関西再度STORY

<その7>京都の焼肉を発信!

2010年3月17日
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焼肉レストラン「南山」の前に立つ楠本貞愛さん

 京都といえば祇園の舞妓(まいこ)さん――といったみやびやかなイメージを想像しがちだが、6人の子育て、児童書出版、派遣労働などを体験しながら、膨大な借金を抱えた焼き肉レストランを再生させた女性社長がいる。畜産農家と連携して国産牛を一頭丸ごと仕入れ、「生産者・消費者・提供者」の安心・安全を追い求める楠本貞愛さん(53)だ。「京都に新しい食文化の風を吹かせたい」と張り切る彼女の姿を早春の京都に追った。

   ◇   ◇   ◇

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「和牛焼肉懐石」の試食会=2月26日、望月亮一撮影

 「京都の新しいブランド牛を試食してください」。楠本さんからの案内で訪ねたのは京都・北山通り沿いのレストラン「南山」(京都市左京区)だ。古民家屋根の店舗が目を引く。1971年、楠本さんの父で在日韓国人1世の創業者、孫時英さんがダム建設で水没する運命にある滋賀県の築200年の農家を移築したものだ。

 試食会に先立ち、楠本さんがあいさつに立った。

 「業界では『霜降り肉が一番』と言われていて、生産者は牛をまるで成人病みたいに育てなくていけません。肉の勉強をしたことで、生産者がつらい思いで飼育していることを知りました。そんななか、日本海牧場(京都府京丹後市網野町)に行くと、短角牛たちが広い放牧地を自由に動き回っていたのです」

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「京たんくろ和牛」の(左から)バラ、肩ロース、モモ

 日本海牧場では短角牛(日本短角和種)の母、黒毛牛(黒毛和種)の父を持つ和牛も大切に飼育されていた。ところが、和牛間雑種として業界では見向きもされていなかった。「赤身のうまさと黒毛和牛の脂の甘さという特徴があるのに......」。楠本さんは「京都で育った牛を京都の人たちがともに育てていく食育運動」を思いつき、この雑種を「京たんくろ和牛」と名付けた。

 昨年2月には国の農商工連携事業に認定され、生産者(日本海牧場)とレストラン経営会社(きたやま南山)が連携する「京たんくろ和牛ブランド化事業」がスタート。目指すは「環境・健康・食料自給率の向上、都市と農村の共生」で、専門の獣医に牧場で定期的に牛の健康をチェックしてもらい、京都の豆腐屋さんの乾燥おからを飼料用に届けているという。

 試食会は「商品(メニュー)開発」と「広報活動」を兼ねた事業の一環で数回開かれた。

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「和牛焼肉懐石」の前菜や京野菜

 それでは「京たんくろ和牛」を味わえる試食会で出された「和牛焼肉懐石」のメニューを紹介しよう。

 【前菜】

 京たんくろ和牛のとろろユッケ/京野菜の牛しぐれ/京たんくろ和牛の手まりずし2種/黒にんにくと牛そぼろの京豆腐

 【京たんくろ和牛】

 モモ角切り塩焼き/上ロース/肩ロース薄切り/モモ薄切り/バラカルビ

 【お野菜】
 京野菜のキムチ盛り合わせ(白菜、大根、小松菜)/京野菜のナムル盛り合わせ(菜の花、水菜、ほうれん草、大根、ラディッシュ)/京の野菜盛り合わせ(大根、金時ニンジン、赤カブ、加茂ネギ)

 【お食事とデザート】

 丹後のコシヒカリのごはん/わかめのスープ/お漬物/自家製デザート(以上)

 「野菜がおいしいなあ。大根があまい」「地産地消ですね」。隣席から声が上がる。肝心な赤身の肉については「霜降のギトギトの脂のうまみを求めるなら物足りない」「だけど、健康に問題を抱える中高年向きだし、メニューが京都らしい和風になっている」など、次々に感想が聞かれた。


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いかりんさん。手にするのは新著「焼肉ニクいっす!」のPRチラシ

 幸運なことに、目の前に「関西焼き肉の女王」と呼ばれる「いかりん」さん(36) が座っていた。ちょうど焼肉のガイド本「焼肉ニクいっす!」(プラネットジアース、1000円)を出したばかりだという。持参のPRチラシに「おすすめ関西の焼肉屋と、美味(おい)しく肉を味わうためのマメ知識。至福の焼肉時間を体感できます!」とある。その彼女に専門的な見地から感想をうかがった。

 《ガッツリ脂が好きな人には物足りなさも感じるでしょうが、今やメタボやダイエットという健康志向でヘビーフードである焼き肉を敬遠する人も多くなってきているのも事実。健康と相反するフードと言われてきた焼き肉を健康やダイエット中でも大丈夫という新たな視点で提供できるという点が(京たんくろ和牛の)赤身の魅力だと思います》

   ◇   ◇   ◇

 実は私が楠本さんを知ったのは編集者としてだった。大津市で夫と経営する素人社という学術図書出版社で「コリア児童文学選」の出版を手がけたことが評価され第12回(1999年)地方出版文化功労賞特別賞を受賞している。

 もともと創業者の父親の下で財務を担当していたが、94年に経営から離れた。その間、夫と児童書などを出版していたが、全国展開した焼き肉店の経営主体が18億円の負債を抱えて経営破綻(はたん)に陥り、債務整理のために呼び戻された。当時はメーカー派遣社員で生活費を稼ぐ日々で、再建途上でBSE(牛海綿状脳症)の打撃を受け、「消費者が求める安心・安全の大切さが身にしみた」。新社長として古民家店舗を改装し、輸入牛中心の仕入れを改め、国産牛の一頭丸ごと仕入れを始めた。現在は日本海牧場など3牧場から3種類の牛を仕入れている。

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「なかのりさん、ありがとう」の表紙

 エネルギッシュに活動する楠本さんだが、里子1人を含む6人の子供のお母さんでもある。「いのち」を語るまなざしが温かく、畜産農家の後藤喜代一さんと19頭の子を産んだ近江牛「なかのり号」を通して命の尊さをつづった自作の絵本「なかのりさん、ありがとう」(素人社、525円)を昨年出している。

 牧場で大切に育てられた「なかのり号」は2歳で初めて出産し、08年に19頭目を産んで母親の役目を終えた。後藤さんはこの牛にとって「おいしかったと喜んでもらえることが一番」と出荷を決意。食肉センターに出荷する日、地元の子供たちを招いて「お別れ会」を開く――。この本の表紙にはこう書かれている。「命あるものはみんな、だれかを幸せにするために生きている」

   ◇   ◇   ◇

 満腹、満腹。「腹ごなしに寺でも行くか」。20年余り前、一緒に警察を担当した京都支局長と銀閣寺へ向かった。「ホケキョ」。境内にウグイスの声が響き、参道は薄着の観光客がにぎわいを見せていた。近くの法然院にも足を延ばし、谷崎潤一郎の墓を参り、哲学の道を横切って西へ進む。白川通りを越えて坂道の上にある真如堂へ行くと、境内でサンシュユの黄色い花が咲いていた。さらに東伏見宮別邸だった建物で知られる老舗の料理旅館「吉田山荘」を訪ね、ティーサロンで抹茶を一服。添えられた和紙に和歌がつづられていた。

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早春の陽光に包まれる銀閣寺

【鶯の谷より出づる声なくは 春来ることを誰か知らまし】

       大江千里(おおえのちさと) -古今和歌集より-

 銀閣寺で聞いたウグイスの声がよみがえった。焼き肉から抹茶まで、早春の京都散策は多彩な古都を体感する一日となった。(編集局次長)

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