本当に平和だなぁ。
一階の多目的ホールが一望できるエントランスにもたれながら、俺はそう思った。今は昼休みなので多目的ホールにはたくさんの人がいる。皆、おしゃべりに興じたり食事をとったりとのんびりと自由に過ごしている。学園生活でありふれた日常、しかしこれが俺にとっては本当にうれしいことだった。
日本にいたころは家柄を恐れて、誰も俺と接してくれようとしなかった。そういう家柄に生まれた自分の運命を呪ったりもしたけど、無意味な事だ。もし普通の家に生まれたら、なんて馬鹿馬鹿しい。過去仮定ほど愚かしいことなどないのだ。
……なーんてね、ちょっと俺格好良かったんじゃない? なんて自己陶酔しながら、ベンチに寝転がる。この多目的ホールの二階、三階と筒抜けていて、天井はガラス張りになっており、太陽が顔を覗かせている。まぶしくも優しい日差しに、ついうとうとしてしまう。
「おーい、マキ」
不意に呼ばれて起き上ると、誰かが俺の方を向いて手を振っている。えっと、誰だっけ? 日本の生活の後遺症か、人の名前をイマイチ覚えきることのできない俺だった。
「次の時間、魔法基礎理論だろ? 次パスしたら単位落とすって先生が言ってたぜ?」
「え、まだ二回しか休んでないぜ? 職権乱用じゃないのか、それ」
「はははっ、確かにな。まぁ知らせたぜ?」
そう言って手をひらひらさせながら、廊下に消えていく誰かさん。面倒くさいけど、単位は落とせない。時計に目をやると次の授業まで時間はあと十分ほど、そろそろ向かうか。俺は起き上って、魔法基礎理論の授業のある教室へと向かい始めた。
俺が今いるのはアメリカにある魔法校ユーティス学園。日本の某名門陰陽師家系に生まれてしまった不運な俺は、その待遇に嫌気が指し国外逃亡を企てた。
本当に日本にいたころは狭苦しくて、面倒だった。好きでもない人間は無暗に干渉してくるけど、こちらの好みの人間はまったく俺に干渉しようとしないのだ、いつも何か怖いものを見るような目で見られていた。俺、そんな凶悪な奴じゃないのに……そう平和をこよなく愛する一般ピープルの一人だ。
そこで俺は英語を必死に勉強して、海外留学を目指した。すると奇跡的、本当にこれこそ奇跡だった。名門校であるユーティス学園に合格することができたのだ。不幸な俺の人生だったけど、神様はまだ俺を見離してはいない、そう確信できた瞬間だった。名門だっただけに今まで俺に失望し続けてきた親も手のひらを返したように喜び、俺をアメリカに送った。きっと厄介払いと、名門に入学、この二重の意味で喜んだのだろう。酷い親もいるものです、おっと目から液体が……。
そんなことを考えながら魔法基礎理論の授業を受ける。しかし、実のところ俺にとってこの授業まったく意味を成さない。俺の持つ魔力の波長が合わず、この理論ではまったく魔法を構築することができないのだ。確かに日本を出たことは嬉しいことだけど、実際に俺はここに何しに来たのか分らなくなってきていた。先ほどの通り、平和で穏便な環境を満喫する程度でささやかに幸せを手に入れるぐらいしかすることがないのだ。
「……であるからにして……」
先生はよく分らない話を続ける。確かに初回の授業全体の説明を少し出ただけで、その次二回あった授業をパスしてきた自分が悪いのだけども。
「おい、聞いているのか? ツチミカド?」
お空は青いなぁ、吸い込まれそうだぁ。あまりにも授業が退屈でまたうとうととし始める。
「ツチミカド!」
「へいよ!」
やっと呼ばれていたことに気づき、ふざけた返事をしてしまう。
「お前は授業を受ける気ないのか!」
「いいえ、先生。俺ほどこの授業に熱中している生徒はいませんよ。先生の言葉が耳に届かなくなるほどに考えていたのですよ。ですが先生、先々週に試したのですが僕の魔力の波長ではこの理論で魔法を構築することができないのです、これを嘆かずしてどうしろと……」
「シャラップ」
突然のことで混乱した俺はよく分らない言い訳を口走っていた。それを周りの生徒はクスクスと笑う。ここでは先生も生徒も俺を特別扱いする奴はいない、それが本当に心地よかった。
スミマセンと言って俺は席につく。その後は難なく授業を終えて、次の授業に思いをはせる。今日はこの次の授業で終わりなのだが、受ける気はなかった。
「マキ、次の授業はまたパスかい?」
「ん、ああ。そのつもり」
「お前本当に嫌いだよね? 日本魔法史」
名前を聞いて想像つくだろうが、この講義は俺の家系のご先祖様、某陰陽師のことなどを主に取り上げた魔法歴史学だ。俺はこれが非常に嫌だった。何故なら一回目の授業で担当の先生に『土御門』の性についてバレかけているからだ。
「ん? 土御門と言えば、あの偉大なる陰陽師の家系もそんな名前があったような気がするのだが……」
そう言われた時、本当に冷や汗ものだった。何とか流したものの、二度とあの授業に出来る気にならなかった。周りはそれを肯定と取りそうで非常に悩んだけど、先生の第一印象が悪かったということにしてパスし続けている。もうこの授業の単位は落としてもいい、そう思っていた。
「……まぁな、そういうことで俺、寮に戻るわ。またな」
「おう、またな」
そう言って別れを告げ、寮に戻る。俺の偉大なご先祖様とは安部清明のことだ。俺の家はその中でも結構遠い分家なのだけど、祖父の代の事業が成功して陰陽術ではなく実社会で成功を収めていた。お陰で何故か親父の立ち位置も随分良いところらしい。まったくもって興味がなかったので、あまり知らないのだけれども。
ぼんやりと廊下を歩いて寮に向かうと、曲がり角で小さな影が飛び出す。前を見てない小さな影が俺の胸に頭突きをかます。しかし、そこまで深刻なダメージを受けたわけではなかった。見ると可愛らしい女の子が俺の前で倒れていた。
「わわ、すみませんッ! 急いでいたもので……」
目の前でおろおろしている少女が面白くて、少しいじってやろうかとなんて思ってしまう。しかし急いでいると言っていたので止めておこう。
「ああ、構わないよ。急いでるんだろう?」
「ああ、そうでしたッ! すみませんでした、ではッ!」
そう言って駆けていく。慌ただしい子だなぁとその後ろ姿を見送ってから、再び寮に向けて歩き出した。
次の日も退屈な授業を消化していき、残すところ次の初級魔法実演訓練の授業で終わりだ。本当にここで教えている魔法との相性が悪いらしく、俺の成績はこの授業でも墜落寸前を超低空飛行でギリギリ駆け抜けている感じだ。
ちなみに今日は氷系の造形と雷系の投擲魔法の実習だった。氷の造形は誤魔化せるのだけど、雷の投擲、つまりサンダースピアが非常に下手だった。手から離れると俺の雷は跡かたもなく消え去ってしまうのだ。周りはどんどん氷の造形を終わらせて雷の投擲実習に入っていく中、俺はちまちまと氷を造形し続け、一向に移動しようとしない。だって投げること、できないし……。サボっているわけではない、最初は何度も練習したのだが何故か出来ないのだ。
そんなことを考えながら氷の造形を続けていたら、芸術並みの素晴らしい氷の造形が出来ていた。考え事をしながら作っていた俺は気づかなかったが周りが感嘆の声をあげている。
「お前、魔法じゃなくて芸術の道に進んだ方が良かったんじゃねえのか?」
「うるせえ、余計な御世話だ」
俺も自分の作り上げた氷の造形を見上げて嘆息する。なんて無駄なのだろう、俺の力は? ついにと言うべきか、こんな目立つ物を作ってしまったせいで先生に見つかってサンダースピアの投擲に移動するように促される。絶望的な宣告を受け、仕方なく投擲場に向かう。
何とか雷の造形に成功するのだが、これを投げると一瞬で消えさる。
「……」
「……」
先生の絶句が痛くて悲しくて俺を殺しそうな勢いだった。いやむしろ殺してくれた方が楽かもしれない、冗談だけども。
「人には得意、不得意があるわ。仕方ない、落ち込まずに自分の得意分野を早く見つけなさい」
氷の造形を見た後だったので先生も期待していたのか、少し残念そうな顔で他の生徒の指導に向かう。
「ホント、何故そうなるのか分らねえ。何で出来ねえんだ、お前?」
「……」
隣の生徒はサンダースピアを見事に的の中心に打ち込みながら言う。何となく覚えている、コイツの名前はロナウド・ウェズベル、通称ロン。入学して早々、名を馳せた中々の悪い奴らしい、俺ですら知っているほどだ。
「まぁそう機嫌を損ねなさんな、人には得意、不得意があるのさ。早く得意な物見つけたらどうだい?」
そう言って鼻で笑うロン、少しイラついたけど、それを無理やり抑え込んで、投擲場を後にする。せっかく日本を離れてきたのに、結局ここでも何も成せずに終わるのかなぁ? まぁそれでもいいかな、目立たないし。誰も俺を特別扱いしない、ここは非常に心地いいのだ、それだけでいいじゃないか。と、至極楽観的に考える俺だった。
次の日も午前中の授業を寝過してパスし、昼飯食ってから授業に出ようと思い、早めに食堂に向かった俺を迎えたのは氷漬けにされた食堂のドアだった。何事かと思い、手身近な奴に聞いてみるけど、曖昧な返事しか返ってこない。
「誰か炎系の魔法使えないか?」
しかし誰も反応しない。よく考えたら廊下での魔法の使用は厳禁だった。仕方なく、ドアを蹴ってみる。すると向こう側にゆっくりと倒れてしまうドア、思ったほど強い魔法でなかったようだ。
さて朝食タイムと一人呑気に食堂に入ったところで炎が飛んでくる。マトリックス? イナバウアーを彷彿とさせる柔軟性で何と避けたけども、どうやら少し掠めたようで毛が少し焦げた。
「うわっと! 何しやがる!」
食堂の中心には俺の方に向かって炎を打ち出した本人、ロンがいた。彼は額から血を流して、こちらを睨みつけている。
「うるせえ、突然入ってきたお前が悪いだろ!」
そう言って俺を怒鳴りつけるけど、それどころじゃないだろう、お前。命にかかわるとは思わないけど額から流血しているのを、放置して彼は怒り狂っている。
「おい、その怪我どうしたんだ?」
「あ? こいつに……」
と言ってロンは元の位置を振り返るが誰もいなかった。
「……くっそ! あの野郎また逃げやがった!」
「……誰が?」
「うるせえ、お前のせいだ!」
どうやら怒りの矛先が俺の方を向いたらしい。ロンが炎の投擲動作に入る。完全とばっちりじゃないか? 俺は再び炎を避けて廊下へと転がり、脱出する。
「お前らも早く逃げた方がいいぜ! とばっちり受けたくなかったらな!」
出口付近でそれを見守っていた生徒にそう告げて俺は脱兎の如く走り去る。本当は廊下での魔法は使用禁止だけど、俺は肉体強化術を使っている。少々手を加えたオリジナルのため、バレはしないだろう。後ろで何やら破壊音が聞こえるけど、俺の知ったことではない。……可哀そうだけど、ここには優秀な校医がいる、つまり死にゃあしないだろう。ったく、起きて早々こんな面倒なことに巻き込まれるとは思ってもみなかった。
結局、俺は購買で適当にパンを買い、満足にはほど遠いが仕方なく授業に向かう。ちなみに、これぐらいの争いは日常茶飯事だった。主に罰の恐ろしさを知らない新入生が暴れまわるのだけども。上級生はそれを憐れんだ眼で見つめて、彼らの罰される光景を想像して身震いするのだ。そんなに恐ろしい罰なら最初にガイダンスで教えといてくれよ、先輩方。そしたらあんな無茶な奴も大人しくなるのに。
嘆息しながらも退屈しないので個人的には良いのだけれども。そんなことを考えながら俺は昼からの授業に向かうのであった。
ここ最近は何事もなく、本当に平和な日々が続いた。どうやら新入生にも罰の恐ろしさが浸透してきたらしい。廊下で魔法ぶちまける馬鹿野郎も随分と減った。それに拍車をかけているのが来週から始まる中間テストだろう。皆、真面目に勉強している姿をよく見かける。
俺はと言うと相変わらずだけども、以前よりは出席率がマシになったと思う。元々は国外逃亡が目的だったが、もちろん本分である勉強はしなければならない。それを疎かにして退学、そのまま帰国なんてしたら、きっと家から絶縁される。いや、下手するとこんな面汚し、生かしておけぬ! と言って殺されるかも……。
それだけは避けなければと、今さらだけども必死に勉強をしていた。日本ではあり得ない新鮮な授業だったので勉強自体は退屈せず、嫌いではなかった。あれからロンは一週間の出席停止処分、結局相手が誰だったのかは本人以外に証明できず、無罪放免になったそうだ、どこの誰だか知らないが運のいいことで。その一週間で俺のことも忘れていてくれればいいのだけども。丁度ロンの停止処分が解けるのが、テスト前日。そんな日に目をつけられたら、冗談じゃない。
とか思いつつ、黙々と授業を受ける。普段、真面目に受けてないせいか、ここ数週間非常に疲れが溜まっている。知恵熱だって出そうだ。テスト終わったら、寝るぞーサボるぞーだらけるぞーと非常にダメな妄想に顔を緩ませながら、今日も何事もなく寮に戻る俺。
しかし、面倒な事になった。エレベーターの扉が開き、俺は自室に向かおうとしたところで気づく。誰かが俺の部屋の前にいるようだ。俺は出てきたエレベーターにもう一度乗りこみ、一階に戻る。完全とばっちりだった。俺は外から自室前の様子を眺めた。やはり不機嫌そうな顔のロンが俺の部屋の前にいる、出来れば幻であってほしかった。
「……あ」
ロンと視線が合う。意地悪そうな笑みを浮かべてこちらを睨みつけている。これはヤバそうだ。自身に簡易肉体強化をかけて俺は逃走を試みる。ちなみに、この魔法は一年では習わない、と言うか上級生でも使いこなすことの難しい魔法なので簡易式にして手頃な力を楽に手に入るように改良した。この辺り自分の興味あることに対しては苦労を惜しまず貪欲な自分を少し褒め称えた。そんな俺にロンは追いつけるわけもなく、逃亡に成功した
しかし、これからどうしたものか、ゆっくりと勉強しようと思っていたのに。仕方ない、手元にある教科書で出来るだけ勉強するか……。と手身近な空き教室に入って勉強し始める俺だった。
あれから幾度となくロンに追われることもあったが、簡易肉体強化術のある俺は難なく逃げおおせた。その頃から俺は『脱兎のマキ』という不名誉な呼ばれ方をされるが、気にしない。それ以上に成績がヤバいのだ、相手にしてられなかった。最後の方には教科書を開きながらロンから逃げるという神業までやってのけるほどにまで、俺の逃げる技術は昇華していた。将来、完全逃亡マニュアルその二を作るのは俺かもな、と思ってしまったほどだ。
そうして何とか向こうも諦めてくれたようで中間テストも終わり、俺は一息つけた。ロンは出席停止中、ずっと俺を追いまわしていたようで随分成績が悪かったようだ。また追われるフラグを立てたような気がする。
俺はと言うと全体的に平均を維持でき、とりあえず一安心といったところだ。久々に授業をサボって校舎を抜けだして、手身近な木の元で寝ころんだ。天気は晴天、昼寝には丁度いい心地よい風が俺を撫でる、何て至福な時間なのだろう……。テスト後の解放感は格別だな、本当に。やはり疲れが溜まっていたのか、すぐに眠りについてしまった。
何か周囲が騒がしく、目覚めてしまった。それほど遠くないところから叫び声が聞こえてくる。
「ん……何事?」
目をこすりながら周囲を見回すと、遠くないところで実習訓練をやっていたのか、先生が一人と生徒が多数いる中に異形の何かがいた。生徒の一人が叫ぶ。
「ワイバーンだ!」
竜種の最下級のワイバーンらしい。何故こんなところにいるんだ、学園の結界が決壊したのか? ……下手に洒落ている場合じゃない。最下級とは言え、竜種だ。先生は生徒を守るので必死だ。防御壁を張り続けるので精いっぱいのようだ。さすが名門の先生だろうか、竜種の攻撃から生徒を守るあれほどサイズの結界を維持するとは凄い。そんなことに感嘆していると、逃げ遅れた生徒が一人、ワイバーンの後ろにいるのを発見してしまう。おいおい、あれはヤバくないのか? おい、逃げろって……。
だけど、その生徒は逃げるような様子は無い。腰が抜けているのだろうか? ここから逃げろと叫びたかったけど、注意を引くとマズイので、迷う。
「クソ……面倒だなぁ」
仕方なく、俺は簡易肉体強化を施して飛び起きて、逃げ遅れた生徒の方に向かって走る。
「大丈夫か?」
静かに耳元で囁く。
「ひゃ……ふぐっ!」
叫びそうになる生徒の口をふさぐけど少々遅かったらしい。ワイバーンさんがこちらを見つめていらっしゃった。
「……ヤァコンニチハ」
声がカタコトになってしまった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「「ぎゃああああああああああああああああああ!!!!」」
俺とその生徒は揃って絶叫。その子をひょいっと抱えて後ろの森へと疾走する。飛竜種は地上では小回りが利かないはず、森に入れば俺の勝ちだ! 予想通り難なく森に逃げ込む。ワイバーンはそれを見て、大きくのけぞる。
「逃げてくださいッ!」
俺の抱えている生徒がやけに高い声で言う。
「え……?」
「ファイヤーブレスです!」
後、少し判断が遅れたら二人ともこんがり焼けましたー! だった。ギリギリで飛びのいて炎自体はかわすけど余熱にやられそうだ。火を喰らった森は木が根こそぎ消えて俺たちの隠れるアドバンテージを維持しているようには見えなかった。あんなの喰らった……冗談じゃない! 仕方なく、そのまま生徒を抱えて更に森の深いところまで走る。
しばらく奥に逃げ続けて、ワイバーンの気配は遠のき、何とか安全な距離を保てたようだった。
「あり得ない……何で竜種がいるんだ?」
「ご、ごめんなさい、私も……」
俺のひとり言に反応する生徒。よく見れば女の子だった。
「あ、いや君に言ったんじゃ……って……ご、ごめんなさいー!」
未だに俺はその女の子を抱えたままだったのだ。すぐに下ろして土下座する。フライング土下座だ。人間やれば出来るものだと少し感心してしまった。
「い、いえ、助けてもらったのはこっちですし……」
そう言いつつ怪訝そうに俺を見る少女、あれどこかで見た覚えが……?
「ツチミカドさん……ですよね?」
「んぁ、俺みたいなミジンコのこと知っているのかい?」
「ミジンコだなんてそんな……」
「はは、冗談さ。君は?」
「シオン、シオン・アーデルハイトです」
その名を聞いた時にびっくりした。中間テストの上位が発表された時、ほぼ全教科トップ三に食い込む凄まじい人がいたのだ。その名が……シオン・アーデルハイトだった。
「あの……凄い成績のシオン?」
「す、凄くなんてないですッ」
そう言って否定する。もし君が普通だと言いはったら、先ほど俺のミジンコって言うジョークは本当になってしまう。謙遜は時には人を傷つけるのだよ? そんなことは胸の奥にしまいこんで俺は手を差し出す。
「まぁよろしく」
「よろしくですッ」
とりあえずワイバーンの危険からは逃れたのだけども、それでもこの森は上級生でも許可を得た者しか入れない危険区域だったと思う。とりあえず抜けなければならない。しかし来た道を戻るとワイバーンと遭遇する可能性が高い
「どうするかなぁ……」
と呟いた時、急に付近の温度が上昇したように感じる。まさか、冗談じゃない……森を焼いてまで俺らを追ってきたのか?
足音がだんだんと近づいてくる。そう遠くないところでメキメキと木の倒れる音が聞こえてくる。首が見えた、あのワイバーンが追って来ていた。
「……シオン一人で逃げれるかい?」
しかし返事は無い、振り返ってみるとまたへたり込んでいる。また逃げるか? 他の選択肢は……戦うってそれほど愚かなこともない。俺の脳内では大多数の議員が逃げろと喚いていたけど、それを首相が拒否し、臨戦態勢に入る。やむを得ない……魔力を練り、俺は呟く。
「肉体強化速度特化ヴァージョン」
その瞬間、体がウソのように軽くなり、その場を一瞬で離れる。横の木々を蹴り、ワイバーンの後ろに回り込み、そこから頭に向けて蹴りを入れる。しかし、ダメージどころかびくともしない。逆に俺が蹴った反動で跳ねかえったほどだ。打撃はスピードだけでなく重量も大きなファクターだ、俺に竜を一発で気絶させるような重さはない。くるりと宙で二回転を華麗に決めて着地する。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
あらかじめ吠える動作を見切っていたので、更に距離を取る。この距離でも耳が痛いのに、さっきの距離で聞いたら脳が揺さぶられて深刻なダメージを負ってしまう。ワイバーンは俺の方に向き直り、シオンには背を向ける形になる。
とりあえず、これで第一段階終了。こちらに気を引くことに成功した。第二段階に移るに際し、魔力を練り上げる。その隙をついてワイバーン尻尾が飛んでくる。木があるのもお構いなしに薙ぎ倒して俺の方に向かってくる。速度の上昇している俺には難なく避ける事ができた。
「……雷刃(らいじん)」
そして着地と同時にそう呟くと、右手に雷が宿る。その矛先を竜に向け構える。
「貫け」
前の実習でもお馴染みだけど、俺は雷を投擲することは出来ない。しかし、俺のこの雷刃は形を自由に変えることができる。例えば、伸ばす、とか。
一直線に伸びた雷刃がワイバーンを貫く。普通なら感電して動けなくなる威力にしたはず。だが、さすが竜種と言ったところか、俺の雷刃を受け、痙攣しながらもまだ意識を保っている。
「面倒だなぁ……ま、これが最大出力じゃないんだけどね」
そう言って俺は嘆息する。
「これで半分と言ったところだ……全開で行くぜ?」
そう言って更に膨大な魔力を費やす。雷がはじけて先ほどより激しく雷がほとばしる。ついにワイバーンのけぞり、その場に崩れ落ちる。そして雷刃を解除した俺もその場に崩れる。久々の全力は少々体に堪えた。でも、こうしているワケにはいかない。シオンをどうにかしなければ……。そう思ってワイバーンの反対側に目をやるけど、どこにも姿はない。
「……え? シオン!?」
「……こっちです」
後ろから声がして振り返るとシオンがそこにいた。何故そこにいる、と少し混乱したけど俺の脳はちゃんと聞きたい事を勝手に紡ぎだしていた。
「……見ちゃった?」
こくりと頭を縦に振られて肯定される。バレた……どうしよう……。嫌な汗が全身から噴き出す。俺は頭を抱えこんで地面を転がり回る。そんな俺を可哀そうな目で見つめるシオンがちらりと見えた。
「あ、あのぅ?」
「頼む、秘密にしといてくれ!」
「え、ええ?」
俺の懇願に彼女は目を白黒させている。
「平和な日常が送りたいんだ、 頼む!」
「え、ええ、分りました……」
困惑しながらもシオンは了承してくれた、ほっと一息。
「で、何を秘密にするんですか……?」
こいつ本当は馬鹿なんじゃないのかって失礼な疑問が頭をよぎる。でも、色々ありすぎて何を秘密にしてほしいのか、まったくわからない状態なのだろう。
「俺がワイバーン倒したとか、俺の雷の魔法のこととか、その他諸々……と言うか全部かな、目立ちたくないんだ」
「え、ええ、分りました」
「ありがとう、助かる……」
溜めた息を吐ききり、安堵する。俺たちはさっさと森を抜けるべく、来た道を堂々と戻っていった。
戻ると教員やら何やらに弁解するのも面倒で適当に誤魔化した。
「逃げ切りました、ヤツはどこかに行ったようです」
「良かった無事で! それにしても何故、学園敷地内にワイバーンが……?」
「結界の結界……」
「かもしれないですね」
軽く流される。忘れていた、これは日本語の洒落だった。
「私が調べてまいりますので、皆さんは一度校舎に戻ってください」
そう言って教師は職員塔に戻っていく。
「何か面倒なことになると嫌だから逃げるわ」
そうシオンに言ってさっさと逃げ出す。
「あ、ちょっと……!?」
「ん、何か?」
そう言ってシオンが携帯を指しだす。
「……?」
「口止め料」
そう言ってにっこり笑う。俺はその笑顔に凍りつき、冷や汗が流れる。
「アドレス、教えて?」
「……」
「ふーん……そっか、嫌なんだ……」
そう言って表面上は悲しそうなふりをして、じっとこちらを見ている。内心どうなんだか、って疑ってしまう。
「……滅相もございません、こんな可愛い子ちゃんにアドレス交換を申し出られるとは思ってもみなかったので……光栄です」
そう言って渋々携帯を取り出して互いのアドレスを交換する。そして満足そうに笑った彼女に背を向け寮に向かって逃げていく。何て惨めな姿なんだろう……。
「またねッ、ツチミカドくん!」
……何だか大変な事になりそうだ。そしてこの予感は当たることになる、予想を遥かに超えた大事になって。