2010年08月07日

「日韓併合100年」謝罪問題(弐)

「英霊を冒涜する土下座外交」(4)

 「日韓併合100年」謝罪問題(弐)

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 前回の「日韓併合100年」問題はこちら→(壱)

 この問題については多くのブロガーが既に書いていますが、私も自分の考えをシリーズで書いてみたいと思います。

 のどもとに匕首(あいくち)を突きつけられるーという言葉があります。どうにもならないという状況を表す言葉でもありますが、朝鮮半島こそはまさに日本に突きつけられたアイクチであった訳です。

 日本の近代史を検証すれば、いかにこの朝鮮半島問題が日本に取って死活的な重要な問題であったかが理解できます。明治維新直後に起きた征韓論争がそれを物語っています。

 これは武力を持って朝鮮半島を開放しようとしたことだけが強調されていますが、実際にはそのような武力的なものだけではなく、西郷隆盛などは出兵までは考えておらず、むしろ話し合いによって開国させようと考えていたと私は思います。

 ただ、この朝鮮半島がどうなるのか?或いはどうしなければならないのか?それは明治時代における日本の近代化の中では避けて通れない重大な問題でした。

 日本が対外的にどのような国策追及をなすべきかと考えた時に、この朝鮮半島問題は日本外交の将来を決する分岐点として登場し論じられたということです。

 日本は当時非常に緊張に満ちていた朝鮮半島問題を避けることも可能だったとは思います。しかし、日本の近代史は敢えてその重苦しい日本ーアジア同盟という虚構に向かって進みだした。

 この時にこの朝鮮半島問題に深入りすることがなければ、その後の不幸な支那大陸への進出や米国との対立も回避されたかも知れません。

 そのように考えればこの朝鮮半島問題こそは、日本に取って極めて不幸な悲劇的な結果をもたらした国家的な政策の失敗・誤謬であったという事になります。

 では、当の朝鮮半島において、明治維新以降の日本はどのように見られていたのか?一方的に侵略したとしか戦後史の中では取り上げられていない。

 しかし、もう一度検証すべき問題があります。それは「金玉均の悲劇」と呼ばれた事件です。ネットで検索したら一番最初に次のブログがありました。

kingyokukin

 『かつて日本は美しかった』というブログの中にある「朝鮮・悲劇のヒーロー・金玉均」というエントリーです。

 (この記事は是非読んでみて下さい)

(写真は下記サイトから引用しました。)

http://www.sunfield.ne.jp/
~keigo/sakuhin/sunaga2/
sunaga02.html
 



日本側が「韓国併合100年」を振り返る時には、現在における日韓の政治的な衝突や歴史上の加害者・被害者論だけで論じることの愚を避けなければならない。

 特に朝鮮半島問題では日本は何らの主体性、自主的な姿勢を戦後示せないで来た。

 これは非常に無責任なことであり、相手の言うがままに従うことが正義ではない。罪悪感によって習性化されてきた、我々日本人の朝鮮半島の歴史観を今こそ粉砕し、正しい歴史観に立ち戻らなければならない。


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Posted by the_radical_right at 07:45│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!特定アジア(韓国) 

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