定型発達者もつらい…かな?

花風社・浅見淳子のブログ

抜け駆けは許せませんか?

2010-07-14 17:00:00 | 日記
お友だちのぶんパパのご子息ぶんちゃんは、「こんな重い子はいない」と医師に宣告されたそうです。

まあ実は私、それ自体は大したことじゃないんじゃないかと思ってるけど。

どうしてかって?

いや、「発達障害は治りますか?」を出してから
「よくなりました!」等のお声がとても多いですが
その方たちの多くが言われてきたそうですよ、医師に。
「こんな重い子はいない」って。

私たちは最初あの本を
成人で二次障害がある人なんかに役立つかな、とか思っていました。

でも出してみてわかったのは
神田橋先生の提唱するやりかたは
お子さんにも
しかも知的障害のある方にも効果があるということ。
ていうかそういう方たちからの反響のほうが大きいです。

まあそれだけのびしろが大きいということかも。
そして一つでも二つでもできるようになったことの喜びが大きいから、知らせてくださるのでしょう。

こういうお便りをいただいていると
「こんな重い子はいない」って宣告されている人って
全国的に見たらすっごいいっぱいいるんだな、というのが私の実感。

もしかしたらお医者さんたちは「(今日外来に来た中では)こんな重い子はいない」とか
「(午前中見た限りは)こんな重い子はいない」って言っているんじゃないかな、と思うくらい。

あるいは「こんな重い子はいない」っていう言葉が、何かお医者さんたちに有利な状況を作り出すのかな。

よくわかんないです。

まあとにかく、ぶんパパもそう宣告された親の一人だった。

「こんな重い子はいない」といわれるようなお子さんがいると
親戚にはさげすまれ
近所では迷惑扱いされ
一家心中を決意したこともある。

問題行動で冷たい視線を浴び
すがるように病院に行くと
そこでは問題行動に対処する薬を処方される。

どんどんどんどん薬が増えていく。

ぶんちゃんは日中もだらーんとしてよだれを垂らし空を見つめている。

そういう状況を見て、ぶんパパは「薬を減らしたい」って思った。
このままじゃ廃人になる、と思ったそうです。
でもいきなり減らすのは危険でしょ。
ぶんパパはお勉強して、主治医と相談して、薬を減らしていった。

でもそのためには、薬を減らすための手段が必要。
それも探す。やっぱりお勉強。

そして出会ったもののひとつが「発達障害は治りますか?」だった。
そこには「脳をラクにする」いくつかの手段が提示されていた。

ぶんパパはそれを試してみた。

神田橋先生もこうおっしゃっているし。

=====

 あと最近僕がわかってきたのは、発達障害の人はなるべく精神科のお薬を多量にはのまないほうがいいということです。脳の発達を妨げるみたい。治るというのがどういうことかわからんけど、僕のところに来る患者さんはだんだん精神病の薬が減っていくね。(「発達障害は治りますか?」 P45)
 
=====
 
まあ「発達障害の人には処方量を少なく」っていう考え方自体は、発達障害に詳しい現場では常識になっているようですが
ともかくなんらかの理由で、ぶんちゃんの場合、むしろ薬の量はどんどん増えていった。
そして長い道のりを経て、減薬に成功したとき、ぶんちゃんはできることが増えていった。
それはあたかも神田橋先生が書いているように、脳が発達したかのように。
 
トイレの粗相がなくなった。
絵カードを使えるようになった。
発語が出た。
文字が読めるようになった。
九九を暗記した。
 
ぶんパパは嬉しかった。成果をついったーでつぶやいていた。
これまでの事情を知らない人には、あたかも神田橋先生が提示している「何か」を摂取することでいきなり九九を覚えた、みたいに受け取れたかもしれない。
でもその背後には、長い道のりがあったんだ。

ぶんパパは、「薬を減らすべき」という自分のカンに賭けて、そのための方策を採っていった。
そして神田橋先生の本からはその方向が間違っていないという方向付けと、薬を減らす代わり、問題行動への対処方法はどうすればいいかのヒントを得た。

それでも最初から一部で偏見をもたれている本だ。
たくさん売れているとはいえ、読んでいない人もいる。
祭りに乗っかった以上、意地でも読めない人も多いだろう。
 
その人たちにしてみれば「トンデモ本」なのだから、それでよくなった、よくなったと喜んでいるぶんパパが胡散臭く見えたのだろう。花風社の宣伝材料かよ、と思ったのだろう。
 
そして「発達障害は治りますか?」を読むのを自分で自分に禁じている人たちにとって「抜け駆け」みたいに見えたんじゃないのかな。
一生懸命「あの本は効果があるはずがないんだ。トンデモなんだ」と思い込みたいがために、ぶんパパ架空人物説が出たんじゃないのかな。
それにそらパパにたしかに、かなり攻撃すごかったし。
でもそらパパ嫌いな人は世界にぶんパパと私だけじゃないけどね。

神田橋先生が発達障害について語った本が出ても
読みたくない人は読まなければいい。
でも、知っておいてほしい。
 
ぶんパパは長い間努力してきたんだ。
多くの親御さんと同じように、世間の偏見に耐えながら
一家心中さえ考えながら
一つ一つ勉強してきて、それで今のぶんちゃんがいるんだよ。
 
小学校二年生でおむつが取れるのは
健常児の親にとっては成果とは言えないかもしれない。
でも同じ障害児の親仲間だから、それをともに喜び合えるんじゃないんですか?

なのに 
今はむしろ「抜け駆け許さない」みたいなゆがんだ空気が(ごく一部の親御さんから)上がってきているように思えます。
こういうみっともないことやっていると、障害児に対する偏見はますます強まるよ。
だってこの私が、「いちぬけた」なんだから。

昨日いただいた読者からのメールにこういうのがありました。
ベムたちのやっていることを見て
「同じ親の立場の人間がやっているということに、さらに不快感が増します」

なるほどなあ。
これは私にはわからなかった。

ベムたちははてブが世の中の指針だと思っているみたいだけど
こういう風に見ている人も多いのよ。
だから懸命な妨害にもめげずうちの本は売れ続けるのよ。

ちなみに
この読者の方はぶんパパを「間違ったことを言わない人」と評されています。
私もそう思っています。
口は悪いけどね。(って私に言われたくないだろうけど。)
 
私は、親御さん同士を争わせる気持ちはまったくありません。
まあ私自身は、嫌いな人間とは付き合わない主義だけど。
 
大きな企業でもまれている人たちやママ友とのつきあいに悩むママさんたちから見ればとんでもないことかもしれないけど
私はリスクと引き換えに自由を選んだから。
 
でも、親同士が意見を一致させる必要はないと思っています。
そしてある一定数が花風社の本が嫌いなら嫌いでいいと思っている。
巨人も大鵬も卵焼きも、万人の憧れっていう時代じゃないんだから。

花風社の本を読まない人に私が一人の社会人として望むことは
うちの本を読んでくださいということではありません。

うちの本を参考に頑張っている親御さんを集団いじめするのは時間の無駄だよってだけ。

「抜け駆け許せない」って気持ちを持つのも別に人間として自然だと思いますよ。
他人がうまくいってたら面白くないっていう気持ちも自然だと思いますよ。
ただそれで同じ障害児の親に、度を越えた情報開示を要求するのはどうかと思います。
こういう非常識なことやってもいいから匿名にとどまりたいのかな?

私はぶんパパが実在を証明する必要なんてないと思うけど。
ぶんパパはきっちり落とし前をつけるつもりだから
「来いよ、見せてもらいたいんだろう。見せるよ。そのかわり知る権利のない情報をほしがったことの責任はきっちり取ってもらう」って言ってるから
せめてベムさんに航空券を買ってあげようと準備しています。

ところで、編集者同士っていうのは、方針違いますよ、それぞれ。
それぞれ個性が作る本に出るのは当たり前。
 
でもそういう方針の違いを超えて情報交換できますよ。
障害児の親だってそれは可能じゃないの?

それともみんな、リアルではよそんちの子の発達をたたえて、家で悔しさをかみしめて
そのストレスで
ネットでは匿名をいいことに親同士で叩き合うの?
だからみんな匿名にこだわるの?
 
次の記事のアップは21時の予定。
かなり核心の情報を蔵出しします。必要なことだと思うから。
お楽しみに。

読みたくない人は、読まなくていいけどね。
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障害児の親よ、甘えるな

2010-07-14 13:00:00 | 日記
「障害のあるお子さんを授かった家族は保護されるべきである」

これに異論を唱える気はない。まっとうな要求だと思う。
どんどん要求すればいいし、そのための情報提供はうちとしても仕事。

たとえば体温調節がうまくいかない子どもたちのために、学校に冷房を入れてほしいという要望。
このためにはうちの著者の方たちの生の声をどんどん使っていただきたい。

ただし、いくら障害児の親でも社会人である以上、許されない要求はあります。

・見知らぬ他人の事情の詮索
・非上場・民間のよその会社への口出し

保護者であるぶんパパは民間人。
花風社は民間の非上場の会社。別に行政から出版事業を委託されているわけでもない。

それに対して一ユーザーを越えた口出しをし
無視していたら吠えたのが誰かさん。

そして、ネット上で本来明かす必要のない、よそんちのお子さんの処方箋まで問いかけたのが誰かさん。

こういう他人への(しかも民間人への)度を越した要求は
障害児の親だからって許されることではありません。
それは「保護の要求」ではありません。
ここんところをカンチガイしているから
次々と度を越した要求をしてくるんじゃないかな。

要求は「公」に向かってしてください。
行政委託されているわけでもない民間人にそれを向けるのは
「弱者」の立場を利用したパワハラです。
(私は「弱者」だなんて思ってないけどね。)

そらパパ問題のとき、応援してくださる読者からこういうメールをいただきました。

「一部のネットの親のつながりを見ていて
自分達は恵まれていたんだと自覚しました」

親の会で活動はする。
ときどきは食事をともにしたりもする。
でもお互いの家の事情はそれぞれであることはリスペクトする。

そういうつきあいが自然にできていたことを
幸せなことだと気づきました、と。

だって意見はみんな違うもんね。そして、意見が違っても、それを表明しつつ共存できるのが大人。
もし相手が度を越えて意見を押し付けてきた場合には
「聞くべきでない意見をシャットアウトする」っていうのも社会人としての使命なのよ。権利じゃなくて使命。

そらパパはどうしてもうちの編集方針に口を出したかったみたいだけど
(嫌いな出版社の編集方針に口を出したいっていうのも不思議な話だけど)

そらパパの意見を聞き入れていたら、神田橋先生の本はとうてい出せませんでしたね。
あの本には多くの感謝の声が寄せられ、そして即効性が生み出されています。

つまり、
私がそらパパの意見を聴いていたら、救われない人がたくさん出た。
そらパパの編集方針への意見を断固はねつけるのは、私の社会的使命でした。

それに、そらパパの意見に耳を貸さないことのリスクは私は取っています。
そらパパを応援する人は花風社の本を買わないでしょう。悪口を言って歩くでしょう。
それでも私は自分の信条を貫くことを選んでいますよ。
「修行系」「治せんといかんわな系」の本を出したいから。

=====

それにしてもね

自閉症の人は「知りたい、知りたい」が多いから
私は早くから自閉症の人に「いくら疑問に思ったとしても、世の中のルールとして、教えてもらえないことがある」って教えておくべきだと思います。
これを放っておくと、触法行為にも結びつきかねないよ。

でも親がそれ知らなくて、本来すべきではない質問をネット上でしちゃったら
子どもに教えられるわけないけど。

まあ別に触法まで行かなくても、

かつて藤家さんだって、森羅万象について理由を親を問い詰めていました。
親御さんは大変だったみたい。

それに対してニキさんが、「自閉っ子、こういう風にできてます!」の中でこう語っていましたね。
これがヒントになって、藤家さんは家族を問い詰めるのをやめた。

「私も自閉ですから理由は知りたいんですが、「理由はたしかにあるんだけど、それを知る手段がなくなった」と考えるようにしています。あるいは「理由はいくつかあるんだけど、それを一つに絞るすべがなくなった」とか。(同書P227)

これ、「知りたい、知りたい」攻撃で困っている人には参考になると思いますけど。

でもなんで、そこまで知りたがるんだろう。
他人の家の事情を。

私はそれも取材しましたよ。

次の記事に「なぜ他人の事情を知りたがるのか」私なりの推測を書きますね。

お題は「抜け駆けは許せませんか?」です。

アップは本日17時です。
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札幌で会いましょう

2010-07-14 08:02:10 | 日記
さてさて、少し前に、私のお友だちのぶんパパさんという人に
私のお友だちではないベムとかいう人が
ついったー上で絡んでいた。

ぶんパパの職業とか、自閉症のご子息が服薬していた薬の種類とか知りたいらしい。
まあ知らない相手にネット上でするには失敬な質問である。

自分だって職業を明らかにしていないのに
どうして見も知らぬ人の職業・勤務先
ご子息の処方箋といったプライバシーをネット上で問いかけるのか
不思議な人だなあと思った。

やがて、謎が解けた。
このベムっていう人は、ネット上に巣食う
「ぶんパパは花風社のでっちあげキャラじゃないか」という珍説を確かめているつもりらしい。

ああ、でっちあげキャラね。
去年も裁判やったやつね。
あのときは「ニキ・リンコはでっちあげキャラ」というのがあちらの主張だったけど
それが今度は「ぶんパパはでっちあげキャラ」になったわけね。

どうしてこう毎年「でっちあげ説」が出るのか。

想像力の障害の産物?

想像力の障害の一面をニキさんは、先日の講演でこう説明していた。
「ありえない想像を振り払う力の障害」

「それはないだろう、ふつう」という説で頭がいっぱいになってしまうのだという。
そして世間的には頓珍漢な振る舞いをしたりする。

もちろんこれは自閉症の特性なんだろうけど
自閉症の人と暮らす家族にもそういう影響が出てるのかしら。

あのね、花風社は、キャラのでっちあげはやりません。
金輪際やりません。

理由は大変に明確です。

経済的じゃないです。

すなわち

儲かりません。

私は商売上手だと悪口を言われている商売人ですが(まあ私に言わせれば悪口じゃないんだけど)
キャラでっちあげは儲かりません。
だから花風社がなんらかのキャラをでっちあげるというのはそれは「ありえない想像」です。

キャラ設定というのは、とても手間のかかる作業です。
社内でそれをやるっていうのはコストパフォーマンスが悪すぎる。
外にいる本物の人物に書いてもらったり、取材させてもらうほうが、仕入れが抑えられます。利幅が出ます。

ところがこのベムっていう人は、実在するのなら実在すると証明するべきだというのが主張。

これが前回の裁判ではテクニックを要するところだった。なぜならニキ・リンコは身元を明らかにせずに活動することを望んでいたから。
だから裁判所で、どこまで情報開示すべきか判断してもらったわけです。

でも今回はそれに比べれば簡単。

証明しろ。

私はそれならば、きちんと司法の手続きをとって、ベムさんがうち相手に開示請求の訴訟でも起こせばいいと思うけど、それはいやみたい。
「提訴」と「判決」の区別がつかないのか、そらパパに対して提訴を考えるって言っただけでも大騒ぎだったからなあ。
まあ司法が嫌いなんでしょ。

でもぶんパパさんは男前だからね。こう返した。

「じゃあ札幌に来い。息子に会わせてやる。息子の主治医にも会わせてカルテを開示してやる。職場にも案内してやる」

おおお、それは手っ取り早い。
じゃあ私もそのときは行こうっと。
ぶんパパにも会いたいし、お手製のモカチューも飲ましてもらいたかったし
うにがおいしい季節に一度札幌行きたかったんだよね。

というわけで「じゃあいつにする?」とベムにきいている。返事はないけど(←今ココ)。

「ぶんパパはでっちあげキャラかもしれない」

こう疑問を持つ人々を代表してベムっていう人は札幌に行く。
でもぶんパパは「何人でも来いよ。まとめて面倒みてやるよ」って言ってるから
他にもご希望のある方は花風社にメールくだされば日程決まり次第お教えしますけど。

ただしもちろん、ぶんパパにしたって、本来赤の他人に息子の処方箋だの自分の職場だのを開示する義務はないでしょ?
だからいずれこの責任をとってもらう日が来るかもしれない。
弁護士は立ち会わせる。そしてすべて映像に残す。
ぶんパパとしては当たり前の権利行使だ。自分の家族の人権を守るためのね。

だから札幌に行ってね、ベムさん。あなたが望んだことなのだから。実在を確かめたいと。

知りたいんでしょ? ぶんパパのご子息の処方箋やぶんパパの職業が。

他人にそこまで興味を持つって変わった趣味だと思うけど、ぶんパパが来てもいいよ、って言ってくれたんだから、行ってね。

ただ、ネットの情報によるとベムさんはご子息に少しでも財産を残すため、節約と利殖に励んでいるとのこと。
もしチケット代を惜しんで札幌行きをためらっているのなら、いつもの宣伝のお礼に私がチケット買って送りましょう。
氏名・住所・年齢が必要ですから会社にメールしてね。

=====

それにしても、勝手にありえない想像をしておいて
「それが違うと証明しろ」っていうのは

去年の裁判の相手にも、そらパパにも、ベムにも共通していることなんだけど。
どうしてこういうことが許されると思っているんだろう?

私はそれを昨日取材しましたよ。

で、一応自分なりに納得しました。このシリーズ(四部作)の次で触れます。

アップは本日13時の予定。今のところの仮題は「障害児の親よ、甘えるな」です。
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やっぱりすごい朝日新聞

2010-07-13 11:11:39 | 日記
取ってますよ、一応。

まあ論調はあんまり一致しないんですが、出版人としてのたしなみで。

いまどき日経と二つも取っている化石のような家庭です。

でも、日曜の「発達障害は治りますか?」の書評はありがたかったなあ。

ものすごーくたくさんご注文をいただきました。

それにしても、寡聞にして神田橋先生が「日本のフロイト」と呼ばれていたのは知りませんでした。

小暮画伯の反応。

「日本のフロイトを三頭身の酔っ払いをじさんにしてしまった。」

そうだよ。

でもマンガのラフもすべて、先生にはお見せしてOKいただいていますからね。

まあ神田橋先生はお心が広いのでしょう。

フロイトは、実際どういう人格の人だったんでしょうか。

スポーツ観戦大好きな私から見ると、日本のフロイトというより精神医学界のイビチャ・オシムなんですが。
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望みはすべてかなった

2010-07-12 08:52:00 | 日記
さてさて、昨日は案の定相撲協会の映像配信が「人大杉」でつながらず
うきーと言っておりました。
気を取り直してマッサージに行き、終わったらその足でジムへ。
走りながら「大相撲幕内全取組」で稀勢の里の実に男の子っぽい勝ちっぷりを確認。
いつものようにはらはらと生中継を見守るのではなく
勝敗を確かめてから見るっていうのもなかなか精神衛生上いいものであります。

書評は出るし稀勢の里は勝つし、すっかり気をよくしてタイ料理を食べに行きました。
暑いときに有酸素運動したあとの辛い料理は汗がいっぱい出ます。
というわけで帰ってきてビールの飲みなおししながら選挙速報。
結果はまあまあ私的には満足。
私としては、今回の争点は消費税じゃなかったです。

あんまり眠るヒマもなく三時が来ました。
起きてW杯決勝を見ました。
最初からかっとんだ展開でしたが、延長120分の死闘をイニエスタの一発でスペインが制しました。
スペインは今回、私が最初から優勝を願っていたチーム。
華麗なパスサッカーに魅了されるし
ふだんリーガやプレミアを見ていて
カシージャスやトーレス、イニエスタという好きな選手がいるからです。

日本代表もまあまあ活躍したし
一番応援していたスペインが優勝したし
私としては万々歳の一ヶ月が終わりました。

仕事しなきゃな。

カシージャスに目をつけたのは2002年のこと。
当時まだ若かったカシージャスですが
とにかくどんなピンチにも「びびらない」ことにひかれました。
今回もどんなときにも臆することなく神セーブを決めていたと思います。
私の中での「男」っていうのはそういうもの。
ちょっときついこと言われただけでびびるような輩は私の中では男じゃありません。まあこれは好みの問題。

そのカシージャスが泣いていた。
ユーロのときには泣いていなかったのに。
ふだん強い人が泣いているとぐっときますね。

そういえば小暮画伯は私のことを
「弱虫が嫌いな人」と評していますが
そうかもしれませんね〜。

とにかく、相撲も、W杯も、選挙もすべて望みがかなった一日でした。

まあこういういいことは長く続かないでしょう。

そのかわり悪いことも長くは続きませんけどね。
だから人生は面白いんですね。
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