本ブログは、死刑執行に強く抗議します。
千葉景子法務大臣には当初大きな期待を持っていました。
犯罪者の厳罰化や時効撤廃など少しづつ失望させられましたが
死刑制度廃止については期待できないかなと今まで思っていました。
残念です。
殺人者となった今はどのような気分なのでしょう。
死刑に立ち会ったことは評価したいと思います。
自分の命令で殺人者にされた者らのこともよく覚えておいて欲しいです。
千葉法相や関係者にかかる新たなる苦しみがなるべく早く癒されるように祈ります。
死刑執行 千葉法相「慎重に検討し命令」
7月28日配信 毎日新聞
千葉景子法相は28日午前11時過ぎから法務省内で死刑執行について記者会見し「大変残忍な事件で被害者、遺族も無念だったと思う」と述べ「慎重に検討させてもらい、死刑執行を命令した」と厳しい表情で語った。
2人の死刑執行に法相として初めて立ち会ったことについては「自らの目で確認し、死刑について深く考えさせられるとともに、根本からの議論が必要だと感じた」と述べる一方、執行場面を見た個人的な感想については「コメントは差し控える」と話した。・・・・・・
「千葉法相は国民に説明を」=死刑廃止派の亀井氏らが批判
7月28日配信 時事通信
・・・・・・亀井氏は「今は政治家が日ごろの言動、信念と関係ないことを簡単にやる。千葉法相までもかと(思う)。政治家の信念や公約を国民が信じられなくなっている」と指摘した。
死刑の事実と因果 2008年04月23日
カテゴリー 「死刑」
千葉景子法務大臣には当初大きな期待を持っていました。
犯罪者の厳罰化や時効撤廃など少しづつ失望させられましたが
死刑制度廃止については期待できないかなと今まで思っていました。
残念です。
殺人者となった今はどのような気分なのでしょう。
死刑に立ち会ったことは評価したいと思います。
自分の命令で殺人者にされた者らのこともよく覚えておいて欲しいです。
千葉法相や関係者にかかる新たなる苦しみがなるべく早く癒されるように祈ります。
死刑執行 千葉法相「慎重に検討し命令」
7月28日配信 毎日新聞
千葉景子法相は28日午前11時過ぎから法務省内で死刑執行について記者会見し「大変残忍な事件で被害者、遺族も無念だったと思う」と述べ「慎重に検討させてもらい、死刑執行を命令した」と厳しい表情で語った。
2人の死刑執行に法相として初めて立ち会ったことについては「自らの目で確認し、死刑について深く考えさせられるとともに、根本からの議論が必要だと感じた」と述べる一方、執行場面を見た個人的な感想については「コメントは差し控える」と話した。・・・・・・
「千葉法相は国民に説明を」=死刑廃止派の亀井氏らが批判
7月28日配信 時事通信
・・・・・・亀井氏は「今は政治家が日ごろの言動、信念と関係ないことを簡単にやる。千葉法相までもかと(思う)。政治家の信念や公約を国民が信じられなくなっている」と指摘した。
死刑の事実と因果 2008年04月23日
カテゴリー 「死刑」
法務官僚は如何にして千葉氏に刑の執行を決断させたのかを、私たちは極めて具体的に知らなくてはならないと感じています。
本当に何が有ったんでしょうね。
私ももう少し詳しい動機が分かればと思っています。
私は千葉さんを見て官僚に言いくるめられるような人には見えないんです。
じゃなかったら法律を変える。
法律がある限り、勝手に故人の考えで法律を無視してよいのなら、法律の意味なくないですか?
どんな法律でも守るのが正しいのですか?ナチス政権時代のドイツで、ユダヤ人を密告した国民は正しくて、助けた人は犯罪者ですか?人の命を奪うことでも、差別することでも法律ならば守ることが正しいというのですか?
ユダヤ人対策の最高責任者だったアイヒマンは軍事裁判にかけられた時に言いました。
「私は無罪だ。多くのユダヤ人が死んだとしても私は命令でやっただけだ」
あなたの考えならアイヒマンは無罪なんですね。(有罪になりましたが)
人は絶対に間違いを犯す以上、冤罪は絶対にあります。死刑になった後で無実が分かったら、その人の命を奪った責任は誰にあるんです?
死刑廃止している国がある事実はどう受け止めているのです?
フランスは1981年に死刑を廃止しましたしたが、その時の法相は「国家が国民の命を奪う権利や法があってはならない」と言いましたが、あなたはどう思います?フランスだから関係ない、なんて言わないですよね。人の命は国籍に関係ないですから。
人の命を奪うことを拒絶する人を責める人が、命の大切さを分かっているとは思えないです。
あなたにとって何が「正義」なんです?
だれがどういう基準で
「正しいか正しくないか」
を決めるんですか
法曹が自分の考えで勝手に決めてよいものじゃないのは事実ですね。
その基準が恣意的ではまずいから
「法治国家」
なんじゃないですか
だれがどういう基準で正義を決められるんですか.
それを、一人の勝手な判断に任せてはまずいから、法律があり、裁判があるんですよね。
あと、フランスの例を出しましたね。
そのフランスは「軍隊が憲法に定められた国」であることはご存知ですか.
死刑は廃止しても軍隊は肯定する。
国家が国民の命を奪う権利はないと言いながら
「国家のためには命をかけて(命を捨てて)戦え」
と言っているんですよ。
それと冤罪の件。
何十年も獄中に入れられて、青春時代を全て奪われ、棺桶に片足を突っ込む年齢になって冤罪が確定して釈放された。
この人の失われた人生は取り戻せません。
だから、懲役刑も冤罪を考えて(時間を取り戻せないから)廃止しますか
諸外国に学べと言うなら
「軍隊を合法化していること」
も諸外国に学びますか
諸外国に学べと言うなら
「捕鯨反対」
も諸外国に学びますか
諸外国に学べと言うなら
「多神教は世界で少数派だから」
諸外国に学んで一神教にしますか
諸外国に学べと言うなら
(以下省略)
なぜ死刑は「自分の考えに会っているから」廃止賛成でも、他のことは「自分の考えに会っていない場合は」諸外国に合わせようとしないんですか
正しいか間違っているかを
「一人の大臣の考え方に、完全に頼って決める」
ことが正しいのですか
死刑廃止、維持。
どっちが正義と「だれが」決められるのか
どっちも正しくてどっちも間違っている。
この前提を忘れて
「自分が正義、相手が間違っている。だから正義を守るためには何をやってもかまわない」
となった時、正義の暴走が起こるのでは
私も死刑はどちらかと言うと反対派ですよ。
でもあなたと違う部分は多分
「廃止、維持。どちらも正義である」
と考えていて、ただどちらがより現状に合った、よりよい方法かだけがあると考えている点では
植民地も虐殺もあなたの持ち出したナチスも
「我こそ正義」
を押し通した結果ですよね。
異宗教だから間違っている。
特定民族だから正しく、特定民族だから間違っている。
正義の暴走の怖さを知っていれば、この法曹の判断が「正義の暴走をしないために、法を守る」ことであるとかんがえられないのかな。