【コラム】大韓民国100回目の赦免(下)

 赦免は憲法が保障する大統領の権限だ。もちろん、時には必要な場合もあるだろう。無実の罪で、あるいは無理に処罰されたようなケースがあれば、その当事者を赦免することが正義に反するとは言えない。

 しかし政府は、今回の赦免対象にも政治家や企業経営者、選挙法違反者などを含めることを検討している。盧前大統領の実兄・建平(ゴンピョン)氏が、これまで支払っていなかった追徴金を最近になって全額支払ったというニュースも入ってきた。政府と何らかの了解があったのかは知るよしもないが、いずれにせよ、建平氏は赦免の障害をすべて取り除いた。同氏は今年1月に大法院(最高裁に相当)で懲役2年6月、追徴金3億ウォン(約2200万円)の刑が確定した。罪状は世宗証券売却にまつわる汚職だ。

 政府は今回も間違いなく、「社会統合」「経済再生」といった大義名分を掲げることだろう。古いレコードが再びプレーヤーにかけられるのだ。大韓民国政府が樹立されて62年が過ぎようとしているが、その間、すでに99回の赦免が行われた。次の赦免はちょうど100回目となる。まともな国で、このように法律が軽々しく無視されるようなケースは珍しいだろう。

 過去の赦免対象の多くは、政敵や大統領の側近、あるいは財閥への配慮という性格が強かった。しかし、このように多くの赦免が行われたにもかかわらず、実際に「社会統合」や「経済再生」が実現したという話は聞いたためしがない。逆に、「有権無罪」「無権有罪」の風潮が蔓延するばかりだ。

 大統領による特別赦免が行われるたびに、「法治主義が破壊される」「司法権を侵害している」などの批判が相次いで起こる。だが、それもその時だけだ。恩恵を受ける人間はいるが、それによって直ちに被害を受ける人間がいないため、批判はすぐに収まってしまうというわけだ。歴代大統領が赦免の誘惑に簡単に乗ってしまう理由の一つが、すなわちここにある。

崔源奎(チェ・ウォンギュ)社会部次長待遇

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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