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(日記は更新するつもりはなかったのですが、訂正記事ということになりますので、これはここで更新しておく必要があるかなと)
「男が獣なら、獣は檻へ」を予防拘禁論的として批判していたものを全て撤回します。
僕は元々hokusyu氏などの発言を批判していたわけですが、それは彼らが第三者的立場だからです。左翼なりリベラルなりとして全体を理論的に俯瞰して論じる立場だと考えていたからです。しかし、そのような方向にはまったく議論は進みませんでした。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091216/p2
僕の批判が、結局僕が批判したかった、外野で煽っている連中にはまったく届かず、現に恐怖を抱く人たちを傷つけるだけで終わっていることに、僕は当惑していましたし、正直ストレスを感じてもいました。
これは僕の議論の仕方が何か間違っていたんでしょう。このやり方ではダメだ。
僕は間違っていました。それを認めます。彼女らに不快感や恐怖を与えるのは本意ではないのです。
僕が本来批判したかった外野の方々は、「獣は檻へ」について実際に手足を動かしたりはしない人たちです。それはよく考えればわかることでした。僕は政治家の具体的な法案や会議を批判すべきだったのです。僕の過剰な恐怖心に由来する、過敏な批判に付き合わせてしまって済みませんでした>hokusyu氏や消毒氏やその他の同調した方々。
そして、ただ過敏な反応であるのみならず、それが批判している相手には届かず関係のない人を傷つけるだけなのであれば、これは戦術的に間違いでしょうし、結果傷つけてしまった、「実際に」恐れを抱いて、そこから切実な発言をしておられる方々には、もっと謝らなければならないでしょう。申し訳ありませんでした>NATSU2007氏やその他の方々。
表現規制反対において、何らかの不安を抱いて過ごしておられる普通の市民の方々を個別に敵に回して戦う必要などないはずなのです。
確かに、僕とはどう考えても相容れない考え方をしている方もおられます。しかし、肩を並べて仲間になるのは無理だとしても、距離を取って平和に通り過ぎることは出来るはずなのです。
とりあえず、法規制という問題に関して言えば、実現するのは公権力なのですから、反対の声は公権力に向けるべきなんでしょう。反省しています。
なぜ今になってこういうことを書こうと思ったか。何も説明しないと変でしょうから書きますが。
第一に。僕の「獣は檻へ」論への批判を論拠にして、某匿名掲示板で延々粘着しておられる方がいます。正直うざいです。ほとんどセクハラか誹謗中傷のようなことを名指しで言われてたりもします。
この論点については、僕は法規制を望んでるわけでも社会的抑圧を望んでるわけでもなく、あくまで個別に倫理的な批判と議論を望んでいたわけですが、彼らはそう取らなかったようで、表現規制反対論との「矛盾」をひたすら突いてきているのです。
あまりに面倒すぎるので、もう撤回しようとは思っていたところなのです。しかし、それだけならtwitterで済ませればいいことで、わざわざエントリにしようとは思わなかったと思います。
第二に。こちらが深刻で、これは本当に僕が戦術を誤っていたのだなと自覚させられたのですが。
正直引用さえしたくないので誰とは書きませんが。僕の一連の「獣は檻へ」への批判の論理をトレースし、暴言に転用している方がおられます。僕はここで、全体としての男性を犯罪者予備軍呼ばわりする話を抽象的に批判しているわけですが(反語だとか仮定法だとか反論があるのは分かりますし、それに再反論するつもりはありません。あくまで僕の論旨の整理です)、彼は、論難の対象である具体個人の配偶者を題材にとって同じ理屈をもてあそんでいます。それはあまりにひどい。抽象的な「男は獣」ではなく、具体的な誰かを、議論の題材として「獣」呼ばわりしてしまっているわけです。
保身と言われてしまうかもしれませんが、あれと一緒にされてはたまりません。
悪意の元の歪なパロディなのか、それとも天然でやってるのかは分かりませんが、どうあれ元ネタが僕なのであれば、あのようなものを生む一因となってしまったことを、僕は本当に反省しています。申し訳ありませんでした。
第三に。多分僕は、諦めてしまったのです。僕たちが「獣」として恐れられることは、それ自体はどう出来るものでもないのでしょう。煽っている人たちを批判したところでどうにもならないし、実際に恐れている人たちの恐怖を解きほぐす術など僕にはない。僕に出来るのはただ距離を取ることだけです。
理想の自由主義国家とは。その構成員やコミュニティが互いにどれだけ互いを嫌い恐れギスギスしてようが、そのわかり合えない人々が、適切に距離を取って、最低限自由に生きていてもいいよ、とやり過ごせる国のことを言うのでしょう。それを守る為に、実際に権力が暴走しないように、僕たちは動いていかなきゃいけない。