お友だちのぶんパパのご子息ぶんちゃんは、「こんな重い子はいない」と医師に宣告されたそうです。
まあ実は私、それ自体は大したことじゃないんじゃないかと思ってるけど。
どうしてかって?
いや、「発達障害は治りますか?」を出してから
「よくなりました!」等のお声がとても多いですが
その方たちの多くが言われてきたそうですよ、医師に。
「こんな重い子はいない」って。
私たちは最初あの本を
成人で二次障害がある人なんかに役立つかな、とか思っていました。
でも出してみてわかったのは
神田橋先生の提唱するやりかたは
お子さんにも
しかも知的障害のある方にも効果があるということ。
ていうかそういう方たちからの反響のほうが大きいです。
まあそれだけのびしろが大きいということかも。
そして一つでも二つでもできるようになったことの喜びが大きいから、知らせてくださるのでしょう。
こういうお便りをいただいていると
「こんな重い子はいない」って宣告されている人って
全国的に見たらすっごいいっぱいいるんだな、というのが私の実感。
もしかしたらお医者さんたちは「(今日外来に来た中では)こんな重い子はいない」とか
「(午前中見た限りは)こんな重い子はいない」って言っているんじゃないかな、と思うくらい。
あるいは「こんな重い子はいない」っていう言葉が、何かお医者さんたちに有利な状況を作り出すのかな。
よくわかんないです。
まあとにかく、ぶんパパもそう宣告された親の一人だった。
「こんな重い子はいない」といわれるようなお子さんがいると
親戚にはさげすまれ
近所では迷惑扱いされ
一家心中を決意したこともある。
問題行動で冷たい視線を浴び
すがるように病院に行くと
そこでは問題行動に対処する薬を処方される。
どんどんどんどん薬が増えていく。
ぶんちゃんは日中もだらーんとしてよだれを垂らし空を見つめている。
そういう状況を見て、ぶんパパは「薬を減らしたい」って思った。
このままじゃ廃人になる、と思ったそうです。
でもいきなり減らすのは危険でしょ。
ぶんパパはお勉強して、主治医と相談して、薬を減らしていった。
でもそのためには、薬を減らすための手段が必要。
それも探す。やっぱりお勉強。
そして出会ったもののひとつが「発達障害は治りますか?」だった。
そこには「脳をラクにする」いくつかの手段が提示されていた。
ぶんパパはそれを試してみた。
神田橋先生もこうおっしゃっているし。
=====
あと最近僕がわかってきたのは、発達障害の人はなるべく精神科のお薬を多量にはのまないほうがいいということです。脳の発達を妨げるみたい。治るというのがどういうことかわからんけど、僕のところに来る患者さんはだんだん精神病の薬が減っていくね。(「発達障害は治りますか?」 P45)
=====
まあ「発達障害の人には処方量を少なく」っていう考え方自体は、発達障害に詳しい現場では常識になっているようですが
ともかくなんらかの理由で、ぶんちゃんの場合、むしろ薬の量はどんどん増えていった。
そして長い道のりを経て、減薬に成功したとき、ぶんちゃんはできることが増えていった。
それはあたかも神田橋先生が書いているように、脳が発達したかのように。
トイレの粗相がなくなった。
絵カードを使えるようになった。
発語が出た。
文字が読めるようになった。
九九を暗記した。
ぶんパパは嬉しかった。成果をついったーでつぶやいていた。
これまでの事情を知らない人には、あたかも神田橋先生が提示している「何か」を摂取することでいきなり九九を覚えた、みたいに受け取れたかもしれない。
でもその背後には、長い道のりがあったんだ。
ぶんパパは、「薬を減らすべき」という自分のカンに賭けて、そのための方策を採っていった。
そして神田橋先生の本からはその方向が間違っていないという方向付けと、薬を減らす代わり、問題行動への対処方法はどうすればいいかのヒントを得た。
それでも最初から一部で偏見をもたれている本だ。
たくさん売れているとはいえ、読んでいない人もいる。
祭りに乗っかった以上、意地でも読めない人も多いだろう。
その人たちにしてみれば「トンデモ本」なのだから、それでよくなった、よくなったと喜んでいるぶんパパが胡散臭く見えたのだろう。花風社の宣伝材料かよ、と思ったのだろう。
そして「発達障害は治りますか?」を読むのを自分で自分に禁じている人たちにとって「抜け駆け」みたいに見えたんじゃないのかな。
一生懸命「あの本は効果があるはずがないんだ。トンデモなんだ」と思い込みたいがために、ぶんパパ架空人物説が出たんじゃないのかな。
それにそらパパにたしかに、かなり攻撃すごかったし。
でもそらパパ嫌いな人は世界にぶんパパと私だけじゃないけどね。
神田橋先生が発達障害について語った本が出ても
読みたくない人は読まなければいい。
でも、知っておいてほしい。
ぶんパパは長い間努力してきたんだ。
多くの親御さんと同じように、世間の偏見に耐えながら
一家心中さえ考えながら
一つ一つ勉強してきて、それで今のぶんちゃんがいるんだよ。
小学校二年生でおむつが取れるのは
健常児の親にとっては成果とは言えないかもしれない。
でも同じ障害児の親仲間だから、それをともに喜び合えるんじゃないんですか?
なのに
今はむしろ「抜け駆け許さない」みたいなゆがんだ空気が(ごく一部の親御さんから)上がってきているように思えます。
こういうみっともないことやっていると、障害児に対する偏見はますます強まるよ。
だってこの私が、「いちぬけた」なんだから。
昨日いただいた読者からのメールにこういうのがありました。
ベムたちのやっていることを見て
「同じ親の立場の人間がやっているということに、さらに不快感が増します」
なるほどなあ。
これは私にはわからなかった。
ベムたちははてブが世の中の指針だと思っているみたいだけど
こういう風に見ている人も多いのよ。
だから懸命な妨害にもめげずうちの本は売れ続けるのよ。
ちなみに
この読者の方はぶんパパを「間違ったことを言わない人」と評されています。
私もそう思っています。
口は悪いけどね。(って私に言われたくないだろうけど。)
私は、親御さん同士を争わせる気持ちはまったくありません。
まあ私自身は、嫌いな人間とは付き合わない主義だけど。
大きな企業でもまれている人たちやママ友とのつきあいに悩むママさんたちから見ればとんでもないことかもしれないけど
私はリスクと引き換えに自由を選んだから。
でも、親同士が意見を一致させる必要はないと思っています。
そしてある一定数が花風社の本が嫌いなら嫌いでいいと思っている。
巨人も大鵬も卵焼きも、万人の憧れっていう時代じゃないんだから。
花風社の本を読まない人に私が一人の社会人として望むことは
うちの本を読んでくださいということではありません。
うちの本を参考に頑張っている親御さんを集団いじめするのは時間の無駄だよってだけ。
「抜け駆け許せない」って気持ちを持つのも別に人間として自然だと思いますよ。
他人がうまくいってたら面白くないっていう気持ちも自然だと思いますよ。
ただそれで同じ障害児の親に、度を越えた情報開示を要求するのはどうかと思います。
こういう非常識なことやってもいいから匿名にとどまりたいのかな?
私はぶんパパが実在を証明する必要なんてないと思うけど。
ぶんパパはきっちり落とし前をつけるつもりだから
「来いよ、見せてもらいたいんだろう。見せるよ。そのかわり知る権利のない情報をほしがったことの責任はきっちり取ってもらう」って言ってるから
せめてベムさんに航空券を買ってあげようと準備しています。
ところで、編集者同士っていうのは、方針違いますよ、それぞれ。
それぞれ個性が作る本に出るのは当たり前。
でもそういう方針の違いを超えて情報交換できますよ。
障害児の親だってそれは可能じゃないの?
それともみんな、リアルではよそんちの子の発達をたたえて、家で悔しさをかみしめて
そのストレスで
ネットでは匿名をいいことに親同士で叩き合うの?
だからみんな匿名にこだわるの?
次の記事のアップは21時の予定。
かなり核心の情報を蔵出しします。必要なことだと思うから。
お楽しみに。
読みたくない人は、読まなくていいけどね。
まあ実は私、それ自体は大したことじゃないんじゃないかと思ってるけど。
どうしてかって?
いや、「発達障害は治りますか?」を出してから
「よくなりました!」等のお声がとても多いですが
その方たちの多くが言われてきたそうですよ、医師に。
「こんな重い子はいない」って。
私たちは最初あの本を
成人で二次障害がある人なんかに役立つかな、とか思っていました。
でも出してみてわかったのは
神田橋先生の提唱するやりかたは
お子さんにも
しかも知的障害のある方にも効果があるということ。
ていうかそういう方たちからの反響のほうが大きいです。
まあそれだけのびしろが大きいということかも。
そして一つでも二つでもできるようになったことの喜びが大きいから、知らせてくださるのでしょう。
こういうお便りをいただいていると
「こんな重い子はいない」って宣告されている人って
全国的に見たらすっごいいっぱいいるんだな、というのが私の実感。
もしかしたらお医者さんたちは「(今日外来に来た中では)こんな重い子はいない」とか
「(午前中見た限りは)こんな重い子はいない」って言っているんじゃないかな、と思うくらい。
あるいは「こんな重い子はいない」っていう言葉が、何かお医者さんたちに有利な状況を作り出すのかな。
よくわかんないです。
まあとにかく、ぶんパパもそう宣告された親の一人だった。
「こんな重い子はいない」といわれるようなお子さんがいると
親戚にはさげすまれ
近所では迷惑扱いされ
一家心中を決意したこともある。
問題行動で冷たい視線を浴び
すがるように病院に行くと
そこでは問題行動に対処する薬を処方される。
どんどんどんどん薬が増えていく。
ぶんちゃんは日中もだらーんとしてよだれを垂らし空を見つめている。
そういう状況を見て、ぶんパパは「薬を減らしたい」って思った。
このままじゃ廃人になる、と思ったそうです。
でもいきなり減らすのは危険でしょ。
ぶんパパはお勉強して、主治医と相談して、薬を減らしていった。
でもそのためには、薬を減らすための手段が必要。
それも探す。やっぱりお勉強。
そして出会ったもののひとつが「発達障害は治りますか?」だった。
そこには「脳をラクにする」いくつかの手段が提示されていた。
ぶんパパはそれを試してみた。
神田橋先生もこうおっしゃっているし。
=====
あと最近僕がわかってきたのは、発達障害の人はなるべく精神科のお薬を多量にはのまないほうがいいということです。脳の発達を妨げるみたい。治るというのがどういうことかわからんけど、僕のところに来る患者さんはだんだん精神病の薬が減っていくね。(「発達障害は治りますか?」 P45)
=====
まあ「発達障害の人には処方量を少なく」っていう考え方自体は、発達障害に詳しい現場では常識になっているようですが
ともかくなんらかの理由で、ぶんちゃんの場合、むしろ薬の量はどんどん増えていった。
そして長い道のりを経て、減薬に成功したとき、ぶんちゃんはできることが増えていった。
それはあたかも神田橋先生が書いているように、脳が発達したかのように。
トイレの粗相がなくなった。
絵カードを使えるようになった。
発語が出た。
文字が読めるようになった。
九九を暗記した。
ぶんパパは嬉しかった。成果をついったーでつぶやいていた。
これまでの事情を知らない人には、あたかも神田橋先生が提示している「何か」を摂取することでいきなり九九を覚えた、みたいに受け取れたかもしれない。
でもその背後には、長い道のりがあったんだ。
ぶんパパは、「薬を減らすべき」という自分のカンに賭けて、そのための方策を採っていった。
そして神田橋先生の本からはその方向が間違っていないという方向付けと、薬を減らす代わり、問題行動への対処方法はどうすればいいかのヒントを得た。
それでも最初から一部で偏見をもたれている本だ。
たくさん売れているとはいえ、読んでいない人もいる。
祭りに乗っかった以上、意地でも読めない人も多いだろう。
その人たちにしてみれば「トンデモ本」なのだから、それでよくなった、よくなったと喜んでいるぶんパパが胡散臭く見えたのだろう。花風社の宣伝材料かよ、と思ったのだろう。
そして「発達障害は治りますか?」を読むのを自分で自分に禁じている人たちにとって「抜け駆け」みたいに見えたんじゃないのかな。
一生懸命「あの本は効果があるはずがないんだ。トンデモなんだ」と思い込みたいがために、ぶんパパ架空人物説が出たんじゃないのかな。
それにそらパパにたしかに、かなり攻撃すごかったし。
でもそらパパ嫌いな人は世界にぶんパパと私だけじゃないけどね。
神田橋先生が発達障害について語った本が出ても
読みたくない人は読まなければいい。
でも、知っておいてほしい。
ぶんパパは長い間努力してきたんだ。
多くの親御さんと同じように、世間の偏見に耐えながら
一家心中さえ考えながら
一つ一つ勉強してきて、それで今のぶんちゃんがいるんだよ。
小学校二年生でおむつが取れるのは
健常児の親にとっては成果とは言えないかもしれない。
でも同じ障害児の親仲間だから、それをともに喜び合えるんじゃないんですか?
なのに
今はむしろ「抜け駆け許さない」みたいなゆがんだ空気が(ごく一部の親御さんから)上がってきているように思えます。
こういうみっともないことやっていると、障害児に対する偏見はますます強まるよ。
だってこの私が、「いちぬけた」なんだから。
昨日いただいた読者からのメールにこういうのがありました。
ベムたちのやっていることを見て
「同じ親の立場の人間がやっているということに、さらに不快感が増します」
なるほどなあ。
これは私にはわからなかった。
ベムたちははてブが世の中の指針だと思っているみたいだけど
こういう風に見ている人も多いのよ。
だから懸命な妨害にもめげずうちの本は売れ続けるのよ。
ちなみに
この読者の方はぶんパパを「間違ったことを言わない人」と評されています。
私もそう思っています。
口は悪いけどね。(って私に言われたくないだろうけど。)
私は、親御さん同士を争わせる気持ちはまったくありません。
まあ私自身は、嫌いな人間とは付き合わない主義だけど。
大きな企業でもまれている人たちやママ友とのつきあいに悩むママさんたちから見ればとんでもないことかもしれないけど
私はリスクと引き換えに自由を選んだから。
でも、親同士が意見を一致させる必要はないと思っています。
そしてある一定数が花風社の本が嫌いなら嫌いでいいと思っている。
巨人も大鵬も卵焼きも、万人の憧れっていう時代じゃないんだから。
花風社の本を読まない人に私が一人の社会人として望むことは
うちの本を読んでくださいということではありません。
うちの本を参考に頑張っている親御さんを集団いじめするのは時間の無駄だよってだけ。
「抜け駆け許せない」って気持ちを持つのも別に人間として自然だと思いますよ。
他人がうまくいってたら面白くないっていう気持ちも自然だと思いますよ。
ただそれで同じ障害児の親に、度を越えた情報開示を要求するのはどうかと思います。
こういう非常識なことやってもいいから匿名にとどまりたいのかな?
私はぶんパパが実在を証明する必要なんてないと思うけど。
ぶんパパはきっちり落とし前をつけるつもりだから
「来いよ、見せてもらいたいんだろう。見せるよ。そのかわり知る権利のない情報をほしがったことの責任はきっちり取ってもらう」って言ってるから
せめてベムさんに航空券を買ってあげようと準備しています。
ところで、編集者同士っていうのは、方針違いますよ、それぞれ。
それぞれ個性が作る本に出るのは当たり前。
でもそういう方針の違いを超えて情報交換できますよ。
障害児の親だってそれは可能じゃないの?
それともみんな、リアルではよそんちの子の発達をたたえて、家で悔しさをかみしめて
そのストレスで
ネットでは匿名をいいことに親同士で叩き合うの?
だからみんな匿名にこだわるの?
次の記事のアップは21時の予定。
かなり核心の情報を蔵出しします。必要なことだと思うから。
お楽しみに。
読みたくない人は、読まなくていいけどね。