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【連載企画】教えて!現場から子どもたちへ(4)

(2010年7月31日付)

【テーマ】タオル集め、どうして始めたの?

■できること自ら動く (ボランティア 大谷憲史さん/宮崎市)


 口蹄疫バスタオルプロジェクト代表をしています。普段は、お年寄りのためのパソコン教室を運営するNPO法人の代表です。

 発生当初は、国などの対応にただ不満を募らせているだけでした。考えを改めるきっかけとなったのが、インターネット上の短文投稿サイト「ツイッター」。5月14日に川南町の農家の方が「バスタオルが足りません」と書き込んでいました。

 それを見た私は「不平を言うより、できることをしよう」と思い、同日中にツイッター上で「タオルを集めます」と宣言。すぐに川南町役場に電話すると「確かにありません」との返事。作業員が家畜埋却後にシャワーを浴びる際、体をふくバスタオルが必要で、一度使ったタオルは処分するとのことでした。

 “宣言”から2時間後には、全国各地から次々と連絡が。翌日には440枚のタオルが送られてきたので、川南町の現地本部に届けました。困っている皆さんのために自分が役立てることが分かってほっとしましたが、ここからが本当の戦いでした。

 しばらくは段ボールからタオルを出し、新しい物と古い物を仕分け、運搬する作業を1人でやっていました。でも、全国や海外から次々とタオルが送られてくるため、手が回りません。ボランティアを募集すると予想以上の反応があり、最終的には中学生から70代までの延べ千人以上が協力してくれました。体をふくのに適さない、古いタオルの対処にも悩みましたが、ボランティアのアイデアで消毒用マットに加工。社会福祉協議会などを通じて、各家庭に配布してもらいました。

 また、私たちの元にはタオルだけでなく、多くのメッセージも送られてきたので、タオルと一緒に作業員へ届けていました。「豚さん、牛さんへ 天国へ行っても仲良くしてください」という文章を見て作業員の皆さんが涙ぐんでいたのが印象的で、私たちがタオルやメッセージとともに、それに込められた思いも運んでいることを実感しました。

 計6万7500枚届いたタオル。さまざまな場所で使われ9千枚まで減りました。8月5日まで開催される全国高校総合文化祭の各会場に消毒マットを配ることで、私たちの活動は終わりを迎えます。

 私がこの活動を続けてきた原動力は「自分の町なのだから、自分が動かなければ」という思い。集まってくれたボランティアや自分のブログに書き込まれた応援の言葉に支えられ、何とかここまでやってこられました。口蹄疫のことを忘れず、経験を今後に生かすために、小学校などで今回の取り組みを紹介できたらいいと考えています。

【写真】タオルの入った段ボールが山積みの口蹄疫バスタオルプロジェクト本部(宮崎市)で、活動の軌跡を説明してくれた大谷さん。「この場所も無償で貸していただいている」と、関係者への感謝の念を語る

 おおたに のりふみ 1961(昭和36)年、宮崎市生まれ。宮崎西高、琉球大を経て小学校教諭となり、2003年からNPO法人「情報ボランティア事業団」代表。父、弟と3人暮らし。