4月に移転した新オフィス。その頃には既に不穏な空気が流れていた
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ソフトバンクが6億9,300万円を投じ、鳥越俊太郎編集長のもと、2006年8月に華々しくスタートしたオーマイニュース。だが2年の迷走を経て、ビジネスモデルを確立できぬまま、今年5月には社員全員が解雇通告される事態になっていた。9月からは市民ニュースサイトの看板を降ろし、逆に企業とのタイアップを深める「Oh!mylife」へと衣替えする。大企業・マスコミ体質、ビジネスモデルの安易な輸入、無責任な編集長――その失敗の本質を分析した。
【Digest】
◇大企業体質、既存マスコミ体質そのまま
◇20万人デモの韓国、「シカタガナイ」日本
◇300円で修正に応じる訳がない
◇「なんだよ、鳥越さん、元気じゃん!」
◇市民記者登録が増えても広告価値は上がらない
◇経営が分かる人に引っ張ってもらわないと
◇企業のマーケティングサイトに
2008年5月、
オーマイニュースの全体会議で、約20人いた社員全員が7月末付で解雇されることが経営側より通告された。元木社長自身も更迭され、実質的な親会社であるソフトバンクが送り込む新社長、小宮紳一氏のもとで経営再建を目指すことになった。
賃金カットを受入れた少数が再雇用され、9月のリニューアルに臨む。編集部門で残ったのは、もともと正社員ではない平野日出木編集長や、韓国Ohmynews出身の朴哲鉉記者ら4人だけ。営業、事務、情報システム、デザインなど含めた会社全体でも社長以下10人弱に縮小した。事実上の親会社であるソフトバンクの意向による、抜本的なリストラ断行だった。
同社は4月に、本社を真新しい港区東新橋のオフィスに移転したばかりだ。その前後から「いよいよマズそうだ」という空気があったが、せいぜいタイアップ広告を増やすといった打開策しか出ず、行き詰まっていたという。予感があったためだろう。「解雇通告にも、そんなに怒っている人もいないようでした」。出入りしていた関係者はそう語る。
解雇通告から3ヶ月を経た現在、4600人以上いるという市民記者には、こうした事実は何も知らされず、サイトでも平静を装っている。これまで原稿料1本300円というボランティアで新メディアに参画してきた市民記者に対して、説明不足ではないのか。弊社も、オ・ヨンホ社長の求めに応じてオープン当初(2006年8月)から2007年7月まで1年間、同じmynews媒体として記事も提供し、応援してきた。創刊に寄せて、「個人基点のジャーナリズム育つ場に」でも、エールも送っている。
経営が行き詰まった理由は何なのだろうか。そこで、創刊時から参画し今や編集長という責任ある立場にいる平野日出木氏に取材を申し込んだが、リニューアルオープンまで取材を受けないという。だが、ネット時代はそういったクローズドな情報管理は通用しない。
匿名を条件に様々な関係者を取材すると、まさにこの閉鎖的な既存マスコミ体質、そして大企業体質が行き詰まりの一因であることも見えてきた。
◇大企業体質、既存マスコミ体質そのまま
「うちは、完全に大企業体質ですよ。マスコミ出身の人が多いからだと思いますが」。実際に解雇通告を受けた1人は、そう断言した。たった20人の会社なのに、現場は経営陣が何を目指し、何を考えているのか、全く分らない状態だったという。
「経営の数字、たとえばアクセス数の目標なども共有されていませんでした。経営については、韓国で社長のオ・ヨンホさんが考えてくれているんだろう、くらいに思っていた。上層部がソフトバンクと何を話しているのかも分らない。元木昌彦社長に代わってから『エムプロ』という実験メディアが始まりましたが、それがどのように経営の好転につながるのか説明もなく、元木さんの独走でした」
現場の全体会議とは別に、ソフトバンクから送り込まれた取締役らが元木社長と経営会議をやっていたらしいが、現場へのフィードバックは何もなかったという。
そもそもベンチャー的な新事業が、大企業、大マスコミ体質の人間や組織のもとで成功するわけがない。ただでさえ少ない頭数なのだから、全社一丸となって知恵を出し合い、現場のフィードバックを速いサイクルで経営方針に生かすことが必須となる。だが、上層部にそのようなキャリアを持つ人間は皆無だった。
現編集長の平野氏は私の日経時代の上司であるが、典型的な中間管理職タイプだ(だから今回のようなリスクのある取材は受けない)。鳥越、元木と歴代の編集長2人も、大マスコミのなかで編集長まで勤め上げている。
大企業は社内で階層を作り、上の人間ほど情報を独占したがる。経営は経営、編集は編集で、編集のなかでもトップダウンで物事を決める。下の人間は黙って自分の担当範囲だけやってろ、という「縦割り、かつピラミッド組織」のカルチャーだ。
私が在籍していた日経新聞の部長は、上層部の連中が出る会議に出席し、そこで得た経営情報(部数とか情報システム投資がどうとか)を、部会でヒラ社員らに報告していた。報告事項などメールでやればよいのであって、議論をしないのなら時間の無駄。部会で意見を求められたり議論になった記憶は一度もない。これがマスコミ体質である。一言でいうと軍隊で、実際、記者は「兵隊」と呼ばれていた。軍隊で、一兵隊が上官に意見を言うことは許されない。
たとえ軍隊組織でも、トップが天才的に優秀な経営者ならば、うまく機能する。また、既に新聞社のように過去の蓄積で利益を生むビジネスモデルが出来上がっている場合は、あとは遂行するだけなので、軍隊組織でも回る。
だが、日本で過去に成功例がないmynewsメディアを立ち上げるとなれば、まさに針の穴に糸を通すような経営が求められる。だが、日本に常駐しないオ・ヨンホ社長が、その役割を任せたのは、既存大マスコミ人の象徴的存在ともいえる鳥越俊太郎氏だった。これが失敗の序章だった。
◇20万人デモの韓国、「シカタガナイ」日本
創刊時の編集長に就任した鳥越氏は、その人脈と知名度を活かして、確かにPRを頑張った。『ニュース23』など複数の地上波テレビに密着ドキュメントを撮らせ、スポーツ紙や週刊誌にも盛んに登場し、市民記者登録を促した。3千万円とも4千万円とも言われる年俸も、広報予算と考えれば高くはないかもしれない。
だが、同時に「オレだったら10年暮らせるよ」などと業界内では不釣合いな高さが話題になっていた。まず、私財を投じる起業家とは正反対で、雇われ編集長の鳥越氏には金銭的なリスクが一切なく、テレビや大学の仕事も辞めないから、専従ですらない。客観的に見ると、「おいしいバイト」感覚だ。やり遂げる覚悟を最初から感じさせるものではなかった。
その一方、メディアの肝となる記事を書く市民記者は、原稿料1本300円であり、一部の「お人よし」を対象とした、完全な搾取モデルだった。経営資源の配分がアンバランスなのだ。
ウェブの世界の特徴は、フラットであることだ。誰が書いたかではなく、何を書いたか、がより重視される。にもかかわらず、知名度の高い人間をトップに据えて経営資源(カネ)を重点的に投入し、記者が書いた内容に対しては300円。
「韓国での成功モデルをそのまま持ち込んだ」と言うが、それは韓国と日本の違いを何も考慮しておらず、事前に分っていたことだ。詳しくはオ・ヨンホ社長も「ハングルに翻訳して熟読した」と言っていた、「日本市場で成功するには 『オーマイニュースの挑戦』」に私が3年前に書いている。
要するに、政治的な背景が180度違うのだ。最近の状況でいえば、韓国では6月10日にBSE問題を発端とした20万人の反政府デモがあった。Ohmynewsはじめ、市民メディアは、現場から映像をネットで生中継した。彼らは政治や思想の自己表現として自主的に報道するから、原稿料など払わずとも勝手にタダ働きする。それをネットで見る人も大勢いて、そこに広告を付け、記事を雑誌に転用して広告をとれば、売上が立つ。これが韓国で当初のオーマイニュースが成功したビジネスモデルだった。
仮に日本で同じように、NHKが「日本人の遺伝子はBSEに感染しやすいらしい」と報じたとして、このようなデモに発展するかというと、その可能性は皆無だと断言できる。ウォルフレンのいうように「シカタガナイ」と諦めるのが日本人の特徴だからだ。時代背景としては、全共闘時代なら可能性があったが、日本はもう、2度とあの状況にはならない。
◇300円で修正に応じる訳がない
300円では交通費にもならないから、手弁当・持ち出しでのボランティアになる。当然、編集部にコントロール権はない。
「市民記者のかたに、ここを直してください、再取材してください、とお願いしても、怒り出す人が多かった。そのままプツっと連絡を絶つ人もいた。韓国では、もともと市民団体向けに新人記者養成プログラムの講師をしていたオ・ヨンホ氏が始めたから、市民記者がある程度育っていたんでしょう」。ある関係者は市民記者とのやりとりを通して、そう感じたという。確かに記者は一朝一夕には育たない。
そもそも、それ以前の問題として、原稿を「市民記者だから」と300円で書かせておいて、編集部だけはマスコミ並みにデスクが年収1千万円、編集長が3千万円、という搾取モデルが社会通念上、許容範囲なのか、という問題が根本にある。
MyNewsJapanでは1本あたり最低4万円と、オーマイニュースの100倍以上を記者に支払っている。4千字で4万円なので、紙メディアと比べても遜色なく、ネットメディアでは最高水準だ。記事がメディアの肝であり商品なのだから当り前であって、さらに上げる計画がある。
オ社長には、2005年12月に、これら私の意見は伝えた。既存のマスコミ人にはネットメディアはできないこと、日本と韓国は状況が全く違うこと。記者クラブや大企業と戦える人でないとダメだ、ということ。だが、オ社長が選んだのは、日本記者クラブ賞を貰っている鳥越氏だった。
◇「なんだよ、鳥越さん、元気じゃん!」
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体調不良を理由に退任したものの、今では連日、元気にテレビ出演する鳥越俊太郎・初代編集長。社内では「なんだよ、鳥越さん、元気じゃん」の声も
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予想どおり、鳥越氏は、毎月、莫大な額の赤字が積み重なるなか、体調不良を理由に半年で欠席が目立つようになり、オープンして1年も経たない2007年6月、あっけなく辞任した。
「辞めたあとでも、テレビに普通に出ているし、『なんだよ、鳥越さん、元気じゃん!』という反応は、社内でも多かったです.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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ネットメディアの収益モデル。企業からカネをとるモデルにおける成功条件はおおむね見えてきている |
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