米軍普天間飛行場の移設先をめぐる鳩山由紀夫前首相の「沖縄県外」から県内「名護市辺野古」への変心を合理化するキーワードは、在沖米軍、海兵隊の「抑止力」だった。鳩山氏は「学べば学ぶにつけて」在沖海兵隊によって抑止力が維持できるとの考えに至ったと語った。菅直人首相はその移設方針を踏襲し、菅内閣は在沖海兵隊が「抑止力の重要な要素の一つ」との答弁書を閣議決定した。
「辺野古回帰」の根拠とされた抑止力を考えてみる。
抑止力とは一般に、高い能力を持つ部隊や兵器を配備することで、相手国に侵攻など冒険的行動の自制を促す機能をいう。部隊・兵器の能力や編成、配備・分布が抑止力を裏打ちする。
相手の認識と、こちらがそれをどう考えるかが重要な要素であるために、抑止力の協議・論議には「二つの制約」がある。
第一は、現状肯定論が優位になりがちなことだ。相手の認識しだいということは、必要かつ十分な抑止力の限界点の見極めを難しくする。現状が平和であれば抑止力を減じることには常に不安がつきまとう。削減の主張は守勢に立たされる。
第二は、抑止力の運用者と受益者が分離している場合だ。抑止力に関する情報を独占する運用者が優位に立つのは明らかである。在日米軍の運用者は米国であり、日本は受益者だ。抑止力のレベルを決定する時、強い発言力を持つのは米国である。
これらの制約を抱えた鳩山氏が何の理論武装もないまま、抑止力減少につながる海兵隊の県外移設を主張しても、米政府の厚い壁にはね返されるのは当然だった。問題は、抑止力に関する構想力である。これを欠く鳩山氏に成算はなかった。
抑止力をめぐる論争で目を引いたのは柳沢協二前官房副長官補の議論である。中国を念頭に、経済的相互依存の強まりが抑止力・抑止戦略にどう影響するかを検証すべきだと主張した。
抑止力を考える前提は何を脅威と認識するかだが、具体的には核実験とミサイル発射を繰り返す北朝鮮の「現実的脅威」と、透明性を確保しないまま09年まで21年連続して国防費の2けた伸び率を続けてきた中国の「潜在的脅威」である。相互依存と抑止力の関係を論じる場合の抑止対象は中国だ。相互依存を因数に組み入れて対中抑止戦略を再検討すれば、在沖米軍縮小が議論の対象になる。そこに柳沢氏の問題提起の意図がある。
高い経済成長率を続ける中国は貿易額も大きな伸びを示す。貿易総額の世界に占める比率は90年に1・6%だったのが、08年には米国、ドイツに次ぐ第3位の8・0%だった。日本の貿易総額に占める対中国のシェアは07年に対米国を抜いて1位となり、中国の貿易額もEU(欧州連合)、米国、日本が上位3位を占める。中国は日米両国などと相互依存を強めている。
相互依存関係にある国に侵攻すれば、自国の経済・社会もダメージを受ける。得失を考えれば、その国は簡単に侵略・侵攻の政治決定を下せない--相互依存を重視する理論は、こうした想定を前提にしている。
米国のジョセフ・ナイ氏らの「複合的相互依存」論の展開も、軍事的安全保障の役割を相対的にとらえる議論である。
反論も当然ある。第一次世界大戦前、英国のノーマン・エンジェルは著書「大いなる幻想」で欧州諸国の相互依存の深まりを根拠に戦争無益論を主張したが、その後、英国などと深い貿易関係にあったドイツを当事者とする2回の大戦が勃発(ぼっぱつ)した。歴史的事実は相互依存論の限界を示しているとも言える。
理論上も、相互依存の進展がただちに侵攻、軍事的圧力の政治的意図をくじくと考えるのは短絡過ぎるだろう。中国の海軍力増強や最近の日本近海での行動を挙げるまでもない。また、理論的には、相互依存が新たな分野で摩擦を生み、軍事衝突の背景になる可能性もある。
相互依存の過大評価は誤りに違いない。しかし、安全保障政策や抑止力の検討にあたって依存関係を考慮することは有益である。相互依存の深化が軍事対立を回避する方向に作用する可能性はありうるからだ。「対抗」より「関与」に軸足を置く日本の対中政策は、そうした考えの延長線上にあるはずだ。
私たちが抱える最大の問題は、政権政党・民主党が体系的安保政策も抑止力の構想も持ち合わせていないことだ。同党は参院選マニフェストでは、衆院選で掲げていた「在日米軍基地見直し」の看板を下ろした。構想力欠如の告白に違いない。
毎日新聞 2010年7月11日 東京朝刊