2010-03-17
欲しいのは情報ではなく経験
最近、様々なブログ主様とヤリトリさせていただいているのですが、話題に上がるのは『どのような記事が読まれるのか』ということです。書き手としては誰かに読んでほしい気持ちは共通です。読んでもらうためには、つかみにおいてキャッチーな行為をすることは必要かもしれませんが、読むことを強要するようなことを続けることは逆効果で、自然と離れていくという点で意見の一致をみました。そもそも、ネットの特性上として物理的に強制はできないということもあり自然淘汰が激しいというのが正解だと思います。
そのような自然淘汰が早い環境下で、どのような記事を書けばいいのか。
人気のエントリーを分析してみますと情報を紹介するにしても、その情報だけを並び立てるのではなく、その事実関係やバックグランドなど、『一歩踏み込んでいるエントリ』に人気は集中しています。ただ単に情報を右から左に流すようなエントリはサイト自体に人気がない限り見向きもされていません。その他のエントリも見渡してみますと、何が読者に求められているかが何となく分かってきます。
そこに意志、意見があるか。
情報は編纂されなければ意味を持ちにくいものです。ダイヤも磨かなければ価値はありませんし、石油も精製しなければ役に立ちません。情報においても意志、意見をもって編纂することで読み応えのあるものに『変化』させることが可能です。論理が飛躍している部分や欠けている部分があるかもしれませんが、その熱い意志や意見が記事に滲み出しているそんな記事が読まれるのだと思います。つまり『心の底から出た言葉』、『頭で汗をかいた言葉』こそが、読者を引きつけるのだと思います。
無論、それらの本気の言葉には自然と人間性が表に出たりしやすいもので『好き嫌い』が出来きやすいことは確かです。賛否両論な意見にこそ人が集まるのです。どちらともいえないものを深く掘り下げていく行為こそがその賛否両論に関わった人全体に高い価値を生み出すのだと思うのです。
いろんな角度から見て、自分なりの意思や意見を書かれているところにこそ価値がある。
『自分はこう考える』や、『自分の意見はこうだ』と書くと思慮不足で叩かれることもしばしばです。しかし、私はそれこそが面白いのだと思うのです。ポジティブ・ネガティブフィードバックの過程において学ぶべき所は非常に大きいですし、何より思い込みがどんどん排除されていき可能性を探る行為に前向きになれます。
個人の考え方や、趣向などが全面に押し出されている魂の叫びのようなブログは魅力的です。単なる情報を個人の体験から基づく考察により、参考情報に変化させることが書き手に求められていることだと思います。そして読み手によるフィードバックを取り込み、体験や知見を広げていくことでさらなる発展を遂げるそんなブログが増えていって欲しいと心から願っています。
求められているのは『こんな事をした』よりも『した理由』、『した結果』、そして『して考えた』です。
参考文献
- 作者: ジェームズ・スロウィッキー,小高尚子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/01/31
- メディア: 単行本
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参考記事
簡単に「コンテンツ」と呼ばれるブログ記事を作る方法*ホームページを作る人のネタ帳