<分析>
広島は6日、65回目の原爆の日を迎えた。秋葉忠利広島市長は平和宣言で、日本政府に非核三原則の法制化や「核の傘」からの離脱を訴えた。平和記念式典には潘基文(バンキムン)国連事務総長や原爆を投下した米国の代表、核保有国の英仏代表も初めて参列。核兵器廃絶の潮流を加速させる「8・6」となった。鎮魂から核軍縮に向けた象徴の場へヒロシマの位置付けも変わりつつあるが、核廃絶の実現には政治の現実が立ちはだかる。(2、6、24面、社会面に関連記事)
広島市中区の平和記念公園で午前8時に始まった平和記念式典には、過去最多の74カ国から駐日大使らが参列した。オバマ大統領が「核兵器なき世界」を提唱した米国からはルース駐日大使が出席した。大使は、式典の最中、硬い表情を崩さず、終了後はすぐに会場を去り、大使館を通じて「未来の世代のために、私たちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後も協力していかなければならない」とコメントを出した。
秋葉市長は平和宣言で「核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めている。世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつある」と強調。非政府組織(NGO)や国連と協力し、自身が会長を務める平和市長会議が提唱する2020年までの核廃絶実現を掲げた。
潘事務総長は朝鮮戦争中、戦火に包まれた故郷から逃げ出した記憶が平和を願う原点と自らの体験を引き、「被爆者の方々が生きている間に、核兵器のない世界を実現しよう」と呼びかけた。式典後の講演では、核軍縮・不拡散をテーマにした国連安全保障理事会首脳級会合の定期開催などを提案した。
今年の平和記念式典は、いつになく国際政治色が強まった。核兵器廃絶の実現に向けて被爆者らの間で歓迎する意見は多いが、「慰霊の場としての式典を忘れてはいけない」と危惧(きぐ)する声も聞かれる。
一方、日本政府は核軍縮・不拡散の機運が国際的に高まり、広島や長崎が象徴としての比重を増すことを歓迎している。民主党政権として初めての原爆の日。政府からは菅直人首相のほか、岡田克也外相らが参列した。外相の出席は初めて。首相はあいさつで「唯一の戦争被爆国である我が国は、『核兵器のない世界』の実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」と表明。オバマ大統領が昨年4月のプラハ演説で唯一の核使用国の「道義的責任」に言及したのに呼応して核軍縮・不拡散に積極的に取り組む姿勢を強調した。
しかし、首相は式典後の広島市内での記者会見では、秋葉市長が平和宣言で「核の傘」からの離脱を求めたことに関し、非核三原則を堅持するとした上で「核抑止力はわが国にとって引き続き必要だ」と強調した。
核軍縮の機運は盛り上がっても、世界の核弾頭の約95%を保有する米露の核軍縮交渉は、戦略核削減では進展をみせるが、戦術核削減は進まない。また米露の核兵器の削減が進めば、増強を続ける中国の核戦力の価値が相対的にあがっていく可能性もある。北朝鮮、イランなどの核開発問題も未解決のままだ。
岡田外相は6日午後の会見で、秋葉市長の「核の傘」離脱要求について「核を持っている国が北朝鮮、ロシア、中国とある中で、米国の核の傘なくして日本国民の安全を確保するのは極めて困難だ。核の傘と核軍縮は矛盾しない」と述べた。外務省幹部は「これまで核軍縮は理想だったが、現実にどう減らすかが問題になってきた。ただ減らす状況からゼロ(核廃絶)にするのは難しい。核の傘の恩恵に浴しながら、どう実現できるのか道筋は描けていない」と語る。【矢追健介、野口武則】
式典には約5万5000人が参列。秋葉市長と遺族代表2人が、この1年間に死亡または死亡を確認した被爆者5501人の名簿2冊を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。原爆死没者名簿は計97冊、死没者数は計26万9446人になった。
毎日新聞 2010年8月7日 北海道朝刊