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天声人語

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2010年8月5日(木)付

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 緑陰の濃い近所の公園で、蝉(せみ)たちの合唱がかまびすしい。鳴くから暑いのか、暑いから鳴くのか。入道雲が輝いて、その音量はいよいよ上がる。まさに風物詩で、蝉しぐれを聞かないと夏の気分がしないという向きも多かろう▼逆の人もおられよう。やかましいことを例えて蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)という。蝉も蛙(かえる)も、その合唱を妙音と愛(め)でるか、騒音と嫌うかは人によって分かれるようだ。ギリシャ生まれの小泉八雲は「音楽的に鳴くのもいるが、大多数は驚くほど騒々しい」と言いつつ、種類ごとに声を論評している▼クマゼミは騒音に属するらしい。ミシンを力いっぱい踏み回す音に似ていると文豪の耳は聞く。ヒグラシはお気に入りのようだ。あの「カナカナ」を、清澄で甘美とも思える音楽性がある、とほめている▼一番の歌い手にはツクツクボウシをあげた。あの抑揚のある声は、様々に人の言葉を連想させもする。やはり明治の文豪幸田露伴に〈空耳歟(か)うつくし湖(うみ)と蝉の鳴く〉の句があって、言われてみればそうも聞こえる。自在な連想に脱帽である▼声を限りに鳴く命はせいぜい2週間という。ご存じのようにメスは鳴かない。作家の北杜夫さんが随筆で、〈蝉の生涯は幸いなるかな/彼らは声なき妻を有すればなり〉という西洋の詩句をユーモラスに紹介していた。賛同の一票を投じる方もおられようか▼〈ふたたびは帰らじ蝉の穴深し〉阿波野青畝。その鳴きように夏を感じ、抜け殻を「空蝉(うつせみ)」と呼んではかなんだ日本人とは違い、西洋の一句はやはり、なかなかに人間くさい。

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