【コラム】大韓民国100回目の赦免(上)

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権末期の2007年12月31日、金大中(キム・デジュン)政権当時に国家情報院の院長を務めた辛建(シン・ゴン)議員(民主党)が赦免された。違法盗聴を傍観、あるいは黙認した容疑で起訴された申議員は、07年12月20日に控訴審で執行猶予の判決を受け、27日に上告したが、直後に取り下げた。その結果、刑が確定したことを受け、赦免対象リストに含まれた。上告を取り下げてからわずか四日後のことだった。

 赦免を行うには、刑が確定していなければならない。そのため、「大統領府から赦免の提案を受け、上告を取り下げたのではないか」という疑惑もささやかれたが、申議員は「そのようなことはない」と否定した。

 当時の赦免措置で盧前大統領は、申議員にとどまらず、韓和甲(ハン・ファガプ)元民主党代表など、かつて金大中元大統領の側近と言われた多くの人物を赦免対象に含めた。そのため、「報恩赦免の完結」などといった批判も相次いだ。当時の鄭城鎮(チョン・ソンジン)法務部長官などはこの赦免措置について、「DJ(金大中元大統領)への負い目をぬぐい去るための赦免だ」とコメントした。

 この発言は、鄭元長官が08年2月の政権交代で退任する際、本紙とのインタビューに応じた席で出た。鄭元長官は赦免の話題になると、「金大中元大統領からの圧力があったのだろう」「(この問題に関する限り)金元大統領は悪人だ」と直接非難した。さらに、「盧前大統領は金元大統領の支援を受けて当選したがゆえに、負い目を感じて当然だろう」とも述べた。

 選挙当時、盧前大統領は、赦免権乱用の悪習をなくすことを公約として掲げていた。しかし結果的に、盧前大統領は任期中に8回の赦免を行うこととなった。これは、金泳三(キム・ヨンサム)政権の9回、金大中政権の8回とほぼ同じだ。名分のない任期末の赦免という不適切な誘惑を振り払うことができなかったのだ。

 李明博(イ・ミョンバク)大統領も赦免を準備している。政権の座についてからすでに5回目だ。選挙当時、李大統領は「赦免制度の誤用や乱発を防止する対策を取りまとめたい」と公約したが、これも守られていない。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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