冬が過ぎ、海鳴市にも温かい春がやってきた。
フェイトも小学四年生に進学し、今年からははやても同級生として聖祥大付属小学校に通っている。
他にも小さいけれど大きな変化として、フェイトの名前に「ハラオウン」の文字が増えたということもある。優しい母と兄を得た彼女はとても幸せそうだった。
だから、学校に出かける彼女は笑顔を見せるのが毎日のことになっていたのだが、今日はなにやら心配そうに眉をハの字にしている。
「ライ、ほんとに一人で大丈夫?」
「む、フェイトまでクロノみたいなこと言うのか?」
「でも……」
既に靴を履き鞄もしょったフェイトは準備万端といったところなのだが、中々玄関から出ることができず、廊下に立つ手のひら大の人物を見詰めている。
「留守番くらいボクにかかれば簡単さ!」
「う、うーん……」
雷刃の襲撃者改めライはどんと胸を叩いてみせるが、フェイトの表情は晴れない。
心配で仕方がないという彼女の気持ちは、表情だけでなく、落ち着かずにせわしなく動く全身でもよくわかる。
ライが家族の一員になってから早数ヶ月。彼女のよく言えば純粋でまっすぐ、悪く言えば天然でアホの子な性格は十分というほど理解しているので、一人で留守番を任せるとなると不安がいっぱいだ。
普段であればライの他にも誰かがハラオウン家にはいるものなのだが、今日ばかりはリンディとクロノは朝早くから仕事に出ているし、アルフは無限書庫へユーノのヘルプに出ている。さらにフェイトは学校とあって、日中ライ一人となってしまうのだ。
「ほんとーに、大丈夫なんだよね?」
「なんだよー、ボクのこと信じられないのかフェイトは」
「そ、そんなことないけど……」
頬を膨らませて睨んでくるライに、歪みの隠せていない笑みを浮かべてごまかすフェイトだが、内心は言葉と全く逆である。
ライという妹的存在を家族にしてから判明したことだが、フェイとはとっても過保護なのだった。
「それより、フェイトもそろそろいかないとなのはたちとの待ち合わせに間に合わないよ?」
「あう」
「ほらほら早くいかないと」
玄関にかけられている時計を見ると、確かにいつも家を出るのよりも遅く、このままではいつものバスの時間に間に合わない。
ライは心配だけど約束の時間に遅れるわけにもいかないという板ばさみ状態になってしまったフェイトは、後ろ髪を引かれる思いで仕方なく家を出ることにした。
「知らない人がきても出ちゃだめだからね、おかしあげるとか言われても絶対だめだよ?」
「それくらいわかってるよ!」
「なるべく早く帰ってくるからね!」
何度も何度も振り返りながらフェイトは家を出た。
「……むぅ」
玄関が閉じて家に静寂が戻ると、ライはどかっと廊下に胡坐をかいて座り込み呟いた。
「絶対にみんなボクを幼稚園児かなにかと勘違いしてる……」
思い出すのはハラオウン家に来てからの思い出。
クロノは何かと口うるさいし、フェイトはなにかと心配そうに世話を焼いてくる。トイレまでついてこようとしてきたのは追い返したけれど。
リンディとエイミィはいつの間にサイズを知ったのか、ライにぴったりな大きさの服をどこからともなく持ち出しては着せ替え人形にしてくる。前なんかフェイト用のもあって「二人もお揃いねー」などと勝手に喜んでいた。それらの一部は私服としてありがたく使っているが。
――ここは一つボクがいかに凄いかを見せ付けないといけないな!
腕をくみながら、うんと一つ頷くとライはすっくと立ち上がる。
「まずは、留守番を完璧にこなしてみせる! そしてボクはみんなを見返してやるんだ!」
ぐっとこぶしを握ったライの脳裏に浮かぶのは、自分のことをすごいすごいと誉めそやすハラオウン家の面々の姿。
取らぬ狸の皮算用でしかないのに、フフフとだらしのない笑みを零している。
「さすがボクだな。自分でも恐ろしい策だ……」
某関西弁娘なら反射で突っ込みを入れていたかもしれないが、残念なことにここにいるのはライ一人。彼女のバラ色の妄想を止める人間は誰もいない。
暫く不気味に一人で笑い続けていたライだったが、妄想に満足したのかリビングに戻ろうと動き始めた。
「まあ、お昼までは時間があるし……ゲームでもやるか」
鼻歌を歌いながら廊下を歩いていく。
「うーん、午後はどうしようかなぁ」
結局、気づけば午前中はゲームでつぶしてしまい、腹の虫が鳴いたために昼食を取っていたライは一人小さく呟いた。
頭を悩ませながら、リンディが用意してくれたお昼ご飯である超ミニサイズサンドイッチにかぶりつく。
ちなみにサンドイッチなのは電子レンジなど危なくて触らせられないという、ライ以外のハラオウン一家共通の結論からであったりする。
「ポケ○ンは……もう飽きたしなぁ」
ソファの上に置きっぱなしである、タッチでも動く携帯ゲーム機に視線を移すが、どうもライ的にぴんとこなかった。
手のひらサイズなライがまともにゲームなどできるのかと思うかもしれないし、実際ハラオウン家の面々もそう思っていた。しかし、休日を読書で過ごそうとしたら、ライと二人っきりだったばかりに遊べ遊べとあまりにしつこく駄々をこねられて辟易したクロノが、アクションゲームでなければ彼女でも問題なくプレイできるのではと買い与えたところ実際その通りだったのだ。
余談だが、彼女の手持ちは電気ポケ○ンばかりある。
「どうしよう……ふわぁ」
左手についた、最後のサンドイッチの中身であるイチゴジャムをぺろぺろと舐めとっていたライは大きな欠伸を漏らす。
どうやら満腹になったがために眠くなってきたらしい。
いくらなんでも睡魔には勝てないので、あくびのために涙が出てきた目をごしごしとこすりながら、昼寝でもしようかとソファに近寄っていくライだったが、その途中でぴたりと動きを止める。
「……」
じっと見詰める視線の先は南向きのベランダ。もっと詳しく言えばそこに干されている布団。
日光がさんさんと降り注いでいるそこは確かに気持ちよさそうで、昼寝にはぴったりに見える。
「むー……」
ベランダに出てもいいものかと悩むライだったが、すぐにベランダは家の一部だと自己完結し、嬉々として空を飛び、上手く鍵を外して外へ出る。
ただベランダに出ただけなのに、屋内とは比べ物にならない温かな日差しで、目の前にあるのは日光をふんだんに吸収していて見るからに柔らかそうな布団。
躊躇なくライはダイブした。
「おおーっ!」
突っ込むと同時にふわふわの布団はライを柔らかく包み込む。
息を思いっきり吸うと太陽の匂いがした。
「うう、なんて巧妙な罠、なん……だ……」
あまりの気持ちよさにとことんまで表情を緩ませたと思うと、そこからはすぐに寝息が聞こえてきた。
どれくらい寝ていたのかはわからないが、ライは何故か上下に揺さぶられる感覚に意識が浮かび上がってくるのがわかった。
おかしなことに、布団で寝ていたというのに手をいくら動かしても柔らかな触感はつかめない。それどころかまるで宙にいるかのようで、なにかに胴体部分を掴まれているような感じがする。
「ん……んん?」
うっすらと目を開いたライのぼんやりとした視界に移るのは、下方に見える色とりどりの屋根。
――おー、まるで鳥みたいだぁ……
「ってなんだよこれー!!」
状況をようやく理解し、目を剥いてじたばたと暴れるが、がっちりと掴まれていて脱出ができない。
「離せよー! ボクは強いんだぞー!」
自分を拘束する、まるで鳥の足のようななにかに直接手をかけるが、外れない。
吊り下げられている状況なために、上を見ようとしても首が回らずよく見えず、なんとなく黒い影が見えるだけだった。
「むがー!!」
「ギャース!」
ぽかぽかと謎の足らしきものを叩いてみると、外れる代わりに真上から鳴き声が聞こえてきた。それだけでは正体はわからないが、やはり鳥かなにかだろうとライに理解させるには十分だった。
「このっ! 動物のくせに!」
「ギャース!」
ライのイメージは、復活した古代の怪鳥と戦っている、というものなのだが、実際のところ寝ていたところをカラスに拾い上げられただけたったりする。
「どうだー! まいったかー!」
とにかく暴れるライの奮闘が功を奏した……わけではなくとある木を目指してカラスが高度を下げていく。
外からは葉に隠れて見えなかったがその中にはカラスの巣があり、小さな雛が大きく口を開いて待っていた。
「ギャース!」
「うわぁっ!」
ようやく厄介払いができる、とばかりにカラスはライを巣へと無造作に落とす。
「うぐ……やったな!」
つぶれるように巣に落下したライだがすぐに立ち上がり、視線も鋭くカラスを睨みつけようと振り返ったが、既にカラスは飛び立った後で、そこにはなにもいなかった。
意気込んだところを肩透かしを食らった形となりしばし呆然としていたライだったが、巣の端っこまで歩みよって周囲を見回す。それでもカラスの影が見えないとわかると、また不気味な笑い声を上げ始めた。
「ふ、ふふふ……そうか、ボクに恐れをなして逃げたんだな」
自分に都合よく解釈した想像の中、ライは腰に両手をあて胸を張る。そして自画自賛。
「すごいぞ強いぞかっこい゛だぁっ!!?」
突然背中をなにかに突き刺されたような痛みが走り、ライは飛び上がる。
忘れてはいけないことにここはカラスの巣。先のカラスが飛び立ったのは更なるえさを探しにいったからで、現在巣にいるのはライだけではなくカラスの雛もいるのだ。
そして、雛にとってみればライはただのえさ。そういうわけでライは背中を雛に思いっきりつつかれたのだった。
「な、なにするんだよ、っと、とととと……」
目の端に涙をためつつも気丈に振り返ってみせるライだったが、立っていた場所が巣の端ということもあってバランスを崩してしまう。
手をぶんぶんと振って、どうにかバランスをとろうと苦心する。
「ふぅ……」
なんとか九死に一生を得てライはほっと一息をつくが、すぐにきっと雛に睨みをきかせる。
「ボクに攻撃するなんていい度胸だ……格の違いを見せてやる!!」
びっと左右に一直線に伸ばした両手は上方30度程の角度で固定し、右足は体にひきつけるように上げて、足の裏は左足のうち腿に合わせる。
ライの気分はまさしく雄雄しき空の王者。
「荒ぶる鷹のポーズ!!」
「ぴー」
ライの渾身の威嚇もなんのその、雛はとてとてと近寄ってきたは今度はくちばしで軽くつついてきた。
痛くはない、そうさっきと比べて全くもって痛くなかったけれど、片足で立つという暴挙に走っていたライには致命傷で、そのまま鉛直方向の投下速度運動。
「そ、そんなぁ~!!」
涙の橋を宙に残しながら、ライの体は巣からまっさかさまに落ちていく。
「ライ、危ない目にあってないかなぁ……」
五時間目も終わりが近づく中、フェイトは窓の外をぼんやりと眺めながら呟いていた。
自分の身の丈ほどある草が生えた地面の上で、ライはぺたりと座り込んでいた。
「あ、危なかった……」
木から落下してしまったライだったが、途中で自分が空を飛べたことを思い出して、どうにか減速することに成功したのだった。
どきどきと激しく脈打つ心臓の鼓動がおとなしくなるまで胸に左手を当てておとなしくしていたライだったが、気が静まると大きく息をついた。
「まったく、最強なボクじゃなかったらどうなってたことか」
すっくと立ち上がった姿はもう既に自身満々な出で立ち。いいところの一つである超絶ポジティブさを発揮したライはもう元気である。
足元にあった手ごろな長さの枝を持つと、それで天を指す。
「ふふふ! ボクの勝利だ!」
枝が指す先、カラスの巣があったであろう木の上方に向かって高らかに勝利宣言。
「はっはっはー!!」
実に愉快そうにぶんぶんと枝を振り回しながらライは木から離れて歩き始める。足取りは軽く今にも踊りださんばかりである。
ただ、特にどこにいこうというのではなく、テンションに突き動かされてとにかく動かずにはいられないということである。
「ボクはさいきょー! 無敵なのさー!」
即興の自作歌を歌いながらライは練り歩く。
背後からやってくる影には気づかず。
「誰でもかかってこーい!」
「にゃー」
「そうそう、ねこねこねーこロケンロール!」
「にゃー」
「にゃんがにゃんがにゃー……って、え?」
びくりと全身を震わせてから恐る恐る背後を振り返る。
そこにはライの顔ほどあろうかという目を爛々と輝かせ、両手を広げた彼女くらいの大きさの顔を持った四足歩行の動物がいた。
「にゃー」
いわゆる猫、それも真っ白な毛並みが可愛い猫だ。しかし、現在ただの小人でしかないライにとってはその全てが巨大なのである。
人間が見れば小さく愛らしいとしか思わない歯も、彼女にとっては巨大な猛獣のそれでしかない。
「う、うう……なんだよ! く、来るのか!?」
「にゃう?」
最初こそ意表をつかれ身を竦ませていたライだったが、すぐに虚勢を張って手に持った枝を猫の鼻先に突きつける。
だが猫は不思議そうに小首をかしげて枝を見詰めるばかり。
「あ、あっちいけよ!」
先ほどの雛の時とは違って、あまりに相手が大きすぎるので腰が引けているライはたまらず枝をぶんぶんと左右に振る。
「……」
枝の動きにあわせて猫の目も動く。
ここで考えてみてもらいたい。目の前で木の枝という細いものが左右に揺れているのを見て、猫はいったいどういう行動に出るのだろうか。当然、逃げるはずがない。やるとしたら、ただ一つである。
「うにゃ」
「ああっ!」
そう、じゃれる。
ねこじゃらしに攻撃を加えると同じ要領で、猫はライの枝に前足を突き出した。
そして見事に猫パンチは枝にヒット、枝を吹き飛ばした。
「ああ……」
飛んでいった枝を見詰めるライの瞳は見開かれ、小刻みに揺れている。
あっけなく中程で折れてしまったそれは、今は力なく地面の上に転がっている。
「にゃー」
「うっ」
猫は「もう終わり?」とでも言わんばかりにライを見詰めている。
つぶらなその瞳も彼女ライにとっては獲物を前に舌なめずりするライオンやヒョウのそれにしか見えず、気づかないうちに一歩二歩と後退りしてしまう。
そして、開いた距離を猫が縮めようと一歩踏み出した瞬間だった。
「うわーん!!」
猫に背中を向けて、全速力で逃げ出した。
尻尾を巻いて、という表現が見事に当てはまる逃げっぷりで、小さい体に似合わず驚異的な速度で飛ぶように走る。
「にゃー」
「追ってくるなー!!」
しかし去るものを追うのもこれまた猫の習性。ライのすぐ後ろぴったりをくっついて猫が追いかけてくる。
「くるなって言ってるだろー!!」
「うにゃー!」
零れそうになる涙を堪えながらライは足を動かし続ける。
捕まらないようにじぐざぐに走ったり急カーブしてみたり、振り切ろうと色々頑張るが俊敏さで猫が遅れをとることなど滅多になく、ぴったりと背後についてきている。
「にゃー!」
「それにここどこだよー!!」
右も左もわからない中、ライはひたすら走り続けた。
「あれ?」
今日は講義がないために庭に面したテラスでのんびりとお茶を飲んでいた忍は、一瞬木々の間に小さな人影が見えた気がして、紅茶を傾ける手を止めた。
「忍お嬢様? いかがなさいましたか?」
「あーいや、うちの庭にコロボックルなんか住んでたっけかなー、って」
「はい?」
「あー、いや、うん。ノエル、虫取り網と虫かご用意してくれない?」
「は、はぁ、了解しました……」
「早くお願いね!」
もう一度目をこらしてその周辺を見てみたが、人影はおろかなにも怪しいものはなかった。
しかし、それでも忍は自分のみ間違いとは思わない。夜の一族の視力に相当自信があるということもあるが、いわゆる科学者勘(女の、ではない)も本物だと訴えているのだ。
――これは捕まえるしかないでしょう!
最近感じることのなかったわくわく感に、忍は口元に笑みをたたえた。
「ね、フェイトちゃん? ……フェイトちゃん?」
「はぁ……」
「あー、あかん。なにやら自分だけの世界に突入しとる」
五時間目が終わった休み時間。友人の話も耳に入らないほどにフェイトは心配に悩まされていた。
――ライって小さくて可愛いし、変な人に目をつけられたりしてないかなぁ。
一瞬背筋に悪寒が走ったが、逃走中の身であるライはそんなことを気にしていられない。
「にゃーご」
「いい加減しつこいんだよー!」
いつの間にか足元は土ではなく石畳になっているが、息も絶え絶えに走る彼女は気づいておらず、障害物があまりなくなっていることのほうが問題であった。
今はまだなんとか逃げ切れているが、それもいつまで持つかはわからない。ライの息もうあがっているし、肺も悲鳴をあげている。
――な、なにか! なにか……あれだぁ!!
とにかく手を振り足を前へ動かしながら、周囲を見回すと、救世主(ライ視点)が目に入った。
それはここ月村邸の正門。金属製のいかにも名家といった具合の巨大門だ。またもや金持ちのステータスとばかりに複雑な意匠が凝らされているが、それにはライ一人であれば抜け出せそうな隙間がところどころに空いている。
「やるしかない!」
思いついたら一目散。もし抜けられなかったら、など微塵も考えずにライは門めがけて走っていく。
「君から逃げてボクは飛ぶ! とうっ!!」
近くに寄ると、一番大きいと思われる隙間に向かってダイブする。
目にも鮮やかな青色のツインテールがたなびき、まるでプールに飛び込むかのような姿勢のまま、その体は綺麗に隙間を抜けていく。
「くぅっ!」
そしてそのままごろごろと地面を転がる。
無事に門を通り抜けられたことにほっと息をつくこともなく、ライは立ち上がると背後を振り返る。
「……ほっ」
「にゃー……」
ライほど小柄ではない猫は門の隙間を通り抜けられなかったらしく、切なげに門の内側で鳴いていた。相当ライが名残惜しいのかがりがりと門を引っ掻いている。
暫くライをじっと見詰め続けていた猫だったが、気持ち尻尾をしょげさえながら門の前から去っていった。
「た、助かった……」
身を圧していた危機感が抜けたとたんに脱力感に全身が包まれ、地面にへたり込んでしまう。
乱れた息が整ってくると、ほっと一息をつき、のそのそと立ち上がった。
「とりあえず、帰らないと」
ライ自身なぜこんなことになったのか不思議だが、本来は家で留守番をしていたはずなのだ。約束を破ってしまっているという罪悪感だけでなく、家にいないのがバレないうちに戻らないと怒られるという不安もあって、気が急く。
額に手を当てて、きょろきょろと周囲を見回す。
門の方向は、嫌なことが思い出されるしもう行く気もないので背中を向けた。
右。まっすぐな道で、右側には塀が聳え立っている。
左。右の時と風景に違いがない。
正面。これまた塀。
「……ここ、どこだ?」
ぽつりと呟いたつもりの声は、ライの思った以上に大きかった。
さっとライの表情から色が消える。
そもそも地球の一般人にしてみれば存在自体がギャグにしか思えないライはほとんど家から出ていない。外出する時だってたいていがフェイトの頭の上に乗っていただけで道を気にしていない。なので海鳴市のおおまかな概要すら覚えていない。
それなのに、ここ月村邸があるのは海鳴市ではなく隆宮市である。なおさらライにはわかるはずはなかった。
冷や汗を流しながら何度も周囲を見回すが焦りがつのるばかり。
――ど、どどどどうしよう!!
動揺と混乱で頭の中はぐちゃぐちゃになる。だから、背後で門が音もなく開いたことに気づかない。
「っ!」
「とったどー!!」
ばさっとなにかが音を立てて自分に被さってきて視界が白くぼやけたと思ったら次の瞬間には救い上げられたような浮遊感。同時になにやら女性の歓喜の声が聞こえた。
「きゃー! みてみてノエルこの手のひらサイズの人間! ツチノコなんて目じゃないわ!!」
「まさか、本当に小人がいるとは……」
ライを虫取り網でゲットした張本人である忍がぴょんぴょんと跳ねる度に、網の中のライも上下運動。未だになにが起きたかわかっていないライは頭が下で足が上になっているのも気にせず呆然としている。
「あ、それよりノエル虫かご出して」
「はい」
ノエルが両手で持った虫かごに、網をさかさまにしてライを放り込む。
ころり、と抵抗もなくどこか懐かしい感じのする虫かごの内部に入ったライは、天井の蓋が閉められる音によりはっと正気に戻る。
「いきなりなにするんだよバカー!!」
「いやーん、なになに日本語を喋れるのこの子!?」
「喋れるよバカ! といより出せよ!!」
「それにこっちの言葉も理解できてるじゃない! こんなサイズだと脳の容積は人間どころか猿にも遠く及ばないはずなのにこの知能、不思議だわ!!」
「ボクは帰るとこなんだよ!」
「よく見れば服も凄い精巧ってことは小人の文明や科学もかなりのレベルってことになるのかしら……?」
「ボクの話を聞けー!!」
プラスチックの壁をがんがん叩いて自己主張するライだが、一度マッドサイエンティストのスイッチが入った忍の耳には一切合財が入らない。
ノエルからひったくった虫かごに顔を一杯に近づけ、じろじろと無遠慮にライを見詰め続けながら考察を垂れ流す姿は、横にいるノエルがちょっと引く程だった。
「あーもう色々実験とか調査したいことが一杯ありすぎて、忍ちゃん困っちゃう!!」
「な、なんなんだよおまえはー」
「最初はなにしようかしら……」
「うっ」
まっすぐに忍の目がライの瞳を捉える。忍の目の底では、肌がぞわりと粟立つような気味の悪いなにかがぐるぐると渦巻いていて、ライは知らず知らずのうちに後ずさる。
「仮定ではあるけど、人間を完全に小型化したと見てよければ、ラットなんかより余程新薬とかの実験には最適よねぇ……」
「ひっ!」
背中に感じる固い衝撃に振り向くと、既にライは虫かごの中の端に追い詰められていた。
鼻の奥につんとしたものがきた。
「でも、人間としてみたらまだ子どもみたいだし……もしかしてもっと成長するのかしら!!」
「あうううう」
美人の証であろう赤い唇も、不気味に薄く笑う今の状況では、ライに恐怖しか与えない。
逃げ道もなく、ライはへなへなと座り込んしまう。
先ほどからカラスだ猫だと連続で襲われていっぱいいっぱいだったというのに最後はこれである。もうライの頭の中は疑問と混乱と恐怖でぐちゃぐちゃになっている。
もうなにがなんだかわからなくて、今まで強がって見せていたけどやっぱり怖いし、帰りたくてしかたがない。
「う……ひっく」
だから、一度零れてしまうと止められなかった。
「ふぇ……うう……」
後から後から熱いものが出てきて止まらない。
「うわああああああん!!」
火がついたように突然始まった号泣に、自分の世界に入っていた忍もびくりと身を震わせ目に正気の色を取り戻す。
一歩引いて見ていたノエルも恐る恐る覗き込む。
「なんなんだよー! ボクなにもしてないだろー!!」
涙を流しわんわんとわめくライに、忍もおろおろとし始める。
元々小さくいけれど子どもの
「ね、ねえノエルどうしようねえ!?」
「そ、それは……」
「ボク家に帰るー!! 帰してよー!!」
忍にすがられたノエルもとっさにはいい対処が思い浮かばず言いよどむ。間違えて「忍お嬢様の自業自得では」などと言いそうにはなったが。
「うう、ひっく……」
困った二人はなす術もなく、泣き続けるライを見詰める。
と、ここでノエルがあることに気づいた。
「あの、忍お嬢様……」
「どうしたのノエルなにかいい案がっ!?」
「いえ、そういうわけではないのですが……」
さすがノエル頼りになる、といった様子に輝く忍の瞳に、申し訳なさを感じながら、ノエルは思ったことを口にする。
「すずかお嬢様のご友人の、フェイトお嬢様によく似ている、というよりそっくりな気が……」
「え……?」
言われて、忍のまじまじと小人を見る。
フェイトと言えば、最近できたすずかの友人の一人で、転校生は魔法少女ってなんじゃそのベタな展開は、と正体を明かされた時に驚いたのでよく印象に残っている。地球で言えばヨーロッパ系の白く澄んだ肌を持ち、なにより細く二つおさげにした美麗なブロンドが可愛らしかったなぁと忍の心に思い出された。
目の前の小人と記憶の少女を重ねてみる。
こちらの小人の髪は青色だけれど、確かにフェイトと同じツインテールだし、なにより顔の造詣もコピーしたのではと疑いたくなるほどにそっくりだ。
「…………」
フェイトと魔法という二つの単語が忍の脳内でドッキングして、嫌な汗が首筋をつたった。
放課後、多くの少年少女たちが三々五々帰路につく中、五人の少女らも一団となって歩いていた。
「フェイト、あんた今日はなんかずーっと心ここにあらずって感じだけど、どうかしたの?」
金髪の勝気そうな少女が、一人集団から遅れかけていたフェイトに声をかける。
「え? なにアリサ?」
いつの間にかつま先を見詰めていたフェイトは、はっと顔をあげるが、待っていたのは四人の友人たちの呆れたような表情。
「はぁ……」
「あはは……」
「こりゃ重症やわ」
「アリサちゃん、抑えて」
「え? え?」
状況がわからず混乱しているフェイトに、やれやれといった様子でアリサが説明をする。
「あんたねー、授業中も窓の外見ながらため息ついたりしてたけど、なんか悩みでもあるの?」
「あ、うん。あのね?」
「うんうん」
表面にはおせっかいな友人としての表情を貼り付けているが、アリサの内心では、このパターンはすわ恋の悩みか、とわくわくしている。
「ライが、家で一人でお留守番してて……」
「…………ごめん、もう一回言ってくれる?」
「うん、ライが一人でお留守番してるから心配で……」
「ちぇすとぉー!」
「あうっ!」
びしっ! とアリサの手刀がフェイトの額に入る。
「あんたねー! そんなことであんなに悩んでたわけ!?」
叩かれたところをさすっていたフェイとだったが、アリサの言葉にむっとして反論する。
「そんなことなんかじゃないよ! ライは小さいんだよ? なにがあるかわからないんだよ!?」
「だぁー! 幼稚園児じゃないんだから大丈夫でしょうがそれくらい!」
「いや、ある意味幼稚園児並な気がせんこともないんやけど……」
はやての呟きは、アリサには届かなかったもののすずかとなのはの苦笑を誘った。
「というより私のわくわくを返しなさい!」
「にゃー、アリサちゃん本音……」
びっとフェイトの鼻先に指をつきつけるアリサになのはが突っ込みを入れる。
そんながやがやと賑やかな帰り道、友だちとの笑いの輪の中にありながら、すずかは前方から来る車に気づいた。
「あ、お姉ちゃん」
その呟きに全員がすずかの視線の先を見ると、なるほどそこには窓からこちらへ身を乗り出して手を振っている忍の姿があった。
「いやー、よかったよかった見つかった」
五人の横まで来ると車は止まり、すずかたちも足を止めた。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「あー、うん。ちょっとフェイトちゃんに用事があって……」
「フェイトちゃん?」
「私、ですか?」
困ったような笑みを浮かべながら頬をかく忍が出したのは予想外な人物の名前であり、五人が五人とも首を捻った。
「ま、まーとりあえずフェイトちゃんこっちに」
「はぁ……」
なにかごまかすように場を取り繕ってから、ちょいちょいと手招きする忍を変だなぁと思いながらも、フェイトは車に近寄る。
「えっと、ね? そのー、あれなんだけど、さ」
フェイトを見ては視線を逸らすというのを何度か繰り返した後、意を決した様子で忍はまっすぐ彼女を見据える。
「そのー、この子をご存知でしょうか?」
そーっと忍が車の中から出したのは虫かご。
その隅っこには体育座りをして、膝に顔をうずめているライがいた。
――え? なんで?
家で留守番をしているはずの、本来いないはずの存在にフェイトの頭は一瞬ストップするが、すぐに再起動。
「ライっ!!?」
かっと目を見開き、忍から虫かごごとひったくる。
「ど、どうしてこんなところにいるの!?」
「ふぇい、と……?」
捨てるように蓋をこじあけてライを手に乗せてやると、ようやく気づいたのかライがフェイトの顔を見上げる。
最初はぼーっとしていたライだが、目の前にいるのがフェイトだとわかるや否や段々と涙を目の端に浮かべていく。
「うわーん、ふぇいとー!!」
「おっととと。どうしたの、ライ?」
「怖かったんだよー!!」
胸に飛び込んできたライを受け止め、あやすようにその背中を叩いてやりながらフェイトは事情を聞く。
「うー、あいつがボクを捕まえて、実験体にしてやるーとか言ったんだよー!!」
顔をフェイトの胸にうずめたまま、背中の方向へ指をさす。
「あ、あははー……」
その先にいるのは忍。
視線がそこに集まり、アリサ、すずか、はやて、なのはの目がすっと細くなる。。
「忍さん……」
「お姉ちゃん……」
「友人の姉は犯罪者やったんか……」
「義理の姉みたいに思ってたのに……」
「ちょ、ちょっとまってみんな! ほら、フェイトちゃんはまだ落ち着いてるでしょ!」
いたいけな四人の少女に冷めた視線を向けられ慌てた忍は、なぜか俯き目が窺えないフェイトを示して彼女らを宥めようとする。
「…………バルディッシュ」
「Yes, sir.」
小さな呟きが響いた。
黄金の光に包まれたかと思うと、そこに立つフェイトはバリアジャケットを身にまとい、左手でライを支え、右手でバルディッシュを握っていた。
「フェイトちゃんここ街中!」
「大丈夫だよなのは、結界も発動したから……」
「あ、ほんまや」
はやてが周囲を見回すと確かにこの場には聖祥の五人組と忍以外いなくなっており、感覚も結果内であると教えてきた。
「ライ」
「……うん」
「「ユニゾン・イン」」
再びフェイトが光につつまれる。今度はライが消え、その代わりフェイトのリボンの色が青く代わり、ツインテールの先が墨汁に付けたかのように深い黒に変わった。
垂れた前髪のせいで周囲からは目が見えないフェイトは、ゆっくりとバルディッシュを正眼に構える。
「どうしちゃったんですか、忍さん」
「え、あ、その……」
「ライは、前はちょっと悪いことしましたけど、今はとってもいい子なんですよ? それなのに、こんなことするんですか?」
「その、これには深いわけがあってー……」
いつもの彼女からは想像できないほど淡々と語るフェイトの姿に、否が応でも忍の中の危険察知アラームが鳴り響く。
「フェイトちゃんちょっと止まっ……バインド!?」
慌てて二人の間に入ろうとしたなのはだったが、その四肢は即座に金色のバインドに拘束されてしまう。
「なのはは、そこでちょっと待っててくれるかな?」
「フェイトちゃん、だめだよ!!」
「……ごめんね」
言うなりフェイトは残りの三人に振り返り、ぽつりと言った。
「巻き込みたくないから、みんなもそこから動かないでね?」
いいよね、と前髪の影から右目だけ覗かせたフェイトに、三人が三人ともぶんぶんと頭を上下に振る。
それを確認したフェイトは、ゆらりと幽鬼のように忍に向き直る。
「あ、あのー……」
「バルディッシュ、プログラムオーバードライブ……」
「Yes, sir. Zamber form.」
バルディッシュのリボルバーが回転し、同時にカートリッジが二つ排出される。同時に、バルディッシュは斧のようであったその姿を変えていく。
「ザンバーコネクト……」
天に向けて掲げたバルディッシュは黄金の刃を持つ一振りの巨大な剣となり顕現する。フェイトの身からあふれ出す怒りのオーラと共に
「あ、あの、フェイトちゃん? ちょっとだけでも話を聞いてくれると忍さん嬉しいんだけど――」
「問答無用! ザンバーヘル!!」
「ちょっ!!」
両手を突き出し、どうにか話に持っていこうとする忍だったが、まさに言葉の通り話を聞くこともせずまっすぐにバルディッシュを振り下ろす。
しかし、そこは夜の一族として人間より圧倒的な身体能力を誇る忍であり、ギリギリのところでフェイトの一撃を避け、ひしゃげた車から脱出する。
「……ちっ」
「今、舌打ちしたよねっ? キャラ違うよねっ!?」
「ザンバーヘヴン!!」
獲物が逃げた先に、飛行魔法を使って即座に追いついたフェイトが横なぎに払うが、忍はジャンプすることで避けた。
しかし、この選択が誤りとなった。
下へと引っ張ってくる重力を感じる空中。いくら夜の一族であり超人的能力を持つ忍でも、フェイトたちのように空は飛べない。つい反射的に避けはしたけれど、それは身動きできない空間に無防備な体を晒すということになるのだ。
「あ……」
最後に忍が見たのは、フェイトの赤い瞳。
睨むように細められた両目はすっかり据わっており、怒りの炎が燃えていた。
忍にはまるでスローモーションのように、振りぬいた得物を再び構えるフェイトが見えた。
「光に、なれえええええええええええ!!!」
この日、月村忍は星になった。
『後書き』
今回は雷刃の襲撃者ことライのお話でした。名前は捻りがないけど色々なところで浸透度も高いのでこのままで。
なんとなく条件反射的にライっていじめたくなって、そこにとらハのマッドサイエンティストこと月村忍嬢が加わった結果こんな話に。
でも、オチでフェイトの性格を壊しすぎたかもだしホームランだし……ひどい。もうフェイトはユニゾンしたら勇者王でいいや。
次回は星光ちゃんか統べ子のどちらか。