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20100807

[]客が悪い、店員が悪い、世のなかが悪い

http://d.hatena.ne.jp/T-3don/20100805/1280992927

 ここ読んでちょっと思うところがあったので、日記書く。

 俺の商売はコンビニのオーナーで、現在は、関東地方でありながらもまずクソ田舎といっていい場所で店をやってます。が、ここで店を開く前は、逆に都会といっていい場所で雇われで店長をやってました。

 で、客の雰囲気が両方でまったく違う。これ、何度か書いてますけども。そこまで極端なものかっていうと、そりゃ個々の客のレベルでいえば例外はいくらもありますが、トータルとして受ける印象は、ほんと呆れるほどに違う。

 具体的には、都会の客はコンビニの店員のこと人間と思ってない。田舎の客は店員のこと人間と思ってる。こう書くと「都会には人情がない。俺は冷たい都会の雨に打たれて一人さまよう孤独なソルジャー」とかおもしろ感想とか抱きがちなところですが、一概にどっちがいいとはいえないです。なぜなら、店員を人間扱いしない場所では、店員の側も客を人間扱いしないでいることができる。つまり、効率的なんですよ。レジカウンターというものを挟んで、そのこっち側にいる人間も向こう側にいる人間も、両方人間じゃない。人間じゃなければなにかというと、コンビニっていう自販機ですね。それ自体がシステムなんです。これはこれで悪くなかった。

 逆に田舎の客は効率悪い。ほんと悪い。人間だからです。たとえば迷惑な客とかいても、それが地域の共同体のなかでまともに人間扱いされてる人だと、決して無碍にはできないんですよ。店員の側だって共同体の一員なんで、酔って絡んでレジで女の子の手握ってくるようなじいさんであろうとも「迷惑なんで帰ってください」は言えない。俺は言えます。でも店員は言えない。なぜなら顔見知りだからです。「店員として客を処理した」のではなくて「○○さんちの○○ちゃんが、××さんのことをひどい扱いした」ということになるからです(やや極論ですが)。

 俺自身の考えでは、コンビニに限らず、小売なんぞ物の仲介してるだけで、接客とかはそのおまけとして存在してるものであり、おまけのほうが極大になったときには、価値が逆転して接客がメインになって、そのぶんコストが上がるって感じです。だから、それは「商品を売る」ためのシステムであって、それ以上ではない。でも田舎では、地元の人間関係というものが、店を成立させるためのシステムのなかに食い込んできて、二重になってる。放っておくと、地元の人間関係のほうが大きく店を支配して、モノを売る組織としては効率的ではなくなってしまう。難しいとこです。


 ただし、話を「客の態度」という一点に絞ったときには、都会はほんときつい。もっともこれ、ニワトリとタマゴの話じゃないかって考えかたもあるわけです。つまり、コンビニの店員の接客がひどいから、客の態度もそれ相応のものになる。

 ま、原因の追究はほかの人に任せます。生活様式の多様化による人間の断片化とかなんとか、都市化による云々かんぬんとか、まあなんかそれっぽい理由はあると思うので。だけど、現実的には、都会では接客に積極的な店員を育てることは相当に難しい。

 俺のクソ粘着質な研修を経て、バイトがレジに立ったとしますよね。お客さんには失礼はあってはならない。明るく元気な声と素敵な笑顔でお客さんをお迎えしろ。お客さんは基本的に急いでるから、速度を維持しつつ、その短い時間で感じよく接客するためのノウハウとか詰め込まれて、一生懸命事務所で俺と練習して。さあ現場デビューですよ。

 そんで初日のレジ打ちを終えた店員が必ず思うこと。

「なぜお客さんは、みんなあんなひどい態度なんだろう」

 これは例外なく、全員が思います。接客バイトの経験のある人は思い出してもらってもいい。思ったはずです。「客最低」と。もちろん、全お客さんが最低なわけじゃない。感じのいい人だっています。でもトータルの印象としてバイトのなかに残るのは「いやな感じの人ばっかりだった」ということです。まあ、これには「人間は、よかったことよりいやなことのほうが印象に残りやすい」っていうカラクリはあるわけですけど。実際に「あーあ」って思うような印象の人って半分くらいかなあ。それだって立派に多いんですけども。

 なにより、コンビニに来る客全員が、本当にいやな人間であるはずはない。都会だから田舎だからということで「本質的に」人間がいいやつか悪いやつかなんて決まるはずがないです。トータルとしては、人間はいつだってだれかにとってはいいやつで、だれかにとっては悪いやつです。


 リンク先の内容は「クレームが入った」ということで、ちょっとそれとは話がずれてます。ただ、店員を人間扱いしない客には、店員が自販機として有効に機能しないと舌打ちをするような人々が一定数混じってます。つまり、レジが遅い場合。あと接客のあいさつとかちゃんとできてない場合。俺は、サービスのレベルってのは周囲との競争の兼ね合いで決まると思ってて、いま、世のなかの標準が「いらっしゃいませとか言ってあたりまえ」になってるから、どこの店もいらっしゃいませ言うわけです。

 もちろん、うちのパートの接客最強のおばちゃんみたいに「せっかくうちに来てくれたんだからさ、元気になって出ていってほしいじゃない。仏頂面してたって楽しいことないわよ」って心底からいえるなら本物です。みんながそうなら、これはすばらしい。俺も教育いらなくてちょう楽ってもんです。でも現実的にはそうじゃない。いくらがんばっても「ありがとう」なりなんなりの一言もない人たち相手に、ずっと笑顔で、心の底から感謝の気持ちを持って、なんてのは人間そうできません。時給の問題じゃないんですよ。たとえ時給1200円払ったって、永久に「ありがとうございます」が空振りしつづける状況に、人はそう耐えられない。逆に、時給が780円であろうとも、お客さんが「ありがとう」って一言いえば、それだけでバイトのモチベーションは上がる。俺が「人間は金だけでは動かない」と断言できるのは、そうした例をいくらでも見てきてるからです。そこ飛び越えて、客を元気にさせるような接客ができるとしたら、それはもう才能の一種というほかない。

 ちなみに、店員を人間扱いしない人たちで、いちばん多いのは、金持ってそうなおっさんです。あれはほんとひどい。次いで50歳とか60歳とかのじーさん。もうねー、仕事しててひしひしと感じるんですよね。「しょせんコンビニのバイト風情が」っていうの。店長でやってたって一緒です。完全に見下してるのよくわかる。

 コンビニのバイトとか、警備員とか、そういう仕事を「下層民のやることだ」と思ってる層は一定数、かならず存在する。そういう人たちにしてみれば「社会の下層で働いてるおまえらに、俺ら商品買うことによって金分け与えてやってんだから感謝しろ。ちゃんと働いてあたりまえだ。使えねえのとかはまじクズ」っていう思考法がある。極論すりゃ、ですがね。そして、俺はここを強調しときたいですが、店員が「店員」として以外の存在のしかたを許されていない都会ほど、この傾向は強まる。店を離れたらもう会うことのない他人ですから。いま俺が店やってるような田舎では、その傾向がずいぶんと弱くなるのです。店員っつったって、知り合いの知り合いくらいには含まれちまいますから。

 リンク先の事例は細かいことがわかんないので、憶測になっちゃいますけど「妬み」っていうのは、ちょっとよくわからなかった。俺にとっていちばんしっくり来る説明は「下層民仕事さぼんな」っていう目線がそこにあった、というものです。


 まあこれは説明のしかたのひとつです。単純にいえば、競合がこんだけ激しい世のなかで、店の側は接客レベルを上げるを得ず、自動的に客の要求基準が上がるって話かもしんないです(たぶん主要な原因はそっち)。社会的なストレスのせいで、虐げられた境遇の人は、より弱いものに向けてストレスを発散しがちな傾向があるってことでもあるでしょう。

 要因は複合的もいいとこだとは思うんですけども、とにかく現象としては「ある人々が」「ある職種の人々に対して」侮蔑の視線を向けがち、てなことがあるんじゃないかと俺は思ってるわけでした。

 以上、たとえば都会の店舗でも接客最強の店があったり、逆に田舎で殿様商売やってて「売ってやってんだよww」って感じの店もあるよ、みたいな数多くの例外があることを承知のうえで、あえて図式化して書いてみました。

 てゆうわけで、タイトルを先に考えて書いたわけなんですが、あんまり関係なくなりました。これも釣りの一種なのか。


 あとあまりにひさしぶりに日記書いたら、はてな記法完全に忘れてタイトルのつけかたまちがった。