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[18791] 【化物語SS】なでこエンジェル~その4~(短編)/まよいメイド【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/08/04 23:39
【番外編/特別編】
《なでこエンジェル/その1》
 天使。作者の撫子成分が不足していたので、脈絡なく撫子の短編をお送りします。『誑物語』は関係なし。

《なでこエンジェル/その2》
 なでこマイマイ。運命の2択……もしくは3択。作者の割合は【黄=4:青=1:黒=0】。
 遊園地の(元の)名前は、気付ける人なら気付ける、お遊び満載の名前というか引用です。

《なでこエンジェル/その3》
 なでこサンド。流れのままに書いてたら、どんどん長くなってしまう。

《なでこエンジェル/その4》
  なでこイーター。ここからが『なでこエンジェル』の本番です。


《ひたぎバースデイ》
 暴言毒舌。『七夕伝説』を大切にしたいという方は絶対に見ないで下さい。
 ネタバレなしの短編読切り。

 
◆この作品は、『化物語』の二次創作です。
◇時間軸としては偽物語後の話なので、ネタバレなどが気になる方はご注意の程を。
◆原作でもそうですが、メタ発言や他作品のネタなどがありますので、ご容赦下さい。
◇感想など頂けましたら幸いですし、誤字・脱字などもありましたら、併せてご一報下さい。とても励みにもなります。
◆【海編】から怪異譚メインの展開となります。その為オリジナル要素がより一層強くなると思われます。
◇拙い文章ですが、少しでもお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

◆【誑物語】(キョウモノガタリ)が僭越ながらこの物語の題名です。
 主題:《まよいメイド》《こよみフィッシュ》
 副題:《つばさテレフォン》《なでこホーム》《するがマーク》《ひたぎリターン》《しのぶルアー》
※この主題・副題の他にもネタバレ防止の為、載せていない題名があります。
※プロットは完成済みですので執筆終了次第、随時更新させて貰う予定です。


【日常編】
《まよいメイド/その1~4》
 八九寺P。暦と八九寺のいつも通りの掛け合いがメインです。馬鹿な会話、雑談をお楽しみ下さい。

《つばさテレフォン/その1》
 本物。羽川さんのお陰でやっと本筋が進みました。最後の方に少しだけ遊び心を入れてみました。

《なでこホーム/その1~3》
 ラスボス。撫子に水着を借りに行くお話。短編としても読めるかも……
 これで撫子編は一区切り。フラグが発生しているので、後日談『なでこハント』も執筆予定。

《するがマーク/その1~4》
 変態。暦と神原による掛け合いです。これで神原編も一区切り。

《ひたぎリターン/その1~2》
 ツンドロ。諸事情(偽物語[下]参照)により“戦場ヶ原ひたぎ”のイメージから逸脱したキャラになっています。
 何より参考資料が皆無の為、全て作者の妄想です。その点は予めご了承下さい。
 
【海編】
《まよいメイド/その5~9》
 八九寺S。動き始める物語。果たして、八九寺に待ち受けている運命とは……

《今後の展開、注釈のようなもの》
 ただ今小休止中。『なでこエンジェル』終了次第再開。



[18791] 【化物語】誑惑なる序章【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/05/20 17:58
 この物語を語るにおいて、先に謝っておくことがある。
 残念ながら僕はこの物語を、一語あまさず最後まで語ることができなかった。


 なぜなら、僕の心が支配されてしまったから。自我を保つ事も不可能となり、脳が軋み絞め付けられ、全ての情報が遮断され僕の意識は消し飛んだ。完全に完璧に為す術なく闇に堕ちていき、僕はそう、意識を奪い取られてしまった。

 身体の自由は奪われ、一切の行動も許されることなく、ただ奴隷のように盲従するしかない。精神は深い闇の中へと引きずり込まれ、僕は当事者の立場でありながら傍観者へと移行してしまったのだ。
 いや、傍観者ですらないのかもしれない。行く末を見届けることも叶わぬただの部外者に堕ちてしまったのだから。
 
 そんな不甲斐無い僕をどうか許して欲しい。



 そして見知らぬところで世界から隔絶されたあなたに、哀悼の意を表する。だが僕はあなたに捧げるべき手向けの言葉を持っていないし、僕があなたに同情することは見当違いな偽善になるのだろう。あの選択が最善だったとは思わないし、然るべき判断を下せば、違った未来があったはずだ。

 あなたを殺してしまったのは僕、つまり阿良々木暦なのだから、呪うのならば呪ってくれて構わない。あなたの身体を八つ裂きにし、あなたを葬り去ったのは阿良々木暦。それだけはどうか間違えないで欲しい。






 そして何よりも、僕の彼女であるところの戦場ヶ原ひたぎに、最大限の謝罪を伝えよう。



 約束を破って、……ゴメン。




 でも僕は、これからも約束を破り続けるのだろう。








[18791] 【化物語】まよいメイド~その1~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 18:21
 茹だるような暑さが続く夏真っ盛り。ここ最近は雨が降ることもなく、今日こんにちに至っては雲ひとつない見事なまでの快晴だ。

 しかしそれは、一時でさえ遮蔽物である雲の恩恵を受けることが出来ないということで、日陰がない街中を歩く者にとっては堪ったものではない。
 暑さにやられ、うな垂れるように前傾姿勢。両手はだらりと下がり、だらしなく口は開かれ、息も絶え絶えに歩みを進める姿は、ゾンビもかく言うやといった有様。
 汗で服は湿り気を帯び、肌に付着し気持ち悪く、顔はだらしなく歪んでいることだろう。

 八月も残り僅かとなったが、まだ秋の気配を感じることは無かった。
 燦々と照り続ける凶悪なまでの陽光は、吸血鬼でなくとも人間の肌を熱く焦がす。

 ただ僕を人間と定義するのは、些か問題が生じるかもしれない。
 人間のなり損ない。吸血鬼のなり損ない。中途半端。どっちつかずの宙ぶらりん。白でもなければ黒でもない、曖昧極まりない、混じり合った人間だったモノだ。
 
 地獄のような二週間を経て、僕はそういう存在に成り果てた。地獄を共にした伝説の吸血鬼を道連れにして。


 鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、怪異殺しの怪異の王との詳細については、既に語り終えたことなので、それについてはもういいだろう。
 ただ言える事として、僕の人生第一の分水嶺となったということ。
 選択選次第では、生きている事さえかなわなかった。もしくは生き続けるしかない。

 人生においては短くも、体感としては果てしないその二週間に、文字通り皮膚を焼かれ、いや、焼くなんて表現では生ぬるい、焼き爛れ燃焼し、存在そのものが気化する程の稀有な体験がある身としては、こうしてお天道様の下を歩けるだけで、感謝を示さなければならない。


 嗚呼、生きているって素晴らしい。


 そんな能天気で頭空っぽの享楽的な思考になっているのは、本日の家庭教師担当が羽川だったからに他ならない。奇数日は羽川。偶数日は戦場ヶ原。
 そのような日にち担当制で、家庭教師の任について貰っている。

 とは言っても、とある事情で盆休みに入る少し前から、父方の田舎に里帰りしている戦場ヶ原の穴を埋めるべく、連日羽川のお世話になっていた期間もあるのだが。今は元通りの担当制だ。
 誤解をされては困るので言及しておくが、例え戦場ヶ原が担当だったとしても、“今の”戦場ヶ原との勉強なら望むところである。
 少々問題が生じている状況ではあるのだけど、これは贅沢な懊悩おうのうだろう。
 この戦場ヶ原の変貌、やり取りについて語る機会が来るのかは判らないが、あったとしたら心して掛かってほしい。

 最強と(元)最凶のコンビが付いている僕がもし受験に失敗したとしたら、それはどんな言い訳も許されない僕自身の所為になるんだろうなぁ。


 まぁそんな訳で、羽川先生によるご指導の賜物、日増し僕の脳に皺が刻まれていっている。
 本来、僕にとっての勉強とは苦痛を伴う時間・作業に他ならないのだが、羽川と向かい合わせの勉強ならもうずっと勉強していていいぐらいだ。
 瞬時に幸せな時間へと昇華する。

 相も変わらず、制服姿の羽川ではあったけれども。卒業後も制服で過ごすんじゃないかと、危惧するのは考えすぎだろうか。僕が羽川の私服を拝むのはいったい何時になるのか。こないのか。
 
 受け身の態勢ではいけないのかもしれない。
 こちらからアプローチしていく必要性があるだろう。何かいい案はないものか。“鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす”である。

 そんな羽川の私服を拝見するには、どうすればいいのか知恵をしぼっていた、家路を辿る図書館からの帰り道。よく見知った後ろ姿が視界に入る。


 大きなリュックサックを背負った小柄な少女。
 足の運びに合わせて、両端に結わえた髪がピョコピョコ揺れている。あのツインテイルを見ていると、ついつい掴みたくなってしまうのは僕だけの衝動なのだろうか?
 同志がいれば是非御一報頂きたい。
 でも本人は嫌がるので、そんな大人気ないことはしないけどね。

 もう確認する必要などかもしれないが、紹介しよう。八九寺真宵である。
 迷い迷わせ迷わされ。母の日の公園で行き遭った蝸牛。
 正確に言うのなら、怪異としての……迷い牛として特性は既に喪失してしまっているので、蝸牛だったもの。人間だった少女。怪異に成った少女。目的地に帰り着いて、迷い牛から脱却した怪異。
 
 だとすれば、八九寺はなんなのか。
 
 そんなの明白だ。八九寺は八九寺。

 それ以上でも、それ以下でもなく。

 いや八九寺の言葉を借りるのならば、地縛霊から二階級特進した浮遊霊。このまま順調に昇進していったら、コイツは何になるのだろうか?

 もしかしたら僕の背後霊になる日が来るかもしれない。
 絶えず僕の後に追ってくる。付いてくるのでなく、憑いてくる。やばい! めちゃくちゃ楽しそうだ。

 楽しそうではあるが、もう既に僕には背後……ではなく僕の影の中には似たような存在が居るのでどういう反応をするのだろうか……。
 折り合いが悪そうだよな、この二人って。
 
 見た目はほぼ同い年ではあるが、怪異として生きてきた年月の違いは如何ともしがたい。でも年輩者の忍のほうが問題あるかもしれない。
 八九寺なんかは意外に大人な対応をしそうだが、忍の度量はことのほか狭い。



 例えばこんな話がある。
 忍のお願いで――駄々を捏ねられたとも言う――ミスタードーナツに向かった。
 勿論全品100円セールの財布に優しい日。
 あまり僕自身の取り分を買うことはなかったのだが、その日は自分用に1個、忍用に5個買ったのだ。
 そして家に帰りドーナツを食べようとした時。僕用に買ったエンゼルフレンチを手に取った時。
 忍は叫んだ。あらん限りの絶叫で。「またれよ!!」と。
 何事かと思い、しどろもどろしている隙に、忍は僕の手にあるエンゼルフレンチを目にも留まらぬ早業で奪い取っていた。

 そこで僕は思い至った。
 前にもこんなことがあったなと。前にもこうして僕の手からドーナツを強奪したのだ。
 その時の理由はこうだ。なんか無性に僕が食べてるモノのほうが美味しそうに見えた。
 
 僕にだってしばしばある。ただ僕は強奪なんかしないが。
 だから今回も忍は、僕が選んだドーナツが食べたくなってしまったのだろうと。

 しかし、そこでまたも思い至る。
 確か今日、忍用に選んだドーナツの中にも、エンゼルフレンチがあったはずなのだが……。呆気にとられて、ツッコミを入れることも出来ず忍の動向を見守っていると、忍は空いているほうの手で箱の中からドーナツを掴み取る。

 忍の両手にはエンゼルフレンチが一つずつ。どこからどう見ても同一商品である。
 声を掛けようとするも、忍にはおいそれと声は掛けられない鬼気迫る気迫が漂っていた。
 忍は矯めつ眇めつ手にしたドーナツを睨みつける。もうそれは穴が空くほどじ~っと見据えている。言うまでもないがドーナツの穴とは別の意味合いで。
 
 そして、時計の秒針が一周する程の時間を経てから、忍が発した言葉はこれだ。

「お前様のチョコのほうが多いではないか!!」

 それはもう、糾弾するように。もう無条件に僕が謝ってしまうぐらいの剣幕だった。
 忍の言い分を説明するならば、エンゼルフレンチにあしらわれたチョコ(ドーナツの三分の一ぐらいにチョコが浸けられている)の分量の違いが気に入らなかったらしい。
 僕には、その微量の差異を見抜くことはできなかったが。
 切り分けたケーキの大きさで、妹達と揉めた事がある身ではあるが、これは酷い。器が小さすぎるぞ元怪異の王。


 そんな忍ではあるが、本来の気質としては、君臨する者、支配する者なのだ。そう易々と他者と相馴れるような存在ではないということ。

 まぁ今と成っては、僕の元主人でありながら、同時に僕の現従僕の立場なのでどう対応するかは判らない。
 不当に忍の評価を下げる憶測をするのは、邪推というものなのでこの辺でやめて置くことにする。


 なんだか脱線しているが、今は八九寺をどうするかが大事なのである。
 八九寺は僕に気付くことなく、数メートル前を歩いている。これ以上不用意に近づくと、気取られてしまう可能性があるので、一定の距離を保って後をつける。
 なんか僕の行動って文字に起こして、第三者に見せたら犯罪者そのものに映ってしまうのではないだろうか……。

 近頃の僕は斜に構えた態度で、捻くれた物言いをしていたが、もう自分を騙すような真似はしない。
 僕は八九寺が好きだ! 愛している! 愛しくて堪らない! さぁ今日はどう愛でてやろうか。

 八九寺は小学五年生にしては、発育のいい身体つきをしている。
 胸も僕のお陰で成長しているとか、してないなとか。これは本人談の真偽が疑わしい申し立てだけどさ。
 
 胸の大きさが下の妹といい勝負なのは確かではあった。お兄ちゃんは妹のおっぱい触りすぎなのである。書店用ポップとしてこの言葉を採用した書店さんはあったのだろうか?
 あったのなら最大限の賛辞を送らなければならない。

 前回は忍の妨害工作により、スキンシップをすることは叶わなかったが、もう邪魔される心配は無い。忍からの提案ではあったが、ミスドに連れて行くとの条件で八九寺との逢瀬の邪魔はしないという運びになったのだ!
 ただ、これからは忍をミスドに最低月一で連れて行ってやらなければならないが。
 月一回で済めばいいのだが……忍のミスタードーナツに懸ける熱情は尋常じゃないからな。

 さて、存分に愛でることができると決まれば問題は一つ。
 相思相愛の仲なのはもう疑う余地のない事実なのだが、どうにも八九寺は恥ずかしがり屋さんである。僕のこの高まった寵愛ちょうあいをどうすれば、余すことなく八九寺に伝えきることができるかだ。


 よし、決めた。



 後ろから忍び寄って、八九寺を羽交い絞めにしてみた。

「はちくじいぃぃ!! 会いたかったぞぉ! もう可愛いなぁコイツ! どれどれ胸の成長度合いはどうなんだ!」
「いやぁあああああああああ!!!?」
 
 リュックがクッションになってしまい、八九寺の身体に密着できないのが不本意ではあるが、その分、両手で胸を鷲掴みにしてみたりなんかしたりして。
 成長しているかは判断しかねるが、小学生にしては及第点だろう。

「きゃーっ!きゃーっ!きゃーっ!?」
「おい、じたばたするんじゃない!」
「ぎゃああああーっ!ぎゃーっ!ぎゃーっ!!」
「あーもう大声だすんじゃない!口塞ぐぞこのヤロウ!!」

 いや、此処で不用意に手で塞ごうとするから手を噛まれたりして、いつも反撃を喰らってしまうんだ。
 そうだ。僕のこの抱えきれないほどに膨れ上がった八九寺への愛を伝える最上の手段が残っていたではないか。
 唇と唇を合わせる。キッスこそ類稀なる愛の形である。なんかの映像作品でみたことあるな、取り乱して喚く女性の口をキス塞ぐ。
 胸も散々揉みしだいてきたし、頬にキスしたことがあるんだ。もうそろそろ次のステップにいってもいいだろう。

「さぁ八九寺!大人しくするんだ!!」
「がるぅっううううううううううう、きしゃあああーーーーー!」
 
 犬と蛇が合わさったような威嚇だ。後ろから抱きすくめるようにしているので、口付けをするのに些か困難ではある。それでも、どうにか左手で八九寺の頭を固定し、顔を近づけていく。あと少し。

 そして遂に――――僕の唇が八九寺に辿り着いた。



「ッ!!!」
 唇を噛まれた。
 僕の唇を喰いちぎらんばかりの力。口を塞ぐつもりが、逆に塞がれる形になってしまい声を出す事もままならない。

 痛い。これは腕を噛まれるとかより断然痛い。唇ってやっぱり繊細な部分なんだなと、身をもって体感する。とんだディープキスだった。
 もう目が血走っていて八九寺は正気を保ってない。八九寺野獣化モードだ。
 降参の意志を示すため僕は必死になって八九寺の胸をタップする。


 噛む力が増した。


 そこからどうにか、八九寺を引き剥がし、宥めすかせ正気に戻すことに成功する。

「あ、あなたは……赤裸々さんではないですか」
「僕の名前を、何も身に付けていないと言う意味の『赤裸』の強調形で、神原が喜んで食いつきそうな言葉で呼ぶな。ほんとに変態みたいじゃねぇか。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
「噛みまみた?」
「疑問系!?」

 ちゃんと展開していけよ。対応できるように構えてたのに思わず聞き返しちまったじゃねぇか。それはともかく、口元に手を当てて小首かしげてるのが可愛いかったりする。

「質問に質問を返すなんて愚の骨頂ですね阿良々木さん。いつになったら成長なさるんですか」
 毎度毎度、評価の厳しい奴だ。成長しない八九寺に言われるとなんとも不甲斐無い気がする。

「まぁ待て。さっきは失敗しちまったが、今度こそ満足いく対応してやるさ」
「相変わらず口先だけの人ですよねぇ、阿良々木さんって。進歩がみられません。しょうがないです。もう一回だけ挑戦するチャンスを差し上げましょう」

 どこからも上から目線な奴である。戦場ヶ原とまた違った目線ではあるが。(旧)戦場ヶ原ぐらいになると見下すというよりは見落す、だったからな。
 
 八九寺は一方的にそう告げると、何事もなかったように僕の前を歩いていく。
 僕としては、次回の機会にでもリベンジしてやるという意気込みで言った言葉だったのだが善は急げということなのだろう。
 リテイク。もう一回。
 さっきのやり取りは無かった事にして、もう一度やり直しをさせてくれるということらしい。なんとも粋な計らいだった。頭が上がらない。感服する懐の深さだ。


 ん……まてよ。と言う事は、もう一度僕は八九寺に“触って”もいいと言うことなのだろうか。まぁこれは僕と八九寺との間では恒例の挨拶。通過儀礼なようなもので、僕としても義務のように果たしてきただけなんだけどさ。

 でも、八九寺の厚意を無下にしてまで意固地になるようなことでもない。
 今此の時は、この瞬間にしかないのだ。こうして最近は八九寺とよく出くわしてはいるが、いつ会えなくなるとも限らない。
 忍野がそうであったように……本来、出会いとは一期一会で臨まなければならないもの。

 八九寺と会える幸せが、“あたりまえ”になってはいけないのだ。幸せに慣れては、幸せも幸せでなくなる。


 だから僕は――――




[18791] 【化物語】まよいメイド~その2~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 18:38
 ――――余すことなく、八九寺を感じることにした。

「はっちくじいいい!! もっとじっくり揉ませろ!! 触らせろぉおお!! 抱きしめさせろぉおおおお!!!」
「きゃー痴漢ですーー!!」
「ちょ! おい、え!? お前!!」

 恥らい、身を護るように嫌々する八九寺だった。しかも台詞が棒読みくさい。
 いつものように叫びまくって噛み付いてこいよ。なんで乙女のような反応してんだコイツ。これじゃ僕がまるで、閑静な住宅街を歩く幼気な少女に不埒な行いをしようとしている危ない奴……まさに痴漢みたいじゃないか。
 いやそうなのだろうけど。

 思わず辺りを確認してしまう。焦っていたので、ちゃんと確認できたかは判らないが、夏休みといえ通行人の影も形もなかった……はずだ。てか、この町ほんと人がいないな。映像化に優しい物語である。

 しかしながら一部では小学生女子にセクハラをする高校生男子の姿が目撃されている、と噂になり始めているだけに油断はできない。
 スキンシップするのには厳重な事前確認が必要不可欠となってきそうだ。

 ただそもそも今回は、両者合意のうえでのじゃれ合いみたいなものだったはずだ。これは裏切り行為である。約束が違う。
 明確な約束は交わさなかったが、暗黙の了解で、意を汲むのがプロというものだろう。

「おい。八九寺! 僕だ僕。阿良々木。阿良々木暦だ。間違っても痴漢じゃないぞ」
「なんだ、アララト山じゃないですか」
「僕の名前を旧約聖書に登場するノアの箱舟の漂流地点とされる、トルコ東部にある成層火山の名前で呼ぶな。それに、ついには敬称にまで意味が含まれてんじゃねぇか。奇をてらいすぎだろ。もう言っても言わなくても変わりはないかもしれないが、僕は言い続けるぞ。僕の名前は阿良々木だ」

 どうにか軌道修正は果たしたが、ここからが八九寺の真骨頂。勝負はここからなのだから、気は抜けない。

「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「阿良々木さんは何でも知ってますね」
「なんでもは知らないよ。知ってるこ……って何で対羽川用の台詞を僕にふってくるんだ!」

 確かに僕程度の頭で、アララト山のようなピンポイントな山の名前を知っていたのは奇跡に近いかもしれないが……余計な知識だけは豊富なのである。
 いや、それよりも八九寺もなんでこんな火山の名前を知っているのか大いに疑問だが。
 こいつはこいつで研究しているのかもしれない。奇妙な勝負が成立しているな。

 そんなことよりも、
「それは僕にだけ許された、僕だけのふりだ」
「うわぁ~凄い独占欲ですねぇ。それに私の記憶が確かでしたら、千石さんをつかって羽川さんに、例の台詞を言わそうと画策してらっしゃいませんでしたっけ?」
「うっ」

 痛いところをつかれた。あの後、羽川に呼び出しをくらって厳重注意をうけたのだ。確かに姑息な手段だったかもしれない。
 ただ僕は羽川に怒られるのはそこまで怖くない。寧ろご褒美といって差し支えない。
 しかし、羽川に嫌われるのは怖い。怖すぎる。羽川に嫌われたりなんかしたらもう生きていく自信がない。
 よく判らない方はブルーレイorDVD第5巻、つばさキャット第壹話のオーディオコメンタリー(副音声)を要チェックだ。


「それはともかく、八九寺。お前って、もう地縛霊の類じゃないんだよな。なら、この町を離れて、どっか行くことも可能なわけだ」
「露骨に話を逸らしますね。まぁそうですね。ええ、どこにでも逝けると思いますよ」
「おい待て。なんか不吉な“いく”だった気がするんだが……」
「気のせいですよ。ですが、どうしたんです急に?」
「いや、勉強も切りのいい所まで終ったしさ」
「ほう、つまり?」
「お前さえよければ、一緒にどっか行かないかなんて」
「行きません」

 ぷいっとそっぽを向く八九寺だった。容赦なかった。微塵の配慮もなかった。泣いてなんかないやい。
 くそっ。こんな苛めに負けるような僕じゃない。

 ふぅ。首を巡らし、そっと辺りの街並みに視線を向ける。
 人通りは少ない道だが、それでもどこか全体的に活気づいてきている。もう昼も過ぎて、一番町が機能し始める時間帯だ。耳を澄ませば小鳥の囀りも届いて、実に清々しい気分になる。
 こんな日はいい事が起こりそうな予感がする。

「そうそう、これから一緒にどっか行かないか?」
「行きません。同じ台詞を言われても、反応が変わる訳ないじゃないですか。なに、いま始めて言ったみたいな風装ってるんですか。モノローグまで使って仕切りなおさないでください!」

 いや、なんでこいつは、人のモノローグにまでケチをつけることができるんだ!?
 人の心の内にまで言及してツッコミを入れてくるなんてマナー違反だろうが。

「反応されず、流されるほうがつらいって事を知っておいたほうがいいですよ」
「それは確かに……」

 って、また見透かされている。しかも年長者からの助言的ニュアンスでだ。
 こいつは何様なんだ?
 スルーでいいんだろうか? いやスルーしたほうが身のためな気がする。

「ってお前、暇だろ。いいじゃねぇか」
「失礼な事を仰いますね。私はいま崇高な使命を果たしている真っ最中なんです。ほっといて下さい」
「いったい何だよ、使命って?」
「領土の拡大です」
「より一層わからなくなったよ!」

 領土って、どこの武将だ。

「こうして一定周期に臭いをつけて回らないと、居場所を奪われちゃいますからね」
「それってマーキングじゃねぇか!?」

 怪異にも縄張り意識なんてものがあるんだろうか。謎である。
 八九寺自身の為にも、マーキング方法については聞かないことにする。


「まぁそう先走って結論を出すこともないだろ。このままプランも聞かず、僕を帰すと後悔するんじゃないか?」

 含みを持った声で、いかにも何かあると、気持ちを揺り動かす声音で告げる。
 気になるだろう。さぁ身悶えるがいい。どうだ。ほら。あの。あれ。その。なんで。あれれ。おかしいな。なんでだろ。こんなはずじゃ。

「このまま僕を帰すと後悔するぞ」

 念の為、もう一回言ってみた。10秒程律儀に、待ってみたが反応はなかった。
 なぜ? なんで? いや。判っている。判ってるんだけどさ。
 こちらの存在を認知しないかのように僕から背を向け、歩き去る八九寺の後姿が目に沁みる。
 あぁこれが“反応されず、流されるほうがつらい”ってことか……確かにこれは堪える。
 有限実行。こんな即座に行動に移すことはなんて、あんまりじゃなかろうか?
 これじゃ言葉の壁当てだ。寂しすぎる。


「おいコラ」
 堪らず、八九寺のリュックを引っ掴み、否応でもこちらに注目させてやる。
「まだ何かご用ですか?」
 愛嬌もなく、仕方なしといった感じで、視線を寄越す八九寺だった。

「そうだな、今日はお出かけする気分じゃないんだよな。まぁそれは日を改めるとしてだな」
「改めもしません。誰の誘いにでもホイホイ付いて行っちゃうような、軽い女だと思わないで下さい! 私は高値の花なんですから! 阿良々木さん如きの預金じゃ買えません」
「いろいろツッコミたいところではあるが、とりあえず“高嶺”の花な。なんか意味合いは通じてる気がするけどさ」

 それにお前、お小遣いあげただけで簡単についてきちゃってるからな。前科持ちである。

「それになぁ、違うだろ。これは日がな一日当て所も無く歩き回ってる、お前の思い出作りに僕が気を利かせてんだろ。小学生如きがお高くとまってんじゃねぇよ」
「押し付けがましい人ですね」
「だからさ、デートいこうぜ!」
「いつのまにか、お出かけからデートに成り代わってますっ!」
「あんなに愛し合った仲じゃないか」
「その認識は間違いです! 一方的な行為で勝手に勘違いされちゃ困ります! あんなのセクハラ以外の何モノでもありませんっ!」
「馬鹿言うなよ。好きあった者同士が、触れ合うことに何の問題があるって言うんだ?」
「まず前提が間違っている事に、気づいて下さい。出るとこに出て訴えますよ!」
「男女の愛が法になんかに縛られて堪るか!」
「その愛が成立していないことに、早く気づくべきです!」
「恥ずかしいのは解るけどさ、いつまでもそんな態度してると、愛想尽かされちまうぞ」

 むきになって否定するのが、またいじらしいところだ。

「お前の愛にはちゃんと気付いてるんだ。早く素直になれ」
「ない物を気づかれてたまりますか! そんなものはこの世のどこを探しも存在しません。全く持って皆無です!」
「う~ん。ないっちゃないが……まぁあるとは言えないけどさ。僕は大きさにはこだわらないぜ? そんなモノで女の子を判断なんてしない。いや正直に言うとあるに越したことはないんだけどさ。でも、それはプラスαの要素であって、その子自体の本質を決めるもんなんかじゃない。とは言ったものの、羽川の、」
「いや、待ってください。いったい何の話になってるんですか!?」
「え? おっぱいの話じゃ」
「断じて違います!」

 馬鹿な会話だった。


「ですが、デートなら戦場ヶ原さんと思う存分、勝手に乳繰り合っていればいいじゃないですか」
 小学生が乳繰り合うとか言ってんじゃねぇ。こいつの語彙の選択は時に僕の予想を遥かに凌駕するな。

「だからさっきから言っているが、僕は八九寺との親交をもっと深めようとしてるんだから、お前が断るならこの話はもうお終いだ」
「いや、何度か断ったように記憶していますが……しょうがないですね。わかりました。阿良々木さん、遊びに行くような友達っていらっしゃらないですもんね。お供しましょう」
「それは了承の意志と受け取るが、素直に喜べねぇよ!」


「でも僕と八九寺って友達だろ!?」
「しかしヒイラギさん」
「僕の名前を樹葉の周りの棘が特徴的な、魔除けにも使われるモクセイ科常緑小高木のような名前で呼んでくれるな。もういったい何度同じ台詞を言ってきたか覚えてないほどに言い続けてきたが、僕の名前は阿良々木だ。あと、もしかしたらと思って言及しておくが、萌え系癒し四コマ原作アニメ。オタク娘と仲良くしている双子のツンデレツインテイルの姉と、中の人が一緒だからって言い間違えたなんて言ってくれるなよ」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
「か、噛んでなんていないんだからね!」
「うわっ!!本物だ!!かがみ様ッ!!」

 前屈みになって、びしっと人差し指を突き出すポーズまで再現してくれるとは!
 でも文字媒体でやるネタじゃないだろ、ちっとも伝わらなねぇよ。

「え~と、わたしと阿良々木さんが友達か否かという話ですけど、その前に一ついいでしょうか?」
「即座に肯定してくれないことに、少し戸惑いを覚えてるんだけど……なんだよ」
「男女間の友情は成立するのかってありますよね、阿良々木さんはいったいどう思われます?」
「さぁ僕に聞かれても言葉に困るけどさ。いや男女間の友情は成立すると思うよ……思うんだけどさ……」
「どうも歯切れが悪いですね」
「いや……僕、男の友達、居ないし……それがもし成立しないんじゃ、僕には友達一人もいないってことになるし。僕が語る資格ってないんじゃないのかなぁってさ、ははははは」

 もう乾いた笑いしか漏れない。
 そもそも数えれるうちは友“達”とは言えないと、小っこいほうの妹が言ってたっけな……友達百人できるかな、ってあんなの都市伝説の一種だよな。

「いや……あの……失言でした。ごめんなさい!わたしは阿良々木さんと友達ですから今にも泣き出しそうな顔しないで下さい!!」
「謝ってくれるな。でも、ありがとな」

 僕と八九寺が晴れて、友達と呼び合える仲になった瞬間だった。




[18791] 【化物語】まよいメイド~その3~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/24 19:16
 僕と八九寺は友情の証として、形式的ではあるが堅い握手を交し合った。
 
 最も僕と対等な友人は、きっと八九寺なんじゃないかと思う。
 恋人の戦場ヶ原でもなく、憧憬の対象である羽川でもない。先輩として慕ってくれる神原でもなしに、妹的存在の千石でもない。
 遠慮のない均等のとれた間柄なのが八九寺真宵なのである。八九寺と一緒に時間を過ごす心地よさは、筆舌に尽くし難い。

 勿論これは僕、阿良々木暦による一方的な八九寺の評価で、八九寺がどう感じているのかは、また別の話だ。僕と同じように思っていてくれたらと切に願っている。
 流石に恥ずかしくて僕のことをどう思っているかなんて聞くことは出来ないが。


「ときに阿良々木さん、小説、あぁこの場合ライトノベルやなんかも含めてですが、映像化されると残念な結果になることが多いと思われませんか?」
「お前、シャ○トさん喧嘩売ってんのか!?」

 何気なく振られた話にしては、受け答え次第で僕の人生を左右しそうな質問だ!
 僕はこいつの友達なんかじゃありません!

「いえ、わたしは既にシャ○トさんとは緊密な関係を築き上げていますから、そんなことはないですよ」
「八九寺Pだ!!」

 そう言えば八九寺Pの圧力は、羽川のオープニング映像さえ左右する権限を有しているんだったな。
 僕と八九寺さんは大の親友です!

「まぁ阿良々木さんの身長ぐらいなら、わたしの一言でどうにでも調整できるんですけどね。そんなことよりも、原作既読の方に起こり易い傾向なのですが、自分独自の世界観を作ってしまう、ってのがありますよね。
“絶世の”だとか“女神のような”なんかの最大級の褒め言葉が所狭しと散りばめられているから、頭の中で美化されまくりです。まぁ阿良々木さんには一生縁のない言葉達ですけど」

 僕の身長がそんなことの一言で流されてしまった。あとツッコミを入れたいのは山々だが、話の腰を折って八九寺Pの機嫌を損ねるのも拙いので話を進めることにする。

「そりゃ読む人が違えば、千差万別で、受け取りかたも違うだろうな。それがどうしたんだ?」
「ですが、作成される映像は一つです。幾多にもある固有の世界観に、全てが合致するような作品を作るなんて極めて困難です」
「まぁそれは仕方ないことだろ」

 時には自身の想像を凌駕する映像作品だってあるんだから、一概には言えないはずだ。

「こっちの方が肝なんですが、どうしても尺の都合上短く纏められ、原作の会話や、やり取りが削られてしまうのが頂けません。原作を既読してる人たちからすれば、どうしても物足りなくなってしまいます」
「でもこの作品の製作者様は優秀だから、あれは成功したと言っていい出来だろ」
「いいえ、わたしの削りに削った会話を完全再現すれば、まだ売り上げは膨れ上がったでしょう。その分阿良々木さんの台詞はカットしても構いませんけど」
「どんな自信だ!! お前、ほぼ僕としか喋ってないからな。お前の台詞、殆ど独り言になっちまうぞ!!」
「阿良々木さんの台詞は字幕対応にしますから、問題ありません。ギャルゲー仕様です」
「小学生がギャルゲーとか言うなよ!! でもなんか需要ありそうで怖い!!」

 只でさえアンサイクロペディアではアダルトゲームと揶揄されてるのにさ。
 あぁでもこれって僕が原因の一旦を担ってるんだよな。いや、僕はガハラさんルート一本のはずだ。

「残念ですが、阿良々木さんは今、まよいルートにまっしぐらです」
「人の心と勝手に会話するな!! って僕、八九寺攻略中なの!?」
「BADENDですけどね。ヤンデレルートです」
「何処の選択肢を間違ったんだよ、僕は!!」

 いや、心当たりは際限なく溢れるほどにあるけどさ。僕は八九寺に噛み殺されるんだろうか。

「あと問題があるとすれば、話の展開やらオチが解っちゃてるわけですから、どうしても緊張感やワクワク感が薄れてしまうということですね。ミステリーなんかだと、始めからトリックやら犯人が判明してるので面白さもそりゃ半減しちゃいます」
「あぁ、それは納得できるな。最高に面白かったRPGなんか、一度記憶をリセットしてやり直したいって思ったことあるし」
「まぁそんな所です。そこで打開策となる諸刃の剣が、原作にないオリジナル要素を組み込むってやつです。ですが、相当上手く作りあげないと、批判の対象になりますから難しいものですよね」
「そう考えると、アニメなんか見るときの評価は、もう少し労わってあげなきゃいけないな」
「もう大体何をやってもネタ被っちゃいますからね。意表を突くのは並大抵のことでは出来ません」

 同じ話を八回繰り返してみたり、実写映像を組み込んだり、話の時系列を入れ替えて放送したり、アニメの登場キャラ達が副音声を務めるってのも、意外性を狙った結果なのだろう。

「今までは映像化に伴う不利な点を述べてきましたが、有利な点となると映像による世界背景の理解のし易さや、音声や音響なんかが強みになります。音声では微妙な間であったりとか言葉に起伏をつけることが可能ですから、より台詞が栄えますし、雰囲気に適した音楽を流した時の相乗効果は計り知れません」
「お前が八九寺P足る所以が分かった気がするよ。ってこうしていつまでも無駄な雑談を繰り広げていたいけどさ、八九寺、そろそろ本筋に入らないと物語が進まないんだ」
「何をおっしゃいます阿良々木さん。無駄とはいいますけど、今までの会話の中にはもう、伏線が張り巡らされているんですよ!」
「マジで!!」

 これから僕に待ち受けている運命を、示唆するような会話があったのだろうか。
 碌な会話をしてきた気がしないのだけれど。



 本筋に戻って現状確認をすると、思い出作りの為に八九寺と何処かに遊びに行こうということだ。
 八九寺を遊びに誘ったものの、何するかとなるとまた困りものだな。八九寺は怪異なのだ。

 一番近い表現をするのならば幽霊に近い存在。
 僕の傍には“居る”が、他の誰かの傍には“居ない”。その存在を“知覚”してもらえない。
 羽川のように八九寺に気付ける人間もいるが、戦場ヶ原のようにその存在に気付けない人間もいる。
 どこにでもいて、どこにもいない。それが現実だ。

 だから不特定多数が集まる、公共の遊技場で遊ぶのは難しい。
 そしてこれは僕の個人的な理由なのだが、この炎天下のなか、意味も無く歩き回るのは正直辛い。八九寺との掛け合いは楽しいんだけど、このままでは脱水症状に陥りかねない。
 以上の要素を鑑みて、友達と遊びに行くという概念が長らく欠如していた僕だけれども、考えが無いわけではないのだ。

「お前の諸々の事情を踏まえて、遊びに行く場所として僕が考えたいい案があるんだけどさ」
「ほほう。聞きましょう」
「海に行こうぜ!!」

 夏と言えば海!! 我ながら安直だけど。

「それはほんとにわたしの事を、考慮したうえでの発言ですか!?人がいっぱいです!!」
「海といっても、その海には人がいないんだぜ!」
「という事はプライベートビーチですね! 阿良々木さん、大好きです!!」
「現金な奴だな。そんなわけないだろ。僕がそんなもの所有してる筈ない」
「ならば、なんだと言うんです?」

 勿論僕だって、このシーズン中の海水浴場が賑わってることぐらい把握している。深夜でもない限り人が絶えることはないだろう。

「そこは僕に考えがあるし、きっと大丈夫だ」
「阿良々木さんにしては頼もしい発言です! 少し見直しました!」
「任せろ。僕もやるときはやる男なんだ」
「しかしいいんですか。海なんかに行って」

 そこで八九寺が少し神妙な顔つきになって、難しい顔をした。

「なんでだよ。何か問題でもあるのか?」
「だって本編に海の描写なんてありませんよね? 勝手なことしていいんですか?」
「そこは大目にみてもらうしかないだろ。だが八九寺。僕達が住んでいるのは日本なのは確かだ。そして海に面していないのはたった8県なんだぜ。海ぐらい大丈夫さ」

 海がない都道府県は栃木、埼玉、群馬、山梨、長野、岐阜、滋賀、奈良のたった8県。
 う~ん、僕自分が住んでる都道府県知らないんだよな……。

「では表現を暈して水辺ってことにしたらどうでしょう。それなら川ないし湖に海なんでも対応できますよ」
「なんかせせこましいよ! こう言うのは堂々とした方がいいんだよ」

「それで、人が居ない海なんて本当に心当たりあるのですか?」
「まぁ待てよ。八九寺」

 僕だって考えなしに発言しているわけじゃないのだ。僕は徐にポケットから携帯電話を取り出した。そして発信履歴画面を呼び出し、通話ボタンを押す。
 そう、僕は確信していた。この方はなんでも知っているのだから、この人に聞けば教えてくれるはずだ。

「あ、もしもし羽川。僕だけど」
「清々しいぐらいに他力本願ですっ!!!」





[18791] 【化物語】つばさテレフォン~その1~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 18:53
『なぁに?阿良々木君。勉強で解らないところでもあったのかな?』

 羽川の第一声はやはりというか、流石というべきか、勉強に関する問だった。
 右手で勉強するのに疲れたら、左手で勉強するという、驚くべきスタンスを持つ羽川にとっては、日常的質問として勉強というものがあるのだ。
 羽川は当然の事として、僕が家に帰って復習に取り組んでいる、と思っているに違いない。僕が家で勉強もせず、小学生とのお喋りに興じて、あまつさえこれから遊びに行こうとしているなど、なんだか言い難くなってしまった。

 勉強の息抜き、気分転換なんて言うのは、言い訳に過ぎないと自覚している。
 それでもこういう事は、正直に伝えてしまった方がいいだろう。八九寺と遊ぶのも夏休み中じゃないと、難しいだろうし。

「そうじゃなくてさ、この辺に人気ひとけがなくて、誰も近づかないような、穴場的な海ってないか?」
『阿良々木君がどういう意図でそんなことを訊いてくるのか釈然としないんだけど、私はなんらかの片棒を担がされようとしているのかな?』

 電話越しではあるが、疑わしい目で睨まれている錯覚に陥る声だった。

「いや、違う違う。ちょっと八九寺の奴と一緒に遊んでやろうとしてさ――」
『あぁ、なるほどなるほど。真宵ちゃんを気遣っての判断ということね。そういうことなら喜んで協力させてもらうね』

 次いで説明しようとする僕の言葉を遮って、羽川は得心したように言う。
 こんな言葉足らずな説明でも、羽川は一を聞いて十を知れる奴だからな。いや、一を聞かずに百を知れる奴だ。

「察しが良くて助かるよ」

 勉強もせず遊びに惚けようとしているのに、その事に一切触れないのは羽川の優しさなのだろう。

『どういたしまして。私が知ってる限りだと、ここなんてどうかな』

 特に思い悩むこともなく、予想に違わず簡単に質問に答えてくれる羽川だった。
 そうして羽川から懇切丁寧な説明をうけ、山の中を進んだところにある、とある場所を教えてもらった。


『車ではいけないところだから、ちょっと大変だけどね』
「そもそも僕は免許も持っていないし、車なんて交通手段は元からないよ」

 車で行けないからこそ、家族連れや、旅行者なんかは、おいそれとは行けないってことなのだろう。
 住所と地名と目印となる建物を教えてもらい、後で念のためにメールにも書いて送ってくれるという。ほんと至れり尽せりである。迷わずに辿り着けば、自転車で一時間ちょっとといったところ。

『携帯のGPS機能を使えば、迷うことはないと思うけど』

 と羽川は言ってくれたが、携帯の特殊機能であるところのGPSを、僕はまだ使ったことがない。戦場ヶ原が使用をしているのは見たことあるけど。
 しかし、そんなことまで訊くのは、幾らなんでも情けなさ過ぎるので、黙っておく事にした。

 尚も心配性と言うべきか、面倒見のいい羽川は、こんなことも教えてくれた。

『目的地の少し手前に、お婆さんが営んでる野菜の販売所があるから、そこで話を聞けば、最終的な道のりも詳しく教えてくるはずだから』

 穴場と言うこともあって、目的の場所に行くには少々ややこしい道のりになるとのことらしい。

『あとそのお婆さんは、昼食をとる時は中に引っ込んじゃって、居ないように見えるかもしれないけど、呼べば出てきてくれるから』
「いや……ほんとお前はなんでも知ってるな」
『何でもは知らないわよ。知っていることだけ』

 これはホント、どういう経緯で手に入れた情報なのだろうか……勉強で知れることではないですよね羽川さん……。


『それから――』
 と羽川は、声のトーンを落とし、強調するように声を発した。

『海岸沿い近くに洞窟があって、中に小さな祠があるんだけど、危ないから絶対に近づいちゃ駄目だからね』

 なんだろう……なんかわかり易いフラグを頂戴した気がするのは気のせいだろうか?
 RPGで町の住人、怪しい老人なんかに【絶対あの場所には、近づいてはいけない】と言われたら、むしろそれは逆説的に向かわなければ、イベントが発生しないし、先に進めない。
 いやいやいやいや。現実世界をゲームの中の設定と混同して、同一視するなんて僕もどうかしている。
 これはまた逆説的に、その洞窟――祠に近づかなければ、絶対安全だし、危険なイベントも発生しないということ。
 こうして羽川が事前に忠告してくれたことで、いらぬ厄介ごとに、足を踏み入れないで済むってことなんだから、感謝すべきだろう。


「そこには、何か危ないもんでも祀ってあるのか?」

 やはりそれでも、知的好奇心というか、気になりはする。

『ん~話長くなるよ』
「うん。聞かせてくれ」

 羽川的には忠告だけで、済ませたかったようだが、僕は催促をしていた。なにより、羽川ボイスをずっと訊いていたいと言う、僕のよこしまな欲求があったからこそだけど。

『そこには古くから伝わる伝承があってね、その海浜かいひんには人魚が出没したらしいの。阿良々木君は人魚って知ってる?』

 人魚ぐらい知っているし、知らない奴のほう少ないだろ。羽川と言えど、馬鹿にし過ぎである。

「そりゃ知ってるよ。でもそんなに危険なものなのか?え~と上半身が人間の体で、下半身が魚。なんか綺麗で美女ってイメージあるよな。西欧の童話かなんかが起源じゃないのか?」

 最後のは完璧に勘であるが、大まかな情報としてはこれでいいんじゃないのだろうか。
 だが羽川が下した採点は『10点ってところかな』とのことらしい。

『人魚のことはマーフォークとも言われてるんだけど、馴染み深いのはマーメイドの方かな。でもマーメイドは若い女性の人魚のことで、男性だとマーマンって呼ばれてる』
「男の人魚なんているのかよ。マーマンって魚人?」

 ドラクエの、手を広げて爪で襲ってくる凶悪なモンスターのことしか思い浮かばないのは、僕の知識不足のせいなんだろうか。
 どうやら、全くもって僕は人魚のことを知らなかったらしい。

『阿良々木君は、リトル・マーメイドって知らない?』
「リトル・マーメイド………、あ!あぁ!あのディズニーアニメのか!」
『そうそれ。その主人公の人魚姫のお父さん、三叉の矛――トライデントを持った王様がそうなんだけど。思い出せそう?』
「ほんとだっ!!男の人魚いた!」

 奥底に仕舞われた記憶を、汲み取ってくれるようだ。やはり、羽川の誘導というか知識量の豊富さには驚かされる。

『人魚といえばロマンチックで哀れなイメージがあるのかもしれないけど、不吉な象徴とされることが多いし、人魚の性格は大概危険な生き物で、特に女の人魚は怖い存在なんだ。大抵の文学作品じゃ、人魚は最後まで幸せなままでいることないし、ちょっと不憫だね。若者に恋する性質だったり、歌で人を惑わせたり、海に人を引きずり込んだり、嵐を起こしたり。当然、優しい人魚の話もあるから誤解しちゃ駄目だよ』

「なるほどなぁ」

 羽川の解説には、ただ頷くばかりだった。


『あと人魚は西欧のものと思われがちだけど、中国や日本にも昔から人魚伝説が存在してるし、見聞録や民話なんかにも残っている。それこそ吸血鬼なんかよりも世界に浸透している存在と言えるかもしれないね。でも西欧で伝えられるものと、日本、中国の伝承とでは、形状や性質は全く違うんだ。東洋の人魚はかなり魚に近い形で、人間の部分は首より上だけの場合がほとんどで、結構怖いんだよ』

「それはあまり想像したくないな……シーマンみたいな感じか。てか日本にも人魚の話なんてあるんだなぁ。寡聞にして知らないけどさ」

『阿良々木君、思考放棄してるでしょ。駄目だよ、考えることを止めちゃ。あきらめたら、そこで試合終了なんだよ?』

 心底呆れたように言う羽川だった。そして何気に漫画にも精通している羽川が素敵である。
 僕が人魚のいったい何を知っていたと言うのだろうか……10点でも貰いすぎな気がする。むしろ間違った知識だから、減点でもおかしくない。

『阿良々木君だって“八百比丘尼”ぐらいなら知ってるんじゃない?』
「言われて思い出したけど、その話なら知ってるな」
『やっぱり』
「でも、大して内容も覚えていないんだけど……たしか人魚の肉を食べて不老不死になる話?」 

『まぁそんな感じ。八百比丘尼――はっぴゃくびくに、やおびくに――の伝承は日本各地にあって、地方によって細かな部分が異なるから粗筋だけね。ある漁村の宴会の席で、人魚の肉が振舞われたんだ。村の人たちは人魚の肉を食べれば、永遠の命と若さが手に入ることは知っていたんだけど、やっぱり気味悪く思っちゃって、食べた振りをして帰り道に捨てることにしたの。
でも一人だけ話を聞いていなかった男の人がいて、それが八百比丘尼のお父さんだった父親が隠してた人魚の肉を、娘さんが食べ、その結果、老けることなく生き続けた。その所為で、村の人からは怖がられちゃって、村を出て尼になり、諸国巡礼の旅をして貧しい人々を救って回る。
最後にはこの世を儚んで生きることにも飽き、岩窟に篭ってその生涯を閉じた。岩窟の中からは鐘を突く音が幾度も聞こえたとか。生きた年月は八百年だといわれているから八百比丘尼。人魚の肉による不老長寿は“死ねない体”じゃなく、単に“老けず寿命が長くなる”が通説らしいね』

 八百比丘尼の話を聞いて、考えてしまうのは吸血鬼の特性についてだろう。
 微細な違いではあるけれど、やはり吸血鬼の不死身、不死性と似ている。吸血鬼も“死ねない体”じゃなく、単に“死に難くなる”だけだ。
 日光を浴び続ければ死ぬし、心臓を杭で打たれても死ぬ。って心臓を杭で打たれたら人間でも死ぬよな……。他にも吸血鬼を殺す方法はいろいろあるのだ。無敵なんかじゃない。

『他にもまだ、多種多様な伝承なんかがあるし、それらを網羅するとなると、やっぱり忍野さんのような専門家じゃないと把握しきれないし、判らないだろうけどね。それこそ、まだ表に明かされていない闇に葬り去られた伝承もあるかもしれないし、忘れられた歴史もあるはずだよ。私が知ってるのは、知ってることだけ』

 落ち着いた、僕に言い聞かすような声音だった。
 というか、先手を打たれて、あの台詞を先に言われてしまった。僕としては、僕からのフリに応じて、言ってもらいたいんだけど……。

「脅すようなこと言うなよ」
『だって、阿良々木君、釘をさしておかなきゃ、自分から首を突っ込んじゃいそうだし』
「……そう……だな」

 羽川の言い分はわかる気がした。いや十二分に理解している。しなくちゃいけない。

「忠告は肝に銘じておくよ」
『そう。ならいいんだけど』

 重ね重ね、至れり尽せりだ。

「そうだ、羽川。汀目俊希みぎわめ としきって知ってるか?」
『人間失格でしょ』

 ここで名前を言わず、人間失格と言う辺りに羽川のセンスを感じる。

「さすが羽川、お前はなんでも知ってるな!」
『何でもは知らないわよ。知っていることだけ』

 この言葉を聞きたいが為だけに、脈絡も無い全く関係のない質問をする僕だった。
 この言葉を聞けただけで、僕は幸せだ!
 

 そんな僕は欠陥製品。

 戯言だけどね。



 そして、まだ最後にやるべき事が残っていた。というか、これが一番大事。

「なぁ羽川、お前もよかったら、一緒に海に来ないか?」

 ふふふふふ。気持ちの悪い笑みも、漏れると言うものだ。
 八九寺よ。お前は気付いていないだろうが、この計画は、僕が羽川の制服以外の姿を見るための礎だったのだ。用は八九寺と遊ぶなんてのは、おまけである。ビックリマンチョコに付いてくるお菓子のようなもんだ。本命は勿論シール。

 羽川の私服及び水着姿を見るためなら、僕はどんなことでもやってやるさ!
 君が私服になってくれるのなら、僕は悪にでもなる!
 流石に海に行ってまで、制服姿ということはないだろう。私服の羽川に、水着姿の羽川。なんて完璧な計画なんだ。

『脳内で盛り上がってるのに水をさすようで、申し訳ないんだけど、私、今日これからちょっと用事があるの。ごめんね、阿良々木君』
「え、脳内?あ、ああ。そうか……なら仕方ないな」

 急激に僕のやる気が、降下する。
 羽川公認のお休みだったのに……あぁ今日の勉強を早めに切り上げたのはその為だったのか……。羽川なら、事前にペース配分して勉強のスケジュールを組み立てるぐらい造作も無い。羽川の私服姿を拝むのは、現実不可能な幻想なのだろうか。

『ええ。じゃあまたね、阿良々木君』

 ツーツーと無機質な不通音が耳の横で鳴り響く。取らぬ狸の皮算用とはこのことだろう。
 
 僕の計画は脆くも崩れ去った。



[18791] 【化物語】まよいメイド~その4~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 19:03
「流石は羽川さん。ちゃんと海の場所も分かったようじゃないですか」

 電話だったので、八九寺には僕の声しか聞こえていないが、会話の流れとして、目的の場所をつきとめたことは聞き取れたようだ。
 目的は達したと揚々と無邪気な笑みを浮かべる八九寺だったが、僕の心はどん底だった。

「ああ、そっか……お前と海行くんだったな……」
「なんか急激にテンションが下がってますっ!?」
「羽川の水着姿が見れると思ったのに、寸胴ボディと一緒なんてなぁ……」
「確か前にもそんな失礼なこと言われた気がしますね。酷い言われようです」

 この前は否定したが、僕のモチベーションの半分は羽川のおっぱいで構成されていたらしい。いや訂正、羽川の制服以外の姿を見ることだ。

「先ほど交わした友情の握手は何だったんですか!?」
「あんなの仮初めの関係だよ。一過性の仮契約みたいなもんだ」
「あの手と手を取り合った握手は擬い物でした!!偽物です!!」
「いや、悪い冗談だ八九寺はぁ。お前と一緒に遊べるなんてはぁ、愉しみだなはぁ、僕のテンションはもう鰻滑りだぜ! はぁ
「合間合間にため息を挟まないで頂きたい! そして鰻滑りという表現が、どう言ったことを表しているのか存じませんが、この場合嫌な響きです! あと鰻だからって滑らないで下さい!流されちゃってます!」

 言うまでもないけど、本来は鰻上り。まぁ僕の心中を言い表すのならあれで正解だけど。
 それにしても、八九寺は八九寺でなかなかにツッコミが的確で鋭いな。痒いところに手が届くとでも言うのだろうか、欲しいところにツッコミを入れてくれる孫の手的存在。
 普段の僕はツッコミ役になることが多いから、やはり八九寺との関係性は貴重だ。

 全く持ってどうでもいい話だが、ため息の描写を連続ですると、ハァハァとなって、息の荒い怪しい奴になるよな。でも女性だった場合の描写だと、エロチシズムを感じるから不思議なもんである。


「こう見えてもわたし、着痩せするタイプですよ」
「いや、もうお前の胸は触診済みだ。そんな口から出任せに騙される僕じゃない」

 僕の気を引こうと、涙ぐましいアピールではあるが、所詮子供の戯言。僕の心には響かない。

「そんなもの水着姿になれば一目瞭然になるんだから、後々自分の首を絞めるような嘘をつくんじゃない」

 と、そこで僕は自身の言葉から、ある重大な見落としがある事に気付いた。これは完全に失念していた。

 八九寺の水着がない。




 折角、羽川に海の場所まで訊いて、ここまで事を進めてきたのに、水着がないからといって断念するのは忍びない。

「八九寺。そのリュックの中には水着が入っていたりしないのか?」

 駄目元ではあるが、とりあえず八九寺に聞いてみる事にした。

「阿良々木さん。わたしのリュックは、未来から来たドラ焼きが大好きな青い猫型ロボットの所持する、なんでもかんでも取り出せる便利な収納アイテムじゃないんですから、そんな都合よく入ってるわけありません」

 いや、もうそこまで的確に言及するなら、いっそ本名で呼んであげればいいんじゃないのか?どこに何の配慮をしているんだろうかコイツは。
 八九寺Pはそういった配慮もしなければならないんだろうか?八九寺がそうぼかすのなら、僕から明らかにするような事はしないけど。

「ならそのリュックの中には何が入ってるんだ?」
「入っているのは、着替えとかお泊りセットです。それにお母さんとの思い出の品とか。何の面白みも変哲もなくて、すみません」

 ちょっと地雷気味の質問だったのかもしれない。
 思い出の品とか言われると、面白半分で話すのもよくないだろう。八九寺自身は全く気にした様子もなく、けろりとしてたものだけど。

「でもさ、リュックから人形の手みたいなのが出てるけど、それは何の人形なんだ?結構鋭い爪が見えてるけどさ」

 まぁ話を逸らす意味もあったのだが、八九寺のリュックから覗いている、物体について尋ねてみた。
 全長、全体の造形は分からないが、結構な大きさだと思う。下手したらそれだけで、リュックの大半は埋まっているのかもしれない。パッと見、熊の手みたいな。



「阿良々木さんは気付いてはいけないところ……聞いてはいけないことを聞いてしまいましたね」

 八九寺の表情がかげり、真剣みを帯びた抑揚のない声になった。
 もしかして失敗したのかこれは!?地雷から逃れる筈だったのに、自ら飛び込んじゃった?

「ですが、阿良々木さんになら、もう打ち明けてもいい頃合いでしょう」

 なんだ。八九寺の過去を解き明かす重要なキーアイテムだというのだろうか。もしかしたら過去の家族との絆が、その人形には詰まっているのかもしれない。


「彼女にはいずれ登場してもらう予定だったのですが」
「女の子なの!?登場予定!?」

 何を言っているんだ、この幼女は?あの人形がどうしたというのだ!


「実は私の本体です」
「えっ!?お前は傀儡くぐつ人形だったのか!?」
「――あれ?――声が――遅れて――聞こえて――きます」
「しっかりリップシンクしてるよ!出来ないならするなよっ!!」

 ただ単に、言葉を区切って喋ってる残念な奴である。いっこく堂さんの技術は一朝一夕で身に付くものではないのだ。

「まぁそれは冗談ですけど、毎日お喋りしてますよ」
「それはお人形さん遊び的な、メルヘンチックな女の子がする遊びの延長なのか、それとも本当に意思の疎通を交えてるのか、どうなんだ!?」
「黙秘権を行使させて貰います。阿良々木さん、気をつけてください。この子が怒ったら私の力では押さえつけることができませんから」
「コイツ!! 動くよ!!」

 八九寺に危害を加えると、僕を襲ってきたりするんだろうか……これからは迂闊に八九寺をもてあそぶことが出来なくなるじゃないか!
 でも実際問題、八九寺が一人の時に何をしているのか知らないからなぁ。結構本気で人形とお喋りでもして気を紛らわしているのかもなと、哀愁を感じてみたり。

「で、どうしたもんかな。まぁ人目のない穴場だって言うのなら、別に水着なくてもいいか、全裸で泳いじゃえよ」
「嫌ですっ!考えたら、わたしかなり窮地に立たされていませんか!?羽川さんが誰も居ないというのなら、そうなのでしょうし、誰の助けも求められません」

 僕からの後退あとずさって距離を取る八九寺だった。僕の信用度は限りなく零に近いのだろうか。これは心外だ。

「僕が人目がないのをいいことに、厭らしい猥褻わいせつなことをするような男に見えるのか!?」

 真っ直ぐに八九寺の目を覗き込み、真摯しんしな態度を示す。

「どの口が言うんですか!? あぁ急激に身の危険を感じてきました。貞操の危機です」

 まぁそうだろうな、僕と八九寺の積み重ねてきた軌跡を思い返せば僕でもそう思うし。
 僕の脳内では既に、海でどうやって八九寺を可愛がってやろうかという、考えで埋め尽くされている。

 だが、このまま少女の猜疑心さいぎしんを煽り続けるのも好ましくない。

「心配するな八九寺。僕が巷でどう言われているのか忘れたのか?この町で一番人畜無害な男だぞ」
「あぁそう言えば、阿良々木さんはチキンで一生童貞野郎でしたから、その心配はありませんでしたね。あと数年すればクラスチェンジで魔法が使えますね」

 これは予期せぬ切り返しだった。魔法なんか使えるようになって堪るか!

「ははは、八九寺よ。僕には戦場ヶ原というれっきとした彼女が居るんだぞ。もうとっくに童貞なんか――」

 あれ……彼女が出来て三ヶ月もたとうかというのに、なぜ僕はまだ童貞のままなのだろう。最近はそれなりに親密になってきてるはずなのに。
 いや、僕は体目当てでガハラさんと付き合ってるわけじゃないんだし、別にそんなの問題ないじゃないか。
 そう童貞で、童貞で――

「童貞で何が悪いっ!!」

 小学生女子を相手に、八つ当たりもはなはだしい感情をぶつけ、高らかに童貞宣言をする滑稽極まりない男子高校生の姿が、そこにはあった。
 僕じゃなければ、どれほど喜ばしいことだろう。
 阿良々木暦の童貞喪失はまだ遠い。僕は崩れ落ち、地面に平伏したのだった。

 


「茫然自失としているところ、申し訳ないんですけど、葛城さん――佐」
「僕の名前を、汎用人型決戦兵器を用いた特務機関に所属する、戦闘指揮官のずぼらなお姉さんのような名前で呼ぶんじゃない。解り難いかもしれないからって、あとから言葉を付け足してくれたのは、お前の優しさかもしれないけれど、葛城さんでも意味は通じてるから心配するな」

 ちなみに、三佐に昇進したのはアニメ第拾弐話になってからで、それまでは一尉。劇場版『序』では二佐、『破』では一佐であるので留意が必要である。なんとも統一性がないよな。

 それにしてもコイツ、アニメ版のエヴァなんてよく知ってやがるな。いや、むしろ八九寺の本来の年齢を鑑みれば、アニメの方がドンピシャなのかもしれない。劇場版を見せたらどんな反応をするか、興味はあるな。『Q』が公開されたら一緒に鑑賞してみたいものだ。ちゃんと完結してくれるか不安も残るが。

「はぁさて、もう惰性のように言い続けることしか僕に残された道はないのかと、打開策を模索している最中ではあるが、僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
傀儡かいらいだ」
「やっぱりお前は操られていたのか!」

 “八九寺の本体、リュックの中の人形説”が僕の中で肥大しつつある。八九寺の存在自体が、アレであるだけに、一笑に付すことができないのが怖いところだ。



「それでですが阿良々木さん。水着が無ければ、誰かに借りることは出来ないのでしょうか?」

 そこで八九寺が最も道理にかなった、提案を提示してくれた。

「なるなど、確かにそれが一番現実的ではありそうだが……」

 新たな問題として、“小学五年生が着るような水着”を僕は誰に何と言って借りればいいんだ、ということ。



 まずは身近な存在としとして、肉親である妹達辺りから考えるのが妥当だろうか。
 “栂の木二中のファイヤーシスターズ”と言う大層な通り名を持つ僕の妹達、火憐ちゃんと月火ちゃん。よし、軽く脳内でシミュレーションをしてみよう。

『なぁ火憐ちゃん、月火ちゃん、小学生の時使ってた水着貸してくれないかな?』

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 もうその時点で、僕の家庭内の評価は考えて余り有る。
 変態鬼畜ロリコンの汚名は免れない。阿良々木家の汚点として、正義の名の下に僕が袋叩きになる――肉体言語と千枚通しによる強襲の未来ビジョンが視えた。多分、いや絶対、絶縁状を叩きつけられ、兄妹として縁が切られることだろう。
 妹達に借りるには、適した言い訳も思い浮かばないし、口やかましい妹達に頭を下げるのも癪だよなぁ。


 となると、不本意ではあるが、僕の友達の中に確実に持っていそうな奴がいる。
 言わずもがな僕の可愛い後輩、神原駿河のことだ。
 神原の部屋は、蒐集しゅうしゅう癖の所為で用途不明の物体やら、口ではとても言えないものが蔓延はびこっている。
 その中にはなぜか、水着は勿論、体操服(ブルマ含む)、チャイナ服、ナース服、ボンテージ、メイド服、セーラー服(学校指定外)やらの錚々そうそうたるコスプレ衣装が揃っていた。
いや、あいつ自身が着るのではなく、乙女レディーとして当然の嗜み、もしかした時の為だとかなんとかのたまっていたが。
 僕にはその理屈が解らないし、解ってはいけない事だろうと思う。
 だけど、あいつにもどう説明したもんだか……小学生女子が着るような水着の話なんてしてら、妙な食いつきというか、変な方向に話が進むのは目に見えているし、八九寺の身が危ぶまれる。


 最終的の保険ということで、神原は置いておくとして、可能性として持っていてもおかしくなく、説得も容易なのは千石なんじゃないだろうか。

 理由の説明も、ある程度ぼかしておけば納得してくれるだろうし、純真な千石なら邪推もしない。
 なにより、時間をそれほどかけている暇がないので、ご近所であるところの千石に当たってみるのが最良の選択じゃなかろうか。
 神原の家は自転車で行ってもそれなりの時間を要するからな。
 果たして、この夏休みに遊びにもいかず、千石が家に居るのかという懸念もあるのだが、とりあえず電話をかけてみる事にしよう。千石はまだ携帯を持っていないので、――現在、親と交渉中とのことらしいが――自宅にかけなければ、ならないのが難点だ。

 

 そして僕は千石の家に電話することにしたのだった。







 余談ではあるが、八九寺との会話の最中、羽川からのメールが届いていた。例のごとく、『拝啓』から始まり『早々不一』で終わる、手紙のような本格的仕様の文面。
 内容は目的地までの詳しい――いや詳しすぎる、道順、建物詳細や、信号の数、目印となる建物などが事細かに書かれている。
 それに、しっかりとGPS機能の使い方までしたためてくれていたのは驚きだった。

 やはり羽川は何でも知ってるし、何でもお見通しのようだ。





[18791] 【化物語】なでこホーム~その1~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/19 22:42
 僕は再びポケットから携帯電話を取り出すと、メモリーを呼び出し、千石の実家の番号を選択する。
 ガハラさんや、羽川なら発信履歴を見れば、すぐに掛けることが出来るが、千石は自宅電番ということもあるし、それほど頻繁に電話することもないからなぁ。
 さて、親御さんが出ても問題ないように、気持ちを落ち着け、失礼のない言葉遣いを心掛ける。
 通話ボタンを押し、呼び出し画面から、発信画面切り替わろうとするその刹那――

『もしもし!! 千石れすっ!! 暦お兄ちゃん!!』

 耳元から、つんざくような大声が発せられた。まだワンコールも鳴り終わっていないというのに。より表現に正確を期すのなら、繋がったとほぼ同時に千石撫子が電話に出ていた。

 以前、千石の家に遊びに行く直前に掛けた電話でもそうだったが、また噛んだなコイツ。
 確か、千石宅にお邪魔した時に部屋で見た電話は、今では大変珍しい、古式ゆかしいダイヤル式の黒電話で、ナンバーディスプレイなんて機能は、備えていない気がしたんだけど。
 いや、千石が自室に居るとは限らない。リビングなんかに、他の電話――ナンバーディスプレイ搭載のものがあって、千石はそちらの電話に出たんだろう。まだ僕が名乗っていないにも関わらず、僕だと解ったのはきっとそのせいだ。
 それはともかく携帯電話でもないのに、なぜ間髪を容れず、電話を取れたのか……なんて疑問が浮かんだが、それは偶々たまたま近く居ただけなんだろうけど。

「あぁ千石か?元気いいなぁ、な――」

 あ、ヤバイ! なんか流れで、アイツの決め台詞を言ってしまいそうな、妙な衝動に駆られてしまった。なんとか自重、自制することができたけど、なんで僕が忍野なんかを模倣しなきゃいけないんだ。剣呑剣呑。

 ん~今頃は何処で何やってんだろうか。もう会うことも無いのだろうが、ちゃんと礼を言っておきたい気持ちもある。そんなのはアイツが一番嫌いそうな事ではあるけれど。


『うん、撫子は元気だよ。暦お兄ちゃん。ど、どうしたのかな?』

 千石は恥ずかしがり屋で、あまり自己主張をしない控えめな子だけど、僕の友達の中では一番まともな、心のオアシス的存在だ。ほんとの妹達よりも、妹らしくて、僕の事を慕ってくれている。嬉しい限りだ。
 さて、時間も有限なのだから、さっさと用件を伝えてしまおう。

不躾ぶしつけで申し訳ないんだけどさ、大変頼みにくいお願いというか、そもそも持ってないかもしれないから、これは確認になるんだが、千石は小学生高学年の子が着れる様な水着を家に置いてないか?」
『そ、それは暦お兄ちゃんが、な、な、なななな、撫子の、水着を、ほ、欲しいって、ててて」

 相変わらず、僕は会話の組み立てというか、説明が下手だな。これでは不躾過ぎだ。
 千石がメダパニを喰らったみたいになってる。【こよみは メダパニを となえた! なでこは こんらんした】みたいな。
 なぜこう誤解させるような台詞を、始めにもってきてしまうのだろう。羽川の時の教訓が全く生かせていない。もう少し、前置きというものがあるだろうに、と自己反省。

「いや、待ってくれ、落ち着くんだ千石。僕を小学生の水着を収集するのが趣味みたいな、変態マニアなんて誤解するなよ。今から説明するが、僕の知り合いで、親戚みたいに仲のいい女の子が居るんだ。で、その子を海に連れてってやるんだけどさ、その子の水着がなくて、もし水着を持っているなら貸してくれないかなと」

 八九寺の存在を伏せておく方向にしたのは、千石が八九寺を知覚できるか解らないというのもあるが、あまり、怪異に絡ませるのもよくないとの判断だ。千石はもうこちらに足を踏み入れるべきじゃない。
 八九寺と付き合うのが悪いことだとは決して思わないし、千石にも八九寺と友達になって貰いたいという気持ちもあるが、怪異に曳かれやすくなるのは、出来るだけ避けておいた方がいいはずだ。

『なんだ、そういう事だったんだね。撫子びっくりしたよ。ん~どうだろう――』

 よし、流石は千石。僕の言葉で簡単に納得してくれたようだ。神原が相手だったら、ここから、益体も無いエロトークが開始されていたことだろう。ほんとにいい子だ。神原じゃこうはいかない。

『――あったかなぁ』

 千石が記憶を探るように考えてくれているのは解ったが、どうやら即座に思い出すことはできないようだ。

「いや無理に探す必要はないんだ」
 無いなら無いで仕方ない。決して使いたくはないが、こちらには最終兵器がある。

「千石がダメでも不本意ではあるが、神原に頼ることにするよ。確実に乙女の嗜みとして所有してるはずだからさ」

 神原に頼むと、いろいろと厄介になりそうな気がするから、ちょっと気が引けるけど。

「いや、悪かったな千石。そういうことだから神原から借りることに――」
『待って!暦お兄ちゃん!あった!あったよ!もう水着が無いなんてことが生まれて此の方一時もなかったぐらい、水着あるよ!乙女の嗜みとして水着を、持っていないはずがないんだよ!!』

 生まれて此の方って……言葉の綾みたいなもんだろうが、大げさだな。まぁ有るのならそれはそれで、有り難いことだけど。

「そうか、なら悪いんだが、今から千石ん、取りにいって構わないか?」
『え!?今日!?』
「あ、やっぱ都合悪いか。今日ぐらいしか、その親戚みたいな子と遊んでやる時間がとれなくてさ。やっぱり神原に頼んで」
『ううん。全くもって、そんなことないよ。今日ぐらいしか時間がないぐらいだよ!』

 このやり取り、前にもした気がするな。千石は結構多忙な生活を送っているんだな。もしかしたら、千石も中学生なんだし、夏休みの宿題なんかに追われてるのかもしれない。夏休みも終了間近だ。

「そうか、わかった、今から向かわせてもらうな」
『う、うん。……待ってるね。……暦お兄ちゃん』

 心なし千石の声が、元気がなく気まずそうな、ともすれば来て欲しくなさそうに聞こえたのはなぜだろう……。
 僕に気を利かして、無理に時間を捻出してくれたのだろうか……宿題の邪魔をしてしまったのなら、悪いことしたな。







 そして八九寺には適当な場所で待機してもらい、後ほど落ち合う約束を交わし、僕は早足気味で自宅に帰った。もう既にお昼時だし、あまりのんびりしていると海で遊べなくなる。八九寺は怪異なのだから、普通の女の子のように門限などを気にする事もないが、夜の海で遊ぶのはあまり好ましいとは思えない。

 妹達に気付かれないように行動し、リュックに海パンとバスタオル、ビニールシートや着替え、ビニール袋やらをどんどん詰め込んでいく。水分補給源として水筒にお茶をいれ、食料は途中で調達する事にする。
 
 ちなみに僕の水着は学校指定の濃紺ブリーフ型、V字の恥ずかしい――というかもっこりしてしまうアレ。中に、膨らみを目立たなくする為の白いサポーターも着用しなくちゃいけない。
 付け加えて僕の通う私立直江津高校にはプールがないので、この水着は中学時代のものだ。中学の頃から体格が変わっていないから、問題なく着用できるはず。

 悲しいかな、友達とプールなんてレジャー施設にいくような機会がないのだから、トランクスタイプの水着なんて持っていないのだ。
 家を出る瞬間、下の妹に感付かれたが、呼びかけには答えず、自転車に跨り、逃げるように千石の家に向かった。




 千石の家は、徒歩で十分もかからない程の場所にある。下の妹と同じ公立の小学校に通っていたのだから、近いのは、当然といえば当然である。自転車で向かえば、ほんとあっと言う間についてしまう距離。
 八九寺と別れてから、早足で家に帰ったのと、自宅での荷造りやら併せても、一時間以内で来れたはずだ。

 自転車から降り、インターホンを押して来訪を告げる。千石の家はごく普通の一般的な二階建ての民家で、際立った特徴はない。周りの家と同じような感じである。


 さて、程なくして、玄関の扉が開き、千石が出てきたのだが、僕はその姿を見て唖然とすることになった。驚嘆したと言っていい。
 千石の身体は火照り、顔は紅潮し汗だく状態で、過呼吸のように息を荒く繰り返し、苦しそうにしている。


 それは病に侵されたように。


 それは高熱にうなされたように。


 そう、それは“囲い火蜂”に刺されたように。



 僕の脳裏で、火憐ちゃんが苦しんでいた姿と、今の千石の姿が被る。否応なく想起する。
 前髪がおでこに引っ付いてしまうほどに、体中から汗が吹き出ている。服も汗でびっしょりだ。

 電話越しでは、千石の変調を感じることはなかったが……なんだ、この状況は!?なんだと言うのだ、いったい!
 そういえば、僕が電話で来訪していいか告げると、気まずそうな、来てほしくなさそうな雰囲気ではあったが……。



 日常は前触れもなく崩れ去り――


 これは――


 あちらの世界に足を踏み入れたと言うことなのだろうか…………。




[18791] 【化物語】なでこホーム~その2~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/19 22:56
「だ、大丈夫か!?千石っ!!」

 いや、大丈夫にはとても見えない。ドアにもたれ掛る様にして、やっと立っていられるという状態だ。

「ハァ……ハァハァ……だいじょうぶ、だよ。ハァ……すぐに、よく……なるから」

 喋る事が困難なほどに、千石の息は荒く、苦悶の表情を浮かべている。こんな状態で言われても説得力などあるはずがない。

「すぐに病院……いや救急車を!」
「待って、こ、暦、お兄ちゃん……ハァハァ……ほんとに、なんとも、ない……から。病院は……駄目……」

 懇願するように、千石が切実な瞳で訴えくる。病院が嫌だという心理は解らなくもないが、事態は深刻だ。一刻の猶予もない。
 こいつ、蛇の怪異“蛇切縄”に身体を縛られた時でさえ、やせ我慢をして、強がっていたからな。

 苦しい筈なのに。苦しくないなんてない筈なのに。僕と神原に、心配をかけまいとして何でもない振りをして。
 内気なくせして、その芯は気丈な千石だ。千石の言葉を簡単に鵜呑みにすることはできない。

「だめだ。こんなお前を放っておけるか!」
「お。お前って……」

 心なしか更に千石の頬が紅潮した気がする。やはり突発的に体温が上昇しているのだろうか。
 しかし、これがもし怪異の仕業なら、病院に電話してどうこうなる問題でもない。


 “囲い火蜂”。オオスズメバチの怪異。偽者に遣わされた偽者の怪異。


 その怪異に絡まれた者の症状は、疲労感や、倦怠感を伴い、急激に身体が火に包まれたように、焼けるように、燃えるように熱く、火照る。

 どうすればいい……僕はどうすればいい。落ち着け、何を焦っているんだ!僕は事前にこの怪異の対処法を学んだはずなんだ。

 火憐ちゃんの時はどう対処したんだっけ………………そうだ、応急処置として、“口移し”で、怪異を分散させたではないか。
 僕に怪異を移し、共有する。それで千石の症状は、少しぐらい緩和されるはずである。全て移し変える事は出来ないが、半分ぐらいなら肩代わりしてやれる。その後の対処はそれからだ。
 本来は完治までに3日もかからないと、不吉な男、貝木泥舟かいき でいしゅうは言っていたが、千石が苦しむ姿をこれ以上見ていられない。

 僕は千石の両肩をしっかりと掴み、じっと視線を交えさせる。
 直に触れると、千石の華奢な体躯がよく解るし、この瞬間にも、どんどんと体温が跳ね上がっているのも感じられる。
 火憐ちゃんの時よりも体温が高い。もうやるしかない。

「千石。じっとしてるんだ!これから僕は、おまえに口づけしなければならない」
「え?えええええええええええええええええぇ!!!!」

 千石の絶叫が響き渡る。こいつの肺活量はもしかしたら、結構な数値を記録するんじゃないだろうか。

「く、くくくち、ええ、えええええ!!くち……く、口づけ? き、き、きす?え、え!?」

 すごい取り乱している。無理も無いが、それは納得してもらうしかない。
 くそ、更に千石の頬が赤らんで、体温が上っていくのが見てとれる。

「な、な、ななな、撫子たち、ま、まだ結婚もしてないんだよ!! ……あ、という事は、これは撫子と暦おにいちゃんが結婚前提のお付き合いを始めるということで、行く行くは当然、結婚。子供は女の子と男の子一人ずつ、そして白い大きなワンちゃんを飼って、撫子は専業主婦になるのかな。撫子のことは撫子って呼んでもらってキャー。お出かけのキスとお帰りのキスは当たり前で、お風呂なんかも一緒にはいちゃったりして、キャーキャーどうしよどうしよどうしよ

 キスだけで結婚とは、すごい発想の飛躍だな。いやでも、千石にとって、キスとはそれぐらい大切なものなんだろう。
 後半はなんだか、早口すぎたり、呂律が回ってなかったりで、上手く聞き取れなく意味不明だったが。
 キスとは本来そうあるべきなんだよな。軽々しく行う行為じゃない。

 それでも――――

「お前も既に怪異に絡んだことのある人間だから説明するが、これは囲い火蜂と言って、僕の上の妹もそれと似た症状に陥ったんだ。その時の簡易な対処法が、これなんだ。悪く思わないでくれ。いや、悪く思ってくれて構わない。でも少しは楽になるはずだから」

 肉親ならまだしも、妹の同級生から唇を奪おうなんて、最悪で下劣、下種げすな行為なのは分かっているが、これも千石のためなのだ。

「あ……でも違うの、暦お兄ちゃん。これは……ただ、ハァ……えーと、その……そう、家の中で運動してたの!」
「は?運動?たって家の中で?」

 千石が家の中で、何をどうしようが、趣味は人それぞれなのだし、僕が口を挟むべき問題でもない。いや、もしかしたらダイエットでもしていたのだろうか。腹筋や腕立てなんかのトレーニングなら、運動と言えるだろうし。
 それでもこんな状態になるまでの運動ってどこまでハードなことやってんだ。

「し、しばらくすれば、ハァ、ハァ……な、治るから、大丈夫!」

 千石は力強く、そう言うと、僕の考えは間違いであるというように、何度も何度も頷くのだった。ということは僕の早とちり、勘違いだったというわけか。でも心配ではある。あの動悸の激しさは異常だったし。





「こ、暦お兄ちゃん、ハァ、ハァ、あ……あがって」

 ほんとにコイツ大丈夫なんだろうか。いつもの繊細なか細い声に加えて、息も絶え絶えに搾り出したような声じゃ、僕の心が不安定になる。
 本当は玄関で水着を受け取ったら、すぐに退散しようと考えていたが、千石の思わぬ容態、様相で、家に上がり込んでしまった。でも、もう少し様子を視たほうがいいだろうし、千石のことが気がかりである。なんと言っても、まだ楽観はできない。


 やはりとうか、千石の防犯意識は高いらしく、ワンドアツーロックとチェーンまで掛けて戸締りしていた。いまどき感心な子だよな。脱出ルートを防がれているなんて、考えるのは気のせい気のせい。

「暦お兄ちゃん。な、撫子の部屋、わかる……よね。先に行ってて」

 幾分、息の整ってきた千石が、そう言うので、僕は指示通り、階段を上って千石の部屋の前まで来た。中に入ってしまってもいいのだろうが、女の子の部屋に一人で入るのは気が引けたので、部屋の前で待機することにする。

 しばらくすると、階下から千石の――

「折角のチャンスだったのに、撫子の馬鹿、撫子の馬鹿、撫子の馬鹿…………」

 と言う呪詛のような慟哭が聞こえてきたが、よく意味は解らなかった。千石のやつ……精神的にも支障をきたしているのだろうか、ますます心配だ。



 しばし部屋の前で待つと、氷の入ったオレンジジュースを盆に乗せ、千石が階段を上ってきた。僕の分か、千石の分か、判断しかねるが、コップは一つである。
 でもストローは二つあった。もしかして、千石の家には食器の類がないのだろうか?いや、そんな馬鹿な。
 となると、ジュースの備蓄がなくて、コップ一杯分しか用意できなかったと、考えるのが正解か。

 そして前回の飲み回しの教訓を生かして、ストローを用意してくれたのは、間接キスをしないように配慮してのことだろう。
 なんせ千石は、キスをするのは婚約者でなければならないと考えている、清楚で慎ましやかな、そう大和撫子のような子なのだ。
 名は体を表すとはよく言ったものだな。
 恋愛上級者ならば、それを逆手にとって、必然的に顔を近づける事ができるなんて、穿った考えをするのかもしれないが、千石とは無縁の話。


 僕が部屋に入っていないことに、千石は幾分戸惑っていたようだが、僕が扉を開けてやり、一緒に部屋に入る。
 千石の部屋は、六畳程の薄いピンクで色彩を統一された、いかにも女の子といった内装をしている。
 前来た時より幾分、物が散らかっているようだが、僕が急遽来てしまったので、片付ける暇がなかったのか、それとも片付ける必要もないと判断したのか。
 それでも神原の部屋に比べたら、しっかり整頓が行き届いている。

 ん? あれ? おかしいな。クーラーがもう寒気がするぐらい、ガンガンに作動していた。
 猛暑なんだから、クーラーぐらいつけるだろうが、たしかコイツ、地球温暖化に対して知識が浅いなりにも配慮して、クーラーはつけない主義じゃなかっただろうか?

「クーラーつけていいのか?」
「え?暦お兄ちゃん、暑いのが好きなの?」
「いや、そんなことはないけど……さ」

 なんだこの心の変わり様は。暑いんだからクーラーつけるのは当たり前みたいな、雰囲気。僕自身としては、クーラーが効いている部屋で嬉しい限りだけど。釈然としない気分だ。


「え~と、水着だよね。今持ってくるから、暦お兄ちゃんはそこのアルバムでも眺めて待ってて」

 本棚に納められたアルバムを指してそういう千石だった。前、遊んだ時もそう言ってたな。よくわからない奴だ。僕が千石のアルバムを見て何が楽しいのだろうか。
 よく見れば、本棚に入っている、本のラインナップがそう入れ替えされている。
 以前は確か、千石が読みそうもない、どこからか急遽持ってきたような感じの、お堅い古典文学ばかりで、漫画が一冊もなかったはずだ。しかし今のラインナップは漫画がぎっしり詰まっている。うん、これが千石の本来あるべき姿だ。

 たぶん、奥行きあるから、後ろにも本がありそうだな。やっぱ千石の漫画の質は濃いなぁ。今時の中学生とは思えない品揃えである。
 『南国少年パプワくん』や『怪物くん』などはまだ許容範囲だが、『3×3EYESサザンアイズ』や『寄生獣』とか女子中学生の蔵書としては異質だろう。
 模様替えでもしたのだろうか。家具自体の配置は変化ないから、中身だけ入れ替えたのかもしれない。


 見るともなしに千石の部屋を見回していたのだが、ベッドの影に隠れて、箱状の物体が横たわってるのを見つけた。
 近くで確かめてみると、辺りには小銭が散らばっている。それは貯金箱のようで振ってみても、中にお金は入っていないようだ。と言うことは、傍に散らばっている小銭が、入っていたものなのだろう。
 しかし、散らばっているのは一円玉と五円玉だけで、十円以上の硬貨は見当たらない。
まぁ中学生の貯金なんてこんなものだろう。お釣りの中途半端な端数だけ、貯金していくみたいな。
 あまり人様のお金に手をつけるのも良くないので、そっとしておくことにした。



 そして、数分後に千石が水着を持って来てくれた。しっかりと部屋の施錠も怠らない千石だった。
 水着を持ってくるだけなのに、随分時間がかかるなと思っていたら、どうやら着替えていたらしい。
 服装が一新され、髪もカチューシャで上げられ、目元がパッチリだ。千石のお顔拝見。僕が良識のあるお兄ちゃんでなければ、もう抱きついちゃいたいぐらいの愛くるしさだ。
 
 肩から胸元にかけ大胆に開いたホルターワンピースで、淡い薄緑の落ち着いた色彩が印象的だった。前身頃まえみごろから続いた布紐を首にかけたような形のもので、肩が露出している。鎖骨が見えるのがセクシーだったりする。
 落ち着いた雰囲気の千石にはよく似合っていた。少々露出が高すぎる気がするが、千石はまぁそういう所に無頓着なのだろう。
 僕の為に着替えたというよりは、人前に出るときのマナーというか、そういうものだろう。汗だくだったのだし、着替えたくなるのも無理はない。

 あと僕の心配をよそに、本当に顔色も良くなっており、息切れもなくなったようだ。肌の色も落ち着いてきている。


 千石はアルバムの方を見て、落胆したかと思うと、その傍の漫画を見てなぜか、やってしまったというような、愕然として表情になっていた。自分の所有物のくせに、なぜそんな動揺することがあるんだ?
 時々僕は千石のことがわからなくなる。不思議な子だ。



「こ、こんなので大丈夫かな」

 千石が持ってきたのはスクール水着ではなく、フリルのついたパレオの水着だった。
 失礼ながら千石は、外でわいわい遊ぶような子じゃないから、僕と一緒で学校指定のものしか持っていないと思っていたが、そんなこともないらしい。千石も女の子だもんな。

 しかしなんというか、綺麗な水着だな。
 綺麗とは言っても、この時の僕の心情に見合う意味合いとしては、造形、模様が綺麗という表現ではなく、真新しいというか、新品同様と言う感じの意味合いで。

 赤を基調とした色合いに向日葵の花柄があしらわれ、少し派手なデザインだが可愛らしい。千石の好みを熟知している筈もないのだが、もっとこう、落ち着いた色合いを好むと思っていたのに意外なことだ。
 そもそも水着なんて、それほど着る機会も少ないものだから、大切に保管していたのだろう。


 ふと僕の脳裏に、邪推としか言いようのない、突飛な考えが浮かび上がった。
 有り得ない話だし、何で僕にこんな考えが思い浮かんだのかも不思議で仕方がない、そんな馬鹿げた話。

 僕が千石の家に向かうまでのあの僅かな間に、千石が繁華街まで水着を購入しに行ってたなんて、ある筈がない。だって千石は自転車に乗れないし、そもそも自転車を持ってないしな。
 時間軸を考えたら、全力疾走で繁華街まで向かい、休む暇なく走り続け、往復して帰ってこなければならないことになる。
 そんな離れ業、神原でもない限り不可能だろう。この猛暑の中でそんなことしたら、それこそ、脱水症状に陥ってしまう。

 なぜこんな滑稽な想像をしてしまったのか、ほんと自分でもわからない。

 ただ、家で運動していたと言う千石のあの、常軌を逸した疲れ具合と、新品同様に綺麗な、時間がなかったので売れ筋商品から選んだと言わんばかりの、千石の好みと合いそうにもない水着、そして無造作に放り出された貯金箱、が気になったからだ。
 急遽お金が必要になってしまい、仕方なく貯金箱からお金を抜き出して資金にした、なんて考えるのは僕の想像力も豊かになったものだ。荒唐無稽こうとうむけいとはこのことだろう。





[18791] 【化物語】なでこホーム~その3~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/19 23:01
 千石から水着を受け取り、八九寺でも着用できるかどうか、サイズなんかを確認していると、水着に何か引っ掛かっているのに気が付いた。

「ん? これって」
「きゃああああああ!!!!」

 千石から発せられたとは思えない大音声と共に、僕から水着を引っ手繰るように奪う千石だった。しかしながら、今日の千石はよく叫ぶな。

「あれって値札タグ …………だよな。ってことはホントに新品だったのか」

 先程考えた憶測が、頭の隅をよぎるが、すぐに考えを打ち消す。ないない。
 ならば、いったいどういう事かと思考を巡らしていると、千石が訥々とつとつと喋りだしていた。

「あの、あの、あの、え~と、か、買ったはいいけど、一度も着る機会がなかったんだよ。そうなんだよ」
「そりゃ、勿体無いな。もう千石も成長しちゃったし、もう着れないかもな」

 あながち僕の想像は的外れでもなかったということか。買うには買ったものの、プールや水辺で遊ぶ機会がなかったのだろう。千石は内気なインドア少女だしな、仕方がない。

「そ、そうだね。撫子にはもう着れないかな。そうだ!暦お兄ちゃんにあげるよ」

 これは名案とばかりに大きく手を叩く千石だった。

「いや、僕が貰っても扱いに困るんだが。僕は断じて、そんなもの貰って喜んだりはしないぞ千石」
「ううん、そうじゃなくって。使い終わった後にでも、その親戚の子か、忍ちゃんにプレゼントするってのはどうかな」

 まぁ親戚の子ではなく、親戚みたいな子だけど、深くは言及しないでおく。なるほど、着れなくなったお下がりの服をくれるということか。
 しかし、一度も使ってない新品同様の水着を貰ってしまっていいのだろうか、とも思ったが使われずにずっと仕舞っておくのも、それはそれで勿体無いし、千石の好意は有り難く頂戴することにしよう。

「おお、それはいいな。忍と風呂に入るときに水着があれば便利だ」
「え?暦お兄ちゃん、忍ちゃんとお風呂入ってるの?」

 あ。うっかり失言を……。
 まずい。これは非常にまずい。このままでは暦お兄ちゃんとしての威厳が……ここで僕を唯一まともに慕ってくれている千石にまで、変態呼ばわりされたら、僕の矜持は喪失してしまうだろう。
 ほんとの妹達よりも妹的存在の千石からも汚らわしい目で見られたら、僕は立ち直れない。

 はやく弁解をしなければ……が即座にいい言い訳が思いつかない。焦りが焦りを呼んで、言葉を紡ぐこともままならず、しどろもどろするばかりだ。


「いいなぁ。忍ちゃん。暦お兄ちゃんと一緒にお風呂なんて。撫子もお背中、流してあげたいよ」


「え?」

 あぁ。一瞬ドキッとしてしまったが、これは千石なりの冗談だろう。リップサービスというもんか。出来た子だ。いや、こう見えて意外におませさんなのかもしれないし、存外からかわれただけかもしれない。
 
 忍とのお風呂、幼い子をお風呂に入れてやるってのも、健全な心を持った人間から見れば、至極当然のことだしな。
 むしろ、今の世の中が、過剰に反応しすぎてるだけなのだ。
 下の妹に現場を目撃されたときは――月火からすれば、“実の兄が見知らぬ幼女を自宅のお風呂に連れ込んでいる”図だったのだから、あれはあれで正常な反応だ。包丁を持ってくるのは別として。

 無論僕も、忍とお風呂に入ったからといって、欲情するなんて有り得ない。だから水着がなくても問題はないのだが、だとしても無暗矢鱈むやみやたらに幼女の裸体を見るのもどうかと思うし。
 でもよくよく思い返せば、忍は自分で服を物質創造能力で創り出せるから必要なんてないのか?
 そうは言っても、無理に吸血鬼の力を消費することもないんだし、あればいつか役立つ時がくるだろう。

 そう結論付ける。

 さて、ここは千石の軽口に素で返答するのは失礼だし、ノリツッコミの精神で乗ってやるとしよう。

「ああ、それはいいな。なら今度一緒に入ろうか、ははははは、ってせん――」

 ――ごくそんなこと言ってると本気にされちゃうぞ!と言葉を続けようとしたのだが、僕の言葉は千石の今までにない溌剌はつらつとした声によって封じられた。


「い!!いいの!!なでこ嬉しいなぁ!!」

 満面の笑みを浮かべる千石だった。

「はぁ、少し恥ずかしいけど、一緒に洗いっこしようね暦お兄ちゃん」
 
 自分の世界にトリップしたように、頬を両手ではさみ、ほうけている。
 いや、惚けているように、僕が勝手に視認しているだけだ。浮き足立って喜んでいるように見えるのは、これは千石なりの、オーバーリアクションみたいなもんで、冗談の続きでいいんだよな。
 嬉々としている千石を見ていると、危うく本気で喜んでいるじゃないかなんて気もしたが、真に受けちゃいけない。
 ふぅ危ない危ない。






「なぁ千石、例の親戚みたいな子を待たせてるから、来た早々で悪いんだけど、おいとまさせてもらうよ」
「……そっか、そうだよね」

 残念そうに俯く千石を見ていると、申し訳ない気持ちになる。
 千石には、八九寺が見えない可能性があるし、怪異に関わらせたくないとういう僕の判断もあって、一緒に海に連れて行ってやることができないしな。

 だからこそ僕は、感謝とお詫びの意味を込めて、こう言い出した。

「時間をとらせて悪い事をしたな。水着のお礼もあるし、今度宿題ぐらいなら手伝ってやるぞ」
「ん~宿題かぁ」

 口に人差し指を当て、考え込んでいる。
 それはもう、宿題を遣り切ってしまい、僕に手伝ってもらうような宿題は残っていない、という仕草に見て取れた。

「あ、もしかして、もう全部終っちゃってたか?」

 千石の胸中を察し、そう僕は訊いたのだが、
「う、ううん、そんなことないよ、まだ全然やってない。まだ一問たりとも宿題に手をつけてないよ。もう真っ白。絵日記も一日たりとも書いてない」

 そうでもなかったらしい。

「……それは流石にやばいんじゃないのか」
 
 もう夏休みも残り2週間を切っている。あぁだから今日以外は都合が悪かったのか。いや、本来は今日だって宿題に追われていたに違いない。心根優しい千石は、僕の為に時間を割いてくれたのだろう。
 果たして、中学夏休みの宿題に、絵日記なるものが存在しているのか大いに疑問ではあるが……相当な記憶力がない限り、その日記は捏造されまくりになるじゃなかろうかと、いらぬ心配をしてしまう。
 

「暦お兄ちゃんが撫子の先生になってくれるんだ。個人授業……だね」

 個人授業をやけに感慨深く発する千石だった。

「先生とは言えないけど、数学ぐらいなら手伝ってやれそうだなって。あと中学程度の英語ならなんとかなりそうだ」

 戦場ヶ原と羽川のお陰で、僕の成績も上ってきているし、少しは千石の力になれるだろう。あと、たまには教えられるんじゃなくて、教えてみたいという欲望があるのかもしれない。勉強を教えるという事も、勉強になるとは羽川の弁だっただろうか。

「いつでも手伝ってやるぞ。いつがいい?」

 千石のために一日潰すのもいいだろう。千石が問題を解いている間に、僕は僕で羽川特製の問題集をやっておけばいい。今日は完全に遊びだが、千石とのは勉強会みたいに捉えれば問題ない。一人で机に向かうよりはかどりそうだ。


「え~と、そうだ。今週の土曜日なんてどうかな」
「あぁそれで構わないぞ」
「丁度、お父さん達が結婚記念日で、土曜日から温泉旅行に行っちゃって、一日中一人でお留守番だったの」
「いや、それはまずくないかいろいろと」

 考えたら、僕は千石の両親に会ったことないんだよな。親御さんからしたら、娘が同級生のお兄ちゃんと友達ってのは、どんな印象を受けるんだろうか……僕と千石って妙な関係だよな。

「一人でお留守番なんて、撫子は怖くてしかたがないよ。暦お兄ちゃん……守ってくれる?」

 なんだか芝居がかった台詞に感じたのは、きっと僕の気のせいだろう。しかし、上目遣いで見上げられたら嫌とは言えないな……。

「まぁそうだな。女の子一人だと、危ないしな」

 千石ほど防犯意識がしっかりした子だ。あれは怖さから自分を守るために身についたものなんだろう。

「よしわかった」
「ありがとう暦お兄ちゃん。そうだ、せっかくだからお泊りもしていったらどうかな」
「お泊りか……」

 これは微妙なラインである。いやアウトか……。
 勿論、嫌なんてことはないが、一介の中学生と一応僕も男なわけだし、おいそれと泊まっていいものではない。
 ただ、千石を一人で留守番させるというのも、なんだかかわいそうな気がするし。

「そうだな、考えとくよ」

 とりあえず、月火ちゃんあたりに相談でもして、一緒に来てもらえばいいか。僕は勉強を見終わったら、そのまま帰宅して、あとは同級生二人で仲良くお泊り会でもすればきっと楽しいだろうし。



「やった。暦お兄ちゃんと一緒にお風呂だ」


「ん?何か言ったか千石?」
「ん~ん、なんでもないよ」

 内気な女の子である、千石がガッツポーズとは、珍しいものを見たな。
 

 そうして、僕は施錠を外して貰い、玄関に向かう。
 八九寺用の水着は、僕のリュックが二人分のバスタオルやら何やらでパンパンだった為、紙袋に入れてもらう事にした。




「じゃあ次の土曜日にな。千石」

 見送りに来てくれた、千石の前髪で隠れることのない双眸は力強く、僕をしっかりと捉えて離さない。見つめられると言うよりは、獲物を捕らえて離さないというかなんというか……なぜかこんな真夏に身震いしてしまう。クーラーに当たり過ぎた所為かな。

「うん暦お兄ちゃん。しっかりと準備して待ってるからね――」

 

「――いろいろと」


 ふと千石が、ペロリ、と自分の唇を軽く舐めたのは、唇が乾燥したのを潤したにすぎない筈なのに、その仕草が、蛇の舌嘗めずりを想起させたのは、果たして僕の気のせいなのだろうか?




 僕は千石の家を後にして、八九寺のとの待ち合わせ場所に向かったのだった。


 



[18791] 【化物語】するがマーク~その1~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 19:27
 僕は八九寺との待ち合わせ場所に向かうその道中に、思わぬ邂逅を果たした。
 
 位置的には、僕の家のすぐ傍――千石の家とはご近所だから、千石の家の近くでもあるが、距離を鑑みれば僕の家のすぐ近く。
 一歩一歩の歩幅で、冗談のような距離を稼ぎ、跳ぶように、跳ねるように、接近してくる人影。
 『たっ、たっ、たっ、たっ、たっ』という、小気味の良い軽妙なリズムが聞こえたかと思うと、彼女は其処に居た。僕の目前に立ち現れた。


 神原が現れた!!


 もうなんかエンカウントとで言うのだろうか。モンスターに出くわしたみたいな、予期せぬ遭遇。
 敢えて今回は関わらないようにしていたのに、なぜこの後輩が此処に居る!?

 無視する訳にもいかず、相手もこちらに気付いているようなので、自転車から降り、神原と相対する。

「これはこれは、阿良々木先輩ではないか」

 颯爽と登場した神原は、額から滲み出る汗を首に巻いたタオルで軽く拭いながら、明朗快活にそう言った。
  
 
 神原駿河。
 
 猿に願った代償に、左腕に怪異を宿すことになった少女。 
 僕の後輩にして、直江津高校始まって以来のスターで、バスケ部の元エース。
 
 僕の前では、顕著に破綻した言動が多い神原だが、本来の資質としては人格者として通っている。歳の近い後輩達からは、もう崇拝といっていいレベルで慕われているし、そのスター性も、バスケ部を引退したからといって、そうそう消え去るものではない。
 
 まぁその実態は、BL好きの腐女子であり、同性愛者でロリコン、エムで、露出狂、多種多様な要素を内包した、一言で纏めるとただの変態である。
 あと職業は僕に仕えるエロ奴隷。いやいや、エロ奴隷は神原が勝手にそう言っているだけであって、僕の与り知らぬ事だが。
 なぜか異常なまでに、僕を慕ってくれている。 

「よう神原。ロードワーク中なのか?」

 バスケ部を引退した後も、自己鍛錬を怠らない姿勢は見習いたものだ。毎朝十キロダッシュ二本に加え、まだ走りこむとはコイツの運動量は計り知れない。その運動量の賜物か、引き締まった体躯を有し、全身隈無く鍛え上げられていた。
 

 出会った当初に比べ、随分と髪が伸びている。長くなった髪を、最近はローツインにしていることが多かったのだが、走るとき専用なのか、今は後ろで髪を束ねていた。括る位置が低いので、これは一本結びと言っただろうか。
 女の子が髪型の変化を見るのは好きなので、これは眼福ではある。
 
 それにしてもこの暑いなかよく走れるな。
 
 僕なんか自転車を漕いでいただけで汗だくなのに、神原の端整な凛々しい顔から滴る汗の量はそれ程多くない。根本的な肉体の構造が違ってるんだろう。

「ふむ、まさに私はロードワークの最中だ。流石は阿良々木先輩。一目見ただけで、その真実を言い当てるとは、その卓越なる洞察力は恐れ入る。もう私の全ては見透かされて丸裸も同然だ。ならばこうして服を着ているのも意味無いことだな。少し待っていてもらえるか。今すぐに服を脱いでしまうから」

「待て!お前の思考回路は一体全体どうなってんだ!脱がなくていい!脱ぐな!脱ぐなって言ってんだろ!!」

 人目をはばからず――と言っても周りには僕しか居ないけど――服を脱ぎ捨てようとする神原女士である。
 僕の必死の制止の声あって、未遂に終わったけど、神原が公然わいせつ罪で捕まるならともかく、僕が強制わいせつ罪で捕まったらどうするんだ。冤罪なんかで捕まりたくない。
 
 そもそも見抜けない奴のほうがおかしいのである。首にはランニング用のタオルスカーフを巻いてるし、完全にトレーニングウェア着用だ。紺藍色のタンクトップの上に薄手のショートパーカーを羽織って、下はショートパンツといった出立いでだち。上下共に灰色でシックな印象を受ける。
 
 最近では神原は、言うほど変態ではないんじゃないかと疑いを持たれ、神原のアイデンティティーが決壊しかけていたが、僕が保証しよう。神原は正真正銘の変態だ。まぁ本人には言ってあげないけど。
 
 
「それにしても奇遇だな。こんなとこで遭うなんて」

 僕の心境的にここは“会う”じゃなくて“遭う”で正解。

「ああ、阿良々木先輩とこうしてめぐり逢うことができるなんて、それだけで私は今、天にも昇る心地だぞ。欣喜雀躍きんきじゃくやくとはこのことだ。まぁ阿良々木先輩と戦場ヶ原先輩との家を結んだ道筋を重点的に走って、少しでもお二人にお目にかかれる機会を増やそうとしているのだが、邂逅相遇かいこうそうぐうではあるな」

「奇遇でも偶然でもない!!お前が誘発させてんじゃねぇか!!」

 性懲りもなく、まだこんなストーカー予備軍みたいなことしてやがったのか。僕は一定期間“戦場ヶ原の交際相手”として神原にストーキングされていたことがあるのだ。その頃に比べたら、まだマシなのかもしれないが、出来れば止めて欲しい。

「うむ。面映い限りではあるが、その通りだ。見識のある阿良々木先輩には隠し通すことはできなかったか。やっと念願叶って鉢合わせすることができた。夏休みに入ってから、欠かさず続けてきた甲斐があったというものだ」

 あれで隠す気があったことに驚きだが、それ以上に常習的にやってた事に唖然とするしかない。






「ん? 阿良々木先輩は今からどこかに出かけられるのだろうか?大層な大荷物のようだし、遠出でも?」
 
 自転車の前カゴに納められた荷物を見咎め、神原が勘付いてしまったようだ。リュックが膨れるぐらいに詰め込まれた荷物を見られちゃ、勉強に行くとは言えないよな。

 さて、どう誤魔化そうか……神原には八九寺のことを伝えるべきではない。八九寺の噂、存在自体は知っているのかもしれないが、明確な接触は避けたいのである。
 正直言うと、僕は神原と八九寺を邂逅させたくないのだ。


 感覚としては、火憐と神原を会わせたくなかった時と似ている。
 神原は紛う方なしの変態で、異常な性癖の持ち主――百合であり、幼女に対しても色めき立つロリコンで、切っ掛けさえあれば、簡単に理性のたがが外れる。
 忍を目撃して危険なまでに興奮していたのがまざまざと蘇る。
 それに加え、彼女は年下を手懐けるのを得意とする、大変危険な特技を有しているのも忘れてはいけない事柄だ。あの人見知りな千石でさえ、すぐに心を許し――羽川でさえ話す事さえできず逃げられたのにだ――神原のことを尊敬している節があるし、たとえ変態じみたことを言ったとしても、パフォーマンスの一環として捉えてしまっている。
 神原自身の宣言ではあるが、神原に篭絡できない、年下の女の子はいない。 



 即ち僕が危惧しているのは、八九寺の貞操だ。



 そもそも神原には八九寺が見えるのかという根本的問題があるのだけど、実際どうなのだろうか?
 怪異に絡んでいたからか、千石の蛇の絞め痕も見えていたし、根性論でどうにかするかもしれない。
 今の八九寺は迷い牛の縛りが無くなり、ケースバイケース、誰に見えてもおかしくないフレキシブルな状態なのだ。いや、神原なら見える気がする。勘も鋭いからな。


 八九寺をこの後輩の魔手――神原の左腕は本質的には猿の手ではなく悪魔の手、レイニー・デヴィルを宿した腕だから、言い得て妙かもしれない――から保護しなければいけないだろう。



 とは言え、神原も誰彼かまわず変態性をさらけ出している訳ではなく、彼女にも一応分別というか、線引きみたいなものがあるのは補足しておこう。あれで中々、空気の読める奴なのだ。
 火憐のお願いで神原を紹介した時なんかにも、本来は襲い掛かりたい衝動があったはずなのに、自ら頬を叩き、正気を保っていたように、自制できる子ではある。

 しかしそれは、我慢しているだけとも言い換えれる。

 だとしたら、此方から取れる対処法としては、その原因を作らないことだ。
 狐に小豆飯あずきめしではないが、変態を誘発させるような餌を与えてはいけないということ。
 煙草を吸った人間は、往々にして中毒症状が出てしまうものだが、そもそも煙草を吸うことがなければ、その症状も起こらない。起因を与えなければ、問題は生じない。
 


 ここまで一方的に言っといてなんだが、決して神原の品格を陥れたい訳ではないし、僕自身、神原と一緒に過ごす時間にこの上ない幸せを感じている。その辺は誤解しないで頂きたい。

 

 散々理屈を並べてきたが、ただの独占欲からくる言い訳ってのが一番の理由なのかもしれない。
 八九寺は僕専用だ。羽川さんは八九寺と良識のある友達付き合いをしているので公認している(僕は一体何様なのだろう)。
 もしかして、僕が親になって娘が出来たとしたら、男性との付き合いや結婚を反対したりする、頑固親父なってしまうのだろうか?狭量なお父さんになりそうな僕であるが、どうしても厳格な父親になるイメージがわかないな。




 まぁ僕の見解を纏めると、当初の腹案通り、八九寺と神原を接触させないことが、僕、阿良々木暦に課せられた使命なのである。






[18791] 【化物語】するがマーク~その2~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 19:31
「阿良々木先輩。ずっと押し黙って、どうかされたのか?」

 考えに没頭するあまり、意識が神原から外れていたようだ。
 そう言って顔を覗き込んでくる神原に僕は気付いておらず、びっくりして仰け反ってしまった。
  
「な、なんでもないよ。暑さにやられて、ぼーっとしてただけだ。それで……ちょっと遠くまでな……」
 
 ひとまず言葉を濁しておくが、どうにも的確な言い訳が思い浮かばないな。場合によっては言い訳ではなく、嘘をつく事にもなるんだけど。
 妹達相手なら、二つ返事に口から出任せ、嘘八百を並べ立てれるのになぁ。そもそも、月火なら兎も角、火憐に至ってはどんな馬鹿げた嘘でも信じてくれるので、頭を悩ます必要がない。

「ほぉ、お出かけか。いったい何処にいかれるのだ?」

 まぁ会話の流れとして、聞いてくるよな、普通。う~ん、どう上手く繕って言いのがれようか……。
 結局、方針として決めたことは、“神原には八九寺のことを伏せておく”ってことだけだし。
 僕に、遊びに行くような友達がいないってことは、周知の事実だから、架空の人物をっち上げることもできない。
 
 どうにかして、神原が興味を示さない方向へ話を持っていかなければ。
 そうなると、自転車でツーリングとか……いやマウンテンバイクならともかく、こんな普通の自転車でとか、真実味に欠ける。ならば、遠縁の親戚の家に向かう途中……駅と逆方向に自転車を漕いでいた奴が言ってもな。

 くそ、尤もらしい言い訳が全然思い浮かばない。何よりこうして黙ったままでいるのが一番拙いんだ。何でもいいから言葉を発しなければ、いぶかしがられてしまう。
 
 どうにか場を繋ぐための言葉を、発しようとしたのだが――――僕が声を発するより先に神原が口を開いていた。

「おや。その紙袋の中を見てみる限り、中に入っているのは幼女の水着のようだな」

「な、なぜそれを……!?」

 僕の一連の心の葛藤なんてお構い無しに、初手でチェックされた。出端を折られた感じになってしまい、これでは駆け引きも何もあったもんじゃない。こうもあっさり水着の存在が露見してしまうとは思わなかった。

 だとしても八九寺のことは、ばれてはいない。まだチェックメイトではないのだ。将棋で言うのなら、まだ王手であって詰みではない。逃れる手段は幾らでも存在する。

 さて、どうやってチェックから逃れるかが問題なのだが。
 ばれてしまったのは、八九寺の為に借りてきた水着だけなんだから、まだ対処の仕様はあるはずだ。って…………あれ、なんでそもそも、水着があるってばれてしまったんだ?
 それになんか神原の言葉に、そこはかと無い違和感を覚えたぞ。

「神原、お前。なぜこの紙袋の中身がわかるんだ!?」

 紙袋はずっと自転車のハンドルに吊り下げられていたので、神原の手に渡ってないし、紙袋の隙間から覗けるようなもんでもない。それに薄手の紙袋じゃないので、外からは透けて見えるなんてことはなく、絶対に目視できないはずだ。

「ん?何のことやら」

 白々しくも目を大きく見開き、白を切ろうとする神原だった。本来しらばくれる立場は、僕のはずだったのに。

「いや、聞いた。確かに聞いたぞ! どうやって中を見たんだ!?」
「阿良々木先輩。それではニュアンスが少し違うな。“見た”、ではなく“見えた”だ」
「お前はモノが透けて見えるのか!? 透視能力の持ち主とでも言うのかよ!」
「ふふふふふ」

 なんとも嫌らしい感じに神原が笑う。このまま有耶無耶のうちに、はぐらかされてなるものか。

「さぁ!答えるんだ!」
「おかしなことを言うのだな阿良々木先輩。私にそんな能力があるはずないだろう。いくら私といえども、残りの寿命半分を渡す事はできなかったからな」
「お前は死神に契約を持ち掛けられたのか!?」

 吸血鬼がいる世の中だしな。死神がいないと言い切ることも、その存在を否定する事もできない。悪魔の証明と言うやつだ。
 まぁその悪魔が証明されてしまっていることは置いといて、こいつは悪魔レイニー・デヴィルと契約を交していただけに――契約と言うには些か不条理なものであったけれど――満更考えられない話でもない。

 う~む、寿命半分で、透視能力か……また妙な目だな。こんなの僕の知ってる死神の目じゃない。エロエロだ。いやエロエロというよりも、スケスケか。
 スケスケと言えば、“スケスケの実”ってのがあったな。しかしあれは自分が透明になるのであって透視とは別物だ。
 となると、“白眼”使いか!? こっちのほうが有り得そうだ。血継限界だから、神原は日向一族の末裔なのかもしれない。
 
 にしても自分で想像しておいてなんだが、ジャンプネタが多すぎる気がする。
 念のため断っておくが、僕と集英社には一切関連性はないし、“めだかボックス”とも何の因果関係もない。
 
 結論として、透視能力なんてものは、変態に絶対与えてはいけないスキルということだ。

 さて、話を戻すが、神原が宣誓でもするように――いや内容も宣誓と取れなくもないが――胸に手を置いた、例のポーズで喋り出していた。

「うむ。阿良々木先輩に身も心も捧げている私が、勝手に自分の命を懸ける事ははばかられたのでな。あぁ心配しなくていいぞ。勿論、私の処女も阿良々木先輩の、も・の・だ・ぞ!」
「なんだその小悪魔的なウィンクは!僕はそんな心配をした覚えはないし、お前の処女なんかいらねえよ!」

「そう言われては仕方あるまい。やはり処女は当初の予定通り戦場ヶ原先輩に――」
「僕の彼女に何をするつもりだ!!」
「違うな、阿良々木先輩。彼女と、ナニをするつもり、だ」

 状況が違えば、見惚れてしまいそうな、笑みを浮かべる神原だった。だが今の局面では、当然それは逆に作用する。

「もうお前の胸中は、僕の理解の範疇を超えていて、わけが分からないよ!!」
「うむ。それもそうだな。言葉をあやふやにしていたら、ちゃんと意思の疎通が図れないからな。ならば、言い直そう。戦場ヶ原先輩と性行為をするつもり、だ」
「僕が言ったのは、お前の思考が理解できないという意味で、言い直さずともお前の意図は解ってたよ!」

 最近は僕と戦場ヶ原の仲のよさ――正確に言うのなら戦場ヶ原のデレ具合、いやこれでもまだ正確ではないな、戦場ヶ原のドロ具合に辟易していた神原だったが、そこら辺はどうにか折り合いをつけたようである。
 ちなみにドロとは、デレの更に一段階上を行く、次世代を担うセンシティブな言葉で、“蕩れ”の後釜を担う言葉になるのではないかと実しやかに噂されている。情報発信元は、阿良々木暦なので注意が必要だ。

 しかしよくこうもまぁ白昼堂々開けっ広げな発言ができるな。決して見習いたくはないが、感心するし寒心もするが、歓心はしない。

「まぁつまり、私の一生は阿良々木先輩と戦場ヶ原先輩、お二人の為だけに尽くし、残りの人生を費やす所存なのだ。少しでも長くの間、連綿と仕えさせてもらいたい」
「その心意気はありがたく受け取っておくが、一生は重いよ。もっと気楽に構えてくれ。僕はお前と対等な間柄でいたいんだ。僕たちは友達なんだからさ」
 
 我ながら気恥ずかしい台詞を吐いてしまったな。というより神原は、僕とガハラさんの老後にまで付き従うつもりなのか?
 もし僕とガハラさんが同棲して、あわよくばそのまま、苗字までも同姓になっちゃったりしても、その後もずっと僕たちの間に介入してくるのかな…………結構これって焦眉しょうびの問題じゃね?

「何とも慈悲深いお言葉だ。こんな取るに足りない存在である、私のことを気遣って頂けるとは、なんと恩沢洪大おんたくこうだいなことか。阿良々木先輩の仁愛の心には、もう賛嘆するばかりだ。その懐の深さは、もう奈落の底まで続いているに違いない」
 
 奈落の底って……これは褒められているのか?
 なんだこのもどかしいような、焦れったい感情は。
 単体では何でもない言葉が、相乗し合う事によって、ここまで心を締め付けるなんて。これを言葉の不協和音とでも称したい。

「盟友として、変態の同志として、先程の啓示はしっかりと胸に刻みつけておく」
「待て、どさくさに紛れて、恣意しい的に僕を変態の枠組みに引っ張り込むな」
「謙遜されるな。阿良々木先輩は私の師でもあるのだからな。私の振る舞いの多くは、阿良々木先輩を模倣しているにすぎない。言わば模倣犯だ」
「なんだその犯罪チックな感じは。僕を格上に位置付けるな。お前は僕に会う前から変態で通ってきただろうが!出任せを言うんじゃない!」

 神原の中での阿良々木暦という人物像は、いったいどんなものなんだろうか。偉人ではあるが、決して関わってはいけない類の人間だろうな。なんせ神原大先生を超える変態なんだから。神原は僕を何事にも過大評価し過ぎなのである。



「しかし阿良々木先輩。最近、友達が少ないと嘆いておられるが、こんな言葉をご存知だろうか?“人至りて賢ければ友なし、水至りて清ければうお棲まず”。釈迦に説法も甚だしい発言だとは思うのだが、どうしてもお伝えしておきたかった格言なのでな」

「僕は羽川じゃないんだから、何でもは知らないよ。耳慣れない言葉だが……どういう意味なんだ?」
「そうか、何とも慮外りょがいなことだ。こんな事もあるのだな。ならば僭越ながら説明させて頂くとしよう」

 神原は軽く咳払いをすると、物語を読み聞かせる様に、悠々と話し始める。

「清流を好む魚もあるが、あまりに清冽せいれつで澄み切った水だと、姿も隠せないので魚が棲みつかない。同様に、人間もあまりに清廉潔白の度が過ぎると、かえって人が寄り付かず、敬遠されるということのたとえだ。さしずめ阿良々木先輩は、その透き通った水の中を泳ぐ、魚と言ったところか。棲めばこんなにも心地よい居場所なのに、それに気付かないでいるとは、みな勿体ないことをしているな。そう思う気持ちがある一方で、こうして阿良々木先輩を独占する機会が増え、無上の喜びを感じている私がいる。自己本位にしかモノを考ることができないとは、何とも利己的で浅ましいことだ」

 神原の甘言褒舌、ここに極まれりだ。
 
 それに加えて自己評価が低いと言うか、必要以上に自分のことを貶めるので、より言葉の重みが増すんだよな。二人の時はまだいいが、神原のお祖母ちゃんの前で、この口上をされると、本気で困る。
 正しく“褒め殺し”である。

「僕の友達の少なさを、ここまで好意的に解釈し、昇華させるとは恐れ入るよ」
 
 ほんとにもう、ちょっと怖いぐらい。

「うむ。住めば都とはこのことだな」
「間違ってはないような気もするが、褒めてるのかそれは!?なんだこの胸の中で駆け巡る鬱屈とした感情は!!」

 早くも言葉の不協和音再び!!

 誤解されても困るので言及しておく。不協和音を不快な音と捉えている人がいるかもしれないが、実際は不快な音ではなく、濁った音を指す言葉である。不快な音を表す音楽用語にCacophonyカコフォニーというものが存在するので、言い改めたほうがいいだろうか。
 
 言葉のカコフォニー再び!!
 
 絶対意味が通じないな。比喩的に、不協和音には調和を乱すなどの意味があるので、言葉の調和を乱すと言う意味を込めて、言葉の不協和音と認識頂ければいいかもしれない。



「が、そんなことより話を戻すぞ神原。僕が今、問題としているのは、お前の傍に死神が居るのか、居ないのかだ!?」

「はっはっはっは。阿良々木先輩、そんなの冗談に決まっているだろう。諧謔かいぎゃくを弄したまでだ。私ごときの戯言たわごとを真に受けてしまうとは、灰色の脳細胞を有する阿良々木先輩らしくもない。こんな稀有けうな出来事に立ち会えて私は嬉しく思うぞ。優曇華うどんげの花待ち得たる心地とはこの事を言うのだな」


 淀みなく滑らかに言葉を紡ぎ続ける神原だったが、ふとそこで、何かに思い至ったかのように神妙な顔付きになった。それは途轍もない過ちを犯してしまったかのように、悔恨の表情が浮かんでいた。

「……どうかしたのか?」
 神原の深刻な面持ちに多少気戸惑いながらも、恐る恐る声を掛ける僕だった。

「いや……失礼。なんと滑稽なことか。阿良々木先輩の真意に気付くのが遅れてしまって、忸怩じくじたる思いだ。ふふ、解っている。阿良々木先輩は、真実を見通した上で、自ら道化を演じてくれたのであろう。ついさっき概略を述べた諺の時もそうだ。嬉々として調子に乗った私に百合を持たせてくれるとは。心憎いまでの配慮、その粋な計らいには頭が下がるばかりだ。これではエロ奴隷失格だな」

「もうお前の発想の飛躍についてく自信がなくなってきたよ…………それでもツッコミ役として責務を貫徹するが、そこで花を百合に限定する必要がないし、僕はお前をエロ奴隷と認めた覚えはない! そして何よりも冗談と言うのならば、なぜ袋の中身を言い当てることができたのかという根元的な問題が残る!」


 神原との会話が楽しいことは間違いないのだが、それでも少々疲れてきた。存外ツッコミには体力が必要なのだ。
 いい加減このやりとりに決着をつける為、神原を眼光鋭くめ付け、これ以上無用な押し問答は不要だと、無言の圧力を掛ける。

「阿良々木先輩。そんな嘗め回すような卑猥な目で…………恥ずかしいではないか。ああ、そんなにじっと私を見ないでくれ」

 僕の主観で、鋭い目付きだと思っていたものは、厭らしい目付きだったらしい。
 客観的に自分の表情を視認することは叶わないので、神原がそう評するなら、そんな風に見えたのだろう…………いや、そんなわけあるか!これは神原による虚言に違いない。

「ふむ。やはり服を着たまま阿良々木先輩と話しをするのは無粋だな」
「思い出したように、服を脱ぐのを止めろ! ついさっき恥ずかしいと言ってた奴が、なぜ裸になろうとするんだ! そんな理論展開は、この世界に確立されてないぞ! 発言と行動がここまで一致しない奴は初めて見たよ!」
「私が、阿良々木先輩の“初めて”ということか。うん、なかなかに悪くない響きだ」
「妙な箇所を強調するな!!」

「しかし、そうしてじっと凝視することにより、服が透けて見え、私の肢体を直視することができるのであろう?ならば服を着ていても一緒ではないか」
「なんの意趣返しだよ。透視疑惑はお前の担当だ!論点を摩り替えるんじゃない!それに見ないでくれと言ってただろ!?」
「いや、阿良々木先輩。それを本気にとられたら、私としても困ってしまう。あれは嫌も嫌よも好きのうちの表現であって、実際は阿良々木先輩に視姦しかんされたいに決まっているではないか。さぁ思う存分私を辱め陵辱し罵ってくれて構わないぞ」
「僕にそんな趣味はない!!」
 
 まだツッコミたい箇所は複数あったが、喉がカラカラに乾いてきたし、息切れ気味だ。日差しが照りつける中、大声を出すもんじゃないな。
 僕がこんな有様なのに、神原は涼しい顔してるのを見ると、なんとも遣り切れなくなる。


「まぁ実際は、阿良々木先輩の目を見れば大よそのことはわかったし、ある程度は推測が出来たのでな。阿良々木先輩を鎌で刈ってみただけだ」
「そう言えば、お前は読心術なんてもんを習得してやがったな。あと僕に猟奇的なことをするんじゃない」

 正しくは鎌をかける。それにしても不思議な言葉だよな、今度羽川さんに語源を訊いておこう。
  
 そして神原の釈明だが、信じてしまっていいものか。
 
 確かに読心術まがいのことをやってのける奴だったが…………確かバスケ部のエースだったから、目を見れば相手の考えが読み取れるとかなんとか言ってたはずだ。それに僕の考えはより一層看破し易いらしい。
 でも全てがばれている訳でもないだろうし、神原の言葉を真に受けてはいけない。話半分で聞いておいたほうがいい。いやそう考えないと僕は神原の前では、仮面を被って相対しなければならなくなる。
 
 まあ本物の羽川が有する、超能力じみた推察力に比べれば、まだ可愛いものだし、許容することにしよう。





[18791] 【化物語】するがマーク~その3~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 19:36
「ううむ。それにしては詳細が詳しすぎた気がするけど……」

 僕はそれほどまで単純で読み取り易い表情をしているのだろうか。
 ばば抜きや、ポーカーで勝負しても、そこまで一方的に負けたことないのにな……対戦相手が妹達だから、有益な判断材料になるとは言い難いが。

「ちなみに、阿良々木先輩の今日の下着は、ふむ、茶色いチェックのパンツか、なるほど」
「見えてるんだろ! お前は契約をしたに違いない!」
「私としては、ブリーフを強く推奨するのだが――」
「お前の趣向はどうでもいいよ! なぜ僕の下着を…………いや、まて! それが見えるのならしかしてその奥さえも!?」
 
 咄嗟に股間を左手で隠す(右手は自転車を支えているので無理だった)。
 
 僕は裸を見られて、興奮するような変態では断じてない。
 一度区切りがついた話だったのに――なんとも迂闊ながら、蒸し返す切っ掛けを作ってしまった。
 前言を撤回させてもらう。許容なんかできやしない。

 
 それはともかく、じっと目を細め、僕の下腹部――特に、陰茎付近に視線を集中する変態が居る。
 もしかして、隠している手なんかも透視できたりするのか?
 ならば、僕のこんな抵抗、無きに等しいということか!危険すぎるぞコイツ。

「うむ」

 神妙に頷いた神原は、なんとも言えない憐憫に満ちた目をした後、そっと目線をそらした。なんだ?
 随分、釈然としない態度をしやがる。
 
 そして神原にしては控えめな――それは気遣うような声でそっと僕に告げた。

「私が思うに、大きさだけが全てじゃないと思うぞ。杓子は耳掻きならずとも言うのだし」

 袈裟斬りにすぱっといかれた心地だ。
 僕の自尊心が大いに傷ついた。痛恨の一撃!

「い、いいい、言っておくが、僕のは…………そこまで哀れまれる程、卑小なもんじゃないぞ!!」
 大きいとは言わないけどさ。
 ううう。僕は神原に視姦され、嬲られ、傷物にされてしまった。


「何を言っているのだ阿良々木先輩。私が話しているのは身長のことであって、ちん長のことではないぞ」
「ちん長って何だよ! この場合意味はわかるけどさ。お前の視線は下向いてたし、自分で言ってる時点で確信犯だろうが!」
「申し訳ない。こういう時どんな顔をすればいいか、わからない……」
「笑えばいいと思――わないよ!」
 
 ネタのチョイスに悪意を感じる。エヴァネタを絡めるなら時機的に『破』を使えよ。

「ただ仮に百歩譲って身長の話だとしてもだ、お前は僕の身長を悲しいことだと思っているのか!?」

「いやはや心外だ、阿良々木先輩。私は人を見掛けで判断するような狭量な人間ではないぞ。それに私の中の阿良々木先輩はいつだって気宇壮大きうそうだいで、私などでは端倪たんげいすべからず存在だ。阿良々木先輩の器の大きさは、底知れず、私如き凡人では計り知れたものではないからな」

 なんとも迂遠な言い回しで咄嗟には判断できなかったが――

「神原。それは度量的な大きさであって、身長とは全く関係ないぞ」 

 ――結局は煙に巻こうとしてるだけだ。

「どうせお前も心の中では僕の身長が低いと思ってるんだろ。いいんだ。僕としても正直に言ってくれた方がすっきりするし」
 
 自暴自棄ではないが、自虐的思考になってる僕。Mカッコわるい。
 聞かなくていいことなのに。追及しなくてもいいことなのに。
 血が流れると解っていながら、瘡蓋を剥がしてしまったり、怖いのが嫌な筈なのに、ホラー映画を見てしまったりする心境に似ているかもしれない。
 
 神原としても、僕を気遣ってはぐらかしてくれたのであろうに、余計な詮索だったと思う。

「まぁ私見ではあるが相対的に見て、火憐ちゃん……妹よりも身長が低いのは大変お気の毒ではある」

 僕の要望に応え、正直に答えてくれる神原だった。やっぱり聞かなきゃよかった……微妙に気遣ってくれているのが余計に辛い。

「第三者からそのことを指摘されると、結構、胸にくるものがあるな……」

 僕が自ら蒔いた種ではあるし、とやかく言う筋合いはないのだが、神原と火憐を引き合わせたのは間違いだった。
 弁解ではないが、あれは火憐が世間一般より長身なのが問題なのだ。いや、僕も世間一般より短身ではあるのだけれど。
 妹に背の高さで負けるというのは、かなり精神的にきついものがある。



「ううむ。しかし、阿良々木先輩が幼女の水着を蒐集するのが趣味だったとは、これは私も協力し、尽力せねばなるまい。やはり着用済みの水着のほうが、価値は上なのであろう。よし、阿良々木先輩の為だ。その辺は、私の可愛い子猫ちゃん達に任してもらって構わないぞ」
「僕はブルセラ趣味じゃないし、水着マニアでもねぇよ!」
 
 だからコイツに頼るのは嫌だったのに。案の定だ。折角千石に頼って、神原を回避したのにこれでは意味がない。子猫ちゃんのくだりは敢えて無視。

「ん?ならば、その水着は阿良々木先輩が鑑賞目的で調達してきたのではないと?」
「当たり前だ」

「はて、そうなるとあとの使い道は……」
 先を即すように僕を伺う神原。

「友達と遊びに行くんだよ」
 悪足掻きとして必要最低限の言葉しか用いない僕。

「ふむふむ、友達と。ならばそのお友達が、この水着を着用することになるのだろうか? 口ぶりからすると、どうやら忍ちゃんでもないようだし……そう言えば、阿良々木先輩の数少ないお友達のなかに、幼女がいるとは、かねがね噂に聞いているな」
 
 解は分かっているのに、僕の口から答えを聞き出そうとしている。こいつは犯人に嫌な追い詰め方をするベテラン刑事の人か。噂の出所は多分、戦場ヶ原だろう。


 どうやら詰みチェックメイト

 俎上そじょうの魚と言うやつだ。


 これ以上はぐらかしていても、あまり意味のある行為なるとは思えない。そもそも、始めから全部解っていたんじゃないかと疑いたくなる。

 だとしたら、僕に残された最後の手段は――



 ――俎板まないたの上で飛び跳ねることぐらいだ。








 三十六計逃げるに如かず。

「神原。すまない。八九寺を待たせてるんだ。じゃあな」

 僕は自転車に飛び乗り、そのまま一目散に逃げ出した。エンカウントした敵に敵わないと判断したのなら、逃げ出せばいいのだ!!
 逃げるが勝ちって……まぁわかってたけどね――余裕綽々で、神原が僕の横を併走している。
 ちょっと試してみただけなので、別に驚きも残念に思うこともないけど。
 
 所詮、魚が俎板の上で跳ねてみたって、どう足掻いたところで海には届かない。
 海に帰れたのはタイヤキくんぐらいで……その結末は結局、見知らぬおじさんに釣り上げられ食べられてしまう。
 それはタイヤキくんにとっては本懐だったのだろうか? なんか哲学的問題だ。

「いや、お急ぎのところ、引き止めて申し訳なかった。気にせず目的地に向かって貰って構わないぞ。阿良々木先輩は私の指針なのだから、私はどこまでも付き従うのみだ」
「ああ、それは有り難いことだ……」

 できれば、そっと見送ってほしかったな。

「阿良々木先輩いるところに、神原ありだ」

 そこまで晴れやかな顔で言われると、そういうものなんだろうと、納得するしかなかった。
 RPGなんかで、強制的に加入してくる助っ人キャラみたいなもんだ。


 もう逃げる事は諦めたので「押して歩こうか」と提言したのだが、「問題ないと」侠気のあるお言葉を頂いた。
 まぁ八九寺を待たせているのは本当のことだし、神原が有する規格外の体力なら心配ないだろう。それでも心持ちスピードは落としておく。
 とは言っても、神原は息を乱すことなく、苦もなくいつもの口調で喋り続けることが可能なようだ。
 自転車に併走しているのに関わらず、神原の弁舌は乱れる事がない。

 男が自転車に乗って、女子を走らせている図ではあるが、神原がトレーニングウェアを着用していることもあり、奇異な視線で見られ事もないだろう。寧ろトレーニングに付き合っているコーチ役なんかに見えて、好意的な解釈が得られそうだ。

 一定のリズムで跳ねるように走る神原の姿は、やはり異常と言うしかない。靴の裏にバネでも装着されているんじゃないかと勘繰ってしまう。
 神原の走法は所謂スライド走法なので、足の回転数より、歩幅を広く取るのを重点においたものだ。神原の類稀な脚力もあって、目を疑いたくなるような距離を跳ぶ。今は僕の自転車に併走するかたちなので、心持ち歩幅は抑えているようだが。
 神原の走り方を検証しているとなんだか、気持ちまでコーチ気分になってくる。



「さて、阿良々木先輩。一人で幼女を独占しようとするのは、公明正大を旨とする、阿良々木先輩としては感心しないな」

 仕切りなおしとばかりに喋り始める神原だった。その視線は心持、鋭くなっている。

「公明正大は羽川の専売特許だよ」

 僕はそこまで品行方正に生きていないし、自分の都合を押し付けることぐらいする。

「阿良々木先輩ともあろうお方が、幼女の価値を知らぬ訳でもあるまい。既に阿良々木先輩は忍ちゃんという、極上の一品を所有されているのだ。にも関わらず、八九寺ちゃんまで一人で占有しようとするなど、酷いではないか。あんまりだ。なぜ私に横流ししてくれない。私も恩恵を受けたいぞ! 私も八九寺ちゃんと遊びたい! 私も阿良々木先輩のように、幼女の胸を揉みしだきたい!」

 コイツの言い分だけ聞いていると、僕は少女を商品として扱う人身売買ブローカーみたいだな。幼女のことになって目の色が変わっている。始めは丁寧な口調だったのに、徐々に熱を帯びていき、最後は駄々っ子のような喚声になっていた。

 最近の神原は甘言褒舌だけでなく、こうな風に自己主張するようにもなった。
 盲目的に僕の言葉に頷くよりは、いい傾向だとは思うが――内容がアレだけに、今回は手放しで喜べない。

 それでも、神原の直向ひたむきな情熱に、心動かされるものがあった。
 神原の動機が不純なのは――いや幼女を愛するということは至極普通の感性で、別段おかしなことでもない。
 
 例え少女に抱きついて胸を揉みしだいたり、頬にキスの雨を降らせたり、嘗め回してみたり、唇を奪おうなんていうのも、一種の愛情表現に過ぎないではないか。
 愛に形はないけれど、愛を態度で示すことはできる。
 愛とは尊いものなのだ。 

 決して、神原を非難することによって、“クビシメロマンチスト”になるのを、嫌ったわけでない。

 まさか本気で八九寺をどうこうするつもりもないだろうし、紹介してやってもいいかなんて、そんな感情が芽生えかけていた。うん、芽生えかけていただけだ。

「八九寺ちゃんの蕾を摘み取るのは、私の役目だな」

 神原の一線を越えた発言により、そんな芽生えは、一気に刈り取られた。いや摘み取られたと言うべきか。
 表現を暈してもこれは、駄目だ。この変態、早くなんとかしないと。

 
 やはり、八九寺の操は僕が守らなければならないようだ。





[18791] 【化物語】こよみライン~その1~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 19:37
 有らぬ誤解や疑念を抱かれぬよう、"なぜ羽川だけ海に誘って、千石、神原を誘わないのか"、そこら辺の境界線を改めて明確にしておこうと思う。
 事の序で、同時に戦場ヶ原に対する線引きも語っておく。


 まず前提条件として"八九寺が知覚できるか"、というのが問題となる。

 その時点でまず除外されてしまうのが、まだ話題にあがっていなかった戦場ヶ原である。
 最近はとみに一緒に行動することが多くなった僕と戦場ヶ原――至極簡単に言えばデートをする機会も増えているのだが、その折に八九寺と出くわす機会があった。
 
 僕にとっては何気ない日常の断片に過ぎない。
 あぁ今日はいいことが起こるぞ、といつものように、八九寺をラッキーアイテム扱いにして、呑気に声を掛けようとしていた。
 
 だがそこで、僕の反応を訝しがるように伺う戦場ヶ原に気が付いて、そこでようやく思い至ることになった。


 僕は八九寺に会ったけど、戦場ヶ原は八九寺に会わなかった。

 母の日の邂逅と一緒だ。

 僕の傍に居るが、戦場ヶ原の傍には居ない。

 ただそれだけの話。

 それが悲しい事だとは思わないし、戦場ヶ原にとっても、怪異から解き放たれた生活が送れている裏付けになるのだから、それは良いことなのだろう。 


 それ故に、最初から戦場ヶ原を海に誘うという考えは除外されている。





 次に千石を誘わなかった理由は、僕独自の判断によるもの。
 千石に八九寺が見えるかどうかは分からないが、出来る限り怪異との接触は避けた方がいい。本来なら千石は、怪異と関わることなく生きられた人間なのだ。
 
 千石は理不尽な理由により、一方的に呪われ、不運が折り重なることにより、"蛇"に絡まれてしまった純粋な被害者である。

 僕のように、自ら首を突っ込んだのでもないし、戦場ヶ原のように心の拠り所を求めたのでもなく、神原のように願ったのでもない。
 その点、羽川は"触られた"ので被害者とも言えなくもないが、その原因は自身のストレス。
 忍野に言わせれば、それも十二分に自己責任の部類になってしまうのだろう。
 
 僕たちは少なくとも何かしらの起因を担っている。忍野がよく言っていたように、"被害者面をしてはいけない人間"なのだ。
 多かれ少なかれ、怪異と利害関係を築いてしまった。
 
 僕は自業自得。戦場ヶ原はズルをした。神原は嫉妬して、羽川は溜め込んだ。
 
 身から出た錆。因果応報。罪には罰を。
 ならば相応のペナルティを背負うのは必然と言える。

 僕は一生、人間もどきの吸血鬼のごとき存在として生きる責任がある。
 戦場ヶ原は、預けていた“想い”を返してもらい、どんなに辛い“想い”でも自分で背負うことにした。
 神原は、願った代償分として、二十歳まで怪異を左腕に宿し続けることに。
 羽川は、失恋と言う名の傷を負った。

 だが千石は、悪意ある第三者に突然後ろから押されて、事故にあったようなものだ。
 そんな千石に、少しでもリスクのある事をしてはいけないと、僕は思う。



 本来、人間と怪異は相容れぬもの。
 僕は八九寺と知り合えたことを、自信を持って善だと言える。しかし、善の裏には悪が潜んでいるものなのだ。

 禍福は糾える縄の如し。幸と不幸は表裏一体で、一転すれば善は悪に早変わりする。
 八九寺が悪に成り代わる事はないにしても、"怪異を知ると怪異と絡む"。
 千石にはそんなリスクも背負わせてはいけない。
 
 その結果、悪質な怪異に絡むことがあるかもしれない。しないかもしれない。
 人間万事塞翁さいおうが馬。怪異に絡むことで起こり得る、善し悪しを予想することなんて誰にも出来やしない。

 だからこそ、“触らぬ神に祟りなし"の一言に集約される。
 危ない橋を渡る必要など、どこにもないのだ。



 所持金が増える未来を夢見て、ギャンブルに手を出すのは正解か否か。
 そんなの時の運で、どう転ぶか解らない。
 多少は下調べや対策を講じ勝率の底上げは可能かもしれないが、勝ち続けることは不可能に近い。そんなのは夢物語。

 節度を弁えて遊べば、比較的、楽しむことができ通常の生活が送れるだろう。勝って財布が潤うこともある。
 しかし、失敗した代償、勝負に負けてしまった時に受ける損害を覚悟しなければならないのは当然のこと。


 そして僕はそれを解っていながらも、どっぷり足まで――いや全身、血液の全てに至るまで浸かりきった愚かな人間なのだ。Betしたのは自らの命。

 そんな奴が辿る末路なんて悲惨なものしかなく、待っていたのは地獄だった。
 
 吸血鬼を助けた代償は、吸血鬼を狩る者達との邂逅。こちらの意志を無視した命のやり取り。
 そして目の当たりにしたのは、吸血鬼と人間との隔たり、確固たる違い。

 どこまでも続く生き地獄だった。どこまでも続くか、耐え切れずに“終わって”しまうところだった。


 だが僕は恵まれていたのだ。悪運が強かった。そんな地獄に堕ちた僕を救ってくれた人がいた。

 羽川が僕に手を差し伸べてくれた。
 あの胡散臭いアロハ服のオッサンにも随分と力添えをしてもらった。いや、相応の対価を支払うことになったのだし、あいつは僕を助けたなんて考えていないだろうけど。
 それでも僕は羽川に、忍野に助けられたのだ。そうして、いろんなモノを不幸にする事で、どうにか元の生活に戻れたに過ぎない。



 僕は、千石を過剰なまでに庇護することを厭わない。“お兄ちゃん”として、やれるだけの事はやってやるつもりだ。
 だからこそ、千石と八九寺を僕の意志で引き合わせることはないだろう。





 そして現在の懸案である神原だが、彼女の場合、怪異と絡む云々の理由ではない。なにせ彼女の左腕は怪異そのものだ。
 素人判断を下してはいけないが、八九寺のような害の無い怪異と接したところで、それ程、怪異と絡みやすくなるとは思えない。理由としては薄い。まぁ薄いだけであって考慮はしているのだが。
 もう散々言ってきたことだが、神原と八九寺を引き合わせたくない最大の理由、それは八九寺の身の安全を考慮したが為。こっちの理由が濃すぎるのだ。
 八九寺が見えるかと言う問題さえ、変態パワーでどうにかしてしまいそうなだけに、迂闊なことはできない。
 奴の透視疑惑はまだ闇の中なのだし、神原は怪異を宿した人間だから、見える確率は高いように思う。



 ただ怪異である八九寺と接するのが、悪い事だと取り違えて貰っては困る。そんな思い違いだけは、絶対にしないで欲しい。
 八九寺は僕の大切な友達だし、出来ることならば、他のみんなにも友達になって欲しいと願っている。大変おせっかいな考えだろうし、友達の数が片手で数えられる僕なんかが、口出しするべき問題ではないだろうけど。




 さて最後に、唯一海に誘った羽川の場合。
 
 当然の事ながら、羽川は八九寺のことが見えている。
 それに羽川と八九寺は、僕が介することなく個人的に友達となったのだから、僕がどうこう言う問題でもない。
 八九寺も羽川のことを随分と慕ってようだし、親友同士と言って差し支えない二人だ。
 怪異の問題についても、僕が心配するだけ野暮ってもんだ。羽川は僕なんかよりもずっと、その辺の見極めも立ち回りもできる奴だし、あいつは本物だ。
 それでも気には掛けている。羽川は周りの事は見えていても、自分の事に関しては結構御座なりになる奴だし。

 以上の点から、羽川だけを海に誘った理由がご理解頂けたと思う。
 決して羽川の水着姿が見たかった訳じゃない。いや、見たくなかったと言うと、羽川に対しても失礼にあたるし、見れるに越した事はないのだけど、それが第一の理由ではなく、八九寺を喜ばせる為に生じた副産物的なものだ。偶々である。



 少々羽川のくだりで、もしかしたら過去の僕の発言と噛み合わない、不自然な点、覚え違いがあったかもしれないが、人間の記憶とは不完全なものだから、あまり深く考えないでほしい。






[18791] 【化物語】するがマーク~その4~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/16 21:12
 依然として僕の漕ぐ自転車の横を併走する神原は、のべつ幕無しに幼女の希少価値を訴えかけてくる。
 その勢いは某口先の魔術師の固有結界を想起させる程の言葉の奔流。
 内容に関しては途中から聞き流しているので詳細は不明だが、簡単には引き下がらないという事だけは痛切できた。

 さて、一体全体どうしたものか。このままでは、待ち合わせ場所まで一緒に到着してしまう。
 神原を帯同したままにすると、八九寺の身の危険どうこうの問題よりも先に、八九寺が逃走し兼ねない。

 なぜそのような事が言えるのかと言うと、ことは数ヶ月前。
 僕が神原にストーカー行為を受けていた頃の話になるが、学校帰りに逢った八九寺とお喋りに興じていた時に、神原が来襲してきた事があった。いや、襲われてはいないんだけど、突貫するように駆けてくる神原は、一種の弾丸と同義だ。津波が押し寄せるように猛然と迫られれば、なかなかに怖いものがある。
 
 その突然の脅威――神原が現れるや否や、八九寺は逃げるように姿をくらました。いや、実際逃げたんだろうけど。
 
 神原が去ると即座に戻ってきたことから憶測するに、本能的に神原を危険人物と捉えたのだろう。肉食獣に狙われた、草食獣の本能に近いモノではないかと推察する。
 八九寺の判断は大いに正しい。友達に羽川を選ぶ辺りにも、人を見る目がある奴だと窺い知る事ができる。

 だからこそ、待ち合わせ場所に到着するまでに、何としても手を打っておかなければ。
 折角約束を取り付けて水着まで貰ったのに、おじゃんになったりしたら堪ったもんじゃない。


 八九寺の事を諦めて貰うには、相応の見返りが必要だろう。“何かを得るには同等の代価が必要”だと錬金術師の方々も仰っている。
 神原と八九寺の邂逅を阻止するために、神原に支払うべき必要な代価とは如何ほどのモノだろうか?

 あいつの価値観は、僕の考え及ぶ領域じゃないからな……見当がつく、分かっている事と言えば、神原は裕福な家系だから金目の物なんかでは効果がないってことぐらいか。どこぞの王妃のように"欲しいものがあれば、買えばいいじゃない!"みたいなノリである。
 金持ブルジョアに、金銭的交渉は通用しないのだ。

 ならば交渉のテーブルについて、話し合う他あるまい。





「――――なればこそ、少女達を愛する資格が得られるというのだ! そんな事も弁えないで小五と(21)ロリを併せて悟りを啓いたなどとほざく輩が居ることが実に嘆かわしい。業腹にな――」
「おい神原、僕と――」
「――仕方のないことだ。そもそも幼女の本質は――」
「おい神原! 人の話を聞け!」

 神原による『幼女至上主義博愛理論』を聞き流していた奴の弁である。
 
 なぜ走りながら、こうも延々と喋り立てる事ができるのか……コイツの心肺能力はどうなっているんだ?
 並のマラソン選手よりスペックが高い。
 
 
「むむ、少し熱くなり過ぎていたようだな。阿良々木先輩の口上を遮るとは、とんだ失態を演じてしまった。猛省せねばなるまい」
「そんな事で反省されても困るんだが……まぁ僕の話を聞いてくれ」
「なんと、許して頂けるのか! 寛大なお言葉、痛み入るぞ。恐懼感激きょうくかんげきの至りだ」
「……僕はどんな心の狭い奴なんだよ。そんなことはいいから神原。僕と取引だ」
「ん? 取引とは?」

 走りながら顎に手を当て、小首を傾げる神原。可愛らしい仕草というよりも、探偵なんかが考え込む時に用いる仕草に見える。

「なるほど! 透視能力か!?」
「いい加減そのネタを引っ張るのを止めろ! はぁ……僕が言ってるのは交換条件。お前の頼みを出来うる限り聞いてやる。だから今日のところは、僕と八九寺のお楽しみをそっとしといてくれないか?」
 
 神原に有効な対価が分からない以上、相手の意見を取り入れるのが定石だろう。

「んふふふふ、阿良々木先輩。私は阿良々木先輩に忠誠を誓った身なのだぞ。交換条件など、本来必要ないのだ。阿良々木先輩がそうしろと命令すれば、無条件で私は退いたというのに。何とも奥床しいお方だ。阿良々木先輩という人となりを知れば知るほど、尊崇の念が増大していく。喩えるならば、そう。空気を入れれば入れるほど膨らんでいく風船のように」 

 それって、いつかは破裂するという暗喩ではないよな……風船の強度は膨らむ程に脆くなるものだから、些細な衝撃でも簡単に割れてしまう。そうではないと願いたい。

 ううん。無条件で僕の言葉に従う……か。忍にも似たようなこと言われたな。主と従者の関係。命令系統の絶対。
 そういう権力を振り翳すような真似はしたくないんだけどな。まぁ今回の件は八九寺の為だし、そこまで気兼ねする必要もないか。有り難く権限の行使をさせて貰おう。

「そうか、なら、今日のところは大人しくし帰っ――」
「しかし!! 阿良々木先輩の好意を無下にするほど、私も野暮な人間ではない」
 
 僕の発言は、神原の切り込むような大声によって遮られた。

 今し方猛省するとか言ってた奴が…………三歩歩けば忘れてしまうのか?
 要領がいいトリ頭だ。これって、なんだか矛盾した言葉のような、そうでもないような。変な言葉だ。

 まぁ元々神原の要求は聞くつもりでいたから、とやかく言うつもりはないだけど……。


「あれだぞ。僕は神龍シェンロンを超越した力なんて持ってないんだからな。何でも要望に応えられる訳じゃない。可能な範囲で頼むぞ」

 昔の戦場ヶ原は神龍を超えた力を持っていると宣言(?)してたけどな。

「何を仰る。阿良々木先輩は神と同等、それ以上の存在なのだから、そんな謙遜することはないのだぞ。『実るほどこうべを垂れる稲穂かな』といった戒めの意味が込められた俳句があるが、慎み深い態度を蔑ろにしない阿良々木先輩にとっては無用の警句だったな」
「いや、ここでの謙遜は僕のハードルが上るだけだろ。僕をそこまで高く崇め奉るな」
「そう言えば、一粒の米の中には七人だったり八十八人の神様が居たりするとか言うそうだな」
「あれ? そこまで崇められてない……」
 
 なぜ、ここでそんな話題を持ってくる必然性がある!
 いや何人いようが、神様と同列に並べられること自体、恐れ多いことだけど。
 神原が言っている事に関する由来は諸説あるから、僕が提言することは難しい。

 蘊蓄として――『米』と言う漢字を分解すると『八十八』に成るとか、その昔、米作りに要する工程が、八十八工程あったから『米』の字が考えられたなど、教えて貰ったことがある。勿論全て羽川さん情報だ。


 最近の神原の言葉を、慎重に噛み砕いて解析してみると、そこまで僕を褒めていないと言うか、どこかに毒を含んでいる。

 頃合的にみて、戦場ヶ原がデレ始めたのに反比例するように――その比率としては微々たるものだが、嗜虐的になってきた気がする。
 幸福量一定の法則ではないが、幸せと不幸の量が常に一定であろうするように、ツンとデレも等価交換されてたりして。
 戦場ヶ原が“デレ”ることによって、どれだけの人の“ツン”が増大したのか……。

 神原がツン化した原因を探ってみれば、僕と戦場ヶ原の仲の良さに嫉妬してるんではないかと邪推してみる。
 
 嫉妬はストレスに繋がり、いずれは“願い”将又はたまた“触り”兼ねない。
 清廉潔白であるが故、八つ当たりする行為を自ら戒め、溜め込んでしまった羽川のように。
 それは、崇高な事ではあるが、賢い生き方とは言えない。そんな羽川ではあったが、今はそれなりに戒めを軽減しているので、当面は安心ではあるが。

 こうして僅かずつにでも、毒を吐き出してくれれば、それに越した事はない。
 神原の嫉妬心は身をもって体感済みなので、まぁこんなので憂さ晴らしになっているのなら望むところだ。

 心の安寧を求めるのなら、毒は排出しなくてはいけない。


 心に巣くう毒は、出してもまた溜まるモノだから。





 閑話休題。





 しばし無言のまま走り続ける神原。その表情は真剣そのもので、僕にお願いする内容を熟慮している模様。
 その真剣な顔付きに、ふと微笑が浮かび上がるのを僕は見逃さなかった。
 言い様の無い空恐ろしいモノを感じる……。

「うん。そうだな」

 大きく一つ頷いたのは、要望が定まった合図だろう。
 どうせ突拍子もない事をかすに決まっているので、気を引き締めておく。

「どうだろう。阿良々木先輩の写真を撮らせてはくれまいか?」
「なんだ、思いのほか普通だな。もっとどぎつい事を要求してくると思ってたから、冷や冷やしてたぜ」
 
 少しばかりこの後輩のことを、危険視し過ぎたようである。ほっと胸を撫で下ろす。

 そう言えば、デジカメを持ってたんだっけな。最新型の超薄くて超軽いヤツ。
 見境なく何でも彼でも手に入れる浪費家の神原である。

 僕と写真なんか撮って何が嬉しいのか分からないが記念写真のようなものか。

「僕にも、その写真くれよ。記念になるしさ。お前との写真って持ってなかったから、思い出になるよ」
 “写真は思い出の付箋”だと、緑髪の女の子の近所に住む女子高生が言ってたな。
 僕は結構いい言葉だと思っている。

「いや、すまない阿良々木先輩。私は阿良々木先輩お一人の雄姿を収めたいのだ。阿良々木先輩が身に纏ったオーラを写真に収める事が出来ないのは心苦しいが致し方ない。とは言ったものの、霞のように立ち昇るオーラが写し出されるのではないかと期待もしている」

 それは俗に言う、心霊写真になるのではないだろうか……いや、幽霊みたいな幼女と友達だけどさ。

「僕の一人の写真かよ。まぁいいけど」

 ブロマイドって感じ? 何だかこそばゆいな。
 でも僕も、ガハラさんの写真を財布の中に後生大事に忍ばせてる身として、気持ちは理解できる。



「これで、当分おかずに困ることはなくなるな」


「…………おかず?」


 ああ……面白くない答えに辿り着いた気がするような……いやきっと気のせいだ。
 ははははははは。話の繋がりが見えない。この子が何を言っているのかワカラナイ。
 いやいや、今晩の献立でも考えているんだろう。 

「見識のある阿良々木先輩らしくもない。おかずとは、自分を慰める時に“私用”するものだ」
「知ってたよ!!」
「無論、私が写真を撮る時に衣服の着用は許されない。いや、最初は着たままで構わないが、いずれは生まれたままの姿になるのだがな。阿良々木先輩のイチモツを拝めるなんて幸せだ」
「知りたくねえよ! んなもん却下だ!」

 僕が敢えて気付かない振りをして、無かった事にしようとしたのに――僕の計らいを台無しにしやがって。

「だ……駄目なのか?」
「当たり前だ、意外そうな顔をするな! なんで愕然としてんだよ」

 安易に信用した結果がこれである。

「もっと違うのにしてくれ」
「ふむ。ならば、もう少しレベルを下げるしかないか……」
「そうしてくれると助かるよ」
「……ううん。ならば、私と愛読書の読合わせをして欲しい」

 この時、僕の中に嫌な予感がひしめいたのは言うまでもない。

「いや……なんかもう、内容が読めるから聞きたくないんだけど……」
「なんと! もう既にお察しがついているとは驚きだ。私の心中など、全てお見通しと言うわけだな。私は阿良々木先輩と以心伝心の間柄になれて嬉しく思うぞ」

 僕は、心の内がばれているのかと思うと、鬱屈とした気分になるけどね。つってもコイツは僕の心の機微を察してはくれないわけだが。読み取れるなら、多少なりとも、僕の心の意を汲み取ってくれればいいのに……。

「まぁ一応言ってみろ。どんな話だ?」

 確証も無いのに、断定するのは良くない。

「うむ、『薔薇』に纏わる話だ。登場人物は二人だから、演じ分けも容易い。阿良々木先輩はやはり『受け』の――」
「神原。もうお前の言いたいことは解った」
 
 キーワードは『愛読書』と『受け』で充分だ。
 『薔薇』が如何なるモノを言い表しているかは知らないけど、きっと碌なものじゃない。

「無論、その日の為に録音機材は手配しておく心算なのだぞ?」
「僕が何時そんな心配をした!? 保存するんじゃねえ! 有無を言わさず却下だ!」
「むむう」

 不満を顕わに顰め面になる神原だった。もう少し、良識のある発想ができないんだろうかコイツは。
 
 僕が呆れていると、次いで、神原が発した提案は、輪をかけて奇怪なものだった。


「ならば、阿良々木先輩は何もしなくていい」


 何もしなくていい?
 神原の発言は、常日頃から度し難いモノであったが、今回は益々持って意味が解らない。

「それは交渉になり得るのか?」
「うむ。私が阿良々木先輩の御前で、自慰をするだけだから問題はな――」
「問題だらけだよ! 交渉決裂だ! 僕は要求に応えようと言ってるのであって、お前の欲求を解消するんじゃない。もう駄目だ。お前と話していても埒が明かない事がよぉく解ったよ。豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ!!」


「ならば、私は八九寺ちゃんを弄んでもいいのだな!?」
「それも駄目だ」

 なんて自分に都合いい思考回路してやがんだ。と言うか語彙の選択が非道徳的だな…………僕も使った事があるような気がしないでもないけど。
 まぁこんな事になると予測は出来ていたので、僕にも考えがあった。
 一方的な棄却に反発し、意を唱えようとした神原だったが、それよりも先に僕が口を開く。

「しかし妥協案。落とし所として、今度正式に八九寺を紹介してやる。それでどうだ?」
「うっ……うう……だが、いやしかし……あう……な、なるほど。今日の所は見逃す、と……そうすれば、八九寺ちゃんと戯れる未来が約束されるという訳か」

 口に出かかった言葉をどうにか飲み込む神原。なんとか自分を納得させる事に成功したようである。
 そもそも無条件で僕の言葉に従うとか言ってた筈なのに。つくづく自分の発言に責任を持たない奴だな。

「まぁ、前提条件として八九寺の同意が得られればだけどな。それとお前に八九寺が“視認できるのか”ってのもあるし。それでも構わないか?」

「ふふ、そうだな。八九寺ちゃんと会えるのならば、その条件を飲もうではないか。私も前もって準備しておきたい事があるし、却って好都合というものだ。その日の為に、もっといろんな衣装を蒐集しなければ。ふふふふふふふ、これは楽しみだ。備えあれば患えなしと言うが、やっと私のコレクションが日の目を見る時がきたのだな! あぁ、どんな服を着てもらおうか! 私見ではあるがメイド服なんかが似合いそうな気がするな。はぁあああ、もう! 想像するだけでトキメキメキメキメキだ!!」

 会えることが確定事項になってるのは、放っておくとして、八九寺のメイド服か……悪くない。いや……いい!
 僕も参加するぞ!
 開催場所を神原宅にするとしたら、前以て部屋の清掃計画を立てなければなるまい。



 こうして当人の関与せぬところで、神原を紹介することが(仮)決定したのであった。









 神原はそのまま、ロードワークの続きに行くと言って、凄い勢いで走り去っていった。
 神原の件を八九寺に伝えるのは、海で遊び終わった後でいいだろう。変に気負わせるのもアレだし。


 さて、神原と別れ八九寺との集合場所に急いで戻る僕だが、海に行く前に、やって置かなければならない"義務"がある。


 戦場ヶ原ひたぎ。
 彼女。
 詰まる所、僕とお付き合いをしている女の子、恋人である。

 その彼女に何の報告もなしにデート擬いの事をするのは、褒められたものではないだろう。
 事後報告になってはいけないのだ。報告したからいいという問題でもないが、僕の彼女はそこまで狭量じゃない。
 僕自身の問題として――不誠実な行いはしたくないし、後ろめたい気持ちを抱いたまま、八九寺と遊ぶのも気が引ける。
 まぁ絶賛ツンドロ中の戦場ヶ原なら、怒ったり、暴言を吐いたりすることもなく、すんなり許可は取れると思うけど。


 まずは若干、待たせ気味の八九寺の元に急行するのに専念し、海に向かう道中にでも電話を掛ければいいか。


 それに伴って、前もって宣言ないし忠告しておくことがある。

 今の戦場ヶ原は、偽者なんてこともないし、二重人格でも、演技をしているのでもなく、個体としての概念は同一ではあるが、以前までの戦場ヶ原とは別人だ。
 戸惑う事もあるだろうが、どうかあるがままの戦場ヶ原ひたぎを受け入れて欲しい。
 
 新生ガハラさんのお披露目は、電話での――声だけの出演と相成りそうだ。




 満を持して、ツンドロガハラさんの登場である。 






[18791] 【化物語】ひたぎリターン~その1~【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/24 19:53
 散々待たせたのにも関わらず、特に不平不満を漏らさぬ八九寺だった。
 その代りに、早く出発しようと僕を急き立てる辺り、案外海に行けるのを楽しみにしているのかもしれない。
 何処となく上機嫌な八九寺だ。


 現在の状況を簡潔に説明すると、八九寺を自転車の後部座席に乗せ、海に向かっている道中である。八九寺を後ろに乗せていても、華奢な小学生女子の体重など、足枷になどなりはしない。足取りは軽やかだ。
 
 あと八九寺が僕にしがみついたところで、なんの感触もなく、ときめきも湧かなかったので、そこらのやり取りは割愛させて頂く。

 そして今、戦場ヶ原に電話を掛けようとしている最中だったりする。
 二人乗りが当然のことながら違法行為なのは承知しているが、たしか自転車に乗って携帯の操作並び、通話するのも違法だったはずだ。
 傘を差して運転するのも駄目だし、歩道を走っている時に歩行者に向かってベルを鳴らしてどかせる行為とかも違法だが、あまり認知されていないよな。
 


 まぁそんな訳で、ポケットから携帯電話を取り出し、発信履歴からガハラさんを選択。
 コールが三回鳴り終わった頃に繋がった。



「もしもし。ガハラさん」
『あら、愛しの愛しの阿良々木くんじゃないの』
「“愛しの”と評される事に、不満を言うつもりは毛頭ないけど、呼称の前につけるのはどうかと思うぞ」
『阿良々木くんがそう言うのなら、わたしは涙を呑んで言う通りにするだけなのだけど』
「ああ、助かるよ」

 さて、今の戦場ヶ原ひたぎの第一声、僕とのやり取りを拝聴頂けただろうか?

 これだけでも、戦場ヶ原の変貌ぶりが十二分に窺い知ることが出来たと思う。
 
 暴言毒舌。口を開くとなれば悪罵あくばを吐き続け、讒謗ざんぼうを浴びせる事を己が信条とし、僕を誹謗中傷するのを生きがいとしてきた“あの戦場ヶ原ひたぎ”から――――悪態の限りを尽くしてきた彼女の口から、こんなにも慈しみ溢れる言葉が聞けるだなんて!


 僕の言葉に、へそ曲りじゃない態度でもって応諾してくれる。
 ありし日の戦場ヶ原なら、僕の言葉に耳を傾けることなど十回に一回あればいいほうだったのに。
 右と言えば左。あっちと言えばこっち。頼みごとをすれば、“嫌よ”と即答するのが決まり文句。
 人と協調する行為を忘却の彼方に置き去り、天邪鬼で捻くれ者だったあの戦場ヶ原がこうも素直に人の言うことに唯々諾々と従うなんて。
 人間変われば変わるもの、これが現在のガハラさんクオリティーである。

 正直なところ、新生ガハラさんと接した機会はまだ半月ちょっとしかないので、未だに僕はこのデレっぷりに慣れていなかったりする。慣れてはいないが、琴線をくすぐる何ともいえない心地よさがあり、これが僕の彼女だと思うと、ニンマリしてしまいそうになる。



 貝木泥舟かいき でいしゅうとの再会が転機となって――過去に決着をつけた事により戦場ヶ原の毒は浄化され、今はこんな感じのガハラさんである。
 なんだか神原の甘言褒舌具合に似てきたが、褒め囃すと言うよりは、僕のことを尊重して大事にしてくれているといった感じだ。気恥ずかしい限りではあるが、そこには確かな『愛』が籠められているのだ。
 それに、神原のように前触れもないエロ方面への話題転換がないので、ガハラさんとは健全で良識的な会話が可能となったのも素晴らしい点である。

 過去の毒舌も、アレはアレで悪くないものではあったが、甘美な言葉で甘えられるのが嫌な人間なんているわけがない! と僕の基準で断言は出来ないが、一つ言えるのはどちらも魅力的だと言う事だ。


 飴と鞭みたいな感じで、日替わりのガハラさんとかになったら、もう最高じゃないだろうか!?
 それは、ツンデレの更なる可能性を秘めた新しいジャンル。
 
 僕みたいな一般人が、ツンデレの定義について確固たる言及が出来ないのは重々承知している。
 そもそもツンデレの定義は多岐多様に枝葉を広げ、その解釈は各個人の裁量に委ねられる部分が大きく、明確な事項などが確立されていないのが現状だ。

 まぁそれでもオーソドックスなツンデレの一例として、『初対面ではツンツンしているが、やがて時間の経過とともに相手を意識し始め、デレデレしていく』というのが一般的なものだろう。
 ガハラさんも、部類として区分けするならこれに該当するのではないだろうか。
 研ぎ澄まされた絶対零度の『ツンドラ』からの急転直下のデレなので、その高低差はもう、計り知れなかった訳だが。
 
 そんじょそこらのツンデレとは一線を画す『ツンドロ』なのだ。

 『ツンドラ』と『ツンドロ』を日替わりに。
 
 陰と陽。
 落として上げる。
 叱咤し激励する(叱咤激励だと“大声で人を励ますこと”になるので対比にならない不思議)。
 先程提言した通り、飴と鞭。


 命名、ツンデレエンドレス!


 ってそんな人間がいたら、かなり情緒不安定の危ない奴になるな。
 うん。やっぱりガハラさんは今のままでいいんだ。羽川からも「今までで一番いい感じ」と、お墨付きを得ているのだし。
 
 だからと言って、以前のガハラさんを否定するなんて事ではないと、切言させて頂く。



「それでさ、一応事後報告にならないように、前もって伝えるんだけどさ――」
 
 既に海に向かっている最中なので、遅い気もするが、まぁ許容範囲だろう、なんて心の中で自己弁護していると、戦場ヶ原が僕の言葉を先読みしたように口を開いた。

『八九寺ちゃんのことかしら?』
「なんで分かったんだよ?」

 僕の周りはエスパー揃いだな。なんだ、どこにそんなヒントがあった?
 いや僕はもしかしたら“先天性R型脳梁変成症”サトラレなのかもしれない。ヤバイ、心当たりがあり過ぎるぞ!
 八九寺が僕の心の声と会話したのもそうだし、神原の透視の件も、羽川の推察能力然り……なんか満更有り得ない話でもないんじゃないのか!? 一笑に付すことが出来ない!
 ちょっと妄想するのを自重しようとする僕である。


『私は阿良々木くんのことなら何でも知ってるの。もうそれは、小学ニ年生にもなってお漏らししちゃった事とかも含めて、全部。可愛い』
「お前は、いい思い出として扱っているのかもしれないけどな、それは僕にとっては消したい過去だ!! そして何処からその情報を仕入れた!? 誰だ!? あ、くそ、妹達か!」

 妹達と言っても火憐はそんな情報をどうこうするタイプではないので、十中八九、月火の仕業だろう。
 
 阿良々木月火。誰が何と言おうと僕の妹。ファイヤーシスターズ参謀担当。

 羽川なんかと比べれば微細ではあるけれど、アイツにもそれなりの情報収集のスキルがあるのだ。取り分け、人の弱みを握る事に関しての情報網は侮りがたい。
 曲り形にも正義を謳っている奴が……その力は敵対した悪に対してのみ発動するとか言っているが、どう言い繕ったところで、そんなの偽者の正義だ。火憐とは違って、ある程度自覚はしているようだけど。

 本当は夏休み明けに紹介してやる約束だったのが、如何せん二人でいることが多くなった僕とガハラさんだ。
 甘えん坊のガハラさん(まさか戦場ヶ原と甘えん坊という単語が組み合わさる日がくるなんて……感慨深い)の催促もあって、僕の家に招待するのが早まったのだ。
 当然、そんな一大イベントを見逃すファイヤーシスターズではなく、なし崩し的にガハラさんを家族に紹介することに相成った。両親は仕事中で家に居なかったので、妹達だけにだが。

 僕としても、いい子ちゃんの戦場ヶ原を紹介する事になんら抵抗を示さなかった。今になって思えば、軽い気持ちで紹介したのが好くなかったのだ。
 携帯電話と言う悪魔のツールが必要以上にパイプとして機能してしまって、僕のプライバシーは筒抜けである。下手をしたら、僕の内弁慶ぶりも白日の下に晒されているかもしれない。

 もし悪い子ちゃんの戦場ヶ原だったなら、妹達も慕う事がなかった筈…………いや、アイツ等なら、戦場ヶ原がなしえた数々の栄光の軌跡(悪い意味で)を知ったとしても、どの道受け入れる気がする。その度量が不快(この字で間違いない)な妹達だ。


「そんな陰惨な過去は忘れてくれ」
『阿良々木くんに関する大切な記憶を、一片でも消すなんてとんでもない』

 どうやら譲れない心構えもあるらしい。

『まあ、阿良々木くんに隠し事なんてしたくないから、あっさり白状しちゃうのだけれど、神原が報告してくれたのよ』
「早いな。俺があいつと遭ったのはついさっきだぞ」

 もう自宅に帰り着いているのか。いや、ランニング中でもケータイを携帯(敢えてこの表現で)しているものなのか?
 最近のケータイは小型化に防水機能なんかもしっかりしてるから、ポケットに入っていてもおかしくないか。

 まったく関係ない話で申し訳ないが、携帯電話の事を携帯と略しているけど、略せてないなんて揚げ足取りな発想をしてみたり。
 略すなら『携電』とかにするべきじゃなかったのかと、一石を投じてみる。
 『パソコン』。パーソナル・コンピューターをパーソナルと略したり、高等学校を高等と略したりしているようなものだ。
 羽川なら、僕が納得する答を提示してくれるだろうか? 
 時代の風潮だと言ってしまえばそれでお仕舞いだけどさ。

 
『なぜか、私の家の付近でばったり出くわしたわ。珍しいこともあるものね』
「……それは、きっと偶然じゃないよ」

 本気で、ロードワークの道順にしてやがる。神原、恐ろしい子。伝令を請け負った飛脚のような奴だな。僕はそんな事頼んだ覚えはないけど。

『それで、海に行くのだったかしら?』
「もうすぐ学校が始まるし、八九寺と遊べる機会も取り辛くなるからな」
『でも流石阿良々木くんだわ』
「ん?」

 ここで戦場ヶ原に褒められる意味が分からない。
 それは小さな女の子と一緒にお兄さん的立場で遊んであげている、という観点からの感想だろうか。

『私と海に行くための予行演習なのでしょう。そうよね、初めての海で右往左往する事の無いよう下準備だなんて、そんな風におもんばかることが出来るのは、この世界に阿良々木くんしかいないわ』
「…………………あ、ああ。そうだな」

 僕への信頼度、高過ぎだろ。
 この残り短い夏休みの間に、ガハラさんを海に連れて行かねばならなくなった。
 まぁ、嫌って訳じゃないし、寧ろこれが切っ掛けとなったと思えば喜ばしい事だけどさ。


「と言う訳で、八九寺と海に向かっている最中なんだけど、問題は?」
『ええ、そうね』

 一拍の間を置いて、ガハラさんがくぐもった声で呟いた。

『……やめなさい』

 少し電話が遠かったが、確かにそう聞こえた。
 聞こえるか聞こえないかと言う程度の囁きだが、まさかの否定的な言葉。

「ガ、ガハラさん? でもアレだぜ。僕と八九寺の関係はプラトニックなもので、そんな邪な感情は一切な――」
『いい加減にしなさい』

 今度は明瞭とした大きな声で僕の弁解を断絶する。
 これは俗に言う嫉妬だったり? 
 いや、確かに独占欲の強い奴ではあったが、こんなことに目くじら立てるなんて意外だな。
 それにしては、始めの方の反応が肯定的だった気がするんだけど。
 う~ん。乙女心は複雑だ。

「その戦場ヶ原……さん?」
『やめなさいと言っているでしょう!』

 怯えモードの僕。幾多の考えが頭によぎっては消える。
 突如の豹変に、何がなんだか解らない。
 

 いったい何が引き金になったというのだろうか……?




[18791] 【化物語】ひたぎリターン~その2~(日常編:完) 【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/06/26 04:35
「あの……いや、そこまで嫌がられるなんて考えてなかったから……軽率だったよな……ごめん」
 
 実情も理解せずに平謝りする僕だった。
 旧戦場ヶ原の弁だが、「誰とどんな風に遊ぼうと自由だけど、その浮気が少しでも本気になったら殺すわよ」と言っていたのを思い出した。うわ。背筋が凍る想いだ。

『いえ、違うのよ阿良々木くん。勘違いされてしまっては困るわ。その、神原が風呂上りに抱きついてきたものだから……こら、やめなさい。もう、後でと言っているでしょう』
「奴がそこにいるのか!?」

 何してやがるんだ!?
 僕の硝子細工のように繊細なハートが、粉々に砕け散るところじゃないか。もう土下座することも厭わない腹積りでいたのに!
 いや、ちょっと待て! 「後で」と言ったか? 後でならいいのかよ!?

『折角出くわしたのだし、そのまま帰すのもあれだからお喋りでもと思ったんだけど、汗だくだったからお風呂を貸してあげたのよ』
「ああ、なるほど。そう言うことか……」

 切実に百合百合な展開にならないことを祈る。八九寺の身を護った代償にガハラさんが生贄になるとか嫌だぞ。

『神原、はしたない。せめて服を着てから出てきなさい。どこに裸で歩き回る女の子がいるのよ。大事な部分が丸見えよ。幾ら女同士だからといって、礼儀と言うものがあるでしょう』
「……………………」
 
 聞いてるだけで、恥ずかしくなる……。
 神原が裸で部屋の中を徘徊している事はこの際置いといて、かつての戦場ヶ原にその言葉をそっくりそのまま伝えたい。
 お前は初心な男の子の目の前で、そんなことを嬉々としてやってたんだからな。お礼のつもりとか言ってたが、確実に悪意が含まれていた。ある意味僕にとってトラウマな出来事だ。




 そこから数分をかけてガハラさんが神原をたしなめ、やっと電話に専念できるようになった。

『ほんとに困った子ね』
「全くだ」

 あの後輩め、僕と戦場ヶ原との電話を妨害したいだけじゃないだろうな。

『話の腰を折ってしまって、ごめんなさいね』

 間違いなく責任は神原にあるのに、悪態を吐くことも無く素直に謝れるガハラさん。
 でも戦場ヶ原から誠心誠意の謝罪なんてやっぱりまだ慣れないな。


『え~と、そう。私のことは気にせず、八九寺ちゃんと二人で楽しんできて頂戴』
「うん、ありがとう。土産なんて売ってないだろうから、申し訳ないけど土産話で勘弁な」
『ええ。楽しみにしているわ。くれぐれも気を付けてね』
「ああ」

 大方の予想通り、特に難色を示される事なく八九寺とのお出かけが許された。神原の所為でいらぬ冷や汗をかいたけど。
 
『行く行くは私も八九寺ちゃんと会ってみたいものね。“居る”のに“居ない”なんてそんなのとても寂しいことだし……心苦しく思うわ』

 怪異と関わらないでいられる事が、戦場ヶ原にとっていい事だとしても、僕がそう思っていても――――だとしても…………彼女は知っているのだ。
 
 八九寺真宵という女の子の事を。
 
 僕を介して“居る”ことに気付いてしまったのだ。
 
 悲しむような事じゃないのだけど。
 胸を痛める必要なんかないのだけど。
 戦場ヶ原のそういった気持は大切にしたいと思う。

『まあ例え八九寺ちゃんが見えたとしても、私の子供嫌いが完治している訳ではないのだから、交友関係を結べるかは、正直難しいところね』
 
 これはガハラさんなりの、僕が気を使う必要はないという優しさから出た言葉だ。額面通りに受け取ってはいけない。

 念の為に補足しておくが、子供嫌いになった理由は重さを失う以前、つまり神原から慕われていた時節、毒を吐かない中学時代に遡る(戦場ヶ原が蟹に行き遭ったのは中学生でも高校生でもない中途半端な時期なので、子供嫌いの原因に蟹は関与していない)。

 詳細はそこまで詳しく聞いていなので、大まかな成行きしか説明できないが、こんな感じだ。

 “デパートで買い物をしている時に、七歳ぐらいの子供にぶつかってしまい、気が動転してかその子供に対して、必要以上に下手な対応をしてしまった”と言うのが原因らしい。

 あくまで戦場ヶ原から聞いた話なので、他にもなにか理由があるのかも知れないが……いや、あって欲しい。たったそれだけの理由で子供嫌いになるとか嫌過ぎる!

 こんな訳で、ガハラさんの子供嫌いは従来からの性質なのである。
 まあ、子供に対する接し方が、解らないという事なんだろうけど。


『それでも……いつかきっと、阿良々木くんとの子供は欲しいと思っているわ』
「ガハラさん……」
 
 その決意は、子供嫌いの――う~む。それだと言い過ぎだし、ニュアンス的にきつくなってガハラさんの評価が悪くなってしまうと思うので、僕の方で訂正して置く。
 子供嫌い改め子供が苦手なガハラさんにとっては、大きな前進だろう。克服できる日は近いかもしれない。
 うん。ガハラさん、頑張ってる。

『さて、養子縁組の方法を調べなければいけないわね。できれば、十三、十四歳あたりの子がいいかしら。曖昧な記憶なのだけど、二十歳になれば、養子をとることができたはずよ。でも、いきなりそんな大きな子供ができるなんて、考えてみたらぞっとしない話ね』

「僕との子じゃない! 子供嫌い恐るべし!」

 気を利かせて訂正したばかりなのに、自分から使っちゃったよ。
 前向きなようで前向きじゃない。子供の育成過程をすっ飛ばす気満々のガハラさんだった。
 いまいち、本気なのか判別し辛いけど。
 未だに僕はガハラさんの心中を推し量れていない……もしかしたらガハラさんなりのウィットに富んだ冗談だったのだろうか。ここは笑っておくべきか?
 いやいや、真意が分からない以上、笑うなんてことしないけど。

「僕も手伝うからさ、もっとこう……なんとかならないのか?」
『なら、阿良々木くんが専業主夫となって、私が働きにでるって言うのはどうかしら?』
「まぁたしかに、最近そういうのもあるらしいけど……」

 ううう。別に男が働いて女は家事をする、なんて思想は持ち合わせていないし、どちらかと言うと女尊男卑の精神な僕だけど、やっぱ立つ瀬がないよな。頭の出来からして、ガハラさんのほうが高収入を得られそうなので、理にかなっている訳だが。

「でも、子供か……まだ高校生の身としては実感も想像もできないけどな」
『そうね、まぁ子供云々言う前に……その為にはまず、やっておかなければならない事があるわね』

 まさかまさかまさか。あれですか? あれですよね……!
 なぜか話の展開で子供ができたらなんて、ifもしもの話になってるけど。

『……その……あの……少し、恥ずかしいのだけど……』
 
 口籠もりながら控えめな口調で――僕の反応を窺うような声で。
 こんなことを女の子に言わしてしまっていいのか?
 いや、元は『メンヘル処女』だとか、『やりまくり』だとか、考えうる中でも最低ランク問題発言を口にしてきた戦場ヶ原ではあるが。

 同じ言葉でも、口にした人間のバックグラウンドによってその価値は変動するものだ。

 芸術は爆発だなんて、奇想天外な言葉でも、名のある画家が言えば、名言に変わるように。
 もし、絵心もない素人がその言葉を言ったとしても、きっと何の価値も見出されないだろう。

 一概には言えないが、名言とは言葉でなく誰が言ったのかが大事なのだ。


 前と今では、彼女は別人だ。
 前と今とでは、言葉の重みが違う。
 前と今とじゃ、言葉の価値がまるで違う。

 言っちゃうのか? 
 後輩が居る前で。僕の後ろには小学五年生の女の子がいる前で。
 そんなあられもない言葉を言っちゃっていいのか!?

 そして――――

 一拍の間を置いて、彼女は伝えてくれた。



『私を阿良々木くんのお嫁さんにしてくれる?』

「勿論」



 ちょっと不安そうなガハラさんが超蕩れる!!

 予想に反する発言だったけど、驚くほど純粋に、変に取り乱すこともなく、心底本心で、なんら思い悩まず、それが当然のように即答することができた。

 恥ずかしながら、数字の『6』を英語読みした時の響きに似ている単語に関したことを言うのかと思ってました、はい。
 どうやら、僕の心は穢れ過ぎているようだ…………主にあの後輩の所為で。

「でもあれだな。ちょっと悔しいと言うか、残念に思うよ」
『えっと、それはどう言う意味でかしら?』

 僕の言葉に戸惑ったようなガハラさん。

「心残りと言うか、悔いが残ると言うか、えっと……さ――」

 うん。やっぱり電話越しとは言え気恥ずかしいな。ガハラさんもこんな気持ちで、誠意一杯の勇気を振り絞っていたのかもしれない。ならば、僕もしっかりと言葉にして伝えなくては。



「――僕の方からプロポーズをしたかったってこと」



 告白だけでなく求婚まで先に言わせてしまったのは、やはり男としては不甲斐無い。
 この埋め合わせは、今度二人きりの時に……きっと。

 そう言えば、奇しくも僕が結婚を募ったメンバー勢揃いだな。
 神原の裸を視た責任として結婚を申し込み、八九寺にも軽く結婚を申し込んだ、外道の僕である。

『そう。ふふふ。阿良々木くんにそう言って貰えるだけで、私は幸せよ』

 上品に笑うガハラさん。決して嘲笑の類ではない、喜びの感情としての笑い。
 ガハラさんが更生して何より僕が嬉しいのは、こうしてよく笑うようになってくれたことだ。

 兎も角こうして、口約束ではあるが、僕――阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎは、結婚を前提としたお付き合いをすることになった。



 そこから、なんの変哲もない普通のお喋り(悪い意味に聞こえるかもしれないが、僕にとっては大変貴重な有意義な会話だ)を楽しんでいたのだが――

『私はこのまま、通話料を気にする事なく、阿良々木くんとずっとお喋りしていたいのだけど、女の子をほったらかしにするのはどうかと思うわよ』

 ――ガハラさんにそう切り出された。

「ああ、八九寺のことか、そうだな」

 確かにあまり宜しくない状況だ。
 八九寺を放置しているのも好ましくないが、それに加え、ケータイでの会話を傍で一方的に聞かせるのも好くない。これは、なかなかにストレスが溜まるものなのだ。
 
 例を挙げるならば、電車の中での携帯電話での通話がなぜいけないのか?

 当然マナー違反というのが大前提ではあるし、携帯電話でペースメーカーが誤作動する可能性があるからだが(実際、問題が起こった事例は一切ないのらしいけど)、会話ぐらいなら節度を守っていれば誰でもするものだし、とやかく言う人も少ないだろう。

 ではなぜケータイでの通話が嫌悪されるのかと言うと、それは片方の言葉しか聞こえないから。
 人間、無意識にではあるが、聞こえてくる会話を自分の中で組み立てようとするものらしい。
 しかし入ってくる情報が片方しかないから違和感を覚え、それが不快感に繋がるのだそうだ。

 言うまでもなく、全て羽川から訊いた受け売りの知識だ。


 そんな訳で、ガハラさんとお喋りに興じるのもこれまで。

「ああ。じゃあまた、ガハラさん」
『ええ。それじゃあまた』

 これで電話を切ろうとしたが、続けざまにガハラさんが言葉を発していた。

『愛してるわ、暦』

 いや、あの、え~と……………後ろに八九寺が居る状態で……あらゆる意味で返す言葉がない。

『あら、暦ったら、いつものように甘く囁いてくれないの?』

 くは! これは嫌がらせじゃない。ただ本心からの疑問なのだから。分かっている。分かっているのだ。
 無意識のうちに羞恥プレイを強要するとは、恐ろしい。
 この手の拷問は、戦場ヶ原のお父さんの前で体験済みだが、あの時は確信犯だったからな……まあどの道性質たちが悪い。
 僕の中では、新手の嫌がらせ、長期間に及ぶ壮大なドッキリの線が、まだ僅かに残っているので、慎重にならざるを得ない。


「あ、愛しているよ、ひたぎ」

 些細な抵抗として小声で、八九寺には聞こえないように声を潜める。

『あら、電話が遠いみたいね、よく聞こえなかったわ』

 わざとじゃない。これはわざとじゃないんだ。
 僕の声が小さく、雑音に紛れ純粋に聞こえなかっただけなのだ。今は車道脇の道を走っているので、車の騒音があったりするしね。

 仕方がない……腹を括るとしよう。


「愛しているよ、ひたぎ」

『ふふふ、嬉しいわ』


 やはり、ちょっとした悪戯心があったのだろう。楽しそうに笑うガハラさんだった。

 そして最後にガハラさんは、

『I keep loving you』


 締め括りの台詞としては全く適切でない言葉を言って――――それが別れの挨拶となり電話は終了した。





[18791] 【化物語】まよいメイド~その5~(海編)【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/02 02:23

 僕と八九寺は、山道から外れた道なき道を進んでいた。
 草木が生い茂り、草を掻き分けて進まなければならない程の悪路。立ち並ぶ樹木は生命力に満ち溢れ、縦横無尽に枝葉を伸ばしている。

「阿良々木さ~ん。ま~だ、着かないんですか?」

 背後から、間延びした気怠るそうな八九寺の声がした。
 僕がこんなにも苦労しているのに、いい気なものである。

「聞いた限りだと、もうそろそろだと思うんだけどな」

 八九寺には気休め程度の言葉をかけておく。
 今の状況を説明すると、僕が先陣切って雑草を踏み分け押し倒し、即席の通り道を仕立て、八九寺がそのあとに付いて来る。未開のジャングルを突き進む探検家のような並びだ。

 どちらの体力の消耗が激しいかは、火を見るよりも明らかだろう。
 それでも不平不満を漏らすつもりはないし、これぐらい男としての当然の務めだ。
 
 のちに控えた八九寺との戯れ合いを思えば、こんな労働苦にもならないしね! と言い切りたいところだったが、炎天下に加え、茂みの中のじっとりした暑さにやられ干からびてしまいそうだ。


「暑い、あつい……あぢぃ……あつ……い……」

 何かにとり憑かれたように、一つの単語を呪詛の如く垂れ流す僕。
 頭上は茂った梢に遮られて、日光が直射するのを阻止してくれているがそれでも蒸し暑いったらない。

「暑いと思うから暑くなるんですよ」

 背後から非難めいた八九寺の言葉が届いた。
 休憩の意味も込めて立ち止まり、その場で振り返って八九寺と相対する。

「……だってさ、しかたないだろ……こんなに暑かったら、誰だって……」
「勝手に人括りにしないで下さい。わたしは平気ですよ」

 そりゃ僕の後を追うだけだもんな。なんか理不尽だな……。

「でも、おかしいんだろ。なんだってお前はこんな蒸し暑い中、汗一滴かかずに歩けるんだ?」
「心頭滅却すれば火もまた涼しです。阿良々木さんの精神が軟弱だからですよ」
「違う! それは精神論であって、汗をかくという自然現象である体温調節が、どうにかなる方がおかしいだろ! いやそうか……やっぱり幽霊だから……」
「いやいや阿良々木さん。そんなことありません。わたしの服の中も蒸れてますよ…………………一瞬、卑猥な視線を感じたのは気のせいですか?」

 眼光鋭く睨め付けられた!

「なっ! 失礼な奴だな! それじゃまるで八九寺の肢体が汗ばみ衣服が張り付いて、控えめながらも細やかに主張する双丘が顕わになるのを想像して、あまつさえ暑さのあまり、衣服をはだける姿を思い浮かべて厭らしい視線でお前を見たとでも言うのか!?」

「………………一瞬でそこまで思考を巡らせたことに驚愕ですっ!」
「違う! 飽くまで例えであって、疚しい気持ちなんかは微塵もないぞ!」
「一瞬でそこまで詳細な例えが出てくることに戦慄ですっ!」

 全く弁解になっていなかった。






 休憩も早々に切り上げ、そこから五分程進んだ時のこと―――――



 ―――――僕の脚は、自然とその動きを止めることになった。


「うぎゃ! いきなり立ち止まらないで下さい!」

 突然動きを止めた僕の背中に顔をぶつけた八九寺が非難の声を上げるが、そんな些細な問題どうでもいい。それよりも今は優先されるべき事がある。

「おい。八九寺。見てみろよ」
「どうされたんですか?」

 後ろから顔を覗かせ、僕が指差す先を見定める八九寺。

 「おおぉ……」

 その口から零れ出すのは感嘆の声だ。
 僕と八九寺がまじろきもせず見つめるその先――――なだらかな斜面の向こう側に、一面の青が広がっていた。
 照りつける日差しを反射して煌めく水面に、突き抜けるような青空。
 蒼穹と蒼海が地平の彼方まで続いている。


「八九寺、とりあえずアレやっとくか?」
「アレですね」

 明確な言葉を交わさずとも、意志の疎通はばっちりだった。 
 海に来た時の定番と伝え聞く、あの伝統的な儀式。

「ええ。阿良々木さん。アレをしなければ海に来たって気がしませんし、それが礼儀というものでしょう」
 
 頷き合う僕たち。
 タイミングを合わせる為の掛け声をかける。

「よし、じゃあいくぞ! せ~の」



 そして――――


 「「海だぁああああああああああああああ!!!!」」


 ――有らん限りの大声で絶叫した。


 これにて儀式終了。
 う~む、やっぱりちょっと虚しい……こういうのはもっと大人数でやるものなんだろうな。
 この猛暑の中であってさえ、寒々しいものがあった。


 それでも僕の心は高ぶり、興奮状態だ。
 その理由。驚くことなかれ。
 なんと僕は海を見るのが初めてなのだ。従って海に来たこともこれが初めて。
 とは言っても、テレビの中に映る海ならば無論見たことがある。

 しかし、海は空想の産物だと言われれば、無条件で信じてしまう程、僕にとっては不確かなものだった。
 情報としては知っているが、それは知識でしかないのだ。やはり自分の目で見たものしか信じられない。
 地球が球体だって事は知識でなら知っているけど、もし羽川なり戦場ヶ原に「地球は平面状の平らな世界」だと断言されれば信じてしまうだろう。 

 僕にとって海とは、それと同じ程度のもの“だった”。

 だが、この壮大な大海原を視覚して、知覚して、体感して、その考えは革められた。
 僕の足元から続く斜面の先には、小規模ながら砂浜もあり、そこからは何処までも群青の海が広がっている。
 潮風の独特の匂いと、打ち寄せる波の潮騒が、僕の嗅覚と聴覚に海と言うモノを実感させてくれる。心に海を認識させていく。

 海の独特のあの匂いは、海の生物が腐った匂い(正確にはプランクトンの死骸や海藻が微生物によって分解される際に発生する物質の匂い)だと、なんとも現実的な、できれば知りたくない余計な知識を最近知ってしまったが、それを帳消しにして余り有る海の存在感。 

 母なる海。生命の起源とも言われる海。
 地球の表面積に占める割合は約七割にも及ぶ。
 雄大な自然を目の当たりにして、僕はただただ圧倒されるばかりだ。

 今更蒸し返すような話でもないが、なんで羽川はこんな場所を知っていたんだろうな…………謎である。
 こんな雑木林を潜り抜けなければならないのだから、確かに一見さんじゃ分からないだろうし、人気ひとけがないってのも頷ける。地元民にしか知られてない穴場なのだろう。
 

 こうして無事、海に到着することが出来て良かった。

 海に来るまでの道中は、他愛もないお喋りに興じながら、特に迷うことなく来れた。
 事細かに道順が記されたメールと、念のために用いたGPS機能の賜物だ。
 それに羽川の忠告通り、目的地付近の野菜販売所のお婆さんに、最後の道程を聞けたのがよかった。

 道を聞くだけじゃなく、他にもいろいろお世話になったので、少し話しておく。






 まず驚いた事に、お婆さんには八九寺の姿が見えていた。そのお陰で変に話がこじれる事なく、二つ返事で海までの道のりを教えて貰うことが出来た。
 事情の説明と言うか、八九寺の存在が認識されなければ、僕は一人で海に遊びに来た寂しい少年になってしまうので、余計な説明をせずに済んだ。僕の気にし過ぎかもしれないけど。

 八九寺が見えた理由とは、ただ単に霊感が強かったからだと思われる。


 あと道を聞くだけでなく、スイカを購入してしまった僕だった。
 勘違いされてしまっては困るので、先に説明しておくが、お婆さんに購入を仄めかされたなんて訳では勿論なく、僕個人の意志でお買い上げしたのだ。
 でもスイカが欲しかったのかと言われると、答はNOとなる。

 お店に入ったら最低何か一つ商品を買わなければならない、という強迫観念に駆られる。
 コンビニなんかに入って、何も買っていないのに「ありがとうございました」なんて言われると、僕は居た堪れなくなってしまうのだ。つまり、何も買わずに道だけを聞いて立ち去ることが出来なかった小心者の僕だった。

 さて、そのスイカの使い道――――食べる以外に活用するとなると、やはりスイカ割り。
 そもそも僕に昨今さっこんの海水浴場での流行り、現状を知る由もないのだが、このご時世にスイカ割りなんてイベントが本当に行われているのだろうか? あれって漫画やラノベなんかだけの空想の催しなんじゃないのか?
 どうなんだろう。多分そんな盛んに行われている“定番”と言えるようなモノじゃないよな。
 

 それに破壊されたスイカの見た目は大変よろしくないし、後片付けやら何やらの理由によりスイカ割りは却下した。

 その結果。
 お婆さんのご好意に甘え、その場で麦茶と切り分けられたスイカを頂いた。
 縁側に招いて貰って、お婆さんと一緒に歓談しながらのんびりした時間を過す。


 僕たちが食べたスイカは、自家栽培されたモノのようで、野菜なんかと一緒に格安で販売されていた。
 ちなみにその販売方法だが、備え付けの料金箱にお金を入れるという都会では考えられない、いわば野菜の『セルフ販売』である。 収入目的ではなく、趣味で作った野菜をお裾分けしているみたいな感じだ。

 あと水着に着替えるのも、お婆さんのお宅を借りて済ませることができた(八九寺の着替えは別室で行われたので、詳細をお伝えする事が出来ない)。
 幾ら人が居ないといっても、野外で裸になるなんてのは気が引けるしね。
 服の中に水着を着込んだのは、小学生低学年の一時間目にプールの授業があった時以来だろうか。

 とまあ、いろいろお世話になったのだ。
 それにしても、人情味溢れるとても人のよいお婆さんだったな。


 これにて回想終了。





 僕は八九寺の手を引いて、斜面をゆっくりと降下し砂浜に降り立つ。
 砂浜はお世辞にも綺麗とは言えないけど、公共の海水浴場のようにゴミが散らばっている事もない(まぁ偏見かもしれないけど)。
 ちらほらと打ち上げられた海藻なんかが落ちているだけだ。

 ただ、完全な砂浜ではなく、岩礁と小さな砂浜が入り組んで形成されている。
 比率的には岩礁地帯が広がり、所々に砂浜がある感じで砂浜の方が少ない。裸足で歩き回るのはちょっと危険そうだ。
 少しごつごつした場所もあるのだが、何の問題もないだろう。

「こんな素敵な場所を教えてくれた羽川には感謝しなくちゃな」
「そうですね。わたしの方からも今度お礼に伺うとします」
「殊勝な心掛けだ。そういやお前と羽川って、いったいどんな話題で盛り上がるんだ?」

 どんな些細な羽川情報でも入手したい、それが阿良々木暦である。

「う~ん。まあ、一言では言い表せませんよね。羽川さんの引き出しの多さは、阿良々木さんの方が身に沁みてよく解っているでしょう? どんな話題にだって乗ってくれて話し易いったらないです」
「だな」
「それでも、一例を挙げるとすると、最近インターネットの扱いを教えて頂きました」
「覚えてどうすんだよ。そんなの宝の持ち腐れだろ」

 八九寺一人でネットカフェなんかに行けないだろうし、パソコンなんか所有してるはずがない。

「いえ、だから羽川さんの携帯をお借りして、いろいろと調べながら雑談をするわけです」
「なるほど。最近、とみに八九寺の知識が広がってるなと思ったら、こういうからくりがあったのか」
 
 羽川との交流だけでなく、ネットの際限ない情報量。
 八九寺のポテンシャルがどんどん増していくな……。



「でもほんといい所だよな。何よりこの海辺が僕と八九寺の貸切りってのが凄いよな」
 
 本当はまだまだ羽川の事を話したかったのだが、海に来ているのだし自重して話を切り替える。

「混雑してる公共の海水浴場のことを思うと、少々悪い気がしますけどね」

 打寄せる小波を視界に収めながら、和やかな雰囲気を味わう。
 海を眺めるだけでにっくき太陽の光線も、心地よい日差しに成り代わる。

「僕と八九寺の二人っきりだな」
「ええ、そうですね」

 波の音を聴いているだけで、安らぎが感じられる。

「僕と八九寺の二人っきりだな」
「なぜ二回言いましたっ!?」
「いや特に他意はないけど」
「そこはかとなく、嫌な感じがします……」

 僕が八九寺に一体何をすると言うのだろう。心外な奴である。

 はぁ~ほんと嫌になるよね。
 自意識過剰と言うか、もう少し僕の事を信用してもいいだろうに。
 いつまでもいつまでも、幼女を襲うのが趣味の変態鬼畜ロリコンみたいに捉えるのは、どうにかならないものか。
 こんな不名誉なレッテルを貼られては商売上ったりだ。いや、商売なんかしてないけど。
 そんな当てつけのように反応されては、僕としても不満を覚える。だって謂れのない罪で糾弾されてるようなものだぜ? 冤罪だ。そんなのあんまりだ。僕だって傷つく。
 まあ、八九寺の事を好きなことは認めるよ。けどそれはで『Like』あって『Love』じゃない。
 なんたって、僕には戦場ヶ原というステディがいるのだから。
 そうなると八九寺のポジションは、そう、なんというか仔犬を愛でる感覚に近いのだ。だから僕が八九寺のことを撫で回すのは必然の事と言える。ペットを可愛がるのは飼い主として当然の責務だ。
 そこに邪な感情が介入する隙間などちょっとしかない。
 まあ得てして感情と言うのは、流体みたいなもので、僅かな隙間さえあればいとも容易く進入できるものだけどさ。

 よし、じゃあ今日もペットを可愛がるとするか。



「はっちくじぃいいい―――――――ッ! 」

 横合いから抱きつく。見様によれば羽交い絞め。おっ! いつも後ろからの奇襲が多かったから、この感触は新鮮! 頬にキスし放題だ!!

「ぎゃ―――っ!!」
「お前は可愛いなぁ。可愛いなぁ。もう舐めちゃいたいぐらいだ」
「うぎゃ――っ! ぎゃ―――っ! 舐めてます舐めてます――っ!!」
「さぁて、何をして遊ぼうか八九寺ちゃん?」
「きゃ――っ! 助けてぇ――っ! 誰か――っ!」
「ふはっはっはっはっ! 馬鹿め!! 此処には誰もいないんだぞ!! 助けが来るとでも思っているのか!?」

 戦隊モノに出てくる、悪の幹部が言いそうな発言をする僕だった。
 お約束としては、正義の味方が助けにきてくれる場面だがそんなこと有り得ない。此処は現実なのだ。
 唯一僕たちに干渉しうる忍とは『八九寺ミスド友好条約』を結んでいるし、きっと今はお眠のはず。


「さぁ八九寺。この閉ざされた楽園で、アダムとイヴになろうじゃないか!?」

「いやぁ――――っ!!」

 水を得た魚のように――
 鎖から解き放たれた獣のように――
 押さえ付けていた感情の奔流が、堰を切って流れ出したように――

 僕は八九寺を愛し抜く。


 僕の行く手を阻止する邪魔者は何処にも居ない!!









 はずだった。


 旋律。

 海辺に場違いなメロディが流れ始める…………これは、歌。
 耳馴染みの流行歌――――本来これは僕にとっての福音に他ならない。
 しかしこの時、この瞬間に関してだけ言えば凶音となって耳朶を揺す振った。

「あ……あれ? ど、どうされました? 」

 突如、束縛から解放され戸惑う八九寺。まあ、戸惑い具合は僕の方が断然上だけど。

「…………メールだ」

 そう。このメロディはメールの着信音。それも、羽川さん専用の……。
 携帯電話を取り出し、恐る恐る内容を確認する。
 『前略』から始まる『早々不一』で結ぶお決まりの文面に挟み込まれた文字に目を通す。

 内容は至って簡潔だったし、これといって僕を責め苛むものでもない……のだけど。

『私の大切な親友である真宵ちゃんの事を、くれぐれもよろしくね』

 若干、修飾語が多い気もするけど、たったこれだけの文章だ。
 それなのに、この言い知れない重圧プレッシャーは何なのだろう…………。

 ほんと狙い済ましたようなタイミングだよな……もしかしたら、羽川クラスの人間になると、衛星をジャックして、人の行動を監視する術を持ってたりとかするのか?
 いやいやいや……品行方正の羽川がそんな事をするはずがない。
 けど、羽川がその気になれば、実行可能だと思えるのが恐ろしいところだ。



 こうして幼気いたいけな少女は、魔の手から無事解放されたのだった。



[18791] 【化物語】まよいメイド~その6~(海編)【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/04 21:22
 羽川による牽制メール――――いやいや、僕に不純な感情があったからそう思えるだけで、あれはただ八九寺の事を気に掛けて送ってくれたにメールに過ぎない……と思いたい。

 さて気持ちを切り替えてさっさと遊ぶ準備をしてしまおう。
 とりあえず、日陰になっている取分け座り心地が良さそうな場所を探し、リュックの中からビニールシートを取り出す。
 シートを敷き、風で飛ばされないように四隅を固定して、荷物を下ろす。

「おい、八九寺。お前もさっさと荷物置いてしまえよ」

 未だリュックを背負ったままの八九寺を見咎め催促するも、なぜか困ったような表情になった。

「そうしたいのは山々なのですが、リュックが無いとトレードマークが無くなってしまいます。画竜点睛を欠くといいますか、リュックがないわたしに如何程の価値があるのでしょう」
「……んなもん誰も気にしてないよ。妙な心配してんじゃねえ」

「ですが、このツインテールが蝸牛の触覚であるように、このリュックは蝸牛にとっての殻なんですよ。殻が無ければわたし『ナメクジ真宵』になってしまいます。ちなみにツインテールを解くと死にます」
「……いや、蝸牛でも蛞蝓ナメクジでも、大して変わらないだろ」

 いや、ほんとどっちでもいい。
 あと、ツインテールの件は公式設定らしいので、野暮なツッコミはしないに限る。

「むむ。阿良々木さんは、今ひとつ事の重要性を理解していませんね。これはわたしの今後の人気を左右する重大なダイビングポイントなんですから、御座なりな対応は許しませんよ!」
 
 憤懣やるかたないといった風な八九寺だった。いやはや凄まじい剣幕だ。
 でもダイビングって何だよ。分岐せずに潜っちゃってる…………海に来たからなのか? 正しくは『ターニングポイント』。
 小学生だし英語は苦手なのかもしれない。

「許さないって言われてもな……お前が何をそんなに懸念してるのか判んねえよ」
「うぬぅ。蝸牛だとなんとなく可愛いなんてイメージで愛されていますが、蛞蝓になったらどうです!? きっと皆さん手の平を返したように、見向きもしません。それだけでなく誹謗中傷される危険があります、害虫扱いですっ!」

「……そう……か? 例えお前が蛞蝓でもそこまで評価は変わらないだろ」
「阿良々木さんは知らないんです。『カタツムリ』で検索すると『飼育』だったり『折り紙』だとか愛玩できるモノとして扱ってくれるのに対して、『ナメクジ』で検索すると『退治』だの『駆除』だの、不穏なワードが列挙されるんですよ!! 蝸牛と蛞蝓とでは、その扱いに天と地の差があるって事を心得ておいて下さいっ!」

 八九寺さんに怒られた!
 と言うか、羽川の携帯でそんなこと調べたのか……。

「そこまで言われると、蝸牛の殻は重要って気がしてくるな……」

 なるほど。八九寺なりに蝸牛としてのプライドがあるってことか。

「とどのつまり、先入観で判断してしまうってのが人間の性というものなんですよね。根付いてしまった固定概念はそう簡単に取り払うことができませんから。どう言い繕ったところで、人は見た目に左右されてしまうんですよ」

 う~む……なかなかに重みのある含蓄に富んだ言葉だ。
 少々八九寺が達観した感じなのが気になるけど……嫌な小学五年生だな。

「どうせ、阿良々木さんも戦場ヶ原さんを顔で選んだんでしょう?」
「何てこと言いやがるんだこのガキ! そんな事あるわけないだろ!」

 と強く言ってみたものの、選んだ理由に容姿の要素が入っていないと言うほうがどうかしている。
 だって僕は戦場ヶ原の全てが好きなんだから。顔も勿論好きだ。
 だからと言って顔だけで選んだなんて、あるはずがない。
 なんか言葉を紡げば紡ぐほど、胡散臭くなりそうなのでこれぐらいで止めておこう。

「ところで、『月とスッポン』に変わる新しい諺として、『蝸牛と蛞蝓』なんて如何でしょう。こっちの方が対比として成立してる気がしませんか?」

「確かにどちらも丸いからといって、月の丸さと、スッポンの甲羅の丸さを比較するのは無理があるよな。月と比べたら何だって劣ってしまうだろうし、比較されたスッポンが可哀相だ。だからと言ってその諺はどうなんだろうな……どんな時に使えるんだよ」

 

 まあ、これで大まかな八九寺の言い分は理解できた。だけど――

「――なんと言うか、そこまで確固とした信念を持っているなんて思ってもみなかったから、尻込みしてしまうし、これは本来伝えるべき言葉じゃないのかもしれないが、それでも八九寺のためを想って言わせて貰うんだけどさ」
「何でしょう。改まって?」
「お前ってさ…………もう蝸牛じゃないだろ」
「し、しまりました!!」

 お。久しぶりに聞いたな、八九寺の名台詞(?)。
 そう言えば戦場ヶ原に『しまりました』という言葉が文法的に正しいのかどうか聞くの忘れてたな。まあ、正しくないと思うけど。

「言われてみればそうです! じゃあ、こんなキャラ付けもう必要ありませんね」

 そう言うや否や、一切の躊躇もなくリュックを下ろす八九寺だった。

「おい待てコラ! もう少し感慨を持って対処しろよ!」
「いや、正直こんな大荷物を持ち運ぶのに辟易していたところです。いや~身軽でいいですね」

 爽やかな顔でぐるぐると大きく肩を回す。なんで殻を取った蝸牛に『ぐるぐる』なんて描写をしなくちゃいけないんだ。当て付けかよ!!

「肩の荷が下りた心地です」

 いや確かに文字通りの意味があるんだろうけどさ……。

「さっきのお前の力説は何だったんだよ!? 蝸牛としてのプライドは何処にいった!?」
「そんなプライドが何の役に立つというのですか」
「言い切っちゃったよ!!」

 もう却って清々しい。




 そんなこんなで荷物を一箇所にまとめ、服も脱いでしまう。
 中に水着を着込んであるので、着替えもお手軽だった。

 当然八九寺も中に水着を着用済みだから、お着替えシーンも淡白なもので、ものの数秒で終わってしまったのが少々味気ない。

 それでも、服を脱いでる姿を視ていると、飛びつきたい衝動に駆られたが、羽川に釘を刺された手前、我慢するしかなかた。
 だったら折角なので八九寺の水着姿をじっくり観察することにしよう。

 うん。あれだ。

「やっぱり、リュックを背負ってない姿を見るのは新鮮だな」
「大変に貴重な光景ではあるのでしょうが、今は水着姿に関した評価をして頂きたいですね」
 
 ならば、八九寺のお言葉どおり、評価させてもらう。

「八九寺の水着は、布面積が少ない赤い布地に向日葵の花柄がアクセントとして入った、少し派手目なデザインの物だった。ビキニタイプで上下がセットになっており、腰に巻かれたパレオが潮風に凪がされ揺らめいている。今はパレオに隠れてしまってボトムが見えないが、千石宅で確認した限りではなかなかに大胆なモノになっていたはずだ。これはこれで、のちに脱がす楽しみが出来て僕的には有りだと思う。ただ残念かな小学生ボディ。凹凸がなく、腹部にも僕を魅惑するようなくびれはない。寸胴ボディなのは致し方ないことか……そこは妥協することにしよう。まあ小学生の身体つきなんてこんなものだろう。かなりの露出の多い水着だったが、色気を感じることはなかった。それでも活発そうな雰囲気の八九寺によく似合っている」

「なぜモノローグ調で語ってるんですかっ!? そこまで詳細な評価は望んでませんし、その評価自体なんだか大変残念な結果になってますっ! それに途中にセクハラ宣言が混じっていませんでしたかっ!?」
「贅沢なやつだな。ちゃんと評価してやったのに」
「全国にいる真宵ファンクラブの皆さんに誤った情報を流布しないで下さいっ!」
「お前にファンクラブなんてねぇよ!」

 ロリかっけー皆さんなど架空のモノだ。まあ僕がファン第一号を名乗るのもやぶさかではないけど。

「でもさ、なんと言うか、胸よりもお腹のほうがプニプニしてそうで、触り心地が良さそうだよな」
「お腹なんかに関心を示さないで頂きたいっ! ほら、この胸の膨らみを見てくだ……いや違います! 胸にもお腹にも興味を持たないで下さいっ!」

 女の子としてのプライドは微妙に持ち合わせているらしい。

「そんな事言っていいのか八九寺。僕が価値を引き出してやらないと、お前の魅力は永久に失われてしまうんだぞ」
「なっ! わたしが阿良々木さん無しでは生きてはいけない、男に依存する駄目な女みたいじゃないですか!?」
「なんだ、そのディープな恋愛模様の成れの果てみたいな関係は……僕が言っているのは、“月は太陽なしでは輝けない”的なやつだよ」
「なるほど。わたしがアイドル候補生で、阿良々木さんが新米プロデューサーと言う訳ですか」
「妙に作為的な喩えだな、おい」
 
 どういう経緯でIM@Sアイマスとコラボしたのだろうか? そこら辺の事情を僕は全く知らない。
 けど、まさか僕が阿良々木Pを名乗れる日がくるなんて……ちょっぴり嬉しかったりする。

「しかし『うっうー』が口癖の『やよい』とか言う子を黙らせるには、確かに阿良々木さんの助力が必要かもしれません。まさかのキャラ被りです」
「なんで対抗意識燃やしてんだよ! 似てるのは背格好だけで、性格なんか“蝸牛と蛞蝓”じゃん!」

 お! 意外と八九寺考案の、この諺は使い勝手がいいぞ!
 こういうのってどこに提案したら採用してくれるのだろうか?

「阿良々木さん。幾らなんでも、面識のない方を蛞蝓扱いなんて酷いんじゃありませんか?」
「どう考えても、お前が蛞蝓の方だろうが!!」

「ここは一つ、わたしも口癖なんかを作った方がいいんじゃないでしょうかね?」
「口癖って、自然に身についてしまうから癖であって、本来、考えるようなものじゃないだろ」
「使えないプロデューサーですね。全部、計算に決まっているでしょう。意図して口にしないと、あんな奇怪な言葉が口に出るわけないじゃないですか。狙った可愛さアピールですよ。口癖と言うよりは決め台詞ですね」
「なんだよ、その冷めた考え方は!? いるかもしれないじゃん!」

「しかし、背開木さん」
「今の会話の流れで言われたら、もうそれは計算以外の何モノでもないが、しかし八九寺、僕の名前を、魚の背筋に沿って切り込みを入れ、腹の皮を残して開く魚のおろし方のように呼んでくれるな。僕の名前は阿良々木だ」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
「何を言っているんです。こんなの、わざとに決まってるでしょう」
「自白しちゃったよ!」

 いや、もう誰も八九寺が本気で噛んでいるなんて幻想は抱いてはいないだろうが…………暗黙の了解、言っちゃいけないお約束事だと思ってたのに。
 中の人などいません。


「これからは敬意を込めて、阿良々木SANと呼ばせて頂きます」
「言葉の響き的には何にも変わってないけど、敬意なんかより侮蔑成分の方が多く含まれてそうだから、やめてくれ」

 元は自分で月と太陽とか言い出したんだけど、太陽って吸血鬼にとって天敵じゃん。忍に目の敵にされちまう。

「でも良かったですね」
「何がだよ」
「わたしみたいな将来が確約された女の子をプロデュースできるんですから、人生勝ったも同然じゃないですか。出来レースに挑戦するようなものでしょう」
「お前のどこにアイドルとしての資質があるんだよ……不安要素しか見つからねえよ。お前なんかアレだ。《磨けば光り輝く原石のような子を発見、ただし泥団子》みたいなっ!」

 いや……ちょっと魔が差して言ってみたくなっただけだから、流して頂ければ幸いだ。

「泥団子作りって楽しいですよねっ!」

 うわ! 予期せぬところに喰いつきやがった!
 目を輝かせる八九寺である。
 やはり何だかんだ言っても小学生の感覚が色濃いのかもしれない。
 少し子供っぽい気がするが、砂遊びってのも海でのイベントとしては有りだろう。
 とは言っても、本格的なものになれば、お城を作り出すつわものもいるらしいけど。
 そうなると大人の道楽だ。


「わたしの事はどうあれ、阿良々木さんの水着姿はなんだか面白みがないですよね。筋肉質で腹筋まで割れちゃってるじゃないですか」
「面白みがないってなんだよ……無理やり人の粗を探そうとするんじゃない」

 ここで態々わざわざ僕の水着姿を描写する必要も需要もないだろうから、省略せさて頂くが、筋肉質については吸血鬼の特性の名残だったりする。




「なあ八九寺。本来は出発前に聞いておくべき事だったんだけど、お前って泳げるのか?」

 ビーチボールは持ってきたけど、浮き輪は見当たらなかったので持ってきていない。
 僕と妹達は泳ぎが得意だからな。
 
「ええ。それはご心配なく。学校のプールなんかでは、25メートル泳げてましたし」
「そっか。杞憂で済んで良かったよ。折角海にまで来て、泳ぎの練習ってのもなんだか勿体無いしな」
「蛙泳ぎでスイスイです。まよいフロッグですっ!」
「平泳ぎって言えよ。八九寺蛙」

 まよいフロッグだと愛らしいイメージなのに、八九寺蛙だと可愛さの欠片も感じられないのは何故だろう。牛蛙みたいなのを想像してしまった。
 蝸牛に『牛』という文字が入っているから、僕の頭が勝手に連想ゲームをした結果かもしれない。

 と言うか八九寺は、喪失したキャラ付けを模索しているのだろうか?
 失った特性を……。
 いや……迷うことから解放されたのだから、彼女は願いを叶えたのだから――失ったとしても、それは喜ばしいことのはずだ。

 だとしても……そうなのだとしても……だからこそ……。

 八九寺真宵。
 蝸牛に迷った少女。
 迷い牛から脱却した女の子。
 中身がない空っぽの怪異。
 がらんどうの浮遊霊。
 不安定極まりない、一番に危うい存在。
 
 彼女の立ち位置は曖昧故に最悪だ。


「ですが、大丈夫だと解っていても、海に入って体が溶けてしまいわないか心配です」

 不安そうに海を眺める八九寺だった。その表情が、僕の憂いを映し出しているようで、言い様のない不安が募る。
 まあ、これも杞憂……取り越し苦労というやつなのだろうけど。

「蝸牛と塩の相性は最悪だもんな」
「今はまよい蛙ですから、問題はありませんけどね!」

 八九寺は「いひひ」と僕なんかよりもずっと太陽らしい、 お日様のようなほほ笑みを浮かべる。

「そうか。そりゃ重畳だ」

 心の赴くままに、僕は八九寺の頭上に手を伸ばす。
 危惧した八九寺の噛みつき攻撃もなく、そっと八九寺の頭を撫でる僕だった。


 あと確信が持てなかったので言及はしなかったが、塩――――海水と相性が悪いのは蛙も同様じゃないのか?
 蛙って海に居ないよな? 僕が知る限りでは、海に棲息している蛙は居ない。海蛇や海亀とかなら聞くのにな。
 両生類と爬虫類の違いなんだろうか? 爬虫類のワニとかならどうなんだろう? 
 困ったな、疑問が尽きない。また羽川に訊かなければならない事が増えてしまった。いや~困った困った。


 まよい蛙が海で泳げることを祈るばかりだ。
 
 とは言ってもアイツは蛙でも何でもないんだけどさ。







 蛙と海…………か。
 
 そこから連想されたのはあの有名な諺。

『井の中の蛙、大海を知らず』。

 本来の教訓とする意味は置いておいて…………蛙が海を知る事に、どれ程の価値があるのだろう――――


 ふと、これは人間と怪異の関係に通ずるモノがあるのではないかと思い至った。


 井戸は人間の世界。
 蛙が人間。
 大海は怪異の世界。


 井戸の中で暮らす蛙は何の不自由もない。
 井戸は蛙にとって、完成された世界なのだから。

 だが理由はどうあれ、海の存在を知ってしまった蛙はどうなるのだろう。
 知るだけなら――、近付かなければ――、害もなく過ごせるはずだ。
 それは知らない事と変わらない。

 好奇心から海に近寄った蛙はどうなるのだろう。
 海辺の生物と交流する機会が生まれ、楽しい時間を過ごせるかもしれない。
 だけど、好意を持って接してくれる生物だけとは限らない。

 また時として海は無作為に牙を剥く。
 意図せず波に攫われることもある。
 迂闊に接近していいものではないのだ。

 海の中に『曳き』込まれた蛙の運命は…………語るまでもない。




                     ――――海に辿りついたとしても、泳ぐことすら叶わないのに。




[18791] 【化物語:短編】ひたぎバースデイ~読切り~【番外編】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/22 19:04
~001~

「阿良々木くん。今日は何の日か知っているかしら?」

 老朽化した扉を開けて出てきた戦場ヶ原は、開口一番にそう僕に尋ねてきた。
 
 今日は七月七日。世に言う七夕。
 色とりどりに飾り立てられた笹の葉に、夢や願いごとを書き記した短冊をつるし、星にお祈りをする日。
 でも今日は、そんな節句なんかよりも重要かつ大切な日だった。
 戦場ヶ原にとって――いや僕にとっても。

「そりゃな。その為に今日は此処に来たんだからな」
「そう」
「今日はお前の誕生日だ」
「何を言っているの阿良々木くん。今日はポニーテールの日よ」
「いや、確かにお前のポニーテール姿は大変魅力的で、途轍もなく似合っているけど、なんでそんな一般大衆が知らないような日をチョイスするんだよ! もっと他にあっただろ。特に今日なんかは」

「ええ、その通りだわ。カルピスが販売開始された日でもあるわね」
「んな事しらねえよ!」
「相変わらずの浅学菲才ぶりね。これで私と同じ大学に通いたいと言っているのだから片腹痛くて、ちゃんちゃら可笑しいわ。あら、阿良々木くんってとっても面白い人だったのね」
「それは嘲笑の類と言うか、僕に対する皮肉だろうが!」

「肥肉ですって。私が肥えた豚みたいな女だと、そう言いたいのかしら?」
「違うよ! なんでお前が、僕の言葉を皮肉として受け取ってんだよ! 字も違うし、曲解し過ぎだろ」
「あらそう、ならいいのだけど。もし阿良々木くんが反旗を翻そうとしていたのなら、片さなければいけないところだったわ」
 
 片すって言うのは、『片付ける』ってことだよな……え、僕を? どう言う意味なんだ?
 聞き手の裁量で如何様にも取れる不穏な言葉を吐きやがって……間違いなく猟奇的な意味だろう。

「阿良々木くん。そんなところに突っ立ってないで、はやく中に入ったらどう?」
「ああ、ごめんごめん。立ち話もなんだもんな」

 本来、家主が言う言葉ではあるけど僕が代弁しておく。

「いえ、そういう事ではなくて、私の家の前に阿良々木くんのような不審人物が立っていると、近所に悪い評判が流れるでしょう。知り合いだと思われたら困るのよ」
「僕のどこが不審人物なんだよ!」
「そうね、阿良々木くんを人物――人間と定義するなんて間違っていたわ。阿良々木くんのような腐審物が捨てられていると――」
「腐ってもないし、物でもないし、捨てられてもねえよ!!」
「御託はいいから、さっさと入ってしまいなさい。近所迷惑よ」
「…………はい」

 理不尽ではあったが、至極尤もなこと言われてしまったので、我慢して戦場ヶ原宅にお邪魔する。


 民倉荘。木造アパートの二階建て。201号室。
 六畳一間の小さな部屋。
 綺麗に整頓されているとうよりは物が余りにも少ないといった感じだ。
 失礼な話だが、朽ちかけた壁は新聞紙で補修されていたりして、此処に火憐を解き放てば一日足らずで倒壊するのではないだろうか。そう思えてしまうほど状態がよくない。
 まあアイツが本気になれば、どんな家だって時間の差異はあれど同じ結果に至るのだろうけど。

 部屋に入ると畳独特の匂いが鼻腔をくすぐる。なんだか落ち着いた気分になるので僕はこの匂いが好きだったりする。

 部屋の中央には卓袱台が置かれており、その上には既に料理が並べられていた。
 戦場ヶ原自ら料理をして、僕の為に腕を振るってくれたわけだ。
 これには心から感謝しなければいけないだろう。


 先程、僕が発言したとおり、今日は戦場ヶ原ひたぎの誕生日。

 僕の奢りで外食でもしに行こうとも提案したのだが、戦場ヶ原たっての希望により、こうして家に招かれたのである。
 「何も持ってこなくていい」とのお達しだったが、ケーキだけはデパートまでひとっ走りして(自転車でだけど)購入済みだ。
 戦場ヶ原のお父さんへのお土産も兼ね、選択できるように4種類、別々のケーキを買ってある。
 それに、ちゃんとプレゼントだって、胸に忍ばせている。

 ケーキに関しては隠せるような物でも、サプライズを気取るつもりもなかったので、戦場ヶ原に預け冷蔵庫に収納して貰う。
 誕生日プレゼントの方は帰る直前にでも渡すことにしよう。


 どうやら例の如く、戦場ヶ原のお父さんはお仕事のようで、今日も今日とて二人っきりだ。
 受験勉強の監修をして貰っているので、今更二人っきりになっても緊張するものでもないが、今日は完全なオフ。
 戦場ヶ原の誕生日を祝うのが第一だが、僕も羽を伸ばして楽しめそうである。




~002~

 僕は戦場ヶ原の家の六畳間の部屋の中で、正座していた。
 いや、戦場ヶ原に正座を強要させられたとかそんな訳ではなく、ただ座っていることしかできない自分への戒めの為にだ。

 ようするに、戦場ヶ原は料理の仕上げ、メインディッシュの調理に取り掛かっているのに対し、そんな彼女のお手伝いも出来ずにただぼーっとしているしかない僕が、胡坐をかいてのんびりするのも気が引けた為の処置だった。
 大人しく邪魔をしないよう待機中なのである。

 卓袱台の上には、サラダ(シーザーサラダっぽいもの)と、白いスープ――推測ではあるが、ヴィシソワーズ(ジャガイモの冷製スープ)、それに切り分けられたバゲットが配膳されていた。
 ただテーブルクロスの類はなく、茶色い机の上に飾りもなく並べられているのが少々無骨ではある。

 戦場ヶ原の料理の腕は、漫画などに散見される壊滅的な下手さでも、超絶的な技巧を有する天才なんてのでもなく、普通だった。
 いや、普通と言うと少し語弊がある……調理工程などは問題ないのだが、味付けがかなり独特で、人によっては受け付けない場合もあったりする。たしか神原は苦手としていたはず。
 僕はそこまで拒否反応を示すことなく食べれる、と言うか結構好みの味だ。


 しばらくすると、戦場ヶ原がお盆にメインディッシュを載せてやってくる。
 戦場ヶ原の説明によると、豚ヒレ肉ソテー赤ワインソース風ということらしい。
 赤ワインは戦場ヶ原父の秘蔵の品を拝借したと揚々と語ってくれた。
 付け合せには、ほうれん草のソテーと、人参のグラッセが添えられている。
 おお、見た目も豪華で美味しそうだ。

 卓袱台にスペースが余っていないので、そのまま畳の上に置き、向かい合わせに座る僕たち。


「いや、ほんと、悪いな。今日はガハラさんの誕生日なのに、どちらが祝って貰っているのか判らなくなるよ」
「いいわよ、祝うだなんて。私は阿良々木くんに服従して貰うだけで十分だもの」

「一瞬、いい台詞を言ってんのかと思ったが、最低な台詞だな! 僕はお前の奴隷になんかならないぞ!」
「私だって阿良々木くんのような無能を配下にしたところでメリットがないし、こっちから願い下げだわ。いい迷惑よ」

「ううう……僕をゴミくずのように扱いやがって」
「そんな扱いした覚えはないのだけど」

「……ならいいんだけどさ」
「阿良々木くん、大抵のゴミは火をつければ燃えて無くなってくれるけれど、阿良々木くんを火葬するのにはお金がかかるし、放置したら異臭騒ぎになってしまうわ。ゴミくずの方が無害なだけマシよね」

 こいつ、曲がりなりにも自分の彼氏を、話の中でとはいえ殺しやがった。しかもゴミ以下の扱いだ!


「僕が明日もし死んでいたら、その死因はきっと自殺だろうよ!」
「と言うことは、私は阿良々木くんを殺した、阿良々木くんを殺さなくてはいけないのね。困ったわ。どうすれば解決するのかしら…………そうね。タイムマシンを手に入れて、阿良々木くんが死ぬ前に始末すればいいと言うことね。でもこれって『親殺しのパラドックス』が発生しないかしら?」

「確かにお前は僕を殺した奴を殺すとか言ってたが、その場合の犯人は確実にお前だ! 僕が自殺する前に僕を殺してる!」
「なら阿良々木くんを殺した私を、私が殺す。私は阿良々木くんの為になら死ねるもの。この命ぐらい差し出してみせるわ!」
「めちゃくちゃ格好いい台詞だが、その原因をよーく考えてみろ! 矛盾だらけで意味がわかんねえよ!」

 なんて物情騒然とした食卓だ。
 これが誕生日を祝う宴の席だとは思えないぞ。




~003~


 ガハラさんお手製のフルコースを堪能した僕だった。デザートに関しては僕が買ってきたケーキなんだけど。
 料理の出来栄えは、もしかしたら今日の日の為に練習したのではないかと思えるぐらいの美味しさで、あれなら神原だって、誰だって美味しく頂けるだろう。

 和やかな談笑とは言えないものの、食事をしながらのお喋りも楽しめた。
 いつもより暴言毒舌が冴え渡っていた気がするし、戦場ヶ原も満足出来たんではないだろうか。

 今は二人で食器の後片付けを済ませて、ただ何をするでもなく、座っているだけだった。



「でもこうして七夕の日に二人で会うなんて、なんだかロマンチックでいいよな」
「そうかしら?」
「つれないこと言うなよ……そう言えば、七夕の行事と言うか、短冊で願掛けとしなくていいのか? あ、それに今からでも星を見に行ったり。お前に連れて行って貰ったあの景色には適わないだろうけど、田舎だし今日は晴れてるし、それなりの星空が見れるだろうぜ」

 今日は戦場ヶ原の希望通り、家の中で過ごしているが、僕だって一応デートプランを考えていたので、そう言ってみたのだけど、彼女の反応は今ひとつだった。

「その必要はないわ。私は自分の誕生日が七夕だってことを余り快く思っていないのよ」
「なんだよそれ、七夕の何がいけないんだよ……」
「阿良々木くん。七夕って知ってる?」
「おかしな事を聞く奴だな。知ってるからさっきから話題に上げてるんだろ」

「その七夕に関する逸話の内容を……よ」
「ううん…………まあ、それぐらいなら……ええと彦星と織姫が一年に一度出会える日なんだろ。あ! ちゃんと知ってるぜ。この二人は結婚してるんだよな」

 僕の発言に、心底呆れたような顰め面をつくる。

「そんな浅い知識を臆面もなく語れることに驚愕するわ」

 吐き捨てるように言われた!

「違うってのかよ?」
「そうね。とは言っても、私も所詮受け売りの知識でしかないのだけど。七夕伝説の大筋だけね……」

 戦場ヶ原は悠々と語り始める。

「天の川のほとりに、天帝の娘である織女しょくじょが住んで居て、彼女は毎日機織りに精を出していたそうよ。織女の織る布は見事な一品で、天帝も娘の働きぶりに感心していたらしいわ。そんなある日、父である天帝は、働き者の娘が恋をする暇もなく働き続けているのを不憫に思って、天の川の西に住んでいる牽牛けんぎゅうという牛飼いの青年と結婚させることしたの。こうして織女と牽牛の二人は、めでたく夫婦となったって話よ。勘違いしている人も多くいるみたいだけど、二人は夫婦であって恋人ではない。阿良々木くんは天文学的な確率で知っていたようだけどね」

「……そんな致命的な確率じゃねえよ!」

「まあ、そのお二人さんなのだけど、夫婦生活が楽しすぎちゃったのか、愛にうつつを抜かして、織女は機織りをすっかり止めてしまい、牽牛も牛を追わなくなった。天帝も始めは新婚だからと大目に見ていたのだけど、二人に改善の余地がみられなかったので、ついには天帝の堪忍袋の緒が切れちゃったのよ」

「へー。そんな話があったんだな」

 僕が理解しているか値踏みするように見つめてから、話を再開する。

「怒った天帝は二人の所へ出向くと、織女に再び天の川の岸辺に戻って機織りに精を出すことを命じたの。実家に連れ戻されるってことね。でも父親である天帝も一抹の温情からか『心を入れ替えて一生懸命仕事をするなら一年に一度、七月七日の夜に牽牛と会うことを許してやろう』と告げたそうよ。娘に嫌わるのが怖くなった父親が仕方なしにそう言ったのではないかと私は睨んでいるわ」

「お前の解釈は余計だ。天帝も人の親って感じがして親近感が沸いちゃったよ」

 いや、そう思って間違いないのかもしれないけど、もっとこう厳粛な取り決めというか、何というか……僕の中の天帝のイメージが「パパのこと嫌わないで~」とか言ってる駄目親父になってしまった。

「まあここからは知っての通り、二人は天の川に隔てられて引き離される事になるのだけど。それ以来、自分の行いを反省した織女は年に一度の牽牛との再会を励みに、以前のように機織りに精を出すようになり、牽牛も気持ちを入れ替えて働き始める。牽牛と織女は互いの仕事に励みながら、指折り数えて七月七日の夜を待つ…………そんな話よ」

「なるほどなぁ」

 やはり物語の上辺だけしか知らないってのは、良くないな。
 事の本質を見落とす原因になる。そこから得られる教訓や意味が見当違いなものになりかねない。

「要するに七夕ってのはね、結婚した二人が愛にかまけて、やることもせずに働かず怠慢したのがそもそもの原因なのよ。なのに当然の報いとして受けた罰に手心まで加えて貰ってる。しかも自分勝手に悲恋だと恨みがましく騒いでる困ったちゃんなのよ。直裁的に言って自業自得よね。そんな二人にあやかりたくなんてないわ」

「要するなっ!! ああもう。なんでお前はこんな壊滅的な思考に行き着くんだ? 僕が伝承の中の人物の釈明をしても意味はないけど、自分達の過ちに気付いて悔い改め、愛する人を想う一途な心を讃えようって話だろ!」

「それは違うわ、阿良々木くん。ご褒美に釣られてるだけよ。動機が不純だわ。きっと罰則を解除すれば同じ過ちを繰り返すでしょうね。それに天帝だって再三注意を促していた筈なのに、その忠告を無視した結果がこれなのよ。情状酌量の余地なしだわ」

「…………」

 駄目だ。僕にこの戦場ヶ原の歪んだ思考を覆すことは出来そうにない。
 羽川に依頼して、説き伏せてもらうとしよう。

「でも確かガハラさんさぁ、あの星空の夜に教えてくれなかったか? こと座のベガが織姫星で、わし座のアルタイルが夏彦星だって。それにデネブを加えて夏の大三角とか。あの時はもうちょい簡単な説明だったけど、あれから僕なりに調べたんだぜ。そこまで嫌っているようには見えなかったけど……」

「ええそうね。でも阿良々木くん。星に罪はないもの。だから私が言っているのは『七夕伝説』の方だけよ。それも別に頑なに拒んでいるわけでもないし、ちゃんと祈ったりもするのよ」
「なんだ、そうなのかよ」

 やはり心の奥底では七夕の伝承を、二人の実直な愛に感応することもあるのだろう。

「だから私は戒めを籠めて祈っているわ。私はあなた達みたいに愚かな事はしないってね。反面教師と言うのかしら」

 ……どうもしなくても、僕の勘違いだったようだ。

「それにね……」

 と、戦場ヶ原は心持ち静かな声で『七夕伝説』の後日談というか、なんとも救われない話を語り始めた。

「そんなニ人が待ちに待ち焦がれた七月七日。一年に一度きりの大切な日。でもね……その日に雨が降ると、天の川の水かさが増して、織女は向こう岸に渡ることができず、夏彦も彼女に会うことができない。一年積み重ねてきた思いが水の泡となる。気紛れな天候に左右される。努力では、どうする事も出来ない天の意思。全く救えない話だわ」

 あと付け加えて戦場ヶ原は「かささぎの群が飛んできて二人の逢引を手助けする話」もしてくれたがあまり一般的ではないらしい。



「一年に一度しか逢えない。しかも雨が降ったらそれだけでお流れになるなんて考えられないわ。だって私は一年に一回しか阿良々木くんに逢えないなんて耐えられないから」

 戦場ヶ原は僕の瞳を見据え、僕の心に訴えかけるように語る。

「一日でも、一時間でも、一秒でも傍に、ずっと一緒に居たい。そう思っているわ。私はそこまで我慢強い女ではないのよ」
「だろうな」

「阿良々木くんが愛しくて、胸が張り裂けてしまいそうになる夜もある」
「そうなのか?」

 それは信じがたい……でも素直に嬉しくもある。

「ええ。だからずっと一緒にいましょう」
「ああ」

「あと、我がままを言ってもいいかしら」
「いいよ」


 間を置かずに即答する。
 ガハラさんの我がままと言うのがどんなものか検討もつかないけど、今日は彼女の誕生日。
 多少、無理なお願いでも叶えてあげよう。
 それぐらいの腹積もりで、気構える。



「キスをしましょう、阿良々木くん」
「お。さすがに一度でそこに辿りつけるのか。でもガハラさん。それは我がままじゃないよ」

「べろちゅ-をしましょう」
「雰囲気が台無しだ!」

「嫌だったかしら……」
「いや、望むところだ」






 こうして――――戦場ヶ原ひたぎと阿良々木暦、二人だけの誕生日パーティーは終了した。
 ただ二人でいる時間。
 それだけで十二分に幸せで、それ以上何も望む必要はない。

 僕と戦場ヶ原が一体何を何処までしたか話すのは無粋と言うものだろう。




[18791] 【化物語】まよいメイド~その7~(海編)【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/09 22:50
 時間は常に一定の速さで絶えず流れ続けている。
 均等に、不変なく、淀みも、早まりもせず、こちらの都合など御構いなしに、与えられた役目を真っ当するが如く、ただ時を刻む。

 だが矛盾しているようではあるが、時間は長くもなるし短くもなる。さもすれば止まってしまう事さえある。

 退屈な時間や苦痛を伴う時間ならば、引き延ばされたかのように時間が進まない。
 時間が止っているのではと錯覚することもあるだろう。
 逆に楽しい時間、遊びや趣味に興ずる時間ならば、瞬く間に終わってしまう。

 体感としての時間なら、個人の塩梅あんばいで幾らでも様変わりするモノなのだ。
 朝の学校に行くまでのあわただしい時間と、居眠りを我慢しながら受ける、退屈な授業の時間とを比べれば、その違いがはっきりするだろう。

 結局、僕が何を言いたいのかというと、八九寺との戯れる(悪戯的意味合いは断じて含まれていない)時間はあっという間だったって事だ。
 簡単にではあるが、何をして遊んだのかざっと纏めて話してしまおう。


 僕と八九寺は、準備体操もそこそこに海へと繰り出した。
 まずは思う存分に泳ぎ回り、海を肌で感じる。水の程好い冷たさが心地よく、生き返った気分だった。

 飛沫となって口内に飛び込んできた海水の塩辛さには、辛酸を嘗めさせられた心地になる。
 塩っぱいとは知っていたが、まさかここまでとは。嘗めたのは海水だけど。
 少しでも飲み込んでしまったらお口の中が大惨事だ。海中の生物には味覚がないのだろうか? 蝸牛にだって味覚はあるっていうのに。


 泳ぎ疲れたら砂浜に戻って、八九寺ご所望の泥団子作り。
 これがなかなかに面白く、僕も夢中になってしまったのだが、後から考えると少し恥ずかしい。
 他にも持参したビーチボールでラリーを続けるのに挑戦したり、八九寺を砂に埋めたりして(お約束の双丘は作ってあげなかった)海を満喫した。
 当然、その中には談笑も含まれるし、馬鹿みたいな掛け合いだって含まれる。

 それを全て語ることは少々骨が折れそうなので、今回は割愛させて頂く。

 時間とは無限ではあっても、生命に限られた時間は有限なのだ。





 八九寺と連れ立ってシートに戻り、休憩がてら水筒に入れたきたお茶で喉を潤す。
 携帯電話で時間を確認すると、もう午後の4時過ぎだった。ガハラさんからのLOVEメールが来ていたので返信しておく。
 到着した時間が少し遅かった事もあるし、比較的疲れない砂遊びなんかも間に挟んでいたので、まだ体力には余裕があった。もう一遊びぐらいなら可能な時間帯だろう。

「さて次は何して遊ぼうか?」

 水筒を片付けながら、八九寺に尋ねる。

「そうですね。粗方遊び尽くした感はありますが……」

 目蓋を閉じて黙考状態に入る八九寺。「う~ん」と唸りながら首を捻っている。
 んん。なんて無防備な状態なんだ!
 お、これって、今ならキスしても気付かれないんじゃないか!?
 
 そっと八九寺に近付く僕。
 慎重に音を立てず、首を伸ばし、顔を接近させていく。
 だが、もう少しで唇が重なろうかというその間際になって、僕の動きは急停止する。
 別に良心の呵責に苛まれたとかいう訳ではなく、出会い頭にキスを強行しようとした僕に対して八九寺が逆上し、唇を噛まれた出来事が脳裏に蘇って躊躇してしまっただけなんだけど。


「こう言うのはどうわぁぁっ!!」

 考えが纏まったのか、目を開けた八九寺。その目前には僕の顔。

「うぐああぁっ!!」

 吐息がかかる距離にまでに押し迫った僕に驚いた八九寺により、鉄拳制裁を喰らった。
 拳による抉り込むようなフックが的確に左頬を捕らえる。責めて平手打ちとかにして欲しかった……口の中が鉄の味で満たされる。

 僕はキスに対する恐怖心トラウマという心的外傷と、顔面を痛打されるという身体的外傷を負った。
 全て僕の自業自得だった。



「あ、あの大丈夫ですか? ジュララ木さん」

 気遣うように声をかけてくれる八九寺である。殴られはしたものの、あれは正当防衛の部類だろうから僕が文句を言う筋合いはない。
 そもそも多少の怪我なら、吸血鬼の後遺症ともいうべき治癒能力で回復してしまうのだから問題ないのだ。
 とは言うものの、忍に血を吸わせてから少し日にちが経過しているので、大怪我を負うと洒落にならないんだけど。でも、それが本来人間にとって在るべき姿なのだ……あまり吸血鬼の能力に依存するのもよろしくない。

「ああ……大丈夫だ。……いい右だった。しかし八九寺、僕の事を、三畳紀と白亜紀との間とされる、中生代の中心時代、あるいは恐竜の時代とも言われる、スイスとフランスの国境にあるジュラ山脈に分布する地層をもとに定められた地質年代のように言い間違えるな。僕の名前はせせら木だ」

「あれ! なんか浅瀬を流れる水の音みたいな名前になってますっ!? わたしの方が、今まで覚え違いをしていたとでも言うのですかっ!?」
「悪い、噛んでたな」
「違いますっ! 悪意を感じるほどわざとですっ! してやったりみたいな顔しないで下さいっ!」
「いや、偶にはこっちからも打って出なくちゃなと思ってさ。八九寺だって、僕の羽川に対する台詞を真似しやがっただろ」

 意趣返しというやつだ。ふははは。八九寺に一矢報いてやったぞ!
 『撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけ』なのだ。

「人を呪わば穴二つと言いますが、人の台詞を模倣しても自分に返ってくるなんて……勉強になりました。自分の名前を犠牲にするなんて、せせら木さんもなかなかに侮れない事をしてくれますね」
「いや、八九寺。あれはボケであって、もう元に戻してくれていいんだぞ。僕の名前は阿良々木だ」

「何を言っているんですか、せせら木さん。せせら木さんがせせら木さんじゃないと言うのなら、せせら木さんは一体何者になると言うんですか。せせら木さんがせせら木さんの事を信じてあげなくちゃ、せせら木さんが可哀相です」

 ゲシュタルト崩壊が起きちゃいそうだ……と言うかよく舌が回るな。普段はあんなに噛みまくってるクセに……こいつ、本当は物凄く滑舌いいんじゃないのか? これ、並の早口言葉より難しいぞ。

「…………くそ。やられてもただでは転ばない奴だな……降参だ。僕が悪かったよ、許してくれ」

 両手を挙げて参ったのポーズ。
 ここは素直に負けを認める。やはり八九寺のほうが僕よりも一枚も二枚も上手のようだ。
 やられたらやり返すってわけか。逞しい子だ。

「わたしが何を許すと言うんですか、せせら木さん?」

 しかも数倍返し。しつこい奴だな。

「よし八九寺ちゃん、帰りにアイスでも買ってあげよう」
「せせら木さん。わたしがアイス如きに釣られる訳ないでしょう」

 浅はかな考えを口にした僕を、軽視するような目で八九寺が睥睨してくる。
 八九寺も学習する……同じ餌では喰い付かないというわけか。
 昔はあんなにも扱いやすい奴だったのにな……。
 だったら――餌の価値を吊り上げればどうなるだろうか?

「ハーゲンダッツ可だぞ」
「阿良々木さん! そんな贅沢していいんですか!?」

 僕の太股に抱きつき、尊敬の眼差しで見上げてくる。
 ………やっぱり扱いやすい女の子だった。
 


「で、何か提案しようとしてなかったか?」
「ええと、そうそう、何して遊ぶかなんですけど、水中鬼ごっこなんてどうでしょうか?」

 それなら小学生の時に、プールの自由時間でやった事があるな。
 でも……。
 
「代案なんてないし、文句を言うつもりなんてないんだけど、二人で鬼ごっこなんてして楽しいか? ああ言うのって、大人数でやればこその遊びだろ」

 二人でやっても、ただの追いかけっこだ。
 いや……波打ち際を追いかける恋人達のじゃれ合い的なものなら、それはそれでやってみたい気もする。
 

「そこはルールを加味すれば、それなりに楽しめるものになると思いますよ」
「ま、お前がそう言うのならやってみるか。頑なに断る理由なんてないしな。でルールってのはどんなもんなんだ?」

「ええっとですね。基本は当然鬼ごっこが主軸となります。移動箇所は水中に限りますが。ただし『鬼』は手でタッチしても意味はありません。と言うより、目測で構いませんが、『子』の約4メートル以内に進入することを禁じます」
「なんだよそれ。じゃあ鬼はどうやって子を捕まえればいいんだ?」
「これを使います」

 八九寺は足元に転がっていた、ビーチボールを拾い上げる。
 ああ、なるほど。

「それで当てればOKってことか」
「ですです。タッチにかこつけて、襲われそうな気がしますし」
 
 くそ。予防線をはられた! 鬼ごっこならば事故を装えると思ってたのに!

「もう少し詳しいルールの詳細を補足しますと、鬼が投げたボールが『直に接触すれば』当たったと見做します。まあ水辺ですから殆ど跳ねたりはしないでしょうが、一度水面に着水したボールが当たったとしても無効です。あと鬼が投げたボールを子がキャッチしても意味はありません。それも『直に接触』と見做しアウト扱いとします」

「と言うことは、子はボールを避けるしかないってことか……へえ、なかなか面白そうなルールだな」
「まぁルールはこれだけですから」

 内容はいたってシンプル。

 鬼がボールで子を直に当てれれば交替。
 鬼は子に必要以上に近付いてはいけない(4メートルは離れる:厳密な罰則はなく互いの目測に任せる)。
 水中鬼なので、砂浜に上って逃げるのは反則(最低、腰までは水に浸かること)。
「鬼役は無条件で阿良々木さん」

 こんなところだ。

「おい、待て! 人のモノローグに割り込むんじゃねえよ!! 何だよ無条件で僕が鬼って!?」
「阿良々木さんは吸血“鬼”なんですから、適任でしょう? 適材適所、餅はもっちりと言いますし」
「良くねえよ! それになんだよ、餅はもっちりって。只の感想じゃねえか!」

 前の文脈から察するに、『餅は餅屋』と言いたかったのだろうか。

「阿良々木さんは何の為に吸血鬼になったんですか!」
「いや、少なくとも、鬼ごっこの鬼役になる為の理由付けじゃない」
「阿良々木さんには『鬼合い』ですよ」
「全然上手く言えてねえよ!」

「ですが、こういうのは目上の人を立たせるのが常といいますか、わたし如きではそんな大役務まりません」
「さも自分が気を利かせて、譲ってあげているような雰囲気を出すんじゃない!」

「もう、わがまま言わないで下さい。阿良々木さんは、そうまで頑なに鬼になりたくないんですね。わかりましたわかりました。そこまで嫌がるのならもう頼みません。わたしが鬼をしてあげますから、阿良々木さんはどうぞ、お逃げあそばせばいいじゃないですか。ほら早く行ってください」

 しっしと、追い払うような仕草をする八九寺だった。
 いや、おかしいだろ。

「正規の工程を踏んで決まった鬼役を、子供染みた自分の都合でやりたくないと駄々を捏ね、見るに見かねた八九寺が仕方なく鬼役を買って出たような、言い草をするのもやめるんだ!」

「では、ジャンケンにしましょうか」

 思いのほかすんなり引き下がり、真っ当な案を提示する八九寺だった。そこまで本気ではなかったと言うことか。

 いやでも……これじゃ本当に僕が鬼になるのを嫌がってるのと一緒の事ではないのか?
 小学生相手に情けない話ではないだろうか?
 売り言葉に買い言葉みたいな感じになってしまったが、そこまで鬼になるのが嫌というわけじゃない。

 それに、海での出来事なんて、すっごく話題にしやすい事柄だ。
 当然、八九寺は羽川に今日の出来事を話すだろう……子供相手に鬼役を志願できないちっちゃい男として。

「いいよ、八九寺。僕は、本当は鬼をやりたくてやりたくて仕方がなかったんだ」
「そうですか、ではよろしくお願いします」

 間接的に羽川の評価を向上させようという、せこい考えを講じる僕だった。

 考え過ぎかもしれないが、これって八九寺による高度な誘導ってことはないよね……?
 八九寺は純粋無垢とは言えなとしても、悪計を企てる子ではないと信じている。

「まあ、捕まえれば鬼は交替できるんですから」
「それもそうだよな。ボールで当てればいいだけだろ。寧ろ鬼の方が有利だよな。遠距離攻撃が可能だなんて。ま、すぐに捕まえてやるよ」
「そうですね。“すぐに”交替できるといいですね」

 と言葉尻に合わせて、にやりと不敵な感じに口端を吊り上げる。
 
 小学生に挑発された!

「お前なんて一分もありゃ充分だ!」

 指を突きつけ宣戦布告。
 まさか小学生女子が高校生男子に勝てるとでも思っているのか?
 笑わせてくれる。

 当初の予定としては、小学生相手に本気になるなんて大人気ないので、手加減しつつ遊んであげようと考えていた。
 適度に時間を掛けてから捕まえて、八九寺が鬼になっても、わざと捕まってあげる。
 それぐらいのスタンスで望もうかと思っていた。
 だってこれは『勝負』ではなく『遊び』なんだから、バランスというものが必要だし、手を抜くことだって必要だろう。

 が……挑発してきたのは八九寺だ。
 まずは完膚なきまでに実力の差を見せ付けて、自力の違いを解らせてやる!
 その上でハンデを設けて遊んであげればいい。




 と…………そんな甘い事を考えていた。
 
 …………そんな滑稽な事を考えていた。



 実際にやってみるまで、僕はこのルールの理不尽さを理解していなかった。
 そして、単純な鬼ごっこともまた違う、水中ならではの駆け引きを。



[18791] 【化物語】まよいメイド~その8~(海編)【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/12 06:05

 ――水中鬼ごっこ開始――


 鬼である僕が十を数えるその間に、八九寺は逃げていく。小学生にしては華麗な平泳ぎで僕からぐんぐん距離を取る。
 海でのクロールは必要以上に体力を消耗するから、妥当な選択だろう。
 どうやら、まよいフロッグを名乗ることだけはあるようだ。
 
 ゆっくり十秒数えたところで、僕も動き始める。
 が、ここでまず一つ問題が浮上した。

 僕は八九寺にタッチする代わりの手段として、ビーチボールを持っていた。
 遠距離から攻撃できる鬼の武器。鬼にとっての有利な点。



 そんな馬鹿げた勘違いをしていた。
 
 僕が両手で『抱えている』のは、市販されている、何の変哲もないよくある大きめのビーチボール。
 頑張れば脇に挟みこんだり、下から支えるようにすれば、片手でも持つことも可能だろう。
 だがボールは大きく、ツルツルと滑ってしまうので、野球ボールのように片手で掴むことは難しい。
 あまつさえ、浮力を有する空気がパンパンに入ったビーチボールだ。

 必然的に一気に距離を詰める為のクロール、泳ぎの主体であるはずの平泳ぎでさえ封じられた事になる。
 ボールで手が塞がっていることにより、泳法を取れないのだ。
 取れる手段はボールをビート板みたいに抱え込んでのバタ足ぐらい。若しくは水中を歩くか……。
 それが、どれほど致命的なことか…………。
 二重の意味で、荷物を抱え込んでいる。

 八九寺を必死になって追いかける僕だったが、これは追いつけたものではない。距離は離される一方だった
 早くも諦めに似た感情が浮かんでくるが、八九寺も提案者としてそこら辺の事情は既に弁えていたのだろう。

 頑なに距離を突き放すのは止め、僕の方に振り返り手を振ってくる。
 要するに、僕が来るのを待ってくれているのだ…………あんなに息巻いていた自分が恥ずかしい。
 手加減されているのは僕だった。

 僕がバタ足を駆使して八九寺のほど近く――――ボールの射程距離ぐらいにまで接近すると、奴も動き始める。
 僕を軸として円を描くように……僕が近付いたら、その分離れ、一定の距離をキープする。つかず離れず歪な円を描くように。
 感じとしては、アウトボクサーのような立ち回りで、僕の周りを旋回している。
 鮫が獲物の周りをぐるぐる回る光景にも似ているかもしれない。


 だが、『鬼』は僕なのだ。
 八九寺は本来逃げ回ることしかできない『子』。即ち八九寺は『獲物』に過ぎない。
 不用意に鬼に近付くなんて、それは自惚れ、慢心と言うものだろう。
 平泳ぎという泳法は一定のリズムで浮き沈みするから、タイミングが取りやすいし、早さも然程しか出ない。
 然るに、動きを読むのは容易いと言うことだ。

「今だっ!!」

 八九寺の動き――進むであろう距離の帳尻もしっかり目測しボールを投擲する。
 僕の感覚では確実に捕らえていた。

 しかし、八九寺は僕が投球すると同時、ボールから手が離れたのを察すると、透かさず海の中に潜ってしまう。

 始めは身体に当てさえすればいいと思っていたが――――戦場は海なのだ。
 息さえできれば……鼻や口さえ出せれば、呼吸は可能なのであって、ボールを当てれる箇所は頭ぐらい。
 しかも水中に潜れば無敵。
 水が鎧となって『子』を守る。『母なる海』が『子』を守るのだ。

 しかも相手のメリットはそれだけではない。

「ぷっぅはぁ」

 次に八九寺が浮かび上がってきたのは、僕から十メートル程、離れた場所だった。
 そうなのだ。潜水と言う泳法をとれば、確実かつ安全に距離を離せる。デメリットとしては体力の消耗が激しいという事ぐらいだろうか。

 また、海というフィールドは人間にとっては広大すぎる。無限と言い換えても差し支えなかった。
 即ち、プールのように限られた空間と違い、追い詰めることができない。
 大空に放たれた鳥を捕まえるのが、どれほど困難かを考えればこの現状の悪さも解ると言うものだろう。


 地の利は完全にあちらにある。これは思った以上に鬼が不利だ。
 攻略法と言えば、モグラ叩きのように、潜水から上ってきた時に狙い済まして投げるしかない。


 いや、それでも何処かしらに勝機はあるはずだ。
 相手は、小学生だし、こちらを侮っている付し節が見受けられる。

 僕はボールを回収しに向かい、すぐさま八九寺を追いかける体勢に入るも――――



 ――――その必要はなかった。


「やっほ~。どうしたんですズボラ木さん? わたしはこっちですよ」

 八九寺の方から近付き、オマケに挑発までしてきやがった!

「くそ。僕のことを性格がだらしのない、すべきことをせずに怠惰に過ごしているような不名誉な名前で呼ぶんじゃない。僕の名前は阿良々木だ!」
「失礼。噛みました」
「違う。わざとだ」
「噛みまみた」
「わざとじゃないっ!?」
勝鬨かちどきだ。きゃっほ~うっ!!」
「勝利宣言だと!?」

 可愛さ余って憎さ百倍とはこの事かっ!?

 勝鬨とともに拳を突き上げている八九寺目掛け、ボールを投げようとするが、僕の動きに感付くや否や、素早く鼻の辺りまで顔を沈め、防御体勢に入られてしまう。
 目で僕を牽制しながら、海中を漂う八九寺。そこには一部の隙もない。

 それでも見ているだけでは始まらない。

(そこだ!!)

 胸中で短く叫ぶ。
 投球ホームで悟られないように、手首のスナップだけを駆使して、ボールを投げる。
 水切り(石切り)のような投げ方で放たれたボールが八九寺に襲い掛かるが、奴の反応は早かった。惜しくも、刹那の差で水中に潜られてしまう。

 しくじったか……だが紙一重でもあった。
 八九寺が体勢を立て直す隙を与えぬ為にも、すぐにボールの回収に向かう。


 だがしかし、回収に向かうのを断念せざる得ない状況になってしまった。


 八九寺がゆったりと同じ場所に姿を現したからだ。つまり移動せずに、潜ってそのまま浮上してきたことになる。
 
 そこで、最初の取り決めたルールが僕の前に立ち塞がる。
『鬼は子に必要以上に近付いてはいけない』
 全くに厄介なルールだった。



「ほっほほーう。そんな不用意に勝ち急いでボールを手放すなんて無様ですねえ」

 八九寺の傍を漂うボール。僕はそれを見ていることしか出来ない。
 八九寺に近寄れないイコールボールを回収する術はない。
 そもそもボールを投げれば、そこで攻勢は途切れてしまい、追い討ちをかける事さえ叶わないのだ。
 どうしても単調な攻撃しかできなくなる。

 ボールを浮き輪代わりに抱え込み、プカプカと浮かぶ少女。
 一度水面についてしまえば、鬼でなくともボールに触れられる。
 僕はただ八九寺が離れるまで見守ることしかできない。

 しばらく海上を揺蕩たゆたう八九寺。どうやら泳ぎ疲れた体力を回復しているようだ。
 鬼の追随を気にすることなく休める鬼ごっこなんて……そんなの有りかよ……。

 そして十二分に休憩を取った八九寺の取った行動は、僕にとって、この上なく屈辱的なものだった。

「チワワ木さん。あっちですよ~! それっ!」

 八九寺が明後日の方向、僕が居る位置とは正反対にボールを放り投げる。
 それはそう――――投げたボールを飼い犬に拾わせにいくかのように。
 ボールをどう扱おうとも『子』の自由なのだ。

「八九寺……てめぇ、覚えてやがれ! あと僕のことを、くりくりとした大きく潤んだ瞳が特徴的な、世界一小さな犬と呼ばれている、可愛らしい小型犬のような名前で呼ぶんじゃない。僕の名前は阿良々木だ!」
「いや~弱い犬ほどよく萌えるとはよく言ったのです」

 いろんな意味で犬扱いだった。
 くそ。挑発で言っているからか、いつものやり取りもしてくれないし、あの言い間違いは確信犯だ。僕もツッコミなんか入れてやるものか!
 僕が八九寺のことをペット扱いしたから、天罰が下ったのかもしれない。

 ううむ。完全に舐められている。というか手玉に取られているな。
 八九寺はこの不条理なルールを熟知した上で、持ち掛けてきやがったのか。






 それからも、僕は八九寺を捕らえることが出来なかった。

 ボールが避けられる度、狙いが外れる度に、懇切丁寧に八九寺は、僕の名前を噛み間違えるという嫌がらせ染みた挑発を繰り返した。こいつのボギャブラリーは何処まであるんだ!? 奴は化け物か!? ……ある意味では間違いではないのだけど。

 にしても、どちらかと言えばそうだろうと思っていたが、まさか八九寺にここまで、Sとしての資質があったとは驚きだ。
 僕に対して、鬱憤が溜まっていただけかもしれないが。


 途中で八九寺の方から鬼を交代しようかと言う、お情けの声が掛かったが、此処まできて引き下がれるものか!?
 もうこれは意地だった。


「阿良々木さんも諦めの悪い方ですね。もう素直に負けを認めちゃったらどうです?」

 僕が投げて外したボールに体重を預けながら、八九寺が呆れたように言う。

「ば、馬鹿言うなよ。やっとコツを掴んだところなんだ。勝負はまだ始まったばかりだぜ」
「いえ……もうかれこれ30分近くは……」
「八九寺。サッカーで言えばそれはまだ前半戦も終了してないってことじゃないか!」
「いや、そんな団体競技を引き合いに出されましても……」

 八九寺さんが呆れるのを通り越して困ってらっしゃる。
 あれ……これって僕、めちゃくちゃ無様な醜態を晒していないか?
 僕も神原と一緒でギャンブルに手を出してはいけない人間なのかもしれない。
 
 だけど……言い訳がましく感じるだろうが、僕は小学生に負けるのが嫌でここまで躍起になっている訳ではない。
 …………いや少しもないと言うと嘘になるので、僕の感情を構成するほんの数パーセントは悔しいからだ。
 だがそんな悔しさよりも僕が危惧しているのは……恐れているのは……。
 
 きっと八九寺は羽川にこの出来事を、武勇伝の如く自慢するだろうってことだ。
 やだ……そんなの耐えられない……そんなの容認できっこない!
 僕は羽川の前ではいい子ぶりたいし、カッコも付けたいのだ!

「ふっ、負けるのが怖いのか!?」

 我ながら安い挑発を繰り出し、八九寺のやる気を引き出す。

「むむ。まあ、そこまで仰いますならお付き合いしますけど。でも、わたしは手を抜いたりしませんよ。寧ろ阿良々木さんは私を本気にさせてしまった事を後悔すればいいのです!」
「ああ、望むところだ! その本気とやらのお前を打ち破ってこそ、箔が付くって言うもんだぜ!」

「そうですか。阿良々木さんは眠れる獅子を起こしてしまったようなものです。獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすと言いますし、脱兎の如く逃げさせて頂きます」
「八九寺……いや別に間違ってるっている訳でもなさそうなんだが……一連の文脈の噛み合わなさが例を見ないぞ。物凄い違和感のある摩訶不思議な文章になってる」

 結局八九寺の立場は獅子なのか、兎なのか……?
 そんな訳の解らない、答の出ないような袋小路に陥っていると、八九寺がいつのまにか動き出していた。

「それでは、いきますっ!」

 八九寺が軽くボールを真上に投げ、落ちてきたボールを下からすくい上げる様に平手打ちする。
 バレーで言うところのサーブ。
 八九寺のように地肩がデキていない子が下手に投げるよりは、サーブの方が飛距離は伸びるのだ。
 鬼ごっこの途中から八九寺はその事に気付いたらしく、サーブに切り替えていた。
 僕の頭上を飛び越え、ボールは背後に着水する。

「キックオフですっ! ワイキ木さんっ!」

 高らかにゲーム再開の合図を告げる八九寺。
 でも……うん、間違いなく蹴ってなどいない。

「キックオフには確かに開始と言う意味があるし、さっき僕が一例にサッカーを引き合いに出したのが悪いのかもしれないが、それは間違ってるからな! あと僕のことをハワイ州オアフ島のホノルル市内の地名、季節を問わずに各国から多くの観光客が訪れる、世界有数の海水浴場のような名前で呼んでくれるな! 僕の名前は阿良々木だ!」

 僕の渾身のツッコミも耳に届いていないのか、ただ勝負に徹することにしたのか、八九寺は宣言通り、僕から脱兎の如く逃げ始めた。
 しかもクロールで! 盛大に水飛沫を飛ばし突き進む。一気に距離を離す算段なのだろう。
 
 ならば、もたもたしている暇はない。
 後ろに振り返り、水面に揺れるビーチボールを視界に捉える。波に押され、水際に流され始めていた。

 此方も負けじとクロールで急行し、迅速にボールの回収を終える。
 再度、踵を返し八九寺を追いかける。

 …………追いかけようとした。
 
 だけど……八九寺の姿が見当たらない。

「八九寺?」

 あたり一帯をざっと見回すも結果は同じだ。

 僕達が居た場所は、八九寺が直立して丁度首に水がくるまでの深さだったので、僕からすれば然程深くはなかった。目を凝らさずとも海の底が見えるぐらい。
 即ち幾ら水中に潜ろうとも、見渡せばすぐに八九寺を発見できたのだ。海の透明度もそこそこある。
 それについさっきまで八九寺は、勢いよく水を巻き上げて泳いでいた……見失うことなんてない……はずだ。

 胸中に言い様のない不安が渦巻く。

 ボールはその場に放置し、八九寺が泳いでいった方向に当たりをつけ移動する。

「八九寺! 何処だ!?」

 心持ち大きな声で呼びかけてみる。
 しかし反応はない。聞こえてくるのは波の音だけだった。

「おい。八九寺! はちくじぃいいい!」

 今度は出来うる限りの大声を出して叫ぶ。
 だが結果は変わらない。
 心臓が早鐘のように鼓動を刻み、嫌な汗がどっと溢れてくる。

 遠くの海面を凝視するも、それらしい姿はなかった。

「八九寺! 八九寺! 八九寺!」

 名前を連呼しながら、八九寺が泳いでいった方を重点的に探索する。
 再度見渡すもあのツインテール少女の姿は影も形もない。
 視界は良好だ。良好すぎるが故に、八九寺の姿がないのが逆にはっきりしてまう。

 海上には見当たらない……だとしたら、可能性があるのは海中。 
 流石に遠くの方は海面に光が反射したりして、見える範囲には限界があった。

 焦る気持ちをどうにか落ち着け、息を大きく吸い込み、海に潜る。
 海底を這うように泳ぎながら八九寺を捜す。
 しかしゴーグルもなしに海中で目を開けるのは、困難を極めるし、思いの外ぼやけて先が見えない。
 それでも目を見開き辺りを確認するが、やはり姿はない。


 どんなに切迫していようとも、身体は酸素を欲するのを止めない。
 海中の探索を中断し、酸素を求め海上に出る。
 焦りのせいか、海面に浮上する前に大量の海水を飲み込んでしまい、噎せ返る。

「げぁぼっ………はぁ……はぁ……」

 忍に血を飲ませたのは結構前になるので、吸血鬼としての身体能力はそれほど発揮していなかった。
 血を分け与えた直後の視力なら、もう少し捜索範囲も広がっていたはずなのに……。
 吸血鬼の能力に依存してはいけない……それは解っていても、状況が状況だけに歯痒く思ってしまう。

「八九寺…………は、はちくじぃいいい!!」

 慟哭するように。思いの丈をぶつけるように声を張り上げる。
 心のどこかでは、この声に応える者はいないと薄々……いや、そんなわけあるものか!! 
 自分の中に浮かび上がった考えを無理やり淘汰する。
 意味がないと解っていながらも、闇雲に波を引っ掻き回す。掻き分ける。拳を叩きつける。


「はちくじぃいいいいいいいいいいいっ!!!」


 あらん限りの声で。限界まで声帯を震わせ叫ぶ。
 残響の代わりに、ただ荒い息が漏れる。
 動悸が激しくなり、胸に言い知れない圧迫感が生じる。

 僕の呼びかけに応えるものは――――ない。

 なんで? なぜ? どうして? おかしいだろ! 待ってくれよ! こんなの……ありかよ……。 


「おい……嘘だろ…………なぁ……はち……く、じ……」


 前触れもなく――
     予兆もなく――
         ふとした瞬間――



 僕の視界から八九寺が消え去った。




[18791] 【化物語】まよいメイド~その9~(海編)【誑物語】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/19 23:06
 八九寺ともう会えないんじゃないか。八九寺は成仏してしまったんじゃないか。
 そんな不吉な考えが頭の中を駆け巡り、慄然りつぜんとなる。気を抜けば、心はいとも容易く闇に中に引きずり込まれてしまいそうだった。
 挫けてしまいそうな心を、必死に繋ぎとめ、八九寺の姿を血眼になって捜す。

 僕が投げ出した瞬間に本当に八九寺は消えてしまう。諦めたらそこで本当に終わってしまう。
 だから僕は絶対に諦めない。

 一度で駄目なら、もう一度。

 それでも駄目なら、何度でも。

「はちくじぃいいいいいいいいいいいいい!」

 一縷の望みを懸けて声を出し続ける。喉に痛みを感じてきたが、そんなこと気にしていられない。
 この声枯れ果てようとも、何日かかろうとも、絶対に見つけ出してやる!

 そんな不退転ふたいてんの決意をした時だった。







「どうしたんですかぁあ!?」

「え?」

 聞き馴染みのある、少々甲高い少女の声が鼓膜を振るわせる。
 聞き間違えるはずなどない!
 八九寺だ。八九寺の声だ!

 何処だ? 何処から聞こえる? 視線を巡らすも見当たらない。

「阿良々木さぁーーーーん! こっちですよー!」

 僕を呼ぶ声。かなり遠くから聞こえてくるような声の響き方だった。
 今度は入念に目を皿のようにして、視線を巡らせる。

 ……いた。

 八九寺真宵の姿を発見した!

 かなり遠く――沖合の深そうな海域に、手を振っている姿を見つける。
 八九寺が泳いでいった方角とは随分と違う場所だ。距離にして50メートルはあるんじゃないだろうか。なんでアイツはあんな所まで移動しているんだ? 
 そんな疑問も浮かんだけど今はどうでもいい。
 良かった……本当に良かった。
 心配かけやがって…………頬を伝って塩水が口の中に入り、塩っぱいったらない。

「阿良々木さーん! 追っかけてくれなければ、鬼ごっこになりませんよー! 困った人ですねー!」

 そんな此方の心情などお構いなしの、僕を非難するような言葉を叫ぶ八九寺だった。
 この期に及んでまだ鬼ごっこ気分なのか……と言うより、八九寺は現状をちゃんと理解しているのだろうか……? 

 八九寺の様子を窺う限り、逼迫ひっぱくした風でもないし、溺れている様子でもない。そこのところは一安心する。
 そもそも八九寺が溺れ“死ぬ”ことはないはず(ジョークにもなりはしないが)。
 ……まあ、あいつも平気で「長生きしたい」とか際どいネタふってくるし、それほど気にする事はないかもしれないけど。


「八九寺!! 一時中断だ。戻ってきてくれ!!」

 疑問は尽きないわけだが、何にしても、まずは八九寺の存在を直に触れて確かめたい。
 これは疚しい行為とかじゃなく、お医者さんがする触診的な意味でだ。
 あれ? なんだかより卑猥な印象になってしまった気がするぞ。まあいいか。

「そう言って、当てるのは無しですよ!」

 警戒したように八九寺が言う。やはりまだアイツの中では鬼ごっこの最中だと言うことか。

「そんな卑怯な真似はしないから、早く戻ってこい!」

 そもそもボールは持ってないし……両手を振って戦意がない事をアピールする。
 
 本当は、僕の方から迎えに行ってやりたかったが、あんな沖合まで泳げる自信がないし、立ち泳ぎは得意じゃないので足が届かないのは正直怖い。
 八九寺が溺れているとかなら話は別だが、かなり余裕があるようだし、自力で帰還して頂こう。僕が溺れたら元も子もないしね。

「休憩ですかー? わっかりましたー!」

 八九寺なりに自己解釈したようで、そう言い残して水中に潜ってしまう。
 どうやら潜水泳法で移動しているようだけど、ここまで泳ぐのが得意だったのか。こんな特技を隠し持っているなんて思いもしなかった。
 でも、ああは言ったものの、やはり姿が見えなくなるのは心配だよな。
 とりあえず此方からも、行ける所まで泳いで迎えに行くことにしよう。

 そう思い立ち、大きく息を吸い込み、肺に酸素を貯め込む。

(よしっ!)


「阿良々木さん?」
「うわっ!?」

 目の前の海面が割れ、八九寺が浮かび上がってきた!
 肺の中に溜め込んだ空気を一気に噴出してしまう。

「お前、びっくりさせんなよ……って早いな」

 いや“早すぎる”。
 あの距離を? こんな短時間で!? 馬鹿な。
 正確には数えてなどいないが、八九寺が潜ってから僕の目の前に現れるのにかかった時間は、10秒前後だろう。
 どんなに水泳を得意とする人間でも、20秒以上はかかるはずだ。今度ばかりは“有り得ない”! 
 …………何かがおかしい。

 底知れない違和感を胸中に抱きつつ、とにもかくにも八九寺の無事を確かめる。
 水中に潜っていたのにも関わらず八九寺のツインテールは健在だし、顔色も良さそうだ(幽霊だけど)。
 水が滴って、ちょっと艶っぽい感じだったりする。


 そして、僕の視線はそのまま八九寺に釘付けとなる。

 八九寺に見蕩れた。

 もう目が離せない。

 魅了されたと言っていい。

 それ程までに今の八九寺は………僕を“曳きつけて”放さない。




「八九寺。お前…………」
「どうされたんです? 阿良々木さん? 鳩が鉄砲で撃たれたような顔をして」
「いや確かにそれほどの顔をしているのだろうけど、その鳩、死んでるか重傷だからな。だけど、そんな事はどうでもいい。本来なら、お前の台詞にもっと誠意ある心の込もったツッコミを入れるのが正しいんだろうけど、先にこれだけは言わせてくれ」

 念のため、再度、確認するも、見間違いではないようだ……。
 こう言うのを青天の霹靂と言うのだろうか。なんだかなぁ。

 深呼吸をしてから、端的に八九寺に伝える。


「お前……魚になってるからな」


「はい?」


 疑問符を浮かべる八九寺だった。


 それもそうだ。
 幾らなんでも端的過ぎた。僕が何を言いたいのか伝わらなくても無理はない。
 これでは正鵠を射ていないし、言葉が余りにも足りない。

 うん。僕も少々混乱しているようなので、言葉足らずだったのは否めないし、それぐらいに取り乱していると思って頂ければ助かる。でも、こんな突拍子もない出来事が起これば誰だって冷静さを失うだろう。唖然とするしかない。


 八九寺の下半身が魚になっている。
 八九寺の腰に巻かれたパレオを丁度境としての下側部分――本来人間の脚が続くはずの箇所が、魚の尾のように変貌していた。

 陽光を照り返し、鱗が光り輝いている。
 淡い赤。鮮紅色。禍々しい感じの色合いではなく、見るものを魅了する宝石のような煌き。
 パレオの色も同系列の赤だったが、それが霞んで見えてしまう程。



 僕は、最近その存在の事を教えて貰ったばかりだ。

 神原の左腕に『猿の手』が宿ったように。
 羽川の頭に『猫の耳』が生えてしまったように。
 八九寺の下半身は『魚』になった。

 至極簡単にこの生き物を現す言葉を僕は知っている。


 人魚。


 どこからどう見ても人魚。
 そう。八九寺真宵は人魚になっていた。

 取り急ぎその事実を伝えるべく、再度、端的ではあるが、状況に即した言葉を八九寺にかける。

「お前の下半身を見てみろ。魚になってるぞ」
 
 明確な言葉で先に伝えてしまうより、自分で確認した方がいいだろう。
 僕の言葉に首を傾げながら、足元を見やる八九寺。

 沈黙。

 二人の間には寄せ返す波の音だけが響き渡り、静かな時が流れる。

 そして、ゆっくりと視線を上げ、僕と視線を交えた八九寺は――


「な、なんですかこれー!!! きゃーなんかスイスイ泳げちゃいます!」


 ――はしゃぎながら、泳ぎ回った。

「いや、堪能してんじゃねぇよ!」

 縦横無尽に泳ぎ回る八九寺である。

「きゃっほうー! まよいメイドですっ!!」
「いや……まあ、そうなんだろうけど」

 一応正しくは『マーメイド』。まよいメイドを10回早口で言ったらマーメイドに聞こえるとか聞こえないとか。クイズとか別に無いけど。

 なんで僕が言及するまで気付かないんだよ……コイツは……。
 大怪我をすると、痛みが感じ難かったり、本人は気付かないって事がある様だけど、それと似たようなものなのか?
 痛みが強すぎると、一時的に脳が痛覚を遮断する働きがあるように、今回はあまりにも突飛な出来事なので、脳が処理をしなかったとか?
 馬鹿の一つ覚えみたいに遊泳している姿を見ていると、ただ単にコイツが鈍感だったって気もするが……っていつまで泳ぎ続ける気だ!

「八九寺! いい加減止まれ! お前はマグロなのか!? 泳ぎ続けなくちゃ死んじゃうのか!?」

 僕の制止の声に応じてようやく八九寺が動きを止める。

「いやぁテンション上っちゃいまして」

 実に楽しそうな八九寺だった。
 なんだろう、僕とコイツの温度差の違いは……。
 う~ん。やっぱ、どう考えても怪異絡みの案件だよな……何だよ、僕が一体何をしたって言うんだよ。
 

 いや……“何もしなかった”のが問題なのか……。
 僕の視界に何気無く入った景色を見て、そう思い至る。其処には、洞窟があった。岩礁で出来た陸地の先に洞窟が見える。
 ただ岩礁の大半に海水が溜まっているところを見る限り、満潮時には海に浸かってしまうのかもしれない。洞窟の中にも海水が流れ込んでいるようだ。

 そこで改めて辺りを確認する。鬼ごっこをしているうちに随分遠く、ベースとして荷物を置いている場所からも大分離れた所まで来てしまったようだ。


 羽川との電話でのやり取りが思い出される。

『海岸沿い近くに洞窟があって、中に小さな祠があるんだけど、危ないから絶対に近づいちゃ駄目だからね』

 そう言ってくれていた。事前に注意を促してくれていた。 
 なるほど。そういうことか。
 ここは洞窟近く、“祠近くの海域”というわけだ……。
 拡大解釈すれば、これもまた洞窟に近づいた事に他ならない。

 起因としては、それしか考えられなかった。

 僕は“何もしなかった”。
 遊びに夢中になるあまり、洞窟の存在に気付かず、注意を怠ったのがいけなかったのだ。
 僕がもっとしっかり羽川の言葉を受け止めていれば、どうにか事前に対処する事もできたはずだ。とは言うものの、少々理不尽な気もするが……起こってしまったことをうだうだ考えていても仕方がない。
 
 反省は後回し、今大事な事は、焦らず冷静に、どれだけ状況に即した行動がとれるか。
 まずは八九寺の容態を確認するのが先決だろう。
 
「なあ、八九寺。他におかしなところはないか?」
「そうですね……なんでしょう……喉に小骨がつっかえた感じと言いますか……わたしなのにわたしじゃないような不思議な気分です」
「そりゃな…………」

 詳しい事の詳細――八九寺が人魚になった原因は解らないが、ここまでの変調をきたせば、身体が違和感を訴えるのも無理はない。八九寺自身、今ひとつ自分の状態を把握できていないようだし。

「って八九寺。その手……」

 八九寺が喉を触る仕草を交えて、僕に症状を話してくれていたのだが、その手も人間のソレではなくなっていた。

「……水掻き?」
「そうみたいですね。全く気付きませんでした」

 僕にもよく見えるように手を掲げてくれる。五指の間には、蛙や水鳥の足指に張られているのと似通った、薄い膜のようなモノが出来ていた。

「……お前、ほんと平然としているよな。図太い神経をしてると言うか」
「そうですか?」
「もうちょっと年相応に取り乱したり、慌てふためいたりしても、よさそうなものだけどな……まあ、冷静でいてくれた方が断然いいんだけどさ」

「これでも結構驚いているんですよ。でも、こういうのは既に体験済みですし」
「体験済み?」
「阿良々木さん……今、やらしい想像をしましたね?」
「してねえよ。今はボケてる状況じゃないんだから、真面目にしろ」
「反応が面白くありませんね」

 ちょっぴり不機嫌そうな八九寺だった。
 僕との掛け合いを楽しみにしてくれているのは嬉しいことだが、今はその場合じゃない。
 八九寺もやっと状況を弁えたのか、真剣な表情になって僕に視線を合わせる。

「阿良々木さん。私は怪異なわけです」
「そうだな」
「ですが、ご存知の通り、わたしって元は正真正銘の人間だったわけですよ。今でもちゃんとその頃の記憶は持ち合わせていますし。まあ、つまり怪異に……“迷い牛に成った”経験があるってことですね。そういう意味で、体験済みってことです」
「そっか……」

 その時の気持ちは……まぁ面白いものじゃないよな……触れないほうがいい話題だろう。

「これでもわたし、怪異としては十年選手なんですから、余程のことでない限り、驚きませんよ」

 陰気くさくなりそうな話を無理やり笑顔で締め括る八九寺だった。自分の心配をしなくちゃいけない時に僕を気遣うなんて、ほんといい奴だよな。


「八九寺。下半身をちょっと触らせて貰うぞ」

 いつもなら茶化してくる場面だろうが、僕の真摯な態度が功を奏したのか、八九寺は素直に頷いてくれる。
 
 海中に手を入れ、八九寺の下半身を摩る。いや、ほんと厭らしい要素は一切ない。日頃の行いの所為で、いちいち弁解をしなければならない僕っていったい……。
 話を戻して、下半身と言っても今は魚の鱗に覆われているので、弾力のある肉の柔らかな感触は一切なく、鱗の滑らかさと硬質な手触りを感じるだけだった。八九寺の様子を窺ってみると、圧迫に応じてくすぐったそうな反応をしているので、神経は通っているようだ。
 これもまた、生きているタイプの怪異で間違いない(八九寺は云々の野暮なツッコミの不要だ)。








 そうして僕が引き続き八九寺の身体に、目立った変化がないかを確認していると、八九寺が異常を訴え始めた。


「……阿良々木……さん」

 八九寺が力ない声で僕を呼ぶ。

「……やっぱり、何か変です……頭が」

 僕にもたれ掛かりながら、頭を押さえる八九寺だった。
 頭が痛むのだろうか……これだけ身体に変調を来たしているのだから、頭痛も十分起こり得る事態か。

「八九寺、大丈夫か?」

 八九寺は歯を食い縛りながら、こくりと頷く。これは痛みを我慢している顔だ。

 こんな気遣いの言葉で痛みが和らぐわけもないのだが、僕には声を掛けてやる事しか出来ない。なんて無力なんだろうか……。
 少しでも楽な体勢になれるように、手を当て支えてやる。
 本来なら、安静にできる場所に移して、横に寝かせてやりたいのだが……八九寺は人魚になっている。下手に陸地に上げれば悪化しかねないし、迂闊に八九寺から離れることもできない。

「阿良々木さん。そんな……深刻な顔……しないで、ください。わたしは、平気……ですから」

 苦笑いを浮かべ、そんな強がりを言ってくれる八九寺だった…………ほんと強い子だな。
 そこから暫くは、痛みが引くのを待つしかなかった。
 
 ただ不幸中の幸いと言うべきか、頭の痛みはすぐに引いたようだ。

「どうだ。まだ痛むか?」
「いえ……頭痛の方は大分治まってきました」

 一時的な疼痛だったのか、八九寺の容態は快方に向かっていた。
 身体が人魚になったという根本的問題は解決していないが、安堵のため息を漏らす。





 だがそんな安心もつかの間、更なる、事態が引き起こる。

 前虎後狼。一難去ってまた一難。


「ですけど……なんだか……眠たいとも違うんですが……意識が朦朧として…………」

 そう言い残し八九寺は、僕に全体重を預けて気を失った――――





 ――――ように見えたが、すぐにうな垂れていた姿勢を起こし僕に向き直る。


 苦悶の表情も消え、瞬きを数回繰り返し、晴れやかな顔で僕を見つめる。



 そして――――初めて会ったかのような、他人行儀な感じでこう言った。


「君は誰?」




[18791] 【化物語:短編】なでこエンジェル~その1~【番外編】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/23 18:52
~001~

 千石撫子。
 そもそもは、下の妹、月火が小学生だった頃の同級生で、数多くいた友達の一人。時折、阿良々木家に遊びに来ることがあり、僕と月火(火憐含む)が同室ということもあって、遊びに付き合わされて顔見知り程度の仲になったのだが、所詮、顔見知りなのであって、友達と呼ぶには疑問が生じる、そんな不確かな関係だった。
 
 月火との関係も中学が別々になったことにより、途切れてしまい、必然的に僕との接点もなくなった。
 ところが、蛇に纏わる一件が切っ掛けとなり、僕と千石は数年ぶりに再会するに至る。
 蛇が結んだ縁というとアレだけど、それが合縁奇縁となって、僕と千石は長い期間を経て再度交流することになったのだ。

 今では、僕の数少ない友人の一人。僕のことを『お兄ちゃん』として慕ってくれている、可憐で内気な女の子である。今更説明するまでもないが、『お兄ちゃん』と言っても、あの傍迷惑で破天荒な肉親の愚妹達とは違う、僕にとって大切な『妹的存在』だ。


 そんな、目に入れても痛くないほど可愛い存在である千石と、この度、二人でお出かけすることになった。
 行き先は遊園地。無論、デートなんて事はなく、僕の役回りは付き添いの保護者みたいなものだけど。


 なぜ二人で遊園地に行くのかと、当然の疑問が出てくると思うので、簡潔に説明させて貰う事にする。

 事の起こりは、僕がある重大な任務を千石に依頼したのが発端となる。任務の内容は、あるキーワードとなる台詞を、標的となる人物の口から引き出すという、諜報活動めいたモノだ。その成功報酬として千石が要望したのが、『遊園地に行きたい』というものだった。

 しかし相手は、幾多の挑戦者たちが無残に散っていった難攻不落の鉄壁で、千石も善戦はしたものの、残念ながらその任務を果たす事ができなかった。
 本来なら、任務失敗という事で千石の報酬は無しになるはずだったのだが、結局は千石の奮闘を労い、健闘賞という形で遊園地に連れて行ってやる事になったのだ。

 情報保護の観点から、少々抽象的な説明になってしまったのは大変申し訳ないが、経緯は大体こんな感じである。



 でもまあ、千石も遊園地に行きたいだなんて、変に大人びていないと言うか、年相応の子供らしさがあってほんと心が温まるよな。本当は僕なんかとじゃなく、同年代の友達と一緒に行けたほうが楽しいのだろうけど、そこは我慢して貰うしかない。

 そう思うのなら、月火も一緒に連れていけば済む話なのかもしれないが、今日は千石へのご褒美ということもあり、お金の負担は全て僕が賄うつもりなので、それだけで手一杯なのだ。
 まあ、幾ら財布に余裕があったとしても、あいつに奢ってやるつもりなんか毛頭ないけど。妹の扱い関してはシビアな僕だ。


 けれども、バイトもしていない、親からのお小遣いのみで生活している僕としては、少々手痛い出費であったのは間違いない。
 遊園地の入場料(園内フリーパス)の値段を事前に調べておいたのだが、手持ちの財布の中身では足りなかったぐらいだ。
 
 その為、親に頼んで僕個人の貯金(財源は全てお年玉だ)から差っ引く形で、軍資金は確保してある。
 通帳、キャッシュカードは親が保管しているので、自分では引き出せなかったりする。
 不便ではあるが、自分で管理していると、恐らくきっと……いや絶対、『肉体美を追求した芸術の参考書』の経費に消えていた筈だ。


 そんなこんなで、手荷物のチェックをしていると携帯電話から着信音が鳴り響く。
 画面を確認すると、千石からだ。彼女は今時珍しく携帯電話を所有していないので、これは自宅からの電話になる。
 手早く、通話ボタンを押し、電話を耳にあてる。

『もしもし、暦お兄ちゃん?』
「よう。千石」
 
 千石の囁くような小さな声に気さくに返事を返す。

『お、おはよう、暦お兄ちゃん。今日はどうぞ宜しくお願いします』

 僕の声に安心したのか、幾分、声に張りがでたようだ。やっぱり千石は礼儀正しくていいよな。

「おう、おはよう。もう準備できたか?」
『うん。ばっちりだよ』

 主語のない会話だったが、僕達二人には、これで十分に意味が通じていた。と言うのも、予め僕に電話をかけてくるように頼んでいたからなのだけど。
 僕と千石の家は、同地区のご近所なので、下手に駅前などで待ち合わせするよりも、そのまま自宅前で合流したほうが勝手がいい。だから千石の準備が出来次第、僕に連絡するように頼んでおいたのだ。

 それならば、変にお互い待つこともないし、僕が自転車で千石の家に向かえば、そのまま二人で自転車に乗って駅まで行くことができる。
 自転車を持っていない千石への配慮でもあったし、無理に待ち合わせをして、徒歩で向かわせるのもどうかと思ったからだ。
 
 あと何よりも、千石は待ち合わせというものをちゃんと理解していないふしがあるので、その対処でもある。
 かなり前の話になるが、僕が学校から出てくるのを四時間近く待ち続けた前科がある、気が長い女の子なのだ。
 考え過ぎかもしれないが、平気で夜明け前から待ちかねない。後悔先に立たずとも言うし、同じ轍を踏まさない為にも取れる策はとっておいた方がいい。

「そうか、じゃあ今から向かうよ」
『うん。わかった』

 準備完了の合図を伝えるだけの、会話目的の電話じゃないので、手早く要件を済ませ電話を切る。
 服装はいつもと代わり映えしない、半袖のパーカーにジーンズ姿。ま、動き易い服装なのだから、問題ないだろう。既に準備をしてあった鞄を引っつかみ、リビングに居る月火に悟られないように玄関に向かう。

 細心の注意を払って、音を立てずに扉を開け、無事脱出成功。
 月火の声が聞こえた気がするが、きっと気のせいだ。

 因みに火憐は不在だ。今朝方、僕がまだ布団の中で気分よく眠っている最中――鳩尾を踏みつけ、蹴り(“叩き”と同義)起こした上で、

「……兄ちゃん。あたし負けないから。絶対帰ってくるから…………約束する。大丈夫。心配すんなって」

 と、一方的にそんな不穏当な台詞を残して、颯爽と駆けていったのは薄っすらと覚えている。兄を足蹴にしやがった恨みは鮮明にだ。
 だけど心配した覚えなどない。まあ約束したからには、ちゃんと帰ってくるのだろう。
 余計な厄介事だけには巻き込まれないで欲しい。言うまでもないが、これは優しさではなく、僕に面倒が降りかかるのを懸念しての願いだ。


 そんな訳で、手早く自転車を引っ張り出し、逃げるように千石の家に急行したのだった。


~002~

 仄かに温かい早朝の日差しを感じながら、悠々と自転車を走らせる。徒歩でも十分圏内の距離。自転車だと、ほんの数分足らずの時間で到着するので、焦る必要もなかった。
 ここら周辺はよく八九寺と遭遇するラッキーポイントなのだが、残念ながら今日は見当たらない。と言っている間に、最後の曲がり角に差しかかる。もう千石の家は目と鼻の先だ。


 角を曲がると、千石の家の外観と一緒に、軒先で僕を待つ千石の姿も見えた。
 紫外線対策か、はたまた視線避けのためか、黒い水玉リボンがついたカンカン帽(かたく編まれた、小さなつばの麦わら帽子の事だ)を被っているのが印象的だった。以前に被っていたキャスケットの帽子よりも断然トレンディーだ。

 最後の直線でそんな事を思いながら自転車を漕いでいると、千石も僕に気付いたようで、顔を綻ばせてくれる。



「きょ、きょきょ今日は、よ、よよよりょしく、お、おお願いします」

 僕が停止するなり、千石は奇怪な台詞と共に勢いよく腰を曲げる。その拍子にぽとりと帽子が落下した。
 近所に住む年下の女の子に、帽子が落ちるほどの角度で頭を下げられてしまった。

 さっきの電話では、もっと落ち着きのある対応がとれていた筈なのに……難儀な奴だな。なんでコイツこんな緊張しているんだ? いや、そんな事より、今の構図は大変よろしくない。
 自転車のスタンドを立て、帽子を拾い上げ、軽く手で汚れを払ってから渡してやる。

「ご、ごめんなさい。暦お兄ちゃん」
「……なんでそんなかしこまってんだよ」
「ごめんなさい」
「……謝れたら余計に困るんだけどさ」

「ごめ……ううん。今日は暦お兄ちゃんに撫子の我が侭を聞いて貰うんだから、失礼のないようにって思ってたら、緊張しちゃって……」
「いや、千石。そもそも先に我が侭を言ったのは僕なんだし、これは千石が頑張ってくれた事に対するご褒美なんだからさ。気にする必要なんてないんだぞ」
「うん。ありがとう、暦お兄ちゃん。改めまして今日は宜しくお願いします」

 今度は、軽くぺこりと頭を下げる千石だった。堅苦しいような気もするが、それで千石の気が楽になるのなら、それでいいのだろう。
 素直にお礼が言えるというのは、それだけで美点だし、お礼を言われて嬉しくないはずがない。
 千石の慎ましやかな物腰を少しでもいいから、妹達に見習って貰いたいものだ。千石が本当の妹なら猫可愛がりしてしまうだろうな。

「おう、お願いされた。今日は一緒に楽しもうな」
「うん。暦お兄ちゃん」

 花が咲いたように微笑んで頷く千石は、一段と可愛らしく見えた。 
 その要因は、千石の今日の服装にあるのかもしれない。自分の服装に関しては無頓着な僕だが、人様の着る私服姿には興味津々なのだ。
 依然、羽川の私服姿は見るには至っていないけど。
 

 それはさて置き、今日の千石の服装を紹介しよう。

 上半身は、薄く淡い緑色の総レースの半袖で、胸元にはアクセントとなる小さなリボンが施されている。網目から中に着込んだ服が薄っすらと透けて見える装いで、風通しもよさそうだ。
 その中に着込んでいるのが、Aラインの真っ白な小花柄のキャミワンピース。少々スカート部分の丈が短いようで、陶器のような滑らかで真っ白い素足が露になっていた。
 足元は涼しげなサンダルを履いており、その為、生足が際立っている。

 全体的に肌の露出が多い大胆なコーディネートだ。
 またも危うく、僕の為に恥ずかしいのを我慢して、できうる限りのお洒落な格好をしてくれたのかと見当違いの思い込みをしてしまう所だった。
 
 いやはや無防備と言うか何と言うか……まあ、本人はただ単に、暑さ対策で薄着にしただけなんだろうけど。
 それに露出の多さは、健康的な出立ちと言い換えることもできる。
 しかし妙に胸元が開けていたり、生地自体が薄いので目のやり場に困ることに変わりはない。


 あと装飾品として、首からはネックレスが下げられており、胸の辺りにある宝石がキラキラと煌めいていた。しなやかなデザインで派手すぎず、胸元を華やかに彩っている。
 それと、腰にはいつも通り、千石お気に入りのウエストポーチを装着していた。

 う~む……ポーチは年相応の可愛らしさがあるのに比べて、ネックレスに関しては、大変申し訳ないが千石には少し早い気がする。
 別に似合っていないと言うわけではないのだが、小学生が口紅を塗っているような……少々不釣合いな感じが否めない。
 
 それこそ、千石のお母さんの持ち物だと言われた方がしっくりくる程の高価そうなものだからだ。
 あの宝石ってダイヤじゃないのか?
 僕に真贋を見抜ける程の審美眼はないのだが、とても模造品には見えない。

 まあ、千石の服装、身なりに関してはこんなところだ。


 それとは別に、目に見えて気になると言うか、触れなければならない所が二点程あるので、順を追って言及してみよう。
 まず、一つ目。

「千石。お前が髪を括っているというか、編んでるの、初めて見たよ。珍しいな」

 麦わら帽子に目がいって最初は見落としていたが、今日の千石の髪型は三つ編みだった。
 艶のある黒髪が半分に分けられ、丁寧に編み込まれている。丁度イメチェン前の羽川(今はショートカットだけど)みたいな感じ。

「そ、そう……羽川さんに教えてもらったんだけど、べ、別に今日のためにとっておいた髪型じゃないよ」
「ふ~ん。そうか」

 なるほど。羽川直伝の三つ編みだったのか。だとすれば羽川の髪型を思い浮かべたのは偶然ではなく必然だったわけだ。
 
 千石が何に対して弁明しているのかは解らないが、そりゃ、髪型ぐらい日によって変えるだろうし、今日たまたま三つ編みにしたい気分だったのだろう。
 女の子なんだし、髪型をアレンジするのはいいことだ。女子がヘアスタイルを変えるのは好きだし大歓迎である。

「ど、どうかな?」

 僕を窺うように下から目線で見上げてくる。
 ちょっぴり不安そう表情を見ていると、Sでもないのに嗜虐心が刺激され、思わず苛めたくなってしまう。か弱く繊細な千石を苛めるなんて有り得ないけど。

「うん。似合ってる。千石の大人しそうな雰囲気に良くあってるし、可愛いな」
「わ……はわ、はわわわ」

 頬に手をあて、狼狽うろたえる千石だった。恥ずかしがり屋さんだし、面と向かって褒められる事に免疫がないのだろう。


 そして気になる点、二つ目。

「なあ、千石。そのバスケットは何なんだ?」

 言うまでもないが、バスケットと言っても、籐(ラタン)で出来たピクニックバスケットである。
 片手で持ち運べる程度の大きさで、蓋の淵には赤と白で出来たチェックの布が巻かれており趣味のよい一品だ。
 一応片手で持てるサイズだが、千石が両手でしっかりと持っていたのがずっと気になっていた。

「えっと、お弁当。今日の昼食が入ってるんだよ。暦お兄ちゃんの分もあるから心配しないでね」
「マジか。それは却って気を使わせちゃったみたいで悪いな」

 昼ご飯なんかも、遊園地にあるレストランで奢ってやるつもりだったのに。こんな所にまで気が回るなんて流石千石だ。

「ううん。そんなことないよ。そんなの気にしないで」

 それに何とも奥床しい。ほんと、うちの妹達に爪の垢を煎じて飲ませたい。


「でも、今日は暦お兄ちゃんとデートできるなんて、撫子、嬉しいな」
「そうなのか。ま、そうだな」

 この物言いでは、僕と一緒に出かける事自体が嬉しいという風に受け取れてしまうが、千石が本当に言いたいのは、遊園地に行けるのが嬉しいと言うことなので、そこを取違えてはいけない。

 千石はこういう不用意な発言で、同級生の男の子達を魅惑していたのかもしれないな。天然とは恐ろしいものだ。
 あと一緒に出かけるだけで、デートなんて言葉を用いるのはどうかと思ったが、これぐらいの年の女の子からしたら、おませに背伸びした表現を使いたいものなんだろう。

「僕もこれで、年甲斐もなく遊園地が楽しみで、遠足前の小学生みたいに、なかなか寝付けなかったんだぜ」
「ふふ、そうなんだ」
「千石も目の下、ちょっとクマが出来てるぞ。さてはお前も眠れなかったのか?」
「え? うん。今日着ていく服を選ぶために夜通し悩んでたわけじゃなくて、撫子も、楽しみで眠れなかっただけだよ」

 なぜそんな例を出したのか解らないが、まあ、結局は僕と一緒だってことなんだよな。

「一応、親御さんに挨拶した方がいいか?」
「え? 暦お兄ちゃん、それって『娘さんを僕に下さい』ってことかな?」

「違うよっ!! お前はテレビドラマの見すぎだ! 何でこの流れで、いきなりそんな一大イベントが発生すんだよ! 大切な娘さんを預かるんだから、保護者的立場としての責任もあるし、挨拶しといた方がいいかと思っただけだ!」

 びっくりする発言をする奴だな。思わず内気な千石に対し本気でツッコミを入れてしまったじゃないか。

 あれ……ちょっときつく言い過ぎたかもしれない。千石がしょんぼりして、うな垂れてしまった。ってあれはボケではなかったのか?
 駄目だ。千石の要求している答えが見つからない。
 ああ、そうか! あれはノリツッコミを希望していたのか。
 だが『進んだ時計の針を戻すことはできない』のだ。今日これからの行いで挽回していくしかない。


「………保護者」

 千石は、ポツリとそんな小さな呟きを漏らす。なぜか不本意そうな顔でちょっと怖い。

「……でも、同級生の女の子と遊びに行くって事にしてあるから……ちょっと、困るかも」

 言葉を続けた千石は、更にその表情を曇らせていた。

「そうなのか? 別に後ろめたい事じゃないし、正直に言ったらいいのに」

 でも確かに千石が、僕たちの関係を親に説明するのは難しいかもしれない。
 なんで『同級生だった友達の兄』と遊びに行くんだって話だ。
 未だ千石の両親とは、電話での接触もないわけだし、突然見ず知らずの男が、「一緒に遊園地に行ってきます」なんて言っても、安心させる所か、余計に心配させてしまう結果になるか……。
 僕と千石は至って健全な関係なのだが、妙な勘ぐりをされても面白くないし。
 う~む、そこまでは頭が回っていなかったな。

「ん~。まあ、それなら仕方ないか」
「でもちゃんと、今日は遅くなるって言ってあるから大丈夫だよ」
「そうか。なら心配ないな」

 ま、なるべく早く帰るつもりだし、責任もって家まで送り届けるのだから問題ない。

「うん。若しかしたら今日は帰らないとも言ってある」
「待て! 帰るよ。ちゃんと今日中に帰ってくるよ!」

 千石は不測の事態に備えて、念には念を入れただけなのだろうけど。それは心配し過ぎである。
 だけど蛇の一件では、塾で一夜を明かす事になったのだから、可能性が皆無というわけではないのか……いやいや、あんな事態がそうそう起こって堪るか。


 と、何時までもこうして立ち話をしていてもしょうがない。さっさと駅に向かわなければ。

「よし、千石。出発するぞ」
「うん」

 千石からバスケットを受け取り、自転車の前カゴに入れてしまう。
 それから僕がサドルに跨り、ふらつかないように地面を踏みしめ、千石が後部座席に腰を下ろすのを確認してから、自転車を漕ぎ始める。

「千石って自転車乗るのは初めてだよな。なるべく揺らさないように気をつけるけど、しっかり掴まってるんだぞ」
「そうだね……うん。そうする」

 そう言って、力いっぱい僕の腰に手を回す千石だった。
 従順な千石は、僕の言葉の通り『しっかりと掴む』ことにしたようだ。
 千石の控えめな胸が押し付けられているのはその為である。

 なぜか、脇をしめて、無理やり胸を強調するような不自然な格好になっているのも、「怖いよ」と言いながら、身体をこれでもかと密着させてくるのも、自転車に慣れていない、恐怖心からくる畏縮みたいなものなのだろう…………。

 これが千石相手でなければ、ともすれば、色仕掛けされているんじゃないかと勘違いしかねない状況だな。
 うん。僕が健全な判断力を持った、実直で紳士な『お兄ちゃん』でなければ危なかった。


 そこからは、千石が喋れる状態でもなかったので、特に会話らしい会話もなく駅に向かっていた。
 忍に血を分け与えたのが、丁度昨日だった事もあり、身体能力が底上げされていて、いつも以上に足取りは軽い。
 千石の華奢な体格は見た目通りの軽さで、重さを感じることはなかった。
 
 しかしながら千石の、僕に抱きつく力は尋常ではない。
 この子の何処にそんな力が隠されているのか、全く、不思議なものだ。よほど自転車に乗っているのが怖いのだろう。


 そうこうしている内に、駅近くの繁華街に差し掛かる。
 そこで自然と目に入ったショーウィンドウには、自転車から落ちないように、必死に僕にしがみ付いている千石の姿が映っていた。


 なんとも微笑ましい光景だ。………光景なのだが、でも、なぜだろう…………。


 それが、被食者となる獲物を捕まえて押さえ込み、とぐろを巻いて絡みつき締め付ける捕食者――――あたかも、腹を空かした蛇が、食事をする為の下準備に精を出している姿に見えてしまったのは、一体全体どういうことなのだろう?




[18791] 【化物語:短編】なでこエンジェル~その2~【番外編】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/07/28 00:22

~003~

 遊園地の名前は『エンジェルランド』。アミューズメント型のテーマパークである。

 2年程前に大幅全面改装を行い、リニューアルオープンに伴って『エンジェルランド』に改称したらしいのだが、元々の名前は『ランドセルランド』と言ったそうだ。

 その頃――まだランドセルランドと呼ばれていた頃は、その前衛的かつユニークで可愛らしい名前からは想像もつかない、過激なアトラクションで埋め尽くされていたらしい。
 
 一言で言い表せば、“阿鼻叫喚”。
 
 情報雑誌などには、『天国に一番近い遊園地』と紹介・揶揄されていた程だ。
 この場合の『天国』とは、あの世……地獄と言い換えても差し支えない。別に事故が起こって死人が出たという訳ではなく、それ程までにスリリングな体験が約束されていると言うことなのだけど。

 恋人同士で行くと、その半数は別れる結果になると言う都市伝説まで存在する。その為、カップルで訪れる者は殆どいなかったようだ。

 そんな、型破りな遊園地ではあるが、どう罷り間違ったのか、それなりの盛況を博し、順調に時代の波に乗っていたらしい。
 だがしかし、不況の影響で徐々に業績が悪化し、このままでは閉園も免れないという状況になり、起死回生をかけ一念発起し、リニューアルに踏み切ったそうだ。
 エンジェルランドという名前は、『天国に一番近い遊園地』からの連想なのだろう。
 
 今では、恋人や家族連れ、県外からの学生団体、老若男女、誰でも楽しめる万人受けする遊園地へと変貌するに至ったとのことだ。




 電車に揺られること一時間半と少し。3回の乗り換えと、バスの経由を経て、目的地である遊園地、エンジェルランドに到着した。今は丁度10時なったぐらい。開園は9時なので、既に入場口は人で賑わっていた。

 まずはチケット売り場に向かい、二人分の入場料を支払う。
 入場チケット自体がそのまま園内パスポートになっているので、中のアトラクションは全て乗り放題だ。
 となれば、乗れば乗るほど元手が取れる―――なんて、せせこましい考えはなしにして、千石のペースにあわせて、ゆっくり楽しめばいいだろう。

 勿論、今日は千石へのご褒美で来ているのだから、彼女にお金を出させるなんて真似はしない。

「……暦お兄ちゃん、本当にいいの?」

 予想はしていたが、僕が全額負担するのを気に病んでくれ、千石の全身から申し訳ないオーラが漂っていた。

「当たり前だろ。今日はお前へのご褒美で来てるんだから、これぐらいさせてくれ」
「…………うん。暦お兄ちゃん」
「さ。今日は楽しもうぜ、千石」
「暦お兄ちゃん。本当にありがとう」

 律儀に頭を下げてお礼してくれる千石だった。折角の遊園地なのだから、気兼ねなく、心の底から楽しんで貰えたらなと思う。



 とにもかくにも、逸る気持ちを抑え、入場ゲートに向かう。これでいて僕も、遊園地に来て浮かれているのかもしれない。
 入園する際に、チケットと引き換えで、園内の地図や概要が書かれたパンフレットを受け取った。

 園内には、もう人の姿が結構あり、楽しそうな笑顔で溢れかえっている。家族連れや、友達同士、カップルの姿など客層は満遍なくといった感じ。

 あとよく目に付くのが、この遊園地のトレンドなのか、天使の輪を頭に乗っけている人がちらほらといた。黄色い輪っかが宙吊りになって浮いている。
 要はネズミの国でも見かけられる、ネズミ耳のカチューシャみたいなものだ。
 一番近い表現は『灰羽連盟』の光輪を固定する器具のような感じなのだが、多分伝わらないだろうな。

 何にしても、僕が装着するのは、少し恥ずかしいかもしれない。


 また、旧遊園地のキャッチフレーズ―――『天国に一番近い遊園地』は今現在でも有効のようで、園内のアトラクションの高度には、かなりこだわりがあるようだ。
 ジェットコースターやフリーフォール、観覧車などは世界有数の高さを誇るらしい。中でも、観覧車の大きさは、離れたこの場所から見ても圧倒されるものがある。その偉観は圧巻だった。



「ふ~ん。なかなか施設も充実してるんだな。結構いろんなアトラクションがあるようだし……千石は何に乗りたいんだ?」

 僕は、手元のパンフレットを見据えつつ、千石に問いかける。

「う~ん……何がいいかな」

 僕がパンフレットを開いて確認していると、横合いから千石が覗き込んでくる。
 千石にも同様のパンフレットが配られたはずなのだが…………まあこっちの方が、指差し確認なんかも出来て一緒に相談しやすいし、都合がいいか。
 二人で顔を寄せ合っている姿は、周りから見ればきっと仲のいい兄妹みたい見えるんだろうな。

 そうして、しばらく悩んだ末に千石が出した答は意外なものだった。

「やっぱり……ジェットコースターがいいかな」
「千石……大丈夫なのか? ……此処のは特に怖いらしいぞ」
「うん。大丈夫」
「へぇ、そっか……」

 本心として、僕が大丈夫じゃない。嫌いとは言わないまでも、あまり好んで乗りたくはないのが正直な所である。

「寧ろ大好きだよ」
「…………そうなんだ」

 思いの他と言うべきか、意外や意外、千石は絶叫マシーンなどの過激なアトラクションを苦手としている訳ではないようだ。あんなに自転車を怖がっていたのは何だったんだろうか…………。

「うん。これ乗ってみたかったの。これだけは外せない」

 有無を言わせぬ、確固たる決意を感じさせる声。こんな意思の強い千石はなかなか見れたものではないな。

 そもそも遊園地に行きたいというのは千石たっての希望だったのだから、不思議でも何でもないか。
 遊園地の大半はスリルを味わう乗り物で占めてるわけだし。

 今日は千石に付き合うと決めた以上、ここで引き下がるわけにはいかないよな。
 腹を括り、ジェットコースター乗り場に向かう僕達だった。




~004~

 人は見かけによらないとは、よく言ったものだ。
 好きと言っても、それなりに怖がりはするだろうと思っていたのだが……千石の絶叫マシーンへの恐怖心は皆無だった。

 僕が悲鳴に近い叫び声を上げているのに比べて、千石は叫ぶと言っても歓声なのだ。ジェットコースターで両手を上げるぐらい朝飯前といった感じ。
 まあ内気少女の照れ屋ちゃんである千石が、そんな事するわけないけど。 

 千石の要望通り、ジェットコースターに乗った後も、バイキング(大きな船の乗り物が、振り子のように大きく揺れるアレ、ここのは一回転した)、フリーフォール(真上に上昇して垂直急降下するやつ)と、過激なアトラクションが続いて、僕は疲弊気味。千石はけろっとしたものだ。



 そして次に僕と千石が訪れたのは、『迷宮ダンジョン』。
 迷宮といっても、ただの迷路なのだけど、僕的にはひと息つけそうで願ったり叶ったりだ。

 待ち時間もそこそこに、係員の誘導のもと、『迷宮ダンジョン』のスタート地点に案内される。

「こ、暦お兄ちゃん」

 前の組が出発したら僕等もスタートと言う間際になって、僕の袖をくいくいと引っ張りながら、千石が呼びかけてきた。

「どうしたんだ千石?」
「お……お願いがあるんだけど、い、いいかな?」

 伏し目がちなのに加えて、千石の顔が麦わら帽子のひさしに遮られてよく見えないが、なんだか恥ずかしそうだ。
 ちらりと垣間見えた顔の色は真っ赤だった気もするし、声も少し上擦っている。

「千石のお願いなら何でも訊いてやるぞ。何でも言ってくれ」

 しかしながら千石の方から僕にお願いなんて珍しい。千石の頼みなら無条件で叶えてやりたくなる。

「あ……あの…………て……てを……」
「て?」
「……手を繋いで…………欲しい……な……」
「ん? 手を? おお。何だ、そんなことか」
「いいの!?」
「何だよ、これぐらい構わないぜ」

 千石は、もしかしたら暗所恐怖症なのかもしれないな。中は薄暗い迷路のようだし、もし逸れでもしたら大変だ。
 
 千石は携帯電話も持っていないから合流するのにも一苦労しそうだし、最悪――園内放送で呼び出すなんて恥ずかしい真似をしなくてはいけないかもしれない。
 
 これは、手を繋いでいた方が安全だし、得策だろう。

「ほんとにいいの?」
「なんだよ、僕と千石の仲だろ」
「な、な撫子と暦お兄ちゃんとの……仲……わ、わ、はわわわわわ」

 急に千石が情緒不安定になってしまった。遊園地に来てテンションが上りきってしまったのだろうか?
 千石の生態はまだ謎に満ちている。

「ほら、千石」

 僕はそう言って、左手を差し出す。ちなみに右手には千石から預かったバスケットを持っている。

「じゃ、じゃあ……お手を拝借します」

 なんかその表現では、また違った意味に聞こえてくるな。一本締めをしなくちゃいけないような気がしてくる。
 ともあれ、千石が控えめな所作で僕の手の平に、ひんやりとした冷たい指先をそっと触れさせる。
 僕の手はそこまで大きくないのだけど、千石の手の小ささと比べると、相対的に大きく感じられた。
 なんだこのちっこい生物は!

 ま、手を繋ぐことは彼女である戦場ヶ原は当然として、なぜかあの後輩……神原ともあるし、今更恥ずかしがることでもない。
 丁度、僕達の番となったので、添えられているだけだった手を、僕がしっかりと握ってやり、千石の手を引いて、ダンジョン(アトラクション的に)に突入したのだった。




~005~

「これは、凄いな」

 ダンジョンに足を踏み入れた僕の率直な感想だった。
 辺りは薄暗く、等間隔に設置された松明の灯りだけが頼りとなっている。とは言っても本物の松明ではなく、偽物だと判る光源――人工灯なのだけど、それでもよく見なければ、本物と見まがう完成度だ。

 松明で照らされている洞窟を模した通路も、かなり精密かつリアルに出来ている。
 通路の広さは、僕が両手を広げたら両端に手をつけるぐらい。二人並んで歩くぐらいならば不自由しない広さが確保されている。

「なんだか、ドラクエの世界に迷い込んじゃったみたいだね」
「だな」

 千石の言うとおり内部の構造はRPGのダンジョンを彷彿とさせた。
 作り物ではあるが、トカゲのような生物が岩壁を這い回り、頭上では蝙蝠が飛び交っている。
 本当にダンジョンの中を歩いているのでは錯覚してしまうほどの臨場感がある。

「そういえば千石ってドラクエ好きなんだよな」

 千石もこれで、王道RPGはしっかりと押さえている子なのだ。

 中でもドラゴンクエストのナンバリングタイトル作品は、僕の知る限りではドラクエ7まではプレイ済みだったはず。
 プレステ2は所有していないようなので8は未プレイだと思われる。

「うん。ドラクエは好きだよ。中でも4が一番好きかな。暦お兄ちゃんは?」
「僕はやっぱり、5だな。3も捨てがたいけど。モンスターが仲間になるなんて衝撃的だったぜ」
「撫子も4の次は、5が好きかな」

「千石はなんかフローラってイメージだよな」
「え? なんで?」
「いや、物静かで控えめな感じが千石と似てるだろ」

 私見ではあるけれど、羽川がビアンカのイメージで、戦場ヶ原はDS版に登場したフローラの姉、デボラだ(DS版のドラクエ5はやったことないけど)。神原は誰だろう? 新機軸すぎてあいつにあうキャラが見つからない。八九寺はなんか可愛いマスコット的モンスター、スライム系統だろう。

「そうかな……ねぇ暦お兄ちゃん。暦お兄ちゃんは結婚する時はどっちを選んだの?」

 千石が僕に訊いているのは、ドラクエ5屈指の重大イベント―――ビアンカとフローラ、この2人の美女の内から結婚相手を選ぶという究極の選択のことである。『天空の花嫁』とサブタイトルにもなっている通り避けては通れない道なのだ。
 この生涯の伴侶を決めるという局面に、決断を下せず苦悩した人も多いことだろう。
 関係ないが、ルドマンさん(フローラの父親)を選択して、彼を困らせたプレイヤーも数多くいるはずだ。


 でも僕の答は決まっていた。

「勿論ビアンカ一筋だぜ」

「………………」

 あれ? 千石の反応がない。というか繋いでいる手の力が増したような気がする……ちょっと痛い。それに空気が重くなった気も…………と、しばらく無反応だった千石だが、ようやく口を開いて反応してくれた。
 無視された訳ではないようで一安心だ。

「……り、理由は……なんで……かな?」

 少し声に棘があるように感じるのはどうしてだろう? 

「そうだな……子供達の髪の色が金髪じゃないと、なんか、しっくりこなくてさ」
 
 フローラを結婚相手に選ぶと、生まれてくる子供(双子の兄妹)の髪の色が、青色になってしまうのだ。僕的にあの髪の色はない。
 フローラと結婚すれば、ルドマンさんから、お金や防具の融資を受けとれるメリットが発生するけど、そこだけは譲れなかったのだ。

「千石はもしかして、フローラ派だったのか?」

 なんか怒ってそうだったし、そう推測したのだけど……。

「ううん。撫子もビアンカ派だよ」
「あれ?」

 では、何で空気が重くなったのだろう? う~ん、よくわかんないや。

「千石にも明確な理由があったりするのか?」
「うん、あるよ……」

 千石は一拍の間を空けて、強調するように次の言葉を発した。

「だって、一度は離れ離れになっちゃった二人が、長い年月を経てから再会して、子供の頃からの想いが成就するなんて素敵だから」

 なるほど。千石はビアンカの気持ちに同調しているのか。やっぱりこんな考えが出来る辺り、女の子だよな。

「まあ、確かに、幼少期のイベントがある分、ビアンカの方が有利だよな。思い入れが強くなるし」

 幼少時代、一緒に冒険をしたアドバンテージは大きいだろう。

「な……なんだか……撫子と、暦お兄ちゃんみたい……だね」
「ああ、そっか。僕と千石も、数年ぶりに再会したんだもんな」

 だからどうしたと言う話なのだが、なぜか満足そうな千石だった。





「にしても、結構寒いな」

 外との気温差の所為もあるんだろうが、空調がガンガンに効いており異様に肌寒かった。
 それに時折、誰かに鋭い視線で見据えられたかのように背筋がゾクゾクする。嫌な予感とは別物なのだけど、身の危険を感じる、不可思議な気分だ。
 
「うん、そうだね。でも、暦お兄ちゃんの手はあったかいな。お日様みたい」

 千石の手は確かに冷たいぐらいだし、もしかしたら、冷え性なのかもしれない。
 にしても、なかなか洒落た比喩表現をしてくれるな。

「きっと美味しいパンを作れるよ」
「おい千石。お前が、言葉を付け加えたことによって、綺麗な比喩表現から一転、微妙なラインのネタに変わっちまったじゃねぇか! 僕の手は『太陽の手』、パンの発酵に適した温度の手じゃねえよ!」

 僕から顔を逸らして俯く千石。どうやら、身体を震わせながらも笑うのを我慢しているらしい。千石撫子の笑い上戸は健在のようだ。
 
 あと念の為に、『太陽の手』についての説明が必要だろうか……今ひとつ知名度が判別つきにくいよな。

 まあ軽く説明させて頂くと、パンを題材にした料理漫画にカテゴライズされ、『ミスター味っ子』を彷彿とさせる食べた後の大げさでハイセンスなリアクションが売りの作品に登場する主人公がこの『太陽の手』の所有者なのである。
 所有者と言っても、修行して身につけたとかではなく、元来の体質によるもので、この手でねたパン生地は、発酵が進みやすくなるという利点が生まれる。その為、美味しいパンを作るのに好ましい手だと言えるのだ。

 相変わらず、千石のネタのチョイスの傾向が読めない。咄嗟の応用力が試させるツッコミ役としては由々しき事態だ。

「ねぇ暦お兄ちゃん」

 僕が今後の方針について検討していると、千石が窺うような声音で呼びかけてきた。

「ん? どうした、千石?」
「暦お兄ちゃん、寒いのかなって思って……」
「いや、寒いといっても、これぐらいなら、何ともないよ」
「そんな事ないよ、暦お兄ちゃんは寒いはずだよ!」
「……そう、なのかな」

 まあ、千石がそこまで断言するならそうなのだろう。僕は自分で思っているよりも寒そうにしていたのかもしれないな。
 千石にいらぬ心配をかけてしまったようだ。

「も、もし暦お兄ちゃんが寒いんだったら、撫子が温めてあげようか?」
「千石が? それってどういうことだ?」

 寒いギャグを言って、相手を凍りつかせる事はできるけど、温めるとは一体?
 心温まる談話でも聞かせてくれるのだろうか、などと考えていたら、

「こうすれば、撫子も暖かくなって一石二鳥だよ」

 そう言って、僕の腕に抱きつく千石だった。
 ああ、なるほど。腕を組むことによって、暖が取れるのか……千石もどうやら寒かったらしい。
 至って普通、奇をてらったわけでもなく、なんとも合理的な方法だな。ペンギンなんかも身を寄せ合って寒波を堪え忍ぶと言うし。

 僕だけなら我慢すれば済む話だけど、千石が寒いのなら、そうするのも致し方ない。
 歩きにくくはあるが、千石の好意を無下にする訳にもいかないしな。

「ま、この迷路をクリアして外に出れば、すぐに暑くなるんだろうからさ、それまで、お願いしようかな」

 この迷路のクリアに要する、所要時間は約20分とパンフレットに書いてあった。
 もう半分は進んだと思うし、あと10分もあればクリアできるだろう―――そう思っていたのだけど……。




~005~

 あれから、30分……ダンジョンに踏み入ってから、実に40分は経過しようとしている――――あろうことか僕達は、“まだ”迷っていた。
 同じ所をぐるぐる行ったり来たりで、一向に進んだ気配はなく、さ迷い続けている。蒼い弾丸だ。

 コンセプトが迷路なのだから、特におかしい訳ではない、寧ろ、本来あるべき姿なのではあるが…………まぁ、なんと言うか……正確に言うと、“僕は迷っていない”のだ。
 
 奇しくも今の状況は、迷い牛に迷ってしまった時と酷似していた。
 僕が八九寺に――『迷い牛』ついていったから迷っていたように、今の僕は、千石についていくから迷っている。
 そんな感じだ。

 理由というかその原因は―――僕が敢えて口を挟まず、千石の意思の赴くままに進んでいるから。
 今日の主役は千石なのだから、僕がしゃしゃり出る事もないと身を引いていたのだ。

 言ってしまえば、子供でも挑戦出来るアトラクションなので、其処まで難解な迷路でもない。僕からすれば、ある程度歩き回ったところで、正解となるルートは導き出せていた。
 
 しかし千石は…………器用に正解となるその道だけを避け(神がかり的なルート選択だった)、ともすれば、わざと正解の道に入らないように――迷う事に専念しているようにも感じられるほどだ。

 いやいやいやいや、そんな事をするメリットが見つからないし、地図を読むのは女性の方が苦手だって言うしね。純粋に迷っているだけなんだろうけど。
 ここまで迷ってくれれば、製作者も本望だろう。
 
 
 千石は終始上機嫌だし、迷路を楽しんでいるようだから別に構わないのだが……。
 でもやはり相当寒いのか、千石がコアラのように抱きついて暖を取る姿を見ていると(何故か蛇が巻き付いているようにも見える不思議!)、早く脱出した方がいいのではと思えてきた。

 あ。また間違ったルートに入った。この先は袋小路があるだけだ……。



 …………果たして僕はゴールすることができるのだろうか?




[18791] 【化物語:短編】なでこエンジェル~その3~【番外編】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/08/02 02:10
~006~

 結果を言ってしまえば、僕達は無事迷路から脱出することができた。いやいや……脱出できない訳がないのだ。
 平均20分程度でクリアできる迷路を、1時間近くもさ迷い続けたことの方が異例の事態と言えよう。

 そうは言っても、僕がさりげなく千石を誘導して(流石に口を挟まずにはいられなかった)、迷路を抜け出したのだけど…………あのまま千石に任せっきりにしていたら、果たして結果はどうなったことやら。

 まあ、折角遊園地に来たのだから、一つのアトラクションに時間を割き過ぎるのは、得策じゃない。一日ではとても回りきれない広さだし、まだ試してないアトラクションに挑戦した方が有意義なはずだ。



 そして今、僕と千石の二人は、少し遅い昼食を取っている最中である。時刻は一時半をまわったところ。
 僕達が食事をしている場所は、真っ白なテーブルと椅子が間隔をあけて配置された、飲食や休憩などを来場客に提供するスペースで、ほぼ満席状態になっていた。
 昨今では、飲食物の持込を禁止している遊園地も多いと聞くが、このエンジェルランドは持ち込み自由となっている。

 テーブルの上―――千石が持参してくれたバスケットの中にはサンドイッチの詰め合わせが入っており、形が崩れないように、一つ一つラップで包まれ、種類も豊富で具材も色とりどり、見た目にも食欲がそそられる出来栄えだった。
 正確には四種類のサンドイッチがバスケットの中に、交互に見栄えよく詰められている。

 飲み物は僕が自動販売機で紅茶(観光地価格と言うのだろうか……一本200円だった)を買ってきた。

 それにしても、このサンドイッチ―――もう既に一通り食べさせて貰ったのだが、味の方もまた格別だった。


「これは美味いな。いくらでも食べれちゃうぜ」

 語彙の少ない、僕のような料理初心者が、どれほど言葉を重ねたところで味の評価は、美味い、普通、拙いに振り分けられてしまうのだけど、そのどれもが、飛び切りの美味しさだった。

「暦お兄ちゃんに喜んで貰えてよかった……頑張った甲斐があったよ」
「頑張ったって、これ、もしかして千石が作ったのか?」
「え? ……………………うん……そう、だよ」

 なぜかいつも以上に伏し目がちに―――僕から視線を逸らして、歯切れ悪く尻すぼみ気味に答える千石だった。
 そんなに自分が作った事を伝えるのが恥ずかしかったのだろうか。相変わらず自己主張の少ない奴だな。
 何にしても、これだけ、作れれば大したものだ。正直、千石にこれほど料理の才能があったとは、僕も驚きを隠せない。

「実は僕ってさ、サンドイッチがすっげー好物なんだよな」
「そ、そうなの?」
「でもさ、料理とかするのは全然ダメだからさ。なあ、これって、どうやって作るもんなんだ?」

 4種類あるサンドイッチの中から一つを掴み上げ、千石に尋ねる。

 僕が今手に取っているサンドイッチは、一目見た感じでは、ゆで卵とマヨネーズを混ぜ合わせただけのシンプルな『卵サンド』に見えるのだが、その実、ジャガイモや角切り野菜で混ぜ合わされている、手の込んだポテトサラダ風味の『ポテサラサンド』なのだ。

 普段料理をしない僕だけど、サンドイッチはさっき宣言した通り、本当に好物なので、レシピを聞いて今度挑戦してもいい。割と本気で自分で作ってみたいと思っての質問だった。

「え? つ、作り方? えっと…………野菜を水で洗って……あとは、鍋でお湯を沸かしてから卵を入れて……タイマーが鳴ったら火を止めるんだよ!」

 千石にしては珍しい、これで言い切ったとでも言わんばかりのどや顔だ。
 しかしこれでは、洗っただけの野菜と、ゆで卵が出来上がるだけである。

「……お、おう。それで?」
「う~んと……ゆで卵を茹でる時は、塩とお酢を入れると、殻が剥けやすくなるって……お母……本に書いてあった」
「そっか、なかなか為になる知識だな」

 更にゆで卵の作り方が補足された。
 料理本片手に、調理するなんて、女の子らしくていいよな。多分僕だったら、目分量とか、感覚で作っちゃうもん。
 
「まあ、もうゆで卵の事はいいとして、それから?」
「ふぇっ? まだ? ……え~と、その…………サンドイッチを箱に詰める時は、ゆっくり慎重にしないと形が崩れちゃう」

 あれ? 工程が大幅に省かれて、もう完成しちゃってるよ!

 これじゃあまるで、千石が自分で作ったとは言っても、第三者の助力を得て―――寧ろ、その第三者にほぼ全ての工程を一任し、千石はその人から出された指示を受けてのお手伝い程度の役割で、肝心の味付けや調理には全く携わってないかのように邪推してしまうじゃないか。

 いやいや、僕の聞き方が、漠然としすぎていて、説明しにくかったに違いない。
 今度は、ちゃんと順序をおいて聞いていこう。


 次に手に取ったのはこれ。ベーコン・レタス・トマトが挟まれた、俗に言う『BLTサンド』。
 シンプルでいて完成された味と言うのだろうか、それぞれの歯応えと風味が、三位一体ならぬ三味一体となって口の中に広がる、見事なできだった。

「これってパンの表面に、マヨネーズと一緒に何か塗ってあるだろ? ちょっと辛いやつ」

 これは知ってるけど、敢えて、段階を踏むために聞いただけの触りの質問だ。

「…………ワ……ワサビかな?」
「なに!? この辛さはワサビだと!? 僕はてっきり、マスタードだと当たりを付けてたのに!」
「そうそう! マスタードだよ!」
「だ、だよな……あ、さては僕を試しやがったな? 僕の反応をみて楽しむなんて人が悪いぞ、千石」

 僕も素人なりに、これぐらいなら解るのだ。くそ、危うく千石のお茶目な悪戯に引っかかりそうになっちまったぜ。しかし千石もなかなか油断なら無いやつだな。

「じゃあさ、マスタードの他にもピリッとくる辛いの入ってるだろ。この黒い粒はなんだ?」

 本題はこっち。こちらも大よその見当はついているのだけど、今ひとつ確信が持てず、あやふやな感じで気になっていたのだ。
 千石が僕の手の中のサンドイッチを見つめ、躊躇いがちに口を開く。

「…………スイカの種…………かな」
「マジで! そんなもん入れるのかよ!? そういや、ひまわりの種とかだって食べれるもんな。へ~こんな使い方があるなんて知らなかったぜ」
「スイカバーの種も食べれるしね」
「あれはチョコレートだろ。面白いこという奴だな。ま、冗談はさておき、本当はなんなんだ?」
 
 千石のネタフリにしては、今回は実にわかりやすいボケである。これなら、ノリツッコミっもし易いってもんだ。
 しかし、僕のノリツッコミにはさして興味を示してくれず、なぜかすごい真顔で考え込んでる。

「……なら…………黒ゴマ……じゃないかな?」
「ふ~ん、黒ゴマか」

 なぜ疑問系なのかは釈然としないけど、ゴマって辛味もあるんだな。そう言えば黒ゴマの坦々麺とか辛かった気がする。 でもあれってゴマ本体が辛いのか? ん~む、やっぱり料理に対する知識は乏しいようだ。
 個人的には黒コショウの粗引きだと踏んでいたのだけど、僕の舌もあてにならないな。

「じゃあ今度は、こっちの。多分野菜だと思うけど、赤と黄色のカラフルなちょっと甘い、輪っか状のこれってなんなんだ?」

 僕の知識がないせいで材料が判別できないけど、赤・黄の色鮮やかな野菜で、味はフルーツみたいに甘かった(酢とレモン汁で漬け込んでいたのか、爽やかな酸味も感じた)。
 確かピーマンの一種で、レプリカみたいな名前だったはずなんだけど……喉の先まで出掛かってるんだけどなんだったかな。

「こ……暦お兄ちゃん。隠し味は隠してこそなんだから…………おいそれと聞いちゃ駄目なんだよ」
「え? 隠し味……ああ、それは無粋な真似をしちゃったな、ごめん千石」

 と、口では誤りつつ、胸中には疑問符が浮かんでいた。それって寧ろさっきの、マスタードのような調味料なんかに適応されるべき言葉じゃないのだろうか? だってこれ、もろに見えてるし……。隠せてねえ。

 いや、もしかしたら、千石が言いたいのはこういうことか?
 気難しい頑固主人の経営するラーメン屋ではないが、秘伝の味をおいそれと教える訳にはいかないという料理人としての矜持―――いわゆる企業秘密みたいなものなんだろう。

「……なら仕方が無いな。千石にサンドイッチの作り方を直に手ほどきして貰おうかとも考えてたんだけど……それは甘かったな」
「えっ! それって暦お兄ちゃんの家で一緒に作るってことかな?」
「ん? ああ、でも無理強いできないし。悪いな気にしないでくれ」 
「待って暦お兄ちゃん!」

 千石が慌てたように言う。

「……え~と……どうしよ……でも…………な、撫子が手取り足取り教えてあげるよ」
「いいのか? なんか悪いな、無理やりつき合せちゃうみたいで」

 また気を遣わせちゃったな。千石には借りをつくってばかりだ。

「こ、暦お兄ちゃんは、どのサンドイッチが好きだった?」
「ん? 全部美味かったぜ。全部好きだ」
「…………全部じゃ覚えきれない」

 千石が、ボソリと小さく声を漏らす。

「覚えきれないって何がだ?」
「ううん。こっちの話。でも強いてあげれば、どれかな?」
「う~ん……難しいな……まあ強いてあげるならこのカツサンドかな」

 4種類あったサンドイッチの最後の一つが、この『カツサンド』だ。
 カツはつけダレに一度くぐらせたのか、甘辛く、千切りのキャベツとの相性が絶妙で、市販のマヨネーズとは違った、口当たり滑らかで酸味の効いた、手作りと思われるマヨネーズソースがこれまた最高だった。
 うん、これが僕的に一番の好みだ。やっぱり肉ががっつり入っているのはいいよな。

「手が込んでて、少し難しいそうだけど」
「うん。難しそうだから、それ以外で」
「なぜっ!? ……ああ、そうか。僕が作るにはまだ荷が重いってことか。教えを請う立場だしな。初心者でもいけるやつがいいよな」
「うん、うん。簡単なのがいいよ」

 激しく顔を上下させる千石。そこまで力強く頷かなくてもいいだろうに……。

「なら、このBLTサンドなら、切って挟むだけだし、僕でもどうにかなりそうかな」
「うん、それなら…………作れそう」

 鬼気迫る表情で、BLTサンドを見つめる千石である。だけど……それなら作れそうって、そんなに僕の料理の腕が信用できないのだろうか。まあ信用される要素を提示した事なんてないけど。


「でも料理ができる女の子っていいよな」

 僕の中では、女の子を評価する時のパロメーターとして、お料理スキルは結構な加点ポイントなのだ。
 料理を作るのが上手いという理由で、神原のお祖母ちゃんと結婚したいと思ったことがある男―――僕こと、阿良々木暦である。
 いや、神原のお祖母ちゃんの料理の美味しさといったら筆舌に尽くし難く、僕の知り得る中でも最高クラス、料理の鉄人クラスの腕前と言ってもいい(無論、料理の鉄人が作った料理を食したことなどない)。

「そ、そうなんだ。じゃあ、撫子は将来コックさんになるよ。暦お兄ちゃんのご飯を毎日作ってあげる」
「じゃあってなんだよ。じゃあって…………いや、そんな生き急ぐな千石。もっと自分の将来は大切にしろ」

 しかも毎日って……千石はいったい何を考えているのだろうか?
 専属のシェフにでもなるつもりか? 僕にそんな人を雇えるほど裕福な未来が待っているとは思えないな。

「でも一期一会っていうし」
「いや、今この時、その一瞬を生きろって意味じゃないだろ。そんな刹那的に物事を判断するな」
「でも、撫子。特にこれといってなりたいモノないよ」
「ま、中学生なんだし、焦ることないだろ。僕も全然将来のことなんか想像できないし。とりあえず大学にいってからだな」

 いや、正確には大学に合格してからなのだが。ここは千石がいる手前、受かるのが前提として話を進めさせて貰う。しかしながら、受験生がなんで遊園地に来てるんだろうな。う~ん、不思議なものだ。

「あ、でも撫子。将来は暦お兄ちゃんのお嫁さんになりたいかな」
「そう言えば、そんな嬉しいこと前も言ってくれてたよな」

 前に千石の家に遊びにいった時に、リップサービスのようなものだが、そんな事を言ってくれたのだ。

「うん。ずっと前から言ってるよ。小学生の頃から変わらない、撫子の目標だから」
「………………」

 僕の感覚の『前』とは、つい最近の、千石宅にお邪魔した時の事なんだけどな…………千石と僕との間には、決定的な感覚のズレがあるようだ。
 純情な中学生の女の子が、僕のような冴えない男の事を理想の男子像として語るのは、お世辞としても余りよろしいことではない気がするけど、まさか千石も本気ではあるまい。

 千石の言葉を鵜呑みにすれば、小学生の頃から僕に想いを寄せていて、その時から変わらず僕と結婚するのを目標としてきたことになる。
 あり得んあり得ん。可能性皆無というか、自惚れ過ぎである。自意識過剰もいいとこだ。

 しかし『目標』って表現は妙に生々しいと言うか、やけに現実的な言い方だよな。普通、『夢』とかもっと漠然的な表現をするものじゃないのか?
 まあ今回もリップサービスみたいなものだから特に深い意味はないだろうし、そこまで深く考える必要も無いのだろうけど。






[18791] 【化物語:短編】なでこエンジェル~その4~【番外編】
Name: ミドリ◆02e976c9 ID:439109cd
Date: 2010/08/05 00:37
~007~

 昼ごはんも食べ終わり、お腹も満たされた僕達は、再度遊園地を回り始めた。

 数時間ごとに定期開催される、巨大なセットの中で行われるアクション満載の冒険ショーを観覧したり、まだ乗っていなかった、違う種類のジェットコースターに挑戦したり、他にもコーヒーカップやメリーゴーランド、ゲームコーナーにて記念のプリクラ撮影などなど、他にも盛り沢山、フリーパスの利点を活かして、十二分に遊園地を満喫したのだった。


 そう言えば、園内の移動中は、手を繋いでいるのが常となっていた。『迷宮ダンジョン』だけの一時的な処置だと思っていたのだけど、迷路をクリアした後も、千石は一向に手を離さなかったのだ。

 しかも、繋ぎ方は俗に言う『恋人つなぎ』。合わせた手を指一本分ずつずらして指を絡めるアレ。
 最初のうちは、軽く手を繋いでいるだけだったのだが、何度か手を繋ぎ直している内に、いつの間にかこの繋ぎ方になっていたのである。

 千石は内気で人見知りの激しい子だから、不特定多数の人がひしめき合う遊園地を、単身で歩くのは怖かったのだろう。もしくは、念には念を入れて、迷子にならない為の対策をしているだけかもしれない。



 そして時間は流れて、現時刻は午後4時を過ぎたところ。
 僕たちは服を乾かすのと休憩も兼ね、フードコーナーにてソフトクリームでも買って、ひと息つこうとしていた。

 ちなみに、なぜ服を乾かす必要があるのかと言うと、つい先程、急流すべりに乗ってきたからだ。
 一応カッパの貸し出しもあったので千石に勧めてみたのだけど、『暦お兄ちゃん駄目だよ。郷に入っては郷に従えっていうんだから』とたしなめられてしまった。

 当然その結果、急降下に伴う水飛沫を防ぐ手段もなく、服が濡れてしまったという訳である。
 とは言え、それが急流すべりにおける醍醐味なのだから、不快感などはなく、寧ろ清々しい気分だった。
 
 まあそれは僕個人の感想で、千石は服が濡れてしまった事により、ブラが透けて見えていると大慌てだったけど。その時の慌てふためく千石の一場面を抜粋してみよう。

『ああ! 撫子の服が濡れて透けちゃってるよ』
『はわわわわ、ブラまで見えちゃって恥ずかしいよう、暦お兄ちゃん』

 とまあこんな感じで、狼狽していたのだが、妙にオーバーリアクション(アメリカの通販番組みたいな口調だった)というか、僕に濡れた服をアピールするように言うのだった。
 それはまるで、僕に見せたいがために、わざわざ濡れるように仕向けたような…………いやいや、急流すべりで濡れてしまうのは当たり前のことだし、千石が、身体を捻って自分から濡れにいったように見えたのも、きっと目の錯覚だ。




 話を戻して―――僕と千石は、お目当てのソフトクリームの味が記されたメニュー表を見据え、商品を選んでいた。

「千石、決まったか?」
「ん~と……撫子はチョコがいいかな」

 僕が食べたい味を尋ねると、少し逡巡してから、千石はそう答えた。

「千石はチョコが好きなのか、やっぱ女の子って感じだな」
「うん。ついつい家でもあったら食べちゃう。一番、チョコが好き」

 ほんと女の子ってチョコレートが好きだよな。僕の母親も大好きで、冷蔵庫の中には常にチョコレートが入っている。
 ファイヤーシスターズの二人も例に漏れず、チョコに目がないようだが、ダイエットの宿敵だからとなるべく視界に入れないようにしてるらしい。

 だけど、何だかんだと理由をつけて食している現場を僕は目撃している。つうか、火憐の運動量を鑑みれば、ダイエットする必要なんかないだろうに。
 月火は…………うん、まあ頑張れ! お兄ちゃんは応援しているぞ! 

 と、有らぬ誤解を誘発させる印象操作を行っておいてなんだけど、別に太っている訳じゃないよ。なんかプニプニしてるだけ。触り心地はなんかテンピュールみたい。


「じゃ、僕もチョコにしようかな。すいません。チョコふた――」
「ちょっと待って暦お兄ちゃん!」

 営業スマイルで待ち構える店員(心の中ではさっさと頼めよと思っているに違いない。僕の被害妄想だろうけど)に注文しようとしたら、千石に遮られてしまった。

「どうした千石?」
「ご、ごめんなさい。撫子、やっぱりバニラがいいな」
「………………じゃあ、バニラとチョコお願いします」

 一番好きなのにしたらいいのにと胸中で思いながらも、手早く注文を済ませる。
 いつもの事ではあるが、直前になって注文を変更したぐらいで謝らなくてもいいだろうに、堅苦しい奴である。しかしそういう丁寧で慎み深いところが、千石の美点でもあるのだから、これでいいのだろう。



 そんなこんなで、店員からソフトクリームをそれぞれ受け取り、うまい具合に空いていた近くのベンチに腰掛ける。
 三人掛けのベンチでスペースにゆとりもあるのだけど、千石は僕の横にぴったりと詰めて座った。隙間なく互いの腕同士が触れ合ってる―――密着である。

 もしかしたら千石は、三人掛けのベンチを二人だけで占領するのはよくないと思ったのかもしれない。詰めて座れば、もう一組ぐらい座れそうだし。千石はこういった心遣いの出来る優しい子なのだ。

 まあしかし、幾ら混雑気味の遊園地で、空席を探している人がいたとしても、相席を要求してくる輩がいるとは思えないけど。


「暦お兄ちゃん、いただきます」


 隣に座った千石が、行儀よく、食事の前のお決まりの口上を述べる。
 『暦お兄ちゃん』と名前を呼んでから言ったのは、奢って貰ったことへの感謝を示しただけであって、僕を食べたいとかカニバリズム的な意味合いではない。

 早速、二人寄り添ってソフトクリームを食べ始める。

「美味しいな」

 食べ慣れた味だけど、やはり美味だった。やはりスーパーなんかで買う普通のアイスよりも断然、口溶けや舌触りがいいし、チョコの甘さが上品だ。少し僕には甘すぎるきらいはあるけど。

「うん、冷たくて美味しいね。あ、撫子、チョコが好きなんだ、ちょっと、かえっこしちゃ駄目かな?」
「いや……え? ぜんぜんかまわないけど……」

 千石の申し出に疑問を覚えつつも、了承する。
 そりゃ一番好きって言ってたもんな……ならなんで、わざわざバニラ味に変更したのだろう……。
 偶には違う味が食べたくなって、別のを頼んでみたものの、やっぱり食べてみたらいつもの味がよかった、みたいなとこかな。

 しかし、これぐらいの歳の女の子って間接キスとか、人が口につけたものに拒否反応を示したりするものだけど、やっぱり千石はそんな細かいこと気にしないんだな。

 ああ、そう言えば、以前千石の家にお邪魔した時に、一つのコップで回し飲みしたっけ。
 僕と千石は兄妹みたいなものだから気にしない的な事を、千石自身が言ってくれていたじゃないか。

 ここまで、信頼を寄せて貰えて、僕としても嬉しい限りだ。



「じゃ、じゃあ……まずは撫子のから。はい、あ~ん」

「………………」

 ちょ、ちょっと待て! いやいやいやいやいやいや、コーンを手で持てるタイプのヤツだから、普通に交換すればいいんじゃないのか!?
 なんで、こんなイベントが発生しているんだ!?

「ど、どうしたのかな?」

 困惑する僕を見かねて、千石が問いかけてくる。
 って仕掛けた張本人が、恥ずかしさの所為か顔が真っ赤だった。慣れないことしてんじゃねえよ。

「せ、千石。別に自分で食べれるからさ。普通に渡してくれれば大丈夫だぜ」
「ううん。こんな事、暦お兄ちゃんの手を煩わせることもないよ」

 かなり説明し難いのだが、たった今の千石の発言のニュアンスはこんな感じ―――ボス(大敵)に仕える幹部が、格下に位置付けられた主人公を倒しに行く時に使用する『この程度の相手、○○様のお手を煩わせる必要などございません』的な。
 ○○マルマルには、『フリーザ』と固有名詞を入れて、この台詞を言ってるのが『ドドリアさん』や『ザーボンさん』なんかだと思えば、イメージし易いかもしれない。
 
 然るに、そんな口調で言われても挨拶に困る。


 だが、これでいて千石も頑固な一面もあるからな。世界初と思われる消去法主義者でもあるし、千石の意思は揺るがなさそうだ。これはもう千石の中で決定事項なのだろう。
 千石から受ける視線から、拒否を許さない圧力を感じる気がするし(気がするだけだ)。ならばこちらから折れるしかない。


 このイベント事態は、既に彼女と―――戦場ヶ原ひたぎと体験済みではあるが、あの時は、トキメキやドキドキ感は皆無で寧ろ、恐怖心すら抱いたからな。あの戦場ヶ原の無表情は実に怖かった。軽いトラウマである。

 それと違って千石は、僕の夢見た『照れくさそうなはにかみ顔』に限りなく近い、恥じ入った赤ら顔だ。
 だからと言って、僕と千石は兄妹みたいなものだから、変に意識する必要などないのだけど。ってあれ。そもそも兄妹でこんなイベントが発生するものなのか?

 仮にもし、火憐ちゃんや月火ちゃんに、こんなことされたらどうだろう……?
 
 …………………(想像中)。

 うわ、気持ち悪っ! 間違いなく一喝の元断固拒否するな。差し出されて手を叩き落とすね、絶対。だって多少仲良くなったとは言え、僕達兄妹は超仲悪いもん。

 まあその点、千石は妹とは言っても『妹的存在』なのだから、嫌悪感もなく、ただ純粋に可愛いだけだし、断る要素など見当たらない。



「……まあ、そこまで言うのなら……あ、あ~ん」

 戸惑いがちに口を開けると、口元にバニラソフトを近づけて食べさせてくれる。バニラの風味とクリームの冷たさが口の中で広がって、すぐに溶けきってしまう。チョコよりも甘さ控えめで、僕的にはこちが好みだ。

 味の評価は兎も角として……中学生の女の子に、ソフトクリームを食べさせて貰っている図(しかも彼女自身の食べかけ)ってのは、果たして倫理的にありなのだろうか……。


 しかし……なんと言うかまあ、これって、思った以上にすっげ~ドキドキするんだな。

 この相手が千石じゃなくて八九寺だったら、間違いなく襲いかかってると断言できる。まぁ八九寺の場合は無条件で強襲するんだけどね。
 でも千石に対しては、僕は誠実なお兄ちゃんで在らねばならないというか、八九寺と同じ風に接したら間違いなくドン引きされる。
 暦お兄ちゃんが拘留所に収容されてしまう。

 八九寺に関しては、法律適応外ということで、人権は認められていないから問題ない(けど問題発言だ)!

 僕は見境なく襲うケダモノではなく、理性を有した分別のある人間だから、していいこと、しちゃいけない事の判断はちゃんとついている―――人間誰しも、相手と状況に応じて違うペルソナを使い分けるもの。



「こ、暦お兄ちゃん。美味しい?」

 赤面した千石が尋ねてくる。
 更に赤みが増して、ゆで蛸みたいだ。しかし、僕の顔も千石と似たようなものかもしれない。なんかアイス食べてるのに、身体の中あっついもん。

「お、おう。バニラも美味しいな」
「つ、次は撫子の番、だね」


 当然のことながら流れ的に、僕もすることになるのか……。
 本来のイベント的には、作ってきたお弁当なんかを女の子の方から一方的に食べさせて貰えるだけのイベントなのだけど、今回はかえっこだもんな……。どうするよこれ。なんだ、このシチュエーションは! ちょっとこれはまずくないか?

 火憐ちゃんとの“歯の磨き合いっこ”ぐらいに……ヤバイものを感じる。何がヤバイのかは見当もつかないけど、それだけはわかる。
 しかし、わかっているだけで、歯止めが掛かったという意味ではない。だって僕の頭の中は、止められない止められない、かっぱえびせん状態だし! 
 うわ。もう思考回路がショートして、なんだか意味不明で支離滅裂で解釈不能。死なば諸共、後は野となれ山となれ。

「よし。……じゃあいくぞ、ほら、あ~ん」
「あ~ん」

 僕の差し出したチョコソフトを、潤いのある小さな唇が受け止める。舌先を小刻みに動かしてアイス舐める姿は、まるで仔犬が水を飲むようで愛らしい。

 しかも、僕と千石の距離は先程も述べた通り、ほぼ密着状態。まつ毛の本数だって数えれてしまいそうな至近距離で、千石の顔が必要以上によく見える。肌理きめ細かい瑞々しい肌にはシミ一つない。

 千石の可愛らしさは、周知の事実ではあるが、その可愛さが三割増し……いや五割増しだ!
 僕自身の手で食べさせてあげているという状況が引き起こす、類を見ない羞恥心との相乗効果と相俟って、もういとおしくて堪らない! 気持ちが高ぶるのも致し方ないというものだろう。お持ち帰りしてえ!


「ど……どうだ、千石。美味しいか?」

 うわ、変に緊張しちゃって、どもっちゃったよ。千石は僕にとって『妹的存在』の大切な女の子なのに、僕は一体何を意識しているのだろうか。
 これでは『お兄ちゃん』失格である。いや人間失格かもしれない。もうあれだ……『生まれて、すいません』とか言ってみたり。

 僕は笑えなかった。


「うん。美味しい……やっぱり撫子、チョコの方が好きかな」
「じゃあ、このまま、全部かえっこしちまうか? チョコは少し甘すぎるから、僕もバニラのほうがいいし」
「いいの? じゃあそうして貰おうかな」

 二人の思惑が一致したので、僕は自分の持つチョコソフトを千石に差し出し、千石からも同様に受け取ろうとしたのだが、千石は微動だにしなかった。

 動きのない千石を怪訝に思っていると、視線だけを動かして僕を見つめる。

「な、撫子が食べさせてあげるよ。だ、だから、暦お兄ちゃんも、撫子に、ね」

 こんなつぶらな瞳で凝視されて、オマケに『ね』なんてお願いするように同調を求められて、断るお兄ちゃんがいるだろうか!? いるわけがない! いたとしたら、そいつの人間性を疑うね! 『お前の血は何色だ!』って詰め寄るね! 恫喝するね! 

「お、おう。じゃあ……そうしようか」

 まあ、そんな風に心中では荒く息巻いているのだけど、表に出す態度は主体性に欠ける受動の構えなのが阿良々木暦クオリティー。相変わらずのチキン阿良々木である。


「よし、まずは――」
「あ、暦お兄ちゃん。口元にクリームが付いてる」

 僕が声を発しようとしたところ、千石が左頬辺りを指差しながら指摘してくれる。子供丸出しの情けない醜態を演じてしまった。
 
 すぐに手で拭き取ろうしたのだが、僕が動くよりも先に千石の腕が伸びてきた。
 僕の唇の端に千石のか細い指先が触れ、繊細な所作でもってクリームを拭い去り―――それをそのまま、ごく自然な動作で自分の口へ運ぶ。

「綺麗になったよ。暦お兄ちゃん」

 そう言って微笑する千石は、妙に艶かしく、もう心臓を鷲掴みにされたみたいにドキッとした。
 いやはや、つくづく女の子に対する免疫がないと思い知らされるな。中学生女子の何気無い行動に、こうもどぎまぎしてしまうなんて、僕ってかなり初心なんじゃないのか。
 


「じゃ……じゃあ、改めて千石。ほら、あ~ん」
「うん、あ~ん」

 コクリと小さく頷いて、千石は小さな口を目一杯大きく開けて、舐めるのではなく齧る感じで、チョコソフトを口に入れる。

「は、早く食べちゃわないと、溶けてきてるから……」

 大口を開けた事をはしたないと思ったのか、頬を赤らめながら釈明する千石が可愛いこと可愛いこと。なんだこの可愛い小動物は! はにかんで僕の視線から逃れるように俯いて、可愛いったらない!

 あれ……千石に対する描写がさっきから『可愛い』だけしか言ってないような……しかし可愛いものを可愛い以外、どう評価すればいいのかって話だ。
 自身のボギャブラリーの貧困さを嘆きたいところではあるが、『可愛いは正義』とも言われてるしここは可愛いで押し通そう。
 千石は可愛いなぁ、可愛いなぁ。もう八九寺なんか旧時代の遺物だ。時代遅れである。だってアイツ全然恥じらいとかもたないんだもんなあ、頬を染めてる姿なんて見たことない。
 まあ僕は懐古主義者でもあるわけだし、レトロなモノにも愛着はあるので、八九寺を見捨てたりなんかしないけど。



「じゃあ、次は暦お兄ちゃんの番だね。はい、あ~ん」

 再度千石が僕に食べさせてくれる。僕が一口齧ると、次は僕から千石に。交互に。順番に。間断なく。

 交代制で―――手に持ったコーンを食べきるまで続ける僕達だった。






「美味しかったね。暦お兄ちゃん」
「そうだな。なんかいつも以上に美味しかった気がするよ」

 ほんと、河川敷でするバーベキューが普通に家で食べるより、断然美味しく感じるみたいに、味が別物だった。
 いや~不思議ものだ。
 人に食べさせてもらうだけで、何でこうも味が変化するもなのか。


 あれ…………ふと思えば、なんで僕、千石とこんな恋人同士がやるラブラブイベントに突入し、しかもお互いで食べさせ合うなんていう重度の馬鹿っプルみたいなことしてんだ? 始めは味見程度のかえっこだったはずなのに、気付けば完遂してるし!

「どうしたの、暦お兄ちゃん? 浮かない顔して」
「ん? いや、何でもない……」

 いや、何でもあるわけなのだが…………なんか途轍もない過ちを犯してしまったような気がしてならない。

 僕はただ、千石の何気無い要求に応えてあげただけなのに…………。
 ただそれだけのはずに…………。
 別に如何わしい行為に及んだという訳でもないのに…………。

 この言い知れない、後ろめたいような背徳感はなんなのだろう?


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