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[17050] ブリジットという名の少女 【GUNSLINGERGIRL】オリ主転生物
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:30
ガンスリ二次創作転生オリ主 TSものです。
ただし注意。

・この作品の都合上、グロテスクな暴力シーンや性的単語を扱うシーンがあります。
・劣化凄まじいです。

8月6日

感想欄で指摘して頂いた誤字を直しました。
これからもご指摘よろしくお願いします。




PS

親記事を誤って削除してしまいこうして再投稿することになりました。
SS-FAQ板で質問に答えて頂いた方、本当にありがとうございました。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。

なお、皆さまから頂いておりました感想は私の愚かな不注意によって消えてしまうことには耐えられず、ログを取りこのスレッド内でアップさせて頂くことになりました。
もし削除依頼などがありましたら、感想掲示板にてお知らせください。


皆さまには多大なご迷惑をお掛けしますが、何とぞこれからもよろしくお願いします。


さらにPS。

感想ログが規則違反ということを教えて頂いたので削除しました。
ただし、それ自体は保存してあるのでこれからの執筆の糧にさせて頂きます。



[17050] 第0話 俺が義体になった日 【ついでにアルバニア人探し】
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/06 01:11
 コートを着た彼女の背中は大きそうに見えて意外と小さい。
 流れるような金のツインテールがひょこひょこ動いていて、思わず手を伸ばして触りたくなる。
 これが平時の時ならその健康そうな褐色の肌とあわせてご堪能していた所なんだけど、如何せん今はタイミングが最悪だった。 
 銃声と叫び声が前から聞こえる。
 旧式のショットガンを振り回すツインテールの少女を見て、自分は今戦場にいるのだと激しく実感する。
「あーあ、早くクリスマス(ナターレ)にならないかなあ」
 俺のやる気のない嘆きは、銃声にかき消されて誰の耳にも届かなかった。


「トリエラ、その壁の向こう……そうその壁。それをウィンチェスターで撃ち抜いて見て。面白いことになるよ」
 俺はMP5を片手で持ちながら先行していたトリエラにこう言った。彼女はこちら側を一瞬だけ見ると、意図を察したのか何のためらいもなく引き金を引く。
 モルタル材が弾けとび、複数の鉛球が壁を貫いていった。
「ああああああああ!」
 聞こえたのは断末魔。散弾の雨を壁越しに浴びた哀れな男が扉を突き破って出てきた。全身血塗れで所々が欠損しているがまだ息はあるらしく、鬼のような形相で俺達を睨みつけてきた。
 俺はトリエラを後ろに下がらせると、MP5を構えてその男の眉間に照準を合わせる。
「そこのおじさん? 何か言い残したいことはある?」
 男が拳銃を構える気力もない事を知って、俺は飄々とした口調で言いのけた。我ながら中々外道だと思う。だけれども少しの慈悲は含んでいるので、男の遺言を素直に聞いてやろうとしているのも事実だ。
 ただ、男の一言は遺言などという生易しいものじゃなくて、俺達に対する呪詛の言葉だった。
「この、悪魔どもがっ!」
「っ!」 
 血と共に吐き出された言葉に、俺は引き金を引くことで答えた。男の眉間が吹き飛び、脳漿を撒き散らしながら倒れこむ。盛大に返り血を浴びた俺は、トリエラに小突かれて移動を促されるまで銃を構えたまま固まっていた。
「ちょっと大丈夫? 顔色悪いよ」
「いつもの事よ。ああいうのを聞くとどうしても体が言うことをきかなくなる」
 俺は心配そうに顔を覗き込んでくるトリエラを制して、襟元に取り付けたピンマイクを手に取った。簡易無線機に繋がったそれは外界と連絡をとる唯一の手段だ。
「もしもし? アルフォドさん? 二階の掃討が終わりました。アルバニア人はいません。どうやら外れのようです」
 返答は耳に取り付けられたイヤホンから聞こえる。向こうから聞こえる声は条件付けされた俺の心を安心させ、ある一定の充足感を与えた。
「あー、あー、こちらアルフォドだ。良くやったな、ブリジット。お手柄だ」
「いえ、頑張ったのはトリエラです。私は止めを刺しただけです」
「はは、ならトリエラも褒めないといけないな。……ほらヒルシャー、労いの言葉でも送ってやれ」
 見ればトリエラも俺と同じように耳元のイヤホンから音声を聞いていた。あの様子ならヒルシャーから何か言われて、どう反発しようか考えているのだろう。
 この時点では後のベタ惚れが嘘のようにドライだから当然といえば当然か。
「で、ブリジット。息のある奴はいるか? 出来れば正しいアジトの答えを聞きたいんだが」
 トリエラ観察に水をさしたのはアルフォドだ。この担当官は中々に優秀だと思うのだが、少しばかり配慮というものが掛けている。褒められて直ぐに仕事の話をされるとどうしても白けてしまうのだ。
 だが、担当官の質問を義体の俺が無視できるはずもなく、強制的に応対させられてしまう。まあ別にいいけど。
「一人手足を切りつけて縛り上げた奴がいます。そいつに聞いてみましょう」
「ああ頼むよ。俺達も直ぐ上がる。少し待ってろ」
 無線が切られたのを確認して、俺はMP5を背中に背負った。皮手袋を着けた拳をぱきぽきと鳴らし、縛り上げた男のいる部屋に向かう。
「さて、精精あの二人が引くぐらいにボコりあげますか」
 いつの間にか暴力を行使することが当たり前になっている自分に気がつく。しかしこの世界、この時間軸、この立場ではそれは当たり前のことだと、ここのところ割り切り始めている。
 だってそれもその筈、

「GUNSLINGERGIRLの世界じゃ仕方ないよなあ」

 再度の呟き兼嘆きを聞いたのは、何度も顔面に鉄拳を打ち付けられている哀れな男だけだった。


「拉致監禁の上での自殺未遂ですか?」
「はい、どうやら犯人グループによる性的暴行と虐待を日常的に受けていたようで……
 隙を見て四階から飛び降りたそうです」 
「いいとこのお嬢さんなのに残念だ」
「全くです。で、この娘はお宅の――公社が引き取るんですか?」
「ええ。此方の社会復帰プログラムで回復させます。勿論国のお墨付きですよ」
「それは心強い! 彼女の将来に関して我々は最早無力です。どうか彼女を助けてやってください」

 アルフォドは任せてください、と言い掛けてその口を噤んだ。
 どれだけ唇を動かそうとしてもその一言が出てくることはない。

 クリスマスの翌日、良く冷えた雪の日のことだった。


 自分の死因なんて覚えていない。
 オタで引きこもりだった自分のことだから不摂生が祟って病死でもしたか、火事に巻き込まれたか、それとも家に押し入ってきた強盗に殺されたか――
 どちらにしろ碌な最後じゃなかったと思う。だから神様が用意してくれた次の人生だとその時は思った。
 ふと意識すれば長い間無くなっていた四肢の感触が蘇り、血の巡りを感じるようになる。
 目を開けるまでは一瞬だった。気だるい感触と肌寒い気がしてついでに吐き気のトリプルパンチ。頭のどこかでは蘇るのってとても辛いことなんだなとか、間抜けなことを考えていた。
 医者なのだろうか? 白衣を着た眼鏡の男が俺の顔を覗き込み、今度は白衣すら着ていない優男風の外国人が俺の前に立った。
「ブリジット、どんな気分だい?」
 医者じゃないほうの男が問う。当たり前だが現代日本で引きこもっていた男の俺が、そんな滑稽な外人さんの名前なわけがなく、暫く誰のことかわからなかった。
 だが何となく俺に聞いているんだな、と判断した俺はごく自然に今の気分を答えた。
「さいあく」

 
 ベッドで眠り続ける裸の少女は、前に見たときとは別人そのものだった。身長はそのままだが夕焼けの様な赤毛は、夜空のような美しい黒に変わり顔立ち事態が幾分か大人びた雰囲気になった。
 ここまで変わってしまってはいくら近親者でも、もう彼女を彼女だと識別できることはないだろう。
 彼女は自殺未遂の少女から公社の犬としてテロリストどもを刈り取っていく義体と呼ばれる少女となった。
 正直俺はこの少女の担当官になることは乗り気じゃなかった。
 何故なら俺は彼女に同情の念しか沸いてこないからだ。裕福な家庭に生まれて教養を持って育ち、幸せなこれからを約束されていたのに、身代金欲しさに外道に走った誘拐犯に拉致され強姦されて、自殺しようとしてもそれすら適わなくて、汚された、汚れたといって家族からも見捨てられて、
 挙句の果てには死ぬまで誰かを殺し続けなくてはいけない義体に知らないうちに改造されて、
 涙腺の脆い俺は彼女の生い立ちとこれからを考えるとどうしても涙ぐんでしまう。医師の話によれば義体になる前の記憶は洗脳によって消去されているらしいが、全てを知っている俺としては彼女にかける言葉が見つからない。
 ふと、視界の端で彼女の睫が震えた。
 近くに待機していた医師が慌てて立ち上がり、彼女の脈を取る。どうやら覚醒が近いようで彼女の顔を覗き込んで何か声をかけた。
 俺は彼女のベッドの前に立ち、彼女が目覚めるのを待つ。
 そっと、長い睫が開かれた。
 虚空を映す黒い双眸はまるで故郷のシュバルツバルトの森のようだった。
 俺は彼女の名を添えて、一つだけ質問をした。
「ブリジット、どんな気分だい?」
 ブリジットはまだ意識がはっきりしないのか、ぼおっと俺の顔を見つめていた。やがて口を開く元気が出たのか、形の良いピンクの唇がわずかに開かれた。
「さいあく」
 突然のことに面食らう。そして、自然と笑いがこみ上げて来た。なんということだ。これまで義体の覚醒の瞬間に立ち会ってきた担当官は何人もいるが、最悪と罵られたのは俺が初めてだろう。
「さむい」
 裸の体を隠すようにして身を捩るブリジットを見たとき、俺は何か可愛らしい服を買ってやらないといけないなと思った。



 俺がGUNSLINGERGIRLの世界に転生したと気がつくのにそれ程の時間はかからなかった。義体という単語とここがイタリアであることだけでも十分な証拠になるのに、公社の宿泊施設でのルームメイトがトリエラで、初めての模擬戦闘の相手がリコだったことからそれは言い逃れようのない事実だった。

 原作にはいない(知らないところにいたかもしれないが)ブリジットという少女の体。
 そして頭の中にいつの間にか叩き込まれている戦闘に関する知識云々。何より蹴り上げたリコの体が吹っ飛んでいくこの怪力――、
 改めてTSオリ主モノの主人公になったことを痛感し苦悩する。
 これから沢山の人を殺していかなくてはならない。
 これから沢山の人が死んでいくのを見ていかなければならない。
 これからの行動方針を考えるほど、頭に余裕がない。
 それでも折角始まった第二の人生だから、少しだけ頑張って見ようと思う。
 
 今日もアルフォドという俺の担当官から貰った薬と菓子を口に詰め込んで一日を過ごす。
 冬も開けて春が見え始めたミラノは大変過ごしやすかった。



[17050] 第1話 自分のことを考えた日 【ついでにトリエラのこと】
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/06 01:12
「ブリジット、フルオートで五体の的を順に撃て。外すなよ」
 アルフォドの指示を聞いて俺は支給されたMP5を構えた。安全装置も兼用している切り替えツマミをセミオート(単発)からフルオート(連射)に切り替える。
 20メートルほど離れたところに人型の的が5体ある。それぞれ顔面の位置にマーキングがしてあり、そこを狙えば人体に致命的なダメージが与えられることが伺えた。
 発射音はサプレッサー(減音器)を取り付けてあるお陰か、それ程大きくなかった。
「アルフォドさん。弾痕確認をお願いします」
 俺は銃口を下げて安全装置をかける。これは公社で何度も教えられたことであり、銃器を扱う上でおろそかにしてはいけないことなのだ。
「あー、うん。全部当たっているな。しかも早い。よし、今日はどこかでジェラートでも食べさせてやるか」
 アルフォドに褒められて自然と頬が緩んだ。ここで言い訳染みたことを言わせて貰うなら、断じて俺が男色なのではなく、義体は洗脳によって担当官に愛情を持つように仕向けられているため、彼から言われる一言一言に喜びを感じる精神構造になってしまっているのだ。これは中身が確固たる意思を持っていても覆せるものではないらしい。
 だから俺は早々に条件付け(洗脳のこと)に逆らうのを諦め、アルフォドの言葉に従うようになったのだ。(断じて餌付けされたわけではない)



 転生した俺がまず考えたのは転生前のこの肉体の持ち主――つまりブリジットという少女についてだった。
 原作では義体になる場合、殆ど過去の記憶は洗脳で消されていたから大して期待はしていなかったのだが、それでもここまで何も覚えていないとは思わなかった。
 ただこの条件付けも寿命が迫ると徐々に解除されていくらしいので、何も覚えていないということは裏返しで言えば、このブリジットという少女の体がまだまだ義体としての使用に耐えうるということなのでそれ程悲観する事もなかった。
 ここで俺はブリジットについて考えるのを止め、原作キャラ達がしっかりこの世界で生きていることを確かめることにした。
 トリエラがいなければピーノと戦うのが自分になるかもしれないし、ビーチェがいなければ自分がミサイルを抱えて爆死することになる可能性があるから、これはかなり厳密に調査を進めた。もちろん公社に義体と担当官のことを嗅ぎ回っているとバレれば面倒くさいことになるので慎重に慎重を重ねたが。
 結論から言ってしまえば、原作との相違点は自分がブリジットとしてこの世界に存在するということだけだった。まあそれによって生じるズレ――トリエラのルームメイトが自分になって、本来のルームメイトが別のところに行っていたり、そのトリエラと結構仲が良くなったという相違点があるがこれについては仕方がないと割り切るしかない。
 大体、担当官の命令にそうそう背くことが出来ず、自らの意思で行動することが非常に難しい俺がこれからの未来を知っているのは大したアドバンテージにはならないのだ。
 なら出来るだけ戦闘技術を磨いて生き残ることを考えるしかない。
 幸い現代日本人としての思考は一部を除いて殆ど条件付に縛られているらしく、戦闘訓練も難なくこなせるし銃器の扱いもプロの軍人並みだ。初陣で人を撃った時もそれほど悩むことはなかったし、何より人を殺したという一種の興奮と、アルフォドに褒められた嬉しさが俺を支配していた。
 これだけなら義体という少々不安な生活も順調そのものだった。



「聞いたよ。射撃訓練でまた満点を貰ったんだってね」
 部屋でジェラートをペロペロ舐めていたらトリエラから話しかけられた。
「うん。あれ、とても簡単だから」
 俺はトリエラのほうを見ずにジェラートを舐め続ける。トリエラはそんな俺に思うところがあったのか、ズカズカと大股でこちらにやって来るとそのまま正面に腰掛け、俺の持っているジェラートを反対から舐めた。
「……間接キス」
 せっかくのアルフォドからのご褒美を取られた俺はジト目でトリエラを睨み付けながらこう言った。だけど俺は知っている。この少女はそこらへんのケツの青いガキとは違ってそんなこと微塵も気にしないことを。
「だからどうしたの? 女の子同士だから別にいいでしょう」
 最初は俺のことを警戒して近寄りもしなかったくせに、今ではこうして人のジェラートを遠慮なしに舐めてくる仲になっている。まあ俺の中身は男だからこういった同性愛的な展開はバッチコーイなわけだけど。
 話題は自然と訓練の話になる。
 俺はジェラートを舐めるのを止め、改めてトリエラに向かい合った。
「トリエラは銃の取り回しがへたくそ。でも格闘は私よりも強い」
 そう、別に下手糞というほどでもないが、確かに互いの得手不得手ははっきりとしていた。射撃なら俺、格闘はトリエラという風に。
「でもやっぱりブリジットは凄いよ。格闘での差なんてホント微々たるものじゃない。この前もGISを圧倒していたし」
「まぐれだよ。あの人たちが弱かっただけ。本番なら多分トリエラのほうが上手くやる」
 この話はもう終わりだ、という風に俺はジェラーとをそのまま口に詰め込んだ。トリエラが抗議の声を挙げるが俺は無視する。
「私、もう行くね。アルフォドさんに呼ばれているから。クリスマスのプレゼントを選びに行くんだって」
 原作を知っている俺からしてみれば、トリエラの藪を突っつく少々危険な発言なのだが、それは自然と口から出ていた。
「ふーん。ブリジットはナターレのプレゼントを自分で選べるんだぁ」
 不機嫌さを隠そうともしないトリエラの台詞に俺は苦笑するしかなかった。まさかこれ程までに予想通りとは。
「トリエラは自分で選べないの?」
「全然。ヒルシャーが勝手に熊のぬいぐるみを送ってくるだけ。あの人は適当に贈り物をして私の機嫌を取りたいだけなの」
 本当、後のベタ惚れぶりが嘘のようなドライな反応だ。これでトリエラが将来惚気たりでもしたら散々からかってやろうと思う。因みにヒルシャーというのはドイツ人でトリエラの担当官だ。
「でも、貰えるのはそれだけで幸せだと思う。だって、生きていないとそれは貰えないものだから」
 トリエラからの返事は無かった。俺は背後からの無言の意味を噛みしめて部屋を後にした。



 私とブリジットは五共和国派のアジトと思われるアパートの裏で突入の準備に備えていた。
 MP5にサプレッサーを取り付け、サイドアームズのシグを腰のホルスターに収める彼女を私は眺める。
 彼女は不思議な子だ。今まで見てきた義体の子とは全然違う。こう義体ぽくないというか、人間ぽいというか上手く言葉には出来ないけれども、私を含めてそのほかの義体とは何処か違うのだ。何よりも大人びているし、その実力も折り紙つきだ。
「ねえトリエラ」
 そんなことを考えていたから、彼女から話しかけられた時、思わず心臓が跳ねた。
「な、なに? ブリジット」
 準備を終え、MP5の安全装置を外した彼女は一拍置くとこう言った。
「トリエラは自分のこと、何か覚えている?」
 彼女の問いは、私の跳ねあがった心臓を凍りつかせ、自分の頭の中がかき回されているような感触を得た。
「どうしてそんなこと聞くの?」
 だから私の返答が少し威圧するような感じだったのは仕方が無いことだと思う。
「私はね、何も覚えていないから。どうして自分が義体になったのかも、自分がどこで何をしていたのかも
全然思いだせない」
 それは義体の少女が共通して抱える悩みだ。かく言う私も曖昧な雰囲気でしか自分の記憶を思い浮かべるしかない。
 突入前にそういった士気の下がる話をするのは如何なものだろうか、と私は苦言を呈しようとした。だがそれも彼女の次の台詞によって打ち消されてしまう。
「でもね、きっと何も覚えていないから私は戦えるの。もし義体になる前が今より幸せだったとか考えると私は戦えない。今はアルフォドさんがいて、トリエラがいて皆がいて幸せだから戦っていられるの」
 突入の合図が鳴った。私はブリジットの声に耳を傾けながら、扉の蝶番をショットガンで吹き飛ばす。
「私は記憶が戻らなくていいと思う。このまま人を殺し続けて生きていても良いと思う。だって私たちが大人から貰ったのは大きな銃と小さな幸せだけだから」
 ブリジットが中に飛び込んだ。断続的な銃声と叫び声が上がる。全義体中でもトップクラスの射撃技術を持つ彼女のことだ。決して外しはしないだろう。
「トリエラも多分同じ」
 ウィンチェスター(ショットガン)で二階から降りてきた男どもを吹き飛ばす。絶えずブリジットとの位置取りを変えることで的になることを避けていた。
 私はブリジットの小さいけど何処か大きく見える背中を見て言った。
「だから私は大人が大嫌いなのさ」
 
 そうだ、クリスマスの日はヒルシャーとアルフォドさん、それにブリジットを読んでパーティをしよう。
 彼女の大好きな甘いメープルのケーキを焼いて、喉の焼けるようなシャンパンを飲み干して――。
今の小さな幸せを噛みしめている彼女ならとても喜ぶに違いない。
 銃弾飛び交う戦場の中で、私はそんなことを考えていた。

 少しだけ、ブリジットという同室の少女のことが理解できた日だったと思う。



[17050] 第2話 天体観測の日 【ついでにヘンリエッタのこと】
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:15
「酷い有様だな。ブリジット」
 二階に上がってきたアルフォドが開口一番こんなことを言った。どうしたものかと自分の姿を見て見れば上半身は返り血で、両手と腹周りは男を尋問した時についた鼻血やら前歯やら肉片やらで真っ赤に染まっていた。
「ほら、これで拭きなさい」
 アルフォドが差し出してきたのは白いハンカチーフだった。俺は頬が赤くなるのを感じながらそのハンカチーフを受け取ろうとして手を伸ばす。だが視界に映った赤黒い左手を見て動きが止まった。
「ん? どうした」
 俺はそのハンカチーフに伸ばした手をそっと引っ込める。アルフォドは気分でも悪いのか? とか、怪我でもしたのか? と心配そうに近寄ってきた。俺は首を小さく振ると一歩だけアルフォドから離れた。
「アルフォド、かわいい君の娘は綺麗なハンカチを汚したくないんだよ」
 本部に連絡を終えたヒルシャーが軽口を叩く。生真面目そうなドイツ人のこの男はトリエラの考えている事は何もわかっていない癖に、俺の考えている事は的確に指摘してきた。
「何だ、そんなこと気にするな。それよりほら、綺麗な顔が台無しだ」
 基本的にリーチはアルフォドのほうが長い。あっという間にアルフォドに肩を掴まれると、そのまま抱き寄せられて顔をハンカチーフで乱暴に拭かれた。
 男の時ならそれこそ吐き気を催すような光景なのに、義体となって条件付けをされた今では嬉しさと愛情しか浮かんでこない。
「アルフォドさんて女誑しなんですね。ほら、ブリジットたら顔が赤くなってる」
 トリエラが指をさして笑った。俺はいつか仕返ししてやると心に誓いながら顔を背ける。肩にかけたMP5がゆさゆさと揺れる。
「今のうちに甘えときなよ。また直ぐに仕事が始まって忙しくなるんだから」
 トリエラの台詞に俺はこれからのことを考えた。もう五分も経たないうちにもう一つのアジトでヘンリエッタやリコ達の突入が始まるのだろう。原作通りに事が運び、皆が無事に帰ってくることを考える。

 クリスマスも近い冬のある日、俺は改めて自分のいる世界というものを実感した。


「ヘンリエッタ!」
 トリエラと並んで歩いていたらとぼとぼと一人歩くヘンリエッタを見つけた。ボブカットのこの小さな女の子はジョゼという担当官の義体だ。
 面倒見の良いトリエラはヘンリエッタの様子がおかしいことを悟って駆け足で近付いていく。
「リコから聞いたぞ。また大暴れしたんだって?」
「うー……うん。ちょっとかっとなっちゃって」
 どうやらヘンリエッタは、担当官のジョゼが五共和国派の人間に手荒に扱われたことに腹を立てて銃撃戦を始めてしまったらしい。トリエラは少しだけ驚いたような顔を見せたが、俺はその話を聞いても原作通りに事が進んだのかと安心するだけで、姉妹のように肩を並べて歩くトリエラとヘンリエッタを後ろから眺めていた。ジェラートを咥えて。
「トリエラ、どうしよう。ジョゼさんに嫌われちゃった」
 ヘンリエッタが不安げに呟く。トリエラはそんなヘンリエッタの肩に手を置き、そんなことはないと励ます。
「よし、なら私の部屋で一杯やろうか」
 トリエラの突然の提案にヘンリエッタが驚く。
「一杯?」
「そう。紅茶とケーキには幸せの魔法が掛っているの。それにブリジットがたんまり貯め込んだクッキーやらチョコレートがあるからちょっとしたお茶会になるよ」
「え? でもブリジットが良いと言わないと……」
 トリエラとヘンリエッタ、二人して俺に振り向く。レモン味のジェラートをぺろぺろ舐めていた俺は二人の視線を真っ向から受け止めた。
「ごめんね。駄目なら別にいいから……」
 ヘンリエッタが困ったような顔で笑った。俺は外見こそ表情を変えていないように見えるが、内心は元男でオタクだったころの性癖が災いして、今にも飛びかかりたいやら抱きしめてやりたいやらで大変なことになっていた。
「ブリジットー、たまには良いんじゃない?」
 トリエラがウィンクをし片手を挙げて俺に頼み込んでくる。ああもう、この溢れんばかりの少女愛も条件付きで封印されれば良かったのに。
 まあ、貯め込んでいる菓子も俺が買ってきたものではないし、アルフォドが差し入れてくれた物なので彼女らに分け与えること自体にはそれ程抵抗はない。
 だから俺は数秒間を空けてこう言った。
「わかった。チョコでもクッキーでもビスケットでも好きなの食べていいよ」
 ため息をつきながらの一言だったが、二人は大層喜んで、そのまま俺とトリエラの部屋まで先に向かって行った。義体といえどもやはり彼女らは少女であることを酷く感じさせる光景に俺は頬が緩むのを感じる。出来ればこのまま穏やかなる日常が永遠に続けばいいのにと空に願った。



 茶会の時間はあっという間に過ぎて行った。
 ただ、ヘンリエッタは味覚が鈍り始めているのか矢鱈と紅茶に砂糖を足しているのが気になった。
 自分もいつかはああなるのかと思うと、少しだけ将来を考えるのが億劫になった。



 そろそろ眠りに就こうかとベッドに腰掛けた時、俺たちの部屋をアルフォドが訪ねてきた。ちなみにトリエラはシャワーを浴びに行っているのか部屋にはいない。
「どうしたんですか? アルフォドさん」
 俺が毛布を抱えながら問うと、アルフォドは外着に着替えて宿泊棟の裏庭に来なさいと答えた。どうやら星を見るようで彼は星座の位置や惑星の軌道が書かれた空地図を持っていた。
 俺は了解の意を告げると、彼に初めて買ってもらった黒いフェルトのコートを羽織って裏庭に出て行った。



 




ジョゼが天体望遠鏡を屋上に運んでいるのを見たのが、全ての始まりだ。
 彼に理由を問うと、ヘンリエッタが責任を感じて落ち込んでいるので天体観測でもして気を紛らわせようとしているらしい。俺はその話を聞いて、自分が担当する義体――ブリジットのことをすぐに思い出した。
 生憎ジョゼのような立派な天体望遠鏡は用意できないが、せめてハイスクール時代に学んだ星座の知識で彼女を喜ばせようと考えた。
 俺が彼女とトリエラの部屋を訪れるとトリエラはおらず、ブリジットも毛布を抱えて寝る準備をしていた。今から外に連れ出すのを一瞬躊躇いかけたが、どうしても彼女に星を見せたいという願望を拭い去ることは出来ず、結局裏庭に出てくるよう彼女に告げた。

「寒いから早くこちらに来なさい」
 俺はブリジットが裏庭に現れたのを見つけ、こちらにくるように手招きした。簡易テーブルを広げたそこには彼女の大好きな温かいミルクコーヒーとシナモンの利いたクッキーが並べてある。
「ほら、オリオンだ」
 暗闇の中、彼女にマグカップを手渡した俺は夜空を指差した。指先に広がる大きな黒はまるでブリジットの長い髪のようだった。
「こうして星を見るのは初めてだな」
 俺の台詞に彼女は首を縦に振るだけで答えた。マグカップを決して大きくない手で覆いながらブリジットは俺に身を寄せてくる。
「なあブリジット、トリエラとは仲良くしているか?」
 彼女は何も話さない。ただ俺が一人で彼女に語りかけているだけだ。
 
 ブリジットがそっと、俺のそばを離れる。

 カップを足元に置いて、彼女は両手を夜空に伸ばした。


「アルフォドさん」
 初めて彼女の口から聞いた言葉は俺の名前だ。
 彼女は夜空に手を伸ばしたまま続ける。
「今日はありがとうございます」
 俺は彼女の後姿を見て笑った。長い髪が少しだけ風に靡き、夜の世界に溶け込んでいる。

 
 二人で見上げた星空をブリジットは何時まで覚えていられるのかはわからない。
 でも今はそれでいいような気がしていた。




[17050] 第3話 これからのことを考えた日 【ついでにリコのこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/08 06:32
 CFS症候群を患い、四肢が麻痺していた少女は両親が17枚の書類にサインしたことによって救われた。
 彼女が11歳の誕生日に手に入れたのは自由に動く手足。
 リコは今日も己の四肢が動く喜びを感じている。
 端から見たらそれはきっと些細なことなんだろうけど、本人にとっては生きることよりも大切なこと。
 俺は射撃場の隅で担当官に罵倒されている彼女を見る。
 自分の四肢を見てみればそれは確かに動き、この手でもう何人も殺してきたことを実感する。
 日本では考えられなかった日常に埋没していく自分を、何処か諦めた風に俺は眺めていた。



「よくやったな。ブリジット。今日も満点だ」
 今日の射撃訓練ではいつも使用しているMP5を使わずに、M4A1というアサルトライフルを使った。最初は9ミリ弾より大きい5.56ミリ弾の反動に戸惑ったものの、すぐにコツを掴み今では静止した的なら百発百中だ。
「次にバーストで10秒間だ。見ているからやってみなさい」
 言われてセミオートからフルオートに切り替える。後は的に銃口を向けて引き金を引くだけ。連続した銃声は聴覚保護のヘッドセットを付けていないと非常にやかましい。
「どうやらそっちの義体は射撃については完璧らしいな」
 いつの間にそこにいたのか、アルフォドの背後にジャンが立っていた。ジョゼの兄である彼はリコの担当官であり、義体を使った実働部隊のリーダー的存在でもある。俺は原作の彼も好きじゃなかったし、この世界で実際に見た彼も余り好きじゃない。
「彼女の努力のおかげさ。ここに来た頃はハンドガンひとつ扱うのに苦労していたからな」
 そしてアルフォドも彼のことを快く思ってないらしく、返事の仕方も他に比べてぞんざいだ。後から聞いた話だが、二人はもともと軍人時代の同僚らしく、その時から中々険悪な関係だったらしい。
「そうか。ならその才能を少しでもリコに分けて貰いたいものだな」
 俺の前に立ったジャンは少し眉根を寄せて俺を見下ろしてきた。俺は睨み返すわけにいかず、いかにも戸惑っているという感じに表情を形作った。
「まあいい。それよりアルフォド、次の作戦の日取りが決まった。訓練は中止だ。直ぐにブリーフィングルームに来い」
 ジャンの台詞に俺は思わず声を上げそうになった。正確な日にちが書かれていなかったから特定出来なかった原作イベントに、リコが政治家を暗殺するイベントがある。俺はアルフォドと星を見た翌日からそのことばかり考えていた。そう。転生モノでよくある原作イベントに介入するべきかしないべきかの選択だ。
 俺は基本的に原作がスタートするまでは成り行きに身を任せ毎日を過ごしてきた。だが原作が始まりこれからの未来を知っている俺はそのままで良いのだろうかと思案していたわけだ。
「ブリジット、先に帰って休んでいなさい。M4の分解清掃は今度教えるから、それは管理部に返却しておいてくれ」
 わかりました、と俺はアルフォドに手を振る。ヒルシャーと別れてこちらに歩いてくるトリエラが視界に映った。介入すべきかしないべきか、そのことは今日一日を使ってじっくり考えることにした。



「ねえ、ブリジット。君の好きなシフォンケーキなのに、全然減ってないね」
 俺は部屋に置かれた丸机にトリエラと腰掛け、午後の茶会を催していた。確かに目の前に並べられた紅茶とシフォンケーキは俺の好物だが、今は黙々と食べていられる心境じゃなかった。
「ブリジットは偏食だから、今食べておかないと後々お腹が空いたら大変だよ」
 トリエラはほら、と私にケーキの欠片を突き刺したフォークを突き出してきた。俺は無視しようかとも考えたが、それではトリエラが可哀想なので黙ってケーキを頂くことにした。
「体調でも悪いの? それとも何か悩みでもあるの? 何なら相談に乗ろうか?」
 もぐもぐと口を動かしながら目の前に座るトリエラを見る。俺は彼女にどの辺りまで話してよいものだろうかと10秒ほど考えた。確かに彼女は信頼に足るから、かなり踏み込んだところまで相談することが出来るだろう。だが、公社の人間が条件付を悪用して個人の記憶を覗くという芸当が可能だとしたらそれは非常に危ない橋となる。
「ねえ、トリエラ。もし自分が知っている未来があってその未来をもしかしたら自分の力で変えられるのだとしたらあなたは変える?」
 結局俺は何でもない話題に見せかけて彼女に相談することにした。当たり前だが、自分が転生者ですと彼女にカミングアウトしても再び薬漬けにされて記憶を書き換えるだけなのでそのことには絶対に触れない。
「未来を変える? うーん、変えた先の未来がより良い未来なら変えてもいいのかなぁ」
「でも変えた先の未来が今より良いとは限らないわ」
 そう、もし仮に俺がこれからの未来を変えたとしてもそれが皆にとって幸せな未来であるとは限らないのだ。もしかしたら原作よりハッピーな展開になるかもしれないし、逆に救いようのない、どうしようもない展開になる可能性もある。
「そうだなあ、結局自分が知っている未来に自分が納得しているかどうかだと思うね。納得しているのなら放って置けばいいし、納得してないのなら変えようと努力してもいいんじゃないかな」
 トリエラがそう言うのを聞いてやはりそんなものか、と俺はため息をついた。自分がこれからの未来に納得しているのかしていないのか、今度はそれを一日中考える必要がありそうだった。



 彼女は私には無いものを皆持っている。それは黒の長い綺麗な髪だったり、身長だったり、或いは人を殺す技術だったりする。
「ブリジット」
 食堂に向かう廊下で前を歩いていた彼女に声をかけた。足を止めたブリジットはゆっくりとこちらを振り返り、私を髪と同じ色の瞳で見た。
「何、リコ」
 今思えばブリジットと二人きりで話したのは初めてのことだった。


 食堂で食事を取っている二人は普段見ない組み合わせだ。一期生の義体の中でも一番大人びているブリジットと一番幼い雰囲気を残すリコ、身長差もあってか二人はまるで姉妹のようだ。
「ブリジットはサラダやパスタは食べないの?」
 リコはブリジットの前に置かれているトレーを一瞥してこう言った。確かにブリジットのトレーにはシチリア風の簡易ピザが乗っているだけで、リコからしてみればそれで足りるのか少し心配になってきた。
「私は偏食だから。食べられるのはお菓子とシチリア風ピザ、あとはピラフだけ。私たち義体は食事なんて補助的なものだから別にそれでもいいの」
 ブリジットが余りにもぶっきらぼうに言うのでリコはそんなものなのかな、と一人納得していた。こうして改めて二人で食事するとお互いの新しい面が見えてきてとても面白い。
「ねえリコ」
 次に口を開いたのはブリジットだった。彼女は口元についたケチャップを布巾で拭うと、そのまま自身が使った布巾でリコの口周りを拭いた。
「リコは今、楽しい?」
「え、楽しいけど」
 リコにとって公社は11歳まで閉じ込められていた病室と違って、何でも与えられ何でも手に入る素晴らしい施設だ。言われたとおりにさえしていれば皆は優しく、何より自分の体があると実感できる。楽しくないわけがない。だが不思議なことに目の前でコーヒーを啜る年上の義体はどこか不満げな顔でこちらを見ている。
「じゃあさ、もしリコを好いてくれる人がいたらそれは楽しい?」
 ブリジットの質問の意味がリコには理解出来なかった。でも、ジャンに好かれることはリコにとっても大変喜ばしいことなので彼女はこう答えていた。
「そういうのってよくわからないけれど……もし私なんかを好いてくれる人がいたら幸せだな」
 リコの返答にブリジットは何も言わなかった。ただ彼女は懐から小さなチョコレートの包みを取り出すと、それをリコの前に置いた。
「ご馳走様。楽しかったよ。またね」
 トレーを抱え、席から去っていくブリジットをリコはずっと目で追っていた。
 手元には甘いミルクチョコレート。
「これ、どういう意味なんだろ?」
 食後のジュースの変わりにチョコレートを口に含んだ彼女は暫く席を立つことはなかった。


 
 ベッドの上で、トリエラがブリジットの髪をすいている。
 最近トリエラはブリジットの黒い長髪がお気に入りだった。
「ねえトリエラ」
「ん、なに?」
 ブリジットは背後にいるトリエラにそっともたれ掛った。トリエラはそれをしっかりと抱きとめると、そのままブリジットの頭を撫で始めた。
「私、たぶん納得していないと思う」
「そう」
 トリエラの胸に顔を埋め、ブリジットは言葉を続ける。
「私頑張る。これからも幸せなように」
 トリエラはブリジットの頭を抱きしめることによって答えを返した。
 夜が更けていく。


 深夜を3時ほど回った頃だろうか。俺はトリエラと同じベッドに寝ていることに気がついた。
 これがいつもなら手を出すべきか、触るだけに留めるべきかとひたすら悶々としながら時間を潰すわけなのだが今日は違っていた。
「決めたからな」
 決意は固まった。介入するにしろしないにしろ、俺は俺の出来ることをやって未来を作っていこうと思う。変えるのではない。1から作り出していくのだ。それはアルフォドもトリエラも、ヘンリエッタやリコも毎日のように行っていることで、この世界に生きる人々全てに平等に与えられた権利と義務だ。
「生きていくと決めたから」
 俺はトリエラに毛布をかけ直し、自分は空いているもう一つのベッドに潜り込んだ。ひんやりとしたシーツと毛布からはどこかしらトリエラの匂いがする。
 明日のことを頭のどこかで考えながら、俺は眠りについていった。


 
 
 ブリジットが再び寝付いたのを見て、私は彼女が潜り込んだベッドに近づいた。
 月明かりの下、彼女の寝顔を覗きこむ。
「何の夢を見ているんだろうね」
 彼女は未だに過去の自分の夢を見たことが無いという。私はそんな彼女が羨ましくもあり、またそれはそれで悲しいことだと思った。
「良い夢見られるといいね」
 彼女の髪が寝癖にならないよう毛布の外に出してやる。
 
 トリエラはその日、夜が明けるまでブリジットが眠るベッドに腰掛けていた。



[17050] 第4話 俺が撃たれた日 【ついでに少年のこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:16
 とある政治家の暗殺が今回公社に課せられた任務だ。主な戦力はリコ。バックアップにヘンリエッタと俺という構成になった。その辺りはトリエラが俺に変わったことを除いてほぼ原作通りで、作戦遂行地点のホテルの下見に向かったのもリコとジャンだけだった。

 



 ジャンさんに裏口を見て来いと言われた。私は銃の入ったアマーティーの楽器ケースを抱え、裏路地に向かった。


 表通りから外れた裏路地にはホテルのゴミ捨て場があった。
生ゴミが捨ててあるのか、どこか鼻が付く匂いがする。日も一日中差さないためか表通りより寒く感じられた。
 人影は無い。
 私はいざという時の脱出経路に使われる裏口の位置を確認すると、出来るだけ早くジャンさんのもとに帰ろうとした。けれど、不運なことにその裏口から出てきたホテルのボーイの男の子に私は見つかってしまった。
「あ……」
 咄嗟に逃げれば良かったのに、私はそのまま立ち尽くして男の子と向かい合う形になってしまった。
「ん? 何か用? ここは従業員用だから来ちゃだめだよ」
 男の子はゴミの袋を持っている。きっと捨ててくるように命じられたのだろう。背丈は私と同じくらいで、年ももしかしたら同じかもしれなかった。
 男の子が私に一歩近づく。すると彼は楽器ケースに眼をやった。
「ひょっとして楽器を弾けるところを探していたの? ならここで弾いて構わないよ。どんな曲か聞かせてよ」
 男の子が私の楽器ケースに興味を持っていることに気がついて、私はいよいよなんと言ったらいいのかわからなくなった。この中には銃が入っていて楽器なんか最初から入っていない。弾いてもいいと言われても私にはどうすることも出来ないのだ。だから私はこう誤魔化した。
「私、まだ上手く弾けないからこれは駄目なの」
 私はおそるおそる男の子の顔を見る。怒らせてしまったのだろうか、それとも失望させたのだろうか、私は男の子の反応が怖くて身を強張らせた。でも、男の子から帰ってきた反応は思っていたものとは違っていた。
「そっか、まだ見習いなんだ。僕と同じだ」
 男の子がにこにこと笑っている。私はちょっと呆気にとられて、どういった顔をすれば良いのかわからなかった。


「僕の名前はエミリオ。君は?」
「リコ」
 日の当たらない、ホテルの裏口の前で少年と少女が肩を並べて座っている。少年は赤毛でホテルボーイの制服を、少女はプラチナブロンドの髪にベージュのコートを羽織っていた。
「変な名前だね」
 少年は良く話した。少女にとって同世代の異性と話すのは初めてのことで、どうしても会話は後手に回っていた。でも少女は不思議と嫌にはならず、少年の話す事にきちんと受け答えしていた。




「親父が失業して飲んだ暮れだからさ、早く一人前になって働くんだ」
 少年が父親のことを話すのを聞いて、リコは自分の両親のことを思い出す。
 彼らはいつも動けない自分のことで喧嘩をしており、リコはそれが悲しくて両親ことを余り好きにはなれなかった。
「それでさ、リコのお父さんは何をやっているの?」
 きっと父は自分が生まれるまでは幸せな日々を送っていたのだろう。母も同じだ。自分が今のように自由に動く手足を持っていなかったからこそ、彼らは自分を手放した。
 リコは顔を伏せて、握った楽器ケースを見つめた。
「多分……多分市の水道局というところにいる」
「多分? リコは家族と一緒に暮らしていないの?」
 少年はいぶかしんだ様に問う。
「何年も離れて会っていないから」
「リコは寂しくないの?」
 リコは再び少年を見つめ、その後自身の体を抱いて目を細めた。
 彼女は今の公社での生活を思う。
 そして少し考えた後、彼女はこう言った。

「今が、楽しいから」


 それから暫らく二人は取り留めのないことを話した。好きな食べ物のこと、嫌な上司のこと、そして友人のこと。
 二人の談笑に終わりを告げたのは少年の方だった。どうやら彼は休憩も兼ねてゴミ捨てに来たようで、余り長い時間ここでサボっていると親方に怒鳴られてしまうらしい。
「またここで会おうよ。リコ。僕、待っているからさ」
 少年はボーイの帽子を被り直しリコに言った。リコは少年に何かを答えるということはしなかったが、少年の顔を見つめている。
 少年はじゃあと裏口から戻ろうとしたが、何かを思い出したようで一瞬足を止めた。そしてリコの方に向き直り、懐から黄色のセロファンで包まれたキャンデーを取り出した。
「これはあげるよ。今日はとても楽しかった。次は演奏聞かせてくれよ」
 ばいばい、と手を振る少年にリコは同じように手を振り替えした。
「じゃあね」
 少年が消えていった裏口をリコは黙って見つめる。手の中にあるキャンデーの感触が冬だというのにとても暖かい。そう言えば、前もこうやってお菓子をくれた義体がいたことをリコは思い出していた。
 リコは踵を返すと、ジャンが待つ表路地の方へ歩いていく。彼女は、公社で今もケーキを食べているであろう義体に今日のことを話したくて仕方が無かった。
 その足取りは心なしか行きよりも軽やかに見える。日が当たらないと思っていた裏路地に日が差した。

 それは作戦決行2日前の話。





 最近ブリジットと二人で食事するのが増えた。今までヘンリエッタやトリエラとばかり仲良くしていたから、これはいい傾向なのかもしれない。



「どうしてブリジットは好き嫌いが多いの?」
 相変わらずトレーにシチリア風ピザを積み上げるブリジットを見て、リコは素朴な疑問を口にした。ブリジットは咥えていたピザを一端トレーに置く。
「昔はもっと良いもの食べていたからね。イタリア料理はどうも口に合わないの」
「昔? それは義体になる前のこと?」
「さあね」
 口元を拭ってブリジットはコーヒーを啜る。リコはブリジットの真似をして同じようにホットミルクコーヒーを啜った。
「ま、公社のご飯は余り美味しくないということ」
 昔のリコならどうしてそんなことを言うのかと気を悪くしていただろうが、今のリコはブリジットの言うことにそれ程疑問を感じなかった。
「じゃあブリジットは何が好きなの?」
 ブリジットはリコに向かってチョコレートを突き出した。剥き身のそれをリコに食べさせてやると彼女は笑う。
「甘いものが大好かな。だって何か幸せな感じがしない?」
 初めて見たブリジットの自分に向けられた笑顔はどこか母親のようで、それでいて年上の兄弟のようだった。リコはチョコレートを咀嚼しながらブリジットがピザを食べるのを観察し続ける。
「こら、リコ。人の食事はあんまり見つめるものじゃないよ」
 やっぱりお母さんだ。リコはそう思った。


 二人は食堂を出て、それぞれの部屋に向かう渡り廊下を歩いていた。
「それで、その男の子とずっと話をしていたの?」
「うん。今度楽器を弾いてくれって言われて。直ぐに弾けるようになる?」
「たぶん無理じゃないかな。今度ヘンリエッタにでも聞いてごらん」
 月明かりが二人を照らす。
「私ね、」
「うん」
「男の子ってよくわからない。でも、あの男の子と話すのはとても楽しかった」
 ブリジットはそう、と呟く。リコは続けた。
「この前ブリジットが私に言ったよね。私のことを好いてくれる人がいたら楽しいかって」
 ブリジットが足を止めた。リコもブリジットの前を数歩歩いて止まる
「なら私が誰かを好きになったら、その人は楽しいのかな」
 ブリジットにはリコの小さな背中が見えた。
「ジャンさんは喜んでくれるのかな」
 ブリジットは何も言わない。ただ顔を伏せて、リコから視線を外した。
「ブリジットは喜んでくれる?」
 ブリジットは動かない。でも顔を伏せたままこう言った。
「私は、リコが好いてくれるなら多分嬉しいよ」
 その時のリコの笑顔は、顔を伏せたブリジットには見えなかった。





 遂に運命の日が来た。
 結局のところ俺が考えた作戦は一つ。暗殺を終えたリコと鉢合わせしてしまうボーイの少年を、どうにかしてリコのいるフロアに向かわせないだけだ。
 方法はまだ考えていないが、最悪意識を刈り取るか何かで足を止めるしかないと考えている。

「緊張しているのか、ブリジット」
 アルフォドは不器用な俺の代わりに、メイド服のリボンを結んでくれていた。俺はヘッドドレスを、鏡を見ながら被り、テーブルの上に置かれていたサプレッサー付きのワルサーのスライドを引く。
「任務を遂行するにあたって緊張しないことはありません」
 俺が言ったのは実のところ本音だ。ただそれは任務が失敗したり、自分が負傷することに対する恐れから来るものではなく、見知った仲間がこの舞台から引きずり降ろされることを恐れて緊張しているのだ。
「そうか。どうりで君が強いわけだ」
 俺はアルフォドの言っていることの意味がわからなかった。俺はその台詞の真意を訪ねようとしてアルフォドに向き直るが、ジャンの一言でそれを諦めざるをえなくなる。
「作戦開始だ」




「大勢で目立ちたくない。ヘンリエッタとブリジットは後詰めをしろ」
 耳元のイヤホンからジャンの命令が聞こえる。俺は政治家――議員が宿泊している部屋を確認することが出来る廊下の死角に、アルフォドと一緒に隠れていた。ヘンリエッタはジョゼと共に階下で見張りだ。
「ターゲットがシャワーを浴びるそうだ。そのタイミングで仕掛けろ」
 リコが部屋の前に立つ。おそらくルームサービスを持ってきたと告げて部屋に入るのだろう。
 俺は自分の手元を見た。
 ワルサ―を握った両手は微かに震えている。





 部屋には簡単に入ることが出来た。私はまず、こちらに背を向けて新聞を読んでいる秘書に銃口を向けた。サプレッサー独特の銃声の後、秘書がソファーから崩れ落ち、決して小さくは無い物音が立つ。物音を不審に感じたのか視界の端でシャワールームが開いたかと思うと、ターゲットの議員が出てきた。
 議員が声を上げようとする。私はそれを許さない。
 引き金は思っていたより軽やかだ。
 私は議員が血塗れになって倒れ込むのを見て、任された仕事の成功を確信した。
「ジャンさん、終わりました」
「直ぐ戻ってこい。処理班を向かわせる」
 私は二人の息が無いことを確認すると、開いたままになっている部屋のドアに向かった。





「ジョゼさん。階下からこちらに上がってくる従業員はいますか?」
「いや、僕とヘンリエッタで階段を見張っているけどそれらしき人影はないよ」
 リコが部屋に踏み込んだのと同時、俺は無線を使って少年が下の階からこちらに上がって来ていないか確認を取っていた。幸い誰に聞いても異常はないということなので、この辺りは原作と違ったのだろう。
「ブリジット、リコが仕事を終えたそうだ。出てきた彼女を拾って撤収するぞ」
 アルフォドの声に俺は全身の力が抜けていくのを感じた。
 ワルサーの撃鉄を下し、俺は壁にもたれかかった。微かな振動を背中に感じながら瞳を閉じる。
 
 自分の心配が杞憂に終わったことがここまで嬉しいことはない。
 リコは少年を殺さずに済んだ。少年も殺されずに済んだ。
 目撃者が出ることは許されないという極限状態はもう終わったのだ。

 背中の振動がどんどん大きくなる。
 俺はぼうっとした意識の中で振動の意味を考えた。

 違和感に気が付くのにそれ程時間はかからない。
 
 全身から血の気が引き、俺は眼を見開く。
 振動はますます大きくなる。俺は慌てて壁から身を話し、無線に叫んでいた。

「エレベーター!」





 リコが出て来る。俺はリコに出てくるなと叫ぶ。
 背中から感じる振動、それは壁の向こう側にあるエレベーターが駆動する音だったのだ。



 エレベーターの到着を告げるベルが鳴る。食事を乗せたカートを押し、ホテルボーイの少年が廊下に現れる。
「あれ、リコ?」
 リコと少年の眼があった。
 
 


 行動は一瞬だった。少年が声をあげた時、俺はアルフォドの制止を振り切って走り出していた。ワルサーの撃鉄を再び上げ、戸惑いの表情を見せる二人の間に飛び込む。
「止めろブリジット!」
 アルフォドの命令が俺の脳髄を抉ってくる。担当官に逆らっている事実が全身を蝕み続け、脂汗と吐き気が絶え間なく俺を襲う。
「止めろ! 止めるんだ!」
 アルフォドはきっと俺がしようとしていることに気づいている。でも俺は止めるつもりなんか毛頭ない。俺は自分自身の見通しが不十分で愚かであったことを痛感する。
「ブリジット!」
 確かに少年の命は助けたかった。原作でリコに鉢合わせしたために殺されてしまった哀れな少年を。
 でも、俺はここ数日間、初めて異性とまともに会話したことを喜んでいたリコを知っている。彼女は笑っていた。
 いちいち何を話したのか、どんな男の子だったのか、男の子に演奏を聴かせるにはどうすればいいのか、そんなことを俺なんかに聞いてくるリコを知っている。
 だから俺は少年より、リコを、少年を殺さなくてはならないリコを救うことにした。
「ごめん」
 これ程までに拳銃が重いと感じたのは未だかつてない。初めて人を殺したときでさえ、ここまで重くは無かった。
 少年は今もなお自分の身に起こっている事を理解していない。
 きっと俺が引き金を引けるのは今だけだ。これ以上躊躇えば、俺はもう――
「怨むなら、俺を怨め」
 
 少年の、まだ大人になりきっていない細い体が廊下に倒れ伏す。薬莢が床に落ち、甲高い音を立てる。アルフォドの叫びはもう聞こえない。

「はは、」
 
 乾いた笑いが、口から洩れた。



 男の子と、私の間に飛び込んできたブリジットはとても綺麗だった。
 彼女は私に持っていないものを沢山持っている。
 長くて黒い髪に、同じ色の宝石のような瞳、そして私が好きになったお母さんみたいな笑顔。

 或いは人殺しの技術。



 男の子がブリジットに撃たれたのを見て、私は何か大切なものを失くしてしまったような気がした。
 私は今自分が抱いている感情がわからない。
 私はどうしてブリジットに銃口を向けているのかわからない。
 ブリジットは友達。ブリジットは私のお母さん。
 私は、私の気持ちがわからない。

 それでも、もしこれを言葉にするのならきっと許せないんだと思う。
 彼女は男の子を殺してしまった。



 笑うことが出来たのは一瞬だ。
 俺は自分の下腹部に空いた穴を見て、自分がリコに撃たれたのだと他人事のように認識していた。
 膝下から力が抜けて廊下に手をつく。久しぶりに見た自分の血は義体と言えども赤い血で少しだけ安心した。
 リコの銃口が俺の額に突き付けられる。
 俺はリコの顔を見て、自分の行動に意味があったことを理解した。
「何だ、そんな顔が出来るんだ」
 
 そう、彼女が俺に向けていたのは銃口だけではない。
 彼女が俺に向けていたのは、見紛うことなき憎悪だったのだ。



[17050] 第5話 それぞれの日 【ついでに3・4話のエピローグみたいなもの】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/06 01:19
「痛むか、ブリジット」
 担架に乗せられて、俺は公社の用意したバンに放り込まれていた。アルフォドは俺の付き添いだ。
「いいえ。義体は痛みを感じないように作られていますから」
 腹の傷口を塞いでいるのは救急セットの医療用ホッチキスだ。弾を素手で引き抜かれたときは内臓をまさぐられる何ともいえない感触を感じたが、その分焼けるような違和感はなくなった。
「あちらに帰ったら緊急手術らしい。いくら義体といっても背骨を傷つけられると不味いな」
 そう、リコの撃った弾は俺の背骨を見事に砕いていた。脊髄ごと破壊されてしまったので今の俺は下半身不随だ。
 俺は自分の両手にこびり付いた血液をマットレスで拭いながらアルフォドに一つ気になることを聞いた。
「アルフォドさん、リコはどうなったんですか」
 俺に銃口を突きつけていたリコはアルフォドのタックルによって拘束された。あの時のアルフォドの激高具合といったらそれは恐ろしいもので、俺は内心リコを殺してしまうんじゃないか、と心配した。
「全ての武装を没収されて護送されている。今頃公社で尋問中だろう」
 俺はのんびりと担架に乗せられてバンで移送されているが、よくよく考えればこれは大問題だ。確かに義体によるフレンドリーファイアは過去に何度かあったが、故意に義体が義体を銃撃したのは前代未聞で、本来ならばあってはならない事なのだ。
「リコは、どうなるんですか」
 俺は自分の迂闊さを呪った。確かにリコが少年を殺すという事実は捻じ曲げることが出来たかもしれない。だがそれによって生じたズレは決して小さいものではなく、自分が取り返しのつかないことをやってしまったと認識させるのに十分過ぎた。
「彼女は担当官ともに優秀な義体だから処分されることはないだろうが、より強力な条件付けがされるだろうな。恐らく今日起こったことは全て忘れさせられる」
 もう自分に呆れることも出来なかった。
 自分のやったことがただの偽善で、より彼女を傷つけることとなった結果を目の前にしているのに腹すら立たない。
「私は良かれと思いました」
 天井を見上げて俺は言い訳染みたことを言った。いや、言い訳そのものだ。
「私は、彼女に彼を殺してほしくなかった」
 不意にアルフォドの大きな手のひらが俺の頭に置かれた。彼は何も言わずそのまま俺を撫で続ける。
「でもリコが彼を殺したほうが良かったのでしょうか。私が殺したことにリコが怒ったのだとしたら、それはどうしてなのでしょうか」
 バンに同乗していた医師が俺に近づいてきた。医師は注射器を何本か手にしており、俺の静脈に次々とそれを打ち込んでいく。
「ねえ、アルフォドさん」
 注射器の中身はどうやら鎮痛剤と睡眠剤だったらしい。急に瞼が重くなってきて、口が上手く回らなくなる。
「義体って何なのでしょうね」
 乾いた口で告げた言葉が、彼に届いたのかは終ぞわからない。
 俺はまどろみに身を任せて、暗闇の中に落ちていった。
 


 四本目の注射器が打たれたとき、ブリジットはついに昏々とした眠りに落ちた。だらりと垂れ下がった腕を小さく上下する胸の上に置いてやり、俺はブリジットの寝顔を見た。
 下腹部辺りに掛けられた毛布が赤黒く変色していることを除けば、彼女は年相応の少女に見える。
 だが、それは外見だけで中身は最早人間とは呼べない。
 人工筋肉と炭素フレームの骨、痛みを感じないように出来た神経と薬漬けにされた脳。
 戦い続けることを義務付けられた少女たち。
 俺はブリジットに掛かっている毛布を新しいものに替えると、彼女の傍を離れ窓から外の景色を見た。
 夕焼けが痛い位の赤を演出している世界で、公社の医療施設が見えた。


side 夢のこと


 どこか、遠い遠いところに来た気がする。
 だけどそこはやけに懐かしく、やけに馴染みのある空間だ。
 壁一面に張られたのは美少女のポスター。モニターに移るのは大手掲示板のまとめサイト。
 俺は部屋の隅の方に腰掛けると、足元に積まれていた漫画本の山を見る。
 上からそれを崩していくとエロ漫画から硬派な戦争漫画までジャンルは様々だ。
 不意に漫画本を掴む手が止まる。
 俺の視界に飛び込んできたのは一冊の漫画。
 GUNSLINGERGIRLと銘打たれたそれはその辺りに転がる漫画本と少し違っていた。
 ページをめくる。
 残酷な過去を持ち、戦うことでしか生きていけない少女たちの物語がそこにある。
 それは昔読んだ内容とそう違わない。ただ一つだけ、一つだけ前に呼んだときと決定的に違う場面があった。
 ブリジット――。
 俺が見たことのない少女が戦っている。
 彼女は普段は甘い物好きで大変な偏食家だ。本は読まず、主にトリエラとリコ、そして担当官のアルフォドという男と仲がいい。
 少女は他の義体と違い、自分が戦う意味に悩み自分が存在する意味に悩む。
 過去は一切覚えておらず、下手をすればもっともアイデンティティーがあやふやな少女だ。
 俺はさらにページをめくる。
 そこで俺は息を呑んだ。
 何とブリジットは任務中の仲違いでリコに撃たれていたのだ。
 俺は義体が義体を撃つという行為がにわかに信じられなくて何度も何度もそのシーンを読み返した。
 それでもブリジットがリコに撃たれたことには変わりがなく、不思議に思った俺はリコがどうしてブリジットを撃ったのかを考え始めていた。
 リコとブリジット、二人の関係が良好と言えたシーンを先ほどと同じように何度も読む。
 すると一つだけわかった事があった。
 それはリコがブリジットに抱いていた感情だ。
 リコはブリジットを母親みたいだ、と感じていた。彼女は幼いころに両親に見捨てられた経験を持つ。そんな彼女は自分に優しくするブリジットを無条件に信じきっていた。
 だからこそ、仕方が無かったとはいえ、友人になれたかもしれない少年を殺されたことが許せなかったのだ。
 
 俺は酷い喉の渇きを感じて、冷蔵庫に向かおうと床から立ち上がった。
 足元に広がるゴミを書き分けながら部屋の対岸に向かう。
 ふと、視界の端に鏡が映った。
 俺は何気ない動作で鏡を見る。そこに映っている自分を見て俺は変に納得した。
 眠たげな目でこちらを見つめるのは漫画で追ったブリジットという少女。
 これが現実なのか夢なのかはわからない。
 ただそこにいる義体の少女は恐らく現実だ。

 世界が暗転していく。見慣れた部屋が遠くなり、時間切れが近いことを知らせる。
 もう鏡は見えない。ただ見えるのは真綿のように首を絞めてくる暗闇のみ。
 景色が変わる。




 誰かが悲鳴を上げた。
 ただでさえボロボロだった身体が、石畳に打ち付けられて生命活動を続けることが困難になっている。
 私は久方ぶりに見た太陽に手を伸ばした。
 爪の無い赤黒い手が虚空を掴む。
 その手についていた手錠は外れている。
 やけに身体の回りが暖かいと思ったら、それは私から流れ出る赤い血だった。
 これから死ぬというのに何故だか気分が良い。
 私はやっと手に入れた自由を噛み締めて、涙を流した。



 
「目は覚めたか、ブリジット」
 覚醒した意識に飛び込んできたのは聞きなれた声。
「ずっと泣いていたぞ。悲しい夢でも見たのか」
 カーテンから差し込む光を受けて病室は明るかった。
 私は手元の毛布を抱き寄せると、アルフォドに向かってこう言った。
 その声は嗚咽交じりで酷いものだった。
「何も覚えていません」


side 担当官のこと


「アルフォド、ブリジットの修理の過程で条件付けを強化するぞ」
 ジャンが告げたことの意味を理解したとき、俺は奴に掴みかかっていた。
 どうしようもない怒りが俺を支配する。
「ふざけるな! 暴走したのはお前のリコだ! ブリジットは関係ない!」
 だが奴は俺とは対照的にとても冷め切った口調で言いのける。
「ふざけてなどいない。事実、ブリジットはお前の命令に背いて行動した。これを暴走と言わずして何と言う」
 俺はジャンから突きつけられた事実に何も返すことが出来ない。確かに彼女は俺の命令を聞かなかった。だが、あの場合は――、
「仕方がなかったとでも言うのか? 今回の件で課長は大変ご立腹だ。義体に疑問を持つ作戦一課を黙らせるためにもリコとブリジット、二人の記憶を消して強力な条件付けを施すことは必要不可欠だ」
 掴みかかった手が離れる。俺はジャンから一歩身を引くしかなかった。
「もし条件付けを強化したら彼女はどうなる」
「さあな、もともと二人とも全義体中でももっともレベルの高い条件付けを受けている。いわばこれが始めての臨床試験だ」
 ジャンは続ける。
「お前は甘すぎる。あれは道具だ。お前はブリジットを踏み台と考えろ。あれの変わりは後からいくらでも来る。今のうちに義体の扱い方を学んでおくんだな」


side そして俺とリコのこと


 俺は目覚めたその日に退院した。退院祝いは俺のお気に入りのチョコレートケーキだ。

「え? 私は任務中に五共和国派に撃たれたのですか」
 アルフォドから聞いた話だと、俺は情けないことにテロリストどもに不覚を負い、腹を撃たれて気を失ったらしい。任務自体は成功したから良かったものの、次からこういうことがあれば俺を作戦遂行の本筋から外す事もあるとのこと。それは俺としてもいろいろと不都合なので、暫くは最初のころのように訓練漬けの日々を送ることになりそうだ。俺はクラエスのように臨床試験の材料にはされたくない。
「そのケーキは部屋でトリエラと一緒に食べなさい。あと今日は皮膚が定着し切っていないから入浴は控えるように」
「ケーキは食べていいんですか?」
「幸い内臓はほとんど無事だったからな。体力を取り戻すためにも沢山食わなくてはいけないのだが君は偏食だろう? だからそのケーキを食べて養生しなさい」
 アルフォドはそれだけを告げて仕事があるからと何処かへ行ってしまった。
 俺は一人残されてケーキの入った箱を眺める。ケーキの重みが心地よい。
 早いとこ部屋に帰って、トリエラと一緒に食べたくなった。




 廊下でブリジットとすれ違う。彼女は何か紙の箱を大事そうに抱えて私の横を通り過ぎていく。
 私は足を止めてブリジットに振り返った。
 すると不思議なことにブリジットも私と同じようにこちらを見ている。
 私は何かを言わなくてはいけない気がして、口を開いた。
「退院おめでとう」
「うん、ありがとう。リコ」
 会話はそれだけ。ブリジットは直ぐに歩き始めて私から離れていく。
「あれ?」
 彼女が見えなくなったとき何故か視界が曇る。雨でも降っているのかと思ったが、ここは室内なのでそんなことはありえなかった。
「変なの」
 目元をごしごし拭って再び歩き始める。
 これからジャンさんと一緒に射撃訓練だからこんな有様ではとても外に出ることは出来ない。
 私はポケットからチョコレートを取り出して口に放り込んだ。これで少しは気が紛れるかもしれないから。
 
 そう言えば、

 このチョコレートは誰から貰ったものなのだろう。


 私はそんなことを考えて、一人廊下を歩いていた。




「へえ、アルフォドさんがくれたの」
 二人の少女が丸机を挟んで座っている。一人は褐色の肌に金色のツインテール。もう一人は夜空のように黒い瞳と同じ色の長い髪の毛。
「うん、退院祝いだって」
 机に並べられた紅茶とチョコレートのケーキは部屋中に甘い香りを満たしていく。
「それじゃあ先にブリジットから食べなよ。それがアルフォドさんに対するマナーだよ」
 褐色の肌の少女に進められて黒髪の少女はケーキを口に含んだ。少しの間それを咀嚼し、彼女はこう言う。

「あれ? このケーキってこんな味だったけ?」

 その疑問にトリエラは何も答えることが出来なかった。



[17050] 第6話 祝福の日 【ついでにプレゼントのこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/07 07:17
 二人の少女が木製の丸机を挟んで向かい合っている。一人は腰まで伸ばした黒い髪に同じ色の瞳を持つブリジット。
 もう一人は金髪のツインテールに褐色の肌をしたトリエラだ。
 ルームメイトの二人がこうして椅子に腰掛けているのはそれ程珍しいことではない。今までも茶会やお互いの担当官の話をするときはこのような形を通してきた。
 だが今日はいつもと違ってる。
 二人の前に広がっているのはケーキと紅茶ではなく開封された生理用品。それぞれの顔には苦悶が浮かび、テーブルの木目を凝視している。
 トリエラは脂汗を掻きながらも比較的落ち着いており、まだ余裕がある。
 問題はブリジットで、思い出したように自らの爪を噛んでは内臓からくる痛みに耐え続けていた。


「ブリジット……」
「黙ってトリエラ。私に話しかけないで」
 本当に痛くて痛くて堪らないから。
「そんなに酷いの?」
 トリエラが自らの痛みを押して俺に話しかけてくる。俺としてはもう何度も経験して、痛みに慣れていた筈なのだが今回のは過去とは比べ物にならなかった。
「あれかぁ、きっと薬が増えたせいだ」
 そう、原因として考えられるのは義体専門の医師――ビアンキから渡された薬の種類が3種類ほど増えたからだ。
 五共和国派に撃たれてからというもの、俺の状態は余り宜しいとは言えず、毎日の食事プラス常備薬増という何とも笑えない生活が続いている。
「先生に相談したら? もしかしたら生理痛の薬をくれるかもしれないよ」
 トリエラの提案に俺は首を振る。俺はアルフォドを伝って前にも生理痛の薬を貰うよう頼んでみたのだが、今飲んでいる薬との兼ね合わせが出来ないとかで却下されていたのだ。
「薬のせいで味覚も鈍ってるからケーキも美味しくないし、踏んだり蹴ったりだ」
 俺のいらいらは収まらない。
 トリエラとケーキを食べて肉体の不調を感じた時、俺は悲しみを覚えるよりも怒りを覚えた。
 普通に過ごしていても何時か終りが来る体だというのはわかっている。でも、自らの失態で寿命を縮めるということは最も避けなければならない事だったのだ。
 俺は自分の間抜けさを盛大に呪い、俺に銃弾をくれた五共和国派を恨む。
 トリエラは俺の苛立ちを察したのか何も言わなくなり、部屋の中は険悪といった方が意味合い的には正しい空気で満ちていく。
 そんな義体年長組の巣に突然訪問者が現れた。
 アルフォドかヒルシャーが見舞いに来たのかと、扉のほうを見やるが当てが外れた。
 そこに立っていたのは小さなボブカットの少女。
「二人とも、大丈夫?」
 義体年少組の一人、ヘンリエッタだ。

 
「ドービー、グランビー、スニージー、スリービー」
 ヘンリエッタが部屋に飾ってある熊の縫いぐるみを指差していく。
「それにハッピーとバーシェフル、もうすぐ小人が7人になるね」
「こいつらも、もうそんなに揃ったか……」
 ヘンリエッタの相手をしているのは比較的余裕のあるトリエラだ。俺は遂に根を上げ、ベッドに潜り込んで二人の会話を聞いている。
「いいなあ、私も欲しい」
 今さら思いだしたことだが、この展開は原作の一巻の中盤辺りの話だ。
 確かこの後トリエラは盛大にヒルシャーの愚痴をぶちまけて、マリオ ボッシ(カッモラ)の護衛に向かうのだ。
 トリエラはそこで自分の出生の手掛かりを少しだけ掴むことになる。
「貰っても嬉しいことばかりじゃないよ。あの人は私の好みも考えないで同じものばかり贈ってくるから」
 熊の縫いぐるみを小突きながら、トリエラがこちらを見た。
「その辺りブリジットは羨ましいよ。アルフォドさんはブリジットの好みをしっかりと把握しているじゃないか」
 俺は声には出さず、首を振るだけで肯定の意を伝える。トリエラの言うとおりアルフォドが差し入れるのは、服を除いて俺の好きなものばかりだ。
「そうだ、私ブリジットに伝言を頼まれていたんだ」
 そう言うとヘンリエッタは俺のベッドに近寄りポケットから折りたたまれたメモを取り出した。それは見覚えのあり過ぎる、アルフォドが良く使うメモ用紙だ。
「アルフォドさんから? 愛されてるね、お姫様は」
 トリエラの軽口を無視して、俺はメモ帳を広げた。アルフォドがこうやってメモ用紙を介し要件を伝えてくるときは大抵彼にとって後ろめたいことが書いてあるので、俺は余り気が進まない。
「…………」
 メモ帳を一読し、ベッドの脇に放り投げる。ほんと、碌でもない事が書いてあった。
「どうしたのブリジット?」
 ヘンリエッタの小さな手がメモを拾い上げる。別に読まれても困るものではないので俺は「見ていいよ」と呟く。
「ん? これは困ったなぁ。ナターレのパーティーが出来ないじゃないか」
 いつの間にかトリエラもメモを覗き込んでおり、好き勝手にコメントを残してくれた。

「結局さ、ヒルシャーさんもアルフォドさんも変わらないよ。あの人たちはこちらの都合なんかお構いなしなんだ」

 メモに書かれていたその内容――

 ごめんブリジット。 ナターレは二人で仕事だ。







「で、ブリジットの調子はどうなんだ」
 俺はコーヒーをビアンキに手渡しながら、彼女のことを問うた。彼はブリジットの条件付けを任された医師だから誰よりも彼女の状態に詳しい。。
「正直思っていた以上に症状が進んだな。記憶の欠落はホテルでの件にとどまっているが、体のほうは味覚が異常をきたした」
「……本当かそれは」
 俺は彼女の退院当日にしたことを思い出して血の気が引いた。俺は何て馬鹿な事をしたのかと後悔する。俺はあの日彼女にホールのチョコレートケーキをプレゼントしてしまった。
「ああ。彼女の話によれば目覚めた日に違和感を感じてそれからはなし崩し的だったそうだ。幸いまだ甘味や辛みは感じられるが微妙な味の変化、口の中の乾き具合は判断しにくいそうだ」
「他には何かあるのか?」
「今の所は何も聞いていない。まあ彼女のことだから我慢しているものがあるのかもしれないが」
 ホテルで暴走したブリジットに用意されたのはさらなる洗脳だった。
 彼女はホテルでの件を完全に忘れさせられ、命令に背くことが出来ないよう服従の面からのアプローチを大幅に強化された。当然のことだが肉体への負担は大きい。
「彼女は一期生の中でもとりわけ強固な条件付けを受けているから、命令に背くことなど出来ない筈なんだがな。やはり何処か不具合が生じているのか」
「なあ、ビアンキ。それは彼女が整形までさせられたことと何か関係があるのか?」
 俺は前から疑問に感じていたことを口にした。今いる一期生の後に生産される義体は整形を施される予定だと聞いているが、一期生では普通、素体時の容姿がそのまま反映される筈なのだ。
「多分関連性はあると思う。唯でさえ薬漬けで負担の大きい義体化だ。それに加えてあそこまで大幅な整形を施せば後は想像に難くない」
 ビアンキは嫌になるよ、と頭を振った。


「今日はもう良いのか」
 しばらく無言でコーヒーを啜っていたらビアンキが口を開いた。
「あと一つだけ聞かせてくれば」
 俺はコーヒーの暗い水面を見つめたまま続ける。
「ブリジットは偏食家で物を食べさせるのに苦労するんだよ」

 俺が彼女に唯一手を焼かされたところだ。
 ビアンキは黙って俺を見つめている。

「最初のころは命令で無理やり食べさせてやろうかと思ったが、あの子がケーキを美味しそうに食べるのを見て考えが変わった」

「あの子は俺たちとは比べ物にならないくらい苦しんでいる。だから好き嫌いぐらい目を瞑って好きなものを沢山食べさせてやりたいんだ」
 
 俺はいつも自分の隣にいる少女のことを思う。

「ブリジットはいつまでケーキを食べていられるんだ?」



 ビアンキが答えを口にした。俺は裁判官から刑を聞かされる囚人の気分でそれを聞いた。彼が言うには若干の誤差があっても、時期的にはそう変わらないという。



「義体の技術は日々進んでいる。上手くいけば彼女を幸せに出来るかもしれない」
 
 

 ビアンキの励ましは所詮励ましでしかなかった。



 
 
 それはクリスマス(ナターレ)の日のこと。
 俺はアルフォドと一緒に、カンピドリオ広場に来ていた。
「今日の仕事はとあるカモッラの暗殺だ。名はロレンツォ。どうやら五共和国派の幹部と接触するため、潜伏先のドイツから入国したらしい」
 仕事の内容は久しぶりの暗殺だった。最近公社内でも俺の実力に疑問符が付けられていると感じているので、これは全てを挽回する絶好のチャンスだ。
 アルフォドは懐から写真を取り出し、俺に手渡す。
「この左端の男だ。昔から五共和国派との関わりが噂されていたが最近やっと尻尾が掴めた」
 俺は写真をコートの裏ポケットに仕舞う。
 今日のアルフォドと俺は少し年の離れた兄妹という設定で行動しているため、服装はベージュのワンピースに黒のフェルトコートと少し幼めに見えるように選んであった。
「作戦決行は本日午後七時。あと一時間ほどだ。本部の連絡では先ほど潜伏先のホテルを出発したそうだから市場の手前で待ち伏せする」
 アルフォドが歩きだしたのを見て、俺は彼の後ろについていく。
 カンピドリオ広場はクリスマスのためか人通りが多く、アルフォドから少し離れてしまうと逸れてしまいそうだった。
「待って、兄さん!」
 如何してかわからないが、今日のアルフォドは足取りが速い。義体の俺でも歩幅の差か、意識して歩かないと置いていかれてしまう。
 俺はそれが堪らなく寂しくて、思わずアルフォドの腕に飛びついていた。
 アルフォドはそれを見て、少し驚いたような顔をした後こう言った。

「妹よ。楽しいナターレはのんびりしていると終わってしまう。だから今を楽しみなさい」

 俺はアルフォドの言っていることの意味がよくわからなかった。



[17050] 第7話 祝福さる日 【ついでにクリスマスのこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/08 22:14
 
 
 それはクリスマスの前日の話。


 任務から帰ってきたトリエラは機嫌が少しだけ良くなっていた。序に生理も終わったらしい。
 俺は彼女が淹れてくれたミルクティーを傾けながら他愛もない雑談に興じる。
「で、マリオはクリスマスのプレゼントを届けに行ったの?」
「うん、まあこっちは散々な目にあったけどね」
「それはお疲れさま」
 俺はトリエラから聞いたマリオ護送の任務の顛末を聞いて、この世界がそれ程原作とズレていない事を確認した。
 今回の任務に関しても、原作との相違点はトリエラが負傷しなかっただけだ。
 久しぶりに耳にした吉報のお陰で、心なしか生理痛もマシになってくる。
 気のせいかもしれないが、ミルクティーの甘味も鈍っている様子がなかった。
「ねえブリジット」
 二人して、甘ったるい沈黙を続けていたらトリエラが突然口を開いた。彼女は視線を天井に向けると、何か考えるような口調でこう言う。
「マリオを見てて思ったんだけどさ、世間の父親ってあんな感じなのかな」
 トリエラの台詞に俺はカップを置いた。
 彼女の蒼い瞳が今度は俺に向けられる。
「どういうこと?」
 俺の問いに、トリエラは「何といえば良いのかなー」と首を傾げる。
 彼女にしては珍しく、何処か曖昧な態度だ。
「例えば私達の父親代わりってヒルシャーさんやアルフォドさんでしょ? でもそれって世間一般の父親と何処か違うよね」
 何がどう違うのかトリエラは言わなかった。でも俺は何となく彼女の言いたいことが理解できる。
「私もブリジットも家族のことなんか覚えていないからよくわからないけれど、多分良いものじゃないのかな。父親っていうのは」



 手の中にあるカップの温もりを感じながら、俺たちはしばらく理想の家族について話した。
 妹がいたら、姉がいたら。
 優しい母がいたら。
 そして大好きな父親がいれば。



 きっと俺たち義体に必要なのは、銃でもなく発作を抑える薬でもなく家族や誰かの愛情だ。
 トリエラがとても楽しそうに話しているのを見て、俺はそう思った。











 ロレンツォはもともと政治活動には何の興味も無かった。彼にとって大切だったのはカモッラとしての誇りと二人の家族――妻と娘だけだった。
 それがいつの間にか、左翼思想に染まったボスの使い走りとしての運び屋が始まり、
 いつの間にか公安にまでマークされるような身分になっていて、
 
 いつの間にか、大切にしていた家族のもとに帰れなくなっていた。


「ロレンツォ、これが今回のブツだ」
 そう言って手渡されるのは二枚の記憶媒体。
「気をつけろよ。最近は捕り物が急に増えているからな。ジョルジョの奴もみんな殺された」
 二人の男はカンピドリオ広場の噴水に腰掛けている。往来を見渡せばクリスマスの為かいつもより人気が多い。
「ブツは二日後の正午までにクリスティアーノに届けてくれ。それまでは何をしていても構わん」
 そこまで言われて、ロレンツォは初めて口を開く。
「はは、それは助かったよ。今日は折角ローマに帰ってきたからな。娘にドイツからのプレゼントを持ってきたんだ」
 ロレンツォは足元にある紙袋を指差した。中には包装紙で包まれているのか何か黒い、手の平大の小箱が入っていた。
「はん、子煩悩な奴だ。俺はとっくの昔に女房にも娘にも逃げられたよ」
「俺も似たようなものさ。このプレゼントもまだ有効かどうか」
 ロレンツォは痩せて窪んだ頬を掻きながら苦笑する。
「そうだ、ロレンツォ。娘で思い出したんだがお前はこんな噂を知っているか」
 媒体を紙袋の中に仕舞ったロレンツォに男がこう切り出した。
「何でも政府の秘密機関に女の子を使って暗殺を行っているところがあるらしい」
「それはハニートラップか?」
「そんな生易しいものじゃねえよ。この前の捕り物でも出張ってきたって話だ。まあ噂は噂だから本当かどうかは知らんがな」
 話すだけ話して男は懐から煙草を取り出した。ロレンツォにも勧めるが、それは断られる。
「目印は異常に白い手だ。シミ一つない赤ん坊のような手をしているんだとよ」
「白い手、ね」
 ロレンツォの呟きは白い息となって霧散していく。空を見上げれば日は傾きかけていて、雲が多い。
「今日は雪かもしれんな」
 男の一言にロレンツォは「同意だ」と答えていた。


 

 いつだったか、アルフォドがクリスマスプレゼントの要望を聞いてきた。俺はもちろんケーキと答えていたのだが、あの時の彼の落ち込み具合を考えればきっと服や縫いぐるみと言って欲しかったのだろう。
 

 最近アルフォドのことをよく考えている。
 これが単に脳みそが暇しているからか、それとも条件付けと副作用が進行して依存度が高くなっている為なのかはわからない。
 でもこうして抱きつくことによって温かみを感じるのは本当のことだった。。
「ブリジット」
 アルフォドの声が上から聞こえる。
「今日はすまなかったな」
「? 何がですか?」
「君はトリエラとクリスマスを過ごすべきだった」
 アルフォドが瞳を伏せるのを見て、俺はどう答えたら良いのかわからなくなる。
「君は少し休むべきなんだ」
 アルフォドが足を止めた。彼の双眸が俺を射抜く。
「でも私は義体です。テロリストを殺す事が私たちの役目です」
 視線に気圧されて、自然と早口になる。彼の腕に絡みつく自分の腕に力を込める。
 俺はまるで叱られた子供が言い訳するように続けた。
「確かに不覚を取って負傷はしました。けどあれからもう7人も殺しています。ヘンリエッタよりもトリエラよりも多いです」
 そうだ。復帰してからというもの、俺は常に前線で戦い続けた。公社から受けた疑問を、自らのわだかまりを、何より目の前にいるアルフォドに認めてもらうために。
「今回も必ず成功させます。必ず殺して見せます」
 自信はある。たった一人の運び屋を殺すのに、ものの数秒も掛らない身体を俺は持っている。強化された人工筋肉にナイフを通さない炭素フレームの骨、ありとあらゆる身体の全てが殺人の為に作られて――、
「……もう止めなさい」
 アルフォドが俺を抱きしめた。



 

 必死に自らの有用性を唱えるブリジットを見て、俺は条件付けの罪を知った。
 彼女は変わってしまった。
 今ではもうただの人形と変わらない。俺の言う事ばかり気にかけ、人を殺すことで自身の存在を証明しようとする。
 俺はそれが堪らなく悲しくなって彼女を抱きしめた。
 彼女に強く握られたせいか左手に力が入らない。もしかしたらヒビが入ったかもしれない。
「ブリジット、落ち着くんだ。俺達はフラテッロだ」
 幼子に言い聞かせるように俺は言った。
「フラテッロは絆だ。俺は君を見捨てたりしない」
 俺の台詞に彼女が身を強張らせる。俺は彼女を右手だけで抱いた。
「君は俺を信じろ」
 ブリジットがこちらを見上げる。彼女の黒い瞳は俺に怯えていた。
 
 俺は条件付けの罪を知る。
 彼女の捲られたページはもう戻らない。
 そして彼女に残されたページももう多いとは言えない。

「これが終わったらクリスマスのプレゼントを買いに行こう。ここはローマだ。きっと君が気に入るものが見つかるさ」

 だからせめて、彼女の残されたページは幸せなことで埋めてやりたい。
 彼女が毎日を素晴らしく生きていけるよう、楽しいことで埋めてやりたい。

 

 俺は数日前に交わしたビアンキとの会話を思い出す。


「後一年だ。それでも負傷を挟めば縮まるだろうし、脳に負荷が掛けられなければ少しは伸びる」


「もしかしたら今年のクリスマスが最後のクリスマスになるかもしれない。彼女には何でも良い。優しくしてやれ」


 後一年、もうページは残されていない。
 もう余計な条件付けで彼女を殺したくない。
 
 

 ブリジットの長い黒髪が風に揺れる。
 腕の中で震えている彼女が愛おしい。
 腕時計が七時五分前を指している。
 少しだけ、あと少しだけ、
 俺はそのまま彼女を抱きしめていたかった。






 ロレンツォは酒場で酒を浴びることも、賭博仲間とゲームをしようともしなかった。
 彼はただ、一ヶ月もの国外潜伏で迷惑を掛けた妻と子にクリスマスプレゼントを届けたい一心で歩いている。
 思えば幼いころに死んだカモッラの父はクリスマスのときだけは家に帰っていた。彼はきっと母と自分のことを愛していたのだろう。
 彼は軍警察に殺される直前のクリスマスにもサッカーボールを携えて、俺の元に帰って来てくれた。
 
 ロレンツォは政治活動に興味が無い。彼に必要なのはカモッラとしての誇りと家族だけ。


 ブリジットがそっと歩き出した。彼女の向かった先を見れば、ロレンツォが紙袋を片手に持ちこちらに歩いてきている。俺は彼女の直ぐ後ろにつくと、コートの下に隠したナイフを確認する。
 幸い辺りに人影はまばらだ。皆市場の方に集まっていて、裏通りには目もくれない。
 ロレンツォがこちらを見た。
 いや、正確にはブリジットを見ているのだろう。彼の視線は自らに向かってくる一人の少女に固定されている。
  
 
 こちらに歩いてくる少女の手が、異常に白いことに気がついたとき、ロレンツォは不思議と恐怖が湧いて来なかった。
 もちろん腕に自身がある訳でもないし、護身用に持っている拳銃を抜く暇があるわけでもない。
 ただ襲われるという実感がまったく湧いてこないのだ。長年の運び屋としての勘が早く逃げろと警鐘を鳴らしているにも関わらず、その少女から目線をはずすことが出来ない。
「何だ。娘と変わらないじゃないか」 
 彼の呟きは最後まではっきりと声に出せなかった。いつの間にか喉元に突き立っていたナイフがそれを邪魔するのだ。
 すれ違いざまに紙袋を奪われる。
 ロレンツォはさしたる抵抗も出来ず、石畳に倒れこんだ。止め処なくあふれる血が辺りを汚す。

 あっけない。
  
 少女に血まみれの手を伸ばし、ロレンツォはそんなことを考えていた。


 



 ブリジットとアルフォドが帰りの車で戦利品を確認したとき、彼らが見つけたのは二枚の記憶媒体とプレゼント用に包装された手の平大の小箱だった。
 爆弾かと思い、ブリジットが匂いを嗅いだが、火薬の匂いがしないので二人はそれを空けてみることにした。
「オルゴール、だな」
 車内に奏でられるメロディを聞いてアルフォドが口を開く。
「曲名は何ですか」
 アルフォドはオルゴールを胸元に抱えるブリジットを見て答えた。
「有名なクリスマスソングだよ」
 ブリジットは何も言わず、同封されていた手紙を広げた。そこには走り書きでこう書かれている。

 良い父親じゃないけど、私は君を愛している。    フロレンスへ。


 
 




 仕事から帰って来たブリジットは私と違って、仕事前よりも体調も機嫌も悪そうだった。シャワーを浴びた彼女は、ご飯もクリスマスケーキも食べずにテーブルの上に置かれたオルゴールを聴いている。
「それアルフォドさんからのプレゼント?」
 私の問いにブリジットは答えなかった。ただその様子からオルゴールはアルフォドさんからのプレゼントではないらしい。
 彼女の後ろに立ち、ブラシで髪をすいてやる。彼女はオルゴールを見つめたまま動かない。私はそのオルゴールを何処で手に入れたかと聞く勇気が無かった。
「明後日さ、クラエスが帰ってくるよ」
 私はブリジットの夜空のような髪に指を通す。
「また三人で暮らせるね」
 ブリジットが静かに頷いた。オルゴールの演奏が終わり、部屋の中を沈黙が支配する。私は机の上のオルゴールを巻きなおすと、再び彼女の髪をすき始めた。



 次の日俺とトリエラの部屋にいくつかクリスマスプレゼントが贈られてきた。
 ビアンキや公社の職員からは食べられないだけのケーキを。ヘンリエッタやリコからは小さな縫いぐるみを。
 トリエラにはヒルシャーとマリオからそれぞれ熊の縫いぐるみが届いている。彼女は7人の小人が8人になってしまったと嘆いていたが、どこか嬉しそうで安心した。
 そしてアルフォドからのプレゼントは一冊の日記帳が届いた。
「一体彼は私に何を覚えて何を忘れてもらいたいのかしら」
 俺は日記帳に今日の日付だけを書き込んでベッドの脇に仕舞いこむ。
 8体目の縫いぐるみに何と命名しようかと悩んでいるトリエラを尻目に俺はもう一度毛布を被りなおした。
 

 今日は何故だか一日こうしていたかった。



[17050] 第8話 エルザ・デ・シーカ 【ついでに第一部の終わり】 序章 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/08 22:12
 私にはあの人しかいないのに、あの人は私を必要としていない。
 私はこんなにも愛しているのに、あの人は私を愛していない。

 
 そのことに気が付いたのはこの前の“仕事”の時だった。
 いつものように、私はラウーロさんと五共和国派のアジトに向かった。今回は同半としてもう一組のフラッテロもいる。そのフラテッロの義体の女の子は夜空のような漆黒の髪をしていて、とても綺麗だった。
 


 銃撃戦になった時、その女の子は強かった。
 私は銃の扱いに自信がある。周りにも上手いと言われて十分そのことを自覚していた。でも、その女の子を見たとき私は自分がまだまだ甘かったと気付かされた。

「アルフォドさん! 二階のバスルームでエルザが目標を確保しました!」
 私が男の人を拘束している間に、その女の子は一人で廊下からやってくる敵と戦っている。片手でアサルトライフル――M4A1を振り回し、絶え間く銃弾の雨を降らせている。
「ブリジット、今トリエラ達が西側から上っている。あと十秒そこを確保しなさい」
 女の子が弾切れになったアサルトライフルを捨てた。サイドアームのシグを取り出してスナイピングにスタイルを変える。彼女の撃つ銃弾は一切の無駄が無く、全て哀れな男の人たちに吸い込まれていった。
 私は彼女が戦う姿に見惚れた。黒い髪が翻り、血と硝煙の匂いに混ざって甘いケーキの香りがする。
 余りにも幻想的で、美しかったから私は足元の拘束した男のことをすっかり忘れていた。
 だから、拘束用のワイヤーが緩んでいたことにも気付かない。
「エルザ!」
 突然彼女が振りかえって叫び声をあげた。見れば足元の男が落ちていたガラス片をナイフ代わりに私を押し倒そうとしている。咄嗟に銃を抜くが、男が余りにも近すぎて狙いが定まらない。
「っ!」
 私は刺されることを覚悟して、身を強張らせた。だがその私の行為は見事無駄に終わる。振り返った女の子が廊下に何かを投げてこちらに飛んできた。
「エルザから離れろっ!」
 女の子が投げたのはスタングレネードだと気が付いた時、女の子と拘束していた男は窓ガラスを突き破っていた。
 女の子は私に掴みかかっていた男に体当たりして、勢い余って外に飛び出してしまったのだ。
「あっ!」
 女の子に手を伸ばそうとするが、飛び出していく速度が速すぎて間に合わない。手のひらは虚空を掴み、女の子が視界から消えていく。
 私はどうしようも無くなって、彼女の名前を叫んだ。
「ブリジット!」






「それにしても驚いたよ。壁をよじ登っていたら男とブリジットが落ちてくるんだもん。ほんとびっくりした」
 トリエラはそう言って、俺の背中に氷が入った袋を押しあてた。鈍痛が和らいでくのを感じて、俺は息を吐いた。
「でも助かった。下にホロが無ければ打撲じゃ済まなかったから」
 そう、俺と男は運よく下の店に掲げられていた屋根のホロに落ちたのだ。これがアスファルトの上なら男ともども血の花を咲かせていただろう。
「折角クラエスがミラノから帰って来たのに、早速入院したらあの子がうるさいよ」
「まったく、クラエスせんせは小言が多いから」
 トリエラが声をあげて笑い、俺もそれにつられて笑った。こうして胸を上下させても嫌な感じはしないから、骨に異常は無いようだ。
「さて、一応レントゲン取った方が良いけど、ここじゃ冷やすぐらいしか出来ないから冷湿布でも貼っていく?」
「いや、気持ち悪いから良い」
 脱いでいた服を手早く着こみ、机に置いておいたコートを羽織った。懐のホルスターに収まったシグのせいか、少し重い。
「ヒルシャーさんは?」
「現場検証と尋問。ジャンさんが来るまではあの人が一番偉いから」
 俺たちは設置された医療用テントか出る。
 テープで囲まれた五共和国派のアジトは警察関係者でごった返していた。
 俺は人ごみを掻きわけてアルフォドを探す。
「ねえブリジット。あれ」
 アルフォドがいたのかと思い、俺はトリエラの指差した方向を見た。するとそこにいたのはエルザとラウ―ロのフラッテロだった。
「怒られてるのかな」
 遠目から見ても、彼女が今日の失態を叱られているのが良く分かる。だがその叱り方が問題だ。
「エルザかわいそう」
 トリエラの台詞に、俺は素直に同意した。執拗な罵倒と怒鳴り声がここまで聞こえてくる。
 普段エルザがどれだけラウーロに懐いても決して反応することは無いのに、彼女が何かを仕損じるとああやって出来そこない扱いをするのだ。
「私、アルフォドさんを探してくるから」
 俺はトリエラにそう告げて、その場を去ることにした。




 今日もあの人に怒られてしまった。今日もあの人に愛して貰えなかった。そしてこれからもきっと愛して下さらないのだろう。
 私はその事実にとても悲しくなって、警察が囲った現場の中を当てもなく歩いていた。
 そして、私は見つけた。
「痛むか? ブリジット」
 公社の車のボンネットの上にさっきの女の子――ブリジットが腰掛けていた。
 彼女は担当官と思われる男の人に背中を向けている。
「軽い打撲ですから帰って冷やせば問題ありません」
 私は近くに停めてあったパトカーの陰に隠れて二人の様子を盗み見た。
「そうか。それならいい。そこはこの前手術したところだからな。異常が出たら同室のトリエラに伝えなさい」
 ブリジットが担当官に向きなおる。彼女はさっきの私みたいに、担当官を見上げていた。
「申し訳ございません。本当はタックルして床に突き倒そうとしたのですが、思ったより勢いが出て……」
 ブリジットの台詞に、担当官は彼女の頭を撫でることで答えた。彼女の黒い髪に担当官の手が埋まる。ブリジットは眼を細めてされるがままだ。
「いや、お前は良くやったよ。お陰で誰も負傷しなかった。良い子だ」
 私はブリジットの担当官が言ったことを聞いて、思わず息を呑んだ。
「なら今日もケーキを買って下さいますか?」
「はは、そうだな。この前のナポリ出張で買ったお菓子があるからそれをあげよう」
 頭を撫でられているブリジットが笑顔になる。ほんのちょっと前まで戦姫のように銃を振り回していた彼女が笑っている。
 その笑顔を見たとき、私は自分の中にまるで茨の棘が生えた気がした。
「帰ったら皆と食べなさい」
 そして、何よりも私を動揺させたのは、彼女に向けられた担当官の笑顔。
 

 私はあの二人に自分とラウーロさんを重ねてしまった。
 私は逃げるようにしてそこを離れる。
 ブリジットが一瞬こちらを見たけれど、そんなことは気にしていられない。
 何故か涙が全然止まらなくて、
 如何しても叫び声を挙げたくて、
 
 とにかく一人になりたかった。



[17050] 第9話 エルザ・デ・シーカ 【ついでに第一部の終わり】 1
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/26 14:08



 薄暗い廃工場の中をブリジットは走る。
 獲物が落としていった血の跡を、強化された嗅覚を使って辿っていく。
 彼女の頭は獲物を殺すことしか考えられない。手にしたSIGは心強い見方で、背中に差したアーミーナイフこそ正義だ。
 獲物は直ぐに見つかった。奴は傷を庇いながらコンテナの陰で怯え震えている。ブリジットはその様子を確認すると息を潜め静かに笑った。
 酷く吐き気がする夏の夜。

 彼女は初めて人を殺す。









 エルザ・デ・シーカは昔エルザという名前ではなかった。
 トラックに轢かれて五体を引き千切られたことは覚えている。でも、死ぬ前の自分のことは何も思い出せない。
 何処に住んでいたのか、何が好きだったのか、そもそも自分の名前はなんだったのか。
 けど、エルザはそれでいいと思っていた。

 今ラウーロに愛してもらえるのなら、
 今ラウーロを愛することが出来るなら、

 エルザはそれだけを糧にして生きている。






 GNSLINGER GIRL エルザ・デ・シーカ





 耐えられないほどの吐き気がして目が覚めた。
 また嫌な夢を見た。最近はずっとだ。昔はてんで見なかったのに、薬の副作用なのか初めて人を殺したときの夢を良く見る。
 ベッドから起き上がると寝汗がシャツを濡らしていて、シャワーを浴びることの必然性を説いていた。俺は緩慢な動作で身体を起こすと、別のベッドで寝ているトリエラを起こすべく立ち上がった。だがそれは無駄足に終わったようで、トリエラのベッドには誰もおらず、ついでにクラエスの姿も見えないことから二人とも朝食を先に取りに行っていることが伺えた。
「詰まんないの」
 俺の呟きを聞くのは八匹の熊の縫いぐるみだけだ。トリエラのクリスマスプレゼント共が無言で早くシャワーに行けと急かしてくる。
 俺は枕元からヘアバンドを一つ取ると、髪を後ろでくくってポニーテールにした。毛布を綺麗に畳み、ベッドの上に積んでおく。
 伸びを一つすると昨日打ち付けた背中が悲鳴を上げた。どうやら骨に異常はなくても、直感的に身体が強張ってしまう。
 苦笑を一つ零すとトリエラとクラエスに書置きを残して俺はシャワールームに向かった。

 それはいつも通りの朝のこと。
 窓から弱い日差しが流れ込み、薄暗い室内を照らしている。
 

 シャワールームは幸い誰も使用しておらず、服を脱げば直ぐに使える状態だった。
 俺は一人、脱衣所で裸になると肌寒い冷気を感じながらシャワールームに飛びこんだ。
 シャワーの蛇口を捻り、程よい温水を頭から被る。
 そして前髪から垂れていく雫の合間から室内に取り付けられた鏡を見た。いつかの時のように裸の女の子がこちらを見ている。
 暫くの間、温水を浴びながら自分の身体を眺める。肌の感触も口から漏れる吐息も本物のようなのに、中身は炭素フレームと人口筋肉ということが未だに信じられない。
「ターミネーター」
 あながち間違っていないと俺は笑った。
 公社に作られた政敵抹殺用の強化サイボーグ。それが俺がこの世界に生きている存在証明だ。担当官の命令を聞いて人を殺すことでしか生きていけない。
 いつの間にかシャワーが冷水に変わっている。
 俺は頭を冷やすつもりでそのまま冷水を全身で受け止め続けた。


「ブリジット、今日は遅かったな」
 シャワーを浴びて自分の部屋に戻ろうとするとアルフォドが廊下に立っていた。どうやら部屋まで俺を訪ねて不在だったから廊下で待っていることにしたらしい。
「ごめんなさい。起床時間が遅かったので」
 頭を一つ下げて、彼を部屋に招きいれた。「B」と書かれたマグカップに淹れ置きされてあったコーヒーを手早く注ぐと、それをアルフォドに手渡す。
「これは俺があげたやつか。使ってもらえて嬉しいよ」
 アルフォドはコーヒーを啜り、いつもトリエラとクラエス、三人で使っているテーブルに腰掛けた。そして脇に抱えていたのか、何処からともなく取り出した小さなステンレスのガンケースを俺に差し出す。
「これは?」
「開けてみなさい」
 手早くロックを外し、言われたとおりケースを開封した。するとウレタンの緩衝材に挟まって一丁の中型拳銃が収められていた。
「SIGSAUER P-226だ」
 アルフォドがスライドの横に刻まれた刻印を指差す。確かに其の通り銘が掘ってある。
「君の前使っていたSIGなんだがな、昨日の任務で落としてきただろ。あの後軍警察に回収されて暫く戻ってこないかも知れないんだ」
 エルザを庇ったとき拳銃を床に投げ捨てていたことを思い出す。なるほど、あれは警察関係者が拾ったのか。
「それで公社から新しい銃を支給してもらった。弾は今まで通り9ミリだから心配しなくてもいい。ただマガジンが複列式になったからそこだけ注意してくれ」
 スライドを引いて、薬室を開ききった状態にしてみる。重さは以前より重く、銃口も少し長い。これはシューティングレンジで使ってみる必要がありそうだった。
 俺は受け取った拳銃をテーブルの上に置くと、アルフォドの反対側に座った。
「それとな、次の任務から俺たちはラウーロ、エルザ組とコンビを組むことになった」
 自分の分のコーヒーを淹れないで良かったと心底思う。きっとコーヒーなんか飲んでこの話を聞いたらアルフォドに熱湯のシャワーを浴びせていた。俺の唾液入りの。
「どうしてですか」
 出来るだけ平静を装って俺は問うた。アルフォドは俺の動揺に気がついていないのか、暢気に茶菓子を摘みながら答える。
「昨日の任務でラウーロがエルザにお前の戦闘技術を学ばせたいと言ってきたんだ。俺は断ったんだが課長命令もついてきてな、すまんが暫く我慢してくれ」
 アルフォドの台詞に眩暈がした。昨日自分たちを見て逃げていくエルザを見て嫌な予感はしていた。まさかそれが現実のものになるとは。
 エルザは近い将来、自分に振り向いてくれないラウーロに悲観して彼を殺し自殺するだろう。俺はもともとそのイベントを止めるつもりは無かった。それがこの後の展開にどのような影響を及ぼすのか分からなかったし、止めようとして自分が巻き込まれればそれこそ本末転倒だからだ。
 だがここに来てエルザとの関わりが急増してきた。
 俺は自分が陥った状況にため息を付きたくなった。原作キャラ、特に義体には甘い俺のことだ。おそらくこれ以上エルザとの繋がりが強化されると彼女を見捨てることが出来なくなるだろう。
 
 傍観か、介入か。

 目の前に置かれたSIGを見つめて俺は固まった。
 アルフォドが飲むコーヒーの匂いが鼻をくすぐる。
 茶菓子のクッキーを乱暴に引っ掴むとアルフォドが驚くのも無視して、それを丸齧りした。





 ラウーロさんからブリジットたちと組むことを伝えられた。
 私はそれを聞いて、自分の部屋に閉じこもった。ルームメイトなんか最初から存在しない自分だけの部屋。
 私は私の宝物のラウーロさんの写真を抱きしめてベッドに横たわる。
 ブリジットのことを考えるとどうしようもない絶望感に襲われて、自然と視界が曇る。
 彼女はあの担当官のことが好きだ。あんなに強いのに担当官の目の前になると、とても女の子らしくなっている。
 そして担当官の人もブリジットのことを愛しているのだろう。
 あの担当官はブリジットを褒めていた。そして負傷を心配していた。昔私が刺された時ラウーロさんは何も言ってくれなかったけど、あの担当官ならブリジットが少しでも怪我をすると凄く心配してくれるのだろう。
 
 私はわからない。

 どうしてラウーロさんは私を愛してくれないのか。
 どうしてブリジットはあんなに愛されているのか。

 私とブリジットは何が違うのか。



「惨めなだけじゃない」
 


 エルザはベッドで一人泣いた。自分の中に渦巻く嫉妬の念が怖くて一人で泣いた。
 ブリジットのことを思い出すたび、涙が止まらなくなる。ラウーロのことを考えるたびに泣き叫びたくなる。
 彼女の嗚咽を聞くのは、写真の中の愛しい担当官だけだ。



[17050] 第10話 エルザ・デ・シーカ 【ついでに第一部の終わり】 2
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/28 14:38
 初めて殺した男は俺に怯えていた。
 必死にこちらに来るなと叫び続け、撃ち抜かれた足を引き摺っては俺から逃げ続けた。
 俺はそんな男をつけ回すのが楽しくて仕方なくて、男を逃がし嬲り続けた。
 終わりが訪れたのは男を袋路地に落ちつめた時だったように思う。血を流しすぎて、最早立つことも出来ず、放って置いても死んでしまいそうな男は何かに向かって泣き叫び続けた。
「※※※※※※※!!」
 男が何を叫んでいたのかはわからない。だがその叫びは酷く不快で、俺の中に渦巻いていた殺意を昂ぶらせるのは容易なことだった。
「※※※※!」
 今度はこちらを向いて何かを叫ぶ。俺はもう我慢がならず、男に銃を向けた。するとどうだろう、男も何時の間にか拳銃を構えていて俺を狙っていた。
 発砲音が重なる。
 僅かな静寂の後、薬莢がコンクリートで弾ける音を聞いて、俺は男と自分の様子に気がついた。
 男は胸を撃たれて既に事切れている。彼から流れ出る赤い血が生臭い香りとなって鼻腔に到達する。
「っ!」
 俺は腹に手を当てて膝から崩れた。腹を押さえた手を顔の前まで持ってくれば、男と同じように熱い血が溢れ出ている。痛みというより違和感が内臓を侵し、吐しゃ物を地面にぶちまけた。
 


 最近、この頃の夢を見る。
 そして、夢はまだ続く。



 腹を撃たれた。
 俺はホテルの廊下で四つん這いになり、爛れ落ちる自分の血を眺めていた。
 そして眉間に銃を突きつけられる。
「なんだ、そんな顔もできるのか」
 俺を撃ったのはリコだった。彼女は有りっ丈の憎悪を、銃口と共にこちらに向けている。
「どうして彼を撃ったの?」
 原作では決して他人には向けない怒りという感情を表すリコを見て、俺はこの世界の改変に成功したことを知った。それは何とも痛快で、何時ぞやのときみたいな吐き気を押しのけて俺を笑わせた。
「答えてよ、ブリジット! どうして彼を撃ったの!?」
 激高したリコが引き金に掛けた指に力を込めた。俺は内心のどこかでもう助からないかもしれないと悟る。だから、せめて頭部を撃たれる前にこう告げようとした。

「君を救いたかったから」

 結局のところ、俺の返答を聞く前にリコはアルフォドに吹っ飛ばされた。
 リコはジャンにぶん殴られて、鎮静剤を打たれるまで終始暴れ続けた。
 その様子を見て、初めて自分がやったことが間違いであったことに気がつく。

 俺はアルフォドに抱きかかえられて、下へ連れて行かれるまで、血に塗れた自分の両手を見ていた。






「ブリジット! ブリジット! 起きなさい、ブリジット!」
 誰かが俺を揺さぶる。どうやら同室のトリエラかクラエスが俺を起こそうとしているのだろう。口調からして恐らくクラエスだ。
「ブリジット!」
 俺はクラエスの細い腕を掴んで、目覚めの意を示す。彼女は俺を揺さぶるのを止めて、お湯で濡らしたタオルを俺の顔に被せた。
 これで顔を拭けという意味らしい。
「……おはよう、クラエス」
「おはよう、ブリジット……と言いたい所だけどもう昼前よ。それにあなた、相当酷い顔をしてる」
「?」
 クラエスに言われて俺は枕もとの手鏡で自分の顔を見た。すると目は真っ赤に腫れ、目尻と頬は涙で筋が出来ていた。
「また泣いていたの?」
 クラエスが俺のベッドに腰掛ける。彼女に頭を撫でられて俺は首を縦に振った。
「最近、夢を良く見る。初めて人を殺したときの夢と、もう一つは――、思い出せない」
 クラエスは何も言わなかった。ただ彼女は俺の頭を撫で続ける。俺はそれがとても心地よくて、暫く彼女に身を任せていた。



 食堂でトリエラが口を開く。
「今日もエルザとデートなのかい? 私のブリジットくん」
「あらあら嫉妬される殿方は私の好みじゃありませんわよ。トリエラさん」
「痴話喧嘩は他所でして頂戴。トリエラにブリジット」
 三人で昼食を取るのは久しぶりだった。主に俺が仕事やら寝坊やらで彼女たちの生活時間から離れていたので、三人そろう事が中々無かったのだ。
 トリエラはトマトスープのパスタ。クラエスはクリームソースのパスタ。俺は大量のシチリア風ピザを食べている。
「でも本当に好きだね、ブリジットは。シチリア風のピザ」
「もちもちして美味しいからね。ローマ風のピザは硬くて嫌い」
 出会ったばかりのころは、トリエラとクラエスの二人は俺の偏食を治そうと躍起になっていた。如何にトマトスープが素晴らしいか、カジキマグロのステーキが尊いかを二人して延々と語られたのだが、元日本人の俺としてはイタリア料理がどうしても口に合わず、結局シチリア風のピザと大多数の菓子類が主食になってしまった。
「ま、いまさらブリジットの好き嫌いを語るのは不毛なことなので、最近のエルザとブリジットの蜜月関係について聞いてみようか」
 トリエラが顔のにやけを隠そうともせずに俺に迫る。
 絶対ヒルシャーと出来た頃には痛い目にあわせてやる、と内心毒づきながらも俺は出来るだけ平静に答えた。
「蜜月も何も今はチームを組んでるだけ。格闘訓練やら射撃訓練も一緒だけど、それほど仲は良くないよ。私は目の敵にされているから」
 そう、エルザと組んで早一週間。
 彼女が俺に向けてくる感情が、決して親愛でないことなどとうの昔に気がついていた。
 それは嫉妬なのか単純に嫌われているのかは分からない。ただ彼女が俺に敵意を見せていることだけは漠然と理解している。
 そして嫌われる理由も。
「なに? あの子の前でアルフォドさんといちゃついたりしてるの? そりゃあ嫌われるかもね」
 トリエラのからかいに俺は反論できなかった。何故ならそれは半分以上は事実で、俺自身が後ろめたく感じている部分だからだ。
 合同訓練の後アルフォドが声を掛けてくる。それだけでエルザの視線は俺を射抜くような色をもち、俺が褒められでもしたら、こちらが寒気を覚えるような殺気を放つ。
 正直そろそろ気力の限界だった。いつ彼女がラウーロに――、もしかしたら俺に暴走した憤りをぶつけて来るのか分からず、ストレスだけが蓄積する。
 最近夢見が悪いのも、眠りが長いのも恐らく無関係では無い筈だ。
「でもあの子も可哀想よ。あれだけ担当官のことを好いているのに何の反応も返して貰えない。奇跡的に何か反応を貰ってもそれは罵倒と暴力だけ。あなた達なら耐えられる?」
 クラエスの一言に俺とトリエラは食事の手を止めた。俺もトリエラもウンザリするくらい担当官に世話をして貰っている。もしそれに慣れきってしまって、エルザに同情しているだけならそれは大罪だ。
「ねえ、クラエス。どうしてエルザはラウーロさんに優しくしてもらえないと思う?」
 トリエラがそう聞くのを俺は黙って聞いていた。トリエラの疑問は俺が以前から感じていたことでもあり、今でも解決に至っていないモノだ。
 クラエスはコーヒーを口に含み、暫く思巡した後こう答えた。
「それは私たちが義体だからよ。確かにヒルシャーさんやアルフォドさんは私たちに優しくしてくれる。それは何故? おそらくあの二人はあなた達のことを一人の女の子―-人間として扱っているからよ。人はね、人にはとても優しくなれる生き物なの。でもそれが唯の人形ならそうはいかないわ。人形には人形の接し方があるから。人と人形は違うの」
「つまりエルザは人間らしくないからラウーロさんに優しくしてもらえないということ?」
「それは分からないけれど、もし彼女があなたやブリジットのように振舞うようになったら少しは好転するかもね」
 クラエスがそう言うのを聞いて、俺は少しだけ今後の活路が見えた気がした。
 エルザが人間らしくなる。
 口で言うのは簡単だが、それは非常に困難なことだろう。
 彼女に掛けられた条件付けは硬い。だが条件付けを上手いことかわす、若しくは利用することによって彼女を人間らしくすることが出来るのではないか。
 考え出せば止まらなかった。急いで残りのピザを放り込むと俺は席を立つ。
 トリエラとクラエスが何か口を開くが、俺は構わずに食堂から飛び出した。
 今日は午後から格闘訓練がある。もちろんエルザとマンツーマンの訓練だ。
 これから自分が何をしようとしているのか、まだよく認識していない。でも何もせずにこのまま指を咥えて見ているよりも遥かにマシな筈で、
 
 エルザが救えるような気がしたから、俺は走り続けた。






 今日はケーキの匂いじゃなくて、トマトケチャップの匂いがした。
 それでも彼女の匂いは基本的に甘く、油断をすれば直ぐに気を許してしまいそうになる良い匂いだった。
 だから彼女が繰り出した徒手空拳は的確に私の額を捉えてくる。
「つっ!」
 寸でのところで自分の腕を割り込ませてブリジットの腕の軌道を逸らす。それでも彼女は焦りの色一つ見せず、今度は回し蹴りを放ってきた。
 しなやかな質量を持った一撃が私を吹き飛ばす。
 ここ最近の訓練で思い知ったことだが、私はブリジットに全ての面で負けている。速度は彼女の蹴りや突きをかわすのが精一杯で、反撃をすることなど出来ない――つまり圧倒的に押し負けている。
 筋力も、体格の違いが相まって到底適うものではない。
 その証拠に回し蹴りの後に繰り出された膝蹴りを私はモロに喰らってしまった。
 世界が暗転して、背中に衝撃を感じる。口の中に土と血の味が広がって、私は敗北を噛み締めた。
 ブリジットが私を見下ろす。
 私はそんな彼女を見て、自分の中に渦巻く嫉妬と憎悪の念が急速に膨れ上がっていくのを感じた。
 どうしようもなく胸が焦がれて、どうしようもなく情けなくなって、私はブリジットに掴みかかろうとする。
 けれどその気勢を見事にそいで見せたのはブリジット本人だった。
「ごめんね」
 その一言に握り締めた拳が弛緩する。掴みかかろうとした彼女がとても怖くなって、私は動くことが出来なかった。
 倒れこんだ私の隣に彼女が腰掛ける。ブリジットの白い手が私の頭を撫でた。
 反射的に瞳を閉じたが、彼女は黙って頭を撫で続ける。
 そして私はそのまま、訓練再会の合図が鳴らされるまで彼女に撫でられ続けた。



 次の日は射撃訓練だった。二人並んでアサルトライフルのバーストの練習をしている。
 ここでもブリジットは完璧で、全ての的を手際よく倒し続けていた。一方の私はミスショットばかりでいつまで経っても規定の枚数を打ち抜くことが出来ない。
 そのうち当てなければならないという焦りと、ブリジットに負けたくないという悔しさからか的にかする事も無くなった。
 そんな時、ふと救いの手を差し伸べたのはまたブリジットだ。
「ほら、ゆっくり落ち着いて。当てようとするんじゃなくて当たると思えばいいんだよ」
 バーストで硬直していた私を後ろから抱きかかえ、彼女はアサルトライフルにロックを掛ける。すると彼女は私の手に自らの手を添えて、再びロックを外した。
「いくよ」
 私が引き金を絞る。跳ね上がろうとする銃口を彼女が私の左手を掴んで押さえ込んだ。ブリジットの補正を受けたライフル弾は寸分違わず的に吸い込まれていく。
 直ぐにマガジンが空になり、射撃が止まる。彼女は起用に私を抱きかかえたままマガジンキャッチを外すと、新しいマガジンをセットした。
「ほら、今度は一人でやってごらん。当てるんじゃなくて勝手に当たるの」
 ブリジットがそっと離れて、ケーキの匂いが鼻をかすめた。私は以外に冷静な自分に驚きながらも狙いを付けて引き金を引いた。
 断続的な発射音と共に的が吹き飛ぶ。
 後ろでブリジットが歓声を上げた。彼女は手を叩いて喜ぶと、射撃を終えた私の頭を撫でた。
 私の頭はブリジットのせいでくしゃくしゃになる。でも私は彼女を振り払う気にはなれず、そのまま成すがままにされていた。



 二人で共同の任務に当たることになったのは、それから少し経った頃だった。
 与えられた仕事はそれ程難しくない。
 左寄り過激派グループの殲滅戦だ。私の技量もブリジットと組むことによって以前より向上していたし、何より私を鍛え上げたブリジット本人と任務に当たるのだ。
 失敗するほうが難しい。
 私はアジトに突入するときも何処か気楽に構えている節があった。

 だが、その慢心が自分の首を絞めることになるとは、この時は露ほども考えていなかった。


 ブリジットがスタングレネードを投げ込んだ。私とブリジットは僅かな時間差を設けて、窓から突入する。
 耳を劈く破砕音と同時に、ブリジットの持ったMP5――サブマシンガンが唸りを上げた。
「がっ!」
 スタングレネードの光と音よって目と耳を潰されたテロリスト共は、ブリジットの放った弾丸を受けて崩れ落ちていく。私は微妙に息の残っているテロリストに銃弾を叩き込んでとどめを刺していた。
 部屋に突入してまず目に入ったのは三人の男の死体と幾つかの書類、そして不自然に浮き上がったカーペットだ。
 ブリジットが不自然に浮き上がったカーペットを引き剥がした。そこには慌てて閉めた為か微妙に隙間の空いた地下室の扉があった。
 どうやら私たちの突入は少し前に感付かれていたらしい。
 ブリジットがアルフォドに連絡を一つ取ると地下室の扉を開けて階段を下った。私は背後を警戒しながら彼女の後を追っていった。
 ふと、ブリジットが足を止める。彼女はサブマシンガンを肩に背負うと、腰に備え付けたホルスターから拳銃を抜いた。
 彼女が口の動きだけで、待ち伏せがいることを伝えてくる。
 私が了解の意を示すと、彼女は階段を一気に飛び降りた。すると下から怒号といくつかの銃声が響き、暫くすると何も聞こえなくなって不気味な静寂が訪れた。
 自分も降りるべきかと考えた頃、ブリジットがゆらりと階段を上って来る。
 右手に男の死体を引き摺って。
 私は思わず息を飲んだが、彼女が無事に帰ってきたことに安心して銃を下ろした。そしてそのままブリジットを見下ろしていると彼女がおもむろに口を開く。
「ねえ、殲滅すべき対象は何人だった?」
 私は数十分前のブリーフィングの様子を思い浮かべる。ジャンさんから聞かされた対象は左派過激グループの五人組だった。だから私はそのまま五人とブリジットに伝える。
「え?」
 今度息を飲んだのはブリジットだ。彼女は血塗れの顔を強張らせると右手の死体を凝視した。
「一人足りない!」
 ブリジットが叫び声を上げたのと、背後に気配を感じたのは同時だ。私は咄嗟に振り向いて発砲するが、背後の気配の方が早かった。
 胸に何かが当たり、私はブリジットの元へ吹き飛ばされる。私を抱きとめたブリジットは階段の上に向かって三発ほど銃を放った。
「エルザ!」
 床に転がされて、胸元をブリジットが引き裂いた。
 彼女の両手が真っ赤に染まって、自分の受けた傷の深さを知る。
「しっかりして!」
 彼女の叫びが喧しくて仕方が無いのに、私の意識はどんどん虚ろになっていく。
 ブリジットが襟元のピンマイクに何かを叫んだ。
「アルフォドさん! エルザが撃たれました! 早く車を!」
 義体の身体がそうさせるのか、それとも致命傷過ぎてどうしようもないのか、私の身体からは体温が失われいよいよ意識を保つのが困難になってきた。
 ブリジットに無理やり負ぶわれ、そのままどこかに運ばれていく。
 私が意識を手放す瞬間に感じたのは、彼女特有の甘いケーキの香り。

 いつもなら絶対ラウーロさんのことを思い浮かべるのに、その日だけは何故かブリジットのことをずっと考えていた。

 

 
 




[17050] 第11話 エルザ・デ・シーカ 【ついでに第一部の終わり】 3
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/28 23:32
 ――自分の引き千切れた手足はただ無感動に眺めていたくせに、
 
 ――広がっていく醜い血溜りはどうでも良かったのに、

  どうしてだろう。
  
  ブリジットの泣きそうな顔だけは、到底受け入れられなかった。





 

 アルフォドが俺の左腕に包帯を巻いてくれた。拳銃弾が掠めたのか、二の腕に小さな裂傷が出来ていたのだ。
「エルザは無事だったそうだ。弾丸は右胸を貫通していた。ちょっとした手術で直ぐに意識を取り戻すよ」
 大事をとって俺の腕をアルフォドが三角巾で吊り上げる。そこまで大した怪我じゃないのに、彼は熱心に治療していた。
「アルフォドさん、掠り傷ですから包帯だけでいいです」
 俺の提言を彼が聞き入れることはない。彼は俺の言うことを無視して三角巾を首のところで結んだ。
「幾らなんでもこれは大袈裟です」
「大袈裟なんかじゃないさ」
 少し語気を強めた抗議も、彼の手に掛かれば一蹴されてしまう。
 俺は流石にウンザリして、彼に背を向けた。
「ブリジット、俺は君を心配しているんだ」
 そんなことは百も承知だ。だからこそ鬱陶しいと感じるのは、もしかしたらとても贅沢なことなのかもしれない。
 アルフォドが俺の肩を掴んだ。
「君は何をそんなに焦っている」
 彼の声に身が強張る。俺は焦ってなどいない、と反論しようとして――でも反論の句が告げることが出来ず、
 小さな、咳をする様な息を一つ吐いた。
 そんな俺をアルフォドが引き寄せる。
 俺はアルフォドの胸元に顔を埋めて、彼の優しさに甘えた。
「最近、夢を見ます」
 アルフォドが何か声を発しようとする。俺はそれを指で遮って続けた。
「多分、二つともお腹を撃たれる夢です。片方は私が始めて殺した男、もう片方は誰に撃たれたのかはわかりません。でも、私を撃った二人は私のことを憎んでいた」
 不意に視界が雫で曇る。男に抱きついて夢の告白をするなんて本当はありえない筈なのに、今はそれにとても飢えていて、自然と涙が止まらない。
「ねえ、アルフォドさん。私はいつ何を書き換えられたのですか? 私を撃ったのは本当に五共和国派? それとも他の誰かなのですか?」
 俺はエルザを抱きとめた時の感触を思い出す。両の手が赤い熱い血に濡れて、それが酷く恐ろしくて寒気が止まらなかった。
 それはまるで夢に見ていた光景とまったく同じだ。
 

 違和感なんてとうの昔に気がついていた。
 あれほど夢を見ず、昔の自分のことなんて何も知らなかったのに、ある日を境に――五共和国派に撃たれたとされる日から始まった悪夢。
 衰えた自分の味覚。日に日に数が増えていった薬の種類。
 原作での一期生の末路を知っている俺が気が付かない筈が無いのだ。それでも見て見ぬ振りをしていた。自分はまだ大丈夫、これは予想の範囲内、自分はまだ生きていける――。
 認める。俺はまだまだ甘かった。なまじ知っている世界に生まれ変わったものだから、この世界が夢の世界だと思っていた。
 だがそれは俺に向けられる殺意、憎悪、嫉妬、
 そして両手に感じた血の感触によって全て否定されてしまった。
 俺はこの世界に確かに生きている。そしてそう遠くない頃、死を迎える。
 現実から目を背けて、今が神様がくれたボーナスステージだと一度でも思った自分が憎い。
 今の自分はボーナスステージでもなんでもない。ただ無気力に生きつづけ、そして自分の生の意味を考えることなく死んでいった俺の報いだったのだ。

 どれだけ拒絶しようと、どれだけ理屈付けようと、俺はこの世界で生きてかなくてはならない。そしてこの世界の全てを知っているが故にいつまでも孤独のまま。
 それは何という地獄なのだろう。
 エルザは愛するラウーロが永遠に手に入らないことに絶望して自殺した。
 俺はエルザに同情していた。だが、愛したものも、憎んだものからも、永遠に置いてけぼりにされていく俺と何が違うのだろう。
 根本的なところで彼女と俺は変わらない。

 アルフォドの胸の中で、初めて声を上げて泣いた。
 今まで恥ずかしくて、決して泣くまいと決めていたのに彼の前で初めて泣いた。
 アルフォドが静かに俺を抱きしめる。
 例え永遠に一人ぼっちでも、彼を手に入れることが出来なくても、
 今だけはこの温もりに縋っていたかった。




 ◆




 それはエルザ負傷から二日後のことだった。

 彼女が眠り続ける病室に一人の来客が現れた。腰まである長い黒髪と、同じ色をした夜のような瞳を持つ少女は静かに病室に入ってくる。
 照明は切られていて、室内を照らす光源は窓から差し込んだ昼の日差しだけだった。
 少女は先に病室にいた先客の背中に声を掛ける。
「ラウーロさん、アルフォドさんから聞きました。あなた二日間もそうしているそうですね」
 ラウーロと呼ばれた男は緩慢な動作で少女に振り返った。唯でさえ彫が深く陰影のはっきりした顔だったのに、ここ二日で憔悴しきった顔は幽鬼のようだ。
「少し、お時間はありますか?」
 ラウーロは己の腕時計を見て、そしてベッドで眠り続けるエルザを見た。彼女が一向に目を覚ます気配が無いのを確認して、彼は静かに頷く。
 少女はラウーロの隣に椅子を引っ張り出して、そこに腰掛けた。

「あれ程エルザを無視し続けていたあなたが、甲斐甲斐しく彼女の看病をするなんてどういった風の吹き回しですか?」
 ラウーロは直ぐには答えない。彼は瞳を伏せ息を吐く。組んだ両手に己の額を預けると、静かに口を開いた。
「こうして眠り続けている限り彼女は人間だからだ」
 確かに眠り続けるエルザは年相応の少女そのものだ。だが、普段の彼女も見方によれば一人の男性を敬愛する少女だ。ブリジットはそのことを疑問に思い問うた。
 ラウーロはこう答える。
「それは俺の罪だ。俺は俺の罪に抗えない。もし俺がその罪を直視すれば彼女を殺してしまう」
「罪とは? どうして直視すればエルザを殺すのですか?」
 ラウーロは答えない。額を組んだ手に預けたまま微動だにしない。ただ彼の口元だけは何かに訴えるように震えていた。
 ブリジットはラウーロが答えを示すのをただ待ち続ける。

「エルザ・デ・シーカ。それがこの子の名前だ」
 ラウーロは続ける。
「偽名でも何でもない。この子がトラックに轢かれて死に掛ける前も同じ名前だった」
 震えた唇が、必死に言葉を紡ごうとする。
「俺は五体を引き千切られるのがどんな感触かも想像が付かなかった。そして一度死んだ後、殺人サイボーグとして無理やり蘇えさせられる苦痛も想像できなかった」

「だから彼女の記憶を全て消してやろうとした。自分が死ぬまでの幸せな人生も、事故で轢き潰されるその瞬間も」

「でも名前だけ、名前だけは残してやらねばならないと思った。それだけが彼女が生きていた証だからだ」

「だが殆ど全てを奪ったことに対する代償は避けられなかった。彼女は俺を盲愛するという、全てを奪った俺に全てを捧げるという最もあってはならないことが起こった」

「俺は耐えられない。彼女が俺を憎まない限り耐えることが出来ない。全てを奪い残酷なものを与えた事実に向き合うことが出来ない」


 ラウーロの独白をブリジットは黙って聞き続けた。
 ただ、独白が終わったその瞬間だけこう言った。

「あなたがもしエルザのことを嫌っていないなら、エルザにもっと何かをあげて下さい。別に愛情じゃなくても良い、心がこもって無くても良い。ただあなたが何かをあげるというだけでエルザは幸せです」
 
 ラウーロは呆然とブリジットを見つめた。

「もしあなたがこのまま何もあげないのなら、私がエルザを満たします。でも私なんかで満たされるより、あなたに満たしてもらったほうがエルザは幸せです」


 病室でのやり取りのあと、ラウーロは仕事が溜まっているといってその場を後にした。
 薄暗い室内で、ブリジットはエルザの枕元に腰掛け続けていた。





 ◆ 





 私が目覚めたとき、病室にいたのは枕元で眠っているブリジットだけだった。
 ラウーロさんがいないことに、特に驚かない。
 私はある程度予測できたその事実に乾いた笑いで答えた。


 枕元で眠っているブリジットは、私が決して得られないものを全て持っている。
 彼女は担当官に愛されて、そして担当官の愛し方を知っている。
 私は何も知らない。私には何も無い。
 少し前までは憎くて仕方が無かった。彼女に対する嫉妬のせいで眠れない夜が続いた。
 それなのに、今は彼女が枕元で眠ってくれているだけで胸がはち切れそうになる。
 どうしようもない喜びで溢れて、何がなんだかわからなくなる。
 
 ――けれど、

 彼女に対する憎悪が、妬みが、さまざまな負の感情がどうしても消えてくれない。
 こんなことを考えちゃいけない筈なのに、この場で彼女をグチャグチャにしてやりたくなる。
 私は私が怖い。こんなことを考えている私が怖い。
 
 私は自分を抱きしめて、ただ震えていた。
 でもそれが情けなくなって声を押し殺して泣いた。




 ◆ 




 病院を抜け出した私は公社の中庭にいた。
 あたりはすっかり暗くなって人気が無い。大きなクヌギの木の下に腰掛けると、私は右手に手にしたものをそっと見つめた。
 SIGSAUER P-226。
 寝ていたブリジットから失敬した一丁の拳銃。
 他にも色々な方法を考えたけど、結局これしか見つからなかった。
 私はそれを右目に当てて引き金に親指を掛ける。私は私が悪者になるのが怖くて、ラウーロさんが手に入らないことが怖くて、引き金を絞る。
 
 ブリジットの銃の銃声はまるで彼女のように優しい音がした。

 



 
 
 
 



[17050] 第12話 エルザ・デ・シーカ 【ついでに第一部の終わり】 終章
Name: H&K◆03048f6b ID:d86a7d58
Date: 2010/03/29 10:47
 本当に本当に大嫌いだったのに、今ではどうしても嫌いになれない。
 嫌いになれないけど、無条件に好きになることも出来ない。

 私にはあなたが眩しすぎたのかもしれない。


 
 エルザ・デ・シーカ 終章


 
 優しい銃声の後、私の世界に訪れたのは静寂だった。
 これが死後の世界なのかと一瞬考えてみたけれど、私に馬乗りになっているブリジットを見てそれは間違いであることを確認する。
 だから私は間抜けな声でこう言った。
「生き、てる?」
 


 

 この間抜け、と自分に叫んでやりたかった。
 懐に収めていた拳銃が無くなっていることに気がついたとき、窓の外をふらふらと歩いていくエルザの背中が見えた。
 どうしてこんなものを取られたのに気が付けなかったのか、何より目覚めた彼女が俺の姿を認めた時どのような反応を示すのか、考えてみれば直ぐ分かる事なのに俺は呑気にも惰眠を貪っていた。
 でも、自分をぶん殴る事より、二階の窓から飛び降りた判断だけは褒めてやっても良いかもしれない。
 あの時飛び降りていなければ、エルザの持つ拳銃の軌道を反らせなかった。
 あの時飛び降りていなければ、エルザは死んでいた。
 エルザが茫然とこちらを見上げ、口を開く。
「生き、てる?」
 彼女の声を認めた時、俺は彼女をそっと抱きしめた。俺より幾分か背丈が低く、体格も華奢な彼女は力を入れすぎると壊れてしまいそうだった。
 そんなおっかなびっくりな俺の抱擁を、エルザが抜け出すのは簡単なことだった。
「エルザ?」
 俺の声にエルザが双眸を顰める。彼女は唇をきつく噛みしめていて、手足が震えていた。

 手にしたままの拳銃が俺に向けられる。





 ブリジットに助けられた。
 そのことに気がついたとき、私の中の焼けつくような殺意は止まる所を知らなかった。
 

 私はアルフォドと楽しそうに過ごす彼女が憎かった。
 私が持っていないものを皆持っている彼女が憎かった。
 いつもいつも嫉妬していて、彼女を殺してやりたいと考えていた。
 でもブリジットは私に優しかった。テロリストに襲われた私をその身を呈して助けてくれた。
 訓練ではいつも優しく教えてくれた。私がいくら失敗しても決して怒ることなく、最後まで私の傍にいてくれた。
 撃たれた私を抱きとめてくれたのも彼女だ。私は彼女の温もりがあったから、静かにその意識を手放すことが出来た。
 
 そして病室で目覚めた時――

 私の枕元で眠っているブリジットを見て、 自分の中に芽生えた気持ちをハッキリと理解した。

 ああ、私はこの人のことが好きなんだ。
 ラウ―ロさんも大好きだけれど、この人のことも大好きになっていたんだ。


 けれど私がこの気持ちを抱くのはきっと間違ったこと。
 私は私の醜さを知っている。
 こんなにも彼女のことが好きなのに、一方で彼女を憎む気持ちが常に渦巻いている。
 私はブリジットを好きになってはいけない。ブリジットに近づいてはいけない。
 私には彼女が眩しすぎて、こんなに醜い私に優しくしてくれる彼女が眩しすぎて、私が私でいられる自身がない。
 このままだと私が壊れるか、それとも私がブリジットを壊してしまうか、

 もしこれが優しい夢なら、私はこの夢を壊したくない。
 ブリジットがいて、ラウ―ロさんがいる世界を壊したくない。

 私は自分が消えるしかないと思った。
 ブリジットを消そうとする自分を消すしかないと思った。

 
 それで死のうとしたのに、
 よりにもよって私の死を邪魔したのはブリジットだった。
 涙が止まらない。
 ブリジットが憎くて、ブリジットが愛おしくて、涙が止まらない。
 私は叫んだ。

「どうしてあなたはそんなにも私に優しくしてくれるの!」





 
 エルザの叫びを聞いて、俺は彼女がもう限界であることを知る。
 握りしめた拳銃の銃口は震えていて、痛々しくて仕方がなかった。
 きっと彼女をここまで追い詰めたのは俺だ。
 だから俺は彼女の叫びに答えなくてはいけない。
 俺はこの世界に来て初めて、誰かの命を助けようとしている。



「俺は、一人ぼっちだから」
 エルザに一歩、歩み寄る。
「俺はこの世界の誰からも置いていかれる。どれだけ必死に生きても、どれだけ誰かに愛されても、俺のことは誰も知らないまま俺は死んでいく」
 銃口が徐々に下げられていく。エルザがたたらを踏んだ。俺は彼女に手を伸ばす。
「でも俺はこの世界で生きていこうと決めた。決めたからこそ、俺は君を助けたい」
 こんどははっきりと力を込めて抱きしめる。もう彼女が思いつめることのないように、ここから逃げ出してしまわないように。
「誰が君を死なすもんか」
 エルザが俺の中で泣いた。年相応の子供のように泣いた。銃が地面に落ち、彼女のあいた両手が俺の胸元を必死につかむ。

 今までアルフォドに抱きしめられてばかりだったけど、
 この世界に来て初めて、誰かを抱きしめていた。
 今はそれがとても幸せだったから、エルザが泣き疲れて眠ってしまうまで俺はそうしていた。
 




「エルザが迷惑を掛けたな」
 後日公社の廊下ですれ違ったラウ―ロはそんなことを言った。俺は菓子の袋を抱えた間抜け面のままで視線を反らす。
「何のことですか?」
 後になって考えたことなのだが、俺とエルザがやったことは大問題に発展しかけない事件だった。義体が自殺しようとして拳銃を発砲。それを止めた義体がそのまま彼女の病室で一晩を過ごして、自分の部屋に朝帰り。
 ジャンにバレたりしたら即刻薬漬けスタートだ。
 だが、俺の心配は杞憂だったようで、
「昨日のことならそれ程問題にはならなかった。むしろ俺の管理能力が問われて今日から軟禁だ」
 ラウ―ロの台詞を聞いて俺は不謹慎にもなるほど、と思った。義体には世間一般で言う独立した自由意思が存在しないと信じている公社の人間からしたら、義体の暴走は義体の責任ではなく担当官の責任だと考えるのが自然なことだからだ。
 だからラウ―ロの軟禁は納得が出来る。
「ちなみにどれくらい拘束されるんですか?」
「さあな。始末書と宣誓書の内容にもよるだろうが2週間かそこらだろう」
 それは不味い、と俺は少し焦る。やっとエルザが元気になり始めた今の時期にラウ―ロと2週間も会えないのは大きなマイナスでしかない。
 俺はどうしたものかと内心冷や汗を掻きまくるが、またもやその心配を杞憂に終わらせたのはラウ―ロの台詞だった。
「ブリジット、俺が拘束されている間、これをエルザに私といてくれないか」
 そう言って渡されたのは一冊の本だった。タイトルを見れば「楽しい家庭菜園の仕方」と書いてある。
「は?」
「何、昔から本を読まなかったあの子のことだ。最初はこれぐらいで十分だろう」
 俺は呆れて声が出なかった。自分に恋している女の子への初めてのプレゼントが「楽しい家庭菜園の仕方」とは斬新過ぎてぶん殴ってやりたくなる。
 これは一言何かを言ってやらねばと口を開こうとする。
 だが二の句が告げない。
 それは俺がふと一つだけ気が付くことがあったからだ。
 それは――、
「ラウ―ロさんとアルフォドさんて良く似てる……」
 そうだ。今思い出してみればあの担当官の初めてのプレゼントも「トランプゲームの勝ち方」とか言うわけの分からないものだった。
 プレゼントのセンスも、女の子のことを何も分かっていない間抜けぶりもラウ―ロはまさにアルフォドそのものだ。
「はは、」
 俺は可笑しくなって声に出して笑った。
 何だ、俺とエルザが似た者同士だったのなら、担当官の二人も似たもの同士だったのだ。
 
 何がなんだか分からず、茫然と立ちつくすラウ―ロを見るとさらに笑いが込み上げてくる。
 俺はアルフォドが何事か、とやって来るまでずっとそうして笑っていた。

 もちろんアルフォドの顔を見て俺の臨界が弾け飛んだのは言うまでもない。



「ラウ―ロ、そろそろ」
 アルフォドに促されて、俺は持っていた拳銃とIDカードを渡した。これから2週間、俺は独房で生活をしなければならない。
 だが不思議と気分は晴れていて、そんな俺の表情を見たアルフォドが訳が分からないと困惑していた。
 俺は去り際にこう告げる。
「良い義体――いや、少女に恵まれたな」
 アルフォドが何か声を上げるが、俺はそれを無視して保安部の元へ向かっていく。
 公社の建物の窓かあら外を見れば、エルザが一人本を抱えて歩いていた。




「ブリジット」
 クヌギの木の根元でビスケットを摘まんでいた黒髪の少女に、プラチナブロンドを三つ編みにした少女が声を掛ける。
 エルザというその少女の手元には、ブリジットから手渡されたラウ―ロのプレゼントがあった。
「何?」
「ここでこの本を読んで良い?」
 エルザの問いにブリジットは懐から飴玉を取り出すことで答えた。エルザはそれを肯定と受け取ったのか、腰掛けたブリジットの膝の上に座り込む。
「ねえ、エルザ。その本面白い?」
 ブリジットの胸を背もたれにしたエルザは一つ微笑むと、「うん」と答えた。
「そっか」
 それだけを告げると、ブリジットは静かに瞼を閉じて眠りについた。最近の彼女を知っているものからすれば、それはとても穏やかな眠りだった。
 甘い午後の陽気が過ぎていく。

 夕方になってトリエラとクラエスがやって来たとき、クヌギの木の根元には二人の少女が寄り添って眠っていた。




 また夢を見た。
 でもそれはいつもの夢と違っていた。


「やっと会えたな。俺はアルフォド、訳有ってフルネームは教えられないがこれが俺の名前だ」
 男が寝たままの私を覗き込む。
「君の名前はブリジット。かの有名な日記の作者と同じ名前だ」
 私は男――アルフォドに手を伸ばす。
「これからよろしく」
 男は私の手を握って笑った。




 



[17050] ガンスリ劇場1 シリアス好きにはオススメ出来ません 【ついでに百合のようなもの】
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/03/30 05:40
 第一話 寝取るもの、寝取られたもの




「わーん、クラえもーん!!」
「どうしたの? トリエラくん……ってクラえもんは無いでしょう。クラえもんは」
「そんなことよりクラエスー!! ブリジットが寝取られちゃったよぅ! ブリジットがエルザとか言う悪い女に引っかかったー!!」
「なっ、何ですって!」




 かのクヌギの木の下、濃密な百合空間にて。


「ふふふ、ブリジット、どうしたの? 物欲しそうな顔をして」
「ああ、エルザ様……。どうか、どうかご慈悲を……」
「いけない子ね。こんなに涎でぐちゅぐちゅにしちゃって。そんなにこれが欲しいの?」
「ああ、欲しいれすぅ! 下さい、エルザ様っ。下しゃいぃぃ」
「ならブリジット、私に永遠の忠を誓いなさい。あなたの心を、身体の全てを私に捧げなさい」
「捧げますからぁっ! 捧げますぅっ」
 エルザの白魚のような指がブリジットの顎を掴む。そしてそのまま人差し指で彼女の口内を蹂躙し、ブリジットが苦しそうな声を上げた。
「可愛いわ。可愛いわ。ブリジット……。なんて可愛いのかしら」
 エルザが一本の棒キャンデーを取り出す。それをブリジットの舌先に持っていくと、彼女は目を潤ませ頬を上気させながら健気に舐め始めた。
 淫らな水音が辺りに鳴り響く。
 全く抵抗のそぶりを見せないブリジットにエルザは一定の満足を得たのか、恍惚とした表情でブリジットの頬を撫で上げる。
「ふふふ、ブリジット。可愛いブリジット、これであなたは私のモノ……」
 エルザの顔が、キャンデーを舐め続けるブリジットの舌に近づいていく。彼女自身も舌を出し、二人の舌が触れ合う寸前になって――

「ちょっと待ったーっ!!」

 エルザの後頭部を引っ掴んで引き離したのはトリエラだった。彼女はエルザの手に堕ちたブリジットを悲しみを込めた視線で捉え、今まさにブリジットを手籠めにしようとしていたエルザを、殺意と憎しみを込めた視線で射抜く。
「ブリジットを初めて可愛がった、もとい、餌付けしたのは私だ!」
「あら、誰かと思えば負け犬のトリエラさんではないですか。見苦しいですわよ、捨てられた女の妬みなんて……」
「散々本編で嫉妬に狂っていたあんたはどうなの! それよりブリジットを返せ!」
「ふふふ、あなたの眼は節穴? 今この子は私に夢中よ」
「嘘だ! 嘘だと言ってよブリジット! 私があげたケーキの味はもう忘れてしまったの!?」

 トリエラがブリジットの肩を掴む。顔を覗かれたブリジットはその蕩けた瞳でトリエラのことを見た。
 そしてこう告げる。

「私、お菓子をくれるなら誰でもいいよ?」

 ブリジットの一言にトリエラは全てが敗れ去ったことを知った。そうだ、自分の愛情はエルザに書き換えられてしまうくらい脆かったのだ。
 お菓子の味で勝てなかった、ただそれだけのことだ。
 目の前でエルザに堕とされていくブリジット。
 そして何も出来ない自分。
 トリエラは拳を握った。そして何も出来ない自分を呪った。
 餌を与え続けられなかった自分を呪った。



 次回予告


 エルザにブリジットを取られたトリエラは復讐に燃える。
 そして新たに判明する子犬(ブリジット)の好物。
 殆ど出番の無かったクラエスの運命は?
 
 次回、お姉さまと書いてスールと読む。愛情と書いて餌付けと読む。
 お楽しみに!


            ◆◆

 第一部あとがき
 
 第一部を皆さまの沢山の御感想のお陰で書き切るることが出来ました。本当に感謝の極みです。
 ただ、原作からのズレは賛否両論がありますがご容赦くださいませ。
 さて次回からは原作2巻分が始まります。
 そこで切れ目がわかりやすいように、ガンスリ劇場なる本編とは似ても似つかないアホなSSで章分けをすることにしました。次回は第二章が終わってからです。
 この劇場が10本書くことが出来るようこれからも頑張っていきます。

 ご声援、よろしくお願いします。

 PS 一章だけで12話も使ってしまったことに焦りを覚える今日のこの頃。



[17050] 第13話 ヒルダという名の猫 【ついでにクラエスのこと】
Name: H&K◆03048f6b ID:e5ae5246
Date: 2010/03/31 01:57
 私には猫のような友人がいる。
 彼女は本当に気まぐれで、少し我儘なところがある。
 でも彼女は猫だから皆に好かれて、皆に可愛がられている。
 猫の名前はブリジット、お菓子が大好きで大人なんだけど子供っぽい、そんな感じだ。




「にゃー」
「何してるのブリジット……」
 クヌギの木の下で、私はルームメイト兼親友のブリジットを見つけた。彼女は木の根元に向かって四つん這いになっており、長い夜空のような黒髪と小さなお尻が左右に揺れている。
 私に見つかってもブリジットは奇行を中止することは無く、さらに「にゃー」と鳴いた。
「? 猫でもいるの?」
 ブリジットがこちらに振り向かないことを不審に思って私はブリジットの上から木の根元を覗きこんだ。すると一匹の小さな黒猫がいた。黒猫はブリジットから貰ったのか、砕かれたベビークッキーを食べていた。
「今日さ、エルザと一緒に本を読もうと思ったら木の根元に猫がいたの。とても可愛いからクッキーあげちゃった」
 ブリジットがそっと猫を抱きあげる。猫は然したる抵抗も見せず、そのままブリジットに抱かれた。
「ほら、可愛いでしょう」
 にゃー、と猫と少女の声が重なる。それは春が近くなった冬の終わりの日。
 私たちが存分に羽を伸ばした滅多にない休日だった。





「へー、猫……」
 私とブリジットで家庭菜園用の場所を鍬で耕している時、エルザがおっかなびっくりといった風に猫に触っていた。
 ブリジットを親と認めたのか、それとも餌をくれる体の良い奴隷と思ったのかは知らないが、小さな黒猫は彼女から離れようとしない。
「ねえ、クラエス。この場所の許可って誰がくれたの?」
 鍬を杖代わりにしたブリジットが問うてくる。私がジャンさん、と答えると予想でも付いていたのか「ふーん」と短く相槌を打っただけだった。
 ブリジットが再び鍬を地面に突き立てる。
「ねえねえブリジット、この猫飼うの?」
 いつの間にかエルザが猫を抱きかかえていた。ブリジットは作業を続けたまま答える。
「うーん、どうだろ。私的には飼いたいけど、同室のクラエスやトリエラ、あとアルフォドさんにも聞いてみないと……」
 そう言って、彼女は困ったような顔でこちらを見て来た。どうやら飼っても良いか本人なりに聞いているのだろう。私としては特に問題ないので、取りあえず構わないと告げておく。
「なら後はトリエラとアルフォドさんかぁ。何処にいるんだろう?」
 ブリジットが鍬を持つ手を止める。見れば私の指示した耕しは終わっていて、エルザに出て来た石を捨ててきてもらう段階まで来ていた。
 私は用意していたタオルでブリジットの頬に付いた土を拭ってやると、二人に休憩を促す。
「石を捨てるのは午後にして、取りあえず休息を取りましょう。ついでにトリエラとアルフォドさんを探せばいいわ」
 私の台詞にブリジットとエルザ、二人の少女の顔が見る見る晴れていく。
 手を取り合って喜ぶ二人はまるで姉妹で――、猫のようだった。





「猫?」
 トリエラは部屋で熊の人形と戯れていた。小人の名前を冠した人形に赤ちゃん言葉で語りかけている彼女を見たブリジットは、ベッドの上でお腹を押さえて痙攣している。猫は彼女の長い髪の毛で遊んでいた。
 顔を真っ赤に染めたトリエラはブリジットの頭の上の猫を睨んだ。多分笑い続けているブリジットを睨んでいるんだろうけど、私から見たら猫を睨んでいるようにしか見えない。
 因みにエルザは特に何のリアクションも示さず、部屋に置いてあった小説を一人読んでいた。この子は基本的にブリジットとラウーロ以外には懐いていない。
「あの猫を飼うの?」
 指を差された猫がこちらを見た。思わずトリエラが「にゃー」と口ずさむ。するとブリジットがひと際大きく痙攣し、押さえた口元から笑い声が漏れていた。
「ねえクラエス、ちょっとブリジットにお灸を据えてきていいかな」
「あら、珍しいわね。トリエラがブリジットに腹を立てるなんて。もしかして最近構って貰えないから妬いているの?」
 なっ、とトリエラがあからさまに動揺した。最近ブリジットはエルザと二人でいることが多く、トリエラは何時も寂しそうな視線で二人を追っていたのだ。
 私はトリエラをからかうのが楽しくて、さらに追撃を掛けるべくブリジットに声を掛けた。
「ねえブリジット、トリエラが構ってほしいそうだからこっちに来て遊んであげなさい」
 起き上ったブリジットとトリエラの視線が合う。猫がブリジットの肩口からベッドに飛び降りた。
「遊んでほしいの?」
「っ、うるさい!」
 トリエラが手近にあった縫いぐるみをブリジットの顔に投げつけた。猫が驚いてベッドから離れる。猫の向かった先はエルザの膝の上だ。
 どうやら猫の中の優先順位はブリジット、エルザの順らしい。
「で、トリエラ。猫は飼っても良いの? 駄目なの?」
 縫いぐるみを顔に乗せてベッドから動かないブリジットの代わりに私がトリエラに聞いた。
 トリエラはブリジットの方を一瞬見やって、少し思巡した後こう答えた。
「まあ、ブリジットが髪を梳かさしてくれるなら」
 ブリジットが顔に縫いぐるみを乗せたまま手を振った。どうやらその条件で良いのだろう。トリエラが上機嫌でブラシを持つと、ブリジットのベッドに上って行った。
 
 エルザの膝の上で猫が小さく鳴いた。





「ん? 猫かい?」
 アルフォドさんはヒルシャーさんと一緒にいた。二人は何かの書類をパソコンに取り込んでいる。
「へえいいなあ。猫。昔飼っていたよ」
 アルフォドさんがブリジットの抱いた猫の頭を撫でた。猫はアルフォドさんを怖がっているのか、ブリジットの胸元に必死にしがみ付いている。
 ヒルシャーさんはそんな猫を見て笑った。
「おいおい、本当に飼っていたのか? こんなに怖がられて」
 そう言ってヒルシャーさんが猫に手を伸ばす。すると猫がいよいよ怖がって、ブリジットの腕の中からヒルシャーに威嚇した。
「ははは、君も変わらないじゃないか。むしろ俺より酷い」
 バツが悪そうに目線を反らすヒルシャーさんが面白くて、私とブリジットは自然と笑顔になる。私はアルフォドさんが機嫌を良くしているのを見て、猫を飼う許可を取るなら今の内だと判断した。
 ブリジットの背中を後ろから小突く。
 彼女は一瞬こちらに振り返った後、アルフォドさんの袖を引っ張った。
「あのー、アルフォドさん。お願いがあるんですが……」
「ん? なんだい」
 ヒルシャーさんをからかっていたアルフォドさんが首をかしげる。この担当官はヒルシャーさんと相性が良い辺り、トリエラと相性が良いブリジットとよく似ていた。
「この子、飼っていいですか?」
 ブリジットの問いかけにアルフォドさんは「そんなことか」と笑った。
 どうやらこの反応を見る限り問題は無いらしい。
「ただし、ちゃんと世話をするんだよ」
 アルフォドさんの優しい笑みにブリジットは元気よく「はいっ」と答えていた。

 私とブリジットがアルフォドさん達の元から離れるとき、アルフォドさんが猫の名前を聞いてきた。
 ブリジットがまだ決めていないと答えると、彼は今決めたら? と促してきた。
「うーん、そうですねー。何となくですけどヒルダってのはどうでしょう」
 アルフォドさんとヒルシャーさん、そして私はブリジットの決めた名前に三者三様で驚いていた。
 私はすこぶるノーマルな名前を付けたブリジットに驚いて――お菓子の名前でも付けるのではと思っていた。
 アルフォドさんとヒルシャーさんは絶句したまま何も言わない。私からはどうして二人が驚いているのか分からなかった。
 私たち三人の反応を見たブリジットは受けが悪いと思ったのか、少し落ち込んだ風に言った。
「もしかして駄目ですか?」
 私は慌てて良い名前であることをブリジットに告げる。ブリジットはそれで安心したのか猫を抱え上げて喜んだ。
「君の名前は今日からヒルダだ」
 
 結局、私たちが帰るその直前までアルフォドさん達は曖昧な笑みを浮かべたまま何も言わなかった。
 どうやらヒルダという名前に何か心当たりでもあるらしい。
 私は心の何処かでそのことを気に掛けながらも、ヒルダを連れて外へ飛び出していくブリジットの後を追った。


 

「にゃー」
「……どうしたのクラエス?」
 眠りの世界から帰って来たブリジットは焦点の定まらない目で私を見上げていた。腹にはヒルダを抱えて、脇にはエルザがしがみ付いて寝ている。
「いや、何となくあなた達が猫のようだったから」
 土を耕し、石を捨て終えた私たちはクヌギの木の下で昼寝をしていた。
 一足先に起きた私は猫のように寝入っている二人を見て、思わず鳴き声を出してしまったのだ。
「そう……」
 まだ眠たそうにしているブリジットが起き上がって私の横に腰掛ける。私はブリジットの体温を間近で感じながら読みかけていた本を開いた。
「ねえ、クラエス」
 ブリジットが口を開く。
「これが無為に時間を過ごすってこと?」
 彼女の問いに私は是と返した。彼女は伸びを一つするとこう言う。
「何もしない時間て結構良いものだね」
 
 
 わかってるじゃない、と返した私が横を見るとブリジットがヒルダの顔を覗き込んで「にゃー」と鳴いていた。
 この気まぐれな猫はいつの間にか皆に好かれて、皆に可愛がられている。
「幸せ者だね」
 私の呟きにブリジットは「にゃー」と笑った。
 

 やっぱりこの少女は猫だ。
 そして私の大切な友人だ。



 その昔、お父さんか誰かに教えて貰った時間を無為に過ごす喜び、
 それをブリジットと共に過ごせることは何よりも大切なことなのかもしれない。



[17050] 第14話 ローマの休日 【ついでにフランカフランコのこと】
Name: H&K◆03048f6b ID:6ca6d66e
Date: 2010/04/01 15:52
 ヒルダに餌をやっていたら、アルフォドがやって来た。
 彼は私を部屋から連れ出して、仕事の予定が入ったことを伝えた。
「ヘンリエッタ、ジョゼ組から応援の要請だ。リコ達は既に現地入りしているから、俺たちはトリエラ組と共にローマに向かう」
 アルフォドの説明を聞いて、俺は原作の2巻まで話が進んだことを理解した。確か頭の悪い爆弾魔を生け捕りにする任務だ。この任務イベントが発生したということは、フランカ、フランコのコンビが本格的に活動を始めたということか。
「今回は屋内の近接戦が想定される。MP5ではなく、MP5K(クルツ)で行くぞ」
 クルツと言われて、俺は値札貼り機の出来そこない見たいな銃を思い浮かべた。確かにあれは室内で振り回すのには勝手が良い。
 俺は直ぐに着替えるとアルフォドに告げ、部屋に戻った。クラエスの膝の上で餌を食べていたヒルダが、俺の足元に寄ってくる。
 前の世界では猫なんか飼ったことが無かったので、俺はこの小さな黒猫を大層可愛がっていた。
「ごめんね、ヒルダ。今から仕事だから明日遊ぼう」
 ヒルダは俺の言ったことを分かっているのか分かっていないのか、機嫌が良さそうに「にゃー」と鳴く。
 俺はヒルダを蹴飛ばさないように注意しながら、クローゼットから動きやすい服装としてジーンズを取りだした。
「あら、ブリジットそんな服を持ってたの?」
 以外にも食いついてきたのはクラエスだ。確かに彼女の前ではスカートが多かったからズボンを履かない人間だと思われていても不思議ではない。
 実際、最近の任務ではスカートでいることが多かったのだが、俺が撃たれたり、エルザを負傷させたりと良いことが無いので改善しなければならないと思っていた。
 ジーンズを手早く履き、黒のセータを被って俺はヒルダを抱きかかえる。クラエスに世話をしておいてくれと頼むと、テーブルの上に置いてあった拳銃を持って部屋を出た。
 確かコートはアルフォドの車の中に置いたままだから、このまま飛び出ても問題あるまい。
 そう考えながら、アルフォドと共に公社の裏手にある駐車場へ向かって行った。





 フランカとフランコ、テロリストの間では有名な爆弾製作のプロフェッショナルだ。
 彼らの作る爆弾は解体不可能と言われ、公社も重要人物としてマークし続けている。ただ、未だに尻尾の一つも掴めないのは公社が無能なのか、彼女たちの立ち回りが上手かったのか原作では判断できなかった。
 まあどの道、クリスティアーノを捉えるときに嫌でも関りを持つことになるだろうから、今からどうこう言っても仕方が無い。
「遅かったね、ブリジット」
 クルツの予備マガジンを腰に下げ拳銃のスライドを引いていると、トリエラが合流して来た。
 俺たちは今、テロリストたちが潜伏していると思われるテ―ヴェレ川の中州にある屋敷の裏手にいる。ここから塀を越えて中に侵入するのだ。
「急に呼び出されたからね。準備に手間取ったわけじゃないけど、時間が掛った」
 その場で2、3回飛び、準備運動のような物をする。邪魔にならないようクルツを背中に回した。
「あら、よっと」
 トリエラと二人で壁に向かって飛びつく。一度壁を垂直方向に蹴りあげて塀に手を掛ける。後は腕の力だけでよじ登るだけだ。
 それは日本で生きていた時には絶対に出来なかったこと。
「アルフォドさん」
 塀の上からロープを下に落とす。私とトリエラがそれを掴んで屋敷の敷地内に飛び降りた。私たち二人の体重で大人の男一人分の体重を支える。
「君たちには、敵わないなっ」
 アルフォドのヒルシャーがロープをよじ登って次々と敷地に飛び降りて来る。俺たちは邪魔にならないよう素早くその場を離れた。
「おそらく見張りがいる筈だ。先にそれを始末してくれ」
 ヒルシャーの台詞に了解と示すと、俺とトリエラはナイフを抜いて、屋敷の敷地を駆けだした。






「エンリコ、どうして勝手にローマに入ったの?」
 風呂上りなのか、バスローブ姿の女性が受話器を耳に当て眉を顰めていた。彼女こそがフランカ。フランコフランカコンビの片割れだ。
「ブツはオスティアで引き渡す約束。それにローマって言ったら『公社』とやらのお膝元じゃない」
「悪いなフランカ、どうしても現場の下見を済ませて置きたかったんだ」
 電話口からエンリコと呼ばれた男が答える。
「何、昼間誰かに尾けられたが直ぐに撒いてやったさ。奴ら今頃は博物館の騒ぎで手一杯だろう」
「でも結局爆弾は回収されてテロは成功しなかった。ロレンツォがクリスマスに殺された今、計画自体が『公社』の手の中にあると考えた方が良いわ」
 そう、少し前にはロレンツォという信頼のある運び屋がいた。だが彼はクリスマスのその日に何者かに刺殺され、クリスティアーノと言うミラノの名士に届けられる筈だった書類は、何者かに奪われたままなのだ。
「だから計画には大幅な修正を加えたさ。日付も変えたし、場所もスペイン広場に変更した」
「スペイン広場?」
 エンリコが告げた地名にフランカの眉根がますます厳しくなった。
「とにかく明日の朝一で届けてくれ。悪いな」
 フランカが何かを言う前にエンリコは電話を切った。フランカがそのまま無言の電話を見つめていると、背後から一人の男が声をかける。
「困った奴だな」
 フランカが振り向いた先にいる男はフランコ。二人組のもう片方だ。
 主に爆弾の製造は彼が担っている。
「馬鹿につける薬は無いわ」
 フランカは不快感を隠そうとすることもなくフランカに語りかける。一般人を無差別テロに巻き込むことを良しとしない彼女はエンリコのことを忌々しく感じていた。
「上の指示だから手を貸したけど、早くあんな奴には消えて貰いたいわ」
 手元にのコーヒーをを啜りながらフランカは身をソファーに沈めた。そして電話をおざなりに放り投げる。
「場所は何処だって?」
「スペイン広場って言ってた」
「……いいのか?」
 フランコがアタッシュケースを取り出してフランカに見せる。赤いリボンが取っ手に巻いてあるそれは正真正銘の本物だ。
 だがエンリコを嫌っている彼女の為に、青いリボンを巻いたダミーも用意してある。
「もし本気だったら――偽物でも渡してやればいいわ」






 エンリコは部下を数人引き連れて、テーヴェレ川の中州に事構えていた。明日のテロ実行までここに潜伏するのだ。
 彼はフランカとの電話を切って部下に計画の進行状況を伝えた。
「爆弾の手配が出来た。予定通り明日決行するぞ」
 エンリコは計画の進行具合に満足したのか、一人部屋に備え付けられていた椅子に座る。そこへ彼の部下が窓の外を見ながらこう言った。
「エンリコさん、外の様子が変です。さっきから誰も橋を渡ってきません」
 部下が伝えた異変に、エンリコも窓に近寄る。確かに中州から陸へ繋がる橋は異様に静かで人っ子一人いない。
「事故でもあったか? 取りあえずシモーネに確認させろ」
 部下がシモーネと呼ばれた男に無線で指示を伝える。エンリコは窓からそっと離れ、今度は隠れるように椅子に座った。
 計画は万事順調――それなのに何故か嫌な予感が拭いされなかった。


 見張りの男が無線で何か連絡を受けている。どうやら橋の向こう側で車両の通行規制をしているのが感づかれたようだ。
 俺はナイフを構え、素早く男の背後に近寄った。
「むぐっ!」
 男の口元を手で押さえ、首の後ろにナイフを当てる。それをそのまま押し込むと、延髄が貫かれた男は何一つ抵抗することなく絶命した。
 男が取りこぼした無線機はトリエラが回収してヒルシャーに手渡している。
「向こうも始まったな」
 断続的な銃声を聞いてアルフォドが呟いた。どうやらヘンリエッタとジョゼ組が正面から突入を開始したらしい。
 俺とトリエラは顔を見合わせ一つ頷くと、屋敷の窓の下に駆け寄った。
 トリエラが手で踏み台を作り、俺がその上に飛び乗る。トリエラが思い切り組んだ両手を振り上げると俺は中に浮いた。
「いつ見ても凄いな……」
 アルフォドが下で感嘆したのと同時、俺は屋敷の窓に飛びついて窓を蹴り破った。原作ではこの部屋にエンリコが隠れていた筈だが、今回は違うらしい。
「今ロープを落とします!」
 部屋に飛び込んだ俺は手近にあったベッドにロープを結んで窓から落とした。
 トリエラがそのロープを使って登って来るのを確認して、俺は廊下に飛び出した。
 すると目に入ったのは物音を聞いてやって来たのか、拳銃で武装した男だ。
「くそ! 公社の犬か!」
 男が悪態をつきながら拳銃を構えるが、義体相手ではその挙動は遅すぎる。クルツの9ミリ弾のシャワーを男に浴びせてやると、男は呆気なく崩れ落ちた。
「キスカ!」
 今しがた始末した男の名前を叫んで新手が三人俺に拳銃を構える。クルツの掃射で片づけてやっても良かったのだが、ここは後ろにいるお姫様に華を持たすことにしよう。
「ブリジット伏せて!」
 トリエラの突き出したウィンチェスター――ショットガンが火を噴く。バラバラに飛び散った散弾は男たちに多数の穴を穿った。
 いつ見ても中々グロテスクな光景である。
「ありがと、助かった!」
 男達の屍を越えて、階下に続く階段に駆け寄った。下から上がってこようとする数人をクルツで射殺する。
「ヒルシャーさん、ターゲットは何処ですか!?」
 俺と一緒に階下へ発砲していたトリエラが無線でヒルシャーに問うた。ヒルシャーのよれば二階の東側の角部屋らしい。
 空になったマガジンを交換しているとトリエラに肩を掴まれた。
「ヘンリエッタが正面から突入するから私たちは外から挟撃しよう」
 俺はトリエラの提案に一つ頷くと、階下に留めの掃射をした。



 正面から銀色のシグを構えたボブカットの少女が突っ込んできた。
 俺はせめてもの抵抗に手榴弾を取り出してピンを抜こうとする。
 だが神は俺のことが嫌いだったらしい。
 背後の二枚のガラス窓が派手な音を立てて割れたかと思うと、ショットガンを構えた少女、クルツを構えた少女がそこにいた。
「参ったな、これは」
 手榴弾を懐に戻し、降伏の手を上げる。
 皮肉なことに、神様に嫌われたほうが命拾はしたようだ。
 


 翌日、青のリボンをつけたアタッシュケースを持ってテレーヴェ川の中州に行ってみると、検問が敷かれ一般人は立ち入り禁止になっていた。
 私はそれだけで、エンリコの奴がしょっ引かれたことを悟る。
「スペイン広場は命拾いしたらしいな」
 フランコの呟きに私は同意する。どうやらこのダミーは無用の長物のようだ。
「ねえフランコ」
 歩きだした私にフランコが着いて来る。私はサングラスを越しに彼の瞳を見るとこう言った。
「ちょっとスペイン広場に行かない?」
 
 ジェラートは食べないけど。
 
 私の悪戯心溢れた提案に彼は殆ど表情を変えなかったが、それでも少しだけ楽しそうに同意した。





 さて不詳私めはスペイン広場にやって来ております。
 本来ならヘンリエッタが任務を頑張ったご褒美に発生するスペイン広場でジェラートイベント。何故かそれと並行して俺もアルフォドと一緒に広場へやって来ているのだ。
 まあ、ジェラートを食べてその辺を歩いていると、フランカにニアミスイベントが発生しかねないのでジェラートは遠慮しているが。
「本当にジェラートはいらないのか」
 露店で買ったポップコーンを食べている俺にアルフォドはさっきからずっとこんな感じだ。
 これは俺にただ純粋にジェラートを食べさせたいだけなのか、それとも下心を持って俺に食べさせたいのか判断はつかない。
 因みにスペイン広場でジェラートというのは、かの有名な『ローマの休日』で出てきたシチュエーションで恋愛がらみのイベントだ。さらに如何でもいい事を追加すると、現在のスペイン広場は法律で飲食が禁止されている筈だが、ガンスリのこの世界では別に構わないらしい。
 原作でもヘンリエッタが普通に食べていたから不思議に思ったけど、良く似た並行世界のイタリアと捉えれば納得が出来る。
 俺の話に戻そう。
 いい加減、アルフォドの勧めが鬱陶しくなって来た俺はポップコーンを引っ掴むとそれをアルフォドの口に突っ込んでやった。
 そして、目を白黒させている彼にこう言ってやる。
「アルフォドさん、ここでのジェラートは恋人が出来た時に取っておいてください」
 自分で言って少しだけ後悔した。これは何だかんだ言って物凄く恥ずかしい。
 なお且つもっと恥ずかしいのはアルフォドの反応で……、
「はは、俺は君と食べたかったんだけどな」
 ああ、義体の暗示が無ければきっとこの担当官を思い切り蹴飛ばしていた。そんな台詞は慎み深い元日本人の俺には素面で到底言えない。 
 俺は顔が自分でも赤くなってると感じながら、無心でポップコーンを食べ続けた。
 公社に戻ったら、ヒルダとエルザを思い切り可愛がって今日の事は忘れよう。
 そう自分に言い聞かせ続けた日だった。



 ボブカットの育ちの良さそうな女の子を見送った後、私は広場の真中でポップコーンを食べ続ける少女と、そんな少女を優しく見守っている男を見つけた。
 容姿は髪の色が違って余り似ていないが、恋人というより兄妹に見える。
「スペイン広場が無事でよかったな」
 私の視線の先に気がついたのか、フランコがそう言った。
 私はサングラスを外して一つ笑う。

「そうね、私たち五共和国派が守るべきものはああ言った子たちだもの」


 
 五共和国派――パダーニャと呼ばれる彼らは程度の差こそあれ、北部の幸せを願っている。
 



[17050] 第15話 №9の日 【ついでにアンジェリカのこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/04/30 22:56
 歓びの歌を歌おう。
 
 皆で大きな声を出して、空に向かって歓びの歌を歌おう。

 どれだけ今が苦しくとも、どれだけ今が貧しくとも、

 笑いながら歌おう。

 それは歓びの歌



 №9



 クラエスに頼まれた家庭菜園の施工も終わりに差し掛かったとある日のこと、トリエラが花束とアマーティーの楽器ケースを脇に携えて訪ねてきた。
「だいぶ完成したね、ブリジット」
 泥で汚した顔をタオルで拭いながら、俺はまあねと返した。冬だというのに程よく汗をかいていて、土が肌に良く付く。
「その花束はアンジェリカの見舞い? だとしたら彼女も今夜誘うの?」
「うーん、先生が許可したらね。難しいと思うけど」
 それは数日前のことだ。流星群が観測できるというニュースを聞きつけたクラエスとヘンリエッタが、俺とトリエラ、そしてエルザをそれに誘ってきた。もちろんリコも。何でも引率にジョゼを使って皆で見に行きたいらしい。
 このこと自体は原作イベント通りなので、イレギュラーな存在といえど俺も参加することにした。
 まあエルザを殺さなかった時点で原作も糞もないだろうが、それでも出来るだけ原作に沿いたいと考えるのは俺がヘタレなのか慎重なのか……、
 話を戻そう。
 流星群観察イベントが発生した時点で、トリエラがアンジェリカを見舞いにいくと予想出来たので原作どおりに事が進んだことに少し安心した。
 よくある歴史の改変などで話にズレが生じるとなれば、のんびりと流れに任せて時間を過ごすという毎日を見直さなくてはならなくなるからだ。
 俺の隣で一生懸命レンガを積み上げるエルザを見ていると、こんな幸せな日々が続けばいいのにとどうしても願ってしまう。それが適わないとわかっていても抗いたくなるというものだ。
 俺はこの世界に来て、ここ最近が一番充実している日々だと実感していた。
「それじゃあ私はアンジェリカのところに行くけど、何か伝えておくことある?」
 トリエラがこちらに花束を向けながら問うてきた。
「早い復帰を願うとでも言っておいて。あと猫もいるよ、と」
 私の返答にトリエラがにかっと笑う。俺もトリエラに釣られて笑っておいた。
「じゃ、行ってくるね。それとさブリジット。今晩アルフォドさんは誘わないの?」
 トリエラのからかった口調に俺はべろを出してあっちへ行け、と罵る。俺をからかうことが楽しいのか、この世界のトリエラは必要以上に子供っぽい。
 それが良い傾向なのかどうかは判断しかねるが、楽しそうに病院へ駆けていく彼女を見ているとそれでも良い気がしてきた。
 空は快晴。
 今夜は星が良く見えそうだ。




「それはAUGか?」
 病院の廊下を歩いていたらアンジェリカの担当官であるマルコーさんに出会った。面会の旨を伝えると、私の持つ楽器ケースを見てそう言った。
「アンジェリカが触りたいといったので……もちろん実弾抜きです」
「そうか、なら構わんだろう」
 一言そう告げると、マルコーさんは何処かへ立ち去っていく。その様子を姿が見えなくなるまで眺めていた私は、ふとアンジェリカのいる病室の扉を叩いた。
「アンジェリカ、調子はどう?」
 扉を開けるとベッドにお姫様がいた。ブリジット程ではないけど、それでも長い黒髪を可愛いリボンで飾っている少女、アンジェリカだ。
「いらっしゃい。トリエラ」
 ニコリと笑う彼女を見て、私はここへ来た意味を知った。




「けっこう元気そうだね」
「本当はもう歩いてもぜんぜん平気なの。でもまだ検査があるってマルコーさんが」
 私は花瓶に持ってきた花束を差しながらアンジェリカの話に耳を傾けていた。
「あの人何か変わったよね。昔はもっと優しかったような……」
 私は病室前で見たマルコーさんを思い出す。昔はもっと優しそうな雰囲気だったのに、今では何かに苛立っているような……そんな雰囲気しか感じられない。
 でもアンジェリカは首を傾げて曖昧そうに笑った。
「そうだったかな…」
 私はこれ以上彼の話題を話そうとする気がしなくて、「私の気のせいだったかもね」と誤魔化しておいた。出来ればアンジェリカには楽しい話をしてやりたいのだ。
 ただ、楽しい話がブリジットの猫の話ぐらいしかなくて、私は間を伸ばすためにアンジェリカにAUGが入ったケースを渡した。AUGとはアンジェリカが良く使うアサルトライフルのことだ。
「ありがとう、トリエラ。触っておかないと不安だったんだ」
「どうして? そんなに退屈なの?」
「だって復帰したら目隠し分解から始まるんだもの」
 そういいながらアンジェリカはバラバラにされていたAUGを素早く組み立て始めた。その手つきは慣れていて、一切のブランクを感じさせない。銃器の扱いの上手いと言われるブリジットと良い勝負だ。
「なんだ……ばっちりじゃない」
 私の感嘆の声にも何の反応も見せずに、アンジェリカはAUGを黙って見つめる。私は彼女が何を考えているのか、うすうす理解したが、敢えて口に出して聞いてみた。
「どうしたの?」
「だって全然大丈夫だったもの。組み立て方で忘れていたことなんか何一つ無かった」
 アンジェリカが少し俯く。
「楽しいことも、哀しいことも……」
 病室を外からの日が照らす。ベッドの上に置かれたAUGが鈍い光を放った。
「大切なことはかんたんに忘れちゃうのにね」
アンジェが寂しそうに笑うのを見て、私は黙って彼女の髪をとる。懐からブリジット用の櫛を取り出してやると、それを彼女の髪に当てた。
「トリエラ?」
「梳いてあげるよ。どうせここの大人はしてくれないんでしょ?」
 アンジェリカの溶けてしまいそうな手触りの髪を梳く。ブリジットの髪が絹糸ならこの子は清流のようだ。
「ブリジットがよく触らしてくれるんだけどね、それと同じぐらいさらさらだよ。アンジェリカ。二人の髪を同じところに落としたら混ざっちゃうかもね」
「ねえ、トリエラがよく言うブリジットってどんな子?」 
 アンジェリカの疑問はもっともだ。不思議なことに、何処でも動き回っているブリジットはアンジェリカと一度も会ったことがない。正確には何処かで顔ぐらい合わせているだろうが、まともに会話をしたことが無いのだ。
 だから私はアンジェリカに掻い摘んで彼女の特徴を教える。
「まずとても髪が長くてね、甘いものが大好き。というか甘いもの意外は滅多に食べないね。好き嫌いが多いんだ。それで寝ぼすけ。私かクラエスが起こさないといつまでも寝てる。後は……」
 気まぐれで、恥ずかしがり屋だけど時折とても大人びて見える。髪はさらさら、猫とエルザを飼っているエトセトラ……
 私が彼女の説明をするたびアンジェリカは笑った。どうやらアンジェリカの頭の中のブリジットは猫のような女の子になっていそうだ。
 一度会って頭を撫でてみたいと言ったときは、流石に止めときなよと釘を刺したが。
「ありがとう。トリエラ。とても楽しかった。私もブリジットに会ってみたい」
「ならあの子が暇なときにまた連れてくるよ。何だかんだで忙しい子だから」
 私がそう言ってやるとアンジェリカはまるでベッドから飛び出さんばかりに喜んだ。この調子なら退院は近いだろう。しばらく良い話題が余りなかったので、素直に私は嬉しかった。





 アルフォドさんはいらっしゃいますか?
 いつもの聞き慣れた声がしたと思ったら、ブリジットが俺を訪ねて来ていた。俺はデスクから手を上げてブリジットに合図を送る。彼女はとことこと俺のデスクに歩いてきた。
「アルフォドさん、今晩のことでお願いがあるのですが……」
「ん? 流星群の観測の事かい?」
 俺はジョゼから義体の女の子たちが演習場で流星群観察をすることを聞いていた。まあ、ジョゼ本人は急な出張でドタキャン。代わりにトリエラの担当官のヒルシャーが引率をすることになっているらしいが。
「いえ、実は余り大きな声で言えたことではないので、テラスまで来ていただけませんか?」
 驚いた。普段は好き嫌いを超えた偏食の域に達し、結構我が強い――言いかえれば我儘なところがあるブリジットだが、実際は非常に模範的で大人びている。
 そんな彼女が周りに聞かれたくないと言い、俺を連れ出そうとしていた。
 つまりそれは決して無視できる案件ではなく、最悪彼女の体調に関ることかもしれない。
 俺はデスクで開いていたノートパソコンを閉じると、ブリジットを促しテラスへ向かうことにした。

「へ? 見舞い?」
 何を聞かされるのかと、気が気でなかった俺だが、ブリジットから聞かされた頼みごとを聞いて正直拍子抜けしてしまった。
 そうブリジットからの頼みごととは……
「アンジェリカの見舞いに行かせてください」
 何でもない、同期の義体の女の子の見舞いだった。ただブリジットの頼みの特殊なところは、
「それは今日じゃないと駄目なのかい?」
 そう、時計を確認してみても公社内にある病院施設の面会時間はとっくの昔に過ぎてしまっている。普通の患者なら特別な申請をすれば面会できるだろうが、今回は条件付けの副作用で入院しているアンジェリカが相手だ。申請が通るとは考えにくい。
「いけないこととはわかっているんですけど、どうしても今日は彼女のところに行きたくて」
 どうやらブリジットは面会が難しいことを百も承知で俺に頼んでいるらしい。つまりそれは忍び込むなり何なりをして、無理矢理面会しようとしているのだ。
 俺は流石にブリジットを叱りつけようとして――だが彼女の真剣な眼差しを見て、何より普段なら絶対にこんなことを言い出さないブリジットが気になって理由を聞いてみることにした。
 




 真っ黒に塗りつぶされた空を見て、私はブリジットのことを考えていた。
「何も見えないね、トリエラ」
 隣に立つリコが裾を掴んでくる。私は苦笑しながらまだ時間じゃないと答えた。
「もうすぐだから良く見ていて。ここがもっとローマから遠ければいいんだけど……、そのぶん私たちは目がいいから」
 クラエスが星座地図を見てリコをあやす。ここにいる年長組は二人、私とクラエス――そう一人足りない。
「ブリジットも来る筈だったんだけど」
 私の呟きは白い息となって夜空に消える。彼女は急にアルフォドさんと用事があるといって天体観測には来ていない。その報を聞いたクラエスは見るからに落胆して、私は少しだけブリジットを恨んだ。
「そういやアンジェリカは駄目だったの?」
 リコの問いに私は肯定の意を示しておいた。彼女はまだ部屋から出ることは出来ない。
「皆で見たかったね、流星」
 リコの嘆きには全面的に同意だ。こういったイベントは皆で過ごすから楽しいものなのに……。
 私が半ば投げやりに再び空を見上げたとき、ちらりと星が光った気がした。





 トリエラから流星が見られると聞いて、私はカーテンを開けて外を見ることにした。彼女が差し入れてくれたCDプレイヤーをスピーカーに繋ぐ。
 その時だった。不意に窓の外に人の気配を感じたのは。



 危なかった。もしアンジェリカが万全の状態で、銃を持っていたなら間違いなく撃たれていた。幸いにも彼女は病気療養中で、武装なんかしていないのでこうして叫ばれる前にベッドに押し倒すことが出来たのだが。
「…………」
 口を塞いだアンジェリカが涙目でこちらを見ていた。やばい、これじゃあまるで襲っているみたいじゃないか。
「…………」
 アンジェリカの眼から大粒の涙が零れ落ちる。せめてもの抵抗なのか、しきりに組み敷かれた両手を動かそうとしていた。
 あ、何かに目覚めそう……、
 自分がここに何しに来たのか目的を忘れそうになったとき、私の意識を現実に引き戻したのは窓の外から投げられた飴玉だった。
「何をしているの」
 怒ったような、それでいて何処か戸惑ったような声の主は俺と一緒に病院の壁を登ってきたエルザだ。トリエラたちと一緒に流星群を見て来いと諭したのだが、俺についてくると言うことを聞かなかったので、仕方なく連れてきたのだ。
「いや、咄嗟に体が動いて」
 エルザに釈明をして、俺はそっとアンジェリカの上から身体をどけた。この世界のアンジェリカとは実は初対面だったのだが、これでは第一印象は最悪だ。
 俺以外の見知った顔――エルザを見たから安心したのか、アンジェリカは叫び声を上げることなく、けれど明らかに戸惑った様子で俺たちを見てくる。
 俺はとりあえず現状を説明するべく、口を開いた。
「こんばんわ。そしてはじめまして。ブリジット・フォン・グーテンベルトです。以後お見知りおきを」

 



 窓の中に消えていったブリジットとエルザを俺とラウーロは下から見上げる。
「いいのかアルフォド。こんなことをして」
「そんなお前も止めなかっただろ。ラウーロ」
 結局、ブリジットたちが自力で忍び込むという形で、アンジェリカの見舞いは成立していた。テラスで語られたブリジットの言い訳はなんとも荒唐無稽で、考えるに値しないものであったが、結局はこの様だ。
「何、俺は昔から悪餓鬼でな。父親の書斎に忍び込むのはお手の物だった」
「父親の書斎とノルマンディー海岸は違うぞ。ラウーロ。警備の職員に言い訳をするのがどれほど苦労したか」
「それでもお前は彼女の願いを適えてやった。まったく泣けるね」
「ふん、仕方ないだろ。あの子が珍しく食べ物以外で我侭を言ったんだ。適えてやらないと愛想を尽かされる」
 アルフォドがタバコを取り出し、火をつける。ラウーロもそれに習ってたばこを咥えた。
「で、ブリジットがアンジェリカの病室に忍び込んだ理由は?」
 言われてアルフォドは空を見る。ちらほらと流星が見え始めており、それは明かりのついた病院の近くでもうっすらと見えた。
「彼女が言ったんだ。こんな素敵な夜を一人で過ごさせるわけにはいかないって」
 アルフォドたちが立っている位置を照らす、唯一の明かりであるアンジェリカの病室の明かりが不意に消えた。大方ブリジットが切ったのだろう。
「気の利く子だ」
「ああ」
 二つのタバコの光が空を見上げていた。





「凄い! また光った!」
 興奮した様子で空を指差すリコがいる。私は寝転びながら流星の空を見上げていた。
「アンジェリカにも見せてあげたかったね」
 ヘンリエッタが私の隣に腰掛けながらそう言う。私はまったくだと思いながらも、昼間に渡してきたCDプレイヤーのことを思い出してこう告げる。
「アンジェリカならきっと部屋から見ているよ。第九でも聴きながら」
「第9番てベートベンの? ♪~♪~~~♪て曲だよね?」
 ヘンリエッタが紡いだ調べに、私は自身が高揚するのを感じた。なる程、ベートベンの№9 こんな夜にはぴったりのシンフォニーだ。
 私は起き上がってヘンリエッタを抱きかかえると、ヘンリエッタの調べに自身の声を続けた。



「O Freunde, nicht diese TÖne ! (ああ友よ、そんな調べではだめなのだ!) Sondern laBt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere ! (声をあわせてもっと楽しく歌おうではないか!)


 きょとんとこちらを見上げるヘンリエッタを見て、私は歌を催促する。
「ほら…いくよ?」



 歓び、それは美しい神々の輝き

 楽園の遣わす美しい乙女よ♪

 私たちは熱い感動の思いに突き動かされ……お前の国へと歩み入る!




 暗い病室でアンジェリカとエルザを抱きかかえて、俺は第九を聞いていた。元の世界では年末でしか聞いたことの無い曲だったのに、今では不思議とメロディと歌詞が頭をよぎる。
 だからこそ、三人で流星を見上げながら口をついて出てきたのは自然なことかもしれない。




 神の柔らかなる翼の庇護の元  全てものたちは兄弟となる♪

 心の通じ合える親友を得た者、気立ての良い妻をめとることが出来た幸いなる者よ

 よろこびの気持ちを声に出してあわせよ♪
 

  
「№9か。上手いな」
 ラウーロがそう言うとおり、ブリジットのものと思われる歌声は綺麗だった。まさか彼女にこんな才能があったとは。
「このくそ寒い中、美しいベートベンの調べ。義体にしておくのがもったいないな」
 俺は何も答えず、静かにブリジットの歌声に耳を傾けていた。




 流れ落ちていく流星を見上げながら俺は№9を紡いでいく。静かに耳を傾けてくる小さな少女二人を抱きしめ、歌う。
 これはまさに歓びの歌だ。俺がこの世界に生きていること、そして誰かが大切な人たちがこの世界で生きていることを教えてくれる歌。
 これだけの収穫があるなら、病院に忍び込んだこともお釣りが来るようなイベントだった。




 義体の少女たちが声を合わせて歓びの歌を歌う。歓喜に身を任せて今のときを歌にする。
 彼女たちの優しい調べは、冬の寒空にいつまでも響いていた。




 天蓋の果てに神を求めよ! 星星のかなたに神はかならずやおわしますのだ♪





[17050] 第16話 一マイル向こうの少女 【ついでに彼女のこと】 1 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:26
 一マイル向こうの少女





 昔、俺の一マイル先に女の子がいた。ただ、一マイルというのは物理的な距離ではなくて、それぐらい遠い存在ということだ。





 南は言わずもがな、北も失業率が悪化し、毎日のように市民デモや抗議がローマ市内を賑わしていたとある夏の始まり。俺は本職の依頼がすっかり途絶えて副職のほうもクビになり、一人路地裏で腐っていた。
 ここは夏だと言うのに日が当たらないせいか比較的涼しく、俺のように行く宛ての無い屑共が常に数人寝そべっているような場所だ。
 そんなゴミ溜め見たいな路地裏に赤毛の花が咲いたのはとある日の午後。
「ねえ、あなた。どうして昼間からこんなところで寝ているの?」
 第一印象はムカつく奴だった。
 こちとら必死に就職先を探して疲れ果てて眠っているのに、それを捕まえて暇人を見るような目でこちらを見てくる。
 何よりその格好だ。ブランド物に詳しくない俺でも直ぐに高級品とわかるようなパンツにシャツ。そして香水。どこからどう見ても、どこぞの金持ちのお譲ちゃんが興味本位でおちょくりに来たようにしか見えない。
 ただこのお譲ちゃんが幸運だったのは、今日このゴミ溜めに寝そべっているのは俺だけで、女をドラッグを使ってセックスマシーンにしようと考え続けているバカ共が出払っていた事だ。
 俺はこの幸運を利用しない手は無いと考え、取り合えずガンを垂れて追い払うことにした。
 これでもそこそこ鍛えていて、尚且つ悪人面な俺だ。大抵の奴らは凄んで何処かに逃げていく。ましてや温室育ちのお嬢様なら造作も無いことだった。
 今思えば、この時目も合わさずに無視を決め込めばここでこの物語は終わっていたのだろう。
 だが俺は俺の視線を受け止め、尚且つこちらを見つめてくる彼女の視線を見てしまった。
 人生で初めて、そして唯一この日だけ見ることの出来たその瞳に、俺は虜になった。






「今更だけど私はヒルデガルト・フォン・ゲーテンバルト。ヒルダでいいわ。はじめまして、以後お見知りおきを」
 お嬢さん――赤毛のヒルダに連れて来られたのは大衆向けのカフェテリアだった。あの後、路地裏に留まり続けることの愚かさを懇切丁寧に教えてやった俺は、何故かここへ引っ張ってこられた。
 訳も分からずテーブルで膠着している俺を尻目に、ヒルダは慣れた様子で店員に注文していた。
「私はカプチーノ。この人はミネラルウォーターで」
 俺は勝手に注文を決められたことに対して不満を持ちながらも、店員が離れた頃を見計らってヒルダにここへ連れて来られた意味を問う。
 するとヒルダはあっけからんとした表情でこう言いのけた。
「私はね、自分と違う立場、世界を生きている人の話が好きなの。今日は偶々あそこで暇そうにしていたあなたがいたから誘っただけ」
 彼女の返答に、俺は先ほど感じた苛立ちとはまた違った苛立ちを感じた。
 それは彼女の言う立場の違いが裕福さの違いに直結していることを悟り、自分が見下されていると感じたからだ。だから俺は少し語気を強めて言った。
「社会勉強に熱心なのはいいがな、お前らみたいな金持ちの見せ物じゃねえんだよ。俺たちは。分かったらとっとと失せろ。ここの代金ぐらいは払っといてやる」
 大人気ないと自分で感じながらも、最近ろくに仕事も出来ていない所為で気が立っていた俺は突っかかるように彼女へ言い放つ。これで少しは考えを改めて、こんな馬鹿な真似はしなくなるだろうと俺は踏んだ。
 それでも彼女は引き下がらない。
「自意識過剰ね、あなた。別に私は社会勉強のつもりなんてこれっぽっちもないわ。貧困の差も生まれる場所と時間が少し違うだけのこと。私は自分が裕福である事に誇りを持っているし、別にあなた達が貧しいということを卑下するつもりはない。ただ人としてあなたの話が聞きたいの。さっきはああ言ったけど別に誰でもいいというわけではないわ。あの場所にあの時間にあなたがいたからこそ、私はあなたに話しかけたの」
 何処の口説き文句だ、と叫びそうになったが店員が乱暴にミネラルウォーターのボトルをテーブルに置いたことでその気勢は削がれてしまう。
 ヒルダはグラスにそのボトルを注ぐとこちらへ渡してきた。
「ならこう言えばいいかしら。私は暇で暇で仕方がないの。見たところあなたはお金に困っている。私は私の含蓄を深めるような話をあなたとしたい。大した額は出せないけど報酬も出します。これならギブアンドテイクで釣り合ってる。どう? 悪い話じゃないでしょ」
 舐めたガキだと俺は内心吐き捨てる。だが彼女が出すという報酬の話がどうしても耳から離れない。
 本職はさっぱりで副職はクビ。暢気に路地裏で昼寝をしていたが、決して楽観できるような経済状況ではない。
 そんな俺の内心を読んでいるのか、ヒルダは実に良い笑顔でこちらを見ている。俺はヤケクソ気味にグラスを傾けると渋々了承の意を示す。

 これが一マイル向こうの少女との最初の馴れ初めだった。





 ヒルダと出会ったその日の夜、前金として貰った紙幣を握り締めた俺はいつも通っているバーに来ていた。
 どうせ路地裏で不貞腐れていても本職の依頼なんて滅多にやってこないので、これをいい機会に一稼ぎする腹積もりだったのだ。
 そして俺の目論見は見事的中する。
「ユーリ」
 テーブル席の向かいに男が腰掛ける。いかにもここで待ち合わせをしていたと見せかけるその座り方は手馴れていた。
「久しぶりだな。最近は何をしていた」
「何、お前らが仕事させてくれないんで路地裏で寝ていたよ」
 男はよく俺に依頼をしてくる右翼グループの幹部だ。最近は用心暗殺やデモの煽動で中々忙しいと聞く。
 男は水割りを頼むと、手早く依頼の内容を伝えてきた。
「俺と同じ右翼グループの奴だ。最近どうもへっぴり腰でな、このままじゃクリスティアーノの足を引っ張りかねん」
「あのミラノの名士の? 奴があの計画を実行するのか?」
「さあな、だが人員は集めているらしい。先日はアレクサンドリアまで出張していた」
「エジプトまでとはまあ……」
 俺が副職を失い、食いぱぐれている間にどうやら状況は大分変わってしまったらしい。少し前まで右翼派は左翼思想の政治家ばかりターゲットにしていたが、ここに来て仲間割れを始めている。
 まあ俺にとっては詮無きことなので、早速依頼の人間の行動予定表だけを受け取るとバーを後にした。
 
 




 右翼派市民グループ代表、狙撃される。
 
 いつもの路地裏で新聞を拾った。そこには先日の俺の仕事の成果が書いてある。
 昔、軍警察で狙撃手の育成プログラムをこなしてきた甲斐もあって、久しぶりの仕事でも腕前は鈍っていなかった。
「何の記事を読んでいるの?」
 ただし、狙撃の腕が鈍っていなくても人の気配を感じる能力は完全に錆付いているらしい。上から俺の持つ新聞を覗き込んでくるヒルダに今の今まで気が付くことが出来なかった。
「ねえ、何を読んできたの?」
「何でもない三面記事だ」
 俺は新聞を畳んで近くにあったゴミ箱に叩き込む。彼女は一瞬怪訝な表情を見せてくるが、特に何も言わずそのまま俺の横に腰掛けた。
「ところで今日は何処に行く? いつものカフェテリア? それとも駅前の公園?」
 ヒルダの雑談に付き合って彼是1週間、俺の一日の過ごし方は彼女の行動に左右されていた。
 本職で少々儲かっても、相変わらず金欠状態を抜け出すことは出来ず、結局はヒルダが支払う小遣い程度の報酬に縋らないと苦しいものがあるのだ。
 それに、報酬云々かんぬんを抜きにしても彼女と過ごす一日は非常に充実しており、出会って最初の頃顔会うことを嫌がっていたのが嘘みたいだった。
 俺はいつのまにか彼女のことを気に入っていた。





 一マイル向こうには花があった。
 赤毛のその花は妙に活動的で、金持ちらしくなかった。
 彼女は俺が話すジョークにいちいち笑い、俺の話す体験談に耳を傾け、俺に今まで無関心だった政治の話を真面目に議論させる。
 ヒルダは俺を変えていった。






 二人目の狙撃は似たような仕事だった。どうやら右翼の連中はこの機会に裏切り者の燻り出しをしているらしい。
 どうりで商売が繁盛するはずだ。
「で、死体は川に流してきたのか?」
「爆殺しても良かったんだが例の計画があるからな。爆弾が手に入らなかった」
 何時ものバーで俺と右翼派の幹部は酒を呑んでいる。今日は報酬を受け取るついでに今後の身の振り方を話していた。
「いい腕だな。ライフルを使った狙撃以外にも近距離の拳銃もこなせるのか。フリーにしておくのが勿体ない」
「俺はどこにもつかないぜ。今回はあんただからこれだけ連続でこなしてやったんだ」
 基本的に俺は同じ人間から連続で依頼を受けない。特に理由はないポリシーのようなものだ。
「そうか、まあアナキーストというものはそんなものか。敵にならないことを祈るばかりだ」
 男はそう言うと紙幣の入った封筒を置いてバーから出て行った。
 俺も余り長居をする気分になれず、直ぐに会計を済まして店から出る。何時ぞやの時とは違って外は暑かった。
「今日は帰るか」
 どうしてだか報酬を使って遊ぶ気にはなれず、自分に言い聞かせるようにそういうと路地裏ではない、俺の本来の住処へ足を向けた。




 
 
 つけられていると気が付いたのは間抜けなことにアパートの敷地へ足を踏み入れたときだった。
 自分の感覚の鈍り具合に苛立ちながらも、ここまでつけられたことに焦りを感じずにはいられない。仮にこれが公安や警察関係者なら本職のことがバレていても不思議ではないからだ。
 俺は冷や汗を一つ拭うと、懐の拳銃に手を伸ばしアパートのホールへ入る。そして扉の影から外の様子を伺った。
 外玄関に誰かいる。
 足音を立てないように取り合えず裏口へ向かう。殺せるのなら殺すつもりで外玄関の人影へ近づいた。
 そして銃を突きつけ言い放つ。
「動くな」
 
 



 久しぶりに帰ってきた部屋の中が微妙な空気なのは掃除が行き届いていない所為ではない。ベッドの上で震えているヒルダが原因だ。バーから俺をつけていたのはこの赤毛の少女だった。
「どうしてついてきたんだ」
「家が知りたかった」
 聞けば彼女は俺と別れた後、家に帰る振りをしてずっとつけてきたという。俺はいよいよ自身の間抜けさと彼女の行動力に驚いていた。
「俺の仕事の意味はわかったか?」
 ベッドの上で震えているヒルダは静かに首を振った。バーを出るまでは何か怪しいことに関わっている程度にしか思っていなかっただろうが、どうやら先ほどの「動くな」で確信を持ったようだ。
「お前の思っている通り俺は殺し屋だよ。軍警察時代にいろいろあってこんなことをしている」
 ヒルダを見下ろし、一歩歩み寄った。彼女は恐怖で身体が動かないのか、ただ震えているだけだ。
 俺はため息を一つつき、彼女の首に手を掛ける。隣人がいない襤褸アパートとは言え、銃声を聞かれるのはいろいろと不味いのだ。
「ごめんな」
 彼女の瞳から大粒の涙が落ち、俺の手を汚す。俺は瞳を瞑ると、その手に力を込めた。
 彼女の白い首はまるで花の茎のようだった。



[17050] 第17話 一マイル向こうの少女 【ついでに彼女のこと】 2
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/05/03 22:16
 目の前のデモ隊が向かってくる様はさながら人の津波だ。
 防弾素材の盾を構え、俺たちはその波を押し止めようとするが、所詮多勢に無勢。
 あっという間に何人か吹き飛ばされ、怪我人の報告が耳元のインカムを鳴らす。
 そんな時だった。同僚の一人が何かを叫び、空に向かって発砲したのは。
 彼の判断はおそらく正解だ。狂気と化した群衆の頭を冷やしてやるには確かにその方法は有効だ。
 だが、彼らの熱気は正常対処の遥か上を行っていた。
 投げ込まれた火炎瓶で発砲した同僚が火達磨になる。撤退の知らせが無線を支配するが、身動きが取れなくなった俺たちにそんなものは関係ない。
「糞、誰か放水しろ!」
 誰かが叫んだのと同時、群衆の波に俺は押しつぶされる。
 そこから先は意識を保つことが出来なかった。



「お前は優秀な隊員だ。何故辞める? この前のデモのことを引いているのか?」
 上官のデスクの前で俺は直立不動。ただ口だけはここ数カ月考えて来たことの成果を伝える為だけに動いた。
「自分は国民を守るために軍警察に志願しました。然しながらここ最近の我々の活動は国民に銃を向けているだけです。私はこの矛盾に耐えられません」
 そう、俺は国民の生活と安全を守るために軍警察へ志願した。だがその国民に銃を向け、あまつさえ発砲する始末。
 これでは本末転倒も甚だしい。
「ならお前はここを止めてどうする?」
「はっ。福祉の勉強でもして今度こそ国民の為に働きたいと考えております。今までお世話して頂き有難うございました」




 結局のところ、俺は福祉の勉強やらに失敗し、軍警察時代のスキルを活かして殺し屋になった。
 でも俺はこれで少しでも社会が良くなるのならと、自分を騙し続けることが出来た。

 
 そう。俺が守る筈だった国民である、ヒルダを殺そうとする時までは。









 初めて見たときから、俺はその瞳の虜になっていた。
 だからこそ、最後の時を待つ彼女が、怯えながらもその瞳を宿しているのを見てしまったとき、俺は彼女の首を折ることが出来なかった。



 一マイル向こうの少女



「軍警察には国民を守るために入隊した。だがいつの間にその国民に銃を向けることが増えてきて、嫌になった」
 昔誰かが言った。一度殺すタイミングを逃してしまうと、その人物は二度と殺すことが出来ないと。まさにその通りで、一思いにヒルダを殺せなかった俺は何時の間にか自分の身の上を語っていた。
「それからは少しでも社会が良くなればと思って、活動家の暗殺をしている」
 ヒルダは何も言わず、ベッドの上で膝を抱えている。殺されそうになっても泣き叫ばなかったのは彼女が強いのか、それともそういった感覚が麻痺しているからなのかは俺にはわからない。
 俺は続ける。
「別に今やっている仕事が正しいことだとは露ほども思わない。でもこの仕事は俺の仕事だ」
 きっかけはデモ隊と衝突したときだった。恐怖に負けたバカがデモ隊に向かって発砲して、それからは泥沼だ。同僚は三人殉職し、市民は七人死んだ。どれもこれも皆この腐りきった社会の所為だと気が付いた俺は、軍警察にいることが耐えられなくなった。
「もう二度とここへ来るな。今日は見逃してやる」
 我ながら殺し屋失格だと思う。もしヒルダが俺のことを警察に言ったら俺は破滅だ。だが不思議とヒルダをここで解放しても、彼女は言い触らさないという自信があった。俺は彼女を信じていた。
 が、幾ら彼女を信じていたといっても、次の彼女の台詞までは予想することが出来なかったし、信じることが出来なかった。
「私はあなたと別れたくない」
 一瞬自分の耳を疑った。だってそうだ。つい先ほど自分を殺そうとした相手に「別れたくない」と告げる。それは余程の度胸者か、或いは救いようのないバカの台詞だ。
 俺は何の悪い冗談だと思いながら、彼女に向かい合う。
「俺の言うことが聞こえなかったか? ここを去れ」
 語気を強め、睨みを効かせて言った。だがそれは逆効果だったようで、開き直ってしまったのかヒルダは怯えることを止め、真っ直ぐな視線をもってこちらを見てきた。
 そして告げる。
「私はあなたのこと好きだから。別に殺し屋でも何でもいい。離れたくない」






 思わず彼女の首に再び手をかけた。俺は自分が何を考えているのか、彼女が何を考えているのか全く理解が出来なくて、気が付けば手にまた力を込めていた。
 殺せなかったのに。
 殺すことなんて出来ないのに。
 苦しそうな呻き声をあげてヒルダは俺を見る。
「あなたは本当は優しい人よ! あなたは私を嫌がったりしなかった!」
「うるさい! それはお前が金をくれたからだ!」
 ベッドの上に倒れこみ、俺は彼女に掴みかかる。ヒルダはさしたる抵抗を見せず、返ってそれが俺をますます激昂させた。
「お前に何がわかる! ただの金持ちの穣ちゃんが格好つけてるんじゃねえ! 世界なあ、俺みたいなゴミ屑が幾らでもいるんだ! 俺の目が見えるか!? これが人殺しの目なんだよ!」
 ヒルダの服がはだけ、白い胸元が上下しているのが見える。だが俺は欲情するよりも、ここまで彼女を傷つけた後悔で一杯だった。
 
 ただ自分から遠ざけようとしただけなのに、
 ただ社会の役に立ちたかっただけなのに、
 いつも俺のすることは碌なことにならない。
 
 俺は自分が嫌になって、情けなくて仕方がなくて、ヒルダの上から転げるように落ちた。
 そんな俺の頬にヒルダの手が触れる。
 縋るような気持ちでヒルダを見上げると、そこには俺を虜にした瞳があった。
「あなたの目は父と同じ目。あの人も直接手をかけてるわけじゃないけど人を殺している。でも私は父のことを愛している」

 彼女は俺を赦す。
 そして俺は救われる。

「私はあなたの目が好き」




 同僚が火達磨になったあの日を思い出す。
 あそこでは様々な感情が渦巻いていた。憎しみ、怒り、悲しみ、そして恐怖。
 碌な感情が存在しないゴミ溜めのような空間。俺はそれが嫌で逃げ出してきたのに、いつの間にかそれと同等か、それ以下の空間で生きていた。
 ここにも憎しみと怒りしかない。
 皆怒って誰かを殺そうとしている。
 多分もう諦めていたのだと思う。俺が生きている限り、俺がそこにいる限り、俺のいる場所はどうしてもゴミ溜めになることに。
 でもそんなとき、目の前の少女は違った世界を持ってきた。
 俺の世界に光が差した。


「俺もお前の瞳が好きだ」

 ヒルダと視線が交じり合う。

「お前の、この世界を見ようとするその瞳が好きだ」

 
 ヒルダが笑った。二人はおのずと口付けを交わす。 
 赤毛の少女の微笑みは美しかった。








 
 ヒルダからはいろいろなことを聞いた。
 曰く彼女は政治家の娘で、それもいろいろと黒い噂の耐えない人だそうだ。
 俺に話し相手になって貰いたかったのも、一般市民から政治の話を聞いて、父の行いを正当化したかったらしい。
 俺はヒルダの身の上を聞かされて、金持ちだと妬んでいた自分が恥ずかしくなった。
 俺には俺の苦悩があったように、彼女には彼女の苦悩があったのだ。
 彼女とベッドの中でお互いのことを語り合ったとき、俺はこの世界の意味が少しだけわかったような気がした。

 人はそれぞれの役割を持ち、そして様々な感情を持って生きている。
 ヒルダが父への感情に折り合いを求めたことも一緒だ。
 もしあの日の感情が俺のことを縛っているのなら、俺もヒルダのように折り合いをつけるべきだったのだ。
 俺の中で渦巻いていた矛盾は彼女に塗り替えられる。











 一週間後


「清掃のバイト?」
 カフェテリアでも駅前の公園でもなく、俺のアパートが二人の居場所になっていた。次女ということもあり、比較的家を抜け出すことが自由な彼女は、毎日のようにここへ入り浸っていた。
 俺はパスタを茹で上げる彼女の背中を見ながら最近ついた仕事について話していた。
「ああ、本職は店じまい。食べていくためにゴミ清掃のバイトを始めた。筋は良いらしいぜ」
 暗殺の仕事のほうは驚くほど簡単に辞められた。もともと一部の人間の仕事しか受け持っていなかった上に、目標が目標だったので公安のマークも緩かった。まあ、それに関しては過激派が行おうとしている「ある計画」の防諜に忙しいからだろうが。
「そう、それは良かった」
 ヒルダが皿にトマトスープのパスタを盛り付けて運んでくる。俺が南部出身であることを告げると、彼女は南部風の食事を良く作ってくれる。
「どうぞ召し上がれ」
 パスタを掻きこむ様に食べていく。一日中市内を走り回ったお陰でフォークが良く動いた。
「ところでヒルダ。明日の予定なんだがな」
 俺とは違って、上品にパスタを食べているヒルダがこちらを向いた。こんなところでも育ちの違いがよくわかるものだ。
 ただ今は昔とは違って嫉妬よりも彼女との違いを見つけることがちょっとした楽しみになっていた。
「俺の仕事……もちろん清掃のバイトだけど午前で終われそうなんだ。午後から少しいいか?」
「良いも何も今日みたいにここで帰ってくるのを待っているわ。明日は何が食べたい?」
「あ、いや。そうじゃなくてだな……、その、あれだ。明日の昼から何処かに遊びに行かないか。君を映画あたりに連れて行ってやりたい」
 我ながらもう少し格好をつけて言いたかった。だが、ヒルダがガッツポーズを作って喜んでいるところを見ると俺の頬は自然と崩れる。
「じゃあさ、今やってる恋愛ストーリーがいいな。あ、でもユーリはアクション映画のほうが好き?」
「はは、俺も恋愛もののほうが好きさ。アクションは昔から慣れてる」
 はは、と彼女が笑う。俺は残されたトマトスープをスプーンで啜ると待ち合わせ場所と時間を書いた紙を彼女に手渡した。
「明日の午後一時に初めて雑談をしたカフェテリア。ここで大丈夫か?」
「うん、とても楽しみ!」
 
 高嶺の花だった彼女が、映画を見に行くことに喜んでいる。
 一マイル向こうにいた筈の彼女が俺の提案に喜んでいる。
 俺にとって、これ程の喜びはなかった。






 待ち合わせの一時間前、俺はカフェテリアの近くにいる花屋にいた。
「お。お兄さん恋人にプレゼントかい?」
 店の女主人が恰幅のよい腹を揺らしながら近づいてくる。俺は素直に肯定すると探している花の特徴を告げた。
「赤い花がいいな。燃えるような花弁を持っているが、実は繊細な花だ」
「いい女の子じゃないか」
 主人の台詞を聞いて、俺はその通りだとつくづく思う。確かに彼女は俺には勿体無さ過ぎる。
「激情と繊細ね。ならこのカーネーションはどうだい? 彼女も喜ぶと思うよ」
 その花を見て、ヒルダの色を見た。彼女の赤毛は流石にここまで赤くはないが、でも彼女にぴったりの色だ。
 カーネーションを一本包んでもらうと、待ち合わせに向かうべくカフェテリアへ向かった。残り後三十分弱。もしかしたら気の早い彼女はもう着いて優雅にカプチーノでも楽しんでいるのかもしれない。
 俺の歩速は自然と早くなっていた。

















 それから三日後。
 路地裏に捨てられた新聞の一面にはクローチェ検事暗殺事件の見出しが躍っていた。
 その大事件の見出しの所為で端に追いやられているが、もう一つの事件が小さく書き連ねられている。



 
 ゲーテンバルト家 次女 ヒルデガルト誘拐事件


 今事件は被害者のヒルデガルトさんの死という悲壮な結末に至った。
 ヒルデガルトさんは犯人グループの隙を見て自殺を図った模様。犯人グループは未だ逃走しており警察は行方を追っている。











 



[17050] 第18話 一マイル向こうの少女 【ついでに彼女のこと】 終章 前篇
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/05/04 07:17
「ブリジット、前方800メートルのペットボトルだ。キャップの部分を撃ちぬけ」
 訓練場では黒髪の少女が積み上げられた土嚢に寝そべり、スナイパーライフルを構えている。微動だにしない彼女はさながら機械のようだった。
「緊張しなくてもいい。君ならやれる」
 担当官の声は魔法だ。彼らの声は義体を高揚させ、同時に心を落ち着かせる。ブリジットも例外ではなく、強張っていた引き金に掛けた指が、幾分か軽くなったように感じられた。
 ブリジットがスコープの十字を目標に重ねる。
 そして風が止み、手振れが収まったとき、

 銃声と共に、スコープの中のペットボトルが弾け跳んだ。


 ブリジットが見事ペットボトルスナイプを成功させたその晩、彼女は市内のカフェテリアに来ていた。落ち着いた雰囲気のそこはアルフォドのお気に入りだそうだ。
「俺はアイスコーヒー、君は?」
「カプチーノで」
 注文を済ませた二人は何を言うでもなく、のんびりとした時間を過ごしていた。
 テーブルに置かれていたサービスのクッキーをブリジットが頬張る。
「この店はユーリって言う同僚から教えてもらったんだ」
 アルフォドが口を開いたのは注文した品が届いて直ぐだった。
「軍警察時代の友人さ。彼は君のように銃器の扱いに長けていて……狙撃が得意だった」
 珍しく過去を話してくるアルフォドにブリジットは黙って耳を傾けていた。
 アルフォドは続ける。
「彼は俺が辞める一年ほど前に除隊した。正義感が強くて優しい奴だったからな。デモ隊に発砲した同僚が焼き殺されて……酷く動揺していた」
 彼が言うには自分もそのデモ隊の鎮圧に参加していたという。火炎瓶を投げつけられた隊員がいて、自分は放水車を呼ぶのに必死だったそうだ。
「ガソリンの火だから消えるわけがないのにな。でもそれぐらいあそこは悲惨だった」


「そのユーリって人は除隊した後どうしたんですか?」
 帰りの車の中でブリジットはそんなことを聞いてきた。アルフォドはハンドルを握ったまま答える。
「軍警察もあの頃は酷く混乱していて、彼の後を追いかけることは出来なかった。でも俺は一度だけ彼が除隊してから会ったことがある。あのカフェテリアを教えてくれたのもそのときだ。何でも恋人に初めて連れてこられた場所だそうだ」
「……ロマンチックですね」
「まあな。女っ気なんてまったく無い感じだったんだが、案外軍警察を辞めて人が変わったのかもしれないな」







 一マイル向こうの少女








 待ち合わせの時間になっても彼女は来なかった。
 意外にも携帯電話の番号を交換していなかったことが悔やまれる。
 俺は一時間待って、さらに二時間待って、日が暮れて閉店の時間になってやっとアパートへ戻った。
 それでアパートの部屋を開けるとヒルダがベッドで眠りこけているかもしれないと考えたが、そんなことがあるわけもなく、暗い室内は無人だった。
「何か飛び込みで用事でも入ったか?」
 暇そうに見えるがあれでも政治家の娘だ。立食パーティーでも呼ばれたんだろう。
 なら俺は彼女を責めることが出来ない。最初から身分の違いを黙殺して付き合いだした仲だ。こういったこともあるだろう。
 俺は買ってきたカーネーションをグラスに活けると、そのまま眠りに付いた。

 
 朝になっても彼女はやって来なかった。その日は清掃の仕事があったので伝言メモだけ残してアパートを後にした。
 その日も、彼女がやって来ない理由を深く考えなかった。


 そして三日目のこと。
 俺は清掃作業中にとある新聞を拾う。
 これが俺の世界の全てを砕いた。











「先日逮捕した活動家から議員の暗殺情報が出てきた。公社としてはこれを何としても阻止する」
 ジャンがリコをつれてフィレンツェに行っている為、今日は課長直々に作戦の説明があった。
 何でもとある大物政治家が狙われているらしい。
「目標にされているのは現内閣の重鎮、ゲーテンバルト氏だ」
 その一言で一部の担当官と二課の人間が声を上げる。かく言う俺も驚きで思わず目を見開いた。
 課長は各々の反応を無視して作戦の説明をする。だがそれが返って周りの反応を書き立てていた。
「おい、アルフォド」
 ヒルシャーが耳打ちをしてくる。俺は黙って頷き彼が言おうとしていることに同意する。
 そうだ、何を隠そう狙われている議員はアルベルト・フォン・ゲーテンバルト。

「彼女の父親じゃないか……!」



 アルベルト・フォン・ゲーテンバルト。
 彼は悲劇の政治家として一般国民の間では知れ渡っている。
 
 右翼派過激グループとの抗争の中で次女を失った。
 
 それが彼のキャッチコピーだ。確かに嘘偽りはない。だがこの事実には二面性がある。
 それは公社の中でも一部の人間しか知らない事実。

 俺はどうしようもない怒りに震えてミーティングを聞いていた。願わくば、ブリジットがこの作戦に参加しないことを祈って。だが彼女の非凡な実力は課長の目にも留まっている。このことが今回は災いした。
「アルフォド、ブリジットを使って暗殺者をカウンタースナイプしろ。それが今回君たちフラテッロに課せられた任務だ」
 ヒルシャーが息を飲むのがわかる。マルコーも驚きに満ちた目でこちらを見ていた。
 俺は黙って了解と告げると、早々にその場から立ち去った。
 もしそこに居続けてしまうと、自身を律する自信がなかった。









 自演誘拐。
 ヒルダが殺された真相を知ったのはとある活動家を締め上げた時だった。
 彼が言うにはヒルダは父親の選挙の為に、父親の手によって誘拐されたらしい。
 俺は最初、そんなことは作り話だと笑ったが、右足を俺に撃たれた活動家が必死に弁解するので事の真相を詳しく聞くことにした。
「お、俺は頼まれたんだよ! アルベルトから奴の次女を攫って三日ぐらい監視しろって! でも予定が狂った! 本当に右翼の奴らが彼女を横取り誘拐しやがったんだ!」
 つまり状況を整理するとこうだ。ヒルダの父親――アルベルトは自身を悲劇の政治家に仕立て上げるため次女を誘拐された振りをした。だが本当に右翼派のグループに誘拐されて彼女は殺された。

 何てことだろう。
 
 俺の愛した彼女はそんな下らない理由で誘拐され殺されてしまったのだ。
 
 あの赤毛の一マイル向こうにいた少女は二度と俺の手の届かないところへ消えた。

 こんな下種共に殺されて消えてしまった。

 散々犯され、嬲られ、死ぬしかないと彼女が思いつめるまで傷つけられて死んだ。





 
 その日から俺の復讐は始まった。
 手始めに縛り上げた活動家を殺し、その血を全ての狼煙とした。


 俺は彼女のためにあのゴミ溜めのような世界へ返っていく。



[17050] 第19話 一マイル向こうの少女 【ついでに彼女のこと】 終章 後編
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/05/05 08:15
 初めて彼女に出会った時のことを思い出す。

 自身が抱えていた矛盾に、嫌気が差していた俺を救ってくれた彼女のことを。

 ヒルダ。

 彼女の存在は理不尽にこの世界から消されてしまった。

 俺は誓う。

 もう直ぐ君の仇をとると。







 一マイル向こうの少女







 俺とブリジットはカウンタースナイプの下見のため、目標が狙われるとされている劇場の近くの企業ビルに来ていた。
「こちらヒルシャー、警戒圏内にそれらしき人影なし。どうぞ」
 周辺警戒をしていたトリエラ、ヒルシャー組が企業ビルの屋上から確認できる。
「了解、こちらアルフォド。我々はこの後企業ビル内に待機。決行時間まで待つ」
 ビルの上から下のヒルシャーに手を振ると、俺は隣のブリジットに向き直った。
「調子はどうだ?」
 手早く赤外線暗視装置を取り付け、マガジンさえ差し込めば狙撃が可能になるライフルを構えてブリジットが答える。
「風は無し。天気は快晴。これが夜まで持てば必ず成功させます」
 力強く言い放つブリジットを見て俺は一種の安心感を得るのと同時、本来なら彼女の仇である父親を守らなければならないという矛盾に気が滅入りそうだった。
 だが勿論ブリジットはそんなことを一切知らない。一応護衛する政治家の名前は伏せてあるものの、彼女が名前を聞いたところで父親のことを思い出すことはありえないのだ。
 そう、生前の全ての記憶を封印された彼女が覚えている筈がない。
「アルフォドさん」
 何時の間にか深く考え込んでいたらしい。ブリジットの声で現実に引き戻された俺は彼女に間抜けな面を晒すことになった。
「公社の人はここから半径800メートル以内を警戒すればいいと言いました。ですが本当にそれでいいんでしょうか?」
 ブリジットの疑問に俺は今回の作戦内容を思い出す。
 まず半径800メートル以内に公社の義体を複数配置、公社が予測した狙撃ポイントを徹底的に監視する。もし警戒の網に引っかからなくても、ここにいるブリジットがカウンタースナイプで妨害するという作戦だ。
 概要としては穴だらけの作戦だが、GISも用意できず時間も圧倒的に足りなかったにしては大分マシだろう。
 何たって義体の性能は折り紙つきだから。
「アルフォドさん、でも警戒圏内の800メートルを越えて……たとえば一マイル向こうから狙撃してくる場合は防げるんでしょうか」
「そうだな、それぐらい向こうからだと公社だけの監視は不可能になる。政府も今回の暗殺計画は全然信じていないから実働部隊も俺たちだけだ。だけどここには君が居る。君なら一マイル向こうへカウンターできる」
 俺が褒めてやるとブリジットは嬉しそうに笑った。
 その勢いで頭を撫でてやると香水なのか甘い香りがする。
 それはまるで一輪の花のようだった。









「ユーリ、除隊してから初めて会うな。今は何をしているんだ?」
 旧友と出会ったのは偶々だった。ヒルダから頼まれた買い物を済ませた俺はあのカフェエリアの近くで奴に呼び止められた。
「何だ、アルか。お前こそ元気そうだな。俺は女とよろしくやってるよ」
「本当か!? 糞! お前だけには負けたくなかった!」
 奴は軍警察時代の同僚であり同期だ。訓練の辛酸も実務の厳しさも分かち合った仲だからこそ、俺は奴を親友だと認識していた。
「で、どんな女なんだ?」
 他の野郎が言えば下衆にしか聞こえない台詞も、この整った顔立ちで言えば中々様になっている。何よりそこに不快感を生み出さないのはコイツの長所みたいなものだった。
 だから俺は昔のように笑いながら彼女のことを教えられる。
「赤毛のいい女さ。賢くて活発で飯が旨い」
 
 あれから奴とは二回ほど再会した。一回目の再開で俺はあのカフェテリアを教え、二回目の再開で奴はヒルダに花を贈るべきだとアドバイスしてきた。

 今ではもう大分昔に感じられる、彼女が生きていたときのこと。










 作戦時間まで残り二十分程。俺とブリジットは屋上の給水塔の影で即席の食事を取っていた。
「観測手の件だが本当に必要ないのか?」
 ブリジットはあろうことか、狙撃に大概は必要である弾着確認の観測手はいらないと言ってきた。それだけ彼女は自信があるのかそれとも俺の身を案じているのか……、
「両方ですよ。もしアルフォドさんが狙われても私は守れませんし、何より私は義体です。スナイピングには自信があります」
 俺は彼女が言うことに何も反論できなかった。確かに俺が狙われると彼女は集中してカウンターが出来なくなるし、彼女が失敗するとは俺も思えなかった。
「大丈夫です。必ず成功させますから」
 クッキーを頬張っている姿は年相応の少女なのに、その瞳に宿る殺意だけははっきりと異彩を放っている。



 劇場に動きがあった。
 双眼鏡越しにそちらの方向を確認すると、党重役との会談を終えたゲーテンバルト議員がSPに囲まれてホールから出てくるところだった。
 俺はライフルをそちらに向かって構え、暗視装置の電源を入れる。
「ヒルダ、もう直ぐ終わるぞ」
 俺はスコープを覗き込み、十字をSPの影に隠れるゲーテンバルトに合わせた。




 昔彼女は言った。父は決して褒められた人ではない。
 それでも愛していると。
 父を何とか理解して、父のやったことを正当化してやりたいと。
 その為に俺みたいな屑を捕まえて世界を学ぼうとした。
 俺はヒルダの父親が許せない。
 あれ程愛されていたのに、その娘を下らない政治利用した挙句死なせた奴が許せない。
 この二年間復讐のためだけに生きてきた。奴を殺すためだけに生きてきた。




 引き金に指が掛かる。
 憎しみが俺に引き金を引けと言っている。
 ヒルダが、ヒルデガルトが俺に奴を殺せと言っている。





























 
 その時、辺りに鳴り響いた銃声はSPの鍛えられた身体を動かした。
 ゲーテンバルトを地面に押し付けると自身も拳銃を抜き、周辺を警戒する。
 その様子を近くで見ていたヘンリエッタは今の銃声が狙撃犯のものではないと気が付いている。
 彼女は見た。
 劇場の背後に建つ企業ビルの屋上にいるブリジットを。







「アルフォドさん! 一マイル向こうのビルです! ブロックはD-33! 暗視装置の電源LEDが見えました!」
 屋上のフェンスの影から彼女は虚空に向かってライフルを構えている。だが恐らくその銃口は狙撃犯を捕らえているのだろう。
「やったか!?」
「いえ、風が吹いて右へ逸れました」
 ボルトを引き、ブリジットが次弾を装てんする。俺はポケットから無線を取り出すと、警戒を続けているヒルシャーに連絡を取った。
「ヒルシャー、こちらアルフォドだ。狙撃犯がいた。D-33.北東のビルの屋上だ。至急現場に向かってくれ」
 そう言った直後だった。目の前のフェンスが弾け飛び、火花を散らしたのは。







 

 狙撃手に待ち伏せを食らったことで、俺は咄嗟によく狙いもつけず発砲していた。残念ながら命中弾はない。ボルトを引くと薬莢が地面に落ち乾いた金属音を立てる。
 俺は俺の復讐を、ヒルダの願いを邪魔した輩を始末するべく、一マイル向こうの敵にライフルを向けた。
「……っ! 何だあれは!」
 スコープ越しに見つけた邪魔者に俺は動揺を隠せない。一マイル向こうにいたのは厳ついゴリラでもなく、スターリングラードの英雄でもなかった。
 そう、一マイル向こうにいたのは、
 俺と同じようにこちらを狙っている少女だった。

 俺の中で混乱が渦巻いている。あんな少女が狙撃手な訳がないという常識と、あれは確固たる狙撃マシーンだという兵士の勘が。
 だが俺の葛藤なんかあっという間に吹き飛ばされる。少女の構えるライフルが瞬いたかと思うと、直ぐ右端の金網に穴が開いた。
 
 俺はここからあの少女までの風の動きを読む。彼女は凄腕の狙撃手だ。こんな複雑な風の動きをしているというのに、たった二発でここまでの弾着修正をしてきた。
 その神業ぶりが逆に俺を冷静にさせた。
 そうだ、あれはいたいけな少女ではない。あれは俺と同類だ。
 幸いに今の一撃を外してくれたのは助かった。彼女の弾着を見て、照準の調整が出来るからだ。俺は引き金に指を掛け、少女に十字を合わせる。風の動きは変わっていない。後は昔から繰り返してきたことを思い出すだけだ。
 
 ヒルダが忘れさせてくれた狙撃の仕方を。



 思い出すのは彼女の微笑み。
 思い出すのは彼女の赤毛。
 思い出すのは彼女の愛情。

 そして思い出すのは俺を虜にしてしまった彼女の瞳。







 狙撃犯と眼が合う。酷く悲しみを湛えたその瞳は何だか懐かしい。
 私はこの眼を何処かで見たことがある。
 でも、思いだせない。
 背後のアルフォドが何かを叫ぶ。私の双眸が曇って狙撃犯を覆い隠す。
 風が止み、辺りの喧騒が聞こえなくなる。
「ユーリ?」



 焦りを浮かべつつも、果敢にこちらを狙っている少女の瞳がスコープ越しによく見える。
「はは、何だこれ」
 思わず笑みが零れたのは仕方のないことだと思う。
 だってそれは、あれ程までに恋い焦がれたもので、
 俺の世界に光を与え、俺がこの世で最も愛した瞳がそこにあったから――。 
「ここにいたのか。ヒルダ」









 一マイル向こうにいる少女から俺は照準を外した。彼女の瞳に会えたことがとても嬉しくて俺は泣いた。
 右胸を何かが貫いても俺の喜びは変わらない。
 俺は彼女に出会えた。
 またあの瞳に出会えた。




 ブリジットが倒れ込んだ時、彼女が撃たれたものだと酷く焦った。だが駆け寄って彼女を抱きかかえ、そして泣いているのを見て、俺は怪我の確認をするのも忘れた。
「殺し、ました」
 嗚咽交じりに彼女が言う。
「敵を、殺しました」
 



 報告を受けて私は件のビルの屋上に向かった。
 ウィンチェスターで扉をぶち破り、夜風が厳しい屋上に躍り出る。ヒルシャーさんもSIGを構えて後ろから付いてくる。
「ヒルシャーさん、あれ」
 私が指を差した先、一人の男が胸を撃たれて倒れていた。

「警察の者だ。救急車は呼んだ。頑張れ」
 狙撃犯は生きていた。ただそれは今生きているという意味でこの出血では恐らく助からない。
 男は震える唇で何かを紡ぐ。私は男の近くへ駆け寄ると彼の呟きに耳を傾けた。
「教えてくれ……、あの、あの一マイル向こうにいた少女はヒルダか?」
 私は彼が言っている事の意味がわからなかった。でもヒルシャーさんの顔色が失せているのを見て、彼の言ったことは何かしら意味のあることなのだと私は理解した。
 ヒルシャーさんは男の手を握ると絞り出すように答える。
「違う。彼女の名前は教えられないがヒルダではないよ」
 それを聞いて安心したのか、男が薄く笑った。
「そうか……。良かった。彼女を守るために、彼女を喜ばすために生きてきたのに……。彼女に銃を向けていては本末転倒だ」
 ごふっ、と男が血を吐く。その量が余りにも多くて彼の命が風前の灯であることが伺えた。
「ごめんよ、ヒルダ。仇は取れなかった。でも、今そこに行く」

 


 男が瞳を閉じる。そして眠るように息を引き取った。
 ヒルシャーさんが何処かに連絡した。恐らくアルフォドさんだろう。 
 私は男をそのままにしておくのが忍びなくて、彼の手を取り胸元で組ませる。そんな時、私はそれを見つけた。
「カーネーション?」
 男の胸ポケットにささっていた赤い花。私はそれの意味がてんでわからなかったが、男にその花を抱かせてやった。 
 
 



 

 昔、俺の一マイル先に女の子がいた。ただ、一マイルというのは物理的な距離ではなくて、それぐらい遠い存在ということだ。 
 でも俺は今、やっと彼女の近くで永遠に生きていけるような気がした。






[17050] 第20話 ピッツアの国のお姫様 【また彼女のこと】 前篇
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/05/08 07:01

 社会福祉公社の子供たちは皆幸福とは程遠く、そんな娘たちの間にあってはたいした不幸自慢にはならないが

 ここにある一人のかわいそうな女の子がいた。


 ブリジット・フォン・グーテンベルト。

 俺がここに来て初めて受け持った義体だ。







 ピッツァの国のお姫様








 精神サポートという名目で、義体の心理状態の監視と思考過程を研究するための面談がある。
 基本的には一対一だが、壁に掛けられた大きな鏡はマジックミラーになっていて、許可を得たものなら誰でも見学が出来る。
 プライバシーなんて存在しない。
 そんな面談がつい先ほど始まった。
 
 フェッロという怖いお姉さんが監視している中、俺とビアンキ先生が向かい合っている。昔中高時代も俺は面談が苦手で、よく担任に叱られたものだった。
 俺は若干の緊張を持ちながら、面談でどう受け答えするか必死に考えていた。
 ビアンキは手元の書類に何かを記入したあと俺に質問してくる。
「さてブリジット。ここのところの気分はどうだい?」
「すこぶる順調です。先生」
 訓練で培った人前で笑う術を使い、俺は出来るだけ自然に答えた。ここで変に疑われると薬の量が一気に増えかねない。
「そうか。なら体調は?」
「大丈夫です。生理も前回は苦しかったですが、今は大分楽です」
 新しく足されていた薬に体が慣れたのか俺の生理不順も概ね回復していた。今回は腹を押さえてウンウン唸っているトリエラを慰める立場になっている。
 ビアンキは再び報告書に何かを書き足すと、一つのレポートを取り出して俺に見せた。
 そこにはカウンタースナイプ、劇場、議員と三つの単語が書いてあった。
「……? 何ですかこれ」
 まったく覚えのないように俺は何かの心理テストかと考える。確か原作ではこんな検査はなかったような……。
「いや、別に大したことじゃないよ。よくある心理テストみたいなものさ」
「なら先生、テストの結果は?」
「今君はすこぶる機嫌がいいな」
 嘘だ。
 俺は反射的にそう言いそうになるのを必死にこらえた。恐らくビアンキは俺に何かを隠している。きっとあの三つは俺の忘れている過去に関連したものだ。
 胸にその三つの単語を刻み付けて、さらに2、3個の質問をこなしていく。
 後は酷く無難なもので警戒しただけ無駄だった。だがフェッロがアンジェリカを呼びに言った直後、ビアンキが告げた最後の質問には正直参った。
 よくもまあ、イタリア人は素面でそんなことが聞けるものだ。

「ブリジット、君は担当官――アルフォドを愛しているかい?」



 マジックミラー越しに俺はブリジットを眺めている。
 一週間前の狙撃ミッションの内容が書かれたと思われる紙を見てもブリジットは覚えていないと言った。これは最早確定的だ。
「あの場にいたのはやはり彼女だったのか」
 マルコーの呟きが酷く俺に圧し掛かる。そんなことは言われなくてもわかっていると叫んでやりたかったが、困ったように笑っているブリジットを見てそんな気勢は削がれた。
「封印された本来の人格か。義体の運用もまだまだ甘いということか」
 ジョゼが忌々しそうに言った。初期のブリジットを見ているマルコーとジョゼならその意味は痛い程わかるのだろう。勿論俺を含めて。
 ブリジットが残された質問に次々と答えていく。俺は模範生的なその返答を聞いて彼女が昔と比べて大きく変わったことを改めて実感した。
「好きな食べ物は?」
「シチリア風のピザとお菓子です。アルフォドさんが差し入れてくれたものが一番美味しいです」
 マイク越しに伝わってくる彼女の本音に胸が痛む。俺はただ担当官としての義務を果たしているだけなのに、ここまで信頼されている。
 マジックミラー越しに一かけらのプライバシーまで摘み取ろうとしているのに信頼されている。
 それくらいしか俺はしてやれないのに。

 
 そしてビアンキが繰り出した最後の質問。それは俺の葛藤を抉るようなものだった。
「ブリジット、君は担当官――アルフォドを愛しているかい?」
 見学室にいる担当官三人が全員凍った。
 ブリジットが答えようと口を開くのを見て、ひどく唇が乾き汗が噴出す。
 その感触は彼女と初めて出会ったときに似ていた。










 これが人間なのか、というのが正直な感想だった。
 病院施設ぐらいしか設備が整っていなかった社会福祉公社は、三人の瀕死の少女を受け入れていた。
 ブリジットもその中の一人だった。
 ビアンキは手元の書類を見ながら彼女の身元について話す。
「本名はヒルデガルト・フォン・ゲーテンバルト。先日の誘拐事件の被害者だ。犯人の目を盗んで飛び降りたが死に切れなかった」
 全身を包帯で覆われ、辛うじて赤毛であることだけがわかる彼女の様子は酷いものだった。聞けば爪は全て剥がされ、骨も幾分か砕かれてしまったそうだ。
「もっとも重症なのは骨盤の複雑骨折だな。大方犯しながらゴルフクラブでフルスイングしたんだろう。原型を留めていない」
 その時俺が感じたのは同情でも犯人グループに対する怒りでもなかった。
 ただ漠然とその事実を耳で流して、暢気に彼女の見えない顔を覗き込んでいた。
「手術は二日後に行われる。立ち会ってみるか?」
「冗談。そんな薄気味悪いのはそっちの仕事だろ?」
 ビアンキはそれもそうだな、と呟いて手元の書類に何かを書いた。
 俺はその様子を横目で見つつ、今度は彼女の手を取ってみた。
「完全にこん睡状態だから何も感じないよ。それより二日後までにこの子の名前を考えておいてくれないか? 基本的に義体の名前は君たち担当官が決めることになっている」
「まだマルコーさんの義体しかいないのに?」
「通例とはそんなものだ。何事も最初の事例が最後まで影響力を持つ」
 俺は命名用の書類だけを渡されて病室を追い出された。何でも面会は一日十五分らしい。
 意識のない患者だから当たり前と言えば当たり前だが、それでも短すぎると思う。
「もし彼女のことを理解したかったら彼女が目覚めてからにしろ。それが分かり合うということだ」
 ビアンキの変に説教くさい台詞を聞いて、俺はぼんやりとヒルダの新しい名前を考えていた。



 軍警察を諸事情で退役して、毎日暇していた俺を捕まえたのは同僚のジャンだ。左翼政党が内閣を組織したのと同時、秘密裏に創設された超法規的特別機関――それが社会福祉公社だった。
 食い扶持がなく、また軍人にも未練があった俺は二つ返事でその組織に加入し、そして担当官になったことを告げられた。
 それからはとんとん拍子で事が進む。
 ヒルダの手術は無事成功し、後は目覚めるだけとなった。俺自身も正式に作戦二課への配属を告げられ、専用のデスクが与えられる。


 分厚い義体の運用マニュアルを読み漁りながら、ヒルダが目覚めるのを待つ毎日が過ぎていく。


 転換期が訪れたのは、マルコーに童話の一説を提供した辺りの頃だ。
 いよいよ覚醒が近いと聞かされていた俺は、ビアンキに呼ばれて久しぶりの病室を訪ねていた。
「名前は考えたか?」
「まだ。どうもイマイチピンとこなくてな。この子と話をしてから決めようと思った」
「二日後までと言ったんだがな。アルフォド、君は夏休みの宿題をしないタイプだろう」
「夏休みの宿題? 普段の勉強からサボっていたのに、何で夏休みだけ優等生ぶらないといけないんだ?」
 実際幾つか名前は考えた。だがどれも彼女の本来の名前――ヒルデガルトの前では霞んでしまって、どうも納得がいかなかった。
「よくこの仕事に就けたな」
「うるせー」
 そうやって俺とビアンキがヒルダのベッドを挟んで不毛な会話を続けていたときだ。彼女に繋がれた電極が何かの信号を拾ったのか小さくブザーが鳴ったのは。
「目覚めるぞ」
「おいおい、まだ心の準備は出来てねえぞ」
 茶化した口調で言うが、内心は緊張で支配されていた。ヒルデガルト・フォン・ゲーテンベルト、本来なら当の昔に死んでいた少女の覚醒――。
 俺はまるで一流のSF映画を見るような気持ちで彼女の覚醒を観察していた。












 ヒルデガルトの持つ問題について。

 覚醒後、一定の意識混濁あり。
 意識回復後、重度の自傷癖あり。

 担当官が一人負傷。彼女の運用は要検討の余地あり。


 ドットーレ ビアンキ記す
 
 


 



[17050] 第21話 ピッツアの国のお姫様 【また彼女のこと】 中篇
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:28
 ベッドに横たわる彼女の肌は死人のように真っ白で、震えるまつ毛だけが彼女が生者であることを証明していた。
 
 
 ヒルデガルト・フォン・ゲーテンバルト。

 
 髪は赤毛で、身体の線は細い。瀕死の重傷を負ってここに運ばれてきたというのに、全身を義体に置き換えた彼女は生前に劣るとも勝らない容姿をしていた。
 彼女の瞳が開かれる。
 涙で縁取られた彼女の瞳は伽藍洞のように暗くて、この世の罪を映していた。
 意識が混濁しているのか、天井を見詰めたまま微動だにしない。
 そして彼女の乾いた唇が言葉を紡ぐ。近くで様子を見守っていたアルフォドが近づいて、その呟きにも似た言葉に耳を傾けた。
 ヒルダの頬を涙が伝う。
「ころ、して」









 ピッツァの国のお姫様









 その呟きは、俺の中にあった緊張と興奮を一瞬で消し去った。
 今まで斜に構えることで、俺たちの罪を誤魔化していたというのに、産まれたばかりの子供のような彼女にそんな幻覚は通じなかった。
 彼女の呟きは意識が覚醒する程大きくなり、今では血が滲む程自身の胸元を掻きむしって「殺して」と懇願する。
 ビアンキが何処かに連絡し、彼女に繋がれている点滴の弁を開いた。
 鎮静剤だと理解した俺は、彼女が点滴を外してしまわないように暴れる彼女を抑えつけた。
「落ち着け。な?」
 いくら義体でも筋肉の運動を薬で抑制されていれば、軍警察上りの俺ならそうそう負けない。
 俺は余裕を持った表情で、しかし決して油断をしないで彼女が静かになるのを待っていた。
 だがふと彼女と眼があった時、その余裕すらも吹き飛ばされてしまう。
「殺してよ。お願い……、殺して……」
 言葉が出なかった。光を失った彼女のガラス玉のような瞳に映る自分が酷く醜くて、そしてそんな自分を映す彼女の瞳が悲しくて俺は何も言えなかった。
 初めて見た地獄の淵のような瞳に、俺の手足は固まった。
 ビアンキが叫んだ時にはもう遅い。
「馬鹿っ! 早く彼女から離れろ!」
 突然襲ってきた衝撃に星が飛ぶ。
 拘束が解かれたヒルダが反射的に俺を蹴りあげたのだ。筋肉のパワーが落ちていると言っても、完全に不意を突かれた俺は面白いほどベッドから吹き飛んだ。
「がっ!」
 胃の内容物を床にぶちまけ、そのまま崩れ落ちる。
 もしかしたら肋骨が折れたかもしれない。
「くそ! 大丈夫か、アルフォド!」
 ビアンキに手を振って無事を伝える。するとそれと同時に病室に公社の医療スタッフが雪崩れ込んできた。
「今すぐ義体を拘束。鎮静剤の量を増やせ!」
 二人掛かりで一つの手足を押さえつけ、革で出来た拘束ベルトでヒルダをベッドに縛り付けていく。その間も彼女は切り裂くような叫び声で殺してと懇願していた。
「殺してっ! どうして生きてるの!」
 多分今の俺の顔はとても間抜けだ。半狂乱で目を見開き、ベルトを引き千切るような勢いで痙攣している彼女を見て正直言うと恐怖していた。
 これが人なのか。これが人の仕業なのか。
「何て、ことだ」 
 一際大きくヒルダが跳ねたかと思うと、それっきり彼女は動かなくなった。
 死んだのではなく、再び意識を失ったのは激しく上下する胸元で確認できる。 
 俺は医療スタッフが持ってきた担架に乗せられ、病室から連れ出された。そして痛みの閾値が超えてしまったのか、眠るように意識を手放した。









 ヒルダが恐慌状態になり、担当官を傷つけたことは直ぐに問題視された。



「彼女の場合、義体になる前も強く自殺を望んでいました。恐らくその時の意識が彼女を支配しています」


「だが彼女の記憶はネズミに食われたように穴だらけだ。現に自身がどうして自殺したのかも覚えていないのだろう?」


「人の脳は未だにブラックボックスであります。いくら精巧な脳地図が展開できても憶測に過ぎません」


「我々は彼女の早期処分を提案します。このままで要人の娘を使うという危険な橋を渡った意味がありません」


「しかし実用化の目処が立った義体はヒルダを入れて三人だ。現状戦力をこれ以上裂くわけにはいかない」





「もし彼女の自傷癖が問題ならこんな案はいかがでしょう」


 一人の医師がその案とやらを公社の幹部に語りだす。ビアンキの握った鉛筆が折れる。だが誰もそれに気が付かない。



「成る程、それは試してみる価値があるな。今後の臨床試験にもなる」


「器を完全に入れ替えられた人間がどうなるのか、未だに報告例はありません」


「これなら要人の娘だというハードルも解決できます。早速実行すべきです」



 会議が終わり、皆が退出していく。ビアンキは手元の資料を見つめたまま動かなかった。
 そこにはヒルダの笑っている顔写真と、生前の活動レポートが載っている。


 ヒルデガルト・フォン・ゲーテンバルト

 非常に活発で社交性高し。義体への適応率良好。親族への同意は必要なし。









 ビアンキがアルフォドの執務室を訪れたのはそれから数日経った頃だ。担当官となったアルフォドにはデスクに加え、専用の執務室が宛がわれていた。
「これは酷いな。少しは片付けろ」
 ビアンキの言うとおり、アルフォドの部屋は荒れていた。いくら三日間入院していたとしても、普通ここまで散らからない。
「別にいいだろ」
 アルフォドはベッドに寝転がって動こうとしなかった。ビアンキは床から灰皿を拾い上げ、タバコに火をつける。
「娘が嫌がるから止めたんじゃなかったのかよ」
「いや、最近我慢できないことが多くてな。ここでは吸ってるよ」
 回転椅子に腰掛、ビアンキはアルフォドの机を漁った。すると二日前に自分が渡した書類が出てきた。
 そこにはヒルダの再手術が明日に行われる旨が書いてあった。
「気持ちはわかるよ。でもどうした。急に。あれ程暢気に過ごしていたのに凄い荒れようじゃないか」
 アルフォドはのっそりと起き上がる。彼もタバコを取り出し咥えた。だがライターが見つからないのか火をつけない。
「お前は……あの目を見なかったのか」
 ポツリと呟いたアルフォドの声をビアンキは危うく聞き逃しかけた。
「俺は見た。あれが十代の女の子の目か?」
 アルフォドが頭を抱える。。
「彼女は義体化で救われるって言ったよな?」
「ああ、言った」
「ならどうして彼女はああなった」
「わからない。どの道義体化はまだ発展途上の技術だ。どんな不手際があってもおかしくない」
 ビアンキの台詞の後、アルフォドは暫く沈黙した。暗い部屋でタバコの火だけが輝いている。
 その小さな明かりが書類に張られたヒルダの写真を照らした。
 アルフォドが口を開く。

「ならどうして彼女を殺してやらないんだ?」


 ビアンキは何も言わない。机の上の書類を手早くまとめると、執務室を後にしようとする。そして去り際、こう言った。
「アルフォド、名前は考えたか?」
「ヒルデガルト・フォン・ゲーテンバルト。それが彼女の名だ」
 アルフォドの一言にビアンキが息を飲む。だが彼も負けじと語気を強めて切り返した。
「彼女の人格を全て消せば彼女は死んだことになる。それでも不満か」
「だが魂はそのままだ」
「俺は魂を信じない。今度君が会う彼女は新しい彼女だ。ヒルデガルトじゃない。君が名を与え、この世で生きる場所を与えてやらないと彼女は迷子のままだ」
 執務室のドアが閉じられる。明かりもない暗闇の中、アルフォドは小さく「わかっているよ、そんなこと」と吐き捨てた。










「脳地図を展開しろ。ヒルダの人格を全て消し、新たな人格を植えつける」
 ヘッドギアを被せられ、ヒルダは全身にメスを入れられていた。頭身を縮められ、髪は黒毛に植毛、顔たちも医師たちがデザインしたものに変えられていく。
「しかし整形手術と脳手術が同時とは前代未聞です」
「人格を入れ替えてもとの身体なら意味がない。逆も然りだ」
 医師たちが総出でヒルダの身体を入れ替えていく。その様子は宛ら人形のパーツを入れ替えているようだった。
「この子、手術前に泣いていました。意識はない筈なのに」
 女性医師が包帯に覆われたヒルダの顔を撫でた。胴体を執刀していた医師がその様子を見て答える。
「きっと悲しい夢を見ていたのさ」










 公社の屋上に二人の男がいる。アルフォドとビアンキだ。
「いかなくていいのか、ビアンキ」
「誰があんな胸糞悪いことを。今回ばかりは反対に回ったんでね。担当から外された」
 二人の男は柵に身を預け空を見上げていた。
「名前、考えたか」
 アルフォドはぽりぽりと頭をかいた。そしてポツリと名を告げる。
「ブリギッタ・フォン・グーテンベルト」
 ビアンキが思わずアルフォドを見る。それほどまでに二人の名は似ていた。
「アナグラムか? 正直苦しいぞ」
「良いんだ。いつか彼女には思い出してほしい」
 ビアンキはやれやれといった表情で額を押さえた。まさかアルフォドという男がここまで頑固だとは思わなかった。
 だが彼は笑みを浮かべ言った。
「ブリジットか。いい名だ」
 屋上を夏だというのに涼しい風が吹きぬけていく。アルフォドのよれたシャツがゆらゆらと揺れていた。













[17050] 第22話 ピッツアの国のお姫様 【また彼女のこと】 後篇
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/05/18 05:53
 何か、とても痛くて苦しいことがあったように思う。
 何か、とても悲しくて泣きたくなるようなことがあったと思う。


 今ではもう忘れてしまったけど、俺は昔別の世界で生きていた。
 それは遠い遠い昔のこと。




 




 目覚めたら薄暗い部屋だった。視界はぼやけて何も見えない。ただ誰かが俺の近くで会話をしているのだけはうっすらと聞いていた。
 手足を動かそうにも、何かに押さえつけられているのかそれは適わず、俺は冴えない頭で暫く天井を眺めていた。
 そして徐々に自身が置かれた不思議な状況に気が付き始める。

 そういえばここは何処だろう。

 何かとても痛くて苦しいことがあって死んでしまったのは覚えている。でもどうして意識があるのだろう。


 疑問に耐えかねて声を出そうとしたが、喉がとても乾いていて思わず咳き込んだ。俺の近くで会話していた人はそれに気がついたのか、会話を止めて近づいてきた。
 大きな手が額に置かれた。そして髪をそっと撫でる。
「おはよう」
 それは男の声。俺は折角のモーニングコールが男であることに若干失望し――だが何故か内から湧き上がってくる歓喜に驚いていた。
「気分はどうだい? ブリジット」
 男の顔が視界の中に入ってくる。男は外国人で中々の美丈夫だった。俺は男の言うことがはっきりと理解できていることに疑問を感じながらも、ぼんやりとした口調で答える。
 それは率直な感想。

「さいあく」




 靄がかかったような頭が覚醒し始めて、自身が感じてた疑問と不思議な状況に俺は言葉が出なかった。
 あの後、力が入らず中々起き上がれなかった俺は男に抱きかえられた。そこで俺は体が随分と縮んでいることに気が付いた。
 少なくとも、俺の身長は幾ら外国人の男でも軽々と持ち上げられる程小さくはない。
「えらく軽いな」
 男に補助してもらい、俺は壁にもたれかかるように立つ。そこでまた言葉を失う。
 今更ながら、病院の検査衣のようなものを着ていると知るがそんなことはどうでもいい。仮に死の淵から奇跡的に生還して、病院に担ぎ込まれたのなら何らおかしい事ではないからだ。
 だが、この胸に生えている二つの膨らみは何なのだろう?
 腰の辺りまで伸びている黒い髪の毛は?
 室内の鏡に見つけた、十台半ばの眠そうな女の子は?

 死んで人生を終えたと思ったら、日本人ではない少女の体?


 きっと俺の手足から力が抜けたのは疲労の所為ではない。
 自分の身に起こったことが余りにも狂っていて、俺はそのまま床にへたり込んだ。
 男が何かを叫び、肩を揺らしてくるが関係ない。
 俺は前にもそうしたように、電源が切れるように意識を閉ざした。
 願わくば、目覚めた先が今度こそあの世であることを願って。












 神の奇跡と人の罪を見た気がした。
 ヒルダが――、ヒルデガルトがブリジットとしてベッドから覚醒したとき、俺はそう感じた。
 アマルフィ海岸に並ぶ白壁の家のように色素の薄い肌、故郷のシュバルツバルトの森の闇のように黒い髪、
 そして、確かに生の光を宿したガラスの眼。
 美しい造形の少女はまるで人形のようで、生前のヒルダが持っていた激しい美しさとは対極にあるものだった。
 そんな彼女は目覚めて直ぐ意識を失った。ビアンキによれば手術の疲れで2、3日で回復するということだが、それでも一度壊れた彼女を見た身としてはのんびりとしていられなかった。
 彼女が退院した後は積極的に寮に通い、彼女の経過を見守ることにした。




「調子はどうだい?」
 ブリジットは他の義体とは別の部屋で暮らしていた。再び目覚めてから、精神状態が落ち着かないと診断を受けた彼女はここで監視されている。
 俺は監視されていることを承知しながら、ベッドの上で膝を抱えている少女に話しかけた。
「…………」
 ブリジットは膝を抱えたまま身動き一つしない。ただ目線だけを一瞬こちらにやり、直ぐに興味をなくしたのか虚空を見つめた。
 そんな様子を見て、俺は本当に彼女が条件付けされているのか疑問に感じた。他の義体を二人見てきたが、二人とも担当官の言うことはよく聞き、自分から目線を外そうとはしなかった、なのにこの少女は決して俺と目をあわそうとしない。
「いろいろ混乱することはあるかもしれないけど、慌てる必要はないよ。ゆっくりここの環境に慣れればいい」
 俺は何時も帰り際に唱える定型句を口にすると、ブリジットのいる部屋から退出した。










 男――アルフォドが去った後、俺は自身の手足を見つめた。
 そこにあるのは前とは違った少女の細腕。
 胸元にある二つの双丘は膨らんだ乳房。
 今度こそ目覚めたら全うな死後の世界だと思ったのに、やはり自分の身体は少女のままだった。
 そしてアルフォドが時たま口にする「公社」と「義体」という単語。
 俺はこの世界の仮説を当の昔に作り上げながらも、決してそれを認めることは出来なかった。 
 それを認めてしまったら俺はこの世界で生きていかなくてはならなくなる。
 昔読んだ漫画の世界。
 空想だったはずの銃と少女の物語。
「GUNSLINGER……GIRL]
 言って、不意に後悔の念が馬鹿みたいに膨れ上がった。



 何時の間にか頭の中にある銃と人殺しの知識。そしてアルフォドという男を見るたびに込み上げてくる、愛情にも似た不思議な感覚。
 確定的な仮説における結論。
 
 そう、ここは架空の世界のイタリア。
 復讐と憎悪が渦巻くGUNSLINGER GIRLの世界だ。


 俺は多分死んだ。そしてほぼ確実に、別の世界へ転生した。


 見上げた先にある蛍光灯が眩しい。
 自分の境遇には何の現実味もない癖に、それだけはやけにはっきりと感じた。










 ブリジット・フォン・グーテンベルト

 術後経過良好、ただし極度の人間不信と無気力性あり。
 これに関しては、消去されたヒルダの人格の空白が影響しているものと考えられる。
 解決法としては、担当官に対する盲愛を強めるか、精神統合剤の投薬が考えられる。

  
 ドットーレ ビアンキ







 あれから何日経っただろうか。
 相変わらずブリジットの元を尋ねていたわりには、どれくらい日が巡ったのか考えもしなかった。
 
 彼女は今、極度の体調不良で病室に舞い戻っている。
 原因は恐らく何も口にしようとしないことによる栄養失調だ。目覚めてから今に至るまで様々な物を食べさせようと公社は努力してきたが、彼女は何も口にしようとはせず見るからに弱って来た。
 今は点滴で直接栄養を受け取っている。
「やあブリジット。大人しくやってるかい?」
 笑みを携えながら、彼女に近づく。だが彼女は何時ものように一瞥をくれるだけで決してこちらを見てこない。
「あー、あれだな。暴れようにも腹が減ってそんな元気はないか」
 返事はない。ただ彼女は小さく咳をした。
 俺は彼女の腕につながれた幾つものチューブを見て、自分たちが実行してしまった罪を思い知らされた。
「君の名前はブリジット。公社三番目の義体だ。担当官は俺――アルフォド。君は俺の命令に逆らえない」
 彼女の手を取り、こちらを向かせる。白い痩せた顔には明らかな怯えの色があった。
 そんな彼女の瞳をまともに見ていられなくて、俺は思わず視線を外す。だがそれでは意味がないと気が付いて、再び視線を合わせた。
 そして恐らく、初めてとなる担当官としての命令を彼女に下した。
「食事をとりなさい。ブリジット。このままでは君は死んでしまう。折角生きながらえた命なんだ。粗末にしてはいけない」
 ブリジットの瞳が揺れる。彼女が何か言おうと口を開く。握っている腕越しでも、彼女が大量の汗を掻いているのがわかった。俺は神に祈るような気持ちで彼女の台詞を待った。
 だが、彼女から帰ってきたのは――、



 アルフォドの命令に感じたのは激しい怒りだった。
 俺は死んで世界から消えてなくなる筈だった。だが公社がこの体を無理矢理義体化した所為で、俺はここに呼び出され、毎日絶望を感じ、そして食を断って死のうとするささやかな反抗まで取り上げる。
 自分でも切れているのがわかる。
 思わず拳を握り締め、この美人面を砕き割ってやろうと思った。
 だが俺を繋いだ鎖――条件付けがそんなことを許す筈もなく、俺は込み上げてくる吐き気に抗えなかった。


  
 俺にしがみ付き、嘔吐を繰り返す彼女は痛々しい。
 記憶を消して、人格を消して、顔を消して、存在を消したらこの子は幸せになると聞かされ、そして信じていたのに、どうしてこの子は泣いているのだろう。
 救われるのではなかったのか。
 これが彼女の幸せではなかったのか。
 俺は自分たちがしたことがひょっとすると、取り返しの付かないことだったのではないかと密かに恐怖した。
 神の奇跡なんて当の昔に忘れた。
 今ここにあるのは人の業だけだ。
 死を望んだ彼女はそれすらも許されず、こうして醜く生かされ続け、苦しんでいる。
 俺はブリジットを抱きしめた。強く強く抱きしめ教えてやりたかった。
 この俺の中に渦巻く後悔の念を、そして彼女の儚さの中に見つけたこの愛情を。





 
 ブリジットが搾り出すような声でアルフォドに言った。
「だいっ嫌い……」
 ブリジットに掴まれたスーツのボタンが弾け飛び、アルフォドの首元が締め上げられていく。
「俺はお前を好きになるもんか。俺は俺なんだ」
 何かアルフォドに歯向かうようなことを告げるたび、ブリジットが涙を零し、そして嘔吐する。
 アルフォドはそんなブリジットの頭を撫でた。
「ごめん」



 病室に静寂が訪れる。ブリジットの嘔吐が止み、啜り泣きも止まった。
 アルフォドが告げる。
「許してくれなんて言わない。でも俺は君がこの世界に新しく生を受けた以上、生きていてほしいと思う」
 ブリジットが手を離し、アルフォドを見上げた。
 その瞳は涙に濡れているけれども、確かに光があった。
「また、やり直せと?」
「そうだ。君が君の境遇に納得できないのなら今から変えていけばいい。俺はそんな君を助けたい」 
 









 自分が死んで、この世界に来た理由をずっと考えていた。
 前の世界でどうして死んだのかも思い出せないけれど、きっとその死は、人生は大して意味のあるものじゃなかったと思う。
 目の前の男の言葉は麻薬だ。
 唯でさえ条件付けが働いているというのに、この世界で生きる意味があると一度他人から認められてしまえば、俺はきっと抗えない。
 一人が怖くて、病室の片隅で死のうとした。一人のままなら一人のままで死んでしまいたかった。
 でもこの男はアルフォドはこんな俺を見捨てなかった。
 こいつは俺の味方なんだ。

「ねえ、アルフォド」

 どうせ死んだのなら、もう一度別の人生を、義体としての人生を歩むのも悪くないかもしれない。

「お腹、空いた」

 どうせこの世界で生きるのなら、思いっきり楽しんでもいいのかもしれない。
 そう、たとえばイタリアならこれを頼んでもバチは当たらない。

「ピッツァ、ある?」


 我ながら間抜けな一言だと思う。けれども、嬉しそうに笑うアルフォドを見て、少なくとも間違ったことは言わなかったと俺は確信した。
 まだまだ問題は山積みで、これからどうしたらいいのかわからないけれど、
 少しだけこの世界で生きてみようと思った。

















「どうだ。初めて見たブリジットの問診は?」
 ブリジットが去った後の見学室で、アルフォドとビアンキはコーヒーを飲んでいた。
 マルコーとジョゼはどの様子を遠目で見守っている。
「重いな。改めて自分の責任と罪深さを知った」
「そうか、なら今日は酒もタバコも使わずに反省しろ。そして彼女に何か贈ってやれ。服でもケーキでも愛の言葉でも」
 アルフォドは思う。自分と彼女の間に必要なのはそんな言葉じゃなくて、もっと単純なものだと。
 ただそれをここで告げてしまえば、ビアンキから責められるのはわかり切っているので、口には出さない。
「あのお姫様は君を必要としているよ」
 アルフォドは静かに目を閉じ、ブリジットへ差し入れするピザのことを考えていた。







 以下の記述はビアンキ所有のICレコーダーによる。



 私は今でもあの人のことは嫌いです。

 特に偽善者ぶって、優しくしてくるところが。

 でも、そうやって優しくされると私は嬉しくなります。だから、私はあの人と打ち解けました。

 ねえ先生、これは作られた感情ですか、それとも私自身の愛情なのでしょうか。

 わかりません。

 わかりませんけれども、今はそれでいい様な気がします。

 だって、私はあの人のことが大嫌いだから。

 でもその気持ちだって、もしかしたら作られたものかもしれないから。 





 ピッツァの国のお姫さま     了
















[17050] ガンスリ劇場2 シリアス好きにはオススメ出来ません 【ついでにラジオのようなもの】
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/05/18 22:11
「ふふふ、ブリジット、どうしたの? 物欲しそうな顔をして」 CVエルザ


「ああ、エルザ様……。どうか、どうかご慈悲を……」 CVブリジット


「いけない子ね。こんなに涎でぐちゅぐちゅにしちゃって。そんなにこれが欲しいの?」 CVエルザ


「ああ、欲しいれすぅ! 下さい、エルザ様っ。下しゃいぃぃ」  CVブリジット


「ならブリジット、私に永遠の忠を誓いなさい。あなたの心を、身体の全てを私に捧げなさい」 CVエルザ


「捧げますからぁっ! 捧げますぅっ」 CVブリジット




「とまあ、私が描いた脚本なんだけどどう?」 クラエス
「これは酷い」 トリエラ













 ガンスリ劇場 「リスナーあってのレディオ。それ以上にパーソナリティーあってこそのレディオ。」











 BGM OP曲 15秒

 エコーの掛った声で

「はーい、皆さまこんばんわー。癒し系ガンスリンガーのブリジットでーす」
「こんばんわ。アシスタントのエルザです」
「今日も始まりました―、ガンスリレディオっ! 本日もシリアスぶち壊しの頭の悪い番組を御送りしたいと思います!」
「……ぽろりもあるかも」



 中割BGM 

「では初めにリスナーの皆さまから頂いたお手紙を紹介したり質問に答えたりするコーナー、題して『教えてブリジット先生』でーす。
 今回は二人のゲストをお呼びして始めたいと思います(ブリジット)」
「それではどうぞ、クラエスさんにトリエラさん(エルザ)」


「え? ちょ、何これ? え? ここ座るの? あ、余計なこと喋るな?(トリエラ)」
「ブリジット、こら、これが何か説明しなさい(クラエス)」


「はいはーい、乗りが悪いよそこのふたりー。今日くらいは頭の悪い放送をしても誰も怒りません(ブリジット)」
「私とブリジットの番組を壊さないで(エルザ)」
「ちょっと待ってブリジット。これは何? 私の書いた脚本の続きは?(クラエス)」
「クラエス先生の脳汁臭いので却下です。むしろあそこまで付き合ったことに感謝して欲しいくらいです(ブリジット)」
「…………(続きしたかった)」
「ちょっとエルザ、どうして私の服の裾を掴むの?(ブリジット)」




「というかー、本編で百合のゆの字も出さなかったクラエスがどうしてこんなものを書いたの?(トリエラ脚本を指差して)」
「わかって無いわねトリエラ。世の中にはね、需要があるのよ。別にこの脚本以外にもブリジットの寝顔やシャワーや果てまたトイレの写真も……(クラエス)」
「オイコラ。最近何かシャッター音がすると思ったら犯人はあなたですか。ていうか誰に売った(ブリジット)」
「安心しなさい。別にいけないところには売ってないわ。犯人は意外と近くにいるかもね(クラエス)」
「…………(エルザ)」



「くっ、気を取り直してどしどし御手紙の紹介をします。先ずはPN 通りすがりのドイツ人さん からのお便りです(ブリジット)」
「有難うございます(エルザ)」
「えー、何々? 最近面倒を見ている女の子の機嫌が悪く、プチ反抗期です。最新式のショットガンを勧めても、これが良いと骨董品物を離しません。
 もしかして僕の接し方が不味いんでしょうか? 助言を頂ければ幸いです.
  ……トリエラ、何してるの?(ブリジット)」
「ちょっ!? 何で私!? 大体この話は次の第三部からのお話でしょうが!(トリエラ)」
「もしかしたらヒルシャーさん、トリエラが言うことを聞かなくなるのを予知してるのかも(クラエス)」
「ほっといてよもーっ!! (トリエラ)」



「では次の御手紙です。PN これと言った特徴はありませんよ、さんからのお便りです。えーと、最近俺の義体がBという女の子から離れようとしません。
 付き纏われ過ぎるのも考え物ですが、こうも最近蔑にされると同僚のAに愚痴を零したくなります。同僚のAも気まずそうに聞いており職場の雰囲気が最悪です。
 どうしたらよいのでしょうか?  って、エルザ。最近やけに見ると思ったらラウーロさんはほったらかし?(ブリジット)」
「ううん。あなたとラウーロさんは週ごとにローテーションを組んで甘えているの。今週はあなた(エルザ)」
「それだとエルザの一週間は十四日あることになるね……(トリエラ)」




「それでは最後の御手紙です。 PN ドイツ系美丈夫 さんから頂きましたー、ありがとうございますー。えー何々? ここのところ、私の義体のBの偏食が酷くなったように思います。
 太った太ったと騒ぐ割には、お菓子を食べるのを止めません。どうしたら彼女に食育の概念を教えられますか? (ブリジット、無言で何かを破る音)」
「おいこらブリジット! ゴミ箱に捨てるな!(アルフォド)」
「あーっ! ディレクターさんは喋っちゃ駄目です!(ブリジット)」
「俺は君のことを心配してだなーっ! (アルフォド)」








 何かの破砕音。怒声、少し遅れてBGMへ。

 そして不意にマイク回復。



「えー、メインパーソナリティーのブリジットさんが急用により降板なので、本日はここでお別れです(クラエス)」
「次回は第三部終了後にお会いしましょう。(エルザ)」
「お付き合い頂きありがとうございましたー(トリエラ)」





 BGM ED曲 15秒 
 そしてCMへ。










 
















 舞台裏にて

「ところでこの PN いつもあなたの後ろに さんの義体のおっぱいのサイズを教えてって、どういうこと? (クラエス)」
「さあ? 質問が質問だから省略されたんだね。まあ、多分一番大きいのはブリジットだろうけど(トリエラ)」
「成程(エルザ)」
「ねえ、何熱心にメモしてるの?(トリエラ)」




 ガンスリ劇場2 了




            ◆◆

 第二部あとがき


 皆さまのご声援のお陰で無事に第二部を終えることが出来ました。
 感想欄にて、ブリジットの中の人の状況を質問された方がいらっしゃいましたが、第20話から22話までが現在お応えできる許容範囲です。返信が遅れて申し訳御座いませんでした。
 次回の三部からは「IL TEATRINO」編と銘打ち、話が大きく進みます。
 トリエラメイン、ブリジットサブが増えますがこれからもよろしくお願いします。それでは次の第三部あとがきで会えることを願いつつ。


 PS,感想を頂いている方のお陰でここまでこれました。
    特にいつも感想を頂ける方には感謝の極みです。
    お褒めの言葉、アドバイス、全てを糧にしてこれからもがんばっていきます。 

 



[17050] 第23話 IL TEATRINO 【プロローグ見たいなもの】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/14 01:28
 親友とも言うべき彼女が盛大に鼻血を噴出して吹っ飛んだのを目にして、私は思わず「やばっ、」と声を上げていた。
 ブリジットの決して大きくない体躯が地を跳ね、砂地の上に転がる。むくり、と顔だけこちらに向けた彼女は頬に血と土をこびり付かせていた。私は何ともいえない罪悪感に駆られながら、彼女に手を差し出す。
「ゴメン、やりすぎた」
 優しい彼女は決して私に怒ったりしない。どちらかというと、私に殺意を向けるのは外野で見守っている三つ編みのチビッ子――エルザだったりした。
 それでも痛そうに鼻を押さえているブリジットを見ていると、謝罪の言葉が止まらなかった。
「ゴメン。本当、ゴメン」
 ブリジットは苦笑しながらいいよ、と手を振る。彼女は教練場の外で様子を見ていたアルフォドさんからタオルを受け取ると、顔にこびり付いた汚れをごしごしを拭っていた。
 私もヒルシャーさんからスポーツドリンクを受け取って口にする。
「ははは、えらくうちのお姫様を痛めつけてくれたじゃないか」
 アルフォドさんが笑いながら近づいてきた。私は彼にも一つ頭を下げて逃げるように教練上へ戻っていった。そこでは鼻に詰め物をしたブリジットが既に待ち構えていて、シャドーボクシングをしてたりする。
「今度は負けないよ! トリエラ!」
 格闘訓練再開のブザーが鳴り、私たちは再び組み手を始めた。
 互いにタンクトップに短パンという出で立ちで、額からは汗が噴出している。
 ブリジットが掌低を繰り出したかと思えば、私が肘打ちで対抗する。
 射撃では彼女に軍配が上がるものの、格闘では私の方が多分強い。
 それは手足のリストが強いからか、経験値が勝るからか。
 そうこう考えている間にブリジットの腕を取って締め上げた。彼女が間接を捻って回し蹴りをしてくるけれども、手の甲で頭部への直撃を回避する。
「うわっ」
 本日何度目かわからない関節技が見事に決まり、ブリジットが降参、と小さく唸った。

 これは私が彼女に勝る、たった一つの事。










「また負けてしまいました。アルフォドさん」
 シャワーを浴びて泥と汗を流し、頬に大きな絆創膏を貼り付けたブリジットがアルフォドと並んで公社の廊下を歩いていた。
 アルフォドはそんなブリジットの頭に手を載せると、そっと髪を撫でながらこう言った。
「仕方が無いさ。近接戦で彼女に勝る子はここにはいないよ。いるとすれば相当なバケモノだ」
 彼の励ましに納得いかないのか、ブリジットがうー、と声を上げた。いつもはもっと大人らしい振る舞いをする彼女だが、最近トリエラに対して負けが込んでいるため若干子供っぽくなっている。
「ま、そんな気落ちしても仕方が無いさ。ほら、お友達も迎いに来ているから一緒に菓子でも食べて、気分転換してくるといい」
 そうやって指差した先には黒猫のヒルダを抱いたエルザが立っていた。表情こそいつもの無表情だが、ブリジットを見つけてご機嫌なのか体をそわそわと揺らしていた。
 ブリジットは一旦アルフォドに別れを告げると、そのままエルザの元へ走り寄って行った。









 エルザを膝に乗せ、俺はアルフォドから貰ったキャンデーをころころと舐めていた。勿論エルザも同じものを食べている。彼女は胸元にヒルダを抱えて、特に何をするでもなくじっとしていた。
「ねえブリジット」
 口を開いたのはエルザだった。彼女は起用にこちらへ向き直ると、口にキャンデーを含んだまま俺の顔を覗き込んできた。
「最近いたく格闘訓練をこなしてるけど、何かあったの?」
 ぺちぺちと頬の絆創膏が触れるのを感じて、俺はふと最近の出来事に思いを馳せる。すると成るほど、確かに射撃訓練よりか格闘訓練に熱を入れている毎日があった。
 でもそれにははっきりとした理由がある。
「もしかして、ピオッキオのこと?」
 エルザが問うたのはまさに確信だ。俺は曖昧に誤魔化しながらも、トリエラが一週間前に遭遇した無類の殺し屋のことを考える。それは原作で始めに迎える、大きな山場と共にある余りにも強すぎる敵。
 恐らく現時点では白兵戦最強。戦闘力も総合でなら俺やトリエラも適わない人間が確かにいる。
「ほんと、チートも大概にして欲しいわ」
 俺の呟きにエルザが首を傾げるが、そんなことを構っている暇は無かった。そうこうしている間にも原作内の時間が経ち、俺の今後についての振り方がより困難になっていく。

 
 始まりはやはり一週間前のとある事件。
 
 お姫様と木の嘘つき人形が主役のIL TEATRINO

 俺は訓練以外何も出来ない歯がゆさを感じながら、同時にトリエラに対する同情の念を強く抱いていた。



[17050] 第24話 あの子に勝るもの、劣るもの 【ついでにトリエラのこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/14 13:49
「これからコーエンていう人を探しに行くから数日明けるね」
 トリエラが午後のお茶の時間にそう切り出したとき、俺は情けないことにその人物が誰かわからなかった。
 言い訳をさせてらえれば、俺のいるこの世界は明らかに原作とは違う方向へ進んでいるように思えて、(エルザが生きている等)コーエンという名を聞いてもまた新しい人間が出てきたな、としか考えなかった。
 しかしあとでシャワーを浴びならがら、落ち着いて考えてみると俺は彼の名前を知っていた。
 それはピノキオ編の始まりを告げるキーパーソンであると遅ればせながら気がついたのだった。
「コーエンて、ピーノに殺された公社の工作員じゃないか……」
 後悔してもあとの祭り。
 トリエラヒルシャー組はとうの昔に出発していて、任務に割り込もうにも俺たちブリジットアルフォド組は既に別の仕事を振られていた。
 まあトリエラ自体もピノッキオに敗北するとはいえ、殴られて気絶するだけなのでそれ程心配する必要はないと思っている。むしろ危惧すべきことは、この世界におけるトリエラが自身の敗北をどう受け取るかだった。
「原作よりは……明るいというか子供っぽい、のか?」
 恐らくクラエス以外に年の近い俺がいる所為だろう。この世界のトリエラは年少組には頼りになるお姉さん、俺やクラエスなどの年長組には若干甘えてくるキャラクターを演じているように思う。
 彼女の仕事に対するスタンスはそれ程変わっていないように見えるけれども、何せピノッキオ編のトリエラはとても情緒不安定なので今後の展開がどうなるかまったく予測が付かなかった。
 とりあえず様子見を決め込むしかないので、俺は自身に振られた仕事に専念することにする。

 因みに仕事とは年少組への射撃指導だった。
 最近ぶっ倒れてばかりなのに、随分と信用されているものである。









 あのカウンタースナイプミッションからだろうか。私が彼女のことばかり考えるようになったのは。
 



 ユーリと呼ばれる殺し屋の死を見取った私はそのあとl、任務を成功させたのに何故か涙を流し続けるブリジットを目にしていた。
 よくも悪くも皆のムードメーカーな彼女がここまで泣いているのは正直異常だと思った。
 でも担当官の大人たちは何も教えてくれなくて、ブリジット自身も翌日は何事も無かったかのようにお菓子を食べていた。
 彼女にそれとなく訳を聞いても「わからない」と彼女自身が頭を捻っていた。
 私はそんなブリジットを見ているととても悲しくなって、思わず彼女を抱きしめていた。あの子は終始不思議そうに私を見ていたけれども、私は暫くそのままにしていた。



 
 私の知る限り、ブリジットより強い義体の子は公社には存在しない。
 射撃、特に狙撃に関しては天性の才能でもあるのか、彼女の適正は正直信じられなかった。あれだけビル風が吹いていたカウンタースナイプミッションでも、彼女は見事狙撃を成功させている。
 私の知る限り、公社に来た始めの頃は銃を握っても怯えてばかりで、あんなに上手じゃなかった。むしろ下手糞な部類で、いつもジャンさんに叱られていた。
 それがいつからか、人が変わったように上達するのだから世の中というものはよくわからない。

 格闘について言えば、まだ私の方が勝っていると思う。組み手訓練でもまだ私は土を付けられていないし、彼女自身滅多に格闘を実戦でこなすことはない。
 まあそれも銃の扱いに長けすぎていて、接近戦をする必要がないというのもあるかもしれないが。
 でも最近、ブリジットには格闘の才能が無いのではなくて、まだ体の使い方がよくわかっていないのではないかと考えることがある。
 反応速度や体のバネの力を見ていても、あれは恐らく私以上のポテンシャルがあるように思う。
 彼女はまだ白兵戦の師がいないだけで、このまま組み手を続けていれば、いずれ私が敗北を記することになるのは明らかに予想できた。




 私の中に渦巻くこの感情が、ブリジットに対する嫉妬なのか賞賛なのか私自身もよくわかっていない。
 でも何となくだけど、このままブリジットに気を取られすぎていると私も彼女も足元を掬われてしまうような気がしてならない。
 今はただ、漠然としたこの不安が的中しないことを祈ることしか出来ないが。








 
 度の高いワインを煽ったトリエラが思わず咳き込んだ。
 有名なワインだからてっきり知っているものだと思っていたヒルシャーは、彼女の意外な行動に苦笑するしかなかった。
「知らなかったのか?」
「知っていましたけど、ここまでとは思いませんでした……」
 ヒルシャーがハンカチを取り出しトリエラに渡した。ヒルシャー自身も少しだけワインを口に含む。確かにこれだけアルコールが効いていれば咳き込むのは無理なかった。



 
 彼らはコーエンという行方不明になった工作員を探しに、モンタルチーノという田舎町に来ていた。




「ニコラス カンビオ……あった。これだ」
 ヒルシャーがホテルの客員名簿からとある人物の名前を見つけた。トリエラが誰ですか? と問うが、ヒルシャーはコーエンの偽名の一つだと答えた。
 ホテルのフロントの男が困った様子でこう告げた。
「この方は外出されたきり戻っていらっしゃらなくて……、こちらもほとほと困っていたんですよ」
 聞くところによればもう三日も連絡が付かないらしい。いよいよ警察に届けようか迷っていたところに、ヒルシャーとトリエラが尋ねてきた形だ。 
「彼の止まっていた部屋は?」
「まだそのままですけど……、貴方がたは?」
 フロントが訝しそうに尋ねてくる。ヒルシャーは何食わぬ顔で偽造の身分証を提示した。
「ローマから来た刑事だ。……宿代はこれで足りるかな?」
 見知らぬ男が刑事と名乗ったことと、支払われていなかったカンビオという男の宿代が支払われたことで安心したのか、フロントは上機嫌にホテルのキーを差し出してきた。
 トリエラは横目でその様子を見守りながら、毎度の事ながらよくやるものだと感心していた。
「まあ僕はいわゆる「元警官」だからな。いわばこの身分証は『偽造された本物』 これはもう99%本物の警官だよ」
「ですが……、私は何から何まで偽者ですね」
 そう言って、トリエラは自身が着ている女性もののスーツを摘んだ。一応小柄な警官という設定だが、本人は何か釈然としないものがあった。
「はっはっは。じゃあトリエラにも警官IDを作ろうか。君の器量だ。上手く化けられる」
 ヒルシャーがフロントから預かったマスターキーで部屋の鍵を開けた。トリエラが銃を構え、そっとドアノブを回す。
「またそんな冗談を……」
「堂々としていれば意外と何も言われないものさ」
 ドアが開けられ、二人は同時に中へ踏み込んだ。
「さて、コーエンはどんな手がかりを残しているのかな。トリエラはスーツケースを空けてくれ」
 言われてトリエラは書斎机のしたから黒いスーツケースを引っ張り出した。もちろん指紋を消さないように手袋を付けるのは忘れない。
「手持ちの道具で空くと思うけど、無理なら壊していいぞ」
「大丈夫です。練習しましたから」
 懐からピッキングツールを取り出し、トリエラは小さな鍵穴と格闘し始めた。そうこうしている間にも数日前ブリジットと一緒に練習した風景が思い浮かんでくる。

 結局あの時は、ブリジットの方が断然早く開錠して、また一つ彼女に劣っているところを思い知らされたのだった。









 ヘンリエッタとリコが根を上げるまで射撃訓練を行って、やっと訪れた休憩時間だというのに俺の義体は何故か小さなスーツケースの鍵穴と格闘していた。
「何をしているんだブリジット」
 鍵穴に幾つもの針金をねじ込み、口には正規の鍵を咥えたブリジットがこちらに振り返った。
「いえ、この前トリエラと練習したら思いのほかはまっちゃって……。でも無駄にはなりませんよね?」
 ブリジットが数本の針金を操作した。すると鍵穴の奥で何かが動いた音がして、満足そうに彼女が針金を引き抜いていく。
「もう出来たのか?」
「はい。23秒ちょい。新記録です」
 完全に針金が引き抜かれたスーツケースを俺は受け取り、何が入っているものかと蓋を開けようとした。けれども閉じた口はウンともスンとも言わず、思わずそれをブリジットに付き返した。
「空いてないぞ、これ」
 スーツケースを受け取ったブリジットは少しぐらい動揺を見せるか、と思ったのだが彼女は逆に満足そうな表情を見せてよし、と笑っていた。
 彼女はしたり顔でこう宣言する。

「実は開錠に飽きたので、今度は鍵無しで施錠出来るか練習していたんですよ」

 呆気にとられたのは言うまでもない。
 彼女は鼻歌を口ずさみながら正規の鍵でスーツケースの蓋を開けた。すると中には俺が上げた菓子の詰め合わせが入っていて、彼女は上機嫌にそれを頬張り始めた。


「こっちの方がやる気が出るでしょう?」


 これは適わない。そう痛感したある日の午後だった。
 
 



[17050] 第25話 もう一人ここにいる 【ついでにピーノのこと】 序章 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/14 19:17
「ピーノ!」
 通りを歩いていた少年が振り返る。彼は気だるそうに声の主がこちらへ走ってくるのを待った。
 端正な顔たちをした、十分美人と言える少年だった。
 少年は声の主の名を呼んだ。
「アウローラ……」
 アウローラと呼ばれた少女が嬉しそうに笑う。彼女は御使いにでも出ていたのか、食材の入った紙袋を抱えていた。
「今帰りなの?」
 少年は「うん」と一つ頷き、そのまま通りを歩き始めた。アウローラはその後ろをとてとてとついていく。
「うちのお母さんがね、ピーノがそろそろ帰ってくるだろうってお肉を沢山買い込んでいたよ」
「近所に住んでいるだけだから、そんなのことしなくてもいいって言っているのに……」
 面倒くさそうに応対する少年の事は少しも気にならないのか、アウローラは相変わらずにこにこと笑ったまま続けた。
「ピーノがかっこいいからだよ。かっこよければそれだけで人生得するのよ」
「かっこいいか、まあこの容姿が役に立つところに生まれれば良かったのかな」
 少年は通りの十字路でアウローラと別れた。そしてその後、とくに何をするでもなく彼女の姿が見えなくなるまでその背中を見守っていた。
 少女が消えた後、少年は静かにタバコへ火をつける。




 それは四日前の出来事だった。
 セーフハウスに帰ってきた僕は偶然その男に出くわした。出で立ちはいかにも空き巣風だったけど、躊躇無く特殊警防で殴りかかってきたから多分警察か何かの工作員だろう。
 殺した男の死体をいろいろ弄ってみるけれど、流石に身元が割れるようなものは何も携帯していなかった。
 僕は夏が近いということも考慮して、死体を冷蔵庫で保管することにした。
「身元はわからないけれど、このイベント自体はおそらく公社との接触か……。不味いな、近日中にトリエラがこいつを探しに来るぞ」
 何も考えずに殺してしまったことを悔やみながら、僕は死体を残してセーフハウスを変える方法を模索していた。
 このままここにいるとフランカフランコを迎えた上で公社の襲撃に会うことはわかっている。
 けれども叔父さんにセーフハウスを変える良い言い訳が見つからない。死体を作ってしまったと言ってもあの人のことだ。きっと始末屋か誰かを呼んで処理するように命じてくるに違いない。
 結局襲撃に会ってからでしか、セーフハウスを変えるきっかけが見つからなかった。
「はー、最近何も考えずに過ごしすぎたか」
 タバコを咥えながら、僕は冷蔵庫の前に腰掛けた。前の世界――日本じゃ到底考えられなかったけれど、死体に慣れてしまった今じゃそれ程嫌悪感も湧かない。
 僕は天井を見上げため息をつく。
 そして思わずこう口走った。
「この世界――GUNSLINGERGIRLの世界じゃ仕方無いのかな」

 
 言って、現実感がまったく湧かないことに苦笑を禁じえなかった。
 袖口やポケットの中に幾つものナイフを忍ばせているけれども、それは僕の知っているピノッキオという人物をなぞったからで必要に駆られてやったわけではない。


 僕は、ある意味でこれからの生き方を見失っている。





「ピノッキオ?」
「ああ、クリスティアーノが飼っている凄腕の殺し屋らしい。木の人形じゃないぞ」
 オープンカーに乗り込んだ男女二人はモンタルチーノを目指していた。
 彼らの雇い主であるミラノの名士、クリスティアーノが紹介した殺し屋はそこに居を構えているらしい。
「どんな男なのか気になるわね」
「ああ」
 特に思い入れもないのか、気のない返事しか返さない男を女はサングラス越しに睨んだ。
「相変わらず張り合いのない男ね」




 それは一本の電話だった。
「久しぶりだな」
 死体を背に、転寝をこいていたら電話が鳴った。慌てて出てみると予想通り叔父さんだった。正直この呼び方は余り好きじゃないけれど、僕の知っているピノッキオはこう呼んでいるのだから仕方がない。
 僕は燃え尽きたタバコを拾い上げて、電話口へ耳を傾けた。
「ブルーノから連絡があった。リヴォルノではご苦労だったな」
「いえ、楽な仕事でした。……ところで叔父さんはフィレンツェで大変だったようですね。僕がいれば良かったのに」
「そうだな。数が増えても質が落ちてきている。それで立続けにすまんがまた仕事を頼まれてくれないか」
 来た、と思った。僕は襤褸を出さないよう、叔父さんが言うことを黙って聞きことにした。
「これからプロの活動家がお前のところを尋ねる。名はフランカとフランコだ。暫く面倒を見てやってくれ」
「わかりました。任せてください。それと……一つだけいいですか?」
「何だ」
 僕は叔父さんに死体のことを話した。自分の周りが嗅ぎまわれていて、思わず下手人を殺してしまったこと。死体は処理せず保管していること。
 それとなくセーフハウスを変えるように仕向けたつもりだけど、フランカフランコが向かっている最中だからそれは出来ないと断られた。
 そして予想通り、始末屋のブルーノが死体を取りに来ることになった。
「しかしその場所が割れているとなれば、早いとこ引き払うに越したことはないな。この仕事が終わったら新しい場所を設けよう」
 どうやら話を聞く限り、フランカフランコと合流すれば別にこのセーフハウスにこだわる必要はないらしい。叔父さんに礼を一つ言うと、僕はそのまま電話を切った。
 今度は死体の入った冷蔵庫ではなく、ちゃんとしたソファーに腰掛ける。
 新しいタバコに火をつけて窓の外を徐に眺めた。
 原作通りならもう直ぐそこまでフランカフランコが来ている筈だ。
 もう暫くだけ、このまま窓を眺めて過ごそうと思った。

 

 



[17050] 第26話 もう一人ここにいる 【ついでにピーノのこと】 1
Name: H&K◆03048f6b ID:986ae05f
Date: 2010/07/15 09:18
 思ったとおり、フランカフランコの乗った車は少一時間もしないうちに僕のセーフハウスに到着した。
 そのまま出迎えても良かったのだけれど、初印象で仕事の出来る人間を印象付けたかったから敢えて警戒した振りをする。
「フランカとフランコだね」
 サングラスを掛けた男女は車から降りることなく僕の様子を伺っていた。なる程、賢い選択だと思う。これなら仮に僕に襲われても直ぐに逃げ出すことが出来るから。
「あなたがピノッキオ? 随分若いのね」
 フランカが車から降りて僕に握手を求めてきた。こういった社交辞令をこなすのも大切なことなので一応返しておく。
「ああ。皆からはそう呼ばれている」
 彼女を取り合えず先にセーフハウスに招きいれ、僕はフランコを車のガレージまで案内することにした。
 至極普通に助手席に乗ってくる僕にフランコは驚いていたみたいだけど、彼が僕のことをどう思っているのか何となくわかった。
「イメージと全然違うな」
「なに? 樫の木みたいに何も喋れないと思った?」
 ガレージからセーフハウスに上る階段の途中でフランコがそんなことを言った。僕は上手くピノッキオという人物を演じているつもりなのだけれど、何処かで違和感が生じるような、そんな行動を取ってしまっているのかもしれない。
「俺は少しこの家の間取りを調べたい。立ち入り禁止の場所とかあるか?」
「いや、とくにないよ。ただ余り窓際に立たないで。外から見られると不味いかもしれない」
「どういうことだ?」
「いつ誰がどこから見ているのかわからないってことさ」

 フランコは何処か納得できないといった顔をしていたけど、僕は気がつかない風を装ってフランカがいるであろう問題の部屋に向かった。

「ピノッキオ、これは今晩の食材じゃないわよね」
 嫌悪感を少しも隠そうとせず、フランカは冷蔵庫の前に立っていた。どうやら彼女を先に招き入れると勝手に冷蔵庫を開けてしまうらしい。(原作では先にフランコが入ってきた)
「身元不明の泥棒でね。いきなり殴りかかってきたから殺した」
 死体の手首を取り、フランカが何か検分を始める。どうやら彼女も何か身元がわかるようなものを探しているようだ。
「フランコ、どう思う?」
「そいつが誰にしろ早くここを立ち去るべきだな。死体は別の人間を呼び寄せる」
 まあフランコの言うとおり、僕自身も早く場所を変えるべきだと思う。この男が公社の工作員だと知っているからなお更だ。
 けれど変わりの場所はまだ用意されておらず、フランカに隠れ家を提供してくれと頼むのも不自然に思われた。
 また不謹慎だと思うけれども、公社出身の原作キャラをまだ目にしていない僕は、純粋な好奇心からトリエラと会ってみたいと思うようになっていた。まず負けることは無いだろうという変わった自信もそれを後押しする。
「数日中に始末屋がくるよ」
 だから口から出てきたのは原作どおりの一言で、フランカフランコももう数日だけならと、このセーフハウスの滞在を了承した。
 僕は白々しくそれがいいよと告げて、タバコを吸うべくフランカのいない隣の談話室へ引きこもることにした。


 






 
 コーエンの部屋から見つかったのは、電話番号を残したであろうメモとスーツケースから出てきた童話の本だった。
 ヒルシャーさんが下のフロントへ番号を調べに行ったので、私はコーエンが何かメモでも書いていないか探すために、「ピノッキオ」の絵本を捲っていた。

 そこにはこう書かれている。


 ピノッキオは不思議な薪から生まれたあやつり人形。

 彼は自分を作ってくれたお爺さんに恩返しをしたいと考えるが、頭の中まで樫の木なのでいつも事件を起こしてばかり。

 ついには自身の起こした事件によってお爺さんと別れ離れになってしまい、

 ピノッキオは彼を捜しに冒険の旅へ出る。

 冒険の末にお爺さんと再会したピノッキオは青い髪の仙女の力を借りて人間の子供に生まれ変わる……


 めでたし、めでたし。



 読了後、本を閉じた私は思わず声を上げていた。

「ふざけた話だ」

 








 タバコを咥え、ぼうっとこれからのことを考えていたらフランコに喧嘩を売られた。彼が言うには、お前のことは余り信用していない。俺たちは基本的に誰とも組まない、ということらしい。
 それはそれでカチンとくる一言だったけど、プロの姿勢と思えば当たり前のことなので、特に怒りを表したりはしない。
 しかしながらフランコはそんな僕の態度が気に食わなかったのか、さらに突っかかってきた。
「お前、腕はいいのか」
 ふむ、と一瞬だけ考える。
 それは僕が強いかどうかというものではなく、原作のピノッキオと比べてどれくらい強いのか、というものだった。
 叔父さんに拾われた時点で、自分がピノッキオであることを悟った僕はとにかくナイフの扱いだけを訓練し続けた。この体にナイフを扱わせると超一流であることは分かっていたことなので、長所を伸ばそうとしたのだ。
 結果、ナイフの扱いは原作に比べて異色ない……下手をすれば原作を凌駕するような域に達したと思う。
 それでも銃やその他の銃器の扱いが並になった気がするので、総合力では甲乙付けがたくなってしまった。
「腕なら自信があるよ」
 ただここで自信がないと言っても全く意味がないことなので、一応こう答えておく。
 するとフランコは原作どおりに僕へ銃を突きつけてきた。
「……お前ならこれをどうする」
 撃たないとわかっているのでナイフを抜いたりしない。それでも手首に忍ばした一本をスライドさせて、いつでも投擲できるようにした。
「本気で言ってるの? 瞬きする間に殺せるよ」
「もしこれが10メートル離れていたら?」
「九メートル寄る」
「口で言うのは簡単だ」
 そっとフランコが引き金に力を入れるのが確認できた。ここまでほぼ原作通りの会話だけれども、緊張感は少し増しているように思う。
 僕はこのやり取りを終わらせるべく、次の台詞を続けることにした。
「君は歩くときに左足を引き摺る癖がある。古傷でもあるんだろ? そこに付け込もうかな」
「試してみようか?」
 これだけ言ってもフランコは引かない。これはもう僕が引くしかないようだ。
「いいよ、別に。叔父さんは君たちを手伝えと言ったんだ。僕は孝行息子だから君たちと揉め事を起こしたくない」
 それだけ告げて、僕は一人散歩するべくセーフハウスを後にしたのだった。


 アウローラは大好きなピーノに会えるかもしれないという淡い期待を抱いて路地をうろうろしていた。
 すると彼女の願いは適ったのか、向こうの通りから歩いてくるピーノが目に入った。
「ピーノ! お買い物行ってきたの?」
 見れば彼は左手に買い物鞄を下げており、中にチーズやワインを詰め込んでいた。この時間から買い物に出ていることから、お客さんでも来ているのかもしれないとアウローラは考えた。
「ねえピーノ、お客さんが来ているのならお母さんに頼んで何か作ってあげようか?」
 善意からの申し出だったが、ピーノは何処か居心地が悪そうに視線を逸らしていた。如何したのかと尋ねてみれば、近いうちに引っ越すかもしれないので自分の周りをうろつくのは止めたほうがよいと言われた。
「ごめんね、アウローラ」
 そのままピーノは彼の家に去っていく。
 何処か悲しそうなその背中を、彼女は服の裾を握り締めながら見つめていた。

 

 





[17050] 第27話 もう一人ここにいる 【ついでにピーノのこと】 2
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/15 20:07
「フランコ、ピノッキオは?」
 シャワーを浴びたのか、髪濡らしたフランカが談話室に入ってきた。彼女はきょろきょろとピノッキオの姿を探している。
「買い物に出た」
 テーブルの上に置かれたままの銃を見つめながらフランコが答えた。フランカはその様子から何かを察したのかははん、と笑った。
「もしかしてあなた達喧嘩でもした?」
「何故そう思う」
 こちらに振り返ろうともせずにフランコが問い返す。
 これはますますビンゴか、とフランカは上からフランコを覗き込んだ。
「だってさっきからとても不機嫌そうなんだもの」
「…………、ああいう変人と組むのが不安なだけだ」
「今更何を言っているのよ。この世界の人間なんて皆どこかしらいかれてるじゃない。私たちも含めてね」
 自嘲気味に呟くフランカを見てフランコが眉を潜めた。彼は彼女がそう言う度に否定の言葉を放っていた。
「お前は違う」
 それは彼女がこの世界――暴力でしか物事を伝えられない、腐りきったテロの世界へ踏み込んでくる事を止められなかったことによる罪悪感によるものだった。
 フランカ自身はそれ程気にしていないようだが、フランコは全て自分の責任だと考えていた。
「あら、私だけ仲間はずれなのね。じゃああなたは変人なの?」
「まあそうだろうな」
 椅子に腰掛け微動だにしないフランコに苦笑しながら、フランカが向かいの椅子に同じように腰掛けた。
「ならあなたに色々教わった私はそれでも真人間なのかしらね」
 フランコがそっとフランカを見上げる。彼女は腕を組んで笑っていた。フランコはふとため息をつき、「からかうのはよせ」とぼやいてこう続けた。
「俺は張り合いのない人間だ」
 精一杯の皮肉を言ったつもりだったのだが、フランカには効果が無かったようで、「ふふ」と微笑していた。
「お前はあの男が気に入ったのか?」
 椅子から立ち上がり、談話室から出て行こうとするフランカにフランコは声を掛けた。フランカは少し立ち止まると、指を口元にやって己の答えを考えている。
「多分ないわね。まあそれでも気になるのなら私の母性ね」



 フランカが去った後、フランコは椅子にもたれ掛って瞳を閉じた。
 どうしてかわからないが、今は一時間ほど眠りたい気分だった。








 

 フランカフランコを迎えて二日がたった。
 的当ての日課を黙々とこなしていた僕はフランコに呼ばれて、地下の隠し部屋に来ていた。
 テーブルの上を見てみると、かのメッシーナ海峡横断橋の完成予想図が置いてあった。
「これが君たちの獲物?」
 完成予想図を手にとって眺めてみる。このつり橋方の鉄橋はまだ橋脚しか出来ていない。
「クリスティアーノ、君のおじさんが頼んできたの。南部の悪党に利権の一部が流れているらしいわ」
「これを爆破するの?」
 僕の問いにフランカは首を横に振った。
「別の仲間が建設責任者を誘拐する計画があるわ。もしこれが成功して政府が建設を断念してくれるなら、私たちの出番はないのだけれどね」
「断念されなかったら?」
「その時は何らかの示威活動をする必要があるわね」
 やるせなさそうに言うフランカを見て、この人は根本的にテロリストに向いていないと思った。原作でピノッキオが言ったとおり彼女の怒りは優しすぎると思う。
 それはいざと言う時に足枷でしかない。
 フランコも多分それを心配しているのだ。
「いろいろ大変そうだね」
 僕の気のない台詞にフランカは「大変よ」と答えた。そういう意味じゃないのだけれど、とやかく言っても仕方のないことなので黙っておく。
「ピノッキオ、俺に銃を貸してくれないか?」
 あてもなく完成図を眺めていたらフランコにそう言われた。そういえば原作で僕はフランコにスコーピオン(サブマシンガン)を貸していた。何気に活躍していたので、ここは原作どおりに貸しておいたほうが良さそうだった。
「いいよ、ついてきて」
 隠し部屋からもう一つ地下に降りたところが武器庫になっている。ナイフと一緒に閉まっておいた鍵を懐から取り出し、戸棚を閉じていた南京錠を開錠した。
 鎖をするすると外して中からスコーピオンを取り出す。
「ほら、拳銃も使うならスコーピオンがいいだろ。サブレッサーもあるよ」
 僕からサブマシンガンを受け取りフランコは動作を確認していた。僕も護身用に拳銃を一丁だけ抜き出して後ろのホルスターに納めておいた。
 着々とトリエラ襲撃イベントが近づいてきていることを実感しながらも、僕はいつものように原作どおり振舞うことしか出来なかった。








 
 アウローラはピーノの家を見上げている。手にはパイの入ったバスケットを握っていた。









 フロントで調べた電話番号の家を監視し始めて二日。ヒルシャーさんの携帯電話が鳴ったのは丁度昼食時だった。
 どうせアルフォドさんだろうと思っていた私は、ヒルシャーさんが買ってきたかぼちゃのパイをのんびりと頬張っていた。
 だからこそ、電話口から聞こえてきた猫のような少女の声に思わず咳き込んでしまった。
「もしもしー、トリエラ? 元気にしてる?」
 任務中に何をしているのか、と怒鳴りそうになった。それでもヒルシャーさんの手前なのでぐっとこらえる。
「何、ブリジット。用でもあるの?」
 私の静かな怒りを感じ取ったのか電話の向こうでブリジットが息を呑んだ。怖がるくらいなら最初から電話してくるなと、と思う。
「えーと特に用という用はないんだけれども一つだけ伝えたいことがー」
「何?」
 ひっ、と今度は声を上げて怖がった。私の声はそこまで威圧感があったのだろうか。
 しかし電話の向こうのブリジットは少し間を置くと、至極真面目な調子でこう言った。
「トリエラ、もし危ないと思ったら一歩体を引いて」
 何のこと? という前にブリジットが謝罪を始めた。
 彼女曰く任務中に電話してゴメンだとか、訳の分からないことを言ってゴメンだとか、お仕事頑張ってだとか……
「でもさ、ちょっと胸騒ぎしたからアルフォドさんに電話させてもらったの」
 そう言って彼女は電話を切った。
 私はよくわからないままヒルシャーさんに電話を返す。そして再び昼食をとり始め、彼女が言ったことの意味を考えてみた。
「心配、してくれてるのかな」
 そう考えると自然と笑みが零れてくる。
 なんとなく、早く帰って彼女の髪を梳いてやろうと思った。
 










 
 電話を切って、危ない賭けだと思った。
 アルフォドは俺の行動に疑問を持っているわけではないだろうけど、向こうのトリエラとヒルシャーがどう思っているのかわからない。
 それでも。
 この胸騒ぎを沈めるためにはこうするしか無かった。
「こんな感覚は初めてだ」
 自室で毛布に包まって、俺は自身に渦巻く違和感と戦っていた。
 事の起こりは射撃訓練を終えてピノッキオのことを纏めていた時だった。
 奴のことを考えると、頭に砂嵐がかかったような頭痛がした。最初は疲れているのかと思ったけれど、健康診断でいつも血液検査されていたからそれはありえないと思った。
 なら、と数ある可能性を潰すためにまずは、当面の懸念事項であったトリエラの安全を確保しようと思ったのだ。
 
 もしも、もしもピノッキオが原作とは違った何らかのイレギュラーを抱えていた場合、トリエラのリベンジイベントどころかこのままゲームオーバーになりかねない。

 ここに着て、バタフライ効果(俺が起こした原作改変が別のところにいる登場キャラクターに変化をもたらすこと)に怯えることが情けなくて仕方ない。
 それでも何とかして無事にこのイベントを切り抜けようと画策する。
 今出来ることは取り合えず全てやった。
 トリエラに注意も促したし、間接的にヒルシャーにも警告が出来たかもしれない。

 足元にじゃれ付いてくるヒルダを抱え上げ、俺はもう一度ピノッキオのことを考えた。


 相変わらず訳の分からない頭痛が頭を支配していた。
 
 




[17050] 第28話 接敵の日 【ついでに彼らのこと】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/16 10:42
 昼食を終えて、コーエンが残したメモに載っていた住宅の聞き込みをしていた。
 するとちょうどその家の前で、バスケットを持ったまま立ち尽くしている少女を見つけた。これは絶好のカモと見た私は声を掛けてみることにした。
「ねえ、貴方はこの家の子?」
 驚いた少女が一歩身を引いた。私はこれ以上警戒されぬよう出来るだけ笑顔を取り繕って彼女に続ける。
「それともこの家にお使い?」
 少女がこくりと頷いた。私は尻ポケットに収めていた盗聴器を手に取る。
「へえ、偉いね。ところでさ、マッシーモという人を探しているんだけどこの住所はここであっているよね」
 少女に調べた住所のメモを見せ、口から出任せの名を言ってカマを駆けてみた。
 これで恐らくこの家に住んでいる人間の正しい名が割れる。
「住所はここであってるけど……この人は知らない」
「じゃあ誰が住んでるの?」
「ピーノ」
 ビンゴ、と内心手を叩いた。
 私は女の子に礼を一つ告げて彼女の肩に手を置く。ちょうどフードで隠れるように盗聴器を仕掛けた。これで彼女がこの家を訪ねるものなら詳しい内情が探れるはずだ。
「わかったわ。いろいろありがとう」
 女の子に手を振って私はヒルシャーさんの待機する宿屋で小走りで向かった。










 笑顔で去っていた女の人はとても美人だった。
 ああいう人を見るたび、美人は人生得していると思う。

「私もあんな風に美人なら、少しはピーノに相手してもらえるのかな」








「ヒルシャーさん、やっぱりあの家は怪しそうです」
 望遠鏡で家の様子を伺っているヒルシャーさんがこちらに振り返る。
「誰が住んでいるのかわかったか?」
「近所の子と思われる女の子はピーノと呼んでいました。どうやらあの家に用があるようなので盗聴器を仕掛けましたが」
「ピーノ……わかりやすい名前だな」
 コーエンが調査していた男の名前は「ピノッキオ」 なる程、「ピーノ」とはとてもわかりやすい。
「いよいよ二人じゃ厳しくなってきたな……。フィレンツェ支部の応援は数時間かかるぞ」
「早く決めないと女の子が危険では?」
 自分で盗聴器を仕掛けておきながら随分な言い草だが、それでも心配しないよりはマシだと思う。
 私は早い突入を提案したがヒルシャーさんに却下された。
「中に何人いるかまだわからないんだ。もう少し様子を見よう」








 アウローラは意を決してピーノの自宅に入り込んだ。
 知らない女性に話しかけられて不安になっていたのと、引越しする前にぜひもう一度話しておきたいという乙女心からだった。
 玄関の鍵は開いていて、容易に中に進むことが出来たが辺りを見回しても人影らしきものは見当たらなかった。
「ピーノ?」
 名前を呼んでも返事はない。
 ふと玄関から入って左手を見ると、ドアの隙間から地下に続いているらしい階段が見えた。
 もしかしたら下にいるのかもしれないと、アウローラは恐る恐る階段を下っていった。
 
 
 予想通り地下室はあった。けれどもピーノの姿は見えない。
 少しがっかりしたアウローラは手にしていたバスケットをテーブルの上に置いて辺りを見渡した。すると同じテーブルの上でそれを見つけた。
「鉄砲?」
 手に取ってみると黒光りするそれはとても重たくて、玩具には見えなかった。
 何だか怖くなったアウローラは慌ててそれを元の場所に置こうとするが、その動きを遮るように怒鳴り声が聞こえた。





 少女の殺し屋の噂は前から聞いていた。
 だからふと地下室を覗き込んでその姿を見たとき、フランカは銃を構えこう叫んでいた。
「銃を下に置け! 噂の公社の殺し屋か!?」




 
 咄嗟に怒鳴られてアウローラは体が固まった。
 そして金髪の女の人が自分に向けている銃を見て思わず悲鳴を上げた。
 その間が命取りだった。
 背後から伸びてきた大きな腕が彼女の右手を掴んだかと思うと、そのまま捻られる。痛みで銃を取り落とし、彼女は地面へ打ち付けられた。横目で何事か、と状況を伺うと見知らぬ男が自分を締め上げていた。
「こいつは誰だ?」
 男が女に問う。女が知らないと答えている間にもアウローラは出来る限りの抵抗を見せた。だが如何せん子供の腕力では到底適わなかった。
「いや! 話して!」
 アウローラは混乱していた。ピーノにパイを届けに来ただけなのに、何時の間にか見知らぬ男女に拘束されて床に転がされてしまっているのだ。
 遂には泣き出してしまい、今度はその場にいた男女が困惑し始めた。
「これが公社の殺し屋か?」
「わからないわ。今はとにかく縛っておきましょう」
 男がアウローラの着ていたパーカーを剥ぎ取り、そのまま腕を縛り上げた。女がポケットからハンカチを取り出すと、近くに転がっていたロープを使って猿轡代わりにする。
「んー! んー!」
 少女が声にならない叫びで助けを求めた。
 男が床に転がったスコーピオンを拾い上げ、女が少女の持ってきたバスケットの中身を覗く。
 そんな時、少女の救世主と言うべき声が階段のほうから聞こえた。
「何をしているんだ」
 アウローラは表を上げ、その声の主に縋るように呻いた。男女が振り返り男の名を呼ぶ。

「どうして僕の言うことを聞かなかったんだ? アウローラ」

 しかし彼は非難染みた視線を向けただけで、一向に助けようとする素振りを見せなかった。




 


「どういうことピノッキオ? 説明しなさい」
「ただの近所の子さ」
 縛り上げたアウローラを覗き込みながら僕は答える。フードを少し捲ってやると、原作と同じで盗聴器が仕掛けられていた。
 これで半ば僕の目論見は成功したことになる。
 もちろんフランカフランコに気づかれぬよう、そっと裾を戻した。
「幸いかどうかわからないけれど公社の殺し屋じゃないのね」
 問題はここからだ。恐らくフランカはこのままアウローラをどう扱うのか問うてくるだろう。原作で僕は殺すと答え、盗聴しているトリエラを煽る形になっていた。
 結果的にはフランカの反対で何もしないのだけれど、少なくともこの会話がトリエラ襲撃イベントの発動キーになっていることは間違いない。
 そして原作通り、フランカはアウローラの処遇について話し出した。
「で、この子は如何するの?」
 これは選択のときだと思う。確かにこのまま殺すといえば、僕の信情である原作再現を達成できるだろう。始めは少なからずトリエラ襲撃イベントに怯えていたものの、公社側の人間に会ってみたいという欲望も無視できないし、何より原作を見ていればこの時点でトリエラに負けるはずがなかった。
 盗聴器の向こう側でトリエラが息を呑んだような錯覚を覚える。
 彼女は全てを聞いているのだ。
「顔を見られたから殺す。それだけだ」
 ナイフを抜き、アウローラの首元に押し付けた。これで後戻りは出来なくなる。
 フランカが殺すのはやりすぎだと言って、僕の意見を否定する。
 
 出会いのときは着々とカウントダウンが刻まれていた。









 突入は半ば強行に主張した。
 最後のほうは雑音が酷くて会話がよく聞き取れなかったけど、女の子が捕まってしまったことだけははっきりしている。
 私が突入を頑なに提案した理由は二つ。
 一つ目はやはりこちらの都合で利用した女の子の安全を必ず確保したかったこと。
 そして二つ目は……
「トリエラ、どこか側面の窓から入って暖炉のある部屋を目指せ」
 煙突から煙が出ているのを見てヒルシャーさんがそう指示する。恐らく証拠の隠滅でも図っているのだろう。
「僕は女の子を捜す」
 ヒルシャーさんと別れ、裏手の窓に回った。中を注意深く覗くが人影はない。

 そのまま中に踏み込んで、一つ息を吐く。
 ブリジットは気づいていないようだけれど、彼女が現場でよくやる癖だ。
 最近私の中は彼女の影が支配している。

「……行こう」
 私が突入を提案した二つ目の理由はこれだ。
 私は彼女ならこの場合どう行動するかを考え、その通りに振舞ってみたのだ。
 先程の彼女からの電話のお陰だと思う。

 私は遠くで年少の子達の面倒を見ているであろう彼女を思い、目的の部屋を目指した。









 証拠の書類やCDROMを燃やす火を、僕は眺めていた。
 もう後数分もしないうちにここへトリエラがやってくるだろう。けれども不思議と緊張というものが湧かなかった。
 暖炉を操作するフランコは「フランカに従うのが俺の流儀」だと話していた。
 僕はタバコを咥え、何かがここへ近づいてくる気配を感じていた。その時は近い。
「動くな! パダーニャ!」
 この震えは歓喜かそれとも恐れなのか。
 待ちに待った声が聞こえたとき、僕は思わず笑みが零れそうになった。ナイフを構え、その姿を見定めたとき彼女の凛々しさと美しさに驚嘆した。
 ウィンチェスターの銃口がこちらへ向けられ、トリエラが武器を捨てろと吼える。
 僕はナイフを少し離れた床に突き刺し、ことの成り行きを楽しもうと思った。







 武器を捨てさせ、次は床に伏せろ、と命令したとき若い方の男が動いた。
 一段高いところにいる私から死角になるように、壁に向かって走ったのだ。床に刺さっていたナイフを掬い上げる男に、私はウィンチェスターを向けるが、壁の角に阻まれて射角が足りなかった。
 男がナイフを投擲する。咄嗟にウィンチェスターでガードするが更なる男の接近を許してしまった。
「先に逃げろ、後から行く!」
 もう一人の男が背中を見せたので慌ててそちらを見やるが、ナイフ男の所為でそれは適わない。
 彼は私のウィンチェスターを蹴り上げ、ナイフを突き出してきた。
「くそ!」
 何とかそれをかわし、私も拳銃を構え応戦しようとした。短剣を抜く暇がないと判断してのことだったが、しかしこれは致命的なミスだった。

 早い!

 男が瞬きをする間もなく懐へ飛び込んでくる。銃の完全な死角だ。
 私はノーガードもいい所だった。

 でもその様子を確認したとき、冷静になった頭で先程の電話が思い出された。


 ブリジットは何と言っていた?


 前へ前へ、と向かっていた体が自然と後退する。そしてブリジットが言ったとおり私は出来る限り大股で体を引いた。
 ちょうど鼻っ面の先を男の掌低が通過していく。
「!?」

 初めて男の顔が驚愕に歪んだ。
 ざまあ見ろと、私は笑みを浮かべていた。







 
 



[17050] 第29話 敗北の日 【互いにまだ見えない】 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/16 11:53
 必殺を狙って放った掌底は見事に宙を掠めた。咄嗟に身を引いたのだろう。何時の間にか僕から距離をとっていたトリエラが笑っていた。
「…………!」
 何だこれは、と息を吐く。何かとてつもない違和感がふつふつとこのトリエラから湧いて出てきた。確かに彼女との対戦は初めてだ。だが、原作の彼女を知っている身としてはこの違和感は見逃せない。
「誰だお前は?」
 トリエラは俺の質問の意味を理解していない。おそらく挑発か陽動と取ったのだろう。彼女は答えることなく短剣を抜き放ち、跳躍の構えを見せてきた。
 僕も大型のナイフを構え、彼女の挙動を注視する。
 
 始めに飛んだのはトリエラだった。





 
 
 短剣の斬撃はピノッキオの頚動脈を狙っていた。横薙ぎの黒い一閃が宙に光る。ピノッキオは頭を伏せそれをかわす。
 そしてカウンターに袖の隠しナイフを投げた。
 虚を突かれたのはトリエラだ。ナイフは咄嗟に突き出した手の甲に刺さり、赤い血糊をばら撒いた。握力が弱まり短剣が抜ける。ピノッキオがそれを蹴り飛ばしトリエラから武器を奪った。
「くっ」
 武装解除されてもなお、トリエラはピノッキオに向かっていく。
 彼女の拳がピノッキオの肩口を捉えた。
 




 鈍い、骨が砕けた音がしてピノッキオはナイフを取り落とした。だがまだ戦意は失っていない。
 彼はそのまま体を捻ってトリエラの側頭部目掛けてハイキックを繰り出した。
 未だに拳を放っていたトリエラにそれをかわす術はない。







 激しい打撃音が響き、少女の小さな体が飛んだ。硬い木の床で数度バウンドして壁にぶち当たる。
「あ……ぐっ」
 気絶したトリエラを見下ろしピノッキオは安堵の息を漏らした。折れた腕は動かしようがないが、辛くも勝利は掴めたようだ。
「くそ、完全に舐めていた……」
 まさかここまでやられるとは思わなかった。それどころかあの掌底さえ決まっていれば原作より早い幕切れを迎えることが出来たはずだ。
「僕が弱くなっているのか、こいつが強くなっているのか……」
 気絶したトリエラの脈を取って、生きているかどうか確認を取る。激しい運動の所為で若干乱れているが、命に別状はなさそうだ。
 ピノッキオは護身用にと用意していた銃を取り出すとそれをトリエラに向けた。
「仮にここでトリエラを射殺すると僕がリベンジを受けて殺されることはないのかな」
 それは以前からずっと考えていた問題でもある。
 ピノッキオ自身はこのまま原作通りに殺されることは吝かでないと考えている。その考えは原作に出来るだけ沿うように生きてきた彼にとって、至極当然のことだった。
まあ、トリエラが突入してくるように振舞ったことについて好奇心の所為ではないと百パーセント言い切ることは出来ないが。
「でも、何だろう。この違和感は」
 それは彼女が突入してきてからずっと感じていたものだ。
 見た目はトリエラ。戦い方も多分トリエラだ。
 だがあの時見せたトリエラの笑み。
 掌底をかわした時のしてやったりの笑み……。
 たった一つの表情なのにどうしても頭から離れることがない。今でも網膜に焼き付いている感じがして、何とか振り払おうとする。
「もしかして……ズレが出ているのか?」
 それは以前から危惧していたことだった。自分ではピノッキオを出来るだけ完璧に演じているつもりでも、何処か意識していないところで別の行動を取ってしまっていたとしたら。
 そうなれば例え無視できる範囲で起こした行動も、いずれ何処かで大きな波となって押し押せてくる可能性がある。それはピノッキオの破滅を意味していた。
 




 地下室で銃声が一つ木霊する。ピノッキオはそのまま拳銃をポケットに収め、フランコに合流するべくガレージに向かった。
 今の行動は迂闊だとは思う。筋書きとのズレを反省したばかりなのにまた原作と違った行動を取ってしまった。けれどもこの漠然とした胸の不安を打ち消すにはそうするしかなかった。
 彼は焦っていた。









 やけに静かだ。
 何か一つ大きな物音がしたが、それから何も動きはない。
 
 フランカは警察と思われる男に背後から銃を突きつけられそんなことを考えていた。

「本当に今日は千客万来ね。死体が呼び寄せたのかしら」
「銃を渡してもらおうか」
 男が手を伸ばす。フランカは手にしていたグロックを差し出した。
「仲間は取り押さえたぞ」
「あら、私の仲間は私服の手に負えないわ」
 行動は一瞬だった。フランカは差し出していた手の平を返し、銃を床に落とす。そして警官の目線がそちらにいった隙に肘へ手刀を放った。
「待て!」
 警官の持っていた銃が暴発し、床へ穴を開ける。フランカは一気に駆け出し、廊下の角に飛び込んだ。
 足首に括り付けていた予備の拳銃を取り出すと、向こう側からスコーピオンを持ったフランコが走ってきた。
「怪我はないか」
「私は無事よ」
 フランコは壁越しにスコーピオンを放った。たまらず警官が近場の部屋に飛び込んだのを見逃さない。
「ガレージに行け。ピノッキオが待っている」
 ポケットから出した携帯電話を操作しタイマーをセットした。それを部屋に投げ込んでやる。お手製の携帯爆弾は小火力だがボディアーマーを着ていない人体に対しては非常に有効だ。




 爆発音を背後に、フランカフランコはガレージへ急いだ。







               ●







 訓練を終え、エルザと二人してヒルダを弄っていたらアルフォドが血相を変えてこちらに走ってきた。隣にはエルザの担当官であるラウーロもいる。
「ブリジット、緊急だ」
 内容は言われなくてもわかっている。どうせトリエラがピノッキオに敗北したことだろう。俺は何食わぬ顔で何があったのか問う。すると、アルフォドから聞かされた返事は俺の全く予期していないことだった。
「トリエラが意識不明でフィレンツェ支部の病院に運ばれた。今から向かうぞ」
 

 言葉が出ないとはこういうことを言うのだろう。俺は何が起こったのかわからないまま、アルフォドに腕を引かれていた。エルザもラウーロと共に俺たちフラテッロの後ろをついてくる。
 よほど酷い顔をしていたのはエルザが心配そうに俺の袖を掴んだ。


 いつかの頭痛の所為で、息が苦しかった。







 



[17050] 第30話 少し昔の日 【ついでに二人のこと】 上 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/07/17 22:07
 とても頭が痛い。多分踵で思い切り蹴られたからだと思う。
 意識はある。
 でも目を覚ますのは億劫だった。出来ることならこのまま眠っていたい。
 そんなことを考えていると、ブリジットが私を呼んでいるような気がした。
 夢の中でも出てくるのだから、相当私は彼女のことを意識していたのだろう。










 それはしとしとと雨が降る日だった。
 初めて彼女と出会ったとき、あの子は雨と甘いお菓子の匂いがした。




 
「初めまして、私がトリエラ。この子はクラエス」
 私と同時期に義体化されたらしいけど、このブリジットとかいう子は最近になって――半年程経ってから私たちと合流した。黒い髪が綺麗な少し長身の女の子で、余り活発そうな印象を持たなかった。
「はじめまして……ブリジットです」
 何をそんなに怖がっているの? と問いたくなったが、ここにいる女の子は何かしら問題を抱えている場合が多いのでぐっと堪えた。かくいう私自身もはじめは酷く萎縮していたらしいので、こういうものかと考えることにした。
「部屋は私たちと同じ。ベッドは二段ベッドが一つ、シングルが一つね。ブリジットは何処がいい?」
 クラエスは部屋を案内しながらブリジットの様子を伺っている。彼女も彼女なりに打ち解けようとしているみたいだ。
「空いているところなら何処でも……」
 でもブリジットがあまりにも消極的過ぎるのでこればかりはどうしようもない。
 クラエスも彼女との距離を掴みかねているのか、しどろもどろとしていた。



 結局その日はブリジットが疲れて眠ってしまったので、特に会話を交えることもなかった。








 次の日は私とブリジットで訓練を行うことになった。クラエスはお留守番だ。
 二人して教練所に向かい担当官に銃の手ほどきを受ける。
 私自身はこれがどうにも苦手で、愛用している古いウィンチェスターも使いこなせているとは言い難い。かと言って他の銃が得意というわけでもなかったので、今はウィンチェスターの訓練をひたすらこなしていた。
 ブリジットも担当官のアルフォドという人から銃を受け取っている。
 ただ不思議に感じたのは彼女が担当官に媚びていないというか、殆ど笑顔を見せていない点だった。私も笑顔が苦手なので、ヒルシャーさんによく笑いかけるわけじゃないけど、それでもあそこまで淡白に接している義体の子は初めてだ。
「良いか? これがセーフティ。安全装置だ。これが掛かっている間は発砲できない。よしそうだ。そうやって外すんだ。今度は一度だけ引き金を引いてごらん」
 セーフティが外されたSIGが的に向けられる。ブリジットの強張った指が引き金を引いた。すると降りていた劇鉄が上がって発砲可能状態になった。
「これがダブルアクションだ。スライドを引いて劇鉄を上げなくても発砲出来るようになる。次は弾が出る。ゆっくり撃ってみなさい」
 ブリジットが構える。
 その様子はいかにも戦々恐々といった感じで、とても実戦がこなせるようなレベルじゃなかった。
 

 この日、彼女が撃った銃は十五発。命中弾はゼロだった。









 訓練が終わって部屋に戻るとクラエスが待っていた。彼女は小さなダンボールを抱えていて、ブリジットの私物だと言った。
「これだけしかないの? そりゃあ私たちも持っている方じゃないけど、でも少なすぎない? 着替えは?」
「病院のガウンなら沢山あの子の鞄に入っていたわ。あの子の担当官はどういうつもりなのかしらね」
 まあ確かにこれは酷いと思う。私たちは給料の代わりに、身の回りのものを揃えるためのお金が担当官に振り込まれている。ブリジットも例外で無いはずだから何かしら服や小物は買って貰えるはずなのだ。
「でもまあ、担当官の人は意地悪そうな感じじゃなかったから多分ブリジットが何も言わなくて困っているのね」
 ありゃ、と私は首を傾げる。自分で非難しておきながらブリジットの担当官のことを擁護するクラエスを見て訳がわからなくなった。
「さっきまで来てたのよ。あの子のことを宜しくって」
「普通にいい人じゃないの」
 クラエスからダンボールを受け取り、私はベッドに腰掛けた。持ってみた感じ、中身はそれ程入っていない。
「これすらも入っていないのか」
 ダンボールをブリジットのベッド――二段ベッドの下に置いて、自分は上のベッドに転がった。熊の縫いぐるみを枕元に置いて天井を見上げる。
「これからどうするんだろ?」
 呟きにクラエスは答えなかった。






 シャワーを浴びたブリジットが当たり前のように病院着を着ようとしたので、無理やり私のパジャマを押し付けた。いい迷惑かもしれないけど、彼女の味方であることをアピールしたかったのだ。
 ブリジットは私の好意自体は察しているのだろうけど、それでも戦々恐々としていて下着姿のまま中々服を着ようとしない。業を煮やしたクラエスが無理矢理上着をブリジットに被せた。
「や、やめて……」
 あたふたと逃げ回る黒髪の四肢を押さえて、ボタンを閉めてやろうとした。起伏に富んだ白い肌が目に映えてとても綺麗だった。
 だけど。
「あれ、これって……」
 僅かに上下する腹を、縦横無尽に駆ける盛り上がった線。それが手術の縫い目だと気が付いた時、私は何か悪いものを見てしまったような気がして、思わず目を背けた。
「まだ……しっかりと定着していないから」
 ブリジットがゆっくりと起き上がり、着せられたパジャマを脱ぐ。そしてベッドに捨てられた病院着を羽織るとそのまま寝てしまった。
「やってしまったわね」
 気まずさから身動きが取れなくなってしまった私の肩に、クラエスが手を置いた。
 少しでも距離を縮めようと頑張ってみたのに、初日の成果は何も無く、逆に彼女と間を空けてしまった。
 身動き一つしないベッドの盛り上がりを見て、私とクラエスはそれぞれ眠りにつくことにした。










 それから暫くして格闘訓練の日がやって来た。ブリジットの手術跡が消え、皮膚が定着したと判断された為だ。組み合わせはある意味予想通りというか、作為的というか私と彼女がペアになる事が決まった。Tシャツに短パンを着込み、二人して砂地の訓練場に並ぶ。
「二人とも基本の動作は習っているな。今日はそれを活かして一対一形式で訓練を行う。ただし眼球等弱点への打撃は禁止だ。注意してくれ」
 アルフォドさんの説明を聞いて、組み手を始める。最初はどちらかがゆっくりと攻撃を仕掛けて、それをガード、或いはいなすといった動きを行った。そして徐々に動きを早め実戦形式に近づけていく。
 
私の蹴りがブリジットの胸元へ直撃し、ブリジットが吹き飛んだ。
防ぎきれなかった打撃の威力の所為か、呻き声を上げるブリジットは一向に起き上がってこない。アルフォドさんが駆け寄ってきて、ブリジットを抱き起こす。
「息は出来るか?」
 彼女は「はっ、はっ」と断続的に息を吐くことで答えた。アルフォドさんがブリジットのTシャツを捲り上げると、胸元に大きな紫の痣があった。
「折れたか?」
 ブリジットは首を横に振る。大丈夫です、とアルフォドさんを杖にして立ち上がった。彼女が再び拳を構えたのでアルフォドさんが慌てて訓練再開の合図を送る。
 彼女が決して早くない動きで向かってきた。
 ブリジットには悪いけど、こんな動きじゃまず負ける筈が無い。




 私が彼女を地面とキスさせること七回目。


 ついにドクターストップが掛かって訓練が終了する。私の手と顔にはブリジットの吐いた血がこびりついており、同じように付着した汗からは甘い匂いがした。
 



黒髪の女の子はまだ心を開いてくれない。

 
 



[17050] 第31話 少し昔の日 【ついでに二人のこと】 下 
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/02 23:14
 最初はぎこちなかったブリジットの動きは大分改善された。格闘も一般人を圧倒できるくらいの技量を手に入れていたし、射撃に至ってはプロの軍人も顔負けするほどの腕になっていた。
 ヒルシャーさんやアルフォドさんは才能だと驚いていた。
 私も的を正確に射抜き続ける彼女に見蕩れる事が多くなっていた。

 思えばこのときから私の中で彼女に対する親愛と嫉妬が芽生え始めていたように思う。








 出会った頃よりかは少しでも心を開いてくれたのか、ブリジットは私とクラエスの二人と行動することが増えていた。「他に頼れる人間がいないから、」という消極的な考えで彼女が私たちに近づいていたとしても、大きな進歩には変わりなかった。
「ねえブリジット。今日はいつにも増して小食だね」
 ここは食堂。私たち三人は午後の訓練を終えて、ちょっと早い夕食を取っていた。私はバジルソースのパスタ。クラエスはカジキのソテー、ブリジットはいつものようにトマトピザだ。
 ブリジットは手にしていた切り分けられたピザをトレーに戻すと、困ったように笑って見せた。
「明日、私の初実戦があるんだ。緊張しているわけではないんだけど、どうしても意識しちゃって……」
 私とクラエスは二人して顔を見合わせた。二人ともブリジットに返す答えを咄嗟に用意することが出来なかったのだ。
 ブリジットは続ける。
「人を殺すのだからもっとドキドキしたり、怖がらなくちゃいけないのに、今の私は任務の成否を心配してもその他のことは何も心配していないんだ。これって何かおかしいのかな」
 彼女の疑問は尤もだと思う。義体化される前なら人並みの倫理観や同属保護の拒否反応によって人を殺すことを恐れたり、疑問に感じたりするものだが、今の私たちにあるのは担当官――強いて公社の命令に従うことだけだ。そこには倫理も何もない。盲愛と敵に対する憎しみだけがある。
 だが目の前の少女、ブリジットはどうなのだろう。
 彼女は――私はともかく、他の義体の子たちに比べて随分と担当官に対する愛が希薄だ。一応敬愛はしているのだろうが、やはり薄い。
 憎しみに関しても、彼女の場合消された記憶が深すぎるらしく、私たちのように生前の断片のような夢を見ないらしい。
 これではテロリストに対する憎悪を糧に戦い続けることは出来ないだろう。
 私は目の前の、如何考えても先が続きそうにない彼女に同情した。
 目的も使命もないのに人を殺し続けるということは、何物にも変えがたい地獄のように思われたからだ。

 ブリジットが再びトマトピザを咥えて席を立つ。
 私とクラエスは、髪を左右に揺らしながら食堂を出て行くブリジットを静かに見つめていた。









 目覚めるのが辛い。
 私の名を呼ぶのはブリジットだ。
 私は彼女に会いたくなかった。
 私の中で渦巻く変な気持ちの所為で彼女が怖い。










 明日は望まなくてもやってくる。


 ブリジットの初実戦の日、私はバックアップに回っていた。
 彼女が乗り込んだ麻薬密輸の取引場から少し離れた駐車場で私は待機を続ける。夜風に乗って断続的な銃声と悲鳴が耳に届いた。
 暫くの無音の後、重なった銃声が夜を切り裂く。


 周りにいた担当官たちがざわつき始めたのはその直後だった。ブリジットが持っている筈のインカムから応答が無くなったのだ。インカム自体が壊れたのか、それともブリジットが戦闘不能になったのか。
 ブリジットの担当官であるアルフォドさんはブリジットの救出を要求するが、詳細な戦闘データを取りたがるジャンさんたちは反対した。変わりに同じ義体である私の応援が命令された。
 ヒルシャーさんからウィンチェスターとSIGを受け取り、最後に銃声がした方向へ進む。すると少し位置のズレたところで再び銃声がした。ブリジットはまだ戦闘を続けているようだ。
 私の耳元でインカムが通信を受け取る。声はアルフォドさんだ。
「トリエラ、彼女はまだ無事だ。早く連れ戻してくれ」
 アルフォドさんの台詞の意味が分からなかった。早く助けてくれならまだしも連れ戻せとは命令違反ギリギリの要請だ。撤退の許可は出ていない。
 でも――、
「君しか頼めないんだ。頼む」
 彼の怯えた声からもうなりふり構っていられないということだけは伺えた。私は歩速を早め、積み上げられたコンテナを飛び越し現場へ近づく。
 そして最初の銃声が下であろう積荷の隙間に飛び降りた。


 そこで私は自分たちがしてきたことの意味を知ることになる。

 




人を殺すのだからもっとドキドキしたり、怖がらなくちゃいけないのに、今の私は任務の成否を心配してもその他のことは何も心配していないんだ。これって何かおかしいのかな。





ブリジットは食堂でそんなことを言っていた。あの時は何も返せなかったけど、今なら確かに彼女へ答えを告げられる。
私はぬめりをもった水溜りに立ち尽くしながら、こう吐き捨てた。
「ブリジット、君は確かにおかしいよ。狂ってる。やり過ぎだ」
 むせ返るような血の臭いに吐き気を覚えながら、ウィンチェスターに括り付けられたフラッシュライトを点灯させた。後悔することは分かっていたけど、でもこうせずにはいられなかった。
 出来れば彼女の凶行が幻であることを願って。
 しかしながら、そんな淡い期待はコンテナに広がった真っ赤な花で粉々に打ち砕かれた。




 目の前に広がるのは胴体をバラバラに寸断された男の死体。一人分にしては量が多かったので頭を数えてみれば三人分あった。どれも下顎を引き剥がされ、地面に上顎の歯が食い込んでいた。
 誰の仕業か考えるまでもない。
 私は悪夢を振り払うように頭を振ると、血の跡が続く狭いコンテナの隙間を縫うようにしてブリジットを追った。



 
彼女はあっさりと見つかる。あれだけの返り血を浴びたのだ。赤い足跡を辿れば直ぐだった。
ブリジットは追い詰めた男の死体の前で座り込んでいた。こちらの男はバラバラにされておらず、よく見なければ銃創を探すのも困難だった。
ブリジットが振り返る。頬が血で濡れていた。だがそれは見覚えのある、私の拳によく付着していた彼女の匂いがした。
「撃たれたの!?」
 駆け寄る私にブリジットがもたれ掛る。黒くなった彼女の服を巻くり上げると、腹に穴が開いていた。
 脂汗を掻いた顔でブリジットが口を開いた。
「俺さ、一人殺しても怖くならないから二人目を殺したんだ。その時そこの死んでる奴は逃げ出した。残った三人目は足を撃って動けなくしたよ。そして一人目と二人目の死体をバラバラにしたんだ。少しは罪悪感が湧くかと思ったけど全くだった。だから三人目をバラバラにした。生きたまま手足を穴だらけにしてナイフで少しずつ。それでも何も感じないんだぜ? だから最後の奴は生かさず殺さず追い掛け回した。するとどうだ、罪悪感より嗜虐心が湧いたんだよ。倫理観は頭で理解していても、初めて沸いた殺人の感情が攻撃の本能だったんだ。馬鹿みたいだろ?」
 ブリジットの顔が月明かりに照らされて白く光る。私は彼女の二つの胡乱な瞳を覗き込んだ。涙で滲み、闇が支配するその目の色は、私が初めて見る彼女の感情らしい感情だった。
 私は強く強く彼女を抱きしめて救援の報を本部に送った。
 密輸犯は全員死んだこと、ブリジットが負傷したこと。そして私が保護したこと。
「ゴメンね、トリエラ」
 ブリジットの細い指が私の頬を撫でた。彼女の荒い息に混じって口の端から血が流れている。
 私が「大丈夫だよ、」とブリジットに語りかけたとき、彼女は深い眠りについた。













 ブリジットが病室で目を覚ましたとき、私は枕元にいた。
 様子をよく理解していないブリジットの髪を取って、そっと頭を撫でる。
「トリエラ?」
 彼女が私を見上げる。私は起き上がろうとする彼女を制すると、彼女の頭を抱え上げてベッドに登った私の膝の上に置いた。
「もう大丈夫だよ。ブリジット」
 私を見つめる二つの瞳がいつかの時みたいに涙で濡れる。彼女はひくっ、と一つ声を鳴らすとそのまま声を上げて泣いた。手の平で顔を隠し、ぽろぽろ零れる涙を拭いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私殺しちゃった。私殺したのにぜんぜん怖くない」
 あの夜、初めてブリジットの感情を覗き込んだとき、私はこうなることに薄々気がついていたように思う。そして望んでいた。ブリジットは誰かと触れ合いたがっていたのだ。でも彼女の周りには私には見えない、私たちとは決定的に違う壁があって、同じ世界を生きている人には感じられなかったのだろう。
それは意味もなく人を殺すことをより遥かに地獄でおぞましいことだ。
 けれど。
 ブリジットはあの夜からこちら側に足を踏み入れたのだ。
 ブリジットは何も感じないということが怖いと言うけど、何も感じなくて良かったのだ。
 ここで変に罪悪感を知ってしまうと、彼女は永遠に一人ぼっちだったに違いない。
 あの時と違って、私は起き上がったブリジットをそっと抱きしめた。やがて、彼女が震えながらも抱きしめ返してくれたとき、私はやっとこの黒髪の女の子と心が通じ合えたことを実感した。




 
 
 今だから告白しよう。
 私はブリジットのことが大好きで、そして大嫌いだ。
 愛とも恋とも違った愛情が私の中で彼女に向けられているし、
 彼女の持つ才能に対する嫉妬も羨望も抱いている。

 それでも。

 私は彼女の良き友人でもあるし、良きライバルでいたいと思っている。
 


 もし私が彼女とのこれからを望むなら、眠り続ける私に呼びかけを続けるブリジットの声に答えねばならない。
 


 私が手を伸ばした先、ブリジットの頬があった。
 その頬は決して血で濡れているわけではなく、また涙で濡れているわけでもない。
 彼女が私の手を握り返したとき、こう心の中で思った。



 先ずはエルザからブリジットを少しでも取り返してみよう。



 目を開けた先、ブリジットの笑顔がある。私は痛む体を押して、そのまま彼女の首に抱きついた。
 ブリジットが背中に手を回してくれた感触に涙が出そうになった。








「トリエラは元気だったか?」
 無理を押して病院に泊まらせて貰っていた俺は、数日振りに公社へ戻っていた。アルフォドと二人してサロンでくつろいでいる。
「ええ。もう大丈夫そうでした。昏睡も神経の保護機能によるショックらしいですし」
「まあな。君たちはあれぐらいじゃ後遺症一つ残らないよ」
 アルフォドに貰ったケーキをフォークで切り崩しながら俺はトリエラのことを考えていた。それは今になって意識される、俺の中での彼女のウェイトだ。
「忘れていた筈なのに……」
 アルフォドが「ん?」と首を傾げるが俺は気がつかない振りをした。ベッドで眠るトリエラを見たとき、俺が思い出したのは初めて人を殺した後の目覚めの日だった。
 あれからいろいろあって今の俺がいるのだけれども、何はともはれきっかけはトリエラの抱擁だった。
 彼女の温かみを感じて、物語ではないこの世界を意識した瞬間が俺の人生の始まりなのだ。


 残されたケーキを口に放り込み、アルフォドさんに別れを告げると、俺は自分の居場所である自室に戻った。






 斜光が差し込む部屋ではクラエスが描いていたであろう絵が残されている。おぼろげに輪郭が残されたそれは写生ではなく、彼女の心の風景を描いたものなのだろうか。
 俺は自身のベッドに倒れこむと、まだ手の中に残っているトリエラの温もりを見つめた。
 どうせお互い先も長くないし、
 世間の人の誰にも知られないまま死んでいくのだろうけど、
 俺が戦い続け、そして元の物語に抗う理由はこの手の中にあったのだ。




 義体で、しかもいろんな意味で監視の目がきつい俺に出来ることは少ない。
 それでもこの命に代えてでも、俺はトリエラに幸せになって欲しかった。
 あの日の夜、死体の前で絶望していた俺を助けにきたヒーローは彼女だった。

 
 


ベッドの脇からブリジットはこの前までトリエラが使っていた櫛を拾い上げた。
「私がいない間は自分で手入れするかクラエスにやって貰いなさい」と渡されたそれをブリジットはポケットにしまう。



 もし次に見舞うか、それが無理なら彼女が帰ったときにでも、互いに髪の手入れをしてみようかと思う彼女だった。
 




 
 



[17050] ガンスリ劇場3 シリアス好きにはオススメ出来ません 【ついでに一コマ劇場のようなもの】
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/03 16:32
 ガンスリ一コマ劇場


「ねえねえ、トリエラ! 『マロン アンド スカーラル』を日本語で言ってみてよ!」
「ブリジット、ここがイタリア語圏であること忘れてない?」



 ガンスリ一コマ劇場2


「ねえ、ブリジット。最近物陰から殺意的な視線を感じるんだけど」
「疲れてるんだよ、トリエラ。……あれ? そう言えば最近エルザ何処に行ったんだろう?」



 ガンスリ一コマ劇場3


「クラエスが出す次の本はどんな感じ?」
「あらブリジットじゃない。興味があるの?」
「まあ怖いもの見たさと言うか何と言うか」
「そうね……最初はエルザ×ブリジットだったけど今はトリエラ×ブリジットかしら。あ、ピーノ×ブリジットでもいいかも」
「どうして私はいつも受けなの?」



 ガンスリ一コマ劇場4


「『あ、駄目っ。ピーノ! やめて! いや!』」
「『そうは言うけど、ブリジットの顔、とても可愛いよ』」
「『駄目! 駄目なの! 私にはアルフォドさんが!』」
「『あんなオヤジ、構うものか。安心しろよ。直ぐに忘れさせてやる』」
「『あんっ』」
「……って寝取られ本かいっ!」
「あらブリジット、不満なの?」
「いや、素で男にやられるのは気持ち悪い」
「ならトリエラ×ブリジット本も読む?」
「うわ、表紙からしてピンクのモザイクが掛かってるし」
「そう言いながらも読むのね……」
「うわー、トリエラのウィンチェスターが私のに……」

 

 ガンスリ一コマ劇場5(もはや一コマではない)


「ブリジット、今からカフェでお茶しない? 奢るわ」
「最近えらく羽振りがいいね、クラエス。お金あるの?」
「まあね。あなたのお陰よ。これも利益還元みたいなものだし」
「?」


「ラウーロさん、今回の出動分のお金を下さい」
「あ、ああ。別に構わんが最近はいつも引き出しにくるな」
「新作ラッシュで入用なんです。因みにお勧めはピーノ×お姉さま。汚れていくお姉さまが背徳感バリバリで夜も寝られません。逆に私×お姉さまは私の妄想が勝ってしまうのでアウトです」
「ヒルシャー、エルザの台詞をイタリア語役頼む」
「現実を見ろラウーロ。それはドイツ語ですらないよ」

 

 ガンスリ一コマ劇場6(もはや一コマではない)


「くそ! ピーノ×ブリジット本の所為で夜も寝られん! まあ寝られなくても寝取られるんだがな! はははははははっ」
「全然上手くないですよ。アルフォドさん……」
「うおっ、何しにきたんだブリジット。こんな夜更けに」
「いえ、今日はアルフォドさんの部屋で寝ていいですか……ってきゃっ! 痛いですアルフォドさん!」
「うわあああああん、現実の君はやっぱり俺の味方だっ!」
「おー、よしよし。大丈夫ですよー。私はあなたのパートナーですから(エルザクラエスから逃げて来たとは死んでも言えんな)」


「ブリジットを追っかけて来たら思わぬシーンに遭遇ね。Sブリジット×Mアルフォドさん……ゴクリ」





 ガンスリ劇場3 了




            ◆◆

 第三部あとがき


 気が付けば第三部終了。ブリジットと共にここまで描き続けられたのはこの作品を見に来て下さる読者の方と感想を残して下さる方々のおかげです。
 作品に対する質問ですが出来る限り本編で返答していこうというスタンスなので感想欄で返信できることは稀ですが、これからもお褒めの言葉、その他作品に対するアドバイスなど全てを糧にして頑張って行きたいと思います。


 
 敢えてこの場をお借りして申し上げるのならば直前の30話 31話の中の人は今のブリジットの人です。ヒルダではありません。描写不足で混乱させてしまったことをお詫びいたします。


 それでは次の四部あとがきでご挨拶できることを願って。
 

 








[17050] 第32話 ブリジットの日常な日 【ついでに第四部プロローグみたいなもの】  
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/04 23:09
 トリエラ曰く、俺の体は柔軟性に富んでいて格闘に向いた身体つきをしているそうだ。ただ柔軟性がありすぎて怪我の心配がない所為か、動きが随分と大振りらしい。
 アルフォドやヒルシャーにも同じ事を指摘されたので、一人で動きの修正をこなしていた。
 課題は最小ステップでどれだけ移動距離を稼ぐか、だ。
「あらよっと」
 壁を踏み台にして何もない空中に回し蹴りを食らわせる。そして相手の反撃が着地した俺の真上から来ることを予想して、腕の力だけで後ろへ飛んで見せた。
 前世ではまず出来なかった漫画みたいな動きが楽しくて、ここに慣れた後は毎日のように訓練をしていたものだ。
 いい汗をたっぷりと掻き、そろそろ上がってシャワーでも浴びるかと伸びをしていたら背後から声を掛けられた。
「こんなところで何をやってるの。ブリジット」
 振り返った先にはクラエスがいた。まあトリエラと彼女を含めた三人の寝室で暴れ回っていた訳だから、彼女がここに帰ってくるのは極自然である。
「訓練の自習? 熱心ね。でも部屋を壊さないでよ」
 そう言って彼女がプリッツスカートを脱ぎ始めた。黒いストッキングから足を抜いた為、白い足とショーツが見える。
 これでも中身が男な俺は思わず目線を逸らす。女の裸にはなれたつもりだけど、他人の裸はまだまだ駄目らしい。
「あなた変わってるのね。女同士じゃない」
「良いから早く服を着てよ。恥ずかしいから」
 クラエスがクローゼットを開けると中から作業用の繋ぎが出てきた。どうやら今から畑の方へ行くようだ。
「手伝おうか?」
「そうね。じゃあエルザを呼んできて。あの子の蒔いたハーブの世話をするから」
 合点承知と、タオルで首周りの汗を拭きながら俺は部屋から出て行く。行きしなに飴玉を数個ポケットにねじ込むのも忘れない。
まだ肌寒いけど、確かな春の日差しを感じながら寮の廊下をとことこと歩いていった。









エルザの部屋はまだ彼女一人しか使っていない。それでも家具や物は随分と増えた。俺の枕やら俺の着替えやら、俺のお菓子やら。
「……何か物置みたいだな」
 それでもエルザは遠慮なく置いていって良いと言ってくれるので、俺はそれに甘えている。彼女は意外と家事が出来て、俺が脱ぎ捨てて行ったパジャマなどを翌日までにはきちんと洗濯してくれているのだ。
「いらっしゃい、ブリジット」
 エルザはベッドに腰掛けながら本を読んでいた。何の本かと覗き込んでみれば、これまた皮肉なことに『ピノッキオの冒険』だった。
「そこ、ヒルダ」
 意外なタイトルに頭を掻いていた俺の手を引っ張ってエルザが言う。彼女が指差した先にはヒルダが丸まって眠っていた。
 最近飼い始めた黒猫はエルザによく懐いていて、目を離すと直ぐに彼女の元へ行こうとする。
「おーい、ヒルダー。今からご主人様とご主人様その二は外へ行くけど君はどうするー?」
 ヒルダが尻尾を揺らして欠伸をした。どうやら俺はここで寝ているから好きにしろ、と言いたいらしい。
「誰に似てこんな怠け者に……」
「多分あなたよ」
 上着を羽織ながらエルザが笑った。直接彼女に言わなくとも、今の台詞で俺がここに来た理由が分かったらしい。
「そうかなー」
「そうよ」
 エルザと二人してクラエスの待つ畑に向かう。陽気な午後の空気に当てられて欠伸を一つしたら、エルザに「やっぱり似ている」と笑われた。
 それはそれでいいかもしれないと思えるあたり、最近は充実しているのかもしれない。









 夕食までは射撃訓練に当てられた。
 アルフォドの監督の下、新しい銃を何丁か試し撃ちしている。
「どうだ? アメリカの払い下げだがデルタフォースもパラミリも使っていた本物だ」
 俺が最後に撃ったのはそういう銃らしい。たしかソーコムなんちゃら。前の世界ではライトな軍オタもやっていたけど、流石に忘れ始めている。
「集弾は素晴らしいものがありますが、重量に若干の不満が残ります。咄嗟に抜いたらぶれるかもしれません」
「ふむ……。ならこれはどうだ?」
 次に出されたのはグロック。ただグロックはグロックでもフルオートの18だ。
「最初からフルオートの設定だからそのまま撃ちなさい」
 補助ストック無しで、手の握力だけで銃を支える。通常のマガジンより大分長いロングマガジンが扱いにくい。
 引き金を引くと思った以上の反動がやってきて、俺が狙った少し上に着弾した。それでも七割は当てたと思う。
「凄いな。プロの軍人でもそこまで集められんぞ」
 アルフォドの賞賛が条件付け云々抜きにして心地が良い。どうやらまだまだ射撃には自信を持っていいようだ。
「片付けは課のものに任せるからブリジットは先に帰ってシャワーを浴びなさい。浴びたら外行きの服を着て駐車場で待っててくれ。今日は外で食事しよう」
 チャンバーに弾丸が残っていないことを確認して、俺はシューティングレンジを出た。アルフォドが不意に髪を掴んだので、「きゃっ」と似合わない悲鳴を上げてしまった。
「火薬と汗の匂いがきついな……。すまない。無理をさせ過ぎたようだ」
 アルフォドが謝っているのは、銃の薬室から漏れる燃えカスの臭いが髪に移ったことだろう。確かに長い髪で長時間射撃を続けるとツンとした独特の匂いが暫く取れなくなる。
「よし、今日は食事の前に香水も買いに行こう。他に欲しいものはあるか?」
「いえ、特に」
 アルフォドから髪を取り上げ、腕に巻いていたゴムバンドでポニーテールに縛った。本当は射撃中に縛るべきなのだが、髪が引っ張られる感じがして俺は余り好きではない。
「じゃあ一時間後ぐらいを目安で」
 アルフォドに一礼して俺はシューティングレンジを出る。公社の庭を歩くと、火薬の臭いが夜風に流されてより目立っていた。







 
「で、買ってもらったの?」
 就寝前にトリエラと髪を梳きあっているとそんなことを言われた。彼女はベッドの上に置かれた香水を見ている。
「うん。トリエラも使っていいよ」
 トリエラが俺の髪を束ねてツインテールにした。枕元で本を読んでいたエルザの視線がやけに感じられる。ツインテールが好きなんだろうか。
「あら、可愛らしいじゃないの」
 シャワー上がりのクラエスも帰ってきて、いつものメンバーが揃ったような様子になった。そういえば最近はトリエラが入院したり、クラエスが検査に行ったりで全員揃う機会が少なかった。
「ブリジット、触ってもいい?」
 いつの間にか俺の背後に回ったエルザがそんなことを聞いてきた。別に良いと答えると彼女は恐る恐る俺の髪に指を通した。
「いつもこうやってのんびり出来ればいいのにね」
 消灯時間になってみんなが横になったとき、クラエスがそんなことを言った。俺もそれには激しく同意したい。けれどもそれが適わないことも分かっている。
「あなた達と暮らせて、私は幸せよ」
 クラエスの声を最後に、俺の意識は緩やかに落ちていった。腕の中のエルザとヒルダの温もりを感じながら体が眠りに移行していく。




 ただ、頭の片隅では漠然と負傷を負ったとされるピーノのことを考えていた。
 



[17050] 第33話 ミミ・マキャヴェリの日 【ついでにミミのこと】  
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:28
 本格的な対人戦闘を想定して訓練するために、今日は国軍の施設に来ている。原作でのトリエラヒルシャー組のイベントに便乗した形だ。
「ブリジット、ドア越しに掃射だ」
 無線越しにアルフォドの指示を受けて、木製のドアを撃ち抜く。M4から発射された弾丸が貫通し、室内に置いてあった人型の的をズタボロにした。
「クリア」
 残された的も蹴り潰し、仮想の敵の殲滅を報告する。不謹慎だけれども、日本で時たまやっていたFPSのゲームみたいで中々面白かった。
「いいスコアだ。ブリジット。M4をその場に置いて表に出てきなさい」
 こんな訓練で少しでも強くなれるのなら、毎日でも通いたいものだ。










 夕刻時、トリエラと二人で軍用レーションをかき込んでいた。基本偏食の俺だが、こういった普段食べない珍しいものは結構好きだったりする。
「よくそんなに食べられるね。普段は何にも食べないくせに」
 トリエラが言うとおり、軍用レーションというものは基本不味い。どろどろしたコーンビーフやらパサパサした味気のないクラッカーやら。
「でも食べないとお腹空くし、栄養価は高い筈だから」
 コーンビーフを丸呑みするように俺が食べたのを見て、トリエラがおえ、と口元を押さえた。まあ端から見ても見苦しい光景だったのは反省しておく。
「ところでさ、トリエラはヒルシャーさんと仲直りしたの?」
 トリエラの、唯でさえ進んでいなかったフォークの動きが完全に止まる。彼女は暫く言いにくそうに口篭った後、「まだ」と一言だけ声を発した。
「どうして? 大体話を聞く分には喧嘩なんかしていないんだから、普段通りに振舞えばいいのに」
「それが出来れば苦労しないよ……。私の我侭の所為でヒルシャーさんを怪我させたんだから」
 トリエラの言うとおり、彼女の提案した無謀な突入は失敗に終わって両名の負傷という最悪の結果になった。それでも聞くところによればピノッキオにもダメージを与えたのだから、そこまで落ち込まなくてもいいと思う。まあ、そこで思いつめて勝手に沈んでいく辺りがトリエラらしいといえばそうなんだけど。
「ブリジットはアルフォドさんと上手くやってるの?」
「まあそれなりには」
「羨ましいな。私はあなた達みたいに生きてみたいよ」
「止めときなよ。良いことよりも悪いことの方が多いんだから」
 トリエラが残したクッキーを摘み、口に放り込む。生姜の利いたそれは想像していた味とは随分違っていて、思わず咳き込んでしまった。










「ブリジットの体調はどうだ?」
 担当官が集まっての定例会議。解散して直ぐにジャンに捕まった俺は彼女の経過について色々と詮索されていた。
「薬の量が減ったよ。でも睡眠時間が随分増えているな」
「そこまでは想定の範囲内だ。視力や聴力に異常は?」
「本人は何も言わないし、それらしい素振りもなかった。前に食事に連れて行ったんだが、味覚もかなり戻っていた。どういう魔法だ?」
「何、感覚神経を増強させる薬が投与されただけだ。彼女にはこれからスナイパーとしての仕事もして貰わねばならんから、その辺りの処置は急務だった」
 別に寿命が延びたわけじゃないぞ、というジャンの台詞に、俺は何処かでそういった期待を抱いていたことを今更のように知った。
 最近の彼女を見ていると、とても中身がボロボロの一期生には見えない。
「トリエラが打ち負かされたという殺し屋との戦闘もある。数で押せば負けることはないだろうが、それでも限界があるだろう。ブリジットはこれからGISに派遣して格闘訓練を受けさせる必要があるな」
「作戦課の適性判断は?」
「Sクラスだそうだ。鍛えれば化けると言っていた。射撃でもスリーエスを貰っているのだから事実上、公社最強の義体になる」
「……全く嬉しくないね」
「いい加減割り切れろ。お前がそんなようでは結果的に彼女が傷つくぞ」
 少し前まで回りに怯えていた彼女がそこまでの評価を受けるようになるとは、最早笑うしかなかった。出来ればあのままひっそりと普通の生活をさせてやりたかっただけに尚更だ。
「それとお前、気づいているか? ブリジットの特異性に」
 ジャンが徐にそう言った。俺は少し前にビアンキへ相談した内容をそのまま奴に伝える。
「目を合わさない、か。意識しなければ殆ど気にならないが、お前たち兄弟のエッタやリコを見ているとよくわかるよ。彼女たちは自然と命令を欲しているから担当官の目をよく見る」
「ブリジットも一応合わせているらしいが、それでもかなり少ないらしいな。人格に齟齬が出ているのか……」
「俺は逆にそれが正常だと思いたいよ。彼女は人間だ。人間が常日頃から命令を欲しているなんて間違っている。それじゃあ犬と一緒だ」
 ジョゼに聞かれたらぶん殴られそうな台詞だが、この兄――ジャンなら問題はないだろう。
「公社が欲しているのは人間の少女ではない」
「それでも無理やり手を差し伸べたのなら責任は持つべきだ」
 ジャンが甘いな、と吐き捨てた。言われなくても百も承知だ。最初は仕事だと割り切るつもりで公社に就職したわけだが、ブリジットを初めて見たときからもう諦めた。
「ブリジットのことなら大丈夫だ。我侭だけど、基本賢い子だから心配する必要はないさ」
 逃げるようにジャンの元を俺は去る。出来ればこのまま、奴とは暫く顔を合わせたくなかった。









「マリオボッシの娘の護衛に私も参加するんですか?」
 車中で明かされた任務内容は本来トリエラがこなす筈の物だった。そもそも俺はマリオとの面識が全くない。
「いや、トリエラヒルシャー組も同行する。というよりメインはあちらだな。君は娘の家に遊びに来たスクールの友人という設定だ」
「? あの二人だけでは駄目なんですか?」
 この任務は別に義体が二人掛りでこなさなければならない任務ではない筈だ。大体トリエラの今後に関する重大なイベントが存在するので、出来れば干渉したくない。
「まあ復帰したとはいえトリエラは病み上がりだからな。軍施設での成績も余り良くなかった。言い方が悪いが君は保険みたいなものだよ」
「アルフォドさんはどうされるんですか?」
「俺はジャンたちと一緒に周辺警戒に回されている。何かあったら携帯で連絡してくれ」
 どうやらピノッキオ戦のズレが思わぬところに出てしまったようだ。これは少々不味いと思いながらも、俺はアルフォドに従うしかなかった。









 ヒルシャー、トリエラ組がマリオの娘――マリア・マキャヴェリ 通称「ミミ」に接触した翌日、俺は何食わぬ顔で彼女の家を訪ねた。連絡は届いていたのか、そのまま入って来いとインターフォン越しにヒルシャーから伝えられる。
「えーと、初めまして。トリエラの同僚のブリジットです。よろしくお願いします」
 値踏みするようにこちらを見てくるミミの視線に圧倒されながら、俺は当たり障りのない挨拶をした。ただどうしても背中に背負ったギターケースは目立ってしまう。
「何それ。仕事道具?」
 からかってくるミミの言うとおり、ギターケースの中にはアサルトライフルと複数のマガジンが入っている。もし大規模な襲撃が発生しても篭城できるように、という装備だ。
「ごめんね、ブリジット。私が不甲斐ないから」
 頭を下げてくるトリエラを慰め、俺は目の付くところにギターケースを置き、ソファーに座り込んだ。準備やら何やらで殆ど寝ていない体にはミミのテンションは辛い。
「すまないな。ミミの父親のマリオ――カモッラだが、彼の裁判の証言が終わるまではこの警戒態勢が続く」
「大丈夫です。ただ少し疲れたので横になっていいですか? あと、出来ればこのギターケースを紐で私の手首に繋いで貰いたいんですけど」
「その必要はないさ。ミミは好奇心で勝手に触ったりしないだろうし、僕が見ておくよ。夕食まで休みなさい」
 ヒルシャーに言われて、俺は眠りにつく。
 その日の夕食は宅配ピザで、もしかしたら、トリエラとヒルシャーが気を使ってくれたのかもかもしれなかった。
 









「へー、ブリジットって甘いものが好きなんだ」
「ええ、まあ」
 それから四日後。大した進展もないまま警護生活はまだ続いていた。俺の日課は窓の隙間から外の様子を伺って、公社の人間の働きぶりを覗き見することだ。因みにトランプゲームやチェスをしてミミを楽しませるのはトリエラの役だ。
「ブリジットもさー、トリエラのヒルシャーみたいにパートナーの男性がいるの?」
「まあね。あそこでタバコ吸ってる」
 俺が指差した先、ミミがブラインド越しに外を見た。公社の女性職員とデートという設定なのか、ジェラートを抱えた女の人と同席している。
「うわー、ブリジットはあれ見て妬いたりしないの?」
「仕事だから仕方ないでしょう。あの人、昔は体を使って情報を集めてた人だからああいうのが意外と得意なの」
「てことは仕事じゃないと妬けるんだ」
「まあ怒るかもね」
 ミミがにししし、と笑って俺の隣に腰掛ける。どうやら硬い雰囲気のあるトリエラヒルシャー組より結構ずぼらな俺の方が話し易いそうだ。ただこれは余り楽観出来る事ではないけど。
「ブリジットってさ、雰囲気は男の子見たいなのに、意外と乙女だよね」
「は?」
 これには随分と驚かされた。自分では年頃の女の子を精一杯演じているつもりでいたから、男の雰囲気があると言われるのは結構ショックだった。これもトリエラやクラエスらと違って、ミミが生身の女の子だからだろうか。
「なんかさー、とても格好良いんだ。ブリジットって。クールというか大人びているというか。その辺、トリエラも認めてたよ」
「私が?」
「そう。トリエラとヒルシャーは教え子と教師って感じなんだけど、君のあの男の人は年の離れた恋人って感じがする。大人の関係って奴?」
「馬鹿ね、私はまだまだ子供よ」
 ミミの台詞を笑いながら否定する。ミミはどうしてだ? と首を傾げるが理由なんて直ぐ分かる筈だ。
 何故なら窓の向こうの担当官様が、
 女性職員の肩を抱いたのを見てしまうだけで、こんなにも嫉妬してしまうのだから。
「焼きが回ったな。私も」
 きゃーきゃー、と喚くミミを無視して俺はトリエラたちが詰めているリビングに向かった。そこでは彼らが淹れてくれたコーヒーの匂いが満ちていた。










 それから二日ほど経って、警護生活に飽きたミミの脱走イベントが起こった。ミミが蹴倒したチェス盤の駒を拾ったトリエラとヒルシャーは見事に手錠で繋がれてしまって、その手際の良さに呆れた俺はミミを捕まえるのが遅れてしまった。
「ブリジット、二階の窓を破っていいから追いついてくれ!」
 拳銃を懐に収め、俺はミミの出て行った窓ではなく、いつも外を覗いていた窓から飛び出す。下が丁度垣根になっていたので、人にぶつかる心配が無かったからだ。
 裁判を妨害したいカモッラに捕まり、車で拉致されそうになっているミミは直ぐ見つかった。原作ではリコたちが止めるのだろうけど、それらしい人影が無いので俺で対処することにする。
 ぽん、とミミを車に押し込めていた男の肩を掴みそのまま引き倒す。後の抵抗が怖いので顔面を踏みつけて意識を刈り取った。
 けれども油断していた。
運転席の男が銃を抜き、発砲したのだ。咄嗟に身を捻って頬を掠めるだけですんだが、ミミに当たる可能性を考慮して、抜かせるべきではなかった。俺は男の胸倉を掴み、拳銃を持っていた手首を握りつぶす。抵抗の無くなった男も路面に寝かせて、銃を付き付けて拘束した。やがてリコとヘンリエッタ、ジャン ジョゼがやって来て、事件はその場で閉幕した。
 









「ごめんなさい、ブリジット! ほっぺに傷が!」
 ミミの剣幕に驚いてそっと触れてみると、傷口は微妙に深いらしく赤い血の線が出来ていた。
「大丈夫だよ、直ぐ直る」
「でも、跡が残ったら!」
 泣きじゃくるミミを宥めて、大丈夫、大丈夫と俺は繰り返した。実際皮膚の張替えで完全に直ってしまうのだから心配はいらない。
 俺は腕の中で泣くミミを見て、意外と良い子なんだな、と的外れな感想を抱いていた。









 手錠は直ぐに外れた。これもブリジットに負けじとピッキングを練習したからに違いない。
「早いな。もう彼女より早いんじゃないか?」
「いえ、ブリジットはもっと早いし、施錠もこれでこなしてしまいます」
 気がつけばあれ程避けていたヒルシャーと普通に会話していた。不思議とミミに出し抜かれたことも余りショックじゃなくて、むしろヒルシャーとの会話の糸口が出来たことでトリエラは感謝すらしていた。
「気にすることはないさ。ここだけの話だが彼女は今公社で最も仕事が出来る義体に指定されている。君はその次だ」
「……なら一つ聞いて良いですか?」
「?」
 自分の手首にも巻かれた手錠を外し、トリエラがヒルシャーに向き直った。
「あなたの一番大切な女の子って誰ですか?」
 意地悪で突拍子もない質問だと思う。それでもブリジットが昔アルフォドにそう聞いて仲直りした事があると言っていたから、自分も試さずにはいられなかった。
「珍しいな。君がそんなことを聞くなんて」
 今考えればこれはトリエラがヒルシャーに歩み寄るための呪文みたいなものだが、トリエラはそれを欲していた。彼女もまた、誰の傍にいたかったのだ。
「今も昔も、僕の考えは変わらないよ――」



[17050] 第34話  もう一人ここにいる 【ついでに彼らのこと】 3
Name: H&K◆03048f6b ID:daca760b
Date: 2010/08/06 22:07
 折れた腕は全治何週間というレベルだった。幸いだったのは複雑骨折でなかったことと、利き腕とは逆だったことか。
 僕は今、潜伏先の田舎のワイン畑で腕の治療に勤しんでいる。片手で格闘は出来るには出来るけど、それでも義体とサシでやれるかと言われれば微妙なところだ。
 フランカフランコは捕り物に襲撃されたというのに、まだメッシーナ海峡に掛かる橋の爆破を諦めていない。それどころかここ数日は仕掛ける爆弾製作にお熱で姿を滅多に見せなくなっていた。
 僕は大きなクヌギの木の下でタバコを咥えながら田舎の雰囲気を楽しんでいた。
 
 これだけ何も考えずに一日を過ごすのは久しぶりだった。







「ピーノ!」
 声はフランカが所有するワイン畑で働いている爺さんのものだ。トラクターから手を振っている爺さんの下にいくと、本館でフランカが待っているという。
「何でも火急の用事で早く来て下さりたいそうだ。乗せて行ってやるから荷台に乗りな」
 荷台に乗り込んで爺さんの言った丘の上にある本館を見る。
 これだけ立派なお屋敷を所有するほどお金持ちなのに、テロ活動を止めないという事はその復讐は余程深いところにあるのだろう。
 如何せん、僕には理解できない話だ。









「橋の爆破は橋脚の一つに済ませるわ。実際に壊さなくても示威行動だからそれで十分ね。計画は三日後よ」
 屋敷の一番広い部屋に招かれた僕はテーブルに載せられた計画書に目を通していた。原作では有耶無耶になったままのテロ計画が遂行されるあたりズレは大きなものになっている。
「シチリア島からボートに乗って橋に近づく。爆破自体は俺とフランカでやって、お前はその護衛だが……出来るか?」
 フランコが僕の折れた腕を見て言う。僕は即答せずに、少し時間をくれと言った。それは以前から温めていたプランを実行するかどうか決めるためのものだ。
「君たちを守ること自体は吝かでないんだが、一つ試したいことがある」
 僕の提案に「何だ?」とフランコが食いついてきた。この男の警戒心もあの襲撃の日から大分薄れてきたように思う。
 結局僕は、その以前から温めていたプラントやらを話すことにした。
「この計画はもう一つ別のグループが政府に対して脅しを掛けるんだろ? ならこの前の襲撃を見ての通り、そのグループは政府に目を付けられている可能性が非常に高い。要するに俺たちが爆破しようがしまいが計画の日程は割れていると考えたほうが良い」
「心配はいらないわ。向こうに連絡して日程を変えたのが三日後よ。本当は八日後だった」
「なら計画を八日後に戻してくれ。僕がやりたいのは計画の是非ではない。もっと違うことだ」
「どういうこと?」
 フランカフランコには悪いけど、僕は橋の爆破にはてんで興味が無い。叔父さんの進退が掛かっている計画でもあるけど、原作のピノッキオ程忠誠心を抱いているわけではないのだ。
「噂の公社の殺し屋を罠に嵌めるんだ。僕は護衛ではなく、鼠捕りの捕り器になる。君たちが計画を遂行しようとすれば間違いなく出てくるだろう。君たちは公社の情報が少しでも欲しい筈だ。ならこちらから手に入れてやろうじゃないか」
「つまり私たちを囮に公社の人間を捕まえるなり拷問して情報を得ようというの? 馬鹿馬鹿しい。リスキー過ぎるわ」
 そう言われるのは予想済みだ。だから僕は最後のカードを切る。
「どの道八日後にずらしても多分バレるよ。こっちの組織も一筋縄ではいかなくてね。叔父さんの敵は多い。叔父さんの行動は公社に筒抜けだ」
「公社と繋がっている人間がいると言うの?」
「ほぼ間違いなくね。目立った行動を起こしていないのに僕は公社にマークされていた。叔父さんの失脚を狙った奴が情報を流したんだ。幸い、ここの潜伏先を知っているのは叔父さんだけだから、まだ公社は把握していないと思う。叔父さんは今回のことに懲りて周りには話していないそうだから。で、さっきの話に戻るけど、僕たちがどう足掻いても計画は何処かしらか公社に流れる。下手をすればこちらが全滅するだろう。それならまだ気が付かない振りをして公社を待ち伏せするほうが建設的だと思うんだ」
 最終的に僕の提案は受け入れられた。ただし計画は三日後から変更しないという条件付で。フランカはもう一つのグループを態々見捨てるような真似はしたくないらしい。
 復讐の根は深い割りに、彼女は他人に優しすぎると思う。
 それが僕たち三人の破滅に、やがて繋がるんだけど、僕は敢えて何も言わずにいた。









「先日公社が逮捕した活動家の持っていた資料から、メッシーナ海峡大橋の爆破計画の日程が判明した。三日後の深夜だ」
 担当官が集まった会議室。ジャンがホワイトボードに書類を貼り付けながら概要を説明する。
「我々に活動の計画をリークしている人物からの情報とも一致する。よって政府から出動が命じられた」
「ちょっと待ってくれ、ジョゼ。この資料を見る限り、出動する義体がブリジット、エルザ、ベアトリーチェとなっているが幾らなんでも少なすぎないか? GISにも応援を」
「内閣は今回の爆破計画を通じて戦う内閣を演じたがっている。ある程度は好きに躍らせるつもりだ。それに軍内部からの五共和国派への武器密輸の取り締まりも同時に行われる。多くの人員はそちらに割きたい」
 アルフォドの疑問にジョゼが答える。アルフォドは悪態を吐きながらもこれといった反論材料がないのか、渋々と椅子に腰掛けた。
「ブリジットは狙撃能力を活かして橋脚塔の屋上から狙撃待機。ベアトリーチェは爆弾の発見に、エルザは遊撃に回っても貰う」
 各員解散が命じられて、メッシーナ海峡大橋護衛班、武器密輸取締班に分かれていった。
 アルフォドは何とも人の少ない護衛班を見て、溜息も隠そうとはしなかった。









「それにしても政治演目に利用されるとはついてませんね」
 ベアトリーチェ 通称 ビーチェの担当官であるベナルドがその独特の軽い雰囲気で笑って見せた。それに対照的なのは目に隈をこさえたエルザの担当官、ラウーロとブリジットの担当官、アルフォドだ。
「まあカラビニエリ(軍警察)時代から利用されるのは慣れてるよ。唯、あの子たちまで巻き込むのは忍びない」
 そう言ったアルフォドの視線の先には、今回任務を共にすることとなった三人の義体たちが合同訓練を行っている。エルザとビーチェの射撃訓練にブリジットが付き合っている感じだ。
「アルフォド、ブリジットが持っているのはM14か?」
「ああ。MP5じゃ威力不足だろうということになってな。MP7を注文したからそれが届くまではあれを使ってもらうよ」
「万能なんだな。お前の少女は。エルザにも見習わせたい」
「エルザも頑張ってるさ。安定してるんだろ? 最近は」
 エルザを背後から抱きすくめ、ブリジットが射撃の指導をしていた。最近はよく見られる光景だ。
「ブリジットに懐いてるからな。事あるごとに彼女の後ろについてるよ」






 射撃訓練場での合同訓練。以外にもこれがビーチェとの初邂逅である。
 ビーチェは赤い髪を切りそろえた可愛らしい義体で、鼻がよく利き特に火薬類を見つけるのが上手い。担当官はベルナルドという少し変わったオッサンで、他の担当官とは大分違う雰囲気を持っていた。
「ブリジット、撃ち終わったわ」
 因みにこのビーチェ、口数の少なさではエルザといい勝負で、必要なときしか声を発しない。訓練場でもベルナルドが一方的に喋って、ビーチェは聞いているか聞いていないのかよく分からない反応を示していた。
「ああ、うん。よく出来てる。凄いよ」
 原作では余り目立たなかった(一部除く)彼女だが、地味にそのポテンシャルは俺の知っている義体でもトップクラスにあるように思う。射撃も遠距離でなければ俺と異色無いし、格闘では多分俺が適わない。
「ブリジットは今回狙撃を担当するのでしょう? 訓練しないの?」
 ビーチェに問われて俺はアルフォドに振り返った。俺の意図を察したのか、他の担当官と談笑していた彼はここまで乗り合わせてきた車から大きなガンケースを持ってきた。あの様子だと、周りが帰った後にこっそりと訓練しようと考えていたのかもしれない。
「本当は君にプレッシャーを与えたくないから、人目のつかない所でやらして上げたかったんだけどな」
 アルフォドからガンケースを受け取り、中から狙撃銃を出す。アルフォドはレミントンと言っていた。 
 エルザがひとっ走りして、500m先に水を入れたペットボトルを五個置いてきた。風の強さを考えても中々やり応えのある的当てである。
「ブリジット、やりなさい」
 アルフォドの号令を受け、マガジンを差し込みボルトを引く。ライフルを構えて寝そべり、スコープを覗き込んだ。
「一つ目、クリア」
 引き金を引きペットボトルが弾けたのを見て、再びボルトを操作する。空薬莢が排出され、次弾が発射可能になった。
「二つ目、クリア」
 後はそれを四回繰り返すだけだ。風の流れとコリオリの力を弾道計算に入れて引き金を引いていく。今の俺に求められるのは命中することも勿論だが、何よりスピードだ。
「凄げえ。何だこれ」
 俺が五回目の挙動を終えたとき、ベルナルドが漏らした。見慣れたアルフォドとラウーロ、エルザは何も言わないが、ベルナルドビーチェ組は素直に驚いている。
「GISでもこんなスナイパーいねえよ。何処で覚えさせたんだ?」
「彼女の才能だ。余り詮索するな」
 興奮するベルナルドを押しのけて、アルフォドが面倒くさそうに応対していた。俺はライフルからマガジンを引き抜いて、薬莢を排出していた。久しぶりで少し心配だったが、無事に狙撃を終えることが出来た。
「格好良かったよ、ブリジット」
 エルザが抱きついてきたので、そのまま抱きかかえてやる。
 ただメッシーナ海峡に先ず現れるだろう奴のことを考えていると、そう喜んでもいられなかった。





















 三日後、深夜。メッシーナ海峡大橋、橋脚上。


 灰色の迷彩シートを被り、工事備品の隙間から俺は橋脚を見張っていた。ライフルをハイポッドの補助で構え続け既に三時間が経過している。ここからなら橋の上の道路に止められた工事車両の陰で警戒を続けるエルザとビーチェの様子がよく見えた。
 動きがあったのは二十四回目のアルフォドへの提示報告を終えた辺りだ。俺は背後の気配を確認し、静かに襟元のインカムを握った。これなら多少話しても声は向こうへ届かない。
 奴は月明かりの中、血のような色のジャケットを着ていた。


「驚いたな。もっと反撃されると思った。いつから気づいてたの?」


奴の声は何処か楽しそうな声色を含んでいる。そしてそれに返す俺も多分そのような声色なのだろう。


「ここに来たときから。ブルーシートの中で三時間も待機とかMなの? あなた」


 俺はライフルを床に置き、懐から拳銃を取り出した。奴も襟元からナイフを取り出しこちらへ見せ付ける。
「正直さ、トリエラの様子でおかしいと思ったんだ。元の彼女を知っているのならこの違和感は直ぐに気がつく」
「私もあなたが骨を折られたと聞いて同じ事を思った。この世界のトリエラは前に比べると弱体化している。それなのにあなたは不覚を取り左腕を失った。ならこの世界のピノッキオはイレギュラーだと考えるべき」
「僕はヒルシャー辺りがおかしいと思ったんだけどな。でも今日ここで君を見て確信したよ」
「私も確信した」


「君は」
「あなたは」


「「俺と同類だ」」



 冬があけても肌寒いメッシーナ海峡で、俺は彼に出会った。
 



 



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