を消し去った。


「だからなんだ? 性懲りもなくまたクロエを拘束でもしてみせるつもりか?」

「さて、どうでしょう? あなたも好き勝手ばかりが過ぎると身を滅ぼしますよ」

「笑わせる」


 余所行きの口調をかなぐり捨てて睨み据えるリンディを愚者を見る眼差しで侮蔑する。遥か高みにある自分を強く信仰し、彼女はまるで揺るがない。彼女は迷わない。彼女は厭わない。彼女は悔いない。彼女は間違わない。故に正しい。本気でそんな事を信じているのだ。リンディからしてみればそれは狂人の思想でしかない。


「クロエは絶対に返しませんよぉ? きゃははははははははははぁ」


 マリィは再び表情を取り戻して、如何にも可笑しそうに笑った。






クロエ=ハラオウン殿

                        新暦65年 4月 1日
               時空管理局本局次元航行艦隊司令部
                              幕僚長代理
                   マリィ=アリス=メイスフィールド


                辞 令

新暦65年4月1日付けをもって次元航行艦隊所属巡航L級8番艦アースラ
での勤務を命ずる。
なお、本籍は古代遺物管理部部付特別調査室とし、引き続き特別調査官
の任務を継続するものとする 。

                               以 上






「相変らず腹が立つわ、あのロリババァ!!」


 モニターから笑い声が消えると同時に、リンディは艦長室の机を思い切り叩きつけた。それから苛立ちを沈めるように、新しいお茶に致死量級の砂糖を混入させて一気飲みする。気持ちは分からないではないとは言え、クロノはそのおぞましい光景に口元を押さえて顔を背けた。もう何か忠告も助言もする意思も失せているので、精神衛生上はなるべく目にしない他はないのだ。しかし、これほど酷い食生活を続けていて肥満にもならなければ病気にもならない、それどころか何時までも若々しいリンディの体は一体どうなっているのかが理解できない。いや、息子としては母親が健康であることは喜ばしくはあるのだが。いつか唐突に倒れそうで時折心配になったりもする。


「しかし、毎度のこととは言えやり方がいやらしい。今度は一体何を始めるつもりだ?」


 そもそも、慢性的に人手不足の管理局で執務官として任務に当たっていて、年に何度も特定の他部署局員と鉢合わせることがおかしかった。絶対に何かあると訝しんではいたものの、今回はついにあからさまな真似をされてしまったようだ。


「大体にして怪しいのよ。事件の当事者であるユーノ=スクライアから通報を受けたのが先週のこと。それなのに既にクロエを現地に派遣していたですって? しかも、辞令が出たのは事故よりも前――疑ってくれって言っているようなものだわ」

「マッチポンプだと?」

「十中八九はね。ただ、それは滅多に口にしない方がいいわよ」

「分かっています――人間不信になりそうだ」


 リンディは苦しげに唸る息子の姿に掛けるべき言葉を迷う。管理局は何時からこうなってしまったのか。いや、本当はずっと前からこうだったのかも知れない。リンディが知る限りにおいても怪しく思えることは幾つかありはした。ただ、現場レベルでの局員は強い使命に燃え、そうしたきたない政治的思惑とは無縁であったし、彼女自身も疑うことを無意識に避けていた節はある。
 それが変わったのは二つの転機から。一つは彼女が夫を失ったとき。もう一つは彼女が娘を奪われた時だ。特に、あの魔女マリィ=アリス=メイスフィールドに請われて特別調査室なる怪しげな部署に娘を就任させてしまったことが悔やまれる。普段はまるで自己主張をしない彼女が初めて自分で選んだことなのだからとクロノと二人で祝福したことを覚えている。だが恐らくあればクロエが選んだのではない。あの魔女に選ばされたに違いないのだ。その証拠に、一年後に会った娘は別人に変わってしまっていた。確かにどこか危うい部分はあったにしても、あれ程歪んではいなかった筈なのだ。


「さて、任務の話をするわ」

「はい、艦長」


 リンディの説明にクロノは居住まいを正す。いずれにしても出来ることを出来るだけやるしかない。クロエがここに来ている以上は、どうせ碌でもない事件が起こっていることは容易に想像が付く。特別調査官の実態などいまだにさっぱり分からないが、何か酷く後ろ暗い仕事らしいことは知っている。マリィの私兵。管理局の秘密警察。政治的理由での管理局幹部の暗殺や管理外世界でのロストロギアの危険な実験行為など黒い噂は幾らでも聞く。今のところクロノが知っている調査室室員はクロエと室長の二人だけではあったが、それだけでも噂が事実無根ではないと想像できた。
 尤も、厄介なことにクロエ自身に何らの自覚もないことだろう。恐らくは自分の立場すら正確に認識できていない。まさにマリィの体の良い玩具だ。彼女は最早クロノ達の言葉など聞く耳を持たないし、接し方を間違うと殺し合いにすらなってしまう。
 クロノは彼女との数々の記憶を脳裏に思い浮かべると、酷く重い気分になって深々と溜息を吐いていた。


「……」

「――と言う訳で、この”ジュエルシード”の危険性は極めて重大で早急な回収と封印が望まれ――クロノ執務官?」

「……っ、申し訳ありません」


 珍しく任務中に考え事に没頭してしまったクロノは、己の迂闊さに歯噛みして謝罪する。リンディはその様子に艦長としての姿勢を崩すと、クロノに着席させてお茶を勧める。クロノは素早く湯呑みを奪い取ると、砂糖の茶漬けにされる前に一気に飲み干した。熱いお茶が酷く心地良い。とても喉が渇いていたことを自覚する。彼はただ立会人として同席していただけにも拘らず。マリィとの対面に強いストレスを感じていたのだ。


「ふぅ……しっかりしなさい、とも強く言えないわね」

「いえ、僕が未熟なだけです」

「無理もないわ。私も参りそうよ。でも、ただでさえ危険なロストロギア。事件性もありそう。クロエのことがなくても油断は絶対に出来ないわ」

「勿論です。ただ、最悪の事態だけはあいつが何とかするでしょう。これを信頼と呼ぶべきかは悩むところではありますが」


 その結果どれだけの小さな悲劇が撒き散らされるかは分かったものではないが。クロノの気が重いのは既に手遅れであると言うことだ。あの不肖の妹は最初から引き算を始めてしまう。何を取り除けば残りが最大になるかをまるで強迫観念のように求めるのだ。それで救えるものもあるだろう。だが、救えたはずのものまで救えなくなってしまう。幾ら期待値だけを追求しても、本当の最高値には届かないのだから。


「それでもあの子は万能じゃない。むしろかなり抜けてるわ。誰に似たのかは知らないけど」

「……」

「何かしら?」

「いえ」


 微妙に目を逸らしてクロノは小さく咳払いをした。


「いずれにしてもクロエに勝手をさせると捜査に支障を来たす可能性がある――リンディ艦長。僕はクロエ特別調査官の即時拘束を提案します」


 過激な上に性急、更に最上級の上司の方針には真っ向から逆らっている無茶苦茶な提案であると自覚しつつ、クロノはこれが最上と確信していた。クロエについてはこれまでの散々な経験からそれしかないと断言できる。捕まえて何もさせないことが肝要だ。彼女の余計な行動の所為でクロノのプランが何度崩れ、一体何人が無駄に死んだのか数えるのも嫌になる。
 だが、それでもいつでも最悪の結果には至ったことがない。それがクロノには堪らなく悔しく、我慢ならなかったりもするのだが。


「そうね。でも、拘束する名目はない」

「それは……一年前のエーバート一等陸尉殺害容疑の名目を利用します」

「あれは救助活動中の事故であると本局から正式に声明が出ているわ」

「地上本部からの手配は取り下げられていません。本局の声明は考慮に値しないでしょう」


 元より事件の捜査権は担当執務官であるクロノの管轄を離れていない。本局の声明が事実上の捜査禁止命令であっても、管理局の法に従う限りはクロノの言い分が通らない道理はないのだ。


「無謀だわ」


 だが、道理が通らない相手は存在する。


「藪を突付いて蛇が出る結果になりかねない」

「承知の上です。それに、本気で取調べを行うつもりはありません。これで何かを仕掛けてくるほど彼女も見境無しではないでしょう」

「……賛同はしかねるわね。やはりクロエ特別調査官の即時拘束は認められません」


 リンディは悩みつつもクロノの提案を却下する。薄々予感はしていたのか、クロノもそれ以上は訴えることはなかった。マリィの動きはこれまで以上に大胆になっている以上、確かに慎重になるに越したことはない。愈々彼女は何かを始めようとしている可能性がある。


「しかし、野放しには出来ません」


 だからと言ってクロエを放置する案はない。実利的な意味でも、それ以外の意味でもだ。クロノはその点だけは覆すつもりはなく、先ほどよりも強い口調で訴えた。


「では、クロエ特別調査官に本件捜査の全面支援を要請しましょう。勿論、アースラの指揮下に入って貰う条件で」

「でも、私たちにあの子に命令する権限はないわ。自主的に指揮下に入ってもらわない限りはね。それが可能だと思う?」

「可能にするしかありません」

「…………」


 クロノらしくない精神論的な訴えに、リンディは艦長としての判断と母親としての判断を瞬時に下す。何れにせよ、選択肢は多くない。放置すると言う策がアースラの作戦遂行上最悪の下策である事は否めず、最終的にリンディは渋々と頷かざるを得なくなった。


「いいでしょう。提案を受諾します。では、クロノ執務官、具体的なプランの立案を。三時間以内に作戦概要を纏めて関係者へ通達して下さい」

「了解」

「……じゃあ、取り敢えずエイミィに説明に行きましょうか」


 リンディは暗い顔をして呟いた。クロノはその様子にもう一つ気が重くなる事情に思い至って頭を抱える。そう言えば、エイミィのことをすっかり失念していた。彼女にはどう説明するべきだろうか。いや、どう言い繕ったとしても結果は変わりはしないのだが。


「あの子、大丈夫かしら」

「随分トラウマになってたみたいだから、クロエに協力要請をするなんて言ったら辞表を提出する可能性も」

「やめて頂戴。頭が痛いわ」


 エイミィは嘗てクロエに文字通り殺され掛けたことがあった。間一髪でクロノが割って入らなければ確実に殺されていただろう。全ては些細な行き違いの結果ではあったが、それで殺される方は堪らない。その後の壮大な兄妹喧嘩――などと言うのも生易しい凄惨な殺し合いで二人とも全治三ヶ月を越える重症を負うに至ったことも記憶に新しい。
 余計なことまで思い出して、クロノは思わず眉を顰めた。痛みがぶり返してきた気がしたのだ。勿論それは気のせいでしかなかったのだが。

(…………?)

 そこでふと、クロノはリンディか自分を見つめていることに気付いた。


「母さん?」

「身勝手なのかしらね、私は」

「……今のところ、クロエは管理局の如何なる法にも触れていない」

「そう言うことじゃないわ。クロノだって分かっているでしょう?」

「そうだね。だからって、あいつは何を償うべきなんだ?」


 理不尽に殺害された無辜の人々の為に? 仕方がないと言う理由で切り捨てられた彼らには、確かにクロエを糾弾する資格がある。だが、何をもって償いとするのだろう。殺された人間は生き返らないし、クロエが殺さなくともきっと死んでいた。それを直ぐに決め付けるクロエは絶対に正しくはないし、クロノには認められない。しかし、その罪を指弾出来るほどにクロノは傲慢なつもりはなかったのだ。


「上手く気持ちが纏まらないわ。でも、それでもあの子は悪くないって考えてしまう私は、きっと酷い人間に違いないのよ」


 クロノは複雑な面持ちで頷きかけ、結局は思い直してゆっくりと左右に首を振った。


「……僕は、母さんはそれで良いと思う」


 無条件に許してやれる誰かだって、クロエには必要じゃないかと思うのだ。






「そ、そんな、ど、どうしよう」


 わたしは暫くの間、彼が去って言った転送装置を呆然と眺め続け、そんな場合じゃないと思い直して我に返る。何とかしなければならない。個人で挑むのは無理だ。でも、アクアリウムからの増援は頼れない。今ある戦力を使うしかない。なのはは管理局に付いた。残る戦力を考えると、後はフェイトしか考えられない。

(で、でも、敵だって言われて)

 騙されただけかも知れないけれど、それならまだいい。そうでなくて、本当に敵だと言うなら手詰まりになる。わたしは泣きそうになりながら考える。何かいい方法を。起死回生の策を。けれどもそんなものは思いつかない。思いつくくらいならこんな事態にはなっていないのだ。

 結局わたしは三十分近くを考えて、どうしようもないことだけを確認した。考えられる計画の中で残ったのは余りにお粗末な唯一つだけだった。と言うより、最早それしか選択肢は残っていない。


「ふぇ、フェイトのところに」


 もう味方はそこしかない。隣の部屋にはまだいるだろうか。わたしは着替える間ももどかしく、何時かと同じようにパジャマのままで玄関を飛び出した。



[20063] Act.12
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/17 09:32
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Act.12 Outside of the Aquarium(2)
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 ”アースラ”との交信を切断すると同時に、マリィはスピーカーの電源を落としたように笑い声を止めた。打って変わって能面の張り付いたような無表情に戻ると、彼女は横合いから差し出されたコーヒーに手をつけた。ミルクはたっぷり、砂糖はたくさん。最早コーヒーではなくなったそれを一頻り啜り、彼女は執務机ごしに直立する腹心の部下へ向けて曖昧な問いかけを行った。


「どうかな?」

「少々あからさまかと」


 軍人然とした実直な調子で答えたのは外見年齢的にはマリィより幾らか年上に見える若い女性だった。背筋を真っ直ぐに伸ばし、両手を腰の後ろで組んで身動ぎもしない。とは言え、その表情までは完全ではなかった。鹿爪面を保とうとしたまま、そこには僅かに呆れが垣間見える。


「ふむ」


 コーヒーカップには溶け残った砂糖がゲル上に堆積していた。マリィはそれをスプーンで浚い、徐に口を開いて嘗め取った。対面の女性が嫌そうに眉根を寄せる。


「糖分は脳に良いのだぞ」

「ならば適量のご摂取を」

「私には、これが適量だ。故に、これほど若々しい」


 マリィは有難い忠告を華麗に無視すると、残りの砂糖を全て喉に落とす。この旨さが分からないとは人生の半分を損している。そもそもこういう時のために魔法を研鑽して来たのだ。手軽にカロリーを発散できる美容魔法の実践においては管理局でも有数であると自負している。何故こうした魔法が流行しないかは謎である。優秀な魔導師に美しい女性が多い理由に関する論文が必要であれば幾らでも認めてやるのだが、以前それを最高評議会に提出した時は無言で削除されてしまった。だから老人は駄目なのだ。考えようによっては、これこそ不老不死の研究ではないか。いつか泣きついて来たときには思い切り足元も見てやるとしよう。


「さて、それでは作戦の話を。ヴァネッサ、そろそろプレシア=テスタロッサ女史の住まいは特定出来そうかね?」

「有力な情報を入手済みです。後三日ほど戴ければと」

「結構。しかし充分だ。リンディ提督が心温まる母娘喧嘩に興じている間に全ては終わる」


 娘のことになると視野狭窄気味になる彼女を誘導することはそう難しくはない。些細な事実を大げさに装飾することで彼女はありもしない陰謀の影に囚われることだろう。残念ながらマリィ=アリス=メイスフィールドは管理局においてはそれほど大きな権限を得ていない。艦隊幕僚長代理とは言っても実態は名誉職でしかないのだ。実際、彼女は次元航行艦隊内に自由に運用可能な部隊を殆ど有してはいない。
 これまでの功績を盾に漸く特別調査室の設立を認めさせたものの、予算は足りず人材の確保には常に窮している状態だ。加えて、古代遺物管理部の面子を保つ必要から、特別調査室を自らの管轄する次元航行艦隊直轄に出来なかったことも現状の面倒な体制を作り出した原因となっている。
 全く、自分の部下を呼び出すのにわざわざ稟議が必要などと、馬鹿げたこともあったものだ。その馬鹿らしさは艦隊司令部は言うに及ばず、本局統合幕僚会議も承知している為、毎度意味のない自作自演稟議を作成するだけに手間が止められてはいるのだが。尤も、この面倒さが有事においてはマリィを縛る足かせに変貌するのだろう。最高評議会には余程信頼されていないとみえる。


「しかし、見たか? リンディ提督のあの愕然とした表情を。管理局の暗部を見たりと言わんばかりだった。実際には恥部に等しい訳だが」

「悪趣味な。あなたは彼女の言うのとは別の意味で、いつか酷い目に遭いましょう」


 流石にそれはどうかとヴァネッサは思う。彼女は幾らなんでもマリィの性格の悪さを肯定することが出来なかった。確かに、作戦遂行上の必要性から”アースラ”をクロエに釘付けにする理由はあったかも知れないが、誰かの本当に大切な部分を玩ぶようなやり方には共感が難しい。


「この程度の悪戯は私の精神健康上の最低限の権利だと思わんか?」

「それでクーデターに発展した場合は鼻で笑って差し上げます」


 これまでの行動を振り返ると、ヴァネッサにはそれも充分にありうる未来予想図に思われた。各部署の不信は相当なものであるし、彼女が室長を務める特別調査室の悪評は目を覆わんばかりのものになっているようだ。確かに、根も葉もない噂ばかりではないとは言え、悪戯に挑発的な行動を繰り返さなくとも良いではないかと思う。


「馬鹿馬鹿しい。この程度に踊らされて癇癪を起こす劣悪など、私が直々に剪定しよう。行動的な阿呆は組織を破滅させるからな」

「あなたに言われては浮かばれませんね」

「全く問題はない。私は私のあらゆる行動を確信している。良いか? 管理者とは神だ。迷いの残る神など悪神であるから存在しない方が良い」

「あなたは善神だと?」

「絶対神である――そう信仰しなければならない」


 狂人の論理をマリィは躊躇うことなく答えた。この信仰こそが彼女の根幹を支えている。神は揺るがない。神は迷わない。神は厭わない。神は悔いない。神は間違わない。故に正しい。そうであるからこそ、人間を導く権利を有するのだ。人間では人間を正しく管理することは出来ない。管理者は神でなければならない。

 彼女の確信に満ちた様相にヴァネッサは頭を抱えて溜息を吐いた。マリィは優秀な人間ではあると思うが、こういう行き過ぎた部分にはついて行く事が出来ない。いや、その思想の根底にある理屈は分かるのだ。彼女とて、現状の管理局のロストロギア対策に対する認識の甘さには日々苛立たしい思いをしている。必要な破壊を、必要な殺傷を、躊躇ってはならない場面は確かにある。特別調査室は悪鬼と罵られようとその必要を実践しなければならない。ただ、自らを絶対神とまで信仰することは難しいのだ。

 そこまで想到して、ヴァネッサは頭を切り替えた。いつの間にか話が脱線している。作戦のことに思考を戻さなくては。
 作戦は今のところ順調。クロエは想定通りに色々とやらかしてくれた。現状の各勢力の注目は彼女に集まっていると考えて良い。懸案事項であった”アースラ”も性格の悪いマリィの誘導には騙されてくれそうだ。ただ、最後の難関が残っているのだ。


「しかし、プレシアが取引に応じるかどうか」


 特別調査室はあらゆるロストロギアとそれに付随する技術を蒐集しなければならない。”ジュエルシード”そのものだけではなく、その運用技術を有する優秀な技術者の確保も必要なのだ。ただ封印して保管することが目的ではない。解析し、理解し、それを最早ロストロギアでなくしてしまうことが彼女達の理想であった。次元犯罪者であると言う理由で、プレシアの逮捕や殺害などされては堪らないのだ。それでは”ジュエールシード”はただの”災厄の種”で終わってしまう。それでは意味がない。全てを蒐集しなければならない。


「応じる可能性は高い。我々の宝物庫には彼女の興味を惹くものも多い」

「しかし、彼女の管理局への不信は拭いがたいもののようです」


 ”ヒュードラ”の事故により全てを失ったプレシアはその原因が管理局にあると確信している。ヴァネッサは特別調査室の調査結果からそれが逆恨みとは言えないと認識している為、特別調査室が管理局の組織である以上は取引に応じない可能性が高いと考えていた。最悪の場合はアリシアの遺体を人質にするプランが考えられるが、今後の研究協力を考えるとそれも上策とは言い難い。そうなると、方法は限られるのだが、果たしてマリィが承諾するか。ヴァネッサは無意識に彼女の上司の横顔を見つめていた。


「ふむ、それがベターだろう」


 マリィはヴァネッサの期待に気がついたのか、提案を受けるまでもなくそれを受諾してみせた。


「ヴァネッサはアクアリウムに要請を。作戦を第二段階へ移行せよ」

「イエス、マム」


 完璧な敬礼とともに命令を受諾し、そのまま行動を開始しようと踵を返したヴァネッサは、ふと気になることを思い出して扉を半開きにした体制で振り返った。マリィの悪辣さは言うまでもないが、一つだけ不可解な部分があったのだ。


「そう言えばマリィ。事故前にどうやってクロエの辞令を?」


 そう、その点が不可解だったのだ。スクライアの少年が管理局に通報する前にクロエを派遣できたことは不思議でも何でもない。むしろ、危険なロストロギアの散逸に通報がある前に出動できなかったことが問題なのだ。ヴァネッサはただ事故発生の情報を入手すると同時にクロエの派遣を決定したに過ぎない。しかし、事故が発生する前からクロエを”アースラ”勤務にするとは一体どういう魔法を用いたのか。


「ふむ、半ば偶然。半ば嫌がらせだ」

「と言うと?」

「私は毎月、特別調査室室員全員分の派遣要請稟議を起案させられている。自作自演の形骸化した稟議だ。派遣先は次元航行艦隊内なら何処でも良い。所詮は指揮命令権上の名目なのだからな」


 そこまで聞いて、ヴァネッサは得心が行って大きく頷いた。と、同時に苦笑いを浮かべる。


「それでクロエは”アースラ”に?」

「毎月派遣し続けてやったぞ。当然、クロエの不祥事は全てリンディ提督の査定に反映してやった」

「最悪ですね、あなた」

「何を言う。一家全員を同じ職場に配置するなど、私は部下思いの上司の鏡ではないか?」


 悪びれもせず、マリィはにっこりと可憐に笑った。






「え、あ、あれ?」


 隣の部屋はもぬけの殻だ。魔法で鍵を破壊して強引に突入した結果は何の生活の痕跡も残さない殺風景なものだった。隣にフェイトが引っ越してきたことは間違いがないはず。わたしはそれを直接確認したし、初めて彼女に邂逅したときには、彼女は間違いなくこの部屋から出てきたのだから。だとすると、わたしの気が付かないうちに彼女はここを引き払ってしまったのだ。理由は良く分からない。味方とは言えないわたしと本拠地と近くに構えることに抵抗があったのかも知れない。わたしはパジャマのままでがっくりと項垂れると、寒々しいフローリングに両膝を突いた。


「こ、こんなのって、酷い、です」


 誰が、と言うわけではないと思う。フェイトはフェイトなりの考えがあってのことだとは思うし、わたしと彼女は仲間ではなかったのだから挨拶をする義理もない。だけどこんなのは酷い。だって彼は行ってしまった。アクアリウムは助けてくれない。フェイトも行ってしまった。なのはももういない。わたしの味方は何処にもいない。
 わたしは眦に涙が溜まるのを自覚する。泣いたって仕方がないのに。何も変わりはしないのに。でも、何かを変えようとして泣くほどわたしは器用でもない。

 これからどうするべきだろうか。これまで通りのやり方では何も変わらない。それどころか、迂闊に封印後の現場に出て行ってしまえば兄さんたちに拘束されるだけに違いない。もう少し慎重に行動する? それはもっと下策だ。わたしがそうして迷っているうちに、全ての”災厄の種”が回収され尽くしてしまう事は想像に難くない。その程度のことを実現するのは、母さんが本気になりさえすれば三日もあれば充分すぎる時間だ。そうでなくとも、エイミィだって結構優秀だ。それに、”アースラ”は人海戦術という奥の手も使える。

 やっぱりこういう任務ではわたしは役立たずだ。活性化した”災厄の種”が撒き散らす悲劇を殺傷して収束させるしかない。活性化する前に”災厄の種”を見つけ出すことは出来ないし、封印術式の行使も出来ない。折角手に入れた”災厄の種”もその所為であっさりと失くしてしまった。考えてみるとこの任務はとても難しい。難しすぎる。今までのように、何を破壊して誰を殺せばいいのかが分からない。それに、それだけでは終わらない。最初からわたしには、どうしようもない任務だったのだ。アクアリウムには人がいないといっても、幾らなんでもこれはミスマッチだ。

 ともすれば恨み言になりそうな卑屈な思考に蓋をする。嘆いていても仕方がない。どちらにしてもマリィ先生の命令は変わらない。わたしには”災厄の種”を集めるしかない。最初はとても簡単そうに思えた。発動すれば何らかの災厄を撒き散らす。傍にいる誰かを殺せばいい。それだけなのだ。だけど、それも競争者の存在で全てが覆った。高度な探索魔法と封印術式を行使するわたしにとっては反則に近い競争者だ。そんな優秀な魔導師が何組もこんな辺境の管理外世界に一度にやってくる確率など天文学的に低いはずだから、これは人選のミスとも言えないのかも知れない。

 いけないと思ってもネガティブな思考ばかりがぐるぐると脳内を回る。だってこんなのはおかしい。論理的に考えて、わたしが勝利する確率が低過ぎる。不確定要素があったにしても、どうしてそのフォローがないのか。何故、今になっても命令が変更されないのか。何故、彼はアクアリウムに戻ったのか。分かりやすい回答は一つだけある。


「わ、わた、し……す、すて、られた?」


 失望されてしまった。要らないと言われてしまった。こんな簡単なことさえ出来ないわたしは、いても仕方がない。だって彼は言っていたのだ。怒りを通り越して呆れたと。わたしは努力した。だからなんだ。努力の有無に関わらず、この世界は結果によって紡がれている。結果が出せない以上は、わたしは何の意義も生み出していない。


「あ、で、でも……三日で戻る、って」


 何の疑問もなくそれを受け入れていたけれど、それは裏を返せばわたしに通告する最終期限だったのかも知れない。つまり、三日以内に何らかの成果を示さない限りはわたしを切り捨てる判断をすると言う。それは被害妄想かも知れない。彼はそこまで冷たい人ではないし、マリィ先生だって、ヴァネッサだってそうだ。本当はこんなことを疑うわたしの方が酷い子なのだ。でも、それでも嫌な想像は脳裏から振り払えない。
 一人は怖い。一人は辛い。一人だとしても、誰かが迎えに来てくれると知っていればこんなにも不安じゃなかった。わたしはループする思考に完全に嵌ってしまって、無意識のうちに顔を覆って涙を流していた。

 駄目だ。こんなのじゃ駄目だ。泣いている暇があれば、わたしは”災厄の種”を回収する方法を考えなければならない。無理だと決め付けるな。他に方法はあるかも知れない。便利な魔法を使えなくても、考えるのはわたしにも出来る。そうやって不得意を補うことで、わたしは攻撃魔法だけで強敵と戦えるまでになった。ヴァネッサはわたしを強いと言ってくれた。こんなところで負けてはいられない。負けてはいられないけれど。


「だ、だけど。た、立てない、立てないよ」


 駄目なのだ。自分の思考が酷く不安定なのを自覚しつつ、わたしは結局立ち上がれずに両手を突く。


「誰か、助けて。ひ、一人は、嫌です」

「……クロエ……?」


 わたしが思わず弱音を吐いた瞬間に、遠慮がちに震える声が掛けられた。






「やめようよ、フェイト。あんなところに戻ったらあいつに鉢合わせてしまうかも知れないじゃないか」


 もう何度繰り返したかも知れないアルフの忠告にフェイトはやはり耳を貸すことはなかった。迷うこともなく一直線でかつてのマンションまで飛行する。フェイトとて危険は承知していたのだが、これだけは譲ることが出来なかったのだ。とは言え、そんなフェイトの都合にアルフまで巻き込む必要はない。フェイトは飛行魔法を維持したままで姿勢だけ傾けてアルフへ向き直った。


「アルフ。危ないから、無理について来なくても良いんだよ?」

「何言ってるんだよ、フェイト。危ないから付いて行くんじゃないか」

「でも……」

「でもじゃないよ。フェイト一人であいつに鉢合わせして、何かされたらどうするのさ」


 アルフはあの残酷な魔導師――クロエがフェイトにしたことを忘れていない。あんな風に無駄に犠牲を積み上げて、フェイトにもその責任があるといわんばかりに追い詰めた。フェイトの泣き顔が目に焼きついて離れない。フェイトを泣かせたクロエを許すことは出来ないのだ。


「…………」

「フェイト?」


 怒りに牙をむき出しにするアルフの様子を見て、フェイトが何故か悲しむような眼で見ていることに気がつく。アルフはそれを訝しんで、彼女の顔を覗きこんでいた。急に近づいてきたアルフの顔に驚いたのか、何か考え事をしていたらしいフェイトは小さく悲鳴を上げて目をぱちくりと瞬かせる。


「どうしたんだい? 一体――っ、もしかして、まだ調子がっ」


 アルフはフェイトに慌てて詰め寄った。フェイトはクロエとの一件以来、酷く調子を崩していたのだ。夜は毎日魘されているようだったし、食事は今まで以上に喉を通らない。”ジュエルシード”の探索に出ていても、ふと気がつくとぼんやりと遠くを見つめているようなことが何度かあったのだ。

 アルフの様子にフェイトは小さく笑って、大丈夫、とだけ告げる。確かにもう大丈夫だった。それに、考えていたのはそう言うことじゃない。


「アルフ、私はずっと考えてたんだ」

「? 何をだい?」


 あの時のことは今でも夢に見る。クロエのしたことを許せる訳でもない。あんな風にたくさんの人を殺して、治療もせずに眺めているだけなんて酷いことだ。だけど一つだけ引っ掛かっていたことがあるのだ。


「……あの時、もしクロエがああしなかったら、何人が死んでたんだろうって」


 考えてみればフェイトには何も出来なかった。元々砲撃魔法は得意とは言えないし、広域を攻撃可能な儀式魔法は時間が掛かりすぎる。何より、それでは護るべき人を巻き込んでしまう。そもそも、巻き込んでしまったのはフェイトの責任なのだ。あんな風に無茶なやり方で危険な”ジュエルシード”を活性化してしまったのは、状況を正しく認識していなかったフェイトの落ち度とも言える。そう考えると、クロエだけを攻めるのは卑怯な気がしたのだ。


「な、何言ってるんだい? あいつがいなかったらフェイトがさっさと封印してそれで終わりじゃないか?」


 訳の分からないことを言い出したフェイトにアルフは目を白黒させて答える。一体何を言っているのか。そもそも、クロエが砲撃魔法でフェイトもろとも”ジュエルシード”を吹き飛ばしたせいであんな風になったのではないか。


「でも、元々危険な方法をとったのは私なんだ。それに、アルフはあの砲撃がクロエのせいだって言ってたけど、クロエは知らないって言ってた。だったら、ただの事故だって――」

「そんなの嘘に決まってるさ!」

「じゃあ、どうしてそんなことを?」

「フェイトを苦しめる為だよ。あの鬼婆と一緒で、フェイトに酷いことをしたいだけなんだ」

「……どうして、そんなことを?」

「え?」


 同じ台詞で別の疑問を呈され、アルフは理解しきれずに首を傾げた。どうして、とは何を問うているのかを考える。この場合、フェイトに酷いことをしたい、と言う理由を聞いているのだろう。アルフはそんな分かりきったことを問うフェイトに呆れながらも即答しようとして、答えることが出来ずに
押し黙った。そう言えば、どうしてプレシアはフェイトに酷いことをしようとするのだろう。どうしてクロエはフェイトに酷いことをしようとするのだろう。


「私もクロエは酷い人なんだって思った。でも、どうしてって考えたら、分からなくなったんだ」

「そ、そんなの理由なんてどうでもいいじゃないか? 酷いことには変わらない」

「だけど、母さんだって酷いだけの人じゃない。クロエにだって何か理由があるのかもしれないって、そう思えて来たんだ」


 最初はただフェイトは泣いているだけだった。怖くて、辛くて、憎いとさえ思った。訳が分からなくて、どうしてあんな残酷な人が存在するのだろうって、それだけを思った。けれど、時間が経つに従って、どうして、について考えるようになった。アルフにプレシアとクロエから同じ匂いがすると言われたことを思い出して、何か大変なことに気がついた気分に襲われたのだ。


「ふぇ、フェイト……いい加減にしなよ! プレシアだけじゃなくて、クロエまでそんな風に!! じゃあ、どんな理由があったら、あんな酷いことが許されるって言うのさ!?」


 フェイトは優しすぎる。優しすぎて見ていられない。何時までもあんな母親を信じ続けて、今度はクロエにまで同情しようとしている。そんな事をしたって、あの酷い連中はフェイトの優しさに付け込むだけに決まっているのだ。アルフにはそんな事は我慢が出来ない。どうしてこんなにもいい子が苦しんで、どうしてあんな酷い連中がこんなにもいい子を苦しめるのだろう。


「だから、そう思ったんだ」

「え?」


 にも拘らず、フェイトはアルフの懇願を無視して真っ直ぐを向いて答えた。


「どんな理由があったんだろうって」






 呆然とするわたしに、フェイトは恐る恐る近づいてくる。わたしは途中ではっと我に返って、手の甲でごしごしと涙の後を拭いた。どうしてフェイトが戻ってきたかはよく分からない。でも、こんな姿は見せたくないと思った。それなのに涙は後から沸いて出る。わたしは、わたしが自分で思うよりも寂しかったのかも知れない。嬉しかったのかも知れない。


「ど、どうして、も、戻ってきたんですか?」

「え? うん、母さんに貰ったリボンを取りに」

「そ、そう、ですか」


 それは当たり前の回答に過ぎなかったけれど、わたしは何故か落ち込んでいる自分に気が付いた。でも、そんなのは変だ。フェイトが自分に会いに来てくれたなどと言うことはありえない。そんな道理はない。でも、内心でわたしはそれを期待して、身勝手に落ち込んだのだ。


「あ、そ、そうです。あの、フェイト――」

「クロエ」


 そこで漸くわたしは当初の目的を思い出す。フェイトに言い募ろうとした言葉は、しかし、フェイトによって遮られた。


「え、な、何ですか?」


 わたしは出鼻を挫かれて伸ばしかけた手を下ろす。それだけのことでまた涙が溢れそうになった。また上手く行かない。きっと上手く行かない。暗い考えに脳裏が支配され始める。どうしてこうなのだろう。わたしは何を間違えているのだろう。
 けれど、不安に身を振るわせるわたしに、フェイトは、わたしが想像しない言葉を告げた。


「理由を知りたいと思って」

「えっ?」

「クロエの話を聞かせて欲しい」

「は、話、ですか?」

「うん、”災厄の種”の話。それを聞かないと、何も決められないって気付いたんだ」



[20063] Act.13
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/18 02:15
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Act.13 Outside of the Aquarium(3)
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「はじめまして、”アースラ”へようこそ。私は艦長のリンディ=ハラオウンです」

「僕はクロノ=ハラオウンだ。彼女はエイミィ=リミエッタ」

「エイミィです。よろしくね」


 ”アースラ”が到着したのは朝というには少々遅く、昼にはまだ早い時間だった。リンディは早速、セーフハウスの手配等の雑務処理を指示した後、クロノとエイミィだけをブリッジに残し、事件の通報者であるユーノ達を招聘していた。


「高町なのはです。よろしくお願いします」

「ハラオウン? ……あっ、僕はユーノ=スクライアです。はじめまして」


 クロノはユーノの挨拶に眉を潜めるも、取り敢えず気にしないことにする。そのまま五人は十数分程度の雑談を交わし、一区切りがついた段階でリンディの勧めで空いている席に腰を下ろした。それからリンディはモニタの準備をエイミィに依頼する。

 ユーノは、今はフェレットではなく人間の姿をしていた。管理局の次元航行艦を訪ねるのに失礼のないようにと言う理由のほか、そろそろ失った魔力も人間の姿をとるのに不都合はない程度には回復していたからだ。しかし、心なしかやつれた顔をしている。ここへ来るまでには色々と紆余曲折があったのだ。呼び出しの合った時間が学校の休み時間だったため、こっそり抜け出したなのはをユーノが迎えに行くこととなったのだが、行った先で彼が人間形態に戻った瞬間にパニックが起こったのだ。完全にフェレットが真の姿だと信じていたユーノが実は同年代の男の子なのだと知って、なのはが今までのことを思い出して慌てたり、事情を察したすずかの目が真紅に染まったり、同じくアリサが顔を真っ赤にして暴れたりと本当に大変だった。結局出発できたのは昼休みも終わろうかと言う時間で、さんざんに言われたユーノはもう疲労困憊状態になってしまったのだ。

 クロノはユーノの様子を不審そうに眺めながらも指摘することはせず、エイミィに指示してモニタへ映像を出力させた。


「あっ」


 映し出された映像になのはとユーノの驚愕の声が重なる。モニタの中では山吹色のバリアジャケットを纏った魔導師の少女が矢継ぎ早に強力な攻撃魔法を連発している。なのははそれを複雑な表情で眺め、ユーノはあることに気がついて背筋の寒くなる気分を覚えた。映像だけであるとは言え、少女が恐るべき魔法制御力を発揮していることは分かる。しかし、真に問題なのはそんなことではない。彼女は”ジュエルシードモンスター”を彷彿とさせる巨大で歪な影と戦っていた。彼女はその怪物の攻撃を防ぎ、怪物を牽制し、怪物の動きを止め、それから過剰なまでの怒涛の攻撃で完全に怪物を打倒してみせる。
 一度も攻撃魔法以外を使わずに、だ。


「何だこれ……普通じゃないぞ」

「ほう、気がついたのか」


 クロノは思わず声を上げたユーノに意外そうな眼差しを向けた。侮っていたつもりはないのだが、この年で中々の戦術眼を持っているようだ。そう、この映像の中の少女の戦い方は、ある程度の経験を積んだ魔導師が見れば驚愕を隠せないだろう。彼女は攻撃魔法以外を使わない。攻撃を避け、避けられない時は攻撃で相殺し、攻撃を喰らおうとも構わずにそれ以上の攻撃で返す。まるでそれ以外に手がないかのように。しかし、実際に手はないのだ。この恐るべき精緻にして精巧な攻撃魔法の使い手に限ってそんなことなど在り得ないように感じてしまうが、それが事実であることをクロノは良く知っている。そして、それを補う為に彼女がどれほどの血の滲むような努力をして来たかも。だが、そんな事をいちいち説明する必要はない。クロノは映像が最後に時空管理局のIDカードに切り替わるのを確認してから、努めて冷静な口調で告げた。


「彼女はクロエ=ハラオウン。時空管理局本局古代遺物管理部所属の魔導師だ。魔導師ランクは空戦Sを所持。さて、君達の言う危険な魔導師とは彼女で間違いはないか」

「えっ? あ、ああ、うん」

「うん、間違いないよ。でも、管理局? それに、ハラオウンって……」


 何故かぼんやりとした様子のユーノと、気になる単語がいくつも出てきたことに不思議そうな顔をするなのはが肯定した。クロノはある程度予想通りの反応のなのはと、不可解な反応を見せるユーノを一瞥してから、若干の渋さを口調に滲ませて答える。


「そうだ。リンディ艦長と僕が親子なのはさっき説明したと思うが、彼女もそうだ。彼女は僕の双子の妹に当たる」

「ええっ!? あ、で、でも、そう言われればリンディさんに良く似てるような……」

「あら、そうかしら? ふふ、そうでしょう? でも、あんまり言われたことがないのよねえ、不思議だわ」

「……艦長とは、ふ、雰囲気が違いすぎますからねぇ。ひっ、こっち見た!?」


 先ほどの様子とは打って変わって、何故か酷く狼狽した様子でエイミィが答えるのをなのはは首を傾げて見返した。それから、はっと気がつく。もしかするとエイミィも彼女――クロエと何かあったのかも知れない。半分涙目のエイミィにクロノは溜息を吐くと、IDカードの写真をもう少しズームアップさせるように指示する。こっちを見ている気がする、と言う理由で微妙に解像度を落とされていたのも修正させた。まあ、エイミィの気持ちも分かるし、辞表を提出せずに踏み止まってくれたことには感謝と安堵をしているのだが。


「それで、クロエが管理局員だと言うのも本当だ。今映っているのが彼女の局員証で――」

「ああっ!!」

「……どうした、ユーノ=スクライア?」

「特別調査室って、そうか、クロエ=ハラオウン! そう言うことだったのか!!」


 クロノの説明の途中で突然ユーノが大声を上げる。クロノは鬱陶しそうにしながら問いかけるも、ユーノは一人得心した様子で答える余裕もなくぶつぶつと独り言を始める。


「そうか。それで……でも、それじゃあれは……いや、まさか、でも……」

「えっ? ど、どうしたのユーノくん? 何か知ってるの?」


 なのはが恐る恐る問いかける段になって、漸くユーノは我に返った。それから周囲を見回して、注目の的となっていた事に僅かに頬を染めつつ咳払いをする。


「いや、実は知ってたんだ、クロエ=ハラオウンって名前。さっきリンディ艦長たちの苗字を聞いてから引っ掛かってたんだけど、そうか、特別調査室の最年少室員だ」

「……それなりに事情に明るいようだな」


 一人納得するユーノを眺め、クロノは複雑な口調で呟く。一体どういう評判を聞いたのかは知らないが、ある程度は想像がつく。どうせ碌なものではないだろう。ふと気になってリンディの方を振り返ると、彼女は平気な調子で肩をすくめてみせた。こういうことは良くあるのだ。


「あの、特別調査室って? 良く分からないんですけど」


 一人蚊帳の外になってしまったなのはが困ったように質問する。リンディは彼女を置いてきぼりにしてしまったことを謝罪すると、どう説明したものかと思い悩む。そもそも、彼女とて書類上の記載と何処まで根も歯もあるのか分からない噂の類でしか知らないのだ。彼女は結局上手く纏めきれず、ある程度知っているらしいユーノに彼なりの認識を説明してもらう事にする。
 ユーノはそれを受け、自分もそれ程詳しい訳ではないと前置きをした上で話を始めた。


「実は、特別調査室はスクライア――つまり、僕の一族にとって因縁の相手なんだ」

「因縁?」

「うん。なのはには前にも説明したよね? 僕達は遺跡発掘や歴史調査をしながら世界中を旅して暮らしてるんだ。それで、丁度一年前のことなんだけど、特別調査室の連中に発掘現場を襲撃されたことがあったんだ」

「ええっ!? な、なんで?」


 突然の展開になのはは驚きの声を上げる。訳が分からない。さっきの話からすると特別調査室と言うのは管理局の部署の一つらしい。なのに、それがどうしてユーノ達の一族を襲うことになるのか。いや、確かにそれがあの怖ろしい人――クロエだと考えれば納得できるような気もしたが、それにしても訳が分からない。クロエが管理局と言うこと自体、なのはの頭が混乱して許容量を超えつつあったと言うのに、もう誰が敵で味方なのか意味が分からなくなってしまった。
 そんななのはの様子を気にした様子も無く、クロノはリンディに意味ありげな視線を送っていた。リンディはそれに小さく頷き返す。ユーノは取り敢えずなのはの疑問を先送りすることとして話を続ける。


「元々変だった。発掘中に特別調査室とか言う聞いたこともない連中がやってきて、警察の取調べみたいに事情聴取して来たんだ」

「事情聴取って? 一体何を聞かれたの?」

「うん、それが、発掘の目的とか、体制とか。危機管理がどうとか、そんな事を。それで答えたと思ったら急に発掘の中止を通達して来たんだ。不適格だ、とか言ってね。族長たちはそれに強く反発して発掘を強行したんだ」

「強行? 特別調査室を庇う訳じゃないけど、少し性急だわ。管理局として危険な発掘を禁止するのは珍しいことじゃないはずよ」


 リンディは不審に思って言葉を挟む。エイミィも同様に首を傾げた。確かに、ユーノたちの立場からすると面白くはなかったに違いないが、話を聞いている限り特別調査室の行動は管理局の方針として間違っていない。むしろ、彼ららしくもなく本来の正常業務を遂行しただけに思える。危険な古代遺物を良く知るはずのスクライア一族の族長ともあろうものが、その決定に子供のように反抗すると言うのは違和感があるし、とても納得が行かないのだ。


「え? ああ、そう言えば話していませんでした。勿論、僕たちは盗掘者じゃありませんから、事前に管理局の古代遺物管理部には届出をしていました。事前にきちんと審査を受けて、正式に許可されています。それなのに、当日になって急に妙な連中がやってきてそんな事を言うから」

「なるほど。特別調査室がそこでしゃしゃり出るのは確かに横暴だな」

「まあ、一度審査は終わってるはずだから、そりゃ納得行かないよね」


 そもそも特別調査室は一応は古代遺物管理部部付のはずだ。スクライアの族長もそのことは知っていたのだろうし、それでは頑なになるのも頷ける。クロノはそこでマリィの人を小馬鹿にしたような笑顔を思い出して、特別調査室の連中がどのような態度で接したかも想像してしまった。先入観で決め付けるのもどうかとは思うが、非常に挑発的だった可能性は否定しきれない。


「そう……それで、発掘を強行した際に?」

「はい。僕もその発掘には参加しました。それで、発掘をしていると突然遺跡が崩落を始めて――僕たちは生き埋めにされた」

「生き埋め? ユーノくん、大丈夫だったの?」

「え、うん。幸いけが人は出なかったよ。でも、出口が見つからないし、元々食料の備蓄も用意してなかったし。僕を含めて魔導師は何人かいたんだけど、出口を作ろうにも落盤の危険性があって手が出せなかった」


 なのはがいたら問答無用で壁をぶち抜けたんだけどね。ユーノはそう付け加えて小さく笑った。彼女ほどの砲撃魔導師ならあんな壁も紙一枚に等しい。落盤だろうが何だろうが関係ない。全部吹き飛ばせば問題はないのだから。無茶苦茶な説明にリンディたちは互いに顔を見合わせた。どういう威力の砲撃なのだ、それは。事前に聞いた話ではなのはは魔法を知って一ヶ月程度の新米魔導師のはず。それが、話し振りが本当だとすると最低でもAA+級を超える砲撃を撃ち放つなど聞いたことがない。思わず、そんな馬鹿なと呟いたクロノに、ユーノは敢えて言葉にせずに苦笑いで答えた。


「? えっと……それで、ユーノくん?」


 何をそんなに驚いているのかよく分からないなのはは表情に疑問符を浮かべつつも、取り敢えず話の続きを聞こうとユーノを促した。


「え、ああ。それで、結局僕たちは近くで警備してくれていた部隊――クラウディオさん達に助けられたんだ」

「クラウディオ……。クラウディオ=エーバート一等陸尉だな」

「知ってるのか? いや、そうか、君は執務官だったね」

「ああ」


 何故か沈痛な面持ちになって語るユーノにクロノは難しい顔をして確認する。彼はやはり思った通りの話であった事に納得し、そのまま押し黙った。


「その人がどうかしたの? クロノくん?」

「いや、それは。ユーノの話を聞いたほうが早い」

「そうなの? じゃあ、ユーノくん。続きをお願い」


 なのはの無垢な問いかけにクロノは一瞬言葉に詰まる。身勝手には思っても、余り聞かせたい話ではなかった。この件については途中で捜査を打ち切られてこともあり、彼も細かい経緯まで知っているわけではなかったが、クラウディオ=エーバートの末路だけは知っている。どうせ碌でもない話には決まっているのだ。
 ユーノも同じ感想を抱いたのか、この話を始めたことを後悔しつつも言葉を続ける。余り過保護にしても仕方がない。なのはは無垢だとしても、とても強いのだと知っていたから。


「僕達の避難はクラウディオさんが先導してくれて、何とか殆ど被害もなく脱出出来たんた。ただ、途中で発掘した遺物を取りに引き返した人たちがいて……」

「無謀な」

「うん、みんな引き止めたんだけど、凄い発見だったんだ。今は凄く後悔してるけど、あの時は引き返そうとする人たちの気持ちも分かったから引止め切れなくて。そこで、それならってクラウディオさんが護衛を引き受けてくれたんだ。本当に優しい人だった。避難中もずっと励ましてくれて」

「立派な人だったんだ」


 事情をある程度知っているエイミィが静かな面持ちで頷くと、ユーノは少しだけ寂しそうに笑った。そう、立派な人だった。短い間とは言え、ユーノにとっては兄のような人物だったと思う。警備の合間に何度か様子を見に来てくれて、ユーノが驚くほどの知識を披露して面白い次元世界各地の歴史を語ってくれた。スクライアの面々からも評判はよく、世話焼きなおばさん連中が良く彼に差し入れを入れていたのを覚えている。
 なのははユーノの不自然な話し振りに、結末を悟って悲しげに目を伏せた。誰かを過去形でそんな風に言うのなら、その人が今はどうなったのかは想像が出来たのだ。


「……結局クラウディオさん達は戻らなかった。一時間が過ぎても二時間が過ぎても。三時間が過ぎた頃に特別調査室室長のヴァネッサと言う人が来て言った。時間切れです、って」

「……ヴァネッサ=ハイルズ特別調査官ね」


 リンディはマリィの腹心の部下だと言う彼女を知っていた。黒く真っ直ぐな長髪にアイスブルーの切れ長の瞳を持った機械仕掛けの人形のような女性だった記憶がある。何時も鹿爪面をしてけらけらとうるさく笑うマリィの脇に寂然と控え、対面に立つリンディを酷く冷たい眼差しで射抜いていた。彼女の口から聞いた言葉は、イエスマムの一言のみ。後は何も話さなかった。無口で何を考えているか分からない、リンディのとても苦手なタイプだったように思う。その彼女の噂は色々と聞く。空戦SSのリミッターなし。赤黒い魔力光でリンディと同じく背中にフィンを展開し、問答無用で面制圧魔法攻撃を行うスタイルから、嘘か真かついた渾名が”悪魔の翼”。彼女の出撃がマリィの死刑宣告と言うのは本当だろうか。


「そこからは酷いものだったよ。その人の魔法で一面は焼け野原。発掘現場は遺跡ごと吹き飛んで跡形もない。遺物も焼け跡からその人が拾って持って行った」

「え……それって……」

「そうだよ。クラウディオさん達の安否なんか確かめる気もないみたいで、止めに入ったスクライアの仲間ごと殺傷設定の魔法で爆撃だ。無茶苦茶だった」


 赤黒い魔力光で空が染まったのを覚えている。まるで血の雨が降り注いだような光景を今でも夢に見ることがある。クロノはその様子を想像して、かつて見た光景と一致させる。彼女の魔法は本当に酷いものだった。あれは戦いではない。一方的な空襲だ。


「そんなのって……っ、でも、それって?」

「そうだね。あの子――クロエと同じやり方だと思う」

「じゃあ、そんな人たちが特別調査室? あれ? でも、ユーノくんが管理局を呼んだのは……」


 深まる混乱になのはは愈々頭を抱える。そもそも、ユーノは管理局に頼らずに自分の力で”ジュエルシード”を回収しようとしていた。もしかするとそれは特別調査室への不信が原因だったのかも知れない。それを諦めて管理局に通報することにしたのはクロエという危険な魔導師をなのはと戦わせたくなかったからだ。


「そうか。でも、それじゃどうなるの? あの人――クロエさんは味方ってことになるの?」


 管理局と言うことならそうなのだろう。しかし、それは何か本末転倒のような気がする。何より、なのはの心が納得しない。クロエの話はなのはにはとても受け入れがたかったし、今のユーノの話を聞いて一層そう思うようになった。そんななのはにユーノは呆れた口調で告げた。


「そんな訳ないよ、なのは。僕が調べた限りは特別調査室っていうのは管理局でも鼻つまみ者というか、誰からも信用されてない」


 だから安心しなよ、と言う台詞になのはは安堵の息を吐いた。しかし、リンディとクロノは微妙に視線を逸らし、エイミィに至っては何故か両手を合わせて深々と頭を下げている。何かがおかしい。思わずきょろきょろと全員を見比べるなのはと対照的に、ユーノはいち早く事態に気がついて愕然とした声音で問うた。


「ま、まさか……」

「えっと、その、まさかなんだ。あ、あたしは絶対嫌って言ったのにぃ」


 最早涙目のエイミィがそう告げると、流石に気がついたなのはは思わず大声を上げてしまっていた。


「えええええええ!? それって、やっぱりクロエさんの味方をするってことなの!?」

「ど、どうしてそうなるんだ!? クロノ、君、まさか彼女が自分の身内だからって――」

「違う! 実利的な問題だ。それに、その発言は撤回しろ。リンディ提督に対しても侮辱になるぞ?」

「き、君は何を言ってるんだ!? 僕は報告したはずだ。彼女は少なくとも四人の子供を殺してる! なのはの友達だって殺されかけてるんだ!!」


 そんな危険人物と味方など在り得ない。そもそも、彼女に対策するために渋々管理局を呼んだのだ。これでは何のためにユーノが色々懊悩したのか意味がなくなってしまうではないか。


「そんなことが認められるか!? 大体、君は執務官として――」

「ユーノくん、それに、なのはさん」

「えっ?」

「な、なんですか?」


 更にユーノが言い募ろうとした矢先に、リンディが真面目な面持ちで言葉を挟んだ。何かを言い返そうとするクロノを手で制すると、彼女は彼女らしくない乾いた口調で短く告げる。


「二人とも勘違いしてるわね」

「どういうことですか、リンディさん?」

「私たちはあなた方二人にクロエの味方になって貰うつもりはありません」

「えっ、でも、さっきは……」


 先ほどのクロノの言葉と矛盾するリンディの言いように、なのはは訳が分からず呟いた。さっきから何が何だか分からないことばかりだ。


「我々”アースラ”はクロエ特別調査官に全面支援要請を行います。二人はもう、ここで帰りなさい。安全は管理局の威信に掛けて保証します」

「えっ? そんな! わたしも手伝います。手伝わせて下さい!」

「なのは? ……でも、そうか」


 納得が行かず反論の声を上げるなのはに対して、ユーノは悔しげにしながらも何を訴えることもなかった。いずれにしても、潮時なのだ。”アースラ”がクロエに協力すると言うのは、全く理解できないことではあったがそれが管理局の決定だと言うのなら従うしかない。吐き気がするような気分の悪い決定だったとしても。だとすれば、なのはをそんなものの為に戦わせたくない。それに、もし”アースラ”がクロエと敵対するのだとしても、やはりなのはをそんな危険な戦いには巻き込みたくはなかったのだ。
 クロノはそんなユーノの心中を察してかどうか、聞き分けないなのはに向かって諭すように告げる。


「なのは、君にクロエが肯定できるか? いや、そうでなくても受容できるか?」

「そ、それは……」

「君の気持ちなんて僕たちは考慮しない。クロエとは協力する。そうする必要があるからだ」


 元より、クロエのことがなくてもクロノは民間人に過ぎないなのは達に手伝いを要請するつもりはなかった。それは二重の意味で危険すぎる。護るべき対象である彼女たちが傷つくと言う意味でもあるし、彼女達の認識の甘さが怖ろしい災害に繋がる可能性を否定出来ないからだ。ロストロギアとはそれ程のものだ。まして、”ジュエルシード”のような次元干渉型のそれは、扱いを間違うと次元震を引き起こして世界全体を破滅させる。それは、例えばこの第97管理外世界の全ての兵器をあわせたよりも比較にならないほどの危険を意味するのだ。ユーノの認識もスクライアにしては不足しているように思われるが、なのははまるで現実感を持ってそれを理解していないように思える。
 そして、そんな人間がクロエに対すればどうなるか。死を持ってそのことを理解させられる可能性が高い。味方になるかなどは関係がない。実際に、エイミィは殺されるところだった。あくまでそうした疑いがあるという時点で。それはクロノには異常でしかなくとも、クロエには当然なのだろうから。


「君もクロエと話したのなら、彼女がどういう人間かは少しは分かっているはずだ。彼女は、君が障害になるかもしれないと判断した時点で、君を殺すぞ」


 そしてその判断は理解に苦しむ彼女の都合に基づいている。彼女の天秤は酷く不安定で傾きやすい。それは正しいこともある。けれど、それ以上に、正しいことでしかないことばかりだ。そのことは、友人を殺されそうになったということから、彼女にも分かっているはずなのだ。


「だけど、わたしはまだ、クロエさんのお話を聞いていない」


 だと言うのに、なのはの決意は折れることはなかった。ユーノはその様子に叫びだしたいような嬉しさと、それ以上の不安を覚えて押し黙る。なのは強い。強すぎるのだ。その強さはどこか危うく、いつか彼女を殺してしまいかねないと思った。


「なのは、君は僕の話を聞いていたのか?」

「だってまだ、何も始まってない。何も出来ていないよ。そうやって、駄目だって決め付けるから出来ないだけだよ。もっといい答えはあるよ。クロエさんはそう言う人なんだって諦めるんじゃなくて、仕方がないって決め付けるんじゃなくて、わたしは一緒にもっといい方法を考えたい!!」

「君は――っ」


 クロノは口内を灼熱が走るのを自覚した。そんな馬鹿げた理想論で、何かを変えることなんて出来るはずがない。そんな簡単なことなら、この世界はこんなにも残酷じゃない。それは我侭な子供の理屈なのだ。


「わたしは、クロノくんがそんなだから、クロエさんが可哀想だと思う!!」

「――っ」

「クロノ! なのはさんも、落ち着いて」


 最早憤りを隠しきれずに踏み出しかけたクロノを静止して、リンディが割って入る。なのはの意見は行き過ぎに思えるが、リンディにはどちらの気持ちも分かる気がするために複雑な心中を宥め切れなかった。確かにそうなのだ。そんなに簡単な話じゃない。けれど、諦めがなかったかと言うとそれは嘘になる。
 見ればユーノも悲しげな表情でなのはを見つめている。エイミィは俯いて何も言わなかった。どちらが正しく、どちらが間違っていると言う話ではない。ただ、分かり合える類の話でもないのだ。なのはの意見は無垢すぎて、積み重ねてきた歴史の違うクロノには猛毒に等しいに違いない。そんな分かりきった奇麗事など、聞きたくはないのだ。それは、リンディにしても同じではあった。


「どうしてかな」


 なのはは唇を噛んで俯いた。どうしてだろう。それでも彼女には納得が出来なかった。


「きっと、簡単なことのはずなのに……」


 誰だって不幸を望んでいない。クロエだって、好んで誰かを傷付けている訳じゃなかった。それはなのはだって、ユーノだって同じ。クロノにしてもそうだろう。同じものを望んでいるはずなのに、どうしてこんなにも噛み合わないのだろう。


「でもなのは、その簡単なことを見つけるのが、物凄く難しいことなんだと思うよ」

「ユーノくん……」


 例えばパズル。あんなにも悩んでいた筈が、答えを見た瞬間に突然当たり前の事実に気がつく。どうしてこんなことで悩んでいたのだろうと思う。答えはとても単純だったりするのだ。けれど、そのパズルを解くのは簡単ではない。


「難しいから、無理だって諦めるのかな? 諦めないで探せば、何だこんな簡単なことって、気付けないのかな?」

「……それを信じきれるほど、なのはほど、みんな強くはないんだと思う」

「わたしは、強くないよ」

「いや、強い。なのはは強い。でも、なのはは自分の強さを知らない。だから――」


 残酷なんだ。その言葉をユーノは飲み込んだ。


「なのは、君のご高説は尤もだが」


 そこで、先ほど以来ずっと押し黙っていたクロノが吐き捨てるように告げた。正しすぎる言葉はもう聞きたくなかった。


「いずれにしても僕達は――」

「艦長! クロノくん! 海上に魔力反応が三つ!! これは――儀式魔法の反応あり!! 一つはクロエちゃんで間違いありません!!」

「なんですって!?」


 最終通告の途中で、エイミィがそれを遮って叫ぶように緊急事態を報告する。瞬時にモニタに三つの影が映され、それと同時にブリッジが慌しくなる。待機させていたスタッフが緊急事態に配置へ戻ったのだ。リンディはすぐさま艦長席について指示を飛ばし始める。クロノはすぐさま頭を切り替えると、モニタを睨むように見据えた。影のうちの一つはクロエ。後の二つは見覚えがないが、特徴からすると報告にあったフェイトという魔導師とその使い魔で間違いはないだろう。フェイトの足元には巨大な魔方陣が展開されている。同様に、クロエも大規模な儀式魔法を詠唱している。


「あれは――くっ、最悪だ!!」

「フェイトちゃん!? それに、クロエさん――一体どうして!?」


 モニタの中のフェイトは魔法を完成させ、発生した巨大な魔力流に海が荒れた。


「馬鹿な! 強制的に”ジュエルシード”を!!」


 活性化した”ジュエルシード”が海水を取り込んだのか、生き物のように海がうねり局地的な嵐へと変貌する。それは無謀極まりない方法だ。海の中から姿を現した”ジュエルシード”は一つや二つでは利かない。最早魔導師個人ではどうにもならないレベルに達している。まさかこれほど乱暴な手段に出るとは。クロノは知らず歯噛みする。或いは以前にクロエを追い詰めすぎた結果かも知れない。彼女は”アースラ”を必要以上に警戒していた節があったのだ。確かに、有無を言わさず捕縛したことが一度だけあったが、あれは――いや、そんな事はどうでもいい。いずれにしてもこれはチャンスであり、絶望的な状況と言える。
 碌な事がない。クロエが関わると、いつも碌なことにならない。クロノは強く両手のひらを握り締める。その瞬間、完成したらしいクロエの儀式魔法が発動した。


【Miniature Corona】


 太陽が顕現する。



[20063] Act.14
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/18 19:46
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Act.14 Outside of the Aquarium(4)
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 必要な処理を一区切り済ませ、ヴァネッサと合流したマリィは次元航行艦隊司令部棟から中庭まで休憩に出ていた。二人の姿を見かけた何人かの局員が嫌そうに眉を顰めてその場を後にする。嫌われている。致命的なまでに嫌われている。まさに六本足の黒くて素早い例のあれくらいのレベルではなかろうか。ある程度は特別調査室の性質上から仕方がないと思いはするものの、恐らく殆どがマリィの性格の悪さに起因しているとヴァネッサは確信している。この人は、こういう部分で完全ではないと思う。もう少し上手く他人を惹き付けられればより一層彼女の理想へ近づけるはずではないか。しかし、以前その疑問を口にしたヴァネッサに対するマリィの回答は、その程度で目を曇らせる劣悪がどうして私を解せるものか、と言う分かるのだか分からないのだか微妙なものだった。なんだかんだ言って単に人間嫌いなのかと思う節がある。いい歳して未婚だし。いや、彼女自身余り人のことは言えないのだが。
 無意識に生ぬるい視線を向けてしまっていたのか、いつの間にかマリィが彼女に振り向いていた。


「何かな?」

「いいえ、何も」

「ふむ、しかし快適なものだな。何時来てもここは人がいない。こんなに風が心地よいと言うのに。これを穴場というのかね?」

「まあ、台風の目ではありましょう」


 わざとらしく八重歯を見せて獰猛に笑うマリィに、ヴァネッサは適当な調子で答えた。本当に困った人だ。彼女と較べると充分に常識人の範疇であると自負するヴァネッサにしてみれば、今の状態は余り居心地がよくはなかったのだ。これほど広い昼日中にいい歳をした女が二人きりとは、なんともわびしい気持ちになろうというものではないか。


「しかし、あれだな。お前が後百人もいれば、どんなに素敵なことだろうか」


 何だか切ない気持ちで空を仰いだヴァネッサに、マリィは唐突にそんな事を呟いてみせた。相変らず妙なことを言う。まあ、言いたいことは分からないではないが。


「大変に気持ちが悪い。何事も夥しいのは生理的嫌悪に繋がるものです。蝶は一匹でこそ可憐なのです」

「何かね? お前の中では自分は蝶的存在なのか。いや、お前のフィンは見事だが、いい歳をして自重し給え」

「お前が言うな、と言う人生の名句を進呈致しましょう」

「ふむ、至言である。人間は誰もが鏡に向かって喚いている。見ろ、鏡の中のお前がお前を笑っているぞ。まあ、私は神であるから鏡を割る」

「然様で」


 良くもまあ口が回るものだと感心する。彼女に慣れない人間は、何だかそれなりに深いことを言っている気がする彼女の発言に真剣に耳を傾けるものだが、実のところ大した意味のないことをヴァネッサは誰よりも知っていた。なので、聞き流す。要約すると、うるさいだまれわたしはただしい、位の意味しかないのだから。


「まあ冗談はさておき、人員の不足は深刻と言えますね」

「クロエの他に、もう一人くらいは保険が欲しかったところではある。あれは珠に悪くも期待を超える。そしてあの犬は論外だ。むしろ害悪と言える。だがそれは言っても栓のないこと。私が真に気に入らないのは、私の有難い忠告を理解出来なかったらしい古代遺物管理部の劣悪ぶりだ。あいつらは死んだ方がいい。いや、ヴァネッサ、今から殺して来い」

「イエス、マム――と言いたいところではありますが、その劣悪を教育するのがあなたの使命でありましょう」

「私は猿回しを始めるつもりはない」


 あっさりと責任を放棄するマリィに、ヴァネッサはそれ以上何も言わなかった。管轄の違うはずのマリィに実際にその責任がないことは兎も角としても、彼女がそうも言うまでになった経緯には色々と胸糞の悪いあれこれがあったことはヴァネッサもよく知っていたからだ。

 実際のところ、人員の不足は常に彼女らの頭を悩ませている最大の問題だ。どれほどの効率化をしても百の案件に十で当たることは不可能である。今回の”ジュエルシード”の事件についても発掘の段階でヴァネッサを動かせていれば一日で片付いていた可能性が高い。事故発生によって予てより捜索していたプレシアの尻尾を捕まえられたことは怪我の功名と言えるが。

 特別調査室は一応は精鋭部隊に当たる。認定されれば時に執務官すら超える強権を手にすることが出来る特別調査官は特別調査室のみに与えられた特権である。これは逆に言えば特別調査官なる胡散臭いものに最高評議会の老人たちが一つの檻に押し込めて蓋をした結果でもあるのだが。それはさて置き、特別調査室の門戸は狭くない。と言うより、管理局でも地上本部に匹敵するほどに就任条件は易いのではと思われる。高い魔導師ランクは必須ではない。必要なことを必要なときに必要なだけ実践できる人材であれば良い。故に、特別調査室への入室条件は一つのみ。試験などはない。マリィやヴァネッサを含む特別調査室幹部に入室を希望するだけである。マリィに言わせれば、それだけでまだ教育する価値のある阿呆である、との事だ。特別調査室の理念に自ら共感出来るものであれば、取り敢えずは使い物になる可能性は高い。

 とは言え、理念だけでは戦えない。理念の実践には力が要る。その力が不足しているのだ。クロエにしても甚だ不足ではあるが、それでも特別調査室には数少ない戦力だ。癖が強くて中々使いどころは難しいのだが。しかし、排除の必要な障害、特に高ランクを所持した魔導師の殺害には最適だった。迷いさえなければ彼女は強い。怖ろしく強い。大抵の敵は、攻撃魔法しか行使出来ない彼女に恐怖しながら死んでいく。さも在りなん。攻撃魔法を瞬時に対応する攻撃魔法で撃ち落とす恐るべき魔法制御力を背景とした彼女の戦法は、覚悟のない魔導師を実力以前に敗北させる。恐慌を与えよ。対応させるな。そう教育したのはヴァネッサ自身ではあるが、それを実践できる人材は貴重なのだ。尤も、クロエの場合、精神面に不安要素が多すぎて意外に勝率は低いところが悩みどころだったりする。自分が恐慌してどうするのだ、と言う話だ。


「何れにせよ犀は投げられた。”アースラ”の到着は甚だ遅い。だが、手遅れではない。”ジュエルシード”の封印は為される」


 そしてプレシア=テスタロッサの技術も蒐集される。一つの取りこぼしもしない。場所柄を考えて明言しなかった後半部分を察してヴァネッサが頷いた。その様子にマリィは作戦の遂行状況を脳裏に巡らせ、そろそろ休憩時間を終了させることに決定した。閑職故に艦隊幕僚長代理の仕事に対したものはないが、大して意味もなく面倒な仕事だけは多いのだ。今日もメールボックスが溢れかえる前に見ましたボタンを延々とポチる仕事が残っている。ちなみに彼女のログインしたシステム画面に承認ボタンも否認ボタンも存在しない。見ましたボタンだけである。最初見たときは思わず総務部に電話した。回答は一言、仕様です。何だそれは。嫌がらせか。どういう仕事だ。意味ないだろ常識的に考えて。と言うように言いたいことは多々あったのだが、それなりに機密レベルの高い情報を閲覧できるだけでもマシと考えて、今日も彼女は耐えなければならないのだった。


「さて、名残惜しいがそろそろ戻ると――ふむ、あれは」


 マリィはそう呟きつつ尻についた草を払いながら芝生から立つと、前方を闊歩する見知った影に気がついてさも嬉しそうに笑顔を浮かべた。その視線の先を辿ったヴァネッサは、彼女の見つけたものの正体を知って溜息を吐く。余り老人を苛めるものではない、と思うのだが。


「あれーぇ? グレアムのおじさんじゃないですかぁ? お久し振りですぅ」


 ヴァネッサは瞬時にキャラ作りを完成したマリィに深々と溜息を吐いて、悪戯を始める彼女の上司に渋々と付き従ったのだった。正直何時見てもキモイ、と彼女が思ったかは定かではない。






「さ、”災厄の種”、ですか?」


 フェイトの質問の意図が良く分からず、わたしは思わず聞き返していた。一体何を聞きたいのだろう。”災厄の種”はフェイト自身が幾つも封印して回収しているし、下手をすればわたしよりも詳しいに違いない。


「うん、”災厄の種”の話。クロエが集めているものの話を聞きたいんだ」


 フェイトからは要領を得ない回答が返された。わたしが集めているものの話? そうしてわざわざ言い換えるからには物理的なものとしての意味を聞いているのではないのかも知れない。つまり、わたしがどう認識しているものを集めているかを聞いているのだろうか。だとすると、少しは質問の意味も分かる。わたしは何とかフェイトの意図を飲み下すと、何とか立ち上がってフェイトの瞳を真っ直ぐに見つめた。そこでわたしははっと気付く。わたしは今、こんなにも簡単に立てたのだ。


「あ、えと、あの。そ、そうですね。”災厄の種”……も、文字通りの災厄の種だと思います」

「文字通り?」

「じ、次元震を引き起こす、制御装置のない時限爆弾、でしょうか」

「…………うん、そうかも知れないね。当たり前のことだ」

「わ、わたしは封印術式が使えませんから、全然回収出来ていないですけど」

「え………」


 フェイトはそこで唖然とした表情でわたしを見返した。そんなに呆れることなのだろうか。確かに、幾つも簡単に集めてしまったフェイトからすると、いまだに一つもと言うのは慮外だったのかも知れないけれど。でも、仕方がないではないか。わたしは、出来ることをするしかない。


「え、あ、その、た、確かに、わたしは攻撃魔法くらいしか使えませんけど、でも」

「……それじゃ……それって……そんな、まさか……」

「あ、あの、フェイト?」

「え、う、うん。ちょっと、混乱しちゃって……でも、そうか……そうか」

「? えと、そ、そう、ですか」


 何故か心在らずの様子で物思いに耽るフェイトに首を傾げ、わたしは更に言葉を続ける。


「わ、わたしが集めていたのは、命令をされたから、です。……命令を……あ、あれ? でも、ほ、本当は集めなくてもいいん、です?」

「――えっ!?」


 正確に言えば、わたしが命令されたのは”災厄の種”の回収ではなく、”災厄の種”を誰にも集めさせないことだ。それは同じ意味かも知れないけれど、マリィ先生は、甚だ違う、と言っていた。回収は必要だが不可欠でないとも。とにかく集めろと命令したのは彼の方だ。わたしが集めようとした理由は、だから彼のためと言うことになる。冷静になってみてわたしは漸くそのことを思い出した。
 考えてみれば当たり前のことだ。わたしは封印術式が使えない。だとすると、その不可能をヴァネッサが命令する訳がない。ヴァネッサはいつもわたしに無茶を言うけれど、無理だけは言うことがなかった。わたしはわたしの思い込みで、ヴァネッサの命令と彼の命令を同じものだと混同していたかも知れない。


「あ、あの、どういう事でしょう?」

「えと、私に聞かれても困る」

「え、あ、そ、そう、ですね」


 混乱して思わずフェイトに詰め寄りかけたわたしは、眉をハの字の形に下げたフェイトにやんわりと窘められて引き下がった。それはそうだ。これはわたしの問題なのだから、フェイトに訊ねても答えが分かるはずがない。でも、本当にどういうことだろう。”災厄の種”を集めるのではなく、集めさせないと言うのはどうすればいいのだろうか。


「う、うーん、えと、あれ?」


 当然前提条件が覆され、わたしは今までの計算が全て台無しになってしまったことを自覚する。何だろう、これは。わたしは最初から、何か致命的なミスをしていたのかも知れない。とにかく集めろ、とは彼の命令。何個集めれば良かったのだろう。そして、他の人に集めさせないと言うのは? 一つも、と言うことなのか、それとも、出来るだけ、なのか。そもそも、マリィ先生は何を目指していたのか。全てのロストロギアの蒐集と解析、理解、そして陳腐化だ。それがどうにも繋がらない。わたしが”災厄の種”を誰にも集めさせないことで、一体どんな利益が生まれるか。いや、逆に考えると――。


「あ、あの、フェイトはどうして、あ、集めるんですか?」


 そう言えばそうなのだ。悲劇を失くしたいのは当然。なのはもフェイトも管理局もそれは変わらないだろう。けれど、だからと言って何故集める必要があるのだろう。積極的に集めなければならない理由がないなら、そもそも互いに奪い合う意味がないのだ。それ程の非効率は存在しない。


「えっ? あの、その前に一つ教えて欲しい。”災厄の種”って、”ジュエルシード”のこと?」


 またも訳の分からない質問をするフェイトにわたしは戸惑いを隠せないままに頷いた。どちらが正式なのかはわたしは知らないけれど、わたしはどちらも同じものと認識している。マリィ先生たちには”次元干渉型の危険なロストロギア”、”極めて限定的で歪な魔力装置”、”数字の刻まれた蒼い宝石”としか聞かされていない。”災厄の種”と言うのは彼の表現だ。或いは、アクアリウム流の、かも知れない。


「そうか、うん。本当に、疑うことなんて、なかったんだね」

「え? な、なにが、ですか?」


 何故か嬉しそうにフェイトは幽かに微笑を浮かべる。フェイトが嬉しいのなら、わたしも嬉しい。ただ、意味はやっぱりまるで分からなかった。疑うとは何だろうか。もしかすると、フェイトは”災厄の種”と”ジュエルシード”が別のものだと考えていたのだろうか。いや、それはおかしい。もしそう考えていたとすると今まで彼女との会話が成立していた筈がない。

(? ……あ、あれ? でも、確か……)

 そこでふとわたしは思い出した。そう言えば、以前の別れ際にフェイトに妙なことを聞かれたような気がする。確か、あれは――。

 ――これが”災厄の種”ですか?

 これ、って何だったのだろう? もしかすると、何か重大な行き違いがあったのかも知れない。


「あ、あの、フェイト? も、もしかして、さ、”災厄の種”と”ジュエルシード”を、べ、別のものと考えていたのですか?」

「……うん」

「あ、えと、その、い、一体何と? ”災厄の種”を、何と間違えたのですか?」


 よく分からない。最初は会話が成立していた気がする。それに、あの流れで急に”災厄の種”が別物に摩り替わるのは変だ。アルフは終始変だったけれど。そういえば、いつも一緒にいる筈のアルフの姿が見当たらない。きょろきょろと周りを見渡すと、向かいのビルの屋上に座って窓の外から睨みつけてくる彼女の姿を発見した。余りに壮絶な表情なものだから、わたしは心臓が止まりそうな思いで肩を震わせる。いつも通り、アルフは理不尽にわたしを呪っているらしかった。そういえば、彼女はわたしがおかしいといった。おかしい訳はないのに。おかしい人間が、必要を選ぶことなんで出来ないのだから。流石にマリィ先生みたいに自分は神だから常に正しい、とまでは言えないにしても。


「災厄の種、かな?」


 考え事に没頭していると、フェイトは長い沈黙の後にそれだけを答えた。でも、答えになっていない気がする。それなら何も間違っていないのではないだろうか。フェイトは不思議そうにするわたしには直接答えず、疑心暗鬼って言う災厄の種だ、とだけ答えた。やっぱりよく分からない。けれど、フェイトはそれ以上を説明する気はないらしく、居住まいを正したかと思うと遡って最初の質問に答えた。


「私が”ジュエルシード”を集めるのは、母さんがそれを欲しがってるから」


 そう言えば、フェイトは一度だけ母親のことを口にしたことがあった。母さん、か。フェイトとフェイトのお母さんは、仲が良いのだろうか。いや、考えるまでも無い。母親が欲しがっているものを娘が集めると言うのだから、わたしとは違ってきちんとした関係を築けているのだろう。欲しがるものがとても普通じゃない気はするけれど。あんなものを欲しがるというなら、フェイトの母親と言う人は魔導師なのだろうか。


「え、えと、ふ、フェイトのお母さんは、ど、どうして欲しがって?」

「それは、私は知らないんだ。でも、母さんが欲しがっているのを知っていれば充分だから」

「あ、はい、そ、それは、そうです」


 それについてはわたしも同じだった。マリィ先生の意図は良く分からなくなってしまったけれど、彼が”災厄の種”を欲しがっていることは知っている。何故かは知らない。でも、それで充分だと言うのは良く分かる。理由なんてどうでもいいのだ。


「で、でも、そう、ですか。ふぇ、フェイトのお母さんが……欲しがって……あれ?」


 そこでわたしの思考はループして戻ってきた。何かが引っ掛かる。何かとても当たり前の事実に気が付けていないような。頭の中にしこりが残ったような感覚に、わたしは目を閉じて唸る。何だろう。しかし、思考はフェイトの言葉にすぐさま現実に戻された。


「えっと、なに?」

「あ、えと、その、フェイトのお母さんは、た、多分、魔導師、ですよね?」

「えっ? ……うん、母さんは魔導師だ。大魔導師って呼ばれるくらいの、凄い魔導師なんだ」

「だ、大魔導師、ですか。ぷ、プレシア=テスタロッサみたい、ですね」

「えっ!?」


 予想外に物凄く驚いて大声を上げるフェイトに、わたしは思わず後退った。そんなに驚くようなことを言っただろうか。そもそも、大魔導師とまで謳われる人物はそんなにはいない。わたしの知っている中で、女性の魔導師で大魔導師の称号を送られた人物と聞いて真っ先に思い浮かんだのがプレシアだったに過ぎないのだ。わたしは彼女が得意としたと言う次元跳躍魔法にとても憧れているから。確かに、プレシアと言えば血も涙もない魔女だとか、或いは陰謀に填められただけの悲劇の天才だとか、色々と両極端な噂を耳にする人物ではあるけれど。口にするのも憚られる、とか、そう言う人物ではない。表舞台から姿を消して久しいので、話題に上ることも少ないかも知れないが。


「え、えと、プレシアって言うのは、ひ、百年に一人の才能と言われた魔導師で、じ、次元跳躍魔法って言う凄い魔法を――」

「えっと、うん、知ってる」

「あ、えと、そ、そう、ですか」


 何故か照れくさそうにしながらも嬉しそうに微笑んで、フェイトはわたしの説明を拒絶した。本当に知っているのだろうか。彼女はどちらかと言うと魔導科学者としての側面ばかりが目立つけれど、大魔導師の称号に違わず非常に優れた魔導師だ。無粋なことを言えば、戦えば勝てる、とは思うけれど、そう言うことではなくて、やっぱり凄い人は凄いと思うのだ。話を打ち切られて不満そうにするわたしに、フェイトは何故か難しい顔をしたかと思うと、急に決心のついたように大きく頷いた。


「じ、実は……母さんなんだ」

「え? な、何がですか?」


 今日のフェイトは本当に良く分からない。尤も、わたしの会話する相手は大抵良くわからないのだけど。もしかすると、わたしの理解力が足りないだけかもしれない。彼にも常識で考えろとよく叱咤される。常識ってなんだろう。フェイトはそんなわたしの様子を見て流石に説明不足と思ったのか、咳払いを一つしてから驚愕の事実を告げた。


「だから、プレシアが私の母さん。えと、言ってなかったかな。私の名前はフェイト=テスタロッサって言うんだ」

「えっ……えええ!? ぷ、プレ? フェイトが、あれ? 娘、ですか? あれ、でも、それは……あれ?」


 物凄く驚いた。物凄く驚いて、何かがおかしいことに気がつく。だってそんな筈はない。計算が合わない。いや、でも。私も流石にプレシアの全てのプロフィールを知るわけではない。再婚をしたと言う話は聞かないが、聞かないからしていないとも言い切れない。それに、結婚したかどうかは、娘がいるかどうかとは直接関係はないのだし。


「えっと、なに?」

「い、いえ、す、すみません。お、驚いてしまって」

「そう?」

「は、はい。そ、そう、ですね。べ、別に、何もおかしくはない、ですよね」

「おかしい、って?」

「あ、いえ、か、勘違い、です。気にしないで、下さい」


 よく考えれば別に驚くほどの事ではない。勿論、フェイトがまさかプレシアの娘だったことは驚いたのだけれど。そう言えば、フェイトは電気の魔力変換資質を持っているようだった。プレシアもそうだったと言う話を聞いたことがあるから、なるほど、遺伝したのかも知れない。


「そ、そうですか。ぷ、プレシア、ですか……ちょ、ちょっと会って見たいかも」

「え? それは――」

「い、いえ、独り言です」


 そもそも、プレシアは俗世に嫌気が差して隠棲しているとの専らの噂だ。何処に住まいがあるかは管理局でも把握していないらしい。だとすると、そんなところに訪ねて行っても迷惑なだけに違いない。それに、もし仮に歓迎された所でまともに話も出来ないわたしでは、プレシアを困らせるだけにしかならないだろう。


「ううん、そうじゃなくて。私も、母さんがいいって言うなら会って貰っていいと思う。でも、”ジュエルシード”を集めるまで、帰れないから」

「か、帰れないって――で、でも、それじゃ、何時までも帰れません、よ?」

「? どうして? あ、そうか。クロエだって集めてるんだ。それに、あのなのはって言う子も――」


 言外に敵対を宣言したと勘違いしたらしいフェイトにわたしは慌てて首を振った。そうではない。そんな状況ではもうなくなってしまっているのだ。ここでわたしがフェイトに敵対するのは、ただ管理局に利するだけでしかない。


「そ、そうじゃなくて、あれ? ふぇ、フェイト。も、もしかしてもう管理局の次元航行艦が来たことを、し、知らないのですか?」

「! そ、そんな――で、でも、クロエはどうしてそんなこと」

「あ、あの、なのはって子に聞いて。な、なのはの友達のユーノって言う人が、通報したらしくって」

「……あの、使い魔の子か」


 なのはの使い魔と言えば確かフェレットの姿を見たような記憶がある。もしかするとそれがユーノだったのだろうか。何れにせよ、今日には”アースラ”が到着する。或いは、もう何処かに停泊しているかも知れない。わたしでは探索することは出来ないので、確かめる術は無いのだけれど。管理局の到着を知ったフェイトは眉間に皺を寄せて考え込み始めた。それは当然だろう。如何にフェイトの母親があのプレシア=テスタロッサだとしても流石に次元航行艦には対抗できない。ひょっとすると彼女ならば局地戦に勝利することも出来るかも知れないけれど、最終的に管理局が本気になった時点で終わりだ。敗北までの道筋が多少変わるだけに思える。
 このままではフェイトは”災厄の種”を集めきれず、プレシアは目的を達することも無く逮捕されてしまう。ロストロギアを私的に蒐集することは管理局の法に触れる行為なのだから。

(あ、あれ――も、目的……目的?)

 その単語を脳裏で反芻すると、何かがすとんと喉を落ちた気がする。

(あ、そ、そうか。も、もしかして)

 そうなのだ。目的だ。ロストロギア愛好家ではないのなら、”災厄の種”を蒐集する意味がない。なのはやユーノはただ封印したいだけかも知れない。管理局も概ねはそうだろう。蒐集後に何か目的はあるにしても。彼は良く分からないけれど、何かの研究がしたいのかも知れない。マリィ先生たちの目的は良く知っている。プレシアの目的は知らないけれど、きっと何かがある。”災厄の種”は願望の種でもある。願いを叶える魔法の石だ。集めれば集めるほど叶えられる願いは大きくなる。尤も、そんなにも集めて誰に制御が出来るかと言う問題はある。だが、例えばプレシアには可能なのかも知れない。何処まで可能なのか、何処まで必要なのかは分からないが。


「あ、あの、フェイト。フェイトは、プレシアは、幾つの”災厄の種”を必要としているのですか?」

「え? それは…………ごめん、答えられない」


 流石にまだ味方とは言えないわたしを警戒したのか、フェイトは明言を避けて口篭った。自分の勝利条件を相手に晒してしまうのは危険と判断したのだろう。けれど、それでもう充分。何故ならそれは、全てを集めなくても良いと言う事に等しく、幾つ集めるべきかと言う勝利条件が存在するということに等しいからだ。そして、誰にも集めさせないと言うことは、きっとこう言うことだ。

(だ、誰の目的も、達成させないってこと、かな?)

 それならば、まだわたしにも勝利条件がある。管理局となのはに勝利するのは簡単だ。何故なら彼らの勝利条件は全ての蒐集なのだから。フェイトとプレシアの勝利条件は良く分からない。でも全てより少ない幾つかだと言う事は明白だ。だとすると、取引が可能なはず。


「あ、あの、フェイト。て、提案があります」

「提案?」

「は、はい。か、管理局が来たので、て、手が足りないと思います。だ、だから手を組みましょう。て、手に入れた”災厄の種”はフェイトのもので構いません。た、ただし、必要分が集まったら残りを下さい」

「え? それは、でも……」


 余りにフェイトにとって虫の良い提案に、フェイトは表情に疑問符を貼り付けて首を傾げた。その条件はある意味で魅力的と言えるだろう。管理局に対抗出来るとまでは言わないにしても、わたしの力はフェイトは良く知っていると思う。封印が出来ないとしても、”ジュエルシードモンスター”と戦う時にはそれなりに役に立てるだろう。


「あ、あの、さっき言い掛けましたけど、じ、実は、わたしは必ず”災厄の種”を集めなくてもいいんです。も、勿論一つくらいは欲しい、です……け、ど」


 更に言い募るわたしに、フェイトは静かに目を閉じて押し黙る。わたしも釣られて口篭った。フェイトは計算しているのかも知れない。管理局が訪れたと言う現状と、プレシアの目的。それから、わたしについて。確かに甘い言葉には罠がある。わたしは最後に、わたしに与えられた余分より一つだけ多くフェイトから奪い取る積りなのだから。そうすれば、プレシアは目的に及ばない。これでわたしの勝利になるのだ。

 長い沈黙が落ちる。いつの間にか太陽は高く昇り、そろそろ昼といえる時間になっていた。わたしは緊張の面持ちでフェイトの閉じた眼を見つめる。フェイトの唇が僅かに揺れた。


「バルディッシュ」

【Yes, Sir.】

【Put out.】

「え、え? あ、あの。これは?」


 期待した答えとはまるで異なり、何故かフェイトは彼女のデバイス――”バルディッシュ”と言うらしいインテリジェントデバイス――に命じて封印済みの”災厄の種”を取り出してみせた。それからそれを掴み上げると、しっかりと目を開いてわたしの瞳を覗き込む様にして告げる。


「私はまだ、あの時のことを夢に見る。あなたのことを、全部認めてはあげられない。でも、だからって全部を否定は出来ないと思うんだ」

「え、あ、はい。あ、ありがとう、ございます?」

「アルフが言うみたいに、クロエは、おかしくなんかないと思う。悪魔なんかじゃない。多分、不器用なだけだ」

「あ……あの?」


 そう言ってフェイトはそのままわたしの手に”災厄の種”を一つ握らせた。意味が分からず、わたしは手元とフェイトの顔を見比べる。くれると言うのだろうか。それは嬉しいけれど、理由が無い。困惑するわたしにフェイトは穏やかな口調で続ける。


「それはクロエのものだ。頑張ったクロエが手に入れるはずだったもの」

「え……あ、あれ? えと、え?」

「もっといい方法はあったかもしれない。でも、私には何も出来なかった。だから、頑張ったクロエを間違ってるって言うのは卑怯だ」

「あ……え? あれ……」

「うん、それは、クロエのものだよ」

「ふ、フェイ、ト?」


 どうしてか、わたしはいつも以上に上手く言葉を出せなかった。何か重いものが胸から溶け出して行くような錯覚を覚える。瞬きをすると、もう乾いた筈の眦から何故か熱い滴が落ちるのを自覚した。そうか。わたしは今、泣いているのだ。でも、一人で居た時とは違う気がする。寂しくて泣いていた時とは違って、あまり辛いことは無かった。


「でも、まだ分からない。アルフの気持ちも分かる。私はアルフの気持ちを踏み躙っているのかも知れない。それに、やっぱりあの時のことを正しいとは思えないんだ」

「た、正しい、です」


 たどたどしい口調で、わたしはそれだけは譲ることが出来ずに主張していた。正しいのだから。絶対的に正しいのだ。


「だ、だって、正しくないなら、え、選んではいけない。わたしが殺す相手に、ごめんなさいだなんて言えない」


 ――それを口にするのが悪魔である。神であるなら、常に正しいと嘯け。それが、我々の義務だ。

 わたしはマリィ先生にそうやって教わった。だからわたしは絶対におかしくなんか無い。間違ってなんかいない。だから、正しい。


「……そう、か。そうなんだね。クロエは、凄い人だ。だけど、それはきっと、寂しい凄さだ」

「さ、寂しくなんか」

「でも、クロエは泣いてる」

「泣いてません。泣いてなんか」


 そんなものは卑怯だ。泣いてはいけない。けれど、不思議と今は泣いてもいいような気がするのだ。よく分からない。何だか頭が混乱してくる。わたしは手の甲で涙を拭う。ぼんやりとしていた視界が戻る。そこで、わたしはフェイトが静かに手のひらを差し出していることに気がついた。


「ふ、フェイト? な、何、ですか?」

「クロエの”ジュエルシード”を預けて欲しい。”バルディッシュ”の中なら安全だから」

「え、で、でも」


 それでは、わたしの手元には”災厄の種”は残らない。フェイトが嘘を吐くだけで、わたしは良いように利用されるだけになる。困惑するわたしに、フェイトはしっかりとした強い口調で答えた。


「うん、だからクロエはここから逃げていい。クロエの実力なら、その”ジュエルシード”は私には取り返せないと思う」

「あ……」


 そこでわたしは重大なことに気がついた。確かにそうだ。ここでわたしが”災厄の種”を持ち去れば、フェイトだけが損をすることになる。幸いこの”災厄の種”は既に封印処理がされている。わたしがが持っていても、それ程問題はないのだ。


「だから、これが私の信頼の証。もし、それにクロエが答えてくれるなら、どうかその”ジュエルシード”を私に預けて欲しい」


 それは詭弁のような気もする。最終的にリスクを負うのはわたしだけだ。でも、考えてみればフェイトはリスクを先払いした。それを返すだけなのだから、わたしたちは互いに何も損をしない。ならばこれは公正な取引だ。むしろフェイトに不利とさえ言えるかも知れない。それに、迷うことはないのだ。元々、フェイトに提案したのはわたしなのだから。わたしは恐る恐る手の中の”災厄の種”を差し出すと、フェイトの手のひらにそれを落とす。フェイトはそれを確認して、小さく強く頷いた。


「うん、これで、私たちは仲間だ」



[20063] Act.15
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/19 19:56
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Act.15 Outside of the Aquarium(5)
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 静寂の海に三つの影が飛来し、その内の一つが周辺を警戒するようにゆっくりと旋回を始める。残りの影のうち一つは足元に巨大な魔法陣を形成し、デバイスを構えて儀式魔法の詠唱を開始する。金色の魔力光が周辺を照らした。


「アルカス・クルタス・エイギアス。煌めきたる天神よ。いま導きのもと降りきたれ」


 これは局所的に落雷を起こす天候操作魔法。この魔法の刺激により、海中に沈んだ”ジュエルシード”を強制励起させるのだ。


「バルエル・ザルエル・ブラウゼル――」


 詠唱を続ける影の様子を一瞥し、もう一方の影もまた別の儀式魔法の準備を始めた。影は両手から白んだペイルブルーの魔力光を漏らしながら、指で描くように前後左右四つの魔法陣を形成させる。最後に両手を掲げるように開くと四つの魔方陣は東西南北の空へ散った。それから足元にもう一つ別の魔法陣を一つ形成すると、静かに詠唱を開始する。


「イル・イスラ・ライラ。招来、我が手に来たれ、慟哭の剣――」






「フェイト、あたしはやっぱり納得できないよ」


 格好は寝起きのパジャマのまま、しかも顔は涙でぐしゃぐしゃのクロエが一度シャワーと着替えに戻った後で、フェイトは漸く元々の目的だったリボンを探し始める。そこへ、いつの間にか戻っていたアルフがそう呟いた。フェイトの強い希望でクロエとの話の間は何かあるまで絶対に待機を命じられていたのだが、クロエが部屋を出たことでもう充分と判断したのだ。フェイトもアルフが戻るのを気がついていたため、特に驚きも無く言葉を返す。


「ごめん、アルフ。でも、もう決めたことなんだ。それに、アルフだってクロエはやっぱり酷いだけの人じゃないって気付いたと思う」

「そ、それは、そうだけどさあ」


 アルフは耳を草臥れさせて呻き声を上げる。使い魔であるアルフにも、フェイトを通じて二人の会話は耳に入っていた。だから、必ずしもフェイトの判断が間違いと言う訳ではない事も理解できたし、クロエが余程上手く騙していたのでなければ彼女にもそれなりの理由があることは分かった。しかし、理性と感情は別物だ。特に、純粋な人間よりも獣としての側面の強いアルフには、相変らず動物的な勘が彼女に警鐘を鳴らし続けていて、それがどうにも不安で仕方なかったのだ。何と言うのだろうか、クロエはフェイトにとって良くない影響を与える気がする。


「アルフに相談しなかったのは悪いと思ってる」

「それはいいんだ。あたしはフェイトの判断には従う。でも、フェイトがクロエに影響されるのが凄く不安なんだよ」

「どうして?」

「確かにあいつの言うことは必ずしも間違ってはいないと思う。でも、あたしはフェイトにはそうなって欲しくない」


 我侭な意見であることは自覚しつつ上手く纏まらないままの心情を吐露したアルフに、フェイトは困った顔をして押し黙った。アルフの心配は分かる。フェイト自身、クロエのことは凄い人だと思う。けれど、そうなりたいとは思えないし、そうなれるとも思えない。それでもいつか彼女のことを本当に理解する日が来たなら、フェイトは今までのフェイトとは決定的に変わってしまうかも知れない。けれど、それはクロエにも言ったように寂しい凄さだ。そうなった時、アルフはそれでもフェイトの傍に居られるだろうか。

(あ、そう、か……そう言うことか)

 そこで、アルフは自分の不安の本当の正体に気が付いた。そうなのだ。正確に言えば、一番怖かったのはフェイトが変わってしまう事じゃない。確かに、優しいフェイトがああなってしまうことは怖い。しかし、それ以上に、そうなった時にアルフが必要でなくなってしまうか、それどころか邪魔になってしまうことが怖かったのだ。プレシアがリニスを処分したように、いつかフェイトはアルフをもう要らないと言うかも知れない。フェイトがそんな事を言うはずが無いとは思う。けれど、例えばクロエならどうだろうか。そう思うとどうしようもない不安に駆られるのだ。


「大丈夫、だと思う」

「えっ? 何がだい?」


 思考の海に沈みかけたアルフに、唐突にフェイトが声を掛けた。それから彼女を安心させるような穏やかな口調で続ける。


「だって私にはアルフがいるから。そうやってアルフが心配してくれるなら、きっと私は間違えないで進めると思うんだ」

「フェイト……」

「だから、何も不安なことなんてないんだ」


 アルフはどうしようもない嬉しさと、それから少しだけの寂しさに言葉を無くして押し黙る。彼女の主人はこんなにも素敵な人なのだ。けれど、フェイトは何時の間にこんなにも強くなってしまったのかと寂しさも脳裏を掠める。
 確かに、何も不安なことはないのかもしれない。けれど、逆説的に言えばやはりいつかアルフが必要でなくなる時が来ると言うことなのだ。それはクロエの存在とは関係がない。フェイトが成長すればするほど、誰かの支えがなくても一人で歩いていけるようになるほど。フェイトはただ、クロエとの出会いで成長してしまっただけなのかも知れない。そう考えるとアルフの不安は的外れではあった。


「ねえ、フェイトはあたしを置いていかないよね?」

「うん、置いては行かないよ。ずっと傍にいるって約束したから」

「そうか、それならいいんだ」


 予想通りに優しいフェイトの回答に、何故かアルフの胸のもやもやが晴れることはなかった。それは何かが違う気がする。何かの正体はまだ良く分からないけれど、アルフは今まで通りの自分では何かが足りないように思えたのだ。フェイトとアルフの想いが微妙にすれ違ってしまっている。それはクロエの所為だと逆恨みをしてしまいそうになる。けれど、そう言うことではないのだと思う。どちらかと言えばこれは、アルフ自身の問題なのかもしれない。


「――あ、母さんに貰ったリボン。ここに落ちてたんだ」


 結局答えを見つけられない内に、アルフの思考はフェイトが目的のリボンを探し当てた声に現実へと戻された。ほぼ同時に、インターホンが来客を知らせる。十中八九クロエで間違いはないだろう。この部屋は既に引き払ってしまったし、表札もない。元より、フェイトたちを尋ねてくるような人物に心当たりはない。それに、弱い認識阻害の結界が掛けられている為に誰かが興味本位で訪れてくることもありえない。

 フェイトが入室を許可すると恐る恐る扉を開いたクロエが相変らずの気弱な表情で遠慮がちに部屋へ入って来た。ここはもうフェイトたちの部屋という訳ではないのだから、そんな風に気を使う意味もないと言うのに。その様子にフェイトが苦笑する。アルフは、実は演技と言うわけでもないらしいクロエに複雑な表情を浮かべ、大きく溜息を吐いて気持ちを切り替えることとした。結局はフェイトの決定には従うのが使い魔であるアルフの使命であり当然なのだ。フェイトの決めたことなら、その中で最高の成果を出せるように努力しなければならない。その決意の眼差しを何か勘違いしたらしいクロエが息を呑む。アルフはもう一度、今度は別の理由で溜息を吐いた。面倒な相手だ。無意識に彼女の方を睨んでしまったことは確かではあるが。


「え、あの、えと、お、お待たせしました。そ、それで、フェイト。さ、作戦の詳細を教えてください」


 態度とは裏腹に、何故かクロエの格好は気合が入っていた。ブルーのラインの入った軍服を思わせる黒いスーツに深い紫のマント。各部に施された魔法処理から、それが魔導師以外が使用するバリアジャケット代わりの防護装備であることが分かる。また、簡易魔法陣を織り込んであると思しき白い手袋は魔法詠唱の高速化と魔法制御の効率化を補助するブーストデバイスの一種のようだった。髪型は珍しく紺色のリボンでポニーテイルに纏められている。これも簡易の結界術式が織り込まれた魔法防御用装飾品らしい。いつものストレージデバイスは待機状態で首から提げられたまま――いや、よく見るとこれで起動しているようだ。待機状態とは違い、いつもは空っぽのビンの中身に不思議な蒼の液体が揺れている。


「クロエ? その格好は?」


 不思議に思ったフェイトが問いかけた。随分と物々しい格好に思えるが、少なくとも魔導師の装備ではない。いや、フェイトは見たことがなかったが召還魔法を得意とする特殊な魔導師にはこういうスタイルで戦闘を行うものもいるとは聞く。しかし、フェイトの記憶では若干変則的とは言えクロエは砲撃魔導師だったはずだ。それにバトン状のストレージデバイスを使った棒術を基本とする体術を組み合わせて戦闘をしていた。そもそも、どうせバリアジャケットを纏うならその装備の半分は意味のないような気もする。


「こ、これで、ほ、本気です」


 しかし、首を傾げるフェイトに、クロエは良く分からない回答で返したのだった。






 そもそも、わたしは攻撃魔法以外に殆ど適性がない。最早レアスキルに近いレベルで全ての素養が攻撃に偏っていた。本来は魔導師として一定のレベルに到達すると魔法の種類に関わらずある程度は使いこなせるようになるらしい。種類が違うとは言え、基本となる術式構成にそれ程違いはないのだから。にも拘らず、わたしにはそれが出来ない。攻撃魔法でさえあれば如何に高度な術式であろうと解析できる自信があるし、ふと思いついただけの攻撃魔法を簡単に構築してしまうのは尋常の才能ではないとも言われた。しかし、攻撃魔法以外についてはさっぱり分からない。ある種の魔法覚異常のようなものだと言われたこともある。色覚異常の人間が特定の色を見分けられないように、わたしには攻撃魔法以外の魔法が全て何だか同じようなよく分からないものに見えるのだ。

 その結果としてわたしには攻撃魔法を除けば移動魔法と結界術式の基礎を実践するのが関の山になる。それも、攻撃魔法を土台にした複雑な手続きを使って。だから、ある意味でわたしの移動魔法と結界術式はオリジナル魔法とも言え、しかし普通と較べてもかなり非効率的なのだ。わたしは魔力で言えばSランクを超えると思うけれど、移動魔法と結界術式のレベルはせいぜいがBランク相当までが限界となる。しかも防御魔法を持っていない。これは戦闘をする魔導師として致命的だ。

 わたしは強くなるために攻撃魔法のバリエーションを増やすしかなかった。あらゆる攻撃を避け、避けられなければ相殺する。そして、最も重要な事は出来るだけ相手に何もさせないことだ。それは物理的な意味でも、精神的な意味でも。恐慌を誘発せよとヴァネッサには教わった。だから、わたしの攻撃魔法は非殺傷設定の意味がないようなオーバーキルのものが多い。とは言え、常に一方的に攻撃できるほどわたしも強くはない。だからこそ最低限の防御としてバリアジャケットの展開とバトンを使った棒術で対策をしている。しかし、これも余り効率的な方法ではないのだ。わたしの魔法適正を考慮すると、出来るだけ相手に近づけさせずに怒涛の攻撃魔法で一気に攻め尽くすのが望ましいのだから。

 そうした点を考慮するとわたしが最高の能力を発揮するには、例えば誰か優秀な前衛を盾として全力の攻撃魔法を行使する方法などがある。何故なら、わたしは常に消耗している。バリアジャケットの構築に普通の魔導師では考えられないほどの魔力を消費してしまうのだから。故に、バリアジャケットを纏う限りは全力を出し切れない。劇的に変わると言うほどではないにしても、使える魔法の選択肢が増えることには違いないのだ。

 だからこそこれが本気のスタイルになる。”トイボックス”はバトン状ではなくペンダント状のままで稼動させ、文字通りの魔法ストレージと両手のブーストデバイス”パーペチュアルエコー”とのシンクロ機能の制御に特化させる。この場合、”パーペチュアルエコー”がわたしのメインデバイスとなる。とは言ってもわたしには本来的な意味でのブースト系魔法は使用できない為、魔法は全て自分で構築することにしてデバイスの補助機能である魔法詠唱の高速化と魔法制御の効率化の恩恵にのみ預かる事とする。この結果どうなるかと言えば、防御力のダウンを代償として攻撃魔法の高速化と効率化、そして選択肢の若干の増大と言う事になる。パワーアップと言うには弱いが、これでこそ本気の魔法が詠唱出来る。フェイトのサポートが期待できるなら、恐らくこのスタイルの方が最適なのだ。


「ば、バリアジャケットの構築に魔力を消費しますから、そ、それを節約して攻撃に回すんです」

「えっ? 幾らなんでもそれは――」

「そんな無茶苦茶な」


 どちらかと言うと攻撃を重視するタイプに見えるフェイトとアルフが驚きに目を丸くする。確かに、幾らなんでも無茶だと言うのは良く言われることだし、わたし自身も無茶だと思う。だから、このスタイルは一人で戦う場合には絶対にしない。けれど、フェイトから簡単に聞いた作戦を達成するには防御を犠牲にしても攻撃を重視する方が適切に違いないのだ。


「も、元々わたしは防御魔法が使えないので、た、大して変わりません」

「ぼ、防御魔法も使えないって、あんた……」


 アルフが呆れた声で呟いた。確かに普通ではないと思うけれど、使えないものは使えない。何れにせよ防御魔法を使えないのだから、わたしの防御は元々紙にも等しいのだ。最後の砦であるバリアジャケットを構築しないと言うのは不安ではあるにしても、実のところこの防護装備とそれほど防御力に違いがあるわけでもないのだから。問題は、この装備が恐ろしく高価で下手をするとインテリジェントデバイスが買えてしまいかねない高級品だと言うことだけれど。
 わたしがそれを説明すると、なおも渋い顔をしながらもフェイトは結局はわたしのスタイルを承諾した。心理的に物凄く抵抗があるようだけれど、合理的ではあることは分かって貰えたらしい。


「え、えと、それで、作戦ですけど、海の中の”災厄の種”をフェイトの魔法で、きょ、強制励起させるんですよね」

「うん、管理局を出し抜くにはそれくらいする必要があると思うんだ。私とアルフだけだと無謀だけど、”ジュエルシード”の暴走をクロエの攻撃魔法で抑えられるって言うなら、その間に封印するのは難しくないはずだよ」

「そ、そう、ですね。き、危険はありますが……。で、でも、そ、そんなに多くの”災厄の種”を一度に封印できるものですか?」


 わたしは懸案を口にする。”災厄の種”を強制的に励起させると言うのは非常に危険な作戦には違いない。いや、乱暴極まりない下策とすら言える。少なくともわたしがそれをやった場合、一時間を待たずに世界が終わると思う。しかし、活性化した”災厄の種”を邪魔が入りさえしなければ容易に封印可能であると言う前提であれば必ずしも無謀とは言えないかも知れない。リスクは恐ろしく高いが、確かに管理局を出し抜くには充分な策なのだ。


「あんたとちがってフェイトはすごい魔導師なんだ。それくらいどうってことないよ」

「えと、アルフの言うのは褒めすぎだけど……そうだね、数にもよるけど、何十個もあるわけじゃないから大丈夫」


 わたしはフェイトの答えに暫く押し黙って考える。この作戦は、例えばマリィ先生たちなら絶対に認めないと思う。何故なら何の根拠も実績もないフェイトの言葉には説得力がない。活性化した複数の”災厄の種”を封印した経験なんて今だかつて誰にもないだろうから。しかし、管理局に対抗するには――いや、管理局がいればこそ可能な作戦かも知れない。”アースラ”が既に到着したらしいことはフェイトの探索魔法で確認して貰った。正確には、フェイトの探索魔法で検知出来ない領域を見つけたのだ。


「さ、最悪の場合、”アースラ”の”アルカンシェル”で、し、心中することになると思いますけど」

「はぁ!? 何言ってんだい、あんた?」


 母さんと兄さんは偽善者であるとは思う。けれど、本当にどうしようもなくなった時点で”アルカンシェル”で砲撃する判断は出来るはずだ。それだけで次元震の発生が抑制できるかは微妙なところだけど、元々”災厄の種”の回収に訪れたのだからある程度の対策はあるだろう。アクアリウムではそれを用意する能力がなかったが、管理局ならば出来るはずだ。


「で、でも、アルフ。さ、”災厄の種”が共振を始める前に、管理局はわたしたちごと、ふ、吹き飛ばすくらいの判断をすると思いますよ」

「確かにそうかも知れない。アルフ、これは本当に危険な方法なんだと思う。多分、私が考えていたよりずっと」

「それは……でも、だったら、他のもっと安全な方法は――いや、そうだね。管理局が出てきた時点で、本当はゲームオーバーだったんだ」


 フェイトに危険な賭けをさせたくなかったのか別の方法の模索を提案しようとしたアルフが押し黙った。そう、実のところわたしたちは既に半ば敗北している。これはもう敗者復活戦に等しい。敗者が勝者に逆転するには、それなりのリスクを負う必要はあるだろう。少しだけ、割に合わないリスクだと思いはするけれど。しかし、これは悪くない案なのだ。


「ごめんね、アルフ」

「フェイトが謝ることじゃないよ。管理局に勝てる見込みがあるだけでマシだと思う」


 いずれにしても選択はそれ程多くはない。必要なのは覚悟だけだ。アルフも結局はそれ以上何も言わず、その様子に頷いたフェイトが決意に唇を結んで宣言する。


「さあ、行こう」






 長い詠唱がそろそろ終わる。フェイトは儀式魔法を完成させ、発動ワードを宣言した。


「――撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス!」

【Thunder Fall.】


 招来された黒雲に纏い付くような細い雷光が走る。凪いでいたはずの海は荒れ、局所的な嵐の様相を表し始める。雷光は僅かにじりじりと燻ったかと思うと一瞬後に何かが決壊したように怒涛のように降り注いだ。轟音が走り、閃光が目を焼く。吹き荒れる魔力流が海中に到達する。


「クロエ……っ」

「……っ、は、はい」


 儀式魔法の発動を終えて封印術式の準備を始めたフェイトが合図を送るのを聞いて、わたしは途中で待機させていた広域殲滅魔法の詠唱を再開する。


「そは清冽なる光。醇乎たる滅亡の指。ソル・ルクル・プロミナ――」


 魔力流に刺激され、活性化した”災厄の種”が次々と海中から飛び出してくる。それは周辺の海水を取り込んだのか、渦の龍の如く伸び上がって暴走を始める。封印のタイミングを計るフェイトは静かに宙を佇んで動かない。彼女を襲う水龍はアルフの防御魔法で露払いされている。
 ”災厄の種”の暴走は加速度的に激化を始めた。しかし、まだタイミングは完全ではない。後もう少し、後もう少しだ。完全に全ての”災厄の種”の位置を特定しなければならない。何故ならわたしの詠唱している魔法は、威力が高すぎて迂闊に発動させるのは余りにも危険なのだ。万が一制御に失敗するわけには行かない。それは文字通りの世界の破滅に等しい。

(――っ、い、今です!)

 緊張にわたしの頬を汗が伝った瞬間、最後の”災厄の種”が姿を現して暴走を始めた。これで全てが出揃った。後は、魔法で余計なものを消し飛ばすだけだ。


「顕現せよ、箱庭の日華!」

【Miniature Corona】


 発動ワードを唱えると同時に東西南北に散った魔法陣が互いに魔力精製された電磁波を射出し始める。その電磁波はわたしの指定した領域に吹き荒れて循環を繰り返す。即ち極めて強力な磁場の嵐。それは周辺の空気を刺激し、一瞬にしてにプラズマへ換える。磁場の嵐はそれでも吹き荒れる。プラズマ化した空気を尚も加熱し、次の瞬間、太陽のミニチュアが顕現した。

 これは極小のコロナだ。白い燐光を発しながら加熱するプラズマは実に数百万ケルビンにも到達する。当然にしてこの温度に耐えられる物質はこの世界には存在せず、蒸発どころか瞬時に原子レベルで崩壊する。わたしが指定した領域の海は干上がると言うよりも消し飛んだ。”災厄の種”が丸裸になる。残ったのは中空を虚しく漂う六つの宝石。フェイトが”バルディッシュ”を構える。失った空気を埋めるように局所的に猛烈な突風が吹いて全ての”災厄の種”を一処に集める。


「……っ、はあ、っ」


 ”災厄の種”そのものに攻撃魔法の威力を直撃させず、周辺の被害を可能な限り抑える複雑すぎる制御を完成させ、わたしは魔力の大部分を失って荒い息を吐いた。本当はこの魔法はロングレンジから問答無用で対象を消滅させることを目的としている。流石にこのレベルの制御を実施すると消耗が激しい。


「あ、そ、それより、ふ、封印は――」


 そこで肝心なことを思い出してわたしはフェイトの方へ振り返った。フェイトがそれに答えるように頷く。既に全ての用意を終えているらしく、すぐさま”バルディッシュ”に命じて封印術式を発動する。


「行くよ、”バルディッシュ”」

【Yes, Sir】

「全部まとめて、”ジュエルシード”、封印!」


 フェイトが宣言した瞬間に金色の魔力光が放たれ、わたしがあっという間もなく全てが終わる。


【Sealing, Sealing, Sealing, Sealing, Sealing, Sealing.】

【All was sealed. And Captued.】


 この間二秒。わたしからすると反則としか思えない速度で実に六つの”災厄の種”は封印され、”バルディッシュ”へ格納されたのだった。


「む、むぅ」


 わたしは思わず唸ってしまう。何だろうか、これは。とてもずるい。


「クロエ、終わったよ」


 封印を終えたフェイトがアルフを引き連れてわたしの傍へ飛んできた。わたしはどうも納得の行かない表情を隠しきれないまま二人を迎える。その様子に不思議そうに小首を傾げるフェイトへ向けて、わたしは取り敢えず撤収する旨を提案することにする。管理局が駆けつける前に速やかにこの場を去る必要があるのだ。


「あ、えと、そ、それじゃ早く――」

「ま、まずい、フェイト!」

「アルフ!?」

「な、何ですか?」


 その提案は酷く慌てた様子のアルフの声に遮られていた。一体何が起こったと言うのだろう。全ての”災厄の種”は封印され、フェイトとわたしの魔力はかなり目減りしてしまったとは言え成功裏に作戦は完了した。それなのに何だというのか。いや、そうではない。最大の懸案が片付いていない。それは管理局の探知能力が予想を超えていた場合。つまり、もう管理局が駆けつけてしまった可能性があるのだ。


「あ、ま、まさか管理局が――」

「ち、違うよ!!」

「えっ?」


 しかし、わたしの予想を否定して、アルフは恐るべき事実を告げたのだった。


「つ、津波だ!!」

「津波!?」

「え、あ、そ、そうでした!」


 そういえば致命的な事実を見落としていた。なくした空気は突風を呼んだ。ならば、消し飛ばした海はどうなるか。自明である。周辺から流れ込んだ大量の海水が大津波となって押し寄せるのだ。


「ご、誤算です!!」

「う、うわあああああ! だ、だからあんたなんかと協力するのは嫌だったんだよぉ!!」

「えっ? えっ? ど、どうしよう。ええと」


 アルフはわたしの胸座を掴んで喚きたて、フェイトは咄嗟の自体に混乱して右往左往していた。しかしもう時間はない。津波は既に海岸へ押し寄せ、近隣の民家を飲み込まんとしている。このままでは被害は甚大。この犠牲は必要とは言えない。まさに無意味な被害でしかない。わたしは取り敢えず混乱するフェイトの腕を掴んで飛行魔法で飛び出した。


「と、とにかくフェイト。ぼ、防御魔法をお願いします」

「あ、うん。でも、私もあんまり得意じゃ……それに、あんな大きな範囲は――」


 大惨事の予感に顔を青くして半ば涙目になりながらもフェイトが防御魔法の詠唱を開始しようとする――その刹那。


「守護する盾。風を纏まといて鋼と化せ。すべてを阻む祈りの壁。来たれ我が前に!」

【Wide Area Protection】


 衝撃。轟音。魔力の光が乱反射する。
 大津波は桜色、翠色、水色の三色の魔力光を放つ強力な防御魔法に受け止められたのだ。



[20063] Act.16
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/21 22:20
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Act.16 Outside of the Aquarium(終)
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「何とか……ぎりぎりセーフか」


 緊張とそれ以外の様々な理由による嫌な汗を拭うと、クロノは荒い息を吐いた。本当に碌なことがない。あの後先を考えない莫迦な妹が関わって何一つ無事に終わった試しがない。だがそれも言っても栓のないこと。いずれにしても絶望的状況は回避できた。後はこのチャンスを生かす為に気持ちを切り替えなければならない。


「クロノくん、お疲れ様」


 そこで”アースラ”のエイミィから通信が入る。クロノは念の為に被害状況を確認し、致命的な取りこぼしのなさそうな事に安堵の溜息を吐く。どうやらリンディの方も上手くやったらしい。まさかこんな所で彼女の切り札の一つである広域空間歪曲結界魔法を使用させる羽目になるとは思ってもみなかったが。


「うん。クロノくん、なのはちゃん、ユーノくんの防御魔法で津波は全部水際で食い止められたよ。反射波や余波も艦長の魔法で封じ込めに成功してる。でも、流石だね、クロノくん。とっさにして的確、見事な判断!」

「……嬉しくない。絶対に碌なことにならないと確信していれば、こんなの大して凄くないさ」


 エイミィの称賛を素直に受け止められず、クロノは渋い顔をして呻き声をあげた。実際にこれはそう大したことではないのだ。何度か見たことのあるクロエのあの恐るべき儀式魔法が使われて、これまで一度だって何事もなく済んだ試しがないのだから。範囲内のあらゆる物質を消滅させるあの魔法は、どれほど精密に制御したところで周辺に致命的な被害が発生することを抑えきれないのだ。何度も同じことを経験していれば、それは咄嗟に的確な判断も出来ようと言うものだ。クロノ個人としては、あれはもう禁呪指定にしてもいいのではないかとさえ思っている。


「う……ま、まぁ、言われてみると、そうかも」

「それより、クロエだ。図らずも即時拘束の理由が出来た。この状況は言い逃れ出来ないぞ」


 そう、この状況は言い逃れが出来ない。何と言っても違法にロストロギアを蒐集する魔導師に協力し、これほど危険な方法で無茶をやらかしたのだから。いや、或いはこれさえも特別調査官の権限を盾に最終的には上手くかわされてしまう可能性は高い。しかし、現時点において一時的に拘束して事情を聴取することについては執務官の権限と判断でどうとでも出来るはずだ。


「よし、それじゃあ、なのは。今回は協力して貰ったがここからは――なのは? 何時の間に!?」


 このレベルの災害を防ぐに当たってなのは達の協力が必要であったことは事実。ここまでして貰って虫のいい話とは思ったが、これ以上はただの民間人を関わらせる訳にはいかない。あのクロエと戦闘になる可能性を考慮すると、どれ程の危険があるかは言うまでもない。そう考えてクロノがなのはを振り返ると、なのはの姿は既に無く、そこにはもう防御魔法の全体連携とブーストに全力を費やして疲弊しつくしたユーノの姿しか見当たらない。ユーノは声も出せずに空を指差している。最悪の可能性がクロノの脳裏を廻り、考える間もなく飛行魔法で飛び出すと、案の定クロエの前方へ回り込もうとするなのはの姿を見つけてしまう。


「待て、なのは! 下がれ! ――っ、くっ、君たちも逃がさないぞ! 時空管理局だ、止まれ!!」


 追い縋る途中で逃げようとするフェイト達の様子に気がついてクロノは牽制の魔法を放つ。焦りにコントロールが甘かったせいで掠りもしない。これはまずい状況だ。クロエは逃がせない。なのはを止めなければならない。とは言えこのまま違法魔導師であるフェイト達を見逃す訳にも行かない。だと言うのにユーノはぐったりして動けない。あれほどの規模の大津波を受け止めるのに広域防御魔法の中核制御に当たって貰った事情があるため強くも言えず、元より彼に頼るのはお門違いではあるのだが。現状の優先事項としてはクロエの拘束が挙げられるが、フェイト達も片手間で相手するには厳しい実力であるようだ。クロノの見立てでは、邪魔が入りさえしなければ二人同時に相手取って勝利することも不可能ではないように思える。しかし、この状況ではそうも行かない。

 一瞬の迷いに反応したのか攻勢に出たフェイトの射撃魔法がクロノを襲う。クロノは防御魔法を展開してそれを防ぐとお返しとばかりにバインドを放つ。クロノの得意とする強力にして瞬時に展開されるそれらは、避けられない筈のタイミングでフェイトを拘束――する寸前にクロエの攻撃魔法に細切れに切断された。その隙を付いてフェイトの鎌とアルフの拳がクロノに迫り、それを”S2U”と拳を使ってギリギリのタイミングで防いで射撃魔法で牽制する。当然、その程度で落とせる訳もなくその殆どがあっさりと避けられ、残りは余裕を持って防がれた。

 歯噛みするクロノを嘲笑うように、更に上空ではクロエとなのはの戦闘が開始されている。趨勢は見るまでもなく、なのはのあらゆる攻撃がクロエの魔法に相殺され、クロエはどちらかと言えばクロノの様子に注視して脱出の機会を虎視眈々と狙っているように思えた。とは言え、クロノにもそれを眺めているだけの余裕がない。如何に彼であってもフェイトとアルフとの戦闘、クロエの拘束、なのはのフォローの全てを同時にすることは出来ないのだ。だとすると方法は一つ、クロエが遊んでいる内にフェイトとアルフを出来る限り早急に打ち倒すしかない。


「っ……手加減は出来ないぞ!」


 方針が決まって頭を切り替える。こうなっては全力で戦うしかない。無理でも何でもやるしかない。クロノはいざという時にしか使わない本気の攻撃魔法の準備を開始した。






「待って! わたしのお話を聞いて――きゃあっ」


 追い縋るなのはをあしらう様に、わたしは両手から魔力糸を絡め取るように放つ。なのははそれをシールド張って何とか防御すると、スフィアを形成してそこから自動追尾能力を付加した射撃魔法で反撃した。だが甘い。わたしは瞬時に精製した超高密圧縮魔力球をを炸裂させ、迫り来る魔法を全て吹き散らす。


「ど、どいて下さい。だ、大体、は、話を聞いてくれなかったのはあなたの方じゃないですか」

「それは――うん、ごめん。それは認めるよ。大切なお友達を傷つけられて頭に血が上ったわたしのミス。あれからずっと考えてたんだ。考えたけど、やっぱりおかしいよ。こんなのはおかしいって思うんだ。でも、だからちゃんと、もう一度お話がしたい。お話を聞かせて欲しいんだ」

「い、今さら、そんな事を――」

「ずっと探したよ。何度も呼びかけた。でも、答えてくれないなら、直接捕まえるしかない」


 そんな事は知らない。本当かどうかを確かめるすべもない。元々わたしには念話だって碌に届かない。余程近くまで来なければ、何も伝わらなかったに違いない。けれど、だとしてもそんな事は関係ないのだ。管理局に協力出来ない以上、それに付いたなのはとも仲間にはなれない。


「――っ、フェイト!」

【Helical Driver】


 兄さんの魔力光弾を左手の砲撃魔法で打ち落としてフェイトへフォローを入れると同時、右の手に生成した魔力剣で距離を詰めようとしたなのはへ斬り付ける。


【Mirage Saber】


 なのはは咄嗟にこれを”レイジングハート”で受け止めようとして、すり抜けた刃に打ち据えられた。


「きゃあっ」

【Master! Are you all right?】

「だ、大丈夫。まだ行けるよ、”レイジングハート”」


 これは半形成状態の魔力刃の生成魔法。形成レベルを緻密に制御することにより、相手の攻撃を受け止めることも相手の攻撃をすり抜けることも可能な一方的な斬り合いをするための魔法だ。形成レベルを下げてすり抜けた場合は威力が落ちる点が唯一の欠点と言える。非殺傷設定にはしたとは言え、直撃をしたにも拘らずなのはの防御は予想以上に硬く、たたらを踏んで踏み止まるだけですんだようだ。或いはこれで落とせると考えたのは甘かったか。


「で、でも、あ、あなたはわたしを否定したいだけじゃないですか」

「そうじゃない! そう言うことじゃなくて、わたしはあなたの本当の気持ちが知りたいんだ。本当に欲しいものが知りたいんだ。わたしは、諦めて誤魔化した結論じゃなくて、もっといい方法を一緒に考えたい!」

「わ、訳が分かりません。そ、そんな都合のいい方法、ある訳ないです」


 この子は一体何を言ってるんだろう。そんな都合のいい方法があればわたしだってそれを選ぶ。わたしは殺人鬼でも快楽殺人者でもない。もっといい方法が本当に存在するなら、わたしはそれを拒みはしないのだ。


「あるよ! 絶対にある。わたしは一か月前は魔法の存在を知らなかった。今こうしてる事なんて想像もしなかった。そんなのこの世界の誰も信じない事だと思う。でも、ユーノくんは助けを呼んで、わたしはそれを助けられた! それは奇跡みたいなことで、とても素敵なこと! クロエさんなら無理だって諦めたかもしれないけど、わたしはちゃんとユーノくんを助けられたよ?」

「そ、そんなのただの偶然です。ふ、普通はそんなのありえないです」


 だと言うのに、なのはは答えになっていない答えで返した。それは確かに奇跡かも知れない。素敵かも知れない。だとしても、それが一体なんだと言うのか。


「そうやってすぐに決めつけるから、手の中に掬えるだけしか掬おうとしないから、そんなやり方じゃ、結局は本当に大切なものを取りこぼすだけだよ!」

「な、何も掴めないよりもずっといいです。奇跡なんて起こりません」

「違う! そうじゃない、そうじゃないんだ! わたしが言いたいのは、最初から諦めているクロエさんには奇跡は絶対に起こらないってこと! あの時もわたしが言ったように、アリサちゃんとすずかちゃんが死なないで済む未来だってちゃんとあった。直ぐ傍にあった。それを信じられないでどちらかの死を決めつけたのはクロエさんの弱さだ!!」

「だ、だからそれは結果論です」


 どんなに残酷であっても、どんなに理不尽でも、選ぶべきときは存在する。わたしはそれを選ぶことに躊躇いはしない。その躊躇いがわたしを殺す。その躊躇いが誰かを殺す。百の死の前に十でも二十でも、わたしは当然に殺すのだ。それが一番正しいのだから。


「そんなの嘘だ! クロエさんくらいに凄い魔導師なら、本当はもっとできる事が幾らでもあったはず。そんなの、一番簡単な方法を選んだだけでしょ!?」

【Divine Buster, stand by.】


 叫びながらも高威力の砲撃魔法を準備し始めたなのはを一瞥し、わたしは一旦それを無視することに決める。振り返らないまま両手からそれぞれカマイタチ状の魔力刃を放って、アルフを捕らえようとしたバインドを切り刻んだ。漸く回復したらしい翠色の魔力光の少年が兄さんに加勢しているようだ。


「ディバイン! バスター!!」

【Buster!】

「む、無駄です!」

【Helical Driver, Entwined Shift】


 なのはの砲撃魔法はわたしの放った螺旋に絡め取られ、拡散して周囲に威力を弾けさせる。その隙にわたしは距離をとると、駄目押しにもう一度砲撃魔法を放ってなのはを防御ごと吹き飛ばした。


「う、うううううっ! くっ!!」

【Flash move】


 それでも尚も耐えたなのはは、墜落を高速移動魔法で無理やりキャンセルして上昇した。本当に、耐久力だけは普通ではない。これが魔法を覚えて一ヶ月の魔導師だというなら、驚くべき才能と言う他はない。普通の魔導師が何年も掛けて研鑽する技を、彼女は僅か数日て越えてみせるとでも言うのか。


「……っ、はあっ、はあっ、あっ……つ、強いね。クロエさん。本当に強い。それに凄い。でも、こんなに強くて凄いのに、どうしてその力を、みんなを助けられる力を、正しく使おうとしないの!?」

「ち、違います。わたしだって無意味な犠牲なんか出したくない。で、でも、どうしようもない時に迷って、それで何人を殺すんですか? 迷わないことが、一番正しい方法です」


 確かにじっくり考えればもっといい方法はあるかも知れない。けれど、そんな方法があると言う保証などどこにもないのだ。そんな感傷にも近い淡い希望に迷って、無意味な犠牲を重ねるのは愚か者でしかない。


「弱虫の理屈だね。どうしようもなくなんかない! クロエさんは頑張ってないだけだよ。全力全開で戦えてないだけだよ!」

「あ、あなたこそ勝手に決めつけないで下さい。じゃ、じゃあ、封印術式の使えないわたしに、あの時どんな選択肢があったって言うんですか?」

「……っ、そう、それは大変だね。でも、そんなの理由になってない。出来ないなら、どうして出来る人に頼らないの? わたしは幾らでも手伝ってあげられたよ?」


 わたしの言葉に、なのはは一瞬だけ息を詰めて、けれども直ぐに反駁の声を上げた。それは非現実的な提案だ。その場に居もしない、来るかも分からない助けなんて、想定する意味がない。


「ま、間に合う訳がないです。そ、そうやって迷う間に、あなたは結局二人とも殺すんですか?」

「だからそれが決めつけって言ってるんだ! 封印が出来ないのが分かってるなら、どうして最初からそれを何とかしようと考えなかったの?」

「そ、それは、で、でも、そんな簡単なことじゃ――」

「簡単だよ。とても簡単なことだよ。だってわたしは最初から”ジュエルシード”なんか欲しくなかった。ちゃんとみんなでお話をして、納得が出来れば譲っても良かったんだから!」

「む、無茶苦茶です。み、みんなが一つのものを欲しがってるなら、どうやっても分かりあえっこないです」


 それは結局誰かが何かを諦める事でしかない。誰も諦められないなら話し合いが成立しない。諦められるなら、こんな風に戦いは起こらない。頭が痛くなる。訳の分からない理屈を延々と聞かされて、苛々として仕方がなくなる。わたしは再び放たれたなのはの射撃魔法を丁度同数の射撃魔法で打ち落とすと同時に、距離を詰めようとする兄さんの眼前に魔力針を放って足止めをする。それそろ終わりにするべきかも知れない。フェイトたちも何時までも兄さんを抑え切れないようだし、わたしも手加減をするのは得意ではないのだ。なのはを傷付けるつもりはなかったのだけれど、これ以上続けるくらいなら少しばかり乱暴な方法をとってもいいかも知れない。


「そうかな? 本当に一つなのかな?」


 そんな風に考え、わたしが距離をとって威力の高い魔法の準備を始めた時、酷く静かな声でなのはが搾り出すように告げた。


「な、何を訳の分からない事を」

「フェイトちゃんやクロエさんが”ジュエルシード”を欲しがってる理由は知らないよ。でも、”ジュエルシード”は誰かの願いを叶えてもなくなったりはしなかった。だったら、最初にフェイトちゃんの願いを叶えて、クロエさんの願いを叶えて、それからユーノくんに返すんじゃ駄目だったのかな?」


 相変らずの暴論にわたしは歯噛みする。やっぱりなのははおかしい。そんな風に全部上手く行くくらいなら、誰もが必死に戦う意味がなくなってしまう。世界はそんなに優しくなんかない。単純なんかじゃない。


「あ、あなたの言っているのは綺麗ごとばかりです。あ、あり得ないです。そ、そんな事を言われたとして、だ、誰がそれを信じられるんですか?」

「だから、その方法を一緒に考えようって、言ってるんじゃない!?」

「あ、あなたは、あなたの言う事はただのおとぎ話です。わ、わがままな子供の理屈です」

「おとぎ話なんかじゃないよ。ちゃんとフェイトちゃんとクロエさんは仲良くなれたんでしょ? そのフェイトちゃんとクロエさんが一緒に凄い魔法を使って、こんなにも簡単に”ジュエルシード”を封印出来た! こんなに難しいはずのことが簡単に出来た! わたしやクロノくんやユーノくん、それにリンディさんだって、みんながいたから津波だって防げた! どうして、信じられないの? こんなの簡単なことだ。最初からみんなで戦えていたら、きっと誰も泣かずに済んだかもしれないのに!!」

「そ、そんなのは、後からならいくらでも言えます!!」

「違うよ! 最初からだって、あなたはその可能性を信じなかった! 本当に頑張っていないのに無理だっていい訳してる。本当に無理だった? 本当にどうしようもなかった? クロエさんはただの弱虫で、怠け者だ!!」


 あり得ないなのはの決め付けに、わたしはあることに気が付いて息を呑んだ。確かにそれはそうかも知れない。なのはの言うように、なのははいつでも奇跡を証明してみせる。ユーノを救い、アリサやすずかを救い、本当はフェイトの一人勝ちだったこの勝負を掻き回して管理局をも呼び寄せた。そして今、わたしの誤算で生み出された惨事までも防いでみせた。なのはの前では誰も死なない。絶対にピンチは救われる。まるでご都合主義の物語のように。そんな馬鹿なことがある訳がないのに。けれど、そんな馬鹿なことが起こっているのだ。


「あ、あなたは……っ。よ、ようやく分かりました」


 そうだ、これはマリィ先生の言っていた悪魔だ。希望を口にして、奇跡を実践する。本当の英雄。本物のおとぎ話のヒロイン。正義の魔法少女。如何なる時も奇跡を拾い上げ、優しい世界を連れてくる素敵な魔法使い。それは悪魔。神様の敵。悪魔はわたしを笑う。わたしの選択は、わたしの積み上げた犠牲は、わたしの精一杯は、悪魔の前に全てが無駄に変わる。無意味になってしまう。そんなことが認められる訳がない。そんな存在が、いるわけがない。


「簡単な事だよ。とても簡単なこと。わたしには見えるよ。クロエさんとフェイトちゃんと友達になれる未来。クロエさんがリンディさんやクロノくんと仲直りの出来る未来! 誰も傷つけなくていい、誰もが笑える、素敵な未来!!」

「み、見えません、未来なんて。そんな素敵な未来なんて、わたしには見えない!!」

「百万の中に一つだって、ゼロじゃない。それは諦めるだけで見えなくなる儚いものかも知れない。でも、絶対にあるんだ!」


 なのははおかしい。そんな暴論を信じて、まずあり得ない奇跡を語る。そして、それを引き寄せてしまう。そんなのはおかしい。それでは、マリィ先生は、わたしは、ただ無意味に殺す滑稽な愚か者になってしまう。それは悪魔の暴論だ。


「あ、あなたは、悪魔です! あ、悪魔を打倒する方法はただひとつ。しょ、正面から打ち倒すだけです!」


 そうして奇跡などないことを証明するしかない。ただ倒すだけでは意味がない。それでは悪魔を真には倒せない。たとえ殺したとしても、悪魔の実在を否定出来ないのだ。悪魔はきっと、それさえも奇跡に変える。


「”パーペチュアルエコー”、月光翼展開」


 わたしの宣言と共に”パーペチュアルエコー”に織り込まれた魔法陣が輝き、両腕からそれぞれ三つ、合計六つの光の翼が展開される。それは静かに震えると周辺を照らす月の光を吸収し始めた。月には魔力がある。次元世界の何れであっても月に相当する天体は何処にでもある。太陽などの恒星が発する光を反射するだけの小さな星は、しかし極めて強力な魔力装置でもあるのだ。その仕組みはいまだに解明されていない。現存する最大規模のロストロギアと言う説もあるほどだけれど、何れにせよ謎には違いない。この魔法はそんな月の光を集めて放つ、わたしの極大魔法の一つ。聖なる光が敵を討つ、それは単純にして至高の魔法。殺傷能力を問わなければ、純粋魔力砲撃としては間違いなく最上。


「悪魔でいいよ。その悪魔が、あなたの諦めをやっつけてあげるから!」


 わたしの魔法に対抗してか、なのはもデバイスを構えて魔法の準備を開始する。巨大な魔法陣を足元に展開し、杖状のデバイスの先端に桜色の星を灯した。わたしはその様子に驚愕と恐怖、それから絶望を覚えそうになる。


「”レイジングハート”」

【All right, Master.】

【Starlight Breaker, stand by.】

【Charging, Count down start...】


 それはわたしと同系の魔法。外部から魔素を収束して放つ砲撃系究極の魔法。理論上、幾らでも威力を高められるこの魔法は、純粋魔力砲撃において追随を許さない奥儀の一つ。それは断じて魔法を覚えて一カ月の女の子に使えていい魔法ではない。優秀なインテリジェントデバイスのサポートがあるとは言え、この局面でなのはが咄嗟に唱えられていい魔法じゃないのだ。


【Ten...Nine...Eight...】


 こんなのはずるい。こんなのはひどい。こんなことが許されていいはずがない。


【Seven...Six...Five...】


 それは本当の魔法。誰かの努力を嘲笑う悪魔の魔法だ。


「あれは――まさか、あいつら収束型砲撃魔法の打ち合いをする気か!? まずい、全員退避しろ。巻き込まれるぞ!!」


 状況に気が付いたらしい兄さんが戦闘を中断して退避行動に移る。それを一瞬追おうとして踏み止まり、すぐさまアルフの手を引いてフェイトが引き下がる。そうだ、これはそのくらいの魔法だ。もっとも純粋にして最大の魔法なのだ。


【Three...Two...One...】

「――月光収束。圧縮精製」

【Zero!】


 なのはの魔法のチャージが完了する。ほぼ同時にわたしも月の光を集めつくした。ご都合主義の状況にわたしは泣きそうになりながら奥歯を噛みしめる。


「これがわたしの全力全開! スターライト――」

「穿て、皓月――」


 わたしとなのはの発動ワードが重なる。


「ブレイカー!!」

【Starlight Breaker!】

「スプライトソード!!」

【Sprite Sword】


 桜色の星が弾ける。青白い月が滑り落ちる。爆音が轟き、光の奔流が目を焼いた。威力はほぼ互角。ただし、わたしとなのはの魔法適正の違いから、二つの魔法は大分違う特性を示していた。わたしの魔法は細く鋭い。収束力を極限まで高めて一点を貫く収束型砲撃魔法の真骨頂を体現する。それに対して、なのはの魔法は膨大な魔力を背景に全てを呑み込もうと迫る暴虐の顎だ。局所的にはわたしの魔法が勝る。わたしの魔法はなのはの魔法を削り抜いて進む。けれども、なのはの魔法は削られる傍から幾らでも湧いて欠損を埋めていく。危うい拮抗状態を保ったままじりじりとして魔法は停滞していた。消費され切らない魔力は爆弾のように圧縮され続け、暴発の機会を心待ちにしている。恐らく砲撃の完了が決着の瞬間。溢れ返る魔力流の衝撃が全てを吹き飛ばして戦いの終焉を告げるだろう。


「簡単に諦めていたら、奇跡は起きないよ。それは子供の理屈かも知れない。おとぎ話かも知れない。でも、それでも! 絶対にそれは、あるんだ!!」

「も、もう沢山です! そんな馬鹿げた話は、聞きたくない!」

「今日には無理でも、明日。明日には無理でも、明後日。そうやって少しずつ信じるだけで、何時かもっと素敵な未来は絶対に来る! そうやって信じていられるから、わたしは止まらない。誰でも知ってるはずの簡単なこと。これが本当の、わたしの信じる”正しい魔法”!!」

「う、うるさい、うるさい、うるさい! ま、負けません。あ、なたには――負けられない!!」


 叫び声とともに最後のひと押し。その瞬間に魔力が尽きる。わたしの魔法放出が止まり、少しだけ遅れてなのはも力尽きた。直後、溜まりに溜まった魔力がバックファイアとなってわたしを襲う。わたしは目を瞑って為すすべもなくその衝撃を浴びて――。


「きゃああああああああああああああああああっ!!」


 許容量を超える魔力ダメージに吹き飛ばされた。辛うじて意識だけは失わずに済んだものの、最早飛行魔法も維持出来ない。体が動かない。呼吸が整わない。怒りと悔しさに涙が止まらない。こんなひどい事なんてあっていい訳がない。こんな奇跡なんて起きてはいけない。そうでなければわたしは、わたしそのものが無価値になってしまう。


「――っ、クロエっ」


 フェイトが駆け付けるのが見えた。わたしはそれに手を差し伸べようとして力が入らずに失敗する。こんな時ですらわたしの手は届かない。わたしは暫く空を舞い、やがて海に向かって墜落を始めた。






 本来であればなのはに万に一つの勝ち目はなかったのだ。如何に彼女が天賦の才を持つとは言え、クロエも攻撃魔法に関しては尋常の才能ではない。まして、クロエは文字通り幾つもの死線を潜り、血の滲むような努力を繰り返して来たのだから。にも拘らず勝負は紙一重に覆る。クロエが作戦内容を勘案してバリアジャケットの放棄をしていなければ。クロエが大規模儀式魔法で魔力の大部分を失っていなければ。また、彼女らしくもなく正面からの衝突を選択していなければ。フェイトやクロエの儀式魔法の残滓によってなのはの”スターライトブレイカー”の威力が極大化していなければ。月の魔力の最も弱まる真昼ゆえにクロエの”スプライトソード”の威力が極小化していなければ。インテリジェントデバイスを持つなのはが自動防御魔法に守られたのに対して、クロエが打つ手なくバックファイアの直撃を受けていなければ。これだけの条件が重なって漸くなのはは勝ちを拾う。しかし、それは問題ではない。奇跡のようであっても、確かになのはの魔法は届いたのだ。

 追いついたフェイトが辛うじてクロエを抱きとめるのが見える。なのははその様子を確認して安堵の息を漏らし、それから静かに奇跡を宣告する。


「もっと素敵な未来は、絶対にある。手を伸ばせば届くはず。それなのに、諦めていたら何も手に入らないよ。だってまだ、どうしようもなくなんてないんだ。難しくなんかない。本当に直ぐそこに、あるんだ」


 本当はなのはだって、言うほどそれが単純でも簡単でもないことは知っている。けれど、最初から夢を見ることさえしなければ、そこから一歩も前に進めないと思うのだ。残酷でも、酷くても、悪魔の理屈でも。みんながそう信じられたときに、ようやく奇跡は起こる。難しいパズルの答えが単純なように。百年前の人間が無理だと諦めたことが、今は当たり前でしかないように。少しずつでも進めばいつかは届くのだ。恐れて進めなかっただけの人の言い訳なんて、聞いてなんかやらない。


「世界が優しくないなら、そんなものは全部壊す。クロエさんの諦めも、絶対に認めてはあげない」


 だからなのはは嘯く。これは本当の、本物の魔法。とても残酷で、けれども、とても優しく、とても素敵な魔法だ。



[20063] Act.0+
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/24 16:30
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Act.0+ This is a "Real."
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 思うところあって書いてみました。
 こんなの書いている場合じゃないような気もしますが。


 ~~~中略~~~


「なるほど、納得した。それで、転生ってどうすればいいんだ?」

「あ、はい。よろしければ直ぐにでも転生作業にかかれますよ。どうしますか?」

「よし、じゃあすぐに始めてくれ」


 俺がそう答えると同時に俺の視界は真っ白になった。
 周りの音も殆ど聞こえなくなっていって、いつのまにか俺は意識を失っていた。

----------------------------註釈----------------------------
※第一秘蹟研究所に本文の解析を依頼したい。
※以下、第三秘蹟研究所による註釈を示す。
 ただし、本註釈は確定した研究結果ではなく、現段階で判明した事実を元とした大幅な推測を含むものであり、解釈及び参照には充分に注意されたし。

>思うところあって書いてみました。
>こんなの書いている場合じゃないような気もしますが。
1.本人はミッドチルダ首都クラナガン近郊にて保護。記憶に若干の混乱が見られるが言語能力その他に異常はなし。
2.ただし、当該人物にはある致命的な問題が存在する。この点については追って詳細を纏めた資料を提出する。
3.いつの間にか見知らぬ場所に来ていたらしい。しかし、それではこんな小説もどきを書いている余裕があるだろうか。この文章には何か意味があると思われる。
4.この文章の後に何行か削除された形跡がある。復元が可能であれば検討を依頼したい。

>気が付いたら変な部屋にいた。
>なんだか良く分からない機械が並んでいて、ちかちかと赤色に光っている。
1.描写不足で不明だが、或いはナイトランド教団の研究施設だろうか。

>俺がそう言うと、女の子は事情を説明してくれた。よく分からない単語がたくさん出てきて要領を得なかったが、要するに彼女は下っ端神さまで、予定を間違って俺を殺してしまったらしい。
>このままでは上位の偉い神様に見つかって大変なことになってしまうので、ばれる前に適当な世界に転生してもらいたいと言うことだった。
1.自らを下位の神と認識し、”彼方の虹”の管理者を自称するとされるナイトランド教団の特徴を満たしていると言える。

>「すみません、それは無理なんです。一度死んだ人間はどんな理由があっても生き返らせてはいけない決まりなので」
1.解釈不明。何らかの教義に関わることだろうか。
2.最早取り返しのつかない事態であることの暗喩の可能性あり。

>「決まりとか、勝手なこと言うなよ。じゃあ、せめて転生先は選ばせてくれ。あと、能力くれよ、チートな奴」
1.この反応は普通ではない。小説と言う形態であるため詳細な会話内容が省略されたのだろうか。

>その世界とはなのはやフェイトやはやてのいる世界だ。
1.該当する人物が実在するか早急に調査願う。これは非常に重要な記述である。

>「これは能力、と呼ぶべきでしょうか。いえ、いずれにしてもわたしがあなたに与えられる力は一つだけ。と言うより、これは転生の副作用のようなものです」
>「はい。あなたに与えられるのは不老不死を可能とする力です」
>「……多分、それも何とかなると思います。わたしが与えられるわけじゃないですが、きっとそうなると思いますから」
1.【Soul Anchor】に関する情報と一致する。この魔法の正体に迫る重要な手掛かりとなると思われる。

>今一チートには弱い気がするが、この辺でよしとすべきか。
>出来ればSSSクラスの莫大な魔力とか、伝説のユニゾンデバイスとかが欲しかったが、考えてみればチートしまくってゲームしても途中で飽きるし。
>望めば手に入るってのは、ある意味最高の環境かも知れないしな。
1.大した意味もないと思われる。
2.自然にこうした感想が出ると言うのは考えてみれば興味深い。注視する価値はあると思われる。



                 アクアリウム第三秘蹟研究所 クラウディオ=エーバート



[20063] Act.17
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/24 15:18
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Act.17 Outside of the Aquarium(余)
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「簡単な事だよ。とても簡単なこと。わたしには見えるよ。クロエさんとフェイトちゃんと友達になれる未来。クロエさんがリンディさんやクロノくんと仲直りの出来る未来! 誰も傷つけなくていい、誰もが笑える、素敵な未来!!」

「み、見えません、未来なんて。そんな素敵な未来なんて、わたしには見えない!!」

「百万の中に一つだって、ゼロじゃない。それは諦めるだけで見えなくなる儚いものかも知れない。でも、絶対にあるんだ!」


 だってそうでないとしたら、誰も頑張れなくなってしまう。そう信じるから戦える。前に進める。それを否定して、仕方ないと諦めるのはずるいと思う。素敵な未来が見えないなんて悲しすぎる。そんな事はなのはにはどうしても認められなかった。






 なのはは夜の闇を駆けていた。町中に広がる巨大な樹を魔法で払いながら、泣きたいほどの後悔と自分への怒りを抑えきれない。魔力も大分使ってしまった。気が付けば荒い息を繰り返している自身に気付く。焦りばかりが募る。早くしないといけないという想いばかりが先走って、制御に失敗した攻撃魔法が再び空を切った。


「なのは、闇雲に戦っても駄目だ。”ジュエルシード”の起点を探さないと」

「分かってるよ。分かってるけどっ」


 諭すように語りかけてくるユーノの言葉に、冷静に返す余裕もない。だって、これは彼女の失敗だったのだから。昼間にあんな恐ろしい魔導師の話を聞いていたのに途中で探索を止めてしまった。公園の近くで”ジュエルシード”の気配を感じて違和感を覚えていたはずなのに。なのはが帰宅して直ぐに掛かってきた電話の内容を母親である桃子から伝え聞いて、なのはは顔を真っ青にして飛び出していた。


「でも、アリサちゃんとすずかちゃんが帰ってないんだ! 二人とも家族に連絡もなくいなくなるような子じゃないのに」

「なのは……」


 飛び出した彼女が目撃したのは”ジュエルシード”が発動する気配と、町中に広がり始めたこの巨大な樹のお化けだ。嫌な予感がおさまらない。冷や汗が背中を濡らしている。


「……っ、なのは、あっちだ! あっちからとんでもない魔法の気配が――これは、多分昼間の……な、なのは、やっぱりだめだ。危険すぎるよ」


 ユーノが感じたのはかつて見た事も聞いた事もないようなレベルの恐ろしい魔法の気配だった。管理局の魔導師なら絶対に認めないような、如何にして人間を殺しつくすかを追求したかのような、悪意に満ちた”間違った魔法”そのもの。同時に確信する。あのレベルの魔法を行使する魔導師を相手に、潜在能力は兎も角として今のなのはでは敵う筈がない。


「何言ってるの、ユーノくん!? そんなのダメだよ」

「そうじゃないんだ。多分、あっちで昼間に言っていた恐ろしい魔導師が戦ってる。どうせ”ジュエルシード”は直ぐに封印されるんだから、近づかない方がいい」

「でも! その人は誰かを傷つけて、こ、殺してでも”ジュエルシード”を集めてるんでしょ? も、もしそんなところにアリサちゃんやすずかちゃんが巻き込まれてたら……嫌だよ、駄目だよ、そんなの。早く助けにいかないと!」

「待って、早まらないで、なのは! まだそうと決まった訳じゃ――」


 尚も引き留めるユーノの制止を無視して、なのはは魔力流の中心へ向かって高速移動魔法で加速する。直後、地上に月が顕現したような蒼褪めた強烈な閃光と共にもう一つの”ジュエルシード”が活性化するのを感じ取った。いったい何が起こっているのか。訳が分からない。尋常の事態とは言えない。急変する状況がなのはの焦りを恐怖に変える。


「……っ、なのは、あそこ!」

「――ひっ」


 ユーノの指さす方向へなのはは視線を向けて、そのまま息を呑んで絶句した。これは一体どういう事なのか。何が何だか分からない。ただ、分かるのは一つ。怖ろしいことが起こってしまった。大切な友達を護れなかった。
 お腹の辺りを血塗れにして、泣きながらアリサの首筋に噛付いているすずかと、その首筋から鮮血を零しながらもすずかを安心させるように抱きしめようとするアリサの姿が見える。そこから少し離れた位置に、どういうことか気絶して横たわる桜色のワンピースの少女。十中八九あれがユーノの言っていた恐ろしい魔導師なのだろう。なのはは歯の根がかみ合わずに震えている自分を自覚した。気を抜けば泣き出してしまいそうになる。どうしてだろう。どうしてこんなことに。


「な、なのは、呆けている場合じゃないよ。あの二人の居る辺りが起点だ! もう一つの”ジュエルシード”も多分同じ位置に魔力ダメージを与えれば封印出来る」

「だ、駄目だよ。アリサちゃんとすずかちゃんを攻撃するなんて」


 友達を攻撃する事になのはは尻込みをする。理由は分かる。なのは自身もそれが必要な事は感じ取れた。けれど、そんな事をしたら、”ジュエルシード”の為に誰かを傷つけたら、あの恐ろしい魔導師の少女と同じになってしまうのではと言う恐怖が拭えない。勿論、それが全然意味の違う事も、荒唐無稽な怖れである事も承知している。でも、いざとなれば非殺傷設定と言っても友達に向けて魔法を放つ覚悟をするのはこんなにも怖い。


「なのは、大丈夫だから。なのはが練習してきた魔法は、”正しい魔法”だ。誰かを傷つける為のものじゃない。それは僕が保証する。だから、絶対に大丈夫」

「ユーノくん……」


 ユーノの励ましにきゅっと唇を噛む。そんな言葉だけでは勇気は湧いては来ない。けれど、勇気を出さなければいけない事は自覚できた。なのはは自分が甘かった事を漸く肌で理解したのだ。魔法は素敵なだけの力じゃない。誰かを傷つける事も、何かを奪う事も出来る。なのははアニメで観たような正義の魔法少女なんかじゃない。だって今も、彼女自身の油断で彼女の大切な友達を傷つけてしまった。それを助ける為に、助けるべき相手に攻撃魔法を放とうとしている。非殺傷設定であるから、物理的に傷ついたり死んだりはしない。とは言っても、魔力ダメージは痛いし苦しいのだ。それに、本当に非殺傷設定は誰も傷付けないのか。僅かな手元の狂いが、大切な友達の命を奪ってしまう。


「こんなのってないよ。魔法が使えても、素敵な事ばかりじゃないんだね」

「そうだね。もし魔法が素敵でも、魔法使いは人間なんだ。だからこそ、”正しい魔法”が必要なんだと思う」

「そっか、”正しい魔法”、か」


 これまでもユーノが度々口にしてきた言葉をなのはは漸く本当の意味で理解出来そうに思った。それはまだ形はなくて、こうだと言えるものではなかったにしても。


「これが、わたしの果たすべき責任――」


 ただ浮かれていたと言っても否定は出来ない。だからこれはなのはの責任だ。遊び半分なんかじゃないつもりだった。それでも、どこかで甘えていた部分はあったかも知れない。本当に酷い事なんか起りっこないと。ユーノから危険な魔導師の事を聞いてもきちんと実感出来ていなかった。


「”レイジングハート”、お願い」

【All right.】

【Divine Buster, stand by.】


 世界はこんなにも素敵ではないのだ。でも、だからってそれを受け入れてしまいたくない。誰だって酷い現実に納得していない。大人になるに従って自分の限界を知って、それが現実だと受け入れるのだろう。


「でも、そんなの違うと思うんだ」


 こんなにも素敵ではないから、なのはは戦う。仕方ないなんて言いたくはなかった。なのはがもっと頑張れていたら、絶対にもっと素敵な未来はあった筈なのだから。もう二度とこんな間違いをしないために、頑張らないといけないと思った。けれど、胸がむかむかして仕方がない。冷静になれない自分も同時に存在する。なのはは横たわったままの怖ろしい魔導師の少女を睨み据えてから、恨み言を飲み込んで魔法を発動する。


「ディバイン!」

【Buster!】


 本当の、”正しい魔法”は何処にあるんだろう。






 どうして上手く行かないのだろう。こんなに凄い筈のクロエはやっぱり本気で頑張れていないと思うのだ。さっきまでも真剣になのはに向き合おうとしないで、何かのついでのようにあしらわれ続けた。それが漸く全力でぶつかってくれるのは少しだけ嬉しい。まだ気持ちは全然届いては居ないけれど、後は全力全開で戦うだけだ。


「悪魔でいいよ。その悪魔が、あなたの諦めをやっつけてあげるから!」


 なのはは確信していた。クロエは結局、本当にどうしようもない事を何とかしようと頑張ったのではなくて、こんなのどうしようもないって最初から諦めているだけなのだ。勿論、なのはの言った事は子供の理屈かも知れない。そんなにうまく行かないのかも知れない。でも、なにも始めようとしないで無理だと泣いているだけなのは、なのはには絶対に納得出来ないのだ。そんなのは、本当に頑張って手が届かなかった沢山の人を馬鹿にしている。あんなにも凄い魔導師なら、普通の人よりもずっと素敵な事が出来た筈なのに、すぐに決めつけて前に進もうとしていない。
 そんな人を甘やかして、頑張ったねって慰めるのが天使なら、なのはは悪魔でもいいと思った。なら、その悪魔が、弱虫のクロエの諦めをやっつけてあげるのだ。






「なのは、今日はもうやめよう」


 もっと強くなりたい。アリサやすずかを助けられなった後悔から毎日無茶な練習を繰り返すなのはに、流石に見ていられなくなったユーノが声をかけた。


「けど、足りないよ。こんなんじゃ、あの人にも、フェイトちゃんにも勝てない」


 フェイトはともかく、あの恐ろしい人の魔法はなのはからみても普通ではないと思えた。実際に目の当たりにしたのはただ一つだけだ。後はユーノから伝え聞いただけに過ぎない。でも、なのはを焦燥に駆り立てるには十分だったのだ。直観で魔法を構築するなのはにはよく理解出来なかったけれど、あの魔法には届かない事は理解してしまった。そのことは、ユーノにはもっと良く分かっている。


「だからって一朝一夕じゃ強くなれない。なのはの努力は認めるし、なのはには凄い才能がある。いつかあの二人にだって絶対に届く。でも――」

「いつかじゃダメだよ。そのいつかまでに、わたしはまた何回後悔するの?」


 もう後悔はしたくない。もっと頑張れていれば。あと一歩踏み出せていれば。なのはにも本当にどうしようもない事がある事は知っている。けれど、本当にどうしようもなかったと認めたくはないのだ。もっといい方法は絶対にある。絶対にあるのなら届く。本当に頑張れていなかったせいで、何かを失いたくなんてなかった。


「そうじゃないよ。なのはの気持ちは分かる。でも、こんなのは違う。これは努力じゃなくて無茶だ」

「ユーノくん?」


 そこでふと、口調を固くしたユーノの様子に気がついて、なのはは漸く射撃魔法の練習を止めて振り向いた。それをしっかりと正面から見つめ返し、ユーノは言い含めるように告げる。


「厳しい言い方をするよ。こんなやり方を続けている限り、なのははあのフェイトって子にも、ましてもう一人のあいつにも絶対に勝てない」

「だからもっと頑張らないとっ」

「なのはには、”間違った魔法”で強くなって欲しくない。そんな魔法であの二人を倒せても、その時になのはの手の中には何も残らないと思う」


 いつしか非殺傷設定を無効にして中空を跳ねる空き缶を撃ち抜いていたなのはは、その言葉にびくりと肩を震わせた。それから慌てて言い訳を始める。


「ち、違うよ、これは。ただ、非殺傷設定を外したらどうなるかなって」


 理由になっていないなのはの言葉に、ユーノは何も言わずに視線だけで答えた。なのははそれ以上何も言えずに押し黙り、俯いて足元の土に転がる穴だらけの空き缶を見つめる。本当のところ、なのはの言葉は嘘ばかりでもない。以前に見たあの恐ろしい魔導師の使ったただ一つの魔法がどうしても理解できなくて、余りの凄さに恐怖にも嫉妬にも似た気持ちを抑えきれなくて、どうすればあんな事が出来るのかと考え続けていたのだ。その結果として、無意識に超えてはいけない部分を超えてしまいそうになったのかも知れない。


「弱くなったね、なのは」

「え……」

「弱くなったねって言ったんだ」

「ユーノくん、泣いてるの?」

「泣いてないよ」


 でも、それは誤魔化しにすらなって居なかった。震えるユーノの声に伏せていた顔を上げると、ユーノの顔が悔しさと悲しさに歪んでいるのが見える。フェレットは涙を流さない。それでも泣いていたのだ。


「強すぎるなのはは、弱くなった方がいいのかも知れない。いつかその強さがなのはを傷付けると思うと怖い。でも、どうしてかな、こんななのはは見ていられないよ」


 身勝手な事を自覚しつつ、ユーノは哀願にも似た声で訴える。ただの女の子が魔法に目覚め、不屈の心で困難に立ち向かう。恐ろしい敵を前にしても、友達を守りきれなくても、諦めずに何とかしなきゃと努力を続ける。それは泣きたいほどに素晴らしくて、ユーノには眩しすぎる。その強さは戦えない誰かに憎まれるだろう。現実に否定される日も来るかも知れない。でも、本当に素敵なのだ。それが、こんな風に強くなろうとしているのは、何か大切なものが汚れてしまうようで胸が痛むのだ。或いはこれも正しい成長なのかもしれない。それを否定するのは傲慢でしかないのも分かる。


「でも僕は、それでもなのはには”正しい魔法”で強くなって欲しいと思うんだ」


 夢を見てしまいたくなるような、そんなおとぎ話の魔法使いを想像する。それはどこか狂っているのだろう。誰からも理解されないかも知れない。そんな事を願うユーノは酷いパートナーで、ユーノ自身、本当になのはがそうなるのを望んでいるかは分からない。それどころか、強すぎるなのはを残酷だと思う事もある。それは、いつかは乗り越えるべきことだ。でも、乗り越えて欲しいと思う。迂回して普通の道を歩くのは、やっぱりなのはらしくない。それはもうなのはではなくなってしまうと思う。


「でも、”正しい魔法”ってなんだろう」

「それは、誰かに教えて貰うことじゃないよ。でも、本当はなのはも知ってるはずだ。それは、”正しい魔法”じゃない」


 力でねじ伏せるだけじゃ届く筈がない。でもどうすればいいのか。そんなことは誰にも分からない。それを探すのはきっと、他のどんな道を選ぶより困難な事に違いない。


「……そうだね、ユーノくん。ありがとう」


 ”正しい魔法”を見つけたい。







「これがわたしの全力全開! スターライト――」

「穿て、皓月――」


 なのはとクロエの発動ワードが重なる。


「ブレイカー!!」

【Starlight Breaker!】

「スプライトソード!!」

【Sprite Sword】


 二つの極大魔法が衝突する。なのはの文字通りの全力全開に対して、疲弊して威力の落ちているはずのクロエの魔法は一歩も譲ることがなかった。本当に凄い。なのはではまだとても敵うレベルの魔導師ではないのだろう。でも、こうしてぶつかり合えるのはやっぱり堪らなく嬉しい。別に魔法でなくても良い。分かり合えないのは悲しいけれど、それでも今、クロエは頑張っていると思うのだ。なのはにとっては初めて見るクロエの全力だったとも言える。少なくとも、この瞬間に漸くなのはにクロエが真剣に向き合ったのだ。
 同時に、それは堪らなく悔しい。クロエはこんなに頑張れるのに、どうしてそれをもっと大切なことに向けないのだろう。本当に彼女が頑張れていたら、所詮は素人に毛が生えた程度のなのはには想像もつかない位の素敵な魔法が使えたはずなのに。だから、なのははクロエには負けられないと思った。そんな弱い人になんて、負けたくはない。






「凄いね、なのはの友達は」

「うん、自慢の友達だよ」


 アリサやすずかが高町家から帰るのを見送って、ユーノは眩しいものを見るような眼差しで深い息とともに呟いた。本当に凄いと思う。あれ以来、彼女たちがギクシャクしていたようなのは気になっていたのだが、ユーノにどうできる訳でもなく歯がゆい思いをしていたのだ。でも、もう心配は要らないようだ。なのははきちんと己の進むべき道を見つけられた。なのはの友達はとても優しくて強い。それはユーノにとって少しだけ寂しくはあったものの、やはりなのははこんな風に笑っていて欲しいと思うのだ。


「――でも、あの人とは結局お話が出来なかったんだ」


 久し振りに心からの笑顔を見せていたなのはの表情が唐突に曇る。ユーノはその様子に複雑な気持ちになって眉根を寄せた。突然結界を張られて心配になったユーノが呼びかけても大丈夫の一点張り。何をしていたかと後から聞いて卒倒しそうな気持ちになったものだ。まさかあの怖ろしい魔導師の少女と話し合いをしようとしていたとは。きっかけ自体は偶然らしく、それを咎めるつもりもないのだが、幾らなんでも無謀だと思うのだ。確かに、ユーノは強いなのはが好きだ。彼女なら、誰にも出来ない素晴らしい事が出来ると確信している。ただ、こういう無鉄砲と言うか後先考えない行動は褒められないと思う。


「なのは、それはさっきも言ったけど……」

「うん、分かるよ。それに、どうせアリサちゃんやすずかちゃんと一緒にお話は出来なかったって思う」


 自分や友達をあれ程傷付けた相手と冷静に話をするのはまず無理だろう。なのは自身、アリサやすずかの目の前ではさっきのように頭に血が上ってしまうことは容易に予測できた。それに、結局のところ、なのはにとってあの怖い人の何が認められないのか、何がおかしいと思うのかが纏まりきっていない。こんな状態では何も話すことはない、と言うすずかの言葉は正しいとも思った。


「でもね、アリサちゃんやすずかちゃんたちと仲直り――と言うのは変だけど、ちゃんともう一度仲良しになれたのが凄く嬉しくて。何だか簡単なことのはずが、どうしてこんなに難しいと思ったのかなって。だからね、やっぱり、もう一歩だけ踏み出せばきっと素敵な未来はあるって思えたんだ」

「そうか……そうかも知れないね」


 ともすれば理想論でしかない。けれど、真理でもあるとユーノは思って感慨深く頷いた。それに気がついて、前に踏み出そうとしているなのはは矢張り強い。誰かはそれを笑うかも知れない。でも、何もしないで斜に構えているだけの大人に較べたら、なのはの子供とも言えるひたむきさはこれ以上ないほどに尊いはずだ。


「そうか……そう言うことかな」

「え? どうしたの、なのは?」

「あ、うん。何だかもう少しで形になりそうなんだ。わたしが、こんなのおかしいって思った理由」


 まだ完全ではないにしても、なのはにとって一番納得できなかったのが、クロエがあれ程までに凄い魔導師であるということだ。ユーノによればなのはは勿論、フェイトすらも数段凌ぐと言う彼女が誰よりも一番悲劇を撒き散らしている事実について納得が出来ない。あの人は別に誰かを傷付けて喜んでいた訳じゃないらしい。仕方がない、と言うようなことを言った。それって変だと思う。


「腹が立ったんだ」

「それは、まあ、あいつは無茶苦茶だと僕も思うけど」

「そうじゃなくて。わたしやユーノくん、アリサちゃんやすずかちゃんだって、みんな頑張ってるんだ。頑張ったけど出来なくて泣いちゃったりもして、でも、頑張らなきゃって信じてると思うんだ」

「――そう、だね」


 それは当たり前のことだ。何でも出来る人なんていない。絶対に間違わない人なんていない。だけど、出来ないのが不安でも、間違うのが怖くても、それでもみんな頑張っているのだ。頑張って、その結果の素敵な未来を信じているから進む。絶対にそれはあるって。少しずつ信じて進めば、いつか奇跡にだって届くって。そんなものはないと拗ねるのは、ただの弱虫の理屈だ。


「本気で頑張ってない人が仕方ないなんて言うのが、あんなに凄い人がすぐに諦めてるのが、我慢できなかったんだ」


 それじゃあ本当に、どうしようもないかも知れないことが、どうしようもなくなってしまうのだ。






「簡単に諦めていたら、奇跡は起きないよ。それは子供の理屈かも知れない。おとぎ話かも知れない。でも、それでも! 絶対にそれは、あるんだ!!」

「も、もう沢山です! そんな馬鹿げた話は、聞きたくない!」


 馬鹿げてなんかいない。諦めなかったから、今日までやってこれた。諦めそうになった時に素敵な友達が励ましてくれた。それはとても小さなことかも知れないけれど、今こうしてクロエと真剣に向き合えていることだって奇跡にも等しいはずだ。


「今日には無理でも、明日。明日には無理でも、明後日。そうやって少しずつ信じるだけで、何時かもっと素敵な未来は絶対に来る! そうやって信じていられるから、わたしは止まらない。誰でも知ってるはずの簡単なこと。これが本当の、わたしの信じる”正しい魔法”!!」


 今日はただすれ違ってぶつかり合うだけでも、明日にはもっと分かり合える。明後日には友達にだってなれる。それはとても簡単なことのはずなのだ。そう信じる限り、簡単なことに違いない。


「う、うるさい、うるさい、うるさい! ま、負けません。あ、なたには――負けられない!!」


 クロエは叫び声とともに極大の魔力放出を行う。なのははそれに吹き飛ばされそうになりつつも、歯を食いしばって踏み止まった。直後、圧力に耐えかねて暴発した魔力がバックファイアとなってなのはを襲う。完全に虚を突いたタイミングになのはは呆然としてそれを受け入れようとして――。


【Protection.】


 ”レイジングハート”が自動展開した防御魔法によって阻まれた。同時に聞こえてきたクロエの悲鳴に顔を上げると、衝撃を防げなかったらしい彼女がなす術もなく吹き飛ばされる様子が見える。なのははそれに慌てて対応しようとして、寸前で墜落するクロエを受け止めるフェイトに気が付いて深い安堵の溜息を吐いた。
 結局引き分けだ。なのはが”レイジングハート”に護られたように、クロエだってフェイトに護られた。だったらなのはの勝ちでもなく、クロエの負けでもない。だけど、これだけは言えると思う。


「もっと素敵な未来は、絶対にある。手を伸ばせば届くはず。それなのに、諦めていたら何も手に入らないよ。だってまだ、どうしようもなくなんてないんだ。難しくなんかない。本当に直ぐそこに、あるんだ」


 だってもうクロエは大切なものを手にしているのだから。直ぐ傍に、手が届くところに確かにある。それをクロエが認めないのは何故だろう。それを認められないのは何故だろう。この世界がそんな風に残酷だからだろうか。


「世界が優しくないなら、そんなものは全部壊す。クロエさんの諦めも、絶対に認めてはあげない」


 そうしないと、誰も本当に幸せになれないと思うのだ。



[20063] Act.18
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/25 17:38
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Act.18 Magick of justice(1)
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 わたしがフェイトの腕に抱かかえられた瞬間に、兄さんが有無を言わさず捕縛魔法の詠唱を始めるのが見えた。また今日もわたしは何も出来ずに敗北する。わたしの伸ばした手は何も掴めずに空回りをする。わたしはわたしの全てを否定する悪魔――夢見がちで分不相応の力に酔うだけの、けれど理不尽を味方につけた女の子に打倒される。


「ど、どうして……こんなの、ひどい」

「クロエ……」


 涙が止まらない。慰めるようなフェイトの声が良く聞こえない。わたしは間違っていたのだろうか。わたしの全ては。わたしの築いてきたあらゆる一切は、無意味で無価値だったのか。そんなのってない。そんなのは認めたくない。それは殺されるよりもっと痛い。苦しくて仕方がない。なのははわたしが頑張れていないと言った。何も知らないくせに。幸せに暮らしてきただけの子供が、わたしを、よりによってマリィ先生を否定するのか。誰よりも優しかったあの人を、もしかしたらなのはの思い描く理想の魔法使いだったかも知れない人を、あんな風に変えたのは希望の力だ。なのはの言う”正しい魔法”とやらがあの人を生み出したのだから、やはりなのはは悪魔なのだ。悪魔がいるから、神さまが要る。それを思い出すと、わたしはやっぱり負けられないと決意できた。


「で、でも……もう、無理だ」


 けれどももう一度立ち上がる力は湧いて来なかった。わたしでは悪魔を倒せないと言う諦めがわたしを追い詰めていく。兄さんの魔法は既に完成し、後は発動を待つだけの状態。もうどうでもいい。わたしは愈々全身の力を抜いて、目を閉じて結末を受け入れた。


「…………」


 けれど、何時までたっても全身を縛られる感触はなかった。まだフェイトの体の温もりを感じる。知らないうちに何処かへ強制転移された訳でも無さそうだ。わたしは恐る恐る目を開けて、兄さんの眼前に、わたしとフェイトの目の前に立ちはだかるなのはの姿を確認する。


「なのは……一体何の真似だ?」


 何かいつも以上に感情を押し殺して見える兄さんの言葉に、なのははまたも悪魔の理屈で返す。


「待って! これだけじゃまだ足りない。これじゃ力でねじ伏せただけってことに――」


 わたしはその言葉に目の前が真っ赤になるような感覚を覚えた。この子は何を言っているのだろう。やっぱりなのははおかしい。もう聞きたくない。一秒だってこの悪魔の傍に居たくない。管理局に捕まったら、もしかするとなのはと一緒に戦えと言われるかも知れない。そんなのは耐えられない。そんなことになれば、わたしはきっと死んでしまう。わたしと言う存在の全てが意味を失って消える。
 わたしは余りの恐怖に身じろぎをしようとして、それは兄さんの言葉に封じられた。


「いい加減にしてくれ、なのは。言ったはずだ、君の気持ちなんて考慮しない、と」

「で、でもっ」

「でもじゃない。それに、正直苛立ってるんだ」


 一瞬漏れた珍しい兄さんの殺気になのはがひっと息を呑む。その様子を見かねたのか、翠色の魔力光の少年が彼女の腕を引いてその場から連れ出した。それを一瞥してから、兄さんは昂ぶった気分を落ち着けるように頭を振る。


「ユーノ、余り甘やかすのは良くないと思うが」

「……君も少し冷静になったほうが良い。案外妹思いだったって驚いてるよ」

「……っ、そう、だな。だが、これだけは忠告しておく。なのは、君のご高説は尤もだ。だが、それがどれほど残酷かを考えた方がいい」

「え――」

「さあ、もう”アースラ”に戻って家に帰る準備をしてくれ」

「で、でも」


 尚も言い募ろうとするなのはを、兄さんは今度は完全に無視した。翠色の魔力光の少年――どうやらユーノらしい――は深い溜息を吐くと、遣り切れないような複雑な表情を浮かべたかと思うと、なのはも含めた範囲に移動方陣を展開する。それから何故かわたしの方を向いて、暫く迷った後に短く告げた。


「勝手なことだと思うけど、どうか、なのはを恨まないで欲しい」

「…………」


 答えの代わりにわたしは怒りと悔しさがぶり返すのを止められず、精一杯睨み返していた。なのははそれを呆然とした顔で見つめ返し、それから沈み込むように俯く。ユーノはその背中を叩くと、もう一度だけ言葉を紡いだ。


「多分、なのはは……僕が言うのは変だけどさ、なのはは君に嫉妬してたんだと思う」

「い、意味が、分かりません」


 本当に意味が分からない。悪魔がわたしの何を嫉妬するというのか。世界に愛されたような天才の女の子が、少しばかり利口なだけのわたしの何を妬むのか。それは多分、なのはが我侭な子供だからだ。全部を欲しがって、一つでも持っていないと気が済まない。わたしの全てよりももっと良いものが欲しいとねだる。それはつまり、わたしの全てを包括すると言う意味にも等しい。そんなのは馬鹿にしている。わたしは、何かを失いながらもここまで来たわたしを、誰にも、まして悪魔なんかに渡すつもりはない。

 一層強く睨み据えるわたしに、ユーノは結局何も答えることなく転移魔法を発動させた。後に残ったのは兄さんとわたし、それからフェイトとアルフ。けれど、わたしはもう戦えないし、それを抱えたままのフェイトも兄さんに対抗出来るほど余裕があるようには見えなかった。アルフはいつの間にかもう捕縛されてしまっているようで、初めて見る狼の姿でバインドを解こうともがき続けている。


「――お前のやりようにはいつも目を覆うばかりだけど」

「兄さん?」

「えっ!?」


 わたしの返答にフェイトが目を剥いて声を上げた。そう言えば、兄さんのことを説明していなかったかも知れない。今から捕らえられようとしている管理局の執務官がわたしの兄さんと言うのは、考えてみれば充分に驚愕に値することなのだ。けれど、フェイトはすぐさま気を取り直したのか表情を改めて周辺の様子を探り始めた。兄さんはそんなフェイトの方を見て少しだけ感心した風に何かを呟くと、先ほどの言葉の続きを口にする。


「まあ、何だ。お前なりに真剣にやっている、と思う」

「え……」

「いや、戯言だ。ではクロエ=ハラオウン特別調査官。管理外世界における重大危険行為により、執務官の権限を以って君の身柄を拘束させて頂く」


 わたしが惚けたような声で返した直後、兄さんが訳の分からないことを言って”S2U”を突きつけた。当然、フェイトも困惑の眼差しで兄さんとわたしを見比べている。でも、わたしだって分からない。


「あ、あの、兄さん」

「何だ? 悪いが、こうなっては拒否権は認めないぞ。そっちの君たちもだ。言っておくが僕は一人じゃない。次元航行艦一隻を出し抜けると――」

「え、あの、えと、そうじゃなくて」

「だから、何だ?」


 今度は兄さんが困惑の眼差しでわたしの瞳を見返した。そう言えば、こうして面と向かって話すのは随分久し振りかも知れない。改めて観察すると、兄さんの顔つきはどこか父さんの面影を感じさせるようになった。でも、相変らず兄さんは背が伸びていないらしい。もしかしたらわたしの方がまだ背が高いかも――それを言うといつも兄さんは不機嫌になって口を利いてくれなくなったものだけれど。いや、そんな事は今はどうでも良い。そんなことより、兄さんが言った言葉の意味が分からない。


「あ、あの、わたし、特別調査官にはなれなかったので……」


 ヴァネッサには不適格です、と言われた。能力不足は自覚していたのでそれ自体はショックでもなかった。でも、マリィ先生の手伝いが出来ないのは嫌だった。そんな時に誘ってくれたのが彼だ。わたしはそれで彼に連れられてアクアリウムに拾われたのだから。今は身分上は一介の違法魔導師に過ぎない。マリィ先生たちに従っているのは、それがアクアリウムの方針でもあり、マリィ先生自身がアクアリウムの幹部でもあるから。いずれにしてもわたし自身はもう管理局員ではない。少なくともわたしはそう認識していた。


「お前は一体何を言ってるんだ?」


 だと言うのに、兄さんは呆れたような声で断言した。


「時空管理局本局古代遺物管理部部付特別調査室所属、一年前に空戦Sランクを取得すると同時に特別調査官の認定を受けた魔導師。証拠の管理局局員証もあるぞ。本人に突きつける類のものでもないと思うが……と言うより、お前はこれまで何度か僕とも共同作戦を――」

「く、クロエ、あの、どういうことなの?」


 兄さんの声を遮ってフェイトが震える声で問いかける。今にも泣きそうな眼差しが裏切りを怯えているように見えた。それは違う。訳が分からない。どうして兄さんはこんなことを言うのだろう。こんなことを言って一体何が――そうか、考えるまでもない。とても分かりやすい分断工作だ。でも、これは確かに効果が高い。半ば嘘ではない為に信憑性が高い。わたしもつい、余計なことを口走ったかも知れない。弁解をしようにも、口下手なわたしでは言葉が上手く出てこない。


「え、あ、あの、ちがっ」


 何とかフェイトの腕から身を起こそうとして失敗する。まだ立てない。肉体的な部分だけではなく、もっと深い部分でのわたしの衝撃が抜けきれていない。今度は違う意味で涙が零れ落ちる。そうじゃない。そうじゃないのに。わたしはぱくぱくと唇を動かすだけで言葉は出てこない。


「あ、えと、わ、わたしは――」

「信じたあたしたちが馬鹿だったってことだろ!? クロエ、あんたがまさかそこまで酷いやつだったなんて信じたくなかった!」

「アルフ!? ……きゃっ」

「きゃあっ」

「……っ」


 いつの間にか兄さんのバインドを引きちぎったのか、自由の身に成ったアルフがフェイトからわたしを引き剥がした。再び墜落を始めたわたしを兄さんはすぐさま受け止めると、焦った様子もなく”S2U”の先端をフェイトとアルフに突きつける。


「事情は不明だが、形勢は逆転していない。むしろ悪化したと認識するべきだ」

「はっ、管理局の犬がよくも騙してくれたもんだ! あたしはね、クロエ。あんたのことを少しは信じても良いかなって思えてたんだ。それなのになんだよ、これは、酷すぎるよ。あんたは、こんなに優しいフェイトの気持ちを踏み躙って、なんとも思わないのかい?」

「待って、アルフ。まだそうと決まった訳じゃない」

「え、あの、そうです。そ、それは、違います。わ、わたしは管理局じゃ――」


 わたしの言葉を遮るように、アルフは牙を剥き出しにして威嚇の唸り声を上げた。まるで話を聞いてくれない。フェイトはどうすれば良いのか分からずアルフに庇われたままの体勢で、何かを語りかけたまま口篭った。その様子をどう思ったのか、兄さんは漸くいつもらしい呆れた口調で呟いたのだ。


「何か誤解が生じているようだ。だが、一つだけ僕が言えることは、こいつは――クロエは誰かを騙せるほど器用な奴じゃないってことだ」

「に、兄さん?」

「全く、何で僕がこんなことを……」


 ぶつぶつと何かを呟きつつ、兄さんは短い溜息を吐いて続ける。


「言っておくが、管理局は――いや、少なくとも僕たち執務官はそう言う姑息な手は使わない。正義であることが必要だからだ。その必要が守られる限りは僕たちは嘘を以って捜査を実施しない。フェイト、だったか? 君はそれなりに僕の言うことを理解できているようだな?」

「え、う、うん」


 兄さんの言葉に、その意味を理解したのかフェイトは小さな頷きをもって答えた。それから静かに嘆息をする。まだ納得の出来ないアルフをやんわりと制して、それから”バルディッシュ”を構えた。兄さんはそれに驚くでもなく、捕縛魔法を再び準備する。


「ごめん、クロエ。少しだけ疑った。でも、そうだね。事情は良く分からないけど、あんなに真剣に戦ったクロエが裏切るわけなんてないのに」

「フェイト……でも」

「仲間を信じないのは最低だ。アルフ、それは裏切りとどう違うのかな」

「フェイトは優しいよ。でも、だからやっぱり不安だ」

「ありがとう、アルフ。でも、こんな状態のクロエを見捨てたりは出来ないから」


 どうしてだろう。フェイトはいつも優しい。いずれにしてもこの状態は手詰まりだ。フェイト一人が頑張ったところでどうしようもないだろう。アルフもいると言っても、本気になった兄さんには敵わないに違いない。なのはの言う御伽噺のように、頑張ったからと言っても覆らない実力差はある。もしかすると、なのはならそれでも何とかしてしまうのかも知れない。そう考えると酷く苛立たしい気持ちになる。絶望がぶり返して泣きそうになる。でも、何故か少しだけ頑張ろうと思えたのはフェイトのただ一言だったかも知れない。兄さんの腕の中でわたしは少しだけ身を起こそうとする。それに気が付いたらしい兄さんがわたしにバインドをかけて空中に放り出した。


「珍しく諦めが悪いな」

「よ、よく分かりません」


 勿論わたしも、頑張っても無意味だとは言わない。頑張って報われることもあるだろう。でも、報われることを期待して頑張ってはいけないと思う。なのはのように信じられるには、この世界がずっと無慈悲なのだとわたしは知っているつもりだから。大切なのは出来る限りを出来るだけやることだ。奇跡を信奉せず、目の前の現実を冷徹に受諾することだ。わたしは考える。考えて結論を出す。兄さんは倒せない。フェイトたちは逃げられない。兄さんが油断しないからだ。”アースラ”が動揺しないからだ。でも、倒せないなら、倒さなくても良い。他にも方法はある。


「ふぇ、フェイト」

「何?」

「こ、これがラストチャンスです」

「えっ? 一体何を――」

【Mirage Saber】


 フェイトが疑問の声を上げるまもなく、わたしは拘束されたままの両手から半形成状態の魔力剣を生成する。兄さんは舌打ちをして咄嗟に防御魔法を展開した。でも遅い。この魔法は形成レベルを制御することで物理的にも魔法的にも相手をすり抜けて斬り付ける事が出来る。魔力剣を魔法では阻むことが出来ない。故に、刃はそのまま両の肩口を袈裟懸けに切り裂いていた。


「な、なに!?」


 その動揺が一瞬の隙。兄さんの関心は確実にフェイトからは逸れ、千載一遇の脱出の機会が生じる。フェイトはそのことに気付いてすぐさま飛行魔法で飛び出す。兄さんが悩みながらも治癒魔法を詠唱する。兄さんの指先がわたしの肩口にかかり、同時に、反対側はフェイトに掴まれていた。


「あ、あれ……ど、どうして?」

「あんた、何考えてるんだい? そんなのでフェイトが逃げられるわけないじゃないか!? ああもう、どうしてこんなに分かってないんだよ!」


 いつの間にか人間形態に戻ったらしいアルフが既にバインドの解かれたわたしを抱え上げた。両肩の傷は兄さんとフェイトにそれぞれ治療されている。これはおかしい。そもそも、わたしは管理局に捕まっても問題がなかった。勿論、わたしはなのはに二度と会いたくはないけれど、以前に捕まったときのことを考慮に入れてもそれ程まずい状態にはならないことが推測できる。そうでなくとも、わたしは一つの”災厄の種”も所持していないのだ。そうなれば、フェイトさえ逃げ遂せればわたしたちは敗北にはならない。だと言うのに、フェイトが逃げなければ折角の作戦の意味がなくなる。


「駄目だよ、クロエ。これじゃ、余計に逃げられないよ」

「で、でも。この状況なら、こ、これが一番です」


 どの道戦力にもならないわたしが一番切り捨てに値するのは自明の理なのだ。更にいえば、偽善者の母さんや兄さんにとってこれ以上の囮はないはず。実際に、兄さんは動揺して中々見せない隙を見せてくれたと言うのに。困惑するわたしに、兄さんは何故か治ったばかりの傷口を抓りあげて告げた。とても痛い。


「詰めが甘い。これで逃げ出す奴が、最初からお前を庇ったりするもんか」


 よく分からない。いつの間にかわたしは完全に治療されてしまい、治療の邪魔だったのかバインドも解除されてしまった。結果的には状況は改善したようにも思える。ただ、さっきの魔法で文字通り魔力が底を付いた。もうアルフに抱えてもらわなければ空を飛ぶことも出来ない。物理的な意味で、指一本を動かすのも辛い。今度こそ終わりだ。わたしはいつもより気持ちの良い溜息を吐こうとして――。


「時間切れです」


 懐かしい声に目を見開いていた。


「誰だ!? エイミィ! これは一体――」


 兄さんが狼狽の声を上げて周囲に警戒の眼差しを向ける。前後左右何処でもない。では上かと見上げた瞬間に、ありえない速度で飛来した黒い影が直立して背中で腕を組んだ姿勢のまま兄さんの背後に佇んだ。兄さんはそれに大きく舌打ちをしたかと思うと気を取り直して”S2U”の先端に魔力弾を生成する。


「クロノくん! 一時間前から”アースラ”の一部センサが無効化されてる。ジャミングじゃなくて、これは、艦隊司令部のマスターキーによる強制停止!?」

「何ですって!? クロノ、そっちの状況は……えっ? メイスフィールド幕僚長代理!」


 わたしにも聞こえると言う事は、”アースラ”は予想以上に近くに潜んでいたらしい。それに、通信が垂れ流しなのはセキュリティに問題が生じているのか。母さんの口からマリィ先生の名前が聞こえた気がする。いや、そもそもここに彼女が派遣されていることは、本当に時間切れなのに違いない。この場合どうなるのだろう。一応、わたしの任務は成功したのだろうか。


「あ、あの、ヴァネッサ……」

「論外です。作戦目標は達成されましたがプロセスが最悪です。それこそ作戦、とマリィは嘯くやも知れませんが」

「え、あの、えと、そ、そうですか」


 相変らず冷たい彼女の眼差しに、わたしは萎縮して下を向いた。マリィ先生とはあんなに楽しく話をしているのに、何故かヴァネッサはわたしに厳しい。それは、わたしが彼女の期待に答えられていないのだと思うけれど、論外とまで言われると少し落ち込んでしまう。でも、いつの間にか悪魔への恐怖が和らいでいることに気が付いた。そうだ。もう大丈夫、マリィ先生たちは悪魔なんかに負けないのだから。


「あなたは……ヴァネッサ=ハイルズ特別調査官か。一体どういうことです? この件は”アースラ”に一任されたはずだ。そのことはあなたの上司も承知している。つい、二日前のことです」

「三日――の予定でありましたが、嬉しい誤算もありましてね。残念ですが、クロノ執務官――事件は解決です」

「あなたは一体何を言っている!? そもそもそこの魔導師は――」


 流石に事態に付いて行けなくなったフェイトが戸惑うような眼差しでわたしたちを見比べるのを差して、兄さんはヴァネッサに訴えようとする。でも、もう終わりだ。ヴァネッサが時間切れといったなら、事件が解決と言ったなら本当にもう何もかも終わったのだろう。相変らず、わたしは何も出来ないまま、訳の分からないうちに終わってしまったのだけれど。


「そちらのお嬢さんが何か?」

「白々しいことを。”アースラ”にも記録が残っている。言い逃れの出来る状況じゃありませんよ」

「クロエ特別調査官と、その協力者の記録に何か問題が? 我々の作戦に何か不都合が?」

「あなたは!」


 よく分からないけれど、いつの間にかそう言うことになっているらしい。ヴァネッサがそう言うということは、わたしは本当に特別調査官だったと言うことなのだろうか。でも、確かに不適格だと言われたはず。それからアクアリウムに入ったのも本当。一体何がどうなっているんだろう。


「何れにせよ、詳しくは”アースラ”にて。フェイト=テスタロッサ」

「えっ?」


 唐突に名前を呼ばれ、驚愕したフェイトがびくりを肩を震わせる。わたしを抱えたままのアルフがフェイトの前に立ち塞がるようにして威嚇を始めた。ヴァネッサはそれをまるで意に介することもなく、いつも通り冷淡な口調で告げたのだ。


「プレシア=テスタロッサはアクアリウムの仲介により我々との取引に応じました。同時に、あなたの身柄は我々の預かるところとなっています」

「アクアリウム? 古代遺失物研究学会が何故?」


 首をひねる兄さんにヴァネッサは何も答えることはなかった。確かに、アクアリウムは秘密結社でも何でもない。実情を知らない兄さんが疑問に思うのも当然だろう。フェイトはアクアリウムについては知らないのか、興味がないのか、心あらずと言った様子で言葉も出せずにヴァネッサのアイスブルーの瞳を見返した。けれど、彼女の眼差しは何も語らない。


「あの、母さんが、本当に?」

「本当です。最早我々が争うべき理由はありません。プレシアの目的は我々が支援し、我々はその見返りを頂戴いたしましょう」


 それを信じてもよいものか、判断に悩むフェイトがある程度の事情を知るらしいわたしに視線を向けてくる。わたしはそれに、取り敢えずの確信とともに頷いて返した。ヴァネッサはこういう嘘は吐かない。必要なら吐くかも知れないから、なんともいえない部分はあるのだけれど。
 尚も納得のいかないらしい兄さんが、結局は全ての魔法の準備を中止して”アースラ”への移動を開始した。フェイトとアルフも顔を見合わせると、どの道逃げ道のないことを悟ってヴァネッサの先導に従うことにしたようだ。ここへ来て、次元跳躍魔法の使えるはずのプレシアが絶体絶命の状況に何も手出ししない不自然さに気が付いたのかも知れない。それに、フェイトならもしかしてヴァネッサの強さを感じ取れた可能性もある。戦いにおいて、この人に勝てるかもしれない魔導師は管理局でも片手の指で足りると思う。挑むのも無意味なら、従ってみるのもいいという判断は賢明だろう。


「クロエ」

「あ、え、はい」


 ”アースラ”への道すがら、思考の海に沈みかけたわたしに向けて、ヴァネッサは振り返りもせずに話しかけてきた。


「悪魔に負けましたか?」

「あ、えと、あの……」

「漸く適格です」

「えっ?」


 よく分からないことを言い出したヴァネッサはそこで振り返ると、いつもの無表情のままで戸惑うわたしの頭を撫で始める。褒められているのか、慰められているのか。相変らずヴァネッサの行動は理解に苦しむ。でも、優しい人なのだとは思うのだ。


「悪魔を理解したなら、神にもなれましょう」


 一頻り撫でた後、彼女はそんな事を告げたのだった。



[20063] Act.19
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/25 19:38
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Act.19 Magick of justice(2)
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「いい加減、周囲の視線が痛いのだが……」


 不幸にもマリィに捕捉されたグレアムは、あからさまに嫌な顔をしてやったにも拘らず華麗にスルーされて強引に腕を組まされると中庭のベンチに引きずり込まれていた。実のところ、年齢的にはそこまで離れてはいないと言う驚愕の事実はさて置き、下手をすれば十台の少女にも見えるマリィと初老に至ろうかと言う貫禄を持つ紳士であるグレアムがベンチに密着して座る様は、倫理的に何か良くないものを想像させてしまう。更に言えば、マリィの管理局内での評判は最悪であり、対照的にグレアムのそれはかつての英雄的存在として極めて高い評価を受けている点にも問題がある。周囲の視線はグレアムにとっては不本意なことに、同情と失望と軽蔑がそれぞれ等分と言ったところだろうか。下手をすれば明日にはゴシップ記事が出回ってしまう可能性もある。


「えー? いつも双子の猫耳少女を連れ回しているようなおじさんが今更何を言ってるんですかぁ?」


 相変らず嫌な言い方をする女だ。脇に控えた彼女の部下――ヴァネッサと言ったか――がいつもの無表情を維持しようとしつつも微妙に目が笑っていることに気が付いて、グレアムは空いている方の指でこめかみを強く揉んだ。冷静にならなくてはならない。これが彼女の常套手段なのだ。若い連中と違ってマリィの性質をほぼ正確に見抜いているグレアムは、しかし、むかつくものはむかつくと感情と言うものの侭ならなさに深々と溜息を吐いたのだった。


「……使い魔を連れ歩くのがそんなにおかしなことかね?」

「いいえぇ? でもぉ、絵的に犯罪レベルですよねぇ? だからこの前夜道でおじさんたちを見かけた時、つい通報しちゃったことがあるくらいですぅ。何か、猫耳少女二人を連れ回してお父様呼ばわりさせているおじさんがいますってぇ」

「なに? あれは君かね?」


 思わず身を乗り出してしまいそうになったグレアムは寸前で堪え、苦渋に満ちた表情で呻き声を上げた。ヴァネッサが一瞬ぷっと吹き出したのは気のせいだろうか。マリィに従えるだけあって、良い性格をしているかも知れない。
 しかし、あの時は本当に大変だったのだ。グレアムとしてはただ昔を懐かしんで夜の海を使い魔であるリーゼロッテ、リーゼアリアの姉妹とともに散策に出かけただけであったのだ。そこへ行き成り警備隊が来たかと思えばデバイスを突きつけられ、過剰反応したリーゼロッテが一瞬で叩き伏せてしまったから話はややこしい。最終的に悪質な悪戯が原因と言うことで決着がついたものの、地上本部への謝罪文を認める羽目になったことを思い出すと胃の辺りが重くなるのを抑えられないのだ。
 しかし、あれがマリィだとすると、ある意味で納得が出来る。どうせその混乱に乗じてまた何かをやらかしたと言うことなのだろう。本当に碌なことをしない女だ。だから、能力に反して干されると言うのが理解出来ないのだろうか。


「善良な市民の義務ですよぉ。そう言えば、あれ以来クラナガンにはリーゼたちを連れて来ないんですねぇ?」

「君のようなろくでなしの所為でな。しかし、悪戯が過ぎる。君も何度か痛い目には遭っているだろうに、懲りないのかね?」


 そこがグレアムの理解に苦しむところでもあった。マリィは常々神を自称して無茶をやらかす。だが、本当に神ではないのだから各部門との軋轢を始めとして、嫌がらせに起因する情報伝達の意図的遮断などの散々な目に遭っている。更に言えば、統合幕僚会議からも何度か処分を受けていたはずだ。特に、次元航行艦隊幕僚長からは蛇蝎のように忌み嫌われているらしく、本来の所属部門である艦隊司令部においてはお飾りの役職しか与えられていない。その結果が、一線を引いたグレアム以上に身動きを取れない彼女の現状を作り出しているのだ。かつての栄光がなければ既に放り出されていると専らの噂である。


「何を懲りるんですかぁ? あたしはかつても、これからも、一度として間違っていないですよぉ。それにぃ、おじさんとは割と気が合うと思ってるんですけどぉ?」

「……その話は断ったはずだがね」


 衰えたとは言え、全盛期であればグレアムとその使い魔の実力はヴァネッサをも凌ぐ。現状でも互角以上の戦いが出来るとマリィは踏んでいた。人格面においても、多少感傷的過ぎるきらいはあるとは言えマリィの理念を受容できる程度には成熟しているグレアムの力は魅力的なのだ。それ以上に、グレアムを取り込むことが出来れば各部門の不満もある程度は緩和出来るかも知れない。


「でもぉ、毎日暇をしているって聞いてますよぉ? その割に、リーゼ姉妹たちを見かけませんけどねぇ?」

「君と違って気楽な身でね。しかし、君もそろそろママゴトは終わりにしたらどうだ?」


 何かを疑うような眼差しで見つめてくるマリィにグレアムはまるで表情を変えずに返した。マリィはそれを表面上は何でもないように受け止めつつ、ほんの一瞬だけ素の表情が表に出そうになるのを努力して抑える。ママゴトとは言ってくれるものだ。


「老害が説教ですかぁ?」


 何もしないことを選択した老人が、余り偉そうに語るものではないのだ。






 プレシア=テスタロッサは選択する。元より、彼女はアクアリウムに所属していた研究者だ。アクアリウムと言うのは、要するに古代遺失物研究を中心とした私的な学会に過ぎない。しかし、多くの著名な研究者を抱えていることで管理局にとっても無視出来ない大きな力を持った団体にまで成長してしまっている。管理局員にも会員は多く、スクライアは団体会員として登録されている。活動自体はそう活発でもない。全体を取りまとめる幹部会は君臨すれども統治せずを地で行っているような連中であるし、そもそも氏名が公表されていない。団体の実態としては、どちらかと言うと会員同士のコネクションを通じて資金繰りや情報交換を行うことが主な目的ともなっている。その所為か、余り知られてはいないものの管理局の交渉活動の仲介役として協力を求められることもあった。その見返りに管理局は職務上得られた情報を横流しするのだから、表立った活動ではなかったのだが。そう言う交渉役を買って出る連中は何処から沸いて出るのか知らないが、これがまた胡散臭い。実態の掴めない巨大な組織に、胡散臭い連中と言うことで、アクアリウムが陰謀論の対象にされることも珍しくないようだ。

 管理局を忌避するプレシアだったが、そのために実利を捨てられるほど純情ではない。飽くまでもアクアリウムの研究者として、管理局と最低限の契約を締結すると言う条件で交渉には応じることとしたのだ。管理局の入手した”ジュエルシード”は全て彼女に提供され、研究結果の報告だけが義務付けられる。当然のことながら、”アルハザード”への扉を開く積りのプレシアはそんな約束を律儀に守る積りはなかったのだが。しかし、”ジュエルシード”以外にも興味のあるロストロギアは幾つかあった。”ジュエルシード”は文字通り最後の手段であることは確かであるから、少しばかりは従順な振りをするのも有りかも知れないと思う。彼女のお人形――フェイトは管理局に持って行かれてしまったが、それはもうどうでもいい。利用するなりおもちゃにするなり好きにしたらいいだろう。アリシアと同じ顔だと思うと、少しばかり複雑に思う部分もあったが。


「まあ、いいわ。制限時間が少しばかり延びたと思えば」


 いずれにしても病魔に冒された彼女は長くない。必要な医療は提供されたが、完治する類のものでないことは彼女自身よく分かっている。それでも、一月の制限が一年にも延びたと思えば充分に過ぎると言うものだ。


「それにしても、”彼方の虹”――ね」


 プレシアはアクアリウムから得られた情報を脳内に反芻した。それは本物の御伽噺だ。正真正銘の魔法だ。或いは”アルハザード”にも匹敵するほどの。もしこのロストロギアが実在し、それによって為される転生魔法【Soul Anchor】が再現可能なのだとすると、プレシアはアリシアとともに永遠に生きられることになるだろう。有力な証拠と言うのが、この拙い小説もどきというのはお笑い種なのだが。しかし、確かに気になる記述はある。何故なら、なのはと言う名前の少女も、そしてフェイトも確実に存在するのだから。恐らく、このはやてと言うのも存在するのかも知れない。偶然、と言えなくもない。だが、アクアリウムで見た彼の姿に、一笑に付すのも躊躇われたのだ。


「いずれにしても御伽噺ね」


 噂によれば、アクアリウムの創始者は”彼方の虹”の向こう側からやって来たらしい。その目的の為に設立されたらしいアクアリウムは、ロストロギアの研究を通して嘗ての故郷を探しているのだとも。一説によれば、それは”アルハザード”なのだとも言われるが、プレシアには判断が付かなかった。だとすれば、”彼方の虹”などと言う夢を追う意味はなく、”ジュエルシード”で扉を開く方が現実的と言うものだ。旅立った後のことは知ったことではない。まあ、最低限のレポートは自分のメモ代わりに残してやってもいいが。


「アリシア……もうすぐよ」


 或いは夢の終わりが、と言う言葉をプレシアは飲み込んだ。既に終わってしまっていることを薄々感じながら、最早想像もつかないアリシアとの未来を妄想してみせる。その幸せなはずの光景に、まるで笑みが浮かばないのは何故だろう。






「いや、説教と言うほどのものでもないよ。まあ、老害と言うなら君も似たようなものだと思うがね。マリィ元執務官長?」

「何だか含みのある言い方をされますねぇ? 資格停止処分を食らった管理局史上唯一の執務官長って、巷では有名らしいですけどぉ」


 正確に言えば、自ら資格停止処分を狙ったような事件を引き起こしたらしいことで有名であった。一時は執務官長が逮捕されると言う前代未聞の事件に発展するかとも騒がれていたものの、最高評議会の決定によって異例の資格剥奪処分によって有耶無耶にされてしまったのだ。その時のごたごたが原因で彼女の嘗ての部下であり、今は上司でもある現艦隊幕僚長とは決裂してしまったらしい。恋人だった、などという噂もあるが、その辺りは下世話な想像と言うものだろう。


「老人の繰言と聞き流して結構。一つ言えるとすれば、特別調査室なるものに引き篭もるのもいいが、やるべきことは幾らでもあるのでは、ということだろうか」

「へぇ? 面白いことを。ご参考までにお聞かせ願えますかぁ?」

「その理念も、能力も、成果も、私は認めよう。しかしね、それに何人がついていける? 現に、特別調査室に室員は何人いるのかね?」


 その中においても、実質的に戦力と言えるのはマリィ自身を含めたとしてもヴァネッサとクロエだけでしかない。後の人間は無能とは言わないにしても、実践能力と言う意味においてまるで話にもならないだろう。それを、マリィの得意の詐術によって実態以上に大きく見せているだけと言うのがグレアムの見解だ。確かに、ヴァネッサは単体戦力としては管理局内でも最高レベルと言えよう。英雄とさえ呼ばれたマリィにしても、その力がいまだに衰えてはいないだろうことは、奇しくも彼女と並び称されたグレアムには感じ取れる。クロエにしても、今だ発展途上にあるとは言え、戦闘者としての素質はグレアムが嘗て見たことのないほどの異才であることは間違いがない。だが、それだけなのだ。グレアムには、マリィの行いは結局は管理局内を掻き混ぜて事態を悪化に導いているようにしか見えなかった。理想を否定されたかつての英雄が復讐に走っている、と言うのは穿った見方かも知れないが。


「きゃはははははははははははははははぁ! 言うことが本当に年寄り染みてますねぇ? くすくす、久し振りに笑わせて貰いましたよぉ」


 マリィは出来のいい漫談でも聞いたように大声で笑うと、苦しげな声のままで言葉を返した。


「劣悪を百人集めて何が出来るんですぅ? おじさんこそ現実を見てくださいねぇ? 例えば、あたしたちの十倍いるはずの機動一課の成果は、ここ一年であたしたちの僅か十分の一にも満たないんですよぉ?」

「人を貶めて言うのは君の悪い癖だな。だが、それは救った数から殺した数を引いて較べたものだろう。君たちほど殺している部隊は、管理局の何処にもない。そんなものを誰が支持できる? 君が思う以上に、それは困難なことだ」

「ですからぁ、どうして劣悪の支持がいるんですかぁ? あたしたちは正義の味方じゃないんですよぉ? そう言うのは本物のヒーロー様にお電話くださいねぇ? 運が良ければ三分で世界を救ってくれますよぉ。ちびっ子が真似して死んじゃうかも知れませんけど、まあ、それは良い子の皆は真似しちゃ駄目だぞってことですねぇ」

「相変らずひねくれた考えをするものだ」


 お互いもう若くはない。グレアムとて、今更互いに積み重ねた歴史が軽い言葉だけで動かせるとは信じてはいない。だが、改めて聞くとマリィの論理は狂気と悪意に満ちていると実感する。確かにこの世界は優しくはない。しかし、悪意によって結晶しているほどではないのだ。だが、それとてもグレアムの世界。世界は一つではない。人間の認識がそれを構成するものである以上、マリィの世界は誰よりも悪意に満ちているのかも知れない。


「まあ、いい。所詮は戯言だ。それより、君はまた、趣味の悪い真似を始めたそうだな?」


 グレアムは結局そこで話を打ち切ると、そう言えば重大なことを確認する必要があったのを思い出した。最早噂ではないとグレアムは知っていたものの、元々は次元航行艦隊所属の局員が愚痴交じりに溢すのを何とはなしに聞いていたのだった。いつもの事とその時は大して気にも留めていなかったが、思い起こせば引っ掛かる部分があり、詳細を調べるうちに非常にまずい事態であることを認識せざるを得なくなったのだ。


「えー? 何のことですぅ? いつも品行方正を地で行っているようなあたしに何か落ち度でもぉ?」


 そんなことがある筈がない、と思ったがいちいち突っ込みはしない。しかし、よく考えてみるとマリィは品行方正ではある。飽くまで、彼女の理屈に基づいての話ではあるが。それに、法に触れる行為には確かに手を出していない。元執務官の知識の悪用にしか思えなかったが。グレアムの故郷風に言えば悪徳弁護士と悪徳裁判官と悪徳刑事と悪徳検事の融合体だろうか。最悪すぎる。いや、そんな事はどうでもいい。


「聞けば、私の故郷――第97管理外世界にクロエを派遣しているとか」


 実のところ、グレアムはそれが事実であることを知っていた。クロエは戦闘能力は兎も角とすれば、グレアムの優秀な使い魔であるリーゼ姉妹ならば出し抜くことは容易である。グレアムは彼女たちからクロエの派遣を知って心臓の止まる思いをしたことを今でも思い出せた。万が一、マリィが闇の書について嗅ぎ付けていたのだとすると、下手をすればクロエは考え無しに八神はやてを殺害してしまいかねないのだ。それはまずい。彼女がこの件に絡んでは、グレアムの長年の計画も水泡に帰すというものだ。結局、調査の結果からその懸念だけは払拭出来たのだが。


「んー? まあ、もう直ぐ片付きますよぉ。あのぽんこつはともかくとしても、”アースラ”にはおじさんの優秀なお弟子さんも乗っていることですしぃ? 心配ないと思いますよぉ」


 マリィの言葉を話半分に聞いて、グレアムは表面には出さずに思考の海に沈んだ。彼の勘からするとマリィの言は嘘ではないが、何か重大な事実を隠していると思われた。それが何かは想像の域を出ないが、いずれにしてもクロエが派遣された事実は重い。下手に刺激するのは愚作だが、何もしないのもリスクが過ぎる。偶然があり得るほど八神はやての所在は近い。何かのついでで殺害される可能性とて在り得るのだから。そうなった場合に、リーゼ姉妹によって彼女が護られたとしても、ある意味においてその時点で手詰まりとなってしまいかねない。


「どうしたんですかぁ?」


 不思議そうにしつつも、何かを探ろうとするマリィの眼差しにグレアムは一瞬だけ悩んで決断をする。


「いや、実はだね。私は度々あの世界に里帰りをするのだが、偶然、リーゼたちが面白い情報を掴んでね」

「へーぇ? 偶然ですかぁ?」


 まるで信用していないマリィの疑問をグレアムは無視する。マリィもグレアムの意図を汲んでそれ以上は追求することがなかった。ただ、ちらりとヴァネッサの方へ意味ありげな一瞥を向けて、ヴァネッサが応えて軽く首肯する。グレアムはそれがいつものブラフであることを知っていたために特に反応はしない。何かを知っていると思わせるテクニックの積りだろうが、そんなものでは子供しか騙せないというものだ。


「ふむ、まあ、見かけない魔導師が次元転移するのに気付いたんだが、珍しいとは言え旅行者もない訳ではないからな」

「なるほどぉ?」


 グレアムの言うのは苦しい言い訳と言うほどでもない。管理外世界への移動は、厳しく制限されているものの不可能ではない。管理局の職務を口実にすることで抜け道を作るのが常套手段と化しており、総務部も取り立てて咎めることは少ない。その辺りには怠慢があるとグレアムも思わないでもないが、元より業務がオーバーフロー状態に陥っている事情を考えると余り責めるのも酷というものだろう。一応は、移動者のリストは全て適切に管理され、次元犯罪の発生には早急に対応出来る体制は整えられているのだ。しかし、そうまでして管理外世界へ出かけるものか、と言うと第97管理外世界についてはない訳ではない、と言わざるをえない。何と言っても稀代の英雄であるグレアムの故郷なのだ。彼に憧れる局員がふと立ち寄りたいと考えるのもおかしな話ではないのだ。
 マリィにしても、何か話の裏があることは想像できたものの、グレアムの言葉自体には何の不自然もないことを認めざるを得なかった。彼が時折、故郷に戻ることは有名であったし、旅行者もそれなりに存在することも知っている。偶然、グレアムがそれに気付くこともあり得るだろう。彼の使い魔であるリーゼアリアならば相当の広域を高い精度で探索することも出来るであろうから。


「しかし何か引っ掛かってね、どうも転移先が普通ではないらしい、と」

「へぇ?」

「もし、君の調査活動に役立てられるようであれば、その座標を提供するが?」


 最早マリィはグレアムの意図を正確に理解していた。お互い何か隠しごとがあることは確実。いや、どちらかと言うとグレアムの方は一方的にマリィの事情をある程度抑えている可能性が高い。これは脅迫にも似た交渉なのだろう。マリィたちの欲する情報を提供する代わりに、グレアムの隠し事を詮索するな、と言う。そうまで言われてマリィに引き下がるのは難しい。グレアムも今後マークする必要があるだろう。しかし、そのリスクを抱え込んでも今現在何かまずい状態に彼が陥っていることは想像に難くない。マリィとしても、現状に余裕がある訳ではない。クロエの派遣は彼女の独断でしかなく、まして表立ってはプレシアとの交渉など管理局の面子に掛けて認める訳がない。一旦は逮捕、と言う形が取られるであろうことは間違いがないのだ。一度プレシアとの交渉が為されれば、管理局が遡ってそれを無効化することはない。いずれにせよ、彼女の力は欲しいのだから。


「――嬉しい誤算、と言っておきますよぉ」


 マリィは何も損はしていない。しかし、何かを隠された。彼女はどうもすっきりしない気分のまま、交渉を受諾する旨をグレアムへ告げる。グレアムはそれに、空とぼけた調子で、そうかね、とだけ返して今はもう使用されないマリィのインテリジェントデバイスを受け取った。彼は魔法を詠唱すると、プレシアの居城である”時の庭園”の座標データを入力する。そこで、ふと気が付いてグレアムはマリィへ問いかけた。


「このデバイスは、インテリジェントだったと思うが……ずいぶん物静かだな」


 そう言うタイプのAIもあるとは聞くが、一言も発さないと言うのは普通ではない。マリィはグレアムからデバイスを返却されると、剣を象ったペンダント状のそれを何も言わずに首から提げた。そのままシャツの中に仕舞い込んでしまい、漸くそこで唇を開いた。


「この子はだいぶ前に壊れてしまいましてねぇ」

「? 修理しないのかね?」

「無理ですよぉ? あたしの命令にAIの思考がデッドロックに陥って以来、延々と悩んでるんですぅ。問いかけると一応は喋るんですけどぉ――ねぇ、”ジャスティス”?」


 そう言いながら、マリィは服の上から胸元の剣を突付いて見せた。デバイスはそれに、くぐもった機械音で以って答える。


【What is Justice?】






「わざわざご足労頂き有難うございます。まずはお茶をどうぞ」

「有難うございますぅ。あれぇ? 何ですかこのお茶、甘くないですよぉ?」

「あら? それが普通では? それに、ご年配のお体を気遣うのが若者の務めですわ」

「きゃはははははは! 薹の立ったおばさんが若者気取りですかぁ? でもぉ、実年齢はともかくどう見てもわたしが若々しいですよぉ? 死ねよ、おばさん♪」

「うふふふふふふふふ、うふふふふふふふ」


 ――お前こそ死ねよ、ロリババア。
 一頻り笑った後、リンディは口中で呟くように告げた。それを間近に聞いていたクロノが肩を震わせて冷や汗を流す。女性とはかくも怖ろしいものか。その神秘の一端を自らの母親を通じて知ってしまい、クロノは苦渋に満ちた声を上げて呻いた。


「んぅ? 何か言いましたかぁ?」


 聞こえない振りをしつつ、マリィのこめかみがひくついている事実をヴァネッサだけが見逃さなかった。正直に言うと、どちらかと言うとマリィの方があれだと常々思っているヴァネッサからすると、いい加減このキャラ作りは止めるべきだと思っている。とは言え、はるか昔はこれが素であったと言う噂も聞いたことはあるのだが。まあ、そんな話はどうでもいい。ヴァネッサは進まない話し合いに活を入れるため、少々わざとらしい咳払いを一つして場を沈静化させた。


「事情はさっきヴァネッサが説明した通りですぅ。事件は解決したので”アースラ”はさっさと帰還して下さいねぇ?」

「はい、そうですか――と、頷くとお思いで?」

「頷きますよねぇ? 司令部からの通達ですよぉ」


 相変らず人を馬鹿にした目つきでリンディを見つめるマリィの視線を努めて気にしないようにしつつ、リンディは状況を脳内で整理していた。司令部の通達と言うのは恐らく嘘ではない。司令部の承認によってのみ許可されるマスターキーを用いて”アースラ”の一部機能停止を強行したことから、捜査中止が司令部に受諾された可能性は高い。問題はそれが何故かと言う事だが、先ほどのヴァネッサとクロノの会話からするとプレシア=テスタロッサなる人物が何らかの取引に応じたことに起因するのだろう。どこかで聞いた名前だが、それは良い。これで事件が解決、とすると、要するに事件の首謀者が存在しなくなったと言うことに等しいのかも知れない――だとすると。


「囮、ですか?」


 リンディの核心を突いた指摘にクロノははっと息を呑んで彼女を振り返った。それから不思議そうに首を捻るクロエの方を向いて、けらけらと嬉しそうに笑うマリィに視線を戻してから歯噛みする。そう言うことか。あれほどマリィが挑発を繰り返していたのは、むしろ”アースラ”にクロエを捕らえさせるのが目的だったのだ。しかし、それにしても早い。これだけ早いなら囮など要らなかったはずだ。いや、飽くまで保険だったとも考えられるが。


「何のことですかぁ? まるであたしがリンディちゃんを嵌めたみたいに言わないで下さいよぉ?」

「なるほど。大変勉強になりましたわ。心を踏み躙り、人を騙す技術については幕僚長代理に学んでばかりですわね」

「よく分かりませんけど、お役に立てたなら幸いですぅ」


 思わず拳を握り締めたクロノに、リンディがマリィ達からは見えない角度でそっとその手を握ってすぐに離した。クロノは久し振りに母親としてのリンディの行動に冷静を取り戻すと、長い溜息をついて悪いものを吐き出そうと努める。いちいち反応していては相手の思う壺と言うことだろう。リンディはその様子を柔らかい笑みで確認し、それから決意を込めた口調で告げた。


「――命令は受諾いたします」

「艦長?」


 驚いて思わず口を挟んでしまうクロノには答えず、リンディは毅然として続ける。


「しかし、クロエ特別調査官及びフェイト=テスタロッサはお引渡し出来ません。彼女らの身柄は”アースラ”にて保護します」


 クロエが戸惑いの表情を浮かべ、フェイトと目を見合わせる様子が見えた。リンディの気持ちは分かるが、その要求は無茶と言うものではないだろうか。


「はぁ? そんな勝手が許されると思ってるんですかぁ? 彼女たちは、あたしたちの作戦に従っただけですよぉ?」


 案の定、呆れたように返すマリィには何の動揺の影もない。当たり前の話だ。クロエは元より特別調査室所属なのだし、フェイトの身柄はプレシアとの取引によって特別調査室に預けられたのだから。しかし、リンディはその事実自体は否定せずに頷くと、別の角度で以って切り返した。


「管理外世界における危険行為について執務官の権限で拘束することは、管理局の法に則った正式な手続きのはずですが?」

「それは作戦だったと言ってますよねぇ? リンディちゃんもいい加減、特別調査官の権限を――」

「津波の発生は必然であったと?」

「津波?」


 そこで漸くマリィの表情が固まり、想定外の単語に首を捻る。窺うようにヴァネッサを見つめるも、彼女も肩を竦めて首を振った。そうすると、彼女たちが本格的な監視をする前に何かが起こったと言うことだろうか。マリィは嫌な予感を抑えきれずにクロエを感情の伴わない可憐な笑顔で見つめると、動揺する彼女の様子に内心で舌打ちしつつも問い掛けた。


「クロエちゃん? 津波って何ですかぁ? 先生に分かりやすく教えてくださいねぇ? なんかぁ、特別調査官が逮捕されるレベルの失態だってリンディちゃんが言ってるんですけど、嘘ですよねぇ?」

「え、あの、その、えと――じ、事実、です?」

「きゃははははははははははははははははぁ!」


 余りのおかしさにマリィは涙目になって笑い声を上げた。クロエは確かに碌でもない事ばかりやらかすが、無意味な犠牲だけは出さないように教育してきたはずだ。必要な犠牲を躊躇う必要はない。その躊躇いこそ害悪である。だが、本当に意味のない犠牲を出したというなら、如何に特別調査室の権限であっても庇いきれないのだ。それは必要ではないのだから。
 荒い呼吸を繰り返す彼女の目の前にモニタが展開されて津波についての記録映像が再生された。フェイトとクロエが儀式魔法を用いて”ジュエルシード”の封印を行っている。これは良い。危険過ぎる賭けはマリィの好みではないが有効性はある程度認めよう。しかし、その後が最悪だ。二次災害として発生した津波は、よりにもよって”アースラ”のスタッフによって食い止められてしまった。面倒な言い訳を使えば何とかなるかもしれないが、少なくとも一時的に”アースラ”がクロエ達を拘束するのを表立って咎めるのは難しい。流石にこのレベルの事態を想定した準備は行っていなかったのだから。


「お分かり戴けましたか、メイスフィールド幕僚長代理?」


 世界はやはり悪意に満ちている。マリィは笑顔を保ったまま、完全勝利とは言えなかった事を受諾した。だが、敗北ではない。故に、間違いではない。確かに事件は収束し、プレシアの技術は手に入れた。一時的であれ、クロエが拘束されるとしても、リンディに取り返されるまでには至るまい。宜しい。これもまた滑稽な現実と言うものだ。


「ヴァネッサ、そう言うことみたいなのでクロエちゃんたちを連れ帰るのは今度にしましょうかぁ?」

「イエス、マム」


 マリィは神ではない。だからこそ、神を僭称するのだ。


「リンディちゃんもまずいお茶をご馳走様でしたぁ。また来ますねぇ?」

「あら、もっとゆっくりして行かれては?」

「くすくす、あたしも暇じゃないんですよぉ。他にも色々気になることがありますからねぇ」


 リンディはヴァネッサを引き連れてあっという間もなく帰還しようとするマリィの方へわざとらしい笑みを浮かべながら内心で溜息を吐いた。漸く痛み分けといった所だろうか。その切り札となったのが己の娘の失態と言うのは素直に喜べないが。これからどうするかが重要だ。一時的な勝利に酔う余裕もない。余り与えられた時間の長さに期待するものでもないだろう。それまでに処理するべきことは山積みなのだ。事件の件は言うに及ばず、なのはの件、クロエの件、フェイトの件。それを考えると頭が痛い。


「エイミィ。プレシア=テスタロッサなる人物の調査を。さて、あなたたちにも色々聞かせて貰いましょうか?」


 優しげでありながら有無を言わさない口調に、クロエとフェイトは渋々頷いたのだった。



[20063] Act.20
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/27 22:09
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Act.20 Magick of justice(3)
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 八神はやては病院帰りに公園へ軽く寄り道をしていた。春の日差しはだんだんと強くなっていくがもう大分日も傾いてしまったし、海側からの風はまだ涼しく不快な暑さではない。公園の歩廊はよく整備されていて車椅子の彼女であっても進むのに苦労はしない。この町はこうした施設は良く出来ていて、普通の人間は気にしないかも知れないがはやてにはあり難いと思うことが度々あるのだ。いちいちそこが行ける場所なのかどうかを気にしながらでは散歩など出来たものではない。それを殆ど気にしなくても良い公園ははやてにとってお気に入りの場所の一つでもあったのだ。


「ん? あの人、どうしたんやろう」


 暫く風に身を任せて涼んでいると、草むらをなにやら探し回る不審な少女を発見した。いや、不審といっては失礼かも知れないが、しかし何やら怪しいのは間違いない。年齢的にははやてより四つか五つほど年上だろうか。翠色の綺麗な長い髪からすると外国の人かも知れない。尤も、この街ではそう珍しい存在でもない。大体中学生くらいに見える少女はこちらの様子に気付いた風もなく草むらを分けては首を傾げ、時折びくりと肩を震わせては周囲を見回し、腕を組んで溜息を吐き、立ち止まっては唸り声を上げる。何と言うか、面白い人のようだ。


「うん、困ったときは助け合いやな」


 いつも助けられてばかりのはやては時折誰かの世話を焼いてしまいたくなることがあるのだ。はやてはそんな事を呟いて、ゆっくりと車椅子の車輪を回し始めた。






「やれやれ、あの女は本当に碌な事をせんな」


 採光の良い執務室に疲れた声が響いた。大きく開けられた窓からは心地良い風が吹き入り、空調魔法なども必要なく爽やかな環境を作り出している。グレアムはその環境とは対照的に爽やかでない気分になって小さく鼻を鳴らした。本当にあの女は碌な事をしない。しかし、公には出来ないにしても今回の件に限っては自ら彼女を手助けしてしまったような経緯もある為、余り強くも言えない。それにしても悔しいと言うのは正確ではないが、何ともやりきれない気分が湧いて出るのだ。


「申し訳ありません、グレアム提督。ご面倒を押しつけるような真似を」


 対面に立ったリンディが、珍しくグレアムが本気の愚痴を零すのを聞いて本当にすまなさそうな表情で謝罪する。グレアムはその様子に軽く頭を振って気持ちを切り替えることとした。別にリンディが悪い訳ではない。八つ当たりをするような真似をしたのは少々大人気なかったと反省する。彼女の頼み事自体には全く不満はないのだし、むしろ彼女の頼みであれば出来るだけ便宜を図ってやりたいとは思うのだ。


「なに、面倒と言う訳でもない。そう言うことであれば私の名前で良ければ幾らでも貸そう。結果として誰が一番得をするのかと考えると、どうも腑に落ちんものがあるだけでね。まあ、前途ある若者の助けになると思えば瑣末なことだ」

「そう言って頂ければ幸いですわ」


 静かに微笑むリンディにグレアムは鷹揚に頷き返す。まあ、瑣末なことではあるのだ。こうした頼みごとをされるのは彼にとって珍しいことでもないし、難しいことでもない。グレアムとてそれを渋るほど偏屈ではない積りだ。問題は、それがマリィの益にもなりかねない事だけだ。これについては狙ってやった訳ではないだろうが、本当にあの女は人の気持ちにいちいち水を差してくれるものだ。


「うん。それで、フェイト君だったね」

「あ、はい」


 グレアムはそこでリンディの脇に所在無げに佇んでいたフェイトに声を掛けた。返事が多少ぎこちないのは、状況がよく理解出来ないと言う訳でもなく、ただ戸惑いを隠せないだけなのだろう。グレアムが見たところ、フェイトは聞いていた境遇に比して非常に真っ直ぐに育った子だと思えた。年齢に見合わない寂しげな目が気になりはしたが、歪んでいると言うほどでもない。むしろ、クロエに共感している節があるという報告に不安を隠し切れなかった。彼女にも分かってやれる誰かは必要とは思うのだが、余り影響されるとお互いに間違ってしまう可能性が高い。マリィによってクロエが歪められたと確信するリンディには申し訳ないが、クロエの狂気は生来のものとグレアムは確信している。だからこそリーゼ姉妹には彼女に攻撃の技を教えさせなかったし、なるべく誰かを護る術だけを伝えさせた積りだ。それも結局は無駄に終わってしまったのだが。やはりグレアムにもリーゼ姉妹にもクロエの気持ちを理解することは出来なかったのだ。マリィが後天的な狂人であるのに対し、クロエが先天的な狂人である違いはあるにせよ、クロエを真に肯定出来るのはあの女だけなのだろう。ある意味でマリィによってクロエは矯正されたのだとグレアムは思うことがある。形のない狂気に名前を与え、彼女をただの殺人鬼にしなかったのは認めたくはないが彼女の功績なのだろう。これは間違ってもリンディには話せない理屈だし、話したこともなかったが。


「まあ、私は名義を貸すだけだ。何かを要求するつもりもないし、君も気に掛ける必要はない。勿論、困った事があれば頼ってくれて構わんがね」

「はい、有難うございます」


 フェイトは今度は落ち着いてしっかりと頷いた。グレアムの言は多分に寛容に思えたが、実際のところそれだけの事実でもあった。そもそも、フェイトは犯罪者ではない。リンディにとっては苦渋の決断ではあったが、彼女はクロエの不法調査に付き合わされただけの民間協力者と言う位置づけとなっている。ただ、プレシアが彼女の保護者となることを拒絶した為、彼女がクラナガンの市民権を獲得するのに二名以上の保証人の名義が必要となったのだ。勿論、プレシアが事実上フェイトを捨てたことについては彼女が病気療養中であることを理由に何とか誤魔化してはいる。それにしても、彼女の市民権くらいならば彼女の預かりである特別調査室で融通を利かせてくれても良いものだが、マリィはこともあろうに交換条件としてクロエとフェイトの身柄の引渡しを要求してきた。当然リンディにそれを飲む積りもなく、向こうも分かっていてからかっていただけのようだが。いずれにしても冗談ではない。この状態で引渡しになど応じれば二人がどんな風に扱われるかは目に見えている。もしもフェイトまで歪められてしまってはリンディは今度こそ一生自分を許せなくなるだろう。


「あの、それで、母さんは……」


 そこまで想到した時、ふと目のあったフェイトが遠慮がちに問いかけてきた。リンディは当然聞かれるであろうその言葉に、事前に用意していた穏やかな笑顔を表情に貼り付けると、自分でも少し固いかもしれないと思う口調で返す。


「ごめんなさい。もう少しだけ待ってくれるかしら。プレシアはあれで要人だから、中々面会の許可が下りなくて。大丈夫、ちゃんと快復しているそうよ」

「そう、ですか」


 酷く落ち込んだ様子のフェイトに胸が痛くなった。リンディは嘘を吐いていない。だが、それだけなのだ。プレシアは今は管理局にとって要人となっているし、彼女の滞在する医療施設での面会許可がなかなか下りないのも事実。しかし、それはフェイトがプレシアにとって他人でしかないからこそなのだ。管理局とて血も涙もない鬼ではない。家族であれば手続きにかなりの便宜が図られるのが通例だ。こうして身元保証人を用意してクラナガンの市民権を得る面倒を通さなければ母親に面会も出来ないと言うのはリンディにとって本当に胸が詰まる思いなのだ。しかも、面会の許可が下りたところでプレシアがフェイトに会おうとするかは非常に望み薄だろう。それを思えば、結局のところこれは悲劇までの時間稼ぎに過ぎないのかもしれない。


「えと、それじゃ、クロエはどうしてますか?」

「あの子は謹慎処分中。とは言っても、”アースラ”の中だとエイミィの胃が持たないから監視を付けて例のマンションに戻ってもらったわ」


 事件は終結したが残務処理は幾らでもある。マリィからの帰還命令は受諾したものの、本当に即座に帰れるものでもない。リンディとクロノは各方面への報告で忙しいし、折角確保したセーフハウスを始めとした現地資産を処分する必要もある。一番頭が痛いのが主にクロエが齎した現地被害への補償業務だ。秘密裏に、かつ確実に為されなければならない。遺族の気持ちを思えば、これは偽善でしかないのだろうが。本来であれば、これらの業務はクロエの所属である特別調査室の範疇であったが、今や彼女はは名実ともに正式に”アースラ”に出向中の身であるし、彼女の保護を申し出たリンディには彼女についての責任を果たす義務がある。不謹慎な話、思っていた以上に死者が出ていないことだけが救いではあったのだが。それに何か嫌な予感がしてならない。口が裂けても更なる死者を望みはしないが、こんなもので済む訳がないと言う後ろ向きな囁きをする自分が脳裏にもいるのだ。勿論、それも気のせいだとは分かっている。リンディがこういう思考をするようになるまでに色々あったと言う事だ。

 しかし、それにしてもクロエの処分は随分甘いものになってしまった。リンディも母親としてあまり重い処分を下したいとは思えなかったが、かといって娘だからと公平であるべき提督がそんな贔屓をする訳にはいかない。とは言え、クロエの立場は本当に難しいのだ。元より管理外世界に関心の薄い管理局の事情と相俟って、任務遂行上の”些細なミス”を理由に特別調査官を厳しく咎める根拠は無い。彼女の行いは法的にグレーゾーンではあり、それをどう裁くかは提督であるリンディと執務官であるクロノの権限に於いて裁量の利く領分ではあったのだ。しかし、クロノと相談した結果として現実にはこの程度の処分が妥当と結論せざるを得なかったのだ。あの時マリィが引き下がったのもこうなることを見越してのことだろう。余り彼女を追い詰めるのも危険だと言う計算もある。しかし、この判断が身内可愛さと見られなければいいとは思うが、それも虫のいい期待と言うものだろう。これについてはある程度已むを得まいとリンディも覚悟の上ではある。何事も代償は必要と言うことだ。


「あの子が反省出来たなら直ぐにでも謹慎は解くわ。とは言っても、そんな都合のいい事は起きないでしょうけど」


 リンディは自嘲に唇が歪むのを押さえられずに呟いた。そう、クロエは反省しない。と言うより、反省出来ないし、してはいけないと思っている節がある。次は頑張ろうとは思うかも知れないが、自分のしたことを間違っていたとは決して認めないのだ。その辺はマリィの悪影響があるとリンディはみている。尤も、自分の何が間違っていたのかを正しく認識する能力が生まれつき欠けていたことは認めざるを得ない。それを矯正出来なかった事はリンディにとって未だに後悔が残る過去だ。あなたの考えは間違っている、そう言う叱り方しか出来なかったのはリンディも未熟過ぎたのだろう。


「あの、もしクロエの謹慎が解けたら、一緒に母さんに会って貰ってもいいですか? 母さんがいいって言えばですけど」

「プレシアに? それは、構わないけれど」

「クロエが会いたがってたから。母さんの事を凄い魔導師だって言ってくれて、会ってみたいって」

「そう。あの子がそんな事を」


 フェイトが照れたように微笑むのをリンディは嬉しさと悲しさの綯い交ぜになった感情で眺めながら、クロエの性格の中で長所とも言える部分を思い返していた。確かに、昔からクロエは誰かの才能を素直に称賛出来た。引っ込み思案ではあったが、余り他人を妬むことなく自分に出来る事を頑張れるところは素晴らしい長所と言えるはずだ。不幸は、彼女の才能が他人と余りに違う部分で突出していたことだろう。彼女の口べたも災いして、よく誤解されていたものだ。今回のなのはの件については、そうしたすれ違いもあったのだとリンディは予測していた。


「そうね、機会があればプレシアには私も会ってみたいわ」

「リンディさんも?」

「ええ、色々と勉強になりそうだもの」


 伝え聞いた話ではまず無理であろうとは思いつつ、リンディは口先だけでそう答えた。プレシアを褒められて素直に笑えるフェイトは、もしかするとクロエと相性のいいパートナーになれるかもしれないと思う。だからと言って、フェイトにクロエの友達になってくれとはリンディには言えなかったのだが。


「ふむ、フェイトくんはクロエと親しいのかね?」


 暫く何かを考え込んでいた様子のグレアムから声を掛けられる。リンディとフェイトが振り返ると、彼は口元を掌で覆って難しい顔をしていた。深く皺の入った額を軽く揉んでから、彼は冷めた紅茶を一口啜り、随分と時間を掛けて溜息を吐く。


「仲間、です。親しいと言うのは、よく分かりません。あの、何か……」

「いや、大したことじゃない。そうか、仲間か」


 グレアムはそのまま何かを続けようとして、結局は言葉を呑みこんで黙り込んだ。リンディは何かを察したのか寂しそうに笑い、フェイトは事情がよく分からずに首を傾げた。二人の会話を聞いていて、グレアムからしてもフェイトは間違いなく悪い子ではないと確信出来た。むしろ、クロエを受け止めようとしてくれたらしい彼女は普通の子供よりも成熟した良い子なのだろう。しかし、だからこそ不安になるのだ。クロエと付き合っていくのは、恐らくフェイトの思う以上に難しい。それを第三者であるグレアムが敢えて指摘するのもおかしな話ではあるが、いつかそれでフェイトが傷つくのを見たくはないと思ったのだ。
 例えばフェイトは、クロエがプレシアを殺そうとした時にどうするだろうか。彼女が管理局との取引に応じた以上は、その可能性は少ないかも知れない。しかし、クロエはきっと、必要であればプレシアを殺す。クロエは最早フェイトを殺すことを躊躇うかも知れないが、プレシアは躊躇なく殺せるだろう。そして、常人には理解しがたいことにその事でフェイトがどう思うかを正しく考慮出来ないに違いない。見知らぬ誰かを殺すクロエを許容できるとして、そうなった時にフェイトは何を思うだろうか。勿論、何も悪い方にばかり考える必要はない。ただ、クロエの本質がそうしたものである事を、フェイトが正しく認識出来ていないのなら、やはり本当の意味で友達になることなど不可能なのだ。そうした意味では仲間と言うのは丁度バランスのいい関係なのかも知れない。


「友達に、なりたいと思うかね?」

「それは――」

「提督! 長話をしてしまいましたね。そろそろ失礼いたしますわ」

「えっ?」


 その問いにフェイトが答える前に、リンディが彼女らしくない調子の大声でそれを遮った。それから慌しく広げていた書類を纏めるとフェイトの腕を強く握り締める。グレアムもそれ以上は何も言わず、戸惑うフェイトの手を引いて足早に去るリンディを見送った。そのままリンディが執務室の扉を開いて一礼するのを一瞥し、グレアムは互いの視線の逸れた後に一言だけを告げた。


「リンディ、君も少しだけ勇気を出しても良いかも知れんぞ」


 リンディは何も答えずに扉を閉める。グレアムは深々と溜息を吐いて、我ながら嫌な老人だと笑ったのだった。







「なのは、元気出してよ」

「うん、でも……」


 落ち込んだ気分で”アースラ”から帰った後、フェイトやクロエとは話せずじまいで三日が経過した。ある程度お互いの気持ちが落ち着いた段階で改めてリンディが連絡をくれるらしい。その場で今後の相談を含めて、何かしらの話の機会を設けてくれるそうだが、正直なところなのはは何を話すべきか分からなくなってしまったのだ。何時になるか分からないその時を待つのに、なのははじっとしているのも落ち着かず、こうして公園で魔法の練習を続けているものの実は入らない。ついに見かねたのか、そんななのはにユーノは少しだけ迷った後に声を掛けていた。クロノには甘やかすなと言うようなことを言われたが、これ以上はとても見てはいられなかったのだ。


「なのはが全部間違ってたわけじゃないんだ。ただ、上手く伝わらなかったんだと思う」

「……クロエさん、泣いてたね」


 なのははあの時のクロエの涙を思い出す。彼女はとても悔しそうで、そして、憎いものを見る様な眼でなのはを睨んでいた。全力全開でぶつかっても、何一つ変えられなかったのだ。ただ、力づくでクロエを撃墜して、それだけになってしまった。どうしてだろう。何度考えても分からなかった。
 なのはは落ち込んだ調子で魔法を唱えると、余り集中していない様子で練習を続ける。”正しい魔法”を見つけた積りだった。でも、それではクロエには何も伝えられなかったのだ。


「あの時クロノが言ってたよね、残酷だって」

「うん……」


 威力を絞り切れなかった砲撃魔法が草むらを薙いで突き抜けた。ユーノはその様子に今日何度目か数えるのも面倒になった溜息を吐いて、既に慣れた調子で防御魔法を唱えるとなのはの魔法の余波を散らす。結界の中とは言え、徒に自然破壊のような真似をする訳にも行かないだろう。


「僕はね、なのはに間違いがあったとすれば、クロエの事を頑張って無いって決めつけた事だと思う」

「でも、クロエさんは、あんなに凄い魔導師なのに――」

「そうだね、僕も彼女はまだやれたんじゃないかと思う。でも、彼女なりに頑張っていたのは間違いないんだろうね。そうじゃなきゃ、あんな悔しそうな眼をしないんじゃないかな」


 ユーノの言葉に、なのはは納得のいかない表情で俯いた。なのはからすると、そんなのは甘やかしているだけじゃないかと思うのだ。本当に頑張っていないのに、頑張ったつもりになってるのは何だか卑怯な気がする。ただ、これも子供っぽい考えなのかも知れない。クロエは泣いていて、クロノは怒っていた。リンディやユーノはこうして慰めてくれる。フェイトやアルフは何も言ってくれなかったけれど、なのはに賛同しているようではなかった。良く分からない。


「わたしは子供なのかな?」


 随分前にアルフにそんなことを言われた気がする。何も苦労を知らずに生きてきた自分の言葉は、誰にも届かないのだろうか。


「それは……なのはの言うように、少しずつでいいんだと思う」

「えっ?」


 予期しないユーノの回答に、またなのはの魔法の照準がずれた。今度は別の草むらを駆け抜けて、やはりユーノの防御魔法に阻まれる。ユーノはそれに一瞬だけ奇妙な感触を覚えるも、気のせいと無視することにした。20個あった”ジュエルシード”は全て管理局に回収されてしまったのだ。21個目なんてある訳がない。そんなことよりと頭を切り替えてユーノは途切れていた言葉を続ける。


「今日無理でも明日、明日無理でも明後日。なのはの言葉だよ。僕は素敵だと思う。頑張ること自体は間違いじゃないんだ。そのなのはが諦めるの?」

「あ……」

「あの時の――三日前のなのはより、今のなのはは少し大人になったと思う。本当に頑張るなのはを誰も笑ったりしないよ。僕が言うのも変だけど、子供でいいじゃないか。だって子供なんだから」

「ユーノくん」

「それにね、本当の”正しい魔法”なんてすぐに見つけられる訳がない。だから、ゆっくりでいいんだ。ちょっと焦り過ぎたかも知れないね」

「うん、そうかも知れない」


 確かにそうだ。そんなに簡単な事なら、世界はとうにもっと素敵になっている筈なのだ。誰もが探していて、それでも見つからない本当の魔法。それは絶対にあると信じられるけれど、見つけ出すのは何よりも難しいのかも知れない。なのはは漸くユーノの言っていた事を理解した気がした。多分、本当に簡単なことなのだ。でも、見つけ出すのはこんなにも難しい。見つけたと思った傍から手の中をすり抜けていく。


「いつか、フェイトちゃんともクロエさんともお友達になれるかな?」

「きっと大丈夫。だってなのは、諦めてないんでしょう?」

「うん!」


 それはもうどうしようもなく難しいのかも知れない。でも、だからって諦めてなんかやらない。絶対に見つけ出して、ほら、やっぱり簡単な事だって笑ってやるのだ。今度こそは一方的にではなくて、一緒に。いつか、本当に誰もが笑える魔法を見つけ出す。残酷でない、優しい魔法を。






 紆余曲折の末にわたしは三日ぶりに部屋に戻ることになった。マリィ先生たちが帰った後、わたしは母さんと兄さんにこの世界に来てからの行動を逐一説明させられ、最終的に難しい顔をした母さんに謹慎を命じられてしまったのだ。その話を通じて改めて確認したのだけれど、やっぱり何故かわたしは特別調査官に登録されていた上に管理局を辞めていなかったらしい。どうしてそういう事になっていたのかはよく分からない。ただ、結果的にフェイトとアルフを騙していた事になってしまったことは残念だった。わたしは嘘を吐くのは好きじゃない。それを知ってアルフは何か不満そうでフェイトも少し複雑な顔をしていたけれど、プレシアが管理局との取引に応じたと言う事もあって何とか納得して貰えたと思う。母さんが提督だったと言うことや、マリィ先生たちとの関係にはフェイトは難しい顔をして考え込んだまま何も言ってはくれなかったのだけれど。アルフには、あの上司にしてこの部下ありって奴か、とよく分からないことを言われてしまった。マリィ先生たちとわたしは全然似ていないと思う。

 それから三日経って、今はフェイトは病気を患っていたらしいプレシアの見舞いに母さんに連れられてクラナガンの医療施設に、アルフはその付き添い、兄さんは本局に報告に行ってしまったので、何故か嫌われているらしいエイミィを気遣ってと言う理由で、わたしは”アースラ”には滞在しなくてもいい事になってしまった。いずれにしてもなのはの出入りする可能性のある”アースラ”には居たくなかったので、それはわたしとしても有り難かったのだけれど。


「えと、か、鍵は――」


 部屋の前まで到着し、わたしはスカートのポケットから鍵を取り出そうとする。しかし、微妙に生地に引っ掛かってしまったのか中々取り出せない。無理に引っ張ると洋服を傷つけて仕舞いかねないので一旦手を離すと、それからそっと手で包み込むように鍵を掴んだ。今度は上手く行きそう。そう考えてわたしが鍵穴の方へ視線を向けると、扉の前に長く伸びた影が映っていた事に気が付いた。


「え、えっ!?」


 わたしは慌てて振り返ると鍵を持った方とは反対の指で胸元の”トイボックス”を握りしめる。最近こういう事が多い気がする。これほど近くまで気配が悟れないのは尋常の相手ではない。わたしは油断なく構えると逆光にぼやける影を睨み据えようとして――。


「お、お前、お、俺に向かってその態度は何だ?」

「あ……す、すいません。あの、お、おかえりなさい」


 三日ぶりの筈なのに酷く懐かしく感じる声にわたしの声も心なしか弾むのを抑え切れなかった。わたしは慌てて居住まいを整えると、彼に駆け寄って荷物を引き取る。今帰ったばかりなのか、かなりの大荷物はわたしには重い。片手で持つのは無理があるかも知れない。これだけの荷物を持ち歩くなんて彼には珍しい気がする。

(あれ? そ、そう言えば――)

 そこでふと違和感を覚えてわたしは首を捻った。これは変ではないだろうか。もう日は傾き始めたとは言え外は明るい。こんな光の中に彼がいるなんて見たことがないのだ。


「あ、あの、ど、どうして、部屋の外から?」


 そうなのだ。転移装置は部屋の中にも設置しているし、そもそも人嫌いの彼は決して外出しようとしなかった筈だ。確かに、この部屋以外にも転移装置は複数存在するらしいが、わざわざそちらを使う理由がよく分からない。不思議そうにするわたしに、彼は何故か顔を真っ赤にすると、わたしが取り出した鍵を奪い取りながら大声で怒鳴った。


「お、お前が、か、管理局に捕まったせいで、部屋の転移装置が止められたんだろ! こ、こっちはアクアリウムじゃなくて管理局の資産なんだ! な、なんで俺がわざわざ歩かないといけないんだ! に、荷物は重いし、最低だ」

「も、申し訳ありません」


 わたしの謝罪を聞く風でもなく、疲れかそれ以外の理由かで汗に塗れた彼は、何か後ろめたい事があるような素早さで部屋の中に滑り込む。わたしはそれを追い掛けようとして、丁度閉まった扉にたたらを踏んだ。両手が塞がってしまっては開けられない。わたしは重たい荷物を一旦下ろしてから、体で支えるようにしながら扉を開けて後に続く。すぐさまソファーに座った彼の前に荷物を置いて、空気清浄機のスイッチを入れる。彼は汚れた空気も大嫌いなのだ。それから、わたしはお茶の準備を始める。彼の希望を聞くと、今日は薄めに淹れたコーヒーがいいらしい。彼はキッチンへ向かうわたしの背中を眺め回したかと思うと、直ぐに興味をなくしたように荷物を漁り始めた。

(そ、そう言えば、今日、でした)

 自然と笑みが漏れる。彼は約束の日にちゃんと帰って来てくれた。管理局に捕まった事も知っていたから、アクアリウムを通して事情はある程度知っているのかも知れない。お湯を沸かしながらそんな事を考えていると、わたしはある事に気がついて彼に声をかける。


「あ、あの、あなたは、わたしが管理局員だって、知ってたんですか?」

「はぁ? 何が言いたいのか意味が分からないんだが。お、お前、最初に会った時から管理局員だっただろ」

「え、あの、えと、そ、そう、ですね」


 これでもう確定的だろう。彼までがこう言うと言う事は、やはりわたしは管理局を辞めていなかったのだ。考えてみれば、辞表のようなものを出した事はなかったし、何か手続きをした訳でもない。ただ、一年もの間、勘違いしていた事実に納得がいかない不思議な気分になる。でも、ヴァネッサに不適格と言われたのは間違いじゃない。だというのに特別調査官にはなれていたらしい。それは何か変な気がする。何か記憶違いをしていたのだろうか。考えごとに没頭するうちにコーヒーが出来た。わたしはそれをリビングへ運ぼうとして、彼の叫び声に肩をびくつかせ、その拍子にトレイを落としてしまった。


「きゃっ、あ、あつ、あつい――えっ?」


 物凄く熱い。淹れ立てのコーヒーが両手に降りかかって服の袖に染み込んでしまっている。ひりひりする感触に涙目になりながら洗面台へ向かおうとすると、それを遮るようにして何故か興奮した様子の彼に肩を掴まれた。わたしはびっくりして悲鳴を上げる。いや、嫌な訳ではない。彼の行動自体は別にそれはいい。彼が望むなら、わたしは何も拒まない。ただ、早く冷たい水で熱いコーヒーを被った腕を洗い流したいのだ。


「え、あ、す、すみませんがやけどを――」

「お、おい、”災厄の種”をどうした!? か、鞄に入ってないぞ!」

「え、えっ!?」


 彼の叫んだ内容の突拍子の無さに、わたしは熱さも忘れて飛び上がっていた。放り出すようにトレイを床において矢継ぎ早に捲くし立てる彼に向き直る。意味が分からない。全ての”災厄の種”はなのはとフェイトによって回収され、管理局を通じてプレシアに提供されたのだ。一体どうして彼が”災厄の種”を持って――そう言えば、”災厄の種”について説明する時に彼の持っていた一つを見せられたような気がする。それは多分アクアリウムの所蔵品なのだから、今回のプレシアとの取引とは関係がなかったのかも知れない。


「え、でも、わ、わたし何も知りません」

「な、なら、途中で落としたのか? そうか、あの、公園の草むらだな」


 どうやら余り便利な場所に出られなかったようだ。当然、結界の使えない彼には人目につかない場所に転移するしかなかったのだろうけれど。詳しく話を聞くと、草の生い茂った場所を通った際に何度か荷物を引っ掛けて落としたことがあったらしい。その時に”災厄の種”を転がしてしまったのではと言うのが彼の推測だ。


「全く、あんな所に転移するから――お、お前のせいだぞ。は、早く探して来い!!

「あ、え、でも、わ、わたし、謹慎中で……」


 彼の頼みは聞いてあげたい。でも、謹慎中の身で動くのは”アースラ”と言うか、母さんや兄さんは認めないだろう。わたしの行動の何が気に入らなかったかは知らないけれど、兄さんには絶対に何もするなと強く念を押されている。それどころか”アースラ”に拘留しようとして来たのを母さんのとりなしで何とか自由の身を確保出来たのだ。ここで動くのはマリィ先生たちにも迷惑が掛かるかも知れない。物凄く不本意だけれど、”アースラ”に連絡してなのはに動いてもらうのが妥当だろう。


「あ、あの、”アースラ”に連絡して他の魔導師に動いてもらうので――」

「か、管理局は駄目だって、言ってるだろ! お、俺の命令が聞けないのか? 管理局なんて関係ないだろ!?」


 掴まれた肩を強く握りしめられ、尚も加熱する彼の言葉にわたしは小さく目を見開いて痛みに呻き声を上げながらも頷いた。今更に大切なことを思い出したのだ。そう言えばそうだ。元々わたしが”災厄の種”を集めようと思ったのは彼の命令なのだ。マリィ先生やヴァネッサとは関係がない。マリィ先生たちの作戦はもう終了した。でも、彼の計画には何も貢献出来ていない。わたしは結局一つも彼に集めてあげられなかったのだから、せめて最後の一つを守らないといけないのだ。


「わ、わかりました。す、すぐに出かけます。で、でも」

「で、でもじゃないだろ!」

「でも、や、やっぱり腕が熱いので洗わせて下さい」

「はぁ!?」


 彼の気が反れた瞬間にわたしは洗面台に駆け出した。時間が経ったのでものすごく熱い。そもそも、白い洋服がコーヒーで琥珀色に染まってしまっている。まずはシャワーを浴びて、着替えてから出掛けよう。彼の落し物である”災厄の種”は既に封印がされているものだ。強い魔力ダメージでも与えない限りは活性化しないし、魔法文明のないこの世界でそうしたことが起こる確率は極めて低い。楽観視までは出来ないにしても、それほど焦る必要もないだろう。


「お、お前は――は、早くしろよ!」

「は、はいっ」


 急かす彼の言葉に、わたしは薄っすらと笑んで返した。何だかこれで日常が戻った気がする。さあ、最後のやり直しをしよう。





 そろそろ声の届く距離かも知れない。いざとなると見知らぬ人に声を掛けることに躊躇してしまい、はやては車椅子を止める。それから二度三度と深呼吸をして、強く頷いてからもう一度車輪に手を掛けた。


「あの、どうかしました――きゃっ」


 今日は体調も良いし、相変らず暇だ。怖い人でもないようだし、とはやてが勇気を出して声を掛けた瞬間、突然背後から飛び出してきた猫に進路を阻まれる。はやては顔を青くして咄嗟にブレーキを掛けた。車椅子とは言え猫を轢いては無事には済むまい。まだ勢いのついていない段階だったことも幸いして何とか踏みとどまると、はやては安堵の息を吐くと同時に額の汗を拭った。


「猫さんかあ。急に飛び出して来たら危ないよぉ? 轢いてしまうかと思ったわ」


 とにかく無事でよかった。気を取り直してはやてが再び進みだそうとすると、今度はもう一匹の猫が飛び出してはやての膝の上に転がった。流石に想定しない事態に、はやては目を白黒させて進むのをやめる。はやてと目が合うと膝の上の猫は人懐っこく鳴き声を上げ、その声に反応してかもう一匹の猫までその隣に飛び乗ってきた。


「ちょ、ちょっと待って、猫さん。それは定員オーバーや」


 体の小さな猫といっても、子供のはやての膝の上に二匹は無理がある。はやては引き剥がすのも躊躇われて、やんわりと撫で付けるように促す。猫たちははやての意図を察したのかそれ以上の悪戯をするでもなくさっと膝から飛び降りていた。随分と頭の良い猫のようだ。それに、触れた感触からも相当に手入れが行き届いているのが分かる。何処かの飼い猫なのかも知れないとはやては思った。それにしては首輪などは見当たらなかったが。


「さてと、それじゃ気を取り直して――って、何や? え? ちょっと!?」


 漸く落ち着いたかと三度目の正直に進み出そうとしたはやてに、何故か猫の一方がいらついた様な鳴き声を上げた。かと思うと、車椅子の背後に提げていた鞄に潜り込んで何かを奪い取ってしまう。もう一方の猫が何か溜息を吐くような仕種をしたのは気のせいだろうか。いや、そんな事はどうでも良い。よく見ればあれははやての財布のようだ。この後に買い物に行こうとしていたのに、それが無ければとても困る。


「猫さん、それ返してくれへん?」


 しかし猫のすることとはやては優しく声を掛けた。頭の良い猫のようだし、言って聞かせれば分かるかも知れないのだ。しかし、猫たちはお互いに顔を見合わせたかと思うと頷きあうようにも見える仕種をして、その人間めいた仕種に目を丸くするはやてを尻目に猛然と駆け出した。


「えーっ!? 待って、待って! あかんて! 待って!!」


 何だろうかこれは。よく分からないが、猫たちははやてが追いつけないこともない微妙な間隔で立ち止まったり走ったりを繰り返し、漸く公園を抜け出したところであっさりと財布を置いて逃げ去ってしまった。何か狐にでも化かされたような気分になる。まあ、猫なのだが。


「あー、よう分からんけど、不思議なこともあるんやなあ」


 そう言えば、結局何かを探していた少女には声を掛けることが出来なかった。気にはなるものの、戻ってどうするほどの事でもない。ここは一つ猫の導きとでも思って素直に立ち去るとしよう。はやては久し振りに心から微笑むと、何か得をした気分になって財布を拾い上げたのだった。



[20063] Act.21
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/07/30 23:59
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Act.21 Magick of justice(4)
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 もうじき日も暮れる。なのはの気持ちも大分切り替えられたのか、続きの練習は久し振りに有意義にこなす事が出来たようだ。集中したなのはは本当に凄いとユーノは思う。天才だと誰かは妬みに思うかも知れないけれど、天才が天才たる為に必要な努力を出来るなのはは矢張りユーノには眩しく見える。力に奢らず、溺れず、時より迷いながら、それでも真っ直ぐに進もうとするなのははとても格好良い。

 ユーノが見たところ、なのはの砲撃魔導師としての能力は管理局でも充分に一線級に入るように思えた。間違っても魔法を知って一ヶ月と少しの女の子の操る魔法ではないことは確かだ。なのははまだ不十分と考えているようだが、これはとんでもない事なのだ。なのはが比較対象にしていると思われるクロエはユーノがかつて見たことが無いほどの異常な魔法を使いこなす化け物染みた魔導師だ。同じく恐るべき魔導師であるヴァネッサと較べてさえ、彼女の攻撃魔法の精緻さと精密さは群を抜いている。或いは嘗て記録映像で見た大魔導師と呼ばれる領域の魔法にも迫るのではと思えたのだ。確かに、それと較べてはなのはの魔法はまだ荒削りも良いところだろう。


「競争する相手が間違ってる気がする。フェイトの方が多分、なのはには丁度良い目標になったと思うけど」

「ん? フェイトちゃんもわたしの目標だよ」


 不思議そうに返すなのはにユーノは苦笑して肩を竦めた。ある意味で正当な魔導師であるフェイトと異常の塊であるクロエの違いを認識出来ないのは、それこそ彼女の才能と言えるかも知れない。そう言う意味では、ユーノにはきっと越えることの出来ない壁があるのだと納得せざるを得なかった。なのはにしてみれば、本当に些細な違いでしかないのかも知れない。


「さて、なのは。もう良い時間だし、そろそろ引き上げよう?」


 考えてみればなのはは学校から帰ってかれこれ四時間近くも練習を続けている。如何に膨大な魔力量を誇る彼女であっても無理は禁物だ、とユーノは丁度区切りのついた時点で引き上げることを提案した。なのははそれに元気よく答えると、ユーノに断ってからかなり本気の砲撃魔法の詠唱を始めた。全力全開とは言わないまでも、最後に気持ちよく発散したいらしい。余り普通の女の子の発想ではないなと思いつつ、ユーノはその様子に頬を引き攣らせて受諾すると、すぐさま被害を内部に止めるような結界魔法の準備をする。直接の防御魔法では耐え切れないだろうことは確実であるし、彼女も色々と溜まっていたことだろうから珠にはこう言うのも良いだろう。


「それじゃ、行くよ、”レイジングハート”!」

【All, right, Master.】


 練習疲れがあるとは言え、なのはの膨大な魔力量にはまだ余裕がある。眼前の草むらの一帯を吹き飛ばすくらいの積りで魔力を蓄積させて、なのはは景気よく手加減抜きの砲撃魔法の詠唱を続ける。ユーノは愈々と構えて攻撃対象の草むらを睨み据えた。

(ん? 何だ……えっ?)

 眼を凝らすと生い茂った草むらにバッタが跳ねるのが見えた。これは良い。運が悪ければなのはの砲撃に吹き飛ばされてしまいかねないが、流石のユーノとてそこまで博愛主義者ではない。せめてもの非殺傷設定に一寸の虫が耐え切れることを祈りつつ、ユーノは何となしにその動きを眺めて――行き着いた先に反射する在り得ない光に心臓の止まる思いで静止の叫び声を上げた。


「まさか! ”ジュエルシード”!? 何でここに……いや、な、なのは、ちょっと待っ――」

「ディバィン! え?」


 それに気が付いたなのはが一瞬意識を逸らすも魔法を止めるには一歩間に合わず、彼女の砲撃魔法はそのまま放出された。


【Buster!】

「う、うわああああああああああああああああああああっ!」


 砲撃は最悪のコースを辿り、狙ったように蒼い輝きを放つ宝石に突き刺さる。その強力な魔力ダメージが封印をあっという間もなく崩壊させると、なのはの練習魔法の結果として周囲に散った魔素を取り込んで暴走を始めた。魔力圧に耐え切れず、集中の途切れたユーノの結界が破壊される。


「にゃっ? な、なに? 何なの?」

「なのは! ”ジュエルシード”だ! 何故かは分からないけど、もう一つ残ってたんだ!!」

「ええっ? そんな――きゃあああああああっ」


 砲撃を放った体勢のまま固まり、混乱に対処の遅れたなのはの脇を猛然と何かが駆け抜けた。







「むぅ、な、ないですねぇ」


 わたしは掻き分けて覗き込んでいた草むらから一旦頭を上げ、腕を組んで呻いていた。汚れても良い格好と言うことで、珍しく履いて来たジーンズは既に草やら何やらに塗れてしまったけれど、探し物は一向に見つかる気配がなかった。彼からはかなり曖昧な場所の指示しか受けることが出来ず、より詳細に聞こうとして怒った彼に怒鳴られながら部屋を飛び出した経緯もあって、ただ闇雲に探している所為でもあるとは思う。気が付けばもう日も暮れようとして、空はすっかり茜色に染まり鴉が物寂しく鳴き声を上げるのが聞こえた。とは言え、鴉が鳴くから帰ろうと言うわけにも行かない。


「で、でも、闇雲に探しても見つからないし」


 こう言う時に簡単な探索魔法も使えないというのが物凄く痛い。恐らく、例えば兄さんなら三分と掛からずに”災厄の種”を回収してしまえたのではないだろうか。フェイトにしても、なのはにしても似たようなことは出来てしまうに違いない。へっぽこなわたしにはそう言う器用なことは出来ないので何か別の方法を検討する必要がありそうだ。

 わたしは考えられるプランを幾つか脳裏に列挙しようとして、どれもリスクが高すぎることに気が付いて溜息を吐いた。一つは管理局に頼る方法。母さんや兄さん、フェイトやアルフという主力級の戦力が不在と言っても探索に限ってはエイミィと”アースラ”ならば十二分に事足りる。万が一”災厄の種”が暴走したとしても、なのはと言う理不尽な力を擁している以上はそれほど問題にもならないだろう。もし協力するのなら、能力と言った点で管理局――”アースラ”は非常に頼りになると結論せざるを得ない。ただし、このプランは前提条件からして却下。今回の探索は彼の為にするのであって、管理局に借りを作って折角回収した”災厄の種”を取り上げられては本末転倒も良いところなのだ。これでは駄目だ。では別のプランはどうか。

 もう一つのプランは、強制的に”災厄の種”を活性化させてしまう方法だ。わたしはフェイトのようにスマートには出来ないとしても、草むらと言う範囲が分かっているなら力任せに魔力ダメージを叩き込むくらいのことは出来る。そうして”災厄の種”が活性化したならわたしでも位置を特定することが出来るので、探索魔法の変わりにはなると思う。ただ、この方法も致命的な問題が解決出来ないので却下となるだろう。そもそも、今回の一連の事件でわたしが一つの”災厄の種”も集められなかった根本的な原因は、封印術式を行使出来なかった事にある。そのわたしがわざわざ”災厄の種”を活性化させるなど愚の骨頂と言わざるを得ない。


「え、あ、えと、こ、これって、て、手詰まりかも?」


 大体の場所さえ分かっていれば簡単と安請け合いしたものの、考えてみれば宝石大の物品をこの広い公園の草むらから見つけ出すこと自体が難しい。加えて、”災厄の種”回収の方法については結局何一つ対策を考え切れなかったのだから、今更そう簡単に事が運ぶ訳が無かったのだ。彼の望みを叶えてあげたい気持ちが先行しすぎて、少し視野が狭くなっていたかも知れない。とは言え、余りぐずぐずしていても”アースラ”が異変に気が付いてしまう可能性もない訳ではないだろう。フェイトが帰ってきてくれれば状況は改善するのだけれど、それは母さんの帰還をも意味するので余り意味がない。そうなると、気は進まないが選択肢は一つしか残らなくなる。


「な、なのは、ですか」


 そうなのだ。考えてみればなのはは別に管理局員ではない。近い将来はどうなるかは分からないにしても、今の所は只の民間人の筈なので、管理局以外で協力者を選定するならば彼女に声を掛けるのが合理的と言える。能力的にも申し分ないだろう。問題は、わたしが余り彼女の言葉を聞きたくないと言うことだ。悪魔の言葉はもう聞きたくないのだ。ただ、背に腹は代えられない気持ちもある。彼の”災厄の種”は取り戻してあげたいし、何より、何時までもなのはから逃げ回っていても仕方がない。怖くても辛くても、いつかは乗り越えなければならないと思う。そうやって怖がっている間は、わたしは悪魔の存在に負けを認めてしまっているのだから。

 わたしは顎に手を掛けて暫く思い悩んだ。堂々巡りの思考が肯定と否定を繰り返す。しかし、本当はもう結論が出てしまっているのだ。わたしの感情で彼の望みを妨げるわけには行かない。だとすれば、後はわたしが勇気を出すだけだ。わたしは気が付けば胸元の空き瓶型のペンダント――”トイボックス”を強く握り締めていた。彼にはじめて貰った唯一の贈り物はいつでもわたしに後一歩を踏み出させてくれる。

(う、うん、きっと大丈夫、だよね)

 何が、と言うことは良く分からない。この不安に正体も根拠も無いのだから。ただ悪魔に恐怖しているだけで、冷静に考えればなのはに協力を要請することはとても合理的な判断なのだ。彼女はもしかするとまた何か訳の分からない理屈でわたしを責めるかも知れなかったけれど、そんなものは適当に聞き流してしまえば良い。それだけでわたしは戦える。何も恐れることはない。


「よ、よし、じゃあ、なのはを――っ、これは? きゃああああああっ」


 決意した瞬間、突然視界が開かれた。公園の大きさが急に伸張する。わたしは一瞬わたしの居場所を見失って眩暈を起こす。いや、そうではない。実際に伸張した訳ではない。最初からこうだった筈だ。これは認識と時空を歪める高度な結界術式の一つ。結界が正式な手順を飛ばして強制的に解除された為に、丁度傍にいたわたしの認識と周囲の空間の歪みが突然戻り、この非現実的な感覚が直撃してしまったのだろう。随分乱暴なことをする。ここまで来ては一種の精神攻撃だと憤りを覚えながら、わたしは体に身に付いた無意識の所作でデバイスをセットアップしてバリアジャケットを展開する。そのまま飛行魔法で視界の開ける場所まで移動したと同時――何か黒い雲のようなものがざあっと脇を通り抜けた。


「な、なんですか、これ?」

「クロエさん!?」


 驚愕に振り返ると、バリアジャケットを展開したなのはがわたしの傍に駆け寄ってくる。今日は人間の姿らしいユーノも一緒のようだ。ある意味で丁度良かったと言えるが、一体何が起ったと言うのか。考えてみればあれほどの結界を構成出来るとすれば、現状のこの世界ではなのはかユーノしか在り得ないので不思議と言うほどでもなかったかも知れないけれど。とは言え、尋常の事態でない事は確かなのだろう。首を傾げて不思議そうにするわたしに、なのはは何故か泣きそうになりながら捲し立てて来た。


「あの、わたし、魔法の練習をしてて、それで、”ジュエルシード”を撃ち抜いちゃって、でも、どうして”ジュエルシード”が――よく分かんないけど大変なことになっちゃったの!」

「その、つまり、”ジュエルシード”がもう一つ残ってたらしくて、誤って励起させちゃったんだよ。本当にまずい状態なんだ。こんな時にクロノ達はいないし――クロエ、虫のいい話なのは分かるけど、どうか回収を手伝って欲しい」


 混乱するなのはの要領を得ない説明をユーノが補足してくれた。わたしはそれに小さく眉を顰めて呻き声を上げる。何か納得が行かない。なし崩し的になのはと協力関係を結べそうなこと自体は構わないのだけれど、結局は活性化してしまったと言うならわたしは何を悩んでいたのかと思ってしまう。こんなことなら最初から無理やり活性化させて、なのはに協力を強制しても良かったかも知れない。それに、何か怪しい気がするのだ。


「あ、あの、協力するのは構いません」

「ほ、本当?」


 何故か物凄く嬉しそうに返事をするなのはの言葉には答えず、わたしは軽く咳払いしてから引っ掛かっていた疑問を呈した。


「ま、まさかとは思いますが、わ、わざとじゃないですよね?」

「にゃっ? 何のこと?」

「ま、まさか、わたしが気に入らないからって、わたしの探していた”災厄の種”を――」

「違うよ! そんなわけない! わたし、そんなひどいことはしない!!」


 わたしが眼を細めて問うと、なのはは大げさに首を振ってそれを否定する。嘘を言っているようには見えない。確かに、嫌がらせにしてはあからさま過ぎるし、”正しい魔法”とやらが大好きらしいなのはがこんなことをするとも思えなかった。けれど、これも悪魔なのだ。悪魔は希望を嘯いて奇跡を顕現させる。そして、同時に、奇跡を齎すに足る悲劇さえも連れて来る。この状況は余りに上手く出来すぎている気がしてならないのだ。


「クロエ、それは言い掛かりだ。第一、僕達は”ジュエルシード”がまだ残ってるなんて知らなかった。それに、君がそれを探していたなんて初耳だよ」

「そ、そう、ですか」


 見かねて口を挟んできたユーノの言葉に、わたしは一応は納得して頷いた。確かに、わたしでさえ彼の”災厄の種”が残っていたことに気付いたのはつい先頃の話しだし、それが公園の草むらに落ちていることを知ったのも彼の口から聞いてのことだ。だとすれば、意図的に舞台は整えられたのではない。意図的ではないのだけれども、舞台は整えられたのだ。それが何か腑に落ちない。偶然だとは思う。悪魔の存在を怯えるあまりに疑心暗鬼に陥っているのかも知れない。


「クロエさん! お話は後でしよう。今はあれを追いかけないと!」

「え、あ、はい。そ、そうですね……」


 なのはの言葉にわたしは一先ず意識を切り替える。いずれにせよ、活性化してしまった以上は”災厄の種”を沈静化させる必要がある。先ほどわたしの脇を駆け抜けて言った何かが、”災厄の種”の暴走体なのだろう。咄嗟のことで正体は良く分からなかったけれど。その疑問には苦渋に満ちた表情のユーノが答えてくれた。


「あの、そ、そう言えば、あれって、何だったんですか? く、黒い雲のような――」

「飛蝗だ。万単位の凶暴化した蝗の群だよ」






 茜色の空を覆う黒い雲は耳障りに喚き立てながらゆっくりと街を進む。時折、散発的に桜色の砲撃に散らされるも間もなく集って何事もない。それでも幾らかは落とされてはいるようだが、減らされた分はすぐに増殖するようにも見えた。これは予想以上に厄介な相手らしい。実体がない訳ではないが群体であり、あれ程膨大な数では特異点を見出すのも難い。いや、もしかするとそうしたものはなく、総体として一つの存在をなしている可能性もある。そう仮定するならば、倒す為には一撃で広範囲にダメージを与えるほかないのかも知れない。


「う、うーん、ら、埒が明かないですね」


 なのはと協力体制を敷くことにしたものの、何か具体的な方策がある訳も無くわたしたちは散開して取り敢えずの対処を始めていた。なのはは上空を漂う本体の相手を、わたしは街中に降下した小さな群れを相手取ることとなる。とは言え、なのはの様子を見るようにどうにも上手くは行っていないようだ。わたしの方も似たようなものだけれど。通常の攻撃魔法では一旦雲が散るだけで有効打にはなりえない。フェイトと最初に協力した時の巨大鳥とは違う意味で攻撃がまるで当たらないのだ。しかも、状況的にはあの時よりも厄介かも知れない。何と言っても、あの雲は何かを積極的に狙っている様子が無いのだ。いや、正確に言えばわたしやなのはには襲い掛かってくるのだけれど、例えば人間を捕食するとかそう言う性質もないようなので囮を使うのも難しそうだ。雲はそこら中を無秩序に荒らし回っている。何か法則性があるように見えてわたしには分からない。有機物も無機物も、ただ通り過ぎた先を喰らい尽くして回るだけのようだ。

 雲の正体は裕に百万は超えようかと言う膨大な飛蝗の群れである。群生相をなし、行く先々を喰らい尽す様は所謂蝗害という状態なのであろうが、”災厄の種”によって肉食化、凶暴化したそれらの被害は尋常のものとはまるで様相を異にする。ユーノの結界によって辛うじて閉じ込めには成功しているようだが、それでも広範囲に渡る結界内に取り残された数百の人間はいずれは蝗に集られては貪り喰らわれるだろう。


「――吹き荒べ、退廃の風」

【Heat Storm】


 わたしは超高熱の波動を照射し、不運にも蝗に集られて悲鳴を上げる女子学生ごと焼却する。広範囲照射モードにして一応は威力を抑えたので運が良ければ死なずに済むだろう。案の定、何とか生き延びたらしい女学生は血塗れになりながらずりずりと身を引きずって逃げようとしていた。途中で力尽きたのか、それ以上動かなくなってしまったけれど。わたしは取り敢えずそれを蒸発させて処分する。


「で、でも、どうしよう?」


 先ほどの方法で蝗の群れはそれなりに減らせたけれど、全体からすると大した量でもない。この方法を繰り返していても焼け石に水と言うもので、根本的な駆除には至らないだろう。幸い、個々の蝗の耐久性自体は大したことはない。それ程強力な攻撃魔法でなくとも容易に殺傷する事が出来るのは未だしもの救いと言える。そうであれば対処法がない訳ではない。例えばフェイトと一緒に海中の”災厄の種”を一斉封印する際に使用した広域殲滅魔法”ミニチュアコロナ”を上手く制御すれば結界内の全範囲の蝗を文字通り消滅させる事も出来るだろう。ただ、この魔法は絶対に使用禁止と兄さんに強く止められてしまった。愈々となれば仕方ないとしても、一応は最後の手段に取っておくのがいいかも知れない。いずれにしても蝗にはオーバーキルだ。


【Cracker Bomb】


 襲い掛かって来た蝗を超高密圧縮魔力球を炸裂させて吹き飛ばすと、わたしは飛行魔法で空へ昇った。無意味な砲撃を繰り返していたなのはがわたしの様子に気が付いたのか近づいてくる。彼女の方も手詰まり感を覚えつつあるらしい。


「クロエさん! どうしよう、このままじゃきりがないよ」


 攻撃しても当たらない。いや、当たってはいるが効果が無い。一部だけを倒してもすぐに補充される。倒すには全体を一度にまとめて魔力ダメージを与えるしかないが、蝗の群れは街中に広がろうかと言うほどでそれも難しい。例外は広域殲滅魔法なのだが、それも禁じ手とされてしまった。この状況はやはり難しい。ユーノも同じ考えに至ったのか、なのはを防御魔法でサポートしながら難しい顔をして考え込んでいた。


「クロエさんは、何か良い魔法は使えないの? ほら、この前に海でフェイトちゃんと使った凄い魔法とか」

「なのは、幾らなんでもあの魔法は街中では使えないよ!」

「そ、そっか。そうだね。でも、他に何か別の魔法とか」

「い、いえ、これだけの範囲となるとあの魔法しかないです」

「でも、どうしよう。わたしは一度にたくさん攻撃する魔法は使えないし。早く何とかしないと、このままじゃ、わたしのせいで――」


 わたしはまだ何かを言い募るなのはから意識を逸らし、蝗達の様子を観察する。よく見れば無秩序に荒らし回っているのではなく、何かを求めて行動しているようにも見えた。ただ、気のせいと呼べる程度の僅かな違和感に過ぎない。また誰かに襲いかかろうとした雲をなのはの砲撃魔法が薙いで消し飛ばす。まるで飛んで火にいる夏の虫のように、砲撃魔法に虫たちが飛び込んでいく。とは言え、矢張り大勢には影響が無い。減ったそばから補充され、黒い雲が再び立ち上った。一体何処から魔力が供給されているのかは疑問ではある。”災厄の種”がそれほど非常識なロストロギアなのだと言っても、無限に再生するのは幾らなんでも理不尽に思う。


「そうか、魔力だ! この蝗達は人間を狙ってるんじゃない、魔力と、魔力を持った生き物を中心に襲ってるんだ!」

「えっ? どう言う事なの、ユーノくん?」


 そこで急に大声を上げたユーのの言葉に、わたしははっとして彼を振り返った。それから得心が行って小さく頷く。そう言えばそうかも知れない。結界内にはこれ程の餌がある筈なのに、積極的に狙われたのはわたしとなのは、それからユーノだけ。いや、正確に言うならば狙われていたのはわたしたちの魔法なのだ。さらに言えば、それは即ち魔力――あの蝗の群れは魔力を喰って力に代えてしまうのだ。確かにそう考えると無限再生のメカニズムも想像が出来る。魔力によって倒されると同時に魔力を喰らい、結果的には差し引きゼロで復活してしまう。これではわたしたちが消費する分だけと言うことだ。やはり相当に厄介な相手らしい。しかし、逆に考えればこれほど与しやすい相手もいない。そうなると話は簡単だ。わたしはなのはの方を向いて小さく笑う。


「な、なのは」

「え? なに? クロエさん」

「さ、作戦があります。な、なのはの協力が必要なのですが、構いませんか?」


 そう言えばついこの前にもフェイトに似たような提案をしたことを思い出す。あの後、紆余曲折を経てフェイトとは仲間になれたのだけれど、なのはとはどうだろうか。流石に悪魔と仲良くする想像は出来なかったが、何かうきうきとした気分になるのを抑えられない。


「うん、うん!」


 何故か嬉しそうにするなのはにわたしは怪訝そうに首を傾げつつ、”トイボックス”の先端に魔力を生成する。なのはの反応は良く分からないが、それは今はどうでも良い。この作戦は発想の逆転だ。郡体を倒せないなら、郡体で失くせば良いのだ。そうすれば、あの雲は脆弱なだけのただの蝗の塊に成り下がる。


「な、なのはに負担が掛かりますが――」

「いいよ。元々、これはわたしの責任だから。わたしに出来る事なら、何でもしたい」

「そ、そうですか」


 ならば話は早い。覚悟の出来ているらしいなのはに向けてわたしはバトンを構える。状況がまだ分からないのか、それを見てなのはは小首を傾げた。何かに気が付いたらしいユーノが駆け寄ろうとするももう遅い。


「で、では、せ、責任を取って下さい」

「なのはっ! 逃げて!!」

「えっ!?」


 わたしは驚愕するなのはの鳩尾にバトンを突き当て、そのまま振り回しつつ指向性を持たせた魔力爆発を発生させる。


【Cracker Bomb】

「きゃああああああああああああああっ」

「なのは!?」


 狙う先は蝗の群れの中心。吹き飛んだなのはは正確に雲を突き抜けて、固いアスファルトに叩きつけられる――寸前で、何とか防御魔法を構築したようだ。しかし、これ程の良質な餌はないらしく、霞のように広がっていた群れが見る間になのはに集り始めた。


「クロエっ、君は何て事を――」

「ご、合理的な判断です。そ、それに、なのはは責任を取ると言ってました」

「君は――くっ……なのは!」


 尚も言い募ろうとしたユーノはそこで言葉を切り、なのはの救出を優先したのか飛行魔法で飛び去った。ただし、集まる蝗の嵐に上手く近づけないでいるようだ。何時の間にユーノの姿も蝗に飲まれ、わたしが瞬きをする間に見えなくなってしまった。餌が増えたことで蝗たちの集まる速さが上がる。怪我の功名といっては何だけれど、これはこれで好都合かも知れない。


「じゅ、順調、ですね」


 そもそも、この中で最も餌に適切なのはなのはで間違いはない。飛蝗を満足させられそうな膨大な魔力を持ち、かつ、強力な防御魔法の使える彼女ならば命の危険に晒される事もない筈だ。数が多いのならば、広範囲に攻撃するか、或いは単純に固めてしまえばいい。わたしの作戦はかなり効果的であったらしく、既になのはを囲んだ蝗の雲は半径十数メートル内に密集し、砲撃魔法の一撃で撃ち抜くのに不都合はない程度に固定されていた。


「だ、大分、集まったかな?」


 気が付けば日も暮れていた。太陽は既に没し、薄闇の空に掛かる面長の月が皓々と蒼白い光を放っている。両の腕を広げると感じられる心地良い月の魔力の気配は妖気にも似て、何か懐かしい感覚を呼び起こさせる気がした。これならば問題はない。わたしは”トイボックス”に命じてバトンの先端部に三対六枚の光の翼――月光翼を展開させる。直ちに月の光を飲み込みだしたそれらは、りいんと甲高い声を上げて静かに震え始めた。これは妖精の声。月の魔力に狂った妖精が悪魔を討つ為の剣を鍛えているのだ。


「……好い月です、ね」


 わたしは空を眺め、うっそりと微笑んだのだった。



[20063] Act.22
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/08/03 01:14
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Act.22 Magick of justice(終)
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 バトンの先端に燈る光は白に近いペイルブルー。恰ももう一つの月がそこに顕現したようでとても綺麗。わたしの魔法は殆どが効率を重視した所為で純粋なミッドチルダの魔法とは大分様変わりしてしまっているけれど、この魔法だけは例外だった。純粋魔力砲撃を極限まで研ぎ澄ませようとしたこれこそは最も単純にして究極の魔法であり、わたしの切り札の一つでもある。この魔法らしい魔法は月の光を集めて放つ妖精の剣。季節や天候、時間帯に大きく左右される故に使いどころは難しいけれど、問答無用で魔力ダメージを叩き込む場合には非常に有効と言える。ついこの前はなのはの魔法に負けてしまったけれど、月の昇る夜である今はあの時とは比較にならない威力を搾り出せるだろう。


「い、一応、手加減はします」


 的である飛蝗の群れはなのはと言う極上の餌に誘われて球状に固められてしまったとは言え、実に半径二十メートルはあろうかと言う規模を誇る。ある程度収束力を落として撃ち放たなければ全体を飲み込むには至らないかも知れない。それに、特になのはを殺す必要性もないために非殺傷設定にはしてあるので命の危険性までは無いだろう。それでも、三日前のあの時よりも数倍程度の威力はあると予測出来た。まあ、なのはの防御力に期待をしよう。ユーノも中にいるらしいし、何れにせよ死にはしないと思う。


「――月光収束。圧縮精製」


 愈々集めきった月光がわたしの魔力に変換されて圧縮されていく。普段ならば極限まで精製過程を繰り返すところを、わたしは意識して処理を中断させる。これである程度まで拡散する砲撃を放つことが出来るだろう。


「穿て、皓月」


 わたしは発動ワードの直前に”トイボックス”を両手でしっかりと構えた。役目を果たした月光翼が収納され、余剰魔力は砲撃制御術式に変換される。


「――スプライトソード!」

【Sprite Sword】


 悪魔を駆逐する妖精の剣が、黒い雲を一瞬で呑んで切り裂いた。眩いばかりの膨大な蒼白い光が視界を灼いて、世界を皓々と照らし出す。溢れ出る強大な力に比して酷く静かに侵食を始める。本来よりも拡散した砲撃は蝗の全てを包み込んであっさりと消し飛ばした。尚も有り余る威力が結界をずたずたに引き裂いて破壊し尽くす。


「い、良い感じです」


 わたしは期待通りの威力に満足げに頷くと、最後の一押しとして残りの魔力を注ぎ込んで砲撃を止めた。近頃は大魔法を放つたびにケチが付いてばかりだったけれど、久々に誇れる成果が得られたらしい。取り敢えず作戦は成功だ。蝗の群れは最早欠片も残っていないし、”災厄の種”は丸裸にされて宙を虚しく漂っている。後は、なのはに封印をしてもらうだけ――そこまで考えて、あることに気が付いてわたしは顔を真っ青にして呟いていた。


「あ、あれ? な、なのはは?」


 いや、本当は気が付いている。考えるまでも無い。なのはを餌にして彼女ごとほぼ全力の収束型砲撃魔法を叩き込んだのだから、死にはしないでも無事ではないかも知れない。よく考えてみるとユーノも一緒に餌になってしまった。もしかすると、これはとてもまずい状況なのではないだろうか。


「え、あれ、えと、な、なのは……無事、ですか?」


 先ほどまで黒い雲のあった辺りに目を凝らすも、それらしい人影は見当たらない。まさかと思って視線を下にずらすと、バリアジャケットをボロボロにして蹲ったなのはとユーノの姿が見えた。わたしは慌ててそれに駆け寄って様子を確かめて、二人とも意識は無いものの命に別状は無さそうなことに安堵の溜息を漏らした。良かった。死んでいないなら起こして封印をして貰えば良い。わたしは目覚ましに良さそうな攻撃魔法を検討して――命を奪わない方法が無いことに気が付いて断念する。仕方がないので”トイボックス”で軽く叩いてみると、なのはは苦しげな呻き声を上げるだけだった。わたしが呼びかけても反応はない。その様子を見て無理に起こすのも可哀想に思えたけれど、今はそんな事を言っている場合でもない。”災厄の種”が何時暴走するとも限らないので、多少の乱暴は勘弁して貰おうとバトンを勢いよく振り上げた。


「ま、待て! ”ジュエルシード”は僕が封印する! 無茶をするな!!」

「? あ、に、兄さん?」


 そこで、酷く焦った様子で割り込んだ兄さんの声に、わたしは振り返ってバトンを下げた。余程急いだのか、いつもの余裕も無く荒い呼吸を繰り返す兄さんがわたしの方へデバイスの先端を向けている。流石に”アースラ”も無能ではない。状況を知って急遽兄さんを呼び戻したらしかった。とは言え、”災厄の種”の暴走騒ぎを抑えるには一足ほど遅かったのだけれど。いや、封印の出来る兄さんがこのタイミングで駆けつけたのは丁度良かったかも知れない。


「も、もう帰ってきたんですか」

「くっ――エイミィから知らせを受けて急いで駆けつけてみれば、また碌でもないことを……いや、とにかく封印が先だ。いいか、お前はこれ以上絶対に妙な真似は――」

「あ、ま、待って下さい」

「何だ?」

「えと、そ、その”災厄の種”はアクアリウムのものです」


 愚痴を溢しながら封印作業を始めようとする兄さんに、わたしは肝心なことを思い出して声を上げていた。そうなのだ。封印をして貰うのは有難いが、それを管理局に渡す訳にはいかない。それでは何のために管理局に連絡せず、思い切ってなのはと協力体制を結んだのかが分からなくなってしまう。


「アクアリウム? 何故……っ、そうか、それで――いや、どちらにしてもこれは渡せない。面倒な話は全て片付いた後だ」

「え、あ、で、でも……」

「でもじゃない。”ジュエルシード”の暴走はお前も望むところじゃないだろう? 話は、後だ」


 強い調子で告げて、兄さんはそれ以上わたしの話を聞く積りがないのか封印術式の詠唱を始めた。勿論、わたしも納得が出来た訳ではないけれど、”災厄の種”の封印を邪魔するような無謀なことは出来ない。わたしは渋々頷くと、何だか詰まらない気分になって近くのビルの屋上に腰を掛ける。結局は今日も上手く行かなかったらしい。

 わたしは兄さんの水色の魔力光を眺める。相変らず封印術式の構成にはわたしには理解出来なかった。なのはやフェイトと違ってインテリジェントデバイスの補助を受けない術式ならとも思ったけれど、その違いすら認識出来ないのではお話にもならないかも知れない。


「――ふう。よし、回収完了だ。エイミィ、被害状況の確認と対応を。それから、救護班の準備はどうだ? 命に別状はないようだが、なのはとユーノが強い魔力ダメージを受けて昏倒している。これは……特になのはの衰弱が酷いな。エイミィ、急いでくれ。先ほどはああいったが、下手をすれば何かしらの後遺症が残る可能性がある」


 封印を終えた兄さんが”アースラ”と交信してエイミィに事後処理を命じるのを聞きながして、わたしは退屈にほうと長い息を吐いた。とても面倒なことになってしまった。謹慎中に動いたと言うことで色々言われるかも知れないし、折角の彼の”災厄の種”は戻って来ないかも知れない。そう言えば、もうすぐ夕食の時間なのにまだ買い物にも行っていない。久し振りの再会なのだから、彼に好物を振舞って上げたかったのだけれど、恐らくそれも難しいのだろう。


「あ、あの、わたし、きょ、今日はもう、か、帰っても――あ、えと、や、やっぱり、だ、駄目です?」

「当たり前だ!」


 一応聞いてみたわたしの問いに、兄さんは珍しい怒鳴り声で答えた。






 プレシアは疲労を感じて深く息を吐くと、手元のモニタから目を離した。アクアリウム経由で特別調査室から齎された回収済みロストロギアの情報は予想以上に彼女を夢中にさせていたようだ。一時は”ジュエルシード”こそ最後の手段と思いつめていた彼女にしてみれば複雑な思いも無いではなかったが、所詮は門外漢の浅はかな思い込みであったと言うことなのだろう。小一時間掛けて流し読みした程度でも”ジュエルシード”に迫りかねないほどに彼女の目的に近い効果を発揮し得るロストロギアは幾らか見つかったのだ。尤も、どれもこれも一筋縄では行かないような代物ばかりではある。そうそう旨いばかりの話も無いと言うことなのだろう。


「ご満足戴けたようで何よりだ。プレシア女史」

「……まあ、期待以上だったことは認めるわ」


 薄暗い研究室の澱んだ影から口調に似合わない少女然とした声が掛けられた。プレシアは特に驚きもせず声の主を一瞥すると、僅かに眉を潜めながら気のなさげに返す。意図的に無視していた相手のことを思い出して折角の気分が台無しになったのだ。いや、彼女自身が取り立てて嫌いと言うわけでもない。好ましいとまでは言わないが、プレシアなりに認めてやっても良いとは思える人物ではある。ただ、昔から変わり映えない彼女――マリィの見事な金色の髪と澄んだルビーの瞳を見ると、幸せであった頃が思い起こされて憂鬱に気持ちが沈むのだ。


「いや、それにしても久し振りだ。だが、予想以上に老けていて誰だか分からなかったぞ」

「まるで変わらない貴女が異常なだけよ。私は、世間一般からしても充分に若々しいわ」

「ふむ、負け犬の遠吠えかね?」

「若作りにしても限度があるでしょう? 貴女の年齢でそれは痛々しいだけよ」


 プレシアとて女性ではあるので美容には気を使う。無論、若さを保つ努力もしているし、その効果は充分に出ていると確信している。近頃は病気と無気力が祟ったかその若さにも翳りは出ているが、クラナガンで療養する内にある程度は肌に張りが戻ったような気がする。この先幾ら生き長らえるかは知れたものではないが、プレシアとしては現状に満足しているのだ。逆に十五年程ぶりに再会したマリィが変わっていないことには羨ましさよりも気味の悪さしか感じない。何か妙な魔法でも使っているかは知らないが、実年齢を知る身としてはいい歳をして恥ずかしくは無いのかと思うばかりである。


「あと、あの生意気な小娘風のキャラ作りは止めた方が良いわね。最初にそれで話し掛けられた時には殺意すら湧いたわ」

「馬鹿な。あれは萌えキャラと言うのだ。司令部でも大好評なのだぞ? そんなことも知らないとは、これだから引き篭もりは世間知らずで困る」

「そう。まあ、どうでも良いわ――それより、変わったと言えば貴女こそ変わったわね」


 最後にプレシアがマリィに会った時は、マリィは執務官長をやっていて管理局の正義の象徴のような存在だった筈だ。アリシアは随分彼女に懐いていて、将来はマリィのようになりたいと言うような事も良く言っていたのを覚えている。髪と瞳の色がよく似ていた彼女たちは時折姉妹にも間違われていて、当時は綺麗に笑えていたマリィに密かに嫉妬にも似た感情を抱いていたことが思い起こされた。

(ああ、駄目ね。だからマリィには遭いたくないのよ)

 そこまで想到してプレシアは小さく頭を振って、懐かしい思い出に囚われそうになる思考を意識して振り払った。


「正義の執務官長様が今では随分嫌われているようじゃない? まあ、私も世間じゃ魔女だの何だのと言われているらしいから、人のことは言えないけれどね」

「十五年もあれば赤ん坊も親を憎むようになる。好青年もヒヒ親父に変わる。何も不思議はない。私はただ悪魔を廃業して神に転職しただけのことだ。魔法少女が許される年齢には流石に賞味期限があったようでね」


 思わせぶりなマリィの言い回しに、プレシアは敢えて追求せずに手元のモニタへ再び視線を落とした。そう言えばそうだ。こう言う所は変わっていない。相変らずいちいち大げさな表現を好んで使うのが好きらしい。付き合うのも面倒なだけであるし、こう言う時のマリィは無視するに限る。それより、丁度目を通し掛けていた興味深いロストロギアの情報の続きを追う方が余程有意義と言うものだろう。


「ふうん、”聖者の秘蹟”か――なかなか悪辣なロストロギアね」

「ああ、あれか。あの事件は中々愉快だった。ふむ、お望みなら研究対象とするかね?」

「気が向いたらそうするわ。余り私向けではないようだけれど」


 プレシアは白々しいマリィの物言いに小さく鼻を鳴らして答えた。確かに興味深くはあるが、それだけだ。時間を掛けて研究をすれば色々と面白いことも出来そうなロストロギアではあったが、その時間はもう無いだろう。それに、軽く閲覧したこのロストロギアの経歴が酷く気に入らない。こんなものに拘っているくらいなら”ジュエルシード”の研究を進めたほうが余程に有意義だ。


「”正しい魔法”とやらが実践出来るらしいぞ」

「それ、私の一番嫌いな言葉の一つだわ。そもそも、このロストロギアが貴女の手元にある時点で、そんなものはないと答えが出てるでしょうね」


 ”正しい魔法”など無かったからこそ悲劇は訪れ、その結果として特別調査室が処理した筈だ。真に”正しい魔法”が実践されていたのなら、管理局が回収する必要性も無かったのだから。しかし、マリィはプレシアの言葉に嫌らしくも可憐な笑顔を浮かべたみせた。それから、怪訝そうに眉根を寄せるプレシアに向かってさも嬉しそうに告げたのだった。


「そんな事は無い。あれは、”正しい魔法”によって回収されたのだぞ?」






 なのはが目を覚ましたのは病院の白いベッドの上だった。意識を失ってから半日と少ししか経過していなかった所為か、なのはは混乱もなく現状を受け入れられた。ここに至るまでの経緯もしっかりと覚えている。心配そうにする家族や友達に曖昧に笑いながら、なのはは思考の海に埋没する。和らいだ朝の光に手のひらを翳して、透き通る血の巡りを何となく眺めた。見舞い客たちもなのはの気のない様子を悟ったのか、次第に彼女へ積極的に話しかけることを辞めて一人一人と散っていく。後に残った桃子がなのはの頭をゆっくりと撫でた。そう言えば店はどうしたのだろうかと訊ねるなのはに、彼女は寂しそうに笑って、大丈夫とだけ答える。

 体は何処も悪くない。肉体的には何も傷つくことはなかったので、早ければ明日には退院することも出来るだろう。途中で様子を見に来た優しそうな女性医師――石田先生と名乗った――の説明によれば、原因不明の蝗害事件に巻き込まれて精神的に参ってしまったのだろうと言うことになっているようだった。それは完全な本当ではなかったが、かなりの部分で真実に近い。実際に、なのはの状態は精神的な衝撃の方が大きかったのだから。魔力ダメージは”アースラ”の医務室で適切な手当てがされていたし、その後にこの病院に運ばれたのは体外的な説明をつける為のポーズの意味外が大きい。魔法文明のないこの世界の病院では、なのはがこうも衰弱している理由を正しく診断することは出来ないのだ。


「なのは、もう大丈夫よ」

「うん……」


 桃子の言葉に、なのはは曖昧に頷いて答えた。確かに、それは分かっている。余りの魔力ダメージに回復が追いつかないとしても、後数日もあれば元の状態に戻れるだろう。しかし、問題はそう言うことではないのだ。なのはは解けないパズルを渡されたようなもどかしい気分のまま、思考を拒否するように瞳を閉じる。その様子を見て取ったのか、桃子がそっとシーツの裾を直した。


「もう寝る?」

「うん」

「そう、お休みなさい」

「お休みなさい」


 よく分からない。どうしてこうなったのだろう。本当はきっと素敵な今日が訪れるはずだったのに、何を間違えたのだろう。もういい。今は何も考えたくない。なのははシーツを頭まで被ってぎゅっと強く瞼を塞ぐ。意識せず、眦を伝って滴が落ちた。






 なのはが次に目が覚めたとき、桃子の姿は既になく代わりにリンディとクロノ、それからユーノがベッドの脇に控えていた。ユーノの方はそれほど深いダメージを負わずにすんだらしい。リンディはなのはの目覚めるのに気が付くとまずは謝罪を済ませた後で状況の説明を始める。話によれば、例の蝗害事件については何とか収拾が付けられたものの、なのはの家族に隠しきれるものでもなく、既にこれまでの経緯を含めてある程度の事情を告げてしまったらしい。謝罪にはそれについてのものも含まれていたようだ。高町家の面々は全てを理解したとは言えないまでも一先ずは判断を保留として、病院の面会時間の終わりとともに帰宅したらしい。リンディ達は迷ったものの、なのはに対するより適切な治療と説明をする為に結界を張ってなのはの目覚めを待っていたようだ。なのはは気のない調子でそれらに相槌を打つと、彼女らしくない陰鬱さで、そうですか、とだけ短く答える。それを見て、リンディはもう一度、ごめんなさい、と繰り返した。何を謝っているのかはよく分からなかったけれど、なのはは問い返すのも面倒になって曖昧に笑う。


「とにかく、今回のことはわたしの判断ミスだわ。メイスフィールド幕僚長代理の勢いに圧されて、事件の終結を疑わなかった」

「いや、僕のせいだ。本当は事件の直前に”ジュエルシード”らしき気配に気が付いていたのに、そんな訳がないって決め付けてしまって――」

「それを咎められる人間はこの場にはいない。責任の話はもう止めておこう。なのはを落ち込ませるだけだ」


 苦い顔をして謝罪を重ねるリンディに、ユーノが耐えかねたように自らの責任を持ち出した。クロノはそれに、敢えて保っていた沈黙を破って不毛な議論になり兼ねない話題を中断させる。恐らく、なのははそんな話を聞きたい訳ではないだろう。責任の話をしたところで、彼女の気分が上向くことなど在り得ない。


「そう、だね。ごめん、なのは」

「ううん、別に、わたしは誰が悪いなんて思ってないんだ。ユーノくんが謝ることなんてないんだよ」

「なのは……」


 相変らずは気のないなのはの言葉に、ユーノは泣きそうな顔で俯いた。とても見ていられない。つい昨日、もう一度頑張ることを決意したはずの彼女の笑顔はもうどこかへ消えてしまって影も見当たりそうになかった。本当に、どうしてこんな事になってしまったのだろう。クロエのせいだ、と決め付けかけて歯を食い縛ってその考えを否定する。そう言うことでもないのは、本当は分かっているのだ。


「どうしてなのかな」

「なのはさん?」

「どうしてクロエさんは、あんなことをしたんだろう? わたしはそんなに嫌われていたのかな」


 それはそうかも知れない。協力を受け入れてくれて舞い上がってしまったけれど、あの時クロエは泣いていたのだ。クロエがまるで何もなかったように平気な顔で接してくれたから勘違いしただけで、本当はずっとなのはのことを嫌っていたと考える方が自然なのだ。しかし、なのはのその問いにクロノは難しい顔で呻いた後、絞り出すような声で否定の言葉を口にする。


「嫌う、と言うのは少し違うだろうな。いや、クロエが君を忌避していたことは事実だろう。ただ、何と言うべきか――そうだな、これを君に伝えるべきかは迷ったんだが」

「クロノくん?」

「クロエは君にお礼を言っていた」

「お礼? どうして……よく、分からないよ」


 訳が分からない。何故クロエがなのはに礼を言うのだろう。理解しきれずに首を捻るなのはに、クロノは曖昧な言葉で返した。


「つまり、そう言うことなんだろう」


 説明は簡単なようでいて、酷く難しい。だが、そう言うことなのだ。クロエにとって見れば、そう言うことでしかないのだ。なのはに恨みがあった訳ではないし、作戦に協力してくれた事実には感謝しているのだろう。クロノにもその心情は正確に想像し切れなかった為に上手く解説は出来ないのだが。なのはの不安が良くも悪くも的外れであることだけは断言できる。なのはがそうした尺度で物事を考える限り、クロエを理解することは絶対に出来ないのだ。尤も、理解して欲しいとは微塵も思いはしなかったが。クロノとて、なのはにそれほど過酷な要求をする積りはなかった。


「よく分からないけど、何だか悔しいな。わたしはね、クロエさんに怖い目に合わされたことは全然――ううん、少し恨んでるのは嘘じゃないけど、でも、最初からそう言う作戦なんだって言ってくれれば、わたしは頑張れたと思うんだ」


 生まれて初めて死ぬかも知れないと本気で思った。怖くて仕方なくて、ユーノが傍に来てくれるまでは暗闇で震えて泣いていた。夥しい数の蝗たちはなのはの強力な防御結界を破る力がないことは分かっていても、その無機質な殺意に背筋が凍るような恐怖を抑え切れなかった。時間にすれば実際には数分未満かも知れない。しかし、なのはには無限の長さにも思えたのだ。そして、終焉を告げる蒼白い光に身を灼かれる段にあっては、ある種の死の覚悟すらしてしまったことを覚えている。最初に目覚めた”アースラ”の医務室は見慣れなさと相俟って死後の世界と勘違いしてしまったほどだ。もう、二度と思い出したくないことばかり。ただ、それでも、恨んでいるというより悔しくて仕方がない気持ちが強い。


「だって、簡単なことだよ? クロエさんがわたしを信じてくれれば、たった一言だけくれれば、わたしは怖くても頑張れたと思う」


 その簡単なことが、どうして出来ないのだろう。どうして上手く行かないのだろう。なのははどうすれば良かったのかを考えて、やはり答えを出すことが出来ずに重い息を吐いた。気を抜けばクロエを罵る言葉が喉から溢れそうになる。


「なのはは……やっぱり凄いよ。本当に凄い」


 言葉とは裏腹に泣きそうな顔でユーノが呟いて、それに誰も答えることなく長い沈黙が降りた。空気が澱んでいる気がして、リンディは窓をそっと開く。結界越しとは言え涼やかな風が駆け抜けた。


「”正しい魔法”って何だろう?」

「……”正しい魔法”、ね」


 数分以上の時間を掛けて、なのはがポツリと漏らした言葉に、リンディは自嘲気味に呟く。それから一瞬だけ視線を落として床に張り付いた自らの影を見据えて、すぐになのはの方へ向き直る。薄暗い病室を窓の外の蒼白い月が照らしていた。その光が作る影ゆえか、ベッドから半分身を起して俯いたままのなのはの瞳はリンディの位置からはよく見えない。ただ、相変わらず酷く思い悩んでいて、何をどう思えばいいのかすら分からなくなっているように思えた。その痛々しさにリンディは額に深く皺を寄せて、数分ほど考えを廻らせた後で重い口を開く。


「そう言えば、なのはさんは、”正しい魔法”を探していると言っていたわね」

「うん。でも、良く分からなくなっちゃった」


 なのはは自嘲するように零した。本当によく分からなくなってしまったのだ。クロエとも些細な事ですれ違っているだけで、いつかは分かりあえると思っていた。目指しているものは同じところだと信じていた。けれど、昨日の事件でのクロエの行動が理解出来なくて、根本的な部分でかみ合っていないような気がして、クロエになのはの気持ちが届く事を信じ切れなくなってしまったのだ。


「そう……。なのはさんの考えは、わたしも素敵だと思うわ。ただ、余りに残酷なのよ。それは、なのはさん以外の人にとってだけではなくて、なのはさん自身にとってもね」

「よく、分かりません」


 どこか拗ねたように告げるなのはの様子を見かねたのか、ユーノが言葉を挟もうとして静かに首を左右に振るクロノの様子に口を噤む。リンディはそれには反応することなく、今度は決意の眼差しになってはっきりと告げた。


「なのはさん、”正しい魔法”なんて存在しないのよ」

「えっ?」

「リンディさん!?」


 何を言われたのか消化しきれず呆然とするなのはから視線を逸らさず、余りの言い様に抗議の声を上げるユーノをリンディは敢えて無視した。クロノは何か思うところがあるのか、遣り切れない表情をしながらも何も言わずにそっと目を閉じる。リンディは自分が酷く汚れたような気分を覚えながらも、努めて穏やかな表情で言葉を続ける。


「”聖者の秘蹟”と呼ばれる特殊なロストロギアがあったの」

「リンディさん?」

「……母さん――いや、艦長、その話は……」


 半ば予想しつつも、リンディが語り始めた話にクロノは戸惑うような声を上げた。確かに、リンディの意図は分かる。ただ、その話は余り適切ではないような気がする。露悪趣味的と言うのは少し違うにしても、今のなのはにするにはあまりに残酷すぎる気がしたのだ。リンディはそれをそっと手を上げて制すると、一歩進み出てなのはの瞳をしっかりと見据える。残酷なのは彼女とて承知の上だ。ただ、なのはという少女はリンディの予想以上に危うく見えて、これ以上は放っておけないと思えたのだ。


「特殊なロストロギアで、魔導師のリンカーコア――ええと、リンカーコアと言うのは、魔力の源となる魔法的な臓器と考えていいわ。そのリンカーコアに寄生する形で存在する概念的なロストロギアが”聖者の秘蹟”。清く正しい心を持つものに奇跡の力を与えるとされているわ。ある魔法文明のない管理外世界に秘宝として伝えられるものでね、それを代々継承する一族の少女は”巫女”と呼ばれて尊敬を集めていた」


 それは管理局が一時は回収を躊躇ったほどの穏やかな世界だった。これこそ”正しい魔法”であると声高に告げた提督が、それが紛う方なき危険なロストロギアであることを知りつつ不干渉を提案した逸話もある。


「世界が平和でありますように――巫女がそう願う限り世界は平和だった。人々が幸せでありますように――巫女がそう願う限り人々は幸せだった。御伽噺のような世界ね。誰もが誰もを思いやり、互いに譲り合って、毎日を幸福に過ごしていた。夢のように、魔法のように」

「”正しい魔法”……」

「ええ、管理局にも、そう呼ぶ人たちがいたわ」


 ”聖者の秘蹟”は代償を必要としない。真なる永久機関とも言われている。清く正しい心で願う限り、奇跡は無限に湧き出した。敢えて代償があるとすれば”巫女”は徹底して無垢でなければならない点だったかも知れない。何も疑わず、全てを信じ、希望に満ちた未来だけを夢見るのだ。


「でも、その世界は――」


 一息に告げようとして、リンディは言葉を飲み込んでしまう。結末を知るクロノが頭を抑えてなのはから視線を逸らした。なのははそれに嫌な予感を覚えてリンディに続きを促した。


「その世界は――今では殺し合いばかりしてるわ。”巫女”が殺されて、魔法が解けたから」

「ど、どうして!?」


 訳が分からない。誰もが幸せに暮らしていたのに、どうしてそんなことになるのか。なのはの理想とは少し形は違うにしても、とても素敵なはずの世界がどうして壊れてしまうのか。


「それは、クロエが”巫女”を殺したから」

「え……」


 愈々理解が追いつかずになのはは言葉を失ってリンディの眼差しを震える瞳で見つめ返した。一体何の話をしているのだろう。驚きや怖さを超越した戸惑いになのははクロノやユーノの様子を順番に窺った。クロノは何かを知っているのか、苦虫を噛み潰したような顔で俯いている。ユーノはなのはと同じらしく、リンディが何を言いたいのか分からずになのはへ向けて小さく頭を振って返した。


「なのはさんは、クロエを酷いと思う?」

「それは――どうしてそうなったのか良く分からないけど、そんなのおかしいって思います。その”巫女”さんは死ななきゃいけない理由があったんですか? ううん、そんな理由なんてあるはずないのに」

「そうね、そんな理由は無かったわ。相変らず世界は平和で、幸福に満ちていた」

「じゃあ、どうして……」

「クロエがそうした理由は、私にも分からない。でもね、その”巫女”は殺される前に――」

「”かみさまありがとう”――彼女の最後の台詞だ」


 そこでクロノが唐突に割り込んでリンディの言葉を引き継いだ。驚いて振り返ったなのはに、元はクロノの仕事であったことを告げる。何れにせよ危険なロストロギアは回収しなければならない。管理局は最終的にはそう決定して、最初にクロノが回収に向かったのだ。ただ、クロノは結果として何も出来ずに無為な時間を重ねただけに終わった。”聖者の秘蹟”は使用者が清く正しくあり続ける限りは如何なる危険性も無い。そして、その世界で最初の”巫女”が生まれて以来三百年もの間、何らの暴走の兆候も無かったのだ。それを敢えて取り上げる権利が管理局にはあるのかと悩み、クロノは二ヶ月もの間を手を出せずに過ごした。そうする内に派遣されてきたクロエが”巫女”を攻撃し、最終的に暴走した彼女との戦闘の末に殺害に至ったのだ。


「その世界から管理局員になった人間が何人かいるんだが、全員が口を揃えて言うらしい――あれで良かったって」


 世界が有限である以上、誰もが全てを手に入れることは出来ない。それを等分に分けて平和で幸福に過ごすことも出来るかも知れない。けれど、そんな世界に住みたいかと言われるとクロノには死んでもごめんだった。人間は誰もが違う。見ている世界が違う故に分かり合えないこともある。だが、だからこそ面白いと思う。クロエの思考と行動は余りに極端だし、この喩え話は悪辣過ぎるが、リンディの言いたいことはクロノには何となく分かった。全てを解決してしまう”正しい魔法”などはない。いや、あってはならないのだ。


「なのは、この世界はこんなはずじゃなかったってことばかりだ。いや、だから仕方ないと言う意味じゃないんだ。そうならないために努力するのも良い。幸福を信じるのも良いんだ。ただ、残酷な現実を認めきれないと、いつか君は壊れてしまうかも知れない」

「クロノくん……」

「そうね、”正しい魔法”なんか存在しない――そう言ったのは極端だったけれど、ほとんどの人がそれを信じてないのは本当よ。それでもなのはさんが信じ続けるなら、それはとても辛くて孤独な道になると思うわ」

「……それは……」

「ねえ、なのはさん。それでもクロエと友達になりたいと――なれると思うかしら?」


 意地悪な質問をしているとリンディは内心で自嘲していた。ただ、これは必要な確認なのだ。状況は酷く悪い。今回の事件では各勢力にそれぞれ落ち度が在り過ぎて責任の追及は曖昧になってしまうだろうとは言え、だからこそなのはにその皺寄せが行く可能性がある。そうなるとなのはには大まかに二つの選択肢しか残らなくなるのだ。一つはデバイスを管理局に預け魔法と関わることを止めてしまうことで名実ともに事件とは無関係な身分となるか、管理局に入局し、”アースラ”の一因となることでリンディがその責を負うか。ただ、それは取りも直さず今後もクロエと関わり続けることを意味するのだ。リンディの見たところなのはとクロエが真に分かり合える日は幾ら待っても訪れないと確信出来る。クロエはそれで良いかも知れない。ただ、なのははこのままでは現実に押し潰されて壊れてしまいかねないように思うのだ。そう言う意味では、今回の事件は不謹慎ながらなのはには良い機会に思えた。このまま身を引くならそれでよし、そうでないなら――。


「……まだ、分かりません。でも、その”巫女”さんの話も、上手く言えないけど、そうじゃないのにって思う。そんなのは違う。何かおかしいよ。そんなのは悲しすぎる」

「なのは……」

「だから、わたしは、まだ、諦めたくないって思う」


 なのはの言葉にリンディは溜息を漏らした。それは、感心か呆れか賞賛か諦めか、その由来は感情がない混ぜになって彼女自身でも把握し切れなかったが。


「ユーノくん……遠いね、後一歩」


 その問いに何かを返そうとして、結局は答えるべき言葉も無く、ユーノはもどかしい気持ちで形にならないままの言葉を飲み込んだ。



[20063] Act.23
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/08/04 02:16
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Act.23 Aamon
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 季節は巡り、いつの間にか街は白く染められている。わたしは商店街へ向かう道に積もった白雪に足跡を付けながら歩いていた。この世界を訪れるのも随分と久し振りな気がする。春先からの”災厄の種”に関する一連の事件も収拾が宣言されて数ヶ月が経つ。わたしもマリィ先生に命じられて月に数度程度の頻度で様子を見には来ていたものの、秋の終わりにはそれも殆どポーズのような物となってしまっていた。それも、何か積極的にするべきことがある訳でもなく、数日程度を滞在してすぐに帰還するだけでしかない。だから、実のところもうここへ来る意味も無いのだ。ただ、マリィ先生には何か気になることがあるらしく、わたしはこの世界のこの街を中心に定期的に調査を続けるように命じられている。とは言え、まともな調査に役立てられる魔法の一つも使えないわたしのことなので具体的に何かの成果を期待されている訳でもない。半ば嫌がらせだとはマリィ先生の言だけれど、その真意はよく分からなかった。

(今日も、な、何もなさそう、かな)

 急に吹いた強い北風を白いコートで防ぎ、わたしは心中で独りごちる。不審な点は何もない。半年前の”災厄の種”の暴走以来、魔法的な事件は何一つ起きる気配も無かった。もし何か起きても、ここにはなのはがいるのだから、大事に至ることも無さそうだけれど。

(そ、そう言えば、なのはとも随分会ってないかも?)

 最後に顔を合わせたのは彼女とフェイトの嘱託魔導師試験の時だったろうか。あれは確かもう三ヶ月ほど前になるはずだ。わたしはあの後すぐに任務で別の管理外世界に派遣されていたのでそれで間違いはないと思う。フェイトとはその任務で少しだけ一緒になったので、彼女とはつい一週間前に別れたばかりだったけれど。今はプレシアの研究室に滞在している筈だ。プレシアの機嫌が良ければ、だけれど。

 なのはは結局、管理局に入局することにしたらしい。詳しい経緯は聞いていないけれど、何か思うところもあったようだ。現状では嘱託魔導師という扱いで、学校を卒業するまでは時折”アースラ”の任務を手伝う程度となっている。今のところ、わたしとは関わる用事も少ないので具体的に何をしているのかはよく分からない。今はこの世界にいるのだろうか。フェイトも嘱託魔導師となって、時々マリィ先生の仕事を手伝っている。どうもプレシアには面会出来たものの治療は長引くらしく、何時までも母さんの世話になる訳には行かないと彼女から申し出たのだ。母さんはマリィ先生の仕事を手伝うことには強く反対していたのだけれど、本人の希望を覆すことも出来ずに最終的には幾つか条件をつけて承諾したようだ。彼女も基本的には”アースラ”勤務と言うことで、場合によっては特別調査室の任務に協力する扱いになっている。

 わたしはと言うと、わたしの思い違いのせいで有耶無耶になっていたらしい特別調査官の研修を正式に受講させられた後、アクアリウムへの出向と言う形でどちらかと言うと管理局としての仕事はしていなかった。アクアリウム第三秘蹟研究所の調査補助と言う名目らしいけれど、要するに今まで通り彼の命令に従う毎日だ。だから今も、特別調査官としてはマリィ先生の命令でこの世界の調査――と言う名目の滞在を行いつつも、彼の命令で別の任務を遂行中なのだ。

 因みに、彼の”災厄の種”は結局戻って来ることはなく、プレシアの研究材料に持って行かれてしまった。彼は酷く憤慨していたのだけれど、”災厄の種”は一揃いでないと意味がないと言うマリィ先生の強い要望に逆らうことが出来ずに別のロストロギアと交換することで取引に応じたらしい。彼の研究内容は、わたしにはよく分からなかったけれど、最終的には彼が満足していたので良かったと思う。


「あ、そ、そうだ、買い物をしないと」


 実りのない名目だけの調査活動は、もうこの辺りで完了で良いだろう。後は、ついでの目的であった夕食の買い物を済ませてしまおう。今日はとても寒いので鍋にするのも良いかも知れない。わたしはそう決めて、まずは肉屋に向かうこととした。彼は意外と味にうるさいので材料はよく吟味しないといけない。高いものが良いものとも言わないけれど、何故かそれなり以上に高級品でないと彼は瞬時に見抜いて怒り出すのだ。先月もそう言うことがあった。わたしはそれを思い出してくすりと微笑んでから歩き出す。

(……? か、変わった集団、ですね)

 そこでふと前方から近づいて来た目立つ女性の集団にわたしは小首を傾げて立ち止まった。その集団は、一人の車椅子の少女――なのはやフェイトと同じくらいの年齢だろうか――を中心に、それと同年代に見える赤い髪の少女、それから二十歳程度に見えるピンクと金の髪の女性がそれぞれ一人ずつ。この世界でなければそう珍しくもないかも知れない。ただ、年齢も人種もあれほどバラバラなのはこの世界のこの街では悪目立ちするのだ。と言うより、不自然に警戒しながら歩き過ぎている。あれでは何か後ろめたいことでもあるようではないか。特に、ピンク色の髪の女性の立ち居振る舞いには隙がなく、だからこそ不自然に過ぎる。この商店街にどんな危険が潜んでいると言うのだろうか。

 わたしが不審そうに眺めていたことに気が付いたのか、ピンク色の髪の女性がわたしを強く睨み据えてきた。赤い髪の少女は、状況を把握出来ないらしい車椅子の少女を庇うように立ち塞がり、金髪の女性が指輪を掲げて――それがデバイスである事にわたしが気が付いた瞬間に結界を構築していた。





 第一秘蹟研究所の報告は実に興味深いものだった。やはりあの世界――第97管理外世界は特異点と言うことのなのだろう。調査の結果から、なのは、フェイト、はやて、と言う名前の少女たちが全て実在することは分かった。しかも、それぞれが数奇と言う言葉では片付かない非常に稀有な運命を背負っているらしい。いずれもただの一般人の少女ではないと言うことは、あの文書の信憑性も高まろうと言うものだ。


「実在するのかねぇ、”彼方の虹”っての」


 クラウディオ=エーバートは期待半分で、しかし残りの半分はなんとも複雑な気分の混ざった感情で呟くと、長く伸びた燃えるような真紅の前髪を乱暴に掻きあげた。研究結果が立証されようとしているのは好ましい。ただ、この研究が行き着く先を思うと憂鬱にもなろう。何しろ、これは神の証明にも等しい。”彼方の虹”の向こう側から、自分たちの全てを得体の知れないものたちが覗いている――例えば、いつか会った彼のようなものが。


「はあ、ぞっとしないねぇ」


 あの、何と言うべきか説明の難しい存在を思い出してクラウディオは知らず身震いをしていた。なるほど、あれは人間ではあろう。しかし、何なのかと言われると答えには窮するのだ。直視しているうちはまだ良い。ただ、ひとたび目を逸らすと、彼が何であったかを認識出来なくなる。彼はどんな姿をしていたか、どんな声で話したか、どんな性格をしていたか。手軽に記憶喪失の気分を味わえてしまう。


「まあ、いいや。考えるのはよそう。しかし、そうなると、そうなのかねぇ?」


 一先ず彼について悩むのをやめ、彼の近頃の行動を思い起こすことにする。報告によれば、相変らず彼はクロエ=ハラオウンと言うらしい管理局員の女の子を連れ回して”災厄の種”を集め回っているようだ。あのロリコンめ――いや、それはいい。とにかく、彼は特にこの間も”災厄の種”の一つである”ジュエルシード”がばら撒かれたと言う世界には執心しているようで、度々訪れて数日ほど滞在を繰り返しているのだと言う。何かを探しているらしいが、具体的な調査は進んでいない。ただ、こうまで来ると偶然では済まされないに違いない。やはり、彼は”彼方の虹”に深く関わっている。


「こうなると管理局を辞めたのは失敗だったかね」


 アクアリウムの研究員と言えど、そうそう管理外世界には旅立てはしない。彼のような例外でもなければ、いずれにしても管理局に申請する必要が出てくる。とは言え、その申請も目的さえしっかりしていればそう難しいものでもない。ただ、問題は――。


「死人じゃ無理だろうし、うーん」


 どうしても欲しい”災厄の種”の入手の為に、事故を装って死亡扱いの身になってしまったのは早まったかも知れない。死人は死人なりに便利なこともあるのだが、社会生活を営む上で色々と不都合が生じるのだと言うことをここへ来て漸く痛感しつつある。研究一筋で世の中のことを嘗め過ぎたのかもしれなかった。ただ、あの時はああするしかないと思えたし、成果を思えば後悔はしていないのだが。


「さて、どうしたもんかねぇ?」


 今更、スクライアや特別調査室に顔を出す訳にも行かない。スクライアは兎も角、特別調査室に見つかった日には”災厄の種”を偽者に摩り替えたことに気付かれて八つ裂きにされてしまいかねないだろう。と言うか、あの時は本当に死ぬかと思った。あの化け物――ヴァネッサ=ハイルズと戦うと言うプランはあり得ない。命辛々でも遺跡から脱出出来たのは僥倖と言える。まあ、身を挺して庇ってくれたスクライアの面々を上手く手懐けられた成果だと誇ることにしよう。育んでいたと思う信頼関係は、それなりに本物ではあったけれど。

 クラウディオはそこで脱線しかけた思考を強制的に引き戻す。兎に角、今のままではどうしようもない。どうしようもないならどうするか。


「よし、諦める」


 どうしようもないのならそれが一番だ。彼はあっさりと結論付けて研究室を後にし、そのまま仮眠室に向かうとベッドに仰向けに寝転がった。彼には何か崇高な目的がある訳でもない。ただ、知りたいだけだ。出来ないことはしない。彼の方で何か動きがあることを期待しよう。クラウディオは全てを人任せにすることとして、そのまま目を閉じて寝入ったのだった。






「あ、え、ま、魔導師? あれ?」


 戸惑うわたしをよそに、彼女たちは車椅子の少女を除いて全員がバリアジャケットを構築してデバイスを構えていた。訳が分からない。わたしは何故か行き成り敵対されてしまったらしい。とは言え、こういう事もない訳ではない。わたしは気持ちを一瞬で切り替えると胸元のペンダントを握り締めてデバイスをセットアップする。


「やはり魔導師か!」

「どうしてこんな所に? まさか、また管理局が?」


 いきなり斬り付けて来たピンク色の髪の魔導師の攻撃をバトンでいなして、その流れのままに超高密魔力球による魔力爆発を生じさせて間合いを開ける。勘違いと言うわけでもないけれど、そんなに慌てると自分たちが管理局にとって都合の悪い存在だとアピールしているようなものではないだろうか。状況はよく分からないけれど、余り友好的に話が出来る相手ではないのかも知れない。


「そんな事はどうだって良いだろ!? ちっ、よりによってはやてが一緒のときに――」

【Helical Driver】

「くあっ」


 わたしの体勢に隙を見つけたのか、次に襲い掛かってきた赤い髪の少女のデバイスらしいハンマーに螺旋方向の近距離砲撃を叩き込んでバランスを崩す。咄嗟に力を抜いて衝撃を受け流したようだけれど、まだ甘い。


【Sorcer Ripper】


 彼女の射出しようとした射撃魔法をわたしのカマイタチ状の魔法が粉々に切り裂いた。この魔法は防御魔法の使えないわたしの防御用攻撃魔法の一つだ。主にバインドを切り裂き、魔力スフィアを破壊する。場合によっては、こうして射撃魔法の加速前に撃墜する用途にも利用出来るのだ。


「な、なんや? みんなどうしたんや?」

「主はやて、ご注意を。彼女は魔導師――それも、相当の手練のように見えます」

「いや、手練って……ちょい待って! いきなり喧嘩するのはなしや!」


 それにしても見覚えのない形式の魔法だ。わたしは攻撃魔法以外は殆ど分からないけれど、それでもミッドチルダ式ならある程度の雰囲気は感じ取れる。彼女たちが魔法を起動するときに読み取れた術式は以前に一度だけ見た近代ベルカ式にも似ているけれど、何か違う気がする。デバイスの形状も特異かも知れない。金髪の女性の使う指輪状のものは兎も角としても、剣や槌状というのは珍しい。所謂、アームドデバイスと言う奴だろうか。とすると、彼女たちはベルカ式の使い手――聖王協会の関係者なのだろうか。いや、それなら管理局を警戒するのはおかしい。


「あ、えと、その、よ、よく分からないですけど、わ、わたしは特に敵対するつもりはないです」


 特別調査室としての仕事はさっき終えたし、そもそもマリィ先生からは具体的な指示を貰っていない。アクアリウムとしてのわたしは別の任務を帯びているけれど、原則として如何なる相手とも敵対しないように厳命されている。なので、彼女達が例え次元犯罪者であろうとも、直ちにわたしの敵にはなり得ないのだ。


「そのわりに、随分油断なく構えているようだが?」

「? そ、それは、当たり前です」


 ピンク髪の女性の言葉にわたしは首を捻る。相手が武器を構えている以上は、わたしは相手を殺す準備を怠る積りはない。でも、それとこれとは別の問題のはずだ。敵対する積りがないと言って油断するのは馬鹿のすることだ――と、つい最近ヴァネッサから厳しく研修で指導をを受けたので、わたしは微塵も油断しない。半年前の失敗を生かして少しパワーアップしたのだ。


「――まずいな、あいつ、はやてを護りながらだときついかも知れねぇ」

「ヴィータちゃん? あの娘、それほどなの?」

「いや、強さで言えば、シグナムがいれば何とかなると思う。ただ、あいつ……さっきから、はやてだけを狙って殺す気の魔法を練ってやがる」

「そんな……」


 中々洞察力は良い。かつてのなのはやフェイトよりも戦いの経験を積んでいるのかも知れない。しかし、これは感づかれてどうかと言う類の作戦でもないのだ。彼女たちの中心人物――はやてと言うらしい――は、車椅子に座った状態で戦闘能力は無いようだし、彼女が余程慎重に護られているかは見て取れるので、このくらいの戦力差であってもわたしに有利な状況と言えるだろう。


「みんな! だから、待ってって! あの人も敵対する気はないって言っとるやんか! よう分からんけど、シグナムもヴィータも武器を下げて。シャマルもや」

「しかし――」

「しかしやない! これは”闇の書”の主の命令や!」

「くっ……了解しました。ヴィータ、お前も武器を下げろ」

「おいおい、何言ってんだよ。あいつは――」

「この状況は、却って主を危険に晒す」

「ちっ、分かったよ」


 矢張り彼女が主人だったらしく、彼女の命令で三人――シグナム、ヴィータ、シャマルと言うらしい――は、渋々ながら武器を下げた。しかし、彼女たちの名前、それから”闇の書”とは、とても懐かしい言葉を聞いた気がする。確か、父さんが死んだ原因になったロストロギアだったと記憶している。彼女たちの名前にも覚えがある。確か、”闇の書”の主を護るための特殊な魔法――守護騎士プログラムと言う奴だったはずだ。数が少し少ないような気もするけれど、それはこの際構わない。一応周囲の警戒を強めるとしよう。しかし、これで得心が行った。彼女たちの魔法が近代ベルカ式に近く見えたのも当然で、むしろこちらが本家本元の古代ベルカ式と言う奴なのだろう。


「な、なるほど、ヴォルケンリッター、ですか」

「貴様! 何故それを!?」

「え、でも、あの、”闇の書”って言うと割と有名ですし。こ、個人的にもそれなりに詳しいので――あ、あの、はやて、でしたか? じ、事情は何となく分かりましたが、や、やっぱりわたしは敵じゃありません。け、警戒しないでも良いと思います」


 ”闇の書”は危険なロストロギアだが、アクアリウムはそれ程危険視していない。管理局が言うように直ちに暴走するだけの代物ではないと聞いた。むしろ、意思を持つロストロギアと言うことで平和的な交渉が望まれているらしい。無論、愈々となれば破壊も辞さないのだけれど、わたし個人でどうこう出来るレベルの相手でもないし、それならば無意味に敵対しても仕方ないのだ。わたしは取り敢えず比較的冷静に話の出来そうなはやてとシャマルに説明をして、いきり立つシグナム達を抑えるように要請する。わたしは管理局員ではあるけれど、彼女たちをどうこうする意思は無いこと。また、そのような命令も受けていないこと。どちらかと言えば対話を望んでいること。口下手なわたしの説明では充分に伝わらなかったかも知れないけれど、取り敢えず敵対の意思はないことは分かってもらえたらしい。シグナムは納得は出来ないものの理解を示し、ヴィータは不満そうにしながらもはやての脇に引き下がった。


「つまり、クロエさんは喧嘩する気はないってことやな?」

「は、はい。い、今のところは別に」


 何か利害が対立している状況でもないし、”闇の書”は現状で暴走しているようにも思えない。一応彼には報告した方が良いかも知れないが、わたしが対応を決めるのはその後だろう。


「そうかぁ、魔法使いってほんまにおったんやなぁ」

「え、あの、や、”闇の書”の主なら、はやても魔法使い――ベルカ風に言うと、騎士なのでは?」

「う~ん、でも、私はそう言うのなんも出来へんからなぁ」


 わたしははやての言葉に首を捻った。”闇の書”と言うのは極めて高度なデバイスの一種だったはずで、相当の魔法的資質が無いと主にはなれないなのだ。下手をすると、なのはにも匹敵するくらいの才能が求められる。少なくとも”闇の書”が起動している以上は、何も出来ないと言うことはありえないのだ。不思議に思ってシグナムたちに聞いてたが、彼女たちは何も答えてはくれなかった。知らないと言う雰囲気でもなかったので、何か事情があるのかも知れない。


「それで、お前、何者なんだよ? 百歩譲って敵じゃねぇとしてもだ、こんな管理外世界に管理局の魔導師がいるなんて不自然じゃねぇか」

「それは私も同感だ。偶然、と言うには無理があるだろう」

「あ、えと、あの、ぐ、偶然、と言えば偶然です」


 と言うより、奇跡と言っても良い確率だと思う。つい半年前に”災厄の種”を言う次元干渉型ロストロギア事件の舞台になった辺境の管理外世界、それも同じ小さな街の中で、まさか”闇の書”クラスのロストロギアが起動するなんて普通に考えればあり得ないのだ。まず、なのはとはやてと言う次元世界全体で見ても稀有な魔法的資質を持った存在が二人も同時に存在すること自体が物語染みている。

(? えと、物語?)

 そこで、わたしは久し振りに古い記憶を呼び起こされる感覚に酩酊するようにふら付いた。そう言えば、知っている気がする。なのはとはやて。それからフェイトも。わたしはどこかで彼女たちを見た気がする。曖昧過ぎて良く分からない。多分、これは最早自分でも信じきれなくなりつつある前世の記憶と言う奴なのだろう。何を知っているのかまでは思い出せない。知っていることだけを思い出す。いずれにしても意味のない記憶には違いなかった。わたしは頭を振ってその感覚を振り払った。


「こんな偶然なんてあるわけねぇだろ……はやて、やっぱりこいつ何か怪しいって」

「いや、でもなぁ。そもそも、私がヴィータ達と会えたこと自体が偶然みたいなもんやしなぁ」

「あの、そ、そうじゃなくて。り、理由はあるんです。も、元々、この世界に来たのは、別のロストロギアの調査が目的だったので」

「別のロストロギア? それこそ、あり得ないわ。そんな奇跡みたいなことって……」

「で、でも、嘘じゃないです」

「……そう言われると、そうなのだろうけど」


 シャマルはわたしの言葉に怪訝そうに眉を顰める。自分でも嘘臭いとは思うけれど、少なくとも嘘は言っていない。わたしが今ここにいるのは、”災厄の種”事件の事後調査と言うマリィ先生の命令のついでに、アクアリウム――と言うより彼の命令で、”闇の書”以外のロストロギア――”彼方の虹”の情報を収集しに来た為だ。そう考えるとこの世界がロストロギアに関わるのは二つどころか三つになってしまうけれど、話が面倒になりそうなのでわたしはその辺りは誤魔化すこととする。


「ではお前は、この間の管理局の魔導師――高町なのはとは無関係か?」

「えっ? な、なのは、ですか?」


 そこでシグナムから出された名前にわたしは驚きの声を上げてしまう。どうしてなのはが出てくるのだろう。いや、”闇の書”が何時から起動しているのかは知らないけれど、この世界のこの街に滞在しているなら彼女と接触する機会もあったのかも知れない。


「その反応は、関係者と言うことかしら?」

「い、一応、知り合いですけど」

「あの、シグナムもシャマルも、なのはちゃんがって、どう言うことなん? 魔導師って……」


 はやてとも知り合いらしい。ただ、彼女たちの間で何か行き違いでもあったのか、シグナム達はまずいことを言ってしまったとばかりに苦い表情を浮かべて押し黙った。わたしはその様子に不思議そうにしながらも質問の答えを続ける。


「な、なのはとは以前に一緒に戦ったこともあるので。えと、あの、それが何か?」

「――いや」


 シグナムは短くそれだけを告げて、それ以上は何も答えずに押し黙った。そのまま暫く考え込んだ後に、何か納得したらしく本当の意味で漸く警戒を解いた。先ほどまでは武器は下げても、いつでも抜けるようにしていたのだ。よく分からないけれど、わたしが敵ではないと分かって貰えたらしい。わたしはヴィータもそれに習うのを確認して、デバイスに待機させていた高出力低周波魔法のロックオンをはやての脳から外すことにする。ヴィータが安堵の息を漏らすのが聞こえた。はやては状況がよく分からないのか、周囲をきょろきょろと見回しては不満げに溜息を吐き、それから大きく頭を振って言葉を紡ぎ出す。


「何や分からんけど、なのはちゃんはみんなとも知り合いで、魔法使いやったん? とにかく、喧嘩は止めてくれたならいいけど、頭がこんがらがってきたわ。え~と、つまり、なにがどうなっとんの?」

「はやて、それは……」

「ごめんなさい、はやてちゃん。上手く事情が説明できないの。ただ、少し行き違いがあったらしくて」

「……まさか、何か危ないことしとるんじゃ」

「いえ、何も問題はありません。主はやて」


 先ほどまでの彼女たちの会話から察するに、主であるはやてに隠れてヴォルケンリッター達が何かをしているようだ。なのはの名前が出てきたことと管理局に過剰反応をしていたことから彼女と敵対してしまったのかも知れない。はやてもなのはの知り合いのようだから、その辺りで何かまずい事情でもあるのだろう。いずれにしてもわたしには関係はないし、興味のないことだ。主に服従するはずのヴォルケンリッターの行動の不審さは少し警戒の必要があるかも知れないけれど。


「その、実は、以前にも高町なのはとの間でこうした事があって――その、主ははやてのご友人とは知らず」

「まさか、なのはちゃんに何かしたんか!?」

「い、いえ、何も」

「…………そう、か」


 シグナムの言葉を何処まで信用したのか、はやてはそれ以上は追及せずに難しい顔をして押し黙った。シグナムも自身の言い訳が苦しいのを自覚しているのか、何かに耐えるような眼差しで主の様子を見つめ返す。ヴィータやシャマルも同様のようだ。重い沈黙が降りる。わたしは事情がよく分からないので口を挟めず、ぼんやりとそのやり取りを眺めていた。


「なあ、みんな」

「主はやて?」

「何だよ、はやて」

「はやてちゃん?」


 暫くの後に彼女は打つ向き気味だった首を上げ、シグナムとヴィータ、シャマルの顔を順番に見渡してから、静かに、しかしはっきりと告げる。


「もう一回約束や。私は何も特別なことなんて望んでへん。だから、危ないことも無茶なこともやめて欲しい」

「それは――」


 何かを言い掛けたシグナムの言葉をを強い視線で圧し止めて、はやては言葉を続けた。


「それから、もう一回質問――いや、命令や。なのはちゃんに何をしたん? シグナム達は何をしとるん? ちゃんと説明して」


 はやての問いに、ヴォルケンリッターの誰も答えることは無かった。よく分からない。彼女達が何をしているのか、何故はやては知らないのだろう。そもそも、それは彼女が命じているのではないのか。”闇の書”の主がそれを知らないのは少し考えにくい。


「えと、はやて?」

「クロエさん?」


 何時までも話が進まないようなので、わたしは助け舟を出すことにした。ヴォルケンリッター達が怪訝そうな顔でこちらを見てくる。わたしはそれを取り敢えず無視をして、前提条件を確認することにする。


「え、えと、な、なのはのリンカーコアを蒐集したか、しようとしたことが問題なのですか?」

「え? な、なんやの、それ?」

「ま、待て! それは――」

「? し、襲撃して、ま、魔力を奪ったってことです、よね?」


 わたしの言葉に、何故かはやてとヴォルケンリッターの顔が青褪めた。



[20063] Act.24
Name: XIRYNN◆ea66adc3 ID:1b3eb644
Date: 2010/08/07 12:24
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Act.24 胎動
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 冬は嫌いではない。少なくとも、この世界のこの地域ほど季節と言うものがはっきりしている場合に於いては悪くないと思う。寒さにはそれほど強い訳ではないので年中震えて過ごすのも考えものなのだけれど、時々であれば身を切るような冷たい風に晒されるのも心地いい。積もったままの白雪を踏みつけて足跡を付けるのも楽しい。それに、次元世界の何れに於いても、月は寒い夜に眺めるのが最高なのだ。とは言え、寒い中に何もせずじっと佇む趣味はない。人払いの結界が展開されているとは言っても気温までは調整されないようだし、わたしのバリアジャケットは防寒対策について完全ではないのだ。ヴォルケンリッターの面々がまるで寒そうにしていないのは、良いバリアジャケット――彼ら風に言えば騎士甲冑――を纏っているか、そもそも寒さなど感じないのか。しかし、はやては”闇の書”の主と言ってもただの人間の筈だし、何らの魔法も行使していないのだから寒い筈だ。と言うか、寒いのでそろそろ帰りたい。


「あ、あの……よ、良く分かりませんが、さ、寒いのでもう帰りませんか?」


 先程から何を揉めているのかは知らないけれど、不毛な議論を続けていても仕方がない。そう思って呼びかけるもまるで聞こえていないようだ。置いてけぼりにされてしまったわたしが傍で聞いている限り、はやての意向を無視してなのはのリンカ―コアを蒐集してしまった事が問題となっているらしい。その独断専行についての理由をはやてが説明要求しているのにも拘らず、ヴォルケンリッター達が曖昧な答えしか返さないので話が終わらないのだ。それにしてもおかしな話だと思う。勝手をするシグナム達も悪いとは思うけれど、不適切とも言い切れない行動をはやての拘りだけで非難するのも、わたしには横暴な気はした。


「さ、さっきから何を揉めているんですか?」

「てめぇ、良くもぬけぬけと言ってくれるじゃねぇか……」


 今度は近くまで寄って、心持ち大きな声で呼びかけてみると、何故か憎憎しげにヴィータが吐き捨てるように言う。わたしはその剣幕に息を呑んで一歩後退った。訳が分からない。


「え、あの、な、何の話ですか?」

「あのなぁ、誰のせいでこうなってると――」

「ヴィータ! 八つ当たりはあかん。そんなことより、早うちゃんと説明して」

「で、でも、はやて……」

「だいたい、クロエさんに当たるのは筋違いとちゃうか?」

「そ、それは……。はやて……分かったよ」


 わたしの訴えに噛付いて来たヴィータをはやてが嗜める。ヴィータはそれに言葉を封じられると、不貞腐れたような表情でそっぽを向いた。相変わらずまともに答える気はないらしい。視線を感じてシグナムの方を窺うと、彼女は苦渋を滲ませた表情のまま無言を貫いていた。シャマルはと言うと、要領を得ない説明をはやてに繰り返して乾いた笑みを浮かべる。矢張りこのままでは終わりそうに無い。早くしないと肉屋が閉まってしまうので、それは困る。わたしはその様子に溜息を吐くと、自分でも向いていないと思いながら調停を買って出る事とした。


「あ、あの、はやて」

「なんや? クロエさん。やっぱり何か知っとるん?」

「主はやて!? 彼女の言葉に耳を傾けてはいけません」

「シグナムは黙っとって。それとも、ちゃんと説明してくれる気になったんか?」

「……っ、そ、それは……」


 微妙に視線を逸らすシグナムに、はやては小さく頭を振って、それからわたしに向き直った。何を警戒したのか、何時でも彼女を護れる位置にヴィータが移動してくる。何だか理不尽だと思う。わたしは彼女達のために苦手な説明をしようとしているのに。


「は、はやて、ヴォルケンリッターたちを責めるのは、な、何故ですか?」

「えっ? 何故って、そら、誰かを傷つけるなんて間違がっとるやろ」

「あ、あれ?」


 はやてからは意外な回答が返ってきた。間違っていると言われても何が間違っているのかが分からない。限られた何かを得る為に、全ての生物は戦い、殺し合うのが摂理だ。誰かを傷つけることが間違いなら、この世界には間違いしかなくなってしまう。その矛盾に満ちた言葉に、わたしは思わずなのはを思い出して眉を顰めていた。


「えと、な、なのはを蒐集対象にした事が問題なのではないのですか?」

「それは……それがなのはちゃんやったって言うのはショックやけど、そういう問題やない。誰か、なんて関係ない」

「で、でも、”闇の書”は、そもそも、ま、魔導師のリンカ―コアを蒐集して自身を完成させる、と、特殊なデバイスです。しゅ、守護騎士である彼女たちが、その為に蒐集を行うのは当然です」


 彼女たちは元よりそのように生れついている。鳥が空を飛ぶように、魚が海を泳ぐように、それに何故を問うても意味はない筈だ。


「当然なんてことはない! 私は、最初からそんなもん望んでないんや」


 だと言うのに、はやては訳の分からない事を言い出した。望むとか望まないとかそういう事ではないのに。わたしが望まざると世界はそのように出来ている。はやてはまさか、この世の全てが自分の思い通りになるとでも思っているのだろうか。この子は、わたしが思ったよりも危険な思想を持っているらしい。わたしは少し後悔した気分になりながら、ヴォルケンリッターに視線を向けて言葉を続ける。


「そ、そんなことを言っても、それが、か、彼女たちの存在意義じゃないですか」

「そ、存在意義って……」

「か、彼女たちの行動は最適です。な、なのははリンカ―コアを蒐集するのは極めて効率的な選択肢だと思います。ま、魔力の規模は十分で、魔導師として未熟なので。む、むしろはやては彼女たちを称賛するべきです」


 例えばわたしがヴォルケンリッターの立場であるとすれば、なのはを狙うと言うのは賢明な選択であると思う。彼女達の実力は、伝え聞いた話と先ほどの鞘当から推測してなのはを凌ぐと推測できる。戦えば勝てる確率は高い上に、なのはからは相当の魔力を蒐集出来るであろうから、襲撃するのを躊躇う理由は無いはずだ。確かに、なのはは不可思議な力に護られているので成功は絶対とは言えないにしても、その程度のリスクを恐れていては”闇の書”を完成させることなんて出来る筈が無い。


「な、何を言っとるんや! 称賛なんて出来る訳ないやろ! どんな理由があっても、やっていい事とあかん事があるはずや!!」

「い、良い事と悪い事、ですか。 な、なるほど、あ、主であるはやての命令に背いたと言うことですね」


 既に困惑気味のわたしは、はやての回答に漸く理解が出来て深く頷いた。なるほど、要するにそこが問題だったと言うことか。確かに、行動そのものが結果として妥当であれ主の意向に背いたとあっては問題と考えるのはおかしなことでもない。指揮官としての立場で考えれば、はやてが強く責めるのは当然かも知れない。わたしは感心してはやてを眺めるように見つめ返す。うっかりただの女の子の積りで見ていたのだけれど、”闇の書”の主として相応しい大物のなのかも知れない。
 それならば何も言うことはない。何れにせよヴォルケンリッター達の独断専行が問題であることは間違いないのだ――わたしがそう思った矢先、はやてが支離滅裂なことを呟いた。


「それは……何か、違うと思うけど。私に逆らうのは別に構わんのやし」

「? わ、訳が分からないです」


 一体何が言いたいのだろう。独断専行を咎めた訳ではないと言うことか。ならば、考えられる最善の行動を取ったと思われるヴォルケンリッター達を責めるのはやはり理不尽ではないか。わたしは、なのはとは別の意味で訳の分からない理屈を振りかざすはやてにうんざりした。シグナム達は相変らずの調子で押し黙ったままのようだ。何だか付き合うのが馬鹿馬鹿しくなってきた。取り敢えず、今は帰らせてもらおう。その後どうするかは彼にこのことを報告してからだ。


「よ、よく分からないので、もう帰ります」

「えっ?」

「で、では、失礼します」


 挨拶と同時にわたしがバトンを構えるのを見てシグナムとヴィータが反応する。わたしはそれに構わず魔法の詠唱を完成させると、狙い過たずに当初からの目標へ向けて猛毒を秘めた十数本の魔力糸を投げるように打ち出した。シグナムがその内の幾らかを引き裂き、ヴィータがはやての前方に防御魔法を展開して弾き飛ばす。しかし、それも計算の内――何も、問題はない。


「え? きゃあっ」

「シャマル!?」


 明らかにこの中で戦闘能力の劣るのははやて。しかし、その次に弱いのは間違いなく彼女だろう。シグナムとヴィータは意識的にも無意識的にもはやてを庇うであろうし、シャマルもはやてに意識が傾いていた。だから、わたしの放った魔力糸の一本が彼女を狙っていたとしても気が付けない。気が付いたにしてももう遅い。何とか咄嗟に防御魔法で往なしたのは流石は歴戦の騎士と賞賛しても良いが、体制の崩れた状態で本命の攻撃はかわせまい。


【Pin Stitcher】


 魔力で編まれた極細のピンがシャマルの背後に召還され、息を吐く間もなく彼女の背中に突き刺さる。その勢いのまま彼女の体を地面に縫い止めると、体内でうに状に炸裂した魔力の棘が彼女を内側から貫いた。


「か、かはっ」

「シャマル!!」

「てめえ、この野郎!!」


 すぐさまシグナムとヴィータが襲い掛かってくるがもう遅い。シャマルの構築していた結界は既に破れているのだ。わたしは超高密圧縮魔力球を精製してはやてに狙いをつけると、咄嗟に足を止めたヴィータをバトンで打ち据えてその流れのままで飛行魔法を発動する。動揺も無く追い縋ってきたシグナムに砲撃魔法を撃ち放つ。タイミング的にはかわせるだろうけれど、彼女はそうしない。出来ない理由がある。彼女が背後のはやてを護る為に防御を選択するのを確認してわたしはその場を全速力で逃げ出した。






「ふぅ」


 プレシアは相変らず甲斐甲斐しく自分の世話をしようとするフェイトに苛立たしげに息を吐いた。本当にしつこい。ある意味でストーカーに狙われているような気分になってしまう。毎日のように彼女の研究所を訪れては、何か手伝うことはないかと聞いてくる。面倒になって面会を許したのは失敗だったかも知れない。あからさまに無視をしてやっているのに気にもしていないようだ。鬱陶しくなってフェイトの誕生の秘密を教えてやったのは先月のことだったか。暫くはショックを受けてここへ来なくなり、上手く追い払えたかと思ったのだが、しかし、それも一週間前に立ち直ったらしい。何があったのかは知らないが、今まで以上に積極的に話しかけてくるようになってしまった。丁度、マリィの任務に誘われていたらしいから、あの女が余計なことでも吹き込んだのかも知れない。


「母さん、どうしたの? 気分でも悪いの?」

「……ある意味最悪ね、毎日アリシアと同じ顔で囀られると吐き気がするのよ」

「そうか、ごめんね。でも、私はアリシアじゃなくてフェイトだから」

「煩いわね。気が散るから話しかけないで」

「えと、ごめんなさい」


 まるで堪えていない様子のフェイトにプレシアは舌打ちをした。随分と図々しくなってくれたものだ。こうも開き直られるとは思いもしなかった。フェイトの中でどう言う結論に至ったか、どうもプレシアの心情に同情しているような節すらある。


「何度言えば分かるの? 貴女は私の娘のアリシアとは違うの。貴女が拠り所にしている想い出とやらは、貴女のものじゃないのよ」

「……そうかも知れない。でも、それも含めて、全部私だから。それに、私がアリシアじゃないと言う事と、あなたが私の母さんだと言うことは別物だと思う」

「私は貴女のことなんて娘と認めていないわ」

「私はあなたのことを母さんだと思ってる」


 プレシアの冷たい言葉に答えて、フェイトは努めて冷静な口調で静かに告げる。平気なように見えて、実のところフェイトはかなりの無理をしていた。気を抜けば泣き出しそうになるくらい悲しいのを何とか堪える。プレシアが深く絶望しているのは知っている。フェイトがアリシアノ代わりの人形に過ぎないことも分かる。けれども、そんな事は関係が無い。


「はあ……ああ、そう。もういいわ」


 何故なら、疲れたようにいつも折れるのはプレシアだったのだから。そうした後はいつも文句を言いながらもフェイトの世話を受け入れるのだ。彼女を認めている訳でもないのは分かる。使える道具は使おうと言う妥協かも知れない。ただ、それでもこうしている間はフェイトは幸福だったのだ。今はまだ偽りだとしても、フェイトはプレシアが本心から彼女を嫌っているのではないと信じられる気がしていた。むしろ、プレシアは無理にフェイトを憎もうとしている節がある。それはフェイトの勝手な期待だったのかも知れないけれど、敢えてアリシアとフェイトを比較して彼女を貶めようとするプレシアの言動を知るにつけ、フェイトにはそんな気がしてならなかった。


「……そう言えば、貴女、この前に連れて来たクロエ=ハラオウンとか言う小娘と親しいの?」

「クロエ? うん、まだ、友達にはなれていないかも知れないけど」

「そう」

「あの、クロエがどうしたの? やっぱり、この前のことを怒ってるの?」

「別に……」


 気の無いような素振りを装いつつ、プレシアは眉間に皺を寄せて呻いていた。あれは随分と不愉快な小娘だった。プレシアのファンだと言うふざけた理由でフェイトが連れて来たかと思えば、いちいち癇に障ることを言って帰って行った。死者は決して生き返らない。元通りになることなんて在り得ない。プレシアほどの魔導師がそれを理解出来ないはずが無い。それよりも本当の研究は何かなどとほざいた。仮にアリシアが蘇っても、それはフェイトのようにアリシアではない何者かなのだとしたり顔で言うに至って激怒したプレシアが彼女を追い出したのだ。
 どうせマリィ辺りの受け売りなのだろうが、生意気なことを言うものだ。それを超越してこその魔法ではないか。管理局の規定する詰まらない”正しい魔法”ではなく、全てを覆す真なる奇跡は間違いなく存在する。常識に凝り固まった愚者には分からないかも知れないが。


「まあ、そんな瑣末事は良いわ……それより、”闇の書”ね」

「”闇の書”?」


 不思議そうに小首を傾げつつ、フェイトはプレシアのカップに熱いコーヒーを注ぎ足した。プレシアは何か感謝の言葉を言うでもなくそれに口をつけると、研究室に備え付けられた大画面パネルに”闇の書”の映像を映し出した。彼女としても最初はそれほど興味はなかったのだが、資料を読み進める内に少しだけ気分が変わったのだ。”闇の書”そのものはどうでも良い。それ自体を欲しいとも思えないし、手に入れたところでリスクが大き過ぎる。しかし、魔導師のリンカーコアを蒐集して魔法を奪う機構については少し興味があった。もう残ってはいないかも知れないが、もしかすると遥か古代の大魔法の残滓でも見つけられる可能性があると考えれば解析してみるのも悪くない。


「失われた伝説の融合騎と言う奴よ。尤も、本来は魔法集積用巨大ストレージらしいけれどね。ただ、壊れたのか元からそうだったのか、今では欠陥のせいで暴走を繰り返す危険なロストロギアに過ぎないけれど」


 アクアリウムの情報も完璧ではないが、これまでの研究からすればユニゾンデバイスとしての側面や暴走を繰り返す性質そのものは、”闇の書”の本来の意義からは大分外れているようだ。古代ベルカの歴史を紐解いて行く限り分かることは、元は何か失われてはならない魔法を後世に伝えることを目的としていたのではないかと推測されている。その魔法が何かは分かっていないし、そもそも特定の魔法を対象としていたかも不明である。しかし、現在より余程高度な魔法が存在していたらしい古代においても重要視される魔法にはプレシアも興味があった。それが直ちにプレシアの目的に結びつかないとしても、より多くの選択肢を準備することは悪いことではない。追い詰められていたあの時と違って今はそれなりに時間がある。焦って失敗する愚を犯す必要は無いのだ。


「母さん? あの、これが何か……」

「見つかったらしいわ、奇しくも”ジュエルシード”の撒かれた管理外世界で」

「えっ?」


 フェイトが驚愕に声を上げる。それはどんな天文学的な確率の奇跡なのだろう。在り得ないと言うレベルの話ではない。何か作為すら感じてしまう。プレシアはフェイトの反応には取り合わず、淡々と言葉を重ねた。


「……欲しいわね」

「母さん? それって――」

「ねえ、フェイト? 母さん、今度はこの”闇の書”が欲しいわ」


 戸惑うフェイトを久し振りに直視すると、プレシアは珍しく母を名乗って笑った。






「……この状況をどう考えるかしら、クロノ?」

「極めて怪しい――しかし、釣られるしかないかと」


 ”アースラ”の医務室に横たわるなのはから一通りの話を聞き取った後、リンディはクロノを引き連れてブリッジへ向かった。その道すがら、重要な固有名詞を省いてした問いかけにクロノが真剣な面持ちで応える。確かにそうだろう。この状況は何かおかしい。或いは、半年ほど前の”ジュエルシード”事件を髣髴とさせるほどに。しかし、それを疑って慎重に身を屈めてばかりいるのも正解とは言えない。何れにせよ事件は起ってしまったのだから、彼女たちとしては動く他は無いのだ。


「”闇の書”――ね」

「なのはの証言と、彼女のリンカーコアの収縮状態から見て間違いは無いでしょう」

「因縁と言うべきかしら」

「或いは陰謀――いえ、失言でした」

「そう、ね」


 一応は上司に当たるマリィに報告したときの彼女の嬉しそうな笑顔を思い出してリンディは強く歯を食い縛った。思わず罵声が飛び出しそうになるのを頭を振って気持ちを落ち着ける。感情に流されてはいけない。


「しかし、都合よくフェイトはプレシアの世話を理由に休暇中。協力要請はヴァネッサ特別調査室室長の名目で却下されました。クロエは”ジュエルシード”事件の事後調査のため偶然にも第97管理外世界に滞在中。別件任務遂行中のためにこちらも協力要請は不可……疑ってくれと言うようなものです」

「頭が痛いわね。前回はそれで填められた。十中八九、今回も何か裏があるんでしょう。けれど、私たちは動く以外に選択肢は無い」

「何処までがメイスフィールド幕僚長代理の思惑の上なのか……毎度のこととは言え、捜査に余計な不安要素を考慮しなければならないのは厄介です。気に入らないのは、結局それで最後には何とかなってしまうところですが」

「後味の悪い結果ばかりだけれどね」


 前回の事件を始めとして、特別調査室が絡んだ事件の解決率は実に100%に迫ろうかと言うほど秀逸だ。しかし、そのどれもが素直に解決を喜べない結果に繋がってしまうのだ。前回はまだましと言える。危険なロストロギアは回収され、世界の破滅は防げたとしても社会そのものが崩壊するなどの例は枚挙に暇が無い。高々100人未満の死傷者で収まった”ジュエルシード”事件などは円満といって差し支えないだろう。クロノの口からは、間違ってもあれでよかったなどとは言えたものではなかったが。


「素直に捉えれば、クロエが囮、フェイトさんが本命と言ったところかしら」

「否定は出来ません。安易に肯定も出来ませんが」

「やはり、事実上フェイトさんをメイスフィールド幕僚長代理に取られてしまったのは痛いわね」


 彼女の成長は目覚しい。今はまだクロノにも遠く及ばないにしてもいずれ恐るべき戦力に変わるだろう。もしこのまま彼女が特別調査室に正式に所属することになってしまうことを想像すると頭が痛い。クロエは戦闘能力は別とすれば、まだ与しやすい相手ではあるのだ。


「いずれにしても”アースラ”としては事件の捜査を進めるほかありません」

「そうね、メイスフィールド幕僚長代理の動向を気にして何もしないわけにも行かない。クロエやフェイトさんの動きは怪しいけれど、一応は筋が通っている。気に留めるだけは留めて、私たちは事件の捜査に集中するとしましょう」

「はい」

「それで、エイミィにはもう調査を?」

「いえ、相手が”闇の書”であれば必要な情報は既に入手済みです。それよりは、実際に現地に出向いての情報収集を優先するべきでしょう」


 過去の因縁があるが故に”闇の書”について調べられる情報は調べつくしてある。今更新しい情報が出てくる可能性は低いかも知れない。しかし、念には念を入れて過分と言う事もないだろう。そう判断してリンディは一応の追加調査をエイミィに依頼するようにクロノに指示すると、そこで丁度到着したブリッジへのゲートを起動する。


「何事もなければ良いのだけれど」

「……僕は、そう言う期待はもうやめました」


 リンディの疲れた声にクロノは自嘲交じりに応えた。クロエが関わるといつも碌な事が無い。それはもう呪い染みた確定事項なのだ。






「――と、言うことがあったんです」


 わたしは彼と二人、こたつに入って鍋を突付きながら今日の成果を報告した。説明が分かり辛かったのか、彼は時折苛立たしげに怒鳴り声を上げながらも、今日は機嫌が良かったらしく最後まで聞いてはくれた。わたしは何かを考える仕種をする難しい表情の彼のコップに冷たいビールを注ぐと、鍋の中に今日の買い物で割引をしてもらった大きな海老を投入する。彼は海老も好物なのだ。


「”闇の書”……そ、そうか」


 彼はビールを呷りながら短く呟いて、漸く火の通ったらしい牛肉に手を付けた。特に文句も言わずに味わっている所からして、今日はどうやら合格らしい。わたしは自然に笑みの零れるのを抑えきれずに、彼の瞳を覗き込むように隣り合った肩を近付けた。それに気が付いて彼は焦った素振りでわたしの体を押しのける。変なところで初心な彼に、わたしはくすくすと声を上げて笑った。


「な、何がおかしい! だ、だから女は嫌なんだ! 安っぽい挑発はやめろ。そ、そうか、マリィ教区長に何か探るようにでも言われてるのか!?」

「え? ち、違います」


 何か誤解を招いてしまったらしい。相変らずマリィ先生が苦手な彼はわたしが色仕掛けでもしているかのように非難すると、こたつの対面に回るように強く命令をした。わたしは酷く不満そうな顔を隠しきれずにそれに従う。彼はどうも被害妄想が過ぎる気がする。わたしは確かにマリィ先生を尊敬しているし、彼女の指示には出来る限り従いたいと考えている。でも、だからと言ってそれで彼を裏切るなんて在り得ない。いつもそう言っているにも拘らず、彼は全くそれを信じてはくれなかった。確かにこの感情は恋とかそう言う分かり易いものではない。でも、彼の傍に居るととても安心するし、彼の為に何かをしてあげたいと思うのだ。


「ま、まあいい。それより”闇の書”だ」

「や、”闇の書”がどうかしたんですか?」

「い、いや、それ自体はどうでも良い。だ、だが、蒐集には興味があるな」

「しゅ、蒐集した魔法、ですか?」

「ち、違う。蒐集と言う魔法そのものだ。り、リンカーコアを扱う魔法――それに、”闇の書”には転生機能があるんだろう? きょ、興味深いな」


 よく分からないけれど、彼の興味を惹いたらしい。わたしは彼の研究内容については良く分からないけれど、彼が様々なロストロギアの解析を実施していることは知っている。”闇の書”と言えばその中でも一級の代物だ。彼が欲しがるのも不思議ではない。しかし、今は別のロストロギア――”彼方の虹”の調査に訪れているのだ。流石にどちらも片手間に調査するにはわたしには手に余る気がする。元々、調査活動自体にわたしの能力は向いていないのだけれど。


「あ、あの、”闇の書”を手に入れますか? そ、それだと”彼方の虹”は後回しになりますが――」

「な、何で二者択一なんだ! どっちも優先しろよ。だ、だが、”闇の書”を手に入れる必要はない。それより――ええと、そうだ、これだ。こ、これで、蒐集魔法を記録して来い」

「す、すみません。あ、えと、あの、これは……い、インテリジェントデバイス、ですか?」

「そ、そうだ。魔法記録に特化したカスタムモデル。す、ストレージデバイスにAIが付いた特注品みたいなものだ」

「そ、そうですか。え、えと、あ、あなたの名前はなんですか?」

【Hello, I am Rainbow Drops.】


 彼に渡された不思議な色の宝石の嵌った指輪は”レインボードロップス”と言う名前のインテリジェントデバイスらしい。ただし、一般的なインテリジェントデバイスとは違って魔法行使の補助をすることなく、感知した魔法式をそのまま記録することを主な機能として備えているらしい。AIはその魔法の検索用ナビゲータとして搭載されているようだ。


【Can I have your name, please?】

「あ、え、あの、えと、く、クロエ。わたしはクロエ=ハラオウンです」

【O.K. Chroe=Haraown...Resistered! Nice to meet you, Master!】

「えっ? あれ、あの、マスターって」

【No problem. I'm a Device only for you!】


 ”レインボードロップス”に名前を問われ、慌てて応えると何故か行き成りマスター登録されてしまった。しかも、わたし専用のデバイスとまで言い出す始末。訳が分からず、困ったように彼の方を窺うと、彼は特に驚いた様子もなく頷いていた。よく分からないけれど、元々これはわたしの為に用意されていたという事だろうか。確かに、魔法の使えない彼が持っていても仕方ないかも知れない。でも、わたしには既に”トイボックス”があるし、”パーペチュアルエコー”だってある。これ以上デバイスを増やすと使いこなせなくなってしまうし、そもそもわたしは余りインテリジェントデバイスは好きじゃない。肝心なときに迷うようなデバイスは欠陥品だと思うのだ。


「だ、大丈夫だ。そ、それは元々”トイボックス”の付属品だ。AIも魔法行使には影響しないし、変形機構もない。そ、その代わり独立して探索魔法と解析魔法が使えるから、お、お前向きだろ?」

「た、確かに、そ、そうかも知れません。でも、な、何で今になって?」


 それは便利かも知れない。ただ、気になるのはどうしてそれを今頃わたしに預けて貰えるのかだ。探索魔法と解析魔法が使えると言うなら、それこそ”災厄の種”の事件の時にこそ必要だった気がする。わたしがそれを問うと、彼は海老の皮を乱暴にむきながら大声を上げて怒鳴った。


「う、うるさい! お、俺にも事情があるんだ!」

「も、申し訳ありません」


 よく分からない。でも、あの時は渡せない事情があったか、そもそも最近になって入手した可能性もある。いずれにしても彼を疑っても仕方がない。わたしはわたしのやれる事をやれるだけだ。インテリジェントデバイスの相手をするのは慣れないけれど、良い経験と思うことにしよう。


「あ、あの、”レインボードロップス”? そ、それじゃ、よろしくお願いしますね」

【Sure. I'm looking forward to working with you!】


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