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あからさまな日本人差別の実態
支那(中国)残留孤児の子孫として来日した70代の支那人姉妹が来日間もなく日本国籍を取得し、その親族48人が相次いで「介護」なる名目で続々来日。
その直後から全員が大阪市に生活保護を大量申請、うち32人が受給しているという衝撃のニュースが駆けめぐったのは7月初旬のこと。
これが氷山の一角であることは明白で、事実、7月下旬には埼玉県に住む同じく残留孤児の親族として来日した支那人3世帯が入国直後から生活保護を申請し、うち1人は腫瘍の治療名目で医療扶助を受けていることなどが伝えられた。
支那人(中国人)はじめ在日朝鮮人ら外国人が日本人よりも優先的に受給している生活保護の実態が徹底して暴かれる絶好の好機だったと言えよう。
そして今月に入り、民主党政権が推進する「高校無償化」政策で朝鮮民族学校までがその対象となることが決定したと伝えられた。
ここに朝鮮民族学校は単なる外国人学校にとどまらず、日本人拉致事件を実行したテロ国家・北朝鮮の独裁者父子を礼賛する反日的・反社会的傾向の否めない学校でありながら、日本の公立高校と事実上同等の扱いを受けるに至ったのである。
このままではいよいよ朝鮮民族学校で教えられている朝鮮語や朝鮮史が日本の公立学校のカリキュラムとして正式導入される日もそう遠くないのではないか。
いっそ日本政府は朝鮮民族学校を日本の公立校として容認してしまうくらいの暴挙に出てくれたほうがその本性が明らかとなって都合が良いのだが、実になし崩し的にただの外国人学校を公立校と同等に扱うような「日本人差別」を平然と遂行してくれるものである。
公立校ではないのに公立校と同等の扱いを受けられるなら、日本社会が設立した公立校とは何だったのかという話になるだろう。
同じく民主党政権が実行に着手した「子供手当」然り。
日本に子供を残して外国に赴任している家庭が子供手当を受けられないのに、母国に子供を残してきた外国人労働者には日本人と同等に子供手当が支給されるというのだから公金支出を扱った日本人差別ここに極まれりではないか。
危機的状況には違いないが、だからこそ追及する側にとっては問題が表面化すればするほど追及のボルテージを上げる絶好の好機であったと言えよう。
このタイミングで公(おおやけ)にされた偶然性
ここからが本題である。
日本人の血税を使った過剰な外国人優遇と日本人差別が個人レベルにおいても学校・企業レベルにおいても推進される一方で、少子高齢化社会となった現在の日本社会が最も関心を寄せるニュースがセンセーショナルに報じられた。
100歳をとうに超えたご老人の「消息不明」が全国各地で続々伝えられている。
長寿大国・日本ではここまで長生きした老人が年金など手厚い保護を受け、世間の称賛に浴せる。
113歳やら120歳やら誕生日には市の職員が記念品の贈呈に訪れていたものの、本人には直接面会がかなわない状況が数年も十数年も続き、ようやっと最近になって既に30年も前に死亡していた事実や消息不明になっている事実が明らかにされた。
それも2〜3人のみならず何十人も。
中には家族が年金を受け取り続けるために死亡の事実を隠蔽していたケースもあるが、なにぶん当人らの子供であっても相当な高齢なのでどこに住んでいるのか、最後に会ったのはいつか、いつまで生きていたのかを聞き出そうにも、まるで要領を得ないケースが少なくないようだ。
ここ2〜3年の間に起きたことならいざ知らず、長寿社会を誇ってきたわが国で役所・自治体さえも「最高齢」とされるスーパーご老人らの消息を数十年にもわたって把握し切れておらず、それが今になって、それもこのタイミングに唐突に表面化したことに訝しさを感じずにはいられない。
確かに世間にとっては何ともミステリアスで衝撃的なニュースではある。
しかし、衝撃的であるがゆえに外国人による生活保護費の不正受給問題から、最高齢と讃えられながらも実は「故人」「消息不明」となっていた人の家族が年金を不正受給していたという問題に、世間の関心は逸れてしまったように思う。
朝鮮民族学校の無償化や子供手当の外国人への支給にせよ、これ以上にない無駄づかいが民主党政権による「仕分け」なる表層的な無駄づかいの見直しで完全に煙幕を張られてしまった。
最長寿ご老人の問題にせよ、表敬訪問するまで自治体として関心を寄せていたのなら市区町村で発行する広報紙なりに本人の直近の写真を掲載するくらいのことはお願いしても良さそうなものなのに、それが20年も30年もの間に一度として行なわれないまま年金支給ばかりが黙々と続けられていたとしたら、とても高齢化社会を迎える体制が構築されていたとは言えまい。
その身内にせよ、死亡した事実や消息不明になった事実を隠蔽したのも、やはり社会そのものがそうした老人たちを隔絶した状況に置き、何があっても隠蔽したままにさせた社会の在り方にも問題があろう。
最長寿・最高齢ご老人らの相次ぐ消息不明の表面化が物語るのは、隣近所の誰かの姿を見かけなくなった時にすぐに判明する、すぐに伝わる「多世代共生」が日本社会に求められているということではないか。
外国人との多文化共生などやっている場合ではなく、そんなものに囚われているから多文化どころか同じ日本人であっても隣近所に住みながら挨拶一つ交わさない社会が到来したのである。
飽くまでも問題の根本はこうした日本社会の間隙を縫って、日本に在住するに資さない外国人、日本人の血税にタカる不逞外国人を増殖・増長させたことだろう。
最長寿・最高齢として讃えられた人が実在しないとは事件性も考えられるミステリアスな話には違いないが、むしろ実態としてハッキリ存在していながら日本にいてはならない外国人がさも当然のような顔をして生活保護を受給してのうのうと生活していられることのほうが問題ではないか。
眼前にいる明らかに不正受給と判明している不逞外国人には安易な生活保護支給に至る一方で、いつ何があってもおかしくない最長寿・最高齢のご老人についてはその消息さえ追っていなかったとはトンだ欺瞞である。
多文化よりも多世代の共生、この社会通念が方向性として徹底されれば必然、外国人および外国人組織が常に優遇され日本人と同等に扱われる歪な状況は是正されていくと確信するものだ。