「開かれた新聞」委員会

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開かれた新聞:委員会から 6月度 児童・青少年と性情報 報道は何を伝えたか

 毎日新聞「開かれた新聞」委員会の月例報告(6月度)は、18歳未満の漫画のキャラクターによる性描写を掲載した本の販売を制限する「東京都青少年健全育成条例改正案」と、政府の総合対策案に盛り込まれた「児童ポルノサイトへのブロッキング導入」の二つのテーマに関する報道について取り上げました(意見は東京本社発行の最終版に基づきました)。

 ◇通信の秘密への新聞の反応鈍感--吉永みち子委員(ノンフィクション作家)

 子供を守らなければならない。でも、そのために通信の秘密や表現の自由が侵害されるリスクが払拭(ふっしょく)できない。そうなると、多少リスクを負っても子供を救うという結論に向かうしかない。問題はその先で、「仕方がない」と一度妥協すると、速やかさと実効性が重要になり、条件を付けることさえ児童ポルノを許すのかという反論に対抗できなくなる。もし実効性という観点から拡大解釈されたとしたら、実際どういうリスクが想定され、どんな覚悟をしなければならないのか。他に取るべき手段は本当にないのか、警察はあらゆる手段で真剣に摘発に取り組んできたのか。これらの検証は不十分だったと思う。

 ブロッキングには、ISPの全ユーザーのアクセス先をチェックする。検閲的な側面を持つことが可能になる道に、明確な歯止めをかけずに国が関与することを認めるのは不気味である。ただ、「あってはならない」と記事で書くだけで安心させてしまっていいのだろうか。

 ブロッキングでの訴訟リスクはISP側が請け負うことになるが、呼応するかのように通信を傍受して利用者情報を得る技術を広告ビジネスに利用することを解禁する提言を総務省の研究会がまとめた。侵され始めた通信の秘密に対しての新聞の反応は鈍感なような気がする。

 ◇規制を是認する風潮には違和感--玉木明委員(フリージャーナリスト)

 ネット上に児童ポルノがはんらんする状況は好ましいとは言えない。日本ではすぐに国や行政が規制に乗り出し、国民もそれを<よし>とする傾向が強い。が、そういう風潮には違和感を覚える。違う論点を提示するのも新聞の役目だろう。

 参考になったのは、メディア面(6月14日朝刊)だ。二つの問題点を指摘する。一つは「憲法が禁じる『検閲』に相当しないか」、もう一つは「通信の秘密、表現の自由を侵害しないか」である。確かに、悪質画像の検知が官(警察)の主導で行われれば、かぎりなく「検閲」に近いものになる。また、過剰なブロッキングが行われれば、通信の秘密や表現の自由を制約することになりかねない。この記事が「民間の自主性に基づいた取り組み」を強調するのは当然だ。

 漫画やアニメの性表現をより厳しく規制しようという都条例改正案にも、同様の問題点が含まれる。恣意(しい)的な規制が行われれば、<悪書狩り>が横行することにもなりかねない。そもそも、このような重大事が、広く議論されないまま決められること自体がおかしい。新聞はさらなる問題提起をして、世論喚起に努めるべきだろう。

 ◇問題の本質追う気迫感じられず--田島泰彦委員(上智大教授)

 都青少年条例改正について、毎日新聞の報道では、5月24日の記事など問題点を検証した記事がなかったわけではないが、紙面全体としては表現の自由の観点から、問題の本質に深く、鋭く迫る気迫は感じられなかった。創作物や単純所持への規制を図る今回の改正案は、自公両党が提出した児童ポルノ禁止法改正案の実質化にほかならないが、法改正による規制強化を求めるような記事さえ見られる(5月26日社説)。

 現行法が定義する児童ポルノの対象範囲は、非常に広くてあいまいだ。これを前提に新たな規制を加えることは過剰で不当な表現規制の危険が高い。

 ブロッキングについても、紙面では、全体として是認する論調に傾いているように読める。通信の秘密や表現の自由の根本にかかわるこの仕組みを安易に導入することには、ジャーナリズムの立場からしつこくこだわり続けるべきだ。

 いずれにしても、毎日新聞も含め新聞は、全体的に自分たちの表現の自由にかかわる問題としてとらえず、人ごとのように伝えている節がある。「児童ポルノは有害だから規制されて当然だ」という暗黙の前提の下、事柄自体の内実に踏み込むことをしないで、ある種の思考停止に陥ってはいないだろうか。

 ◇被害者の視点で情報倫理確立を--柳田邦男委員(作家)

 一連の記事を読んで感じるのは、被害少女が抱え込む、人生が破壊されてしまうほどの深刻さに対する切迫感、緊張感が伝わってこないという点だ。「表現の自由」「通信の秘密」が重要であることは当然にしても、理念の域にとどまっていないか。例えば、そのことを主張する人が、もし小中学生のわが娘が裸にされて撮影され、ネット上に出される事態が生じたらどう行動するのか。わが身の問題として、己に問い発言しているのか。そういう緊張感が感じられないのだ。

 歴史を見ると、核に象徴されるように新技術は、人間の意識、行動、倫理観を変質させてきた。ネット技術革命は、誰もが均等に表現活動のできる「垣根のない世界」を生んだ。しかし、それは「節度のない世界」でもあった。そこでは、活字時代の表現者が命がけで守ろうとしてきた「表現の自由」や「通信の秘密」の意味が変質し、「節度のなさ」を加速させる隠れみのにさえなっている。その指摘がどのメディアにもない。

 私は、ケータイやネットが家庭や子どもの間に普及し始めた10年ほど前から、デジタル情報化時代に危機感を抱き、情報倫理の確立を訴えてきた。公害・薬害や事故の分野では被害者の視点が重視される時代になってきている。児童ポルノ問題においても被害少女の視点に立って、新しい情報倫理を引き出せるような議論こそ報道機関には必要だ。

 ◇規制を監視します

 児童ポルノサイトへのブロッキング導入は、被害児童の人権と憲法が保障する通信の秘密や表現の自由をどう調整するかという難しい問題です。ネットでは表現の自由を隠れみのに節度のない世界が広がっているとの柳田委員の指摘は、世相の断面を鋭く突く警告と受け止めます。被害者視点に立った報道をこれからも続けます。

 一方で、他の委員が指摘する通信の秘密・表現の自由への侵害の懸念も、報道機関として警鐘を鳴らし続けなければならないと自覚しています。この問題はこれまでもメディア面などで取り上げてきましたが、過剰な規制につながらないよう監視を強め、今後も節目をとらえて紙面で検証していくつもりです。

 都条例改正案では、青少年の健全育成と性表現との兼ね合いが問われました。今回は否決されましたが、都は秋にも再提案する方針です。表現行為の制約につながる以上、あいまいさが残る内容は許されないとの観点から、引き続き問題提起する報道に努めます。

【社会部長・小泉敬太】

 ◇経緯

 18歳未満の青少年がかかわる強姦(ごうかん)や近親姦などを描写した漫画を18歳未満に販売することなどを禁じた東京都青少年健全育成条例改正案。2月の都議会提出後に全国的な論議が起きた。特に、条文の「非実在青少年」という概念のあいまいさや表現の自由侵害の恐れが指摘された。日弁連が反対の会長声明を出すなど批判が相次ぎ、6月定例都議会で否決された。

 一方、警察庁を中心にした政府は18歳未満を被写体とした児童ポルノ根絶対策の一環として、インターネット上のサイトへのアクセスを強制的に遮断する「ブロッキング(閲覧防止)」の導入を検討している。この措置は憲法が保障する通信の秘密を侵害したり、検閲になりかねないことから、ISP(ネット接続業者)側から慎重論が出ている。

 毎日新聞は、改正案について都議会の動きを逐一報じるとともに、本格審議を前にした5月24日朝刊では「不明確な基準論議 表現の自由どう守る」と特集した。また、ブロッキングについては、5月5日、同28日朝刊で被害実態や海外の事例を踏まえた必要性を特集する一方で、6月14日朝刊では、規制手法によっては通信の秘密を侵したり、検閲となりかねない「劇薬」であることを警告する記事を掲載した。

毎日新聞 2010年7月5日 東京朝刊