中島優子ちゃんの訃報
テーマ:ブログきのうブログを書き終えたあと、友達からメールが届いた。
『急になんだけど…bice(中島優子さん)が7月26日に心筋梗塞で亡くなったんだって』と。
「うそ!」
すぐにでも電話でどういうことなのか訊きたかったかったけど、
風邪で声が上手く出ないからもどかしいけど「マジで?」と返信。
『ホームページに載ってる』
最初のメールが届いてすぐ、検索をしたけどサイトにうまく繋がらない。
イライラしながら再起動してもダメ。
いったん電源を切って再度立ち上げて、やっと繋がるようになった。
ホームページのはじめには「訃報」の文字。
本当でした。
bice=中島ちゃんと初めて会ったのはまだ本名の中島優子でデビューする前。
たぶん1993年秋。
中島ちゃんは20歳くらいで、可愛くて、おしゃれで、明るくて、前向きで、
とってもまぶしかった。
そしてソングライターとしての才能があると思った。天才だと。
音楽の詳しいことはわからないけど、
だからこそ素人の私でも、すぐに覚えてしまうというか、
耳に残るキャッチーなメロディーをたくさん作れる彼女をすごいと思った。
その頃はデビュー前で、曲を作っては事務所に持って行って聴いてもらうということを
くりかえしてた中島ちゃん。
ジャンルは違ってたけど、「お互い頑張ろうね」って言いながら渋谷駅までの道を歩いたこともあった。
1994年中島優子デビュー
「サインして下さい!」と言って書いてもらった。
中島ちゃんがデビューして、一人暮らしを始めたのが世田谷。
自転車で行ける距離だったので、時々部屋へも遊びに行った。
「露天風呂があるんだって!行こうよ!」と言われて、用賀の銭湯へ行ったり、
「歌の練習がしたい!」と言うんで、昼からカラオケに行ったりした。
中島ちゃんは何を歌っても上手かった。
近くのファミレスで試験前の高校生みたいに顔突き合わせて詞を考えたりもした。
高校生と違うのは、撮影のため中島ちゃんの髪が真赤だった事。
黒い猫を飼い始めたこともあったね。
名前なんだったかなぁ。
散歩用にと思って猫用のリード買ったのに、渡せないままここにまだある。
思い出しはじめたらいろいろ出てきた。
1998年にbiceとしてデビュー。
すでに事務所を辞めていた私だったけど、
声をかけてもらったので観に行った。
その頃写真を撮ることに興味を持ち始めていた私は、
ライヴの写真を撮った。
1998年9月19日@shimokitazawa CLUB251
(プリントをケータイで撮ったものです)
これ以降、ぱったりと連絡を取り合うこともなくなった。
でも私はたまにCDshopでbiceのCDを見つけると買ったりしていた。
ちゃんと聴いてるよって言おうと思って。
去年、久し振りに買った自分のパソコンで検索したら、
2008年に結婚をしていた。
心からよかったねって思った。
いつかまた逢えたら「おめでとう」って言おうと思ってた。
ちゃんと知ってるよって言おうと思ってた。
でももう会えないんだね、中島ちゃん。
私はいまでもアルバム『charmless?』好きだよ。
ファミレスでの出来事の後できたミニ・アルバム
(1996年)
1 ■無題
まだ若かったのに・・・胸が詰まります。
貴重な写真とお話どうもありがとうございました。
90年代の、まだ彼女を知らなかった頃の
エピソードが聞けて嬉しかったです。
追悼の気持ちを込めて、ささやかですが
biceのグルっぽを作りましたので
よろしければ、いらしてください。
http://group.ameba.jp/group/XLMyfjB1NThr/